1 :
7月のバイオレンス:
前衛時代からロックへの傾倒、テレビや映画のサントラからグランド・オペラまで
一通り聞いてきた俺だが、三枝の魅力(あくまで作品ね)について語ろう!
アンチはお断りと言いたいところだが、三枝スレでは避けられまい(w
それでも来る奴ぁかかって来い!
2 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:02
吉田恭子のビートルズCDで編曲してた
3 :
7月のバイオレンス:01/11/16 01:07
そうそう、編曲の腕前も超一級!
吉田恭子のアルバム・アレンジも良かったけど、ベルリン・フィルの12人のチェリスト版も
力作。
彼の編曲の特徴は、ハーモナイゼーションの大胆な置換や、オリジナルの前奏や間奏を付け
加えた創造性の高さにあるとオモワレ
4 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:13
5 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:15
>彼の編曲の特徴は、ハーモナイゼーションの大胆な置換や、オリジナルの前奏や間奏を付け
>加えた創造性の高さにあるとオモワレ
喜べ、三枝のスタッフ。
褒められてるぞ。
6 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:19
>>5 今や作曲家の「プロダクション制度」はごく当たり前。
漫画家とそれを支えるアシスタントの関係と一緒。
問題は、三枝が「どこまで」指示を出しているかだ。
旋律とハーモニー・・・コード進行だけってこともあるか?
メロディはアシさん考えて、ってな具合に。
7 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:21
今の朝ドラの音楽聞いていると、三枝の偉大さがわかる。
8 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:26
>>7 朝ドラは、「北の家族」「本日も晴天なり」「はね駒」の3本を担当。
「本日も〜」は、シャッフル系のスウィングした軽快なテーマだった。
シンセサイザーは間違いなく難波弘之でしょう。
クラリネットや女声スキャットなど、何度かアレンジも替えていたね。
因みに漏れは歌詞付き盤シングルEPを持ってる。
9 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:28
10 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:29
>>8 歌つきは気持ちが悪いとたくさんNHKへ抗議が来たために途中でボツ
11 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:30
うん。
リゲティはやらないね。きっと。
12 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:32
>>9 劇判や膨大な量のスコアを書く必要があるオペラはともかく、
協奏曲や室内楽もプロダクション制度でやってんの?マサカ
この領域は個人作業じゃないの?
13 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:35
>>9 >>11 三枝とリゲティの話が一緒になったのって、このスレが初めてだろう。
つうか”ありえない”
これだけ違和感のある組み合わせも無い(ワラタ
14 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:37
15 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:38
>>10 その話 はじめて聞いた、面白い。
もしかして朝ドラで歌のテーマを使ったの最初じゃない?
16 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:40
17 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:41
がんだむ
18 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:44
アニヲタの中でサエグサの評価ってどうよ?
Ζ(ゼータ)ガンダムのBGMは、質・量ともにアニメ・サントラの中でも
画期的と思われるが。
19 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 01:57
今日は紀尾井ホールでサエグサの「6声のためのマドリガル」を聞いた。
客席中央に指揮者がいて、そこを中心に6人のソプラノとアルトが客席を
取り囲んで歌うという作品。
照明が落ちて、歌手は懐中電灯で手元の譜面を照らしながらウタテタ。
音が四方から飛んできて、立体感がある。
内容は、結構前衛的な歌唱法を駆使していて、ロビーにスコアを展示していたので
見たら、相当な難曲!!ビクーリしたよ。
まるで器楽の譜面のように、細かい音符がビッシリと書かれていて、
5連符などが複雑に絡み合うものだった。
後半は、3連符を多用したお馴染みの「サエグサ・マーチ」風な部分もあって
20代の作品で前衛的ながら、現在につながるところもアタヨ。
20 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 02:08
>>19 昔(10数年前)、神奈川県立音楽堂で聞いた。
三枝の室内楽を集めた演奏会だったけど、笙とかシンセとか使っていろいろやってたよ。
21 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 02:19
つかこうへい脚本/演出のロックオペラ・サロメの情報キボンヌ。
三枝のロック・テイストと合唱の抒情性が詰まってるらしい。LP見たこと無いんだけど・・・・
22 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 02:28
去年ベルリンのフィルハーモニーで聴いた「太鼓について」(?)
という曲は、聴衆に大受けでしたよ。
23 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 02:33
>>22早稲オケが持っていった曲だな、そりゃ。狂言と和太鼓と桶の曲だっけ。
25 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 02:40
↑こう来たか。
26 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 02:41
>>23 そうそう。早稲田がやっていたやつ。オケの演奏はたいしたこと
なかったけど、あんなに熱狂的にうけるとはねえ…。聴いていて
驚きました。曲も何だかよく分からなかったし…。
27 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 02:46
石井眞木「モノプリズム」、松下功「飛天遊」、三枝成彰「太鼓について」、どれも海外で大受け。
西洋人は、単に太鼓の音に驚き、熱狂してるだけと思われる。
28 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 03:02
>>22 26 27
どういう感じの曲なの?教えて下さい。
29 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 03:25
三枝は「ラジエーション・ミサ」しか聴いたことないなぁ…。
30 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 03:43
>>29 「ラジエーション・ミサ」は、彼の作品の中でも異色かも。
ただ、劇判などではおなじみのテイストかな。
ロックの方法論で作曲されていて、ベクトルの向きは違うけども、
オペラ「忠臣蔵」でも聞かれた”歌謡性”に繋がる通俗性を持った
作品。
グロリアの変拍子、クレドのシャッフル、サンクトゥスの16ビートなど
聞きどころも満載。
31 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 08:31
>>29 最新のシンセと機材でレコーディングをキボーン。
32 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 11:29
>>31 最新機材だったら音がクリアーすぎて、あの何とも言えないレトロな
雰囲気は出ないかもよ(藁
ところで今CDって入手可能なの?<ラジエーション・ミサ
33 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 11:50
>>32 そうだ!あのアナログ・シンセの微妙な具合が、曲調に合ってる。
「プログレ」の影響がかなり入っているのと(グロリア)、向谷実と難波弘之のプレイが懐かしい〜
CDは、yahooオークションに結構出品されてるよ。
>>33 残念。今ヤフオクにはないみたいだ。
鬱だ。ノヴェラでも聴くか…。
35 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 12:49
>>34 ノヴェラ懐かしー(ワラタ
キーボードの永川は、今何してるの?
36 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 13:01
>>33合唱曲「川よとわに美しく」でも向谷のシンセを使ってるね。
スコアには、RolandのVP330(ヴォコーダー)が指定されてる。
これ今はなかなか手に入らんぜ!
YMOも使ったけど、今やヴィンテージ扱い。
37 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 17:56
交響組曲「Zガンダム」萌え。
38 :
名無しの笛の踊り:01/11/16 20:37
39 :
名無しの笛の踊り:01/11/17 00:44
「忠臣蔵」は第2幕が好きだな。
綾衣と平左衛門のドロドロしたのより、お艶と岡野金右衛門(九十郎)の打ち上げ
花火の場面が良い!
これほどまでに旋律を導入し、高らかに歌い上げるオペラが日本にあっただろうか?
漏れもオペラ歌手並に張り上げて歌ってみたくなったよ、このアリアは。
二人がそれぞれアリアを熱唱し、最高潮に達した「愛の二重唱」は完璧の出来。
これが現代の作品なの?とかいう問題を出してくる奴は逝って良し。
「音楽」として素晴らしいの一言だ。それ以上の言葉を漏れは知らない。
40 :
名無しの笛の踊り:01/11/17 13:55
>>34 RADIATION MISSAがオークションに出てるよ。
41 :
名無しの笛の踊り:01/11/17 18:57
新しい「音学の友」で三枝が一柳と対談しているそうだよ。
42 :
名無しの笛の踊り:01/11/17 19:01
>>41 そりゃ珍しい組み合わせだね。
何話してんだろ?
>>40 サンクス。カナでしか検索してなかった私。
昨夜入札されてるね(藁)。 …私じゃないよ。
\4,000。微妙な価格設定だな。
複雑な心境なので今日はPMFでも…。
44 :
名無しの笛の踊り:01/11/18 01:00
>これほどまでに旋律を導入し、高らかに歌い上げるオペラが日本にあっただろうか?
「夕鶴」のほうが出来がいいんじゃないの?
すくなくと台本はそちらの方がマトモ。
「忠臣蔵」
も四十七士の討ち入りはあくまでバックボーンに留めて、大石とか
は一切出さずに、物語を進行すれば良かったと思う。
話を詰めこみ過ぎでストーリー展開は逆にのろ過ぎ。
最初のコーラスから入り切腹の場から時間が遡る展開は映画的でしらける。
とにかく台本を練り直して改定すべきだな。
要らないシーンや歌はカットして二時間くらいにする。
オーケスレーションももっと簡潔にする。
そうすればそこそこ楽しめる様になるだろう。
45 :
名無しの笛の踊り:01/11/18 01:15
>>44 >最初のコーラスから入り切腹の場から時間が遡る展開は映画的でしらける。
最後のクライマックスに何を持ってくるか?ここで「オペラ」が完結する訳だから、
切腹シーンで終わるのは難しいと判断したようだ。
そこで結果的に、切腹シーンを冒頭に持ってくる「フラッシュバック形式」で落ち着かせた。
討ち入り後の達成感と悔恨を、三枝は得意の甘美な旋律で合唱団に歌わせている。
何度も何度も繰り返し、合唱は執拗に盛り上げていく。
これは最終的に、聴き手へのサービスも含め成功だったと思うよ。
「あれ?終わっちゃったの?」っていう現代オペラ多いじゃない(w
ちゃんと、しっかりと「終わらせる」ことが、現代作曲家は出来そうで出来なかった。
46 :
名無しの笛の踊り:01/11/18 01:18
告白します。このひとの曲でいちばん好きなのは
「清左衛門残日録」と「はやぶさ新八御用帳」です (^^;;
47 :
7月のバイオレンス:01/11/18 01:37
>>46 お、NHKの時代劇だな。
少々古いけど、漏れは「宮本武蔵」の音楽が好きだ。
オープニング・テーマ曲、お通のテーマ、武蔵のテーマ(これワグナーの”ジークフリート”だろ)、
どれもイイ。
1984年の番組だけど、鮮明に憶えてる。
ちなみにテーマ演奏は「アンサンブル・スカイ」(劇判用のユニット名だろう)。
赤尾三千子の横笛をフィーチャーしていて、これも良かった。
48 :
名無しの笛の踊り:01/11/18 01:49
NHK大河ドラマの『花の乱』もかなりの名作じゃないかな。
最後辺りのフルートの使い方がこの曲の性質を決定的に印象付けてるよね。
一気に乱れ散る感じが好きだ。
同じ系統の大河ドラマの音楽として三善晃の『春の坂道』があるが、これは
最初っからフランス近代的な飽和に飽和を重ねるような音響で最後にも乱れ散る感じで終わるが、
時間の制限があったのだろうか、音楽としては終わり方にイマイチな感が否めない。
49 :
名無しの笛の踊り:01/11/20 02:47
自分で全部書いてたのはいつごろまででしょう?
50 :
名無しの笛の踊り:01/11/20 20:37
三枝成彰の音楽って頭3小節で「あっ三枝」て分かる。
そういう意味では凄いのかも。
ヴァイオリン協奏曲と太平記がわりと好き。
逆襲のシャァもCDだけでなら最高。
51 :
名無しの笛の踊り:01/11/21 01:17
12月10日サントリーホールで、交響組曲「忠臣蔵」とオペラ「忠臣蔵」から
第3幕第2場が演奏会形式で上演される。
「組曲」は新星が初演して以来の演奏かも。
52 :
名無しの笛の踊り:01/11/23 17:24
>>48 「花の乱」確かにイイ。
大河ドラマの類型的なテーマのイメージから逸脱する内容だった。
三善の「春の坂道」が毎週お茶の間に流れてたかと思うと、いろんな意味で
興味深い。劇中の音楽はどんなだっただろう?
53 :
名無しの笛の踊り:01/11/23 20:21
>>53 劇中の音楽は面倒くさがってすぐやめてしまいました。
54 :
名無しの笛の踊り:01/11/23 20:26
>>53 ってことは、後は誰が書いたの?
大河は1年間の長丁場でしょう?
55 :
名無しの笛の踊り:01/11/23 20:28
三善ネタは三善スレでやっちゃって〜
56 :
名無しの笛の踊り:01/11/24 10:44
>>42 音友の対談はワラたよ。二人とも、「俺たちがやってきたことは間違ってたよ」
と反省しあうような内容。「ラジエーションミサ」もね。
ところで三枝節っていうけど、あれは篠原敬介が書いてるんじゃないの?
57 :
名無しの笛の踊り:01/11/24 11:05
>>56 篠原も堀井(勝美)も事務所一緒(だった?)けど、
堀井は東京音大作曲科で三枝の教え子。篠原もそうかな?
劇伴は酷似していた時期もあったけど、どうなんだろう。
普通は弟子が作風真似るもんだけどね。
58 :
名無しの笛の踊り:01/11/25 02:37
>>54 スレ違いで済まないけど、間宮じゃなかったかなあ。
59 :
名無しの笛の踊り:01/11/25 02:46
>>58 えーっマジすか?
間宮といえば「竜馬がゆく」1本だけだとオモテタガ・・・
60 :
名無しの笛の踊り:01/11/25 02:48
間宮林蔵ですか?
61 :
名無しの笛の踊り:01/11/25 02:52
>>60 うーん、うざいけどマジレスしちゃうよーん。
「間宮芳生」です。
62 :
名無しの笛の踊り:01/11/25 04:13
三枝先生、「ラジエーションミサ」を否定しないでください。
63 :
名無しの笛の踊り:01/11/25 22:47
>>62 「ラジエーション・ミサ」を否定するというニュアンスではなかったと思うよ。
「現代音楽とロックは、やはり相容れないものだった」という話だったとオモワレ。
64 :
名無しの笛の踊り:01/11/25 23:44
>>63 ザッパやフリスやディドコフスキーがやったことは何なの?
「僕の才能では統合できなかった」と言わないのは傲慢だね
65 :
名無しの笛の踊り:01/11/25 23:55
ザッパもフリスもディドコフスキーも、現代音楽とロックの統合ということを考えて無いデショ。
周辺があれこれ理屈を後付けしてるだけ。
シュニトケの「多様式主義」を経て、もはやそういうカテゴライズで考えることに意味をなさない
ということなんだと思うのよ。
ザッパらも、そういう小さな主義やコンセプトを掲げたというよりも、「自分の音楽」を世に放った
ということでイイのではないかな?
66 :
名無しの笛の踊り:01/11/25 23:56
三枝さん,ピアニストの宮沢明子に,僕はあなたよりピアノが弾けるよ,って
言ってたけど,本当?
67 :
名無しの笛の踊り:01/11/26 00:01
宮沢明子よりピアノが弾けるって本当?
68 :
名無しの笛の踊り:01/11/26 00:13
>>65 彼らが、「サードストリーム」的な狭い視野で「統合」しようと
したわけではない、というのはもちろん賛成。「自分の音楽」を
作る過程で使えるものは使ったということなんだろうね。
でも、彼らの音楽を知っていれば、「現代音楽とロックはやはり
相容れない」なんて発言は出てきようがないと思うけど。
69 :
名無しの笛の踊り:01/11/26 00:29
やっぱり三枝は根っからクラシックの人だったちゅーことでしょ。
70 :
名無しの笛の踊り:01/11/26 01:25
>>68 うーん「現代音楽」ってのがチョトポイントですね。
「現代音楽」という言葉を持ち出す時って、どうしても「高踏性」が付き纏うところが
多かれ少なかれあるじゃないですか。
その対比として「ロック」が持ち出されているわけですよ。
仮に、象牙の塔に暮らす人を「現代音楽」とし、反体制的な生き方の人を「ロック」とすると
(類型的でスマソ)、やはりこれは相容れない存在だったわけです。
相容れない、とは些か乱暴ですね。マス(=大衆)にはならなかったと言い換えます。
三枝は「ミサ」を作曲することで、両者をマス化し、現代音楽やロックという区別の無い
ジャンルの礎を築こうとしましたが、そもそもロックと現代音楽は、それぞれが向いている
「方向」や「ニーズ」や「役割」が全く違う、ということに気が付いた、ということでしょう。
続きです、長くてスマソ
スタイルとしての組み合わせ、というのは別だと思います。
ロックのリズムやジャズのコードは現代音楽(クラシック)に影響与えてるし、逆にハウスや
テクノは調性感が希薄で、無調的なものすらあります。
そういう点で、ザッパが達成したことは誰もが認めることです。
しかし、一部で熱狂的に支持されてはいますが、「大衆性」(ここ強調)を帯びることはありま
せん。むしろロックなどのポピュラー音楽は、単純化・類型化した方向へとニーズが求められ
ています(カラオケの影響大か・・・)。
72 :
名無しの笛の踊り:01/11/26 02:11
ラジエーションミサか・・・懐かしいな。
1曲目の「キリエ」をアカペラの合唱団が歌ったら面白いかも。
73 :
名無しの笛の踊り:01/11/26 14:34
>>70 >>71 言いたいことはよくわかるし、そういう意味ではその通りだと思う。
でも、「現代音楽的でないクラシック」も「大衆性を帯びていない」
という点では変わらないのではないか。
要するに、「大衆的なクラシック」と「高踏的なロック」のどちら
が大衆的(=聴衆が多い)か、という問題で、それなら後者では?
75 :
名無しの笛の踊り:01/11/26 22:20
>>73 とはいえ、もう廃盤だしね。しかも“サウンド”として古さは拭えないから、やはり大衆にはダメじゃないですかねえ。
>>73 歯応えのあるレスに感謝。
「現代音楽」と「ロック」のスタイルを組み合わせたものが試みとして成功しても、それが大衆性を
帯びることは難しい(大衆性を帯びていない)というつもりで書きました。
大衆が「ロック」に求めるニーズは、もっと純化された平易なスタイルで書かれたものであることは、
最近のヒットを鑑みても自明ではないでしょうか。
あくまでも、大衆(マス)のニーズということです。
>>74 そうですね、禿胴デス!
しかしそれは、2千人(室内楽なら数百人)規模のコンサートホールで演奏することを(まずは)前提に委嘱され
作曲した作品(現代音楽)と、CD/レコードというパッケージメディアに固定し、「発売」という商業的な目的
(もっと高みの精神で作品を作る人もいるわけですが、メジャー契約している以上は、結果的にここに帰結せざるを
得ない)で頒布された作品(ロック)とでは、対象とする人間の数が圧倒的に違うことは、
>>74さんも充分ご存知の
ことでしょう。
何を持って「高踏的なロック」とするかは主観の問題もあり言及しませんが、上記の意味での「ロック」である
以上は、アーティストがいかに芸術性や高踏性をもって作品を創造しようとも、商業ベースで成立(「成功」とは
チョト違いますが)せざるを得ない、そこが大衆的(聴衆が多い)だと言いたいのです。
その最低payする枚数がクリア出来なくなってくると、所謂レコード会社との契約は打ち切りですから、「ロック」
したくても出来ない状況に陥る訳ですね、表舞台では。
逆に、大衆的なクラシック(現代音楽)は、いかに平易で解かりやすく大衆に迎合したような内容の作品であって
も、上記のようにコンサートホールで限られた人を対象に演奏されたり、ポピュラーには二桁も三桁も及ばない
少ないプレス録音だったりと、内容に比して、ロック並みのポピュラリティは宿命的に得られないのではない
でしょうか。
「ラジエーション・ミサ」から随分離れてしまいました・・・スマソ
>>75 「ミサ」以降も、現代音楽の領域でのロック的アプローチ(「SHO'83」や「FLASH-V」、
「組曲・般若波羅密多」等多数)は続けていました。
古さということと大衆への訴求性はあまり関係ないと思います。
作品に多少なりとも「力」があれば、こうしてみんなの記憶に残る訳だし、いずれは廃盤も
日の目を見る可能性が無い訳ではないと思うのです。
81 :
名無しの笛の踊り:01/11/27 10:31
>>78 メジャーレーベルと契約していることがロックの定義だとしたら、
ザッパ、フリス、ディドコフスキーはロックじゃないってことだ。
ザッパは、メジャーの口出しが嫌で個人レーベルを始めただけで、
セールスはメジャー級だったけど。
で、元の三枝発言に戻ると、もしそれが「高踏的な音楽は大衆的な
音楽とは相容れない」という意味だとしたら、それはトートロジー
にすぎないのでは。クラシック=高踏的(そもそも支配階級の音楽
だから)の帰結として、クラシックの一種である現代音楽=高踏的
というのはいいとしても、ロック=大衆的というのは違うと思うな。
もちろん、商品としてのロックは大衆的であるように作られるけど、
それは音楽様式の本質ではない筈。大部分のハンバーガーはマクド
みたいな代物だとしても、ハンバーガー=ゴミとは言えないように。
補足:最後の喩えは、「大衆的な音楽=マクドのようなゴミ」
だという意図で持ち出したのではありません。誤解なきよう。
83 :
名無しの笛の踊り:01/11/27 19:47
ロック=高踏的
というのを結論付けないとトートロジーにならんぞ。
まずそれから始めてくれ。
84 :
名無しの笛の踊り:01/11/27 21:52
>>80 古さということと大衆への訴求性は関係あるんじゃないでしょうか?今生バンドで歌うJ−POPのアーティストなんていないでしょ。
今は内面より外面が大事。サウンドとして古いのは致命的、大衆には受け入れられないでしょう。大衆を蔑むわけじゃないけど、現代音楽のファンはやっぱり大衆ではないでしょう。
85 :
名無しの笛の踊り:01/11/28 01:42
>>81 >>メジャーレーベルと契約していることがロックの定義だとしたら、ザッパ、フリス、ディドコフスキーは
>>ロックじゃないってことだ。
「メジャー」という意味は、広義での「レコード産業」という意味で使いました。誤解を生むような表現でしたソマソ。
「レコード産業」は巨大なマーケットですから、その存在は現代音楽に比べ遥かにメジャーです、よね?
そう、「現代音楽」と「ロック」の対比の話ですから、相対値で考えましょう。
もちろん、クラシックや現代音楽も「レコード産業」に乗っているかに見えますが、それは錯覚です。
「レコード化」されているか否かを言っているのでは無く、「レコード産業」、その「流通」を前提に作品が誕生
したかどうかが問題なのです。
みんなの手元にある「ロック」のレコードやCDの殆ど(全てとは言えないし、言わない)は、「レコード産業」と
「流通」を前提とした産物なわけですよ。
メジャーレーベルもマイナーレーベルも、もちろんメジャー級のセールスをマークする個人レーベルも、「レコ
ードを作って売る、それを生業とする」という点では同一視でき、そういう存在を、漏れは「メジャー」と考えます。
話の流れで、「高踏」と「大衆」を極論づけしてしまったので、もっと自然に素直に考えてみました。
「高踏」とは、世俗的なものから超越したところで、凛として気高く品位を保つこと。
この意識は多くの現代音楽に見られることだと思いますが、全ての作品に当てはまる訳では無い。
もっと気楽にエンターテインすることを目指した現代音楽作品だって当然あります。
ポスト・ミニマルや新ロマン主義などにも、そういうものは多い。
同様に、ロックやポピュラーの中にも「高踏」な作品は存在する。しかしそれが、ポピュラーの大部分の作品を
占めるには至りません。
誤解を恐れずに書くと、これらは「娯楽」のための音楽だから。決して差別的意味ではなくてね。
聴き手を楽しませる音楽、とでも言ったらイイのかな。
「大衆」にも、いろいろな意味があるようで、漏れは「多数の人々」というニュアンスで書きました。
他には、一般庶民であるとか労働者階級であるとか様々ですが、こういう意味では考えなかったなぁ・・・
もう単純に「多数の人々」、これが漏れの言う「大衆」です。
非常に雑な表現をすると、現代音楽:「高踏」>「大衆」、ロック:「高踏」<「大衆」ということかなと。
どちらにも「高踏」は存在するし、「大衆」も存在する。しかし、率はともかく、どちらの割合が多いかと言えば
上記のようになるのでしょう。
「ロック」の定義を語るほどの知識もありませんが、少なくともロックは「産業」と分かちがたく結びついた存在。
売れる売れないの結果はともかく、大量複製し広く頒布したいという「欲求」は、一方で音楽家の自己表出・
自己実現・自己顕示としてのそれであり、一方でレコード会社の売上・利益の追求なわけで、そこで互いの
利害が合致しているわけデショ?
売ることを前提にパッケージ・メディアに「作品」を固定し頒布した段階で、作品の内容を問わず「産業」界を
巡るベルトコンベアに乗ります。
それは、音楽家が好むと好まざるとに係わらず、「大衆」(多数の人々)に向けて放たれてしまう瞬間でもある。
そこが「ロック」(ポピュラー全般)が「大衆」的であると考える根拠です。
「産業」を通じての「大衆」との連結が、ロック(ポピュラー)には半ば宿命的にあるのですが、現代音楽は、
大衆を相手にはしても、「産業」まで巻き込むほどの力もポピュラリティもありません。
三枝は、作品の内容が「高踏」であるとか「大衆」向きであるとかが問題なのではなくて、「産業」に向けて放た
れたロックと、「産業」とは一線を画す現代音楽とでは、違う公転軌道を描く惑星のように交わることは無いと
結論づけたとオモワレルマス。(ごくたまにクロスする可能性はあるわけだ)
もちろん、”あるロック”の「高踏性」に気づき、現代音楽との横断をいとも簡単にしてしまう輩もいるわけで
(漏れもそうだし、81さんもそうでっしゃろ?)、三枝はそういう聴衆を多く獲得できると信じて「ラジエーション・
ミサ」を作曲したわけだが、所詮マイノリティなんですわ、我々は(一緒にしてスマソ!)。
ロックと現代音楽、この両者の持つ精神性やスタイルを用い、双方を繋ぐことはメチエとしては可能だが、
もともと別々に軌道を描く両者が一つになることは無い、ということに三枝は気づいたということでしょう。
88 :
名無しの笛の踊り:01/11/28 03:03
チャイコフスキーやショパンってポピュラーだと思うけど。
89 :
名無しの笛の踊り:01/11/28 03:46
レコードやCDが流通を前提にしてるのは当り前の話で
それは現代音楽のレコード・CD・譜面の場合も同じことですし
レコード・CDという媒体がなくともロックは成立し得るわけです
これだけ音楽のジャンルが多様化しリスナーも細分化されている時代に
現代音楽とロックという二つの枠組みだけで高踏とか大衆とかを語るのは
それこそ荒唐無稽な話に思えますが?
90 :
名無しの笛の踊り:01/11/28 09:04
>>89 え?媒体がなくともロックは成立し得る?
まさか媒体に乗せなくても例えばネット配信という形で出来るという意味?
そういうことを言ってるんじゃないだろうな。
ロックを演奏する方はそりゃ成立するかもしれないけど、聴く方はどうそれを需要するわけ?
まさかライブでとかイワナイデヨ。ライブはCDのプロモーションの一環だからね、ほとんど儲からない世界よ。
91 :
名無しの笛の踊り:01/11/28 10:31
モーツァルトの未完の作品をザルツブルグ・モーツァルテウムが補筆を依頼。
しかし先生勘違いして「自分なりに」と作曲したものだから、できあがった
ものを見てモーツァルテウムのメンバーが落胆したという話は本当です。
92 :
名無しの笛の踊り:01/11/28 13:43
>>83 「Aと非Aは相容れない」は、確かに「トートロジー」じゃ
ないですねスマソ。「トリヴィアル」ならいいのかな?
>>87 「ラジエーション・ミサ」は、残念ながら「高踏的なロック」では
全然ないんだな。当時としてもダサ目で、フュージョンの有名キー
ボード奏者を集めてアドリブさせればよかろう、という作りも安易。
で、三枝発言の真意は、「現代音楽はどうあがいても売れない」と
いうことだった、という解釈でよろしいでしょうか?
93 :
名無しの笛の踊り:01/11/28 17:03
三枝のレクイエム、歌った。
チカレタビー
94 :
名無しの笛の踊り:01/11/28 19:11
>>91 誰が聞いても「モーツァルト的」なものを補筆をして欲しければ、そもそも三枝には委嘱しない。
学者や研究家ならもっとそれらしいものに仕上げただろう。
それ以外の「何か」が欲しかわけで、そこで三枝が自分らしさを出したことがどうして勘違いなんだろうか?
結果的に気に入ったかどうかはそれとは別の話。
95 :
名無しの笛の踊り:01/11/28 19:14
>>94 ×それ以外の「何か」が欲しかわけで
○それ以外の「何か」が欲しかったわけで
タイプミス、スマソ。
96 :
名無しの笛の踊り:01/11/28 23:57
>>90 >まさかライブでとかイワナイデヨ。
まさしくライブのことですよ
音楽のスタイルとしてのロックが成立するか否かに儲かる儲からないは関係ないでしょ
CDのプロモーションとしてのライブなんてものは商業音楽という括りの話としてならともかく
ロックという語と結び付けらて語られる必然性があるようには思えないけど?
例えばライブハウスやクラブなんかを中心としたサブカルチャーのありようについてはどうお考えですか?
97 :
名無しの笛の踊り:01/11/29 00:16
間違ってたらスマンが、
「お引っ越し」という映画、結構いい音楽入ってたんだが、
あれって確か三枝だよね。詳しい方教えて!
98 :
名無しの笛の踊り:01/11/29 01:02
>>97 相米監督の「お引越し」の音楽は三枝です。
サントラはリリースされてないと思う。
同じ相米作品「台風クラブ」「魚影の群れ」「光る女」の音楽もそう。
「光る女」はプロレスラーとオペラ歌手の話で、劇中で歌われたアリア(「炎のアリア」)も
三枝の作曲。イタリア語の歌詞にフル編成のオーケストラ伴奏付きという、本格的な体裁の作品だった。
本とカセットテープがセットになったいわゆる「カセットブック」として発売され、買いました。
99 :
名無しの笛の踊り:01/11/29 01:05
>>三枝といえば、「動乱」でしょ。指揮はミッチーだよ。
でも映画には、交響曲にないモチーフのブリッジ曲などが使用されていた。動乱完全版ギボンヌ。
100 :
名無しの笛の踊り:01/11/29 01:50
>>99 おぉ、交響曲「動乱」っすか!
漏れはCDもLPも持ってるけど、これ劇伴の改作版なんですよね。
演奏は、東フィル、藤原真理vc、神谷郁代pf、井上道義cond〜
漏れもサントラのリリースキボーン!
第3楽章冒頭の激しい部分は、「Zガンダム」のBGMにも使われてたよ。
>>誰が聞いても「モーツァルト的」なものを補筆をして欲しければ、そもそも三枝には委嘱しない。
と思ったのは三枝だけだったらしい。だれが「三枝的」な補筆を頼むと思う?
102 :
名無しの笛の踊り:01/11/29 07:42
>>100 動乱は劇伴と交響曲違うテイクなんですか?ソ連の映画みたいに交響曲から使って足りない部分を追加録音したのかと思ったけど。
第三楽章の冒頭はなんとなく、ショスタコヴィチっぽいよね。交響組曲東京のSUMMER(だっけ?)はZZの音楽にリライトされていたね。
103 :
名無しの笛の踊り:01/11/29 07:54
>>101 では、どうして三枝に補筆依頼をしたの?オセーテ!
104 :
”削除”依頼:01/11/29 07:55
。
105 :
名無しの笛の踊り:01/11/29 09:46
作曲家としてMozartを深く理解しているから。
一応彼はMozartの研究家的なポジションも持っている。
106 :
名無しの笛の踊り:01/11/29 13:25
>>101 >>だれが「三枝的」な補筆を頼むと思う?
「だれが頼むと思う?」と、まるで小馬鹿にしたようなものの言い方をしても、
現実に「国際財団モーツァルテウム」が三枝に頼んだ事実は変わらない。
それにしても、没後200年の記念事業を、日本人に委嘱した理由はなんだったの
だろう?まさか「三枝の政治力」とか言うんじゃないだろうな?(ワラ
>>96 >>音楽のスタイルとしてのロックが成立するか否かに儲かる儲からないは関係ないでしょ
2001年現在の「音楽」を取り巻く社会の”在りよう”を念頭に考えなければならない。
例えば18世紀には18世紀の、19世紀には19世紀の社会的な背景が先ずあり、その社会の
システムの中でそこに適した方法で「音楽」が育まれてきたわけです。
現代の社会には、宮廷お抱えの作曲家も気の遠くなるような莫大な経費のかかる楽劇に
資金援助するパトロンも存在しない。
クラシカルの作曲家が自作を指揮したり演奏したりする形態も時代とともに廃れ、分業化が
進みました。
それにとって代わったのが、ロックやジャズをはじめとするポピュラー音楽。
自作を自ら演奏するという音楽形態は、ここに引き継がれ広く人類から親しまれる「音楽」と
なって現在に至っているわけですね。
そこで考えなければいけないのが、ポピュラーにおけるコマーシャリズムの問題。
現在ポピュラー音楽の”大半”は、レコード会社というディストリビューターからリリースされた
レコード(CD)を介してしか我々の耳には届かなくなってきている。
例えばビートルズ(こういう時っていつもビートルズ・・・スマソ)の音楽をレコード(またはレコードを
音源とする、ラジオやテレビの放送)以外の方法で享受した人どれだけいますか?
かつて武道館で聞いた人どれだけいるのでしょうね。
レコード(CD)しか知らない人たちとは比較にならない少なさでしょうし、世界的に考えてもそう。
お解りのように、グループとしての活動年数云々の問題では無いのです。そういうことではない。
そして圧倒的にパッケージの流布する力の方が勝っている。
ビートルズ、彼らの作品を”彼らのライヴ”で聞くことはもはや不可能ですが、唯一彼らの演奏に
アクセスする方法が「レコード(CD)」などによる記録媒体なんですよー。
ところが、この記録媒体は”ただ”じゃ無い。
商業主義とポピュラー音楽が切っても切れない関係にある所以がこれ。
レコード(CD)を”買う”行為、またはレンタルする行為、何れも経済的交換(金銭という対価を
払う)が伴います。「経済行為」とは切り離せない、分かち難い存在なのです。
では、テレビやラジオならただで聞けるじゃん、というのもウソ。
テレビ社やラジオ社は、レコード(CD)を放送で使用するため録音・録画という方法で一時的に
テープに固定しますが、これお金がかかります。
また、著作物使用料としてJASRACにも年間ブランケット契約により何億(キー局の場合)という
単位で支払っている。視聴者(聴き手)に負担が無いだけの話。
まぁ、クラシックですら、もはやこのシステムとは切り離せない関係にあるわけですが、マーケット的に
ポピュラーの比ではありません。「産業」と呼ぶには、あまりにもお粗末な世界。
ここまで書いても、商業主義が「ロックという語と結び付けらて語られる必然性があるようには思え
ないけど?」と、やはり言われるかもしれない。
漏れが言いたいのは、「存在理由としてのロック」とか「ロックの必然」や「精神」などを語る時に、
「商業主義の括りの中のロック」というものが、ロックが「成立」し「存在」するうえで極めて重大な
鍵を握っているのではないか?ということ。
それは、最初に言った「18世紀には18世紀の、19世紀には19世紀の社会的な背景が先ずあり、その
社会のシステムの中でそこに適した方法で「音楽」が育まれてきた」ことを、21世紀にもそっくりそのまま
当てはめて考えてみてはどうかな?というのが漏れなりの拙い発想デス。
つまり、20世紀から21世紀にかけての社会的背景とは・・・
それは、「商業主義」による大量複製・大量消費という巨大な「産業」が「音楽全般」(ポピュラーについて
触れてきましたが、”マス”では無いにせよクラシックも同じ方法論で存在している)を席捲していること。
「産業」が、「音楽すべて」を支えているとも言い直せる。
この背景を抜きにして「ロック」が成立することは残念ながらありません。
だから、「売れること」は「ロック」にとってとても重要なこと。これ「ロック」の宿命。
孤高のロック・ミュージシャンも、(規模はともかく)まずは「産業」に乗らないと、多くの人に聞いてもらう
ための「産業」の中での存在理由がなくなってしまうのです。
ライヴしかやらないミュージシャンは儲からないから「産業」に組み込めない。
損益を出してもそれを支えるレコード会社など存在しない。
しかし、しかし、最後に一言。
実はそういうシステムを漏れは嫌っているし、うんざりだ。売れる音楽=腐った音楽(チョト言い過ぎ・・・)。
漏れは、売れない音楽にこそ自分なりの価値基準で「良い」と判断したものが集中していることをシッテル。
今はそういう実のある音楽が正当に評価されにくい時代であることを残念にオモテル・・・
このスレと本旨がズレてしまいました、誠にスマソ。
113 :
名無しの笛の踊り:01/11/30 11:37
>>107-112 それは資本主義だから当たり前。
ただ、「実のある音楽が正当に評価されにくい時代」みたいな
言い方はおかしい。「実のある音楽」を享受する集団の規模自体
は、19世紀からこのかたそんなに変わっていなくて(むしろ、人口
が増えた分程度は増えたと思う)、それとは別な価値基準で動いて
いる巨大なシステムが新たに作られたので、見えにくくなっただけ。
メディアに限らず、あらゆるものは無料じゃない。むしろ、ラップ
トップ1台で音楽を作って、CD-Rに焼いてネットで売る、みたいな
ことができるようになって、産業に依存する必要性は減りつつある。
もちろん、「ビッグになる」ためには産業への依存は不可欠だけど、
「とりあえず喰えれば、100年後には俺の音楽は評価されている筈」
と信じられるようなロマンチストには、現代は生きやすい時代では。
114 :
名無しの笛の踊り:01/11/30 12:18
いいかげん、三枝の話に戻れよ。
115 :
名無しの笛の踊り:01/11/30 13:16
116 :
名無しの笛の踊り:01/11/30 16:38
三枝の「THE SYMPHONY」という交響曲について語れる奴はいないのか?
1983年のオーケストラ・プロジェクトで聞いたんだけど。
117 :
名無しの笛の踊り:01/11/30 22:48
118 :
名無しの笛の踊り:01/11/30 23:06
>>117 なんで喧嘩腰なんだろう?
あなたの性格疑うよ!
>>116さん、どういう曲か知りたいので情報キボーン!
119 :
名無しの笛の踊り:01/11/30 23:22
>28
太鼓についてですが、私もワセオケで初演を聴きました。野村萬斎の
狂言との組み合わせて、太鼓協奏曲+ジャパニーズ歌曲といった感じ
でした。曲自体は大したメロディーラインも無く、「太鼓がドンドコ
鳴ってるだけ」としか言いようがないのですが、その太鼓の音色と
音量はそれなりに楽しめました。東京芸術劇場がぶっ壊れるかと思う
くらいの凄い音量でした。「ズゴゴゴ・・・」なんて音が延々とする
もんだから、隕石が落ちてきていて、地球崩壊の日でも来てるんじゃ
ないかと思えたくらい、凄まじい音でした。生で聴かないとダメな
曲ですね。ちと一発芸ちっくかも。
120 :
名無しの笛の踊り:01/12/01 00:12
誰も知らないのか?三枝のシンフォニーを。
三枝成彰「THE SYMPHONY」(1983)は、3楽章からなる交響曲。
タイトルの「ザ・シンフォニー」は、通俗性を狙ったネーミングでもあり、内容もジャズやロックなどの雑多な手法
を用いて作曲された。
3管編成に14・12・10・8・8の弦5部、打楽器4人にチェレスタを加えた、標準的なフル・オーケストラ作品。
Duration:27分30秒
せっかくだから、各楽章も紹介しよう!
【第1楽章】:16分の15拍子、16分の18拍子、4分の4拍子、16分の10拍子、4分の5+8分の1拍子・・・といった
具合に小刻みな変拍子を多用した、いわゆるスケルツォ楽章。第1楽章でいきなりのスケルツォだ!
三枝の実験性とポピュラーの通俗性が合体し、無調/調性が交錯した即興的楽想が次々と現れては消えて
いく。シェーカーによる16ビートや、ブラス・セクションのgliss.down/shakeなど、ビッグ・バンド的奏法の導入
や、休符の取り方の「妙」による間合いも面白い。vibra-slapやslap-stickなどのパーカッションも効果的に
使われている!
続けて第2楽章!
【第2楽章】:コントラバス、テューバ、コントラ・ファゴット、バス・クラリネットにメタル・カバサを加えたオスティナー
ト音型が延々繰り返されて行く。
これ実は「Zガンダム」のBGMでも使われた。
Mナンバーはわからないが、サウンドトラック「機動戦士Zガンダム」BGM集VOL.1の5曲目”反乱軍”がそう。
緊迫感のある場面で使われたが、当時OAを観て気が付いた。
このオスティナートに乗って様々な展開があるが、BGMでは最初の部分のみが採用された。
やがてフルートの「A音」によるロング・トーンに導かれ調性感のある楽想が出現するが、それもまた次第
にフェード・アウトして消え入るように終わる。
ふぅ、チョト疲れた...
最後に第3楽章!
【第3楽章】:得意のティンパニをフルに鳴らすパターンで開始される。
4台のティンパニが3連符の音型をffで叩き続けるのにバス・ドラムも呼応し打ち鳴らす。相対するオーケストラ
も暴力的にアプローチしてくる激しい楽章。
NHK「宮本武蔵」のテーマを連想する激しいティンパニだが、クラスターによる不協和音の積み重ねや、
4拍3連符のリズムの面白さが聴き所かも。
盛り上がりが頂点に達した後一旦静的な楽想に落ち着くが、それもファゴットの3連符リズムによる「行進曲」の
開始とともに打ち破られる。
チェロのディヴィジョンとヴィオラによる旋律に代表されるように「分数コード」が多用され、奇妙なモード感に
支配され、とても新鮮だ。このリズムに乗って様々な楽想が繰り広げられていくが、「行進曲」は次第に盛り上
がり、accel.しながら大きな頂点へと発展していく。
最後は上昇していく細かな音型と下降していく奇妙なハーモニーがあいまって独特のコード感を形成するが、
それもやがてフェードアウトしていき、消えるように終わる。
【出版:(社)日本作曲家協議会/サントリー音楽財団】より
以上で三枝の「THE SYMPHONY」説明終わり!
124 :
名無しの笛の踊り:01/12/01 01:02
126 :
名無しの笛の踊り:01/12/01 14:59
>>102 >交響組曲東京のSUMMER(だっけ?)はZZの音楽にリライトされていたね。
そう、ZZ(ダブル・ゼータ)ガンダムのサントラで聞けるYO!
しかも「SUMMER」は、オーケストラ・プロジェクト'89で初演した「ORCHESTRA'89」へと拡大再生産された。
予告では「ピアノ協奏曲」のはずダタガ、たんに間に合わなかったとオモワレ(w
ヴァイオリンとヴィオラが32分音符でめまぐるしく走り回る「くまばちの飛行」音型に萌え!
>123で【出版:(社)日本作曲家協議会/サントリー音楽財団】よりと書いたけど、
上記から出版されているスコアを参照したという意味。文章は漏れのもの。
久々に引っ張り出してスコア見たけど、この人のスコア自体あまり見ることは無いので貴重かも。
128 :
名無しの笛の踊り:01/12/02 00:57
「逆シャア」萌絵〜
129 :
名無しの笛の踊り:01/12/02 01:07
>>128 「逆襲のシャア」のサントラはイイんだけど、最後に収録されてるTMNの曲に萎え〜
主題歌も三枝に書いてもらいたかった...小室ファン、スマソ!
130 :
>>106:01/12/02 01:16
亀レススマソ。
それは、財団が日本人で(理由は不明)優秀な作曲家に依頼しよう、と決めたからで
そこに三枝氏の名前が出たのよ。それですんなり決まったわけ。あまり深く
考えずにね。だって補筆の作業ってどんな風であることかは常識だから。
でも、結果的に財団が想像していたものとは違うものができちゃって驚いた。
ま、そのへんのコミュニケーションが悪かったんだね。
漏れは三枝叩きをしてるつもりはないからヨロシク。
131 :
名無しの笛の踊り:01/12/02 01:37
>>130 情報サンクスです!
発注側と受注側の打ち合わせ不足のようですなー。
これでは両者の繋ぎをした側にも問題ありそう。
「ザ・シンフォニー」に具体的なレスが無いのは、やはりほとんどの人が聞いて
いないことが原因なんだろうな・・・
漏れはNHKFM「現代の音楽」のエア・チェック・テープをたまたま残していたのと、
スコアも購入したことで強く印象に残っているのデス。
恐らく初演されたきり演奏されていないと思われるが、チョトもったいない作品だ。
実験と通俗性が絶妙なバランスで同居していた時代(1980年代半ば)の曲なので、
現在の通俗性を前面に出した作品はチョト・・とオモテル人にも受け入れやすいのでは
ないかと。
サントラやアニメのBGMの方がCDでリリースされてるので、この仕事の評価は
しやすいけど、コンサート作品だとCDも少ないし、聞くことが難しい。
この辺も三枝作品を語りにくくしている原因なんでしょう。
133 :
名無しの笛の踊り:01/12/05 01:05
今までに音盤化された三枝の曲ってどんなのがあるんでしょう?
探しに逝きたいのでレーベル、番号と共に教えてくだされ。
クラシック作品のみで結構ですんで。CDとLPは分けてね。
「おとなぴあ」での三枝の連載があるよ。
なんでも、自腹切って現代音楽のコンサートやって大赤字になって借金を背負い込み、奥さんと離婚
したらしい。いくら現代音楽やっても人が集まらないというのまのあたりにして、現代音楽に決別、作風に変えたそうだ。
奥さんに逃げられたのがショックだったのかな?
でも、時期的にいうと、Z,ZZ,逆襲のシャアの劇伴が評判よかったから、という気がしないてもないが。
136 :
名無しの笛の踊り:01/12/05 12:09
137 :
名無しの笛の踊り:01/12/05 17:32
>>134 ユネスコ村でやった「ニューミュージック・メディア」のこととオモワレ。
詳細情報キボーン!
そこで三枝はテリー・ライリーを招聘したようだ。
「週刊実話」(!)のインタビューで、「11PM」などの番組に
出演したことで、まわりから冷たい目をされたと語っていた。
ガチャ目の女(自称「文化人」)に「王子」とか呼ばれてていい気になっててイタかった
140 :
名無しの笛の踊り:01/12/05 22:06
>>135 そこ見たんだけどちょっと情報が少なすぎてレコードや探すのにはちと頼りにならんのと
すでにCDになっているのに名前すらない曲(例えば王の挽歌)があったりするんで、
このスレの御歴々ならと思ったわけです。
しかしご厚意には感謝する、有難う。
141 :
名無しの笛の踊り:01/12/05 22:23
>>137 その辺も、おとなぴあに出てるから読んでみな。
142 :
名無しの笛の踊り:01/12/05 22:25
離婚といえば、三枝は録音でよく吉田弥生を使っていたけど、ひょっとして怪しい関係?
143 :
名無しの笛の踊り:01/12/05 22:47
>>140 リスト作成中。
廃盤が多いので参考になるかどうか・・・
144 :
名無しの笛の踊り:01/12/06 23:11
>>143 やや、助かります。何があるか分からなければ中古屋で探す事すらままならないんで。
楽しみに待っとります。
145 :
名無しの笛の踊り:01/12/06 23:20
三枝の編曲で演奏がベルリンフィルの12人のチェリスト達の
ビートルズ、なんての持ってるよ。
146 :
名無しの笛の踊り:01/12/07 00:58
>>142 彼女は相当数の三枝関連のレコーディングに参加してるね。
交響組曲「Zガンダム」の「愛のコンチェルト」のピアノも彼女だし。
2枚の「ハートカクテル」なんかも勿論そう。
珍しいところでは、東京混声合唱が演った「呪文」(合唱、ドラムス、ピアノ)を
東京文化会館小ホールで聞いた時も、吉田弥生のピアノダタヨ!
147 :
名無しの笛の踊り:01/12/10 14:18
143さん期待age
148 :
名無しの笛の踊り:01/12/10 16:11
ピアノ協奏曲を聴いてみました(コンチェルト4曲入ったCDね)。
なんかジョリヴェの赤道コンチェルトに合唱を加えたみたいでコーフンする。
149 :
名無しの笛の踊り:01/12/10 16:35
本日、サントリーホールにて、交響組曲「忠臣蔵」とオペラ「忠臣蔵」から第3幕第2場を
演奏会形式で上演。
漏れは逝くので、記念age!
サントリーに逝ってきました。
先ず今夜の演奏会は、「赤穂義士本懐成就300年祭奉納コンサート」と題されたもの。
平たく言えば、あの討ち入りから丁度300年目にあたるのが今年とのことで、
四十七士が祭られている泉岳寺を中心とした実行委員会と文化放送の主催公演ダタ。
三枝作品、指揮は秋山さん、オケは東響と、もはやセット状態。
いろいろな政治力も働いた公演とオモワレルガ(爆)、それは東響スレに任せるヨーン(w
で、内容はというと、オペラの第3幕第2場を演奏会形式で再現した後半がとてもヨカタ。
綾衣役に澤畑恵美と橋本平佐衛門役に小林一男(初演と今度の再演も彼ですね)。
二人とも衣装の着物に身を包んでの登場!
(続く)
前半の組曲は、新星が初演した時も偶然聴いてるんだけど...
オペラから編纂した6曲をナレーション(このテクストも島田雅彦)で繋いでいく構成。
初演時は細川ふみえたんダタけど、今回は出光ケイのナレ&司会(公演の冒頭は司会進行役もケイ)。
城主が切腹を命ぜられたとの一報に大混乱の赤穂城(オペラでは畳み掛ける合唱が凄いんだけど)の
場面や、討ち入り、2幕の花火の場面での2重唱など、歌の部分を巧妙に楽器に置き換え、盛大に鳴
らす部分と、弦を中心にした叙情的な場面音楽を適度に散らした部分とを組み合わせた構成ダタケド、
改めて「歌」を中心に作曲されていることがワカタネ。やっぱ、これはオペラなんだと。
決して悪くないんだけど、本来の持ち味がオケだけでは再現し切れてない(当たり前だけど)というか。
ただ歌が無い分、楽曲の構造が手にとるようにワカル部分も多くあり、収穫はあった。
今更だけど、三枝のオーケストレーションは上手い!唸った。
歌に消されて聞き取れなかったところも、カナーリ緻密に作られているとオモワレル。
そんなこんなで、組曲「忠臣蔵」は、ナレーションも含め40分を超える規模の作品ダタヨ〜
(続く)
後半の3幕第2場は、想像以上にヨカタ、つーか感動した。
CDで聴く以上に、実演効果があがるように計算されていると感じる。
ここまで感受性を刺激するような甘美な音楽でイイのだろうか?と
最近の三枝にいま一つのめり込めないでいる自分がいたけど、
心中を図ろうとする綾衣を平佐衛門が「お前の命を形見にもらった」と
刺し殺してしまう場面・・・
イタ・オペさながらのお涙頂戴、これもお約束〜と頭では理解していても、
沸き起こる感情を抑えることが出来なかった・・・(w
マジでグッと来た漏れは、逝って良しスカネ?
現代音楽のコンテクストからの脱宣言をし、音楽の持つ官能の喜びを
批判されながら突き進もうとしている三枝の音楽ってこれだったのか!
あの場でやっと理解できた気がする。CDでは味わえなかった感情だ。
そして、こんなんでイイのか〜?と「頭の中」だけで考えていた理屈に、
エモーショナルなものが勝利した瞬間でもあったよ・・・
来月、新国立劇場でのオペラの再演、そーとー期待が膨らんだゾ!
LDでしか知らない(初演は行きそびれた)DQNな漏れは、逝ってきます。
(以上、終わり)