1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
チンギスハン
射雕英雄、北侠こと郭靖
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 12:21:28 ID:ls0BDsa60
尉遅恭、字を使った尉遅敬徳の方が有名だろうけど、
いかにも最強という感じがする。
陽明学の祖でもある明代の王陽明は、元々文官であり儒学者でありながら、
武将としても超一流で、寧王の乱も瞬く間に鎮圧してしまった。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:48:54 ID:q+6RAKCs0
武松
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 15:51:58 ID:Qa3o/Y/o0
呂布
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 16:25:28 ID:QrMAutee0
毛利元就
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 16:26:23 ID:a0hFuQwj0
やっぱ大虐殺の指導者
毛沢東でそ
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 16:50:45 ID:Tz6kO/sA0
呂布か項羽じゃね?
個人の武力も将才もあるし・・・。
穴で、孔丘。強かったらしいねw
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 17:09:17 ID:p6hSK/du0
項羽はともかく呂布はないな。
楊家将の楊業もあげておこう。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 17:19:20 ID:M/Hcc8M90
岳飛
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 20:22:53 ID:6IO3YM3P0
宋代随一の名将狄青
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 20:35:23 ID:+dgy6r9V0
張春華様∩(´∀`∩)万歳
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 21:38:40 ID:5Tq/9hus0
韓信
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 21:58:30 ID:F7kxB/GS0
見た事もないくせに、なんで解るんだよ。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 22:10:28 ID:qFQ/E5tT0
道術の使える公孫勝が最強
それなら牛皐だって。
あの完顔宗弼を圧殺したしさ!
戦国…白起、王セン、呉起
漢楚…項羽、韓信
漢…衛青、光武帝
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 23:24:20 ID:8s3jzaOwO
意表を突いて班超
>>18を使って強そうなのを挙げてから考えれば良いんじゃないかな。
春秋…楚の荘王、孫武
戦国…孫ピン、呉起、白起、王セン
漢楚…項羽、韓信
漢(三国)…衛青、光武帝、曹操
五胡十六国…楊太眼、陳慶之
隋唐…尉遅恭、李克用
五代十国…
宋(契丹、金)…楊業、岳飛
元…成吉思汗
明…
清…
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 00:18:57 ID:ldm+WpPM0
人数に制限なんかないんだろ。
とりあえず、こんなん知ってるぜ! ってのがあれば、名前だけじゃなく略歴も一緒に書いていれば、いいんじゃねか。
で、東西漢と三国、五胡と東西晋、南北は分けないとダメなんじゃ…
西周
春秋
戦国・秦
漢楚
前漢
後漢
三国
西晋
東晋
五胡
北朝
南朝
隋唐
五代
北宋
南宋
契丹(遼)
女真(金)
蒙古(元)
明
清
だと多すぎ?
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/25(水) 00:49:31 ID:7+WmGzwkO
取り敢えず適当に列挙してみる
春秋戦国 白起 楽毅 伍員 孫武
秦〜楚漢 蒙恬 項籍 韓信
前漢 周亜夫 李広 衛青 霍去病 趙充国
後漢 耿エン 岑彭 馮異 呉漢 竇憲 班超
魏晋南北朝 陸遜 陸抗 諸葛亮 司馬懿 陶侃 桓温 謝艾 劉牢之 王猛 于謹 侯景 韋叡
取り敢えずこんくらい
50年単位で刻んでいくとか?
長く続いた時代と短かった時代から出る代表の人数が同じってのもアレだし
>>23 五十年だと細かいから一世紀ごとが良いかもしれない。
>>22 魏晋南北朝に、シ肥水の戦いで苻堅の前秦軍を破った謝玄を追加きぼんぬ。
>>22 宇宙大将軍は個人的には大好きだけど、侯景だすくらいなら高歓だろう
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/26(木) 01:00:19 ID:9d5zg0uzO
高歓入れるなら宇文泰も入れたいね
両者勝ったり負けたりの良きライバルって感じ
モンゴルならトゥルイかな
騎馬民族なのに塹壕戦術とってそれで勝つというのが凄い
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 08:39:32 ID:BavDBui30
袁崇煥を忘れてはいけない
兵を率いての最強だと、武侠小説の登場人物は入りにくいね。
個人的な武勇伝なら逆に沢山ランクインしそうだけど。
で、兵を率いてならどう考えてもチンギスハーンしかいないとおもう
世界最強かと、
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 11:32:46 ID:sZ+oJE6W0
項羽か楊大眼かな
部下から慕われてたという楊大眼のほうがいいかも
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 14:56:28 ID:KoDW+Uub0
金正日は歴代何位ぐらいだ?
モンゴール代表、紅の傭兵イシュ(略
という冗談はさておき。
モンゴルだったら「百眼きたりて南宋滅ぶ」のバヤン将軍も追加。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 16:48:21 ID:0CnKDMPQ0
狄青だ
昔、中国の武将を数値化するスレがあったけど、
統率100 チンギスハーン
武力100 項羽
知力100 劉基
政治100 蕭何
魅力100 劉邦
だったっけ?
なにその楚漢優遇処置
まあ前後併せて400年の帝国を作ったわけだから
蕭何と劉邦の2人ランクインするのはわからないでもないけど、
項羽なんていらない。
>>36 武力が個人武勇なら項羽はメジャー所では確かに上のほう
それでも尉遅敬徳の方が上に感じるし、案外マイナー所に有り得ないような記述をされてる奴が居そうだ
>>35 劉基は朱元璋の本性を見抜けず身を全うできなかった時点で知力100じゃないな。
張良や李靖の方が上。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 12:39:03 ID:26deI4230
>>36 その方面に知識が集中しているからだろう。
>>38 > 朱元璋の本性を見抜けず身を全うできなかった
まるで粛清にあったような言い方だな。
政敵に負けたのに、朱元璋のおかげで孫が代わりに爵位と俸禄をもらって
この家系は明末まで続いたというのに。
>>35 政治100が乱世の人物なんて終わってるな
蕭何は兵站とか補給のイメージが強いな。
政治は高くても最高値にはちょっとなあ。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 23:20:58 ID:ahUBmut+0
そうかなあ
関中は統一国家だったの秦の元々の領土で
かつ、劉邦・蕭何とは何の縁もない土地で
劉邦は負けてばっかりなのに一回も反乱もおきず
兵力・糧秣を送り続けられた
相当難易度の高くいと思う
それに200年続いた前漢の初代丞相・相国だし
政治100でもいいんでないかな
全時代を一括してみるからだろうに。
楚漢争覇時なら文句なく蕭何でいいと思う。
でも時代が変われば、その時代で相対的に政治力が高いやつが必ず現れているわけで。
蕭何以外の候補がいるか?
とりあえず俺としては康熙帝。
馮道
能力はもとより、主君に天下を取らせるためでなく、
民・文化の安寧のために尽力した彼こそ真の政治100。
>>44 今、思いつくだけで…
陳群、荀彧、諸葛亮、王導、王猛、謝安、高熲、李徳林
杜如晦、魏徴、房玄齢、狄仁傑、姚崇、宇文融、張説、楊炎
敬翔、張承業、王章、馮道、柴栄、寇準、范仲淹、王安石
北宋までだけどこのあたりが、その時代時代での政治100としてもいいかな、という候補。
同時代にいる名臣は、僅差で上下すればいいかと。
ただし、90台、100は神の領域として、貴重がるほうがいいので、数を少なめにするのを念頭において欲しい。
俺が推す100.
統率100 孫文(命令を聞く立場の兵士より、志士を統率するほうがむずかしい)
武力100 チンギスハーン (局地戦での勝利が結果大帝国に繋がったので統率よりは武力)
知力100 張良 (知力100の代名詞)
政治100 馮道 (
>>45)
魅力100 耶律楚材 (世界的脅威のチンギスハーンらの蛮勇から中華を守った彼こそ称えるべき)
楚 材 は 無 い
>>48 否定するのはかまわんが、なぜなのか理由を添えよ。
でなければ、ただの池沼。
しかもアンカー間違い。 吊ってきます…
>>50 ちなみに楚材が無いと思った理由は、彼の業績と言われる物が
かなり他の人物の業績を吸っていると思われる点
それに楚材はモンゴル帝国でも官僚のトップになった事は無いしね
えぇと・・・
安価ミスがデフォなスレですか?www
まぁそう言わずに…
耶律楚材に関しては、陳舜臣氏の小説にも結構影響されているのだろう。 いや、政治力とかの方で。
その辺を詰めるのが、このスレなわけだし、持論をもっと展開していけばイイとおも。
全土を平定した勢力にいて、創業も守成もこなした名臣となると、政治100でもそう文句はでないと思うが
勢力を立ち上げるときに活躍し亡くなった名臣は、どうだろう。
例えば唐末の張承業。 政治を知らぬ李克用に変わって、本拠地を治めたのは評価に値するけど…
時代がややかぶる馮道を100としたら、張承業は95とか98とかにするほうが、しっくりくるかな。
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/30(月) 19:19:36 ID:AIUeqslf0
>>47 あまいな。
分野が少なすぎるぞ。
統率100 チンギスハーン
武力100 呂布
戦術100 韓信
戦略100 張良
知力100 諸葛亮
政治100 消化
魅力100 劉邦
権謀術数100 曹操
食いついた俺が言うのもなんだがスレタイ読んでみないか?
そもそもチンギスを中国の英雄と呼んでいいものかどうか。
せめて元の世祖フビライからにしようよ。
>>20,22まとめて適当に追加してみた。
春秋…楚の荘王 孫武 司馬穰苴 士会 伍子胥 范蠡
戦国…孫ピン 呉起 白起 王翦 楽毅 田単 趙奢 廉頗 李牧
秦〜楚漢…項羽 韓信 蒙恬
前漢…周亜夫 李広 衛青 霍去病 趙充国
後漢…光武帝 耿エン 岑彭 馮異 呉漢 竇憲 班超 馬援
三国…曹操 陸遜 陸抗 諸葛亮 司馬懿
南北朝…陶侃 桓温 謝艾 劉牢之 王猛 于謹 侯景 韋叡
五胡十六国…楊太眼 陳慶之
隋唐…尉遅恭 李克用
五代十国…
宋(契丹 金)…楊業 岳飛
元…成吉思汗
明…
清…
じゃあこんな感じで
統率100 孫文
武力100 烈海王
知力100 張良
政治100 馮道
魅力100 王昭君
62 :
53:2006/10/30(月) 21:27:18 ID:ZWiLYMgwO
>>54 アイヤー
>>47 あとチンギスが純戦闘面で最強というのは無いと思う
彼は何だかんだで初期は苦戦や敗戦もしてるし、
モンゴル高原統一後の強さは軍組織によるものが大きいんじゃないだろうか
>>56 チンギス以外三国志と楚漢戦争ってのはアレだな
ていうかコーエー数値化スレと化してるぞw
個人武勇の話だと思った。
魏晋南北朝になると、田中芳樹よろしく「楊太眼」や「陳慶之」挙げる輩が多いが、
もっと史書を読んでみれば、面白えバカ武将がいっぱい居ると思うんだけど。
この時代のトップ争いは、石勒か王猛あたりだろう。
特に石勒は、初期には戦略眼も政治的グランドデザインも全く持ち合わせていな
かった異民族奴隷が、後天的に民族融和の新時代の礎を築くに至る名君にまで
成長した変り種だからなあ。
個人で何十万単位の人間を大虐殺してるのは、白起以来だろう。
理由が昔漢人に苛められたから、というあたりが最高だ。(若干脚色あり)
でも、後世の評価はフォロワーである某大秦天王の方が上だったりして……。
とんでもない戦績を残しているのって、たいてい異民族間での話だが
同族をあれだけ殺しまくった白起は、ある意味凄い
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/31(火) 00:44:30 ID:BcJto/ui0
まあ・・・
石勒の跡には
この時代NO1のDQN石虎
石虎の養子でで胡人を20万人殺した冉閔と
虐殺しまくりの君主が立て続けで出るから
石勒の虐殺者としてのイメージは薄くないか?
個人的には三国以降は好きじゃない
>>65 生涯に穴埋めや斬首をして殺した人数が、誇張も含まれるだろうけど記録上で100万を下らないというのは異常だよな。実際に穴埋めで殺されたと見られる骨も出土してるし。
統率 チンギス・ハン
武力 スプタイ
政治力 マフムード・イェルワジ
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 10:04:22 ID:nlNeA2UtO
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:10:09 ID:EMm00Go50
不敗=最強なのかな?
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:43:20 ID:eo4CPdb8O
中華最強の家臣団ってどの集団だろ?
3傑を擁した劉邦集団か
雲台28将を擁した劉秀集団か
5虎大将軍を擁した劉備集団か
凌煙閣の24功臣を擁した李世民集団か
はたまたそれ以外か
朱元璋軍団だろ
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 06:10:07 ID:HTmifQjk0
北周の宇文泰配下もなかなかの勇将・名将揃いだな
マイナーだけど
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 09:49:36 ID:91vZ2bTGO
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 09:57:15 ID:EMm00Go50
苻堅軍団もかなり優秀な人物が集まってるね
後々皇帝になる人物もいっぱいいるし
>>75 厳密に違うよ。 不敗とは『三十六計逃げるにしかず』であっても不敗といえる。
翻って、『常勝』とは読んで字のごとく。一度でも撤退などで勝てなかったら、常勝とはいえない。
ま、最終的に死や捕虜、あるいは再起できないほどの損害を蒙っておらず、軍事的にもまとまった戦力を有し戦える状態が継続できるなら、不敗といえるかも。
ちなみに、五代初期の晋(後唐)陣営は、軍中に五帝あり、と言われる。
晋の陣営には、後の皇帝がゾロゾロいるというおぞましさw
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 10:42:25 ID:Gy6DpJIB0
お前ら、全然分かってないな。
いいか、最強の武将なんて言うのは個人的な強さの範疇だ。
最強の将軍なら意味あいが違うだろ。
統率力・カリスマ性・戦略・戦術全てにおいて最強は世界史上
カルタゴのハンニバルだよ。
中国で言えば曹操あたりか。
春秋…楚荘王 孫武 司馬穰苴 士会 伍子胥 范蠡
戦国…孫ピン 呉起 白起 王翦 楽毅 田単 趙奢 廉頗 李牧
秦〜楚漢…項羽 韓信 蒙恬
前漢…周亜夫 李広 衛青 霍去病 趙充国
後漢…劉秀 耿エン 岑彭 馮異 呉漢 竇憲 班超 馬援
三国…曹操 陸遜 陸抗 諸葛亮 司馬懿
南北朝…陶侃 桓温 謝艾 劉牢之 王猛 于謹 侯景 韋叡
五胡十六国…楊太眼 陳慶之
隋唐…尉遅恭 郭子儀
五代十国…李克用
宋(契丹 金)…楊業 狄青 岳飛 韓世忠
元…成吉思汗
明…朱元璋 朱棣 王守仁 戚継光
清… ヌルハチ
ハンニバルに勝ったスキピオは・・・・・
それに、史上もっとも偉大な指揮官はと聞かれて
ハンニバルは
第一はアレキサンダー
第二がエピロスのピュロス王
第三が自分
って答えて無かった?
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 10:52:38 ID:91vZ2bTGO
>>77 リストにあがってる武将達は名を残してる人達だから逃げ回ったりしないと思うけど
敵を知り己を知ればなんたら、ていうから作戦としてならまだしも戦い始めた後でこりゃやばいから撤退というのは、そりゃ武将としての判断は正しいかもしれんが最強の武将にふさわしいかなと思っちゃったわけですよ
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 10:54:40 ID:KCPAnnMU0
呂布は違うの?
なんでこういうスレで厨扱いされるのを避けるのさ
ああなるほどすまん
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 10:59:11 ID:Gy6DpJIB0
>>81 そう答えていた。
しかし、ザマの戦いではハンニバルが得意とした騎馬の両翼からの
包囲が出来ないままの惨敗だった。カルタゴ本国がカンネの戦いから
ハンニバルに積極的に協力しなかったからだ。
ザマの戦いではスキピオ・アフリカヌスは騎馬をハンニバルよりも多く集結することが出来た。
それでも不利なまま戦いに臨みハンニバルは負けてしまった。
その話の続きでハンニバルは「私がスキピオに勝っていたら古今東西、史上最高は私である」と答えている。
しかし、この話は創作の疑いがこい。
ちなみにアレクサンドロスの戦術も天下一品。
>>77 でも常勝といったほうが誤解がないかもですね。
>>80の中で常勝はいるのかな?
李存勗の集団密集馳突も忘れないでください。
>>82 なにも、戦わず逃げまくっていたから「不敗」だと主張しているわけではいよ。
不敗とは戦うべきとき、退くべきときをわきまえてこそでしょ。
でも、上層部や部下を抑えるために、ムリな戦いを強いられることもある。
だいたい、強さなんてものは、そのときの相対的なものでしかないわけで。
五代に、「一歩百変」と呼ばれ、当時最強だった晋の李存勗や周徳威に恐れられた兵法に通じた将軍がいたんだけど
上司(皇帝)も部下も同僚も劣悪で、こぞって無能ぞろいで、それでも晋軍の南下を食い止めていたのに、最後は運にも見放され、起死回生の陽動作戦は長雨のせいで頓挫し、勝機を失ってしまった。
という、不運な、そして勝ちを得ることができなかった将軍がいる。
仕える勢力が違っていたらどうなったことだろう、と考えさせられる武将だった。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 11:19:31 ID:Gy6DpJIB0
>>86 >>80の中で特にきょうどと戦った将軍は常勝じゃないと思う。
時代がよかっただけだろう。
とくに、後漢の「とうけん」なんて外戚で箔をつけるためと贖罪で
軍を引き連れて勝ってるから将軍としての才能はないだろ。
俺は三国時代までが専門だから書くとこうなるだろう。
春秋…楚荘王 司馬穰苴 范蠡
戦国…孫ピン 呉起 楽毅 田単 趙奢
秦〜楚漢…項羽 韓信
前漢…李広 衛青 趙充国
後漢…劉秀
三国…曹操
とにかく曹操がなにいわれても一番なんだろうな。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 11:21:47 ID:NtNvgZy20
軍略、知略、武勇を兼ね備えた名将といえば関羽も外せないだろう。
あえて三国志をスルーする必要もないと思うのでノミネートさせたい。
あの曹操に遷都を考えさせるほどの強さもまさに名将の名が成せることだと思う。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 11:30:16 ID:Gy6DpJIB0
>>89 関羽の武勇伝はほとんど小説、三国志演義の創作だよ。
史実の後漢書、三国志には華々しい活躍なんかないよ。
一回読んでみたらいい。中華書局が出している24史シリーズは手頃な値段。
曹操に遷都を考えさせたって言うのも全くの創作でつ。
三国志・蜀志にはこうあるよ。陳寿の感想として。
「関羽張飛皆称万人之敵、為世虎臣。
羽報效曹公、飛義釈厳顔。並有国士之風。
然羽剛而自矜、飛暴而無恩、以短敢敗。理数之常也」蜀志・関羽伝
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 11:30:36 ID:91vZ2bTGO
>>87 その人ははじめて知りました。
つか常勝不敗て四字熟語を私が最初から使えばよかったですねw
>>88 おお、ありがとうございます。だいぶ最強が絞られました
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 11:34:12 ID:HTmifQjk0
>>89 名将のラインをカンヌまで下げたらとんでもない数の名将が生まれるな
細かいことだが、曹操・関羽は後漢の人だよ。
>>91 常勝も不敗も強さということならほぼ同義なんだろうけど、温度差があるように思える。
項羽などは常勝という言葉が似合うし、諸葛亮などは不敗とかが似合いそう。 そういう感じだろうか。
名前書くの忘れてました。 その人は後梁朱全忠に仕えた武将で、開封府尹をやっていた劉鄩という人です。
人読んで「不勝の名将」(涙…
>>93 確かにそうですね、勉強になりました。サッカーでいうと常勝ならブラジル、不敗ならイタリアて感じですね
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:08:12 ID:eo4CPdb8O
>>88 竇憲は確かに外してもいいかもしれないけど
班超を外すのは納得出来ないな
大した軍勢も与えられていないのに、ほぼ個人の才略だけで次々と西域諸国を平定し
三十年近くに渡って大禍無く西域経営を行った手腕は
前漢武帝時代に対匈奴戦で活躍した武将達よりも遥かに上と言わざるを得ない
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 12:15:32 ID:Gy6DpJIB0
>>95 班超とハンニバル較べてみてくれ。
スケールが違うだろ。
>>96 中国、中国。
たしかにハンニバルはすさまじすぎるがな。
班超はトク武の人
99 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/03(金) 13:41:31 ID:Gy6DpJIB0
今日の一連の書き込みに対して、コテつけさせていただきます。
最強の武将は宋代以前に限られると思います。
宋代以降は文治主義で科挙官僚が将軍になるから。
やっぱり、個人的武勇はともかく将軍としての能力は曹操が抜きんでてると思います。
101 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:18:56 ID:EMm00Go50
金や遼や元や明や清はダメですか・・・
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 14:40:12 ID:Hl3WtZ1WO
基地害しかおらんだろ
明は名将の宝庫だろ
徐達、常遇春、李文忠、藍玉
王守仁、兪大猷、戚継光
袁崇煥、秦良玉、鄭成功、洪承疇
基準がなんだか知らないが、中華史上最強の武将を名乗るには
曹操は負けすぎだ
105 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/03(金) 16:45:06 ID:Gy6DpJIB0
>>104 ほぼ地盤のないまま、後漢の混乱に巻き込まれて
才覚だけで中原を統一した曹操はやはりすごいと言わざるを得ない。
「武将」ってのがくせ者で個人的な武勇ならいくらでも曹操より強いものはいるだろうが
戦略・戦術において曹操以上なのはめったにいないぞ。
負けすぎを指摘するのなら、ほとんど勝っていた前漢のきょうどに遠征した将軍でもあげればいいだろう。
前漢時代はきょうどの勢いがなくなってきていたから勝てたんだろう。
最強の将軍を言うのなら韓信か曹操。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:21:39 ID:eo4CPdb8O
君主だけに絞っても、軍事に関してなら曹操と互角、或いはそれ以上はいくらでもいる
ざっと挙げてみると
劉秀、劉裕、石勒、拓跋珪、宇文泰、高歓、陳覇先、李世民、李存勗、柴英、朱元璋…
この他にも探してみれば沢山いるだろう
つまり曹操は軍事に関しては中華史上最強とはとても言えない
曹操にはそれなりに地盤もあり、名望もあったればこそ、下野した名士たちが彼に協力していくという図式になったわけだ。
そのあたりは、袁紹と二分しているわけだが、こと中原に鹿を追う争覇戦のとき曹操が勝ったのは、ひとえに彼の能力組織力等々のなせる業なんだろう。
後漢後期では間違いなく第一人者。
それが時代を変えてみると、そういう人物はやはり時代の変遷期には出現している。
行軍速度だけを言えば、柴栄を凌駕する皇帝を寡聞にして知らない。
実質的なモンゴル軍の征西の指揮官だったスプタイが最強だと思うが。
ホラズム潰滅やカルカ川のロシア諸侯軍潰滅、ワールシュタットのドイツ騎士団潰滅など
彼が血祭りに挙げた敵を挙げればきりが無く、スケールも世界史的に見ても桁違い。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:50:42 ID:EMm00Go50
じいさんは大長秋で
親父は太尉じゃんw
曹操は全然恵まれてると思うぞ。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 17:52:33 ID:HTmifQjk0
>>108 中国では戦ってない罠
そのスブタイを中国NO,1だと言われてもしっくりこなくね?
個人的には「射雕手」斛律光とかどうかなと思うが・・・・これも一番はないな
中国地域でもチンギスハンの崩御の際に生贄として西夏に止めを刺し黒水城の王以下住民を皆殺しにして、
西夏王以下、その領民もチンギスハンのお供をさせたなどその律儀さ、厳格さはモンゴルの武将の中でも随一だった。
112 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/03(金) 18:25:02 ID:Gy6DpJIB0
>>109 曹操の家系は宦官だった祖父が養子にとった家系だから
そんなに尊敬もなく三公をたくさん輩出した袁氏とは違ってるよ。
袁氏は地方官である郡のの長官である太守、いくつかの郡をまとめた
日本で言うところの「郡」の長官である刺史にもなってるね。
そう言う長官は皇帝から直属で任命された「命官」以外に属吏として
自分の好きな人物を採用できるんだけど、これがいわゆる「門生・故吏」
人的な面では曹操は恵まれていなかったよ。
曹操の親の大尉はお金で買った売官で後漢当時財政難の策としてできた制度だから
曹操の親はいわば名誉職の三公にすぎない。
時代の変遷で活躍する人物はたくさんいるが、曹操と同格以上の人物ってなかなかいないと思うよ。
後漢の門閥の流れを汲んでいるのは袁紹とか劉表、孔融だがこれらの類の人物は
演義では二流人物として扱われている
114 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/03(金) 18:41:02 ID:Gy6DpJIB0
>>113 劉表は『八友』に数えられる。
しかしながら、西暦190年以降は後漢王朝は事実上崩壊して
力のある群雄が領土を拡張する時代に突入したから
門閥であっても演義では活躍の場がなかったと言うことだろう。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 18:50:14 ID:vTemQwEs0
最強はラビット関根に決まってるだろ バーカ
または王貞治でも可
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:15:15 ID:91vZ2bTGO
曹操は194年、陶謙の部下によって父親らを殺された時、徐州を殺戮、親友張バクの離反をまねく
208年、軍事行動の限界点を無視して南方へ兵を進め、赤壁で周瑜ひきいる呉軍の抵抗にあい、撤退
219年、漢中、劉備軍は山岳ゲリラ戦展開、曹操軍の補給路を寸断し、行動をはばむ、曹操、漢中を放棄、撤退
最強武将は人それぞれあると思うし、一時代に最低一人は候補が欲しいから後漢時代は曹操でも間違ってないね
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:23:22 ID:MTBkYMxVO
>>112 袁氏と曹氏を比べた時に人脈では袁>曹なのは否定しないが、
同時代の群雄たちや他の時代の覇者たちと比べたら、曹操はそういう点でもかなり恵まれている。
父の曹嵩は首都圏における刺史、司隷校尉になっているし、当時三公も名士たちを部下に取り立てた。
つまり「門生故吏」関係は曹氏も築きつつあった。
また曹操系以外の曹氏も尚書令など顕官についているし、廃位されそのあおりを食らったこともあるが、曹氏は皇后宋氏と繋がりを有していたなど、
かなり色々な人脈を持っていた。
また覇業の一番の基盤となる兵を集め維持するのに必要な経済力という点では、もしかすると曹氏全体では袁紹を越えていた可能性もある。
実際には袁紹は身ひとつで洛陽を逃げて勃海太守になったところから始まっている一方、
曹操は私財を投入して兵を集め、さらに大資産家である曹洪や曹純も一致団結して参加しているわけだから。
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 19:34:16 ID:EMm00Go50
チンピラ農民から中国を統一した劉邦
奴隷から中原を支配した石勒
下っ端役人から華南を支配した劉裕
物乞いから明を興した朱元璋
地盤がないっていうのはこの辺の人達のことを言うんでないか?
劉邦は田舎ではあるが有力者ではあって当初からショウカやハンカイなどそれなりの子飼いの人材を抱えていたような。
>>119 そう。
いまだに前時代的な解釈である「まともな名もない百姓」と思っている人もいるけど、
劉邦とその家は明らかにその地ではそこそこ有力者。
張耳など一時的であれ食客をもてなしたり、弟が遊学に出ていたり、本人に下級とはいえ役人になれるだけの経済力や学問があったことが証左。
はい曹操は違う。
はい次ー
曹操は地盤や政界へのコネは袁紹や劉表に比べれば格はおちるが、
曹操個人の実力がそれを補い余るほどだったと思う。
実際、まだ有力であった段階で袁紹の派閥から曹操陣営に身を投じた
ジュンイクなどの例もある。
123 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/03(金) 19:59:26 ID:Gy6DpJIB0
>>120 劉邦の役人というのは泗水の亭長であって純然たる役人ではないんだよ。
いわゆる郷官であって、地元有力者がなったりしている。
劉邦は任侠集団の親玉であって。
戦国期から秦末までの人間関係は任侠的習俗として有名であった。
項羽でも季布と言う人物がいて「季布の一諾」として知られてるわな。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 00:38:48 ID:BA/o9HoUO
宋武帝とかどうだろう
孫恩の乱鎮定に活躍し、鮮卑系の南燕や後秦を滅ぼし
永らく異民族の手にあった洛陽や長安を回復するなど
当時としては空前絶後の活躍を見せている
>>110-111 ていうか、華北に来てくれないと完顔陳和尚が奴を撃退できない罠
(まああれを除けば華北でも活躍してるけど)
へぇー蕭何は劉邦の子飼いの武将だったんだ。
目をかけてくれて面倒を見てくれる、
政府に対しての保護者みたいなものだとおもってたよ。
子飼いだったんだね。
自分はチンピラやってて、子分の一人を役人として潜り込ませて、
その子分を使って自分も亭長になるなんてなかなかの策士だね。
なれない漢土でオゴダイやトゥルイが体調を崩し引上げた為、
モンゴル軍の総指揮を担い金に止めを刺してもいる。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 04:49:34 ID:8OmkSwDMO
劉邦最強説浮上
秦の王翦‥騎馬主体の北方、趙と燕。河や湖の多い南方の楚を亡ぼしたオールマイティーな用兵、天寿をまっとう
南北朝の劉裕‥曹操より上な気がする
南北朝の陳慶之‥わずか七千の兵で洛陽をおとす、死ぬまで不敗
唐の李靖‥国内でも強く国外の突厥をも討伐
唐の李勣‥国内でも強く国外の高句麗をも討伐
唐までの俺の中で最強中国五武将
やっぱり二李は外せないか
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 11:11:50 ID:8zGQ0wE20
>>131 負ける要素の少ない戦いで、負けたことあったっけ?
もともと逃げることが目的の離散ならあったと思うが。
どちらにせ、戦勝が敗北を覆い隠すくらいあるのは確かだろう。
>>131 勉強不足ですいませんがいつ敗けたのか教えて下さい
>>130 二李はやはり素晴らしいです
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 12:26:14 ID:8zGQ0wE20
>>134 やっぱそれしかないわな。
傳では、嵩高山で洪水にあい皆離散したため、僧形で落ち延びた。 とある。
その後復活して北面の将軍やって侯景撃退したりしてるから、不敗の名に値すると思うが、それでもダメか?
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 13:23:20 ID:8OmkSwDMO
不敗にそんなこだわらずともいいじゃない
そだね。
>>128 負けても負けても負けても
復活して、最後に勝つ劉邦
不敗には縁遠いけれども、最強の名にはふさわしいかも
冒頓の軍勢に囲まれた劉邦は恥も外聞も無く命乞いをしてどうにか逃がしてもらった。
140 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/04(土) 18:21:18 ID:MBZFxjsE0
>>138 劉邦の軍団はしっかりと関中を蕭何が統治していたおかげで
人員も補給もできた。前線で戦う劉邦と後方支援の蕭何の役割分担。
韓信がいってるように劉邦は将軍としては10万の兵力を統率するのも精一杯。
韓信は「多々益々辨ず」で多い程良い。と言ってさらには劉邦は兵卒を率いることは下手だが、
将軍を率いることは上手だと言っている。
このあたりの会話はスキピオ・アフリカヌスとハンニバルの会話に似ているが。
単純に兵卒を率いる人物としては劉邦が最強とは言えない。
曹操が一番だとやはり思うな。自分の地盤の脆弱さを補うために「青州兵」を引き入れ主力とし、
二度と同じ敗戦はしなかったという曹操。
曹操は後漢書、三国志読めばどれくらいの人物かは分かるでしょ。
政治も一流。屯田兵制度で疲弊した人民に食べさせることが出来た。
劉裕も正史を読むことをおすすめするよ。
実像が分かるだろう。
西洋の古典古代最強の将軍はアレクサンドロスとハンニバル。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 20:32:39 ID:BA/o9HoUO
曹操は敗戦が多いのがちょっとね
何事も抜け目無くこなしてそうなイメージだけど結構隙が多いんだよね
ただ後漢末の群雄の中では間違いなくNo.1だね
>>140 曹操の二度負けなかった、というのもわかるが、江陵や襄陽、漢中といった自分のいないところでは、負けている。
そういうのは、曹操陣営の厚みの薄さと指摘できると思う。
それを究極的に、君主統率者の力量として測る見方もあると思うけどな。
有力候補に違いはないけど。
劉氏という生まれの良さはあれど、河北に放り出されなんとか自分の地盤を確保し、戦うときはほとんど敵の半数で戦い、有力な群雄が育ちきる前に平定した劉秀も、かなり最強の部類に入るでしょう。
>>142 三国時代に曹操陣営の人材が薄いというのか・・・
>>143 後漢末期であれば一番陣営に厚みはあるけど、つまり韓信級の自分の代りともいうべき武将を欠いていたことを言っているのです。
負けが込むのは、そういう一面もありはしないかな、と。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 21:49:43 ID:BA/o9HoUO
曹操の配下は劉秀陣営と比べるかなり見劣りするね
特に武官
なんか曹操は自分以外の人物に大軍を任せようとしないんだよね
曹操なりの功臣抑制策だったのかな
韓信級の武将ならいくらでもいたけどね。
敵にも居たから意味無いけど
>>146 たぶんわかってるとは思うけど、一応確認のため。
韓信級といったのは、単に能力を言ったのではなくて、劉邦における韓信という役割、つまり君主や指導者から切り離して独自に働ける武将のこと。
曹操のところでは、張遼とかの活躍が目立つ一方で、于禁や夏侯淵らは失敗している。
翻って、孫権のところでは自分がいないところの方が、むしろ勝っているという…
>>134 ありがとうございます。最強の筆頭になれるかと思っていたのに残念です。
>>140 ちょっと調べただけでもう嫌いになりましたw
劉裕残酷
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 23:05:20 ID:BA/o9HoUO
確かに残酷なイメージはあるね劉裕
残酷っていうか冷酷かな
ただ皇帝になっても若き日の貧しい暮らしを忘れず常に倹約を心掛けたり
当時の社会矛盾を解決するため土断を実行するなど
政治家としても優れていた
実行力と決断力なら魏晋南北朝期の漢人皇帝の中でも屈指だと思う
150 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/04(土) 23:23:06 ID:MBZFxjsE0
>>141 寡兵を持って大軍と当たればそりゃ負けるよ。
そういう状況で戦っていたのだから仕方がない。
それを、戦術で補うのはハンニバル級でも無理だろう。(ザマの戦いをみれば分かる)
>>142 曹操のいないところでは負けるというのであれば曹操よりも項羽でしょ。
また、ナポレオンも自分が軍を率いなかった場合は敗戦続きだったよ。
曹操軍団には光栄の三国志の影響か、能力値が不当に低く押さえられてるけど、
単独で動ける代表として楽信・干禁・徐晃など多士済々だよ。(干禁は関羽に降伏したことがすごくマイナスだけど、
曹操は干禁を知って30年になるが。。。)みたいなこと言ってるが。
>>144 韓信は特別でしょう。
項羽に人材がいなかったのが韓信の存在をより大きく見せているだけでは?
劉邦は韓信の扱いには特に気を使って斉王を名乗ったのを追認したりして、
忠誠心から言えばあやしかったかも知れない。
劉邦軍団には将軍がいなかったと言うことだと思う。
>>145 曹操は身内の夏候氏や曹氏や曹操の5大将に軍任せてるよ。
漢中を夏候淵に任せているし重要なところは一族に任せているよ。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 23:31:59 ID:H1ao3SJv0
共和制ローマはたいがい敵より寡兵で勝ってるよ。
まあ、ローマは例外でもいいけど
敵より寡兵になってる時点で、戦略的に負けてるって事だから
寡兵で負けたというなら、最強の武将とは呼べないんじゃないかな
>>150 ハンニバルは基本的に戦略的に不利な状態で勝ってただろ
……と言おうと思ったが騎兵では有利だったからそうでもなかったとも言えるか
>>151 まあ必ずしも数だけが軍の強さを左右する訳じゃないけどね
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/04(土) 23:51:34 ID:BA/o9HoUO
>>150 曹操と似た状況にありながら天下を統一した劉秀と比べると
大軍を擁して独自の判断で動ける武将が曹操陣営にはやっぱり少なかったと思う
曹操陣営の中では夏侯淵がその位置にあったんだろうけど黄忠に敗れたのがね…
劉秀が天下を統一し、曹操が統一を果たすことが出来なかった差は部下の質の差が大きかったんではないかと思う
つーか曹操に関しては三戦板の千年に一度の天才スレで散々比較されてるから
もうお腹いっぱいですがな
最強の武将スレで部下が云々
さすがですね・・・
>>155 それをスレ違いと言うなかれ。
>>141 >>寡兵を持って大軍と当たればそりゃ負けるよ
軍事ロマンチズムなこのスレでは、そういう人物こそ求められるのだがね。
勝てないのが普通。 たとえ勝っても、一時的なものであることが多い。
>>曹操よりも項羽でしょ
もちろんそうだが、項羽が曹操よりも上だとはさすがに考えにくいので、そこで論点を変えるのは当たらないでしょ。
といっても、局地的な強さなら、やらせてみると興味深いと妄想できるけどね。
>>韓信は特別でしょう
勝てる君主には、こういう類の将が味方についていることが往々にしてあるわけで。
唐の李淵には、李世民、李孝恭と、李靖など一方面を任せるにたる人物を得ていた。実際彼らで中国本土の平定はなされている。
宋の趙匡胤にしても、南方平定戦のとき自身はあまり動かず曹彬とかに任せているところをみると、そういう人材がいたということになるのかな。
>>146 ハァ?曹操配下の将軍で韓信級の能力持った奴の具体名上げてみろよ。
三国志ヲタはこれだから困る。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 05:47:09 ID:4ybeh23d0
>>148 いや、一応陳慶之が最強候補ってのまで否定する気はないよ
あの敗戦で単純に爾朱栄>陳慶之にはならんと思うし
あくまで狭い分野(戦術?)では最強といわれても納得できる戦歴だよ
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 09:19:24 ID:BYfUVy40O
>>158 ですね。で、やはり戦略もできなくてはと思い
秦の王翦
唐の李靖
唐の李勣
唐の郭子儀‥国内で強く国外でも吐蕃撃破
宋の狄青‥国内で強く国外でも西夏撃破
宋の宗沢‥金軍を撃破、岳飛、韓世忠ら抗金の名将が彼にはしたがった
宋の孟キョウ‥金軍を撃破し、あの元軍を撃破し続けた
宋まで時代を伸ばしたら七人に><
五人にしたいので誰か誰でもいいのでケチつけて下さい
>>159 李勣は過大評価な気もするが… 李靖が入るなら、李勣はムリに入れることもないと思うな(と、言ってその逆はないけど)。
狄青も、齧った程度しかしらんからアレだけど、国内政治宣伝のために持ち上げられた観が拭えない…
常に最前線で陣頭指揮をとった、中華版ラインハルトの柴栄は、できれば入れて欲しいなぁぁぁぁ。
161 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 11:33:14 ID:FZZmtVnu0
>>151 共和制ローマは戦いのパターンがあり、投げやりから始まって
重装歩兵で戦うという。。。ローマの場合は士気が断然中国とは違いますよ。
ローマ軍団は共和制時代はローマ市民戦うという戦いだし、中国ではそこいらの
農民を徴発した軍隊だしね。
>>152 実はハンニバルが戦った会戦って5回もないんだよ。あとはフェビアンの言うとおり持久戦方針をローマがとったから。
カンネの戦い以後は大会戦がない。それでも攻城戦では失敗してる。イタリア半島南部のカプアに10年以上も立てこもっていて本国からの補給も援助もなかったのは
残念だけど、ローマの政体とカルタゴの政体とでは違いすぎるし、カルタゴ本国にはハンニバルの政敵がたくさんいた。
ハンニバルは寄せあつめの軍隊と信頼できるヌミディア騎兵を保持できていたのが勝利の秘密で、当時の戦いの常識をかえたひと。
ちなみに当時は中央を厚くして中央突破するのが定法だったけど、ハンニバルは両翼の騎兵を厚くして包囲殲滅を意図していた。
俺ってハンニバルが最高の将軍だと思ってるから。。
他に包囲殲滅ではテーベのエパミノンダスのレウクトラの戦いの斜線陣が有名。
アレクサンドロスも大国アケメネス朝相手に勝ちまくっている。戦術の達人。
>>153 光武帝と曹操較べると分からないけど、後漢末の戦いでは君主以外で独断で大軍要して動いた武将はいなかったと思うけど。
光武帝の時代は混乱を極めていたけど、曹操時代は未だ後漢の権威があったよ。郡太守とか任命されている。孫権も後漢(実質は曹操の朝廷だが)王朝から官位を得て支配の正当性を得ているよ。
>>156 項羽に典型的にみられるように当時の軍隊はローマと較べて寄せ集めの軍隊だから士気も低い。
だから、将軍のカリスマ性で勝負がつく場合が多いように感じる。
>>157 韓信は特別。
韓信は戦術の天才ではあったが、それ以上に兵力を保持できたことが単独行動を可能にした。
曹操軍団の中では楽信あたりか。戦術では劣るが。
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 13:10:42 ID:S7+vt0LsO
>>160 確かに柴栄は凄いね
もし柴栄が長生きしてれば間違いなく中国を統一してただろうね
揚げ足とるつもりはないけど、専制国家さん。
「楽進」じゃないの? もしか、おれが知らんだけ?
連投すまん。
>>162 柴栄が生きていたとき、たしかに華南はまだ分裂状態で、完全な平定には至ってはいなかった。
しかし、秦・鳳のいわゆる隴西を奪取することで、後蜀の頭を押さえ込み(このときの指揮官は、向訓といって、柴栄が出陣せずに勝利した)
また、淮南をもぎ取り南唐を小国に叩き落したことで、華南には後周に対して叛意をもつ政権はなくなっていた。
後蜀や南唐が大国として君臨していれば、いかに中原王朝と誼を結んでいた、荊南や呉越、湖南(楚)なども、彼らの機嫌を伺わねばならなかっただろうけど、それがなくなった。
よっぽどの覇者風の英雄が華南政権のどこかに出現でもしないかぎり、南方の制圧は規定の路線だったと言ってよいと思う。
惜しむらくは、契丹との連戦連勝の最中に倒れたことのみです。
こればっかりは、趙匡胤も趙匡義も柴栄ほどの勝利を手にすることはできませんでしたから…
曹操に、韓信のような軍事的代行者を持つことは不可能だったと思うんだが。
下手に任命してしまうと、ただでさえ地方分権の流れになっていた魏晋南北朝の時勢では、
地方に派遣したまま、勝手に割拠してしまう恐れが十分にある。
後の鍾会や晋の桓温、ほかにも小さいのでよければ無数にいるぞ。
こういう連中の手綱を取れる人間が、将に将たると言うんだろうけどさ、
曹操は、政治的代行者の荀イクを最悪の時期で失っているのが、統一失敗の要因だわな。
このままではスレ違いになるので、最強候補をば
慕容恪:字玄恭(?〜369)
慕容皇の四男、前燕の柱石たる人物で、冉閔、桓温など名だたる武将に勝利を
収め、その生前は苻堅も王猛も敢えて干戈を交えようとしなかったほどの戦上手。
その死が軍事情勢を一変させた人物ということで。
慕容垂と甲乙つけがたいが、軍事的才能では兄貴のほうが上だろうな。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 14:12:54 ID:9uHLq3qeO
ジュンイクは逆だよ
統一に事実上失敗したことが要因となってジュンイクを切り捨てることになったんだよ
167 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 14:44:36 ID:FZZmtVnu0
>>163 ご指摘の通り!
「楽進」です。一発変換できたから一太郎の学習機能が働いたのかと思って
よく見なかったです。
>>165 東洋史学者の宮崎市定先生(故人)は中国史に分裂傾向の時代と統一傾向の時代を想定しておられる。
それから言えば五代末期は統一傾向の時代なんだろうな。
王朝の創始者はみな武力で統一したからそれなりにこのスレの主人公たるが。。。
>慕容恪:字玄恭(?〜369)マイナーすぎです。
そう言う人物だと後漢末には一杯いるでしょ。軍事的才能ということでは曹操より劣ると思われる。
と言うか、日本語の小説の十八史略じゃなくて、当時の正史を読めば人物像はつかめるはず。
また
>>166のいうとおり、ジュンイクと曹操の関係はジュンイクは漢王朝の復興を願う立場から
曹操に仕えたが、末期になり曹操が魏王になり、禅譲の意図がはっきりしたところから切られたんだよ。
169 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 14:50:13 ID:FZZmtVnu0
>>168 韓信、斉王で事実上割拠してますね。
そもそも、劉邦は韓信に項羽がいない地域の平定を命じたが兵力が増えすぎて
もはや、劉邦の一部下という立場を越えていた。
何とか懐柔して自分の陣地にとりこんだ。
劉邦が何かと神聖視されるのは天下統一の天命が劉邦におり、
以後の天子たちは劉邦の後継者という立場であるからだ。
王朝が変わっても同じこと。創業の創始者はみんな劉邦から天命がおりそれの後継者というスタイルをとった。
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 15:12:39 ID:S7+vt0LsO
>>167 正に五代という分裂の時代を統一への流れに導いたのが柴栄だと思います。
確か宮崎市定先生は柴栄を日本の信長に例えておられました。
慕容恪は確かにマイナー過ぎるかもしれませんね(笑)
やっぱり慕容垂の方が有名かな。
171 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 15:39:02 ID:FZZmtVnu0
>>170 慕容垂も超マイナーでつ。
洪武帝の方がいろんな疑獄を起こしながら臣下を粛清し
暗いイメージ作り上げた人物の方が有名ですがな。
分裂傾向と統一傾向か…
このスレ的にも重要なバックグラウンドにはなるな。
自分的には、芋洗い状態の分裂期のほうが、強い、すごいやつがいっぱいでてくると思っているな。
統一期になると、特定の人物のすごさが目立って最初はおもしろいけど、飽きるのも早いという…
部下云々の次はマイナーだして・・・
174 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 16:09:32 ID:FZZmtVnu0
>>172 分裂期には群雄がでてくるのは確かで、中国史上、文化でも
春秋・戦国期には諸子百家がでてきましたね。
その後は儒家から儒教の解釈にうつりましたけど。
光武帝は儒家と法家を混ぜ合わせるのが統治の基本として、
前漢はじめではいまだ、儒家の勢力は強くはなかった。
武帝の時代の高官にも墨家の人物(きゅうあん)がいたしで
最終的に儒教が浸透したのは後漢になります。
また、分裂期にすごい奴がでてくると思ってるのは統一期にはそう言う人物の出番がないからです。
曹操が人物評価で「治世の能臣、乱世の姦雄」と言われて喜んだと言いますが、平和なときには
それなりの能吏でも本来の能力が発揮できないだけでしょう。
あと、中国は歴代王朝が正統と認めた「正史」が一級史料となりますが、西洋ではそう言う歴史書はないので
個人的に書かれた皇帝の親類の年代記みたいなのが史料になります。史料批判が必要ですな。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 16:11:57 ID:9uHLq3qeO
汲黯を墨家とする根拠きぼん
176 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 16:26:03 ID:FZZmtVnu0
>>175 どの論文かは知らないけど、墨家とあったと思う。
これは記憶違いではないよ。
>>176 そこまであやふやな情報では記憶違い以前の問題
それを信じているなら根拠となるその論文なり史料なりを示してくれ
提示できないなら見ている我々の誤解を避けるため、ちゃんと撤回してくれ
どちらもできないならいい加減なことを言う固定だということになるがよろしいか?
>>174 儒家と法家を混ぜ合わせた統治を基本としたのは前漢の宣帝では?
179 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 16:44:14 ID:FZZmtVnu0
>>177 論文と言ってもね。
僕は史学科卒業して十年立ってるからどの論文かはきちんと言えないよ。
ただ、汲黯は墨家だという記憶には間違いがないよ。
道家の黄老思想ってのがあるね。汲黯もこの流れ。
でも道家ではないんだ、墨家。
君が気に入らないのなら汲黯の名前は削除して
武帝時代にも儒家は支配的ではなかったとだけいっておこう。
180 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 16:46:31 ID:FZZmtVnu0
>>178 ぼろがでまくりだなw
すみません。
これはあきらかに宣帝の間違いです。
181 :
165:2006/11/05(日) 16:51:32 ID:FqI+iBbF0
うーむ、慕容恪や慕容垂クラスでマイナーと言われると、ちょっと困るなあ。
分裂時代の諸勢力の名将が軒並み足切りされてしまわなくね?
>>166 曹操と荀イクの関係は理解した上で、あえてそう書かせてもらった。
時系列は確かにその通りであるが、やはり結果的に見れば、荀イクさえ存命であれば
天下統一の可能性はまだ十分にあったと思うんだが。
曹操本人には、荀イクあっての曹操という現実が見えてなかったとしか思えん。
こういうあたりは、政治的配慮に欠ける、白起や韓信に合い通じるところがある>>曹操
遊牧民討伐の評価ってこのスレではどう捉えてんだろ?
遊牧民側が分裂あるいは内紛時期の討伐も、大幅な+査定なんだろうか?
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/05(日) 17:03:57 ID:9uHLq3qeO
>>179 元々は別にあんたを叩くためんなことを言ったわけじゃない
初めて聞くような話だったから、誰がどんな論拠からそう言っているかを知りたかったんだが
しかし論者も憶えてないし論拠も言えないのに言及したということは、その説を無根拠に信じているということだな
本当に史学科卒なの?
>>181 時系列というより、
曹操は赤壁での敗北と荊州失陥により深刻なダメージを受け、事実上早期の統一を諦めざるを得なかった
だから今の勢力を維持するためだけに魏公推戴やそれに続く禅譲への道を進めたが、
ジュンイクが反対したために曹操は切り捨てざるを得なかった
ジュンイクがいる段階ですでに統一を半ば諦めたからこそああなったんじゃないかと
それが曹操の限界であり、時代の流れでもあったのだろうけど
184 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 17:16:53 ID:FZZmtVnu0
>>183 前漢・後漢を専門に勉強していたから、論文もたくさん読んだし、
宮崎さんはじめとする概説書もたくさん読んだし、渡邉義浩氏の本も
渡辺信一郎氏の本も西嶋定生氏の本もよんだから、
今となってはどこに書いていたのか不明だよ。
国立史学科卒です。
185 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 17:43:51 ID:FZZmtVnu0
>>183 汲黯=墨家の件は忘れて下さい。
のんびりと探しますわ。
>>183 すいません、概略自分もその認識です。
自分は、曹操の状況判断(魏公就任・禅譲の前倒し)を完全な失策だと考えているもので、
どうしても荀イクの存在を大きめに考えてしまうきらいがある。
>>182 マイナー武将出して申し訳ない。
有名どころと比較して、覇業を達成した武将と達成できなかった武将の相違点を
明らかにしていけば、ひとつの評価基準を形成できると思って、叩き台としての列挙しました。
じゃあここらへんで仕切り直しということで。
石勒とかはどうでしょう、五胡を代表する名君だと思います。
確か彼は古の英雄達を評して「劉邦ならば部下にしてもらう、劉秀ならば相手になって戦う
曹操や司馬懿の様な連中は相手にならない」みないな事を言ったらしいですが
劉邦に対する高評価が意外な感じがしますね。
劉邦は伝説中の天子として神格化されてたのかもしれないし、
実際軍事的、政治的にも劉邦はかなり優れているよ
自分を項羽に対する囮として韓信らに各地を制圧させるという危険な戦略を、極めて粘り強く耐え続けて成功させているし
よく負けているとは言っても、何度でも再起して項羽を河南に釘付けにした劉邦は将としても創業の君にふさわしい実力の持ち主
それに主力が出払っていたとはいえ秦を征服したのが劉邦なのは間違いない
なんか別な論点で紛糾してますな…
え〜、マイナーどころをマイナーと切り捨てていては、せっかくの掘り出し物がわからなくなるので、別にいいと思う。
それに慕容垂は、その道にはメジャーですよ。 五代しか知らん自分でも名前くらいは…
そうなってくると、五代のおもろくはちゃめちゃな武将どもは軒並み切り捨てられるし(最強ではないからスレ違いか?)
>>181 遊牧民全盛期って、中国は勝ってないでしょ。 だいたい和議か略奪の容認か。
それでも防衛に成功したとか、分裂に介入して駆逐(滅亡ではない)したとか、歴史的敵対勢力に勝利したという点で、評価には値すると思うけどな。
>>160 李勣はあの高句麗を撃破ではなく亡ぼした、ついでに百済も。
なのでリストに入れましたが、確かに李靖と比較されると不利ですね。
狄青については宋朝第一の名将と書かれていたので入れたまでですので外すのに抵抗はないですw
柴栄は素晴らしいですね!39才で亡くなるのが本当に惜しい人物です
唐から一人、宋からも一人減って新たに五代十国から一人入って六人
時代が散らばって嬉しいです
最強は朱元璋で決まりじゃないの?
・旗揚げ時の勢力の小ささ
・君主の血縁・地縁の貧弱さ(特に経済面)
・衰えたとは言え相手は大元、戦場は最終的にはモンゴルまで
・少なくとも人民へ施した恩恵は後漢、北宋に明確に劣るものではない
本人の性格・容姿や粛清人事で評判が悪いんだろうけど、
逆に言うと欠点らしい欠点はそこだけで、軍事的にはチンギス=ハーン除けば
中国史上間違いなく最強では?
192 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 22:42:58 ID:FZZmtVnu0
>>188 劉邦は神格化されてるよ。
劉邦以降の皇帝は劉邦におりてきた天命を受け継ぐという形式だから。
皇帝と言うより、「天子」だね。
劉邦が政治・軍事的に優れているのではなくて補佐が優れているのでしょう。
何度も負け続けても復活できたのは蕭何のおかげだし、韓信らに各地を平定させるというのは
張良あたりの策だし。
彼自身の唯一の長所は大人の風があったと言うことと、他人にへりくだって意見を聞ける空っぽの頭だけじゃないの。
項羽側からきた韓信に対して無礼な態度で面会に応じて韓信は失望して去ろうとしていたときに彼は国士無双と言って
呼び戻させて改めて面会に応じるなど、劉邦自体は魅力以外は特徴のない人物で蕭何ですら統一後に猜疑をかけられたんだから。
この点、張良は身の処し方が分かっていてうまく呂后の魔の手から逃れたし。
洪武帝をみてご覧なさい。
数々の疑獄をでっち上げ功臣を粛清したりしたんだから。
劉基ももっと長生きしたら洪武帝に粛清されていたかも知れない。
193 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 22:50:24 ID:FZZmtVnu0
>>191 朱元璋には劉基と言う絶対的な軍師がいたし、
徐達と言う将軍もいたり、李善長に宋濂など部下が多士済々。
これらの部下も洪武帝の粛清までは見抜けなかったのだろう。
洪武帝ほど徹底して功臣を粛清した人物はいないであろう。
あれほど徹底した粛清がなく、皇帝の絶対独裁権力の確立が不十分であった場合、
明朝は何年続いただろうか?
195 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/05(日) 23:08:23 ID:FZZmtVnu0
>>194 >皇帝の絶対独裁権力の確立が不十分であった場合
ここ勘違いしてると思う。
宋代に君主独裁体制というシステムが出来て以来、皇帝の独裁権力はシステムとして担保されているんだ。
宋代以前、漢代を例に取ると武帝は個人的な力で皇帝独裁をなし得たが、他の後漢の皇帝は個人的力量がなくて出来なかった。
また、外戚も宋代以降は政治にかかわることはなくなった。宦官は別であるが。
明が続くかどうかは封建した各王の力の削ぎ方にある。
漢代ではそれが元で五楚七国の乱が起きている。清では三藩の乱が起きている。
明では燕王が立ち上がった。
>>191 チンギスはチンギスで、・組織された遊牧民という強力な軍
・四駿四狗を始めとする有能な配下
・西も東も分裂傾向で強大な勢力が無い
とモンゴル高原統一後は比較的恵まれているといえば恵まれている
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 00:32:52 ID:flYi4C6RO
>>192 前のレスも合わせ見ると、君の受命の考え方が独特だな
漢は劉邦が受けた天命を代々受け継ぐ
これはいいが、どうも他の王朝も劉邦が受けた命を受け継ぐと考えている様子
天命が「尽きる」ものだというのは王朝交代期の文などを見るとわかると思うが…
天命は新たな人物、別の家に改めて天が下す、と考えられていたと思うがね
君の考えの根拠は聞かない
聞いても無駄だと分かったから
劉邦は空っぽで業績は全部部下のお陰、ねえ…
東京タワーを作った人は?→大工さん
みたいな事を言っているように見えるのは気のせいか
>>192 劉邦の魅力は過大評価だと思う
本当にカリスマのある人間だったらあんなに外様の将軍をつなぎ止めるのに苦労してない
確か韓信辺りにも項羽の方が魅力的な人物と言われてたらしいし
劉邦は自分でも言ってたように人使いが非常に巧かったって事だ
人使いの巧さは組織のトップにはもっとも必要なモノなんだから、彼はそういう意味で大人物なんだろう
> 劉邦は空っぽで業績は全部部下のお陰、ねえ…
> 東京タワーを作った人は?→大工さん
> みたいな事を言っているように見えるのは気のせいか
気のせい。
せいぜい 安土城→丹羽長秀 程度
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 04:34:39 ID:1fYhM/hGO
武吉。悪来を一撃で仕留めたという伝説だ。亭長から漢を興すより信頼性あるだろ。こっちは元木こりだぜっ
李顕忠こと李世輔はどうよ?
完顔宗弼をして「彼に敗北たくないのなら戦わないことが最善」とまで言わしめた名将
まあ、戦術レベルの小さい意味での名将だけどね
俺は大好きだ
202 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/06(月) 08:02:43 ID:AaFdn4fS0
>>197 天命は劉邦におりた。
しかし、晩年に劉邦が病気になったときに医者を呼ぼうとする
ものに、これも天命であると死を受け入れていることがある。
易姓革命では放伐と禅譲が問題にされるが他王朝でも天命は
漢の劉邦におりた天命を引き継ぐというスタイルをとる。
渡辺信一郎「天空の玉座」柏書房
宮崎市定「中国史」岩波文庫
西嶋定生「皇帝 支配 の 成立 秦 漢 帝国 の 出現 ― 中国古代帝国形成史論序説 」収録論文
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 10:28:08 ID:0+vvgkKbO
戦術最強
漢楚の項羽、南北朝の陳慶之、宋の李顕忠
個人最強
漢楚の項羽、南北朝の楊大眼、唐の尉遅敬徳
守備最強
唐の張巡
孟珙は戦略戦術において非凡。
個人武勇で言えば、王鐵槍(王彦章)も有力候補。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 14:08:25 ID:1fYhM/hGO
君主で最強という意味なら項羽か呂布だな。率先して前線で戦う上に圧倒すんだからこの士気昂揚の波及効果は凄かったと思う。
まあ項羽も呂布も君主って感じじゃないよね
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 15:52:12 ID:9AjiD4XmO
冉閔とかどうかな
呂布と似たタイプだと思うけど
ちょっと人殺し過ぎかな
209 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/06(月) 16:36:23 ID:AaFdn4fS0
議論する余地もなく、中国最強の武将(将軍)は韓信にきまりだろ信じてますが。
>>209 あんた、そもそも曹操が一番とか言ってなかったか?
韓信も王、曹操も王で、立場は同じと思うがな。 いったいどっちなんです?
211 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/06(月) 17:02:28 ID:AaFdn4fS0
>>210 そう、曹操が一番だと信じている。
しかし、韓信も捨てがたいかなと。
曹操=韓信、なんだわけだけど。
韓信は議論の余地なし。
曹操は議論の余地ありだけどな。
どちらも王とは言っても韓信の最初の王号、「斉王」は韓信が単独で
僭称したのを劉邦が黙認しただけだけど。
曹操の魏王は献帝に圧力かけての王号だから較べても意味がないけどな。
君主最強は朱元璋
>>1 チンギス・ハンは中国だけでなくモンゴルにとっても偉大な英雄だし、
中国最強というより世界最強だし
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 19:15:54 ID:1fYhM/hGO
彼はモンゴル最強。このスレは中国最強。スレ違いでしょ。他の大陸でいいのならカエサルを押したい!!
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 19:19:26 ID:9AjiD4XmO
世界最強というならチンギスでいいかも
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 20:02:45 ID:SbqLQgMU0
217 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/06(月) 20:05:32 ID:AaFdn4fS0
>>214 他の大陸でいいのならアレクサンドロスとナポレオンとハンニバルを押したい。
アレクサンドロスはファランクスに加えて騎兵を重視。
ナポレオンは砲兵の運用で大陸支配。
ハンニバルは騎兵を使った包囲殲滅でローマに持久戦をとらせた。
218 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/06(月) 21:03:47 ID:AaFdn4fS0
ここで質問することが適当かどうかはおいといて質問させて下さい。
中国人の名前のことです。
氏名は例を出すと劉備玄徳は「劉」が姓で
「備」がいみなで「玄徳」があざなです。
通常はいみなは使いませんから劉玄徳となるはずです。
しかし、宋代に入る遙か以前の時代で名前は「姓+字」になっております。
古い時代は「姓+いみな」になっているはずです。
その時期、理由など教えて下さい。
どっちもユーラシア大陸だとおもうんだけど。
武霊王とかごついイメージがある
イメージだけだが
>>218 気を悪くしないでくれ
率直に言うと君が何を聞きたいのか分からない
俺だけだろうか
>>221 うむ。同意。
昔は諱言わないようにしてたけど、
宋代になると、
みんな諱が伝わって字が伝わってないのはどういうことじゃゴルァ!
って事か?
板違いじゃね?
普通に世界史板の質問スレで訊けば
詳しい人が答えてくれると思うが…
このスレでは、春秋戦国はあんまり出てこないけど、やっぱ史料が少ないから
武将を客観的に評価しにくいってことかねえ
後世の武将につけられる渾名って、この時代由来のものが多いと思うけど
秦が統一した影響で、白起や王翦が最強候補に挙がりやすいが
後世の評価では楽毅が頭ひとつ抜きん出てる(孫子呉子等、軍師除く)
劉邦も楽毅と信陵君を崇拝していた
不思議と言えば、不思議じゃないかな?
やはり、戦国七雄の二大強国の一角を、小国(というか属国)の燕が大番狂わせを演じ
壊滅に追い込んだ、というインパクトの問題なのか?
>>205 五代十国を代表する猛将ですね
個人武力は判断するのが難しいので各時代で出ちゃいますね
ここから関係なく
私的には戦術や個人武力などの限定ならまだしも、最強武将を決めるとなると
戦乱の世は生きるのが戦いであり、生き残るのが勝ちであり、間接的にしろ直接的にしろ最後に誰かに殺されたような武将は最強とはいえないのではと思います。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/06(月) 23:57:44 ID:9AjiD4XmO
>>225 その基準で査定すると韓信は脱落してしまうね
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 00:11:31 ID:Nsk++wqHO
最強ってのは最も強いってことだけど何が?ってのが問題。最強のペテン師、最強の用兵、最強の人殺し。これなら白起か?
項羽も中々。
単純に殺した数でいけばやっぱり毛沢東が最強だろうね
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 00:35:25 ID:Nsk++wqHO
じゃぁ、人物ステータスの人殺し度(武力)、ペテン度(知力)、偽善度(統率)、魅力(イケメン度)の内、人殺し王は毛沢東ということで皆さんよろしいですね?
>>225 たしかに、そうでなければ最強の名に羞じるが… 絞られすぎがツマラン。
もっと、「おれ、こんなの知ってるぜ?」というのを出してもらいたいな。
わたしゃ五代しか知らんからアレだけど、誰かに殺されたの多いんだよなぁ…
232 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/07(火) 06:13:14 ID:yN/xYzNn0
>>221 気を悪くしないよ。
質問は古い時代は
「劉備」とか「曹操」と表記されてあざなが省略されているけど、
時代が下るにつれて、いみながいわれなくなり
「李鴻章」とか「毛沢東」になるのはどうしてかってこと。
>>222 いみなもあざなももちろん伝わっているよ。
正史読むとパターンとして。。
「○○、字は○○、○県の人也」で始まるのが多いから。
233 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/07(火) 06:17:49 ID:yN/xYzNn0
>>232 どうも他のところで質問したら、
こういう回答がかえってきた。
>それは後代では諱が二文字になっているというだけでは?
>「匡胤」も「元璋」も字ではなくて諱ダヨ
と言うわけで後代でも表記の仕方は「姓+イミナ」で
後代にはイミナが一文字から2文字に変わったかららしい。
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 08:27:39 ID:o4RCgkopO
>>233 いくらなんでもそれは分かりきった事だと思ってた…
235 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/07(火) 08:33:49 ID:yN/xYzNn0
>>234 でもなんで、イミナが2文字に変わったんだろう?
>>235 諱は前漢までは一文字も二文字もあった
例えば公孫軒轅なんて人もいた
諱がほとんど一文字だったのは新〜三国・西晋あたりまで
みんな一文字だった時代の方がずっと珍しい(三国時代なんかでも鄭小同のように二文字もいたが)
正直言って国立大学史学科卒からそんな質問が出るのは信じられない
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 08:49:40 ID:o4RCgkopO
「変わった理由」はまだだったな
まず一文字に限るのは儒教原理主義的な思想に基づくもので、古の人物にも二文字はいたわけだから本来珍しいものでもなかった
晋あたりから儒教原理主義が廃れてきて二文字に抵抗がなくなったのと、多分異民族の姓名に影響されて命名方法にも新たな潮流が生まれたのだろう
238 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/07(火) 08:53:22 ID:yN/xYzNn0
>>237 >まず一文字に限るのは儒教原理主義的な思想に基づくもので
これよく分からないのでもっと詳しく。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 08:57:02 ID:o4RCgkopO
>>238 ファンダメンタリズムと言った方が良かったかもしれんが、
「経典に諱は一文字に限るべしと書いてあるんだから二文字は駄目だ!禁止!」という考え
この話題は「中国人の姓名字について」みたいな別スレ立ててやったほうがいいのでは?
懐古主義、周朝神聖視しまくり儒教を唯一の経典とした王莽が、二文字の名を規制したので、後漢あたりは一文字の名が多い。
>>後代にはイミナが一文字から2文字に変わったかららしい
まさか字とか思ってたの? ちょっと… それは…
歴代皇帝を概観したことがないのと違うの?
242 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/07(火) 09:52:50 ID:yN/xYzNn0
>>239 教典とは四書五経のどれ?
それにしても明代には二字のイミナが多いなぁ。
明と言えば儒教の発展はあったはずなのに。
清朝も2字のイミナが多いなぁ。
異民族ながらもっとも中国の伝統を大切にした王朝なのに。
243 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/07(火) 09:56:26 ID:yN/xYzNn0
>>241 名前の話題はこのくらいにしとくけど、
>儒教を唯一の経典とした
これって「儒教を」「経典」っておかしいよね。
具体的にはどの書物のどの項?
>>243 ああ、「儒者の言」と言ったほうがよかったかな?
質問にあることはよくは知らんから、詳細な答えは出せないが、王莽がそういうことにのっとた政治をおこなったことは知っているでしょ?
王莽は調べる気にならないから、興味あるならやればいいよ。 結構論文とかもあるだろうし。
後漢以降では二文字の名が多くなっているのは、むしろ常識。
あざなのほうこそ伝わっていないんだよな…
鮮卑王朝を経験して、古来の思想に必要以上に執着しなくなったのかも。
その辺、調べていくとおもしろいかもよ?
>>1 今更ですが、チンギスハーンは韓国人ですよ。
それと遼、金、清も韓国人ですよ。
ついでに諸葛亮も韓国人ですよ。
(以前、半島の人がマジでそう主張していました。わざわざ中国のクイズ番組
に諸葛亮は韓国人だとクレームとつけたこともあった。)
>>242 春秋公羊伝によると二文字名は「礼に非ず」
前漢半ば〜後漢では「春秋」というと公羊伝がメジャーだった
この「礼に非ず」という解説を厳格に守ろうと規制をかけたのが王莽
二文字名が見えないのは王莽の後も続くが、これは単に王莽が規制したからだけでなく、後漢の人々もこの公羊伝の記述を絶対視していたということだろう
>>245 孔子はもう韓国人でいいんじゃないか。
儒教に一番染まっているし。
248 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/07(火) 15:21:21 ID:yN/xYzNn0
体調がよくなれば、仕事で中原を制覇できるのになぁ。
今日は有休。
>>245 なにいってるんですか。
チンギスハーンは日本人ですよ。
日本が独自に行ったDNA鑑定でそれは証明されてます。
ぇ?鑑定結果の資料?
みせませんよ、企業秘密ですから。
でも世界的にもチンギスハーンは日本人ていうが常識ですよ。
>>245-249 まぁ、一万歩譲ってその主張どおりとしよう。
そうすると、祖先の偉大な功績を、現在の子孫が食いつぶしている体たらくを、どう弁解するものやら…
先祖を誇りに思うなら、まず自己を律して、先祖の偉業を学ぶが良い。
つーか専制国家はこのレベルでコテハン名乗ってるのか?
レベルが高くないと名乗ってはいけないというものでもないさ
レベルが低い固定なら「コイツの言うことは怪しい」って分かるから、それはそれで良い
何はともあれ尉遅恭は最強ってことだな
専制国家さんは、言っていることに一貫性が見えないような気がするんだが、気のせいということにしておこう。
ところで…
>>251 ちゃんと読んだと思ったが、なんでしょうか……
是非専制国家氏にはもう一度曹操について熱く語ってもらいたい
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/07(火) 23:43:50 ID:o4RCgkopO
>>256 でも一番は韓信と決まっているらしいが…
申不害、商鞅の政治力はMAXの100.
>>258 失脚した時点でアウト……というと同じ単語でも意味合いが変わってくるのが日本語の不思議
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 07:17:39 ID:YKhV5v/kO
ひとつの戦いで最も多くの兵を率いて勝った武将て誰だろう
>>255 >>245はチンギスハーンは韓国人といってるんだ
>>249はチンギスハーンは日本人といってるんだ
>>250は『まぁ、一万歩譲ってその主張どおりとしよう』といってるんだ
どっちだよ('A`)
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 13:48:18 ID:ikhrBs6u0
鉄拳無敵孫中山…………
(こと孫文こと中山樵)
>>262 つまりどっちの主張であっても、重要なあるいは言いたいことは、その後に書いてある。
偉大な先人が何人だろうと関係ない。
そんなことにこだわるヤツは、今の自分らにはなんら自慢するべきこともないだろうから見苦しいだけ、ということ。
そこで、悪人とされる人物を、我が国出身者だ! と主張してくれればカッコイイのだがな…
つまりひねくれているやつがいいと?
いやまぁ… おれ自身がひねくれてるからねぇ…
そういう話題は、一言「ワロス」でいいんじゃないかと。
267 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/08(水) 19:16:55 ID:Z87kpzh70
>>252 この程度でコテハン名乗ってます^^
>>255 一貫性ってどんなあたりですか?
僕は一貫して曹操=韓信が最強だと信じています。
韓信については議論の余地なく衆人が認めるところ。
曹操については演義派が過大に評価してるけど、実像も
かなりの人物です。
曹操の時代に他の時代の英雄達を持ってきても曹操以上のことは出来なかったでしょう。
業績ってのは時代に左右されるのです。
>>256 曹操は東洋のハンニバルです。
韓信が最強なら、劉邦を蹴散らして帝位につけるんじゃね?
曹操も統一できてないしなあ
>>267 曹操が他の統一君主に比べてどこが優れてる?
確かに曹操が優れた人物であることは認めるが・・・
たとえばポツポツ名のでてる明太祖と比べてどこが勝ってるの?
俺は曹操は中国の君主ランク的には中の上くらいだと思うが
後、韓信については最強の捕らえ方しだいだと思うが俺は無理があると思うよ
戦に強い人物なんて腐るほどいるからね
なんで前漢・魏晋時代と範囲が狭いんだろうか・・・
271 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/08(水) 20:03:58 ID:Z87kpzh70
>>270 曹操の優れている点。。。あらゆることを書くと。。。
@「青州兵」を組織して軍事の主力とした。
A屯田兵制を敷いた
B献帝を許都にいち早く招いた
C孫子に注をつけた
D漢詩も有名
このくらい。
専制国家さん、揚げ足取りはあまり本意ではないのですが…
>>一貫性ってどんなあたりですか?
まず、いきなり西洋のハンニバルを最強と言いつつ、曹操も持ってくる。アレキサンダー(アレクサンドロス)も最強だと言っている(時代も場所も政治的背景も思想も違う)。
さらに、匈奴戦線の将軍たちの功績は「時代がよかった」と言っている(たぶん後漢末期と比べて?)。
ハンニバルと班超を比べ、スケールが違うと言っている(時代が違うのに?)
そして韓信を最強と言った(曹操と双璧ということか?)
極めつけは、>>業績ってのは時代に左右されるのです かな。
最後の言葉は、これまでのもやもやをすっきりさせてくれた言葉でしたよ。
その言葉がありながら、時代を飛びぬけて英雄最強を固定させようとしているのではないかな。
英雄や最強とかは、時代時代に存在しており、時代を超えての最強論はありえないことは、自身で言ってるじゃないですか。
曹操以外の最強をもってきても曹操のようなにはムリなわけでしょ?
その逆は考えられませんかね〜。
上記、間違ってたらゴメン。
ちなみに…
@冗員過多で驕兵の風潮があった禁軍(侍衛軍)の大規模改変。
A各地の壮丁を募集して最精鋭殿前司を編成し、諸藩鎮の抑止とした。しかも近代無比の強さを誇る。
B逃戸の把握と出家者の還俗により生産性を高める。
C金持ちから銅器を供出させ銅銭に鋳直す。
D仏寺から銅仏を供出させやはり銅銭にする。 さらに無駄な寺を破壊する。 賦役逃れが減少しBとなる。
E信賞必罰、軍令厳守主義によって軍隊の綱紀を一新する。そのときこれまでの風潮のまま怠惰だった将軍兵士はことごとく処罰した。
F開封の改築。 のちの東京100万の不夜城の基礎。
G闘艦を建造し武力で南唐を服従させる。
H北伐に水軍を利用した。
I皇帝権力の回復と独裁制へのレールを敷いた。
まだあるけど、特筆はこんなもん。
誰かって? 柴栄サマですよ!
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:21:09 ID:BcUz2vZIO
>>271 俺も単なる揚げ足取りみたいで気がひけるが、
まずその4と5は「最強の武将」には一切関係ないでしょ
「そんな事を挙げないといけないのか」と思われるから逆効果だぞ
>>271 それは曹操の業績でしょ?
他と比べて勝ってる点だよ
ただでさえ中華統一してないんだからよっぽど最強に推す理由があるわけでしょ?
それとCとDは一緒にして「文人としても優れた」でいいよ
朱元璋が曹操に比べて勝っている点
・乞食僧から頭角を現した(曹操はこの点割と恵まれている)
・中華を統一(曹操は統一できなかった)
・明は長期政権(魏は短命王朝)
俺は曹操が朱元璋とくらべて勝ってるのは文人としてだけだと思う
朱元璋は大粛清行ってるけど曹操が仮に中華統一したら粛清はなかったと断言できないから割愛
276 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/08(水) 20:40:51 ID:Z87kpzh70
>>275 洪武帝が優れている点で明が長期政権てのは二代皇帝が
早くも雲隠れしておわってるのでは。。。
明の基礎は永楽帝から始まるような気がするけど。。
洪武帝が張士誠などを。。。して統一してるわけだけど、
洪武帝が後漢末に現れても統一はやっぱり出来なかったと思うんだ。
業績は時代に左右される。気に入らなかったら無視してくれ。
でもこれも事実。
ハンニバルと班超は将軍かどうかで一目瞭然と思うけどな。
班超は度胸があった。
ハンニバルは将軍としてカリスマ・戦術も最高のレベルであった。
アレクサンドロス=ハンニバル>>>韓信=曹操
こんな感じに考えてるよ。
>>275 別に狡兎が死んだ後に走狗を烹る事自体は悪い事じゃないよ
まだ狡兎がいるのに烹るのはただの馬鹿だけどね
>>276 つまり他人の意見には聞く耳持たぬ、ってことね。
曹操が、新末、隋末、五代末、元末に現れても、箇条書きにした業績を残せると言い募っているわけだ。
その逆はありえないと一蹴しているのに。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 20:54:13 ID:BcUz2vZIO
大体荊州や漢中で重大な判断ミスを犯している曹操は最強とは思えないな
「あの時代では一番」ならわからないではないが…(最も俺は将としての総合力は劉備≧曹操だと思うが)
280 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/08(水) 20:54:44 ID:Z87kpzh70
>>278 歴史にもしもはないから、どう批判うけても考えはかわらんよ。
281 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/08(水) 20:57:35 ID:Z87kpzh70
>>279 劉備はイリョウで壊滅的、敗北をきっして、
いつも曹操に負けてばかりだったね。
将に将たるという劉邦みたいな人物ではなかったのだろう。
>>280 あ、なんかカチンときた。
歴史にもしもはない、だって?
そんなことは誰でもわかってはいるが、そのもしもを使って曹操以外を認めようとしていないのは自分だろ。
歴史や曹操を批判しているわけじゃない、あなたのその身勝手な考え方を非難しているんだ。
だれか、おれの言ってること間違ってたら訂正ヨロ
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:06:43 ID:BcUz2vZIO
>>281 そのとおり
劉備はまさしく「兵の将」としてあの時代では曹操に並ぶ存在だと俺は思ってる
大抵曹操と劣勢な中戦いつつ逃げのび後に望みを繋ぐのは、それだけでも並ではないよ
逆に言うとあの時代「将の将」と呼べる者はいない
また失点という意味でも赤壁や漢中に対し荊州失陥や夷陵
どっちもどっちというところじゃないかな
五十歩百歩というか
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:09:14 ID:BcUz2vZIO
>>282 いや、間違っていないと思う
最強の武将を議論する時点で「歴史のもし」を語るのと同じだと思うんだがな…
285 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/08(水) 21:11:45 ID:Z87kpzh70
>>282 レス読んできて分かってるだろ?
史実がどうであれ、正史の中からその文章の行間を読んで
曹操が一番だと思ったから書いている。
曹操原理主義者の俺に何言っても受け付けないよ。
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:13:44 ID:paAGZ4v9O
専制とは前にやりあったが拘んないほうがいい。そいつすぐ逃げてスレに来なくなるから
やっぱり固定名乗ってくれて助かるな
避けやすいから
こんな酷いとは…
288 :
専制国家 ◆YlUlIeJEnU :2006/11/08(水) 21:17:07 ID:Z87kpzh70
>>286 俺とやり合ったって、このスレでか?
前漢のキュウアンが墨家だというアレのことか?
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:26:04 ID:paAGZ4v9O
ほらほら、挑発すれば、いくらでも前科がでるよWWW
>>280 歴史にもしもはないから、中国統一できなかった曹操は最強ではない……という事でよろしい?
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 21:36:06 ID:paAGZ4v9O
専制はいくつなのかな?
ゆとり教育の弊害モロ受けだと思うんだ。
あぁいう信仰心の強い生兵法の輩が間違って試験に受かって国を滅ぼすのが近代以降の歴史だと思うんだ。
ウチの子には孟子を学ばせようwww
>>275 朱元璋は聖諭六言を書してる訳で
それは後世に与えた文化的影響としては「魏武註孫子」など霞むと思うぞ
文人としては曹操に負けるが、文化影響度としては朱元璋の勝ちだ
ただ、ソレを言ったら典論を皇帝の身で書した曹丕がこの分野では上をゆくが
潜在値も語っていいなら、後漢末三国志における軍事ナンバーワンは周瑜だと俺は思う
実績としては孫策の驚異の領土伸張を助け、赤壁時には曹操軍の欠陥を見抜き、孫権に開戦に踏み切らせ、勝利を収めた
さらに予定してた増援が来ないにもかかわらず、そのままの軍で陸戦を行い、曹仁の立てこもる江陵を僅か一年で陥した
青写真に終わった天下二分の計であるが、その構想は後年何度も繰り返された南北の争いの要地を的確に見抜いていた
加えて言うなら、孫権への遺言も人の心打つ名文
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:03:28 ID:2oZUK+PUO
正直
>>271の五つの理由で曹操を最強とするのはちょっと無理があると思うよ。
@とAに関しては既に劉秀が似たような事やってるし
Bに関しては最強とはあんま関係無いような気がする。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:18:07 ID:paAGZ4v9O
もう彼は来ないよ。
彼をちょっと知ってるモンだがね。
曹操信者らしいから、どんな敗北でも必ず撤退できるところを見せて、撤退振りでも最強だと言いたいんじゃないかな。
煽らず次いって有意義なスレにしよう。
結構知らないこともあって勉強になる。
新板だけに全員あぼーんも知らないのか・・・
コテなんだし携帯からもできるだろあぼーんは
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:22:32 ID:paAGZ4v9O
もう寝なさい。明日学校だろ。寝坊してもパパ知らないゾ!
歴史語るのに、あんな偏った意見しかないというのか…
最後は「曹操原理主義者」ときましたか。
これって笑うところだった?
ちょっとマシなやつかと思ったけど、がっくし。
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:36:39 ID:paAGZ4v9O
前科者乙でした。
気が付けば300しかし最強を探すスレではなくコテと遊ぶスレ
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:50:21 ID:paAGZ4v9O
サーフィンしてたら専制みつけてこりゃ伸びると思って300getしようと思ってたのにショック!
また専制が身勝手張りやがったからつい熱くなって忘れてた。
楽しいお話ありがとう今日は寝ます。
出来れば、明日の朝見たとき、史上空前の大合戦を挙げられてそこから最強武将のことを教えて下さるような討論をお願いします。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 22:51:25 ID:BcUz2vZIO
>>295 良かったら彼が以前どこにいてどんな「業績」があるのか教えて
今後の参考にする
史学科修めたわりには、皇帝の諱(二文字)をあざなとか思ってたり、墨家と道家を混同していたりと、?な面があった。
疲れたので、寝ます。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:08:15 ID:paAGZ4v9O
専制はこのタイくる少し前も見たよ。ワロタ。このあいだ楚漢スレで
「項羽は一騎打ちなんかしてない。歴史書にない!」
って主張して
「将の首を幾つもとったという記述がかなりあるが、王の近くにそんな何人も将が群がるなど王が呼び込まねばありえない」
って簡単に論破されて
「史記を読み返してまたくる」
とか、苦しい言い訳してた。このタイに来る1、2日前だよ。確かね。
じゃ子供呼んでるんでまた。あと、朝期待してます。
乙でした。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:11:42 ID:BcUz2vZIO
>>304 教えてくれてありがとう
あまり言ってもアレだが史学科卒とか自分から言い出すあたり詐sry
と言うわけで劉邦最強説急浮上だね
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/08(水) 23:24:08 ID:exRcgoQ10
官方
曹操ヲタは三戦板へ(・∀・)カエレ!!
出発点がカナーリ恵まれてたのに統一できなかった時点で最強からは外れるわ。
戦術的にも負け戦が多すぎるしな。
宇宙大将軍以外ありえん
ネーミングセンスだけは宇宙最強だなwwwwwww
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 05:25:31 ID:KPcL+uiDO
前漢の趙充国‥匈奴等の戦いで活躍、老年になり、長安にいて今も使われる「百聞は一見にしかず」という言葉を言い、自ら戦地に赴いた。
七十才を過ぎても他の武将が敗れたと知ると、自ら西羌討伐に赴き反乱をおさめた
さらに後世の模範となった屯田を行ったことでも有名
宇宙大将軍はその抜群のネーミングセンスで2chでは大人気だが
慕容紹宗にこてんぱんにされて、挙句最後は敗死してるからなぁ・・・
かくいう俺も嫌いじゃないぜ
違うよ
宇宙大将軍が人気なのは、その前衛芸術的なネーミングセンスだけじゃなく
高観のアニキだけ!と威張ってみたり、梁武の前に出たら汗かいたり、梁武の娘に溺れてみたり
そういう行動全てが面白いから愛されてるんだよw
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 15:27:50 ID:aI9yu7ny0
>>314 なるほど愛すべき人物ということがよくわかった
「父ちゃんの名前ならわかるぜwwwww」ってのもあったな
楽毅が最強の武将だろう。
根拠ナシ!!
春秋戦国なら、李牧を超えるものはあるまい
いや、呉起だろ。
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 19:13:53 ID:aI9yu7ny0
専制国家さんと遊ぶイベントはおわっちゃったのですか?
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 19:16:03 ID:+vCx6OGNO
俺は彼が汲黯が墨家だという説のソースを持ってきてくれるのを期待してるよ
覚えてないけど… で、「そのはず」と断定してたよな。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 23:19:56 ID:KPcL+uiDO
秦、王翦
唐、李靖
五代十国、柴栄
宋、宗沢
宋、孟キョウ
戦術戦略両面に秀でた歴代十指に入るであろう名将
中でもお気に入りは抗金の名将達の陣頭に立って頑張った
統率力、人望の高さ、敵からの尊敬度の高さも疑いようのない宗沢
岳飛とかも弟子みたいなもんだしな
王翦は、戦術そのものより処世術を評価されていると思うよ。
精鋭60万を使って楚を倒したけどその直前に一度事実上の解雇通知を受けてる。
当時の秦ならば王翦でなくともいずれは楚を滅ぼせたんじゃないかな?
>>323 オーイエス!
悲惨な最後になった名将達なら岳飛も十指に入るでしょうね
宗澤はジジィって感じだけど、孟珙はいぶし銀な妄想。
非業の、悲運の死をとげた名将ということでは、結構いろいろいるな。
最強かどうかは別だけど。
そういう悲運な名将というのは、かなり好きだったりする。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/09(木) 23:52:26 ID:z9z9jecV0
田中芳樹が嫌いなので、彼がマンセーしている宗澤も嫌い。
>>327 好きな人物を略歴つきで挙げてみてよ。 どんな人物が出てくるかな?
>>326 老将ていうてw
>>327 なんつー理由だw
>>324 始皇帝がわざわざ王翦に会いに行き、出馬を頼んだのは王翦しかいないと判断したからでは?
330 :
ALM:2006/11/10(金) 00:48:23 ID:7OT6EzxUO
戦国 楽毅
白起
329
歴史にもしもはないけどその前に季信、蒙恬はその3分の1の兵で惨敗してるが、彼らに60万の兵を与えていたら?
武将不足と、王翦の出兵時の諫言と、確か王翦自身も秦の主力のほぼ全軍って言ってたと思うけど、政は、勝って当然というより、当たり前のことを当たり前に出来る兵力で、無難な将を選んだんだと思う。
年だったから戦が終わればすぐ引退するし、力は持たないしね。更に反省を識る明君という臣下の人気買いのおまけつきで。
>>331 李信が20万で十分と言って敗けたのだから戦略眼のないことはあきらか
こんなアホに60万も預けられません
年だったから安心して預けたというけど
じゃあなんで最初李信達に行かせたの?
それで勝てると思ってたからだよね?
王翦ただ一人がその時正確な戦略眼を持っていたのだし
楚には名将項燕がいたのだし
無難も何も秦一の名将にほぼ全軍て秦の必勝体勢じゃないかな
絶対にこれで敗けたくなかったから王翦にしたんだと思うけど
武将不足ていいますが王翦の功績は知ってますよね?
暇つぶし
王翦‥北に南に南船北馬、武将の最終目標である君主の天下統一によく尽力しました><息子もいい武将だ
李靖‥詳しくは知らないけど名将と名高いね。天下統一もさせたし異民族もよく退治、撃退してるし凄いんだろうね。
柴栄‥君主じゃん
宗沢はもう書いたね、殺された訳じゃないけど最後かわいそ
死後も抗金の名将は頑張ってくれましたよ
孟キョウ‥『通俗宋元軍談』
「孟キョウ、衰宋にありといえども、忠義・兵略・岳飛におとらず」
すげーね、最強かも
ただ貴方が死んだ後わずか30年で宋は滅んじゃいますたよ
後進は育てなかったのかな
いや30年もよくもったと見るべきなのかな
30年後の滅亡の原因にされたら孟[王共]も適わんな・・・
宋は軍閥解体に躍起になってたし
孟[王共]死んだ後も襄陽の戦線は維持されてた
賈似道が戦線を破棄したのが崩壊の原因だ
中国最強は公孫軒轅でみんな納得
宋は襄陽の呂文かを見捨てたのが滅亡の原因かな
>>334 原因だなんて言ってないですよ
文官が足を引っ張るのは宋朝の伝統ですねw
まぁ、節度使出身の太祖からしたら軍閥に過敏にはなるだろうが
宋は確かに軍事面では見てて歯がゆいよな
そんな中、孟キョウはたいしたもんだと思う
けどモンゴル軍は騎兵を有効活用できない戦いでは度々負けてるからなぁ
それをもって最強に推すの個人的には少し疑問符
同じモンゴル関係でいえば寡兵でスブタイを撃破した完顔陳和尚
モンゴル軍内ではフラグの征西に参加し「極西の神人」と謳われた郭侃
特に郭侃の戦功は素晴らしいね
>>338 まあ和尚さんは大軍でトゥルイに負けたりもしたがな
>>339 まも、斜陽の金軍率いて頑張ったよな
相手もトゥルイだし
李牧 暗君にさえ仕えていなければもっと活躍出来たはず
劉禅のような名君に仕えていれば自分の才能をフルに発揮出来た
最強ではなさそう。
最高じゃなく最強というとやっぱり項羽という気がする。
ところでなんで項羽は姓+字で呼ばれることが多いいんだろうね?
同じ時代の多くは姓+名、例えば劉邦のように、で呼ばれてるのに。
この時代、項羽以外で姓+字の方が通りの良い人いる?
張良なんかは張子房と呼ばれることもけっこうあるかな?
項羽だけが例外じゃないの?
民間では、秦叔宝とかのようにあざなのほうが有名ってのは多いけど、史書ではお目にかからないな。
ところで、項羽の名とされる籍は、「項氏の籍にある者、字は羽」とか、そういう意味にはならないかな…?
どうなんだろう?
そういえば劉邦自体、名と字が本当にそうだったのか疑わしいというようなことを聞いたことがある。
それもどうなんだろう?
史記で、「項羽本紀」とあるから誤解を招く。
一応最初は、「籍」ということで、一人称にしているが… 途中から項羽に変わっててワロス
劉邦も、諱「邦」だけど、とってつけたようなもの。 史記には名について記述はないみたい。注釈にあるだけ?
普通は「高祖」だし。
…最強には関係ないから、このへんで。
劉邦の「邦」を諱として漢が意図的に避けていたのは間違いないよ
相国は漢以前は「相邦」だったんだから
漢では皇帝の諱を書いてしまうと罪に問われる場合があったから、史書にそうそう書かれている筈がないんだよ
そういえば陳和尚は名でもなく字でもなく幼名で呼ばれてるな
>>348 なるほど。
項籍じゃなく項羽なのも項羽大好き司馬遷が諱を避けたのかな?
本紀にしちゃうくらいだし。
諱より字の方が有名といえば、他に諸葛孔明と尉遅敬徳くらいかなぁ。
薛仁貴や程知節も。 唐初は多いな。
武将ではないけれど白楽天とかは?
杜子美や李太白はIMEで一発変換できないけれど、
白楽天は一発変換できるし(白居易も一発変換できるけど)。
王陽明を忘れちゃいかん
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 16:21:20 ID:NLCtpnmyO
悲運の名将
南北朝‥檀道済、斛律光、蘭陵王
唐‥張巡
五代十国‥周徳威
宋‥楊業、岳飛
明‥ほとんど全員
悲運の名将って言ったら、やっぱ李牧が一番かわいそうだわ。
ちょっと、悲運とは違うと思うんだが、
東晋の祖逖、劉?コンビの報われなさっぷりも悲惨を極めてる。
朝廷からのバックアアップなしで、この二人がどうしてあそこまで戦えたのか不思議だ。
民族紛争の不条理さ、異常な精神状況(特にマゾヒズム)の一端を垣間見れる。
祖逖の自腹で北伐ってのは、歴代北伐実施者の中ではある意味最強だと思う。
挙げ句の果てに、兵権を奪われて憂悶死だもんな>祖逖
そして史書では
「祖逖麾下の兵士たちをあっという間に魅了・支配下に置いた」
「その魅力に祖逖ですら恐れをなした」
はずの戴淵が、王敦の前では赤子の手をひねるが如く無様に惨敗・処刑。
戴淵って、史書で誉められまくってる割には目立った功績が無いんだよな。
しかし元帝は、いわゆる「中興の君主」の中じゃ最低ランクだと思う。
正直、祖逖の冷遇が王敦の乱の引き金じゃないかと思えるくらいだ。
「祖逖のような忠臣でさえ、道具扱いされてまともに死ねなかった。
俺は一体どうなることか…」
とか思っても不思議じゃない気がする。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 21:27:45 ID:jy0+2d8p0
悲運というと、やっぱ陥れられての非業の死を迎えたとか?
周徳威は、あかん言うてるのに戦え言われて、味方の輜重隊の混乱に巻き込まれて、梁軍の突撃喰らって死んだ…
悲惨と言えば悲惨か…
劉仁贍なんかも、結構悲運かも。
長く籠城していて、今こそ攻勢に転じるとき、内外呼応して戦うべし! と言っても外の友軍は動かず。
激憤のあまり卒倒し、そのおかげで攻城軍は、その城を落とすことができたという…
>>356 確かにバックアップなしは凄いですね
この人は「先鞭をつける」以外にも「聞鶏起舞」なんて言葉のもとにもなってるんですね
現代にも言葉が残るなんて凄い!
悲運の武将と言えば、敵国と通じた味方内の裏切り者に陥れられるってのが、
黄金パターンだな。
永楽帝の話題に出ないね。
不利な状況からの逆転、皇帝親征と、劉秀並の実力があると思うんだけどね。
ティムールがあと10年長生きしたら2人の激突があっただろうからもっと有名になったかな?
虐殺が・・・>永楽帝
363 :
傅介子:2006/11/12(日) 18:19:01 ID:aUeoqiDj0
春秋戰國の"戰魔"白起!!!!!!!!!!
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 21:40:11 ID:gyM9baBI0
彭徳懐も捨てがたいね。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/12(日) 21:44:00 ID:gyM9baBI0
朝鮮戦争で活躍した彭徳懐は現代戦に置ける最強の武将でしょ。
一条兼定さいきょー
>>362 あれでだいぶイメージ損なったね、永楽帝は。
>>361 奴が皇位を簒奪できたのは親父が有能な将軍を殺し尽くしたおかげだろ。
仮に建文年間に洪武帝時代の将軍がいても老耄して役にたたんだろ。
壮年の男盛りの永楽帝の敵になる武将は当時の明でも皆無に近かった。
(強いて挙げれば鉄鉉)
後、建文帝の「朕に叔父殺しの汚名を被せないでくれ」や
李景隆登用が大きく戦局にマイナスに働いた事もある。
つ 藍玉
>>368 >>369がいうように鉄鉉など永楽帝を苦しめた武将はいる
一時は討ち死しかけたほどだしな
やっぱり官軍の士気の問題だとおもうな
トップの腰がぐらついてたら勝てる戦いも勝てないんじゃないか?
作戦上の後退を逃げた、と言われて更迭されて憤死同然に病死した南宗の劉基とか
冤罪も加えられた上で罪に問われて斬首された高仙芝とかも悲惨だな
鄭和はどう?
国の威光の及ばない船の上で指揮をとり自然の脅威と戦いながら大遠征を成功させる。
統率力の点ではかなり上位につくのでは?
戦争というのとは少し違うんで、評価しづらい
戦争というなら尉遅恭かな。
やっぱ戦場で無傷というのはすごい
春秋戦国以降中華初の、最強勢力秦の最強期間
つまり戦国のかなり末期に信陵君は、趙国の救援に行き
趙・楚軍と共に秦軍を倒した
また魏が秦に攻撃された時も五ヵ国連合軍を率いてこれを倒した
同じく秦軍を撃破した李牧と並ぶ抗秦の名将
最強期間を過ぎた秦末の
陳勝、呉広の後を継ぎ、項梁の後を継いだ項羽、劉邦は倒秦のまあまあの名将
とか言ってみる
秦クラスの最強勢力は金、元ぐらいか
と言ってみる
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/15(水) 16:53:01 ID:T1DZnXGCO
昨日はまあまあと言ったけど
>>203をみると項羽が戦略のある武将または君主に心服して
軍中で副将としてその人物の手足の如く働いたら項羽ほど役に立つ人物は中華史上他にいまい
項羽は間違いなく中華史に残る国士無双の武将
>>378 まあ副将には収まらないだろうし、言うことも聞きそうにないな
信陵君は最強の武将というよりは…
反秦の気運を一つにまとめ得たカリスマって感じだ
抗秦名将
信陵君は「抗う」というイメージではないなあ。
>>379 項梁の言うことは聞いてただろ
信陵君は四君子だけあって実績あるのに武将のイメージは薄いのか
平原君と同列で語られれば尚更。
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/19(日) 23:44:27 ID:bU9bO98+O
百万以上の兵を率いて戦に勝った事のある武将は統率力、兵の運用力がハンパじゃないから最強の部類に入るんじゃないか?
あんまりにもいなかったら80万以上でもいいけど
あんまり昔だと、兵数に相当な誇張がありそうだけど。
実際に100万人以上の兵が一度に集結したことってあったのかな?
隋の煬帝の第一次高句麗遠征の兵力は113万3千8百人
勝ってないけどw
>>386 たとえ100万動員しても同じ戦場に集めておくのはもったいないわな
秦の王翦で60万だから、50万以上率いて勝ったことがあれば統率力はそうとう高い強い武将になるはず
関係ないけど百人対百人なら項羽最強でいいよね?
千人対千人ぐらいまでは項羽の独壇場だと思う
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 13:21:08 ID:ERCugA1HO
百対百‥本命 項羽 対抗 ?
五百対五百‥本命 項羽 対抗 李顕忠
千対千‥本命 項羽 対抗 ?
五千対五千‥本命 陳慶之 対抗 王キョウ
一万対一万‥本命 ? 対抗 王キョウ
十万対十万‥本命 ? 対抗 柴栄
三十万以上対三十万以上‥本命 ? 対抗 王翦
>>389 秦代あたりになると、実数で60万あったかは怪しいな。
17世紀のサルフの戦いにしても、明軍は実数で10万人ぐらいだったのを、
50万人以上と号していたようだし。
秦代は確か戸籍人口2000万、前漢の武帝の頃で戸籍人口5000万だったな
三国時代は戸籍人口700万ちょいとかだったかな、秦代より全然少ない
エピソードとしては
秦王政が楚を攻める際、李信「20万で十分」、王翦「60万じゃなきゃ無理」→李信に20万で攻めさせて失敗
改めて王翦に60万で攻めさせ滅ぼす
項羽と劉邦が秦を滅ぼす時に
項羽が40万を号して100万、劉邦が10万を号して25万だとか
40万、10万も史書に拠ってるから本当かどうかはまた別だけどね
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 22:11:40 ID:lnJgkTtY0
最強ではないが「韓世忠」と「梁紅玉」夫婦も捨てがたい
>>392 まあ、戸籍人口だから、三国時代のは、政権の人口把握能力の低下によるもので、
実際はもっといただろうね。
専制国家氏はどこに行ったんだろ?
>>391 確かに怪しくて実数はわからないよね
あからさまに怪しいの以外は史書の数で基準を統一すればいいかな
んで五百人以下は指揮官て感じじゃないので
千対千‥本命 項羽 対抗 李顕忠
五千対五千‥本命 陳慶之 対抗 王キョウ
一万対一万‥本命 宗沢 対抗 李靖
十万対十万‥本命 ? 対抗 柴栄
三十万以上対三十万以上‥本命 ? 対抗 王翦
以上5つの分野に選ばれた10名が真の最強武将になるはず
もちろん横綱は三十万以上の武将でしょう
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 15:19:21 ID:4KvrmOF5O
そして一万対一万とこが最激戦区になる予感
候補多そうだからなあ
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 16:42:05 ID:FGdp8kOs0
韓信最高
十万の本命は白起がいいよ
>>399 その武将が史書に残っている中でどのくらい戦いを経験したか(多いほうが確実に証明できるから)敵の強さはどれくらいだったか(強敵に勝てば評価は上がる、強敵に勝つ回数は多ければ多いほど評価はうなぎ上り)
以上二点から勝手に考察させてもらうと
白起は韓、魏、趙、楚と連戦連勝、戦歴は申し分ない
敵の強さは微妙なとこですが、韓魏連合軍、魏韓趙三国連合軍を破ったのは高評価ですね
自分の軍より兵数の多い軍に勝つというある意味名将の必須条件ともなるこれもクリアしてますし
もともと本命不在ですから入れ替わりはあるかもしれませんが白起いいですね
追加ケテーイ♪
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 12:10:30 ID:pQXtD0WoO
光武二十八将あげ
>>373 鄭和って靖難の変ではどういう役割を果たしたんだろう。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 21:19:52 ID:ERkl9WtPO
楊業
楊家将の嫁たち、女将軍たち
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 23:44:37 ID:hVCkxMKuO
卞喜さまに3票
武安国様〜まってくださいよぅ〜
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 00:44:11 ID:FhRrBcJ/0
鄭成功は?
趙雲だな、趙雲。
狄青
隋の武将でありながら、その優れた武勇により唐の祖に認められ
唐の将となってからは百戦錬磨
唐末には神格化され、元では毘沙門天と一体化までさせられた
托塔天王の李靖はどうだろう
ただ、史実的にどんな戦いぶりをしたのかは知らない
411 :
華雄:2006/11/25(土) 12:18:58 ID:dbPZ6kiz0
悪来
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 22:46:07 ID:GzYFZvQGO
誰がなんと言おうと岳家軍最強の高寵
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 22:59:40 ID:aa83NeyM0
その高寵を率いた岳飛
>>411 横光の描いた悪来は酷かったな。全然強そうじゃなかった。
>>415 悪来の父親は、足の早さで有名な蜚廉。その末裔が秦をたてたらしい。
光輝さんが焼死した後、何も知らないアシスタントが描いたのかも……
東方不敗
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 21:10:40 ID:4fTsNkiA0
東門慶(307-369)はチビだがかなり強い
小説でいいのなら、左慈。
斬っても食事をしてくても死なない。無敵です。
かんう
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/03(日) 17:46:55 ID:QFRY3/ZqO
薛安都とかどうだろ?
>>420 それがありなら西遊記や封神演義まで入っちゃうな。
個人的には楊業。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 00:19:37 ID:ie6qjTBq0
符堅
間羽
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 08:21:14 ID:2gwYwKvsO
一戦で中華史上最大の兵数を率いて勝った武将に間違いない
兵が多かったら勝つのは当然
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 16:27:38 ID:7saEUM7tO
兵が多くても敗ける武将はいる
陳慶之が大軍を率いたことがないのだから大軍を率いた実力は未知数
兵が多いほうが有利なのだから実際に多い兵力で勝てる実力のある武将のが上
だからより多くの兵を率いて勝った武将のが有利になるから一番多い兵を率いて勝ったことのある人物が一番最強に近い
>>428 甥だね
まあ、北府の兵ってのは中原からの流れもので編成された軍で扱いにくい軍隊だった
その統括者はやはり優れた人物を当てたって背景はあるから優秀であったのは疑いない
でも候補が多すぎるから外すのも止むを得ないかなってのが俺の意見
誤爆 orz・・・・
どうも失礼をば
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 00:09:34 ID:r8BBwE5zO
一個隊の強さと用兵による全隊を操る能力で分かれるね。
しかしトータルではやはり項籍を推したい。
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 03:13:04 ID:Cp3krQ8NO
フビライ
バヤン
普通にカク去病だろ
あの匈奴をチンカス扱いだし
霍去病は長生きしていたら、どこかで大失敗をやらかした予感がする。
カク去病をあげる奴・・・
関羽だろ
こういう言い方は本人への侮辱になるかもしれないけど
霍去病は長生きしなくて良かったと思う
長生きしてたら衛青が危ないだろ
関羽
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 00:26:54 ID:6OxH6pZj0
何もしてない加工屯
覇王項羽
>>440 何ゆえ隔離されてんの?普通に最強だろ
匈奴を超える機動力でバイカル湖まで到達したとか
まぁ首何万とかは誇張だろうけど
白起じゃね
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 11:38:31 ID:+BkRsUoPO
いやいや徐達でしょ
しゅうそう
かんう
お前等曹豹さん忘れてないか?
結論からすると3200年の歴史で1番を決めるのは無理
中国という名前になった清滅亡後にしとけ
じゃあ林彪
>中国という名前になった
中原を指して「中国」という言い方はかなり古くからあるのだが。
へぇー、へぇー
2へぇ
>>452 でも国号ではなく概念的な一種の地名みたいなもんだわな。
地名というよりは
周辺の異民族に対して中華=中国て感じ
ここまで読んでオレのヒーロー田単がいないなんて
伝説的を通り越して、もはや漫画的な戦術
敵が『おのれペテン師めー!』と悔しがってる姿が目に浮かぶ
あれこそ軍事ロマンチシズムの局地だよ
自ら議論を仕掛けた挙句、負けたのがまずかったか
457 :
hatenada:2007/01/05(金) 18:23:04 ID:xFvmk/tFO
私の頭の中を覗くのは止めて。
それから聞いてないことは対応できないよ。こちらの事情も考えて言ってね。
私の思考と体現者は私自身です。
お前は何を言ってるんだ
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 02:35:48 ID:im7bDtY6O
戦に勝ち、敵勢力のトドメをきちんとさしたことのある武将
これこそ完璧な勝利ということで最強ではないかと
つまり、やはり最強が出るのは統一戦争の時
北方移民族に幾ら勝とうと関係ありません
彼らは後進国であり、宋が武官をないがしろにしてはじめて中国王朝にトドメをさせたのですから
つまり秦、前漢、後漢、晋、隋、唐、宋、明
八つの王朝それぞれで統一戦争に最も貢献した武将八名が時代を越えて比べる事の出来ない最強武将といえるのではないかと
中にはそれらの王朝に属してないのにも関わらず最も貢献した武将もいるかもしれませんね
例えば前漢の場合一番貢献したのは項羽かもしれません
戦国七雄のうち、敵国6国中3国魏、燕、斉にトドメをさした王フンが秦の統一期最強武将か
名将王翦の子供だし、武将としての強さにも結果を見る限り問題ない
前漢統一期最強武将は項羽か韓信か
秦にトドメをさした項羽に韓信がトドメをさしたから韓信かな
秦にトドメは項羽劉邦、項羽にトドメは韓信劉邦だから劉邦陣営から出すしかあるまい
そしたらまあ韓信しかいないわな
もちろん韓信が劉邦陣営に入ったのはかなり後だけど
それ以前の劉邦軍は勝ったり敗けたりあえて戦わなかったり
傑出した武将はいない感じだね
統一する時っていうのは、武力や用兵だけじゃなく、世論や民意といった風が重要になってくるんだよ。
武将だけでかたがつく話じゃない。
そういう時の力を得るのもその武将の実力でしょ
活躍してない名将なんて証明出来ないんだし
だいたい時の力を得てもうコイツの勢力が天下をとるだろうといわれていたやつが失脚した話も多い
その逆もしかり
張須陀
関羽
後はあんまり詳しくないけど
統一期最もトドメをさした武将
秦‥王フンか王翦
前漢‥韓信か項羽
後漢‥劉秀か?
晋‥曹操
隋‥???
唐‥李世民か?
宋‥柴栄か?
明‥徐達か?
てとこかな
まあ最強への一つのアプローチとして統一期にトドメを最もさした武将を上げたわけですが結構強いのが揃ってると思う
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 00:51:45 ID:/Yk6FYOf0
釣れます?
最強が、武勇を示すのか
それとも総合的な軍事能力を指すのか。
両方でしょ、強い勢力にいて
あるいは強い勢力にしてから
勝つべくして勝つ(これが結構難しい)
すなわち最強
弱い勢力に属していて強いと言われる武将は強い勢力の大軍を何度か撃退しただけの場合が多いよね
そんなの日本軍だってモンゴル軍撃退しとるわw
攻めて勝つほうが何倍も難しいのだ
弱いといっても、規模が小さくても内実が伴っていれば、決して弱いとは言えない。
政治、戦略で失敗して人心が離れていたり、内憂をかかえていたりすると、それは滅亡へのレールがセットされたことになる。
そういうときに、外圧を喰らうと崩壊するし、しないまでも今度は内側から破られる。
個人的な武勇を無視すれば、陳慶之に勝る物は無いと思いますが?
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/24(水) 12:25:04 ID:IBmLhJRGO
>>474 芳樹厨乙
ってつっこみが入りそうな意見だな
五十年事に一人最強武将を挙げるとしたら陳慶之は選ばれるだろうね
百年事に一人でも選ばれる可能性もある
五百年事に一人に選ばれたら十人以下に絞られて時代差がかなり開いてるから比べられにくいもうほとんど完璧な最強武将だな
定義が漠然としすぎてて難しいな。
曹操と関羽では強さを比較する上での意味合いも違ってくるだろうし。
総合力で比較するなら個人的には楊業。
宋に下らず、北漢を併呑。
そこを基点に独立勢力として立っていれば宋も遼も問題なく倒せたと思う。
もしこの将がこうしたら、こう出来ればこうなったハズ
という類の話はどの将のどの条件の仮定話なら説得力があるのだ?
実際にその功績のあるすごい名将を仮定話だけで凌駕することの出来る武将がいたとしたら確かに最強かもしれんな
それにはみなが納得するよっぽどの根拠がいるがね
千対千‥勝者関羽
一万対一万‥勝者曹操
以降ずっと勝者曹操
戦い以前に優位を確保する対決‥勝者曹操
いかが?
以降ずっとてのは以降どれだけ兵数が増えてもって意味ね
曹操なんて李世民に会ったら小便垂れ流して土下座するだろ
良い配下を持つことも最強武将の条件にするとしたら
後漢の光武帝
唐の太宗
明の太祖
の三人かな
>>479 個人武力が生きる寡兵対寡兵なら常に関羽圧勝。
大軍の勝負でも曹操が勝つかは微妙じゃない?
荊州から関羽が北上した時は、あまりの強さに遷都を考えるほど弱気になってたし。
今百選スレ見たら面白いことが書いてあった
三万程度の兵で五十万以上の兵をけちらした
それも!?
なんと防衛戦ではないときた
項羽最強伝説始まったな
似たようなことした
あるいはそれ以上の武将いる?
防衛戦はなしで
いろんなツッコミをぬきにして
野戦で幼度が100万の軍を8万で破った
>>484 数の強さが曹操の強さというのなら曹操も正史基準にしたら相当に弱体化するな。
関羽は正史曰く「一人で一万人の敵を相手に出来る猛臣」「国士の風格を持つ」
などの記述も書かれてるぞ。
華雄、文醜を討ったのは演義のみ、しかし于禁を生け捕り、鳳徳を討った話は正史にもある。
余談として骨を削る手術を受ける際に悠々と碁をうち談笑してたのも正史にある話。
推関羽の場合は元から国士無双といえるほどの英傑で
それほどの人物にエピソードがないのはもったいないから
演義ではふんだんに色々な話が追加されたとか?
>>486 幼度て誰かとオモタ
謝玄ね
評価低いよね
しょうがないかw
>>487 まあ中国人は誇張好きだから
関羽実際には一騎当千が妥当かとオモワレ
>>488 陣頭の猛将の場合、麾下の軍を手足のように動かして勝ったイメージがつよくなるが、全軍の総司令官となると、また変わってくる。
謝玄だけの功績でないとする意見が多いのも事実。
しかし、軍事に限らず集団として誰か一人だけの功績ってそうそう滅多にはないもの。
皇帝は唯一絶対としても、軍権や民政権は分散されているのが常だし、一臣下に権力が集中している特例を全時代共通通念のように持って、それで最強だの名将だのを言っているきらいがある。
>>489 なるほど
ではではあなたの最強武将は誰ですか?
あと特例といわれますが、結構そういう機会に恵まれた武将はいると思いますけど
統一前の戦乱期間ももちろん東西両晋時代や五代十国時代は特に
で、まさか特例だから最強とは認めないとか言い出しませんよね?
実際の関羽は一騎当十位だろ
自分の専門は五代なんだけど、乱世だからといって全権を委ねられた武将ってなかなかいないもんなんだよ。
例えば、周徳威。
『残唐五代史演義伝』などでは、晋王の軍師あるいは主砲として、古来から中国名将の第一人者だけど、幽州の攻略戦も対梁戦線も、別に彼の独壇場だったわけじゃない。
目だったから武勲がクローズアップされるけど。
で、梁には一歩百変の異名をとる劉鄩や王鉄槍で有名な王彦章などがいるけど、常に対晋戦線ででずっぱりだったわけじゃない。
劉鄩は李存勗+周徳威に敗れたけど、周徳威は魏州の楊師厚に負けたりもしている。
また、胡柳陂の戦いでは、王彦章は李存勗に負け、賀懐は周徳威を殺している。
そうそう、なにもかも最強なんて武将は少ないのと違うかな。
で、特例な人。
まず五代では存在しえません。アノ時代は皇帝権力回復の時代で臣下の軍権を奪わなければならない時代だったから。
また仮に、そういう人がいても(近いところで後唐の郭崇韜とか、梁の敬翔、後晋の景延広、後漢の郭威などか?)ほとんどがまわりから足を引っ張られ生をまっとうしていない。郭威に至っては皇帝に足を引っ張られたから簒奪に踏み切ったけど。
それでも、そのときそのときの「より強い」あるいは「より有能」だったとは考えてます。
そこで結局、政治背景や制度によって最強は変幻だから、一概に五代の誰々は三国の誰々に劣るとか、いえないと思うわけだ。
ただ誤解しないでもらいたい、「最強の武将」とか「最高の知将」という言葉にはリビドーを感じる。
皇帝に足を引っ張られながらも、李存勗との虚実の駆け引きをする劉鄩(結果裏をかかれたけど)とか
8万の歩兵を3千の騎兵で数里に渡って後退しながら戦い、原野で一気に撃滅した周徳威の用兵手腕とか
たった数千の麾下の兵で、潞州・邢州を落とし官軍に痛撃を与えた李存孝とか
工部尚書というバリバリの官僚でありながら、前蜀平定の名将たる康延孝の叛軍をあっさり撃破した任圜とか
そういうのはすごく好き。
チンケイシは7000の部隊で30万を破ったと聞くがどうか?
すごいよ、子雲どのは。
ただ、名将スレでも言っていることだけど、政治的状況が変わると、その数字の重みも変わる。
単純に数字の比較はできないし、してはいけない。
まず、そのときの背景というものに思いをいたさないとね。
つまり、北魏が政治的に不安定であり、敵軍の士気が高くなかったとか、もともと数を恃んで楽に勝てると信じ込んでいたか。
陳慶之は、そういう相手の弱点を衝いて勝ち続けたんだと思う。
実際無謀な突撃としか思えないから…
戦略的に有利だった相手を、戦場で連破し続けて最終的に勝つという、晋の李存勗のような部類は、相手に強固な結束があっては成功しにくい。
晋が必敗から逆転したのは、局地戦が異様に強かったことと、相手勢力の内部不和によるものと考える。
それがなければ、相手より兵力が多い、あるいは戦略的に有利な地を占めている勢力のほうが勝つ可能性が高い。
しかし、ある程度安定した勢力同士の武力衝突こそ、実はおもしろかったりする。
戦略的に、あるいは兵力的に不利なのを覆すために苦心し、勝つのが名将であるわけだから。
そうなると、国力・経済力・兵力が巨大な方が勝った場合、各方面の将帥はあまり評価されないか?
そんなことはむろんないけど、主観としてインパクトに劣るかな。
仮に、唐初の秦王府軍が、華北を席巻したあと荊州で大敗北したら、蕭銑があまりにかっこよく見えてしまうだろう。
このスレはじめてみたけど面白すぎw
史学科って何にも教えてないんだなぁ
どゆこと?
ここは、専制国家氏がいたところだから、それでかな?
煽るだけ煽って肝心な所触れない。たちわるいな
まぁ過疎ってるからいいけど
なにかで(歴史小説とか)で脚光をあびた歴史人物、とくに名将の類は、最初は結構マンセーされるものの、時間がたつと粗探しがはじまるよな。
ここだけに限らず、人の世の常とでも言おうか…
どの時代であってもこれだけが絶対に最強だ! という人物などいないと、主張はするものの、本音のところではそんなすごいヤツを欲していたりする。
最近、岳飛の評価落ちが結構目に付いてきたけど、改めてその北伐行をみてみると、ほんとに惜しいところまでいっているんだなぁ。
位置で言えば、陳留付近までは攻め上っていたことになるのかな…朱仙鎮は。 汴京すぐそこだし。
これはいよいよ、秦檜もやきが回っていたとしか思いたくないな。
若くして死んだやつは強さに信憑性がない
伝説化のおそろしさやね
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 22:44:43 ID:T7SiANKl0
元末群雄 陳友諒の側近 張定辺はどうだ?
鄱陽湖の戦いで百余の矢を其の身に受けても死なず、
その後も大漢最後の砦として戦い続けた化物だ。
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 13:35:21 ID:NXSXOO5f0
毛沢東に決まってるだろ
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 13:58:33 ID:BYN9Z7DxO
ハンニバルで決まり
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 16:36:42 ID:be5aoDcYO
楊大眼は?
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 17:50:20 ID:kor2RSOkO
こきんとうゎ
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 17:55:47 ID:DJUz8zdm0
霍去病
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 20:44:53 ID:bkS9KSBUO
関羽と張飛ほど個人武勇を称える評判が記述されている人物って
中国史全体でも珍しいんじゃないか?
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 21:57:00 ID:G+hI7kXO0
時代を遡れば遡るほど個人武勇が戦場に与える影響力は大きくなる(よくは知らんが)。
現在において個人の力が強くとも、戦場に与える影響力なんて微々たるもの。
歴史的背景を考慮せずに関羽と張飛だけが、と言ってもかなり無意味。
項羽や関羽の生きていた時代は自らで武器を取って実際に戦っていたのかは知らんが、
横山三国志のような展開があった事も否定できないからだ。
最も現実的に考えたら自らで槍をとって前線に出て
勇ましく戦うなんて事は考えられない事だけどね。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 21:59:21 ID:be5aoDcYO
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 21:59:31 ID:G+hI7kXO0
それに清国・中国の軍人の個人武勇を称える評判がないのは逆に言うと当たり前。
中国史全体でも珍しいと言うより、
当時の戦争の仕方を考えると限定されるのはある種、当然何じゃない?
僕もよく解らない点があるけどさ。
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 22:04:44 ID:G+hI7kXO0
>>513 横山三国志の描写も現実的に考えたら不自然な点もあるよ。
永遠と槍を振り回しているように見えるが、
大概の人間なら重い甲冑を身に着けてただでさえ重量がある槍を
振り回していては、体力を消耗してしまう。
横山三国志では槍をぶんぶん振り回しているが、
現実的に考えたら考えられない。
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 22:47:18 ID:be5aoDcYO
>>515 漫画だ。ツッコムな。三國志の時代は確か重装騎兵って未登場だろ?そんなに重たいもん身につけてないんじゃね?関張の武器は…とかゆうなよ。ついでに日本語書けとかゆうなよ。期末の国語9点だったんだから余計凹む
大将が勇敢に戦うことで何人兵を討ち取ることというよりは、
大将が勇敢に戦うことで味方の士気を上げることが重要だとは思うけどね。
夏候侑
個人の武勇まで含むならダントツで項羽
中国最強はコキントウだろう。
なぜなら彼は核を発射できる。
HAHAHA
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 22:49:54 ID:jj31+fY/0
>>521 中国の核ミサイルの発射システムはどのような指揮系統になっているのかな?
第二砲兵の現場司令官の権限ってどんなものだろうか?
中国って過酷な環境だからすゴイ奴が出てくるんだろうな
日本は生ぬるい環境だな
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 23:40:16 ID:BOo/opf+0
歴代の中国王朝は武官を冷遇し、
文を尊んで武を蔑む風潮があったりしたから、
必ずしも名将輩出の土壌とは言えないような。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 15:28:41 ID:NsVmIZ6C0
sage
ハリウッド武将、ジェット・リーを忘れるな
あ、無視しないで
( ´д)ヒソヒソ(´д`)ヒソヒソ(д` )
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 20:44:00 ID:wX1O/VUq0
勝敗はある程度運だしねえ
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 08:24:05 ID:tgK+cUmBO
戦術最強なら白起かもしれん。
防衛最強なら孟キョウだろう
最も将たるにふさわしいのは郭子儀っぽい
政治力なら商オウだろうな
白起が攻めて孟キョウが守ったらしおなり?
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 03:28:29 ID:cgz0CpAY0
孟キョウはモンゴルの条約を破棄して攻めた人だね
こちらから攻撃を仕掛けるべきではなかったんじゃないか
それは孟珙に決定権ないだろ、
もっと上の文官が決めたことだし。
いくら孟家が岳家軍の生き残りで2万の兵力を持ち、
孟珙個人に政治家としての才能があっても、
宋において進士ではない武官には政策を左右する力は無い。
それどころかモウキョウさんはモンゴル攻めに反対してなかったっけ
政治家としての才能というより、政治的識見があった、遠大な視野を有していた、というところだろう。
民政手腕とかとは、また違うしね。
まぁ、軍事も民政も世渡りも、政治とひとくくりにできるから、間違ってはないけど。
>532
政治家オンリー商オウを持ち出すならもっと優れた人材があるだろう。
やっぱり呉起じゃん。
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 01:46:47 ID:cWOO/YrZ0
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 20:52:10 ID:6Ea/HzDo0
遅昭平
董小平
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 00:06:44 ID:/zwkUsTB0
弓道だと李公か養由基だろう。
個人武勇なら関羽と張飛。
兵一万に匹敵する武は並じゃないよ。
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 09:09:05 ID:/zwkUsTB0
遅尉恭は……え? 双鞭使いなのは「隋唐演義」だけの設定だって?
項羽か岳飛でしょ。コイツら武勇も用兵家としても才能あふれすぎ
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 09:52:56 ID:Qj3cyR6z0
陽大眼
宝浜具と呉竜府の両名が
あがらないのは何故?
宝浜具と呉竜府w
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 18:46:36 ID:c3bwY4go0
わからん。
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 23:38:42 ID:IaEXbKnG0
中国最強は孫武でみな納得
晏逅寺軟體拳(あんこうじなんたいけん)の神人・陳辣韮(ちんらっきょう)。
この人で決まりだろう。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 00:46:20 ID:i3x92AFr0
陽虎
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 03:45:59 ID:RxDgiWT2O
李広
李靖
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 01:07:50 ID:ShN9H02J0
>>551 宝浜具とは
拳法において身のこなしの素早さは最も重要であるが それを倍加させる為の道具がこの鉄騎宙弾である。
その原理は至って単純であり バネと体重による反発力を利用したものである。
これを発明した中国漢代の武術師範・宝 浜具(ほう ぴんぐ)は これを使って地上30メートルまで跳躍し
当時の人々を驚嘆させたという。
ちなみに 日本でも昭和30年代に子供達の間で流行した同形状の玩具・「ホッピング」の名称は
この発明者・宝 浜具に由来することは言うまでもない。
民明書房刊『玩具に見る古代中国の英知』より
呉竜府とは
棍法術最強の流派として名高いチャク家流に伝わる最大奥義・纒がい狙振弾(てんがいそしんだん)
この技の創始者 宋家二代 呉 竜府(ご りゅうふ)は正確無比の打球で敵をことごとく倒したという。
この現代でいうゴルフスイングにも酷似した打撃法は 運動力学的観点からいっても
弾の飛距離・威力・正確さを得るために最も効果的であることが証明されている。
ちなみにゴルフは英国発祥というのが定説であったが 最近では前出の創始者 呉竜府の名前でもわかるとおり
中国がその起源であるという説が支配的である。
民明書房刊『スポーツ起源異聞』より
衛青 vs 霍去病 vs 李靖
では誰が最強?
衛青と霍去病は、武帝からかなり恵まれたバックアップを受けた上での戦果
兵書まで記した李靖には及ばない
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 14:46:57 ID:+v1+tr+N0
中国最強の武将といえば
1.覇王・項羽
2.飛将軍・李広
3.温候・呂布
4.截拳道・李小龍(ブルース・リー)
5.搏撃・甄子丹(ドニー・イェン)
在中国挙世公認
三国誌ランク
一呂二趙三典韋
四関五馬六張飛
劉秀ってめちゃめちゃ強いんだな
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 00:05:25 ID:KlMc/K6P0
光武帝最強
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 01:20:01 ID:qzLN3rHX0
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 23:55:23 ID:GW1wvoMs0
李靖
いまいち目立たないが、やったことは半端でない人物。
566 :
二角先生:2008/01/10(木) 06:47:54 ID:EBDjGG/TO
おいおい俺の居ない所でNO1決めるなよ。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 12:20:29 ID:d+0sZ4+EO
>>560 > 衛青と霍去病は、武帝からかなり恵まれたバックアップを受けた上での戦果
李靖が恵まれてないとでも?
>>567 李靖は前半生、まさに不遇で、そのときはふつうの人だった。
李淵に招かれて、李孝恭の下で用兵を任されて、ようやく
その能力が活かされたという人。
恵まれた、とかいうと、なんか棚から牡丹餅みたいな感じだけど
良い主に巡り合えたとは言える。
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 13:48:39 ID:RiU72uz70
李靖の場合は、主の後援は受けたけど、
功績も半分主に取られちゃった気がしないでもない。
あんまり恵まれてなかったのに勝ちまくった韓信はすgぴい
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 21:30:42 ID:d+0sZ4+EO
>>569 > 李靖の場合は、主の後援は受けたけど、
> 功績も半分主に取られちゃった気がしないでもない。
コンビを組んだわけでもないのに、功績を穫られたなんて、贔屓の引き倒しにもほどがある。
主のために立てた功績なんだからとられるも何もなぁ。
普通あんな大功立てたら粛清されるか干されるかだろ。
それ以前にそこまで信頼して使い続けない可能性も高いし。
器の大きい主君とその信頼に応える名将で幸福な組み合わせじゃないか。
まぁ…信頼受けたにしてもちょっと戦上手いくらいであげれるような半端な功績じゃないけどさ。
573 :
tiger:2008/12/04(木) 16:51:56 ID:Hs1Lq0a20
中共十大元帥 至強!
574 :
tiger:2008/12/06(土) 01:40:21 ID:KIl8XjVw0
林彪 彭コ懷 朱コ 葉劍英 賀龍 徐向前 羅榮恒 陳毅 劉伯承 聶榮臻
曹操しかないわ。
優れてる人ってのは他の能力も人並み以上に優れているものだ。
釣り乙
曹操しかしらないわ
に見えた。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 21:05:40 ID:1fQ8ctCY0
個人の武なら、項羽。
攻めの強さなら、白起。
戦上手なら、曹操。
これら全てに対応出来るのは、韓信。
武名と栄光なら、光武帝。
最強は顔ぶれもそろそろマンネリ化してきたから、二番手三番手なども…
>>578 何度もボロ負けしてる奴を戦上手とは言わない。
なんだと
>>580 死んだら負け。
中原を制覇するまでの曹操の戦績だけでも、十分評価出来る。
>>582 中国の歴史の中では、自ら軍を率いて
中原制覇まで行った奴はいくらでもいるんだが。
そいつらと同等で良いだろ、曹操は。
天下統一した君主やその配下の名将よりは明らかに格下。
また天下統一厨か。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 17:10:46 ID:qk1X6Ryq0
また曹操マンセー厨か
三戦へ帰れ。
いや、曹操ではないぞw
つうか、曹操しか知らんのと違うか?
アンチ曹操は知恵遅れと違うか?
いや、曹操厨も相当だがなw
それにしたって、「天下統一しないと大したことない」とか
もうゲーム脳以外の何者でもないね。
>>582 中原を制覇するまでの過程でも、兵力で劣る相手に何度も負けてるじゃん
それで中国史上最強の戦上手とか笑止w
>>588 最強説に異議あり=大した事ないって勝手に脳内変換するなよw
>>天下統一した君主やその配下の名将よりは明らかに格下。
じゃあ、これは大したことある格下って意味かw
おれはエスパーじゃあないんでね。
原爆だろうな。
結局さぁ、
・個人的武勇(腕力や身体能力。楊太眼とか)
・統率力(大軍を見事に動かすマスゲームの監督者の能力、あるいは士気最低の軍隊の士気をMaxにするカリスマ性。謝玄とか)
・戦術(相手の意表をつき、寡兵で敵を破る能力。武人というより心理学者としての能力かもしれない。陳慶之とか)
のどれを重視するかで当然意見が変わってくると思う(戦略は「武将」スレではあまり関係ないかな。どちらかといえば政治家としての能力ぽい希ガス)。
ので各部門ごとに決めないと、結論でないんじゃね?(まぁ、結論出すスレでもない鴨しれんけど)
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 12:28:40 ID:TGZ6khve0
曹操とか負けまくりじゃん
勝った戦いの方が少ないだろ
馬超とか呂布とかに勝ってるジャン
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 14:26:11 ID:TGZ6khve0
馬超とか呂布にもかなり追い込まれてたぞ
勝率は結構高くね?
曹操の生涯勝率は8割
中国最強たる所以であーる
文学にも秀でて、酒の発明と屯田兵の創始者
これ以上最強の武将はいない
天下統一厨はスルー推奨
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 19:04:36 ID:bpGtZvQy0
ただ戦場において生涯勝率8割以上の戦績を残した人物なら中国史上結構いるだろうけど
文学史にも名を残した人物となると中々いないだろう
でも武将としての資質とは何の関係もないよね。
>>598 屯田は前漢の武帝の時代から始まってるんですが、なにか。
あと、生涯勝率八割どころか、生涯無敗も何人もいる。
呉起とか、韓信とか、李靖とか。
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 20:55:34 ID:GQGXm++3O
韓信は人生最後に大敗してるから
>>601 その屯田と曹操の屯田は違う。
曹操の屯田は中世特有の搾取制度の始まり。
あと賎民としての兵士階級が生まれる端緒。
ただ流民を植民したり、徙民するだけなら漢代にも沢山例があるが、
そこから五公五民とか一番酷いと七公三民ほどの割合で徴収するようになったのは曹操が最初。
漢末の豪族たちの小作人への搾取率と同レベルなので、
中央に権力を取り戻す策としては仕方のない面はあるがね。
曹操が恨まれるのも、異常に民間で漢への郷愁があったのもいたしかたのないことさね。
正しいし、乱世を戦い抜く上で非常に頭の良いことではあるけど、
手放しで英雄的所業と称えられるべきかは…俺は微妙な所だと思うなぁ。
政治的偉業とは思うが。
>>598 酒の発明はどこぞの太守の発明を素晴らしいと讃えて上奏しただけじゃなかったっけ。
曹操が始めたのは屯田兵じゃなく屯田制な。
生涯八割は、そこそこ戦歴重ねていて史書に名が残っていれば一時代に最低三人くらいは居るんじゃないかね。
ま、口調からしてネタだろうけど。
>>601 追記
およそ一敗くらいに限ればもっといるね。
脳みそあるなら戦歴に対しての勝率も考えろよ
10回戦って100%の勝率と
100回戦って80%の勝率は価値がまったく違うだろ
白起、慕容垂も戦歴長くて無敗。
一部の創業皇帝のように、ほとんど負けなかったがために必然的に戦歴が少なくなる場合はどうしたら。
>>608 敵対勢力がショボかったと判断すればいい。
>>606 20回も負けてるようでは話にならんなw
つか、天下統一のかかった大一番で惨敗した(それも国力・兵力で遥かに劣る敵に)時点で終了。
項羽なんかたった1度の負けが致命傷になったわけで。
石勒さんのように、同時代の有名どころには軒並み負けているのに、
中原制覇した例もありますし。
いくら負けても致命傷にしないってのも名将の条件だと思います。
最強の武将とはいえないでしょうが。
>>610 赤壁は官渡に比べれば大一番でもないし
敗因は食中毒がで、曹操の采配は無関係。
曹操が寿命間近でなければ再戦して勝てる戦い。
ま、事実だからな。
>>612 遠征先のような危険なところで食中毒起こさせるとは
采配以前の差配に問題大有りですね。
>>612 赤壁から死ぬまで何年あったか知ってて言ってんのか?
劉邦や李世民はそれより短い期間で統一してるんだがな。
劉邦や李世民のときとでは、地方の力が全然違うけどね。
統一したから問答無用でえらいという考え方は嫌だが
曹操の赤壁や漢中の敗北は、一段落ちるものといわざるを得ない。
漢中は寿命が足りなかったと言い訳できるかもしれないが、江南方面は
江北で泥沼やっている以上、それより南方への展望に薄かった、つまり
征服の意思が希薄だったといえる。
それは実力で江南勢力を従わせられないからであって、スレタイトル
「最強」にはそぐわない。
曹操はそもそも張繍戦の大ポカや、虐殺と呼ばれるレベルの略奪をしないと生き延びれなかった陶謙戦など
かなり序盤の戦略面のミスが目立つな。
黄河南部の地盤を固めるのが早ければ河北制圧も官渡みたいな大差でやらずに済んだろう。
人間らしいとはいえるが、能力を問う場面ではそれは完全にマイナスだろうね。
赤壁にしても何故疫病が流行るかというと、兵站の不備と大軍勢の管理の難しさが一つに言える。
必ずしも曹操の戦略上の失敗がないとは言い切れないんじゃないかと。
最強は絶対ミスしないとか、俺定義はどうでもいいわ
>>619 なんでそう極論にもってくかな。
統一皇帝の時は敵が弱かったなどと言う方がおられるから、
三国時代で、敵が強かったわけではない時に、曹操が自ら率先して失敗してる例を挙げてるわけでな。
ぶっちゃけていうと、他の創業者もや上げられてる武将もミスしてるけれど、ここまでミス多くないって話。
というか、それが曹操の話となると、たまに頭が二進法ってか白か黒かになってしまう人がいて、
「他の奴だってミスしてる」と一回や二回の失敗で牽強付会に評価を同列or曹操が上にしようとする人が
どうも散見されるんだよね。
そりゃ違うだろと。
別に曹操が最強でも間違ってはいない
それは後漢時代の最強候補ということで
しかし時代を越えた中華史上の最強は理屈で決めることは不可能
劉邦やその他武将が同じ条件の元で曹操に勝てると立証できる根拠などない
よって終了
まあ無難に李靖だろうな。
「メリー」って何?
チンギスやフビライがOKなら、中国史上最強は冒頓だろ。
武勇は人質先の東胡から単騎脱出するほど。
戦術は巧みで、部下に一斉かつ一点集中射撃を調教(奈翁に先立つこと2000年!)、父単于を斃し、平城では劉邦をまんまと誘い出し、パンはパンでもコテンパンに叩きのめす。中華帝国を属国化。
統率力は平城包囲戦の際、西面は白馬、東面は青ボウ馬、北面は烏麗馬、南面は…なんだっけ?赤っぽい色の馬。で統一するほど高度に組織化。
征服面積も現在の内蒙外蒙満洲新彊にシベリアやカザフスタンに及ぶ広大な地を支配。オサオサチンギスに劣るものではない(チンギスの征服面積こそ、その麾下の軍団が「駆け抜けた」だけで、どれだけの実効支配を伴っていたかは怪しい)。
てなわけで冒頓最強伝説、ここに誕生。
たかが劉邦ごときをやったからと言って、突厥帝国や契丹帝国をないがしろにするとはね。
韓信に勝ってたら最強と認めても良かった。
冒頓は項羽と戦わせてみたかったな。
曹操
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 08:45:05 ID:OWtJrOIS0
なんか赤壁があったことが前提になってるけど、とりあえず長期的に呉や荊州を
制圧出来なかったという理解でFA?敗戦回数にいれていいのかどうか保留しよう。
南方のクリーク地帯での戦い方に不慣れだったいうのが戦術面での理由だよな。
あと長江の壁という地理的限界。
ここは曹操に限らず、歴史的にも簡単な戦いではない。
孫悟空だろ。
>>628 実際、長江での防衛って、ほとんど失敗してるんだよ。
長江の線まで防衛ラインを下げると、それは亡国の兆し。
それより北の、漢水、淮水をもって防衛ラインとした長期的な抵抗が戦史上数多くある。
曹操の場合、は拙速にすぎただけで、その行動限界点で周瑜の速戦を食らったわけだ。
大敗とは言わないが、曹魏の実効支配限界点が露呈した象徴的な事柄で、
戦術的敗退よりもっと深刻な戦略の限界となってしまっている。
その後の江北での血みどろも、あわせて考える必要もあるんだ。
曹操はせいぜい侯景と同レベルの武将
確かに赤壁当時の孫氏政権の領域まで押し込められた例で防衛できたってあまり聞かないな。
焦らずにまず長江上流域を支配すべきだったかもね。
時間がないにせよ、劉璋政権である限り巴蜀相手は焦る必要がない。
のちに劉備が逃げ込んだとしても荊州きっちり抑えていれば、延岑の再現が関の山だったろう。
曹操は英雄の最強武将だな
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/27(土) 19:28:46 ID:gkatnpQr0
赤壁の敗戦を無視しても曹操が最強候補になることはまずないから心配する必要はない
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/31(水) 21:55:42 ID:z3s3GCEV0
「最強」ってのは、究極の所どんなものかと考えてみた。
まず、戦争に関しては、生涯無敗。
それが自分の武力であっても、戦術の駆使であっても良い。
次に自分の戦略図の完成度。
天下統一、自勢力や国家の維持など、戦争の目的は千差万別。
その中で、その目的を常に達成したかどうか。
これが「最強の武将」としたら、これに近い人物を探すだけだ。
いない。
>>616 劉邦の時代には数年で統一できたものが劉秀の時代だと数十年かかり、曹操の時代だと100年ほど、石勒らの時代まで下ると隋の統一まで300年位分裂期が続く。
そして前漢、新、後漢、晋と人口を見ていくと時期による差はあるが全体的に減少傾向にある。
つまり年を追うごとに中国全体として痩せていたということ。
だからこそ三国時代は劉邦の時に叶わなかった北方異民族征伐に成功した時代であるにもかかわらず統一王朝はすぐに潰れた。
大体が一人の人間の能力の差で何十年、何百年も差が出るほど国家事業って単純なもんじゃない
歴史の流れというのはもっとマクロな所にある。
割と短期間に統一できるのは大抵が前の王朝をはっきり打倒したとき
秦楚漢とか隋唐とか
分かりやすいと諸侯へも人民へも求心力が違うんだろう
前王朝がgdgdになって周→春秋戦国に似た形になると分裂長い
西晋なんてまさに周みたいな没落の仕方してその後の分裂なげえ
三国志時代ですっぱり統一はトウタク討伐軍がきっちり勝てばあったかもくらい
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 21:31:11 ID:Qy+kklUWO
誰か教えて
晋は司馬炎が作った
同じ字の晋ってのもあるよね?
意味わからん。何を言っている?
春秋の晋や五代の後晋だろ
楽毅=イチロー
楽進=松井さん
影響度とか突出度とか..
満場一致で曹操に決定。
NGワード「曹操」推奨
どうにも脊髄反射してしまう曹操アンチのイタタが目立つスレだなwww
>>647 いや、つうかゴキブリを部屋で発見したら叩くだろ?
ゴキブリはいつ出没するかわからないけど、見つけた以上はなぁ。
人をゴキブリ扱いするあんたはさしずめゴミってとこですな
ゴキブリとそれが出没するような汚い部屋で腐ってる生ゴミ、お似合いですわ
何逆ギレしてんだよ曹操ヲタ
おまえらには専用隔離板にあるんだからとっとと帰れや
基地外は隔離病棟から出てくるな
満場一致で曹操に決定。
じゃあ曹操で決定って事で終了かな。
曹操って誰?
何度も惨敗してる上に中原を押さえてから約20年もありながら統一できなかった奴を
よく恥ずかしげもなく最強とかほざけたもんだな。
三国時代はレベルが高いからしょうがない
レベルの高さを、個人の能力「だけ」とかと勘違いしないようにね。
日本語でおk。
普通に考えれば曹操だろうね。
異常に考えても曹操だよ
邪に考えて曹操でしょ
アンチ必死で泣けてくるw
キングゴンタがどう考えても最強ではない曹操をことあるごとに持ち出してスレを荒らした反動。
この手の議論で曹操は鬼門だ・・・
曹操厨がいないと盛り上がらんだろ
そういう盛り上がりは御免蒙る。
と言いながら一ヶ月レス無しの末期スレ
政治、智謀、軍事を兼ね備えた太公望
呂尚を推す
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/16(火) 22:44:42 ID:ccWvHSPs0
20代で中国史上に不滅の名を残した項羽
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 04:57:20 ID:tlJtvp0Z0
,, -──- 、._
.-"´ \.
:/ _ノ ヽ、_ ヽ.:
:/ o゚((●)) ((●))゚oヽ:
:| (__人__) |: ぷ・・・
:l ) ( l:
:` 、 `ー' /:
:, -‐ (_). /
:l_j_j_j と)丶─‐┬.''´
:ヽ :i |:
:/ :⊂ノ|:
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 18:31:10 ID:rzAys9qG0
まぁ普通に考えたら呂布だろ。
関と張が束になっても勝てなかったってんだからw
名前からしてロシア人か?外人っぽい描写が多いがw
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 21:51:27 ID:geonoGz4O
ねえよ
〜ロフw
これをロシア風というアンタすげぇよ
674 :
厚生労働省:2009/09/06(日) 18:41:58 ID:mkTE0qxr0
周倉
項羽>>>>>呂布
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/06(日) 23:46:40 ID:9ZhqNe9TO
俺
始皇帝や項羽の時代はまだ武芸なんぞなかった
原始人の猿同士のとっくみあいみたいな戦い方だった
呂布の名を上げる奴は、源平の頃にしか興味がなく知識もない外人が
日本最強の武将は源義経、または武蔵坊弁慶だ、って言い張って頑なに反論を認めない奴と同じ匂いしかしないな
唯一無二の最強を謳うなら、せめて他の時代も一通り調べて、比べてからにしてくれ
名将五強を選ぶなら、韓信、劉秀、李靖、岳飛、朱元璋かな
李世民も入れたい所だが一時代で2名選ぶのは、贔屓っぽくなって気が引ける
岳飛→孟?
朱元璋→徐達
を推す。
岳飛も捨てがたいよな。
討伐平定領域なら、韓信に勝るとも劣らず。
李靖には負けるけど。
まあ普通に呂布だな。
>>678は世間知らずのアホ。
671 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [] 投稿日:2009/08/12(水) 18:31:10 ID:rzAys9qG0
まぁ普通に考えたら呂布だろ。
関と張が束になっても勝てなかったってんだからw
名前からしてロシア人か?外人っぽい描写が多いがw
681 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日:2009/09/18(金) 16:23:04 ID:6atEA1kE0
まあ普通に呂布だな。
>>678は世間知らずのアホ。
↑マルチ乙
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 21:00:43 ID:/mgOouCe0
韓信とか項羽だろうな
殷→周の時代の人なんかぶっ飛んでる
幻術使ったり、擬態したり、悪霊なんて出た日にゃ、もう・・・
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/04(金) 18:36:44 ID:LJD14XNJO
頭突きで山を破壊する共工が最強
神話や神魔小説からでもいいのか?
ナタとか二郎神、孫悟空に関帝のような
チートもおkなルールだったっけ?
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/04(金) 20:53:55 ID:LJD14XNJO
ごめん言ってみたかっただけ。実際には多分項羽
三国時代の場合
後世で最も強いと讃えられてる横綱級豪傑は関羽、張飛
魏の楊大眼はそんな関羽、張飛以上と讃えられたわけで・・・
これだけでも
楊大眼>関羽、張飛>呂布
とは分かりやすい構図だよね
○○以上、とか額面どおりに受け取っていいのか?
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/05(土) 11:31:38 ID:sW5zKJArO
呂布は関張劉を同時に相手にして戦って負けなかったんじゃなかったっけ?演義だけなのかな
なぞらえられたり、讃えられたからといって、その人が過去の人より
優れているかとか、劣っているかとかの証左にはならないのだけどな。
とにかく、それぐらい当代ではすごいってだけの話でして。
>>691 こういうスレなら当然加味すべき要素だろ
中国史全体から決めようというんだから
当代からの史実一本では分からず屋の三国厨が吼えまくりで困る
>>692 そりゃ最強を語るスレであり、それは大いに興味深いけど
だいたい基準が三国志なのはどうかとも。
別に俺は三国志基準とは言ってないぞw
ただ「当代の史実」基準では上で見たとおり三国志正史だけしか知らない
三国厨の喚きがうざったいので、三国時代に限らず時代代表を
選出したいのなら他史から絶賛もあってこそ「中国最強」に
ふさわしくなるんじゃないのかな、と。
たしかどっかに中国英傑ロワみたいのがあったよな
>>694 ちょっと思ってることと違うが、人も少ないし了解した。
実際に一騎討ちの記録があり、圧倒的に勝ち続けた
周徳威と夏魯奇を推しますぜ。
夏魯奇は、本当に二人同時に相手取った猛者。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 17:31:40 ID:F1DYiYGs0
すいません 光栄の三国志で中国の武将つくってるんですが
隋の暴君と李世民の能力がきまりません
アドバイスお願いします
なにを基準にするかによってすっごい変わると思う。
コーエーのゲームは能力数値を100分しているわけだから
誰が最高値で誰が最低値か、というところかな。
隋末唐初だけだったら、李世民など最強の部類だけど……
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/18(金) 21:32:12 ID:yEIXO4G20
李世民って高句麗遠征ことごとく失敗したんだよね
そうだね。
韓信しかいないかなと思う
ここまでどんな状況だろうがどんな難敵だろうが必ず勝つ奴は他にいない
実績でいえば白起も凄いけど秦が元々強国だったことを考えてマイナス
韓信は異民族と戦ってないのがマイナス。
冒頓に勝ってれば満場一致で中国史上最高の将軍とされていただろう。
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 23:38:22 ID:lE5qtxcY0
問題は韓信以外の将をどれだけ知っているか、だな
趙雲もたいがい強いと思うぜ。
長坂波の一騎駆けは圧巻だぜ。
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/19(土) 23:58:14 ID:gi3wayfQ0
vs匈奴:衛青、霍去病
vs突厥:李靖
vs高句麗:李勣
vs契丹:楊業
vs女真:岳飛、袁崇煥
vsモンゴル:孟珙、徐達、常遇春、永楽帝
vs日本:戚継光
vsジュンガル:康熙帝
内戦:韓信、光武帝、韋孝寛、李世民、趙匡胤、洪武帝
対外戦争全般:蘇定方
転載
康熙帝の親征って実際に指揮はとってないんじゃなかった?
あと、戦術指揮能力に限れば斛律光>韋孝寛だろう。
こんなもん格闘技板や武道板の連中がやってる
「最強の格闘技はなにか」
「歴代最強の選手は誰か」
と同じだろうが
歴系の板でも過去何度も同じような事をやって結局このみの押し付け合いにしかならん事はわかりきってるのに
何故何十度でも同じことをやるのか
中の人間が一定していないからだよ
>>708 各時代の代表格3〜5名くらいのピックアップ表でも
並べるのが一番平和な流れになると思う
>>708 あと289レスだから。
似たような趣旨のスレは沢山あるから次スレはいらない
斛律光
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/31(木) 20:58:29 ID:CqGVYkUu0
gdgd
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 02:04:58 ID:jr0haZl20
現代だと白崇禧、薛岳、孫立人、林彪あたりか
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/06(土) 08:37:41 ID:CjANwoiq0
上杉謙信と韓信にそれぞれ1万の兵を与える。
さて、勝負の行く末は?
上杉謙信→日本史上最強の武将
韓信→中国史上でもベスト30ぐらいの武将
勝負にならんよ
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/07(日) 10:19:37 ID:LGNygMmi0
>>716 項羽の精鋭旗本8000人と上杉謙信率いる15000人(柿崎健在)
が野戦すれば軍配はいかが?
越後上杉の主力は四千弱で、旗本はもっと少なかったはず。
戦場にもよりけりだけど、平野の戦闘なら、主力の数が多い方が
そりゃ勝つわw
兵員あわせの徴発兵は問題にならん。
勝った後の追撃による殲滅を狙えるくらいか……
日本か、中国華南みたいに地形が複雑なら、やりようもあるとは
思うけど、そもそもの戦略条件がどうかにかかっている。
平野の戦闘なら中国、山岳戦なら日本の将軍に分があるんじゃないかな。
伝統的に散兵戦術な日本は平野ではやや不利な側面があると思う。
日本や朝鮮みたいな山の多い地形なら無類の強さを誇るだろうけど。
あと、韓信はこと戦術面に限れば欧州史にもよく比されるほどのしっかりした記述が残っているということは忘れちゃいかんよ。
先頃亡くなられた、元陸将補でアメリカ陸軍大教官等を歴任された松村劭氏の本にも、日中含む東アジアからただ一人戦術が引用されていた。
>>719 まぁ、それは韓信が史記等で有名だからというのもあるかもしれないけどね。
中国でも華南の将帥や、こと遊牧民に対抗するときは、地形をうまく活かした
戦いをするよ。
戦場の条件によりけりだけど、いかに中核の部隊が強いかにかかってくるな。
与えられた兵や、水増し要員より元従の兵が強いのは、将帥の呼吸に
慣れているから、動きのレスポンスがいいせいだと思う。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/07(日) 12:15:33 ID:UdVIsiZ60
>>716 田舎のお山の大将と
統一に貢献した国士無双が勝負にならんとかありえんだろ
>>721 中国は戦争弱い奴らの集まりだからそこで統一に貢献しようがクズだろ
一方の日本は鎌倉武士レベルですらモンゴル軍を撃退してる
日本の武将をメジャー選手としたら中国の武将はセリーグレベル
こういう、侮日バカと国粋バカがバカ同士で蔑みあってるのを見るのはいっそいたましいな。
こういう可哀想な方々が、その薄汚い豚めいた発言を周囲に嗤われる前にその愚かしさに気がついて、
ちゃんとした客観的評価を披露出来るようになるのはいつの日のことやら。
モンゴル軍を撃退だけなら、中国側は数十年に渡って撃退しているんだがな
二度撃退しただけで最強とか、どういう根拠と比較でやってるのかしらんが
もしかして、何かに勝利したものは、いついかなるときでも勝利者になるとか
思っているわけでもあるまい。
史記みたいな小説丸出しの文章の記述信用してる奴って武田騎馬軍団がリアルに存在したと妄想してるレベルだな
>>723 上杉の日本一に異を唱えてなんで日本を馬鹿にしてることになるの?
おまえのように突然現れる優越的な第三者は
他所の板でヲチされ馬鹿にされるだけだから書き込みをやめた方がいい
>>727 あーこいつにマジレスなんてしなくて良いぞ
要約すると「俺様は客観的評価が出来る男だ」ってことが言いたいだけのカスだからw
歴史語るのに主観が入らないわけが無いんだが
そういう部分の柔軟性にかける精神障害者なんだろう
>>722 >>716もそうだがその脳内ランキングは珍しい
試しに日本史上、中国史上、それぞれのベストテンくらいまでを挙げてもらおうか
李靖李世民李勣朱元璋徐達孫武呉起陳興道岳飛劉秀
とりあえず適当に韓信より上の人間を10人挙げた
韓信を100点満点評価すると
人間性5点、死に様5点、中国での評価30点、世界史的重要度30点、戦術戦略90点、名前のかっこよさ20点
ただの戦上手だな
日本(明治維新以降は含まず)
1 源義経(タイプ的には韓信に近い、詭計の天才)
2 織田信長(まあ、別に秀吉でも家康でも誰でもいいけど)
3 足利尊氏(ピュロスの勝利の体現者、人格者なんだがねえ)
4 源義家(武家政権以前の名将)
5 今川了俊(最強の鎮西探題、寿命、文才とも怪物級)
6 楠木正成(天才戦術家、寡兵で大軍を破るを最も得意とす)
7 大内義興(戦国時代前期の覇者)
8 毛利元就(でも、大内・尼子の蹉跌あってこその毛利政権だけどな)
9 長尾為景(Mr.下克上)
10 天武天皇(火の鳥太陽編を昨日読んだから)
中国(辛亥革命以降を含まず)
1 李靖(隋〜唐)
2 韓信(楚漢戦争)
3 李世民(隋〜唐)
4 劉裕(東晋〜南朝宋)
5 韋孝寛(北魏〜北周)
6 朱棣(明)
7 霍去病(前漢)
8 孟珙(南宋)
9 王翦(秦)
10 項籍(楚漢戦争)
完全に独断と偏見
>>731 天武天皇糞ワロタ
そんなもん入れるなら東郷か秋山入れてやれよ
あ、近現代は入れてないのか
なぜかは知らんが
>>730 列挙ども
だが何で陳興道がそこにいるんだよw
>>732 何となく、天武は入れたくなった。
まあ、軍事クーデター自ら起こした天皇ってのは存在が確定している連中の中では
この人ぐらいだと思ったから。
結構、傑物だと思うぜ。まあ、決定打は昨日漫画喫茶で読んだからだけど。
>>731 自己レスだが、劉秀と趙匡胤は気がついたら頭の中から消えていて載らなかった。
載せるスペースが十傑だと無いんだけどね。
陳興道を評価するなら、なぜ孟珙が入らんw
日本も合わせて、モンゴル軍撃退アジアの華じゃないか
げ、リロードしてなかった
>>730の点数評価を見てその性格や魅力を重視していることを不思議に思っている人がいるかもしれない
では俺がカッコ良さや人気知名度を何故重視するのか、そして何故謙信の圧勝を予想したのか説明しよう
その理由は前提条件にある
まず、1万人ずつの兵を持たせるとあるが、この1万は一体どんな1万なのか
それぞれの1万に有意な差が出ている場合、将ではなく兵の装備や力量で勝敗が決まる可能性が高いことは言うまでも無い
現代の軍隊1万に同数の紀元前の兵士が勝つなど指揮官がどれだけ優れていようが到底不可能な話
では、韓信は漢軍、謙信は越後軍をそれぞれ率いるのだろうか
しかしこれもちょっと待って欲しい、何故紀元前の軍隊と16世紀の軍隊を戦わせるのだろうか
時代が1000年以上も進めば兵器や装備はもちろん軍制面でも圧倒的優位に立てることは明らかで、あからさまに不公平というものだ
従って俺は公平公正に彼らを比較するために兵士の選別方法を考えることにした
当然のことだが、この板に書き込む人間がもっとも詳しい時代は今生きている現在で間違いない
歴史書を読んでいくら夢想しようが、実際に肌を合わせて理解してきた人間たちには敵わない
従って我々が議論するにあたり判断材料として用いるには、現代を生きる六十数億人のうちから無作為に2万人の青年男子を抽出し兵とすることが最も合理的で公平といえる
その条件で考えた場合、人としての魅力や知名度というものは非常に重要になる
まず世界的知名度を比較してみると、これは明らかに謙信の方が上となっている
wikipediaの上杉謙信についてのページは17言語、一方の韓信はたったの7言語しかない
最近は戦国BASARAや戦国無双そして戦国ランスなどの影響で謙信は世界中の若者にとってのカリスマとなっている
もしアメリカのOTAKU青年が韓信軍に配属されたらどうなるか想像してみて欲しい
「ファック!チャイニーズなんかに従ってられるか!俺は謙信軍に寝返るぞ!」と憤る青年が目に浮かぶ
結果的に韓信軍に配属された世界の若者たちは謙信軍の元に脱走し韓信軍に残るのは中国人のみとなる
ではその中国人も素直に韓信に従うのだろうか、相手に数的優位があるにも関わらず大人しく韓信を信じるのだろうか
ここで中国での人気や逸話が重要になる
股くぐりやらニート伝説そして主君の高祖を裏切って女に殺されるという無様な死に方など、マイナス要素ばかりである
さらに個人の武勇や武威など一ミリも持たず、面構えはあの項羽や劉邦すら才能を見抜けなかったほどにしょぼい男なのだからどうしようもない
ここまでくれば中国で知名度が多少あろうが焼け石に水、命の惜しい中国人も皆謙信の軍に寝返るに違いない
もし韓信が岳飛のような救国の英雄であったなら中国人が団結し組織が強固になることも考えられたが、韓信ごときではまずありえない
というわけで戦うまでもなく韓信軍は壊滅、謙信の圧勝という結果が導き出されるわけだ
>>739 大真面目に反論させてもらうぜ。
韓信は組織作りマニアと言っていいくらいの、一から軍隊を鍛え上げるのが得意な男だ。
二度も劉邦から兵力を取り上げられながら、募兵をし訓練しつつ趙・斉を平定している。
>>739の仮定する状況では最も有利な男だ、世界史で見ても韓信かヴェリサリウスぐらい
しか、こんな綱渡りはできないと言われている。
しかも、世間の人間は韓信が臆病者の股夫と知ってた上での実績なんだぜ。
対して長尾景虎は親から引き継いだ越後兵、直江津などの財源、越後守護代などの
肩書き、それらを持って「戦国最強」と謳われていたのかもしれないが、無作為抽出の
成年男子2万人を与えられても、何もできない。
越後に連れ帰って農奴として扱うぐらいしかできないし、その実績しかない。
これが無作為抽出ではなくて武士階級とか含めることができれば話は変わって来るんだが。
このシチュエーションで戦うには相手のチョイスが悪すぎたな。
>>739
>>740 現代人が韓信の言うことなんて一々聞くわけ無いだろ
言葉も通じないただの糞浮浪者の中国人が現代人を束ねるなんて不可能
見た目も良くてオーラのある謙信の元に人は集う
大体韓信がそんな人を従わせるのが得意ならもっと早く頭角現してたはず
漢の大将軍って肩書きを使ってアンチ楚の兵士たちを上手いこと従わせてただけの糞浮浪者野郎を過大評価しすぎ
>>731 秦なら王翦より白起じゃないの?
長平の戦いばかり有名だけど、平原君の伝の中で「戟を持す兵百万の大国楚に
わずか数万で攻め込み一度目で首都を陥落させた」とか言われてたし
ライバルだった趙と楚、どちらも彼が弱体化させたからこその
秦の統一だったと思う
>>742 将軍になった次の年にイケツで連合軍を寡兵で粉砕してるのも凄い
戦争ってのは才能なんだと良く分かる
自分でやろうと思ったけど中国は範囲広すぎてベストテンじゃ枠が足りないな
日本
物部麁鹿火、天武天皇、坂上田村麻呂
源義家、源義経、楠木正成
毛利元就、豊臣秀吉、徳川家康
大村益次郎、大山巌
この中からマイナス1
>>741 あんた主観入りすぎ。
前提からして上杉謙信が勝つことが決まっていて、理由は後付になってるじゃないか。
主観を全部捨てろなどと無理なことは言わんが、小なりとはいえ歴板のひとつなのだから
客観性をもたせる努力が必要。
>>言葉も通じないただの糞浮浪者の中国人が現代人を束ねるなんて不可能
そんなもん、中国人なら従うだろ、ふつう。従えば、10億人だぞ?
国史の英雄でも現代人が従わないというなら、日本人だって上杉謙信に従うとは
限るまい。武田ファンや織田ファンならなおのこと……
客観的で公平な比較が出来ない奴はとりあえず書き込むのやめて欲しいな。
ここの奴らって主観入りすぎなんだよ。
>>744の選別も最悪。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/08(月) 10:39:13 ID:cAivz95l0
上杉謙信は小田原城を落とすことができなかったし、武田との戦いで完全勝利はない。
戦術レベルで強いのは真田幸村の父、昌幸では?
中国は?だね。
匈奴で最強武将を知りたい。
>>747 城篭りと城攻めを比べるのもどうか?
上杉謙信は関東では10万の総軍を率いた経験をもつ大将で
小田原は豊臣20万でも、力攻めはしなかった。
(できたかもしれんが、被害が大きいとわかっていたからしなかった)
真田を比べるなら、北条とかの籠城上手とじゃないか?
ちなみに、中国では籠城で大軍をひきつけた名手として
唐の張巡(安禄山軍を2年)
唐の趙犨(秦宗権軍を300日)
南唐の劉仁贍(後周軍を1年4ヶ月)
てぇのもある。
723 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/07(日) 17:56:17 ID:WM7lnM/B0
こういう、侮日バカと国粋バカがバカ同士で蔑みあってるのを見るのはいっそいたましいな。
こういう可哀想な方々が、その薄汚い豚めいた発言を周囲に嗤われる前にその愚かしさに気がついて、
ちゃんとした客観的評価を披露出来るようになるのはいつの日のことやら。
746 :名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/08(月) 09:39:22 ID:l0JkxAnh0
客観的で公平な比較が出来ない奴はとりあえず書き込むのやめて欲しいな。
ここの奴らって主観入りすぎなんだよ。
>>744の選別も最悪。
非コミュほど公平とか客観的とかいう言葉を根拠なく使うのは何故だろうか
項羽とサシで勝つ人はいないのでは。
秦楚漢であれば、そうだね。
他の時代と比べても、そのインパクトは言語を絶する。
ただし、時代によって人間の能力が飛躍的に向上したり
しないと思うので、いつどの誰と戦っても勝つとは限らない。
軒轅、天乙、姫発
孫武、呉起、田忌&孫臏、武霊王、白起、楽毅
韓信、周亜父、霍去病、光武帝、曹操、陸遜、ケ艾
祖逖、桓温、謝玄、拓跋珪、劉裕、拓跋Z、韋叡、陳慶之、陳覇先、韋孝寛
李世民、李靖、李勣、李存勗、趙匡胤、岳飛、韓世忠、孟珙
バヤン、洪武帝、永楽帝、ヌルハチ、袁崇煥、ホンタイジ、康熙帝、乾隆帝
孫武が戦略を練り、冒頓と韓信が前線の指揮を取る。
食糧の調達は孔明と司馬仲達。突撃部隊の大勝は項羽。遊撃部隊にケ艾 。
最強ではないけど、姜維はどう?
蜀の精鋭が籠る剣閣だけは、魏が手を出せなかった。
韓信と姜維なら力量は後者?
なんつーか姜維なんてこのスレで名前を出すことすら図々しい
信者自重しろ
三国蜀なら関羽、張飛、諸葛亮
このあたりだろう
諸葛亮はともかく、関張は最強の意味合いというか方向性が違うな。
諸葛亮だって違うだろ
それは関張を褒めすぎだろ
せいぜい英布彭越クラス
それは関張を褒めすぎだろ
せいぜい英布彭越クラス
その境目がよくわからん
関張も時代を代表するトップレベルの豪傑だぞ
項羽だけが何故特別?
彭越って韓信とほぼ同レベルの評価なんだぜ、後世的に。
漢の功臣、韓・彭とセットでいわれている。
>>763 時代ではそうなんだが、項羽にはそのエピソードに
すごいのが多くてね。
どうしても贔屓目でみてしまう。
関羽や張飛に、ひと睨みで匈奴を撤退させる威風が
あるのかどうか、というあたり。
諸葛亮は高祖に酷いこと言ったよね
>>765 10人の武将と同時に一騎討ちして勝利とか、英傑、と言うエピソードばっかだし。背水の陣だってもっと
徹底したものを韓信よりも前にやってる。相当に兵家の道を勉強したんだろうなと思わせるエピソードあり。
そりゃ一流の才能持ちの自分が居れば劣る2流の才能や狡い才能の持主は要らんと言う思想にもなるわ。
だから韓信や陳平の離脱もうなずける。居たってメリットがまったくないから。
>>767 秦統一後の、英雄不在の中ではひときわ異彩をはなってるとは思う。
結局は、漢王陣営の謀略に切り崩されて、半狂乱になってしまうのだけどね。
天下を得るには、強さだけではダメなんだよ……
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/11(木) 20:17:00 ID:ODytHYb40
>>768 孫子の兵法の「誇り高いものは辱める」を遣られたのが痛かった。
それを念頭に措いて無視して行動してたら案の定、やられっぱなしになった。
しかし反応したら負けだから、耐え抜いた。哀しいなあ、矜持を持ってる英傑ってのは。
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/11(木) 21:33:10 ID:fYw8HwfyQ
間違いなく項羽だろ
あの若さで世界史に不滅の名を遺した希代の英傑。
高貴で美青年な外見とは裏腹に戦場では無双の武勇。
老軍師范増と共に敵国の名だたる勇将智将を次々に粉砕。
死の直前でも、28騎で数万の大軍を散々に蹴散らした。
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/12(金) 02:11:47 ID:9zHibaDn0
張自忠
張良と孔明を比較したら、戦略はどちらが上ですか?
張良。
引き際を知って最高の機会を待って闘うのと無駄だと解ってるのに面子と遺訓にとらわれ北伐繰り返した孔明では格が違う。
>>765 そんなこと言ったら
関羽や張飛は六朝時代に古代豪傑の代表格的な
存在とまで語り継がれてるほどだったぞ。
贔屓目はどちらもほどほどに、ということで。
少し前に言われてたじゃん。
楚漢時代の横綱、項羽
三国時代の横綱、関羽
って。
トータルバランスで見たら、項羽軍より蜀漢軍より
唐太宗軍の方が遥かに強そうだし。
一人だけが強くても戦は勝てんのよ。
条件同じで戦に勝つだけなら項羽ならいくらでも勝てそうというのはある
それにスレタイと豪傑かどうかは関係ないんじゃないですか。
三国時代なら曹操が横綱かと
そう、最強の武将だからね。
一人だけを決めようとしてるから
色々とゴタついてるのか。
孫武、呉起、白起、項羽、韓信、霍去病、光武帝、劉裕
李靖、蘇定方、李存勗、趙匡胤、岳飛、バヤン、洪武帝、永楽帝
>>774 関羽や張飛ってのは、股肱としての豪傑であって
臣下にその誉を映すのは、そうした股肱としても
期待しているという点も強いと思う。
臣下や部下を項羽に比してしまうと、自分の比するべき
対象がないからね。
あるいは、危険さを伴うこともある。
隋末、項羽の再来と呼ばれた楊玄感は、逆臣だけにそう呼ばれるだろうし。
万人敵を誉とするなら、「無敵」と呼ばれた楊重貴こと楊業などもいるぞ。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/12(金) 22:58:47 ID:rncUeI/7O
張良、霍去病。
張良は言わずもがな、霍去病も格が違う。
10代で一軍を率いて大戦果をあげるとか正に天才。
漢の騎兵戦術を、衛青以上に合理的なものにした。
ちなみに張良も霍去病も、麗人と見粉うばかりの美少年だったとか。やはり人気の元は容姿か。。。
張良が軍事的な幕僚と言うのには納得するが、武将と言われるとなんか納得しかねるところがある。
>>773 孔明は戦略面で結構負けもある。
張良は負け戦は避けて、勝ち戦しかしない堅実タイプですね?
>>779 項羽は暴れるだけで能のない奴と見なされてただけなんじゃないの?
将として最低限、持ち合わせてないと評価にすらならないものが
「忠義」だと思う。
>>783 項羽は「帝王」(君主)として、不適合だったわけですよ。
暴れるだけで能のない男に、一時的でも天下を収める
ことはできないでしょ。
実力がまず第一にあり、次に部下に恩賞をわける度量が
ないといけない。
項羽は後者に著しく欠いた。
そこを漢王陣営につけこまれたわけだな。
臣下としての猛将を評価するのか、独立して一国を担う君主として
評価するのかで、また変わってくるがね。
その意味では、趙匡胤はそのふたつを網羅できる稀有な存在だな……
>>784 柴栄という先駆者あっての宋王朝だけどな。
柴栄も自ら陣頭指揮するほどの傑物、趙匡胤には劣るけどね。
やっぱ猛将兼君主の最高峰は劉裕だな、人間的な魅力は足りないけど。
>>785 宋という国号が奇妙な符合だねぇ。
劉裕はあんま詳しくないが、彼も東晋期における武勲が著しく
やはり実力ある武人が帝位につく、というある種のテンプレート
がここに発揮されたわけだ。
その意味では項羽も趙匡胤も、そう変わりがない。
趙匡胤は皇帝になってからは、戦場の猛将という役割を棄てて
武断的処置を排したことが、項羽とかとは違う、長期政権への
礎になったわけよ。
>>786 実力ある軍人が簒奪するというテンプレートの最初期バージョンこそ劉裕
従来までの軍事力を有する貴族や外戚らが簒奪するという構図を塗り替えた。
まあ、奴隷から皇帝になった人間もいるから、下を見たらきりが無いが。
項羽はまがりなりにも(没落したとは言え)士大夫(すなわち貴族)層出身だから、
当時の国際的な(旧六国間の)外交感覚を肌で感じることが出来なかったというのは、
凄えダメダメ感を感じるんだよな。
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/13(土) 14:24:17 ID:DpUgcbMh0
暴力ばっかで解決してたからかな
脳味噌が育つまで項梁の下で下積みしてたら完璧な存在になってたかも
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/13(土) 15:38:07 ID:O0GqcoPcO
項羽が残忍な一面を覗かせるようになったのは対秦戦で項梁や身内を無惨な殺され方で相次いで失ってから。
20そこらのガキだった項羽にはショックすぎる現実だよ。
>>787 奴隷から皇帝といっても、時宜というのもあるし一概に
これが上でそれが下というのも、どうかとは思うが。
能力の発揮という点で言えば、体裁の続いた王朝より
反乱軍の方が発揮しやすいというのもあるだろう。
>>構図を塗り替えた
特に南朝で色濃くなってしまったが、北宋成立まで続いた
一大歴史的勝者の構図というやつだな。
その線でいけば、むしろ李世民の簒奪は許容される……と思う。
>>78 餓鬼の頃から項梁の下で諸国を流浪しつつ観察して情報収集を
行なってたから士大夫目線よりも庶民の目線に近いんだろうさ。
士大夫には常識でも、庶民の常識から見れば非常識に映ることが良くある。
宋義を殺したのも、それに照らして許せんと感じたからだし。
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/13(土) 17:38:03 ID:DpUgcbMh0
煬帝と太宗はキャラが被る
魏徴というストッパーがいたかいないかだけじゃねーかな
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/17(水) 06:54:34 ID:lBQdafP10
>>1 3千年に1人くらいは常勝不敗で白兵戦もいけるようなチートがいるだろう
項羽レベルの人傑はそうでないからなぁ
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/21(日) 14:27:04 ID:83zV5rd50
>>773 中国を統一した劉邦と、三国のもっとも弱い国の劉備。
張良と孔明を比較して、孔明に北伐以外の選択肢は無いと思う。
>>794 もうそんなレベルになると
小説にでさえ、数えるほどしかいないぞw
封神演義の元始天尊とか太上老君とかになりそうだ。
ラスボスすぎるw
項梁が王朝を開いてたら項羽の扱いはどうなったろうか?
義帝の扱いをどうすればいいのかわからんけど
関中王のクダリで、劉邦に項羽が怒ったのは、劉邦が阿房宮を私掠してしまったからだろう。
そして、法三法を施行したこと。義帝の赦しも得ずにやるんじゃねぇと怒ったんですね、ええ。
あそこらへん、史記の記述は矛盾だらけでございますときたもんだ。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/22(月) 13:25:23 ID:4RYmLW+j0
>>778 その中に岳飛が入るのにすごい違和感がある。
あいつそんなに名将か?
俺としては韓世忠を入れるべきだと思う。岳飛なんてこいつに比べたら小物。
岳飛は中国人にとっては英雄代表だし日本の遊牧民オタにも崇拝されてる
韓世忠って一発屋じゃん
手柄だけ比べると韓世忠の方が上に見えるわな
韓世忠良臣ってすげえ名前だな
項羽と呂布がサシで勝負するとどちらに軍配?
項羽じゃね
>>807 項羽の圧勝。
項羽の最後の精鋭28騎もかなり強い。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/24(水) 16:58:19 ID:1sBxitMe0
韓信は一度項羽にボロ負けしてるんだよね
だから最後は大軍でおいつめた
でもそれをかいくぐる項羽ってどんだけ強いんだ
項羽厨の盲信度は半端ないな
ほとんど病気
項羽と書いてヒーローと読む
項羽と書いてぎゃくさつと読む、だろ
>>810 >韓信は一度項羽にボロ負けしてるんだよね
彭城・睢水の戦いのこと?
時々そういうこといってる人がいるけど
正史ではこの戦いのくだりで韓信の名前は一切出てこないし
劉邦に同行して彭城に進んだと言う記述があるわけでもない
ついでに言うと彭城での戦勝で勢い絶頂の時期の項羽軍を
滎陽近郊で破り進撃を止めたのは韓信(ズタボロになった漢軍で)
垓下の戦いにしても兵力差3倍とはいえ
漢・諸侯連合軍のうち直接戦闘に参加したのは韓信直属の先陣だけで
兵力差による大敗とも言い辛い
灌嬰にあっさり敗れた田横に勝ちきれなかったあたり
やや微妙な気がしないでもない>項羽
816 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/24(水) 23:15:47 ID:1sBxitMe0
>>814 >韓信は劉邦に同行していたが、途中で兵をまとめると追撃してきた楚軍を迎撃し、劉邦の撤退を助けた。
はいダウト
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/24(水) 23:17:00 ID:1sBxitMe0
劉邦とともに大敗北したってのが事実だろ
>>816 それwikiでしょ?完全に真に受けないほうが・・・
八月,漢王舉兵東出陳倉,定三秦。漢二年,出關,收魏、河南,韓、殷王皆降。合齊、趙共擊楚。四月,至彭城,漢兵敗散而還。
信復收兵與漢王會滎陽,復 擊破楚京、索之閨C以故楚兵卒不能西。
三秦平定は明らかに劉邦が主語
その後の河南進出から彭城の戦いまでは主語が書いていないけど
「合齊、趙共擊楚」と斉や趙と同盟したことが書いてあるから引き続き劉邦が主語と考えるべきでは?
(外交は大将軍の仕事じゃないし、高祖本紀での劉邦の行動ともほぼ一致する)
それにほかの連中(張良・陳平・魏豹・曹参・夏侯嬰など)は「漢王に従い彭城に至る」と言う具合に劉邦に従」い同行していたことが明記されている
がこの文にはそれが見えないことからも劉邦本人と解釈したほうが自然な気がする
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/25(木) 00:00:50 ID:ddigwGIb0
>>818 明らかに韓信が守護だろ
何列伝だとおもってんの
>>818 俺には滎陽で合流したように読めるけどなあ
定三秦つっても完全に鎮圧するまでに誤差があったはず
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/25(木) 01:03:18 ID:ddigwGIb0
結論としては韓信は項羽にボコられてたってことでいいな
章邯はまだ廃丘に残っていて完全に鎮圧したわけじゃないみたいだけど
そこは軍の一部を貼り付けるにとどめて
項羽が斉に行ってる間に中央進出に急いだみたいだな
>>818 魏豹なんかは漢軍に敗れて降伏してきたわけじゃなく
最初から項羽に不満があり(韓信でなく)劉邦に従ってきたんだから
「收魏」は大将軍韓信の軍事行動の結果ではないわな
そこは劉邦が恭順姿勢を見せた魏豹を受け入れ魏を収めたってことだろうな
>>824 「收魏、河南,韓、殷王皆降」
これで全部じゃね?
章邯は秦の中では、一番の戦術家ですね。
実力はあっても虐殺で民衆の人望がなくなってしまったのが痛いね
828 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/25(木) 11:56:13 ID:rWXT2tTM0
韓信が項羽に大敗したなんて説はどこで主流なんだ?中国でも日本でもそんな説唱えてるやつはネットでしか見ないが
ネットって言うか2chぐらいだな
韓信が、つうより漢軍が彭城でわずかな楚軍にボロ負けしたとき
韓信もいたんでないかい?
というあたりなんじゃない。
楚の追撃を阻んだのはそうだが、韓信ってこの頃
実際にはどこにいたんでしょうかね。
まあ大敗してるならその記述もありそうなもんだからなあ
俺の持ってる訳本(学研と岩波)だと原文通り主語カットだから
主語が切り替わってないとの判断で普通に劉邦のことと読んでいたな
学研のはこの辺り(主語なし文)で他の伝の記述を補完した解説がついていたが
斉・趙との同盟については斉から反項羽の檄文が劉邦に回ってきたことと
劉邦の共同作戦の提案に陳余が条件付で応じたことという説明だった
魏豹のこともそうだけどこれだと韓信が絡む余地がないんだよな
それ以外は高祖本紀だと劉邦主体で韓攻略だけは韓信が派遣されたような書き方だけど
これは韓王信の方の可能性もあって(彼の伝ではそう読める)よく分からん
意外と大敗の記録ってないように思う。
うまく薄めて書いている史書もあるし。
漢書とかの場合、彭城の敗とかそういう表現でしょ。
信復收兵與漢王會滎陽,復 擊破楚京、索之閨C以故楚兵卒不能西。
韓信は再び兵を収め漢王劉邦と滎陽で会い
再び楚を京、索の間で撃破した
このために楚の兵隊は西に行くことが出来なかった
くらいの意味?
復收兵の意味が復帰なのかよく分からん
ともかく韓信が寡兵相手に惨敗してるんであれば名将とは言いづらいな
歴史的評価もかなり変わってしまう
敵がいるのに喜んで浮かれてるのは
兵法を学んでいるとは言えないからな
ハンニバルはザマの戦いで負けても名将だが
彭城で無様に負けて名将はありえない
彭城で負けて多々益々弁ずとかほざいてたら劉邦に殴られるだろうw
確かにww
>>835 その頃の韓信って、河北にいて実は従軍していないのでは
という気もするんですが……
その韓信伝の「信復收兵與漢王會?陽」ってのになると
敗績したのち、逃げ散る味方を再び集め、漢王と合流。
しかるのちに京・索の間で待ち伏せ、逆撃を食らわせた
と読めなくもない。
どっちにしろ、彭城之敗は、韓信に統御の権はなく、突き破られる
味方をどうしようもなかったのでしょうが、ある程度動かせられる
兵力を確保すれば、長駆追いすがってきた項羽の足止めくらいは
できた
という感じ?
この頃の項羽の兵力過少さと、行動範囲を見れば、いい加減限界
だったことは明白。漢陣営の脆さの露呈ではあれど、韓信「が」項羽に
負けたとは言い切れないですな。
仮に負けてたとしても
軍部での人望があがるというよく分からん結果
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/25(木) 22:03:54 ID:NH8V0Lxb0
とりあえず韓信オタが必死だというのは理解した
無理やり不自然な解釈してまで敗戦を誤魔化すってのはみにjくい
>>831 追撃といっても、史記だと2ヵ月後くらいに(漢書は1ヵ月後)に行われた戦闘だから
多少の時間的猶予はあり
その間に蕭何が関中から老弱の者を徴兵して前線に送り込んだ
主要武将がみんな彭城に入ったわけでなく周辺まで進んだけど
劉邦が敗れたんで撤退した連中もいた(彭越とか樊噲は多分このパターン)
周辺までも行かなかった者もいる(周勃とか)
韓信に関しては韓王信とどっちがやったかわからない韓攻略を除き
このころまで直接戦闘の指揮をとったという記述が見えないので
ひょっとすると作戦担当みたいなポジションだったかもしれない
(三秦平定戦も韓信が作戦を立て劉邦が指揮をとったような書き方されている)
彭城大敗の直後張良が漢で大事を任せられるのは韓信しかいないと言って
その後は韓信フル活用
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/25(木) 22:41:15 ID:NH8V0Lxb0
ま、超一流の兵家の項羽の前ではたかが一流に毛が生えただけの韓信は霞程度でございます、と。
四面楚歌vs国士無双は豪華すぎるカードだよな
共に志を立てて楚を発った江南の子弟八千人の事を思って涙したんだろうな…
孫呉の徒、兵家の教えはとかく「揮下の兵を慈しみ、かつ厳しくあたること」だから。
20万の秦兵? 烏合の衆よりも、己の手鍛え上げた兵の機動力が勝る。
多々益々便ずなんか言ってるのはただの半可通の大言壮語だったりするね。
そこらへんの傲慢さと不見識を項羽は解ってて、出世させなかったんだろう。
抜山蓋世vs国士無双か
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/25(木) 22:54:14 ID:NH8V0Lxb0
>>848 100万でも率いることが出来るみたいなうそついてる時点でうぬぼれてるだけのカスだよな
100万は常識的にねーよ
>>845 《漢書》高帝紀とかだね。
漢書なら五月に入って滎陽まで引き下がったあと、蕭何の援軍や
韓信らを待っており、そのうちにようやく軍勢が振るいだして、項羽を
追い返した、というかたちになっている。
韓信ってこの時期、散り散りになった味方を収容するため、方々に
飛んでいたのかな?
>>844 《資治通鑑》とかにも目を軽く通したけど、韓王信とか韓信とか紀信とか、
信だらけで混乱したw
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/25(木) 22:58:44 ID:NH8V0Lxb0
>>851 史記には書いてないんだね
何で捏造したの?
>田横に勝ちきれなかったあたり
それは田横に従い、故郷のために戦う斉の民を見たからだ。
己の正しさを信じきれなくなった軍は弱くなる。
自分達がかつて、楚を傲略した秦と同じ事をしているのだと
軍兵が厭戦気分に浸ってしまっては兵家としては引かざるを
得ない。
>>852 そりゃオキニの韓信を至高の存在にしたいからだろう。
見識の無さをこれでもかこれでもかと史書でクローズアップされてるから。
その点、項羽は悪し様に書かれ様とも、その才能の輝きや煌きを全く失わない。
>>852 漢書も見てないのに何言ってんのよ。
漢書なら一ヵ月後になってるだろ。
二ヵ月後というのは、知らんよ。
言った本人に聞いてみ。
>>852 ああ、両方見てるから、《史記》に明確な記述はない
と言っているのか。
すまん、すまん。
>>852 史記高祖本紀だと4月彭城の戦いで
6月に立太子したり廃丘落としたりして
その後この戦い
淮陰侯の方ではこの戦いの後6月魏豹離反とあるから
大体2ヵ月後であってると思うが
う〜ん。
《史記》淮陰侯列伝で、4月に彭城之敗があり
《史記》高祖本紀で、6月の伝記に付随して「是時〜」
とあるから、あわせると2ヶ月か。
深いな。
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/25(木) 23:20:44 ID:NH8V0Lxb0
>>858 史記みたいな時系列糞いい加減な文章の二ヶ月なんて一ミリも信用できないな
>>859 だとしたら《資治通鑑》を参照?
すると韓信、この彭城之敗にはいないことになるんだが……
まあ項羽は韓信がいなければ劉邦を殺して冒頓に殺されてただろう
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 00:04:59 ID:t8ou/0qn0
>>861 項羽が匈奴の軍を威嚇したら匈奴どもが逃げ帰ったって逸話を知らんのか?
存在してる次元が違うっつの冒頓とか言うゴミとは
>>839 劉邦も「百万の兵を連ね〜」と言ってるから
韓信が大軍の統率に長けていると評価してるんだよな
「多々益々弁ず」言われた時は
さすがにこの野郎とか思ったかもしれんがw
明らかな釣りが混じってるなw
前11世紀:蜚廉、悪来
前10〜前8世紀:
前7世紀:
前6世紀:養由基、沈尹戌
前5世紀:
前4世紀:任鄙、烏獲、孟賁、夏育
前3世紀:項羽、樊噲
前2世紀:李広、霍去病
前1世紀:
1世紀:呉漢、ケ奉、馬武、賈復、陳俊、堅鐔、耿伯昭
2世紀:呂布、典韋、太史慈、孫策
3世紀:許褚、曹仁、龐徳、張遼、関羽、張飛、黄忠、董襲、甘寧、凌統、曹彰、丁奉、文俶
4世紀:陳安、劉曜、石虎、苻洪、冉閔、登羌、張毛、桓石虔、桓振、拓抜虔
5世紀:劉裕、薛安都、拓跋Z、楊大眼、檀道済
6世紀:奚康生、楊大眼、崔延伯、爾朱兆、羊侃、高昂、彭楽、高長恭、賀抜勝、耿豪、楊忠、蕭摩訶、斛律光
7世紀:沈光、楊玄感、単雄信、秦叔宝、劉黒闥、李元吉、尉遅敬徳、薛仁貴
8世紀:
9世紀:李光顔、李存孝
10世紀:李瓊、李思安、王彦章、周徳威、李嗣源、夏魯奇、周本、林仁肇、趙匡胤、呼延賛
11世紀:郭遵、王珪
12世紀:韓世忠、岳飛、魏勝、烏延査刺
13世紀:張恵、蒲察世傑
14世紀:常遇春、花雲
15世紀:
16世紀:
17世紀:阿済格
18世紀:
19世紀:
項羽厨には項羽ばりの傲慢さも移植されちまってるのか
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/26(金) 04:52:28 ID:t8ou/0qn0
項羽は名門貴族出身だから現代一般人からしたら傲慢に思えるかもな
真に傲慢なのは韓信だけどな
もう少し謙虚であればよかったのにとか司馬遷に言われてたし
項羽ってすごいんだなw
869 :
月孔雀:2010/02/26(金) 08:19:37 ID:eY7XBbPy0
笑うところか?
>>862 項羽のメンチビームの逸話はかっこよすなぁ。
寨外の遊牧民から、南可汗とか無敵とか言われた
人はその後もいろいろ出てくるが、最初期としては
インパクトある。
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/27(土) 09:06:26 ID:M89pD4Q90
項羽なんてたいしたことないよ
若さに任せて突っ走っただけのイケヌマ
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/27(土) 09:07:31 ID:M89pD4Q90
韓信の天才的用兵の前に絶望して自殺しちゃうガラスのようなメンタルで
スレタイを名乗ることなどできっこないね!
873 :
月孔雀:2010/02/27(土) 09:48:17 ID:IrRwqiru0
項羽と一騎打ちで勝てますか?
項羽が絶望したのは韓信の用兵じゃなくて張良と陳平の謀略
韓信は大将軍だから彭城の戦いに参加して劉邦軍の事実上の総指揮官だった可能性は高いだろうな
876 :
月孔雀:2010/02/27(土) 14:08:01 ID:IrRwqiru0
同一人物だろ、項羽とホウセンは。
>>874 誇り高い将軍は辱める。
孫呉の徒の項羽は解ってても対処出来なかった。
何故なら軍団の結束は項羽自身によって成り立っていたから。
謀略が効いている事を窺わせないためにも己を張るしかなかった。
>>875 お話になりませぬ。
8人の武将と同時に戦っても余裕で勝てる人傑に、たった3人相手でこりゃいかんと逃げ帰る人間が立ち向かえるか?
自殺する繊細なメンタリティの持ち主が
死の直前まで就職活動に励んでた裏切りマスターに勝てるとは思えないな
命乞いの高級語彙か>就職活動
882 :
月孔雀:2010/02/27(土) 17:31:59 ID:IrRwqiru0
呂布は、一人も殺してないらしい。
虎狼間で、3人まとめて、切っちゃたほうが良かった?
883 :
月孔雀:2010/02/27(土) 17:33:54 ID:IrRwqiru0
一騎打ちの勝負で、3人がかり?
あほかい!
まとめて、斬ったろうかなと思ったけど、
愛馬が、斬らせないように、逃げちゃった・・・
>>880 嗚呼、為すべき事は為した、もうここでいいだろう、と潔く笑った項羽の心情に迫れぬ者は男ではいないはず
散々天下を乱した戦争キチガイに同情はできないな。
886 :
月孔雀:2010/02/27(土) 22:35:50 ID:IrRwqiru0
そんなに、乱してないよ。
乱したのは、チョウリョウとコウメイ
>>885 同盟した相手の背中狙ったヤツにだけはいわれたくないだろうな
項羽は捕虜になって処刑されるべきだよね
捕虜に「できなかった」んだがなぁ。
自主的に天下のあるじである高祖に犯罪者として降伏して
凌遅三千刀されろっつーことだよ
項羽とかいうチンピラに相応しい処分はそれしかない
悲劇のヒーローではなく頭の悪い盗賊崩れとして断罪されるのが自然
>>889 項羽を誰も殺せなかった。項羽を殺したのは項羽自身の刃。
逃亡して再起も充分出来たと言うのに、その資格が無いと自ら断る。
大丈夫ここにありだよ。その好漢を史書により貶めたのが劉邦政権。
それでも……項羽の煌きに満ちた逸話は民の記憶に残り、語り継がれた。
真田幸村みたいなもんだな。
判官贔屓の名前優先。
894 :
月孔雀:2010/02/28(日) 07:44:31 ID:vTSYBdvn0
項羽は、チンピラじゃないぞ。
将軍。
>>893 名前が有名になるには、その前になにかないとね。
なにもしてない男を贔屓する世間はない。
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/28(日) 08:26:24 ID:H/nIX7jy0
中国史上の豪傑って項羽以後と項羽以前とでは明らかに違うよな
項羽以後の豪傑イメージはほぼ全てが項羽に影響を受けてる
漫画で言うとドラゴンボールみたいな存在
それが項羽
>>892 生き方がダーティすぎる蛮獣として語り継がれただけだけどな。
項羽には好ましい理想の武人像が何一つ備わっていない。
項羽がダーティなところって義帝の件くらいじゃねえの。
そんなことより降参してきた兵をどれだけ穴埋めにしたことか。
大虐殺魔だろ、項羽はw
兵家の常で訓練された精兵が命だから。
赦して加えて不協和音続出だと自軍が屑の集まり劉邦軍のように弱くなるのが赦せなかった。
四面楚歌は項羽のまさに郷党意識を突いた戦略。項羽軍団は江南の兵が主体だったから。
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/28(日) 12:37:38 ID:MZnNQG8s0
呂布が最強
対する劉邦陣営は騙し討ちの常習犯だけどな。
お互い、お似合いの敵手という感じ。
虐殺集団と詐欺集団だしな
劉備が批判されるべき騙まし討ちをしたのは蜀取りの一回だけだね
905 :
givefor:2010/02/28(日) 16:13:14 ID:tiLi2U3q0
最強の武将
戦闘に負けたことがない人
陳慶之
騙まし討ちなら呂布
項羽の軍師と張良とでは、どちらが戦略家ですか?
戦略という観点では、范増は相当高い水準で全体を俯瞰できていたでしょう。
張良の優れたところは、関内や中原に目をつけ、なんとしても手放さないよう
したところ。
范増はそうさせる以前に、離間計によって幕僚の座を離れたので、劉邦陣営を
狡知ととるか、項羽の狭量ととるか、あるいはその両者か。
909 :
月孔雀:2010/03/03(水) 19:19:28 ID:mC9qO6WH0
はんぞうが、劉邦の首をはねれば、良かったのにな
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/03(水) 19:55:45 ID:/4niyaZe0
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/13(土) 08:21:52 ID:yKAGMZje0
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/24(水) 00:12:02 ID:eW6ugaMv0
劉邦は大分再評価されたようだな。今で例えるならそこそこコネのある家のどら息子が
地元でチンピラ不正役人をしながら裏社会の人脈を築いたに過ぎない。
それを時空を超えたカリスマ性の持ち主にして
何も持たない庶民が成り上がったように言われてきた。規制のパックされた才能の持ち主
とワルとしての魅力は凄かったのだろう。2世タレントの息子がビジュアル系バンドをやってるようなものだ。
男にも女にももてそうな。しかし朱元璋にはおよばない。チンピラになるのだって親が工務店を経営してるとか
コネや維持する才能がないとできない。家に一人パンチパーマの兄弟がいるだけでも
活かしかたしだいで大分うまくやってる奴になれるだろう。どこの地域でも一軒はいるような。
劉邦も40才とかになっても地元の髪の毛が茶色い若い後輩連中に命令して一緒に
女子高生とかを輪姦したりしてるそんな奴だろう
朱元璋にはそんなスラムや不良を誇ることすらできないほど何も無いスタート
乞食からチンピラになれるだけでも幅がある人生に思える
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/19(水) 09:53:08 ID:yi/udYd40
関羽
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/24(月) 13:31:53 ID:JgZoNLzI0
三国志や楚漢の英雄が束で挑んでも康熙帝の前では雑魚同然だろ・・・・
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/24(月) 13:51:02 ID:kmWGyjnF0
相撲で政変とか男らしいな
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/29(土) 05:45:12 ID:OGQAl/PZ0
age
项羽最厉害!!英雄啊
>>912 キャリア官僚や高級軍人がほとんどの初代皇帝のポストにノンキャリで就いたってだけでも大したもんだ。
韓信だろ。中国史上劣勢から一度も負けずに天下統一まで行ったのこいつだけだぞ。
しかも相手は当代最強の項羽相手に3年っていう驚異的なスピードでだ。
国士無双って言われるくらいだからほんとに負けた記録が無かったんだろう。
田斉戦は必要のない戦闘を必要のない騙し討ちで起こしてもぎ取った勝利だし、
項羽と直接戦闘し続けて楚を疲弊させたのは劉邦と彭越と英布らだけどな。
>>913 戦いに負けて死んだやつを最強とは言わない。
死んで神になってからが最強
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 23:48:09 ID:AvEOeVhk0
呂布
>>921 病気に負けて死んだやつなんか論外だけどな
黄帝
項羽だろうな
927 :
貞観の治:2010/11/21(日) 11:17:13 ID:2w2FGqHI0
皆、中国人です。中国歴史が大好き。
2chで見て、皆が中国歴史が大好きですけど、中国伝統観点とちょっと違う、
両方が知識と観点を交換してよろしいでしょうか?
ちなみに、僕の日本語が超弱いです、東京で住んでいる方と友たちになりたい。
僕が王子で、京浜東北線を利用している方大歓迎です。
話の元を戻します。
日本語の武将の意味がちょっとわからないです。
力なら:中国のことわざは 王の一番強い人間は 項羽
侍(中国で武士の翻訳)の一番強い人間は 李存孝
戦略なら:確かに沢山 霍 貞観の双李 明の徐、常、李など、無敵の代表
特別注意して 陳慶芝
皇帝なら:毛沢東、李世民、朱元?
日本語の表現能力がこの複雑問題を議論して足りないと感じます。。。
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 14:18:18 ID:suw3OGdy0
>>927 毛沢東は皇帝では無くて、国家主席。
力(武力):唐の尉遅恭は強いんじゃないかな。個人的には項羽に並ぶぐらい、強いと思う。
戦略:前漢の張良は優秀。(韓信は戦術で、蕭何は政治。)
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/22(月) 00:05:05 ID:UrAl25x4O
>>927 いや、よくわかったよ。
ありがとう。
項羽の武って、やっぱり群を抜いている気がするんだよなぁ…垓下の包囲を突破したのとかね、凄いな、と。
ことわざって、どんなのなんだろう?
項羽は1人で軍略・武勇・統率をやれる英傑だから武神扱いされてもいいのに何故か日本では嫌われてるからな。
日本で嫌われてるって何がソース?
ガイカの描写とか、粉飾されまくってるだろ。
人間にあんなことができるわけがない。
軍略は同時代の韓信に負けるレベルだし微妙。
>>931 項羽を褒めると必ず
>>932のような韓信ヲタからクレームが入ること
韓信すら勝てなかった軍略の鬼なのに
海外の名将ランキングとかだと、韓信はほぼ確実に入ってるけど、項羽は見たことない。
そんな中で、軍略で項羽>韓信って評価する日本人も結構いるみたいだから、そういう意味では好かれてるとも言えるんじゃない。
軍略は韓信の方が上だと思うが。
軍略:韓信>項羽
武勇:項羽>韓信
統率:韓信≧項羽
武勇は項羽>>>>>>>>韓信くらい差をつけてもいい。
>>740にも出てるが韓信の凄さは寄せ集めの雑兵を
短期間で無敵の軍に鍛え上げる練兵能力とも言われるよな
項羽は同郷のいわばエリート部隊を率いて常勝不敗だったんだろうが
当然そのほうが戦術もやりやすいし少数でも精鋭だから強い
しかし韓信は現地調達の軍で幾度もそれと渡り合ったとかなんとか
938 :
貞観の治:2010/11/27(土) 19:49:52 ID:9XKkVkY00
>>928 中国人にとって、史上一番厳しさ皇帝である。国家主席は名称だけだ。
>>928 返信ありがとう
皆が項羽の武力が大好きの原因は、多分司馬遼太郎の作品ですが?
毛沢東のいったことを参照してください。
史上能軍者が李世民が一番強い、次は朱元。
僕から見て、確かにそのとおりと感じます
共産党の国家主席を「皇帝」と称するとはちゃんちゃらおかしい。
皇帝>王>国家主席(大統領)>首相 ですよ。
まだまだ中華思想が抜けていないようね・・・。
940 :
sss:2010/11/28(日) 04:28:53 ID:7javU72h0
城管
>>939 中華思想も糞も無い。
無知極まりないのは貴方のほうだ。国家主席になった、その後の毛の逸話読んだことないのか?
処女集めて何人も囲ったやら、言動が四海安寧や皇帝を意識したものやら、かなり酷いものだ。
驕りが随所に見え、やったことは始皇帝と同じ学論統制の文化大革命だ。なんの幻想を抱いてる?
あのとき、毛を誰も停められなかった。実質の、中華人民共和国の【皇帝】だったんだよ彼は。
>>938 いや、「史記」の逸話からだよ。編纂した司馬遷の贔屓(ひいき)が随所に見えてね。
あと、死亡時が31歳の若さで苛烈で過酷な道をひたすら駆け抜けたこと。あの剛毅な季布が従ってたこと。
項籍の、文字では語られない熱さや優しさの「何か」が、読むと「史記」の行間から立ち上ってくるのがわかる。
侠の勢力に非常に近かった、兵家であったろう、人傑・項羽の描いた天下の絵図面を最後まで見たかったね。
もしかすると、彼は「自分が奔命に疲れて滅び、劉邦が天下を統一すること」まで計算に入れていたかもしれない。
>>927 >日本語の武将の意味がちょっとわからないです。
日本語には広義の意味と狭義の意味があってね?
広い意味での「武将」は「軍を率いて闘う将、軍の頭目。王や皇帝も統率者だから将に入る」
狭い意味での「武将」は「王や皇帝に勇武を以って仕える武官。王や皇帝は別格」
と二つが並立しているんだ。それをいちいち文を読む人間が、自動的に解釈している。
スレッドタイトルの「武将」は広い意味での「武将」。だから王も皇帝も候補に上がってる。
日本語の特徴はそのファジーさ、あいまいさにあるから、まずは曖昧さを許容できるかどうかだね。
コーエーのシミュレーションゲームの影響も強いかもな
あれだと君主も武人も文官もひとくくりにして武将と呼ぶから
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/24(木) 23:30:51.90 ID:OJfu8gV40
秀吉=劉備
正則=張飛
清正=関羽
重治=龐統
如水=法正
三成=孔明
でOK
異議ある人
>>945 おいおい
秀吉を劉備に準えるなら
関羽=蜂須賀正勝
張飛=前野長康
だろ?
武功夜話的に
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 14:03:50.40 ID:8BydHtOM0
城管
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/02/26(土) 14:13:39.29 ID:8BydHtOM0
冉闵こそ中華最強
“天下大乱,尔曹夷狄,人面兽心,尚欲篡逆。我一时英雄,何为不可作帝王邪!”
冉閔も強いよなあ
呉起さんに一票
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/11(金) 10:22:28.93 ID:CUaUPYGQO
武勇 項羽>>>>関羽
戦術 項羽>>関羽
関羽じゃ項羽には歯が立たないと思う
関羽
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/12(土) 18:32:48.21 ID:Tl6sPDyg0
借我三千城管、复我浩荡中华,剑指天山西、马踏K海北;贝加尔湖面张弓、库页岛上赏雪;中南半岛访古、东京废墟祭祖
武圣关公
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/13(日) 14:10:54.46 ID:irIQdsZp0
「最強」の「武将」ったらやっぱ項羽でいいんじゃね
ほぼ腕力と勢いだけで一応には時代の天下人まで上りつめたのなんてあとにも先にもこいつだけだろ
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/16(水) 16:12:48.79 ID:OlHqQKKm0
項羽曰く、「剣は一人の敵」らしいが
何故、武力が強いというイメージが出来ちゃったんだろう
項羽は項梁と二人で会稽郡の太守を討って郡府を制圧したり垓下の戦いで百人斬りしてるから
項羽は剣術は上手くなかったかもしれないけど体が大きくて力が強かったから武勇も強かった
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 22:31:54.51 ID:z7NuW+DQ0
22:30:20 (vipru) ごめんn
22:30:29 (vipru) 震災の影響で鯖落ちてます
22:30:40 (vipru) 文句は地球に行ってください
22:31:00 (vipru) 19日に戻るから
22:31:07 (vipru) 19日以降復旧します
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/17(木) 22:32:11.15 ID:z7NuW+DQ0
はい誤爆ったすいません
>>960 42 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 投稿日: 2010/11/11(木) 23:29:06 ID:Hn7zq6TP0
項羽3万 漢王軍(上将軍韓信)56万で
項羽が勝ってる件
でも項羽の時代の兵卒のレベルってどんなものだったんだろうな
あそこまでいくと当時の練兵のやり方を疑ってしまう
張遼とかも似たようなことしてるからあまり後世と変わらなかったのかもしれないけど
現場指揮官が足りないんじゃないかな
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/18(木) 04:24:48.53 ID:spmmBbb50
楊大眼
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/08/20(土) 14:18:23.32 ID:J9n0EtQgO
楚兵は、小柄で強兵ではないけど、項羽が率いると強かった。ガイカの戦いも、項羽に勝つ意志があれば、負ける戦ではなかったと思う。確か漢軍全体の指揮を韓信が採ってはいなかったよね。
どうやったらそんな妄想が沸くんだ
>>967 そう。確実に勝ってた。
項羽に全てを投げ出させる何かがあったとしか言い様が無い。
自演乙とでも言っとけばいいのか?
Dorgon
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2011/09/11(日) 22:07:33.10 ID:I69wtmwf0
秀吉は他人の天下を掠め取った人間だから例えるなら司馬昭でしょ
ぶっちゃけ秀吉=曹操、信長=袁紹だと思う
んで家康が司馬懿だとつじつま合うな
信長が董卓のほうがいいけど
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/06(金) 11:46:00.18 ID:GC3iDS5v0
晋は江戸幕府みたいに長続きはしなかったけど
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/06(金) 18:34:49.77 ID:sM81HIHa0
毛沢東
ヌルハチ
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/07(土) 10:07:11.23 ID:UtvW/Ybw0
引き際のよさは秦の王セン
陳慶之って普通に敗戦経験あるだろ?
つまり白起最強!
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2012/01/08(日) 00:26:53.13 ID:6OtrPno00
李勣
曾国藩