1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 20:39:32.95 ID:230EbdRG0
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 22:01:30.60 ID:230EbdRG0
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/12(木) 23:36:51.99 ID:230EbdRG0
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/13(金) 08:46:40.27 ID:thdxw5ReO
おつ
>>1乙
謝安が最近嘘喰いの斑目獏っぽいなあ、と思うようになってきました。
乙
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/15(日) 08:38:19.38 ID:TgdOOu1g0
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/17(火) 09:25:01.52 ID:LGDR8hAg0
王衍みたいなのが宰相になれるって西晋はどんだけ腐敗してたんだ
そりゃ名門瑯揶王氏で、竹林の七賢につながる清談派の巨頭
名声もあり弁舌も爽やかじゃ当然
西晋がおかしいのは間違いない
一食に数万銭使って食べないとか、石崇、王ガイ、王済の話とか女蒸し焼きと崩壊するわ
>>11 こうして見ると意外に充実しているな、魏晋南北朝は
でも、北朝の不人気ぶりもなかなかに際立つな
北朝スレもある
しかも2スレ目
>>10 蒸し焼きはちょっと後の時代(隋末)
諸葛昂と高瓉は互いに宴を開いて招きあっていた
あるとき、高瓉が諸葛昂らをもてなした。
出された食事に客たちが手を付けた後、食材が紹介された。
そこには双子の子供の頭と手足があった。
諸葛昂が返礼の為、高瓉らを招いた。
最初に寵愛する美女に酒を勧めさせたのだが、この美女が意味もなく笑ったので、
昂は叱りつけてすぐさま下がらせた。
しばらくして蓋をかぶせた巨大な銀盤が運び込まれてきた。
蓋をあけると、先ほどの美女が生きたまま蒸し上げられていた。
昂は美女の腿肉を裂いて皆に勧め、自らも飽きるまで食らった。
>>10 ちなみに万銭は北魏の話だったと思う。
西晋の話
石崇は客を招いて宴会するたびに、いつも美女に酒をすすめさせた。
酒を飲み干さない客があると、宦者に命じて次々と美女を斬り殺させた。
武帝司馬炎が王済の家を訪れた時、王済は全て瑠璃の器を用いて食事を出した。
また、百人を超える侍女全てがあや絹や薄絹の衣装を身につけていた。
更に蒸した豚はよく肥えておいしく、普通の味と違っていた。
武帝が不思議に思って尋ねると、「人間の乳を豚に飲ませて育てたものです」
と答えた。武帝はひどく不愉快に思って、食事も終わらぬうちに立ち去った。
※人の母乳で、豚肉を蒸したという話もあります。
王トは武帝司馬炎の外戚で石崇と豪奢を競いあっていたが、武帝(司馬炎)は
いつも王トを援助していた。ある時、高さ二尺ばかりの珊瑚樹を王トに賜った。
王トは二つとない見事なものと石崇に見せびらかした。すると石崇は手が滑った
といって珊瑚樹を粉々にした。
怒る王トに対し、石崇は自分のもので弁償すると言って珊瑚樹を見せた。
すると、三〜四尺の見事な珊瑚樹ばかりで、王トの珊瑚樹など沢山あった。
>>15 滅ぶべくして滅びたって感じだな
劉淵や石勒が支持された理由も分かるわ
東晋はここらへんの失敗を自省しているから、何ぼかマシか
>>16 でも貴族の争いは続くよね
酒の件も殺されるのを見ても飲まなかった王敦とかいるしね
バランスを取りながら顧栄ら江南貴族の力を削いだ王導
王氏排除に力を注いだユ亮
引き立ててもらったのにユ氏を追放した桓温
その桓温に引き立ててもらったが纂奪を阻止した謝安足の引っ張りあいで北伐なんか当然出来ないはずだよ
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/21(土) 10:23:30.02 ID:RIFwRdisO
いつ簒奪されてもおかしくない状況だったのによく100年持ったもんだ
>>19 八王の乱で華北を失って、その上江南まで失う必要はあるまい
そもそも、東晋の皇帝ってリーダーじゃなくてチェアマンなんだよな
言っちゃ何だけど、お飾りみたいなもん
これをリーダーたる存在として権威を高め、権力を固めようとしたのが三庾
これで内外と衝突しないわけがない
>>20 まあ庾亮は皇帝のおじだし、当然って気もするけど
結局彼の率いた(もともとは陶侃だけど、祖逖のは一旦解体してたよね?)
西府軍が桓温の簒奪の源になるのは皮肉だけど
王導はすごいと思うけど、周の件でどうも好きになりきれない
桓温は郗超も含めて好きなんだけどな
特に郗超は桓温いなかったらどんな人生歩んだんだろ?
>>21 北府・西府の成り立ちは、キレイに分類できないんだよな
それこそ、当初は祖逖系の行主だった銍桓氏の桓宣が、後に温嶠経由で陶侃に与するようになり
最終的には義成僑郡一帯を根城とする西府軍団の有力な勢力となった例がある
陶侃直系は早い段階で、庾翼に取り潰されているし、明確な西府軍の誕生と言えるのは、実際
桓温以降と言っても良いんじゃねーかな?(陶侃のそれは、あくまで陶侃の統率のみによって
成り立っていたようなもので)
北府軍が「組織化」されたのは、ヘタすりゃ謝玄以降になるしなあ(史書でこう記述されているから
否定のしようが無い)
個人的には、実力の伴わなかった三庾は大嫌いだな(「北伐やらせろー」と駄々捏ねるガキみたい)
桓温に子孫が権限奪取されたとき、ぶっちゃけ拍手喝采だったわ
別に北府についてはなんも言ってないよ
言いたいのは皇帝の為に行動した庾亮の軍が、結局簒奪(未遂)者の力の
源泉になったのは皮肉だったなって言いたいだけ
とりあえず宇文護ってなんで簒奪しなかったのかな?
お隣さんはいろいろやってんのに
(結果、国力が逆転したんだけど)
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/26(木) 20:57:28.76 ID:lPLcBioeO
するつもりが出来なかった
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/27(金) 11:35:22.72 ID:U3ZnBAiE0
皇帝を2人も廃しておいて簒奪の意思は無かったってことはないよな
簒奪するほど権力地盤がかたまってないとか
あるいはキングメーカーに徹したいだけ、とかは?
簒奪するほど権力地盤がかたまってないとか
あるいはキングメーカーに徹したいだけ、とかは?
ごめん 2回目の奴は無視してくれ
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/27(金) 16:46:30.68 ID:COYZjEYkO
曹操や司馬昭みたいに息子の代で簒奪するつもりだったのかもな
宇文泰も自分の代では簒奪しなかったし
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/28(土) 10:02:44.74 ID:qDDAWMz0O
そんな感じかな
東魏は滅ぼすか弱体化させなければ、纂奪どころの話じゃないくらいのまともな思考もあったのかな
とりあえず三代続けて聡明な皇帝が出たのはラッキーだったよ
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/29(日) 10:20:25.96 ID:iNne0u3S0
西魏の皇帝は全員傀儡だったし、北周もまともに権力を持っていたのは武帝だけ。
それも宇文護を粛清してから死ぬまでのたった6年。
>>32 3代続けて成功したから運を使い果たしたんだろうな
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/30(月) 18:17:18.15 ID:U61l34bWO
宇文護も北斉の連中に比べれば良心的だな
少なくとも快楽殺人者じゃない
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/31(火) 20:35:52.98 ID:6g+P+FFEO
そうだね
とすると纂奪のタイミングはいつが良かったのかな?
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/20(月) 23:36:18.20 ID:X+Sn8g+0O
>>33 宣帝が無能だったとはいえ、武帝の死後たった3年で
簒奪されるくらい皇帝の権力が弱かったのもある
王衍を無能とは一概には言えない気がする
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/02(金) 19:15:44.75 ID:7UNaBKZ+0
悪いのは王衍だけじゃなくて、西晋王朝そのものだな。
ゆえに民衆たちは、異民族である劉淵・石勒らに正統王朝である西晋を滅ぼされても
西晋の残存勢力を推戴することなく、胡族政権を支持したんだよな
でも、王衍の最期の見っとも無さは異常
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/13(火) 21:58:09.77 ID:FooRY0F90
劉曜陳安に挟まれて5年も戦い抜いたビン帝って地味にすごくね
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/14(水) 20:43:50.69 ID:0EQXNKVo0
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/15(木) 22:16:28.49 ID:vJvqB4KQ0
愍帝にまともは実権はないだろ
王衍って最初から浮世離れした清談家ではないんだよね
初めは縦横学に打ち込んでて、そこから挫折して清談に耽るようになった
だから「口がうまいだけの男」と見るのは可哀想な印象
挫折した原因は、おそらく羊祜の軍営に参加したことだと思う
王戎と一緒に羊祜から斬られかけたあたり、
どうも羊祜ら最高幹部の戦略に何かと口を挟んだように感じる
いちおう羊祜は王衍の才能を認めつつも、
「結局天下の人々をそこなうのはこの人であろう」
と予言めいた言葉を残してたり
ちなみに、王衍に対して同様の台詞を残したのが、竹林の七賢の一人であり
山公啓事でも知られる山濤
西晋きっての名臣二人から同じ危惧を抱かれてるところに、王衍の不幸が
予感されるというか
個人的に、王衍は「見栄を張って背伸びしたがる軽薄才子」な感じがする
実社会にもいるじゃないですか、
自信満々で「会社をもっと大きくするための提案」を軍師のように語る
新入社員が
王衍はアレに近かったんじゃないかと
「誰か俺の才幹を認めてくれ! 『凄い奴だ』とほめてくれ!」
みたいな鬱屈を抱えてたのかもしれない
そういう想像をふくらませると、王衍が石勒に蕩々と語ったくだりには、
「俺はきちんと事態を把握していたんだ! なあ、俺はバカじゃないだろ?
だからほんの少しでいい、俺の才能を認めてくれ!」
みたいな、すがりつくような気持ちがあったのかもしれない
…おセンチすぎてアレだがw
長文でごめん
思う存分pgrしてください
過疎スレでそんなに卑屈にならんでも
>これをリーダーたる存在として権威を高め、権力を固めようとしたのが三庾
えっ? 逆じゃね?
目標と結果が一致しないのはよくあることでな
でも、三庾も決して無能というわけでもないのが、難しいところ
庾亮・庾冰・庾翼の三兄弟に、皇帝の権威を高める気があったとは思えませんが…。
庾亮は明帝が(未完成ながら)残した中央集権体制をぶち壊した張本人ですし。
庾冰は成帝との微妙な関係のせいか、康帝の死後に成帝の嫡子(のちの哀帝)を立てずに
穆帝を立てて皇統の混乱を起こしてますし。
個人的には庾翼が好きなんですけどね。
北伐が手段ではなく目的になっているあたり、庾亮の戦略センスの稚拙さが感じられる
>>49 明帝の代に、そこまで中央集権が進んだ印象がないのだが
江南豪族の不満が原因となった王敦の乱鎮圧以降は、江南豪族に対する融和政策を採用している
政界勢力均衡派の王導を再登用しているし、あんまり中央集権に拘った印象がないな
軍事指揮権は珍しく皇帝自ら掌握したけど、夭逝したおかげで全部オシャカになった
>>49 うーん、少し言い方が変だったかもしれません。
「明帝は元帝と同じく中央集権を志向していた、ただしやり方は元帝とは違った」
というのが私の考えの前提になってます。
王敦の乱は元帝の性急な中央集権策が総スカンを食ったのが原因だと思うわけで。
その性急さを改めつつ、王敦の乱を鎮圧して得た成果を最大限に利用して集権政策を
進めたのが明帝だったと考えているわけです。
ただ、あまりにも治世が短すぎたために、前提条件――皇帝主体の人事権の行使とか、
そういう点に限定されてしまった印象を個人的には持っています。
それと、明帝期の治世について、私個人は「明帝一人の才能によって行われた」とは
思っておりません。
重要な二人のキーマンがおり、それが320年代後半の蘇峻の乱にまで繋がっていると
考えています。
…などと書きましたが、適当に読み流して笑殺してください。
「ああ、こういう考えをする奴もいるんだな」程度でw
あと、庾亮の軍事面のセンスが欠如していることは、339年の邾城攻防戦が
雄弁に物語っている気がしますw
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/18(日) 19:23:11.13 ID:Xt15BlbT0
>>44 王衍は賈氏の親戚になってるんだよ、
もっとギラギラの野心家だったんじゃないか?
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/18(日) 22:45:06.84 ID:HFzLTBc30
王衍は平和な時代ならそこまで悪くないと思えてきた
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/04/14(土) 21:09:21.19 ID:RiewJ9yG0
王衍よりも石崇のほうが酷い
今更だけど宇宙大将軍が気になって仕方ない
五胡十六国が絶版で泣いた
>>57 三ア先生の?
あれには、かなりお世話になったな
最近興味持って来たばかりなのでしらなんだ
定価はおいくら?
>>59 1600円(税別)
徙民の規模や皇帝号・天王号の考察の資料が凄く役に立ったなあ
Amazonでポチるところだったが、その元値の安さに踏みとどまったwdwww
と、とりあえず近々図書館検索してくるわ
>>61 俺もう三年くらい借りてる(毎回更新はしてる)
残念ながら誰も予約しない・・・
基礎的研究を購入してもらうように投書してる
姚弋仲、もっと石勒に従ってくれたら、後趙も永らえていたかも。
後趙に最後まで忠誠を誓っていた姿勢も最高だし。
>>63 姚氏にあれ以上のご奉仕は無理だろ、無いモノ強請りだよ
北の政権を夷呼ばわりしてるけど南朝の皇族皆殺しは石虎よりひでーなw
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/30(水) 19:06:11.61 ID:ExHqVIupO
冉閔が慕容儁を野蛮人呼ばわりしたけどお前が言うなとしか言いようがない
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/30(水) 19:50:35.67 ID:JYrKG6naO
姚弋仲の石虎に対しても、直球の直言できんのがすげえ。
にくらべて、姚萇ときたら…どうして、こうなった?
>>67 上澄みは全部姚襄に行ったんだろ
姚萇は好きな人物なんだがね
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/05/30(水) 20:58:10.35 ID:gkCHUKR3O
現代にもいるからね
民族で人格決める人達
冉閔の漢文化至上主義は後趙だけでなく前趙、漢の少なくない漢文化を踏みにじる行為
への反動だろう。評判の良い石勒ですら王衍殺害の際の一緒に行動していた軍民への
虐殺行為もあるからな。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/03(日) 10:23:03.59 ID:Djmu6dIw0
>>71 後趙は漢文化を踏みにじる行為はしていない、
漢民族を尊重してないだけ。
>>71 当時の石勒の軍なんぞ、将兵の家族を含めて10万にもなるジプシー集団だぞ
捕虜なんぞとる余裕はないし、見逃したら次は自分らが危うくなる
石勒の虐殺は「キレイな虐殺」とは言うつもりはないけど
晋軍の不手際の方が目立つ話だとは思う
>>70 羯族を皆殺しにした冉閔にはあてはまるだろ
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/05(火) 21:07:57.15 ID:Zm684wG+O
冉閔も石虎と同じ穴の狢
王族皆殺しなんて中国ではよくあること
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/17(日) 10:29:39.49 ID:4eVeYAbrO
李雄時代の成漢はあの時代とは思えないほど平和だな
桓温の息子達って、玄以外は、
そんなに箸に棒にもかからないようなかすだけだったの?
数え年5歳の幼児を後継者に指名って、
長男次男は、結果的にだけど後の行動で馬鹿晒してるし、
四男は知的障害者らしいけど、
三男と五男はそんな幼少時から除外されるほどとも。
まあ三男の方は大して事跡なくて無能かもしれないけど。
南北朝時代を勉強するための基礎文献(邦語)は何がおすすめ?
晋書はざっと読んだ。
講談社学術文庫の魏晋南北朝が始めの一冊にいいんじゃないかと
あとは古い本だけど岡崎文夫の魏晋南北朝通史とか
こっちは内編が東洋文庫で読める
入手の簡単な本から選んでみたので良かったら参考にしてみては
涼州って、後涼のあと、プチ三国志してるよね。北涼、西涼、南涼って。小さい争いって言えばそれまでだが
ダイナミックさゼロだな
後燕、南燕、西燕も
ここで北周・後梁・陳で三国志とか言って、
どうやったら「一個保護国じゃねえか」という突っ込みを切り返せるかの
屁理屈を考えてみる
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/07(土) 07:59:29.72 ID:QV784SeqO
西燕と南燕は並立してないよね
五胡十六国のブログを見ると、相当な人物いるんだなとあらためて思った。晋の人物は書いてないから、それも合わせれば、三国志並みの人物量になる。
需要が高まれば、ゲーム化もできるかも
苻堅の小説が文庫化されてたの今日始めて知ったよ…
学校行く前に買っていこ
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/14(土) 01:00:11.10 ID:gUldYsj50
この時代をゲーム化しても中国が黙ってないんじゃないだろうか
Asaka戦国史のシナリオに東晋十六国はあるし
中国語版は日本語版のを改良してさらに質が良かったりするな。
そういう意味では「黙ってない」とは言えるか。
>>80 あと、値段が高い本は汲古書院で検索をかけると宜しいかと
十六国後期、後燕と西燕の十年戦争ほど無駄なものは無かったと思う
慕容部同士の勢力の削り合いが、代(北魏)と高句麗の勢力伸長を
許したように見える
後燕は慕容垂の晩年から、代と高句麗の圧迫に苦しんで勢力を
衰えさせたわけだし
ちなみに、後燕と西燕の争いを利用しようとしたのが
東晋の郗恢(ちかい。郗超の従兄弟)
桓沖→桓玄の空白期に荊州諸軍事を含む軍権を授かった、
西部方面軍の総司令官
最後は王恭の乱で暗殺されてしまうけど、後秦の南進を防いだ実績は
もうちょっと評価されていいと思う
郗恢の実績は、個人的には劉牢之より上の印象があるし、
「郗超以降、郗氏は人がいない」という酷評も見直されて欲しいな
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/19(木) 20:23:39.20 ID:zGiMzI2vO
西燕は君主が廃されたりして目まぐるしく変わっていた割によく保った方だと思うな。
慕容部は関中に移住させられた後は地方官になった者も含めて随分広範囲にいたんだな…
後涼や西秦にまで慕容姓の人物がいるが、彼らはもう慕容氏の主力には合流できないと諦めていたのかな?
一応、西燕は慕容暐から「前燕の本統を嗣いだ」国だしね
もし慕容垂が慕容暐と仲直りしていたら、別の展開があったかもしれない
慕容部は随分と人数が多かったっぽい
「魏書」の慕容白曜伝に、慕容部の種族が多すぎて忌避され、
天賜(404〜408)の末に北魏は種族を誅殺したけど
それでも他の一族より多かった…と書かれてたりする
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/21(土) 11:24:58.17 ID:pjUIaO6MO
慕容垂も挙兵した頃は「新興侯が正統だ」と言ってたみたいだね
弱小部族は併合されると、もとの部族としての姿を失って隷民として併合した側の部民という扱いになるのだろうかな?
そう言えば十六国時代には慕容氏の他に慕輿姓の人物も随分出てくるけど、北魏の頃にはもう出てこないのかな…
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/10(金) 12:12:27.25 ID:38UFDQlhO
胡の複姓を改めたときに慕輿氏は輿氏になったみたいだ
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/18(土) 18:33:39.89 ID:tD2s6bkj0
そういえば、五胡に烏桓がいないけど、彼らはどこいったの?
曹操に倒されて終わりということ?
漢人と同化したんでしょ
烏丸・烏桓の名前は後々まで民族名・部族名・氏族名として見られるので
消え去ってしまったわけではない。
ただし、漢人ではなく匈奴人や鮮卑人に同化、というか
それを構成する一民族・一部族・一氏族という立ち位置になってゆく。
北魏では中小の構成部族員を烏丸人と呼んでいたり、
烏丸氏という氏族が所属していたりもする。
『魏書』官氏志に「烏丸氏は後に桓氏と改めた」って言ってるノシ。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/20(月) 17:40:31.91 ID:ohRQhVbYO
烏丸は石勒が漢の味方につけた張伏利度がそうじゃないかな…
あとは後燕に少し出てくる庫辱官氏も烏丸だと思う
烏丸より烏桓のほうがしっくりくるな
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/28(火) 20:30:23.29 ID:IntyvlA7O
東胡の残党が烏桓山に逃れたというのが正しいなら烏桓なんだよね…
烏丸だと京都の地名みたいな印象がある
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/08/28(火) 22:52:11.51 ID:x9las4F70
漢・唐・宋・明・清の皇族はなんとか子孫が残っているね
秦・晋・隋・元の血統は断絶してしまったが
104 :
ガガミラノ コピー [a-brandshow]:2012/08/31(金) 13:17:58.47 ID:XxNQLlkR0
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/10(水) 13:26:54.74 ID:9Gtz+WRa0
五胡十六国の改訂版が出るぞ
>>105 お、マジだ!
ていうか旧版の五胡十六国が出てから
もう丸10年経ってることに軽く戦慄。
そりゃ俺も老けるわけだ……。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/15(月) 22:28:23.33 ID:iw/sLzfWO
何かしら加筆とかされてるのかな?
誤爆
110 :
いーちんたん:2012/10/15(月) 23:01:31.42 ID:FOsqSsAn0
>>106 いまアマゾンみたら旧版が10,000になってるwww
参考になる本だけど、興味ある人は大体読んでるだろうし無茶な金額だな
だいいち10,000出すなら基礎的研究買うわ
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/26(金) 12:28:22.19 ID:30sc7zfS0
五胡十六国新訂版の発売日が10月30日に決定
あぼーん
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/20(火) 09:20:21.68 ID:IwWM3rb70
「五胡十六国」ここで知って買いました。
五胡十六国新訂版、旧版からの加筆はあったの?
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/21(水) 23:56:09.11 ID:KWibQrYl0
あとがきによると
系図に在位年を加えた
写真の一部差し替えと追加
初版5章を5章と6章に分けて壁画墓に見られる五胡と漢族を追加
だそうです。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/11/23(金) 12:31:56.91 ID:kxcaOduLO
普段行くような本屋には見当たらないが、前回はどこで買ったのだろう?
内容を見てみたいものだが
福岡だけど昨日の午前中にジュンク堂と紀伊国屋にはあったな
119 :
117:2012/11/27(火) 00:01:23.94 ID:SFXXZWn6O
>>118 ある程度大きな書店ならあるということかな?
探してみます
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121 :
& ◆Y3.KjDEg8c :2012/11/27(火) 21:41:01.90 ID:QcviE5jc0
この時代はカオスすぎてわからんお
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/22(月) 22:17:55.49 ID:LdAd2lmh0
放送大学の番組を見た
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/04/27(土) 17:17:50.94 ID:3A7+DIbw0
高度な文明を築いた漢やローマも
五胡やゲルマンなどの蛮族にやられてしまったね
>>124 どこも高度な文明を築いて滅びるのがオチ
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/05/07(火) 19:11:15.03 ID:AauRmX6H0
昔からよく劉禅は叩かれるけど
凡君の器はあったと思う
西晋の恵帝の方がよほど暗君
覇権国とは要するに最先端技術で他を圧する存在で、
しかし慢心して後続の技術を馬鹿にして都落ち、の繰り返し
欧米だと、イタリア→スペイン→オランダ→イギリス→アメリカ
中華だと鉄器や馬だな
近代の情報で言うと、新聞→雑誌→ラジオ→テレビ→ネット、
と先んじたメディアがお高くとまって足元すくわれる
人間は歴史に学ばない
蜀は劉備のカリスマ性と孔明の辣腕でなんとか保ってた国で、
これを魏相手に保持するのは二代目としたらあまりに条件が悪い。
しかし、親らの遺産を食いつぶした形になったとはいえ、40年も国を保持し、
しかも国を荒れさせることなく魏に降伏し、天寿を全うしたんだから、有能じゃないにしても無能でもない。
君主として中くらいのレベルを下回ることはないレベルだろ。
>>127 なんつうか、慢心とかお高くとまってとか、そんな理由だけで栄枯盛衰が起こるんなら
歴史の研究がどんだけ容易になることか
つか、オランダは一時的に貿易規模がトップだっただけで、
覇権国にはなっとらんじゃろ
書聖や画聖を生んだ時点で文化的でもあるんだよな
>>129 覇権国の歴史にはオランダ入れるし(「覇権国 お」でググれば普通に候補に出る)、
慢心だけで栄枯盛衰云々とは書いてないぞ?
深読みし過ぎに注意
世界システム論なんかの西欧の金融・通商・海外植民地あたりに限ればって話だし、
むしろ英米の経済覇権を説明するのに、その萌芽としてのオランダを持ち出してる
っぽいところを感じるんだけどな、あれ
覇権期とされる間ですらオランダは国家外交・軍事同盟なんかでは主導権を持たなかったしさ
イタリア諸都市やスペインの没落だって新技術を馬鹿にしてのことじゃあない
グーグルの候補が、ウォーラステインなんかが言ってる、以上の意見があれば聞くが
それに慢心だけで栄枯盛衰としか読めんよ、それ。別意があるなら聞きたいくらい
始めの「最先端技術で他を圧する」の字が読めないのかな
これは技術&運用ということであって、慢心のみに還元していない
そもそも「中国"世界"」だって東アジアに限っての話じゃないかw
それも実際は異民族との調停の上でしか存在できていない(秦楚漢三国も主に匈奴と妥協した領域)
>>128 方々で同じこと書き込むのはやめましょう
石虎とその子供たちの殺し合い、これは中国史の中で最も酷い骨肉の争いの一つ。
司馬乂・司馬冏・司馬顒・司馬穎「そうだよな
慕容宝・慕容麟・慕容詳「まったく
姚泓・姚弼・姚懿「みっともないったら
呂纂・呂超「ありゃしないぜ!
李寿や馮弘も混ぜてあげて
五胡以降は複雑すぎて
時代の面白さを知るには、なにを読めばいいですか?
五胡って何であんなに骨肉の争いが多いんだろう
単に乱世ってだけじゃ説明つかない気がする
部族長家の子弟や部族の有力者は
同時に軍指揮権やさらには軍事力自体の保有者であることが多く(半独立国みたいな)、
ことがあれば直ちに挙兵・反乱・クーデターを起こすことができた
権力の志向する先として中央政府が未成熟すぎたから、
臣下・官僚として政府内部から掌握してしまうより
むしろ「倒して自分で政府を作った方が早い」という傾向にもあった
周りが基本敵だらけなので、幼君や経験の浅い部族長を支えて…なんて余裕もなかった
一族の全員が満足できるほど利権とか資産的な蓄えとか国力的なものもなかった
皇帝や天王の権威も個人的な実績や人望によってたから
その死後などに誰かがことを起こしてしまえば、
その上位から何らかの裁定を下せる人もいなかった
とか、そういうの?
遊牧民って優れた指導者がいると急速に伸びるが
死ねば、あっさりと崩壊していくから
それと同じじゃね
司馬遼太郎がそんな事言ってたな
騎馬民族はどうしても英雄を必要とする、と
野蛮な武のみなら
そういうもんでしょ
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/06/22(土) 15:51:41.50 ID:Gbqn8jZiO
慕容永とはマニアックだな
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:OIn3qDYZ0
三国時代は魅力的な英雄・軍師・臣下・将兵がわんさか登場するのに
その後統一した西晋は糞な連中ばかりだよな
皇帝も初代の司馬炎を除いて全員暗君だし(彼も天下をとった後は急に堕落したが)
>>149 ホントだ、かっけーね
フルで聴きたいんだが、CDとか出てるんかな?
蘭陵王ドラマでやってるのか
北斉北周の時代は皇帝や名将など色々面白いんだよな
すっげぇ悪い人の顔して北斉の蹂躙と斛律光への報復に驀進する
宇文憲と韋孝寛とか見てみたい
善人であり実直な人であるからこそ、そういう描写が見てみたい
韋孝寛はイケメンだけど善人では無い気がする
かと言って悪人でもないしなあ
自分が孤児育ちだったから、戦争で親を失った子供たちを引き取って育てていた逸話は有名だし
政治優先の原則には厳格だし、野心家的ながめつさもない
戦争においては徹底的に冷酷非情なところくらいしかマイナス面がないと思う
とは言え玉壁では高歓に対して関中男児を舐めるなよと啖呵切ったりしているし
捉えどころのない性格し過ぎだわ
韋孝寛は無敵すぎるんだよな
大好きなんだけど
斛律光が哀れすぎる
>>156 俺は中国史最強の軍人に推す
敗戦あったとしても、それを覆す情報戦能力を持っているというのは強み
(不敗や常勝という肩書よりも、失敗を巻き返すタフさこそ真の強さだと思う
強敵であった斛律光、尉遅迥たちはほぼ負けなしだったが、最後の最後で韋孝寛に煮え湯を飲まされた)
処世術も半端ないから、最強候補に推される韓信や李靖よりも政界における安定感抜群
寿命も無駄に長い
使いこなせる上司になかなか恵まれなかったことぐらいか、弱点は
蘭陵王ドラマやるんだ?日本人はいろいろと知識が豊富だからね
どんなストーリーなんだろ
早く見たいよね
つべで全部見られるじゃん
高長恭と宇文ようが仙女をとりあうドラマ?
アリエル・リンはかわいいね
1話だけ見た。
正直なとこ、韓国の歴史ドラマの方法論の影響が強ぇなあとか思って、ちょっと微妙。
もうちぃと歴史を感じられる演出・シナリオになってけばいいんだがな。
石勒好き
>>150 テーマ曲はGLAYとも共演したことのある台湾のバンド、五月天(メイデイ)。
8月に出たサントラに入ってるみたい。ネットで買えるね。
>>161 確かに韓国の影響を感じる
俺も昔の中国ドラマのほうが歴史の重みを感じて好き
侯景の存在は目を瞑りたくなる
この蘭陵王のドラマには宇文護は出るのか?
出るよ
初手から「この時代の四大人物」として占術師の口から紹介されてたりする
へんな占い師とか巫女とか
微妙にファンタジー入ってるのが今一つ
後主・高偉は見るからに我儘なお坊ちゃんって感じの奴が出てきそうだな
よく暗君の代名詞と言われる東昏侯・蕭宝巻だけど
・先帝が補佐に付けた才人揃いの六貴人を互いに対立するように仕向け各個撃破
・崔慧景の反乱で陥落寸前のところを蕭懿を味方に引き込み大逆転勝ち
・朝廷で権勢を握っていた蕭懿を毒殺してその一族をも抹殺
・最後は敗れたとはいえ規模の上回る蕭衍の兵力に三年間持ちこたえる
やったことの良し悪しは別として、ここまでした奴が本当に無能だったのか?
と疑問に思ってきた。成人でもなかなか出来ないことを十代の少年がやったと
考えるとなおさらだし。
馬を駆って爆走してたというところをみると、今なら関東○合の元ヘッドっといったところか
北魏に亡命した弟の蕭宝寅が武将、政治家としてあれだけ活躍したことを
考えると、蕭宝巻の才覚が大きく劣っていたとは思えないんだよな
それが治政に向けられなかったのが問題なだけで。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/27(日) 09:22:04.08 ID:T6Q36gm20
石勒や劉裕はガチで文盲だったらしいな
今でいうと中卒DQNが大統領になるようなものか
DQNのわけないじゃん
子供の頃から才覚を認められてんのに
三国志って完全にバッドエンドだよな
天下を取ったのが魏でも呉でも蜀でもなく
ぽっと出の晋
仕舞には内輪揉めと異民族の蜂起でアボーンという最悪の幕引き
それは漢民族からの視点だな。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/28(月) 17:07:08.26 ID:/XwtFbMJ0
秦:西戎
隋、唐:鮮卑
金、清:女真
元:モンゴル
漢民族(笑)の支配なんて有史以来わずかな期間だろw
あと商と周も。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/28(月) 22:21:51.21 ID:qZoys/6t0
>>174 劉裕は置いておくとしても、石勒は間違いなくDQNな低学歴
譬えは悪いが不法移民の工場労働者レベル(お父さんは出身地だと町内会の会長さんやってた程度)
しかも一度最低賃金以下の奴隷労働(部屋住み)まで堕ちてるわけで完全にワープア以下
まあ、そんな男が正規軍や遊牧民の傭兵集団を撃破しまくるんだから世の中わからん
リアル北斗の拳の時代なんだから能力が全てだろ。
金なんざケツを拭く紙にすらなりゃしねぇ
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/29(火) 19:29:14.34 ID:0vVzHIo30
石勒よりその子孫たちの方が遥かにDQN
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/29(火) 19:35:34.21 ID:0vVzHIo30
武帝の治世は武帝自身の暴虐非道な性格を反映して、
乱世である五胡十六国時代の中でも最も非道が罷り通る時代と評されている。
中でも次々に大宮殿を造営したり、統治下の漢民族から馬、美女、物資などありとあらゆるものを徴発し続けた結果、
漢人の10人に7人が破産し、妻を取られて自殺する者も後を絶たなかったという。
しかし凶暴な性格ではあるが、仏教に対しては寛容であり、仏図澄を国師待遇していた。
マジでリアル北斗だな。どこの世紀末だよ。
モンゴル人よりも凶暴だわ。
そういや時代は下るが暴君呼ばわりされる隋の煬帝も、天台宗の開祖天台大師智ギを太子時代から師父と篤く仰いでいたというし
日本でも菩薩天子と呼ばれてたしな。
どうもあの頃極端に仏教に嵌まってた君主は何か碌でも無い連中が妙に多い…。
観念的なものは父権的・男根主義的で
現実をないがしろにし易いよね
大宗教は基本的にそういう方向性
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/10/29(火) 22:22:56.10 ID:/RvU2rd10
石虎もマジキチだし養子の漢人の石ビンもマジキチ
南朝の劉家もショウ家もマジキチ
石勒の場合、父親が頭おかしかしく部族の信頼を失っていたが、
石勒自身は幼少より行いが良かった為、将来を嘱望されていた
石虎についても彼の治世で徒民の流出が激減している為、本当に圧政を行っていたかは疑問
>>183 自分の行いがアレだから死後に救いを求めたんだろう。
慕容垂が符堅を殺さなかった理由がよく分からん
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/01(金) 16:18:43.38 ID:Rcje5tDg0
前燕から追い出されたのを拾ってくれた恩義じゃねーの?
>>189 それにしては南征そそのかして陥れたりしてるしなぁ
本当に恩に感じてるなら統一してから王に封じて貰えばいい話だし
まぁ追い出された訳じゃないけど
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/01(金) 18:59:56.28 ID:0XR96arL0
>>186 「父ちゃん、そのお金は今月の家賃だよ!持って行かないでよ!」
と石勒が博打のためにを持ち出そうとする父親を制止する姿が目に浮かんだ
飲んだくれ親父なんだよな、たしか
お母ちゃんには弱いよね、石勒
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/01(金) 23:07:43.05 ID:yqwvvUbNO
手のつけられない暴れん坊だった石虎を殺そうとしたのを、石勒のお母さんが止めたんだっけ?
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 16:38:14.25 ID:KTNkH6JS0
今の中国も荒れているけど
共産党がなくなったらまた三国志や五代十国みたいな乱世になっちゃうの?
中国は基本的に数千年変わってない
今は「中国共産党朝」というようなもの
優秀な人はメチャクチャに優秀だから(反対方向も然り)、
党の縛りが無くなればいなくなって壊滅する方向に行くだろうな
相互監視と密告制度をどうやって消すのかはわからんが
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 17:12:19.43 ID:KTNkH6JS0
中国は小さく分裂したままの方が平和だったりする
中国(宋代くらいの領土)、満州、ウイグル、チベット、台湾くらいに分かれるのが最適
内蒙古はモンゴルに返還しよう
中国人の世界観では領地は広い方が良いに決まってる当然だなぜなら
世界に「中」心に咲く一輪の「華」だから世界そのものであればあるほど良い、という感じだろ
分裂状態は宿命的に受け入れられない
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/03(日) 17:31:52.60 ID:dcnut8cs0
>>196 ローマ帝国(ビザンツ)との最大の違いだな
彼らは、統治上不安定な地域を多数抱え込むくらいだったら、強靭で確実な生産力、文化教養、
社会制度、単一の信仰を備えるコンパクトな領土に甘んじた方がはるかにマシであると考えていた
その気になればどんな侵攻も撃退できる軍事力は持っていたし、常に戦争準備は怠っていなかった
最盛期を過ぎて以降の中華王朝はこれの真逆なんだよな
統一のメリットがデメリットにどんどん削り取られていく
>>195 返還許すわけないだろw
このご時世にあんな膨張主義は珍しい
まぁ今の中国は崩壊前夜って言ってもいいところまで来てるけど
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 16:47:59.82 ID:R+utxQx00
共産党政権が崩壊したら、チベットやモンゴル、ウイグル自治区とか独立宣言しまくり。
満州もどうなるか判らないし、香港、上海もって感じで10個ぐらいの国が出来るんじゃないかな。
て言うかチベットやモンゴルとか満州は元々中国じゃ無いと思うの。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/04(月) 16:48:44.01 ID:R+utxQx00
200なら中国崩壊
元々中国である/ではないという認識の枠組み自体が違うの。
隋の楊堅が北周を簡単に簒奪できたのは有力な群臣特に宇文憲が粛清されたのは大きいだろうな
存命なら上手くいかなかったと思う
まあ宣帝自身の人格にもよるが楊堅が障害になるだろうから暗に煽ったりそう仕向けたんだろうけど
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/14(木) 22:30:23.23 ID:m62AWvcd0
楊堅や李淵も鮮卑なの?
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/14(木) 22:46:02.44 ID:CGc9pEd50
>>203 これでもかってくらいに漢化しているし、鮮卑文化復興運動とか漢民族浄化とかやっていない
人物を「鮮卑」と評するのはどうなんだろう?
たとえは悪いがケネディ大統領を「アイルランド人」と評するようなもの
彼が当時にあってアイルランド人としてのアイデンティティーを保持していたのであれば
イギリスにケンカ売って北アイルランド問題をアイルランド有利に解決したのかもしれない
実際合衆国人であった彼はそんなことなかったが
民族問題は捉え方が難しいとは思うけど
北周や北魏の例を見る限りだと完全に漢化はしてないんじゃないかな
隋は北周を引き継いだ物だし自分達が夷狄だという認識はあったように思う
楊や李を名乗った時点で、
鮮卑としてのアイデンティティーは捨ててるんじゃない?
拓跋は元に改姓したけど
あの時点ではまだ完全には漢化されていなかった
反発している連中も少なくなかったし
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/16(土) 18:28:46.80 ID:iL6zLYyp0
李って前漢の李陵が匈奴に降ってその子孫なんだっけ?
むしろ北周の頃に漢化が逆行してるし
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/16(土) 19:04:33.30 ID:e7//u1lP0
今の漢族は漢代の漢族、五胡、契丹、女真などの混血
女真族ってまだ残ってる?
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/17(日) 15:46:15.99 ID:9oQvjJKI0
満州族は漢族と同化して、民族としてのアイデンティティを失った。
数百万人はいるけど、漢族と生活風習はほとんど変わらないよ。
一時期、少数民族特権欲しさに満州民族を騙った人が百万人単位で存在したぐらい。
さすがに今ではそんなざる審査は行ってないみたいだけどね。
魏・呉・蜀→晋が統一
北周・北斉・陳→隋が統一
宋・遼・西夏→元が統一
なぜなのか?
漁夫の利
三国志と南北朝の結末はおなじだけど、宋・遼・西夏に対する元はいろいろ違うでしょ。
一番有力な国の有力家臣が国をのっとったうえで武力で統一って感じ。
元はそれほどでもないけど、清の統一は漁夫の利感が半端ない。
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/18(月) 22:23:42.79 ID:gh1KuqsTO
215はマルチポストだろ
>>217 呉三桂が山海関を開けなかったら清朝は成立したのだろうか?
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/19(火) 20:12:12.80 ID:xpZ9d4Yt0
無理だろ
火縄銃や紅夷砲などの火器が登場しだしているし
騎馬民族が無双できる時代は終わっている
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/20(水) 21:17:25.65 ID:ZcJ5TdEr0
梁の武帝カッコいいよね
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/20(水) 21:19:00.71 ID:opViVHLN0
後趙の武帝も俺たちにできないことを平然とやってのけてしびれるゥ
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/20(水) 23:29:48.13 ID:vJodYFqt0
もう魏晋南北朝武帝決定戦でもやろうぜ
晋の武帝はつい「炎帝」と読みそうになる
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 02:00:00.05 ID:ikkCO7qX0
後宮1万人だから1日に3人とせっくるしても全員とやるのに10年かかるのか
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/11/21(木) 02:04:55.41 ID:tA+grdYd0
武帝武帝武帝武帝
北斉は一国で北周と陳と突厥の攻撃を同時に受けてほぼ全て撃退してきてるんだよな
北周の方が一人一の兵の強さは上だと思うのだが名将の力って大きいんだな
>>227 ぶっちゃけ斛律光(とその一族)のおかげ
まぁ北周は内ゲバ酷かったってのもあるけど
慕容垂より慕容覇の方がカコイイよね。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/02(月) 13:45:14.70 ID:X/ZOM2Ur0
果たして孝文帝は名君なのか。
今までの北魏の体制がヤバいって気づいて改革せんとした見識はあると思うが、どう考えてもミスったよな。
皇太子の生母に死を賜るというあの慣習はどうかと思うけどな
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 10:16:02.43 ID:S/mvZDK/0
史書では漢の武帝に倣ったとされてるけど、中国の田余慶あたりが遊牧の遺政って言ってたようなアレか。
倫理的には良くないかもしれんが、実際あれで外戚関連のごたごたはなかったって評価だしなあ。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 11:31:05.72 ID:+HUVKa1s0
自分の生母以外の妻を自分の物にできるって萌えるな
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/03(火) 11:43:59.48 ID:S/mvZDK/0
>>233 その辺、やっぱ文化が違って面白いよね。
なお、北魏末年は他人の嫁さんに不倫かましまくって目も当てられない模様。
戦国時代の戦国四君や前漢時代の漢の三傑みたいに
この南北朝時代を代表する人達といえば誰かな?
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 21:20:53.89 ID:SM5EeGGK0
北の孝文帝、南の梁武帝は外せないんじゃないか。
個人的には、孝文帝より太武帝のほうが好きだが。
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 22:33:44.39 ID:iLG6gMbl0
東魏の高歓、西魏の宇文泰
この愛すべきアホ二人、中華版トムとジェリー
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/17(火) 22:59:42.50 ID:SM5EeGGK0
太武帝vs梁武帝、ファイッ!とかでもいいような気もしてきた
太武帝と同時代なのは宋の文帝なのだが。
在位年代もほとんどかぶってる。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 02:05:08.92 ID:B5fo2GcA0
いや、廃仏論者と仏教キチの戦いって面白そうだなーと思っただけだよ。
確かに、在位が被らんから夢想ですわ
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2013/12/18(水) 19:35:59.86 ID:ie8JjhWl0
日本でも蘇我氏VS物部氏の戦いがあったな
北斉の文宣帝高洋は残忍で酒乱だけど当時モンゴルから中央アジアに大帝国を築いていた突厥の他鉢可汗から英雄天子と呼ばれてた
それほど戦闘は強かったんだろうな
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/05(日) 19:00:08.64 ID:cDGlfD9TO
最近北斉の話題がチラチラ出てくると思ったらドラマの放送があるからか
>>204 JFKはワスプ優位のアメリカ政界でカトリックを堅持していたからアイルランド人としてのアイデンティティを持ち続けていたと思うぞ
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 00:33:53.84 ID:NtgNfSxr0
漢 vs 匈奴
ローマ vs ゲルマン
文明と野蛮の戦い
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 09:57:20.84 ID:rnbYbv6t0
最近じゃあ、中国伝統の街の在り方も匈奴の伝統を受け継いでるって研究があるくらいなんだがなあ。
北斉は後主以外は皇帝基地外でも戦はアホみたいに強いし
名将何人も居てガンガン転戦してるしなあ
支えてた柱全部自分で切り倒すドアホが出なかったら乱脈のままどこまで行ったやら
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/16(木) 18:15:33.22 ID:NtgNfSxr0
>>214 五胡、契丹、女真は完全に漢化されたけど
蒙古だけはそうならなかったね
モンゴルは中国っていう先進文明に触れる前に西域に行ったのが影響してる、と陳さん書いてたな
初めて征服した文明の素晴らしさに飲まれた女真と違って
一度中国以外の文明を見てきたモンゴルはそこ一辺倒にならなかった。
つか女真は中原に入る前からある程度漢化されてなかった?
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 20:18:31.21 ID:2KEFD1b+0
西域との交流だけなら、鮮卑でもあったはずだがなあ。
北魏の太武帝の時代にもソグド人が中華圏にいたのは確認されてるはず
すっごい地味だけど、突厥もモンゴル並みに広大な支配領域持ってるんだよな
>>252 チンギス没後の領域は突厥最盛期とどっこいどっこい(西方が少し足りなく、中央アジアが広い)
突厥の無視されっぷりが不憫
普通に東ローマやサーサーン朝の外交・軍事に影響与える大勢力だったのにな
でも北斉の皇帝のことは持ち上げてるから面白い
どんだけ馬鹿強なんだよ高湛
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 22:27:48.15 ID:HT0EggR70
結局、フン族=北匈奴なの?
>>254 証拠がないので今のところ保留
でも匈奴ではない気がする、あんな西まで行くかね
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/17(金) 22:45:19.04 ID:2KEFD1b+0
あの辺一帯草原だから行けないことはないだろ。
黒海のほとりで漢代のものらしい食器か何か見つかってたはずだし、影響下にあった部族が移動してた可能性はあるんじゃないかと思うが。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 13:05:00.19 ID:BlyA7kEb0
野蛮な遊牧民は神聖なる中原を荒らし回り、高貴な文明人たる漢民族をレイプしまくった。
故に今の漢民族には野蛮人の血が混じり、劣化してしまったのだ。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 15:09:34.79 ID:hyOj/NxtO
劣化したか否かはともかく、五胡十六国以前と以降では言語の発音すら減った事例があるから
漢民族の文化に西域諸民族が流入する事で、消滅した物があるのは間違い無い。
一応劣化したか否かは別として。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 18:10:47.11 ID:BlyA7kEb0
後漢時代や三国時代の中国人と今の中国人を比べても
明らかに後者の方が色々酷いぞ
日本人も江戸や明治の頃に比べたら堕落してるけど
そんな比ではない
NG推奨
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/18(土) 20:08:25.83 ID:TmbUGuHx0
真偽はともかく匈奴がフン族と考えるとロマンがあるけどね
同じ民族が東西大帝国どちらも倒したとか
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 00:49:22.16 ID:U7sijqMc0
北方の遊牧民に関しては、その時々に勢力持ってる民族の看板掲げるって聞いたことあるから匈奴と名乗ってるからと言って生粋の匈奴だとは限らないらしいけどな。
例えば、匈奴全盛期に匈奴に服属してた諸部族は鮮卑が伸びてきたら鮮卑を名乗ったと聞く。
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 00:52:55.46 ID:RAvG2LyX0
【今日は何の日】三国志の魏が滅亡。司馬炎が晋を建国(泰始2年=266年3月10日)
歴史人 1月17日(金)11時42分配信
【今日は何の日? 歴史人カレンダー】
1748年前の今日(旧暦)、曹丕(そうひ)が建国したことで知られる「魏」が滅亡。司馬炎(しばえん)が曹奐(そうかん)から帝位を奪い、晋(※)を建国した。
※後世の晋と区別するため、司馬炎の晋は『西晋』と呼ばれる。
三国時代で最強の勢力を誇った魏は、曹操(そうそう)がその礎を築き、息子の曹丕が後漢の皇帝(献帝)から帝位を奪って220年に建国した。
その後、2代目・曹叡(そうえい)、3代・曹芳(そうほう)と続いたが、曹芳の時代になると将軍の司馬懿(しばい)が魏国内で権力を強め、
しだいに曹一族を圧迫するようになる。
4代・曹髦(そうぼう)は、司馬懿の子である司馬昭の完全なる傀儡(かいらい)と化した。
260年、曹髦は司馬昭の専横に憤り、司馬昭を取り除こうとしたが、逆に殺害されてしまう。
その後継として即位したのが5代目の曹奐(そうかん)だったが、これもまた司馬昭の傀儡に過ぎなかった。
265年、司馬昭は死去するが、その権力を引き継いだ司馬炎(しばえん)により曹奐は禅譲を強要される。曹奐は従うほかなく、
これによってわずか45年で魏は滅びたのである。
司馬炎は新たに「晋」を建て、280年に呉を征服し、三国時代を終わらせた。
曹奐は賓客として陳留王に封じられ、天寿を全うしたが、八王の乱の最中の太安元年(303年)に58歳で死去する。
一方、司馬炎は天下を取るまでは英君だったが、その後は政治への興味を失い、女色に溺れるなどして堕落していく。
曹奐より早い290年に死去し、西晋も316年、4代・愍帝(びんてい)の代に北方民族に攻撃され滅亡する。
中国は『五胡十六国』に入り、589年に文帝が隋を建国されるまで混乱状態が続くのであった。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140117-00010001-rekishi-life
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 01:10:33.62 ID:RAvG2LyX0
(後趙の)武帝の治世は武帝自身の暴虐非道な性格を反映して、
乱世である五胡十六国時代の中でも最も非道が罷り通る時代と評されている。
中でも次々に大宮殿を造営したり、統治下の漢民族から馬、美女、物資などありとあらゆるものを徴発し続けた結果、
漢人の10人に7人が破産し、妻を取られて自殺する者も後を絶たなかったという。
しかし凶暴な性格ではあるが、仏教に対しては寛容であり、仏図澄を国師待遇していた。
マジでリアル北斗だな。どこの世紀末だよ・・・
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/01/19(日) 02:00:15.67 ID:RAvG2LyX0
こういうのってほぼ後の王朝のプロパガンダだからなあ
滅ぼした側がとっとと滅んだ北斉あたりはプロパガンダされる分少ないかも。
というかあそこの家乱脈過ぎて逆に面白いわ
>>149の蘭陵王のドラマ、今度BSフジでやるんだな
匈奴の炎に包まれ、王敦やら蘇峻やらの炎に包まれ、布団に蒸され
孫恩の炎に包まれ、桓玄の炎に包まれ、盧循の炎にも包まれる
ああ、燃えっぱなし
禿髪烏孤
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/24(月) 23:09:11.27 ID:wHpkZCac0
>>265 漢人からしたら野蛮な遊牧民と思われる鮮卑出身の北魏の皇帝が割りと優れた君主多かったのに
純漢人のはずの南朝の方が基地外皇帝連発なのは、なんか情けないな
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 13:34:02.08 ID:5kqJ3a1w0
そのリンク先で何が書いてあるか知らんが
基地外連発してるのは何をどう見ても北朝。
>>273 夢を持てない国は基地外の産地になるのさ
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 15:07:58.38 ID:PtyUpQQr0
>>274 北斉が度を越した基地外家系なだけで
北魏北周の家系はそれほど悪くなかったろ
(北魏は多少、酒乱の気あるが)
北斉は漢民族だからな
マジで一切言い訳出来ないよ
>>278 北斉て漢族だったのか。鮮卑か何かと思ってたわ。
五胡は詳しくないから北が異民族南が漢族なイメージ。
まあそれならもう漢族は駄目だ。
北斉も鮮卑だろ。
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 18:27:27.45 ID:rmysRyH40
南朝でまともなのって梁の武帝くらいじゃね?
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 19:14:21.27 ID:3Qibu/An0
>>273 明と清にも言えることだな
そら少数の異民族が圧倒的多数の漢民族を支配しようと思ったら
君主が優秀でないとすぐ反乱を起こされて終了しちゃうからね
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/25(火) 19:42:28.05 ID:3Qibu/An0
五胡十六国の時ならまだしも南北朝の頃までいくと混血進んでそう
隋唐はもう完全に漢化しちゃうけど
>>283 川勝先生あたりが、高一族が漢民族とあるのは非常に怪しいって言ってたような
>>284 宇文泰は間違いなく鮮卑だけど
北斉や隋唐は鮮卑化した漢族という説もあるね。
遊牧民の漢化は有名だけど
この時代になると漢族の中から鮮卑風の名前つけたり賜ったり
逆の現象もあったらしい
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 12:33:34.13 ID:FizbCIZA0
確か、浜口重国が北斉高氏は鮮卑って書いてなかったか?史書に書いてあること鵜呑みにしたらいかんでしょ。そんなことでは歴史学の意義がなくなる。
あと、この時代に漢族って概念はほんとに適用できるのか?むしろ、隋唐に至って融合が完成して中国文化の大本ができあがるんだから、「漢化」って概念自体がおかしいんじゃないか?
改行するなっしー
北周も最後の最後に北斉に匹敵するドアホだしちゃったしなあ
>>289 アホっぷりでは負けてないけどキチガイ度では遥かに及ばないな。
へー
史書を鵜呑みにするのは駄目なのに、一学者の言葉を鵜呑みにするのはOKなんだ
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/26(水) 20:05:57.68 ID:FizbCIZA0
書いてあることを丸呑みするのと、学者の考証を見て納得する違いも分からない馬鹿は黙ってろ
>>292 はじめからそう書きなさい
それと煽られて切れない、人間が小さく見えますよ
石虎以下(煽り耐性は意外と強い)
>>293 読解力がなさすぎ。だから鵜呑みにするんだね。
煽り耐性ないって指摘されたのに早速これですよ
>>287 >>「漢化」って概念自体がおかしいんじゃないか?
既存の民族・国家への融合というのだけではなくて、
文化や制度の受容・継承と考えれば漢化・華化といっても間違いではないかと
>>291, 293, 296
敵意を示しているわけではない相手とは最低限の礼節をもって話をする
話題に絡むなら話を広げる方向にもっていく
くらいのことは社会人としてできて当然のスキルですので身につけることをお勧めします
バツが悪くなったからといって悟った側の人間の振りをして
説教もどきの言い逃れができると思うのはとても見苦しいですね
>>297の意味でしか漢化って読んだ事無いけど
てか、漢化って普通にIMEの変換候補に出るのな
南朝の宋の少年皇帝たちの言動もドン引きするレベルだな
年長の親戚に飼い葉桶で食事させるとかかなり異様だ
>>290 北斉は基地外だらけだけど最後のドアホ以外は皆戦強いんだよなぁ
部下もいいの揃ってるから手が付けられん。
まあそうじゃなきゃあの基地外の群れで何代も続きもしなかったろうけどw
北斉の基地外っぷりは異常
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 19:58:22.53 ID:KvF02Bn50
今の中国人が傍若無人で横柄なのはスレタイの時代に野蛮な胡族の血が混じってしまったから?
王莽さんは異民族全く関係ないだろうけど中華思想じゃないですか
日本人も相当胡族の血混じってるだろ
本気で馬鹿だな
かまった俺も馬鹿だが
ちょいと聞きたいんだけど、このあたりの異民族でトルコ系って単語を聞くけどさ
トルコ系って今のトルコ人とかアラブ人に近かったってこと?
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/02/28(金) 22:06:01.00 ID:xJamGpCt0
バイカル湖沿岸あたりから、今のトルコあたりに移動していった人々のことじゃなかったっけ?
杉山正明の『遊牧民から見た世界史』とかにあった気がするんだよな・・・
なるほど
トルコ系って小アジアよりアジア中部が中心みたいだし漢民族ともさほど変わらないのかな
>>307 ありがとうそれ読んでみるよ
トルコ系諸族の現住地はアルタイ山脈あたりで、
高車とか鉄勒とか丁零とか突厥とかウイグルとか、古代にモンゴル高原を支配した連中は、ほとんどトルコ系。
トルコ系諸族がモンゴル高原を逐われたのは、9世紀にウイグルがキルギスに敗れたからで。
ウイグルが西遷したあたりは、現在東トルキスタン(≒新疆)と呼ばれてる。
さらに西に流れた連中は、セルジューク朝を建国して、小アジアに入ったのは11世紀ごろ。
現在でも、中国新疆のウイグル人やトルクメニスタンのトルクメン人は、トルコ系とみなされてるし。
かなり脱線すると、汎トルコ主義の立場から、アルタイ語族の日本人や朝鮮人もトルコ系とみなすことがある。
ゴメン。
×「現住地」→○「原住地」な。
鮮卑の埋葬品の服装とかが、日本の埴輪と似てる気がするんだよなぁ…
あの足結とかでしょ。
袖結びは仏像に流れてる気がする。
卑弥呼は三国で最も強大な魏に朝貢したけど、
倭の五王はおそらく百済の手引きもあって南朝に朝貢したんだな。
北朝とのやり取りの有無も気になる。
南朝はとりあえず建康に向かえばいいからな
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/02(日) 10:56:35.52 ID:AGlgIbKr0
詳しくはないが、海流とか季節風の関係で南朝の方が行きやすかったということは考えられないんだろうか?
しかし北周面白いな
建国時から皇帝でなくその従兄弟の宇文護が実権を握っててその上初代皇帝が一年以内に殺されるとか
宇文護が死んだら楊堅だもんな。
宇文憲粛清しなきゃなあ
どう考えても韋孝寛がぽっくり逝ったせい
俺が韋孝寛だったら宇文護暗殺してるわ
センスない癖に戦争に口出しやがる
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/03(月) 19:24:59.10 ID:ZJZ2uAXi0
>>316 航路て遣唐使時代みたいに朝鮮半島から伝って行くの(北路)と
東シナ海を横断するの(南路)しかないんじゃねーのか?
んで4世紀は広開土王とか見るに戦争やってたんだろ朝鮮と
じゃあ朝鮮伝いに行けないから、結局遣唐使が新羅との関係悪化で南路をとったように
南にいかざるを得ないってのじゃねーのかね
漢化しているとはいえ胡族の北朝より
晋・呉の流れをくむ漢人の南朝に朝貢したかったとも邪推してみる
高句麗は南北両朝に朝貢していたようだが
朝鮮半島南部での権益や優位性というものが関わってくるから
南朝だったんではないかな。北魏が高句麗に肩入れしたり利用したりで
朝鮮半島に影響力強めてきたら変わってたかもしれんけど
元々、五王の最初の遣使のときは晋だったからそのまま、というくらいかもしれないね
北周も北斉もキャラ立ってるの多くて面白いわ
まあ北斉とか絶対仕えたくないが
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/03/15(土) 21:01:31.76 ID:T3uS51l10
蘭陵王見たよ
オープニングかっこいいね
オープニングだけね。
嫉妬狂いの般若面のらんりんわんなんて見たくないわw
まだ前半見ただけだけど蘭陵王面白いな。
あらすじ見たら基本恋愛話がベースみたいなので大丈夫かよ?と思ったけど、政争戦争シーンもちゃんとあるので見られる。
何より脚本がしっかりしてるのでつい見入ってしまう。歴史ものとしてではなく単純にドラマとして楽しんでるよ。
全部鄭児のせいワロタ
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/04/30(水) 22:49:27.87 ID:K7F0Cfvl0
中国の有名な暗君
幽王-西周最期の君主。寵妃である褒姒を笑わせるために、諸侯の軍を参集させる烽火を乱用。
結果、本当に異民族の侵攻があったにも関わらず誰も助けに来なくなると言うイソップ童話を字で行く逸話を残す。
劉禅-蜀漢最後の君主。その幼名「阿斗」が中国ではどうしようもない人物を指す言葉になるほどの人気のなさ。
日本においては「在位40年は歴代皇帝トップクラス」「そもそも蜀は無理ゲー」と言う評価が強く、
彼の記事を見ても分かる様にその評価をどうするか考えることは三国志ファンが必ず通る道である。
恵帝-西晋の二代目。あの司馬懿の子孫で司馬炎の息子とは思えないほどの超絶暗君。
マリーアントワネットより千五百年前に「穀物がないのならば肉粥を食べればいいではないか」
と言う言葉を吐いたと言う。西晋が短命王朝で終わったことや、
異民族時代である五胡十六国時代の遠因となった人物。
蕭宝巻-南朝斉の第6代皇帝。内向的性格で、幼馴染の寵妃のために無茶苦茶な後宮工事を施す。
反乱のさなか、衛兵に殺害され首を蝋で固められて反乱勢力の手土産にされると言う屈辱的な最期を迎える。
死後、諸侯に落とされ「愚かな東の侯」という意味で東昏侯の号を与えられた。
後主(高緯)-北朝北斉の第5代皇帝。奸臣を近づけ忠臣を退けた典型的な暗君。
次々に国土を失う中にあっても「まだ一生遊ぶには十分な国土がある」と言う奸臣の甘言(?)に納得してしまい、
結果自分も含めた一族皆殺しの結果を招く。
後主(陳叔宝)-南朝陳の最期の皇帝。隋軍に宮廷を包囲された際も逃げ隠れするなどの醜態をさらす。
亡国を招いたことやその過程で妃が殺されたにも関わらず、何ら恥じる様子もなく連行先の長安で楊堅に仕えた。
あまりの情けなさに殺されることもなく天寿を全うすることができたと言う。
孫休-元祖DQNネーム開発者
恵帝は論外として司馬炎も大概よなあ
実質を準備しきった有能な司馬師と司馬昭がころっと死んだのを受け継いだだけで。
王朝始祖は大抵優秀だけど、司馬炎はそうでもないのになったという異端な例
晋書だと実質の王朝の開祖は、司馬懿になってますがな
成漢も西晋に劣らず暗君率高いな
安定したのは李雄の時代だけだし
そもそも五胡南北朝は暗君・暴君率がヤバい
開明君主の数が少なすぎて泣ける
その開明君主も寛容すぎて内乱誘発→自爆のコンボでヤバい
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/02(金) 22:24:26.88 ID:kuranRKZ0
符堅を裏切った朱序とかは嫌いだわ。
ああいうタイプは東晋に忠義を尽くしたって評価するパターンかもしれんけど
敵とはいえ恩は恩だろう。文天祥みたいに従容と死を望むなら凄いけど。
関羽だって恩を返して帰ったから良いんであって、あれが騙して張遼殺して帰ったらどうよ
宮崎市定も朱序のことを酷評してたけど
個人的にはむしろ裏切ったら間違いなく死ぬような場面で晋への忠誠のために裏切った
糞度胸の方を評価したいんだが
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/03(土) 14:42:02.46 ID:Ii7Ecdjl0
符堅が中国統一してたら混乱は300年も続かなかったろうに・・・
晩年のグダグダが無ければ自信を持ってそう言えるんだけど。
>>329 はっと浮かぶ6人のうち南北朝で半分^^;しかも北周の宣帝も諡号に似ない暗君だしw
>>334 だね〜^^;諱覚えてないと斉の前廃帝昭業と頭の中で東昏侯がいっしょになる^^;
その中でも南斉は暗君のオンパレードだな
まともなのが二代目の武帝だけであとは問題ありすぎる
北斉もほとんど問題ある奴ばっかなんだが有能で問題ある奴の方が多いというのが変なとこだよなあ
最後に純粋な暗君だしたけど
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/18(日) 09:43:18.41 ID:RmkZJIk00
高洋は煬帝、李世民に先行する「有能な暴君」シリーズのはしりだよな
後世になるにつれて常識度が増していくけど
高歓、高澄はそんなんでもないのに、何で高洋以降はネジ外れてるの?
五色散のせい
唐に限らず中国史上でも康熙帝らと並び最高の名君といわれる李世民が暴君・・・
345 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/18(日) 13:21:30.19 ID:RmkZJIk00
>>344 兄弟殺し+簒奪とか擁護のしようが……
周公や慕容恪といったような
有能であっても玉座に興味を持たず宗室を支えて名を遺した人物もいるというのに
(とも思ったが慕容恪が珍しいタイプなのか?)
簒奪者だろうが世界帝国の全盛期を築いた名君には変わらんよ
一般的な暴君ってのは重税課して大宮殿建てたり、必要のない外征をやたらやったり
それに反対したのを皆殺しにしたりして、最終的には国を滅ぼすようなの。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/18(日) 16:42:10.42 ID:RmkZJIk00
>>346 「有能な暴君」と評しているのに一般的な暴君論吹っかけられても……
まあ定義づけしていない俺も悪いんだけどね
悪いが意味が分からない。お前のいう有能な暴君とやらは「暴君」じゃないの?
少なくとも煬帝も文宣帝も(有能な要素を持った)暴君には違いないし、そこに明らかに名君な李世民が紛れてたから
それは違うだろうと突っ込んだんだが。すると簒奪が駄目だと。
しかし簒奪=暴君じゃないだろう、と返したんだがな。
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/18(日) 18:08:59.67 ID:RmkZJIk00
>>348 一家内の権力闘争に積極参加、兄弟と言うか皇太子殺し、簒奪、魏徴この野郎、高句麗遠征失敗
何やかんやで暴君の素養十分だろ、水掛け論でしかないけどな
前三つは全部は全部言い方変えてるだけの玄武門で同じ。もう反論した。
魏徴は何のことを言ってるの?何も思い当たらない。
高句麗が唯一失敗だけど、貞観が全盛期な以上、それだけじゃ暴君とはいえない。
そもそも、唐太宗を暴君なんて紹介してる本は読んだことがない。好き嫌いはともかく名君は誰もが認めると思うが。
>魏徴この野郎
石碑を倒したり起こしたりした件でないの?
元々、唐太宗は『貞観政要』のイメージの人物だったのが
玄武門や実録を見たがった件がクローズアップされたり
隋煬帝に対する弁護の余地と彼との類似点が出てきたりする中で
必ずしも完全無欠なわけじゃない辺りを突かれるようになって
それをことさら「腹黒」と評するのはネットではしばしば見かけるね
とはいえ、こういう極端な評価とか不正確な評価ってのは
三国志あたりの有名人でも経てきたことなので
(劉備が口先だけの無能とか諸葛孔明は本当は凡庸な三流政治家とか)
もうちょっとバランスのとれた人物像ができるまでの通過儀礼と思っておく
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/19(月) 21:55:12.66 ID:Dh1GjR220
李世民は有能な暴君で合ってると思うがなあ
有能だが、即位のきっかけは簒奪なわけだし。
個人的には、『晋書』の編纂で手入れまくったせいで五胡十六国の実態が分かりにくくなったからギルティだが
暴君の定義を独自に規定した挙句に、一人で納得されても困るわー
この時代では劉裕が好きだな
>>345 慕容恪は人格者で、政治家としても軍人としても有能で、人を見る目もあったしね。
もし、あと10年長生きしてたら華北を統一したのは前燕だった(実は前秦は以外に不安定だったことをこの板の別スレで指摘されてる)。
恪が死ななかったら垂も前燕を出て行かなかっただろうから。
>>342 まて^^;高洋の弟の高演(孝昭帝)はまともだぞ^^;
落馬したせいでたった2年(560-561)しか在位してないから目立たないけど
逆に言えば高演しかまともじゃなかったんだがw
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/23(金) 19:28:37.37 ID:ijEdpi3D0
慕容恪はむしろ「簒奪した方が良かったんじゃねえのか」的な人物の代表だと思う
主要な兄弟の中で恪と納だけが帝位に就くことはなかったけど
・ヒステリックで政務オンリーの兄
・戦争には強いがそれ以外の事物の機微には疎い弟
・機会主義的で狡っからい末っ子
これらと比較しても慕容恪の才知、実績は図抜けてる
ただ簒奪しちゃうと儁との美談が映えないのが玉に瑕
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/23(金) 19:35:56.28 ID:EoQRI9UA0
南燕って国はパッとしなかったな
典型的な戦争屋の慕容恪が?
>>356 禿銅です^^;いやあ頭のなかを言語化していただきまして^^;
>>358 おまえは冉閔かwww
北斉の君主は最後のドアホ以外はまともなのもマジキチも
こと戦においては有能な部下使いこなせる変な度量がある
一族もなんだかんだで有能なの多いんだよな…
即位してたらマジキチ君主の一人になっただろう、って片鱗見せてるのも居るあたりが業なんだろうけどw
血なの?
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/05/28(水) 23:50:45.10 ID:g+/8IG6L0
血は争えんからな
崇禎帝の猜疑心の強さはご先祖譲り
呪われた血の王家って見るとなんか格好良く見えてくるなw
ひいじいさんは村一番の嫌われ者で「ゴロツキ死ねばいいのに」って言われててよ
都会に出たじいさんは一ヶ月で工場を辞めて死ぬまでパシリの日雇いヤクザやってた
親父は中卒ヤン憎で地元の何とかいう番長の舎弟だったことが一生の自慢みてえな男
なあ、俺の一族は呪われた血の庶家なんだ
石勒曰く、
「朕若逢高皇、當北面而事之、與韓彭競鞭而爭先耳。
脫遇光武、當並驅于中原、未知鹿死誰手。
大丈夫行事當礌礌落落、
如日月皎然、終不能如曹孟コ、司馬仲達父子、
欺他孤兒寡婦、狐媚以取天下也。朕當在二劉之間耳、軒轅豈所擬乎」
「高皇に会ったら、(その部下となり)韓信や彭越と先陣を競うだろう。
光武に会ったなら、互いに中原の鹿を追い(天下を争い)雌雄を決するだろう。
(しかし)大丈夫(立派な男)たる者、磊磊落落(「磊落」の強調)、
日月が明るく輝くように物事を行うべきであって、曹孟徳や司馬仲達父子のように、
孤児や寡婦を欺き、狐のように媚びて天下を取るような真似は絶対にできない」
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/06(金) 00:35:11.67 ID:AImRobO50
石虎の息子たちの殺し合いはすさまじい。
後漢→魏→晋の禅譲、魏→蜀、魏→呉の放伐すべて負けたほうの皇帝の
命は安堵されたのに、西晋の滅亡以後禅譲でも皇帝一族は皆殺しってのが慣例化してしまった。
匈奴など北方民族の血が入ってから華北の人たちは残虐性を増したのかな。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/06(金) 00:49:02.85 ID:zFmbl54P0
>>366 劉和→劉総、キン準の乱、石弘→石虎とか見る限り
君主権力の失墜がかなりの問題だと思う
体制的にも皇位継承権持ちが軍事力を握っているのも問題
東晋も君主権力の弱さという問題を抱えていたけど
王導を代表する貴族たちがうまくバランスを取って見えないようにしていた
その体制を崩した劉宋から南朝は殺戮の連続に陥るね
むしろ下手すりゃ南朝の方がヤバイくらいだよなあ
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/07(土) 00:27:19.16 ID:kgotnlx+0
この時期、皇族に生まれたこと自体悲惨といってもいいくらいなのに、
貴族階級は意外と殺されずに生き延びているのも特徴。
皇族がこれなので貴族はもっと酷いのかと言ったらそうではない。
王朝交代で前王朝の皇族皆殺しでも、それに仕えていた貴族は殺されないことも多かった。
もちろん巻き添えになったのもいるが。
だから文化は受け継がれ、この時代を皇帝たちの残虐さを知らない人たちは
六朝文化が栄えた平和な時代だと印象づけられている。
この時代の皇帝なんて大した権力ないから貴族敵に回したら潰されて終わりなんだから当たり前
ほんとそれ
すぐに親衛隊に暗殺されるローマ皇帝みたいなもんか
>>372 もしかしたらご乱行の話は、殷の糸寸とか夏のケツみたいなプロパガンダの可能性もある??
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/08(日) 04:50:31.54 ID:BUsp1nbQ0
5胡16国のみなさん!もっと国名をわかりやすいように分けてください!
桓温最強!
桓温 東晋政・軍の第一人者
王猛 豪腕宰相
慕容恪 当代最強の軍事指揮官
この三人好き
慕容恪に関してはNo.2に甘んじるべきではなかったと思うが
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/08(日) 18:18:21.55 ID:U193S4mC0
前燕は皇帝たちも英主が続いている。皇帝も個性があっておもしろい。
>>379 儁以外駄目じゃね?儁も若干繊細過ぎるが
廆、皝は帝位に就いてないし(皝は身内への対応が圧倒的に酷過ぎる)
暐は亡国の君
うーん、儁の後は恪の方が良いよなあ、やっぱり
李ロ「お、俺んとこなんか、し…子孫が超すげぇ帝国をををを
于志寧「pgr
>>380 廆、皝は、名君じゃん。まあたしかに皝の身内への対応はひどかったが、やらねばやり返されるから仕方ない。
>>381氏のいう子孫で名君の誉れ高い世民君も兄弟殺しがあるわけだし。
儁の後は恪ってのは同意。儁の字子どもの名前に使えるようにしてほしいよね。
儁才って言葉もあるし。
ぎゃ;自分が唐のプロパガンダに乗せられた?
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/06/17(火) 18:48:56.12 ID:7PhGdUao0
通史で軽く出しか読んだことない
慕容恪は過大評価の典型例だな
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/10(木) 01:17:19.32 ID:EipAh5C20
皇帝をまとめたから皇帝の名ではもの足りぬ
新しい名前を〜
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/07/10(木) 01:39:57.32 ID:HwXKg2KmO
わかったわかった、オレが贈ってやんよ 遠慮なく受け取んな
宇宙大将軍。
高歓が北部を統一してればなあと思う
韋孝寛を倒すのは至難の業だろ
韋孝寛が斛律光にボロ負けしたのだって元を糺せば宇文覚のトンでも采配のせいだし
宇文泰が覚ほどの大ポカする可能性は低い
孫恩って司馬倫を焚き付けて西晋をガタガタにしてくれた孫秀の子孫なんだってな
ろくでもない家系だな
シ肥水の戦いの後は、東晋には明るい話題がないw
簒奪者やら国を食い荒らす侫臣やら暗君やらで暗い気分になる。
へたに最後の皇帝であった恭帝徳文に名君の素質があったから、悲劇性が増している。
>>388 英雄が並び立っちゃってたからね。高歓&宇文泰
北斉に孝昭帝のようなまともな皇帝が少なかったからねえ。
北周武帝と陳宣帝のときに北斉は「後主」(暗君の代名詞)だからそれは全てwww
桓温の頃の東晋だったら華北を統一した北魏相手でも果敢に北伐を敢行してたと思う
しかし宋以降の南朝がぐだぐだすぎたな
梁の持ち上げて落とす感じはジェットコースターの如し
経済が発展したのはいいが銅が足りなくなって鉄銭政策に走った事で偽造が往航したのがケチのつき始め
>>394 両替商(専業じゃないが)も地方でデタラメやってたしな
>>392 孝昭帝はもちろん上の2人が長生きしてても大分違ったろうけどねぇ
有能な基地外も名君もイカれた基地外も皆早すぎる。
Ubuntuってきくと、宇文氏に宇文統とかいたのかとの思ってしまう
高歓の長男が生きていれば・・・
そして宣帝対まともな皇帝(最悪でも戦争の名人)になっていたら
高澄が長生きしてたら武成帝や後主などの暗君の出る幕はなかったのにな
北周が宣帝なら宇文憲いないし楊堅中心で尉遅迥らの柱国大将軍が武帝の時のようにまとまって戦えるとは思えない
北斉が戦闘力が強くて意欲のある君主だったら華北を統一してたかも
>>399 北斉は、斛律光を殺しちゃってから、573年の寿陽の戦いで陳に江蘇、安徽を奪われてとりかえさなかったorせなかったのが全て。
高澄や高洋(文宣帝)、高演(孝昭帝)だったらだまっていなかったてか、そもそもとらせないw。
気がついたときには、
陳=宣帝〜呉明徹、蕭摩訶→勝てる気がしません
北周=武帝〜韋孝寛、宇文憲、尉遅迥→もっと勝てる気がしません
だったからw
魏呉蜀の時もそうだが
こういう総力戦で気がついたらパワーバランスが崩れて雪崩れるように滅亡ってパターン
内部の経緯がなかなか理解しにくいのが難点だなあ
武成帝ですら攻め込まれたらきっちり報復考えてたし
後主暗君としてのレベル高すぎるw
>>402 暗君としてのレベルww
寵姫をおいかけて戦闘に負けたって、どこの陳の後主wって思っちゃうもんなあw
魏晋南北朝は、絵に描いたような暴君暗君多すぎるw史記のケツ、糸寸そのまんまで笑えない
>>394,
>>395 梁の前半は短い期間だったけど南朝が本当に輝いていた時代だよね。鉄銭政策までは...
なにかほかの方法なかったんだろうか貝とか布とか><
この時代の映画とか実写ドラマってなにかありますか?
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/21(木) 20:09:28.95 ID:f1tOWXzo0
三国志に当てはめると
北周→魏
北斉→蜀
陳→呉
隋→西晋
って感じか
しかし高歓はなんとなく曹操っぽい
調子乗るところとか、うっかりなところとか
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/23(土) 17:45:39.29 ID:NAdMR2Vr0
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>>406 573年で魏=北斉、蜀=北周だったのが完全に魏=北周、蜀=北斉に入れ代わってる感じだな。
もっといえば北周は武帝が親政始めた時点で蜀から魏になって、北斉は後主が即位して魏から蜀になった感じw
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/28(木) 20:30:58.43 ID:o+jyEnOu0
中国皇帝の暗君連中で打順組んだ
1(中)蜀漢孝懐帝
2(二)後漢霊帝
3(三)北宋徽宗
4(一)西晋恵帝
5(遊)明万暦帝
6(左)南斉昭粛帝
7(右)陳後主
8(捕)北斉後主
9(投)北周宣帝
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/08/28(木) 22:46:29.17 ID:FV4m+43/0
>>410劉禅は中国史全体で見れば9人に入れるほどの暗君じゃない
後漢の霊帝はたまに名君説を見る
個人的に胡亥を推したい
劉宋後廃帝を入れろ
>>410 しかし、劉禅の諡号とかよく調べたな^^
昭粛帝って東昏侯のこと?
>>413 >昭粛帝って東昏侯のこと?
横からだけど、中国人のサイト見てると蕭宝巻の諡号になってるみたい
でも、出所がよくわからん
少なくとも中華書局版の二十四史や通鑑には載ってないっぽい
史料を読む限りでは東昏侯の殺害と廃位が蕭衍への降伏の意思表示になってるから、
王朝交代の前に何らかの諡号が贈られたって考えられんのだよね
とすると
南斉蕭家の家中で密かに諡号を贈ってた(でも、これだと記録には残らんよね) のか
亡命した蕭宝夤などが勝手に諡号を贈った のか
そんなんなのかな?
さもなきゃ、講談とかの中で勝手に作られたか(皇后の諱とかがこっから一人歩きしたりするし)
どっかに載ってる話なら無知ですまない
>>414 すばやい回答ありい^^
しかし美諡すぎるww
自分なら氏i周のレイ王、晋のレイ公のレイ)ってつけるなw
>>415 いえいえ丁寧な回答ありがとうございます。
>亡命した蕭宝夤などが勝手に諡号を贈った
一番考えられるのはこれだよね...
あれに綺麗な諡号贈りそうな人他にあんまり居ないもんなw
415-416だけど、
ウィキペディア見たら、蕭宝夤が贈ったって書いてあるね
結局、出所はわからんわけだけど
劉宋と南斉は、廃帝になった人物がにたような暴君だから時々頭の中でごっちゃになるw
文恵太子と諡された長懋が長生きしていれば南斉の命運はかなり変わっただろうな。
性業wじゃなくて昭業の即位は遅れただろうし、ヘタをすれば昭粛帝(笑)は即位すらなかったかもしれない。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/09/27(土) 16:34:54.95 ID:hiDUCuAT0
中国五千年を読んだが陳に同情心が起こったね。
弱小政権が滅亡を多少悟って文化を高めていたというと悲しいイメージになる
陳はまともだったんだぞ^^後主が即位するまではw
>>404 『北魏馮太后』があるね。かなり長編だからだれるかもw
北周の宣帝って早死しすぎだけど楊堅に暗殺されたの?
5人の皇后に絞られて死んだんだろ。
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/05(水) 04:58:34.92 ID:FEy3vks50
なんだろうな
あまりの内容に嫌気がさしながらもなぜか癖になってしまう
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/10(月) 16:11:48.10 ID:2FSlIgct0
南北朝より東晋16国の方が面白いね!
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/11/29(土) 19:38:30.24 ID:3LPWibO+0
講談社学術文庫のやつ探して本屋行ったのになかった・・・
五代とかはあったけど・・・
学術文庫シリーズの十八史略の目次見たらどこが十八史略だよ!って突っ込みたくなったけど
>>428 書店員に頼んで取り寄せてみれば?
売れ線のタイトルじゃないから、たまたまおいてるところにあるだけだし。
十八史略は後漢までの密度でエピソードをとり続けてくれていればよかった。
現代文、書き下し分、漢文が乗ってるし、個々のエピソードの解説はいいんだけど、
後漢の後の収録率が悪すぎる。せめて上下巻にできなかったのか。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/29(月) 19:43:14.16 ID:aeTRYKEB0
誰か晋書完訳しておくれ
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/30(火) 07:47:41.90 ID:Y3cZ4vXKO
晋書の訳は何ヶ所かのサイトで見かけるけど、途中で滞ってるのやヤメてるとこもあるんだよな
興味あるとこを訳したところで力尽きるんだろうな
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2014/12/31(水) 16:15:55.80 ID:/feNmNHI0
>>432 ありがとうございます^^
しかし見事に漢文ばかり・・・
中国語学校でも行かないと読破は厳しいですね^^;
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/02(金) 00:33:58.43 ID:IfiJDdox0
晋書なあ・・・
一回きちんと読まねばならんのだが、明らかに李世民の曲筆が入ってるだろうってのがなあ・・・
トルファン文書とかの出土史料を駆使するしかないのかなあ
晋書にも曲筆があるのだろうが、他の史料もどこまで信用出来るのかわからないよな〜
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/02(金) 11:55:15.88 ID:bnflZE1s0
崔浩「俺が正しい歴史を書く!」
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/03(土) 19:32:04.17 ID:My+G8AxN0
>>436 なお、その結果・・・。まあ、国史事件に関しても、意外と生き残りはいたんじゃないかって研究もあるけどな。
曲筆といえば、『魏書』は古くから穢史とされてきた。
しかし、はるかに信憑性があるとされてきた『隋書』の方が怪しいっていう研究があったな。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/20(火) 19:00:20.31 ID:teP9l/ir0
最近この時代知ったけど西晋は結構熱いよね
王導とか読みながら応援しまくってしまった
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2015/01/21(水) 16:12:14.18 ID:tns6vdtr0
ご愁傷さまですね...陳さんの『中国の歴史』(平凡社)は青春時代の愛読書のひとつ。
どーでもいいけど前レスが北魏が華北統一した年w。
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
そう言えばガオシーシーグループが北魏を基にしたドラマ作ってるって前に聞いたけど本当なんだろうか