マターリと語りませう
劉邦は張良という有能な補佐役と勇敢な家臣がいたから天下が取れました。
でも私は項羽が劉邦をやっつけるチャンスが幾度もあったのに、それを見過ごす
ところがマンセーだと思います。
司馬遼太郎の本は擦り切れるくらい何度も読み返した。
俺的には三国志よりも面白い。
項羽の出身の楚ってどこらへんなんですか?
親切な人ウゼエ
>>7 上海から南じゃなかったっけ?
私が今住んでる福建省あたりもそうなのかな。
司馬遼太郎の本の表紙裏に地図が載ってたと思った。見てみよう。
11 :
名無的発言者:01/11/30 16:32
>>7 項羽の出身地「下相」は、現在の江蘇省徐州府宿遷県西部、相水の下流。
劉邦の出身地は「沛豊邑」で、これは現在の江蘇省徐州府沛県か徐州府豊県
だそうです。
(明治書院新釈漢文大系39「史記・二」より)
楚の国、というか、勢力範囲はかなり変動があったのでは?
12 :
名無的発言者:01/11/30 17:03
劉邦の居たハイ(漢字がでない)はもとは宋。
東周成立前からの諸侯で殷人の国だぞ。
13 :
名無的発言者:01/11/30 17:09
案外狭いところで国盗り合戦やってたんですね。
14 :
名無的発言者:01/11/30 18:08
少し御伺いしたいんですが、項羽と劉邦関係の名勝古跡なんて
どこに行ったら見ることができるんでしょう?
やはり彼らの生まれ故郷の江蘇省徐州府に行ってみたら何かあるんでしょうか?
それとも項羽と虞美人が死んだと言われる場所に行ってみたら何かあるんでしょうか?
愚民がワラワラと湧いてきます。
補給専門・蕭何あげ
17 :
名無的発言者:01/12/01 03:07
剣の舞・項伯あげ
18 :
名無的発言者:01/12/01 14:14
項羽と虞美人が死んだ場所ってどこ?
19 :
名無的発言者:01/12/01 23:34
「覇王別姫」大好きage
20 :
名無的発言者:01/12/02 06:12
四面楚歌age
21 :
名無的発言者:01/12/02 14:17
>>6 禿げ堂。この時代は三国志より確実に面白い。つーか中国史最高の頂点。
以後支那はずっと下り坂。
22 :
名無的発言者:01/12/02 21:45
初めてこの板に来たんだけど、こんなスレがあるとは(藁
23 :
名無的発言者:01/12/04 15:49
三国志とか項羽と劉邦の時代の故地を訪れても、
ただ石碑だけがあるだけという例が多い気がする。
24 :
名無的発言者:01/12/04 17:14
しかも、文革でぶっ壊されたのを最近作り直された、とか聞いてガッカリしたり・・・
25 :
名無的発言者:01/12/05 13:42
>23-24
まあ、二千年も前の事件なんだし、仕方ないっしょ。
むしろ文革まで石碑だけでも残っていたというほうが驚き。
劉邦に関しては「作られた」エピソードが多いような気がする。
生まれからして龍の子だし。
26 :
名無的発言者:01/12/05 15:57
戦国・三国(誌)板に くわしいスレあったぞ
27 :
名無的発言者:01/12/05 17:16
歴史オタの意見じゃなく中国板の輩の意見が聞きたいのだ
28 :
名無的発言者:01/12/06 03:07
ひとりの英雄としては項羽の方が好き。
でも、たとえば自分の上司がこういう人だったらやだな。
29 :
名無的発言者:01/12/06 07:52
自分の上司だったら、項羽はちょっととつらいかも。
感情の起伏が激しすぎるから。
もちろん、項羽の魅力というのはそういう部分も含めてではあるだろうが。
酒を酌み交わしていたら、気持ちのいい酒が飲めそうだと思う。
私は簫何と話をしてみたいな。
30 :
名無的発言者:01/12/06 21:21
>>28-29 日本版でいえば「信長」みたいな感じかな。魅力はあるけど、実際に上司になると
ちとツライと。
31 :
名無的発言者:01/12/07 02:31
ウチの女房は劉姓。
「劉邦の子孫」と称してるのはお約束(w
32 :
名無的発言者:01/12/07 13:51
項羽派が多いのかなあ。私は劉邦びいきなんだけど。
項羽と信長が似ているというのは、信長に対する評価がまだ正当に成されていない
せいだと思う。まあ気が短くて独断専行型、という点だけは似てるけど。信長という
人は政治的指導者としては相当辛抱強いし、ビジョンも明確に持っていたし、無辜の
市民を虐殺するようなタイプでもない。さらに言えば戦場での指揮能力は項羽のほう
がはるかに高い(その代わり信長は見切りが早くて、ヤバいとなったらさっさと逃げ
て生き残る)。武将としてはこの二人、相当タイプが違うんだけどね。
33 :
名無的発言者:01/12/07 17:56
>>32 信長に関して
>無辜の市民を虐殺するようなタイプでもない
日本史板ではないが、けっこう皆殺してるんじゃない? 項羽もそうだけど。
項羽は切れすぎてヤダ。表面上、アホなふりしてる劉邦に仕えたい。
34 :
名無的発言者:01/12/07 18:02
>>33 でも劉邦は天下を取ってから、韓信ら功臣を大粛清してるから。
やっぱり、自分としては項羽に仕えたいね。
>>34 そうだったね。晩年の劉邦まで考えが及ばなかった。
粛清されなかったのは張良ぐらいか。
わたしは33でした。
項羽は仁義に厚いということか。劉邦殺すチャンスが何回もあったのに
いずれも見逃した。
38 :
名無的発言者:01/12/07 18:30
ここマターリしてますね
39 :
名無的発言者:01/12/07 20:00
>>30-33 中国で信長と同じタイプといえば、三国志の曹操だな。
ホントにやったことがソックリだもん。
曹操には鉄砲が無かっただけで。
40 :
名無的発言者:01/12/07 21:42
項羽って呂布っぽくない?
41 :
名無的発言者:01/12/07 23:20
>33
信長がホントの意味で庶民を虐殺したのは、あれだ。戦見物してた連中に激怒して、
そいつらを殺させたって事例くらいでしょ。一向宗の場合は、現代風に言えば民間人
ゲリラなんであって戦闘員だし、何度も降伏勧告したり、講和を繰り返したりして、
絶対に帰順しないことがわかってる相手だからしょうがない。項羽のように陥落した
城砦都市の住民を全部穴埋めにするような真似はしていない。信長が殺すのはあくま
で敵だけなのだ。
>39が言うように、信長が似ているのはむしろ曹操の方だね。詩人としての才能が
ないのを除けば(そのかわり舞や謡といった才があるけど)。
劉邦は秀吉と比較されるケースが多い。卑せんから成り上がったこと、敵を殺すの
を嫌がったこと、人心収攬の上手さ、晩年の変貌(ボケっぷり)など共通点が多いね。
42 :
名無的発言者:01/12/07 23:26
項梁が生きていれば、劉邦の出番なんて無かったんだろうな
一向宗はやはり戦闘員とみるべきか...
劉邦はまさに秀吉。人たらしだね。
>>42 項梁がもう少し項羽を補佐していたら、天下は項羽のもの。
44 :
名無的発言者:01/12/08 00:14
一向宗は黄巾の乱みたいなモンでは?
45 :
名無的発言者:01/12/08 00:43
項羽の失敗は人間的に未熟であったことによるものだからね。
24歳で蜂起して31歳で死んだんだぜ。
日本の戦国武将と比べても早熟もいいところ。
46 :
名無的発言者:01/12/08 03:36
>44
そんなもんでしょう。
黄巾党だって強盗化して他村を襲ったりしてたからねえ。虐殺されて当然ではあ
ったし、事実皆殺しに近い作戦が取られたケースが多い(まあ彼らは一向宗と違っ
て「皇帝に反逆した=国家反逆罪」だから死刑は当然なのだが)。
>45
信長が尾張一円をまとめたのって20代の前半だったような気がするが。
20代前半で内戦やって国主になったケースなんてそう珍しくないのでは? 信玄
は親父を追放、伊達政宗は父親を見殺しにして君主権確立してるし。
まあ北条早雲みたいに40代半ばになってからデビューしたのもいることはいるけ
どねえ(笑)。
47 :
名無的発言者:01/12/08 03:42
信長は長兄で年下の弟を相手にしたんだろ。
ケンカさせたら年上の者が勝つ。これ政治の常ですよ。
どうしても年下の者は年上の者に礼儀を交えてしまう。
あえてそれを避けようとしてもそうなってしまう。
これ「年の功」の正体ね。そして項羽の敗因でもある。
48 :
名無的発言者:01/12/08 08:23
信長は三男棒だったんじゃない? 勘違いだったらごめん。
項羽って兄弟の何番目ですか?
劉邦って兄弟の何番目ですか?
項羽と劉邦もだいぶ年が離れてますね。
>46、>44
黄巾の乱と一向宗をいっしょにしたら、まずいでしょう。
一行宗門徒は、宗教に裏打ちされた集団でしょう。
黄巾一派は、食いつぶれや浮浪、強盗の類がたくさんいたのでは。
しかも、門徒は宗教的自立・自治を目指して信長と対立したわけだから、
いっしょにしたら、門徒の人がおこるかも。
信長は、>41の方がいっていたように、敵対勢力や自分を裏切った者に対しては、
過酷であったが、あまり無益ないくさは好まなかったと思いすよ。
もしかすると、項羽や呂布みたいな武将は、中国におけるひとつの典型として
記述されているのではないでしょうか。
中国の人のメンタリティーの中に、ヒーロー的な存在として、
彼らのような武将が存在しているのでは。
項羽は長男かどうかは忘れましたが、
劉邦は、兄がいたはずです。
劉伯だったと思います。
史記の高祖本紀では、性は劉、字は季とありますから。
確か季というのは、末っ子の意味だと司馬遼太郎が書いていたように思うのですが。
51 :
名無的発言者:01/12/08 13:11
>47
信長が相手にしたのは弟だけじゃなくて、主筋の家とか年長の庶兄と
か、一門のほとんどですよ。実弟は最後の相手になったというだけ。
>48
織田三郎$M長ってくらいですから三男です。ただ二人の兄は庶子
であることもあって、最初から後継資格はなかったということらしいで
す。父の死後に後継者争いがあったりしますが。
>49
黄巾党も「太平道」という初期道教に裏打ちされた信仰集団ですが……。
むろん食い詰めた強盗まがいの連中が多かったことは事実ですが、そ
れをいうなら比叡山にせよ堕落しまくっていたわけですし。一向宗だ
って現世的な支配者でもあって、決してきれいなもんじゃありませんよ。
>50
項羽には兄弟は(少なくとも身辺には)いないはずです。従兄弟や叔
父は何人もいますが。
劉邦はご指摘のように末子で、上に伯、仲という二人の兄がいます。
ちなみに伯は長子を、仲は次子を指す言葉です。実力伯仲というのはこ
こからきているのですね。このように普通名詞(兄弟順を表すだけの言
葉)が字になっているということは、もともと字など持たなかったとい
う可能性を示唆しています。邦という名も「兄貴」という意味の一般名
詞ですし。また高祖本紀を見ると分かりますが、劉邦は母方の姓を名乗
っているので(父は太公=じいさま、母は劉媼=劉ばあさん……これも
一般名詞)、庶子の可能性があります。例の赤龍伝説ですね。
52 :
名無的発言者:01/12/08 13:16
どんどん股ーリしてきたね。いいよこのスレ。
53 :
名無的発言者:01/12/08 18:10
>49
私の知る限りでは、項羽って中国ではあまり受けがよくないような……。むしろ
日本のほうが高く評価してるんじゃないかな。源義経の落ち行く様を項羽の最後の
脱出行になぞらえたり。
まあ中国最強の武将ではあると思うけど、それ以外の面での評価は押し並べて低
いような気がするんだよね。主殺ししてるし。
>53
項羽は人気がないのですか。
ということは、やっぱり、呂布と同じなのかな。
中国では、義という概念を大切にするからかな。
主殺しは、その点では不利だよね。
それと、劉邦と秀吉をいっしょにしたら、秀吉がかわいそうじゃない?
秀吉の方が、ずうっと創意工夫していたと思うけど。
だからこそ、信長にかわいがられたんじゃないかな。
生まれも育ちも違うけど、劉邦と呉の遜権なんかは似てないかなあ。
55 :
名無的発言者:01/12/08 18:49
秀吉こそアメドリ男!
56 :
名無的発言者:01/12/08 23:17
劉邦って、茫洋としていて、いまいち判らないなあ。
57 :
名無的発言者:01/12/08 23:36
>54
>それと、劉邦と秀吉をいっしょにしたら、秀吉がかわいそうじゃない?
そうは思わないなあ。
秀吉は自らの智恵でのし上がったが、それは引き立ててくれる主君がいたから。
劉邦は芸無しだが、配下の智恵をうまく生かして自力でのし上がった。
どっちが上でどっちが下ってことはないでしょう。ただ国情とか時代状況が違う
だけで。どっちも0から始めて一国の支配者に成り上がったというだけで十分立派
だと思うが。
58 :
名無的発言者:01/12/09 01:19
つーか天下への野望をもってたのはむしろ張良とか簫何で、
項羽の強烈なカリスマに対抗するためにお人好しの劉邦をかつぎあげて
仁・義・侠の看板を背負わせた・・・
司馬遼太郎の「項羽と劉邦」って、そういう解釈で書かれているよね。
59 :
名無的発言者:01/12/09 02:10
>58
いや、張良は挙兵後の参加だし(^^; 司馬遼太郎の小説では蕭何・曹参
の役どころですね。それも項羽の対抗者としてではなく、あくまで沛の自
衛からスタートしてるし。
張良の暗躍は、陳舜臣の『小説十八史略』だと思ったな。まちがってた
ら申し訳ないけど。
>59
言われてみればそうだった。スマソ。回線吊って首切ります・・・
61 :
名無的発言者:01/12/09 02:48
私の妻も劉姓だけど最近、劉邦ならぬ劉胖になってしまった(ちょっと難しかな?)
62 :
名無的発言者:01/12/09 09:02
>項羽は人気がないのですか。
>ということは、やっぱり、呂布と同じなのかな。
ピカレスクに人気がないよね、中国。
ちょっと単純な嗜好だと思うな。
63 :
アモイ ◆lvPrcw3Y :01/12/11 12:05
劉邦のカミさんってコワ。 劉邦死んでからいろいろ粛清おっぱじめた。
中国残虐史を地で行く様な人だったようですね。
もちろん、その晩年の話ですけど。
前半生の苦労が、半端なものでなかったのも、晩年の彼女に影響しているんでしょうね。
なにしろ、地方の勢力家だった呂公の娘ですから、
本来なら、劉邦のようなごろつきみたいな人間のところに嫁に来るような女性でなかったでしょうから。
65 :
名無的発言者:01/12/11 14:16
いくら前半生の苦労が半端なものでなかったからって
あの「人豚」は、常軌を逸しているとしか思えん
66 :
名無的発言者:01/12/11 19:24
正しいものを選びなさい
問: 東洋史で最も恐い女性は(呂后、西太后、野村サチヨ)である。
67 :
名無的発言者:01/12/11 20:51
俺、本宮ひろ志の「赤龍王」しか読んでない…。
68 :
名無的発言者:01/12/12 08:24
>>64 遊び人が世間知らずの富家のお嬢をたぶらかした、っていうノリかな
>68
もしかするとそういう側面もあったかもしれませんが、
史書によれば、呂公が劉邦の人物をかって、先物買いしたということみたいですよ。
70 :
名無的発言者:01/12/12 09:14
史書書いたの漢朝の臣だからねえ。
ほとんど初対面の男をみこんで娘をやるっていうよりも、
既成事実ができちゃったんで、しぶしぶ嫁に、、、という方が説得力あると思わない?
71 :
名無的発言者:01/12/12 17:54
>70
成程たしかに。
劉邦は多少割り引いて解釈したほうが良いかも。
>66
いいえ、ウチのです(苦笑
司馬遷の史記の高祖本紀は、劉邦を良くは書いていないと思います。
もちろん、悪くも書いていないですが。
司馬遷が後の世でも評価が高いのは、思いの外、客観的だからではないでしょうか。
それはそうと、韓信と源義経がだぶるのは私だけでしょうか。
73 :
アモイ ◆lvPrcw3Y :01/12/13 17:51
項羽が阪神タイガースの監督になったら...
全員近鉄の選手とトレード
74 :
名無的発言者:01/12/14 04:35
>>70 で、劉邦がえらくなってから
「実は将来大物になると見抜いてたから娘をやったんだよ(豪快笑)」
って言えば、それが史書に載る・・・
ああっ、みもふたもないっ・・・
誰か、天才的戦術家、韓信について語ってくれエー。
76 :
名無的発言者:01/12/16 15:32
韓信の股をくぐりたい
77 :
アモイ ◆lvPrcw3Y :01/12/16 15:44
戦術・勇敢さには長けてたけど、政略はてんで駄目だったね。
あんだけ手柄立てたのに結局味方に粛清されちゃった。
悲劇の武将だ。
78 :
名無的発言者:01/12/16 16:06
孫子(孫武)みたいに、勝った後は引退してしまえば、あるいは悲劇を避けられたかも?
79 :
名無的発言者:01/12/16 18:25
韓信に限らず、中国では大功のあった将軍が用済みになると処刑されちゃう事
が多かったのでは?(「獲物をとり尽くすと走狗が煮られる」とかいうやつ)
80 :
sage ◆mDUPSV/c :01/12/16 23:12
>79
「狡兎尽きて猟狗煮らる」というのは、戦国時代からの伝統思想ですな。
秦なんかは法家思想で統一した(忠誠心とか仁愛とかいう要素を否定した)
ために特に目立ちます。
もっとも韓信の場合、劉邦は比較的同情的だったのを呂后が追い込んで
いるのですが(彭越なんかもそのクチ)。
れきいき、かっちょいー
82 :
名無的発言者:01/12/18 04:11
仮に項羽が天下を取って統一帝国をたてたとしても、秦始皇みたいに代がわりした途端ガタガタになったと思われ。
83 :
■中国の歴史人物をゲームに登場させよう!■ の1:01/12/24 00:51
84 :
名無的発言者:01/12/24 00:58
呂后と旅行に行く
こーゆーのをスレッドストッパーという
86 :
ストッパー2号:01/12/24 01:20
韓信に感心する
87 :
名無的発言者:01/12/24 01:27
項羽んちに降雨集中
88 :
名無的発言者:01/12/24 01:59
ゲイ布
89 :
名無的発言者:01/12/24 02:05
>>80 後世に悪名が残らないように
呂后に罪をかぶせたとも考えられますな。
90 :
名無的発言者:01/12/28 03:30
虞美人たん萌え〜ハァハァ
91 :
名無的発言者:02/03/31 17:59
項羽の瞳は片目に2つ(合計4つ)有ったと何かで読んだけど、何でしたっけ?
92 :
名無的発言者:02/03/31 18:17
>>91 史記・項羽本紀のこの記述のことでしょう。
↓
太史公曰吾聞之周生曰舜目蓋重瞳子,又聞項羽亦重瞳子。
93 :
名無的発言者:02/04/01 23:10
この余りにも有名な歌、
諸君は何と見る?
【垓下歌】
力拔山兮氣蓋世
時不利兮騅不逝
騅不逝兮可奈何
虞兮虞兮奈若何
94 :
名無的発言者:02/04/02 00:09
先ず1行目に注目してもらおう。
力拔山兮氣蓋世(力は山を抜き、気は世を蓋う)
何か変だ。「山」に呼応するのは「世」じゃないだろ?
音読みしたらもっと違和感がある。
リョク・バツ・サン ケイ キ・ガイ・セイ
何か尻すぼみで、力強いこと言いたいのに力が抜けてる。
おまけに「兮」と「世」が同じ韻と言うのは頂けない。
私的にはここは「世」では無く、「郷」だと言いたい!
リョク・バツ・サン ケイ キ・ガイ・ゴウ
うん、これならカッコイイ!
項羽って言うな。
項籍って言えや。
とかワガママを言ってみるテスト。
そういや、いまだに姓名と字(アザナ)をくっつけて表記する人がいるんだね。
「劉備玄徳」とか(ワラ もうヴァカ丸出し
流石にここでは居ないと思うけど。戦国板行くと多いので思わず苦笑したYO。
96 :
名無的発言者:02/04/02 00:26
てめー「日本人」だなー!
>項籍って言えや。
ほぼ同意。
でも彼の司馬遷大先生様も「項羽本紀」て題名付けてるし...
97 :
名無的発言者:02/04/02 00:33
で、2行目。
時不利兮騅不逝(時に利あらず、騅は逝かず)
先程の「郷」に韻を踏むなら、ここは当然「行」または「往」だ。
私的には「行」を取りたい。
ジ・フ・リ ケイ スイ・フ・ギョウ
何ともカコイイーではないか。
98 :
名無的発言者:02/04/02 00:41
結局のところ、項羽もとい項籍は「行」って言うべき所を「逝」って言いたいが為に、1行目のケツに「世」を持ってきた訳だ。
結論:項羽=2ちゃんねらー
99 :
名無的発言者:02/04/02 00:44
ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハ
真面目に読んでた人居る?
今日は彼の●●●大先生も大嘘こいたエイプリル・フールだし...
あっ、過ぎてる。チャンチャン
100 :
名無的発言者:02/04/02 00:55
誰も見てねーから自分で100とっとこ。
ぷちっ。
101 :
自転車小僧 ◆mI/K76EY :02/04/02 00:58
もう我慢できん!コテハン名乗らせてもらう。
>94
おまえはアフォか!ヴォケか!回線切って首吊って死ね!と言いたいくらい
(もう言ってしまったが・・・。)無知を晒しくさって!
>おまけに「兮」と「世」が同じ韻と言うのは頂けない。
>私的にはここは「世」では無く、「郷」だと言いたい!
韻て、あんたホントに漢文やったの?
中古音では「兮」は平声斉韻、「世」は去声祭韻。
詩全体の平仄をみて見れ。
力拔山兮氣蓋世 仄仄平(平)仄仄仄←祭韻
時不利兮騅不逝 平仄仄(平)平仄仄←祭韻
騅不逝兮可奈何 平仄仄(平)仄仄平←歌韻
虞兮虞兮奈若何 平平平(平)仄仄平←歌韻
「世」と「逝」が韻を踏んどるだろうが!
「兮」は楚の言葉で語調を整えるための助辞。屈原の『楚辞』にも出とろうが!
勝手に「世」を「郷」に変えるとせっかく祭韻で揃っているのに、「陽」韻に
変わって韻が合わなくなるだろう?
『史記』は漢代だから「兮」、「世」、「逝」は上古音で両方『六書音均表』の
六類に入るが、「郷」は四類になりやはり合わん。
それに『垓下歌』は漢の軍隊に追い詰められて虞美人と一緒に死ぬかどうしようか
悩んでいる歌と言うのは知っていると思うが、そんな歌はカッコよさより、滅びゆく
武将の哀れさ、儚さを表さんといかん。下手な解釈は逝ってよしである。
(今日はムシの居所が悪いのでここまで!)
102 :
名無的発言者:02/04/02 01:10
うわっ!
自転車小僧さん勘弁して下さいよー。
あっしはネタでやってただけなんだからー。
ってあっしのボケへのツッコミ、さすがお見事です!
おまけにただのネタじゃなくてマジ勉強になる。
103 :
中国板保全委員会:02/04/02 01:11
世界史板にリンク貼ります。
104 :
名無的発言者:02/04/02 01:15
>>103 げーっ!
このボケっぷりよそに晒しちゃうの?
俺もう寝よ。
おやすみなさい。
>103
古文・漢文板にも貼ってくれい。あそこは閑散として時間の流れがゆっくりし過ぎ
てるから。
世を蓋うほどの気を持ち、山を眺めながらでも抜くことができ、
騅(愛馬)にも負けないモノを持っている俺(項羽)だが
虞美人にはさんざん抜かれて気を吸い取られた
って意味だ。
107 :
名無的発言者:02/04/06 20:23
漏れなんかは股くぐりの韓信が一番だな。エライよ。耐えることを知ってる奴って。
>98
当たらずとも遠からず。
多分秦の始皇帝が死んでから言論統制が緩んで2chみたいなものがあったのかも。(藁
>>107 韓信って職人肌?
自分の能力に自信を持っていて、その分野で全力を尽くすことが人生の楽しみ。
その他のささいな事にはつまらない意地を張ったりしないで流す。
自分もかくありたい。
それだけに彼の最期は悲しすぎる・・・
110 :
名無的発言者:02/04/13 11:34
野末陳平の名前は、あの「陳平」から取ったそうな。「なんでまた・・・」という気も
するのだが。
111 :
闇2ちゃんねる:02/04/13 11:35
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112 :
名無的発言者:02/04/18 15:39
age
113 :
名無的発言者:02/04/20 00:58
韻て、あんたホントに漢文やったの?
中古音では「兮」は平声斉韻、「世」は去声祭韻。
詩全体の平仄をみて見れ。
力拔山兮氣蓋世 仄仄平(平)仄仄仄←祭韻
時不利兮騅不逝 平仄仄(平)平仄仄←祭韻
騅不逝兮可奈何 平仄仄(平)仄仄平←歌韻
虞兮虞兮奈若何 平平平(平)仄仄平←歌韻
「世」と「逝」が韻を踏んどるだろうが!
「兮」は楚の言葉で語調を整えるための助辞。屈原の『楚辞』にも出とろうが!
勝手に「世」を「郷」に変えるとせっかく祭韻で揃っているのに、「陽」韻に
変わって韻が合わなくなるだろう?
『史記』は漢代だから「兮」、「世」、「逝」は上古音で両方『六書音均表』の
六類に入るが、「郷」は四類になりやはり合わん。
それに『垓下歌』は漢の軍隊に追い詰められて虞美人と一緒に死ぬかどうしようか
悩んでいる歌と言うのは知っていると思うが、そんな歌はカッコよさより、滅びゆく
武将の哀れさ、儚さを表さんといかん。下手な解釈は逝ってよしである。
(今日はムシの居所が悪いのでここまで!)