1 :
名無しの笛の踊り :
2009/09/27(日) 01:47:04 ID:7bmpux9q
2 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 02:38:19 ID:acGgQsXn
イエス=テノール説について語るスレはここですねw
3 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 02:51:22 ID:PkDHC7er
>>2 違う。
>>1 を読むべし。
リヒターの演奏は、今はCD、DVDでしか視聴することができないが、その名演奏は未来永劫語り継がれる。
また1969年のミュンヘンバッハとの来日公演は、日本のバッハ演奏史にエポックをもたらした。
4 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 03:03:29 ID:7bmpux9q
>その名演奏は未来永劫語り継がれる。 これはリヒターにかぎったことじゃないだろ
5 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 03:28:02 ID:PkDHC7er
>>3 ここは、リヒターのスレであることがわかってないようだな。
6 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 03:29:55 ID:PkDHC7er
7 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 03:31:11 ID:7bmpux9q
てことは信者以外お断りスレ?
8 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 07:10:41 ID:kQT/SGEl
リヒターの偉大さは、バッハを正しく解釈したこと。 キリストはバスとして書かれてるからバスにしたとか、 そういった伝説の踏襲ではない。 古典音楽における作曲当時の演奏法は、楽曲の一つの可能性を示しているに過ぎない。 これを勘違いしてるのが、多くの古楽器奏者とキリスト教が頭から離れない人。 いくら楽器を同じにしたところで、勘違いした中で正しい解釈にはならない。 ベートーヴェンソナタを当時の楽器で弾く奴はまずいない。 現代ピアノこそが最も正しく表現できるように、 現代楽器こそ、バッハを正しく表現できる。
9 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 07:13:39 ID:7bmpux9q
バッハが現代楽器の音を望んでたとでも?
古楽器ヲタは関連スレへどうぞ
また古楽器ヲタが入り浸ってスレが荒れる展開か・・・
>>12 このスレのどこに古楽器オタがいる?
荒らしているのは論拠も示さず「正しい解釈」「正しい表現」なんて過激なこと書いてるヤツの方だろ。
14 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 07:54:05 ID:7bmpux9q
あと「精神性」と言う言葉をやたら使う人達も
正しい演奏・解釈を否定する人たちって、音楽は平等じゃないといけないってことだよね。 そういう人たちは、バッハやベートーヴェンやモーツアルトも優れた音楽とは思ってないってこと? リヒターの解釈の優劣は否定しつつ、バッハの音楽を優れたものだとするのは、 矛盾以外のなにものでもないと思うけど。 バスはテノールに変えちゃだめだけど、楽器は変えていいとか、 音程が同じなら変えていいとか、およそ音楽とはかけ離れた発言ばかりなのは、 音楽よりも宗教といった関係ない歴史の方が重んじられてるためだろう。
16 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 08:25:55 ID:7bmpux9q
バスをテノールに変えたら駄目って変だよな。 その代り楽器は変えて良いとか。 バッハからしたら多分どっちも同じ
>>15 >>正しい演奏・解釈を否定する人たちって、音楽は平等じゃないといけないってことだよね。
は?ww
論理展開の飛躍についていけないんですが?
音楽における平等って具体的にどういうこと?
ひょっとして
>>15 氏の中では、「優劣」と「正しい正しくない」って同じ意味なのか?
19 :
15氏 :2009/09/27(日) 09:02:10 ID:kQT/SGEl
楽曲は古典音楽の場合、それ自体が独立だから、「優劣」だろう。 演奏の場合、クラシック音楽の場合は楽曲はオリジナルじゃないから、 バッハの楽曲を演奏してるんだから、優劣は楽曲の解釈においては 「正しい正しくない」にかわるでしょ。まあ、言葉の問題はどうでもよいが、楽曲も演奏も 好みや嗜好の問題ではなく、結果の良し悪しが存在するってことは明白だろう。
またしても、正統と異端の問題ですねw
21 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 09:04:02 ID:7bmpux9q
ここの人はちゃんとギリシャ語で聖書読んでるの? 読んでるよね?
ラテン語までが精一杯です
23 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 09:11:17 ID:7bmpux9q
ラテン語がよめればギリシャ語はすぐ読めれるようになるよ
>>19 >>優劣は楽曲の解釈においては「正しい正しくない」にかわるでしょ。
かわらない。
いったいどういう化学変化を起こせばそうなるの?
そもそも、この文章が意味不明。↓
>>楽曲は古典音楽の場合、それ自体が独立だから、「優劣」だろう。
「正しい正しくない」の基準は何?
やっぱり
>>15 氏の中では「正しい正しくない」=「優劣」=「好き嫌い」でしかないんじゃない?
安易に「正しい」などと書いてある文章は、それだけで胡散臭く感じる。
テナール厨が引っ込んだと思ったら「翼をください」くんが カンバルようになったか。 ほとほと得体の知れないモノが憑いてるスレやなぁ〜w
楽曲という元があるんだから、演奏は独立じゃないだろ。 楽曲に従属してるんだから、この楽曲の中身を表現することが演奏でしょう。 「解釈」は多分英語で言うところのinterpretationだろうから、 元となるの表現を音にすることであり、良し悪しがあるんだよ。 正しいとか優れてる、ということを避けてばかりいると、 その個性を理解せずに与えられた音楽を鵜呑みにすることになる。 なぜあたなはバッハを聞くのか。その過程は様々だが、優れた楽曲が生き残ったから。
つまりあれですよ、リヒヲタさんは 「バッハはリヒターの演奏が唯一絶対の正しい解釈」で、それ以外の解釈は認めない。 モダン楽器でやろうとピリオド楽器でやろうと関係ないと考えてるようにしか思えない。 いろいろな解釈で演奏ができる懐の深い音楽というのがバッハの偉大さの一つなのは常識なのに、その可能性をまったく認めてない超保守。
30 :
イエステノール説 :2009/09/27(日) 12:55:08 ID:7bmpux9q
呼んだ?
カンタータの国内盤って廃盤なのか 検索したが、ほとんど見つかんない
32 :
イエステノール派 :2009/09/27(日) 13:28:37 ID:7bmpux9q
実際の所マタイかヨハネはどっちが評価高いの? リヒターの演奏は。
33 :
イエステノール派 :2009/09/27(日) 13:35:54 ID:7bmpux9q
すいませんあと一つ質問を フーガの技法ってリヒター録音したんですか?
>>28 だから、「正しい」と「優れている」は違うだろ、と何回も言っている。
リヒターの解釈が「正しい」と主張するのだったら、どこの部分が何を根拠にどう正しいのか具体的に述べてくれ。
例えば、イエスの最初のレチタティーヴォで
リヒターは、"Ihr wisset, dass nach zween Tagen…"と歌わせているが、このzweenは「正しい」のか?
"zweien"と歌うのは「正しくない」のか?
きちんと根拠を挙げて説明してみろ。
35 :
イエステノール派 :2009/09/27(日) 14:51:22 ID:7bmpux9q
このスレって平和な時がないよね。 例えばカンタータの何番が良い演奏だ、とか。
36 :
イエステノール派 :2009/09/27(日) 14:52:16 ID:7bmpux9q
このスレって平和な時がないよね。 例えばカンタータの何番が良い演奏だ、とか。
>イエステノール 前スレの平和を乱した張本人がよく言うわw 前スレの質問にさっさと答えろ。 話はそれからだ。
38 :
イエステノール派 :2009/09/27(日) 15:07:11 ID:7bmpux9q
前スレの残ってた質問て何が残ってましたか?
39 :
イエステノール派 :2009/09/27(日) 15:12:05 ID:7bmpux9q
私も貴方の質問に答えますから貴方も私の質問に答えて下さい。 楽譜にしっかりのっとってたら初音ミクの演奏でも 良いんですか?
>私も貴方の質問に答えますから貴方も私の質問に答えて下さい。 何度でも言う。 前スレの質問に答えろ。 以降は返答があるまで無視するのでそのつもりで。
41 :
イエステノール派 :2009/09/27(日) 15:19:23 ID:7bmpux9q
何が質問あと残ってましたか? 論破ですか? 論破なら勢いででてしまった言葉です。 テノール説を唱えたら余にも批判が多かったんで。
イエステノールさん、面白いので応援してます!
43 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 15:59:38 ID:7bmpux9q
それでは初音ミクのバッハの演奏について
答えて頂けますか?
良くバッハが生きていたらシンセサイザーの演奏も認めただろう
って意見を良く見るので。それなら初音ミクでも良いのではないかと
>>42 ありがとうございます
>>39 >>43 >>初音ミクの演奏
既にあるぞ。
2chでの評判はすこぶる良かった。
========この話題終了============
シンセによるバッハなんて 今時めずらしくもなんともないだろ
46 :
イエステノール派 :2009/09/27(日) 17:30:50 ID:7bmpux9q
じゃあ初音ミクのバッハは認めるんですね?
48 :
イエステノール派 :2009/09/27(日) 18:07:56 ID:7bmpux9q
スレ立てたんはぼくですが;;
49 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 18:11:28 ID:PkDHC7er
以前にアメリカで制作された"The Joy of Bach"という映像を見たことがある。Bachに扮した俳優が進行役で、色々な楽器で演奏する場面があった。 トーマス教会聖歌隊、パークニングのギター、メニューインのヴァイオリン、フラメンコ、ランパルのフルート、スィングルシンガーズ、ヴァージル・フォックスのパイプオルガン・ショー等々。 中でもアフリカの人々による、音階に並べたドラム缶での演奏は面白かった。 とにかくBachの音楽は、様々な形態でそれぞれが楽しんでいるという主旨だった。 圧巻はラストシーンで、ボイジャー2号にCDが積まれ、リヒターのブランデンブルク2番がカッティングされていた。 そしてナレーションが「将来もし人類以外の生物が、このCDを再生出来たら、地球の遥か彼方の天体でBachが鳴り響くだろう」としめていた。
51 :
名無しの笛の踊り :2009/09/27(日) 18:43:32 ID:+q5tf9fE
>>48 おまえ、何かリヒターに恨みでもあるんか?
52 :
イエステノール派 :2009/09/27(日) 18:54:39 ID:7bmpux9q
全然ないよ リヒターのファンだし、 DVDもヨハネマタイドキュメンタリーならもってるよ。 CDならマタイヨハネミサは当然として 来日マタイと79年版マタイもちゃんとある。 あと音楽の捧げものと管弦楽組曲とカンタータもいくつかある
受難曲やロ短ばっか聴いてカンタータを軽視する良い例ですか
>>50 探して頂いてありがとうございます。
マイナーなカンタータなので、残念ながらそこからは漏れてます
以前はバラ売りのを見かけてたのですが、
リヒターだし廃盤はないだろと思って後回しにしてたのが失敗でした。
>>54 マイナーって言っても何番かわからんけど
輸入盤にあるならそれで良いんじゃない?
対訳が欲しいだけなら、今は全曲の対訳の本が出ているから
それを図書館で借りるかコピーすれば良いと思うんだけど。
>>55 輸入盤は全集しかないんですが、そこまで買うほどではないんです。
金銭的な問題もありますが、未聴になるのが嫌なので・・・
バラ売りのは1枚1,500円だったもんで、何枚か選んで買おうと思ってた次第です。
>だから、「正しい」と「優れている」は違うだろ、と何回も言っている。 バッハをヴァイオリンで弾くことは「正しい」。 シンセや初ねミクで演奏するのは「正しくない」。 これは、バッハの音楽性を引き出すために重要であって、正誤があるでしょ。 リヒターのマタイは「優れている」。 バッハの音楽性を忠実に引き出している。 多くの古楽器奏者と違い、「正しい」テンポで演奏されていることもその一つ。 「優れる」と「正しい」が違うか同じかはここでそんなに問題じゃないでしょ。言葉の問題。 そうではなくて、バッハの音楽が、人類に共通な表現か、 特定の宗教や文化、人種を示したものかをはっきりしないといけないってこと。 共通なものでなかったら、「優れ」ていたり、「正しい」ことはない。 各宗教や文化、人種に優劣はない。 >リヒターは、"Ihr wisset, dass nach zween Tagen…"と歌わせているが、このzweenは「正しい」のか? >"zweien"と歌うのは「正しくない」のか? どちらでもよい。テキストの楽曲への影響はほとんどない。テンポが正しいか、強弱は合っているか、どんな音色か、 といった基本的な音楽の解釈がほとんど全て。
マタイの「主よ憐れみ給え」アルトアリアをメンデルスゾーンは ソプラノに歌わせた。楽譜はそのままで。
>>57 >>テキストの楽曲への影響はほとんどない。
そんなことはあり得ない。
>>基本的な音楽の解釈がほとんど全て。
テキスト抜きに「正しい解釈」などありえないが、あんたの言う「音楽の解釈」に絞った話をしてもよい。
1)セッコは指揮すべきか否か?また、それは何故か?
リヒターはセッコを振っているか?
2)コンティヌォにファゴットは用いるべきか?用いるとすればどのようなときか?
リヒターはどうやっているか?
3)コンティヌォにヴィオローネは用いるべきか?用いるとすればどのようなときか?
リヒターはどのようにしているか?
4)イエスのアコンパニャートは何分音符で振るべきか?また、それは何故か?
リヒターはどのようにしているか?
5)この曲におけるレガートとスタッカートの原則は?
6)この曲における音の強弱をバッハは何段階で示したか?
また、それをリヒターはどのように表現しているか?
7)バッハが強弱を指示していない場合、演奏者はどのようなデュナミークをとるべきか?
また、リヒターはどのようにしているか?
さあ、あんたの言う「正しい解釈」を示してくれ。
お望みなら、各曲ごとにやってもかまわないぜ。
ってか、そもそもバッハの曲って、使用楽器やら奏法やらピッチやら技能水準やら・・・、 当時(初演時?)の演奏を丸っと再現できるくらいの解明ってできてるの?
>>61 それは曲による。
マタイの場合は、バッハ自身の自筆スコアとほぼ間違いなくバッハの手が入っているパート譜が現存しているからね。
マタイのスコアは3種類出ているが、そのうちどれを使うのが「正しいのか」、
また、リヒターがどれを使ったのかについては、
>>57 が答えてくれると思うよ。
63 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 01:10:10 ID:QToEDFZQ
メンデルスゾーンもアルトからソプラノに変えたんだし バスからテノールも許されると思うけどな これを否定するならメンデルスゾーンの解釈も否定することになる
残念だけどアリアの声種を変えることとイエスの声種を変えることは同列にはできないよ
66 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 01:32:23 ID:QToEDFZQ
67 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 01:33:34 ID:QToEDFZQ
68 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 01:37:54 ID:QToEDFZQ
まぁ音楽は伝統だけじゃないのは間違いないな 良く出来るなら良くして行くべきだろう 新しい解釈は取り入れられるなら取り入れられる べきだろう。 何よりも新しい解釈が有る方が「面白い」。
アリアは聖書のテキストを使ってない 曲全体における重要度でいえばもっとも低いもの アリアを全曲カットしても物語の進行には全く問題ないがイエスの言葉はそうはいかない だから
>>69 そうだな
実際、メンゲルベルク盤のように一部のアリアをカットした演奏もあるしね。
イエス役は「神性」を意味する低音で歌うのが宗教的伝統だし、
それをわざわざぶっ壊す意義も認められないしね。
71 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 01:45:01 ID:QToEDFZQ
アリアを全曲カットって何いってんの? それはもうマタイじゃないよ バッハの意図にもそってないだろう
アリアをカットOKとはww語るに落ちるとはこのことw
>>71 例えばの話だよ
しかしペテロのアリアなんかはカットされることのほうが多い時代もあったようだ
君は知らないかもしれないがヨハネなんて第2稿にしか存在しないアリアが3曲もある
つまりそれだけアリアというものは受難曲の中で価値が低い
アリア全曲は確かに極端だが、一部カットするのは 過去に何度もあるし、マタイ受難曲全体としてはあまり問題があるとは思えないね。
>>71 > バッハの意図にもそってないだろう
お前が言うかw
76 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 02:03:16 ID:QToEDFZQ
>>73 だからアリアは全曲カットしても問題がないと?
思うがマタイにカットしていいアリアは無いと思う
ここの人たちはかなりアリアを軽視してるけど。
>>76 問題がないのは「物語の進行には」な
俺がCD買うならカット盤はもちろん買わない
そういう次元の話じゃないでしょ
アリアとイエスが同列かどうか
答えは明確でイエスに比べればアリアの重要度は確実に下
78 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 02:43:17 ID:QToEDFZQ
>アリアの重要度は確実に下 なんでそんなこと分かるの?
宗教曲の「アリア」よりも「神の言葉」が上なのは当たり前だろw
>>78 >>69 でも書いたようにアリアが聖書の言葉じゃないからさ
もう一度書くが、アリアがなくても「物語の進行には全く問題がない」
バッハの音楽がいずれも素晴らしいのは当然という前提のもとで
それでも内容的に重要度で言えば
聖書のテキスト>コラール>第1曲、終曲など>アリア
ってかんじかな
曲聴かないでいいからリヒター盤の対訳だけをずっと読んでみ
81 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 02:51:37 ID:QToEDFZQ
それって主観じゃないの?
その重要度というのが曖昧で、 バッハは敬虔なプロテスタント信者であっても、 三十年戦争でとっくにキリスト教は個々の問題になっていた。 教会が絶大なる権力を保持していた時代ではなかった。 要するに解釈は各々が行なえばいいのであって、 重要度などという曖昧摸湖な言語では現わしえないんだよ。 メンデルスゾーンが復活させるころにはカントが『純粋理性批判』を、 ヘーゲルが『精神現象学』を著していたのだから。 それを踏まえた上でリヒターの解釈があるのだ。
>>82 歴史認識めちゃくちゃ
前スレもそうだけど、あんたの投稿は悪質なギャグでしかないよ。
主観じゃないよ バッハ自身がヨハネではアリア(と第1曲)を変えてるしね ていうか実例出すまでもなくこれくらい普通にわかってほしいが
>>83 いや、お前のように徒にキリスト教信徒のふりをして、ましてマタイ受難曲を
凝り固まった観念の下に古楽器に固執する無知どものほうが弊害があるよ。
一度キリスト教から放れたまえ
単純にいえばお前はスノッブでしかない。すごく格好悪い。
カントやらヘーゲルを無意味に持ち出す方がよほどスノッブに思えるねw
>単純にいえばお前はスノッブでしかない。すごく格好悪い。 そりゃ自分のことだろw
>>87 具体的な反論が出来ないようだな。
古楽器BGMで悦に入るのはいいかげんやめたまえ。
音楽の本質を見誤る。
アリアの部分は神の言葉に対する憐れみ請うのを借りた諧謔なんだよ。
>>80 アリアが聖書の言葉じゃないから重要なんじゃないか。
そんなことも分からないのか。
テノールくんと翼をくださいくんには専スレがふさわしい
>>89 その大事なアリアをなんで変えたんだろうねえ?
曲が同じでも歌詞変えたりしてるのはなんでだろうねえ?
聖書の言葉よりアリアの歌詞のほうが大事だなんて聞いたらバッハさんはなんて言うだろうねえ・
全ての登場人物がキモい粘着で吹いた。 これは間違いなくクソスレ
93 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 03:15:24 ID:QToEDFZQ
音楽的にはアリアのほうが圧倒的に重要だろ むしろコラールがいらない
もし音大生だったら落第決定だなw
バッハの受難曲のテクストは聖書章句と自由詩とコラールの三つの層からなるが、 これはそれぞれ語り手の立ち話を表すもので、優劣をつけられるものではないのは常識。 コラール付きアリアの存在くらい頭に入れとけ。
97 :
名無しの笛の踊り :2009/09/28(月) 05:17:48 ID:IQnLKLvV
バッハの音楽、そしてドイツのプロテスタント音楽の常識以前の事として、コラールがいかに重要な位置を占めているかを勉強されたし。 ルターの宗教改革についてもしかりですぞ。
98 :
名無しの笛の踊り :2009/09/28(月) 05:24:24 ID:IQnLKLvV
聖書の言葉について。 バッハの「マタイ受難曲」自筆スコア譜では、聖書の言葉は全て赤インク文字で書かれている。 バッハが、いかに聖書の言葉を重要視していたかがわかる。
>>96 聖書>コラール>ピカンダー
こんな当たり前のことがなぜわからん
ピカンダーが聖書と同格だって?w
テキストの楽曲への影響はほとんどない。テンポが正しいか、強弱は合っているか、どんな音色か、 といった基本的な音楽の解釈がほとんど全て。
101 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 06:50:28 ID:QToEDFZQ
↑同意 赤インクで書かれていたとかは 楽曲自体には関係ない。
コラールカンタータとかも知らないんだろうなあ
103 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 07:10:46 ID:QToEDFZQ
キリスト教の知識が多ければよい演奏が出来るわけではない 赤インクで書かれていたとか、コラールがいかに重要な位置を占めているとか ルターの宗教改革についての知識とか、バッハが、いかに聖書の言葉を重要視していたかとか ドイツのプロテスタント音楽の常識とかは演奏するうえでは 余り重要ではない。100の言うように音色・テンポ・強弱・発声などが全てだ。 あとどんな歌手を起用するか等
104 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 07:18:18 ID:QToEDFZQ
>>53 別にカンタータを軽視しているわけじゃあない
量が多すぎて今は聞く時間が無いだけ。
カンタータはミサやマタイやヨハネなんかより敷居が高い。
これからはフーガの技法や音楽の捧げものや器楽曲を聞いていく予定。
その次はオルガン。カンタータなんかはもっとあと。
声楽曲は歌詞があるので中中取っ付きにくし難しい。
その程度の知識でよくここまで言い切れるねw すっげえ恥ずかしい内容だけどw
106 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 07:24:55 ID:QToEDFZQ
最近音楽の捧げものを一日中流している 一向に飽きない。素晴しい音楽だ。 勿論リヒターで聞いている。 持っていないなら買い。
>キリスト教の知識が多ければよい演奏が出来るわけではない まあその通りなんだけど君が言っちゃ駄目だろw こういうのはきちんと知識を得た上で言う言葉だ 知識があるのは必要条件であって十分条件ではない だけど君が好きなエグモントは知識があるから良い歌を歌える
108 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 07:32:28 ID:QToEDFZQ
>エグモントは知識があるから良い歌を歌える 彼はキリスト教の知識が豊富なの? どこに書いてあった?
そこにソース求めるんだ? 君って揚げ足取りばっかだなw ヨーロッパの古楽歌手で知識の無い奴なんているか
>>104 すごい恥ずかしいことを言ってるんだが
その自覚も無いようだね。
その程度のバッハ理解でよくもえらそうに「イエスをテノールにしろ」なんて
言えたもんだなw
111 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 10:53:47 ID:QToEDFZQ
どこに恥ずかしい事書いてあるか指摘してみ
112 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 10:54:54 ID:QToEDFZQ
>>109 いやわざわざエグモントをとりあげるから
彼は他の人より知識が豊富なのかいってこと
揚げ足取りなんかじゃない。
>>111 カンタータを聴いてないやつはバッハを語る資格無し。
114 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 11:33:37 ID:QToEDFZQ
カンタータ聴いてますが? てかバッハ全集持ってますからww カンタータ聴いてないとバッハ語れないって偉く暴論だなぁw
カンタータをマトモに聴いてないくせに 受難曲のキャスティングに口を出すとは片腹痛い。
>てかバッハ全集持ってますから 持っているだけで、カンタータは未聴の山なんですね。わかります。
117 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 11:46:57 ID:QToEDFZQ
あなたはカンタータ全部聞いた訳? そこまで言えるんだったら当然全部聞いてるよね?
118 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 11:48:07 ID:QToEDFZQ
全部聴きましたが何か? バッハの作品の中でカンタータはもっとも重要なジャンルの一つ。 それを「敷居が高い」とかアホなことを平気で言うくせに 受難曲のキャストに注文つけるとか、バカの極み。
120 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 12:24:12 ID:QToEDFZQ
マタイやヨハネやミサなんかよりはカンタータの方が敷居高いよ。 カンタータの歌詞は分かりにくいし。 現にカンタータよりバッハは器楽系の曲の方が人気高い。 敷居高い証拠だよ。
>>120 カンタータの歌詞も理解できないほどに不勉強なバカが
受難曲のキャストに口を出すとは、片腹痛いw
敷居が高い=別に聞かなくてもおkと自然に考えるのが不思議だ
123 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 12:44:04 ID:QToEDFZQ
理解出来ないとかでは無く難しいと言う事、受難曲の歌詞より。 マタイはどちらかと言うとエンターテイメントに近い。 福音書の大体の大略を知れば誰にでも楽しめる感動出来る楽曲だ。
>福音書の大体の大略を知れば イエスは大食いだったという有名すぎる記述も知らなかったバカが言える台詞じゃないなw
125 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 13:18:05 ID:QToEDFZQ
>>122 一体何処に聞かなくても良いと書かれてる?
実際マタイを聞きだしたのは16歳で余りキリスト教の知識も
無かったけど随分と感動したのを覚えている。
ショルティの抜粋マタイを始めて聞いてそれからリヒター58年版を聞いた。
だから敷居が高いという理由でカンタータ聞かずにマタイだけでバッハの宗教曲を語るのが変だって・・・ 敷居が高いから聞かないという理由が理解できない。 敷居が高い証拠なんか誰も聞いてないのにポイントがズレてる。
127 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 13:30:51 ID:QToEDFZQ
さりげなくヨハネが無視されてるな
129 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 13:37:04 ID:QToEDFZQ
>>126 だから何処にマタイだけ聞いてるって書いてある?
引用してみ。ミサもヨハネもカンタータも聞いているって
書いてあるだろ?難しいからカンタータを聞くなとかそんな事言ってる訳ではなく
カンタータはマタイやヨハネやミサを聞いてからの方が良いと言っている。
先ず取っ付き易いのから聞く、そんなの常識。
マタイやヨハネはエンターテイメント的なんだから
130 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 13:39:08 ID:QToEDFZQ
>>127 アホすぎwww
福音書のテーマがまるでわかってない証拠w
こんなだから「イエスはテノール」なんてアホなことがいえるんだなw
福音書がなぜ「福音=良い知らせ」という題名なのか ということから勉強しなおした方が良いよww 受難の箇所だけ読めば良いとか、言ってることがアホ過ぎるw
133 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 14:00:43 ID:QToEDFZQ
だからマタイは「楽曲」で「エンターテイメント」なんだってば。 聖書を読み込めば良い演奏が出来る訳じゃない。 原作が元の映画でも必ずしも原作を読む必要が無い様に マタイも必ずしも聖書を読む必要は無い。 読むとしたら25章と26章を読めばよい
>聖書を読み込めば良い演奏が出来る訳じゃない 言えば言うほどバカを晒すなww リヒターが牧師の子で、聖書についての造詣が深かったことと 彼の演奏が多くの人の共感を呼んだことは無関係じゃないんだよ。 あの有名な58年盤「マタイ」でどこにリヒターはクライマックスを持ってきていて しかもそれがどのような理由なのかを考えれば、こんなバカな台詞は出るはずもないんだが。
「聖書を読めば良い演奏ができるわけじゃない」 これは正しい 「聖書を読まなければ良い演奏はできない」 これは間違ってる この二つの間に飛躍があるから説得力がない。
>>135 間違えた
「聖書を読めば良い演奏ができるわけじゃない」
これは正しい
「聖書を読まなくても良い演奏はできる」
これは間違ってる
この二つの間の飛躍をなんとかしないと説得力がない。
137 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 14:54:07 ID:QToEDFZQ
だから聖書の理解と楽曲の理解は別なんだってば
カンタータも満足に聴けてないバカがいくら言っても説得力無いよw
139 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 15:09:30 ID:QToEDFZQ
あるよw
カンタータの歌詞の内容も満足に理解できないバカが 受難曲の歌詞を理解できているとは全く思えない。
141 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 15:12:52 ID:QToEDFZQ
>>94 音大生ではない。
一時期音大目指そうかと本気で思ったがやめた。
最近の趣味はギリシャ語。言語学にも少々興味を持っている。
「聖書の理解と楽曲の理解は別」の論拠が不十分なので 「俺の言うことは説得力がある」には誰も賛同できない。 ところで結局何を言いたいの?
143 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 15:15:39 ID:QToEDFZQ
>>140 礒山氏のマタイ受難曲て言う本を読んで歌詞は
理解しようとしている。
でもマタイにはこれと言った難しい歌詞と言うのは無いみたい。
どれも短い簡単な歌詞ばかり
出かけてる間にずいぶんいじめられたんだなw
そんで結局
>>64 と
>>69 は理解できた?
145 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 16:18:41 ID:QToEDFZQ
アリア全曲カットしても問題ないとか言ってるのには言われたくない
君は本当に馬鹿だなあ アリアをカットすることが受難劇の進行とどう関係するのか教えてくれよ アリアは受難の物語とは別次元のところにあるのは中学生でもわかるはずだが
147 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 16:23:06 ID:QToEDFZQ
それマジで言ってるわけ? 全カットしても?
>>143 試しにDer HohepriesterとDie Hohenpristerの違いについて説明してみようか。
eが一つ落ちた
>>147 アリアをカットしたら音楽的には大損失だよ
だけど物語の進行に関係あるわけないじゃないか
物語のテキストは聖書だがアリアのテキストはピカンダーのもの
君の聖書には「イエスを返せとユダが言った」って書いてあるの?
>>147 全部は極端だが
一部カットした演奏なら
過去から現在にいたるまで
かなりたくさんあるわけだが・・・
152 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 16:52:20 ID:QToEDFZQ
>>150 何が言いたいのか分からない。
進行には関係無いと言っておきながら
音楽的には大損失とか。
>>151 たくさんあるからカットしてよいと思っているんですか?
アリアは音楽的には一番重要。アリアがカットされると凄くつま
らなくなる。アリアがあるからこそ楽しい。
基本的にカットされたCDは買わない。
アリアが全演奏されてこそマタイだ。
何が言いたいのかわかってないのは多分きみだけだぜ 自分がいかに無知か思い知ったほうがいい
154 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 16:58:19 ID:QToEDFZQ
だ か ら アリア全カットは音楽的に大損失とかいっておきながら 物語りには関係ないってどういうことだ? この発言はアリア全カットしても良いってことだ。
いいからDer HohepriesterとDie Hohenpriesterの違いについて説明してくれよ
156 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 17:34:09 ID:QToEDFZQ
なんで俺に聞くわけ?
158 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 17:56:33 ID:QToEDFZQ
なぜ説明しなければいけないの?
別に分からないのならいいんだ。 「簡単な」の福音書を理解してる人でないと意図が理解できない質問をしただけ。 わからないならいんだよ。
160 :
イエステノール派 :2009/09/28(月) 18:20:08 ID:QToEDFZQ
そうか
>>150 俺なんかエヴァンゲリスト全部飛ばして聴いてる。
意味なんかどうでもいいから。
音楽だから。
音楽が分からない奴らが聖書の意味とか言ってんだろ。 そんなに聖書の意味が大事ならマタイ聴かず毎日聖書だけ読んでろよ。
>>158 そんなことは説明する必要はない。
テキストの楽曲への影響はほとんどないからな。
代わりに
>>60 に答えといてくれ。
テクストの意味わからずにどうやってレチタティーヴォ理解してるんですか? 精神性?
165 :
名無しの笛の踊り :2009/09/28(月) 20:39:06 ID:IQnLKLvV
なんか、日常では極端に気が弱いために、どこにも捌け口の無い欲求不満の連中が、不毛の言い合いをし続けてるな。 と言っても2〜3人のごく限られた者だろう。 もういいかげんにやめなさいよ。非生産的でむなしくなるだけだから。
禿同だが、そもそもが非生産的などうでもいいスレだしみんな暇つぶしだろう
バッハの傑作楽曲は、ワグナーの楽劇やオペラなんかと違うんだけどなあ。 テキストは別にバッハが書いたわけでなし、 教会に頼んで書いてもらったわけでなし。 受難曲なんてバッハだけじゃないが、 なぜバッハばかり演奏され、聞かれるの? バッハ以外の受難曲もテキストは同じようなもんだから、 彼らの受難曲もバッハと同じ解釈と価値になるってことなのか。 バッハとそれ以外の受難曲の楽曲は天と地ほど違うの。 同じテキストであっても、バッハ以前のバロックやルネサンスとは全く意味が違う。 もしマタイの楽曲に、ユダヤ教のテキストが乗ってたとしても、価値は変わらないの。 バッハ以降のこうした曲は、バッハのパクリといっても良いぐらいなんだよ。 クラシック音楽の場合、主観的に楽曲を解釈すると同時に、客観性で理性的な目が必要。 自分勝手な解釈は、作品や作曲家の伝説化・妄想を広め、 誤解の輪が広がっていく。テキストは特に危険であり、 ここから何かを引き出そうとしても、話がどんどん膨らんで真実とはかけ離れてしまう。 伝聞は針小棒大になると同時に、実際の本人の言動でも、公的な発言では 別に本心を語るわけではない。有名人の発言は、いつの時代も捻じ曲げられるもんなんだよ。
168 :
名無しの笛の踊り :2009/09/28(月) 21:50:30 ID:IQnLKLvV
ドイツではリヒターが再評価されている。 一連のDVDも、その事を証明している。 数年前は日本のポリドールのクラシック担当者は、ドイツグラモフォンが "リヒターもの"はもう売れないという事で製品化しないだろうと言っていた。
>テキストは別にバッハが書いたわけでなし、 >教会に頼んで書いてもらったわけでなし。 どの「テクスト」のことを言ってるのかわからないけど、ピカンダーはバッハとお互い意見を出しながらテクスト書いました。 >バッハ以外の受難曲もテキストは同じようなもんだから、 >彼らの受難曲もバッハと同じ解釈と価値になるってことなのか。 これは福音書部分のテクストのことを言ってるんだろうが、そのテクストだけで受難曲の解釈と価値が決まるわけがない。 「そのテクストに対してどういう作曲をしたか」が重要なのであって、それを理解するためには音楽とテクスト両面からのアプローチが必要。
>同じテキストであっても、バッハ以前のバロックやルネサンスとは全く意味が違う。 ルネサンスでバッハと同じテクストの受難曲を教えてください。 >もしマタイの楽曲に、ユダヤ教のテキストが乗ってたとしても、価値は変わらないの。 何曲か具体的にテクストのっけて証明をお願いします。 >バッハ以降のこうした曲は、バッハのパクリといっても良いぐらいなんだよ。 どういう曲ですか。どこがパクリなのか、これも具体的にお願いします。 面白い仮説なので、ぜひ客観的で理性的に説明よろしく。
>>169 >>170 いいかげんにしろ、お前がチョンだってことは判ってる。
日本語滅茶苦茶だよ、読み返してみ。
チョンはクリスチャンが多いからな、ここもかなりのチョンが巣食ってる。
テクストの内容を信じることと、音楽の上でテクストを尊重することは別次元の話なのに、 そこを誤解してる人が多いのかな。
>>152 ヨハネ受難曲では初稿か第二稿かによって
アリアの数がまるで違うという現象もあるんだよ。
その場合「全演奏」というのは、どれにあたるんだろ?w
つまり、アリアなんて、バッハ自身が勝手にカットや追加をすることもありえたぐらい
マタイ受難曲からすれば「どうでもいい」箇所なんだよ。
だったら賛美歌でも歌っとけw
受難曲も賛美歌も本質的にはあまり変わらないんだが・・・?
>>175 マタイやヨハネ全曲のうち賛美歌が何曲あるか数えてみろよw
久しぶりに覗いてみたが、このスレっていつも喧嘩腰なのなw
179 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 01:35:47 ID:uA0QIAek
アリアをどうでもいいって・・・ おいおい。何考えてるんだろう。アリアがあるからこそ、マタイはエンターテイメントで アリアカット、しかも全カットしても良いとか有得ない。そんなに聖書聖書を言うなら 初めから聖書を読んどけば良いのに。若しくはレチタテーヴォだけを。アリアは受難曲の中でも花。もっとも 音楽面で楽しいところなの。そもそもマタイは音楽なんだから。CDがなかったころはアリアカットは 演奏時間の意味でも仕方なかったかもしれないがCDが有る現代ではアリアカットしたマタイは有得ないだろう
お前が
>>63 で馬鹿な発言をするからこうなった
アリアが音楽面で花であることはここまで誰も否定していない
ただイエスのほうが遥かに重要で、アリアは変更できても
イエスは変更できないと言っているのだ
ギリシャ語だのドイツ語だの言語学だの言ってないでまず日本語を学べ
181 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 01:43:14 ID:uA0QIAek
今一度アリアの価値を見直して貰いたいもの。アリアの真の価値を。 バッハがアリアをカットしたとか二版ではこうだとか聖書の歌詞が 赤インクで実はかかれていたとかは音楽面では直接影響しない。
182 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 01:55:03 ID:uA0QIAek
いや否定してらっしゃる人が居ますよw全カットなんてアリアを否定に他ならない。 イエスより遥かに重要って言われてもマタイは音楽なんだから音楽面ではレチタテーヴォより アリアの方が重要だよ。上にも書いた通りに長い長い受難曲の中の最も美味しい ところ。アリアカットは駄目だがイエスの声をバスからテノールに変更する事は許されるだろう。 メンデルスゾーンも変えたらしいんだからな、アルトからソプラノへ。
お前の発言は全てが間違っている ここまで馬鹿な奴も珍しいわ 赤インクで書かれていればそこにはなんらかのバッハの意図が 込められていると考えるのがマトモな人間であり、 それを解釈して演奏面に反映させようとするのがマトモな演奏家だ お前はバッハやレオンハルト、リヒターのことを何もわかってない
アリアをカットしてもかろうじてバッハのマタイ受難曲だと言える レチをカットしたらそれはアリアの演奏会だな
185 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 02:00:16 ID:uA0QIAek
そんなことまで言い出すなら現代楽器で演奏することが 駄目になるぞ? バッハの頭の中では当時の楽器しか頭に無かったんだからな
もちろん俺はピリオド派
バッハ最高!とリヒター最高!とアンチリヒターと、古楽器最高が混ざって議論するから面白い。 アンチバッハというか、バッハ中立主義が居るとさらに白熱しそう。
>>179 >マタイはエンターテイメントで
マタイ受難曲は「娯楽」ではない。
>そんなに聖書聖書を言うなら、初めから聖書を読んどけば良いのに。
何を言っているか。受難曲は聖書の朗読劇だ。
現在も続けられている「受難朗読」という宗教的伝統から来たものだ。
イエスの配役にケチをつける割には、受難曲の歴史の基本的な部分を全く知らないようだな。
受難曲のメインは「聖書朗読」であって、アリアなんかではない。
あんなのは音楽的に面白くするための「おまけ」でしかない。
189 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 02:05:01 ID:uA0QIAek
まだアリア全カットとか言ってるわけ? あんた馬鹿ぁ?
>>189 バカはお前。
おれはアリアの一部カットも容認する。
「全曲」演奏のリヒターも好きだし、「アリアの一部カット演奏」のメンゲルベルクや
メンデルスゾーン版も愛聴しているからな。
>>189 コラールが要らないとか言ってる馬鹿に他人を批判する権利はない
アリア厨の煩悩ですね・・・
192 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 02:39:34 ID:uA0QIAek
>>188 マタイは音楽でありエンターテイメント。またエンターテイメントであり音楽でもある。
エンターテイメントだからこそ楽しい面白い。音楽だから余りキリスト教とが関係ない。
現に聞き始めた当初歌詞も分からないけど、BGMとして流してるだけ楽しめた。
まだ聖書を読んで無くても。
キリスト教だからなんとか言い出すと日本人はほとんどマタイを楽しめなくなる。
しかしそれでも日本でもマタイは受け入れられているんだから余りキリスト教と
関係ない。
>マタイは音楽でありエンターテイメント。またエンターテイメントであり音楽でもある。 アリアしか聴いてないクソ耳ではそう聞こえるんだなw >しかしそれでも日本でもマタイは受け入れられているんだから余りキリスト教と関係ない。 聖書朗読をしているのにキリスト教と関係ないとか、あんたバカぁ? アリア厨の煩悩だな・・・・w
お前が勉強のために買った本の著者、礒山教授のブログの7月20日の記事のタイトル 「アリアよりイエス!」
195 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 03:11:39 ID:uA0QIAek
>>191 あんたバカぁ?アリア全カットなんていってる人に批判されたくないね。
コラール厨の煩悩ですね・・・
>>193 まだマタイが「音楽」ってことが分からないの??
レチタテーヴォ厨の煩悩ですね・・・
イエスが際立った印象を与えるような演奏でなければ無意味だとまで言ってるな。<礒山
>>195 マタイ受難曲は「宗教」音楽だ。アリアしか聴いてないバカにはわからないのかもしれないがw
>>196 にあるように「アリアよりもイエスが目立つ演奏でなければ意味が無い」って
言ってる礒山教授はバカなのか?w
アリア厨の煩悩ですね・・・・w
礒山教授くらい研究している学者でも 「Du sagest's」たったこれだけのドイツ語に訳を当てるのに四苦八苦している 翻ってお前の発言 >マタイにはこれと言った難しい歌詞と言うのは無いみたい。 >どれも短い簡単な歌詞ばかり
199 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 03:37:21 ID:uA0QIAek
宗教を題材にした音楽だ。あくまで素材。
>>198 それは元をたどればギリシア語の「シュ レゲイス」で
意味はドイツ語訳と一緒。
ところでその歌詞の何が難しいの?
自分で考えろよゆとり君
>あくまで素材。 は?w ただの素材だったらなんで「イエス>アリア」って専門家が言うのかな?w アリア厨の煩悩ですね・・・w
202 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 03:50:07 ID:uA0QIAek
とりあえず今日はもう寝る つづきは起きてから
キリスト教がどうの言ってる人は、 第九は世界平和の歌で、友愛を示した楽曲とか思ってるんだろうなあ。 マタイは聖書を理解しないとダメらしいが、第九は何を理解したら理解できるの? 多分、シラー全集読まないとダメなんだろうね。 第九は、第九の楽曲を理解しないと演奏できないのよ。 ソナタ形式であり、シラーの詩ではなく、 ベートーヴェンピアノソナタや、その基礎となるバッハの楽曲を理解しないといけない。 バッハの楽曲も、多声音楽、特にフーガを理解しないといけない。 合唱がこれにあたり、各声部の横の線と縦の線がしっかり見えるように訓練すべき。 これを大人になってから習得するのは、ほとんど不可能に近いよ。 基本は器楽なんだよ。多分、キリスト教がどうこう言ってる人は、 単声でしか音が聞こえてない。赤い字がどうこうこだわってるのは、滑稽でしかない。基本は合唱。
204 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 07:59:33 ID:uA0QIAek
↑同意します
205 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 08:30:22 ID:uA0QIAek
確かに第九聞いているひとでシラー全集を読破しろっていうひとは 聞いたことが無い。 >バッハの楽曲も、多声音楽、特にフーガを理解しないといけない。 合唱がこれにあたり、各声部の横の線と縦の線がしっかり見えるように訓練すべき。 これは凄く同意します。 >赤い字がどうこうこだわってるのは、滑稽でしかない。基本は合唱。 同意ですね。赤インクで書かれていたとかは重要ではない
朝っぱらからバカ丸出しだなw 名前をアリア厨に変更した方が良いぞw >確かに第九聞いているひとでシラー全集を読破しろっていうひとは聞いたことが無い。 アホw 趣味の合唱で演奏に参加しているような人でも シラーの歌詞を必死になって勉強しているぞw 歌を歌うのに歌詞の内容を考慮しなくて良いなんて そんなバカな話があるわけないだろw イエステノールは「翼をください」と同列のドアホ確定だなw
アリア厨の煩悩だなw
208 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 10:25:54 ID:uA0QIAek
歌詞を勉強したかったら勉強をすれば良い それより重要なのは他ののベートーベンの 楽曲を理解又は勉強する事。歌詞を必死で 勉強して歌詞だけに一生懸命に成るのでは 無く第九ならベートーベンの交響曲全体を 俯瞰して勉強する。歌詞の意味を必死で裏読み等 するのではなく、文章オタクや小説オタクならそれでも良いのかも 知れないが、クラシック音楽は誠実な音楽なので文章オタクの様な裏読み なんかは許されない。又すべきではない。
>>183 あんたにしても他もそうだが、イエステノールをころがして
何が楽しいの?この流れ飽きた。ぐだぐだ言ってないでさっさと正解を書けよ。
イエスの言葉全部の解説をさ。分かっているのならね。
そんなこと自分で勉強しろなんて今さら言えないだろ、こんだけ引っ張ったら。
あんたらも部分的な理解なので何か書いて他の訳知りの奴に指摘される
のが恐いのか?だったらあんたらも大したことないよな、同じ穴の狢だ。
イエステノールを誘い出したくてやってるわけか?町のDQNと何ら変わらないじゃないか。
それとも
>>187 と同じ考えなのか?
だとしたらマタイ受難曲が好きでここを覗いている人の期待を裏切るよ。
いつまでズルズル引っ張るつもりだ。いいかげんスパッと結論出せよ!
イエステノール。君は発言をすればするほどバカを晒すだけだぞw >歌詞を勉強したかったら勉強をすれば良い あんたバカぁ?w 歌を歌うのに歌詞の内容無視でいいという根拠は?w 「マタイ受難曲」もそれが宗教曲である以上は、 歌詞の内容について敏感でなければならないのは当たり前のことだろw >楽曲を理解又は勉強する事 楽曲を理解することの中に「歌詞の内容」も含むんだよw 歌詞の内容と無関係に歌曲が作られるとか思っているわけ?w アリア厨の煩悩だな・・・w
おいw お前なんで起きたら寝る前の流れ無視なんだよw
212 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 10:32:44 ID:uA0QIAek
あと煩悩はバッハの音楽をキリスト教や聖書から離れられない人だろ。 バッハの音楽は宗教に囚われない又は囚われてはいけない。 バッハの音楽はそもそも誠実なんだから音楽は楽譜に書かれている事そのままに 誠実に理解する。それがバッハの音楽を敬うと言う事だ。先ず敬うところから 始めてみる、そこから始めて真に分かるキリスト教や聖書に囚われない真のバッハの 理解が今始まる。
>バッハの音楽をキリスト教や聖書から離れられない人だろ。 そんなバカなこと言ってるからカンタータが理解できないんだよw
>>211 バカが思いつきで書き込みをしているからw
音楽もテクストも勉強するのは当たり前だろ
>>212 作曲家はテキストからインスピレーションを受けて作曲する
当然バッハは聖書とピカンダーの詩にふさわしいように作曲している
キリスト教を理解しろという話とは別次元で当たり前の話
他のテキストを使えば出てくる音楽も違うものになって
現在お前が好きな受難曲とは別な曲が出来上がる
>>209 レチタティーボよりもアリアが重要とか
コラールは必要ないとか
「マタイ受難曲」を演奏するのに聖書について学ぶ必要が無いとか
そういうバカな発言を繰り返していれば叩かれて当たり前だろ。
別にイエスの言葉の意味を学べと言ってるんじゃないんだよ。
ましてやイエスの言葉の解説が出来るとも誰も言ってないよ。
218 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 11:06:26 ID:uA0QIAek
>>210 歌詞を勉強するなとかでは無く
歌詞を文章オタクのような裏読みは必要無いと言っている
そのまま歌詞の内容を理解すればよいだけの話。古典音楽は誠実なんだから、裏読みなんか誠実でないことを
するべきじゃない。
それと宗教曲ではなく宗教を題材・素材にした「楽曲」だ。あくまで素材に留まる。
そこを見落としたらキリスト教や聖書や宗教から頭から離れなくなってしまう。
まず「楽曲」と理解するところから始めてみる。
>>218 そこまで言うなら楽曲としてどこがどう優れているか一部分でもいいから解説してみろ
テキストには一切触れないでな
220 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 11:14:24 ID:uA0QIAek
>>213 キリスト教や聖書に囚われたらカンタータは理解できない、逆にな。
>>216 >他のテキストを使えば出てくる音楽も違うものになって
現在お前が好きな受難曲とは別な曲が出来上がる
それはもう只の想像の域でしか無い訳。
もう「マタイ受難曲」は我々が手にしているマタイ受難曲しか
ないわけであって、他のテキストを使っていたら別のマタイが出来上がっていた
筈だなんて初めから考える必要は無い。楽曲としてバッハの理解を考える、それだけで十分。
>キリスト教や聖書に囚われたらカンタータは理解できない カンタータを「敷居が高い」なんて言ってるバカが そんなこと言っても説得力ゼロだよw
222 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 11:22:15 ID:uA0QIAek
>>217 レチタテーヴォよりアリアの方が大切に決まってる。
音楽的には最重要だ。
聖書は別に学ぶ必要は無い、25章と25章を読めばそれでよい。
あなたは聖書を学べと言っておきながらイエスの言葉を
学ばなくても良いってどういうことだ?
聖書にとってイエスが最重要ではないのかい?
>>220 お前はいつも他人の発言の一部分をとりだして自分の都合のいいように解釈するな
>>216 の前半部分についてもレスしてみろ
>レチタテーヴォよりアリアの方が大切に決まってる。 作者自身がカットすることもありえたアリアが最重要って どんだけバカなんだw
225 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 11:28:34 ID:uA0QIAek
>>221 カンタータはマタイやヨハネより敷居高いぞ。
マタイやヨハネは劇的なところからエンターテイメントみたい
なもんだが、それとは逆にカンタータはマタイやヨハネと比べて少し
初心者にとっては退屈かもしれない。バッハの音楽を初心者に進めるには
より面白い簡単なのから聞かしたほうが良い。敷居が高いってのはそういうこと。
敷居が高いって言葉は少し語弊があるかもしれない。
>>225 バカ丸出しw
すでに前の投稿でカンタータをロクスッポ聴いてないことは明白w
受難曲を「エンターテイメント」とか言ってる時点で終ってるw
833 名前:イエステノール説[] 投稿日:2009/09/26(土) 14:16:01 ID:OEy+ebrG フーガの技法と音楽の捧げものとっちが 高度なフーガなんですか?
104 名前:イエステノール派[] 投稿日:2009/09/28(月) 07:18:18 ID:QToEDFZQ
>>53 別にカンタータを軽視しているわけじゃあない
量が多すぎて今は聞く時間が無いだけ。
カンタータはミサやマタイやヨハネなんかより敷居が高い。
これからはフーガの技法や音楽の捧げものや器楽曲を聞いていく予定。
その次はオルガン。カンタータなんかはもっとあと。
声楽曲は歌詞があるので中中取っ付きにくし難しい。
220 名前:イエステノール派[] 投稿日:2009/09/29(火) 11:14:24 ID:uA0QIAek
>>213 キリスト教や聖書に囚われたらカンタータは理解できない、逆にな。
なんで聖書と自由詩の比較が、レチタティーヴォとアリアの比較に直結するのかがわからんのだけど、 聖書章句をテクストにしてるアリアはどうするの??? カンタータ聞いてないから存在を知らないのかな。
230 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 11:54:45 ID:uA0QIAek
>>224 音楽的に最重要なんだよ
マタイは宗教やキリスト教ではなく楽曲。
そこを理解出来ないと何回言っても理解できないだろう。
作者がカットすることがありえたとかは関係ない
今現にあるマタイがすべて、それだけだ只。
>>226 エンターテイメントであり音楽。
音楽でもありエンターテイメントでも又ある。
確かに自分はまだカンタータは聴いていないな。そこは認める。
リヒターのCDでだと7枚分位。そろそろ聞きたいところだ。
まずはフーガの技法を聞き込んでからだが。
>>230 >音楽的に最重要なんだよ
音楽的にも最重要では全く無いw
だったら過去にカットしている演奏家が何人も居ることの説明にならないw
またヨハネ受難曲ではカットや追加が行われたことの説明にもならないw
>エンターテイメントであり音楽。
アホw
マタイ受難曲は「娯楽」ではない。
あれが娯楽だったら世俗カンタータとかはどうなるんだ?w
YES低脳類はヨハネのAppendix聴いたことあんの?
233 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 12:05:48 ID:uA0QIAek
なぜ「音楽的に最重要ではない」といえるのかなー 説明してよ。 聖書やキリスト教から離れて説明して。 あと過去の演奏家がカットいくらしていても人は人だから。 それとエンターテイメントであり音楽 音楽でありエンターテイメントだといっている。
>なぜ「音楽的に最重要ではない」といえるのかな ヨハネ受難曲ではカットや追加が行われている箇所だぞ? ちなみにレチタティーボについては、基本的にノータッチだった。 この違いは、明らかにバッハ自身はアリアを他の箇所よりも低く見ていることを あらわしているよ
都合が悪くなったら「今日はもう寝る」
起きたら寝る前のことは忘れてる
これからもそうやってくわけ?
>>194 からの流れは無視ですか
聖書やキリスト教ではなく音楽が、楽曲が・・・ と言う割にはここまで楽曲についての具体的考察はゼロじゃね?
237 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 12:28:44 ID:uA0QIAek
>>232 そんな誠実さの無いレスは却下
>>234 バッハがどう思ってたとか基本的には楽曲には影響はしない。
赤インクで書かれているとかどうこうは滑稽でしかない。
>バッハがどう思ってたとか基本的には楽曲には影響はしない。 そんなわけないだろwwwww
イエステノール派さんはヨハネ受難曲のAppendixは聴かれましたか?
240 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 12:44:27 ID:uA0QIAek
そんなに赤インクがどうこうとかが大切なのかい?
>>239 無い。まだヨハネ受難曲は一回目の録音のリヒター版とリヒターのDVDのしか
通しでは聞いていない。他の演奏のCDは重要なところだけ少し聞いた程度。
なによりバッハの音楽は余にも膨大なのでちょっとやちょっとで太刀打ちできないほど。
それこそ一生かかっても無理なぐらい。
バッハのあとにはテレマンやそのほかのバロック作曲も控えているっていうのにな。
もちろんそのあとにはモーツァルトやベートベンなどが広がっている。
逆に訊くけどなんで赤インクで書いたと思う?
242 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 12:54:00 ID:uA0QIAek
そもそもクラシック音楽ってのはただ一人個人が全ての楽曲を 一人で聞き倒せるほど狭くは無くそれこそ底が見えぬほど膨大。いやむしろ遥か高き山の如くてっぺんが見えない感じか。 それこそ適当に只垂れ流しで聞いてりゃ簡単に聞き終わるかも知れないが、クラシックはそうも いかない。なにせ音楽自体が誠実なんだから寝転びながら菓子やジュース 食いながら飲みながら聞くって訳にもいかない。そこには誠実さが全く欠けている。 聞く側の誠実さも求められる。
受難曲を聴くに当たって、誠実であるということは 俺にとっては楽譜を読むことと同じように聖書などのテキスト、 曲が書かれた時代の背景などを調べることなんだが君は違うんだな 俺に言わせれば君はクラシックもバッハもレオンハルトもリヒターも舐めきってる
244 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 13:07:16 ID:uA0QIAek
どこをどうよんだら俺がバッハやクラシック等を舐めていることになるんだ? 宗教に囚われすぎだ。
>>230 そもそも「楽曲であること」と「キリスト教音楽であること」がバッハでは両立しないということ証明しないから説得力ないんだけど、そこんとこどうよ
「音楽に誠実であれば、宗教だとか曲のバックボーンなんて何もかも無視して良いんだよ!」 「歌詞なんて聴かずに音楽だけ聴いてろ」ってのが結論ですか?
>>244 宗教に囚われすぎかどうかは宗教を学んだ人間にしかわからない
マタイ福音書の25,26章を斜め読みしただけのお前になぜそれがわかる?
Du sagest'sもわからないくせに
>>246 「アリア最高!レチとコラールイラネ」
「でもヨハネ第2稿のアリアは聴かなくてよし!」
追加よろ
>>179 、
>>188 entertainment
━━ n. もてなし; 宴会; 娯楽, 余興; 心に抱くこと; 考慮.
エンターテインメント 【entertainment】
エンターテイメントとも娯楽。(気晴らしになる)演芸。(気楽に楽しめる)小説。
もう少し「エンターテイメント」をどういう意味で使ってるのかも補足よろしく。
「音楽だから余りキリスト教とが関係ない」というのも説明求む・
歌詞が分からず、聖書読んでなくても楽しめたから、この音楽はキリスト教と関係ない、というのも突飛すぎて説得力がないので説目よろしく。
250 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 13:34:50 ID:uA0QIAek
>>246 宗教がそんなに大切だったら日本人のほとんどはバッハ聞けないことになる。
例えば中学校などで先生がバッハの曲を聞かせるときにわざわざ、バッハはキリスト教信者
の作曲家でした、なんて言うか?あまり宗教とバッハは関係ないんだよ。
>>247 「あなたの言う通り」
>>248 あんたバカぁ?
誰がレチタテーヴォとコラールを要らないって言った?
ヨハネアリア第2稿どこに聞かなくてよいってかいてある?
引用してみなw。
>>244 「宗教や歌詞を知らずに表面だけを聴いていても
バッハの音楽の素晴らしさに感動できる」
これは正しい。
「だから宗教がどうとかどうでもよくね?」
これは不誠実。
>宗教がそんなに大切だったら日本人のほとんどはバッハ聞けないことになる。 >例えば中学校などで先生がバッハの曲を聞かせるときにわざわざ、バッハはキリスト教信者 >の作曲家でした、なんて言うか?あまり宗教とバッハは関係ないんだよ。 ごめん、その喩えはちょっと何言ってるのかわからない。 バッハの宗教曲を理解する上でキリスト教は無視しても良いのか、と聞いてるんだけど。 なんで日本の教育現場での宗教問題が出てくるの?
たとえば『Jingle Bells』や『赤鼻のトナカイ』を初めて聞いた人が、歌詞の意味も分からず楽しい気分になったとする。 だからこの曲がクリスマスとまったく関係ない音楽ということになる? その初めて聞いた本人はそう思うかもしれないが、それは世間一般にいって「無知」なだけと思わない?
93 名前:イエステノール派[] 投稿日:2009/09/28(月) 03:15:24 ID:QToEDFZQ 音楽的にはアリアのほうが圧倒的に重要だろ むしろコラールがいらない
>「あなたの言う通り」 なぜ「Du sagest's」が「あなたの言う通り」なのか? 素直に訳せば「あなたがそう言っている」であり、むしろ逆の意味に近くなる あなたがそう言っている(私が言ったのではない)
>>248 「カンタータは歌詞が小難しくしてめんどくさいので後回し」
257 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 14:28:37 ID:uA0QIAek
69 :名無しの笛の踊り:2009/09/28(月) 01:38:30 ID:7RRqjfqi アリアは聖書のテキストを使ってない 曲全体における重要度でいえばもっとも低いもの アリアを全曲カットしても物語の進行には全く問題ないがイエスの言葉はそうはいかない だから
>>257 何も間違ってないが?
お前アリアが受難劇に含まれると思ってるの?
じゃあアリアの一人称は誰だよ?
>>257 これがわからないのは、たぶんお前だけだw
だよなあw 誰もアリアをカットした受難曲を聴きたいなんて言ってないのにw 絶対日本語不自由だよこいつ 書き間違いの多さも半端ないしw
261 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 15:14:40 ID:uA0QIAek
むしろコラールがいらないっていうのは もしアリア コラール レチタテーヴォどれかカットするなら って意味。そのなかではコラールがえらばれるってこと。
>もしアリア コラール レチタテーヴォどれかカットするなら 当然アリア 過去の演奏家も何度かアリアをカットして演奏してる コラールをカットするのはありえん
263 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 15:25:05 ID:uA0QIAek
音楽的には一番コラールは重要ではない。 コラールは受難曲のなかに同じのが数回でてくるし。 アリア全カットなんてありえん
264 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 15:27:18 ID:uA0QIAek
>>256 だから難しいのを後回しにするのは当たり前だ、そんなの常識。
お前さあ なんで同じコラールが何回も出てくるのかとは考えないわけ? なんで赤インクで書かれてるのかとかさあ 礒山教授が「アリアよりイエスを!」って書いてるkとについては? 都合の悪いことからは逃げ続けるわけ?
267 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 15:33:37 ID:uA0QIAek
だから赤インクがどうとかでなんたかんたら言うのは滑稽だってば。 そういうオタク的知識は楽曲に直接は影響しない。バッハは実はそう思っていた系 の知識は想像でしかない。バッハは生きてはいないんだからもう。 礒山教授がそう思っていたらそれでいいじゃないか? 人は人。 今行っている議論とは関係ない。
>>258 アリアがバッハの受難曲の本質だとか思ってるんだよw
聖書の朗読劇だという視点がどっかにすっとんでしまってる。
どうせ「憐れみたまえ」でも聴いて感涙した勢いで書いてるんだろうよw
>>267 リヒターがマタイの冒頭合唱に少年合唱を起用したのは何故だと思う?
バッハがなぜ赤インクを使ったかなんて誰にも分からない=楽曲には関係ない これも飛躍があるので証明お願い
271 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 15:42:31 ID:uA0QIAek
一曲目のコラール部分が赤インクで書いてあったからだろ?
しつこく楽曲楽曲言ってるのにちっとも楽曲の解説が無いのは何故? バッハの作曲技法の素晴らしさひとつでも語って俺たちを黙らせればいいのに
なんで赤インク=少年合唱なんだ? Du sagest'sのほうもレスよろ
>音楽的には一番コラールは重要ではない。 お前の言う「音楽」の定義は何? 歌詞を省いたドレミの羅列のことか? だったら単純四声体のコラールなんてソルフェの課題でしかないよなあw
275 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 15:51:49 ID:uA0QIAek
>>270 なぜ赤インク使ったか分からないからとかじゃなく
赤インク使った事実は直接には楽曲には影響しないって事。
知らなくても知っていても変わらないの大して。
Du sagest's? もう返信したじゃないか
>>268 そんなに聖書の朗読が聴きたければ
自分で聖書を日本語訳の聖書だかドイツ語の聖書だか
ギリシャ語の聖書朗読しとけばいいじゃん。
自分は哀れみたまえよりkomm suses〜の方が好きだ
>そんなに聖書の朗読が聴きたければ バッハは「イエスの命日に聖書の受難朗読を聞きたい」と言う 信徒の要望に答えるべく、マタイ受難曲やヨハネ受難曲を書いたわけだが??
>>275 >なぜ赤インク使ったか分からないからとかじゃなく
>赤インク使った事実は直接には楽曲には影響しないって事。
だからなんで楽曲に影響しないのかを説明しないと。
バッハが何を意図して赤インクを使ったか分からないなら、影響しない可能性も否定できないでしょ。
278 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 16:42:04 ID:uA0QIAek
インクの色の違いにそこまで何を求めているんだ?
「コラールが赤インクで書かれているという事実は楽曲には影響しない」と言うけど、
実際演奏では少年合唱使ったり、リピエーノ使ったり、大オルガン使ったり、影響与えてる事実はどう考えてるのか聞きたい。
>>278 逆に色の違いを完全無視する理由をみんな聞いているんだけど。
281 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 17:03:03 ID:uA0QIAek
答えるって何を? もう答えたじゃん。
どのレスが
>>255 に対する回答なんだよw
ファビョってんじゃねー
お前バッハのマタイ自筆譜見たことないだろ あるわけないよな
284 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 17:14:39 ID:uA0QIAek
あるよ アーノンクールのcd-romでな。 それがどうしたの?
Du sagest'sの翻訳て「あなたの言う通りだ」ではないのか?
自筆譜見たにも拘らず 「赤インクなんて関係ねーよ」ですか さすがキチガイはレベルが違う あの複雑で真っ黒な楽譜の中に浮かび上がる赤インクは明らかに 「こっちのほうが大事ですよ」というバッハの意思だ これは俺個人の妄想などではなく、真にバッハを理解しようと 考える者なら必ず得られる確信だね レオもリヒターも間違いなくそう確信してる
>>285 礒山教授は迷った結果そう訳しているが
「それはあなたが言ったことだ」と訳す学者もいる
全く意味が違にも拘らず、どちらにもそう訳す根拠があるから難しい
翻ってお前の発言
「マタイにはこれと言った難しい歌詞と言うのは無いみたい。
どれも短い簡単な歌詞ばかり」
さすがの一言である。
Der HohepriesterとDie Hohenpriesterの説明もできない人がDu sagest'sの意味に気づくわけがない。
そもそも言葉への感性がなさ過ぎ。
>>245 と
>>249 と
>>266 にも答えてくれよ
289 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 18:49:41 ID:uA0QIAek
>>287 あなたが言う通り〜が間違いじゃないのになぜじゃあ
>なぜ「Du sagest's」が「あなたの言う通り」なのか?
素直に訳せば「あなたがそう言っている」であり、むしろ逆の意味に近くなる
あなたがそう言っている(私が言ったのではない)
とか言ったんだ?
>>288 エンターテイメントか・・
マタイがエンターテイメントっていうのはキリスト教じゃなくても
楽しめるってこと。
現に日本人がキリスト教徒でもないのに楽しめているのがその証拠。
コラールが何回も出てくるのは音楽的にはつまらないだろうってこと。
これはアリア レチタテーヴォ コラールいずれかカットするならっていう話
前提だけど
>>289 キリスト教徒じゃなくても楽しめるから、この音楽はキリスト教とは関係ないということ?
>>253 の喩えをどう思う?
>コラールが何回も出てくるのは音楽的にはつまらないだろうってこと。
ちょっと何言ってるのかわからないんだけど、
何回も出てくる=音楽的にはつまならい、ということ?無理がない?
>>289 お前が「あなたが言う通り」と答えたのは本見たからだろ?
お前が自分で考えたわけではない
ギリシャ語の聖書原点には「それはあなたが言ったことだ」と
書かれているそうだしな
俺はギリシャ語は知らないが「シュ レゲイス」は
明らかに「あなたがそう言っている」っぽいんだが違うか?
「Du sagest's」でも「シュ レゲイス」でもそのまま訳せば
「あなたがそう言っている」なのに、
考えもしないで「あなたが言う通り」と答えた
これはつまり何も考えずに礒山訳を読んだだけってこと
バッハの受難曲以外にも、キリスト教音楽には「キリスト教(徒)じゃなくても楽しめる作品」はいっぱいあるけど、 そういう作品もエンターテイメントでキリスト教とは関係ないの?
293 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 19:18:15 ID:uA0QIAek
>>290 それはあくまでコラール レチタテーボ アリアをどれか一つカットしなければ
ならないとしたらの話。
>>292 バッハの宗教曲はあくまで素材だろう
テクストを知らなくても楽しめる
イエステノールを理解するための仮説 こいつの文末全てに (音楽を表面上楽しめればそれでいい俺にとっては) と補足すればいいんジャマイカ・・・?
質問の仕方が悪いのか、質問の意図を理解して貰えないようだ 「つまらない曲をカット」→これは別にいい。 コラールが何回も出てくる=音楽的にはつまならい、というのが理解できない質問。 >バッハの宗教曲はあくまで素材だろう >テクストを知らなくても楽しめる バッハの宗教曲が素材?という文章がちょっとわからいけれど、 知らなくても楽しめるから、テクストの背景は関係ない、というのを手を抜かずにちゃんと説明しないと。
カンタータは難しい(音楽を表面上楽しめればそれでいい俺にとっては) 赤インクなんてどうでもいいよ(音楽を表面上楽しめればそれでいい俺にとっては) 受難曲はアリアだよ(音楽を表面上楽しめればそれでいい俺にとっては) 何度も同じコラール出てきてウザー(音楽を表面上楽しめればそれでいい俺にとっては)
セリフの深読みマンドクセ(音楽を表面上楽しめればそれでいい俺にとっては) キリスト教とかどうでもいいよ(音楽を表面上楽しめればそれでいい俺にとっては)
マタイ福音書は25,26章読めば十分(マタイ受難曲は26,27章だけどまあいいや音楽を表面上楽しめればそれでいい俺にとっては)
299 :
イエステノール派 :2009/09/29(火) 20:32:28 ID:uA0QIAek
煩悩ですね・・・
いいから俺の質問に答えてくれよ コラールが何回も出てくる=音楽的にはつまならい、というのはなぜ? 知らなくても楽しめるから、テクストの背景は関係ない、というのはなぜ? キリスト教徒じゃなくても楽しめる音楽だから、キリスト教と関係ない、というのはなぜ? 「楽曲であること」と「キリスト教音楽であること」がバッハのマタイ受難曲で両立しないのはなぜ?
>>289 「あなたの言う通り」は良い訳ではないね。
これはカイサリア系写本のみにでてくる語句だけど、イエスを神に祀り上げたい後世の写本家たちが
わざわざこんな語句を追加するわけがないので原典にあったに違いないという説には説得力がある。
「それはお前が言っていることだ」がおそらく正しいでしょう。
>>291 それが、アレクサンドリア系と西方系の写本では削除されてて
「私がそれだ(あなたが言うとおり)」になってるのよ。
>>293 マタイを単に「エンターテイメント」として楽しみたい人間が、
「イエスはテノールの方が良い」とか「テキストは音楽の解釈に重要でない」とか
「赤インクは影響ない」とか主張する態度は間違っているよ。
>>243 が言うように、「舐めきってる 」と叱られても仕方がない。
イエステノール派氏は、一度シュッツのマタイ受難曲を聴いてみると良いと思う。
赤インクは音楽として、楽曲として意味がある。 フォルテであり、クレッシェンドであり、ヴァイオリン楽器指定、などと同じ。 宗教的にイエスがどうのとは関係ない。 バッハのマタイ受難曲は、音楽の中の音楽ともいうべき 楽曲の最終形であって、宗教を持ち込んではいけない。 音楽そのものの力を引出すのがバッハの演奏であり、 時代背景や文化などの、間接的な想像から、 その前提知識をもとに心的反応を呼び起こすためのものではない。 確かにそういう音楽もあるが、バッハ・ベートーヴェンの古典音楽は 音だけから、間接情報を使うことなく心的反応、感情を引き起こすように書かれている。 音楽の形式・様式がその中心的役割を果たす。 マタイや第九のようなテキストつき楽曲において勘違いしやすいが、器楽曲と同様の解釈が必要。 人間の感傷的な発声ではなく、器楽として、楽器としての声が求められる。 両者では、情感たっぷり、といった演奏にはならない。
>>305 >バッハのマタイ受難曲は、音楽の中の音楽ともいうべき
>楽曲の最終形であって、宗教を持ち込んではいけない。
だからなんでキリスト教と結びつけていけないのかを端折らずにちゃんと説明、証明して欲しいんだけど。
>音楽そのものの力を引出すのがバッハの演奏であり、
>時代背景や文化などの、間接的な想像から、
>その前提知識をもとに心的反応を呼び起こすためのものではない。
無条件で、「〜だ」と言われても説得力ない
>確かにそういう音楽もあるが、バッハ・ベートーヴェンの古典音楽は
>音だけから、間接情報を使うことなく心的反応、感情を引き起こすように書かれている。
>音楽の形式・様式がその中心的役割を果たす。
もっと具体的に例証を挙げて説明求める。
>>305 >>音楽の形式・様式がその中心的役割を果たす。
マタイの「音楽の形式・様式」はどのようなものですか?
なんかさ、イエステノールを叩いてる奴らって結局自分らで説明できてないよね。 イエステノールには説明しろ証明しろって言うけど自分らは全然してない。 言ってることは俺らはイエステノールよりよく関連の書物を読んでる、 マタイのテキストを読んではいる、だからキリスト教に関係しているのだから イエステノールみたいにあまり調べてない奴はいじめちゃえ、って発想。 キリスト教に関係があったとしても、だから何なの? 日本の現代音楽が禅に影響を受けたから禅の本を読むぐらいはいいよ。 だけど禅の本質なんて誰も分からない。禅宗にも宗派があるとか、 道元の『正法眼蔵』を理解できる人なんて数人しかいない。 キリスト教に関係しているんだ、というのは分かる。でも中味は分からない。 分かった気にはなれるかもしれないが、分かってはいない。 全然知らないより知っているほうがいい。それぐらいにしとけば? 全然知らないのは良くない、少しは知っとけよ、って程度のことを延々前スレから 何100もレス使って言うことかな?
>>309 別に。何も説明しなくてもいい。
だけど無知な人だと思ったら叩くのもうやめたら?
磯山さんの本のここは確かにそうだと思う、とかここはちょっと疑問が残る、
とかそういう有意義なレスを期待したいね。
>>304 >一度シュッツのマタイ受難曲を聴いてみると良いと思う。
これはイエステノールじゃなくても言えることだよね。
こういうのいいなァ。
叩いてるわけじゃなくて、そういう面白い仮説立てるのならちゃんと説明すればいいのに、と言ってるだけ。 俺は別にテノールがイエス歌ったってかまわんよ。 かつてクイケンがシュッツのクリスマス・ヒズトーリエ録音した時に 無名時代のS.ゲンツがエヴァンゲリストやったらレコ芸の評論家に大叩きされたのも良い思い出。
というか、そもそもこのスレで有意義な話を期待してないというか、みんな暇つぶしだろう。 有意義なことするんだったら、バッハの総合スレやカンタータスレでやればいいし。
314 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 00:49:47 ID:35/hKW1M
だからイエスをテノールにするのに説明しているじゃん。
315 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 00:57:49 ID:35/hKW1M
リヒターの音楽の捧げもの聴いてるんだけど これって評価どうなんですかね? チェンバロに迫力がない気が私はするのですが
>>314 だから中途半端に手を抜かずに人の質問にちゃんと答えなよ
317 :
名無しの笛の踊り :2009/09/30(水) 01:05:49 ID:pHecOzwj
>>314 え?イエスをテノール??
エヴァンゲリストと同じ音域じゃマズイでしょ???
318 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 01:07:02 ID:35/hKW1M
自分にとってながらくイエスの声はテノールだったんで はじめてマタイ聞いたとき違和感が有った。
319 :
名無しの笛の踊り :2009/09/30(水) 01:08:11 ID:pHecOzwj
>>318 どうしてテノールだったの?
ミュージカルの影響??
お前ってやたら他人の評価を気にするよな 人は人なんだろ?
321 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 01:12:21 ID:35/hKW1M
>>319 聖書の中の清貧なイエスとよく分からないけど
昔から低い声だとはイメージしなかった
ずっと読んできた漫画がアニメ化された わくわくしながら放送を見たら、主人公の声が自分のイメージとまるで違った だから声優の変更を要求する! そういうことだろつまりは
>>321 根本的な疑問だけど、それでどうしたいの?
バッハらがイエスをバスで作曲したのを批判したいの?
324 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 01:17:14 ID:35/hKW1M
↑かもしれないなぁ
「神性」を表現するという伝統をぶっ壊すには かなり弱い動機だな。
326 :
名無しの笛の踊り :2009/09/30(水) 01:26:31 ID:pHecOzwj
>>321 聖書?清貧??
イエスは清貧じゃないでしょ、大食いだし???
それに、バッハのスコアより聖書のイメージが大切なの???
そもそもイエスは「清貧」という言葉だけで片付けられる人物じゃないし。
つまり彼は「バッハがイエスをテノールで作曲しなかったのは残念だな。 自分はテノールのイメージなのに」と言いたいだけ。 どうでもいい話だ。
329 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 01:35:07 ID:35/hKW1M
伝統ぶっ壊すとか考えていなんいだがなぁ ただテノールのイエスもいいんじゃないかと思っただけ。
テノールにしたところでエンゲンみたいに怒鳴りまくる歌手だったら意味無いだろ 音域より声質だ 実際エグモントだったら納得したんだろう
331 :
名無しの笛の踊り :2009/09/30(水) 01:38:00 ID:pHecOzwj
>>329 >>314 で説明してるって言ってたけど?
結局、ただ思っただけで、説明できるようなことじゃなかったわけね。
びっくりしてちょっと損した気分。
332 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 01:40:34 ID:35/hKW1M
どうしてメンデルスゾーンがアルトからソプラノ にしたのはみんな納得してテノールは駄目って言うかなぁ
>>332 またそこに話は戻るのかw
重要度が。
レチタティーボ>コラール>>>(越えられない壁)>>アリア
だからだよ。
334 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 01:44:51 ID:35/hKW1M
アリアのほうが重要じゃないかな?
おまえがいくら「アリアは自分にとって感動的だ。重要だ」と言おうが 最も楽曲的にもテキスト的にも重要なのは「聖書朗読」なんだよ。
336 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 01:49:02 ID:35/hKW1M
楽曲的に重要?アリアより音楽面で優れてるの?
日本のバッハ研究の権威である礒山氏も自身のブログで バスアリアよりもイエス役のほうが際立った印象を 与えるような演奏でなければ無意味と言ってる。
別に「イエステノール派」がイエスはテノールが良いと考えも良いじゃないの。
俺もイエスがテノールの受難曲があったら聞いてみたいし、テノールが駄目とは思わない。
バッハの楽譜変えてテノールにするのは論外だが、
(個人的にはメンデルスゾーンのパート変更も不満だが、アリアをパート変えて書き直すのはバッハ自身もよくやっていた)
音符変えずにテノールが歌ったら面白いとは思う。
>>336 だからアリアが聖書章句レチタティーヴォより楽曲的に重要で音楽的に優れているというのちゃんと説明して証明すればいいのに・・・
聖書朗読に音楽をつけたものなんだからまず聖書、レチタティーヴォ コラールは会衆も参加して歌うからこれも重要 ある意味コラールを歌うために受難曲がある 冒頭合唱や終曲(ヨハネは1つ前だが)は曲の顔 アリアとその前のレチタティーヴォは感動を増幅させるための付属物
>>336 おれは音楽面でもすぐれていると思うね。
アリアはメロディーは綺麗だが、楽曲の構成はレチタティーボよりも
ずっと単純で平凡な曲が多いと思うよ。「聞きやすい、入りやすいけど、それだけ」って感じ。
一方のレチタティーボの方は、朗読される内容に合わせて
かなり細かい仕掛けがほどこされていて、非常に凝っている。
>>339 「イエステノール派」はそういう成立課程や背景は関係ないと考えてる。
だからアリアの方が重要、という結論は飛躍しすぎで無理があるけど。
アリアは確かに素晴らしいよ ハマリ始めはアリアばっかり聴いてるのも仕方ないとも思う だけど普通に音楽を聴く能力があれば、鶏鳴いたらペテロも泣いた、とか マジ神ですた、のあたりの凄さが嫌でもわかるようになってくるはず
343 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 02:15:22 ID:35/hKW1M
アリアがレチタティーヴォより上ねぇ・・
たしかに分からなくもないかなぁ。
テノールすきだし。
>>342 神の子であった〜ってキリスト教徒だから感動するんじゃない?
楽曲的には如何凄いの?
345 :
名無しの笛の踊り :2009/09/30(水) 03:52:15 ID:35/hKW1M
おやすみ〜
合唱が肝なことがなぜ分からないの? カンタータとマタイは同じだよ。 説教なんか誰も聞きたくはない。あくまでサイドメニュー。
お前はまず名前欄に「翼をください」と書き込め 話はそれからだ
>>343 >神の子であった〜ってキリスト教徒だから感動するんじゃない?
リヒター58年盤を持っているなら、なぜリヒターはその箇所をクライマックスに持っていったのかを
じっくり考えて聴くことをお勧めするよ。リヒターがクライマックスに持っていった箇所は
あなたの好きなアリアではなく、イエスの死を描写しているそのレチタティーヴォなんだよ。
349 :
名無しの笛の踊り :2009/09/30(水) 10:35:15 ID:VvVYfiO4
>>308 なかなか上手い!
『正法眼蔵』を理解できる人は少なくとも道元禅師の境地に達した人だけです。
同様に『聖書』を理解できるのも少なくともイエスの境地に達した人だけでしょう。
文献学とかのテキストをどれほど厳密に詰めても、最終的に解釈の余地はあるし、
文意は、月を指す指であって月そのものではないからです。
音楽も同じでしょう。それは誤解だという解釈は排除できるが、
唯一絶対の解釈、音など再現不可能でしょう。
350 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 11:38:00 ID:35/hKW1M
レチタテーヴォよりアリアだなやっぱ
>>350 レチタティーヴォの良さがわからないうちは「まだまだ甘い」な。
アリアの小奇麗なメロディーで目が曇っているとしか言いようが無い。
352 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 12:18:39 ID:35/hKW1M
レチタティーヴォ厨の煩悩ですね・・・
353 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 12:46:46 ID:35/hKW1M
レチタティーヴォがマタイのメインではない メインと一緒に食べれば美味しいサイドメニュー♪ だが主食ではない
サイドメニューはアリアの方だろw
>>353 君はメロディーでしか楽曲を判断できないクソ耳なんだな
356 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 13:30:25 ID:35/hKW1M
レチタティーヴォはサイドメニュー♪ 宗教に囚われずに音楽を聴きましょう♪
357 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 13:32:08 ID:35/hKW1M
レチタティーヴォはサイドメニュー♪ 宗教に囚われずに音楽を聴きましょう♪
>宗教に囚われずに音楽を聴きましょう は? 君はレチタティーヴォの楽曲構成の緻密さ精妙さがマジでわからないの?
359 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 13:34:31 ID:35/hKW1M
アリアが主食でレチタティーヴォが副食
>アリアが主食でレチタティーヴォが副食 演奏家もバッハ研究家も全然逆のことを言ってるわけだから そこまで断言するには、かなり強固な根拠が必要だがな。 レチタティーヴォの楽曲がアリアよりも精妙ですぐれていると指摘することが 「宗教にとらわれている」と決め付けるのもおかしすぎる。
361 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 13:47:51 ID:35/hKW1M
これを読んで 203 :名無しの笛の踊り:2009/09/29(火) 05:42:43 ID:+yV6swD5 キリスト教がどうの言ってる人は、 第九は世界平和の歌で、友愛を示した楽曲とか思ってるんだろうなあ。 マタイは聖書を理解しないとダメらしいが、第九は何を理解したら理解できるの? 多分、シラー全集読まないとダメなんだろうね。 第九は、第九の楽曲を理解しないと演奏できないのよ。 ソナタ形式であり、シラーの詩ではなく、 ベートーヴェンピアノソナタや、その基礎となるバッハの楽曲を理解しないといけない。 バッハの楽曲も、多声音楽、特にフーガを理解しないといけない。 合唱がこれにあたり、各声部の横の線と縦の線がしっかり見えるように訓練すべき。 これを大人になってから習得するのは、ほとんど不可能に近いよ。 基本は器楽なんだよ。多分、キリスト教がどうこう言ってる人は、 単声でしか音が聞こえてない。赤い字がどうこうこだわってるのは、滑稽でしかない。基本は合唱。
「翼をください」の意見を根拠にするとは痛すぎるww 単純に楽曲として比較してもレチタティーヴォの方が楽曲構成などの点で 圧倒的に優れているんだよ。
363 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 13:55:22 ID:35/hKW1M
あっ圧倒的???
うん。圧倒的にね。 アリアはメロディーが綺麗なだけで 楽曲構造は単純素朴。レチタティーヴォは楽曲構造が非常に複雑。 複数の曲がリンクしている箇所も多数。
アリアは単独での鑑賞に耐えられるほど単純な楽曲しかない。 一方のレチタティーヴォは単独では演奏困難なほど複雑な構造になっている。 アリアは切り離しが可能だが、レチタティーヴォの方は切り離すことはほぼ不可能に近い。
>キリスト教がどうの言ってる人は、 >第九は世界平和の歌で、友愛を示した楽曲とか思ってるんだろうなあ。 友愛はシラーの詩'An die Freude'の一面でしかない。 >第九は何を理解したら理解できるの? >多分、シラー全集読まないとダメなんだろうね。 少しは読め。ケルナーとの書簡集や1786年のターリアに同時掲載された「あきらめ」や「情熱の自由思想」なども読まないと シラーがこの詩で何を言いたかったのかは理解できない。 >第九は、第九の楽曲を理解しないと演奏できないのよ。 >ソナタ形式であり、シラーの詩ではなく、 >ベートーヴェンピアノソナタや、その基礎となるバッハの楽曲を理解しないといけない。 >バッハの楽曲も、多声音楽、特にフーガを理解しないといけない。 >合唱がこれにあたり、各声部の横の線と縦の線がしっかり見えるように訓練すべき。 当たり前だ。 >基本は器楽なんだよ。・・・基本は合唱。 どっち? >多分、キリスト教がどうこう言ってる人は、 >単声でしか音が聞こえてない。赤い字がどうこうこだわってるのは、滑稽でしかない。 思い込みにしか聞こえないので理由も書きましょう。
367 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 14:16:04 ID:35/hKW1M
そんなにレチタテーヴォが好きならレチタテーヴォだけ聞いてたらぁ?? あと単独では演奏困難ってどういうこっちゃ? ただそんなもん普通単独で演奏会で演奏なんかせーへんやろ 「マタイ受難曲〜レチタテーヴォのみ〜」なんて誰も会場に人あつまらんて
>>367 昨日の質問に答えてくれよ
バッハのマタイ受難曲はキリスト教の知識が無くても楽しめるからキリスト教と関係ないというのはなぜ?
楽曲であることとキリスト教音楽であることが両立しないのはなぜ?
>そんなにレチタテーヴォが好きならレチタテーヴォだけ聞いてたらぁ?? 楽曲として優れているという話をしているだけなんだが?なんで好き嫌いに話が移るんだ? >あと単独では演奏困難ってどういうこっちゃ? 複数の曲がリンクしているような箇所が多く、一部のレチタティーヴォだけを拾って 演奏することは、ほぼ不可能なんだ。それぐらいレチタティーヴォは 精妙な作りになっているということだ。 >「マタイ受難曲〜レチタテーヴォのみ〜」なんて誰も会場に人あつまらんて アリアを数曲カットした「マタイ受難曲」なら いつでも客が集まるよ。
370 :
名無しの笛の踊り :2009/09/30(水) 14:29:06 ID:PYdd7rO4
ぺ・ヨンジュン氏「日本人は汚れた民族」
日本でも大ヒットした、韓国ドラマ「冬のソナタ」
冬のソナタの日本上陸について、
ぺ・ヨンジュン氏は次のような発言をした。
「冬のソナタが日本上陸するのは別に構わないが、
度を越えて自分のファンにはならないで欲しいと思う。
汚れた日本民族の性がうつるのはごめんだ」
と、反日感情を露にしたコメントをした。
残念ながら、韓国人は今でも日本人に対する
差別・偏見を持っている。
この日韓の溝を埋めるには、
韓国側の努力も必要では無いだろうか
ttp://www.cttimes.co.kr/article/view.php?no=1102
371 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 14:31:17 ID:35/hKW1M
アリア数曲カットしたマタイは人集まるけど レチタテーヴォだけはさすがに無理やろ。 >バッハのマタイ受難曲はキリスト教の知識が無くても楽しめるからキリスト教と関係ないというのはなぜ? 関係ないとかじゃなくあくまで素材や、素材。キリスト教徒は関係あるな、あるっちゃ有る。 聖書の文章つこうとるからなw。でも結局は素材にとどまっとる。 >複数の曲がリンクしているような箇所が多く、一部のレチタティーヴォだけを拾って 演奏することは、ほぼ不可能なんだ。それぐらいレチタティーヴォは 精妙な作りになっているということだ。 複数の曲が繋がってるだけで精妙ってどないなこっちゃねんw ホンマ笑かしよんでww
>複数の曲が繋がってるだけで精妙ってどないなこっちゃねんw そんなこともわからんの?レチタティーヴォはそれ全体が一つの楽曲のように 有機的につながっているということだよ。どれが抜けていてもだめなのだ。 それぐらい精密機械のように入り組んだ構造になっている。 アリアは一曲だけで単独で演奏できるぐらい単純だし、 数曲カットしても「マタイ受難曲」全体として痛くも痒くもないのだ。
>>バッハのマタイ受難曲はキリスト教の知識が無くても楽しめるからキリスト教と関係ないというのはなぜ? >関係ないとかじゃなくあくまで素材や、素材。キリスト教徒は関係あるな、あるっちゃ有る。 >聖書の文章つこうとるからなw。でも結局は素材にとどまっとる。 素材だから勉強しなくても良い、無視して無視して良い、というように聞こえるけど、それはなぜ? 他の質問にも答えてくれよ
374 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 14:40:53 ID:35/hKW1M
カットできないから優れてるんかいな? アリアは単独で演奏できるから逆に凄いんちゃうの? どうや? >数曲カットしても「マタイ受難曲」全体として痛くも痒くもないのだ。 マタイでアリア一曲もカットしたら痛いしそして痒いわww 正直アリア一曲もカットできるアリアはあらへん レチタテーヴォがカットできない理由はカットしたお話がわからへんよーになるからや
>レチタテーヴォがカットできない理由はカットしたお話がわからへんよーになるからや これのようにアリアをカットできない理由をちゃんと示せば良いんじゃないの? 「痛いしそして痒い」じゃなくて。
>レチタテーヴォがカットできない理由はカットしたお話がわからへんよーになるからや それだけではないよって話をしてるんだけどね。 楽曲としてもレチタティーヴォは、それぞれに関連性をもたせて作られているんだよ。 楽曲としても削れないんだ。 >アリアは単独で演奏できるから逆に凄いんちゃうの? 残念ながらそれは違うな。 単純なメロディーを引き立てるだけの素朴な楽曲だから単独で演奏できるんだよ。 しかもアリアは別のアリアとの関連性もゼロに近い。 だからカットしても「マタイ受難曲」全体としてのダメージは非常に軽微だ。 メンデルスゾーン版が今でも愛聴されているのもそのためだよ。
377 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 14:48:50 ID:35/hKW1M
>>373 いいがげん宗教からはなれたらどーや?
「楽曲」なんよバッハの音楽は。別に聖書読むのは止めへん。
それより音楽理論の方が大切や♪
>それより音楽理論の方が大切や と言いながら、レチタティーヴォの有機的で複雑な構造には鈍感なんだから 話にならん。
379 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 14:54:07 ID:35/hKW1M
レチタテーヴォは副食やゆーとるやろ?もしくはサイドメニューや ハンバーガー食うときにポテトやそのほかなんか頼むやろ? そんな感じ。普通ハンバーガ屋行ってポテトやサラダだけ頼むか? たのまへんやろ?ハンバーガーあってこそのポテトや。
アリアが主食だと言うなら なんで数曲カットされている演奏が一般に許されているわけ? 宗教にとらわれているというだけで説明が付くのか?
>>377 だから、「楽曲」と「キリスト教音楽」が両立しないのはなぜかを説明してくれよ・・・
キリスト教の知識と音楽理論と順番付けたいわけじゃないんだ。
同じだけ重要なものと思うが、そこまで音楽理論に偏ってキリスト教の知識を軽視(無視)する理由を聞きたい。
あと「素材」という意味もよろしく。
382 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 15:22:37 ID:35/hKW1M
数曲カットは主流ちゃうよw 普通は主食の量は減らしたりしいひん
>普通は主食の量は減らしたりしいひん うちの母親はおかずよりもご飯の量を減らすタイプですが、普通じゃないのか
>>382 お前は「マタイ受難曲」の演奏史も知らんのか?
つい50年ほど前まではアリア数曲をカットするのが「当たり前」だったんだぞ?
385 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 15:42:19 ID:35/hKW1M
他人の家のメシの事情なんか知らんわwww
386 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 15:43:30 ID:35/hKW1M
>>384 それ昔の話やん。
今ではアリアカットなんて変なことせえへんなったで。
気づいたってこっちゃ、アリアの大切さをなw
>>386 カットしているメンデルスゾーン版の再演がいまや盛んなわけだが・・・?
>>385 だったら主食とかサイドメニューとかわかりにくい喩えじゃなくて、もっと上手に説明してくれない?
結局イエステノールは、綺麗なメロディーで目がくらんでいて 感情論で「アリア大切」と言ってるだけだな。
>>387 それは大バッハというわけじゃなくって
メンデルスゾーンの功績としてと思うが。
392 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 15:55:33 ID:35/hKW1M
>>391 素材かいな?
バッハは職人音楽だったからバッハも素材としてマタイやカンタータを
作曲したわけや。宗教音楽やのうて楽曲として聞きなはれ。別に聖書よんでも止めはしいひんけどな
>>387 それはメンデルスゾーン版のマタイであって彼の功績をたたえた演奏や。
あくまで主流はアリア全収録のマタイや♪
>宗教音楽やのうて楽曲として聞きなはれ。 楽曲としてもレチタティーヴォは圧倒的に優れているよ。 あれほど複雑で入り組んだ構造の音楽を、しかも破綻なく2時間近く引っ張れるというのは 並みの作曲家にはできないことだ。 アリア?あんなのは5分程度の単独で楽しめる単純な歌曲でしかない。 アリアの方が優れているというのなら、その根拠を出さないとダメだね。 ほぼ全員の演奏家とバッハ研究家を敵に回してもしょうがないほどのことを言ってるんだから。
>>392 だから、「バッハが職人音楽だったから彼の作品は宗教音楽ではない」という話が突飛すぎて、受け入れられてない。ここをもっと説明しないと。
ベートーヴェン、シューベルト以前の作曲家の作品は全部宗教音楽ではない、という事になる。
あと、「楽曲と宗教音楽が同時に成立しないのもなぜか」説明してくれないと。
395 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 16:05:58 ID:35/hKW1M
>「楽曲と宗教音楽が同時に成立しないのもなぜか」説明してくれないと。 こんな事自分ゆったかいな?
>>395 >>192 以降の流れを読むと明らかにそう言ってると思ったけど違うの?
誤解してるなら悪いから、違ってたら訂正して。
>マタイは音楽でありエンターテイメント。またエンターテイメントであり音楽でもある。
>エンターテイメントだからこそ楽しい面白い。音楽だから余りキリスト教とが関係ない。
「音楽だから余りキリスト教とが関係ない」という部分が特にわからない。
イエステノール派って「マタイ受難曲」をあまり聴きこんでないんじゃないの? 最初のうちは「アリア最高!聖書朗読退屈!」ってなるのもわからんでもないが。 もし、ある程度聴きこんでてそんな感想持っているのなら、普通にヤバイと思うぞ。
398 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 16:20:39 ID:35/hKW1M
キリスト教と関係がないとかそうじゃなく 別に知らなくても楽曲として成立し楽しめるってこと。 聖書の文つかってるからキリスト教と関係が0とはいわんけど
>>398 「別に知らなくても楽曲として成立し楽しめるってこと」
つまりキリスト教の知識があった方がより楽しめるということでしょ?なぜそこをそんなに避けるのかが知りたい。
こいつは自分に都合の悪いことは一切答えない しかも叩かれまくって凹んで自信がなくなっても、寝ると元に戻るw アリアのどこが楽曲的に優れているか、一部分でもいいから 具体的に取り出して解説してみろよ できたらもうやってるだろうけど 「だってアリア良い曲じゃん」だろどうせ
401 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 16:46:17 ID:35/hKW1M
アリアが如何優れているかだって? じゃあなぜ「憐れみたまえ」がこんなにも人気なんだ? アリアが優れてる証拠だ。 あのアルトのアリアはバッハで一番美しい楽曲って言ってる人もいるからな
それがお前の楽曲解説なんだなw お前はJ-POP歌手をアーティストと呼んでる連中と何も変わらんわw
Erbarme dichのアリアは良くできているとは思うけど、 人気があるから優れているというのは、あまりに短絡的じゃない? あまり説得力無いよ。 一番美しい=一番優れているということ?
404 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 16:51:05 ID:35/hKW1M
J-POPアンチさん?
>>404 いや単にくだらない曲が嫌いなだけ
すると結果的にJ-POPを聴くことは少なくなる
406 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 16:57:06 ID:35/hKW1M
そうか。自分もあまりJ-POPの類は好きではない。
>>403 あのアルトにかなうレチタテーヴォってある??
その直前の38a〜cのほうがよっぽど面白い
408 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 17:06:25 ID:35/hKW1M
面白いっちゃ面白いな 登場人物たくさんでエンターテイメントだ。
ストーリー的に一つの頂点を迎えたところで 6分も7分も流れをぶった切るアリアがそんなに面白いかね アリアだけ聴いてりゃいいんだよそういう奴らは
410 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 17:13:04 ID:35/hKW1M
じゃあレチタテーヴォだけ聞いとけwそんなに好きならww
>>406 Erbarme dichのアリアのどこが優れているのか具体的に示してくれないと
なにをもって「かなう」とすれば良いのか困るんだけど、
有名どころではカンタータ70番のトランペットのコラール付きバスのレチタティーヴォとか、
82番の2曲目のバスのレチタティーヴォとか、147番の8曲目の2本のオーボエ・ダ・カッチャ付きのアルトのレチタティーヴォとか良いんじゃないの
試しに39番をとばして38番から40番のコラールへ繋げてみた けっこういける
個人的には169番の6曲目のレチタティーヴォが昔好きだった。
神の愛から隣人愛へとテーマが移って、最後の「甘美な愛」を賛美するコラールに続く流れがたまらない。
>>410 レチタティーヴォは前後の曲とセットで流れの中で聴くもので、アリアは単体でも聴けるもの。それは優劣には関係ない。
414 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 17:25:15 ID:35/hKW1M
何故行き成りマタイの話だったのに 急にカンタータの話題に成ってるんだよ マタイの中のレチタテーヴォ持って来るだろ普通。
あれ、マタイの話って誰も言ってないと思ったけど。 じゃ、テノールの"Mein Jesu schweigt"とかバスの"Am Abend, da es kühle war,"とか、 聖書章句だったらペテロの否認とかイエスの捕縛とかシモンの家で香油を注がれるとか、いろいろある。
416 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 17:33:18 ID:35/hKW1M
>>412 繋がりが良く成ったとしてもそんなの聞いていて
面白いか?
っていうか、マタイの最高のアリアはとりあえずErbarme dichじゃないだろ、普通。
>>416 何故お前はアリアだけを聴かないのか?
お前にはそれで十分なのに
419 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 17:37:43 ID:35/hKW1M
>>413 アリア全カットしたら前後のつながりがなくなるんだがwww
ktkr
419 名前:イエステノール派[] 投稿日:2009/09/30(水) 17:37:43 ID:35/hKW1M
>>413 アリア全カットしたら前後のつながりがなくなるんだがwww
419 名前:イエステノール派[] 投稿日:2009/09/30(水) 17:37:43 ID:35/hKW1M
>>413 アリア全カットしたら前後のつながりがなくなるんだがwww
419 名前:イエステノール派[] 投稿日:2009/09/30(水) 17:37:43 ID:35/hKW1M
>>413 アリア全カットしたら前後のつながりがなくなるんだがwww
>>419 だからそれは優劣には関係ないと言ってるんだけど、なかなか話が通じないな・・・
そもそもレチタティーヴォ全カットしたら何もつながらないでしょ?
423 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 17:47:37 ID:35/hKW1M
自分はレチタテーヴォ全カットなんて言ってませんよ。
>>423 おいw
アリアカットして話が繋がらなくなる箇所を挙げてくれw
あー腹いてーww
つまり「イエステノール派」はマタイ受難曲の楽曲を流れの中ではなくて、一つ一つ個別に認識しているから 音楽的重要度がアリア>レチタティーヴォ>コラールなんじゃないのかな。違う? あと、合唱の重要性はどうしたの?
「憐れみ給え」は優劣で行ったら劣かもしれない。わざと俗っぽくしたんだと思う。 バッハは人間の限界、今までのことをひっくるめてぶっちゃけているんじゃないかな。 こんなんですけど、神よ、憐れんでちょうだいみたいな。 人間の愚かさの普遍性。
427 :
イエステノール派 :2009/09/30(水) 18:26:46 ID:35/hKW1M
>>425 中中通しで聞かないからそう言えるかもしれないなぁ。
合唱は重要だよアリアの次に。若しくは同じ位
>>427 全曲通しでなくても良いから、福音書の場面場面で聖書章句、アリア、コラールをセットで聴いて楽しむようにしたら?
少しずつ各曲の流れがつかめてそれぞれの曲が流れの中で持つ意味がつかめてくるんじゃないかな。
>合唱は重要だよアリアの次に。若しくは同じ位
じゃ、キャラクターコアやコラールは?
ベートーヴェンがソナタ形式の頂点であるように、 バッハは、フーガの様式を極限まで高めた。 マタイも、バッハの鍵盤楽曲と同じ音楽性をもっている。 鍵盤楽曲の音楽性がそのまま表れている。 聞くべきは過去の受難曲ではなく、ゴルトベルグであり、トッカータであり、平均律。 各声部の生命感であり、それぞれが生をもって全体に及ぼしていることが大事。 基本的にクラシック音楽では、バッハ以前に触れる必要はない。 ましてや宗教のテキストなぞは、プラスにはならない。 マタイは一つの曲だから、基本省略しないが、 楽曲の構造から、省略した方がいい場合がある。 これもテキストから決まるのではなく、楽曲で決まる。 キリストだから大事、農民だからどうでもいい、ということはない。 シラーの作品集をいくら読んでもフルトヴェングラーの演奏にはならないように、 いくら聖書を読もうが、リヒターの演奏にはならない。 マタイは、キリスト教の音楽つき紙芝居、オペラではない。 @音楽→物語(知識)→感動 ではなく、 A音楽→感動 でなければならない。 歴史物語をとことん排除したのが、バッハ・ベートーヴェンの古典。 この中間部は時代や地域によって変化するため、@ではクラシックにならない。 そのための法則は、宗教性ではなく、音楽の様式。
431 :
名無しの笛の踊り :2009/09/30(水) 22:51:36 ID:pHecOzwj
>>430 マタイの音楽は「一つの曲」としてどのような様式を持ってるの?
432 :
名無しの笛の踊り :2009/09/30(水) 23:03:20 ID:wuXP83Zj
>>430 平均律の自筆浄書譜にS.D.G
って書いてあるけれど、これはどう説明するのよ?
平均律どころか、ほとんどすべての曲にあったはず<SDG
むしろフルトヴェングラーの演奏を目指す必要性がどこにもない・・・ >マタイも、バッハの鍵盤楽曲と同じ音楽性をもっている。 >鍵盤楽曲の音楽性がそのまま表れている。 >聞くべきは過去の受難曲ではなく、ゴルトベルグであり、トッカータであり、平均律。 何が言いたいのかよく分からないけど、「マタイなんか聴かずに鍵盤楽器作品聴いとけ」ってこと?
向こうの人は、自分の仕事を神の恵みと関連付けるからね。 サッカー選手も、ゴールするたびに神への感謝を忘れない。 ただ、その選手のサッカースタイルと宗教とは一切関係ない。 その選手の宗教を調べたところで、その選手のサッカーは見えてこない。 今あるのは自分のおかげではありませんよ、ってこと。 このゴールは自分の力じゃありませんよ、ってこと。 その選手がいくらサッカーと神を結び付けようと、その能力と宗教性は関係しない。 マタイやバッハの曲も、別にキリスト教を表現してるわけではない。
面白いな ちょっと何言ってるのかわからないけど。 サッカー選手がゴールという結果を神に感謝するのと、作曲家が神を讃える目的のために作曲するのと何の関係があるの? 神に感謝するためにゴールを狙う訳じゃないでしょ。 もっとわかりやすく書いてくれ。
>マタイやバッハの曲も、別にキリスト教を表現してるわけではない。 凄いね。呆れ果てた。
逆にキリスト教を表現してると断定できる曲を挙げて欲しい
有名どころではマタイやヨハネ受難曲なんてどうよ? 教会カンタータやミサ曲も
鍵盤楽器好きさんには、クラヴィーア練習曲集第3巻がいいかな?
マタイ受難曲は7、80回聴いたから正直少し飽きてきた。 案外早く飽きてしまった。 他の曲は3000回ぐらいは飽きなかったのに。
サッカー選手側からみたら、神のためにゴールしてるかもしれない。 しかし、見るべきはその結果を生む戦術や、足の速さやテクニックであって、 バッハも神のために作曲したのかもしれないが、 和声やフレーズ、すなわち楽曲の中身を見ないといけない。 バッハの楽曲は生死や、それらに対する感謝の気持ち、自然への畏怖が表現されており、 具体的なプロテスタントやカソリックとは関係しない。 日本人でも同じ気持ちをもつから、日本人にも通用する。 ただ、これらの清廉な心的要素は人生の中で次第に薄まっていくため、 バッハの鍵盤楽曲等で、幼少の頃にこれらの感情がしっかり活性化された人でないと、 真に理解するのは難しい。
テノールが逃げたら今度は翼をくださいか
>>442 フレーズを見て、これが何を意味しているかとか考えないの?
たとえば、BWV5の3曲目のオブリガード・ヴィオラの音形が何を表しているとか。
普通の人 バッハの音楽→感動→知識→もう一度音楽→超感動 テノールや翼をください バッハの音楽→感動→終わり
>バッハも神のために作曲したのかもしれないが、 >和声やフレーズ、すなわち楽曲の中身を見ないといけない。 その中身を見るのにキリスト教の知識が必要だと分からないかな。 >バッハの楽曲は生死や、それらに対する感謝の気持ち、自然への畏怖が表現されており、 >具体的なプロテスタントやカソリックとは関係しない。 いきなり断定せずにちゃんと証明してください。
>バッハも神のために作曲したのかもしれないが、 >和声やフレーズ、すなわち楽曲の中身を見ないといけない。 >その中身を見るのにキリスト教の知識が必要だと分からないかな。 全然分からないよ。もしキリスト教徒じゃなかったら、楽曲はどうかわってたの? そもそも、バッハはプロテスタントじゃないの? 単に仕事上の関係でカトリック用に書いただけでしょ。 それをさも、その信者のように決め付けるのは、それこそバッハに失礼だろ。 外人の柔道家や関取が神道の作法に則ったとしても、 別に彼らが神道の信者であるここと何の関係もないぞ。 あくまで柔道や相撲の中身を見るべきだよ。
448 :
イエステノール派 :2009/10/01(木) 07:24:57 ID:uK7B/yni
バッハとキリスト教は関係ない
449 :
名無しの笛の踊り :2009/10/01(木) 07:30:13 ID:ntr7cD3Y
>>445 >普通の人
>バッハの音楽→感動→知識→もう一度音楽→超感動
バッハの音楽→感動(こっちが純粋で)
知識→もう一度音楽→超感動(こっちが観念的妄想による自己陶酔である可能性が高い)
説明とか論理というのは、本質的ではないから。
解釈史を見れば分かるように、解釈はただの流行であることが多い。
解釈や理論を置いて、音だけ聞くのが先ず音楽の本質だろ。
450 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 07:32:41 ID:uK7B/yni
↑同意します
>>449 おたくらって例えば訳見ながら聴いてて、よく意味がわからなかったりしても
曲が美しかったら別に気にしないのかな
自分に宗教的知識が無いからちょっと調べてみよう、ってのは
極めて自然な欲求だろうに
っていうか歌詞なんてなんでもいいのか
>>452 そんなだから、「カンタータは小難しい」ってスルーしちゃうんだろ?w
ストーリーの流れを考えたら、マタイ受難曲のアリアなんて 流れとブチブチと断ち切ってしまうから、かえって邪魔だろ。 昔の演奏家でカットしていた人多いけど、個人的には気持ちはわかるな。
>>447 バッハがキリスト教徒じゃなかったら?
まずカントルになれないんじゃないのw受難曲も作曲してないね
カトリック用に書いた?何言ってるのか理解できないんだけど
なんで外人の柔道家や関取が出てくるの?
バッハはキリスト教圏のキリスト教徒で外人じゃないんだけど
>>454 試しにErbarme dichをカットしてみたら次のコラールがより感動的に響いた
一回お試しあれ
>>449 真っ当な姿勢だと思う。第一義的にはそれが正しい。
>>452 それも自然な発想だ。だけど実際キリスト教の知識といってもエピソード的なものか
解釈か、へたすると誤まった解釈をしてそれこそ目も当てられないことになる。
磯山さんの本を読むだけじゃ足りないのか?
>>454 反論するためにそんな極端なことを言うなんて音楽を愛する人の発言とは思えない。
>磯山さんの本を読むだけじゃ足りないのか? そりゃー足りないでしょ 礒山さん本人に聞いても足りないって言うと思うw 磯じゃなくて礒ね
「ストーリー的にはアリアカットしたほうが云々」って書くとさ かならず「ストーリー的には」って部分を無視した反応が返ってくるんだよねw なんか笑える
>磯山さんの本を読むだけじゃ足りないのか? 君の脳内ではバッハの宗教音楽は「マタイ受難曲」ぐらいしかないのか?w
461 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 09:45:51 ID:uK7B/yni
まず歌詞より楽曲・音楽性だ。 ストーリー的にカットしたなんて繋がりよくても 面白くない。それこそバッハの音楽を愛していない
463 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 09:49:27 ID:uK7B/yni
マタイにカットする曲は無い
419 名前:イエステノール派[] 投稿日:2009/09/30(水) 17:37:43 ID:35/hKW1M
>>413 アリア全カットしたら前後のつながりがなくなるんだがwww
419 名前:イエステノール派[] 投稿日:2009/09/30(水) 17:37:43 ID:35/hKW1M
>>413 アリア全カットしたら前後のつながりがなくなるんだがwww
419 名前:イエステノール派[] 投稿日:2009/09/30(水) 17:37:43 ID:35/hKW1M
>>413 アリア全カットしたら前後のつながりがなくなるんだがwww
419 名前:イエステノール派[] 投稿日:2009/09/30(水) 17:37:43 ID:35/hKW1M
>>413 アリア全カットしたら前後のつながりがなくなるんだがwww
465 :
名無しの笛の踊り :2009/10/01(木) 10:06:13 ID:ntr7cD3Y
>>452 オレの趣味を言わして貰えば、クラシックの声楽はグレゴリアン以降は聞けない。
なぜなら、人工的で気持ち悪く感じるから。
だから、バッハも器楽しか聴かない。
テキスト・クリティックとか解釈学ってのはもはや音楽でなく、
読みの楽しみだから。オレは奏者によって奏でられた音が音楽の全てだと思う。
批評や解釈は、まあオタクの楽しみだなw
ましてや、聖書解釈をそこに読み込むのは笑うは。
リヒターやレオンハルトみたいに解釈も演奏も素晴らしい人が、言うなら
もはや黙って頷くしかないが。おたくらがどの程度の音を出すか分からないからね。
ユーチューブで東京マグニチュード8.0というアニメの勢いがハンパじゃねーwwww どうやらサモア地震の影響らしいww
>人工的で気持ち悪く感じるから。 グレゴリアンも十分すぎるほど人工的だと思うけど。 しかも最近は不自然なノンビブで歌うことが余計にそう思うわ。
抜けがあった・・w 不自然なノンビブで歌うことが多いので余計にそう思う。
469 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 10:11:47 ID:uK7B/yni
そう、音楽は出された音がすべて この歌詞が実はこうだとかは文章オタク的。 聖書解釈は楽曲に影響しない
>>469 都合の悪い質問から逃亡しているお前が言っても説得力ないw
>>465 実は器楽だけ聴いてろってレスしようかと思ってた
やっぱそうなんだな
器楽だけ聴いてろw
受難曲やカンタータの話題に口を挟むな
472 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 10:21:48 ID:uK7B/yni
相撲やってる人は神道の信者なのか?
>>472 受難曲は信者のみに演奏する資格があるっていつどこで誰が言った?あんたバカ?w
474 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 10:25:45 ID:uK7B/yni
↑???行き成り何故話に成ってるんだ??・
475 :
名無しの笛の踊り :2009/10/01(木) 10:27:54 ID:ntr7cD3Y
>>471 うん、40年ぐらいそうだから。死ぬまでかわんないと思う。
まあ、天才的な声楽家が現れれば別だろうが。
オレが聞いた少ない経験のなかでは、居なかったな。
寧ろ、コーランの詠唱やゴスペル、民謡、ジャズ、ロックに言い声があると感じる。
>>472 バッハを無理やり相撲に当てはめるなら、
普段は神主やってて奉納相撲で相撲をとってるかんじだな
大相撲とは関係ない
っていうかお前他人に便乗することしかできないんだなw
人は関係ないんじゃなかったのかよww
なによりまず
>>424 に答えろwww
ビブラートかかった歌声が嫌いなだけかw ビブラートを「人工的」とは、なんたる低レベルな偏見w
>>475 俺にとってはバッハ歌手ではプレガルディエンがベスト
F=ディースカウとかは上手いけど違うな
まあ無理なんだろうけど
479 :
名無しの笛の踊り :2009/10/01(木) 11:03:39 ID:ntr7cD3Y
>>478 ありがとう。聞いてみるよ。そういえば唯一いいと思った声楽があった。
ハッセのアルミニオー?、ペーター・シュライヤーだったと思う。
480 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 11:07:44 ID:uK7B/yni
手塚治虫はブッダと言う漫画を描いたが 彼は仏教徒なのか?
481 :
名無しの笛の踊り :2009/10/01(木) 11:12:21 ID:ntr7cD3Y
>>477 ビブラートもベルカントも、怨歌のコブシも、アイドルの鼻声も、
気持ち悪いよ。たぶん、形式で歌ってるからだと思う。
自然な感情の発露、あるいは敬虔な思いの詠唱と感じられないからだ。
まあ、趣味なんで、そんなにつっこまんといて、笑って聞き流して。
482 :
名無しの笛の踊り :2009/10/01(木) 11:16:53 ID:ntr7cD3Y
>>480 あれはよく資料を読み込んで結構、原典(梵蔵漢パ)に忠実だけれど、
近代的ヒューマニズムによる脚色があって、こっちが手塚さんの本意ではないかと思う。
だから、本質的に仏教徒だと思えない。
バッハのマタイがキリスト教と関係ないと言ってる人は、具体的に誰の演奏が好きなのか聴きたいな。 キリスト教の知識がまったくなく演奏して、そういう解釈な録音があるなら教えてください。
484 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 11:54:37 ID:uK7B/yni
だよなぁ仏教の漫画描いたからといって 信者ではないんだよなぁ。 あくまで素材なんだよねぇ漫画の。
>>484 作品の素材であることと、作品の理解にその知識が必要なのは別問題だとは、イエステノール派がずっと言ってた事ですが。
キリスト教を題材にした作品を書くことと、作曲家がキリスト教徒であることも全然違う話で、何が言いたいのかちょっとわからない。
>>447 作品理解の話をしてるのに、なぜバッハはキリスト教徒だったのかどうか話が変わってるのかが意味不明。
もう1回ちゃんと答えてください。
>バッハも神のために作曲したのかもしれないが、
>和声やフレーズ、すなわち楽曲の中身を見ないといけない。
その中身を見るのにキリスト教の知識が必要だと分からないかな。
>バッハの楽曲は生死や、それらに対する感謝の気持ち、自然への畏怖が表現されており、
>具体的なプロテスタントやカソリックとは関係しない。
いきなり断定せずにちゃんと証明してください。
487 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 12:33:26 ID:uK7B/yni
なぜバッハの音楽を聞くのにそこまでキリスト教の知識に拘るのか。 マタイ福音書の冒頭のイエスの家系の系図なんて 楽曲聴く上では関係ないでしょうに。
だから、なんでキリスト教の知識は必要ないと言えるのか説明してくれと言ってるんだけど
結構簡単じゃない? キリスト教を勉強していない、指揮科の音大生とかはマタイを演奏できるけど 音楽の勉強をしていない、キリスト教の方はマタイを全く演奏できない。 言いか悪いかは別として。 少なくとも管弦楽組曲やら、ブランデンブルグを演奏する時はいらないね。 ちゃんとした奏法を身につければ演奏できる。
なんで必要条件と十分条件を混合するの? キリスト教の勉強もせずにバッハのマタイを演奏したら普通は音大の教授が怒る。
そりゃ、ただ「きちんと音が出てるだけ」で満足ならここまでの流れは完全に意味がないな。 上でも聞いたけど、そういう人は誰の演奏が好きなの?
492 :
名無しの笛の踊り :2009/10/01(木) 13:33:08 ID:ntr7cD3Y
>>490 クラッシクの場合は、音楽と学問が制度的に一体化してるから、そう考えるんじゃない?
例えば、ブルースとかジャズを聴いたり、演奏するのに黒人の宗教に対する理解を求めるものはあまりいないよね。
インド音楽を学ぶ場合も、ヴェーダとかの理解は誰も求めてないような気がするが、違う?
>>490 お前が488で「必要ない」って言ってるじゃん。
494 :
名無しの笛の踊り :2009/10/01(木) 13:38:08 ID:ntr7cD3Y
>>491 オレは、器楽しか聴かないけどレオンハルト、ヴァルヒャ、ニコラエーワ、
ペトリ、リヒター、リンドベルク、カザルス、グールド、高橋悠治あたりが好きだな。
ここはリヒター・スレだから器楽でもいいんでしょw
>>494 あがっている名前の9割近くがクリスチャンである件
>>481 最近のグレゴリオ聖歌にみられる形式に拘った不自然なノンビブはスルーなのはなぜ?
それがどうしたの?
>>498 演奏するのにキリスト教の知識は必ずしも必要ないと言いながら
好きな演奏家の9割近くがクリスチャンというのは、非常に矛盾してると思う。
500 :
名無しの笛の踊り :2009/10/01(木) 14:03:53 ID:ntr7cD3Y
>>495 そりゃ、西洋音楽は、教会音楽だからね。そんなこと言ってもしょうがないと思うが。
>>496 もちろん、好きじゃないよ。つか、あんまり聞き込んでないんで分からないので、答えられない。
501 :
名無しの笛の踊り :2009/10/01(木) 14:05:03 ID:ntr7cD3Y
>>499 ああ、あんた頭悪いと自覚した方がいいと思うよ。
そう?無意識的にキリスト教への理解が必要と言うことを指し示しているように見えるけどな。
クリスチャンだから良い演奏が出来るとでも???
>>503 だから必要条件と十分条件を混同するなと
いいからキリスト教の知識無しにバッハのマタイ演奏してる人を教えてくださいよ
>>504 クリスチャンではいと良い演奏できないと書いてあるように見えるが?
こんなこと常識だろ。 キリスト教徒であれば良い演奏が出来る→偽 キリスト教徒でなくても良い演奏は出来る→真 キリスト教の知識があれば良い演奏が出来る→偽 キリスト教の知識がなくても良い演奏は出来る→偽 良い演奏をするにはキリスト教の知識も必要→真
508 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 15:48:11 ID:uK7B/yni
↑?
509 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 17:11:16 ID:uK7B/yni
哀れみたまえ 甘き十字架 わが頬の涙・・・ どれもマタイにカットするアリアなんぞない
集中砲火を浴びて討ち死にしたくせにまだそんなこといってるの?w
>>424 の質問にはやく答えろよ。
511 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 17:25:01 ID:uK7B/yni
まだアリアカットしてもよいなんて思ってるのかねw?
バッハの受難曲の楽曲としての重要度 レチタティーヴォ>コラール>>(越えられない壁)>>アリア
>>511 重要度は受難曲全体としては最低ランクなので
多少のカットは全然オッケー。
カットした古い演奏も全然嫌いじゃない。
515 :
地球外生命存在派 :2009/10/01(木) 17:42:43 ID:uK7B/yni
アリアを越えられない壁なんて言う人は バッハの音楽を愛してないね 同様にマタイも
>>515 レチタティーヴォの魅力がわからないバカに言われたくないよ。
しかもカットしている昔の演奏も全否定かよw
で
>>424 への返事はマダ?
517 :
名無しの笛の踊り :2009/10/01(木) 19:12:46 ID:V8Bh5qND
リヒターの演奏は『入魂』のひと言に尽きる。
>バッハも神のために作曲したのかもしれないが、 >和声やフレーズ、すなわち楽曲の中身を見ないといけない。 >その中身を見るのにキリスト教の知識が必要だと分からないかな。 トッカータやフーガはキリスト教の教会で弾かれただろうけど、 それは主に和声でしょ。ドミソにキリスト教の知識が必要だとは、 とても思えないよ。単に周波数の関係だけで決まる非宗教的な自然現象でしょ。 クラシック音楽は、人類の歴史上、 いつの時代も変わらずに聞く人の気持ちを動かした楽曲のことでしょ。 特定の時代の流行り廃りとは関係なく、地域文化関係なく存在し続けるもの。 どんなにキリストを描こうが、駄曲は駄曲。 キリストが描かれてようが、描かれていまいが、傑作は傑作。 上で誰かがクラシックの声楽に否定的な見解があったが、 バッハの声楽も、楽器。ヴァイオリンでありチェロであり、バス。歌謡曲とは違う。 歌詞の内容で聞く人に訴える音楽ではない。
>>518 和声や音の動きで「何を表現しようとしている」かは考えないのかな。
>バッハの声楽も、楽器。ヴァイオリンでありチェロであり、バス。歌謡曲とは違う。
>歌詞の内容で聞く人に訴える音楽ではない。
ちょっとわかりにくいからもう少し丁寧に説明よろしく。
バッハのカンタータが「音楽による説教」というのは納得してるの?
>>519 歌詞の内容完全無視で「音の響き」だけ聴いてろってことだと思うよ。
歌詞の内容と無関係に成立する歌なんて、クラシックである無しに関わらずありえないと
おれは思うけどね。
>>424 横からだが、話が繋がっていればいいならテキスト読んでおけば?
演奏聴く必要ないんじゃない?
したがってスレ違いの話になるよね。
>>504 誰が必要条件を決められる?そんなあやふやな基準で議論しても仕方ない。
自分がこれは必要だと思っても、基本の基本はもう少しだよと人に言われたら
キリがなくなる。
旧約聖書と新約聖書を読んだ。これが必要なのかどうか?
結局十分条件との兼ね合いになりはしないか。
しかも本気でキリスト教を信じている人はいないと思う。
だとすると知識としてのキリスト教だから境界線なんて決められない。
全てが真実でないのだから。
宗教的理念か?
なわけないよな。
>>522 だから
>>507 のとおり音楽的知識もキリスト教の知識も両方必要と言ってるんだけど。
>しかも本気でキリスト教を信じている人はいないと思う。
何の話がしたいの?
>>519 テレマン、スカルラッティのカンタータは音楽による説教ではないのかしら?
じゃあ別に大バッハに限らないわけで、 ルネサンス、バロック時代の宗教曲を聴くには…って事だよね?
>>521 何言ってんの?
>>419 でアリアをカットしたら繋がりが無くなるという前代未聞の発言があったから
それならそれがどこか挙げてみろってだけの話だろ?
>>526 なぜ時代をそう限定するかな?
別にラフマニノフやストラビンスキーのような現代曲であっても
宗教をテーマにした歌曲を十分に楽しむには、歌詞の意味内容の概観ぐらいは
きちんと学んでおくべきじゃないの?
>>523 漠然とキリスト教の知識といわれてもなぁ。
ぶっちゃけ、俺は聖書を読んだ。内容忘れた(5、6年前なので)。
ぶっちゃけ、ここでキリスト教に関係ないと言ってる人(イエステノール含む)だって
少しは読んだりはしていると思う。イエステノールが読んでいるかどうかは分からない。
だがイエステノールだって最低限キリスト教の知識はあったほうがいいと
思って何かの本は読んだかもしれない。
で、このスレでちょっと言葉遣いが極端になってしまったんだろうよ。
あんたらに反抗したくって。反抗期かもしれないよ。
その手の本を読んだがつまらなかったのかもしれない。
だから必要ないと高飛車に出たんだと思うよ、スレを盛り上げるためにw
というか、誰の何の曲でもちゃんと歌詞読んで意味も考えて聞けよ、と。
そういうこっちゃ その上で宗教曲にかぎらず、その曲のテキストを読むだけでは理解しきれないものも出てくるから そういう場合は他にもいろいろ調べる 当たり前だろ
532 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 02:19:19 ID:KNF2msi+
レチタティーヴォの魅力が分かったら アリアカットしても良いってなんだそりゃ・・
魅力じゃなくて重要性じゃないの
>>532 >>424 に答えない理由を教えろ
イエステノール説という名前をやめたのはイエステノール説を取り下げるからか?
535 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 02:33:00 ID:KNF2msi+
取り下げてないよ。 気分を変えてみただけ
ついでに
>>447 の奴も出てきて
>>455 に答えろよな
せっかく丁寧に答えてやったのに
どうせ
>>447 は翼をください君だろ?
言いたいことだけ長文で書き散らして、痛い所を突かれると逃げるw
YES低脳類と同じ人種だな
バッハの受難曲がカトリック用に書かれたとか一体どういう認識なんだww
チェンバロ協奏曲のオケの音いいね。 ビオラがクッキリネットリ聞こえておもろい。
539 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 03:17:27 ID:KNF2msi+
一体具体的にはどのアリアが要らないと思ってるの?
>>424 に答えないかぎりお前には質問する資格が無い
541 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 03:31:31 ID:KNF2msi+
だれがそんなこと決めたんだ?
他人の質問には言葉尻だけとらえて都合のいいように返事する 都合の悪い質問には答えないで無視を決め込む そんな人間の質問に誰がまともに答えると思うんだ?
例えば傑作のミサ曲なんて明らかに宗教のラインが全然違うだろ。 ある時は創価学会の信者になって、ある時は禅宗の信者。 当時なんて、今ほど宗教の幅が大きくないのに決まってるのに、 バッハってどんだけ節操ないんだよ。 それともロ短調はゴーストが書いたの? 相撲においても、横綱が最も神道の形式に則っている。横綱土俵入りは横綱だけ。 それでも朝青龍は神道信者ではなく、おそらくモンゴルの宗教や伝統文化を大切にしている。 そこでは、自分の宗教と異なる土俵入りを、信念を曲げてイヤイヤやってるわけではない。 バッハも、仕事のために自分の信仰に背いた風見鶏ではない。 音楽も相撲も、具体的な宗教から独立した存在だから、どこの信者であろうと第一人者になれる。 そういった大切なことが分からないと、マタイの楽曲は分からない。 マタイのテキストは、実際の楽曲とはずれている。当たり前。言語と古典音楽が一致するはずない。 伝統的に、この形式はこう演奏されたから、こうあるべき、というのはバッハの場合成立しない。 バッハ以前の宗教音楽では、伝統を守ることこそが大事であって、楽曲は下位の概念だが。 その種の研究は全くの無意味。音楽は相撲同様、常に第一人者がその革新を明らかにする。 音楽も相撲も、何百年前の宗教・儀式の再現ではなく現在進行形のものだから、昔の表現の方が価値が高いわけではない。 楽器も現代の優れた楽器を使うべき。今になって突然当時の楽器を掘り起こしてきたのはそういう「研究」の産物だろうが、 楽曲の意味を十分に理解してない。
朝青龍は明らかに厭々やってるだろw 客が見てなかったら絶っっ対サボってるわw ミサ曲が宗教のラインが違うってどういう意味? ミサが本来はカトリックのものだからって言いたいの? カトリックとプロテスタントの違いが創価と禅宗の違いと同じに見えるんだ、ふ〜ん バッハの宗教音楽が当時革新的なのは明らかだけど だから伝統より楽曲が上だという根拠はあるの?妄想じゃなくてソースが モダン楽器が古楽器より優れているというのは何を以て言ってるの? 古楽器の響きのほうが美しいと感じる人はゴマンといるわけだが 大きい音が出るとか、環境の変化に強いとかそういうこと?
>当時なんて、今ほど宗教の幅が大きくないのに決まってるのに、 >バッハってどんだけ節操ないんだよ。 ちなみにあの曲でカトリックのミサを執り行うのは実質不可能だよ。 あちこちにプロテスタント信徒向けの改変・加筆があるから。 それでもそんなこと言えるわけ? >そこでは、自分の宗教と異なる土俵入りを、信念を曲げてイヤイヤやってるわけではない。 嫌々やってるようにしか見えないな。 だから横審から「品格」って怒られるわけで。 毎日やっている勝ち名乗りでの「手刀」もかなりテキトーだよ。 一時期、利き手の左手でやって「品格が無い」って集中砲火を浴びたこともあるほどだ。
547 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 07:53:42 ID:KNF2msi+
べつに現代楽器つかっても良いと思うが ヴィオラ ダ ガンバなんかはどうするんですか? アリアざくっと一通り聞きなおしたがマタイにいらないアリアなんて ないなー、うん。 カットすると何より全曲マタイを知っていると味気が無くなる。
549 :
名無しの笛の踊り :2009/10/02(金) 08:02:17 ID:eAYunymu
音楽には様々な側面があるからなあ。 受難曲なんてのは感動するけど、ふとゲーテの人は偽物のほうが熱狂するというような言葉を思い出したりする。 ちなみに新約聖書学の泰斗であるブルトマンはその学問の結論が イエスはキリストではなくイエスとキリスト教は関係ないということになると あわててわたしの学問とわたしの信仰は関係がないと表明するはめになった。 そういや、キリスト、キリスト、汝この人の精力の永遠の盗人め!と書いた 詩人がいたけど、西洋音楽発展の背景もそんなことだったりする。 たとえそんな存在として宗教があったとしても、バッハの音楽は現在でも深く人の心に訴えかける。 音楽にはいろんな側面があるから、それを理解したほうが良いかもしれないけど それとは無関係に音の快楽として聞くことも許容すべきだとおもうけど。 わたしがバッハを聞くきっかけはたんなる音の快楽だけど それはバッハの芸術の完成度と多様性を示していると思っている。
550 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 08:10:05 ID:KNF2msi+
そもそもアリアカットなんてなぜカットしようと思うのだろうか? 昔は録音技術が無かったので長すぎると疲れるからカットも有り得た のかも知れないが、今の様に録音技術が発展した現代ではわざわざアリア カットするなんて無意味だろうな。もしそのアリアが退屈だと思うなら 飛ばせば良いだけだろうし。
552 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 08:33:58 ID:KNF2msi+
甘き十字架や哀れみたまえや耐え忍べ等のアリアがカット されるなんて自分にとってはマタイはとても詰らなくなる。 全曲演奏されてこそマタイ。今もう一度アリアの価値を見出されて 然るべき。
「甘き十字架」や「憐れみたまえ」なんて、楽曲の構成がバッハとは思えないくらい単純でつまらないし メロディーもおセンチで聴いているほうが恥しくなるぐらいだ。 あんな曲はバッハじゃなくても書けるだろ。 アリアなんて話の腰を折るだけだし、カットしていた演奏家が多かったのも おれはそれなりに納得が行くけどね。
554 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 10:24:59 ID:KNF2msi+
あんたバカぁ?
556 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 11:41:45 ID:KNF2msi+
ここの人達の多くが(全てではないが)バッハの音楽を愛していない事が分かった
マタイのレチタティーヴォにこそバッハの魅力が詰まっているのに
それがわからないお前に言われたくないよw
で
>>424 の返答はマダ?
558 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 11:58:01 ID:KNF2msi+
レチタテーヴォ厨の煩悩ですね・・・
559 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 12:01:27 ID:KNF2msi+
ところでバッハ実は前スレで敬虔なクリスチャンじゃなかった て書き込みが有ったけどその説は本当なの?
「イエスの死」を描写したレチタティーヴォに クライマックスを設定しているリヒターは レチタティーヴォ厨になるのか?w
561 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 12:10:15 ID:KNF2msi+
クライマックスは合唱なのでレチタテーヴォ厨ではないよリヒターは。
演奏の山は「まことに神の子だった」という台詞の前後であって コラールや合唱じゃないよ。何言ってるの?w
563 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 12:18:26 ID:KNF2msi+
神の子〜が山でしょ?
>>563 そこがレチタティーヴォじゃなかったら、なに?w
あんたバカ?w
565 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 12:20:52 ID:KNF2msi+
ん?神の子〜の部分は合唱でしょ?
合唱って・・・w レチタティーヴォの第63曲bだろ? あんた頭大丈夫?w
567 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 12:37:54 ID:KNF2msi+
いやだから マタイのクライマックスは本当にこの人は神の子であったでしょ? その前のレチタテーヴォがクライマックスなのかマタイの? レチタテーヴォが?
>>567 「神の子であった」という合唱部分も第63曲のレチタティーヴォ一部分であることがまず一つ。
その前後の独唱パートもクライマックスの一部に含めているよ。
つまり第63曲全体がクライマックスと見た方がいい。
あとレチタティーヴォの合唱部分だけ切り離しているのはなぜだ?
聖書朗読の部分は群衆の台詞も含めて全部「レチタティーヴォ」だぞ?
とりあえずイエステノールはアリアしか聴いてなくて ブックレットに書かれているレベルの曲順や大まかな構造も 把握できてないことがよくわかった。
>>559 現代人の基準から見れば、信仰熱心。
当時の教養人の基準から見れば、
傍若無人な振る舞いから教会当局からは睨まれてた。
571 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 13:22:38 ID:KNF2msi+
>>570 ありがと。
合唱がレチタテーヴォに入るのか?
572 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 13:23:42 ID:KNF2msi+
>>569 あなたはバッハの音楽を愛してないけどねww
>>571 ブックレットを百回くらい読み直せ。
バッハの音楽を愛してない?アリアはレチタティーヴォと比べて
レベル低いって言ってるだけなんだが?
63bは聖書のテキストだからイエステノール派の分類の仕方でいう アリア、コラール、レチタティーヴォでいえばレチタティーヴォだね ていうかレチタテーヴォって書くのいい加減やめてくんないかなw
今更だが、受難曲は聖書章句、自由詩、コラールの三つに分けて認識すべき。
576 :
名無しの笛の踊り :2009/10/02(金) 14:08:53 ID:QUz+NRcT
>>569 >ブックレットに書かれているレベルの曲順や大まかな構造も
>把握できてないことがよくわかった。
こういうことが音楽に対してさして重要に思えないんだが
577 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 14:20:59 ID:KNF2msi+
マタイのコンサートは一回だけ行ったことがあるが アリアはカットしなくても良いと思ったな。
まだ見えない敵と戦ってんのかお前はw 誰がアリアカットした演奏を推奨してるんだ?
>アリアはカットしなくても良いと思ったな。 それを誰かに否定されたの?結局何が言いたいの?
580 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 14:27:35 ID:KNF2msi+
んなことじゃなくアリアを全カットしても良いからとか 言うからでしょうが
アリアを全カットしても良いなんて書いてるのはお前だけ
アリアを全カットしても話は通るとみ〜んな言ってんの
だから
>>424 に答えろよってみ〜んなが言うの
だから何を主張したいのかわからないよ
>>582 アリア最高!聖書朗読退屈!コラール超イラネ!
ってことをずっと主張してる。
で、超重要なアリアのカットや改編が許されるなら
イエスをテノールに転調して歌わせてもオッケーだろ?って言いたいわけ。
584 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 15:22:44 ID:KNF2msi+
↑勝手に俺のいってること変えて説明しんといてくれる?
93 イエステノール派 New! 2009/09/28(月) 03:15:24 ID:QToEDFZQ 音楽的にはアリアのほうが圧倒的に重要だろ むしろコラールがいらない 353 イエステノール派 New! 2009/09/30(水) 12:46:46 ID:35/hKW1M レチタティーヴォがマタイのメインではない メインと一緒に食べれば美味しいサイドメニュー♪ だが主食ではない 182 イエステノール派 New! 2009/09/29(火) 01:55:03 ID:uA0QIAek 音楽面ではレチタテーヴォよりアリアの方が重要だよ。 上にも書いた通りに長い長い受難曲の中の最も美味しいところ。 アリアカットは駄目だがイエスの声をバスからテノールに変更する事は許されるだろう。 メンデルスゾーンも変えたらしいんだからな、アルトからソプラノへ。
以上により583は正しい。
587 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 15:42:14 ID:KNF2msi+
煩悩ですね・・・
煩悩だな 聖句より自由詩のアリアが大事ってのは
589 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 16:49:54 ID:KNF2msi+
あなたクリスチャン?
俺はエイリアン派と意見がちがう。 アリアも無くちゃいけないがコラールも無くちゃいけない。 重要かどうかレベルが低いかどうか、なんて議論はそれこそあまり重要ではないと思う。 煩悩まさにそれをバッハは描きたかったのである。
591 :
名無しの笛の踊り :2009/10/02(金) 17:30:07 ID:ce4PUmKH
全部大事だけども聴衆の体力=集中力も大事だと考えた指揮者がいたとしても訝るには及ばない。
賛美歌は非常に重要だ。 「ビックカメラ」も「たんたんたぬき」もテキストを熟読せねばならぬ。
あのミサ曲ってプロテスタントなの? 全く意味が分からないよ。 それとも、あのミサ曲は違う宗派だから、わざといい加減に書いたものってこと? いくら天才とはいえ、俺にはバッハが精魂こめて妥協なく書いた大傑作にしか見えないよ。
>あのミサ曲ってプロテスタントなの? 歌詞や楽曲構成の一部がプロテスタント向けに改変されている。 あれをそのままカトリックの礼拝では使えないし、 古今東西あれを実際のミサに使用した教会は無い。 歌詞の改編についてはWikiにも載っているよ。
追記 >わざといい加減に書いたものってこと? いい加減に書いたというより、熱心なプロテスタント信者としてのプライドのようなものじゃないかな? 「これだけは絶対ゆずれないんだよ」という。
596 :
地球外生命存在派 :2009/10/02(金) 21:08:14 ID:KNF2msi+
まぁそういうカトリックの礼拝に使えないとか プロテスタント向けとかはバッハの音楽性にはまったく関係しないからね。 別にそういう知識学ぶなとかいってるわけじゃないけど
>>596 そもそもバッハがプロテスタントの教会の音楽家だった前提を忘れてるから変な話になるんじゃないの?
教会の仕事を取られそうになったのでそいつを追い出したんだよな。
ってことは、結局ロ短調ミサはプロテスタント、かつカソリックってこと? テキストが混じってるのか。で、そのテキストが改変された前と後で 音楽はどう変わるの?俺にはあの傑作音楽は全く何も変わらないとしか 考えられないけど。例えば、テンポが変わるの? オウムのオーケストラだって、別にオウムの宗教性を持ってるわけじゃないぞ。 ナポレオンに曲を献呈したからってナポレオンと楽曲は何の関係もない。
オウムのオーケストラって何?
>テキストが混じってるのか。 混じっているのはテキストだけでなくて楽曲構成も。 実際にミサをを執り行おうとするとずっこけてしまうくらいカトリックからすれば変な箇所がいくつかある。 細かいので説明はよすけど。
あ、オウム真理教か。鸚鵡の宗教性って何だと考えてしまったw
宗教側の都合は、楽曲構成とは関係ない。 そういうのは楽曲構成とは言わない。音楽性ではない。 ソナタ形式のような形式が楽曲構成であって、 音楽性と直結する。これは宗教性とは全く関連しない。 ミサ曲もおそらく、カトリックに反旗を翻したのではなく、 ましてやプロテスタントにおもねったのではなく、 楽曲の様式で決まってること。カンタータしかり。
>ソナタ形式のような形式が楽曲構成であって、 >音楽性と直結する。これは宗教性とは全く関連しない。 そんなわけないだろ。 宗教曲には一定の様式が存在しており それが楽曲構成に大きく関係するものだろ。 たとえばマタイやヨハネの受難曲も「受難曲」という宗教曲としての様式に 完全に一致する。 この様式から外れたら、意味のわからないオペラモドキにしかならないだろw
まぁカトリックの宗教音楽でドイツ語のカンタータなんてそもそも考えられないけどね
あれだけの傑作・大作なのに、意地悪してミサで使えないようにしたっとこと? そんな小学生みたいな考えの訳ないだろ。何を言ってるのかサッパリだよ。 マタイもミサも一つの楽曲であって、バッハレベルの作曲家が、宗教に左右されて楽曲を曲げることはありえない。 あくまでインスピレーションを得ただけであり、田園交響曲を聴くのにドイツの田園を調べる必要はない。 バッハはプロテスタントだから、マタイはOK、ミサは本気出さなかった駄曲なんてこともありえない。
誰がいつどこでそんなこと言ったんだ?馬鹿なの?
611 :
地球外生命存在派 :2009/10/03(土) 10:50:17 ID:18Xo4wjX
まぁミサで実際に使えないとか たいした問題じゃないから良いじゃない、バッハの音楽の本質とは関係しない。 大事なのはどう演奏するか又は楽曲そのものへの研究が 大切じゃない。
どう演奏するかという研究にはテクストの読み込みが不可欠
614 :
地球外生命存在派 :2009/10/03(土) 11:08:43 ID:18Xo4wjX
↑どうして?
むしろカンタータや受難曲が純プロテスタントのための音楽なのに対して、 ロ短調ミサ曲がそうでないことに意味があるんだけどね。 全部の作品を「楽曲」(何を意味してこう呼んでるのかわからんが)と見るから そこが理解できないんじゃない?
ミサ曲も大傑作だが、マタイはそれをさらに凌ぐ大傑作だろ。 プロテスタントの枠内のわけないじゃん。 マタイなどの受難曲なんて腐るほど作曲されたんだろ。 それこそPOPSのように量産されたといってもいいほどなんだろう。 他の受難曲は忘れられ、バッハの受難曲は演奏され続ける。 その引き算の答え、要素がクラシックたる所以なわけよ。 ミサ曲だから傑作、受難曲だから傑作というわけではない。
>>616 最初から最後まで思いこみに思えるので内容を一つずつ証明お願いします。
そもそも大傑作だからプロテスタントの枠内なわけない、というのが意味不明ですごい偏見。 なんでプロテスタントの枠内で大傑作書いちゃいけないのか説明お願いします。
619 :
名無しの笛の踊り :2009/10/03(土) 14:58:30 ID:18Xo4wjX
ここって何か書いたら直ぐ説明してばっかだね
>>619 理解しようとしてたんだけど、もしかしてスルーして欲しかったの?
622 :
名無しの笛の踊り :2009/10/03(土) 15:26:52 ID:18Xo4wjX
616のどこが思い込みなんだか・・
最後の行についてなら同意できるというか、当然というか。 この人、部分的には同意できても論理がワープするからいつも納得できないんだよな マタイ受難曲を、歌詞等の意味を排除した“音楽”として価値を見出して人がいるなら それはそれでいいと思うが、同曲が受難オラトリオの傑作であり、 キリスト教音楽の傑作であり、声楽曲の傑作でもあること、 それらに心動かされる経験をした人は“音楽”的に捉えるなんてもったいなくて考えにくいことを、 頭の隅にでも置いて頂きたい。 とりあえずシュッツのマタイ受難曲を聴いてほしいな。 退屈でお経にしか聴こえないと思うかもしれないが、その曲が評価できる聴き方もあるのです。
バッハのロ短調ミサやマタイ受難曲が宗教を超えた作品と言いたいのは構わないけど、 これは宗教を超えた作品だからキリスト教とかプロテスタントとか関係ない、とか言うのは馬鹿というか、自分の好きなように言い換える卑怯者。
625 :
地球外生命存在派 :2009/10/03(土) 21:03:30 ID:18Xo4wjX
煩悩ですね・・・
626 :
地球外生命存在派 :2009/10/03(土) 22:01:15 ID:18Xo4wjX
アリア最高だー
地球外生命体と翼をくださいが一番イケナイのは、”音楽”が全て、”音楽性”が大切と言いながら、 肝心の音楽の素晴らしさについて、ちっとも具体的な説明をしないところ。 音楽性について具体的に語るには、アーティキュレーションやデュナーミク、アゴーギグについて触れなければならず、 そのためにはテクストの読み込みと解釈が必須だから、語りたくても語れないのが事実。 まったく呆れ果てた連中だよ。
628 :
地球外生命存在派 :2009/10/03(土) 22:24:31 ID:18Xo4wjX
テクストの「解釈」が必須だって???
テクストに基づいて作曲してるんだから当然だろ 叩く、という単語だからスタッカートだとかさ
>>628 そのとおり。
君の好きなアリアを例にとろうか?
例えば、35曲目のテノールアリア(Geduld)や、第39曲アルトのアリア(Erbarme dcih)を聴くと、
テクストを大事にしている人には、茨の冠を被せられ血に塗れたイエスの御顔が浮かんできて
痛切なやるせない感情が湧き起こる。
これは何故だかわかる?
どうやら、やっぱり個人の宗教とは関係ないことは明確になったようだね。 つまり、演奏家も聴衆も信者である必要はないということ。 では、作品に宗教性とその理解は必要か? この場合には、テキストから得られる宗教性ということになる。 テキストや劇、文学等は、これらを習得することで個人の思想的傾向を形成する。 人間が生み出した倫理や政治思想を表現したものである。特定の文化を形成する。 キリスト教であり、プロテスタントであり、カソリック。 これらに触れることで、聞かれる音楽はどう変化するであろうか。 何かしら、テキストから得られる具体的な倫理観や宗教があったとして、 それが音楽を受け取る際にどう変化するか。 例えば、あるフレーズで明→暗の和声進行があったとする。 テキストはこの通りに進行するであろうか。まずしない。 では、テキストから得られる心的要素があったとして、これが音楽を変化させるか? →させる可能性がある。音楽劇、オペラにおいてこれは当てはまる。 ただしこの場合、登場人物のキャラを知ってないといけない。 音楽劇は劇が本体であり、音楽は効果音である。 劇の内容があって、この内容を伝わりやすくするために音楽がある。 サスペンスで使われる例の効果音と同じ。 あの効果音を聞くために、土曜ワイド劇場を見てるわけではない。 バッハのマタイは音楽劇か否かという一点につきる。 音楽劇ならば、キリスト教は大いに関係し、文脈の理解が必須となる。 再現性の観点から、おそらく否定される。劇の古典は一度しか見る必要はない。 劇の演出・解釈を見ることはあっても、同じ劇は見ない。 思想哲学は頭だけのものだから、頭の中だけで完結できるから。 音楽は頭の中だけでは完結されない。感動には必ず音が必要。繰り返し聞かれる。
>>631 作品に宗教性が必要かどうかは知らないが、文章には論理性が必要なことは間違いない。
頑張って長文書いたけど、残念ながら意味不明。
マタイは音楽劇でなくてオラトリオなんですが。
>>623 ほぼ同意だが、だいたいのところは感覚的に分かっている人が大半だろう。
バッハの出自がプロテスタントの地域であったこと。
受難曲はオラトリオであること。
カンタータも敬虔な心持ちで聴ける、特にリヒターのは素晴らしい。
ロ短調ミサ曲は馴染めない、何となく大仰だから。そこがプロテスタント
とそぐわない因子だな。
バッハの器楽曲を聴くのにキリスト教理解や信仰心はいりますか? ブランデンブルクやゴルトベルク、シャコンヌにも プロテスタントの精神が入っているのでしょうか。
637 :
地球外生命存在派 :2009/10/03(土) 23:50:35 ID:18Xo4wjX
マタイを演奏又は聞くのに信仰心が必要なんだねww
>>636 「理解」はあるに越したことはないでしょう。
器楽曲とはいえ、聖書のテクストを下敷きにした音形や声楽曲の引用が頻出します。
ただし、必須とは思いません。
「信仰心」は、個人的意見ですが、不要でしょう。
個人的には指揮者は信仰心があった方が望ましいと思う
>>637 もともとルター派のために作曲されているからね。
日本の第一人者の鈴木兄弟もクリスチャンだったよな。
>>639 「信仰心」の中身にもよるでしょうね。
バッハと全く同じ信条を持つのは不可能だし、プロテスタントと一口に言っても信仰内容は千差万別だからね。
例えば、バッハの『マタイ受難曲』において、ユダは救われたのか否か?
これは、プロテスタントの指揮者同士であっても、解釈の分かれるところでしょう。
自分は信仰心は無いから、信仰心があってかつ音楽がわかる人には 感動という面では絶対に敵わないのだろうな、と思う
>>643 そんなことはないと思います。
感動の内容は少し異なるかもしれないけど、感動の大きさは「キリスト教の信仰心」とは関係ないと思いますよ。
むしろ、同じキリスト教徒であっても特定の宗派の信仰にガチガチに固まっていると、
演奏も選ぶだろうし、感動の幅が著しく狭くなることがあると思います。
というか、感動の大きさを比べる意味がないと思う
>感動の内容は少し異なるかもしれないけど その「少し」が実は「かなり大きな」差だったりするんだよな。 >特定の宗派の信仰にガチガチに固まっていると 信仰者に対して持つ、いかにもありがちな偏見だな。
第11曲を聴いてみてください。
弟子の裏切りを予言するイエスに、ユダが「ラビ、私でしょうか?」と尋ねるところ。
そして、イエスの「おまえがそういう(のか)」という返答。
ここは、ユダが救われるのかどうかの伏線となる部分です。
ここをどう扱うか、バッハが書いた第二バイオリンの倚音をどう解釈するのか、解決音の扱いは?
この部分の解釈は指揮者の信仰内容にある程度依存するかもしれません。
例えば、
>>641 で名前の出ている演奏家はユダの救済は絶対に有り得ないという立場。
そのような信仰を持っている人にとっては、ユダでさえ救いの可能性があるとする解釈の演奏は
おそらく受け入れ難いでしょう。
>>647 そのへんは広い意味での「演奏の相違」で済む問題じゃないの?
バッハ自身がユダをどう思っていたかなんて、誰にもわからないんだから。
それにつけても、「テクスト解釈不要論」の地球外生命体氏とギブミー翼氏は、 この第11曲をどのように演奏するのか? ぜひ、「音楽的な」解釈を聞かせて欲しいものです。
>>649 ほとんどの人にとってはそうでしょう。
特定の宗派的信仰に凝り固まっているとどんなに優れたものでも受け入れられなくなってしまうのは、
「テクスト不要教」に凝り固まった地球外生命体氏とギブミー翼氏の例で明らかなのでは?
鈴木さんの言葉だけど 「演奏する側としては確信がないと演奏できない」って バッハ自身がどう思ってたかわからない、では演奏できないんじゃないかな 残された資料の中から確信を得ないと 残された資料があまりに少ない場合は、類似した状況から推測して こうに違いない、というレベルまでいく、という態度 今日BCJのコンサート行ってきたけど、スタッカート一つにまで 「これはバッハ本人によるスタッカートか、CPEによる加筆か」 というところまで突き詰めていて(実際に調べたのは小林さんだけど)、 誰が読んでも納得できるものだった
>>652 まあ、演奏する側はそうだろうね。
ただ結局のところは「わからない」わけで、
そこに色んな解釈が入ってきて、バッハの演奏を豊かにするわけで。
BCJには「日本代表」として、これからもがんばってもらいたいね。
そういえばリヒターは11曲をどう処理してたかな?
見た目と音の問題だけど、コープマンより鈴木のほうが信仰心がありそう。 そういう観点で判断した場合、日本人にとってリヒターは信仰心プラスアルファ を齎してくれる。 他の指揮者はプラスアルファがほとんど無い。
>>652 そもそも「楽譜から完璧に作曲家の意図を再現する」ことだって究極的には不可能な作業なわけで。
わからないからこそ、演奏する立場の人は作曲家の背景から洗い直して確信を得たい
俺は基本的にキリスト教はまったく信じてないからリヒター聞いても信仰心はまったくもたらされないなぁ。 一度ヨハネ受難曲を合唱で歌った時に最後のコラールで素直に神を賛美する気持ちになれたくらいだ。
「信仰心」なんて大雑把な言葉で演奏や聴き方を語るのはトンチンカンだと思うけどね。 『聖書』に自由詩継ぎ足して、装飾音や和音加えて演奏するなんてサタンの所業だ、なんて 言い出しそうな「プロテスタント」の宗派だっていくつもあるぜ。
>>657 あ、やっぱそうなんだ
ヨハネにマタイ引用するとか、え、それやっちゃう?
って俺でも思ったもん
>>657 そんな極端な狂信者を例に普通出すか?
そもそもそんな極端な狂信者はバッハを聴いたりはしないと思うよ。
>素直に神を賛美する気持ちになれたくらいだ そう思えるということは、それなりに「信仰心」がもたらされている証拠だと逆に思うけどな。
>>660 いや、だからリヒター聞いてもなんともなかったという話
>>661 それってリヒターはロマンチックすぎると言いたいの?
いいんだよそれで。
信仰心とは別の作用で我々は感動するのだ。
とうとう誘導尋問に引っかかったね、二十面相!
>>659 いや、決して極端でも狂信者でもないんだけどね。
社会生活においては温和で常識的、学歴も教養もあり異教徒にも原則的に寛容。
だけど、バッハの音楽を批判的に考える人はいくらでもいるよ。
「20世紀最大のプロテスタントの神学者」なんていう人もいたりするカール・バルトもその一人。
彼はその著書『教会教義学』でバッハのマタイ受難曲を痛烈に批判した。
音楽的には偉大な作品と認めつつ、彼のキリスト教への「信仰心」故に、「感動」することはできなかった。
>>662 ちょっと何言ってるのか分からないけど、「俺はリヒター聞いても信仰心はもたらされなかった」というだけで、
個人的にはロマンチックだから信仰心がもたらされないとも思わないけど。
で、何が言いたいの?
>>663 なんかクリスチャンに対して、ずいぶんと色んな偏見があるみたいね。
温和で常識的な人は「サタンの所業」なんて言葉をやたらに使ったりしないよ。
リヒター聴いてキリスト信者にはならなかったが バッハ信者になりました
>>665 失礼。
バルトはもちろんそんな言葉使ってないですね。
クリスチャンに特別な偏見はないよ。
言いたいことはその逆で、「感動」は「信仰心」の有無とは関係ないということ。
>>「感動」は「信仰心」の有無とは関係ないということ これは不正確な上に言いすぎですね。 下のように訂正します。 「信仰心」は感動を促進する面も阻害する面もある。 つまり両刃の剣だから、「信仰心のある人は云々」というくくり方は大雑把すぎると思いますよ、ということ。
ストーリー → (音楽) → 心的反応 なのが音楽劇。 これは、実際には音楽に感動してるわけではない。 ストーリーから得られる心的反応を増幅させるために音楽はある。 そのためには、音楽の解釈ではなく、ストーリーの解釈が重要。「作者の意図」が決定的に重要。 オペラなどの場合、声は台詞であって、その登場人物のキャラや背景理解が必須となる。 そのキャラを音で表現するのが目的であり、器楽的要素はない。 ただ、この種の芸術は、テキストの本質を曲げる可能性がある。 作者の意図を捻じ曲げる可能性があるため、音楽を使った表現は好ましいとは言えない。 テキストのみの文学が王道のはず。 音楽 → 心的反応 バッハの宗教曲の本質はコレ。 フーガなど多声和声の完成により、後に続く音楽、 特にベートーヴェンや他のジャンルの音楽に決定的な影響を与えた。 そこでの人声は、具体的テキストの内容を表現してるわけではない。 人の声は、最も優れた楽器として使われた。 当然、ミサ曲もマタイも一つの楽曲であり、音楽の解釈は「作者の意図」 ではなく、楽曲の内容で判断されるべき。 マタイの音楽がプロテスタント、ミサ曲がカソリックを表現してるわけではない。 文献を調べて演奏法を決めるのではなく、音楽全体を見て決める。 リヒターの場合おそらくそうやったから、一貫した音楽が可能となった。
やっぱりこの人の言うことは理解できないなあ・・・。 教会に集まって聖書朗読してコラールを歌うだけで感動できたと思うよ それにさらにバッハ先生の素晴らしい音楽がつけられたから それが大感動になったとしか俺には思えない オペラのほうがよっぽど単純にアリアや重唱の、また歌手の声そのものの魅力で 感動するものだというのが俺の認識
ロマン派のオペラでは、歌手の声そのものが音楽を形作る。 特にソプラノ・テノール。この歌手の魅力で演奏は8割方決まる。 アリアが重要なのであって、あとは合いの手を入れる。 まあ、はっきり言って合唱は何でもいい。 歌としての音楽を表現している。 バッハの楽曲は、合唱が重要。 多声であり、ソプラノは必要だがバスはどうでいい、ということはない。各パートの縦横が非常に重要。 優れた声のソプラノとテノールを持ってきても、優れた演奏にはならない。 逆に一つのパートがバランス悪く突出すると、合唱のクライマックスは台無しになる。 合唱自体の中身が最も重要。少人数で一人でも前に出るような声だとこれもダメ。 リヒターのような演奏にならなくなってしまう。
>>672 >特にソプラノ・テノール。この歌手の魅力で演奏は8割方決まる。
そりゃ違う。おまえ、イタオペの有名どころしか知らないんじゃないの?
ワーグナーあたりのドイツオペラではバス・バリトンには重要な役がついていることは少なくないぞ。
>アリアが重要なのであって、あとは合いの手を入れる。
これもまた違う。これに該当するのはオペラではなく、オペレッタのみ。
>まあ、はっきり言って合唱は何でもいい。
ヴェルディのオペラを聴いて、まだそんなことが言えるならある意味立派。
相当な糞耳だ。
>>670 禿同
オペラのストーリーなんて、昼メロや2時間物のサスペンスなんかと
あまり変わらないつまらないのが多い。
観にいっている人もストーリーそっちのけで音楽を聴きに行っているようなのが多いね。
675 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 10:25:36 ID:/Zfnsumf
起きたらスゲー伸びてるなぁww
モツオペラ ⇔ ドイツオペラ ⇔ イタリアオペラ ⇔ オペレッタ ⇔ ミュージカル 左ほど器楽的であって、右に行くほど歌寄りになる。 バッハの宗教曲は交響曲・器楽曲(ソナタ)と同じ範疇であって、 オルガン曲も同様。楽曲の解釈、スコアだけから音楽が決まる。 ちなみに、バッハのオルガン曲もプロテスタントなの?
>バッハのオルガン曲もプロテスタントなの? もちろんだ。元々、教会のオルガンで演奏する曲ばかりだし。 少なくともコラールについては元ネタの賛美歌を知っておくべきだろ? 元ネタ無視で勝手なアーティキュレーションなどができるわけないだろうが。
678 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 11:06:11 ID:/Zfnsumf
聞く側も賛美歌を知っとく必要が有るの?
680 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 11:17:24 ID:/Zfnsumf
オルガン曲もキリスト教が関係するとか・・ 宗教に囚われすぎだろ・・
お寺で鳴らす木魚は仏教と関係ないとでも? バッハのオルガン曲も似たようなものなんだけど。
>>672 >まあ、はっきり言って合唱は何でもいい。
オペラをあんまり聞かない俺でもこれは間違ってると思うんだが。ちゃんと証明してくれよ。
>>680 礼拝の中で弾かれるオルガン曲が礼拝と関係ない理由を言ってくれ。
683 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 11:49:16 ID:/Zfnsumf
音楽性とは無関係でしょオルガン曲は
685 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 11:50:28 ID:/Zfnsumf
音楽性とは無関係でしょオルガン曲は
686 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 11:59:36 ID:/Zfnsumf
元ネタの賛美歌を知っていたからといって楽曲には 直接影響はないだろう。
>楽曲には直接影響はないだろう。 大いに関係ある。極端な例で言えば 「うれしい」って内容の歌詞の賛美歌が元ネタなのに ゆったりと悲しげに演奏したら、悪質なギャグにしかならない。
トルコ行進曲やトルコ風序曲はトルコの文化知らないとダメなの? ハンガリー狂詩曲はハンガリーの文化知らないとダメなの? ショパンの曲もポーランドの・・・ そんな中、アルゲリッチやポリーニが上手く弾けるのはなぜなんだろう。 超一流の演奏家がそんな馬鹿げたことしてるとはとても思えないよ。 フレーズ引用してたら、そいつの周辺調べないといけないのかよ。 もし、バッハと同じ和声進行使ってたら、その曲はプロテスタントなのかよ。 そんなわけない。 楽曲と演奏が分離したのがクラシック音楽だろうに。 POPSの歌手と違って、作曲家が一番上手い演奏をするとは限らないんだよ。 スコアから解釈する以外ありえない。「悲しい」は楽曲の前後関係で決まる。 バッハやベートーベンの場合、遠い所も全部関係してくるから、 テキストの入り込む余地なんて全然ないぞ。
>トルコ行進曲やトルコ風序曲はトルコの文化知らないとダメなの? 少なくともプロの演奏家は元ネタの「行進曲」をちゃんと勉強しているよ。 >ショパンの曲もポーランドの・・・ これも当たり前。ショパンのマズルカを弾くのに「マズルカのリズムや旋法」をまるで知らなかったら わけのわからない演奏になるよ。 ポリーニやアルゲリッチ?背景情報を頭に入れているからに決まってるだろ。 「楽譜」だけで全部がわかるなんて、聴き専な人にありがちな幻想だよ。 そんなのはありえない。 >超一流の演奏家がそんな馬鹿げたことしてるとはとても思えないよ。 そういうのをきちんと学んだ上で、多くの人が納得する音を作れるから 超一流なんだよ。小学生のピアノ発表会と、プロの演奏は違うぞ。
690 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 12:23:59 ID:/Zfnsumf
中華料理作るときに中国の文化を学ぶ必要が有るの? イタリア料理を作る時にイタリア文化を学ぶ必要が有るの? 日本料理を作る時に日本の文化を学ぶ必要が有るの?
>「悲しい」は楽曲の前後関係で決まる。
これ具体的にどういうこと?
>>690 俺はあると思うというか、自然に学ぶものだろ。
>中華料理作るときに中国の文化を学ぶ必要が有るの? >イタリア料理を作る時にイタリア文化を学ぶ必要が有るの? もちろん必要だよ! プロを養成する料理学校では、各国料理に学科が分かれて 中華料理やる人は中国語の習得から、コツコツ勉強してるぞ。 日本料理でも「お品書き」のお作法を知らなかったら、 高級料亭で働くなんて絶対無理だ。
693 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 12:28:35 ID:/Zfnsumf
中国語と料理が関係有る訳?
>中国語と料理が関係有る訳? 関係ある。料理名も正確に理解できなくてどうやって作るんだ? 中華料理は包丁一本でまかなうことが多いが、 これにも深い文化的な背景がある。それもプロ目指す人はちゃんと勉強してる。
695 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 12:37:57 ID:/Zfnsumf
其れは中国語では無くて只の名詞じゃないの? 言語自体に料理の出来は関わって来るかって事。
>其れは中国語では無くて只の名詞じゃないの? 中華料理の場合、料理の名前がほとんどレシピなんだよ。 だから中国語と中国の文化に詳しい人は、料理の名前を聞いただけで おおざっぱな作り方をイメージできる。
音楽の話をしたいのか料理の話をしたいのか
料理名からレシピというのは、和食もそういえばそうだなw 料理名を「ただの名詞」なんて、何も解ってない証拠。
699 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 12:48:32 ID:/Zfnsumf
翻訳されてるから言語は関係無いでしょ? 中国語の文法が料理の出来栄えに関わるのか? 逆に中国人やイタリア人が日本料理学ぶときに日本語の 文法が料理の出来栄えに関わるのか?
700 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 12:49:37 ID:/Zfnsumf
てかもう700
>翻訳されてるから言語は関係無いでしょ? 「回鍋肉」って翻訳されてるの?おれは見たこと無いなw 翻訳されているにしても、他の先生の解釈である 「翻訳」に頼っている内はプロとは言わないねw それはバッハの歌詞などにしても同じ。 「翻訳」に頼っている内は一流の演奏家とは言わない。
702 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 13:10:27 ID:/Zfnsumf
料理を知るだけなら 中国学ばなくても良いじゃん。 なぜ中国語を学ばなければいけない訳? どうして料理の出来栄えに関係するの?
>>702 言ってることがゆとりすぐるw
背景知識一切ナシで料理も音楽もいいものが作れるわけ無いだろw
>>702 ファストフードしか喰ったことないだろ?
日本文化を全く知らないヤツが作った懐石料理を喰いたいか?
日本独自の徹底した衛生観念と鮮魚の取り扱い方を知らないヤツが握った鮨を喰いたいか?
705 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 13:40:07 ID:/Zfnsumf
衛生観念と料理の出来栄えの話は別だ。
>>705 ファストフードしか食べてないゆとりクン乙w
707 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 13:42:38 ID:/Zfnsumf
ごめん やっぱり705は取り消します。無かったことに
708 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 13:43:25 ID:/Zfnsumf
>>707 ゆとりと言う言葉しか出てこないんだね^^
709 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 13:44:54 ID:/Zfnsumf
このまま料理の話続けるの?
711 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 14:06:09 ID:/Zfnsumf
料理の話は比喩だから続ける
思うに、ID:ciAJs+vhはある程度年配だな。 今はカトリックって表記が普通になっている。
おまいらエイリアンの術中にはまりすぎw ここはリヒスレだろ。 私見だが音楽における宗教の絶対視は一面的過ぎるかなと思う。 俺の浅い知識だが、中世で教会に厳格に管理されていた聖歌が 多声宗教曲として次第に変容し、やがて通人らによって 恋の歌詞を添えられるまでに至った歴史を顧みたりすると、 本当に当時の人は主よ罪深き私に憐れみをなんて思ってたのかな とそんな部分から疑問を抱いてしまう。 技巧を尽くす中に課題曲としての宗教テクストがあったのではないか。 現代でも無宗教のオタクが初音ミクでバッハやったりしてるしな。 あまり歌詞とか背景に拘泥し過ぎると根本的な感動を見失う気がする。 ただ、エイリアンに言いたいのは、君の論法で行くと、 無知でもすばらしい再現ができるみたいにとれるけど、これは違う。 グールドやブーレーズのように伝統を破壊した演奏家の凄さは 背景や過去の演奏家を全て吸収した上で楽譜第一にデフォルメしたこと。 聴き手もここを理解しておかないと演奏の価値が半減する。 別に楽しければ良いと言う観点なら構わないけどね。 このスレはミュンヒンガーで良いと言う人、ガーディナー最高の人、 いやパロットまでいかにゃダメな人が混在していて荒れるのかな。
>>713 だから宗教の絶対視とかいう問題でなくて、作曲家がそのテクストを音楽でどう表現しようとしてたかが重要なんだと思うんだが
715 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 14:41:23 ID:/Zfnsumf
バッハが実は敬虔なクリスチャンじゃなかったって説もあるらしいね。 詳しくは知らないけどさ。前スレに書いてあった。 本当ならどうなるんだろうね。
>バッハが実は敬虔なクリスチャンじゃなかったって説もあるらしいね 当時の視点からすれば敬虔ではない。 教会の公式見解を無視して、ときどきエキセントリックな行動をとることがあったから。 しかし、今の視点からすればかなり敬虔な人だ。 息子が日記で「お父さんは、毎日神様の話ばかりする」という愚痴を書き残しているほど。
717 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 14:59:49 ID:/Zfnsumf
バッハはクリスチャン自体ではなかった説は無いんですかね?
719 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 15:04:34 ID:/Zfnsumf
いやそんな説前スレで見たんよ
バッハが現代からすれば篤い信者だったのは確実だけど、 バッハに音楽とキリスト教の神どちらか一つを選べと言ったら、音楽を選ぶと思う。 実際、若い頃に教会に就職願いを出したときに、 「キリスト教音楽を演奏することが私の究極の使命でありまして・・・」 とか書いておきながら、その直後に宮廷音楽家に転身してるしw
>バッハに音楽とキリスト教の神どちらか一つを選べと言ったら、音楽を選ぶと思う。 バッハの聖書に残っている余白の書き込みから 彼は音楽を作ることが神様に近づくことのできる最高の手段の一つとかいう かなり変な信仰を持っていたらしいことが解ってる。 だからあなたの言うことも、当たらずも遠からずって感じだな。
>>720 ヴァイマルからケーテンへ行った時の事?
その背景も何も書かずに
>実際、若い頃に教会に就職願いを出したときに、
>「キリスト教音楽を演奏することが私の究極の使命でありまして・・・」
>とか書いておきながら、その直後に宮廷音楽家に転身してるしw
とだけ書くと誤解を招くよねw
バッハ好きなら誰でも知っているから書かなかったのかもしれないけれど。
>音楽を作ることが神様に近づくことのできる最高の手段の一つとかいう かなり変な信仰 わりと欧州ではよくある考えの一つかと思ったが、そうでもないのか
>>721 変な信仰でなく、非常にルター派な考え。
878 :地球外生命存在派:2009/10/04(日) 15:09:39 ID:/Zfnsumf バッハの食事について何か分かってることありますか? 料理は何食べていたとか、飲み物はしっています。 バッハファンだから少しでもバッハに近付こうと思いました
726 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 16:02:05 ID:/Zfnsumf
チャンバロ曲をピアノで演奏されるのは好きじゃないな 古楽オタではないが。 違和感を感じる
728 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 16:13:24 ID:/Zfnsumf
ゴルトベルクがあるけど?
チェンバロのことか。
730 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 16:27:53 ID:/Zfnsumf
チャンバロになってるの気づかなかった チェンバロだった・・
>バッハファンだから少しでもバッハに近付こうと思いました ルター派に回心する方のが食事効果よりいいと思うが
732 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 16:31:56 ID:/Zfnsumf
ルター派になれってことはクリスチャンになれってことですか?
>>726 マタイのイエスパートをテノールに歌わせるやつが何を言うww
734 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 16:54:52 ID:/Zfnsumf
自分はあくまで好きじゃないだが(今のところ) あんたらは全否定するところが違うよ
チャンバロのついでにレチタテーヴォも直してくれw
736 :
名無しの笛の踊り :2009/10/04(日) 17:08:50 ID:SmDzCFWz
737 :
名無しの笛の踊り :2009/10/04(日) 17:11:33 ID:U07s6oGu
レスの流れをぶったぎって申し訳ないのだが、質問したい。 もしリヒターが晩年、あれほど無残な姿になってまでバッハに拘ることをせず 今のアーノンクールのようにバリバリ後世の作曲家に踏み込んで行ったら どうなっていただろうか?早過ぎた死は別として。 ヴェルレクやハイドンを聴いていたら、ふとそんな妄想が起こった。 あれだけロマンティックなバッハは時代遅れであっても 同じ感性でブラームスやワーグナーをやってくれたらどんなだったろうと あらぬ観測を持ってしまう。 ま、秀和のエッセイを読むと性格的に期待は難しいと思うが。
リヒターのワーグナーって、 ヴァルヒャのショパンぐらいに想像できないな。
739 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 17:24:02 ID:/Zfnsumf
リヒターの性格ってどんなんなの? dvd見たら意外と声が高くてびっくりしたけど
740 :
737 :2009/10/04(日) 17:30:07 ID:U07s6oGu
>>739 >リヒターの性格ってどんなんなの?
吉田秀和が書いていますが厳格なグールドって感じですかね。
要は変人です。紳士らしからぬ大食らい。
かつクレンペラー顔負けに楽譜研究に没頭したり。
でもそれくらいの性格だから若いうちにあの厳格な境地に行き着けたのでしょう。
枯れるのも早かったですが。
それゆえにもっと違う境地に行って欲しかった。ワーグナーとか。
>>740 その本読んでいないけれど、そのくらいは普通の範囲内じゃない?
742 :
740 :2009/10/04(日) 17:47:00 ID:U07s6oGu
>>741 まあこの世界の中ではマシな部類なんでしょうけどね。
一度吉田秀和の世界の指揮者を読んで見てください。
ちくま文庫ですから安いですし、入手も容易です。
リヒター初来日のエピソードが面白く書かれていますよ。
743 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 19:27:06 ID:/Zfnsumf
>>740 レス有賀等御座います。
大食いだったのは知っています、後酒好きだったのも。
確か風呂の中で楽譜を読んでいた話等も残っていますね。
>あれだけロマンティックなバッハは時代遅れであっても 時代遅れではありません。一時的にもてはやされてるだけ。 研究やら、当時どうだっただの、プロテスタントがどうの言ってる人たちが必死なだけ。 長い目で見れば、リヒターがクラシックな演奏。 >かつクレンペラー顔負けに楽譜研究に没頭したり。 今の人は余計な詮索ばかりで、全然楽曲を読めてない。 あれだけの膨大な内容は一生かかっても解釈不能ではあるが、 近づこうとする情熱もない。 リヒターがバッハにこだわったのは、なかなか納得のいく楽曲解釈にならなかったからでしょ。 あっち手出し、こっち手出しの今の売れっ子とは音楽家としてのレベルが違う。
バッハだけは別格 リヒターだけは別格 ・・・正直、キモいです
746 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 20:32:24 ID:/Zfnsumf
じゃあ何が別格なの?
そういう考え方がキモい バッハもリヒターも歴史の一部
っていうか、クレンペラーの演奏も間違ってたんだけどね
じゃあ、バッハばかりが演奏されるのはなぜなの? ベートーヴェンばかりが演奏されるのは何故なの? なぜ星の数ほどいた作曲家や曲は無視なの? オーケストラやピアニストってキモイってこと? バッハばっかやってたリヒターは、キモイ人間の最たるものだね。
750 :
737 :2009/10/04(日) 21:12:49 ID:U07s6oGu
>>744 説明が足りませんでしたが、俺が指しているのは晩年の受難曲録音です。
あれがリヒターの結論なのか進化なのか焦りなのか断定はできませんが
あのスタイルがバッハ以外の作曲家に向いてたらなあと思ってしまいます。
評論家は皆貶めていますが、世間的にあれらの評価はどうなのでしょうか?
ちなみにリヒターがバッハ演奏の模範であり絶対であると言う
年音楽誌が刷り込んで来た考え方には俺は否定的です。
パロットやレオ師、ガーディナーもクレソもカラヤンも各々凄い。
ミュンヒンガーも忘れ去られるにはあまりに勿体ないと思います。
そのうえで学術とは別に音楽としてリヒターは再評価されるべきでは?
偉そうに言ってすみません。
751 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 21:22:56 ID:/Zfnsumf
テレマンの全集は出ないのかなー
>>749 いいえキモいのはあなたです
プロレベルの演奏家ならばバッハやベートーヴェンを演奏するにあたって
彼らが影響を受けた作曲家の作品なんかも勉強して当たり前
それを世に発表するかどうかはまた別の問題だけど
そういう部分を一切排除して、
バッハはそれ以前の作曲家とはレベルが違いすぎるから伝統なんか無視していい
だとか
リヒターのみが曲を理解していて今の奏者は全然ダメ
だとか言っちゃうオタク(まさか演奏家じゃないよね?)
がキモい
ただそれだけのことです
753 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 22:02:17 ID:/Zfnsumf
そんなことよりアリアの重要性を語ろうぜ
はい、どうぞw
756 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 22:16:45 ID:/Zfnsumf
それぞれアリアの数が テノール 2曲 ソプラノ 3曲 アルト 5曲 バス 4曲 あるんだけどテノールが少なくアルトが多い。 これはなにか理由あるのかな
とりあえずテノールが少ないのはエヴァンゲリスト兼任だからでしょ
758 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 22:22:03 ID:/Zfnsumf
ああ、そういう理由かもしれないね
759 :
地球外生命存在派 :2009/10/04(日) 22:38:44 ID:/Zfnsumf
イエスをテノールにかえてもいいよなぁ。 古楽器からモダン楽器へと変えてるんだから
1 自分で移調してシンセ打ち込みでオケ部分を流し、自分で歌って録画 2 リヒターDVDのイエスの部分をカットし、1を挿入する 3 ようつべにうp
じゃあ、何でバッハの曲ばかり演奏されるんだ? 伝統だから?プロテスタントだから? それとも他人がいっぱい演奏するから? 教科書に載ってたから? どう考えても、人間側の都合ではなく、 楽曲の中身のせいで演奏回数が多くなるとしか思えないよ。 食べ物の話があったが、世の中に寿司屋やラーメン屋が多いのも、 現実の事実の話。優れた料理なんだよ。寿司やラーメンの起源なんか知ったところで、 本物の寿司やラーメンは出来ないよ。食材や味そのものを研究しないと意味がない。 もちろん過去の作品や宗教に影響は受けてるかもしれないが、 インスピレーションと呼ばれる直感であって、 これは発明や発見の際に発明家や学者(決して音楽学者のような類ではなく、物理学者など)が 作品を生み出す過程であって、その内容とは関係しないでしょ。 リンゴの木から万有引力の法則・・・の類であって、真実かどうか怪しいし、リンゴの木のことを 知っててもその法則を理解することにはならない。
話の途中すまんが、リヒターのカンタータ26枚組は全集じゃないのか? 欲しいので買うつもりだったが少々高い。 図書館にあればいいと思ったが無い。 このスレ的には必須なんだろうね。ダメ盤はある?
別にバッハが最高だという考えには反対しないよ 俺だってそう 単にそれまでの過程を省く態度がキモいと言ってるだけ ヴィヴァルディやブクステフーデから受けた影響は決して無視できない
ブクステフーデのオルガン曲や宗教曲が バッハに劣っているとは思えないけどな。 メンデルスゾーンが取り上げたのが、 ブクステフーデのmebra Jesu nostriだったら、音楽史が変わってたかもしれない。
Membra Jesu nostriには俺も衝撃を受けた ヴィヴァルディだって単に曲の美しさ自体でいえばバッハ以上のように思える
あとは集客の問題かね。 演奏家だって霞を食べて生きているのではないので。
>>762 リヒターのは「全集」ではないよ。
たしか全集を完成させたのはレオンハルト&アーノンクールと
コープマンの二組だけだったはず。鈴木&BCJは全曲完遂を目指して録音中。
参考までに言うと、コープマンの全集は67枚組み。
だからリヒターの残した録音は全体の約3分の1程度と思って良い。
リヒターのは全集ではないが、その価値はどんな全集をも大きく上まわる。
つリリング
つリューさん
>>769 そだ。そういえばリリングの全集もあったね。すまん。
バロックの作曲家の中で、とりわけバッハが演奏されるのは バッハの弟子(息子達が殆どだけど)が楽譜、情報の管理、 大バッハの素晴らしさを伝えたからに他ならない。 テレマンはちゃんと弟子を育ててないらしい。 まあそういう状況を含めてバッハの人間性なのだろうけど。 いい物だけが残ってるなんて幻想はソロソロ捨てないと。 いや、大バッハは素晴らしいんだけどね。 因みに現在のバロックオタがあえて順位をつけるなら 大バッハはTOP10以内の大作曲家って所じゃないかな。 トップ5に入らない人はいると思う。
つ庭師(発売待ちあるけれど)
>バッハの弟子(息子達が殆どだけど)が楽譜、情報の管理、 バッハの息子が楽譜の管理www 書き込みしたり、売り払った件は?
>ヴィヴァルディやブクステフーデから受けた影響 これはテキスト・宗教性や文化的・歴史的背景とは全然違う話だろ。 ベートーヴェンがバッハから影響を受けたのも音楽性であって、 これはベートーヴェンの音楽性の基本を構成する要素だから、生半可な知識じゃなく、 本当の理解が必要だろ。ベートーヴェンの演奏家はみんなバッハを弾く。 バッハの音楽にテキスト・宗教性が関与するかの話とは、まるっきり違う話だぞ。 特定宗教や文化は、バッハの傑作楽曲としての中身と関係しない、 独立に解釈すべき、という話。そのためにラーメンと寿司の話を出したんだけど。
>>775 何を言っているのかわからない
俺は少なくとも今は音楽だけで話してるじゃん
>ベートーヴェンの演奏家はみんなバッハを弾く。 でバッハの組曲を弾くにはバロックダンスの知識が必要になる。 するとイタリアやフランス・バロックも当然必要になってくる。
まあテクストに音楽つけてるのに、楽曲の中身と関係しないという考え方自体は いくら力説されてもぜったいに同意することはないだろうけどね
あれじゃない? 曲にテキストを後付と勘違い。
たとえ後付けだとしても、同じメロディのコラールを歌詞関係なくまったく同じように歌う事なんてあり得んだろ バッハのマタイ受難曲とクリスマス・オラトリオのコラールを同じ歌い方すべきと思ってるのかどうか聞きたい。
>>774 他のバロック時代の作曲家と比べろよ。
大バッハほど弟子に恵まれた奴は居ない。
テレマンなんか泣きそうなぐらい無いんだぜ?
クリオラの終曲コラールはマジ感動的だよねえ 意図がわかったときは涙した でもあれ、知識無かったらただの変な曲だねw
フランスなんかは、図書館に楽譜ゴロゴロあるはずだけれど。 バッハの場合は、弟子より子供の数がものを言ってる感じも。
784 :
名無しの笛の踊り :2009/10/05(月) 00:06:55 ID:lIkZdufH
いや、楽譜の管理だけ言ってるわけじゃないが 図書館つーのも最近の話だし。 弟子というか子供なんだけど弟子だし。 反論するのがめんどくさいからこの話は聞かなかったことで。 俺も受け売りだから許して。詳しくは大崎の授業でも受けてくれ。
俺は
>>772 のいうことは別に間違ってないと思うけど
それでも俺はバッハ以上に好きな作曲家は今のところいない
787 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 08:51:33 ID:1k0v2xOW
今音楽の捧げもの聞いてるけど 王の主題のメロディーいいなぁ 癖になる曲だ
>>785 おれはそんなのより
メンデルスゾーンによるマタイや
カザルスによる無伴奏など
インパクトのある手段で「復活演奏」されたことや
作品自体が与えた後世への影響の大きさなどが
あるんじゃないかと思うが
長い間、バッハは和声法の教科書のようになっていたから
影響を受けた作曲家は他のバロック時代の人とくらべて
非常に多いからね
他を差し置いて、なぜバッハが和声法の教科書のようになったのかは 785が言おうとしていたテーマと関連があるかもしれないけどね。
790 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 09:33:32 ID:1k0v2xOW
フーガの技法最近聞き出した いいねこれハマりそうな予感
791 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 11:20:00 ID:1k0v2xOW
それで外国語と料理の出来栄えは関係するの?
792 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 11:41:17 ID:1k0v2xOW
ちょっと少しききたいんだけど マタイのアリアいらない言っている人は カンタータのアリアもいらないとおもってるのかな? マタイのアリアがいらないと思うなら当然カンタータのアリアも いらないと思うんだけど・・・ そこんとこはどうなの?
>>792 その辺については聴き手に任せるということで良いのではないかなあ?
真理を追究するとなるとねらーで議論する範疇を超えてしまうしね。
今通説とされているものも今後覆される可能性がありますし。
例えばフーガの技法のBACHにまつわる話みたいにね。
俺はノーカットで聴く派ですし、カット版も受け入れます。
モーツァルトの歌劇をセリフ付きで聴くか、
フィデリオ第三幕にレオノーレを挟むのか挟まないのか
その次元の話として受け流しています。
ただこの話題はバッハ本スレに提起して見られても面白いかも知れません。
つか、だれも「要らない」なんて言ってないしw
アリアが最も重要というのは、絶対にありえないしw
ましてやコラール超いらないという
>>792 からの説明の方が必要だw
795 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 13:45:03 ID:1k0v2xOW
>>793 いやー此処の人達がマタイのアリアを要ら無いと言ったり
全部カットしても良いとか言ってたのですよ。
誰も要らないとも全部カットしていいとも言ってないだろw 勝手な捏造をするなw
797 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 13:54:00 ID:1k0v2xOW
69 :名無しの笛の踊り:2009/09/28(月) 01:38:30 ID:7RRqjfqi アリアは聖書のテキストを使ってない 曲全体における重要度でいえばもっとも低いもの アリアを全曲カットしても物語の進行には全く問題ないがイエスの言葉はそうはいかない だから
798 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 13:55:02 ID:1k0v2xOW
74 :名無しの笛の踊り:2009/09/28(月) 01:49:11 ID:LF+FRX7T アリア全曲は確かに極端だが、一部カットするのは 過去に何度もあるし、マタイ受難曲全体としてはあまり問題があるとは思えないね。
>>795 すまんw
すぐ上の投稿を見ても「いらない」とも「全カットしてもいい」とも書いてあるようには見えないwww
おまえ日本語大丈夫か?wwww
>>69 を「アリア全カットしてもいい」と主張しているように見えるのは
たぶんこのスレの中ではイエステノールのバカ一人だけだよw
801 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 14:08:19 ID:1k0v2xOW
他にも
73 :名無しの笛の踊り:2009/09/28(月) 01:48:15 ID:7RRqjfqi
>>71 例えばの話だよ
しかしペテロのアリアなんかはカットされることのほうが多い時代もあったようだ
君は知らないかもしれないがヨハネなんて第2稿にしか存在しないアリアが3曲もある
つまりそれだけアリアというものは受難曲の中で価値が低い
カットしても良いとも見られる書き込みが沢山有るけど?
>>797 「アリアは重要度でいえばもっとも低いもの 」、「アリアを全曲カットしても物語の進行には全く問題」
>>799 「アリアの一部カットはマタイ受難曲全体としてはあまり問題があるとは思えない」
>>801 「アリアというものは受難曲の中で価値が低い」
ゆとり脳だなあ
804 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 15:26:23 ID:1k0v2xOW
ゆとりゆとりしかいえないのもまたゆとり脳だよww
なら日本語が不自由な人に言い直すよw
806 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 16:10:29 ID:1k0v2xOW
ここ全員じゃないけどバッハの音楽愛してない人ばっかだね
807 :
名無しの笛の踊り :2009/10/05(月) 16:12:24 ID:lIkZdufH
曲のカットについて、リヒターと皆川達夫氏の対談にこんなことが書いてあった。 皆川達夫氏:「己れの力量の限界を知っている二流以下の指揮者は、曲のカットをし、こちらもヤレヤレと思う。でもリヒターさんはカット無しで演奏されます。ところがこちらは一つも参らない。参らないどころかカットしてはならない必然性が感じられる。」
808 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 16:14:51 ID:1k0v2xOW
これでもアリアカットしても良いと思うのかねぇ・・・
少なくともアリアが楽曲の中で最重要と言うことは絶対にありえないw
>>808 だれもアリアのカットを推奨してない。
人の話を曲解しすぎ。
811 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 16:33:52 ID:1k0v2xOW
513 :名無しの笛の踊り:2009/10/01(木) 17:34:48 ID:JUMpFw8y
>>511 重要度は受難曲全体としては最低ランクなので
多少のカットは全然オッケー。
カットした古い演奏も全然嫌いじゃない。
>>811 なんでそれが推奨したことになるの?バカなの?w
813 :
名無しの笛の踊り :2009/10/05(月) 16:39:04 ID:lIkZdufH
ここはリヒターのスレだ。 このスレのはじめの方に、「リヒターの話題は尽きたから‥‥」というようなカキコがあったが、リヒターの話題は尽きないよ。 ご希望なら小出しして行くが。
814 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 16:44:12 ID:1k0v2xOW
カットを容認していると思うけど?
419 名前:イエステノール派[] 投稿日:2009/09/30(水) 17:37:43 ID:35/hKW1M
>>413 アリア全カットしたら前後のつながりがなくなるんだがwww
424 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2009/09/30(水) 17:53:25 ID:t9Zoov65
>>423 おいw
アリアカットして話が繋がらなくなる箇所を挙げてくれw
あー腹いてーww
816 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 16:54:51 ID:1k0v2xOW
煩悩ですね・・・
一生言ってればいい
お前が主導権握りだすとスレのレベルが一気に下がるなw
819 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 17:23:46 ID:1k0v2xOW
必死だねwww
カットを容認したらなんでカットを推奨したことになるんだ? ゆとりというしかないだろ
821 :
名無しの笛の踊り :2009/10/05(月) 17:36:42 ID:lIkZdufH
カットOK派は、結局自らのレベルの低さを露呈しているわけでしかないな。
822 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 17:47:14 ID:1k0v2xOW
ゆとりって言葉矢鱈使用するのもゆとりに近いな
>>807 リヒターを褒めるためにわざわざ他の指揮者をもってきて
二流以下だなんだと発言するなんて
皆川って人はDQNだったのか
カットを推奨したわけじゃない、と言ってるのはカット容認派。 地球外生命存在派は推奨という言葉は遣ってないんじゃない? 容認したよね、とは言ってるけど。 カット容認派は勝手に推奨という言葉を部分否定に使っていて、 極端な言葉を用いて言い逃れに使っているような気がする。 聖書に沿っていえばアリアが重要でないとしてもマタイ受難曲を聴く上では 重要なんだということを考えてみればいい。 察するにカット容認派の中にはマタイよりカンタータを好む人がいそう。
>>822 都合の悪いことは煩悩で済ますのはOKかい?
>>824 こいつは明らかに「アリア要らない」と書いてるが
826 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 19:46:50 ID:1k0v2xOW
で料理と外国語の関係は?
聖書の言葉は変わらないけど、アリア等はその時代の受け止め方なり、 テキストを創造、選択した人の言葉として逃せないものだと思う。
>>797 読解力ww
それとも
>>797 にとってマタイとは物語の進行が全てなのかな?
テクスト重視しない派なのにww
>>808 アリアを一部カットするのとイエスをテノールに歌わせるのとどっちが罪重いと思う?
830 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 20:18:16 ID:1k0v2xOW
罪が重いってなんじゃいwww
アリアを一部カットするのは罪深くて、 モダン楽器で演奏するのは罪深くないのか。
>>830 根拠なく改変することは芸術に対する罪、と感じる人は少なくないだろうね。
ところで、テノールにイエスを歌わせるとき移調するの?
それとも、バスの音域をムリヤリ歌わせるわけ?
どっち?
>バッハは和声法の教科書のようになっていたから ここだな、全ては。 バッハを宗教曲の先生だと思ってる音楽家はいない。 和声の神様、和声はバッハに聞け、ということだ。そこに宗教もテキストもない。 ドミソはプロテスタントの発明じゃないよ。 ベートーヴェンは多分、バッハしか尊敬してなかったような楽曲。 ハイドンもモーツアルトも眼中になかっただろう。 クラシック音楽の作曲家はもちろん、以降のPOPSやさまざまな音楽の和声は、 バッハの枠内にあると言ってもよい。一歩足を外に踏み出そうと意地を張っても、 外れた瞬間、現代音楽のように、誰にも聞かれない寂しい世界になる。 和声はテキストと関連しない、当然宗教とも関連しない。
834 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 21:35:08 ID:1k0v2xOW
>>832 まだ考えてない。自分が演奏するわけでもないし
指揮するわけでもないからね。
それでモダン楽器で演奏するのは罪深くないの?
>>834 >>まだ考えてない。
それじゃあ、その意見は検討するに値しないから、ちゃんと考えるまで
二度と人前で主張しないように。
それから、イエステノール説にレスを返してくれた人たちにきちんと詫びること。
モダン楽器で演奏することは、ちゃんとした考えに基づいて、
作曲者に対する畏敬の念を持って行うのであればまったく罪深くない。
836 :
名無しの笛の踊り :2009/10/05(月) 21:48:38 ID:N9qd9wRW
>>790 いいよね。オレ的にはコントラプントゥクス13がいいんだけど
837 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 22:34:40 ID:1k0v2xOW
>>835 同様にテノールに変えるのも畏敬の念を持ってたら
いいってことですね。
>>837 ちゃんとした考えに基づいていたらね。
ちゃんと考えずに主張だけするなんてのは論外。
誠実さの問題。
何でそうやって、誠実だからいいとか、自分勝手だからダメとかいう話になるんだ。 音楽と人格を同一視してないか。 バッハもベートーヴェンも、どうせ褒められた人間だったとはとても思えん。 こういう偉大な作品を残した人の人物像は、ほぼ間違いなく美化されてるはず。 音楽は人格とは関係ないんだよ。バッハやベートーヴェンだけでなく、 カラヤンやフルヴェンだって、どうせ変人だったんだろ。
>>839 論点がずれてる。
主張するならその根拠をきちんと説明しろ、というごく当たり前のことを言っているだけ。
カラヤンやフルヴェンは、自分がどうしてそのように演奏するのかちゃんと語れたよ。
>>833 >>839 翼をください君ですよね
あなたの主張はほとんどが
「〜はず」「〜と思う」「〜と思えん」「〜だろう」
断定しているときだって
「バッハを宗教曲の先生だと思ってる音楽家はいない。」
というように裏付けゼロ
それで常識を覆すような発言をしたって誰も聞いてくれませんよ
842 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 23:14:21 ID:1k0v2xOW
それで外国語と料理の関係は どうなんですか? 外国語の文法が料理に影響するというのは
844 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 23:21:28 ID:1k0v2xOW
誰ってこのスレの誰かですよ まだこの話題は終わっていませんからね
俺は料理のことは知らんからその話題には参加できないが 楽曲楽曲言ってる割に具体的な楽曲分析を示しもせずに 空手だの相撲だの料理だのの話に持っていこうとするような人種は 信用できないってことはわかる
>>844 このスレの誰かに料理の話を振るのは間違い。
どうしても聞きたければ、しかるべき場所で聞きなさい。
847 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 23:25:05 ID:1k0v2xOW
ていうかまだバッハとキリスト教との関係の話が 続いてるからだよ。
848 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 23:26:07 ID:1k0v2xOW
>>846 料理うんぬんは比喩で有ってスレ違いじゃないよー
850 :
地球外生命存在派 :2009/10/05(月) 23:28:19 ID:1k0v2xOW
同意って何が?
本来、宗教性と楽曲が関連するかを証明すべきは、関連すると考える側だろ。 関連しないことを証明するのは難しい。 A宗教の楽曲を集める、B宗教の楽曲を集める。 Aの楽曲に共通の要素を抽出する。 Bの楽曲に共通の要素を抽出する。 これだけで明確になるだろ。 俺には、A宗教の楽曲を集めることすら全く出来ないが。 もし、テキストと楽曲の相関すると考えると、 A宗教(プロテスタント マタイ?)とB宗教(カトリック ミサ曲?)の曲に共通する音楽性(バッハの音楽性)の方が、 過去のプロテスタントの宗教曲の集合と、カトリックの宗教曲の集合よりも、はるかに音楽性が似通ってると思うけど。
>>852 それは証明すべきことなのか?
悪いが何を言っているかさっぱり分からん。
ていうかイエステノールと翼をくださいは
>>780 に対して考えを述べてくれよ
これってこの話題の核心部分だぞ?
>>841 >>833 >>839 を差し置いて説明すると、バロック以前のドミソで終わらないやり方
と比べてバロックはドミソで終わることで宗教以外の観念が備わってきた、ということ。
いろいろな感情、楽しさ、悲しさ、怒り、諦めの念、嘆きなど人間臭いものが
織り込められるようになった。
カトリックは派手にそれをやってオペラのようになった。
プロテスタント地域で生まれたバッハは地味に見えて感情豊かにしかも19世紀の
ロマン派に復活するぐらいの楽曲の幅を持っていた。
なので一部聖書から離れたアリアも巧みに作ることが宗教曲においても可能であった。
>比べてバロックはドミソで終わることで アーメン終止のこと?
858 :
フーガの技法ファン :2009/10/06(火) 00:28:56 ID:WoTu/hEj
リヒターのフーガの技法ってどこで買えますか? てか録音あるんですかね
>>858 さすがイエステノール=ゆとりw
それぐらい手前で調べろw
861 :
フーガの技法ファン :2009/10/06(火) 00:51:18 ID:WoTu/hEj
関東在住だったらなんですか? 違いますけど
違うのか カンタータスレでも書いたけど、今日東京でBCJの定期があるから よかったら行って体感してみてほしかった 学生なら3000円だし
>>861 一時期、関西弁使ったから近畿地方だよね
あーそうか 神戸では一昨日だったんだよ 次は2/20だから行くといいよ 好みにさえ合えば本当に最高のバッハだよ
どうだろうな? カンタータは小難しくてめんどくさいから後回しとか言ってたしw
いや、カンタータスレに出没してる。 向こうでもキリスト教関係なしとか言い出すのだろうかw
867 :
フーガの技法ファン元地球外生命存在派 :2009/10/06(火) 12:10:16 ID:A9YxHUJ2
>>863 そうです関西在住ですね。でも大阪出身ではないです。
>>864 一度BCJのコンサート行こうかと思った事があるんですよ。
神戸は近いので行きたいですね。BCJ好きなのでもしかしたら
今度の2/20の神戸コンサート行くかもしれません。
868 :
フーガの技法ファン元地球外生命存在派 :2009/10/06(火) 12:21:31 ID:A9YxHUJ2
前にテレビで鈴木氏が出ていたのですが ドイツ語ペラペラで話していて格好よかったですね。 鈴木氏は笑顔が特に特徴的で好感が持てます
869 :
フーガの技法ファン元地球外生命存在派 :2009/10/06(火) 13:02:39 ID:A9YxHUJ2
>>865 後回しってか器楽系の曲の方が聞き易い。
871 :
フーガの技法ファン元地球外生命存在派 :2009/10/06(火) 14:02:45 ID:A9YxHUJ2
ゆとりしか言えないのかよw
実際そうなんだからしょうがない
873 :
フーガの技法ファン元地球外生命存在派 :2009/10/06(火) 14:14:25 ID:A9YxHUJ2
煩悩ですね・・・
874 :
フーガの技法ファン元地球外生命存在派 :2009/10/06(火) 14:33:23 ID:A9YxHUJ2
煩悩に囚われず純粋な気持ちで音楽を聴こう!
875 :
フーガの技法ファン元地球外生命存在派 :2009/10/06(火) 15:38:40 ID:A9YxHUJ2
>>870 何度も言うが簡単で聞き易いのから聞くのが一番。
バッハを初めて聞く人に行き成りカンタータは聞かせ難い。
矢張り最初は定番のブランデンブルクや管弦楽曲から入るのが良い。
素朴な疑問だが歌詞があった方が分かりやすいような 個人差の問題か。
禿同 歌詞があるほうが曲のテーマがわかりやすくて良いよね
878 :
フーガの技法ファン元地球外生命存在派 :2009/10/06(火) 16:20:34 ID:A9YxHUJ2
そういう意見もあるのかなるほど
879 :
フーガの技法ファン元地球外生命存在派 :2009/10/06(火) 17:32:06 ID:A9YxHUJ2
827 :名無しの笛の踊り:2009/10/05(月) 19:51:54 ID:5AytL7x4 聖書の言葉は変わらないけど、アリア等はその時代の受け止め方なり、 テキストを創造、選択した人の言葉として逃せないものだと思う。 分かるなぁ このレス
ゆとり教育はそれを受けた世代が悪いのではなく、受けさせた団塊の世代が悪い。
>>879 わかるけど聖書の言葉よりは重くないでそ
俺は信者じゃないけどさ
カンタータでは聖書の言葉だってバッハによって選択されるな。どうでもいいけど
カンタータのほうが受難曲よりも自由度が高いんだから、そりゃ当たり前だ。
>たとえ後付けだとしても、同じメロディのコラールを歌詞関係なくまったく同じように歌う事なんてあり得んだろ >バッハのマタイ受難曲とクリスマス・オラトリオのコラールを同じ歌い方すべきと思ってるのかどうか聞きたい。 まさか、同じメロなら同じ音になるとか思ってないよね? 古典音楽の様式の一部なんだよ。ソナタ形式というのがあるが、再現部というのがあって・・・ 音楽・古典音楽では、繰り返しというのが非常に重要なんだが、 人間は再現部では、導入部と同じメロに対して違う感情を感じるものなんだよ。 こうしたバッハの音楽性の形式から、その核心部分だけを残していったのが ベートーヴェンが一つの完成系を示したソナタ形式だろ。 ミサ曲においても同じメロが使われているが、その場所でフレーズの「音楽的」意味は異なる。 決してテキスト上の意味でないことに注意。同じ歌詞であっても、その位置でフレーズのもつ 「音楽的」意味は違う。この音楽的意味を理性的に構築してできた最終形が、「楽曲」の概念。 同じメロは器楽曲で使われることもあるが、テキストと一切関連しない。 和声進行も当然、楽曲を構成する要素であるが、ここでも宗教やテキストは関与しない。 当時古楽器だったとか、プロテスタントだったとか、そうした余計な主観は排除されるべき。
>>880 団塊が受けさせたって意味がわからん。
何でも団塊のせいにするのも若い世代のワンパターンだな。
それに団塊の子供の多くは30代だと思うが?
>>884 楽曲の順番によって意味がちがうということか。
宗教的な詩でもそういうことがあるように思うが。
形而上学的もしくは普遍的な内容がリフレインされるのではないか。
教育が悪い時に責められるべきは子供ではなく大人だ。 つまり団塊の責任だよ。
>>884 とりあえずメロってメロディのことでいいのかな?
ちょっと何言ってるのか分からないから、クリスマスオラトリオの受難コラールで具体的に説明してくれると嬉しい。
>>875 カンタータスレを追い出された君に。
バッハ・コンチェルティーノ大阪というピリオド楽器使用のアンサンブルが
あるんだが、礒山雅氏が結成した。
礒山氏の『カンタータの森を歩む』(他全3巻)というアンサンブルCD付きの本がある。
これはけっこう読みやすい。抜粋でもあるが堅苦しい感じはあまりない。
同氏の『マタイ受難曲』とともにバッハを聴くときに傍らにあると楽しい本だと思う。
俺はリヒターファンだが参考にピリオド楽器も聴く。歌詞もざっと読む程度
なら邪魔にはならない。
カンタータはめんどくさいとか言ってるゆとりクンが そんな本読むかな?w
891 :
フーガの技法ファン元地球外生命存在派 :2009/10/07(水) 16:42:38 ID:/OAgGtab
>>889 レス有賀等ー。
其の本前から知っていたんですが買おうかどうか迷ってたんですよね。
余裕が若し有れば何時か買いたいですね。
マタイ受難曲って本は持ってますよ。
>>890 自分は別に読書嫌いじゃないし寧ろ好きだ。
プラトンとか時時読んだりもする。
>プラトンとか時時読んだりもする。 無理に背伸びしなくていいんだよ。ゆとりクンw
893 :
フーガの技法ファン元地球外生命存在派 :2009/10/07(水) 22:56:26 ID:/OAgGtab
いずれギリシャ語で読む予定よ〜♪
ゲオルギアーデスの『音楽と言語』でも読めば?
>>894 面白そうだね。
面白そうなので買うかも。
手に入りにくいけれど 樋口隆一の「バッハの四季」もお勧め。 図書館にあるかもね。
またまたレスありがとー。 バッハの本これから色々読んできたいと思う
音楽をはじめて知った時、音楽に迷った時には、本に手が伸びるね。 その後、言語の無力さを知った時、本当の音楽の力が分かる。
前スレから1000レス以上かけてやっとsageを学んだか・・・
900 :
フーガの技法ファン :2009/10/08(木) 01:04:45 ID:XF4WFWe7
sageなんて前からしってるよw たまにsageるんよw
リヒターって、ライヴとか放送録音とかの音源発掘があまり進んでない気がするんだが。 60年代のライヴとか、探せばいろいろあるんじゃなかろうか。 例えばシューリヒトのような地味なキャリアの指揮者でも、山のように発掘されてるんだし。
>>901 おれもまだあるはずだと思うね。
去年出たヴェルレクも驚いたけど
似たような音源がまだたくさんありそうな気がする。
903 :
名無しの笛の踊り :2009/10/08(木) 12:16:36 ID:nbY71w1Z
リヒターの息子のトビアス・リヒターに、手紙かメールを出して、未出の音源・映像を問い合わせればよいのでは。 もちろん発表希望を前提に。
既出のDVDは買ったの皆?息子が編集したやつ。
905 :
地球外生命存在派 :2009/10/14(水) 00:35:15 ID:dqwrSQSl
ドキュメンタリー? 買ってるよ リヒターの声も聞けてファン必須アイテム
リヒターのヨハネ久しぶりに聞いたけどイイわー
どうせクソ遅いんだろうと思いながら買ったけど意外とそうでもないねヨハネは
マタイも58年のだったら、そんなに言うほど遅くないと思うけど。
リヒターのヨハネとマタイって録音の音質がなんか違う気がする 気のせいかもしれないけど
気のせいじゃないでしょ。 録音時期が違うしね。 マタイの方が木管がオンマイク気味でちょっとそこが耳障りだよね。
ヨハネの方が音が鋭い感じがする
912 :
名無しの笛の踊り :2009/10/19(月) 14:02:32 ID:aZzRFVnv
いろいろな演奏家のバッハを聞いたが、やはりリヒターに尽きる。 リヒターのは、「聞く」うちに「聴いて」しまう境地になる。
913 :
名無しの笛の踊り :2009/10/20(火) 23:37:11 ID:BmS8DVLm
912にとっては 聞くうちに効くんだろうな
914 :
名無しの笛の踊り :2009/10/21(水) 05:28:49 ID:cskxmubB
>>913 他者のカキコに対して、チョッカイしか書けない哀れな輩。
915 :
名無しの笛の踊り :2009/10/22(木) 02:42:22 ID:eQeFqfVH
なんでカンタータ全部録音しなかったの?
>>915 しようと思ってたが完成前に死んだだけ。
917 :
名無しの笛の踊り :2009/10/22(木) 12:16:01 ID:Xvu7eTdk
でもカンタータ選集5巻は、教会暦に沿った主なものが入っている。
スレ的に、一押し録音は何?
やっぱりマタイ受難曲58年盤かなぁ?
妄想だけど別荘にいる間ずっとカンタータを掛けっぱなしにしておく。
921 :
名無しの笛の踊り :2009/10/23(金) 01:56:14 ID:/P7s7C5Q
ヨハネ受難曲よりマタイのほうが出来圧倒的にいいよね
おれはヨハネのほうが出来は上だと思うね 特に合唱の完成度はヨハネの方が断然優れてる ソリスト陣もエンゲンのような絶叫もあまりないから聴きやすい
リヒターの録音のことだね。 どっちを取るかとなればやはりマタイが妥当。 マタイにも弱点はあるが、ヨハネだってリアーやプライはミスキャストぽい。 ヨハネこそイエスにはフィッシャー=ディースカウを当てるべきだった。
924 :
名無しの笛の踊り :2009/10/23(金) 09:59:04 ID:pE7tDGEV
>ヨハネこそイエスにはフィッシャー=ディースカウを当てるべきだった。 これには同意できないな。DFDよりももっと威厳のある感じじゃないとヨハネのイエスじゃないよ。 やっぱりプライのような重い感じの声が妥当だろ。
マタイのCDは人類史に残る名盤中の名盤だ。 これ以上はほとんど無理でしょ。 楽曲全体の中での合唱は、本当にすごい。 全員が全員バッハの音楽を指揮者レベルでわかってるかのよう。 これだけ時間のゆがみと無限の空間を感じられる音楽は他にない。 ヨハネはどうかなあ。
しかし58年の時点ではあれほど進取的だった (当時としては小編成・速いテンポ)のに、 なんで後年は古楽器を拒否して衰えたんだろう。 古楽器のリヒターを聴きたかった。
>後年は古楽器を拒否して衰えたんだろう。 後年に彼の演奏からエネルギッシュな感じが薄まったことと 古楽器を彼が嫌っていたことは全く結びつかないんだが・・・?
929 :
名無しの笛の踊り :2009/10/23(金) 20:16:59 ID:rciRGvzg
1970年代後半にリヒターは網膜剥離になり、手術によって失明までは至らなかったが、視力は極端に悪くなった(1979年の単身来日では、厚いレンズの度の強いメガネをかけていた)。 このような事で、だいぶ体力が衰え、それが演奏にも影響したと思われる。 でも、巷ではあまり評価されていない1979年盤のマタイを改めて聴いてみたが、そんなに悪くないと思った。 最近のピリオド演奏(早いテンポ)にスポイルされ尽くした耳の持ち主には到底受け入れ不可能だと思うが。
バッハの音楽は体も頭も両方必要だからね。 80過ぎ爺のインチキくさい持ち上げられ方の適当な指揮じゃないってこと。 名前で演奏してるのではなく、本当の音楽家。 もちろん、単なる若造のマタイともレベルが違う。
>>929 79年単身来日の観衆の盛大な拍手にちょっと意外そうなそれでも満足そうな表情で
オルガンから立ち上がって会場を見渡していた、姿を想い出す。
観衆は後ろの高いところを振り返る形で拍手を送った。
リヒターはもちろん凄いけど現代のバッハ演奏を拒否してほしくないな・・・ まあこればっかりは趣味だから仕方ないけどさ
>>928 衰えたというのは言い過ぎたかもしれないけど、
なぜリヒターはわざわざ時代と逆行するようなことをしたんだろう?
新しければ何でも良いのかww なんか短絡だなw
>>932 「現代のバッハ演奏=古楽器によるハイテンポ演奏」というわけでもあるまい。
今でもモダン楽器によるバッハはいくらでもあるし、
古楽器によるバッハだけが時代の最先端というわけでもない。
時代の最先端を行っているという傲慢な発想が古楽器オタには多くて
いつもウンザリさせられる。
>>930 58年に歴史的な録音を成し遂げたのは30そこそこの若造なんだが・・・
でもリヒヲタはピリオド演奏否定するだけで現代のモダン演奏に対してほとんどコメントしないから、 多分聴いてないんだと思われてもしょうがない
ピアノのバッハ、モダンヴァイオリンのバッハは今でもたくさん出てるけど、 モダンチェンバロのバッハなんてもうないしね・・・
>>937 このスレの住人に古楽器オタが意味のないやっかみを入れてくるからだろ?w
古楽器オタは「おれたち最先端!」っていきがっているバカが多いから目立つんだよw
そういう話題は他所でやってほしいね。
誰もいきがってないだろw 古楽オタだって、リヒター58年の録音が 最高の名盤の一つであることは認めてるじゃん。 問題は79年の録音。
琴錦「両方好きなんです」
943 :
名無しの笛の踊り :2009/10/24(土) 08:00:30 ID:sBWMV0l7
リヒターも素晴らしいが、オイラは古楽器の音色がいいんだな 近代楽器の音はあんまり
おれは古楽器はダメだわ コシのないラーメンみたいなふにゃふにゃした音というイメージしかない
でもバッハ本人は古楽器の音色が頭の中に有ったけどね 古学とか現代楽器どちらがよいかは個々人の趣味の領域 だけど闇雲に古楽を否定する事はバッハを否定する事に 成るよ
未来の人間が弾くことなんかバッハ本人の頭の中にはなかったんじゃないかな ピッチやら奏法も推測に過ぎないでしょ 別に古楽器による演奏は否定しないけどね それと古楽って英語で言うearly musicのことじゃないの?
いまだにピリオドと言わずに古楽古楽と言ってるのってクラ板くらいだ
別に古楽でもいいじゃん 何か問題でも?
バロックは古楽にあらず 中世、ルネサンスとは一線を画し、云々〜 てなこと書くとループが再開か。
バッハレベルになると、具体的な同時代の楽器の音色を想定して曲が出来てるわけではない。 別に音を鳴らして作曲してるわけではない。モーツアルト・ベートーヴェン後期も同様。 音楽性、何を表現できるかが重要なのであって、その辺が古楽器軍団は全然分かってない。 あくまでその楽曲の本質をどれだけ抽出できるかを追及すべき。 弦がどうの、当時の楽器がどうのにこだわる一方、残響ガンガンの現代ホールで演奏する。 都合の悪い自分たちの矛盾はスルー。 単に思いつきで再現うんぬん言ってるだけで、音楽は2の次。全然理性的な楽曲の解釈なし。
古楽 クラシックの一時期 古楽器 昔の楽器 ピリオド その時代の ピリオド楽器 その時代の楽器
>バッハレベルになると、具体的な同時代の楽器の音色を想定して曲が出来てるわけではない。 これを断定できる理由をまず書いてみようか
>>950 「その楽曲の本質をどれだけ抽出できるかを追及」してるからこそ、通奏低音にしてもチェンバロを使うべきか、
オルガンを使うべきか、チェロの音の長さはどうすべきか、ヴィオローネ、ファゴットは入れるべきか、
あれこれ考えて演奏しとるんとちゃうのん?
それとも、通奏低音をピアノでガンガンやったほうが「その楽曲の本質をより良く抽出」できるんか?
だからこいつを構うなっての 文章見たら翼をくださいだってわかるだろ?
じゃあ、なぜベートーヴェンを現代楽器で弾くの? ベートーヴェン時代のピアノと今のピアノじゃ全く音は違うんだよ。 ピアニストは全員無知なの?手に入らないから仕方なく使ってるの? モーツアルト交響曲もハンマークラヴィアも、 現代楽器とはおよそかけ離れた楽器の環境で作曲されたんだよ。 ハンマークラヴィアなんて、作曲家以外、全く意味が分からなかったはず。 楽器の発展によって、道具の進歩によって楽曲の本質が表現しやすくなった典型例なんだよ。 これも、宗教のテキストと違って、楽曲は普遍性のある時代に依存しないものだから。 作曲家は具体的な答えに基づいてスコアを書いているわけではない。 宇宙の法則が、宇宙に行かずに導かれるのと同じ。
>じゃあ、なぜベートーヴェンを現代楽器で弾くの? これじゃ誰に対して質問してるのかわからんだろ。文章の最初の前提がいつも乱暴だから理解して貰えないと気づいて欲しい。
>>956 それは古典派やロマン派の音楽がバッハより劣化しているからだと思う。
ロマン派の中にも優れた曲は存在するが、ごくわずかしか無い。
バッハに勝る作曲家がいないことは明らかなわけだ。
因って古楽器の演奏でさえ認められるのはバッハの音楽における特権だ。
今時、新古典主義に戻ったかのようなことを言い出すバカが居るとはww
古楽器でバッハ聞いてもいいじゃん別に
>>923 ヨハネのイエスにF-Dを起用出来なかったのは
少し前にカール・フォルスター盤でF-D起用してたってのがあるように思う。
それはともかく、リヒターファンにこそフォルスターのヨハネは一度聴いてみて欲しい。
合唱はどう聴いてもミュンヘンバッハよりベルリンの聖ヘドヴィヒの方が上手いし、
イエスもプライよりF-Dが断然上。
エヴァンゲリストはヘフリガーに一日の長があるとは思うがヴンダーリヒの魅力も捨てがたい。
アルトは互角だがソプラノはリアーよりグリュンマーの方に分がある。
比べて明らかにリヒター盤の方が上ってのはバス。これはコーンよりエンゲンがいいね。
聖ヘドヴィヒの合唱の音色は魅力的だ。たまに無性に聞きたくなる たいてい聞くのはシューベルトのEs-durミサだが
>>961 フォルスター盤持っているけど異論ありまくり。
まず合唱。おれは聖ベドヴィヒの合唱には不満多い。冒頭の合唱からヘロヘロな音でいきなり台無し。
イエスもプライの方がおれの中では上。DFDのイエスはヨハネをやるには人間臭すぎる。
あれはおれの中ではヴィンダーリヒの美声を楽しむためだけの演奏。
別に聖ヘドヴィヒが上手いとは思わんが、 >冒頭の合唱からヘロヘロな音でいきなり台無し。 これはフォルスターにリヒターの音楽と同じものを求めてる見当違いな感想じゃない?
では、ホールが違うと音楽は変わるか?音は確実に変わる。 楽音はそのままで、雑音が入った場合、音楽は変わるか? 音楽の中身が変化する音楽と、変化しない音楽があるんだよ。 ここがほとんど理解されてないように思う。 音楽性によって、それぞれの音の変化が及ぼす効果は異なる。 もっというと、マタイとミサ曲の音の変化が音楽に与える影響は異なる。 決してプロテスタントとカトリックで仕切りがあるわけではない。 ロマン派管弦楽曲の美音では、音に対する許容範囲は非常に小さい。雑音の影響も非常に大きい。 一方、バッハのように、楽曲がそのまま感情と一体となっている場合には、音に対する許容範囲は大きい。 雑音に対する影響も小さい。音楽性の中身が決定的に重要になる。 オーディオで1000円のケーブルを100万円のケーブルに変えると音楽は変わるか? A席とS席、最前列と2階席で音楽は変わるか? 普通、音楽評論ではA席で聞いたから良かった、S席で聞いたから駄目だった、という評論はない。 バッハの音楽は座席によって変化しない。ロマン派の曲では差が出るが。 この関係性が分かってないと、古楽器軍団のようになってしまう。 楽曲は絶対。変えると音楽は変わる。 でも音が変わることが、即音楽が変わることにはならないんだよ。 音程が同じだから楽器変えていいとか、違うから駄目とか、そういうこととは違う。
いつにもまして何と戦ってるのかよくわからない文章だな ピリオド楽器でもモダン楽器でも音楽は変わらないということ?
更に、大バッハ限定みたいだよ。 大バッハとロマン派っていう意味の分からない比較なんだよね。 まあしかし、何が言いたいのかさっぱり分からないな。 頭がパンクしそう…
天才の言うことは、おれのような凡人にはわからない・・・
970 :
名無しの笛の踊り :2009/10/30(金) 15:27:48 ID:ZrvywjpO
リヒターの演奏には、曲へのαγαπηがある。 「たとえどんなに音楽的に、また技術的に完璧に近い演奏をしても、曲へのαγαπηが無ければ、虚しく聞こえるだけである。」 "αγαπη"とは何だかお分かりかな?
つまりリヒター以外のすべての演奏にはアガペーがないと言いたいのかな
972 :
名無しの笛の踊り :2009/10/30(金) 19:02:07 ID:ZrvywjpO
>>971 ここはリヒタースレなので、リヒターに限定したまでだ。
リヒター以外に無いとは、全く書いてないはずだが。
ギリシャ文字の「アガペー」が読めるとは
>>971 はただ者ではないな。
意味もお分かりかな?
普通の教養ある日本人ならプラトンの「饗宴」くらい読んでる。上から目線で半端な知識ひけらかすのは恥ずかしいだけだと思うが。
974 :
名無しの笛の踊り :2009/10/30(金) 20:51:02 ID:ZrvywjpO
プラトンの「響宴」だけではαγαπηの本当の意味は分からないだろう。
>意味もお分かりかな?
とりあえずこれに答えたつもりは全くない。
アガペーという言葉の概念はギリシア哲学からキリスト教神学では変遷がある。
>>970 に引用された一文だけで、
何をもって「本当の意味」と言えるのかは分かるはずがない。
思い込みで人と議論しようとしない方が良い。
976 :
名無しの笛の踊り :2009/10/31(土) 02:16:03 ID:bZ1gNdiy
>>975 同意。最初からおもろかったが、本当の意味なんて言ってる時点で、わろた。
言葉の意味なんて適当なイメージに過ぎないのに。
ソクラテスだかプラトンだかが本質を追究し始めてて西洋の妄想が始まった。
ウィトゲンシュタインやハイデガーがその誤りに気付いた。
愛でいいだろ。その音楽に対するいい意味での共感、同情みたいな意志、心。
977 :
名無しの笛の踊り :2009/10/31(土) 11:04:56 ID:APxOL5SJ
>>976 「愛でいいだろう。」
確かに日本語では「愛」だが、ギリシャ語では少なくとも4種類の「愛」があり、用途により厳密に使い分けられている。
例えば「哲学」のフィロソフィーは「知を愛する」ということで、このフィロとアガペーは日本語では「愛」だが、ギリシャ語では意味するところが全く違う。
だから何が言いたいのか結論書いたら?
それとも
>>970 で終わってるのか。
979 :
名無しの笛の踊り :2009/10/31(土) 12:09:57 ID:bZ1gNdiy
>>977 記号にとらわれすぎ、記号でなく意味を言えばいいだけの話
もちと精進されたし
餅は精進料理だす
( ^ω^)
982 :
名無しの笛の踊り :2009/11/08(日) 17:52:02 ID:U1v9ZOR2
カールと言えば、リヒターとほぼ同時代にミュンヒンガーもいた。 でも最近はあまり話題にならないような気がする。
983 :
名無しの笛の踊り :2009/11/09(月) 00:08:22 ID:PcxCkvlX
リヒターね。。。 確かに厳格で隙のない演奏だ。でも、隙がなさすぎて面白みがない。 マタイ受難曲の演奏は名演だろうけど。
984 :
名無しの笛の踊り :2009/11/09(月) 01:31:15 ID:vABIbvzj
>>983 「隙がない」
↓
そう聞こえるのは、あなたの心の狭さのせいだろう。
リヒターの演奏には、歌詞も含めた楽譜の深い読みがあり、多くの情報量が入っている。
隙がないとは思わんが、人間的な部分に欠けるきらいはある。 今後も聴かれる録音だとは思うがファーストチョイスではなくなるだろうな。
986 :
名無しの笛の踊り :2009/11/09(月) 03:19:28 ID:vABIbvzj
>>985 「人間的な部分に欠けるきらいがある。」
>>985 それはは当然だ。
∵神の領域の演奏だから。 (ここで言う神は、日本的な八百万の神ではなく、聖書のヤハウェのこと。)
「ファーストチョイス…云々」
それは
>>985 の主観でしかない。
今後のバッハ演奏受領史を待つしかないな。
別に人間的でないのが悪いとも思わんが、 今の時代にこれくらい峻厳なスタイルは馴染まないと予想されますが
988 :
名無しの笛の踊り :2009/11/09(月) 11:31:38 ID:vABIbvzj
>>987 は、
とにかく何はともあれ、いろいろな理屈を付けてリヒターを否定したいのだな。
でも、「マタイ」についてだが、一頃はガーディナー盤がトップのランキングだったが、最新では再びリヒター58年盤がトップに返り咲いた。
まあフルトヴェングラーの「第9」みたいなものになるだろう(音質はリヒターの方が全然良いが)。
「人間的でないのが悪いとも思わんが」と言ってるのに頭悪いのかな? >一頃はガーディナー盤がトップのランキングだったが、最新では再びリヒター58年盤がトップに返り咲いた。 レコ芸(だよね?)のランキングに説得力感じる人がどのくらいいるのか疑問ですが、どうよ。 フルトヴェングラーの第九みたいになるというのは同感。