1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
バカが主張しているような優れた軍制創作能力も無く(そんなに優れた軍制なら多くの国で採用されてるっての。)
バカが主張しているような局地戦での勝利も一回しかなく(それも撤退させただけで撃破したとかそういうのは無く)
毛沢東のように大敵を打倒したとかそういうのは無く、カエサルのように内乱、外征の勝利者ということも無く。
軍事能力は日本ローカル英雄である武田信玄以下だろ。
中国史ですらこれなのに(笑)
長安に触れたことすら無かったかわいそうな孔明。後の評価は人間性評価(笑)
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 21:28:02 ID:3wfB3ZrE0
強勢を誇った梁を滅ぼした宇宙大将軍
一地方都市にすら触れられなかった孔明
宇宙代将軍>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>孔明
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 21:58:58 ID:ww+kxp/a0
孔明で勝ちっていえるものって
南蛮平定だけじゃないか
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 22:14:54 ID:3wfB3ZrE0
軍事能力は軍隊を使った戦略目標達成能力なんだろうけど、
魏に攻められたことは一回も無いので、防衛戦や篭城の能力は未知数。
攻城戦も陳倉はデーターにはなかったんだから仕方が無いと判断して
自軍の三倍の兵に勝ったなんて将軍なんていっぱいいるのに孔明は一回もそれすら出来ずに
戦略目標も達成できずに、大陸打通作戦みたいなよくわからない作戦を志向した。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 22:34:19 ID:w1K2Dzi+0
なんで何回も南蛮と戦う必要があったのかね?
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 22:38:36 ID:3wfB3ZrE0
対陣だけして帰っていく孔明って本当に
打倒魏の意思があったのか謎なんだけど第三次でほとんど意味の無い土地を取っていたくらいかな。
しかも南征で演技に書かれているような重要な戦果をあげたのは他の将軍でしょ?
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 22:42:27 ID:3wfB3ZrE0
蜀漢を建国したのは劉備だし、
曹操を撃退させたのは呉軍だし、
諸葛亮がやった軍事的功績って何?
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 22:49:06 ID:qKnmk28C0
ま、現場の指揮官ではないわな。
四川に政権を建てて、それを存続させた。
軍事と政治を有機的に運用したからこそできる業で、戦略的視点を持ち合わせていないと、前蜀末期や後蜀のように外圧にすぐ屈してしまう。
蜀漢の末期、すぐ滅亡したのは、魏が討伐軍を「好機」と派遣したからだが、諸葛亮がいたときはその好機がなかった。
これは軍事的な功績ともとれる。
戦場で何人殺したとかじゃなく、敵に攻めさせないのも軍事。
と、一応擁護しておくか。
前蜀や後蜀も、建国当初は強く、中原王朝の介入する隙はなかったけど、二代目になるとすぐボロがでているのは、この地方の政権の特色みたいな気がする。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 22:56:32 ID:GmgU+Z2QO
孔明はやっぱなんだかんだで凄いよ
公孫述や李特や王建なんて大したこと出来なかった
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:02:47 ID:3wfB3ZrE0
公孫述は関中を切り取ったし王莽だのなんだので押さえ込まれていたし
暗殺で中央政権の討伐軍を撤退させていますが?
呉があった孔明となかった公孫術を一緒にしないでください?
王建は、死ぬまで蜀を維持していましたが?
軍事の才能だけでいうと、魏延にも及ばないと思う。
戦略的構想は素晴らしいんだから、他の将にある程度任せる事は出来なかったのかな。
後、劉禅を甘やかしすぎたのもこの人の罪でしょうね。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:07:24 ID:Yy6turVj0
軍略が優れていた鳳雛が死んだのは蜀には痛いね。
内政担当孔明が軍事までやらなきゃいけないのだから。
でも、孔明は優れていた。死ぬまで蜀を滅ぼさなかった。
滅ぼさなかっただけなら、中国内乱時の沢山の群雄がそれにあたるとおもうんだけど。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:14:31 ID:qKnmk28C0
>>10 君の言うところの軍事は「現場の判断」かい?
諸葛亮の死後30年ほどは蜀漢は維持されたが、王建の死後は10年を待たずして滅んだぞ?
しかもたったの70日で。
公孫述も結局のところ討伐を受けると数年もかからず滅んでいるわけだが…
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:20:00 ID:3wfB3ZrE0
君の言うところの軍事は「現場の判断」かい?
>諸葛亮の死後30年ほどは蜀漢は維持されたが、王建の死後は10年を待たずして滅んだぞ?
没後を考えても意味が無いな。
それをいうならば、日本の織田家なんて本能寺で滅んでるけれども
織田信長は孔明よりも軍事能力を持っていないと主張するアホなんていないし。
政治能力ならまだしも軍事能力では(笑)
東ローマは先年持った(笑)
>公孫述も結局のところ討伐を受けると数年もかからず滅んでいるわけだが…
だから呉があった孔明、一回も攻められなかった孔明、呉に主軍が置かれていた孔明
強い勢力が常に存在していた時代にいた「建国者」公孫述を一緒にしても意味が無いんだけど(笑)
あと蜀の建国って孔明じゃないよ 笑 劉備だよ。 孔明がやったのは意味の無い対陣がほとんどだよ。
しかもチュン姉妹の反乱は10年後
軍事の才能の定義は?
公孫述の場合は、近くに隗囂がいて同盟を結んでいたことを
忘れちゃいけないと思う。単独で光武帝に抗していたわけではないよ。
それと、蜀漢が滅亡した後に、司馬昭はわざわざ諸葛亮の陣立てや
用兵の法を部下に研究させてたりする。
もし孔明に軍事の才能がなかったら、そんなことはさせないと思うんだが…。
まあ、孔明無能説については北魏の崔浩なんかも自分の意見を述べてる
くらいだし、この話題は結論を出しにくいものなんだろうな。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:23:55 ID:3wfB3ZrE0
>軍事能力は軍隊を使った戦略目標達成能力なんだろうけど、
例えば、軍隊を使った示威行動で闘わなくても目標を達成すれば軍事能力と規定してけど反論があったり定義の見直しだって必要かもしれない。
直接の軍隊のぶつかりあいじゃなければ威力偵察とかそれに当たるね。あれだって、軍隊を動かす才能だろうし。
軍師じゃなくて政治家だわな。
北伐も政治活動の一環。
>用兵の法を部下に研究させてたりする。
>もし孔明に軍事の才能がなかったら、そんなことはさせないと思うんだが…。
えーとそれで成果があったの?
中国史は西洋史と違って資料が残っていないので証明しようがないんだけど。
ハンニバルすげーと孔明すげーじゃ全然違うよ。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:45:12 ID:qKnmk28C0
>>15 いや、だから諸葛亮がいた間は討伐の機会さえ与えなかったといいたいわけなんだが…
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:50:39 ID:Wgpxm7vX0
>>21 普通に攻められかけてるしw
雨で撤退したが
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 23:56:42 ID:qKnmk28C0
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 00:48:58 ID:IibquYYW0
曹操に天下を取らせなかった。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 01:15:14 ID:QsQY3ZR60
駐英にしては伸びすぎ
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 01:29:14 ID:YQEQpAjT0
座しても負けるのみだからと一か八かで出陣しておきながら、
魏延の策を危険だと退け、安全策しか採用しなかった孔明は確かに無能。
矛盾しまくり。
法正が長生きしててくれれば
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 06:53:08 ID:ItaKflsdO
>>20 とりあえずこのスレ流し読みしてわかったのは、あんたは揚げ足取りしかしてないって事だな
無駄なオナニースレなんか立てんなよ
削除依頼出してこいカス
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 17:51:08 ID:pT5WDR/R0
孔明は
軍事は韓信以下
外交は張良以下
内政は消火以下
だが3人の役割を一人でやってるからすごい
by曹操
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 18:13:31 ID:/VZchlDa0
曹操は孔明の名前を出したことってないよね。
孔明って5年くらいしか活躍してないよね。
第一次北伐から死ぬまで。
戦果は第三次のみ。
しかもほとんど意味がない土地。
三船山合戦>>>>>>>第四次北伐。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 18:38:15 ID:ngSk0eh80
>>29 本人も自覚していたらしく、私は楽毅・菅中に比肩しうると言っている。
演技の孔明は魔法使いだとしても、本物の孔明の多才には舌を巻く。
>>1ってゲームのやりすぎ?
こういう人は政治的背景とか世情とか世論は慮外にありそう。
諸葛亮が一人で百万人ぶっ殺したら納得するんだろうなぁ
つうか
>>17に対する返信が必死すぎて笑えるw
自分の知識不足は棚上げかいww
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 00:24:21 ID:vkf2HU2f0
参考URL
ttp://www.geocities.jp/kaysak864/chu-shokatsu.htm 以下一部抜粋。
●北伐の目的
北伐の目的は選挙運動である。
後漢以降の中世中国は、士大夫の世論が世界の帰趨を決める時代であった。
そのために自国の体制のすばらしさを訴えることが、北伐の目的であった。
従って、戦場で仲達をうち破る必要などいっさいなかった。
●北伐成功の可能性
呉との連携、鮮卑の軻比能、遼東公孫淵、西羌の援助、南蛮軍の追加、反曹派の名士など、
全世界を巻き込んだ包囲網を作り、持久戦に持ち込んで魏を破綻させるのが孔明の戦略構想であった。
魏にも、明帝の浪費、仲達の忠誠心の欠如、大将軍級の名将の不足などつけ込む隙は十分にあった。
呉軍の北上に際して明帝自身が親征したが、このことは大将軍級の人材が仲達以外に既にいないことを暴露している。
もしも、上記の多方面の軍団が同時に動いたなら、もはや魏には打つ手がなかった。
以下、それぞれの進行状況を見てみよう。
●呉との連携
●鮮卑の軻比能
●遼東公孫淵
公孫淵の挙兵は、237年である。
●西羌の援助
これは本来馬超に期待されていた。これが姜維へと受け継がれたわけである。
●南蛮軍
南征の結果、勇猛な部隊が北伐軍に加わっていた。
●反曹派の名士
すなわち、これが旧清流派であり、仲達らである。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 01:04:33 ID:8BOSKwuIO
解釈次第でどっちとでも取れるよね
でも才能がゼロって言い方は極端すぎるかも
とりあえず、三戦板からの出張ご苦労様です。
あちらの同スレで相手にされなくて、こちらに来たんでしょうか?
あちらの同スレはまだ埋まってないし、こっちにはもう諸葛亮のスレあるのに、
わざわざこんなスレ立てなくてもねえ…
凡人には孔明の才能に気付けないかもしれないけど偉人は皆、孔明の才能を認めている。僕も凡人だから孔明の才能を理解しきれないけど。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/14(水) 07:54:15 ID:Adcc1y+8O
現職丞相とやらないか? 投稿者:淫乱伏龍
俺は184*83*50、兵法十段・天文四段・発明二段、ガチムチの蜀漢丞相
日夜激しい北伐に明け暮れてる
だから股間の連弩はいつも暴発寸前だ!
お前の菊門に東南の風を吹かせろ!
15〜30くらいの同体型の麒麟児、激しく盛ろうぜ!
七縱七禽の心得もあるので緊縛プレイを求めてる異民族も歓迎だ!
特に希望があれば石兵八陣プレイも可
魏延は不可
休戦中なら成都なら連絡寄越せばすぐ出師しに行く!
ケツマン空城にして神妙に待ってろ!
まあ、才能は無くは無いだろ常識的に考えて。
ただ小説とかの影響で過大評価の感じはするね。
俺の孔明のイメージ
「人の見る目の無い、無茶苦茶レベル高い器用貧乏」
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 02:37:46 ID:LP9VbJXY0
勝てはしないが何度も逃げてるのにほとんど被害をださないのがすごいかな。
逃げ足が速いといえば聞こえは悪いが、うまい退却ってのは普通なかなかできないもんだ。
あの蜀の状況で魏に勝てたなら軍事的天才といえる
しかしそれができなかったからといって軍事的才能はないといえない
軍事的天才ではなかった、が正解
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 03:13:19 ID:q+CusGH0O
政治的才能は紙
軍事的才能はホリエモン位
なんだかんだいって蜀の軍権のトップだったわけだし魏も仲達を派遣するぐらいだから無能ではないというかむしろ有能の枠だろ
才能がないってのは夏候モや曹爽のことをいうんだ
時代を代表する名将・名軍師かと言えば疑問符はつくけど、
「なかなかの」将軍・軍師だったと言われれば納得できるかな。
晋代の白虎幡とかの旗指物は、元々は孔明が戦闘指揮に
使っていたのを、蜀滅亡後に晋が採用したんだっけ?
政治的才能が突出している。
それと比較されると……
結果出せてないから結論あり気でいうと無能。
退却を上手くやったって言うけど、
追撃はあったの無かったの?
アレクサンダーもハンニバルもナポレオンもビスマルクも超長期的な戦略的結果を出してないから無能だよね。
政治は一流
軍事は三流
>>51 釣られてやるが、孔明はそれほど大きな対戦にやったことないだろ。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 23:49:35 ID:ZtyCdL9v0
結局は政治家だということ
三国時代に限定するとB+かA-ぐらいの軍事才能かな
中国史全般にするとC〜Dってとこかな
S〜Eの間で
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 23:53:43 ID:XISqMzd40
政治的才能、軍事的才能なんかを合わせた総合面で見れば、
かなり上位に行くんじゃないの、諸葛亮さん
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 15:33:09 ID:bup2r0A20
r1 | ! /7、
Y;ニ-=ミ'、,!
i!'”;、” K'
ゝ'二,,ノ'
,ィ'二ミヽ`"、|,y'7r/7ri,r')、
/ r'Y^V // / / / /7
/ /fl y / / // / / /7:'フ
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゙; / /:;f '''"ヽ,r-‐'''"!|
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レ ノ ノ ゞ'' | ::|! l :゙、
ヾ∠.イ | : :!i l ',
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/:: : : : | : :ヾ、i ト、
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!:: : : : !: : ::l:::i、ヽ
,':: : : : i: : : ::i::: :\
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ir-- ‐- ニニニニ' :: : : :: :|〜 彡' >
,!'''" ̄` ' ' 'F''''"´;: : : : : :|_,、,,.r'"
/ └-- .i,.L. _;、 _;; _ハ_i
/ ノ ノ ; ;; :: :; ;',
ん ,. ' ,.' , ,; 人 ヽ ヽ
ヾこ-r'⌒ 〜 彡〜rー r〜<`-ヘ
レ⌒:j"´ ヾ-'ヾミ:;_ )
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 17:24:43 ID:+Nlt2miw0
他人を信頼できないから人間的に魅力がないな。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 18:56:39 ID:nOVBlJzR0
人望なら劉備がS
60 :
nn:2007/03/29(木) 19:22:11 ID:NHMQ0tW00
劉備は耳が肩まであったそうな。
もし三顧の礼とか水魚の言葉がなかったら、法正のほうが有名だったかな?
>>61それに早死にしなかったというのを付け加えれば、有名になったんじゃない?
北伐はブック
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 08:43:32 ID:NitKRoaK0
どさくさに紛れて饅頭発明しちゃうくらいだから相当な天才だろ
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 09:04:29 ID:AZS5B0pc0
Sランクとか言っちゃう奴って馬鹿じゃないの?
何が目的でAで止めないの?
頭の馬鹿さがSランクだから
諸葛孔明は極めて有能ではあったが安定志向ではなく野心家だったということだな。
劉備亡き後も自らが国を司れるような形にもっていったということだな。
劉備に仕えたのも他の国では既に人材が揃っていてすぐに軍師として
才を振るうのはかなわなかったからもあるだろう。
ま、劉備を完全に信用できる人物だと評価したからこそ軍師になったというのは
あるだろうがな。実在の孔明は戦乱を経験し若さにはありあまる経験を持ち
諸葛家の資産家ネットワークを持っていてその資金が蜀建国に大いに役に立っている。
やはり戦争というのは現実には資産家の利害がいつでも絡むものなんだよ。
しかし孔明の一番の大罪は自らの才無き残された蜀を存続できるような手を打たず
優秀な人材が多く強大な魏を攻め続けたことだ。つまり蜀はワンマン経営になってしまっていた。
ある程度で和平を結び国力の増強に努めることが出来ていればあるいはの展開もあっただろう。
実際晋も呉も内政から自滅しているからな。
人間情に流されるといかなる大計も意味を成さないということになるな。
俺はSランク
後継者とやらが実力をもっていれば、
あれほどの独裁体制は築けなかったと思われる。
事実上の国主は孔明だ。
夷陵の敗戦をするとマトモな国なら10年もたずに亡国してたろう。
蜀って建国当初から絶望的だったんだな
孔明<法正じゃね?
よく言われてるけど法正の評価はあくまで孔明を含む他人からの評価であって特に大きい実績を残したわけじゃない
そういう人間は歴史では優秀という評価にならないん
>大きい実績を残したわけじゃない
漢中落としたのが大きな評価じゃないって過小評価もすごいな
それに孔明も他人からの評価だから優秀ではないということか。
あれだけの軍を率い、なんとか兵站を確保しつつ、圧倒的に多勢かつ有能な敵を
前にして、敗北せずに、追撃する敵を必ずやぶった。
これで軍事的才能はなかったら、おかしい。
ただ、冒険を行い、勝利するほどの才能はなかったのかも。
それだけなら、魏延の方が上だったかもね
でも、新陣形や新兵器の開発も本当かも知れないし、それだったら天才と言い切っても
いいかもしれない
207年の劉備に仕える、これは投機と変わらない。
ハイリスクなだけでリターンなど全く望めない。
「ジョウヨウを攻撃しましょう」という提案も状況を考えれば?だが重要だ。
「逆賊に降った、それも降伏を此方に知らせずに。
だから不義理には不義理で返してもいいが、
劉備は長者なのでやりません。(てか曹操がすぐそこに来てるし今すぐ逃げなきゃマジヤバイ)」という一種のポーズ。
>>71 法正の実績はともかくとしても、劉備からの信頼は高かったろうな。
劉備にとって一番ウマがあった軍師は法正だったのではなかろうか。
後方を任される孔明が信頼されてないってわけじゃあないが、なんかそんなイメージがある。
諸葛亮を股肱とし法正を謀主とす、とは劉備の言だったかな。
法正は活躍期間が短すぎてよくわかんないな
法正って、軍事タイプの軍師っていうけどさ、実際にどんな功績が
あるんだろ?
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 15:37:37 ID:5uZQb8ei0
>あれだけの軍を率い、なんとか兵站を確保しつつ、圧倒的に多勢かつ有能な敵を
それを打ち破って初めて名将
>前にして、敗北せずに、追撃する敵を必ずやぶった。
戦ってないから敗北もない。
ついげきにかんしては蜀の地形だろ?
>>80 ここは『軍事の才能があるか』を検証するスレッド
名将かどうかを決めるスレッドではない
後、追撃は蜀地方でうけてはいないし、いつ攻撃するかを決定するのは
基本的には追撃する側。地形だけを理由にはできないだろう
自分的には諸葛亮は名将と良将の中間。軍政、陣形には優れていたが
神速を尊ぶ精神が欠けていたと思う。
ヴァレンシュタインぽい
基本スペックは
>>81の言う通りだろうが、
「整然撤退」と「対追撃カウンター」のスキルが、
孔明を異常な指揮官として存在足らしめると思う。
整然撤退というのは非常に難しい。
傑物司馬が率いる大軍しかも(強力な騎兵軍団付)を前にすればそれは尚更。
その実績のみを取り上げれば諸葛亮は傑出した指揮官と言える。
攻めずに何もせずにかえるんだから難しいも何も
>86
スマンが釣り針がミエミエなんだが。
まぁ孔明を傑出した指揮官と言ってる時点でもうなにもな
進撃は容易いが撤退は困難なのだ。
ただ帰るだけが至難、それを簡単と言い切るのは無知の証拠。
ナポレオンやナチスドイツだって攻勢に出てるときは大戦果を挙げてたけど、
目的のベクトルが反転したらズタボロだった。
魏蜀の国力差、兵站の困難さ、突出の危険度はそれ以上。
その状況で「無傷の敵に背中を見せて、敗走しても無傷」って異常な結果だぞ。
戦力的に互角の態を為したのは独裁制を完全に使いこなした孔明なればこそ。
ただこの孔明シフトともいうべき無茶のあるシステムは彼が死んだら終わりだった。
つーか先主死後の蜀は孔明一人のオモチャ箱だが。
諸葛亮は無理をしなかっただけでしょ。
勝てる戦いしかやらないつもりで北伐していた。
北伐は政治活動だとか揶揄されがちだけど、蜀のためにベストな活動だったと思う。
勝てない戦いをしかけるのはただの馬鹿だろwwwwww
バカが涌いたか
負けないいくさしても勝てなきゃ意味ねーよ。
あれだけ遠征して戦果としてとぼしすぎる
>>93 やぁ
大が小を飲み込むのが一般的な勝ち戦。
小が大を飲み込むのが奇跡的な勝ち戦。
小が大に飲み込まれないなら、それは勝ち戦と変わらない。
ba-ka
勝つために出陣したけど、兵糧切れ、作戦齟齬で撤退しただけじゃん
何の目的もなく戦争に出るなんてないんだし
>小が大に飲み込まれないなら、それは勝ち戦と変わらない。
さすがにこれはないわ
ランチェスター戦略を考えれば、小が大と互角に戦えるのは奇跡に近いと言える
魏も蜀もなんだか本気でぶつかってない印象
北伐では
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 11:24:18 ID:fLYS8dCV0
孔明が戦争弱いと言っている人間はにわか。
孔明は、八陣という戦争史上に残る、素晴らしい戦いを提案し
戦場で敵には一度も負けなかった。
八陣は日本の戦国時代に使われ、武田信玄が多大な領土を手に入れたのは
孔明のおかげといっても良いであろう。
孔明は北伐に一回も失敗したことがない。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 11:43:38 ID:fLYS8dCV0
孔明は全世界で偉人の見本とされ、
劉備は孔明がいなかったら赤壁の奇跡は起こせなかった。
また、魏は孔明との戦いで疲弊して滅亡し
晋の劉淵は劉禅を祀ったのは孔明を尊敬してのことであろう。
惜しかったのは孔明は運に恵まれなかった。
呉が負けたせいで足を引っ張られたのだ。
wktk
結局、八陣ってどんなのかね?
ローマ軍団兵のクインカンクスみたく柔軟な方陣でいいのか
八陣というのは部隊一つ一つは方陣が基本である8種類の陣形の事らしい。
春秋戦国時代に完成されたものに対騎兵用陣形を加えたとか。
孔明の天下三分って、劉表から荊州奪ってそこを根拠地として蜀をも落とし、
更に孫呉と手を組んで曹魏に対抗するって内容だけどさ…
劉備に完全に無視されてるよね。
荊州強奪どころか孫権頼って逃げ出して長坂で追い回されるし、
孫呉と共同して曹魏に対抗するどころか孫呉-曹魏同盟組まれてるし、
挙句に孫呉に攻め込んで返り討ちにされ前線指揮官を壊滅状態に追い込んでるし。
蜀も法正ら内通者が出たから奪ったんであって、天下三分とは無関係だし。
そもそも孫呉の基本戦略と被ってる時点で破綻してる。
まあそこは時代の流れというか
状況を考えるとそれ以外どうしようもなかったってのもあるんじゃないの
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/02(水) 22:17:59 ID:Tf5leQ4PO
>>99 ランチェスター戦略では、小が大に勝つ方法が提示されてるんだが。
数的不利を優位で覆すのが、斜行戦術。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 04:28:56 ID:ACl2IbNE0
山本勘助と諸葛亮と韓信誰が一番才能ある?
アレクサンドロスとグスタフとナポレオン
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 10:07:31 ID:qVOPsNuu0
まあ、色々言われているが、諸葛亮が八陣を考えたのは間違いないと思う。
こういう軍事理論は実践して成功をおさめないと危険すぎて採用はされないし
(後に西晋の馬隆が採用。成功をおさめている)
それは多大な軍事功績をおさめて初めて後世のものがならって実践される。
後世のものが諸葛亮に仮託したなどありえない。
無名の一武将の理論を危険な戦場で真似るなど誰がするであろうか
馬隆が考えたなら発明者は馬隆と名言されるだろうし
確かに軍事実績においては司馬懿>諸葛亮かも知れぬが
軍事理論において、騎兵にも対抗できる陣形を考えたのなら、
諸葛亮>(超えられない壁)>司馬懿だろう
司馬懿の用兵は理論上は誰でもできる(あくまで理論上)
しかし、時代に合わせた有効な陣形を考えるのは天才でしかありえない。
これは西洋史を知っているなら分かるだろう
司馬懿や曹真は数倍の兵力では勝ち目がないことを知っていたので守備に専念したのだ。
芝居も孔明もお互い防衛の天才だし相性悪かったんだろうな
引き分けになったら現状維持でもいい魏と領地増やしたい蜀どっちが有利かは明らか
司馬懿が防衛戦の天才であることは、呉との戦いで十分すぎるほど証明されてるからな……
そこら辺のことも考えれば、少なくとも無能って発想はありえないね。
戦を仕掛けた以上は勝たないと。
大きな敗戦もないが、大きな勝利もない。兵力が魏に負けてても正攻法でしか攻めない。
負けはしないが勝てない。そして戦果もあげれない。
何のために戦争をしたのかがわからない。
攻められないために攻めていたんだ
三流じゃないが二流だろ
二流というよりは一流の下って感じがする
二流高校のトップじゃなくて一流高校の下のほうみたいな
猛キョウやチン毛石と同格の軍事的才能は持ってる
衛青が確立した対騎兵戦術は両翼に射撃兵器部隊を配置してその火力で騎兵の突撃を粉砕するというもの。
馬援はそれに加えて車輌を移動障害物にして騎兵の衝撃力を減衰させようとした。
時代は下って袁紹の部下麹義も似た対騎兵戦術に長け公孫サンの白馬義従を粉砕した。
諸葛亮は移動障害物としての車輌や連弩の改良などハードを強化した上で
上記3名の戦術を洗練させた。
一つ一つは諸葛亮の完全なオリジナルではないがそれらを集大成した上で
それを実戦で証明したわけで
彼が軍事理論で傑出した存在であった事は間違いないだろう。
>>112 総指揮官としての主な軍事実績は簡単にまとめると
諸葛亮…南蛮制圧、張コウ討ち、王双討ち
司馬懿…公孫淵討ち、孟達討ち
これなら諸葛亮の方が多少上じゃない?
いろいろと言いたいけど、とりあえず南蛮でのうて南中
諸葛亮・・・対魏戦引き分け(勝利条件は長安占領)
司馬懿・・・対蜀戦引き分け(勝利条件は領土維持)
この差は大きいな
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 21:53:32 ID:3gWhZThV0
諸葛亮と司馬懿の立場を入れ替えてみたらどうなるかな?
諸葛亮が魏軍を指揮し、司馬懿が蜀軍を指揮する。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 22:27:39 ID:ATQvsrbYO
>>124 まず曹操と馬が合わないな。
仮に気があっても仲達より戦果をあげたかは微妙な気がする。
でもそれは仲達も同じかな。
結局誰が軍師でも曹軍側は持久戦にもちこむだろうし、劉軍側は北か東から攻めるだろう。
軍事力の差から呉と組むのは自明だから北から攻めるだろう。
仲達もとる戦略は変わらないだろうから戦術に大差無い。
結局あの時点でもう孔明がとれる手はとても選択が少なかったんだよ。
君主とかの関係は別にして戦争だけに限定していれかえるならほぼ同じ結果になったと思うよ
もしチャンスがあるならガイテイを別の武将に任せたかも
ただよくガイテイで負けたからどうのっていうけど実際守り通したとしてどれほど利があるのかよくわかんないんだよね
街亭で今時その認識はねーだろ
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 07:41:45 ID:3/c5hNEtO
街亭て、めちゃんこ守りにくかったんだろ?
兵を置いて守るような場所ではなかったらしいな。
軍事の才能なら
司馬懿>陸遜>周瑜>>孔明>魏延>>>曹丕
こんなもんでどう?
魏文長と周瑜の評価ひくいなぁ〜
街亭が守り難いとか何の珍説だ?
孔明に『軍事の才能が無い』派が敗北したので、
なんとか司馬懿>諸葛亮、もしくは司馬懿=諸葛亮にしようと必死だな
お前ら、三国志正史は晋時代に書かれたものであることを思い出せ
陳寿は蜀出身だったから、蜀に同情的に書いたかもしれないが、司馬懿に都合の悪い
記述は御法度であった。良くても、不都合なことを消され、
悪ければ、ありもしない手柄を粉飾している可能性がある。
なぜ、後世あれほど諸葛亮>>司馬懿とする伝説が残ったか、
南朝宋の人である裴松之が諸葛亮にあれほど同情的で司馬懿に対して批判が鋭いのか。
そこに歴史の真実があったからではないのか。
(宋が晋を貶めようとする意図があったのかも知れないが、
こういう動きは、同時に隠された歴史の真実を明らかにしようという動きでもある
もちろん、曹操に対する裴松之の批判も同様だ。
魏信者は注が信用をおけないといって無視しようとするが、真の意図は都合が悪いからだろ)
また、八陣をはじめとする諸葛亮の兵法は後世に評価が高く、
後代、名将とされる人物からも模範とされているが、
司馬懿は電撃作戦の戦歴にだされるくらいでその兵法は伝わっていない
おそらく、彼は曹操の優秀な模倣者程度の軍才だったのだろう。
軍事の才能において、諸葛亮>司馬懿は揺るぎないだろうな
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 11:10:53 ID:GtOiLd5zO
自分が同じ事、或いはそれ以上の成果出せるか考えればすぐに答え出るだろ。
まったくだな。
>>1みたいな神視点で「軍事の才能はない」とかほざいてる
カスが、戦場で何万、何十万の兵と歴戦の将たちを指揮できるとは思えんし。
戦争ってのはシミュレーションゲームじゃねえんだよ。きっと脳内の自分は
ものすごい大局観と軍事の才能(笑)の持ち主なんだろうけど、
>>1みたいな
歴史に名も残らないような、替えがいくらでも利く消耗品Aには、誰も
ついてこないよ。
なにかを為すことは一流にしかできない。
なにかを貶すことは誰にでもできる。
135 :
1:2007/05/19(土) 14:00:41 ID:J6gGA3MJ0
>まったくだな。
>>1みたいな神視点で「軍事の才能はない」とかほざいてる
>カスが、戦場で何万、何十万の兵と歴戦の将たちを指揮できるとは思えんし。
>戦争ってのはシミュレーションゲームじゃねえんだよ。きっと脳内の自分は
アホすぎる。孔明もあきれるだろう
「歴戦の将」を指揮するなんてレベルが低いところに設定してしまうと、
北条氏政ですら凄い武将になってしまう。
それこそ、名将の大安売りになってしまい、全く検討をする意味が無くなる。
>ものすごい大局観と軍事の才能(笑)の持ち主なんだろうけど、
>>1みたいな
>歴史に名も残らないような、替えがいくらでも利く消耗品Aには、誰も
>ついてこないよ。
>なにかを為すことは一流にしかできない。
>なにかを貶すことは誰にでもできる。
これもアホすぎる。「孔明」に軍事の才能があるのと「俺」の軍事的才能は全く関係が無い。
政治功績ならともかく、軍事功績をなにも為していない孔明の凄さを教えて欲しいものだよね。
指揮だけなんてそれこそ沢山の人間がやっているんだから。
自分の1.4倍の身長の男と飯も食わず、その男の家で戦ってごらん。
そうすれば孔明の凄さが判るさ。
孔明のやったことはそれより難しいから。
・行軍の険路 (移動するだけで戦場に投入できる戦力は減る)
・兵站の不備 (同様に士気を維持するのが困難)
・単純な数的不利 (魏の弱点の戦線といっても、他の戦線から増援が勢揃いしたら絶対勝てない)
これだけの悪条件で戦力を維持したのは凄いことだよ。
「全く手柄が無い」だなんて俺には到底言えない。
まあ玄人にしか凄さは判らんタイプだというのなら頷けるが。
137 :
1:2007/05/19(土) 14:28:24 ID:J6gGA3MJ0
>行軍の険路
攻められにくい。
>兵站の不備
これはこの時代、というかどの時代でも付きまとう
>単純な数的不利
同上
それで成果出している人間が世の中に大勢いるんだから
結局相対評価に絶対評価を持ち込もうとしている時点でよくないんだよ。
138 :
1:2007/05/19(土) 14:36:55 ID:J6gGA3MJ0
>自分の1.4倍の身長の男と飯も食わず、その男の家で戦ってごらん。
身長だけが強さを決めるファクターではありません。
格闘技の技術。除脂肪体重。判断力。等が戦いの要素として付きまといます。
孔明信者があほなのは、一つの要素でしか見てないことです。
例えば、軍事の才能がある場合は他の要素を攻めるでしょう。
べりサリウスとかはそうです。
孔明が一般レベルで凄いのと「軍事の才能」は区別したらどうかね。
孔明レベルがいっぱいいる時点でそれは才能ではなく「凡庸」なんだよな。
孔明の実働期間は、南蛮では、とりあえず成功とは言いがたいので、
「7年間国を守り、少しの土地を切り取った」だけだ。
>身長だけが強さを決めるファクターではない
いや質的な要素は蜀の方が有利だと思うから、あえて言わなかったのだが。
その言葉自体は正論だが、それが適応される範囲は甚だ不正確。
・蜀に遠征での持久戦をする国力はない
・魏軍が決戦に消極的
という観点ではどうかな?
被害が互角なら挑戦者は不利なんだよ。
またベリサリウスの様な明らかな神クラスを持ち出すのはおかしい。
微妙とされる孔明の将才を論じる点では甚だ卑怯と言わざるを得ないな。
>>1 もはや、お前にはなにも言うまい。
ただ、一つだけ言っておく。
「孔明に軍事功績はない」スレか、「孔明は名将と言えるのか?」スレを立て直せ
北条氏政は先祖から借り受けた権威があるし、それなりに傑出した武将だ。
ただ、時代遅れだったに過ぎない。お前などにそのような言われ様をされる男ではない。
このようなスレタイトルにしたお前に語る価値はないな。
「教えて!goo」にこんな質問をしたのはお前か?
だとしたら、『蒼天航路』でもよんでオナっていろ。
(裴松之の注を完全否定? 俺が歴史家なら作者に唾を吐きかけているところだ)
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1723031.html
また夷陵の戦は、そのまま亡国しなかったのがおかしいレベルの敗戦。
孔明が引き継いだ時点の蜀軍は北伐以前の問題なのだ。
よく建て直せたものだな。
まあこれは為政者としての次元で考えるべきだろうがね。
魏呉の二国が放って置いたのは天険を越える労を厭ったのもあるが、
もう脅威にはならない屍と思っていたから。
その屍相手に10年以上も恥さらしな戦いぶりをした魏軍はどんな無能なのかね?
答えは両方とも無能ではない、ということだ。
韓信やハンニバル、ベリサリウスや李靖のような名将でも乗じる敵失が無ければ易々とは勝てないものだ。
俺は君の言葉より仲達の評価と対応こそを信じる。
142 :
1:2007/05/19(土) 15:25:59 ID:J6gGA3MJ0
>その屍相手に10年以上も恥さらしな戦いぶりをした魏軍はどんな無能なのかね?
無能?戦略目標を達成させたのは常に魏側ですよ。
呉にも勝ってます。
>魏呉の二国が放って置いたのは天険を越える労を厭ったのもあるが、
>もう脅威にはならない屍と思っていたから。
それをうまく利用できなかった時点でもう終わってるとしか言いようが無い。
>その屍相手に10年以上も恥さらしな戦いぶりをした魏軍はどんな無能なのかね?
>韓信やハンニバル、ベリサリウスや李靖のような名将でも乗じる敵失が無ければ易々とは勝てないものだ。
それを作り出すのが名将ですよ。
例えば正攻法で勝てなければ奇襲したり、有利な布陣をひいたり、補給戦をたったり、伏兵を使ったり、油断を誘ったりですね。
敵失は作るもの。見つけるものである。
それだけ基本的なことを理解していながら、
何故、孔明を否定するのだろうなあ?
良く判らん。
孔明がハイリスクな作戦を採用するのに臆病というのは分るし、
そこを完璧に読まれていた為に魏を崩せなかったのも確かだろう。
だが益州からギリギリまで搾り出した蜀の全軍を丸ごと博打に賭けるのは狂人としか言えない。
君はそんなキャラクターの首相の国、社長の会社、父親の家にいたいか?
俺は嫌だ。
また列記した名将の基盤とその敵の比較を考えれば分る。
韓信:漢vs楚
ハンニバル:カルタゴvsローマ
ベリサリウス:東ローマvsヴァンダル、東ゴート、ササン朝
李靖:唐vs突厥
対して、魏と蜀の国力比は上記のそれとは比較にならないレベルで懸絶している。
はっきりいって要求が高すぎる訳だが。
そんな状況でも成果を出した人間が大勢いるらしいが、俺には思いつかない。
1氏よ、教えてくれや。
145 :
1:2007/05/19(土) 15:54:47 ID:J6gGA3MJ0
>魏と蜀の国力比
なんで呉とか入れないの?
それを言うならば、三国時代でさえ呉が蜀に勝っているわけでしょ。
146 :
1:2007/05/19(土) 15:57:54 ID:J6gGA3MJ0
呉が魏に勝っているの間違え。
カエサル、アレクサンドロス、
日本では戦国北条家、幕末長州、劉備、関羽、東晋、項羽
書ききれないので省略ね。
147 :
1:2007/05/19(土) 16:02:28 ID:J6gGA3MJ0
あと戦国里見家、宇宙大将軍。
>>145 呉を合せようが、蜀のみだろうが、魏とは比較にならないから。
魏の最大の敵は自身の中にいる抵抗勢力であり、貴族と豪族の利権を守る保守主義者。
赤壁や石亭の大勝だけじゃ絶対優位を覆すには至らない。
>>146 君は見えてる部分は聡明だが、見えてない部分にも見栄を張る傾向があるようだ。
149 :
1:2007/05/19(土) 16:10:31 ID:J6gGA3MJ0
>呉を合せようが、蜀のみだろうが、魏とは比較にならないから。
最初は蜀のみ〜とか言っておいて、喝破されると「魏とは比較にならない」
とかいいつつ、一杯例を出されると聡明じゃないなどとほざきだす。
孔明を擁護出来る比較基準の設定しか行っていない。
戦場や戦術的要素になんで「国力」を持ち出すのかどうなのかわからない。
だったらば、べりサリウスは神クラスでもなんでもなくなる。
たかだか三倍程度の兵力差な時点でもうアウトだな。
ははは。
馬鹿ではないが見栄っ張りだと言った。
三倍の戦力差で出来ることなんてほとんど無い。
大軍に勝る兵法は無い。
それに対し、倍の敵に勝つだけで奇跡だ。
それを可能にする為の戦場に持ち込む質的要素も結局は国力に比例する。
まともな勝負になっただけ孔明は天才だろうな。
カンナエみたく兵の少ない方が、倍の大軍を包囲殲滅とか訳わからんことあるぜー
152 :
1:2007/05/19(土) 16:38:14 ID:J6gGA3MJ0
国力に比例するのはわかるけど、兵力差は必ずしも比例しません。
呉合わせても勝負にならないといいつつ、呉は魏に勝利し続けています。
じゃあ呉の武将たちは天才だったんですね。孔明以上の。
もっと一杯事例を出してあげましょう。
国力差でも勝利した。
光武帝、呉、曹操、里見家、アレクサンドロス、カエサル、高杉晋作、チンギスハン、鎌倉幕府
東晋、項羽、織田信長、北条氏康、北条氏綱。永楽帝
源義仲、毛利元就、尼子経久、ピサロ、アテルイ、三好長慶
劉備、呉、ティムール、ローマ帝国、永楽帝、ここてむる、明太祖、楠木正成、
他にもある
じゃあ三倍以上の兵力で勝利した将軍
上含めて
源義仲、源義経、平将門、アテルイ、高杉晋作、べりサリウス、ナルセス、
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、武田信玄、上杉謙信、毛利元就、立花道雪、立花宗茂、島津義弘
アレクサンドル、完顔陳和尚、ハンニバル、旧日本軍
もうこれ以上は書くのはめんどうくさいけど探せばいくらでも出てきますね。
判断基準をこの人みたいに都合よく変えて「孔明以上」にしてしまえば
もっともっと沢山出てくる気がするんですけど。
つーか戦国時代からだけで奇跡のオンパレードな気がするんですけど。
天才ですよね?
153 :
1:2007/05/19(土) 16:40:11 ID:J6gGA3MJ0
じゃあ「まともな勝負になっただけ孔明は天才だろうな。」
と言う比較基準で「7年以上国を守って一回も攻められずに、ほとんど勝ってない」人以上の人物を探ってきますね。
なあ、孫子と戦争論と戦争概論くらい読めよ。
優れた指導者を上にして、要害に拠れば、弱小国も一人前に伍せるという話でしかない。
その二つの利が無くなればあっけなく滅んでるしな。
呉も自ら遠征した場合の戦績は悲惨なもんだ。
それに結果第一で内容無視の人名(国名もあるし)の列記など意味無いし、止めた方がいいよ。
もう少し建設的な議論がしたいのでな。
155 :
1:2007/05/19(土) 17:07:06 ID:J6gGA3MJ0
この人の言う建設的な議論とは「孔明を擁護したい」ためだけの判断基準と肯定評価の確認でしかありません。
べりサリウスを「神クラス」と言っておいて、「国力」という判断基準をいきなり導入しました。不利になったからって。
なので、この人が設定している「神クラス」「微妙」事態が消え去りました。
なぜなら下に出したのも上に出したのもほとんど
「野戦」で敵を打ち破った人物ばかりだからです。
誰も要害に篭ったりはしていません。
しかし孔明の場合は「打ち破っていないので」彼らには圧倒的に劣ります。
内容はこの人が提示した「国力差」「兵力差」を提示しました。
しかも、魏側にも問題があったのにも関わらず、この人はそれを無視しています。
魏にも補給戦の問題がありますし、不利な状況というのは変わりないですが不利を不利にしたまま戦いに望むのは明らかに
軍事才能の欠如と言わざる終えません。弱点は見つけたり戦場で覆すものです。
それを孔明は改善していません。終わってます。
不利だから不利なのだ。というのはそれ自体が孔明の才能の欠如を現すものです。
>自分の1.4倍の身長の男と飯も食わず、その男の家で戦ってごらん。
だから「俺」の才能と「相対評価」は別物です。
運用効率が同じならば、戦力差二倍の敵には勝てない。
ザマの戦を例に挙げるなら、ハンニバルに勝ったスキピオも所詮劣化コピー。
勝負を決めたのは騎兵戦力の数的優越とカルタゴ側の質的不備。
ひいてはローマとカルタゴの国力の運営効率の差が出た結果だ。
指揮官個人の運用効率を将才とかいう言葉に言い換えるなら、本家にはやはり及ばなかったようだ。
それでも君は、「ハンニバルはワロみたいなアホと二倍のローマ軍を嬲り殺しにしたから名将」と言うか?
アルプスを越えようが、二十年荒らしまくろうが、彼も戦略目標は達成出来てない。
もちろんそれは誰にでも無理な目標だったからだ。
だがその失敗をもって「ハンニバルは名将ではない」と言っても誰も相手にしないと思うよ。
蜀の不利はカルタゴどころではない。
また北伐の不可能さはローマ滅亡どころではない。
孔明はハンニバルや韓信より指揮官としてのスケールの小さい人間ではあるが、
君が断言するほどの無能な訳が無かろう。
>142
>例えば正攻法で勝てなければ奇襲したり、有利な布陣をひいたり、補給戦をたったり、伏兵を使ったり、油断を誘ったりですね。
なんちゅーか、お前さん地図観た事ある?
地図眺めながら兵站を考えたら戦略的機動余地はほとんど無いんだよ。
諸葛亮が遠征するという事がわかった時点で もう奇襲の要素は皆無になる。
有利な布陣?諸葛亮が考えなかったとでも?
張郃軍の追撃を殲滅したという一点だけでも充分に布陣は考慮されている。
伏兵?敵軍が不用意な突進しない限り無意味。
どこの軍も前進するルートには斥候を送るのは常識なんだよw
斥候に発見されたらそれは伏兵にはならないw
で不用意な突進をした張郃は戦死しましたとさw
油断を誘う?心理戦ならとっくにやってますがな。
司馬に女服を贈ったなんて当時最大級の侮辱とかねw
これやられて耐えた司馬を無責任に誉める人が大勢いますが、それこそ無知丸出し。
士大夫にとって女服を贈られるのは去勢に匹敵する侮辱ナンスw
報復しなければそれは認めたことになるので、ぶっちゃけ司馬の頭はまともに考える事なんて出来ないですな。
心理戦では諸葛亮の大勝利w
んで、敵軍の補給線の遮断?
お前さん、あの険阻な地形障害に阻まれた長安の後方をどうやって遮断するんだ?
輜重なしで歩兵が1ヶ月山登りかよw
出撃したらほぼ確実に全滅、効果は大成功しても一時的な切断w
既に膨大な食料を備蓄している長安方面軍には蚊ほども痛くないw
アハハハ、個人的にはこれが一番哂ったなw
>>155 欠点は戦場に入るまでに消す。
利点は戦場に入るまで養う。
これは自明の理だろう。
だが消せない欠点と捨てるしかない利点もあるということを知ってくれ。
呉は遠征では基本的に役立たずなので、
荊州失陥後の北伐に勝ち目なんか無いんだよ。
159 :
1:2007/05/19(土) 17:36:43 ID:J6gGA3MJ0
知的障害者を撃破しようかな。
カルトが入っていて駄目なんだこういう手合いは
>なんちゅーか、お前さん地図観た事ある?
当時の地図じゃない限り全く持って無意味なだな。
>地図眺めながら兵站を考えたら戦略的機動余地はほとんど無いんだよ。
>諸葛亮が遠征するという事がわかった時点で もう奇襲の要素は皆無になる。
奇襲の要素を皆無にする意味がわかりません。
魏延が提案していたりします。
しかも、第一次北伐ではそれ自体が奇襲となっております。
あとキョウイも奇襲は沢山やっておるので意味が無いわけないです。
>有利な布陣?諸葛亮が考えなかったとでも?
>張郃軍の追撃を殲滅したという一点だけでも充分に布陣は考慮されている。
アホですか?撤退は布陣が崩れるからこそ追撃の意味があるわけで、
布陣もクソもありません。
>伏兵?敵軍が不用意な突進しない限り無意味。
>斥候に発見されたらそれは伏兵にはならないw
伏兵は突進しなくても突進をさせたりして使ったり
陽動や策を使ったりしてで使うものです。
しかもお前の理論だったらば伏兵での撃破自体が無くなりますね。
おかしいなあ。世の中に一杯あるのに
>油断を誘う?心理戦ならとっくにやってますがな。
>司馬に女服を贈ったなんて当時最大級の侮辱とかねw
>これやられて耐えた司馬を無責任に誉める人が大勢いますが、それこそ無知丸出し。
>士大夫にとって女服を贈られるのは去勢に匹敵する侮辱ナンス
>報復しなければそれは認めたことになるので、ぶっちゃけ司馬の頭はまともに考える事なんて出来ないですな。
>心理戦では諸葛亮の大勝利w
で、心理戦で勝利したなんて意味不明なものが孔明の戦略目標達成や
戦術での勝利につながっていなければ
侮辱させれば勝利などというわけのわからない勝負をしていたんですかね?孔明は。
無理に褒め称えるからこうなりますね。
>んで、敵軍の補給線の遮断?
>お前さん、あの険阻な地形障害に阻まれた長安の後方をどうやって遮断するんだ?
>輜重なしで歩兵が1ヶ月山登りかよw
>出撃したらほぼ確実に全滅、効果は大成功しても一時的な切断w
>既に膨大な食料を備蓄している長安方面軍には蚊ほども痛くないw
相手は補給線の問題を抱えていました。
むしろ地形障害に阻まれていたからこそ
「水路」が必要になったのです。
なので、孔明はその補給の問題をなぜ考慮しなかったんだろうなあ。
さっそく湧いてきたw
161 :
1:2007/05/19(土) 17:41:40 ID:J6gGA3MJ0
>荊州失陥後の北伐に勝ち目なんか無いんだよ。
ここは北伐の勝ち目スレではありませんよ。
孔明のカルト信者の特徴
@無理なんだよ。
乱世の雄は不利を覆して戦ったから名将や英雄なのです。
無理で終わるなら最初から戦ってください
A
>当時の地図じゃない限り全く持って無意味なだな。
地形の高低差は充分に参考にできるし。
全く無意味なんて知的障害者丸出し。
お前は謙虚に読もうという姿勢が全く無いんだよな。
論議のための論議をするのがお前の正体。
だからお前は愚か者なんだよw
163 :
1:2007/05/19(土) 17:54:09 ID:J6gGA3MJ0
孔明のカルト信者の特徴
@無理なんだよ。
乱世の雄は不利を覆して戦ったから名将や英雄なのです。
無理で終わるなら最初から戦わないでください。
しかもたかだか三倍の兵力差で無理な意味がわかりません。
作戦は無限にあり、そして、組み合わせて使うものです。
しかも新兵器を開発しながらも不発に終わっています。
なんで?としかいいようがありません。
防御用の兵器を作らないで、火薬や鉄砲でも作ってれば良かったんじゃないでしょうか。
司馬イもこういっています
「孔明?策は知ってるけど使わないじゃん。正攻法しか」と。
なんで向かっていかなかったんだろう。正攻法でも「強かった」のに。臆病なだけだ。
A持っただけ偉い
持っただけなら沢山の人間が持っています。
孔明は7年間しか持っていませんし
持っただけの話なら孔明死後の方が持っています。
あと一回も攻められてません。
攻められそうになったけど、「雨」で撤退しました。
なんでしょう。幸運すぎる。
B蜀を建国させた。
蜀を建国したのは劉備です。
孔明がしたのは劉備に助言を与えただけです。
C死ぬのが早かった。もう少し生きてれば。
健康管理が出来ていないだけ。
D相手が名将だった。
どこがですか?司馬イは孔明と戦った当時は雑魚です。
曹真も、ただのデブで異民族をなだめるための目的でした。
逆に蜀には魏延、王平、呉漢、馬ショクなどの将軍がいました。
E孔明は政治家だったから軍事で政治的な事を考えてしまう。
政治家としての孔明は中国史に特筆するべきものがあります。
しかし政治家だったらば、「政治工作」で漢朝復興を盛り上げるべきでは無いでしょうか。
劉備以下としか言いようが無いし、
「魏」が倒れたら「漢」のような政治が復興していることを見てもわかるとおり
「漢」待望論はくすぶっていたに違いありません。
F
名将の基準に真っ先に結果を求めるから、
戦略目標が達成出来なかった敗将が、何故それをしなかったか。
投機的行動に見合う勝利を得る可能性はあったのか、ということを論じたまで。
・第三勢力の中立(呉)
・主戦線(関中)の戦力差を和らげる補助戦線の形成(荊州なり合肥)
この二つは同時に行われなければならない。
石亭こそ勝ったものの呉はすぐ撤退するし、粘らないから役立たずだ。
自分の描いた戦略が最初から中途半端な状態では勝ち目なんかないだろ。
片翼飛行で目的地までいけるはずがない。
君こそ個人崇拝のカルトでは?
これ↓なんかもう他人の話を全く聞いていない証拠。
強引に話を歪めようとしてますw
>しかも、第一次北伐ではそれ自体が奇襲となっております。
俺ははっきりと
「諸葛亮が遠征するという事がわかった時点」と言っている。
第一次北伐の初動では魏は諸葛亮が大規模遠征する事に気付いていない。
だから奇襲効果があった。コレ以降は奇襲効果はない。
知ったかぶり乙の例↓
>あとキョウイも奇襲は沢山やっておるので意味が無いわけないです
キョウイの奇襲は輜重を無視しすることによって成立した。
そして案の定大失敗の連続。
兵站を無視することがどれだけ無謀かというのがキョウイの戦訓。
それを持ち出すなんて、やっぱり知的障害者なんでしょうか?
兵站を維持するという条件がどれだけ重要なのか>159は全く理解していませんw
日本帝国陸軍よりも酷い頭脳のようですねw
166 :
1:2007/05/19(土) 18:04:21 ID:J6gGA3MJ0
孔明の戦略的目標である「三倍の敵軍を打ち破り領土占領」ごときは沢山の将軍がやっています。
「長安」の意味がわかりません。
敵を打ち破ることにより、政治効果も考えられるのにそれすらやっていない。
孔明をマゾヒストにしたいだけでしょう。
↓これも知ったかぶりアホ丸出しの例
>アホですか?撤退は布陣が崩れるからこそ追撃の意味があるわけで、
>布陣もクソもありません。
あははは、本当にお前何にも知らんのなw
張郃軍は諸葛亮が布陣した連弩部隊の粉砕射撃で撃破されたんだよw
弩の運用は他の兵種よりも陣形、布陣に時間がかかる。
計画的に部隊を展開(布陣とも言う)しなければ
逆に張郃軍に各個撃破されるものだ。
本当にお前バカなんだろw
168 :
1:2007/05/19(土) 18:12:36 ID:J6gGA3MJ0
>張郃軍は諸葛亮が布陣した連弩部隊の粉砕射撃で撃破されたんだよw
>弩の運用は他の兵種よりも陣形、布陣に時間がかかる。
これは布陣というよりも新兵器、伏兵の方ですね。
張コウは運が悪く、あたって死んだだけで追撃の効果が無かったわけじゃないし、
細い道から一斉射撃されて死んだだけで布陣というよりも狙撃に近いな。
野戦に勝っても関中が維持不可能な打撃を受けたら?
魏には予備戦力がまだまだあるが、蜀にはそんなもの残ってないのだが。
敵の一部に壊滅的打撃を与えたが、自分は全身不随で動けなくなったでは話しにならない。
博打を一度打つと次々と同じことを繰り返す羽目になる。
「どうせ滅びる、だからギャンブルする」なんて思考を、基本に置くのはアホとしか言いようが…
また兵站の不利は両者ともあるが、輸送のコストと労力の差ぐらい考えてくれや。
170 :
1:2007/05/19(土) 18:16:01 ID:J6gGA3MJ0
>野戦に勝っても関中が維持不可能な打撃を受けたら?
>魏には予備戦力がまだまだあるが、蜀にはそんなもの残ってないのだが。
>敵の一部に壊滅的打撃を与えたが、自分は全身不随で動けなくなったでは話しにならない。
それでは何のために孔明が北伐をやったんでしょうか。
意味の無い、従軍行為のコストを嵩むためにやったの孔明という将軍って馬鹿なの?
どんどん孔明がマゾになってるんだけど。
@無理なんだよ。
乱世の雄は不利を覆して戦ったから名将や英雄なのです。
無理で終わるなら最初から戦わないでください。
171 :
1:2007/05/19(土) 18:21:31 ID:J6gGA3MJ0
あと政治家としての孔明は簒奪に近い人間です。
劉備が言ったのは
「李なんとかと孔明にまかす」とか言ったのに、
孔明がなぜだか独裁政治を行いまくりました。
何故かもう一人を失脚させました。
自分に反対するものを殺し、落としいれました。
不利な戦争を行い、蜀の人間を漢朝復興などという意味のわからないものに尽き合わせ
「無理」な戦争に巻き込みました。
法律は無駄に厳しく、税金も重かったのです。
劉禅は皇帝なのにも関わらず「傀儡」とされました
今でもアホだの間抜けだのいわれまくっています。
恐らく孔明は、魏を打ち破ったら簒奪をする気だったのでしょう。
172 :
1:2007/05/19(土) 18:23:00 ID:J6gGA3MJ0
そもそも第4次北伐程度の成果なら沢山の将軍があげてるし、蜀が防衛側だったのであまり評価できんよな。
しかも第四次北伐ってあれでしょ。撤退したの蜀じゃないか。
やれやれ。愚か者の相手は疲れるねw
>伏兵は突進しなくても突進をさせたりして使ったり
>陽動や策を使ったりしてで使うものです。
お前さ、伏兵についてかなり誤解しているなぁ。
部隊の展開の一種であって魔法のツボみたい湧いて出てくるわけじゃねーの。
よくあるパターンは中央の軍は存在を誇示しておいて側面に展開した部隊は偽装しておく。
中央の軍をワザと後退させて敵軍を突出させて、側面の部隊が挟撃を加える。
所謂、半包囲による殲滅戦術だよ。
お前さん、策やら陽動なんて言っても具体的に何だか説明できないだろ?
生半可なんだよなぁ。だから愚か者なんだよw
174 :
1:2007/05/19(土) 18:24:18 ID:J6gGA3MJ0
>よくあるパターンは中央の軍は存在を誇示しておいて側面に展開した部隊は偽装しておく。
>中央の軍をワザと後退させて敵軍を突出させて、側面の部隊が挟撃を加える。
>所謂、半包囲による殲滅戦術だよ。
ハンニバルね。
175 :
1:2007/05/19(土) 18:27:44 ID:J6gGA3MJ0
>>174は書き間違いだな。
でも、「突進」をさせてるのは間違いないな
あはははははははははははは。
孔明信者ってどこまで馬鹿なんだ。俺の主張を正当化してくれるう。
つーかランチェスターの第二法則を知ってたら
軽々しく「三倍の敵に勝つのは容易」とか言わんだろ。
時間的、数的に無理なものは無理。
アップセットが起こるのは質的優位が離れていた時だけ。
それを押し出そうにも作戦期間と戦力がああも制限されてはな。
道化を踊らすのも中々骨が折れるわ。
>むしろ地形障害に阻まれていたからこそ 「水路」が必要になったのです。
これもバカ丸出しだなぁ。
おまえさあ、当時はトラックも無ければ鉄道もねーんだよ。
前近代の中国の輸送・流通は河川運河による水運に多くを頼っていた。
馬匹と貧弱な車輌による陸上輸送は大変に効率が悪く非常に高コスト。
水運に頼るのは極当たり前、日常的なもんなんです。
というか、産業革命以前の世界はどこの国も水運が中心。
英国なんてちっぽけな国でさえも運河を作っていたし、
日本も水運(海運)が中心。欧州も河川と運河による水運が物流の主力です。
故に長安方面軍が水運に頼っていたのは単に水運が利用できたという事であり
水運を利用できなかった蜀遠征軍よりも遥かに補給が豊かだったという事を
貴方は言っているだけですw
しかもその口ぶりじゃ魏がどれだけ前線都市に莫大な食料を備蓄していたか知らないみたいだし・・・
本当に生半可だよなぁ。
この頭の悪い釣りは、むじんなんじゃねーの?
しかしまあ、>175みたいに中途半端なバカが一番性質悪いわな。
史料読んでいりゃ諸葛亮は様々な陽動や擬態を行い
司馬の進撃を誘おうとしていることぐらい容易に読み取れる。
充分にやっていますが何か?でFAだろ。
それをまあ、屁理屈と半端な知識を粗雑にこね回しているんだから愚かにも程があるべ。
181 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/19(土) 18:51:56 ID:J6gGA3MJ0
やっていても、いつも逃げ出す孔明君はやっぱり「足りなかった」だよな。
才能の欠如。うんわかりやすい。
やるだけなら誰しも出来るんだよ。むしろ失敗したから愚策を繰り返した孔明は下策を繰り返したよな。
>長安方面軍が水運に頼っていたのは単に水運が利用できたという事であり
頼れてねーよ。
水路ほとんど無かったんだよ。当時の長安方面軍はな。
だから「水路」が必要だった。後年はな。
諸葛が生きていた時代は無かった。むしろ生半可に大軍を要していて陰険な道を通らなきゃいけない
魏が圧倒的に補給面では不利だな。
182 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/19(土) 18:56:13 ID:J6gGA3MJ0
馬鹿ばかりだ。
孔明はただのデブに勝てなかったり、
ただの雑魚に勝てなかったりしたただの臆病ということが見て取れる。
しかも愚将の曹真やただの未熟な司馬イに負け続けたんだから大笑いだ。
逆に上に才能がある人間は、名将に不利な状況で勝ち続け政治工作をし続け、
有利な状況を作って勝つ。
孔明は一族もろとも滅ぶべき存在だったのに劉禅を洗脳したせいで良かったんだよな。
殺されなくてすんだ。
183 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/19(土) 19:01:08 ID:J6gGA3MJ0
司馬イ:孔明との戦いでほぼ初陣。
曹真:馬の骨。
孔明:それに負け続ける。
孫策:遠征軍なのにも関わらず、20倍の敵に勝利しつづける。
敵は名将だらけ。
周愉:あの曹操や名将曹仁に勝利。
陸孫:大軍の劉備に勝利し、遠征でも魏に勝利。
曹操:30万の兵を五千で食い止め勝利
兵站は双方ともに苦しかった。
しかし、魏は大軍を引き連れている訳で、蜀のそれとは比較になりません。
同じ規模の補給線を寡兵の蜀軍が確保していれば、事態はまるで一変します。
良将は敵に食む、と言いますが仲達がそれをさせません。
時間的な制約を常に掛けられた状態で、一体どうすれば勝てたと?
兵站無視の奇策崇拝一辺倒の戦争観は改めてもらいましょう。
185 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/19(土) 19:13:33 ID:J6gGA3MJ0
兵は奇道なり。
絶対評価が改まっていない人だよなあ。
曹操も孔明と変わらないじゃん
むしろ、大軍でありながら何も出来なかった分、孔明より糞だな
2人とも実戦はしょぼいけど、軍事テキストを残したというのが評価されてるだけだな
187 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/19(土) 19:25:03 ID:J6gGA3MJ0
仲達って雑魚でしょ。
孔明は三国志でも劣っているし別に政治が評価されたわけでもない。
曹操:三国志最高のいや中国史最高の英雄
劉備:その曹操に勝利、身一つから皇帝に
孫権:赤壁や夷廖でのお膳たて
孫堅:身一つで群雄に
孫策:遠征軍で勝利し続ける。孔明とは雲泥の差。
董卓:天下を実質取った男
劉禅:孔明に実権を奪われたかわいそうな人。
関羽:三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君と言われている素晴らしい義人
司馬懿:雑魚。
曹真:デブ
孔明:そんな雑魚に勝てない雑魚。
劉備からあとはよろしく頼むと言われたのに、それを守らず独裁政治を行う。
第一次北伐の際には、涼州の人間を拉致、どこかの国みたいな真似を行う。
姜維:洗脳された青年。
詭道というのは敵の虚を衝くから意味があるのであって、
正面に構えている敵にやるのは下策です。
孫堅 三度の飯より人殺しが好き、やり口が在日ヤクザと同じ、きっと半島人の血が流れてる
孫策 こいつも親と同じで人殺し大好き、この一族は滅んだ方が民のためだった
孫権 やはり人殺しが好きなうえに馬鹿だった、最悪
190 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/19(土) 19:43:22 ID:J6gGA3MJ0
中国の歴史時代で一番レベルが高い、三国志主要武将全員の評価
張角:黄巾の乱の首謀。身一つでカリスマ的教祖になった。
黄巾の乱とは、世界初の農民反乱である。
計画も用意周到であったがスパイと裏切り者により計画が密告されてしまう。
そのためなし崩しに起こした反乱であったが黄巾の部隊はただの農民反乱と思われがちだが
しっかりと組織されていた軍隊であったため連戦連勝を遂げた。
しかし乱を起こした直後に病死したため、黄巾の乱は収束していく。
英雄である。
董卓:元々は地方で軍人をやっていた武将だったが、献帝を保護したことにより
帝を傀儡化し漢の実権を握ることに成功した。
しかし、諸侯から反発され反董卓連合を結成されるが適切な作戦で勝利を収め続けた。
特に洛陽を焼いた作戦は大成功した。
経済政策の失敗や匈奴の進入招いてしまうがそれでも
反董卓連合を打ち破り天下一歩手前で呂布により殺された。
英雄。
呂布:中国史の中で個人武勇が一番な武将。
人中の呂布とまで言われ馬も後の関羽の所有物となった。
あの董卓を成敗し、流浪を余儀なくされるが寡兵で大軍を打ち破り
謀略をもって陳留を手に入れる。
曹操との戦いでは、何度も個人武勇で討ち取る寸前まで行くが
曹操の幸運に阻まれる。
最後まで抵抗し、曹操を徹底寸前まで追い込むが裏切り者が出たため敗北した。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 20:12:45 ID:3/c5hNEtO
反吐が出るような文章ばかりだな。
諸葛亮が凄いとは言わんけど、
大軍相手に負けない戦を展開させるのも、才能の一つ。
それが最高司令官にとって正しいのかは別物として。
曹真だとか、張コウだとか歴戦の司令官と戦えることが無能に出来ますか?
まあこんなことお馬鹿なアンチスレで喚いてもしょうがないんだよね。ヤレヤレ
192 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/19(土) 20:51:26 ID:J6gGA3MJ0
曹操:中国史一番の人物であり中国2千3百年年に一度の英雄と称えられている。
頭脳明晰、積極果敢、容姿端麗、性格良い。政治的、文化的革命を次々と行い、今でも英雄の鑑である。
黄巾の乱で私兵を要して活躍をした。そのさい敵の主軍30万ををわずかな手勢5千で打ち破って、
帝が直々に論功行賞を行っている。曹操の活躍が無ければ漢帝国は潰れていただろう。
その功績で済南国の相に任命された。本当は相国でも良かったはずだが。
そこでの政治も厳しくも、モラルがあ政治でありそれまでの腐りきった
悪徳政治家にうんざりしていた領民に泣いて支持される。しかし悪徳政治家に追い落とされ家族を殺すと脅された。
そのため失意のうちに帰郷せざる終えなくなる。
領民は涙をもって見送ったと伝えられている。
再び今度は中央政権に礼を持って呼ばれる。帝直々である。黄巾の乱と済南国国家政治が正しいとの高い評価を得ての事である。
呼ばれた曹操が見たものは腐りきった政治であるが
曹操が一人だけ正しい政治を行おうと宦官や何進に訴えかけるが
何進も宦官も権力闘争しか眼中に無かったため、何進は宦官により命を落とし宦官も大量に何進の敵とばかりに名士に殺された。
曹操が正しかったからである。曹操が言うとおりに宦官も何進も正しい政治を行っていればこのようなことにはならなかった。
罪も無い宦官を殺そうとする袁紹と袁術はおかしかった。
曹操は「やめろ、罪も無い宦官自体を殺すことはおかしい」と必死に非人道的大虐殺を力いっぱい人道を説きとめようとした。
あまりの超絶的に完璧すぎる素晴らしい正論のため誰も反論出来なかった。
しかし袁紹や袁術は馬鹿だからやめなかった。そのため後年曹操に惨めに滅ぼされた。
これも真に曹操が正しく頭が良ったからである。
その騒動でやってきたのが、悪の首魁の董卓である。董卓は、強引に帝がいるのにも関わらずどこの馬の骨かわからない人間を帝に据えようとしたが
反対意見が根強かった。董卓は呂布を味方につけ強引に廃帝をし、馬の骨を帝に据えてしまった。
そして罪の無き民を殺したり、100%以上の税率にしたりといった人間とは思えないほどの暴虐の限りを尽くした。
曹操は今まで直々に論功行賞を行い、呼んでくれた帝を殺されて怒った。
単身董卓を暗殺しようと企むが呂布のせいで大失敗をした。
ここで普通の英雄なら呂布に殺されているはずである。
だが流石、中国史一番の人物だけあって奇跡のような機転で逃れる。
曹操は本拠地に戻ると、敵討ちとばかりに小豪族の立場ながら兵を集め反董卓連合を結成した。事実の上の盟主は曹操だ。
曹操の美しい文章と頭脳により諸侯を糾弾することに成功し、董卓に対抗できる大軍を用意する。
考えてみてほしい歴史上5千の兵力しか持っていない人間が当時の事実上の天下人に対抗できる兵力を即座に相手にばれずに用意できただろうか?
成功したのは曹操ただ一人である。だから破格の英雄なのである。
反董卓連合では、孫堅とともに洛陽奪還に大きく貢献した。
一番の勝利は曹操で孫堅はその後弱っただけの無抵抗の敵を攻撃し虐殺たに過ぎない。
だが、反董卓連合では中国史一番の英雄である曹操以外には事実上の天下人に挑んでも敗北を繰り返していた。
みんな董卓が怖くてびびって逃げていたので、董卓連合は機能しなくなり自然消滅した。
自然消滅したのは曹操が悪いわけではない。曹操が敵を打ち破りすぎて凄すぎたため周りの人間を必要以上に恐怖させたのと。
周りの人間が逃げることしか出来ないただの雑魚だったからだ。
みんな、これはネタだ。
>>中国史一番の人物であり中国2千3百年年に一度の英雄と称えられている
これをネタといわずしてなんという。
チョンの教科書ってこんなもんだよな。
まて、高度な暗号かもしれない。
アインシュタインも最後は簡単な足し算が出来なかったって本当なのかな
誤爆スマソ
いやぁ、専制国家氏もここまでひどくはなかったと思うな。
あの人は、あれでも10年前は史学科選考だったそうで、それなりに教わるところもあったしなぁ。
同一人物だったら幻滅かも。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 22:25:22 ID:BGcsQyAp0
ということは中英板の英雄である専制国家氏を上回る逸材が現れたということか
203 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/20(日) 00:02:46 ID:/pzsOLKC0
>詭道というのは敵の虚を衝くから意味があるのであって、
正面に構えている敵に「虚」がないならどんな人間にもどんな軍隊にも虚はなくなる。
虚は探すもの、作るもの。「正」と「虚」で「無限の組み合わせ」は孫子にも書いてあるわけで。
二分法なんだ。あんたは。正と虚しか存在しません。
>時間的、数的に無理なものは無理。
姜維は一年間、第五次北伐では100日間の滞在をしている。
つーよりも孔明が死んでの撤退であり、死ななかったらもっと滞在できたはずだ。
青田狩りや略奪まで行っている。時間的には問題ない。
数的不利を覆している将軍など大勢いる。
第一100日間滞在しているならば敵に虚が一度も無かったとでも?
覆せなくても一応の戦果があるならまだしも孔明には無い。
だから「才能が無い」だ。
「出来ない」かどうかだったらば「出来ない」かもしれない。
あげくの果てにはここでマニュアル馬鹿は論理が飛躍している。
「誰にも出来ないなので無能ではない。」だ。
どこをどう考えたらそういう思考法が出来るのかまったくわからない。
あと「国力差」と「戦力差」は違いますよ。
国力は「政治的」になるはずです。
ここでは「戦力差」を扱います。
三倍以上の戦力差を覆して野戦で勝利して
不利な状況を覆した将軍など沢山います。
また来たよ…
205 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/20(日) 00:20:34 ID:/pzsOLKC0
>キョウイの奇襲は輜重を無視しすることによって成立した。
>そして案の定大失敗の連続。
孔明とたいした変わらない領土を得て、それなりに戦果をあげてますが?
失敗したのは「撃破」されたのと、(ようするに戦って負けたからで補給の問題ではない)のと
孔明のように「守りを固められたから」(補給の問題ではない)であり、勝てれば姜維のようにそこそこの戦果を得られますが?
占領してたけど挑まれて撃破されたで、(補給の問題ではない)ので孔明に軍事才能があれば敵を打ち破れたはず。
リスクを負うべきだったんだよ。姜維のように。
孔明も。なんでギャンブルしなかったんだ。
さっきから読んでると「軍事才能がある人」の基準が
すごく独特かつ厳しい気がするんですが気のせいですか?
あと「一応」の戦果なら諸葛亮も挙げてるだろ、姜維程じゃないけど
姜維程のマイナスも無いと言う点は評価しても良いと思うが
207 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/20(日) 00:38:38 ID:/pzsOLKC0
だから、孔明の戦果って何よ?
魏延と呉懿と王平だろ?第四次って敵軍は二倍しかいないうえに孔明防衛側じゃねーのか。
まさか第三次か?第三次程度で軍事才能を認めろと?
ここは
>>1に2chの才能は無いスレになりました。。。
>魏延と呉懿と王平だろ?
指示したのは孔明だろ、あと追撃してくる相手を毎回打ち破ってますが
>第四次って敵軍は二倍しかいないうえに孔明防衛側じゃねーのか。
だからなんだ? 何が言いたいの?
210 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/20(日) 00:44:50 ID:/pzsOLKC0
姜維のマイナスは仕方が無い。
211 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/20(日) 00:48:05 ID:/pzsOLKC0
あと豊かな蜀を疲弊させたのは劉備と孔明。
戦力差が勝敗に直結しないのはその通りだろう。
だが数倍の敵に勝つには、相手の運用効率が低いことが絶対条件。
つまり戦力差だけでなく、その他諸々の利を利用出来るかということ。
自分にも利があるように、相手にも利がある。
利と力の総和が自分以上の出来の相手には絶対に勝てない。
孔明は力においても利においても劣っていた相手に対し、十分な有能さを示した。
天才のマニュアルさえあれば、我々の様な匹夫でも同じ次元で考えることは出来る。
同じことを行うには金や信用、縁故など諸々の要素が必要。
それらの準備だけで大変なくらいだ。
だが君にはそんな当たり前のことさえ理解できてない。
「見えてる部分は聡明」の評は取り消させて貰う。
ここまで己の無知を押し出してくると馬鹿としか言いようが無い。
恥というのは隠すものだよ。
213 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/20(日) 01:02:05 ID:/pzsOLKC0
>だが数倍の敵に勝つには、相手の運用効率が低いことが絶対条件。
運用効率が低いことが条件のはずなのに、
なんで孔明はそれなら運用効率が高い敵に突っ込んでいったんですか?
馬鹿だからですか?
>自分にも利があるように、相手にも利がある。
>利と力の総和が自分以上の出来の相手には絶対に勝てない。
これこそトンでも理論なんだよな。
総和ってなんですか?ゲームの有利値の全部あわせた数値ですか?
>孔明は力においても利においても劣っていた相手に対し、十分な有能さを示した。
有能さとは何もせずに帰ることですか?
>天才のマニュアルさえあれば、我々の様な匹夫でも同じ次元で考えることは出来る。
>同じことを行うには金や信用、縁故など諸々の要素が必要。
それは政治なんだよ。
政治。しかも蜀は豊かだったんだよ。収奪しまくったら戦争できるのは当たり前だろう。
>それらの準備だけで大変なくらいだ。
だから、政治だっつーの。
>だが君にはそんな当たり前のことさえ理解できてない。
準備って誰でもやってるよ?
>「見えてる部分は聡明」の評は取り消させて貰う。
>ここまで己の無知を押し出してくると馬鹿としか言いようが無い。
>恥というのは隠すものだよ。
孔明以外は見えていないの評を与えさせてもらおう。
孔明を崇拝していたいなら心の中だけで勝手に崇拝していればいい。
「価値判断の更新」を拒みたいなら勝手に行えばいい。
しかしそれならば人とコミュニケーションをとる必要性は無い。
だから嫌なんだカルトは。
一つや二つの決戦で勝っても魏は倒れない。
対して蜀は負けたら即死だ。
決戦をやるにしても勝つのは当然。
問題はその被害だ。
ギャンブラーに国や軍を預けるのは最後の手段。
215 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/20(日) 01:07:23 ID:/pzsOLKC0
>ギャンブラーに国や軍を預けるのは最後の手段。
ギャンブルやらなきゃいけないレベルになってたんだろ。
まさか座して機を待つなら孔明は政治工作に専念するべきだったが
やったためしなど無い。
政治家として本当に、有能だったのかね。
ただ蜀を疲弊させただけだ。劉備の遺言を破って。
216 :
孔明独裁政治を糾弾する:2007/05/20(日) 01:10:02 ID:/pzsOLKC0
俺は君の言葉より仲達の評価と対応こそを信じる。
さてこの言葉の論評をする。
ようするに「2chの言葉」に影響を受けることは出来ないと言っていて価値判断の更新を拒み
「信じる」ことが前提になっている。
宗教だよ。これって。
いくら言葉を投げかけても2chでは意味が無いよな。こんなんだったらば。
その通り。あんたは正しい。はい終了。
二度とこんなスレ立てんじゃねえぞ。
どうでもいいけど書くペース早えーよw
つーか孫子読んでてこんな馬鹿なのは何故だ。
自論の都合のいい部分だけ引き出して理解した気になってるように思うが。
「結果」と「投機的行動への勇気」だけが指揮官への評価項目で止まってる。
そんな人間の言葉に、どこに信じる要素があるのか?
きっと旧日本陸軍もこんな好戦的な馬鹿ばっかだったんだろーなと思う。
>>1も自論を展開するのはけっこうだけどね
全くの無知蒙昧でもなければ知識や考察力もあるんだろうけど
ただね、傍目にも人間性が屑過ぎてみてらんないわけ
馬鹿って本当にいるんだな
孔明に軍事の才能があったとか書いてるやつも同じぐらいのレベルなんだけどな
孔明アンチから見たらそうだろうなあ
>>222 『軍事の才能』とはどの程度なんだ?
全人類の平均以上なら、数万はいた蜀軍の司令官に選ばれた時点ですでに遙かに到達している。
張コウほどの武将が圧倒的に優位な追撃に失敗している事実をどう説明する?
おきまりの『ただの不運でした。流れ矢です』か?
こんなレベルの低いレスを返す時点でお前こそ同レベルなんだよ
グスタフも流れ弾で戦死しちゃったけど、軍事の天才だお
>>134だがスレ伸び過ぎてて吹いた
俺も専制国家だと思って煽ったんだが、どうも違うみたいね。煽り耐性が
低い所は似てるんだが。もうちょいマシな奴かと思ってたけど
>>192見て
これはひょっとして(ry
結論から言うと
>>1の傾向はやや「厨二病」
消二 厨二 工二
曹操 劉備の敵! 曹操の方がスゲーし 曹操=すごい人の1人
全てに優れた曹操 だけど中国史全体で
カッケー みたら微妙かな
呂布 超つえー人 呂布wwww曹操に まあ武勇という点では
殺された武勇だけの 強烈な印象を残した奴
筋肉馬鹿wwww だよね
張角 乱を起こした 腐敗だらけの後漢王 中国じゃこれ以上の大乱
わるいやつ 朝に一石を投じた。 はたくさんあるし・・。
こいつを評価して 歴史に名は残せたよな
ないやつは馬鹿
>>222 お前は内容を読んでいるのかと(ry
奇策でギャンブルして戦えば必ず勝つなんて発想は小説の中だけだ。
だいたい敵も馬鹿じゃないんだから同じことは思いつくかもしれないのだ。
備えをされたら兵が犬死するだけ。
デメリットをまるで考えず、都合が悪くなれば、「それは政治的」で片付ける。
百里の戦争があれば、千里の戦争もある。もちろん万里の戦争もだ。
規模に応じた適切な対処と判断が軍団の指揮官には存在する。
戦争とはただ兵器を交えて血を流すだけじゃない。
政治的ではない戦争などあるものか。
近視眼的な指揮官が総司令など滅亡一直線じゃないか。
孔明は古今東西の名将たちと比べても、大局的な機動では常に正道を行っている。
ただ小回りが利かないという点では彼らに確か。
それは俺も認めている。だがそんなのは将才の中でも枝葉の部分だ。根幹の部分は確かにあった。
1か0かの絶対評価しかしない馬鹿と一緒にすんな。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 15:53:52 ID:E0HSnGc5O
一日振りに来てみたら、物凄い伸びだな…。
釣りスレじゃないの?
博打推奨する時点で釣りだと思う。
曹操が、博打みたいな勝ち方負け方してるからじゃないのか?
全財産とは言わない
1ヶ月の給料を全額、ギャンブルにつぎ込めばいいお( ^ω^)
そうすれば君も曹操みたく華麗な勝利を味わえる
孔明が軍事的に有能であったとは思わないけど
無能だとは思えないな
普通のことを普通にやってただけじゃね?
233 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 03:17:09 ID:wpgDuemV0
1のようなカスは諸葛亮孔明の素晴らしさを全くわかっていない。
勝ち誇る敵政権に軍事で真っ向から挑むのは、愚策というもの。
だから孔明は、政治戦を挑み魏を突こうとした。
孔明の作戦は呉と連携し、敵に圧力をかけ戦果を挙げ続けることで反曹勢力の決起、
遊牧の乱入や、公孫淵等の豪族の挙兵を促す作戦に出た。
孔明は敵を打ち破る必要など全く無かったのだ。
そりゃ孔明が敵に勝とうと思えば勝てた。
いや勝てる可能性はあった。
だが、蜀も敵を抱えており呉が魏と並んで攻めてくる可能性があったので
軍事力の喪失だけは避けなければならない。
だが魏は腐敗進行中である。孔明はしっかりと気がついた。
張?ほどの歴戦の将軍が、司馬懿の元につけられている時点で魏の破滅は確定的だったのだ。
234 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 03:24:11 ID:wpgDuemV0
>1ヶ月の給料を全額、ギャンブルにつぎ込めばいいお( ^ω^)
>そうすれば君も曹操みたく華麗な勝利を味わえる
一ヶ月の給料を博打でつぎ込んでいるのは
蜀も魏も呉も一緒だった。
だが「全財産」をかけるわけにはいかなかった。
そんなことをしてしまうと「財力が高いほう」が勝ってしまう。
何故なら魏は博打で一回勝てばいいだけだが、
孔明は一回負ければ終了だ。
だから孔明は考えた。
「魏」の国力を減らし、全世界的な包囲網を構築することにより
魏を外圧から呉とひっきりなしに外圧をかける、そして内部腐敗の進行を進め
反曹勢力を使った、包囲網構築作戦だったのだ。
虎穴に入らんずば虎子を得ず。
孔明がやったのは虎を減らす作戦に出た。
そのさなかに死んだ。それだけだ。
235 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 03:27:48 ID:wpgDuemV0
孔明のことを全く知らないカスどもが孔明を馬鹿にし続けているが、孔明の政治工作は呉、異民族にさえ行われていた。
当然魏にもひっきりなしに行われていた。
孔明にはアドバンテージがしっかりとあった。
魏の瓦解など孔明にとっては見抜いていたに違いない。
それを助長しただけである。
236 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 03:41:36 ID:wpgDuemV0
孔明は、呉との異民族との連携作戦で魏の撃破を考えた。
北伐では呉との連携がしっかりして、
孔明と呉が考えた作戦が成功していれば、
良かったのだが、
孔明は無難に作戦をこなし続けたが毎回呉が足を引っ張った。
仕方なしに最後の北伐では無理をしてでも勝利しなければ劣勢の挽回は出来なかった。
237 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 03:55:30 ID:wpgDuemV0
孔明は革命家であり軍事英雄の器でもあった。
劉邦も光武帝も劉備も作戦の途中で死んでいれば、英雄ではなかった。
孔明は、最終勝利者を目指し最善の手を尽くし続けた。
そして、努力は実り始め呉との連携、異民族の助長、公孫淵の挙兵、魏の内部腐敗の進行など、
魏妥当の道が開けた。だがそのとき孔明はすでにいなかったし、孔明以外に英雄はいなかった。
生きていたら孔明は狂喜しただろう。しかしいなかった。
そして魏が滅んだのは、皮肉なことである。
誰も魏など守ろうとしなかった。
助けられずに見捨てられ、気がつくと死に。見るものさえいなくなった。
呉、蜀ですら打ち破れなかったことを司馬懿はあっさりとやってのけた。
魏にはやはり欠陥があった。
表向きだけの強さでは誰もついてこなかった。
だが、孔明の蜀は死してまで命を賭した人間が大勢いたのにだ。
そして、歴史的に後世といってもすぐだが祭られたのは劉禅であり、曹家では無い。
238 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 04:07:43 ID:wpgDuemV0
孔明の正しさは軍事的にも、中国の全てで賞賛された。
孔明が行おうとした漢路線への回帰。
孔明の軍事理論。
孔明の臣下としてのありかた。
孔明の文筆家。
孔明の生涯。
孔明の倒置
孔明の作戦
孔明から学んだ、司馬家は蜀、呉を積極的に征服した。
野放しにしておけば、酷い目にあう。だから戦った。一部正しかった。
だが、孔明の理念は学んでいなかった。だからあっけなく滅んだ。
孔明の理念。これこそ全人類が学ぶべきであり、軍事などを学んでも仕方が無い。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 04:53:38 ID:wje36PsI0
↑先ずお前は一般常識から学び直せ。
今度はなんだよ…
両極端すぎるんだよ。
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 12:08:45 ID:Ktgtp4a6O
243 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 13:36:52 ID:wpgDuemV0
1はなんで孔明に軍事の才能が無いって言えるんだ?孔明が魏を滅ぼしたんだよ。
245 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 13:50:33 ID:wpgDuemV0
赤壁、漢中で曹操を撃退に関羽に策を与えて、曹操をあと一歩まで追い詰めた孔明の軍事才能の欠如ってあるわけがない。
運に恵まれなかっただけ。
246 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 14:01:26 ID:wpgDuemV0
英雄と言われる人間が五十で死ぬのなんてハンデが大きすぎだろ。
劉邦でももっと生きたんだぜ。三国時代ではせめて70歳は必要。
247 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 14:20:27 ID:wpgDuemV0
曹操ほどの英雄でも三国県立が精一杯だった。
レベルが高すぎる時代で、もしほかの時代だったらば統一していたに違いない。
これ以後の中国は暗黒時代に走る。
三国時代=共和制ローマ。
248 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 14:26:16 ID:wpgDuemV0
三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。
曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
夏侯淵も戦果を挙げた
晋以降は立場が逆転した。
つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代
>ID:wpgDuemV0
こいつ、スレというスレに涌いてアホな書き込みしてるな
なんて哀れなキチガイ
250 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 17:53:17 ID:wpgDuemV0
事実を書いただけですが?三国志を読んで勉強しましょう。
251 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 17:54:25 ID:wpgDuemV0
三国志正史なんて信用にならないんだよ。
だから三国演技の方が実像に近いんだ。
252 :
孔明様最高:2007/05/21(月) 17:56:32 ID:wpgDuemV0
もし孔明が風を呼んだのが嘘だろうけど、活躍したのは当然だ。
事実、孔明のおかげで呉軍は勝利をして関羽が曹操を見逃していなかったら曹操は死んでいた。
これは多数の史書に書いてある。
多数の史書というものを、ここに列挙してみてくれまいか。
ついでに、該当箇所を抜き出して示してちょうだい。
非常に興味がある。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 23:20:09 ID:pGLjeOG50
多数の史書とは、吉川三国志と横光三国志と蒼天航路と一騎当千です
あと、光栄の真三国無双の攻略本とかかな(^^;)
すでに史書ですらないw
256 :
孔明様最高:2007/05/22(火) 14:02:35 ID:J1EeiIxM0
三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。
春秋時代は匈奴に負け続け
劉邦は匈奴にぼろ負けした。
曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
夏侯淵も戦果を挙げた
晋以降は立場が逆転した。
五胡南北朝宋は異民族政権
明は日本にぼろ負けw
中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない
つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代
このスレの
>>1のスレの盛り上げかたは才能あるな
孔明以上だぜ
夏侯淵も戦果を挙げた
を入れるあたりこいつは輝いてる。
これはやはり、最近蒼天を読んだ類の人か?
孔明に軍事才能があると書いてるやつは演義よんだばかりの人か?と同じ類だな
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 20:09:19 ID:ct7t6h4K0
>>260 おまえがただの無知なんだよ
軍事才能がなけりゃ、後世までこれほど孔明の名が知れ渡ることはなかった
孔明の名がメジャーなだけに、あらを探して叩こうとするアンチが
必死に否定してるだけで、そいつらは孔明の足下にも及ばない
歴史上の人物にアンチってw
別に孔明の軍事に関しては過去に歴史に名を残す人も否定してる人はいただろ。
朱子学の影響でもうけてんのか?
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 21:55:41 ID:14tsxI030
一度、孔明本人に聞いてみたいな。
「孔明はん、あんさん、軍事関係、自信ありまっか?」
「あるとは言えないがそれでもやるしかない」とつまらん返事が返ってきそうだ
魏延が暴れそうだな
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 23:52:52 ID:fRw5YvlD0
「軍事に関しては私よりホウ統の方が上だ」って。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 01:48:03 ID:/4yXNTQ30
鳳統は大して活躍できないまま終わってしまったがな
結局、後世に名を残してなんぼ
268 :
孔明様最高:2007/05/27(日) 04:01:15 ID:A8wNutYQ0
孔明がやった作戦とは適当に魏軍を拘束しつつ他戦線の動きを待つ戦法だったわけだから
いくら諸葛亮が作戦を成功させてもほかの戦線で負けたら意味が無い。
しかし魏の内部不敗は進行中なため、いくらでもやり直せるはずだった。
また孔明は最後に秘策を見せたが、
司馬懿は乗らずに次の手を考えている途中で死んでしまった。
孔明は天才的な戦略家、戦術家ではあったが周りがずる賢く脆弱だった。
劉備はイケイケギャンブル作戦で勢力を拡大して失敗したので、その作戦は不可能だった。
劉邦がいても韓信がいなかったのが孔明にとって不幸だった。
魏延がいたが、魏延に韓信の代わりが勤まるわけは無かった。
いや本人はその気だったのかも知れないが。
269 :
孔明様最高:2007/05/27(日) 05:08:59 ID:A8wNutYQ0
>>多数の史書というものを、ここに列挙してみてくれまいか。
三国志大全
三国志講談
三国志演技
吉川三国志
三国志入門
三国志記
etc
270 :
孔明様最高:2007/05/27(日) 06:01:03 ID:A8wNutYQ0
>別に孔明の軍事に関しては過去に歴史に名を残す人も否定してる人はいただろ。
>朱子学の影響でもうけてんのか?
孔明の軍事を否定する輩は孔明のことを何も知らないだけの無知に過ぎない。
孔明が政治、軍事、行政、理念、文筆を見るに孔明は世界でもトップクラスだ。
へぇ〜 こうめいってすごいんだね
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 10:28:36 ID:A8wNutYQ0
孔明の出師の表は長い中国の歴史上で二大名文に数えられる。
孔明の軍事理論は今でも使われているんだよ。
孔明の政治を体現できた人間なぞいない。
孔明は民衆から慕われた。
捏造積み重ねて評判だけが先走りしたオッサン。世界で通用しません。
>>272 二大名文って書く場合はもうひとつも描くもんだよ、普通は。
後主の時代に民衆が望んで孔明を祀る廟を作りたいと言ったそうですよ
この当時ではよくあること。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 21:10:39 ID:A8wNutYQ0
捏造積み重ねて評判だけが先走りしたオッサン。世界で通用しません。
↑
馬鹿すぎる。スターリンも毛沢東も織田信長も孔明の足元にも及ばない。
孔明が今でも理想の政治家、軍人、発明家、人間扱いされている意味を考えろ。馬鹿であほで雑魚な頭で精一杯。
二大名文って書く場合はもうひとつも描くもんだよ、普通は。
↑
もうひとつは有名じゃない
この当時ではよくあること。
↑
孔明以外はいないけどな。
張嶷とか南中で祀られてるけど、辺境の民度の低い奴らだしな
中央の政治権力トップが祀られるというのはまれだろ
279 :
孔明様最高:2007/05/28(月) 07:27:00 ID:XCvlMhTn0
天下三分を理解してない馬鹿に告ぐけど、孔明が敵を打ち破ったところで呉が反逆してくる可能性があるから利害調整をしなきゃいけないんだ。
確かに孔明ならば100000ので1000000の兵を撃破するだけならたやすいけど呉戦線を支える人材がいないから、それは不可能なんだよ。
天下の孔明に対して「無理だった」とかほざいているが孔明は世界1だ軍事才能は。
280 :
孔明様最高:2007/05/29(火) 11:34:57 ID:I0l00Lqd0
ID:iwnxSchd0天下三分のことを理解していない馬鹿。
どう考えても劉備の状況の方が苦しいのに、不可能ならば
お前理論では蜀と荊州を得る方が不可能だ。
だが劉備は現実に得ることが出来た。
これは孔明が全てやったことであり、劉備は孔明がいないと何も出来ない馬鹿殿である。
孔明はたかだか10倍の敵くらい破ることが可能であり、韓信やベリサリウスなんて孔明と戦えば負けるだろう。
孔明を我々のような凡人が語っても意味が無い。次元が違う。ファンタジスタを語るにはセンスが必要だ。
281 :
孔明様最高:2007/05/29(火) 11:37:53 ID:I0l00Lqd0
孔明の北伐自体がすでにギャンブルなんだよ。
それを「当たり前のように引き分けに持っていった」のでギャンブルのように見えないだけだ。
だから孔明は無限に挑戦が出来たし、魏はあのままじゃ滅亡していたな。いや孔明の遺策によって滅亡したけど。
まぁ、孔明の軍事才能が無いといったのは、従軍経験が全く無い陳寿さんなわけだが
しかも「無かったのではないか?」と断言はしてないし
283 :
孔明様最高:2007/05/29(火) 12:06:09 ID:I0l00Lqd0
臨機応変って9割策を成功させているのに呉だのが失敗したせいで退却に追い込まれているし
謀略の重ねがけも普通にやっている。魏は追い込まれていたのは事実。
孔明はずっと蜀に篭って挑戦できるが
魏はそれに耐え続けなきゃいけなかったんだよ。
もし孔明の具合が悪化しなかったら、謀略により(離間系は成功している、それと虚報も)
司馬懿は討ち取られてたね。
多分、暗殺されたんだよ。
284 :
孔明様最高:2007/05/29(火) 12:15:01 ID:I0l00Lqd0
孔明に軍事才能があると書いてるやつは演義よんだばかりの人か?と同じ類だな
↑馬鹿だなあ。
孔明は歴史部門を削っているため民間伝承以外詳しいことが伝わらない。
三国志精子なんてクソ小説は孔明にぼこぼこにされて泣き叫んだ司馬懿のためにも孔明がやったことをカットしている。
演技の方が真実に近いのは多数の小説家が提唱している。
狂気の歌は浅はかな歌だ。フビライは彼を生かすといっていたのにわざわざ死を選んだからだ。
死ぬのは勝手だが、フビライにすまないとでもいえよ。即時処刑されている立場だったわけで、それを好待遇で仕えるように言ってくれた上に、
元は中華的に正統を名乗ってもいいはずだ、禅譲なんてこの時代必要なかったんだから。臣でもいいけど元は悪くない。
二大名文って書く場合はもうひとつも描くもんだよ、普通は。
↑
もうひとつは有名じゃない
は?二大名文なんだろ?二大ってことは同じぐらいの評価ってことなんだろ?
出師はその程度ってことになるぞ。
286 :
孔明様最高:2007/05/29(火) 12:33:39 ID:I0l00Lqd0
は?二大名文なんだろ?二大ってことは同じぐらいの評価ってことなんだろ?
出師はその程度ってことになるぞ。
↑
馬鹿だなあ。もうひとつは蛇足として付けられているだけだ。評価は出師>>>>>>>>狂歌
287 :
孔明様最高:2007/05/29(火) 13:04:36 ID:I0l00Lqd0
正気の歌の間違えね。
288 :
孔明様最高:2007/05/29(火) 13:54:42 ID:I0l00Lqd0
1さん勝手に曹操の続きを書きますよ。
反董卓連合が消滅したので、曹操は一旦根拠地に戻り力を蓄える。
単独で董卓を壊滅させても董卓が献帝を奉じている以上は、逆賊である。
他帝を擁立するのはルール違反であり、忠国の曹操にはそのようなことは漢への侮辱だった。
そして献帝は董卓に殺されたら元も子もない、人質を取られているようなものだ。
曹操は、状況を打開し献帝を奪還するべく謀略を開始した。この時代の英雄は試行錯誤する。他の時代と比べるとレベルが高い証拠だ。
董卓の悪い噂を流して、周囲の董卓への信望を無くさせてしまった。
董卓はそのせいで政治がうまくいかなくなり、董卓の勢力の組織力が落ちてしまった。
(悲劇は多々あったが)
曹操は更に、董卓と反目している人間を動かして、董卓を攻撃させ董卓に止めをさそうと考えた。
そして試行錯誤をしたが董卓を暗殺させることに成功した。
その手法とは呂布が董卓の女と密通していると噂を流し、王允も董卓暗殺の噂を流す。
王允は呂布に攻撃を要請し、董卓を斬殺した。
そして、曹操が王允の後詰めに行き、
献帝を奪還する予定だったが元董卓陣営が仲間割れをしている。
曹操の献帝を奪還するための布石が一歩動いたのである。
>>289 その子ではないが言わせてもらうと、自分自身は諸葛亮を名将だと考えている。
しかし、特に実績重視のそのスレッドでは、諸葛亮は落とさざるを得なかった、というところ。
そう思っている人はわりと多いと思う。
名将のなんたるかの条件を広く取るか、集約するかで見方も違ってくるから、別にそれはそれでいいのだと思う。
>>290 中国名将百選の初代からの住人だけど
実績重視のそのスレッドでは、諸葛亮は落とさざるを得なかったというか
端から候補にすら挙がってませんでしたが…
まあ2か3スレ目でちらっと名前が出てたことは出てたけど
落されたのとは少し違うかと…
まあ個人が諸葛亮を名将だと思うのは自由だけしそれについては異は唱えないけどね。
でどっちかと言えば名軍師じゃないかな?
>>282 陳承祚いがいにもたくさんいるだろ・・・
>>252 >もし孔明が風を呼んだのが嘘だろうけど、活躍したのは当然だ。
赤壁の戦いで諸葛亮は何したんだ?
>事実、孔明のおかげで呉軍は勝利をして関羽が曹操を見逃していなかったら曹操は死んでいた。
>これは多数の史書に書いてある。 いつ関羽が曹操を見逃したっけ?
>>269 三国志大全 三国志講談 、三国志演技 吉川三国志 、三国志入門 三国志記 etc
は多数の史書なの?つーかこれらはいつから史書になったんだ?
>>270 朱子学自体ご存じなのかい?
>孔明が政治、軍事、行政、理念、文筆を見るに孔明は世界でもトップクラスだ。
政治、軍事、行政→唐の太宗、後周の柴栄、宋の太祖は?
政治、行政→蕭何、ビスマルクは?
軍事→韓信、李靖、孟[王共]は?チンギスハーン、ナポレオン、フレデリック大王、モルトケは?
諸葛亮は世界に通用するかね?
>>284 >孔明は歴史部門を削っているため民間伝承以外詳しいことが伝わらない。
そんなの初めて聞いた。
>三国志精子なんてクソ小説
正史三国志は小説なの?批判もあるけど陳寿の立場は?
>演技の方が真実に近いのは多数の小説家が提唱している
羅貫中が創作した物語が真実に近いって…
あと小説家がいくら提唱してもなぁーw
第一演義の中の諸葛亮のモデルは明の劉伯温なんですけど…
さあ答えてもらおうか!!
わざとらしい釣りにわざとひっかかる奴うざい
>>294 スレ自体が釣りのこんなところで何をいってんだか。
>>292 なら実名を挙げてみせればよいだろう
沢山ってことは最低5人はいるよね?
釣り糸だらけだなw
ここから出るなよ。
他のところに出没していい迷惑だ。
微妙にマイナーなこと知っているようで、あなどれんところはあるが。
正気の歌って出師の表より近現代で三国志がメジャーになるまでは有名だったはずなんだが
幕末の志士たちも好んで読んでるし
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 14:11:42 ID:6AoL1bGyO
このスレまだあったの!
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 04:15:46 ID:+DEu4RlM0
あげ
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 06:15:05 ID:e3cyNqWU0
●中国政府は、沖縄県の一部である尖閣諸島が中国領土であると主張している。
●中国の一部高官や知識人は、沖縄が中国の領土だと主張している。
●民主党は、中国人を含む観光客やビジネスマン、学生などの外国人を沖縄に長期滞在させる3千万人ステイ構想を主張している。
●民主党は、韓国の反日デモに参加しちゃうほどの反日議員を「沖縄作業チーム」の顧問に就かせて、
地方分権の先駆けとして、「一国二制度」の発想と手法で沖縄が自立・独立する事を目指して日々推進している。
●民主党は、在日外国人に地方参政権を付与して、沖縄県市町村の首長選挙や地方議会選挙に在日外国人も投票できるように積極的に取り組んでいる。
●民主党は、在日外国人が日本人の言論を取り締まれるようになる人権擁護法案を国会に提出している。
●民主党は、不法滞在者や疑いのある外国人滞在者をメールで通報できる制度に抗議し、法務省に制度見直しを要求している。
●民主党の幹部は、日本に入国する外国人に指紋採取を義務付ける入管法改正案に対して、人権上の問題があると批判している。
●民主党の議員は、難民認定の拡大や不法滞在者の収容緩和を要求する団体の抗議活動に仲良く参加している。
●民主党の元代表が、台湾総統や中国共産党との会談で台湾の独立を支持しないと明言している。
●民主党は、中国共産党との定期協議で、中国の要求通りに民主党政権なら首相・官房長官・外相は靖国参拝しないと明言している。
●民主党代表が幹部と共に訪中する前日、尖閣近海のEEZに中国調査船が侵入して強行調査したのに、訪中した先での首脳会談ではこれに触れずじまいだった。
●中国共産党主催の政党国際会議に出席した民主党代表者が、「これからは中国共産党がアジアの盟主として指導していく」と感想を述べ、
更に、台湾問題で揉めて会議参加を見送った自民党の事を、「将来への時流センスが完全に狂っている」と批判している。
●中国の莫大な人口、中国政府による長年に及ぶ対日マスコミ工作やスパイ潜入疑惑、華僑などの中国による外国移住+乗っ取りに積極的な過去の歴史的態度を考慮すると・・・、
結論
現在の民主党執行部による政策では、現在の自民党執行部のそれと比べて、
沖縄や尖閣諸島が中国の一部のような状態に成りかねない危険が大いにあると言えそうだ。
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 08:35:52 ID:ZELKDZ1q0
>>289 名相百選の方には入ってるから良いじゃん
さすがに前史通して名将100人は無理
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:30:12 ID:X6g2/9CG0
3倍以上の魏軍と互角以上に渡り合っただけでも
軍事の才能ありとみておかしくはない
▼米国FBIの言論弾圧を弾劾せよ!
米国民主主義に対して第二次世界大戦の戦後審判とはまったく関係なく、新たな主張を行うことにより危険思想保持者と見なし、記事の削除とアクセス禁止による明らかな言論弾圧を行っている。
FBIは、沖縄米軍基地における軍事的弊害説、9.11フリーメイソン陰謀説に対する言論弾圧が認められた。
▽民主主義の国民が防衛理念を含む専門知識に基づいて投票することは有り得ない。
したがって軍事兵器の使用は極めて不明瞭な理由により過ちを繰り返しやすく、軍事的弊害を含んでいると言える。
イラクの軍事支配という中東の混乱により米軍の軍需産業は事実上沖縄にまでこの軍事的弊害を生じさせたのである。
一方、1996年8月28日、最高裁は米軍用地の強制使用手続きをめぐる代理署名訴訟で、米軍基地への土地提供を定めた米軍用地特別措置法は憲法に違反しないという判決を下した。
この米軍用地特別措置法は同盟上の米軍の軍需産業を容認するものであるが、前述した沖縄の軍事的弊害とは、似て異なるものであり、両者を民主主義において憲法上合法とすることは不当な判決であると言わざるを得ない。
▽米国同時多発テロ9.11は、事実上米軍のイラクでの軍事活動を正当化せしめたのであり、数十万の身体障害者を含む戦争犠牲者を齎した。
そして、ブッシュ政権はイラクの民主化に必要な要件を満たしていないばかりか、フリーメイソンの教義に含まれる虐殺思想の終端と軍事経済破綻を防ぐべく水面下での隠蔽工作をしたかの如き示唆を繰り返しているのである。
なぜならば、米国の権威は少数民族を虐殺したことにより維持されてきたからであり、この戦争利権を維持するために大規模なテロ事件を通じて米国民を洗脳する必要があったと言えるからである。
つまり、戦争の可否は国民洗脳により誘導された似非民主主義的な判断に基づくものである。
306 :
1:2007/06/10(日) 23:45:57 ID:Ys/uomM20
知恵遅れのカルトは死なないかね
このカルトは孔明を擁護できる基準しか設定しない。
アンチだのここのやつらといった比較基準が擁護前提の
ナンセンスな宗教的な観点からのレスを考えるに孔明教在家信者だ
総和って何?ゲームの有利地(苦笑日本語書いてね
お前は内容を読んでいるのかと(ry
奇策でギャンブルして戦えば必ず勝つなんて発想は小説の中だけだ。
↑俺はギャンブルをして戦えば必ず勝つなんてことを書いた覚えは無い。
ミスリードやめてね。
ギャンブルが必要でそれをしなければ座して滅ぶとは書いたけど。
だいたい敵も馬鹿じゃないんだから同じことは思いつくかもしれないのだ。
備えをされたら兵が犬死するだけ。
↑その駆け引きを最初から放棄している孔明はやっぱただの軍事音痴だ。
備えをされたら、敵が出てきたらだったら最初から戦わなければよろしい。
デメリットをまるで考えず、都合が悪くなれば、「それは政治的」で片付ける。
↑メリットを獲得することを考えていない
百里の戦争があれば、千里の戦争もある。もちろん万里の戦争もだ。
↑君はやっぱり百里だのなんだので中国史にはまりすぎたマニュアル人間なんだろ。
百里と千里の距離の有効活用をしていない孔明はやはりただの軍事音痴だな。
規模に応じた適切な対処と判断が軍団の指揮官には存在する。
↑規模に応じた適切な対処と判断をしているのかね
戦争とはただ兵器を交えて血を流すだけじゃない。
↑ただ何もせずに退却することが戦争じゃない。
政治的ではない戦争などあるものか。
↑政治的観点を考えても孔明は愚策しか行っていない・
近視眼的な指揮官が総司令など滅亡一直線じゃないか。
↑その近視眼的な司令官より戦果をあげられず孔明は自らが主張した通りに死に蜀が滅んだとすると
やはり近くからみないとわからないものがある。
孔明は古今東西の名将たちと比べても、大局的な機動では常に正道を行っている。
↑正道しか行えないならパンチしか放てない格闘家と同じだ。
ただ小回りが利かないという点では彼らに確か。
↑あはははははははははははは
小回りではなくて勝負する資格も何もかも無い
それは俺も認めている。だがそんなのは将才の中でも枝葉の部分だ。根幹の部分は確かにあった。
↑無い。戦果が無い人間は認められない。
1か0かの絶対評価しかしない馬鹿と一緒にすんな。
↑孔明は0.1も獲得していない。俺が主張してるのは「戦果が無い」だ。
0をくだらない理屈で1に見せかけようとするカルトはいるみたいだけど。
307 :
1:2007/06/11(月) 00:16:35 ID:xXXwVZQq0
ギャンブラーに国や軍を預けるのは最後の手段。
↑これ自体が孔明を何もわかっていない。
孔明の北伐自体が出師の表でギャンブルだと明確に位置づけられており安全策自体を孔明は愚弄して却下している。
つまり最後の手段を使わなければ孔明自身は国力の関係から蜀が滅ぶと言っており打って出ることが必要だった。
事実後年その通りになっている。
三国志の英雄であった劉備も曹操もリスクを潜り抜け雄飛している。
三国時代ですらそうなのだし、孔明以前からもそうだった。
アホの理屈だと、孔明は天才らしいが孔明レベル
で天才ならほとんどの軍人など天才だらけである。
不利な状況を覆すにはどこかで無理をしなければならない。
だが孔明はそれをまったく行わず勝利を伺う姿勢すら放棄し続けた。
孔明は自らが却下した安全策を使い続け蜀は閉じ込められることとなり
国力差が大いに広がり孔明が言うとおり座して死を待つだけの情勢となってしまった。
何度も言うが孔明は安全策を下策だと評している。
座ったままで天下など取れるわけも無く
更に逆転するにはどこかで危険を冒さなければならないからだ。
軍事英雄すらそうなのに孔明ごときだったらばそれは顕著なはずである。
そして孔明に軍事才能があったならばそれを行う義務があり退陣に徹して撤退を繰り返すほど国力差がどんどん広がり危うくなってくる。
孔明は打って出なきゃまずいと主張しておいて何もせずに帰った。当然やったことは行軍のみで、決戦に消極的な軍隊の作戦に嵌り何もせずに帰ってきただけである。
つまりこのアホの理論、反論のための反論で墓穴を掘っているが
決戦に消極的な軍隊だと相手から打って出ては来ないのだから撃破などされなくて当然で孔明はただ相手の作戦に嵌っただけである。
どこがまともに渡り合ったのか?相手から攻撃してこないのにどうやったら撃破されるのか?
何がしたかったのだろうか。
それに抗う姿勢を見せ戦果を挙げるなら俺は孔明を擁護していただろう。
見れば見るほど孔明は勝つ方法を放棄し、ただ何も目的の無い出兵を繰り返し戦果もほとんど無いと断定せざる終えない。
だが益州からギリギリまで搾り出した蜀の全軍を丸ごと博打に賭けるのは狂人としか言えない。
君はそんなキャラクターの首相の国、社長の会社、父親の家にいたいか?
俺は嫌だ。
↑このアホは孔明が戦果が無いからって擁護できる論点を引っ張ってくるな。
孔明は民衆のことなど考えておらず全体主義国家を形成した。
このアホはやはり三国志の「物語」をわかっていても歴史を知らないため、
孔明が安全策を取ったのは国、富、民のためと主張しているが
そんな主張をするなら最初から無謀な戦争、重税そして時代遅れの漢再興なんて行わなければよろしい。
どう考えても民衆観点や国家観点からすると時代遅れの
イデオロギーを主張し続けるよりも大会社に吸収合併をされた方が楽だ。
孔明は戦い続けることを選んだ。大会社と戦うために会社は悲鳴を上げていたわけだ。
大会社は普通に営業していれば良いが、零細企業はサービス残業やリストラ当たり前の状態だと考えてみればいい。
十分基地外だ。
普通に営業していれば、大会社は急成長しており明らかに飲み込まれるので一勝負が必要である。
ただの営業でどうやって存続しろというのか。
そういう状態で延々とサービス残業をやり続けさせられる会社のどこが基地外じゃないのだ。
このアホは1が通用しないと2を使用しそれが駄目なら3を使用する。どうやって時間稼ぎして体制を立て直そうと企む馬鹿。
ころころ基準を変えるなカス。お前の孔明像なんてしったこっちゃねーから死ねよ。お前の孔明像へのアンチも偉大もどうでもいいんだからよ。
308 :
1:2007/06/11(月) 00:24:44 ID:xXXwVZQq0
孔明は、このままじゃ破産だからどうせ何もしなくても破産するんだから
勝負しようぜと主張して結局勝負しないで破産させただけの人間である。
端的に書くと
生活費2万
手持ち1万
目標10万
博打するのかね?しないのかね。
孔明は前者を主張して馬券を買わなかったやつだ。
評価は出来ない。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 02:10:26 ID:NtaoAVXW0
<キチ○イの詭弁1> 減点−3
1:勝者は強く、敗者は弱い。(狂った一般論)
2:孔明は負けたから弱い。(完全ではないが優秀)
3:よって、孔明は名将ではない。(論理の飛躍)
<キチ○イの詭弁2> 減点−1
1:ジリ貧では亡国必至(妥当な一般論)
2:開始時点で既に圧倒的不利(妥当な判断)
3:だからギャンブルして玉砕するお!(発狂)
<キチ○イの詭弁3> 減点−2
1:ヒーローはリスクを潜り抜ける者(微妙な一般論だが減点はしない)
2:孔明は出来ていない(事実)
3:孔明が天才ならほとんどの軍人が天才だお!(発狂、ついでに明らかなサンプリング不足)
<キチ○イの詭弁4> 減点−1
1:不利な状況を覆すのに投機的行動が必要(妥当な一般論)
2:孔明は時間と国力を浪費(事実)
3:被害が同じならば、有利な魏が最後には勝つ(妥当な判断)
4:だから最初から戦わなければいいんだお!(発狂)
<キチ○イの詭弁5> 減点−3
1:孔明が消極策を取ったのは国の為(事実)
2:孔明には戦果がない(お前が認めないだけ。間違った事実)
3:孔明は勝つ方法を放棄(それなら敵が万全の構えで待つ関中中枢に突っ込むだろ。間違った事実)
4:孔明は何の目的もない出兵を繰り返した(間違った事実)
<キチ○イの詭弁6> 減点−3
1:相手が攻撃してこない(それ以前に戦果を挙げたから。事実誤認)
2:孔明は撤退した臆病者(追撃による被害も出さずに見事撤退。事実誤認)
3:人が沢山死ななきゃ戦争じゃない!(発狂)
<キチ○イの詭弁7> 減点−1
:蜀漢は勝負にならないほど不利な弱者(事実)
:蜀漢は魏に併呑された(事実)
:だったら最初から降ってればいい(暴論)
<キチ○イの詭弁8> 減点−1
:蜀漢は勝負にならないほど不利な弱者(事実)
:蜀漢は魏に併呑された(事実)
:だったら最初から降ってればいい(暴論)
<キチ○イの詭弁9>
「時代遅れの漢室再興」 減点−1
これは一見すると「おいぼれた老人は氏ね」という論理に似ている。
だが、前漢の中身を後漢が継がなかったように、蜀漢も後漢を再興することなどない。
「時代に合わせた(我々荊州学派による)新たなる漢室再興」が孔明らの本音。
同じ「漢」でも中身は全然違う。
<キチ○イの詭弁10> 減点−1
「零細企業は大企業に降れ」
そのままでも零細企業の重役、もしかしたら大企業の重役。
自分は無理でも自分の子弟は大企業の重役になれるかも。
ただ降れば子々孫々窓際確定。
以上10題で減点−17。
こうも演繹法の基本を理解してない馬鹿が論理を語るのは笑える。
お前を観察した帰納的な結論は「救いようのない馬鹿」ということ。
自分のことも分からんお前は零細企業の負け犬なんだろうな。
負け犬の吠える勇気は狂犬病と変わらん。
人をアホ呼ばわりする前に自分の間抜け面を川面に浮かべてみろ。
口にくわえた馬券を落っことすなよw
313 :
1:2007/06/11(月) 16:13:18 ID:xXXwVZQq0
アホ撃破2
孔明がやった作戦とは適当に魏軍を拘束しつつ他戦線の動きを待つ戦法だったわけだか
↑意味がわからん。他戦線が魏に勝てるわけがない。
そして全然拘束で来てない。
いくら諸葛亮が作戦を成功させてもほかの戦線で負けたら意味が無い。
しかし魏の内部不敗は進行中なため、いくらでもやり直せるはずだった。
↑魏の内部腐敗が進行していたソースを提示しろ
また孔明は最後に秘策を見せたが、
司馬懿は乗らずに次の手を考えている途中で死んでしまった
↑孔明ごときの作でどうやったら魏が打撃を受けるのだ
孔明は天才的な戦略家、戦術家ではあったが周りがずる賢く脆弱だった。
↑何故呉が小国ごときのために何で国力を消費しなければならないのだ。
劉備はイケイケギャンブル作戦で勢力を拡大して失敗したので、その作戦は不可能だった。
↑劉備が成功したなら孔明もやるべきでしたね。
劉邦がいても韓信がいなかったのが孔明にとって不幸だった。
↑せいぜい楚漢なら盲点程度の人材しかいない
魏延がいたが、魏延に韓信の代わりが勤まるわけは無かった。
いや本人はその気だったのかも知れないが。
↑ここは同情する。偉大な魏帝国の優秀な人材に魏延ごときじゃ勝てないよな。
314 :
ヒカリ:2007/06/11(月) 16:24:29 ID:YrwTSSzU0
孔明は軍事の天才ですけど、劉備が無くなったから蜀漢の政治環境はあまり悪くなってしまた、そうじゃなかったら蜀漢は一番強くなれるかもしれません。
315 :
1:2007/06/11(月) 16:28:05 ID:xXXwVZQq0
アホ撃破3
孔明→そして喧嘩を売ったにも関わらず逃げ続ける。
防衛だけなら大丈夫。戦った期間は8年www
功績は物語で人気になっただけ
戦績:1勝4敗
曹操→リスクとメリットをちゃんと比較検討して乱世の覇者になった。
2十数年戦って3回しか負けず多々功績があった。
三国県立を許すが天下の趨勢を確実に決める
戦績:60勝3敗
316 :
1:2007/06/11(月) 16:28:46 ID:xXXwVZQq0
孔明は軍事の天才ですけど、劉備が無くなったから蜀漢の政治環境はあまり悪くなってしまた、そうじゃなかったら蜀漢は一番強くなれるかもしれません
↑それは実権を握った孔明とかいう独裁者に言え
317 :
ヒカリ:2007/06/11(月) 16:47:01 ID:YrwTSSzU0
最初の蜀漢なんでもなかったのに、孔明が軍師になってから蜀漢が一番弱い国からほかの国に対抗できる国になった。
劉備、関羽、張飛がなくなってから蜀漢の実力はだんだん弱くなってしまった、そして劉備の息子劉禅は一国の主に相応しくない、奸臣に重用して孔明を疑って、戦争の最中で孔明を急に召回した事もある…ついに蜀漢の結末を迎えました。
孔明は天才だけど、あまりにも『忠誠』に夢中すぎるとおもいます。
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 22:43:32 ID:m1xZyE2sO
ザ・演義中毒
孔明は軍才より政才
戦の準備等で才を発揮した程度で天才軍師などではない
また、劉禅も暗君ではない
むしろ早期の降伏には高い評価がある
>>303 孔明様最高って人がさも中国史上最高の名将みたくレスしてたからな
もういなくなってしまったけど
どっちも同一人物だよ、あんなの。
318 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2007/06/11(月) 04:32:10
功明を過小評価するやつは小物
北伐の失敗が諸葛亮の評価低迷に繋がっていると思われるが、そもそも北伐はダメで元々の作戦であわよくば勝利、そして功明亡き後の燭を託せる人間を育てる為だ
功明存命中に成都に籠もっていたらそれこそ巍の望み通りであり、国土や人材で圧倒的に劣る燭の滅亡はもっと早くなっていただろう
功明が北伐を敢行することで巍は長安付近に司賠や大量の兵を常に配置しておらねばならず、呉に攻め入ることもできなかった
それに燭内で患臣ばかりが蔓延っており、承知の通り劉禅も暗君で燭の滅亡は目に見えていた
北伐にはこういった意味もあったことに気づいてほしい
結果では成果は挙がらなかったが、あの時点ではより有効な手段だったと言える
まあさすがの功明でも国内の癌や国土、人材の差は覆すことはできなかったのは確かだがな
322 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/12(火) 13:21:00 ID:H6XhiRsD0
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名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 13:45:06 ID:v+CIWvRKO
劉禅が暗君なんて言ってるのは演義だけ
北伐に関しては、北伐する事でギ軍の侵攻を鈍らせる目的との見方あり
攻撃こそ最大の防御といったところか
それが検討違いでキョウイに引き継がれ
国が弱体化したとの見方あり
孔明さんは、元々政治家だからね
リスクを取るのが嫌い
だから作戦は一歩一歩、遠いところから固めていくというもの
でも、戦いは水物。官渡の曹操のように、時には大胆な行動に出なければ勝てないこともある
魏延の奇襲策を退けるなど、指揮官向きの気性じゃないね
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 15:16:27 ID:Ws7Yrqj1O
孔明が史上最高の天才軍師だというのは無理がありすぎ。呂尚や張良みたいに主君に天下とらせてないし。
諸葛亮はショウカやカンチュウと同クラスの天才政治家。
ショウカやカンチュウに軍事的才能を加えたようなもん。
>指揮官向きの気性じゃないね
雇われCEOみたいなものなので立場的に高リスクの作戦は採用できない話。
もともと北伐自体高リスクなのになにいってんだ
チャンコロの誇大妄想で出来てるおじさん
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 12:24:18 ID:b9hhW4yp0
そもそも蜀漢の野戦軍司令官がどんどん没して人材不足になったから
政治・軍政畑の人間が軍令と実戦指揮までしなくちゃならなくなったわけだし
最後も過労死みたいなもんだ
魏延とか楊儀とか李厳のような問題児を主力としなければならなかった、蜀漢の人材登用システムも悪い
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 13:33:04 ID:cyKvOLBFO
劉備=金日成
諸葛亮=金正日
曹操=ジョージ
孫権=しんぞー
>>魏延とか楊儀とか李厳のような問題児を主力としなければならなかった、蜀漢の人材登用システムも悪い
そもそも非問題児で実力のある者がいたかが問題で
魏延は楊儀さえいなければ何の問題も起こしてなかったと思うんだが
やっぱ孔明は人を見る目に欠けると思うわ
劉備は偉大だ
>>332 だよなぁ。魏延はそれほど悪い奴じゃないはずなんだが。
楊儀なんかよりよっぽど蜀漢に忠誠心持ってたはずなんだよな。
まあ確かに孔明死後の面子では魏延の手綱を上手く取れるような奴は居なさそうだが。
費禕じゃあダメだったんだろか?
費禕は魏延と楊儀の喧嘩の仲裁をしていたが・・・・
でもなぁ、魏延の方が年齢も上だし任官しての期間も圧倒的に違うし、
格が違いすぎるんだよな。
335 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/13(水) 19:08:16 ID:EBz7kLYe0
魏の将軍>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>魏延
楊儀は劉備時代にトラブル起こして罷免されてんのに、
孔明が個人的に仲良かったから再起用して重用したんだよな
でも孔明はさすがに楊儀を後継者に指名しなかったんで、
費禕に孔明が死んだときに魏にねがえりゃよかったって愚痴ってる
どう考えても蜀に対する忠誠心薄い
蜀によほど人材なかったとはいえ孔明の落ち度はまぬがれんとおもう
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 19:48:45 ID:bKU9zuv8O
三国志を少しかじった、反抗期のアンチ厨に最も人気がある話題
「諸葛亮軍事二流論」
338 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/13(水) 19:51:11 ID:EBz7kLYe0
>>337 諸葛亮は曹操と同じ立場で曹操ほど勢力を伸ばしていたとは言えますかね(苦笑
曹操や劉備や孫家は他の時代に生まれてきていたら天下統一どころか世界帝国を築いているレベルですよ。
>>338 農耕民族にそこまで領土を広げ、維持できる機動力は少ない。
できたとして、唐のようにすぐ瓦解するのがオチというもの。
340 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/13(水) 20:26:11 ID:EBz7kLYe0
>>339 漢は世界帝国を構築したし曹操の素晴らしい騎馬を知らないだけだ。
姜維が孔明後、実質的に軍部の柱になったわけだけど
この人も元々は魏の人物なんだよね
やっぱり蜀漢生え抜きの人材畑は不作だったんじゃ?
孔明に軍事的才能がないのは陳寿がいってることなのに、
”三国志を少しかじった、反抗期のアンチ厨”とは笑わせる
>>340 漢が世界帝国なんてそんなばかげたこと誰がいってんの
344 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/13(水) 20:33:13 ID:EBz7kLYe0
>>341 つ 王平
これ置いておきますね。
……やっぱり魏からの投降者だ。
>>344 唐や清よりはるかに領土の狭い漢が世界帝国なんてありえんのだが
歴史上世界帝国と呼んでいい版図を誇ったのは元だけだよ
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 21:13:59 ID:8QwIaPK5O
武帝に謝れ!
つまり、
>>1は、西漢も東漢も同じ漢帝国と思っているんだ。
漢朝400年を真に受けているわけだ。
残念だが、漢孝武帝の生きた時代と、曹操とでは違うのだよ。
>>346 つ皇族の夏候覇
……いかん、こいつも魏からの亡命軍人だ…
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 22:57:16 ID:AAy0YWsvO
蜀には楊儀がいるからいいだろ?
孔明死後の蜀漢、魏投降者ばかりでプギャー
人口少ないししょうがないよねorz
霍弋とか羅憲とか良将も居るんだけどね、ろくに活躍するまもなく滅んじゃったし……。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 23:47:17 ID:bi+TazBMO
劉備だって関羽だって馬超だって曹操の指揮下に入ったことあるんだから、生え抜きにこだわる状況じゃない
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 23:53:29 ID:2O3brIHTO
人口少ないったって、過去にはチョウジンとかライドウとかいたのになぁ。
>>329 問題児の登用っつーたら曹操が一番だろ?
>>338 曹操なら辛うじて天下統一ぐらいは可能だろうが世界帝国はまず無理。
>>344 漢の版図は知ってるが別に高祖の代で獲得した訳じゃないし、
版図拡大は霍去病、衞青に因るところが大きい。
>>347 つアレキサンドロス
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 13:14:35 ID:VrJAWAV30
劉備の蜀は、様々な軍閥の寄り集まり
これを統制するのは、個人の力量とかいう問題じゃなくて派閥闘争力学に拠るでしょ
だから、姜維が軍司令官になったら引き立てられるのは旧魏からの組ばかり
蜀朝が滅亡した時、人口が90万強だったのに対して兵士は10万に達し、官吏は4万
国家としてのバランスが悪すぎるから滅亡は必然
358 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/14(木) 14:25:57 ID:hNPBfVOy0
孔明の軍事は無能だったとして政治はどうだ。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 14:56:13 ID:p27oaF3G0
馮道、秦檜と比べてみようか?
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 15:18:33 ID:y2bAWvNNO
孔明が国内を、ホウトウが対外戦を担当するという益州攻略戦が蜀漢の基本戦略になる予定だったんじゃないかな。ホウトウが戦死しなければ。
つまり、政治手腕は孔明が上。軍略はホウトウが上だったってことだと思う。
361 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/14(木) 15:22:47 ID:hNPBfVOy0
孔明
軍事能力はあるが臆病。
行政
神
政治
無能
人材登用
派閥があるが仕方ない
知略
バカ
工作
失敗に終わっている
謀略
同上
政争
神
派閥争い
神
カリスマ性
神
判断力
無能
身体能力
神
危機認識能力
神
問題点認識力
神
362 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/14(木) 15:29:44 ID:hNPBfVOy0
孔明は石田三成以下だろ?政治能力では。
363 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/14(木) 15:31:39 ID:hNPBfVOy0
派閥争いで勝つ
↓
カリスマ性があるのでみんないうことを聞く
↓
危機がある
↓
出陣だ
↓
臆病なので撤退する
↓
問題点を解決する
↓
臆病なので撤退する
これの繰り返しをした
性格と能力と状況に恵まれなかったかわいそうな人。
くだらん。
なにこのアホコテ
366 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/14(木) 16:36:47 ID:hNPBfVOy0
不幸なのは、出陣しなきゃ危機が歩けど目の前の軍隊と戦うことが怖いし問題だという板ばさみにあった孔明の政治力はゴミということだけ
軍事能力も生きてこない
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 16:57:16 ID:yPVI2/+K0
1ちょっと痛すぎる。。
文面からするとリアルで中学生だろうな
軍事能力が無い人間が指揮官ならば厳白虎が孫策に大敗したように戦う前から敗れる。
諸葛亮が劉備の気付いた蜀の領土を奪われなかった事は特筆する。
政治だが魏のような兵站能力に優れていなかった点を見ると、いかに人材が足りていないか分かる。
持久戦になると一番危ないのが蜀という国力の弱い国の弱点。
常に短期決戦を狙いたいのだが、リスクは負わない。こういった矛盾が長安まで侵攻できなかった理由の一つだろう。
人材が乏しすぎる事がかなり痛い。
あとは曹操の代辺りで弱くなった宦官や外戚の影響も挙げられる。
蜀はこの辺りを魏から学ぶべきだった
高校生登場ってかんじだね。
どっちもちゃんと推敲しようぜ。
多少の誤変換はいいが、気をつけてな…
370 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/14(木) 19:58:17 ID:hNPBfVOy0
孔明が打って出たのは正しいのかどうかの検証から。
>>370 じゃあ打って出なかったら蜀漢は存続できたのか?
仮に守勢に撤していたとしても公孫述の二の舞にならんとはいい切れまい。
372 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/14(木) 20:13:17 ID:hNPBfVOy0
公孫は打って出て大敗した
>>372 呉漢や臧宮らが成都の目前まで迫って来た時に
部下の進言を聞き入れて討ってでたんだろうが。
状況が全然違うんだよ。
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 20:39:49 ID:N0IbhicU0
一緒に討って出た延岑は勝ってるぞ
最後は公孫述のせいで負けたけど
375 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/14(木) 20:46:12 ID:hNPBfVOy0
国力差違いすぎるので結局滅亡だろ
Chinese political market(以下CPMとでもしておく)でのシェアが問題。
1:首位のCPMでのシェアが73.9%だと事実上の統一。
2:首位のCPMでのシェアが41.7%だと独走態勢。
3:首位のCPMでのシェアが26.1%だとまだ勝負はわからない。
226〜234年間に行われた諸葛亮の北伐の意図は、
首位のシェアを73.9%以下に抑制することにあったと見るべきだろう。
連年、動員を強いれば、政権の安定性は落ちる。
魏は四方に戦線を抱えているので、
政権の安定性が低い状態で、何処かの戦線が破れれば、必ず大崩れする。
>>1の言うような明確な戦果が蜀漢に訪れるのはその瞬間である。
所詮、蜀漢は大包囲作戦の一駒に過ぎない。(しかも最弱の!)
本来なら、無理を仕掛けるのは呉の方であるべきなのだ。
お互いに汚れ仕事を押し付けあった為に、このキャンペーンは遂に成功しなかった。
その反動で、率先してリスキーな作戦を取った姜維は255年の「洮水の戦い」で大戦果を挙げたが、
翌年の「段谷の戦い」でケ艾に大敗し、それが魏が本腰をあげた鍾会の征蜀戦を招き、亡国の一因となった。
このことから、蜀漢は、たったの一度の大敗がそのまま亡国に繋がってしまう程度の脆弱な経営基盤だということが判る。
それを考えれば、諸葛亮の臆病な安全運転が、如何に戦略的に理に適ったものであるのかは明白だろう。
隆中対が孫氏軍閥の動向に依存した他律的な計画なのは、最初からだ。
よって結論、「
>>1はバカ」
蜀の人材不足は劉備のせいってのも大きいんじゃね
夷陵であんだけ大敗して後々育ってきそうなやつら死にまくってるしな
劉備が最後にやったギャンブル(夷陵)で大負けたしたからこそ
それで死に体なった蜀を立て直した
諸葛亮にはギャンブルできなかったんじゃないかな
>>376の言うように確かに
>>1はバカだ。
しかも言い返されて分が悪いとみるや話をはぐらかしてる。
漢の領土と世界帝国は?
381 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/14(木) 22:22:02 ID:hNPBfVOy0
>>370 これだから孔明信者は。
打って出なかった時代の方が長持ちしてますね。234〜253。
敵に攻められても撃破してます。
>>374 劉秀の主軍に勝てれば可能性はある。
>>381 だから守勢のみで存続できるのかよ。
劉秀の主軍に勝つもなにも成都の目前まで敵が迫ってる段階で
勝てる道理がねーだろが。それまでのほほんとしてたんだし。
公孫述が討って出たのは一か八か的要素が大きいのに…
それと
>>356の質問にも答えろや。
383 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/14(木) 23:15:02 ID:hNPBfVOy0
曹操なら世界帝国は楽勝。何故なら異民族を服属させたのは三国時代の人間だけで他の時代の人間は対応に苦慮したり滅ぼされているからだ。
野蛮な司馬家が馬鹿だったわけで三国時代の英雄の血が五胡の時代の間に滅びたから今の中国があるんだよ。
中国は三国時代で終わったんだ。
384 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/14(木) 23:21:51 ID:hNPBfVOy0
劉秀なんて紙の無い時代に活躍しただけの雑魚に過ぎない。
劉邦や韓信は敵が弱かったから敵の隙を作れただけだ。
孔明が勝てなかったのは英雄が多かったからで弱くは無いな。
俺が間違っていた。
>>383 ここだけの内緒の話しな
曹操って南征に成功した事ないんだぜ?
まぁ仕方が無いよな、曹操は政治家だから軍才なくても
曹操なんて鳥なき里のコウモリだよな
しょせん傑出した英雄がいない時代に少しマシだっただけの人間
387 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 00:09:21 ID:9y/0/NWr0
>>385 馬鹿だろ。
それは孫家や劉家がレベルが高かったから失敗しただけで
それ以外の人間には負けてたことは無い。
曹操の南征は南征は成功している。
劉表亡き後の旧劉表家勢力を降らせることに成功し、漢中も手に入れている。
388 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 00:14:57 ID:9y/0/NWr0
>>386 曹操は酒の作り方や魏武孫子で後世に大きな影響を与えた大人物である。
匈奴、鳥丸といった遊牧に勝ったのも三国志の人間たちばかりだから三国志がレベルが低いというのは恐れ入る。
劉邦匈奴に大敗
劉秀同上
曹操がとった漢中なんてたった4年で劉備に奪われてんじゃん
はるかに兵力の劣る弱小勢力に要害を取られるなんて
どれだけ曹操が無能かって話だよな
まあ三國志は曹操が無能なおかげで成り立ってる物語なんだがな
>>388 あほらしい。曹操が上奏した酒の製法はすでに西アジアでは実用化されていた
魏武注孫子はテクストとして古いだけで曹操が優れた注釈家なんて意見はほとんどない
匈奴は分裂しまくって弱体化、班超にほとんど制圧されて、
後漢末に残ってたのはカスばっかり
烏丸なんてその弱体化した匈奴に追われてきたようなやつらだから
さらによわっちい弱小民族
そんな連中したがえたってなんの自慢になるんだ。
>>387 ここだけの話しな。知ってたか?魏は孫家や劉家より強大なんだぜ
諸葛亮は涼州を寝返らせたりして魏を震撼せしめてるんだぜ
392 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 01:01:29 ID:9y/0/NWr0
>>389 劉備の本拠地から漢中は近く、許昌から漢中は遠い。
当時関羽、呉が控えていたため人員を出すことが出来ず、蜀から見れば漢中は近い。
奪われたのは部下であり曹操でない。
>>390 そんな弱い匈奴に負け続けた歴代王朝ってどんなに弱いんだ?
劉淵を見ればわかるが匈奴は強い。鳥丸や鮮卑も服属している。
魏武が無ければ今の孫子も無く、酒も中国に影響を与え続けた。
>>31 魏も呉も蜀も強大だった。
諸葛亮は結局失敗したのだから魏の強大さはすぐわかる。
防衛に成功したのは曹魏だし寝返えったのは3郡だがいずれも撃退に成功している。
>>31 あんまり大きな声じゃ言うなよ
曹操も要地、江陵から追い払われてるんだぜ?
魏呉蜀の国力比は5対3対1ぐらいなんだぜ?
>>392 本拠地が遠いから制服できない?あほか
漢中ごときで遠いとかいってて天下統一なんかできるわけねーだろ
北方の異民族は時期によって強かったり弱かったりする
後漢末はたまたま弱かっただけ
劉淵なんて雑魚でも皇帝を僭称できるほどくだらない集団だった
魏武がなければいまの孫子がない?
そんなわきゃねーだろ
ほかの諸子百家のマイナーなやつでも残ってるやつ多いのに
なんで孫子だけのこらねーんだよ
酒が中国に影響あたえた?それ言い出したら杜康がいちばん偉いだろ
曹操は歴史とともに改良を加え続けられた中国酒の歴史の一ページに名前を残したにすぎん
後漢末期は漢の侵攻と度重なる内部抗争分裂でボロボロになってたしな北方異民族
ある意味後漢内部の戦乱(三国から魏晋時代)のおかげで息を吹き返せたようなものだ
劉淵は普通に名将だぞ
過労死したミジンコ
元々北伐は天下三分の計の破綻の後始末だからな
孔明が劉備に進言した絵図では、孫家と組みかつ自分達は二方向から北上
超大国魏の戦力を三方に分散させて漢の再興を図るというもの
関羽死去時点からの蓄積負債を返そうとして失敗したようなもの
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 08:14:01 ID:MqXZoopEO
>>385の内緒話に吃驚したよ。
ものすごい人物評と歴史誤認だ。
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 08:45:14 ID:qLqIQmS4O
孔明の人生最大の功績は、劉備と孫権の同盟を成功させたこと。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 11:11:54 ID:oHVDSg+d0
結論
1は蒼天航路信者であり、文盲
論破されかかると質問に答えない
じゃあお前は何を言いたいんだ??
蜀は40年くらい守り続けて魏が司馬一族に内乱を起こすまで待つべきだったのか?
そんな突拍子も無い事をよく考え付くな
タイミングというものは大切だが、国力の差が歴然としている現状で放っておくとどうなるか。
国力の差が益々広がり手が付けられなくなる。
孔明は攻めの姿勢で臨んだ理由の一つとしても相手も浪費させる事でもある。
攻め手が10万ならば守り手は20万は用意しなければならない。すると浪費の割合は1:2
領土が広がればその分国力が増えるという計算だ。
呉のように専守防衛(一度合肥を制圧したが)では国は守れない。いずれ攻めてくるのが分かっているから。
孔明はタイミングが悪かった。
呉が合肥を制圧した時代に時を同じくして攻め込んでいればいい結果が得られたかもしれない。
>>398がいい事を言った
402 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 13:25:27 ID:9y/0/NWr0
孔明信者ってアホばかりだな。
@孔明の安全運転はきれいな安全運転
といいんがら北伐を指摘されると打って出たら滅ぼされるとかほざく
A孔明が北伐をしたことについて
打って出ないと滅ぼされる
どっちなんだよ。お前らは。
他人をアホ呼ばわりする前に、まず意味の通る日本語でカキコしてくれ
結局、何が言いたいんだ?
404 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 13:34:52 ID:9y/0/NWr0
>>394 枝葉で手が届きにくい地というものはある。
漢中がたまたまそれにあたる。飛び地のようなものなので奪われても仕方が無い。
後漢末の遊牧が弱いとは笑わせる。
後漢の動乱に乗じて力を蓄えていた連中であり
大帝国を築きつつあった、しかし曹操が一括しただけで当時天下を取ってすらいなかった曹操に服属して大きな戦果となった。
孫子のテキストは逸脱して意味のわからないものになっており曹操が果たした役割が大きい。
酒にも詩にも影響を与えたのはやはり偉大な大人物だったからで、他の時代の人物で曹操ほど諸外国に名前が知れ渡っていた人間はいない。
>>401 蒼天好きをこんなアレな人と一緒にしないでくれ
406 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 13:46:34 ID:9y/0/NWr0
孔明がやっていたことって、安全策なのか高リスクなのか短期決戦だか持久戦だかわからないよな。
呉は一転して防衛策だけど。
展開されている戦線が多方面に渡るなら本国中枢に戦力を留める内線防御だが
同盟やら何やらで対魏一方面に戦力が集中できるため前進防御と
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 14:33:09 ID:oHVDSg+d0
>>405 スマソ
1の理論の全てが蒼天航路で出てきた言葉ばかり。結局ただのコピペ。
飛び地的要素で魏からすれば頸肋という言葉すらも。
誰も曹操を否定していないのに必死になって孔明を否定しようとする
孔明は確かに曹操に影響されている事は否定しない。
だが無能と言い切ってしまうお前の無能ぶりに笑ってしまう
その馬鹿っぷりにここにいる人間が呆れてるんだって。。
1のステータス入れてやろうか
武力15(一般人を30とする)
知力35(偏差値53くらい)
政治28
魅力13
特殊能力
罵声
409 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 14:51:16 ID:9y/0/NWr0
だから孔明が弱いんじゃなくて偉大な魏帝国が強かっただけで、もし相手が北魏あたりなら滅ぼしてたよ
孔明は第四次北伐で兜首3千を取るほど魏軍を叩きのめし
姜維も王経相手に万余を討つという大勝をしているのに
全然衰えないもんねぇ
>>409 どうした、弱気になってきたな。
当時、魏の勢力が比較的強かったのは歴史上確認できる。
で、北魏だが、これは君のいう「騎馬」を扱う民族国家だということをお忘れなく。
そんでもって、北魏から西魏の流れで作られた国家体制は隋唐へと受け継がれる。
府兵制と均田制がそうだ。
唐はその府兵制兵力をもって北の突厥(当時ユーラシアで最強の勢力。分裂したところ)を叩いた。
北魏から唐への流れは分断して考えることはできない。
曹魏より質が悪いという、なにか例を示してくれれば話し合いにもなるが。
鮮卑系だから異民族王朝なんて言うなよwwwww
言うなら漢民族の定義を示すべし。
412 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 15:49:59 ID:9y/0/NWr0
唐は論外。高句麗に何度も負けている
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 16:00:40 ID:uZas/G7e0
最後は討伐しましたが、なにか?
414 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 16:01:32 ID:9y/0/NWr0
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 16:14:10 ID:uZas/G7e0
すぐに復活しました〜
曹魏はぁ〜?
416 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 16:18:34 ID:9y/0/NWr0
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 16:28:59 ID:uZas/G7e0
また復活したよ〜
憲宗の中興知らないなんてことないよね〜
曹魏ってだれか中興したっけ?
418 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 16:30:15 ID:9y/0/NWr0
黄巣の乱
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 16:35:10 ID:uZas/G7e0
実に290年の王朝でした!! おめでとうございます。
え、曹魏…? 桁がひとつ小さいな… どこの地方軍閥だよwwww
まるで五代王朝なみだな。
西晋北魏南朝の正統性は曹魏にある
蜀は歴史書に無視されてて可哀相
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 18:02:25 ID:oHVDSg+d0
1って何やってんの?
学生?それともニート?
422 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 18:18:28 ID:9y/0/NWr0
中学生かよ。
曹魏の息吹は唐にも息づいている。
最強とかなんとか、切り離した考え方は視野を狭くするから気をつけな。
>>1よ一方にだけ偏った見方は危険だぞ。
あと鮮卑拓跋部及びテュルクを過小評価しないように。
多少の曹操マンセーは大目に見るが
鮮卑拓跋部及びテュルクをバカにするのだけは許さない。
425 :
1:2007/06/15(金) 18:51:50 ID:F1yYqGyK0
HOOOO!
孔明かるとの つぎは 胡虜かるとか。
くずどもめ ぼくちんが ろんぱしてやるっ
魏武マンセー!マンセー!マンセー!
ニセモノ乙。
中学生が胡虜とか言ってたら吹くわ。
>>425 偽物ID:F1yYqGyK0は慕容兄弟に蹂躙されてしまえ。
なにが論破だ、無理無理www
428 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 19:18:34 ID:9y/0/NWr0
まあカルトが多いのは事実だよ。
@孔明が打って出たのに大して
打って出なかったら滅亡する><
A安全策を聞かれると
安全策を取らなきゃだめだ。戦争反対。
というロジックが意味わかりません。
>>428 そういうオマエが一番カルトだろうが。
自分の都合のいい情報しか提示しないし
分が悪いと話をはぐらかすし、わかったようなこというな。
まあ
>>1のロジックこそ穴だらけだどなw
>>423 孔明の息吹なんて現世にまで吹き荒れてるぜ。
そういう時だけ道教の評価は別物とか言うなよw
431 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/15(金) 19:52:28 ID:9y/0/NWr0
>>429 曹操は三敗したというのを書いているし、
ちゃんと曹魏の弱点である漢中や赤壁だって認めていますが。
孔明信者は孔明の失点を認めないからだめなんだよ。
完璧な人間なんていないんだ。だから曹操みたいな人間性に溢れている人間が良い。
>>430 は?
おれは
>>1が、なんの根拠もなく北魏および唐を軽んじたから、夕方からいじって遊んでいたが
さすがに言い過ぎたと思ったから、フォローしただけだ。
諸葛亮の精神的遺産と、曹魏の実質的な遺産では歴史に与える現象が違う。
おまいが諸葛亮を尊敬するのは勝手だが、その反対のものを貶める必要はない。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:24:46 ID:F1yYqGyK0
432はuZas
>>431 嘘つくな。君が
>>431挙げた以外のことはどうなんだい?
》孔明信者は孔明の失点を認めないからだめなんだよ。
孔明信者って例えば誰?失点を認めない人って例えば誰?
》完璧な人間なんていないんだ。だから曹操みたいな人間性に溢れている人間が良い。
はあ?君のなかでは曹操はマルチ人間ってなってるように聞こえますが。
ウザス
>>432 おまいが北魏や唐を尊敬するのは勝手だが、その反対のものを貶める必要はない。
>>409 そんな強大な魏帝国の最高権力者なのに
格下の呉や蜀(連合しても魏以下)の国に
まったく歯がたたないんだぜ?
内緒な
低脳とか言い始めた時点でもう・・・
スルーも出来ないのか情けない・・・
才能はあったよ
魏の大軍を大破し、名将張ゴウを討ち取ったこともある
しかし、歴史を変えるほどの軍才は無かった
まる
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 13:38:09 ID:nxxj81vU0
>>442 おしい、あとちょっとで801だったのに
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 16:08:23 ID:ryuMDzXf0
軍才はあったが天運が無かったのだろう。
いや、やっぱ「軍才」と呼べるほどのものはなかったと言わざるを得ない。
構想力や戦略眼は相当なものなんだがな。
元来、魏の禅譲というのは後漢士大夫にすれば、すぐには腑に落ちず悶々とする事件なので
蜀漢の漢王朝再興宣言は、そういった層への求心力となりえた。
諸葛亮の北伐は、元漢王朝の官僚連中の、そういった心理を揺さぶり反魏的な世論の喚起が目的と考えることも。
そういう状況の中、蜀漢の役割というのは戦場で魏軍を破ること。
殲滅とかそういった華々しいものでなくとも、防衛線を突破することが第一だった… はずなのだが。
自分が考える中では、第一次北伐のみが、最大に評価できるところ。
後のは… 悪いが悪あがきにしか思えない。
第一次を評価しておきながら、軍才は無かったと断定するのはおかしいだろ
大した事無かったとかいうならまだ分かるが
447 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 18:35:53 ID:ast/m2kU0
孔明軍の編成は?
お前が中学校の図書館行って調べ来いwww
>>446 いや、戦略構想とそれを実行に移すだけの実務能力はかなり高いが
最終的に戦略上の条件を満たす手腕に欠けていた、つまり戦場での戦術能力が伴っていない。
軍才とはそっちを指したつもりだった。
むろん、戦略的視野をもっている人物のほうが、はるかに有為ではあるのだが。
孔明にも戦術手腕があるように、曹真や仲達にもそれがあるわけだが。
まるで孔明が無能だったから、魏の司令官たちは勝てたとか言ってるのと一緒。
局地戦で一進一退の痛み分けが続くなら大局には響かない。
その場合、アウェーの不利を考慮すれば、相対的に「孔明≧曹真、仲達」となる。
「孔明>曹真、仲達」とならなかったのは、魏の首脳部の戦略が勝ち。
北伐は魏にとっても秦嶺の険を棄てて、打って出てきた弱小国を一朝の元に降すチャンスだったのだから。
迎撃の体勢が整わなかったのか、孔明に恐れをなしたのかは知らん。
ただ淮南でもそうだが、魏(晋)は前線の補給における不安を運河の整備など埋めてから攻勢に転じてる傾向がある。
これは国力差をそのまま押し出すパワープレイ。
これをやられると個々の指揮官の戦術指揮の重要性が薄くなる。
戦略の鉄則に「手段(実力)以上の目的(結果)を望むな」というのがある。
蜀と魏の当時の情勢、地勢を考えれば、孔明一個人の奮戦でどうにもならないのは明らか。
支那史を通してみれば、荊州を失い、四川にこもった時点で詰んでる気がするが。
僅かな奇跡の目を断ったのは街亭における山頂布陣。
一人の人選の失敗が、国運をも左右してしまったのは天命としか言えない。
451 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 20:05:07 ID:ast/m2kU0
蜀が天下統一する方法は魏が内乱で滅ぶしかない。
魏は滅んだぞ
皮肉なことに蜀が滅んだすぐ後に
魏が内乱起こしても出来るはずない。
454 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 20:50:11 ID:ast/m2kU0
第一次北伐を孔明じゃなくて超雲がやってればやばかったな
>>450 せっかくの珠玉のような戦略構想、陽動作戦も、最終的には戦場での勝利によって完遂されるわけで
それで、勝ちきれなかった諸葛亮は戦術手腕では劣るということを言いたかった。
「無い」はゼロってことだもんな。そこは訂正。
魏内部に揺さぶりをかけての、あの陽動戦。
第一次北伐は諸葛亮の独壇場なんだが… ほんと街亭がなぁ。
おだやかで純粋な心を持ち強い怒りによって覚醒した趙雲か
確かにヤバそうだな
もし街亭での敗戦がなかったらどうなってたんだろうな?魏をひっくり返せてた?
458 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 21:37:24 ID:ast/m2kU0
俺が孔明なら曹操と同じようなわざと相手に攻めさせて敵を寝返らせて勝つね。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:38:11 ID:nxxj81vU0
>>457 街亭の敗戦が無くともどこかでヘマをする武将が発生したかも知れん。
これだけは天命としかいえないと思うな。
一つだけいえることはこの拠点を押さえることで、本体の孔明達は長安に集中する事が出来たわけだ。
道を塞いでしまう事で仲達の本体が釘付けにされてしまうので、長安に引き返す時間が足りない。
もちろん、ここを守る王平たちも無事では済まないかも知れないが、その間に長安は取られていたはずだ。
そうすると仲達の本体は完全に孤立してしまう上に、長安の周りの太守たちはこぞって降伏するのが目に見えている。
歴史にIfはないので、何とも言えんなあ。どこでヘマするかも知れんし、天災が起こって邪魔されるかも知れん。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:40:35 ID:nxxj81vU0
>>1よ、内乱が起こると思うか?逆に自分たちの後ろがぐらつくぞ。
集団で抗争やらケンカをしたこと無いと分からんかも知れんが、一方的に攻めてこられるようになると、敵前逃亡する奴が続出する。
お前のような奴が孔明だったら、自分が内部崩壊するのが落ちか、お前が疑心暗鬼になって終わり
>>457 確かに、長安は奪えていた可能性はある。
ゲームと違うのは、そうなった場合、魏にいる不満分子が一気に吹き出し
(袁氏に恩を感じる者、漢に忠義を感じていた、あるいは漢では重用されていた士大夫
冷遇され始めていた元勲の子孫、冷遇されていた魏の皇族、公孫氏など)
さらに、魏に不満のある北方民族、呉が魏に対する攻勢を強め、
魏は瓦解する可能性は捨てがたい。
(意外と国力の差は大きな要素ではない。アメリカと日本の関係とは違う。
人種が同じであり、魏と蜀のイデオロギーは一個人の中で両在しうる)
蜀が勝つとは限らないが、蜀の天下への可能性もでてくる。
これをできなかった孔明を無能ととるか、
国力差・地元のアドバンテージに負けず、
張コウを討ち取ったことで、善戦したと見るか。
どうせ戦うのなら、姜維みたいに派手にやるべきで無意味だったと見るか
座して死を待たず、少ない可能性にあえて挑んだ上で、国を賭博にかけなかった
不運なる天才(もしくは勇者)と見るかは見解の相違のような気がする。
ただ、仲達>孔明というネット界の大方の見解は異をとなえたい。
(誅殺されないために手柄を立てなかったという小説的な意見は論外だが)
国力と地形の条件が違いすぎる。これでは上下を決めることはできない。
それに西晋の馬隆が八陣を使い、仲達の兵法が後世、別に特別なものと
されていないことは事実。
自分はこの後世への影響という観点から
『孔明の軍才は間違いなくある。そしてそれは仲達を遙かに上回る』と
主張したいのだが
>>461 魏も結局は蜀漢のような小さい政権の集合体だものな。
トップの指導力が揺らげば分裂もするだろう。
だが、それでも蜀漢の天下はあまり期待出来ない。
後主が特別駄目とは思わないが、先主死後の蜀漢は天下に対する求心力がなさ過ぎる。
魏が磐石という訳でもないが、夷陵以後の蜀漢はもっと駄目だろ。
北伐自体もどう考えても屍だった国が僅かな期間で立ち直った異常事態だった訳だし。
その奇襲効果をうまく利用すれば、関中以西は切り取れたはず。それ以上は攻勢限界だろうけどな。
>>461 孔明の軍才は間違いなくあるとは思うね。
陳寿の意見と北伐の成果が芳しくないからって軍才無いって
決め付けてるだけじゃないの?
仲達の兵法が後世、別に特別なものされてないのは
仲達の特異性の為じゃないのかな?
あの戦術は仲達なればこそ使いこなせたとか。
1スルーしてこんな風な考察したほうが良スレになるな。
そうするか。
465 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 22:23:19 ID:ast/m2kU0
馬鹿ばかりだ
長安は奪えるわけが無い。
なぜなら蜀軍10万対魏軍20万の対決で、第二陣がいるに決まっており落とせるわけが無い。
そして第二陣を守るのは皇帝なのだから士気も高く無理に決まっている。
>>465 お前の頭はかぼちゃか。
せっかくいい話になっているのに…
って、スルーだったな。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 22:32:52 ID:nxxj81vU0
1よ、お前って本当に知力が足らんな。
前線防衛なのに城を空にする訳が無い迎撃部隊が足止めされている状態で戦えると思うか?
士気なんてガタ落ち
城攻めは難しい地形ではあるが、前線部隊が敗れた後で士気が保てるか(苦笑
お前って机上の理論が好きみたいだが、視野が狭すぎる。
下手して曹叡が他都市に逃げる事すらも考えられる。
じゃ、極端な例だが、成都に踏み込まれた時の皇帝軍が指揮が高かったか?
>>466 うん。スルーが一番。
相手にすると付け上がる。
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 22:35:01 ID:nxxj81vU0
>>464スマン、見てなかった。。。
皆さんの意見は面白い。自分の未熟さをつくづく感じさせられる
470 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 22:40:49 ID:ast/m2kU0
>>467 どうやってそれ以上の軍勢が篭っている曹操が頼りにした長安が落ちると思うのだ。
しかも援軍が来るに決まってるだろ。
防衛体制は長安防衛軍と第二陣で構成され、長安を落とせずに撤退し街亭も落とされて孔明が落とした地域はすべて征服され終了
>>468 付け上って何が悪いというのがあるな。
構いたくなきゃお前がやればいいだろ?自分に自信ないからって自分の価値観や意見を人に押し付けるからカスなんだよ。
陳寿の意見ってどう読んでも気持ち悪いくらいの諸葛亮絶賛なんだが。
応変の将略云々は「(他の分野は神様じみているのに)得意ではなかったのだろうかなあ?」ぐらいのニュアンスで、
「得意ではなかった」とするような断定などでは決してない。
仲達のそれは軍集団における遺伝的なものを多分に受け継いでいる。
曹操や彼が引き立てた部将たちが死んでも、その薫陶を受けた士官たちはあの時代まで残っていただろう。
仲達の仕事は明帝の意向を100%反映させて、彼らを制御すれば十分出来る。
もちろんそれが孔明に劣るとかそういう訳ではない。
一個人の持ち得るノウハウは、その属する集団に大いに左右される、ってこと。
それに対して孔明が、主要な指揮官がほぼ全滅した夷陵戦以後に、
独力であそこまで戦える軍隊を整備した軍政センスはやっぱり非凡以外としか言えない。
>>471 スマソまだまだ未熟だな俺も…
まあなかには応変の将略云々を材料に孔明を叩く輩がいるわけで…
俺的には仲達の用兵は彼の天賦の才も関係なるかな?
って思ったわけで他意はないんだよ。
まあ孔明には孔明の仲達の仲達の持味がありどちらが優れてるとか
言うのは野暮だよな。
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 23:03:02 ID:nxxj81vU0
>>471 信長の野望を大崎家や一条家でクリアーしようとしたようなもんだろw
本当に神がかっていると思うわ。
戦争するにしてもあまりにも層が薄い蜀軍。
皆さんが指摘するように夷陵の戦いにおけるおびただしい戦死者が後悔される。
劉備がこの博打を北上にぶつけていたらどうしたのであろうか。長安へ最短路を侵攻したのだろうか?
曹丕の禅譲を受けての漢帝即位でしょ?
世論的には劉備在世が一番求心力ある。
劉備の東征は、そういう見地からすると謎の行動としか思えない。
苻堅 が大敗して逃げ帰ってすぐに反乱が続出して国がひっくり返っちゃったのと比べれば
孔明の功績が解るかな?
476 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 23:12:39 ID:ast/m2kU0
信長の野望を大崎家や一条家でクリアーしようとしたようなもんだろw
本当に神がかっていると思うわ。
↑それで天下取れたかというとそうじゃないんだよ。
結局家を8年間守っただけで、それならもっと少ない勢力から群雄化した劉備や孫策や曹操や袁家がどれだけ神がかっているかだよな。
愚ではない。滅んだ多くの勢力よりゃマシだし。
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 23:14:39 ID:3KtzNDzkO
劉備勢力の軍・官の中核は荊州出身
益州は征服した土地で本拠地(祖国)じゃないんだよ
祖国が占領されたのを放置して外征に出るなんて、劉備がその気でも臣下が許さなかった筈
だから東征は全然不思議じゃない
478 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 23:21:08 ID:ast/m2kU0
孔明は魏との対決じゃなくて魏と講和して呉を倒すべきだった。
っていう論が出てこないのは硬直化しすぎだ。
俺はそう思わないが。
1の話は単純につまらないんですよ、内容もないしね( ^ω^)
480 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 00:19:11 ID:XzX2TG3J0
内容がないようあはははははははは
高度な議論を邪魔するクソはクそして寝ろ
孔明の軍才が無いならどの様に無いのか説明してくれ
二次北伐は戦略目標もよくわからんウンコだと思うが、他の戦役においてミスと言えるミスはないんだぜ
482 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 00:35:54 ID:XzX2TG3J0
第二次の戦略目標はあるんだけどな。バカ。
街亭の失敗を天命で済ますのは無責任すぎるんじゃない?
それと、第一次北伐で仲達って陝西まで出張っていたっけ?
484 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 00:54:56 ID:XzX2TG3J0
仲達はそのときは蜀と戦ってない。
第一次北伐当時の状況は、斜谷に趙雲らがおり、ビにて曹真がそれと対峙、
諸葛亮らの本隊は祁山周辺に出ていて、張コウが隴山を越えて諸葛亮らを討たんとし、
諸葛亮はそれに対して馬謖らを街亭に派遣した。
それに加え、都から曹叡が長安に向かっており、曹叡は到着次第、
衛シンに諸軍を率いさせて、故道より下弁方面に出て諸葛亮の連絡線を断たせるつもりだった。
時間を掛けた所で敗北は目に見えている。
従って、諸葛亮には、早急に張コウを撃破する必要があった事だけは間違いない。
447 :1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 18:35:53 ID:ast/m2kU0
孔明軍の編成は?
451 :1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 20:05:07 ID:ast/m2kU0
蜀が天下統一する方法は魏が内乱で滅ぶしかない。
454 :1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 20:50:11 ID:ast/m2kU0
第一次北伐を孔明じゃなくて超雲がやってればやばかったな
458 :1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 21:37:24 ID:ast/m2kU0
俺が孔明なら曹操と同じようなわざと相手に攻めさせて敵を寝返らせて勝つね。
465 :1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 22:23:19 ID:ast/m2kU0
馬鹿ばかりだ
長安は奪えるわけが無い。
なぜなら蜀軍10万対魏軍20万の対決で、第二陣がいるに決まっており落とせるわけが無い。
そして第二陣を守るのは皇帝なのだから士気も高く無理に決まっている。470 :1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 22:40:49 ID:ast/m2kU0
>>467 どうやってそれ以上の軍勢が篭っている曹操が頼りにした長安が落ちると思うのだ。
しかも援軍が来るに決まってるだろ。
防衛体制は長安防衛軍と第二陣で構成され、長安を落とせずに撤退し街亭も落とされて孔明が落とした地域はすべて征服され終了
>>468 付け上って何が悪いというのがあるな。
構いたくなきゃお前がやればいいだろ?
自分に自信ないからって自分の価値観や意見を人に押し付けるからカスなんだよ。
476 :1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 23:12:39 ID:ast/m2kU0
信長の野望を大崎家や一条家でクリアーしようとしたようなもんだろw
本当に神がかっていると思うわ。
↑それで天下取れたかというとそうじゃないんだよ。
結局家を8年間守っただけで、
それならもっと少ない勢力から群雄化した劉備や孫策や曹操や袁家がどれだけ神がかっているかだよな。
愚ではない。滅んだ多くの勢力よりゃマシだし。
478 :1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/16(土) 23:21:08 ID:ast/m2kU0
孔明は魏との対決じゃなくて魏と講和して呉を倒すべきだった。
っていう論が出てこないのは硬直化しすぎだ。
俺はそう思わないが。
480 :1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 00:19:11 ID:XzX2TG3J0
内容がないようあはははははははは
高度な議論を邪魔するクソはクそして寝ろ
482 :1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 00:35:54 ID:XzX2TG3J0
第二次の戦略目標はあるんだけどな。バカ。
484 :1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 00:54:56 ID:XzX2TG3J0
仲達はそのときは蜀と戦ってない。
488 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 01:52:06 ID:XzX2TG3J0
アホが粘着してるな。
オヤスミ〜
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 02:12:50 ID:V+9Njkc90
>結局家を8年間守っただけで、それならもっと少ない勢力から群雄化した劉備や孫策や曹操や袁家がどれだけ神がかっているかだよな。
先ほどからざっとスレを流し読んで思うことは、
劉備や孫策〜〜が躍進したときとは状況がまるで違うから、勢力の多寡だけで比較はできないため、
仮に彼らが孔明と同じ状況で戦ったとして考える必要がある。
局所的な戦術においてはよりうまくやったりあるいはポカをやらかしたりするのではないだろうか。
しかし大局的な戦略において勝利を収めることはできなかったのではないだろうか。
あるいは孔明とほぼ同じような持久戦主体だったかもしれない。
要するに孔明に与えられた状況のみを用いた場合、上記の人物であっても、
1の基準に合った軍事の才能の有無を判断することはできないのではないだろうか。
よって
孔明に軍事の才能はあったとも言いきれないし、無かったとも言い切れない。
1の基準だと多分。
奴ら宗教なんだからまともに孔明厨釣るスレ作んなって
>>490 そいつはパパに保護られてるだけのベイビーだから、
家を守る大変さなど想像もつかないんだろう。
生意気なだけで努力しないし、痛いところ衝かれるとスルーだし、
他人を訳も無く罵倒するくせに、自分が同じことをやられるとキレる救いようの無い馬鹿。
意味の無いことばかり異常に無意味で的外れな注釈するし
自分だけのマイ戦争観を基準に話すから噛み合うわけが無い。
ママンの胸に泣き付いて、ちくまの正史8巻セットとジョミニ、クラウゼビッツ、リデルハート、ランチェスターのでも読んでから話せばいい。
ディベートの基本くらい身に付けてから「高度な議論」とやらを開陳してくださいね、厨学生クン。
なんだか
>>490が誤解を与えかねない文章だったので補足しておくと、
だったら仮に劉備の立場に孔明が立っていたらどうだったとか言われても答えようが無く
仮に劉備だったら云々、孫策だったら云々というのは基本的にはナンセンスなんだけど、
孔明の場合は行動があまりにも限定された状況にあり、
特に第二次北伐以降は、
兵は出す、されど積極的に攻め入らず
と言うスタンスを大局的には主体にせざるを得なかった訳で、
こればっかりはおそらく他の名将でも変わらないと思われるため、
こうした状況下でしか指揮を執る機会の無かった孔明の軍事の才能は、
他の名将達の華々しい活躍と単純比較はできず、1の基準では保留とした方がいいのでは?
と言いたい。
494 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 03:25:27 ID:XzX2TG3J0
トイレ起き。
夜中にヒステリー起こしているバカは朝起きて赤面すれば面白い。
人力では救いようがないんだから。
495 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 03:27:20 ID:XzX2TG3J0
偉大な曹操は北伐よりも厳しい状況で、
袁家を打倒し、兵5000から覇者になった。
孔明には出来ない芸当である。
孫策は兵1000から始めて江東の覇王と呼ばれ劉備は危機的状況を何度も潜り抜けた。
孔明はいつ危機に陥ったのか?恐れていただけだ。
497 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 03:33:11 ID:XzX2TG3J0
他の時代の武将だったらば北伐で散々に粉砕されていただろう。
孔明はやはり三国時代の人間だけあぅて軍事才能はあった。
>>492 あのバカに正史や戦争、戦略、戦術論、ゲーム理論とか嫁と言っても理解出来ないんだからダメだってw
つーか本当に中学生か?そう言っとけば多少の無知無能を誤魔化せると思い、ハッタリかましてるだけと違うんじゃね?
>>496も言ってるし。もう相手にせず放置しようよ。
>>493 そもそも
>>1の基準になんでしたがわなきゃならんのだ。
と言いたい。
スルーする前に一言だけ・・・
トイレ起き。だってさ1◆Lw/krO0rCQは必死すぎーwww
中学生が夜中トイレ起きって年寄りかwwwwww
499 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 07:51:40 ID:XzX2TG3J0
曹操の偉大さを称えよ。学校落ち。
劉備の遺言がふるってる
「もし劉禅に才能がなければ、君が代わって主となれ」
謀反のお墨付き論
でも孔明は受けなかった
このあたりが後世愛される要因の一つであり、同時に英雄としての限界なんだろうな
でも劉禅にとってかってたら名前すらろくに伝わってないんじゃないか?
曹操にせよ、司馬懿にせよ一応は主人に忠節を尽くしたからこそ高く評価されてる訳だし。
>>491 1よりもお前の方が最低の人間だな。
孔明よりも曹操の方がはるかに宗教だぞ。
しかも狂信的なな。1の曹操信者ぶりはスルーか?
毛沢東を称えるために曹操を持ち上げる中共のプロパガンダ
に乗っているという現実は無視しやがって。
レスの内容読んでるのか? どこが孔明信者だ。
ほとんどが好き嫌いをおいておいて、公平に決めようとしているがな。
高みに立ったつもりの決めつけ野郎が。
>>491とアホの1は中庸って言葉しらないんじゃねーの?
孔明派、曹操派共に譲り合えないんだったら
中国に直接飛んで納得のいく取材でもしてくりゃいいんじゃないのか?
ヒートアップしてくると文句しか言ってないように見える・・・。
孔明派、曹操派が罵り合いしてるかどうかは知らんが、小蝿が一匹紛れ込んでるのは事実だな。
その小蝿に対してなら駆除活動は行ってはいたが・・・
つーか曹操の良さが判るなら孔明の良さも判るはず。
似非曹操信者は曹操信者に非ず。
彼らは自分の勝手な妄想を曹操に委託してるだけ。
一番不愉快なタイプの勘違いした愛。
偏った愛は三国志V(三国志5・三國志X)とかの影響か?
小蝿は小説をのみ信じて盲目的になってるのは事実だ罠
儒教圏でしか通用しないオサーン
509 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/17(日) 14:37:18 ID:XzX2TG3J0
部活終わった。寝る。
1は結局、曹操信者に過ぎなかったわけか。
だったら鼻っから曹操マンセースレでも立ち上げればよかったのに。
妄信は誰の迷惑にもならないが、孔明派が不愉快になる事をなんで
いちいちねちっこく言うかね。
政治家としては曹操とタメ張れるだけのもの持ってるからなぁ、孔明は
軍才が怪しかったのは確かだが。
曹操と比べて軍才や謀略戦は劣るが補給、兵站というジャンルでは軍事玄人にはない発想が光る
陣中用野菜、木牛流馬などのエピソードも補給に苦心していた彼なりの発想がいつしか伝説になったのだろう
>512
兵站を重視するのは軍事面のプロの仕事さ。
諸葛亮は軍事的にプロだということ。
>>510 1はアスペルンガー
それにあんなのを曹操信者なんて言ったら他の曹操スキーが怒るよ。
515 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 16:32:51 ID:C69tEe9d0
孔明様最高は逃げたな
516 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 16:36:32 ID:C69tEe9d0
曹操が補給で苦心したと聞いたことが無い
プッ曹操が補給で苦労した事が無いってw
さすがに
>>516は酷いな
都合の悪い事は意図的に忘れてるとしか思えない
519 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 18:32:54 ID:C69tEe9d0
曹操の屯田政は評価していいな
520 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 19:01:51 ID:C69tEe9d0
孔明の八陣をやたらに評価するって一回しか使われていないんだけど、韓信なんて一回も使われてなかったんだから
どちらも曹操には及ばないと。
曹操は唐代も参考にされたんだから桁が違う。
韓信は戦上手。その上、世界でも通用するし、ハンニバルクラスの天才。
1の絶賛する曹操は・・・
しかも戦下手で有名w
・赤壁の大敗で天下統一の夢が事実上崩壊。
・カクが居なければ、西涼連合により滅亡確定。
・漢中では格下とばかり思っていた劉備にも完敗。
・司馬イが居なければ関羽により滅亡確定。
後期の曹操自身はグダグダ。
曹操の軍事面で冴えが光るのは官渡までだな。
非常に優れた文才、人材起用の卓抜さなどが
曹操が最も優れていた面だと思うんだがなあ。
だからこそ、上記のような軍師に窮地を助けてもらえたんだし。
こういう先を読む目を持ってるのも曹操の優れた才能。
諸葛亮に欠点もあれば、曹操にも欠点はある。
そういうのをひっくるめて愛好するもんじゃいかね〜、歴史って。
523 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 19:21:33 ID:C69tEe9d0
曹操が戦下手だったら呂布や袁家に負けてるだろ
>>519 屯田制は韓浩の進言だけどね。
それと官渡の戦いは結構ギリギリで、幸運の要素がなければ曹操は普通に負けてた。
まあチャンスを生かせたのは流石だけど。
>曹操が補給で苦心したと聞いたことが無い。
すさまじい釣りだなw
果断、動きが素早いという点では間違いなく孔明より曹操のほうが上
しかし曹操の戦は文字通りバクチの要素が強く堅実さで曹操は孔明に劣るといったところか
527 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 19:58:26 ID:C69tEe9d0
曹操は負けるはずの無い戦を落としたりしてる。
戦略家としての曹操の凄さは認めるが2割勝って8割負けてんじゃ
とても戦上手とは言えんな。
よく比較として持ち出される信長と戦術家としてのレベルは同じw
>曹操は負けるはずの無い戦を落としたりしてる。
1の脳内では曹操は確か戦上手じゃなかったっけ?
529 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 20:17:01 ID:C69tEe9d0
曹操は漢中と赤壁を落としてるのは認める。
湖族や馬超で勝ってたりするから大軍の統率が苦手だったとは思わない。
曹操の戦略ミスは赤壁と漢中だけだし
何十回も戦って3回しかほぼ負け無しだから戦は上手いが
周瑜や劉備も当時並ぶことが無い英雄だったから負けても当然だろ。
スレチなんだが、スルーするにはあまりにも…
>>521 …専制国家氏じゃあるまいし、なにその異様な韓信過大評価。
皆さん!
>>1の脳内曹操と脳内孔明の比較なんて、不毛で無意味だから止めれませんか?
彼は演義ベース+聞きかじった正史+αで脳内アイドルを作り上げてるので、
我々とは議論が噛み合うわけがありません。
確かに曹操は三国時代においては傑出した存在です。
しかし実績において、他の時代の代表者たちと比べて、やはり劣ると判断せざるを得ないとき、
彼はそれを受け入れるのではなく、
「三国時代はライバルが強いレベルの高い時代」と、
状況と結果を自分の曹操観に都合のいい様に置き換えることで、
「曹操=最強」という公式を崩さないようにしています。
これはカルトでファナティックな性質の思い込みなので、議論しても何も変わらないでしょう。
>>1の時点に比べれば彼の孔明への酷評は、少しは史料から窺える実像に近いものに変わったかもしれませんが。
厨学生の啓蒙が好きならば止めませんが、
彼は議論において無尽蔵の妄想をソースとするので話になりません。
労多くして功少ない結果となるでしょう。
以上のことに納得頂けたら今後一切の書き込みを停止して頂きたい。
このスレは凍結の方向でよろしくお願いいたします。
>>532 話はわかったが
>>1をスルーして論議なり意見を述べ合うのは駄目なのか?
まあ別にちょっと突かれただけで主張のブレまくる
池沼厨学生の立てた糞スレなんて潰れても一向に構わないのだが。
>>531 専制国家氏はヘタしたら
>>1級の曹操信者なわけで、別人と思われ。
三戦でも、異様にハンニバルと韓信マンセーが沸いてるのは、どういう流れ?って思う。
535 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 22:22:00 ID:C69tEe9d0
>彼は演義ベース+聞きかじった正史+αで脳内アイドルを作り上げてるので、
曹操は演技ではひどい人格で戦下手なのでそれはありえない。
正史や蒼天航路ならまだアイドル化は出来るけどね。
>確かに曹操は三国時代においては傑出した存在です。
三国時代だけじゃなくて、他の時代に大きな影響を与えたのは事実。
>しかし実績において、他の時代の代表者たちと比べて、やはり劣ると判断せざるを得ないとき、
統一王朝の人間はライバルがしょぼい場合が多いんだよな。
むしろ多方面に才能を発揮した英雄はいないし、三国時代はその後の300年の長江防衛ラインの構築を初めてした時代だから先見がありと見られるわけでレベルが高い。
三国時代の防衛ラインを破ったのが300年後なのを考えてみても統一の難しさがわかるはずだ。
統一=レベルが高いとは違うんだよ。
>「三国時代はライバルが強いレベルの高い時代」と、
だから1000の兵でやたらと大兵力を作ったり、
異民族を討伐しまくったりは他の時代にはあまり見られない習性なんだよ。
逆に異民族に討伐されたのが他の時代で、三国時代だけなんだよ。
>状況と結果を自分の曹操観に都合のいい様に置き換えることで、
事実
>「曹操=最強」という公式を崩さないようにしています。
事実
>これはカルトでファナティックな性質の思い込みなので、議論しても何も変わらないでしょう。
思い込みではなくて事実
>1の時点に比べれば彼の孔明への酷評は、少しは史料から窺える実像に近いものに変わったかもしれませんが。
孔明が酷評されるのは、態度であり過大評価が元。
出陣しても戦わないという矛盾した姿勢を軍才無しと評価しているのには変わりは無い。
曹操や劉備でそんな戦をしたことは無い。
>彼は議論において無尽蔵の妄想をソースとするので話になりません。
歴史においては、妄想や想像で語るのなんて不可能なんだよ。
何が事実化なんてわからないから、妄想や想像をするしかない。
536 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 22:23:13 ID:C69tEe9d0
歴史においては、妄想や想像で語る以外には不可能なんだよ。に訂正。
537 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 22:26:22 ID:C69tEe9d0
異民族を討伐しまくったのは三国時代だけなんだよ。に訂正
南朝側が長江の防衛ラインとやらにまで押し込められると、たいがい滅亡直前。
本来、長江にまで防衛ラインを後退させると、あとは虫の息状態となる。
重要なのは淮河の線と漢水の線、あと秦嶺の険であって、長江の防衛が第一義ではない。
統一王朝ができる直前っていうのは、淮南の領有と荊南の領有があって、
さらに両川を降している場合がほとんど。
曹操はその三つの条件を満たす前段で失敗している。
相手がすごいから、統一がにわかにできない?
じゃあ五代十国なんてすさまじく高レベルだったんだろうなぁ。
1の池沼ぶりにはあきれるわ。
お母さんに聞いてもらえ。
ここにいる掲示板の香具師に誰からも相手にされていない事に気付け。
お前が知的障害者のような事をぬかすから、曹操の事を認めている香具師にすら嫌われるんだよ。
リアルでも友達いないだろ?
悔しかったら中国史研究でも大学に入ってするんだな。お前の論述レベルでは単位を落とされるだろうが。
そういえば、友人は卒論で官渡の戦い以降の曹操の戦術の劣化についてをテーマにしてたわ。
541 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 22:44:17 ID:C69tEe9d0
>南朝側が長江の防衛ラインとやらにまで押し込められると、たいがい滅亡直前。
長江の防衛ラインを突破できないことがかなり多い。
>本来、長江にまで防衛ラインを後退させると、あとは虫の息状態となる。
南宋や東晋は120年近く持ちましたね。
>重要なのは淮河の線と漢水の線、
そこを確保できなかったのは相手がレベルが高かったからで
そういう地政学が出来たのも三国時代が初だろ?
>あと秦嶺の険であって
そこには劉備がいた。
>さらに両川を降している場合がほとんど。
>曹操はその三つの条件を満たす前段で失敗している。
>相手がすごいから、統一がにわかにできない?
よく考えてみろよ。
曹操は官渡で何歳だったと思ってるんだ?
>じゃあ五代十国なんてすさまじく高レベルだったんだろうなぁ。
五代で統一した王朝って金に簡単に滅ぼされましたね。
そうそうあとそこも南宋っていってどこを防衛ラインにしてましたか (笑
>>541 まじ、勢力図見てくれ、頼むから…
東晋、南宋が長江以南の勢力と、真剣に思っているのか?
>>五代で統一した王朝って金に簡単に滅ぼされましたね
まぁ、曹魏や西晋ほどではないがな。
曹操が異民族を引き入れた負債を払わされた形の西晋カワイソス
>>542 スルーした方がいい。
こいつの釣だから。
「はははは、お母さん、今日ね、2ちゃんのアホと議論してまた勝ったよ」
とか言ってる頃だわ。
一緒にお風呂入っているかも知れんけど。
世界史の教科書に載らない時点でチャンコロのオナニーで出来てるおじさん
547 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 23:07:28 ID:C69tEe9d0
孔明様最高まだーチンチン
>異民族を討伐しまくったのは三国時代だけなんだよ。
というか三国時代は「たまたま異民族と比較して戦略的なアドバンテージを持っていた」からじゃないの?
三国時代以降で疲弊しきった挙げ句、
周辺民族を傭兵として雇ったり、兵士にしたもんだから
後に戦闘の技術や知識を吸収し中国の土地に精通した異民族に打ち破られるようになった。
武将達が優秀だったというだけではないだろう。
>>1の言っているように孔明には「史上最高の軍師」と呼べるような才能はなかった。
しかし、蜀の命脈を、次代へと繋ぐ程度にはあったのではないか。
曹操好きだが、こうまで徹底した釣りされるとどうもな…
史上最高はないが、当時の最高クラスとかいう感じだろう。
「当代冠絶」とかいうのが似合う。
>>1よ、なぜおまいはおれの問いかけに口をつむぐ。なぜ話題を逸らす。
なんかおれもゆとりバカにできんわ… 寝る。
脳内曹操には「レベルが高いから結果を出せなかった」と弁護し、
脳内孔明には「結果を出してないから無能」と断言するダブルスタンダードと論理破綻。
あそこまで勝てば統一は簡単なのにな。
千の兵がどうとか言ってるのなら14世紀の乞食坊主はどーなるのか。
554 :
ゴルゴ14:2007/06/18(月) 23:51:14 ID:RKV4HkLZ0
政治・外交の人物だろう
555 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/18(月) 23:58:35 ID:C69tEe9d0
曹操は結果を出しているが。
>>553 そうだよな乞食坊主の朱なんてどうなるんだってなるよな。
しかし
>>1の理論って一貫性がないよな。
自分の都合のいいように主張が変化するんだからある意味大したもんだ。
>>555 統一王朝を築いた奴はもっと結果出してるが・・・
あといい加減sage覚えろや。
>>555 北半分だけだろ。
だとしても石ロクの方がよほど困難な状況から曹操と結果を出した。
そして乞食坊主朱重八は石ロク並みに困難な状況で、
勢い衰えたといえども世界最強の軍隊を擁していたモンゴル相手に、曹操以上の結果を出した。
それから単純に朱重八が最強とか断言はしないが、
お前の論理から正常に判断すれば、どう考えても曹操は格落ちだろうが。
558 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/19(火) 00:11:19 ID:Yj0+BH9Y0
朱元璋の敵は陳なんとかだしココテムルがあと12年生きてたらやばかったな
>>529 大局を決するような戦で負けるというのは致命的。
赤壁は言うまでもなく天下分け目の大合戦。
漢中で劉備に負けたのは、中央集権制を敷き
地方軍とは比べ物にならない精兵を要した曹操直轄軍が
小細工なしの正面から挑んでの負けであったためこの敗北は大きい。
かつては蝿を潰すが如きの劉備軍が互角以上の大敵と化してしまったことも自覚できたはず。
小競り合いで幾ら勝とうが決定的な勝利には繋がらない。
項羽と劉邦の例もあるしな。
>>558 陳なんとかも張かんとかも乞食坊主の朱に
ココテムルは徐達にいとも簡単に撃破されてる罠。
ココテムルはホームではしっかりやり返してるよ。
陳張の両名とは同列にはおけない。
ぶっちゃけ素浪人の劉備が、
手が付けられないくらいデカくなったのは、
曹操の判断ミスの連続による部分が大きすぎる。
562 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/19(火) 00:41:42 ID:Yj0+BH9Y0
また、朱元璋の政権は2代で滅亡している。
魏も実質的には3代で…
>>1の一世一代の頑張り劇場をみせていただこうかなw
陳友諒は水軍上手だし、張士誠は元運搬業で機動力があったし
他に方国珍という海上勢力があったんですがな>乞食坊主
おまけに劉基のいうことと逆をやって陳友諒を撃破したりしてるし。
566 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/19(火) 01:04:52 ID:Yj0+BH9Y0
永楽帝>>>>>>>>>朱元璋だね。
ティムールに勝ってれば永楽帝>>>>>>>>>曹操>>>>その他でも良かったが
永楽帝は方考儒処刑がな…
あれ?曹操って、補給が上手く行かなくて、補給担当者に濡れ衣着せて無かったけか?
あと、呂布との対決で補給不足で撤退とか、補給はあんま上手く無い気が
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 01:18:45 ID:+9ojJKxL0
それいぜんに
どこに早々は補給がうまいって話が出てるか見つけられない俺
>>516の話で。
いや、朝にその辺まで読んでたから
生産力の問題もあるんじゃないか
屯田が軌道に乗るまでは確保しようにも食料そのものが…
てのもあるだろうし
まぁ官渡で食料の欠乏ぶりを許ユウに見抜かれたりしてるが
永楽帝>洪武帝だとしても
永楽帝>洪武帝>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>曹操
後漢時代は、王莽の簒奪の影響もあってガチガチの儒教重視
その中で、法家的な思想を持って国を運営したのは曹操と孔明のみだ、とかかなり前に本で読んだ覚えがある
嘘。
光武帝はどーなるんだよ。
途中から豪族と儒者の独占市場化したが、初期はどう見ても違う。
>>574 嘘じゃない
光武帝が儒教を奨励したのは事実(法家も兼用したが)
だいたい後漢末期の話なのに、初頭を持ち出して何の意味が?
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 12:09:42 ID:dqecK4tr0
>>573 それは明らかな間違い。
後漢の二代皇帝である明帝(光武帝と陰麗華の息子)は、
一応儒教も尊重したけどかなり強硬に法家的な政策を行った皇帝として有名。
若い頃から非常に聡明な人物だったらしいが特に法律に詳しかったらしく、
即位後は酷吏を重用して不正を行う役人をたとえ豪族出身者であっても容赦無く罰した。
そのやり方は儒家官僚の鐘離意や宋均といった人物から批判されるほどだった。
明帝の時代は後漢の中でも一番皇帝権が強かった時代と言われている。
ついでに光武帝関連の話をして悪いけど、ある本に後漢末の群雄達は曹操も劉備も、
袁紹・袁術の兄弟なども皆光武帝のことを意識して行動していたと書いてあったのを
見てちょっと驚いたことがある。
>>575 「後漢時代は」と言っておいて後から末期に限定?
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 14:02:03 ID:eFD3LGAl0
曹操とか孔明とかいってるんだから、普通にその周辺の時代の話だろ。
何この揚げ足鳥の見本市
>>王莽の簒奪の影響もあってガチガチの儒教重視
と明記されている以上、王莽以後と捉えるのが普通ね。
そんな重箱の隅突いてまでアンチるようなレスとは思えんのだが・・・・・・
初期の一面にやや違いがありましたよってだけで全否定って乱暴すぎる
もっとも曹操がやったような祭祀禁止とか、才能だけで人を挙げるとかいう話を孔明にあんまり聞かないが
人柱の風習を饅頭作って代えた逸話ぐらいか?
あ、一番有名な「泣いて馬ショクを斬る」を忘れてた
劉備だって息子に「商君書」を読めとか言っとりますがな
573の論旨を鵜呑みにすると王莽⇒後漢朝三代目に直行なんだが。
後漢は初期の半世紀の遺産のみで食い繋いできた王朝。
四代目以降は外戚と宦官が跳梁跋扈してまともに機能していない。
その初期を無視するのは大きな誤謬だし、全否定してるのと一緒。
全否定の暴論が、全否定の反論で返されるのは乱暴でも何でもない当然のこと。
>王莽の影響
こいつは権力獲得までは非常に優秀だったけど、それを手に入れてからの手段は狂人そのもの。
空前絶後の失政をやらかしたアホに影響を受ける輩などいないだろう。
陰氏や馬氏の外戚権の行使自粛は歴史的に稀だけど、それとは関係ない。
584 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/19(火) 22:45:31 ID:Yj0+BH9Y0
登れやこの山 見ようぜ海を 水面ひろびろ にょっきり山だ 木々はびっしり 草々茂る
秋風つめたく 大波起こる 月も太陽も ここから昇る きらきら銀河も ここから出るぞ
素敵じゃないかよ 歌おうぜ、さあ
初冬の十月 北風びゅうびゅう 空は真っ青 地上は霜だ 朝はくだかけ かりがね渡る
つばめは隠れて ひぐまは眠る 鋤鍬しまって 収穫山積み はたごはととのい 旅人を待つ
素敵じゃないかよ 歌おうぜ、さあ
故郷離れて 北地は寒い 流氷ただよい 舟は進まぬ 地面は凍てつき 冬草はびこる
川は流れず 氷を踏みゆく 隠者は貧しく 任侠横行 嘆かわしいかな 悲しみつのる
素敵じゃないかよ 歌おうぜ、さあ
亀は長生き それでも死ねる 天駆ける蛇 最後は土くれ 駿馬は老いても 千里を思う
烈士の暮年は 壮心やまず 人の命は 天命なれども 大事に使えば 長持ちするぞ
素敵じゃないかよ 歌おうぜ、さあ
これ曹操の黒歴史ノートじゃね?w
こんな時代に掘り返されるとはカワイソスwwww
29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/03/24(土) 11:54:44 ID:zmbc5Ai20
>>28 あらためて曹操の詩はいいなぁとしみじみ感じてしまった
>>584 歩出夏門行だな。この訳し方は高島俊男か。
で?
誰か
>>1に子守唄代わりに四面楚歌でも歌ってやってくれ。
むしろ1のために鶏の鳴きまねをしてやってくれ
>>583 だから一部をあげつらってしつこく否定するほどの話かぁ?
光武帝・明帝だって郷挙里選の際に儒教の徳目を第一とし振興したことを、法家的一面と同じように一事が万事として取り上げれば儒家ってことになるじゃん
外戚だとか、論旨をずらして逃げるくらいなら何もしないのが一番だ
お前は道家に学ぶべき(w
>>588 575 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 11:41:59 ID:I9rxDZw40
>>574 嘘じゃない
光武帝が儒教を奨励したのは事実(法家も兼用したが)
だいたい後漢末期の話なのに、初頭を持ち出して何の意味が?
↑がお前か?
まあどうであれ、「(後漢の全てを通して)法家的な思想を持って国を運営したのは曹操と孔明のみだ」
という最初の議題から論点をずらしたのはそいつ。
五十歩百歩という言葉を知ってるか?
馬鹿の口論に片足突っ込んだ身ではあるが、俺は”恥を知る五十歩”だ。
こんにちは、”恥知らずの百歩”さん。
一斑を見ずして全豹を知るような利口者ならいざ知らず、
最初から適当に作られた教科書を鵜呑みにしてる程度の理解で偉そうなことほざくな。
まあ両人ともモチツケ
攻撃を加えるのは
>>1にだけにしとけと。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 11:06:42 ID:nj8B21eN0
まあ孔明や曹操にだって儒教的な一面はあることだし、はっきりと全ての人を儒家と法家に分けるのってかなり難しいと思うよ。
あと前漢の宣帝も言ってたけど、適度に王道(儒家)と覇道(法家)を織り交ぜて国家を運営するのが理想の政治だと思う。
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 12:00:38 ID:cEFDdxNr0
孔明の図抜けた軍事的才能のお陰で、あんな僻地中の僻地から攻勢をかけられてた
んだろ。 魏の国力が蜀の国力の何倍か知ってるのか? 人材にしたって
蜀に集まるわけないだろ。 才能ある奴はみんな長安や洛陽あたり目指していくんだぞ。
日本の戦国で言えば、四国の長曾壁が信長に向かって再三遠征するくらい
ありえないこと。
ちなみにこのスレの住人的には、
孔明の北伐が一回でも当初目標を成し遂げてたら、どういう評価になるんだろ?
住民としてかはともかく
一回というより戦略目標の長安を恒久的に確保した時点でここでいう北伐は終了する
その後蜀魏がどうなっていくのかはまた別のお話かと
>>594 ああいや、その場合でも「長安取っただけじゃたいしたこと無いよな」的評価になるのかな。と。
妄想の感想求められても困る
>>595 少なくとも緒戦で天水南安安定三郡をとったよりは評価は高くなるだろうな
魏の防衛線は最重要の合肥長安ラインから先どんな外敵侵入も内乱除いて許したことはないし
そこを抜いた時点で抜けなかった陸遜より孔明の評価は高くなるかもしれない
その後逆に隙をつかれ攻め込まれて軍は壊滅、蜀滅亡の主因にでもなったりしたらそりゃ評価は今より低くなる
>>597 結局、どの場合でも「評価は分かれる所である」が限界ってことか。
蜀勢の弱点を見抜いて持久戦に持ち込んだ司馬懿の作戦勝ち
司馬懿の前では曹操なんぞ霞むだけからな。
三国志の覇者の貫禄だな。
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 19:03:33 ID:w3VDqV7B0
堅実に守るだけなら孔明でも出来るだろ
司馬懿の何がそんなに凄いんだ?
>>601 同意。どちらが優れているか決められないなら分かるが。
司馬懿の方がすごいというのが定説というのが分からない。
人格とチャレンジ魂なら、諸葛亮の方がはるかに評価できるのだが。
司馬懿には孔明戦のみならず遼東遠征や孟達電撃戦の実績があるわ破滅的負けもないわこの時代随一でも仕方ない
もっとも最初からある程度整備された兵站や優れたシステム持ちの大規模軍隊を最初から使えた強みもあるけど
孔明や曹操はそれを一から作らなければならなかった
遼東遠征と孟達電撃戦は反乱軍の鎮圧であって
蜀軍や呉軍のような国家間のガチ戦争ではない事は割り引くべきだろう。
605 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/20(水) 21:45:11 ID:NviD+/SQ0
遼東遠征は国家と見ていいくらいだ。
兵数も蜀より上だったようだし。
大軍で篭城するのは危険だからするとしても補給線を断つくらいは出来るだろ。
司馬懿は持久戦も、当時としては異例の電撃戦もできる一級の人材
かの曹操が、脅迫じみたことしても部下に迎えた男だからなー
その司馬懿をして「天下の奇才」といわしめた孔明だけど、やっぱり善戦レベルで留まったのは歴史が証明しちゃってる
>>605 規模の話ではなく程度の話だろ。
国家にも大小あらなぁー。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 22:15:00 ID:1nXxS7xc0
遼東遠征なんか大した功績にもならんだろ?
魏の国力を考えれば敵の兵力など初めから問題にならないし
厄介な文化や風土の違いを考えれば南蛮平定の方が大変なくらいだ
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 23:13:35 ID:tIT/Ms/+0
北伐で仮に司馬懿と孔明の立場が逆だったとして、結局同じ結果だっただろうね。
ただ、遼東遠征と孟達電撃戦を孔明が手際よくできたかというと疑問が残る
やはり軍事の面では司馬懿が上だろう
上かどうかというと剛速球のピッチャーと変化球のピッチャーどっちがすごいかという水掛け論でしかないと思う
あるいはホームランバッターと好打者とか
孔明だったらじっくり準備で万全の体勢で叛乱討伐
ただ、相手に時間を与えることになるので、守り固められちゃうかも
司馬懿だったら、取りあえずの兵でも速攻で叛乱討伐
準備不足は否めないので相手に逆襲食らって壊滅とかしちゃうかも
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 00:06:54 ID:dX7pVPTZ0
仮に司馬懿の方が才能が↑だとすると、何故巣から出てきた孔明を叩かなかったのか疑問が残る
兵力で勝っている上、向うはやる気十分だったのにあまりにも消極的過ぎなかったか?
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 00:13:13 ID:hijaIvqXO
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 00:18:48 ID:nEwc5P18O
北伐はダメとしても、南蛮平定だけは孔明の軍事能力はあったと評価していいんじゃないの?
平定して以後ずっと反乱がなかったみたいだし。
素直にすごいとは思う。
615 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/21(木) 00:27:06 ID:UNEdJUBN0
本格的に倒したのはほかの将軍だけどな。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 00:27:13 ID:hijaIvqXO
北伐は第一次以外は守衛目的だったって考えられないの?
まあ北伐ってのは無理を承知ででもやらにゃならん国是だからな
>平定して以後ずっと反乱がなかったみたいだし
それはない。233年(孔明の死の前年)に劉チュウが反乱を起こしてるし、
その後も何度か反乱が起きてる。
>614>618
そうやって反乱が続発した結果、蜀軍の駐屯所はさらに南下して南蛮の中におかれることになった。
つまり、間接統治ですませるという孔明の政策が破綻したということ。
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 01:33:38 ID:dX7pVPTZ0
>>613 つまり名将を討たれて「こりゃマズい、やっぱ危ない事はやめとこ」
・・・と思い直した訳か?w
反乱なんかどこでもおきてるが、南中からの物資、兵士、人材の供給を見れば、
南中政策は十分な成功だろう
>>619 そもそも「間接統治ですませるという孔明の政策」というのが、演義の創作なんじゃない?
「史実では〜」という話をしたいんだよね?
だったら、そんな前提がないんだから、破綻も何もないんじゃないか。
やはり、演義の影響力は侮れんな。
演義がなけりゃあこんなスレも立ってないしな。
>>622 とりあえず正史馬良伝を読め。
南中間接統治策が馬謖の策として書いてあり、それを孔明が採用してるから。話はそれからだ。
>>624 当然読んでるが、演義のように官吏を派遣した直接統治をしなかったなんて記述はないよ。
あくまで、敵を滅ぼすのではなく、屈服させろという進言。
孟獲を許してとりたてたが、南中全域を任せたなんて書いてない。
「間接統治ですませる」というのは、演義の記述を前提にした飛躍した論理。
李恢なんか、南征の前後、変わらずライコウ都督。
どうも諸葛亮を称えるため美化されているようだが、
現地の有力者をとりたてた程度が、現実と思われる。
そもそも、この記述は正史本文でなく、裴注の『襄陽記』なのだが、
>>619が同時に否定している
「諸葛亮が世を去るまで、南方は二度と反乱を起こそうとはしなかった」
の話の出所なのだよ。
そもそも、間接統治の件を主張したいのならば、
まずは諸葛亮伝注の『漢晋春秋』を提示するべきじゃないかね。
>>626 >そもそも、この記述は正史本文でなく、〜
諸葛亮伝では「春、南征した。秋、凱旋した」程度の記述しか無いんだよな。
同伝注『漢晋春秋』では、
七縱七禽のエピソードとともに、南中の統治を現地人にそのまま任せて帰った旨触れられている。
(関係ないが、演義じゃ南征で大活躍する呂凱も、呂凱伝によると諸葛亮の南征中に死んでいる。
しかし、漢晋春秋やら馬良伝の記述を覆す記述が馬忠・張嶷両伝に有る、と。
233年に劉冑が反乱。しかもそれよりまえに建寧、越スイの太守が殺害されている。
張嶷伝だけを読む限り、益州以南は250年前後、ようやっと収まってるわけだよな…
「諸葛亮が世を去るまで、南方は二度と反乱を起こそうとはしなかった」 の話の出所
ちくま訳の馬良伝注襄陽記にまんまの記述があるな。
あと「図解雑学:諸葛孔明」(ナツメ社、渡邉義浩著)に
「諸葛亮は南中の人々に自治をさせた。諸葛亮が世を去るまで、南方は二度と反乱を起こそうとはしなかった」
のような、マンマの記述がある。
俺に分かるのはこんなところか。
七擒七縦って、俺的には曹植の七歩の誌ぐらいの信憑性しかないな
逆に孟獲様が孔明を七回捕らえた伝承話もあるしその辺は
南蛮と孔明は遠征中何度かやりあったくらいでちょうどいいんじゃないかと思う
孟獲は最後は蜀の御史中丞にまでなった出来物出しなぁ
>>629 一国の宰相が敵国に捕らえられたら、失脚するというレベルじゃ済まないだろう。
リチャード獅子心王の末路を考えれば、
孔明が捕らえられたってのは議論するまでもなく捏造だと思う。
632 :
631:2007/06/21(木) 19:20:29 ID:vVYG2DD80
付け加えると「漢晋春秋が完全に信頼できる文書か?」と問われると、それもまた疑問ではある。
それを言い出したら世説新語だって雑記だって曹瞞伝だって…
嘘か真かを言い出すと正史もキリがないからな。
演義の元とでも考えればいいんだよ。
>>630 あえて邪推をすれば、ライコウ都督や郡太守ではなく、
中央の高官である御史中丞というのも狙いがあるように思える。
勢力基盤である、南中の現地から引き離し、中央の高官という名誉を与える。
そして、現地の実質的な統治は、中央から派遣された太守らの役人に移行していく。
こうして、南中の大勢力を骨抜きにしていく。
あくまで想像の範疇をでないが。
舊唐書の南詔伝に、諸葛亮のことが書かれてるよ。
当時の南詔国王子が、諸葛亮の建てた碑文、「この碑が倒れたら、蛮を漢の奴隷とす」を発見してびっくりし
すぐさま補強工事させたという話。
諸葛の砦とか諸葛なんたらと言う建造物が雲南には結構あるらしいな
孔明は蜀という国家を経営した一大政治家であった。
戦闘指揮は、専門家の鳳トウや法正より劣る。
これじゃ駄目なの?
>>638 ホウ統は…陣頭指揮で初陣飾ると同時に死んじゃってるからなぁ。
孔明の陣に攻撃してきた仲達を退けたり追撃させたチョウコウを仕留めたりしているから
単純に野戦させたら孔明>仲達だろう
演義では街亭落とされたり緯水で完敗したりチョウコウの戦死が仲達の忠告を無視してだったりしてるから
孔明の勝率は正史の方がむしろいいくらい
641 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/27(水) 00:10:19 ID:4tM9XGG50
曹操や劉備ほどの戦果をいつ孔明が立てた?
黙ってろよ
>>1 折角、お前が居なくて平和だったのに。
法正も陣頭指揮したことないよ!
裴松之に小馬鹿にされる当たり前の助言をしただけだよ!
作戦立案は黄権と並ぶ程、優秀かもしれないけど
陣頭指揮に関しては完全未知数だよ
たぶん、諸葛亮より下手。
部下が動かないと思う。
>>641 まて
無計画無責任男の劉備をまぜないで
劉備の戦果って、漢中を奪った以上は得に無く
失点は山の様だよ。
数えると悲しくなるよ。
戦果=荊南四郡、益州の大半
単純に見れば孫策&周瑜より多い。活動期間は倍以上だけど。
戦績=こいつに勝てれば一流という感じ。二流以下には必勝なのでな。
それ以外の負けというのは大抵戦う前から圧倒的戦力差で負けている。
実際のところ戦果と戦績で飛び抜けてる曹操もかなり行き当たりばったり。
袁氏と荊州劉氏を降した後の、208年〜219年の劉備の飛躍は曹操のミスでしかない。
215年に仲達が益州攻略を進言したのも、劉備を過大評価し過ぎではないかと思う。
確かに確固たる勢力を築いた劉備を相手にしての攻略は曹操自身でも不可能だろう。
だが一杯一杯の益州に夏侯淵あたりを投げ込んで先制攻撃を仕掛ければ、
劉備が漢中にまで侵攻することは出来なくなったのではなかろうか?
また、益州方面から攻撃を仕掛けなくても、荊州方面に全面攻勢を仕掛ければ、
片や山奥に逼塞し、片や水辺の利を失う訳だし。
どうも曹操は孫権を組し易しと見て、劉備ほどには評価してない先入観がある。
>>644 新野までの前半劉備は大抵人に使われる傭兵隊長のようなもの
それでもそれなりの戦果は挙げてるが
>>646 しかし、小競り合いには勝てても、勢力同士で雌雄を決する総力戦となると途端に負けてたんだよな。
やはり大局を見る長期的な戦略眼がなかったんだろう・・・
曹操には常に、相談に乗ってくれたり自分の考えを修正してくれたりする知謀の士が多数いた。
もちろん使いこなす曹操も優秀でなくてはならなかったが。
一方孔明に会うまで劉備は長期的方針やら作戦の立案やら基本的に一人ではやらなければならなかった。
だから漢中の戦いは孔明が後方支援、法正が助言しそれを劉備が即座に正しく理解して陣頭指揮を取り実行した、
それまでにないものだった。
>>648 いや〜少なくとも陳群の進言を退けてて破れたり、陳登を抱えながら敗れたり、
夷陵でも、黄権の進言を退けるなど、自ら率いての敗戦は、劉備の決断に責がある。
官渡での袁紹も、赤壁での曹操も、そういう意味では同類だけどなーw
理学の天才は理屈はわかるから工学もこなせるが、現場合わせは専門ではないから天才じゃないってことじゃない?
>>650 ほうほう。
そういう考え方も出来るか〜
曹操、陸遜、曹仁あたりが出ると相手にならんな>先主
赤壁は実質周喩の手柄だし
曹操には漢中で勝ってるし、赤壁も「劉備と戦って利あらず、北に帰る」って書いてあるよ
曹操、陸遜ってこの時代の戦上手の中でも五指に入るだろ。
あと曹仁は劉備以下の関羽に追い詰められるなど微妙。
兵站と支援が互角だと崩れもしないだろうが、引分以上は望めないだろう。
周瑜にしても江夏ひとつ落とすのに時間掛け過ぎで野戦指揮官としてはイマイチ。
わざとだとは思うが江夏じゃなくて江陵ね。
むしろ江陵攻防戦は周喩と曹仁だから一年も膠着したんじゃないのか。
いや江夏のことだよ。
黄祖戦で何であんな時間掛かってるんだ?
江陵戦は相手を考えれば妥当な早さだと思ってる。
>>646 逆じゃね?
傭兵隊長の頃はへったぴを断言して良い気がするぞ
勝ったのって荊州時代に夏侯惇を伏兵で撃破した事ぐらいじゃね?
まじで
どーみても計画的な指揮は向いて無さそうな気がするんだが
>>645 それってさ、「結果的に諸葛亮を手に入れてから」と言い換えられたら
おしまいじゃね?
>>657 ああ、失礼。
黄祖に関しては記録が少ない事から、その軍勢が現代日本では過小評価され気味なんじゃないかな。
予章などに1000単位の兵を何度も派遣してるあたり、群雄並の軍勢を保有していたと思われる。
黄祖が強かったんだと思う。
黄祖はわりとしぶとく守ってる印象だよね
>>659 感覚的すぎて何が言いたいのか良く分からん。
あれだけ負けて生きてること自体、すごいことなのだが。
荊州南部に関しては、誰がどうプラン立ててどう指揮して
どんな戦いがあったか、正史はあんま詳しく書いてないからなぁ。
>>661 しぶといねぇ。負けても残存兵力まとめて勝ちきらせねぇし。
ナポレオンやフリードリヒ大王でも二倍以上の敵に勝つのは不可能に近い、
とクラウゼヴィッツの戦争論には書いてあった。
攻める側はそうらしいな。守るのは1/3でもわりといける。
667 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/06/30(土) 14:35:22 ID:3zNDfMbg0
孔明はなんでカリスマで独裁者で専横してしかも劉禅に何も言われなかったんだ。
孔明は何か不正とか職権乱用とか無能な一族の重用などの問題を起こしてる独裁者かというとそういうのは限りなくゼロに近いしな
無私の独裁者かつ国のNO.2って孔明以外にゃ誰が居るだろうなぁ
劉禅をニートと捕らえれば
稼いでくれる親に変わって仕事をしたいとは思わないだろうな
671 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/01(日) 17:45:23 ID:0d96YQ3C0
荀文若と郭嘉がいますが?
時代違うけど、張居正は?
以外に私欲はないと思うけど
私欲の塊だろ。ただ私欲以上に公欲も強かった為に誤魔化されてるけど。
ぱっと思いつく中では王猛とか郭子儀とか于謙とかかなあ。
王猛はどうなんだろう。味方といさかい起こしたりしてるし、孔明タイプじゃないような。
郭子儀は軍事の人だし…
675 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/01(日) 20:16:14 ID:0d96YQ3C0
王猛はだめだめだろ。
演技孔明のような卑怯なことをやっている。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 20:34:33 ID:T2GwRMb+0
王安石は…独裁者とは違うか…
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 21:06:26 ID:GRzhvZla0
信任されたナンバー2といっても、劉禅と諸葛亮の関係は稀有だな。
皇帝とナンバー2とでの二人三脚というのなら、
>>673とか
>>676あたりでもいいのだが。
>>郭子儀は軍事の人
皇帝から尚父と呼ばれ、中書令ともなっている。武官としては異例の出世だわな。
まぁ、成功した韓信という感じかな?(やっぱ人格の差だな、これは)
難しいねぇ
陳舜臣だかが、楠公さんと違うか、とかどっかで書いてたが>孔明
無私といっても、それは経済的なもののことで、ある意味名誉欲や
自己顕示欲は人一倍あるんだよね
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 21:38:44 ID:59USOk/p0
王導とか馮道はどうだろう?
馮道は自分の閲歴を自慢していたけど、それをもって高圧的になることも鼻にかけることもなかった。
しかし、平時の良相であって、有事には役立たずと言われた…w
後唐明宗、後晋高祖、後周太祖には、その識見を高く評価されて、諸葛亮なみの信任は受けているが…
どうも2代目には受けが悪いようだ。
後唐末帝、後晋出帝、後周世宗は馮道を用いることがないうえに、冷遇した。
後周世宗のときは、馮道の死に悼んで政務を三日休んだというから、冷遇というわけではないけど。
曾国藩が
盛世創業垂統の英雄は襟懐カツ(害谷)達を以て第一義とし
末世扶危救難の英雄は心力労苦を以て第一義とす
ということをいってるらしいね
前者のタイプが皇帝になれるが、曾は後者のタイプだと
諸葛亮も欲がないから、誠実だから皇帝にならなかったと
いう面も確かにあるけれども、なれなかったという部分も
大きいと思う
管仲じゃね?
あれもなかなかの放任主義だし
なぜ張良の名がでてこない。
>>684 子房さんは確かに欲はないが、権謀のプロと言う印象
まだしも陳平のが、丞相になっただけ政治家してる
斉の晏嬰…あれもかなりの曲者だが宰相としてはそれなりに名高い、か
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 12:14:31 ID:Z0PgQ20k0
結局さあ…戦争や軍事といっても多岐にわたるから
・官僚:国家経営の一環として戦争を運用する力、どちらかというと政治家
・総督:大部隊の総司令として、将軍や参謀を運用する力
・軍師:参謀として計略や敵の行軍予測をする力
・兵率:現場で部隊を指揮する力、どちらかというと武将の能力
ぐらいに括らないとなんともいえないんじゃない?
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 18:10:50 ID:1ERF85yS0
簡単に言えば政治家としては劉備以下、作戦家や参謀としては法正以下、将軍としては魏延以下
真面目さでは一番って存在だったんだろ
秀吉が託した前田利家や石田三成みたいなもの
>政治家としては劉備以下
ちょっと待てw
政治というのはいわゆる国家戦略なのか、一般行政なのか
それぞれがエキスパートに告ぐほどの実力がある多才なら逆にすごいが
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 19:20:47 ID:pnXqYp//0
つまり、能力値オール90台ってことNE
693 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/02(月) 19:23:25 ID:uL0IZdfC0
むしろ曹操は100点満点だけど。
国家戦略も一般行政も
ルックスは5点
>>693 国家戦略については後の異民族侵攻の下地を作ってしまって
とても褒められたものじゃないが
696 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/02(月) 20:32:34 ID:uL0IZdfC0
異民族が反逆したのは曹操のようにしっかい統制できてなかったからだけで
曹操を見習えばよかっただけの話。
曹操って異民族対策何かやったっけ?
烏丸と戦った結果、田豫、鮮于輔らの気苦労を増やしただけじゃないか?
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 21:07:03 ID:MGLLn9BvO
>>697 内地に強制移住させて後世の民に苦しみを残したよ
でも文革期には烏丸を討ったことで評価されたりしたんだよなぁ、孟徳
そりゃ、当時は外的を討つのが国是だったからねぇ。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 22:57:09 ID:QGlMI5H4O
曹操はやったら裏切られたり、反乱起こされたり、失敗が結構多いのでさすがに100点はやれないな
まあそれでもあの時代で一番の英雄だとは思うけどね
烏丸って内地に移住した後で反乱おこしたっけ?
>>688 そうですよね、諸葛亮は
徐州を張飛に任せ、荊州を関羽に任せ、呂布を信任する政治力より劣り
裴松之に鼻で笑われる程度の采配もできず
孫権に「そんな部下もって大変だな」と同情される将軍よりも各下ですよね
彼の行政の政策ってどんなもんだったのかな
曹操
統率85 こいつより上はいるだろうが、そこまでの腕前に達することが至難。
武力80 知力と統率に基づく奇襲を封じられると正面衝突では劉備にさえ劣る。がそれでも後漢末最強。
知力90 マルチすぎる多才さを評価。その兵法の権化ぶりは時代に冠たる存在。ノーミスで統一を果たしていたら100でも良い。
政治85 行き当たりばったり計画性皆無。その場凌ぎに関しては天才的なので加点。
魅力65 無い訳ではないが糞餓鬼のそれ。君子に非ず。
>>705 品行方正=魅力が高い、ではないだろう。
むしろやり方が強引であっても他が付いてくるのだから魅力があるといえるのでは?
もちろん後漢帝擁立とか他のファクターもあったろうけど。
それよか武力が個人の武勇を示すのであれば、曹操はチビだったらしいが70あるのだろうか?
子供のころ喧嘩したら誰も勝てなかったとか、張譲の屋敷に殴りこんで
一人で大暴れしたというエピソードは一応ある
力で押さえつけてただけでは?
あとチビはチビでも、兵法ヲタなのでガチムチのマッチョ体型だったと思われる。
じゃなきゃあんなに子作り出来ないだろう。
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 19:26:08 ID:aC1rQti60
>>705 例え建前であったとしても
「漢王朝再興」は掲げておくべきだったかもしれんね、劉備のように。
その点のしたたかさは劉備にも劣る。
ある意味純粋なのかもしれないが、堂々と天下簒奪を行なおうとしたのは
政治的見ても結構なマイナスじゃないかな。
個人的には政治の値に−5 魅力に+5でもいいような気がする。
曹操は自分に嘘偽りない生き方をして結構損してる部分もあると思うよ。
まあ、個人武力は皆無に近いだろうね。
そうでなければ専属のボディガードなんて無用でしょ。
曹操の立場で漢王朝再興って?
それ以前に禅譲のモデルケースないんだし、それを言ってもなぁ
曹操って癖が強いから、魅力低めでその他高めだと思うけどな。
彼が青年期に評価されたのは、どこまでも彼の人間性ではなく、その才知のみだと思う。
実際濁流の出身だし。
あと、孫策や張飛みたいに武力凄くても暗殺されるのを考えると、
専属用心棒が無用というのは不適当だろう。
>>709 曹操は、建前は漢王朝をたてているよ。たとえ公位だとか王位だとかの行為は
あっても、建前はあくまでも漢王朝と劉氏を保護している。孫権から簒奪を奨め
られても拒否っているしね。
ちなみに、中国では周の文王とは自分の生命を投げ出すことになっても主には
逆らわないという「絶対の忠誠」の代名詞。息子の代で云々、これは次世代での
簒奪の宣言だなんて解釈は日本人による勘違い。
なんか怪しいことを言ってるなあ
はははは、久しぶりに見たが、相変わらず
>>1はsageねーし、完全にスルーか。
史上初めて、しかも即位後9ヶ月もの速さで禅譲を実現した曹ヒは、
実はすごい人だったのかも知れんな
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 02:08:52 ID:+XedIA240
>>715 本当だなw俺も久しぶりにこのスレ覗いたんだが
相変らず
>>1の意見は的外れだし曹操マンセーだしwww曹操に100点はありえないわ…
sage忘れてたw
実は云々っても曹丕は下地があったしなあー
劉氏以外が王になった時点で詰みっしょ
一から読んでみたけど途中で論点が完全に擦り変わっててワロタw
てか今のコテ1は本当に
>>1なのか?
中の人変わってね?
ヒント 一人芝居
諸葛亮は型通りの作戦をする人だったみたいだな。奇抜な計略はしなかったらしい。
それでも充分優れた軍事をしていると思うが、俺は司馬懿>諸葛亮だと認識してる。
諸葛亮は政治家としてこそ傑出してると思う。でも一人でなんでもかんでもやってるのは凄いな。
五丈原じゃ鞭罰二十丈以上の事件は全部自分で裁いてたらしいじゃまいか。
それで早死に(ってほどでもないか?)したんだな…
後周の柴栄(世宗)なんかも孔明みたいに自分であれこれ処理して過労死?しちゃったしな。
724 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/05(木) 22:05:43 ID:eo8WJL+T0
孔明が駄目なのは曹操みたいに優れたやり方をとっていなかった。
曹操は何もかも自分でやったが60歳以上まで生きていた。
お前が正しい
孔明は50台で死んだが曹操は60台まで生きた
長寿も英雄の条件だ
鮮烈な生き様を見せ付けた信長や紫栄、岳飛などは50いかないで死んでるし
若い頃聡明な英雄が年取ると耄碌して老害と化す例もこれまた多いざんす
>>725 >長寿も英雄の条件だ
柴栄や拓跋珪(道武帝)が聞いたらきっと怒るな。
梁の武帝みたいにあたら長生きした為に後半ボロボロの人もいますが…
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 23:41:19 ID:5ctqn3PU0
孔明は政治家でも作戦家でも将軍でもなく、生真面目な清廉官僚行政家だったということですな
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 00:09:47 ID:KwAlP28V0
曹操の晩年はボロボロの負けっぱなしで
無駄に長生きしたとも思えるけどな。
二喬肉便器化の夢を詩に残しちゃったりと
エロオヤジっぷりにも磨きがかかってたね。
明らかに若い時の方が輝いていた。
官渡までの曹操は当代一の傑物と言っても過言ではないはず。
ターニングポイントがはっきりしてるよね。
優秀な官僚行政家ごときに国家を切り盛りされるとはまさに日本ですね。
司馬懿あたりもジャパンマネーで買収されて手を抜いてたんだよ
じゃないと蜀もたないからな。
司馬懿は蜀侵攻を何度も上奏しながら、辛ピや陳群に邪魔されまくってたんだけどな。
結局
>>1の言ってることは的外れってことだなw
曹操マンセーにもほどがあるし…
全然正しくないしw
>>723 その故事を踏まえて水滸伝の柴進はろくに働かないのかw
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 08:35:27 ID:ZhkZxrSt0
>>730 おまえは中国政権の官制をなんだと思っている…
>>734 古代中国の官制における政治家と官僚の区分を明確にしてみてください
政治家と官僚の区分ができないのなら、そもそも「官僚行政家
ごとき」という批判はなりたたない
ということは中国政権の官制をなんだと思っている…という
反論もなりたたないですね
わざわざID変えて連投しなくても
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/07(土) 02:48:30 ID:3edJqJ+u0
知あるものを使い勇あるものを使うのが将(トップ)の役割
そのてん孔明は単独の政治家としては微妙
>>739が誰を知、勇として目を曇らせてるかは知らないけれど
正史では諸葛亮は人事に関しては最大限の賛辞を貰ってるけどね
やや杓子定規だが信賞必罰の論理で出来うる限り公平に人事していたしな
狭い視野で判断して孔明って能力低とか言ってる奴なんとかならんのか・・・
孔明の軍事能力の高さは後に晋がその兵法を研究したことでも証明済
臨機応変の策に欠ける云々は飽くまでも陳寿の評に過ぎない
>>742 夷陵で主力があらかた壊滅した影響とか、その辺が念頭にあるとも思えないしな。
実際夷陵だけどどのくらいの被害があったんだろう
奈のアル武将はほとんど死んでないし人口90万の蜀が数十万失うのはありえない気がするし
実際は劉備は敵討ち(という名目の荊州奪還)を試みて進軍したが敵将陸遜は予想より強く緒戦で先陣数千〜万が討ち取られてしまった
もう荊州は取り返せないとあきらめ劉備は失意のうちに病になり引き換えしてしまった
あたりが真実かも
でもそうすると黄権の降伏が説明つかないんだよな
>>745 蜀側の夷陵における兵士動員数は5万弱。
745が何を言ってるのか分からん。
数十万?蜀漢は4万そこそこだろ。5万は呉。
夷陵の被害は、約北伐軍潰滅ぐらいの被害って感じだね
>>748 しかも、少なくとも蜀入り時から鍛えてきた精鋭ばかりなんだよな。
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 00:52:51 ID:gVdmB3bT0
そもそも孔明って芝居以前に曹真にボロ負けしてんだよな
軍事能力は当時の中国の武将の中でも高くない
彼我の戦力差とかまったく考慮せずに決めつけるのってどうかと思う。
シバイも孔明に戦術的に敗北したことあるし、一度でも負けたら大したことないっていうなら、シバイだってそれに当て嵌まるな。
>>750みたいに短絡的に判断する奴がたまに湧くな。
>>742でも述べたがマジでなんとかならんのか…
ボロ負け?
負けはするけど、兵を損なう様な敗北は、街亭くらいしかないんだが
逆に大きな戦果もない。;
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 13:14:37 ID:vGGzkEf60
孔明オタが孔明神格化のためにシバイを唯一のをライバル扱いしてるが
5度の遠征中第一次から第三次までは曹真と戦って敗れてるのが孔明の実像
>孔明オタが孔明神格化のためにシバイを唯一のをライバル扱いしてるが
こういう歪んだ思い込みの時点でまともな思考は持ち合わせておらんのな・・・
孔明が何時誰と戦ったくらい調べてくださいよw
・第一次
曹真は囮に引っかかるが、馬謖の阿呆のせいもあって張コウが勝利
蜀軍惨敗
・第二次
出兵の意図がよく分からん陳倉攻め
曹真が事前に固めてたこともあって、1ヶ月で蜀軍撤退
曹真はよせばいいのに追撃して、王双が斬り殺される
・第三次
陳式を派遣して武都、陰平の攻略
郭淮はそれを阻止しようとするが、後方補給路を脅かされたので撤退
・魏の遠征
曹叡が若かったせいか、補給問題が未解決の曹真の提案を許可
でも、長雨で撤退して結果オーライ
・羌中侵攻
魏延、呉懿を送り込んで、費曜、郭淮を撃破
・第四次
キ山で孔明と司馬懿の主力決戦、蜀軍の大勝
追撃して来る張コウを討ち取る
・第五次
五丈原で睨み合い
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 14:31:32 ID:ew+RtHXA0
そうやって曹真を格下のように捉えている
>>755はゲームのやりすぎ。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/08(日) 15:52:42 ID:vGGzkEf60
>>757 孔明vs曹真
第一次=孔明の人の見る目のなさと用兵の幼さで惨敗
第二次=曹真に手の内を読まれて1000の兵が守る城を攻めあぐみ、20日分しか補給を用意してなかったためあっけなく撤退
第三次=何の価値もない土地を占領して官位を上げる、魏に袋叩きされる所を長雨で奇跡的に魏が撤退
長雨だけで撤退したなら
翌年でも改めてなんで攻めないお?
761 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/08(日) 18:30:53 ID:A1OqWmqe0
道が直るかどうか微妙だから
・一次
用兵が拙いって何?馬謖の起用は失敗だった
・二次
これだけは、どう叩かれても仕方ない出兵だとは思う
・三次
取りあえずの勝利が必要なための出兵で、成功してるんだし悪くないだろ?
・曹真の遠征
何の根拠があって魏が勝てるんだ?
重臣はみんな反対だし、曹操、曹爽の漢中攻め見ても苦戦必死なんだが
>>762 二次→呉との条約の為の政治的遠征
これで城を取れても取れなくてもどっちでもいいが取れてた方が勿論いい
準備不足で失敗したが当然
三次→とりあえず人口=国力、生産力の古代で人がいさえすれば価値がある
漢中は曹操、夏侯淵の徙民で荒廃気味だし人が欲しい
狙った場所は涼州の人口密集地帯にして漢中防衛線の裏側で戦略的価値も高い
何の価値もないとはどういうことだね
>>759 武都、陰平は魏には(無理して)守る価値はなくても
蜀にとっては取る価値ある場所だよ
その心は
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 00:20:29 ID:aLTr1aRM0
孔明の出世
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 09:14:11 ID:S6ZiNUBC0
>>765 武都、陰平は蜀の領土に深く入り込んだ位置にあたるから、魏にとっては
経営しにくい部分だったと思われ。
ただ、魏にとって戦略上重要な地でもないと思われるので、ここを占領
されたとしても、対した問題ではなかったと考えられる。
逆に蜀にとっても、その後の展開からこの地が重要な働きをしたとも思えないので、
価値があったかどうかは疑問。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 10:32:43 ID:TBfw69Rt0
武都、陰平って唐代の隴右道方面でしょ?
三国時代はどうかわからんけど、結構重要なところだよね。
関係ないけど、五代十国のおり後蜀は、天水を含む秦州から、斜谷の鳳州、
武都のある階州あたりを保持していたけど、後周の秦・鳳奪還戦のおり
根こそぎ持っていかれていた。
鳳州、成州、階州の線で、梁州(漢中)をぐるりと取り囲むような態勢になって
後蜀の出撃は大きく妨げられた。
>>768 あれ?ケ艾がこっから迂回してチョメチョメしちゃったんじゃなかったっけ?
価値大だと思うんだが
劉備の漢中攻めの時は、最初に張飛・馬超を武都に派遣してる
結局は曹洪にやられたけど、陽平関の側面を脅かそうとしていたと思われる
逆に姜維は、この方面からたびたび涼州へ進出している
また、テイの本拠地があったし、羌も多数住んでおり、南中と同じく蛮族の戦力化というのもあっただろ
関中から一気に益州へ攻め込むのなら、翼として重要な役割があるのだろうが、
その予定もないなら異民族も多く統治が難しいので破棄したというとこじゃないかね
涼州異民族と来れば漢時代からそのまま反中央高じて反魏の傾向が強い分
武都陰平あたりは魏としては鶏肋というところだろうか
>>773 当時の江油はもっと北、山の中らしいけどね。
そもそも地形を見れば、隴西に十分な軍隊を支えるだけの物資があるなら、
敵は陰平や武都を通って、漢中を迂回して剣閣までは迫れるしね。
蜀にとっても価値が無い、とは言えないと思う。
776 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/16(月) 15:10:31 ID:RG45GiJy0
776
次スレは「曹操にも軍事の才能は無い」にした方がいいな。
コイツも最近のメディアの影響で持ちあげられすぎ。
そこまで徹底したアンチというわけじゃないけどねw
ただ、軍事の才能は並以下でしょ。
優秀な臣下がいなかったら、幾度となく戦場の露と消えたはず。
一流なのは内政面のみじゃないかな。
例えば魏延の軍事的才能を扱うってのは軍事的才能には入らない?
魏延がトップに入っても、他の誰かが魏延の上にたっても
諸葛亮軍程、有機的には活動できなかったと思うけど
>>779 んじゃ4次でこいつに野戦で負けてた仲達はとんでもないカスということになるね
張コウを追撃させてまんまと討ち取られたりとまるで戦争センスが無い
782 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/18(水) 21:06:50 ID:GtHglc/B0
孔明が第四次で買ったのはうそだとどこかで読んだ
どこかで読んだwwwwwwwwww
俺も孔明は破竹の勢いで連戦連勝し魏を破り呉も降伏させて蜀が中華を統一したって読んだ
>>782 ソースどうぞ
勝ったとする証拠は正史の註釈にあるから
否定するならそれだけの考察と証拠を
晋書の宣帝紀に諸葛亮を追撃して撃ち破り、捕斬が万を数えたとあるな…
蜀書の註である漢晋春秋よりは、晋書は史料としてマシかもしれないが、
(いや…どっこいどっこいか?)
やはり三国志本文が一番、信憑性があると思う。
自分の解釈では、晋書と漢晋春秋は無視して三国志本文に従うかな
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 02:39:06 ID:9hhUbNul0
孔明に軍才がないと言うのは言いすぎだと思うぞ。
致命的な敗戦など経験してないし、
対魏戦でも負けるような戦はしていない。
韓信や信長のような飛びぬけた天才と言う訳ではないが、
負けない強さをもっている、大損害をださない陣頭指揮ができるという点では
決して無能というわけではなかろう。
787 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/19(木) 03:22:17 ID:fdRQM/Mp0
>>784 2chのスレで聞いたが。そいつに聞いてみろ。
俺はそいつを信用してるのであっているとは思うが
名前は出さない。
あとアホの公明信者の主張である敵が強かったから仕方がない
孔明に才能があっただったら誰でも軍才の持ち主だしなあ。
コレはエライ事だな。
蜀というのは凡人以下の人間が総司令官を務めるような国だったらしい。
更にエライ事には、魏の総司令官は1/3以下の兵力でしかない、
その上無能である孔明に土を付けられるような人材の群れだったらしい。
何という事だ。呉が天下を統一できなかった理由は天命だとでもいうのだろうか!?
789 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/19(木) 04:05:38 ID:fdRQM/Mp0
総司令官が愚将はどこの国でも普通にある。
魏は孔明に負けたことほとんどないしなあ。
軍才の有無はともかく、軍事は大好だったんだろ。
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 04:19:18 ID:SlLuVi/i0
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 04:23:18 ID:5XTnVSt+O
凡将が総大将を務めて総力戦をやると、兵を失うもんだけどな(例:夫差、趙括、魏豹、馬謖、符堅
曹操でさえ何度か信じられないようなミスをして自軍を壊滅させている。
ベン水では徐栄に無謀な決戦を挑み、エン州攻防では策源地を抑えられているのに正面決戦を挑んで敗れ、
荊州攻略では賈文和の策に従わず江陵奪取を後回しにし、黄蓋の偽降を見破れなかった。
馬謖の責を孔明に求めるなら、夏侯惇(エン州、新野)、張羨(長沙)、夏侯淵(漢中)の敗戦について、
曹操もその責を負わなければならない。(というか双方負って然るべきなんだけどな
魏は勢力全体で見れば30倍、局地においても蜀に数倍する兵力を有し、
どの戦場でも常に同数以上の兵力で白兵におよびながら、孔明の軍を壊滅させたことも無い。
嗚呼嫌だ。
こんな魏と蜀にも勝てない呉、三国には人物が居ないではないか。
794 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/19(木) 04:44:33 ID:fdRQM/Mp0
戦ってない
ふむ。
>>1によると、魏と蜀の間に交戦は無かったらしい。
コレはまたトンでもない事実が発覚したものだな。
正史によるところの、
一次では、ビ(眉におおざと)を襲うと宣伝して曹真を陽動し、自身はキ山を攻めた。
南安、天水、安定を戦わずして手中に納まった。
その陣立は完璧で、行軍は良く整い、信賞必罰は公正で、命令は明確であった。
(この表現は関羽を打ち破った徐晃の陣を見た曹操が、彼を周亜父となぞらえた時のものと同じである。
二次では、兵糧も無いのに陳倉を包囲し、あえなく撤退したが、曹真に追撃を指示された王双は戦死した。
三次では、武都、陰平を陳式が攻略した所へ、郭ワイが陳式を討ちに出て来た所を孔明自ら率いる軍で撃破した。
>>1の言う通りならば、これらは全て陳寿による捏造だった事になる。
関中の人々、王双、郭ワイ、これらの人々の名誉を捏造によって毀損した陳寿は、真性の悪人に違いない。
言うまでも無く、これらの記述を抜きにすれば、孔明の軍は向かう所で負けている。
その上「白兵での勝利は、戦わずして勝つことに勝る」という前代未聞かつ独自の論理を前提とするならば、
孔明に戦略眼が無いというのも頷ける所だ。
このように、有った事を無かった事にし、道理を引っくり返したなら。
ナポレオンやカエサルでも凡将だとする事ができる。
>>1の述べる所による「孔明に軍才が無い」という言葉は、これらを踏まえれば議論するまでも無く正しいと言える。
796 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/19(木) 06:16:42 ID:fdRQM/Mp0
小競り合いを100倍に誇張してるあほが多すぎる
797 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/19(木) 06:24:01 ID:fdRQM/Mp0
戦うって単語レベルでしか判断してないなあ。
出兵して本格交戦に至ったのは第二次のみでそれ以外は部下が戦ったとか対陣だけして撤退とかだけでしょ。
追撃には殿しか戦ってないだろうし。
その解釈で行くと第二次も部下が戦ったんじゃね?
というか司令官が戦うって何よ?
基本指示に対して部下が戦うんじゃね?
というか、司馬懿は諸葛亮に賄賂貰ってるね
諸葛亮の陣を誉めたり、才能ない相手に小競り合いに留めているから
その論理で行くと司馬懿も軍を率いているけど戦闘は部下に任せて戦ってない
曹操も軍を率いているけど戦闘は部下に任せて戦ってない
陸遜も周喩もry
そもそもガチンコでの正否しか見て無い時点でどうかと思う。
その理屈だと、1000の援軍派遣をもって孫権の10万を追い払った曹叡には軍才が無いことになる。
大軍同士の衝突を、被害無く抑えるのが最良の勝利だろうに。
孔明に軍才が無いんじゃなくて
>>1に軍才が無いんじゃないかという気がしてきたよ。
801 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/19(木) 07:54:41 ID:fdRQM/Mp0
その論理なら劉禅の手柄だよなあ
>>800 アホだな。
それは勝ち戦。
孔明が魏に勝ったのは第三次のみ。
それだけは褒めていい。
曹操からみると50分の1くらいの面積だけど。
>>801 勝戦以外は評価に値せず…か。
逆に言うと、勝って結果を出せば、負けがどれだけ無様でも評価する=曹操の評価が高い訳だな。
曹操の軍才について常に疑問符が出されるのは、負け方が酷いからなんだよね。
>>1が評価するのは、軍才つまり戦の内容如何ではなく、成功者なのだと理解した。
コレにて論議終了で。
ついでに次スレ立てるなら、そのタイトルも
「孔明は負け犬」とか「孔明は成功者ではない」とか「孔明は勝ち組ではない」とかに変更した方が良いと思う。
>>1の知識、言及する内容はつまる所はその範囲に留まる訳だし。
804 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/19(木) 08:14:45 ID:fdRQM/Mp0
>>802 負け戦や引き分けに持っていったのも評価していいなら大勢がそうなるわけだが。
戦果が無くほぼ負け続けた孔明の評価が高い意味がわからない。
局地戦での勝利もほぼ無い。某固定によると第四次は事実ではないそうだ。
無謀な北伐を挑んでいただけの愚政治家で軍事才能は有ることにはあるが
曹操みたいに戦果をあげてないので無駄な戦を繰り返した愚政治家に過ぎない。
>某固定によると
おいおい、そんなのに頼るほど苦しいのかw
蜀ってチャイニーズの教科書でも異民族レベルの記述しかないじゃんw全然凄くもなんともないw
演義で鬼神化してるから人気なんじゃないの。>孔明の評価が高い
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 12:27:57 ID:22+OI0ls0
>>806 マジでか? 南詔や大理とごっちゃになってないか?
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 14:26:23 ID:VLdUuFZgO
おい1よ孔明の第4次北伐の勝ち戦がインチキだと言うならまず人にたよらず自分で証拠を出してくれないか
誰かが言ってただけじゃ俺らも評価できないだろう
脳内曹操しか評価しないアホとよく付き合えるね。
議論の経験がまったく蓄積されないどころか、ソース捏造(しかも2ちゃんw)。
何度も論破されてるのにまったく自説が変わらんのには吹いた。
>>804 無謀な南征に繰り出し、歴史に名高い無様な負け戦を
やらかしたのはどこのどなたでしたっけ?
>>811 やめろ、苻堅のことを悪く言うのは辞めろ!
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 19:59:41 ID:v4Ju3aY10
あれは無様というより、哀愁すらただよう負け方だ。
符堅は現代的な目で見ると悪く言いにくい
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 20:56:14 ID:Ll/lIk1bO
陳先生にフケン主人公にして小説かいて欲しい
晋書なんか糞々言う割にこういうとこだけ取り上げるのなw
戦果10倍報告が常見たいな魏、孔明は補給切れで退却したとあるが軍勢を損なったとはない、
他の伝見ても李平の怠慢ばかりで第4次で負けたらしい記述はない、
大敗なら第1次の例から降格人事があってもおかしくないのに無い、
姜維の大敗の様な国内が混乱してるようなとこもない、
魏側でも蜀を攻め取るような機会ですとか言う様な言葉も全然無い、
厳格ではあるが公正な施政をするという孔明が戦果を誇張する必要もない、
1万の損害も与えておきながら、キ山から駆逐が出来ないはずがない、
よって宣帝紀うんこ、漢晋春秋の勝ち
>2chのスレで聞いたが。そいつに聞いてみろ。
>俺はそいつを信用してるのであっているとは思うが
>名前は出さない。
これには、吹いた(-_-)
ところで、晋書が糞というより、(資料としての価値は低いのは認めるが)
ただ単に、宣帝紀が信用できない。
唐の時代に書かれたといっても、元の資料が、晋の創始者である司馬懿を思いっきり
美化・脚色していたのは間違いないから。
司馬懿については『三国志正史』『晋書』ともかなり彼に都合のいい捏造が入っていると考えるのが自然
816氏の言うのは正論。
第四次北伐の諸葛亮勝利は揺るがないと考えていいだろう。
また、公孫淵討伐からみて、司馬懿無能もありえない。
1よ。アンチ曹操スレにいってみたら? 曹操が君の助けを待ってるよ
晋書宣帝紀の記述に当然誇張はあるだろうけど、
>1万の損害も与えておきながら、キ山から駆逐が出来ないはずがない
という批判は意味をなさないと思うよ。
宣帝紀にある戦果は追撃戦のものなので、既に祁山から駆逐した後だから。
漢晋春秋の記述は鹵城での会戦のもので、宣帝紀の記述は追撃戦だから、
一応両方を採用する事はできるけど、追撃戦の方の戦果に関しては、
かなりの誇張が入っていると考えて間違いないだろうね。
漢晋春秋の方も、漢晋春秋にしか戦果が載ってないのがネックだけど。
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 00:21:41 ID:snV0+3k80
どっちみち軍才はないよ孔明は
820 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/20(金) 00:26:02 ID:O92GcFdk0
孔明がやった一般行政って何?
821 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/20(金) 01:13:11 ID:O92GcFdk0
曹操は歴史のにこる施政をしたんだけど孔明は何もやってない。
他人の言葉の受け売りだけで自分の意見が何もない奴は黙れよ
2chで聞いたがとかバロスwwwwwwwwwwwww
823 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/20(金) 01:30:51 ID:O92GcFdk0
>>822 そいつはソースを提示しなかったが事実の可能性は高いだろう。
どうでもいいが。
孔明が魏から領土を奪えず魏は蜀を滅ぼした事実は変わらない。
じゃあ蜀を滅ぼしたトウガイショウカイ>蜀を守った孔明>蜀を滅ぼせなかった司馬懿曹操>負けた姜維
これでいいかね?
>>824 先頭はトウガイショウカイを滅ぼした司馬昭だね
トウガイショウカイは戦争で負けたわけじゃないだろ
政争の才能がなかっただけ
王濬最強
>>826 ああごめんトウガイショウカイを滅ぼしたのは姜維だった
トウガイショウカイを滅ぼした姜維>蜀を滅ぼしたトウガイショウカイ
829 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/20(金) 01:40:34 ID:O92GcFdk0
魏を建国した曹操>>>>>魏を守った司馬仲達>>>>>>>>魏に勝てない孔明
830 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/20(金) 01:43:40 ID:O92GcFdk0
曹操>>>>>>>>>>>孔明なのは事実だが
曹操>>>>>>>>>>孔明>>>>>>>韓信とかその他雑魚。
孔明に軍事の才能がないわけじゃなく魏が強かっただけでしょ。
魏は屯田を行って驚異的な動因人数を誇ったんだから。
なんだただの三国志マンセー厨か
こういう奴が多いから三国志好きっていうのが恥ずかしいんだよな
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 02:09:02 ID:KyGE79A90
バカが主張しているような優れた指導力も無く(そんなに優れた指導者なら三国鼎立なんかありえないつーの)
バカが主張しているような大規模な決戦での勝利も一回しかなく(最重要拠点をくれてやるような不様な敗北を隠蔽する始末w)
項羽のように大敵を打倒したとかそういうのは無く、唐太宗のような似非名君という訳でも無く。
日本ローカル英雄である織田信長以下だろ。
中国史ですらこれなのに(笑)
帝位に触れたことすら無かったかわいそうな孟徳。後の評価は自称通の過大評価だけ(笑)
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 03:27:59 ID:WpOn0LH+O
おい1よ
不確定なものを事実の可能性が高いって、どうやったらそういう思考になるんだよww
他の人が孔明の4次北伐の勝利について資料を使って説明してるんだからあんたも反論するんだったらちゃんと何故違うのか説明してくれ
834 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/20(金) 03:32:56 ID:O92GcFdk0
まあどうでもいいが一回の魏征伐戦に滅ばされた蜀。
最初は5000の兵から兵60万を超えるようになった魏。
835 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/20(金) 04:11:10 ID:O92GcFdk0
もし曹操が呂布と戦って負けたり袁紹と戦って負けたり馬超と戦って負けたりしていたら今の評価はない。
孔明はよくて引き分けであり曹操レベルの評価を得ているのが気に入らない。
曹操は超靖の英雄であったが孔明がそういうことは無い。
朱子学の影響で孔明がやたらと英雄化されているのが気に入らない。
本当の英雄は格が違う。
最後に勝てば、そこまでの負けは無かった事になる。
さすが
>>1、俺達には思いつかない事を平気で言ってくれる!!
そこにしびれる、あこがれるぅ!!!
>>834 蜀は最初500の民間兵集団からはじまったわけだが
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 04:26:03 ID:WpOn0LH+O
1よこれ以上の蛮行はやめてくれ
貴様のせいで曹操アンチが増えてしまうんだよ
正直迷惑なんだよ
>>1は結局曹操は〇〇だに逃げるだけしか能がないのかwww
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 05:08:45 ID:vfgU5Jl+0
司馬懿という実力者相手に劣勢の蜀漢を率いながら
対等に振舞ったのだから、凡将ではないのは確実だと思うんだが。
国力差があるというハンデを背負いながら
司馬懿と対等なゲームを繰り広げたんだろ?
何十倍という強国相手に小国が挑むだけでもハンデがあるのに、
しかも強国の軍を率いているのは司馬懿という有数の実力者。
孔明が平凡な人間なら国力的優位を生かされて
確実に司馬懿に食われていたと思う。
赤壁の戦いのような赤っ恥をかかないだけでも凄いじゃないか。
曹操ですら失敗した事があるのに孔明は
戦の駆け引きで致命的な敗北などしてない。
ちなみに陳寿も「応変の機略に欠けたるかな→張良の標語→つまり張良のような権謀術数は無かった」
と述べてはいるが、その他の軍事能力には疑問符を打っていない。
つまり「諸葛亮には彼を支える軍師がいなかった」というだけの事しか陳寿は言っていない。
もし曹操の下に荀ケ、荀ユウ、郭嘉、程イクがいなければどのような事になっていたか。
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 05:50:47 ID:KyGE79A90
エン州に呂布、徐州に劉備、揚州に袁術、冀州に袁紹、幽州に公孫サンが割拠して中原に鹿を追う。
総合力から言えば勝ち残るのは劉備か袁紹。多分、曹操が付いた方の勝ち。
>>841 すいません、張良は将才がなく戦ベタですが、御存じですか?
>>843 知ってる。
というか、三国志より楚漢戦争の方が得意なクチだ。
張良は詐術を得意としたよね。
劉邦が項羽とニ道から功を競って秦と戦いニ関を無血開場させた時、張良が献じた策は見事だった。
当時を生きていた人間ではないから、陳寿はそこら辺の事を言ってるんじゃないかな、と推測するしかない。
>>817 >第四次北伐の諸葛亮勝利は揺るがないと考えていいだろう
諸葛亮の戦争目的って戦術で敵軍を破って将を討ち取ることなの?
総司令官がそんなじゃあそりゃ戦争に勝てるはずないわな。
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 23:41:52 ID:WpOn0LH+O
いやそういうことが言いたいんじゃなくて第4次北伐の時諸葛孔明の軍と司馬仲達の軍が激突したわけですよ
その局地戦でどちらが勝ったかがこの議論の課題で漢晋春秋か、晋書どちらが正しいか議論されてるわけです
>>844 諸葛亮も奇策(原文ママ)を使い劉備を勝利に導いてるよ
同じやん
>>847 そうすると単純に献策の回数を考えるに、張良とは長けてる分野が違うんだろうな。
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 04:04:46 ID:y7N8l5qUO
>>835 孔明と曹操じゃ評価のされかた全然違うじゃん
曹操は滅多に出ない英雄、孔明は良い政治を行った名宰相。
後世の評価でもやはりそう
>>1よお前は孔明を一人英雄だと決めつけて毒を吐いてるに過ぎん
間違っても英雄の柄じゃないじゃん
850 :
848:2007/07/21(土) 04:49:01 ID:qAg5Sdto0
ちなみに、私自身は陳寿も述べている通り、諸葛亮は簫何となぞらえるのが相応しいように思う。
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 07:24:07 ID:L6MpAnev0
孔明は政略や戦略を得意とした作戦家の張良と全然タイプが違う蜀で言えば法正の方が近い。
韓信のように統率と臨機応変な戦術に長けてたわけでもない。
ショウカタイプでしかも劉邦や韓信の能力を見極めたショウカの人物眼に比べるとかなりレベルが劣る。
簫何には及ばないというのも同意。
>>851 法正ってなんか張良的な献策あったけ?
漢中で戦争のタイミングを言っただけじゃね?
なんか妄想まじってね?
不義とかしぶる劉備に諸葛亮は益州取るべしと説得や
襄陽取るべしとか、同盟奇策縦横やってますけども?
蕭何に劣るとした人に質問
蕭何の抽象的活躍では無く具体的な活躍で優劣を言ってくれないか?
うだつの上がらない劉備が皇帝になる事じゃだめなのかな?
韓信の臨機応変には勝てないとは思うが
韓信も純軍事的には項羽に勝てるかどうかという所もあり
この三人を神格化しすぎじゃね?
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 09:10:05 ID:FWp9iBcC0
>>853 >>この三人を神格化しすぎじゃね?
自分も最近、それが鼻につく。
とくにこの板で多いように感じるのだが。
曹操マンセーといい、単に日本語資料が豊富なだけでは?
逆に蕭何に匹敵する奴の方が少ないだろ。
第一、漢の高祖の三傑と比べたら殆ど奴が見劣りするわ。
しかもどっかのバカに言わせたら韓信は雑魚だそうで(ry
法正伝だと
・劉備の入蜀を助け、功績が大だったので諸葛亮もその勝手な行為に何も言えないほどだった
・漢中攻略を進言
・夏侯淵の攻撃への対処を献策、黄忠をしてこれを討たせた
ぐらいだな
あとはエピソード的なもんぐらいか?
(曹操が劉備の策を見て、これは誰か(法正)に教えられたものだと思った、とか夷陵敗戦での諸葛亮の嘆きとか)
孔明を蔑むつもりもないし、三人を神格化もしてないが凄いとは思うね。
孔明も遠大な戦略構想を構築してたが孫呉が非協力的じゃなかったり、荊州を失っていなければ
事態は変わっていただろう。
張良は敵の弱点を巧みに突いて複数のプランを打ち建て、
敵を追い込んでいくとこが凄いと思うが。
一つのプランに拘らず、二の矢三の矢を放ってくるし。
韓信はあの臨機応変さが売りであり、奇策を労する点が最大の強みな訳なのだが。
第一、敵と正面から戦いを挑むのは果たして利口なのか?
蕭何は劉邦が兵糧や何度敗退しても常に兵力を補充したり、
法を整備し、漢王朝の土台をしっかり固めた点が最大の功労かと思うが。
長期統一王朝を打ち建てたことに大きく貢献したパイオニア的存在だし。
(殷・周とは規模が違う)
孔明を蔑んでる奴は結果だけを見て他の連中より劣ると
言ってるだけにしか見えない。
ちなみに長期統一王朝を打ち建てたことに大きく貢献したパイオニア的存在は
漢の高祖の三傑のことね。
>>853 まず、三国志読む間にみな一度は史記や十八史略には目を通してるはず。
何故なら、そうじゃないと三国志正史も演義も意味不明な部分がやたら多いから。
そもそもスレ違いの話題なので、この話題に関するこちらのレスはこの一度だけという事で。
まず大前提として、周公旦とともに、後代の政治家に模範とされた事を述べておきます。
諸葛亮自身、管仲、楽毅を模範としたように、基本的に漢は先人を敬い先人の成業に倣う文化です。
史書家は、それを踏まえて時代の人々を先人になぞらえ評しました。
ですから、史書家がなぞらえた先人というのは、その人物を評する上で不可欠な物である訳ですね。
簫何の人事:推挙した人物(張良、韓信)はその悉くが楚漢戦争で劉邦の勝利に貢献した。
また、韓信の叛心を見抜き、兵を用いる事なく、ただ一通の書状で無力化し、処刑してみせた。
晩年の劉邦に疑われると、俗世に交わって自らその声望を貶め、曹参につつがなく交代した。
諸葛亮の人事:張裔伝などに代表されるように立派な内容だったが、馬謖や李厳の本性は見抜けなかった。
陳震伝では自ら「人の本性を見抜く能力は陳震に及ばない」としている。
また魏延と楊儀の決定的な不和を知りながら、生前に亀裂を取り除く事ができなかった。
簫何の輸送:部下を充て、蜀にあっては関中攻めの、関中にあっては項羽攻めの物資を滞りなく行き届かせた。
この結果、劉邦は何度敗れても再起する事ができた。
諸葛亮の輸送:呂ガイは立派に任務を果たしたが、李厳の物資輸送は失敗し、直接の敗因となった。
蜀から長安への安定した兵站を確立する事は、終に成し遂げられなかった。
これら一部分を除いて、簫何と孔明の政務・軍事能力に左程の差異は見受けられない。
最後に、私自身は「諸葛亮に軍才が無かった」とは思っていない。
悲劇は、諸葛亮がその本分である政務に専念させる事ができない程、蜀に人材が居なかった事に起因する。
その原因は夷陵の戦役であり、全軍の半数が壊滅した打撃を、そもそも10年やそこらで立て直せるはずが無い。
ここをもって「韓信とて、兵を育てるのに10年かけた」として、諸葛亮が出兵した事を責める人も居る。
しかし、簫何も「打って出なければ敵を利するばかり」として、韓信を大元帥にしての戦を切望している。
諸葛亮が頼んだ劉備や関羽が死んでいる以上、出兵の決断は極めて妥当であると言わざるを得ない。
夷陵の敗戦は魏や呉も「蜀はこのまま自然消滅するからほっとけ。」
くらいの感覚で見ていたらしいからな。
それを数年で元の国力にまで増強し、北伐を果たせるまで国力を回復された
諸葛亮の偉業は見事としてかいいようがない。
>>860 でもね最終結果が芳しくないから 孔明のそういう部分は無視、軽視してる奴がいるね。
正当に評価下したら孔明信者とか言われるし。
>>861 大局的にものを見れない奴は人物評にしても一時の失態などを
ラピュタの再放送ばりに復唱して突付きまくる傾向があるからな。
そんなアレな奴は1だけ。
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 19:03:19 ID:9D/rVF1N0
マジかどうか知らんが俺が見た漫画じゃ
五丈原で稲作して魏と持久戦するつもりだったが
乾地だった為失敗して短期決戦に切り替えた
(仲達に婦人服を送って挑発したり)らしいんだが
国力を回復させても勝てない戦をひたすら仕掛けてる時点では軍事はだめだな。
決定的に勝たず負けず玉虫色の戦果だから見方によってどうとでも言える
司馬イがいなかったら、魏もどうなってたか分からんしな
諸葛亮の北伐の前半を阻止したのは曹真ですが
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 20:13:53 ID:xkbAu4kB0
あなた方偉人を批判することしかできないんですか?
孔明は糞とか、曹操は駄目だとか・・・
少し歴史齧っただけの人たちが
何をぎゃあぎゃあ騒いでるんです?
歴史書なんて当てにならないし、
実際の人物や出来事を見た人がいるわけでもないんです。
そんなことあなた方全員分かってんでしょ?
孔明、曹操…勿論その他の偉人たちなんて
私たち凡人に推し量れるモンじゃないんです。
分かったらこういう批判スレ
終わらせませんか?
関羽なんて神になっちゃってるしな。
>>870の方がぎゃあぎゃあ騒いでないか?
批判しか出来ない奴なんてスルーしとけよ。
>>859 兵站に関して言えば、後方においては滞りを見せた事は無いな
もしも前線に居て、兵站の責を問われるのであれば
楚漢兵站の功績は蕭何では無くなると思う。
人物眼に関して言えば韓信程の傑物が蜀に居ない以上
見出した事を踏まえるのは兵站もそうだが無いものねだりで気の毒ではあるな。
人物眼では一歩譲る事になるとは思う。
魏延と楊儀の件は諸葛亮存命時には機能している以上失点にするのはどうかな?
その件で言えば蕭何も韓信を見殺しにした事にした事になりそうだ
後継問題は得に問題なく受け継がれているしね。
諸葛亮は、張良、蕭何、韓信を高レベルで独りで演じたわけで
たいしたもんだと思うけどな
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 01:02:58 ID:5zrejG2NO
三国志の臣下の中で諸葛亮は最も総合点が優れた人物だと思う
逆に一つのことに限定すると彼以上の人物は結構いただろう
一族郎党を合わせると陸遜一族のほうが総合的には凄いような
孔明が超一級に入る人というのは同意
諸葛一族も十分負けてないと思うぞ
てか一族含めると不毛になる
三国それぞれで重鎮になってる諸葛一族というのは面白い
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 04:19:55 ID:qH9w618r0
孔明オタはほんと困るね蜀に人材なしと言う孔明美化の捏造信じたり。
もう一人の英雄シバイがいたから仕方なかったことにしたり、普通に曹真に簡単にボコラレテるのに。
孔明のほかにも軍事では魏延、政治ではショウエンとか費イとかトウインとか実力持った連中もいたし。
劉禅だって政治にまったく関与しなくなったのは費イやトウイン死後で、蜀滅亡の5年前からで何十年も政治をおこなって来てた訳だし。
879 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 05:35:41 ID:H7Fi2lYG0
曹操は軍事では韓信を超え策謀では張良を超え政治では蕭何を超え
対象としては劉邦を超えた。
孔明は超えることが出来なかったのは事実で劣化曹操といわざるおえない。
孔明は曹操を尊敬していたから曹操を目指したが無理だった。
おとなしく韓信でもやっていればよかったのだ。
>>878 仮にだ。楚漢時代の項羽が後世、人材コレクターと揶揄されるほど
人材集めに熱心だった場合、蕭何は韓信を見出せるのか?
不可能でしょ?
という話し。
>>879 これは同意。
諸葛亮は物語を除けて、小曹操と言ってよく
傑物ではあるが曹操を越えられないだろう
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 08:59:18 ID:uZn9O/QIO
曹真は過大評価されすぎ
魏延もな
885 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 10:45:02 ID:H7Fi2lYG0
孔明を擁護する人って例外をあげるんだよな。
撤退だけで大打撃を受けまくった武将なんてほとんどいねーよ。
退き佐久間が比類なき名将なんだなお前らの考えでは。
退却戦で損害らしい損害を喰らわないのは名将の証。
>>1の佐久間とやらの評価は知らんが、その一点だけは名将といえるでしょ。
よく知らんけど、大敵にあって数度敵前撤退を完遂させたのであれば、佐久間は比類ない名将だ。
普通は、「退く」というだけで兵士らの心理は不安になり、付近住民への略奪や逃亡へと発生するものだ。
そこに間者でもいようものなら…
887 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 11:07:28 ID:H7Fi2lYG0
孔明は追撃する敵軍を打ち破ったんじゃなくて
部隊長殺しただけで打ち破ったら反転攻勢をかけるなり
すれば良かったんだよな。
孔明は曹操と違って臣下なんだから劉禅に親政をや新征をさせるべきであり孔明は補佐に徹するべきであった。
専横行為は良くないよな。
888 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 11:13:39 ID:H7Fi2lYG0
韓信はあまり評価できない。
韓信は確かに凄い武将ではあったが
劉邦に従うなら従うべきで
臣下としての本分を貫き通すべきであった。
だが韓信は斉王朝を勝手に攻め滅ぼすなど
反逆行為に近い行為を行っておりそれならば自立するべきであった。
曹操はしっかり旗色を鮮明にして行動目的がずれる事はなかったので
それは評価できる。
>>1は退きの佐久間、逃げの檀道済という言葉知らんのか?
後漢末〜三国以外の中国史は無知かと思ってたが
日本の戦国時代もよく知らんみたいだな。
>>887 >孔明は曹操と違って臣下なんだから劉禅に親政をや新征をさせるべきであり
>孔明は補佐に徹するべきであった。
>専横行為は良くないよな。
曹操は何時から後漢王朝の臣下じゃなくなったんだ?献帝を差し置いて専横行為は良くないよな。
あと
>>1は出帥の表をちゃんと読んだことあんのか?
891 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 11:27:22 ID:H7Fi2lYG0
佐久間って名将扱いされて無いしね。
信長に家から追放された人ではあるけれども。
孔明信者が駄目なのは劉備を2流みたいな目で見ておいて
孔明は劉備以上の戦果を挙げてないんですよ。
つまり劉備の評価は劉備の評価は大したことがない
とされているのならば孔明だって似たようなものなんですよ。
892 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 11:31:35 ID:H7Fi2lYG0
>>890 曹操が臣下なのは建前だけで実質的には君主だったでしょ。
専横ならばそれを誅すれば良く更に曹操が君主やってる以上は問題が無いよ。
逆に孔明は曹操と違って臣下のような
振る舞いをしておいたんだから専横するのはおかしいな。
呉によくいた専横者と変わらない
893 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 11:37:32 ID:H7Fi2lYG0
まあ三戦板って馬鹿の小銀玉が自分の理想の
三戦像を押し付けたいだけで孔明のようなオナニーをしたいがために
共有物を私物化するような
公衆監視を無視したり理由自体が主観だったり対話をしないなんてくだらない馬鹿しかいないんだよな。
曹操は世の中を立て直すために漢朝を滅ぼし法家政治をひいたり外敵を撃ったりした名君だったが
孔明や劉備はオナニーのために人を巻き込むようなくずなんですよ。
21世紀の孔明的オナニーイズムはとっとと滅んでくれればありがたいんだよな。
私物化は。
曹操は実質漢の実権を握っていた。
しかし建前上は漢の臣下であり、みずから周文王たらんとした。
でありながら、後には王莽の前例に倣って簒奪の意思を顕わとした。
韓信もまた実質は斉王だった。
はじめは項羽に背き、最後は漢皇帝である劉邦に背いて誅殺された。
孔明もまた実質は蜀漢の独裁者だった。
漢滅亡前は漢朝の臣である事を貫き、後は蜀漢の臣下として死ぬまで忠節を貫いた。
陳寿が゙語るように、劉備と諸葛亮の関係は永遠の模範とされた。
曹操、韓信、孔明の三者について君臣のありようを語るなんて…論者として軸がぶれている。
895 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 11:45:41 ID:H7Fi2lYG0
劉備は漢朝再興を志すならばまだ前皇帝が生きているのに皇帝になったり
同じ皇族の劉一族の軍権を乗っ取ろうとしたりする悪いやつなんだよな。
>>894 韓信を実質は斎王なわけないだろう。
独立政権になったのは項羽を倒して以後ですよ。
孔明はそれならば独裁者としてみるべきで理想の臣下なわけが無いんだ。
臣下みたいな態度をとっておきながら専横したんだから非難されるべき行為であり
殺されても仕方が無いんだよ。
曹操は実質君主であり漢朝の進化としてみていたやつなんてほとんどいない。
行動も臣下のそれとは違うので孔明と同じにするのは関連性が無い。
>>888 韓信が斉を滅ぼしたのはレイレイ食其にも二重命令だしてた
劉邦にも責任の一端があるの知らんのか。
あと漢楚が戦ってた時には斉王朝なるものなど存在しないが。
>>891 >曹操が臣下なのは建前だけで実質的には君主だったでしょ。
出たぁー、
>>1得意の理論のすり替え話にこりゃならんな。
そもそも
>>1にとって宰相、丞相って一体なんだよ。
あと都合が悪くなったら話逸らすのもやめろ。 それに君の言う馬鹿の小銀玉と君は対して差はないことを自覚しな。
897 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 11:54:24 ID:H7Fi2lYG0
>出たぁー、
>>1得意の理論のすり替え話にこりゃならんな。
>そもそも
>>1にとって宰相、丞相って一体なんだよ。
>あと都合が悪くなったら話逸らすのもやめろ。 それに君の言う馬鹿の小銀玉と君は対して差はないことを自覚しな。
態度って書いてあるが読めないのか?
>>895 >韓信を実質は斎王なわけないだろう。
韓信は項羽を倒す以前に、コントロールが聞かなくなっていた事は、
張良が「褒美を与えなければ彼は動きませんぞ」と言っている事から明らかです。
斉王の地位を約束したのは劉邦の「過大な褒賞」なのですが、実質的には張良の見立てが正しいと言えます。
>孔明はそれならば独裁者としてみるべきで理想の臣下なわけが無いんだ。
まず 孔明 と 劉備 の関係が理想的であったのであって、
劉禅 と 孔明 の関係が理想的であった訳では無いんですよ。
諸葛亮を弁護するなら、
劉禅が凡愚だったためであり、諸葛亮が独裁者とならざるをえなかったから、とここでは述べます。
諸葛亮は蒋エンに向けた手紙で「陛下は善悪がわからないので君が良く補佐してくれ」と書いています。
当時、劉禅はとうに成人していた事をふまえれば、よほど出来が悪かった事は明確です。
しかし、諸葛亮は取って代わる事をしなかったので「劉備の遺命に従った」として評価され、
反対に司馬懿は「曹叡の遺命に背いた」として、史書家から非難されてる訳です。
>曹操は実質君主であり漢朝の進化としてみていたやつなんてほとんどいない。
曹操は、黄巾の乱時には皇甫嵩、以降しばらくは袁紹や張バクの指揮下にありました。
曹操を愛する
>>1の事、黄巾党討伐で大活躍しながら、褒賞をしぶられ、郷里に帰った時の絶望感。
張バクと袁紹の間に立たされた曹操の苦しみは熟知している筈です。
陳寿は張バク伝の結びで「曹操の最大の失点は張バクの人間性を見抜けなかったことだ」としています。
つまる所、曹操は張バクのような者と親しく付き合ったが為に袁紹に背く事になった訳です。
君臣としてのありようを言うなら、「主君である明公は父。関羽は兄弟でしかない」と、
関羽の叛心を曹操に隠す事なく伝えた張遼の方が、曹操よりもよほど優れています。
>>897 自分の都合良い様に解釈し人の問い掛けに対しまともな返答出来ないくせに
何言ってんだ君は…
>>892 曹操もれっきとした漢朝の臣下ですが?
勝手に天下簒奪の不義を犯し、忠を怠った愚か者。
腐敗した漢朝に楔を打ち込み、新時代を切り開いた開拓者なんて
考えは曹操厨の勝手な妄想だな。
優秀な臣下ならば、愚帝を補佐し国に尽くすのが役目。
曹操の行為は項羽の義帝暗殺となんらかわることがない。
汚職宦官の撤廃、出身を問わない公平な人事採用制度なども
献帝と漢朝の下の行なえばよかったわけで。
一臣下の曹操如きが帝位につくなどと言う図々しい野心が
隋までの混迷極まる分裂時代を生んだと考えればとてもじゃないが
良い行為とはいえない。
同時代にも名門出の袁紹、江南での善政が知れ渡っていた孫堅
皇帝の同族で広大な領地を治めていた劉焉、劉表。
光武帝に使えた英雄、馬援の子孫である馬騰など賄賂がはびこる
腐敗した宦官政治を共に一新できそうな同志達も揃っていたはず。
曹操の身勝手な野心が混迷の乱世を深めたというのも事実。
最近は曹操をやたら持ち上げる専門書も多いから、そういう影響を
受けると妙な考えた方を持つようになっちゃうのかもしれないなあ。
おらおら1よ、みんながちゃんとオマエのレスに対し反論してるんだ。
脳内ソースでシッタカして語ってんじゃねーぞ。
902 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 12:16:52 ID:H7Fi2lYG0
>>898 コントロールが聞かなくなるのはどう考えても韓信の暴走であり
韓信が劉邦の臣下なのか違うのかまったく持ってよくわからない状況で
そもそも劉邦に軍権をもって行かれたり斎王を約束させなければならないような状況で
臣下として見るのはおかしい。
それで斎を攻撃して滅ぼしたり項羽を倒す前にこなかったりといった行為はおかしいよな。
だからこそ劉邦を攻撃するべきだったんだよ。
孔明に関しては漢朝の臣下のような態度をとっておきながら
孔明が行ったことは補佐ではなく独裁をしている行為であり劉備の息子である劉禅を
蔑ろにしたような行為をするのであればどう考えても専横的な行為であって
例えば曹操のように孔明が蜀を乗っ取ったのであれば劉備への裏切りといっても良いわけででそれに近いことはしてるわけだ。
劉備の遺言の国を乗っ取ってもいいなんてのは劉備の諸葛亮への不信としか思えずに美学でもなんでもない。
劉備の李厳と孔明に後を託しておきながら孔明はそれを破って専横に走っていることを考えたとしても
劉備を蔑ろにしてるといると嗜好。
曹操は袁紹に従っていても曹操はかなり君主として軍閥を形成し
周囲の敵と戦っていたわけだから袁家の指揮下に入っていたのも一時的なもので
やはり君主といってもいい存在なわけで諸葛亮のように臣下としての態度なんて見せていない。
君主としてのレベルは曹操>>>>>>>>孔明なのは事実だが孔明は劉備の遺言劉備にそむいていたわけだから
非難されても仕方がないよな。
孔明は曹操と違って臣下の癖に専横をした悪者である。
曹操自身はが大した才能もないのにあたら引っ掻き廻して戦乱を長引かせたというは事実だな。
自分の意見がなくて、ソースは2chで聞いたとか言う奴に何言っても無駄だよ
>>902 酷すぎる偏見だなw
そもそも孔明がいつ劉禅をないがしろにした事実があったんだ?
脳内妄想が行き過ぎてるぞ。
孔明は劉禅の招聘には合戦中であっても素直に引き上げたし
拝謁時は臣下の礼を取り、君主して劉禅を敬っていた。
佩剣をしながら献帝の前に現われ、勝手に詔を乱発するような
曹操の非礼無礼はどうなるんだ?
>>902 >コントロールが聞かなくなるのはどう考えても韓信の暴走であり
ですから、
韓信が暴走したのは、劉邦が韓信より弱いからである事を張良は明確に口にしています。
孔明が独裁権を振るったのは、劉禅が柔弱だったためです。
曹操が丞相の地位に就いて専断権を振るったのも、献帝に天下を支配する能力が無かったためです。
これら3者に違いが有りますか?
君臣のありようをもって孔明を非難する事は曹操を非難する事だと述べているのです。
>曹操は袁紹に従っていても曹操はかなり君主として軍閥を形成し
曹操は、河北を統一した後、袁紹の墓に出向いて泣き続けたとされます。
また、若き日の袁紹と曹操は「我等2人の内どちらかが立ったならば、片方はその成業を支えよう」と約束し、
袁紹が董卓を討つべく関東軍を形成すると、曹操は実際一早くはせ参じたのです。
袁紹と曹操の理想的な関係は、洛陽が落ちるまで続きましたが、
袁紹が漢の印綬を粗雑に扱い、諸侯の前で曹操に投げて寄越し、
なおかつ「これで天下に号令する日が来るだろう」と、
諸侯の前で漢朝への叛心を顕わにした事からヒビが入ったとされています。
挙兵当時の曹操は、袁紹よりもよほど漢朝の臣らしい所作と心の持ち主だったと言えるでしょう。
袁紹と張バクの関係はそれよりも早く悪化しており、
洛陽入りする前に張バクが満座で袁紹を中傷した時点での事だとされます。
曹操は張バクを庇い続けましたが、
袁紹は「友人である君に忠告する。張バクは裏表の有る男だから信用してはならない」と聡し、
実際、自分の事を庇い続けた曹操を、後に張バクは裏切ったのです。
しかし良く考えてみると、
諸葛亮が李厳を除いたのも、司馬懿が曹爽を除いたのも、ベクトルとしては同じですね。
やはり、司馬懿は息子が叛心を顕わとした事が全ての不幸の始まりなのか。
908 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 12:54:42 ID:H7Fi2lYG0
>>906 弱い強いの問題じゃないんだけど
孔明信者はカルトだから論点を摩り替えそうなんだよなあ。
俺が言っているのは態度でしょ。
臣下的な行動態度か君主的な行動態度かで評価を分けるべきであって孔明や韓信は前者で曹操は後者だった。
弱かったば専横していいんだったらば
もし仮に劉備が孔明より弱かったとして孔明に謀反されたり蔑ろにされて専横されても
文句は言ってはいけないことになるが臣下としてはケチがつく。
韓信は劉邦に斎王を強請り軍権を取り上げられた
韓信は劉邦に付与されるような存在だったわけだ
それはどう考えても君主ではないし臣下でしかない。
だから臣下の癖に背信行為をしたり君主にならなかったの
で劉邦に後年滅ぼされる自体になったわけだ
カイ通あたりに君主になれといわれても
拒んだのを考えてみても彼を君主として見ることは出来ない。
どう考えても暴走する臣下のような存在でありそのような馬鹿な態度を続けた。
だからあのような最後を迎えたんだよ。
孔明の場合は蜀の明確な進化で臣下としての態度をとり続けているに関わらず
臣下に徹するべき存在だったのをまるで独裁者のような専横行為をしたわけでしょ。
つまりある勢力を自己で作成し維持したならばともかく半分乗っ取ったような行為を見せ
それにも関わらず「臣下」的な人間だったのは当時後世の評価をしてみれば
孔明は蜀の宰相だからそういう視点しかない。
孔明は宰相としてみるのならば明あたりの宦官レベルの専横を行っている。
政治はともかく。
曹操はある勢力の親玉であり漢臣として見るならば
最低の人間となるが魏武として見るならば最高の人間だ。
曹操は魏武で漢臣ではない。
>>908 曹操は霊帝に絶望し、情勢からやむを得ず袁紹背いたのであって、
初めから他を出し抜こうとした訳ではなかった。
この事は史書の記述から見れば正道だ、とするのが私の持論です。
しかし、そうではなく、初めから魏武は魏武だったのだ。
こう抗弁されると、もうこちらから述べる事は何も有りませんね。
910 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 13:13:45 ID:H7Fi2lYG0
>>909 どういう視点が正当かの議論において
経緯はあまり意味がないと思うんだが。
曹操は君主として過ごした期間が
極めて長く彼は自己で勢力を
作成し維持をしてきたのだから曹操を歴史的な勢力の人間としては
彼は魏武として見るのが極めて妥当であり
漢の臣下としてみても仕事を与えられてからはきちっとこなしているのだから問題がない。
魏武は魏武だったのだ。
ではなくて
曹操は漢朝を蔑ろにしたといってもその頃は
漢王朝には独自勢力の君主として接しているので問題がないが
孔明はそうではないので問題だという誰にでも判る議論をしているんだけど。
孔明も曹操と同じく自分で組織作って発展させて
劉禅を保護する形だったらば問題がなかったと思うよ。
でも違うあいつは魏の楽進みたいなもんだしなあ。
君主じゃないし。
>>910 経過を抜き、後世の評価あるいは現代からの視点だけを見て、当時の人物を見るのはどうかと思います。
行いというのは一つ一つをつまびらかにして比べてみる物であり、
全体を一括りにして決断を下すのは、木を見て森を見ずの逆であり、森を見て木を見ずと言えるでしょう。
これらは個人的意見です。
また、論理の点について述べますと、
曹操が袁紹の旗下として戦った経緯を除き、魏武として評価するならば、
同じく史書家による孔明は劉備の臣下であったという視点から評価すべきです。
曹操については「超世の傑」という評を用い、孔明について「劉備と孔明は君臣のあるべき姿」という評を抜くのは、
不適切であると言わざるを得ません。
曹操より孔明が優れていたとは思っていません。
ただ、この点のみについては撤回して以後議論を進める事を求めているのです。
>>908 >孔明信者はカルトだから論点を摩り替えそうなんだよなあ。
君も十分過ぎるほど孟徳信者でカルトでしかも池沼なのだが…
しかも言ってることに一貫性がない。
孔明がいつ独裁者のような専横行為をしたんだ。
宰相として劉禅を補佐してんじゃん。
軍事行動などは前主の遺言に応え様としただけだろ?韓信は臣下と言っても劉邦の勢力自体かなり不安定な状況下に
立ち置かれていたのを分かってる?
斉王にしろと要求したのは誉められたことではないのは確かだが(これは認める)
韓信としては保障か欲しかった訳だ。
>曹操はある勢力の親玉であり漢臣として見るならば
>最低の人間となるが魏武として見るならば最高の人間だ。
>曹操は魏武で漢臣ではない。
曹操はある勢力の親玉であり漢臣であり魏武は曹丕が
禅譲という名を借りて行った簒奪であるのは無視かよ。
曹操もは死ぬまで漢の一臣下でしかない。
漢の魏王と王朝としての曹魏をごっちゃにしてないか?
もしそうじゃないとするなら何度も指摘してる様にこれを理論のすり替えと言うのだよ。
ちゃんと日本語理解出来てるか?
913 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 14:09:52 ID:H7Fi2lYG0
>>911 経過を抜いているのは君のほうです。
当時の時代背景を見るのならば
君が言う君が曹操が「献帝を蔑ろにした時代」は曹操が独自勢力の時代であり
当時蜀の臣下であった孔明と同じような評価には出来ないと申し上げます。
漢の臣下としての曹操は落ち度が何かあるのでしょうか。
あと袁家と離れるうんたらと曹操の専横行為は関連性が無いので領域侵犯としか思えませんし
曹操の専横は魏武時代に行われたものなので魏武として見るのが妥当です。
あと曹操の大半は魏武なので魏武として見るのが妥当であります。
少なくとも孔明が元ニートとかそういうのも可能だしいくらでも議題に絡められます。
しかし孔明は劉備死後に劉家をないがしろにした政治を行っていたのは事実であり
経緯から判断した君臣関係を考慮するにあたり
死後孔明は劉家に問題を起こしてるのだから劉備と孔明は理想の臣下ではなくなってしまいます。
曹操の場面では袁家時代を混在させ孔明では
劉禅と劉備は違う事例だと言い放つ二枚舌議論は話になりません。
だから議論はケースバイケースであります。
1さんへ。
>孔明は劉備死後に劉家をないがしろにした政治を行っていたのは事実
の実例を具体的にお願いします。
「〜って某掲示板で言ってた人がいたんだよ」というソースは勘弁してくださいね。
>>913 >漢の臣下としての曹操は落ち度が何かあるのでしょうか。
曹操は、荀ケを献帝に尚書令として付けていました。
つまり、献帝の意思は曹操の参謀である荀ケを通する事によってのみ天下に発布できたのです。
この為、献帝は董昭に密勅を発する事によって曹操を討たんとしました。
もしも、献帝が自由に意思を発する事ができるような状態であれば、天下に堂々と曹操誅殺を命じた事でしょう。
密勅という姑息な手段を用いず、織田信長追討令を出した足利義昭のように。
曹操が献帝の臣下として適不適だったかと問われたならば、
途中から王莽の後追いを始め、警戒され殺されかけたのですから、不適であったと言わざるを得ません。
詳しくは↓をどうぞ。
【曹操覇業の功臣】荀ケについて語る
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1176012581/l50 しかし、問題はそこではなく、「魏武としての曹操の成業」と「蜀漢の臣である諸葛亮の成業」を比している点です。
これは、劉邦と簫何とを比べてどちらが優れているか?という非常な難問となるのです。
現在スレでみなさんが曹操を漢臣としてどうだったか、という点に言及するのは、
スレタイが諸葛亮についてであり、諸葛亮は蜀漢の臣であるから、当然臣としての曹操を問うているのです。
曹操が魏武であることに拘り、なおかつ蜀臣の諸葛亮と比して、その上で君臣としての有り様を問うというのは、
スレタイにある「孔明の軍才」とは全く関わりの無い論議なので、辞めるべきだと延べさせて頂きます。
魏武である事にあくまで拘るなら、新たに「劉備は曹操に劣る」というスレッドを立てて論議するべきなのです。
916 :
915:2007/07/22(日) 14:25:37 ID:3aSmKNjS0
董昭ではなく、董承ですね。訂正です。
さてそろそろ次スレ立てるか
スレタイは孟徳に君主の才能は無い でいいかな?
1は三国志も含め他の時代のこともよく知らないのにシッタカするのが許せない。
1は孔明が司馬氏の晋から既に評価されてるのにそれを無視してるのが許せない。
1は朱子学がどういう経緯で成立し、
どういう思想なのか全く知らないくせにシッタカするのが許せない。
1は他の人は曹操の善悪をちゃんと理解した上で話しているのに
自分は都合のいいところだけ抽出してマンセーしてるのが許せない。
1の蛮行の所為で曹操が好きな人に迷惑を掛けてるのが許せない。
1は孔明信者はカルトとかバカにしてるが自分自身が一番のカルトで
しかも偏った愛で持論を述べてるのを自覚してないのが許せない。
1は自分の旗色が悪くなると話や論点をずらすのが許せない。
1はこちらの問い掛けに対しまともな返答をしないのが許せない。
1の理論のすり替えをケースバイケースなどと平気で述べてるが許せない。
極めつけは1がこの板に現れること自体が許せない。
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 14:42:54 ID:p9BvFqtcO
董卓の一族と思われ、お世辞にも義理固くも忠臣とも言えない董承を頼るしかなかった献帝カワイソス
>>918 なんかのコピペみたいだな。
全部自分で書いたの?
ま、それくらい
>>1が思いっきりゲーム脳だということなのだろうが…
>>921 それは自分が優秀な人間だと思いこんでる、
もしくは多面的な考察が出来ないだけなんだよ。
>>922 1の〇〇だから許せないというレスをアレンジして書いたw
的を得てるだろwww
925 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 15:38:52 ID:H7Fi2lYG0
>>915 献帝は曹操に保護をして貰って生き延びることが出来そして荀ケという大物を付けてもらったのだから感謝するべきであり
曹操は献帝を保護したことにより多大な恩恵を得ているのだからきちんとした等価の関係であり曹操は漢臣としては別に問題がありません。
献帝は保護して貰っておいて殺そうとした悪鬼のごとき存在であり献帝は保護して貰っていたのならばおとなしく覇道を明け渡すなり亡命するべきであります。
そして曹操が専横を行っていた時代は曹操は漢臣ではなく
独立勢力の君主であるため
曹操を臣下として見ても仕方が無いので曹操がただの臣下である孔明と同じカテゴライズをすることは出来ません。
しかも献帝が曹操を殺したとしても曹操軍閥が許すわけはないし曹操軍閥が献帝に忠誠など誓うわけはありません。
献帝がほかに亡命したとしても似たような運命が待っているのは明白で
統治権を喪失した王朝への態度には不適切ではないのです。
大工が大工行為で問題があるのと
会社員が大工で問題があるのは同じではありません。
前者ならば大問題ですが後者ならばまったく問題が無いでしょう。
同じ主題での比較検討ですが評価する理由や立場や背景や問題や結論まで同一化する態度には疑問がのこります。
主君をないがしろにしたとしても
曹操は独立勢力の君主であり
孔明はそうではないのだから孔明は非難されるいわれがありますが
曹操を非難する意味はありません。
問題としているのは孔明の臣下としての態度であり
曹操の態度を問題としているしているわけではありません。
比較検討をしたとしても孔明と曹操は立場が違うため
同列には置けないのでもし等価な行為をしていても
評価理由を同列におくことは出来ないのです。
なので検討は各々の背景を考えて行うべきです。
例えば劉邦と簫何の補給の比較検討で劉邦が敗れたとしても
劉邦への評価理由や結論を簫何と同じにすることは出来ません。
926 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 15:40:39 ID:H7Fi2lYG0
結論としては比べる必要が無い
で
>>925 >そして曹操が専横を行っていた時代は曹操は漢臣ではなく
曹操は終生、漢の丞相であり、また漢の魏公であり、漢の魏王になりました。
韓信が劉邦に位を求めたように、曹操も王莽の轍を踏むべく、同じ事をやっていたのですよ。
>>926 >結論としては比べる必要が無い
この言葉によって、
>>1さんは、
「このスレで曹操の覇業と孔明の成業を比べる論理を持ち出さない事を誓約された」
と、当方では受け取らせていただきます。
>>1さんの言葉通り、孔明と曹操の二者は比する事そのものが無意味なのです。
魏武の領土拡張は劉備のそれとを比するべきであり、それは当スレッドで扱う事項ではありません。
このスレッドで行われるべきは、
>>1さんが切り捨てた個々の細かい事項であり、
まさに森に生える一本一本の木、その良し悪しを見比べる作業なのです。
最終結論としては1は相手にするに値しない
で
このスレ終了します
929 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 15:58:37 ID:H7Fi2lYG0
>>927 意味が分からない。
まず上二行
曹操は独立勢力の君主であったため魏公だとしても独立勢力の君主とも並立して存在しており
曹操は独立勢力の君主としての立場の立場が強いのだからやはり孔明とは同列におくことは出来ない。
俺は「臣下」としての孔明と曹操を「比べる意味は無い」だが(不可能なため)
武将としてや君主としての能力を比べることは可能であり比較検討不能なもの
意外は比較検討をする意味は存在する。
曹操>>>>>>孔明は事実だがそれは軍才であり人を使いこなす能力であり文化人としての才能である。
確かに、コーエーのゲームでは
曹操は独立した君主扱いで、献帝の配下にはなってない。
一方、劉禅はしっかり君主やってて、諸葛亮はその配下扱い。
1の主張は間違ってない。
あれ、ここ歴ゲー板でしたっけ
>>929 また曹操ですか。
それだけ
>>1さんは「孔明」ではなく「曹操」に執着しているという事です。
また、当スレッドで曹操についてばかり話をするレスの内容はスレ違いの事項です。
曹操のみをもって諸葛亮を語るのなら、そもそもスレッドタイトルに誤りがあるという事でもあります。
初期の
>>1さんは宇宙大将軍を持ち出すなど博学ぶりを示されていたのに、どうしてこのような事に。
933 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 16:17:19 ID:H7Fi2lYG0
そして俺が主張する
「立場」が違うのだから曹操と孔明の「比較検討が不可能」ならば
「曹操の覇業と孔明の成業」の比較検討は不可能だと反論がくるのだろうが
曹操や孔明の「君主」としての能力や「武将」としての能力は領域が同列にあるために比較する意味にはなる。
そもそも曹操と孔明で検討する「意味は無い」んだけど(評価理由が不明だし)
比較検討するのは勝手でどんな結論を出すのは勝手だ
それには当然あるべき「背景や立場によって変わる評価の差異」まで同列におくのはおかしいといわざるおえない。
それを含めて出した結論は曹操劉備孫策>>>>>>>>>>孔明なんだよな。
>>930 孔明は漢中府なる組織を作って後年の弊害を作ったんだからちゃんと
孔明はその点は批判されるべきであって劉禅は政治参入が出来ないような状況だった。
孔明は劉備の遺言破っていたりするわけでしょ。
上に出したやつに孔明の政治的才能が疑問視されていたけど
あの状況で北伐やったり漢中府作ったりといった行為には疑問が残るし
人材を見る目はあったんだろうけど派閥に走ったりしてたわけでやはり孔明の軍事才能には疑問がある。
その点を曹操から学ぶべきなんだよ。
934 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 16:17:59 ID:H7Fi2lYG0
軍事才能じゃなくて政治才能だね。
>>932 いや、初期の1も全然博学じゃないしw
三国志以外の時代は、うわべをかじって知ったかしてるという事にはなんら変わってないよ。
わざわざ「宇宙大将軍」なんて言ってる時点で、物知りぶりたいオタというのが見え見え。
>>933 >曹操や孔明の「君主」としての能力や「武将」としての能力は領域が同列にあるために比較する意味にはなる。
1 ◆Lw/krO0rCQ さんは一つ一つの戦の内容ではなく、戦歴と版図の広さで孔明を否定しますよね。
ここは曹操を評価する場ではないのですよ?
>そもそも曹操と孔明で検討する「意味は無い」んだけど(評価理由が不明だし)
曹操を持ち出したのは1 ◆Lw/krO0rCQ さんですよね。
>比較検討するのは勝手でどんな結論を出すのは勝手だ
定義を共通させ、比較検討を行う事でしか大勢の議論にはならないのですよ。
しかも、自分の言い分はこうだから、反論されても自分の結論はこうなのだと仰る。
どうやら真面目に話し合う気も、リベートを行う気も無いようですね。
もはや、
>>1さん と 1 ◆Lw/krO0rCQ さんは全くの別人であるとしか思えませんね。
独自の定義により、自己の言い分を、望む結論で出したいなら、本でも出版されたらどうでしょう。
売れ行きで貴方の言い分への評価が分かりますよ。
>>935 それでも努力する姿はまだ見ることが出来たんですよね。
浅学で知ったかぶりをしていたとしても、それは自己論理の裏づけをするために調べてはいた、という事でしょう。
曹操と孔明とを比べて、孔明を貶め曹操を持ち上げる事に執着する今の姿は異様です。
>>933 とりあえず、漢中府の弊害とやらを具体的に説明してね。
話はそれからだ。
さっきから、ずっと具体的な説明求められるとスルーしてるようだけど。
>>937 別人のような気もするが、
○○と諸葛亮を結果論やらで単純比較し、○○の方が偉大だから諸葛亮は無能
という論法は、対象が曹操に代わっただけで、たいした変わりが無いと思う。
941 :
1 ◆Lw/krO0rCQ :2007/07/22(日) 16:47:23 ID:H7Fi2lYG0
まあ曹操の偉大ぶりに具体的な反論は無いし
劉備や孫策が偉大だということもそうなわけだし。
つまり孔明信者は孔明が軍才をかけていることに
何一つ反論できないカルト負け犬集団で俺にけちをつけるだけのまさに孔明的なかわいそうな人間なんだよ。
ああああああああああああああああああはははははははは
久々にネカフェ来たがしばらくはこれないな落ち
>>938 具体的説明なんて
>>1には無理だろ。
文献やネタ元は何かは知らんが自分の都合のいいぶぶんだけを
「これだ、これを提示しとけば間違いない」的発想で話してるに過ぎないんだから。
何度も論点をずらすな、ちゃんと返答しろと言っても聞きゃしないんだし。
曹操を賛美したいなら専用スレかアンチスレで曹操のみを対象にして論議すればいいのに
それもしてないでしょ。
要は誰かと比較しなけりゃ話出来ない訳さ。
単一じゃ
>>1にとっては分が悪いの明白なんだし。
具体的説明を求められたとたん、さっそうと逃げ出しちゃったよ…
うむー、なんたるあざやかな退き際。もしやこれも孔明の策か
>>943 無知の知ったか君かと思ったがなんのなんの
曹操の逃げの業だけはちゃんと学んでいるようだな。
いや、無知でも浅学でもないと思う。
ただただ近視眼なんでしょ。
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 17:41:42 ID:G6wz1ii9O
つーかまだ1に付き合ってる奴らは何なのよ。一時あの基地はスルーでコウメイの事を語ろうぜ、となってたのに
誰かの孔明批判を鸚鵡の様に繰り返すだけ
つまらん
まったくもってつまらん
曹操を認めてはいても1以外は大絶賛もしてないよな?
俺たちの誰一人説得出来てないのに勝ち誇ったかの様な口振り
結局1が只が自己満足してるだけかよw
それにレベル以前の話だなwww
結論
猿>>>>>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>>>自称中学生のシッタカニート
で
本当に終りにしようぜ。
で
>>946は納得してくれ。
な
>>946 どうせ、もうすぐ埋まって終わるんだし、最後まで1につきあってやればいいんじゃない。
タイトルからして、明らかにネタスレなんだし。
釣だとわかった上で、あえて引っかかってあげるのが大人の対応。
反論してるのに「反論出来ない」とはこれ如何に?
1「吾を得心させることが出来ない反論は反論のうちに入りませぬ」
1は明らかに問答に困った質問は避けてるな。
それに此処まで偏ったみかたでしか見れないとは・・・。
問題はこのスレが終わったあとまた1がスレを立てたらどうするか、だ。
ここの住人たちはこいつの相手に飽きてるだろうが、
新参が噛み付いて悲劇が繰り返されるのは容易に想像できる。
>>953 そうなったらこの板全体が荒れる危険性も孕んでいるが
1への制裁の意味も込めて、そのスレに限りAA塗れにするってのはどうだ?
もしくは
>>921が紹介しているスレに誘導を促すとか。
同じようなスレを埋まりきらないうちに乱立させるのもこの板のためにならないしな。
>>954 >そのスレに限りAA塗れ
それは理由が何であろうが単なる荒らしです
放置すればいいだけだし、新たに来た人には自由にやってもらえばいいでしょ
飽きた人は去ればいい。相手にしたい人はご自由に。
どこのスレでもそれは一緒だろ。
何でそんな無用なおせっかいをする必要があるのか?
からかうにはいい素材だからな…
資料とか出して分析されると何も分からないので、それには一切触れようとしないよな
1の低脳は、分かりやす過ぎw
>>957-958 その意見に激しく同意
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。
【真・三國無双5 part6】[歴史ゲーム]
孔明に軍事の才能はない[三国志・戦国]
>>1はここの住人か?漫画板は俺だしな…
960 :
936:2007/07/22(日) 23:28:12 ID:3aSmKNjS0
今気が付いた。リベートじゃなくてディベートだ。
このスレ初めて見た。とりあえず
>>1が気持ち悪い。
なかなかいい討論してるなぁと思ってたら
>>1が急に話変えたりするし
連レスするし見ててなんだか・・・ねぇ
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 05:23:00 ID:daoK487ZO
明らかに名無しに論破され続けているのにまだ執着している
>>1はなんなの?w
都合が悪くなると孔明信者だのカルト扱いw
最初は軍事能力について議論吹っ掛けてるのに勝手に曹操に話題を変える始末w
どう考えても顔真っ赤にして毎日吠えてる駄犬と一緒ですwwww本当にありがとうございましたwww
みんなで正論唱えまくってやったら捨てセリフ吐いて逃げてったし。
いいスレだったのに、
>>1はいなくなっちまったのか…。
次スレで曹操救済に奔走するんだろうか。
967 :
草中の豎子:2007/07/24(火) 17:22:13 ID:gj/ZhRKU0
やはりあの悟りすましてる奴は
>>1か・・・
堂々とトリ付けて発言すりゃあいいのにやっぱ気が小さい野郎なんだな。
>>三国志の人物はすべて2流
陳先生も言ってるんだけどなぁ
先生が言ってるから習えなのか?
あと、統一出来なかったから2流とか言う奴がいるけど、
例えばハンニバルやグスタフ・アドルフは2流と言うのか?
曹操は、詰めが甘いし、他の時代と比べちゃうと1流とは言えないけどな
詰め詰めというが、企画して実行できるだけで既に一流だと思う。
成功すればもっといいけど。
魏武が過大なのではなく、魏武より上の連中が過小なのだろう。
まあどこを基準に一流、二流とする問題なのだが。
こいつでも二流なら俺たちはいったい…って感じだから一流にしといてくれや。
ここの1がアホということでFA
孔明捏造伝説は南北朝の頃からまともな知識人達に指摘されてるからバレバレ。
撃破した司馬懿さんの功績を讃える為に西晋が捏造したのが発端なのは分かっている。
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/  ̄ ̄ ̄.// ̄ ̄|| |___/\孔明
イッテヨシ.∧// ∧ ∧|| | \\孔明孔明
[/_________.(゚//[ ](゚Д゚ )|| | \\孔明孔明
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.lO|--- |O゜.|__ .||_|ニニニニニニl.|孔明孔明
|_∈口∋ ̄_l______l⌒ l.| |l⌒l_|| 孔明孔明
──`--'───`ー'─── `--' `ー' ┐ 孔明孔明
│ 孔明孔明
│ 孔明孔明
│ ミ 孔明孔明 〃ザボザボ
│ ;:孔明孔明; ’〃、、..
ザボザボ゙ ミ ミ\孔明孔明/ミ
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>>971 あんな曹操狂いの魏ヲタの言う事なんて信用できんだろ。
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 20:09:43 ID:gQdvrzVp0
初めて書き込んでいまさら言う事でもないかもしれないが
なんで孔明と侯景が比較されてんの?
俺的には「ひたすらまっすぐに進むミサイル」
と「割と安定した手腕を発揮した宰相」
って感じのイメージなんだが・・・
koumeiとkoukeiで一文字違いだから
>>977 本当にあんたの言うとおりなら曹操以外全部二流というはずだが?
言ってる意味がわからん。
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
日本語が読めないんだろ。キニスンナ