>>686 >理論ヲタって言葉遊びも大好きなようだが・・・。
言い得て妙かも。
イコール氏が言いたいのは、もしかすると言語論的問題で、
つまりは、これは「山」だ、と言った場合既に「山以外のモノ」が前提として想起されていることになる、という話かも。
つまり機能和声的限界を超えようとする考え自体が機能和声という限界に囚われているというような。
よって、ジャズの音楽的語法が機能和声の超越としてあるならば、
それはまだ機能和声的引力圏にあり単なるバリエーションに過ぎないと。
ただ、音楽はそういう言語的操作よりも直観的な模索が大きく、既にジャズミュージシャンにおいてそういった言語論的な範囲から逸脱した模索が為されているので、そんな問題定義自体が意味がないという反論が為されている、というのが現状ではないかと。
それとは別に個人的には、なんで4ビートではなくエイトビートや16ビートのフュージョンと呼ばれる音楽形態でビバップの和声的な拡張が為されたのか、そのハーモニーとリズムの言語的関係に関心がある。