113 :
?P:
>>66 多少気になる点があるのでコメントしておく。
>旧東独で体制側と反体制側の区別はしにくい
確かにその通り。あの世界では反体制勢力は存在そのものが不可能。
だから問題はより複雑となる。
全ての分野で、ある程度体制と結託することは活動の必要条件だった。
マルクス主義の戦場である(日本でいう)社会科学・人文科学そして芸術の分野でもそれは同じ。
例えば、本来マルクス主義とは相容れない理論的基盤に立脚する理論経済学・分析哲学などの研究者も
研究のためには党の庇護を受けていた。
彼らは党を欺いて巧く利用したつもりであったろうが、それは党も同じ。
むしろ両者の同盟そのものが党には必要だった。
114 :
?P:02/10/01 04:29 ID:lc4+jqoY
本来、マルクス主義は「政治経済学批判」の名の通り、経済の原理論から具体的な状況分析まで
そのフィールドは広範である。法的レヴェルより踏み込んだ国家論や社会構成体の分析も
研究の対象となる。当然それは自国の現体制の分析をも含む事となる。
ここに党上層部のジレンマが生じる。
体制のシステム上優秀な学生がマルクス主義の研究に従事する事は避けられない。
むしろ建て前としては歓迎すべき事である筈。
ところがそここそ最も坐視できない批判勢力の母胎となるのだ。
当時西側ではアルチュセール一派によるマルクスの読み直しが進められ、
その鉾先は既存の左翼政党・社会主義国にも向けられる。
彼らの理論はフランスやイギリスの左翼学生を席巻し新左翼運動の一方の支柱となった。
その議論はマルクスの原典の再構成をも含み、ことごとくがマルクスのテクストそのものに基づいている。
レーニン論文の意図的ともいえる解釈も多い。
同時期に東独でもヘルムート・ライヒェルら異端のマルクス研究者も現れはじめた。
この運動は他の新左翼勢力ートロッキストや毛沢東主義者ーとは違いマルクス・レーニン主義を
標榜し続けている点で東側体制にとってはかえって脅威となる。
マルクスやレーニンの学問的研究の名のもとに密輸入された理論は現体制批判の隠された武器となり
ガンのように体制内に巣食う。誰もそれを駆逐できない。
115 :
?P:02/10/01 04:30 ID:F7FErwDp
ここに党は倒錯したシステムをもって対抗する。
人事面ではマルクス理論に疎いひたすら党の公式主義に忠実な人間を登用し、
文化芸術の分野でも筋金入りのマルキストでないものこそ良き同盟者である事を「発見」する。
党は彼らに研究・芸術活動の自由と経済的庇護を与える代わりに党と体制への忠誠の「ポーズ」を要求するのだ。
もともとマルクス主義理論や社会構成体の分析を対象としない分野の学者・芸術家にとって
自らの研究・活動のために党と暗黙の同盟を結ぶことにたいする倫理的垣根は低い。
なぜなら彼らは「学の発展」や「芸術」そのものに忠実であれば良いから。
パトロンの質は本質的なものではない。
彼らは自らの「非政治性」が最も政治的である事に鈍感であっただけなのだ。
東欧共産圏崩壊後、党の権力者や旧共産党が容易に民族主義や国家主義に鞍替えして
生き延びた。彼らはただの権力主義者でありシニシストなのである。
(ただし東独の場合は併合されたので、他の東欧国家とは違い彼らには生きる途がなかったが)
彼らの同盟者である学者・芸術家も本来「非政治的」であるため延命は可能であった。
パトロン獲得のために嗅覚を働かせることの非倫理性は彼らの「学問」「芸術」の大義の前では
些細なことに過ぎないのだから....
情勢を嗅ぎ分けるのに長けた者は、パトロンを替えるのに成功し(マズア)、
鈍重な者は失脚するという野生の論理だけが転換期の「倫理」となる。
マルキストとして誠実であるが故に旧体制にとって最も脅威であった者達
の辿った運命は悲惨である。