立てた
そろそろ必要になりそうな予感。
とりあえず沈めときます。
3 :
Z武:09/12/26 11:06 ID:dMGKKMyE
ん?オイラが手羽先を振るう音?
4 :
Classical名無しさん:09/12/26 11:06 ID:dMGKKMyE
Zスレなのさ〜
5 :
Classical名無しさん:09/12/26 11:07 ID:dMGKKMyE
,.,.,.,.,.,.,.,..,.,.
,;f::::::::::::::::::::::T
i:::/'" ̄ ̄ヾ:::i
|/ ,,,,_ ,,,,,,_ヾ|
|=(三)=(三)=|
{ :::(__..:: |
. ', ー=ー ', さ〜
ヽ___ /
/´`''" '"´``Y'""``'j ヽ
{ ,ノ' i| ,. ,、 ,,|,,. 、_/´ ,-,,.;;l
'、 ヾ ,`''-‐‐'''" ̄_{ ,ノi,、;;;ノ
ヽ、, ,.- ,.,'/`''`,,_ ,,/
`''ゞ-‐'" `'ヽ、,,、,、,,r'
6 :
Classical名無しさん:09/12/26 11:12 ID:dMGKKMyE
,;f::::::::::::::::::::::::::ヽ
i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i
|,,,,_ ,,,,,,_ |::::::::|
(三);(三)==r─、|
{ (__..:: / ノ′ グフィ〜〜
', ==一 ノ
!___//
| ヾミミ ミ.`ヽ、
| ミミ ミ ヽ、
゙}, ヾミ ミ 、ミ゙:、
゙、 `ミ ヾ ゙、
゙、 ゙ヾ ヾ:}
`i、 `ヾヘノ、..メ゙:、
ヾヽr、..゙:、 ノ ヾ、゙、
゙i l. ゙i.''゙Y Y
ダメだ…スレタイの響きがキャッチー過ぎる…
沈みやしない…
みなさんようこそ。
書き込むがいい。そして、羽ばたくがいいさ。
なんだ、お一人さんですか。
ならほっときゃ沈むかな。
ここは本稼働まだなので。
使わずに済めば、それもまたよし。
2時間以上放置して、スレ順がまだ30番目とか。
sage進行の板も多いとはいえ、ほんと過疎がひどいね、ラウンジクラシックは。
まあそれでも、いい具合に紛れてきたし、
年が明けた頃にでも、ぼちぼち始めますかね。
そもそも、何やろっかなという問題もあるんですが。
前スレの続きをそのままやるかなあ。
とはいえ、ストックがあるわけでもないし、
やる前にあれこれ考えても、その通りになったためしがない。
結局、出たとこ勝負とみた。
おー、沈んでる沈んでる。
ゆさゆさがキャッチーなわけないじゃん。
まあ、こことあのスレとは別モノです。
2が立った経緯自体知らんし。私とは関係ない。
そういうことです。
11 :
Classical名無しさん:09/12/26 17:01 ID:dMGKKMyE
異常性欲者EZwebがこのスレを削除依頼したのさ〜
わー たいへんだー(棒読み)
もっとひどい荒らしや異常性欲者なら、私は知ってる。
知ってる? それは語弊がありますね。
なんとも言いようがない。
なんなんだろう。
書こうか書くまいか悩ましいとこですが。
日付が変わる前にやっぱり触れておきましょう。
DEEPさん。
私は、関連スレにああいう人が現れること自体、意味があるのだと思います。
どうでもいい話題なら、
京都教育大学集団準強姦事件が人の心の琴線に触れないような事件だったなら、
きっとどこの関連スレにも、ああいう人は現れはしない。
そのことだ大事だ、とまず言い置きます。
真偽?
私は、DEEPさんという人の、「現れ方」の話をしている。
義侠心と行動力に溢れたキャラのコテハンがあるスレに現れた、
というだけなら、まだよくあることだという人がいるかもしれない。
しかし、その人の言葉が、ほかの人の心に届き、実際にたくさんの反応を起こすとなると、
これは、そうあることではない。
そうした関係の間には、
空虚さの入りこむ余地など、どこにもありません。
DEEPさんの存在は、空虚なものなどでは決してなかった。
彼女は、現実世界においても、リアルに「機能」し、「存在」したからです。
神が死んだとわめいて、祭りがなくなるか。
鬼などいないとわめいたところで、伝説を語る人がいなくなるか。
鬼は、「いる」。千年以上も、日本人は、鬼の存在を忘れることがなかった。
一時も、鬼は皆から忘れられなかった。
わめく者の方こそ、死んでせいぜい数十年も経つと、
誰の記憶にも残らず、存在自体が忘れ去られます。
そもそもいたかいなかったかさえ不確かな、空虚な存在になり果てるのです。
それに比べて、鬼の存在感の確かなこと。角、金棒、虎の腰巻き、誰でも知っています。
さて、そう考えると、はたして鬼に喰われたのは、いったい誰だったか。
DEEPさん、あなたは、「いた」よ。今も、「いる」。
挨拶を忘れてました。
DEEPさん、はじめまして。1ですが。今後ともどうかよろしくお願いします。
1ですが。
私はせめて、語り継ぎましょう。
事件を、DEEPさんを。
鬼となりて、わめく輩を喰らい果たし給え、とまでは言いませんが。
仮にも20代女子を、鬼に見立てたのはマズかったですかね。
バチあてんといてください。
お、このスレ、だいぶ沈んだ。
1日置くと、ほどよく漬かりますね。
それにしてもこのスレの立ちにくかったこと。
今回、何度も「立てすぎ規制」に蹴られました。
こっちはスレ立てるの4ヶ月ぶりだっつの。
そういや4ヶ月前も、スレ立て時には規制に蹴られまくりました。
で、1の本文がテキトー極まりなくなって、
本当に立つころには、本文が「立てた」だけになってしまっているという。
1は常に表示されるので、重たくなくて、それもいいじゃないかと思います。
1ですが。
スレタイ、分かる人しか分からない仕様になっているので、
告知しなきゃ、ずっと独りのままという可能性が。
まあどのみち、ここの本格稼働は、避暑地にケリがついてから。
「話相手」を引き受けた以上、こっちからあそこを去るわけには。
たった一回、来てくれれば済む話なんですけどね。
あのスレ、いつ返却できることやら。
しかし、ここで独り居るのも、とりあえず悪くないです。
荒らし来ないですし。
大晦日が近づきますね。
夜がおし黙っている。
1です、とわざわざ書くのもなんかアレなほどの過疎状態ですが。
6月に関連スレをロムりだしてから、そろそろ半年。
あの頃から考えれば、事態にこんなに進展がないとは正直思ってなかったです。
ただ、なし崩しの一途。
部活を再開しようが、
入試や学祭を決行しようが、
文科省や事業仕分けや新学長がことごとく期待外れだろうが、
学生たちが何ら行動を起こさず、
ひたすら気味の悪い笑みばかりを顔に貼り付けて
「なかったこと」「無関係」という無責任なスタンスを取り続けようが、
こちらには、流れを一変させるに足る有効な手立てがないのだから。
しかし、いま感じているのが無力感ではないのは、極めて不思議なことです。
いいかげん飽きればいいのに、と自分で思うことが
ないわけではないです。
今年の後半は、あろうことか2ちゃんねるなんかのせいで
本もほんとに読めていないですし、
そのくせ、その間2ちゃんねるの関連スレに費やした時間や労力ときたら、
計算したら目眩を起こしそうなレベルでしょう、きっと。
でもまあ後悔しているかと言われたら、そうではないんですね。
強がりや諦念でなく、あのスレというアウトプットの場をもらうことで、
自分がこんなことを考えていたのか、自分の問題意識はこんなところにあったのか、
ということに気付かされました。
大げさでなく、自分という人間を俯瞰したり、整理したり、
さらには今後の方向付けをしてもらったんですね。
あのスレにものを書いたおかげで。
あのスレにきてくれた人たちのおかげで。
私は今後一生、「京レ的な存在」の敵であり続けるでしょう。
あらゆる集団の圧力に、極めて敏感に反応して、
それらに滑稽なまでに抗い続けることでしょう。
あのスレのおかげでその決意を得た、
いや、自分の行動の規範が、幸か不幸か、そこに定まってしまったのです。
そしてその方針は、急に降って湧いたものではなく、
もともと私のもっていた性質が、
スレで紡がれた言葉たちによって名付けられた結果です。
だから、飽きるとか、飽きないとかいう問題ではないんですね、
私にとって、京レの問題は。
うん、やっぱ書かないと思考が進まん。
にしても、パソコンでやってたら、どんな文を書いたんだろう、と思います。
キーボードだと打つのは当然速くなるんですが、
なんか軽いんですよね。文がすべるというか。
行数制限のきついラウンジクラシックじゃ、
まだるっこしすぎてやりきれなかったかもしれません。
どこのスレにも書き込めるんですから、
自分でスレをたてたりなんかしなかったでしょうし。
まあそんなことは、考えても仕方のないことです。
お きたね、三代目。
さてと。今日も避暑地の主は来ず、と。
そのうちほんとに年が暮れちまいますぜ、まったく。
今日あたりは、夜だけでなく、ふと昼にもしんとする時間帯があったりして、
年の暮れを感じてどきりとしました。
この静けさは、年末のほんの4・5日しか味わえないですね。
なにかが終わるときの、特有の感覚。
1ですが。
年も暮れていきますね。
ここの本稼働、いつだろ。
にしてもロム専さん、よりによって大晦日なんかに絡まれて、ご愁傷さまです。
今ここは見ていないでしょうが、どうかひとつ、気をとりなおしていただいて。
紅白なんか見てますよ。
いまスマップが歌ってます。
今年はいろいろありましたが、来年はどんな年になるのやら。
きっと、何らかの動きはあるでしょう。
願わくは、それらがよい方向へむかうように。
では、また来年。
あけましておめでとうございます。1ですが。
まだ誰も見ていないこのスレ、
前のスレを返す段取りは進めてますが、どうなることやら。
箱根駅伝なんか見てますよ。いま5区。
今年は正月らしい正月でした。こんなの数年ぶりかな。
大学らしい大学ってどんなのか、とくに最近よくわからなくなってますけど。
大学における体育会系って、本来かなり特異な位置付けなはずですが、
けっこうどこも、長らく力を入れてきた歴史がありまます。
箱根駅伝でしか名前を見ない大学も多い。
これってなんなのかな。
おもしろそうです。
年初のテーマはこれにしました。
大学における、体育会系の歴史。日本に限らない方がいいかな。
体育会と体育領域が、なぜ京レででかいツラしてるのか。無縁ではないはず。
とはいえ、家にはそんな資料、なんにもないや。
ネットやら本やらぼちぼち漁るかな。
イギリスのパブリックスクールや大学から、尾を引いてる気はしてます。
触れやすいとこでは、ジョジョ第一部にも描写がありますね。
ジョナサン・ジョースターとディオは、大学でラグビーをやってましたね。
ふたりとも、学業は優秀という設定でした。
文武両道のイメージと、ジェントルマンとしてのたしなみ。
不可分だったものが、一人の人間に求められていたものが、
研究は研究、スポーツはスポーツと分離されて、当初の意義を失ったのでしょう。
よし、調べよう。
とはいえ、まとめる過程をシミュレートしてみると、なかなか厄介だねこのテーマ。
一からやるなら、手間が軽く文系卒論を超える。
どこぞの体育領域ならマスターもらってお釣りがくるな。
先行研究もいくつかありそう。
イギリスと日本、あとせいぜいアメリカをちゃっちゃとまとめた本でもないかな。
アジアはどうなんだろ。
中国、韓国、インド、東南アジア諸国、
どこも大学がスポーツを牽引しているイメージはない。
米国と日本くらいなのかな。あとカナダ。
ヨーロッパは意外と印象薄い。
スポーツ推薦、広告塔、社会的な地位、人気、観客動員、認知度、
その後の進路、プロの受け皿、学校体育教師、実業団、…
ただのメモになってしまった。
各国の大学進学率そのものも考慮した上で比較しないと。
あとメディアでの扱い。テレビ中継の有無とか。放映時間帯、視聴範囲、人数。
広告塔としての評価なんて、大学が各自してないのかな。
数値化は困難だろうけど。
ああ、そういや高校もアレだな、日本では。
大阪桐蔭、智辯和歌山…野球をやる子とふつうの生徒の募集が分離されてる。
どちらも、普通科だけ見れば、けっこうな進学校だ。
で、文武両道のイメージを売る、と。
何事によらずやる気のない学校よりはマシでしょ、というアピールなのかね。
青森山田やPLは、スポーツが突出し過ぎてるけど。
まだ手がつけられない。どこまでやれるかわからんけど、一応。
お、ロム専さんが挨拶にきてた。
ロム専さん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
ここに書いてもアレですね。
避暑地もちょい様子見中ですし、2は無関係というスタンスなので、
さしあたり、ここでご挨拶しておきます。
ロム専さん、体に気をつけてがんばってください。
挨拶を届けるのは遅れてしまいましたが、
心は籠めておきました。
「ヨーロッパ大学史研究」「ケンブリッジのカレッジ・ライフ」
「教育と平等」
「スポーツを考える」
「大学の誕生」
「世界の大学危機」
買ってきたはみたものの、薄いなあ。
ほとんどが新書とか。とっかかりにしかならん。
そのくせ、読む手間は膨大に掛かるという。
先達もいないし、地味にここから参考文献手繰ってくか。
大学史なんてのもみるべきかな。
さすがに買わんぞ。古書価が無意味に高いんだ、あの手の本は。
というわけで、しばらくインプット作業重視でいきます。
住人もいないし、気兼ねがいらないなあ。
レヴィナスを読みながらやるのに比べたらよっぽどマシかと。
あれは今振り返っても暴挙だな。やらなくて正解だったかもしれない。
アドレス貼ってたら1000いったりして。
寝ます。
ネットで「体育学研究」は読めるのね。
以下、見たけど直接は役に立たなかった論文リスト。
何を読んだか的メモ兼今後のカブリ避け。
加えて、それらの参考文献は使えるかもしれないので。
松井良明「イギリスにおけるスポーツの近代化と刑法に関する基礎的研究:(副題略)」体育学研究52 2007
中澤篤史「大正後期から昭和初期における東京帝国大学運動会の組織化過程:学生間および大学当局の相互行為に焦点を当てて」体育学研究53 2008
大久保英哲「近代日本体育の形成における幕末フランス軍事顧問団の影」体育学研究54 2009
まあ、どの論文も一瞥するだけでテーマ違いなんですけど。
参考文献を含めて考えれば、にじりよっています。
こんなのはまだ、勘が悪いうちにも入らない。
村上春樹「1Q84」読了。
村上春樹は、自分にとても身近な作家だった。ちょっとここでは書けないくらい。
あのスレでエルサレムスピーチを振ってくれた人や、
英文を紹介してくれたには、本当に感謝したいです。
あの縁がなければ、きっとこの先10年は読まなかったはず。
またこれにも触れることができれば。
多木浩二「スポーツを考える」読了。
近代スポーツの起源がイギリス貴族階級であること、
それがスポーツマンシップやアマチュアイズムと密接に関わっていたこと。
ヨーロッパ社会の脱暴力化のうねり(政治権力のいわゆる禅譲への希求)が、
近代スポーツのルールに影響を与えていたこと。
で、その後文化全体が大衆化していく中で、
スポーツも大衆化し、意義が変遷していくこと。
歴史は概観できた。
当初の読みは概ね間違ってなかったらしい。
でもまだぜんぜん足りんな。
したらば管理人さん、がんばってねー。
どうせここは読んでいないだろうけど。
こっちは目下絶賛インプット中で、人前に何かお出しできる状態じゃないので。
文字どおり、陰ながらエールを。
たけのこの先生方。
この悲惨な問題を、「にもかかわらず」笑いに転化するユーモア、
あるいは事件の物語化を通した普遍への希求、
これらは決して失われてはならないものだと私は考えます。
形は人それぞれ。真っ向から問題を扱うばかりが手じゃありません
(正攻法自体はすごく大事で、決して忘れてはなりませんが、と留保をつけながら)。
もはや誰も、事件を一気に打開するだけの手段や権力をもちません。多分。
ならば、搦め手から。
創作という方法に限らず、この発想はむしろ真っ当なはずです。
口汚いモラリストたちは、何も創り出しはしない。
先生方の積んだものを、毎度崩しては帰るだけです。
私は、積み上げたい。そして先生方も、「積み上げる人」たちです。
だから応援します。細かいあれこれに関わらず。
和(にぎ)やかな目で、私はみなさんをみています。
読み返してみると、なんか偉そうですね、上の。反省。
ここの本稼働、いったいいつかね。
風鈴さんとの兼ね合いもあるしね。
少なくとも、まだだいぶ無理だね。
正直、この孤独にまだぜんぜん飽きない。
気楽さが断然勝っている。
まだ何も書いてないからだろね。
なんか、1ですと名乗るのも最近忘れていた。
今日は進展あんまナシ。
安部悦生「ケンブリッジのカレッジ・ライフ」
読み物としてはいいけど、
昨日よりテーマとの関連度合いが下がる文献を読むのは、正直しんどいね。
今週末はまた文献漁るかな。梅田まで出て、旭屋とジュンク堂でもぶらつこう。
いいのがあればなあ。
既に誰かが同じようなテーマで研究やってる予感がすごくする。
一冊読んでカタがつくなら、こっちの苦労が減るのに。劇的に。
まあ、1月中はあがいてみる予定。
そのへんが避暑地のリミットだろうし、きっと。
そろそろ誰かいらっしゃる気配。
風鈴さんを待つためにおとなしくしてるのはホントなわけで。
それより明日いい本がみつからないと、やる気に関わるな。
今日はコレ。
苅谷剛彦「教育と平等」
2009年6月の本で、データが新しいのが強み。
中教審なんかがバリバリでてきて、
あのスレやってたときに読んどきゃよかったなと思わされる一冊。
話題が日本の戦後教育にかかったら役に立ちそう。
アメリカと日本の大学を比較した本なんかも書いてるね、この人。
あれば買うかな。
まあ、いつ見つかってもいいという気になってきましたよ。
まだこっちからアナウンスはしないけどね。
だいたい、わざわざこんなスレタイつけといて、隠すも何もないだろうと。
ロム専さんは偉いな。
確かに、忘れてしまってたことも結構あった。
まとめていただいたおかげで、いろいろ思い出せます。ありがとうございます。
けど、単純な疑問として、あの人はなんであんなにがんば(れ)るかな。
私にはあんな馬力はない。まるで重機並みのローギア。
凸報告の度に、雑魚荒らし相手に「ロム専無双」状態だものな。
しかもときどき自爆しはるし。でもすぐさまコンティニューして復帰するし。
その100円玉、誰か取り上げろって時々思う。
少なくとも私なら、たいへん過ぎて毎度次の日寝込むレベルだから。
なんだろね、あの常に倍プッシュな侠気というか、
スルーは甘えですみたいな花山イズムは。
あ、男の子の読むマンガの話ですので、気にしないでください(ムリか)。
今日分かったこと。私は女性を評するのが極端に下手だ。でも応援してます。
昨日は本も漁らず結局バーゲンなぞに。
関連書籍も読まずに鍋とか。
寺山修司は読んだけどね。
明日こそ大阪まで出向かねば。
もう2時か。
梅田の旭屋とジュンク堂。
そこでなければ、図書館にシフトしなきゃ。
基本的に、本は買う主義なんだけど。
寝よう。
4ヶ月前に立てたスレ、ラウンジクラシックの最深部まで沈んでた。
スレ総数も800を超えたから、板圧縮が近い。そろそろ消えるね。
ラウンジクラシックは、他の板と違って、●を使ってもログは読めないらしい。
あのスレ、久しぶりに読み返してみたけど、
活動期間は実質1ヶ月ちょいしかなかったのな。いろいろ喋ったものです。
まったく未消化のまま終わってはいるんだけど、
それなりに言いたいことは言えている。
8/25のうちにスレ立てしたくて、
でも規制で蹴られまくって、諦めようかと思っていたら、
日付が変わる数分前に突然立ってびっくりしたのを覚えている。
あのときは、携帯を覗いた姿勢のまま、廊下で立ち止まったな。
8/25は、事件からちょうど半年後でした。
来た来た大阪。
京阪のなんちゃら線、初めて乗ったね。
阪急梅田から歩くよりは、ジュンク堂のあるアバンザには行きやすい。
大赤字らしいけど。
そういや、大阪市営地下鉄の今里筋線も、財政難の中、なんであんなの作ったかね。
どのターミナルにも行き着かないという不思議な線。
御堂筋線の黒字をまるごと帳消しにするほどのお荷物路線らしい。
京都の地下鉄も、東西線だっけ、横の線はたいがいダメだ。
このへんの事情、もっこすさんが詳しいかな、もしかして。
アバンザ地下のホリーズカフェ。
京阪の新路線、名前は中之島線か。
ホリーズカフェ、安い割にはコーヒーがうまいね。
近くにあったっけ。
さて、そろそろ出向くとします。
帰宅ー。
ジュンク堂しか行けなかった。けど収穫ぼちぼちアリ。
さすがだね。でかいだけある。
ヨーロッパの大学の歴史を概括するのはなんとかできそう。
スポーツとの絡みも説明はつきそうだけど、弱い。
決定的な文献にはまだ出会えていない。
アメリカのスクール内カーストも、前に引いたページあたりで説明はつくかな。
次なるステップは、経済。
仮説。各時代において、世界有数の経済力がある国でないと、
大学スポーツなんかが力をもつには至らないんじゃないか。
結果からみるとそのとおりなんだけど、その背景や要因は何なのかな。
ここも、もう一押しほしい。
政治、経済、社会学、中でもメディア論。ごった混ぜの様相。
これで、書ける。今初めて思えた。ジュンク堂偉い。
落ちかけのあのスレとも、絡みが見えてきた。
「日本人なら、日本代表を応援するのが当たり前だろ」
「京レの学生なら、仲間の味方をするのが当たり前だろ」
これはやっぱり、違う。救い難く「安い」。
55 :
Classical名無しさん:10/01/12 21:29 ID:atBHL6no
代行スレ多すぎだろ
>>55 いらっしゃい。でもここは代行スレじゃないですよ。
あくまでここでやってることです。と断っておいて、
ちょうどいいので、ネットでの荒らしについて、ちょっと考えてみます。
どういう事情だか分かりせんが、
ラウンジクラシックの底を探索中に、
ヘンなスレを見つけて代行スレと判断し、書き込んだと。
たしかにラウンジクラシックには代行スレが多いですね。
こうも規制が長期間にわたると、
本来的でない存在意義がでてくるのも仕方がないかなと。
基本的に「板違いのない板」なので、話題が縛られないのも大きい。
ラウンジクラシックが避難所あるいは中継所のように使われてしまう所以です。
しかし、代行スレと誤読されるなんて、
その可能性も含めて想定したこともなかった。
人がいかに「誤読」するか。それは、望むところ、いかようにも可能です。
転載依頼などどこにもなくても、代行スレと誤認される。
そのこと自体は何とも思いませんが、その背景には興味があります。
何を望んで、55さんはこのスレを代行スレだと誤読したか。
おそらく、ラウンジクラシックには多数の代行スレがあるのでしょう。
「問答無用でレス代行・スレ立て代行」等のスレは、たしかに乱立しているようです。
あと多いのはしりとりスレとかかな。
誤読した55さんはこのスレを読んでもいないはずですし
(そりゃいきなり読んでもおもしろくもないでしょう)、
彼の思惑は、きっと全く別のところにあるはずです。
ぼんやりした不満。
「自治ヒステリー」といってもいいでしょう。
なにかこれ、最近特に強まっている気がするんですが。2ちゃんねるに限らず。
大きな話では、環境問題や、米国による諸団体のテロリスト認定なんてのは、
世界を舞台にした自治ヒステリーの表れじゃないかと。
一種の警察気取りというか。
モラリストの皮をかぶって法を盾にとった暴漢みたいな。
しかしその裏では、利害とか立場とかが渦巻いていて、
しかもそうしたいやらしさの底が割れているにも関わらず、
偉そうな振る舞いを決してやめようとはしないという。
55さんの場合、まさか利害はないでしょうから、
自分が2ちゃんねるの自治に貢献している、
あるいは自分は自治意識を高くもった者である、
等の表明をしたかったんじゃないかと。
そのために、完全sage進行のこのスレを上げることは何ら問題はないし、
クソスレを読むまでもなく一行で端的に叩いてやった、
なんてぼくちゃんいい子なの、みたいな。
自治ヒステリーの表明が、自己満足に繋がるということ。
今はそういう時代なんじゃないのかと思います。
今特有の現象ではない気も、ちらほらしてきましたが。
満足するために、捏造してでも必要なものは、敵です。
関連スレでコテ叩きが止まないわけは、これだと思います。
大きな時代の空気に、知らないまま、無批判に乗っているんですね。きっと。
以後、どんな荒らしもスルーします、たぶん。
内田樹「村上春樹にご用心」
こんなのも読んでいる。ジュンク堂でみつけて、つい買ってしまった。
いったい何冊同時進行で読んでいるのか。
しかし、アンテナにひっかかるときには、一見無関係のものでも、
何かしら関連があったりするものだ。
幽玄能についても書いてある。
これは小川洋子のことを書いていたときに、誰かから振られた話題だ。
死者が登場することが、話題になっている。
「死者自身が自分の死を認めない限り、物語は終わらない。」
私は鎮魂をしようとしているのかね、もしかして。
ここは何のお話をする場所?
>>62 こんばんは。ここの1ですが。
> ここは何のお話をする場所?
ここはまだ始まっていないスレです。
基本的には、いまのところ一人でやっています。
話題は出たとこ勝負です。
もし興味がおありになるようなら、レスをつけてください。
「荒らしはスルー」と「sage進行」だけがルールですかね。
引き続き、絶賛インプット中。
1週間が早いね。今週末はまた大阪に出て、先週行けなかった旭屋書店かな。
紀伊国屋やブックファーストはアテにならないけど、時間があったら一応。
あと、JR難波にでかい本屋ができたらしい。
梅田がダメならそっちかな。帰るのが面倒になるけど。
あと、論文関係を集めなきゃだな。
これじゃ1月中は何も書けないね、きっと。
何か良くわからないけれど、まだ始まっていないのですね。
始まるまではあなたの日記ですか?
>>65 そんなとこです。
あなたはなぜここに来て、このスレに書き込みをしたんですか。
責められていると感じたり、ややこしい質問だと思わないでください。
素朴な疑問です。
67 :
Classical名無しさん:10/01/16 22:43 ID:gKGLaR.6
ゆさゆさ
>>67 こんばんは。1です。
スレタイが気に入りましたか。
それとも、気になりましたか。
どちらにしろ、同じことです。
あと、このスレはまだ稼働していないので、いまのところsage進行でお願いします。
明日は大阪。
なんと、センター試験と近畿全域の中学入試が同時にある日。
昼前くらいから動けば、電車も混雑しないかな。
1ですが。
大阪JR難波横のジュンク堂にいます。買いも買ったり、〆て3万円弱。
この本屋、蔵書100万冊はダテじゃないですね。
さすがにめぼしいものは幾つかあったのですが、
先週も2万円つかったから、サイフの中身がえらいことになっています。
あとは図書館と論文かな。どうかそれで済んでほしい。
これを今から持って帰るのか。やれやれです。
誤爆したー!orz
なんたること。
刺激しちゃったね。あらら。
ほらみたことか。
近代スポーツに関して抱いた最初のカンは、どうも正しいらしい。
その後の変遷、変質がむしろポイントかな。
まあ、カネというか資本主義でしょ。あとは主権の大衆化。
これもカンだけど。以下メモ。
プロスポーツの発達と、オリンピックの変質。
メディアの発達、交通手段の進歩。
大学というものの性質。
(既に失われた)古いものと、(実情に即した)新しいものとの混在。
教養主義が廃れながらもなくならず、かといって達成されもしないさまと、
スポーツマンシップの扱われ方は、とても似ている。
目に見えない軋轢。拡大する矛盾と誤解。
そこに集団のロジックが重なり、暴走する、と。
いまのところ全部カン。
貼り直しておこう。
「人間とスポーツの歴史」「集団」「ジェントルマンであること」はいいね。
渡部憲一「人間とスポーツの歴史」高菅書店 2003
河合香史「集団 人類社会の進化」京都大学学術出版会 2009
デレック・ボック、宮田由起夫訳「商業化する大学」玉川大学出版部 2006
現代スポーツ評論編集部「現代スポーツ評論14 変貌する大学スポーツ」創文企画 2006
岸野雄三編著「体育史講義」大修館書店 1984
山本正 編「ジェントルマンであること その変容とイギリス近代」刀水書房 2000
ジョックの問題も無視できないね。
コロンバインの事件に学校内カーストの問題が深く関わっていたとは。
酒と性暴力の関係、さらにそこに絡む、体育会系のメンタリティ。
科学的な立証は困難。手に余る。
事件を起こした者は司直の手にかかるし、
事件を起こしていない体育会系の連中も、あまり協力したくない類いの調査。
必然的に研究サンプルは少ないはず。
まあ、体育会系の起こした事件が多いことを概観すれば足りるだろう。
警察が何か調べてないかな。でも入手するのがきっとムズい。
なんとなく「ゆさゆさ」で検索したらw
鳥取はダメでした…
やはり大都市でないと、無理なのか。
地方都市の素朴な古書店って、憧れるんですがねぇ。
>>74 まいどです。ようこそ。
> なんとなく「ゆさゆさ」で検索したらw
普通の人はしません、そんなの絶対に。
> 地方都市の素朴な古書店
私は行ったことはないですが、倉敷は見込みがありそうです。
いわゆる美観地区の周辺に、2・3軒あったように思います。
前に紹介したOMM古書市に、遠征してきてました。
倉敷は観光地なので、素朴かどうかはわかりませんが。
「古書 夢屋」だけ、名前を覚えています。
以後またよろしくです。
避暑地は埒があかないのでここを立てたんですけどね。
ご覧のとおり、まだ稼働できないです。
文献の山に埋もれています。
そうはいっても、書き出さないと始まらないなというのも
最近とみに思うことでして。
ひたすらインプットばかりというのも鬱なものですから。
>>74さんが来てくれたおかげで、
自分の書く文章が展開を牽引するのに流れを委ねてみる気になりました。
早産気味ですが、今からこのスレを稼働させます。
ただし、告知はしません。
このまんま1000までいってもいいかなと。
77 :
Classical名無しさん:10/01/21 17:07 ID:dIAs7bas
稼動age!
78 :
Classical名無しさん:10/01/21 22:32 ID:dju0iqxk
稼動おめ〜
吹田の「天牛書店」に行ってきました。
これこれ正統派古書店、今のところ一番のお気に入りです。
ちょっとした美術館のような外観、螺旋階段で繋がった二階フロア。
郷土史から美術書まで…品揃えでは、大阪一かも…
>>78 稼働してるつもりです。1ですが。
> 吹田の「天牛書店」
存じております。
行きにくいんですっかりごぶさたですが。
北側の駅から歩いて、南側の駅まで歩くと(駅名失念)、
北摂の傾斜を利用して、楽にいけた覚えがあります。
大阪の古書店では珍しく自社ビルですよね。
天牛がお好きなら、阪和線の天王寺から数駅目すぐの黒崎書店が渋いすよ。
ここ、目録もすごいです。
毎回厚みが1.5cmくらいあります。
…全然稼働しとらん。まあ、そのうち。
うわ、すごい天牛書店行きたくなってきたじゃないすか。
あそこは本当にいい本屋です。高くないし。
週末は寒いけど晴れそうですね。
ここのところ毎週末大阪に買い出しで、読む方が追いつかないレベルです。
その程度がいきすぎると、買うことばっかり考えて、たいして読まなくなるんですよね。
それだけは避けないと。
四条河原町の交差点には、いつでも人がたくさんいます。
京都の人たちは、服の色目が比較的地味なように思います。
地元民と観光客の区別なんて、特につけていませんが。
街を歩くと、実にたくさんの人を目にしますが、人と「出会う」ことは稀です。
初めて訪れた古書店でも、人と出会えるかどうかは、そのとき次第です。
店主と話をして、いろいろ教えてもらうこともあれば、
ただお金を払って帰ることもあります。
なぜ、あのとき、私はあの店主に話しかけたのか。
あるいは逆に、話しかけられたのか。
三年ほど前に、秦秀雄という人の書いた骨董の本を買ったとき、
店守りをしていたおばあさんから、「渋いね、若いのに」と言われました。
下を向いたままボソリと言葉を向けたときの、
おばあさんの背中の丸みや、服のガラまで覚えています。不思議なことです。
もうそのおばあさんは亡くなり、店ももうありません。
そして、そのことを悲しむ私がいます。
何かに「出会う」ためには、出会おうとする構えがまず要るのだと思います。
とはいっても、特定の対象を定めてガツガツするのではなく、
一見縁遠いものに対しても、
もしかしたら、ゆくゆく自分に関係が出てくるかもしれないという意識で臨むこと。
なぜいまこんなことに興味を覚えたのか、その原因を性急に言語化したりせず、
しかし決して忘れず、気長に懐中であたためること。
私はそうやって、構えを作って、
というよりは、日常のあらゆる場面においてもそうした構えを作るために、
飽きずにいろんな書店に行っている、そんな気もします。
実際、書店では、さまざまな本に出会えます。
先に紹介した「世界の監獄史」も、
要・不要という観点に立てば、まず要らない本です。それも、たぶん、この先半永久的に。
持って帰っても大判で置き場所にも難儀しますし、
古書とはいえ、気軽に買うにはちょっとばかり高い
(定価で12000円+税です。古書価はその6掛けくらいだったか)。
監獄に興味があるわけでもなく、持ち合わせも少ないときに、
まあでもそれを買っておくか、と踏みきれるかどうかを決めるのは、
そのときの財布の中身というよりは、「構え」なんだと思います。
要するに、たとえ100円でも、値引き率が高いお買い得品でも、
縁のないものなら買わない、というだけですが。
で、そんな私の構えの間合いに、
京レの問題は何やら曰く言い難い形で踏み込んできました。
いわば、自分自身よく解らないうちに、
私は京レの問題と出会ってしまったわけです。
なぜ私がこの問題に飽くことがないのかについては、
だいぶ言語化しようとして、少しは手応えもあったのですが、
でも、いくら言葉を尽くしても、
なにかまだそこをはみ出す何かが、頭をもたげています。顔を見せないまま。
?
86 :
Classical名無しさん:10/01/28 09:41 ID:cKt7muG6
今夜の「ブラタモリ」、神田を取り上げますね。
古書街も出てきそうな…
要チェックです。
>>86 まいどです。
タモリは鉄道とか地図とか好きですからねー。
神保町に、西洋の古地図ですごいのを山ほど置いてる店があったのを覚えています。
値段も博物館級なので、まず買えない。
私はそこで、冊子化された「伊能図」を買ったことがあります。これまた超大判。
最新の日本地図と照らし合わせたりしながら、
当時の測量の様子を確かめたりするんです。
伊能図、沿岸部の精密さは驚異的ですね。
しかし、調べにくかったんでしょうか、
紀伊半島はズレが大きかったように思います。
ブラタモリ、ちょっと見れそうにありません。残念ですが。
ではまた。
そういや私の携帯、ワンセグついてたんでした。
ブラタモリ、見ることができるかもです。
それにしても鬼女本スレ、なんというロム専無双。
なんとか間に合いました。
いきなり神保町、しかも地図屋からスタートじゃないですか。
ブラタモリ、見終わりました。実は見たのは初めてという。
ニコライ堂は建物が重厚でなかなかよかったです。
末広がりの形をした鐘は、装飾も優美ですね。
自由に拝観というんですか、見に行けるのなら、行きたくなりました。
きっと神保町のついでに、ということにはなりそうですが。
情報量をガツガツ欲張らない編集姿勢に好感がもてます。
タモリ倶楽部との違いは、NHK名物のCGですかね。
最後に古書店街を写した画面に、田村書店の黄色い値札がチラッと見えました。
神保町、また行く気が増してきました。
ご紹介ありがとうございました。
河原町阪急が閉店とか。
バーゲンに行った日に、四条の阪急百貨店はダメだと避暑地に書いた端からです。
You梅田のかっぱ横丁みたいにしちゃいなYOとか思いますが、
それじゃ傷口にますます塩を塗るだけですね。きっと。
あと、私がダメだと言い続けている国立の某ボンクラ大学が、
京都には一つあるんですが。
順番がちがうじゃないかとも思います。
マスタ・・・でいいのかな?w
こんばわ。
録画したブラタモリ、ようやく見れました。
神田の古書街、想像のはるか上をいってました。
一日、いや二三泊して、徘徊してみたいですね。
某ボンクラ大学は、そう長くない気がしますw
>>92 まいどです。マスターですが。
> マスタ・・・でいいのかな?w
ここでは1でもいいんです。
> 神田の古書街、想像のはるか上をいってました。
> 一日、いや二三泊して、徘徊してみたいですね。
せっかく行くなら連泊したいですよね。
お盆とGWは閉まる店が多いので、向いていませんが。(とはいえここ数年は、そんな時期でも開ける店が増えてきています)
神保町の難点は、東京駅や品川駅から電車で行きにくいことです。
山手線の神田からだと、泣くほど遠いです。
新幹線から直行するなら、タクシーが最良でしょうね。
皇居をぐるっと巻きながら進めば、すぐに着きます。
> 某ボンクラ大学は、そう長くない気がしますw
志願倍率の中間報告が、関連スレでも話題になっていましたね。
今日の時点ではどの大学もまだ様子見なハズなので、なんともいえないです。
神保町、地下鉄を使ってもかなり行きにくいんですよね。
東京の地下鉄は乗り換えの手間が悲惨なほど掛かる駅が多いように思いますし。
やっぱりタクシーが便利です。
5ヶ月ほど前に立てたスレ、とうとう落ちたようですね。
関連スレ一覧からも消えていました。
まあ、ここでしばらくぼちぼちやっていきます。
帰ってきました。
帰り道に、飲み会を終えた学生たちの集団を見ました。
ある女子学生が一人、ニヤけた男子学生たちにかこまれて、何やらからかわれていました。
すれちがいざまに二言三言耳に入ってきただけでも、
その女子学生はけっこうひどいことを言われていました。
で、女子学生は、声には悲痛さが混じるほど嫌がりながら、
表情は、まだかろうじて笑っているのです。
おそらく、
それでもみんな、これからも仲良くしていかなければならない、仲間だから。
新しくつきあいだした彼氏をバカにされたり、腰が軽いと言われたりしていても、
笑みだけはなんとしても崩せない、といった風でした。
月並みな言い方ですが、私は、悲しくなりました。
たしかに、ああいう状況では、怒ってもはじまらないどころか、
人間関係はきっと致命的に、そして不可逆的に悪化してしまうでしょう。
あるいは、懐柔されて、怒りを無化させられてしまうかもしれません。
連中、声がでかかったので言葉はいくつも聞いたんですが、
私がすれ違って行き過ぎるまで、時間にしてせいぜい1分。
彼らの内情を知らないので、なんともいえないですけど。
進展ありましたか
>>97 こんばんは。
> 進展ありましたか
今、文学作品を追っかけてます。
イギリスヴィクトリア朝の「トム・ブラウンの学校生活」や「トム・ジョーンズ」とか。
何やってんだってほど迂遠極まりないですけどね。
歴史を、スポーツを軸に捉え直そうとすると、
私のもっている予備知識では歯が立たないんです。
何もかもを、見事なまでに知らない。
言い換えれば、19世紀の近代スポーツの成立と、その後の変遷は、
西洋社会を中心とした世界史そのものを指すらしいということが判ってきて、
えらいこっちゃだなこれは、と唾をのんでいるような有り様なわけです。
まあ弱音ばかり言っていてもはじまらないので、書けるところから触れてみます。
私は、1月に箱根駅伝を見ながら、
なんで大学が体育会を抱えているのかなという素朴な疑問をもちました。
学生が健康増進目的や余暇として行うスポーツに、
大学が場所や施設を提供するというなら、
これは自然なことだし、結構なことだと思うのです。
しかし、明らかに学業よりスポーツを優先させた選手やチームを作り、
そこに資金を投じるような大学は、国の内外を問わずあります。
これは何なんだろう、と。
体育会は大学の広告塔だ、という考え方があります。
普段からよく言われていと、比較的通りのいい説明です。
スター選手を集め、あるいは育成し、
新聞やテレビで大学名を連呼してもらって知名度を上げることによって、
経営によい効果が期待できたり、学力の高い学生を集めやすくなったり、
大学のブランドイメージが上向くはず、という算段です。
私も、まあそんなものかとずっと聞き流していました。
けど、体育会って、本当に経営上有益だったり、大学イメージを上げてくれたり、
偏差値上昇に貢献したりしますかね。
直感的に、そんなことはないと思います。
国内外の文献を調べてみると、認知度はともかく、
スポーツの強さと大学の偏差値とは無関係らしいです。
あと米国の話でアレなんですが、
スポーツで勝っても大学への寄付金が増えたりはしないというデータもあります。
法学者で元ハーバード大学総長のデレック・ボックは、
大学がスポーツに強くなれば経営が好転するというのは、「収益性の妄想」だと、
バッサリいっちゃってます。
ボックの言うことをもう少し引けば、
スポーツで全国トップクラスの水準を維持するのは、
普通に我々が認識する以上に、並大抵のことではないらしいんです。
忘れがちですが、大学生はプロじゃないですから、卒業していきます。
他大学との競争にさらされますから、選手の品質を長期間保つのは困難なんですね。
加えて、設備は消耗品ですから、常に最新のものが求められます。
関西にいる私は、このような経緯を読むと、
どうしても昨今の関大を連想してしまいます。
もうすぐバンクーバー五輪がありますが、
高橋も織田も、学年がかなり上がってきました。
高橋は既に院生ですか。
スケートリンクを備えたアリーナは維持費だけでも大変そうですが、
一番の問題は、あとに続く学生、というか選手を確保できていないことです。
関大は、アメフトや野球、サッカーなども、
附属高校を含めたグループ全体のスポーツの成績が上がってきています。
たぶん、資金注入を伴った、明確な「方針」なのでしょう。
関大のスポーツを牽引するスケートで、
織田・高橋に続くスターを確保(あるいは育成)することは急務のはずです。
まあ、スケートがダメでもアメフトがあるやという分散投資路線も
アリといえばアリですが、そこまで資金があり余ってるんですかね。
わかりません。
京レは国立だから、上のアメリカや関大の話なんて
あんまり関係ないじゃないかと思われるかもしれません。
でも体育系の部活を数多く抱え、
出費もなかなかのものでしょうし(収支を知りたいですね)、
観客から観戦料を取れる種目でめざましい活躍があるわけでもない京レが、
なぜ体育会を重要視しているか。あ、体育領域もですね。
ひとつには、体育教師養成という、
かなり特異な役割を担っていることが大きいんでしょう。
まあこれは表面的な理由だと思っていますが。
だってそれなら、書道や技術家庭科も、学内でもっと目立っていい。極端な話ですが。
副教科の教師になるコースなんて、
体育に限らず、滅多に設けられていないわけですから。
加えて、独立行政法人になってからは、親方日の丸とはいえ、
京レも自身の経営に無関心ではいられないはずです。
京レは、独立行政法人化の前後で教員数を減らす等してダウンサイジングし、
ディフェンスを固めることで、潰れにくい構造を作ろうとしていたようです。
でも、そんな状況下にあって、
体育領域と体育会は、大学内でちょっと異質だったのではないでしょうか。
その理由は、いったい何なのか。
陸上部、まだ事件の記憶も生々しい頃に、
早々に活動停止を解いて、アミノバリューのイベントを強行しましたよね。
顧問は体育領域の准教授。ご存知のとおり、スレも立ってるお方です。
ひとつはやはり、カネじゃないかと思うのです。
大学の中で、カネを生み出す可能性がある、数少ないグループ。
ただ、そうした企業を冠したイベントが
大学の経営に明確に貢献しているほどのものかというと、
とてもそうは思えません。
カネとはいっても、何かもっとセコいレベルの話という気がします。
協賛企業への就職ルートの確保とか、企業からの物品の提供とか。
でもそんなことで、無期限停止を解いてイベントやるかなあ、ふつう……。
このへん、大学の対応がふつうじゃないのでわかりません。
今のところ理解不能です。だからというわけじゃないですが、寝ます。
107 :
Classical名無しさん:10/02/01 11:12 ID:YpqTisW6
お疲れ様です。
>>107 どもです。
主に
>>103からの続きです。
大学スポーツの特徴は、ひとつには、選手に給料を出さなくてもいいことです。
もし彼らが広告塔として機能するなら、これはかなりの利点です。
アメリカの大学フットボールやバスケットボールは、
まさにその利点が最大限に活用された状態にあるといえます。
ひとたびゲームを開催すれば、
多数の観客と莫大な放送権収入が大学にもたらされます。
でも、大学の経営がバラ色かというと、そうでもないというんです。
たとえば、一流チームのコーチともなれば
待遇は破格(その収入は教授や学長をはるかに凌ぐ)ですし、
勝利した後も、最高水準を維持するための設備投資がたゆみなく求められます。
資金が枯渇したり、投資をケチる等して、
設備や人的投資等において他大学に遅れをとれば、
人材はすぐに他へと流れてしまいます。
スカウトの質や人数を数年ケチるだけで選手の発掘は覚束なくなるでしょうし、
派手な広報活動も、一旦やり始めてしまうと、止めるのは容易ではありません。
数年先まで予算を伴ったスケジュール(大学のカネが出ていくこと)が
決まっているために、たとえ方針を転換しようとしても、
大学の学長自身すら、就任したときには既に為す術がない状態なんだそうです。
(このへんはボックの言い訳もちょっと入っていそうですが)
米国のアメフトほどの盛り上がりをみせ、カネの動く大学スポーツなんて、
日本には存在しません。
日本の大学スポーツといえば、何があったかな。
ほんとうに今思い付くまま書くのですが、
箱根駅伝、六大学野球、甲子園ボウル(学生だけじゃなかったような)、
あと何かありましたっけ。
関東はラグビーも盛んみたいですね。早稲田とか明治とか。
旧帝大の間では七帝戦なんてのも毎年やってますが、ニュースにすらなりません。
サッカーは筑波が名門でしたっけ。たしか、平山とかゴンとか井原とか。
日本もプロ野球発足前後は、六大学野球の方が人気が高かったと聞きます。
長嶋なんて、当時からスターだったとか。
でも今はそんな面影は残っていなくて、
プロ野球は巨人すらテレビ放映が危機的状況です。
もっとも、兵庫にはサンテレビというオトコマエなローカル局がありまして、
ここだけは未来永劫阪神戦ノーカット放映を続けるでしょうけど。
まあ有体に言って、日本の大学スポーツは関東ローカルに留まるものが多く、
あまり儲かるものでもなさそうだということです。
で、そこで京レですよ。
どの部も、関西で二部や三部以下でちまちまやってる印象しかないのですが。
オリンピック候補だったという競歩の某なんて、突出したのは中にいたにしても。
なぜ、あそこの体育領域と体育会は、学内ででかい面してる(できてる)んでしょう。
体育会や体育領域が京レ内部で強い存在感を発揮している所以は、
スポーツの実績でもなければ、
金銭面や知名度といった面での、大学への貢献度の高さでもないと思うのです。
少なくとも。
(もちろん今回の事件発生以前の話です)
つまり、中身がない。
だからわけがわからないんですけどね。
彼らがスポーツにおいて全国区のヒーロー揃いで、
学内外から常に尊敬と羨望の眼差しで見られているというなら、
ある程度なら増長する理由も分かるというものです。
アメリカにおけるジョックというやつです。
チアリーダーと並ぶ、学生カーストの最上位。
ただ、実績は乏しくとも、ローカルなヒーローというのも、成立はするかなと。
応援する者/応援される者、という分け方に従えば、
体育会のメンバーは応援される者です。ごく単純に。
学校の名前を背負って、戦う。そこに名誉があって、勝敗は二の次なのだと。
うん、あり得る。
でも、根拠として幾分弱い。
特に、居酒屋で後輩相手に集団準強姦事件を起こすほど増長し、勘違いするには。
現状からだけでは分からんので、
以下、体育会系の歴史みたいなものについて。
19世紀イギリスを軸に、話を始めていきます。
ではまた次回。
>>112の補足を少々。
中身がないのに威張り、増長し、暴走するというのは、
よくあることなのかなと思い直しました。
たとえばナチスドイツが増長したのは、
彼らが言うようにゲルマン民族が優秀だったからでは決してないでしょうし。
ユダヤ人が劣等民族だったわけではないのも明らかです。
壮大な、言いがかり。
それがしばしば奏功することもある、ということかなと。
だから、実績も何もないが故に、という捉え方の方が、
むしろ彼らを捉えやすいはずです。
わけがわからないのは変わりないんですけどね。
ついでに
>>110補足。
甲子園ボウルは大学のみ参加ですね。
ライスボウルとごっちゃになっていました。
今年は関大がライスボウルも勝ったので、まじっちゃいましたね。
あれ、関大は負けたんでしたっけ。ライスボウル。
16対19で、鹿島ディアーズというチームに敗けてました。
まだ次の話題までの中休み。
京レサッカー部、平成2年までは関西学生リーグの一部にいたんですね。
最高成績は、昭和55年と、京都学芸大時代の昭和28年のリーグ3位。
「大学サッカーの断想」という本に、平成18年までのデータがあったもので。
関西では昭和40年代前半までは関学と関大の二強。
そのあと、大商大が急に伸びて、大体大と大経大が続いている。
平成に入ってからは阪南大や関大。最近では立命館も強い。
ここ10年、国公立大は一部リーグに入れていない、か。
だいたい昭和40年を境に、選手を集める私学にフタをされてしまったように、
国公立大学は関西一部リーグ上位から姿をほぼ消します。
京レは推薦で選手集めてるでしょうに。
入試の敷居を下げて、勝てないチームを延々運営する。いったい何のためなんでしょうね。
関東は国士舘、駒大、流通経済大あたりが強い。
ほかに、明治、早稲田、法政、中央大の名前も見えます。
スポーツに注力する姿勢が明確な諸大学。
このへんは箱根駅伝を彷彿とさせますね。
筑波は国公立で唯一気を吐いています。
まあここも推薦がらみですが、京レよりやり方がうまいんでしょう。
119 :
Classical名無しさん:10/02/04 19:20 ID:EsQBAmUw
>>119はなんでしょうね。
不定期かつ無差別にきます。席替えみたいなもんですね。
ラウンジクラシック名物なんですかね。
おや、ドウシテクレルノのスレも落ちてたんですか。
あそこには結局、避暑地を案内するときに1回書き込んだだけでした。
そういや京都は、河原町ビブレも閉店するんだとか。
今より下品な街にならなきゃいいがなと思います。
無理かな。
19世紀イギリス。イングランドといったほうがより適切なんでしょうが。
今では、私の携帯では「大英帝国」を一発変換できない有り様なわけですが、
まちがいなく、当時は世界一ブイブイいわせていた国なわけです。
と、話題を本筋にもっていくために、敢えて前置きだけ。
これでもう雑談はできない。書き込みます。えい。
題詠定刻・・・・・・・・
何語やねんw
>>123 こんにちは。1ですが。
> 題詠定刻
やっぱり、「大英帝国」とは出ませんか。
イギリスの栄光も今は昔、といった感じです。
さて。近代スポーツは、そんなイギリスで誕生しました。
成立年代については諸説ありますし、
幾つものスポーツがそれぞれに発展・統合・分化していった経緯を踏まえれば、
ざっくり19世紀中ごろからスポーツのあり方は大きく変化していった、
ということでいいでしょう。
そのことについて語るためには、スポーツが変化する前後の特徴を
それぞれ明らかにしなければなりません。
まず、ヨーロッパにおける近代以前のスポーツは、
その「乱暴さ」「ルールの不統一」「ローカル性」等によって特徴づけられます。
しばしば賭けの対象にもなっていたようですし、死人も出る。
戦勝記念や収穫祭という側面ももっていたようですね。
祝祭性と熱狂を伴う点は近代スポーツと共通していますが、
そうした性質の招く狂乱が、よりむき出しの形で繰り返されていたといえます。
対して、19世紀イギリスで成立した近代スポーツの特徴は、
「フェアプレー」「ルールの統一」「グローバリズム」と、
それまでとはあり方が一変しています。
(その後スポーツのありかたは更に変貌を遂げていきますが、
とりあえず19世紀イギリス限定で)
こうした諸々の変化は、いったい何によってもたらされたのか。
そして、なぜ他のものではなく、スポーツに、そうした変化が現れるのか。
以下に述べていきます。
あと、近代スポーツが成立した場所と時が、なぜ19世紀のイギリスだったのか。
これも興味深い点です。
と書いて、時間切れ。
次はもうちょっと更新頻度が上げられるようにします。
結局中1日空くという。
スポーツの近代化は、イギリスのパブリックスクールから始まったといわれています。
19世紀イギリスのパブリックスクールの学生は、
昔からの貴族階級(所領を持ち、その土地から不労所得を得ている層)と、
大英帝国興隆の流れに乗って、貿易や工業、株などの投機などによって
新たに財を成した層とに大別されます。
余談ですが、ジョジョ第一部のジョナサン・ジョースターの父、ジョースター卿は、
所領を持ち、貿易業でも成功しているという設定でした。
スポーツでいえば、ラグビーを当時の学生スポーツの花形として描いていることに加えて、
都市の貧民の間で発展したブースボクシング(貧民出のディオが駆使)にも言及しています。
荒木飛呂彦(を当時担当していた編集者)は、
きっと私と同じような文献を幾つかあたっていたのでしょう。
続きは帰宅してから。
今日こそはまとまった量を。
近代スポーツの精神がフェアプレーによって特徴づけられるということは、
先に書きました。
もちろん、その中でフェアプレーが重んじられた背景には、
スポーツマンシップという概念が成立し、かつ共有されていたことが、
大きく作用しています。
スポーツマンシップは、騎士道の影響を強く受けた概念だといいます。
「正々堂々」「潔癖に」「誇りをかけて戦う」「相手を尊重する」「審判を尊重する」
「相手の弱み(ケガ等)につけこまない」「劣勢にあっても怯まない」等々。
「正々堂々」は、選手宣誓の文句としても定番ですね。
これは、昔からの貴族階級の精神性を表現したものということができます。
一方で、近代スポーツのもうひとつの特徴は、徹底した「合理化」への希求です。
この「合理化」、当然というのが適切かどうかは別として、
「効率化」をも含む考え方です。
19世紀初頭、イギリスでは効率のよい自動織機が発明されました。
今もたぶん名前の残っている、ジャガードミシンのジャガードという会社がその筆頭です。
綿工業に限らず、工場の自動化と大量生産の仕組みは莫大な富を生み、
資本家や投機家を潤わせました。
また、当時のイギリスは、植民地も豊富にもっていました。
儲けやすい海外拠点が多いのですから、当然貿易は盛んになります。
そして、このようにして工業や貿易で成功した者たちが、
19世紀ごろのイギリス社会の中で、
新たにジェントルマンとして扱われるようになってきたのです。
社会的に成功した彼らに限らず、
「合理化」は当時の合言葉になっていたようです。
これは、単に科学信仰が進んだというだけでは捉えきれません。
資本主義の浸透、大量生産の広がり、植民地のモノカルチャー化と英語圏化…
スポーツも、こうした趨勢の例外ではなかったのです。
ルールは、統一すべし。
記録は、計量可能かつ比較可能な形にすべし。
世界をシンプルな(その実、自分たちに便利な)基準でくくること、
それは善であるという考え方。
これは当時、イギリス全土に広く行き渡っていたといいます。
産業革命を世界最初に達成した後、大量生産の仕組みを構築し、
各地に植民地をもち、貿易でも世界のイニシアチブを握り、
資本主義も発達していったタイミング。
なおかつ、貴族の精神性も権威も失われていない。
これらの条件が絡み合うことにより、
19世紀イギリスで、近代スポーツが芽生える機が熟していったと考えられています。
まあ、今日の話をまとめると、
19世紀イギリスの支配層は、
従来の貴族と新興のジェントルマン階級の二派からなっていて、
その子息たちの通う学校が、大学であり、パブリックスクールであったと。
で、そこで整備されたスポーツは、必然的と言いたい誘惑を断ち切りにくいほど、
中世貴族の精神性と、近代的合理主義を、巧みにミックスしたものになっちゃったみたいです。
今日は頑張った。寝ます。
次回は、そんな近代スポーツの更なる説明と、その変遷について。
京レに行き着くには、まだまだ遥かな道のりです。
また行き着くんですよ、これが。
古書店から、支援します。
>>135 こんばんは。はじめまして、1ですが。
> 古書店から、支援します。
ありがとうございます。
古書店通いは、私の趣味です。
ジャンルは特に設けていませんし、ただの無勝手流ですが。
ただ、古書マニア的な行為として、澁澤龍彦を集めて回ったことはあります。
その単行本の殆どを所持していると思います。
限定版や、やたら高いものは手がでませんが(また澁澤はそんなのが多いとくる)。
例外的に高いものとしては、「マドンナの真珠」を持っているくらいです。
私にとっては、清水が舞台ごと砕けるくらい高かったです。
もうしません、という感じです。
では、以後またよろしくです。
そういえば、「澁澤龍彦の世界」というムックを買ったときに、
中からエアメールが一枚、はらりと出てきたんですね。
差出人は、九條今日子。寺山修司の元妻です。
天井桟敷の海外公演中に、大阪在住の知人に宛てたハガキでした。
たぶん、私の買った本を売った人なのでしょう。
あたりさわりのない文面でしたが、中身は一応伏せます。
後で寺山修司の年譜をみると、
公演時期と場所が、ハガキとたしかに合っていました。
歴史を感じるというか、新刊では絶対に味わえない魅力があるというか。
古書はいいものです。
もう三時ですか。
本棚から、先ほどのエアメールを見つけました。
発掘に成功した、と言った方が適当です。
三時間近くかかるとは。
まあ途中に、本を読み始めたり棚を並べ替えたりしはじめたので。
私も現物を見るのは数年ぶりです。
差出人名、よくみれば九條「今日子」ではなく「映子」でしたね。
そういえば、そっちの名前も聞いたことがあります。
彼女が名前をどう使い分けていたのか(あるいは変えたのか)、よく知りませんが。
さっきまで本棚と格闘していたんですが、
本の間には、実にいろいろなものが挟まっていました。
その本の書評が載った新聞記事や雑誌の切り抜き、
美術館や映画や舞台のチケット(その本絡みのものが多い)、
蔵書票、購入者の(!)サイン、購入年月日や読み終わった日付のメモ、
新刊として買ったときのレシート等々。
出版社の新刊案内もよく挟まっているんですが、
数十年前のものを見ると、作家やタレントが別人のように若かったり、
意外な本どうしが同時期に出版されていたことが分かったりして飽きないですね。
だからなかなか片付かないという。
寝ます。
戦中の中原淳一に、「皇軍感謝絵はがき」という一連の作品があります。
私は以前、かっぱ横丁の「りーち」で、
ショーウィンドウに飾られていたものを、一枚求めました。
「鹿之子(かのこ)」と題された、横向きの美人が顔だけ正面を向けている作品です。
鹿の子模様の帯、地味な着物。
髪飾りは比較的派手ですが、葉書の上部に断ち切られていてよく見えません。
構図、顔とも、中原淳一作品の中でも上等の部類に入ると感じました。
ただ、紙質と印刷はあまりよくない上に、
戦中の質素な服装と、中原淳一タッチの女性の表情が、いかにもミスマッチでした。
中原淳一は、戦前から活躍した人ですが、
戦争が激しくなるにつれ、軍部から睨まれるようになりました。
彼の描く女性は軟弱で、服装も華美であり、戦時にふさわしくないという理由からです。
弾圧を避けるために、
中原淳一は、「皇軍感謝絵はがき」の他にも
「慰問エハガキ」「少女更生服絵はがき」「慰問用国民歌絵葉書」など、
当時の軍部や政府のための作品を出すようになります。
「中原淳一絵葉書絵本」グラフィック社 を見れば、
彼の描いた絵葉書をほぼ概観できます。いい出来の本ですよ。
で、私の持っている「鹿之子」は、
戦前の木版画シリーズ「娘十二ヶ月」中の10月「浮世絵屋の娘」を、
構図を変えずに着物の柄を戦中風に変え、
安い印刷にかけたものだったのです。
不本意であったろうと思います。
「娘十二ヶ月」は、中原淳一の最高傑作ではないかと私は思っているのですが、
復刻版の木版画が、価格はたしか30万オーバーで、
支払いは現金一括のみというアレな条件なので、
未だに手が出せないでいます。
もし買えたら、毎月掛け替えるのにとは思うのですが。
私の持っている「鹿之子」、裏を返して見てみると、戦中に使用済みでした。
切手はなく、細い筆で一言、こうありました。(本文は縦書き)
何時迄も御幸福でね
節
なんともコメントしにくいのですが、いったいどんな状況だったのかなと。
「節」は名前でしょうが、筆跡も含めて、
書いた人が男か女か、私には区別できません。
どちらでもいいと思っています。
出征か、結婚が決まったのか。とにかく、別れたのでしょう。
投函しなくても、手紙を渡せる間柄。
でも、敢えて書いた。それも一言だけ、という。
私はこの絵葉書を、写真立てに入れて飾っています。
デザインとして飾るに値するということもあるんですが、
裏面が見えると、重たいので、隠れてもらっているのです。
この葉書の裏面も、きょう、数年ぶりに見ました。
中原淳一、画集ならサンリオのものが最高だと思います。
あと、講談社から出ている二冊組の画集も必読です。
これは名前こそ画集とは謳っているものの、
中原自身の文章(「少女の友」や「それいゆ」からの引用)も豊富に収められていて、
あたかも手紙のような想いに満たされています。
文章、お世辞抜きで全く古さを感じさせません。
絵よりも普遍性があるくらい、いいです。
上に紹介した画集、古書価はけっこうしますが、読む価値は十二分にあると思います。
そういえば、中原が挿絵を描いた、川端康成「乙女の港」が最近復刊しましたね。
あれは復刊前は古書価が異常に高くて、手が出なかったです。
でも一旦復刊されて、新刊書店でいつでも買えると思ったら、
不思議に手が伸びないものです。
まあ、またいつか。
1ですが。
何のスレだったか忘れるくらい、古書のことばっかり書いてしまいました。
京レの問題が一区切りついたら、
……いつ一区切りつくのか、
何がどうなったら一区切りといえるのかすらさっぱりわかりませんが、
いつか気軽に古本スレでもやりたいですね。
古書市の情報交換をしたり、何をいくらで買ったとか、そういう他愛のないスレを。
2ちゃんねるにも適当な板は現状ないようですし、
そのときはラウンジクラシックでやろうと思います。
いつになるやら。
…変なフラグ立ちませんでしたよね、今。
さて。
近代スポーツの成立について、もう少し詳しく見ていくことにします。
イギリスのスポーツの代名詞でもあるサッカーはフットボールともいうわけですが、
19世紀半ばくらいまでは、手を使うことも許されたり、
メンバーの人数もまちまちだったりしたようです。
ルールがパブリックスクール各校で違うので、
統一するための会合なども設けられました。
しかし、ルールがすぐにうまくまとまったわけではありません。
例えば、「ボールをもって走る」ことを許可していたラグビー校は、
自分たちのやっていたフットボールを、ラグビーとして独立させました。
パブリックスクールは数もそこそこあって、
対抗戦なども盛んだったので、
大学より先に、ルールの統一化に目が向いたのかもしれません。
あと、この前書いたような新興富裕層の学校内に占める比率が、
大学よりはパブリックスクールの方がやや高かったことも、
多少影響しているかもしれません。
ケンブリッジなどは、19世紀中頃までは、
卒業生の約60%が牧師になるような学校でした。
1850年を過ぎると、徐々に経営者や官吏等になる者の割合が上昇してきます。
パンスレ815、ひょっとしたら、あれクマたんじゃないのかね。
文末の「お」の使い方に、独特のキレがある。そんな気が。
冬眠中に繰り出した睡拳とみました。
我ながら認定厨乙であります。
ロム専△も相変わらず。
自己修復機能と情報探索機能を搭載した、
walking、というよりは陸戦型database。
今日も、誤爆してもめげない強い子でした。(応援してます)
146の続きなわけですが、
大学に入ってくる学生の層が、19世紀に変化をみせるんですね。
ひとつには、1860年までは、オックスフォードとケンブリッジに入学できるのは、
単にイギリス社会のトップ層というだけでなく、
イギリス国教会の信徒に限られていたということがあります。
なぜ、オックスフォードとケンブリッジは、国教徒以外にも門戸を開いたのか。
変化の兆しは、1827年。
オックスフォードとケンブリッジに次ぐ、イングランドで3つめの大学として、
ロンドン大学(の前身)が作られたことです。
ロンドン大学(当時はユニバーシティ・カレッジという名称)は、
非国教徒を中心に、株式会社組織をもとに作られた、
主に新興ブルジョアジーのための大学でした。
たった3つめだったわけですが、
このロンドン大学、開学当初は、ぼろっかすに叩かれます。
曰く、
「信仰心の欠けた大学」
「バブル時代の産物」
「下町の少年相手のインチキ学校」
ロンドン大学は、国王の正式な許可の下に作られた大学ではなかったので、
当初は大学の学位授与権を持っていませんでした。
そういう事情もあって、
有体にいって、現代日本の三流大学と共通するような、
冷たい視線を浴びていたわけです。
しかしこのロンドン大学、工業や貿易、投機などで成功した面々が作ったこともあって、
非常に「合理的」な側面をもっていました。
オックスフォードやケンブリッジ(以下オックスブリッジ)のような全寮制ではなく、
通学制を採ったこと。
これには、教育コスト削減という目的があったようです。
また、通学の便がいいように、ロンドン中心部に立地させたこと。
集客を意識したんですね。
オックスブリッジが、イギリス貴族的な田園思想に基づいて、
郊外に立地していたのとは対照的です。
あと、今でいう学部が豊富だったことも、ロンドン大学の特徴でした。
具体的には、医学、経済学、工学などです。
オックスブリッジでは学べないことが勉強できるという、
差異化を目指した方策でもあり、
新しい時代に沿った実学と、
より科学的な学問を重視する方針を打ち出したのだといえます。
オックスブリッジを統轄する国教会は、ロンドン大学のこうした動きに対抗するために、
国教会の教義に基づいたキングス・カレッジを設立します。
このキングス・カレッジ、設立勅許が出たのは1829年といいますから、
ロンドン大学発足後2年。けっこう焦っています。
国教会自らが大学バブルを助長したというと大げさですが、
実際、この二校(ロンドン大学とキングス・カレッジ)が出来てからというもの、
イギリス国内に、大学がポコポコ作られるようになりました。
多くは、ロンドン大学型の「市民大学」です。
ロンドン大学を含めて、新興の諸大学は、経営的には苦しかったようです。
授業料だけで、理工系学部を抱えた大学をやっていくなんて、
たしかに無謀もいいとこでしょう。
教師の給料が遅配したり、有能な教師が愛想を尽かして辞めたりと、
問題を抱えながらも、
地元の名士に寄付や援助を無心したりして、なんとかやっていたらしいです。
ただ、そうまでしても、大学は増えていきましたし、
大学に援助する名士もいたという事実の方が重要かと思います。
高等教育がより多くの人たちから求められるようになっていたこと、
そしてそれは、イギリス社会が経済的な発展を遂げていたことの表れに他なりません。
高等教育が中産階級や庶民へと広がるうねりは、オックスブリッジをも揺さぶります。
1830年代以降、イギリス社会は大きく変革を遂げていきます。
国教会や地主階級のもっていた特権が(まだ徐々にではありますが)奪われていき、
さまざまな権利が、国民に開放されていったのです。
たとえば、労働条件や労働環境を保障した工場法の制定(1833)や、
最初の選挙法改正(1932)もこの時期です。
1940年代に入ると、地主階級を保護するために設けられていた穀物法も撤廃され、
安い輸入穀物がイギリス国内に出回るようになります。
国教会も、19世紀中ほどまでには、
教会税や十分の一税といった、うまみのある収入源を失いました。
広大な所領とそこからの収入は相変わらず膨大なものでしたが、
新興富裕層の台頭もあって、国教会は相対的に弱体化します。
で、そんな国教会が管理しているオックスブリッジも、
その閉鎖性を批判されるようになりました。
かつてなら、貧乏人や賎しい出の者が入学を希望しても
はねつけるだけの力があったのでしょうが、
1850年、オックスブリッジのあり方を審査するための王立委員会が設けられます。
結果、1860年代に
「オックスフォード大学法」「ケンブリッジ大学法」がそれぞれ制定され、
オックスブリッジは、ついに国教徒以外にも門戸を開くようになったのです。
まあそういっても、実際にオックスブリッジに入学した者たちは、
旧来からの貴族階級が中心でした。
19世紀の間は、新興富裕層は着実にオックスブリッジに入り込みながらも、
マジョリティとはいえなかった、そんな感じみたいです。
それに、新興富裕層の子弟たちも、
貴族的な精神風土をもつパブリックスクールを経て、
さらに躾の厳しい全寮制のオックスブリッジに入ってくるからには、
立ち居振舞いも含めたジェントルマンになることを目指していたはずです。
だから、近代スポーツは、近代合理主義一辺倒のこすっからいものにはならず、
その中にジェントルマンの誇りを保ち得たのだと思います。
158 :
Classical名無しさん:10/02/13 22:31 ID:DnJh66z2
なんで半角と全角のカタカナを混ぜて使う?
159 :
Classical名無しさん:10/02/13 22:38 ID:GtBBMfiI
ぱいおつゆさゆさ
たまんねえなオラオラ
お、下品な京レが沸いてきたなw
>>160 こんばんは。1です。
すみません、マジレスしてしまうんですが、上のは
京レや、関連スレの荒らしではないと思います。
158さん、ラウンジクラシックの底を探索中にここを見つけて、ageのまま書き込む
↓
ここのスレ順が上がり、目にする人が増える
↓
159さん、挨拶がわりに、スレタイから連想した下ネタを一発お見舞いする
…という流れじゃないのかなと。
一応158さんに返事するとですね、
長文書きの私には、ラウンジクラシックの行数制限が痛いんです。
で、見た目の問題もあって、長めの単語は半角にしてます。
まあ、基準はテキトーなんですけど。
そういうわけです。
理工系に目を向けた市民大学は、経営は苦しかったものの、
やがて運が向いてきます。
19世紀後半に、世界で科学競争が激化し、
特に理工系や医学の発展が国際競争力に直結することが明らかになるにつれ、
イギリス政府が、こうした新興大学にも補助金を出すようになるのです。
当時はドイツの大学が、科学・医学で世界をリードしていました。
少人数ゼミ形式で、大学生が一研究者として扱われるような自由闊達な気風のもと、
ドイツの科学力はめざましい発展を遂げていました。
科学上の発見の件数を国別に比較したデータをみても、
19世紀後半から20世紀前半にかけて、
ドイツの大学は、その発信力において、
他のヨーロッパ諸国をはるかに引き離していました。
ジョジョでいえば、シュトロハイムの名言「ドイツの医学・科学力は世界一ィィ!」は
誇張でなく、まあ本当であったと。
のちに軍医総監まで登り詰めた鴎外が留学したのも頷けます。
ここで、あれ、アメリカは?という疑問が湧くかもしれません。
アメリカの大学は、19世紀までは目立った動きがありません。
アメリカの大学卒業資格は
ドイツの高校卒業程度とみなされるレベルだったといいます。
1940年代には世界で最初に原爆を実用化するに至るアメリカの科学力は、
ひとつには、大学院というシステムを編み出すことによって開花していきます。
旧来のアメリカの多くの大学は、イギリスのオックスブリッジを志向したものでした。
全寮制、ラテン語、神学、ジェントルマンとしての立ち居振る舞い等が重視される、
きわめて古色蒼然としたものだったのです。
ドイツやイギリスに張り合うために、学部の更にその上となる組織を作り、
そこに経済発展(オートメーションによるT型フォードの量産、株式市場の発達、
油田の発見等々)が重なって、
20世紀に入ってから爆発的に進歩していくのです。
1ですが。
ここまでに、スポーツ、経済、法律、大学等の連動するさまを書いてきましたが、
まだ19世紀をなぞり足りません。
もう一回、19世紀イギリスに戻ってみることにします。
もう一度、スポーツそのものに焦点を当てます。
近代スポーツは、ルールや競技場の広さを統一していきましたが、
このことが、スポーツにおける競争を助長したという考え方があります。
つまり、同じ種目であれば、
共通の条件下で記録や得点を比較できる素地が整ったのです。
現代からみれば、そんなことは当然ではないかと思えますが、
むしろ、近代以前のスポーツにおいて、そうした基準を統一せずとも
スポーツを楽しめていたということの方が、より重要に思えます。
たぶん、井谷教授がスポーツを競争によらず評価しようとしているのは、
根本にこのことがあるのではないかと思います。
近代そのものへの批判。
単なる(昔はよかった的な)回顧主義ではないと思うのですが。
プレーやパフォーマンスを計量化し、またそのために競争し、
成果や記録だけが評価されるような動きは、近代以前には見られなかったのだから、
相対化できる(もっと他の見方が成り立ち得る)はずだという考え方。
一理あると思います。
しかし同時に、なぜスポーツがそう変わっていったのかを
色メガネ抜きで見ていかないと、状況を見誤る可能性もあるのかなとも思います。
続きは次回。
そもそもなぜ近代スポーツが競争を重視するようになったのか。
これといったただ一つの決め手はないんでしょうが、
工業や科学を中心に、
より生産性の高い者(大学・企業・国)が生き残るという思想が
主流になりつつあったのだとは思います。
19世紀は、ちょうど、ダーウィンの進化論が脚光を浴びた時期でもありました。
適者適存、進化と淘汰。
そんなダーウィニズムの鬼子ともいえる優生学も、19世紀の産物です。
ロボトミー手術、ナチスドイツによるジェノサイド。
こうした悲劇が起こるのは、20世紀に入ってからです。
19世紀後半のスポーツは、競争原理と「合理化」をひたすら追求していきました。
スポーツは、実質的にはどうみても効率・競争一辺倒に向かっていました。
でも、ジェントルマンの精神性は、スポーツから打ち捨てられたわけではありませんでした。
それは不思議に残存したまま20世紀を迎え、
21世紀の今でも、
選手宣誓のときには「スポーツマンシップに則り、正々堂々と」
という枕詞がもれなくついてきます。
決して、「あらゆる手段を使って」とは、言わない。
たとえ裏ではドーピングをしていても、
あるいはいざ試合が始まったら意図的な反則を犯そうとも、です。
当たり前のように思える気もしますが、いったいこれは何なんだろう、と。
最近、昼ごはん時にばかり書き込んでいますね。
だからというわけではないですが、たまにはこんな時間にも。
74さん以外で、関連スレを知っていてここを見ている人はいるんだろうかと。
きっと74さんは、私が文献リストを避暑地に誤爆したのを見て、
さてはこやつ、裏で何かやっておるな、とピンときたのでしょう。
避暑地は「風鈴さん待ち」ということにしておけば、
私がスレにいなくても、誰もたいして疑問をもたないようです。
1月に、実験みたいにして留守を続けることで分かりました。
まあ実際、風鈴さんを待っているのは待っているんですが。
今度はここがなかなか埒のあかないスレになりつつあります。
もう半月も、19世紀をいったりきたりしています。どうなることやらです。
今日昼の書き込みは、内容がちょっとフライング気味です。
無意識に話を急ごうとしていたなと反省した次第です。
でもまあ、書けるときにバッサリいくのもスキッとしていいもんですけどね。
74さんですか!
避暑地に余計なことを!
いえ、隠れているわけでは。
でも、宣伝はいらんですよ。
……大事なことだからもう一度言いましょう。
余計なことを!
……さあ、はりきって更新を(空元気)。
何やら追いやられている気が。いえいえ。
何の話でしたっけ。
そう、スポーツにおいて、すっかり形骸化が進んだとはいえ、
スポーツマンシップやフェアプレーの精神は、
現代でも一応残存しています。
これは、単なる本音と建前みたいな話ではないと、私は思うのです。
スポーツの担い手の変化。
これが鍵だと、私はにらんでいます。
19世紀中ごろ、近代スポーツが産声をあげたとき、
その主な担い手は、貴族の子息たちでした。
実際にジェントルマンとしての振る舞いが求められ、
それゆえ、彼らの取り組むスポーツにも、
彼らの社会的立場にふさわしい、誇り高い精神性が不可欠だったのです。
スポーツを通して体を鍛えるということの意味一つとっても、
現代の我々と、19世紀のジェントルマンとでは異なっていました。
いわゆる古典的な所領もちの貴族の生活というものは、
一年の間を、いくつかの住居を転々とするというものなんだそうです。
1シーズンに、1つの家というイメージです。
夏は海のそばの別荘で過ごし、秋は所領に帰ってそこでの収穫を見守り、
冬は暖かいところに行くといった感じです。
で、一年の一時期を、ロンドンの社交界で過ごす、
というのが、一つのパターンだったみたいです。
19世紀のロンドンは、治安が悪かったといいます。
市中にスラム街を抱え、乱暴な事件も多かった(切り裂きジャック等)ので、
貴族たちは、いざとなれば、その身(と同伴する家族)を自ら守る必要があったのです。
まあ、ロンドン市街の治安が特に悪かったのは
19世紀後半から末にかけてというので、
近代スポーツ成立の時期とは幾分ズレる話なのかも知れません。
それに、貴族たちには、それ以外にも、自身の体を鍛える理由がありました。
避暑地に行ってきました。
心斎橋はほんとにごぶさたです。
昔はアメリカ村なんかもぶらぶらしましたが、
20代も半ばが近くなると、次第に縁遠くなりましたね。
強引な客引きで服を売るバラックの店なんて、まだ残ってるんでしょうか。
梅田の茶屋町にも、昔はそんな一帯がありました。
バラックで、客引きがキツくて、値引きがきくという服の店。
かっぱ横丁に行くついでにひやかしたこともありますが、
そのうちバラックはすっかり姿を消して、
茶屋町の街自体がなんだか小綺麗になってしまいました。
1ですが。
もうちょっとだけがんばることにします。
貴族と、その子弟であるパブリックスクールやオックスブリッジの学生たちが、
体を鍛える理由。
それは、決闘です。
当時の学生たちは実によく決闘をしていたようで、
誇りを傷つけられたとか何とか言っては、
学校内で決闘の場を設けていたといいます。
ただし、それもあくまで「紳士的」に、です。
立会人と観客(級友たち)がつき、人前で正々堂々と自分の誇りのために戦い、
後には遺恨をひきずらず、互いに抱きしめあってきちんと仲直りするというような、
非常にさっぱりしたものだったようです。
ついでですが、状況はドイツでも似たようなものだったらしく、
通学型が中心だったドイツの大学生たちは、
街中で剣を抜いたりということもしょっちゅうだったとか。
こっちの方が、かなり荒っぽいです。
別の側面から決闘をみてみると、
決闘は、しばしば賭けの対象にもなっていたようです。
が、その一方で、ロンドンの貧民たちは、
名誉ではなく金を賭けることを主目的においたボクシングを発達させていました。
こうしたボクシングは、賭けの対象になるという点では決闘と共通していましたが、
当然、紳士的な決闘とはいささか趣を異にしていました。
勝負がラウンド方式で行われ、
試合展開によって賭け率が変動します。
また、「最初に流血するのはどちらか」等、
途中経過の区切れ目も、賭けの対象になりました。
カネが懸かる以上、八百長もあったといいます。
こうなると、正々堂々と、と選手が事前に誓っていても、あてにはなりません。
貧民たちのあみだしたボクシングの仕組みやテクニックは、
やがて賭博的要素を抜いた「健全」で、「合理的」な近代スポーツとして再編され、
社会化されていきます。
スポーツに対して、貴族は自らの誇りと名誉をかけました。
貴族に続いて社会の支配的立場をつかんだ新興の資本家たちは、
成金の常ともいえますが、社交界でジェントルマンとして扱われることや、
貴族的な所作や教養に、その多くが憧れをもっていました。
まあ結果的に、オックスブリッジの入学資格が緩和された事実をみても、
そう言って差し支えないでしょう。
また、きっとそのために、でしょう。
彼らは、貴族的な精神性を、スポーツから排除しようとはしませんでした。
まあ、スポーツに合理性を持ち込み、
記録の更新と、勝利を重んじることに価値を見いだしたことも、
新興成金たちの大きな功績、というか、影響の賜物ですが。
かたや貧民たちは、スポーツに何をかけたか。
誇りでもなく、合理性の追求でもありません。
敢えて言えば、ひとつには、それは金です。
19世紀イギリスで形成されてきた中産階級も、比較的豊かといえましたが、
自らの誇りや名誉を何より重んじるといった、
貴族的な気風は彼らの間には芽生えようもありませんでした。
誇るべき家柄もなければ、守るべき所領も領民もない。
社交界で求められる気品とも無縁だし、
命に替えるような体面も持ち合わせていない。
ちょっと言い過ぎましたかね。
彼らは、日常生活を送っていく分には充分に豊かだったわけで。
でもそれだけでは、近代スポーツの求める精神面の要求水準には、
きっと、結局「ついていけない」んですね。
貴族たちも、「自ら」の誇りや名誉をかけたといっても、
それはただ、支配者層としての責任感とかいう個人的なものではなく、
その名誉が、国王から保証されたものであったということが大きいはずです。
封建制度というのはどこでもそうですが、
封建領主たちは、身分や所領(からあがってくる収入)を国が保証する代わりに、
いざという時には国のために命をなげうって戦うという責任を負います。
命の危険にもかかわらずその責任を果たすことがすなわち彼らの誇りなのであり、
彼らの名誉は、その責任を果たす(用意のある)限りにおいて、
他者である王から保証されるのだと思うのです。
それでは、封建社会が崩れ、貴族が没落すると、どうなるか。
では、続きはまた。
昨日はがんばりすぎました。
74さんかだれか存じませんが、
おかげで重い尻を叩いてもらったような次第に。
今日の昼はサボり気味で。
さすがに睡眠不足です。
181の補足なんですが、
国王の背後には国教会があり、すなわちキリスト教の神がいたということです。
決闘に限らず、スポーツ選手はなぜ戦いの前に宣誓するか。
そしてその誓いの言葉は、いったい何に対して向けられているのか。
これもまた、近代スポーツ成立直後と現代とでは、大きく変わってしまったものの一つです。
20世紀に入り、近代オリンピックが盛んになると、
国家は、このスポーツにおける誓いの構造をすっかり換骨脱胎して、
神の位置に国家自身を位置付けようと目論みました。
当初は個人を顕彰するためのものだったメダルも、
国別にその数を競うためのものへと、意味合いが徐々に変化していきました。
国旗と国歌も、うまく利用されたといえます。
国歌を聴きながら胸に手をあて、のぼっていく国旗を見つめる表彰台の選手の画は、
ナショナリズムを喧伝するには絶好の手段になるでしょう。
こうした効果に気付き、それを最大限に利用しようと努めた最初の国は、
ベルリンオリンピックを開催したときのドイツでした。
競技を後日撮り直ししてまでして劇的な記録映画を作ったことは、特に有名です。
ヒトラーに腕を伸ばして忠誠を誓うかのような、整然と行進する選手たち。
彼らの優秀な肉体と、卓越した運動能力を、
ドイツはそのまま自分たちのイメージアップと正当化に繋げようとしました。
ギリシャからベルリンまでの聖火巡行ルートさえ、
その後のドイツ軍の進軍経路に利用されたといいます。
撮り直してまで、です。
ちさめを笑えんなあ。
184で書いた、聖火のルートを進軍経路に使ったという話、
改めて調べてみると、眉唾だと主張する人もいるようです。
まあたしかに、ドイツ軍が聖火ルートをまるきり踏襲したわけではないかもしれませんし、
あるいは異なるルートを大雑把に括ったでっち上げかもです。
手持ちの資料では、現状、これ以上分かりません。
その辺、話半分で、と訂正します。
眠いですよ。
昼もあんまりサボりませんでしたし。
今夜こそ全力でサボります。
そういや、近代スポーツの特徴を一つ指摘し忘れてました。
アマチュアイズム。
あー、あったなー、そういえばそんなのも、という感じです。
これも、フェアプレーなどと同様に、近年有名無実化が激しいですね。
IOCなんかでも、アマチュア規定に関しては、
条項から削除が進んでいるといいますし。
いまちょうどカナダで冬季オリンピックをやってるわけですが、
各国の選手たちは、そのほとんどが、
専業でスポーツに関わっているんだと思います。
実際、プロもいますしね。
昔は、もうちょっと縛りがきつかったと思うんです。
冷戦下の東欧には、ステートアマなんていう反則みたいな連中もいましたね。
でもまあ、オリンピックにおいては、
プロとアマチュアとが、名目としては分けられていた期間が長かったです。
なぜ、そうだったのか。
カネが絡むと、プロ化は必然的に進むでしょうし、
そうなるとカネのある選手や国ばかりが勝つようになる、
それでは競技の魅力が損なわれるという見方は、一つ成り立ちます。
でも別の側面からいえば、高いレベルに到達したプロ(専業の)選手のプレーは、
観客にとって見る価値を増すでしょうし、
それは大会の成功(盛り上がり、経済的な収益)にもきっと貢献するでしょう。
そもそも近代スポーツがアマチュアイズムを志向したのは、他にも目的があったからです。
もう何度も言及したことではありますが、
19世紀、最初に近代スポーツを主導したのは貴族階級とその子息たちでした。
近代スポーツそのものが、
まず彼らの精神性を背負った形で成立したのだとも言えます。
近代スポーツは一般民衆にも広がっていきますし、
貴族やブルジョアだけがスポーツに携わっていたのではありません。
しかし、少なくとも19世紀初め頃までは、
貴族はスポーツに対して大きな発言力をもっていました。
彼らは、経済力や社会的地位があっただけでなく、
スポーツの精神性を護持する立場にもあったのです。
近代オリンピックの成立にも、貴族階級は深く参画します。
これはイギリス人ではないですが、
近代オリンピックの父といわれるクーベルタンも、爵位を持った人でした。
また避暑地に行ってきました。
ぼちぼち書き込みをいただくので、スレが落ちる心配がなくて幸いです。
にしても風鈴さん、来ません。
まあここもまだ大分かかりそうですし、今のところ、別に構わないんですが。
京レの最終報告書、いつ出るんですかね。
あのボンクラ大学、ほぼ無策のままここまで来ているので、
報告書の内容に説得力をもたせるのは、なかなか厳しかろうとは思いますが。
もし私が執筆者なら、書くネタがなくて発狂しそうです。
若手教員「…これじゃ、(文科省を説得するのは)無理でしょう」
上役・学長「いいから書くんだ」
みたいな会話が、容易に想像されます。
文科省から一度蹴られてから、また書き直せばいいやとどこかで思っているのでは。
書き直すポイントは明確になるでしょうし、
指摘されなかった部分についてはそのまま通せるのですから、
たしかに効率的ですけど。
けど、そこで初めて出てくる「解決策」は、
付け焼き刃的なものにしかならないはずなので、期待できないです。
報告書を蹴られるということを、
京レは恥だと思ってないんでしょう。
学内では対応策を立案・実行できない無能さを、
天下にさらしたわけですが。
その自覚がない。
そんなこったから、大学の問題に対する認識が足りない、なんて侮辱的なことを
文科省から言われてしまうわけで。
外の文科省からでも分かる程度の状況を、
大学自身が把握できていないということ。
これ、バカ扱い以外のなにものでもないでしょうに。
あるいは、恥に換えても根本的な対策はどうしても取りたくない、
と京レが考えているのならば、その理由はなんなのか。
単にめんどくさい? まさか。でもちょっとはあるかな。
対応策を思い付いても、それが面倒なものであれば、
必要であっても半分意図的に忘却する、なんてことは大いに考えられます。
侮り? このくらいの不祥事なら、時間が解決するという目論見。
一貫したなし崩しの姿勢をみるに、大いにあり得る。
その侮りこそが、致命的なんですけどね。
アメリカの交通事故で、片脚がちぎれてしまったままバイクを走らせ、
停車時に初めて自分の脚がないことに気付いた、という冗談のような話があります。
もし、致命傷を負いながら、
自分ではそのことに気付かずに歩いているような人がいたら、
「あなた、酷いケガをしていますよ」と声を掛けると思います。
その人が「何を言っている、私はどこも痛くない」などと言って信じなければ、
直接、彼の傷口を見せてやる必要があるでしょう。
そこで自分の惨状を自覚して卒倒したり、
すぐに病院に向かえばまだいいですが、
それでもまだ「何のこれしき、これくらいなら大丈夫」と言い張る場合は厄介です。
生々しい傷口と流れ続ける血は他人をぎょっとさせるものでしょうし、周囲を汚します。
また、傷口から膿が出続けるなら、それは比喩としてもあまりに分かりやすい。
或いは彼の体は、既に腐臭を放ち始めているかもしれませんし、
また或いは、もしかしたら自分も気付かないうちに、
彼はもう死んでしまっているのかもしれません。
自らの死に気付かない死者、というモチーフは、
洋の東西を問わず、昔から様々な文学や舞台に取り上げられてきました。
そして、以前、幽玄能によせて書きましたが、
「死者が自分の死を認めないと、物語は終わらない」
ということも、そうした物語に共通する特徴です。
願わくは、最終報告書が、京レの鎮魂の一助とならんことを、
なんていっても始まりそうにない、
ここに京レの物語のややこしさがあるのかなとも思いますが。
なぜ、セカレは論破されてもしつこく書き込みをやめず、スレを荒らすのか。
なぜ、キティみたいな存在が、本スレに沸くのか。
私は、あれは全て、幽霊みたいなものなのだと思います。
いや、いくら倒されても、負けを自覚できないゾンビかな。
そうした存在にとって、京レ(の問題)は親和性が高いのだと思います。
そういえば以前、別のスレで、
ネットでの議論には敗者がいない(だから議論は成り立ちにくい)
という旨のことを書きました。
そのとき、いないのは勝者じゃないのか(多分、いわゆる勝利宣言は虚しいという主旨)、
という指摘がありましたが、
勝者がいないことと敗者がいないことは、
単に結果としては一緒のことだという以上に、
敗者がいないことの気味悪さが、そのときの私には
非を認めない京レの問題と直結するように思えたのだ、と今なら言えます。
えらい夜中になってしまったのでもう寝ますが、
夜中に幽霊の話を書いていると、何やら出そうな気もします。
また明日以降、スポーツの話に戻ります。
198 :
Classical名無しさん:10/02/22 16:12 ID:SJGOt9nI
このスレの動力は私的な恨みか何か?
それもホラーだ
199 :
Classical名無しさん:10/02/22 16:56 ID:WJKkm9OA
棺桶に足を突っ込んだ奴に三途の川を渡るお手伝い〜♪
>>198、
>>199 こんばんは。1ですが。
まあ客観的にみて、ここはかなりあやしいスレだとは思います。
ただ、私怨なら、こんなところでやらないわけで。誰とも無関係です。
何かはともかく、勝手に細々とやっている、と。
そう考えていただいて、まちがいありません。
あと、動力、という言葉にどきりとしました。
ここをやるのも、たしかに気力が要るんですね。
正直、面倒になることもしばしばです。
実は今もちょっとその波がきている最中で、そうなると、数日更新が止みます。
まあそれ自体はよくあることなので、マイペースにやっていきます。
ではまた。
アイスダンス、見なかったんですが、
すごい(ことになっちゃってる)んですね。何やら。
2ちゃんにもアイスダンスのスレがあったのでご紹介。
http://s.s2ch.net/test/yutori7.2ch.net/mnewsplus/1266837715/ オリンピックに踊りの「課題」があるというのはすごい。
振付というか踊りそのものも大事なんでしょうが、
衣装と小道具も、勝負の決め手になり得るでしょう。
何だろう、このモヤモヤ感は、という感じです。
間違いなく、スポーツの定義をめぐるモヤモヤ感なわけですが。
実は、私はまだスレの1しか見ていません。
画像を3枚ほど見て、ここに貼ろうと思ったまま、今これを書き込んでいます。
いけてました。
リンクは201でなく、
>>202を見てください。
て、まだほとんど誰も見ていなかったんでした。ここ。
寝ます。
ほんとにサボってますね、ここ最近。
まあ先週までよくがんばったので、こんなもんです。
204 :
Classical名無しさん:10/02/25 08:40 ID:CJwR8ANo
>>204 こんにちは。1ですが。
避暑地の保守ともども、ありがとうございます。などと言ってみたりして。
たまたまIDをみて、避暑地の300と同じ人だと分かりました。
今日は2月25日ですね。
どう言葉を続けたものか、よくわからないですが。
また更新を再開しようと思います。
何も、終わってはいないですから。
1ですが。
さすがにと言うべきか、今夜はこんな時間まで、あちこちさわがしいです。
ためしにテレビをつけると、夜中もオリンピックの番組をやってますね。
気が紛れるような、続きを書けと言われているような。
冬季五輪には、近代オリンピック発足当時からの特徴が、夏季より色濃く残っています。
その特徴とは、一言でいえば、「博覧会的」であることです。
19世紀末から20世紀初頭は、世界各地で博覧会が盛んに開催されていた時期です。
世界中から珍品や最先端技術を一堂に集め、
「金賞」「銀賞」「銅賞」とランク付けするんですね。
初期のオリンピックは、あまり儲からなかったといいます。
で、集客力のある博覧会と同時に開催することで、
ようやく露命を繋いでいたみたいです。
近代オリンピックの表彰方法が金銀銅の3ランクなのは、
博覧会のそれに倣ったからだとも言われています。
博覧会において、異なる文化の文物や技術を序列化した、その基準は何だったか。
それは、当時博覧会を開催していた、西洋の先進国の価値観でしょう。
美意識もまた、そこには存分に投影されたことと思います。
世界中の文化を、西洋の基準の下、再編すること。
西洋を、あらゆる文化の中で最上と位置付け、それを世界中に喧伝すること。
西洋の「優れた」考えや流儀を、世界中に流通させること。
まあどう言っても同じことなんですが、
高い技術力や軍事力、そして優生学的なダーウィニズムに裏打ちされた西洋中心主義を、
イギリスやフランス、そして新興のアメリカたちがぶんぶん振り回している、
20世紀初頭は、そんな時代だったみたいです。
博覧会に寄生するような形で開催されていたオリンピックにも、
博覧会の理念は、存分に反映されていました。
近代オリンピックは、
基準が様々に異なるものも含めてとにかく全てを並べて(「展示」し)、
それを先進国の基準で分類し、序列をつけ、賞を与えました。
もちろん、タイムや得点によって容易に勝敗や優劣が比較できる競技はありました。
でも、そうとばかりもいかない種目があることは、
現在の冬季五輪をみてもはっきりしています。
私がモヤモヤした気分になったアイスダンスもそうですし、
フィギュアスケートも、男女とも見事なまでに物議をかもしています。
話題がナショナリズムに墮しているのも、毎度様式美的とすら言えます。
但し書きのようにして言うと、
現在のオリンピックが多少なりともナショナリズムという意匠をまとうのは、
まあ仕方ないことなのかなとも思います。
近代オリンピックは、第1回から第3回まで(最も儲からなかった時代)は、
個人参加形式だったといいます。
国別の参加になったのは、第4回ロンドン大会から。
ここで、開催国にして当時世界の盟主であったイギリスと、
新興先進国として勢いをつけつつあったアメリカは、
いきなり大いにいがみ合います。
判定にケチをつけたり、決勝をボイコットしたりと、
簡単にいうとぶち壊しな雰囲気になります。
イギリスの選手が、アメリカ選手のボイコットにより、
陸上競技の決勝で独りで走ったなんて話もあります。
カーリングは結局8位でしたか。
日本がギブアップ(別の専門用語があったのですが、忘れました)することに、
抗議の電話を掛ける人がいたそうですね。
非常におもしろい。
当たり前のことを言いますが、カーリングという種目は、勝敗が分かりやすいです。
決め手は石の数とその中心からの距離ですから、
どこまでも客観的に勝敗が決まるという意味です。
中心からの距離を測るコンパスのような器具をテレビで見ましたが、
確かにあれなら、曖昧さの入る余地はないですね。
最近、冬季五輪でこの種目の人気が比較的高い理由には、
一つは、このことがあるんじゃないかと。
つまり、視聴者たちが普段接しているスポーツ(サッカー等の球技やマラソン等)と
「文法」が近いため、見ていて納得しやすいのではないかと思うんですが。
相手の勝利を認め、讃えるような形でのギブアップを
システムとしてもっている競技は、確かに少ないと思います。
(格闘技や武道のギブアップやタップとは性質が異なります)
むしろ将棋の「参りました」や「ありません」と近いかな。
将棋を本当に詰むまで指すのが、酷あるいは野暮だという考え方は、
日本の社会に浸透していると思います。
まさか、カーリング協会にクレームを入れた人たちも、
投了した棋士を同様に詰ることはしないでしょう。
カーリングは、得点基準の上では、
バスケットボールや100m走等の「客観的」スポーツの仲間です。
しかし、勝敗基準はそこにはなく、
相手の勝利を認めたときが、勝負の終わり、という。
このへんが、分かりにくさを増幅させているのだと思います。
なんかすごいフツーのこと書いてますね私。まあ深夜ですし。ていうか朝かよ。
で、相手の勝利を認めたときが勝負の終わりというカーリングの思想は、
すぐれて貴族的、あるいは騎士的な精神性に基づきます。
それに、あのカーリングという競技、
ブラシと石はともかく、施設の維持費はかかりそうです。
カーリングの投擲(というんですかね)距離はボーリングの約2倍といいますから、
当然、それだけ平らな氷を大量に維持する必要があります。
他にも、現在取り組むにもある程度経済力が必要だったり、
あるいは、もともとは貴族や上流階級の趣味がもとになったようなスポーツも、
数多くあります。
…次、初期のオリンピックの種目について。でもまた次回。
パンスレ住人wwww
レス番280に爆弾が。
【コラム/毎日】京都市のパン消費量が全国1位…意外な結果だが、パン好きが多いのか、おいしいパン屋がおおいのか
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1267146587/l50 舞鶴は行ったことないですね。
京都府に海があるという実感を、未だなかなかもてないままでいます。
しかし地名としては上出来ですね、舞鶴。
動的な刹那を切り取って名に据えているのがおもしろいです。
ややかっこつけすぎかな。
自然発生的でなく、頭で考えた地名という感じがします。
音の響きは鈍重で、やや損をしていますが。昔は清音で呼んだんですかね。
ただの印象、書きとばしです。
思い出したらまた調べます。
鯖街道、鴨川デルタの手前が終点でしたね。そういや。
出町柳で碑をみたことがあります。
鯖街道は、福井とかでしたっけ、日本海から魚を運んでくる道です。
その碑のあたりから、冬に北の方をながめると、
強い風にふきさらされている加茂川と、薄く雪の積もった北山が、
ともに荒涼とした印象を与えます。
京都は、出町柳から北には高い建物がみえません。
空がだだっ広くなるので、寂しい感じが増すような感じがします。
舞鶴というか、北に行こうとそもそもあまり思わないのは、
そんなことも理由になっているのかなと思います。
避暑地にでも書けばいいようなことでしたね。まあいいか。
鯖街道・・・・ロマンですな・・・
>>216 こんにちは。1です。
街道は、調べてみるとおもしろいですね。
宿場町には町並みに風情のあるところも多いですし。
松や燈籠や碑とまでいかなくても、
旧街道沿いには、大きな石がごろんと道端に置いてあることもよくあります。
街道沿いは、地名も味のあるものが多いですね。
生駒山腹を抜ける街道には、暗峠(くらがりとうげ)なんてのがありまして。
歩いてみると実際暗くて寂しい道なんですが、
地名がこうじゃ仕方ないなと、変に納得させられてしまいます。
今は暗峠を抜ける道なんてまともにはないわけですが。
大阪から奈良側に峠を抜けてすぐにある宝山寺は、
参道沿いの桜がとてもきれいです。
参道は西斜面にあるので、行くなら午前中がおすすめです。
宝山寺の参道、東斜面でした。
なにぶんにも一回行ったきりで、土地勘がないので。失礼しました。
宝山寺参道は、昔は大阪の奥座敷と呼ばれて、遊郭なんかもあったといいます。
日本初のケーブルカーが設置されたりと、ちょっとした遊興地だったみたいです。
宝山寺は大阪商人たちの信仰も篤いですね。
境内には、寄付した人や企業の名を彫り込んだ石碑が林立していますが、
石碑の数も、彫り込まれた額も、半端ではありません。
いま近鉄の車内なので、いろいろ思い出した次第です。
健脚なら、参道の坂にある桜はおすすめです。
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