日本の国語教育5

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25招き猫 ◆yk/JpL/Z9U
>>2
>ヲイヲイウソばっかいうなよ
 数学が一番安定しているだろうが

はったりはいけない。どこともそうだろうけど、例えば駿台模試では連続して受けた
受験生の相関を「キッチリ」出していて結構分析してる。あんまり公にできるような
ものではないけど、生徒には知らせるべきだと思う。数学は成績が安定しないんだよね。

おめ白君ほどの人間なら駿台から直接聞けるだろ?

>偏差値50もないようなやつが、模試でまぐれで80とれるなんて聞いたことないしw

偏差値80がどのような意味を持つか知っていてハッタリかます。
ま、こういう極端なことを一般化できるという頭を非論理的という。
26招き猫 ◆yk/JpL/Z9U :2005/11/12(土) 20:23:16 ID:AsQvs3v2
>>3
客観性とは数学という演繹形式体系の性質の属するもの。
入試には本質的に客観性はない。程度の問題にする時点でそれは客観性ではなくなる。
もちろん、カントの認識論の系譜からはもっと別の地平が開示されるんだが。

で、分かってるのか?w
27招き猫 ◆yk/JpL/Z9U :2005/11/12(土) 20:25:19 ID:AsQvs3v2
>>5
妥当性と弁別性を「あえて」区別する理由が知りたい。
28招き猫 ◆yk/JpL/Z9U :2005/11/12(土) 20:43:29 ID:AsQvs3v2
>>6
名乗り出ていただいて感謝します。

>このように部分点をかき集めて、加点をする行為は、実際の採点現場ではかなり
 きらわれています。

美学ですか。
某所の研究会(代ゼミ)で京大の責任者が「ゴミを集めて点数にするのは・・」と言った。
つい最近の話。確かにゴミと言ったようだ。で、それに関連して

>枝問の設定などは、その好意の最たるものであり、こんなものはなくしてしまいたい
 という、過激な意見も京都の「方」では息が荒いかたもいらっしゃいます。

京大では最近、数学の問題を易しくして小問をなくする方針のようですね。
答案の裏まで見て採点するなどという「伝説」には例の森あたりが貢献したようですが、
そういうことに対する反動か、鼻息荒くしているようですね、ごく最近は。
はっきり明言しています。ゴミは集まってもあんまり点数にならないと。

ただ、例えば東大や阪大はどうでしょうか。
阪大は書いてたらとにかく点数を与えると明言したこともあります。
このあたりは年度のよっても変わるでしょうが。
29招き猫 ◆yk/JpL/Z9U :2005/11/12(土) 20:44:22 ID:AsQvs3v2
続き

>実際には、これをかなり好意的かつ積極的に行わないと、壊滅的な得点にしか
 ならない答案が大多数です。

結局、ゴミ集めをしないと試験としての「弁別性、妥当性」がなくなってしまうのですね。
採点が終わる、あるいは終盤で採点基準を変更し、零点が5点・10点とよみがえってくる
こともあるわけです。途中の悲痛な叫びから急遽、指弾されない下限の平均点に落ち着く
ようにうまくやることはないですか?

>殆どの場合、答案の論述は破り(ryもとい、数値があってなければ、中身を一瞥すら(ry

美学ですか。
で、「数学」だけは受験産業に乗っからずに研究会をしてますね。最近は毎年、学習院で行われて
います。全国から多数のセンセが押し寄せ、質問にタジタジの教授先生も少なくない。
鼻息荒く解説していてのはいいが、事前に問題をまともに解いてなくて、間違いをさも立派に
披露して指摘され、「そうれほど大学入試は難しいのです」と言い分けして失笑を買ったのは
どこの大学でしたっけ。

美学はどうでもいいのです。何がどうのように点数とされるのかが重要なのです。
選抜試験なのですから。
30招き猫 ◆yk/JpL/Z9U :2005/11/12(土) 20:47:40 ID:AsQvs3v2
>>14
それほどのひどい問題はない。
高校?大学?
年度と学校名などで一例でも実際に出た問題を例としてあげてくださいませんか?
捏造はいけません。

>>18
同意
31招き猫 ◆yk/JpL/Z9U :2005/11/12(土) 21:02:33 ID:AsQvs3v2
>>22
「論理性」といっても人間の行う通常の思考では形式論理に合致させること「だけ」が
論理性にはなりません。これらは市川あたりの書物で分かりやすく書かれています。
また、認知科学(認知心理学)や脳神経科学などの実証的研究では徐々にではありますが、
解明されつつあります。
例えば、我々の視覚は常に三次元を二次元に還元させて入力します。網膜に映る像は常に
二次元であるということです。それを脳は統合的に三次元へと再構築するのです。
その際にもスキーマなど構造化された知識が機能します。
これらは、自然科学的手法で実験することで確認されています。

さて、論理性と言ったとき、それが数学あるいは論理学における形式論理に限定している
ことはないでしょうか。少なくとも、文章であろうと外部世界であろうと、我々の
認識や思考はそれらをはるかに凌駕しているのです。
もちろん、形式論理も重要な要素ではあるでしょうね。それは、ある種のモデュール構造
として分析的に取り上げられることは可能でしょうが、行為の総体としての認識や思考では
統合されえない限り意味はないです。そして、我々は形式論理に反するような認識や思考を
行うよう志向されていることにも別の必然(論理)があるのです。
なお、ここでは認知や推論などの用語との区別は特に意識していません。>別の方へ
32笑求 ◆Y6CWE4r6bA :2005/11/12(土) 21:47:44 ID:uQxnqFCC
>>29
>採点が終わる、あるいは終盤で採点基準を変更し、零点が5点・10点とよみがえってくる
>こともあるわけです。途中の悲痛な叫びから急遽、指弾されない下限の平均点に落ち着く
>ようにうまくやることはないですか?

>で、「数学」だけは受験産業に乗っからずに研究会をしてますね。最近は毎年、学習院で行われて
>います。

 お久しぶりです、猫さん。相変わらず幅広いですね。読んでいて「うわっ」でした。
それにしても、いや、なんと言ってよいか、あのー、そのー・・・。感心。
 下の二行、大手予備校ももちろん色々開いていますけれども、数学があれをやっている
というのがメジャーな話になっているのか、それとも猫さんの情報収集がすごいのか。
特定教科の、しかもごく一部の関心を持った人間が気に留めているぐらいのことかと
思っていました。
って、相変わらず本題に全く関係ない話です。
33招き猫 ◆yk/JpL/Z9U :2005/11/12(土) 22:17:52 ID:AsQvs3v2
>>32 ほんと、お久しぶりですね。

>大手予備校ももちろん色々開いていますけれども、数学があれをやっている
 というのがメジャーな話になっているのか

いやー、数学や入試を語るにあたって、そのあたりは常識あるいは前提だと思って
いたのですが、困っていました。で、数学の先生であるお笑いさんにキツーイ質問。
模試などで数学の成績は安定していますか?もちろん、国語や英語と比べてという意味であって
偏差値50→80などの無意味な極論を言ってるわけではないのです。