大好きな愛犬に捧ぐ独り言。

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697柊の国の鰍
島から街へ、『福裏橋』を戻るふたりは無言だった。喧嘩したのだ。

鰍が「湾」で謎のアオスジアゲハの群れに襲われた後、ふたりは、
http://etc7.2ch.net/test/read.cgi/denpa/1149045915/680n-685
8時〜10時の公園広場から坂を登り「時計の真ん中」を抜けて3時の休憩所でお昼を食べた。

ホテルの厨房に作ってもらっていたクラブハウスサンドを食べながら
さっきのアオスジアゲハについて話すうちに何だか雲行きが怪しくなってしまったのだった。



松嶋に来る直前に鰍がこなしていた仕事は
都市演奏システム行動アレイ群の
基本アーキテクチャの設計 及び 実装の制作 だった。>>678

人間の行動や心理の「あらゆる」場面に関するスピノザ的な分析に没入する13日間は、
鰍の内面を、眼(意識)には見えない微細なレベルで、全体的に蝕んでいた。

肯定的な現実主義者である鰍にとって、
自分の〈私〉が肉体という中途半端な機械のうえに載っていることは与件であり、彼女は
自分自身の恋や愛ですら、意識的に「見る」ことができた。>>514
(「見る」ことができるということと、そこから逃れられるということとは異なる。)

だが、人間の「あらゆる」場面に関するスピノザ的な分析は、
その徹底性において、鰍の内面を微細かつ全体的に蝕んだ。
鰍の脳内には鰍自身と一緒に、つねに、
鰍のシミュラクラみたいな言語化され機械化された鰍がはっきり棲みつくようになった。

柊准尉に抱かれているあいだだけ、このシミュラクラの
私は黙るのだった。あまりにも陳腐な状況に、鰍は、鬱々とした気分だった。