バビット

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しの笛の踊り
コンポーザー
2名無しの笛の踊り:2001/03/06(火) 16:14
これはこれはバビットさん2ちゃんにようこそ、でもまた突然なんで?
3名無しの笛の踊り:2001/03/06(火) 17:22
バーンスタイン指揮の録音ってないですか?
4Hazumoerer:2001/03/07(水) 04:55
う、スレ立てた人はファンなのか?カーターよりは捉えやすい人だね。
でもナンカロウやパーチのスレが立たず、バビットで立つというのは、んー?
5名無しの笛の踊り:2001/03/09(金) 10:53
大雑把にいうと
パーチは整数比音列(純正律的モデル)を志向
バビットは整数モデルでもって平均律的な閉じたシステムを形式化した
って捉えられる?
6名無しの笛の踊り:2001/03/10(土) 04:41
カーターはメトリックモヂュレーション
メトリックなメーザー表現?
テンポ表現で語られることが多い
トータルセリエリズムの1要素?
7名無しの笛の踊り:2001/03/10(土) 04:56
パーチ系(とあえて言ってしまう)の素数リミット的思考システム
面白い話聞かせてクレー!(おいらト―しろだから)
バビット(アレン・フォート)系(とあえて言ってしまう <ダサ)の
面白い話聞かせてクレー!(おいらト―しろだから)
8:2001/03/12(月) 14:50
ミルトン・バビットの時間の構造化システムは、作曲家が考えたものの中では一番まし。
9>あ さん:2001/03/12(月) 23:09
ここでいう「時間の構造化」の「時間」とは「線形性/リニアリティ」や「序数(order)」
的なものと考えていいのでしょうか。
10:2001/03/12(月) 23:23
うーん。音楽用語としての序数的という概念が分からないので、
なんとも言いにくいけど、一般には、音価のセリ-によって構造化される
物理的な時間のことでは?
11=9 もとい:2001/03/12(月) 23:27
>「時間の構造化」
とは「トータル・セリアリズム」という文脈で考えていいのでしょうか。
12:2001/03/12(月) 23:39
私の理解では、バビットは、トータルセリアリズム(TS)を、
少なくとも一時は目指していたと思います。
最近は?数年前PNMで特集してたけどあまり触れてなかった気も。
いずれにせよそうだとすると、
バビットの言う時間の構造化においては、TSシステムの一つのパラメータとして、
音価があると思います
13=11:2001/03/13(火) 00:03
11の質問を書き込む前に既に10のレスを頂いており、一部重複しました。
その重複の部分というのが、まさに あ さんにレスを頂いた、<「音価」が
TSシステムのひとつのパラメータである>という部分です。(これが既に私の次なる
問の答の一部になっている訳ですが)以下後ほど続かせていただきます。

14:2001/03/13(火) 00:31
序数について、教えてください。
長くなるのなら有益な参考文献を…
15所謂1:2001/03/13(火) 00:48
TSシステムはバビット(またはそれを志向するひとの)の理念の部分であって、まだシステム
として現実的には未完成である・・ということでしょうか。
16所謂1:2001/03/13(火) 01:08
私が「序数」という語を知ったのは数学の1分野である「集合論」というものからで
す。所謂十二音技法的なものを個人的に知りたいと思ったときに、バビット経由?で
知ったものです。
17:2001/03/13(火) 01:27
なんと、集合論の用法をそのまま使っているのですか!
そういえば、ピッチクラス集合のところで見た記憶が…
TSは”理論的にはともかく、実際に聴取不可能”
という批判を経て、なんだかうやむやのうちに、
3羽ガラスも撤退したのでは?
それより、音楽のすべてのパラメータに対して、
アドホックな仮定を置くこと無しに順序付けることが不可能なわけで、
奏法のセリ-などというものの非現実性を考えればそれも当然ですが、
結局、セリ-的発想の成果を生かして、悪いところはあっさり忘れる。
というか逆ギレして批判してみせる、といった状況では?
たとえば、FerneyhoughのBoulez批判とか、一種の親殺し?

でも、シュトックハウゼンがやりかけた、音色のパラメータ化は、
第2世代のスペクトル学派ががんばれば何とかなるのでは?
がんばれ、ダルバヴィ!マヌリも負けるな!
でも、器楽だけでは無理ですな…
18=15:2001/03/13(火) 01:40
15は少し観念的な質問になりました。
「音価」の要素である(ベロシティー・デュレーション・タイミング(拍)・・・)
まずここで質問(教えてクンで失礼します)ですが、このような要素で、どういった定型化
がなされていますか。
上記の・・・の部分も実は具体的な質問なのです。どうかご教授を・・・
19:2001/03/13(火) 02:04
これはあくまで、音楽を職業としていない私の見解ですが、
歴史的に、
1.単に16分音符1-12個でセリーを作る初期Boulez型。
2.音高におけるオクターブとの等価物を持ち込んだBabbitt型。
3.音の垂直面と水平面を同じ現象の異なった表現と理解するStockhausen型。
が存在し、2.と3.は1への批判として、大西洋の両側で、相互に無関係に、
成立したはずです。少なくともBabbittはPrincetonから出ていないはずですから。
そして、おそらく、持続だけに注目した1.に対して、
2.はタイミングを、3.はヴェロシティを導入することで、
セリエルな技法の精緻化を図ったということになると思います。
ただ、それ以上の探求は音響物理学の範囲であろうし、
また、作曲家の手に余るものであろうことから、
批判されたついでに止めとけ、ってことになったのでしょう。

ちなみに、3.は日本語でも読める
”シュトックハウゼン音楽論集”で詳説されています。
いまでも、こういうことをやってるのは、あるとすれば、
音楽のために物理学者を国家予算を使って連れてくるあの施設、
IRCAMしかないでしょう。

今までエラソーに言っといて、なんだって感じですが、
参考文献も無しに今言えるのはこれぐらいです。
ご教示を…などと改まれると、ボロが出るわ出るわ…
そろそろ私は撤退の時期ですね。
蛙は井戸に戻ります…
20>17:2001/03/13(火) 02:18
>うやむやのうちに
これは数学の分野で「集合論」がイジメラレル(といわれるらしい)部分にほぼ共通していると思います。
「集合論」は(音楽に於いても)知覚・認知科学の分野に共通項があります。(勿論これらの<科学>は音楽にいくらも言及
出来てないのではないか、と思うのですが)
>あっさり忘れる-因果律の否定-カーディナル(序数に対する基数)
>逆切れ パンク(最高!)
>状況(12音総体)
(ピッチクラスセットセオリーでなく)集合論範疇で書いてみました。

21:2001/03/13(火) 02:59
やめたつもりが、
最後に、一言。
最近スペクトル系の作曲家が、
認知論的な手段を作曲に援用しているらしいですね。
詳しい方ご教示ください。
22>あ さん:2001/03/13(火) 03:16

1.bourez型-これはまったく主観的なものであるのは明白です。(ユニークではありますが)
また音楽は客観的な音響物理現象(科学)でなく、主観的要素をいかにそのなかに投影できるか、といったことでも
あります。
2.のオクターブとの等価物というのは音律の整数比に準じたものとして、まだ考えられます。
3.Stockhausen型の垂直・水平というのは、所謂旋法性と和声的なものと考えていいのでしょうか。

またシュトックハウゼンのいうテンポのセリー・・・これはその最も根本部分(音律の歴史を準えるかのように、
ピッチの整数比・純正律に準えて)ではジャズで常套句(メトリックモデュレション-3/2のテンポ
変化など)になっていると考えられますか。
ご「教示」おねがいします。


23>あ さん:2001/03/13(火) 03:47
思わず22でまた指名してしまいました。
素人の無礼なる質問の数々お許しください。<−−2チャンネルだけどネタじゃないよ
最後に一言といわず、またよろしくおねがいします。好きなこと書いてください。
24名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 04:13
10の「構造化される物理的時間」にも興味ある(ポスト・ポストモダニスト)
25名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 04:33
「タイミング」その他のTSシステム(と額縁に納められているところの)要素の定義求む
26名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 04:41
「系」とはなんでしょう(辞書に書かれている以外で)
27名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 04:56
「スペクトル系」の詳しい定義求む
28>17:2001/03/13(火) 06:43
>音楽のすべてのパラメータに対して、
>アドホックな仮定を置くこと無しに順序付けることが不可能なわけで
まさしく音列主義的思考の極ですね。(またこの様な会話もしかり)
では、なにを仮定して人々は音を出すでしょうか。(禅問答をするつもりではないのですが・・)

29:2001/03/13(火) 12:37
嗚呼、皆さん、もとは私が言い出したこととはいえ、
私は先生ではないし、すべての質問にまともにお返事するだけの
気力がありません。
気が向いたら..ということで。
30名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 13:35
ひーのふーのひのふのみー(ひー)!
ひーえいざーんの‘えい’のじはー、
とわいちはーはめまったなんだよーん!
(ひーえいざーんの‘えい’のじはー、
とわいちはーはめまったなんだよーん!)
31名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 13:37
ひーのふーのひのふのみー(ふー)!
ふーりんはぶんかでーもやーったらだーめだめって
おとーさんおかーさんにいってみよー!
(ふーりんはぶんかでーもやーったらだーめだめって
おとーさんおかーさんにいってみよー!)
32名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 13:39
ひーのふーのひのふのみー(みー)!
みーぎみーてまーえみーてひーだりーみてー、
そーれでーもくーるまーにゃきっをつっけよー!
(みーぎみーてまーえみーてひーだりーみてー、
そーれでーもくーるまーにゃきっをつっけよー!)
33名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 13:40
ひーのふーのひのふのみー(よー)!
よーろれーいよーろれーいよーろれーいひー、
おーやまーのちょーじょーでいーってみよー!
(よーろれーいよーろれーいよーろれーいひー、
おーやまーのちょーじょーでいーってみよー!)
34名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 13:42
ひーのふーのひのふのみー(いっつ)!
いーつかーはこーんっなひっがくっるとー、
わっかっていったのっよさっよおっならー!
(いーつかーはこーんっなひっがくっるとー、
わっかっていったのっよさっよおっならー!)
35名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 13:44
ひーのふーのひのふのみー(むー)!
むっかつっくこーとっはおっおいっけどー、
むっかつっくだーけっじゃ「世の中良くならん!(誰?)」
(むっかつっくこーとっはおっおいっけどー、
むっかつっくだーけっじゃ「世の中良くならん!(誰?)」)
36名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 13:47
ひーのふーのひのふのみー(なな)!
ななんとびっくりばっびっとのー、
おっみみっのあっなあってちっちゃいんだよー!
(ななんとびっくりばっびっとのー、
おっみみっのあっなあってちっちゃいんだよー!)
37名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 13:49
ひーのふーのひのふのみー(やー)!
やーっとひっとこっえかっわらっをわっろお、
かーらてっをやってないひとっはやっめとっこねー!
(やーっとひっとこっえかっわらっをわっろお、
かーらてっをやってないひとっはやっめとっこねー!)
38名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 13:51
ひーのふーのひのふのみー(ここの)!
こーこっのおっみせっはやっめとっきなー、
なーにっをたーのんでっもまっずいんだよー!
(こーこっのおっみせっはやっめとっきなー、
なーにっをたーのんでっもまっずいんだよー!)
39名無しの笛の踊り:2001/03/13(火) 13:53
ひーのふーのひのふのみー(とー)!
とーさっんかーさっんおっねえっさんー、
みーんなそっろおって『こっどちゃっ』ずきー!
(とーさっんかーさっんおっねえっさんー、
みーんなそっろおって『こっどちゃっ』ずきー!)
40名無しの笛の踊り:2001/03/14(水) 18:26
ほおんとっだいっすっき-
みーふーひー!
41笛踊り:2001/03/19(月) 16:32
トータルセリアリズムは多々批判的要素が含まれているでしょう
また集合論に於けるaggregate(総体性)のなかでのト―ナル・アト-ナルを繋ぐ
セットのコンビネーションの手法は今でも十分面白いものであろう。
42:2001/03/20(火) 00:49
それ、実作に反映されてるんですか。
”トーナル・アト−ナルを繋”いだ部分は
聴取できるのですか?
ぜひ、ご教示を!
43笛踊り:2001/03/21(水) 00:08
あくまで、音楽思想(TSシステムしかり)のある極としての議論ではないのですが・・・
ト―ナル・アト-ナルを繋ぐ部分という意味では、今の「ジャズ」等でも割と一般化して
きていると思います。その演奏に「20世紀音楽」の手法といった要素を取り入れる、
利用するといった類のものであります。
44名無しの笛の踊り:2001/03/21(水) 00:09
ヴェルリン・フィル・ザーモニー・ハールで演奏してから逝ってくれ
45:2001/03/21(水) 00:59
>43
では”トリスタン”前奏曲はどうですか?
というか、お聞きしたかったのは、
バビットの作品に反映されているか?
ということで、でも、
そういう話じゃないのですね。
では、PCSセットは、どんなクラスの音楽にも
適用できるものですか?
たとえば、平均率を使ってない非西洋音楽とか。
46>44:2001/03/21(水) 01:13
言語と音楽を己の環境(2ちゃんねる)を含めた元実存と同レベルで考えられないのであれば
ケージの往復書簡集でも読んで云(逝)ってちょうだい
47笛踊り:2001/03/21(水) 02:35
あくまでも<ピッチ・クラス>ですからね
デカルト以降西欧的・合理的な精神の産物ではあるでしょう。
合理的=分かりやすさ、退屈(その行き先は聴取困難のドンズマリ)
一般に云われるPCSセオリーは12平均率を前提としてますからね。
いくつの音を使うのであれ平均率のような閉じたシステム(シンメトリー)
でない場合は、バビット・フォートのpcsセオリーは別の文脈のものとなるでしょうね。
因みに純正・多音型平均率に対してそれを数学モデル化した人にデビッド・ルーイン
て人がいましたね。

非西洋音楽という括りはとても大きいですが、(詳しいかたご教示を=知識欲)
「アフリカ」のリズム面ではセット・セオリー援用が都合がよいらしいですね。
インドのターラ、バリのガムラン、いずれにしても西欧的精神がそれを論理化(集合=認識するときに
音楽集合論?として新しいシステムができるでしょうか。
これからの音楽認識論ということで、西洋が非西洋を論理化するという
図式でしょうか。
ピタゴラスの整数比的捉え方ではだめでしょうから。
非経験主義的文章で失礼

48名無しの笛の踊り:2001/03/21(水) 03:45
アフリカでもターラでも教会旋法だって音の集合を扱うという意味である種集合論でしょう
4947:2001/03/21(水) 04:57
バルトークの民族音楽研究等はそのひとつだと考えられます。
50:2001/03/21(水) 11:21
>50
ルーインなる人の仕事を考えると、
(その文献の詳細切に希望!)
音程のある音楽である限り、
論理的に体系化できるのでは?
つまり、おっしゃるピタゴラス的把握は十分可能でしょう。

ただ、絶対音高を持たないシステムや、
音高が確定できない、つまり打楽器主体の音楽の場合
かなり困難では?
いずれにせよ、そういったことをやると、
西洋中心主義的な文化的支配うんぬんとか、
音楽は理論で捉えられないとか、
かなり的外れな批判が続出することを
覚悟しないといけないでしょうが。
こういった人にていねいに説明しても、
感情的に反発されますからねえ、失礼ながら。
51笛吹き:2001/03/21(水) 23:41
ただ私が言いたかったのは、集合論を音楽全体?を論理化・体系化(またその目的は?)
する為に西洋の客観主義的な立脚点から信望するということでもなく、
人の思考方に準えたものとして考えられる、ということではあります。
思考ということを論うこと自体西洋客観主義的でありますが。
ここにはまた音楽を創る、演奏する、感じるetc...個々人の音楽との関わり方
といった種々の文脈(パラメータ)が複雑に入り交ざってはおります。

52名無しの笛の踊り:2001/03/21(水) 23:55
70年代西欧人が挙ってアジア(インド)に新天地としての精神世界
を求めて集ったということが思い出される。
西欧合理主義と東洋神秘主義のコミニケーション?
音楽の世界でも同じく。
53:2001/03/22(木) 01:36
そう言えば、
確かバビットは1951年にハイフィデリティ誌上で、
誰も聴かなくても(あるいは聴き取れなくても)音楽は存在しうる
って内容の小論を寄せていたはずですね、記憶が正しければ。
そして、そのような音楽のために、コンピュータを利用し始めたはず。
実際には、フィロメルなどのヨーロッパ型の電子音楽もありますが。
そう考えると、バビットの思考は西洋音楽の一種の極地点で、
数学に詳しい彼が、よもや、あらゆる音楽全体を公理化しようと考えた
とは考えにくいですね。
54笛の踊り:2001/03/22(木) 01:40
>50
この場合、定義できるピッチ(音程)ということのみならず<閉じて>いることが必要条件
となるでしょうね。
<閉じて>いるということはPCSセオリーでも第一義的な定義である<等価性>
に繋がる部分だと思います。
また集合論は混沌から等価性を抽出し、認識するためにそれらの要素をより大きな
上位構造としての認知カテゴリーに括ることがひとつのテーマでもあります。
55Hazumoerer:2001/03/22(木) 03:52
http://ensemble21.com
ここにいってバビットのAllegro Penserosoを聴こう。
56名無しの笛の踊り:2001/03/22(木) 04:34
前出のD.lewinにかんする記事です。
http://boethius.music.ucsb.edu/mto/issues/mto.99.5.2/mto.99.5.2.soderberg_essay.html

論理的体系化(その結果)の目的のひとつ(面白いところ)はバリエーションの手法
だとおもいます。
57名無しの笛の踊り:2001/03/22(木) 04:56
>53
>誰も聴かなくても(あるいは聴き取れなくても)音楽は存在しうる
存在、感性、知的(数)理念、理性、感情、肉体、弁証(一般性)、存在
ぜひバビットの小論を読んでみたいですね。
58Hazumoerer:2001/03/22(木) 05:18
>>57数学が人間の精神から独立して存在する、といったゲーデルの意見とにているような気もするのですが?。
59名無しの笛の踊り:2001/03/22(木) 05:25
バビット(のみならず)このあたりの音楽がきけるところ(ホームページ)教えてください。
60:2001/03/22(木) 12:16
>58
ボエティウスぐらいまでは、
数学も音楽も似たようなものでしょう。
音楽が学問から芸術に進化?してしまっただけ。
シャリーノの5番のソナタの件、ご教示どうも。
61:2001/03/22(木) 12:28
>59
バビット様はご存命ですからね。
彼に敬意を表して、
楽譜の一冊やCDの一枚ぐらい、
自腹を切ってやってください。
この業界の人はそうじゃなくても苦しいはずなんだから。
62あ’:2001/03/22(木) 14:00
>56
多謝。
いま、Ch.J.Smith:"Schenker's Formenlehre"
ってのを読んでるんで、次、読みます。
63名無しの笛の踊り:2001/03/22(木) 23:44
>58
アインシュタインもよく似たようなこといってたような・・
64名無しの笛の踊り :2001/03/22(木) 23:46
あさんは経済学者になるのかな。
音楽評論家でもいいような。
65名無しの笛の踊り:2001/03/23(金) 20:31
単なる謎のツッコミ白蝙蝠でしょ?
66例えば:2001/03/24(土) 00:39
>「集合論の用法をそのまま使用」
この場合の「集合論の用法」と括る場合、「用法」というものの周延(外延)をどの程度の範囲
で含むものになるでしょうか。

雑記として
光は粒か波か、粒は集合として捉えやすい。波は有限集合としては捉えがたい。
ということは
音の垂直面(基・量・ピッチとしての)と水平面(序・時系列・・旋律性とかいうのかなあ)
を同じ現象の異なった表現として理解するStockhausen型
ホイヘンスみたいな人だなあ

67名無しの笛の踊り:2001/03/24(土) 03:04
ホイヘンスとニュートン
68名無しの笛の踊り:2001/03/25(日) 03:10
ここで偉そうなこといてる奴等!!
12音の論理的妥当性を述べてみよ
69名無しの笛の踊り:2001/03/29(木) 10:15
12音音楽で面白いのは、12音総体内における相補正にある
70ぬおー!あげ!!:2001/05/07(月) 05:33
「無調」スレをみてもちあげた(重量あげの気分)
>62
シェンカー理論については前々から気になってるのだが、取り掛かるきっかけのがしてるなあ。
話によると、音楽の階層的構造を捉えるようなものらしいが・・
71名無しの笛の踊り
声は元少女隊のトモちゃん(はあと)