■■  信長と曹操ってどっちが偉大かな?  ■■

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん@お腹いっぱい。
いちおうどっちも当時のアジア最強の帝王になるはずだったのに
一歩手前で夢半ばでいっちゃたけど
2名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 22:22:57 ID:Wo+iZmp20
韓信は?
3名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 22:49:49 ID:GC5Zr1Xu0
戦バカと覇王を比べてもらっては困る
4名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 00:00:23 ID:Wo+iZmp20
どっちが覇王??
5名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 00:02:28 ID:bup2r0A20
>>1
>どっちも当時のアジア最強の帝王になるはずだったのに

信長が本能寺で倒されることなければ、日本全国を平定できただろうけど、
外征は秀吉とそう変わらない結果になった気がする。

信長だったらきっとできた、という類の話は多いけど、
実際のところ、希望的観測が根拠になっているし。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 02:23:52 ID:I9bSz/H00
外征なんかしてないような気がする。
もっと友好的に行ってたと思う。

信長は新しいもの、見たこと無いものが大好きだから。

外交三昧だったんじゃないかな。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 02:29:49 ID:K7AYDOM2O
大体比べる時代が違いすぎるし。。。
千年以上離れてるしなぁ。
8名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 11:28:04 ID:ukWu67bC0
曹操は北方騎馬民族烏丸及び鮮卑を鉄砲利用せずに殲滅した。
曹操は中国史上有数な政治家、軍事家、詩人。中国新たな曲風を開創したから見るともちろん上でしょう。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 14:40:22 ID:fynZWOPzO
どっちもローカルヒーロー
10名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 17:13:57 ID:RyGIeHg40
当時の中国は絶対的な優位性を世界に対してもってたわけじゃないからな
他にも同等規模の国が周りに多数存在していた
信長時代の日本は、当時の中国以上に文化的、経済的、軍事的にははるかに上だった
信長のカリスマ性なら、西欧の文化も積極的に取り入れ利用して
アジア最強の帝国をつくり、西欧以上の存在になる可能性はあったと思う
徳川は鎖国しちゃったけどね
11名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 19:42:35 ID:3sNsYnG0O
劉備のような儒教的な血統主義者は古臭い。
曹操こそ現代に肯定されるべき三国志最強の英雄。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 22:51:09 ID:/fmPpwFG0
ちょっと両方の歴史をかじった子はなんでこの二人を較べたがるんだろうね
13名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 23:40:16 ID:d94NKwBg0
曹操と信長が入れ替わったらとんでもないことになるんじゃね?
14名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 08:06:24 ID:9AFa3GtM0
日本で生まれ育った曹操は想像できるけど、
中国で生まれ育った信長は想像しにくい。
意外と黄巾賊に加わってたりしてな。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 16:37:37 ID:sTMN8hGz0
10>>
信長時代の日本は、当時の中国以上に文化的、経済的、軍事的にははるかに上だった?
ごめんなさい、理解できない。特に経済と文化
16名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 17:23:59 ID:f4V5r5jR0
>>はずだったのに
これ歴史を語る時に使う言葉じゃないよ
17名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 21:05:43 ID:G8/L/vAKO
>>15
アホか。
戦国時代の日本の経済規模は異常だったんだぞ。
文化も西洋文化の流入と、日本文化との融合で異常な進化を遂げた時代だ。
例としては、安土城や鉄甲船とか色々ある。
その凄さなんかは、当時の宣教師の日記とか調べてみろ。


つーかいくら中国でも、たかが三世紀の国に負ける要素があるわけないだろ。
光栄や関帝廟とかのせいで近似な時代に思う奴が多くて困る。


そもそも比べる時代がマジで全く違いすぎて、本当に話にならない。
十四世紀ほど違うんだぞ。
分かるか?
千年以上経った時代の近隣国に勝ってるって、思い上がりすぎ。
常識で考えろ。
失礼にもほどがあるだろ。
18名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 21:19:57 ID:f4V5r5jR0
>>信長時代の日本は、当時の中国以上
私にはこの場合の「当時」とは16世紀と読めるのだが
19名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 22:06:18 ID:CYeUz/hi0
3世紀の支那>>>>…

16世紀の支那>16世紀の日本

19世紀の支那≧19世紀の日本
20世紀の支那<20世紀の日本
21世紀の支那≦21世紀の日本
20名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 22:12:13 ID:CYeUz/hi0
ミリタリーに限れば、16世紀の日本≧3世紀の支那かも。
ただ、それが日本≧支那に直結しないのは自明。
自国の倍以上の人間を殺し尽くすことは出来ない。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 23:49:03 ID:BOo/opf+0
仮に明軍に対して戦術的な勝利を重ね続けても、
それが征服につながることはないだろうね。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 01:27:42 ID:C9CWRlh10
いくらなんでも16世紀の日本が3世紀のシナより下はないだろ
将単騎駆けをしてる軍と鉄砲三段うちの軍だぞ
23名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 14:38:31 ID:Gs9clL4R0
>>22
それ何時の春秋時代?(戦国時代ですらない)
24名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 14:48:06 ID:C7hYgP0f0
>>21
それ、なんてエロげー?
25名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 15:24:36 ID:YP8F+xi6O
>>22
三段ってww
26名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 17:50:43 ID:RMfHAD/J0
三段は実在が怪しまれているうえ、実在してもそれほど有効ではなかったと言われている

三国志時代はそれなりに弓が発達していたので、将単機駆けはほとんど無かったと思われる
(正史で一騎打ちの記述は1つしかない 孫策VS大史慈)

ただ、長槍などを利用した組織的戦闘技術はかなり発達しているので、
2〜3倍の戦力差なら織田軍が勝つのではないだろうか……
27名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 19:09:51 ID:Gs9clL4R0
支那の諺に「勇将の下に弱卒なし」とある。
これは急に支那兵が強くなるのではなく、
勝ち馬に乗って略奪・強姦・殺人を働く為にマトモに戦うので、
相対的に兵隊として「使える」ようになるという意味だろう。
国民国家の概念が無かった頃の兵隊などどこも変わらん。
強兵は強い。そしてそんなのは地球のどこにでもいる。それが事実。
だた軍隊に限らず集団というのは、その行動を劣ったものに合わせがちだ。
最底辺の足手まといが軍隊の強さを決定する。
両方とも、軍事革命過渡期の勢力に過ぎないので状況が結果を左右するだろう。
28名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 03:10:09 ID:KCeHt+z/0
>>20
三国志時代の中国の人口は
戦国時代の日本の人口より少ないよ
29名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/03(火) 03:42:10 ID:KCeHt+z/0
うろ憶えで書いて気になって調べたら
実際は中国の方が多かったみたいだねスマソ
30名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 03:10:55 ID:sh07ZMUM0
何か戦国時代の日本と三国時代の中国どっちが強いって話になってる
31名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 15:18:36 ID:TVAtQZRN0
アホか
戦国時代はすでにアジアのなかで飛びぬけて文化、軍事、経済とぬきんでていたのに
唐がピークの中国と一緒にするなw
32名無しんぼ@お腹いっぱい:2007/04/05(木) 15:27:33 ID:R3+Fo7Jb0
>>28
どちらも3000万弱位かと

戦国に三国志当て嵌めれば
魏…織田
蜀…武田
呉…毛利なんだろうが、
劉備級や孫権級の人材まで攫ってしまう信長は曹操よりカリスマ卓越してる

33名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 19:26:01 ID:lv7HrT3H0
出身地人気で比べると・・・

信長=カオスなヒーロー、時代の革命児カッコヨスw
曹操=カス、墓でも荒らしてやっか?

国民性の違いかもしれないが曹操カワイソス。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 19:47:56 ID:H9XH0T7U0
支那:末端<幹部<大幹部<頂点
日本:末端<幹部<頂点

超二流と半一流の低次元な戦いだな…
35名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 03:39:48 ID:iwgs9pHW0
唐がピークって言ってる人はネタ?
36名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 20:42:25 ID:wX1O/VUq0
一口に唐と言っても、強盛な時期と衰退している時期の差が激しいからねえ。

>>28
三国期は統計上の人口は10分の1ぐらいにまで激減しているけど、
それは政権の人口把握能力の低下によるところが大きくて、
戦乱で人口が大きく減ったのは事実でも、実際にそこまで極端な減り方はしていないと思うよ。

>>31
軍事力なら、比較次第では日本の方が明より上だと思うけど、
経済力だと、日本は逆立ちしても明には勝てないよ。

文化はそもそも比べられる類のものではないだろうし。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 11:00:10 ID:WKrde7pR0
部下に裏切られて謀反成功して殺されてる時点で信長は駄目だろ
38名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 14:54:14 ID:PlES/Pv20
曹操も殺されかけたがな
息子が自らを犠牲に助けたけど
39名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 17:43:19 ID:bWwk/cMH0
息子の質なら曹操のほうが上
40名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 14:19:24 ID:MzB8pY+i0
一騎討ちの記述は少ないと言っているけど、なかったわけでもないようだ。
よく見る五代史のなかでは、意外と一騎討ち、あるいは敵将狙いの記述があったりする。
9〜10世紀のころの話だ。
将を討てば、軍が瓦解しやすくなるのはわかる理屈だから、ある条件下では有効な手段だったのでしょう。

あと、さかもぎで柵をこしらえ、騎兵の足止めをしつつ矢を射掛ける、というのはその時代にも用いられた戦法。
織田の場合はそれにプラスして鉄砲が加わって、より殺傷力が増えたといえるかな。

織田信長の時期、日本というのは金の産出量がすごくて、経済的にはかなりのものといえたそうな。
日本史はよくしらんから、知ってるひとに任すが。
仮に内より崩壊しかかった中華政権ならば、外圧に屈する可能性はある。
それは日本とて同じことだが、ようは海を難なく航海できるかどうかにかかってくるでしょうね。
それがあるために、大軍はおくりこめても物資が沈没したとか、現地調達したら民衆が牙をむいたということになるから。
中国の民衆は粗末に扱われたら、姿を晦ますか、積極的に反抗するかという二択になることが往々にしてあるから。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 17:32:08 ID:wpgDuemV0
信長ごときが曹操に勝てるわけない
42名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/22(火) 23:57:21 ID:9F486m2+0
>中国の民衆は粗末に扱われたら、姿を晦ますか、積極的に反抗するかという二択になることが往々にしてあるから

万国共通。日本特にこの頃の民衆が酷政に素直に従っていたと思ったら大間違いですよ、
43名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 10:40:40 ID:gK7tBjWc0
>>40
金もそうだが、それよりも銀の産出量が多かった。
その点で確かに日本は金満国家だったけど、
経済力の基本となるのはやっぱり農業生産力。
その点で当時の日本は、長江流域を押さえる明にはとても太刀打ちできなかった。
明朝の経済政策はかなり下手糞と言えるものだったけど、
それと国の経済力は別の話。
当時は手工業でも明は世界の最先端を進んでいたし、
準鎖国とでも言うべき海禁策を取っていたとは言え、国内での物資流通は盛んで、
商業も大いに発達していた。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 18:44:29 ID:7QjByRbd0
少なくともいえるのは、信長は日本史上最大級の英雄なのに対して、
曹操は中国の英雄のなかではかなり小物だってことだよな
そんな曹操と比べられるぐらい日本の英雄はスケールが小さい

まああえていえば、曹操は部下に裏切られて殺されるような間抜けではなかったというだけ
信長よりマシ
45名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 21:54:29 ID:fM92WWXN0
44
たしかにそうとも言えるね、たしか陳先生も三国志の英雄は曹操も諸葛亮も
含めて二流、三流の英雄ばかり、だからこそ親しみが持てるのだ、と仰って
いたからね。
35
宋、元だろう?
46名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 22:09:16 ID:SNol6qw+0
ピークって何を基準にするかにもよるけど、
経済、文化的な面ではまあ宋代が妥当だろうね。
軍事面で弱く、版図は小さいけど、後への影響も大きな時代だし。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 22:19:15 ID:6C1Iypt20
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
48名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 23:09:30 ID:A9Pw/kVz0
>>45
そんな小説家の陳よりも歴史家の堀が「曹操 三国志の真の主人公」と言う本書いてるぞ。
よめや。
49名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:06:39 ID:2Xc6IDDo0
>>44
そんな貴方一押しの英雄とは?劉備とか?
50名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:29:44 ID:uZas/G7e0
>>49
それを訊いちゃだめ。
曹操批判するおれスゲーの境地に入ってるんだから。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 23:07:57 ID:WyE+oqGA0
信長と曹操はありとあらゆるところが似ているが1つだけ似てないところがある
人を信じるか信じないかだ

信長は家臣をとにかく信用した 家臣に領土を与え、兵を与えた その結果滅びた
曹操は家臣を信用しなかった 家臣に軍を任せず、あの広大な領土はほとんど曹操1人の力で取っていた その結果天下統一できなかった
信長や曹操じゃなかったらあれだけの領土拡大は無理なのだが・・逆に最後の1手でポカる 詰め将棋までは非常に上手いんだけどね
52名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 19:02:09 ID:7IIx48sF0
ありとあらゆるところってどこも似てねえよ

曹操が家臣信用してない?あほか

曹操が軍を率いてない戦いなんていくらもあるわw
53名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 19:49:05 ID:qGOC30Kb0
信長と曹操の違いかぁ。
ひとつ思うんだが、信長って毛利水軍に負けたあと、それで萎縮せず対抗策を講じたが、曹操はどうだったろうか。
赤壁をそれとするなら、曹操はそこまで踏み込まなかった。
やっぱり信長に比すのは柴栄のほうが、事績が似ている気がする。
ただ人は信用しなかった… というよりしてはいけなかったご時世だったが。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 20:01:44 ID:XZd57zT30
>>43
当時の日本は、畿内とか濃尾平野のあたりの方が農業生産力=石高が大きかっただろうね。
関東とか未開拓の地が多かったし、越後や奥羽は、
当時では稲の栽培にあまり適してはいなかった。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 11:56:51 ID:B9ATigu+0
治水が上手くできていなかったのも大きい。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 17:15:05 ID:10I7E7W30
赤壁。自身九死に一生、国力傾くほどの大敗したら、普通は慎重になるんじゃない? >>53
毛利(村上)水軍と九鬼水軍の戦いは所詮、本願寺の補給路を断つための脇戦でしょう。
織田軍の主力は不参加、経済的損失も軽微。比較の対象としては不適当では?

あと、別板の類似スレでも後周の世宗を推してらっしゃるが、北宋に直結する大国の天子様と
尾張半国の出来星大名からのし上がっていった総見院では、事績が似ていると言われても。

私も多少の類似点は認めたけどね・・・
57名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 17:55:30 ID:JPZ9Agy+0
>>52
家臣を本当に信用していたらもっと権限を渡すだろ
58名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 18:06:09 ID:/5q2I1F90
>>56
まぁ、表面的な比較ね。あんまり深くはつこんでないし。
でも、「類似スレ」ってなに?
そのものずばりスレで、比較表は書いてみたけど(この板だし)。
結構おもしろんだよな、両者の比較。似たもの同士というか…

で、曹操と信長の比較だけど、ずいぶん前のコーエー武将ファイルにある曹操の列伝とこで、似ている、としていた。
それはそれで納得だったし、高校の授業のときも、先生がやたら詳しく、似ているっぷりを熱弁していたっけ。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 20:06:19 ID:10I7E7W30
>>58

「類似スレ」とは↓のことです。
ttp://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1181822291/l50
ここの38さんとは別人でらっしゃるようで、これは失礼しました。
この件に関する愚見はこのスレの39に、魏武との比較もその
スレに披露してますが、まぁ信長ごときでは比較するのも恥ず
かしいだろ、ってのが本音ですな w
60名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 20:58:43 ID:/5q2I1F90
>>59
なるほど。
でも、信長も柴栄も、格が違うとか思わないんだよね。
人間社会の中で、その意思というか流れを作った象徴みたいな存在だし。
比較するのは面白いよ?
高平の単騎乗り入れ伝説とか、孫晟の鳥居強右衛門とか、水軍強国の度肝を抜いた闘艦とか…
あと、仏敵認定もそうか。
苛烈、短気、趙匡胤を馬車馬のごとく使い倒すあたり。
信長と似ていると思うのも無理ないと思うけどね。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 22:03:05 ID:10I7E7W30
>>60
まぁ、中華はもちろん、日本もそれなりの長い歴史を持つ国なんで、過去をほじくり返せば似たような事績の人間が
いない方がおかしい、とも言えますな。

教科書的ですが、確かに社会現象も似てる。
唐末の節度使と日本の戦国大名の類似性。
節度使の多くが軍の掌握を官僚制によらず擬制的親子関係に求めたため却って下克上的王権交替が頻発したことと、
いうまでもない日本室町末期からの下克上頻発の社会的類似性。

趙匡胤と秀吉も似た事績がありますよ w
禁軍を一手に掌握し下克上の象徴であった殿前都点検、太祖自身もそこから帝位に推戴されたんだけど、この職を
三権に解体し下克上の流れを断ち切った。農民上がりの秀吉が刀狩りで最下層の浮上を断ち切ったのと同じでしょう。

スレ違い、失礼。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 22:05:13 ID:BzG/EKo00
日本は封建制の残っている封建社会、一方中国は「専制国家」。
社会構造としては正反対なんだが。
63名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 22:16:50 ID:/5q2I1F90
>>62
建前はね。だが、五代十国のときは日本の戦国時代と同じ「武人政治」の時代だった。
節度使という使職は観察使という民政と徴税権を兼ね、中央からある一定地域を任されるわけだから、形としては封建制に近い。
だからよく似ている。下克上もそう。
これは実のところ、後漢末も似たような状況だったのだ。
唐末と後漢末って結構似てるんだよね。

ちなみに、知っているとは思うけど、その武人政治で分裂した社会体制を、再び「専制国家君主独裁制」への流れを作ったのが柴栄。完成させたのは趙匡義。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 16:53:15 ID:CgUZ6LDg0
つうか暗殺されない心構えは統治者としての基本的な素質の一つだろう。
其の点に関して曹操ぎりぎり合格、信長落第
65名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 18:01:41 ID:NdZJda240
言わんとすることはわかるけど、本能寺の変は暗殺と言うより謀反だ >>64
あっさり諦めてそこで死んだのも、統治者としてはどうかと思う。(まぁ死体が発見されてないが、死んだだろう)

なにより、久秀、村重、トドメに光秀と重用した奴からことごとく謀反された信長は統治者以前、人間性の問題だな w
66名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 20:16:17 ID:i4Vg/AeV0
>>65
信長の最近の評はそんななんだな。
おれ中国史ばっかだったから、信長評はコーエーのマンセーくらいしか知らんという…
>>重用した奴からことごとく謀反
確かに、柴栄ではないわな…。ううむ。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 21:20:47 ID:NdZJda240
いや、最近の評というより四百数十年、変わらぬ事実ですな。>>66

信長の革新性について行けないものが謀反を起こしたのなんだの、
この件についても、詭弁に近い擁護はあちこちで見受けられますが。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 21:30:23 ID:i4Vg/AeV0
>>67
言葉足らずで。
最近の評といったのは、昔はそういった(ネガティブな)事実を、あんまツッコンでなかったような記憶が。
謀叛された信長に問題、じゃなくて謀叛したやつに問題、という感じかな。
自分としては、異様にマンセーされるよりは、そういった負の面もきっちり考慮に入れるほうが、よけい個人が好きになる。
柴栄、柴栄言ってるけど、彼にだってとんでもないミスや、それどうよ?的なものもむろんあるし。
そういうの込みで好きなんだよな。
暗殺という件では、柴栄も趙匡胤暗殺説とかあるって聞いたが、詳細はしらん。
つか、曹操の話だよな… すまん。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 23:19:37 ID:NdZJda240
もちろん、修辞的表現であったことは承知してますよ。

何もアンチ信長というわけではなく、彼が日本史において一定の役割を果たしたこと、
英雄の一人として十分な資質を持っていたことまでは否定しません。
>68さんのように、マイナス面はマイナス面として正当に評価して欲しいだけです。

下から二行目、宋の太祖が後周世祖を暗殺したってこと?
うーむ、兄のためとかなんとか理屈付けて太宗ならやりかねん気もするが w
70名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 23:40:31 ID:S+p/z/xz0
謀反を起こされたこととか、虐殺自体は、そんなに評価を落とす材料にならないとは思うけど、
信長の場合、やたらと革新性が強調されすぎて、
何もかもが信長が独自に考え出したことのように言われてしまうのがどうもねえ。

楽市楽座とか、鉄砲の積極使用とか、他の大名が信長より先に似たようなことを実施している場合が多いし。
他者の優れた政策を選んで導入したわけだから、それだけで信長の優れた面を示すのに十分なのに、
全て信長が編み出したかのように捏造までされちゃ、
かえって信長を貶めることになっちゃうだろう。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 09:53:02 ID:geudxQxy0
信長には結構革新性とかはあったと思うけど、
些細な奇行とか、ちょっと変わったところがあると、
何もかもその革新性へ結びつけて解釈されちゃうのが……

最強英雄願望が仮託されちゃってる。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 12:25:04 ID:W4zrX4E10
>>69
趙匡胤暗殺説

どうもヨタ噺だったかも… さっとヤフってもかからんしね。
人づてのへぇ〜なそのとき話題だったから、気にも留めてなかったという…
趙普や趙匡義あたりは、かなり冷徹な思考をお持ちなので、そういう発想になりかねんからコワイ。
でもまぁ、趙普にしろ趙匡義にしろ、柴栄には恩義があるので、暗殺するほんとうの理由をもっているのは
実は趙匡胤自身だったりする。
暗殺にまで発展するかどうかは疑問だが、猜疑をかけられたことと、昇進が戦功に比して遅れたことが
北伐行前にあった、ということから。
猜疑は南唐からの言われ無き進物で、それはそのときありのままを白状して問題には発展しなかったが
柴栄の心にどういう影を落としたか、不安にもなる事柄。
昇進の遅れは、征淮南の最終的な論功で、ただ管轄節度が変っただけに留められたこと。
すでに禁軍の副司令官だったが、他にいろいろ加封できたはずなんだが、されなかった。
恨みに思うかもしれんね… 殺すまでいくかはわからんけど。

そう考えると趙匡胤は、働かされるだけ働かされ、挙句領地取り上げ喰らった明智みたいだ…w
73名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 14:48:59 ID:DO8T9hPV0
>>70>>71
結局、信長の革新的な政策ってのは、実際には他者の政策を真似た場合が多く、
信長の勢力が大きかったために、実施規模も大規模なものとなって、目立ってしまい、
さも信長が初めて創出したかのような印象を与えている場合が多い。

信長が、時代を超えた革新的な視点を持った天才なんて言われているのも、
様々な状況をそう受け取れるように解釈した場合が多くて、
確実な証拠というものがない。

独自の国家観、経済理論をもしかしたら持っていたのかも知れないけど、
書として遺したり、はっきりと説明してくれたわけではないから、
結局は推測でしかない。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 14:51:11 ID:DO8T9hPV0
つまるところ、統一を達成したり、長期政権を創業した秀吉、家康に比べれば、
これといった実績をはっきりと残せなかった信長は負け。

世界史的な視野で見ても、
源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康 >>> 織田信長
となってしまう。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 17:54:05 ID:djWdLF270
世宗を信長に比す貴方なら、太祖は秀吉に比定されていると思ってましたが? >>72

太祖が節度使から兵権を奪い軍閥解体に成功したように、信長が存命なら、天下統一後
諸侯から兵権を取り上げることが出来ただろうか? これが出来たら全く革命的偉業! w

柴田・羽柴・滝川など元からの家臣なら出来た気もしますな。しかし、降伏・臣従という形で
外様化した大名だと難しそう。そうなると天正十年時点の残存大名、全て滅亡させる ・・・
ってのも非現実的だしなぁ。あとになるほど抵抗激化で、信長の寿命が尽きて時間切れ、
地下に潜った滅亡大名の旧臣によるテロル頻発、織田家内紛で日本中、阿鼻叫喚か? w

まぁ、兵権回収という太祖の偉業は、東アジアでは例外的、奇跡的。
信長づれでは夢物語ですな。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 19:44:08 ID:W4zrX4E10
>>75
宋太祖は秀吉に比す、はもうデフォルトなんで、ちょっと違う角度から見ると、実は明智な面もあるかな、と。
宋太祖のあれは、皇帝権の回復と回復がなった後の強固な基盤がなければ不可能事だから、余計に異例です。
そうさせる流れ、というか大津波を起こしたのは柴栄の鬼の陣頭指揮ですが…

>>滅亡大名の旧臣によるテロル頻発、織田家内紛で日本中
実際、北宋も華南制圧といっても、南人・北人官僚の出身地争いや、旧後蜀領内での通貨の違いとか
まったく一色で染め上げられていたわけでもないしね。
とはいえ趙匡胤はリスクの排除にその価値があり、弟は稀にみる名君だったということが、この異例を現出した要因なんでしょう。
秀吉の後継に、成人で偉能な男子がおれば、また違ったろうけど、その偉能な男は家康だった、という話になるなぁ。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 19:59:28 ID:djWdLF270
大和大納言、あと20年の寿命があれば・・・って、豊家びいきは皆言いますな >>76
78名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 17:17:28 ID:Q0SO0UyW0
どーでもいいけど信長は本能寺から脱出したけど途中で伊賀物か武田残党あたりに討ち取られたという珍説がある
珍説だが脱出したけど誰かにひそかに殺されたというとこは意外と的を得てるかも
逆に信忠は天下人である父が死んで唯一人の後継者であったのに軽々しく二条城で戦ってるからアホ
79名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 17:48:50 ID:FOENQbBu0
>>78
お前のほうがアホ
あの状況でどこに逃げる
羽柴や柴田は遠すぎる 丹羽・信孝は軍勢すら集まっていない
美濃に戻ればそれなりの兵が動かせるが相手は光秀 逃がしてくれるはずがない
80名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 23:55:25 ID:5DcJ7l5m0
お前のほうがアホだろ
人でなしの源吾はどうして逃げれたんだ?
81名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 09:14:06 ID:pnXqYp//0
どーでもいいことではないが、的は射るんだぞ?
82名無しんぼ@お腹いっぱい:2007/07/02(月) 19:29:55 ID:7ZqHjFwO0
>>78
信忠も部下の進言で逃げようと思ってたのに
暗愚な信雄おじさんが腹切れ切れ催促してきたのが悪い
83名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 19:30:11 ID:kr6aF5uF0
的を射るのが実際には正しいようだが的を得るは小説などですらよく誤用されてるのであながり間違いともいえない・・・
というのが国語学的な結論らしい
とどっかで読んだ
84名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 20:44:02 ID:pnXqYp//0
>>83
本当に?
「当を得る」とごっちゃになってるんじゃないか…
85名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 22:50:13 ID:fy9eqTd+0
>>80
信忠が奮戦したから
皮肉なことだが、信忠が奮戦したから二条城からかなりの人間が逃げることができた
86名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 23:41:59 ID:3EGqbRT20
信忠は一応家督を譲られているんだし、みんなを見捨ててでも逃げればよかった。
ま、明智勢も信忠は最優先で討ち取る目標だろうから、追撃が激しいだろうけど。

仮に信忠が逃げ切って、明智光秀の謀反を鎮圧することに成功したとして、
秀吉、家康らは信忠を織田家当主と認めておとなしく従うだろうか?
87名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 00:55:54 ID:MXbCwwPq0
>>86
当主と認めるもなんも、あんたが書いたとおり、家督は既に譲られている。
曹操の息子達と違って、信忠以外はお馬鹿ちゃんが定説でしょ。
史実で信雄や信孝を担ぐ動きが出たのは、信忠が死んだからであって、
あんたの設定した状況で他家に出された彼らを御輿に担ぐメリットゼロ。

ただし、明智討伐に時間がかかった場合は、家康が上杉、北条、毛利、
長宗我部と組んで史実通りに信濃・甲斐辺りはちょっかい出すかも。
リスクでかいと思うけどね。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 15:18:02 ID:4LF7PZ430
いくら家康でも信忠が生きてたらそんな無茶はしないだろ
ただし秀吉などが織田家から離反したらその限りじゃないが
89名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 23:54:18 ID:miEE0uhy0
まず本能寺の変で織田信忠が生き延び、羽柴秀吉らによって明智光秀の乱が鎮圧されたとする。
この場合、織田信長の遺領と明智光秀の所領をどう分配するか。

恐らく一番手柄になるであろう秀吉に過剰な恩賞を与えると、
織田家にとって危険な存在になる。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 07:28:54 ID:Mx5Wryxf0
信長は革命家で曹操は教養家だからな
91名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 09:35:38 ID:EKPdddVG0
信長は革命家というのは創られた虚像だよ。
信長の政策は、他者が先行して行っていたものを、より大規模に行ったという場合が多い。

実際は要領のいい、バランス感覚に優れた秀才って感じだよ、信長は。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 20:44:45 ID:MqD/jycn0
小泉純一郎と江沢民ぐらいの差だろ

つまり比較しようが無い
93名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 20:59:34 ID:AseQhL2K0
信長は革命家じゃなくて応用者。
94名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 21:05:46 ID:7zzDNB330
当時の感覚からいえば十分革命家だよ
現代人は現代視点で知ったかぶりするのが痛い
95名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 21:15:52 ID:fyu6U7sZ0
>>94
当時から生きていた方ですか。
96名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 21:21:30 ID:uiKrYOjb0
>>94
そもそも革命家の基準なんて、今でも明確なものはないがな。
97名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 02:05:12 ID:Yxfzl+at0
チェゲバラやカストロと比べればいい
革命家なんて共産主義者ばっかだな
98名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 23:44:52 ID:sPLD0G0Y0
中国英雄は、誰一人として信長に及ばない
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1179742923/
99名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 10:51:51 ID:Jipg5bY50
また信長厨か
100名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 14:52:03 ID:Ee4jqCfj0
キレたら手がつけられないところとか
ムラがあるところとか
周りからあんま理解されないところとか

そっくりだよこの2人
101名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 23:32:22 ID:ZVzJR5Ot0
そういう人物ってそこそこいそうな気がする
102名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 02:14:03 ID:hGTEe5KIO
>>96
革命の意思を持てば、既に革命家だろ

103名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 06:42:19 ID:qVWNWg5N0
じゃあ思うだけで何もしなくても革命家か
104名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 19:32:09 ID:9tEQ4GSR0
曹操は教養家、特に中国の体制を変えたわけでも時代を進めたわけでもない。
過去を尊び過去を模範することが正しいと思う典型的教養化。
105名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 20:00:40 ID:xcvaO2RY0
正確には革命の意思を持って行動すれば革命家じゃね
日本の自称革新は権力持ってるから保守だけど
106名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 00:52:59 ID:VA6en8Le0
日本という狭い島国の一部分を領地にしてただけに男。
日本の数十倍ある大陸の三分の二を統一した英雄。
比べるまでも無くないか?
107名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 01:18:03 ID:zNNNOVkN0
でも中国史の中では三国志ってヘボくね
曹操がいたからすぐに終わっただけかもしれんが
108名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 01:57:04 ID:vvdLQmJd0
>>106
領土だけで能力を語るなら古今東西チンギスハーンが世界一になる
そして俺はそう思ってる
109名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 09:50:34 ID:njft/SuZ0
>>108
それ多分違う。
ジンギスカン一代の領土は冒頓と大して変わらん。
モンゴル民族やイギリス民族?が最強とかなら判るが。
110名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 14:27:28 ID:/moVcJ3q0
個人で取った領土最高は誰になるんだろう
ただ分裂したとはいえ同じ血族が広い地域を長年にわたって支配したチンギス一族はすごいよな
111名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 15:48:14 ID:WtDfG1Om0
>>110
劉秀に一票。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 23:45:21 ID:YigR8PYw0
明の洪武帝とかは?
アレクサンダーあたりもそうかも
113名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 17:36:26 ID:QXMlSMN00
領土の広さって(笑)
大日本帝国も領土広かったな
114名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/06(月) 21:03:36 ID:sGWyg49s0
劉秀とか洪武帝は中国限定か?
それでも劉秀は中国限定でも1位にはならない気がするんだが
領土拡張という意味では
115名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 09:41:48 ID:J/ZWzplR0
>>106
掌握地域の人口、生産力、技術力は信長の方が上だぞ。
116名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 10:31:26 ID:KzRn0zg20
人口は三国時代も戦国時代も大して変わらんからなww
117名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 10:39:44 ID:F8Hr64Al0
生産力・技術力は時代が違いすぎるから比較できないだろwww
118名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 12:59:47 ID:JDlRcWOZ0
>>116
三国時代の中国の人口:800万
戦国時代の日本の人口:1400万
119名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 22:26:28 ID:anyJHuj60
>>118
その情報はどこからだよ。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 03:47:22 ID:se9Z7oSU0
公式記録じゃなかったっけ
280年と1590年ぐらいの
戸籍もろくにない戦乱流亡の時代にアテになる数字とは思えないけどな
121名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 19:55:30 ID:g1I43tXs0
つーかやばい数の流民がでてる時代に何万の人がいるかなんてわからねぇじゃん。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 22:12:18 ID:L1a9pgrv0
>>121
信長と曹操を比較する上で必要なのは、両者が掌握してた人口。
こちらはきっちり記録に残ってる。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 23:08:13 ID:6Vb/XdZY0
>>122
曹操が掌握した人口って正史にある人口だろ。
豪族が自分の荘園で使役している人民は戸籍上には数えられないんだぞ。
正確な曹操の掌握人口は分からないんだよ。
124名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 02:34:19 ID:FljO0ih80
信長天皇の実現性について
125名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 07:57:22 ID:HAw6cEQe0
>>123
掌握できる人口から税収が計算される。それが国力となる。
把握できる人口が少なければ、国家財政も悪化する。
唐の均田制崩壊まで、だいたいその路線で行ってるけど
逃戸の回復には各為政者はなみなみならぬ努力をしたものだ。
しかしひとたび戦乱が起きると、貧しい農民は先祖伝来の土地を手放すのもやむなし状態。
三国時代の人口800万というのは、国家が直接税や賦役を課すことのできる人数なわけだ。
それ以外は、もちろん豪族の荘園に小作として入っている土地を捨てた農民がいるが
それは基本的に国家の収益に直接関与しない。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 13:00:16 ID:Qs1X3/Fs0
確かに戸籍に載ってない人口を、掌握してるとは言わんよな。
産業革命以前は農地面積×人口が国力だから、版図の広さも国力の基準となる。
しかし通信と物流の効率、それに基づく統治コストという観点から考えるなら、
版図の狭さはむしろ有利な条件となる。

版図の広さが活きるのは、そこから税収を得る事が出来てこそ。
人的リソース欠いてるのに広大な土地抱え込む事は、
長大な国境線による軍事的負担、通信・物流効率の低下、
それらに伴う財政と悪化と統治コストの増大を招く。

要するに曹操にとって、広い版図とは弱みであって強みじゃない。
この点信長は、狭い版図、大きい人口、高い生産力という
矛盾した強みを兼ね備えている。

曹操と信長比較するなんて、単なるイジメにしか見えない。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 11:54:20 ID:dz2buCIc0
軍略的にはどっちが上だ?
128名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 13:29:15 ID:nOqB6/yK0
>>124
信長は多分幕府のような政権構想を考えていたと思うよ。
朝廷への圧迫度合いなら実は秀吉、家康らの方が上だし、
意外に室町幕府の機構に似たものを考えていたふしもある。
129名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 09:03:00 ID:MrDYKQPA0
>>127
環境と条件が違いすぎて比較は無理。
が、あえて比較するなら、青州征服と美濃征服。
華北征服と畿内征服をなぞらえてみると面白いかも試練。



130名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 09:26:02 ID:oVAxlx/n0
軍略でなら曹操なんかより三国志では孔明だろ。
孔明は赤壁・漢中と曹操に大勝してるしな。
いっそ孔明と信長を比較したらどうだ?
131名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 10:31:10 ID:m0N9T4E40
>>130
光明の戦術・戦略の無さは正史三国志を書いた鎮守にもこてんぱんにされているところだ。
光明が曹操にかなうはずがないのだ。
わかったか、にわか。
信長だって、何度も本願寺や浅井朝倉三好に包囲網つくられていたんだから戦略的にはたいしたことがないな。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 13:21:11 ID:ZZmIZTaA0
>>131
正史読んでないどころか嘘をつく馬鹿が知ったかすんな。
「応変の将略」に長じてはいなかったのだろうか?程度のニュアンスで断定などしていない。
あんな提灯記事のどこが批判だ。孔明は無謬でないだけで、十分巨人。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 14:42:49 ID:m0N9T4E40
>>132
「大史公曰く」の史記じゃないが、鎮守が評でそう書いている以上は光明は巨人ではなくて
よい政治家だと言うことだ。
光明死亡後も蜀の政治は滞りなく進んだ。

光明が5℃も無駄に出師したあげく、なんの結果も出せないでいるのが戦術がない証拠。
ハンニバルなら何とかしたかも試練が。
134名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 15:40:56 ID:ZZmIZTaA0
正史の孔明はミニチュア曹操とでもいうべき出将入相の典型例。
どっちかだけなんてのはありえん。
また司馬仲達という三国時代でも最強クラスの指揮官がろくに手出しできないことから、
その批判は出鱈目でしかない。
粛清への予防だの八百長がどうのこうの言うなら、同じように公孫淵を放置するだろうから却下。
馬鹿も休み休み言えというのだ。

また、ファビウスを破れなかったハンニバルにしても無理。
馬ショクを使った奇策など弄さずに、
速攻で張コウを緒戦で退けるくらいはするだろうが、どっちにしても無理。
135名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 16:31:53 ID:m0N9T4E40
>>134
違うだろ。
芝居が三国時代最強クラスの指揮官とはとても思えない。
芝居が公孫縁を電光石火で滅ぼしたのは自国の領土内の内乱であったからだ。
光明の場合は他国の戦争なんだから傍観していればいいんだよ。
ファビウスのようにな。
仮に指揮官が芝居じゃなくてほかの者で出陣して戦ったとしても光明がハンニバルのようにカンナエでした包囲殲滅作戦を
出来るとも思えない。
そもそも、ハンニバルのローマ軍に対する唯一の優位は騎馬の数にあった。それで包囲殲滅作戦が出来たのだ。
騎馬の数の優位性が崩れたザマではハンニバルとて大スキピオに敗北している。
中国では伝統的に歩兵が主体の戦いなのだから、カンナエのような戦いにはならなかったろう。
光明は軍略には暗かったと言うほかない。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 17:21:38 ID:ZZmIZTaA0
呉も蜀も正統な統一王朝たる魏が支配すべき中国の一部でしかない。
公孫氏は曹操の時代から既に半独立国。どっちにしても敵性の反抗勢力。
一つの中国に一人以上の天子はいないのが原則。

>光明の場合は他国の戦争なんだから傍観していればいいんだよ。
だから、この発言は馬鹿としか言えない。
仲達に求められた至上の結果は傍観とかではなく、蜀の野戦軍団の殲滅。
小国の迷将に梃子摺ったのではなく、孔明が名将だったと解釈するのが自然(三国時代の中では)

>仮に指揮官が司馬仲達じゃなくてほかの者で出陣して戦ったとしても
>孔明がハンニバルのようにカンナエでした包囲殲滅作戦を出来るとも思えない。

これも間違い。
孔明は騎兵による打撃力の不足を連弩部隊による火力で補っていた。
その戦術教義を継承・発展させた姜維は洮水の戦いで王経相手に殲滅戦を行っている。
つーか正史嫁。

おまえが盲信するハンニバルも、国内をまとめずに勝手に戦争を初めて、
本拠をがら空きにした補給を無視の戦略で、カルタゴを己の代でほぼ半壊させた馬鹿と言えなくも無い。
もちろん最強レベルの戦術家なのは確か。
だがそれをもってしても圧倒的な戦略的不利は覆せない。

結論。おまえが言うことは全然正しくない。
137名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 18:01:49 ID:mggNJp9C0
そんな劣化専制国家相手にマジレスというのはどうか。
せめてまともに漢字変換してくれないと、内容以前に読む気がしないのだが。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 18:13:49 ID:m0N9T4E40
>>136
俺はあきれてしまった。
いかにお前が馬鹿だってことかがこの一言で十分分かった。
>仲達に求められた至上の結果は傍観とかではなく、蜀の野戦軍団の殲滅。

もともと蜀は兵站に無理があり食料補給もままならないから長期の戦闘は無理なんだな。
だから傍観してファビウスのようにしておけば自然に蜀軍は撤退するしかない。
魏の軍隊を損傷させることなく戦わずして勝つ、芝居のファビウス戦法の持久戦の方が効率がいい。

また騎兵の包囲殲滅はスピードが勝負。これは騎兵の攻撃力に頼っていたのではなくいち早く騎兵でもって敵後方に回って殲滅包囲させる戦法。
光明や胸囲とか戦術的にハンニバルとは思想が違う。ハンニバルの思想はアレクサンドロスの包囲殲滅に近いものである。

カルタゴのハンニバル戦争当時の本国の政体は貴族制で閥族があった。ハンニバルの父、ハスドルバルはカルタゴの限界をしり、一族あげてスペインに自分の領土を築いたのだ。
もともと国内をまとめるなんて考えはなかった。カルタゴは傭兵国家だから。さらに本拠はがら空きにはしていない。
新カルタゴには弟のハスドルバルをおいてきた。本拠地が落とされたのはこの時代でもハンニバルに比肩する大スキピオのせいである。
戦後ハンニバルは元老院で執政官に選ばれ政治家としてもその才能を発揮した。それをおそれたローマ共和国がなんくせつけたので、ハンニバルは亡命するしかなかった。
どのみちカルタゴは第一次ポエニ戦争に負けた時点で生き残る道はたたれたも同じだったのだ。

正史は前4史は読んでるわ。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 20:10:02 ID:ZZmIZTaA0
やーいやーい>>138ばーかばーか。おたんちん。

1 無傷の蜀漢と敵国内で戦う
2 無傷の蜀漢と自国内で戦う
3 瀕死の蜀漢と敵国内で戦う
4 瀕死の蜀漢と自国内で戦う

お前の意見を採用して征蜀をするとなると一番厳しい1となる。
ケ艾やショウ会の時は3だがそれでも厳しい戦いを強いられた。
これでは絶対に蜀漢の制圧など不可能。もう少し視野を広げたらどうか?アホ。
せっかく四川の山奥から穴熊が地元に寡兵とグダグダの兵站でのこのこ出てきたのに、
瀕死の重傷も負わせることなく「傍観して自然に撤退させる」なんて選択肢アホとしか言えない。
少なくとも「明日の誰か!後は任せた!」といった感じの一杯一杯の作戦だな。
お前が言うように孔明が雑魚ならそんな作戦取るはずが無い。
孟達や公孫淵のごとく速攻でフルボッコだろうよ。
この時点でお前の論は間違っている。いい加減認めろよおのれの恥知らずな知ったかぶりを。

>騎兵による包囲殲滅
なんか的違いなこと言ってるな。
「ハンニバルには出来るが孔明には出来るのか」とお前が言ったから論拠をあげて言っただけ。
騎兵は包囲殲滅には最重要な要素だが無くても代用は利く。
まあ、最高の戦果はそうそう出せないだろうがな。

あとお前の最大の問題はハンニバルには第一次ポエニ戦争でのハンデを考慮して同情的なのに、
孔明には荊州失陥〜夷陵の敗戦のハンデで戦略が大いに制限されているにも関わらず、
戦略が無いだの妄言を吐いてる点。
これはダブルスタンダードだろう。考察において最も唾棄されるべき行為。

あと4巻読んでから出直すが良い。プゲラ
140名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 20:32:36 ID:fxcs6Po+0
曹操と信長を比べるハズがどんどんずれている・・・・・

141名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 05:10:52 ID:skOxIHIY0
孔明厨とアンチ孔明厨はどこでもおっぱじめるからな
142名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 07:05:49 ID:q5bjkHz60
アンチ孔明厨が極論すぎるからだな。
ハンニバル厨もなんかだんだん目障りになってきたぞ。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 00:13:46 ID:9MYlTKhY0
>>51
一番似てないのは信長が政治家肌なのに対して曹操は文化人的な面を持ってたところじゃないの?
若い頃隠棲してたらしいし宗教的素質があったのかな?
他人への信頼度は同意だが、信長って実は方向音痴だったんじゃないのかな?
144名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 15:00:27 ID:Q77VhOAQ0
信長は天才とは思えないけど、バランス感覚は優れていたと思う。
145名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 17:02:01 ID:xYaELe910
政治的、軍事的にバランス感覚が優れていた性格的にアレな為政者?
146名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 18:58:35 ID:uqVgADfU0
そもそも>>1の書き方が悪い。
純粋にどちらが上かということを議論しあえる書き方にすればよかったのに。
そりゃ、孔明厨やハンニバル厨の乱入も招くよ。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 19:55:27 ID:z9O/tRfn0
信長より政宗の方ににてる曹操
148名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 22:53:35 ID:nRxV66/60
伊達政宗は田舎者という印象が強くて……
149名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 23:58:49 ID:90WmFap30
中国の伊達政宗と言えば誰が相応しいだろうか?
元祖独眼龍なあの人は違うわな。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 00:30:31 ID:n17ciYFh0
曹操は数千年経った現代でも、中国人に嫌われてるのはある意味凄いと思うw
最近は見直す動きも出て来てるけどね
151名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 12:02:51 ID:J2gUSmTN0
最近は曹操嫌われてないらしいよ。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 14:21:03 ID:LNVWJkdf0
>>149
田舎者で、中途半端に天下への望みを抱いた勢力が対象。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 04:33:14 ID:jP7YTHjl0
なおかつ天寿を真っ当してる奴
中国では生き残ったって部分で引っかかりそうだな
154名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 08:06:09 ID:MOqWRLfE0
田舎者、中途半端に天下への望みを抱いた。

孫権さん・・・・・
155名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 15:53:16 ID:oRUjcLXB0
信長の最大の業績って、秀吉を見出したことのような気がするな。

秀吉の晩年は、暴政との批判も多いけど、
長期の内戦を終結させたことに伴うやむを得ない混乱に引きずられた面も、
大きいように思える。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 16:09:11 ID:6uDnSXGn0
信長はミャンマーの軍事政権のように武力で抑えようとする。
秀吉の如き柔軟性もない。
秀吉の野心を見抜けなかった。
秀吉によって息子は切腹や家臣にされて、子、孫、姪は側室。
157名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 22:34:06 ID:2nvnD0hG0
信長は物語等では海外進出に積極的であったという描写が目立つ。
158名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/03(水) 23:32:41 ID:oRUjcLXB0
信長は、皇位を簒奪しようとしていたなんてよく言われるけど、
実際は、室町幕府を模したような政権を構想してみたいだね。
目的に上手く合致した政策を選択するバランスのよさはあっても、
言われるほどの革新性はなかったように思える。
159名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 18:09:38 ID:TeuAyjDJ0
その場合何幕府になってたんだ?
尾張幕府?
160名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 18:53:43 ID:pw4k4p2G0
>>152
公孫淵のことかー!
161名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 23:43:50 ID:QnLMSenL0
>>159
信長は大阪に城を築くことを考えていたらしいから、
普通に征夷大将軍となり、大阪に幕府を開いたかも。

162名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 01:09:59 ID:UeKxRQsD0
>>150 お前は中国人か?何て千年渡ってもソウソウ嫌いって言い切れる?
   オレは好きであるよ〜
163名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/05(金) 01:12:00 ID:LFUjPXWy0
>>161
大坂幕府ではなく石山幕府の可能性大
164名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 23:22:34 ID:6QZRHWyi0
信長が天下統一しても、結局は、
より権力基盤が安定し、中央集権度の高い豊臣政権になっただろうな。
165名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 02:42:41 ID:kFf3DqhZ0
てか、曹操も信長も結局統一できなかったんだからなあ。
そこまで偉大じゃないだろ
166名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 16:39:35 ID:XHu4Cn5q0
少なくとも俺達よりは偉大。
167名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 18:37:06 ID:KNZKsKbF0
統一たって、中国は日本の何倍じゃー!
168名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 18:41:52 ID:GrwkKoMU0
なんで曹操なわけ?

始皇帝や光武帝、李淵、明太祖、チンギスハーンのように
曹操より格上の奴なんてアジアにゴロゴロいるよ。
信長なんて日本の帝王にすらなれなかった時点で
引き合いにだされるほど大物とは思えない。
アショーカ王の方が曹操より業績は大きいと思うし
169名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 18:49:50 ID:GrwkKoMU0
始皇帝なんて辺境の秦を強国に育て上げて七国を滅ぼして
世界帝国を作り上げたのだから、呉蜀を滅ぼせなかった曹操なんて
始皇帝と比較したら三流だろ
170名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 20:45:05 ID:XgKLWb4z0
で、信長と曹操ってどっちが偉大かな?
171名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 21:10:05 ID:jsJSJjhF0
支配圏の面積で断然曹操
172名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 21:59:07 ID:DMtTjWqK0
曹操はチビ
173名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 22:20:51 ID:lzQp1JYI0
曹操は中国では一流の英雄とは言い難い、あるいは一流と言えても、
その上には超一流が何人もいる。

織田信長も日本最高の英雄とは言えない。
174名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 14:25:11 ID:0m6oUEiJO
中国史に変革をもたらした人物として、一流英傑入りしてるからどうでもいい。
統一事業の功績なんて司馬炎にあげる。
175名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 21:23:25 ID:RFm0K+SE0
織田信長は結局のところ、三好長慶のスケールアップ版だろう。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 02:09:45 ID:15q/CqvA0
曹操なんて洪秀全やら毛沢東やら始皇帝や項羽に比べたら
全然殺してないじゃん
ここまで非難されるのはおかしい
177名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 10:33:26 ID:raHzifxd0
三国演義で、劉備を聖人君子にする都合上、
それを強調するために悪役を引き当てられたからね。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 22:29:30 ID:SzFVThtn0
呉の田舎侍にやられた曹操さんとナンバーツーにぬっころされた信長さんを比較してどうしたいのか?
結構有名な人比較?有名なのは確かに有名だ。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 23:43:32 ID:4oBLl8o+0
曹操は、その呉の田舎侍に致命的な打撃は受けていない。
死後も政権は存続したし。

織田信長は、本能寺の変で政権が完全崩壊した。
豊臣秀吉は織田政権の遺産を最大限に活用したとは言え、
織田政権そのものが存続したとはとても言えないし。
180名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 15:00:36 ID:EPJx1UW70
赤壁の戦い自体実態がかなりあやふやだしね
181名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 23:11:16 ID:1iUuGCYn0
本能寺の変の後の秀吉の政権樹立の手際が鮮やか過ぎる
182名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 11:52:19 ID:7MrYZWm+0
事前に知っていたのかもね、本能寺の変が起こることを
183名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 18:46:49 ID:Cyemg54p0
事前に本能寺の変を知っていたということは多分ない。
ただ、突発的な変事に対応できる態勢を常に整えていたことと、
当時の織田家中で最大の軍事力を保持していたことが大きい。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 02:17:42 ID:y08NUAXaO
田舎侍とか名前すら出してもらえないことに笑った
185名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 22:35:51 ID:rwGXaae10
>>183
でも秀吉が黒幕って説あるよな?
186名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 23:00:02 ID:cXBTxeTs0
実際、明確な国家構想を持ち、改革を実行したのは秀吉の方であるから、
曹操と比べるべきは秀吉の方だろうな。

信長は何となく天才だし、後の秀吉、家康のおかげで、
持ち上げられている面が大きい。
187名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 14:41:11 ID:36HCWK7l0
人望        曹操>>>信長
一族・子供の有能さ  曹操>>>>>>>>>>>>>>>信長
文才        曹操>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>・・
188名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 01:51:28 ID:umtF0lj+0
>>186
明確な国家構想を持っていたのは信長
秀吉は信長の勢力を受け継いで融和と調整で天下をまとめただけ
>>187
発想力 信長>>>>>曹操
外交能力 信長>>>>>>曹操
経済感覚 信長>>>>>>曹操
189名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 11:55:32 ID:Q4OASiME0
曹操はなにもかもが中途半端なんだよ。
文化の改革に尽くしたといっても、当時の中国が
儒からの逸脱を果たしたのは老荘思想による点が大きく
曹操は老荘の熱心な支持者でも推進者でもない。
それでいて、曹操自身は儒教道徳を踏襲した生き方を貫徹。
この時点で既にカッコ悪い矛盾が起きている。
中国の文化は儒、老荘の二大柱が根本といっても過言ではないから
その点をしっかりと踏まえて改革に取り組もうとしなかった浅はかさも
曹操のマイナスポイント。
更に大義作りも下手。
「魏」なんていう春秋戦国時代の地方政権の名を冠するより、蜀のように
「漢」の名を大々的に使ってアピールする方が受けるに決まっている。
曹操は己一人で漢の名を超えられるとでも勘違いしてたのだろうか?
190名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 17:37:27 ID:9nNiVL3n0
>>「魏」なんていう春秋戦国時代の地方政権の名を冠するより

曹操の場合、自称ではなく「魏国王」に漢皇帝から封ぜられたのだから
その言い方は妥当ではない。
曹丕が魏国王を襲名し、漢皇帝から「禅譲」される形で、革命したわけだから
曹操の大義云々を言うなら、実は死ぬまで漢王朝の臣の身分を貫いた彼を
そう悪く言うことはできない。
191名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 19:03:09 ID:Q4OASiME0
漢皇帝から封ずるもなにも既に漢政権を傀儡にしていた身分でしょうに。
漢の臣という立場を貫いたのなら、お上の身分を立てるために奔走すると思うが?
それに事実として漢皇帝をないがしろにした曹操の野心がきっかけで中国が分裂。
国力そのものが低下してしまい、結果北方異民族の侵入を招くハメに。
しかも隋王朝誕生までの長期による大分裂の時代へ。
永嘉の乱は中国史の恥部としても名高いものであり、曹操が中国の弱体化に一役買ったのも
のちの歴史を見てみれば明らか。
せめて天下統一を成し遂げるほどの才能くらいあればねえ。
中国史全体の事柄から見れば、曹操は本当に中途半端な人物じゃないかなあ。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 19:33:30 ID:9nNiVL3n0
>>191
別に、曹操が中途半端、と言うのに反論しているわけではない。
曹操が魏国王となったのは、任命させたにせよされたにせよ、
あくまで「漢王朝」の制度としての範疇を越えていない。
翻って、劉備の「漢」僭称は、まさしく自称。公式な任命でも譲渡でもない。
国士の意識が反曹魏にあるからこそ、その求心力たりえるが
本来なら、国賊以外の何者でもない。
それが許されたのは、易姓革命によって人心が動揺したからだろう。

ここからは思いつきなんだが。
唐末の末期的混乱の中で、朱温が梁国王から唐を簒奪したが、唐の臣下としての
立場を貫いた晋が反対勢力として起った(前からそうだけど、正式に宣戦布告)。
つまり、現主権に対するアンチテーゼ的な意味合いで旧王朝の名を出して、ある種の
人心を得ようとする政略的パフォーマンス。
このときは唐を継いだ晋が梁を倒したのはご周知のとおり。
漢光武帝も同様で、後出しの「漢」襲位。
曹操が漢王朝の臣下の中で最大権力者となったとき、簒奪や禅譲を迫らなかった真意に
こういった、既存王朝の崩壊による人心の乱離とか、それによる強力な反対勢力の現出
なんかを懸念していた可能性は?
そもそも劉備なんていう最大要因が燦然とある以上、うかつなことはできなかったのじゃなかろうか。

それにしても、なら劉備は呉になんぞ軍を向けている場合でなかったのも、結果論としてわかる。
その辺が、後唐李氏や後漢劉氏との決定的な違いか…
まぁ、そんな単純なことでもないだろうが、一応たわごととして一例をあげてみた。
193名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 00:09:01 ID:RffRWlot0
>>既存王朝の崩壊による人心の乱離とか、それによる強力な反対勢力の現出

まあ、これは確実にあるだろうね。
事実、人心収攬ではまんまと劉備に軍配があがる結果になったわけだし。
劉備の漢僭称は確かに自称に過ぎないものだが劉氏の名、漢中の地という
大義名分を存分に利用したファインプレーだと思うよ。
曹操としてはもう意地になってでも天下を統一しないと自身が正統として扱われる事は
なくなったようなものだからね。
晋王朝が魏を正統と認めたのは晋の前身、晋の踏み台になった国というお情けから
きてるようなもんでしょ。
まあ、だからこそ結果を見れば曹操は中途半端な存在になるんだろうけど。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 19:18:52 ID:5Q+0um9i0
>>193
正統王朝認定はいろいろと難しいところがあるからなぁ。
中華の範囲というものを、漢字をもって言語とする地域という認識が古来よりあった。
だから、その漢字圏を統治できている政権が中華の統一王朝ということになるとして
分裂期も厳然としてあるわけだから、何をもって「正統」とするか。

まず考えられるのは、宋代士大夫の好きな「大義名分」。
この場合、特に顕著なのが《十八史略》における蜀漢の扱い。
ついで、地域にその正統をもとめる。
曹操というのは、その本拠が鄴、そして挙兵地が陳留、さらに擁し奉った漢王朝の京師が
許昌という、いわゆる「中原区」を完全に押さえている。
そして曹丕が皇帝に即位して大魏を建国すると、洛陽に都した。
洛陽は当然ながら、後漢朝の都として機能していた王城の地。
そういうあたりを押さえ、最大勢力であるため便宜的に「正統」とする考え方。
でも三国が並びたった状況で、ルーツ的に正統を求めるのはこじつけのような気がしないでもない。

まぁ五代十国時代になると、そんな概念吹っ飛ぶけどね。考えるだけ馬鹿らしいという。
だから欧陽脩なんぞは整合させるために、大義名分を採ったのかもしれん…
195名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 23:26:25 ID:RffRWlot0
三国時代以降から既に中国では曹操=悪とはいわれ続けてきた伝統のようなものだし
近年で不意に正当性を主張する事自体に無理があるようにも思えるね。
日本人には恐らく、信長コピーのようなイメージで見られてるからそれなりに
いい評価を得られてる可能性はあるんじゃないかな。
皮肉にも悪役扱いされてる三国志演義の隆盛があったからこそ、相対的に
正史の存在も浮き彫りになり曹操にも若干の評価が得られるようになったのかも。
196名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 01:48:29 ID:itIkG0vg0
曹操age
197名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 08:01:32 ID:28FNYY5K0
>>195
中国だと魯迅の曹操擁護以降だよ
再評価されはじめたの
インテリ層や河北人は曹操スキーが多い
許昌に巨大曹操像建設中だし
198名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 14:57:50 ID:Zk6yBOZZ0
河南省許昌市の魏武帝広場で、北京から運ばれてきた曹操像が組み立てられている。
許昌は三国時代の魏の都で、建国者の曹操(魏武帝)をたたえて像が設置されることになった。

高さ6.95メートル、重さ約200トンという巨大彫像は、
中央美術学院彫塑学部の段海康教授らがデザインした。今後約半月かけて組み立てる予定だ。
地元出身の英雄ということで、街も巨大立像の噂で持ちきりだという。

ちなみに中国では、
「説曹操曹操就到(曹操のことを話せば、曹操が来る=噂をすれば影)」という言い回しがよく使われる。
(CNSPHOTO)
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=1108&f=national_1108_005.shtml
199名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 21:27:54 ID:P3MYSh3o0
曹操の出身地は違うだろ・・・
200名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 23:58:41 ID:pOkZo6KU0
曹操のおかげで、許昌が一番輝いた時代になったものなw
201名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/06(木) 19:15:11 ID:/mH0tWMP0
http://home.att.ne.jp/iota/ten_tairiku/osyashin/osyashin.htm

許昌も関帝の威光を帯びた聖所となっている。
202名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 16:48:17 ID:uHgMN7JY0
>>200
この時代以外の許昌は確かにぱっとしない気が。

洛陽や開封の陰に隠れている。
203名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 23:36:18 ID:pdDuTecZ0
許昌って、確か汝州と一緒なんだっけ?
204現代に顕われた織田信長の霊:2008/02/02(土) 11:56:34 ID:H22sUzmj0
http://www14.atwiki.jp/415mattari/

篩いの目は日毎、確実に大きくなっている。私から民衆に知らせられるのも、この形が精一杯。
今の世界に蔓延する仕掛けをあらゆる論争の中に仕込んだ。皆々御苦労であった。全て保存しなさい。
小さな一言にも意味がこもっている。各自で読み解いてもらうしかない。
私はミノオワリの魂。ミノオワリは美濃尾張ではない。
言霊を読み解きなさい。一人でも多く。この者はイチリンの仕組。

皆よく聞きなさい。この星は自浄作用に動き出し始めている。
風邪もひき始めならば軽い養生で治せるが、病状が進むとどうなるか考えてみなさい。
発熱や悪寒はなぜ出るのか考えてみなさい。
無駄に恐れおののいている場合ではない。もう目を覚ましなさい。次元上昇などと寝ぼけたことを言っている場合ではない。
人が思っているような神など存在しない。よく現実に目を向けて、人間としてできる事をいますぐ実行しなさい。
祝詞だ祈りだ瞑想だと非現実的な事ばかりに目を向けるのはもう止めなさい。

現実に今を生きて動いて、とにかく有効手段として自然環境を蘇らせるしか道が無い事に気付きなさい。
人間が自然にしたことが人間に返ってくるだけなのだから、天変地異などと呼んで自分ばかり生き残りたがっている場合ではないぞ。
人間が人間の為だけにした事によって、人間以外の獣、草木、虫達、みんな道連れになるのだぞ。

不思議ぶったまやかしの霊的世界から離れなさい。
神はお前達が思っているような霊的存在ではない。神と呼ぶものは生命の摂理、自然や宇宙の法則そのものを指す。
人が思っているような神は霊、それも大半はまともではない霊だ。今降りている神示も殆どまやかし。マコトは一部だぞ。
火水、艮はマコト。だが艮の器はおかげをおとしたぞ。ハナサクモノは偽物だぞ。日月地は鏡だぞ。片方は虚、うつし間違えるなよ。
私は神霊の一人。クニトコタチ、スサナルの直下、アマカケルタケイサオ。人であった最後の名は織田信長。
人が幻想を抱いてきた、無い神も無い霊も本当に無くなる時がやってきた。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 23:57:35 ID:kD5WtDmU0
信長と曹操

どっちが偉大かわわからないけど
一つ言えるのは

信長は日本トップクラスの偉人
曹操は中国史では小物

スケールでかいな中国
206名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 16:28:03 ID:6AEoTT3f0
曹操は中国史では小物という意見は多く聞くけど

旗上げ当時は土地すら持ってないたった5千の私兵のみの勢力で
しかも儒教全盛の時代に宦官の孫っていうハンデ付で
それでも自分より強い勢力を持った群雄を次々に滅ぼして
ほとんどゼロの状態から当時最強の勢力を一代でつくり
時の王朝を乗っ取って自分の国まで建てたほどの男が

本当に小物なのかね?

だとしたら中国の英雄みんな光武帝レベルだなw
207名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 16:34:51 ID:h0CndXsvO
なら異民族奴隷の石勒やみなしご半農民の劉裕は何クラスなんだ?
208名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 16:38:13 ID:6AEoTT3f0
石勒とかは光武帝と同格でいいでしょ
209名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 16:46:15 ID:6AEoTT3f0
郡単位の領土拡大的には曹操と劉裕が互角くらいじゃね?
石勒はちょっと落ちる
逆に光武帝は一枚上手だな
210名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 16:56:59 ID:h0CndXsvO
また大盤振る舞いだなあ。一枚と言わず二、三枚は上手だろ。
てか寒いお家柄出身なんて大した+にもなりませんよ、という話さね。
もっとも、別に曹操が小物だとは思わないけど。魏晋南北朝時代好きだから。
だがよくいる明好きやら宋好きやら清好きやら唐好きな方々からしたら
小物に映るのも無理からぬこととは思う。
211名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:13:06 ID:6AEoTT3f0
一枚とかは表現の問題だから勘弁してくれ

袁紹とかの勢力やシバイとかの立ち回りを見るとあの時代の家柄ってのは結構重要だったと思うんだけど。

あと明の時代まで行くと人口や体制が変わりすぎてて比較できなくね?
212名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:23:46 ID:h0CndXsvO
うむ。
少なくとも他の時代に比して格別に問題にするほどとは思わんが。
そんなこと言ったら漢光武と魏武と宋武の比較だって本来なら成り立たんしなあ。
このスレなんざ問題にもならんw
213名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:30:24 ID:IGZtYMsc0
信長は政教分離など影響与えたけど、曹操は権力闘争以外特に後世に対して何もしてないからな
214名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:30:34 ID:FQ2oObgk0
唐宋好きだが、曹操を小物と思ったことはないなぁ。
あの人は十分傑物だと感じる。
まぁ、アジア最強の、とかはアホな妄言としか思えんけどね。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:38:32 ID:6AEoTT3f0
>>213
ただ単純に本願寺が敵対勢力だったから叩き潰しただけだろう。政教分離とかとは違う
216名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 18:54:55 ID:nUqN/vnf0
曹操もせめて道教神の升席にでも座れればねえ・・・
当地では1流の偉人はほとんど道教の神にも羅列されてるし。
偉大な人物といいたいのなら、中国では無視できない要素の一つ。
217名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 05:13:16 ID:kTl4jPmD0
織田信長が室町幕府を滅ぼしたとは言っても、
足利義昭は、殺されはしなかったし、征夷大将軍を解任されもしなかった。

室町幕府はかなり不安定な状態が続いていたし、
将軍が京を追われたこともかなりある。

信長はもう自分で政権を立てる意思があったようだけど、
あれでまた将軍の復権があった場合、よくある政争の一つとして扱われたかも知れない。

滅ぼしたと言うよりは、結果的に滅ぼすことになったと見た方が自然かも。
218名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 19:35:55 ID:3LVeCIJS0
本願寺も青州黄巾党も宗教的な敵対勢力だけど

信長は滅ぼして曹操は懐柔し自分の軍の要にすえたね。

降将をどしどし重要なポストにつけるのもそうだけど曹操のヒューマニズムは凄いと思うなあ。時代が時代だけに特にね。
219名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 00:01:36 ID:EOjsWg600
降将を重要なポストに?
重役はすべて曹氏、夏候氏の一族が占めてなかったか?>曹操軍
220名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 01:26:27 ID:m2TidMva0
>>217
三好長慶も一時期将軍を追放して、室町幕府の機能を実質的には停止させたことがあるしね。
いろいろ都合が悪くなったのか、元に戻したけど。
221名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 02:08:18 ID:XGy+mtWl0
>>218
徐州で大虐殺をやらかしたり袁紹軍の降兵8万を生き埋めにしたりするような人物にヒューマニズムがあると言えるだろうか。
222名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 16:43:02 ID:WI3VWdXI0
>>219
張遼、張郃、徐晃、とかが有名所。重役っていうか、重用されてたっていうのかな
早くから重要な局面で使われ後々には各方面の司令官クラスに任ぜられてる

あとは曹昂を殺した張繍、カクとかを出世させてるし、自分を誹謗した陳琳とかも登用してた

自分を誹謗した陳琳とか
223名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 22:39:16 ID:GjvXCgS10
それ言ったら
信長も古参は柴田くらいで

丹羽、滝川、明智、羽柴、荒木とか
軍団長はたたき上げじゃないか?
224名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 19:39:42 ID:YJIdcKYq0
羽柴や丹羽、滝川は降将じゃなくない?

つい前まで敵だった連中にバンバン軍を与えて働かすってのはやっぱすごいな
信長も朝倉方だった明智をスピード出世させたんで確かにすごいけどさ
俺はヒューマニズムって話なら曹操のが大物感ある気がする

つーか俺は儒教のご時世に張繍、カク、陳琳とかを登用したのがすごいと思うね
とくに陳琳は曹操の親と祖父まで貶めてるからな
儒教的にはは自分の親への危害は何よりも耐え難いものだったから、そこを許してさらに取り立てたってのは確かにすごいね
225名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 01:19:39 ID:jvLuycCzO
つか時代がユルかったって事だろ

ヒューマン五十年
226名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 01:40:37 ID:jvLuycCzO
下天のうちを比較検討
夢まぼろしの相似形近似値
ひとたび受精妊娠出産〜
滅せぬものの存在不可能性〜
存在不可能性〜
227名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 02:02:31 ID:jvLuycCzO
まあ実際の所、曹操は
演義なかったらワリとフツーの多芸キャラだろ。
信長には秀吉や光秀はいたが、陳寿は居なかった
228名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 21:17:24 ID:0zeDES/q0
じゃ、信長はトウタクだな
壊して壊して壊したが、最後は臣下同士で争って自分の名残は無くなった。
229名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 14:11:00 ID:nDz0OmUk0
まあ、曹操も信長も微妙な人物だしなあ。
「偉大」とまで言えるほどか?
230名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 22:54:53 ID:7D5tTpbC0
人によるだろうね。どこをどういう風に評価するか
そもそも歴史の人物なんてほかの時代の人間と比較してどっちが優れてるってモンじゃないし

話としては面白いけど「〜と比べて〇〇は偉大だけど〜は偉大じゃない」みたいな言い方は出来ん
231名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 01:43:42 ID:rv9DpA4YO
ひとつ確実に言えるのは、評価も分かれない程度の奴に、大した奴はいない。
多数決は、別に真実を見極めるためのシステムじゃないからな
そういう意味で、この2名は大した奴なんだろ

ただ曹操は演義バイアス掛かりすぎてて、実際の所がよくわからん
歴史が、学術的な好奇心や真実探求の対象になったのは、実はワリと最近で、
歴史はもともと、支配者の都合で作られるものであり、大衆が信じたいストーリーを提供するものであり
歴史と神話のあいだに大した壁はなかったのだし
232名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 11:29:46 ID:ZjZv6X9Z0
でも基本的に偉人、聖人扱いされてる人物の方が
普通に偉大と思えるけどな
233名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 00:31:20 ID:LVjW2Pbh0
そういうのは信仰の対象とか
実際生前にやった所と関係ないところもあるからな。関帝さまとか

いや別に関羽が能力ないとかいってるわけじゃないよ?例として
234名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 01:37:30 ID:fCR9XxkbO
だから、それを普通に偉大と思える大衆が多いから、
神話とか演義とか関帝廟みたいなモノが、提供されるって事だろ?
それはそれで別にいーけど、世評って要はバカの多数決だし、
そういう民の人気みたいな多数決的なモノは、ルソーや直接民主制ポリス以前の古来から、
独裁専制に対する安全装置として機能してきたが、
べつに、真実や最適解を求めるためのシステムじゃないからな多数決は。
ブレーキは制動力が高いほど優秀だが、ABSが制動力を高めるためのシステムではないのと同じ
235名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 16:51:25 ID:dBIluaXE0
織田信長も、一般に言われるほど日本史上で絶対の人物でもないし、
曹操とちょうど釣り合うんじゃないの。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 18:36:19 ID:LVjW2Pbh0
でも実際に人としてすごかった人なら人間としてすごさがそのまま伝わるはずだよな。
神格化されるってことは「なんとなくすごそうだけど実像がよくわからん」ってこと
だからこそ信仰の対象として人が願いをたくす媒介になる余地があるってことじゃないの?
237名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 19:04:45 ID:HxTBo6ot0
>>234
中国に置いて「偉大な人物」ってのは別に真実と思われてる正史から
抽出されてるわけじゃないよ
基本的に偉大な人物と目されてる関帝や孔子、老子などは
その性格や考え方が反映して「偉大」な人物として語れてるんじゃないかな
関帝の忠義を重んじる精神、絶対無差別や平和主義を説く
孔子や老子はその思想そのものが愛されてるんだよ
一部の厚顔な学者が能力の有無で勝手な人物評を下すことが
「偉大」の定義なんておかしいでしょ?
ほっといても勝手に大勢の人間から慕われるからこそ
いつの時代でも偉大な人物として語られてるんじゃないかな
238名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 20:07:48 ID:g5fEvF6J0
国策に利用されるような場合は、その限りではないけどね。
わかりやすい虚像を提示すれば、多くの人は容易に操縦されるものだから。
239名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 22:50:00 ID:jiGtZ0JR0
信長が比べる相手は曹操ではなく始皇帝だと思う
240名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 23:27:29 ID:HxTBo6ot0
>>238
もう意地でも認めたくないんだなw
241劉邦:2008/04/25(金) 15:56:00 ID:yv9sgMwY0
曹操
242名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 02:35:30 ID:mhPlRsyb0
曹操なんて信長の前だとびびってなにもできないだろうなwww
243名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 10:42:05 ID:jNBOMYmr0
曹操はちっちゃいからなw
244名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 13:31:32 ID:MY4CaYJu0
☆★☆415・お市騒動(゚Д゚)関連スレ・サイト☆★☆

【戦国・前世】415・お市総合【日月・ひふみ】パート6
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1209352329/l50
 ミノムシと蟲一家・懐疑派・アンチ派によるお市バッシングスレ(ミノムシ曰く「検証スレ」)
 「415=お市。お市は怒りと恨みに取り付かれた多重人格障害者 妄想癖有」

【戦国前世】建勲&お市肯定・中立派【織田信長】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1209292928/l50
 肯定派・中立派によるお市考察と関連話題のマターリ雑談スレ(自然生活や思いやりetc)
 「お市は建くんとスレ住人に育成される発展途上の巫女」

【信者擁護】建勲&お市批判・アンチ【出入禁止】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1209293726/l50
 中立派・史実派によるマターリ史実究明スレ(主に信長活動期の戦国時代)
 「オカルト的な現象を元に、真実の歴史を考察する」

まとめサイト
415の話をまったり待っていたスレで起こったこと
http://www14.atwiki.jp/415mattari/

ミノムシの発言集
415の話をまったり待っていたスレで起こったこと・蟲
http://www40.atwiki.jp/minomushi/

お市サイト
ソラノトリ
http://soratori.com/000.html
245名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 14:52:16 ID:Xsczcy7V0
当時の世界一人物である曹操と
蛮族族長に過ぎないモンゴルJAP織田では比較にならない
246名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 18:43:07 ID:3VFg2vw50
当時の・・・か。
一昔前の曹操厨はもう少し強気だったんだがなあ。
少しは現実を直視できるようになったわけか。
247名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 22:14:22 ID:DviC33CFO
↑お前くちウンコ臭いよ。
248名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 22:46:20 ID:7SvO2PSi0
>>245
しかしひどい自虐ネタだね。
日本は蛮族か。ま、そうだろうがね。今の政治家や役人みていると
249名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 12:40:11 ID:1mZfCnd80
>>247
お前の肛門も口臭いよ
250名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 18:12:03 ID:dpNLgGN00
>>245
まあ当時の世界情勢からみりゃ日本は辺境だしなあ。
古代中国と古代ローマってどっちが先進国?曹操の頃は古代ローマじゃないか。
251名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 19:03:01 ID:GccsqeQuO
>>249
嗅がれた覚えはない。包茎野郎
252名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 00:19:44 ID:GLLOvuI50
>>251
まあ、そういうなよ
今度一緒にお互いのカントン直しに行こうぜ!
253名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 00:38:08 ID:EJzijdN3O
あいにく、割礼してるんでな。カントン野郎
254名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 00:44:56 ID:GLLOvuI50
>>253
じゃあ、お前は性病検査だ
俺は治しに行く
255名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 01:55:59 ID:p+s1gidVO
カメが泣いてる
256名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 04:50:50 ID:Ca6vXCdf0
後世の影響では孫子の兵法を書き写した曹操だろうな
257名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 14:23:09 ID:1SWFtTxmO
何か日常生活で役に立った?
258名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 18:07:25 ID:FcLNzbl30
曹操厨の拠り所になった
259名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 15:16:32 ID:yB3o+L/lO
明らかに悪影響じゃん
260名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 15:44:06 ID:akQWSSfMO
オナニー本以下
261名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 09:54:31 ID:pSlMv7mr0
ぎぶ厨孫子が後に残った孫子の兵法書ってはなしかなり眉唾。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 03:05:23 ID:QFgiGKFDO
ぎしわじんでん
263劉邦:2008/05/14(水) 10:03:23 ID:u64Tg7540
三国志Xの引用だけど、曹操は織田 信長か、シーザーか、っていわれてる。
264名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 12:39:57 ID:e8LmZBpm0
コーエーの人が勝手にそういっているだけだろ
265名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 19:08:28 ID:EJb3JsV40
信長=董卓だろ
266名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 14:34:57 ID:Vusetwvg0
そもそもシーザーと信長だとステーキとマックのハンバーガーくらいの差があるような気が
267名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 17:46:39 ID:R7ReW5Md0
おれならマックバーガー好き。
で、どっちがどっちなん?
268名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 23:40:32 ID:f41w8ryw0
>>197
ちなみに、日本の信長高評価も戦後のことだね。
戦前は楠公とか太閤とか家康公の方が評価高い。
269名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 19:28:45 ID:oI73KmN/0
>>268
家康は戦前は評価低かったらしいけど
270名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 22:26:35 ID:vJqHbVdb0
ガキ同士なら明確に差が出るんだけどな

信長の子も無能なわけじゃないんだがやっぱり皇帝や文学の神様に比べるとな。
他にも異民族討伐した将軍や夭折した天才児なんかがいるし。
271名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 23:22:49 ID:e5Hmd1y+0
>>250
当時の西方世界は、安息ことパルティアもなかなか強盛だったしね

どちらが先進的かの判断は難しいけど、繁栄の度合いなら、
後漢崩壊の時期なら、まだ安定を保っていたローマの方が上かな

百年ほど遅れてローマも崩壊へ向かうけど
272名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 20:17:59 ID:KYs3m/CR0
本人:曹操>信長
子:曹操>信長
孫:曹操>信長
それぞれの国における歴史的意義:曹操<<<信長

くらいじゃないのか。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 15:57:38 ID:ysYRagkx0
歴史的意義というか、人気だな
274涼宮さん:2008/09/28(日) 12:54:03 ID:yXwjm6uV0
その二人が 比較の必要がない
275名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 14:01:44 ID:kH2+e8vf0
それをいっちゃあ面白みも何にもねえよチャイニーズ
276名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 15:03:21 ID:typbWnZ50
それぞれ主演のゲームでは似たようなポジションだし。
シェアが半分以上の大国と化け物スペック。
277名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 23:53:54 ID:PtkRazkN0
曹操に三国演義があるのならば、
信長には信長の野望がありますぜ

278名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 04:49:11 ID:I3QS5VobO
曹操の歴史的意義の方が上。
酒とか酒とかあと酒とか。


ってあそこで泥酔してる長耳手長の趙って男が言ってました。
279:名無しさん@お腹いっぱい:2008/09/30(火) 17:34:19 ID:BhvUPdK90
それと、食や碁とか詩など精通していたよ、なにせ多才。
280名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 18:36:42 ID:IgbFYcTd0
つーか、比較に出すなら秀吉や家康だな

信長は三大天下人の中じゃ一番下っ端なんだし
281名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 20:43:34 ID:wl4vUVK70
>>280
なぜ?
282名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 01:05:44 ID:4AJAC7Ff0
徳川家>豊臣家>織田家なのは間違いない。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 08:36:00 ID:w+FavhOy0
だからなぜ?
284名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 08:32:47 ID:MeVSOfSA0

ここは織田有楽VS曹子建で肩をつけようや。な。
285名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 10:49:22 ID:PAMz88f80
有楽の茶道の側面での貢献度がわからんと比べようがないな。
双方文化的には貢献度高いんだろうけど。

歴史的影響度で言うと、中部日本から三人の天下人が生まれるきっかけを作り、
ひいては彼と家康の関係が家康が天下を取ることを誘発し、
近世以降のアジア情勢に至る最初の蝶の羽ばたきの一つであると捉えれば信長もなかなか侮れん。
曹操も、曹操自身よりも、彼の存在が曹丕の九品官人法制定のための権力につながることの方が
歴史への影響としては大きそう。
ただ、一応臣下の後漢時代の徐州の名族である陳羣の進言によることを考えればどうなんだろう?
豪族だし、曹丕なくとも献策は為されていたかも知れんし、代わりに袁紹が台頭していると考えると、
名のある人物の献策は重く受け止めるであろうから、あるいはそれほど変わらないかも知れん。
異民族入植同化は前漢時代から推し進められてきていたし、司馬氏はもとからそこそこの名族故、
曹氏による抜擢がなくとも司馬懿は台頭したろう。
人物としての大きさは曹操だと思うが、歴史全体への影響度で言ったら案外僅差で信長の方が大きいのではなかろうか。
286名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 20:04:22 ID:T/MqWX+20
信長は途中で死んじゃったのがでかいマイナスだなぁ
あとちょっと性格プッツンしすぎヒステリーすぎで人として恐い。そら謀反も起こるよ…
曹操のが殺した人数は遥かに多いだろうけど、もう少し冷静な印象
反乱は多かったけど、腹心達のハートはしっかり掴んでたみたいだし

どっちが偉大かどうかは判断しかねるけど
好きなのは曹操だなあ
287名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 09:44:46 ID:XTFkm/SA0
織田信長も曹操も覇王として名をはせてるけど、
偉大という意味では信長、支配者としてなら曹操が上だと思う。
確かに信長は楽市楽座、兵農分離、政教分離等革新的で合理的な面があるけど性格的に敵が多すぎた。
曹操は革新的というより人の上に立つ器が大きく敵も居たけど、それ以上に味方が多かった。
両名とも志半ばだったけど乱世で寿命をまっとう出来た曹操はやっぱ凄いと思う。
国を治めるという意味ではやっぱ曹操の人を使う才能とカリスマで一歩上だな。
288名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 14:53:57 ID:X9hCDxKN0
革新性、合理性という点では信長のほうが上
どちらも好きな人物だけどやはり日本人として信長に一票
289名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 15:54:03 ID:+9aWeiWn0
というか軍事的な差がいかんともしがたいのでは
曹操が袁紹を倒したってのは
家康が信長を倒したようなもんだから

両方とも軍事的な才能があった指導者だが、
冷静に考えると実情ではかなり差がある気がするんだ
290名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 18:42:13 ID:Nn1KuAte0
291名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 22:42:20 ID:9bbRsn7I0
>>288
信長は実際のところ、むしろ保守的
逆に保守的なイメージが広がっている家康の方がなかなか革新的だったりする

信長はイメージで作られた部分が世間で暴走しているところがあるから注意しないと


292名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 23:55:54 ID:Ng30gCvP0
信長って革新的っていうよりは規格外の応用者だな
293名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 04:22:02 ID:xM7xu1q6O
>>289
そこで比較するのは信長なら桶狭間だろう常識的に考えて。
二、三城の主クラスが遠江、駿河の二国の主に勝ったわけだし兵力差的にも最大の説で十倍を覆すと類似。
奇襲攻撃が勝敗を決したのもな。

戦後敵がどんどん自壊していくのも。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 19:13:24 ID:B4UY6G0L0
>>293
桶狭間に該当するのは袁術戦だと思ってる
アレも当時のトップクラスの群雄だった二袁の一角をポッと出の曹操が倒したわけだから

袁紹にしてみたら曹操は半ば子分みたいなもん。
だけど勢力的には不気味な存在。でも袁紹のが圧倒的
そういう意味で俺は曹操と袁紹の関係は信長と家康の関係に近いと思う。
295名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 11:00:49 ID:y7gWmcju0
>二、三城の主クラス

それおかしくないか?
296名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 09:50:10 ID:LQykHJJV0
>>293
尾張って平野部が多くて面積のわりに生産力が高いし、
商業も早くから発達していたから、兵力差10倍というのはあり得ないけどね

石高とかを比べても、せいぜい3倍ぐらい
駿河なんて、石高では尾張の3分の1しかないよ

織田家は尾張の商業拠点を早くから押さえていたから、経済的には、
かなりリッチな大名だった
親父の信秀も、朝廷に、当時としては破格の献金をしている

信長は本人も頑張ったが、一代で伸し上がった父親も凄かった
297名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 10:33:08 ID:ytq0rv8J0
>>296

>石高とかを比べても、せいぜい3倍ぐらい
>駿河なんて、石高では尾張の3分の1しかないよ

釣り?釣りですか?
桶狭間時点では信長は尾張を統一できてねーよw


>織田家は尾張の商業拠点を早くから押さえていたから、経済的には、
>かなりリッチな大名だった
>親父の信秀も、朝廷に、当時としては破格の献金をしている

>信長は本人も頑張ったが、一代で伸し上がった父親も凄かった
ばーかwじいさんの代からだw
298名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 11:00:37 ID:aVNriKeo0
3倍差というのはすさまじいことだがな。
ひとりで三人ぶっ殺さにゃならん差だし。
集団戦でそうではない状況を作ったと言うなら、やはりすごい。
299名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 12:30:18 ID:LQykHJJV0
>>297
尾張を統一していたとは一言も言っていない

織田信長が尾張の半国、
今川義元が駿河、遠江、三河と尾張の一部と考えれば、
だいたい3倍ぐらいの差になるだろう

それと織田信秀が家督を継いだ時は、まだ清洲三奉行だったわけだから、
伸し上がったという表現でいいと思うよ
300名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 22:36:05 ID:Fm7i22rV0
三倍どころじゃない。桶狭間や鷲巣砦などの場所しってるかい?
尾張中心部さえ蚕食されてた状態だよ。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 17:43:06 ID:tFh1SKpE0
織田信秀も死ぬまで清洲三奉行。
302名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 20:57:48 ID:g/178Mhn0
桶狭間といえばアレ地理的に従来言われてるような奇襲はムリじゃね?窪地じゃなくて小高い所だろ。
雨で視界が悪かったとしても信長が後ろに回り込んだらすぐばれちゃうじゃん。
よく講談であるような「ガケを駆け下りた」とかは不可能だろ
303名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 01:13:16 ID:d6hIyyEk0
序盤の難易度は信長の方が曹操より上。
岩倉織田家敵対。道三死亡で斉藤家と敵対。
信秀死亡で、山口教継離反。
今川と敵対(信秀は朝廷工作で今川と和睦する寸前に死去)
信秀の弟、信光独立。

稲生合戦は700VS1700で信長が勝っている。
稲生合戦前は殆ど四面楚歌な信長。
304名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 05:12:29 ID:lk93cxmO0
今川は100万石くらいで、信長は当事尾張統一もしてなく20万石くらいだろうから5倍差ぐらい
305名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 06:33:17 ID:d6hIyyEk0
>>299
織田信光で、太閤検地前の尾張で10万石(尾張国史)とある。
信光自身は桶狭間前に死亡だが、信光の家系が10万石を握っていたのは変わらない。
信光の息子が、信長の完全な配下になるのは、桶狭間以降。
信長が尾張を半分も支配出来てる分けねーですなw

やっぱ、信長の方が始動時はハードモード。
曹操はイージーモードw
306名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 06:46:12 ID:d6hIyyEk0
>>304
桶狭間当時の尾張の石高は40万超位だと思われる。
信長が相続した石高が13万石〜17万石(明治政府調査)。その中から信勝に数万石分かれてる。
信光の10万石
岩倉織田家で約12万石(浮野の戦いの兵数で計算)
他に豪族。当時は尾張に石高そんなにないな。
307名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 14:21:43 ID:sI7/wMvh0
>>304
今川氏の版図、駿河、遠江、三河に、更に尾張の半分を加えたとしても、
太閤検地の時でさえ100万石に届いていない

だから5倍もの差はない
せいぜい3〜4倍と思われ

>>302
桶狭間の戦いの史実は奇襲じゃなくて、正面から突撃したという説が有力
308名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 17:30:51 ID:d6hIyyEk0
>>307

>せいぜい3〜4倍と思われ
根拠が無いw
309名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 18:56:43 ID:L+oNMmHP0
>>305
曹操の場合太守とかじゃないのでそもそも領土がないんだが。飢饉等で人や物資が集まらない中金にあかせて地元で私兵かき集めたに過ぎん。
そのかき集めた5千の私兵で一応独立するもすぐにオシャカに、その後新兵の反乱などもあり兵力に打撃、そのあともめげずにダラダラ戦い続けてようやくエン州を統治。
青州兵を降伏させやっと纏まった兵力が得られたと思ったが除州に出張ったら今度は本拠地で反乱、呂布始め諸勢力に囲まれ三城のみ残して四面楚歌、追っ払ったと思ったら袁術とご対面

どう考えてもイージーではないな。信長が厳しくなかったとは言わないけども。
310名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 21:18:45 ID:L+oNMmHP0
>>308
>>今川氏の版図、駿河、遠江、三河に、更に尾張の半分を加えたとしても、
  太閤検地の時でさえ100万石に届いていない

5倍も差はない根拠あるやん
むしろ5倍差の根拠もない
311名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 00:38:09 ID:ASH40j+L0
>>310

>太閤検地の時でさえ100万石に届いていない
今川は、港の地益と楽市楽座の利益を入れって、だいたい100万石ちょい超える位。
ゼニは大事さw
312名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 17:40:48 ID:AXucJWFt0
結局それだって目検討で5倍差の根拠にはならないじゃん
「最大5倍ほどの差の可能性も」というならわかるけど

ID:sI7/wMvh0の考察を根拠がないと切って捨てられるほどの強い根拠があるわけじゃないだろ。
313名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 19:22:59 ID:ASH40j+L0
>太閤検地の時でさえ100万石に届いていない
Wikipediaで知識手に入れた、にわかじゃねえだろうな?


じゃ、兵数でいってみるか。
浮野の戦いで信長が集められたのは約3000。信長単独だと約2000。
浮野の戦いは1558年 7月。
桶狭間の戦いは1560年 5月。
信長が尾張を統一出来たのは今川義元を討ったから。それまではそんなに兵数集められないよ。
信長単独ならこの時期はよくて、3000超位だな。
314名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 19:54:50 ID:AXucJWFt0
>>313
>>Wikipediaで知識手に入れた、にわかじゃねえだろうな?
しるか。本人に聞けや。

>>信長単独ならこの時期はよくて、3000超位だな。
なるほど。確かに桶狭間の時の兵数はそれくらいだと言われてるな。
義元が25000だとするならむしろ5倍じゃきかないかもな。
本隊や当面の数と考えると差は少なくなるかもしれないが。信長の3000は全体?
まあ義元が本当に25000もいたかは分かんないけどな。逆にもっと多いって説もあるし。
315名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 20:15:04 ID:ASH40j+L0
>>314
3000は戦闘に動かせた兵数って考えた方がいいかもな。
砦とか城の防衛の兵を足せば5000超えるだろ、いくら何でも。
ま、その5000の中に信用出来ない兵も入っているがな。
基本的考えなら、今川の桶狭間侵攻戦は織田の負け戦。
316名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 20:25:47 ID:AXucJWFt0
>>315
鷲津砦も陥落して、丸根砦も家康に落とされてるからな。
強襲か奇襲かは定かではないが、義元を討ちもらしていたら完全に勝ち目はなかったよな。
317名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/17(月) 01:41:50 ID:xIDLwGnn0
その人生の難易度

ヘブン状態:趙匡胤:酔っぱらってたら皇帝になってた
べリーイージー:オゴデイ:親父の遺産と蒙古騎兵万歳
イージー:始皇帝:国力調いすぎ 劉邦:部下最初から豊富過ぎ
ノーマル:曹操:金豊富、親族豊富は有利
ハード:信長:相続後、いきなり四面楚歌、母親に謀略をくらってみる
ベリーハード:テムジン:親父死去により部族の仲間が離反
ナイトメア:木下藤吉郎秀吉:半分勘当同然で家を追われて、その後関白に
ヘル:石勒:少数部族の長、その後奴隷から皇帝へ
クレイジー:洪武帝:食うもんねぇ、兄弟全部死んだ、その状態から皇帝へ
318名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/17(月) 02:39:23 ID:AhORzdiQO
>>309
あれだ、ぶっちゃけどっちに組してるわけでもないんであれなんだが、
太守でないから領土がないというのはどうだろう。
三公の官爵現ナマで買えるくらいの大豪族だろ?
城はないが砦に類いするもので自衛しているだろうし、開拓する土地も多いだろう。
また、開拓する奴婢や小作人、私兵に転化する奴婢や部曲にも不自由しなかったと思うが。

5000というのはその領地内で養って無駄が出ない、
兵站の維持の可能なレベルの兵士ってことじゃないのか?
319名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/17(月) 06:18:37 ID:xIDLwGnn0
>>318
その前に初期曹操は袁紹の配下。
信長と違って、独立勢力だったわけじゃない。
支援だって受けてるしな。
320前田 英雄:2008/11/17(月) 07:51:37 ID:GY7YUEbT0
曹操が上。
321名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/17(月) 12:33:28 ID:xIDLwGnn0
織田信長が上。
322名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/17(月) 17:18:25 ID:UnDlsV1f0
>>319
つまりちょうど信長の所にいた家康のポジションなんだろ?
それで袁紹(信長のポジ)を倒したんだからすごいな。ほかの有力群雄も倒してるし
>>318
たしかにじいちゃんは並みの金持ちじゃなく、政界にも影響を強く及ぼす大物
そもそも5000もの兵を雇えること自体スーパーセレブだしな。
ただ曹操は官職をやめてヒキニート(地方で汚職掃除やってたら煙たがられて左遷された)やってた。
つまりじいちゃんの財産を食いつぶしてただけだ
5000というのも反トウタクの時に参戦した兵力で、常備軍だったかはわからない。そしてほかの有力諸侯は皆10000以上の兵で参戦してるんだな。
つまりただの金持ちと正規の太守や州牧では格が違う。曹操の場合はこれにじいちゃん、父ちゃんや自身の官僚や知識人層のコネが付くが、ほかの諸侯もコネくらいいくらでもある。
加えて言うなら曹操の家は大富豪ではあるが、大豪族ではない。
じいちゃんが宦官として出世したのがその証拠で、力のある豪族ならわざわざ宦官にならなくていいからな。
その宦官のところに養子を出さなきゃいけなかった夏侯氏も同様に落ちぶれてたんだろう。
じいちゃん自身も人格者のように伝えられるが実際は邪魔者は排除して政界でのポストを獲得した成り上がり。出自とあいまって敵も多かったろう。
だからこそ最初は人が集まらず、ほとんど親類で軍部を構成してたわけだ。
袁紹の使いッパやってたのは勢力として貧弱だったのでコネのある袁紹を頼ったんだろうな。

金持ちのボンボンとして考えたら恵まれてるが、群雄として考えたらそうでもない。
それこそ腐っても大名で独り立ちできた信長と比較して、アドバンテージがあるとはいえんよ
323名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/17(月) 19:02:48 ID:UnDlsV1f0
まあ長文でグダグダ言ったが、
ようはただのボンボンの抱えてる小作人の類や土地と、地方に出て太守として割拠できた連中のそれだとレベルが違うってことだな。
最初の勢力差が物語ってる。状況も敵だらけだったり身内の反乱こさえたりで決してラクだったわけではないよ。

まあ日本の戦国時代と当時の中国では体制が違うから比べるのは難しいけどね
324名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/18(火) 00:34:26 ID:D42uxqzh0
信長は天才だよ、だってあの今川との戦争前まではアホウだと思われてたが
一夜で軍神扱いになったし
325名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/18(火) 22:20:39 ID:EuN8Sj040
曹操は袁紹と戦ってから7、8年くらいで河北取ったよな?異民族まで倒して
信長は同じくらいの期間で美濃どまり、

この差は…
326名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 01:45:33 ID:WI99wYnk0
曹操と信長で大きく違うところと言えば戦争の仕方かな。信長は桶狭間
以降は一貫してパワープレイを行なっている。つまり圧倒的大兵力を
背景に敵を叩き潰す、と言うやり方。

曹操の場合は多少兵力に差があったとしても相手の兵站とかを奇襲部隊で
襲ったり、敵将の間を離間させたりするなど、信長よりは戦達者な印象が
ありますね。

信長は茶の湯に興味を示したが時代を代表するほどの文化人と言う訳では
なかった。曹操はもちろん時代を代表する文化人である。曹操の方が深化
するタイプですね、興味を持ったものに対して。
327名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 02:10:33 ID:z6PEsRuw0
>>325
年齢考えろ、年齢。袁紹戦で、曹操は約45歳だよ。
45歳で信長は何してたと思うんだ?
第二次木津川の戦の頃だぞ、信長が数え45歳。
毛利ぶっ殺し作戦発動中だよ。

>>326
>曹操の場合は多少兵力に差があったとしても相手の兵站とかを奇襲部隊で
>襲ったり、敵将の間を離間させたりするなど、信長よりは戦達者な印象が
>ありますね。

美濃攻略を忘れるなよw

>信長は茶の湯に興味を示したが時代を代表するほどの文化人と言う訳では
>なかった。
欧州人の事忘れるなw金平糖食ったり、地球儀みて理解したり、
文化的な所では安土城作ったり(後の天下人は全員真似してる)

でも、狂う前の猿の方が文明的なんだよな…
328名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 02:18:28 ID:z6PEsRuw0
曹操はパワープレイすると失敗する事の方が多い(例レッドクリフ)
つーか、パワープレイ出来ないタイプ。
329名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 08:58:39 ID:mpWqbg2H0
大軍の統率ができないんですね
330名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 12:28:35 ID:NVvz+DuUO
パワープレイというが、孫子的には信長の方が正しいんじゃなかろうか。
331名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 17:08:40 ID:/xzo6dTL0
>>327
>>年齢考えろ
そりゃ信長は大名の跡取り息子だもんで相当若いころから独立できたからねえ。
桶狭間でまだ20代だし
>>欧州人の事忘れるなw金平糖食ったり、地球儀みて理解したり、
文化的な所では安土城作ったり

確かに風流人だがただの珍しもの好きで止まった信長と
詩聖の親父で自身も文学史に残る詩を残した曹操と同じレベルとは言えない
つか曹操ほど趣味人な権力者も珍しいと思う。学者としてもそうだが、囲碁や音楽なんかにも造詣があったそうだ。
>>美濃攻略を忘れるなよw
そりゃわかるが、上で言われてるように時間かかりすぎだろ…この分野に関しては一流とは言い難い
>>330
信長のパワープレイってのは言ってみりゃセオリーで間違いじゃないからな。
曹操の場合最初の基盤が弱かったのと、割拠してた中原が飢饉等で痩せてたから、しないというより出来なかった。
で、パワープレイが可能になって慣れないことやったらポカった。まあレッドクリフの場合疫病と水上戦を考えれば一概にそれだけとは言えないが…
むしろ強引さのほうに問題があるかもしれない。
烏丸は上手くいったみたいだけど。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 20:13:12 ID:Yk180aMw0
信長は孫子の兵法より合理主義、戦略が崩れ不利になったらさっさと一人で逃げ出す
現場にとどまってなんとか用兵の妙で持ちこたえようとようとかは無い
333名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 20:29:48 ID:fI2T9SRD0
中国の英雄と日本の英雄じゃ、なかなか比較しづらいところがあるね。
ここは中英板だから中国の英雄の方が評価が高くなりがちになるのかもしれないけど、
信長、秀吉、家康の3人は決して、曹操含む中国の英雄達に劣らないと思う。
334名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 20:36:38 ID:mpWqbg2H0
>>信長、秀吉、家康の3人

は、すでにして、柴栄、趙匡胤、趙匡義が当てはまるので、分が悪くなるっしょ。
日本は程度はともかく、歴史が浅いぶん、玉数が少ないから。
335名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 00:00:03 ID:aoCL1IOe0
>>332
それもまあ間違いではないからね
大正解ではないが
336名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 02:30:23 ID:7ICcJY+G0
>>331
1564年まで、尾張でまだ戦っているんだが?
本腰入れるのは小牧山城に移ってから。(1563年7月)
1564年からは、加治田城や黒田城を降伏させてる。書面だけでな。
尾張織田の反対勢力、織田信清の犬山落城をおとしたのは1564年8月。
1567年、稲葉山城を落とし其処へ移り、岐阜城と改める。同年、美濃・尾張の天皇領回復命令が送られてくる。
信長を岐阜と尾張の主と天皇が認めた証拠。
上洛戦なんか無茶苦茶だぞ?
1568年9月7日に出撃。同13日には、観音寺城を落として、六角の面子を書状だけで降伏させとる。

孫子的に曹操と信長、どっちが優れてるかって言ったら、信長。
極力戦わずして勝ってるからな。

曹操好きなのは解ったからさ、信長の事少しは勉強してくれないかな?
ハッキリ言って信長に関しては無知だ。

>>333
信長=柴栄だったら、曹操が霞むんですが…

>>335
後駆はちゃんと残しておろう?で、京に着いたら即反撃。
337名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 07:18:18 ID:Xb0DPIt20
信長は孫子を詳しくは知ってなかったんじゃないかな。伊勢長島の一揆
殲滅作戦とか逃げ道を残しておけってセオリーを無視して完全包囲した
もんだから飢え死にかけの一揆衆の猛反撃食らって有力武将とか死なせ
ちゃってるからねえ。

パワープレイに関しては合理的に考えればそれが一番確実に勝てる方法
だからそれを徹底してやろうとした信長はこの場合は賞賛されるのだと
思います。

浅井に突き崩されるなど。戦上手とはいかないかと思いますが、個人的
印章としては戦い方は諸葛亮に近いかもしれません。

曹操の場合、大軍率いてと言うのは実は本当にダメだったので赤壁ぐらい
なんですよね。他は関中でも漢中でも実は負けてない。劉備との戦いも、
最後撤退しているが、戦ってに負けたわけではないからね。
338名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 07:39:20 ID:7ICcJY+G0
>浅井に突き崩されるなど
姉川?だとしたら本当に信長、いや、戦国時代自体知らないんだな。
339名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 10:17:55 ID:1HA2eNc60
姉川の信長苦戦は徳川の偽造
340名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 13:36:47 ID:20lpYfpq0
>姉川?だとしたら本当に信長、いや、戦国時代自体知らないんだな。

たしかに姉川合戦は>>339の言う事を抜きにはできないわけだが、

「戦国時代自体知らないんだな。」

こんなモノ言いする奴の人間性も疑うわ
上から目線で見下したいだけかっての
341名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 15:32:57 ID:7ICcJY+G0
>>340
きちんとした反論が出来てないからだろうが。
的はずればっかじゃん?信長を否定しようとする人って。
美濃攻略が、何時から本格的に始まったのかも知らないで、時間かかりすぎとか、
浅井に突き崩されるから、戦上手じゃないとか。
いちゃもんレベルですよ?

戦国史演義(そんな物無いが…あったら読みたいw)を読んで、信長を否定されってる感じ。解る?
三国志演義だけ読んだ人に、曹操否定されたらイヤでしょ?
それと同じ。
342名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 17:01:22 ID:lOV43tyOO
なら低俗な煽り抜きで反論すればいいじゃんよ、って感じ
それなりの知識があるなら尚更って思うな

これだから歴オタは…って感じに嫌われる典型的なレスはいかんわな
343名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 18:30:03 ID:aoCL1IOe0
>>336
お前も信長が大好きみたいだが、お前の場合知識より知性に問題があるみたいだな

>>信長のパワープレイってのは言ってみりゃセオリーで間違いじゃないからな。
この俺のレスを見て、まるで俺が信長の戦術を評価していないかのようなレスが返ってくるのは読解力を疑うね。
むしろ信長は兵法の基本に忠実だと評価しているんだよ?

で、俺が斉藤氏と袁氏の攻略をなぜ比較にしたかがわかってないようだから説明しておくけど、
かかった年数がほぼ同じなだけじゃなく、袁氏は袁紹が曹操に敗れた後急逝し、斉藤氏も義龍という、どちらも力のある当主が死んでから攻略されている。
ま、袁紹は大戦で負けちゃったけどね。それでも勢力は保ってた。状況似てるんだよね。

で、内容なんだけど、河北勢力は開発の進んだ肥沃な土地でもあり、公孫賛の勢力を吸収した強力な騎兵もある。
また、歴代の北方政権がやってたように異民族を引っ張ってきて軍に組み込むってことをしてた。いわゆる烏丸突騎とかだね。
曹操がこれを攻略したときは袁氏勢力と友好関係にあった烏丸まで吸収して勢力をさらに北まで伸ばしてる。
この時点で大体実質的な中国の半分以上握ってんのかね。当時南はあまり開発が進んでないから。

で、信長は?
もちろん美濃も親父の代から攻めても取れなかった強国だが、どちらにせよ曹操と同じ年数かかって美濃一国しか取れていない。 曹操は河北4州にさらに北の一部族を吸収。
上洛すら叶っていない。勢力比的に単純な比較はできないとは言っても、普通に考えて軍事的な才能に差があると考えざるを得ないんじゃないの?
そもそもこの時点でまだ尾張を掌握しきれていない時点でおかしい。

曹操の場合は兗州の牧になってすぐ二袁の一角である袁術と戦うことになるが、撃破している。
その翌年の春にあの悪名高い虐殺に向かうけど、本拠地で裏切りが発生して呂布らに攻められ、兗州の大半を失う。
けど一年後の秋には呂布達を追っ払って、失った領土をすべて奪還した。
信長が親父の後継いだのって天文21年だから大体1552年くらいだろ?10年以上かかってるのはいくらなんでも時間かかり過ぎ。
(信秀の死期に関しては諸説あるから1、2年の誤差は勘弁してね)

仮に桶狭間を拠烽フ戦いと例えたとしても、曹操の場合その後7年で約4州(実質支配はもっと少ないけどね)
信長は美濃と尾張の二国のみ。まあ州より郡単位で比較したほうがいいのかもしれないけど。残念ながら郡単位での支配はややこしいので比較できんw
もちろん単純比較はできないが、やはり差は出る。
大体
>>美濃攻略が、何時から本格的に始まったのかも知らないで
って言ったってさぁ、道三の救援に行った時からすでに交戦状態だし、永禄4年には西美濃に出兵してるじゃん。
尾張をまとめるのに手こずってた信長の手腕はどうなんの?体制をいかに整えるかが問題なんじゃないの?

それに信長が降伏させたから凄いって言ってるけど、そんなもん曹操だってやってるでしょ。

まあ興奮して
>>曹操好きなのは解ったからさ、信長の事少しは勉強してくれないかな?
ハッキリ言って信長に関しては無知だ。
なんていっちゃうような人に理性的な議論の要求はムリなのかもしれないけどね
344名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 19:28:03 ID:7ICcJY+G0
興奮してる曹操厨って怖いわw
人格攻撃できたよw

>状況似てるんだよね
君の、主観で似てるって言われてもなぁ?
オレから見れば、似てないから反論する必要すら無い。

尾張の複雑さ、織田弾正忠家の複雑さを理解出来てないあたりが、
何とも言えないw

どうやっても信長を貶めたい人はイヤだなぁw
オレの口撃がゴミの様だw
345名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 21:34:07 ID:aoCL1IOe0
>>344
まあ、お前から最初に突っかかってきたくせに「人格攻撃」とかいっちゃう時点でお前にまともな反応は期待してないからね。
人を小馬鹿にした態度をとるくらい詳しいつもりなら 何かしら建設的なリアクションを期待したいところだけど
まあこの程度の比較的批判で「貶めてる、人格攻撃だ!」なんて騒ぐくらいだから、過度の期待はしないが。
煽りはじめたの自分なのにな。

>>君の、主観で似てるって言われてもなぁ?
  オレから見れば、似てないから反論する必要すら無い。

「俺の意見だけが絶対なんだよ!」って人か?
俺が「こうなんじゃない?」っていったら「お前の意見はゴミ。おれの意見だけ聞いときゃいい」と?
最初はアレだけ反論したのに今度は「論じる意味もない」という。
そもそも古代中国と中世日本では比較なんぞできるはずもないことは俺も述べたが、お前はここに来てる以上そのムリをやってみようって気できたんだろう?
なのにちょっと意見がかみ合わなかったら「話にならん」だからなあ、暴言付きで。
「お前の前提自体がメチャクチャだ」というのならこのスレ自体そうなのだから、そこも含めて議論で煮詰めていかなきゃならないと思うんだが。
例えば「ここはこういうケースだからある程度比較になるだろう」「いや、こうだからそれは難しい」とかね。細かいところはある程度許容していかないと成り立たないだろうし。
少なくとも俺は比較になり得そうな論拠も添えて意見を述べたのに返ってきたのは中身のないただの暴言の類。
何がしたいのか、不思議なヤツだ。
346337:2008/11/20(木) 22:07:35 ID:X4Uouvgg0
え〜、と姉川のこと書いたのはウチです。343の方は全く別のお方で、何かウチの
軽率なカキコが元でバトルになってるようで申し訳ない。
姉川の件は339さんの言うことも一応は知っていたのですが、織田方が不利だった、
と言うことを覆すほどの材料も見当たらなかったので一応採用させていただきました。

そうでないと言う資料があるのであれば、逆にそれは非常に興味深いので是非教えて
いただきたいと思います。

それと、以前信長は曹操ほど深化して極めようとはしないと書きましたが、コレは逆に
信長の美点でもあると思うのです。
裏を返せばこれは、一歩引いた上体で客観的に物事を見ることができるということ。
信長の合理性と言うのはそう言った視点で物事を見れたからこそ、だと思うのです。

曹操はそう言う客観的視野や長期的視野についてはちょっと欠けている部分もあった。
もっとも、あの混乱期にいきなり天下統一を描いてたってのも胡散臭い話だけどね。
それらはある意味曹操の文化人的な興味を持ったことに没頭しのめりこむ、と言う
性格も関係してるように思う。

性格的なことを言えば、信長よりも徳川家康に千利休を足したような人物が曹操に
近いんじゃないかな、と勝手に思ってます。
347343:2008/11/20(木) 23:26:26 ID:aoCL1IOe0
>>346
いえいえ、こちらこそすみません。

俺も別に彼の言うように信長をけなしてるわけじゃないのよね。
信長のようなパワープレイができるというのは、つまり行政のプランニングがしっかりできている証拠。
曹操は兵站に窮する場面も多々あった。まあこれはイナゴや飢饉で中国全体が荒れてた時期だから仕方ないけどね。

また非常に割り切った考え方のできる人間だったから、行動としてはかなり合理的な行動がとれる。
ここらへん曹操は先の兗州の反乱で張邈を友人だからという理由でかばいながら見事に裏切られた曹操はそういう面ではかなり私情の入る政治家。

だからそういう面では信長はかなり優れた政治家だと言える。
最後はその気質が祟って死んだのは歴史の皮肉だけど
348名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 01:07:40 ID:v3wKaWfa0
外野だけど
>>346
に結構納得した

曹操って政治家に徹することが出来ないところが駄目だったんじゃないかと思うから
陳舜臣も書いてるけど、感情過多が短所でもあるんだよな
349名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 01:37:21 ID:80L9JeNe0
孫子が説いてるのは
第一に政治が上手く行われてる国が勝ちますよ、次に戦略が優位な国が勝ちますよ、だから戦争は戦場での戦術的な上手さや奇策に頼るものとは違う勝つべくして勝つ説いてる

信長は別に孫子を学んだんじゃなく、商業的発想から戦争の仕方も合理化されてったと考えられる

曹操は信長より教養人の分合理主義に徹する面と教養面に流される面がある
そういう意味では信玄や謙信側の人間
350名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 03:30:48 ID:r06ztKne0
>>お前も信長が大好きみたいだが、お前の場合知識より知性に問題があるみたいだな
外野だが、普通に人格攻撃だろ
蒼天航路から増えたんだよ、こんな感じの莫迦
351名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 07:37:05 ID:LiBghFzQ0
知性=知能+意欲+開放性+誠実性

信長側>>336としておく。
>曹操好きなのは解ったからさ、信長の事少しは勉強してくれないかな?
>ハッキリ言って信長に関しては無知だ。
>>331に言っているなら実際そうだろうな。何時から本格的に攻めているか明確に詳細を出している。
それに、対しての反論が
>曹操と同じ年数かかって美濃一国しか取れていない
知識が無いのは事実

相手に対して、お前とか言っている時点で、誠実性皆無。
知性に問題があるのは>>343
352名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 08:31:21 ID:v3wKaWfa0
言葉尻捉えて攻撃し合ってる双方とも同レベルだよ
もっと大人になれ
353名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 10:21:16 ID:kle3G/QZ0
>>342だけど、ここまでの流れを読んで呆れるのと悲しいのとでやりきれんわ

正しいもしくは正しけりゃ何を言っても許されると思ってる人
知識はあっても性根の腐ってる人

歴史に限った事じゃないが、知識のぶつけ合いでこの種の連中のほんと多いこと
354名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 18:44:17 ID:iJnLfUmR0
>>351
343は信長に関しての最低限の知識はあるんじゃね?ちゃんともりべ合戦に突っ込めてるじゃん

つかあんな態度とってりゃ「お前」扱いされたって文句も言えないでしょ
337にだって言われてるし

このテの煽り合いは2ちゃんじゃよく見かけるけど基本的に最初に手を出したほうが悪い
最初に手を出したのは336じゃん
355名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 18:56:30 ID:rk7xNeHWO
まぁ普通に考えりゃあたりまえの反応のなんだけどね

ただスレが荒れれば当然ケンカ両成敗の形になる

>>343>>337は混乱を起こしたことにたいして謝ってるからまだ可愛いけど
356名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 20:48:24 ID:Z2A6WS330
>>355−354
うむむ、確かに
筋とおして考えたらそうだね。

よく流れも見ないで適当なこと言ってしまったよ
>>343さんには謝罪しておく
357名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 12:31:48 ID:6OdG6YsZ0
罵倒合戦ばっかでつまらんから参戦するぜえぃ

基本的に曹操って文系で勢いの人。
信長は理系で、計算する人。

その証明として、曹操は天下統一を勢いでやったから失敗した。
曹軍が調い始めた、潼関ですら行方不明になるあたりとか。

信長は計算ミスで、横死した。
金ヶ崎は浅井は裏切らないと踏んだ理系的なミス。
そう考えると、二人とも完全なる成功者じゃないんだよね。そこ重要。

森部の戦いは美濃侵攻が目的に戦じゃないよ?拠点確保の戦。本格的な侵攻は、1563年春の新加納からだね。
新加納は、織田側が竹中に翻弄されて敗れる戦ですよ。某文和さんを思い出す。
358名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 16:15:04 ID:OM7QRBS90
>>本格的な侵攻は、1563年春の新加納からだね。
揚げ足取りだな
そんなこと言い出したら曹操が本格的に華北攻略に乗り出したのだって袁紹死んでからだよね
359名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 16:42:45 ID:6OdG6YsZ0
>>358
いや、事実を揚げ足取りと言われても…
それと曹操の華北攻略の話など、出してもいないんだが?何の関係があるのか聞きたいな。
360名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 16:46:09 ID:qP1jQW/4O
つか官渡終わってもまだ曹操のが勢力劣ってたっていうけど、どっちにしろ倉亭でボロ勝ちしてんだよな

袁紹が死んで2年後にはもうギョウまで来てるし、言われてるほど河北平定にてこずってたわけじゃないじゃないの?
361名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 16:48:54 ID:OM7QRBS90
>>359
上の流れ見たらなんとなくわかるよ
暴言はいたキッカケにもなってる
362名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 16:54:22 ID:6OdG6YsZ0
>>361
初カキコの私を『揚げ足取り』の一言で片付けるのは問題有りだよ。
そうなると、悪い流れを切れないのは、君みたいな人が議論しているから。
って事になるがいいかね?よくないよね?君はどう思う?

こんな議論がしたいからカキコしたんじゃないんだがな…
建設的にいこうや?
363名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 16:58:03 ID:OM7QRBS90
>>362
でもそれなら流れくらい把握したほうがいいんじゃないの?
俺も先のバトルには参戦してないけど元々曹操の華北進行と信長の美濃攻略の比較って話だったみたいだし。

その流れが読めないのと、その興奮しやすい気性は問題じゃないのかね。
建設的、というならさ。
364名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:04:38 ID:M/mOal3/0
そもそも、信長と曹操の対比でしょ。
双方の「本格的な侵攻」で、時期などはともかく、>>358は的外れじゃないと思うが。
365名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:05:32 ID:OM7QRBS90
>>362
加えてもう一つ言うなら、わざわざ森部合戦に突っ込んできてるのに
先の話とは関係ない、独自の理論を展開した、なんて言わないよね?
前半の意見は両者の性格の分析で、最後の二行と特に関係ない内容だし。

まあ文章の粗に突っ込んだところで何も生まないからもう何も言わないけど。
366名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:06:56 ID:6OdG6YsZ0
>>363
上を見てきて、一言。
今回殴ってきたのは君だ。始めから興奮してるのもね。

だいたい曹操の華北進行なら、信長の近畿制圧(本願寺攻め)を比べるべきだ。
年齢も同じ位だし。戦国の当時は年齢によっては臣下は付いて来ないか、独立してしまう事が多々有った。
美濃侵攻と華北進行ではその将兵の差が有りすぎるし。個人間の経験値も違ってくる。
よって、華北進行、美濃侵攻を両者の比較には成り得ない。
367名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:09:50 ID:OM7QRBS90
>>364
信長の本格的な侵攻を1563年とするなら完了するのに約4年
曹操の場合だと袁紹が死んだのが202年だから烏丸を倒すまで約5年かな?

どっちにしても単純な時間ではあまり差はないね。
368名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:18:49 ID:6OdG6YsZ0
>>364
華北進行と美濃攻略が元々、議論の対象としてはいけないと思うのだよ。
美濃攻略初期では、信長自体がまだ三十路すら超えていないんだよ?
曹操は華北進行時には四十五を超えてるよ?

戦や政には経験が必要でしょう?
最大で約18歳も年齢が離れてる様な状態では討論は出来ないよ。
369名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:30:49 ID:OM7QRBS90
>>367
黎陽の戦いから数えた方がいいんじゃねえのか
203年からで4年じゃね?

>>368
それこそ状況が違うんだから仕方がない
曹操がまだペーペーだった頃に信長はすでに父親の後を継げたんだから
逆に言えばその分信長のほうが多くの時間が与えられてたともいえる。曹操長生きだけど
少なくとも独立してからの期間で考えたら信長の近畿制圧のが有利じゃないの。
官渡の時曹操って東郡太守になってから10年経ってないし、勢力的にも袁紹を向こうに回してた曹操の方が厳しいだろ。

んなこといってたらそもそもスレ自体成り立たんわ
>>366
>>揚げ足取りだな
  そんなこと言い出したら曹操が本格的に華北攻略に乗り出したのだって袁紹死んでからだよね

これで興奮してる、ってのは言いすぎじゃない?
流れから言えば当然の反論だろうし
370名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:34:13 ID:OM7QRBS90
>>368
だから信長の近畿制圧とも比較はできないだろうね。
そういう理由なら
371名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:38:48 ID:qP1jQW/4O
本願寺攻めだったら信長のが勢力的に有利じゃん

曹操は袁紹よりは貧弱で、敵にも囲まれてた

こっちのが比較としてはムリだろ
372名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:53:53 ID:6OdG6YsZ0
>>369
>>揚げ足取りだな
君の言った、『流れ』から考えると、普通に喧嘩売ってるレベルなんじゃないの?この言葉はスレでは。

>>371
いやいや、近畿制圧(本願寺攻め)は難しいって。
信長の侵攻を10年遅らせたと言われる勢力だよ?
本願寺攻めは朝廷を裏で動かさないと信長がやばい場面が多々有った。
本願寺は、加賀一国を落とせるレベルの集団だからね。
373名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 18:17:07 ID:OM7QRBS90
>>372
見解の相違だな。
「ハッキリ言って無知」とかっていう全体からケンカ腰の煽りのレベルだから
流れに沿って「揚げ足取り」と言われただけで暴言扱いするほどデリケートだとは思わなかったんだよ。
すまないね。

>>本願寺攻めは朝廷を裏で動かさないと信長がやばい場面が多々有った。
それは他の大名の存在もあったからだろう?
本願寺が降伏した時もそういう大名家が下火になってた頃だし。
つか本願寺自体宗教団体で大名からの援助受けてるゲリラ集団的な側面もあるから比較は難しいと思うよ。
性格でいえば華北の袁家よりは青州黄巾党とか黒山賊とかのが近くないか?
374名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 18:17:30 ID:6OdG6YsZ0
近畿制圧が難しい理由は、本願寺とその他勢力との結びつき。
朝倉は最初は本願寺とぶつかっていたがその後に同盟。
近畿制圧で危なかった場面と言えば、一番に出てくるのは三方原。
この時、朝倉が兵を引かなければ自動的に信長が詰んだ可能性すらある。三方原時は織田と朝倉で交戦中。
ま、寒いし疲れたとか言葉並べて、朝倉義景が凡夫だから撤退してしまうんだが。
信玄がそれに切れて朝倉側に送った、撤退した事を詰る伊能文書とかあるし。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 18:23:37 ID:OM7QRBS90
>>374
だからなおさら本願寺との袁家勢力との比較は難しいじゃん。
性格が違うよ。

袁紹と戦ってた時なら、状況的に似た部分もあるかもしれないけど
376名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 18:29:22 ID:6OdG6YsZ0
>>373
>>見解の相違だな
じゃ見解の相違で流しますか。

本願寺は降伏してない。一応和睦。
ま、蜀で漢が建前上続いてますよって詭弁に似ているが。

長島願証寺なんか最大時は5万の兵が居たって話しもある。
第一次伊勢長島の時でさえ、2万5000の兵が居たとあるしね。
377名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 18:32:29 ID:6OdG6YsZ0
>>375
だからと言って、華北進行と美濃攻略を同じに扱うのは無理。
378名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 18:56:48 ID:OM7QRBS90
>>377
それでも本願寺寄りはずっと近似的だろう。
そもそも古代中国と中世日本の独立した状況も違う群雄の比較なんだから無理に決まってる。
年齢違うなんて理由でいちいちハネてたらスレが成り立たない。

逆に年齢同じなんて理由で選考してたら本願寺との比較みたいになるけどな。
379名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:04:47 ID:M/mOal3/0
つうか、勢力として勢いを得るきっかけとなる戦いとか
パワーバランスが傾く、象徴的な事柄で比較するのが本当でしょう。
上のほうで、年齢とかだしてるが、そんなのはあんまり関係ないと思う。
380名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:14:48 ID:OM7QRBS90
つか経験云々の話で言ったとしても大事なのは歳そのものじゃなくて独立してた期間だろう。
1551年で家督を継いだ信長は ID:6OdG6YsZ0の言う時期で1563年で美濃攻め
191年に太守として基盤を得た曹操は203年に華北侵攻

ほぼ変わらんよ?
381名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:29:59 ID:6OdG6YsZ0
>>378
なら、美濃攻略に時間かけすぎとか言っている人をどうにかしないと。
戦国時代当時、一国を手に入れるのがどれほど大変だったことか…
信長よりも条件の良い状態から開始、甲斐一国持ちの武田信玄ですら、その生涯で取り得た領土は80万石に届くかどうか…



>>379
年齢=経験

戦で経験は大事。
曹操軍で言えば張遼とか有名だね。
呂布配下時、官渡時、合肥時を比べれば差は歴然。
呂布配下時ではどう足掻いても、高順に勝てないでしょう。
その当時の戦歴みれば明らか。
382名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:33:34 ID:OM7QRBS90
>>381
飢饉、イナゴと災害が集中し深刻な人口減少が起こってた当時の中国で日本の一国より面積の広い1州を切り取ることが楽だとは思えないんですけど。
383名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:36:36 ID:6OdG6YsZ0
>>380
曹操は、騎都尉としての黄巾討伐とかは無しなの?
無しならそれはむちゃくちゃだ。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:40:06 ID:OM7QRBS90
>>383
信長だって初陣は13だろ。ゲリラ戦くらい経験あるだろ。
そんな細かいところまで突っ込みながら本願寺を引き合いに持ってくる方がムチャクチャだよ
385名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:40:53 ID:6OdG6YsZ0
>>382
州牧とかの制度も無視ですか?めちゃくちゃですね…
386名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:43:37 ID:OM7QRBS90
>>385
日本はこんなに大変だった、と具体性のないままさんざアピールしながら
中国の方には一切触れない一方通行スタンスを何とかしたら?
387名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:47:33 ID:6OdG6YsZ0
>>386
>一方通行スタンス
君のスタンスじゃないかそれ。と、私は答えてしまう

君とはあれだ、ギアがかみ合わない。
話が合わないんだな。だから不毛な話ばかりしてる。見直してみたら。

無駄だね無駄無駄無駄
388名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:48:06 ID:OM7QRBS90
>>385
お前だって守護大名とかに触れてなくね?
なんでいきなり州牧…

当時は正式に任命されたかもよくわからないまま郡の太守名乗ってたやつもいたし、曹操も最初は正式に任命されたわけじゃねーよ
389名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:51:15 ID:OM7QRBS90
>>387
いや…もうね。

君が「それじゃ比較に合わない」として出した代替え案が双方の状況も性質も全く異なるケースだったからじゃないか
何がしたいのよ?
390名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:53:39 ID:6OdG6YsZ0
>>388
お前如きが、お前とかゆーな!!(ジョークw)

甲斐一国持ち=甲斐守護
本当にかみ合わないな…ってか切れてますか?
391名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:56:08 ID:OM7QRBS90
>>387
したら今度は「戦国時代当初(そもそも当初という言い方も適切じゃないと思うが)は…」
という話に持っていくが何がどう大変なのか説明がなく
中国も当時痩せてて石高がどうというから面積で考えりゃ中国のが州は広いよ(含まれてる郡も多いし)といったら今度はムダだと。
君がまともに話す気ないんだろう。こっちは君の議題に対応した答えを返してるのに。
392名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:59:05 ID:OM7QRBS90
>>390
曹操の独立期=東郡太守
それでいいならおれも触れてるね。

切れてるっていうか、君の返信がよくわからん。
無駄だね無駄無駄無駄が特にw
393名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:59:29 ID:M/mOal3/0
>>381
>>年齢=経験

それはわかるが、そうではなく、勢力が大きくなるときには、その相手たるものとの
パワーバランスが重要でしょう? って話。
いくら経験がなくとも、相手がより弱ければ勝つし、そうでなければ負けるし
そこまでいかずとも時間がかかったりする。勝ち負けは相対的なものだから。

そうだな、年齢が低いうちに大領を得たと言うなら、たしかにそのほうが
すくなくとも、戦略センスだけは上だろう。
その場合、(曹操や信長の)相手までも比較の対象にしないといけなくなるけど…
あと、チラホラでてきている制度や国家体制なども。
394名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:02:10 ID:6OdG6YsZ0
>>391

私 華北進行と美濃攻略では議論にならんから、近畿制圧時て比べたらどうかね
君 本願寺との袁家勢力との比較は難しい
私 なら代案を出せ

って状態なんだが?現在。
395名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:07:29 ID:OM7QRBS90
>>393
少なくとも時代も寿命も違うから、単純な年齢で比較すれば状況が違い過ぎるからね。

経験というか時間的なアドバンテージなら自分の勢力を治めた期間のほうが重要な気がする。
体制や相手関係なんかもそっちのが比べやすいし…
396名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:09:18 ID:6OdG6YsZ0
>>393
パワーバランスか。華北進行と美濃攻略で違う点は、袁家自体が敵対しあって、片方が曹操と同盟を組んでいる点だね。
これだけで華北進行と美濃攻略は別の物になる。美濃攻略(斉藤家)は派閥は一つ(当初はw)
袁家は派閥が少なくても二つ。やっぱパワーバランス的にも違う物だと思いますが、どうだろう?
397名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:14:13 ID:OM7QRBS90
>>394
いや、君は代案を出せ、じゃなくて領土拡大が大変だ、とか州牧の制度がメチャクチャだ、とか違う方向に話広げたよね?
言ってることくらい統一してよ。

少なくとも君のいう経験的なことで言うなら、>>380から言って独立してからの統治期間であれば華北侵攻と美濃攻略で大体同じ時期なんだけど?
398名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:16:10 ID:6OdG6YsZ0
中華と日本で絶対的に違うものがあったわw
忘れてたw
皇帝と天皇。皇帝は生まれが低くてもなれるが天皇は無理だからな。
平清盛公が新皇と称したけれど50日続かなかったし。
秀吉や家康ですら天皇になれてないからな…
秀吉の場合は天皇、いや朝廷の立場を上げないといけない理由が関白って位にあるけれど…
399名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:17:55 ID:6OdG6YsZ0
>>397
じゃ、代案だして下さい。
400名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:19:46 ID:OM7QRBS90
>>396
龍興の代にはもう一枚岩とは言いがたいんじゃね?
華北も袁紹が死ぬまでは派閥は分かれていなかった
401名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:24:10 ID:OM7QRBS90
>>399
じゃあ君の希望聞こうか
まあ俺は華北侵攻と美濃攻略で一つのサンプルになると思ってるけど、妥協出来ないみたいだから

もっとも時代も国も違うのにそんな都合のいい代案があるかな?
402名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:31:31 ID:6OdG6YsZ0
>>400
派閥が出来るのは素行が悪い龍興叱る為の、竹中重治(安藤も)の稲葉山城を占拠後。
稲葉山城を占拠されても、それでも素行改めようとしない辺りからだな。龍興の代の最初からじゃない。
最初っから期待されていないのは確かだが、そこまで内部が崩れている訳でもない。

袁紹が死ぬ前から派閥自体はあったんじゃなかったっけ?あれは三国志には無かったけっか?
三国志演義だけの話だったか?教えてください。
403名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:34:47 ID:6OdG6YsZ0
華北侵攻と美濃攻略を私はサンプルにならないと蹴った。
で、代案で近畿制圧をだした。それを蹴ったのは君。
つまり、代案を出さなければいけないのは君。
早く代案を出して。
404名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:40:51 ID:OM7QRBS90
一応まとめとこうか。

・近似点
支配にかかった期間がほぼ同じ。
勢力として独立した時点から事業に取り掛かるまでの期間がほぼ同じ。
有力なリーダーの死後、攻略に取り掛かった。
どちらも強国。

・相違点
斉藤家は一枚岩であり、袁家は一枚岩ではない。
両者の年齢が違う。

・それについての反論
年齢はそれほど重視するファクターではないのでは?
斉藤家も一枚岩とは言い難いのでは?

・先の二者によるこの論の趣旨
同じ期間でより大きな戦果を出した曹操のほうが優れている
・それに対しての反論
そもそも期間による差は関係がない

こんなもんかな

>>402
キクギとの確執や讒言やら文官の派閥同士で、内ゲバはあったみたいだよ。
405名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:42:36 ID:OM7QRBS90
>>403
君がけった理由についての反論が出ているんだが、それはどうするんだい?
しかも俺以外からも出ているぜ
406名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:45:03 ID:6OdG6YsZ0
>>405
すまん、どこだ?アンカー頼む。
407名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:52:25 ID:6OdG6YsZ0
>>404
追加
・その後の展開が違う

曹操
赤壁で大敗。天下統一の機会を失う。

織田信長
南近江の六角を落とし、京の三好も退け上洛成功。
408名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:56:46 ID:OM7QRBS90
>>406
わざわざまとめたじゃん。めんどくせえな
>>年齢はそれほど重視するファクターではないのでは?
  斉藤家も一枚岩とは言い難いのでは?

とりあえず吟味する余裕はあるんじゃね?
他の代案なら上で出てた桶狭間=拠烽フ戦いと例えたとしてのその前後の勢力比較は?

>>407
展開の違いは拡大に成功した勢力版図に差があるから。
赤壁、上洛戦はもうサンプルの範疇ではないと思われ
その原理だったら信長が死ぬところまでやらなきゃいけないけど。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:01:26 ID:6OdG6YsZ0
>>408
>>わざわざまとめたじゃん。めんどくせえな
違うわヴォケ、その発言をした人の所へのアンカーじゃ。(君の言葉が悪いと私も悪くしますよw)

ま、センキュw
410名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:04:32 ID:OM7QRBS90
>>409
別にその程度の言葉使いくらい気にしねえ

411名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:06:53 ID:6OdG6YsZ0
>>408
拠烽ヘ袁紹援助補正があるから、桶狭間と=にするには無理があるな。
桶狭間は内部にも敵外も敵って状態だから。

>>赤壁、上洛戦はもうサンプルの範疇ではないと思われ
赤壁、上洛戦も華北侵攻と美濃攻略の一、二年後って共通点が有るんだが?
サンプルにしない方がおかしい。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:11:11 ID:6OdG6YsZ0
代案一つ潰したから、代案出しておく。

金ヶ崎と赤壁の負け戦を比べるのはどうだ?
その後の巻き返しの仕方を比べてみるとか。
413名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:14:09 ID:OM7QRBS90
>>409
肝心のアンカ忘れてたw

>>393
>>400

>>402に関しては稲葉山城乗っ取りの時はもう末期じゃないかね。
普通家臣が自分の主の城奪うなんて考えられん。
東美濃では信長に通じるやつがいたし、西美濃三人衆の内応で決定打だったろ。
君のいう1563年からわずか一年後の出来事だし、稲葉山城事件
414名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:21:06 ID:6OdG6YsZ0
>>413

>>393がどう華北侵攻と美濃攻略を肯定してるんだ?
私には理解できんなw

>家臣が自分の主の城奪うなんて考えられん
戦国時代なら普通だよw
なに言ってるのw
その後の返したって点が普通じゃないんだよw

腹筋いてえwwww
415名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:22:06 ID:6OdG6YsZ0
って、>>400はお前じゃんw
ギャグ?狙った?
416名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:24:17 ID:M/mOal3/0
>>407
展開は違って当然だがな…
ところで、それでどういう主張をしたいのか、はっきり明記しておいて。
上洛とかでいうなら、曹操は早い段階で大義名分を得ているのだけど。

で、曹操は赤壁や漢中で負けたから、その後の勢力拡大がかなわなかったが
信長は明智の謀叛で、可能性ともども葬られた。
死去した年齢も違えば、状況も全然違う。
ただ、信長は明智が謀叛する直前までは、国内に強固な反対勢力が少なくなっていた
という辺りで、蜀と呉が強固な抵抗勢力として残っていた曹魏のとは
情勢の成り行きが、ずいぶん明るいほうではある。
417名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:28:33 ID:M/mOal3/0
そうか。
それで、華北侵攻と上洛戦を結びつけたわけか。
なんとなく得心がいった。

しかしそれで本願寺と袁紹を結びつけるのは、ちょっと待て。
418名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:31:26 ID:6OdG6YsZ0
>>416
本能寺直前で、強固で巨大な反勢力となると、四国の長宗我部。中国の毛利。
関東の北条とは同盟しているし、伊達や最上辺りとも親密。
問題は九州位ですかね?上杉は代替わりして、貧弱になっているから敵ではないですし。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:31:54 ID:OM7QRBS90
>>411
信長は赤壁に相当する戦にたどり着く前に死んじゃってるじゃん。
まだ虫の息とはいえ毛利、北条も残ってたし、ド田舎行けば伊達とかもいた。
つかまあ本能寺が曹操における宛城みたいな不意打ちだけど…

>>412
その二つって言われてるほどハデな負け戦じゃない気がするんだよな
命からがら逃げかえったようなイメージだが信長は同年にもう三好勢と戦ってるし曹操もコウリョウで粘ってるしな
確かに状況は似てるが
差があるとすれば、赤壁は河を越えた戦いで、遠征の負担が中原の戦よりはるかに大きい。
またその後の南下も漢水、長江と河を隔ててるから単純には考えられん。
ここら辺は土地柄の差が出過ぎてると思うんだよ。

状況が似てると言えば、いわゆる信長包囲網と兗州の呂布戦は?
420名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:34:01 ID:6OdG6YsZ0
>>北条も残ってたし…
え!?
421名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:36:37 ID:OM7QRBS90
>>414
>>戦国時代なら普通だよw

「安定している」か「安定していない」かって話だよ?
有力家臣に留守取られるのが内憂のない勢力なのかな?
「内部分裂している」ということで似ている、という話なんだけど
>>415
そりゃ俺も反論したからね。
で、君の反論は?
422名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:38:50 ID:6OdG6YsZ0
て言うか、『北条も残ってたし…』『ド田舎行けば伊達とかもいた』
どの程度の知識をお持ちですか?マジで疑問。
423名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:41:22 ID:OM7QRBS90
>>420
一応臣従してたが魏における呉みたいなもんだろう
424名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:43:45 ID:M/mOal3/0
>>418
その長宗我部や毛利に侵攻して一敗地にまみれたなら、赤壁・漢中に比せられるけど
実際には、武田を滅ぼした時点で、勢力的にまた名分の所在的に、織田信長に対抗
できる勢力はほとんどなかったといってもいいと思う。
たしかに残った勢力を合すれば、まだ抵抗できるかも知れないけど、それこそ
足並み揃わず一枚岩ではないから、信長の敵とはならんと思う。

実際、本願寺下したあとの織田勢力は昇り龍もいいところでしょ。
だからこそ、謀叛が最大の失点にされてしまう。
425名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:44:01 ID:OM7QRBS90
>>422
残ってたのは事実だろ。
北条のことを言うなら呉も曹操の時に臣従してるんだって

で?反論は?
426名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:44:40 ID:6OdG6YsZ0
>>419の中の人が>>423の中の人なら、話にならない。
427名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:48:04 ID:6OdG6YsZ0
>>424
あの時家督を継いでいる、信忠まで死んでしまったのが痛いですね。
信忠が本領の岐阜に居れば話、いや歴史自体変わっていたでしょうし。
428名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:51:08 ID:OM7QRBS90
>>424
謀反は不意打ちみたいなもんだからある意味仕方がない。
まあ重臣中の重臣に反乱起こされたってのがあれだが。

>>足並み揃わず一枚岩ではないから
荊州の後あたりなら蜀と呉もそんな感じだが、もう曹操死んじゃってるからな
まあ曹操の場合寿命だけど。

ただ、晋が崩壊した後隋の時代まで再統一されなかった。
中国の北方政権と南方政権の隔たりってのはそもそも日本の戦国時代とは比べられないと思う。
429名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:53:37 ID:OM7QRBS90
>>426
なぜ?諸大名が残ってたのは確かだし、赤壁に相当するような相対勢力はなかったのも確かだろう。

話にならないってんなら先の州牧がどうたらの時点で君も相当怪しいよ。
430名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:53:49 ID:6OdG6YsZ0
>>425
『北条も残ってたし…』『ド田舎行けば伊達とかもいた』って所でね。もうね。駄目かと思います。
長宗我部を出していないのも更に痛い。マジで議論にならない。

反論とかじゃないんだよ。ぶっちゃけ、もう。
お前が織田信長の知識が無い事をさらけ出したんだから。
431名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:54:24 ID:M/mOal3/0
>>426
でも、地域的な差っていうのは、かの国では重要なことだよ?
それもひとつの要因として、みっつの勢力に分かったんだから。
日本でも、奥州や九州がときどき半独立国っぽくなるが、それと同じこと。
ちょっと中央から離れると、反抗勢力がまとまりやすい。
だから、信長もあるいは九州上陸前にボロクソに負ける、という可能性も
なきにしもあらず、だけど、その九州だって幾多の大名が凌ぎ削っている状態だから
信長としても、謀略一発で切り崩す可能性もまた残される余地がある、と。
蜀や呉のまとまりかたとは、違うと考える。
432名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:57:21 ID:OM7QRBS90
>>430
じゃあ龍造寺や島津とでも言えば良かったのか?
大名家は大名家だろうが。ようするに諸勢力が残ってるってことなんだから

つかあんだけ言ってたのにお前呼ばわりかいw
433名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:04:54 ID:qP1jQW/4O
>>430
伊達やら北条やらが残ってたのは確かじゃね?
ようはまとまっては無いが諸勢力はあるってことでしょ。

大体あれだけ自分で暴言だなんだと言っといてそのファビョリ方ってww
結局反論できないから重箱の隅つついとるだけやん。最悪の論者でしょwww
434名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:08:03 ID:6OdG6YsZ0
>>431
地域的な差とかは確かにあるでしょね。蜀の地はよく独立しますね。
ただ、いま先ほどまで議論していた方が…織田信長の事を知らなさすぎる。
まさか、北条に伊達とくるとは思わなかった…
関東一括統治を信長に蹴られても同盟が続く北条なのに…

>>432
ん?言葉使いは気にしないんじゃなかったのかね?
『北条も残ってたし…』『ド田舎行けば伊達とかもいた』
これ赤点ですw
435名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:09:10 ID:6OdG6YsZ0
携帯で自演か…落ちた者よw
436名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:09:32 ID:OM7QRBS90
>>431
龍造寺や島津や大友もシノギを削ってるからな
やはり状況としてはかなり違う。
437名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:12:04 ID:6OdG6YsZ0
>>433
本人か別人かは別にして、
関東一括統治を信長に蹴られても同盟が続く北条。
OK?
438名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:15:53 ID:OM7QRBS90
>>434
自分で言ったことも守んないからさ。
で、何をもって赤天なワケ?

つか自演扱いって本当に無礼だな
439名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:15:56 ID:qP1jQW/4O
>>435
あらま…自演扱い。
いよいよひどいね。

つうかむしろ赤壁を比較に出した時点で無知じゃない?比較にならないもん。
440名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:17:27 ID:6OdG6YsZ0
…無能ってか
…低脳?
441名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:20:57 ID:6OdG6YsZ0
携帯とパソコンで自演するのなら、時間合わせなんて無意味なのですよ?
あー、ばからしいw
442名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:24:19 ID:qP1jQW/4O
>>437
一応呉も臣下の礼をとってるんだけどね。それに趣旨はそれだけ緒大名が残ってるって話でしょう
北条は信長死後滝川一益を攻めてるし、そんな強固な同盟かな?

つうかもう君みたいのとは話したくないな。
上でキレてたくせに自分はひどい言い草じゃないか。
443名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:26:24 ID:OM7QRBS90
>>441
…もうヒドくね?お前いい加減。
ID:qP1jQW/4Oもやだろーよ、大体何を根拠に自演扱いしてんだ?
444名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:28:49 ID:6OdG6YsZ0
最後に一言置いて行く。
曹操が上とか織田信長が上とかの問題じゃねえ。

知識がねえ奴が主になっているから荒れるんだ。

多分上の方の曹操側はID:OM7QRBS90こいつだな。

北条がどう服従していたか位の知識はもっとけ。
あと伊達が織田にどんな書状を送っているとか知識詰めこんどけよ。
とりあえず信長公記から始めな。
445名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:31:40 ID:OM7QRBS90
>>442
家康とも一時期対立したな
和睦したけど
446名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:43:51 ID:qP1jQW/4O
>>444
この状況どう考えても荒らしたの君だと思うけど…最後勝手な決め付けの個人攻撃だし。
まぁいいか、消えてくれるならそれだけで

>>443
いや、もういいよ、
いい加減不快だし楽しくないから俺も消える。
しかし罵詈雑言はイヤだから〜って入ってきたヤツが昨日のと同一人物かと思うほどひどいってのはどうなんだろうね。
447名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:48:38 ID:qP1jQW/4O
>>443
てかあれだけ偉そうなこといっといて結局反論ってのは聞けなかったねw

じゃ、ホントにこれで。
448名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 02:41:33 ID:5oW9nkPw0
晒しあげ
ID:6OdG6YsZ0は実際戦国の、取り分け本能寺の変直前の知識無いだろう。
本能寺の変の直前の話題で、長宗我部を出さない辺りにセンスが無い。四国討伐が本能寺の変の引き金になったって説もあるくらいなんだから。
多分、長宗我部が一度信長に降った事も、知らないんだろうな。この調子じゃ、天王山で誰が参戦したのかも知らないんじゃない?
449名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 11:58:31 ID:W4NNA7np0
曹操って誰ですか?^^;;
450名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 12:10:54 ID:5y5mLsbU0
なにこの大喧嘩w
451名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 15:28:26 ID:UKcTMaZD0
367 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:09:50 ID:OM7QRBS90
>>364
信長の本格的な侵攻を1563年とするなら完了するのに約4年
曹操の場合だと袁紹が死んだのが202年だから烏丸を倒すまで約5年かな?

どっちにしても単純な時間ではあまり差はないね。

369 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:30:49 ID:OM7QRBS90
>>367
黎陽の戦いから数えた方がいいんじゃねえのか
203年からで4年じゃね?

こりゃ自演疑われても仕方ないだろ。自分にレスしてどうするんだ?
他人にレスする風な感じでw
452名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 17:30:23 ID:+oaSLcGd0
問題はそんなことじゃあないけどな。
453名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 17:42:28 ID:qFKwHJm80
>>449
曹操

人が寝静まった夜中にひたひた動きまわり、寝ている人間の耳元に息を吹きかけ去る生き物と言われる。
しかしながら現在まで確認・実証されてはいない。

日本の不思議物語より
454名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 17:51:48 ID:qaPd9Qwj0
>>451
そこは普通に会話成り立ってたっぽいじゃん、つか本当に自演するつもりならIDに気がつかないはずがない。
突然出てきたID:qP1jQW/4Oもよく見れば最初のほうからいたし

>>453
やめろ!曹操の噂すると曹操が来るぞw
>>448
天王山って山崎の戦でいいんだよね?
迂闊な事言うとこの流れじゃ何言われるかわからないw
荒れるの嫌だしね
455名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 18:02:02 ID:UKcTMaZD0
中英は自演が多いからな。一度でも疑われる行為をすればアウトだよ。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 18:13:25 ID:qFKwHJm80
信長のドラマがある
http://jp.youtube.com/watch?v=4-zv0T7iAig
457名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 18:27:53 ID:UKcTMaZD0
>>456
木村かよw
でも講談的解釈なら面白い展開だったな。
鉄砲の下りと、母との対立&見守る父。信長を叱る平手。
458名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 18:40:54 ID:qFKwHJm80
しかし木村信長も謙信にはぼこられた

恐るべし上杉謙信
http://jp.youtube.com/watch?v=h2ppU9Jrfj4
459名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 18:56:22 ID:8VS8HoQWO
>>455
別にID:OM7QRBS90が自演ヤロウだろうと自分のレスにレスしたうっかりさんだろうとどっちでもいいが

とりあえずID:6OdG6YsZOには賛同できないな。
態度もそうだけど持論自体全く説得力ないし。最終的に何も言えなくなってただ煽ってるだけだもん。
そもそも証拠が無いのに人のことを自演扱いしてるから論外。実際にどうかはいざ知らず。
460名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 18:57:00 ID:qaPd9Qwj0
謙信もけっこう電波入ってるよねえ…
ガクトは意外にハマってた
461名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 20:29:32 ID:UKcTMaZD0
>>459
ID:OM7QRBS90は
北条は実際に反旗を起こすから良いとしても、
伊達も残ってるなんてバカ言っている時点でアウト。
対戦国時代討論でみれば、劣っているのはID:6OdG6YsZOではなく、ID:OM7QRBS90だぞ?
462名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 20:47:36 ID:+oaSLcGd0
つまり、片方は後漢末オンリー、片方は戦国末期オンリーで
それぞれ語っていたから、接点が見出せない。
463名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 21:03:33 ID:qaPd9Qwj0
>>461
ID:6OdG6YsZOは曹操は東郡太守だって言ってるのに州牧無視?とかわけわからん突っ込み入れてたから…
それに対戦国時代討論とやらも別に大した事言ってないじゃん。肝心の問題はことごとくつっこまれてるし。
優れているなんて言えるほどの人じゃないよ。
464名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 21:10:30 ID:8VS8HoQWO
>>460
伊達は残ってる勢力ってことで適当に出しただけだろ
まあぶっちゃけ曹操側のヤツのことはどうだっていいんたが
少なくとも信長側の方は反論全部論破されてる上にその稚拙だという曹操側の論拠にろくな突っ込み入れられてない。年齢とかワケわかんないことばっか。統治期間だとか内紛だとかはおざなり

それだけならともかくあの盛り上がりっぷりでは弁護しようもないだろ。そもそも曹操側はポカやったが信長側も戦国時代について特に勝ってるといえるようなところないよ。
一度信長と結んでしかも攻められてアップアップの長宗我部出してる時点でどっちもどっち。しかも小牧長久手じゃ信雄方だったのに。しかもお国ガラを無視して無理矢理赤壁持ってきてるし、突っ込まれてもスルーだし
465名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 21:14:52 ID:qaPd9Qwj0
>>464
しかもが多いw
その後も秀吉には抵抗してるね。結局負けたけど。
まあ賤ヶ岳からの因縁か
466名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 21:21:03 ID:8VS8HoQWO
>>464
まぁ長宗我部の場合、秀吉と割れるから信雄に付いたってのが大きいだろうけどな
467名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 21:22:42 ID:ftXNzUODO
自演乙
468名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 21:26:55 ID:+oaSLcGd0
>>信長側も戦国時代について特に勝ってるといえるようなところないよ

なんじゃこりゃ
469名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 21:40:33 ID:ftXNzUODO
アンカーのミスの仕方が普通じゃない

昨日バカであることは確定
470名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 21:46:52 ID:qaPd9Qwj0
471名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 21:49:22 ID:8VS8HoQWO
>>468
劣ってるとか言ってたからどっちもどっちだといっただけさ
>>470
まぁいいや、俺は別にどっちでもいいし
472名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 22:25:21 ID:ftXNzUODO
自演乙
473名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 22:55:22 ID:5y5mLsbU0
二夜連続自演祭りとは
474名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 23:07:17 ID:qaPd9Qwj0
>>472
すぐに自演扱いするあたり…いや、やめとこう。
首突っ込んで火の粉ももらいたくないし
>>473
なぜに同意見だったのとちょっと雑談しただけで自演?
475名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 23:55:05 ID:qFKwHJm80
信長が天才なのは事実、曹操は秀才というとこかね
476名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 00:15:56 ID:CqhK2dMI0
ここは>>472>>473で自演乙、と返せるパターン?
つかID:ftXNzUODO=ID:6OdG6YsZO…は、言わなくていいのか、荒れるし

>>475
いや、むしろ信長はちゃんと考えて行動する優秀な秀才型
曹操は勢いで突っ走って窮地に陥るけどたまに物凄い奇跡起こす天才型
477名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 18:14:41 ID:lj/jdP4B0
>>物凄い奇跡起こす天才型

なんだ、蒼天厨だったのか。そりゃすまんかったな
478名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 20:21:32 ID:vwDyyKhX0
キングゴンタ本人だよ
479名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 23:32:43 ID:CqhK2dMI0
>>477
こんなんばっかりか、信長厨

信長をマンセーしないとダメなわけ?むしろ高評価なのに
480名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 00:09:30 ID:oqLtJXWM0
世界に英雄は多くいるが、信長はその中でもやはりひときわ違う異常人ではある
481名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 00:59:37 ID:nc22iYRM0
もはやこの信長厨っぷりは釣りとすら感じる

いや、実際釣りかww
482名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 01:27:27 ID:oqLtJXWM0
鉄砲戦術、鉄甲艦、迅速な機動、兵力火力の集中、政教分離、楽市楽座、検地、公共事業、兵農分離
歴史上の革新事業をことごとくやった信長と、曹操のような小物ではレベルが違いすぎるし
483名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 01:56:50 ID:nc22iYRM0
楽市楽座って最初にやったの信長じゃないけどね
484名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 02:05:47 ID:oqLtJXWM0
だれが最初にやったなど英雄にはどうでもいい話だ
英雄は組織家であり行動して実現していくのが役割
485名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 02:16:59 ID:nc22iYRM0
自分で「歴史上の革新事業」って言うたんやん
発言にくらい責任持てよ

公共事業ってのもそれこそ信長の何百年も前からシナの権力者みんなやってるし
それこそ曹操もやってる。迅速な機動ってのも曹操の得意技だし、他にもたくさんいるだろ。
大体15世紀の人間と2世紀の人間そのまんま比べてどーすんだよ
486名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 02:42:31 ID:dmilOCLGO
>>476
曹操も秀才型だ。
特に分かりやすく既存の兵法書を編集するとかは秀才だからこそできる事業。

また屯田制は既存の流民政策の発展系。
求賢令は光武帝の賢良方正など各皇帝の人材募集令から倫理基準の概念を除いたもの。

基本的に改良中心なのが努力家らしくて良い。
それを一気にやれるのが人材たるゆえんでもある。

>>482
その中で革新性があるのは鉄砲戦術と鉄甲船戦術のみじゃない?
その次の二つは名将なら多くが備えている要素。
政教分離は柴栄がやっているし日本でも足利氏が手をつけていた。
楽市楽座も同じ日本に先達がいる。
検地、公共事業は覇者なら多くやる。
後者は義務ですらある。
兵農分離は時代の問題だろう。

既存のことを良く知り、良く学び、その中で何が正しいかを
正確に把握して実行したのは一種の才能だろう。
また数ヵ所ながら革新性もかいま見え、人材であるのは疑い得ない。

結論としては双方すばらしい人傑である。
が、信者が称えているほどではないということで。
てか、まあ同じくらいだろ。
487名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 07:16:09 ID:6WhjlnhR0
>>政教分離は柴栄がやっているし

既得権の公正化のこと?
廃仏令は政教分離を狙ったものではなかったけどね。

>>479
残念ながら信長厨ではない。
ID変わってるからわからんけど、ケンカしてた二人の間でレスしてたモンですわ。
ものすごい奇跡とか言っちゃうから、ちょっと引いてしまったのだよ。

>>483
むしろ、発展させ定着、あるいはそれをもって改革の礎にすることこそ肝要ですからな。
最初も重要だけど、それだけでは。
488337:2008/11/27(木) 09:47:05 ID:Bb+DrwUA0
鉄砲戦術も確か先人の戦術を参考にしたものですよね。

>>487
何と言うか余りオリジナル云々は関係ないですよね。世の中を見ても何事も
そのほとんどは過去に行なわれたものを参考にするケースが多い。それを
如何なるタイミングで、どういう形で発揮するかが重要なのであり時宜に
見合った方策をどれだけ貪欲に実行したか重要なのはそこだと思います。

曹操も平時なら人品も考慮するが、今は戦時ゆえ、と言う前提で求賢令を
発している。信長にしても身分の低い中で才能のあるものを抜擢するなど
人材の必要性を充分理解している。

他にも信長は兵農分離を行なっている一方、曹操も屯田民政策を行なう等、
いずれもその時代にとって必要と思われる政策を行なっている。

そういう意味では正直どっちもすごい、としか言いようがないんですけどね。
489名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 11:16:32 ID:6dnyelLN0
曹操も秀才型だ(笑)
490名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 21:25:26 ID:2UvoIuitO
政略はともかく行動としては秀才型というには、言葉は悪いがバカやってるようにしか思えん。場当たり的だし。

でも何故かピンチには強い
491名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 22:05:35 ID:nc22iYRM0
>>487
そんなの信長と比較したときの煽り文句だろ
大体蒼天厨とやらなら曹操の非など出さない。

個人的に思うのは曹操という人は蒼天のような冷静な完璧人間ではない。むしろ無謀なことばっかりやる人。それに行動もあまり一貫してないというか、よくわからない

例えば孫子の注釈するような学者なのに孫子と真反対の行動とったりとか
袁紹は最終的に天下を取ることをきちんと考えて河北で勢力を伸ばしたけど曹操は地元でフラフラしてた
兵糧ないのにブチ切れて除州に出兵したら身内に反乱を起こされて窮地に
南の勢力の懸念があるのに長城越えちゃうとかね
官渡なんかも開戦に踏み切ったと思ったら不利になって人質送ろうか悩んでみたり

だけど不利な状況を打開するのは上手い。エン州で勝利したのや袁紹に勝ったことは状況的にはまさに奇跡的だった。袁紹戦なんか民屯導入したのにしょっちゅう兵站に悩まされてるし、何かしらミスッたら負けてただろう。
逆に赤壁の時は不安要素がたくさんあったのに焦って強行、勢力的に有利だったにもかかわらずコケた。
もうちょっと上手くやれば事前に回避できるような状況もあったし、下手したら身の破滅になるような危ない橋を何回も渡る
そういう意味でいわゆる秀才型のような、賢い類の人間じゃない。天才型の人間だと思う
優れている優れていないとはまた別の話
492名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 22:10:46 ID:nc22iYRM0
>>488
政治に革新はないからね。
曹操の青州兵なんかも直属ですぐ動かせるという意味で特殊な部隊だが、彼らも平時は農業やってた。
493名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 07:07:33 ID:0Zh8aKfn0
簡単に奇跡呼ばわりされたら、がんばってる中の人たちが浮かばれないよな。
494名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 16:52:46 ID:9NSAN9a+0
だからそれくらいその方面のセンスに関しては天才的だったって事だよ
その分秀才というにはムラも目立つ
495名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 01:59:51 ID:tZa3LacxO
むしろ天才というにはムラが目立つ観が…
兵法学んで編纂するくらい読みこんでる割りにはそれを実行できてない。
つまり感覚じゃ理解できてない感じなんだよな。
知識でなぜそうなのかを理論的に理解していて。
何でムラが目立てば天才ということになってるのかはわからんが。

複数の分野にまたがれば、どれか一つはいつどんな時でも出来るがどれかは全くできない。
そういったのが天才の抱えるムラじゃないの?
陳慶之みたいな。
496名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 16:10:23 ID:VSdRjQQQ0
>>495
そこは考え方の違いだろう

逆に孫子のような「基本」から遠ざかってるのになぜか勝てるのは独特な天性のものが備わっているからと俺は考える。
(決して基本通りが悪いということではない。念のため…)
そもそも何にでもそうだが、そういうセオリー通りでいかない状況というのはあるし、そういう状況でも流れに乗って勝てるというのは天才ならではだと思うしね。
つかどんな天才でもそういうカンが働くのは基本が備わっていてこそだけど。スポーツでも天才といわれる選手でもその多くは基本をおろそかにしない。そういう意味では曹操はよく勉強しているからこそのカンの良さだともいえるが。
ただ事実として曹操は「戦う前から負けている」状況を打破したことが何度かあったから。

ただその表現が相応しくないと思うならそれはそれで別にいい。別に君に曹操を天才と呼べと言っているわけではないから。
497名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 16:27:30 ID:2wMyCKEf0
時代が違いすぎる、この二人をなんで比較するんだか
これも無双の弊害か
498名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 16:56:02 ID:1pCfZFo00
天才はいい。だけど、奇跡だけはやめてくれ。
奇跡という言葉は、当事者の努力を軽んじる意味合いが強すぎる。
499名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 17:26:31 ID:VSdRjQQQ0
>>498
それも「奇跡的な逆転だった」つまり曹操の優れた部分を強調する意味で使ったのであって、偶発的なマグレと使ったわけではない
そういう認識はないが。言葉を返すが普通あの用法なら「マグレ」という意味合いでは取らないんじゃないか?

そもそもそんな真面目に発した言葉でもないし。なんでそんな深読みするのか疑問
500名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 18:07:57 ID:1pCfZFo00
奇跡という言葉にマンセー色が強すぎる
と、言ったほうがよかったかな。
マグレとまでは思ってはいなかったけど、たしかにその要素もあっての裏読みもあったのかもね。
真面目な発言なら、曹操の行動を理論的に解明なり追うなりするのが順当で、
軽々に奇跡という、ある種特別ななにかのちからを頼りにしたような、そういう表現は
あまり感心しないなとおもっただけ。

とかく奇跡というと、前後の状況は無視されて、まるでそのことが最初から
約束されていたかのような印象を、初見の人には与えてしまうのではないだろうか?
違うなら違うで結構。単に私自身が気にらなかっただけ、という結論となるw

ところで、>>476氏とは違う人ですか?
わたしゃ、そっちの表現に腰を抜かしかけたんですけど。
501名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 19:06:22 ID:VSdRjQQQ0
>>500
いや、同じだよ。
>>信長が天才なのは事実、曹操は秀才というとこかね
という大雑把な印象論だったから、俺も大雑把に印象を述べただけ。細かく解説していくと上記のような長文になる
だからこそ「なんで俺のレスだけそんなに深読みすんの?」と思ったわけで。何気なく書いただけだし。軽々も糞も、軽口だ。

だが誤解を招いたのなら謝ろう。
502名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 19:13:03 ID:VSdRjQQQ0
加えて言うならそういう奇跡的な事をすることができたケースを指して「奇跡を起こした」っていう用法は普通の使いかただと思うが。
腰抜かすような程のことか?「具体的にどういう意味?」って聞いてくれりゃ普通に説明するよ。
503名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 19:20:31 ID:1pCfZFo00
その前に、「物凄い」というのもついているけど。
しかし別にことさら称揚しようとしたわけではないようだから、了解。
504名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 21:06:06 ID:iP9XJeql0
>>491
天才でもなく秀才でもなく
頭の良い努力家の詩人だと思う
ポエマーだから理性押さえてないと感情で動いてしまう
そして失敗する

俺の曹操のイメージはそんな感じ
505名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 21:28:17 ID:GIinY8r10
三国志で天才って言えば、劉備だろ普通。
曹操ですら見抜けないあのブライ漢w

劉備は人の心を掴む天才だろう?
506名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/03(水) 22:25:59 ID:y//e/pER0
危険回避も天才的だな
曹操はじめあれだけウロウロしてたのに生き延びたのは神の領域
507名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 07:44:22 ID:RKAtFvKo0
三国志
天才=劉備 秀才=曹操 鬼才(基地外的な意味も含めて)=孫権

戦国
天才=松永久秀 秀才=信長 鬼才=秀吉&秀長 盆栽(寿命も才能)=家康
508名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 22:43:51 ID:1+C2+TwM0
松永久秀はすげーわな。
一時将軍を傀儡にした長慶を、さらに傀儡にする。
ある意味幕府の実験を握った人物。天才じゃないとまず出来ない。
他に文化人で美男子。さらに三好戦でのクリスマス休戦、信長が二度目の反逆を許そうとした才能。
こういう人こそ天才と称するべきだな。
三国志じゃ、ここまでの天才は居ない。(あえて言うなれば禰衡)
やっぱ戦国の方が上でしょ。
時代が1000年以上違う。国も違う。そんな意見もあるだろうがな。

曹操は禰衡を持て余した。配下にすら出来なかった。
信長は久秀を配下にした。金ヶ崎の退却時でも久秀を掌握していた。

どう考えても信長の方が偉大です。ありがとうございました。
509名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 00:49:36 ID:NiZn8BeW0
おまいらすげーよ
結論の出ない話を・・・
510名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 01:53:59 ID:sBHAgcHn0
>>508
しょうがねえ。スレが止まるからあえて釣られてやろう

何回も裏切られて最後には降伏勧告すら拒まれたってのに掌握してたってバカですか?
曹操は一度裏切った張繍と夏クの降伏を受け入れてそれ以降二度と裏切られなかったんですが?
他にも徐晃や張遼はじめとした活躍した降将はスル―ですか、そうですか。

しかも一知識人にすぎない禰衡をわざわざ持ってきたのがわからん。松永弾正とじゃ接点探す方が難しいぞ。
511名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 04:44:58 ID:7xMaKv0W0
>>510
>降伏勧告すら拒まれたってのに掌握してたってバカですか
>>金ヶ崎の退却時でも久秀を掌握していた
お前は馬鹿だな。何時、降伏勧告時の話をしてるんだよwちゃんと読めw

陳宮に壊滅的な打撃を食らってる辺りで、曹操は駄目な子w
信長は壊滅的な打撃は食らってません。本能寺は謀反だしw
しかも細川幽斎に本能寺は謀反は卑怯過ぎるって言われてるし。現に明智を助けてないしなw

>活躍した降将はスル―
馬鹿?柴田勝家、稲葉一鉄、九鬼嘉隆、蒲生賢秀etc。
上げたらキリがねえやw
柴田勝家なんか、家老筆頭にまでなるしな。

>一知識人にすぎない禰衡
曹操がクズだから、禰衡が働かなかっただけだろうがw
孔融の配下となっていたら、働いただろうね。曹操はやっぱりクズw
512名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 08:33:18 ID:PvwzNgIm0
今度は信長派で口の悪いのが出てきましたか。
513名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 08:50:44 ID:7xMaKv0W0
>>512
でも事実w
514名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 08:56:35 ID:PvwzNgIm0
>>513
早いね。
でも勘違いするな、おれは信長派だぜ。
能力とかそんなんじゃなく、時代の変革というところで、だから
切り口はだいぶ違うとは思うけど。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 09:50:32 ID:7xMaKv0W0
>>514
朝は暇だろ?飲みに行くのは普通夜。

信長と曹操は二人共、虐殺してるけれど、その意味合いが違う。
曹操はただの虐殺。統一の障害になる失策。ぶっちゃけ私怨にかられたアホw

信長の相手は一向一揆。ほっとけば国を落とされるレベル。
戦国初期〜中期の天才戦術家、朝倉宗滴ですら壊滅は出来なかった。
九頭竜川の戦いは誇張が有るだろうが、それでも数倍、下手したら十倍の敵を殲滅している。それでも一向宗は壊滅していない。

信長の一向宗虐殺は、本願寺を攻略する為には必要悪。
曹操の虐殺と一緒にする馬鹿が希にいて困るw

だから偉大なのは信長。
曹操は私怨を捨てられない凡人w

>>510
とろで、夏クってだれ?釣りじゃなくて馬鹿?
516名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 11:35:57 ID:PvwzNgIm0
いくさの行方のみに傾注するのが、ここの住人の悪い癖だよな。

>>515
ま、おれも朝から暇ではあったが。
517名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 15:59:22 ID:sBHAgcHn0
>>511
>>お前は馬鹿だな。何時、降伏勧告時の話をしてるんだよwちゃんと読めw
そもそも金ヶ崎の所までで例示にしてるのが都合よすぎ
俺が上げた二人は終世魏に仕えているんだが?

ついでに本能寺が不意打ちだからというけど曹操は宛で不意打ちを食らった時は生き延びたよね。
お前の論法で言うならおっ死んだ信長と生き延びて後に謀反を起こした相手を仕えさせた曹操、明確すぎる差でしょw
ついでに言うなら筆頭家臣にうち取られてる時点で終わっとるw

青州兵や五斗米道などとは和解し邪教は取り締まって宗教勢力とは折り合いをつけた曹操
本願寺と正面衝突して大損害を被った信長ww
特に曹操は青州兵を引き入れてその事業に大きな推進力を与えたが
信長は一向宗に障害となられた。
お前風に言うなら器量の差は一目瞭然ってところかww

禰衡の所も結局なんで彼を引き合いに出したのかの説明はなしだし。やはり馬鹿ですか?
働かなかったって信長に仕えなかった人間だってキリがないくらいいるだろww

>>とろで、夏クってだれ?釣りじゃなくて馬鹿?
とろで…とろってなに?逆に聞くけど。
あ、ひょっとして「ところで」って言いたかったのかな?ちゃんと日本語使ってよ
曹丕の代に太尉になった賈詡のことね。変換で出ないからさ、普通わかると思うけど…
あ、とろでなんて意味不明な言語使うくらいだからわからないかwごめんね〜気がつかなくてw
日本語きちんと使えるようになったらまた来てねボクw



518名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 19:55:14 ID:JmHt+eVj0
五斗米道は邪教ではないのか
519名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 20:29:11 ID:7xMaKv0W0
>>517
>そもそも金ヶ崎の所までで例示にしてるのが都合よすぎ
お前が人の文章を読んでないだけだろwオレは金ヶ崎時点までしか書いてねえwww
自分の都合で捏造すんなよw

>本能寺が不意打ちだからというけど曹操は宛で不意打ちを食らった時は生き延びたよね
本能寺と宛城を同一に見ているのは馬鹿な証拠wwww
宛城は曹操が馬鹿で好色だから息子まで失った。アホやねwww
信長は他諸侯に卑怯過ぎる謀反と言われる本能寺。同一視している辺りで問題ありwww

>筆頭家臣
明智は家老筆頭ではありません。次席ですらないw
捏造すんなチョン。いやチャンかwww

>青州兵や五斗米道
青州兵は大本の頭領が死んでるだろうが。顕如や本願寺がどんなレベルの人間か知らないんだなw
五斗米道は勢力が小さいじゃん。何、屁理屈言ってるの?話逸らすのうまいねw
で、戦国末期まで勢力を意地した本願寺と、分裂して主導者が居なくなった黄巾賊を一緒に考えるその頭は腐ってるの?

>禰衡
松永久秀みたいな天才だ。って、言ってるじゃん。読んでないんだねw
捏造上手いな〜w

>賈詡のことね。変換で出ないからさ、普通わかると思うけど…
わかんねーよ、クズwww

>とろで…とろってなに?逆に聞くけど。
あーすまんなー、普通にミスw
で、オマエは自分のミスは謝らない。死んだ方が良いんじゃない?
道徳から勉強しようか。小学一年生さんw

早くあの世へGOしてくださいな
オマエはwww邪魔www
520名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 20:37:45 ID:7xMaKv0W0
>ID:sBHAgcHn0
曹操は禰衡を持て余した。配下にすら出来なかった。
信長は久秀を配下にした。金ヶ崎の退却時でも久秀を掌握していた。
>降伏勧告すら拒まれたってのに掌握してたってバカですか
>>お前は馬鹿だな。何時、降伏勧告時の話をしてるんだよwちゃんと読めw

…本当に読んでねえのか、話を逸らしたのか…
ま、どっちしろ人間的にクズ確定だな。

じゃ飲みに行ってくるw
521名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 20:40:58 ID:KRBm2sdN0
>>519
>>信長は他諸侯に卑怯過ぎる謀反と言われる本能寺

誰もこんな事いってない。
522名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 20:43:23 ID:KRBm2sdN0
>>520
>>信長は久秀を配下にした。金ヶ崎の退却時でも久秀を掌握していた。
その後結局2回も裏切られてるだろ。全然掌握してないぞ
523名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 20:43:25 ID:PvwzNgIm0
なんか、もしかして中国史バカにしてる?
曹操だけを攻撃しているのなら、まぁ許容範囲だが。
524名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:09:56 ID:7xMaKv0W0
>>521
>誰もこんな事いってない。
細川、家康。日本史も知らないで、このスレに居るのか?
>その後結局2回も裏切られてるだろ。全然掌握してないぞ
金ヶ崎時点って言ってるだろ?

>ID:PvwzNgIm0
古代中国史は好きだぞ。
後漢初期までなら。
それと、信長より劉秀の方が好き。
劉秀を模倣して失敗する曹操が嫌いなだけ。蒼天厨とかも嫌い。
525名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:33:34 ID:4BOxcRFs0
蒼天厨なんて存在しない。
いるのはキングゴンタ一人だけ。
526名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:42:43 ID:PvwzNgIm0
蒼天厨はいると思うな。作者オンリーだけじゃなく。もっと始末に終えないのが…
>>524
古代すっか。わたしゃ近世のほうでして。
527名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:43:55 ID:PvwzNgIm0
蒼天厨はいると思うな。作者オンリーだけじゃなく。もっと始末に終えないのが…
>>524
古代すっか。わたしゃ近世のほうでして。
528名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:44:44 ID:PvwzNgIm0
あらま。
529名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:49:08 ID:KRBm2sdN0
>>524
いつ細川と家康が光秀の行動を卑怯だなんていったんだ?
細川が光秀と組まなかったのは別の要因だし
家康が信長に関してあまり語らなかったのはよく知られてるが。
530名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:50:18 ID:KRBm2sdN0
>>524
後なんで金ヶ崎限定なんだ?松永にその後は2回もそむかれてるだろうに。
531名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 00:35:49 ID://YsQrDZ0
>>511
本能寺は壊滅的な打撃だろ
532名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 00:45:33 ID:7Hjytg6+0
>>524
だからなんで金ヶ崎限定なのかわからない
533名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 01:42:37 ID:UFxxF+j+0
曹操大好き、ちゅちゅしたい。そんな奴らばっかだなw

>後なんで金ヶ崎限定なんだ
私様がそう書いたからだwwwwwwwwwwwwww
>>511wwwwwwwwwwwwwww

>本能寺は壊滅的な打撃だろ
ありゃテロみてーなもんだ。光秀もその後、信長の息子に殺されてるじゃねーかwww

ま、曹操みてーな凡夫と一緒にすんなよw

劉秀の方が信長より上ってんなら降参以前に賛同するwww
534名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 01:47:24 ID:7Hjytg6+0
曹操とか信長とか以前に
>>私様がそう書いたからだwwwwwwwwww
で反論は許しませんよ、私が絶対ですって終わってんだろ

とりあえず間違ってもあんたは光武帝語るなよ
間違いなく今よりおかしくなるから
535名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 01:49:15 ID:UFxxF+j+0
早wwwww

張ってたのかw
いやだねストーカーかい?

ゲラゲラ

おめえに私様を止める資格など無いわ!たわけがwwww
536名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 01:53:22 ID:UFxxF+j+0
ま、ぶっちゃけコレ。

>曹操は禰衡を持て余した。配下にすら出来なかった。
>信長は久秀を配下にした。金ヶ崎の退却時でも久秀を掌握していた。
何処に金ヶ崎以降の事が書いてあるのか、逆に聞きたいね。
金ヶ崎の退却時に久秀が謀反起こしていたら、その時点で信長死んでるんんだよ。
537名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 02:31:53 ID:7Hjytg6+0
>>536
>>何処に金ヶ崎以降の事が書いてあるのか、逆に聞きたいね。
いや、みんな書いてないからおかしいって言ってんじゃないの?
信長は久秀を使えてたからすごいって言いたいんでしょ?だけどその後反乱されてるんだから掌握できてないじゃない
もし違う意図なら、何のために久秀出したのかわからない

あと禰衡は結局誰の所にも落ち着かないで黄祖に殺されたぞ。全くの自業自得で
むしろ曹操はその才能と名声を考慮して殺さなかったくらいだが。何の才能だったのか知らんが
あと特に実績のない禰衡と武将としていろいろ動いた久秀を比較するのはやはりおかしいと思うぞ
共通点ないじゃん。生き方すら違う。天才がどうとか言ってるけどあんたの提唱するそれは普遍的な意味での共通項とは多分ずれてるよ。

つかあんたが何を言いたいのか結局よくわからないし、あんたのスタンスを批判はしたが煽る趣味はないんでこれ以上暴れるなら面倒くさいからあんたとは話すのは控えるよ?
538名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 04:03:07 ID:UFxxF+j+0
K1面白な〜w

金ヶ崎時の話を出してるのにその先を書けって〜のは曹操厨の傲慢w
私様は金ヶ崎時の話をしているw
いちゃもんでしかない。その事に気が付かないから馬鹿なんだよw

>面倒くさいからあんたとは話すのは控えるよ?
雑魚は黙ればいい。この、たわけがw
539名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 04:12:47 ID:UFxxF+j+0
曹操は三城死守が無ければ陳宮に殺されてるw
親友の張邈に裏切られるってどんだけ人徳ねーんだw

三城死守は曹操の成果じゃない。部下の成果だw
官渡の戦いに潼関の戦いは、部下の進言が無ければ死んでるw
赤壁の戦いは部下の進言を聞かないからボロ負けw
定軍山の戦いは猪武者の夏侯淵を、守備に付けている時点で馬鹿確定w

信長は、ほぼ全部自分で作戦立案している。その差だよw
だから曹操はクズ。信長は偉大w
540名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 07:39:24 ID:oR1qqSGT0
>>533
>>光秀もその後、信長の息子に殺されてるじゃねーかwww
光秀は信長の息子を殺してはいるが、光秀を殺したのは秀吉では。
三男信孝も一応参加はしているが、本能寺で軍勢が散り散りになって
さまよってた所を秀吉がきたんで入れてもらっただけだし。
>>536
>>金ヶ崎の退却時に久秀が謀反起こしていたら、その時点で信長死んでるんんだよ。
これは久秀にしてもやる意味がない。というか危険。
久秀は織田の一武将としてこのとき朝倉攻めに参加している。
そして浅井朝倉のはさみうちにあって信長と一緒に逃げているわけで
こんな状態じゃ裏切ったって朝倉浅井に追われてる事には変わりないし
すぐそばには織田家臣ばかりなのでその場で殺される可能性も高い。
そもそも信長は軍勢置き去りにして久秀をはじめとする少数の武将と一緒に逃げているので
久秀も謀反する為のろくな軍勢を持ってない。
久秀にしてみれば生き残るために信長を生かすのが自分を助ける道でもあった。



541名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 07:57:28 ID:oR1qqSGT0
>>539
その理屈でいうと
斎藤に何回も負け、
伊勢長島に2回負け、三回目にだまし討ちしても一族を殺されまくり
朝倉浅井に敗走させられ、志賀の陣で屈伏してるのは全て信長のせいという事になり、
部下の戦死も含めるならば信長の部下は敵に何人も敗死させられてる。
542名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 14:25:10 ID:6m3GGybPO
>>519
でも青州兵って各地の刺史や相の軍撃破して追っ払ったりぶっ殺したりして曹操に降伏するまで近隣の官軍誰もどうにもできなかった武装集団だぜ
勢力も百万ってのは誇張だろうが大軍だったのは確かだろうし

あと特に実績も戦の経験もないデイコウと久秀を一緒にするのはやっぱ違う気がする。
543名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 18:10:53 ID:7Hjytg6+0
>>538
公平を喫するためには最終的な段階までで比較するのが普通だろう
もともとすごい久秀をコントロールできてた信長が凄いっていう>>508に端を発しているんだから
いつの間に久秀と信長の関係から推察する信長の実力の話が金ヶ崎の話にすり替わったのかわからないし
勝手に話をすり替えたくせに反論には目もくれず話を押し通そうとするのはお前のエゴでしかないだろう

それに金ヶ崎の話にするというなら金ヶ崎の話からいったいどんな論議を展開しようとしているんだ?
どこにも結びついてないと思うんだが。久秀が金ヶ崎で裏切らなかった、だから何?
あんなところで裏切ったってどうにもならないだろう。袋小路になって軍を放ってほうほうの体で逃げ出してるわけで、裏切った所で何もできん
ただでさえ危険な状況をさらに悪くするだけで久秀に何の利益もない
544名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/08(月) 01:01:43 ID:RUIyVyvj0
>>543
馬鹿は相手にしちゃダメよ。
545507:2008/12/08(月) 05:58:41 ID:R2ul/nob0
>>544
煽るだけなら黙って欲しい。荒れる原因だろう?

個人的には天才比較をしたかっただけなんだが、変な方向に向かっているな。
三国志なら劉備。人の心を掴む才能はこの時代なら最高値をマークしてるだろう。天才と言って差し支えなかろう。
戦国なら松永久秀。将軍家を裏で制した三好を更に操る知謀&策謀は天才でしかなし得ない。それが松永久秀。
長慶の心を破壊したのは凄い事だよ。
546544:2008/12/08(月) 20:55:55 ID:c2ijdRGS0
>>545
いや、もう充分荒れてるやん。いちいち相手にするからなんだから
無視すればいいのに。

誰しも欠点はあるんだから、悪口なんかいくらでも言いようがある。
毛宗崗が改訂した三国志演義は曹操のことをヒドイぐらい悪く書いて
いる。

例を挙げると、曹操が臨終の際に簒奪のことを何も言わなかったのは
曹操の狡猾さを非常に良く表している、とのことだそうな。言ったら
言ったでやはり簒奪の意思があったんだろう、と非難してただろうに。

贔屓の人物を持ち上げるならともかく、そういうことを言い出したら
キリがないよね。今の流れはそういう不毛な議論に成り下がってると
思うよ。
547507:2008/12/10(水) 06:07:37 ID:Jy1Jfun50
>>546
>いや、もう充分荒れてるやん。
それは詭弁だ。
貴方が荒らして良い理由にはならん。
罪悪感は無いのか?だとしたら最低だ。
548名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 23:43:22 ID:NDAGtcuD0
背がでかかったのは信長じゃね?
曹操ちびすけだったらしいからさ
549544:2008/12/11(木) 00:17:08 ID:zuxAe9aP0
>>547
もう何言っても無駄だね。わるかったね、消えるよ。
550名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 01:43:32 ID:grUk4gNj0
曹操より朱全忠のほうが信長に似てる
551名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 08:23:30 ID:tjGkjpqP0
どこがやねん!w
552奇矯屋onぷらっと ◇SRGKIKYOUM :2008/12/13(土) 14:10:16 ID:DGTlP3yv0
信長のほうが偉大だな
553名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 17:20:57 ID:JVn4Zl3q0
朱全忠も偉大だよ。
ただし、負の。
554名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 23:30:47 ID:aa5lqe1P0
曹操はチビのくせに絶人とか呼ばれて相当腕っ節が強かったらしい
信長も桶狭間のとき馬を降りて戦ったっていうから強そうだな
555名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 01:41:55 ID:tit/VGSw0
後漢末の美的感覚では曹操はチビで格好良くは無い。

戦国の美的感覚だと信長は美男子。
信行も美男子で、市も美女。特に秀孝は超絶美形。
土田御前の子は皆美形だそうだ。

その時代の美的感覚で比べるならば、圧倒的に信長!
…じゃなくて、土田御前系の織田家w
556名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 02:50:46 ID:1B4UT0+A0
西洋人が書いた肖像画でもダンディだしな
557名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 12:42:04 ID:5Clc6U010
日本人に大人気の英雄=信長
中国人に大不評の奸物=曹操

国民意識にも圧倒的大差がついてるなw
558名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 14:22:10 ID:tUeykOv10
>>555
初陣の頃の肖像画とか色白の美男子だもんな>信長
曹操の場合貧相で風采が上がらないとあるがブ男とは特別書いてないから逆の発想でhydeみたいなヤツだったんじゃないかと腐女子的妄想をしてみるww
>>557
信長も一昔前はそんなに人気なかったんだけどね
家康とか秀吉のが人気あった
曹操はむしろ日本でのが人気あるなww
559名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 12:55:00 ID:QXR+L7Tn0
>>431

本能寺直前騒動(本能寺の変が無かった場合)
クマ発動

曹操厨も信長厨も馬鹿だな。

大友氏 龍造寺氏
両者共に、信長に属する事を書状により通達済み。
>信長もあるいは九州上陸前にボロクソに負ける
毛利を潰せば大友氏は確実に降伏。龍造寺氏ですらね。
つまり九州動乱は、信長に属する事によってあり得ない。
実質九州の敵は島津のみ。

>>432
>じゃあ龍造寺や島津とでも言えば良かったのか?
龍造寺出している時点で知識に偏り有り。

>>539>>541の違い。
曹操は部下が居なければ(夏侯惇&荀イク)兗州急襲時で勢力滅亡。
官渡の戦いでも滅亡か人質出して恭順。

逆に、信長は立て直しが出来るレベル。比べる時点で蒼天信者乙ですね。

>朝倉浅井に敗走させられ、志賀の陣で屈伏してる
本願寺&延暦寺(延暦寺は奇襲)、大事な所が抜けています捏造は駄目ですよ。
志賀の陣の時(比叡山攻防戦)でも信長はちゃんと朝倉浅井を比叡山に追いつめてます。
その後、畿内の反勢力をプチプチ潰していきます。

簡単に言えば、信長の失態は挽回の余地があるが
曹操の失態はその余地が無い。
寿命まで生きられた点で曹操。しかし才能は信長でしょうね。
560名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 16:44:21 ID:gUATaSHG0
>>559
長文乙と言いたいところだが
それだったら信長だって部下がいなかったらとっくに潰れてるだろ
信玄に攻められたときだって家康がいなかったらどうなったかわからん

結局なんでも都合のいいように解釈したがるんだよな
561名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 16:55:40 ID:QXR+L7Tn0
>>560
家康は同盟者。

結局なんでも都合のいいように解釈したがるんだよな。マジでw

562名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 17:01:19 ID:gUATaSHG0
>>561
「部下がいなければ云々〜」っていえるんだから
「同盟がなければ云々〜」とだって言えるだろ?

部下に頼るのはダメなのに同盟者はいいとかなにそのご都合解釈ww
563名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 17:12:43 ID:QXR+L7Tn0
戦国時代を知らない人が踊ってますなw

>「部下がいなければ云々〜」っていえるんだから
>「同盟がなければ云々〜」とだって言えるだろ?

揚げ足取り乙w

>信玄に攻められたときだって家康がいなかったらどうなったかわからん

三方原は信長が3000の援軍しか回さなかった。理由は一つ。籠城する時に多すぎる援軍は邪魔だか。
最近の研究では実際に、家康が籠城すれば耐えられるレベルだったらしい。(失地は出るが)
なのに暴走したのが家康。信長は後でその尻を拭う事になるw

三方原時に家康が居なくとも、尾張を抜ける事すら出来んだろうな。信玄は。
兵站が長すぎる。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 17:14:15 ID:QXR+L7Tn0
訂正
援軍は邪魔だか。×
援軍は邪魔だから。○
565名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 17:22:06 ID:1WTOmeaW0
もう発想がゲーム主体というのがありありとしてるね。
566名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 17:22:59 ID:QXR+L7Tn0
曹操=部下の進言を取り上げたり、それで助かったり。メイクミラクルが起こったりw
信長=己の裁量で勝負。

纏めると、曹操は一人じゃ兵を操れない子。信長は一人でも兵を操れる子。
567名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 17:32:53 ID:QXR+L7Tn0
>信玄に攻められたときだって家康がいなかったらどうなったかわからん
程度低いよ。実際。
信濃から岐阜に直接攻められるとか(兵站もそこからOKとか)、勘違いしてる痛い子かな?

信長の野望のやり過ぎw
568名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 21:49:18 ID:gUATaSHG0
はいはい、部下の有力な進言を取り上げないで優秀なトップと言えるのか?とか、信長が一人で何でもできる云々に何の具体性もない
(てか部下に頼る、頼らないの境界が曖昧すぎる。一人でも兵を操れるとか抽象的すぎ。信長は部下を使ってないとでも?むしろトップとしてはそっちのがよっぽど問題だよね)とか
信濃から尾張に直接攻めるなんて一言も言ってない(兵站考えたらそりゃ途中で一旦止まるだろ、地理的にも出ていくのは難しいし)のになに勝手にファビョってんの?とか
連投しまくって煽るのはイタい子じゃないのかな?とかいろいろ言いたいことはあるけど、

こんな程度の低い煽りにいつまでも付き合う気はございません。
俺は退場するから勝手に一人で狂っとれ。
では。


569名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 23:43:33 ID:QXR+L7Tn0
曹操厨って釣りやすいですねw
570名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 23:46:41 ID:QXR+L7Tn0
三方原の反論が有りませんでしたー。やっぱ曹操厨って馬鹿だねw
571名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 07:54:47 ID:HF4NJ9e+0
そもそも、なんで信長と曹操を比べようなんて思ったんだろ?
コーエーゲームの二本柱だから?社員なの?
572名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 12:58:56 ID:SGYkQFNs0
>>1に言え
573名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 14:54:51 ID:InbcgXYy0
ID:QXR+L7Tn0みたいな奴って、要は信長を賛美して曹操を貶したいだけだよな

自分を賢いと思い込んでるんだろうけど、賢くてまともな人間ならいちいち自論に
煽り文句なんぞ盛り込まんからな

言うことの部分的には正しくても、性根の腐った奴の意見は誰もまともには
相手にはしない事もわからん幼稚さ
574名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 17:27:27 ID:NeNJ6SMd0
つーか部分的にでも見る所はあるの?
一人で話進めて一人で納得してるだけに見えるんだけど

主張も意見も自己完結のみで終わってるから誰もついてこれないし、相手にされてないように思うんだが


575名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 19:33:51 ID:OuLgRzo60
曹操が注釈した孫子の兵法を武田信玄はもちろん信長も参考にしたろうから曹操に一票
576名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 13:21:55 ID:zCtKV/NH0
>つーか部分的にでも見る所はあるの?
九州の大友氏と龍造寺氏が、
両者共に、信長に属する事を書状により通達済み
ってのは初めて知った。

だとしたら>>560は煽ってるだけに過ぎないだろ、これ。
577名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 17:19:52 ID:W4FuH7Yu0
いや、どう考えても挑発しときながら釣り宣言したりするようなやつのほうが煽りだがw
煽りというかファビョリ?
578名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 17:32:18 ID:W4FuH7Yu0
>>576
つうか大友氏と龍造寺氏の親書と>>560の意見ってそんな接点なくね
579名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 19:48:24 ID:zCtKV/NH0
>>560が始めから喧嘩売ってるかっら、ファビョった様にしか見えんが?
ID:W4FuH7Yu0=560?


>>559の回答が↓なんだから駄目なんでしょ。
>それだったら信長だって部下がいなかったらとっくに潰れてるだろ
>信玄に攻められたときだって家康がいなかったらどうなったかわからん

>結局なんでも都合のいいように解釈したがるんだよな

>>578
だって煽ってるだけだもの。どう見ても。
580名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 21:29:41 ID:wRguOBeP0
>>575
信玄はともかく信長はそんなもん知らんだろ
581名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 22:08:27 ID:enLfubzB0
>>580
なに言ってんの?
582名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 22:12:10 ID:wRguOBeP0
孫子の兵法とかいうの
583名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 22:35:57 ID:W4FuH7Yu0
>>579
何を言いたいの?
そんなんで煽りだったらID:QXR+L7Tn0とかどうなんのさwww
>>581
でも中国の文書って当時入手しにくかったらしいね
584名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 22:49:14 ID:zCtKV/NH0
>>583
>>559の時点では煽りとは言わないだろう。煽ったのは君だな。
ID:W4FuH7Yu0=ID:gUATaSHG0
585名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 23:31:12 ID:W4FuH7Yu0
>>584
出た決め付けww
>>曹操厨も信長厨も馬鹿だな。
>>逆に、信長は立て直しが出来るレベル。比べる時点で蒼天信者乙ですね。
これで煽りじゃないってかあ、なるほど
そんなに煽った煽ったっていうってことはむしろ君が渦中のID:QXR+L7Tn0なんじゃないの?
って言われても仕方がないよね。俺のせいにしようとしてるんだから

これ以上君みたいなのと話してるとこのスレの荒らし全部俺のせいにされそうだから退散するよ
586名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 11:43:42 ID:FFNVlRix0
297 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 10:33:08 ID:ytq0rv8J0
303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 01:13:16 ID:d6hIyyEk0
305 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 06:33:17 ID:d6hIyyEk0
306 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 06:46:12 ID:d6hIyyEk0
308 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 17:30:51 ID:d6hIyyEk0
311 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 00:38:09 ID:ASH40j+L0
313 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 19:22:59 ID:ASH40j+L0
315 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 20:15:04 ID:ASH40j+L0
327 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 02:10:33 ID:z6PEsRuw0
328 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 02:18:28 ID:z6PEsRuw0
336 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 02:30:23 ID:7ICcJY+G0
338 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 07:39:20 ID:7ICcJY+G0
341 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 15:32:57 ID:7ICcJY+G0
344 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 19:28:03 ID:7ICcJY+G0
357 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 12:31:48 ID:6OdG6YsZ0
359 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 16:42:45 ID:6OdG6YsZ0
362 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 16:54:22 ID:6OdG6YsZ0
366 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:06:56 ID:6OdG6YsZ0
368 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:18:49 ID:6OdG6YsZ0
372 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 17:53:53 ID:6OdG6YsZ0
374 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 18:17:30 ID:6OdG6YsZ0
376 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 18:29:22 ID:6OdG6YsZ0
377 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 18:32:29 ID:6OdG6YsZ0
381 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:29:59 ID:6OdG6YsZ0
383 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:36:36 ID:6OdG6YsZ0
385 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:40:53 ID:6OdG6YsZ0
387 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:47:33 ID:6OdG6YsZ0
587名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 11:44:56 ID:FFNVlRix0
390 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 19:53:39 ID:6OdG6YsZ0
394 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:02:10 ID:6OdG6YsZ0
396 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:09:18 ID:6OdG6YsZ0
398 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:16:10 ID:6OdG6YsZ0
399 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:17:55 ID:6OdG6YsZ0
402 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:31:31 ID:6OdG6YsZ0
403 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:34:47 ID:6OdG6YsZ0
406 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:45:03 ID:6OdG6YsZ0
407 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 20:52:25 ID:6OdG6YsZ0
409 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:01:26 ID:6OdG6YsZ0
411 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:06:53 ID:6OdG6YsZ0
412 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:11:11 ID:6OdG6YsZ0
414 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:21:06 ID:6OdG6YsZ0
415 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:22:06 ID:6OdG6YsZ0
418 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:31:26 ID:6OdG6YsZ0
420 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:34:01 ID:6OdG6YsZ0
422 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:38:50 ID:6OdG6YsZ0
426 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:44:40 ID:6OdG6YsZ0
427 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:48:04 ID:6OdG6YsZ0
430 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 21:53:49 ID:6OdG6YsZ0
434 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:08:03 ID:6OdG6YsZ0
435 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:09:10 ID:6OdG6YsZ0
437 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:12:04 ID:6OdG6YsZ0
440 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:17:27 ID:6OdG6YsZ0
441 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:20:57 ID:6OdG6YsZ0
444 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 22:28:49 ID:6OdG6YsZ0
451 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 15:28:26 ID:UKcTMaZD0
455 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 18:02:02 ID:UKcTMaZD0
457 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 18:27:53 ID:UKcTMaZD0
461 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 20:29:32 ID:UKcTMaZD0
467 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 21:22:42 ID:ftXNzUODO
469 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 21:40:33 ID:ftXNzUODO
472 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 22:25:21 ID:ftXNzUODO
588名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 11:46:23 ID:FFNVlRix0
480 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 00:09:30 ID:oqLtJXWM0
482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 01:27:27 ID:oqLtJXWM0
484 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 02:05:47 ID:oqLtJXWM0
508 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 22:43:51 ID:1+C2+TwM0
511 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 04:44:58 ID:7xMaKv0W0
513 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 08:50:44 ID:7xMaKv0W0
515 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 09:50:32 ID:7xMaKv0W0
519 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 20:29:11 ID:7xMaKv0W0
520 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 20:37:45 ID:7xMaKv0W0
524 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 21:09:56 ID:7xMaKv0W0
533 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 01:42:37 ID:UFxxF+j+0
535 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 01:49:15 ID:UFxxF+j+0
536 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 01:53:22 ID:UFxxF+j+0
538 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 04:03:07 ID:UFxxF+j+0
539 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 04:12:47 ID:UFxxF+j+0
559 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 12:55:00 ID:QXR+L7Tn0
561 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 16:55:40 ID:QXR+L7Tn0
563 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 17:12:43 ID:QXR+L7Tn0
564 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 17:14:15 ID:QXR+L7Tn0
566 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 17:22:59 ID:QXR+L7Tn0
567 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 17:32:53 ID:QXR+L7Tn0
569 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 23:43:33 ID:QXR+L7Tn0
570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 23:46:41 ID:QXR+L7Tn0
589名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 12:20:53 ID:FFNVlRix0
戦国時代、三国時代をどれほど知っていようが
今を生きる上で相手に不要な不快感を与えるようでは
歴史を学んだとは到底言えないはずだ。

議題以前に議論という行為に相応しくない人間が
一人前の論客ヅラをしているのが非常に不愉快。
よくもまあこんなキチガイを一ヶ月も相手に出来るな。滑稽を通り越しておぞましい。
590ID:6OdG6YsZ0:2008/12/23(火) 21:01:15 ID:xPiKUI7e0
オレじゃないのが混ざってる…w

すげー決めつけですねw
591ID:6OdG6YsZ0:2008/12/23(火) 21:10:51 ID:xPiKUI7e0
ID:OM7QRBS90が自分に敵対する人物羅列しただけじゃねー?
駄目だねー。本当w
592ID:6OdG6YsZ0:2008/12/23(火) 21:14:27 ID:xPiKUI7e0
自分の意見しか尊重せず、相手に敬意を払わない人間は
道徳感が欠けているのだろう。

ってか、ここ2ちゃんだぜw

じゃーな。
キチガイはおめーだよw
自分に敵対している人物は、全部同一人物と見ている時点で気持ち悪い。
593名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 22:32:26 ID:FFNVlRix0
さて、あと何人出てくるかな。

>自分の意見しか尊重せず、相手に敬意を払わない人間は
>道徳感が欠けているのだろう。

自己紹介乙。
594名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 00:59:38 ID:6U3mwusE0
>>オレじゃないのが混ざってる…w

  すげー決めつけですねw

>>ID:OM7QRBS90が自分に敵対する人物羅列しただけじゃねー?
  駄目だねー。本当w

自分で決め付けされてるって言ってるけど自分だって決め付けじゃないスか


595名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 02:13:52 ID:QQWhmjxn0
ID:6OdG6YsZ0だけでも責任転嫁と代案要求ばっかしてるキチガイで確定じゃんw
初カキコを自称して中途参加を装うのがイタすぎ。結局馬脚を露わしてるし、馬鹿丸出しw
信長もキチガイの自己同一化のネタに使われていい迷惑だろうなー。

おいキチガイ。
おまえが精神科に通院するだけで
このスレにおまえだけでなく、ほぼ全ての住人が求める、
おまえがぶち壊しにしてる道徳感と誠実性と建設的な議論が戻るぞw
逝けw
そして帰ってくるなw
596名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 03:13:12 ID:wZ8eHGQi0
低俗で幼稚な煽りだけどよくそこまでダラダラと書き連ねられるな

正直言って傍目には見苦しいだけ
煽り合いがしたいだけならどっちも精神科でもどこでも行ってくださいとしか言えん
597名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 03:38:11 ID:82pWxZkY0
個人的に>>586-588に狂気を感じる
598名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 16:14:58 ID:vr4BAMmFO
>>595
もはや誰に何を言いたいのかもわからない
599名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 08:05:43 ID:yIf8n6ki0
他人の、所詮はネタの話を、真っ向から全否定したり、
考察と称して一方的な思い込みを正当化させようとする輩は、
ほぼ全員(自主規制)というか(検閲)で、(お察しください)なのは間違いないな。
なんていうか、思考の余裕がなさ過ぎ。
600名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 08:55:14 ID:fbYu4EX/0
600ゲッツ!
601名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 20:00:48 ID:S7tH9ieF0
>>1
全然違うだろ

曹操って完全なやられ役じゃんw
圧倒的な版図と兵力を持っていて破られまくりでw

一方で信長はやる方の役
曹操なんて日本でいうと大友宗麟レベルだなw
602名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 20:48:10 ID:fbYu4EX/0
>>601
衰えない長慶レベル…じゃ高すぎるか。
足利尊氏(全国統一出来てない)+源頼朝(3代目で崩壊)÷2=曹操じゃね?

曹操は晩年に荊州完全に落としたしな。
関羽北上を防いで荊北を守ったってのは大嘘。
関羽の猛攻によりボロボロになった荊北は孫呉の陸遜に落とされてる。
荊北を取り戻すのは曹丕の時代。
603名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 23:07:04 ID:ewp1cuzE0
>>601
大中国の二十分の一にも満たないちっぽけな島国すら統一出来なかった信長が如き小物を対象にしている時点で失笑モノであるな
604名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 23:51:54 ID:fbYu4EX/0
人口&戦術&戦略なら戦国日本が上。
後漢末は戦国日本から見たら、土人が争う時代。時代が千年以上違うんだぜ?
605名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 00:20:48 ID:LPg5hdMs0
>>604
>>603ほど極端な事言うつもりはないが
そっちの方がハードル高い気がするぜ
事実王朝崩壊から統一まで三国時代で100年、人口がもっと減った五胡では300年かかってる
もっとも日本の戦国時代にハッキリ「統一」という概念が見られるのはまれだが
遠征一つとっても人口や技術が発達してなければそれだけ苦労するし
悪条件の中でいかに戦をするか?またいかに国を富ませるか?
その辺技術や生産力が進歩した中世よりはるかに難しい
三国時代の場合国土が広いのに人口が少ないんだし。これは生産性としてはかなり問題だ
人一人、又は牛馬一頭につきそれを支える生産力が、それだけ少ないわけだからね…
606名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 04:25:20 ID:pRutsS120
日本の戦国時代=1467年応仁の乱から開始と考えると百年以上続く
信長が1567年に岐阜で天下布武を唱えるまで、統一という概念をハッキリもった人物は日本では生まれていない
秀吉はそのおこぼれを
家康はそれを横取りした形
607名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 08:30:36 ID:9kahmnoI0
>>604
秦漢以来の洗練された国家制度を完備した中国を「土人の争い」とか…
ゲーム脳もここまでくると害悪だな!
だが、信長偉大なのは変わらんが。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 09:49:17 ID:pRutsS120
>>607
インカ帝国だって洗練された国家制度を完備してたぞ?問題は文字が無い事だがな

土人とまでは言わないが後漢末程度の文明では、日本の戦国時代レベルの文化や文明など有るはずがない
世界史的に見れば、1000年以上の差があるのだ
文化や文明に開きが無い方がおかしい
日本は遣唐使などで、その時代その時代の最高文明を学習してきている

醍醐の花見を実施した秀吉が後漢末の洛陽を見たらどう思っただろうね
醍醐の花見の持て成し(懐石料理)は、今現在の日本でも最高級の持て成しだ
609名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 12:14:20 ID:9kahmnoI0
>>608
千年の差というのは、時間の差であって、国家機構の差ではないんだ。
武家社会、地方封建で推移してしまった日本に比べ、中国は早い段階
つまり、秦および漢から、中央集権体制を確立し、「有能な」皇帝のもとでは
極めてすぐれたインフラが行われる。
中国を東アジアで強国たらしめていたのは、そのことが大きい。
それが崩れるのは、唐の崩壊となり、日本の体制は実はそのあたりから
出発している。
差はあるが、「土人」と蔑まれなければならない差ではない。
ということ。
で、中世的な日本から、文化・文芸の華を開かせて、改善への道を作った
信長は、近世への変革とあいまって、やはり重要な存在ということになる。
ちなみに、中国では唐崩壊後の宋への以降で、似た展開を迎えている。
西暦10世紀の頃だな。
ま、曹操と信長とでは、歴史に果たした役割では、比べるほうがどうかしてると思う。
610名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 14:07:48 ID:30sdi+Et0
曹操=司馬氏におこぼれをくれてやった天才
信長=天下を取りこぼしたアホ
611名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 14:24:13 ID:LPg5hdMs0
>>609
まあスレ主に言おうぜ、そんなことは

日本で米作りが始まったあたりではすでに中国には確立された文化や政治機構があって、まさに先進国というに相応しかった
およそ明までの中国はまさに「中華」の名にふさわしいだろう。アヘン戦争以後は人口くらいしか中国たるゆえんはないからね
しかしそこ行くとやはり日本も「日出国」とは言い難い。国風文化も基は中国の模倣だし、外国への出兵で目覚ましい成果を上げたことは近代の文明開化の時代までない
白村江や、日本を統一した秀吉の出兵も結局失敗に終わっているんだから。

>>604いわくその「土人」の時代や、それより何百年も前から日本よりはるかに広大な国土を統一しようと事業を興し、異民族とも戦い続けてきたのはやはり凄いことではある
スレタイに則って考えれば、中世の技術、発展度で四季の変化も比較的穏やかな日本でそれをやるよりは、それより千年も前の時代から広大で他民族の入り組んだ中国でそれをやろうという方が、コストもハードルも高いと思うよ
あえてそういう考え方をするならね
612名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 17:22:16 ID:9kahmnoI0
>>611
スレ主だけじゃなく、どういうわけか(たぶんゲームの知名度)で
両者を比べたがる人がいるから、そのあたりに向けて…

なにも自分が織田信長を好きで、中国は南宋の滅亡とともに終わってるw
と思っているから、信長を称揚しているわけではないことを追記しておこう。
613名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 21:12:18 ID:JnHaQE7W0
日本で中央集権の時代なんて、大宝律令の一時期だけだもんなw

しかもわずか20年で三世一身の法で事実上崩壊した。
614名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 22:44:15 ID:9kahmnoI0
そうは言っても、中央集権が絶対に偉い、とかいうわけじゃないけどね。
日本には日本にあった政治体制でいいわけで。
また、曹操も歴史に対してなにもなしえなかったかといえば、んなわけはない。
建安文学に代表される詩文化の隆盛と、唐代にまで貫く貴族社会を隆盛させる
きっかけとなったことなどで、非常に象徴的な位置に存在したといえる。
貴族社会は、その母体自体はすでに漢代からあったので、あくまできっかけ
あるいは加速させた、にすぎないが。
中世貴族社会においては、文化も国家も貴族の所有物であるからこそ、隆盛した
という側面もあるが、より自由な詩作の扉を設けたことは、特筆されてしかるべきところ。
制度的には、府兵制の淵源をなした、とかもあるにはあるが、まぁどれだけのものか…

蛇足ながら、近世とは、そういった国家や文化が、特定の家柄を持つものの所有物
ではなく、民がおおく参加してくることに、その差異がある。
615名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 07:06:31 ID:Pt7E/hSY0
日本も古代から鎌倉時代まで中央集権だろ、中央の公卿などが腐敗したから武家が台頭し地方分権になった
616名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 08:40:09 ID:OWtJrOIS0
土地の公有原則を放棄した政治体制を中央集権とは呼ばない。
日本のように外敵もない、内乱も起こらない状態では大宝律令の維持は必要なかった
ということだが、それが江戸時代になっても強力な統一国家を生み出せなかった原因。
武士だけじゃなく、所有関係、権利関係の複雑さは既に三世一身の法から発生したわ
けで。

鎌倉は完全な二重政治体制だし、室町でも初期は国替えによる疑似中央集権政治を敷
いたが、土地=統治領域のピンハネ命の、シビリアンコントロールの効かない武士を
コントロールすることはむしろ放棄していた。戦国期に出来た分国法は、江戸時代に
なっても基本的には生きていたし。
建武の新政で後醍醐が理想とした律令体制は、武士を完全にたたきのめさない限り不
可能だったんだよ。天皇直属の禁軍を創設するだけの資金も能力もなかったわけで。
617名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 15:24:58 ID:Gd+55p4h0
中央政権が腐敗し不合理になったから地方に権限が移ったんだが
618名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 15:30:55 ID:1tnySxPd0
>>617
そう。そこが、中国と日本の興味深い差なんだ。
地方分権を制度で認めてしまった中国(唐)は、その崩壊後、日本に見られるような
武家社会となったが、皇帝親裁の過程で、100年たらずで中央集権、君主独裁
官僚制度、また軍事権の分権、文官による掌権となった。
これを、地域的な差と見るのは単純すぎるだろうか。
619名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 00:49:37 ID:dM/i9c/+0
>>614
>>府兵制の淵源をなした
多分それは青州兵とかその辺じゃなかろうかね
豪族の私兵をかき集めたような軍隊が多かった時代だから
直属の繋がりがあって、直々に訓練をさせた可動性の強い部隊ってのは、当時としては珍しい形だったと
620名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 01:15:09 ID:agDvtz9K0
恐ろしい・・・。これがゆとりの底力か・・・。

大尉の下につく将官って何なの?プライドないの?黒幕なの?
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1230347049/
76 : ネチズン(東京都):2008/12/27(土) 12:40:45.82 ID:ZHGSKvEN
しかしこうやって見れば
改めて九品官人法ってすげえんだなあって思うわ
三国時代の風習が流れ流れて現代にまでその基礎として根付いてるんだもんな


621名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 09:48:46 ID:6LD8bjvz0
>>620
九品官人法を支えとした、いわゆる貴族社会と辟召制は、宋の成立とともに
終わったんだがな…
ま、名詞としては残ったから、基礎といえば基礎には違いないが
どうも、三国時代から一気に現代に時空跳躍するような、違和感を覚える一文だw

>>619
と、思ったけど、曹操の施策が、それを成すきっかけとなったには違いないだろうけど
実際的に制度として導入したのは、魏国成立後のことだったみたい。
(都督府が府兵制の前身となる)
曹操個人に結びつけるのは、やや強引のようだ。
622名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 13:56:39 ID:q0XJc1sPO
>>619
兵戸制的なものでは?
623名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 20:37:03 ID:FdPoxo8n0
宮崎市定先生が、九品官人法は魏が漢から禅譲を受ける際に、
漢朝に仕えていた者達の魏への忠誠心(反魏的ではないか)を図るために設けられた制度だ、
みたいな事を言ってたような気がする。
624名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 00:13:37 ID:RPAfXfaN0
でも九品官人法って曹操の提唱してた才能重視とは真逆じゃね?
名士メチャ有利じゃん
625正則JP:2009/01/06(火) 01:37:46 ID:0oqEgUxW0
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
日本の在日とハーフとは、例えるならベトナム戦争時の、韓国兵と
現地ベトナム女性との混血児を、強く連想されます。アメリカはベトナムを
傷つけましたが、韓国兵は更に、現地女性をレイプして混血児まで残した
アメリカはベトナムを傷つけたが、韓国兵は更にレイプして混血児まで残した
日本国内の、在日とハーフの位置づけは、ベトナム戦争時の韓国兵による現地
ベトナム女性との混血児を、強く連想させます
アメリカは混血児は残していません。在日とハーフは、韓国兵とベトナム女性
との混血児と全く同じです
アメリカは日本に混血児は残していない アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない アメリカは日本に混血児は残していない
626正則JP:2009/01/06(火) 20:38:22 ID:0oqEgUxW0
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
日本の在日とハーフとは、例えるならベトナム戦争時の、韓国兵と
現地ベトナム女性との混血児を、強く連想されます。アメリカはベトナムを
傷つけましたが、韓国兵は更に、現地女性をレイプして混血児まで残した
アメリカはベトナムを傷つけたが、韓国兵は更にレイプして混血児まで残した
日本国内の、在日とハーフの位置づけは、ベトナム戦争時の韓国兵による現地
ベトナム女性との混血児を、強く連想させます
アメリカは混血児は残していません。在日とハーフは、韓国兵とベトナム女性
との混血児と全く同じです
アメリカは日本に混血児は残していない アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない アメリカは日本に混血児は残していない
627正則JP:2009/01/07(水) 03:19:28 ID:g+FRdbR60
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
日本の在日とハーフとは、例えるならベトナム戦争時の、韓国兵と
現地ベトナム女性との混血児を、強く連想されます。アメリカはベトナムを
傷つけましたが、韓国兵は更に、現地女性をレイプして混血児まで残した
アメリカはベトナムを傷つけたが、韓国兵は更にレイプして混血児まで残した
日本国内の、在日とハーフの位置づけは、ベトナム戦争時の韓国兵による現地
ベトナム女性との混血児を、強く連想させます
アメリカは混血児は残していません。在日とハーフは、韓国兵とベトナム女性
との混血児と全く同じです
アメリカは日本に混血児は残していない アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない アメリカは日本に混血児は残していない
628正則JP:2009/01/08(木) 04:48:26 ID:LRBqnIar0
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
日本の在日とハーフとは、例えるならベトナム戦争時の、韓国兵と
現地ベトナム女性との混血児を、強く連想されます。アメリカはベトナムを
傷つけましたが、韓国兵は更に、現地女性をレイプして混血児まで残した
アメリカはベトナムを傷つけたが、韓国兵は更にレイプして混血児まで残した
日本国内の、在日とハーフの位置づけは、ベトナム戦争時の韓国兵による現地
ベトナム女性との混血児を、強く連想させます
アメリカは混血児は残していません。在日とハーフは、韓国兵とベトナム女性
との混血児と全く同じです
アメリカは日本に混血児は残していない アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない アメリカは日本に混血児は残していない
629正則:2009/01/08(木) 09:13:58 ID:LRBqnIar0

アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない
日本の在日とハーフとは、例えるならベトナム戦争時の、韓国兵と
現地ベトナム女性との混血児を、強く連想されます。アメリカはベトナムを
傷つけましたが、韓国兵は更に、現地女性をレイプして混血児まで残した
アメリカはベトナムを傷つけたが、韓国兵は更にレイプして混血児まで残した
日本国内の、在日とハーフの位置づけは、ベトナム戦争時の韓国兵による現地
ベトナム女性との混血児を、強く連想させます
アメリカは混血児は残していません。在日とハーフは、韓国兵とベトナム女性
との混血児と全く同じです
アメリカは日本に混血児は残していない アメリカは日本に混血児は残していない
アメリカは日本に混血児は残していない アメリカは日本に混血児は残していない
630名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/10(火) 14:35:11 ID:OCpkMJkm0
曹操には法律家の一面があったが信長にはその欠片も感じない。

むしろ実業家に近い。
631名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 13:13:33 ID:wMb4VxEB0
中国と日本じゃ格が違う
尖閣諸島は譲れないが
中国は三国志つながりで嫌いじゃない
632名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/27(木) 21:02:37 ID:Yoy63Y5Z0
戦術:曹操>信長…曹操は白起・韓信の才との評通り、自ら陣頭に立った戦いでは悉く勝ちを収めている。
         何より官渡のみならず張バクの反乱、烏丸討伐と敗色濃厚な戦いを何度も覆している。史上屈指の用兵家であることに疑いはない。

戦略:信長>曹操…反面、官渡や赤壁のように補給で悩まされ不覚を取ることが多かった。
         もっともその根底に当時特有の中原の物資不足が原因としてあった事は否めないが、信長はこういった失敗を殆ど犯しておらず、この面で非常に優秀と言える。

文化:曹操>信長…信長は茶道・連歌に通じる文化人であったが、曹操は詩をはじめあらゆる学問に造詣が深かった。
         詩人としての曹操は述べるまでもないが、兵書や草書など数々の著作を残し、囲碁は当時最高峰の腕前であったという。また、曹操の詩は基本的に楽府であり、音楽にも堪能であったことがわかる。

政治:信長=曹操…曹操は民屯や異民族同化政策を行い人口難や生産力向上の問題解決に腐心し、信長もまた兵農分離など画期的な体制を布いた。
      また両者とも当時の有力な知識人層と上手く折り合い、自身の権勢を確固なものとした。あえて言うなら信長は革新的、曹操は保守的と言えるか。ただし曹操が万全な形で文帝へと政権を引き継がせたのに対し、信長以降、織田政権は事実上崩壊している。

人間性:曹操=信長…信長は極端に気性が荒く、曹操も非常に情緒不安定だったという。
    信長はよく明確な理由もないまま勘気を起こし、曹操もまた躁病かと思われるほど大笑いしたかと思えばすぐに泣き出すなど、感情の振れ幅が激しい。ただ女性への紳士的な態度や旧縁の者に対しての対応など、曹操は人情には弱いようだ。


633名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/28(金) 03:35:43 ID:7lyBD1GZ0
狭い日本と西暦200年の中国の補給路の確保をなぜ同じ土俵で考える?
634名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/06(日) 17:53:48 ID:YxdmM97I0
>戦術:曹操>信長…曹操は白起・韓信の才との評通り、自ら陣頭に立った戦いでは悉く勝ちを収めている。
>         何より官渡のみならず張バクの反乱、烏丸討伐と敗色濃厚な戦いを何度も覆している。史上屈指の用兵家であることに疑いはない。

桶狭間・・・
635名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/06(日) 19:53:05 ID:MQcOae6/0
636名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/06(日) 20:13:58 ID:KP+wgvedO
信長なんて関白になれなくて腹いせに牛車を焼いた小物だよ
637名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/06(日) 20:31:23 ID:YxdmM97I0
・・・三職推任問題
638名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/06(日) 21:54:42 ID:79C9mWAO0
信長厨乙
639名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/07(月) 08:33:24 ID:zJ5+iJiDO
>>636

それは道長の孫の藤原信長のことだろ
640名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/07(月) 16:42:31 ID:yLsOlQfF0
曹仁「魏はワシが育てた」
641名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/12(土) 05:03:40 ID:liC5Jad2O
戦術はどっちも三流だろ。
韓信みたいに三秦を落とす事なんか出来ないだろうし、宮崎繁三郎みたいにノモンハンで勝てるとも思えない。
コイツら以上の戦術家は昔から近代まで日中幾らでもいる。
政治家としては二人とも偉大。
642名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/13(日) 20:29:31 ID:5LOoGtwE0
なら戦術で戦略をひっくり返した、シモ・ヘイヘを押すぜw
643名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/13(日) 21:19:34 ID:TwkKR0Cs0
>>641
信長に見るべき政策なんてないよ。
彼を革新的だとか天才だとか言うのは学会では30年前の話で、現代は最近の研究を
知らない作家や評論家、素人が言ってるだけだね。
ここ20年ほどで古文書の整理研究も進み、毛利や上杉、武田、北条など信長以外の
大名の実態が知られるようになり、それまで信長の天才、革新的と呼ばれていたも
のは殆ど時代の流れに過ぎず、他の大名も同時期あるいは既にやっていることがわ
かっている。
朝廷や宗教政策、地方政策を見るとむしろ保守的ですらあるよ、信長は。
そういう意味ではしたたかな政治家かも知れんなあ。
644名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/13(日) 21:24:29 ID:l1Wgp61z0
>>643
結局、時代の流れであっても、毛利や上杉、武田、北条ではなく
織田だった、ということに意味があるんじゃないの?
645名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/13(日) 22:30:08 ID:TwkKR0Cs0
そうだね。それは否定してないよ。
俺はただ「信長は天才だ」「革新的な政治家だ」というのが誤解に基いている
と指摘しただけだから。
もっと徹底した人になると
「運がよかっただけ」となるが、俺もさすがにそこまでは思ってないよ。
646名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/13(日) 22:46:53 ID:8hjbFxE90
>>644
織田以外もやってるのになぜかスルーされ信長の独創になるのがおかしいのでは。
647名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/13(日) 22:53:46 ID:IZ/nwDK2O
信長の弁護をすれば、
あまりに急速に膨脹したため、あまり内政に手が回せなかったんだろね。
そんな余裕ないままに横死してしまった。
途中で膨脹を止め、天寿をまっとうできた曹操と比べたらかわいそうだよ、
内政面の話だけど。
648名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/14(月) 02:13:19 ID:XBDUFfay0
というか、曹操が治める領土と信長の領土じゃ内政する量は雲泥の差があると思うが
わずか東海から近畿一帯を治められなくて全国統一なんか夢物語だな
北海道から九州まで日本全国統治したのは家康くらいか?
649名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/14(月) 08:46:55 ID:EVE9pCkG0
>>648
たしかにそうだが、中国と日本では、そもそもの統治機構がまったく違う。
かならずしも、領土がデカイから偉いわけではない。
両者を比較する場合、領土の広さをもってきても余り意味がない。
650名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/14(月) 09:36:14 ID:CxFvy1wxO
その通りですな。
で、大小関係なく、信長には統治システムを作る間がなかったから、政治的実績はほとんどありませんね。
比較にすらなりません。
政治的実績があると言われるなら、具体的に述べて下され
651名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/14(月) 13:16:41 ID:EVE9pCkG0
それを話たいなら、まずそちらの見解を聞かせてもらいたい。
「中世とはなにか?」
これについて。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/22(火) 00:21:22 ID:FQZwj5080
>>651
俗世間勢力であり武家を代表権力とする「王法」
宗教勢力であり寺社を代表権力とする「護法」
この二つが相互に依存しあいながら国家をまとめていき
その下に大小の様々な種類の下位勢力が乱立する状態。
この王法と護法の相互依存は時代とともに変質し乱世の到来とともに明確化
王法(大名勢力)は護法(宗教勢力)をも含めた領地内の完全掌握を目指し
一方の護法(宗教勢力)は王法(大名勢力)から離脱し完全なる自立を目指す。
戦国時代における宗教勢力の最大派閥である一向衆をはじめとし
宗教勢力と大名勢力との戦いはあちこちで勃発。
北陸では一向一揆が支配を築きあげ大名勢力の領地にまで攻め込むまでになり
根来雑賀法華天台などの勢力をそれぞれの地域で自立や大名権力との争いを繰り返す。
大名権力側も領内の宗教勢力をあるいは従わせあるいは武力で討伐し領内の完全掌握を目指し
戦国大名領国を形成していく。
天文一揆では細川をはじめとする畿内大名達と一向一揆との総力戦が行われ
一向衆は敗退し石山に引きこもる事になる。
信長と一向一揆の対立はそれから数十年後の事。
やがて各大名達がそれぞれの領国で築き上げていた秩序の上に豊臣政権があらわれ全国規模での統治統合を行い
徳川政権において宗教勢力の完全な従属化と骨抜きした上での取り込みが行われ
時代は俗世勢力が一元して国を支配する近世に移行する。
こんなものかと。
653名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 14:58:27 ID:u0kaCmDl0
何か難しい事を言って、有耶無耶にしてるな〜www
中世になるのは平清盛から。信長上洛後から近世になる。
つまり時代を動かせる、革命者が何時、何をしたかだな。
それが日本って国の時代の変化だ。

何をしたかは、教科書でも読めばいいだろう。
654名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 19:45:19 ID:8etP45mj0
>>653
結局具体的にやったことあげられてないだろ。
何をしたかも何も信長は特に中世から近世にした、なんて事をやってない。
革命者も何もほとんどそれ以前からあった事の追認ばっかりなのに
信長が革命者なんていうこと自体が虚像。
教科書でさえ信長がやったとかされてる事に本当は先駆者がいた事が述べられてなくて
問題になった事があるくらい常識化されてるのに。
655名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 21:48:39 ID:u0kaCmDl0
>>654
安土桃山時代が中世と近世の間に入るだろう?
あれは織田政権と、その後継の豊臣政権の成果だ。
教科書にすら、ちゃんと内容が載ってるだろうがw

>信長がやったとかされてる事に本当は先駆者
それを全部纏めたのが信長だろw
京を手中に入れてる時点で、革命児なんだよw

三好長慶の方が先とか言うやついるけれど、
朝廷を復活させていないしな。

あと、当時明確に天下布武を言っていたのは信長だけ。(実力有りでな)
656名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 21:56:06 ID:8etP45mj0
>>655
言ってることめちゃくちゃだよ。
織田政権も何もろくにやってないよ、織田は。
しかも最近は織田政権を天下政権とみる事を学者は疑問視してるし。
豊臣政権と違って明らかに天下政権としての性格も論理ももってないから。
しかも織田政権は書状が異常に少なくて支配は基本丸投げだった事が明らかだし。

まとめてないよ。ほとんどが追認。
さっきも言ったように書状や指示が異常に少なくて基本は丸投げ体質だから。
織田政権は。
なんで京都を抑えてる時点で革命児になるのか。
三好も大内も細川もみんな京都を抑えて朝廷も敬ってるよ。

天下布武の他にも天下静謐は武田も上杉も言ってるよ。
657名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 22:23:39 ID:D1X6DIlT0
誰が最初にやった、とかいうのはあまり関係ないんじゃ……
織豊政権における時代性の推移というものがあって、それを
推進していた中心人物というのが、織田なわけでしょ?
中世武家政権が地方割拠の様相を呈してより初めて起こった
統一政権への過程というものを軽視してはいかんと思う。
変に信長を改革者とか革新者とか拘っているのは、>>656さんじゃないかと。
658名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 22:31:16 ID:8etP45mj0
>>657
革命者、というのにこだわってるのは>>653の方。
最初に革命者と言いだしたのは彼。
学会では信長の革命性というのは否定されてる。

その織田の統一政権、というのも秀吉あってのもの。
秀吉がいなければ織田政権は本能寺で崩壊し
また群雄割拠になっていた可能性が高いね。
なぜか秀吉は織田一族でもなく信長に禅譲されたわけでもないのに
信長死後、秀吉が織田の一族や家臣も含めた群雄を倒して天下を取った事が
自然な流れだったかのように言われてるのが不思議。
実際は中身も性格も流れも体制も別物なのに。この二つは。
659名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 23:17:27 ID:D1X6DIlT0
>>658
そりゃ失礼。
秀吉の天下取りについては、一般論的になるけど
織田の遺児を擁したのが、「織田政権の正統なる継承者」
という大義名分を押し立てたからじゃないかな?
次男、三男より嫡孫を重視し、それを輔弼するかたちで勢力を
保ちえたなら、あとで簒奪しようが、それは織田政権の延長となる。

魏晋とよく言われるし、また秦漢ともいう。
それは、断絶されていない流れのうちにあるからですよ。
唐宋の場合は、そこに「変革」が入って、唐=中世から宋=近世への
移行を言うが、上二者においては、歴史の連結となっている。
その意味で行くと、室町と江戸は隔絶しており、間に織豊政権が入る。
これが、中国でいうところの五代十国時代、近世への移行期間です。
時代の変革、という意味での織田の存在は、無視し得ないものだと思いますがね。
660名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 01:47:17 ID:s/PYmm6F0
>>659
それがですね。
秀吉自身も最初は遺児を立てても
その後で都合によって正当な継承者という形を次男に渡そうとしたりしてるんですよ。
そして敵対したらまた遺児を、あるいは自身を官位つけて押し出したり。
本当に都合によってころころスタンスを変えてるんですね、あの当時の秀吉は。
魏は漢の皇帝を擁してその輔弼という形で発展しましたが
秀吉はどうかというと、ころころとスタンスを変えながら敵対する織田勢力を倒し
天下を掌握していくんですね。結局秀吉が織田家に対して直接明確に簒奪、という行動をしてないのに
天下は秀吉のものになり織田家は見向きもされなくなるわけです。立ち消えた、という感じでしょうか。
ですから漢から魏への移行とはかなり違うにおいがするんですね。
中身もだいぶ違うものですし。
661名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 02:46:59 ID:oCFv8tJ40
>>658
>学会では信長の革命性というのは否定されてる。

それ一部の派閥じゃん。学会の派閥もちだすなよw
信長を革命性を唱える学会だって、あるんだからw
662名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 03:42:27 ID:b7Rw3iWk0
ID:8etP45mj0支持
相手の方は詭弁を使ってて傍目にうざい
ID:8etP45mj0はスレ容量と時間の無駄だから打ち切れ。あなたの方が正しい
663名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 04:10:16 ID:oCFv8tJ40
>>662
お前が一番うざいわw

文句があるなら、論理的に朝廷対立説と、朝廷融和説をお前が解明しろ!
ちゃんとした資料を揃えてな。
三職推任問題を解明出来たら、認めてやるよwww

学会の派閥問題が詭弁なら、
>学会では信長の革命性というのは否定されてる。
これは嘘だ。全てが否定されていう訳じゃない。現段階でも議論中だ。
664名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 04:44:19 ID:oCFv8tJ40
>>660

清洲会議
織田家の重臣会議があつまり、議題は織田家の家督相続、遺領配分の会議である。
柴田勝家のがこれを召集した。信長と家督を持つ信忠が相次いで横死した事により、
次男信雄と三男信孝の相続争いが表面化。
信雄よりも山崎の戦いに参陣し、秀吉の明智討伐を後見した信孝の方が相応しいと判断されていた。
山崎の戦いの総大将は名目上は信孝。信孝を差し置いて自らが総大将となる秀吉。
本来ならば信孝の功名になるはずなのだ。だが、秀吉が実質の総大将を名乗になってしまう。
これは簒奪の前兆とも言えるだろ。信孝を正当な総大将にしていれば家督は信孝となる事が順当なのだ。
柴田勝家は、信孝と親しく、烏帽子親という関係も手伝って、信孝を後継とするよう主張する。滝川一益もこれに応じる。
だが生前の信忠と懇意であったと主張する秀吉は、
遺児三法師が信長の嫡孫に当たることを理由に、後継者であるとを主張する。
これは流石に筋道の通った意見であったり、説得力があった。
その為、丹羽長秀が賛意を表して、勝家らを説得し認めさせた。
信孝、美濃一国を分配。信雄、伊勢と尾張一国を領した。
政道は勝家・秀吉・長秀・恒興の四人に決まる
ちなみに重臣会議から滝川一益は排除されている。
羽柴秀勝が丹後、秀吉が山城、勝家長浜六万石。
恒興は摂津の大坂十二万石。
三法師の後見役として、堀秀政が近江の二十万石。

だが問題が一つ。秀吉は三法師に領地を与える等の事をしなかったのだ。
すでにこの頃から簒奪を進めていたと思われる。

って、説もあるんだな〜これがw
665名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 07:21:03 ID:fZcJ6axPO
>>661
> 信長を革命性を唱える学会だって、あるんだからw

それは興味深いですね。
その派閥は、具体的に信長の何をして革命性をもっていると主張しているのか、
もう少し詳しく教えてくれませんかね。
666名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 07:58:07 ID:BonlCcT50
>>660
漢から魏というより、魏から晋なんですがね、わたしの言い分をもってすると。
司馬晋も魏の後期では、帝を挿げ替えるようなこともしていましたから
そのときどきに応じて、有利であれば、その程度の政略を駆使して憚らない。
秀吉にしても、同じことが言えると思いますよ。
スタンスを変える、というのは政治的な変幻をいい、翻って自身の勢力を強める
なら、それは政略です。単なる風見鶏というわけではないし、無節操というのでもない。
織田の遺児たちは、それに翻弄されたようなかたちになりますね。
しかしながら、秀吉が勢力を拡張するとき、織田という枠を必要としたのは否定できず
また、政治的結果の中身がまったく違うといっても、断絶されたものではなし。
その辺、対比表などをいただけると、非常に納得しますし、後学のためになるのですが
だめですかね?

それと政治的連続性の問題について言えば、中国でも武川鎮軍閥や山西軍閥というのがあって
それらに関わった一連の皇帝たちは、同じ系譜でみられますね。
秀吉が、軍権を得て織田家を凌駕するようになったのも、織田家に編入していたから
という、結果論的なものの見方もできなくはない。
それは、徳川についても同じことで、よく三人の業績をセットで語られたりするのは
その辺りに端を発しているのでしょう。
天下餅の歌は、それを皮肉りながらも端的に表しているという。
667名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 13:07:44 ID:s/PYmm6F0
>>661
例えばどのような点をどのような資料をあげて革命的、と
されているのでしょうか?
信長革命児論というのはかれこれ40年くらい前から
たびたび出てきてそのたびに検証され、資料的根拠がなくて否定される、
という事を繰り返しているのですが。
668名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 13:41:56 ID:s/PYmm6F0
>>663
簡単な話ですよ。
信長による朝廷否定説、というのは単なる戦後に起きた戦前の反動からの
天皇軽視、天皇否定、といった価値観を反映したものの残滓です。
信長は戦前ではむしろ勤皇家として評価されていたんですよ。
実際信長は天皇に対していろいろと保護や援助を行っていますからね。
信長と天皇に深刻な対立があったという論が出てきたのは1970年代からです。
公武の歴史を研究している堀氏などはこれらの流れを踏まえて「信長ほど極端に評価が変わり続ける人物も珍しい」と
いっていますね。
堀氏は公武合体と敵対の歴史から見て、公武の歴史とは異質でありながら相互に補完し合い
並立して国家権力を構成した存在であったとし、歴史上に起きた公武の対立は、どちらかがどちらかを
滅ぼすのではなく、その戦いの後に新たな形の公武の協調関係を構築する為に起きていた事を指摘しておられます。
これらの点から信長が天皇・朝廷を滅ぼすことなど考えもしなかったであろうとしています。

そして信長が圧力をかけた、とか一部でいわれる正親町天皇の譲位問題に関しては
実際は室町末期から戦国の動乱において、朝廷には金がなく譲位の儀式が行えなかったため
100年近く譲位が行えなかったのを(本来天皇は上位して上皇になるのが常態)
信長がその資金を出すことで譲位儀式を行う事を申し入れたもので、
この信長の申し出に朝廷は「朝家再興の時が来た」と大喜びしていることが指摘されています。
もともと正親町天皇はこの時期には病気がちで皇太子に譲位をする事を望んでいました。
つまりこの譲位問題は信長の天皇否定ではなく、むしろ尊重のあらわれなんですね。

三職推認問題に関してもこれを提案したのは信長配下の村井であったとしても
前後の経緯からして信長の指示ではなく、村井の独断による勇み足だった事が指摘されています。
実際この時信長がどの官につきたいのかを誰も知らず、信長がその後勅使に会い
それ以後二度と三職推認問題が出てくることはなかった事から
この問題は信長がNOと答えた時点で過去のものになっていたと堀氏は指摘しています。
信長にしてもまだ天下統一もされておらず体制も整ってない状態で
いきなり聞かれても困り、返答を保留したのだろう、と池氏は述べていますね。

結局のところイデオロギーを基にせず資料をもとにすると非常に面白みのない、
それでいてわかりやすい、信長に天皇否定の意思はなかった、という結論がでてくるわけですね。
669名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 13:53:38 ID:s/PYmm6F0
>>664
山崎で総大将をしていたとしても
信孝が織田家の家督を継ぐのは無理ですよ。
もともと母親の家格が低くて三男になったとかいわれてるくらいですから。
兵力的に見ても、信孝の部隊は本能寺以後にほとんど散り散りになっており
兵力的にいえば秀吉が実質的な総大将になったのは自然なことでした。
清州会議に関してはあなたが述べているように、この会議では
有力者たちによる織田領土の勝手な分配が行われ、なおかつ織田宗家には
領土を与えない、という事態になっている時点ですでに織田政権は崩壊しているんですね。
池氏はこの会議を「領地の分捕り合戦」と評しています。
この点をもって秀吉の簒奪を進めていた証拠、とするのは少々ニュアンスが違うかと。
この会議では多くの有力者に織田宗家を無視した勝手な分配が行われ、
みながこれを支持しました。
是を持って秀吉の簒奪、というよりは有力者達の意思であり、
織田宗家が既に棚上げにされている事の証とみた方が近いかと。
670名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 14:05:04 ID:s/PYmm6F0
>>666
上記のように本能寺以後、織田宗家は完全に無視されて
領土の勝手な分配合戦と宗家に領土を与えない、という
織田政権の崩壊を表す事象が起きています。
そして問題になりますのは、この後秀吉は
柴田をはじめとする有力者達と戦っていくのですが、
このとき秀吉もその敵達も、本来織田の敵であるはずの外部の戦国大名を引き込み
侵攻や支援を頼んでいますね。そして自分の敵の領土(もとは織田領)を取れとそそのかしています。
柴田とか毛利や将軍もひきこんで秀吉領(つまり織田領)に侵攻させようとしています。
これは織田政権が続いているとみるならどちらも外患誘致や反逆に近いことです。
もはやこの時点で秀吉をはじめとする有力者たちに織田という枠が意味をなさなくなっている事が
わかると思います。
信長、秀吉政権の対比についてはいろいろあるのですが、時間の関係で
次レスで代表的なものをいくつかまとめます。
671名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 14:51:04 ID:s/PYmm6F0
>>666
信長政権と秀吉政権の違いについて
代表的なものをいくつか

@信長政権には天下を支配する統一政権としての論理も体制もない
信長は晩年にいたるまでその政権を天下政権として位置づけられてはいませんでした。
晩年に行われた島津とのやりとりでは「今後も盟約を頼みます」と返されており
勢力は大きくても戦国大名という点で島津と対等であり、
諸大名を従える論理も正統性も持つに至っておりませんでした。
対して秀吉政権は朝廷をもとに、そこから日本を束ねる権限をまかされた、という論理で
自己の政権を正統化し、諸国の大名を上位から睥睨していますね。
信長の政権はあくまでも戦国大名領国であったわけです。

A支配地に対する手の行き届きよう
意外に思われるかもしれませんが、信長政権はその領土の大きさに比べて
非常に発給された書状が少ない政権でした。
最盛期には10数カ国に及んだ大領土を持ちながら、その書状数や密度は
最大領土で4〜5カ国ほどであった武田、同じく5〜6カ国ほどであった北条に比べて
はるかに劣ります。
そして信長政権は基本的に領地政策も領地安堵と軍役付加が基本で
細部にはあまり手をいれませんでした。
楽市楽座や関所撤廃というのは大抵それまでに行われていたものの追認で、
信長が自分でやったものは楽市を安土で、楽座を越前で(実際やったのは柴田)などの
非常にわずかな事例にとどまります。座や関所は残っている所が多かったのが実情です。
銭政策では失敗し、米が現物通貨になってしまう事態になっています。
池氏などは信長政権の流通の広域性は最後まで畿内近国政権にとどまっていた信長に
しかも対抗した本願寺を容易に屈服させられなかった信長に流通再編政策を
行える条件はなかったと述べています。
対して秀吉は積極的に座や徴収権といった点からの既得権益の解体、
新たな流通関連の様々な管理や税の創出をはじめとした
流通再編成を行い、広域的流通を掌握・強化していきます。
これは秀吉政権と織田政権の動員力の差という形で明確化します。
織田政権最末期に武田侵攻で5万の兵を動員していますが、
このとき信長は「武田は遠国なので兵糧を持たせる為に人数を調整しろ」という指示を
わざわざださねばなりませんでした。
荒木村重謀反の時、信長の二男信雄は参陣を命じられましたが
距離が遠い事から部下達に難儀がかかるので隣国伊賀を攻めて取り繕おうと
したとされています。
書状数の多い武田や北条が円滑に軍を動かしている事、後述する秀吉の例を考えると
信長の領国整備は手が入ってない所が見受けられます。
対して秀吉は信長が武田を攻めるよりはるかに巨大な距離である小田原や九州、はては朝鮮にいたるまで
20万近い兵力を送り込み、維持しています。
また秀吉は統治制度をつくりあげるばかりか、諸大名に対して取次役や指南役を派遣し
その体制を改造する事まで行っています。

とりあえず代表的な例ですが、かなり長くなってしまいました。
他にもまだまだありますがここらで失礼します。
672名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 02:42:26 ID:kecHYlHq0
豊臣と織田の政治的な違いっちゅーのは、ワイにはなんや、難しくてよくわからんねんけど、
秀吉の兵隊の中核は信長から借り受けてた兵隊なんやろ?柴田にしろ明智にしろ・・・。
せやったら清洲会議やら山崎の戦い?は「信長軍団の後継者争い」って感じなんやとちゃいまっか?
後継者争いに外国から力を借りるのはしょっちゅうですし、秀吉は大阪城出来るまでは、名目上織田家の家臣って感じやったんとちゃいまっか?

政治的には、上の説明見たら大分違うみたいでっけどねw
673名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 07:11:27 ID:JnXrZhWI0
なんにせよ、中世から近世への移行で、織田信長抜きにして語れない点で無視できない存在であることには違いない。
ようは、革命児とか天才とか、特に飛びぬけて織田信長「だけ」を称揚するのが許せないってことでFA
674名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 09:32:52 ID:R3M5kEgH0
>織田信長「だけ」を称揚するのが許せないってことでFA
つっても、あの時代、上洛をして、
朝廷を完璧に近い状態で保護したのは信長だけ。後の秀吉とかは抜きにして。
細川に大内に三好は、自分の好き勝手にやっちまったしな。

天才とも革命者とも言わないが、
源義仲、義経のように政才が皆無でなかったのは確かだな。

で曹操と信長をどう比較するんだ?
このスレって?
675名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 15:50:36 ID:3UDGBQOr0
というかここの論法で言うなら革命家なんてもんはあらゆる分野で存在しないだろう
いかに自分の権勢を強めるかという一点に尽きる。
676名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 16:02:58 ID:3UDGBQOr0
>>641
曹操は袁術を滅ぼしたし、烏丸までの勢力を排除して中原から河北のほぼ全域を取った
〜出来るとは思えないって言うのは根拠のないイメージのみの主観
だいたい韓信や宮崎中将とは違って曹操や信長は専業軍人じゃない。
677名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 17:17:11 ID:JnXrZhWI0
>>674
もともと、織田と曹操での対比自体間違っていると思うからね。
いったい、どうしてこういうスレタイになったのか、はなはだ疑問。
比較の論点が不明瞭すぎる。
アジア最強の帝王とか、ちょっと……
678名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 19:05:47 ID:yVwZT8f3O
>>677
コーエーのゲームで曹操と信長がそっくりに描かれてるからでしょうね。
書き込んでいる内容を見てもゲームのイメージを引きずっているのがあります。
679名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 19:19:13 ID:3UDGBQOr0
そもそも曹操も信長も帝になる気なんてあったんだろうか
680名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 19:42:57 ID:JnXrZhWI0
日本はともかく、中国の場合、天子になる気があるヤツは
ほとんど遠慮なく、なってる。
曹操はその意味では特異な存在ですね。
「なる気」は忖度するしかないですが、ないからこそならなかった
という結果論も、あるいは成立するわけで、そのへんいろいろ葛藤があったのでしょう。
一般的には、世間体を気にして、自分の代ではまだ反発が強いから、とか。
そういう理由付けになるのでは
681名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 19:48:53 ID:R3M5kEgH0
>>679
帝って、天皇の事?

信長は天皇にはなれないよ。なぜならば、姓を持っているからね。
まあなる気も、なかっただろうがね。
そこで天皇になっちゃたら、それこそ革命だ。

曹操は解らん。
息子が簒奪出来てしまう、体制を作り上げたからね。

皇帝と天皇は別物さーね。
682名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 19:55:16 ID:R3M5kEgH0
>>680
日本で、本気で皇位を狙った人物って居るの?
平将門だって、新皇を名乗るが、東国下さい本皇様って、感じだったしょ?
683名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 20:35:11 ID:l1cCTc990
>>675
革命家なんていうのは世間の社会体制とかに革命を起こす存在で
フランス革命とかロシア革命の活動家たちは革命家だけど
信長みたいに既存の枠の中で自分の権勢を強めるだけなら
革命家とはいわないだろ
684名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 21:03:11 ID:JnXrZhWI0
>>682
いや、日本の場合は将軍とか太政大臣、摂政とかですね。
日本は天皇親政を極端に嫌うし、置物にしておくというやり方
が定着しすぎているきらいがある。
それは国家体制によるところも大きいかと思ったり。
中央集権、君主独裁の中国国家では、責任を果たさない皇帝なり
指導者は、すぐに挿げ替えられてしまうし、お飾りとして権臣が
権勢をふるった場合でも、最終的には皇帝にもなんらかの責任が
負わされ、それが易姓革命につながっているように思えます。
685名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 21:31:29 ID:R3M5kEgH0
>>683
話が逸れるけれど、フランス革命って失敗だったらしいね。
革命後、王朝を復興させようとしてルイ16世の子孫(?)を探し出し、王位に就く事を願ったが
「私達の祖先を殺したフランスの国民を支えるつもりなどない!」
って、切れられたらしいね。


>>684
太政大臣、摂政は中華風に考えると丞相でしょ。
そうなると、将軍は覇者。

つまり、日本は周王朝がずっと続いた国とも言えなくない?
易姓革命自体、日本には無いからね。
686名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 21:41:17 ID:l1cCTc990
>>685
ルイ16世の男子は酷い生活環境で幼くして死に
女子はいろいろあってナポレオン後の王政復古で王妃に
なってたような

確かに革命の行きつく先がナポレオンによる皇帝制度だったけど
それはフランス革命の成果である自由・平等・博愛の理念を結実させた法典をつくり
それを(ナポレオンが欧州を制覇した事で)世界中に広めた、っていう結果があるからね
好むと好まざるにかかわらず今の民主主義社会はそこから始まってる事を考えれば
世界史的な意義は十分すぎるほど巨大に果たしたんじゃね
687名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 23:29:04 ID:3UDGBQOr0
>>685
まあ日本は今までずーっと日本だから
中国は中国になるまでしょっちゅう変わってる
688名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 01:15:10 ID:fKRgHQLbO
>>678
なるほど、ソレなら話は簡単だ
ゲームの本数は信長の方が多いから信長が偉大で終わり
689名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 08:41:01 ID:dVuuIAsw0
>>685
>>太政大臣、摂政は中華風に考えると丞相でしょ。
そうなると、将軍は覇者。

ま、そうですね。
その辺が、中国と日本との支配体制の違いなんですよね。
その違いを生じさせたのは、鎌倉の武家政権誕生からでしょう。
律令体制から、武士の登場という流れは、中国における唐から五代十国の流れに似て
あの中国でも、日本の武家政権のような時代がありました。
それでもすぐに文民優位に立ち返っているところが、かの国とわが国との
興味深い相違点として、よくあげられますね。

>>687
いや、ここでいう「中国」っていうのは「中華人民共和国」のことではなく
自分たちの国を称しての固有名詞であって、史書には記されている。

北方の遊牧民をして「北慮」、自国を「中国」としている。など。
690名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/29(木) 11:15:09 ID:htR4IoKW0



岡田外務大臣キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
h‍ttp‍:‍/‍/‍q‍b5.2‍ch.net/t‍est/rea‍d.cgi‍/sak‍u2ch/1256‍630318/1



早く記念カキコしないと埋まっちゃうwww
691名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 12:08:50 ID:5Gz4W5ZX0
配下に討ち取られ、また違う配下に乗っ取られた信長に決まってる。
692名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 14:13:43 ID:bMxZ0v/7O
信長は元亀天正年間なら恐らく織田家中では最強だと思います
693名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 23:26:17 ID:RZMMpKmy0
織田家当主なんだから織田家中で最強なのは当然だろうw
694名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 01:32:39 ID:LT5AwmX/O
いや当主より力の強い分家や家臣はいくらでもいるぞ、普通。
695名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:30:21 ID:gPWEUVsu0
近い時代だと大内家臣陶、今川家臣北条、土岐家臣斉藤、浦上家臣宇喜多、
細川家臣三好、三好家臣松永とかな〜

多すぎだw
696名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 11:11:17 ID:rz+uwwEb0
>>663
負け犬乙
697名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/23(月) 17:58:35 ID:McYBa+Ml0
いじめられっ子というのは力もつと暴走するんだよ。ある意味英雄。
698名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/23(月) 20:41:26 ID:wGjFPIkr0
>>697
曹操の事?信長の事?
主語がないからわからない
699名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 00:22:53 ID:j0fBEI6Q0
日本人「信長だな」
中国人「迷うところだな・・・」
700名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 00:29:01 ID:hxc//OP+0
のぶ
701名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/26(土) 12:17:24 ID:hfH8d9OM0
てか、曹操って偉大ですらないんじゃね?
中国では。
日本で信長が偉大な人物と見られてるのは分かるけども。
702名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 13:26:47 ID:hlKNZ8aVO
信長の場合も、近年、再評価されているって状況だよ。
ゲームや、漫画の影響もあるんだよね。以前は暴君的な側面を付加されてたりしてた。

時代によって、求められるリーダー像は違って、今は信長は讃えられてるけど、未来のことは分からない。
703名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 15:01:57 ID:K5LY4h5MO
小沢一郎は日本の曹操と中国で報道されてたね。
704名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 20:44:44 ID:Va4vw7EQ0
「三国志」曹操の陵墓発見 中国河南省、遺骨も出土
ttp://www.47news.jp/CN/200912/CN2009122701000388.html
705名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 09:23:46 ID:FNYYenhbO
日本人なら当然信長だろ
曹操選ぶやつとか本当に日本人?
706名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 15:26:54 ID:TFR/4aBGO
小沢が曹操wwww
曹操に失礼wwwwww
707名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 19:06:33 ID:jTAD3lhU0
曹操なんて小沢程度で十分だよ
信長なんてほざかれたら身の程知らずも大概にしろ!と言いたくはなるが
708名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/28(月) 21:47:01 ID:zqqsBgJC0
脇が甘くて攻め殺された信長よりは
曹操の方が警戒心と身の程を知ってたと思う
709名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 03:14:16 ID:Wd83/vME0
小沢一郎は曹操ではない。もっとおぞましい何かだ
710名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 12:09:17 ID:ACnvO53s0
曹操のが十分におぞましいよ
711名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/29(火) 15:00:34 ID:YnNkATzM0
信長より天武天皇、徳川家康、西郷隆盛の方が偉大
712名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 01:02:13 ID:r+yu1h+p0
曹操=小沢

小沢は日本史の教科書に載ることはまずないだろうが、
信長の名前は日本国が続く限り未来永劫語られ、教科書にも載り続けるだろう。

その小沢と同等の曹操は信長の足元にも及ばない。
713名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 02:09:13 ID:9mfnjYSk0
信長オタは権威主義的でいかにもネウヨだな
714名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 10:55:30 ID:VTr50E8t0
三国志時代も一応中国の教科書に乗ってるから
曹操も向こうの教科書に出てる。

小沢が後の教科書にでるかどうかはこれからの展開もあるが
個人的には戦後ずっと最大勢力でほとんど与党だった自民党を
完膚なきまでにたたきつぶし弱小にまで追い込んだ事績は
一応戦後史のトピックとして残りえるものだと思う
715名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 11:41:11 ID:QJcBSanb0
>>713
曹操オタのネウヨっぷりなんてそんなもんじゃないぜ?
716名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 23:42:00 ID:3VJuXyXC0
ネウヨが真に崇拝するのは、最終勝利者の徳川じゃないか?
まさに「保守」って感じするけどなタヌキ爺。
信長は革新的との喧伝があるから、なんつうかサヨクじゃね?
将軍(現体制)には厳しく、天皇にはやさしくの人。
717名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/30(水) 23:51:28 ID:9mfnjYSk0
・天下取り
・幕府
・天皇制
・仏教vsキリスト教
・鎖国vs開国
・海外進出

をどうするかを総合すると信長は保守じゃね
718名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/31(木) 00:06:54 ID:EqePpwXq0
ん〜。
まぁ、保守だからこそ、将軍を擁立して乱れた畿内に乗り込んだのだろうけど
基本、保守ってのは変化を嫌うから、その意味では信長は急進派(左翼)的
かと思っただけで、あんまり深い意味はない。考えてない。

でも徳川はより保守的だと思うけど、どうよ。
719名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/18(月) 17:11:00 ID:G/NXB04n0
家康は信長よりも積極的に海外交易や海外進出をやってるのになぜか評価されない
720名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/18(月) 22:12:37 ID:62JwYsmd0
どう評価すればいいんだい?
721名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 12:19:15 ID:CLVJQouy0
家康より信長の方が保守的だと評価するといいのではないか
722名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/23(土) 00:23:30 ID:vENuBhd20
小沢氏は「信長以上」と亀井金融担当相
http://www.excite.co.jp/News/politics/20100119/Economic_pol_100118_009_4.html

中国での評価は小沢=曹操
亀井の評価は小沢>信長

三段論法では

小沢=曹操>信長
723名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/23(土) 01:24:08 ID:97oDUA3M0
曹操だろwwwwwwwwwwwww
724名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/23(土) 01:25:10 ID:97oDUA3M0
曹操>信長=十高祖百張良>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>劉邦>項羽
725名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/23(土) 10:14:02 ID:p3M8noLH0
夜郎自大という言葉があってだな
726名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 11:44:27 ID:bUaqgpcm0
>>716
大陸ではほとんど評価されていない曹操に必要以上に固執する
曹操信者のネウヨっぷりも半端ないぞw

本当に評価されて英雄扱いを受けてる
同時代のホンモノの英雄「関羽」や「孔明」を引き合いに出すと
関羽、孔明アンチに懸命に精を出す暴れっぷりも醜い。
727名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 15:20:53 ID:bM/vcU9n0
>>726
曹操は中国人の選ぶ名君ランキングで10位だったぞ?
728名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 15:21:43 ID:bM/vcU9n0
中国じゃ全く評価されて無いとかことあるごとに喚いてるやつって争点航路信者?
729名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 18:29:38 ID:4arcg5DK0
多分同一人物か少数の痛いやつらがいたるところで喚いてんだろうな
曹操信者さえ叩ければ呉蜀の連中を利用して貶めるのも平気なやつ
曹操信者をネトウヨと言ってるのはみんなこんなのだから気にとめない方がいい
730名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 19:07:08 ID:tNPt0+Nr0
ていうか曹操信者の成りすましにすら見えるわ
毛沢東ですら評価した曹操を持ち上げて何がネトウヨなのかわかんねw
731名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 19:11:25 ID:bUaqgpcm0
>>727
曹操=小沢

これって評価されてるって言えるかなあ・・・
てか、毛沢東も評価した!っていつの時代で評価止まってんのよ。
732名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 19:12:47 ID:tNPt0+Nr0
やっぱなりすましなんだろうな
曹操信者って痛い奴ばっかだし
あとネトウヨじゃなくて毛沢東信者だろあいつらw
733名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 19:15:40 ID:tNPt0+Nr0
ネトウヨなら日本の人物を信奉するってば
君の理屈なら曹操信者は毛沢東の思想に影響された人間って理屈のがすっきりするよ
これからはそれで行って見ようか
成りすましじゃなけりゃできるよねw
734名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 20:49:58 ID:LO85bgbA0

なんでなりすましじゃなければそういう流れになるんだ?
はたから見ててわけわからん
735名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 20:54:12 ID:LO85bgbA0
ついでにネトウヨでも日本の人物を信奉してて、
その上で曹操を信奉してるっていうのは
普通にありえそうな事だろう
なんで毛沢東が出てくるのかわけわからん
736名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/24(日) 22:45:58 ID:g3OXviVX0
まあ曹操信者が毛沢東系のキチガイってのは分かる
737名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/25(月) 00:20:10 ID:DQcqy+0q0
中国共産党と曹操信者の思考は似てるってことか
738名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/29(金) 15:07:54 ID:IthTmMxP0
「あの人(小沢)とは2度喧嘩して2度握手したけど、政治手腕は織田信長以上」
by亀井静香

亀井がいうには小沢>信長

民主小沢は「中国には属国姿勢」、「国内では曹操気取り」…香港報道
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1215&f=politics_1215_...

香港での報道によると小沢=曹操

二つの意見を集約すると

小沢=曹操>信長
739名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/22(木) 13:03:55 ID:4nkn/6or0
学歴的に例える
司馬イ(東大理1)>>∞>>曹操(東大文1)>∞>>>>>信長(馬鹿私大早計w)
740名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/22(木) 17:17:51 ID:ifaG8HEi0
董卓のほうが信長に似てるよ
741名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 00:28:29 ID:QlIG0pdB0
信長の方が偉大。
理由は、曹操は赤壁で負けてる時点でout。
信長はそこまで大敗は経験した事が無いと思う。
しかも、曹操の場合は寿命に負けた訳だし、信長は本能寺の変が無ければ生きている間に統一出来た可能性もあるしね。
742名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 01:50:48 ID:ctwVfVQk0
本能寺が大敗以外の何物でもないだろ、自分死んで勢力分裂してんだから
金ヶ崎も命からがらだったし、元亀元年の一連の戦いや信玄の西上でも危機があった
紀伊も落とせてないし、そんなの言い出したら切りねーよ
手取川のジャッジが微妙な所だが。まあ信長が加賀の大半を取られたのは事実だけど
743名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 13:34:51 ID:QlIG0pdB0
確かに本能寺の変は明らかに信長のミスで起きた出来事だった。
ただ、本能寺の変は戦力が圧倒的に不利で、誰が指揮をしても負けるのはほぼ確実。
赤壁の戦いは指揮官によっては勝利する事も不可能では無かったと思われる。
曹操が少数で挑んだならまだ分かるが、実際でも曹操軍は孫権・劉備連合軍の5〜10倍の戦力は有ったと思う。
器量に関しては曹操が信長を上回ったかも知れないが、それでも謀反は何度か有った訳で決して明智光秀の謀反が珍しい訳では無い。
無論、曹操も三国志の内では最も大きい勢力を築いた訳で(晋を除いて)、三国時代で一二を争う武将で有る事に変わりは無いが。
744名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 14:01:36 ID:LkvhjPXBO
光秀って、曹操でいえば夏侯惇クラスの方面司令官でしょ
信長も曹操も何度かでかい反乱は経験してるが、両者のキャリアの中でも光秀の中でも反乱の影響力や重大性って図抜けてるよ
信長だって雑賀衆と戦った時、多勢じゃないの
745名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 17:17:14 ID:ctwVfVQk0
つーか、その程度の重箱の隅をつつくような次元で、戦闘の上手い下手を争った所で
総合的に「偉大か」という点で遜色が付くのか?

謀反や蜂起自体は珍しいわけじゃないかもしれないが、「信長にとっての明智光秀」が謀反したっていうのは、普通の反乱造反とワケが違うだろ
746名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 19:45:32 ID:CV7x8mYJ0
信長って武田勝頼が持ってた所領と同程度の版図しか持ってなかった奴でしょ
勝頼が死んだら急に所領が倍にふくれあがって、有力な家臣を四方に散らして
背中を薄くしたらあっさり裏切られて殺された只の間抜け。

だいたい規模が違いすぎるよ。
世界史的に見たら、水滸伝の盗賊・田虎・王慶の方がよっぽどスケールが
大きいだろ。
747名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 20:51:36 ID:DXZHsgOd0
>>745
明智光秀が何故謀反したか解らないのが日本史の謎
>>746
じゃ、世界史的最強はバトゥな?異論は認める事もある
まぁ曹操も信長も比較対象にならんがなw
748名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/01(木) 11:36:14 ID:r21TSm510
曹操~~~
749名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/01(木) 19:24:06 ID:WjJANKq+0
ツァオツァオ
750名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/04(日) 15:01:05 ID:4anGX2LL0
まあ中国の「盗賊」って、日本で言えば本州の半分くらいの広さの土地を
占拠統治していた奴は珍しくないからな

別の都に皇帝が存在していたっていうだけで盗賊呼ばわりされてるけど
父親の地盤を受け継いだ信長なんかよりよっぽど王としての威厳はあるわな

751名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/04(日) 23:15:20 ID:RSNzR9BC0
スタート地点は圧倒的に曹操有利か。
752名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/04(日) 23:25:51 ID:0FIxrlyr0
曹操領地持ってないよ。
曹操は金持ちだった、だから有利と言う話は良く聞くが、
実際には米価の暴騰と董卓のハイパーインフレの影響で貨幣の価値は著しく下がってるから、言う程「金持ちだった」事は群雄としては有利じゃない
誰と比べるかにもよるが、信長に比べて圧倒的にスタートダッシュに成功してたとは思えん
753名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/09(金) 17:29:21 ID:vlmS+zPg0
日本の戦国大名って、信玄・謙信・正宗などたいていは親が基礎を作って
既成の王道をすいすい通ってきた連中だものなあ。油売りから成り上がったと
言われる道三にしてからが二世議員だし。

信長は若い頃にヤンキーやってたように、基本的にボンボンだからな。
自分は若い頃に遊び呆けていたくせに、部下には身を粉にして働くことを
要求したり、功績ある部下をすぐリストラしたり、結局は子供かわいさで
利益を親族で独占しようとしたり、信長は幻想と過大評価のコーティングを
ひっぺがせば、よくいるお坊ちゃんワンマン社長そのものだろ。
754名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/09(金) 20:40:51 ID:5DS5oCYe0
まあ今の政治シーンを見てもわかるけど、基本的に彼らだって政治家だから、
二世議員である事自体はそんなに珍しくはない
政治をやるのにはある程度の派閥なり勢力なりのフォーマットが必要だからな
まあ軍事政権だと武力にモノ言わせるから変わってくるわけだけど
755名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/12(月) 23:08:00 ID:l12f6UWg0
曹操はカネがあるっていったって、日本でいえば今井宗久が旗揚げして
天下を取ろうっていうようなものだったわけだからね

そこから一代で天下平定したどころか、文化の歴史まで変えちっゃたわけだ
信長どころのスケールじゃない

(蜀や呉なんて、家康が幕府を固めていた時の蝦夷と琉球みたいなものだし)
756名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/12(月) 23:17:52 ID:POR8kByP0
戦国時代は全然知らないが
信長は勝率の割に土壇場の采配がすごい

>>755
曹操がそれほど有利ではないというのは同意だが

>そこから一代で天下平定したどころか、文化の歴史まで変えちっゃたわけだ
>(蜀や呉なんて、家康が幕府を固めていた時の蝦夷と琉球みたいなものだし)

これは流石にねーわw
757名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 01:20:20 ID:eicutgY60
>そこから一代で天下平定したどころか、文化の歴史まで変えちっゃたわけだ
>(蜀や呉なんて、家康が幕府を固めていた時の蝦夷と琉球みたいなものだし)

なんで平然と嘘をつくんだよw
蜀や呉といった独立政権を結局は潰す事が出来ず、歴史的には三国鼎立なんていう状態に
陥り、結局のところ勝利を得たのは曹操の作った魏を力でぶっ潰した晋。
文化の歴史が変わった?何が変わったのかサッパリです。
詩文学の発展に貢献した事くらいでしょ。
758名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 16:25:04 ID:Sa6I4gA30
おいおい、本気で演義のホラ話を信じてるのかよ、情弱のシナ人と
同レベルだぞ。ここは少しは史実を知ってる奴の集まりなんだから。

・歴史的には三国鼎立なんていう状態に陥り

→陥ってないよw三国鼎立って言うのは後世の創作。今で言えば
 前田慶次郎が関ヶ原でヤリ振るってたという漫画レベルの話。
 晋が成立した頃の自称「蜀漢」「呉」の現状を見ろよ
 皇帝を自称しただけのゲリラでしかないのは歴然だろw

・結局のところ勝利を得たのは曹操の作った魏を力でぶっ潰した晋

→曹操は魏なんて国は作ってないのはおいておくとして、漢→魏→晋は
「政権交代」であって「力でぶっ潰す」なんていうマンガのような話を
 夢見るのはやめなさいね。子供じゃないんだから。

・文化の歴史が変わった?何が変わったのかサッパリです。

いいから自分の無知を自慢する前に勉強なさい。ホントにマンガと
「演義」を元にしたヨタしか読んでないのか?
演義は三国時代から1200年後の大衆向け講談。いまでいえば
平安時代を扱った「陰陽師」みたいなホラ話だぞ。そんなもので
国家文化を論じてるとしか思えない。まずは初心者向けのちくま
「三国志きらめく群像」でも読んでみなよ。それだけであんたの
やっすい後漢時代観が簡単に覆るよ。
759名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 16:43:42 ID:ciZnuIK60
>>758
晋が成立したころ、なら
魏はすでに司馬一族の私物化してたろ
魏皇帝はすでに司馬一族に殺されるものまで出てたくらいに哀れな存在に成り下がってる
自分で政権運営してた蜀呉のほうがはるかにマシだし

後の文章にはなんら具体的な根拠も論理も出てないので
論ずる価値すらない
何かいいたいならそれなりの文章を書いてからにしなさい
760名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 19:06:36 ID:eicutgY60
>>758
所詮は私見塗れな意見だな。
蜀や呉がゲリラに過ぎないなんてどこの歴史書が書いてる?

寧ろ、力で蜀を倒せなかったばかりに
魏は劉氏の蜀漢に名実的な正統を与えてしまい
「蜀漢正統論」なんてもんまで生まれてしまった。
歴史の教科書などであの時代を三国時代と呼ぶのは
確固たる正統王朝が居なかったからだろうな。
761小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/13(火) 19:30:50 ID:mY1BucJ10
たれかに呼ばれた気がしたが・・・
762小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/13(火) 19:41:32 ID:mY1BucJ10
>>758
> おいおい、本気で演義のホラ話を信じてるのかよ、情弱のシナ人と
> 同レベルだぞ。ここは少しは史実を知ってる奴の集まりなんだから。
>
> ・歴史的には三国鼎立なんていう状態に陥り
>
> →陥ってないよw三国鼎立って言うのは後世の創作。今で言えば
>  前田慶次郎が関ヶ原でヤリ振るってたという漫画レベルの話。
>  晋が成立した頃の自称「蜀漢」「呉」の現状を見ろよ
>  皇帝を自称しただけのゲリラでしかないのは歴然だろw

ゲリラならさくっと討伐してね

> ・結局のところ勝利を得たのは曹操の作った魏を力でぶっ潰した晋
>
> →曹操は魏なんて国は作ってないのはおいておくとして、漢→魏→晋は
> 「政権交代」であって「力でぶっ潰す」なんていうマンガのような話を
>  夢見るのはやめなさいね。子供じゃないんだから。

政権交代だなんて、参院選挙の後だからか?
せめて政変といったほうがいいと思われ

> ・文化の歴史が変わった?何が変わったのかサッパリです。

サッパリですので御教授ください。

情弱のシナ人と一緒でゴメンね
763名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 20:08:19 ID:R6r5Y85K0
俺は>>758に同意だな

>ゲリラならさくっと討伐してね
このツッコミはさすがにネタだろ?
764名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 20:14:39 ID:eicutgY60
ゲリラなんて賊みたいもんだろ。
正統を気取る王朝なら楽々討伐できて当然だと思うが?
765小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/13(火) 21:14:44 ID:mY1BucJ10
ましてや、不遜にも皇帝を偽称しているしな。

ゲリラごときを討伐できないなんて、恥だ。
766名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 21:26:00 ID:8s87m3PC0
>>763
同意だと思うなら
>>758が説明できてない数々の疑問に答えてけれ
767名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 22:57:51 ID:zxGVSOVC0
変な流れ
768名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 23:03:52 ID:zxGVSOVC0
明らかにゲリラの定義から外れている呉蜀をゲリラ扱いすれば
そんなのに統一を阻止された曹操は歴代の王朝創業者より落ちる。
本気で曹操をマンセーしてるように見えないし、なりすましのアンチだろう

あと正始の変は選挙ではなく政変だから暴力で潰しているな。
769名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/14(水) 01:10:06 ID:RmfoegvFO
>自称「蜀漢」
いや自称は「漢」だろ。
多少は歴史知ってるなら間違えないで下さいな。
770名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/14(水) 19:35:38 ID:39k/tz/q0
>>758みたいな三戦で吊るし上げられるタイプの無知が中英にも居る事実が悲しい
771名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/14(水) 22:09:30 ID:WiUGqV8g0
厳密な比較などナンセンスだが
日本史における信長の価値は中国史における曹操より
772小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/14(水) 22:27:53 ID:95VyTdHO0
苦い
773名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 07:54:14 ID:6fzLYsOF0
信長→秀吉→家康
袁氏→曹氏→司馬氏
774名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 20:31:40 ID:V5lsHsHF0
うーん、さすが信長スレ、中英板でもこんな人たちが僅かでもいるんだな。
悪いけど本当に横光三国志みたいなのが史実だと信じてるレベルの人の
意見としか思えないよ。

「ゲリラを討伐できないなんて恥」という一節はマジで冗談かと思った。…ここの
数人って、本気で中国の王朝って時代劇の江戸時代みたいに天下泰平で、
国土の全てが朝廷の威光と支配が及んで収まってたとでも思ってたのかね。
「賊なららくらく討伐できて当然」
…それいったいどこの世界の中国史?

上でも書かれてるけど、信長ごときが支配していたのとは比較にならない
広大な地域を、信長よりずうっと長期間、朝廷の軍隊なんか歯牙にもかけず
制圧していた群雄・盗賊なんてザラ、…というよりそういう手合いに国土の
相当部分を支配され続けていたのが歴代中国王朝じゃないか。知人の女性は
「一番平穏だったのは金が進入してきた数年間じゃないの」と言って笑って
いたけど、「三国志の時代以外は、王朝が交代するときを除いて天下は静謐
そのものだった」とでも思いこめる人じゃなければ、蜀や呉レベルの有象無象が
しばらく跋扈していただけのことを「(曹操の)恥だ」なんて思ってしまえる
発想なんて絶っ対に出て来やしないだろ。

「ましてや、不遜にも皇帝を偽称しているしな」  ??? 
中国史上いったいどんだけの人間が皇帝を自称したかまさか知らないわけじゃ
ないでしょうに。現にアッサリ二代程度で討滅された蜀呉なんかよりもしぶとく
勢力張ってたのなんていくらもいるでしょ。ずーっと後世の正史が北方憎しで
ムリヤリ「三皇鼎立」なんてヨタをかますまで、劉氏が山間の僻地で皇帝を
自称していたことなんか知らなかったという人間が晋の官吏歴史家にはたくさん
いたってのは記録から歴然としてるわけだし。
775名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 20:34:43 ID:V5lsHsHF0

そもそも孔明自身が、自分たちのいる蜀は「中国の外」の人外の僻陬だって
言ってるじゃん。千二百年も後になって作られたファンタジー「演義」の中なら
ともかく、自分たちが皇帝を自称した山賊でしかないってことは当の本人たちが
一番よく分かってたよ。そもそも国家として必要な制度や記録すらまったく
整えられないまま消えて無くなった蜀が、中原を完全制圧していた政権と「鼎立」
「対立」できていたレベルと思い込むのが無茶だ。
陳寿自身そんなことひとっ言も書いてないのに。

ずうっと後世の正閏論なんて、観念論に凝り固まれば人間ここまでムチャが
言えるっていう見本だけど、忠臣蔵や花の慶治の人気が広まったから、史実に
それ相応の実態があったんだろう、って言われたって史実の方が困るよww
よく言われる「日本の建てた満洲憎しで李自成が大人気になった」じゃないけど、
なんで実物は山間の賊でしかなかった劉備が歴史家までトチ狂わせる人気者に
なったのかなんて、南北朝から清代までの地図見せて高校生にその原因を説明
させてもいい課題くらいのレベルでしょ。

しかし世界史やってる高校生だって後漢末に中国の文化状況が激変したくらい
知ってるだろうに、知らないのはともかく、それを中英板で書き込めちゃうって、
やっぱり日本史しか知らず、それも信長は南蛮鎧にマント着てのべつワイン
飲んでて鉄砲や鉄船を繰り出す革命児だった、みたいなのを史実と思って
歴史板を眺めに来る人なのかね?

いや、わたしも大概歴史には疎いものでしかないんだけけど、中国でゲリラなら
討伐できたはずとか、政権交代は選挙で行われるものだとか言われると
言葉が出ない。同じ王朝の中で皇帝が根絶やしにされることさえあるのに、
いったいどんなのどかな中国なんだと。実際、劉備が孝景帝のほんとの子孫だと
本気で信じているような人って、この板にどれくらいいるのかねえ。
776名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 20:40:19 ID:42velx0P0
>>774
>>劉氏が山間の僻地で皇帝を
>>自称していたことなんか知らなかったという人間が晋の官吏歴史家にはたくさん
晋の太祖たる司馬仲達はどことの戦いで頭角を現した人物なのか、晋の官吏歴史家は知らんかったのか
不敬罪で殺されてもおかしくないな
まして陳寿をはじめとする蜀の人間は歴史関係で晋の歴史に関与してるし、
劉禅は晋から元皇帝としての敬意を払われ、身分を保証されて余生を送ったのにな

てかあっさり2代程度どころか魏はそれ以前に実質滅亡してるじゃん
呉に関しては魏よりずっと長命だしさ
777名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 20:42:44 ID:42velx0P0
>>775
中国の外の地だなんて一言もいってないじゃん
しかも蜀は普通に国家としての制度をもってたし
正直な話、歴史書読んだことある?って感じ
自分で歴史に詳しくないといってるからそのとおりなんだろうけどさ
778名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 21:30:49 ID:eDBgReYq0
ただの釣りだろ? どうせ、でたらめ理論で疲れさせる作戦だ
779名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 21:50:29 ID:6fzLYsOF0
答えが分かるという事は>>778のマッチポンプなんだろうか
780名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 22:33:19 ID:6fzLYsOF0
趣味板程度でレベルどうこう言い出すのは謎
高尚な話がしたいなら学問板行けばいいじゃん
781名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 01:01:57 ID:NcQV8VHW0
>>774
それがお前さんのオナニーではなく
事実であると言い張りたいのならそれを裏付ける証拠の提出が不可欠になるのだが?
自信満々なのは結構な事だが、全てが妄想の産物に過ぎないのではお話にならない。
782名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 01:23:47 ID:jNOVdzBr0
ここまで話し方が変だとマジで精神異常なのか
わざとやってるかのどっちかなんだろうけど
783名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 05:05:09 ID:jgoQOwSP0
そして、今日もまた不毛な議論に落ち着くのであった
784名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/16(金) 19:12:57 ID:NcQV8VHW0
曹操好きで曹操への情熱があるのは全然良い事なのだが
語れてもいない嘘をつく悪癖は直したほうがいい
785小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/16(金) 19:59:02 ID:O/tN/UNu0
>>774

その意見に異論はまったくないが、その賊を「ゲリラ」と表現するのはいかがなものかと思っての
恥発言だ。

賊は賊であって、ゲリラとは全くの別物というのが漏れの認識。

>>775

蜀みたいな田舎の山におったら山賊になるんか?
山賊という響きに違和感あり。

もっとも、黒山賊って山賊だろと言われたらギャフンとしかいいようがないが。


> そもそも国家として必要な制度や記録すらまったく
> 整えられないまま消えて無くなった蜀が、中原を完全制圧していた政権と「鼎立」
> 「対立」できていたレベルと思い込むのが無茶だ。
> 陳寿自身そんなことひとっ言も書いてないのに。

一言も書いてないけど、何でか魏と呉と蜀の記録を残したねぇ。
魏だけでもよかっただろうにね。

ちなみに漏れは日本史よく知りません。
倫理と地理専攻の上理系だったもので。

あと八路軍はゲリラとは思っていません。
786名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/17(土) 05:27:20 ID:jF8oQ+1D0
全力で釣られるスレ
三国志関係は変な印象操作やってるやつが多い。気持ち悪い
787名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/17(土) 08:18:49 ID:BIARL5NEO
まあ自称「蜀漢」なんて言ってるレベルだからね
788名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 08:31:28 ID:4hd7ycUL0
つーか曹魏なんて荊州を完全支配できてねーじゃん。
荊州が田舎だったのは、三國志から200年も前の光武帝の時代じゃんw
関中だって完全支配出来てねーしw
更に一番大事な漢中が勢力下にねーしw

曹操が派遣して漢中を防衛していた夏侯淵って将軍は、
劉備軍にぶっ殺されたが、
あれは歴史が生み出した捏造なのか?
アフォかw

孫呉はまぁ、あの時代江南がフロンティアだから…荊州以外はなんとも…
建業もアレだし山越とか厄介過ぎるしな。
でも孫呉がなければ、東晋は成立しなかった。とか出来るかもな。
789名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 11:16:56 ID:4hd7ycUL0
南宋の時代の正当王朝考証

漢=漢(蜀漢)
つまり、献帝の次ぎに昭烈帝(劉備)

曹操?霍光とか孔明とか王導とかに比べたら、マジでゴミクズ逆賊野郎w
曹魏?簒奪したクソッタレ王朝
つまりただの逆賊達の王朝って評価だよ
漢中を抑えてなかったのも大きい

信長で考えると、京付近を抑えていないのに等しいかもなw(暴論)
790名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 11:41:38 ID:tB6re5zT0
叩く為にわざとおかしなことを言い出したんだろーか
というくらい叩く方向が変わっただけで論調が変わってないだけど。
どちらかを貶さないとまともに話も出来ないのか
791名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 11:58:14 ID:Mf2Z27+a0
三国鼎立

これでFAだろ、あの時代は
唯一絶対の力を持つ正統王朝のない地方政権三すくみ
792名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 12:00:22 ID:4hd7ycUL0
だってさー、

>ずーっと後世の正史が北方憎しで
>ムリヤリ「三皇鼎立」なんてヨタをかます

東晋の習鑿歯が漢晋春秋書いているのに、

漫画でしか三國志なんてねええよ、
蜀は中華じゃねえよ!(この時点で間違ってるがw)

曹魏だけを正当と語れないのは『バカ』と言われてるのは、
ゆるせわきゃねええぇぇぇだろおおぉぉおおぉお?
793名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 12:07:16 ID:Mf2Z27+a0
どうしたんだ、お前?
794名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 12:12:13 ID:tB6re5zT0
やっぱ釣りか
795名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 13:19:26 ID:dPKCSXZnO
蜀漢を自称だと思ってるくらいだからな
796名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 13:22:28 ID:4hd7ycUL0
いや、蜀漢なんて言ってる奴と一緒にしないでくれw
797名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 13:23:15 ID:4hd7ycUL0
あ、自称蜀漢ね?
798名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 15:00:04 ID:4hd7ycUL0
ファビョるのやめて、マトモに突っ込むと

三国志が『正史二十四書』『十八史略』に入っているので色々終了
799名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 17:15:21 ID:YI0XfZWO0
ID:4hd7ycUL0
君の気持ちは分かるが、そいつは蜀漢や呉を貶めて、相手が悔しがらせ
膨大な反論を出させたあげく、煽ったことを責め立てて、自己正当化した上で勝利宣言して、逃亡する常習犯だ

冷笑主義者だから、言っていることがでたらめでも、口調は冷静なので、君が悪者にされてしまう
中英では、そういった状態を傍観するし、奴はIDを替えて自演して一行レスを繰り返し、
君を悪者にするだろう。蜀漢叩き、孔明・関羽叩き、李世民叩き、長文レス叩き、全部、そいつの仕業だ。

話し合おうとする気もないし、理解できる相手でもない。もともとそれが狙いの確信犯だ。

三戦だが、ここでも相当に被害報告がでている

曹操患者とネット右翼って似てね?10
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1278504733/l50
参考にするといいと思う
800名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 18:17:59 ID:tB6re5zT0
そのスレはかって俺が主導していた。
テンプレの大半は俺が書いた。何度となくスレ立てもした。証拠も出せる。

今参加していないのはあんたのような特定のごり押し屋、仕切屋に難色を示すと
話し合いなしのレッテル貼りで一方的に叩かれるのが、明らかにおかしかったからだ。
ああいう理不尽な活動を率先してやってたであろう病人に
まともな話し合いが出来るとは言えないし、その被害者づらの恨み節を理解してやろうとも思わん。
卑怯未練って言うんだよ。そういうのを
不当な非難から蜀呉を庇うのは全く正しいが、反動で魏を不必要に貶すのではダブスタでしかない。
結局の所、崇拝のベクトルが違うだけで、やってることが自分が嫌ってるアンチと大差ないことに気付くことだな。
801名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 18:26:19 ID:4hd7ycUL0
>>799
39!

>>800
ならここで争うな。デコ禿!のキンカ頭のうつけが!
802名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 20:17:25 ID:4xHc7cZ80
>>800
あんたの言うとおりなんだけど、
あのスレだけじゃなくて三戦板そのものがおかしくなってきてるよ
なんでなんだろうな。昔はあんな板じゃなかったのにな

とにかく
そこのスレにまた一名メンバーが増えたようで。おめでとう。
803名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 20:35:37 ID:4hd7ycUL0
マジで他でやれよ、キンカ禿!
804799:2010/07/19(月) 21:43:18 ID:YI0XfZWO0
俺の言ったスレをみれば分かると思うが、こいつが実体だ
向こうのスレで言えばいいことを、わざわざここで書き込んで煽る。まさに中傷。
>>600>>802は、ID偽造による自演

俺がレスしなければ、
ID:4hd7ycUL0への叩き一行レスが大量に発生していたはずだ
IDがあるがために、他のレスがわかる中英では、からまれたくないので、傍観の流れになるだろう

本当にこいつはかまって欲しいだけだから。論じようなんて思ってはいけない。
805804:2010/07/19(月) 21:51:48 ID:YI0XfZWO0
間違い
×>>600
>>800
806名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 22:20:36 ID:tB6re5zT0
>>804
自称多数派を名乗って威張っている訳でもないのに
思い込みだけで勝手に自演認定するのは誹謗中傷だろう。
まあ、あんたがナチュラルにダブスタ人間だというのは分かっているから、もう怒る気もしないけどね。

理屈で返しもせずに、根拠なく容疑をかけるだけの人間と、IDなしの板でやるメリットはない。
ここじゃなければ逆にこちらが一行煽りばっか喰らってることだろうよ。
大体IDが切り替えられるなら傍観などする必要がない。
単純に日に30〜50レスしかつかないような過疎板というだけだ。
普段来てないから分からないのだろうけどな。
まあ二度と来なくていいから。>>774‐775はこちらで対処する
807名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 22:21:31 ID:tB6re5zT0
>>803
勘違いしてはいけない。
君らが宗教板か最悪板へ行くべきなんだ。
808名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 09:28:50 ID:tP91YowM0
>>806
くくく、自演乙だね。
曹魏以外は山賊って言われた(特に蜀漢にたして酷かった)
だからカウンターで、曹魏(曹操)を否定している時期を出した。

どこがダブスタか!あと、スレの議論をしないなら、消えるのは君だね。
曹操と信長を比べるんだよ。曹操だけを持ち上げるスレではないのだ。
キンカ禿くん?

私兵を5000持てる財力と、700しか動員出来ない領地持ちだと、
どっちが有利なのかな?
809小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/20(火) 20:19:14 ID:y7yh7LyS0
相対的な視点でみたら、どないなんでしょうな。

当時の人工比率みたいな。
810名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 20:23:12 ID:B8S5PUEp0
>>808
スレの議論は君やそいつが態度を正せば問題なく進む。
曹操だろうが信長だろうが比較する上で誰も貶す必要がない。
おかしな論調のマンセー、アンチをやればどっちのサイドだろうが突っ込まれる。
>>774-775の曹操の過剰賛美、蜀への暴論には、冷静にミスの指摘と擁護をするだけで十分だ。

君の荒らし同然の>>789はカウンターとして不適当だし、出る幕がない。
人のせいにして居直ってる分だけ>>774-775より性質が悪い。
罵詈雑言を撒き散らしては俺に荒らし同然の暴言を吐いてるのは完璧に荒らしの所業である。
そこまでしなければ精神の均衡を保てないほど動揺しているのでは
冷静に信長や曹操を比較検討することなど出来ないだろう。

しかも被害妄想から来る根拠のない自演認定に相乗りするのに至っては、
明らかに統合失調症の気がある。
偶然にもその症状の一つに自律神経失調症で毛根が死滅するというのがあるらしいが
君が言ってるのは君自身の頭頂部の状態のことかね。
まあ精神科でカウンセリングでも受けることだな
そんなにストレスを貯めるタイプの人間なら、ネットで議論すること自体止めた方がいいのだが。
811名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 20:34:29 ID:B8S5PUEp0
漢末、三国時代の中国 5600〜1600万
戦国時代の日本 2000〜3000万
812名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 20:41:36 ID:6lPAC1jL0
>>810
>>807みたいなことを書き込む相手に説教されてもねえ・・・
動揺しているのは、そっちだろ
813名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 21:18:13 ID:tP91YowM0
>>810
で、議論せずっと…君が病気♪


稲生の戦い
信長軍700 信行&林秀貞軍1200〜2500
でも信長の圧勝で終わるが…
信秀に筆頭家老として信長に付けられた、林秀貞が裏切るとかw(平手政秀は次席)
どれだけ、初期信長の素行って駄目駄目だったんだ?


曹操の方がまだ、素行がマシな気がする…色魔だけどw
曹操は親族と仲良いよな。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 22:09:17 ID:B8S5PUEp0
>>812-813
パターン通りの鸚鵡返しに動揺?ありえないな
>>807>>774-775>>789>>804のような俺の主観と被害妄想で
歴史を語る狂信者への誘導として適当なもの以外の何でもない。
815名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 22:21:14 ID:B8S5PUEp0
信長にあと10年の時間があれば天下は統一出来ただろうが
曹操の場合は寿命の問題ではない。
孫権、劉備が赤壁、漢中の敗北で割拠したことで時間的、実力的に不可能となった。
この点については有力な障害であったろう信玄、謙信が都合よく病死するまで待った信長に戦略的に下回ると言える。
816名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 22:32:38 ID:00GAMp7Z0
信玄、謙信の病死は本当に偶然が重なっただけだから
信長の戦略じゃないような
817名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 23:26:14 ID:o+xs7TWF0
>>806
あんたみたいのが居るならまだ救いがあるんだがな
患者スレの連中は選挙前後の大量規制の間も元気だったし、最近他スレに出張するようになったから
>>815
世代違うじゃん
劉備も孫権も曹操より若いだろ
遠征難も考慮に入ってないし
818名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 23:34:37 ID:00GAMp7Z0
>>817
孫権と曹操は世代違うといえようが
劉備と曹操はほぼ同世代だぞ
819名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 23:38:05 ID:o+xs7TWF0
>>808
すでに言われちまったが、相対的な兵力を鑑みないと意味が無い
武帝記には「曹公が少ない兵で一日中ねばったので、徐栄は攻め入るのは難しいとみて、退いた」とあるから、徐栄の方が数が多かったんだろう
呉書には「総勢数万」とある孫堅軍を、徐栄は破ってるから、大体同程度以上の兵力だったんじゃないか
それ以上に、徐栄は精鋭の孫堅も破った騎兵、曹操は集めたばかりの歩兵中心の新兵軍団、この差は兵数以上にでかい
つーか曹操は私財だけで五千を集めたわけじゃないよ。大部分は衛慈に集めてもらった
820名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/20(火) 23:42:46 ID:o+xs7TWF0
>>818
寿命の話だろ?
曹操より劉備の方が6つくらい若い筈。
曹操が劉備が死ぬまで待つのは難しいという意味
821名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:01:57 ID:r8hG2khg0
>>817
ご理解感謝する
こいつら話聞かないのに話し合いを重んじる振りだけは達者なんだよな

>>816
ああ。君の言ってることも正しいよ
822名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:18:32 ID:O66R2YBU0
患者スレのやつらなんてID出ない三戦で個人的に気に食わない奴を自演だのネトウヨだの適当な理由付けて叩いてるだけじゃん
論拠なんて殆ど無いし、不利になったら話変えて連投しまくってお流れにするしな、まともに相手にしてられん

曹操が学問にもたらした影響は偉大。七子三曹の一人だしな
信長の文化や学術的な影響って例えば何ある?
823名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:25:11 ID:FGPW3VTU0
>>822
茶道を武家に流行らせ、教養として取り入れた。
家康とか田舎武士には不評だったみたいだけれど。
直ぐ出るのは茶道位かな。
あと何がある?
824名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:33:49 ID:r8hG2khg0
安土城かな
時代を代表したであろう建築物として
825名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:43:52 ID:FGPW3VTU0
信長が謀反で殺されたから、天下統一出来なかった訳だが、
光秀が何故謀反を起こしたのか、未だに謎なんだよね。
だから、どうして謀反されたのかが解らないから、
屁理屈だと、何故天下統一出来なかったのか?とか出来ちゃう。
謀反されたからじゃ、理由(何故謀反されたのか)にならないからね。
まぁあ、死んだら其処で終了と考えるのが普通だがw

曹操が天下取れなかったのはハッキリ理由があるよね。
荊州で休憩入れないで、赤壁の戦いをやっちゃたから。
韓信=曹操 李左車=賈詡 で、考えると解りやすいかも。
曹操は兵法を作れても実践できない人って感じがするな。
826名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:44:43 ID:O66R2YBU0
>>823
連歌にも造詣が深かったようだが、
これは曹操の碁みたいなもんで、あくまでも個人で上手かったって感じだな
茶道は詩みたいに作品が残らんから、影響力を推しはかるのは難しいなあ
数代続く流派でも啓いたんなら掛け値なしに偉大といえるが
827名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:50:33 ID:O66R2YBU0
>>824
すぐに燃えちゃったけどね
曹操だと銅雀台になるのかな
>>825
いや、その論法が一番の屁理屈だよw
「明智光秀に謀反された」
理由なんかこれ以上のもん無いだろ
光秀程の重要人物の信頼を得れなかった事、また光秀の危険性を把握できず警戒を怠った事

荊州で一息ついたって、疫病は流行るよ。当時の中原の経済産業を考えると補給の面でのんびりもしてられない
828名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 01:16:09 ID:FGPW3VTU0
>>827
だから謀反で死んでいるから、天下統一は無理って書いてあるじゃんw
信長は死んじゃったから、其処で終了ですってねw

>荊州で一息ついたって、疫病は流行るよ
これ理由は?実際に荊州滞在に疫病が大量発生していたの?
後、元劉表軍と曹操軍が連携出来なかったのは、曹軍の練兵不足が原因だよ?
曹操はなんで、練兵不足で出陣したのかな?
孫子的にバッテンでしょう?

それらを賈詡が見抜いたからの、荊州治安維持作戦でしょう?
賈詡が見抜けないとは思えないんだけれど?

当時の中原の経済産業?銅雀台とか作ってるのに?

あ、曹操の詩でこんなのあるよ。
『劉表の荊州を手に入れた後、天下はすでに指呼の間にあると考え、かつて李左車が韓信に献策した、檄(げき)でたちまち燕を降服させたようなはかりごとを充分に実施せずに』
翻訳後だから、原文知らないんだけれどねw
829名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 01:24:16 ID:r8hG2khg0
第一次信長包囲網 足利義昭、本願寺、松永久秀、武田信玄、延暦寺、浅井長政、朝倉義景、三好義継、六角義賢
第二次信長包囲網 足利義昭、本願寺、松永久秀、武田勝頼、上杉謙信、毛利輝元、山名祐豊、波多野秀治、宇喜多直家、別所長治、荒木村重

二度の包囲網を破った信長の戦争指導は見事だね。
戦術に関しても土壇場のキレはいい。
鉄砲の運用に関してイエズス会の入れ知恵があったらしいが、
そこらへんが光秀に裏切られた理由なんだろうか
830名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 01:33:32 ID:FGPW3VTU0
>>829
一次は相手がバカ過ぎたってのもあるよね。

寒いから帰る。
by朝倉

朝倉が粘れば、信長を倒せた可能性あったのにね。
案の定、信玄ブチギレw(書状有り)

光秀は、私怨説から突発せつ、黒幕説(朝廷、秀吉、家康、etc)
でも家康説だけは、無いよ〜な。
家康は腹切ろうとするしw
831名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 01:39:36 ID:O66R2YBU0
>>828
はあ?
自分で「謀反されたからじゃ、理由(何故謀反されたのか)にならない」うんたら、と言ってるだろう。
だから謀反された以上の理由なんかねーだろと

>荊州で一息ついたって、疫病は流行るよ
 これ理由は?実際に荊州滞在に疫病が大量発生していたの?
理由も何も、疫病が流行った事は孫権伝にも周瑜伝にも書いてある。
荊州に駐在しようが疫病が蔓延すれば戦争なんて不可能だから中原に退くしかねーだろ

>>曹操はなんで、練兵不足で出陣したのかな?
孫子的にバッテンでしょう?
理由は既に行った、補給の問題
呉書に「曹公の軍兵の多くは病と飢えで亡くなり」とある。
不安要素を押して強行してまで疫病流行りーの補給途切れーのでグダグダだったんだから、
荊州にダラダラいたらそもそも出征する前に軍崩壊で撤退コース。少なくとも曹操はそう判断したと見える。
賈詡らが諫言したのはそれらによって生ずる不安要素で、勿論それが間違いではないが、
だからと言って「曹操が兵法に長じていない」つーのは短絡的だと言ってる。
「曹操がミスした」と言うのは後出しだから言える事で、当時の状況を鑑みれば曹操の判断にも一理あった。
年齢の問題もあったしな。曹操はその後十年ちょっと生きるわけだが、これも結果論で、当時50過ぎ、袁紹が50で死んだ事を考えれば、明日は我が身の心地だったろう
理由なく焦ったわけではなく、急ぐにはそれなりの理由があった。
そもそも孫子を引合いに出してるが、孫子の「未睹巧久」って知ってる? 荊州で休憩ってまさしく孫子的にバッテンじゃない?

>当時の中原の経済産業?銅雀台とか作ってるのに?
董卓銭のインフレの影響は曹操以後も続いてるじゃん。
土木事業の費用をそのまま戦時に転用できるとは限らないよ、貨幣経済崩壊してるんだから
832名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 02:02:41 ID:FGPW3VTU0
>>831
>自分で「謀反されたからじゃ、理由(何故謀反されたのか)にならない」うんたら、と言ってるだろう。
>だから謀反された以上の理由なんかねーだろと
ないよ?だから、『信長は死んじゃったから、其処で終了ですってねw』
って、意味にしてある。読みづらかったのね。ゴメンねw

これ呉書なんでしょ?「曹公の軍兵の多くは病と飢えで亡くなり」
じゃあ魏書や蜀書にはどうあるの?
呉書の赤壁の戦いの記述はちょっと信用出来ないんだよね。
魏書、蜀書、共に、連合軍にやられた(やった)って形になってるのに。
呉書だけ、簡単に言えば「呉(だけで)が打ち破った」ってなってるし。

>董卓銭のインフレの影響は曹操以後も続いてるじゃん。
>土木事業の費用をそのまま戦時に転用できるとは限らないよ、貨幣経済崩壊してるんだから
これじゃ、君の思い込みだけじゃん。人の事を悪く言う(明智謀反の所w)資格あるかね?

じゃあこの詩は?
『劉表の荊州を手に入れた後、天下はすでに指呼の間にあると考え、かつて李左車が韓信に献策した、檄(げき)でたちまち燕を降服させたようなはかりごとを充分に実施せずに』
悔やんでるよね、どう読んでも悔やんでるよね?

後、荊州時に劉備は滅ぼさないといけない相手だけれど、孫権は違うじゃんw
欲張りすぎたのさ。曹操って人は。
潼関でも生死不明になってみるし。大軍(戦略戦)を率いた戦争が下手なのは事実でしょう。
833名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 02:11:03 ID:FGPW3VTU0
>>831
兵聞拙速、未睹巧久…失敗してるじゃんw

己の兵力の練兵不足を知らず、相手の力量国力も知らない。
『不知彼、不知己、毎戦必敗。』負けて当然じゃんw
834名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 02:29:23 ID:FGPW3VTU0
>>ID:O66R2YBU0
そろそろ寝るから最後に書くけどさ、
君の言い分だと曹軍には『荊州を支配する力などない』ってなるよね。
一度も荊州全域を支配した事ないし、
関羽が暴れたせいで、ひっちゃかめっちゃかにされて、
襄陽(治所)、つまり荊州そのものすら一度、呉に奪われているしw

曹操は天下統一などできる能力などない人物だ。
って、君が言ってしまったも同然だね。
835名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 02:37:00 ID:O66R2YBU0
>>832-833
>じゃあ魏書や蜀書にはどうあるの?
>呉書の赤壁の戦いの記述はちょっと信用出来ないんだよね。
ちゃんと史料読んでれば絶対に出る筈の無い言葉だよ、それ
呉書を読まずに赤壁をどう分析しろと? 蜀書と魏書のあの記述量で

>これじゃ、君の思い込みだけじゃん。人の事を悪く言う(明智謀反の所w)資格あるかね?
論拠を述べたのに思い込みで済まされたら議論にならんわ。曹丕は領内の貨幣経済を維持するのが困難で、一時期穀帛で代替貨幣としているくらいなのに
光秀の謀反の重要性を全く説明しないで曹操だけ批判してる君よか説明責任果たしてるよ
「曹操にはハッキリ理由がある」として、「信長には理由が無い」と言ってるよね?
だから「光秀の謀反」がどういう事かを鑑みれば、それが何よりの理由だろうが、と言ってるの

そもそも全体的に煽り過ぎで、誠意に欠けるわ
論拠述べたら思い込みて、人の話聞く気ないじゃん
そういう人とはこれ以上論議出来ないし、する気にもなれません

とりあえず草を無暗に生やさないのと人を小馬鹿にした態度を改めれば大分良くなる
836名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 02:39:35 ID:O66R2YBU0
>曹操は天下統一などできる能力などない人物だ。
 って、君が言ってしまったも同然だね。

本当に人の話聞かないな、この人
疫病、物資、経済状況と逐一論拠述べてるのに、言いたい事だけ言って書き逃げだし
後日現れても、やはり議論出来る気がしないね
837名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 02:54:30 ID:FGPW3VTU0
>>836
君が、批判出来る所しか批判しないから議論が出来ないんだよ。
理解してるかいw

小馬鹿にした態度は、君が私に(対して)小馬鹿にした態度を既に取っているからだよ。鏡見てみればw

と、まだ起きてましたw

>「信長には理由が無い」
理由は前に書いてあるじゃんw
>だから謀反で死んでいるから、天下統一は無理って書いてあるじゃんw
>信長は死んじゃったから、其処で終了ですってねw
とね。
何回同じ事を、書かせるの?バカなの?死ぬの?
838名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 03:11:34 ID:FGPW3VTU0
>>じゃあ魏書や蜀書にはどうあるの?
>>呉書の赤壁の戦いの記述はちょっと信用出来ないんだよね。
>ちゃんと史料読んでれば絶対に出る筈の無い言葉だよ、それ
>呉書を読まずに赤壁をどう分析しろと? 蜀書と魏書のあの記述量で

逆だw
あっちに載ってるけれどこっちには無い。でもこれにはあるぞ?
それが史料だよw
日本だって同じ、信長記にはあるけど、信長公記にはない。
太閤記にはあるけれど、信長記、信長公記共に記述が無いってねw
姉川の合戦なんて、徳川の呼び方だし。
織田信長から見たら野村合戦が正しい呼び名だしね。

その史料だけにしか存在しないものを信じて良いのか、迷うのは読んだ人の感想で良いんじゃないの?
じゃなければ、議論しないで、史料だけ読んでなよ。
曹操患者さんw

おやすみなさーいw
839名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 07:59:47 ID:aEk4Sui60
>>829
第一次も第二次もどちらも信玄、謙信が信長がピンチのときに急死したからじゃ
>>830
でも朝倉はそのあと再出陣してるんだけどね
信玄が急死しちゃったので反撃の計画が崩れちゃった
840名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 17:01:45 ID:cRbliZ5h0
>>君が、批判出来る所しか批判しないから議論が出来ないんだよ
これ本気で言ってるとしたら本格的にアホだろ
相手の論理の穴を突くのが「反論」じゃねーか、まさに議論の基本中の基本じゃん
それを禁じ手にしてどうやって論議をする気だ?俺は好き勝手に意見を並べるけど批判はするな、とでもいうつもりか?
お前こそ議論のやりかた理解してからもの言えやw

ID:O66R2YBU0が呆れて帰っちまったみたいだから代わりに答えてやるが、
蜀書は赤壁の戦いに関して「孫権と結び曹操を撃退した」としかなく、
魏書は「曹操は赤壁で交戦したが撃退され、疫病が流行ったので撤退した」としかない。
蜀書や魏書には赤壁の戦いに関してはこれ以上の情報は載ってない
つまり赤壁に関してこれらに呉書に載ってる以上の情報はなく、赤壁を信頼度の高いソースに基づいて分析しようとするなら大部分を呉書の情報に頼らざるを得ない
こんなものは基本知識だ
基礎知識すら乏しいからそんな見苦しい煽りでお茶を濁すしか出来ないし、議論に応じられないのさ。
そもそも信長に関しては詳しいかもしれないが三国志に関しては全くの無知だし、
このあたりを指摘されたのに理解してないことを見るだけで、お前が人の話聞いてないことはよくわかる

>>曹操は天下統一などできる能力などない人物だ。
  って、君が言ってしまったも同然だね。
お前が勝手に自己完結してるだけ。お前以外誰も言ってない。
そもそもここは信長や曹操のどちらかをヘイトする目的でやってるわけではないので、あしからず。
つーか赤壁を理由に曹操を貶したいなら正史の赤壁の記述くらいは最低抑えとけ

つーか人の話全く聞かずに煽りまくって勝手に一人で結論出して逃げてる時点で言うだけ無駄だろうが
こんなアホに絡まれてID:O66R2YBU0までキチガイ認定されたらあまりにも不憫だわ

841名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 17:04:44 ID:cRbliZ5h0
俺はカッとなりやすいし、キチガイ認定されても別にかまわないがな
ただきちんと真っ当な手段で議論に応じた奴を、不利だからといって卑怯なやり方で煙に巻こうとはするな
842名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 22:44:44 ID:FGPW3VTU0
>>840
>つまり赤壁に関してこれらに呉書に載ってる以上の情報はなく、赤壁を信頼度の高いソースに基づいて分析しようとするなら大部分を呉書の情報に頼らざるを得ない
だから『赤壁は謎が多い』って言われているんだろう?
場所すら解らん状態だしw

呉書だけじゃ補完出来ない点が多すぎるからだろうね。

孫子の「未睹巧久」って出してきたから、
『不知彼、不知己、毎戦必敗。』って返したらシカトされるしw
議論放棄してるの向こうじゃんw

うん、バカばっかだね〜w
843名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:03:57 ID:r8hG2khg0
 発 者 同         . 。_   ____           争
 生 同 .じ     .    /´ |  (ゝ___)          い
 .し 士 .レ      .__/'r-┴<ゝi,,ノ   ro、      は、
 .な で .ベ      ∠ゝ (ゝ.//`   ./`|  }⌒j     
 .い し .ル        } ⌒ /`ヽ、_∠l,ノ ・ヽ´
 .! ! か の       /  ´..:.} >、、___,  .r、 ソ、`\
             /   ..:.:.}   /   |∨ ` ̄
            /   ..:.:./    |   丶
           / _、 ..:.:.:.{    .{.:.:.   \
          {   ..:Y  .ゝ、   {.:.:.:.:.    ヽ
          |、  ..:/ 丿 .:〉   >.- ⌒  .  ヽ
          / {. ..:./ ソ ..:./  .(    ..:.:.:`  ..:}
         ./..:.:}.:.:./ ヘ、 ..:./   .\ ..:.:r_,ノ、.:.:}
        ./..:.:/|.:/   {.:./     X.:.:}.}   X X
        /..:.:/ .}.:|    }:/       .Y丶ヽ  Y.:Y
  . __/.:/ { }  《.〈、     _,,__>.:》丶   Y.:\
  /.:.:.:.:.::/   !.:.:ゝ  ゝ.:. ̄ヾ ´:.:.:.:.:.:.:.:.:ヾゝ   \.: ̄>
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
844名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:06:11 ID:r8hG2khg0
ミスにファールで、ファールにファールでやり返してたら
それは議論ではなく口論だよ。少し時間を置いた方がいい
845名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:07:49 ID:r8hG2khg0
責任の押し付け合いは泥仕合にしかならんから
846名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:08:00 ID:FGPW3VTU0
信長は謀反で死んじゃったから、そこで終わりって書いてあるのに、
それを延々とネタにして議論吹っ掛けてくる、ID:O66R2YBU0はまじ怖かったw


>だから、どうして謀反されたのかが解らないから、
>屁理屈だと、何故天下統一出来なかったのか?とか出来ちゃう。
>謀反されたからじゃ、理由(何故謀反されたのか)にならないからね
>まぁあ、死んだら其処で終了と考えるのが普通だがw
このネタの部分に対してだけ突っ込んでくるんだもの、いやになっちゃうよ。
ネタの部分にも、死んだから終わりって入ってるのにw

信長が謀反で殺されたから、天下統一出来なかった
これを完全にシカト。
議論じゃなくて、イチャモン付けられた気分だったよw
847名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:12:38 ID:O66R2YBU0
>>842
あなたとは議論にならないから、態度を改めてくれない限りやらないって言ったでしょ。

>だから『赤壁は謎が多い』って言われているんだろう?
最初に言ってた事とまるで別の問題の話なんだが。
曹操の兵法の是非じゃないの?
>孫子の「未睹巧久」って出してきたから、
『不知彼、不知己、毎戦必敗。』って返したらシカトされるしw
いきなり今までの論議と関係の無い項の句を出されてもどう返答して良いのかわからない
「失敗したのはあくまで結果論で、拙速を取った判断にも理はある」と言っても、それはスルーで話を聞かない
曹操の述懐も結果からみた反省だろ、人の話を聞いてくれてれば論ずるまでも無いが。
人の話は聞かない、論点はずらす、議論が脈絡なく飛ぶ、
おまけに「批判できる所しか批判しないから議論出来ない」という意味不明な要求
じゃあどうやって反論しろと? 

煽ってばかりで誠意が無いと言ったらお前の態度が悪いからだと鸚鵡返し
>何回同じ事を、書かせるの?バカなの?死ぬの?
>うん、バカばっかだね〜w
暴言吐きまくり、態度悪いのはどっち?

議論がやりたいと言うのなら、別に多くは望まないから、とりあえず真面目にやってくれ。
848名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:15:11 ID:O66R2YBU0
>>845
論点がコロコロ変わらなけりゃ普通に議論が出来るんだが
つーか俺昨晩以降書き込んだのは今が初なんだけど
849名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:17:29 ID:O66R2YBU0
>>846
今更ネタとか言われても……書かれた事に対して意見を点した事のどこがイチャモンだ?
自分の言った事には少しは責任持て
850名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:25:55 ID:FGPW3VTU0
>>848
オレのギャグの屁理屈論を、本当の屁理屈って取っちゃう人とは議論できないさ〜w
しかもそれに無駄に拘るしw

>>825
いや、その論法が一番の屁理屈だよw
「明智光秀に謀反された」
理由なんかこれ以上のもん無いだろ
光秀程の重要人物の信頼を得れなかった事、また光秀の危険性を把握できず警戒を怠った事

>>828
はあ?
自分で「謀反されたからじゃ、理由(何故謀反されたのか)にならない」うんたら、と言ってるだろう。
だから謀反された以上の理由なんかねーだろと

光秀の謀反の重要性を全く説明しないで曹操だけ批判してる君よか説明責任果たしてるよ
「曹操にはハッキリ理由がある」として、「信長には理由が無い」と言ってるよね?
だから「光秀の謀反」がどういう事かを鑑みれば、それが何よりの理由だろうが、と言ってるの


論点が最初から、ずれているんだよw
困ったちゃんだなぁw
謀反(光秀されて)で殺されたから、
信長は天下統一は出来ませんって風に、最初に書いたのになぁw
851名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:29:29 ID:FGPW3VTU0
ID:O66R2YBU0君
君は真面目だけれど、馬鹿だね。本当に…面白くない。
センスが無い。だから議論になどならないのさ。
852名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:39:06 ID:O66R2YBU0
要するに反論できなくなったからネタだのギャグだの言って誤魔化してるだけだろう?
貴方の意見には何処にも道理という物が無いんだよ。議論に必要なのはセンスじゃなくて筋の通った意見だ
まあ言う度にはぐらかされて話変えられるんじゃ議論にならん。これほど不毛な時間の使い方も無い。ここまで付きあったが結局無駄だった
つーわけであなたとはここまで。サイナラ。
853名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:46:51 ID:FGPW3VTU0
はぁ?
始めから屁理屈ギャグだったのを君が勘違いして、
それを論点にするという
超無理難題をオレに吹っ掛けてきただけの話なんだがw

反論って…何に対して反論すればいいのよw

実は信長は殺されていなかったんだよ!?
とか

光秀が謀反を起こしたのは黒幕に家康がいたからだよ!?
でも家康は自分の策にはまって切腹しそうになったんだよ!?

とかか?


…君、意味解らんわw
>まあ言う度にはぐらかされて話変えられるんじゃ議論にならん。
それは君だろうがw

>これほど不毛な時間の使い方も無い。
君が馬鹿正直だから楽しめないのさw

ま、馬鹿正直も、馬鹿って所で落ちw
854名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:57:17 ID:r8hG2khg0
お互いに話にならんと主張してるんだから
それが結論でいいだろ
855名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:59:56 ID:FGPW3VTU0
でも気にイラねえなぁ
一番重大なミスを認めない人間ってさ。
856名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 00:15:07 ID:/38Mjai30
>
857名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 00:15:36 ID:DmoKDj/e0
患者だからな(笑)
ID偽造による一行煽りレス封じをされているので、調子が狂ってしまったんだろ

ネタやミスを見つけて、意味のない長文でその印象を薄めた上で、それを半永久的に責め立てる
煽らなければ、相手が折れるまで続ける
煽れば、それを理由に煽り返して、言い訳して逃げ出す
決まって、曹操か司馬懿やその縁者だけを、他人の言葉を借りて持ち上げ、他は意味不明な理由で貶める

君は立派だが、優越感を獲得したいだけの相手だ。仕方がない。気にするな。
858名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 00:28:10 ID:/38Mjai30
>>855
そりゃお前が日本語不自由なだけだろw
大体、今まで曹操の話がメインだったのに、苦しくなったら信長の話に切り替えるって、テーマすり替えて逃げてるだけじゃんw
赤壁の
疫病って何?ソースは?→呉書に書いてるじゃん→呉書なんて信用できない、蜀書や魏書で考えるべき→
蜀書や魏書には碌な記述がねーだろjk、つーか魏書にも書いてるし→だから赤壁は謎が多いって言われてるんじゃん(いきなり赤壁の場所すらわかってないからどうとかいう話へ、疫病のソースに関しては自分で聞いときながらスルー)
この流れってまさに論拠のすり替え、はぐらかし、だろ。
これで本当に反論してるつもりかよw

つーか
>>君が、批判出来る所しか批判しないから議論が出来ないんだよ。
とかいう言葉が平気で出る時点で、普通の人とは認識が違うってことだから、
どうあがいても人と対等な議論が成立する事はないだろうよ
859名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 00:36:28 ID:/38Mjai30
>>857
この場合、だれが持ち上げられてるわけでも貶されてるわけでもない
>戦が下手
>負けて当然
>天下を取るに足る能力はない
等の曹操を批判する意見に対し擁護意見があるだけで、曹操を「他人の言葉を借りて持ち上げ」たり、信長を「意味不明に」不当に貶めるような意見があるわけじゃない
批判と貶しの区別もつかんのか?

つーかそれは意見のつもりか?
「どこがどうだからこうだ」と具体的な事が言えないならチラ裏にでも書いとけw
860名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 00:40:00 ID:CWZmyXgJ0
>>855
基本的に始まりにまったく責任はないが、誤解があるなら説明しないとな。
ディベートなら反則負けを喰らう内容。

>>857
これだけ煽りまくってるような状況を立派と断言するとかありえないね。
被害妄想の布教であんた自身のトラウマを合理化しようとするなよ。
ここで気に入らない人間を叩いて優越感を得るよりカウンセリングを受けた方がいい。
861名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 00:46:01 ID:jK7UfSQM0
>>858印象操作入りましたwww

>呉書なんて信用できない、蜀書や魏書で考えるべき

誰がそんな事書いたよw

↓がオレw
呉書の赤壁の戦いの記述はちょっと信用出来ないんだよね。
魏書、蜀書、共に、連合軍にやられた(やった)って形になってるのに。
呉書だけ、簡単に言えば「呉(だけで)が打ち破った」ってなってるし。

誰が呉書は信用できないなんて、そんな事書いたんだよw
呉書だけで考えるのは、いかがなモノかって文だろうがw
だって三国志の中の呉書は孫呉の国から見たものを纏めたモノ。
魏や蜀目線じゃないじゃん。
だから、
呉書だけで考えるのは、いかがなモノか?となるのだよw

全く、捏造や印象操作をし始めるから曹操厨って呼ばれるんだぞ?w

てかお前、ID:O66R2YBU0だろw(違ったらゴメンw)
862名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 00:51:52 ID:CWZmyXgJ0
>>858
>大体、今まで曹操の話がメインだったのに、苦しくなったら信長の話に切り替えるって、テーマすり替えて逃げてるだけじゃんw

そこに突っ込まれたのにムカついたということだろ。
その後の煽りはどうしようもないが、そこについては絡む要素なかっただろ。俺も?だったし
その点についてさくっと謝らない限り、今後とも冷静な議論にはなりようがない。
ファールにファールで返すような状況になっているから、そこらでいい加減落ち着いた方がいい。
863名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 00:53:29 ID:/38Mjai30
>>861
長文の後付けで言い訳するのは印象操作って言わないの?
>>840でも言われた事でその時には論点をすり替え、相手が撤退宣言してから追討ち
意味不明な煽りと認定
目的ももはやわからんわ
864名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 00:57:19 ID:jK7UfSQM0
>>860

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:50:33 ID:O66R2YBU0
>>825
いや、その論法が一番の屁理屈だよw
「明智光秀に謀反された」
理由なんかこれ以上のもん無いだろ
光秀程の重要人物の信頼を得れなかった事、また光秀の危険性を把握できず警戒を怠った事

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 01:16:09 ID:FGPW3VTU0
>>827
だから謀反で死んでいるから、天下統一は無理って書いてあるじゃんw
信長は死んじゃったから、其処で終了ですってねw

と、一応初期に返答したのですが、これじゃ駄目なのかね?
光秀に謀反をされて殺されたと入ってるし。
謀反の理由が未だに解明されないのも事実だしねw
865名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 01:02:50 ID:/38Mjai30
>>864
それ以降曹操一本の話になったじゃん。
そこで解決してるのに、なぜ又いきなり話を変えた?
そもそもわざわざ誤解を招くような書き方をしてるからだ。曹操と比較する形で書いてるんだから話題に上るのも当然だろうが
866名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 01:02:51 ID:CWZmyXgJ0
>>864
もちろんやったのは知っているが、それ以上に煽りすぎなんだよ。
相手が納得、妥協出来ないような状況を作り出している。
正しいなら煽る必要なんかないし、堂々と弁明すればあなたの正しさは証明される。
ミスにファールで返すな、というのはそういうこと。
867名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 01:21:46 ID:jK7UfSQM0
>>865
ID:/38Mjai30
なんで横殴り乱入の君がいきなりキレてんの?
訳解らないw

っと、これがいけないっと?

それ以降も信長でオレを苛めたよw
ID:O66R2YBU0はw

>>866
『劉表の荊州を手に入れた後、天下はすでに指呼の間にあると考え、かつて李左車が韓信に献策した、檄(げき)でたちまち燕を降服させたようなはかりごとを充分に実施せずに』
この曹操の詩を読むとね…赤壁のやり方ミスったorz
って曹操自信が言ってるから…どう言いつくろっても、
ミスでなりたつと思うんですよ。(呉書とかの話は取り敢えず置いておいて)

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 01:39:36 ID:O66R2YBU0
>>828
はあ?
自分で「謀反されたからじゃ、理由(何故謀反されたのか)にならない」うんたら、と言ってるだろう。
だから謀反された以上の理由なんかねーだろと

これが煽りの始まりなのですが?
始めに煽りあいをやったのはオレじゃねえw
868名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 01:57:32 ID:CWZmyXgJ0
>>867
ミス云々はID:O66R2YBU0が
ID:FGPW3VTU0が統一失敗の理由をちゃんと信長は本能寺の変、曹操は赤壁と並べているのに、
「なぜ謀反されたのか分からないから理由にならない」という部分をアンチのダブスタとして誤解し続けたまま読んでいること。

仰るとおり貴方に煽りあいの始めに責任はないが、>>831に対して>>833-834はやりすぎだ。
あなたがダブスタだという誤解を、彼の中で確信に変えるくらいの効果は余裕であるよ?
空気悪いからピリピリするのも仕方ないが
もう少し確認してからやった方がお互いの精神衛生にいいだろう。
869名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 02:08:59 ID:CWZmyXgJ0
ID:O66R2YBU0にも一言言っとくか。
ID:FGPW3VTU0は>>832
>って、意味にしてある。読みづらかったのね。ゴメンねw
と謝ってる。まあ煽りでおかしな方向に迷走してしまったからおちょくってる聞こえるんだろうが。
君にも間違いがないという訳じゃないんだから、
これ以上の泥仕合になる前に適当に折れ合った方がいいよ。
870名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 12:09:43 ID:HDFhr13r0
>>867
いや、横殴りも何も、一方的に煽り続けてるのおまえだろ
詭弁で話をごまかしたり、論点を変えたり、いろいろ言われてるが
そんなのを抜きにしても、どう見ても荒れてる原因おまえじゃないか
論議以前の問題で、荒らしが住人に非難を浴びるのは当たり前
言ってることも理解不能だし
なんか ID:CWZmyXgJ0の助け船に乗っかって、相手に非がある印象にしようとしてるみたいだけど

851 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:29:29 ID:FGPW3VTU0
ID:O66R2YBU0君
君は真面目だけれど、馬鹿だね。本当に…面白くない。
センスが無い。だから議論になどならないのさ。

終始こんな調子で馬鹿だの死ねだの困ったチャンだのスラング書き連ねてるのにこの期に及んで「俺は悪くない」と言うつもり?
その例はおまえの罵詈雑言のオンパに比べたら全く煽りの内に入らないでしょ
871名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 20:22:04 ID:jK7UfSQM0
ID:O66R2YBU0=ID:/38Mjai30のお馬鹿君w

自演しるなら上手くやれよw
>>856でID確認したんだろ?w
馬鹿だな〜本当に馬鹿だなw

あとな、始めに煽ってきたのは、ID:O66R2YBU0(オマエw)の方なんだぜ?w
これは良く読めば解るんだぜw
違うと感じるのならば良く前後を読んでいないか・・・ま、自演乙ですよw

もし自演じゃなくて、オレを責めているのなら、君はただの曹操厨だなw

信長の謀反の話で
>>849 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 23:17:29 ID:O66R2YBU0
>>846
今更ネタとか言われても……書かれた事に対して意見を点した事のどこがイチャモンだ?
自分の言った事には少しは責任持て

馬鹿じゃん、オレの話理解出来てないじゃんw
本物の馬鹿じゃんw
872名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 20:23:22 ID:jK7UfSQM0
>自演しるなら
あらコリア的なミスw
自演するなら
ねw
873名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 20:32:53 ID:jK7UfSQM0
ID:HDFhr13r0
ああ、君は新型の馬鹿だったのかw
最初に荒らしたのは
ID:O66R2YBU0=ID:/38Mjai30w
まあ、ミサイル打ち込まれたから核ミサイル撃っちゃんだけどねw
悪い悪いw専守防衛なものでw
874名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 21:27:35 ID:/38Mjai30
都合の良い思い込みならチラシの裏に書いてな
ここはお前の言い訳を聞いてやる場所じゃない
ま、此処まで来るともはや荒らしも同然だけど
875名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 21:38:08 ID:jK7UfSQM0
言い訳などしとらんw
オマエが自演してるだけだろw
荒らしてるのは自演しているオマエだよw

屋上行こうぜ、久しぶりにオマエを殴り潰したくなったよw
876名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 21:41:08 ID:DmoKDj/e0
その通り
別に、ID:jK7UfSQM0が折れる必要がない
自演だの、話のすり替えなどやる相手などに妥協しても調子に乗るだけ
ID:CWZmyXgJ0のやっているのは、むしろ、そういう行為を助長しているようなもの

大事なのは、ID:O66R2YBU0=ID:/38Mjai30が言っている理屈がデタラメで、
煽りがあっても、ID:jK7UfSQM0は筋が通っているということだけだ

もめたら、理屈なんかおいといて、とにかく争いをおさめらばなんて言うのは、
南宋の某売国奴と一緒だろw
こんな掲示板でそんな腐りきった政治性などいらんw
877名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 21:52:13 ID:/38Mjai30
煽りを正当化してる方がよっぽどデタラメだろ
自演だのなんだのはそいつが勝手に言ってるだけだし
878名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 23:50:29 ID:CWZmyXgJ0
>>876
>もめたら、理屈なんかおいといて、とにかく争いをおさめらばなんて言うのは、

んなこと一言も言ってないが。お得意の曲解と捏造はやめろよな。
発端はID:O66R2YBU0の誤解でも、こじれたのはID:jK7UfSQM0の煽りが原因だと言っている。
ID:/38Mjai30にも煽り、レッテル貼り、自演認定をやる相手に折れる必要がない。
自演容疑に関しても出鱈目そのもの。日付変更から15分も立ってて、
その1時間前はほぼID:O66R2YBU0で、今日の日付ではID:/38Mjai30だけで書き込んでいる。
その状況で、ID切り替えの確認などする意味がない。
あんたのように私怨塗れで社会性を軽視する人間には口論しか出来ないし、ここはトラウマ治療と被害妄想の布教の場ではない。
自尊心回復運動をしてる暇があるならさっさと精神科へ行くことだ。

>>877
自分なりの筋を通しているのは分かる。
だが事実としてID:jK7UfSQM0は一回は煽りをやめて流れを変えている訳だ。
煽りは酷いが、まったく話の分からない人間ではない。
余計な突っ込みを先に入れたあなたが謝れば何とか関係修復できるだろう。
彼がキレているのはそこの部分だけだからな。
それでも煽りが続くようなら、それこそ話し合う余地のない荒らしということだ。
879名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 01:14:56 ID:PIDx8pUX0
>>878
ま、オレは信長の件で謝らん限り許さないってのは当たりだなw
ミスを認めない人間などと、議論は出来んw

ID:O66R2YBU0が、一番最初にやらかした。
だから一番最初に謝るのが筋ってもん。
オレも三国志は怪しい事言ってるけどなw

でもID:O66R2YBU0が、謝らない、謝罪しないなら許さないよ?
880名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 01:36:56 ID:LySzLCyD0
絶対許さない……ってねえ

825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:43:52 ID:FGPW3VTU0
信長が謀反で殺されたから、天下統一出来なかった訳だが、
光秀が何故謀反を起こしたのか、未だに謎なんだよね。
だから、どうして謀反されたのかが解らないから、
屁理屈だと、何故天下統一出来なかったのか?とか出来ちゃう。
謀反されたからじゃ、理由(何故謀反されたのか)にならないからね。
まぁあ、死んだら其処で終了と考えるのが普通だがw

普通にみて、この文章すごく理解しにくいよ?
その後に「曹操にはハッキリ理由がある」として能力不足を指摘する書き方をしたのも遠因だろう
そもそも統一失敗の理由として両者のターニングポイントを並べたい意図なら「屁理屈なら〜」って一文は要らんし、
「謀反されたからじゃ理由にならない」というのも誤解を招くと感じた。
あなたが「謀反されたからじゃ、理由にならないからね」というから、彼は謀反された事が如何にまずいか、と言う事を説明したんじゃないのかな

それにあなただって、曹操や赤壁に関して突っ込みを入れられた時は回答を求められても不明瞭な事言ってたでしょ
相手が議論をやめてから謝罪要求しても筋は通らない。そもそも彼が議論をやめたのはあなたの煽りが原因だ
あなたが自分の意志をもっと明確に伝えられてればこんな誤解は起きてないと、僕は思うけどなあ。
881名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 02:09:17 ID:PIDx8pUX0
>>880
だーかーらー信長の件で、向こうが煽ってきたのが始まりなの!
オレの先制煽りじゃにの、そこ勘違いするなw


>自分で「謀反されたからじゃ、理由(何故謀反されたのか)にならない」うんたら、と言ってるだろう。
>だから謀反された以上の理由なんかねーだろと
ないよ?だから、『信長は死んじゃったから、其処で終了ですってねw』
って、意味にしてある。読みづらかったのね。ゴメンねw

これっじゃ駄目なんだ?駄目な理由を知りたいw

曹操にはハッキリ理由があると、オレは考えてる(赤壁の敗因ね)。
曹操自信が詩で『赤壁で失敗しちまったorz』って詠んでるから
オレはソレを根拠にしただけ。後、賈詡の案を蹴ってる点だね。

議論を続けられる相手か解らんから取り敢えず、ここまででw
882名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 02:20:01 ID:PIDx8pUX0
>議論を続けられる相手か解らんから取り敢えず、ここまででw

これだけだと、
ただの傲慢なエゴイストな、シャア・アズナブル(赤壁だけにw)なので補足。

荒れる様な喧嘩をしないで、議論を続けられる相手か解らんからって事ねw
883名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 02:41:29 ID:LySzLCyD0
>これっじゃ駄目なんだ?駄目な理由を知りたいw
今はある程度冷静に話せてるかもしれないけど、
あなたの示した上述の言葉が出た当初の議論では、あなた三連投して思い切り煽ってたよね?
あれで正確に伝わると思う?
元々、誤解を招いたのも相手が一方的に悪いんじゃなくて、あなたの書き方にも原因があるんだよ? 自分で言ってるから、わかってるだろうけど

>だーかーらー信長の件で、向こうが煽ってきたのが始まりなの!
彼は別に煽ってないじゃん。信長に関して相互に意図が伝わって無いようではあるけれど
>>831までは双方とも議論が続行不可能になるほどの煽りは見受けられないと思うが
>>832->>834であんなにムキになる必要があったかい? そしてそれ以降の煽りが酷過ぎるよ、あれが決裂の決定打だろう
884名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 03:54:37 ID:PIDx8pUX0
825 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:43:52 ID:FGPW3VTU0
信長が謀反で殺されたから、天下統一出来なかった訳だが、
光秀が何故謀反を起こしたのか、未だに謎なんだよね。
だから、どうして謀反されたのかが解らないから、
屁理屈だと、何故天下統一出来なかったのか?とか出来ちゃう。
謀反されたからじゃ、理由(何故謀反されたのか)にならないからね。
まぁあ、死んだら其処で終了と考えるのが普通だがw

827 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 00:50:33 ID:O66R2YBU0>>825
いや、その論法が一番の屁理屈だよw
「明智光秀に謀反された」
理由なんかこれ以上のもん無いだろ
光秀程の重要人物の信頼を得れなかった事、また光秀の危険性を把握できず警戒を怠った事

828 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 01:16:09 ID:FGPW3VTU0
>>827
だから謀反で死んでいるから、天下統一は無理って書いてあるじゃんw
信長は死んじゃったから、其処で終了ですってねw

831 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 01:39:36 ID:O66R2YBU0
>>828
はあ?
自分で「謀反されたからじゃ、理由(何故謀反されたのか)にならない」うんたら、と言ってるだろう。
だから謀反された以上の理由なんかねーだろと


うわぁ根本的に理解してないよwアンタw
この流れで831が煽りじゃないだと?
それじゃー話にならねぇw
885名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 04:06:40 ID:PIDx8pUX0
>>883
あのなぁ・・・w

しかたないから、分解して考えてみるぞw

>信長が謀反で殺されたから、天下統一出来なかった訳だが、
>光秀が何故謀反を起こしたのか、未だに謎なんだよね。

>まぁあ、死んだら其処で終了と考えるのが普通だがw
ID:O66R2YBU0は、これを無視して、

>だから、どうして謀反されたのかが解らないから、
>屁理屈だと、何故天下統一出来なかったのか?とか出来ちゃう。
>謀反されたからじゃ、理由(何故謀反されたのか)にならないからね。

真ん中のこれだけで考えてるんだよw
煽られてると思っても不思議じゃない。
ってか、オレは煽られてると感じたねw

だって、締めくくりで
>まぁあ、死んだら其処で終了と考えるのが普通だがw
と、入ってるんだからな。
886名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 06:17:59 ID:4Lwz4UKA0
ID:PIDx8pUX0
もう、やめたら?

ID:O66R2YBU0=ID:/38Mjai30とID:CWZmyXgJ0=ID:LySzLCyD0
こそが自演で、延々と君に説明責任を押しつけ、とりあえず、釈明の言葉を述べさせて
自尊心を回復しようとしているんじゃないの?

俺が言った自演ってのはそういう意味

>あんたのように私怨塗れで社会性を軽視する人間には口論しか出来ないし、ここはトラウマ治療と被害妄想の布教の場ではない。
>自尊心回復運動をしてる暇があるならさっさと精神科へ行くことだ。

君への言葉ではないとはいえ、煽ったことを謝らせようとする
自称人格者(笑)がこのような言葉をいうとは思えない

自演か、互いによく知り合った思想が似たものへの盲目的なかばい合い行為どっちかと考えるのが自然だろう

このままじゃ延々とつきまとわれるよ
887名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 06:21:33 ID:49HrpjEx0
>ID:LySzLCyD0
ID:/38Mjai30が謝るまで彼の煽りを責めてもしょうがない。
ID:PIDx8pUX0 は先に謝ってると言ったろうが
gdgd弁護出来ない部分まで弁護してこじれさせるのはやめてくれないかな
888名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 07:57:48 ID:49HrpjEx0
>>886
人格者なんていつ詐称した?勘違いしているが、あんたが統合失調症っぽいんだよ。
自分の妄想に他人を付き合わせようとするのを見ると他人を巻き込むタイプの強迫神経症の要素もある。

俺はID:PIDx8pUX0について彼は一度は煽りをやめて、今の件についても既に謝ってるから、
不必要な煽りをやめろとしか言っていない。
内容を把握してないから思い込みだけで言ってるのがバレバレだよね。
話し合いの出来ない人間を決め付けて叩いているが、一方では煽りを正当化するなんて出鱈目を平気でごり押ししている。
自分のトラウマ治療に都合のいい人間には如何なる煽りもスルーで全面肯定、都合の悪い人間は自演認定だけ。
支離滅裂で理不尽にもほどがある。
それだけ社会性のない人間に口論しか出来ない。本当のことだな

一方、ID:/38Mjai30はミスをしたことに気づいていないだけで、社会性がないかどうかは今後の対応次第だ。
あんたの認定の速度は明らかにおかしい。エスパーでないなら病気の人だよね。
それだけ自尊心回復運動の餌食を欲しているのだろうが、そのトラウマは病院で治せよ。
889名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 12:34:12 ID:v+dBeCJ80
このクソ暑いのに、おまえらは熱中症とは縁がなさそうでなによりだな
890名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 18:17:09 ID:EIx8x8LY0

曹操患者とネット右翼って似てね?10
ttp://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1278504733/

【曹操患者の定義】
1 三国志魏書武帝紀、三国演義の曹操を元ネタにした『蒼天航路』を元ネタにした曹操を妄想完璧超人にしたてあげる
2 曹操患者に崇拝される曹操は『蒼天航路』が生んだ偶像であり史的曹操から乖離した存在

【曹操患者七つの症例】
1 ネット右翼。漫画『蒼天航路』を読んで真実の曹操を知ったと自称し、非常に高圧的、攻撃的。
2 厨二病。漫画、小説と現実の区別がつかない。『曹操軍四天王』などという馬鹿すぎる単語を常用。
3 蜀アンチ。現状の中国での曹操の再評価に不満。いまだに蜀に人気が集中している事に激しく嫉妬している。
4 非コミュ。テンションが異常で、すぐキレる。曹操患者の一番の問題点。
5 ニート。平日の昼間、深夜に自作自演。常時揚げ足を取ろうと監視している
6 連呼。何の脈絡もなく「曹操は主人公」「孔明は凡将」「赤壁の戦いは中国人の捏造」といきなり連呼。
7 脳内妄想。「中国では曹操は年配には受けてないが、若者には漫画のおかげで絶対的な人気があると思う」と現実と乖離した脳内妄想を垂れ流す。

【曹操患者の行動ガイドライン】
1 ダブルスタンダードな議論を行う。絶対に謝らない。
2 ギブアンドテイクの概念がない。一方的にソース提出、証明、解説を要求して負荷をかける。
3 自分の贔屓で基準を都合よく捻じ曲げる。
4 中身のない妄想と言い訳で内容を水増しする。決め台詞、捨て台詞で煽る。
5 相手のミスを必要以上に詰る。
6 自分のミスを相手の理解力、読解力の問題に摩り替える。
7 自分が叩かれると中立の第三者を偽装して自己弁護する。
8 反論出来なくなったらネタ否定、相対化、可能性の強調、コピペで鸚鵡返し、対人論証、テーマの摩り替えをして反論したつもりになる。
9 自分の敵に無期限に無制限に執拗に粘着する。
10 自作自演で多数派工作する。単発IDを乱発する。
11 板の総意を詐称して公然と反対者を誹謗中傷する。
891名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 19:25:57 ID:LySzLCyD0
謝るのはID:/38Mjai30じゃなくてID:O66R2YBU0じゃないの?
俺は誰も謝る必要なんかないと思うけどな
もう居るかどうかわからない人間にしつこく謝罪要求したり、個人的な恨み節で居直るのをやめれば
すべて収まる
とりあえず現状は、現れないID:O66R2YBU0にID:PIDx8pUX0が文句を言い続けてるという一方通行の状態でしかない

前提として、此処は公共的な場だよ
個々人間で何時までも責任の擦り合いをしてると他人に迷惑が及ぶ
それは頭に入れておいた方が良い

>>887
こじれてるのは、>>853で一旦終わった話をいつまでもグダグダ続けたからだろう
ごく一点への妙な拘りでこの無駄な話の切り時を失ってるよ、完全に
とりあえずさっさと通常運行に戻した方がスレのためじゃないの?
892名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 19:42:30 ID:PIDx8pUX0
>>891
ID:O66R2YBU0≒ID:/38Mjai30だよ(90%位で同一人物)
じゃなければ、いきなり登場で、バリバリの悪意ぶつけて来るわけねーものw
(過疎板のこんな過疎スレにそんなに人はオランダw)

あと文体の特徴が同じなんだよね〜w
隠してるつもりだけれど、バレバレw


でだ・・・
別の所で喧嘩が始まってるのは、オレもポルナレフ状態なんだぜ?
893小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/23(金) 20:02:01 ID:8DbAzU8F0
これも若さゆえか
894名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 20:08:37 ID:PIDx8pUX0
ID:LySzLCyD0、アンタにも責任あるんだぜ?
アンタが話しを巻き戻さなければ、
オレが説明する必要は無かったしなw

>>831までは双方とも議論が続行不可能になるほどの煽りは見受けられないと思うが
その831で煽られたんだよ。オレがw
君も認識が甘いな。
>>827
・・・まあしかないか・・・ブチキレ度30%
>>831
其処まで煽るか!!オレの怒りが有頂天(藁)に達した!
って事だよ。

さらに言えば、君がからんで来なければ、こんな話しは打ち切れてるんだよね〜。
まず自分を見ようかw
切れてる片方に近づくなら、もう少し言葉を選ぼうw
895名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 20:09:47 ID:PIDx8pUX0
小銀玉さん
どったの?
896小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/23(金) 20:12:55 ID:8DbAzU8F0
喪前さんらの

○○=○○

とか

○○≒○○

とか

見えない敵と戦っているのか、踊らされているのか知らんが

ようやるわ
897名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 20:19:36 ID:PIDx8pUX0
>>896
相手は曹操信者です。とでも言いたいの?
よくわからんw
あと小銀玉さんは上げるなw
目立つからw
898小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/23(金) 20:26:22 ID:8DbAzU8F0
>>897
若造の知ったことか。
899名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 20:34:01 ID:PIDx8pUX0
>>898
安心したよ小銀玉!
あんたはまだ小銀玉だ!
信長オタクでも三国志オタクでも、あのスレからの侵略者でもない!
心の歪んだだけのただの老人だ!

って、遊んでみるw
900小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/23(金) 20:40:02 ID:8DbAzU8F0
そもそもなんで信長と曹操なんだ?

一条兼定と劉禅でやったほうが盛り上がっただろうに
901名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 20:44:47 ID:bPb5VLrj0
左慈と果心居士なんて風変わりなものもあるぜい
902名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 21:43:20 ID:49HrpjEx0
孔明と竹中半兵衛
関羽と蜂須賀小六
張飛と前野長康
馬超と武田勝頼
黄忠と六角義賢
趙雲と本田忠勝
903名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 23:04:44 ID:4Lwz4UKA0
>>887-888
(*ノ∀^)ノ゛))アヒャヒャ夏だねえ
>>876>>886の俺の会話から、そこまで推測できるとは、大した想像力だ(。'-')(。,_,)ウンウン

社会性、トラウマ治療、被害妄想、自尊心回復運動、精神科、統合失調症
赤の他人、しかも逃亡した書き込み人のために熱い正義感を燃やせる人間がとっさにでる言葉かね
まるで、こっちを誰かと分かっているような書きぶりだね〜
それとも、リアルで君が気にしていることを書いたのかね。なんで、気にしているのかな〜(*⌒∇⌒*)テヘ♪

認定し、印象どおり書き込んだだけで直接攻撃してもいない相手をここまで叩く
君こそ、私に相当、恨みがあるようだ。なぜかな〜( ̄m ̄〃)ぷぷっ!

とりあえず、謝ってもらおうか、君が本当に正義を主張するならば、それぐらいは折れてくれるだろ
話題も変えようとしているし、それなら、自分も手を引くよ
それなら、いいよな?
904名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 23:23:24 ID:LySzLCyD0
自演認定や謝罪要求が如何に見苦しく、混乱を招くかという判例
905名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 01:36:57 ID:dbtDKdl60
>>903
いいだろう。
流れが変わりそうなのに蒸し返したのはあんたの方ということで。

「直接攻撃していない」と主張するが、
先に根拠なく思い込みと決めつけだけで俺を自演認定してきたのはあんたの方(1)
なぜか自分だけ被害者づらをしているが、それを認めなければ話にならない
こちらとしては、そちらの反省と謝罪は全く期待していないけどな

そもそも俺は先にミスしたID:O66R2YBU0にミスを認めて謝れ、反動煽りを云々するのはそれからだ、と言い続けた
彼と同じミスをしている自演認定を続けたあんたにも俺が謝る必然性は理屈の上で皆無だわ
また、本気で謝ってほしいなら、そんな非コミュじみた文章は先ずありえない
情緒不安定だという証拠がまた一つ手に入ったな。まあ書き直して再要求(2)するのが筋だね。

(1)(2)について人として信用出来る最低限の発言を見せない限り、
手を引くなんて口約束は「信用出来ない」。あんたへの病人認定を解く気もないわ。
906名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 06:18:58 ID:IqZhKdiA0
>>804-805
そういう反応があるのはすでに予想していたけどね。強弁と自己正当化運動は慣れてそうだし
この板で一方の極端な意見に異様なまでの擁護レスや代理人につくのは、しょちゅうで
自演だと思っていたので書き込んだだけだわ
見知った思想や文体から判断した古参のなれ合いかもしれんけど、
やられる方からすれば似たようなもんだし

あんたら(?)が一方を極端に貶めたり、気に入らない論客を叩くことでしか、話題がつくれない
リアルでも、ネットでも社会性とは、ほど遠い存在なのは分かる。中英のこの手のスレを見ればよい。

別にこれ以上、なにもあんたらに望まない。スレにそった普通の話題を続ければよいだろう。
しかし、あんたらにはたして、続けられるかな?
907小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/24(土) 09:29:35 ID:x+YfgO7P0
いい加減、ヨソでやれや
908名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 16:27:52 ID:dT2yL9Ly0
信長厨が知性も教養もないキチガイだということだけはひしひし伝わった来た
909名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 16:56:40 ID:kzUBefxL0
そういう揶揄するなよ
910名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 17:13:48 ID:jcNNT1Ak0
粘着ぶりが異常過ぎる
911名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 17:22:41 ID:hxVch8U40
>>908
ならお前も曹操厨か。涙拭けよ、今回悪いのは曹操厨だ。
912名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 19:02:48 ID:RIpzqKd70
信長&曹操

混ぜるな、危険
913名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 20:14:51 ID:kzUBefxL0
信長と柴栄で語ってた頃がなつかしい
914名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 21:18:23 ID:IqZhKdiA0
話題を変えてないから一応、追加するけど
アンカーミス
×>>804-805
>>904-905

これは、すまんかった

>>908
俺に対して、攻撃中なのは分かるが、ID:PIDx8pUX0も結局、そう思っていたわけか
IDが違うが、脊髄反射的に俺を攻撃するところといい、自演の疑いはかえって深まったわ
そうやって、中英の世論誘導を永久にやっていろ。どうせ、あんたらに議論なんてできやしない
915名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 22:27:04 ID:hxVch8U40
もうやめようぜ。喧嘩してもしかたねえしな。
曹操側は曹操の事しか知らないし、
信長側は信長の事しか知らないのは、>>1位から変わらんのな。

最初から読み直して思った事。
>信長が相続した石高が13万石〜17万石(明治政府調査)。

1万石で250人の兵だっけ?
最低の13万石だと、計算上の動員数は3250。
でも稲生の戦いで動員できたのは700だけ。
どれだけウツケに見られてたんだ?

で、才能じゃなく、家系で知りたいのだが、
信長は信秀の次男(安房守が存在していれば三男?)で、信行と信包とかも有名だが、

曹嵩って曹操以外に有名な子供居たの?
親類は超有名だけれどさ。
916名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 22:35:11 ID:dbtDKdl60
>>906>>914
>>905はありえない自演認定をする病人が>>857
立派だと絶賛したID:PIDx8pUX0の理論をそのまま借用したものだよ。

>ID:O66R2YBU0が、一番最初にやらかした。だから一番最初に謝るのが筋ってもん。
>>先に根拠なく思い込みと決めつけだけで俺を自演認定してきたのはあんたの方(1)
>でもID:O66R2YBU0が、謝らない、謝罪しないなら許さないよ?
>>(1)(2)について人として信用出来る最低限の発言を見せない限り、 手を引くなんて口約束は「信用出来ない」。

>そういう反応があるのはすでに予想していたけどね。強弁と自己正当化運動は慣れてそうだし
俺を揶揄するのはID:PIDx8pUX0を揶揄することに等しい。
一方でID:PIDx8pUX0を全部肯定してほめちぎる。
あんたがダブルスタンダードの自演認定厨だという事実が簡単に証明されたね。

言いたいことは他にもあるが、もうこれで終了でいいや。
捨て台詞を吐いたんだから二度と来ないでくれや
917小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/24(土) 22:37:58 ID:x+YfgO7P0
>>916
もそっと大人になっとけ

それより、曹嵩の子どもで曹操以外か。

知らんな。
918名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 22:38:15 ID:hxVch8U40
あのさ、もうどうでも良いから、曹操の兄弟が居るのかどうかを、
教えてくれないかね?

文献見ても、曹操の子を養子にしたとかしかなくてさ。

曹操で詳しい人頼むわ。
919名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 22:39:16 ID:hxVch8U40
>>917
やっぱ、養子以外は曹操だけだったのかな?
それとも早死にとか?
920名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 22:46:29 ID:IqZhKdiA0
>>915
すまんね。俺ももういいや。第三者には迷惑をかけているのは分かっている。
だから、話題を変えるのに少しだけ協力する。

>曹嵩って曹操以外に有名な子供居たの?
>親類は超有名だけれどさ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E5%B5%A9
ここに書いてある。ソースまでは調べていないが、有名なのはいないみたいだね
俺も曹徳しか知らなかった。
もう、俺は議論に加わらないから、安心してくれ。
921名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 23:01:49 ID:hxVch8U40
>>920
あとは、曹疾って人物が曹徳と同一人物かどうか、って位か。

曹操には有能な兄弟は居なかったのだな。

三国志で有能な兄弟が居るのは、呉の孫策と孫権、位か?

曹操の息子は勿論全部抜かして考えて。
曹植とかも王の器だったろうしな。詩聖と称えられてるけれど、
本人は詩なんかより、政治やらせろゴラァって『詩』で言ってるしなw
922小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/24(土) 23:07:22 ID:x+YfgO7P0
トンとフチは兄弟じゃないのか?

後はエン家の三兄弟とか

公孫さんのところとか。

いろいろいるとおもうが
923名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 23:11:24 ID:jcNNT1Ak0
曹操のガキは有能なのが多かったが、仲は良くなかったな
つーか、総じて幸が薄いね。
曹沖なんかは特にそうだが、長生きしても兄貴達に比べて歳も離れてるし、植や彰みたいに中央からは遠ざけられたかもな
長男が長生きすればいくらか状況もかわったか?
924名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 23:12:34 ID:jcNNT1Ak0
>>922
フチは確か兄弟では無いぜ
袁三兄弟や公孫賛の所って有能かなあ?
925名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 23:13:13 ID:hxVch8U40
トンとフチは親が兄弟だから、従兄弟だろ。

エン家は…あれで有能って言えるのかなぁ…?
三兄弟の親の
しょうと蜂蜜も兄弟かどうか怪しいらしいし。

公孫さん?どっちの?
926名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 23:15:55 ID:hxVch8U40
公孫のさんを人代名詞で考えてた。ゴメンw
927名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 23:24:59 ID:hxVch8U40
あ、孔明と子瑜が死角だった。
あの兄弟は有名で有能だよね。
928小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/24(土) 23:35:17 ID:x+YfgO7P0
おっと有能な兄弟か…

馬の5常とか司馬八達とかか?
929名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/25(日) 00:08:39 ID:lg7Eoc2V0
紹と術は政治力は高い
術は判断力に難がありそうだが
930名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 00:16:50 ID:PbcjDnJW0
>>917
自治新党で暴れまくってたおまえが今更そんなことをほざいても説得力皆無
931名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 00:25:04 ID:PbcjDnJW0
信長にしろ曹操にしろ現実はゲームじゃないんだからピークがいつまでも続くわけがない
赤壁にしろ本能寺にしろ緊張感が切れて判断力が落ちただけだな。
そんなことも分からないで都合のいい材料でこじつけて
天下人天下人マンセーするだけなのが患者とか言われてる人種
932名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 22:14:16 ID:hFbYwya10
久しぶりに来たら、本当に全く議論が成立してなくて、ワラタw

曹操患者が、ただ、単に、議論にかこつけて、蜀を叩いていたら、反撃にあい、
仕方なく信長好きと議論して、いつもの調子で煽っていたら、
恨みがある曹操患者ネトウレスレの住民が来て、自演もしくは患者数人で
あたりかまわず、絨毯爆撃しまくって、思わず、信長好きと戦いになってしまい、
複数を相手にすることになり、涙目でファビョッたって構図だったんだなw

ほんと、普通の話題に全くついてこれない非コミュ具合がものすごい

曹操を崇拝していたら、無双状態で好き放題暴れられると思いこんでいる
三国志の曹操信者系サイトやブログ主数人ぐらいの仕業なのであろうかw

曹操の話題でも自己同一化できないならついていけないとかマジ、非コミュ
リアルでも誰からでも相手されていないんだろうなw
933名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 14:30:03 ID:dlVUdjpl0
何これ尾も白いwww
信長スキーの>>825は多分その時点ではギャグでやっている。
曹操患者は>>827でいきなりガチで煽っている。

信長スキーが切れて反撃にでたら、
曹操患者が信長スキーが煽ったっと、煽り始めたのを信長スキーに押しつけている。

どこの中国様ですか?
曹操患者www
934名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 17:55:33 ID:OgBJWmuL0
曹操患者は、大好きな曹操がいた国に移り住んだ方がいいじゃないの?

あの国の政治家って、君たちが大好きな曹操や、司馬懿、曹ヒにメンタルが非常に近そうだしw

俺らは君らが無能と呼ぶ献帝や劉禅以下の政治家しかいないこの国で我慢するからw
935名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 18:53:58 ID:4WskS6Yd0

どちらも目的達成のためには手段を選ばないマキャべりストだから共通だね。
暗殺されなかっただけ曹操の方が上手かな?
936名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 19:58:43 ID:VYcWeUW30
>>934
>>俺らは君らが無能と呼ぶ献帝や劉禅以下の政治家しかいないこの国で我慢するから

いや我慢できんなw
937名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 00:23:55 ID:ll877Kfy0
>>932-934
ID:OgBJWmuL0=ID:dlVUdjpl0=ID:hFbYwya10=ID:IqZhKdiA0だよ(90%位で同一人物)
じゃなければ、いきなり登場で、バリバリの悪意ぶつけて来るわけねーものw
(過疎板のこんな過疎スレにそんなに人はオランダw)

あと文体の特徴が同じなんだよね〜w
隠してるつもりだけれど、バレバレw
938名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 00:26:59 ID:ll877Kfy0
信長スキーとやらが本当にまともな歴史ファン、信長ファンなら
信長患者のようにどさくさに紛れて競争相手を中傷するようなレスなんぞする訳がないね。
曹操患者の妄言は既に袋叩きにあってたしな。
939名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 16:27:13 ID:LVCx4rdD0
>>937-938
曹操患者さん自演乙
940名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 18:44:51 ID:aKTGDy3t0
曹操の時代までに、武力で中華統一を果たしている者は、始皇帝・(項羽)・(劉邦)・劉秀と、既に2〜4人いる。
そんな中で、中華統一が出来なかった曹操。

信長の時代までに、武力で日本統一を果たしている者は、まだ1人もいない。
そんな中で、日本統一の道筋を作った信長。

偉大さでは信長の方が上。
941名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 19:03:19 ID:0wDzCTHt0
源頼朝や足利将軍は…
942名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 19:11:10 ID:aKTGDy3t0
あれは中央政権で、統一してないよ。
943名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 19:32:18 ID:0wDzCTHt0
そんなこと言ったら信長なんて全然してないし、
信長の後に出てきた秀吉や家康も統一してない事になるんじゃ
944名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 02:45:46 ID:EgYmFS7kO
足利尊氏はともかく、源頼朝は国内統一したと言えると思うが。
頼朝存命時には朝廷との二重政権だとしても、承久の乱以降は鎌倉幕府として朝廷を抑えつけた訳で。
945名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 10:58:40 ID:O+3t0KgP0
足利も足利義満の時代には統一したといえそうだ
946名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 21:14:00 ID:Z20VRbvg0
>>937-938
患者さん、やっぱり、まだいたのですか(嘲笑)
以前、相手からされたレスの鸚鵡返しといい、相対化を狙うところといい、
テンプレ通りで、あきあきなのですが、
少しは新たな芸風を身につけていただけないでしょうか?
まあ、そんなことは無理と分かった上で、お願いしているのですが(笑)

それで、どうしました?
まともな議論とやらは、続けてくれないのですか?
誹謗や中傷でしか、議論を成り立たせられないあなたの態度には、みな、あきあきしていると思います。
もっとも、全て自演ならできないのは当然ですが(笑)
これから、寒い季節になりますので、あなたの寒い芸風は控えてください。

なにとぞ、お願い申し上げます。
947あげ太郎:2010/11/24(水) 20:17:35 ID:vhpGDwihO
ノブやん
948名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 15:20:16 ID:uMSBa3dI0
史学では「頼朝の天下草創」、「義満の南北朝合一」であって、統一と言う用語は通常
使わないでしょう。
信長の場合、稲葉山を落とした嬉しさに舞い上がって、勢いでぶち上げたスローガン
「天下布武」が後世勝手に一人歩きして、近代的統一国家すら信長なら達成したはず、
みたいな妄想をまき散らす輩がいるのがやっかいですな。

天正三年以後、事実上「天下様」であったとは言え、跡取りを巻き添えに謀反で倒れた
総見院と、息子に「中華の天子」に登玉する道を用意して天寿を全うした魏武。
道筋云々を言えばどちらが上か、言うも愚か。
真の「統一」は、それぞれの継承者(司馬氏、豊臣氏)に委ねられたという点では互角ね。
949名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 07:20:33 ID:jPslheoH0
史学で後の時代の評価

曹操
近い時代の陳寿からは高評価
が、余り時間が経たないうちから陸機が低評価
習鑿歯からすでに逆臣との評価、簒奪の野心があった桓温と重ねられる
五胡十六国時代の石勒から低評価
後の時代でも曹操は奸臣や逆賊、簒奪者等々、王莽並に酷い評価を受ける事も屡々
丞相としては、同時代の諸葛亮以下の評価を受ける事も多々
南宋時代では本当に最低最悪の人物として評価されてしまう
時代が違えば希代の英雄であったと評価する人物も居る
例えば魯迅等が有名だろうか

信長の評価
豊臣時代、贈従一位太政大臣
江戸時代は若干空気
明治に入り、朝廷を保護した実績が再評価され贈正一位となる
日本の正一位は諸王人臣における最高位であり、
国家に対して、偉勲の著しく功労をなした者に叙される
正一位の没後追贈は織田信長が現在のところ最後となっている
時代によって、最高から最低までの評価をされるのが曹操
時代が変わっても、評価が変わらない、叉は再評価されるのが信長

臣としては信長の圧倒、曹操はただの逆臣
王として考えるならば、曹操が圧倒、信長は王ではない
つまり、比べる分野が違うと言ったところだろう
950名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 07:53:48 ID:12OSTK5t0
>>949
信長は江戸時代は家をつぶした暴君として反面教師扱いでしたが
生前の好色っぷりがネタにもされていたくらい、江戸時代の信長は評価が低い
ちなみに明治時代に行われた英雄番付では横綱が秀吉、関脇が家康なのに対し
信長は前頭の筆頭ですらなく、伊達政宗よりも順位が下になってる
当時における民衆の率直な評価といえるだろうな
贈正一位とかは朝廷の権威を高めるために行われたもので、毛利元就とかももらってる
江戸時代から明治、さらには高度成長時代においても、信長の評価なんて
家康、秀吉、その他に大きく劣ってる
信長が妙に過大評価されたのは不況が続いて型破りな英雄像が求められた結果にすぎない
実際の信長は保守的な人間ですらあったのにな
951名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 07:57:36 ID:12OSTK5t0
ちなみに信長が過大評価されだしたのはごく最近で、
しかもゲームやマスコミが面白おかしく描いた、現実の信長とは明らかに違う虚像が
もてはやされてるにすぎない
高度成長時代までは秀吉や家康のほうがよっぽど人気があった
952名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 08:14:36 ID:jPslheoH0
いやいや、いきなりなにぶっ飛んでるんだか

臣として考えるか王として考えるか、
それで評価がするところが違うと言いたいだけなのだが?

実際臣として、曹操を評価すると最低になるのが当たり前なのだから
簒奪出来る状態にまで持って行った時点で臣としては悪となる

だが王として見るなら英雄となる

信長は臣として仕え、臣で終わっている
秀吉や家康も臣で終わっている

日本と大陸の考えが既に違う
953名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 15:24:57 ID:uVtLBwz40
>>952
>いやいや、いきなりなにぶっ飛んでるんだか

ただ単に、信長を貶したいだけだと思われ。
話繋がってないしね。
954名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 20:26:36 ID:Z3vaSLNE0
誰でも知ってるエピソード挙げただけでも「いったい誰に対して臣?」と思いますな。

二条新弟築城に当たり、石仏・地蔵を徴発、断ち割って石垣に、さらに宝物も殿内装飾用材に徴発。
仏教界は上下を挙げてこの暴挙を正親町帝に哀訴したが、信長に聞く耳がなかったことは考古学的に
立証済み。永禄十二年〜十三年にかけ信長の寺領横領に耐えかねた叡山の訴えを受けて、綸旨が信長
名指しで「(このような無法がまかり通れば)朝廷忽ち退転」と発給された。信長、表向きは(朝山日乗
経由で)叡山に返還を誓約しながら、実際は放置。これが叡山との決定的対立に繋がったことは明白。
同じ頃、山科言継自ら禁裏領返還を求めて岐阜へ下向した際も「公事はあずかり知らぬ」と事実上の
ゼロ回答。最近は、天子の専権(暦など)にすら、ちょっかい出したようなことも言われてますな。
義昭に対しては上洛当初から管領も副将軍も一蹴、最後の仕打ちは言うに及ばず。
まぁ、殺さなかったことは日本的と言えるのか?

普通に考えて、信長も曹操も覇者たらんとしただけのことだろうと。
事実上の天下人になっても弾正忠のまま、右大臣もさっさと返上したからこその信長ではないの?
贈正一位なんて、泉下でハナカミにしてて欲しいもんだw
(念のため言っときますが、わたくし皇室を敬愛しております)
955名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 21:23:51 ID:0ZrNpjZR0
>>953
貶したいじゃなくて単なる事実だろ
>時代が変わっても、評価が変わらない、叉は再評価されるのが信長
という>>949に対しての反論だろ
実際に朝廷問題を研究してる堀氏とかは信長ほど時代によって評価が変わる人間も珍しい、と嘆じている程だ
956名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/29(月) 22:28:30 ID:K9MrDJrb0
信長株が急上昇したのは
津本陽の「下天は夢か」がベストセラーになってからだぞ

それまでは司馬遼太郎の得意とした幕末の志士の人気が高かった

957名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/06(月) 13:21:10 ID:CSEYvM5Q0

  ヘゝ__\_Y \\,.-、         |  曹操の名誉を汚している連中を消して欲しい?
  彡\、/ニ二ニゝレヘ\__        |
  巛巛ヽ彡三三く\メXy,=ミ:、   <  そんなねがいで本当に良いのだな?
  巛巛ヾヽミ三三ゝゝゝ ゞ-'゙ヽ   |
  ニ‐ニ彡ヾ三三く>/⌒ヾミゝゝゝ`ー--、 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   -_,.彡ヘヘ三=ヾf;:,,   \ ,-=〒'__ヾ}
  _ -'´~77∧ゝミ-_ゝ ...._〃'^^
    /Xレ公ゞー三=三彡ヘー--、_ソ                     コクッ      コクッ
    /ヘ//へへヘヘィ'了`7ー-<                       ((   曹操 ミ ((  /患_者\
   /ヘ//ヘヘヘ/'"レ_ノ_ノ  ノ ゙ヾ:、                        dlニHニl-b  |/-O-O-ヽ|
   /ソ//ヘヘヘ//レ´  ̄`ー、-''´ _,.ノヾ':,                       ヽヽ'e'//   | . : )'e'( : . |9
   //ヘヘヘ/|/      ヾ''´ __,,.ノヘ                       /  ー'  ヽ /`‐-=-‐ 'ヽ
  ヘヘヘヘヘ/Y        `}´   ||

  ヘゝ__\_Y \\,.-、         |
  彡\、/ニ二ニゝレヘ\__        |
  巛巛ヽ彡三三く\メXy,=ミ:、   <  願いはかなえてやったぞ。
  巛巛ヾヽミ三三ゝゝゝ ゞ-'゙ヽ   |
  ニ‐ニ彡ヾ三三く>/⌒ヾミゝゝゝ`ー--、 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   -_,.彡ヘヘ三=ヾf;:,,   \ ,-=〒'__ヾ}
  _ -'´~77∧ゝミ-_ゝ ...._〃'^^
     /Xレ公ゞー三=三彡ヘー--、_ソ                      
    /ヘ//へへヘヘィ'了`7ー-<                      
   /ヘ//ヘヘヘ/'"レ_ノ_ノ  ノ ゙ヾ:、                      
   /ソ//ヘヘヘ//レ´  ̄`ー、-''´ _,.ノヾ':,                      
   //ヘヘヘ/|/      ヾ''´ __,,.ノヘ                      
  ヘヘヘヘヘ/Y        `}´   ||

958名無しさん@お腹いっぱい。:2010/12/20(月) 11:57:18 ID:+X3TbpiK0
曹操患者さん、涙をふいて・・・
959名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/12(水) 17:00:26 ID:7PGibeAp0
>>956
市井の評価なんて所詮そんなもんだし、曹操や信長だってそんな曖昧なもののために人生を費やしたわけじゃないと思う
960名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/07(月) 18:36:46 ID:nwt5/rcx0
あまりにも低レベルすぎて2人が呆れています
961名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 04:21:15 ID:R8QspgVN0
>>1

信長の時代から徳川幕府初期の日本の人口は2400万人。この時代の中国(明代)
の人口は2200万人へ激減。日本のほうが人口も多く近代戦(鉄砲)が強力だった。
信長の大陸支配への野望や秀吉の朝鮮出兵は根拠が十分にあった時代でした。
その後、明の中国はたった60万人の女真族(清)に征服支配される事になった。
江戸時代中期(1700年代まで)は日本のほうが人口も勢力も大きく倭寇が長江流域まで
荒らしまわった時代。中国は1800年代に急激な人口増加で3億人を越えた。
現在は人口で10倍も違うが国としての中核部分はそれほど変わらない。。
962名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 04:32:45 ID:R8QspgVN0

三国志の時代や隋・唐までの中国と現在の中国では民族が変わった言っても良いくらい
違う者になった。弁髪も襟の立った中国服も支配した北方のツングース系(満州)の文
化で古代の中国のものとは違う世界になった。
日本がなんとなく三国志以前の中国のほうに惹かれるのは古代の中国のほうに共通の
親近感があるからだろう。
963名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 08:18:58 ID:qnVUpizk0
中国は既に明代で一億近くいってたはず
それで清代になって4億になって三倍近く増加、だったはず
964名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 18:38:39 ID:qFSo/gBE0
>>962
俺も似たようなこと考えた時期もあったけど
前漢末〜後漢あたりの人名・風俗・文化を知ったらちょっと違うと思った
この時代の中国に親近感がまったく湧かない

三国時代、楚漢戦争、春秋・戦国時代の文献や物語が日本で広まって、
文化的親和性を感じるくらい、日本文化に根を下ろしただけだ

歴史的に日本は9世紀末に中国文化の吸収をやめた
それ以降の中国について日本人が違和感を感じるのはそれが原因であって
民族が変わったことはそこまで重要じゃない
民族の変更で言えば、五代十国よりも魏晋南北朝の方が大きいしなー
965名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/11(金) 20:37:00 ID:R8QspgVN0
>>964

>>前漢末〜後漢あたりの人名・風俗・文化を知ったらちょっと違うと思った

元々、周・秦・漢も西域方面の北方遊牧民が黄河流域に土着して支配したわけ
ですから殺伐とした遊牧民気質や宦官などの制度に日本の風土とは違いがある。
稲作を始めた揚子江流域に広がっていたミヤオ族などの南方系諸民族を周・秦
漢は支配してゆき領土拡大した。元来、少数の遊牧民が多数の畑作(黄河流域)
・稲作(揚子江流域)を支配融合したわけです。
日本人が親近感を感じるのは稲作の揚子江流域の南方系民族の風土だと思います
よ。
966名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/12(土) 11:21:59 ID:1NwwagXs0
>>965
それをいうなら、詩経よりも楚辞の方が
日本人の親和性が高いとかそういうのを立証しないといけなくね?

実際には華南と華北の別なく吸収しているところは吸収しているよ、日本は
問題は、地域的にじゃなくて時代的につまみ食いしているところだと俺は思うんだけど

それに南方文化の方がより親近感を抱くんだって言うのは
>>962の近現代中国より古代中国に惹かれると言っていたのとずれていないか?
まあ、>>965>>962と同一人物だったらの話だけどな
967名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/13(日) 22:51:24 ID:D0L7FQhy0
>>1
マジレスすると、どっちも国を統一出来なかった小者。
こいつらなんかより偉大な奴はいくらでもいるだろ。
968名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/14(月) 00:25:51 ID:IPBxwRpH0
>>967徳川家康とか、源頼朝とかですね
969名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/14(月) 00:26:52 ID:IPBxwRpH0
後は朱元璋ですね
970名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/14(月) 19:11:20 ID:g0Gitglq0
別に政権立てたから偉大とは限らないけどねえ
971名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/14(月) 21:17:17 ID:HfaXZflTO
>>968
あと、三国志最後の覇者である司馬炎ね
972名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/14(月) 21:48:23 ID:aj/n272/0
司馬炎は違うだろ
973名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/15(火) 01:09:00 ID:dAXXwb0v0
>>972そうですね,殆どの覇業は司馬慰や司馬昭の親や祖父がやりつくしていて司馬炎は只残りカスを仕留めただけ、言い方を代えるとあの状況だと誰でも司馬炎と同じ事は出来る

さらにいえば司馬炎は天下を取った後の政権は短命で>>969>>968には及ばない、故に後世で司馬一族は悪党、簒奪者以外何者でもないと評価されても仕方がない
974名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/16(水) 01:27:07 ID:vy6Qvm2t0
>>966

時代が下るにしたがって新しいものがない中国に魅力がなくなったからだろう
古代の遊牧民族系の影響が薄い時代のほうが風俗などに共通性があったんだと
思うね。
前漢の時代でも中原地域と楚(揚子江流域)では言葉が違ったと言われている
くらいだからね。土着風俗に大きな違いがあったのだろう。
975名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/16(水) 01:52:55 ID:vZIO8OPr0
この二人が比較されているのは
・古代中国と日本と時代も地域も違うが日本で人気の高い英雄であること
・君主で前線によく出るタイプであること
・弱小勢力から後の統一政権の基盤になる政権を創ったこと(統一はせず)
・既存政権の権威を利用したこと
で比較的に似ているから、なのか?

もう指摘されていると思うけど、事跡も時代も地域も全然違うから
比較してどっちが上か下か判定するのに意味を感じないんだが……

あと、統一できたから上、統一できなかったから下というのも変な尺度だと思う
976名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/17(木) 23:10:25 ID:WQQIFjtZ0
>>975でも後世から見れば結果が全てだから、どう見ても統一した方が高く評価されるのも事実

君主で前線によく出るタイプであることや・弱小勢力から後の統一政権の基盤になる政権を創ったこと、この場合だと徳川家康が高く評価される、只 事跡も時代も地域も全然違うから上下の判定できないともいえるけど

977nobunagashit:2011/02/18(金) 18:20:13 ID:VoWuW3bt0
一国の宰相比較を持って村長だろうか。精神病てるんじゃないの?
978名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/02(水) 22:42:09.41 ID:WQGRxUW20
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 
 < 第三十一代 三戦板自治新党党首 選考会のご案内 >

1.日時 
  2011年3月6日(土) 20時〜21時
2.場所
  三戦板自治新党スレ(最新のスレ)
  (その221)http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1298771138/
  (三戦板) http://yuzuru.2ch.net/warhis/
3.立候補要件(以下の全てを満たすこと)
 (1)党首未経験のコテ。
 (2)自治新党と学徒閣下に忠誠を誓うコテ。
 (3)党首就任の暁には最低でも週一は新党スレに出席できるコテ。
 (4)選考日の前日までに立候補を表明し学徒閣下の立候補者名簿に記載されること。
4.選考方法
 (1)選考期間に自治新党スレ(最新スレ)で一回レスを行う。
 (2)その際、カンマ以下(最後の2字)が大きい方が勝者となる。
 (3)同点の場合はその前の字を見て、大きい方が勝者となる。
 (4)最終的に閣下からの党首任命を受けて自治新党党首となる。
 (5)次点のコテが副党首となる。
5.党首に関する規定
 (1)党首の任期は3カ月。
 (2)党首は2期(最長6カ月)まで再任可能。
 (3)党首経験者は再度党首になることは出来ない。
 (4)欠格要件に該当する場合、自動的に副党首が党首に昇格する。
6.その他の規定
  いずれの規定も学徒出陣閣下の勅命に限り修正可能。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
979名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/03(木) 16:00:21.39 ID:WVuXHEHbO
偉大って何だよ
980名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 13:58:13.36 ID:lpQicp07O
981名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/06(日) 15:11:14.54 ID:fAvbpW420
歩出夏門行を遺したという事だけ取って見ても、曹操の歴史の上での価値は十分だ
982名無しさん@お腹いっぱい。