もう少し補足しておいた方がいいか・・・。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1260569824/632 >“出世間智によって把握される対象”
この言い方は微妙だ。『対象』という言い方は不適切に感じられる。
勿論、「意味」として或いは「法(≒理(ことわり))」としてそれを「対象」と称し得、
よって、その意味で、《「勝義という対象」が「出世間智に於いて」「把握される」》とは言い得るかもしれない。
≪出世間智に於いて見出される(炙り出される)(真の)意味・意義≫としてならばわかる。
阿羅漢果、或いは涅槃の境地を指して、「paramattha(勝義・第一義・最上義)」とすることもある。
(この場合のatthaは「(最上の)価値」という語義として見られるべきものだろう。)
そうした、涅槃に資するものとして『知らるべき意味・意義』としての(概念的)対象、
或いは「涅槃そのもの」を指して、「目指すべき対象」ならば許容しよう。
(※しかし、彼が想定しているのは、それ以上のモノであろう・・。)