1 :
名無しの笛の踊り:
20世紀最大の作曲、編曲家レオポルド・ゴドフスキ
音楽性、実技性、全てにおいて最強の楽曲の数々をこの世に残した
ピアノ界の巨人、レオポルド・ゴドフスキを語るスレです。
2 :
名無しの笛の踊り:2005/07/04(月) 21:07:20 ID:C+sp97Jw
\ 、\ ,.=-‐-、___// _∠.r.ムイ
ヽー‐デ >_ r-、ヽ. \ ̄ ̄ _,. _/
`7´ ,イ /´,ィkム、ヽ.Yニ、、ヽ-‐'´-=ニ、,___,.ィ
//// / \ ヤ‐_ヾ、ト-.、 ,. /
/′//i i / ,.ヘ,ヾy'ri`!ニ二._`く‐''"´
{' 〈ヾi、!k∠「 ,r’ノャ=、- 、,_\
_,.、-ヘ.`Z_ン` ト5′ヽ ` _,.>'^ー
 ̄`入´ ‐ ,イ i 〉)'´ ⌒
∠´.ィ/\ _,/丿 |_,rイ/-ー''⌒`ヽ
伝説のスーパーサイヤ人ブロリーが2ゲットだ!!!!
また
>>1匹虫けらが死にに来たか!
貴様だけは簡単には死な
>>3ぞ!!
惑星
>>4ャモから連れてこられたドレイ達か!!
>>5かは自分達の惑星に帰りたいと星を眺めていたな!!
カカロット!
>>6スコはカワイイか!?
手加減って
>>7んだ?
>>8っと戦う気になったよだな!
俺が化け物?違う!俺はア
>>9マだ!!!
カカロッ
>>10ォォォォォォォォォォ!!!!!!
3 :
名無しの笛の踊り:2005/07/04(月) 21:07:44 ID:DBJ6UMpz
うは、2だ。
洒落たところが好き。
4 :
↑:2005/07/04(月) 21:08:27 ID:DBJ6UMpz
やられました。
5 :
名無しの笛の踊り:2005/07/04(月) 22:31:14 ID:axUJiyeJ
ショパンの第2番ソナタ「葬送行進曲付き」の、
葬送行進曲を録音し終わったところで、脳卒中に襲われて、
それが原因で死んだ。
6 :
名無しの笛の踊り:2005/07/05(火) 00:32:42 ID:NZjTq0UL
この人のトッカータは凄い
7 :
名無しの笛の踊り:2005/07/05(火) 10:12:23 ID:vd2+YF00
弥七。
8 :
名無しの笛の踊り:2005/07/05(火) 11:42:49 ID:CHmZkY0q
Esther Budiardjoのジャワ組曲はいいね
9 :
名無しの笛の踊り:2005/07/05(火) 14:34:59 ID:E34+jQ2t
各作曲家のナンバー1を決めよう!Part 10
http://music4.2ch.net/test/read.cgi/classical/1116131008/209 209 名前:出雲廃市 ◆UsuhD2ImQI [] 投稿日:2005/05/29(日) 12:13:31 ID:bZkml3Wv
第81回 L・ゴドフスキー 集計結果 (2005.05.29) 投票総数34
9 ショパンの練習曲による練習曲集
(1)Op.10, No.5
7 ピアノ曲集「トリアコンタメロン(30日物語)」
(3)第11曲「なつかしきウィーン」
5 ジャワ組曲
3 パッサカリア(シューベルトの「未完成交響曲」冒頭の主題による44の変奏曲、カデンツァとフーガ)
2 ピアノ・ソナタ ホ短調
ワルツ「芸術家の生涯」による交響的変容(ヨハン・シュトラウス2世 原曲)
1 楽興の時第3番(シューベルト原曲 D.780-3)
喜歌劇「こうもり」の主題による交響的変容(ヨハン・シュトラウス2世 原曲)
タンゴ ニ長調(アルベニス原曲 Op.165-2)
トッカータ Op.13
無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調(J・S・バッハ原曲 BWV.1011)
ルネサンス(バロック期の諸作品による24の自由な編曲)
10 :
名無しの笛の踊り:2005/07/06(水) 03:22:58 ID:ihNsQ8Us
映像が残っているのが凄い。
演奏風景も撮影してほしかった
>>5 スケルツォ4番を録音したあとに倒れたって何かで読んだぞ
13 :
名無しの笛の踊り:2005/07/10(日) 15:20:11 ID:ONAzj1BL
>>12 漏れの持っているCDの解説書にも、葬送行進曲録音のあとにぶっ倒れた、
って書いてあった希ガス。
そいつはおもしろい。
自らレクイエムをかなえて自ら辞したのか
15 :
名無しの笛の踊り:2005/07/11(月) 13:31:40 ID:T89n3vyp
>>13 それが本当なら内向的なピアニストらしい逝き方だ。
>>10 少しだけどピアノ弾いてるところもなかったっけ?
身内で撮ったフィルムでカラーだから昔の8ミリみたいだよね。
息子が技師ならもっと撮っておいて欲しかった。
話が出気杉
17 :
名無しの笛の踊り:2005/07/22(金) 23:14:15 ID:dtZcZe8q
age
18 :
名無しの笛の踊り:2005/07/24(日) 02:22:41 ID:BiUELCo0
レオポルド・ゴドフスキー 自身は、あの有名なショパンエチュードの編曲ものを
全部弾けたのだろうか?
自分が弾けない曲を作る作曲家もいるからなー。
クセナキスだってそうだろ、自分じゃ弾けない難曲作るんだから、
例えばシナファイだっけ?
絶対弾けない曲作るなっつうの、迷惑だよな。
もし俺が、絶対弾けない難曲作っても誰も相手されないよな、
・・・でもクセナキスなんざーそんなもんだろ。
あんなクソ曲。
20 :
名無しの笛の踊り:2005/07/24(日) 04:53:56 ID:KkTLyzPI
>>19 俺が音を並べることすらできない曲をつくった作曲家はみんな下手くそ。
といいたいのだろう。
>>18 昔の宮廷音楽ならともかく、演奏家を考慮して作曲する、なんてルールは無いのでは?
クセナキスの場合、純粋に「結果的に表出する音響」そのものに重きを置いてたのだろう。
もちろん難易度の割りに演奏効果が高ければ、それに超したことは無いだろうが、
作品の価値は1次元ベクトルでは無い。その他で優れていれば評価されて当然。
ましてや、クセナキスやゴドフスキーの音楽は「難技巧の為の難技巧」では無い。以上。
22 :
名無しの笛の踊り:2005/07/24(日) 20:08:09 ID:BiUELCo0
いやさー、現在ショパンエチュードの編曲ものを 全曲弾けるのは3人しかいないわけだろ。
だから、本人は弾けたのかなって思ったんだよ。
>その他で優れていれば評価されて当然。
って言うけどさー、それ違うだろ。
クセナキスの場合、その芸術性がすばらしくて聞いているはずないよ。
例えばラックとか、チャイコ聞いて素晴らしいという感情とは違うはずだ。
クセナキスのエブリアリ聞く場合、よく弾くなー生だとどんな感じなんだろう、とか
デタラメに並んだ膨大な音符の数を弾くことに対する一種別の興味を刺激して
人を引き付けていることに疑問はないだろう、違う?
ゴドフスキーは、もっと伝統的な音楽性の上に成り立っているけれど、
クセナキス同様、誰も弾けない曲を弾くことへの興味が、そのひき付けられる理由だよ。
・・・たしかに音楽としても魅力あるのは確かだが。
・・・それが悪いと言うつもりは無いんだ。
23 :
名無しの笛の踊り:2005/07/24(日) 20:09:19 ID:BiUELCo0
>昔の宮廷音楽ならともかく、演奏家を考慮して作曲する、なんてルールは無いのでは?
う〜と、これ俺の考えね。
制約というのは不自由なんだけど、それがあるから自由になるんだ。
どういうことかと、例えばギターという楽器がある。
これは、左指で弦を押さえる、したがって基本的に単旋律楽器である、もちろん
対位法的にも使えるが非常に難しい、ピアノに比べ。
その一方でエンハーモニックとか、右手でリズム叩いたり、音色変えたり
ピアノにはない特色がある。
ピアノもギターよりは音符的には自由である分、音数は増やせる。
ところがギターのような単音の価値は、その分小さくなった。
そして、人が弾く指という不自由さ、これすらも無くすという考え。
一見、全て自由ですばらしいと思える、ところがだ、人は何に対しても自由になったとたん
何をしてよいのかが分からないものなんだよね。
・・・だから数学なんていう別のもの持ち出して計算で作るなんてするわけさ。
それが証拠に、今世紀に入ってから全集が編集されたんでしょ。
ゴドフスキーは今まで評価されてなかった、だってピアニストが弾けない曲じゃ
どんな曲かも分からないしね。
今だに世界で数人でしょ。
演奏会でゴドフスキーのショパンエチュード弾くピアニストっているの?
アムランとか別で。
・・・ゴドフスキーは俺もすごく興味あるんだけどね。
>>22,23
ショパンエチュードライブで弾いてるひとだと
アムラン
リベッタ
ベレゾフスキー
は聴いたな。あとはCDだと
グランテ
アムラン
ハット
が全曲か、抜粋はボレットとかもあるからなぁ。誰か補完して。
そう、マッジは外してもいい?
>>22 ブゾーニの新音楽美学を読んでみてはいかがかな
26 :
名無しの笛の踊り:2005/07/25(月) 03:53:17 ID:ePDZUy//
ベレゾフスキーは凄かったね。
27 :
名無しの笛の踊り:2005/07/27(水) 01:39:58 ID:1do86t8v
>>25 何が言いたいのか、もう少し説明してくれると助かるのだが。
>1 ピアニストのピアニストなんて俗っぽい表現はやめてほしいな。
編曲ものって、一種のトリックなんだよ。
原曲がすばらしい曲で、難しい曲、そこにさらに音を付け足し複雑化する。
原曲者を越えたと思わせる、またそう思う。
それが最難曲だったりすると、もう神がかり的曲となる。
だがよく考えてくれ、編曲者のオリジナリティーはどこにあるのか?
複雑化し、難曲化したことのみだ。
ゴドフスキーは分析したことないんだけれど、2つの曲の合体などは
他人のふんどし借りて、パラリズムの手法で処理したわけでしょ。
もちろん、その一曲一曲は原曲より単純化されなければ弾けない。
これが、オリジナルな2曲のパラリズムの曲であれば、ただのというか、
すばらしいただの難曲になる。
ショパンの難しいエチュードの2つの曲の合体とみるから、え!スッごい!
となる・・・つまりトリックなんだよ。
・・・まあ、そうやって難技巧というものは発達していくものなんでしょう。
とりあえず、ageてまで必死に意見述べなくてもいいとおもうけどな。
必死な厨がきちゃうから。
ゴドフスキーといったら半音階的和声、対旋律、複リズム、複旋律でしょ。
ショパン・エチュードによる練習曲は
ゴドフスキーなりのスパイスを加えて原曲を壊さずに
さらに上を目指す者への練習曲という意図でつくられた物だと思う。
原曲がショパンだからとっつきやすいし、ちゃんとゴドフスキーが
多用してる技法の練習が組み込まれてる。
この辺りに編曲者で盛り込んだオリジナリティーがあるわな。
単純な複雑化難曲化ではない。
でだ。
>>27 おまいは本人が弾けたかどうかを避難してた香具師じゃないのか?
なんで矛先を曲そのものに変える?
必死にゴドフスキー叩きたいなら他所逝ってね。
>>27 おいおい、"The pianist's pianist"ってのは、ゴドフスキーの
海外でも一般的に認知されている通り名だぞ。
30 :
1:2005/07/27(水) 02:33:31 ID:NJFrGI+f
>>27 29氏が言うとおり、「ピアニストのピアニスト」、「ピアニストのためのピアニスト」
といわれているのは歴史的事実で、私の言葉ではありません。
>2つの曲の合体などは 他人のふんどし借りて、パラリズムの手法で処理したわけでしょ。
このように編曲ものの価値をまだまだ認めていらっしゃらないのはよくわかりますが、
ゴドフスキは同時代の2流編曲家と違ってオリジナルでも成功している点が見逃せません。
ジャワ組曲は最たる例でしょう。
ゴドフスキの手法的な奥深さはショパンの練習曲編曲ものにはありません。
むしろ、あれはゴドフスキの中でも単なる習作であると考えるのが常のようです。
技巧に関してはブゾーニに同じく、原曲を凌ぐ演奏効果でありながら難度を低めて
いるものも少なくありません。
フランツ・リストもそうですが、編曲で有名になるのは原曲が有名だからに他ならず、
本当はオリジナルを判断してから、という手順を踏まないだけで印象が随分と異なってくる
という事実もしっかりと見つめる必要があるでしょう。
>>18 亀レスで悪いけど、少し調べてみた。
ゴドフスキーはショパン=ゴドフスキーを演奏出来たっぽいね。
もちろん全部弾けたかどうかは知らないけど。
1900年のベルリン・デビューでの演奏曲目:
・ブラームス ピアノ協奏曲第1番
・ゴドフスキー ショパン練習曲による練習曲より:
第31番(op25-4の左手ver)
第48番(op.10-11 + op25-3)、
第38番「六度」(op.25-8)
第34番「マズルカ」(op.25-5)
第6番(op.10-4の左手ver)
第47番「冗談」(蝶々+黒鍵)
第12番A(op.10-5の左手ver)
・ヴェーバー=ゴドフスキー 舞踏への勧誘
・チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番
アンコール:
・サン=サーンス ピアノ協奏曲第2番よりスケルツォ
・ゴドフスキー ショパン練習曲による練習曲第12番A
細部で間違ってたらスマソ。
>>27 編曲とか近現代音楽に関する思想について少しは答えてくれるんじゃないかと思ってあげた。
ブゾーニで検索すると読めるサイトがすぐ見つかると思うよ。
まあゴドフスキーの価値がわかるかわからないかで、
そいつのピアノ音楽に対しての洞察の深さがばれる罠。
ショパンエチュードの編曲って、サパートンが弾いてるじゃん
35 :
名無しの笛の踊り:2005/07/27(水) 21:22:26 ID:Adl9ocf9
>>27 > ゴドフスキーは分析したことないんだけれど2つの曲の合体などは
> 他人のふんどし借りて、パラリズムの手法で処理したわけでしょ。
って、ものすごい思考経路というか・・。分析した事無いやつはまず分析してから語ろうぜ。
ま、逆に分析したこと無いからこそ
> だがよく考えてくれ、編曲者のオリジナリティーはどこにあるのか?
> 複雑化し、難曲化したことのみだ。
なんて幼稚な発想が出てくるのかもしれないが。とはいえ、
>>30のように
> ゴドフスキの手法的な奥深さはショパンの練習曲編曲ものにはありません。
と断じてしまうのには承服できないが。逆に手法的な奥深さが出ているのはどういうものを意図しているのだろうか訊いてみたい。
>>34 そうだ!サパートンはいいよね。
出来れば全曲録音して欲しかった
38 :
1:2005/07/28(木) 00:57:29 ID:00wYMcXx
>>36 単純に手法の奥深さというのは「どうということのない作品」の「気づかれなかった隙間を埋める」ことにあると
思います。つまり、編曲するにあたってその原素材の選出は非常に重要です。
極論かもしれませんが、ショパンの編曲は素材が勿体なすぎるきらいがあります。
もはやハレもケもない飽和的な融合であり、ショパンを愛好すればするほど、やはりゴドフスキの
合成の仕方には感心できなくなる一般性は理解できる、ということです。
単純に演奏を見世物にするならば、楽曲をそこまで複雑にしなくても達成できることです。
そういう意味で、音楽性に優れているというよりも、やはり奏者の技巧を高めることにプライオ
リティを感じます。
しかし、そもそもショパンの練習曲があまりに高い完成度を誇るというのは、
ゴドフスキの最も苦慮した点であり、それは「左手の鍛錬のために強化されるべき」という理由抜きに
は到底肯定されえない雰囲気を持つことが非常に「自堕落」なのです。
もちろんサパートンくらいにデフォルメを効かせれば話は別ですが、ゴドフスキの作曲的な
意図は、彼の演奏を聞く限り「デフォルメ」にあったとは思えないのです。
実際の「音列」としてはアムランが忠実であり、現に彼の演奏を聞いても楽曲的に優れているとは
いえないのが根拠になります。
「編曲の奥深さ」とはその手法のうちに「注目度の高くない作品を選ぶこと」から
既に始まっているのではないでしょうか。
(個人的な意見を長々と、申し訳ありません)
39 :
36:2005/07/28(木) 01:16:53 ID:2Hz4taPI
>>38 早速のレス、サンクスです。
なるほど手法という言葉で言わんとしている事はよく分かったし、そういう観点からは
自堕落かどうかはさておきもショパンのエチュードに対して辛口?の評価をするのも納得です。ただ、
> 「編曲の奥深さ」とはその手法のうちに「注目度の高くない作品を選ぶこと」から
> 既に始まっているのではないでしょうか。
という眼鏡に適うゴドフスキの編曲だと、どの辺をチョイスするのでしょう?やはりルネサンスとか??
自分としてはピアノの編曲の王道はやはり編曲家による対旋律の付加・融合、対位法的処理、
あるいは和声の転回、というようなものを盛り込んでいるものになるのでは、と思うので
例えばシューベルトの歌曲からの「おやすみ」とかがシュトラウスの「芸術家の生涯」あたり、
あるいはショパンのエチュード編曲の45番などが彼らしいというか、編曲という作業では
レベルの高いものではないかと思いますが。
40 :
名無しの笛の踊り:2005/07/28(木) 11:13:21 ID:y0Yi+dJs
>>28ショパン・エチュードによる練習曲は
ゴドフスキーなりのスパイスを加えて原曲を壊さずに・・・
?完全に崩していると思うがね。
>おまいは本人が弾けたかどうかを避難してた香具師じゃないのか?
なんで矛先を曲そのものに変える?
いやいや、本人が弾けたかどうかと曲そのものの問題とは、イコールではないが、密接な関係があるだろ。
>>29 The pianist's pianistという言い方が、学術的に認知されているのか?
歴史的事実とはいったい何だ?
ヴィルトゥオーゾという言葉は学術的論文には用いられるが、The pianist's pianistという言葉がどこにあるのだ?
>>30ゴドフスキの手法的な奥深さはショパンの練習曲編曲ものにはありません。
だがね、ゴドフスキをゴドフスキならしめているものは、紛れも無くショパンの練習曲編曲ものにはあるのですよ。
また、もっとも難曲なものとして位置ずけられてる。
41 :
名無しの笛の踊り:2005/07/28(木) 11:15:46 ID:y0Yi+dJs
>>38 ショパンを愛好すればするほど、やはりゴドフスキの
合成の仕方には感心できなくなる一般性は理解できる、ということです。
たしかに一般論として感情的にはそのように論ずることは可能かと。
しかし、編曲というものはそれだけではない深いものがあると思う。
ゴドフスキもそうですが、ブゾー二のバッハの編曲なども専門家たちには評価が低いのもまた事実。
その一つの理由に、時代様式なるものがあります。
ブゾー二もゴドフスキも原曲をほとんどそのまま借用した上で、それぞれの自分の様式をはめ込んでいる。
これは例えばバッハという17世紀のバロック様式という時代様式の上に違った時代の様式をはめ込んでいる点を言いますね。
何何の主題による変奏曲とか、パラフレーズとかは昔から頻繁に行なわれていました。
バロック時代であれば、ルネッサンス時代に大流行した涙のパバーヌにもとづく変奏とか、
ロマン派ではブラームスなどがバロック時代のコレルリの主題をもとに変奏したりです。
歴史的によくやられていますし、そこから傑作も多く出ています。
これらは、あくまでテーマを借用するのみで、その様式といったものは、それぞれの作曲家の様式で作曲されるのが常ですね、
原曲をそのまま借用する手法というのはおそらくはブゾー二あたりが最初ではないでしょうか。
この辺りが学術的に論じた場合の評価が下しずらい点ではないでしょうか。
42 :
名無しの笛の踊り:2005/07/28(木) 11:20:24 ID:y0Yi+dJs
ブゾー二編曲のバッハのシャコンヌが素晴らしい芸術作品とは感覚的にも、思考的にも、そう思えない。
一方、バッハの未完のフーガの技法を補完したワルヒャの作品や、レオンハルトのバッハのシャコンヌの編曲がすばらしく思うのは、
彼等は編曲するに当って、そのバッハの時代様式を完全に理解しているところから編曲している点を見逃すことはできない。
ここで結論ずければ、ゴドフスキの行なったショパンの練習曲編曲は、この点をまったくといってよいほど無視している点が問題であると言わざるを得ない。
いままで評価が低かったのは当然と言えば当然なんです。
もっとも1さんの言うように、「音楽性に優れているというよりも、やはり奏者の技巧を高めることにプライオリティを感じます。」と言った点は正しいと思います。
・・・だからこそ、The pianist's pianistという言葉は俗っぽい言い方なんですよ。
43 :
名無しの笛の踊り:2005/07/28(木) 11:28:18 ID:y0Yi+dJs
>>39 自分としてはピアノの編曲の王道はやはり編曲家による対旋律の付加・融合、
対位法的処理、あるいは和声の転回、というようなものを盛り込んでいるものになるのでは、と思うので・・・
もちろんそうだね、ただ芸術作品ならしめるためにはそれだけではダメなんだよ。
それだったら単なる作曲家の技巧、技法の卓越さを披露していることでしかない。
もしショパンの原曲を使い(ここがポイント)編曲するなら、そのショパンの様式といったもので発展、展開されるべきもの。
ところがショパンの曲はどれも完成されすぎている。
極論すればショパンは編曲する必要なんてまったくない。
もしするとすれば、それは遊びでしかないことになる。
もし、ショパンの曲を芸術作品として編曲するのであれば、
誰もが知っているであろう有名なメロディー(そうでなくてもいいが)を
ゴドフスキの様式に書き換える必要がある。
当然メロディーも誰もがそれと分かる程度に変えることになる。
当然和声も変る。・・・場合によっては原曲が何なのか分からないくらい変える必要があるかも知れない、
それは作曲者自身による。
44 :
名無しの笛の踊り:2005/07/28(木) 13:09:14 ID:XnUe8XCd
>>40-43 > The pianist's pianistという言い方を知らなかった。
まで読んだ
オリジナル派が編曲派に噛みついても会話が成り立つわけないと思うが…。
その作曲家の様式で編曲しなければいけない、とか芸術性、とかいう概念が全くわからない。
それに変奏曲なんかはどうなるんだよ。
>>40-43 幾つか疑問を感じたので質問させてください。
まず、The Pianist of Pianistsという通り名ですが
これは作曲家ではなく「ピアニストとしてのゴドフスキー」を指した言葉でしょう。
またそれが学術的に用いられているかどうかに執着されているようですが、
そんなに重要なことでしょうか?通り名なんてのは所詮俗っぽいものですよ。
音楽評論家によるレビューなどが切欠で世間に広まっていくものだと思います。
リストが「ピアノの魔術師」と呼ばれたり、シフラが「リストの再来」などとして
呼ばれることと何処か違うのでしょうか?
次に、ブゾーニのバッハ編曲を例に挙げておられますが、
ブゾーニとゴドフスキーの編曲観念は全く相違する物です。
ブゾーニは音楽作品は全てが「編曲」だと言い切っています。
作曲者が譜面に想念を書き落とす時点で、既に原形を失っている。
作曲過程は所詮「表現手段」であり、原形を凌駕することは出来ない。
つまり、如何に編曲しようと、作品の価値は編曲者ではなく、
原曲の(つまり原形を創造した)作曲者に帰結すると言っています。
ブゾーニの編曲もまた(楽器が違うので当然書法は彼のものではありますが)、
バッハの原曲の精神に忠実なものであると思うのですが、如何でしょうか?
従って彼は、他人の主題を借用した「変奏曲」が評価されることに疑問を抱いています。
だんだんスレ違いの方向に話が逸れてしまったので、
詳しくは25さんの言う通り、「新音楽美論」を読まれることをお勧めします。
(いかんせん難解なエッセイなので私の解釈が間違ってるかも知れないので。)
ゴドフスキーの伝記"The Pianists' Pianist"も
読んだことのない香具師ばっかりが
ゴドフスキーを語ってるのか…
49 :
36:2005/07/28(木) 23:20:42 ID:NA77IEhU
>>40-43 まず、
・位置ずけられて → 位置づけられて
・評価が下しずらい点 → 評価が下しづらい点
日本語をしっかり書こう。言葉の元の意味を知らないからこういうことになるのだろう。さて、
> もしショパンの原曲を使い(ここがポイント)編曲するなら、そのショパンの様式といったもので発展、展開されるべきもの。
と書いているが、そもそもその様式を守って編曲しなければならない根拠は何?貴君の持論ではないのだろうか?
その一方で、
> もし、ショパンの曲を芸術作品として編曲するのであれば、
> 誰もが知っているであろう有名なメロディー(そうでなくてもいいが)を
> ゴドフスキの様式に書き換える必要がある。
と書いており、今度は編曲家ゴドフスキの様式を用いろと自己矛盾をきたしていないか?加えて、
> ところがショパンの曲はどれも完成されすぎている。
> 極論すればショパンは編曲する必要なんてまったくない。
と書いているところからすると、実は単なる原点至上主義者、あるいはショパン至上主義者ではないのか、と。
日本語について話すと論点がずれるからやめといた方がいいとおもいますよ。
ショパンの編曲はゴドフスキー本人もかなりの上級者向けの練習曲としてつくったのではないでしょうか。
残念ながらショパンのエチュード自信は主に右手の強化重視になってるので
(ま、多少左手強化の曲もありますが・・・)編曲する上で左手重視。
それからゴドフスキー自信が多用した超絶技巧、半音階和声重視、複旋律複リズム重視みたいになったのでしょう。
そのせいで原曲にはない音の奥行きが加わったり、はたまた低音高音のバランスがくずれたりしてると思います。
決してどの曲とってもショパンの原曲に勝ってるわけではないし、
全ての曲がショパンの原曲に劣ってるわけでもないです。
やはりこの曲集の価値を真に理解するにはある程度ピアノに対する造詣が必要なので
わからない人は数年たったらわかる時がくるかもしれない、というしかないです。
色々良い点を上げたりして議論しても平行するだけでしょうね。
なので過去の名作に対する冒涜などという古い思考がでてくるのも仕方ないと思います。
個人的にはこのショパンの編曲、もっと取り上げられてしかるべきだと思うんですけどね。
たとえば原曲のOp.25-6弾けるくらいの実力者ならその対になってる36番やるのは
すごく意味があるし、決して演奏が不可能ではないと思います。
ゴドフスキーは演奏においては
ヘンゼルトの精神的後継者と言っても過言ではないか
ホフマンの言葉を記したチェイシンズの著書からしても
モイセイヴィッチのこうもり変容を聴いて他のピアニストが驚愕したように
ゴドフスキーの仲間内での演奏は音楽史上のトップレベルに属するのだろう
52 :
名無しの笛の踊り:2005/07/31(日) 21:56:57 ID:ZlqatuDs
NHKでチェルカスキーが白鳥弾いてるね
53 :
名無しの笛の踊り:2005/07/31(日) 22:10:07 ID:JOO5Eqss
見たよ、聴いた。
54 :
名無しの笛の踊り:2005/07/31(日) 22:56:11 ID:SkOgvuVt
毛深い手だった
55 :
名無しの笛の踊り:2005/08/03(水) 00:12:55 ID:SlHZtQlq
週末は、とある避暑地の会員制ホテルにいたのでレスがつけられませんでした。
>>46 ・・・通り名なんてのは所詮俗っぽいものですよ・・・
それでいいと思います。
>ブゾーニとゴドフスキーの編曲観念は全く相違する物です。
彼等の編曲に対する観念が異なるのは当然であり、それを問題視しているわけではないです。
編曲というこれまでの概念を逸脱していることを問題だと考えております。
56 :
名無しの笛の踊り:2005/08/03(水) 00:15:19 ID:SlHZtQlq
>バッハの原曲の精神に忠実なものであると思うのですが、如何でしょうか?
原曲の精神とは何か?・・・それはバッハのあるいはバッハの時代のスタイルに忠実である必要があります。
ブゾーニの編曲でも、ショパンのプレリュードC mollの編曲などは、ショパンらしくない単純な主題を元にしているためか、
ブゾーニ自身のスタイルで作曲されていてすばらしいできになっています。
本来の編曲とは、例えばラベルがムソルグスキー展覧会の絵をオーケストラ用に編曲したものなどがそれに当ります。
あくまでピアノ用の曲をムソルグスキーがオーケストラ用にしたら、こうなるであろうことを想定して、存在しないはずのものを作ることを言うのでしょう。
ショスタコービッチリはリムスキー・コルサホフが編曲したムソルグスキーの曲をムソルグスキーはこんな編曲はしないと怒ったといいます。
編曲という意味がよく理解できる出来事だと思いませんか。
長い音楽史の歴史でも、ショパンのエチュードを編曲しようとした人物は、ゴドフスキーだけでしょう。
リストもやればできたでしょうが、そのような大胆な暴挙はできなかったのでしょう。
パガニーニは超絶技巧で当時から神のごとく言われていた人物ですが、彼が残した曲は、ほんの一部で多くは譜面として残されなかったとも言われています。
作品を発表して他の多くのプレイヤーが弾き始めると直ちに編曲し、より複雑で難しい違った演奏をしたと言います。
自分の作品が他人に弾かれることが快く感じなかったのでしょう。自分は彼らより上であることを誇示するかのように。
ゴドフスキーは、それをショパンのエチュードで行なった。
しかし、違うのは二つの異なった様式の合体という点。
57 :
名無しの笛の踊り:2005/08/03(水) 00:17:42 ID:SlHZtQlq
>>49そもそもその様式を守って編曲しなければならない根拠は何?貴君の持論ではないのだろうか?
ミソもクソもいっしょくた、というアマチュアな考えが好かないだけ。
>自己矛盾をきたしていないか?加えて・・・と書いているところからすると、実は単なる原点至上主義者、あるいはショパン至上主義者ではないのか、と。
校正する能力と文章の理解力とは別であることがよく分かるね。
自己矛盾もきたしていないし、原点至上主義者でもショパン至上主義者でもない。
ミソもクソも一緒というアマチュアな考えが好かないだけ。
>>56 ショパンの練習曲にもとづく編曲ならマックス・レーガーが書いてなかったか?
>>58 ブラームスもラフマニノフも一曲づつ書いてるね。
ブラ:エチュードOp.25-2を左手用に。
ラフ:プレリュードの20番の主題による変奏曲
とはいえ、ほぼ全曲に渡り徹底的に編曲を施したのは、
ゴドフスキーだけなのは事実。
60 :
36:2005/08/04(木) 01:08:03 ID:nxB0GLVV
>>56 56氏の「編曲」という言葉の意味合いについては例えばラヴェルによる〜〜のくだりでよく分かった。
なるほどそういうものを編曲と位置づけたいのね、と。それはそれで非常に説得力のある意見ではあると思う。
さて、ショパンのエチュードによる53の練習曲をゴドフスキーのオリジナル
(ブゾーニによるショパンの20番前奏曲変奏曲のような位置づけ)としてみることは有りうるのか?
そうしたケースがありうる場合、これはどのように評価するのだろう?
ゴドフスキーの作曲家としてのスタイルがよく表われていると評価するのか、
それともそんな事はありえず、ショパンのメロディーを借りただけの駄作?と評価するのか?
ブゾーニの編曲の元曲はショパンらしからぬと言い切る割りに、エチュードはいずれもショパンらしいと
単純に切り分けるところに引っかかるのでね。
あと、もちろんほとんど逃げ同様に
>> ミソもクソも一緒というアマチュアな考えが好かないだけ。
と書き散らかしてごまかそうとする辺りからしても、どうやら図星のようにも感じられるので
ちょっといじってみたいわけだ。正直ですまぬがね。
>>56 ラヴェルにせよリムスキー=コルサコフにせよ、オーケストラ=ピアノ間の編曲だし、
ゴドフスキーのピアノ曲を元にした編曲の場合とは都合が異なるんじゃないか?
だって同じ演奏形態における「作曲家の様式」の編曲とは「原曲」そのものだろ。
そうじゃなかったら、いつもソラブジが一番になってしまう。
ところでゴドフスキーの他の曲の楽譜を見たことはある?
ピアノソナタとかパッサカリアとかヨハン・シュトラウスとかいろいろあるけど、
それらを知ってしまった今となっては、ショパン=ゴドフスキーの練習曲集も
かなり「ゴドフスキー臭い」編曲だと思うんだけどね。
あれを単なる技巧の誇示だと思ってるのだとしたらちょっと残念。
これみよがしだけのピアニストが「おやすみ」や「白鳥」をあのように編曲すると思うのかね?
こないだやってたチェルカスキーの白鳥は素晴らしかったね。夢のようだった。
>>56 >>60 ブゾーニのショパン前奏曲の主題による10の変奏について、
私が知っているのは第2版だけですが
(第1版なら変奏曲とフーガなので、第2版のことだとは思いますが)、
読んでいて少し疑問を持ちました。
スレ違いだと思って黙っていたのですが、議論が発展しているようなので、
ちょっとおうかがいしたく存じます。
みなさんはあの主題の部分を編曲と考えているのですか?
あれは主題にちょっとした序奏をつけて、
あとはわずかに表情をつけられているだけだと思いますが。
それとも自分の様式で、他者の主題を変奏することを編曲といっておられるのですか。
モーツァルト、ベートーヴェンの時代から普通にあったことだと思いますが。
ちなみに、ブゾーニの主張は、
変奏(主題の変容)や主題労作が音楽形式の根幹ならば、
編曲は音楽形式の根幹に結びついているという指摘だったように記憶します。
64 :
61:2005/08/04(木) 11:49:10 ID:pwxx4LMA
>>63 同意。ブゾーニがどう考えていたかはともかくとして、
変奏曲と編曲は同一視されないのが一般的だね。
ところで、
>>56がパッサカリアをどう思ってるのか興味があるな。
超絶技巧ばかり非難して肝心の音楽について触れていないから、
ゴドフスキーを端から嫌っているような気がしなくもないけれど。
65 :
名無しの笛の踊り:2005/08/05(金) 02:00:03 ID:c50Wzavp
>>63>>64 みなさんはあの主題の部分を編曲と考えているのですか? 変奏曲と編曲は同一視されないのが一般的だね。
はははは。 よく読んでほしい・・・だから
>>56でショパンの主題に基づくものを「作曲」とわざわざ書いているのは
そのような配慮からなんです。
ブゾーニの編曲ではなく彼のスタイルによる作曲と書いているのはそのため。
ですから編曲と変奏とは別のものです。
・・・しかし実際には曖昧な使われ方をしていますね。
ほかには、例えばモンポウが「大田胃散」の主題による変奏とかありますが
主題は、ほぼ原曲どおりであとはモンポウの様式で作曲されています。
・・・これはいいのです。
ゴドフスキーが問題なのは・・・前にも書いていますが、ショパンのエチュードをそのまま
借用している点なのです。
ブゾー二やモンポウの変奏で行なった彼ら自身の様式でショパンのエチュードを編曲するのであれば
問題はないのです。
モンポウの変奏では「大田胃散」のテーマが形を変えてモンポウの様式、スタイルで出てきます。
それは原型のテーマでなく新しい形を取ります。
私は
>>43でそのことを言っています。理解されていないようですが。
・・・そう!これは編曲ではなく作曲なんです。
ゴドフスキーのショパンのエチュードは編曲と言っています、誰が言ったのかは知りませんが・・・
日本語では曖昧なんです。
・・・まだよくご理解していないかと思いますが、もし編曲ならばショパンの様式に忠実にする必要があるということです。
もし、作曲ならばゴドフスキーの様式でショパンのエチュードを作り変えなければなりません。
・・・そのどちらでもない、それが問題だと言っています。
66 :
61:2005/08/05(金) 06:49:03 ID:c2KWpAir
>>65 日本語でなくても編曲は編曲(Transcribe)なんだけど…。まあ、それはいいや。
前にも書いたけど、ショパンの様式が遵守すべきだとか言ったところで、
「ピアノ曲をピアノ曲に編曲する」のに様式もへったくれも無いような気がするが。
しかも、ゴドフスキーの様式で作り変えろとか言ってるけど、
ゴドフスキーの他の作品を聴いたことある?楽譜を見たことはあるのかい?
あの独特の響きは既にゴドフスキーのものだと思うけどね。
君は編曲者の独創性を変奏曲という形でしか見出すことが出来ないようだけど、
一度何人かが編曲した同一曲の楽譜を見比べるなり音源を聴き比べるなりしてごらん。
編曲という作品がいかに独創性と個性に溢れているかが実感できるよ。
変奏曲じゃなくて、全くのトランスクリプションでよろしく。
ちょうどよい【理解できない人には一生理解できない】を顕著に表した例が
>>65ですね。
もっともっとゴドフスキーのピアノ曲に触れればそのうちショパン編曲聞いて
あ、ゴドフスキーくさいなっておもえる日がきますよ。
おそらく・・・
いや芳ばしいスレですね。
んな目くじら立てなくても、歴史的背景を理解した上で、鑑賞すりゃいいだけの話っしょ。
それを今日の視点のみで、作曲当時の様式が無視されて編曲されてるとかオリジナリティ
がないなどと文句垂れるのはナンセンス。
たんに好悪の問題をご大層な議論展開でごまかしてるだけにしか見えないね。
ちなみに管弦楽→管弦楽で近い例は、グーセンス版のメサイアでしょう。
あれをただのゲテモノ扱いだけで終らせていいのかどうか。
>>65 申し訳ありませんが、よく読んでもわからないです。
下に56を引用します。
>ブゾーニの編曲でも、ショパンのプレリュードC mollの編曲などは、
ショパンらしくない単純な主題を元にしているためか、
ブゾーニ自身のスタイルで作曲されていてすばらしいできになっています。
つまり、「編曲などは(中略)作曲されていて」ということで、
編曲と作曲が同一視されています。
もし、このふたつが違うとお考えなら、混乱を招くもとなので、
56の表現を撤回した上で、編曲と作曲を区別して扱われてはいかがですか。
それから、モンポウ、ブゾーニともショパンの前奏曲を主題とした変奏曲で、
エチュードを素材に用いたゴドフスキーとは、最初から前提が違うと思います。
一曲でも弾いてみりゃ、オリジナリティがいかに盛り込まれているかわかるよ。
それが頭でっかちで、理屈ばっかりこねてるやつにはわからんから、
「Pianist's Pianist」と呼ばれる所以なのさ。
まあ、ブゾーニの理論書かなんかを最近読んだもんで、
張り切ってるんだろうけどさ。(夏休みの宿題なのかねー)
71 :
36=60:2005/08/06(土) 00:31:38 ID:RXfWHEA4
>>65 > ショパンの主題に基づくものを「作曲」とわざわざ書いている
って、その前に「ブゾーニの編曲でも、」と書いているでしょ。配慮した割りに配慮されてないよね。
それより、ブゾーニによるハ短調の変奏曲を編曲のサンプルに持ってくること自体、おかしいでしょ。
あれは仰るとおり作曲、オリジナルなんだから。だからブゾーニの様式で作曲されている。当たり前だ。
そういう意味ではゴドフスキーについてもエチュードに基づいて作曲すれば満足だったのでしょう、
あなたの言い分としては。
と、相変わらずよく分からないのは
> もし編曲ならばショパンの様式に忠実にする必要があるということです。
のくだり。なぜその必要がある?なにか編曲というものの定義に関わるものなのか?
この辺の説明がいい加減なので、たんに自分の意見を垂れ流してるようにしか
みえなかったり、適当にいい逃れたり、となるのではないのかい?
72 :
名無しの笛の踊り:2005/08/06(土) 14:53:23 ID:20kiMvLf
ブランスウィックの復刻CD聞いたら電気録音よりずっと勢いがあって驚いた。
音質が悪いのが残念だけど。
ゴドフスキーが現役だった時代がうらやましいね。
>>31のコンサートに行って「蝶々+黒鍵?!すげー!」と
他の客と一緒に拍手したら最高だろうな。
パハマンに乱入されて困惑する姿とかも見たかった。
自分はリストがショパンの練習曲Op.10を弾いたときを見たかった。
素材を大事にするリストが今ゴドフスキーの編曲を聞いたらなんと思うだろう。
一蹴するか、絶賛するか。
はっきり言ってブゾーニなんて興味ないね。シャコンヌ、ショパンの前奏曲
、どの変奏もピンとこない。編曲家として議論するならショパン、リスト、ゴドフスキ
この三者で十分。
幼稚と言われようが、もはやソラブジやグレインジャーやらレーガーを挙げる意義は薄いと思われ。
形式の問題、歴史的な問題、いろいろあるだろうが、とりあえずは聞いてて面白くなければね。
あい変わらず自分の好みの問題かよ
75 :
名無しの笛の踊り:2005/08/06(土) 22:51:38 ID:rfX9Rx+q
>>73 編曲家としてブゾーニを理解できないのは、人それぞれの価値観かもしれん。だからその点については何も言わん。
しかし一つだけ言わせてくれ。ショパンは編曲家か?
76 :
名無しの笛の踊り:2005/08/07(日) 01:08:09 ID:uOvqTFRP
>>66 日本語でなくても編曲は編曲(Transcribe)なんだけど…。
英語は明快だね、Transcribe は動詞だね。Translateは翻訳する、Transは移すとかの意味があると思う。
翻訳はオリジナルを別の言葉に写し変えること、つまり新たに創作することでは断じて無い。
ゴドフスキーはショパンのエチュードをTranscribeしたと言っていたのか?
題名にはTranscribeの文字はないがね。この作品は53の練習曲であって53の編曲ではない。
>「ピアノ曲をピアノ曲に編曲する」のに様式もへったくれも無いような気がするが。
以前にも指摘していますが、編曲とはそもそもオケからピアノ用とか、ピアノ用からオーケストラ用に移し変えることを言います。
しかし2台ピアノ用をソロ用に編曲したりその逆の例もあるように「ピアノ曲をピアノ曲に編曲する」こともあります。
77 :
名無しの笛の踊り:2005/08/07(日) 01:12:05 ID:uOvqTFRP
>>68たんに好悪の問題をご大層な議論展開でごまかしてるだけにしか見えないね
素人さん、アマチュアな考えとは当にそのこと。
ゴドフスキーのショパンのエチュードに基づく53の練習曲が出てから、オリジナルのショパンのエチュードを
ゴドフスキーに比べたら簡単な練習曲だと言ってのける素人がいますね。
・・・それでも賢明な聴衆によってオリジナルの価値が下がっているわけではないと思います、
むしろゴドフスキーがやった事の方が非難されているという健全な立場を私は支持します。
ヨーロッパ、特にフランスでは模倣の評価は非常に低い。
ルネッサンス時代、イタリアオペラが全盛だった時代でさえもフランスは決してイタリアオペラをそのまま上演することをせずに独創的なものに作り変えた。
絵画でもまったく同じ模倣は軽蔑されます。・・・それはともかくも好みの問題のみで語ることの浅はかさは戒めなければならない。
>>69 56の表現を撤回した上で、編曲と作曲を区別して扱われてはいかがですか。
いえいえ、そもそも普通に、ゴドフスキーのショパンエチュードの編曲と言っているではないですか。
曖昧なものは曖昧なものとして扱って何が悪いのでしょうか?その上で「ブゾーニ自身のスタイルで作曲・・・」とした、
これは作曲とは誰が読んでもオリジナルのものをいいますね、
つまり編曲と作曲を同列におくことで編曲という言葉の中にオリジナルの意味も持たせたいということなんですよ。
>モンポウ、ブゾーニともショパンの前奏曲を主題とした変奏曲で、
エチュードを素材に用いたゴドフスキーとは、最初から前提が違うと思います。
そんなことはない。主題は何であれ形式が異なるだけなんですよ。変奏曲でなくとも、
主題に基づくパラフレーズでもいいのです。
78 :
名無しの笛の踊り:2005/08/07(日) 01:18:00 ID:uOvqTFRP
>>71 > もし編曲ならばショパンの様式に忠実にする必要があるということです。
のくだり。なぜその必要がある?なにか編曲というものの定義に関わるものなのか?
いいですか、編曲とは作曲者に忠実に写しかえなければならない。
何故そうしなければならないのか考えてみて下さい、ゴドフスキーが行なったショパンエチュードの編曲の手法は、
それ以外の全ての曲で労さえ惜しまなければ同じことができるのですよ。
つまり、際限なく他人の曲を勝手に作り変えられるられるということ。
人の絵を勝手にコピーして勝手に作りかえることが可能なんですよ。
あの編曲をゴドフスキーの独創性が現れていると言いますが、
例えばショパンのメロディーを彼はほぼ全曲にわたり原曲どうりに使っています。
和声も原曲の通りで、ところどころ借用的に半音階的和声を取り入れている、だが大元の和声のトリニティは変らない。
つまり原曲にちょっと色付けしているようなもの。
さらにほぼ原曲どおりのものに副旋律を勝手に付け加えている。
話は飛びますが、ブゾー二のバッハの編曲の問題点は過度の音の付け加えという点が挙げられます。
これは道理があります、というのはオルガンではストップと呼ばれるパイプの選択スイッチのようなものがあります。
8’4’2’16’などのオクターブ系の重音です。
それを普通に鳴らして厚みを出しているのでピアノで弾く場合にも重厚さを出すためにオクターブにします。
これもやり過ぎると問題がありますね。リストをみてください非常にシンプルでありバッハに対する忠実さを感じます。
ある素人さんのHPでリストの編曲は駄作などと言っていましたがとんでもありません。
本来の編曲というものを思慮深いリストは心得ていたのです。
79 :
名無しの笛の踊り:2005/08/07(日) 01:20:21 ID:uOvqTFRP
ブゾー二がさらに問題だったのは、これに3度や6度を付け足してしまったことです。
これもオルガンストップからでしょうが、オルガンで3度や6度を付けるのは稀な例です。
つまりフーガに新たな声部を付け足してしまったのです。
バッハの無伴奏パルティータやソナタも同様です。
しかもこれらは明らかにヴァイオリンのためのものであるはずなのに
オルガン同様にオクターブの連発を使ってしまったのです。
さらに3度や6度も付けるという有様、ヴァイオリンのための曲をまったく別の曲にしてしまったと言えます。
ヴァイオリンという楽器の特性を十分に考えて作曲した楽曲をまったく別の曲に作り変えてしまったと言っていいのです。
こんなことが許されるのであればもはや何でも有りになってしまいます。
ゴドフスキーもまったく同様です、彼はさらに対旋律を付けてしまったりです。
もとよりバッハの原曲はそのままでです。その原曲もいじくるのであれば作曲ですが原曲のメロディー副旋律はそのまま借用し、
その上に対旋律を付け声部を付けたし、トリニティはそのままで半音階的和声を付けたしたり、リズムを変容させたりしているのです。
ショパンエチュードの右手と左手を入れ替えて演奏することに芸術的意義がどこにあると言うのでしょうか?
2曲同時演奏のどこに芸術的価値があるのでしょうか?
いいですか、感覚的なおもしろさとか技巧的な驚きで人を惹き付けることを否定しているのではないのです。
作品の何がすばらしいのか、何が問題なのか、それをいい加減に語る、同列に語ることを避けたいのです。
私はゴドフスキーのオリジナルな作品に対しては言及していません。
私は誰よりもゴドフスキーという人にインスパイアされている人間ですよ。
80 :
名無しの笛の踊り:2005/08/07(日) 02:20:41 ID:uOvqTFRP
79 トリニティ→訂正:トーナリティー
>>77 68なのですが、私の批判の矛先はあなたなのですが。
これ以上議論して深入りするつもりはないんですがねぇ。
確かにいろいろ知識はお持ちのようですが、自分の好みの問題を
その知識を振り回していることで正当化しているようにしか見えないんですが。
模倣は悪という問題とゴドフスキーの編曲との関連性がまったく分かりませんね。
ルネッサンス時代の例がゴドフスキーを評価することと関わりがあるのですか?
そもそも模倣=悪と断定する根拠がよく分かりません。
(まあ問題発言ではありますがね(w )
ちなみにですが、このスレで全く置き忘れられているのが、ゴドフスキー本人が
自身の編曲をどのように捉えていたかという視点。
極論、聴いている側がどんな感想を持とうとそりゃその人の勝手ですわ。
それよりゴドフスキーがいったい何を考えてやっていたか?ということの方が
大事なんじゃないですかい?
それ抜きにあーでもないこーでもないと議論することに意味が見出せません。
83 :
名無しの笛の踊り:2005/08/07(日) 11:25:13 ID:nUpmiroS
仏陀と言われる一方でウィットに富んでいた人物だというね。
遊び心が重要なポイントになると思うんだけど。
>>77 混乱してきた。
変奏曲を編曲と同一視するのなら、性格変奏と編曲を同一視するブゾーニ派の主張に近いのだけど、
そうだとすると、原作者のスタイルに編曲が忠実でなければならない、という主張と矛盾点が出てくる。
変奏曲は主題をいかに大胆に変容させるか(いかに原曲に忠実でないか、つまりなんでもあり)が、
ベートーヴェンの昔から魅力なんだから。
原作者のスタイルに忠実でない変奏曲の名作には、
ベートーヴェン以外にも、ブラームスなど、いくらでも例がある罠。
ヘンデルの主題の変奏曲は、ヘンデルの様式に忠実でないから…、
とかディアベリは、ディアベリの様式に忠実でないから…、
とかやっても、賛成者は少なかろう。
86 :
61:2005/08/07(日) 15:37:48 ID:QV1sl4KO
>>76 trans-の説明はなるほど、と思った。
ブゾーニが編曲作品を無価値と見なした根拠は当にこれかも。
>>79 ブゾーニがヴァイオリン曲の編曲にオクターブや3度6度を使ったことが
問題だと仰っているが、ピアノ曲に直すのだから響きの増強は当たり前では?
ヴァイオリン曲のピアノ用編曲で3度6ははおろかオクターブさえ禁じられるとは初耳。
リストのパガニーニ練習曲は?ラフマニノフ編の愛の悲しみは?
音の減衰があるピアノは単音ではヴァイオリンに太刀打ち出来ないのは明白だし、
増強抜きで編曲した例なんてブラームス編のシャコンヌ以外思い浮かばないのだけど。
オルガン曲の編曲にしても、倍音を多く含むオルガンの特徴的な音響を再現するのに
分厚い和音を使うことは特に不自然な手法ではないと思うが。
(倍音がオクターブとは限らないので、オクターブ補強ではまだ不十分。)
>いいですか、編曲とは作曲者に忠実に写しかえなければならない。
芸術全般に言えることだけど、音楽にルールなんてものは存在しないでしょう。
(もちろん、音楽家個人が信念を持つことは大切だとは思うが。)
>>82氏の仰るとおり、重要なのはゴドフスキーが何を考えていたかだね。
87 :
61:2005/08/07(日) 15:40:38 ID:QV1sl4KO
なんだか妄想暴走状態だな。
まず、ゴドフスキーによるバッハのヴァイオリン・チェロの作品群には
Very Freely Transcribed and Adapted for the piano
と書いてあるだろう。はなから厳格にTranscribeしたのではないと本人が書いているのだ。
そうした自由に編曲したものにどうして原曲の様式の束縛を加える必要がある?
じゃあ、シューベルトの歌曲はどうか?これも
Freely Transcribed for the piano
となっている。一方、話題の中心ショパンのエチュードについては
Studien uber die Etuden von F.Chopin
Studies on Chopin's Etudes
だ。ショパンの練習曲集による練習曲集、特にTranscribe したとは書いていない。
まぁそもそも日本語には「編曲」という言葉しかない為、
Transribe(Transcription) / Arrange(Arrangement)
の違いについて疎くなりがちであるのは致し方ないのだが、その辺は
踏まえての発言なんだろうね?>uOvqTFRP氏
またTranscribeするにあたってでさえ、例えば弦楽器→ピアノならそれぞれの楽器の
特性についても勘案すべきで、発音後は減衰するばかりのピアノで弦楽器と同じような
音楽はそもそも不可能だし、そうした移曲をする以上はそこに何らかの+αが当然
ついてまわる。
そうした+αを否定するのであれば、それは単なる原曲至上主義となんら変わりがない。
ちなみに、リストの編曲を高く評価しているようだが、オペラの主題を使った華麗な
編曲ものを、貴君の論理でどのように一元的・統一的に評価するのかも聞きたい。
全く違う話題をふってみる
ジャワ組曲って録音出てるんですか?
デテルヨ
>>89 エステル・ブジャージョ
ステファン・シュライヤマッヒャー?!
がここ数年のCD。
92 :
名無しの笛の踊り:2005/08/08(月) 02:36:56 ID:0YjFSC+j
>>81 模倣は悪という問題とゴドフスキーの編曲との関連性がまったく分かりませんね。
それはあくまで感性の問題でしょう、何故に対し明確な答えがあるわけではない。
西洋文明の慣わしとも言える。
日本は模倣から成り立っているとも言える、朝鮮半島を経由なりして多くの文化、文明が成り立っている。詳しくはともかく。
良い悪いの問題というよりはオリジナルを尊重するという文化、オリジナルに敬意を払うのが当然といったことだと思います。
>ヴァイオリン曲のピアノ用編曲で3度6ははおろかオクターブさえ禁じられるとは初耳。
オルガン曲をピアノ用に編曲する場合のオクターブは道理があると言いました。
それではヴァイオリン曲をピアノ用に編曲する場合のオクターブにはどのような道理が存在するのでしょうか。
減衰の問題は普通トレモロにします。
93 :
名無しの笛の踊り:2005/08/08(月) 02:38:22 ID:0YjFSC+j
>倍音を多く含むオルガンの特徴的な音響を再現するのに
>分厚い和音を使うことは特に不自然な手法ではないと思うが。
ですから、オクターブは道理がある、だが3度6度はオルガンでもほとんど使わない。
なのに3度6度を付け足す道理がどこに存在するのですか?
倍音?倍音で3度6度が聞こえるのはロングトーンの響きの中でかすかに聞き取れるもの、
一つの声部に3度6度が聞こえることは、よほど特殊な耳でもなければ起らないでしょう。
仮に聞こえたとしたら、全ての声部に3度6度を付け足さなければなりませんね、
何故特定の声部のみに付け足すのだしょうか?誰がそう決めたのですか?
いいですか、倍音ではなくて新たに声部を増やしているのですよ、その道理はどこにあるのですか?
>音楽にルールなんてものは存在しないでしょう
だからアマチュアな考えと言っているのですよ。
古典の機能和声のルールと近代和声のルールを一緒くた考えているようなもの。
ルールなんてものは存在しないのだから古典の機能和声の限定音や連続5度、8度の禁止を無視して
近代和声の曲を、古典和声を借用して作曲するのと同じですよ。
94 :
名無しの笛の踊り:2005/08/08(月) 02:40:55 ID:0YjFSC+j
>>88 バッハの・チェロの作品群には
Very Freely Transcribed and Adapted for the piano
と書いてあるだろう。はなから厳格にTranscribeしたのではないと本人が書いているのだ。
Transcribeでもないcomposeでもないのならいったい何だ?
自由な編曲ですか?・・・ならば編曲ですよね、しかし編曲でもない。
つまり独自の新たな様式と言えるのではないか?
もっとも、その先輩はいますが。
Arrangeとは、整える、並び替えるの意味以外に同列の意味がある。
何が同列なのか?これはリアルタイムという意味もあると思う。
音楽史に残る過去の巨人、偉人に対し同列視することはまずないでしょう。
バッハ、ショパンをアレンジするとは冗談でもなければ作曲家は言わないでしょ。
バッハを編曲するとは言うが、バッハをアレンジするとは普通言わない。
>例えば弦楽器→ピアノならそれぞれの楽器の特性についても勘案すべきで、
>発音後は減衰するばかりのピアノで弦楽器と同じような 音楽はそもそも不可能だし、
>そうした移曲をする以上はそこに何らかの+αが当然ついてまわる。
そうした場合トレモロを使うのが常套手段。
オルガン曲の編曲ではオクターブを使うことは理解できる、
しかし弦楽器でオクターブを使うことはオルガンより特殊な扱い方をすべきである。
いいですか、多用すべきではないことを言っている。
>>90-91 サンクス。
シュライエルマッヒャーがあるんすか…探してみます。
>>92 模倣は悪。
これが感性の問題なら明言すべきでないでしょう。西洋文化の慣わしというのは初耳ですね。
模倣から生まれたものなんて西洋でもたくさんありますね。
一般はこうだからこれが正解であるという理屈は子供じみてますね。
減衰をトレモロにして解決するのは一般的に一番たいくつな方法ですね。
この部分を編曲家が工夫してオリジナリティーを出すべきなのでは?
それこそ音を拾っただけの無意味な編曲に成り下がるでしょうね。
>>93 3度、6度はピアノの響きを考慮したら加味するのは当然の成り行きだと思いますけどね。
オリジナルの音を拾えば完璧な他楽器編曲できるなら苦労しませんわ。
模倣は悪じゃなかったんですか?編曲するならピアノ曲として完成度を上げるために
工夫をすべきでしょう。
この辺に新たに音を加える道理が明白に存在しますね。
>>94 論点を完全にすりかえてますね。
様式にこだわりすぎているあなたに対して、本人が様式にこだわって編曲したのではないと書いてあります。
本人が様式にこだわって作曲してないと明言してる以上、様式にこだわって作品を批判するあなたの
姿勢は見当違いの方向、向いてますね。
これが
>>88さんの主張ですね。
あなたは基本姿勢そのものがすでに偏見にまみれていて視野が非常に狭いので、
無理に編曲について語るのはやめて、オリジナル曲を語るスレにでもいって
知識を披露してればよいでしょう。
97 :
名無しの笛の踊り:2005/08/08(月) 12:27:32 ID:i/5OTltb
>誰よりもゴドフスキーという人にインスパイアされている
というから、まずはその思いを聞きたい。
もうやめようや。馬脚を露見させて、夏厨ってのがわかったんだからさ
これ以上付き合っているのが時間の無駄。無視しようよ。
>>96 2ちゃんねるでも稀にみる実直さを持った論客だね!!尊敬。
そもそもこのスレは煽りが異常に少ない。良スレのまま伸びてほしい。。
100
101 :
名無しの笛の踊り:2005/08/10(水) 01:03:33 ID:RfdMswL2
>模倣から生まれたものなんて西洋でもたくさんありますね。
ならば音楽、絵画など芸術の分野において、
模倣から偉大なものが生まれた例を挙げていただきたいものですね。
>この部分を編曲家が工夫してオリジナリティーを出すべきなのでは?
それこそ音を拾っただけの無意味な編曲に成り下がるでしょうね。
あなたは伝統というものをどのように考えているのでしょうか?
バッハもヴァイオリンの曲をチェンバロに編曲する際のロングトーンはトリルで対応しています、
それが慣わしです。
オルガンはそのままですね。
102 :
名無しの笛の踊り:2005/08/10(水) 01:14:00 ID:RfdMswL2
>3度、6度はピアノの響きを考慮したら加味するのは当然の成り行きだと思いますけどね。
オリジナルの音を拾えば完璧な他楽器編曲できるなら苦労しませんわ。
模倣は悪じゃなかったんですか?
それでしたらゴドフスキーの作品に、さらに音を付け加えることだってできますが・・・
・・・ですから編曲とは、そもそも他楽器などに写すことですから編曲そのものに芸術的価値が存在するのではなく
芸術的価値は、その作曲家にあるのですよ。
他楽器の特色を考慮した音の変更は許されると思いますが・・・
その辺の区別が付かないから問題なんですよ。
ブラームスのシャコンヌをみて下さい、ヴァイオリンの奏法をいかにピアノで表現するかの編曲の苦労が見て取れます。
その一方でブラームスはショパンのop-25-2を原曲のままに3度6度を付け足してますね
あなた方はこれを何とも思わないのでしょう、ミソもクソも一緒ですから・・・
わたしは、このブラームスのやったことは冗談が過ぎると思います。
ショパンが意図した練習曲が台無しですね、3度6度の練習曲は他にありますね。
>>101 > バッハもヴァイオリンの曲をチェンバロに編曲する際のロングトーンはトリルで対応しています
> それが慣わしです。
> オルガンはそのままですね。
ではピアノではロングトーンをどうするのが伝統なのか。単にトレモロでやれ、と?
噴飯ものですな、ほんと!!
ピアノがどういう楽器か知らないで編曲の様式ばかり語っても
何の意味があろうか?そういう形ばかりにこだわって(これさえ怪しいが)
編曲について語る事自体意味が無かろう。
そう、
>>97への回答は聞きたいね。くだらない様式に(とかくとアマチュアはと来るんだろうが)
とらわれて原点回帰主義・懐古主義者の議論よりも、ね。
104 :
名無しの笛の踊り:2005/08/10(水) 01:18:31 ID:RfdMswL2
>オリジナルの音を拾えば完璧な他楽器編曲できるなら苦労しませんわ
レオンハルトの編曲したシャコンヌを聞いて下さい、バッハの様式に忠実に編曲とは正にこのことだと思いますよ。
オリジナルの音を拾うだけではないですね、何故ならばヴァイオリンは基本的にメロディー楽器、自分で伴奏はできませんし
対位法も音域的にも独立性の点でも限られている、アルペジオはピアノでは弾けないなど難しい問題がありますね。
レオンハルトの編曲したシャコンヌは、もしバッハがチェンバロでシャコンヌを弾いたらまさしくこのように弾くはずです。
すばらしいです、まさにチェンバロのシャコンヌそのものですよ。
音の抑揚が付かない分、当時の様式に則った装飾音符を付け加えています。
編曲とはそのようにするもの。
リストのパガニーニ練習曲が多くの音をくわえている点を、同じくリストが編曲したバッハを、
シンプルな編曲を例に矛盾していることを指摘していましたが、よく調べてほしい。
リストはパガニーニの原曲の多くの主旋律はピアノ用に作り変えている。
変奏曲と同様の手法です。
ところがリストのバッハ場合は、そのまま全部借用しているのですよ。
つまりバッハのものは編曲と言えます、だからシンプルでよいのです。
両者には、この違いがあります。
ブゾー二のバッハのヴァイオリン編曲でも主旋律がそっくりそのままの形で出てきます。
そこに勝手に音を付け足しています。
ここが問題なんです。
もし主旋律をそっくりそのままの形で使うのならば編曲に徹するべきもの、
ブゾー二がやったその付け足しの音は、バッハの様式になってない。
もし作曲ならば、主旋律そのものもブゾー二のオリジナリティ溢れる処理をすべきなのです。
そうであればその付け足しの音はブゾー二のオリジナリティ溢れる芸術作品になるのです。
105 :
名無しの笛の踊り:2005/08/10(水) 01:21:18 ID:RfdMswL2
ちょっと分からないかも知れませんね、譜面から具体的に示せばよいのですが・・・
>本人が様式にこだわって作曲してないと明言してる以上、様式にこだわって作品を批判するあなたの
姿勢は見当違いの方向、向いてますね。
まあ、その点はゴドフスキー本人は分かっていたことなので、
その作品には芸術的価値は問題視していないと解釈してよいのでしょう。
しかし、あなたを含め多くの人は、そのことを理解していない、そこを指摘したいですね。
偏見にまみれていて視野が非常に狭いのはあなたの方で、私は今まで申し上げた点を区別したいだけなのですよ。
106 :
名無しの笛の踊り:2005/08/10(水) 01:54:54 ID:RfdMswL2
>>103ではピアノではロングトーンをどうするのが伝統なのか。単にトレモロでやれ、と?
バッハの曲はピアノでもそのままでしょ・・・だから基本的にはそのまま。
あなたはフーガの技法をオクターブ入れて弾くんですか?
3度6度勝手に付け加えるんですか?
あなた方の論理ならば勝手に付けてよいことになりますね。
私はあなた方の質問に答えているが、私の質問には答えられないのは何故ですか?
>>101の質問に答えたらどうですか。
ID:RfdMswL2
一生懸命ageて反応するのもいいけどさ、そんな必死になるような話じゃないだろ。
ちっとはsageることを学習してくれよ。
>>103 無駄でしょうこのお方に何を言っても。
1:トリル、トレモロという古典的手法がお好き。
>>101 2:他楽器へでも弾けるようにすることを編曲と捕らえる。しかもオリジナルのみに芸術的価値を持たせる。
>>102編曲とは、そもそも他楽器などに写すこと。芸術的価値は、その作曲家。
3:単に音を加えるのと編曲家が考えて音を組み合わせるのの違いがわかってない。
>>102ゴドフスキーの作品に、さらに音を付け加えることだってできます。
4:編曲は原曲に忠実に。
>>104 いままでの主張とたいした違いなし。
5:自分の負けを認めたくないから勝手にあなた達が間違ってるって言ってる。
>>105
お?いっこ増えてる。
>>106 あの〜。フーガの技法を弾くっていうのはバッハのオリジナルを弾くわけで。
自分で編曲するわけじゃないから3度6度を加えるだのオクターブを入れるだのってのは
何言ってるの?U゚Д゚U ハァ?
なんですが・・・
とりあえず落ち着いてね。
>>107であげた点を否定するとすると。
3は、勉強不足。
1,2,4は近現代の巨匠編曲家を理解してないから。あなたにこういった編曲を語る資格がないだけ。
5は(´ι _` ) あっそ
どっからこんな堂々巡りが始まったんだろうな…
なんかその手の専門スレたててそっちで議論するとか無理ですかね
110 :
千佳:2005/08/10(水) 02:08:46 ID:O6suFnmv
今日和〜。突然ですが、ショパンの即興曲で1番と幻想即興曲とでは、どちらが難しいのですか?
112 :
千佳:2005/08/10(水) 02:15:01 ID:O6suFnmv
あまり詳しくないのですが良い曲だったから・・・
>>112 ここはゴドフスキーという人について語るスレなんでショパンのスレかピアノ難易度スレにでもいくと回答もらえると思いますよ。
スレは自分で探して移動してください。
114 :
千佳:2005/08/10(水) 02:24:14 ID:O6suFnmv
本当にすみませんでした
115 :
61:2005/08/10(水) 04:06:38 ID:uxM+ZLfe
>>101-106 まず、即興による改変と編曲の違いくらい認識しよう。
もひとつ、楽譜を持ってるんならピアノを弾いてください。
>リストはパガニーニの原曲の多くの主旋律はピアノ用に作り変えている。
>変奏曲と同様の手法です。
>ところがリストのバッハ場合は、そのまま全部借用しているのですよ。
>つまりバッハのものは編曲と言えます、だからシンプルでよいのです。
>両者には、この違いがあります。
意味不明なので「主旋律をピアノ用に作り変える」の定義を示してね。(持論でいいので。)
ブゾーニのシャコンヌは実際弾けば分かるとおり、「聴こえ以上に弾き易い」編曲なんだけど、
何が「ピアノ用でない」のか、何が問題なのか説明してもらおうかね。
仮にシャコンヌがブゾーニの「オリジナル」だったとして、
それでも君はこの曲を「ピアノ用でない」と非難するのかい?
君の主張は編曲に価値を与えるための「改変のための改変」に聴こえるんだけど。
君みたいな人は作曲や編曲には手を出さないほうが良いと思うな。
楽器の特性を知らずに、理論ばかりに縛られて演奏困難な曲を作る人の典型。
>>115 いいたいことはわかるが堂々巡りが続くだけだろうから、編曲のことは移動してやればいいんじゃない?
もうすでにゴドフスキーからかけ離れてると思うが・・・
117 :
61:2005/08/10(水) 04:36:35 ID:uxM+ZLfe
だね、ごめん。反論があったら編曲スレに書いてください。>RfdMswL2
118 :
名無しの笛の踊り:2005/08/11(木) 23:13:44 ID:10pyKuLx
ゴドフスキーこと語っているんだからレス違いではないけどね。
ブゾー二とゴトは時代的にも、いろんな意味で比較になると思うぞ。
演奏家としてはゴドフスキーはぱっとしなかった、ブゾー二のほうが聴衆から受け入れられていた。
音楽家の中ではゴトのピアノの腕前は認められていたようだが舞台では上がり症のせいか?
成功しなかったとも聞くが・・・
>>107古典的手法がお好き。
分からない人たちだよ、好き嫌いじゃないのよ、編曲するなら(原曲をそっくり使うのならば)
様式に忠実にすべきことを言っているんだ(σ´Д`)σYo !>
>>108 あの〜。フーガの技法を弾くっていうのはバッハのオリジナルを弾くわけで。
自分で編曲するわけじゃないから3度6度を加えるだのオクターブを入れるだのってのは
何言ってるの?U゚Д゚U ハァ?
だからさブゾー二のオルガン曲だってオリジナルを弾いてるわけさ、そこに勝手に音を付け足しているわけなんよ
分からないの?
ゴドフスキーのショパンもそうなんよ、オリジナルなんだよ、そこに勝手にゴドフスキーの様式で付け足してんのよ。
>>115 俺が編曲するなら原曲をそのまま使うことはしなしよ和声も当然変えるし、旋律も変える
その場合フーガだと難しいけどね、まったく違うフーガを作ってところどころに原曲のテーマを入るかなー。
いずれにせよオリジナルにするなら原曲をいかに料理するかだぐつぐつ煮込んで原曲がどこにあるのか分からないくらいね。
みてみろよ原曲をそのまま使った編曲は、どれもこれも見世物の猿回し的なものばかりじゃないか。
>>118 とりあえず他の人のレスを引用するときは引用符を使ってみないか?
120 :
名無しの笛の踊り:2005/08/11(木) 23:19:04 ID:10pyKuLx
>>108 別に誰が編曲したかなんて問わなければ、奏者自身が編曲して何が悪いんだ?
どうなんだ。
>>118 わけわからんぞ、ついに。もう少し分かるように書いてくれ。
ポイントは
> みてみろよ原曲をそのまま使った編曲は、どれもこれも見世物の猿回し的なものばかりじゃないか。
という事でいいのか?あとはあんたは編曲の事がよく分かっていないってことと。
>>118 始めの5行だけ苦し紛れでゴドフスキーの話。
残りの部分は編曲スレに書きましょう。わかりましたか?
上がり症というより、単なる音楽の性格がコンサートホール向けじゃなかったということだと思いますけどね。
性格的なこともあるとは思いますけど。
このゴドフスキーという人の音楽はリストよりもショパンに近いと思う。
編曲スレででも、こんな人来られちゃかなわんと、拒否られたようだ(w
ほんと芳ばしい香りのする人ですな、この人。
この人、現在の視点からしかモノが見えてないんだな。
レオンハルとの編曲を絶賛しているが、じゃあブゾーニやゴドフスキーの
時代に、バッハ時代の作曲・演奏様式についてどの程度、歴史的な解明が
進められていたかのか、当時は編曲という行為にどういう意味が込められ
ていたのかという歴史的な視点が全く欠如していて、全部クソミソに現在の
視点・研究レベルだけで比べて俎上に載せている。視野が偏狭すぎるのに
もほどがあるな。
そして、この人の言い分は全部ここに集約されている。
>だからさブゾー二のオルガン曲だってオリジナルを弾いてるわけさ、
>そこに勝手に音を付け足しているわけなんよ 分からないの?
>ゴドフスキーのショパンもそうなんよ、オリジナルなんだよ、そこに勝手に
>ゴドフスキーの様式で付け足してんのよ。
オリジナルに勝手に音を「勝手に」付け加えるという行為は自分は好まない。
いくら理論武装しているように見せかけても、ただそれだけなんだよ、この人。
このスレにいる人はだれもオリジナルの偉大さを貶しているわけでは決して
ないということも理解していない。
件のレオンハルとの編曲の絶賛というのはただ単にレオンハルとの編曲が自分の
好みであるというだけで、それ以上のものでは全くない。
ここまで来るそうとしか読めないね。
>>124 >オリジナルに勝手に音を「勝手に」付け加えるという行為は自分は好まない。
>いくら理論武装しているように見せかけても、ただそれだけなんだよ、この人。
本当そのように見えるね(笑)
でも何より言いたいのは…
ゴドフスキを駄編曲家だと言い張っていても失うものだけが増えるということ。これは本人の問題。
原曲作曲家の様式如何ではなく、ゴドフスキの語法、手法に多く触れてみることで、より編曲家
自身の節が鮮明に見えてくる。リスト節、ブゾーニ節と言われてもピンとこないが、「ゴドフスキ節」はありえる。
ゴドフスキが原曲のスタイルに忠実でいることを破ったと強調するなら、そのことを嫌悪する意味からまず主張してほしい。
ラヴェルのラ・ヴァルスを聞いていると、ゴドフスキに編曲させたくなるのは私だけではないだろう。
それだけ語法に特徴があり、どんな曲も幸福的な重厚感溢れる編曲に仕上げてしまう編曲家も珍しいのだ。魅力はそこだ。
ゴドフスキに向けるまなざしは、今後のピアノ人生に大きく影響してくるだろう。
この人、好事家のための作曲家でしょ。
ラヴェルの和声を上手にいじれるとは到底思えないな。
>>118 >みてみろよ原曲をそのまま使った編曲は、
>どれもこれも見世物の猿回し的なものばかりじゃないか。
偏見にまみれた脳内設定乙。
ホロヴィッツ、シフラ、ヴォロドス以外もちゃんと聴けよ。
リスト(歌曲編)、ジロティ、ラフマニノフ、フリードマン、ヘス、プレトニョフは見事。
129 :
名無しの笛の踊り:2005/08/13(土) 21:29:14 ID:X38KjfxA
えーと!どっち書けばいいんだろう。
>>108 あの〜。フーガの技法を弾くっていうのはバッハのオリジナルを弾くわけで。
自分で編曲するわけじゃないから3度6度を加えるだのオクターブを入れるだのってのは
何言ってるの?U゚Д゚U ハァ?
それでは当時の楽譜について考えよう。
ブゾー二版の楽譜には音が付け加えられていた。
これはブゾー二の曲ではない、バッハの曲である。
ブゾー二が付け加えることはよく、我われがはっきりとした演奏効果が目的、つまり付け加える理由が存在する
場合に付け足すことが良くないとする理由はどこにあるのだ?
ブゾー二がよいのであれば、われわれだって編曲しても良いことになる。
事実ホロビィッツだってリストに音を付け足しているではないか。シフラだって同様である。
このように本来の写すといった意味である編曲がバッハに限り勝手に音を付け足すことを良しとする風習が、
原典の楽譜よりも一般的に広がったとも考えられなくはない。
・・・移ったほうが良いのかい?
べき論は一旦置いて具体例をあげながらゴドフスキーの特徴を語ったらどうかな?
それなら教科書通りじゃないやい、という意見も面白く読めると思う。
>>129 シフラの場合は編曲というよりむしろ即興に近い。
133 :
名無しの笛の踊り:2005/08/15(月) 21:49:29 ID:qaj1cRxn
>>131 そんな感じはするね。
ホロビィッツも脳天気おじさんだからね。
134 :
エンリケ:2005/08/20(土) 17:06:54 ID:l3MpviVd
みなさんにお聞きしたいのですが、ゴトフスキーがモーツアルトのトルコ行進曲を編曲したのは知ってます?その譜面を探しているのですが、見つからないんです。
ヴォロドスのことだったりしたら面白いな
チェルカスキーの白鳥、NHKで放送されていたんですね。
知りませんでした。ショック。。。
あんまりショックで倒れそう。見たかった!!!
NHKに再放送リクエストしたら、聞いてくれるかなぁ。
ご覧になった方、ずいぶん前の放送のようですが、
良かったら、コメントを書いてくださいませんか?
良かったよ。涙が出た。
レパに入れようとおもって譜読みしてたんだが、この放送を見てやる気がなくなった。
139 :
名無しの笛の踊り:2005/08/21(日) 09:29:56 ID:QOHsNfUl
ベレゾフスキーのショパン51の新譜出ました。原曲の後に編曲版を弾いてます。
全曲じゃないのが残念ですが、面白い企画だと思いました。
140 :
名無しの笛の踊り:2005/08/21(日) 10:03:11 ID:QOHsNfUl
139.間違えた53曲でした!
141 :
名無しの笛の踊り:2005/08/22(月) 00:01:48 ID:x9CDYKcG
142 :
名無しの笛の踊り:2005/08/22(月) 19:39:25 ID:pqulESke
>>137 同じく再放送期待組。
幸い見ることはできたものの録画できなかったので。
>>138 白鳥はあまりの美しさに幻を見たような気分。
無粋な視点からだと柔らかな筋肉の使い方に驚いた。
うるせーな、チェルカスキごときに。
ペルルミュテールのショパン流せ。
良スレになったね。あちらには気の毒だが。
145 :
名無しの笛の踊り:2005/08/24(水) 05:20:42 ID:ohH13zaZ
ゴドフスキーコンクールというのはネタなのか?
それとも本気?
あの課題曲…
>>145 マジ?それ?
まぁもっと時代が下って音大生でも普通にゴドフスキーが弾けて当然みたいな
風になったらありかと思うけど。
コンクールにならんだろ。それ。
147 :
名無しの笛の踊り:2005/08/25(木) 02:19:28 ID:4okKy2KN
2005年10月開催予定ってってもうすぐじゃん
149 :
名無しの笛の踊り:2005/08/25(木) 13:33:24 ID:8hL8A1SS
>>147 ヴァーン・クライバーン・コンクールの課題曲も激烈だったけど。
それにしても暗譜するだけで一生かかる。いや一生かかっても無理か・・・。orz
>>148 「五年に一度開催されています。」って書いてあるけど、
今年が第一回目じゃん!ww
ワロタ
151 :
名無しの笛の踊り:2005/08/25(木) 18:58:22 ID:P7f/jwGH
協会のメアド、フリーメールじゃんwwwwwww
>>147 本選
ブゾーニ:ピアノ協奏曲、Op.39
ヘンゼルト:ピアノ協奏曲、Op.16
メトネル:ピアノ協奏曲 第2番、Op.50
他のはわからんでもないがこれはねぇだろw
出場するだけで尊敬されるコンテスト、、w
もし真面目に出場者募ったら激しく知名度高い人が並ぶだろうね〜
ベレゾフスキー
アムラン
リベッタ
シチェルバコフ
デ・ワール
ワイルド
155 :
名無しの笛の踊り:2005/08/27(土) 00:30:36 ID:k+6yqSeF
>>134 ゴトちゃんって何で人の曲の編曲ばかりなんだろね?
ほとんど人の曲で、オリジナルって少ない気がするけど。
>>154 概ね同意だけど、ワイルドは苦しいだろう。
本選でブゾーニ選んだら、男性合唱も用意してくれるんかな?
この世界にヘンゼルトのピアノ協奏曲を弾きこなせるピアニストが何人いるんだろう。
>>159 弾き熟せたとしても
「客席のピアニストのみの賞賛を受けるだけ」と
アントン・ルビンシュタインのお墨付きなのが痛いな