大昔の料理レシピを書きまくるスレ

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509ぱくぱく名無しさん:2009/02/13(金) 22:22:09 ID:ReVcKnp40
明治40年発行
麥羊羹

炒麥粉一升 砂糖七百五十目 C水一升 寒瓊脂五本

これは寒瓊脂を水中にてよく洗ひ、水氣を斷りて細かにちぎり、C水を加へて
火に架け、よく煮溶けたる時砂糖を加へ、よくかきまはして毛篩にて濾し、それより
鍋に戻して炒麥粉を加へ、火加減を弱くして再び火に架け、杓子にてかきまはしな
がら一二回沸騰せしめて鍋を下し團扇にて煽ぎ、塗箱亦は流箱の中へ流し、暫時
冷却して取出し適宜の大きさに截るなり。

炒麥粉はむぎこがしのルビ。はったい粉ですね。寒瓊脂は寒天です。はったい粉の水羊羹
というわけですが、果たして大麦を粉にしたものをそのまま砂糖と寒天で固めて美味しいのかは
疑問です。しかし、昔から饅頭などに使われてきた素材ですからこれも有りのレシピなの
でしょうか。
510ぱくぱく名無しさん:2009/02/13(金) 23:07:54 ID:uKla/rEQ0
面白いスレですね
昔のことが分かって楽しいです
いつもありがとうございます
511ぱくぱく名無しさん:2009/02/18(水) 23:07:35 ID:NBUizQgT0
明治45年発行
ボン(特別なる南洋の料理)

白い碾割玉蜀黍を六合篩ひ、鹽を茶匙に壹杯加へ、指にて容易くもみ砕すことの出來る
位の混合物を作る為、水を充分に加へる。軟かな捏り粉になし、而して端が八分で中央
の少し厚い長方形の型に入れる。此れを鍋の上に型から出してバツと打ち付け、而して
少し厭す。此の菓子は指の印付き居るをよしとす。鍋は熱くし、而して前に玉蜀黍を篩
つた糠を振りかける。而して爐の中に入れて二十分燒く。

南洋とは、一部のミクロネシアのことでしょうか。(ぐぐってください)
簡単なとうもろこしパンと思われます。
よく似たレシピがローラ・インガルスの大草原の小さな家の料理の本の中に
あります。コーンミールと塩、ラードで作ったもので、作り方もほぼ同じで
ローラの父さんは「母さんの手形つきのパンなら何にも付けなくてもおいしいよ」
との描写があります。ローラが「母さん」に作ってもらったのはおそらく明治初期。
それから時間が経過していますが(30年くらい)、非常によく似ています。
独自に南洋とアメリカ開拓地で別々に生まれたものなのかどうかわかりませんが、
とうもろこしの粉を使うレシピでとても似ているのには興味をそそられます。
また、ローラの時代には「母さんは白いとうもろこし粉を好んでいた」そうで、
「白い碾割玉蜀黍を」という初頭のくだりには共通点がありますね。
512ぱくぱく名無しさん:2009/02/19(木) 22:26:55 ID:9JfraOKq0
大正8年発行
フヒツシユタンバール(蒲鉾牛乳煮)

平目の肉五十匁の皮を取り去り、包丁にて叩くか、又は肉挽機械に掛けて細かにして擂鉢に
投れ、擦りながら白ソースを大匙に一杯と牛乳四勺、鹽、胡椒少々を混ぜ、裏漉を通し、
細截のパセリーを混ぜ、適度の大きさに丸めて一旦茹でゝ水氣を斷り白ソースの沸騰たところ
に入れて、一寸煮て侑めます。

白ソース(ホワイトソース)が大きくわけて二種類の記述があります。1つはコロッケやカツレツで用いる
「つなぎ」に使う堅いソース(堅白ソースとあります)。鍋に牛酪(バターです)大匙二杯を入れ、
コンスターチ(又はメリケン粉六勺)を入れ御杓子で攪拌し牛乳を徐々に加へ、鹽胡椒で味を附け
用ふ。とあります。
もう1つはベシャメルソース(白注汁)。
鍋に牛酪(バターです)を煮立てゝ小さな玉葱一個の薄截、人参一本の四分の一の薄截、パセリーの
大きいまゝのものを入れていため、此の中にメリケン粉大匙山一杯、牛乳一合、スープ五勺、鹽胡椒
を入れてどろ〱に煮て味を試みて拭布にて濾して用ひます。
とあります。図を見ると、布巾に入れて雑巾を絞るようにして濾しています。
他にも、チキンスープと牛乳で伸ばすものもあります。

このレシピでは、たぶん堅白ソースでしょうか。カマボコとは言い得て妙な表現で
す。今で言うと、魚のムースに近いのでは。
513ぱくぱく名無しさん:2009/02/23(月) 22:26:07 ID:dexlogO40
明治40年発行
太閤燒

砂糖百匁 玉子七個 味醂猪口一杯 メリケン粉百匁

玉子を破り、よく殻片の無きやうに注意を為し蛋黄と蛋白と分け、それより蛋黄の
中へ砂糖を入れ手にてよく揉み混ぜ、殘分の蛋白は箸にてかきまはしながら泡立て
その中へ混ぜ、直ちにメリケン粉を篩ひ込み手早く箸にて混ぜ合せ、それよりテン
パン(西洋料理用に使ふ輕便ストーブの中へ入れる燒鍋)煮返したる胡麻油を引き
どろどろの溶液を箸の先につけ、手早くその上部に圖の如く(図のごとく です。
ひょうたん型の絵です)瓢形に小さくいくつも滴し、そのまゝテンピの中へ入れ上
火をつよくし一寸燒き終げるなり。

太閤の名でひょうたん型ですから、もちろん秀吉にあやかったものでしょう。
現在では、二重焼や大判焼と言われるものが太閤焼となっています。当時ではこれが
太閤焼だったようで、二重焼と呼ばれる小豆餡が入ったものとは別物です。
生地は、みりんが入っており、現在では見られないレシピです。作り方を見ると
別立て法のスポンジに近いもの。たぶん、ボウロに近い触感だったのでは。現在と違い
バターなどの油脂成分がゼロですから、パサパサで固めだったと思われます。
時代の流れとともに、餡を入れたり進化したのでしょうか。
514ぱくぱく名無しさん:2009/02/24(火) 22:21:32 ID:6GEuMC+z0
明治40年発行
開化まんぢう

砂糖百匁 鶏卵一個 メリケン粉百匁 C水五勺

冑鉢に砂糖を入れ、鶏卵を破り、よく殻片の無きやうに注意を為しよくかきまはして全く
蛋黄のほぐれたる時メリケン粉を篩ひ込み、C水を加へてほどよく捏ねながら一ツに丸め
前より煮置きたる栗子(くり のルビ)を白餡に混ぜ、捏ねたる材料を少許づゝ掌にて擴げ
ながら白餡を竹箆にて掬ひ包み、丸型に拵へ、それよりテンパンの中へ煮返したる胡麻油
を引き、その上部に少許づゝ間をあけて列べ、溶きたる鶏卵の蛋黄を小刷毛亦は筆にて上部
より塗りテンピにて燒き終げるなり。

開化まんじゅうとあります。文明開化の開化でしょうか。どこが開化なのかはわかりません。
ありがちな記念という名目で作られたものなのかもしれません。
515ぱくぱく名無しさん:2009/02/24(火) 22:55:50 ID:6GEuMC+z0
では、↑で使う白餡の製法。

茅豆(いんげんまめ のルビ)五合 砂糖百六十匁 重炭酸ソーダ少許

多量のC水と共に鍋に投れ、一と沸騰せしめて少しく皮に皺の生りたる時、重炭酸ソーダ
を投じ手早く杓子にて攪拌し、桶の中へあけ、C水を加へて両手にてよく皮を揉み去り
再び鍋に移し、三四回ほどC水を替へては煠で、軟かになりたれば毛篩の裏に少許宛載せ
掌にて擦るやうに為して裏漉を為し、堅く水氣を搾りて鍋に加れ、砂糖を加へ火に架けよく
焦げつかふやうに杓子にて煉終げ、全く煉終りたれば鍋をおろし板の上部に擦りつけるが
如くに移取り、熱氣を抜き冷却して用ふ。
この白餡を拵へるには決して茅豆には限らず、もとは大角豆を用ひたりしが、近來(ちかごろ
のルビ)その原料の少なきが故に、白小豆亦は鶉茅豆(うずらいんげん のルビ)など以て代用
と為す。されどその分量はいづれも茅豆に同じ。

作り方自体は現代とは大きな違いは見られません。
しかし、豆が微妙に違うようです。現在では、白花豆と呼ばれる白い豆が白餡とされていますが
(白インゲンとは別物で、種は同じ)ここでは、大角豆こそが白餡としてふさわしいが、今では作って
いる所が少なく手に入りにくいので、白小豆(多分、白花豆でしょう)か鶉インゲン(うずら豆で
しょう)を使ってもよしとあります。

大角豆でぐぐりますと、インゲンの種であるが白花豆とは別の物のようです。大角豆よりも白花豆の
ほうが上品な味だったので現代で主流になったのか、大角豆が手に入らないから白花豆を使っていたら
それが主流になったのかはわかりませんが、わざわざ大角豆と記述しているところをみると白花豆を
代用としていたらそれが主流になってしまった可能性が高いようです。
516ぱくぱく名無しさん:2009/02/25(水) 22:22:06 ID:oaRzfTgL0
明治40年発行
君が代まんぢう

メリケン粉百匁 砂糖百匁 ベーキングポーダー三匁 C水一合 鶏卵一個

冑鉢に砂糖を入れ、鶏卵を破よく破氣の無きやうに注意を為し手早くかきまはして、メリケン粉
を篩ひ込み、尚ほベーキングポーダーを加へ、よくかきまはしながらC水を注て、ほどよく捏ね
終げて一ツに丸め置き、それよりテンパンの中へ煮返したる胡麻油を引き、混ぜたる材料を少許
づゝちぎり取り、掌の上部にて擴げ手早く竹箆にて並餡を掬ひ込み、丸型に拵へ、それより圖の
如き形状に菜箸にて形を壓し恰も菊の花戕に造り、テンパンに煮返したる胡麻油を引き、その上
部に列べ亦鶏卵の蛋白を小刷毛亦は筆にてその上部に塗り、ほどよくテンピの中にて燒くなり。

君が代の名の通り、皇室の菊の御紋をかたどった菓子のようです。中には餡が入っています。並餡
と上等餡というのがあり、製法がやや違います。上等餡は小豆を茹でた後、何度も水を変えて徹底的
にアクを抜き、濾して裏ごしして、こしあんにしています。現在の高級和菓子に使われる餡の製法です。
並餡になると、茹でる時に馬鈴薯の皮をむいたものと一緒に茹で、水を加えつつ煮ます。上等餡のように
何度も水を変え、徹底的にアクを取る工程は省かれています。馬鈴薯は除いて、後は上等餡と同じ工程
です。
馬鈴薯によって、アクがある程度除かれるのかはわかりませんが、クイック餡というところでしょうか。
ベーキングポーダーについても、パウダーとポーダーに何か違いかあるのかは不明です。ぐぐってみたところ
ベーキングポーダーの名で流通しているものもあり、全く同じというわけではないのでポーダーの名を使って
いるのか、昔ながらの表記なのかは不明です。

しかし、明治の時代でも天皇家といえば神も同様。畏れ多い菓子だったのかもしれません。
517ぱくぱく名無しさん:2009/02/26(木) 22:31:12 ID:XMzOPPLr0
大正6年発行
木耳羹

寒天二本 水三合 砂糖八十匁 鹽少々 木耳七匁 挽茶三錢 十六寸晒餡一合(白隱元を煮る
時は豆二合を煮てせんをとる)

寒天を洗ひて水に二三時間浸し置く。木耳を水にて洗ひ柔になる迄浸し醤油と砂糖にて甘からに
味をつけて後水にて洗ひ堅く搾り置く。十六寸(又白隱元豆)を柔に煮てせんをとる。晒餡を用
ふる時は水を少しづつ注して程よく濕し置く。
寒天を堅く搾り鍋に入れて手にて細くちぎりて定の水を入れ蓋をせずに火にかけて煮溶すべし。
此際餘りに交ずるべからず。是れ色を惡しつくし又つなぎを弱むる故なり。寒天の全く溶けたる
時に砂糖を入れて煮溶し裏漉しにかくべし。裏漉したる寒天は再び鍋に戻して餡を入れてよく煉
り、程よく煮詰りたる時鍋を下して少し冷やし、後挽茶を水にて粒なきやうとろ〱に解きて少し
づゝ餡の方に入れて手早く交ぜ、其中に厚さ一寸餘になるやうに流し込み充分冷して後取り出し
て適宜に切りて出すべし。其切り口には木耳、木目の如く現はれて美しく又食しては齒ごたへあ
りていと面白し。口取りの盛り合せとす。

十六寸豆をぐぐると、おたふく豆のことで品質がよく高価であるが、栽培量が減ったため白いんげ
んで代用されていることが多いとのこと。>>515で紹介した通り、白いんげんは代用として多く使わ
れていたもので、それが主流になってしまったようですね。
寒天を煮る時は混ぜすぎると色が悪くなるとの注意。現代とは品質が違うからでしょうか。
挽茶とは抹茶のことで、どうやら水羊羹のようです。抹茶色を付け(白餡ですから、仕上がりは
薄緑色だったでしょう)キクラゲを醤油と砂糖で甘辛く煮たものを入れ木目のようにしていたみたい
ですね。中国系の菓子のような感じもしますが、日本に元々あったのか不明です。
口取りとなっていますから、茶会に出される菓子だったか、おせち料理などハレの日に出されて
いたもののようです。
しかし、白餡水羊羹(抹茶入り)に甘く煮込んだキクラゲ。当時では大変贅沢だったものでしょうが
味の想像ができません。
518ぱくぱく名無しさん:2009/02/27(金) 17:53:46 ID:ttWJI5j80
乙 いつも楽しく読ませてもらってます
・・・でもお菓子にきくらげ?!・・・よく考えたら中華に入ってるような
黒いのじゃなくてきっと白きくらげだよね、うん。
・・・でも砂糖と醤油で煮るって事は黒い方って考えも捨てきれないかも?
昔の料理はびっくりするような食材の使い方があって、楽しいですね。
519ぱくぱく名無しさん:2009/02/27(金) 22:49:19 ID:j+lAnp/80
明治40年発行
ポテトカプカスター

中位なる馬鈴薯七個 砂糖二十匁 鶏卵二個 バタ大匙一杯 レモン油二三滴

馬鈴薯の皮を剥き、C水と共にシチウ鍋に入れ中火に架け、三十分間ほど煠で、ほどよく
軟かになりたれば水を去り、直ちに毛篩にて裏漉にかけ、砂糖と鶏卵の蛋黄及びバタとレモ
ン油を滴し、手早くかきまはしてテンパンの中へバタを引き、その中へ入れそのまゝテンピ
の中に入れて蓋を為し、上火を強く下火を中火の加減に為し、三十分間ほど燒き、燒き終り
たれば取出ししよく冷却して適宜の大きさに截り、ほどよく皿に盛り、その上にカスターソース
を灌ぎ注けて供す。

カスターソース
牛乳二合 鶏卵三個 砂糖二十匁 鹽少許 レモン油二三滴 コンフラワー茶匙二杯
小鍋の中へ牛乳を入れ鶏卵を破り込み、よく殻片のなきやうに注意を為し砂糖を加へてよく
かきまはし全く鶏卵のほぐれたる時大鍋に湯を沸かし、小鍋のまゝその中へ入れ絶ず木匙
にてかきまはしながら十五分間ほど湯煎にかけほどよくどろ〱になりたれば鍋を下し手早く
團扇にて煽ぎ冷却して用ゆ。

馬鈴薯を裏漉しにして、卵黄と砂糖、卵、バター、レモンエッセンスを混ぜて焼いたものみた
いです。ここで牛乳か生クリームが入れば、スイートポテトの馬鈴薯バージョンです。
カスタードソース(今で言うアングレーズソース)は、現代とは製法の違いがあります。大雑把
な作り方なので、失敗も多かったのでは。現代では、まず砂糖と卵黄を湯煎で混ぜて牛乳を入れた
後、直火で熱してから氷水で急速に冷します。使用するのは卵黄のみです。この作り方からすると、
卵白も入って薄めの味のようです。ダマも多く、白身のベロリとした触感もあったのでは。卵の品
質が悪かったのかコーンスターチを入れています。気長に湯煎で仕上げていますが、これでコーン
スターチず入ってますから、粉っぽいソースだったのでは。

>>518
どうなんでしょう。白キクラゲは今でも中国では珍重されていますし、当時では尚のこと日本では高価
であったことでしょう。どちらにしても醤油で黒くなりますし・・・・。
520ぱくぱく名無しさん:2009/03/02(月) 22:12:05 ID:JUsmKw4W0
大正6年発行
コーンスターチプツチング

玉子小二個の白身 水一合 砂糖十五匁 コーンスターチ十二匁(片栗粉にてもよし)
ヴアニラ小匙半杯

鍋にコーンスターチ(黍粉)か片栗粉と白砂糖とを入れてよく交ぜ、一合程の湯を入れ
てくよ掻き合せ、火にかけてよくねり、堅き葛ねりの如きものとなし、ぷつぷつと煮立ち
たる時に白身の稍ゝ泡の立ちたる中に大豆位の鹽を入れて、よく泡を立てたる白身を入れ
て手早くかき交ぜて、菓子型か多くの盃の中に程よく入れて冷やして固らせ置き、次に
牛乳一合を鍋に入れてとろ火にて煮立て、其中に黄身に十匁の砂糖を入れてよく泡立てた
るものを入れ、又コーンスターチ中匙一杯を三四倍の水にて溶きたるを入れヴアニラ或は
檸檬油を入れて玉子の固まらぬ程度に弱火にかけて、ねりたるソースをよく冷まして先き
に冷し置きたるコーンスターチプツチングを皿に盛りたる上にかけて出すなり。

コーンスターチで作った葛粉もどきと、泡立てた卵白(品質が悪かったのでしょう。塩を
入れて泡立てています。塩で泡立てると、固く泡立ちます)を合わせ、冷やし固めた卵白を
淡雪寒もどきにしています。そこに、卵黄で作ったアングレーズソースに近いものを
かけています。寒天ではなく、コーンスターチなので、もちもちした感じでしょうか。
病人食によいと紹介されています。葛っぽいコーンスターチに、卵とくれば当時としては
大変に贅沢なものだったでしょう。この時代では、華族であっても卵を食べるのは月に一度
か二度だったそうです。寒天みたいに固くはなく、とろんとしてもちっとした仕上がりで
噛まなくてもツルリと咽を通るので病人には食べやすいものだったのかもしれません。
しかし、こんなものを食べられる病人は限られた華族だけだったでしょうね。
521ぱくぱく名無しさん:2009/03/04(水) 22:36:18 ID:ZwrumRlF0
明治40年発行
かくし山葵

白玉粉百匁 C水少許 砂糖百五十匁 食料粉少許 おろし山葵少許 おろし山の芋少許

冑鉢に白玉粉を入れ、C水を加へてよく捏ね、それよりも一ツに為して蒸籠にて蒸し、直ら
に木鉢を濡らせてその中へ入れ、手先に布巾を巻き、そのまゝ水中に浸してよく捏ち、ほど
よく軟かになりたる時、銅鍋に移し弱火に架け砂糖を少許宛加へては杓子にて捏ね、それ
より軟かに為し煉滅りたればほどよく粉を加へて求肥と為し、そのまゝよく冷却置き、
それより山葵を水にて洗て、水氣を拭ひて庖丁にてえぼ〱(イボイボでしょうね)をこそげ
去り、色を現したる時乾きたる擦金にておろし、少許のおろしたる山の芋と砂糖を加へて
よく煉り混ぜ、求肥を少許宛ちぎとりて掌の上部に載せ、指頭にて擴げ、少許宛竹箆にて
山葵を掬ひ入れ、そのまゝ丸るくくるみて乾きたる砂糖にて糝すなり。

青く着色した求肥(現在とは製法が違います)に、山葵と砂糖と山の芋(自然薯でしょうね)
を合わせたものを餡にして包んで、砂糖をまぶしています。ねばりが強い自然薯で、包みや
すくして、山葵をマイルドにしたのでしょう。味としては、ピリッとするものの甘くてモチモチ
した餡で・・・・というところでしょうか。今で言う塩を使った菓子に近い感覚だったのかも
しれません。現代にある山葵アイスとか、そういう感覚でしょうね。現在では、白玉に山葵を練
り込んだものはありますが、餡に使っているものはないようです。明治の新感覚お菓子だったのかも。
522ぱくぱく名無しさん:2009/03/09(月) 22:17:45 ID:P3GadDUZ0
大正14年発行
開化丼

白米一合五勺 豚肉二十匁 玉葱一個 卵二個

玉葱を洗ひ縦に二分し更に小口切にして薄く半月状になす。豚肉は薄く普通切とす。鍋に豚油を
入れ、玉葱を入れていため、水極少量入れて一寸煮、砂糖茶匙二、醤油中匙一を加へて煮、やゝ
煮えたる時豚を入れて煮る。鍋(餘り大ならぬもの、又はフライパン)に一人分丈入れて平に擴げ
八方汁ニ勺を入れる。
八方汁は味醂一勺、醤油一勺、煮出汁三勺を火に掛けて、一寸煮、煮立てば火を弱め、卵一ケの
よく解きたるを金杓子様の物にて一面に、平均に流す。蓋をなし一寸火を強め、卵の煮えたる時
温めし丼茶碗にを入れ置きたる上に、汁と共に辷らしてをおおふ様にし蓋をなして出す。

豚肉を使うところが開化なのでしょうか。わざわざ豚肉と玉葱に下味を付けて煮たものを、八方
汁(丼ツユと卵ですね)に入れています。親子丼のレシピでは、鶏肉を煮汁に入れてざっと煮て、
三葉と松茸(今ではありえませんが、当時はありふれた食材の松茸を丼に使うのはよくあります)
を入れて卵でとじ、柚子か粉山椒ををかける、とあります。作り方は現在と変わりません。
扱い慣れない豚だったために、別にして下味を付けてから、卵丼ツユと合わせていたのか
品質の悪さのために肉の質が落ちてにおいもひどかった為の策なのか。
ぐぐってみますと、Wikipediaに開化丼や丼物で説明がありました。開化丼は関西では豚が使われ
関東では牛が使われたとあります。このレシピは東京発信でちょっと辻褄が合いませんね。
もしかしたら当事は豚であろうと牛であろうと、開化丼であり店によって違っていたというだけ
かもしれませんね。
523ぱくぱく名無しさん:2009/03/17(火) 22:02:04 ID:3vKjLJQ50
明治45年
ハムブルグステッキ

生の肉一ポンドを奇麗に刻み出來得る丈け繊維を取り去り、此れに加ふるに玉葱の汁を
テーブル匙に半杯
鹽茶匙半杯 胡椒茶匙四分の一 肉豆蔲の砕したもの 卵壹個

此れを小さな球に形付け、而して平らにし麺粉を振りかけバタの中にていためる。熱き皿
の上に此れを載せ、メッテルデホテルバタをかけるか、又はソース鍋に、前に用ひたバタ
に麺粉をテーブル匙壹杯加へて濃い褐色のソースを作りてかける。此れを褐色になし置き
其れからソロソロと少量のスープストックを加へる。鹽胡椒レモン液にて味付け、ウォー
タークレスにて飾る。此のステッキは腿肉の尖端の方の片か又は腰の部の肉から作ること
を得。
病身者には、上等の肉を用ひて作る。只鹽胡椒にて味付け、充分熱が得られる丈炙く。此
れを出す他の方法はイングリッシュマフィン(英吉利の輕燒煎餅)の形に作り而して上の側
に凹を作り燒くか煮てベーキング皿に載せ、而してメッテルデバタをかけ壹ツ壹ツの凹の
中に卵を壹個落し入れる。此れを卵の白身が固まる迄、爐の中に入れる。出來たらば取り
出し卵の黄身の中央に胡椒を一寸置き、而して非常に熱くして直ちに出す。

ハンブルグステーキ(ハンバーグ)でしょう。肉豆蔲はナツメグです。玉ねぎではなく、
玉ねぎの汁を使っています。麺粉はメリケン粉。丸く固めて、小麦粉を付けてバター
で焼いていたようです。メッテルデホテルバターは不明なのですが、当時の高級ホテル
のバターでしょうか。今でも○○ホテルバターなどありますし。高級なバターで食べるか、
とろみのついたスープストック(レモンが入るのでやや酸味もあったことでしょう)を
かけて食べるとあります。ウォータークレスは、クレソンのことで、クレソンを添え
たみたいですね。病人用になると、塩コショウだけで味付けして焼いただけの物か、
マフィンのように形を作り窪みを付けて焼くか煮るかした後に、高級バターをかけて
卵を落としてオーブン焼きとあります。
真ん中をくぼませるなどで、形としてはこちらのほうが現代に近いですね。どちらも
今のように柔らかく肉汁が出るようなものではなかったでしょう。固くビーフパテに
近いようです。
524ぱくぱく名無しさん:2009/03/22(日) 19:55:44 ID:+GZinU+ZO
【靴ニュース】原始人が履いていた!? 地球最古の『靴』がアフリカで発見される!【画像あり】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/shoes/1236867689/
525ぱくぱく名無しさん:2009/03/25(水) 03:36:44 ID:zU/s9uc20
>>463
亀ですが、スマダ−ドはsmotheredのことだと思います。
グレイビーなどをたっぷりからめた状態を指す言葉です。
526ぱくぱく名無しさん:2009/04/05(日) 17:30:10 ID:rTekmAnC0
なんで左から書いてるの?
527ぱくぱく名無しさん:2009/04/06(月) 02:00:16 ID:Yw2NmYN+O
雑煮の出汁は鮎でとる
528ぱくぱく名無しさん:2009/04/07(火) 12:52:26 ID:WJQiYKDB0
開化まんぢう(・∀・)
ブコフで30年前のお菓子本見つけて古っ! と思ったけど20年前でもまだ平成で、
明治って本当に遠くなったんだなと…。
529ぱくぱく名無しさん:2009/04/10(金) 22:16:06 ID:g73pmsBU0
大正10年発行
ポークソーセーヂ(豚肉腸詰)

豚の腸を使ひますもので、腸は肉屋にて鹽漬けとして居ります。非常に惡臭の強いものです
から、好く〱水にて洗つて使ふので御座います。先づ豚の腸を綺麗に洗つて水氣を斷り、豚の
挽肉百匁を擂鉢にて好く摺り、玉葱半個を卸して汁を搾つて入れ(セーヂを入れゝば一層宜しい)
鹽(普通の味よりは餘計に利かせて)と胡椒にて味を附け、漏斗の先に腸をたぐり上げ、腸の先は
糸にて結んで置きます。それより挽肉を漏斗に入れ、押し出して腸に一杯に詰め(空氣が入りますと
肉は入りませんから小さな穴を所々にあけて置きます)所々を糸にてくびり、天パンには牛酪少々を
引いて並べ更らに鹽胡椒を振り、天火に入れて蒸燒きとなし、くびつた所より截り、御皿に盛つて
裏漉馬鈴薯を附け、温い所を侑めます。腸には挽肉を詰める時小さな穴を開けますが天パンに並べ
てから更らに尚ほ極く細い先の尖った金串の様なものにて穴をあけ、燒いて居る中に、破裂する事
のない様に致します。

スモークするものではなく、オーブンで焼く簡単なソーセージです。今ではニンニクや、ねばりを付ける
ための卵白、ナツメグやブラックペッパー、他のハーブなど使う場合もありますが、玉葱とセージだけです。
ハンドメイドでは搾り出し袋を使うことが今では多いですが、当時は漏斗(Yの字型のやつですね)に入れて
上から押して肉を入れていたようです。当時はセージといえば薬にも使われる貴重品。今は、腸を詰めた後に
適度な長さでひねりますが、糸を使用しています。現代のようにソーセージ用に処理された腸ではなかったから
かもしれません。それにしても、相当に珍しいものだったようです。庶民の人がソーセージを食べるようになった
のは戦後。戦後すぐは物がありませんから、人々に普及したのは昭和30年前あたり。戦前の昭和初期でも、存在
していましたがごくごく一部の人のみが食するもので、庶民は肉屋で見かけても食べ物とは思わず、飾りと思って
いたそうです。このレシピで作っても十分美味しいと思われます。
530ぱくぱく名無しさん:2009/04/11(土) 12:06:03 ID:IgpGCi410
>>523
「メッテルデ」本当にそう?
メルテッドホテルバタの誤植じゃないのかな
531ぱくぱく名無しさん:2009/04/11(土) 22:02:20 ID:yUhbxwBl0
>>530
メッテルデとなっています。
誤植なのか、当時の表記(外国語発音)が曖昧だったのか。実際にレシピを見ていても
よくよく考えないと、何の勘違い単語がわからないことがよくあります。
532ぱくぱく名無しさん:2009/04/15(水) 21:26:12 ID:Txj9LbL40
大正10年発行
ハムライス(ハム御飯)

鑵に入つて居るスライドハム(薄切り)を取り出してざつと熱湯を注け、三分位の四角に
截り、大匙一杯の牛酪(バタ)の沸騰た(にたった のルビ)所に入れ、鹽胡椒を振つていため
普通に炊いた御飯を茶碗に五杯入れ、大匙五杯の豆を投れ好く混合して、茶碗の型に
輕く詰め御皿にあげます。形を崩さぬ様に注意を拂ふのは勿論です。生のハムを茹でゝ
用ゆれば一層宜しいのですが、鑵詰の方が簡単に出來ます。

ハムをバターと塩コショウで炒めた後に、ご飯とグリンピースを混ぜ合わせた混ぜ御飯
のようです。缶詰のハムですから塩気も強かったのでしょう。生のハムというのも、い
わゆる塩漬けのハムで(上に「らかん」という名前で出したことがあるので読めばわかり
ますが)、塩抜きをしなければ使えないものですが、味としては生のハムのほうが上だった
ようです。今であればケチャップとかトマトソースで味付けするところですし、混ぜ御飯
風ではなく、すべて炒めるでしょう。ハムの塩気だけで充分だったのかもしれませんが、
現代では物足りない味かもしれませんね。
533ぱくぱく名無しさん:2009/05/14(木) 21:17:09 ID:2zBFsNqX0
明治45年発行
ハートフォードエレクションケーキ

次の品々を用意すべし。
麺粉五百四十匁 砂糖三百匁 バタ二百七十匁 肉豆蔲三匁五分 シトロンの薄片にしたる
もの六十匁 ハナニクヅキ半オンス ブランデー酒とシエリー酒の混合酒コツプに壹杯
乾葡萄二百四十匁 卵四個

晝か午後壹、貮時頃に此の菓子を作るなり。バタと砂糖をクリーム様にし、而して微温のミルク
を六合加へ酵を一合五勺加へる。麺粉を加へ此の混合物をよく打ち、厚いタオルにて鍋を蓋ひ
醗酵さする様に温かき所に是を置く。夜になって此れが非常に輕くなつたらば、砂糖、藥味、
卵を加へ而して第二の醗酵をさせる為、温かな所に鍋に置く。翌朝早く果物、酒、シトロンの
皮の挽いたもの、薔薇の水を茶匙に半杯等を加へる。此れをバタの塗つてある紙の敷てある鍋
の中にあけ入れ壹時間程其のまゝになし置く。此の分量にて七ツの塊を作り、爐にて壹時間よ
り壹時間半程燒くべし。
少量の湯の中にソーダを茶匙に半杯溶かして鍋の中に混合物を入れる時に混ぜ入れる時は
非常によきものを作らるゝなり。

パン菓子に近いもので、ドライフルーツと肉豆蔲(ナツメグ)のフルーツケーキのようです。
昼か午後一時から作り始めて、出来上がりは翌日の昼か昼前のようですから、丸一日かかる
手のかかるもの。酵とはイーストのことで、昔はイーストの質も悪かったのでこんなに時間
がかかったのでしょう。さらにソーダ(ベーキングソーダでしょう)も加えるとさらに良しと
ありますから、イーストだけでなくベーキングソーダの力も借りてふっくらさせていたようです。
レモンも滅多にない貴重品、ローズウォーターとなればもっと貴重品。高級ホテルや高級レストラン
のシェフが作るようなケーキだったのだと思われます。
ハートフォードエレクションとは何だろうと思っていたら、平野顕子さんのエッセイ「留学主婦の
アメリカンケーキ」の中に出ていました。イギリスのケーキかしらと思っていたら、アメリカのよう
です。イギリスの移民がアメリカに伝えたのか、元からアメリカのケーキなのかはわかりませんが。
534ぱくぱく名無しさん:2009/05/29(金) 08:58:24 ID:4EFH2JPZ0
>>523 >>530
恐らく、フランス語のMaitre de hotel(メートル・ド・テル)バターを
英語読みした時に訳者が間違えたものと思われます。
ステーキとかにのっている、エシャロット風味のハーブバターのことかと
思います。
535ぱくぱく名無しさん:2009/05/29(金) 21:27:37 ID:7yt/3xLw0
ここに出てくる料理って今ではありふれたものもたくさんあるけど、
昔の人たちの西洋料理への憧れもあるのか、仰々しい料理法がかえって
美味しそうに見える。
しかし明治の世から随分ハイカラな料理があったんだな。
一般庶民の間に普及するにはその後かなりの時間がかかっただろうけど。
536ぱくぱく名無しさん:2009/05/30(土) 21:32:03 ID:Des/Cqug0
大正8年発行

スカロップドカリフラワー(花甘藍と燒麺麭 はなキャベージとやきぱんのルビ)

花甘藍一個の外側の葉を取り去り、三十分間程水に浸け、大きな鍋に充分に水を入れ、鹽少量を
加へて火に架け、沸騰た所に花甘藍を伏せて入れ、一旦沸騰致しましたら、火を弱くして元の
形を崩さぬ様に軟かに茹でます。是を取り出して水氣を斷り適當の大きさに花を分け
致します。それより食麺麭の周圍の固き部分を切り捨て柔かき所を、薄く截つて燒いたもの四片を
別々の御皿に盛り、其の上に花甘藍を載せます。揚鍋に牛酪大匙一杯を入れて煮溶かし
攪拌してメリケン粉大匙一杯半を加へ牛乳一合五勺を徐々に混ぜ、一旦煮立たてゝお鍋を下ろし玉子
の黄蛋三個、肉豆蔲(ナツメグ)の下したるもの少々、玉葱の下したるもの大匙一杯を混ぜ
好く攪拌して鹽胡椒にて味を附け、花甘藍の上より注けて侑めます。

耳を取ったパンの上に、茹でたカリフラワーをのせて、ホワイトソースに近い物の中に黄身と
ナツメグやすりおろした玉葱を混ぜたものをかけるようです。カリフラワーなんて見た事もない
人も多かったと思います。少し現代風に手直しすれば、流行のレシピブログでも通用しそうです。

>>534
なるほど!納得してすっきりしました。

>>535
一部の華族皇族が食べていたのでしょうが、西洋料理に憧れ再現したいという
料理人の心意気を感じます。
537ぱくぱく名無しさん:2009/08/06(木) 18:43:35 ID:NOQIZ0QP0
どれも文体のせいかそうでないのか
とても手間隙がかかった美味しい作り方に見える
538ぱくぱく名無しさん:2009/10/22(木) 00:50:21 ID:iGIFAdly0
539ぱくぱく名無しさん:2009/11/06(金) 19:08:49 ID:WFm2DbJAO
『軍隊調理法』は既出かな?

その九十一 のっぺい汁
 熱 量 二百二十四カロリー
 蛋白質 十三・九六グラム
材料(一人分)
 里芋、七十グラム
 大根、百グラム
 人参、四十グラム
 干瓢、八グラム
 生揚げ、五十グラム
 削り節、八グラム(または煮干粉 四グラム)
 澱粉(片栗粉でよい)、八グラム
 醤油、三十ミリリットル

準備
イ、里芋は腐れを除き木口切りとなし、大根は銀杏切り、人参は乱切り、生揚
  げは一・五センチ位の賽の目に切り置く。
ロ、干瓢は水に浸して洗い、一・五センチ位の長さに切り置く。

調理
鍋に約三百五十ミリリットルの水と削り節を入れて大根、人参、里芋、干瓢、
生揚げを入れ、野菜の軟らかくなりたるとき醤油を入れ、煮上がりたれば文火
となし、澱粉を水溶きして攪拌しつつ入れる。

備考
イ、材料は根菜類を主として、これに椎茸、生麩、生揚げ、油揚げ、木くらげ
  の類を使用するも魚肉類は用いざるものとす。
ロ、調理の特色は澱粉をもって汁をどろどろとなしたる多汁性副食物にして、
  温食料理の一種なり。
540ぱくぱく名無しさん:2010/01/23(土) 03:09:06 ID:NOVJfeoC0
ケータイで料理レシピ
超便利
ttp://www.youtube.com/watch?v=1yIp8HEnT5s&feature=channel
541ぱくぱく名無しさん:2010/04/21(水) 21:39:58 ID:0K7s8TQi0
保守
542ぱくぱく名無しさん:2010/06/30(水) 17:20:02 ID:d7q2oM6p0
t
543ぱくぱく名無しさん:2010/07/14(水) 20:07:57 ID:TD6XlRxy0
>>4

縄文人がゲットとかセットとかいう言葉使うなよw
544ぱくぱく名無しさん:2010/10/12(火) 00:35:47 ID:Rgvjr0Bi0
豆腐百珍に載ってる豆腐麺が手軽なんで何度か作ってたんだが
こんな単純な料理にもいちおうコツがあるみたいだ
そんなわけで俺が美味しいと思った作り方を紹介する

材料
・木綿豆腐 そうめん 青菜(なんでもいい) ごま油 醤油

豆腐は重しをして水切りしておく
青菜をみじん切りし、そうめんは固めにゆで、水でしめてザルに上げておく。
鍋にごま油をしき、青菜を入れ炒め、水気が出たら豆腐を崩しながら炒めあわせ
醤油で濃く味付けし、軽く水気が飛ぶまで炒める
最後に水を切ったそうめんを入れ炒め合わせる
※一度冷めたほうが味が馴染んで美味しい
※必ず青菜を炒めてから豆腐を入れる事


分かった事はこの料理は青菜と醤油とゴマ油のうまみを豆腐に吸わせ、
さらに豆腐から出てくる水分もプラスして素麺にも吸わせるところがミソなんだ
最初に豆腐を入れてしまうと表面が油にコーティングされてしまって
いまいち味が染み込まないし水分も出ないので
かえって肝心の豆腐が水っぽくなってしまって美味しくない。
あと素麺は茹でてから直接入れちゃうと固まってしまってどうにも食感がよくない。
545ぱくぱく名無しさん:2011/05/31(火) 21:42:14.07 ID:YKVBM4tOP
大正10年発行

和蘭陀三津葉煮込(セロリー煮込)

和蘭陀三津葉の根を揃へて葉を截り落として一時間許り水に浸けて、綺麗に洗つて外側の皮を
剥きて根のほうは尖る様に截り、茹でる時好く火が通るやうに十文字に包丁目を入れて
鹽煠(塩茹で)になし、水に取つて搾つて御鍋に、人参と玉葱を薄く切つて入れ、其の上に
揃へて載せてスウプを和蘭陀三津葉の中程迄加へ、鹽、胡椒を入れて御鍋の蓋をして
餘り強くない火にて、ごとりごとり煮ますと、人参と玉葱よりは甘い汁が出で、スウプ
に移り更にスウプと共に和蘭陀三津葉に吸はれて、美味しく煮へます。
是れを御皿に盛けて煮汁を注けて侑めます。

当時は相当珍しい野菜だったのでは。
独特の苦味とクセが難点だったのか、セロリ料理はすべて水に浸してから使っています。
図解がしてあったのですが、セロリは長いまま、葉だけを落として十文字に切り込みを入れて
水に浸けてしぼる。鍋に人参とタマネギの薄切りを敷いて、その上にセロリをのせて
スープと塩コショウを入れてコトコト煮込む、ということなのでしょう。

セロリは長いままなので、ナイフで切りつつスープと頂くスタイルでしょうか。

肉が入らない香味野菜スープなので、コクはないけどさっぱりとした味でしょうね。
ベーコンを入れたらもっと美味しそうです。
546ぱくぱく名無しさん:2011/06/06(月) 22:32:39.43 ID:ZGaJ1Y29P
明治45年発行
クザリナクリイム

次の品を用意すべし。
クリイムを三合
ゼラチンを一箱の四分の一
砂糖をコツプに四分の三程
アマンドの晒したものをコツプに四分の一杯
バニラを茶匙に一杯
薔薇の水を茶匙に半杯
シエリー酒をコツプに四杯

クリイムの入って居る丼ほ氷の上に置きシツカリした泡にホイツプなし、ソロソロと
砂糖を加へ、其れからゼラチンを加へる(此のゼラチンは始めにコツプに四分の一の水
の中に、一時間程漬け置きて其れからコツプに一杯の湯にて溶かしたるものなり)
絶へず攪き廻し置く。バニラを薔薇の水とを加へ、美しき緑色になす。
此れが固まり始めた時にシエリー酒を加へ最後にアマンドを刻みて加へる。
クリイムが充分シツカリになつた時に圓形のペイパアボクース(紙にて作りたる
箱型ものもの)の中に入れ、上に少量の色の付けて居る砂糖を振りかける。
此れを食卓に出す前に一時間以上氷の上にて載せて置くなり。

「アーモンドムースのシブーストでしょうか。ローズウォーターからして東欧の予感もします。
第二クリイムと記してあるくらいなので、当時としては最高かつ贅沢なものだったのでしょう。。

547氏名秘匿:2012/08/13(月) 21:23:59.75 ID:zf7rkyjp0
大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて、
心も身体も壊されて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。精神病院へ行っても、ちっとも良うならへん。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。
そればかりか、イジメに加担する教師もおった。
 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメは
なかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
 僕をイジメた生徒や教師の名前をここで書きたいけど、
そんなことしたら殺されて、天王山に埋められるかもしれ
へん。それで誰にも発見されへんかったら、永久に行方不明のままや。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
548ぱくぱく名無しさん:2012/09/24(月) 22:43:30.02 ID:D5v+erv20
4年以上前の書き込みにドン亀レスもいいところだが、ちょっと気になったんで
>>267にある「ハワイ料理 のめのめセーォリ」って、すげー名前だなと思ったんだが、
材料や作り方を見ていてふと思った。これ「ロミロミサーモン」の事じゃね?と
語感も何となく似てるしな
549ぱくぱく名無しさん:2014/02/09(日) 18:34:06.18 ID:rNspGv5H0
上げとくよ
550ぱくぱく名無しさん:2014/02/09(日) 20:04:59.22 ID:xr6IRriDO
>>545
セロリ好きだから食べてみたいな
昔はオランダ三葉っていわれてたんだ
当時の扱い方興味深いね
551ぱくぱく名無しさん:2014/03/12(水) 22:38:32.00 ID:MimFYZMe0
昭和6年発行
ストロウ、ベリー、アイス、クリーム
(何故か、いちいち「、」が入っている。

いちご百目 牛乳二合 白砂糖大匙廿杯 玉子黄身三個 洋紅少量
ズェラチン一枚の三分の一 鹽

先づ鍋に生のイチゴと鹽及水を加へ能く洗ひ又清水にて洗ひ鍋に入れ水一合と
砂糖大匙廿杯加へ文火にてイチゴの軟らかくなるまで煮て、一度裏漉にして漉し
能く冷し置、砂糖及牛乳を加へ、小時煮て玉子の黄身を入れ又一寸煮て手早く
漉し冷して前のイチゴと共に混ぜ合せ此をフリザアに入れ前の如く固めて用ふ。

廿杯は20杯。とても甘いもののようです。
塩で洗うというのも面白い。
まずはイチゴジャムを作り、ゼラチンと玉子、牛乳でカスタードを作って
イチゴジャムに混ぜてフリーザー(昭和5年で冷凍庫とは!)に入れる。
イチゴカスタード冷菓ってとこでしょうか。

この「洋紅」は、ひらがなで「こちにいる」とあります。
こんな時代から、コチニールが使われていたとは驚きです。
今、コチニールのアレルギーなど問題になっていますが、こんな昔から
使われていたとは。
552ぱくぱく名無しさん:2014/05/16(金) 16:35:21.23 ID:veho6E6F0
動画添附禁止 裁判 キンピラ 詐称 ハウスアメリカ

動画添附禁止 裁判 キンピラ 詐称 ハウスアメリカ

動画添附禁止 裁判 キンピラ 詐称 ハウスアメリカ
553ぱくぱく名無しさん:2014/05/17(土) 08:29:22.79 ID:1q8fJpLe0
洋物はこえーな
554ぱくぱく名無しさん:2014/10/29(水) 21:01:07.55 ID:7T+lUBSG0
>>18
蒸したり焼いたバナナとか、焼いた芋類入れても美味い挽き肉追加でも
555ぱくぱく名無しさん:2014/10/30(木) 00:16:44.97 ID:OJ/DhVjG0
    外国人に生活保護は当然ニダ  ;;'';';';;'';;';'';';';;;'';;'';;;     掛け金無しで年金も寄こせ!ニダ
                        vymyvwymyvymyvy、
     日本に住んでやるニダ   MVvvMvyvMVvvMvyvMVvv、  駅前の土地をよこすニダ
                   Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^Λ_ヘ
    謝罪しろニダ       ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ 
   賠償しろニダ __,.ヘ /ヽ_ /ヽ__,.ヘ /ヽ__,.ヘ _,.ヘ ,.ヘ ウリはパチンコ屋をするニダ
    /\___/ヽ   /\___ /\___/ヽ _/ヽ /\___/ヽ
   /''''''   '''''':::::::\/''''''   '''/''''''   '''''':::::::\   /''''''   '''''':::::::\ ニダニダ  警察は韓国人に弱いニダ
  . |  \丶,  、/、 ...:| \,    .|  \,   、/ 、.:|、/ |  \,    、/、.:|
  |   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|   ,,ノ(、_, )|   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|_, )|   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|  レイプし放題ニダ 
.   |   `-=ニ=- ' .:::::::|   `-=ニ= |   `-=ニ=- ' .:::::::|ニ=|   `-=ニ=- ' .:::::::|
   \  `ニニ´  .:::::/\  `ニニ \  `ニニ´  .:::::/ニ´ \  `ニニ´  .:::::/ メディアは全部押さえてるニダ
  /`ー‐--‐‐―´\ /`ー‐-  /`ー‐--‐‐―´\-‐‐ /`ー‐--‐‐―´\
                  日本人は奴隷ニダ ウェーッハッハッハッハ!!     税金なんて当然払わないニダ
                   
    チョッパリ!韓日友好ニダ!  はやく参政権よこすニダ!!  ウリの為にパチンコ一生してろニダ!

 在日帰化議員大勢いるニダ 民主、維新、公明、共産は韓国の為に働いてくれるニダ 自民にもいるニダ
 
     警察・裁判官・弁護士・教師・医者・役人・芸能人 あらゆる機関に在日&帰化人沢山いるニダ!!    

ウェーッハッハッハッハ!!ウェーッハッハッハッハ!!ウェーッハッハッハッハ!!ウェーッハッハッハッハ!!ウェーッハッハッハッハ!!
556ぱくぱく名無しさん:2014/12/11(木) 02:48:14.89 ID:jCicYSMg0
江戸時代の料理書に「酒しほ」という調味料が
頻出するんだが、なんなのかよく分からん

ttp://ci.nii.ac.jp/els/110001171505.pdf?id=ART0001430500&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1418232090&cp=
に拠ると只の料理酒のことらしいんだが
ソースとして心許ないので皆の意見を聞きたい
557ぱくぱく名無しさん:2014/12/11(木) 04:21:25.37 ID:Jl6IWmr9O
>>556
酒塩だろ塩を混ぜた酒を煮切る(煮切った酒に塩を混ぜる、でもいい)
塩じゃなくて梅干しだと煎り酒
558ぱくぱく名無しさん
>>557
つまり、煮切った料理酒みたいなもんか