【維基】中国英雄wikipediaを充実させよう弐
1 :
ルーツ君:
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 03:38:27 ID:lS5srTVg0
初代スレを立てた者として、2スレ目の誕生は感慨深い。
最近、Wikiの編集からは離れていた……
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 12:42:50 ID:RSS+P/LwO
あるいは1乙という見方も窺える
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 13:12:25 ID:vId8L8tx0
>>1をオメガフルボッコしたら「ぼうやべで、ばぶう」と言ったwwww
糞
>>1のカス、オメガフルボ時にはオメガ鼻血だしながら「ぼうやべで、ばぶう」とか呻いてたのに
さっき電話あって「警察に行くからそのつもりで」だってさwwwwww
>>1って34歳なのに22歳の俺にオメガフルボされてフランス眼鏡(7万)オメガバリバリされて
オメガ便器に顔突っ込まれ「ぼうやべで、ばぶう」とか
呻いててオメガ悲惨wwww死ぬしかないよね糞
>>1wwwww
>>1って悲惨なオメガゴミ人間なんだねwwwwwwwww
惨めなオメガ汚物
>>1オメガワロスwwwwwwwwwww
ある意味、人の恨みを買う活動をするスレだから煽りも入るだろうが
お里が知れる書き込みではご両親も悲しむだろう
スレ立て乙。
>>1乙です。
カテゴリー[[漢代の人物]]からの三国志人物の削除ですが、
現在ノートで提案されている条件で、今カテゴライズされている人物を振り分けると、こんな感じです。
現在の漢代の人物−343人
*まず確実に削除対象−113人(詳細略)
*議論・検討が必要−18人(于毒 韓暹 高幹 胡才 臧覇 沮儁 段ワイ 張済 趙忠 張譲
張バク 張宝 陳蘭 董承 樊稠 楊定 雷薄 李楽)
8 :
7:2007/12/01(土) 07:43:01 ID:iP0wcCUQ0
↑あくまで個人的なチェックですので、目安程度で。
9 :
7:2007/12/01(土) 08:16:00 ID:iP0wcCUQ0
もう一度、チェックしなおしたら、こんな感じです。すみません。もちろん、目安としてです。
*現在の「漢代の人物」人数=343人
*まず確実に削除対象となる人数=108人〔詳細略〕
*厳密に条件を適用すれば削除対象または削除対象外だが、議論・検討を要すると思われる人数=21人
陰キ 于毒 王修 韓暹 高幹 胡才 荀ケ 諸葛亮 臧覇 沮儁 段ワイ 張済 趙忠 張譲 張バク 張宝 陳蘭 樊稠 楊定 雷薄 李楽
今週は孔明さんが大人気なのは何でだぜ
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 20:06:47 ID:CuWKt6xeO
献帝の編集もどうかなって思う
>>9 あくまで俺基準での話しだけど
削除:陰キ、于毒、王修、高幹、陳蘭、雷薄
残す:韓暹、荀ケ、臧覇、段ワイ、張済、趙忠、張譲、張宝、樊稠、楊定、李楽
微妙:胡才、諸葛亮、沮儁、張バク、李楽
微妙については、わざわざ削除することはないのでほっとけ、って程度かな
三国ばっか人が多いんだなあ…。
金代なんか人がいないせいか、ルーツ君のあれがずっと放置されてるよ。
「斡啜」「福興」「胡沙」の要出典とか、
「斡本」の「〜贈ったという。」「〜降格されたという。」って伝聞調とか。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 22:53:36 ID:jaM0DHCM0
前スレ落ちますたな
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 22:59:06 ID:UWTYUbch0
ルーツ君ってなんじゃらほい?
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 23:29:40 ID:jaM0DHCM0
>>16 ルーツ君
ルーツバカとも言う。主に無名氏のままWikiの三国志、史記関係、戦国時代関係などの記事を大量に編集してきた。
出典が怪しかったり、そもそも捏造だったりする「新事実」を追加するのが得意。
人物の伝記よりも「○○は××の子孫」といったルーツ探しに力を入れていたため、「ルーツバカ」と呼ばれるようになった。
無名氏であるが「略要」「一説には」「・・・という見方も窺える」「囁かされている」などの独特(控えめな表現)な言い回しのため特定はしやすい。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 09:01:22 ID:HUj0wpYS0
>>17 ほぉ。たまにこの板でも、たとえば「陸遜の子孫はどうなったの?」という質問をみかけるが
そういうのに答えているわけか。
珍説なんかも、それに関わるものとして一文にはいってもいいとは思うが、
本文とは違う別項目で、出典などをあきらかにしないとダメだわな。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 19:12:09 ID:1/+1wxx3O
珍説でも出所がはっきりしてるならまだいいんだけどな
ルーツ君は脳内がソースなのに「三国志補注によると…」などと出典捏造を行うからな
某サイトに書いてあったサイト主オリジナルの仮説をそのままWikipediaに書き込み、
ツッコミに対して出典としてそのサイトを挙げたおバカさん。
一説によるとツッコミはサイト主本人だったという。
出典と一次資料の意味が分からない人間は少なくとも書いちゃだめだろ。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 20:58:09 ID:HUj0wpYS0
>>20 >>一説によると
要出典。
いや冗談。まぁ後世の有名人が実は、過去の有名人の子孫だった! というのは、知識欲を
満足させるものではあるけどね。
他人の成果を出典もなしに書き込むとは、かなりの不届き者なんだな。
今も活動中な人? それとも姿を消したのかな?
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 21:08:20 ID:Iluer2uo0
[[張衛]]の記述が余りにも酷かったので、最近、全面改訂で修正したんですが、改訂前の文面もルーツ氏なんでしょうか?
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 05:00:15 ID:7ipMF+mK0
>>25 ああ、そのブログは知ってます。
そういう話になってたのか…
読んでて、だいぶ前に三戦板で、《三国志》に司馬懿が立伝されてないから大したことない
みたいなこと言ってたレスを思い出した。
李儒の件は、このwikiが発祥なのかな?この板でもみかけたような…
この人、主に三国時代に関わってるのかな。他の時代には来ないよね?
活動範囲は前近代中国のほとんど全部だったし、日本史に移ってからもやはりおかしい
例えば新田次郎の小説ソースでルーツ記事書いたり
[[桐生頼忠]]で吾妻鏡に桐生六郎の名前が載ってるのに
>『吾妻鏡』などの文献を参照にした「群馬県郷土史」の『桐生市史』によると、
「桐生」の姓名が登場するのは平安時代末期に、桐生六郎忠利(頼忠)の名が記されている
という文章を書いたりする。要するに根本史料は読まない(読めない)。日本語自体も変
こいつの事をよく知らん人にとっては物珍しいだろうけど、知ってる人はうんざりしてるはず
自分でここまで書いといて何だが、こいつのヲチスレになって欲しくないし
この話題はここまでにしませんか・・・
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 12:19:29 ID:qIZTX/OXO
献帝の諡、ああ断言するのは違和感
むしろあの部分全て要らないかもしれんね、一定の私的解釈に偏らないようにするためには
諡の字に諡法では見えない意味を持たされるのは劉備の例があるし、そもそも高帝みたいに諡法に無かった字を諡に使うことさえあるんだから、「諡法に無いから〜ではない」という断言は出来ないと思うんだがどうよ
そういう場合は「諡法によれば○○」と書いてそれに付いて意見を述べている研究者がいるのなら「誰々によれば××」と書くのが普通だね。
いちいち一般にはどうとか書く必要は無い。
[[朱元璋]]
とりあえずよー、堺屋とか高島とかあの手のを出典にするの止めれ。
陳舜臣ならまだしもさ。
[[三国志]]の近現代の小節の下半分に大ナタ振るいたくて仕方ないんですが・・・
うーんと、吉川・横山・人形劇とコーエイのくらいは残しておいて。
あとは全部消しても良いや。
横光版も二行に減らせるよなー
「可もなく不可もない名作漫画ではなく、〜」なんて下手糞な言い訳でかえって品位を落としてる
漫画は三国志漫画カテ、ゲームは三国志ゲームカテに誘導すれば十分と思う
もっともらしい理由を考えるのもめんどくさいけど
別件だが李通 (光武)とか劉エン (”春”陵)なんて名前からしてアカンよ
文中も”春”陵になってるし。だいいち劉エンは誰と区別する必要があるの?
本当は”春”じゃなくて”舂”だね
光武帝の項を見てて思ったんだけど政治方針の所で「徹底した法家思想」の政治を行ったみたいに書いてあるけどさすがにこれはちょっと言いすぎじゃなかろうかと思う。
確かに光武帝の施政は法家的な側面も見られるけれど、実際のところ基本とされた思想はあくまで儒家思想であって、それに法家や道家の思想を加味した政治運営だったと思うんだけどなあ。
儒家メインに法家・道家を加味したってのは宇都宮説から渡辺説まで共通の認識だったような
あと劉エンのノートに突撃したがちょっと失敗した
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/06(木) 01:10:36 ID:IpBu16Dx0
>>36 伯升は漢書にも出てくるメジャーな表記だし、(伯升)の方がいいよね
何でそんなにまでして俺考察を書きたがるんだろうねぇ。
[[中山王サク]]
>砕石を築いた
って何じゃらホイ。ていうか全部中山国へのリダイレクトで良いだろ。
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 00:36:51 ID:PB5z6IiX0
中国じゃないから多くは言わないけど、架空?の武将群はすごいねえ
言い回しがルーツっぽくはないけど、ありゃすごいわ
カテゴリーのリンクって普通に貼れたんやね
カッコ悪いことしてもうた
趙儼、馬隆が無いね。
魏や蜀に比べて呉の記述がとぼしい気がする。
まあ、それ以前に三国に比べて他の時代の記述が乏しすぎるんだが。
三国で単独の伝が無く、かつ演義でもたいした活躍はしてない人物は全削除したい。
>>44 どんな内容なのかは見てないから言えないけど、
立伝されていない人物のも、あってもいいとは思うんだ。
三国志だけに集中しているのはアレだけど、他時代でも
一軍を率いた将なのに、列傳ないのとかあったりするし。
とは言っても、限度があるか。
とりあえずさー
[[王威]]とか[[夏侯充]]とか必要ないだろ。
というか夏侯充は一回削除されてるのに馬鹿がまた作ってやがる。
a
アニメの登場人物のように一覧記事とか作ってみるのもいいかもしれん
著作権侵害が混じったせいで2年分の履歴がごっそり削除とかされても平気ならばだが
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 22:38:07 ID:kuf/kOe60
>>46 まあ、王威は良いよ。
問題は、夏侯充とか夏侯廉みたいに、1行スタブしか書くことがないのに記事作ってる奴がいることだよな。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 02:26:59 ID:1Cyy1wEN0
「確証性」とか言っている人はルーツ君かね?
劉貞の項でのもっともらしい嘘をコメントアウトしといた。
ちくま訳でもああは言ってないよな?
荀ケスレに書いた杜牧の荀ケ論も・・
三国に人が多過ぎて他の時代が充実しないと嘆く向きもあろうが
三国は次々に汚されるから掃除する人も三国に集まってしまう
隔離カテなら隔離カテで別にいいが内容の正確さだけは譲れない
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 23:49:56 ID:70/DwtsE0
>>53 杜牧の荀ケ論とかのアレ、やっぱりルーツ君だったな・・・
本当に予言通りになるとは思わんかった
そう、かれはターミネーターの如く帰ってきた
しかし内容の正確さだけは譲れないといいながら恥ずかしい誤読をやらかしたので
この件についてはかれを責める資格はありまへん
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 02:01:44 ID:TjA7QMKn0
>>55 間違い自体は問題じゃないよ
ルーツ君が問題なのは間違うこと自体じゃなく、
・同じ間違いを続けること
・言われても全然理解していないこと
・最後には対話をほっぽり出して逃げること
>>25のブログがそうなってるんだけど、
>・最後には対話をほっぽり出して逃げること
最後には逃げるくせに、自分の非が明らかになるまでは
中途半端な知識で噛み付いてくるんだよな・・・
>最後には逃げるくせに、自分の非が明らかになるまでは中途半端な知識で噛み付いてくるんだよな・・・
そんなのはウィキペディア上でいくらでもいます。特にウヨ関係の出没する記事ではワラワラ沸いてきます。
ルーツ君の書きこみチェックしてて気づいたんだが、「商容」を「箕子」にリダイレクトしてるのは、問題なんじゃないのか?
『史記』では別人だろ。この二人。
[[王猛]]
>聖王として語られることの多い苻堅
おいおいおい。そんなこといってたら司馬光とか朱子とかに呪い殺されるぞ。
劉備のページは演義の説明がめちゃくちゃだな。
とりあえず劉安のところだけ修正した。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 22:10:38 ID:QlzWW0Cn0
王猛の記事いつの間にか出来てたんだな、とりあえず記事作った人GJ
おかしいと思えるところは皆でおいおい直していけばいい
[[劉備]] の三国演義の小欄、確かに纏まりがないが
どう纏めればいいかね?
ていうか演義の主人公だから[[三国志演義]] の記述でことたりるんじゃないか…
と思ってみてみたら、そもそもこっちの記述からしてろくでもなかった。
どこから手を付けたものか
お、まじで王猛出来てる。超GJだな。感無量。
人物の姓と名の間にスペースを入れようとするやつがいるんだが、ウィキペディアにそういう決まりはないよな?
人物記事の雛形みたいなのがあればいいんだがな。記事の書きかたに統一性がないもんな。
とりあえず[[三国志演義]]の一部だけ変えてきた
ちゃんと詳しい人に校訂は頼んだ
スッキリしていいんじゃない
ホンタイジが演義厨で、崇禎帝と袁崇煥の間を裂くのに演義の反間計をつかったとかいう
ソースなしの香ばしい話が見つかった。ただソースが判っても書き足していいもんか
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/14(金) 12:15:02 ID:ZEqCqEWAO
削除依頼は相変わらず知らん奴ばかり目立つな
色々な人から意見を聞くべきではあるが、元記事も見たのか怪しい奴までいるのはどうもな…
まともに議論したり合意形成したけりゃ
先にノートで提案して外堀埋めてからが無難
削除依頼なんか出すと削除バカがわらわら沸いてくるからかえってこじれる
統合や存続を入れている奴も自分の分野の記事だったら「こんなのイラン」って言うと思うがねぇ。
どうも脊髄反射で言っているようにしか見えない。
てぃーえす乙
[[伯邑考]]
なんか全面的に記事内容に問題あるような気がするな。
『史記』「周本紀」では、夭折した、子孫はどうなったのか不詳である…とか書かれてるが、
そんなこと周本紀のどこに書いてるんだ?
伯邑考の記事でなんで管蔡世家を引かない?
この記事書いたやつ『史記』読んでんのか?
と思ったら、履歴にルーツ君の足跡が残ってた。
ルーツ君は『史記』と『三国志』のちくま訳だけは読んでいると思っていたのに、どうやら買いかぶりだったようだ。
頭きたから[[伯邑考]]の記事は大幅に改稿した。
>>75 ナイス。ちゃんと『帝王世紀』からの引用ものっけておいてくれたんだな。
前のは「李儒は正史には登場しない、演義のオリジナルキャラ」レベルだったからな。
>>76 ども。ついでに、[[商容]]の変なリダイレクト外して、単体記事に仕立てといた。
>>74 ちくま訳は読んだことあるのかもしれないが、記事を書くときにどこまで参考にしたのやら
訳だけでも参考にして書いたなら、[[王温舒]]みたいな惨状にはならないでしょ
そう言えば三戦のウィキスレに[[ノート:張遼]]の話題が出たがこっちでは既出?
三ヶ月前に止まってるじゃない
削除派の反論が行われてないけど、本項では削除されてる
解決したと見做していいだろう
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 01:59:35 ID:a6xFklOH0
なんかいつの間にか新末後漢初の記事が充実してきてるね
自分この時代が凄く好きだからうれしい限り。
前漢末から新も誰かよろしく
孔光とか王舜とか呂寛とか
新末後漢初って語句は意味は通じるけど定着してるかな?
両漢交代(か交替)期の方がよく聞く
意外に延岑とか隗囂の記事はまだできてないんだね
89 :
88:2007/12/19(水) 00:33:08 ID:yQHPGrEM0
・・・やっぱり誤読多すぎでした。無念・・・orz
>>87 お疲れ様です。
職官とか仕えた主君の変遷が載ってる表がすごくいいですね、わかりやすくて。
雲台二十八将とかの他の人物にもあの表を作っていただけると凄く有り難いですけど大変ですよね…。
91 :
88:2007/12/19(水) 00:40:39 ID:yQHPGrEM0
>>90 ありがとうございます。史学の素養がない人間なので、間違いだらけで申し訳ありません。
延岑と來歙あたりを書いて、余裕ができたら、二十八将について、表を作ってみようかなと思います。
表そのものの是非については今は保留するけど、表の「君主」って項目は正直微妙だよ
たとえば方望が隗囂の配下ってことになってるが、石井仁とか渡辺義浩って東洋史の先生は
方望が隗囂に軍師として招かれながら、隗囂に幻滅してさっさと陣営を出て行った事を挙げて
両者が主従関係になかった、と指摘してるんだから
他にも主従関係の微妙な組み合わせはあると思うけど、表に書くと
そういう曖昧なグレーゾーンの関係を主従関係と断定してしまう事になる
93 :
88:2007/12/19(水) 01:01:17 ID:yQHPGrEM0
>>92 なるほど、そうですね・・・。
君主ではなく、「陣営」とか、もう少し複雑な関係を包含できる項目にしたほうが良さそうですね。
実は私も、たとえば[[蘇茂]]の表を作ったとき、「張歩が蘇茂の“主君”?」と躊躇しましたし。
多分、かなりの人が疑問を持つでしょうから、「主君」の項目は、早急に変更を考えます。
後漢書基準で漢代と三国志のカテゴリー分けした人?
誰しもミスはするだろうけど、新規作成含めて大量の作業を一ぺんにやろうとすると
ミスも大量に出ると思うんですよ。そうすると自分も他の人も後始末に奔走しないといけない
何かする前に落ち着いてよく考えてからでも遅くはないのでは?
説教臭くなったけど自戒を込めて。
95 :
88:2007/12/19(水) 03:27:07 ID:lFWh+0Wc0
>>94 申し訳ありません。ただ、項目については、
>>92の方もおっしゃるように、少し問題もあるように思いますので検討が必要、と思ってます。
いずれにしても、隗囂でミスが大量に出てしまったので、次の新規記事作成、項目修正作業等では、時間をかけて確認してからを心がけていきます。失礼致しました。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 15:36:42 ID:qAbbWQOe0
マイナーな記事を書いて放置しておくと、
誰も手を加えないまま残るな……
あまり気にせん方がいいよ、ミスは誰にでもある。そのミスの責任を自分で取れば良いさ。
ミスの尻拭いを他人に押し付けるのは論外だが。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 16:20:31 ID:pRrlarAIO
>>96 それで三国志の人物が問題になってる。
スタブにしかならないドマイナーな記事がゴロゴロあるからな。
スタブにしかならないというかスタブにもならないというか。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 18:16:54 ID:fmnGTu0NO
「○○の息子。侯を継ぐ。」程度しか書きようがない人名を記事化するごとに5セントもらってたら今ごろ大金持ちだぜ
凌煙閣の二十四功臣の記事がちょっとずつ増えてきてますな
凌煙閣二十四功臣についてだが、姓と字の方が知られてる人物が多くて、(秦叔宝とか尉遅敬徳とか)自分が最初に作ったときには、姓と諱で統一して書いたけど、いつの間にか姓と字の表記に変えられてた。こういうのは、一般的に知られてる表記にした方がいいんだろうか。
>>102 両方であたればいいんだけど、とりあえず一般認知度の高いほうでいいのじゃなかろうか。
それより、「中国の唐の軍人」というのは、武人としちゃいかんのだろうか?
間違いじゃないけど、どうも、軍人というのに違和感が…
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 19:21:01 ID:JokQx5UO0
名か字かはどっちでも良いと思う。現状維持で良いんじゃないの。
軍人というのは確かに微妙かも。軍人は国家組織が確固として存在していたときに限ったほうが良いかな。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 20:57:25 ID:m9QmsTMH0
Aboshiたんが「武将」って書くとキレまくってたことがあったなぁ
いっとき、2chでも、武将じゃない、人物だ。とかいう流れがあったが…
唐末五代では、武将や武人という呼称がしっくりくるのだがな。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 19:14:08 ID:V41J+lvnO
全部「人物」でいいじゃない
[[諸葛亮]]から「また劉璋が支配していた益州を奪ったことに関して・・・」を劉備に移した人。
あれだと履歴不継承になっちゃうんだけど・・・。
b
ああ、訳まではしてないわ
五虎大将軍、五将軍、旗本八旗、八健将・・・
架空のユニットの記事なんてメンバー表以上の情報は書けないよなあ
五虎大将はともかく五大将なんか史書に言及ないでしょ。
五大将ってなに?近年になってってまさか蒼天からなの?
蒼天航路の五将ってなんか違うんじゃないっけ?
史書を言うなら五虎将の方がないぞ。あれは生前に一まとめにされた集まりではない。
魏の張楽于徐張なら「この五人が最も優れていた」って感じの評がある。
しかし五虎はともかく魏の五将は単独の項が必要なものじゃないなあ。
いや虎の方は演義に出てくるんだから問題ないけど、五将軍って別に三国志はもちろん演義にもそのグループで登場するわけじゃないんだよね?
蒼天航路は夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪で四天王とは言ってたが、
張楽于徐張を一纏めにしてにして五大将とは一度も言ってない。
じゃあ元ネタは何ナノかな?
五大将(魏):蜀の五虎大将(演義)に倣って魏の楽張于張徐の五将を五大将などと呼ぶ向きもあるが因るべき典拠は特には無い。
↑こんな感じじゃダメなんかな?
>>118 蒼天航路じゃなくて光栄のあれとかじゃね?
「ソースは2ちゃん」だな。
>>123 典拠がないなら項目自体作る必要はない
五人の項の末尾に書いておけばいい
五虎大将軍のところで「魏の五大将に対抗したとも考えられる」なんて書かれてたが
小説の設定ですらない、ありもしないモンにどうやって対抗するんだ
ところで姜維の「漢中の防衛システムがどうたら」って何?
>防衛システム
諸城に分散していた配置を下げて二城集中させたとか逸話があるけど、
これの記述はどっかの受け売りくさいなw
それならその事実をかけばよく、
防衛システムがどうのというのは考察がかっててちょっと嫌だな。
分かりやすく解きほぐした、というよりも俺説を聞け〜ってな感じ
[[五将軍]]がありなら劉基・宋濂・葉シン・章溢の[[四先生]]なんかもありだよな
わざわざ書きたいとも思わんけど
まあ五将軍は正直要らんが、盲腸とか親知らずみたいなもんで
害がなければ放置していいんじゃない
>夏侯文寧は演義で「夏侯令」と誤記されているらしい
誰かkwsk
そこまでして夏侯文寧の記事を作りたいのか?
まあ、単に意地になっているだけと思うが。
削除の方針に沿って忠実に審査してるまでのことなんだがな
(,,゚Д゚)
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 11:05:43 ID:B8ukonJp0
> 『後漢書』(司馬彪著)の注で引く「文選」を参照とした「校勘記」(中華書局)によると、「公?」とする。
もうどこから直したらいいか・・・っていうか全削除な。
ルーツ君は相変わらずだな。
>>127-128 三戦板とかの考察ではよく出る単語だな。>漢中の防衛システム
研究者による文献が明記できるようなもので無い限り、
独自研究とみなされても仕方ないだろうね。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 23:22:41 ID:uM6gUn1F0
劉エン (威碩)
なんかおかしくないか?
息子と一緒に逮捕・処刑された出典教えてくれ
胡氏が後妻ってのも
そりゃ誰が編集したかで出典の有無も大体判るさ
盧芳や寇恂やその他大勢で、表の「爵位」に帝位・王号・諡号まで入れていいのか?
諡号はよくできる人も消さずに残してるから理由があるのかも知れんけど
あと表そのものの是非についてだが、例えば官職や将軍号には中央から任命されたものと
自称のものや軍閥どうしで互薦したものなど中央の関与しないものとで
意味合いが違うと思うんだが、全部「職官」の項目に入れると
そういう個別の事情がぶっ飛んでしまう気がするんだよね
ということで表を載せることには反対してみる
その辺は本文で説明すればいいんでない?あくまで見やすいように表にするってだけだから重複しても問題なし。
あるいは表にせずに== 職官 ==という節でも作ってその中で順番に軽い説明を挟んで書くとかね。
>>137 >「爵位」に帝位・王号・諡号
とりあえず、項目名を「爵位・号等」にしてみているところです。
>「職官」
[[新末後漢初]]の人物は、授与した主体さえ書けば問題ないと思います。
今のところ、〔後漢(劉秀)〕、〔更始〕、〔新〕、〔劉永(劉紆)〕、〔公孫述〕、〔自称〕等で、大体カバーできると思いますし、後は本文を読んでいただければ・・・というところです。
ただ、これが三国時代の人物となると、かなり難しくなってくるのは確かです。
[[張良]]
武関の守将の名前が韓栄ってのはどこから出てきたんだ?
[[利用者:122.133.172.42]]
どんどんでたらめな記述を付け加えているが・・・ルーツ君?
ん?今のルーツ君はこれだろ?
[[利用者名: 219.126.163.217]]
やつは叩かれてることだけは気づいてるから日本史に逃亡したんだろ。
>>140 『項羽と劉邦』ですな。もちろん、横山光輝の漫画・・・・・・。
>>143 横山光輝の漫画は『通俗漢楚軍談』がベ−スだから、そこのオリジナルかもしれない。
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/28(金) 14:07:30 ID:Xh9bxm7+0
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/28(金) 14:38:02 ID:U/xLDWh+0
三国時代なみとは言わんが、二十四史に立伝されてる人物は一通り揃えたいな。
もしかして西漢演義だと韓王信を姫信て呼ぶのか?と思ったら案の定だった
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/28(金) 19:50:42 ID:LGImquQmO
誰かさんがこのスレ見て「西漢演義によると姫信と呼ばれている」と追加するに10ギル
>>148 正史に立伝されてても一行記事にしかできないやつはいる罠。
まったく何でもかんでも赤リンクで穴あけるやつがいるしなあ。
何事も程度問題だよね。立伝されているとか基準を決めないほうが良いと思うべ。
[[隋末唐初の群雄の一覧]]立てた。
とりあえずメジャーっぽいほうを上に、マイナーなのを下に配置した。
本気で集めたら百人越えるはずだが、それはぼちぼちと。
155
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L::;;,__ ..:::ゝ
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/j/三三三三三三三三三三ヾ
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r┤ ト::::: \___/ || 勅命として聞け
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
>>156は「中国のUFOの歴史」の記事を立てるべし。
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ
前スレに出て来た拾遺記はUFO・潜水艦・誘導ミサイル・ロボットとネタの宝庫だったよな
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 23:43:03 ID:EhS8lqyMO
スレ読み返してたら、この板の曹操ってスレの前の方で漢の武帝を「太陽王」って言ってる奴がいた
今はないがWikiで武帝を太陽王とか言ってた奴と同一人物じゃあないよな…
「行○×太守事」を「○×太守事務取扱」と訳するのはちょっと・・・
事務取扱ってあくまで現代日本の行政用語だろうし、「行○○事」の訳語にふさわしいかな?
単に「兼任」ぐらいが適当だと思うし、「行○×太守事」のままでもいいのでは
また「特進」は特定の職責を指す語句じゃないし(漢官儀に定義があったよね)
「職官」の項目には入らないはず
心当たりのある人はレスくれなくていいから考えてみて
「慕容垂」が大幅増補されてる。
なんか記事のスタイルが独特だけど…。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 12:31:32 ID:I1soHJedO
「行○○事」は臨時代理というところか
決裁権者が不在のときに事務を代行する
基本的に正式に任官されたものとは言えない
それに対して「守○○事」は正式任官されたもので、一般には「見習い」的な意味
本来まだその官に就ける状態ではないが、試しにやらせてみる、といったところ
問題なく務めれば「守」が取れる
たしか大庭修先生の論文があったが今は持ってないのでこれ以上は言えん
官職については、時代によってかわってくることも
「特進」なんかも唐代では「散官」として、「職」をもたないながらも
「官」であることはたしか。
「行」「守」も唐代では散官(本品)と職事官との差がある場合に
つけられるもので、必ずしも見習いや代行を意味しない。
特定の時代のみの官職ならともかく、様々な時代で共通する官職について
議論するなら時代をある程度限定してもらわないと困るんじゃね?
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 13:44:43 ID:I1soHJedO
そういや前提なしに漢制書いちゃってたな
それぞれの時代の官制についての項目を立てるのが理想なんだろうけど、
物凄い労力がいるよなぁ。
165は全くその通りだが161や164は漢代の話だよね?
あとウィ気ペと直には関係ない話だが、例えば奉朝請は同じ時代の話でも
研究者によっては「朝請を奉じる」と読み下したり「奉朝請」のままだったりするみたいで
研究者でも奉朝請が制度化されたかどうかを完全に自覚的に区別してる訳じゃなさそうなんだよな
[[朱全忠]]
朱三ってのは朱の三男坊って意味で名前ではないと思うんだがなぁ。
>>169 白馬の禍について。
『舊五代史』李振伝に、それは天佑二年春以降の記事であり(事件前には「天佑中」とあるが)
『資治通鑑』でも天佑二年六月のこととされているけど、朱全忠が即位した同年ってのは
本紀をざっと見て、それらしい記事がないような気がするんだけど。何月のことなんだろうか。
というか、即位後の事件ということが初耳だった。
『舊五代史 新輯會證』を改めて見るに、例の天佑二年5月から6月の記事が、「なぜか」太祖本紀では
記述がなかったところに注釈が入っていた。
引いているのは、やはり『資治通鑑』天佑二年5月6月のところだった。
これらをみるに、白馬の禍は天佑二年6月のことでいいと思うのだけど…
>>名前ではないと思うんだがなぁ
顕職にない民の、呼び名ですよね、それ。
なになに家の何番目の子って呼ぶのが慣例。
伯孟玄元
それあざな。
李重福
>生母は不詳だが、おそらく下賤の女性と思われる。
>彼は生母が下賤出ということもあって、初めから皇嗣候補と見られず、しまいには継母の韋皇后から嘲笑の対象となった。
そうなの?
知らんが、下賎の、というからには庶人ということになる。
士大夫層であっても寒門なら権門から軽視される理由には十分になるというのが
一般論だが。
>>175 いや、俺が知りたいのは一般論じゃなくて、李重福が実際に下賤の出身だったのか、それが理由で皇太子になれなかったのかということなんだ
旧唐書の本人の伝見てもわからないし、どうやらルーツ君の記事らしいし
出典がちゃんとあるなら「〜と思われる」という書き方はおかしいよな。
たいしたことないくせに自信満々に断定口調使われるよりかはマシなんだが・・・
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 23:21:46 ID:k3fHqCOC0
とりあえず、
旧唐書107涼王伝に、「重福失愛」と皇太子に立てられず外藩に置かれた理由が述べられた箇所があるのだが、下賤とか嘲笑とかの件は見つからないな。
もちろん新旧唐書以外という可能性もあるが・・・。
まず要出典かな。
ルーツ君の記事は[[公子高]]みたいに
>はっきりと記されている
とか書いてるけど、どこにも記されてないみたいなことが往々にしてある。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 23:47:20 ID:k3fHqCOC0
中つ国英雄に関係ある[[ミスリル]]の編集がアレだな
DQもFFもシリーズごとに舞台設定が違う以上、「ドラゴンクエストシリーズ」でひとまとめにしているだけで問題だな。
まああれはそれ以前の問題なんだが。
[[将閭]]
で公子高からのリンクでまた変な記事を見つけてしまった。
一応確認するけど『史記』以外で記述があるのを知ってたら教えて。あるわけ無いと思うが。
[[将閭]]
セリフが多いけど、横光かなんかのパクリだったりしない?
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 16:52:00 ID:WOhKexnk0
>>183 劉旦(燕王旦)とかもひどかったんだけど、どうも元ネタが不明なんだよね
ルーツ君の完全な創作なら凄いといえば凄い、というかヤバイな
[[公子高]]の方に「桐谷正の小説・『驪山の夢』では公子高が主人公となっている」ってあるからそれが怪しいかも。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 00:45:53 ID:DELBZN800
>>186 その小説知らないけどあり得るね
シツ都とかは横山史記だったのかな、やっぱ
その手のマニアック?な小説探して読む労力と、
然るべき史料・文献読む労力って大して変わらんよなあ
しかも公子高に限れば李斯列伝の何十字か読めば済むわけで
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 01:26:07 ID:yJVG+2gC0
まだルーツ君の諡捏造が残ってたか・・・
営平霊侯って・・・
あれは営侯で諡が平なんだよ、実際には
霊はどこから出てきたんだこのバカチンが
どこから。脳内からとしか言い様が無いだろうな。
ルーツ君は小説家の才能があるかもしれんね。きっと2ちゃんでは大人気の作家になれるぞ。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 21:55:36 ID:yJVG+2gC0
だから「2ちゃんでは」さ。ネタの供給源としてね。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 00:54:27 ID:n/Wjlg3k0
なんで末裔関係の記述は不正確なのが多いんだぜ?
>>193 このスレでしばしば名前のあがるルーツ君の仕業です。
[[成キョウ]]
これもルーツ君だよな?
成キョウが始皇帝の叔父だなどとデタラメな考察を入れてるのは?
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 01:47:54 ID:eKuVRwfs0
もちろんルーツ君の妄言です
ところで廃帝弁より少帝弁にするべきじゃないかと思うんだがなあ
後漢書見る限り名詞は一貫して「少帝」を使っている
「廃帝」は「帝を廃する」という動詞としての用法
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 05:49:26 ID:Jp9gOCSXO
このスレを見るとルーツ君のファソになりそうなんだが、実際に記述したのを見るとムカつくんだよな。
本人は無自覚なんだと思うが、ちょっとした違いでも気に触る。
廃帝と少帝じゃ、意味が違いすぎる。
諡号とかって、その漢字の意味とか調べたりしないのかな?
そんなサイトだってあるのに。
廃帝○○っていうのは、諡号ではない、ってことなんですかね。
[[Wikipedia:削除依頼/瑣末な三国志人物記事]]
どうしてそこまでこんな屑記事を存続させたがるのやら。
[[成キョウ]] のデタラメを修正したらスタブ並みになっちまったな。やれやれ。
>>198 「廃帝」も「少帝」も諡号じゃないよ
廃位される等で皇帝扱いされず、死後も諡号を贈られなかった皇帝の便宜的な呼び方
劉弁の場合、後漢書・三国志では「少帝」と呼ばれているので、Wikiの項目も「少帝弁」の方がよくね?ということ
晋書や宋書では廃位された皇帝を「廃帝」と呼んでるけど
>>199 糞記事はイラネとは思うが
Whitewingみたいな削除厨の遊び場にされるのも困るんでね
[[ノート:廃帝弁]]で項目名変更を提案してきた。
意見よろすく
>>202 それは個々の削除依頼で考慮すべきことじゃないだろ。
純粋に依頼理由だけで判断すべきことに、ここでは関係ない削除厨がどうの何故持ち出す?
[[比干]]
ルーツ君の薫りがぷんぷんする。
李淵の息子どもの記事を全部埋めた。
…何やってんだ俺?
>>204 表では依頼理由だけで判断してるじゃんw
場外乱闘はご容赦
>>206 貞観は曖昧さ回避項目ですので、[[貞観 (唐)]]じゃないと駄目ですよ。
平安時代の日本にも同じ元号がある。ついでに唐代だと元和も。
上元は唐代にふたつあるとか…いや
元号も途中で気がついたら直すんだけど、新規で書いてるときは忘れてるんだよね。すまん。
そういや戻太子だけ姓名が項目名になってないな
うゆ?「秦始皇本紀」は「秦始皇本紀」で正しいよな?
うん、秦始皇本紀だね。
どっちが正しいという問題ではないような…。
『史記』の太史公自序や『漢書』の司馬遷伝じゃ「始皇本紀第六」だからさ。
どっちにせよ。「秦始皇本紀」→「始皇本紀」にする必然性は無いよね
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 21:18:23 ID:ips7jZpmO
どこでの話?
[[始皇帝]]
もう戻ってる
後漢初〜三国の人物名の「ピンイン」がことごとくピンインでない。声調が示されていない
直そうにも数が多過ぎる
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 02:08:23 ID:EiexKfjEO
てかピンインていらんだろ
直してくれるんならありがたいけどピンインってUnicodeに入ってたっけ。
ユニコード打ち込まなくてもどこかからコピペすればいいよ。声調を数字化する手もあるが流石に見栄えは悪い
中国語話すでもなしピンインには賛成しないが、百歩譲ってピンイン付けるとして正しく表記しないと意味がない
そもそもピンインの機能を把握してたら普通のローマ字使おうとは考えないはずで・・・
直そうとしたけどあんまり多いから2、3個で諦めた
ピンインは、作成者に責任がありますので、私が直します。一気には無理ですが、1日5,6個、余裕があればもう少しのペースでいけば、何とかなりますが。
瑕だらけの大量投下は御免被る
例えば「王」は大抵の漢和辞典にwang2・wang4を区別する基準が載ってるはずだが
人名にもたまに使う「玩」は辞典によってwan2・wan4とあるだけで区別の基準がなかったり、wan2しかなかったりする
市販の辞典をみても判断できない状態で俺達シロウトが「玩」はwan2だと断定できるか?
大漢和で全部判るか知らんが、そういう調べものの労力はまず本文をちゃんと書く事に向けるべきだろう
見る人にとって大して使い道のなさそうなピンインを、誤るリスクを犯して敢えて付ける事にはやはり賛成できない
[[趙紫陽]]とかも、ピンインと言いながら声調付いてないですな。
中国人の人名の表記は、Wikipediaでは統一されてないのか。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 21:09:57 ID:EiexKfjEO
近現代中国人にピンインは必要かもしれんが、古代・中世の人物には必要とは思えないな
無きゃ無いでいいんだけど、一応中国史上の人物だから現代中国語の発音も併記したほうが便利かもね。
外人と話すときは殆どの場合ピンイン読みになるんだし。
>>222 利用者ページに修正した項目と修正内容のリスト掲載したら?
そうすれば
>>223みたいなことを言われずに済むと思われ。
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/15(火) 23:31:57 ID:Pl3AQJQh0
まずアカウント取れ
ぶっちゃけ不味いことやってもその方がお互い追いやすい
正直、ここで後始末をちゃんとするかどうかがルーツ君との分かれ道
記事とは全然関係ないが「王」って名詞と動詞とで中国語の発音がちょっと違うんだな
辞典も読んでみるもんだ
>>229 とりあえず、ピンイン表記をどうするか合意ができないと、これ以上何もできないでしょう。
しっかり声調符号つけるか、いっそのこと無くすか、このまま放って置くか。
そもそも、このスレで議論して決定して良い事かどうか。
あなたの言うとおり全部声調符号つけて直した結果、ピンインいらない、ということになったら、それこそ無駄な労力。
確かにその通り
ただWikipedia上でピンインの要否を議論するとして、ピンインを排除する積極的な理由はたぶん無いから
とりあえず今ある分は直して残す事になるだろう。だからこそ書きたい人はちゃんと書けって話
日本語版だからピンインなんて不要って意見は思ったより多そう
CCTVのニュース観たが福田康夫をフクダヤスオとは発音してないし
中国人は信長・秀吉・家康をノブナガ・ヒデヨシ・イエヤスとは多分読まない
漢字文化圏の人間は漢字で表記される事物ならどこの国のモノだろうと
自分らの読み方で済ませるんじゃないの?(わずかな例と推測をここまで一般化できるか知らんが)
ということで日本語の文章にピンインは要らないと思うが、正しく書かれたものを消す理由は無いし
ウィ気ぺで議論すれば
>>232みたいな落とし所になるでしょう
ごめん、京城とか平壌とか盧武鉉とか一般化は見事に失敗した
>>235 結局慣習の問題というに尽きる。
ミハエルってドイツ人を英語ではマイケルと読んだりするわけだから。
日本での中文の読み方に付いては、
近代以前の人物・地名は音読み
近現代のものは中国語(に近い)読み
ということになってる。
ので、中英板で扱う範囲ではピンインは必要ではないことになるけれど、
まあ一律削除するほどでもない。
>>232の言う通り、「書きたい人が書く。ただし、書くならちゃんと書く」
になるんじゃないかな
[[楊タン]]
うわっ、またルーツ君がやってるわ。
楊タンと楊政道(楊正道)の事蹟をごっちゃにしてるデタラメぶり。
後で直そ。
[[楊タン]]全面修正。
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 01:16:41 ID:Vdfao+op0
乙
秦漢ばかり汚してるイメージがあったがそうでもないんだなあ
[[楊堅]]#楊堅の死について
かなり変な記述だったので、[[独孤皇后]]を立てるついでに直した。
「とんだ喰わせ物だった」なんて表現、百科事典でするかよ全く。
最近のルーツ君
利用者名: 219.126.163.217
利用者名: 219.126.160.112
利用者名: 219.126.164.34
日本史方面でご活躍の模様。
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 01:58:56 ID:HzwJiL9g0
閻宇と閻晏の血縁関係ってなんだ?
出典となるものがなんかあった?
単なる推測なら「当然触れてもいいはず」ではないだろ、Wikiでは
削除されてしかるべき大量投稿があったのは事実だが、閻晏もそれに該当するかどうかはまた別問題じゃないか
>あるいはこれも他サイトからの転載か
要出典
極めて怪しいのは俺も認めるが、どこの転載か明らかにしない限り言うべきではない
ベースになっているだけなら削除理由にはならん。
要するにこやつは自分が言ったことを撤回するのがどうしても嫌なんだな。
場外乱闘を誘発するようなのはちょっと勘弁して欲しい
アカデミック(笑)な話をする上で編集した当人と議論になるのは
まあいいか(むしろ推奨か)と思うけど
削除関係はここの意見が通らない方が多いだろ?
補足
ここの意見の方が理に適っていてもあっちのルールとかのせいで
通らない方が多いって意味ね
大量転載者の投稿なんてもんは後から書く人のこと考えて
「安全に倒す」とか言って全部一掃するのが普通だよ
俺も普段ならあの程度の類似なら存続の方に入れる
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 03:07:13 ID:HzwJiL9g0
全削除に意見変えといた
発展性のない記事を理由に
あと血縁関係の件について出典聞いた。楽しみだ
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 03:09:39 ID:HzwJiL9g0
あと[[廃帝弁]]と[[戻太子]]の件について意見くれよう
>>248 意見確認しといたよ
血縁関係はネットのデマ信じちゃったっぽいから逃げといたw
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 04:43:47 ID:ioj2m4LKO
中国最強の武将は誰?
ここで聞く話じゃないな
ラーメンマンとでも答えとくか
Kangoshiyouichiってかなり厨だな。
孔明の罠には誰も勝てない
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/22(火) 22:33:58 ID:jbCknbZc0
なんで[[來歙]]なんだ?
「来」でよくないか?
>>258 原文が「來歙」だからじゃないか?
「來」が特殊文字なら「来」に変更を要するけど、普通に表示できるので問題ないかと。
単に新旧字体の違いだけで普通に新字体使えばいいんじゃない
それ、自分の単語登録もそうなんだけど、たまに旧字体のまま登録したヤツもあったり
旧字のほうがかっこいいとか、そんな理由で…
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 18:17:06 ID:PES2kEJkO
項目名は原則常用漢字じゃなかった?文字が使えるかどうかじゃなくて
代替文字になっている例と言えば、キク義が「麹義」になってるのがありますな。
これは、正確な漢字の方が特殊文字だから、仕方ないんでしょうけど。
>>262 [[Wikipedia:記事名の付け方]]
常用漢字が基本
>>264 固有名詞は例外ただし、技術的に問題がある機種依存文字では無い事が条件
では、無理に新字体に交換させることは無いですな。
原文にすら存在しない名を使っているなら、話は別として。
そういえば[[朱コ]]は、機種依存文字のままで良いんでしょうか?
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 22:06:14 ID:kZ+gvp440
>>265 固有名詞が例外というソース見つからんのだけど
来敏のところで御先祖様だけ「來」歙なのも何だかなあ
来敏の項目自体が何だかなあって感じだけどね
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/24(木) 00:56:33 ID:/q5xK0ABO
厳とか国とか来とかわざわざ旧字体にする必要ない
つうか他の項目名と合わせ見ると浮いてる
[[Wikipedia:記事名の付け方#漢字を適切に使うこと]]
漢字の字体が複数ある場合には、常用漢字表にある字体を使うことが原則です。
正式名称あるいは慣例で常用漢字外の字が用いられる場合、JIS X 0208にある文字であれば使用しても構いません。
[[Wikipedia:記事名の付け方#人名]]
日本人の名前にはペンネームなどに特殊記号やアルファベットなどを用いているものがあるが、これらはそのまま表記し、カタカナ化などはしない。
例: 「藤子・F・不二雄」は「藤子エフ不二雄」とする必要はない。
JIS X 0208にない漢字は記事名として用いず、読み方に即したひらがな、またはカタカナを使用する(言い換えれば、一般に機種依存文字に区分される漢字は用いない。Windowsで表示可能でも、他のOS、一部のブラウザで表示できない場合があるため)。
例: 「草なぎ剛」
『中国人、韓国人などで名前の表記が通常漢字である場合 』
原則として漢字名を使用する。日本人の名前と同様に扱う。機種依存文字に区分される漢字の扱いも日本人に準ずる。
例: 「魯迅」、「トウ小平」、「李承ヨプ (野球)」
常用漢字を原則とはしているが、=常用漢字外の利用を禁じている訳ではない。事実上制約を課しているのは「JIS X 0208」の方。
記事名に旧字体を使うのは[[柳田國男]]とか渡邊みたいに「現代日本語文献においても」「あえて」「特別に」旧字体で表記される記事名だけについてだよ。
特別な理由がない限りは常用漢字を使うの。
[[悪来]]・[[渡辺綱]]・[[歌川国芳]]と全部新字体でしょ。全部旧字体にしていったら訳わからんことになるよ。
というか、現代の日本語文献でこれらを書くときに旧字体にする?しないよね。ウィキペディアのルールより現代日本の慣習が優先。
完全な間違いや機種依存文字なら問題外として、杓子定規に新字体に直させるのもいかがなものか。
むしろ旧字体であるべきという人も結構いるぞ。特に学界や旧世代の人なんかは。
取り敢えず、ここで決着付けようとしてはいけない。wikipedia全体で論じるべき大きな議題だろう。
勿論ここで決着させるべき話じゃないと思うが、あっちで議論するとしても
ほとんどの項目名が新字体になってるという既成事実は尊重されるべきはず
旧字体に統一するとなれば項目名も文中の語句も総入れ替えしないといけないが
それは流石に非現実的だろう。
>>273もそこまで言う趣旨じゃないだろうけどね
旧世代の人で思い出すのはたまたま読んだ独文科のセンセイの紀要論文が
全篇旧字体・旧かな遣いで『舞姫』読まされてるような気分になった事だな
古に倣う事を徹底するならそこまで行ってしまうが、それはさらに非現実的だ
275 :
273:2008/01/24(木) 18:25:14 ID:cg5ZEHjRO
念のためだけど、旧字体に統一しろと言ってるわけじゃない。あくまで、余りにも常識外れじゃない限り、書き手の判断に任せれば良いということ。
あとは、せめて一記事の中では統一すること。リンク先が別字体でもコマンドで対処できる。
そもそも常用漢字が少なすぎるから議論になっているのだが。
一般に使われている漢字でも旧字体云々以前に常用漢字になっていない字もある。
実際に都道府県の名称ですら常用漢字外があるからそれらを追加しろという話になっている。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/24(木) 19:42:39 ID:/q5xK0ABO
項目名はリンクや検索する時にも関係するし、重複とかにならないようにするためにも、原則は定めるべきだ
どっちでもいいって悠長なこと言ってる話じゃないって
>>277 本気で重複をどうにかしたいなら、まずWikipediaで議論の場を作ってこいよ。順番が逆だろ?
このスレの住人間ですら意思統一できてないし、仮に統一できたところで、下手な真似したら、こちらがWikipediaで荒らし扱いされるだけだって。
何で「書き手の判断」とかなるかね。特別な理由が無い限りは新字体で統一だよ。
旧字体にした時のメリット
?
デメリット
読み手に分かりにくい。
ほかの記事からリンクがめんどくさい。
検索の時にわかりづらい
統一性がなくて美しくない
何か旧字体にしなければならない理由があるか?
>>278 Wikipedia全体で明らかに「特に理由が無い限りは新字体」って統一されてるだろ。
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/24(木) 21:13:29 ID:SBqFkdhs0
>>279 旧字体のメリット
中二病的に考えてカッコいい
学術論文等で旧字体で統一するのとは訳が違う
大体、一部の文字しか旧字体にできないんだから・・・
>>279-280 そんなに自分の言い分に正当性があると思うなら、そのまま自分の権限で修正かければいいだけのことだろ。
IPユーザーなら、アカウントユーザーに依頼すればいい。
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 18:07:46 ID:k6VLQePhO
夏侯湛にエラいことが書いてあるな
えっ、同姓婚?
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/25(金) 20:45:00 ID:k6VLQePhO
司馬師の妻の夏侯徽と羊徽瑜を混同してるのかな
夏侯湛は羊徽瑜の甥みたいだから
同姓(近親)なんだから両親じゃないってわかりそうなものだけど
夏侯氏どうしの同姓婚なんて考えられない。
『三国志』魏書諸夏侯曹伝の注に引く『世語』に「(夏侯)荘は晋の景陽皇后の姉の夫」とあるが、
この景陽皇后は司馬師の羊夫人のこと。夏侯湛の母親は羊夫人の姉だよ。
記事の筆者は司馬師の夏侯夫人(景懐夏侯皇后)と羊夫人(景献羊皇后)を混同してるんだと思う。
『三国志』魏書辛毘楊阜高堂隆伝の注に引く『世語』で、夏侯湛が羊耽の外孫とされていることからも傍証できる。
[[微子啓]]
「『史記』では諱が開になっているが、これは前漢の劉啓(景帝)を避諱したものである。」
『史記』殷本紀を見たんだが、「微子啓」になっているようなんだが、これは俺の目の錯覚なのか?
>>287 自己レスだがすまん。宋微子世家で微子開なんだな。いらんことゆうた。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/28(月) 01:22:55 ID:rjWKGxtuO
避諱が不徹底なんて史記ではよくあること
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/30(水) 01:18:44 ID:AazUjb+q0
[[呉 (春秋)]]
呉や越が中原諸国を圧倒できた理由に製鉄技術があったといわれる。
当時の中原諸国の製鉄技術は低く悪金と呼ばれ、農具などには使われていたものの武器に使える強度ではなかった。
しかし、呉越地方では鉄製の剣や矛が作られ大きな威力を発揮したという。
闔閭の墓にはそういった名剣が三千本も埋葬されたといわれていて、秦の始皇帝が探させたが見つからなかった。
鉄剣なの?青銅剣じゃなく?
俺は詳しくないので誰か説明頼む。
青銅でいいんじゃないの?勾践剣ひとつ取っても青銅なんだし
ジュラルミンだろうが真鍮だろうがテツと呼ぶような
金属の種類に頓着しない人が書いたのかも知れないな
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/30(水) 12:12:23 ID:l9wqiArOO
一応呉や越が製鉄の先進地ではあったみたいだけど、いまいちソースが分からないな
それと始皇帝うんぬんも出典が分からない
「再筆」みたいなコメントしてる奴が製鉄の話を足したと思い込んでたが
初版の段階から書いてあった。金属の種類に無頓着ということはないはずだし言葉が過ぎました・・・
ただ根拠は示されて然るべきかと
昔読んだ陳氏の「中国の歴史」に
呉越のほうには鉄剣も有った、とか
鍛鉄法じゃなくて鋳鉄法だからオリエントから伝わったんじゃない、とか
そんなことが書いてあった気がするな。
探せばちゃんとした出展が有るんだろうか。
消しました。
自分でも何でこんなこと書いたか解らない・・・スマソ。昔に書いた記事はこういうのがいっぱいありそうで怖い。
一回見直さないと。
とりあえず手元にある陳舜臣の「中国の歴史」に書いてあること。
「この地方(呉越)に、これまで悪金と呼ばれていた鉄を、鋼鉄に鍛える技術が開発された」として
『呉越春秋』に、この時代の鉄剣を鍛えた名匠の名が挙げられている、としている(欧治子、干将)
始皇帝が名剣欲しさに呉王闔閭の墓を掘った逸話も紹介されてる。
ただし出典は明記されてない。探せば元ネタは見つかると思う。
史記の「范雎伝」に有る、秦の昭王が「楚の鉄剣は利にして」と言った、いう記述を紹介して
楚の製鉄技術が優れていた、秦がそれを恐れていたとしてる。
「呉越春秋」などに見られる「眉間尺」のエピソードを解説して
剣に現れた亀裂模様や水波模様は鋼鉄剣だから現れたんだろう、と推測
あ、別にこれがソースになるとかいう話じゃなくて、
出典探しの役に立たないかと思っただけだから。
えーと、俺が言う話じゃないかもシレンが。
当時は青銅のことを鉄と言っていたという話が確かあったと思う。
的廬のところで、演義で劉備がホウ統に譲った白馬が的廬だった可能性があるとか書いてた
創作作品のウラ設定まで想像して記事に書いてしまうのもアレだが
その前に「額に白い模様のある白馬」がありうるのか想像すべきだと思ったよ
それ以前にその出典が知りたい
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/04(月) 12:14:11 ID:ZDK4WmlRO
献帝の妻子の内容が密かにルーツ節だった件
・太子バクが「山陽公」になってるのはおかしい
・バクが庶長子という出典不明
・後継ぎがバクの子という出典ry
・子の母親の出ry
後漢書献帝紀にはないと思うんだけど、出典ある?
ここでは叩かれっぱなしのルーツも余所では擁護される事があるんだよね。驚いたよ
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 00:18:56 ID:hYpAYpGA0
ゆうべの日本史スレの話なんだが直に擁護した訳じゃないし、まあ大した話でもない
あっちでルーツが一次史料をちゃんと使わない事を批判してみたら
一次史料を使うのは独自研究だからNGだとさ。流石に誰も同意しない
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/05(火) 00:44:48 ID:hYpAYpGA0
そんなこと言われたら前漢の記事なんか書けねえよ
そんな面白擁護はルーツ本人に違いない、とまでは言わないでおこう
まあ、なんだ
おまいらも見えない敵と戦いすぎて
Lemみたいにならんよう気をつけろよ
でも誤記事がある以上、見えていないわけじゃない。
…Lemってなんじゃ?
ここがヲチスレに成るのは嫌だが、かといって蛇口を開けっ放しにしておいて床の水を拭いてもしょうがないからな。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 01:31:35 ID:YEZkOCxb0
Lemっておかしい人なのか
まあ完全にスレ違いだからこれ以上言わないけど
久しぶりに世界史板いったら東晋スレがまだ生き残ってたw
[[中山成公]]とか立てる必要がある項目なのかねえ?
全く無いだろう。もう少し内容が書けるならともかくな。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 00:41:21 ID:O5nRwV/0O
「書きかけ」と「これ以上書きようがない」のは違うよな
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 01:38:48 ID:In9B/AwH0
三国志系の記事が多いのは脇に置くとして、
中国史全体だと、今はどの時代の記事が不足気味なのかな。
人物カテゴリの数が目安になる
夏殷周の人物:37人
春秋戦国時代の人物:214人
秦代の人物:62人
漢代の人物:312人
魏晋南北朝時代の人物:166人
隋代の人物:43人
唐代の人物:217人
五代十国の人物:22人
宋代の人物:91人
金代の人物:22人
元代の人物:51人
明代の人物:105人
清朝の人物:195人
中華民国の人物:106人
(備考)三国志の登場人物:867人
皇帝のサブカテゴリだけに入ってる人物とかは数えてないから概算になる
しかし三国志がザコキャラで肥大してる一方で宋〜元が二ケタに留まるってのは寂しいな
やはり三国時代が突出してるのは確かだけど、
その他の時代は意外にバランスいいなと思った。
元と五代十国はもう少し増やせるだろうと思うけど。
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 20:53:14 ID:O5nRwV/0O
義経チンギスに出没するアレがみえみえの複ハンでワロタ
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 22:12:30 ID:wc2aOCO80
ノート:義経=ジンギスカン説2008年2月10日義経=ジンギスカン説について反対者の意見ばかり多くて困っています。
歴史に詳しい方でこの説を信じている方、コメントをよろしくお願いします。
また、削除依頼もします。義経=ジンギスカン説のジンギスカンの系譜情報で系譜が判明したなどと言う記事は妥当ではありません。世界の常識ではありません。
おじいさんの名前があっているというだけで、以前として謎が多く、ウイグル族の「口伝」であるため検証できません。世界の学会では系譜が判明したなどという事実はありません。
集史と元朝 秘史では内容がかなりちがいます。「攣?氏が単于および主要な地位を独占し」など言う記事はジンギスカンが登場する何百年も前に消滅して おり、検証できません。
捏造してまで否定に走っております。
Wikiはお前さんの自説を正統化する場所じゃねえんだ。チラシの裏にry
コメント依頼見た。歴史に詳しい人間を無作為に呼び集めたら、
「義経=ジンギスカン説」を支持する意見が書かれることはないと思うんだが、
KYにもほどがあるな。
そういうのに血道を上げている人もいるんだな…
それにしても、こういう話で、なんで王になったとかジンギスカンになったとか
権力方向なんだろうね。
ひっそり庶民として暮らしたとか、もっともありそうな話にならないのはなぜだろう…w
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 12:55:48 ID:xdTku6MQ0
そもそもWikiは百科事典であり、「義経=ジンギスカン説」を紹介する場にはなっても、「義経=ジンギスカン説」を肯定する場ではない。
現在、学会から一般人まで、「義経=ジンギスカン説」がいいとこ与太話として扱われている以上、Wikiでも結論としては「与太話として有名である」という内容にならざるを得ない。
アイツはそこをまず誤解というか理解していない。
さらに、「歴史に詳しい方でこの説を信じている方」が数多くいると思っているあたり、そもそも自分の立ち位置から分かっていない。
そのくせ、複ハン使って複数に見せかけるなど、いやらしい知恵ばかり付いていて好感も持てない。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 13:00:59 ID:BfslPF/RO
すげえウケたwww
こんな奴いるんだwwwwww
>>321 戻太子の孫が宦官に保護されてたとか、柴氏の子孫が水滸の好漢だったとか、呉越王銭氏が降伏後に趙普に賄賂贈ってたとか、そんな話大好き。
義経=ジンギスカンより丹波哲郎=献帝の末裔の方がまだ可能性あるわな
それにしても援軍呼ぶつもりでフクロ叩きされてるのが笑えるが
ああいう奴がリアル社会で何か起こさないかちょっと心配ではある
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 14:07:28 ID:BfslPF/RO
はぁ、やっと今ノート見てきた。
なんか、彼はかなり残念な感性の持ち主なんだなぁ、と。
はじめは笑えたんだけど、
>>325じゃないが、なんだか心配になってきてしまったよ。
>>324 柴氏の子孫のとこだけは聞捨てにできん!!wwwwww
どこのどいつだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
本との出会いってあるよね。オレはそれが陳氏の『中国の歴史』だったんだよな。
これで歴史の面白さと、歴史を科学的に考えることを教えてもらった。
義経=ジンギスカンの人はその本と出合ってしまってそれをそのまま信じてしまったんだなぁと思うとかなりかわいそうな気がする。
ザコばっかりだと思うが「演義だけの架空の人物」にされてるメンツが
本当に架空の人物か調べてみてもいいかも知れない
曹全碑の李儒と三国志の李儒を同一人物として扱っても大丈夫なものかね
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 21:18:02 ID:gF1bbZojO
同一人物だとしたら
博士→郎中令→博士→侍中
という少々不自然な官歴になるんだよな
また蒸し返すのそれ。うるさい人が来るよ。
李儒のネタならこの頃厨質問でループしてる○ポ板に振れば
玄人好みの燃料になるんじゃないか
記事検索で1件しか出なかったし管理人氏に既出だとキレられる事もないだろう
[[司馬亮]]
冒頭にゴミが・・・w
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 22:58:48 ID:y8DTyAv60
>>334 >アニメ『超獣機神ダンクーガ』の登場人物。
事実だからなあ
[[司馬亮 (晋)]]
[[司馬亮 (ダンクーガ)]]
とかなるよりは今のほうがマシなんじゃね?
ワロス
軽い悪夢だなw
[呉 (春秋)]
成立が前585年頃になってるけど、なんで?
>>327 聞き捨てならんもなにもそういう設定のキャラが水滸伝に出てくるってだけの話。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 22:54:00 ID:WIwZB4mF0
>彼の出生の場合はいろいろな説がある。
>『史記』の「楚世家」では、幽王悍と哀王猶の妾腹の長兄とされる。
>その一方、同じ『史記』「春申君伝」では、父の考烈王はなかなか嗣子が儲けられず、これを案じた春申君(黄歇)が自分の食客である李園の妹を選んだ。
>既に春申君の子を身籠った彼女は、そのまま考烈王の妃となり、間もなく公子悍(幽王)を産んだと記されている。
>だが、この話はどうも呂不韋が始皇帝の実父説と同様にあまりにも信憑性が欠ける話であり、多くの史家が幽王の実父が春申君説を否定しているという。
>となると考烈王は若い頃に既に負芻という公子を儲けているのである。
>ただ負芻の生母は下賎出身ということは考慮できると思われる。
>これが『史記』での矛盾の課題が問われる所以であると思われる。
見てくれよ。こいつをどう思う?
ルーツ君ってピラセ儲だったん?
>>338 それは、「柴氏の子孫が水滸の好漢」ではなく
「水滸の好漢の柴進は後周柴氏の子孫という設定である」
じゃないのかね?
342 :
338:2008/02/18(月) 23:31:12 ID:srDZACRY0
>>341 321はそういう風に言ってるんじゃないの?
少し文はおかしいが。
ちなみに俺は321じゃないよ。
>>342 そうなの?柴栄の項目見ても、そういう一文を見とれなかったから
どこかに、そんなこと書いてる他の項目があるのかと思った。
柴進のとこでは、「設定」になってるから、別段まともなんだけどね。
本当に平勢説をじかに参照しながら書いたのか?原泰久あたりかも知れんよ
>>344 あの漫画にはそんな話(まだ)出てきてないぞ。
キングダムより前にもいろいろ描いてたんじゃないかね
描いてたが、そんな話は描いてないだろ。
というか、漫画で史記の矛盾がどうのとか小難しい話しないだろ。
キングダムに最近出てきた昌平君って楚の公子ってことになってるんだな。
負芻直してて初めて知った。
349 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 01:54:45 ID:AIMnwPKc0
楚王負芻が処刑されたというのはどこに書いてあるんだ?わからんのだが
虜にされた→処刑されたに違いない(脳内ソース)
あと、些事だが下のほうで「負芻は負芻は」とダブってるので・・・
東周列國志って、安能務の春秋戦国志の元ネタ?
とすると、春秋戦国志がソースの可能性もあるな。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 23:02:26 ID:qRf2aHQZ0
そのカブルカンの裏付け資料は?他の資料と合いますか?具体的な日付は?同一人物でない可能性はありませんか?
いつ生まれい死んだか、特定の出来ないものは信用できません。歴史学の基本です。
歴史学の一派ですが、宮本武蔵は実在の人物でないと言う説があります。佐々木小次郎はまったくその存在が正体不明です。ですからバガボンドでは聾唖者になっています。
風林火山の山本勘助でさえ、二十数年前は実物の人物かどうか特定されませんでした。弁慶もそうです。
シーボルトが明治時代確認したときに、元朝秘史も集史もジンギスカンの上に系図が存在しないというものがありました。
これが本当だとすると、現在のジンギスカンの先祖の系図は人為的にあとから創作されたか、歴史学者らで伝承を基本に捏造したのではないかという推論がなりたちます。
これは現在確認中ですが、いずれにせよ、小説「蒼き狼」の誕生秘話もそのあとの欧州のジンギスカンの学問もこの義経=ジンギスカン説が下地にありますし、この説はアポロ計画陰謀論などを参考にボリュウムのある、サイトに仕上げすることを提案します。
何しろ、歴史ある説なんですから。
きたあああああ
ここでアポロ計画陰謀論が来るとは思わなかった…
その義経=ジンギスカン説の裏付け資料は?他の資料と合いますか?具体的な日付は?同一人物でない可能性はありませんか?
すげえイカレっぷりwwwwwww
クソワロタ
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 00:09:54 ID:2nsu9Y5f0
こ、この人ヤバイな・・・
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 12:09:43 ID:+Wm1ZwV8O
この人の結論は「義経=ジンギスカンは佐々木小次郎が聾であるように真実なのである」でおk?
史書において英雄の系譜が捏造されるというのはしごく当たり前のことなんだけどね。
その人の場合「系譜不明=チンギスが義経だから」にしたい下心があからさますぎw
[負芻]見て思ったんだけど、楚の王室の姓はビとして、熊が氏なの?
蛮族の楚に姓とか氏とかいう概念は無かったんだよ。きっと。
と適当なことを言ってみる。
>>360 何に問題があるのかよくわからないのだが。
もう少し詳しく。
上代の楚王はみんな「熊○」っていう名前だけど、これは「熊(氏)+○(名)」じゃなくて「熊○(名)」じゃねえのかよ?
熊氏じゃねえんじゃねえのか?
ってことでは?
どちらかは確定不能だろう。一族に共通する文字として熊があったのは間違いないだろうが。
だから熊を氏と安易に断言するのも問題があるな。
[[ノート:義経=ジンギスカン説]]
>復活のシャア 2008年2月22日 (金) 00:28 (UTC)勝手にどうぞ。知らん。
さんざんデタラメやっておいて反省もせずにこれか。マジでこいつが社会に出たときに犯罪を起こさないか心配だな。
>>365 そいつは子供なん?(子供=ハタチ以前)
まぁ、なんというか。子供なら、最初の挫折(おおげさだけどよ)かもしらんし、
その辺、生暖かくみまもっておくのがいいのじゃなかろうか。
ハタチすぎて、多くの社会人とすごしていてソレならアレだけどwwwwwwww
ヘタすりゃ自宅警備予備員かも。
>>366 [[Wikipedia:児童・生徒の方々へ]]
ウィキペディアは、利用者(ウィキペディアの編集に参加しているひと)の年令を確かめていません。
子どもからお年寄りまで立場としては平等であり、子どもであってもご参加いただけます。
しかしこれは、別の言い方をすれば、子どもであっても特別あつかいをしない、ということです。
失敗したときに、「まだ子どもなのだから(許して)」という言いわけは通じません。
子どもの利用者は、書きこんだ内容の正確さ、合意の形成(話し合い)での態度など、すべての場面で、
大人と同じ一人前の人間としてあつかわれ、一人前の人間として受け答えすることが求められます。
コテハン氏に倫直→綸直の改名作業お願いしていいっすか・・・
移動依頼を使いなされ
>>368 アカウント名乗ればいいと思うよ
IPで個性の強い編集しまくりってのもルーツ君並みに悪目立ちするし
>カブル・カン→バルタン・バアトル→イェスゲイ・バアトル→テムジン
これだけでテムジンの先祖を決められないでしょう。
生まれた年もわからない、死んだ年もわからない。本当に存在したかどうかもわからない。肝心なジンギスカンに関しても生年だけでも最大10年以上のひらきがある。こういうものを信用するわけにはいきません。
あなた方はご存じないかもしれないが、一般にはあまり系譜を信用しているひとはいない。あなた方が正しいと吹き込んでいるだけだ。
本来であれば系譜の生年、没年、誰と結婚し、何をやったか。これが全部わからなければいけない。
根本的に系譜を信用してないのと、歴史学者を信用してませんから。Haydar 氏は歴史学者ですか?そのわりには知識が偏ってますが。
それに物には裏づけの資料というものが必要なはずです。それが一切使用されていない。
本当に実在したかどうか定かではないものを、いかにも実在したかのようなやりかたは反対であると重ねて言わせていただく。
それでも通じないのであればご勝手にどうぞというしかありません。
一部私を侮辱されている方がふたりほどいらっしゃるが、名誉毀損で訴えることを検討してますから、そのつもりで。 ジンギスカンの墳墓から義経だった証拠がそのうち見つかる。
名誉毀損で訴えられるらしいぞ。らりたピンチ(棒
>>証拠がそのうち見つかる
出たらそりゃ、歴史的大事件だわよ。
でも、コヤツも結局「確証」なく、他論を排しているわけでしょ。
自分のことは棚上げとは、どこのたちの悪いにちゃんねらですか?
で、こういうのは名誉毀損になるの?
>本当に実在したかどうか定かではないものを、いかにも実在したかのようなやりかた
本文の方を信じるなら「義経が蝦夷地へ行った」までは江戸時代までにはすでに流布していた伝説だったみたいだけど、「義経=ジンギスカン説」は小谷部さんとやらが最初に唱え始めたみたいだよね
同時代や近い時代の証言もないのに「似た言葉がある」「似た図案を使っている」「二人とも背が低くて酒が飲めない」などの理由を付けて実在したかのように吹聴してるのはどちらなのかと
3人の王匡(更始、新、河内太守)で、一番知名度が高いのは、誰でしょうね?
個人的に、[[王匡]]で河内太守王匡に飛ぶのが、何か納得いきません。
ここで書いても誰もうごかんぞ
残念ながら後漢末の王匡がいちばん知名度が高い罠。
ググってみれば分かる。
歴史的重要度では違うんだろうけどね。
知名度云々を持ち出した
>>375の負けだなw
三人とも独立の伝がない人物だし、曖昧さ回避でいいんじゃね?
頑張ってくれ。
誰に対して名が知られてるかってことだよね。
ウィキペで王匡を検索してる人がどの王匡を目当てにしてるか考えれば答えは自ずと出てくる。
重要度という点では大差なかろ。平等な曖昧回避にするほうがいい。
[[劉玄]]はさすがに・・・
だね・・・。というか2番の劉玄ってこれ見て始めて知ったよ。
[[劉岱 (東莱)]]
正史と演義が混在してワケワカラン
字は「公山」なのは[[劉岱 (東莱)]]、[[劉岱 (小沛)]]、どっちだっけ?
どっちも「公山」になってんだけど。
もしかして同姓同名同字?
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 23:37:25 ID:sFkEqi1UO
そのはず
>>385 そうだよ。だから出身地で分けてるんだ。
>実のところ、集史は20数年前に国立図書館で読んだきりですが
・・・これ本当なら年いくつなんだ?
復活のシャア君が変な外部リンク引っ張ってきてるけど、
ttp://www.coldsiberia.org/ancestry.htm Legendary ancestorsなのは蒼き狼(Borte Cinoa)と淡紅色の牝鹿(Quua Maral)だけで、
バタチカン以下はTraditional ancestors扱いしてるじゃないの。
チンギスの両親はイェスゲイとホエルンだって書いてるし。
英語全く読めないのかな?かれは。
嘘に決まってるジャン。単にそういってハッタリつけてるだけだよ。
というかGreenland4さんも相手すんなよ。
集史読んだとか言ってるのは、シャア君の「モンゴル史、世界史に詳しい知人、友人」だろ。
引用部とシャア君の意見が混在してよく分からないけど。
シャア君が集史読んでたら、あんな醜態さらすわけがない。
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 12:29:19 ID:hFw3D5IaO
彼がマジで中年だとしたら色々な意味でヤバいな
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 13:06:23 ID:hIUmBaCw0
三国誌・卷七·魏書七・呂布伝
陳寿の原文「呂布有虓虎之勇」
虓(九+虎)、怒り吠えたける野虎の王のごとき
その虓(九+虎)、という漢字は中国史の中に、呂布だけつけていた・・・
5,6年前ぐらいまでは、どっちかって言うと愉快犯とか憂さ晴らしみたいなのが多かったが、
社会にネットが普及しきったせいか、ここ2,3年、ガチンコのキチガイが目立ち始めた気が。
それこそ、ネット以前ならマスコミや近所に電波文を配布して回るようなタイプの。
マジレスすると”虓”は二十四史だけ見てもところどころ出て来る
勇猛さを表わす形容詞になったり、司馬虓など人名にも使う
中央研究院の二十五史検索にかけただけでも101件引っ掛るな
[[ノート:義経=ジンギスカン説]]
普通に考えて、今のモンゴル史の第一人者は杉様だろう。
Greenland4氏は何か勘違いしているようだが、歴史学的記述がどうとかではなくて、復活のシャアが無知でバカだからこいつに記事を触らせんなってだけなんだがな。
どうもシャア君は味方が出来て喜んでるみたいだけど、
Greenland4氏は本質的には「義経=ジンギスカン説は歴史事実としては論外」と考えてるよな
シャア君は「義経=ジンギスカン説は歴史的事実」(少なくとも歴史学的に認められる異説)にしたがってる
今に鼻っ柱折られるんじゃないのか?
浅学の俺に教えてたもれ
>ところが百里奚は宮之奇と共に虞侯に「晋は野蛮の国です。晋は周王室に連なる国家と申しますが、代々北方異民族の?の王女と婚姻関係を結んでる間柄ですぞ。
また献公の父武公は宗家である晋侯緡を惨殺して、分家の分際で宗家を簒奪した問題のある国家ですぞ。
或いは晋自体が周王室の王族化した?そのものかも知れません。
絶対に街道を通過させてはなりませんぞ!」と激しく抗議した。
この台詞の出典教えて。特に?そのものとか何とかのあたり。
東周列国志か安能か横光か・・・にしても稚拙過ぎるな
ところで成年被後見人、昔でいう禁治産者に選挙権が無い理由が
初めて判った気がするぞ
シャア君、2度目のブロック食らう。
>>398 さっそく、Greenland4さんからシャアへ釘。
といっても、ブロックかよw
「晋自体が周王室の王族化した」云々はたぶん宮城谷の「重耳」からかな。
セリフ自体は完全創作と思う。
>>399、
>>403 そもそも小説をソースにしてること自体とんでもねぇが、
かりそめにも百科事典たるウィキペディアの歴史記事に、
小説調のセリフを平気で書き込める感覚は異常だ・・・。
楚漢戦争の時期の人物記事の初版はそんなのばっかだな
あんな地雷が埋まってそうな記事は誰も踏みたくないよ
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 12:05:47 ID:4Iwgl/ueO
雍ガイの「帰れ、帰れ!」とかもうね
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 13:09:00 ID:kyZ4ri680
ルーツ君じゃん・・・>雍ガイの「帰れ、帰れ!」
「帰れ、帰れ!」直してきた。
帰れ、帰れで帰ってくれれば良いだけんだけどねぇ・・・。
そういう奴ほど居座って、帰られると困る人ほどいなくなっちゃうんだよね・・・。
Safkan氏Comeback!!!
[[高翔]]の生年194年のソースって何?
武将ファイルだろw
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:48:02 ID:dfeoNt7sO
もしくは脳内
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 21:24:26 ID:mTGRh+Rx0
あれ本人なのか?ルーツ君を騙って本人を笑いの種にしてるんじゃねえの・・
と思って編集履歴見たらまさしく妄想ぶりがルーツ君そのものだったw
まあネタとして消費され、本人もそれを自覚してやるんならいいんじゃない?
ただ著作権侵害やらかして早速叱られてるよwそこは相変わらずなんだなー
あれ本人なのか?ルーツ君を騙って本人を笑いの種にしてるんじゃねえの・・
と思って編集履歴見たらまさしく妄想ぶりがルーツ君そのものだったw
まあネタとして消費され、本人もそれを自覚してやるんならいいんじゃない?
ただ著作権侵害やらかして早速叱られてるよwそこは相変わらずなんだなー
>>415 それ、
>>1=
>>252=Kangoshiyouichiじゃねぇの?
自分で「ルーツ君」を名乗るようなバカはこいつくらいだろ。
本物だったらWikiからは足を洗ってくれるわけでありがたいことだ
でも違うだろうけどな
戦国方面でも案の定疑義が出されててワラタ
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 21:22:57 ID:U3UG0BJnO
>>420 分かったからパンツぐらい捌けよ。
朝顔の蕾か、唐辛子みたいのが出てるゾ
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 12:32:07 ID:e6JcowAsO
始皇帝って史記には「姓趙氏」って明記されてるのになんでエイ政って言うわけ?趙政とすべきじゃね?
>>422 それって本気で言ってる?それとも釣り?
そのへんはっきりしてね。
史記には周王より秦の地を賜って以降は趙氏の祀りを改めたとあったような。
趙政
史記・始皇本紀の集解
史記・楚世家の本文
エイ政
史記・孝武本紀の索隠
三国志・文帝紀の注が引く魏氏春秋
二十四史の中で趙政もエイ政も2回ずつ、 本文では趙政のみ1回出て来る
さあどうする
何でそうなるんだ??
造父がエイ姓より分家して趙城を貰ったから趙氏になった。
秦の祖は趙氏とは系統が違うけど趙氏が繁栄してたんで、趙氏を名乗った。
そして非子が周孝王に仕えて秦の地を貰って、エイの祭祀を継ぐことになった。
だから間違いなく始皇帝はエイ姓だよ。「史記・始皇本紀の集解」の趙政はその後ろに「又 生 於 趙 , 故 曰 趙 政」(趙で生まれたので趙政)と書いてるだろ。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 18:16:05 ID:e6JcowAsO
史記本文で始皇帝の姓名を連記してるのは楚世家の「趙政」と始皇本紀の過秦論内の「呂政」だけだよ
そして始皇本紀冒頭にはっきり「姓趙氏」と書いてある
それに対する集解の文
「一 曰 秦 與 趙 同 祖 , 以 趙 城 為 榮 , 故 姓 趙 氏」
を読め。
集解じゃなくて索隠だった。
>>421 どうせロクなこと書いてねぇだろと思ったがなw
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 19:06:32 ID:e6JcowAsO
>>428 それがどうかした?
由来がなんであれ始皇帝が「姓趙氏」であることは変わらないじゃん
その「姓趙氏」が誤った記述って主張じゃないかな
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 20:33:56 ID:e6JcowAsO
そんなの史記集解や索隠は言ってないでしょ
エイ姓だったはずの秦王の末裔である政が趙氏と称した理由を推測してるだけじゃないかな
エイ姓だったというのも完全な誤りじゃないし後世とはいえ「エイ政」という表記もあるけど、より近い時代では始皇帝は「趙政」「姓趙氏」と表記されてるのだから、Wikiで黙殺されてるのは不可解と言うしかない
姓はエイなの。
『史記』の時点で既に氏と姓とが混同されていてこんな記述になっているが、秦と趙の祖はエイ「姓」であり、そこから分家したのが趙「氏」なの。
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 20:44:40 ID:e6JcowAsO
それを姓と氏の区別がつかなくなっていたらしい時代の人物に厳密に適用しようとしてもおかしくなるだけだよ
本来の秦王家の姓はエイ
しかし始皇帝は「趙政」と呼ばれていた
その実際に記録(漢代の書ではあるが当時の記録を元にした可能性が高い)に残る「趙政」は無視されて、当時実際にそう呼ばれたかどうかは定かではない「エイ政」だけが記事に記されてるって不思議だよね
何で趙は「可能性が高い」にされて、エイは「定かではない」にされるんだ?
秦は趙氏ではないけど趙氏にあやかってそう名乗ったと「秦本紀」にはっきり記されているのに?意味が解らん。
普通に考えて「秦は『エイ』姓、過去の一時期『趙』を名乗ったこともある。」と解するのが普通だろう。索隠もそう書いている。お前さんの独自研究はイラン。
>>436 「定かではない」と435がいってるのは、姓と氏がはっきり区別されていた始皇帝の時代に、
「えい政」と呼ばれることなんか同時代的には絶対ないのに、姓と氏の区別がわからなくなった後代の
歴史家がわけわかんなくなってそう呼んでしまっていることを問題視したのが、そういう言い方になっただけだ。
436氏含めてわかってない人はとりあえず[[氏 (中国)]]を見てくれ。
とりあえず独自研究などというレベル以前の中国史のごく基礎の問題だから。
438 :
436:2008/03/05(水) 18:23:47 ID:swu90OJn0
それくらいは知ってる。
でも姓がエイであることは変わりないだろう?
本文中に「エイ政とも呼ばれる」とか書いてあってそれを削除しろってんなら解るよ。でも「趙政」とはぜんぜん関係が無いだろ?
仮に趙政と呼ばれていたとしてもそれは姓でもなんでもなくて、単なる呼び名の一つに過ぎない。
当時使われていた呼び名というなら「秦王」が「秦王政」だろう。
「姓はエイ」ということは明らかな事実。当時使われていた呼び名なら「秦王政」。趙政なんて呼び名をいちいち取り上げる必要性は無いだろ。
よくわからんなあ。
秦王政が趙氏であり、「趙政」が「劉邦」と同じような当時使われていたであろう氏名であることは史記始皇本紀や楚世家から明らかじゃないか。
「姓はエイ」を否定するわけではないし、当時の呼称=氏+名が「趙政」であったことを記事に入れ込むのはむしろ当然だと思うんだけど。
始皇本紀の「姓趙氏」は注などで誰も否定してないのに「たんなる呼び名の一つ」と言うのこそ独自研究じゃまいかん
織田信長か平朝臣信長(だったか?)かみたいだな。
ちょっと違うか?
だから、秦は趙氏じゃないっつうの。趙氏は趙国の一族だろ。秦が趙氏にあやかってそう名乗っていたこともあるってだけ。
もし秦が趙氏なら集解で「「又生於趙 , 故曰趙政」なんて書くわけ無いだろ。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 20:21:34 ID:lGNZ3dI4O
秦王の代々の氏は問題にしてないよ。
始皇帝の氏は「趙」だったんだからWikiに書くべきだよね、と言ってるだけだよ。
理由が趙で生まれたからにしろ、秦が趙氏にあやかって趙氏を名乗っていたからにしろ
何で代々の氏が趙じゃないのに、始皇帝だけ趙氏になるんだ。
氏の意味解ってるのか。
よくわからんが、趙にいたときは趙政で、
秦に戻り襲位したときに瀛政、とかいう感じで記述すれば納得するの?
「元々は嬴氏だったが、趙氏を名乗るようになった」という話じゃないのか?
秦王家の姓は嬴(史記秦本紀)
秦王家の氏は趙だった、という説もある(史記始皇本紀注索隠)が不明
秦始皇帝の姓は嬴(同上)
秦始皇帝の氏は趙(史記始皇本紀、楚世家)
始皇帝=趙氏を否定する根拠が分からない。
>>444 君こそわかってないんじゃない?
「以秦昭王四十八年正月生於邯鄲。及生、名為政、姓趙氏。」(史記始皇本紀)
とある。正月に邯鄲で生まれたから名は政(正月)、氏は趙(趙国の生まれ)になった、と史記は明言してるよ。
つまり秦代々の氏は関係ない。始皇帝に付けられた氏が「趙」だったんだよ。
だからー、氏ってのは一代限りで付くようなものじゃない。
[{氏 (中国)]]
>姓が部族、氏が氏族にほぼ相当すると考えてよい。
趙国の一族は始めは趙城に領地を貰ったから趙の氏を名乗り始めたけど、仮にこれが一代限りで終わっていたら趙氏なんて言わない。
姓(部族)から分家し、ある程度の歴史を積み重ねた上で氏(氏族)になるの。
始皇帝が趙政と呼ばれていたからってこの時点では単なる呼び名に過ぎない。
前にも言ったけど、「姓趙氏」と姓なのに氏なんてことを書いていることから解るように司馬遷の時点で姓と氏は混同されていたのでこんな記述になっているだけ。
何度も繰り返してるが索隠言う所の、「一 曰 秦 與 趙 同 祖 , 以 趙 城 為 榮 , 故 姓 趙 氏」、趙城の氏族が栄えていたのでそれにあやかって秦の一族も趙を名乗ったってだけの話。これは氏(氏族)とは言わない。
「姓趙氏」というのは司馬遷(かあるいは原資料)の間違い。そんなことにたいしていちいち百科事典で言及する必要なし。
あと、正月生まれだから政なんて『史記』は書いてない。
それを書いているのは宋忠注釈。
>>449 漢文の読み方として、わざわざ「正月」「邯鄲」と記した上で直後に「名為政」「姓趙氏」としているような場合は、前者と後者を関連付けていると読むものだよ。
つまり司馬遷の記述の意図自体が「正月」→「政」、「邯鄲」→「趙」という関連を述べたものと考えるのが自然。
>>448 その「氏」概念だと、「姓」でも「氏」でもない第3のファミリーネームを表す語が必要だね。
初代だろうが1代で潰れようが、官職でも封邑でも無い字を名の上に付けて呼称・表記したらそれは名前の一部でしょ。
それは歴史が無いから「氏」ではないってのは単なる言葉遊びでしょう、この話題の中では。現に「趙政」って表記されてもいるんだから、これは「劉邦」「項籍」といった氏名と同じように百科事典として基本的な情報の一つだと思うけど。
氏じゃないってんなら別に呼び名でも何でも良いけど、間違いだから百科事典で言及する必要がないってのは乱暴な上に独自研究じゃないかと思うんだが。
だから「官職でも封邑でも無い字を名の上に付けて呼称・表記したらそれは名前の一部」なんてのは単なる呼び名だっていってるんだ。趙政が表記されているからってたった一回出てるだけだろ。
前にも言ったけど当時使われていた呼び名というならば「秦王」か「秦王政」だろう。それ以外のマイナーな呼び名についていちいち言及する意義が何かあるのか?といっている。少なくとも最初の概要の部分で取り上げるような重要事じゃない。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 20:25:44 ID:nVZKNNNUO
絶望した!いつまで経っても張湯の記事を立てないウィキペドやんに絶望した!
10 TS=452
20 PRINT TS
30 PRINT "名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/10(月) 20:25:44 ID:nVZKNNNUO"
40 PRINT "絶望した!いつまで経っても張湯の記事を立てない自分に絶望した!"
50 GOTO 20
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 20:54:11 ID:nVZKNNNUO
べーしっ君乙
皇太子さまは「べーしっ君」の愛読者だったそうな。
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 22:28:30 ID:nVZKNNNUO
皇太子殿下はにちゃんねらに違いないですぜ
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 08:27:50 ID:n6SUhIB3O
一晩たったら独自研究テンプレが付いてたよ
[利用者‐会話:MioUzaki#WP:VERIFY違反について]
なんやこれ?
正史を参考文献に挙げてる記事をMioUzakiが全部直すんなら別にいいけどさ。
テンプレ貼りつけて上から目線で物を言おうとする奴なんて構うだけ無駄
放置しとけばそのうち飽きていなくなるよ
この手の馬鹿は自分の間違いは絶対に認めないからな。相手するだけ無駄。
『秦封泥匯考』・・・
こいつは地雷だと思ってたがダーティボムの類だな
>僭越ながら先ほど参考文献を追加しておきました(本来私の仕事ではないのですが)。海外版しか発見出来ませんでしたのでてぃーえすさんがお持ちの日本語文献を追加して下さいますと有り難いです。
彼のステキ語録だ
百官公卿表下の完訳はこの世に存在しないことは黙っておこう
ネット上で二十四史が読めるご時勢なのにね。
僅かな語句の違いにも厳密な考証を要する研究ならともかく。
検証可能性を担保するために書誌情報は重要ってのも分かるけど、
現状のウィキじゃ正史が出典だと分かるだけかなりマシな部類なわけで、
出典が全く分からん記事群をどうにかするのが先じゃないのかな。
重箱の隅のほうを先に突きたがるやつだぜ。
なんだ、内容をろくろく検証もせずに独自研究タグ貼ったり、参考文献でっちあげたりしてるのか。
[[呉 (十国)]]
南呉なんて表記は本当にあるの?二十五史には無いみたいだし、呉は最初から南にあるのに南呉なんておかしくないか?
MioUzakiはいきなり会話ページを白紙化したな。
これは自分の馬鹿さに気がついて恥じたのか、それとも自分の具合の悪いところを隠蔽しようということか。
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 21:30:47 ID:0VQinhvvO
会話ページ白紙化ってガイドライン的には知らんが、会話相手への信義には反するよな
>>466 聞かないな。
それに十国の呉が都したのは揚州江都府なんだが。
金陵が中心となるのは南唐。
秦封泥匯考(笑)も黙って白紙化すればよろしい
「暇な主婦や無職、厨房、低学歴」による「百科事典風2ちゃんねる」
それが「wikipedia」です。
誰でも編集できる
↓
知性・教養を持った人はwikiに感けていられるほど暇じゃない
↓
程度の低い人間の溜り場と化す
↓
管理者や自警団はたいてい無職・暇人など最下層民
↓
無法地帯
2chや知恵袋と同じ構図です。
一見、百科事典のようであり、検索にも引っかかりやすいため、
あまり賢明でない人は、内容がすべて事実であると錯覚してしまいます。
編集者の程度や内容の信憑性において、
それが2ch並みであることを周知させる必要があります。
ウザ気乙
利用者:MioUzaki「やめた。めんどくせ。」だって…。
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 22:47:46 ID:0VQinhvvO
彼女テンプレ屋始めたばっかりだったんだよね
でも自分ルールだったから批判でまくりんぐ間違えまくりんぐ
→やめたマンドクセ
このスレがミクシあたりで彼女に紹介されてたのかもな
>>470 ほんと、南呉ってしてるね。
《五國故事》《九國志》《十国春秋》あたりでは、ざっと見た感じなかったんだが
なににそう称してるんだろうか。
偽呉とかならあったけどw
自分で自分のブロック依頼出してる・・・
しかも依頼理由が・・・
[[五官中郎将]]
は単なるリダイレクトじゃなくて曹操時代に副丞相となったことを記すべきじゃないかと思うんだ
即時削除にならないように書けるならそれでおけ
[[字]]
Hoistsail (会話 | 投稿記録) (「優先」順序はないっすよ。もしそうなら「諸葛武侯」以外呼んじゃいけないことになりますな。)
呼んじゃいけないなんて誰も言ってない。無礼だと言ってるのだ。新聞で「福田総理」と書いて「福田康夫」と書かないのと同じだ。
>>448 氏は一代限りで付くようなものじゃないどころか、一人の人間の一生の内ですらコロコロと変わる
分かり易い例が商君の変法で有名な法家の鬼、商鞅
彼は元々衛の公室出身なので姓は姫で、これは一生の間に変わったという記述なし
しかし氏は公孫鞅→衛鞅→商鞅と氏は一生の間で3度も変化している
何でいまさら蒸し返すかなと思うが。商鞅・衛鞅はその時点では単なる呼び名だ。商鞅の氏は公孫。わからんやつだな。
>>483 だから氏ってのは戦国時代はそのようにただの呼び名なんだよ
わからん奴だな
一族名を表す不動の姓があるから氏はコロコロ変わるものだったし変わって問題なかったんだよ
封邑を氏にしたり、主君から氏を貰ったりしてどんどん変わったりするもんなんだよ
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 21:22:18 ID:oawQGItg0
氏への認識が全く違いすぎてて話になってないな
483の独自研究によれば姓と氏の他に「単なる呼び名」という範疇の呼称があったということだが、482は「単なる呼び名」も氏の一部と捉えているわけだ
しかし氏との差異及び区別する利益、何より出典を示してもらわないとなあ
>公孫鞅→衛鞅
なんてことにはなってない。氏は公孫だけど、魏に言った後に衛出身であるということを示すために衛鞅と呼ばれるようになったんだろう。公孫鞅と衛鞅という呼び名は「並存」していたんであって、変化なんてしていない。
>483の独自研究によれば姓と氏の他に「単なる呼び名」という範疇の呼称があったということだが、482は「単なる呼び名」も氏の一部と捉えているわけだ
どっちにせよ話の発端である「趙政」に関して、いちいち百科事典で言及するレベルじゃないってのは変わりないでしょ。
何度も何度も繰り返したけど。呼び名という点で当時使われていた呼び名は「秦王政」であって、「趙政」なんてマイナーな呼び名にいちいち言及する必然性は何も無い。
よくよく見ると
>>448最大の独自研究は
>「姓趙氏」というのは司馬遷(かあるいは原資料)の間違い。
だな。史記に明記していることが自分の脳内での「氏」理解と合わないという理由で、司馬遷が間違っているということにしている。
姓なのに氏ってのが間違いではないと??
まあ、姓と氏とが混同されていた当時では間違いではないのかもしれないが。
>>487 その論法はおかしいよ
史記、漢書で「劉邦」という呼称よりも「沛公」「漢王」「高祖」といった呼称の方がずっと多く使われているけど、「劉邦」という呼称は言及する必要もないマイナーな呼び方とは言わないでしょ
記すことが忌避されることもある君主の氏名なんだから、あまり出てこないからというのは切り捨てる理由にはならないんだよ
全く用例が無い、というのとは質が違う問題
「趙政」の場合、史記始皇本紀に「姓趙氏」と明記されていて、その上に実際に「趙政」と記されてもいるんだから、マイナーな単なる呼び名とは到底言えないでしょ
>氏ってのは戦国時代はそのようにただの呼び名なんだよ
>一族名を表す不動の姓があるから氏はコロコロ変わるものだったし変わって問題なかったんだよ
>封邑を氏にしたり、主君から氏を貰ったりしてどんどん変わったりするもんなんだよ
とかいうのを「氏」と称するのか?をそれこそ出典を示してほしいものだな。少なくとも上代に於いては姓と氏と「単なる呼び名」とは明確に区別されていたはずだが。
こんな議論を続けるのも馬鹿らしいのでオレの主張としては「『趙政』はいちいち百科事典で取り上げるレベルのことではない」ということだけ。他はもう言わない。
これに関して、他の歴史事典で取り上げているものはあるか?まず無いと思うが。
>史記、漢書で「劉邦」という呼称よりも「沛公」「漢王」「高祖」といった呼称の方がずっと多く使われているけど、「劉邦」という呼称は言及する必要もないマイナーな呼び方とは言わないでしょ
たった一回使われているだけの呼称を「劉邦」という非常にメジャーな呼称と一緒にするなよ。
>>492 劉邦って呼称は史記だと登場回数0なんだけど…
それどころかつい50年くらい前まで劉邦の名前が邦であるかすら学術的には結構曖昧だったのに…
>>489 うん、そういうことだね
司馬遷は姓と氏を混同していた(始皇帝の当時から既に混同していたのかもしれないけど)
だが、混同した上で「姓趙氏」と書いていたということは、「始皇帝を示す公式なファミリーネーム」は「趙」であった、と記録していたわけだ
>>491 貴方自身も言ってるように、姓と氏が混同していた時代(少なくともその時代にかなり近づいていた時代)だからねえ
上代の法則を当てはめていいのかどうか
あと、百歩譲って「趙」は姓でも氏でもない「単なる呼称」だとしても、そういう呼び方が事実あったことはWikiに記すに値すると思うよ
本当に瑣末な情報ではなく、始皇帝の呼称という基本情報の一つなんだし
>>492 そこだけ取り上げても反論にはならないよ
史記に高祖は「姓劉氏」と書かれているように始皇帝は「姓趙氏」と書かれているんだよ
つまり情報の根拠となる部分の重さは「劉邦」と「趙政」は同等なんだよ
始皇本紀に明記されていることを否定するに足る論拠を出さないと
そういうことをいっているんじゃなくてな・・・。「名」という重要な情報は当然百科事典として記されるべき。
「単なる呼び名」で『史記』で一回出てきただけのをいちいち百科事典に記す必然性があるのか?と何度も何度も何度も言っていたのだがな。
もういいや、馬鹿らしくなってきた。勝手にやってくれ。どうぞ始皇帝の項に「趙政とも呼ばれる」とでも書いてくれ。
>>495 だから、「司馬遷は史記始皇本紀で始皇帝のことを「姓趙氏」と言っている」と何度も何度も何度も言っていたのだがな。
司馬遷は「単なる呼び名は趙」と言ってたわけじゃないんだぞ。
もういいや、勝手にやってくれと言ってくれたから始皇帝の項に「趙政」と書いてくる。
とりあえず始皇帝は「趙氏」ではないということだけ明記しておいてね。そこらへん誤解しないような文章にしてくれ。
でさ。オレが今日言いたかった。
[[字]]
Hoistsail (会話 | 投稿記録) (「優先」順序はないっすよ。もしそうなら「諸葛武侯」以外呼んじゃいけないことになりますな。)
についてどう思う?差し戻ししたいんだけどね。
よくぞまとまるまでおとなしく成り行きをみてたねw ちょっとフイタ。
出典を明らかにできないけど、官にある者の優先順位は基本、官職名、封爵名
民の場合は、なになに家の何番目の子、とかじゃないか?
直接、名前は当然として字も、そうそう呼ばれるものではないと思っているけど。
目上、親は別として。
>>499 概説書だの論文だのとなるとアレなんだが、三国志なんかには父を字呼ばわりしたら子が怒った、なんて話があるからな
いや、ID見てもらえれば解ると思うけど、俺は議論の当事者だよん。もう終わったから良いけど。
>>481で書いたように福田総理を福田康夫と書くような感じで、字を直接呼ぶのは親しい人で無い限り無礼と思うんだよね。
>>501 自分の迂闊さに絶望したw
>>親しい人で無い限り無礼
親しい人でも、字だけというのはないと思う。
哥哥、賢弟をつける。
あと、よくあるのが義兄弟なら、大哥、二弟、三弟など。名前や字はほとんど呼ばない。
うーむ、そうか。血縁の兄弟だとどうなんだろうか?
あとそういった社会慣習の歴史的変遷について解説してくれている本が無いかな。あったら教えてほしいなと。
で、
>Hoistsail (会話 | 投稿記録) (「優先」順序はないっすよ。もしそうなら「諸葛武侯」以外呼んじゃいけないことになりますな。)
は差し戻ししたいと思うけど。良いかな?
表記の問題か…
当事者たちの会話でなら、上記のごとくと思っているが、記録なら話は別か。
漢の丞相諸葛亮とか、そんなのが普通だと思う。
まぁ、秦叔宝とかみたいに史書におもいっきり字で記録されているのもいるから、上の限りではないな。
ちょっと撤回する、申し訳ない。
>>497 趙氏だろ
違うなら史記の記述を否定出来る他の史料を提示しろよ
根拠もなく思い込みだけの否定は勘弁してくれ
少なくとも始皇帝は趙氏だと司馬遷の時代だと考えていい証拠があったんだろ
第一、百科事典だからこそ、幾つか名前あったらそれらをある程度網羅する必要があるんだろうが
下手に重複項目作らないようにする為にもよ
んで氏がただの呼び名を含むという根拠は
公室から枝分かれするとすぐに公孫になったり、斉に亡命してきた陳氏だったけど田氏になった完とか
氏ってのは結構頻繁にその場の都合で便宜的に変えてたって事が理由
氏族名でもあるし、個人がその場の都合で割りと適当に都合よく変更もしてるんだ
親子で氏が違ったりすることもしばしばだし、これはもうかなり適当な呼称も含むと考えてるんだが
字の項目で
>六朝以後は二字目を「之」とすることが多い。
とあるけど、ざっと六朝期の正史に目を通したところ字の二文字目が「之」に
なっている人物はあまりいなかった。
諱の二字目が「之」になっている人物は沢山いたけど。
「姓はエイ、氏は趙、名は政とされ、日本では慣習としてエイ政と呼称される」とか書いとけばいいだろ
>>493 >劉邦って呼称は史記だと登場回数0なんだけど…
当たり前でしょw
>>507 秦の木簡が50年くらい前に発掘されて相国に当る役職が
元々は相「邦」だって事が判明して、漢代に邦が避けられて来たという事実が判り
やっと劉邦が本当に邦が名前ってのが学術的にも確定っぽくなったわけで
劉邦って100年前はメジャーどころか本当に名前だったのかすらも怪しい状況だったってわけさ
封泥がその点をさらに補強してるかも知れないので秦封泥匯考を読んでみてもいいね
あざなの奴は「的盧は劉備の馬」の典型的な三国厨だな
諸葛菜みたいなリンク作るなら責任持ってまともなもん書けよ
というかハナダイコン?と別に立てる必要あるんか
ハナダイコンと諸葛菜が別物と思ってた、みたいなオチに期待
あざなの三国厨は痛いな
嘘こそ書かんが三国志が好きで好きでたまらんのが文章から横溢しとる
字直してきた
六朝期の「之」の方が大きな問題じゃないかと思う
孫皓の末帝の根拠を探すうち、日知録で劉禅が末帝と呼ばれてるのを見つけた
顧炎武はエロイ人だがこの一事を以って劉禅を末帝と呼ぶのは躊躇われる
史称ってのは、史料にあるかないかではなくて、どのくらい慣用化されているかだろ。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/25(火) 23:43:41 ID:fpa3zSy80
孫皓=末帝はどこまで慣用化されてるのよ
さあ?大元ウルスよりは多いんじゃね?
と思ったら最近は大元ウルスも馬鹿にできないのな。orz
杉さまの影響力は現在のモンゴル研究では到底無視し得ない状態だからな。
正直、こんな感じの今の流行はオレは大嫌いだが。今出ている世界史の概説書シリーズで、中国王朝単独の巻が一巻も無いのがあったけど。いくらなんでも偏りすぎだと思う。
東の中国・中央のインド・西のイスラム。その間をつなぐ中央アジア。ってのがユーラシア大陸の基本的な関係だったと思うんだけどねぇ。
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 00:44:13 ID:4M9jhYMx0
[[二十等爵]]
は任せた
らりた氏あたりがやってくれるさ
あまり大したことではないかもしれないけど、
昔大学で、列伝の最初の姓名字の後に「○○の人」とあるのは、
必ずしも出身地を表してるのではなくてあくまで本籍地のことであると習ったんだけど、
ウィキペディアでは殆んど出身地扱いになってるね。
>>523 そうだよ。
だから俺は本貫としている。
だけど他人の書いた記事の草取りをやるほど暇でもないし。
人物記事もある程度の統一方針が必要だと思うんだけどね。
編集者ごとの考えで好き勝手やってるのが現状だろ。
要するに議論不足。
議論したらしたでね、
たいしたことしてないくせに仕切りたがる奴がわらわらわいてくるんだよ
ご丁寧に「よく知りませんが」とか前置きしてくるのもいるぐらいだし
俺は敢えて「○○の人」と書いている。
ところで前漢あたりだと「○○人」は実際に生まれた場所か、最終的な住所の方を言っているみたいなんだよね
これが本貫になるのはいつからなんだろう。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 14:13:34 ID:r+BbPYaZ0
西晋あたりまでの人物は本貫と出身地が同じである人物が多いんだろうけど
南北朝になると明らかに本貫と出身地が異なる人物のほうが多いね。
>>526 自分も「○○の人」としておくのが一番妥当な表記だと思う。
魏晋南北朝では本貫こそが最も大事なものだもんね。
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 00:26:00 ID:x5I3YjzL0
>このとき旗に報讐雪恨[仇に報いて恨みを雪ぐ]と掲げた。
念のため聞いておくが創作の話だよな?
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 11:51:01 ID:SsdYfHaq0
>ここで聞くことじゃ無いとは思うんだが
そんなことはない。このスレは主にそういう目的であるもんだ。
で、北方三国志でそんな文章を見た記憶がある。
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 22:44:05 ID:x5I3YjzL0
呂布の妻厳氏って、出典なんだ?
ついでに、陳宮の謀反(カク萌の反乱)が濡れ衣って、誰の説ですかね?
一定の知名度のある学者の言か文献が原典でないとダメでしょう。
ルーツ君・・・
アンサイクロペディアでも・・・
ああやってくだらない議論をすっとばして記事を削除できるアンサイクロペディアがちょっとうらやましい。
ダメな奴はどこに行ってもダメ。
他人がダメだからではなくて自分がダメだからダメなんだという思考が出来ない限りは永久にループし続ける。
ウィキペディアにいた期間&その間にまき散らした害悪に比べると
アンサイクロペディアは明らかに軽度で済んでるよな。指摘には(理解できれば)割と素直に応じてるし。
ウィキペディアのときは、指摘に応じる気ゼロだったのになぁ。
少なくとも相手の指摘を認めて謝罪することはなかった。
さーて、軽度で済んでるのかな?どこに地雷が潜んでいるか解らないのがルーツ君の怖さ。
>>537 あっちではなぜかアカウント取って活動してるからなぁ。
IPでサブマリンやってる可能性も否定しきれないけど。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 23:47:05 ID:0Q+bVExR0
まあ基本的に彼の得意分野(妄想)が咎められないんだから、そんな問題にもならんのだろう
しかしそんなアンサイでさえ怒られるのは彼の根本的なところに根ざしている問題
簡単には直らんよ
受け狙いのつもりでことごとく外してるアンサイよりも
ウィキペディアで刀筆を「刀仕込みの筆」だとか書いた事のほうがはるかに笑える
新聞記者と山本英行は最低です.
列車長は誇りの服務です
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 08:06:58 ID:iOhcLd870
復活のシャア君エライことになってたんだな
シャア君ってリアルお子様みたいだねぇ。
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 19:58:34 ID:8LUNVrqdO
多分「体は大人、頭脳は子供」なんだと思う
[[李信]]
>長安市内にある槐里県(現/陝西省の西安近郊にある茂陵の別名、或いは廃丘、犬丘ともいい、
>かつてはチベット系ともテュルク系ともいわれた遊牧民族・犬戎の拠点だったという)の出身とされる。
「長安市内」とか「茂陵の別名」とかあからさまな間違いはもちろん訂正すべきとして、
「槐里」という漢代になってつけられた地名はどうなんだろ。
出典はたぶん史記の李将軍列伝だと思うんだけど、
岩波の訳だと、李信の代にすでに槐里に住んでいたのかどうかよくわからんから、
丸ごと消した方がいい気がするんだけど。
犬戎云々は李信が犬戎だと誤解される書き方なので消した方がいいよね。
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 16:07:54 ID:Pb0mo6vG0
まるっと消してきた。
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 18:43:50 ID:T2MBh0XSO
アルケの正体はmixiのaIchemist=矢嶋新一
インチキオバヤン太極拳インストラクターの矢嶋新一
ブスの桎梏付き
何でかしらんが、ここ原田誤爆が多いね
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 00:09:24 ID:2+GSK7qi0
( ゚д゚)ポカーン
まあ、全く反省がないことはよく分かったが、そんなに自分の主張を押し通したかったら、HPでもBLOGでも立ててそこで発表したらいい。
批判は受けるかもしれんが、そこなら少なくとも文章そのものに他人の校閲が入ることはない。
お互いそのほうが建設的だ。
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 18:42:53 ID:eImBlWFC0
[[拓跋什翼犍]] [[道武帝]]
拓跋寔君は庶長子なのか道武帝の父なのかどっちなんだ?
道武帝の父親は寔君、庶長子は寔、だったかな。もしくは逆。
そんなもん『魏書』みりゃすぐ分かるんだから自分でチェックせい
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 23:25:28 ID:f2s0McO40
ルーツ君って「庶長子」が大好きだよね
[[檀石槐]]
一説では軻比能の岳父。
[[軻比能]]
一説では、檀石槐の女婿という。
手元に資料がないので確認できないんだけど、ルーツ君の「一説では」なので胡散臭い。
あと、生没年が[[鮮卑]]の記述と違ってる。
ルーツくんの「一説」は問答無用で削除でいいんと違いますか。
ウィキペディアをやっていて悲しいとき。
自分が何年か前に作った記事がほとんどそのままで残っていたとき・・・。
あのさ。参考文献に『漢書』を挙げるときにいちいち著者[[班固]]とか書く必要あるかな?
いちおうリンク先には書いてるんだから書かなくても良いんじゃない?
必要があるとすれば、他のも書く必要があるわな。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 13:05:35 ID:Kd2uu5X60
[[金日テイ]]
びっくりした
本文より脚注のほうが長いというのはどうなんだ。こんなに参考文献を並べておきながら全然文と対応させてないし。
塚本青史とかが参考文献に入ってるノォ!
とりあえず第1次編集。文献にも手を入れるよ。あれだけ書いておいて漢書が入っていない気がするのだが気のせいか。
>>564 乙。
これだけの文献から引用したのなら相当な分量になっているはずだけどな。GhqLgてのは引用の意味が解ってないと見た。
[[金日テイ]]
”日本語”版Wikipediaの項目名にハングル表記が併記されてるってどうよ・・・
タイトルバーのところ。
司馬遷に手を入れたららりたがつい1時間前に編集しててわろた
英語じゃ金日テイってJin Midiなの?これもなんか違和感あるのー。
[[中国の歴史]]が移動荒らしに遭った件。
[[祭仲]]
字が「仲足」になってるけど違うよね。
「仲」が字で「足」が名だっけ?
[[平勢隆郎]]
>平勢説を巡っては、これに賛成する砺波護・尾形勇・原宗子・工藤元男・小寺敦・高津純也らの意見と、これに批判的な吉本道雅・浅野裕一らとの意見とが対立している
本当にこんなに支持されてるのか?はっきりうそ臭いんだが。
中華文明の誕生 (世界の歴史) (単行本)
尾形 勇 (著), 平〓 隆郎 (著), 樺山 紘一 (編集), 山内 昌之 (編集), 礪波 護 (編集)
これだな
つまり共著、編集に名を連ねているから賛成している、と
それで賛成したことになるのならこの世の全ての学説は定説になっちまうな・・・。
学者も大変だな
>>572の編集を行った人と同一人物とおぼしき人が
著作の一覧に『ブッダと秦の始皇帝』とか『三国志の英雄と隋・唐のかがやき』とかを過去に追加してた。
学習漫画の監修やっただけなんだけどな。
ピラセの熱烈なファンか何かかな。
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 07:49:08 ID:uRcm6WGR0
義経→ジンギスカンという火のないところに火をつけたというシーボルトのオリギナリティーに敬意を表して残すべきです。
一般論では真実が消えることがあります。日本のウィキペディアは世界のどこの国よりも発想が貧弱です。
執筆者のオリジナリティーにも敬意を表します。--Espaqque 2008年4月30日 (水) 20:57 (UTC)
なんかシャアのソッryじゃないのかと
それはいいとしてもオリジナリティーを競う場じゃないだろう、wikiは
>火のないところに火をつけた
つまり出鱈目ってことだろ。
とある板で宣伝されてたんだけど・・・
[[Wikipedia:管理者への立候補/MioUzaki 20080424]]
勘弁してくれ・・・
とある板どころかめくらめっぽう(なぜか変換できない)なマルポだよそれ。
アカウント持ってません・・・
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 15:43:49 ID:qIefV33j0
投票してきた
ところでこれを見てくれ
范曄は天命論にも反対し「天道の性命、聖人の難言之、況して乃ち憶測を僅かに隠す、猖狂無妄之福、宗親の汚滅を、?一切の功を以て哉!」
なんかいろいろ違っちゃってる気がするんだが
[[士陸]]
恥ずかしながら俺はこいつ知らんのだが、どこに記録があるの?
[[金日テイ]]
あまりに分かりやすい反応だ
ウィキペディアじゃなくて、人物列伝と解説、とかいうのなら、そこそこいいマメ知識なんだけどね。
でも読みづらくてかなわんよ
知りたいのは[[金日テイ]]のことであって弓やアーサー王のことじゃあない
あれは豆知識の押し売りだと思う
今気が付いたんだが
陸=六
漆=七
捌=八
だな
改竄されないようにするための難しい字
士壱から始まって士弐・士参・・・士陸、士漆、士捌ということか。
一応、ベトナム史とかに何かある可能性もある(一応な)から、要出典にしておいた
素朴な疑問なんだけど、陸とか漆とか捌って、当時すでに漢数字として使われてたの?
漆は王莽時代かなんかに使った記憶が無いでもないが定かではない
王莽時代に「四」を横棒四本にしたのは覚えてるんだが
木簡で出てるんじゃないかなぁ、たしか。うろ覚えだけど。
うむ、594も木簡の話だ
実際漢簡の書き文字だと十と七ってかなり判別しにくい(ギリシア文字のベータとドイツ語のエスツェットくらい)から、文字変えちゃおうってのも突飛な話でもないよな
陸とか漆とか捌とかって、自称22歳グラビアアイドル(30)の卒業証書みたいなことが
できないようにするためということを初めて知った。
しかし、てぃーえすはここ見てると思うけど、
あの書き方じゃまるで「おれが知らないんだから嘘だろ」って言っている様に思われかねんぞ。
もうちっと言い方を考えたほうが角はたたん。
>>598 そう感じるのか
俺としては「出典教えろやコラ」と言いたかっただけなんだがな
事実分からないからさ
自分が分からないし載ってもいないんだから、そりゃ気になるだろ
>>599 もちろんそうなんだろうし、当然の疑問だと思うよ。
ただ、困ったチャンたちには「俺はそんなん知らん、出典出さなきゃ消すよ」って読まれまねないな、って。
「調査してみたけど見つからなかった」ぐらい言っといたほうが無難かと。
>>601 アドバイスありがとう
ところでこいつを見てくれ
[[基禮]]
俺は初めて知った名前なんだが、例のごとく出典不明なんだ
三国志の本文で検索かけたけど、ヒットしなかったけど…
そもそも軍師将軍なんて魏の官職じゃないよな
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 13:01:14 ID:rMEpQzM20
未検証にしといた
なんか創作臭がするんだよな・・・
あと記事作成した奴は会話ページ荒らして投稿ブロックされたことあるDQNか・・・返事は期待薄か
創作人物をwikiに載せるとかwwwww
気がクルットルなぁ。
実際、あそこまで詳細がわかっているなら、独立の伝があるだろうし…
yahoo知恵袋で基禮の名を挙げてる人に詳細を聞きたい。
とか言い出すとヲチ板的になるから駄目なのか。
自分で創作した人物の項目が現れるのはウィキペディアの性質からして正直仕方ない
問題は衆望を集めてる(らしい)ベテランの史学科在籍(自称)の編集者が
そういう記事が立つや否やご丁寧にもリンク貼ったりカテゴライズしていったりする事
中国史の話じゃないんだけどね
誰のことやら
マツタケ?
中国史の専門ではなさそうだけど。
>>608 あんたのほうが古株なんだから注意してきなよ
[[Wikipedia:削除依頼/シーボルトの義経=ジンギスカン説]]
厚顔無恥の生きた見本だわな。
ブロック依頼出すかどうか。出したら出したでまた新しい靴下を作るだけなのが見えているので泳がせたほうが良いだろうか。
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 21:29:17 ID:2nj32iEU0
それにも増して「駄目だろ、こいつ」と感じるのであれば、まず共同作業とはどういったものかを改めて考えた上で「こいつ以上の{俺さま|あたし}」と思う貴方に是非とも管理者になって頂きたいと思います。
管理者って、こんな「信任しない奴は自分がやってみろ」なんて投票制度の根幹を揺るがすような暴言を嫌らしい言い回しの長文でくるむような連中なのか?
なるほど、MioUzakiのほうがまだマシだわ
このスレにいらっしゃる元管理者のらりたサマに聞いてみなよ
知らんがな
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 14:17:07 ID:5JyYCDwr0
[[ノート:金日テイ]]
聞く耳持たないよりはずっとマシだがアレだな
>また「日?は馬何羅らが武帝を暗殺しようと企てた時にいち早く察知し、馬何羅を格闘の末に捕らえた。これにより忠節を称えられるようになった。」の記述は漢書にあるものですが、史記には無いような記述です。
これを論評無く掲載するのはいかがなものでしょうか。
また漢書には、馬何羅ではなく莽何羅とあります。馬何羅を漢書の執筆者が莽何羅と記載する事があるとされていますが、あえて馬何羅と記述するなら貴殿が削除した小説を引用するしかないでしょう。
漢書通りの名莽何羅に変更してください。なお漢書(著作権消滅)に完全準拠する方向であれば問題は無いのですが、ネットに似たような記述がありますので、著作権に触れないよう、注意してください。
日本語で書いているが話は通じなさそうな気がしてきた
>ネットに似たような記述がありますので、著作権に触れないよう、注意してください。
一種の脅迫?
脅迫というか・・・。
引用文献と書いておきながらまるで引用して無かったりとか、著作権ということについて全く理解できていないと思われ。
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 23:41:10 ID:5JyYCDwr0
らりたには基禮とか士陸にも何か言ってくれ
てぃーえすvsらりたの行方はいかに?
もう削除依頼に出しても良いんでない?どうせ返事なんて返ってこないと思うし。
基禮がぱちもん臭いってのは諸手を挙げて同意するけど、
その根拠に諱と字なの関連性がないってのを入れるのには反対だな
>>624 まあ、それは「怪しい」と感じる要素だけど削除する根拠にはならないね
削除は「出典不明」だけで出せるだろうし
そもそも「怪しい」の根拠にならないでしょ
字なんて諱と関連付ける「ことも多い」程度なんだから
本家ルーツ君はアンサイから逃げたらしいね
戻ってくるんじゃないだろうな
>>625>>626 そういうのはバッサリ無くしちゃってただ「出展不明」だけを根拠にしたほうが明確だしね。
他に色々有ると専門分野の学術的な話なのか、と取られかねない。
[[章邯]]
>また一説では章参、章英の父といわれる。
一説では・・・
で、本文中に
>なお、『楚漢軍談』では、章邯が後に項羽に降服した時に叔父と息子の章参・章英らが
とあるんだけど、一節の根拠が漢楚軍談(漢と楚が逆だよね)だけなら、史実ではないから
最初の「一説では」は消した方がいいよね。
漢楚軍談読んだことないから章参・章英ってのが出てくるのか知らんけど。
それなりに事跡のある子孫なら言及してもいいけど、
名前が見えるだけで何したか分からんような息子に関しては触れる必要がないと思うのだが。
いや、そもそも「漢楚軍談」って三国志演義とか同様の演義物じゃなかったっけ?
創作上の人物(?)をそうと言及せずに(一説としているとはいえ)史実かのように書くのはどうなのってこと。
そもそも追加したのルーツ君だし
[[ノート:金日テイ]]
やっぱ話がなかなか通じない
見事なまでに偏った知識だなぁ。どこで仕入れてきたのやら。
偏ったというか肝心な金日テイ本人の知識とかは欠如してるのな
漢文も中国語も読めてないし
朱全忠関連の項目見てたけど、正史の伝を載せるのってありなわけ?
基本無しでしょ。原文丸写しで済ませるようでは百科事典としての意義が無い。しかし
>有力候補視とされてたが
って変な日本語。
>>640 ですよね…
しかも、文末とかに「〜されたという」で結んでいるのはちょっと。
教子はねーわw
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 00:12:28 ID:aiuggrGz0
基禮とかを削除依頼
[[Wikipedia:削除依頼]]j本体の方にもリンク付けておかないとダメだよっと。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 23:32:36 ID:aiuggrGz0
>>646 そこの「匿名さん」な。
2ちゃんでさえウリジナル扱いされる電波をWikiに書き込むなよな・・・
>史記にもバージンが多くて
フイタW
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 16:53:00 ID:rXd2uZ/e0
その記述を見ると、史記から金日?に関する記述が、意図的に削除された事が伺われます。当初金人が何で、銅の仏像か解釈に苦しみました。で、最終的な結論は、金人=金日?だったのですが、そう証明する記述は、間接的なものばかりでした。
バージン発言に気を取られガチだが、こっちの方がトンデモ発言だな
いい加減、バカらしくなってきましたな。簡体字くらい知っとけ。
解題もない、史料批判もされてない張澍の文集を
諸葛懐だの果だの実在したことの根拠にする奴はルーツ級の厨
削除されてなかったんだ。。。>諸葛懐
問題は孔明さんの所で何度も書いたり消したりが繰り返されてること
清代にポッと出て来た文章の信憑性に何の疑問も抱かない所が凄い
夏侯恩の字なんて演義にも載ってたかな
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 23:38:54 ID:A3PP59uk0
初耳だなあ
>>654 ググればわかるけど、創作小説が元っぽいぞ。
趙雲の名と字から一字づつ取ってたりとか胡散臭すぎ。
問答無用で消していいんじゃない?
・・・ご丁寧に三国志の人物一覧のところまで追加してやがる。
ちょっと前のレスだけど
>>572 出典が明示されるまでコメントアウトでもしとけばいいんじゃない?待つの馬鹿馬鹿しいし。
批判側は5つも出典つきなのにな。
このスレって一旦レスが止まると物凄い停滞する傾向があるよな。
>>658 とりあえずコメントアウトした。平勢っちが学界の主流からは遠い存在だってことを上手く伝える文章は無いもんかなあ。
660 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 23:23:56 ID:yELF/6Bi0
>>659 「2ちゃんねるでは「ピラセ」と呼ばれその道化っぷりが愛されている」
とか書きたくなるな
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 00:31:59 ID:UmVRabMe0
>>661 実際にはやらんよ
ところで
[[三国志登場人物一覧]]
俺は[[Category:三国志の登場人物]]があるからそもそもこれは無くてもいいと思ってるんだが、
突っ込みドコロ満載だな
王戎
?康(叔夜)
阮咸
阮籍(嗣宗)
山濤(巨源)
このへんが「その他」で晋や魏には入ってないってのは何の冗談だろうか
あとわざわざ「黄月英」とかするのはやめてくれよ
「ウィキペディアは単なる知識ベースではありません」
と[[Category:三国志の登場人物]]との内容重複を理由に削除依頼出しちゃおっかなぁ
ピラセだけど、田斉の3人を王を強引に2人にまとめてような荒業までやってのけて
「矛盾は全て解消した」と言い張るあたりは書いていいんじゃない?
うわ、1行目が壊滅的だ。訂正。
ピラセだけど、田斉の3人の王を強引に2人にまとめてしまうような荒業までやってのけて
「矛盾は全て解消した」と言い張るあたりは書いていいんじゃない?
[[三国志登場人物一覧]]
袁術陣営を 仲家王朝 国号"仲" とか言って独立させる意味あんのかね。
袁紹ですら独立してないのに。
まぁ、[[Category:三国志の登場人物]]との重複削除でいいと思うけどさ。
・・・[[三国志演義の人物の一覧]]ってのもあるんだな。
こっちは姓で並べてやがる。それぞれで好き勝手やってんなぁ。
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 12:14:19 ID:ygWvuQzTO
演義の一覧の方は目的がはっきりしているからまだマシ
三国志登場人物一覧は史書も演義もゴッタ煮の上にどちらでもないものまで混ざってる
このままなら無いほうが誤解を生まないだけマシ
まぁ目的ははっきりしてるな。
姓ごとにならべる理由がさっぱりわからないし、
それこそ「単なる知識ベース」以上の何物でもないけど。
マシかもしれんが、それじゃ存続の理由にはならん。
魏→曹操、蜀→劉備、呉→孫権
と直している人がいるけどそこまで拘ることでもないと思うんだがなぁ。
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 23:34:00 ID:PU5mP4W30
まあ間違いはやってないけど、そんなに必死にやらんでも、とは思うなあ
[[特別:Contributions/Lit-mas2]]
どうもこいつは前から怪しいと思っていたんだが、やはりアホだったな。
[[ノート:レンタヒーロー]]
674 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 23:20:03 ID:jNqRT3wx0
そいつ、項籍とかいじってるのが気になるな
変な絡まれ方したらやだなあ
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 00:27:07 ID:zRlOj8cM0
>>673 2008年6月1日 (日) 10:40 (履歴) (差分) ノート:レンタヒーロー? (最新)
2008年5月30日 (金) 16:30 (履歴) (差分) モンスターファームバトルカード? (→デッキのタイプ: 出典が書いてないので要出典) (最新)
吹いた
編集履歴に「西門豹」が入ってるあたり、横光史記厨と予想。
[[管仲]]
>魯を攻めるにあたり、桓公は糾もろとも管仲を殺すつもりだったが、
史記とかにそんな記述あったっけ?
余計な文を追加したせいで、文章がおかしくなってるし。
[[呉楚七国の乱]]
>「漢朝に有事あれば、軍を任せて解決せよ」
原文「即有緩急、周亜夫真可任将兵」
どうやったらそんな訳になるんだ?上の「何かあれば相談せよ。間違ったことは言わない」も怪しいな。
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 21:55:31 ID:a7kSVjUR0
ま、明らかな誤りや創作でないなら一応は許容範囲じゃね?確かにかなり怪しいんだが
前漢関係はルーツ君が荒らした形跡があるから
厳しい目でみたほうがいい
韓信の要出典がリトマス紙君によって外されてる件
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 01:55:01 ID:4PCXx2e+0
シャアたんMLで大暴れの巻
バカは死んでも直らない
自分が言っているごとくとっととサイトを作って独自にやってれば良いだけの話なんだが、それでは自尊心が満足しないのか。何の裏づけもなくここまで自分を良く信じられるもんだ。
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 21:07:50 ID:4PCXx2e+0
中国の金盾
についてkwsk
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 02:50:21 ID:8geQ33L20
>裴度
>ちなみにL'Arc〜en〜Cielのボーカルhydeとは遠い親戚関係である。
とあるがマジ?
>>685 普通にいたずらでしょ。
だって、それ書いた馬鹿、”Unnko”だよ?頭の中がウンコなんだろうな。
[[北遼]]
知らない間にこんな記事が作られていたが・・・、こんなの必要ないだろ。遼や大石の中で言及すれば済む話。
北遼はあってもいいと思うが。
マイナーではあるけど、膨らます余地はまだありそうだし。
誰かさんがゴネて削除依頼潰した夏侯氏の雑魚どもよりは
よっぽど中身のある項目じゃん。
そうかな?みながそう思うなら別に良いか。
根にもつタイプって怖いね
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 09:40:11 ID:5HZBlh5z0
夏侯氏の削除依頼は、どうしようもなく中身が無い奴だけに絞って依頼したほうが良かったな
あとノートで議論するふりなど事前工作を綿密にやっとく
[[冀州 (古代)]]
時代区分論に全く配慮しない項目名
どうせまたああいうのが存続と唱えるだけになると思うのでやる気が起こらん。
>>694 しかも民国期のことまで言及してるのに古代とは・・・。
[[Category:漢代の人物]]ついに400越え。
三国志関連の人物を制限したのは、やはり正解でしたけど、そろそろ漢代の人物の中で区分が必要になってきそうですね。
仮に分けるとして、[[新末後漢初]]組の扱いとか、また議論百出になりそうですが。
[[北遼]]は中国語版にも記事あるし、年号マニアの人が
北遼の年号の個別記事まで作っちゃってるからあれでいいじゃん
>>697 前漢
新末後漢初
後漢
に分ければいいだけじゃない?
>>698 外語リンクがあるんだったら良いと思うよ。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 01:08:42 ID:R2MUyYiR0
ホウ会
三国志ホウ徳伝には父の遺風があったこと、中尉将軍になったこと、関内侯から列侯になったことしか書いてなくね?
あと三国志ホウ徳伝注の王隠蜀記にはホウ徳の屍を持ち帰ったことしか書いてなくて皆殺しの件が見つからないんだけど、版によって違うの?
それとも三国志注以外に載ってるの?
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 01:10:25 ID:yGW2EZiO0
GHQや王莽のノートに訳分からん事書いてる人が
なぜかEspaqqueと同一視されて無期限ブロック食らってる
正直どうでもいいメンツだが、書き込みの傾向が全然違うのに
靴下にしてしまう管理側の判断もおかしい
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 01:16:23 ID:R2MUyYiR0
って、ああごめん、関羽伝注にあったんだな。忘れてた。
>>701 とりあえず改訂しておきました。関羽の一族皆殺しの件は、蜀書関羽伝注です。
けど、ホウ徳伝の注と関連して考えると、やはり事実かどうか疑問符がつきますね。
>>702 ソックパペットうんぬんって、管理人はIP見て判断できるんじゃないの?
[[テキ譲]]
ま〜た「てき/たく」を蒸し返している人がいるなあ。
[[テキ魏]]の脚注も参照のこと。
>>705 それだと、最初シャア=Espaqqueだったのに、後で変更された理由がわからない。
シャアがMLでうるさいから、靴下の方のソックパペットってことで処理したんだろ
>>708 それじゃIP関係ないじゃん。それともIP知った上でってこと?
[[橋玄]]がないのに[[喬玄]]だけあるのか・・・
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 19:09:33 ID:glPdyq6x0
曹叡の内政の項で、宮殿の造営を行ったのは農民に収入を与えるため
みたいに書いてあるけど本当にそうなの?
ウソでしょ。
というか
>「明帝の造作は北伐による外圧の消滅による気の緩みによる」とする一般の解釈に対し、金文京らは
と書いているけどその金文京の『三国志の世界』でそれに真っ向から反する記述があるんだけどな。
中文の先生による歴史的な事象の解釈を
歴史家の解釈に優先して載せてもいいんかね
そら俺らなんかよりはるかに偉いんだろうけど
三国時代の専門家ってのはほとんどいないからさ、中文の先生に概説書を任せてしまうくらいに。
素人が何を偉そうにと言われるかもしれないけど、金氏の『三国志の世界』は少なくとも史実を問題にする場合には参考にしないほうがいい。
読む分には楽しいが論理の飛躍がはなはだしい。この新『中国の歴史シリーズ』は全部そうなんだけどね。
中世史の安田先生は明帝の土木工事が諸葛亮死亡以前から行われていたことを指摘してたよ
安田二郎「曹魏明帝の『宮室修治』をめぐって」
これ?
俺はすぐに参照できる環境に無いんで、手元にあるのなら加筆お願い。
残念。恩師の論文だが手元にはないんだ。
ところで
連環の計の成立後の貂蝉については諸説紛々ある。
一説によれば、井戸へ身投げする。またある説によれば、連環の計を呂布の知られる事となり、呂布に切り殺される。
そしてまた一説では、貂蝉は呂布と共に行動するといった具合に演義の物語の多様性を示している。
えーと・・・コメントにも困るな・・・
曹叡公共事業説の元ネタっていくつか有るのかね。
渡辺精一の本にもそんな風に書いてあった。
>>717 ハッピーエンド版『フランダースの犬』じゃないんだからw
[[北魏]]
「3代太武帝による廃仏毀釈ののち」
な、なんか違うな。
まあこれくらいなら可愛いものカナと。
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 23:54:40 ID:8z0puVmR0
なんで曹冏が皇太子になったことにされてるんだ
こういう誤りがさらっと入ってるのが恐ろしい
>>722 同姓同名の方の項目の記述も嫡子になってる。
ところで、
>曹騰の兄・曹淑向(字・叔興)
これなんだ?
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 13:32:47 ID:3u/I89WV0
おっとそいつは気づかなかった
待てよ、
>夏・殷・周・秦・漢・魏の六代の王朝の長短を記した意見書
と
>著書に『六代論』などがある
って同じもののことを言ってないか?
うわ、汚染が進行してる。ここが根源か。
[[曹萌]]
>子
> * 曹珀向(伯興、一説では曹洪の祖父、曹休の曾祖父)
> * 曹褒(仲興、曹仁の祖父)
> * 曹淑向(叔興、曹冏の高祖父)
> * 曹騰(季興)
曹珀向(字:伯興)とか曹淑向(字:叔興)とか誰の小説のオリジナル設定なんだよw
[[曹鼎]]とかにも汚染してる・・・
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 16:27:24 ID:3u/I89WV0
>>725 今思ったんだが、
珀向とか淑向って、
伯興や叔興って字を簡体字で見て勘違いしたとかなんじゃねえのか?
同人ゲームでも作るデータベースですかね、それ。
[[范蠡]]
>父は越の[[宰相]]であった范逸
[[孫武]]
>孫武の祖父は[[斉]]の名門の田氏で[[田完]]から五世の子孫で、軍功あって孫姓を賜り、孫氏を立てた。
>孫武の代になって、一族で内輪揉めがあり、孫武は一族郎党を連れ[[江南]]へ逃れた。当時、[[呉]]は蛮地と思われていて未開の地が多く、人口不足のためこの斉の名門一族を歓迎した。彼の集落は、[[孫家鎮]]とよばれた
またまた胡散臭い記述が・・・。元ネタ誰か知ってる?
>>728 海音寺潮五郎の小説「孫子」にそれに近い系譜はあったかもしれん。
(宋代の怪しい文献を参考にしてたような)
今見たら、字まで書いてあるな。この字は海音寺潮五郎の小説の設定とも違う。
曹鼎と曹休の父の呉郡太守を同一視してるのはWikiの独自研究じゃないのか?
ちなみに煬帝の「煬」の字は、「天に逆らい、民を虐げる」という意味を持つ。本来「楊帝」と名乗っていたが、その暴虐ぶりから後に「煬帝」と表記されるようになった。
後半部分の出典教えて
どう考えてもおかしいよね。文帝も楊帝だろ、それだと。
>>728 孫武の祖父(孫書)が、田完の四世孫の桓子無宇の子で、莒を伐った功で景公から孫姓を賜ったことは、『新唐書』宰相世系三下にある。
>>733 でも字おかしいよね。Wikiの記事内でも引用されてるのに。
一族の内輪もめ云々もでっち上げか、何かの小説のネタだと思う。
『新唐書』宰相世系表三下の書いてる孫武の亡命劇
「田、鮑四族謀爲亂,奔呉」は、
『左伝』の哀公六年(前489年)の
陳乞(田乞)・鮑牧が国夏・高張を追放した事件のことを指してるんじゃないかと思われるんだけどさ。
でも孫武は『史記』呉太伯世家で闔閭の三年(前512)には呉に登場しているわけで、時代が合わない(笑)。
中文版Wikiや百度百科だと孫武の亡命は前517年説を採っていて時代は合うけど、この根拠は良く分からない。
いずれにせよ、『新唐書』宰相世系表の記述はかなり怪しいよね。
字は長卿でいいんじゃねえの…と思ったが、なるほど履歴だと珪道になってるのか。根拠分かんね。
中文版Wikiでも長卿を採ってるね。
孫武も俗説が多いからよく分からんね。いちいち追いきれねえ。
孫武の故郷とされる地も二カ所くらいあってオラが村争いしてるんじゃなかったけ?
大陸のアマチュア史家が何やら言ってるビデオを見たことがあるな。
コニービデオのなんかだったと思うけど、記憶があやしいからこのへんで。
仮に『新唐書』宰相世系表の記述を入れるとしても、
本文中よりは注釈で下の方に追いやっとくのが相応だよね。
[[隋]]と[[恭帝侑]]で隋の滅亡年について言ってることが違うけどいいのか?
というか、[[恭帝トウ]]と619年も隋存続年に含めていいんだとしたら、後漢とか六朝の梁とか五代の後漢の滅亡年も大幅に変わってくるよな
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 01:31:17 ID:fHYrFzqy0
[[隋]]のノートにて意見募集
六朝梁や五代後漢に関してはしらんけど、後漢がどうして滅亡年が変わるかわからんな。
1:煬帝暗殺をもって事実上は滅亡している。
2:その後、李淵が、担ぎだした楊侑から禅譲を受ける。
3:さらに翌年、楊侑とは別に洛陽で皇帝に祭り上げられていた楊トウが王世充に禅譲する。
4:楊正道が唐に帰順する。
このどれを採るかだよな。
1・4はちょっと弱いとはいえ、2・3はどちらの朝廷も端から
傀儡としてのスタートだし、同程度の説得力を持つでしょ。
たまたま李淵が天下を取ったから2がスタンダードになっただけで。
つまり、担ぎ出しなどで正統性の薄い皇帝や王朝までを含めるなら、
後漢のあとの蜀漢や後漢のあとの北漢も同様ではないか?
と言っているんじゃないのかなぁ。
ただ蜀や北漢のように、何年も続いてしまうと、ちょっと違うだろう、と。
拡大解釈しようとしているようにも思うけど、さて。
[[公孫サン]]
ご丁寧にグラフィックで家系図が載ってるが、見方がよくわからんw
4人しかいなくて、本当に線で繋ぐべきはサン、続親子の2人だけ。
範と越は同世代というだけで線で繋ぐ根拠ないよな。
[[公孫氏 (遼東)]]
公孫氏の影響領域が広すぎね?
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 20:37:28 ID:fHYrFzqy0
>>740 スタンダードである2を捨ててまで3にする理由って何?
>>744 「正統王朝」の政治工作で歴史学が左右されるのはどうよ?って疑問じゃない?
少なくとも、隋の皇統は619年までは続いたわけだし、それを一方的に無視するのはどうよ、ってとこでしょ。
ちなみに後漢と季漢は、後漢が分裂した結果季漢が出来たわけではないので除外が妥当かと
>>745 619年とすることもまたある種「正統王朝か否か」で決めていることには違いないんじゃないの?
現代日本でも618年がスタンダードであるのは、正統王朝かどうかではなくて、宮崎市定翁が言うところの「便宜的」なものでしょう。
隋書、北史に始まり618年をもって隋終了とする長年の伝統を継承しているというか。
尊重しているのはその伝統であって王朝の正統性じゃないと思うんだ。
619年説はちゃんと宮崎翁等を引いた上で注釈中にでも入れるのは推奨するけど、619年を上位に持ってくるのはどうもな。
それとも今の日本では619年が主流なの?教科書とか百科事典とか。
[[Category:かつて存在したアジアの国家]]
このカテゴリって何の意味があるんだ?一体総数がどれくらい見当も付かん。小さいのも入れていったら万を超えるだろう。
>>747 正直いらんと思うけど、他国語版にもある(しかも20くらい)みたいだし削除は無理な気が・・・
後漢末の王甫って宦官と劉備に仕えたのと2人いたよな
>>743 公孫氏の影響領域の地図じゃなくて、ただの幽州の範囲を示す地図だな。
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 01:23:14 ID:qkU8olra0
[[劉邦]]いじってきた
何がしたいんだろう?Stargate君は。
それより隋の件を誰か
んー、正直俺はどっちでも良いやと思ってるんで意見述べられない。スマソ。
宮崎翁の文庫引っ張り出してきて気づいたが、隋と随のことが載ってないよね。
手元の山川『中国史2』には載ってる。この話の大本は誰なんだろうか。
[[ルーツ・グループ]]
最近更新したページにあって、一瞬ドキッとしたw
一般的には618年だろうね。
隋唐交替の王朝史観に引きずられているのは確かだし、批判は批判として肯くべきものを持っているけども。
それでも618年を上にもっていくほうが現時点ではいいと思う。
晋王(諱と諡号も不詳)
荘恪太子(魯王)李永
蒋王李宗倹
今に残るルーツ君の爪痕
その晋王は敬宗の子の晋王普のことだろうが
どうしてちゃんと調べずに「不詳」とかいってそのまま載せるかね
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 20:28:49 ID:9luAuDldO
脳内の妄想事典には載ってなかったんだから、仕方がないじゃん。
ちゃんと資料読んだり、調べたりしたら、正しいこと書いちゃうだろ?
楚漢厨とか三国厨でいてくれたら汚染範囲も小さくて済んだのにな
ルーツ君ここに出てこないかな
一躍大スターだぜ?
アンサイから叩き出された彼にはもうここしか安住の地はないよ
>>748 下位カテゴリ作って更に細分化すれば、中継地点以上の意味は無くなる。
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 12:07:42 ID:nx+hzIsc0
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 23:48:26 ID:kw3rgCSc0
魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は、中国の正史『三国志』中の「魏書」(全30巻)に書かれている東夷伝の倭人の条の略称であり、日本において一般に知られる通称である。
江戸時代の漢学者の中で『三国志』という書名を用いず『魏志』『蜀志』『呉志』などと称する慣習があったため、この通称が用いられた。
正式な名前は「『三国志』魏書東夷伝倭人条」である。全文で1988(又は2008)文字からなっている。著者陳寿の死後正史の扱いを受ける。
著者は西晋の陳寿で、3世紀末(280年-290年間)に書かれた。数種の版本が残り「百衲本」が善本とされるが、現在の定本は諸本を校訂した「中華書局本」である。
>現在の定本は諸本を校訂した「中華書局本」である。
そうなん?俺は全然知らんかった
安禄山の項目で
>また高力士を宦官にした張本人であり、帯を締める時は、
>高力士の頭で安録山の巨大な腹を持ち上げねばならなかったという。
という記述がありますが
これは高力士ではなく李猪児ではないでしょうか?
図書館で中華書局本の二十四史が並んでる様をはじめて見て
「中華書局本凄ぇ!中華書局本最高!」って壮観さをおぼえたんじゃない
そもそも版本の解題を三国志じゃなくて魏志倭人伝でする必要があるかって話
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 23:15:48 ID:wYumxNEP0
なお、新から後漢にかけての動乱の際、赤眉の軍勢は前漢諸帝の陵墓を盗掘し、安置されていた呂后の遺体を汚したという<ref>『後漢書』[[劉盆子]]伝。
これは城陽景王([[劉章]])信仰による。</ref>。
城陽景王信仰が原因だってのは出典あったか?独自研究じゃないのか?
[[利用者:Takeshi14]]
ガイキチっぽい利用者ページだな
まあ、あの辺はルーツ君が書き散らしてるんで一回きちっと見直した方がいいとは思う
>>770 768が追加されたのはごくごく最近だから困る
>>771 いや770は769に対して言ったのよ。
で[[魏志倭人伝]]
>現在の中国では諸本を校訂した「中華書局本」が多く通行しており日本語訳もこれを底本としている。
そりゃ中華書局版が流通してるのは当たり前だろ。日本語訳が底本としているってのもうそ臭い。だって中華書局版がでたのって70年代だろ?
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 00:52:04 ID:FO+4Sop20
白村江の戦い
もうこのへんにしといたらどうだKangoshiyouichi
なんか痛々しい
もっと見たいわけだよ
なりふり構わずかばうところをねw
まあ、やりたいならもう止めない
ヲッチャ的にも痛い姿を見るのもなかなか面白いし
痛さを自覚していない場合は特に面白い
ご声援どうもw
>>772 そういや、「日本語訳」ってどれのことなんだ?
[[曹叡]]
>>716で挙げていた論文を入手してきたんで書いてみた。
安田先生以外で公共事業説を言っている人はいるのかな?
乙。
[[張允 (荊州)]]
あの『後漢書』原文の記述だと、やはり劉表か蔡ボウか、どちらの外甥か分からないですよね?
ネット上だとどうも「蔡ボウの外甥」と言っている人が多いですけど、文法や史料で根拠はあるんでしょうか?
もし、ご存知の方がいたら、修正いただけたら幸いです。
張允って呉の張温の父にもいるけど
荊州の張允は後漢の張温の孫の可能性もあるんだよね
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/01(火) 19:19:45 ID:J1RU5g/6O
ルーツ君発見
何苗とか参照
三国志・趙儼の記事を執筆中。
できることなら立伝されてる全員の記事が出来上がって欲しい所だ。
う〜ん。
ざっと確認してきたんだが、最近の人は「〜が、〜が、」と続けて書く事に抵抗を覚えないのかな。
接続詞を修正する度にまた妙な文章で上書きされるので辟易してるんだが。
ハッキリ指摘すると、利用者:218.137.88.1の投稿なんだが。
この人、投稿数がやたら多くて修正が追いつかない。
修正でイチイチ文章のニュアンス変えてくるし、文法間違ってるし、一文をやたら長くするし、
人物Aの記事に、人物Bを主眼においた文章を付け足すしで、
読み難いったらありゃしない。
その投稿頻度は某君を彷彿とさせるな。
同じ記事を同じ日に何回も書き直すとかやめてほしい。
孔明のところで袁子の(全体から見れば)瑣末な議論をわざわざ注にするのは
物事の重要度が分かってない、情報量が多いほどいいと錯誤した厨の仕事
あれもそれもこれも全部、
2chのように話し言葉が相応しい場所ならば、別に何も言わないんだけどね。
他者に読ませるのに正しい書式だとは思えない。
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 00:05:45 ID:56b5o//R0
ルーツ君のいじったとこを直して来た
続漢書五行志と続漢志を別に書くとか止めて欲しい
皇子が諸侯王に立てられることを「冊封」と書いている人がいるのですが、これってどうなのよ
普通に間違いだから書き直していいんじゃね?
121.系統に変わったルーツの仕業だろう
何苗の前にモーニングの漫画の記事もいじってるし
引退宣言も「1秒前は過去」なんだな
>>791-792 「冊封」とは、皇子が諸侯王に立てられることも含みますから、間違いではないはずですが。
手元の世界大百科辞典(平凡社)には
>王者が諸侯を封建すること。<さっぽう>ともいう。
>後世ではたとえば清制の貴妃や親王、群王、貝勒、公主、夫人などの任命を
>この語でよんだように、封侯身分と観念されるものの叙任を意味した。
>冊封の対象は内臣にとどまらず外族にも及び、
以下、卑弥呼や足利義満、豊臣秀吉の例について触れている部分なので割愛
今の冊封の記事が対外的なものにしか触れてないってほうが問題じゃね?
>>794 「間違いじゃない」と「使った方がいい」はイコールではない
多くの人が対外的な意味(いわゆる冊封体制)を真っ先に思い出すような語を、わざわざ使う必要がない
「お亡くなりになる」と「くたばる」は意味は同じだけど、後者は葬式では使わないだろ
他にも使える語があるのに、誤解されやすい語を選ぶ意味が分からん
もともと冊封は封建とほぼ同義に使われる言葉で、そこに(封建と大きく異なるような)特別な意味は無い。
それを特別な意味で使い始めたのが西嶋氏の冊封体制論。
だから封建の代わりに冊封を使うのは間違いではない、けど[[冊封]]の記事で[[封建]]の説明を述べるのはおかしかろ。
辞書でも、「冊封」について対外的な意味まで書いていることの方が、むしろ少ない感じですけどね。置き換えることについて、強行に反対する気はありませんが。
あ、強硬だった。凡ミス失礼。
>>797 本来の意味について全く触れてないのはおかしいでしょ、って事で。
見出しの部分
>冊封(さくほう)とは、中国王朝の皇帝がその周辺諸国の君主と「名目的」な君臣関係を結ぶこと。これによって作られる国際秩序を冊封体制と呼ぶ。
はこれだけで、概要に
>冊封の原義は「冊(文書)を授けて封建する」と言う意味であり、封建とほぼ同義である。
でしょ?
「原義」っていうのもよく分からないし。
まあなんというか、あの記事は[[冊封]]というより[[冊封体制]]っていう内容になってると思うんだ。
「冊封」自体にはもともと特別な意味は無いんだから[[冊封]]の記事が冊封体制の記事になるのは普通と思うけど。
封建はちゃんと封建制に転送してるわけで
121.102.202.140
ルーツ君っぽいな。まじで復活したのか?勘弁してくれ。
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 00:41:13 ID:KYSDht7A0
自分のブログ立ててそこでやれ>ルーツ君
復活したルーツ君の魔手がもう次々と。
[[許圉師]]
あのな、許圉師は許紹の次男であって、許敬宗の親族ではない。
本貫が違う時点で気づけ、ドアホ!
同時に許敬宗も汚染してやがる。
姓が同じってだけで、血統を繋げたがるところ、全く進歩無いのな。
ほんと頭きた。あとで直す。
すまん。
×許紹の次男(『新唐書』では次子となってるけどな)
○許紹の末子(『旧唐書』では次子は智仁。圉師は少子)
さておき、[[許圉師]][[許敬宗]]は修正。
[[李白]]の妻のとこの記述の誤りを引っ張ってきて思いこみで汚染拡大したものと思われ、そのため李白も微修正。
王と言うと「封じる」と書いておけば一番間違いないように思うんだが、
今回の場合、「柵封」の記事の方が正確性を書いてるのな。
スマン、言ってることが訳ワカメ。
正確性を書いてるってどういう意味?
欠いてる、だな。
今の記事内容なら[[冊封体制]]にしたほうが良いんじゃね、って内容じゃないか?
あーあー、なるほどね。
しかし別に問題があるとは思わんけど。何なら定義部分に[[封建]]への誘導つければ良いだけの話しであって。
冊封体制に改名しても別に良いけど、意味があるとは思わんな。そんな拘ることじゃない。
「確信犯」の使い方に拘るような人間には拘る部分ではある。
悪い言い方すれば、冊封体制ってただの学説の一つなんだし。
だからさ昨日も言ったとおり、元の冊封自体には特別な意味は無いわけで。現時点で冊封という言葉は冊封体制論以外に使われることはまず無い。
現[[冊封]]の記事を[[冊封体制]]に移動したとして、[[冊封]]の方はリダイレクトになるか「冊封とは#[[封建]]のこと。#[[冊封体制]]論。」なんていうあまり意味の無い曖昧回避になるかのどっちかしかない。
結果、同じ記事に誘導されるだけだからそんなに拘る意味があるとは思えない。拘りたいというのならそれはそれでだけど。
むしろ封建が封建制にリダイレクトされている方が問題があると思うけど。
封建体制の記事に封建そのものの定義を書き加えちゃうとか。
>>817 「特別な意味は無い」の意味が分からない。
冊封にはちゃんとした独自の意味が有るでしょ。
厳密には封建とはやや違うわけで。
あと「多数の人が冊封は対外的な意味に取る」とか「冊封なんて冊封体制論でしか使わない」とか
どういう根拠があってそういう事を言うのか。
辞書にはしっかり内臣への事例も書いてるわけで。
>>818 そういう感じに冊封も
>「特別な意味は無い」の意味が分からない
だから封建とほとんど変わらないってこと。「厳密には封建とはやや違う」とか「内臣への事例も書いてるわけで」とかは封建に誘導すればいいだけの話だろ。
別に冊封の記事で拘ることじゃないでしょ。拘りたいならウィクショナリーでやれば良いでしょ。
そんなことどうだって良いじゃん。拘って何か良いことある?拘ったって結局[[冊封]]の記事があまり意味の無い曖昧回避になるだけのことってまた同じこと繰り返してるけど。
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 22:03:30 ID:KYSDht7A0
趙脂、・司馬倫 (母:柏夫人)
司馬りんって脂、だったか?見つからんが
獅フ諡号が贈られたかどうかはこちらでは確認できないな。
まあ追加したのはルーツ君だから、捏造だろうね
825 :
794:2008/07/03(木) 22:54:44 ID:pRCeWXPt0
>>807 自分と考え方が違う人間なら一緒くたに「ルーツ君」ですか。酷い話です。
念のため言っておきますと、私は[[大鴻臚]]記事作成者です。
>>791氏の言う話も、元々この記事に含まれている部分を指して言ったのでしょう。
>>821 また「意味が無い」かよ。
「意味が無い」「多数が使ってる」とかそういう事ばかり言うなよ。
意味があると思うならどうぞ。俺は意味が無いと思うよと。これ以上は水掛け論になるのでもう言わない。
>>825 最近、わざわざ「立てられた」を「冊封された」に直していた
121.102.204.177
がルーツ君くさかったからそう言ったんだが
[[大鴻臚]]のことは知らん
ルーツ君扱いという最大級の侮辱をしたことは謝るよ
829 :
794:2008/07/04(金) 23:56:58 ID:niIkkiyT0
>>828 こちらも感情的過ぎるレスでした。申し訳ありません。
[[李異]]
劉璋配下と孫権配下で、ちくま版が別人扱いしてるんですけど、やはり同一人物ですよね?
特に確定的な史料が無いなら、エクスキューズ加えて改訂するつもりですが、異論がありましたら、こちらかノートで御指摘願います。
>>830 董承なんかのように、官位や移動の変遷から同一人物の可能性が極めて高いものがある一方で、逆に李儒のように本当に同一人物か微妙なものもある
李異は官位なんかの有力な状況証拠がないから、後者に属すると思うんだ
そういった点に断りを入れ、ちくまなんかでは別人扱いしている、と記しておいた上で甘寧と一緒の時の記述も入れ込むのはアリだと思う
[[公孫サン]]が公孫家の一員とは認められなかったというのは本当なのかな
俺なんかから見ても、wikiの三国志関係の記事の内容はいい加減なのが多いなw
最近は結構マシになってきたけど
後漢末の王甫って季漢輔臣賛に載ってるだけの人の他に、同名で桓帝・霊帝の頃の宦官がいる
通鑑には宦官のほうの事だけが載ってるし、明代には魏忠賢の跋扈が「曹節・王甫の変」と
たとえられた事もあるぐらいなのに、前者だけを後漢末期の人物と定義していいもんだろうか
>>834 むしろ、前者は項目を立てるほどの人物とは思えない
前者も演義で人生が改竄されてるわけだから
記事にしても害があるわけでもないがな
>>831 御助言、ありがとうございます。とりあえず改訂しておきました。
今まで気にしてなかったけど[[虞美人]]は前202年に死んだとして良いのだろうか。
>>838 あ〜そっか、これはすまん。m(_ _)m
いやいや、今まで俺も気にしてなかったの気にしない気にしない。
生没年カテゴリーを弄りたおしてたんだけどさ〜。
たとえば
[[Category:紀元前60年没]]の100年後が[[Category:310年没]]だったりさ、テンプレの挙動が少しおかしいんだよね。
どうにかならんのかなあ…?
リダイレクトを普通の記事にするときって、リダイレクトページを直接編集すればいいの?
リンク先と重複記事にならないかどうかなどは確認しておいた方が良いな。
[[太傅]]、[[太保]]
これとか
[[三師]]にある[[太傅]]、[[太保]]をクリックすると[[三師]]に戻ってくるんだぜ
陳留太守〔後漢〕→東阿令〔曹操〕
→屯田都尉〔曹操〕
棗祗のこれって間違ってない?陳留太守になったのは時期が明記されていないが、東阿令になるより前とは思えないな
屯田都尉の後か、もしくは曹操の令には郡太守を追贈したらしきことが書いてあるから、追贈だった可能性もあるんじゃないか
「故陳留太守」は死亡後に言われていることだから、最終官か追贈官が陳留太守だったとみるべきだろう
それに本文中に羽林監だったことも頴川出身だということも抜けてるな
>>845 失礼しました。
陳留太守の部分は、高位を捨ててでも曹操に付き、東阿の令を引き受けたのではないか、と解釈したためです。元・豫州刺史でありながら袁尚配下となった陰キの例が念頭にあったためでもあるのですが、やはり、断定は避けた方が良かったですね。
羽林監と頴川出身は、編集段階での見落としです。
「魯叔旦とも呼ばれるという。」
いい加減どうにかしてくれ。
>項羽を生んだ項氏もまた、周公旦の末裔のひとつと言われている。
これ、以前項羽だか項梁だか項燕だかで疑問視されてなかったっけ?
『典論』姦讒篇
至蔡氏有寵、其弟蔡瑁、表甥張允、並幸于表・・・
>>171 超々遅レスだけど、[[朱全忠]]の白馬の禍のこと、完全な勘違いでした。すんません。
>>849を根拠にして劉表・張允の続柄を決めてもいいんじゃないの?
囚堯城のことは水経注が俗喭と断った上で言及してるからウィキペ発祥のヨタ話とは違う
IPのアホが汚していっただけだから要出典も剥がしていい
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 13:27:33 ID:tPrZup/B0
残念だが・・
典略によっても”表”が「劉表の」か「母方・妻方の」か確定できなくないか?
後者の用法が曹丕の頃に普通に行われていたかという問題にもなりそうだが
典論な
>>858 確かに、「表甥」が「外甥」と同じか問題になりますね。
それでは、もう一度、『典論』と『後漢書』の記述を並列して、不確定に戻しておきましょう。
[[後主 (陳)]]
かなり記述があやしい。
とくに張麗華が斬られたところなんかはデタラメもいいとこ。
朝鮮役関係も頼むよー
[[鄒魯]]
リダイレクト先が[[檀君]]なんて、あんまりです・・・orz
もしかして民国の人物記事書いてる人ですか?
たんたんと増えてるから凄いなあと思ってました。
めげずに頑張ってください〜。
>>863 ありがとうございます。
南方政府系の人物に大分偏ってたので、そろそろ北京政府系か国民党系に移行しようかな、と思ってます。
新末後漢初や三国志にも、取り掛かりながらですが。
あのさ、「[[前漢]]の人」とか「前漢の官職」とかはちょっとどうかと思うのよね。
前漢って聞いて「それ何?食べられるの?」って人もウィキペディアを読んでるからさ。とりあえず前に中国をつけておいたほうがいいと思うのよね。
>>865 [[前漢]]という風にリンクが貼られていればおkでしょ。
「それ何?」と思うならリンク先で確かめればよい。
官職の方は該当する項目があればそっちにリンク貼ればいいけど、
ない場合はこれから充実するのを期待するしかないな。
地道に官職名を増やしているてぃーえす氏乙。
>リンクが貼られていればおk
うん、そうとも思うんだけどね。一目でわかるようになってた方が良いかなと思うのよ。8バイト付け足すだけだからさ。
別にくさすつもりは毛頭ないのよ。ただちょっと気になったかなってだけだから。てぃーえす氏いつも乙です。
>>867 まぁ、冗長に感じない範囲なら付け足してもおkという気もしてきた。
[[Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)]]
2 導入部
人物の国籍・地域 - 日本語版なので日本人を扱っていてもそのことが分かるようにしておいてください。
つまり日本人などと明記したり、征夷大将軍のように日本にしかない称号を記載したりします。
国籍と活躍していた国が異なる場合は個々に応じて最適な記述をしてください。
有名な楊業は未だに無いんですね?
>>869 前漢、とか入ってれば中国人とか言わなくておkってことかな?
復活ルーツ君が地味に活動している悪寒。
IPがころころ変わるので追いきれんが。
元となる史料をほとんど確認しない(確認したとしてもちくま訳本やネット上の翻訳ていど)。
概説書(といっても陳舜臣レベル)やネット上のテキストの切り貼りで誤認かます。
主観的な人物評価を挿入。
あまり重要でない系譜的情報を記事の上方にもっていきたがる。
これらの特徴があれば、それはルーツ君です。
さすがに以前のように、小説や2ちゃん情報で記事を構成したりはしてない…かなあ。
少しは進歩があるものと信じたいが…、あまり変わってないかもしれない。
>>873 ルーツ君は少しは進化してるよ
ただ、あまりにも元がひどかったから、今も「貴方はもう少し控えてください」と言いたくなるレベルだ
[[日野開三郎]]
水野氏乙です。もっとこういう史学者の記事を増やしたいと思ってるんだけど、個人に関する資料は少ないんだよねー。
追悼論文集でも誕生日すら書いてないんだよな。
さらに[[邸店]]なんて記事も作ってくれてるのね。まじ乙です。このスレ見てないかも知れんけど。
らりっちはそろそろ[[二十等爵]]を作るべきだ
というかつくってくだちい
ごめーん、今は[[北宋]]の方で手一杯なんだよね。資料を探してきて読めば読むほど、今の記述に物足りない部分が多くなってさー。それでまた他の資料を探してきて・・・とループ状態。
とりあえず西嶋氏の『二十等爵制の研究』だけで書ける範囲で書いてみようと思う。
問題はこれと[[個別人身的支配]]とをどれくらい絡ませるか。[[個別人身的支配]]もいずれは書きたいと思ってるんだけど。
[[中国の歴史]]
クビライをフビライに変えた人へ
全替えできてないし。
リンク先はリダイレクトだし。
変えるんならもう少し考えてやってほすぃ。
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 23:10:52 ID:HDXeM+I/0
記事書いたのに投稿できまへん
というかつながらん
[[北史・南史]]
分割してもらえないもんだろーか?
推敲と言いつつ、誤字脱字を増やしている編集は・・・。
まあ、良いけどさ。
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/03(日) 17:19:51 ID:l9N7xjg/0
曹叡の年齢って今のアレでいいのけ?33歳って
なんか単発IDにいきなり修正されてるけど、出典は知らん。
数えでも生没年とも合ってねぇし。少なくとも正史にゃ36歳って載ってたと思うが。
>>885 ハイの字が言ってる35や34ですら無いからな
理由も分からない
ルーツ君が出没してるっぽいな
悪ささえしなけりゃ好きにしてて構わんけど
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/04(月) 23:05:34 ID:gxGL/o6a0
二十等爵
らりた乙
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 17:14:13 ID:b5uf6xIR0
>>888 内容はどうやろうか。
正直自分でも解りづらい文章だと思ったんだけど。
>>890 そうでもないっしょ
内容は問題ないかと
[[范疆]]
[[范彊]]
ところでこれをどう思う
ずっと放置されてたんだろうか
デタラメをしゃあしゃあと書くのも恥ずかしいが
それが正しいという前提で加筆するのも恥ずかしいな
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/06(水) 12:51:18 ID:UPoQqnVO0
誤爆スンマセン、中国史の記事じゃないので
>>891は上が三国演義の表記で下が三国志の表記だな
[[ノート:漢民族]]
このIP氏の言ってること理解できる?俺は出来ない。何も言いようが無い。
[[朝鮮族]]
明代以前の人物を朝鮮族に入れるのはどうよ。
というより、中華人民共和国内の少数民族として扱っている以上49年以前の人物を挙げるのは不適当かと。
「朝鮮民族」でならさして問題じゃないんだけどね。
>>896 つーか、<nowiki>~~~~</nowiki>って、素直すぎるヤツだな。
あいつがウィキペディアの機能なんかより先に覚えるべき事は山ほどあるけどな
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/09(土) 01:08:17 ID:osSzf88w0
[[蜀書]]はリダイレクト化でいいよな?あんまりだろ、あれ
[[宰衡]]って記事あるのかよ・・・って思ったら[[王莽]]にリダイレクトされてやがった・・・
雑談・質問スレッド其の壱
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161622732/242 242 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/08/11(月) 19:01:47 ID:na4/nWG6O
三国志の楊秋が211年の関中の戦いに破れて安定まで逃げ、のち曹操に下り
「何故逃げたのか?」
と問われて
「つきあいで」
と答え、その答えに曹操が笑って楊秋を許したという逸話は何という書物
に載っているのですか?
ウィキペディアに記載されており、陳舜臣の秘本三国志でも読んだ記憶が
あるのですが、原典がわかりません。
コピペしとく
これはどうなんだろうな
拓跋氏の先祖が李陵という件をどっかに書くかどうかちょっと迷ってる
>>904 やめとけ。ルーツ君なみのガセだぞ、それ。
『魏書』序紀第一や『新唐書』宰相世系表五下を読んどけ。
唐の隴西李氏の先祖の話と混同してるんじゃないか?
まあ李淵の先祖が李信だとか、李広だとかの話も相当信憑性低いから、ウィキペディアに書くことは勧めないけどな。
しかも隴西李氏は李広の次子の李敢の子孫とされているから、李陵の子孫とされてるわけじゃないしな。
史料に記されている話とルーツ君を一緒にするなって。
頭ごなしに否定する前にちょっと調べてみなよ。南朝系の史料な。
拓跋氏はじめ北族系は自己の正統性を確立すべく系譜操作をなんども行っていて、
そのうちの一つに李陵子孫説があるんだよ。
『史滴』って雑誌の27号にそれに関する論文もあるから見てみ。
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 00:09:39 ID:x3LLRldYO
宋書索虜伝参照
《宋書》卷九十五〈索虜傳〉
「索頭虜姓託跋氏,其先漢將李陵後也。
陵降匈奴,有數百千種,各立名號,索頭亦其一也。」
>>906 でも、百科事典に書くほどのこともないと思うぞ。
史料に存在するかどうかはともかく、胡散臭いルーツ話なんて逐一書いてたら
ルーツ君なみにウザいよ。
>>906-908 諒解。『南斉書』魏虜伝にもあるのな。
匈奴の李陵の子孫が鮮卑の西部大人になる経緯がよく分からんけど。
李陵の子孫が匈奴の奴婢に落ちて鮮卑の西部大人になるのか?
もし書くのなら「拓跋氏」の記事だろうな。ほかはいらん。
やるなら「拓跋部」もしくは「北魏」に始祖説話っていう項を作るのがベストかな?
>>909 >史料に存在するかどうかはともかく
史料に存在するから書くかどうか迷ってるんだろうが。
ご先祖様神話ってのは「胡散臭い」で切り捨てるものでもないだろう。
絶対書くなとは言わんが、もっとほかに書くべきことがあるだろうに・・・
始祖説話ってのはその集団のアイデンティティーに関わる問題だから、
重要度はかなり高いと思うがな。
もっとほかに書くべきことがあると思うのなら、自分で書き足しておくれ。
そこまで言い切るんなら、具体的に事項が思い浮かぶんでしょ?
具体的になによ?
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 15:18:07 ID:x3LLRldYO
始皇帝の時とそっくりな展開だ
始皇帝の話って呂不葦が父親云々っていう話?
それとはちょっと違うと思うけどなあ。
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 16:29:24 ID:x3LLRldYO
違う
このスレでの話
59.166.21.25ひどす。
61.209.180.19氏乙。
また戻されたけどね。困ったもんだ。
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 14:18:07 ID:5iDtLfamO
何があった?
[[特別:Contributions/59.166.21.25]]
これ
うわぁ。何ぞこれ。
59.166.21.25君の問題点。
「凶悪な」とか百科事典にふさわしくない主観的な形容句をつけたがる。
年代を改竄したがる。
殷の帝〜を王〜に改めたがる。
帝辛に対して拘りがあるみたいね。何ゆえかは良く解らないけど。
楚漢戦争を漢楚戦争にしたりとか、項羽と劉邦の語順とかにもこだわりがあるみたいだよ。
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 22:22:03 ID:r8YUQH5X0
随分面白いのがいたようだな
59.166.21.25
投稿ブロックかかって別IPでなおも暴れてる。
202.241.78.236
会話に応じるようすもない。
坂上田村麻呂で「出自前漢高祖皇帝。」とか断定的に書くのもなにげにすごい。
スレ違いの脱線になるが、日米安保条約で自説の独演会してるのはもっとすごい。
Wikipediaがなにかってのが全く分かってないのか、対話拒否の確信犯の荒らしなのか。
もうどちらかしか考えられん。
もう問答無用でブロックで良いでしょ。こんな奴は一生改善しない。
[[Category:馬氏]]
>後漢の名将馬援とその子孫に関するカテゴリ。
このバカタレ!
もう嫌w
[[殷]]と[[劉邦]]を半保護依頼。
荒らしが続くようなら、ほかの記事も様子をみて対応したほうがよいと思う。
ところで[[秦]]で202.241.78.236君はこういう記述をしていた。
「秦の本当の出自は、後に穆公が西戎の覇となることから考えて、西戎(ユダヤ)そのものではないかという考えがある。 」
>>931 趙奢を馬氏のカテゴリってのもひどいな。
動物のお医者さんは入れても良いと思うけどね。でも出典が必要なんだろうね。
936 :
935:2008/08/19(火) 20:44:24 ID:zykOfYdt0
誤爆スマソ。
>>933 もう駄目でしょうな
これで何度目よ、この短い間で
馬氏はカテゴリの発展性が皆無だよな
削除依頼で伊尹じゃないか
>>935 どこの誤爆なのか気になる
>>937 馬援の子孫とか言わなければ、そこそこ発展性のあるカテゴリになると思うので、削除依頼には賛成しない。
>馬援の子孫とか言わなければ、
血縁を無視したカテゴライズって、何か意味あるのか?
[[Category:司馬氏]]
司馬遷も一緒くたにされてる・・・
司馬相如も入ってるな・・・
一般参加者が気づきにくいところだけに被害は甚大だな…
>>939 ああ、そういう考えのカテゴリだったのか。
そういや「中国の氏族」カテゴリの下位カテゴリになってるな。
たんに氏の名乗りだけでまとめていいわけじゃないのね。
了解した。
しかし、同じ血統の一族だけでまとめるカテゴリなら、
[[Category:謝氏]]は陳郡謝氏もしくは陽夏謝氏に改名するとか、
[[Category:蕭氏]]は蘭陵蕭氏に改名するとかしないと誤解を招くぞ。
実際、[[Category:蕭氏]]に契丹(遼)の后族が入ってたこともあったと記憶する。
>>943 >[[Category:謝氏]]は陳郡謝氏もしくは陽夏謝氏に改名するとか、
>[[Category:蕭氏]]は蘭陵蕭氏に改名するとかしないと誤解を招くぞ。
同意。
>実際、[[Category:蕭氏]]に契丹(遼)の后族が入ってたこともあったと記憶する。
今見たら入ってなかったよ。見逃してるだけかもしれないけど。
しかし[[Category:遼東公孫氏]]なんてのもあるのか。発展性のかけらもないな。
[[呂布 (蜀)]]
またバカが・・・。
ウィキペディアも夏ですか
>>944 もし気になるならだが、[[蕭敵魯]]の変更履歴とか見てみ。
[[Category:蕭氏]]に入ってた過去の版があるから。
>>903が放置されてるから答えといた
次のもスルーしにくくて成り行きでレスしたけどこの方が調べる意義があると思う
あんな答えでいいか?
あと[[郭虔カン]]に遙領節度の赤リンクを見つけたから誰かやる気のある人は埋めて
[[呂布 (蜀)]]
はどうすんの?前に削除した時同様にむじんのパクリ同然なのは変わってないわけだが
仮にパクリじゃないとしても、一ヶ所にしか出てこない上に「配下の武将」としか言えない程度の人名について記事は要らないと思うけどな
>>949 ?どういう意味?
>>948 戦乱の時代の「遥領」は「いつかあの地を奪ってやる」っていう表明で、それに任命される人間は攻略の際にはその責任者となるとう意味合いがあるんだろう。
逆に宋代のそれは現代の台湾が南京が首都と言っているようなモンで実際にはやる気が無いみたい。
節度使も防禦使も刺史も全部名誉職だから「遥領」も名誉職の中の階梯を示すもので実際の地方官と遙領の差異をあらわす物とは違うんじゃないかなと。
質問スレに書くべきなんだろうけど、何にも調べないで単なる推測なのでこっちにかきました。スマソ。
丸パクリなら削除上等でしょう。
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/20(水) 22:21:27 ID:hHlDAdQj0
[[Category:関氏(中国)]]
これはなんのギャグだ?
日本の氏族なら意外なとこで子孫がいたりするけどなぁ
シナでその手のカテはいらんでしょ
949じゃないけど
>>951 >
>>949 >?どういう意味?
ググればわかるけど、即時削除の理由の一つで
「削除されたページの改善なき再作成」
だそうな。
またアイザールか。
[[逸周書]]
>諡:皇帝の諡は原則として『逸周書』「諡法解」を準拠として決定された。
[[ノート:献帝 (漢)]]で議論になってたから気になってるんだけど、これ、言い切っちゃっていいの?
[[孟獲]]
>以下は『華陽国志』諸葛亮伝による
>建寧郡出身で、漢族とタイ族の混血とされる。
タイ族??
いや、華陽国志読んだことないんだけどね。
>>951 歴朝の遥領一般について本来の地方官と俸禄に差が付いたり付かなかったりしたんじゃないか、
という推測を示すために宋史職官志を出してみたんだよ。他に遥領の禄に言及したものも見つからんし
確かに宋代の節度使ほかについては言われたような問題があるし、安易な一般化もいいことないんだけどね
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/21(木) 21:35:22 ID:STT5MrBx0
>>955 即時削除にしといたわ
つうか実在しようがしまいが、一ヶ所だけに出てくるだけで、しかもただ負けたというだけの人物まで記事を立てるべきとも思えないな
{{即時削除}}がもう剥がされてる・・・
書いてから思ったがNISYANって管理者?
>>961 [[Wikipedia:管理者]]には名前がないね。
なんか釈然としないテンプレ外しだな
俺が削除依頼出すと絡まれそうなんで、誰か出してくれないかな?>呂布
つうか、呂布(奉先)の記事自体も書いた人間の感想と脚色入りまくりだな。
203.165.163.15
また出た。
もういやや
ルーツバカと違って、編集する項目がピンポイントだから対処はしやすいな。
何故ここまでこだわるのかさっぱりわからないが。
>>971 ルーツ君が「周倉のモデルの可能性もありうる」とか妄想を披露しててワラタ
彼が呂布 (職) の存在を知るタイミング次第では、これをアンサイではなくwikipediaの方に
書いていたかもしれないと思うとガクブルだけど。
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/22(金) 23:09:11 ID:AVu8fqpb0
アンサイでWiki以上と言っていいくらい叩かれて逃げたんだっけ?彼
なんか会話ページ見ると香ばしいな。Nekosuki600
[[盗跖]]
あまりに酷いんで書き直そうと思うけど、『荘子』以外で盗跖が登場するのって何があるかな?
(一説に、黄帝時代)
って跖狗吠堯をさらに誤解してるのか
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 14:45:12 ID:e8mqXG5n0
ルーツ君、アンサイに復帰してたんだね。IPでサブマリンだけど。
>>978 乙
[[司馬師]]
贈○皇后ってなんじゃらほい?
なんじゃらほいってなんじゃらほい
追諡○皇后なら分かるんだけどね。