【酒】 張飛 【豪】

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1名無しさん@お腹いっぱい。
張飛
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E9%A3%9B

史実では剛勇の英傑、
演義ではそれに加えて粗暴だが愛すべき人物に描かれているが、
意外に分からないことも多い、
この男について語れ。

義兄弟スレ
【大耳児】 劉備 【昭烈帝】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1169187384/
関 帝
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161914157/
2名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/22(木) 13:08:45 ID:njUp4ngV0
「三国時代の英雄、曹操と張飛は実は親戚」新説
ttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2004&d=0114&f=national_0114_009.shtml

 『新浪網』14日付報道によると、四川(しせん)省の学者が『三国志演義』に登場する英雄の曹操と張飛
が、実は親戚だったという新説を発表した。天府早報(電子版)が発表後、中国のインターネットの各コミュ
ニティーで採り上げられ、活発な議論が交わされている。

 これを唱えたのは、四川省のシンクタンクである同省社会科学院の文学研究所長で、中国『三国志演義』
学会常務副会長も務める沈伯俊氏。

 沈氏によれば、『三国志』の魏書の諸夏侯曹伝の注に次のような記述があるという。「建安5年、夏侯渊の
めいが夏侯霸の妹と出かけたところ、張飛に出会った。張飛はこれを妻とし、2人の間に娘が生まれた。この
娘は後に劉禅に嫁ぎ張皇后となった」

 沈氏はこれをもって、張飛は夏侯渊の娘婿ということになり、夏侯渊は曹一族と親戚関係にあることから、
張飛と曹操は親戚関係にあるとの説を展開している。

 しかし天府早報(電子版)がこれを発表した際には、「驚きの新発見」と打ち出したが、冷めた反応も。「劉
禅が魏に降伏した際、面会した夏侯霸に向かって『自分の皇后は張飛の娘であり、張飛の妻は夏候家の娘
なので、自分たちは親戚同士である』と命乞いをしたことは、『三国志演義』を読んだ者には馴染み深いこと」
との指摘もある。

 インタビューを受けた沈氏は、「歴史上の人物の親戚関係などは、文学研究全体からみれば小さなこと。
これを発表したのは、読者にもっと広い視野を持って様々な角度から『三国志演義』を見て欲しいとの意図が
あったため」だと説明した。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/22(木) 18:01:22 ID:O2zcgcbS0
酒を飲まなくても部下に暴力をふるった
とくゆうを殴ったのは張飛ではなく劉備

ぐらいは皆知ってることか
4名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 10:09:59 ID:yzImlxKY0
苦肉の計と空城の計は張飛が最初に使ってる
黄蓋も孔明も二番煎じ
5名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 23:38:52 ID:kdv96L3C0
虎髭はお約束だよね。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 00:40:27 ID:PXRUtAr50
張飛も三国演義の被害者の一人だな。
主人公劉備を聖人君子にするために、
馬鹿キャラにされている面がある。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 02:18:56 ID:KHzoIZeZ0
関羽は実像以上に高められ張飛は実像以下に貶められてるというのが俺のイメージ
関羽も張飛も実際どっこいどっこいの能力だっただろ
8名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 11:48:19 ID:DDYOq0kD0
劉備の墓
盗掘にあったことが一度も無い

関羽の墓
世界中に関帝廟が作られる

張飛の墓
ダムの底に水没
9名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 18:59:01 ID:rhfRP2YY0
名士層に媚売るのが大好きだった
夏侯家の少女を拉致って犯して孕ませた
10奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/03/24(土) 21:23:47 ID:LA4NqZB70
夏侯覇を縁戚として迎え入れられるという副産物付き。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 23:36:30 ID:vpw6ixpb0
夏侯氏との結婚って、実際はどうだったんだろうな?
やっぱり山賊まがいにさらってきたのかな。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 00:23:36 ID:H//pJM0KO
>>7
確か張飛の方が最終的な官位が上だから、関羽より優秀だった可能性がある。
また、演義では中国の民衆から好かれる典型的な役所で、かなりオイシい。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 09:32:34 ID:aBhJqJr8O
官位が上になったのは関羽の死後
14名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 13:19:42 ID:QIUn+900O
関羽と違って戦が上手い
15名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 23:28:16 ID:o7V2g+2e0
>>11
ちょうど劉備や関羽と離れ離れになって、
山賊まがいのことやっていた頃なんだよねw
16名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 23:12:35 ID:HsrId1qa0
張飛は実はイケメンだったという説をどこかで読んだ記憶が
娘たちが美人揃いだったのだと
演義に出て来る呂布のイメージこそ張飛の実像に近いのでは、という意見も載っていた
17名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 13:53:14 ID:/Q3AEqMq0
どっかの名士に面会を断られた話があったけど、
もし益徳がイケメンだったら会ってくれたんじゃないか?
18名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 01:32:32 ID:LvDLWeDk0
>>17
>どっかの名士に面会を断られた話
 多分、劉巴のことかな?。
 張飛が劉巴の家に泊まったとき、一言も口をきかなかったらしい、

 諸葛亮が、「いくら何でもそれはどうでしょうか?」と言ったら、
 劉巴が「軍人なんぞ話し合う気はないね」
 
 とか言ったらしい。
 当然、張飛と劉備はカンカンでした。

 
19名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 10:02:11 ID:m6ZS4eDy0
【写真】三国志の英雄、張飛廟保護へ護岸堤防建設
ttp://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2007&d=0411&f=national_0411_003.shtml
 重慶市雲陽県にある国宝「張飛廟」の護岸堤防が7日、完成した。

 張飛廟は以前から河川の侵食を受けていたが、護岸堤防と船着場を建設することで、建築物の保護効果
と同時に観光客による観光に利便性を与えることになった。

 この工事に重慶市では1200万元の予算を投下、長さ1.2キロメートル、幅25−45メートルの護岸堤防
を完成させた。
20名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 23:50:29 ID:ln4/YqHZO
ある百科事典で三国志を調べたら張飛が
中国では登場人物で一番人気だそうです。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 23:30:46 ID:0nlyQ7GH0
中国だと、水滸伝の李逵も大人気だそうだから、
演義での張飛も合わせて、
ああいうタイプの豪傑が好まれるのだろうかね。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 23:52:06 ID:cn4Eo3Lj0
>>19
張飛廟なんてのもあるんだな。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 11:45:14 ID:PUJBkvJ00
>>21
演義での張飛が、史実よりかなりがさつで乱暴者に描かれているのが、
聖人君子としての劉備像を強調すると同時に、
物語的にもそういうキャラが欲しかったという事情があったのかな?
24名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 22:42:43 ID:B/sbqid20
ま、引き立て役だね。
25名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 08:19:01 ID:aRGPZl+4O
明代か宋代だったか忘れたけど張飛の書というのが珍重された事があったらしい。
歴史上の人物だからというのでなく名筆だったからだとか。
これだと張飛、文武両道の人物になっちまうな。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 12:57:28 ID:DeXooos50
史実だと、どちらかと言えば、その文武両道の方に近かったんじゃないかな。
27名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/16(水) 22:48:59 ID:B0/ZBaIu0
矛を使って岩に詩を彫ったって話があるから、
読み書き以上の教養はあったんだろう。
劉表の世話になってた時に関羽は歴史、
張飛は詩の勉強をしたんじゃない?
28名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 21:27:47 ID:mLHOfhjQ0
町費は名族にあこがれてたから実は結構教養の勉強してた可能性があるよな
最終的には車騎将軍になってるしそれなりの礼儀作法はありそうだ
29名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 21:35:03 ID:sQfGr5rN0
案外、三兄弟の中で一番“文”に近い男だったかもね。
30名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 23:45:54 ID:67T0udbi0
張飛、体格はどうだったんだろう。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 10:25:01 ID:1AZpvvTM0
張飛が治めてた土地も栄えたらしいしな。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 11:14:17 ID:lXDPciQV0
張飛の書は八濛山の銘ってやつだな
33名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 23:20:18 ID:kgzwd/Kf0
>>30
んにゃ、せんだみつお位だよ。

>>31
うん。
どこまで本当かは知らないけどね。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 22:02:49 ID:hj4Syijb0
>>31
ただ、しばしば死刑を適用したというのは事実らしい。
まあそれぐらいの厳しい姿勢でないとら乱世は戦えないだろうけどね。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 01:54:01 ID:cWOO/YrZ0
36名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 19:52:27 ID:JJxV70KE0
>34 諸葛亮や法正のやり方に倣ったんだろ
37名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 20:35:27 ID:SNol6qw+0
娘が皇后になっているし、蜀での立場はかなり有力と言うか、
名門みたいな扱いだったのかな、子孫たちは?
38名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 21:21:13 ID:hF1Q+ZSNO
蜀滅亡時、族滅されたという関羽一族と違い張飛一門の運命は全く判らない。
族滅されてなければ現代でも居るかもしらんね。
族滅された筈の関羽の末裔が
洛陽や解州に住んでいた位だから。
39名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 06:00:32 ID:Q5K633G60
関羽はホウ会が皆殺しにしたんじゃなかったっけ
唐の時代に自称子孫がでてくるけど
張飛は張昭が劉禅に洛陽まで随行してるいぐらいだから家は残ったかも
でも蜀漢の成り上がりにすぎない張氏は晋から冷遇されて没落したのかも
40名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 13:41:03 ID:135Wv/f4O
だね。よほどその時の当主が有能か、一門からそれなりの人物が出てたなら
まだ個人の才覚という事で用いられたかもしらんけど。
多分その頃の張氏には偶々そこまでの人材は払底してたのかも。
恐らくは劉禅とその一族のお付き程度に止まったかと。
後はいよいよ判らない。
自称関羽の末裔は清代に官職を賜るけど、張飛は演義での個人の人気はともかく
神としてはそこまで祭り上げてもらってないから、子孫の顕彰はしてもらってないんで清代での動静すら判らんのよな。
どっか居ないかなぁ、張飛の子孫。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 15:01:05 ID:PPFiSrE60
今なら呼びかけたら、どこかの張さんが名乗り出るかも。

金になると思ってw
42名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 11:39:32 ID:xaZzfOBF0
中国人のことだから普通にもう名乗ってると思うぞ
中国で子孫を探すのが一番難しいのはきっと秦檜だろう
仮に子孫であっても伝えてきてないだろうし
43名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 21:07:12 ID:2yk8g9/3O
確かに秦檜は出るに出られないwもしかしたら、実は末裔だけど
その事実を過去に完全に封印して本人達自体が忘れ去ってるかもしらんね。
半島の日韓併合に関わった政治家達が戦後墓を潰された挙句
その末裔達も全く世間に隠れて出てこなくなったというし。

それはともかく、よく考えたら劉備と曹操の末裔も聞かないぞ。
曹操は近代まで人気ズダボロだから仕方ないけど、劉備はやはり位負けすると考えられたからだろうか?
44名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 23:19:14 ID:5PmCOScW0
劉備の末裔ということは劉禅の末裔という可能性もある訳で、
そう考えると表に出にくいのかも。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 03:26:50 ID:3I1JmcWb0
本当かどうかは別にして劉備の末裔の村も曹操の末裔の村も孫権の末裔の村も諸葛八卦村もあるぞ


抜粋

劉備の子孫は、永嘉年間の八王の乱により劉禅の子孫は根絶やしにされたが、劉永の孫である劉玄のみ生き残った。
彼はチベット系?族の一派である巴?の酋長の李雄が蜀で建国した成蜀に頼ったという。
現在、劉備の子孫が中国の漁山郷という村にいるとされている。
他にも曹操、孫権、諸葛亮の子孫が残った村が現在の中国各地に現存し、観光地となっている。

ちなみに孫権の子孫は今現在、中国杭州の富陽市南部の龍門古鎮という村に住んでいるとされ、この村では9割の人間の姓が「孫」である。

子孫は今現在、中国杭州の東図上村に住んでいるとされ、住民1,600人のうち1,500人の名字が「曹」である


ウィキペディアだからどこまで本当かわからないけどこれらの子孫の村は昔世界丸見えかなんかで見たことがある
46名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 14:46:40 ID:6SeD+rUIO
諸葛亮の末裔村は結構紹介されてるし、道蔵輯要にある諸葛亮集の八陣図の文は
末裔が誌した、とあるんで諸葛亮のは居てるだろと思ってたが
ちゃんと劉備の村も曹操の村もあったのか。
流石中国はしぶといわ、子孫絶やさない為に貴賤を問わず
必死で子作りに全力を傾注してきたからなあ。   
さて張飛の村はどこだろう…
47名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 18:59:46 ID:RzaakgU70
張飛の生涯戦績が知りたい。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 21:02:06 ID:a4Sdkz9C0
100酒100杯
49名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 23:40:57 ID:6j9Zt43F0
>>44
ワロタ
50名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 03:48:25 ID:qzOc9/p10
必殺技はバーサーカーバレッジ
51名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 15:28:26 ID:71g19m4c0
>>45
劉とか、曹とか、孫なんて姓は中国にたくさんあるからな。

張にいたっては三大姓の一つだし。
52名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 14:03:23 ID:0RGD5CKM0
曹操の子孫達って自分の祖先が曹操だと知られないようにひっそりと生きてきたと聞いたけど・・・
時代が変わったんだな〜中国でも。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 09:56:16 ID:xRy6bexu0
もし関羽以外の者が荊州を守っていたら?
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1189212296/
54名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/09(日) 10:09:38 ID:lZQDzErc0
■最強は■五虎将軍■誰だ■
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1188962254/
55名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 11:22:42 ID:BqsIpz590
重慶・張飛廟で「1841歳」のハッピー・バースデー

三国志演義に登場する豪傑・張飛を祭る張飛廟は8日、約5000人の参詣者でにぎわった。
この日は旧暦の8月28日に当たり、張飛生誕の日とされている。重慶市雲陽県にある同廟は、
10月1日から7日まで続いた大型連休以上の人出だったという。
 参詣者は地元の人が多く、張飛の「1841歳」誕生日を祝い、来年の順調な天候と家内安全
や幸せを祈った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071009-00000008-scn-cn
56名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 10:40:29 ID:vw63h2kv0
中国の人気人物って中国ではどんな感じで扱われてるんだろう
日本で言う菅原道真みたいな感じ?
57名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 12:03:39 ID:EWGGMrek0
菅原道真って人気者っていうのか?
もう天神様は天神様で菅原道真という人物からは乖離した認識されてねえか。
まともな日本人なら誰でも知ってるような義経、信長、龍馬なんかを人気者って言うんだろ。
しかし日本の古典小説には演義みたいに今なお親しまれてるようなのってないから、
張飛に相当するような人物って思い当たらんね。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 13:51:43 ID:vEJgx6cH0
豊臣秀吉の豊国神社が、神号剥奪を受けずに江戸時代も続いていたら、
かなり人気者の神様になったかも。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 13:52:15 ID:vEJgx6cH0
↑太閤記があるしね。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 15:21:44 ID:4zH8Yf3wO
ナムコの三国志にて張飛をあの手この手を尽くしはれて部下にした時はすげえ嬉しかったな〜
仲間にした後はひたすら勉学にはげませて攻めてよし籠もってよしの最強武将にしたよ。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 22:34:44 ID:e35x9mKPO
本場中国では一番人気あるらしいな
62名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 00:54:52 ID:Y+8NDdmq0
>>43
曹植の一族が移り住んだ曹家村ってのが長江だかの近くにあってな。
63名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 22:35:16 ID:D3I0ToGaO
で?どうなの?三国志で一番強いの?関羽は自分より強いって言ってるけど...
64名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 22:45:22 ID:7VsfgxEt0
張飛が禁酒したら歴史そのものが大きく変わってただろうな。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 20:13:10 ID:MhXNySxSO
そうなん?
66名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 22:18:36 ID:8N8CoiZX0
正史の張飛は酒乱じゃないぞ。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 00:26:56 ID:nOx637BcO
やっぱ横山光輝の張飛が一番かっこいいな。ゲームのだと呂布があまりに強すぎてかっこよくて納得できなくて嫉妬する。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 07:07:50 ID:hElPX4Q/0
ゲームの呂布はあれで弱い方だろ。
演義では張飛を子ども扱いできるレベルだし、
正史では人中の呂布と言うものの人外の強さ。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 01:28:20 ID:Z3+bNNO50
呂布、ゲームでは隠しパラで120ぐらいあるそうな
それなのに項羽は100どまりなので呂布に負ける
150くらいあってもおかしくないだろうな
ちなみに張飛はたいてい演義基準なんで統率と知力が低い。
正史だと蜀じゃトップクラスの名将と思うんだがなあ
70名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 01:45:22 ID:t6vIyirz0
演義でも普通に読んだなら
戦に関してはかなりの名将だと判るはず
馬鹿な猪武将なんて、イメージ先行だね
71名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 01:51:44 ID:IP4d17d30
正史については同意する
72名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 12:23:17 ID:kZTcphIr0
>>71
成長するのは呂蒙に限ったことではない。初期の張飛は確かに統率力は無かったが、
厳顔や張コウと戦った時の張飛は、文句なく名将。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 03:44:04 ID:7FcdAXdkO
>>67
あの張飛はたしかにかっこいい
あと古いパチモン三国志だけど「天地を喰らう」の張飛が一番好き
最初に触れた張飛だからでもあるけどね

でも無双の張飛は泣けてくる…
74名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/21(水) 21:13:28 ID:AbmFP3kb0
張飛ってたいていひげもじゃで熊みたいなずんぐりむっくりのオヤジだよね
横光版はイケメンだ
75名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 18:32:27 ID:6Xa1/ssZ0
ランペイジの張飛は若過ぎる。
もっと年食ってくれないと、万の軍を率いる猛将って感じがしない
76名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 20:16:53 ID:NR4gq6Wv0
>>68
でもないよ。不利な状況で張飛を避けて逃げたこともある

史伝では、張飛は戦場での失敗の記録がない人なんだよね
(下ヒで曹豹が張飛と対陣してその間に呂布が襲来して敗れた説を
取るなら一敗してるけど)
下ヒ失陥と死因の両方とも性格絡みってのが張飛らしい。
独立して駐屯させる大将としては関羽・魏延に劣ったのだろうけど、
劉備にとっては武官No2に相応しく頼もしい将だったと思える。
そんな俺もビジュアルイメージはやはり横光版
77名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 20:50:24 ID:GDqb811F0
横光の張飛見ると民の間で人気あるのがわかるな〜
蒼天のはただのおっさんだし
78名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 20:56:18 ID:yR5jO/wB0
張飛は嫁の夏侯氏にどんなサディスティックな虐待をしていたんだろうか。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 21:22:03 ID:XQFBgTn10
まず毛筆ペッティング
80名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 01:46:54 ID:adp03ryOO
蒼天なんてかなり美化されてるだろうに。
あれで戦では負け無しだし、民にも部下にも優しいし

一番好きなキャラクターだけどな。
どう見ても部下に寝首をかかれるようには見えない
81名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 02:18:43 ID:+A8QGAlk0
陳舜臣の張飛は殺しても角が立たないような身寄りのないのを選んで虐めてる。
浅知恵というべきだろう。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 14:52:21 ID:lS5srTVg0
>>78
意外にかかあ天下かも知れんぞ。

中国ってやたらと恐妻家が多いから。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 20:04:38 ID:ao9DATVS0
司馬懿の妻も年下だったが恐妻だったようだな
84名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 20:08:35 ID:CquJviyX0
妻ってのは奥に引っ込めて隔離する文化ほど家の中では手に負えなくなるイメージがあるなあ
中国とか日本の大奥とか。まあ殺そうと思えば殺せてしまうわけだけど。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/30(金) 22:04:37 ID:+A8QGAlk0
息子がいやになって母を殺すとかそんな話は聞かないけどな。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 10:00:57 ID:OLqrEA5H0
>>84
そういう傾向はあるね。

イスラム圏でも、家庭内では女性の発言権がかなり大きい場合が多いようだし。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/15(金) 21:29:40 ID:hQ4RXjV80
外と内との二つの世界があるという考え方かね。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 12:27:53 ID:LX6Jnn1EO
実質的に旦那を支配しているからこそ、表に出なくても耐えられるんだろう
89名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 22:50:20 ID:Az92wabCO
>>88
歴史に名を残す恐妻とやらは、かなり香ばしい性格で、
旦那を支配してるからなんて理由で陰に隠れ、表舞台から引っ込んでるような、
しおらしい乙女っ娘純情派じゃないと思うが。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 07:00:51 ID:YybT1PuO0
皇帝の姉や妹、嫁や娘でも、名前すら記述されない時代だしな。
あの時代の女性で名前が伝わってること自体、特筆すべきこと。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 08:46:06 ID:m0lkSiNr0
お墓参りに行ってみたいが重慶じゃなー
92名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 11:26:06 ID:BvTj3Gm2O
>>16
かなりの遅レスだけど、張飛がイケメンなのはガチだと思う

実際、張飛の娘2人が劉禅に嫁いだ訳だし、娘は男親に似ると考えれば、合致すると、俺は思っている
93名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/25(月) 02:49:17 ID:/KM4ReVn0
政略結婚に容姿の美醜なんて関係ないよ。
君主の息子と重臣の娘の結婚なんて、本人の意思とか全く関係ないし、
美しいから妻にするということもない。
娘が容姿に秀でていた事実もないし、張飛自身にも容姿の記述はないから、
張飛美男子説は、確たる証拠も裏付けもなんにもないと色々な所で言われている。

まあ逆に言えば、演技ばりのむさ苦しい男だった証拠もないわけだから、
色々と妄想したり夢を持つのは悪いことではないし、面白いとは思う。
けど、その記事とかをさも事実かのように信じるのは、早計と言わざるを得ない。
94名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 14:14:19 ID:4xKOgIvt0
三戦板から持ってきた
踊る張飛
http://www6.uploader.jp/user/tukau/images/tukau_uljp00273.gif
95名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 10:02:11 ID:J5TvOzGm0
南北朝時代、5世紀初頭の名戦術家・檀道済が、
「張飛の再来」と喩えられた。
すくなくとも当時は、張飛といえば戦術を得意とする知将と認識されていたと思えるのだが、
いかが?
96名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 11:59:32 ID:eudZzkBj0
>>95
檀道済が「張飛の再来」と言われたことは無いよ。
部下の二人が関羽・張飛に喩えられていたと書かれてはいるけど。
その二人は薛彤(せつとう)と高進之(こうしんし)。
以下宋書の記述ね。

<原文>
「薛彤、進之並道済腹心,有勇力,時以比張飛、関羽。(宋書・檀道済伝)」
<超訳>
――薛彤と(高)進之はいずれも(檀)道済の腹心で、衆にすぐれた力が有り、
  当時の人々はその豪勇を張飛・関羽に比定していた。

ときたまネット上で見かける、檀道済を張飛・関羽に喩えたという意見は、
多分田中芳樹氏の誤解から始まったのかな。
それはともかく、少なくとも知将の認識はなかったと思う。
華陽國志の「先主伝」とかにも無かったかと…。
余計な口出しでごめんなさい。
97名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 12:13:36 ID:J5TvOzGm0
>>96
ふむ、そうだったのか。
指揮官の作戦をよくこなす部下が二人組ユニットで活躍すると、関張を彷彿させるのか。
98名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 13:09:03 ID:M07+SJZMO
>>97
あのなぁ…ゆとりの読解力は凄いな。
>>96にちゃんと有勇力と書いてあるだろ?
武勇に優れていたから、関張に例えられていただけ。
別に1人でも関張に例えられることはある。
この例がたまたま2人だっただけだよ。

あと、指揮官の作戦をよくこなすなんて、どっからきたんだ!?
99名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 13:11:12 ID:UUI9fLM3O
ゆとりは半年ROMれ
100名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 15:04:47 ID:J5TvOzGm0
武勇があるだろうことは当然の前提なのに、
わざわざ武勇に着目したと書き込む必要があった?
101名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 18:47:47 ID:Cw1tXsUR0
書いてないことをどんどん後付するような奴とはまともな対話は無理だよ
102名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 14:21:27 ID:MWymc5kG0
>>92
未だにそんな荒唐無稽なこと信じてるバカがいるんだな・・・
親父が美男子=子供も美男美女なんて頭がお花畑だ。
103名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 15:53:03 ID:BIMezGNI0
どの作品見ても美男子ではないな・・・
ttp://ecodoku.boo.jp/archives/001289.html
104名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 09:37:03 ID:5l0wfFOu0
髭もじゃずんぐりむっくり最高じゃないの
105名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 00:27:52 ID:p86Z9X0uO
>103 ランペイジはまあまあ美形だと思う
106名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 02:22:44 ID:fCR9XxkbO
「三国志で一番好きなのは張飛です」
というセリフがここまでカッコ悪くなっちまうとはな。本場(笑)中国で一番人気ってのがまたDQN臭くてw
日本人は基本的に
「何をほめれば良識者ぶれるか、何をけなせば利口ぶれるか」
で自分の意見を決める自分の無い子なので、張飛は抜群に不人気なわけだが、
実際の張飛は「普通に名将」ぐらいだろ。
戦略はともかく戦術的には孔明より優れ、武勇では関羽より優れてたとしても不思議はない
実は武勇豪傑ではなく戦術家で、部下への罰が厳しかった所を見ると、頭は切れるが堅苦しいキャラだったのかもな
107名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 02:25:47 ID:fCR9XxkbO
以外に斬新な戦術、部下への苛烈な罰・・・
ぢつは信長タイプだったりして
108名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 12:35:17 ID:Poc43Njd0
個人的武勇(正史)
A 曹仁 張遼 許チョ 典韋 呂布 
B ホウ徳 甘寧 董襲 趙雲 黄忠 閻行 
C 曹彰 孫堅 孫策 周泰 凌統 丁奉 馬超 董卓 公孫サン その他
D 曹操 程普 黄蓋 韓当 陳武 その他
E 劉備 関羽 張飛 李カク 張済 その他
F 顔良 文醜 馬延 張ガイ その他 
109名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 18:41:40 ID:gIp0unF/0
正史厨いらね
110名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 08:12:27 ID:79i29DzCO
>>57

金太郎とか最近サラリーマンやってるみたいだし
111名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 17:02:28 ID:AL3PYghL0
age
112名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 12:34:36 ID:WXaTOMpA0
意識不明
113名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 12:44:33 ID:3VFg2vw50
個人的武勇(現実)
A 呂布 関羽 張飛

その他
114名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 14:04:26 ID:Ew3ErsVd0
個人的武勇(現実)
S 許チョ 典偉
<越えられない膂力の壁>
A 呂布 関羽 張飛

その他
115名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 18:41:16 ID:3VFg2vw50
>>114
正史厨はすぐこれだw
116名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 12:45:37 ID:XLiZOJc8O
【ボクシング】張飛が試合後に急性硬膜下血腫で手術、意識なし
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1209870361/
117名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 14:24:28 ID:YsRy99ZaO
【ボクシング】張飛が死亡
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1211171716/


118名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/29(火) 02:59:19 ID:FXIjuMx90
ゲームの張飛の扱いに納得いかねーわ
キャラ付けなんだろうがただの武力馬鹿みたいでむかつくわ
119名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 14:19:17 ID:tMzshCxmO
安芸
120名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 01:35:56 ID:Ngtz7j5L0
張飛って名将?張コウも総指揮は劉備で張飛はただ戦線が硬直したから
別働隊として攻撃しただけっぽいし。
勿論勇敢で忠誠心もあり、まさしく国家の爪牙というべきだとは思うが
知略があるとか名将って評価は違和感がある。
おれは劉備に使える勇敢な男ってイメージだけどみんなはどんなイメージ?
121名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 07:19:29 ID:rHEWbAjBO
>>120張飛は単細胞です
122名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 16:30:16 ID:78LzL3Zd0
中原の混乱期を生き抜いて来たから、ただの強い人じゃないだろうな。
天下国家の規模とは違うが、戦場という枠内の戦略面なら優秀だったかと。
野戦のプロであり、色んな局面に対応出来るので重宝したと思うよ。
蜀の屋台骨の一人でもあるから、存在感も大きかったはず。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 00:00:37 ID:a/tHJQ180
つまり戦術にはすぐれていたってこと?存在感はあるだろうが戦術についてはなぁ
てか張飛って戦術とか戦略に対してなにか有効な進言したことあるっけ?
124名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 16:42:54 ID:+rqkbY6yO
皆無です
125名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 17:02:23 ID:QZ6/I6cp0
戦術すぐれてるだろ。

蜀取り援軍の諸葛亮・趙雲・張飛三軍の内にもっともきっつい道中を担当して
恐らく期日まできっちり到着してる。

趙雲は道は険しそうだが、南方だから軍地方豪族の私兵程度を「通過」するだけだろう。
孔明は中央をラクラクスイスイ。
だからこの二人は蜀乗っ取り戦の戦闘記述がまったくない。

ところが張飛は漢中に隣接してる巴を通ってる分、もっとも地方軍が備わってると思われる。
だから厳顔(地方軍)と張裔(中央軍)との戦闘が記録されている。


いい加減演義が作った張飛像を捨てるべき。
張飛が美男子で冷静な指揮官とはいわんが、すくなくとも部将、支軍指令としての戦闘能力は秀でている。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 19:21:59 ID:IwsFl6nE0
曹洪には敗れてるのか?
127名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 20:29:38 ID:QZ6/I6cp0
多分下弁は馬超を使った異民族煽り兼、補給路遮断の陽動でしょ。
曹操は陳倉ルートで補給してたし、下弁は馬超ゆかりの地だし。
作戦目的が記述されてないから断言できないけどさ・・・

下弁は強制移民で天水や長安に移動させられてほとんど無人だったようで、十分な兵糧がなかったはず。
居座るつもりなら張飛馬超隊に多大な輜重部隊をつけざるをえず、とてもじゃないけど本隊に余力はなかったと思う。
だから張飛は記述にあるとおり、城を出て山に布陣するという不可解な戦術を取らざるを得なかった。
城を囲まれるとどうしようもないから。

劉備の意図は

馬超の煽動が成功すればおk、補給を脅かしてもおk、出来なくても曹操の兵を裂かせればおk。

こんな皮算用だったのが、曹洪の軍が予想以上に多くて時間稼ぎも出来なかったと解釈している。
128名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 20:44:26 ID:QZ6/I6cp0
あ、訂正


やっぱり時間稼ぎには成功してるみたい
ちょっと時系列を整理してみる
129名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 21:21:19 ID:QZ6/I6cp0
217年12月? 張飛・馬超隊武都侵入
217年12月 劉備本隊漢中侵入、夏侯淵隊と睨み合い
不明     曹洪・曹休・曹真隊武都に反攻
218年3月 張馬隊武都撤退 陰平郡に逃げた呉蘭が異民族に斬られる
*****張馬撤退後は曹洪隊が武都に居座る(曹真は長安へ?)*****
218年9月 曹操本隊長安に到着 
218年10月 侯音の乱が発生
219年正月 侯音の乱を鎮圧
219年正月 定軍山の戦い、夏侯淵戦死
219年正月 曹真隊漢中到着
219年3月 曹操本隊漢中到着、劉備本隊と睨み合い
219年5月 曹操軍漢中より総撤退


張既伝しらべて強制移住の時期を特定中


時系列を正すと侯音の乱がクサすぎる件についてw
まるで長安に曹操を釘付けにするためだけに反乱を起こしたようだ。
130名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 21:39:25 ID:QZ6/I6cp0
うむ。

漢中の強制移住は既に行われていたが、武都の強制移住は張馬vs曹洪戦ではまだだった。
武都の移住は曹操が漢中に到着後のこと。


>>127は間違い

「下弁は強制移民で天水や長安に移動させられてほとんど無人だったようで、十分な兵糧がなかったはず」
この部分は消去。

ただし、補給が不安だったのは地理的にみて間違いないだろうと思う。
劉備勢力圏の最北端である白水関から山地で相当な距離がある。

煽動目的なら現地で徴発するのはかなり矛盾するし、
なにより中原ではない土地で現地補給をメインにアテにするほど馬鹿じゃないはず。
よって補給に関してはそんなに変わらないかな。
武都より南の陰平郡にも曹操シンパ勢力がいるという事実で危険な突出した進軍だったことがわかる。


時間稼ぎに成功したというのはどうみても侯音だけど、
結果的に曹洪隊をずっと武都に駐留させ続けたのは、やはり別働隊の存在を気にしなくてよくなったという時間稼ぎになる。


131名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 00:14:13 ID:HblpbTJA0
ていうか劉備をいやがるのは東州兵や寒門出やそのた一部でしょ
張飛が無能とはいわんがそこまですぐれているとはいいきれないでしょ
第一劉循たちの部隊は劉備にくぎずけだしそこまでの抵抗はうけてないでしょ
無論抵抗がないとはいわないし戦闘も行われた。
それと張飛らが攻勢にでて曹洪・曹休は防衛側でしょ孤立化させることに失敗してるから
作戦としては失敗なようだけど。(まあ張飛が無能だから失敗したってわけでもないけど)
第一曹洪らは孤立化を防ぐだめに駐屯しつずけたわけでしょ。
作戦立案が張飛では無い以上張飛に特別功績は無い(武都付近の攻防に限定すればの話ね)
132名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 20:54:34 ID:okI3Pp1O0
ず と づ を使い分けられないのはどうかと思う
133名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 03:31:24 ID:5LEBs53T0
ぢゅうようなのはそこではない
134名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/15(木) 01:07:29 ID:+uj5lArEO
揚げ
135名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 00:08:41 ID:tf6ZnKq6O
上げ
136名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/05(土) 16:03:41 ID:hZN1Vf3eO
つずけるはさすがにないwww
137名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/08(火) 10:59:49 ID:CXCRci3wO
ただの酒には興味ありません
138名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/21(月) 23:53:55 ID:r6HaRWVj0
蒼天の張飛がやっぱり好きだ。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/22(火) 00:16:23 ID:3tu7nn/m0
覇-LORD-の張飛は未だに童貞なのだろうか
140名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:08:16 ID:2N9u+7Tg0
中国で仕事してたとき張飛さんに会ったことがあるよ。
女性だったけどw
141名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:16:45 ID:5uRJTu8Q0
チャン・フェイさんかw
142名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/24(木) 16:59:59 ID:l/ZhG0pv0
張飛に娘さらわれて、夏侯一族よく黙ってたな。
取り返しにいかないもんなの、当時って。
それとも誰かがとりなして正式な婚姻に切り替わったんだろうか。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/27(日) 12:58:19 ID:n0Uo3sa90
張飛は、やくざの兄貴って感じ。
実際、劉備3兄弟は仁侠だったみたいし。

最近、如何にもやくざのあんちゃんみたいな人と知り合ったんだけど、
やっぱり、人柄はいいね。けど、いざとなったら、すごいんでしょうけど。

彼らは、自分とは全く世界が違うので、自分に無いものをもっているようで
何か、惹かれるものがある。

でも、こんな人らに天下とらせていいのかな・・・。
劉邦も仁侠だし、漢帝国は、やくざの造った国家。
庶民は、大変だったんじゃないかな。中国史上初の農民反乱も起こるし。

役所がやくざやさんに仕切られてたら、やじゃね?

張飛から、話それて、すいません。
144名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/27(日) 13:13:16 ID:rqway1IX0
蒼天航路か
145名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/27(日) 18:41:59 ID:VpcUs8yz0
侠というのは、当時の農村共同体を維持していた一般的な倫理観のひとつ。
富者が貧者を守ったり、恩には恩で返す相互扶助の心得。
豪族と儒家名士の融合が進んだ後漢代では侠を重んじる儒士も目立ってくる。
初期の劉備軍団を含む当時の豪傑・豪強と呼ばれた中小の軍閥集団は主にそうやって団結していた。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/27(日) 20:47:35 ID:wA0yOAkQ0
張飛の子孫なら張飛店という村にいる
147名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/28(月) 02:03:06 ID:v9P3Hgva0
ギザギザの武器が好き
148名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/29(火) 04:10:31 ID:iIrxRS290
149名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 09:09:29 ID:iaHzEmrc0
今やってる三国志のアニメって演義ベースだけど史実ネタもちょこちょこあるのな。
書が上手いとか、山賊やってた時に夏侯の娘と結婚するとか。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/26(土) 05:35:16.78 ID:S8WrKmbWO
君子(身分の高い人)
小人(身分の低い人)

って解説は正しいのか?
素直に読めば、「徳に敬意を払うことは知っていたが、
弱いものの気持ちが分からず、愚かな人間を露骨に軽蔑するところがあった」
みたいな意味になりそうなものだが。
151名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 15:55:54.49 ID:c5cQQEVwO
張飛が君子=士大夫層以上という認識なら、張飛の実際の態度はほぼその通りなんだが
儒者のいう君子=有徳の士だと何かなぁ。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/04(月) 21:47:27.48 ID:GSR2NpAL0
当時の士大夫層は儒教に基づいた人材登用制度をパスした連中だから
士大夫=有徳の士という強弁は可能

もちろん制度の実情は形骸化しまくりだけどw
153名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/18(月) 21:20:38.25 ID:JSY3ZIa2O
最初は大好きだったが、正史読んでから大嫌いになった武将だな

上司に媚びへつらって部下の命を虫けらのように扱う男のどこに魅力があるんだ?

一般に知られる、酒豪馬鹿だが愛嬌があって義に篤い性格は全部後世の捏造だったんだな。

小説に躍らされてた自分が悔しいわ。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 10:29:40.51 ID:Ds+VsvBb0
でも軍事的には正史のが上だろ
好く計を以って戦っているし、演技の蛮将のイメージは無い
155名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 10:32:25.54 ID:Ds+VsvBb0
演義だった

まぁ、差別主義者的な部分は多分に感じるけどな
156名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 14:31:14.05 ID:PcU0wapm0
>>151
>>153
>>155
具体的には?
157名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 19:02:13.37 ID:KZCntXri0
泣 子 張
き 供 飛
じ の は
ゃ よ
く  う
っ に
158名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/19(火) 23:17:54.65 ID:oIbFLoC1O
>>157
それも演義のつくり話。
正史では一回も泣いてないぞ。
159名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 01:21:51.56 ID:F/V63FxW0
張飛が身分の高い人にへつらい部下を苛めていたという具体的な逸話はあるの?
部下に殺されたという事実からの連想だけじゃないの?

厳顔に対しては、相手の身分が急に上がったわけでもないのに態度を豹変させてるし、
正史じゃないけど劉巴に出自のことで差別されたときは激怒したと明記されている。
どうも「君子を敬う」という言葉は文字通りに受け取った方がしっくり来る気がする。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 11:14:48.18 ID:kpe1tOAa0
具体例がないとはいうが、
実際そんな風なら劉備がわざわざその件について諭す理由が無い
やはり問題は有ったと考えるべき
161名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 12:56:11.96 ID:IxLbbpoyO
人間性だけでいえば薫卓より遥かに劣る。
劉備にへいこら、ご機嫌をとっていただけの悪臣。
162名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 20:21:30.06 ID:F/V63FxW0
裴松之には「乱暴で恩情が無かった」
楊戯には(関羽とセットで)「礼儀を知らなかった」
なんて言われてるし、問題があったのは確かだけど、
権力に靡いて権力を傘に着る様な男なのか
人の愚かさに対して厳しすぎただけなのか
このどちらを取るかでイメージは天と地ほど違う。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 21:20:20.84 ID:MgeU8id30
まぁ問題は、劉備に媚びへつらって天下を狙ってただけの道義無きクズ野郎が
どうして愛すべき忠義の士というキャラクターに改変されていったのかだよな。
曹操を逆恨みするあまり、このような無理な美化をせざるを得なかったのか?
164名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/20(水) 22:31:31.84 ID:l1nvyZdC0
>>162
君の言う>>159とか達筆とかのエピソードから察するに
実際は(過度の)インテリ趣味な人間のような気はするねぇ
165名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/21(木) 12:38:45.43 ID:4w+Q+/UQ0
陳舜臣先生もコイツのこと大嫌いみたいだね。
小説では、劉備への忠義心のかけらもないうえ、
陰湿ないじめと殺人を生きがいとする人格破綻者に描かれている。
実はたいした活躍してなかったのも見抜いているし。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/21(木) 15:41:02.32 ID:mT1O+M5ZO
>>165
あの小説は劉備軍団自体がたいした活躍してないからね。
諸葛亮も軍功はイマイチというスタンス(まぁこれは史書通りか)
167名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 12:35:34.76 ID:D0kp8nh5O
最近の研究では、実は劉備への忠誠心も持ってなかったと
いわれてるようだな。
真の三国志ファンにこいつを好きな奴はいないだろうw
168名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 13:10:52.19 ID:nLg727Je0
よく上司に媚びへつらうとか言われてるけど、記述では「君子を敬う」なんだよね?
「敬う」と「媚びへつらう」は全然意味合い違うと思うけど
169名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/22(金) 21:23:34.34 ID:ZdO8zap30
このスレはハンキョウと張達の自演スレと化しました。
170名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/23(土) 08:24:24.63 ID:QVQh5zZm0
>>167
まぁ、結局言うこと聞かなくて、あの結末になったしその考え方も有るとは思うが
張飛に対して好意的に見るなら、劉備がそれほど貴賎の差無く人材に接していた節があるので、
反してその部曲の気風が軍にまで影響せぬよう、軍紀を引き締める為に、バランスを取り、上下関係を徹底した可能性もある
171名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 04:30:26.40 ID:jI/oXFctO
まぁ、よく軍を率いてはいたんじゃないの?
死に方がね、やっぱりまずかったんだろうけど…

安能は張飛をかなり好意的に書いてたな…まぁ、安能先生だからアレだけどw
172名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 06:31:32.97 ID:uAc1JZC60
劉備、関羽、張飛ってワンセットで行動してないとダメだよね
劉備以外の指示に従わないというか
関羽も張飛も劉備以外に対してかなり尊大な態度取ってるイメージがある
関羽なんか自業自得な最後だし
173名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/25(月) 13:16:17.91 ID:HURlkZeYO
そんな人格破綻者達を手なずけてしまう劉備ってすごいよな
そうとうなカリスマの持ち主だったろう
174名無しさん@お腹いっぱい。:2011/04/26(火) 01:11:43.16 ID:NvC3Obag0
学は無くても礼を知ってて、応対の仕方が上手かったんだろうね
劉巴みたいに劉備を徹底的に嫌ってた奴もいざ直接説得したら落としたし
若い頃から任侠の世界で人と付き合い慣れてて、手なづける呼吸を掴んでたのだろう
175名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/04(水) 03:49:53.51 ID:sfbyiW4kO
学は無いって・・・盧植先生のもとに遊学してたのがのちの名士受けに繋がったのにたいそうな言われようだな
176名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/04(水) 14:32:29.32 ID:0wa3885e0
そういわれても仕方ないよ?
読書嫌いで遊んでばかりとあるからね
177名無しさん@お腹いっぱい。:2011/05/25(水) 23:20:03.27 ID:bSZfsBcx0
烏雲踏雪だの王追だのって演義の話だよね?
178名無しさん@お腹いっぱい。:2011/06/06(月) 10:44:20.22 ID:HDeY43UBO
張飛は好き
劉備関羽孔明は嫌い
趙雲黄忠は好き
179名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/27(水) 16:39:26.59 ID:32kfQOBU0
>>176
読書嫌いで音楽の勉強してたっていうから遊んでばかりでもない
当時の音楽は普通に儒教の学問な
180名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 15:43:02.18 ID:hiXliaJ+0
「燕人張飛」ってのは単に「燕出身の人」って意味なんだね

俺は「燕人」ってなんかスーパーマン的な意味合いの言葉でもあるのかと思ってたよ
181名無しさん@お腹いっぱい。:2011/07/29(金) 15:49:29.06 ID:bROCZY2/0
薩摩隼人の西郷隆盛みたいな感じかね?
182名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/02(金) 23:30:26.02 ID:iK1nh1bYO
「燕人張飛!」

かっこいいじゃないか!
183名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/17(月) 03:16:51.51 ID:Isa2/tK00
張飛の作った酒って美味かったのかな?
184名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/19(水) 23:00:12.29 ID:pdqPt1BwO
12月14日は防災に注意だ!
伝えまくれ!
185名無しさん@お腹いっぱい。:2011/10/21(金) 03:21:18.02 ID:0mGPsDix0
部下に寝込みを殺されるって、余程ひどい上司だったみたいだな
同じ様に部下や家臣に殺されるパターンは多いが、政治的な絡み無しで、
実際に敵と戦ってもいないのに、雑兵に殺された将軍って他にいたか?
186名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/03(土) 16:29:14.95 ID:lBVr6KGB0
>>185
韓遂
187名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/05(月) 13:14:41.95 ID:vidIm+tYO
生きてる間じゃないけど曹操
188名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/11(日) 19:49:19.73 ID:LleNzivc0
>>185
その部下はまともだったのか? あの劉備が義兄弟になることを承知した男だぞ。
少しは記録者の文章以外のことに、想像を巡らせよ。
189名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/14(水) 01:00:11.16 ID:OigoxVdN0
>>188
マジレスすると義兄弟ではない

劉備と義兄弟なのは公孫サン、糜兄弟、孫権だけ
190名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/16(金) 01:19:11.53 ID:63adv5SUO
あくまで兄弟のような関係だっけ
191名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/16(金) 19:24:35.28 ID:djZibcMo0
その上司殺しした奴って、劉備が身近に置くなといった奴じゃないの。
それでも張が置き続けたというのはそれなりの理由があったと考えられる。
力で抑えつけなけりゃあまりに危険、という物騒な奴は今もいるよね。
関羽が死に、取り乱して隙をつくった張を狙った・・・と推理。

つか上司殺しするような奴に対して、その行動を当然のように受け入れた
り、その人間性をまるで疑わないというのは賛同しかねる。
現実の上司に憎悪を燃やしていて、その上司と張をダブらせてないか。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/16(金) 19:37:08.23 ID:djZibcMo0
彼が身分の低い者を軽視していたというのも信じられない。
張がそれまでの人生を捨て、劉備と行動をともにしたというのも、身分の
低い者の苦しみをなんとかしたいと願ったからだと信じているよ。
でなけりゃ、貧しい生活をして筵織りしていた劉備とは一緒にいられない
し、豪腕の関羽とただの山賊になって、弱い者を虐待し、強奪を繰り返す
最悪の生涯を終えてるだろうよ。

劉備に仕えるのに強制するものは何もない。
体を張って劉に仕えたのも、見込んだ男だからこそだと思うよ。
狭い了見で、自己の欲望を果たすために暴力を振るうばかりの、独善的で
幼児性の強い、ジャイアンタイプなら、そんなことはしない。
193名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/16(金) 19:51:47.95 ID:ifMGVqZeO
>>189
> 劉備と義兄弟なのは公孫サン、糜兄弟、孫権だけ

孫権はわかるけど
公孫さんさんとは演義だけ?
糜兄弟はkwsk
194名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/16(金) 20:05:25.77 ID:djZibcMo0
つい力説してしまった。スマンね。
劉備三兄弟が好きなんで、つい張のことも好意的に見てし
まう。
この三兄弟が聖人君子とは思わないが、>>163が言うよう
なクズ野郎とはとうてい思えないものでね。
これじゃ中傷だよ。まあそれが目的にも見えるけど。
195名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/16(金) 23:39:33.87 ID:LTBSagaE0
>>193
詳しくも何も、糜夫人は劉備に嫁いでいるだろうが
196名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/16(金) 23:46:39.48 ID:ifMGVqZeO
そうだった・・・スマソ
197名無しさん@お腹いっぱい。:2011/12/17(土) 00:47:37.88 ID:G5bC7/qZ0
>>193
正史

ちゃんと先主伝に「サン年長,先主以兄事之」とある
198名無しさん@お腹いっぱい。:2012/03/01(木) 14:21:49.83 ID:5uYrFbuG0
あげ
199名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/06(水) 14:59:16.04 ID:kPQRpbOn0
アル中
200名無しさん@お腹いっぱい。:2012/06/10(日) 00:04:01.31 ID:FKBw5gyb0
BSフジの張飛はウザかわいい
201名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/04(水) 15:09:28.27 ID:j1lbVNmo0
ゴミと評判の三国志12だがたった一つだけ評価すべき点もある
張飛の統率が94(!?)になったことだ

でも趙雲は96・・・( ゚Д゚)ポカーン
202名無しさん@お腹いっぱい。:2012/07/05(木) 11:25:51.55 ID:gzadKRiA0
壮大なBGMも評価されてる
203名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/20(土) 14:49:35.72 ID:VmO4MDGc0
khbnmbvnvhghjhgchbnvcvbc
204名無しさん@お腹いっぱい。:2012/10/25(木) 05:32:37.56 ID:6NSFe03q0
義兄弟かはともかく、劉備とは偉くなった後でも
一緒に寝るくらいだから、相当信頼は厚かったのは確かだろう
しかも旗揚げからずっと指揮官やってきた叩き上げの
職業軍人なんだから有能に決まってる
205名無しさん@お腹いっぱい。:2013/03/06(水) 14:04:09.66 ID:l3aGNV1MO
朝青龍みたいな感じ?
206名無しさん@お腹いっぱい。:2013/09/28(土) 09:06:41.72 ID:n/DP34Hq0
正史の張飛はべつに酒飲んでなくても、日常的に部下をブッ殺していた
劉備にキレられてもまだブッ殺していた
そりゃ逆襲で殺されますわ
207名無しさん@お腹いっぱい。
ちょうひすきだけど、漫画ソースネタしかないなここw