1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2007/01/09(火) 14:10:45 ID:4+a9Ykwc0 三国志の両雄である劉備と曹操の直接対決が実現した、漢中の争奪戦について語りましょう。
W爺ちゃんサイコーだお。
この時点では、もう2人とも老雄って感じだね。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/10(水) 01:30:23 ID:Y1FHhV+CO
劉備の一番全盛期のときだな 補給の諸葛亮 策謀の法正 武勇の張飛、馬超、黄忠、趙雲 など人材もそろってた その後の没落ぶりと比べると・・・・・・
> 2 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/19(月) 22:54:27 > 215年 > ・7月、曹操、張魯討伐。張魯は巴中に逃亡。 > ・劉備、この事態を聞き、孫権との荊州を巡る争いを中止し和議を結ぶ。 > ・11月、張魯、曹操に降る。 > ・劉備は黄権の進言をいれ、張魯を迎えに黄権を派遣するも時既に遅し。 > ・12月、曹操、漢中に夏侯淵を留めおき、帰途に着く。 > 216年 > ・2月、曹操、鄴に到着。 > ・夏侯淵、下弁の氐族や羌族を討つ。(この辺、時系列がちょっと微妙) > ・張郃、巴中を荒らすも張飛に撃退される。 > 217年 > ・法正、漢中侵攻を進言。 > ・劉備、張飛・馬超・呉蘭らを下弁に派遣し、曹操はこれに曹洪を当てる。 > 218年 > ・劉備、漢中に進軍。 > ・呉蘭が曹洪に打ち破られ、張飛らは漢中に撤退。 > ・劉備は陽平関に布陣し、張郃は廣石に布陣す。 > ・劉備、張郃の陣に夜襲をかけるも防がれる。 > ・7月、曹操、劉備討伐の為、鄴を出発。 > ・9月、曹操、長安に到着。 > 219年 > ・正月、劉備、高翔を留め置き南進。沔水を渡り、山に沿いつつ前進し定軍山・興勢に布陣。 > ・同月、夏侯淵、定軍山に攻勢をかける。 > ・法正、これを討つべしと進言。劉備、黄忠を高所に配す。 > ・劉備、夏侯淵の陣に火を放つ。東を守る張郃が不利になったので、夏侯淵は兵を分けこれを助成させる。 > ・劉備、黄忠に攻め立てさせ、夏侯淵らを斬る。 > ・夏侯淵の司馬郭淮は敗軍の兵を集め、張郃を立て漢水を挟んで劉備と対峙。 > ・曹真、陽平を守る高翔を破る。 > ・3月、曹操、陽平に到着し劉備と対峙、曹真は下弁の曹洪らを回収。 > ・劉備は山に立てこもりこれに抵抗。 > ・5月、曹操、軍を引き上げ長安に帰還。 > ・秋(7月〜9月)、劉備、漢中王即位。
> 6 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/19(月) 23:13:02 > 2に補足 > > ・山に立てこもる劉備は劉封に山を下りて曹操に戦いを挑ませた。 > →上庸侵攻中の孟達のもとに派遣されたのはこの後? > ・趙雲の黄忠・張著救出、曹操の大軍に対して空城の計などの活躍。 > > 上二つはいずれも注ながら劉備も単に山に立て篭もっていただけでなく、結構やってたのが窺える?
> 10 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/20(火) 11:19:24 > 建安二十三〜二十四年にかけての漢中攻防戦における両陣営の参加武将 > > 劉備側 > ☆確実 > 劉備、法正、黄忠 > ☆まず確実 > 張飛、馬超、呉蘭、任夔→下弁攻略失敗の後、漢中へ。なお呉蘭、任夔は戦死。 > ☆多分 > 劉封→任城威王彰伝注より。 > 趙雲、張著、張翼→趙雲伝注より。 > ☆可能性あり > 魏延、楊儀、劉巴、黄権、呉懿、呉班 > > 曹操側 > ☆確実 > 曹操、張郃、郭淮、曹真、徐晃、夏侯淵(戦死)、曹洪、曹休(曹洪と曹休は下弁) > ☆まず確実 > 張既 > ☆多分 > 楊脩→武帝紀注より。 > ☆可能性あり > 劉曄、于禁 > > あとはちょっとわからないので補完よろしく。 > > 15 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/20(火) 15:55:49 > > > 10 > ざっと見たけど、 > > ・劉備陣営 > 高翔 > 陳式 > > ・曹操陣営 > 趙顒 > 杜襲 > 夏侯栄(淵・五男) > > が抜けてる。 > 可能性としては朱霊も。
>>6 張魯って、どちらの陣営も勧誘しようとしていたんだね。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/11(木) 23:44:13 ID:z2Cr7Hb00
劉備がその人生の中で一番輝いた時だな。
これが関中争奪戦だったら、 その後も変わっただろうねぇ。
蜀が関中も奪っていたら、その後どうなっただろうか? 魏は何が何でも、関中だけは奪回しようとしたかな。
>>10 逆に曹操はむーざんなほど衰えが見えて痛々しいね
漢中に残す将の選択といい
>>12 関中は篭るのに易いから、無理押しはしないんじゃない?
>>13 淵は拠点防御には向かないよね。
淵は拠点防衛ではなく、のちに蜀にせめこむために置かれたんじゃないかなあと考えている。 だいたい向き不向きでいったら、騎兵指揮官である張遼が合肥の防衛に向いているとは思えん。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/13(土) 23:46:28 ID:qs15dPtQ0
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/14(日) 18:40:47 ID:C+0zULNSO
この戦いで劉備が負けてたらどう状勢は動いただろうか?
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/14(日) 19:23:39 ID:s6MKawVhO
>>18 今度こそ曹操は蜀になだれ込み、
呉は荊州を奪い、
曹操が全土を従えたという勲章を胸に禅譲を受ける
【読売新聞1月14日】
自国を高評価
中国人は自ら「中国はアメリカに次ぎ世界で2番目の影響力を持ち、
10年後にアメリカに追いつく」と信じている。日本、アメリカ、
中国、インドの四カ国の6649人を対象にした意識調査で、こんな
結果がでた。
調査は国際経済交流団がシカゴ地球問題評議会と共同でおこなった。
それによると中国人が影響力のあると思う国は、1位:アメリカ
2位:中国 3位:ロシアで日本は8位だという。
なお、中国の影響力について日本人は5位、アメリカ人は3位、
インド人は5位と位置づけていた。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20070114i201.htm ↑ソース
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/14(日) 20:12:01 ID:C+0zULNSO
両軍の軍勢ってどれぐらいだったのだろう? 曹操軍は数十万ってのをどこかで見たな。
曹操の軍勢の方が兵力の上で優勢だっただろうけど、 そんなに多くは動員してないんじゃないかな。
>>15 司馬懿の進言退けたり、漢中に執着しなかったことを考えると、それは・・・・。
>>21 マジレスすると、
魏の蜀討伐の時の動員兵力 二十余万
西晋の呉討伐の時の動員兵力 二十万ほど
曹操の時期は政権が不安定で、「漢朝再興」の大義名分を掲げられる恐れがあるから、
とてもとてもそんなに兵を用意出来たとは思えない。
(関羽の北上で魏王国は戦略的に揺らいでいる。魏諷の反乱未遂なども含めて)
曹爽が、六、七万の兵で蜀討伐を画策したとき、逃亡者が出たというし、
兵站の問題から考えても厳しそう。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/19(金) 15:09:27 ID:/dny6RAj0
数万人の範囲内で、 曹操の方が、兵力では劉備よりやや優位といったところかな。
蜀は10万が北伐用で漢中あたりに駐屯 残り5万くらいが四川盆地と永安・南蛮あたり にいる感じ、 魏が対蜀・呉用で20万+20万、内地や北方辺境地域を含め30〜40万 呉はわからんので大体蜀の2倍弱くらいだから 蜀が14万+魏が70〜80万+呉が20〜30万弱くらい、どう考えても
全部合わせて100万人以上? 100万人を超す兵力を保持できたかな、あの時代に。
少なくとも、最大、動員出来た兵力は 魏−鍾会の蜀討伐から二十余万 呉─諸葛恪の合肥新城攻撃を見るに二十万 蜀─よくわからんが、十万が限界だったと思う。 というか、魏にそんなに兵力あったなら、 孫権が合肥に攻めることも、諸葛亮が北伐することも無かった筈だ。 215年に合肥の兵力が七千で、張遼が奮闘したり、 228年の第二次北伐でカク昭が篭城・奮闘する光景は信じ難い。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/20(土) 20:31:41 ID:v/ODXrh/0
魏、蜀、呉共、政権としての支配能力が、大きく落ちているからね。 領内の人口を十分に把握できていない。
これが、漢中じゃなくて関中ならなぁ…
関中争奪となると、かなり盛り上がるね。 諸葛亮の代わりに劉備が北伐を行うと考えれば。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/23(火) 01:06:43 ID:OHl5x/oWO
劉備の北伐かー なんか大勝するか大敗するかになりそうだな
>>31 劉備は彼我を良く見極める将軍なので、劣勢と決まればまず撤退する。
(根拠地得るまでは、開戦前に逃亡したことが殆ど)
夷陵が例外なんだよ。
超一流には負けてるけど、劉備はかなり強いよ。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/30(火) 23:55:47 ID:jacbRNNr0
何だかんだで、三国の一角を形成したわけで、 弱かったら、ああはいかんわねえ。
漢中の人口生産力はどんなものかな。
漢中は風土的には、関中より蜀に近いんだよね。 でも、関中側の方に付属することが多い地域。
漢中を蜀に附属させちまうと独立されるからな 玄関口を関中とセットにしておかないと危険
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/12(月) 21:56:32 ID:7N8tepaf0
粘り強さは曹操より劉備だと思う
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/13(火) 12:20:41 ID:j3734IKkO
それ馬鹿でもわかるだろ。
スペルマの粘り強さはな
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/03(土) 20:08:27 ID:QqhT+slP0
漢中を押さえると、やっぱり蜀へ攻め込むのに決定的に有利になってしまうのか? 逆に押さえておけば、蜀の安全は一挙に高まるとか。
>41 そりゃそうだよ。 漢中は物資集積所として機能できるだけのインフラがあるからな。 中原から入蜀するにしてもここを無視して迂回しようとしても後続の輜重が断絶してしまうよ。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/18(日) 05:42:10 ID:162yLwmk0
漢中という地域は、意外と昔から開発が進んでいた地域になるのかな?
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/18(日) 11:27:26 ID:TqrnEcDEO
曹操の代で漢中と江陵をしっかり維持出来ていれば、曹操の寿命が足りなくても統一が早まったかもね。 漢中の夏侯淵や江陵の曹仁が合肥の張遼くらい頑張ってればって思うことがある。 どれも南方への橋頭堡なんで、バックアップを含め維持するのが困難なんだけど、それが出来るか出来ないかで地方政権か統一政権かに別れるね。
ただ漢中は曹操が支配したあと住民数万を強制移住させたから劉備が取ったあとは不毛の地になってたとどこかで聞いた
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/27(火) 23:53:29 ID:ZtyCdL9v0
生産力による収益より、戦略上の要地としての意味合いが強かったのかな。
例え無人の土地でも、漢中確保は四川の安全保障に直結する。 魏に漢中経営の旨みは無くても、劉備たちにとっては四川の味を引き出す為の出汁として使える。 まさに鶏肋。曹操の指摘は実に正鵠を得ている。
正鵠を得るという言葉遣いは正しい。 簡略化で、正鵠が的に変化したなら、 的を得るって言葉遣いも あながち間違いじゃないと思うんだ、おれは。
学研M文庫「世界戦史〜歴史を動かした7つの戦い〜(著:有坂純)」 Y 漢中争奪戦 P209~210より引用 >三国鼎立を生んだ劉備会心の戦い >魏呉蜀三国鼎立の戦乱時代が到来した。 >蜀(益州)の制圧を狙う曹操に対し、軍師諸葛亮に兵站指揮を委ね、要地漢中へと進軍する劉備。 >主力を率いて、勇躍出陣した。 >後漢帝国の事実上の崩壊の後、魏・蜀・呉三国によって争われた約一世紀にも及ぶ戦乱の時代は、 >羅貫中が完成させた偉大な創作『三国志演義』のおかげで、 >あるいは関羽、趙雲、張遼を始めとする豪傑たちが干戈を交え、 >あるいは諸葛亮、司馬懿、周瑜らの軍師たちが智略を搾る、 >言ってみればはなはだ個人的な英雄の戦いであったかような印象が一般には浅くないであろう。 >しかしながら、三国時代の戦争の根幹は、他のほとんど全ての戦争においてそうであったように、戦略と兵站であった。 >ことに、社会経済の崩壊と戦禍によって荒廃した広大な漢帝国領内に、 >数万規模の兵力を作戦せしめるためには、きわめて入念な兵站計画が必須であった。 >例えば官渡の戦役(一九九〜二〇〇年)では、 >曹操軍に対して兵力に優る袁紹軍は、後背を衝かれ集積所を破壊されたことで、全軍がたちまち総崩れとなった。 >逆に赤壁の戦役(二〇八〜九年)においては、 >給養の欠乏と気候風土の違いにより、北方人である魏軍の将兵の間には疫病が蔓延した。 >補給線の関係から、曹操は兵力を長江沿いに広く分散させざるを得ず、 >そこを蜀・呉連合軍に急襲され、水軍を撃滅され危うく脱出生還路まで失うところであった。 >今回、物語られることになる漢中の戦役(二一八〜九年)は、 >劉備の蜀による益州の確保と荊州の喪失という二つの重大な事件を時系列的につなぐのみならず、 >それら両事件の戦略的な背景を説明する上で欠かすことの出来ない戦いである。 >そしてこの戦いにおいても、終始、戦場を支配していたのは個人的な武勇や智略ではなく、 >冷たい兵站の論理に他ならなかったのである。
良書だが全てを転載する必要ある?
>>51 そうか。じゃあ自分で買ってくれ。
紹介のつもりで、さわりの部分だけ転載した。
結論を簡潔に言うと、
劉備は曹操に匹敵する指導者。
法正と諸葛亮はそのポテンシャルを完全に引き出す最良の両翼。
この両名が揃っていた時期の蜀軍は、
劉備本来の統率力に、法正が戦術的な柔軟性を加え、孔明が戦略的な持続性と直接的な大兵力を与えた最強布陣(テラモエス
漢中戦役は「戦争で戦争に勝つ」孔明戦略の白眉。(つまりマトモに蜀軍が魏に対してやった最後の戦争ってことだろう)
また関羽は先鋒や留守番としては優秀だけど、(あの当時の荊州の)司令官としては武骨一点張りでは失格。
荊州失陥〜夷陵の敗戦以後の孔明は「戦闘で戦争に負けない」型の戦争指導を強いられた。
何故なら、半年で天下三分が崩壊し、主力の大半が夷陵で戦死したので、北伐は最初から成功する訳ない。
機動防御としての戦争を企画し、準備し、実行出来るだけで既に神、という孔明を称える内容。
戦術面はともかく、戦略面、兵站面、外交面(赤壁の前後での対呉同盟の成立など)は最高の評を孔明に与えている。
余談だが曹操は漢中戦役の一年後に死んでいる。(劉備が夷陵で敗れて一年後に病死している様に)
という内容だった。
付け加えておくと、荊州という出城と関羽の部隊があった為に、 曹操は往還の手間で軍隊が機能不全に陥るのを恐れて、 宛洛周辺の軍隊を漢中戦役に投入出来なかった。 だから力を出し切れなかったので負けて、天下統一を諦めざるを得なかった。 消え方があっさりすぎるが、 兵站拠点を電撃的に衝いて関羽の部隊を無力化した呂蒙が優れているのであって、 過大評価でも何でもなく当時の魏呉にとって関羽は脅威の対象だった。 このことからやはり関羽は天下三分における必要不可欠な一上将と言わざるを得ないだろう。 適切な判断力を持った補佐を欠いていたのが惜しまれる。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/06(金) 04:38:21 ID:LLbjgBwbO
上げ
目に付く資料だけをみると果たして補佐の意見を聞き入れる力があったのかどうなのか判断できないからね
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/08(日) 08:48:04 ID:5xGTreOv0
そうかもしれないけど 法正の意見には耳を傾けていたのではないでしょうか?
孔明(荊州強奪)は無視して法正(蜀強奪)の意見には耳を傾けたのは、劉備。 関羽は逆に、孔明の意見には耳を貸しそうな気はする。 ただ、戦略・戦術面での進言を劉備が無視したように、 関羽もその方面では無視するかも知れないが。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/08(日) 11:23:34 ID:5xGTreOv0
劉備は黄権にも耳かすよね
曹操が劉備に敗退した後、作戦を考えたのが法正だと聞いて「劉備があんな作戦を思いつくとはオレも思ってなかった」とのたまわった これは負け惜しみなのか、それとも劉備本人の作戦能力はその程度だったのか?
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/08(日) 13:07:22 ID:5xGTreOv0
曹操は、劉備は私と同じだが考えるのが遅いと言っているようだからじゃないか?
自分と同じ思考だが行動が鈍いと思ってたやつが、 その時に限っては何もかも先手を取って、 今までどおりなら崩れて逃げてたような劣勢を跳ね返す粘り腰を見せたのだから当然だろう。 その時の曹操の評価は「作戦立案:誰某(法正)>曹操≧劉備>>他」の模様。 それくらい振り回し方が違う。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/08(日) 20:23:53 ID:u31nra34O
そう考えると法正ってなかなかの策士だね そのわりにはマイナー
法正は作戦だけ、劉備は指揮だけ、曹操はその両方。 だが法正の作戦を採択できるくらいには劉備も優秀なので素晴らしいコンビが出来上がる。
劉備も法正と同じ作戦を考える事はできる。 ただし法正の方が遥かに速く具体的に立案できる。 劉備は法正の進言とその時点では漠然とした自分の考えを照合し速やかに決断できる。 法正からすれば劉備に進言すると即座に自説を完璧に理解してくれるので大変嬉しいだろう。
そうだな。大いにそう思う。 しかし、法正の立案の異常な速度は益州限定かもしれん。 情報収集の手間が無いのだから(あるいはそれまで用意していたか)、 劉備や曹操より先手を取れるのも当たり前だろう。 だからもう少し法正が長生きしていたとしても、曹操を直接倒すまでは至らなかったかもしれない。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/04/16(月) 15:07:51 ID:0nlyQ7GH0
法正が長生きしていたら、諸葛亮と並んで蜀の双璧になったかな 対立して権力闘争が勃発したかな
無理だろ 蜀科制定時も諸葛亮に一喝されて意見曲げてるし 諸葛亮の派閥の領袖に納まって番頭やってるんじゃないか?
法正が私怨から報復を始めてそのことを諸葛亮に言ったら 「オレじゃ止めらんね」 と答えた、というのは?
その諸葛亮の言を聞いて法正は報復を止めたというエピソードの方が重要だろうな。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/02(水) 02:38:58 ID:25qZ827VO
漢中の戦いにおいての孔明の補給能力もなかなかすごいな。曹操軍が途中で脱走兵が出ていたのと比べると劉備軍はそんな様子をみじんと見してないな
楊洪さんも褒めてください
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/03(木) 16:48:18 ID:wIdzku4Q0
孔明はショウカみたいな役割に徹する事ができれば最高だったんだろうけどね
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/03(木) 18:19:29 ID:rG1fzNoy0
万が一、劉備なり孔明なりが関中切り取れてたら 長安に遷都したのだろうか
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/03(木) 19:51:07 ID:KD56b3f30
史記で漢の高祖劉邦が項羽により、関中王ではなく漢中王とされたとあるのを見た時、 俺はなるほど、関中じゃなく漢中ね、項羽って中々うまいなあと思ってしまった。 俺がその誤りに気づいたのは後日のことである。
五虎大将軍が漢中に揃ってたらなんて良い画を妄想。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/22(火) 23:56:56 ID:sOvBS+bH0
>>73 当時の長安はかなり荒れていたんだよね。
都市としては、長安と成都だったら、どちらが人口が多かったのかな?
そもそも三国時代の都市人口とは?
昔蒼天航路連載中に途中から読んでたけどここが一番面白かったなあ 法正スゲーとおもって読んでたわ
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/27(日) 15:19:59 ID:tuo0KWDwO
しかし盛り上げるだけ盛り上げて曹操が逃げて終わっちゃったけどね 漢中の戦いをうまく書けてたのは北方かな 重要な戦いなのに解説書でもさらっと流されることが多いよ
>漢中の戦いをうまく書けてたのは北方かな 小説かよ
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/09(土) 22:38:44 ID:ZuveADoOO
概説書でもとばされることが多いかわいそうな漢中の戦い だいたいショクをとったらすぐに関羽戦死にいってしまう
漢中戦が劉備の人生最高の勝ち戦なのになぁ 残念だ
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/13(金) 04:12:28 ID:T++BfADfO
劉備の輝やしき白星
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/22(日) 04:14:17 ID:y7VfVTz/0
あげ
8万もの人間を漢中から引き抜いた時点で、漢中の失陥は決まったようなものだと思う。 策源として機能しない上、関中からの輸送も厳しい場所に軍を置いても、 防衛なんぞできるわけが無い。 司令官が韓浩だろうが張郃だろうが、結果は変わらなかったと思う。 司令官の敗死があるかないか、程度の差しか無いだろう。 陽平関以北に押し込められて、史実同様に曹操が来て、鶏肋と言って撤退するだけの事だろう。
>>85 だとすると初めから曹操の重大な失態だったということか。
>>86 失態は失態なんだけど、仕方ないと言えば仕方ないとは思う。
漢中の住民は五斗米道にどっぷりだっただろうから、
鄴や洛陽などの、監視の容易な土地に置いて、且つ張魯から切り離す必要があっただろうし。
後年、司馬懿が冀州から上邽に徙民を行ったように、
近い内に関東から漢中に民を連れて来るつもりだったんじゃないかと思う。
張郃がわざわざ巴西まで出て住民を連行したのも、その一環じゃないかと。
劉備の侵攻のタイミングが絶妙だったんだと思うよ。
>>87 だとしたらその時の漢中防衛軍にできることは、「勝ち目はないから撤退する」しかないということか?
絶妙というが、劉備が漢中を攻めないわけがないんだから、勝ち目のない軍を置いておくなんてそれこそ失態だな
>>88 「山陽公戴記」の記述ではあるけど、曹操は劉備の事を、
智謀はあっても策を考え付くのが遅い、と評しているから、
漢中に進むのももう少し時間が掛かると思ってたんじゃないかな。
漢中に来た時の曹操の負け惜しみもあるし。
1,2年遅れてくれれば、ある程度の体制は整っただろうから。
もう一つの問題として、劉備が武都方面に陽攻を行った事だね。
真っ直ぐ漢中に進んでくれりゃ、なんとか抑えようもあっただろうけど、
呉蘭らが下弁に入ったものだから、最も優良な故道が押さえられてしまった為、
漢中に入られる隙を作ってしまっている。
故道が押さえられ、険しい桟道しか輸送に使えないとなると、いよいよ策源として機能しなくなる。
曹操の方も、曹洪と曹休に対応はさせているけど、下弁に入られた事に変わりはないしね。
曹操のが後手に回ってるのは確かだね。
「山陽公載記」ね。間違えた。
進行方向は逆だが、王平は援軍が来るまで持ち堪えてる 守将と本体が優秀なら防衛できなくもない
>>91 劉備が奪って以来、漢中は策源化が推し進められ、
諸葛亮の時代には数万規模の遠征を支えられるだけの基地になったのだから、
奪ってばかりで徙民も行ったこの時とは比較できないと思うが。
曹洪の派遣がもうちょい早くて、張飛らを下弁に寄せ付けなかったら分からないけどね。
淵を残したのは人選ミス。 速攻で逃げてこいって意味だったのかな?
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/19(日) 22:11:59 ID:zcdETtS40
>>93 夏侯淵は馬超ら関中諸侯との戦いの後始末係りとして西方侵攻の総司令官になったから
漢中に残って劉備と戦ったのはその名残か、異民族慰撫兼監視だったんじゃない?
征西将軍だったし。
それにしてもこの頃の張郃が晩年とは違って名将に見えない。
北伐時の蜀陣営がこの頃より凋落しまくったからかな?
漢中戦がらみで張郃伝のおもな記述 ・トウキョまで軍を進めたが、張飛に抵抗されて引き上げた ・広石に駐屯しているとき、劉備に夜襲をかけられたが、劉備は勝つことが出来なかった。 ・夏候淵死後、その司馬であった郭淮の推薦で総大将になった。 ・劉備は夏候淵より張郃を警戒していた こんなものかな。 具体的な実績が結局劉備に破られなかったことくらい。 蜀側の記述に詳しいのはどんなのがあるのだろう?
>>95 > ・トウキョまで軍を進めたが、張飛に抵抗されて引き上げた
郃別督諸軍下巴西、欲徙其民於漢中、進軍宕渠・蒙頭・盪石、與飛相拒五十餘日。
飛率精卒萬餘人、從他道邀郃軍交戰、山道迮狹、前後不得相救、飛遂破郃。
郃棄馬緣山、獨與麾下十餘人從問道退、引軍還南鄭、巴土獲安。【張飛伝】
これを見る限り、抵抗されて引き上げたという穏便なもんじゃなく、狭い土地におびき出されたところを散々に討ち破られて命からがら逃げ出したって感じだけどね。
つうか
>>6 を見ればいい。
>>95 で言えば2番目と3番目の間に
> ・劉備、夏侯淵の陣に火を放つ。東を守る張郃が不利になったので、夏侯淵は兵を分けこれを助成させる。
が入るくらいかな?
宕渠の戦いもよく分からんねぇ。 宕渠は巴西南部だから、ここまで進出された時点で結構押し込まれてる事になる。 張飛は当時安漢かロウ中に駐屯してただろうから、張郃に四川盆地に入られた時点で、 これを防御するのに動いても良さそうだが。 それに、地図で見ると宕渠の辺りならある程度開けてるから、 狭い道を通らなければならない状況に簡単に追い込まれなさそうだ。 張飛がどういう機動を採ったのかちょっと分からんな。
張郃の目的は、魏書にあるように巴西の住民を漢中に移送する事。 張飛との対陣が50日余りに及んだって事は、ある程度は達成できたのだろう。 んで、張郃の戦略だけど、宕渠水左岸には、数百mの山が南北に連なっているから、 これを以って左翼の防御にし、蒙頭辺りまで進む事で、宕渠、漢昌、宣漢の三県から張飛を遠ざけ、 防御に徹して対陣を長引かせる事で移送する時間を稼ぐってものだろう。 張飛としても早々に突破したかったんだけど、河川と山に正面と翼を依託してるから、 ちょっとやそっとじゃ突破できない。 効果的に敵を撤退させ、或いは破るには、後方に回り込むのが良い、それも、 できるだけ自身の機動を秘匿しつつ。 とするならば、張郃が左翼の防御に使ってる山が、逆に利用できる。 恐らく張飛は、右翼側から山を越えて敵を迂回し、 まず宣漢、次いで漢昌への道を塞いだ。 張郃が米倉道を通って帰還するには、漢昌方面へ出なければならず、 漢昌へ進む道は途中から険しくなってくる。 そこを張飛は突いたんだろう。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/18(火) 21:42:24 ID:bF4XswgQ0
>>98 なにを言っているのか
よく分からんが納得
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/24(月) 17:54:33 ID:hlTLjXOd0
漢中って農業生産力はどれぐらいだろうか。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/25(火) 22:37:55 ID:OKplclR/O
雷銅はエロい
>>100 時代というか年代によるでしょ。
張魯が降伏した時は「倉が一杯」だったというし、
財富土沃
元々↑こういう土地に馬超の戦禍で移民が数万入ってきたらしいので、
農業生産力=人口の当時では随分なモノだったんじゃない?
問題は曹操が移住させたのがどの程度か・・・
劉備支配後は屯田が必要だったというし、曹操得意の強制移住は結構なダメージを与えてるっぽいね。
曹操がいったい何時に撤退の決断を下したのかで、漢中のその後が解りそうなんだけど詳しい人いないかな?
212〜219年は漢中にとって激動の時代だったことは確か。
張魯の後を追ったやつも多いかも。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/09/28(金) 18:09:48 ID:B7nLlRb30
漢中は劉備支配直後は人あまりいなかったぽい
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/02(火) 15:32:29 ID:HPhli2pK0
戦場になって、人が逃げてしまったっこともある?
張魯の降伏後、曹操が漢中の人民を移住させてる。 別に戦場になったからって事はないと思う。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/13(土) 23:25:52 ID:lTeJ+u6O0
あげておく
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/21(日) 14:33:44 ID:zk76ol2O0
強制移住は215年から216年に掛けてあったみたいね 張魯が治めていた時に少なくとも10万戸+馬超の乱で数万戸 さらにそれ以前の李カクの関中政権のイザコザで馬超と比べ物にならない数が入ったっぽいから、相当な人口だったはず んで強制移住は記述にバラツキがあるけど最大の物で8万戸とあるから、夏侯淵が漢中司令官として居座っていたときは大げさにいうと無人に近かったんでは なんでバラツキがあるかというと、各方面に移住させている、つまりは何段階かに分けられて執行されて、その時に携わった人も違うので総計幾らとならなかったんじゃないかな 曹操の強制移住に関しては他の例ではこんなことないから、トウタクも真っ青の超大規模な移住政策だったと思われ
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/10/25(木) 04:38:23 ID:l56ld/0RO
なるほど
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/25(日) 13:34:22 ID:5Gfg2Uvg0
かんちゅうだめぽ
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/21(金) 14:19:26 ID:VMEeiwiL0
張既伝:住民数万戸を三輔に移住 武都の5万余を天水に移住 杜襲伝:洛陽に8万余を移住 和洽伝:住民を移住させ漢中を放棄した 張飛馬超が攻め入った武都=補給もままならぬ空城 劉備が占領した南鄭近辺=無人地帯
話半分としても酷いな。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/01(火) 17:20:27 ID:FIIgCDRHO
アイシールド
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/02(水) 12:28:06 ID:A3EHIOjb0
>>112 >張飛馬超が攻め入った武都=補給もままならぬ空城
>劉備が占領した南鄭近辺=無人地帯
これはむごいな
曹操はこの為にやったのかな?
中国の歴史では、東漢〜三国期に限らず、 大規模な強制移住って頻繁に行われているけど、 実際のところは、どれぐらい徹底していたんだろう? 普通に考えたら、農耕可能な土地の住民を、 一人残らず他所へ移住させるのはかなり難しそうだけど。
>>116 難しかったとおもうぜ
それを強引にやったのが曹操らしいけど
そもそもこの時代だと、官が把握していた人口は全体の何割だろう? という疑問があるので、 「根こそぎ」というのは無理な話だっただろう。 しかし都市人口とその周辺だけでもごっそり持っていけば経済的な打撃は甚大だろうし、 あとから来た勢力は自陣から移民するか租税を避けて来た土豪的な農民達を服従させねば ならなくなるので、相当な痛手になるはずだ。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/02(水) 23:40:23 ID:Li1Nc8p8O
経済的に大敗北の蜀
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/02(水) 23:53:57 ID:jNpQyUpq0
政治的に完敗の魏。
肛門痛い
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/04(金) 00:21:16 ID:b5maSMmD0
司馬家の圧勝
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/04(金) 00:41:59 ID:M+rTXjabO
そして…異民族が中華に乱入
関羽の北上のときに、漢中から長安に出撃できなかったのも強制移住が原因だろう。 前線基地として屯田で自給できるようになるまでは、 恐らく駐留部隊の兵糧などはピストン輸送の人海戦術だっただろうから、 漢中に居るだけで大量の人手が動員されたと思われる。 そう考えると、漢中王と夏侯淵の首級というインパクトには隠された高い代償があった。
戦乱やら飢饉やら冷害やらで 人口大激減してたらしいからねえ 人集めも必死だわ
一番の原因は売官なんじゃないかな。 霊帝なんて諡号をつけられるなんて悪政がよっぽど酷かったんだろうな。
霊帝は悪諡ではないよ
平諡だよな。 彼の場合は恐らく 乱而不損曰霊 国乱れるとも損なわれず 有効な手立ては打てなかったけど悪君ではなかったって意味合いだろうな。
皇族の末の末で少年期は貧困に苦しみ、 まさか皇帝になるとは誰もが予想もせず、帝王学といった教育もうけず、 それがトラウマになって金銭欲だけが突出していた不憫な霊帝。 皇帝になった経緯から宦官を頼りにしていたが、別に霊帝が宦官を強く用いた特例でもない。 凡人だったが、胡楽・胡式服装などをさかんに取り入れた風流人だった。
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/08(金) 22:13:03 ID:Qqjaea6cO
あげ
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/13(水) 15:54:43 ID:qp3HgGdy0
>>129 金銭欲が突出してたわけではないぞ
国庫が空だから何とかして金を集めて漢を再興しようとしてたんじゃないか
西園軍がそのいい証拠
光武帝の軍縮→兵力不足→弱体な軍事力 南陽豪族勢力の拡大→豪族による兼併の抑制を徹底できない→徴兵と徴税の崩壊 清流派の伸張→各地豪族勢力の伸張→全国各地で漢の徴兵・徴税システムが破綻 立て直そうと思ったら皇帝自らが金を集めるしかない 後に曹操が豪族の荘園経営的手法(隷民からしぼりとる)で勢力を拡大したのと同じ
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/14(木) 19:02:46 ID:kVMrMSQB0
要するに霊帝は漢皇室直属の軍事力が欲しかった。 そして、のさばる外戚や地方豪族どもを押さえ込み、政治上の主導権を確保したかったと。 金にガメツかったのは、軍事力を作るにまず資金が必要だったから。 こう解釈するとなかなかの名君に見える。
いや、単なる個人の贅沢が動機では無かったってだけでは 別に名君には見えて来ない。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/14(木) 20:09:22 ID:kVMrMSQB0
しかし金が必要だったのはわかるが、売官までいくとどうなのかと。 あれはかなり漢王朝の権威を落としただろう。
>>135 落としたも何もそれ以前の段階で皇帝の権威そのものが外戚、宦官、清流派によって滅茶苦茶
その上、檀石槐と鮮卑によってもう既に漢帝国の権威はフルボッコにされてるんで、今更な話だよ
後漢は皇帝が糞でも下でなんとか舵取りするシステムが出来てないか らな。その代の皇帝がダメだと外戚、豪族、外圧すべてに影響が出て しまう。豪族を抑えても結局その1代限りで次に名君が出ないと維持 できない。 言ってしまえば彼の代で豪族、外戚、外圧政策に失敗してること= 彼の皇帝能力なんだよ。 ただ彼が皇帝になった地点で外圧にもとんでもないヤツが出現し 状況は最悪だったのは不幸。 が暗君とは言い切れないが水準以上でない事は否定できない。
霊帝は死ぬのが早すぎるから能力とか実績とかちゃんと評価できんよ
霊帝は後漢では超長生き。
>>139 檀石槐と南匈奴のことを言いたかった。すまん。
幼年で即位して若死にだが、在位期間を考えると東晋の明帝のよう
に英邁であれば国家基盤が惰弱でもなんらかの成果を挙げる人物も
いるからな。 英邁であるとは俺には思えない。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/05(水) 00:22:16 ID:RfIg4iF3O
あと少し
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/08(火) 03:18:00 ID:jvLuycCzO
けっきょく劉備の最大版図ってどんくらい? 荊州牧、漢中王、益州蜀帝と三州あわせ持ってた時期があんのかね? そんで死亡時は、最僻の益州だけってこと? よくある三国時代の中国図って、どの段階のもんだろ?べつに劉備の全盛期じゃないよな? まあメルカトル図法かなんかの影響で、魏だけ実際より広く見えてたりしてなw 日本地図でも、北海道は実際よりかなりデカくなってるらしいし あと判らんのが、益州(蜀)の劉備と、荊州の関羽の関係だな。 劉邦と韓信みたいな微妙な距離感だったのでしょうか?
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/08(火) 12:30:52 ID:PGsQ6Ws40
>>145 漢中王の時が最大版図。
蜀漢帝即位は荊州陥落したあとのこと。
地図の見方だが、居住可能(農耕可能)地域と漢人文化圏を知る必要がある。
揚州は虫食いのように山越のエリアがあり、陸上交通網が未発達。
益州はほぼ盆地の中と河川平野に居住可能地域が限られてる。
涼州は後漢以降ほとんど形だけの官位認定による間接統治か、点(城)と線(街道)の限定的な直接支配しかできなかった。
交州に至ってはほとんど無法地帯。
この当時は支配面積など殆ど意味がなく、仮に蜀の「面積」が魏の10倍であっても人口が魏の1/10なら国力は1/10しかない。
よく記述で「中原の戦乱を避けて難民が南に〜」と出てくるが、正にこれこそ中原=黄河水域が漢の中心であった証拠にほかならない。
あと劉備と関羽の関係はしっかりした絶対君主と忠臣という関係。
もし関羽以外の者が荊州を守っていたら?
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1189212296/ これを読めば解るけど、関羽には何一つ特権が与えられたこともなかったし、独断専権を犯したことも無かった。
関羽死後の張飛の扱い方をみれば参考になるが、最も信頼し、最も期待していた特別な臣下であったことは間違いない。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/10(木) 21:07:09 ID:y+hvuU1sO
賛宮 まあ当時の国は、国境より拠点で語られるモンで、その拠点もかなり流動的 ある程度密度がふえると、核より膜、自我境界線の比重が増すが
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/10(木) 21:09:08 ID:y+hvuU1sO
賛宮 まあ当時の国は、国境より拠点で語られるモンで、その拠点もかなり流動的 ある程度密度がふえると、核より膜、自我境界線の比重が増すが 近代の教科書ではバキバキに区切られていても、当時は空き地の方が多いイメージ
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/11(金) 02:20:37 ID:AXx0XdtVO
円ではなく点と線か
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/30(水) 16:46:52 ID:Ct6Jug+fO
かったな
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/05(火) 06:57:09 ID:VGUMZmsT0
ほしゅ
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/05(火) 17:02:46 ID:b5uf6xIR0
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/03/16(月) 19:00:40 ID:gCE1AZlt0
この戦い、はじめから最後まで曹操は全くやる気無し、いいところ無し。 しかも曹操に従軍していたのがいけ好かない楊修ときたもんだ。 勝てるはずが無い。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/01(水) 01:38:19 ID:okHtSMt1P
曹操こそ本当の英雄だな
何を今さら。 少なくとも、三国の初代君主は全員英雄だよ。
>>156 劉備は有能な軍師がいないと戦に勝った事ほとんどないんちゃう?
劉備は本物の英雄ちゃうわw
曹操は信長と家康を2で割った感じだわ
諸葛亮やら法正やらの参戦以前から 夏候惇を撃破してたり、祭陽撃破して戦死させたり、黄巾に勝ってたり、 劉岱に勝ってたり、車チュウを倒してたり 基本的に参謀いなくても曹操以外の魏将になら大抵勝ってる
>>157 そもそも、戦いに勝てないと英雄になれないのか?
英雄の意味を履き違えてるよ。
それに、軍師に頼りきる戦下手(無能)というのは正に「演義」のイメージ。 実際の劉備は、そこそこ戦上手。
>>159 「大抵」と書いてあるぞ
それに曹仁に対してなら南郡争奪戦の時にリベンジしてるだろ
>>161 そこそこっつーか条件さえ整えば曹操にだって勝てるくらいだから
相当な戦上手だろ
三国志演技だとリュウビは、ソウソウから逃げてるだけじゃん… ソウソウが強すぎたのかも知れんが…
正史なら条件さえ整えば曹操にだって勝てるくらい劉備は強い
曹操は劉備の事を早くから英雄と認めてて侮ってなかったからさすが曹操は項羽とは違うよねw だから曹操に劉備は追われまくってたもんな やっぱ曹操は凄い 最初から劉備の事を甘くみてたら劉備が劉邦みたいになってたかもなあ
ってか、演義で劉備が弱いのは、孔明を持ち上げる為だろ。 よくよく考えると、演義で得してるのは蜀や孔明だけで、劉備自身は損してるんだよな。
そのせいか? 劉備オタって孔明嫌いだよね よく劉備持ち上げて孔明叩いてるし
そうなのか。 俺は両方とも好きだけどな。
>>167 そんな事はないだろ
劉備好きが孔明叩いてるところなんか見たことない
大抵魏オタのなりすましだろ、それ
どうしても、劉備を悪い方向に持って行きたいようだね。
劉備好きだが孔明も好きだぞ
劉備オタじゃないのかな なんか劉備を持ち上げて持ち上げて、〜だから孔明は能力が低い みたいな論法が多い 劉備は人を見る目があって卓越した名将で、孔明は劉備に信用されてない。だから孔明は戦下手、だとか 劉備が軍を率いていた時は勝っていたのに、孔明が率いた途端に負け続けた。だから孔明は(ryとか 劉備は人を見る目があるのに、孔明は劉備が信頼した人材を冷遇した、だから(ry 劉備好きにとっては叩いてるんじゃなくて事実を言ってるだけのつもりかもしれんが 夷陵の敗北を無視して論拠を組み立ててるとことか、どうも腑に落ちないことが多い 劉備の能力を高く評価するのも、孔明の能力を低く評価するのも結構だが 両者を比較せずに戦いの内容を見て別個で判断した方がいいような。 それとも孔明叩きに劉備が利用されてるだけか?
だからそれ、劉備好きじゃないだろ、と 劉備好きな奴は大抵孔明もセットで好きなんだから 孔明叩くわけがない 第一劉備が孔明を深く信任して死後の全権をゆだねたんだから 孔明を叩く意味がない 蜀好きで孔明になってから負け続けなんていってる奴も見たことないしな そういうのは大抵孔明たたきに劉備が利用されてるだけ やってるのは大抵魏オタ 野戦不敗に近い孔明を負け続けなんていうのは魏オタくらいなもん
劉備はショボイ 夷陵の敗北はいただけない やっぱ孔明と一緒にいないとダメだな
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/03(金) 18:56:13 ID:4W84zjR60
>>172 それは劉備オタというより、孔明アンチ(魏オタ)でしょ。
でも、魏の武将を使うと、「魏オタ」とバレるから、敢えて同じ蜀の君主・劉備を利用して、孔明を叩く。
つまり、劉備オタになりました、孔明アンチ(魏オタ)。
世の中の三国志を批評する奴は、アンチかオタしかいないのかよw 何はともあれ、レスされた評価が自分の評価と反するとき、反射的にレッテル張って論を封じろうとする奴はウザいな
まぁ、いずれにしろ、劉備・曹操共に、批判しか出来ない奴よりは有能だろうな(笑)
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/04(土) 15:34:56 ID:pwo7YkwT0
まあ、プロ野球ファンが、プロより野球下手でも、批判して言い訳で
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/04(土) 21:55:33 ID:jKRz/xJL0
素人で申し訳ないんだけど、 劉備て、なんで関羽とか張飛とか豪傑が兄と慕ったの? 小説やアニメや漫画の劉備って、普通の人というか、 中肉中背で戦闘は弱くて、頭はむしろ関羽の助言が多いとか 孔明の助言が無いとだめというか、 単純に、人格が異常なくらい目立つ人だったってこと?
小説やアニメや漫画では凡人で、実際は優秀だったから。
実際は優秀なわけないわw いい人ぶってただけやろ
おおらかで、誰とでも分け隔てなく接し、面倒見がよく、 決断力があり、リーダーシップを取れる人だったから いわゆる、才徳における徳に秀でていたから
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/05(日) 07:30:18 ID:tw/n369A0
やくざ、任侠とかの人みたい。面倒見がいいのは、見返りをあてに しているから。劉備は腹黒。ほとんど他人に見せませんけど。
腹が黒くない群雄はいないだろ。 劉虞とかは例外かな。 劉備も、自分を殺しに来た刺客やら 善人の糜竺に心酔されたりするほどだから それなりに善人でも有ったんじゃないのか。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/05(日) 13:16:18 ID:tLZE/pr10
劉備アンチは、相手しないでw なにいっても、ねつ造してでも、けちをつけてくるからw そんな無能や偽善者に従うほど乱世は甘くないし 実際は、兵力の差がある時以外は負け知らずで、魏の名将たちを何度は敗走させ、 謙虚で引きこもりの若者に、忙しい中を三度も訪ね、頭を下げて教えを乞うほど謙虚で、 武勇にもひいで、騎兵を率いているという、当時でも珍しい技能を持ち、 ただの県令でありながら、荊州十万の民が頼ってくるほど、統治力や人徳があったから 実際は三国志一のオールラウンドプレイヤーだから コーエーのゲームの能力値は曹操に甘すぎ、劉備に辛すぎ (曹操は正史基準で都合悪い記述は無視、劉備は演義基準ってのが、もうね・・)
なんで、漢中争奪戦で、アンチ劉備を排除? 意味不明。 劉備と孔明は徐州で知り合っていて(孔明は徐州出身)、 三顧の礼はやらせっていう説もあるよ。 関羽と張飛が孔明の言う事聞くようにするために。
劉備ファン多いな・・・ 三国演義の影響やろね
>>186 えーっと、徐州時代の孔明が何歳かご存知?
12、3才ですよ。
知り合っていたとしても、やらせ云々って話しは考え難いと思いません?
また、劉備生前の孔明は、後方での民政が主。
演義のように軍師ではないので、関張に言うこと聞いてもらうって必要がないですね。
あと、出身は青州です。
幼いころに父親を亡くして徐州に移り住んでいたので徐州にいたのは確かですが
おそらく、曹操の徐州侵攻の殺戮に伴い流れ流れて荊州へ移住します。
劉備と接する事ができる機会はかなり短いですね。
>>187 劉備ファンが多いのは三国志演義のせいなのか。
俺は正史の劉備が好きなんだが?
気に入らないものは全部「演義厨」
>>189 一般的に見れば、正史より演義の方が遥かに多く普及されています。
また、演義では主人公として描かれてもいます。
上記の考察から劉備ファンが多いのは、演義の功績が高いとするのは
あながち間違いではないでしょう。
正史での劉備が好きとおっしゃらる方は、全体的に見れば少数でしょう。
また、演義を知らずに正史のみを知る人も、やはり極少数と推測できます。
そして、正史の劉備が好きとおっしゃられる方も少なからず演義の影響を
受けているのではないかとも考えられますね。
それなら、曹操も演義の影響を受けていると思うがね。 曹操は演義で過小評価だけど、そのお陰で正史での曹操ファンが多いと思われる。 「三国志演義」が存在しなければ、曹操ファンは今よりずっと少ないはず。 曹操も演義の影響を受けているのは間違いない。
ちなみに、ほとんどの人が「演義→正史」の順番で三国志を知ったと思う。 また、正史を知ったきっかけも演義に有ると思う。 曹操ファンの多くも、演義をきっかけに三国志を知っただろうし。 つまり、曹操ファンも演義の影響を受けているかと。
自分は、演義60正史40かな。
昨今、上映された映画「レッド・クリフ」みたいな、 曹操=悪、劉備=善は、納得できない。
日本だと演義の時点で贔屓目にかかれてるしね曹操
ドラマやアニメだと中国でも贔屓されまくりだぞ曹操は
贔屓ってどういうのか、って事にもよりそうだ 曹操って中国だと悪役一直線だろ
贔屓(ひいき)とは、 自分の気に入った者に対して肩入れし、援助すること。 「仁徳の人」劉備を善として「奸雄」曹操を悪役として、対比を軸に展開する三国演義の前半において、 曹操が贔屓されているとは、個人的にとても思えませんけど、何を持って贔屓されているのでしょう?
三国演義は主役が劉備で悪役が曹操じゃんww どこが贔屓だよww
他の古典小説の悪役と比べると贔屓されてる方な気がする
>>199-200 曹操は正史みたいに民衆虐殺もやってないし
捕虜生き埋めも人柱もやってないし
なにより美形設定になってるじゃんw
贔屓というか、まだマシな扱いなんだろう。
曹操は当時から勢力圧倒してただろw それが贔屓というのかよー
まあ、確かに曹操は「大悪役として贔屓されてる」ってのはあるかも 曹操は三国志演義の世界において、「劉備最強の敵」「悪のカリスマ」 「仁徳の劉備に対して、智勇供に乱世に隔絶した奸雄(だから他の優秀な武将達と協力しないと倒せない)」 ってキャラ付けがされてるから、曹操以外の他の群雄が 曹操より圧倒的に劣っているかのように描写されがち 袁紹陣営とか曹操に負けるまでは最強に近い陣営だったのに、 演義だと阿呆の集団になってる
>>204 勢力じゃなくて描写のほうだろ
袁紹とか別に演義で描写されるほどに暗愚でも傲慢でもなく
正史の官渡じゃむしろ曹操のほうが「もう勝てない」と何度も弱音はいてるくらい
それが演義だと曹操を劉備最強の敵として引き立たせるために、
袁紹をはじめとする他の群雄達は曹操と比べて圧倒的に劣るように描写されてる
まぁ、曹操が華北を統一出来たのは、袁紹が死んで、息子達が後継争いを始めたからなんだよね。
だから、実際は曹操が圧倒的という訳でも無い。 赤壁だって負けてるしね。
曹操って三国演義では悪役だけど、正史ではそれほどでもないよな??
>>207 けど、袁紹死んだのも曹操の影響もあるから華北を統一出来たのは曹操の実力やろ
曹操の影響とは?
>>210 エンショウは官渡の戦いで負けて寿命縮まったんだろ
それ、本気で信じてるのか?
攻め込んだ方が、負けて、国力衰退や政治的基盤の喪失で、滅ぶ事あり。 日本の豊臣政権とか。
官渡の戦い直後に袁紹は反乱をあっさり潰してから病死してる 袁家にはまだまだ余力があった だから曹操も官渡の後に袁家の河北に手を出す事が出来ず、 後継者争いに乗じて攻め込むしかななかった
>>209 正史でも十分悪役に近いことやってないか
徐州大虐殺とか皇后殺しとか
基本的に曹操が演義で悪役として描写される事件は大抵正史に元ネタがある
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/06(月) 08:27:41 ID:rGrTYbq00
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。 浄土真宗的に、悪人曹操は、善人劉備よりも往生を遂げた。 こんな見方はできるかな・・・
曹操贔屓されてるだろ
>>202 や
>>215 みたいな見る人が見れば嫌悪感を抱くような苛烈な所業が
まるで無かったことになってる演義派生ものが多い
これを美化と言わずしてなんと言う
その上史書に書かれてる所業を演義の捏造だと言われる昨今
なんでも演義のせいだよ
演義では、リュウビは美化されてないかい? 本当に民を連れてソウソウから逃げようとしたの?
>>218 正史でも「民衆なんか捨てて逃げよう」って進言を
「民衆は国の基本だから捨てちゃいかん」って蹴ってるよ。
あれマジだったのか… 美化する為に作った話かとオモタ
よく劉備は演義で美化されているというが 演義で劉備の美談とされている事柄がまんま正史に載ってたり 演義にもないような美談があったり 演義以上に魅力を伺わせる逸話があったりするんで 美化も何もないような気はする
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/06(月) 21:01:33 ID:7YReB6e70
曹操患者とネット右翼って似てね?10
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1278504733/ ネタではなく、マジで「劉備は美化され、曹操は貶められている」
と考えている初心者がいたら、ここにいった方がいいと思う
ネットでは、曹操を偶像化し、劉備、関羽、諸葛亮を誹謗中傷することを生き甲斐とし、
平日の昼間も深夜も構わずレスしまくる曹操信者が間違いなく数人はいる
彼らのレスが多いため、あたかもネットの多数言論を占めているように見えるが実は少数派
おそらくは一般人百人が一レスする間に、百レスぐらいやっている
ある意味、万夫不当w
だまされてはいけない
>>221 つーか、演義は関羽や張飛や孔明に見せ場作るために、
劉備の見せ場をゴソっと削ってるよね。
陳寿は後漢王朝の行く末についての劉備の個人的見解を何も載せていない。 が、演義ではいわずもがな。ここが美化だね。 覇を争う群雄・軍人としては史実のほうが遥かに有能で抜け目ないが。
>>218 徐州大虐殺を起こした曹操が攻め入ってきたら
人気のあった劉備に付いて行きたくなるのは分かるわ
>>221 演義にもないような美談ってどんなのがあるのですか?
教えてー
>>226 ・自分を暗殺しに来た刺客を、何も知らずに手厚くもてなして、
劉備の人柄に打たれた刺客が事情をすべて打ち明けて帰って行った。
・劉表の前で陳登の悪口を言った許に説教して、黙らせた。
・霍峻が死んだ時、墓の側で何日も宿泊して悲しんだ。
・不遇だったケ芝と外出した時に出会って才能を見抜き、スピード出世させて譜代の重臣と同格の地位に取り立てた。
さっと思い付くのはこんなところ。超有名人なので探せば他にもいくらでもあると思うが時間が無い。
>>227 ありがとう。
そんな事は初めて知りましたわ。
興味深いです
>>227 > ・自分を暗殺しに来た刺客を、何も知らずに手厚くもてなして、
> 劉備の人柄に打たれた刺客が事情をすべて打ち明けて帰って行った。
刺客が送られること自体が美談として用いがたい。
誰からも慕われた劉備に対して、配下になるのを不快に感じた劉平の存在自体がね。
> ・劉表の前で陳登の悪口を言った許に説教して、黙らせた。
これは恫喝まがいの行いで美談として用いがたい。
演義での善の劉備らしくない行いじゃね?
> ・霍峻が死んだ時、墓の側で何日も宿泊して悲しんだ。
彼の葬儀に参列して墓の側で宿泊したというが、何日もとの記述ってあった?
また、これから漢中に向けて一代決戦を控えた時期だけに、この手の瑣末な話しをはさむ余地がない。
演義では対して活躍していない端役の武将だしな。
ってか、この頃になれば、すでに善人劉備は出来上がっているから美談を挟む必要も少ない。
> ・不遇だったケ芝と外出した時に出会って才能を見抜き、スピード出世せて譜代の重臣と同格の地位に取り立てた。
あるとき郫を訪問した劉備と語らった際に高く評価され、以降抜擢された事の記述はあるが不遇であったとの記述ってある?
また、これは別段、美談でもなんでもないよな? 単に見る目があるってだけで
原文読まずになんか言うクセ直したら?
>>229 そんなこといったら生涯暗殺を狙われていた曹操なんかどうなるのかと
なんで説教が恫喝なのか
必要とか必要じゃないとかの問題じゃないと思うが
はさもうとすれば簡単にはさめるのだから
美談だろ
さしたる身分でもないものとも親しげに語らい、その才能を認めるって
ケ芝はケ禹の末裔
それいったら陸孫や孫権なんか…
234 :
月孔雀 :2010/12/14(火) 11:29:53 ID:65REr+zJ0
劉備は、人徳があったかもしれない。特に大衆に優しかった? しかし、ライバルには無慈悲。 命を助けられたリョフを殺すように言ったり、エキシュウを盗んだりした劉備は、 ライバルから見れば腹黒狸。
元々面倒を見たのは劉備の方、呂布は自業自得で無慈悲とは言わないわ
劉備をエンジュツから、助けたリョフ。 劉備は、それでも、リョフを殺す。 最終決断は、曹操であるが。
劉備が呂布のせいで苦難に立ったのに何を今さら 苦難に叩き込んでおいて助けたってのは笑える
238 :
上杉謙信 :2010/12/14(火) 20:03:33 ID:65REr+zJ0
エンジュツに殺されそうになった劉備を、 リョフが助けた逸話知ってる?
袁術に攻められた劉備を呂布が裏切って徐州を乗っ取ったのと、 劉備を攻めて徐州から追放したのは知ってる?
崖から突き落としておいてから、引っ張り上げて命の恩人だ 感謝しろって言われて恩に着る馬鹿はいない
>>221 伝聞だけど、実は羅貫中含む多くの人間が、講談などで受け継がれてきた劉備像が空虚な印象で好きじゃないと聞いた。
宋江もそうだけど、民間人的には非常に薄気味悪い印象を抱いていて、日本の著作物ではない演義原本だと、人物にもそう言わせてるんだと。
関羽や張飛や孔明の忠誠の対象としてはあっても、主体的な何かとして表現する意図は無かったみたい。
蒼天航路の献帝ポジをもっと空虚にすると分かりやすいか。
>>239 > 劉備を攻めて徐州から追放したのは知ってる?
これは劉備が呂布の軍門に降って置きながら呂布に内緒で兵力を増強したからで、
呂布が一方的に非難されるいわれはない。
なんか話題がスレッドとずれてきた。 劉備と呂布のスレッドでも立てようか・・・
>>241 民間人的なら今でも昔でも劉備は大徳の君主であって
正義を貫く武将として表現されてるよ
なんか妙な考えにこりかたまってないか
もともと西遊記でも水滸伝でもそうだが、中国の伝統的な主人公像は
大徳あれども他はそれほどでもなく、有能な部下達の力を発揮させて勝利する、ってなもんなんで
三国志演義の劉備もそれに従ったまでだよ
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/16(木) 05:09:35 ID:8Q2+YtNd0
>>244 民間人を大事にするなら、カンウの仇討ちみたいなこと
しちゃ駄目なんじゃないか?
どれだけ、無益な血が流れた事か。
まーそれでも劉備の最期を語るのに、夷陵戦を語らない訳にはいかないから それまで徳篤き仁義の人として描いていても出さざるを得ない。 それは物語上と現実の劉備の埋め難い差だからどうにもならんよ。 そこらへんは殆どファンタジーの西遊記の三蔵や史実が曖昧なお陰で話が創りやすい宋江と違う所。
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/16(木) 19:36:26 ID:YeS6La110
恩知らず大耳野郎
>>245 劉備当人としては勝つつもりだったんだから問題なかろ
勝てば荊州を奪還できて蜀の国益にもつながるわけだし
勝つつもりで失敗した、というならどんな武将の失敗だってそう
>>245 関羽の仇討ちってより、劉備にとっては、
天下狙うためには荊州の土地と生産力と兵力が必要だったわけで、
別に荊州を奪還しようとしたこと自体は間違ってない。何年も周到に準備してるし。
劉備が民間人を大事にする人徳の人なら、そもそも曹操と戦って天下取りを狙う過程で、
既に多くの血が流れてるんだから、戦争やる事自体が間違い。
演義の話だろ? 演義で劉備が「関羽より生産力目的で侵略するのだ!」なんて言ってんの?
>>250 演義だと荊州のみならず呉の滅亡まで狙ってた事になるから
呉を滅ぼしたなら蜀は益州に加えて荊・陽・交の三州をゲットして
江南一体を支配することになるな
演義劉備は、俺の弟を殺したからには共に天を戴くことは出来ない、としか言ってないよ。 天下平定の志はこの時打ち捨てられている。 しかし、肉親に等しい者の仇を討つってのは義者の必要条件であって、 この行動が演義劉備の人格を貶めることにはならない。 むしろ、史書よりも憤怒を脚色することで劉備の「正義」を強調してさえいる。 この時、天下統一という演義の思想のもう一翼を支えるのが、 あくまで東征に反対した諸葛亮の役割になる。
それに水滸伝が受ける理由のどんなに無茶苦茶であろうが、アウトローであろうが 反官と義侠であればそれでいい中国民衆のメンタリティーからすれば、国家の大計ほったかしで仇討ちまっしぐらの劉備の方が好みだったとも言える。 例えその結末が大兵を失う敗戦であれ、親が官吏でもまだ年端もいかない幼児を殺す李逵の行為であれ。
スレタイからして、正史の漢中争奪戦を分析・考察スレくさいんだけど、 いつから演義での劉備を語るスレになったん? 演義の話なら、せめて演義の中での漢中争奪戦の話しようよ?
>>253 逆だね。大敗だから物語として有効なんだよ。
古今東西、偉い人の悲劇は作劇の大きな潮流だろう。
256 :
月孔雀 :2010/12/19(日) 06:13:44 ID:unw68z4c0
アレキサンダー、カエサル、信長、義経、龍馬 etc
>>254 漢中の戦いだけだと、話題がなさすぎで話にならん
漢中戦のスレって三戦板にもあるじゃん なんで三戦と中英でかぶってんだ
月孔雀はビッチのメスブタから生まれたキチガイなので相手をしないようにw
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/20(月) 12:26:10 ID:iKuEKYUM0
259は、なんとかならんかな
/ ,.イ;;/ // `ヾ\ \;;;ト、 , ' ,. ´ {;;{__/// 丶\\ノリ 丶 / ,.' \_;ノ/, 、`、 \く ヽ / ,' i /:/ ; ', `,. }__〉ヽ` ゙, ,' ;! l 〈__{ ! | i. ゙, l ゙, ', i i 月孔雀、私の手向けだ。母親のビッチのメスブタと仲良く暮らすがいい。 ,゙ j{{ i | l |l | l| -=‐i-l、 } |ハ} ,' ゙ l l|: .| ! l ,. !‐=‐! jリ | |ハi│j ソ ,.. -_、.. -─ ,' ' :l : |l :! ',/! ヾ、 _ ! _ /ォ扞行ぅ、jノ 八 //´ ........... .' j.:.:!: :八入 ヽ '、ィzヒテミ:: :: :: :::~しツソイ仏ハ′\ {{:::::::::::::::::::::::::: ,.' _ム┴‐く{_トi\ _〃゙{じジ::: ::: :: ´ ´|孑''"~`''ー- 、_,. -─‐ 、 ヾゞーzァ──‐‐ / ̄`゙マ''´ ........ \ヽ\``"´ ` 人::::::::::::::::..../......:::::::::::.... ヽ  ̄ /::::.... 丶:::::::::::::::::::..... 仏ゞ彡フ__ 、-‐ァ┌─チ‐┼─r─く;:::::::::::::::::::::::::::_;厶、  ̄ ̄ ̄`丶、 ヽ:::::::::::::::__/ ,.ィ''"´ `ヾ厂 ̄ ̄ ̄ ̄′ `''ー三三三二 ̄´{ ,. ニ\_____ ..:::::::::::::........ `ゝz‐`ー// _/ \ (;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;) |〃~ ̄ ̄ ::::::::::::::::::::::::; ' / / ∠-‐ァ _ ヽ ヽ  ̄ ̄ ̄ |{{;;;;;;;;;;;;r 、__;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ::::::::::::::::::/...::/ ::/ __/ ヽ ゙、 `、 r_,. | \;;;;;;/ー}_,ハ;;;;;;;;;;;;;;;;;
262 :
月孔雀 :2010/12/21(火) 07:31:06 ID:14tNkMfr0
261は、アクセス禁止にしてくれ
l /´_ _ -`ヽ、ヘ ヽ`、 ノ i〈 _ ̄ _二 )ハ ! l | }! あまり怒るな。 l. /ンー- 、_ ,ニ-_‐ニ=、 | l||l| 月孔雀はビッチのメスブタから生まれたクソブタなのだ。 ヽ〉_=冖ヲ! ヽF"¨^ニヽ !|ミソ_リ ニコチン中毒のな。 {| ヽ ´/ 丶 ` ´ l |ミ「i l′ ヽ _`.ニこ.′ / |ソ 'ノ! その病気を育てたのは、政府のゆとり政策の方針そのものなのだ。 | -=‐-ミi i l lY´丿 そうだな、その意味で言うと、月孔雀はむしろ被害者なのかもしれんな。 l _`二´_ ! , l |l| バブルが弾ける前なら、あれで通じたのだが。 ヽ、 /// クイ 不幸なブタだ・・・・・・ _l.` ‐---‐='´_∠-┴i l‐-`T"r‐_'"´_ ' "´ ̄] ,ムlヘ'l | l/.r、)⊂=-‐ ニコ、_,、_ , 、 ,-、 _r‐'(`ー-_ィ!| |、`ー-‐_ニ-'" ̄_ノ,へ.//`7^=ァ,‐- 、、_ ,、..-,'7-/7ー/ / ヽヽ l 「 ノ_!_'、 //´_. -== ' ´_ 」 L..⊥!--┴==テ⌒i
264 :
月孔雀 :2010/12/21(火) 10:38:19 ID:14tNkMfr0
管理人263などを、なんとかしてくれ。
/ ,.イ;;/ // `ヾ\ \;;;ト、 , ' ,. ´ {;;{__/// 丶\\ノリ 丶 / ,.' \_;ノ/, 、`、 \く ヽ / ,' i /:/ ; ', `,. }__〉ヽ` ゙, ,' ;! l 〈__{ ! | i. ゙, l ゙, ', i i 月孔雀、私の手向けだ。母親のビッチのメスブタと仲良く暮らすがいい。 ,゙ j{{ i | l |l | l| -=‐i-l、 } |ハ} ,' ゙ l l|: .| ! l ,. !‐=‐! jリ | |ハi│j ソ ,.. -_、.. -─ ,' ' :l : |l :! ',/! ヾ、 _ ! _ /ォ扞行ぅ、jノ 八 //´ ........... .' j.:.:!: :八入 ヽ '、ィzヒテミ:: :: :: :::~しツソイ仏ハ′\ {{:::::::::::::::::::::::::: ,.' _ム┴‐く{_トi\ _〃゙{じジ::: ::: :: ´ ´|孑''"~`''ー- 、_,. -─‐ 、 ヾゞーzァ──‐‐ / ̄`゙マ''´ ........ \ヽ\``"´ ` 人::::::::::::::::..../......:::::::::::.... ヽ  ̄ /::::.... 丶:::::::::::::::::::..... 仏ゞ彡フ__ 、-‐ァ┌─チ‐┼─r─く;:::::::::::::::::::::::::::_;厶、  ̄ ̄ ̄`丶、 ヽ:::::::::::::::__/ ,.ィ''"´ `ヾ厂 ̄ ̄ ̄ ̄′ `''ー三三三二 ̄´{ ,. ニ\_____ ..:::::::::::::........ `ゝz‐`ー// _/ \ (;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;) |〃~ ̄ ̄ ::::::::::::::::::::::::; ' / / ∠-‐ァ _ ヽ ヽ  ̄ ̄ ̄ |{{;;;;;;;;;;;;r 、__;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ::::::::::::::::::/...::/ ::/ __/ ヽ ゙、 `、 r_,. | \;;;;;;/ー}_,ハ;;;;;;;;;;;;;;;;;
[劉備] 攻撃:61 素早さ:88 防御:70 命中:71 運:29 HP:286
[曹操] 攻撃:98 素早さ:55 防御:73 命中:24 運:30 HP:163
劉備 vs 曹操 戦闘開始!!
[劉備]の攻撃 HIT [曹操]は9のダメージを受けた。
[曹操]の攻撃 HIT [劉備]は123のダメージを受けた。
[劉備]の攻撃 HIT [曹操]は37のダメージを受けた。
[曹操]の攻撃 MISS [劉備]は攻撃を回避した。
[劉備]の攻撃 HIT [曹操]は64のダメージを受けた。
[曹操]の攻撃 MISS [劉備]は攻撃を回避した。
[劉備]の攻撃 HIT [曹操]は3のダメージを受けた。
[曹操]の攻撃 MISS [劉備]は攻撃を回避した。
[劉備]の攻撃 HIT [曹操]は88のダメージを受けた。
[劉備]が[曹操]を倒しました(ラウンド数:5)。
魔法のMD5 - MD5バトル
http://www.newspace21.com/mix/btl.php
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/12/28(火) 14:10:01 ID:roSIMCpt0
12月28日 BSジャパン PM7:00〜PM9:00 三国志ミステリー「曹操の墓は語る 英雄の秘密」北村一輝 (再放送)
もう語らないのか
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/02/25(月) 03:20:04.53 ID:EhedWWpQ0
いつの間に劉備は陽平関を取ったのか
無人だったからいいんだよ