952 :
名無しの笛の踊り :02/05/19 23:30 ID:cTcj0Yco
>>951 弦チェロは偶数楽章に萌え〜!でした(W
953 :
名無しの笛の踊り :02/05/20 00:39 ID:FlzE.5m2
954 :
名無しの笛の踊り :02/05/20 00:43 ID:FlzE.5m2
955 :
名無しの笛の踊り :02/05/20 03:22 ID:1mEygye.
中途半端なクラファンですがキョンファ&ラトルで協奏曲二番初めて聴きました。ラフソディはシゲティ&バルトーク自作自演盤で時々聴いていましたがやはり録音が鮮明だといいですね。 協奏曲は妙に具だくさんで一瞬プロコでも聴いてるような錯覚を起こしました。 此の曲というよりはキョンファのファンになりました。(実は彼女の演奏も初めて聴いた) ラトルはショスタコの四番に続いて二枚連続ヒット。(自分的には)
どなたかそろそろ「正式な」新スレ立ての準備をお願いします。 (私は最近別のスレを立てたばかりなのでたぶん無理です。) タイトルですが、奇を衒わず バルトーク2 バルトーク その2 バルトーク Part2 あたりでどうでしょうか? 別に名案がおありならお任せしますが。
>>956 賛成。シンプルなのが良いですね。
私もたぶん立てられないのでよろしくです。
958 :
名無しの笛の踊り :02/05/21 15:03 ID:/rgMRu2.
バルトークスレがこんなに長く続いていて嬉しいです
960 :
956 :02/05/21 22:17 ID:???
このスレもあとは例の千盗り合戦とやらになるのでしょうか…
前レスの
>>944 のカキコにも触発されて、ここ2,3日「弦四6番」ばっかり
聴いている。
この曲、何となくヤナーチェクのカルテットを連想させます。
実は今まで「Mesto」って何のことか分からなかったんですが、(←バカヽ(`Д´)ノ)
調べてみると「哀しい、愁うべき」って意味なんですね。
何を思ってバルトークはこんな曲をつくったんでしょう?
また深入りしそうな気配です。
>>955 「妙に具だくさんで」
言えてる…
ずーーーと以前にどこかのスレで、バルトークとショスタコーヴィッチの弦楽四重奏なんて、「どこがいいの?」 という主旨の発言をしたものです。 ヴェロニカタン(ハアハア とかいう変なカキコに欲情して買ってみたら、 これが ィィ(゚Д゚)ィイイ! でも少しやかましい所は萎え。 しっとりしたのがホスぃ。
964 :
風船ヤァヤァ :02/05/25 12:49 ID:I5dc/2ps
>>963 どんなきっかけで名曲に出会えるかって、分からないものですね…
>>962 弦楽四重奏第6番、誰の演奏で聴いている?
この曲の構成(プログラム)、なんとなくマーラーの9番に似ているような
気がしない? 特に第3楽章「ブルレッタ」=「ブルレスケ」が。
第1楽章の古典的な形式、第4楽章の告別を感じさせる楽想とかもね。
私が好きな箇所はですねえ、第1楽章の展開部に入ってすぐ、
四声がカノン風になるところ。っていうかこの楽章全体がいいんだ。
さげ
967 :
風船ヤァヤァ :02/05/26 21:26 ID:Pj0phwPU
>>965 ジュリヤードの2回目です。これが当たっちゃったんで、今のところ他を聴く予定が
ありません。もうちょっと聴き込んだら、今度は全集じゃなくて、単発ものに
チャレンジしてみようかと思います。
貴方は誰を聴いてますか?
マーラーのことはよく分かりません。ていうか僕は、ほんの数えるほどの作曲家の
音楽しか知りません。よくこんなんで偉そうにバルトークのことを語ってしまうのか、
不思議を通り越して、我ながら呆れてしまう始末です。
でもこの曲、本当盛りだくさん。それぞれの楽章が哀しげな旋律から始まってるのに、
そこから展開する音楽は、明るく活気に満ちたものです。
次から次へとあふれ出る着想の数々。
バルトークはまだまだ新たな可能性に向かっていたんだということは、この曲を聴けば
分かりますね。
このスレの最後の局面に、もっとこの曲のいろんな感想を聞きたいものです。
968 :
965 :02/05/26 21:42 ID:???
>>967 私はですねえ、ハーゲンとタカーチですね。ハンガリーも持ってるけど
聴いてないなあ。やっぱ録音が良くないと・・・ミーハーだな。
以前LPで聴いていた東京Qtのも良かった。あれ2番もあわせて最高。
4→5→6とバルトークの作風が変わったね。4は凝縮の極み。5は開放的
(草原の匂い?)。6は多様さとアイロニー。特に第3楽章はだいぶキテルね。
第1楽章はアメリカ時代につながるような新古典主義的な感じがする。
密度の高さでは三番が凄いと思はれ
970 :
Budapest ◆vFvohlXU :02/05/30 07:23 ID:F/Ino982
970ゲットあげ
こ こ は オ ケ コ ン の 話 は 禁 止 で す か
>>971 望むところだ!!っていうか、Part2にも行ってあげてくださいな。
オーケストラのための協奏曲は、実は僕、余りぴんとこないんです…
(こんなこと言って、また総スカン)
オ ケ コ ン も ち ろ ん ご 自 由 に
オケコン解禁あげ BOOK OFFにてデュトワ/OSMのオケコンゲット 5楽章の流れるような前半部に圧倒されたよ。
最近桶紺好きになってきました。舞踏組曲、マンダリソマンセーな私にとっては 桶紺のよさがいまいちわからなかったのですが。 といいつつCDはフリッチャイと差路年しかないです。
>>974 デュトワのバルトーク!!もっとも「らしくない」演奏をしそう…
「流れるような」は分かる気がします。この人他に、バルトークを録音してましたっけ?
どんな演奏をするのか、ちょっと興味ありますね。
977 :
名無しの笛の踊り :02/05/30 22:00 ID:tAPlwemM
オケコン解禁か。 少なくともストラビンスキーにおける春祭のような厨房曲ではないということね。
>>971 >>977 オケコン禁止令は出たことがないはずだ。過去レスも参照のこと。
>>972 >>973 このスレを見ている他の方々はもちろんだが、特に風船氏・ぶだぺしゅと氏
に尋いてみたい。バルトークのアメリカ時代の4曲(オケコン・無伴奏Vn
ソナタ・Pf協3番・Va協)は、ヨーロッパ時代の作品に比べて、「明るい」
と感じたことない? 私は何かふっきれたような「明るさ」を感じる。
「これでよし」というのか、解決した、というのか。ヨーロッパ時代の曲
にも明るく終わるのはあるが、「解決」を拒否しているような感じがする。
たとえば「弦チェレ」の終楽章など。それに対して「無伴奏」は完全に
答えを出して終わるような感じがする。気のせいか? 先入観か?
オケコンだったら、「対の対話」金管のコラールが好き
>>979 「解決」の拒否というのは無いと感じますが。
例:2台ピアノとパーカッションのソナタ
Fis(冒頭のティンパニ)で始まり→C(最後のピアノの和音)で終わる
大雑把な区切り方ですが…
自分の作風を見つけ完成させた時代(ヨーロッパ)と
完成以降(アメリカ)では、雰囲気が変るのも自然なことではないかと思います。
Pf協3番の第2楽章(これについては前も書きました)とか
オケコンのインターメッツォのVa旋律(Szép vagy gyönyör? vagy Magyarország)と
中間部などを聴くと、彼のハンガリーにたいする望郷の思いが溢れてるなあと
感傷的になります。
異国で歳を取り、創作する時の気持ちも変化したのではないでしょうか。
>>981 文字化けしとる…
Szép vagy gyönyör? vagy Magyarországの"?"はu+"です。
「君は素敵だ、君は美しい、ハンガリーよ」という元歌があり、
代表的作品の中ではバルトークにしては珍しくそのまま引用してます。
>>982 3番協奏曲の中間部って、そんな引用があったんですか…
最後期の曲だったと言うことを考えあわせるると、感慨深いものがあります。
それにしても「風船なんかといっしょにして欲しくないわ!ぷんぷん」なんて
レスがつかなくて安心してます。
>>979 どうなんでしょうね?いまこれらの曲を聴いてたところでした。
僕もお正月にNY行ったんですが、やっぱ大都会でした。
ハンガリーってどうしてもヨーロッパの片田舎というイメージがあるんです。
だからバルトークも所詮、宮城とか青森なんかの田舎者だったと思うんですよね。
そんな田舎者がいきなり都会にやってきたら、そりゃ作風も変わるんじゃないかと…
あ、また喧嘩売るようなことかいてる!
でも東北出身の文化人て、一時期の日本をリードしてましたよね。
宮沢賢治なり太宰なり啄木なり小林多喜二なり。
そういえば青森出身の寺山修二が「青ひげ」や「不思議な役人」を上演してました。
実際観たことはありませんが。
同じ田舎者として寺山が、バルトークに何かしらのシンパシーを感じてたんじゃ
ないかと予想してます。
>>979 あと、NY時代は「明るい」というより、「明解」という印象があります。
特にオケコンにはそう感じます。
もちろんバルトーク自身の変化ということもあると思います。
でもこの曲、アメリカ人に対して分かりやすい音楽をつくろう、という狙いも
ちょっとはあったんじゃないかしらん?郷に入らば郷に従えって。
「キミの曲ってフクザツでナンカイなところがあるからさあ、単細胞なアメリカン
には理解しがたいんだよね!だからさあ、誰にも分かるような単純な曲書いてよ!!」
という依頼があったのやらどうなのやら…
でもアメリカって国自体がさまざまな人種でひしめいてるから、その分、ある明解さ、
シンプルさが評価されてしまうような土壌って、確かにあると思います。
さまざまな楽器の特性を活かして、楽器間のコントラストをくっきりと浮かび
上がらせながら、明解な音楽を形作ってゆくような構成って、まさにアメリカ的。
バルトークのヨーロッパ時代の作風にもそういうところがあったけれども、それが
アメリカという超混血社会で、更に洗練されたと考えることもできるんじゃないかな?
こう書いて気づいたんだけど、この曲、生で聴いてみないと、なかなかその良さが
わかんないだろうね、きっと。楽器間の対話を実際目にしながら聴いたら、もっと
好きになれるんじゃないかと思います。
長文ついでに、6番カルテットの感想。
余り反応がなかったのでやっぱり自分で書きます。
>>968 「多様性とアイロニー」はうまいこと言いましたね。本当にもっともなことだと思います。
そこに
>>944 のレスを入れれば、もうこの曲には何も言うことない気がします。
でも文章だけ見ると一体どんな曲なんだろうと疑問に思う人が多いかも。
「旧大陸への愛惜の情が込められた、悲痛で、多様性とアイロニーにあふれた音楽」
ど、どんな曲なんだ??と知らない方は思われるかもしれませんが、そんな曲です。
この地にとどまって、まだまだいろいろ音楽を書いていきたいバルトークの思いが
ひしひしと伝わるようです。しかもバルトークには珍しく、消え入るように終わる
終楽章。
これは
>>979 さんへのレスでもあるんですが、バルトークはこの曲を書くことで、
亡命を前にして、幸せで満ち足りていたヨーロッパ時代に、一旦の区切りをつけ
たかったんじゃないでしょうか?ふっきれたんじゃなくて、ふっきろうとした…
その思いがメスト主題の悲痛さとなって、終楽章全体に現れる。
…書き出したら止まらなくなりそうなんで、この辺で。もっとよく聴いてみます。
>>981-982 >>983-985 レスありがとうございます。
ヨーロッパ時代の作品にも楽理的な意味での「解決」はもちろんあると思いますが、
2Pfソナタの最後のCなどは(弦四5番の例の引用のように)アイロニカルな感じがします。
私が言いたかった「解決」はもっと心理的なものです。ヨーロッパ時代のバルトークは
野心にあふれていて、絶えず前進しようとしていた。それゆえ到達点に安住せず、
「解決」を拒んでいたように思うのです。アメリカでは、「終わり」が見えてしまった。
そこから出たあの肯定・包容力ではないかと。もちろん、これは私の「感じ」にすぎません。
オケコンは確かに明解ですね。終楽章の終わり方など、古典的ですらある、誰にも
わかりやすいエンディング。ベートーヴェンさえ思わせる。
>>980 さんが書かれていますが、
私も2楽章中間部のコラールが好きです。プロテスタントの教会で耳にした旋律を
採り入れた、と昔どこかで読みましたが、とても柔らかい、「癒し」系の響きをつくって
いますね。これなどもヨーロッパ時代にはなかった音楽ではないでしょうか。
しかし、無伴奏Vnソナタは凄い。バルトークが作曲した最も力動的な音楽ではないか?
オケコンのオリジナルのエンディングは『解決』感が超希薄・・・ (煽りではありません)
988 :
986 :02/05/31 21:20 ID:???
>>987 言われてはじめて2つエンディングがあることを知りました。
オリジナルの方が相当短いらしいですね。初演時のクーセヴィツキー/BSO
はそちらを使ったらしい。(ということはナクソスか何かで聴ける?)
そうですか。「解決」感が超希薄ですか・・・(トホホ
989 :
987 :02/05/31 23:02 ID:???
>>988 小澤・ボストン(フィリップス)とかスラットキン・セントルイス(RCA)でも聴けるよ〜
990 :
ぶだぺしゅと ◆vFvohlXU :02/06/01 00:12 ID:CUueCjw.
>>982 >>983 >3番協奏曲の中間部って、そんな引用があったんですか…
オケコンのインターメッツォ(第4楽章)ですって。
これからはちゃんと読みます…(一生懸命3番を聴いてしまった。)
992 :
名無しの笛の踊り :02/06/02 11:39 ID:MpHH7sAM
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