『ペルソナ』とは、人の心の内に潜む、もう一人の自分…
自身の外側の物事と対峙したとき、表に現れてくる、もう一つの
”人格”とも言うべきものである。
”ペルソナ能力”とは、それを形ある姿で自分の傍らに召喚し、
実際の力にできる異能のことで、それを使いこなす者は
”ペルソナ使い”と呼ばれる。
おおおおおおおおおおお
期待sage!
名前:
性別:
年齢:
生年月日(星座):
性格:
外見:
装備:
戦術:
職業:
目標:
うわさ1:
うわさ2:
ペルソナ名:
力:
魔:
耐:
速:
運:
物理攻撃:
火:
氷:
雷:
風:
光:
闇:
力や魔力などのステータスは、すべての数字を足して
20以内に設定してください。
物理攻撃や火などの属性は「弱」「耐」「無」「吸」など
ペルソナの特徴に応じて設定してください。
ちなみに「弱」はその属性に弱く「耐」は強いことを表します。
「無」はその攻撃を無効化し、「吸」は吸収することができます。
この作品は、ペルソナシリーズ(主にP2とP3)を通して
独自解釈のオリジナルストーリーで展開していきます。
※設定(独自解釈・オリ設定含みます)
○珠間瑠市
本作のメインとなる場所。
海に面した人口128万の政令指定都市。
『蓮華台』……七夕川の北に位置している。本丸公園、アラヤ神社、七姉妹学園などがある閑静な高級住宅地。
『平坂区』……下町情緒あふれる街となっており、春日山高校などがある。
『夢崎区』……珠間瑠市1番の繁華街。派手さと軽薄さが売り物といった施設が多い。
又、カジノや風俗街などがある地域で、割と犯罪行為が多かったが、
監視カメラの増設などで、一時期よりは減っている。
『青葉区』……強いて言えば大人の街。テレビ局や出版社などの施設が多く、野外音楽堂がある青葉公園がある。
『港南区』……空の科学館や恵比寿海岸など観光地が多く、観光シーズンは賑わいを見せる。
○月光館学園
巌戸台港区から少しだけ離れ、海面に浮かぶ人工島にある小中高一貫の私立学園。
校舎は新しく見えるが、人工島であるポートアイランドが出来た際に、現在の新校舎へと移転している。
月光館学園自体の設立は1982年である。
桐条グループが出資のため、各種設備はかなり充実していた。
学力・スポーツの面において珠間瑠市周辺でも、かなりのレベルを誇る名門校。
○七姉妹学園
珠間瑠市蓮華台にある中高一貫の学園。通称はセブンス。
学校の校章には、7つの星がデザインされており、校舎の大時計、生徒の持つエンブレムなどにも施されている。
時計台をシンボルとした洋風の校舎がオシャレだと言うことで、人気が高い。
バリバリの進学校と言う訳でもなく、月光館学園と比較すると少しだけランクは低い。
○春日山高校
珠間瑠市平坂区にある高校。通称はカス高
札付きの不良や、成績に問題がある者ばかりが通う学校であり、評判は最悪と言っていい。
隣の区にある七姉妹学園と、何かと比較される。月光館学園は同じ市内にあるが、
距離が離れすぎているため、比べられることはないようだ。
GM:無し
NPC:共有可
名無し参加:なし
決定リール:なし
レス順:投下順(変更も可)
四日ルール適用。
版権・越境:なし
敵役参加:あり
避難所の有無:なし
備考:とりあえずこんな感じでいこうかと思います。
参加者募集中です。よろしくお願いします。
同人板でageて宣伝とか何考えてんの馬鹿なの?
他板で宣伝はさすがにやめとけよ…
あんたも例えばオフ板の連中がこのスレでサシオフの宣伝をしたら微妙な気分になるだろ?
誰もいないプール。海藤美帆は自分の身に着けた紺色の水着を眺め、
それから目の前に広がる長方形の水の塊を見た。
誰も泳いでいないプールは夏の終わりの青空を映していて、まるで銀色の鏡のようだった。
水面を覗き込む。一足ずつ梯子を降りる。
足の先が水に触れた。生ぬるい水がやわらかく美帆の足首を包みこんだ。
脛から順に、膝、腿、腰と水に沈めていく。
少女を取り囲む水は笑うように揺れ、表面は大きく波打つ。
胸まで沈め、水着に縫いとられた七姉妹学園の校章が水面に消えると足がコンクリートに触れた。
海藤美帆は一度も泳いだことがない。
そればかりかこうして全身を水に浸すことですら幼稚園以来のこと。
それなのに水は怖くなかった。
全身を投げ出せばどこまでも泳いでいける。そんな錯覚すら覚えた。
両足のつま先でコンクリートを蹴り、水の中に体を横たえ手足を動かしてみる。
もちろん泳げるはずがなかった。いきなり体は水に飲み込まれ、目にも口にも鼻にも、
薬品くさい匂いとともに水が入り込んできた。
ひとり咳き込む。誰もいない屋外プールにそれは大きく響いた。
涙と唾液を拭ってから、もう一度水面を見る。
美帆のまわりでゆっくりと揺れる水が、急に憎悪を持っている生き物に思えて水からあがった。
海藤美帆は、小学校三年のときから塾に通っていた。A大付属高校に進むためだった。
三年生のクラスで、何かしらはっきりした目的をもって塾に通っているのは美帆だけで、
どこか雰囲気が違うと見なされた美帆はメガネザルと呼ばれ、親しくしてくれる友達はいなかった。
誰かとうんと仲良くなりたかったのにそれは叶わなかったから、自分が傷つかないために
みんなを見下すことにした。
頭が悪くて不潔でみんな一緒にしか行動できない子供たち。
クラスメイトのことをそんなふうに思っていた。
そう思うと、話しかけられないほうが気楽だった。
教室のまるでそこだけ凍ったような空間で一人椅子に座って、
海藤はA大学付属に行ったらどうなるんだろうと考えていた。
その先になにがあるのか。あるいはその中になにがあるのか。
まとまらない考えを積み木のようにばら撒いて組み立てようと試みる。
友達と笑ったり、何かを深刻に話し合ったり、秘密を打ち明けたりするところを思い描いてみる。
その場所は、今いる教室のクラスメイトより、先生より、刺激的で楽しい場所。
こうなると美帆の思考は止まらなくなる。俗に言う嬉しい悩み。
けれど悩む必要も何もなかった。それだけ勉強していたにもかかわらず、
美帆はA大付属を落ちた。落ちたのである。海藤美帆はただのメガネザルだった。
それで、すべり止めに受けていた七姉妹学園に通うことになった。
入学祝に父親がコンタクトレンズを買ってくれ、それまで使っていた赤い縁のメガネを捨てた。
新しい学校には知らない生徒ばかりいて、だれも美帆がメガネザルであったことに気づかなかった。
七姉妹の生徒たちは美帆のことを仲間はずれにはせず、無視することもなかった。
けれど、あまり楽しくなかった。笑いあうのも深刻に言葉を交わすのも、思ったより楽しいことではなかった。
塾へ通う必要もなく、その新しい場所でいったい何をすればいいのかわからない。
そんなとき美帆はプールに浸り、やけに高く見える空を眺めA大付属に通っている自分を思い描いた。
海藤美帆が水泳部に入った理由は、銀色に揺れる水面が、全身を心地よく冷やす液体が、
かつてメガネザルであった自分を忘れさせてくれるからだった。
2012年9月1日
君は下記の情報を、何らかの形で入手することができるだろう。
朝の情報番組から今日のワンロン占い。○月生まれの運勢は「大凶」。
何をやってもうまくいかない一日です。大きなアクシデントに見舞われる暗示も。
でも10月生まれ(銀龍)のお友達が、あなたを不幸から救ってくれるかも。
兎にも角にも気をつけて過ごしてね☆
※ワンロン占いはよく当たる。若い女性を中心に口コミで広まった占いだが、
最近では中年の主婦やサラリーマン層にも人気を博している。
昼のワイドショーでは、若者たちの間で囁かれている「ジョーカー様」という噂が取り上げられていた。
その名の怪人に憎い相手の名を告げると殺してくれるのだという。
もちろん、たわいのない都市伝説と片付けられ警察もまともに相手にしていないが、
恐怖のあまり家の外に出られなくなる若者が増えて社会問題になりつつあった。
夢崎区。裏路地。
生ごみの臭いのする、野良猫が徘徊する、狭い路地裏。
地べたにうずくまっていた人影は、名前を呼ばれ顔を上げた。
目の前には妙なものが立っていた。
人間――だろうか。
蝋のような白い肌が、薄闇にぼうっと浮かび上がっている。
大きく笑った口。片目の周りに描かれた、繊細な紫色の隈取。
頭部には左右に張り出した奇妙な飾りがついている。
――仮面。
冷静に考えてみたらわかるだろう。
仮面を被った謎の人物は、路地裏に座り込んだ人影に、
ゆっくりと一歩を踏み出すと手にしていた棒を持ち上げた。
いや、棒じゃない。仮面の人物が握っているのは日本刀だった。
飲み屋から漏れてくる細々とした明かりを、白刃が反射する。
風を切る音とともに血飛沫があがる。
蹲っていた人物は足の腱を斬られて、立ち上がれずにいた。
地面に両手をついて、無様に身体を引きずりながら路地裏を逃げる。
しかし、大きな影が降って来る。ビルの屋上から飛び降りたらしい。
巨大な犬だった。セントバーナードよりもまだ大きい。
毛並みは燃えるように赤かった。
頭上に巨大な犬の顔が迫る。肉の腐ったような臭さを感じる。
仮面の口は笑っていた。両端のつりあがった唇が不気味に赤い。
巨犬の口が開く。地面にぽたぽたと落ちる涎。
刹那、路地裏に轟く悲鳴。しかしそれは、途中でぷつっと途切れた。
水泳部に入部して、海棠美歩はすぐに気がついた。
まったく泳げない新入生が自分しかいないということに。
顧問の先生は十三人目の新入生である海棠がまったく泳げないことを知ると、
困ったような顔で、どうして入部しようと思ったんだ?と聞いた。
しかし、聞いただけで、べつに海棠の答えを待つわけでもなく、
ビート板を渡して他の生徒たちの訓練を始めた。
泳げない人の入部を禁止するわけにもいかないが、そういう人の面倒を見るわけにもいかないようだ。
――放課後のプール。
ビート板にしがみついて必死に足を動かしながら、海棠は他のコースを眺めていた。
誰もかれも一息つくことなく延々と泳いでいる。
そのなかでも一際美しく、なめらかなフォームで泳ぐ女の子がいた。
もちろん海棠は泳ぎの正しい型などしらないから、きれいだという形容しか思いつかない。
彼女はいつもプールサイドやシャワー室の掃除などをやらないから
きっと上級生だと思っていたのだが彼女も新入生の一人だった。
名前は「須藤竜子」
偉い政治家を祖父にもつ、生まれついてのお嬢様ということを、
海棠はあとになってから知ることとなる。
――ある日の教室。
「ババア。ねえババア、ポテチ買ってきてよ」
海棠の背中で大声が聞こえた。驚いて振り向いた視線の先には須藤竜子。
須藤の横では他の女の子がふきだしている。
「だってこいつババアみたいなんだもん。こんどプールに来てごらん。
七コースに瀕死の老婆が泳いでいるから」
須藤の周囲を取り囲んでいる女の子たちが笑う。
海棠は自分の席についたままうつむいた。すると机が思いきり倒れた。
須藤が机を蹴り倒したのだと理解するまでに少し時間がかかった。
「あさ食べてないんだ、私。おなかすいたからポテチ買ってきてって言ってんの。耳遠くなっちゃった?」
須藤はじっと海棠を見下ろしていた。
見下ろすその顔からは次に何をするのか読み取ることはできなかった。
海棠は黙って立ち上がり、一番近くにあるコンビニエンスストアを目指す。
たった今抜け出したばかりの門のむこうで、始業のチャイムが甲高く響いた。
保守
保守
須藤竜子に「ババア」と呼ばれるようになってから、
今まで一緒にお弁当を食べていた人たちは海棠美帆から離れていった。
おまけに須藤のグループの女の子たちが、時々買い物を頼むようにもなっていた。
数人の友達、クラスメイトは、誰ひとり美帆には近寄らず
そのかわり「バイキン」と呼ばれている無口な女の子がぴったりと寄りそってくる。
バイキンは野中エミコという名前で、ショートカットで小学生のような顔。
美帆はそのバイキンと二人、ひっそりとお弁当を食べひっそりと教室を移動するようになっていた。
そして、いじめは日に日に酷くなっていく。
その日は机の中に封の開かれたナプキンが入っていた。
真ん中がマジックペンで赤々と塗られ、裏を返すと「のなかえみこ」と黒いマジックで書かれている。
美帆はナプキンを手にとって、しばらくその意味を考えていた。
すると後ろから数百の風船がいっせいに割れたような笑い声。
「バイキンったらあんたの机の引き出しとトイレの汚物入れを間違えちゃったんだね。
でもあんたたちすごく仲がいいんだから、かわりに捨ててきてあげたら?」
須藤竜子が女の子たちの真ん中で背を反らし、なぜか勝ち誇ったような感じで笑っている。
野中エミコのほうを見ると、彼女はこちらをふりむいて真っ赤な顔。
海棠は大人しく立ち上がって、ナプキンをゴミ箱に捨てた。
「それねえ、ゴミ箱に捨てるもんじゃないのよ。
トイレに捨てて来いって言ってんの。教室が臭くなるでしょ」
いつの間にか後ろに立っていた須藤がおもいきり海棠の背中を押した。
ゴミ箱を抱え込むような格好で転ぶ海棠。また風船爆弾の笑い声。
海棠は本当に大人しく忠実な犬のようにナプキンを拾い上げ教室を出た。
バイキンは何にでも名前を書いてて偉いねえ、と教室から須藤の声が聞こえた。
保守
静寂──。
足を取ろうと狙うかのように転がる空き缶、吐き気を催すようなすえた臭い、薄汚れた壁を這い上がっていく害虫。
路地裏と聞いて想像し得るあらゆる物が集約されているような、そこはそんな場所だった。
雄々しく立ち並ぶ違法建築のビル群のおかげで、ここに光が差すことはない。
常に影に包まれた、影が支配する領域。
四方に枝分かれする通り道のどれもが、まるで得体の知れない世界に続いているかのように感じさせる。
その枝を統べる根、つまり十字路の中心、久我浜清恵はそこにいた。
直立不動、頭から爪先まで微動だにすることなく、独り立ちすくんでいた。
──カラン。カランカラン。
そこで乾いた音が幾重にも反響して聞こえてきた、恐らく転がった空き缶を誰かがうっかり蹴り飛ばしてしまったのだろう。
反響音はどこかへと通り過ぎていき、そして消えると、すぐにまた静寂が戻る。
そして、清恵の姿も、すでに薄闇の奥へと消えていた。
子供の背丈ほどに積み上げられたダンボール、その陰に少女は縮こまって身を隠していた。
傍らには僅かにひしゃげた「お〜い粗茶」の空き缶が転がっている。
それは先程少女がうっかり蹴り飛ばしてしまった物だった。
うっかり──とは言っても、少女にとってはうっかり以上、痛恨のミスであった。
身を隠しながら、一刻も早くこの路地裏を抜け出さなくてはいけなかったからだ。
少女は逃げていた、自分を追う得体の知れない者の手から。
なんなの、なんなのよアイツ。あたしが何したっていうの?
顔も知らない生徒だった、生徒だと分かったのは制服を着ていたから。あれは確か七姉妹学園指定の物だ。
話があるなどと言われて、馬鹿正直に付いていった自分にも責任はあるだろう。
他人への警戒心のなさは常々彼氏からも忠告されていた、こんなことになるならもっとちゃんと……。
「……殺される、のかな」
アイツに見つかったら、殺される?
自分が死ぬなんて考えたこともない、今この時も考えたくもない。
でも、だって仕方ないじゃない、アイツ──凶器持ってるんだよ!?
大工のおじさんが持つみたいなおっきなカナヅチ……ハンマー……?
とにかくそういう鈍器を持ってるの、取り出したの、あたしをここに追い込んで!!
あんなので殴られたらどうなっちゃうのかな、手とか足とか。頭とか。
わかんない、わかんないけど、絶対痛いよね?
やだ、怖い、ああ、怖い、やっぱりだめじっとしてちゃいつか見つかる、でも動けないよ無理、さっきの音を聞いてアイツが近くに来てるかも──!
ハンマーを振り回しながら迫り来る奇怪な狂女の姿が脳裏に浮かぶと、もはやいてもたってもいられなかった。
ダンボールに身を預けるようにしながら顔半分だけを出して、恐る恐る薄闇の奥を覗く。
幸い何も異変はなく、闇の奥に僅かに小さな光の粒が見えるだけだった。
こちらに向けて光が射しているのだろうか、案外出口が近いのかもしれない。
ふと光が一度だけ明滅した、突然何かに遮られたかのように。
僅かな道標を辿って逃げるべきか、考えている内に二つの光はまた一度明滅する、だが消える気配はない。
微動だにすることもなく、確かにそこに浮かんでいる。
そこで、どうも光の正体が気になった、というよりもその光には何か違和感があった。
二つの光があまりにも綺麗に横
に並んでいるのだ。
「ねぇ」
耳元で囁くような声。
二つの光が薄闇を引き裂くように大きくなっていく。
「いつまでそうしているつもり」
光の粒の正体は、二つの眼だった。
足音が近づくにつれ、その姿も徐々に露わになっていく。
それは他でもない追跡者、ハンマー女だった。
「どうせなら、もうそのまま動かないでいてくれると助かるわ。追い掛けるのは疲れたから」
一歩、二歩と素早い動作で少女との距離を詰める。
少女のすっかり脅えきった様子を前にしても、清恵は顔色一つ変えていない。
「戦わないの?それとも、戦えないのかしら」
少女は何も答えずに頭を抱えて震えながら何事かをぶつぶつと呟いている。
「……まあいいわ。自分で確かめた方が早いから」
清恵は上着のポケットから小型の拳銃を取り出すと、躊躇なく銃口を少女の頭に押しつけた。
ビクリと少女の肩が浮き、体の震えはより一層激しさを増す。
懇願するような眼を清恵に向けて、鯉のように口をパクパクとさせている。
清恵はそれも意に介さず、あくまでも事務的にあっさりと引き金を引いた。
その瞬間、少女の額から右半分が無惨に爆散する──ことはなかった。
少女は無傷だった、もっとも死を間際にした恐怖のあまり意識は失ってしまったようだが。
白目を剥いて地面に崩れ落ちた少女を尻目に拳銃を下ろし、倒れている少女の懐を探る。
清恵の目的の物はすぐに見つかった。
──『召喚器』、それは拳銃の形を模したペルソナの召喚に使う道具だった。
先ほど清恵が少女に向かって引き金を引いた拳銃と同じ役割を持っている物だ。
「逃げずにいてくれれば、貴女もこんな目に遭わずに済んだのに」
清恵は少女を殺すつもりなど最初からなかった。
ただペルソナを発現出来る者を捜していて、召喚器を持つ彼女をたまたま見かけたから話を聞こうとした。
咄嗟のトラブルにも迅速に対応出来るように、スレッジハンマーを携えながら。
その結果、逃げられてしまい、《手を出してこない→戦う術を持たない→ペルソナ使いではない可能性あり》と解釈した上で、少女を追跡する為に、逃げた先の音を耳で追っていたのだ。
「なんにせよ、これは貴女が持っているべき物ではないわ」
もしも、本当にペルソナ使いでなかった場合は、召喚器を回収するつもりで。
「これは──“私達”のような人間が使う物なのだから」
その言葉を残して、清恵は出口に向かって歩き出し、その場を後にした。
残ったのは路地裏で失神する少女独り。
それから数分後、匿名電話の通報により少女は救急隊員によって病院に搬送された。
彼女に召喚器を与えたのは誰なのか、それを突き止める必要がある。
だが、ひとまずはペルソナ使いを集めることが当面の目的だ。
戦力は多いに越したことはない。
「これを役立てる人に巡り会えると良いけれど」
召喚器の銃身を空にかざすようにしたりして、手の中で玩ぶ。
使い手がいなければただのガラクタに過ぎないそれは、どこか寂しげな印象を纏っていた。
雑多な街の明かり。
ギラギラとこの街の夜を生きる人々の欲望を溶かしこんだようなネオンの色。
客引きの若い男の声が響いて、女の黄色い声が男を誘う。
やたら派手な髪をした男が女の肩を抱いて歩き、2時間数千円で入れる城の様な建物に吸い込まれていく。
そんなふうに、人間の様々な生き様が乱れ交うそこは夢崎区と呼ばれる地域である。
市内最大の繁華街が有る区であり、つい最近まで市内で最も治安が悪いとされていた地域だ。
しかし、近年の市の政策によって監視カメラが設置され、表路地での治安は大分良くなったように思われている。
そう――表通りに関しては、その想像も間違ってはいない。だがしかし、この地域の裏路地はまだまだ治安が悪い。
ドラッグの密売や、不良の溜まり場、他にも様々な要因からこの街の路地裏を夜に通るのはお薦めできることではないと言われていた。
青年、中務 透が歩いていたのはそのような場所であった。
しんしんと冷え込むコンクリートは、透の履きつぶしたスニーカー越しですら冷気を感じさせる。
首にマフラーを巻いて手をこすり合わせながらも、不意な震えを抑えきれないくらいには、透は寒さを認識している。
吐く息が白い。寒さの原因は、きっとこんな人気のない路地裏を歩き続けているからだったろう。
手にほぅ、と息を吐きつけてこすり合わせる。
走りやすい安物のスニーカーは、あまり足音を立てること無く、透を薄闇の中で歩かせる。
ふと、上を見あげれば、長方形のカンバスに切り取られた夜空が見えた。
かと言って、月は綺麗な半月でも満月でも、はたまた暗い満月でもなく、中途半端な形の月だった。
都会の汚れた空気で星などそう見えるはずも無く。そんな空を見上げても感慨など抱くことはない。
「……寒っ。自販機とか、どっかにねぇのかよ」
マフラーをきつく巻き込みながら、どこかに自販機が無いものかと見回すが、周りには何もない。
寂れた路地裏に人がそうそう通る訳も無く、そんな場所に都合よく自販機が有るはずがない。
透は、後ろを振り返ること無く、只々前に向かって歩き続けている。
後ろには、倒れ伏す青年と同じくらいの高校生が一人と、鉄パイプが一つ。
口から泡を吹いて気絶していたが、その原因が誰だったのかは自明の理といえよう。
(謎の影やら、変なモデルガンやら。
ちょっとしたネタになりそうだと思ったんだが……。
掲示板見てても埒があかねぇから歩いてるってのに、歩いても見つからんとは運が悪いかねぇ)
透の通う高校は、俗称をカス高と言う。
市内での評判は最悪といっていいほどの底辺校であり、部活や何かでも特筆する点は何一つ無い。
そんな、どんな都市や県にも存在する、所謂馬鹿の受け皿となっている場所に籍を置くこの青年は、しかしその場所で妙な立ち位置に付いていた。
単車の無免許運転の経験は確かにあるし、先程地面に転がる不良を生産したように喧嘩だってする。
だがしかし、勉学も欠かさないし、春日山高校に通う生徒としては珍しく部活にも所属している。
その部活は、新聞部と呼ばれているが、部員は透ただ一人。
正式な認可などされていようはずも無いが、新聞部室として図書室の一角を勝手に使っている。
将来の夢として記者を志す透は、都市内の様々なゴシップを追い、面白おかしく脚色したり、はたまたいい話を記事にして学内にばら撒いていた。
それらの新聞は殆ど読まれる事は無いまま、捨てられたりちり紙にされたり、便所の紙の代用にされたり紙飛行機にされて教室を飛び交うのが殆どの末路だ。
だが、それでも僅かに透の作る新聞を読む友人も居ないわけではなく、今回追っているゴシップは貴重な読者兼友人からの情報であった。
曰く、街の路地裏でモデルガンを持った人が変な影を出していた。とのこと。
いかにも都市伝説臭い、嘘八百を感じさせる、二流の記事にもできそうにない流言だった。
基本、その友人――名前は都子 千歳と言うのだが――の言う事は、嘘か妄言か冗談が七割、残りの三割は真実と相場が決まっていた。
またいつもの妄想か、電波でも受信したものかと思ったのだが、クラスの委員長が飲み会の後路地裏で立小便をしていた所、そんなモデルガンを見たとの証言を聞いた。
複数の人間から、少なくとも知能指数は別として妄想などに囚われては居ない第三者からの証言が有った為、透は少なくとも事実無根の噂ではない、と判断した。
もしも本当にその影が有ったとすれば大ニュースであるし、噂の真相を暴くだけでもちょっとした目玉記事にはなるだろう。
無理に理由づけるとすれば、集団幻覚か、何らかの違法な薬物や、脱法な薬物がもたらす妄想か、と言ったところだろうが。
そんな適当な理由付けで折角のネタを逃すようでは、記者失格だ。
故に、級友等から情報を集めてから、己の足で街をめぐる事に決めて、準備もしていた。
それでも、この寒さの中歩き続けて収穫が無いのならば、当然文句も言いたくなるものである。
「これで四日目なんだよなぁ……。
影も形も見えやしねえ。……いや、ここで諦めるのも勿体無い、か。
あとあと三日位、頑張ってみますかね――」
心に鞭を打ち、気合を入れて己の頬を強く叩いた直後だった。
横道から空き缶の転がるような音が聞こえたのは。
透は即座に動いた。この反応の良さは、偏に日々の新聞配達と引越しのアルバイトの経験が成させたのだろう。
脳から叩きだされた命令は足の筋肉を駆動させる事で地面を蹴り、その反動で比較的小柄な青年の体は押し出されて加速し、走るという行動に帰結。
インターハイクラスの陸上部には遠く及ばないものの、春日山高校の有象無象の陸上部以上には動く健脚がその実力を発揮した。
軽快に足を動かしつつ、警戒しながら横道の近くにたどり着き、透は道を覗きこむ。
覗き込めば、スレッジハンマーを持ち、片手に噂のモデルガンを携えた少女が、もう一人の少女にそれを突きつけている姿が見えた。
透は静かに息を潜める。このまま暴力沙汰になるようであれば、躊躇いなく飛び出す覚悟は有る。
目の前で起こる暴力沙汰を見てみぬ振りが出来るほど冷血な人間ではないし、そんな判断が出来るほどには老成した性格の持ち主ではない自覚が有ったからだ。
学ランのスラックスに突っ込んであるキーホルダーを引き抜き、手元で握り直す。キーホルダーから下がっていたのは、所謂クボタンと呼ばれる護身道具。
金属製の丈夫なボールペンであり、寸鉄の様に握りこみ相手のみぞおちや骨に打ち込むのを主な使用用途とするものだが――、相手のハンマーに比べて大分心もとない。
>「なんにせよ、これは貴女が持っているべき物ではないわ」
>「これは──“私達”のような人間が使う物なのだから」
(あれが、モデルガン、ね。大分良くできてるみたいだが、何の変哲も無さそうに見えるな。
……ん、なんかゾワゾワする)
それでも、ないよりはまだ良いと思いながら首から下げるカメラを片手で握り、構えていた。
状況を見ていて、これは間違いなくなんらかの裏事情などが絡んでいる事件だろう、と辺りを付けて、探究心に火がつき始める。
それでも、透の心と体がいやに硬直してやまない理由は、視線の先にあるモデルガンが原因だったのだろう、と透は判断できた。
モデルガンだと分かっているのに、あの銃を突きつけられれば死を覚悟しなければならないような、そんな予感を抱くのは、これが初めてだったのだ。
モデルガンを突きつけられている少女の怯え様からも、あのモデルガンが只の玩具であるとは透には到底思えなかった。
目の前で少女が失神したというのに、透は清恵が歩き出すまで体の硬直を解く事が出来なかった。
清恵が横道から姿を消したのを確認し次第、透は即座に横道に入り込み失神する少女の姿を確認する。
首筋に手を当てて、ただ気絶しているだけだと判断した後は、首に己のマフラーを巻いた後に学ランを羽織らせて、壁にもたれ掛からせる。
手早くそれらの作業を済ませると、透は焦燥感と共に足を動かし、先程のハンマーの少女を追うのだった。
薄汚れた路地裏の地面を蹴る、駆ける、走る。
自分の勘に全てを賭けて、右の方向を選択してひたすら駆けた。
記者の武器は足、そして迷わない素早い判断。そんな持論をたった一人の新聞部は持っていて。
その迷わない素早い判断は、今回に限っては実を結ぶ。
息を荒げ、周囲を探しまわって走り抜けた先に、ようやく少女の姿が見えた。
>「これを役立てる人に巡り会えると良いけれど」
何かを呟きながら点にモデルガンをかざしているその姿を見て、透は迷わない。素早い判断だ。
指先が嫌にゆっくりと動く感覚と共に、ぱしゃりと言うシャッター音と光が清恵に襲いかかる。
光と音の出処には、黒縁メガネと茶髪のオールバックが特徴的な青年、中務透がデジタル一眼レフを構えて存在していた。
息を荒げ、この冬空の下、なぜか上着もマフラーも無くYシャツ姿で、こんな場所に居る青年は、きっと怪しいことこの上ない。
だが、そんな事を気にしている暇はない。折角のネタなのだ、逃してたまるものか。きな臭い気配だってプンプンしている。
「――春日山高等学校、三年の中務透と言うんだが。
ちょいと、姉ちゃん。取材させてくれないかい?」
バイトで培った営業スマイルに乗せて、透は探究心ばかりを込めた言葉を突きつける。
1995年6月11日の青年のタロットの絵柄は、計算したところによると隠者。
万物を追求する探求者、隠遁する賢者のアルカナに生まれついた青年は、気になった事の全てを暴かなければ気が済まない困った性分の持ち主である。
その探究心が、いまこの場に透を導いた。……この運命がどのように転がるのは、きっと運命を転がしている空の上の方々にしかわからなかっただろう。
これを役立てる人に巡り会えると良いけれど。
誰にともなく呟いた独り言だった、まさか傍に誰がいるかなど思いもせずに。
瞬間、乾いた音。そして目映い閃光が清恵の視界を狂わせた。
およそ一秒にも満たない目くらまし、だが一時的にショックを与えるには充分な攻撃だ。
学生鞄から三節根のように折り畳まれた金属製の物を取り出し、それを一閃に振り抜く。
それぞれのパーツが引かれ合うように形を成していき、一本のスレッジハンマーへ瞬時に変貌した。
柄を両手で強く握り、音の方向へ鋭い視線を向ける。
そこには此方に向けてカメラを構える青年の姿、黒縁の眼鏡と茶髪のオールバックが印象的な男だった。
不自然に薄着、息が上がっている様子を見るに、偶然此処に居合わせた訳では無さそうだ。
とすれば、追い掛けてきた? ──何故?
警戒を解かずにそんな思案を巡らせていると、先に動きを見せたのは青年の方だった。
>「――春日山高等学校、三年の中務透と言うんだが。
ちょいと、姉ちゃん。取材させてくれないかい?」
不信感、猜疑心、そんなマイナス要素を相手の胸の内から根刮ぎ取り除くかのような笑顔を浮かべている。
ともすれば、単純に緊張を解きほぐしてくれるような居心地の良い笑顔とも受け取れた。
どちらにしろ、こういう表情を作ることには慣れているのだろう。
だが、眼鏡の奥に覗くその瞳には言葉以上の何かが含まれているように思える。
興味本位か探求心か何か別の目的……清恵にそこまでを窺い知ることは出来なかった。
青年──中務透の言葉の裏を探るのは早々に諦め、口を開いた。
「良いわ、ついてきなさい」
それは、あまりにも簡潔で淡白過ぎる快諾の言葉だった。
まるで母親に夕飯のメニューを聞かれ、雑誌を片手に「それでいい」と答える娘のような。
ともかく、それは『透の申し出を受ける』という意思表示に他なら無い。
ハンマーの関節を外し、小さく折り畳んで鞄に戻すと、透の返答を待たずに、清恵はさっさと背を向けて歩き出していた。
道すがら話を聞かれたかもしれないが、清恵は全ての言葉に対し無言を貫いていた。
無言で無表情、その場に自分独りしか存在していないかのように、歩くことだけを義務付けられたロボットのように。
やがて夢崎区内の外れにひっそり佇む喫茶店の前で清恵は足を止めた。
煌びやかな店々から弾かれたように位置するその店は、その場所だけが異世界のような印象を受ける。
ファンシーな色使いの塗装が施された、いわゆる女子ウケしそうな喫茶店だった。
「……ここよ」
『OPEN』というピンクの文字に円いグリーンの札が掛かった扉を押し開けると、ほのかに甘いお香の匂いが店内から漏れ出して来た。
それを意に介さず店内に足を進め、入り口から見て一番奥のテーブル席にそそくさと腰掛ける。
同じように透も向かいの椅子に座るだろうと予想してのことだ。
「それで、私に取材をしたいということだったけど」
先手を打たれまいとするように口火を切る。
「まず、最初に言っておくわね」
相手の心を突き刺すような、そんな冷ややかな絶対零度の口振り。
表情にも相変わらず何の感情も含まれていない。
「彼氏はいないし、好ましく想っている男子もいないわ」
そう一切表情を乱さずに言葉を続けた。
「貴男、ナンパなんでしょう? 『取材したい』だなんて下手な言葉で女子を誘って」
透が年上であることも気に留めず、ただただ不躾な言葉を紡いでいく。
「私って真面目そうに見えるから、簡単に引っ掛かると思ったんでしょうね。確かに男慣れしていないのは事実よ」
矢継ぎ早に独りで話を進めていってしまう、これも透を軟派な男だと勝手に断定しているからだろう。
「まあ良いわ、自己紹介ぐらいはしておきましょうか。不便だもの。── 七姉妹学園一年、久我浜清恵よ。中務透君」
そう言ってテーブルの上から右手を差し出す。
握手のつもりである──わけではなかった。
「あの時、私を勝手に撮ったわね? 写真に写っていると困る物があるの。カメラを確認させて」
被写体に自分ではなく召喚器が含まれている可能性など全く考慮していない口振りだった。
透が自分をカメラに収める事を目的としてシャッターを切ったと清恵は思いこんでいる。
一見して酷く自意識過剰に捉えられかねない態度だが、実際のところはそうではない。
ただ単に、自己の判断に絶対の信頼を置きながら、同時に全く1ミリ程にも信用していないだけなのだ。
久我浜清恵は誰よりも久我浜清恵を信頼し、そして今誰よりも中務透を疑っている。
盗撮、カメラ、寒空に薄着、取材、営業スマイル、茶髪、黒縁眼鏡。
得られるだけのキーワードを瞬時に掴み取り、これはナンパであると絶対的判断を下したに過ぎないのだ。
ともかく、清恵はそこで一旦言葉を切り、透の出方を待つ事にした。
笑顔と共に、決め台詞(と透は思っているが誰がどう聞いても多分ナンパ)を放った透。
カメラから手を離して、笑顔のまま相手の様子を伺っていた。
そして、清恵の動作を見て、透は僅かに目を見開いた。
(う、ォ……っ。
こりゃ、早まったか――?)
表情は笑顔を作るも、目の前の相手が即座にハンマーを組み立て構えたのを見て、戦慄する。
護身用道具は持ってきているものの、本気での喧嘩には少々心もとない。
何よりも問題なのは、相手のスレッジハンマーに比べてこちらのクボタンもメリケンもリーチが圧倒的に不利なのである。
こちらが一歩踏み込み拳を振り上げ叩きつけなければ相手に攻撃は当たらないが、相手はハンマーを振りかぶって振りぬくだけ。
確実に一工程分の動作の差が有る以上、うかつに距離を詰めるのは得策とはいえず、キーチェーンに手を掛けるも、緊張でこめかみがぴくぴくと動いてしまう。
緊張にごくり、と喉を鳴らし、笑顔は崩さないまま半身へと体勢をずらす。
いざという時は全力で逃走出来るように、そして逃げ際にもう一回写真を撮るために。
引き際を見極める為に、笑顔の笑わない瞳は、相手の一挙一動から逃げ出す積りが無かった。
>「良いわ、ついてきなさい」
だからこそ。
相手の予想外な同意には、驚きの表情を浮かべるほかない。
清恵の発言の直ぐ後には、透の露骨に安心した表情が相手に晒される。
本人はジャーナリストの卵を標榜し、行動力も判断力も持ち合わせているのだが、弱点はいくつか有る。
例えばそう、ポーカーフェイスや、水面下の駆け引きのようなもの。
良い点でも悪い点でも有るのだが、感情が意識していたとしても露骨に顔に出やすいのである。
それ故に、青年は努めて笑顔を作るようにしているし、笑顔だけは自然に作れるようになっていた。
思考する。
相手のハンマーを取り出す動作は間違いなく堂に入っており、また警戒心も強いように思えた。
それらから、間違いなく普通の高校生ではないことはなんとなく予想が着く。
警戒心の強さからして、ハンマーなどというもし補導をされれば一発で突っ込まれそうな品物をわざわざ持ち歩いているということ。
そこから、そんな強力な武器が必要な何らかの事情が有るのではないかと、考え至る。
例えば噂の影が、その事情なのではないか。そして、透にはその影に冠する噂で幾つかの心当たりがあった。
それについて、突っ込んでみようと思う。故に、選ぶべき行動は既に決まっていた。
ついてこい、との事で。罠の可能性も十二分に有るため、ポケットの催涙スプレーをさり気なく確認。
すぐさま歩き出した清恵を見て、透は応、と一言だけ答えて無言を貫く相手の後ろ数mを追って歩いて行く。
常に腰元のキーチェーンには手を掛け、不測の事態に対応する事は欠かさない。
臆病に見えるかもしれないが、得体の知れない何かを持つ相手だ。これでも足りない可能性がある。
だからこそ、どこまでも臆病に。しかし、果てしなく貪欲に相手から得られる情報に食らいつこうとしていた。
たどり着いたのは、学校の中で通称公衆便所と呼ばれている清楚系ビッチの言っていた名前の店だ。
あー、ここか。と透は口元で小さくつぶやくと、清恵の開いたドアに手を掛け、続いて中に入る。
一人で入るのには少々気後れしてしまうが、一人ではない。ならば問題はないだろうと思い、店内に足を踏み入れたが、僅かに店員が目線をやる。
普通の客にするそれと異質なのは、偏に彼の着ている制服が地元ではあまり評判の良くない高校の物で、青年の見た目も相応に軽いものだったからなのだろう。
透はそのような視線には慣れきっていたため、店内を一瞥した後には清恵の座る椅子の向かいに腰を下ろした。
>「まず、最初に言っておくわね」
「おう、なんだい」
話が早いのは好きだ、そう思いつつ口角を上げる表情は、爽やかそのもの。
あまり顔は整っている方でもないが、どちらかと言うと愛嬌が有る方だ。
街でナンパをすれば、頑張れば一人くらいは引っかからなくもない、ような感じである。
本人としては、そんな事をする積りも理由も一つもないのが問題ではあるが。
何方にしろ、相手から話を切り出してくれたのは上々だ。
ここから、相手と交渉が始まる。腹を探りあい、何とかして街の噂を――そして、己の知っている僅かな情報との合致を探すのだ。
そう思っていた。だがしかし、話は変な方向に転がっていく。
>「彼氏はいないし、好ましく想っている男子もいないわ」
>「貴男、ナンパなんでしょう? 『取材したい』だなんて下手な言葉で女子を誘って」
>「私って真面目そうに見えるから、簡単に引っ掛かると思ったんでしょうね。確かに男慣れしていないのは事実よ」
>「まあ良いわ、自己紹介ぐらいはしておきましょうか。不便だもの。── 七姉妹学園一年、久我浜清恵よ。中務透君」
「っへ?」
文字通り、鳩が豆鉄砲食らったような顔だった。これだから透は交渉事には向かないのだ。
確かに舌は回るタイプであるし、頭もそこまで良いわけではないが回転速度は上々だ。
大胆な決断をするだけの胆力は有るし、足を動かして情報を集める為の体力もそこそこある。
だがしかし、顔色を隠す、という事のみに関して、透は全くといっていいほど長けていないのである。
そして、相手の発言を頭の中で再確認していく。
自分の服装、発言内容、出身校。それらから、清恵程警戒心が高い人間なら、そういう方向に行ってもおかしくは無いと思う。
透は得体の知れない何かを持つ相手も、人並みにナンパやらの可能性を警戒するのだな、と思い、どこか可笑しみを感じた。
僅かに浮かんだ口元の、営業スマイルとは違う子供のような歪みはきっと感情を隠すのが苦手だったからだ。
>「あの時、私を勝手に撮ったわね? 写真に写っていると困る物があるの。カメラを確認させて」
「まず、清恵ちゃんには幾つかの間違いがある。
確かに、あんたは大分可愛いし、ぱっと見ではチョロそうに見えるし、写真をダシに色々悪いこともできそうではある。
だがな、俺の目的はそれじゃあ無いって事を先に強調させてもらうよ。
あんたをナンパする積りは無い。モデルガンとは言え、人にあんなもん突きつけた上にハンマーぶん回す奴をちょろいと思う奴はきっと頭が逝っちまってるよ」
まず最初に、相手の想像が間違っている、という事を断っておく。
同時に、清恵の行動の一部始終を見ていた事も相手に伝え、出方を待つだろう。
右手をポケットに伸ばし、携帯を取り出すような動作をしつつ、携帯ではなく催涙スプレーを手に持つ。
店内でハンマーを振り回すつもりは無いだろうが、何かをしてきた場合に対応が取れるように。
たっぷり2秒は間を置いて、相手の目を見据えながら透は会話を続けようとする。
「俺が知りたいのは、清恵ちゃんの持っているモデルガンの事だ。
あのモデルガン、見てるとちょいとゾワッと来てな。普通の物じゃないんじゃないか、と思ったわけだ。
そして、今一部で噂になっている、モデルガンと影≠フ存在について。あんたは知っているんじゃないかと思う。
もし知っているならその影の名前は、『シャドウ』と言うんじゃないか、とも問いかけさせてもらいたい、な」
透の視線は、真っ向から清恵に向かって据えられていた。
動くと決めれば大胆に。相手が警戒して情報を小出しにしてくるなら、相手が引くことができないくらいに状況を劇的に動かそうと決めた。
己の知りうる、街の噂に冠する全ての情報を開示し、相手の反応を見逃さないように目を眇める。
青年の口から出たシャドウという言葉。
近年話題になっている、影人間と呼ばれる現象の原因である、と一部のゴシップ誌や三流オカルト誌で語られている物だ。
現在は疎遠となっている透の父の雑誌で、その言葉が出ていたことを思い出し。影とシャドウ、同じものなのではないかと単純に考えついただけだ。
透は、己の発言の内の、どこのセンテンスに相手が大きく反応を見せるのかを、ただひたすらに注視するのみだった。
>「っへ?」
言葉にするなら──そう、それは“鳩が豆を食った”ような顔だと清恵は思った。
この男は何を考えている? いや、何も考えていないのだろうか。
透のその表情は驚き一色で、別の感情を読み取ることは出来ない。
「あの時、私を勝手に撮ったわね? 写真に写っていると困る物があるの。カメラを確認させて」
恐らくおとなしく渡すつもりは無いだろう、当然予測の範囲内だ。
これはあくまでも双方の被害を最小限に抑え、平和的に解決する為の要望。
透が拒むつもりならば、体よく話を切り上げて人気のいない所に誘い込めば良いだけだ。
そしてカメラを奪取し破壊する、都合の悪い物さえ抹消してしまえば、話はそこで終わる。
その腹いせに根も葉もない余計な噂を吹聴されたとしても気にする必要はない。
そこまで思案を巡らせていたからこそ、透が見せた反応に清恵は僅かに動揺した。
透は朗らかに口元を歪ませていた、悪意など一切感じさせない表情で。
何か可笑しな物を見つけて微笑むような、およそこの場にそぐわない表情。
予想外の反応に思考を惑わされそうになりながらも、差し出した右手を収め、動揺を悟られないように心を静める。
その動揺を誘う事こそがこの男の狙いだという可能性は充分にあるのだ。
緊張を解きほぐして、その次に言う軽口などたかが知れている。
そう予測しているからこそ、続く透の言葉は思いも寄らない物だった。
>「まず、清恵ちゃんには幾つかの間違いがある。
確かに、あんたは大分可愛いし、ぱっと見ではチョロそうに見えるし、写真をダシに色々悪いこともできそうではある」
可愛いなんてそんな、等と頬を赤らめる素振りは無かった。
軽口と判断した以上、まともに受け取る気もないらしい。
>「だがな、俺の目的はそれじゃあ無いって事を先に強調させてもらうよ。
あんたをナンパする積りは無い。モデルガンとは言え、人にあんなもん突きつけた上にハンマーぶん回す奴をちょろいと思う奴はきっと頭が逝っちまってるよ」
召喚器を突き付けた、そんな覚えはない。そう、少なくともこの男には。
記憶を掘り起こすまでもなく清恵は気付く、あの少女への行為を見咎められていたことに。
透がごく自然な動作でポケットに右手を伸ばすのを、清恵は見逃さなかった。
恐らく録音機器を忍ばせており、それを操作したのだろうと予想する。
つまり最初から透の申し出通りだった、これは取材なのだ。
ようやくここまでの言動と行動に合点がいった。
>「俺が知りたいのは、清恵ちゃんの持っているモデルガンの事だ。
あのモデルガン、見てるとちょいとゾワッと来てな。普通の物じゃないんじゃないか、と思ったわけだ」
察しが良い、というよりは生まれもっての勘の良さだろうか。
素直にそう思い、微笑むでもなく鋭く目を細める。
>「そして、今一部で噂になっている、モデルガンと影≠フ存在について。あんたは知っているんじゃないかと思う。
もし知っているならその影の名前は、『シャドウ』と言うんじゃないか、とも問いかけさせてもらいたい、な」
『シャドウ』──瞬間、清恵の瞳がほんの僅かに揺れた。
透を真っ直ぐに見据えているからこそ、その小さな変化はより顕著になって現れる。
そこで清恵は静かに目を伏せると、一呼吸置いてから、ぽつりと呟いた。
「……召喚器」
俯き加減に、眼鏡のテンプルを左手で摘み、流れる動作で眉間から外す。
清恵はどこか遠くを眺めるように視線をそらしながら語り始めた。
「モデルガンではなく、召喚器よ。あれは『シャドウ』に対抗する手段を担っている物。
貴男の言う“その影”が何を指しているのかは分からないけど、少なくとも私達が『シャドウ』と呼んでいるモノは敵。
……聞かれたことには正直に答えたわ、別に隠す理由もないし、妙な思い違いをしたお詫びよ」
一旦言葉を切って視線を戻すと、正面から透を見据える。
「それに、貴男、適当な嘘や誤魔化しで納得するような安い人間では無さそうだから。
まあ、我ながら荒唐無稽な話だとは思うから、無理に信じなくてもいいわ」
おもむろに学生鞄から召喚器を一丁取り出して、音も立てず静かにテーブルに置いた。
「私は別に、彼女……さっきの女子生徒を傷付けるつもりは無かったの。
ただ召喚器を回収しただけよ。
あの子が持っていても意味が無かった、だから他にこれを必要としている人間に渡すつもりで」
親指と人差し指で軽く摘まんでいた眼鏡を掛け直すと、何かを探るような視線を透に送る。
「私は、私と同じ力を持つ人間を捜しているわ。私独りでは、荷が勝ちすぎているから。
その為には人手が必要なの。言っている意味、分かるでしょう?」
テーブルの上の召喚器を右手で掴むと、そのまま透の前に押し出す。
「……安心して、これを使って戦って欲しいわけじゃない。一緒に捜して欲しいのよ。
“もうひとりの自分”──『ペルソナ』と向き合う力を持っている人間を。
私に協力してくれるなら、貴男にそれを預ける。情報や写真も好きに扱ってくれて構わない」
腕を組み、一息、深い溜め息を吐く。
普通の人間であればオカルト話と面倒事への誘い文句に嫌気が差し、一目散にこの場を後にすることだろう。
だが、自分から“此方側”に足を踏み入れようとする人間。中務透、この男ならば、あるいは。
実際のところ、清恵は見ず知らずの人間に縋るような性分ではない。
それは、つまり、見ず知らずの人間に縋らなければならない程の状況下に、今の清恵が直面しているということを示していた。
オカルト部の子?私に? ああ、あれの話かぁ。
……いいよ、別に。絵描いてる片手間で悪いけど。コンクールの締め切りまで、ちょっと時間ないんだ。
そこの空いてるパイプ椅子に座ると良い。背もたれにこびりついた絵具が乾いてるって保証はないけど。
――どこから話そう。私が入院したところからでいいかな。
去年の夏、丁度今みたいに、パレットで絵具を混ぜてた時。
紫を作ってた。 夜になる手前の弱い夕焼けが、海に反射する、限りなくブルーに近い色。
なのに、赤が主張しすぎて私のほしい色はなかなかできない。
なんでかなーなんでかなーって思いながら青を2、3本選んでチューブから捻る。でもやっぱり筆先は気持ち悪いくらいに、赤。
さすがにおかしいよ。で、よく見たら手も真っ赤なの。周りの床も。なんで?
それ、血だったのよ。
私、小一時間、自分の血と、絵の具をぐちゃぐちゃ混ぜてたの。
気づいたのと同時に、顔中から血が溢れてきた。口から、鼻から、そんで、目からも。
涙と一緒になってぴゅーぴゅー噴き出てる感じがたまらなく気持ち悪かったよ。
そのままぶっ倒れて次に起きたのが病院のベッド、隣で親が揃って泣いてるわけだ。
君はビョーキだ。しかも、まだ治療法が確立していない難病だ!…っていってるようなもんじゃん。
さらに、合併症で、遅かれ早かれ失明するって。
お医者さんって怖いよね、
『手術と投薬しろ。副作用は視力の急激な低下だが、どうせ失明するんだから関係ない。』ってさ。
死ぬより何より、これが一番堪えたなぁ。
学校から友達がたくさんお見舞いに来てくれて、宿題とか授業ノートとか渡してくれるんだ。
早く良くなって、一緒に学校行こうって。あれには泣きたくなった。
もう君達と同じ世界にはいられないんだよって言いたかったけど言えなかった。
で、闘病の間、私はずーっと鉛筆かじってた訳。
……ふふ、そうね、後少しで死ぬかもしれないってのに、勉強だなんて正気の沙汰じゃないよね。
うん、素直に白状しますと、私はずっとデッサンをしていた。
同室の子の寝顔、みんなが折ってくれた千羽鶴、窓から見える庭、蓮華台の遠景、かっこいいお医者さんもね、あは。
……忘れたくなかったの。色とか形とか光の加減とか。私は自分の目で見える世界が大好きだった。
あくまで病気の進行を食い止めるだけの措置で、絶対治らない。延命の代償に視力が失われる。
そんなこと言われたら誰でもためらうよねぇ。
じゃあしなくていいです、って言うと、親に泣かれるわ、お医者には怒られるわ。
あの人達に抗う体力がなくて、根負けしたのよね、私。
で、おまちかね。
入院してから丁度半年後に手術を受けることになるんだけど、
……その時に、しちゃったんだ――臨死体験。
神部衣世の臨死体験に、三途の川やお花畑が現れる事はなく、幽体離脱をして瀕死の自身を俯瞰する事も無かった。
視点は手術台に固定され、広がる景色は手術室の天井のみ。
ただ、天使がいた。
執刀医や複数の看護師が横たわった衣世の顔を覗き込んでいる。彼らの頭上には照明灯が光を放っていて、ひどく明るい。
衣世はできるだけ意識を継続させ、光を見つめていたかった。
術後に瞼を開いてもこの眩しさを知覚できないと思うと、一生の最後に自分を照らしてくれるこの光が、心底愛おしく感じられた。
けれど、麻酔は着実に神経を蝕んで行く。徐々に、衣世の両目は網膜上でうまく像を結べなくなる。
そんな中。ある一点のみ、揺らぐフィルタの影響を受けずにいるものがあった。
それが、衣世の言う天使だった。
寝台の衣世を取り囲む医師、彼らの真上にある照明灯、そのすべてを見下ろす何か。
治療用の大掛かりな特殊装置、だろうか。初めのうち、衣世はそう思っていた。
材質は? 金属、プラスチック、石膏、を均等に溶かし固めたような不思議な感じだ。無機質で硬く、乾いてひんやりしている。
ただ、機械にしてはやけに丸みを帯びていた。そして地に足はついておらず、天井からぶら下がっているわけでもない。
つまり宙に浮いていた。ふよふよと。
衣世はようやく、それが機械のたぐいでないことを理解した。ついで、この世のものでない事も明確に悟った。
見落としていたが、背に一対の羽根が生えている。
衣世はクリスチャンではない。羽根が生えて人型。というと、
もし白ければ天使、黒ければ悪魔……程度の幼稚な分類しかできなかった。
また、生死の淵ですがるなら悪魔よりも天使だろう。そんな都合の良い解釈も、いくらか働いたのかもしれない。
(………)
天使と衣世が、目を合わせる。
天使は、まるで彼女にサービスするかのように、その羽根を力いっぱい広げた。
視界が黒に転ずる前に、衣世は理解する。
手術室が馬鹿みたいに明るいのは、この天使自体が、煌々と照り輝いていたからだと。
天使の立ち会いにより、奇跡は起こる。
内臓を抜き取られることも、光を奪われることもなく、神部衣世は日常に復帰した。
主治医は患者の完治を祝福していたが、彼はついぞ、衣世の謝意を受け取る事はなかった。
治してくれてありがとう、というと、
「その言葉はお門違いだよ。僕の力ではない。治ったのは君自身の力だ。」
「……正確に言うと、君の『カゲ』の、ね。」
謎の言葉と共に、含みのある笑顔をのせて。
――これで終わり。暇つぶしくらいにはなった?
ここで初めて、衣世はオカルト部の女子部員の方を向く。
話の最中一度足りとも止めることの無かった筆先が、ようやく筆洗バケツにて休息を得る。
衣世はゆるゆると筆を揺らす。毛先がほぐれるのと同時に色が染み出し、透明の中を四方に伸びていった。
女子生徒は衣世の話をまんじりともせず聞いていたが、やがて小さな声で、一つだけ質問をした。
それに対し、衣世はすぐには答えなかった。ただ、微笑んだ。
――今描いてるキャンパスの、こいつ。気に入ってくれた?
結構自信作なんだ。大賞とれるかなー。
展覧会から戻ってきたら、学校の廊下に飾ってくれるの。大変光栄だよ。
……そう、大正解。
「今描いているこれ、その時の天使がモデルなんだ。」
さて、ここに一匹の変人がいる。
果たしてこれは女子高生なのだろうか。それ以前に現代日本の人、いや、地球人なのだろうか。
額にはコスプレのようなサークレット。
一応制服を着用してはいるのだが、スラックスの上に、丈を短くしたスカートを腰巻風に着用した突飛な着こなし。
女子はスカートもズボンも両方可となっており、尚且つ両方同時に着てはいけないという校則はないので校則違反にはならないらしい。
極めつけは、背中に背負った玩具の剣。
そんなナマモノが、ランドセル背負った小学生を前に何やら力説していた。
「まもなくこの世に戦乱が起こる――。その時がくるまでこれを大切に持っておきなさい……時がくれば分かる――ぐふっ
――というわけなんだ!
なんだその目は。君が『なんでそんなもん持ってんのー?』って聞くから迫真の演技を交えて解説してやったんじゃないか」
「こらー! 変な上級生に話しかけちゃ駄目よ!」
「は〜い!」
教師に呼ばれ、小学生は走り去る。
――月光館学園。素行上々、文部両道。誰もが認める名門校。
人工島に設置された小中高一貫の大校舎は、少しだけ俗世から隔絶された感を醸し出している。
ところで、由緒正しき名門校でまかり通っている学校に限って
往々にして蓋を開ければ変人奇人のすくつ(何故か変換できない)だったりする事を御存じだろうか。
これは、その中でも随一の変人のお話。
@ @ @ @ @ @ @
「隊長――――――!」
少女が騒々しく駆け込んできた。
「何だ副隊長。例のモデルガンやらの噂ならもういいぞ? どうせただの都市伝説だ」
こいつの名前は櫛名田 姫子。どうでもいいが実家は米農家である。
「今日は違うであります! 公衆便所喫茶なるものがあると聞いた次第であります!
情報源は友達の知り合いの友達の友達の友達から連綿と伝わってきたものであるので確かであります!」
「公衆便所喫茶……だと!?」
世の中には便所飯なるエクストリームスポーツがあると聞く。
その競技の性質上正確な競技人口は不明だが、水面下で増え続けているというのが最近の学会の定説である。
ならば競技を続けるうちに特殊な性癖に目覚める事も考えられるし
ついにはそのような人々をターゲットとする喫茶店が出来たとしても何ら不思議ではない。
一体どのような魔境なのだろうか。
客席の代わりにいわゆるブースが並んでいて、とぐろ型の帽子をかぶった変なコスプレをした人が給仕を行う光景が脳内で展開される。
「公衆便所喫茶……攻略対象として不足無し! 行くぞ副隊長!」
「しかし……今までにSM喫茶やハッテン場などあらゆる魔境を踏破してきた我々といえど
今回ばかりはあまりに危険! それでも行くでありますか?」
「当然だ。あらゆる魔境を踏破する! それが我が探検部の存在意義だ!」
我ら月光館学園探検部――構成人員総勢二名。もちろん2名では正式に部としては認可されない。
校庭の隅の物置、通称『秘密基地』を本部とする秘密結社である!
「隊長、大変申し訳ないのですが今回は辞退させて戴くであります」
「何ィいいいいいいいいいいいいい!?」
「隊長と出会う前の昔ボッチだった時代を思い出すであります……!」
「分かった、それ以上言うな……!」
こうして僕は魔境・公衆便所喫茶に一人で挑むことになった。
その店は、夢崎区内の外れに異様な存在感を持って鎮座しているのであった。
「ここが公衆便所喫茶か……。
とてもそうは見えないが……騙されないぞ。このファンシーな外見は油断させるための敵の罠……!
その証拠にここだけ異世界のようなオーラを放っている……!」
よく勘違いされるが僕は別にアホではないので意味も無く独り言を言っているわけではない。
突飛なコスプレにしか見えないサークレットだが、実は小型カメラが付いている。
我が探検部の活動はただ探検して終わりではない。
探検の様子を編集し全世界に公開してはじめて魔境攻略となるのである!
であるからして臨場感たっぷりの実況は欠かせない。
「――突入!」
意を決して、『OPEN』の札が掛かった扉を押し開ける。
果たしてこの扉の向こうにはどんな魔境が広がっているのだろうか。
「いらっしゃいま、せ……!?」
店員が目を白黒させていた。さては数々の武勇伝を有する探検部部長の登場に恐れをなしたか。
「この店の正体は分かっている……。公衆便所喫茶なんだろう!
さぁ早く僕をVIPルームに連れて行け!」
「何が公衆便所喫茶ですか! 営業妨害ですよ! ちょっと〜、この人摘まみだすの手伝って下さい!」
「離せ! 離さんかー!」
突入早々、僕は数人の店員に両腕を掴まれ、店から引きずり出されようととしていた。
くそっ、ここを攻略するにはまだレベルが足りないと言うのか――!
清恵の反応から、透は当たりだ、と判断した。
そして、相手の警戒の強さから、暴力的な状況には展開は動かないだろうと、思う。
故に、今必要なのは護身よりも踏み込み、目を凝らして耳を傾けることだ。
好奇心は猫をも殺す、猫には九つの命が有るというが、透には残念ながら一つしか無い。
それでも、透は好奇心と身勝手な義務感――将来の敏腕記者として――から虎穴に踏み込むことを厭わなかった。
>「……召喚器」
故に、清恵がようやく口を開いた時に、透は小さくテーブルの下でガッツポーズをした。
虎穴に入らずんば虎子を得ず、虎穴に足を踏み入れた甲斐が有った。
続けられていく相手の言葉に集中する透。だがしかし、徐々に清恵の話を聞いて、なんとも言えない表情を浮かべていた。
>「モデルガンではなく、召喚器よ。あれは『シャドウ』に対抗する手段を担っている物。
>貴男の言う“その影”が何を指しているのかは分からないけど、少なくとも私達が『シャドウ』と呼んでいるモノは敵。
> ……聞かれたことには正直に答えたわ、別に隠す理由もないし、妙な思い違いをしたお詫びよ」
(――なんか、少年誌っぽい設定だよなぁ。
だが、どーにも冗談を言う類の人間にも見えねぇし――、世の中信じがたいことが起こってなんぼ。
むしろ、今気にするべきことは……、調べるべきことが増えたってことだな)
>「それに、貴男、適当な嘘や誤魔化しで納得するような安い人間では無さそうだから。
> まあ、我ながら荒唐無稽な話だとは思うから、無理に信じなくてもいいわ」
「いや、信じる事にする。
親父がよ、三流オカルト雑誌のライターやってんだけどさ。
偶に本気でそういう、超常的な何かがなきゃあり得ないことがあるって話は昔から聞いてんだ。
荒唐無稽で大いに結構。むしろその荒唐無稽な話が事実であるって証明が出来たら超一大ニュースだしな」
少なくとも、そういう存在が居ると言う人間が、目の前に居るのならば、少なくとも一人はそれを観測している。
そして、黒い影についてはシャドウという名前が付いて、少しだけ朧気な輪郭が浮かび上がってきた。
この覆い隠された真実のヴェールを剥ぎ取っていく感覚を、透は脳髄が痺れる快楽として認識する。
知ることは楽しい、調べることは面白い。それ故に、透は猫をも殺す好奇心を飼い殺さずに生きてきていた。
その為、ここで信じないなんてつまらない事はする筈が無く、同時により深みに首を突っ込む覚悟を決めるのだ。
頼んだ珈琲が来た為、カップの中にガムシロップを八つ、ミルクをたっぷりと入れる。
コーヒー要素がどこにも無いその飲み物を、透は美味しそうに口に含み、嚥下した。
頭脳労働者には糖分が大切、との事だがそれは建前で単なる病的な甘党であるというだけである。
透は、その茶色いコーヒー風味砂糖水を楽しみつつ、テーブルの上のモデルガン――召喚器を見据える。
手が込んでいる作りだと思う。少なくとも、わざわざ人を騙したり、そういう”設定”を信じて振る舞う為に用意したものにしては高く見える代物だ。
それが、相手の言う敵――シャドウの存在の信憑性を高め、透の好奇心を擽る要因となった。
>「私は別に、彼女……さっきの女子生徒を傷付けるつもりは無かったの。
>ただ召喚器を回収しただけよ。
> あの子が持っていても意味が無かった、だから他にこれを必要としている人間に渡すつもりで」
>「私は、私と同じ力を持つ人間を捜しているわ。私独りでは、荷が勝ちすぎているから。
> その為には人手が必要なの。言っている意味、分かるでしょう?」
事の顛末まで全てを聞き、目の前には召喚器。
んー、と呟きつつその召喚器を手に取り、持ち上げる。
なるほど、中々に重量感がある。実銃など持ったことは無いが、実銃のそれに近い重さなのだろう。
ひやりとした冷たさは、この冬のしんしんとした寒さも相まって、手に食いつくような痺れを透に与えていた。
>「……安心して、これを使って戦って欲しいわけじゃない。一緒に捜して欲しいのよ。
> “もうひとりの自分”──『ペルソナ』と向き合う力を持っている人間を。
> 私に協力してくれるなら、貴男にそれを預ける。情報や写真も好きに扱ってくれて構わない」
相手からは、そのような言葉を投げかけられたが、それよりも今透には気になっていることがある。
召喚器、というからには呼び出すべき何かが有る筈だ。そして、それの名こそがペルソナだという事も分かった。
だとすれば、この召喚器を用いて、もう一人の自己と向き合う事で、清恵の言う力に透も目覚められる、という事となる。
「なるほど、八分くらいには事情は察した。
俺はこの大ニュースっつーか、久々にあのカス連中も読んでくれそうな大ニュースを見つけて興奮中なわけでよ。
そりゃあもう、当然この状況で逃げたりなんだり臆病風吹かす程、俺は器の小さい男じゃあない。
協力してやるさ、久我浜 清恵。 ――コンゴトモ ヨロシク」
即答し、笑顔と共に右手を清恵に差し出す透。
考えなしに見えなくもないし、この青年は確かにそこまで思慮深い性格ではない。
だが、即決の判断力に関しては透は少なくとも、そこらの学生よりは有ると自負しているし、大胆さ事が肝要だとも思っている。
故に、相手も己の様なタイプの人間だからこそこの様にして頼んでいるのだと理解した上で、相手の誘いに乗ることにした。
軽く相手の手を握って上下に振り、手を離すと一息に温くなった飽和加糖珈琲液を飲み干した。
下の方ではガムシロップが沈殿しており、凄まじい甘味が透の舌を襲う。
もしこれが砂糖であったらきっと透の口からはじゃりじゃりと砂糖をすりつぶすような音が聞こえてきたことだろう。
透は、コーヒーカップを机に置くと、召喚器を眺め眇めつし始めた。
かちり、とトリガーを引いたり、銃口を覗きこんだり、はたまた清恵に突きつけてみたり。
たっぷり一分ちょっと手元で召喚器を弄んだ後に、透は口を開く。
「この召喚器とやら、どうやって使うんだ?
その、敵の――シャドウとやらにつきつけてぶっ放せば魔法っぽい弾丸でも出るのかとも思ったが、そんな気もしなくてよ。
あと、これを使って出てくるんだと思うけど。ペルソナって奴も見たいんだけど、見せてくれねぇ? 清恵ちゃん?」
気になった事はまず問いかける、回答で気になることが有れば、納得するまで話題を掘り下げる。
それが透のモットーで、取材の鉄則である。
故に、召喚器を受け取ってハイ終わり、ではなく使い方や出てくるものまで全て質問することにしたのだった。
解釈次第では、相手の協力者として必要な知識を率先して身につけようとしているとも考えられるか。
>「この店の正体は分かっている……。公衆便所喫茶なんだろう!
さぁ早く僕をVIPルームに連れて行け!」
>「何が公衆便所喫茶ですか! 営業妨害ですよ! ちょっと〜、この人摘まみだすの手伝って下さい!」
>「離せ! 離さんかー!」
ふと入り口の方に視線をやると、一人の女子生徒(格好が珍妙過ぎて判断に困るが)が店員ともんどり打っているのが見えた。
何事か口論しているようで、周囲の客達も顔をしかめながら横目でそれを観察している。
『公衆便所喫茶』や『VIPルーム』などというキーワードが漏れ聞こえてきたが、特に気にすることはないだろう。
どうせ質の悪いクレーマーか何かで、清恵とは関わりのない人間である。
……この時点では。今この時ではないというだけで。
近い将来、この珍妙な出で立ちの少女── 須佐野 命 ──と、嫌でも関わり合いになることになるのだ。
待て、次回。
とにかく、奇天烈少女のことは脳内の片隅に追いやり、透に向き直る。
>「いや、信じる事にする。
親父がよ、三流オカルト雑誌のライターやってんだけどさ。
偶に本気でそういう、超常的な何かがなきゃあり得ないことがあるって話は昔から聞いてんだ。
荒唐無稽で大いに結構。むしろその荒唐無稽な話が事実であるって証明が出来たら超一大ニュースだしな」
苦い顔をされるぐらいは覚悟していたが、どうやら杞憂であったようだ。
「…そう、それなら此方としても好都合だわ。
貴男のお父様に感謝しないといけないわね」
注文していたシナモンティーを口に運ぶ、透がコーヒーにガムシロップとミルクを大量に投入する様を眺めながら。
この人絶対に早死にするわね、率直な感想が頭によぎるばかりだった。
差し出した召喚器を手に取る透。
モデルガンのような形状とはいえ、もう少しためらいを見せるかと思ったが。
これもライターである父親の教育の賜物……かどうかは分からない。
少なくともそこらの気弱な一般人よりは肝が据わっていることは確かだ。
清恵が粗方の説明を終えると、間髪入れずに透が口を開いた。
>「なるほど、八分くらいには事情は察した。
俺はこの大ニュースっつーか、久々にあのカス連中も読んでくれそうな大ニュースを見つけて興奮中なわけでよ。
そりゃあもう、当然この状況で逃げたりなんだり臆病風吹かす程、俺は器の小さい男じゃあない。
協力してやるさ、久我浜 清恵。 ――コンゴトモ ヨロシク」
そう言って、笑顔を浮かべながら右手を差し出された。
この男が頼りになりそうかと問われれば、正直に言うと返答に困る。
逐一その場の判断で動いているように見え無鉄砲に感じて、非常に危なっかしく思えるからだ。
だが、それでも──
「契約成立ね、私も今後は極力貴男と情報を共有するように努めさせてもらう。
ありがとう、中務透君。感謝するわ」
透のそれが決して無知無学から来る行動ではないことは、清恵にも理解出来た。
同時に勇敢な性質の持ち主であるということも。
何よりそういう分析を抜きにしても、清恵は透に何かしらの可能性を感じたのだ。
ようやく手に入れた、協力者を引き入れるチャンスをふいにしたくなかっただけかも知れない。
久し振りに触れた人の手の温もりに、ただ心を惑わされただけかも知れない。
それでも清恵は、透の内に秘めた何かを信じてみたいと思った。
温くなったシナモンティーはテーブルの脇に下げて、今後の行動に関して思案に耽る。
目の前では透が召喚器を構えたりとしている、その姿は中々サマになっていると思えた。
いっそのこと彼が『ペルソナ』を使えたなら話が早かったのだが、それはさすがに高望みし過ぎているだろうか?
>「この召喚器とやら、どうやって使うんだ?
その、敵の――シャドウとやらにつきつけてぶっ放せば魔法っぽい弾丸でも出るのかとも思ったが、そんな気もしなくてよ。
あと、これを使って出てくるんだと思うけど。ペルソナって奴も見たいんだけど、見せてくれねぇ? 清恵ちゃん?」
「使い方は実際に目にする方が早いでしょうし、構わない……と言いたいところだけど、此処では少し難しいわね。
ただでさえ人目に付くし、常識的に考えて通報されかねない行為だから。
……何よりも私が人に見られたくないわ」
バツが悪そうに顔を背ける、ここまでクール一辺倒で通してきた表情が初めて崩れた。
それも当然と言えばそうかもしれない、傍目からは自殺行為とも取られる姿などあまり人目に晒したくはないだろう。
「出来るなら、誰もいない所に連れて行って貰えない?
場所はどこでもいいから、貴男に任せるわ」
そう言って席を立ち上がると学生鞄を抱えて、伝票を片手に透を見下ろす。
「支払いは私が持つわね、結果的に貴男を無理やり連れてきてしまったようなものだし。
それに、『公衆便所喫茶』なんて呼ばれるだけの事はある酷い味だったもの。
泥水を飲ませた責任は、この店を選んだ私にもあるからケジメを付けさせてちょうだい。
私もさっきの人みたいにクレーム付けようかしら……」
最後の方はほとんど独り言になっていた。
そもそもこの店に透を連れてきた理由も、『以前から気になっていた店を、独りでは入りにくいのでナンパを利用してやろう』と思い付いただけだったのだ。
無論本人にそれを伝えるつもりは毛頭ない。
早速『情報共有』の約束が破られた瞬間だった。
>「使い方は実際に目にする方が早いでしょうし、構わない……と言いたいところだけど、此処では少し難しいわね。
> ただでさえ人目に付くし、常識的に考えて通報されかねない行為だから。
> ……何よりも私が人に見られたくないわ」
「通報されかねねぇって……どういう使い方かは分かんねぇけど、まあ拳銃ぶん回すのは偽物つっても物騒だしな。
ま、納得したからそんな顔すんなって。俺もなにもここでやれって言ってるわけじゃねぇんだから」
己の質問に対する相手の答えは、予測できていた。
一般人に見えるにしろ見えないにしろ、店内で激発しないとは言えど金物をぶん回すのは物騒極まりない。
どんなものが『召喚』されるのかは分からないが、何方にしろここですべき事ではない。
思考の末に納得を得た透は、バツの悪そうな清恵をなだめるような態度をとる。
>「出来るなら、誰もいない所に連れて行って貰えない?
> 場所はどこでもいいから、貴男に任せるわ」
「清恵ちゃんに手ぇ出す積りは無いけどよー。
もうちょい言動考えたほうがいいと思うぜ? 内情は別にしろ、その外見でその発言は誤解を生みかねねぇし。
なんせ、俺カス校だしよ。まあ、変な噂流れても気にしないなら俺もどうでもいいけどよ」
誰もいない場所へ、場所はどこでもいい、貴男に任せる。
色々とセンテンスだけ抜き出せば結構危ない言動に取られかねない。
この男がそういう方向性に取らない程度には常識をわきまえている、というよりも桃色脳では無かったのが幸いか。
そういう点でも、透は春日山高等学校の生徒としては大分異色のカラーを持った生徒と言えるだろう。
まあ、見た目だけはしっかりそこそこチャラ男をやっているのだが。
ため息をつきつつ、伝票へと手を伸ばすも目の前で伝票は清恵に掻っ攫われ、手は空を切るのみ。なんとも言えない間が出来た。
>「支払いは私が持つわね、結果的に貴男を無理やり連れてきてしまったようなものだし。
> それに、『公衆便所喫茶』なんて呼ばれるだけの事はある酷い味だったもの。
> 泥水を飲ませた責任は、この店を選んだ私にもあるからケジメを付けさせてちょうだい。
> 私もさっきの人みたいにクレーム付けようかしら……」
「んー。甘けりゃなんでもいいからなぁ、まあそりゃ美味いコーヒーのが好かったけど。
ってか、あの糞ビッチ明日シメとかねぇと。オススメされてたんだがよ、アイツの舌は一体何なんだっての。
……ま、今度当たり俺持ちでどっかおごっちゃるよ。こう見えても、結構色々見て回ってるんだぜ?」
甘けりゃなんでもいいと味覚障害っぷりをこれでもかと発揮しつつ、微妙に物騒な発言。
やはり、生きている環境的に多少以上にガラが悪いのは仕方がないのだろう。
機嫌の悪そうな清恵を落ち着かせる様にしつつ、自分もこの店を紹介した通称公衆便所の清楚系ビッチに悪態をつく。
一足先に店を出た透は、外の寒さに体を震わせる。
この寒空の下、学ランは清恵が気絶させた女の子に羽織らせた上に全力疾走で汗をかいているという状況だ。
間違いなく明日には風邪を引いてねこみかねない状況だろう。
歯をカチカチ言わせつつも、支払いを終えて出てきた清恵を見て、にっ、と笑顔を浮かべた。
手をこすりあわせて体を小刻みに震わせている為何一つ様になる点は無いのであるが。
「おう、寒いからちゃっちゃと終わらせちまおうぜ。
とりあえず――、ここらなら、ちょいと待ってな」
スラックスからAndroidのスマートフォン(root済み)を取り出し、マップを呼び出す。
このマップアプリは中々に秀逸なもので、クラウド上にメモを残す事で自分だけの秘密の地図を作ることが出来るのである。
透の場合はmicroSDのローカルに地図データを落としてある為、現在地さえ分かれば裏道、隠れ家、スイーツ店も探し放題なのだ。
十秒に満たない程度スマートフォンを操作すると、ん、と納得して清恵を先導するように歩いて行く。
数分歩けば、人気のしない廃工場にたどり着くだろう。有刺鉄線に覆われているが、一部が人の出入りが出来るように切り裂かれており、そこを潜って中に入る。
その廃工場は、間違いなく何かが出るなどといった噂が地元で囁かれてもおかしくない――実際囁かれているのだが――場所だ。
人の気配一つせず、荒れ果てた駐車場のアスファルトを突き破って店に屹立する誇らしげな雑草の姿がいくつも見受けられる。
そこを慣れた様子で歩いて行く透は、きょろきょろと見回し、ホームレスや肝試しの影が無いことを確認した。
その上で、くるりと振り返っておもむろに口を開く。
「ちょいとっつーか、かなーり怪しいし、変なもんも出るって話だけど。
ま、だからこそこんな時間に人は居ないだろ。ここで十分かい?」
ガラスの入っていない窓枠を飛び越えて工場の中に入り、キーチェーンのクボタンの隣につけてあるペンライトを点灯する。
通販で購入した光量の高いタイプのペンライトである為、小さくとも光量は十二分。問題点は存在しないだろう。
預かった召喚器を透はポケットにねじ込んで居るが、近い内に取材用ベルトポーチにホルスターが追加されることとなることだろう。
いかにも怪しい場所、そして時間は12時を回ろうかとしている。
――何かが起きても、おかしくはない。何が起こるかは、分からないが。
>>35 >>36 普通、それが俺のモットーだ。
住める家が在り、金があり、朝昼晩飯が食えて、家族がいる。
そこそこの学力が有り、そこそこの身体能力が有り、ついでに顔も悪くない。
大きな幸福も無いが、大きな不幸も無い。
素晴らしい、普通、だ。完璧過ぎるほどの普通っぷりだ。
それでいい。この国では普通でいればトラブルに巻き込まれることなんてないのだから。
『過ぎた好奇心は身を滅ぼす』『普通の人は過度な好奇心は示さない』
なるほど、先人は上手い事を言ったものだ。後々の教訓にさせてもらおう。
そう中学の頃から散々自分に言い聞かせてきたはずなのに……。
「なんたる不覚。なんだこのまっずいコーヒー。汚水か? それとも泥水か? いや、どっちにせよ最低だ」
やっぱりこんな喫茶店に来るんじゃなかった。だってこんなまっずいコーヒーなかなかお目に掛かれない。
『公衆便所喫茶』。なるほど、渾名通りの、いや、それ以上に中々の破壊力を持つ液体を出してくる店だ。
久しぶりに顔を出した部活で後輩が噂してたのに興味を持ったのが間違いの始まりだ。
やっぱり興味何て持つもんじゃない。喉がイガイガするし胃が爛れる様に痛い。濃硫酸でも混入してるんじゃないか?
ま、それはともかく。後ろの席の、カップルか?(そんな雰囲気には見えなかったが) なーんか気になる話をしてたな。
『召喚器』に『シャドウ』……なんかの隠語か? 断片的に聞こえてくる会話、その中で気になった言葉を脳内でピックアップする。
いや、悪い癖だ。『完璧な普通』を目指す俺には本当に悪い癖だ。
でも気になる。というかさっき騒ぎを起こしてつまみ出されていった女生徒(
>>34)も気になると言えば気になる。
というか見た事がある様な気がする。いや、ある気がするってーかうちの学校だ知ってるよ有名人だよ悪い意味で。
確か探検部だか冒険部とか非公式な部活を行ってるとってもお騒がせな有名人。
俺の通う私立月光館学園、良く言えば名門校で通っちゃいるが、蓋を開ければ個性の集まりだ。
なんせ具合が悪くなって保健室行けば怪しげな薬飲ませてくる保健の教師や、兜被った教師がまかり通るくらいだ。
そもそもなんで保健体育の授業がマニアックとしか説明しようの無い魔術講座になってんだよ。
正直、入学当初は入る高校を間違えたと後悔したものだ。しかし、もういい。諦めた。
あと1年ちょっとも我慢すれば普通の大学で普通のキャンパスライフを送れるのだから。
それはともかく、と。既に会計を終え、出て行こうとする2人を目で確認する。
真面目そうな三つ編みメガネっ娘に不良っぽいにーちゃん、やっぱりカップルっぽくないな。
既に随分遅い時間だ。しかし家には遅くなると連絡を入れてあるので問題ない。追跡、してしまおうか?
……いや、いやいやいや。今さっき後悔した事をもう忘れたか? でも、追跡しなかったらずっともやもやが残る。絶対に残る。
やらずに後悔するより、やって後悔する方がいいんじゃね?
好奇心は悪魔の誘惑とでも言おうか、俺の脳内ではすっかり追跡モードになっている。
レジにて会計を済ませ、2人の後を追った。
>>34 人がごった返している中の追跡は楽だが、こう夜の人通りの少ない追跡は楽ではない。
しかも、なんでこう裏道と言うか面倒くさい道ばっかりなんだよこん畜生。
有刺鉄線を潜り抜け、2人の後を適度な距離を置いて歩く。
普段なら立ち寄りそうもない廃工場。絶対回避の危険地帯だ。なにがいるか分かったもんじゃない。
でもここまで来た以上、見ずに帰る訳にはいかない。
真っ暗闇の中、周りを見渡す不良っぽいにーちゃんの索敵を避けるために影に身を屈め息を潜める。
口を押えている為、洩れる白い吐息も僅かだ。
やがて不良っぽいにーちゃんと真面目そうな三つ編みメガネっ娘は廃工場の中へ入っていく。
廃工場からほんの僅かな光が漏れた。俺は2人が入っていった工場の窓に身を潜め、ひっそりと顔を出す。
さあ、これから何が始まるのか。心臓が僅かに高鳴る、期待と不安が入り混じる。それはまるで甘美な媚薬のよう。
悪い癖なのは承知の上、でも、まあ、しょうがない。我慢は明日から始めればいいのさ。
そう、だから今はこれから始まる『何か』を待とう。さあ、俺の好奇心を満たしてくれ。
放課後に立ち寄ったゲームセンターで、衣世含め友人数名は遊びに白熱し過ぎた。
蛍光灯さんざめく店内から一歩外に出てみると、空は既に暗い。
街明かりを受けてもなお存在感ある一番星を認め、一同は溜息を漏らす。
「うっは〜、親に怒られる!今からでも電話入れとくかぁ」
「だねえ、特に夢崎はヤバイ噂立ってるもん。遊んでたっつったらヤバいかも?」
「ここまで遅いと…ねぇ。今はみんなといるから安心だけど。」
「衣世は一人で大丈夫?あたしらと帰り道反対方向じゃね?」
「平気だろう。表通り歩いてれば何も怖いことはないよ。……あ、あそこのバス停からバスに乗るね。じゃあここで。」
さようならの四重奏を背に受けて、衣世は友人の輪から離れる。
先ほどの熱は一気に冷めた。
あれほど苦心して取ったキーホルダーでさえ、存在自体がバカげているような気がしてくる。人間の感情とはいい加減なものだ。
そして独りになった。
衣世は手持ち無沙汰になって何度も何度もバスの時刻表を確認した。次までかなり時間があった。
思わず溜息が漏れた。衣世はポケットの中を探る。コードを指に絡め、ウォークマンを引っ張りだす。
そして、カナル型イヤホンを耳に押し当てる直前。
>「何が公衆便所喫茶ですか! 営業妨害ですよ! ちょっと〜、この人摘まみだすの手伝って下さい!」
バス停に立つ人々が一斉に後ろを向いた。衣世も釣られて目線を動かす。
中世ファンタジー風コスプレをした女の子が、暴れていた。大剣をしょっていることに、衣世は何より驚いた。
>「離せ! 離さんかー!」
「なんだあの子…。」
野次馬達は最初こそ緊張してその動向を伺っていたが、騒動が害のない類であると察知するやいなや、
にやにや笑うか、迷惑そうにそっぽを向くか、各々のスタンスを取った。
……渦中の人物は複数の大人を相手に健闘するものの、後半は店側がさらに増員をあて、騒ぎはフェードアウトしていく。
衣世は一旦耳から遠ざけたイヤホンを、今度こそ入れなおす。再生ボタンを押す。
そして、自分の世界に入ろうとし、そこで異変に気づいた。
お気に入りの音楽がとんと頭に入って来ないのだ。
彼女のインパクトが強すぎて。
(あの子…聞き間違いでなければ、公衆便所喫茶、と言っていたけど。)
バス停から一旦離れ、例の喫茶店を目の前にして、衣世は考え込む。
おしゃれ意識の高い、とても可愛らしい外装に似つかわしくない名前だ。
店のトイレがそれなみに汚いとか、便所の跡地にできたとか。
……少し外して、卓上ナプキンがトイレットペーパーとか、ウェイトレスのシューズが便所スリッパだとか。
中々愉快な想像が絶えない。
いつまでもそうしていたので、窓越しに店員と目があった。とても胡乱げな表情をされた。
(寒いし、いっそ入ってしまおうか。)
店前に佇む春日山の生徒の脇をくぐり、衣世は喫茶店の扉を威勢よく押す。
それが不注意だった。
押したドア越しに人がいることなど全く念頭ない、ガサツな開け方だったのだ。
ベルが怒ったように鳴り、ノブを持つ手に重い衝撃が走る。
「――お…っと、すみません」
衣世の方は驚いて左手の鞄を取り落とすだけですんだが、どうやら相手はドアとぶつかってしまったらしい。
相手は衣世と同じ七姉妹の制服だった。それに幾分安堵し、衣世はとっさに彼女が落としたものを拾う――それが大きな後悔へと繋がった。
拾った瞬間、脳内は次の言葉で一杯になる。
見てはいけないものを見てしまった!触ってはいけないものを触ってしまった!
拳銃、だった。
恐怖よりも気まずさが勝った。衣世は変な汗を流し、拳銃と女子生徒を交互に見つめる。
そして、彼女が何かを言い出す前に、それを突き返した。
「その……じゃあね、っていうか、あの、本当にごめんなさい。」
衣世は二、三歩後退りをした後、思い切り踵を返し外へ飛び出す。久しぶりの全力疾走だった。
翌日、写生会があった。
二ヶ月に一度、第二土曜日に、珠間瑠市三校が催す美術部の合同企画だ。
よってたかって他人の絵を批評したり、有名な講師を招いたりする。今回の会場は月光館学園だ。
設備が売りの一つなだけあって様々な絵画の模造品や石膏像がある。部員のレベルも高かった。
他校観察にはしゃぐ同級生の中、衣世だけはぼんやりと、昨日のことを考えている。
午前は静物のデッサンをした。
講師から『総合的にイマイチ』という評価を下され衣世は肩をすくめた。
午後は自由時間だったので、なんとなく仲良くなった月光館学園の女子生徒に案内を頼み、
風景画を描くという名目でのんびり校内探検をすることにした。
校舎のどこからでも海が見えるなんてめったにあるもんじゃない、素晴らしい。
そう衣世が褒めると、その子は、磯臭いけれどと笑った。
衣世はしみじみ思う。こうした真面目で良い子と穏やかな会話をしていると、あの銃刀法違反の生徒二人がまるで夢みたいだと。
そうこうしている内に二人は校庭へついた。
「やはりここからも海が見えるね。良いなあ。…ん、でも思ったよりも人がいないや。どうしてだろう」
今までの質問には、誇らしげに、そして明朗に答えてくれた彼女が、ここで初めて口ごもる。
「それは……あの人と、あの人の部活のせいよ。」
大きな物置小屋がポツンと立っている。その入口付近に、何かがいた。
「す…須佐野命って言う…月光館学園の名物生徒…なの。」
彼女を認めた途端、衣世の目は見開く。
あんな服を着こなす人間を見間違える訳がない、というか、あんな服を着こなす人間が二人以上いてたまるもんか。
つまり、間違いなく、目の前の彼女は昨夜のアレと同一人物だ。思わず声が上ずってしまう。
「私、あの人にモデル頼もうかな。」
「! 神部さん、止めといたほうがいいわ。格好を見たらお分かりだろうけど、須佐野…先輩、変人だから。」
「え、でも絵になりそう。」
「あのね、彼女、校内じゃ知らない人はいないってくらい素行不良の先輩なのよ?
――その…えっと……風俗行ったり、SM喫茶にも入り浸ってるらしいって!」
恥ずかしさからか語尾の部分は小声でまくし立てられた。月光館学園らしい品行方正さに、衣世はなんとなく好感を持つ。
「あはは、英雄イロを好む?セブンズにはいないタイプだね。うん、やっぱり面白そう。」
月光館学園の美術部員は諦めたという風に肩をすくめ、そして、向こうでスケッチしてる、と衣世を残して去っていった。
その背に向かって、後で追いかけるからと言いって、衣世は命へ向き直る。
「すみません、先輩。昨日の夜、夢崎の喫茶店にいらしてましたよね?」
彼女の話だと須佐野命は上級生だ。それに対し、本来の年齢はどうであれ神部衣世は一年、最低学年なのである。
留年したことと、その経緯を云々を会う人々全員にいちいち語るのは面倒だったので、
知人以外の元同級生・現二年生に関して、衣世は敬語を使っていた。
「私写生会に来ていて。よければデッサンのモデルになってくださいませんか。ちょっとお話しながら。」
手提げからサっとスケッチブックと鉛筆を取り出す。
「その背中の剣、なんともカッコイイですね。んー…もしかして、今って武器携帯するのって流行ってます?
……昨日の子も、変な銃持ってたし。多分モデルガンだとは思うのだけど。」
>「清恵ちゃんに手ぇ出す積りは無いけどよー。
もうちょい言動考えたほうがいいと思うぜ? 内情は別にしろ、その外見でその発言は誤解を生みかねねぇし。
なんせ、俺カス校だしよ。まあ、変な噂流れても気にしないなら俺もどうでもいいけどよ」
言っている意味はよく分からないが、どうやらあまり良くない言動をしてしまったらしい。
思い当たる節はなかったが、とりあえず、曖昧に相槌を返しておく。
「ごめんなさい、次からは気をつけるわ」
手を出すつもりはないと言っているが、察するに普段は他人に対し教育的指導に打って出ることもあるのだろう。
強く胸に刻んでおくことにしよう、言動の注意をされる度に殴り付けられてはたまらない。
こんなチャラついた外見をしているが、実際はマナーに厳しい男なのだろう。
店の味のこともあるが、不愉快にさせてしまった詫びも兼ねて、ここの支払いはどうあってもこちらに任せて貰おう。
伝票を取る手に、自然と力が入る。
>「んー。甘けりゃなんでもいいからなぁ、まあそりゃ美味いコーヒーのが好かったけど。
ってか、あの糞ビッチ明日シメとかねぇと。オススメされてたんだがよ、アイツの舌は一体何なんだっての。
……ま、今度当たり俺持ちでどっかおごっちゃるよ。こう見えても、結構色々見て回ってるんだぜ?」
そういえば、と透がミルクとガムシロップを大量に投入したコーヒーを、難なく飲み干していた様子を思い出す。
そういう貴男の舌も大概よ、という言葉が口を付いて出そうになるが、済んでのところで飲み込んだ。
それにしても、『くそ びっち』という名前の人も、こんな味覚のおかしい人間に責められたところで納得がいかないだろう。
「そう、それじゃあ今度お勧めの店にでも連れていって貰おうかしら。期待しているわね」
マナーに厳しい上にグルメとは、いったいどんな高級店に案内されてしまうのだろうか。
清恵は、内心、戦々恐々としていた。テーブルマナーぐらいは勉強しておく必要があるかもしれない。
レジの店員に伝票を渡し、会計を済ませる。
『ちょっち背伸びでビターな恋のオトナ味コーヒー』、『忘れかけていたトキメキを取り戻すシナモンティー』、計二点、しめて二千八百円。
二度とこんな店へは来ないことを誓って、店外へと続く扉を抜け、強く一歩を踏み出した。
一足先に外に出て待っていた透と目が合う、笑顔で迎えられたが、その表情とは裏腹に寒さで体を震わせていた。
そういえば彼は何故こんなにまで薄着なのだろう。
何にせよ、見ているこっちまで寒くなる。
>「おう、寒いからちゃっちゃと終わらせちまおうぜ。
とりあえず――、ここらなら、ちょいと待ってな」
そう言って、透はスラックスから何かを取り出した。
画面に触れて操作していることから、恐らく『でぃーえす』という類の物だろうと判断する。
ペンで画面に触れて遊ぶゲーム機らしいが詳しくは知らない。
いったい透がソレで何をしているのか、清恵には皆目見当も付かなかったが、とりあえず言われた通りおとなしく待つことにする。
ほんの数秒だっただろうか、何か納得したような素振りで透が歩き出す。
透に先導される形で、清恵もそれに付いていく。
道のりを進むにつれ、人の姿も徐々にまばらになっていく。
ついに誰一人としてすれ違うことも無くなり、数分程で其処に到着した。
周囲を有刺鉄線に囲われた廃工場、正に『人気のない場所』としてはうってつけだった。
切れた鉄線の隙間を縫うように通り抜けて、随分と慣れた様子で進む透を追うように清恵も後に続いた。
辺りを警戒しているのだろう、周囲を見回す透に合わせて、清恵も念の為人の姿がないかを確認する。
>「ちょいとっつーか、かなーり怪しいし、変なもんも出るって話だけど。
ま、だからこそこんな時間に人は居ないだろ。ここで十分かい?」
透が此方に振り返って口を開いた、どうやらここが目標地点のようだ。
時間帯もさることながら酷く不気味な様相だったが、確かにこれならば却って人も寄り付かないだろう。
軽く頷いて返答を示す。
スカートが引っ掛からないように注意しつつ、ガラスの抜けた窓枠を越えて工場内に侵入する。
すると、眩い光が小さく辺りを照らした。
見ると、それは透の持っているペンライトから発せられていた。
「それにしても用意が良いのね、感心するわ」
その場の状況に即した何かを次々と取り出す透の姿に、清恵は、なんとなく少年探偵のような印象を受けた。
もちろん本物の少年探偵など見たことはないので、あくまでも想像の上でだが。
「……始めるわ、貴男はそこで見ていて。
けど、その前に」
清恵は、自分の着ていたコートを脱ぐと、それを透に差し出した。
「これでも着ていてちょうだい。見ているこっちが風邪をひきそうだから」
そして、床に置いた学生鞄を開いて召喚器を取り出すと、そのエリアに面した中心に立った。
目蓋を閉じ、浅い息を吐く。
この瞬間は、やはり何度味わっても慣れない。
やがて、意を決したように、召喚器を左手に握り直すと冷たい感触が骨の芯にまで届く。
その銃口が僅かに揺れながらも、地面から空へと弧を描くようにして、自らの側頭部に向けられた。
──おにいちゃん、おねがい
啜り泣く少女の声が耳の中で木霊する。
──わたしも、
眉間に銃口を向けて震える両手が、目蓋の裏に浮かぶ。
──はやくそっちにつれていって
鮮明に蘇る記憶、其れらを全て残らず撃ち砕くかのように、引き金に掛けた指に強く力を込める。
だが、そこで清恵の動きは、一瞬びくりと全身を震わせて、止まった。
そして、すぐさまその場から駆け出すと、学生鞄を手繰り寄せ、透を背後に守るようにして立つ。
何度も周囲をくまなく見回す、普段の冷静さを装いながらも、その表情には明らかに焦りの色が浮かんでいた。
「透君、ごめんなさい。私が迂闊だったわ。もっと警戒すべきだった。
貴男を守る為に出来る限りのことをすると約束する。だから、貴男も私に約束して欲しいの」
語気を強め切迫した口調で、謝罪の言葉と要領の得ない台詞を矢継ぎ早に口にする。
いつの間に取り出したのか、大振りのスレッジハンマーを構えながら。
「もしもの時は、」
そこで、さまよう視線が、前方の一点の空間に向けられた。
虚ろな色に塗り潰された深い闇の奥、暗がりの空間を、清恵は鋭く冷えた視線で注視する。
その闇の最奥には、まるで何か別次元の可能性を孕んでいるかのような、そんな予感さえした。
そして、時の針は、既にその深淵を指差していた。──十二時だ。
「……迷わず逃げて」
先程とは違い素早い動作で、召喚器の銃口を側頭部に向けて、呟く。
「来て、アリオーシュ」
そして、今度こそ、引き金を、引いた。
ガラスを貫くような硬質な音が周囲に響き渡り、軽い反動を感じて頭部が僅かに傾く。
次の瞬間、淡い無数の光の欠片が生じて清恵の体を包み込む。 制服の裾がはためき、三つ編みが大きく揺れて。
光は清恵の体から上空へと螺旋状に舞い上がり、その中枢に一つの影が浮かび上がった。
その影が左右に細く伸びていく、それは艶やかな漆黒を纏う蝙蝠の羽根だった。
羽根は透き通るように青白い肌を露わにした背に生えており、その背からは、禍々しくうねる模様が腰や胸元など肢体を覆うように刻まれている。
振り乱された髪は、鴉の濡れ羽色のように暗い輝きを放って、視線を誘うようにたなびく。
そのペルソナは、妖艶な女性の形を借りた堕天使の姿をしていた。
アリオーシュが完全に姿を現すと同時に、闇の向こう側に潜むモノが激しく蠢く。
目を刺すような桃色の物体が、もぞもぞと闇を裂いて躍りながら這い出てきた。
それは巨大な人間の手そのもので、手首に当たるであろう部分には頭が生えている。
だが、その表情に生気はなく、目と口はぽっかりと空洞が空いていた。
一体、二体、三体……と次々に現れる。
「あいつらが、『シャドウ』よ」
前方からは目を逸らさずに、背中越しに透に囁く。
それから、ハンマーを横に流すようにして構えると一直線に走り出した。
「アリオーシュ、“ アサルトダイブ ”ッ!」
アリオーシュが清恵に伴うようにして宙を舞いながら、『シャドウ』の内の一体に向かっていく。
そして、しなやかに伸びた脚を鈍器のようにして上段から叩き付ける。
重力を纏った攻撃に怯む敵を後目に、清恵は別の標的に狙いを定めて、横凪ぎにハンマーで打ちのめす。
どちらもそれなりに効果はあるようだが、手数が足りない。
そこに生じた隙を見逃してくれるはずもなく、『シャドウ』の魔手が清恵に伸びる。
それを辛うじて受け止めるが、体勢を崩してしまい、此方の攻勢も一挙に留まる。
数が多い上に、透の身が危険に晒されないよう配慮しなくてはならず、思うように戦うこともままならない。
戦況は、明らかに此方側に不利な状況だった。
――次の日。我が探検部は今日も元気に活動中。
秘密基地に持ち込んだパソコンで、昨日の映像を再生する。
短い映像だからといって侮ってはいけない、分析してみれば面白い発見があったりするものである。
背景に映りこんだある物に目が止まった。
「むっ、そこ止めて拡大してくれ!」
映っているのは、カス高の制服を着たメガネ男子と、セブンスの制服を着たメガネ娘。
そして、二人の間でモデルガンが受け渡されているように見える。
「モデルガン、例の噂と関係あるのでありますか……!?」
「かもな……音声抽出だ!」
「ラジャー!」
所詮は素人用のお遊びソフトではあるが、いくつかの断片的な言葉を抽出する事ができた。
――召喚器――
――『シャドウ』――敵――
――あれは『シャドウ』に対抗する手段を担っている物――
――超常的な何かがなきゃあり得ないことがある――
これだけ聞き取れれば十分だった。
もしかしたら僕は大変なシーンに一瞬すれ違ってしまったのかもしれない。
あのモデルガンが、魔法少女物でいう変身のコンパクトみたいな不思議のキーアイテムだったとしたら。
「これはマジヤバイぜ! 大いなる宿命を背負いし少女と、知恵と勇気を兼ね備えた少年の出会い……!
俗に言うアレだ! メガネミーツメガネだ――! ということは波乱万丈の大冒険が始まるのか!
探検部部長である僕を差し置いてそんな面白い展開とは許さん! 副隊長! 何としてもあの二人を探し出すのだ! 行くぞ!」
すぐさま駆け出そうとする僕を、副隊長が後ろから捕まえた。
「隊長、それを言うならボーイミーツガールであります!
街を駆けまわっても見つかりっこないであります! もう少し分析すれば運がよければ名前も言ってるかも……」
と、入り口付近で騒いでいると、七姉妹の制服を着た長身の少女が近づいてきた。
>「すみません、先輩。昨日の夜、夢崎の喫茶店にいらしてましたよね?」
「おお、公衆便所喫茶か! 確かにいたぞ!」
>「私写生会に来ていて。よければデッサンのモデルになってくださいませんか。ちょっとお話しながら。」
>「その背中の剣、なんともカッコイイですね。んー…もしかして、今って武器携帯するのって流行ってます?」
「そうか、これに目を付けるとは君はいいセンスをしている――!」
僕の雄姿を見てファンになってここまで来てくれたというのか――!
剣を抜き放って軽々と回し、それっぽく構えてみせる。
「なーんてな、実は玩具だ。思う存分描いてくれ! ご希望のポーズを取るぞ!」
>「……昨日の子も、変な銃持ってたし。多分モデルガンだとは思うのだけど。」
「君も気付いたか――。ここだけの話だぞ。
実はつい今しがた昨日の映像を分析していたところなのだが……
まだ推測の範囲は出ないがあの娘、ガチで非日常の世界に足を踏み入れている存在かもしれない……
探検部とか冒険部とかちゃちなもんじゃない、もっとワクワクするものの片鱗が見えるんだ!」
我が探検部は、常時新規隊員絶賛募集中。他校の生徒であっても分け隔てなく受け入れる!
色々と清恵と感覚や解釈がずれている気がしつつも、気にしない事にする。
どっちかというと真面目でお嬢様っぽい相手で、こっちは誰がどう見ても底辺のチンピラ野郎である。
故に、噛み合わないこともあるのは既に織り込み済み。
>「そう、それじゃあ今度お勧めの店にでも連れていって貰おうかしら。期待しているわね」
「任せときな。流石に女の子向けに店を選べるくらいの分別はあるしよ。
期待しとけ――、って程でもないけどな。まあ、美味いもん食わせてやんよ」
甘党極まりない透は、街のスイーツの店に一人で突撃したりして、自分だけの市内スイーツマップを作っていた。
市内裏道マップと市内危険地帯マップと市内霊感マップと市内犯罪マップ等と合わさって、透の自慢の情報集積体だ。
因みに、これらのマップのデータは一回100円で好みにあった場所を教えて貰える。友人ならタダだが。
それらのマップのデータを纏めて登録してある地図アプリが、透の用いるスマートフォンには入っていた。
>「それにしても用意が良いのね、感心するわ」
「大してかさばるもんでもないしな、護身用とか取材用とかに持ってんだ。
学校の都合上喧嘩売られんのも日常茶飯事だしな」
廃墟の中に入り、くるりと振り返りペンライトを地面に置く。
透の武器の大半が、クボタンやマグライト、メリケン等の目立たない暗器ばかり。
それらは、日常的に喧嘩を売られ、その際に即座に対応できるように普段から持ち歩けるものを選択した結果だった。
他の便利グッズは、何事も備えておきたいという透の主義からくるものだ。
大胆な行動はしても良いが、大胆な行動が出来る下地は常に整えておくのが、透のスタンスである。
>「……始めるわ、貴男はそこで見ていて。
> けど、その前に」
>「これでも着ていてちょうだい。見ているこっちが風邪をひきそうだから」
「ん、後で返すわ。鍛えてるつっても、限界があるからな」
素直に透は清恵からコートを受け取り、肩から羽織る。
そこまで長身というわけでもないが、やはり清恵とは体格が違う。
腕を通せば、ぴちぴちで前が閉まらなかったため、方から羽織ることにしたのである。
歯のぶつかり合う音がようやく止み、召喚器を構える清恵を見据える余裕が出来た。
なるほど、と合点する。これは確かに余り他人には見せられないだろう。
なにせ、自殺の一歩手前にしか見えない姿なのだ。その、拳銃を頭に突きつけた構えは。
銃弾が出ないと分かっているとはいえど、寒気がする。腰のベルトに挟んだ召喚器に手を伸ばして触れる。
「――――」
ひやりとした黒鉄の寒さを手のひらに感じ、電流に撃たれたかのように反射的に手を引いた。
死の予感、恐怖。そんなものを透は感じ、一瞬忘我してしまう状態へと陥る。
正気を取り戻した時点で、清恵は既に構えを解いており、目の前にハンマーを持って立っている。
こんなざまでは居られないと、透は己の頬を叩いて気合を入れて、清恵の話を聞く。
>「透君、ごめんなさい。私が迂闊だったわ。もっと警戒すべきだった。
> 貴男を守る為に出来る限りのことをすると約束する。だから、貴男も私に約束して欲しいの」
>「もしもの時は、」
>「……迷わず逃げて」
逃げろと、目の前の少女は言ったのだ。
仲間を求めていたのであろう少女は。初対面のこんなチンピラを誘わざるを得なかった相手が。
そう言ったのだ。その言うことを聞くべきだ、とは思えない。だが、相手の言うことには緊張を感じる。
恐らく、『今のままの己』では太刀打ち出来ない何かが訪れる、それだけは分かった。
だからこそ、透は迷うこと無くポケットに手を突っ込み、両手にメリケンを握りしめて、腰を落とした。
その瞬間、透はこれまでの人生を覆すような。常識の世界で生きていた己の総てが崩れる光景を――目の当たりにする。
>「来て、アリオーシュ」
現れたのは、漆黒の天使だった。
美しい。素直にそう思うと同時に、寒気と畏怖の感情を抱いた。
なぜ怖いのか、なぜ恐れるのか。理解できた。――分からないからだ。
これまでに学んできたこと、知ってきたこと、覚えてきたことの総てから外れた、異質だからだ。
知らないものを目の当たりにして、透は拳を強く握り、目を眇めて構えを取る。
雄叫びを挙げずに警戒だけを強めることが出来たのは、透が臆病者であっても心の弱い人間ではなかったかからだろう。
「あれが――」
>「あいつらが、『シャドウ』よ」
目の前に現れた、人間の手。と言ってもサイズは違うし、明らかにバケモノだったが。
感情を感じさせない三つの穴を見て、なるほどこれがシャドウか、と理解する。
目の前で清恵がアリオーシュに命じて攻撃を放ち、また横薙ぎにハンマーを振り抜きもう一体を吹き飛ばす。
だが、目の前で清恵は体勢を崩され、無数のシャドウに群がられ、襲い掛かられている。
(どう、する。
俺は、俺に出来る、事は――!
…………どうする、どうすりゃ、この状況を)
じり、と後退りしながら、透は腰のクボタンに手を伸ばす。
が、震える手では、クボタンを握ることは出来ず、指先には冷たい金属の感触――召喚器のそれ――を感じた。
出来るのか。己にも、目の前で戦う清恵と同じ事が出来るのか?
疑念を抱く。自分は常識の世界で生きてきた人間だ。そんな人間が、この状況で役に立つことが出来るのか。
そもそも、あんな存在を呼び出すことが出来るのか。素早い思考が悪い方向へと進んでいき、そんな自己に嫌悪感を感じてくる。
だが、それでも。
知らないことを知らないままにすることは、出来ない。
その先に、どんな事があったとしても。知ることで傷ついたとしても。
総てを自分の目で見定める道を歩んでいきたい。
黒鉄を、引きぬいた。
右手で召喚器を構えて、清恵の背後で顔を強ばらせながら透はこめかみに銃口を押し当てる。
脳内に唐突にフラッシュバックするのは、探して探して、でも間に合わずに助けられなかった自分の母親。
そして、何よりも無力だった自分の存在。
――なにもできないのは、いやだ
泣き叫ぶ、血だらけの少年が幻視される。
――なにか、できる人に
自分は、また何も出来ないのだろうか。
目の前で無数の手の群れに押しつぶされそうな清恵を見て、そう思う。
(頼むぜ……ッ、何か、俺にだって何かやらせてくれよ。
もう、俺に何もできなくて、俺が遅くて、俺が弱くて何も出来ないなんて、糞御免なんだよォ!)
覚悟を決めて、透は引き金を引く。
やたらと軽い、何かが砕ける音。無数の光の破片が目の前で乱舞して、舞い上がっていく。
ダイヤモンドダストにしては粒が大きいな、と透は場違いなことを考えながら目の前でそれらが収束していく光景を見る。
肩に羽織った清恵のコートが吹き飛び、オールバックにした髪が乱れて、顔の右半分を覆い隠す。
左半分の視界に現れたの、頭に牛の頭蓋を被った和服の男の姿だった。
全身にはびっしりと梵字が刻まれ、頭蓋の奥からは煌々と輝く赤い双眸が見える。
これは何か、そう考え、頭の中に響く名を透は自然と口から吐き出していく。
「行くぞ――クダンッ!!」
予言を授ける妖獣、件。
牛の頭に人の体、又は人の頭に牛の体を持つとされているそれ。
頭に被る牛の頭蓋を通して、そのペルソナは一体何を見定めているのか。
それは、クダンと透にしかきっとわからないものなのだろう。
髪を掻きあげ、荒い息を吐きながら透は一歩を踏み出し、シャドウを見据える。
理解できる。呼び出した自分の力は、目の前の手を相手に戦うことが出来る力だと。
二歩目を踏み出し、三歩目からは意識する必要もなかった。
牛頭蓋の賢者を従え、ゲッツは清恵の傍らに躍り出ると同時に、清恵の目の前のシャドウを指さし叫びをあげる。
「クダン、デビルタッチ<B!!」
シャドウの群れに真っ向から向かう賢者は、手のシャドウに梵字にだらけの右腕を翳し何事かを呟く。
直後、何かに弾かれたようにシャドウは後ろに飛び退り、その場で暴れだす。
後ろに居るシャドウを蹴散らしながら駆け抜けるシャドウは――誰が見ても分かるだろうが、恐怖を感じ逃げ出していた。
清恵のアリオーシュの様に協力な物理攻撃は使用できないが、その代わりに相手の行動を阻害する術を持っているようだ。
行動が一気に乱れ、隙だらけとなったシャドウに向かってメリケンを握りしめた両手のコンビネーションを叩き込んだ。
怯むシャドウを尻目に、発動の負担等で憔悴した顔で笑いながら、清恵に小さく親指を立ててみせる。
「逃げるのは性分じゃなくてな。
――精々ご指導頼むぜ、こいつらのぶっ殺し方!」
年齢ならばこちらが上だが、ペルソナの扱いもシャドウとの戦い方も清恵が先輩。
どうすればいいか、と透は清恵に指導を請うことにしたのである。
二体のペルソナと、二人のペルソナ使い。
この戦闘の音は中々に大きく、ここが廃墟だとしても一部の人間ならば気がついてもおかしく無かっただろう。
まったくもって、普通、じゃない……。
人間は理解不能なモノと遭遇した時、思考を完全に停止させるという。
何を馬鹿な、そんな訳わからんモノに会ったら逃げるだろ、『普通』。
しかし、今の俺の足は完全に止まっていた。姿勢も初見のままから動かずにいる。
図らずも先人の言葉を自らで実証してしまったわけだ。
だけども、自らの思考能力と判断能力がほんの数秒で戻ったのは褒めてやりたい。
「……ハッ……ハッ……」
暫く止めていた呼吸はまるでその動きを思い出したかのように再開を始め。
心臓は早鐘の様に高鳴り、その心臓を僅かでも鎮めようと努力する。
しかし、しかししかししかししかししかししかししかし……これはやっぱり
「……普通じゃ、ない」
絞り出すように発せられたその一言。その一言でなんとか俺は正気を取り戻していく
思わず吐き気が俺を襲う。そりゃそうだ17年間の培ってきた『普通』が、今この瞬間粉々にぶっ壊されたのだから。
>「透君、ごめんなさい。私が迂闊だったわ。もっと警戒すべきだった。
貴男を守る為に出来る限りのことをすると約束する。だから、貴男も私に約束して欲しいの」
>「もしもの時は、……迷わず逃げて」
>「来て、アリオーシュ」
そう言いながら真面目そうな三つ編みメガネっ娘が側頭部に向けて拳銃を放つ。
ぶ厚い硝子板に拳銃を押し付けブッ放したらそういう音が出るんだろうか……いや、聞いたことないけど。
メガネっ娘の脳漿がブチ撒かれるのかと一瞬目を閉ざしそうになるが、そんな事はなかった。
脳漿の代わりに出て来たのは……そう、まさしく俺の17年間の常識をぶち壊した存在その1だった。
その淡い光の中現れた姿は、妖艶な女性……いや、その肌の紋様と蝙蝠の様な羽はRPGに出てきそうな女性型の悪魔を連想させる。そしてその悪魔が向かった先が、俺の常識をぶち壊した存在その2だった。
まるでデスティニーランドのキャラクターに出てきそうな人の手の形をしたファンシーな物体。
しかし、それについている仮面に表情は無く。その見た目に反して不気味そのものだった。
>「あいつらが、『シャドウ』よ」
そして冒頭の俺の言葉である。……普通じゃ、ない。
メガネっ娘はハンマーを横に構え、一直線に走り出す。
>「アリオーシュ、“ アサルトダイブ ”ッ!」
そのシャドウとやらが一匹? 一匹であってるよな? 一匹だけなら問題は無かっただろう。
しかし、次々と現れるシャドウとやらに次第にメガネっ娘は苦戦を強いられていく。
不良っぽいにーちゃんはどうしたのだろうか? などと考え視線を移すと、不良っぽいにーちゃんも銃口をこめかみに押し当てている。
おいおいおいおい、マジか。あの不良っぽいにーちゃんもあの化物と戦えんのかよ?
そして、再びあの硝子を砕く様な火薬を爆発させるような独特な音が廃工場に響き渡った。
再び淡い光が廃工場を染め上げる。そして今度は不良っぽいにーちゃんからそれは現れた。
和服の男、顔さえ見なければその一言で説明できる。しかし、その和服の男の顔は牛の頭蓋骨に見えた
それはまるで呪術師を連想させる出で立ちで赤い双眼が炎の様に揺らめいている。
……いい加減、頭が痛くなってきた。ここまで自分の普通を砕かれるとは思わなかった。
むしろ、これは俺が見ている夢かなんかじゃないのか? ホントはあのまま家に帰って、そのまま寝ちまったんじゃないか。
そうならどんなにいいか。しかし、ひんやりした空気と、冷たい廃工場の壁がこれは現実だと無情にも告げていた。
>「行くぞ――クダンッ!!」
>「クダン、デビルタッチ<B!!」
>「逃げるのは性分じゃなくてな。
――精々ご指導頼むぜ、こいつらのぶっ殺し方!」
不良のにーちゃんの牛頭は『くだん』という名前らしい、確か、日本の妖怪にそんなのがいた様な……。
ともかく、その『くだん』の活躍で劣勢から拮抗状態に持って行けたのは事実だ。
って、なにTVでも見る様に観戦してんだよ俺は! そうだ、ここまでやったのなら勝ちは決定だろ?
そう、このまま帰って、シャワー浴びて、寝る。え? これでOKじゃね? 2人が明日死体で廃工場で見つかるって事は……。
そこまで考えて頭を抱える。いや、なんでそんな想像するんだ俺! 元々関係ねーじゃん俺!
でも、メガネっ娘はさっきの劣勢で傷ついてるし、不良のにーちゃんは苦しそうだし。
……あぁ、これはさ、普通ならさ……『逃げる』が正解だよな、普通。
そうさ当たり前だ。あんな常識の、『普通』の蚊帳の外に存在する物体相手に何が出来るってんだ。
大丈夫、大丈夫だ。キョウ、オレハナニモミナカッタ。アノバケモノモナニモカモ。
そう、それで明日に、普通に戻れる。日常に帰れる。
明日笑いながら剣道部の後輩に、『スゲー不味かったぞ、噂の喫茶店のコーヒー!』、って文句を言える。
誰も怒らないさ、それが普通なんだから。そう考えながら、俺は木刀袋の帯を取り、白樫の木刀を手に取る。
小学時代から握って来た柄の感触が手にひんやりとした感触を与える。
……いやいや、拮抗状態であり優勢じゃない。此処で仮にあの2人が殺されたら、俺のせい?
(普通の人ってさ、困ってる人……見過ごすの?) いや、だってこれ普通じゃねぇし。
(でも普通の人は困ってる人、助けるよ) 頭の中がジワリとその声に浸食される。
自問自答を繰り返す事、数度。時間にしたら刹那の事、俺は木刀を痛いほどに握り締める。
俺は利き手の右手に力を込め、左手は軽く添え、そして全力で走り出した。
「ッシィッ!―――――――――ッ!」
最初の気合以外は全て排除、窓枠を乗り越え、走り出し、人の手の形をしたファンシーな化物に渾身の一突きをお見舞いする。
当たる瞬間に筋力の全てを込め、衝撃の全て伝える一撃。それでも、その仮面を割る事かなわず吹っ飛ばす事しか出来なかった。
でも今のだって不意打ちだから出来た渾身の一撃だ。仮に普通の戦闘ならば出来やしないだろう。
絶好のタイミングで横合いから殴り付けたのだ。隙が生まれない訳ない。
横並びに並んでいたシャドウは突き飛ばされたシャドウにぶつかり体勢を崩す。
「おい! 聞きたい事とか言いたい事とか色々あっけど、取りあえず1つ! とっとと仕留めてくんない!?」
半泣きだった。勢いで仕出かした事が状況を悪化させたのか好転させたのか分からない。
しかし、この普通じゃない非日常に自分から片足どころか両足を全力でぶち込んでしまったのは確かなようだ。
己の仕出かした事態に嫌な汗がドッと溢れ出る。恐怖で身体がガクガクと震える。それでも、この2人の機転の良さに掛けるしかなかった。
須佐野命、櫛名田姫子の両名は、予想外な程のウェルカムムードで衣世を包んだ。
話のきっかけ程度になればいいや程度に思っていたモデルの件すらすんなり受け入れてくれたので、
彼女の思い切ったポージングの数々は、現在全て衣世のスケッチブックに収められている。
それに加え、
>「実はつい今しがた昨日の映像を分析していたところなのだが……
まだ推測の範囲は出ないがあの娘、ガチで非日常の世界に足を踏み入れている存在かもしれない…… 」
須佐野は知っていたのだ。喫茶店でぶつかったあの女子生徒のこと、そして彼女が持っていたモデルガンのことも。
「非日常、ね。」
須佐野命の弁は、おのずと熱がこもっている。
口調だけでなく、その澄んだ瞳も力強い光を放っていて、衣世はそれにあてられた。
彼女の奇抜な服装も、非日常を自分の方へ引き寄せようとする、ある種の努力なのかもしれない。そう思えた。
話はとんとんと進み、あるいはアクロバティックに飛躍し、ついには入部がどうだのという話すら持ち上がった。
気に入られて何よりだと光栄に思う反面、他校生の勧誘すら辞さない程逼迫している探検部の実情に、
衣世は彼女達の行く末を案じる。
なので、人助けの意味も多少含ませつつ、衣世は冗談のつもりで軽く請け合った。
「それでは、隊長殿。当座の間、私は体験入部という形で――貴方に付き従いましょう ヨロシク」
そういうことになった。
衣世はたった今から冒険部の仮隊員だ。
部室という名の物置小屋に誘われ、新入りが真っ先に目にしたものは、一台のモニターである。
そこに映しだされていたものは果たして。
「……盗撮じゃないですかこれ。犯罪ですよ。」
大いに呆れた。映像云々と聞いて嫌な予感は多少あったが、まさか一介の学生がそんなことをするものかとたかをくくっていたのだ。
もしかして彼女達が部活動の一環として制覇した、いかがわしい"魔境"についても、同じたぐいの映像が保存されているのかもしれない、
……という憶測はあまりにも下世話だったので、衣世は深く考えないように努めた。
「神部隊員!こちらが問題の発言であります!」
櫛名田は部下ができたので随分嬉しそうにしている。彼女は慣れた手つきでマウスを操作し、吸い出した音声を再生させた。
>――『シャドウ』――敵――
>――あれは『シャドウ』に対抗する手段を担っている物――
「シャドウ……同じような言葉を私も聞いたことがある。」
医師は言っていた。衣世は影に助けられたと。
思い出すのは、死にかけた時に見た、あの天使のことだ。
自身の絵の題材にするほど、衣世はあの得体の知れない造形に心惹かれている。
心のどこかで求めつづけた、あの天使が、女子生徒のいう”シャドウ”になんらかの関係があるとすれば。
(また、あれを見ることができる……?)
須佐野命の追う『非日常』。神部衣世が求める『非日常』。
その二つが交差した瞬間だった。
「私がなんとかしましょう」
自然と言葉が出る。
「幸い、私はこの子と同じ学校です。友人の伝手を辿っていけば半日程で見つかるかと。
これだけくっきり顔が映っていればやりやすい。…と言ってもですね、
盗撮映像のキャプション画をみんなに見せて周るのは、さすがに障りがあります。」
赤の他人から話を聞くにあたり大切なものは信用だと、衣世は考える。
盗撮して身元を割り出しましたあ!と馬鹿正直に白状すれば話し合いなど問題外、十中八九警察沙汰だ。
そこで取り出したるは、先ほどのスケッチブックである。衣世は空白のページにさらさら鉛筆を走らせた。
「……彼女の似顔絵です。」
こちらの不注意でぶつかったことをちゃんと謝罪したかった、だから探し回った。
とっさのことだったが顔を覚えていたので似顔絵を描いて探す為の手段とした。
――強引すぎる言い訳に顔を顰めてしまうが、そういうことにしよう。
「探検部というより探偵部ですが…須佐野せ…じゃないや、隊長殿はいかがいたします?
月曜の放課後にでもセブンズへ来て、直接あってみますか?」
【
>>47の内容、中間ほどを修正します】
レジの店員に伝票を渡し、会計を済ませる。
『ちょっち背伸びでビターな恋のオトナ味コーヒー』、『忘れかけていたトキメキを取り戻すシナモンティー』、計二点、しめて二千八百円。
二度とこんな店へは来ないことを誓って、店外へと続く扉に手を伸ばす。
だが、それよりも先に扉が動いた。
店内へと開いた扉に、当然のように衝突する。
扉は清恵の体ではなく学生鞄とぶつかり合って、その衝撃で召喚器が手に取る暇もなく零れて落ちてしまった。
扉の向こうには、自分と同じ七姉妹の制服を纏った女子生徒がいた。
>「――お…っと、すみません」
女子生徒が、清恵の落とした召喚器をすかさず拾ってくれる。
謝罪とほんの親切心、恐らく清恵が何を落としたのかにも気付いていないだろう。
清恵がそれを止める間もなく、女子生徒は召喚器を手に取り、そしてーー明らかに戸惑いを見せた。
召喚器と清恵を交互に見つめながら。
何か弁解をしておいた方が良いだろうか?
>「その……じゃあね、っていうか、あの、本当にごめんなさい。」
だが、清恵が口を開く前に召喚器を突き出され、半ば押し付けられるようにそれを受け取る。
女子生徒は入口までじりじり後ずさると、そのまま店外へと飛び出して走り去ってしまった。
「……口止めしておく必要がありそうね」
明日、校内で彼女を捜すことにしよう。もし休んでいた場合は、彼女の自宅を探せばいい。
女子生徒が去っていった方向へ冷めた視線を向けながら、清恵は店を後にした。
【ここまでが修正のレスになります】
無数のシャドウが群れをなして、じりじりと距離を詰め寄ってくる。
その波を真っ二つに割るように、迷わずハンマーを振り下ろす。
ーーその瞬間、聞き覚えのある銃声がハッキリと耳に届いた。思わず視線がシャドウから離れて周囲をさまよう。
だが、数体退けたところで、すぐに次の追撃がやってくる。
視界の外から跳び掛かってきた掌に今更気付いたところで、清恵にそれを防ぐ時間はなかった。
「……っ!」
せめて受け身を取れるように、左腕を曲げて、次に襲い来る鈍い衝撃に備える。
>「クダン、デビルタッチ<B!!」
この声はーーまさか。
眼前に迫っていたシャドウは器用に空中で身を翻すと、一目散に清恵から距離を取る。
シャドウ同士が身を寄せ合い、または別のシャドウを蹴散らしてまで離れていく。
彼等が“恐怖”心を抱いているのは明白だった。
その群れに颯爽と飛び込んでいく影ーー清恵は驚きを隠せなかった。
透が勇敢にシャドウ達を両手の拳で殴打していく様に。
そして、その影が二つだったことに。
透の傍らに寄り添うーーというよりは、従う形かーーその者は、まるで人間のような姿だった。
ただ一つ、頭部が牛であることを除けば。
「これは、ペルソナ!? と、透君、まさか貴男……!」
>「逃げるのは性分じゃなくてな。
――精々ご指導頼むぜ、こいつらのぶっ殺し方!」
透はそう言って、疲弊が滲んだ笑顔を此方に向けながら親指を立ててみせる。
それは清恵の言葉をほとんど肯定しているようなものだった。
それを聞いて確信する。間違いない、このペルソナは彼のものだ。
ーー貴男にもあるのね、“力”と、それに見合うだけの向き合うべき何かが。
透の台詞とリアクションを前に、敗北の二文字に気圧されていた心も微かに弾む。
清恵も口許が弛み、笑顔が浮かぶ。自然と軽い台詞が口をついて出た。
「仕方ないわね、教えてあげるわ。
……『消えて無くなるまで徹底的に叩きのめす』だけよッ!」
地面を蹴り跳び、透と並ぶように立つ。
「ただし、攻撃を避けられないように注意してちょうだい。奴等は素早いわ。
死角からの攻撃にも、くれぐれも気を払って。
それと、」
透に視線を向け、真っ直ぐに見つめる。
「ありがとう、逃げずに一緒に戦ってくれて。……本当に心強いわ」
一瞬だけ、柔らかな微笑みを透に向けた。
そして、すぐに前方のシャドウの群れを射抜くような視線を移す。
だが、透の力に頼り過ぎるわけにはいかない。
ペルソナの力を満足に扱いきれるようになるには、充分な時間が必要だ。
加えて自分も先程のシャドウの攻撃を受けて体力を消耗している。
早急に決着を付けなくては、いずれ此方が持たなくなるだろう。
やるしかない、シャドウへと強く一歩踏み出す。
だが、そこでまたもや清恵を驚かす何かが視界に飛びこんできた。
突然のことに、シャドウの仲間が寄ってきたのかと警戒するが、それは明らかに人の形をしていた。
もちろん頭が人ならざる者の形をしているわけでもない。
間違いなく、普通の人間だった。
普通の人間が木刀を手に、シャドウに立ち向かっている。
横合いからの鋭く重い木刀の一撃がシャドウに炸裂した。
吹き飛ばされたシャドウが、他のシャドウ達に激突して流れるように倒れていく。
>「おい! 聞きたい事とか言いたい事とか色々あっけど、取りあえず1つ! とっとと仕留めてくんない!?」
それも何故か半泣きで。というか、誰だ。
「……透君? 貴男の知り合い?」
自分に面識がない以上、そうとしか考えられなかった。
何者かも分からない以上、警戒すべきだろう。
だが、それよりも彼の一撃が作り出したこの好機を見逃すわけにはいかなかった。
シャドウ達が体勢を崩した今こそが、千載一遇、最大のチャンスなのだ。
「透君! それと、木刀の貴男も力を貸して!
奴等が体勢を崩している間に、“総攻撃”を仕掛けるわッ!」
それは、正に号令だった。
全員の力を結集し、一斉に叩き込む最大の攻撃。
これで決着が付かなければ、遅かれ早かれ押され負けるだろう。
ーーであれば、これに全てを賭けるしかない!
神部衣世と名乗る女子生徒は、さらさらと鉛筆を滑らせ僕の姿を描いていく。
「すごい! 上手いじゃないか!」
確かに通常の意味でも上手いのだが、それだけではない。
ワクワクするようなとても楽しんで書いたようなオーラが滲み出ているのは気のせいだろうか。
>「非日常、ね。」
非日常、という言葉を聞いた彼女は満更でもなさそうだった。
自ら進んでここに来るぐらいだから、当然といえば当然かもしれない。
そこですかさず副隊長と共に勧誘し、彼女は晴れて仮入部とあいなった。
>「それでは、隊長殿。当座の間、私は体験入部という形で――貴方に付き従いましょう ヨロシク」
「コチラコソ ヨロシク! お近づきの印に君に渾名をつけよう。かんべいよ……そうだ、イヨカンだ!
ちなみに僕はスサノとか隊長とか呼ばれているぞ」
そういうことになった(!?)
そして早速今回入手した映像を見た彼女は――呆れた。
>「……盗撮じゃないですかこれ。犯罪ですよ。」
「ちなみに何もいかがわしい店ばかりでなくもちろん王道の立ち入り禁止の裏山とか洞窟なんかもあるぞ!」
「そういう問題じゃないであります。――神部隊員!こちらが問題の発言であります!」
問題の発言を聞いたイヨカン隊員は、想定外にして予想以上の反応を示した。
>「シャドウ……同じような言葉を私も聞いたことがある。」
>「私がなんとかしましょう」
あまりにも積極的な協力に、彼女もまた過去にシャドウなるものと関わりがあったのかもしれない、そんな事を思う。
そして早速、彼女の画力が遺憾なく発揮されるのであった。
>「探検部というより探偵部ですが…須佐野せ…じゃないや、隊長殿はいかがいたします?
月曜の放課後にでもセブンズへ来て、直接あってみますか?」
「そりゃあもう行くっきゃない! ――そうだな、前衛的絵画のモデルという名目で」
セブンズは、個性派集団のこことはまた違って都会的でお洒落な雰囲気の学園だ。
このまま行ったら目立ってしまうだろう。でもこのまま行く。
「ここは自分に任せていってらっしゃいであります!
もしいじめられっ子を見かけたら助けてあげて欲しいであります!」
「こらこら、イヨカン隊員を前にして人聞きが悪いぞ。ただの噂だろう。不良が集うカス高校ならまだしも」
元ボッチの副隊長がその手の噂に敏感になるのは分かるが、セブンズはこの区域唯一の”常識的な”名門校。
よもやいじめなんてありはしまい。
こうして、我々はシャドウなるものとモデルガンの謎を追ってセブンズに乗り込むことになった。
須藤竜子は綺麗な顔をしている。と海棠美帆は思う。
真っ茶色の髪は痛んでいないしセブンスの征服だってものすごく似合う。
本当かどうかは知らないが、彼女の髪が茶色いのはプールの塩素のせいらしく
先生は誰も注意しない。いつもまわりでは女の子たちの華やかな笑い声で満ちている。
初めてなのに見よう見まねで25メートルを泳ぎきったように彼女のまわりのたいていのことはうまくいくのではないかと思う。
すくなくともババァと呼ばれている海棠よりは。
――そんなある日、神様に祝福されたかのような人生を歩んでいた須藤竜子がぱったりと学校に来なくなった。
生徒たちの話では、ジョーカー様に襲われ怪我をして、森本病院に入院してしまったのだという。(あくまでも噂)
そして予想通り、生徒たちの間では海棠がジョーカー様に須藤の殺害を依頼したとの噂が立った。
しかしそれは濡れ衣だった。たしかにあの時、海棠はジョーカーと接触した。
でも、他人の殺害をジョーカーに依頼することなど出来なかったのだ。そう、出来なかったのだ。
「……何もないのか?のぞむことは」
ジョーカーの問いに、海棠は首肯する。
今でもあのときのジョーカーの声は忘れない。
驚きを孕んだジョーカーの声を。震える声で海棠は言葉を紡ぐ。
「私は何もしたくない。もう勉強するのも嫌。復讐もめんどくさい。
ただ何もせずに、プールに浸かってぼーっとしていたい。
ぼーっとして何もかもが終わるのをみていたい。ただそれだけ」
二人の間に沈黙が落ちる。無表情なはずの仮面がなぜか悲しげにみえる。
どうしてジョーカーを呼び出してしまったのだろう。自分でも不思議だった。
考えていることと行動があっていない。海棠は本物のバカなのかもしれない。
やがてジョーカーは囁くように海棠に告げる。
「私に力を貸してくれないか?……イン・ラケチの成就のために、私に力を貸してくれ」
「イン・ラケチ?」
耳慣れない言葉に眉を寄せる。
刹那、するどい光に目を射られた。
気がつけば不思議な大広間に一人きりだった。
『蠍の正座を負いし者よ。我に従え』
声が響く。脳に直接叩き込まれたかのような声が。
同時に体の奥底にすさまじい力を感じる。
血流が一瞬にして沸騰したかのような衝撃。なにかとてつもないものが
心臓の殻を食い破って躍り出たかのような…。
「おまえはペルソナの力を手に入れた。それはお前に影のように付き従う、もう一人の自我。
あまえに新たなる力を与えてくれるだろう」
「え、ぺるそなって……」
口にしかけた疑問は途中で途切れる。
瞬き一つする間に海棠は自宅の部屋に戻っていた。
目に映るのは見慣れた天井。
「夢?」
夢じゃなかった。足元には携帯電話。着信履歴は自分自身。
たしかに海棠はジョーカーと接触していたのだ。
机の上に視線を移すと、朝日を浴びたピストル型の物体が不思議な光を放っていた。
>「そりゃあもう行くっきゃない!――そうだな、前衛的絵画のモデルという名目で」
「よかった。さすがにモデルガン所持者相手に独りで臨むのは心細かったので。
模造刀系女子である隊長と一緒なら私も心強い、であります。副隊長殿はいかがいたしましょう。」
櫛名田は残念そうに首を振った後、二人に向かって、ピ、と敬礼する。
>「ここは自分に任せていってらっしゃいであります!もしいじめられっ子を見かけたら助けてあげて欲しいであります!」
>「こらこら、イヨカン隊員を前にして人聞きが悪いぞ。ただの噂だろう。不良が集うカス高校ならまだしも」
「いえ、否定はしません。私のクラスでは無いですけど、同学年でヒドイことが実際起こっていたようです。
で、その噂にはね、実は続きがありまして。……いい加減プッツン来たいじめられっ子が、ジョーカー様とやらを呼び出して、逆襲させたのですって。」
常識的、模範的とやたら持ち上げられている七姉妹学園でさえ、少し探れば都市伝説の化物と仲良しだ。
「櫛名田副隊長殿がご心配なら、いじめられっ子のその後も調べてみましょうか。
――ヘタにその子のご機嫌を損ねたら、ジョーカー様をけしかけられて私も怪我しちゃうのかな。はは。」
約束の日の放課後。
衣世が追っている二人の名は事前に調べがついた。
喫茶店でぶつかった女子生徒は久我浜清恵。そしてジョーカー様を呼び出したと言ういじめられっ子は海棠美保。
ここで問題なのは、やはりきっかけだ。人間誰しもが須佐野命のように開放的でフレンドリーとはいかないのである。
久我浜清恵についてはまだ良い。『ぶつかった時の謝罪』と言う建前がある。
しかし、海棠美保については…。
(ハロー、元気してる?なんでいじめられてたの?ジョーカー様ってどんな奴だった?――馬鹿か私は。)
衣世はこっそりと彼女がいる教室を覗いてみる。
せめて須佐野命がここに到着するまでの足止めくらいは果たしておかねばならない。
意を決して、彼女がいる教室に足を踏み入れる。幸い、中は閑散としていた。
衣世はしてすぅっと息を吸い込む。
「やぁ!ワタシ神部衣世って言うの、美術部員! 突然なんだけど、前衛的絵画のモデルになってみない?!」
気まずく流れる沈黙の中、衣世はもう一度自分を呪った。
(……馬鹿か私は。)
放課後の教室は閑散としていた。
ところどころ染みをつけたベージュのカーテンが冷たい風に煽られてゆっくりと膨れ上がれば、
柔らかく膨らんだ布地のむこうには灰色の空が見えた。
海棠美帆は冷たい空を見つめながら、ジョーカーのことを考え続けていた。
やはりあれは夢ではなかった。
今やこの街では都市伝説はただの伝説にとどまらない。
謎の怪人が現身の存在となって、街の闇を徘徊している。
だが、海棠の実生活に変化はないように思えた。
あの時感じた異様な力『ペルソナ』はまったく感じられない。
一瞬目を覚ました凶暴な獣が、また寝入ってしまったような感じだった。
なぜだろう。ジョーカーが存在しているのなら何故姿を現さないのだろう。
あの時、海棠に力を貸せと言ったのはなんだったのだろうか。
「海棠さん」
声をかけられたので振り向いた。野中ミエコだった。
「クラスの人のことたちなんて、気にすることないわ。心の中でバカにしてたらいいわよ。
私は海棠さんが犯人だなんて信じていないから」
「…ありがとう」と海棠は答えた。声はかすれていた。
野中は小さな声で話を続ける。
「でもね。須藤竜子なんて病院送りになって当然の女だったじゃん。下品で野蛮で最低の女。
今ごろは病院のベッドで天井を見ながら猛省してるのかしら?うふふ、私たちを苛めたから天罰が下ったのね」
小鼻を膨らませながら野中は興奮していた。普段の無口な彼女はどこへいったのやら。
詰め寄るように海棠に近づいているために生温い息が吹きかかる。
「……あの、まさかなんだけど」
異様な野中の言動に脳裏に浮かぶ疑念。
海棠の怪訝な表情に、野中は気が付くと慌てて言葉を返す。
「え?私がジョーカー様に依頼して須藤を襲わせたって言いたいの?
そ、そりゃ確かにジョーカー様に電話をかけてみたことはあるんだけど、結局携帯は繋がらなかったわ。
ジョーカー様にも好みがあるのかしら。それとも電話が殺到していて忙しかったのかしらね…?」
野中エミコのほの暗い笑みを見て、海棠の顔は凍りついてしまう。
「……そ、それ、もう二度とやらないほうがいいよ。
遊びでもなんでも…。人を呪わば穴二つって言うじゃない」
語尾が震えている。野中はジョーカーと接触しようとしていた。
否、本当は接触していて嘘をついているのかも知れない。
その可能性も大だ。海棠だってジョーカーと接触したことなど秘密にしていたい。
例え動機が興味本位だったとしても、それを明かすことは良しとしない。
噂では、ジョーカー様には憎い相手を殺すことも依頼できるし、交渉しだいでは夢を叶えてくれるともいう。
誰だって、今、手に入れている現実がジョーカーの能力によるものだなんて後ろめたくて言うことなど出来ないだろう。
割り切れない気分のまま海棠は窓を閉めた。
窓は閉まる寸前に、ぴゅーと甲高い風の音を発した。
(もう一度、ジョーカーに会いたい。
もう一度会えたら、この心のもやもやもなくなるかも知れない…)
ため息が漏れる。
ジョーカーと出会ったあの日から、携帯の呼び出し音は一度も鳴っていない。
だからと言って海棠のほうから電話をかけるという勇気もなかった。
勇気もないくせにジョーカーのことを思うと日に日に胸が苦しくなる自分がいた。
>「やぁ!ワタシ神部衣世って言うの、美術部員! 突然なんだけど、前衛的絵画のモデルになってみない?!」
突然、教室に元気な声が響く。驚いて振り返ると長身の女が佇んでいる。
――神部衣世。
美術部員。一年留年している。そんな噂を聞いたことがある。
海棠の記憶では一度も会話はしたことはないが、嫌いなタイプではなかった。
留年を経験していたという噂が、何となく心の緊張を解く。
彼女も自分よりなのかもと思う。同じ学園の異分子。そんな気持ちだった。
「わ、悪いけど私、自分を見られるのってあんまり好きじゃないから…。ほ、他の人に頼んでみたら?」
海棠は、神部が会話のきっかけを掴みたいだけなことなど知らない。
なので真に受けていた。全身に心臓があるような感じで、体全体が恥ずかしさで脈打っていた。
それとは正反対に、野中はメガネをピキンと輝かせながら挙手をしている。
「あーそれなら私を描いてください。いいでしょ?
さあ早く!美術室にいきましょ!あ、海棠さんも一緒にいきましょー!」
神部、海棠、二人の手を引っ張って野中は廊下に歩みだした。
海棠はその様子に再度いぶかしむ。野中は海棠よりも無口で大人しい子だったはず。
もしかしたら、いじめっ子の須藤竜子がいなくなったおかげで明るさを取り戻したのだろうか。
そんな疑問も置き去りに、三人の足音はリノリウムの床に響くのだった。
>「いえ、否定はしません。私のクラスでは無いですけど、同学年でヒドイことが実際起こっていたようです。
で、その噂にはね、実は続きがありまして。……いい加減プッツン来たいじめられっ子が、ジョーカー様とやらを呼び出して、逆襲させたのですって。」
「なんとも酷い話であります……」
他の学校の実情というのは外から見ている分には分からない物である。
副隊長が言う酷いというのはいじめ自体の事もそうだし、その後の噂の事もだ。
普通に考えればいじめっ子が偶然事故か何かにあって、そうだったら面白い程度の軽い気持ちの冗談が広まったものに決まってる。
昨日までなら、100%そう確信していただろう。しかし今となっては、別の可能性も微粒子レベルで考えてしまう。
もしも本当にジョーカー様なるものが存在するとしたら……。
>「櫛名田副隊長殿がご心配なら、いじめられっ子のその後も調べてみましょうか。
――ヘタにその子のご機嫌を損ねたら、ジョーカー様をけしかけられて私も怪我しちゃうのかな。はは。」
「確かに心配だな……。すまないがよろしく頼む!」
無論、可能性99%の方と1%の方、二つの意味でだ。
そして月曜の放課後――僕はセブンスへ乗り込んだ。
当然生徒達から奇異の視線が向けられ、不審人物として声をかけられたりもする。
「こらそこのキミ、何の用だね!」
「美術部の前衛的絵画のモデルとして来ました!」
「おおそうか! これは失礼した、通ってよし!」
そんな感じで待ち合わせ場所の美術室まで辿り着く。
様々な制作中の絵が並んでいるが、人型の謎の物体が羽を広げたような絵が目についた。
心象風景のようなシュールレアリズムのような不思議な絵。
絵を眺めながら待っていると程なくして3人の少女が現れた。
一人はもちろんイヨカン隊員、後の二人のどちらが苛められっ子だろうか。
両方かもしれないが、二人のうち一人は苛められっこにしてはやけにハイテンションで、もう一人はいかにも大人しそうだ。
「僕は須佐野 命。月光館の生徒だが今日は前衛的絵画のモデルとして来たんだ。ヨロシク!
多分今頃随分噂になってるだろうがまあアレだ、人の噂も75日!
そんな事よりイヨカン隊員は絵がすごく上手いから色々書いてもらうといい」
ふと思い立って先程気になった絵を指さす。
「それにしてもこの学校の美術部はすごいな。
あれ、君には何に見える? 僕には天使を題材にした前衛的絵画に見えるんだが」
>「仕方ないわね、教えてあげるわ。
> ……『消えて無くなるまで徹底的に叩きのめす』だけよッ!」
「――ッハ、分かりやすいのな!
それくらいシンプルな方がやりやすい、上等だっての、カス高舐めてんじゃねぇぞ影野郎ども!
マカジャマ=I」
剛毅に笑いつつ、透はシャドウの群れに相対して。
火球を放とうとしたシャドウに向かってクダンを呼び出して、魔法の発動を阻止した。
そこの隙を狙うようにシャドウの顔面にメリケンを叩きこみ、地面に叩きつけられた所を蹴り飛ばして他のシャドウにぶつける。
シャドウの行動の尽くを阻害して回りつつ、その隙を狙う立ち回りは、多対戦に置いては相手の連携を崩し案外にも良く働く。
と言っても、ペルソナに覚醒して間もない透には、ペルソナの発動の度に多大な負担が襲い掛かってくる為、長くは戦えないが。
>「ありがとう、逃げずに一緒に戦ってくれて。……本当に心強いわ」
清恵のその言葉に口で答える余裕はなく、それでも無言のサムズアップを還しつつ、シャドウを一体吹き飛ばした。
肺が痛い、視界が揺れる、嘔吐感が襲う、聞こえる音が歪んでいる。
覚醒直後に戦闘をしている負担は、徐々に透のポテンシャルを下げていき、次第にシャドウからの攻撃を捌ききれなくなっていく。
攻撃が体に痣を作り、頬の皮膚を裂き、シャツに裂け目を作り出す。それでも諦めずに、シャドウの顔面に拳を叩きつける。
「ち、ィ。数が多いし、俺は慣れてねぇし、清恵ちゃんも結構やられてるっぽいし……!
割りとこれ、ピンチじゃんかよオイィ!? ち……ッ、デビルタッチ!」
近づいてくるシャドウが来次第デビルタッチで恐慌状態に陥れて撹乱を続けていた透。
だがしかし、戦っている内に理解できたことがある。
己のペルソナ――クダンは、攻撃が極めて苦手である、という事だ。
清恵の様にアサルトダイブでシャドウを蹴散らしたり、ハンマーを振りぬいて吹き飛ばすようなことも難しい。
出来るのは、ひたすらに状態異常を叩きつけて、相手の行動の総てを縛り付けていくことばかり。
決め手に欠ける透は、ひたすら清恵をバックアップすることだけを考え、行動していたが、それもそう長くは持つまい。
何とかして闘争を止め、逃走のルートを探すべきかと思い始めた矢先に、
>「ッシィッ!―――――――――ッ!」
状態異常で隙だらけになったシャドウの横っ面を叩くように木刀が振り下ろされる。
めまぐるしく変わっていくこの状況に、透はしかし、思考を回すことを欠かさない。
二人ならば勝てないかもしれないが――三人居れば、勝てないまでも負けない事は出来るかもしれない。
(……感覚的に、後三回は使ったらぶっ倒れる自信がある。
んでもって飛び出してきた命知らずの兄ちゃんは、案外度胸はアリそうだ。
そんで、清恵ちゃんは結構火力がある、と……。こりゃ、ワンチャン、ワンチャンあるかもな……!)
>「おい! 聞きたい事とか言いたい事とか色々あっけど、取りあえず1つ! とっとと仕留めてくんない!?」
>「……透君? 貴男の知り合い?」
>「透君! それと、木刀の貴男も力を貸して!
> 奴等が体勢を崩している間に、“総攻撃”を仕掛けるわッ!」
「いんや、知らねぇけど――、こりゃ叩きこむしかねぇか。
清恵ちゃんは、あのアサルトダイブやらをぶっ込んでくれ、俺は風で内側に集めるからそこぶっ飛ばす感じで。
で、木刀の兄ちゃんは撃ち漏らしをとにかく何も考えずにぶん殴ってくれりゃいい!」
相手の言葉を受けて、深呼吸をして頭を軽く振ってオールバックを撫で付ける透。
そして、晶の方向を見て、に、と飄々とした笑みを浮かべて、無茶ぶりをし始める透。
だがしかし、ふたりとも消耗している今、ペルソナが使えなくとも人一人分と言うのは大きな戦力となる。
恐らく、二人ではきっと殲滅しきれないため、いきなり現れた晶にも、藁にもすがる思いで頼るしか無かったのである。
清恵と晶に視線を送り、頷いたのを確認してから、己の頭に召喚器を突きつけて、シャドウの群れを睨みつけた。
「行くぜクダン――ガル=I ガル=I ガル=I」
透のペルソナであるクダン唯一の攻撃スキル、ガル。
それに残りの力を注ぎ込み、次々と小さな竜巻をシャドウの群れに向かって叩き込んでいく。
外周から内側に弾きこまれたシャドウを追い込むようにして竜巻を動かしていき、一箇所にシャドウを集めていく透。
ぐらりと体が傾ぎ、頭痛と悪寒で視界がチカチカするが、最後に本当に最後の一撃を放つために、召喚器のトリガーを引いた。
「これ、で打ち止め……ッ、ガル<bッ!!!」
一点に集積されたシャドウの群れに向かって、最後のガルを叩き込んだ透。
竜巻ではなく一閃のかまいたちが空間を走りぬけ、数体のシャドウに深い切り傷を刻み込んだ。
声も出せず、そのまま負担で地面に崩れ落ちていく最中に、召喚器を取り落とした右手をシャドウに向けて、中指を立てて透は気絶した。
後の二人に、この後シャドウが殲滅しきれるかはかかっているだろう。
>「透君! それと、木刀の貴男も力を貸して!
> 奴等が体勢を崩している間に、“総攻撃”を仕掛けるわッ!」
無茶ぶりぃぃぃいいいいい! メガネっ娘からスッゴイ無茶ぶりが来た!
いや、無理無理無理! 総攻撃って何!? やめてくんない!? よく分からない無茶ぶりするの!
>「いんや、知らねぇけど――、こりゃ叩きこむしかねぇか。
> 清恵ちゃんは、あのアサルトダイブやらをぶっ込んでくれ、俺は風で内側に集めるか> らそこぶっ飛ばす感じで。
> で、木刀の兄ちゃんは撃ち漏らしをとにかく何も考えずにぶん殴ってくれりゃいい!」
無茶振りその2ぃぃぃいいいいい! 撃ち漏らした奴を叩けって簡単に言うけど!? こちとら一般人よ! 一般ピーポーよ!?
アンタ等みたいに不思議な力も無いただの人間だよ! ちょっと木刀を使うのが得意な普通のノーマルピーポーよ!
いやなんか爽やかに笑ってるけどさ! 不良のにーちゃん! これ笑い事じゃねーから!
>「行くぜクダン――ガル=I ガル=I ガル=I」
おおおおおおおおおお!? 何!? 竜巻!? 魔法!? くそうくそう! たった数分で俺の常識は木端微塵だどうしてくれんだ畜生め!
不良のにーちゃんはなにやら『がる』とかいう魔法? で化物共を一箇所に集めていく。
そして一か所に集めた化物にメガネっ娘は攻撃を仕掛けていく。次々に黒い液体を撒き散らし闇に雲散していく化物共。
あれ? これもしかしてもう俺の出番なくね? などと安心したのも束の間、一匹の化物がこちらに向かってすっ飛んでくる。
「ちょお! まっ! 危なッ!」
身体をギリギリ逸らせ、すっ飛んできた化物を回避する。
おそらく不良のにーちゃんが撃ち漏らしたというか飛ばす方向を間違えたのだろう。
壁にぶち当たってウゴウゴと蠢いてる化物に反射的に木刀で突きお見舞いする。
先程当てた仮面ではなく、背面からの一突き。初めて生きた何かを自身の手で突き刺す、という体験をしてしまった……。
突き刺さった個所からはタールの様などろりとした体液? が流れだし、そして次の瞬間、化物は闇の中へ蒸発するように消えていく。
化物とはいえ、こんな簡単に殺してしまってよい物だろうか。否、あそこで殺していなければこっちが殺されていた。
凍てつく様な寒さの中で、体温は上昇し、身体からは夥しいほどの汗が流れ出ている。
>「これ、で打ち止め……ッ、ガル<bッ!!!」
そんな中、不良のにーちゃんの声が廃工場に響き渡る。その声に振り向けば……目の前に巨大な手が広がっていた。
言わずもがな化物だ。無意識に木刀で受けの構えを取る。が、それは大きなミスだった。
化物と木刀が合わさった瞬間、ミシリと木刀が嫌な音を立てる。次いで今まで味わった事の無い圧迫感。
ヤバい! 受け流し、間に合わない! 拮抗状態も僅かして作れない……このまま、潰され……!
その判断が脳に降った瞬間、木刀を犠牲にして俺は横っ飛びにすっ飛んでいた。
次の瞬間、ズダン! と凄まじい音が廃工場を揺らす。何の音か理解するのに時間はかからなかった。
ゆっくりと起き上がる化物、その場所には粉々に粉砕された俺の木刀が無惨に転がっていた。
粉砕された木刀、目前には不気味で巨大な手……その巨大な手が、再び宙に浮き、大きく開く。
『押し潰される』、直感で分かった。木刀の中でもかなりの硬度の持つ白樫を粉砕する化物だ。こちらの全身を押し潰すなど苦も無いだろう。
あれ? もしかして死ぬ? ここで、こんな所で、俺の人生が終わる? そんなの……。
ふっざけんじゃねぇッ! 何か方法は! 何かこの状況を打ち崩す方法は!?
そう考えた時、コツリと硬い何かが手に当たった。それは先程気絶した不良のにーちゃんが取り落とした銃。
しかし、今はそれが何かと考える前に銃を手に取り、力強く顎部に押し付ける。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
それは自分の口から発せられたとは思えない程の獣の様な叫び声。
俺に不良のにーちゃんやメガネっ娘のようなやつが出せるとは限らない。しかし、ここで何もしなければ……待っているのは確実な死だ。
その行動が自身の生存本能が導き出した答え。そして俺はその引鉄を祈る様に絞った。
銃声が鳴り響いた瞬間、ドクンと音を立て心臓が脈を打ち、顔面を貫かれる様な衝撃が襲い、視界が黒く染まる。
しかしそれは一瞬の事、視界が戻った時には、俺から生まれ出たソレは2本の刀を十字にし、化物から俺を守っていた。
ソレの姿をどう例えればいいのか、肉体のみを言うのならば筋骨隆々の屈強な男性を連想させる。
しかしその風貌は異形、そう、まさに異形と呼ぶに相応しい。
赤紫の肌、2本の刀、鬼の様な醜悪な顔、昆虫の触角の様な長い角、蛇の様に身体に巻き付く桃色の装飾品。
どれもこれも見た者に恐怖と混乱を抱かせるに相応しい姿形。しかし、俺は不思議と恐怖も混乱も感じなかった。
それどころか、不思議と変な気持が湧き上がってくる。そう、『コレ』は俺の中にいた……。
「……ラクシャーサ」
思わずその名を呼ぶ。知ってる筈も無い、知りよう筈も無いその異形の名前。
その言葉に呼応するように、ラクシャーサは受け止めていた化物を弾き飛ばす。
今まで体験した事の無い頭痛、身体の倦怠感、眩暈、だけども俺は目の前に集中する。
目の前には不良のにーちゃんが最後の力を振り絞って吹き飛ばし切り傷を負わせた化物が多数。
頭痛を紛らわせるかのように片手で顔を覆い、そしてもう片方の手を兵に指揮するかのように前に突き出す。
「……ラクシャーサ! 『疾風斬』!」
ラクシャーサはその言葉に応え、刀をクロスに構え、前方に向かって斬り払う
その虚空の斬り払いから生まれた刀撃の衝撃波は不良のにーちゃんがダメージを負わせた化物達に次々と追い打ちを掛け、切裂いて行く。
闇に雲散していくシャドウを見ながら、それは俺だけの力だけでないことを悟る。
事前に不良のにーちゃんやメガネっ娘がダメージを与えてくれていたからこその結果だ。そうでなければ一掃することなど出来なかったはず。
グッジョブだぜ、不良のにーちゃん、メガネっ娘。
揺れる視界に写ったのは最後の一体、先ほど弾き飛ばした一体がこちらに向かってくる。
「切裂け! ラクシャーサ! 『キルラッシュ』!」
俺自身の最後の力を振り絞り叫ぶように自身の『分身』に命令を下す。
目にも止まらない高速の3連撃を繰り出し、化物の身体は6つに分断されそして闇に搔き消える様に雲散する。
その光景を最後に俺の意識はブツリとTVの電源を切ったかのように闇へと消えた。
意識を切る刹那思った事は、願わくば、目覚めたら日常の風景がありますように……。
>>66 >「わ、悪いけど私、自分を見られるのってあんまり好きじゃないから…。ほ、他の人に頼んでみたら?」
ですよねえ、と衣世は肩を落とした。海棠のような大人しくて目立ちたがらない女子が、こんな大胆な誘いに乗るはずがないのだ。
しかし。助け舟は思わぬ所からやって来る。
>「あーそれなら私を描いてください。いいでしょ?」
野中エミコ。興味津々といった風に二人の間に入る。
「…え? う、うん、そうだね。」
バイキンとあだ名されている所以が、衣世には分からない。彼女はあまりにも快活で気さくだった。不自然すぎるほどに。
>「さあ早く!美術室にいきましょ!あ、海棠さんも一緒にいきましょー!」
衣世は対照的な二人を交互に見比べる。
「無理言ってごめん。…でもついてきてくれるとこっちも助かるかな。私、あなたも描いてみたいんだ。気が向いたらでいいから。」
野中エミコが先頭に立ち、3人は美術室へと向かう。
■ ■ ■
さて、ここで困ったことがある。神部衣世は美術部に属していながらシュールレアリズムが何たるかを知らないのだ。
マシな椅子を二つ見つけて来客へすすめつつ、途方に暮れる。
先の誘い文句も、須佐野命の言葉をとっさに借りただけで深い意味はなかった。
野中エミコはやる気満々でスタンバイしているというのに、鉛筆を持つ手が迷いに揺れる。
洋ナシを顔に貼り付けた男や、くにゃくにゃになった時計でも横に添えれば、それなりに見えるだろうか。
そんな折。
誰かが、賑やかな雰囲気を伴って美術室に訪れる。それが誰か、衣世には振り向かないでも分かる。
二隻目の助け舟だ。
「須佐野さん、こっちです。」
現状をどう説明すれば良いものか。
彼女は久我浜清恵を尋ねてわざわざセブンズまで来てくれたというのに、随分おかしなことになっている。
全て衣世が撒いた種である。そして種からは芽が出る。
ここは適当に切り上げてモデルガンの秘密を探らなければならないが、海棠美帆のことも、野中エミコのことも、衣世は段々と知りたくなってきたのだ。
彼女達はジョーカーと本当に接触したのか、どうして野中エミコの性格は一変してしまったのか、
問いは後から後から湧き出てくる。それも筆先を鈍らせる一つの要因だった。
>>67 >「僕は須佐野 命。月光館の生徒だが今日は前衛的絵画のモデルとして来たんだ。ヨロシク!」
須佐野は二人に軽い自己紹介をした後、あるキャンバスを指した。
>「あれ、君には何に見える? 僕には天使を題材にした前衛的絵画に見えるんだが」
製作中は考えもしなかったが、完成した作品をよくよくみれば、聖書の挿絵に描かれている模範的な天使像は絵の中にはない。
それは確かに超現実的で、一般の感性が指す美しさとはかけ離れている。
シュールレアリズムは、題材の精神まで絵の中で表現しようとするから、現実を超えてしまう。ふと、そんなことを思った。
「天使ですよ、本当に。私を助けてくれた。」
初対面の人間にこのオカルトを披露するのは、慣れていた。
ただし、あくまで脚色を交えたイロモノとして捉えてもらうという前提があればこそ、笑いのネタになるというもの。
空想を真面目に話すほど、聞き手は薄ら寒さを感じる。
それを理解しながらも、半ば自嘲しながらも、神部衣世は話さねばならなかった。
なぜならば。
「…私は、この絵の物体をもう一度見たい。」
続けて言う。
「主治医は、もう一人の自分…『カゲ』、と言っていたけれど、先日、ほぼ同じ意味の『シャドウ』という言葉を聞いた。
その子なら何か分かるんじゃないかって思って探しているの。
今はまだ、久我浜清恵と言う名しか分からない。しかも今日は学校に来ていないみたいで、八方塞がりなんだけどね。」
野中は神部に勧められた椅子を自ら美術室の中央に持って行きそこに座った。
海棠は神部の斜め後ろ。背後霊のように椅子に腰を下ろす。
モデル野中を目の前にした神部は、今、何を思っているのだろう。
海棠は視線を彼女の指先に移した。
鉛筆を持った神部の指が揺れている。迷っているのだろうか。
紙を走る鉛筆の音が弱弱しく、室内は驚くほど静かだ。
でもこの静寂が心地よいと海棠は思う。時のなかに埋没してゆく感覚。
それは、深い海の底に沈んでゆく感覚にも似ていた。
しばらくして――
>「僕は須佐野 命。月光館の生徒だが今日は前衛的絵画のモデルとして来たんだ。ヨロシク!
多分今頃随分噂になってるだろうがまあアレだ、人の噂も75日!
そんな事よりイヨカン隊員は絵がすごく上手いから色々書いてもらうといい」
月光館の生徒が現れる。名前は須佐野命。神部とは知り合いらしい。
海棠は会釈をして、それだけで終わりにしようとした。
でも、野中が余計なことをし始める。
彼女は椅子の背に寄りかかりながら背伸びをしたあと…
「ちょっと休憩。…てか貴女もモデルなの?私の名前は野中エミコ。
そっちのショートカットの子は海棠美帆。よろしくね〜」
バカ丸出し。人の紹介までしなくてもいい、と海棠は野中をねめつける。
そんな折、須佐野はとあるキャンバスを指差して
>「あれ、君には何に見える? 僕には天使を題材にした前衛的絵画に見えるんだが」
と言う。それに神部は
>「天使ですよ、本当に。私を助けてくれた。」
と返した。
(助けてくれた?)その言葉がひっかかる。
>「…私は、この絵の物体をもう一度見たい。」
「……」
その願いはどことなく海棠と一緒だと思う。
天使に会いたい神部。ジョーカーに会いたい海棠。
>「主治医は、もう一人の自分…『カゲ』、と言っていたけれど、先日、ほぼ同じ意味の『シャドウ』という言葉を聞いた。
その子なら何か分かるんじゃないかって思って探しているの。
今はまだ、久我浜清恵と言う名しか分からない。しかも今日は学校に来ていないみたいで、八方塞がりなんだけどね。」
「もう一人の自分…」
海棠は思い出す。あの時ジョーカーが言った言葉を。
『おまえはペルソナの力を手に入れた。それはおまえに影のように付き従う、もう一人の自我。
おまえに新たなる力を与えてくれるだろう』
影。もう一人の自我。
何かが細い糸で、繋がっているように思える。
もしかしたら、この糸を手繰ってゆけば、
ジョーカーのもとへ行けるかもしれない。
しかし神部も言っている通り、肝心要の久我浜清恵の情報を海棠は知らない。
それならば仕方ない。久我浜が登校してくるのを何日も待っていよう。
海棠が、そんな消極的な決意を固めようとしていたその時だった。
「久我浜さんならこの前の夜、見た子がいたわ。男とどっかに歩いていったって。
でもね変なの。そっちのほうは寂れてて何にもないはずなのよ。はっきり言っちゃったらホテルも何にもないの。
あるのは廃工場だけ。それもお化けが出るって有名なところ。まさかこんな寒い季節に肝試しなんておかしいよね」
どこで手に入れた情報なのか、野中エミコが得意そうに語ってくる。
海棠は野中のその態度に目を見開いて…
「廃工場に男と一緒に歩いて行って今日も学校に来ていないってそれって事件でしょ!?
はやく警察に連絡しないとっ。それか親か先生に連絡して…」
思わず椅子から立ち上がってしまう。
「え、そう〜?もし違ったらどうするの?余計なお世話して久我浜さんに大迷惑をかけちゃうかもよ?
もしもそうなっちゃったら私なら悲惨ね」
海棠はしばらく沈黙。正直に言って自分には判断出来なかった。
かすかな希望は、明日になり、久我浜が何事も無く登校してくることだけだった。
「……ごめんなさい」
そういい残して海棠は皆に背を向ける。
見えかけた細い糸はどこか遠くへ消えかけていた。
>「ちょっと休憩。…てか貴女もモデルなの?私の名前は野中エミコ。
そっちのショートカットの子は海棠美帆。よろしくね〜」
「ん、ああ、よろしく!」
饒舌な方の少女は野中エミコ、大人しそうな方は海棠美帆というらしい。
しかしこの野中エミコという少女、何か違和感を感じる。
裏がありそうな明るさ、というか。
>「天使ですよ、本当に。私を助けてくれた。」
僕が絵の話題を振ると、イヨカン隊員が自らの体験を静かに語り始めたのだった。
荒唐無稽な話だったが、その表情は真剣そのもので――嘘や冗談を言っているようには見えなかった。
もう一度、彼女の書いた天使の絵を見つめる。
>「…私は、この絵の物体をもう一度見たい。」
>「主治医は、もう一人の自分…『カゲ』、と言っていたけれど、先日、ほぼ同じ意味の『シャドウ』という言葉を聞いた。
その子なら何か分かるんじゃないかって思って探しているの。
今はまだ、久我浜清恵と言う名しか分からない。しかも今日は学校に来ていないみたいで、八方塞がりなんだけどね。」
イヨカン隊員の言葉を聞いた海棠美帆が意味深に呟く。
>「もう一人の自分…」
シャドウ――確か、普段表に出ていない心の暗黒面を表す心理学用語だったはずだ。
もしかして、今話に出ているシャドウはそれが具現化した存在なのだろうか。
でも暗黒面が天使ってどういうこった!? とにかくオラワクワクしてきたぞ!
「よーし、イヨカン隊員の恩人の正体を解き明かそうじゃないか! 探検部の名に懸けて!」
もはや探検部というより探偵部だが、細かい事は気にしてはならない。
そこで、野中エミコが早速有力情報を提供してくれた。
>「久我浜さんならこの前の夜、見た子がいたわ。男とどっかに歩いていったって。
でもね変なの。そっちのほうは寂れてて何にもないはずなのよ。はっきり言っちゃったらホテルも何にもないの。
あるのは廃工場だけ。それもお化けが出るって有名なところ。まさかこんな寒い季節に肝試しなんておかしいよね」
>「廃工場に男と一緒に歩いて行って今日も学校に来ていないってそれって事件でしょ!?
はやく警察に連絡しないとっ。それか親か先生に連絡して…」
>「え、そう〜?もし違ったらどうするの?余計なお世話して久我浜さんに大迷惑をかけちゃうかもよ?
もしもそうなっちゃったら私なら悲惨ね」
>「……ごめんなさい」
すごすごと去って行こうとする海棠美帆を呼び止める。
「――待て!」
素早く回り込んで立ちはだかる。
「海棠さん、いや、カイドー隊員!
その子の事が心配なんだろう? 簡単な事だ。親や警察が駄目なら自分で行ってみればいい!
何を隠そう、僕の正体は月光館学園探検部部長、廃工場攻略はお手の物だ!」
「…………」
しばしの沈黙が流れる。
カイドー隊員は仲間になりたそうにこちらを見ている! ように僕の目には見えた。
――が、そう思って油断した隙に弾かれたように走り去ってしまったのだった。
おっかしいなあ、いかにも廃墟に行くつもりになったように見えたんだけど。
逃げてしまったものは仕方がない。
「いいんじゃない? 行ってみれば。まあ誰もいないとは思うけどね〜」
そう言う野中エミコが一瞬、ニタリと意味深な笑みを浮かべたように見えた。
まさかこいつが黒幕じゃないだろうな!?
もう一度改めて見てみる。冷静に見てみるとどこからどう見ても普通の少女だ。
「何? 顔になんかついてる?」
「いや、何でもない。確かに君の言う通りだが駄目で元々というやつだ」
言い切って、イヨカン隊員に向き直る。
「行こう。久我浜さんに会えれば君も恩人の正体も分かるかもしれない!」
視界に光が映る。
ちかり、ちかりと明滅する目に悪い水銀灯。
埃臭い空気を吸って、青年はこほん、と咳をこぼした。
「……やった、のか。
おい、清恵ちゃん――っていねェのな。どーしたんだか。
コレなら連絡先でも交換しときゃ良かったかなァ」
がりがり、と頭をかき回して。
茶髪のオールバックはもう乱れに乱れて何時もの伊達男然というか、インテリヤクザ風とでも言うべき風貌は只のヤンキーに成り下がっていて。
はぁ、と溜息を付きつつ、ベルトポーチから手鏡を取り出して、髪を後ろへと掻きあげる。
いつも通りのオールバックにして、眼鏡をメガネ拭きで吹くと同時に、深く息を吸って吐く。
先ほどまでの戦いは夢だったのだろうか、と思う。だが、夢ではない、そんな確固とした感覚が有る。
具体的には、近くに落ちていた清恵のモデルガン――召喚器が、それだ。
晶が己のそれを持っていることから、記憶を辿っていけば、眼の前に倒れ込んでいる青年もペルソナ≠扱った事を理解。
まずは、と清恵の召喚器を回収しベルトポーチに仕舞いこむと、透は晶の方向へと歩いて行き。
「……起きな、兄ちゃん。
こんなトコで寝てっと風邪引くぜ?
まあ、俺なんざもうこれ以上無ぇ位冷え切ってるから明日学校休むつもりだけどよォ。
ほれ、起きろっての、ほれほれ」
ぺしぺし、と晶の横に座り込みながら、頭をばしばしと叩いて起こそうとする。
その間もいつも通りに軽口はかかさず。
もし晶が起きれば、に、と皮肉げな笑みを浮かべて、良くやった二等兵、とでもいうことだろう。
灰白色の壁で囲われた病室と長い廊下が、今の須藤が生きるすべての世界だった。
廊下の突き当たりには守衛室。その突き当りの脇にはエレベーター。
白いスリップドレスの裾をひるがえし、リノリウムの冷たい床を素足でぺたぺた踏んで、
須藤は今日も病院内を散歩。廊下の途中には他にも病室のドアが並んでいたが
誰がいるのかはわからない。
「…いん…らけち」
呟いた彼女の声は妙に平板だった。
今日は一人でごはんをあげよう。
軽くステップして踵を返し、守衛室に併設された給湯室に足を向ける。
電気コンロと小さなシンクがついているだけの簡易キッチンと大きな棚で占拠された細長い空間。
「ちょっと待ってて」
壁にむかって囁き声をかけ、一旦その場を離れて、
爪先立ちで棚の上のほうにしまってある紙袋を一つ取る。
その中身は、守衛が内緒で調達して来てくれるポテトチップスだ。
「いただきまぁす♪」
そう言うと、須藤はぱりぱりとポテトチップスを食べ始め、
あっという間に平らげたあとに盛大なため息。
空っぽになったポテトチップスの袋に未練がましく視線を送りながら。
「こんなに美味しいものを自由に食べられないなんて何て不自由なの。
それにこんなところにいたって私の病気はよくならないと思う…。
日に日に痣だって大きくなってゆくし……」
悔しさで涙が込み上げてきた。
今まで願ったことはすべて叶えられてきたというのに今の自分は闇の中にいる。
いったいこの先どうなってしまうのだろう。どうしたらいいのだろう。
そう思うと目眩がして意識が遠のきそうになってしまう。
「そうよ…携帯。携帯があれば。また昔の自分に戻れるかも……」
須藤竜子は哀切な眼差しのまま、廊下を徘徊するのだった。
神部衣世、須佐野命のもとから早々に立ち去ってしまった海棠美帆は
どうして逃げてしまったのだろう、と後になってから後悔していた。
――極端な引っ込み思案。自分から行動を起こすことへの恐怖。
そのくせ、ジョーカーに対しては冷やかしのような態度をとってしまい
彼が願いを叶えてくれるという申し出を断ってしまっている。
変わってしまうことへの恐怖。天邪鬼。情けない。
海棠は電車から降りると、灰色の四角い口をぽっかりと開けている地下鉄の出口を見上げる。
(雨…)微かな雨音が、階段の壁に反響している。
これからどうしようかと途方に暮れながら濃灰色に濡れた足元の舗装階段に視線を落とす。
割り切れない気分のまま空を見上げる。
「はあ…」
ため息を吐いた。すると突然、携帯が鳴り出した。
久々に聞く呼び出し音。海棠はバッグから携帯をつかみ出しディスプレイに示されている発信者ナンバーを確認する。
もしかするとジョーカーかも知れない。だったらどうすればいい?
この電話にでたらどうなる……。
しかし発信元は知らない番号だった。
海棠は少し安心して通話ボタンを押した。
「海棠美帆さんだね?」
聞き覚えの無い男の声。
「あなたは?」
「名乗るほどの者ではないが、トーラスとでも言っておこうか。プリンス・トーラス」
変な電話だ。悪戯だろうか。切ろうとした海棠に、トーラスと名乗る男は素早く言った。
「切らないでくれよ。ジョーカー様からの呼び出しだ。今すぐにクラブ・ゾディアックに来い。
奥にメンバーしか入れない扉がある。君が来たらわかるようにしておく。その扉から三階に上がれ。
VIPルームで待っている」
「ちょっと待って…いったい何なの…」
一方的に喋って、電話は切れた。
悪戯?いや、電話の声は確かに「ジョーカー」と言った。
半信半疑だったが、海棠はクラブ・ゾディアックに向かった。
トーラスが言った通り、VIPルームへの扉は店の奥の目立たない場所にあった。
黒い服の男が扉のそばに立っていたが、海棠の顔を見ると何も言わずに開けてくれた。
廊下は赤い照明に照らされている。扉一枚隔てているだけなのに、フロアの喧騒がまるで届かない。
ややこしく曲がりくねった廊下を通って階段を上る。
三階の一番奥、重厚な扉を開いた瞬間、海棠は立ちすくんだ。
真紅の絨毯に革張りのソファ、大理石のテーブル。どこかの会社の重役室のようだ。
部屋には一人の人物。ソファにどっかりと腰を下ろしている。
黒いシャツに派手なネクタイの男。
「ようこそレイディ・スコルピオン。待っていたよ」
その声には聞き覚えがあった。電話をかけてきたトーラスだ。
しかし肝心のジョーカーがいない。騙されたと思った海棠の表情を読んだのかトーラスが言った。
「俺はジョーカー様に使える仮面党幹部だ。ジョーカー様はここにはいらっしゃらない。
あの方は滅多に人前に姿を現さない。よほどのことがない限り、仮面党の任務は我々で執り行う。
これまでは二人きりだったが……海棠美帆、君が三人目となる」
トーラスは上機嫌らしく笑顔を海棠に向けてきた。
「これで三つの星座が揃ったというわけだ。のこりはあと一つ。歓迎する蠍座のレイディ」
蠍座。あのとき確かに声を聞いた。蠍の星座を背負う者…と。海棠は蠍座の生まれだ。
「ともあれ、君は仮面党幹部としてジョーカー様に選ばれた。
今さら逃げ出すことはできないぞ。君はジョーカー様に理想を叶えてもらい、
その代償として忠誠をささげることを誓ったのだからね」
何も叶えてもらった覚えはない。海棠は自分には夢などないとはっきり言った。
それはジョーカーも承知しているはずだ。
「あの、仮面党の目的っていったい…」
「イン・ラケチの成就。イン・ラケチはマヤ語で『私は、もう一人のあなた』を意味する言葉だ。
そういう名前の幻の書物があるのさ。出版はされてないがね。イデアル・エナジーを集めて
人類を新たなる段階に進化させる。……それが仮面党の目的だ。
とりあえず、君にはこれを与えよう」
トーラスが差し出した掌の上に、手品のように青い物体が現れた。
海棠は息を呑んだ。それは青く透き通った髑髏だった。
「水の水晶髑髏だ。蠍座は水のエレメントに属する星座。
君はこの髑髏を、イデアルエナジーで満たせ。それがジョーカー様のお望みだ」
押し付けられるように海棠は髑髏を受け取った。
見かけの印象より軽い。ひんやりとした手に吸い付くような感触があった。
「君の最初の仕事は廃工場に行き、大型のシャドウからエナジーを奪うことだ」
「……シャドウ?」
「一日と一日の狭間の時間。影時間に現れるエネルギー体のようなもの、とでも説明しておこう。
それは満月の夜、午前0時に現れる。今回はジョーカー様の望龍術によって、
発生地点を前もって予測することが出来た。君にはそれを退治してその屍からエネルギーを奪ってもらいたいのだ」
「……あの、でも」
いきなりそんなことができるわけがない。ありえない。
海棠は俯いたまま、逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
しかしトーラスは黙ったまま、拳銃を突き出し…
「君も影人間の噂を知っているだろ?奴らが暴れだすことによって影人間が増加してしまうのだ。
君にはシャドウを倒す力がある。協力してくれないか?」
影人間のことなら海棠も知っている。最近、増えだした無気力な人たち。
魂を奪われてしまったような生きる屍。それにシャドウを倒す力。
トーラスはきっとペルソナのことを言っているのだろう。
海棠はしぶしぶ、トーラスの差し出している拳銃を受け取った。
「それはコルト・ポニー。その弾丸には魔の力が宿っている。
シャドウや魔物に効果的にダメージを与えることができるだろう。
そして勘違いして欲しくはないのだが、君はそれと似た形の召喚器を以前に預かっているはずだ。
それで君の人格を一時的に破壊することによって安定したペルソナを引き出すことができるはず」
ここまで話されて、海棠は呆れるのを通り越して笑いが込み上げてきた。
あまりにも現実離れした話に、そんなことが本当にありえるものなら逆に起こってほしい。
今の自分を取り囲む現実からふざけた世界にいけるものなら行ってみたい。
そう、あのジョーカーに電話した時と同じ。できるものならやって欲しい。そんな投げやりの感覚。
「わかりました。やってみます。今日の深夜零時。廃工場ですね」
ほの暗い笑顔でトーラスを見つめる。その仮面のような表情にトーラスは息を呑むのだった。
「た、たのんだぞ。レイディ・スコルピオン」
「……」
海棠は無言。踵を返しクラブ・ゾディアックをあとにする。
海棠は唐突に美術室を去って行った。
「ごめんね、野中さん。せっかくモデルになってくれたけど、今日はこれでお開き。絵は君にあげる。メアド交換しない?できたら連絡するからさ。」
鉛筆を筆箱にしまいながら考える。何か彼女の気に障ることを言ってしまったのだろうか。
自身の発言を省みるも該当するものは思い当たらず、それだけに余計先ほどの行為が心配になる。
>「行こう。久我浜さんに会えれば君も恩人の正体も分かるかもしれない!」
「ええ、隊長。……でもその前に、ちょっと準備運動しません?」
美術室の窓から見下ろすと、丁度昇降口から校門へと向かっていく海棠の姿が見えた。
「追いましょう、彼女のこと。今ならまだ間に合う。あの反応はきっと、私たちが追うものについての何かを知っている。」
自分でも驚いてしまうが、衣世は時々、こういう大胆な行動をとる。
「野中さん、あのさ、悪いんだけど、さっき渡したメアドから一定時間内に連絡が来なかったら警察に今までのいきさつを
連絡してほしい。私たちまで行方不明になったら洒落にならないからね、お願い。いつかお礼するからさ。」
それだけ言って、衣世は海棠が通った廊下に飛び出す。
探検部は急がなければならないのだ。
廃墟は待ってくれるが、海棠美帆は待ってくれないから。
■ ■ ■
「隊長。ここまでみたいですね。」
海棠が最終的に向かった先は、とあるビル。
「クラブ・ゾディアック?……クラブって、海棠さんそんな趣味があったのかな?ちょっと背伸びしすぎじゃないか…。」
疑惑の真偽はともかく、二人がその建物に入ることは叶わなかった。
しかたなく、衣世は彼女が消えた建物の位置や形状を目に焼き付けておくだけにとどめる。
腕時計を確かめると、もう子供が出回って良い時間はとうに過ぎていた。親には事前に友人の家に泊まると嘘をついておいたから問題はないにして
(さっきからうるさく光るケータイのサブディスプレイは無視だ)そろそろ目的地の廃墟に向かわなくてはならないだろう。
「例の喫茶店から歩いて行ける範囲にある廃墟は、たしかここから北へ向かった場所にある駐車場の、その先です。」
と言った後に、衣世は情けない声を出してうつむく。
「……その、須佐野、さん。ここまで来てなんなんですけど、私、実はというか、見た目のまんま、体動かすのが苦手で…。
何か出ても殴る蹴るの攻撃はからきしだと思うんです。ですから、もしもの事態の時はなるべく、逃げることを第一に考えましょう。」
>「ええ、隊長。……でもその前に、ちょっと準備運動しません?」
「準備運動……?」
>「追いましょう、彼女のこと。今ならまだ間に合う。あの反応はきっと、私たちが追うものについての何かを知っている。」
一瞬驚き、そして口元に笑みが浮かぶ。
もしかしたら最高の隊員をゲットしてしまったのかもしれないという歓喜の笑みだ。
思い返せば自ら探検部部室を訪ねてきたそもそもの最初から、その片鱗は見えていたのだが。
「イヨカン隊員……! そうだな、それでこそ探検部だ!」
僕達はカイドー隊員を追って走り出した。
♍ ♍ ♍ ♍ ♍ ♍ ♍
>「隊長。ここまでみたいですね。」
カイドー隊員はクラブ・ゾディアックという店に入って行ったのだった。
>「クラブ・ゾディアック?……クラブって、海棠さんそんな趣味があったのかな?ちょっと背伸びしすぎじゃないか…。」
「ゾディアック――黄道十二宮、か。こんな店があったとは。新店かもしれない。
残念ながら会員制らしい、いかに探検部でもつて無しでは入れないな。
ここは諦めて廃墟に行こう」
>「例の喫茶店から歩いて行ける範囲にある廃墟は、たしかここから北へ向かった場所にある駐車場の、その先です。」
ここに来てイヨカン隊員は心細そうにうつむく。
>「……その、須佐野、さん。ここまで来てなんなんですけど、私、実はというか、見た目のまんま、体動かすのが苦手で…。
何か出ても殴る蹴るの攻撃はからきしだと思うんです。ですから、もしもの事態の時はなるべく、逃げることを第一に考えましょう。」
「なんだ、そんな事か! 僕もこんなの持ってるくせに体育は得意じゃない。
ラノベの異能バトルじゃあるまいしいくら探検部でも現代日本で切ったはったの戦いになる事なんてないからな!
それでももしもの時は……逃げよう。もし正義の味方が化け物と戦ってても加勢せずに遠慮なく任せて逃げるぞ!」
イヨカンちゃんの手を取って堅いヘタレの盟約をかわした。
長年探検部をやっていても幸いな事にガチなバトルに巻き込まれた事は無い。
危ないのが確定しているところではなくいかにも怪しげで何かが出そうな所に行くのが探検部。
そして得てしてそんな場所に限って本当に危険な事は起こらない。
探検部に必要なものは運動能力よりも魔境に足を踏み入れられるだけの精神力なのだ。
そして僕達は廃工場にやってきた。やっぱりこういう場所はいかにも探検部って感じがする。
日常のすぐ隣にある非日常。この世のものではない何かが迷い込んできそうな雰囲気。
サークレットのヘッドライト機能のほのかな明かりで足元を照らしながら進んでいく。
誰もいる気配が無い事にがっかりしつつ、それでいいと思い直す。
仮に久我浜さんとやらが本当にここに倒れているとして、3日も放置されていたら……。
「おーい、誰かいるか〜?」
暗闇に向かって駄目元で呼びかけてみた
海棠美帆は廃工場の下見をすることにした。その場所はすぐにわかった。
有刺鉄線で周囲を囲われているが管理が杜撰らしく所々破れ目がある。
だから敷地内に入るのは容易だった。
(エミコの話じゃ幽霊が出るって話だったけど、シャドウとなにか関係があるのかしら…。
行方不明になってしまった久我浜さんも……)
人気のない建物のなかは、ひっそりとして肌寒い。
足音だけが高い天井にうつろに反響している。
窓は幾つかあるが、いずれも小さく、通路は暗かった。
だから、自宅から持ってきた懐中電灯の明かりだけが頼みの綱。
唾を一つ飲み込み鉄扉を開けて奥に進む。電灯の明かりで闇を照らす。
意外にも工場の奥は広かった。放置されたままの機材。
床には煙草と花火の残骸。やんちゃな中高生たちが侵入した痕跡だろうか。
反対側の壁は遠すぎて電灯の光は届かなかった。
(……もう、こんなところで戦わなきゃならないなんて)
ありえない、と肩を落とす海棠。
頭を振って不安を打ち消し、歩き出そうとしたその時、空気が震えた。
音は聞こえない。何者かが声にならない叫び声を発したような波動。
懐中電灯を前方に向ける。素早く前後左右に動かしたが、
視界に入ったのは積み上げられたコンテナだけだった。
「誰か、…いるの?」
もしかして須佐野、神部?そう思ったが海棠の声が小さすぎて返事はなかった。
トーラスの話では大型のシャドウの出現時間は午前零時。
まだ時間はあるはずなのに、嫌な気配がする。
神部と須佐野は工場の最奥に進んでいた。長い廊下を恐る恐るゆっくりと。
彼女たちが突き当りを何度か左に曲がると、その奥には鉄扉。
鉄扉を開けると錆びた鉄の臭いに混じって、かすかな腐臭が漂っていた。
おまけに瘴気も立ち込めている。視界に捉えたものが歪んで見えるほどの。
構内はただっぴろく、無数のコンテナが横たわっているのが見えるだろう。
右手手前には金属の手摺と地下への階段。左手奥には二階へと続く階段が見える。
そしてフロアの最奥には小さな光。海棠美帆の懐中電灯の光だ。
ここで、一旦帰宅した海棠と、工場内を数十分歩き回っていた須佐野と神部は
互い違いの入り口から同フロアにたどり着くこととなる。
>「おーい、誰かいるか〜?」
声に反応したかのように、かすかな物音がした。
二人の背後からだ。ガチャガチャと何かを打ち合わせるような音。
低い呻き声。笑い声。不気味な音が重なりあって響いている。
神部と須佐野は更にフロアの奥に進むしかない。
すると頭上から、空気を切り裂くような甲高い叫びが響く。
同時に何もなかったはずの空中に凝縮された影が出現する。
それは仮面を中心として、巨大な振り子と剥きだしの歯車を体とした巨大な機械仕掛けの化け物だった。
あろうことか振り子の重り部分は鋭い鎌で出来ており、どことなくギロチンを想起させる。
ゴーン!ゴーン!
鐘の音が鳴り響く。
回転していた仮面がぴたりと止まり神部と須佐野を捉える。
化け物が突進してくる。
それは背後の壁と鉄扉に激しく衝突。
――なんと敵はアサルトダイブを使用したのだ!
壁を破壊して、瓦礫の下となった大型のシャドウは、
歯車を回転させながら体勢を戻さんとしている。
誰にでもあるだろう。これが夢だったら良かっただろう、と。
ぺチペチと頬を叩かれる感触で目を覚ます。
「んがッ?」
しかし、誰にでもあるだろう。これが悪夢だったらどれほど良かっただろうか、と。
頬を叩かれる感触で
ゆっくりと無意識に左腕を天井に掲げる様に宙に浮かべる。
「……あぁ、夢じゃなかったのか?」
ぼんやりと誰に呟くでもなくその声を紡ぐ。頭痛も、倦怠感も、吐き気もまるでない。
目の前の不良のにーちゃんも最早あんまり気にならない。
廃工場を見渡しとき、粉々に砕けた自分の木刀が目に入った。
「……畜生……、やっぱり夢じゃなかったかぁ……」
手の形に凹んだ地面を見つめた時、自身の木刀が粉砕骨折に見舞われた事に落ち込む。
.
あぁ畜生、白樫の木刀が……シャガールのバイトでようやく買った一品が……。
白樫の木刀は良い物だと2万するんだぞ! 2万! はぁ〜、バイトしなおしかぁ〜……。
不良のにーちゃんを見つめて言葉を紡ぐ。
「正直、こんなことになるなんて夢にも思わなかった。……正直、夢ならいい……」
現実逃避に他ならないが、もうそれでいい……。
逃げよう、その一言を聞いて衣世はほっと胸をなでおろす。
須佐野は勇壮すぎる見た目とは裏腹に、用心深さ、慎重さも兼ね備えているようである。素晴らしい。
正義の味方が戦っていても逃げるという潔さに、衣世はうんうんとうなずいた。
手を握り合って熱い盟約を交わす二人の真正面に、廃工場が重苦しくそびえ立っている。
入って早々、後悔したことは、己の準備不足についてであった。
海棠美帆を追う時間があれば、懐中電灯の一つでも家から持ち出してくれば良かった。
廃工場の中は、夜道にもまして暗い。
ケータイのフラッシュをライト代わりにすればいいかと思ったが、電池パックは既に貧血気味なようだ。
もしもの時のために残量はキープしておきたい。
と困っていると、ふいに隣でぼやっとした灯りがついたので、ぎょっとする。
まさかもう幽霊さんのお出ましかと構えるも、違った。須佐野だった。
豆電球ほどの光が彼女の顔を浮き上がらせる。
「さすが、隊長は用意いいですね。あかりの方はこれで安心、と。」
須佐野命のサークレット・秘密機能その2:『微妙に光る』
大仏の額にある……白毫みたい!と思ったことは黙っておこう。
なにはともあれ、二人は進んでいく。
取り立てて障害のようなものはなく、落胆と安堵が入り交ざった複雑な気分だ。
道すがら、衣世はパッキリ折れた鉄パイプを拾った。
まさかの時のための護身用というより、周囲の蜘蛛の巣を払う為のハタキ代わりである。
その鉄パイプを前に突き出し、ふりふりさせながら長い廊下を歩く。
しばらくそうしていると、眼前に鉄扉が立ちふさがっていた。この階の探索は、この扉の奥で最後になる。
衣世は無言で取っ手に手をかけた。
フロアは広く、雑多なものがぶちまけられている。
意味不明なほど大量のコンテナが打ち捨てられていたり、窓ガラスが枠ごと外れ、破片が四方に飛び散っていたり。
>「おーい、誰かいるか〜?」
「いたら返事してー」
その声に呼応するように、遠くで光が揺れる。
「あ、あのシルエット、もしかして、か」
かいどうさん、と言い終える前に。
フロア中が、耐え難い振動音で満ち溢れる。
ソレを見て、衣世が取り乱さなかったのは、やはりある程度、”非現実的な物体”への覚悟と耐性が備わっていたからだ。
そしてその余裕が、今は恐怖している場合ではないと衣世を叱咤する。そのおかげでシャドウの突進にそくざに反応できた。
化け物の突進をすんでのところでかわした、というよりはあおり風を食らって吹っ飛ばされ、衣世は瓦礫とともに地面に投げ出される。
後方で盛大な破壊音がした。化け物は急ブレーキをかけられずに壁に激突してしまったのだろうか。
いいや、違う。
突進の目的は初めから二人ではなかったのだ。
「あいつ……逃げ道をふさぎたかったのか。」
海棠が入ってきた方の扉からここまでは、かなり距離がある。
先ほどの俊足を以ってすれば、あっという間に回り込まれて唯一の脱出口も同じようにつぶされてしまう。
(なんとか、しないと。)
起き上がろうと足に力を込めた時、ふくらはぎに激痛が走った。タイツの上から、深々と、ガラスの破片が突き刺さっていた。
「あー、やっちゃった。ったく、どうしてくれるのよ。」口いっぱいに広がる埃と血の味をあえて無視し、シャドウに向かって毒づく。
この傷口の深さと広さ、抜けば大量出血だ。そっとしておくほかない。
二人はどうしたろうか?
遠くにいた海棠はそもそも突進には巻き込まれていない。暗がりで確認する限り,須佐野も大事ないようだ。
どうやら大怪我を負った間抜けは自分一人だったらしい。
良かった。こんな状況でも、安堵が広がる。少なくとも三人の内、二人は助かる可能性がある…!
衣世は俄然冷静さを取り戻しつつあった。
瓦礫の中でもたついているところから察するに、アレは幽霊と違い、物理攻撃が効くようだ。
倒すまではいかなくとも、足を折るぐらいは、できる。
(私は人を救いたい。天使が私を助けてくれたように…!)
「須佐野さん。海棠さんを連れて逃げて。それから外と連絡してほしい。」
ポケットからケータイを取り出して、須佐野に握らせる。
「正義の味方にしてはちょっと頼りなくいですけど、時間稼ぎくらいはできるから。私、こんな足じゃ絶対追いつかれちゃうし、ね?」
鉄パイプを地面に引きずらせて、化け物に近づく。
一歩ずつ歩く毎に、肉にガラスが食い込む感覚。
衣世は無言でシャドウに鉄パイプを振り下ろす。
これでどうだとばかりに、同じところ、部品と部品の繋ぎ目の細い部分を打ち据える。
ガキン、ガキン、金属同士が発する冷たい音と連動して、両腕にしびれの波が来る。
手ごたえがあったのは最後の一撃だった。
硬質な物体が床とぶつかる音と同時に両腕が軽くなった。
「……うそ」
――先に折れたのは、どうやら鉄パイプだったらしい。
衣世の口元がひくっと痙攣する。
「なれないことはするもんじゃない、か。」
>「あ、あのシルエット、もしかして、か」
言葉の続きは、この世の物では無いような形容しがたい絶叫にかき消された。
振り子時計を連想させるような、機械仕掛けの化け物が虚空から出現する。
待て待て、RPGの中ボスかよ! ここ現代日本、そんな世界じゃないぞ!
そんな思考過程を経て、一つの結論にたどりつく。
「あは、あは、ははははは! ドッキリか! よく出来てるなあ!
誰が何のためにここまで大掛かりな事をしたのかとか、あまりに出来が良すぎじゃないのかとか
突っ込みどころは多々あるが、それについて考える暇は無かった。
化物が突進をかましてきたのだ。
「うをおおおおおおおおおおお!?」
華麗にかわすというには程遠く、半ば這いずるように逃げ惑う。頭上を化け物の影が通り過ぎていった。
そして化け物は壁に激突。瓦礫がくずれ、入ってきた入り口が埋まる。
>「あいつ……逃げ道をふさぎたかったのか。」
「お、おい! 誰だか知らないがいい加減にしろよ、ちょっと調子に乗り過ぎだぞ!」
唐突に、イヨカン隊員が僕にケータイ電話を握らせてこんな事を言い始める。
>「須佐野さん。海棠さんを連れて逃げて。それから外と連絡してほしい。」
>「正義の味方にしてはちょっと頼りなくいですけど、時間稼ぎくらいはできるから。私、こんな足じゃ絶対追いつかれちゃうし、ね?」
見れば、足に深々とガラスの破片が突き刺さっていた。
「イヨカン隊員……! 何を言っているんだ! 一緒に逃げようと約束しただろう!」
もう認めざるをえなかった。これはドッキリなんかじゃない、本当の本当に化け物が現れたのだ。
あれほど追い求めてやまなかった非日常は――いざ起こってみれば、ちっとも愉快なんかじゃなかった。
平和な現代日本で超常の戦いなんて起こる訳がない、
心のどこかでそう信じて疑わなかったからこそ、無邪気に面白おかしく非日常を追い求める事が出来たのだ。
イヨカン隊員は聞く耳持たず、勇猛に、無謀に、立ち向かっていた。何が彼女をそこまでさせるのだろう。
僕なんて足がガクガク震えている、流石ヘタレ、いや、おそらくこれが化け物に直面した一般人の通常の反応だ。
ここで僕が加勢に入るより、一刻も早く警察にでも電話して助けを呼んだ方が助かる可能性が高いのではないか――
そう思い、カイドー隊員の元へ走る。
「そんな所に突っ立ってないで早く逃げよう! 助けを呼ぶぞ……!」
しかし、カイドー隊員も逃げようとする様子は無い。
それどころか何か決意を秘めたような瞳で、手には銃のような形をしたものを持っている。
「カイドー隊員、お前もか」
呆れたような驚愕したような声で呟きながら、おぼつかない手つきでその場で携帯電話を開き119番にかける。
しかし、テレビで電波がきていないチャンネルを付けた時のようなノイズが聞こえるばかりで一向に繋がる気配はない。
「一体なんだってんだ……!」
数々の魔境に挑んできた探検部の部長が、いざ超常の出来事が起こってみれば一番の小市民だった――とんだお笑い草だ。
このまま一人で逃げ出してやろうか。そうしたって、常識の範疇を超えた状況下での事だ、誰も僕を責められやしない。
そう思っていた時だった―― 一際高い金属音が響く。
イヨカン隊員の持つ鉄パイプがぽっきりと折れていた。
>「……うそ」
>「なれないことはするもんじゃない、か。」
戦意喪失したイヨカン隊員から化け物が一端距離を取るのがスローモーションのように見える。
大技でとどめを刺そうとしているのだろう。
――私写生会に来ていて。よければデッサンのモデルになってくださいませんか。ちょっとお話しながら。
――その背中の剣、なんともカッコイイですね。
何年ぶりだろうか――もしかしたら初めてだろうか。背中の剣をかっこいいと言ってくれたのは。
僕を書いている時に彼女の楽しそうな顔といったら。
――天使ですよ、本当に。私を助けてくれた。
――…私は、この絵の物体をもう一度見たい
そうだ、イヨカン隊員はこんな所でくたばってはいけない。彼女は会わなければいけない、自らの恩人に。
それはもはや彼女だけではなく、探検部の次期活動目標でもあるのだ。
走馬灯のように回想している場合ではない、今ならまだ間に合う!
背中の模造剣を抜き放ち、イヨカン隊員のもとへダッシュする。
「我が探検部の大事な大事な隊員に手ぇ出すな! 探検部は万年人手不足なんだよ、分かってんのかぁあああああ!」
見た目だけそれっぽく剣を突きつけて宣戦布告。
このあまり知能の高そうではない化物が一瞬でも見かけに騙されてくれるならもうけものだ。
>「おーい、誰かいるか〜?」
「……ん、人がきたンかよ」
そう言って、小さく生きを吸って、吐く。
ふと気になって、己の携帯を取り出してみれば、時間が3日は飛んでいた。
はれ? と首を傾げる。何なんだ一体コレはおいおい、と頭を抱えて、己の傍らに己の分身の気配を感じて。
何となくだが、理解した。コイツが守ってくれていたのだと。
虚空に向けて拳を軽く振り、見えない己の分身と拳をあわせて、軽く頭を振って目を覚ます。
>「正直、こんなことになるなんて夢にも思わなかった。……正直、夢ならいい……」
「俺はワクワクしてるけどな。
――んでもって、どーやら夢でもねぇようだぜ?
第二陣のお出ましらしい」
二人して愚痴を言っていた所、轟音が響きわたって。
周囲の空間に嫌な気配が漂い始める。ああ、コレは――シャドウだ、そう理解できた。
透はかけ出した。迷うことはない、迷うはずがない。
コレはスクープだ、そして事件だ。事件に駆けつけないジャーナリストが居るはずがない。
だから走る、だから駆けつける。危険があろうと、迷いなく。
駆けつけた先には、三人の女子。崩れた壁、蠢くシャドウ。召喚器を構える女、剣を構える女、折れた鉄パイプを持つ女。
危機だ。勉強はできないが、思考速度だけは自信のある透は、即座に理解できた。
挑発をかます不思議な外見の少女の声に誘われ、一瞬シャドウが隙を見せる。
ぐるん、と体を蠢かせて、スサノの方向を向く。敵意を感じた、だが、相手はどうしようもない。
只の武器がそう効く相手でもない事は、透自信が良く知っているのだ。
ならばどうするか? 決まっている。
できることが有って、それをする意志が有るならば。行動するのみ。
何も出来ないのは、嫌だ――。腰のベルトポーチに手を伸ばし、鋼の感覚を指先で捕える。
捉えた瞬間に、腕を引き上げ、己のこめかみに硬質な冷気を突きつけて、歯を食い縛りながら――解き放つ=B
「クダン……、ガルッ!!」
スサノを向いたシャドウが横薙ぎの風に叩かれて吹き飛ばされる。
転倒したシャドウに向けて、一人の学ランが駆け抜けて、蹴りを倒れるシャドウの鼻っ面に叩き込んだ。
全力で鼻っ面に靴底を叩き込みながら、どう見ても不良の男は、三人に向けて叫ぶ。
「戦えねぇとか、度胸ねェとか、役に立たねぇ奴はさっさと引っ込め!
なんかできるやつはそこらの廃材でも鉄パイプでも持つなり、石投げるなりしてくんね!?
ちょいと、俺一人じゃどーしようもねェからよぉ!! だァ……ッ、デビルタッチ!」
ラッシュを叩き込みながらも、さり気なく状態異常を掛けて。
飛び跳ねるように皆からシャドウが距離を離す。
と言っても、作られた恐怖であるそれは、正気に戻るまでそう時間の掛からない浅い恐怖だ。
わずかに出来た安全な時間。その中で、誰がどう動こうとも、透は関知しないだろう。そんな余裕はない。
傍らに立つのは、血染めの和服を着て、牛の頭蓋を被った長身の男。
梵字の刻まれた両の腕をシャドウに突きつけ、何かの呪文をひたすらに呟き続けている。
これが透のシャドウ――クダン。未来を知り、人々に恐怖を与える謎の都市伝説の具現であり、透の分身だった。
「俺はワクワクしてるけどな。
――んでもって、どーやら夢でもねぇようだぜ?
第二陣のお出ましらしい」
そう言って不良のにーちゃんは轟音の元に微笑を湛えながら走り出していく。
おーう、シットナブル……。不良のにーちゃんの無駄に溢れるバイタリティは一体何なのか?
ていうか、現実逃避くらいゆっくりさせてくれよ。寝起き様に連戦? てか連戦って何? あの化物と連戦?
しばらく、ぼけー、とその場に座り込む。轟音が絶え間なく続き、工場はその度に老朽化した身体を揺らし続けた。
はぁ〜、現実感無ぇ、てかまったく無ぇ。だってこれ、この状況って『普通』じゃねえもん。夢の続き? あーそれなら納得。
パラパラと頭に降りかかってくる細かな金属片や埃。それを左手で払いながら右手を見つめる。正確には右手に握っていたモノを、だ。
それは銃の形をした金属の塊、ていうか銃そのもの。ひんやりとした金属の冷たい温度が現実的過ぎた。
その現実的過ぎる温度に、希望の夢の世界から絶望の現実に引き戻される。
「……あ、ダメだわこれ夢じゃねぇわ絶対」
呟くように言いながら、ゆっくりと立ち上がり辺りを見回す。床に落ちていた鉄パイプを拾い上げおぼつかない足取りで歩を進める。
「……あー畜生、もー畜生、きー畜生、まー畜生……」
ブツブツと呪詛の様に呟きながら幽鬼の様に歩く歩く歩く。昔近所で見た酔っ払いがこんな感じだったのを覚えている。
酒を飲むとこんな気分になるのか、なるほどなるほど。最低で最悪だ。こんな気持ちになるなら酒は飲むまい永遠に。
轟音は響き続ける、その轟音に混じって僅かに何かを切り裂く風の音も聞こえる。そして、いつしか俺はその場にいた。
>「戦えねぇとか、度胸ねェとか、役に立たねぇ奴はさっさと引っ込め!
なんかできるやつはそこらの廃材でも鉄パイプでも持つなり、石投げるなりしてくんね!?
ちょいと、俺一人じゃどーしようもねェからよぉ!! だァ……ッ、デビルタッチ!」
先程の不良のにーちゃんに、3人の女の子、うち1名は我が校の(悪い方の)有名人だ。
しかし、その人物たちは今重要じゃない。重要なのは……あの時にみた化物とは違う『化物』の方。
例えるなら機械仕掛けの玩具、いや玩具と言う割には悪趣味だし危険過ぎるしなにより、デカすぎる。
だが、そんな化物を前にしても不思議と恐怖は無かった。というよりも、完全に麻痺していた。
……確かに、自らの好奇心でこの異常な世界に両足をぶち込んだのは認めよう。だが、あまりに、あまりに……。
「理不尽だろうが……!」
頭の中で何かがブツンと切れる。右手に持っていたソレの銃口を怒り任せに顎に押し付け、再びその引鉄を絞った。
脳が焼ける様に熱い思考が赤に染まる。全ての感情を焼け尽くす様な怒りがそこにあった。
「……来いッ! ラクシャーサ! 切り刻め! 『キルラッシュ』!」
まるで俺の怒りを代行するかのように赤紫の悪鬼は『化物』向かって疾駆し、その身体に2つの刀で連撃を叩き込む。
不良のにーちゃんの使った状態異常の回復前に不意打ちを浴び、怯む『化物』。だけどまだ、俺の気は収まらない。
「まだ、だ! 手を緩めるなラクシャーサ! 『キルラッシュ』! 『疾風斬』! 『キルラッシュ』!」
切って切って、刻め刻め! あぁ、畜生! まったく気が収まらねぇ、苛つきが止まらねぇ!
俺の自業自得が入ってるとはいえ人様の日常をぶっ壊しやがって化物が! 壊れろ! もっと壊れろ!
俺はこの時、完全に我を失っていた。巨大な化物相手に単身で突っ込む愚かさを分かっていなかった。
化物には多少のダメージが通ってはいるのだろうが、これぐらいで倒れるほど化物はヤワではない。
さらに我を失った俺の単調な太刀筋を読み、避ける様になりつつあった。一方の俺は、呼吸は乱れ、徐々に疲労していく。
この時点の戦況で決着は着いていた、化物の勝ち、だ。……ただ、それは俺が1人だったなら、の話だが。
すさまじい破壊音。同時に埃っぽい風が海棠の全身を撫でる。
そう、今まさに、ペルソナ使いたちと大型のシャドウとの戦いの火蓋がきられたのだ。
海棠美帆は唇を噛んだあと、前方にゆっくりと歩む。
その後驚愕。向こうから走ってくるのはスサノミコト。
その後ろには、脹脛から大量の血を流しながら一人、シャドウと奮戦している神部衣世。
(そっか、二人を巻き込んじゃったんだ…)
二人に危険を伝えておけばよかった。そう思っても後の祭りだ。
それ以前に海棠は、二人の携帯番号を知らない。
後悔先に立たず。あとから気付いたって意味がない。
海棠は震える手で、ウエストポーチから召喚器を取り出す。
>「そんな所に突っ立ってないで早く逃げよう! 助けを呼ぶぞ……!」
逃げたい、助けを呼びたい、それは海棠も同じ気持ちだった。でも今逃げたら神部は……。
スサノの声も上の空で、海棠は召喚器を握ったまま。
その瞳には鉄パイプを失い狼狽している神部の姿が映っている。
なんとかしないと。そう思った矢先、今度はスサノが剣を掲げ、シャドウに挑まんとしていた。
その姿に海棠は戦慄する。このままでは二人は死んでしまうだろう。
すると頭のなかに言葉が浮かび上がる。
かつて自分がジョーカーに言い放った言葉が…。
(私は何もかもが終わるまで、ぼーっと見ていたい。ただそれだけ)
だとしたら、この化け物が終わりの始まりだとしたら、終わると言うことはそんなに生温いことではないのだ。
「いったいなんなのよ、ジョーカーはっ。こんな仕事を私に押し付けるなんて!」
独語して、生唾を飲み込む。
自分にペルソナという不思議な力があるのなら、今使わなければ。
召喚器をコメカミに向けて構える。――でも少し怖かった。
自分の心の奥底に眠る、慟哭の主の正体はいったいなんなのだろう。
――ガワン!突如金属音。目を瞠る海棠。
シャドウは横薙ぎの風に叩かれ吹き飛ばされていた。
続けざま人影が駆け抜け、倒れたシャドウの鼻っ面に蹴りを叩き込む。
シャドウの無表情な仮面に靴底を叩き込みながら、どう見ても不良の男は、三人に向かってこう叫ぶ。
>「戦えねぇとか、度胸ねェとか、役に立たねぇ奴はさっさと引っ込め!
なんかできるやつはそこらの廃材でも鉄パイプでも持つなり、石投げるなりしてくんね!?
ちょいと、俺一人じゃどーしようもねェからよぉ!! だァ……ッ、デビルタッチ!」
オールバックのメガネは春日高校の生徒らしい。それもペルソナ使い。
牛の頭蓋を被った和服の男を傍らに従えている。当然、彼を詮索するのは後まわし。
なぜならシャドウは、中務のペルソナ、クダンの術により正気を失っているからだ。
この好機を絶対に逃すわけにはいかない。海棠は引き金にかけた指に力を込めようとする。
そのときだった――
>「……来いッ! ラクシャーサ! 切り刻め! 『キルラッシュ』!」
目に映る赤紫の奔流。硬質な音とともに闇に散る火花。
それは宙で踵を返す。その見返った様はまるで悪鬼。
>「まだ、だ! 手を緩めるなラクシャーサ! 『キルラッシュ』! 『疾風斬』! 『キルラッシュ』!」
切って切って、刻め刻め! あぁ、畜生! まったく気が収まらねぇ、苛つきが止まらねぇ!
俺の自業自得が入ってるとはいえ人様の日常をぶっ壊しやがって化物が! 壊れろ! もっと壊れろ!
コンテナの横。発狂したかのように男が自身のペルソナに命令を下している。
制服から月光館の生徒とわかったが、彼らは仲間なのだろうか。
わからない。わからないことだらけ。ここにきてペルソナのオンパレード。
もしかして召喚器さえあれば誰でもペルソナ使いになることが出来るのだろうか。
このままあの人たちでだけでも勝てそうと海棠は期待した。
しかし、巨大な機械の化け物は倒れなかった。
鬼の形をしたものがあれだけ打ち据えたら動物の象だって瀕死になるはず。
自動車さえも大炎上することだろう。どうやらあれは普通の代物ではないのだ。
海棠は、帰ったらトーラスに問い詰めなければならないと思う。
私を殺す気だったのか、と。
視線の先の風祭はすでにふらふら。シャドウも体勢を整えつつある。
唇を噛んでいる海棠の顔はぎゅっと小さくなった感じだった。
姿勢も悪く首をすくめて萎縮していた。引き金にかけた指も小さく震えている。
だが、もう戦うしかないのだ。 ここには逃げる理由よりも戦う理由のほうが多い。
何はともあれ、この行動の先にはジョーカーがいる。
海棠にはあの悲しげに俯いた仮面の男が忘れられない。
意を決し思いっきり深呼吸。
「……来たれ。ペルソナ!」
叫び声と同時に体が青い光に包まれた。引き金を引くと同時にガラスの割れるような硬質な音。
空気が震える。聞くものの精神を破壊するかのように轟く甲高い咆哮。
緩やかに揺れる海棠の黒髪。スカートの裾。青白い光が渦潮のように彼女を中心に渦巻いている。
渦の中心からは口元しか見えない長い髪の女が浮かび上がってくる。
美しい衣を纏い、フランスの貴婦人のドレススカートよろしく大きく膨らんだ下半身で海棠を包み込んでいる。
そう、これが海棠のペルソナ「オトヒメ」だった。海神の娘。海底という異界の住人。別れる定めの女。
「これが…私のペルソナ…お、オトヒメ?」
ペルソナの青く優しい光に包まれながら、ペルソナの声を聞いたような気がした。
オトヒメは神部の傷を治せると心に語りかけてくる。そのスペルの名はディア。
なので海棠は神部の元へ駆ける。
「あの、神部さん。…ごめんなさい。私、不器用だから…」
オトヒメの手が神部の脹脛に刺さったガラス片を引き抜くと
その指先からきらきらと輝く飛沫が優しい雨となって傷口を潤す。
そして神部の傷口はもののみごとに塞がった。
海棠はまっすぐに神部の顔を見ながら彼女に召喚器を差し出す。
そう、まるで形見でも手渡すかのように。
「これ、召喚器って言うの。ピストルみたいな形をしてるけど弾は入ってないよ。
これを自分に向けて撃ってみて。もしかしたら貴女もペルソナを呼び出せるかもしれない。
これで貴女が会いたいって言っていた天使様を呼び出すことが出来るかもしれないわ」
そう言って海棠は二人の前に盾となって、ポーチからもう一つの武器、
正真正銘のピストルをシャドウに向かって構えた。
トーラスからもらった魔物に効果のあるというコルトポニーというピストルだ。
「ごめんね。スサノちゃんも。なんとか貴女たちだけは逃げられるようにするからね」
撃鉄をあげる。銃口をシャドウに向ける。
「そこの人どいて!」
ラクシャーサのペルソナ使いに向かって叫ぶ。
その後、発砲。弾丸はシャドウの体に命中はしたようだが
跳ね返る無数の金属音の反響とともに虚しく虚空に消えた。
海棠の額には冷や汗が流れる。トーラスのコルトポニーで魔物を倒せるなんて嘘。
まったく効果がなかった。本当に彼に嵌められたのでは、と思ってしまう。
「なにか、他に出来ることってないの!?」
オトヒメに問いかける。するとオトヒメはアクアという術が使えると答える。
もちろん海棠にだけ聞こえる心の声で。
それは例えたら強力な水鉄砲なのだと無意識にイメージが流れ込んでくる。
「だったら今すぐ使うから!」
シャドウに向けてオトヒメと海棠が同じ動きで指をさす。
ペルソナの指し示した指先にはエネルギーが凝縮。
狙いを定めたあと、それは一気に解き放たれる。
「アクア!」
水の気が迸る。一直線にシャドウにめがけて。
「アクア!…アクア!」
立て続けに二撃三撃。二撃目を喰らったシャドウは大きく体勢を崩している。
もう一撃でダウン。そう思っていた。しかし――
…マハラギオン!!
火炎で視界がいっぱいになる。
「きゃああああああ!!」
オトヒメが悲鳴をあげる。
透明なスカートの内部にいる海棠にも体が焼ける痛みが伝わってくる。
気絶しそうな激しい痛みが伝わってきて、その場に膝をつく。
これはオトヒメのウィークポイント。火炎の力。
そう、シャドウは火炎系の術を使用したのだった。
崩された体勢がゆっくりと自重で復活。 鉄の脚部が轟音とともに床に叩きつけられる。
さらにシャドウはぎこちない動きでアクアの水撃で濡れた床をガシャガシャと這ってくる。
その一方でマハラギオンで生み出された炎は生き物のように壁、天井に這い上がっていた。
下は洪水、上は大火事。まさに生き地獄。
しかし、シャドウの体も亀裂だらけのようだ。
あと一押し出来さえすれば、必ず殲滅することが出来るだろう。
覚悟した一撃はいつまで経っても訪れない。
はて・・・。衣世はのろのろと頭を上げ、周囲を確認しようとした。
周囲の闇はいよいよ濃い。その中で、複数人の何かが動き、喚いている。
その形を人と認め、その声を聞けども、衣世は茫然自失の体でその場から動かなかった。
いや、動けなかった。
タイツが血を吸いきれず地面に滴り、足下には血溜まりが広がっている。
もう、終わりなのだろうか。くらくらする頭が、諦めを許容し始めた時。
>「あの、神部さん。…ごめんなさい。私、不器用だから…」
優しい声。静かな声。どこかで聞いたことがある声。
だれ、と聞こうとして、自身の声帯が震えない事に今更気づいた。
ひどく優しい手つきで傷を撫でられる。
ガラスが引き抜かれるなんともいえない奇妙な感覚は、決して苦痛ではなく、むしろ身を委ねたくなる快さに似ていた。
これが慈雨、というものなのだろうか。流れ出た血の代わりに、オトヒメのもたらした雨水が体内を巡る。
緩やかに、視界が色を含みだす。
心配げな顔をしたカイドウが衣世の顔を覗き込んでいる。
「海棠さん…あ、あなたが私を…?」
助けてくれたの、と尋ねる前に、彼女はまた語りかける。
>「これ、召喚器って言うの。ピストルみたいな形をしてるけど弾は入ってないよ。
これを自分に向けて撃ってみて。もしかしたら貴女もペルソナを呼び出せるかもしれない。
これで貴女が会いたいって言っていた天使様を呼び出すことが出来るかもしれないわ」
今の海棠には有無を言わせぬ凄みがあった。自分に限ってそれはありえない、と反論しようとしたが、思わず口をつぐんだ。
彼女はそれだけ言った後、シャドウの元へ向かった。
春日山の生徒と月光館学園の生徒が、善戦している。背後に奇妙な物体を従えて。
彼らがこうして戦ってくれているから、無力な衣世は今もこうして息をしている。
そして、その戦闘の中に、海棠が加わろうとしていた。
衣世は手渡されたモデルガンをまじまじと見る。
思えば、この不気味な武器がきっかけだった。現在こんな緊迫した状況に置かれているのも、元はといえばこいつのせいだ。
しかし、到達点のはずのそれが自身の手中に収まっているにも関わらず、コトは何も解決してはいないのだ。
(>これを自分に向けて撃ってみて。)
撃鉄を起こす。雷管が強かに打ち付けられる。
破裂音は鼓膜を破らず、そのかわりに脳内で膨大な数のイメージを爆発させた。
ちがう、わたしはもういい。
わたしはもう充分、救われた。だから、次は、
(あ・・・くら・・・しえる
・・・・・・アクラシエル)
「――アクラシエル、私に光を。」
体から透明な何かが駆け、頭上を突き抜ける。羽ばたく音が聞こえる。風を感じる。光が撒き散らされる。
天使を監視する天使。地を戒める天使。
あの時となんら変わりない。金属とも陶器ともつかぬ無機的な肌面に、自身の光を反射させて浮遊している。
彼の両腕には二挺の長槍があった。それを見た途端、先ほどと同じく、聞いたことのない単語が頭の中にふっと沸く。
衣世は躊躇いもせず叫んだ。
「お願い、アクラシエル、ハンマ!!」
アクラシエルは微動をだにせず、一際明るい光を以って答となした。
それは聖なる枷だ。シャドウを苛む光鎖は絶え間なく敵の胴体を締め付ける。
本来、ハンマとは戦闘序盤に先制する技なのだろう。
時間が経つにつれその煩わしさは無視できない脅威となるが、反面、決定打に欠ける。
ことクライマックス間近の現状においては、申し訳程度にしかならない。
…無様だ。衣世は自嘲する。
このシャドウを断罪する資格は、今のアクラシエルと衣世にはないのだ。
次にお前が担うべき役目は何だ。アクラシエルは問うた。
衣世は、無言で利き手の召還器を見た。
ダレカから海棠美帆へ、海棠美帆から神部衣世へ。そして次は。
衣世は大剣を掲げる少女をまっすぐ見る。
「あれれ隊長、逃げるんじゃなかったんですか?」
須佐野に向かって冗談めかして笑う。しかし内心は、見捨てないでくれた感謝で満たされていた。
あの時彼女が啖呵を切ってくれなければ、今頃衣世の頭は胴体と繋がっていない。
非日常へ皆を誘った召還器は、また新たなペルソナを生み出そうとする。
「隊長…。見せてください、探検部の意地を。終わらせて下さい、この騒がしい戦闘を。」
ダレカから海棠美帆へ、海棠美帆から神部衣世へ。神部衣世から須佐野命へ。
かくして召還器は手渡された。
挑発が功を奏し、シャドウがこちらを向く。
その途端に、一瞬だけ忘れていた恐怖が甦ってくる。僕はこんな玩具の剣で何をしようと思ったのか。
あと数秒の後には殺され、その後イヨカン隊員も殺されてしまうのだろう。
結局彼女の寿命を数秒延ばすことしか出来ないのだ。
僕が彼女をそそのかしたから、こんな事に巻き込んでしまったのだ。本当に馬鹿だな……。
目を固く瞑り、全てを投げ出し諦念に甘んじようとした時だった。
>「クダン……、ガルッ!!」
勇壮な声が響く。駆け抜けた一陣の風の余波が前髪を揺らす――。
目を開けるとシャドウが吹き飛ばされていて、そこにいたのは――メガネミーツメガネのあの少年だった!
牛の頭蓋を被った血染めの和服を着た男を従えている。明らかに尋常の存在ではない。
あれはきっと、超常の化け物と戦う力を持った何か――都市伝説に謳われるペルソナというものなのだ。
>「戦えねぇとか、度胸ねェとか、役に立たねぇ奴はさっさと引っ込め!
なんかできるやつはそこらの廃材でも鉄パイプでも持つなり、石投げるなりしてくんね!?
ちょいと、俺一人じゃどーしようもねェからよぉ!! だァ……ッ、デビルタッチ!」
>「……来いッ! ラクシャーサ! 切り刻め! 『キルラッシュ』!」
>「まだ、だ! 手を緩めるなラクシャーサ! 『キルラッシュ』! 『疾風斬』! 『キルラッシュ』!」
もう一人の少年が加勢に現れる。
すごい……すごいすごいすごい! こんな展開アリ!?
いつの間にかペルソナを呼び出していたカイドー隊員がイヨカン隊員の脚を治療し、攻撃に加わっていた。
>「アクア!…アクア!」
容赦ない連続の激流放射に対し、化物も必死なのか、大火力魔法(?)を放ってきた。
炎が炸裂し、辺りが炎上する。
「頑張れ、もう一息だ!」
異能者続々登場という予想外の事態に、僕はすっかり観戦モード、もとい応援モードに入っていた。
すると、横で――
>「――アクラシエル、私に光を。」
現れたのは、あの絵に描かれた天使。恩人に会いたいというイヨカン隊員の願いは、思いのほか早く叶ったのだ。
それはそうと、イヨカン隊員お前もか――! 聖なる光の枷が敵の胴体を締め上げる。
もう勝てるくね? これはもう気配を消して戦闘が終わるまで待とう、そうしよう。だがしかし。
>「あれれ隊長、逃げるんじゃなかったんですか?」
>「隊長…。見せてください、探検部の意地を。終わらせて下さい、この騒がしい戦闘を。」
――気付かれた! そして手渡される召還器。いやいやいや、漫画じゃないんだから!
偶然集まった人全員が異能力者でした! なんて展開があるわけ……いや、ある…のか!?
ここまで非常識な事が立て続けに起こっているのだから、今更もう一つ非常識が付け加わったところで何ら不思議ではない。
何より、この流れに乗ってみせねば探検部部長の名がすたる! 半ばヤケクソで召喚器をこめかみにあて、引き金を引いた!
「来たれペルソナ! 何でもいいから出てきやがれぇええええええ!!」
果てしなく遠く、限りなく近い場所から声が聞こえてくる――
『何でもいいからとは失礼な。少女よ、力が欲しいか?』
「欲しい!」
『封印した真実と向かい合う覚悟はあるか? ならばこれを見よ!』
それは、短い手紙を前に泣きわめく幼い少女。
――ごめんね、好きな人が出来ました。お父さんのいう事をよく聞いて仲良く暮らすのよ。
あれは幼い日の僕。砕け散る、偽りの記憶。
そうだった――形見の剣、なんて真っ赤な嘘。母さんは死んではいない。
記憶の中で勝手に、取り立ててお話にもならない痴話話を、絵になる美しい悲劇へと作り替えていたのだ。
封印された真実と言うからにはどんな恐ろしい事かと思えば、生きているのだからむしろ喜ぶべき事ではないか。
ギャグのようなオチに、我ながら笑ってしまう。
「フフ、そう、か。そうだったな……。見たぞ、約束だ――僕に力を貸せ。来い、”スサノオ”!!」
『言われてみればちょっとショボい真実だったな……。しかし約束は約束だ。よかろう――汝の願い、聞き入れた!』
頭の中で硝子が割れるような音が響く。偽りの記憶を打ち砕き、その向こう側から現れた者は――
どこかスーパーロボットのようにも見えるデザインの勇壮なる鎧武者。
基調とするは、海の青と闇の黒。その手には桁外れの大剣を携えている。日本神話に名を刻むトリックスター。
海神にして冥府の王。高天原を追放された筋金入りの問題児にして、豊饒の姫君を大蛇から救った英雄――。
ここに来て新手として現れた僕”達”を前に、シャドウがけん制するように再び大火炎魔法を放ってくる。
僕は弧を描く様に剣を一閃した。
「――"赤の壁”!!」
スサノオが僕の動きに連動するように剣を振るうと、周囲に水の防御壁ができ、灼熱の火炎を防ぐ。
“アメノムラクモノツルギ”――神話において素戔嗚尊が大蛇の中から見出したと言われる聖剣。
その剣で草を刈りとると、その中には炎が入って来られなかったという。
間髪入れずに反撃に出る。
「次はこっちの番だ――”スラッシュ”!!」
模造大剣でそれらしくテキトーに空を斬った! スサノオが僕の動きをトレースし、シャドウに斬りかかる。
緻密な計算も巧みな技も何もない、ただ一刀両断のもとに切り伏せるだけの単純この上無い攻撃が炸裂する!
本来なら、十全の状態の敵を倒す事なんて到底できないショボい攻撃だろう。
しかし先達達の死闘のおかげで、相手には相当な累積ダメージがあるに違いない。果たして――!?
>「……来いッ! ラクシャーサ! 切り刻め! 『キルラッシュ』!」
>「まだ、だ! 手を緩めるなラクシャーサ! 『キルラッシュ』! 『疾風斬』! 『キルラッシュ』!」
正気を失って激情のままにラクシャーサを召喚し、攻撃を叩きこみ続ける晶。
加勢は確かにありがたかったが、あの連発は良くない。それだけは間違いなく透には理解できた。
興奮状態に有った思考が、晶の行動によって一気に冷え込んで、ぐぐ、と周りの時間が遅くなったような感覚を覚える。
走馬灯だろうか。一気に危機が近づいてきた感覚から、透は生命の危機を感じたのだろう。
ぐぐっと圧縮された感覚の中走りだして、晶の首根っこをひっつかんで後ろに引っ張る透。
「熱くなりすぎんなッ! なんか連発するとすっげー疲れるから少しは考えろ!」
どちらかと言うと強面気味の透は、声を張り上げて晶を叱りつけた。
効果的に攻撃を使うならばいいが、無駄撃ちをするならば撃たないほうがマシだ。
そして、まだ会って間もないとしても一度共闘した相手だ。死んで欲しくはない。
だからこそ透はキレた。そして、声を張り上げた後に深呼吸して、眼鏡を指先で治して、シャドウの方を向く。
「あー……、どーしてこうなったかねぇ。
まあ、良い。――こうなった以上やるしかねぇし、やらなきゃ死ぬし?
だったらやるっきゃねェ。……カス高、舐めんなよ。鉄屑」
シャドウに対して、中指を立てて堂々と宣戦布告をする透。
肝が座っているとも言うが、やはり理知的っぽく見せてもこの青年もカス校の生徒だった。
だが、その度胸が無ければこの絶望的状況で、目の前に立ちはだかることなんてそうは出来ない。
(……啖呵を切ったは良い。だが結局、どうしたもんか。
ガルじゃきっと意味がねぇ。吹き飛ばせるだけまだ上々だけどあの鎌鼬程度であの鉄板刻める気はしねぇ。
だとしたら、オレはあいつにダメージを与える方法が無い、って事になるな。
晶は消耗、オレの攻撃は効かねぇ、清恵ちゃんは行方不明。八方塞がりじゃねえか)
やたらと早く回る思考をオーバークロック。CPUの性能は良いがOSは時代遅れな頭脳を回すが、叩き出される結果は絶望。
それでもまだ、何か手は無いだろうか。そう思いちらりと周囲を見回した。
その瞬間だ。己の背後からその声が響いたのは。
>「……来たれ。ペルソナ!」
引き金が鳴る。何かが砕け散る音が続く。
後ろを振り向けば、そこには人の形をしていながら人ならざる者が居た。
その名は、オトヒメ。何かの本で読んだ覚えが有った。もしかしたら父親のオカルト雑誌かもしれない。
それで怪我をした少女を直しているのを見て、透は迷いなく引き金を己の頭に向けて引いた。
「――デビル、タッチ!」
また、相手の恐怖を煽る術を発動すれば、傍らには全身に梵字を刻んだ牛頭蓋の男が現れる。
手を翳しながら聞き取れぬ言葉を口元でつぶやけば、大型シャドウの動作は数秒の間震えながらも停止する。
そうした生まれた隙で治療を終えた海棠は、ピストルをシャドウに向けて構え、発砲。
だがしかし、弾丸は分厚い金属を貫通することなど無く、なんらダメージを与える様子は見られなくて。
>「アクア!…アクア!」
銃弾が無意味であったシャドウに対して、海棠はペルソナを召喚し、水弾を連射していく。
だがしかし、それでも即座にやられることはなく、また――炎で海棠に反撃を放つ。
膝を付く海棠を見て、あと一歩だというのに攻め手を失ったこの状況に透は歯噛み。
精神力を絞り出してペルソナを召喚し、もう一度デビルタッチを発動。隙を作った上で、走りだす。
「ちょいと失礼するぜ!?」
と、返答をまたない問いかけの後に、透は海棠を肩に担いで走りだす。
健脚である透は自分の全力で走り、火の舌から逃れ、海棠を床に下ろし、息を吐く。
また前線に戻ってやろう。そう思った瞬間に、近くから女の声が響き渡った。
>「お願い、アクラシエル、ハンマ!!」
光の鎖が、一気にシャドウを縛り付けたのだ。
一時的にシャドウの動きを掴んだアクラシエルと、それを召喚した神部に感謝。
ごつん、とメリケンサックを打ち合わせて透は手に握る召喚器に力を込めた。
後ろでは神部が召喚器を変な格好の女に手渡していて、その女は叫び声を響かせながら引き金を引いた。
>「フフ、そう、か。そうだったな……。見たぞ、約束だ――僕に力を貸せ。来い、”スサノオ”!!」
現れたのは、異様な巨体。そして、握りこむ巨大な剣がまるでギャグ化のように目立っていた。
赤の壁で炎は防がれるが、広域の火炎はさらに燃え広がっていく。
止めは任せよう。だが――バックアップくらいはやらせてくれよ? と口元で小さく呟き。
大型シャドウの次撃の前に透は己の頭に銃を付きつけ、引き金を引いた。
「吠え面かいてろ、鉄屑が――――マカジャマ」
火炎は終息する前に霧散して、魔法は発動する前に潰れてしまった。
生まれたのは、しようとした行動が封殺されたことに因る、致命の隙。
その隙を付くようにボディに生まれた隙間にスサノオの大剣の切っ先は伸びていって――――?
シャドウの火炎攻撃を受け、ペルソナ「オトヒメ」の内部には無数の水泡のようなものが噴出。
それはまるで水のエナジーが沸騰しているようなイメージだった。
海棠を守っていたオトヒメは身を悶えながら消滅してゆく。
そう、オトヒメは耐久性に優れているペルソナであった。
しかし弱点をつかれてしまえば至極脆いものなのだ。
(もう、情けないっ。こんなんじゃ…足止めにもなってないってば……)
膝から崩れ落ちた身体は気絶寸前。ふらりと崩れ落ちてゆく。
ああ、だめ。全身に力が入らない。このままでは頭を床に打ち付けてしまう。
そう思った次の瞬間――
>「ちょいと失礼するぜ!?」
身体を支えられた。次に持ち上げられた。整髪料の匂いが鼻腔をくすぐる。
(もしかして、オールバックのメガネくん?)
海棠を肩に担いだ中務は、安全な場所に移動すると優しく床に下ろしてくれた。
それはとても意外な行動で海棠には信じられなかった。
昔、海棠がメガネをかけていた時、クラスメイトの男子たちは
みんな揃って海棠のことをメガネザルとバカにした。
それは不良と呼ばれる人達だけではなく、普通の子も含めてクラスの男子全員だった。
だけどこのインテリヤクザ風な少年は、その見た目とは違って海棠を助けてくれたのであった。
「…あ、ありがと」
床にへたれこんでいる海棠は少年を見上げながら言った。
すると神部の声が響きわたる。そう、彼女は逃げていなかったのだ。
>「お願い、アクラシエル、ハンマ!!」
神々しい光を纏い、両腕に二挺の長槍を持った天使が光鎖でシャドウを縛り付けている。
あれが神部のペルソナ「アクラシエル」なのだろう。
神部の心のように美しいペルソナ。それでいて何か強い意志を秘めているようなペルソナだった。
(まさかと思ってはいたけど、本当にペルソナを出しちゃうなんて)
だが海棠は、もう一度驚くことになる。
>「フフ、そう、か。そうだったな……。見たぞ、約束だ――僕に力を貸せ。来い、”スサノオ”!!」
「う、うそよ!!あの子までペルソナを…」
もうなんて表現すれば良いのだろう。ほとんどノリのようなもの。
でもスサノの生み出したペルソナは異様な巨体を誇っていた。
だから海棠は、その巨体が張りぼてではないことを祈る。ただなんとなく。
それでもシャドウはスサノオを怯むこともなく、火炎攻撃を再び発動。
それに応戦するかの如くスサノオは赤の壁を生み出しシャドウの火炎を防御。
次に大剣を構えながらシャドウに突進。
目標のシャドウは光鎖に拘束されたまま沈黙しているかのようだった。
だがそれは諦念からの沈黙ではなかった。
シャドウの内部は高エネルギーで臨界点にまで達していたのである。
それは、ここにいる誰も気付いていないであろう危機であった。
しかし――
>「吠え面かいてろ、鉄屑が――――マカジャマ」
シャドウの魔法が発動する刹那、中務が封殺を展開。
その隙を突くようにスサノオの大剣が、シャドウの身体を突き破る。
大型のシャドウ。その金属の身体に深々と突き刺さるスサノオの大剣。
ラクシャーサの連撃による多くの裂傷。
ハンマにより拘束され、マカジャマにより封じ込められたシャドウのエナジーは、内部で逃げ場を失い、
さらに今まで外側から受けた圧力に耐え切れないとばかりに、爆発とともに傷口から噴出する。
大剣をトリガーとして内側から完熟した石榴のように翻るシャドウ本体。
溢れ出た金属の部品は、まるで肋骨のようだった。
ふと気がつけばポーチの中の水晶髑髏が青白く発光していた。
そうだ、イデアルエナジーを回収しなければ。
取り出した水晶髑髏を目の前に掲げる。
するとシャドウの残骸から幾条もの光が、光線となって水晶髑髏に吸い込まれていった。
それはまるで、人の魂のようだった。おまけに海棠が奪っている感じ。
今までにあの機械のシャドウが集めていたものを強奪している感じ。
としたらあれはこの廃工場で、何かのエネルギーを集めていたのかもしれない。
海棠は、とある噂を思い出す。この廃工場は昔、処刑場だったということ。
貧苦に喘いで一揆を起こした農民たちを大量に殺戮した場所であり
謀反の際には、士族が同じ場所で大量に殺された曰くつきの場所だということを。
(長居は無用かも。かなり火もまわってきちゃったし)
「神部さん、スサノちゃん。みんな、早く逃げましょう!動けない人はいないよね?」
自分なりに大声で叫んで、海棠は廃工場から脱出した。
(とりあえずは、任務完了ってとこかなぁ…)
徐々に心が落ち着いてくる。いい意味でも悪い意味でも。なので海棠はまた無口になった。
あんな風に最後にシャドウのエナジーを吸い取った自分を皆はどう思っているのだろうか。
やはり普通じゃないと思われるのだろうか。でもそんなことを言ってしまえば、みんな普通ではないのだが。
海棠は小さなため息を吐く。今、目の前にある問題は山積みだった。
彼らのもつあの召喚器は、ジョーカーから渡されたものなのだろうか。
それと行方不明の久我浜清恵は何処に?海棠は近くにいた風祭にむかって恐る恐る話しかけてみる。
「あのぅ…、さっきは助けていただいてありがとうございました。私、海棠美歩って言います。
あなたたちもペルソナ使いだったなんて驚いてしまいました。とてもかっこよかったです。
そして質問があるんですけど、あの廃工場で久我浜清恵さんって女の子を見かけませんでした?
わたしと同じ七姉妹学園の生徒なんですけど。それと貴方たちが持っていた召喚器って、どうなされたのですか?
もしかして、ジョーカーから授かったものだったりして?」
首をかしげて覗くように少年の顔を見上げる。月明かりを浴びた彼の顔はいたって普通。
普通過ぎるほど普通だった。あの悪鬼のペルソナを内に秘めているとは思えないほどに。
見上げれば、夜空には不気味なほどに光り輝く巨大な満月。それはビルを背景にぽっかりと浮かんでいた。
それとは逆に、街並みに生み出された巨大な影は深く、その影は黒で黒を塗りつぶしたかのような漆黒。
踏み外してしまえば、奈落にでも堕ちてしまうと錯覚するほどに、その闇は深いのであった。
【シャドウ殲滅。その後、廃工場から脱出】
【帰りの道すがら風祭さんに、久我浜清恵さんを知らない?その召喚器はどうしたの?と質問】
今思えば、俺は激昂状態になっていたんだろうと思う。いや、てか多分そうだ。
でなければあんな自殺未遂的な行為をそう簡単に犯すわけない。
俺の攻撃をギリギリでかわす化物に対し、さらに怒りを露にしながら攻撃を加えるべくラクシャーサに指示を出そうとした瞬間のことだった。
首を掴まれる衝撃に襲われた。さらに、その衝撃は俺の首を掴んだまま後ろへ引っ張る、いや引っ張る、なんて生易しいものじゃなかった。
だって俺の足の裏、軽く宙に浮いてたもん! なんだ!? あの馬鹿力!?
何にしても誰にしても急に首を引っ張るなんて常識はずれな事をしやがったのは誰―――。
>「熱くなりすぎんなッ! なんか連発するとすっげー疲れるから少しは考えろ!」
と、文句を言おうと思ったら、俺のほうが文句を言われたでござる。
「・・・・・・お、おう」
強面のにーちゃんに怒鳴られた為、少々たじろぐ俺。いや、ビビってないよ、うん、全然、ちょっと驚いただけ。
なんてふざけた考えが頭を過ぎった時、急に身体全体を疲労が襲う。今まで体験したことのない疲労感だ。
思わずよろけた身体を手に持っていた鉄パイプを支えに何とか立ち直させる。
なんだ? この疲れは・・・・・・今までのどんな疲労感にも類しない。まるで自分の生気を根こそぎ持っていかれたような。
>「そこの人どいて!」
思案に耽る暇もなく、女性の声が工場内に響き渡る。
『そこの人』って俺、か―――って、おいおいおい!
思わず豪快に脳内で驚いてみる。いや、身体は硬直しているんだうけども脳内はパニック状態だ、だって。
拳銃ぅぅぅぅぅ!? あれマジもんの拳銃ぅぅぅぅぅう!?
「おうぅぅぅぅぅぅわ、あっぶねぇぇぇぇぇぇぇぇぇえっ!?」
とっさに出た俺自身の悲鳴に弾かれる様にその場を退避する。鈍色に光るその物体に己の持っているソレ以上の脅威を感じたからだ。
一瞬の後に訪れる発砲音と着弾音。やべぇアレマジでマジもんだよ。ヤクザとか極道とか暴力団とかそういうのが持ってるモンだよアレ。
>「アクア!」
先ほどの銃刀法違反な女性の声だろう。銃刀法違反に似合わない凛とした美しい声が響き渡る。
巨大な化物に一直線に放たれるのは圧縮された水の塊、その威力たるやとても水とは思えないほど強く、そして破壊的だ。
>「アクア!…アクア!」
1撃、2撃3撃、つるべ打ちに放たれる水の弾丸、その破壊力に化物の巨大な身体が揺らめき倒れる、と思った刹那、それは放たれた。
辺り一面を燃やし尽くす炎の一撃、もはやそれは恐ろしいというか、美しかった。
すでにこの状況で俺は半ば夢を見ている感覚に陥っていた。いや、だって無理ねえよこの状況は。
>「――アクラシエル、私に光を。」
>「お願い、アクラシエル、ハンマ!!」
その言葉に呼応するかのように光の鎖が化物を締め上げ、そして・・・・・・。
>「フフ、そう、か。そうだったな……。見たぞ、約束だ――僕に力を貸せ。来い、”スサノオ”!!」
>「次はこっちの番だ――”スラッシュ”!!」
でかい大剣を構えた鎧武者がその剣にて化物を突き破る。どうやら勝負有り、のようだ。
そろそろ脳内での突っ込みも諦めていい頃だろうか、ていうか無理てか絶対無理。突っ込みが追いつかない。
全ての思考を丸投げし、大の字に倒れる。このまま朝まで眠りたい気分だったが、この大惨事の状況じゃそうもいかないだろう。
>「神部さん、スサノちゃん。みんな、早く逃げましょう!動けない人はいないよね?」
凛とした銃刀法違反の女性の声に、俺は大げさに溜め息を吐き出すと鉄パイプを杖代わりにして立ち上がる。
へーへー、行きますよう、実は動けなさそうなんですけどねー、と・・・・・・。
「ん? ・・・・・・なんだこりゃ?」
ふと、鉄パイプの手触りに違和感を感じた俺は先ほどまで自身が握っていた場所を見て、思わず声を上げた。
先ほどまで俺が握り締めていた箇所が、握り形にへこんでいる。
・・・・・・俺が? ・・・・・・いや、まさかな・・・・・・まさかだよな? 俺、『普通』だよな?
自身の顔をぺたぺた触る。自身が、あの悪鬼と同じ顔になっていないか確かめる為に。
自身の掌をしっかりと見つめる。自身が、あの悪鬼と同じ肌色をしていないか確かめる為に。
結果、どちらとも問題無いようだ。そりゃ、そうだよなぁ。
>「あのぅ…、さっきは助けていただいてありがとうございました。私、海棠美歩って言います。
あなたたちもペルソナ使いだったなんて驚いてしまいました。とてもかっこよかったです。
そして質問があるんですけど、あの廃工場で久我浜清恵さんって女の子を見かけませんでした?
わたしと同じ七姉妹学園の生徒なんですけど。それと貴方たちが持っていた召喚器って、どうなされたのですか?
もしかして、ジョーカーから授かったものだったりして?」
と、ふいの言葉に我に返る。
気付けば銃刀法違反の女性(海棠 美歩という名前らしい)がこちらを覗き込むかのように質問を投げかけていた。
分からない言葉や聞いた事あるが知らない言葉や人名が脳内を行き来する。
『ペルソナ使い』? 『久我浜 清恵』? 『召喚器』? 『ジョーカー』?
よく分からない事だらけだが、海棠さんは現在の状況において少なくとも自分よりも知識が上なのが理解できた。
「あー、海棠さん。・・・・・・悪いけど、1つづつ整理しながら答えさせてくれるかな?
・・・・・・とりあえず、分かることから。俺の名前は風祭 晶、制服で分かるだろうけど月光館学園の高等部」
よしここまではOK。半ば自分で確かめるように自己紹介を始める。
「で、あー・・・・・・その久我浜さんって何かこう、三つ編みで真面目そうなメガネっ娘の事であってるのか?
彼女なら少なくとも俺が一時気を失ってる間にどっかいったみたいだよ?
てか、その辺はあの不良っぽいにーちゃんのほうが詳しいだろうね。不良っぽいにーちゃんの方が俺より先に起きてたから」
そこで一旦、言葉を区切り、疲れ顔から真面目顔にシフトする。こっちにも聞きたいことがしこたまあるんだ。
「それで、質問を質問で返すようで悪いんだけど質問していいか?
『ペルソナ使い』って何? 『召喚器』って何? 『ジョーカー』って誰?
つか、俺の身体に何が起こった!? あのデカい化物は!? 俺から出た鬼みたいな奴は何!?」
最初は冷静に質問していた筈だったが疑問と自身の身に起こった不条理にその声はだんだんと大きく乱暴になる。
まてまて、落ち着け。冷静に、そうだ落ち着け。何もかも海棠さんが知ってるわけじゃないんだ。
荒ぶっていた呼吸を落ち着ける為に大きく息を吸い、そして吐く。
「・・・・・・悪い、取り乱した。だけど、本当に分からないんだ。何もかもが。
だから頼む、教えてくれ。今何が起こってるのか、あの化物は何者なのか」
自業自得、身から出た錆、といえど知らなければならない。理解しなければならない。
知らなければ、理解できなければ、一生それらは、異常のまま、なのだから。
海棠の質問に、風祭は質問で返してくる。
その様子は激昴、とまではいかないが、冷静さを失っていた。
そう、彼は自分の身に起こった不条理に、激しく苛立っている様子だった。
>「・・・・・・悪い、取り乱した。だけど、本当に分からないんだ。何もかもが。
だから頼む、教えてくれ。今何が起こってるのか、あの化物は何者なのか」
疑問いっぱいの風祭の顔。
彼の剣幕に押され、言葉を失っていた海棠ではあったが
ふと我に返ると質問に答え始める。
「えっと。ほんとのところ私にもこの街で何が起きてるのかなんてわからない…。
でもさっき私たちが倒した大きな化け物はシャドウって言うらしいわ。
私はそいつを倒してイデアルエナジーを奪えってジョーカーたちに頼まれたのよ。
あ、ジョーカーって言うのは仮面党のトップ。イン・ラケチを成就したいって言ってる可笑しな仮面の男。
私は彼にペルソナの力を与えてもらったの。さっき見せた力がそう。
そして彼らが言うには、召喚器はペルソナを安定した形で呼び出す道具なんだって…」
そこで海棠は一旦言葉を区切ると、こんなことを信じてくれる人がいるのかと不安を抱く。
しかし、話を続けなければ話は進まない。おずおずとまた口を開き言葉を紡ぐのだ。
「だから貴方がペルソナを使っている姿をみて、私は貴方たちのことを不思議に思ったの。
そして冷静に考えてみて、貴方も召喚器を持っているってことは、私と同じ仮面党なのかなって思ったのよ。
でも貴方はジョーカーのことを知らなかった。ということはどういうことなの?」
暫しの沈黙に、道端の雑草が風で揺れる。
夜の涼しい空気が、どっと海棠の胸に流れこんでくる。
耳を澄ませば、遠くから聞こえてくる電車の音。
「もしかしたら召喚器ってピストルと同じで、入手ルートさえ分かったら
誰でも簡単に手に入れられるものなのかもね。うん。たぶんそう」
吐く息が白かった。海棠は自分を納得させるように呟くと、マフラーで口元を隠す。
こんな風に沢山の人と、ましてや男の子と道を歩くなんて何年ぶりのことだろうか。
もしかしたら初めてかも知れない。少しドキドキしながら海棠は歩調を速めるのだった。
海棠、須佐野、中務、風祭。
彼らの連携は荒削りだが思いの外隙がない。全員で個の不足を補いあっているからだ。
「……お見事。」
呟いてから気づく。これではまるで、高みの見物を決め込んでいる観客の台詞だ。
事件の当事者には自身も含まれている。だから、『彼ら』ではなく『私達』。
炎に照らされるシャドウの残骸を見つめながら衣世は思いを改める。
(アクラシエルに会えた。敵を倒せた。私は生きている。なにより全員が無事に揃っている。)
うん、と一人で頷く。これは自分で自分を大絶賛しても良いぞ、と。
>「神部さん、スサノちゃん。みんな、早く逃げましょう!動けない人はいないよね?」
「騒ぎが大きくなると人も集まってしまうものね…って、集客力はもう十分すぎるか、ここ。」
誰かの通報を聞きつけたのか、遠くからサイレンの音が聞こえる。どうやら珠間瑠市の消防署は優秀なようだ。
出火原因は明らかに自分達であり、本来ならば責任をもって消火活動に当たらなければならないところだが…
ここら一帯は閑散としており人家に飛び火する心配は、ひとまずの所考えずとも良い。
それに、『立ち入り禁止の廃墟、大人数で火遊び』学校に知らされれば停学どころの騒ぎではない。
もう留年は勘弁でございます、とばかりに首をすくめ、衣世は海棠の言葉にそそくさと従った。
五人は炎逆巻く廃墟から首尾よく脱出し、且つ、駆けつけた消防隊にも運よく見つからなかった。
■ ■ ■
皆は目的地もなく歩いている。その行為は移動の為というより、今までの恐怖や驚きを整理する為の時間だった。
戦闘の興奮を体内から外へ逃し、柔らかな日常へ戻る用意だ。
ふう、とため息を一つつき高ぶった神経を沈ませる。
傍で風祭が怒涛の威勢で質問を次から次へとぶつけていた。
衣世自身分からないことだらけで彼と同じく色々聞きたいことはあったが、ここで彼女を囲んで質問責めにするのは可哀想だと思った。
大人しく順番待ち、である。
手持ち無沙汰な衣世は体にどこか異変がないかチェックすることにした。
かすり傷の多少、口の中の切り傷。打ち身。どれも大したことはない。帰ったら入念に消毒しよう。
そして…衣世は恐る恐る足に手を伸ばしてみる。ガラスでえぐってしまった部分に。
(……おどろいた。)
綺麗なものだった。血を拭ってみればスっと赤いラインが一本引いてあるだけで、ほぼ完治と言っていい。
ペルソナの力とはなにも攻撃するだけに限ったことではない。
衣世は再確認する。こうやって誰かを救うことだって可能なのだ、と。
それは、アクラシエル、貴方にもできることなのか?心内で彼に問いかけてみる。
しかし衣世の影に身を潜める半身は、沈黙を保ったままだった。
早々に諦めて、今度は忘れ物をしていないかを確かめることにした。
火事の現場で警察に見つかれば、しょっぴかれること間違いなしだ。最悪の場合は、そう――
嫌な想像をしながらポケットを手で抑え、そこで気づいた。
「あ、そうだ、須佐野隊長。私のケータイ返して下さいませんか?」
シャドウに襲われた際、とっさに彼女へそれを渡したのだった。あまり意味は無かったが。
そして、受け取ったケータイを見て、一言だけ唸った。
「あう。」
>「・・・・・・悪い、取り乱した。だけど、本当に分からないんだ。何もかもが。
だから頼む、教えてくれ。今何が起こってるのか、あの化物は何者なのか」
>「もしかしたら召喚器ってピストルと同じで、入手ルートさえ分かったら
誰でも簡単に手に入れられるものなのかもね。うん。たぶんそう」
「す、すみません」
真顔で推理をする二人に向かって衣世は恐る恐る挙手をしてみる。
「ジョーカーって人が、その、仮面党のお偉方で海棠さんの上司で…ペルソナの謎を解くキーパーソンなんだよね。
私このままじゃモヤモヤしっぱなしだし、今からでも突撃したいところなんだけど…なんだけど」
息つく暇もない戦闘から一転して、また戻れた日常。
その、かけがえのない日常の為に、恥ずかしいのをこらえて、衣世は言わなければならなかった。
「私、もう、帰んなきゃ、ヤバい!」
実のところ、サイレントモードにしていたケータイのサブディスプレイは光りっぱなしだったのだ。
親だ。
心配性の親だ。
高校生にもなって門限なんぞ決める心配性の親だ。
「風祭さんも中務さんも三日間も倒れていたってことは、
周りの人がすっごく心配していると思います。警察に捜索願だされてるかもしれない。
早く安心させてあげないと。夢崎はこのごろ物騒になってきているらしいし。
それに海棠さんも須佐野さんも女の子なんだからこんな夜遅く出歩いちゃダメだよ!同じ方向なら一緒に帰ろう!」
衣世を急かすように、ケータイがまた光る。
柔らかな日常を迎える前、神部衣世はどうやら関所を一つ越えねばならないようだった。
110 :
白道 睡蓮 ◆8TVszTHdWeSI :2013/03/13(水) 00:24:53.57 0
一方その頃……廃工場内にて。
「うっひゃー、これまた派手にやったッスねー!ルーキーってのはどこも元気いっぱいってのは通説なんスかねぇ?」
未だ火の手が収まらない廃工場。そこに彼女は居た。
髪の色は薄い茶色、身長は低く顔は幼い。
雪の様に白い猫耳フード付コートに身を包むその姿は年齢には不相応だった。
「それにしてもルーキーってのはまだまだ荒が多いッスねぇ。
ま、しょうがないっちゃあしょうがないのかもしれないスけど、無駄が多過ぎッスよ、ねぇ?」
廃工場の有様を見て、彼女は呟く。まるでそこに居る誰かと話をするかのように。
と、その時。
「そこの君!止まりなさい!」
彼女の背後に声が掛かった。お世辞にも友好的とは言えない怒声にも似たその声。
彼女はゆっくりとその声の主の方向に向き直る。
その先に居たのは近隣の通報を受け、いち早く駆け付けた2名の交番勤めの警察官だった。
今この状況はとても運の悪いものだった。いや、運の悪い、で片付けられるものではない、災厄、と言ってもいい。
無論、彼女にとってではない。駆け付けた2名の警察官にとっての話だ。
目深にかぶったフードの奥の瞳を見た瞬間、2人の警察官は同時に自身のホルスターに手を掛けた。
あまりに彼女のその目が、歪み濁っていたからである。
今まで、犯罪者や極道、薬物中毒者を相手にしたことがある2名の警察官。
しかし、そのどのカテゴリーにも当てはまらないその目の濁りに自身の身を危険を感じたからの行動だった。それが自身の災厄を助長させるとも知らずに。
フードをかぶった彼女は口を三日月の様に細く、笑みの形に歪め息を吐く。
「あちゃー、アンタ達も私を拒絶するッスかぁ……。
んじゃあ、アンタ等は私の世界には必要無いッスね、しょうがないッス」
そう言って彼女はコートの懐に手を伸ばし、鉄の塊を取り出し構える。
その鉄の塊は本来、警察官が持っている物だった。
引鉄を絞るだけで人の命をいとも簡単に奪える道具。故に罪悪感も自責の念も最小限で済む。
彼女の行動は警察官よりも早かった。コートの内側に付けていたホルスターから引き抜き、安全ゴムを押し出し発砲。
オレンジ色に染まった廃墟に2発の銃声が響く。
警察官と言えど、銃の訓練を受けてると言えど、実際に人間を撃った事のある人は少ない。
いったいこの国に、銃で撃たれそうになった事のある、銃で人を撃った事がある人がどれ程いようか。
少なくとも限りなく少数なのは確かであろう。
いかに訓練を受けていようが、実戦で磨かれた技術に敵う術はない。
彼女の放った銃弾は一発は警官の腹部に、一発はもう1人の警官の頭にそれぞれ見事に着弾した。
1人は即死、1人は今まで受けた事の無い痛みに身動きが取れず芋虫の様に蠢くだけ。
「おっほー、またコレクションが増えるッス!やったねネメちゃん!」
そう言って脳漿を撒き散らして死んでいる警官のホルスターから拳銃を抜き取り、自身の改造コートの中にしまい込む。
人間に、本来あるはずの何かを失ってしまったように、死体には目もくれず、彼女は拳銃を剥ぎ取る。
「おっとっとっ!アンタはまだ生きてるッスねぇ。大変お気の毒ッス」
そう言ってまだ生きている警察官から拳銃を抜き取ると、裂けそうな笑みを浮かべて彼女は嬉々として言う。
コートを捲り上げ、腰のベルトに差した錆びた包丁を取り出し、生きている警察官の腹部に向かってそれを刺し込む。
あえて言及はしないが、警察官は地獄の苦しみを味わったのだろう。
鋭利な刃物ならともかく鋸の様な錆びた包丁で時間を掛けて生きたまま解体されたのだから。
「はー、命の尊さってのは銃じゃなくて自分で捌かないと実感できないッスからねぇ」
無数に解体されたその物体を見ながらふざけた調子で恍惚とした表情を浮かべる彼女。
彼女の名前は白道 睡蓮。警察内部では白猫と恐れられる警察官連続殺人鬼の犯人である。
そして、神の恩恵か、悪魔の悪戯か、彼女はペルソナを授かってしまった。
「んじゃあ、証拠隠滅といくッスか。ネメシス」
睡蓮の背後から現れたのはウェディングドレスに身を包んだ天使。
しかし、その天使の象徴たる翼は、鋭利な骨に巻き付く幾千、幾万の毛細血管のような異形の紅い翼。
その表情は純白のベール奥で真白い仮面で覆い隠されている。
警察官の見るも無残な死体に睡蓮は手を向ける。
ネメシスと呼ばれた異形なペルソナが睡蓮の動きをトレースする。
「メギド」
そう呟いた刹那の事、警察官2人の周りに光が集まり、そして弾けた。
後に残ったのは少し窪んだクレーターのみ、警察官の死体は跡形もなく消失していた。
「上出来ッス。死体残らにゃ証拠も残らないッス。私の世界に私を否定する奴は必要ねーッスからね。
あと、多すぎるペルソナ使いも不必要ッスねぇ。特別な力を使えるのは少数だけで十分ッスから
じゃ、不必要なペルソナ使いを間引きに行きまスか?なぁに、アタシとネメシスの力があれば容易い事ッスよ」
そう言って睡蓮は闇夜に歩き出す。自分以外の、否、自分を必要としてくれるペルソナ使いを狩る為に。
×そう言って睡蓮は闇夜に歩き出す。自分以外の、否、自分を必要としてくれるペルソナ使いを狩る為に。
〇そう言って睡蓮は闇夜に歩き出す。自分以外の、否、自分を必要としてくれるペルソナ使い以外を狩る為に。
いきなりの間違い、失礼しました。
>「吠え面かいてろ、鉄屑が――――マカジャマ」
シャドウが放とうとした火炎は、メガネ男子の展開した技で雲散霧消する。
そして僕達の刃は――機械仕掛けの怪物をあやまたず貫いた。
「終わっ……たのか?」
カイドー隊員は水晶のような骸骨のようなものを掲げ、光がそれに吸い込まれていく。
>「神部さん、スサノちゃん。みんな、早く逃げましょう!動けない人はいないよね?」
カイドー隊員に促され、僕達は兎にも角にも廃工場から脱出した。
さっきの出来事が夢だったように感じられ、未だ現実感がない。しかし背中の模造大剣が少しだけ重みを増したような気がするのであった。
道すがら、カイドー隊員と戦いに参加した少年の一人(風祭というらしい、略してカザマ君だな)が問答を繰り広げる。
その会話を意識の隅で聞きながら、僕達がこの騒動に首を突っ込む発端となった映像に映っていた、メガネ男子に話しかける。
「ところでメガネ男子よ、久我浜清恵――クール系メガネっ娘から召喚器を受け取っていただろう。
彼女の行方に心当たりはないか? 行方不明になってしまったみたいなのだが。君は……彼女に力を見込まれたのではないのか?
僕は須佐野命。月光館学園探検部――否、月光館七姉妹探検部の隊長だ。
隊員常時募集中。入部希望者がいれば珠間瑠市三校合同探検部にする事もやぶさかではない!」
と、『探検部部長』の肩書がついた名刺を配り、行方不明者の情報を集めながら我が部の宣伝もぬかり無くしておく。
不意に、イヨカン隊員から声がかけられた。
>「あ、そうだ、須佐野隊長。私のケータイ返して下さいませんか?」
取り出だしたるイヨカン隊員のケータイは、ピカピカ光っていた。
>「ジョーカーって人が、その、仮面党のお偉方で海棠さんの上司で…ペルソナの謎を解くキーパーソンなんだよね。
私このままじゃモヤモヤしっぱなしだし、今からでも突撃したいところなんだけど…なんだけど」
イヨカン隊員は一瞬ためらい、決意したように言葉を続ける。
>「私、もう、帰んなきゃ、ヤバい!」
>「風祭さんも中務さんも三日間も倒れていたってことは、
周りの人がすっごく心配していると思います。警察に捜索願だされてるかもしれない。
早く安心させてあげないと。夢崎はこのごろ物騒になってきているらしいし。
それに海棠さんも須佐野さんも女の子なんだからこんな夜遅く出歩いちゃダメだよ!同じ方向なら一緒に帰ろう!」
――ですよねー! 特にあの二人は三日間も倒れていて誰も騒いでなかったら逆に問題がある。
僕はイヨカン隊員の意見に同意し、次回活動の予告をする。
「ではイヨカン隊員、それは次回の探検部のお楽しみにしようじゃないか。
体験入部希望者はお気軽に名刺記載の連絡先までご一報を!」
イヨカン隊員と共に家路を急ぎ、道が分かれる別れ際。確かめるように言う。
「そうそう、探検部ミッション”イヨカン隊員の恩人に再会する”は――無事クリアーだな!」
>「ところでメガネ男子よ、久我浜清恵――クール系メガネっ娘から召喚器を受け取っていただろう。
>彼女の行方に心当たりはないか? 行方不明になってしまったみたいなのだが。君は……彼女に力を見込まれたのではないのか?
>僕は須佐野命。月光館学園探検部――否、月光館七姉妹探検部の隊長だ。
>隊員常時募集中。入部希望者がいれば珠間瑠市三校合同探検部にする事もやぶさかではない!」
「は、お前さんみたいなタイプは嫌いじゃないぜ?
春日山高校新聞部、部長の中務透だ。……まあなんだ、部員は俺一人な訳だが。
好きに呼びな、命。んでもって、掛け持ちOKてんなら入ってやっても良い。俺の新聞部活動に協力してくれるのが条件だけどな?
んでもって、清恵ちゃんについてだが――ちょいと俺にも消息が掴めねえ訳だ。情けないがな、気絶して起きたらもう居なかったよ。
俺の召喚器はあの子に貰ったもんだし、諸々話してもらって協力するって事になってたんだがな。まあ、居ないもんは仕方ねぇ。
どっちにしろ、謎が有る以上は暴くのがジャーナリストだしよ。もうしばらく、俺の好奇心が満足するまではこの面倒に首突っ込むつもりさ」
お、こりゃどうもと名刺を受け取りつつ、此方も自作の名刺を相手に渡す。
QRコードが印刷してあったりする為、すぐに携帯のアドレス帳にもアドレスは登録できるだろう。
他の面々にも己の名刺を配っておく。人間関係を広げるのは、情報収集に置いて大切なことだ。
相手の質問に答えつつも、探検部の活動については、前向きに参加する方向性で検討する事にした。
そうしつつ、周りの雑談に意識を巡らせていると語気を荒げる風祭と、それを受ける海棠に意識が惹かれた。
>「・・・・・・悪い、取り乱した。だけど、本当に分からないんだ。何もかもが。
> だから頼む、教えてくれ。今何が起こってるのか、あの化物は何者なのか」
>「だから貴方がペルソナを使っている姿をみて、私は貴方たちのことを不思議に思ったの。
>そして冷静に考えてみて、貴方も召喚器を持っているってことは、私と同じ仮面党なのかなって思ったのよ。
>でも貴方はジョーカーのことを知らなかった。ということはどういうことなの?」
「仮面党とジョーカーについて、もうちょいと詳しく教えて欲しいところだな。
あと、大きなケガが無いようで何より。助けておいて致命傷くらってたりしたら寝覚め悪ぃしよ。
その髑髏とかもちょいと気になるしな。細かい話、いつか聞かせてもらえると有難たい。
あと、剣道少年。アンタ、もうちょーっと泰然自若に構えたほうがいいぜ? あんまり神経質過ぎると潰れちまうからよ。
分かんねぇもんがすぐ分かるのなんてそうそう無ぇんだから、ある程度大雑把にしたほうがいいと思うんだがね」
海棠の発言の中の幾つかの気になる言葉を、即座にスマホのメモに打ち込む透。
そうしつつ、詳しいことを話してもらおうとする交渉と、憔悴する風祭には軽い助言か何かを口にして。
けふ、と咳をこぼす。煙と乾燥で大分喉が枯れているようだ。携帯でカレンダーを確認すると、明日は合コンだ。
カラオケ無理だなこりゃ、と一言ぼやいてため息をつくのであった。
>「風祭さんも中務さんも三日間も倒れていたってことは、
>周りの人がすっごく心配していると思います。警察に捜索願だされてるかもしれない。
>早く安心させてあげないと。夢崎はこのごろ物騒になってきているらしいし。
>それに海棠さんも須佐野さんも女の子なんだからこんな夜遅く出歩いちゃダメだよ!同じ方向なら一緒に帰ろう!」
「俺は問題ねーよ、親父は別居してるってか、今一人暮らしだし。
ただ……お前さん方は女の子だしな、どうせ乗りかかった船だ、近場まで送ってやんよ?」
三日間倒れて問題が起きない男もここに居たが、本人は気にせず途中まで皆を送っていく。
その道筋の中で、嫌な気配とぐらりと意識が傾ぐ感覚を感じた。
視界に文字が映る。ネメシス、メギド。それらの情報。生暖かい血、死体、爆ぜる肉、飛び散る血、ぬめる骨。
情報がバーストする視界の中で、無言で中務は立ち尽くして、頭を抑えた。
「……ペルソナ使いが、殺人を行う、か。
刑事事件だが、サツが殺られてんじゃどーしようもない……、な。顔が、顔が見れれば……」
戦闘で消耗した精神では、視界に映るイメージ、情報に長時間耐え切ることは叶わない。
だがしかし、今を逃せば恐らくこの情報はつかむことが出来ない。
腕の皮膚を抓りあげて、顔をしかめながら意識を巡らせる。傍らにはいつの間にかクダンが居て。
ノイズの混ざる情報とイメージに混ざっていたのは、異形の天使と、猫だった。
ぶんぶん、と吐き気を吹き払うように頭を振って、全体に向けて口を開く。
「危ないのとか絶対に嫌で、かつこのまま全部忘れられる奴はよ。
ここで召喚器置いてって今日のこと無かったことにした方がいいかも知れねぇ。
今日のコレだって一歩間違えば死んでたわけでよ。こっからもこういうことが起きる可能性は十二分にあるだろう。
だから、俺みたいな命知らずじゃない限り、手ぇ引いたほうがいいんじゃね?」
と、和やかな雰囲気の中に、現実を投げ込んだ。
透は引くつもりは無い。引いた所で、どうせ気になってくるのだ。
だとしたら、乗りかかった船に完全に乗り込んで最後まで突っ走ってやるのが筋というもの。
皆はどうするのか。それを、透は皆に問いかけた。
>「えっと。ほんとのところ私にもこの街で何が起きてるのかなんてわからない…。
でもさっき私たちが倒した大きな化け物はシャドウって言うらしいわ。
私はそいつを倒してイデアルエナジーを奪えってジョーカーたちに頼まれたのよ。
あ、ジョーカーって言うのは仮面党のトップ。イン・ラケチを成就したいって言ってる可笑しな仮面の男。
私は彼にペルソナの力を与えてもらったの。さっき見せた力がそう。
そして彼らが言うには、召喚器はペルソナを安定した形で呼び出す道具なんだって…」
「んー、あーえーと?・・・・・・つまり」
さっきの化物の名前は『シャドウ』で俺や不良のにーちゃんや海棠さん達が出したのが『ペルソナ』?
で、『召喚器』っていうのはその『ペルソナ』を呼びやすくする為の道具ってこと、だよな?
さらに、なんか変なこと考えてる謎の組織もいる、と。
・・・・・・マジかー。普段の俺なら興味を持ちつつもありえないと一笑しているとこだ。
だが今は一笑するどころではない。だって半ば当事者だもん俺! 全然笑えねーよ!
うがー、と呻き声を上げ、大げさに悶絶していると不良のにーちゃんが声を掛けて来る。
>「あと、剣道少年。アンタ、もうちょーっと泰然自若に構えたほうがいいぜ? あんまり神経質過ぎると潰れちまうからよ。
分かんねぇもんがすぐ分かるのなんてそうそう無ぇんだから、ある程度大雑把にしたほうがいいと思うんだがね」
・・・・・・あのさぁ、不良のにーちゃんさぁ、何? その達観っぷり。その年齢でどんな人生歩んできたらそんな境地に至れるの?
え? ていうか何? もしかしてこの空間の中って俺が異常? 皆わりと落ち着いてるし。
・・・・・・、いや毒されるな。俺は『普通』だ。こんな状況『普通』の人間なら慌てるに決まってるんだから。
改めて自身の『普通』さに安心し、不良のにーちゃんの言葉に答える。
「・・・・・・俺と年齢変わんないだろうにその落ち着きは何なんだよ。
はぁ、尊敬しちゃうよまったく、いや皮肉じゃなくてマジでね。
それと俺は剣道少年じゃない。風祭 晶だ。よろしくな不良のにーちゃん」
前半の台詞は呆れ笑い、後半の台詞は悪戯っぽい笑みを浮かべて不良のにーちゃんに言う。
まあ確かに海棠さんの説明で少し理解できただけでも前進か、ていうか前進しちゃっていいのかコレ?
思いっきり異常だぞこの世界、いや、確かに勢いよく両足突っ込んだのは俺だけどさ。
>「す、すみません」
と、そんなことを考えていた時、少女が恐る恐る手を上げる。
ていうか、今更だけど俺、この中で海棠さんしか名前聞いてねえよ。
>「ジョーカーって人が、その、仮面党のお偉方で海棠さんの上司で…ペルソナの謎を解くキーパーソンなんだよね。
私このままじゃモヤモヤしっぱなしだし、今からでも突撃したいところなんだけど…なんだけど」
いいえ、俺はどちらかというと突撃したくありません。作戦、命を大事に。
ていうか貴方達のアグレッシブっぷりにこちとら驚きの連続です。
こういうタイプの人達って我が月光館学園の(悪い意味で)有名人だけじゃなかったんですね。なるほどなー。
・・・・・・畜生なんだ味方がいないぞ四面楚歌じゃねぇか。
>「私、もう、帰んなきゃ、ヤバい!」
その少女の焦った声に思わずグッと親指を立てる。
ッしゃァアッ! これで此処から抜けられる! 日常に、普通の明日に帰れる! よくやった少女よ!
家に来て俺の妹とファッk、って、うち妹いねぇし軽いシモネタじゃねぇか。ともかくこの流れは良い!
と、喜びに舞い上がっていた俺の心を凍りつかせたのは少女の次の台詞だった。
>「風祭さんも中務さんも三日間も倒れていたってことは、
周りの人がすっごく心配していると思います。警察に捜索願だされてるかもしれない。
早く安心させてあげないと。夢崎はこのごろ物騒になってきているらしいし。
それに海棠さんも須佐野さんも女の子なんだからこんな夜遅く出歩いちゃダメだよ!同じ方向なら一緒に帰ろう!」
・・・・・・なんて? 三日間? ・・・・・・聞き間違い、だよな?
俺は恐る恐る学生服のポケットをまさぐりスマホの電源を入れる。
あっちゃー・・・・・・三日たってるわぁ、追跡してから三日経過してるわぁ・・・・・・。
いやなドロドロとした蛞蝓の様な汗が背中をじっとりと濡らしていく、心臓がキュンと締め付けられる。
これは、マズイ。そうとうに、マズイ。いくら家が放任主義だからといって無断外泊、しかも何も言わずに3日間。
・・・・・・これは、間違いなく、死ねる。いや、殺される。
不良のにーちゃんが何か言っているがまるで耳に入らない、というかそれどころじゃない!
「・・・・・・やっべぇぇぇぇえぇえッ!!!」
一瞬の沈黙の後、全速力で弾かれるようにその場からダッシュする。
無論、目的地は怒り心頭で、いや、俺を殺す気で待ち構えている我が両親のいる家だ。
10分1分10秒1秒でも早く帰って弁明をしなければ! なんの言い訳も思い浮かんでいないがそれでも!
短距離スプリンターの如く必死で走る俺。
しかし、必死ゆえにいまだ手に『召喚器』を握っているのをその時はまだ気付いていなかった。
ジョーカーとの関係はひた隠しにしておきたかった海棠だったが思わず風祭に喋ってしまった。
それもこれも仮面党の幹部、トーラスへの不信感から。
彼の話では、ジョーカーの望龍術により大型のシャドウの発生場所を予測し
海棠を派遣したということだったが、ここにいるペルソナ使いたちの協力がなければ
海棠は絶対に死んでいた。海棠にはそこのところがまったく腑に落ちなかった。
もしかして騙した?それなら水晶髑髏などもたせなかったはず。
それなら勝利を確信していた?それはどうして?占いの力で未来まで見えるのだろうか?
そんな疑問の中、神部は門限があるからと帰宅し、スサノもそれに続く。おまけに風祭も逃走。
そして結局、残ったのは中務と海棠の二人っきり。
(どうしよ…)
海棠は駅に向かって、無言で歩き続ける。
あれよあれよといううちに皆に逃げられてしまったのだ。
信号が変わるのを待ちながら、どぎまぎする海棠だったが
ふと、中務の異変に気がつく。
>「……ペルソナ使いが、殺人を行う、か。
刑事事件だが、サツが殺られてんじゃどーしようもない……、な。顔が、顔が見れれば……」
「…ど、どうしたの?」
これもペルソナの能力の一部なのだろうか。中務の傍らには「クダン」が浮かびあがっている。
>「危ないのとか絶対に嫌で、かつこのまま全部忘れられる奴はよ。
ここで召喚器置いてって今日のこと無かったことにした方がいいかも知れねぇ。
今日のコレだって一歩間違えば死んでたわけでよ。こっからもこういうことが起きる可能性は十二分にあるだろう。
だから、俺みたいな命知らずじゃない限り、手ぇ引いたほうがいいんじゃね?」
「……あ、あのぅ、大丈夫ですか?もうすでに、皆さんはいなくなっちゃってますけど…。
んー…、いちおう皆さん学生なので、色々とお忙しいみたい。
それと申し訳ありませんが、私もそろそろここら辺でお別れしたいです。
駅まで送っていただいて本当にありがとうございましたっ!」
深々と頭を下げたあと、海棠は改札口を脱兎の如く通り抜ける。
そして気がついた。自分の召喚器を、スサノに渡しっぱなしにしていたことを。
『夢とはその人の深層心理が投影されて現れる物』。
そのようなお話を何かの書籍で読んだ事があります。
確かにその日あった出来事を夢見る時もありますし、あながち間違ってはいないのかもしれません。
けど、もしもそうだとしたら私が見ている夢は、私の深層心理の何を現しているのでしょう。
自分自身と同じ姿を持つ人間、もう一人の私。
その人はいつも私の夢に現れて、何も言わずにそこにいて、ただ私を見つめている。
いったい彼女は誰なのでしょうか、私に何かを伝えようとしている?
……たかが夢と言ってしまえばそれまでですが、私はどうしてもその夢のことが頭から離れずにいます。
ああ……もうこんな時間、そろそろ眠らなくては。
きっと今夜も彼女に出会うことになるのでしょう。
思いきって話し掛けてみるのは、やはり不躾が過ぎるでしょうか。
彼女が私だとしたら、彼女はどう思うのでしょう。
私が彼女だったなら、私はどう感じるのでしょう……。
私が、彼女で……私に……彼女は……。
…………………………。
その夜の夢に、何故か彼女は現れませんでした。
夢とは本来あやふやな物ですから、その程度は取り立てておかしな事でもないのかもしれません。
けど、夢の中であっても彼女の存在感はあまりにも明確で、むしろそこにいない事の方が不自然に思えてしまったのです。
まるで私の夢から飛び出して、何処か別の場所へと行ってしまったかのような、そんな錯覚まで覚えてしまって……。
どうかしているでしょうか。
……私ももう高校生なのだから、もっとしっかりしなければなりません。
その日見た夢の内容にかまけている暇など私には一寸たりともないのですから。
早朝の喧騒でごった返す1年の教室。
耳を刺す甲高い笑い声、時に飛び交うおどけた罵声。
その中でたった一人、目を伏せて黙って口を閉じている生徒がいた。
沈黙の誓いを立てた聖職者のように、何者にも心乱されることなく、ただ静かに。
窓際に席を置く彼女に近寄ろうとする者は誰もいない。
そこで教室の扉が引かれ、中年の男が足を踏み入れてきた。
脇に抱えている物が出席簿である以上、その男がこのクラスの担任であることが見て取れる。
至って義務的に一人一人の名前が呼ばれていき、各々がそれぞれ声を発したり、挙手で返したりしている。
「桐生優愛ー」
だが、そこでその一定の流れが途切れて止まった。
返事がなく、教師と生徒は何気なく窓際に視線を送る。
名前を呼ばれた生徒は頑なに沈黙を守っているように見えた。
だが、彼女は聖職者ではなく一人の女子生徒である。
そこにいるのに返事がない以上先を進めるわけにもいかず、教師は優愛に歩み寄って語り掛ける。
「桐生、どうした? 朝から居眠りか?」
その言葉に数名の生徒がせせら笑う、それでも本人の優愛に動きはない。
担任がそっと優愛の肩に手を掛ける。
「おい、いい加減に――」
手が肩に触れた僅かな衝撃で優愛の体がそっと揺れて、そのまま横に傾いて床に倒れた。
「申し訳ありません、ご迷惑をお掛けしてしまって」
「いや、それは気にするな。それよりも本当に“居眠り”なのか? さっきのお前はまるで……」
死んでいるかのようだった、そんな不謹慎な言葉が喉元まで出掛かった。
あの後すぐに優愛は保健室に運ばれ、ベッドに横たえたところでようやく眼を開けたのだ。
「居眠りだと思います、近頃はよく眠れていなかったもので……。それに」
「それに?」
「……夢を見ていましたから」
「夢、な。まあ桐生本人が問題ないなら構わないが。一応もう少し横になっていろ」
「はい、分かりました。クラスの皆さんにもどうか宜しくお伝え下さい」
優愛がしずしずとした動作で頭を下げると、教師は苦笑いしながら一つ返事で保健室を後にした。
朝からこれ以上お堅い言葉を聞きたくなかったのだ。
さっき見た夢はいったい何だったのでしょう。
鏡を見るとそこに私がいるのに、それは決して私ではなく、もっと違う別の何か。
私は私の姿をしているのに、鏡の中の私は……。
……ああ、私ったらまた夢のことばかり考えてしまっている。
せっかく先生が気を使って下さったのだから、今は少しでも体を休めなくては。
幸い今保健室には誰もいませんし、静かに眠れそうですから。
……そういえば、もう一人の私がなぜ鏡に映っていたのでしょうか?
「朝からぶっ倒れるなんて勘弁してほしいよな、まったくー」
教師が冗談混じりに愚痴を零すと、クラスの生徒達は一斉に笑い声を上げた。
「ってかマジびびった〜。『令嬢』死んだ!? みたいなー」
「アタシ、明日の新聞の見出しが一瞬で頭浮かんだかんね。『深窓の令嬢、早朝の教室で謎の死!!』」
「アンタ新聞なんて見ないじゃん」
「センセー、なんで『令嬢』倒れたのー? あ、やっぱ“あの日”?」
「ちょっとキモイんだけど〜っ!」
誰もが好き放題に騒ぎ立てて、その様子を教師もただ笑いながら眺めている。
この教室はこれが普通なのだ。
イレギュラーであるのは、『桐生優愛』の方であることに他ならない。
「おまえら、『令嬢』イジメたりしてないだろうなー? そういうの先生が責任取らされるんだから止めろよー」
「してませ〜ん! そんなことしたら『令嬢』のご自慢の金と権力で消されま〜す!」
「ぶっちゃけ話しづらいし、イジメとかそういうジゲンの話じゃないっていうか〜」
「なるほど、それなら安心だな。ほら、そろそろ出席再開するからちょっとぐらいは静かにしろー」
『令嬢』と誰が最初に呼んだのか、少なくともそこに敬いの念はない。
だが別段嫌われているわけではなく、ただ面白がられているだけなのだ。
校内に居場所がないわけでもない。
教室にいれば誰もが一定の距離を置き、廊下を歩けば自然と道が開く。
客が檻の外から眺めるだけの動物園の生き物のような扱いに近い。
ただそれでも優愛が一人きりであることには何ら変わりはないのだが。
睡蓮が歩みを進める度にぴょこぴょことフードの猫耳が揺れる。
平日の昼間、繁華街。なんの目的も無しに彼女は歩いていた。
人々はそんな睡蓮の姿に振り向く。理由は異質なその姿もあることながら睡蓮自身の整った顔立ちのせいだ。
年齢の割に幼い顔立ち、身長も低く、ある層から合法ロリと呼ばれ、性の対象にされてもおかしくない。
しかし、睡蓮はそんな人々の視線を物ともせずに歩く。
彼女の日課の散歩だ。まるで猫の様にランダムに道を選び、リズミカルに歩く。
散歩を始めてどれくらい経った頃だろう、睡蓮はとある場所でぴたりと歩みを止めた。
そこは路地裏だった。昼間なのにほの暗く、ジメジメしている。
いかにも人生の曲り道に入った社会不適合者候補達が集まりそうな場所、そこに敢えて睡蓮は入った。
「んー、平和ッスねえ。平和なのは良き事かなッスよねぇ。
私の創る世界は常に平和じゃなきゃいけないッス。だから、アンタ等みたいのは私の世界に不要なんスよ。
だから、死んでくれないッスかねぇ?」
そこに居たのは煙草を咥えたチャラそうな少年にその取り巻きの10代にしては化粧のキツい少女達。
少年少女達は10を超える数がいてそれぞれ下品な声で談笑していたが睡蓮の吐いた言葉に一斉に静かになった。
ある者は理解できなかったのだろう、ある者は呆気にとられたのだろう、それぞれの反応は異なるが全員の視線が睡蓮に集まった。
「あれ?聞こえなかったスか?『死んでくれないッスか?』って言ったんスけど」
一瞬の沈黙の後、先ほどの静寂は何処へやら、少年少女達は睡蓮に対し口々に罵声や嘲笑、卑下た言葉や卑猥な言葉を浴びせる。
中には懐からナイフを取り出し、チラつかせ睡蓮に迫ってくる少年もいる。
だが、睡蓮は己に向けられた敵意に怯むことなく、それどころか笑みを浮かべていた。
なぜなら、これで心置きなく自身の目指す世界の邪魔な存在を一掃出来るからだ。
「ネメシス、お仕事ッスよ」
その一言の後、背後からウェディングドレスを着た天使のペルソナ、ネメシスが現れる。
ネメシスが現れてから数秒後、残ったのは無数の人間の欠片と無数のクレーター。
後悔する間も悲鳴を上げる間もなく、人生の四分の一も生きていない少年少女達の命は幕を閉じた。
ただ、唯一彼らの不幸中の幸いだった所を上げるとするのならば、痛みも何も感じずに逝けた事くらいだろう。
「あー、微妙に余っちゃったッスねぇ。一か所に集めてもう一回ッスね」
そう言って睡蓮は半分になった頭部や腕、足、指、顔など、欠片になった部分を一か所に集める。
欠片から血は流れていない。綺麗に抉られた肉体の断面が覗いているだけだ。
「んじゃ、もう一回頼むッスよ、ネメシス。メギド」
人間の様々な部位の集まった場所に光が集まり、そして弾ける。
もうそこには何もなかった。肉も、骨も、皮も、カスさえも。
そして、何事も無かったかのように睡蓮は路地裏から姿を現す。
血の香りも、血の色も、何も身体に染みつけず、完全な自然体で再び歩を進める。
時刻は学生が帰宅する時間に差しかかろうとしていた。
学生服の少年少女が行き交う中、異質な睡蓮はその雑踏に混ざっていった。
それは神ではなかった。ましてや悪魔でもなかった。
それは無意識の海から生まれたもう一人の自分。
涅槃に辿りつくために本当の自分を捜して自らの内部に潜り込んでゆく意識。
もつれた螺旋の渦。いびつな影。
その螺旋の奥であなたは眠っている。
眠りながら人である夢を見ている。
神であり悪魔であり、人であることの螺旋の夢を。
* * * * * *
――影がない。校庭の揚羽蝶がテレビのブラウン管を飛んでいるように見える。
こんな季節外れに、それもどうしてあんな広い校庭をたった一匹で飛んでいるのだろう。
終業のチャイムが鳴る。それでも海棠は、飛んでいる揚羽蝶を目で追ったまま物思いに耽っていた。
今日も一日、真面目に授業だけをこなした。それは苦痛でも快楽でもなかった。
ただ無機質に流れた時間。しかし二度とは戻ってこないであろう青春の一コマ。
須藤に苛められていた頃がまるで嘘のように平穏に過ぎる日々。
しばらく時間が経つと、校舎はひっそりと静まり返る。
海棠は放課後の空き時間を利用して、仮面党の隠しアジト「クラブ・ゾディアック」に向かうつもりだった。
階段を降りると廊下の奥、音楽室からクラリネットの音が響いてくる。
そう言えば学園祭も近い。今頃は美術部の神部も創作活動で忙しいのだろうか。
ほんの少しだけ神部のことが気になった海棠は、美術室のそばを通ってゆくことにした。
廊下を渡り、さらに階段を降り、中庭を横切って美術室に向かう。
ドアが締めきられているのでどの教室からも物音一つしない。
まるで巨大な静謐の中にでも閉じ込められてしまったかのような静けさに
上履きの立てる乾いた音だけが響き渡る。
【海棠:放課後の七姉妹学園で美術室に向かっています】
君は洗面台の前に立ちながら、バスルームの戸口に人の立つ気配を感じた。
驚いて振り返ろうとした刹那、首筋にあてられた刃物の感触に君の全身は凍りつくはずだ。
「動かないで。動いたら切れるよ」耳元で早口の囁き声。
少しハスキーで険のある、しかしまだ十代くらいの少女の声。
鏡に映る君の肩越しには、カッターナイフを手にした人影の頭が半分だけ見えることだろう。
長い睫毛に縁取られた目は釣り上がっており、胸まで伸びた茶色の髪は濡れていた。
おまけに裸足で白いスリップドレス一枚という下着同然の格好をしており
まるでどこからか逃げ出して来たような格好をしている。
そう、彼女は森本病院から脱走して来た「須藤竜子」だった。
「あなたもペルソナ使いなの?ふひひ…。召喚器、見つけちゃった。それとお金と携帯電話ちょうだい。
あの糞ジジィに病院に閉じ込められちゃってから、この竜子様はろくな生活を送ってこれなかったのよね。さあ、はやく!」
指示とともにカッターナイフの刃が強く押し当てられる。
カッターを持つその腕は白く痣のような刺青が施されていた。
そして、君の回答を聞き終えた少女は、
廊下まで後ずさると少し視線を彷徨わせて虚空に向かって笑みを浮かべる。
もしかして、彼女は気が狂っているのであろうか。
須藤は素足に君の靴を引っ掛けて玄関を飛び出してゆく。
中途半端な後味の悪さを残したまま……
【おまけのレスです】
「うおおおおおおおお!! 素戔嗚さんマジマッチョ素戔嗚さん!」
「はいはい。あ、ねーちゃんお帰り」
帰宅すると、我が父上は最近発売したRPG『男神転生』攻略にいそしんでいた。
テレビの画面には、全裸にマントのマッチョマンが映っている。
それを傍らに座った弟が欠伸をしながら生暖かい目で見守っている。
「ほいさぁああああ!」
「ほげぇえええええ!?」
ちゃぶ台の上に飛び乗り、召喚器を父上に突き付ける。
父上は目を白黒させながらコントローラーを取り落とした。
「コッペパンを要求する!」
「アッーと驚くタメゴロー!」
父上がアッーと驚きつつも懐から取り出した夜食のコッペパンを受け取る。
片手でそれを頬張り、もう片手で召喚器を突きつけたまま本題を投げかける。
「正直に答えてくれ。母上の事なのだが……生きているのだろう?」
観念したかのように土下座し、あっさりと白状する父上。
「申し訳ありませんでしたー!!
私が甲斐性が無く逃げられた事が恥ずかしくて死んだ事にしておりました!」
しかしここまでは台本通り。勝負はここからだ。
「それはもう知っている。本当にただそれだけなのか?」
「我が娘ながらおかしなことを言う。他に何があると思う? それよりも携行模造武器を増やしたのか。
どうせ今都市伝説で大流行の”召喚器”とやらのつもりなんだろう。
くれぐれも親や先生に見つからないようにな、没収されないように大事に持っておきなさい。はっはっは!」
「親はお前だ!」
父上と暫し視線を交錯させるも、本当に言葉通りなのか裏があるのか全く読めない。
流石我が父上――侮りがたし!
切り口を変えて他の質問に移ろうと頭を捻っていると……
「もうこんな家族は嫌じゃあああああああああ!!」
弟が悲痛な叫びを残して走り去り、直後にバチィッと音がして家の電気が一斉に消えた。
何が起こったのかは分かっている。弟が押入れにたてこもってブレーカーを落としたのだ。
案ずることは無い、これもまた須佐野家の日常。暗闇の中で父上の絶叫が響く。
「あぁあああああああっ!! セーブしてなかったのにッ!」
「弟め、また岩戸にこもりやがったか! どうする? 父上」
「どうするもこうするも飲めや歌えの大騒ぎしかないだろう! 冷蔵庫からコーラとジュースを持ってこぉい!」
「ラジャー!」
こうして須佐野家の夜は更けていく――
「……おう、すげぇ顔だな。喧嘩か風祭」
俺の仲の良い知り合いの佐倉は、紫色に腫れた顔を見て声を掛けてくる。
朝、家を出てから何度この質問を受けた事だろう。いやあ顔が広いってのも考えもんだなオイ。
俺は自分の机の上に鞄を投げると不機嫌そうその問いに答える。
「違ぇよ、父親からの一方的な暴力だ」
俺が帰宅した直後、玄関でスタンバっていた俺の両親は予想に反する事無く鬼の顔をしていた。
父さんは俺の土下座言い訳弁明をする間も与えず足払いからのマウントポジション、そして鉄の様な拳を連打連打。
ぶっちゃけ、あのシャドウとかいうのが生易しく思えるほどの無慈悲な暴力だった。
母さんは母さんで止めずにニコニコ笑顔だし、何これ? これが噂のDV? DVなのか?
ボロ雑巾のようになった俺に満足したのか。
『あ、あと一日遅かったら警察に連絡してたんだからね! 別にお前を心配していたわけじゃないんだから!』
と、デレかどうかも疑わしい言葉をハモって去っていく父さんと母さん。
俺が極力『普通』を望む様になったのは間違いなくこのおかしな両親のせいだろう。
そんなわけで地獄の一夜を乗り越えた俺は気分の晴れないまま学校へ行くこととなった。
さて、只今の時間は授業中。普段なら、姿のおかしい教師の言葉に耳を傾けている所だが今はそうではない。
気分は上の空だ。昨日の出来事もあるが制服の内ポケットに入っている鈍色の『召喚器』のせいだ。
昨日思わず握り締めて持ち帰ってきてしまったこの一品。さて、一体どうしたものだろうか。
教師の姿格好はおかしくても名門校だ。授業内容は大変素晴らしい。
塾なんて行かなくても授業さえ真面目に聞いてればテストの点数は8割取れる。でも今回は七割弱くらいしか取れないだろう。
今日一日の授業ほぼまるまる全部耳に入らなかったんだから。
放課後、愛用の木刀を無くしたこともあって部活には出なかった。机に置いた『召喚器』を指で弾く。
軽い金属音を立ててクルクルと机の上で銃の形をした『召喚器』は回転する。
海棠さんの話で前進したけど、やっぱり分からない事だらけだ。いや、知らない方がいいのかもしれない。
「でも、そうも言ってられないんだよなぁ」
そう、俺はその異常な世界に入ってしまった。少なくともまたあの化物、シャドウが俺の前に出た時にはこの『召喚器』が必要となる。
自分の身と自分の日常を守る為に。
過剰な教育という名の暴力を終えた後、昨日一晩考えて出た結論がこれだった。
俺はゆっくりと重い腰を上げて歩き出す。剣道部の練習場の体育館ではなく、校庭の隅にある物置を目指してだ。
昨日の夜、あの場所にいた知った顔は彼女しかいない。変人奇人の多い月光館でもさらに異質異常な彼女、須佐野 命。
今日クラスの連中に彼女の噂を聞いて俺の真逆を行く存在だと理解出来た。故に、だから須佐野に相談すべきか、とも思ってる。
探検部だか探索部だかどっちだっていい。ともかく、この異常を共有出来る仲間が必要だった。
俺は大きく息を吐き、深呼吸をすると年季の入った物置の扉を叩いた。
「すいませーん、ちょっと相談事があるんですけどー」
「……ん、あぁ。寝てた、か。……あふ、ぅう。
きっちーな、慣れようと思ったは良いが、こりゃどーしようもねぇ」
春日山高校、1階の空き教室――、現在はたった一人の新聞部が占拠する部室。
そこら中に週刊誌の切り抜きや、新聞のバックナンバーが散乱し、一台のハイスペックPCが転がるそこで、青年は目を覚ます。
ごそごそと古新聞の山から体を這い出させて、眼鏡をメガネ拭きで拭いたあと、また生欠伸を漏らす。
ただでさえ造作が強面気味の顔の眉間に皺をよせて、透は学ランの内側に取り付けたホルスターに触れる。
冷たい鉄の感触は、冬場には特に手指に染みこんでいく。
「は、ぁ。顔洗ってくるかね」
崩れた髪型と、仮眠後の膀胱に感じるあの感覚が有ったため、透は部室から廊下に出た。
5時の半ば頃か。後者は所々暗くなりつつあり、文化系の部活は帰り始める時間だ。
一階の端にある新聞部室からトイレまでは少々遠く、歩きながら透は思考を巡らせる。
(……あの幻影を見させたのは間違いなくクダン。
何度か試したけど、割りと性質は掴めてきたが……疲れんな、ありゃ)
そう。透は部室で一人、ペルソナの能力の実験をしていたのである。
ガルで風を起こして部屋の中の紙ゴミを撒き散らしたり、デビルスマイルで喧嘩するヤンキーを窓から狙い撃ちしてみたり。
そして、一番の問題児であるハイ・アナライズも、何度か使用した結果その性質がある程度理解できた。
箇条書きすると、以下である。
1.ペルソナやシャドウの居場所や、強さが判別できる。(強いほど感覚が強い)
2.距離が離れるほど情報にノイズが乗り、精神的負担が大きくなる
3.本などに対して使うと効率的に情報収集が出来る
4.視界に直接情報が浮かび上がるため、多分に慣れが必要
5.まだ慣れてない為、慣れるためにも何度も使用する必要あり
と、脳内で纏めている内に、男子トイレにたどり着いて。
小便器の前でジッパーを降ろして事を済ませたあと、手を洗いに水飲み場へ。
手を洗ったあとに、その手で水を掬い顔を洗う透。ひやりとした感覚に身が引き締まり、茫洋とした感覚は幾らか和らぐ。
何度か顔を洗い、手と顔にかじかむ感覚が広がってきた最中、跳ね上がるように透は顔を上げた。
「おい」
>「動かないで。動いたら切れるよ」
目を細める。眼鏡は伊達の為、無くても視界は良好だ。
両目とも1.5の視力は完全に鏡越しの少女を視界に収め、その顔を入念に記録していた。
首筋に突きつけられているカッターナイフ。この場合、引き裂かれても欠陥は横に割かれるだけ。
幸い保健室は近い。即座に止血をすれば、傷跡は残るかもしれないが、命に別状は起こらないはずだ。
喧嘩やらなにやらで培った知識で己の心に理論武装をして、透は己の心を落ち着かせた。
大丈夫だ。うっかりヤクザの事務所に踏み込んでしまった時より百倍ましだ、大丈夫。眉間に皺を寄せて、鏡越しに透は目を合わせた。
「……メンヘラ女は御免だぜ? 俺は清純派ながらも芯のあるタイプの子が好みなんでな」
へらり、と挑発的な笑みを浮かべれば、透の首から血が一筋。
刃を引かれた。しかしながら、首に刃が食い込んだだけ。これを振りぬかれれば保健室直行コースだ。
だが、これでいい。人並みに怒れる相手という事がわかっただけ、まだまとも。
>「あなたもペルソナ使いなの?ふひひ…。召喚器、見つけちゃった。それとお金と携帯電話ちょうだい。
>あの糞ジジィに病院に閉じ込められちゃってから、この竜子様はろくな生活を送ってこれなかったのよね。さあ、はやく!」
「……人のバイト代勝手に持ってくとは太い奴だなオイ。
有り金全部だ。携帯はやらん、お前にやってもロック解除できないから意味ないしな。
コンビニでプリペイド携帯でも買いな。それが出来るくらいの金だからよ」
首筋に食い込む刃の感触に鳥肌を立たせつつ、尻ポケットの財布を取り出して。
後ろからカッターを押し当てられたまま、2万と4000円を引き抜き、後ろ手に須藤に手渡す。
しばらく須藤が金を数える音がして、ようやっと首から刃が離された。その際に傷口を広がってしまい、Yシャツを派手に赤く染める。
廊下に逃げた人影を追って、透は足を駆動させる。首の痛みは今はどうでも良い、痛くて頭がグラグラしてくるが気にしている場合ではない。
「……ッ、待てやゴラァ!」
まるで不良のような叫び声を上げて、透は学ランのポケットから携帯を取り出しつつ廊下を駆ける。
己の靴を勝手に履いて学校の正面玄関から飛び出していく相手を、透は靴を履かずに追っていき。
周囲に人が居ない事をちらと確認した上で、ホルスターから召喚器を引きぬき、頭に押し付け引き金を引く。
背後に浮かび上がる全身に梵字を描かれた呪い師のような男は、透の背後に浮かび何事かを呟いた。
「アレも、ペルソナ使い……! こ、んの!」
此方を嘲笑するようにして逃げ去っていく須藤に対し、透はシャッター音を響かせた。
とっさにアプリを起動し、連写モードでいくつかの須藤の写真を撮影するのに間に合ったのだ。
これでとりあえずは十分としよう。そう思った直後、透は緊張の糸が切れて地面に崩れ落ちるように膝をついた。
「首、処置しねーと」
学ランの内側のホルスターに召喚器を仕舞い込みながら、靴どーしよと呟いて校舎に戻る。
十数分程した後、首に綺麗に包帯を巻いた透は、どこかの誰かの靴を勝手に履いて家路につく。
居酒屋の戸を開き、のれんを潜って透は居酒屋の店内に入り込んで。
「あー……っと、ただいまっス、伯父さん、伯母さん。
晩飯適当に食ってきたから、要らないですんで。いや、ちょっと友達ん家で徹マン打ってただけっすよ?
これでも、あの高校の中じゃそこそこ素行は良いんスから。はい、んじゃ」
奥の棚に有る、中務真司と書かれたプレートのぶら下がるウイスキーを手に取って、伯父伯母と目を合わせないようにして透は自室へと戻る。
ショットグラスに親父のウイスキーを注ぎ、一気に喉へと流し込んだ。
アルコールが喉を焼く感覚が体を駆け巡り、かあ、と体が熱くなる。
その後数度グラスを空にしたあと、ようやく透は数日ぶりの休息に入った。
泥のように眠った結果、明日は放課後から登校する羽目になったのはいつものこと≠ナある。
あの激戦から一夜明けて日が昇って傾いて放課後。
月光館学園探検部改め珠間瑠市三校合同探検部は今日も元気に活動中。
副隊長が印刷原稿をばばーん!という効果音付きで見せつける。
「隊長! こんな感じでどうでありますか?」
「【廃工場の激戦! 都市伝説は真実だった……!?】 いいじゃないか。
どこがいいかって最後に……!?を付けている所が実にいい」
「スポーツ誌がオカルト系の話題を取り上げる時の常套手段であります」
「善は急げだ、早速それを持ってカス高新聞部に突撃しよう!」
「ラジャーであります!」
副隊長と共に物置を飛びだそうとした時。外側からノックする音が聞こえた。
この前のイヨカン隊員といい最近ここを訪ねてくる人がとみに増えたな。いい事だ。
>「すいませーん、ちょっと相談事があるんですけどー」
「おお、君は昨日の……」
昨日の激戦を共に戦い抜いた中の一人でうちの生徒、名前はそう、カザマ君だ。
何をしにきたか、と聞くのは野暮だろう。
あの異常な体験を共有した者が身近にいるとなれば、訪ねてきたくなるのも当然だ。
「ほこり臭い場所だがゆっくりしていってくれ。昨日はろくに話も出来なかったからな」
うちの生徒なら普通であるはずはない、何か特筆するべき事があるはずと思い、改めてよく観察してみる。
そして見出した特徴は……実に普通である、という事だった。
通常の意味での普通ではなく、平均から大きく外れている部分が一つも無い、という意味の完璧な普通である。
そう、まるで意図的に作られたような普通。
それは、僕のような意図的に作った異端と本質的には同じなのではないか――そんな事を一瞬思った。
「入部希望者でありますか!?」
「こらこら、がっつくんじゃない」
色めき立つ副隊長をたしなめ、話しはじめる。
「まず最初に言っておくがこんな恰好をしてこんな部をやっている割には昨日の事件については君と同じような物だと思う。
本当にびっくりしたし自分がいかに小市民だったかを思い知ったよ。期待はずれだったらすまない。その上で……だ。
副隊長、例の物を」
副隊長がキャスター付きのホワイトボードを引っ張ってくる。
そこに書かれているのは、ラクガキのような人物相関図。
探検部の独断と偏見による、着目すべき二人の中心人物を解説する。
「この中でより多くの情報を握っていると思われるのは二人。
まず”ジョーカー”なる人物と接触したらしい七姉妹学園のカイドーさん。
彼女をいじめていて最近突然学校に来なくなったスドーなる人物も気になるところだ。
カイドーさんからは、同じ七姉妹学園生にして優秀な探検部員たるイヨカン隊員が抜かり無く情報を聞きだしてくれるだろう。
もう一人は……」
そこで一呼吸入れて、話は本題に近づいていく。
「トール新聞部長を非日常の世界へと誘いそれっきり行方不明となったクガハマさんなる人物。
敢えて自ら身を隠しているのかそれとも、多くを知り過ぎて消されたか……。
彼女に話を聞く事が出来れば多くの謎が解けるかもしれないが、見つからないものは仕方がない。
そこで着目すべきは、やはり彼女が最初に見込んだトール新聞部長だと僕は考えている。
物語に例えて言うなら……メガネミーツメガネのメガネのポジションだ。
このメガネのポジションの周囲で物語は展開すると相場が決まっているのだ。
そこで今から彼の新聞部に原稿を持ちこみに行こうと思うのだが……もしよければ一緒に来てくれても構わない」
「結局勧誘じゃないですかでありますか!」
狭い部室内に副隊長のツッコミがよく響きわたるのであった。
須藤竜子は春日山高校で中務と接触したあと、正面玄関から逃走。
その後、パトカーのサイレンの音を聞き慌てて方向転換すると体育倉庫へと身を隠す。
もしかしたらパトカーに乗った警官たちは須藤を連れ戻しに来たのかもしれない。
須藤を森本病院に隔離した糞ジジィこと、祖父の須藤竜蔵にはそれほどの権力がある。
何を隠そう須藤竜子の祖父、須藤竜蔵は現職の外務大臣だからだ。
とある事件がきっかけで、子どもの頃にペルソナの能力を授かった須藤竜子だったが
ペルソナの力と引き換えに彼女は健康な身体を失ってしまっていた。
それゆえに数年前まで森本病院で療養していたのだが、
偶然か必然か、ある日病室にジョーカーが現れ彼女に健康を与えたのだった。
それも水泳で楽々と他者を圧倒できるほどの健康体を。
そして健康を得た彼女は喜んでジョーカーに従うことを誓うと仮面党に入党。
イン・ラケチ成就のために影で暗躍。
しかし、活動のためにペルソナを乱用し、徐々に精神を病んでしまうと、
それを良く思わなかった祖父に、再び森本病院へと叩き込まることになってしまったのだ。
そんな祖父の横暴さを須藤竜子は悔しく思う。
彼の横暴さに、須藤竜子の人生は歪められ破壊されようとしている。
かつて、竜子の父もそうであったかのように。
腕に張り付いた蜘蛛の形の刺青ような痣を見つめながら、須藤は自身を抱くように身を縮めた。
身も心も寒くて涙がこぼれてしまいそうだった。
はやく仮面党の本拠地に戻りたい。だがこんなところでは捕まりたくない。
問題はここからなのだ。
手元にあるのは中務から奪った二万四千円。
これで、彼の言った通りにコンビニでプリペイドの携帯を買い、そのあとはジョーカーに助けを求めよう。
須藤は体育倉庫から出ると再び教室に忍び込み、他人のロッカーから運動着を引っ張りだしていそいそと着替えた。
女子の運動着は清掃の時に身につけたり、自転車通学の子なら風の強い日に
スカートの下に履いてみたりとするため常にロッカーに入っていると考えてもいい。
ついでに須藤は、中務の大きすぎる靴も脱ぎ捨て内履きに履き替えると近くのコンビニへと向かう。
「でもあいつ…。どっかで見たような気がする……」
コンビニへ向かう途中、須藤は中務のことを思い出して既視感を感じていた。
そんな感情は最近になって頻繁に沸き起こる。でもその原因はわからない。
これはいったいなんなのだろう。海棠という女を見た時も始めてだというのにイライラが込み上げてきた。
まさか前世からの因縁?そんな馬鹿なことが?――ありえない。
須藤は微苦笑し、答えのでないままコンビニへと歩んだ。
そしてマスクと携帯、大好きなポテトチップスを購入すると人気のない裏路地に移動し、
ジョーカーを呼び出そうと自分自身の携帯番号を打ち込み送信ボタンを押す。
――が、あろうことかジョーカーは現れなかった。
もう!っと憤慨して髪の毛を掻き毟る須藤。
それならば、仮面党の幹部であるトーラスに連絡をとりたいところだったが
彼女はトーラスの携帯番号を覚えていない。
(くうっ…どうしよう……)
そう思いながら爪を噛む。こんな状況ではもはや自力で行動するしかないのだろう。
しかし警察のパトカーが、街中で騒いでいるのが気になってしまう。
そう、須藤は白道の存在を知らなかった。警察が騒いでいるのは白道を追いかけているため。
だがすべてのパトカーが自分を追いかけているのではないかと
勘違いしている須藤にはそれが気が気ではなかったのである。
須藤はふらふらと近くの漫画喫茶に入店すると、倒れこむように個室で睡眠をとる。
目が覚めるのは次の日の午後になることだろう。
なぜなら彼女は昨日から一睡もしていない。病院から脱走後、これが始めての睡眠だった。
133 :
イゴール:2013/03/22(金) 22:12:08.91 0
それは通りの外れにひっそりと建っていた。
一見したところ、寂れたバーといった雰囲気だ。
青一色で塗られた扉に、目立たぬ文字で『Velvet Room』と刻まれている。
扉を開ければ室内は青い光に包まれていた。
床も壁も天井も、微妙に濃淡のある青一色で…。
「ようこそ、ベルベット・ルームへ」
ぽつんと置かれたソファに小さな人影が座っている。
男は異形だった。鬢の白髪だけを残した禿頭に大きく突き出した尖った耳。
転がり落ちそうな大きな目玉。紙の様に白い皮膚。
そして驚愕すべきは天狗のような長い鼻だ。それは顔の中心に垂れ下がっている。
http://jbbs.livedoor.jp/internet/17427/ 「千夜万夜の緊急用避難掲示板。千夜自体を見れない場合の為のURLでございます」
怪人は穏やかな声でそう言った。
見かけは怖いが、態度や口調は落ち着いており、紳士的ですらあった。
【失礼しました。千夜万夜の緊急用避難掲示板のご紹介でした】
〉「そうそう、探検部ミッション”イヨカン隊員の恩人に再会する”は――無事クリアーだな!」
「はい…!ありがとう、私を探検部に誘ってくれて。貴方のお陰で恩人は見つかりました。隊長…ミコトさん!」
分かれ道の間際、須佐野と交わした会話は短かったが、そっけないものではなかった。
衣世はむしろ彼女ともう少し話をしたかったのだが、時間が時間だ。
仮隊員とはいえ、衣世ももちろん須佐野の連絡先は知っている。焦らなくても大丈夫だ。
最後まで送ってくれた中務にも礼を述べ、そして衣世は一人で自宅前にいた。
立ちはだかる玄関は仄明るく、暗闇よりいっそ不気味だ。恐る恐る、玄関扉を引く。
いつもはきっちり施錠されている筈の扉は、開いたままで…。
「ただいま、かえりましたよ。」
まるでジャパニーズ・ホラー…
両目を真っ赤に染めた母が、その隙間から顔を覗かせていたのだった。
神部家の教育的指導において、平手や説教は使用されない。
ただ、延々と目の前で泣かれる。
こういう役割は専ら父が務めていたのだが、幸か不幸か最近残業続きで、娘とろくに顔を合わせていない。
部下数名が行方知れずという非常事態に連日残業三昧、この頃は家に帰るのも珍しい。
それを気に病んだ母親が今回のような過剰反応をするのは、理解できたし、ある程度許容もできた。
だから馬鹿げた門限にも文句を垂れず愚直に従ってきた。今回のようなどうしようもない事件が起きるまでずっと。
衣世は恐る恐る母の背中をさする。まるで親と子の役割が逆転していると思いつつ。
ここまで泣かれるのは、手術を拒否したあの時以来だ。
大人げなさへの呆れと、そこまで思ってくれることへの嬉しさが入り混じった気分を味わいながら、
抱きついてくる母に向かって、小さな声で呟いてみる。
「母さん。ごめんね、心配かけて。でも、聞いて。今日ね、私、友達が…仲間が出来たの。
その人達の為ならなんだって出来るって思えるような、大切な仲間が。」
翌朝の衣世は、普段となんら変わらない動作を心がけた。
母の朝食を食し、取り留めのない会話をし、詰めて貰った弁当を鞄にしまって、行ってきますと言い、学校へ向かった。
午前の授業、昼休み、午後の授業とホームルーム。
時間は怒涛の威勢で過ぎ去り、そして放課後となる。
季節は秋、二学期の中頃。
文化祭間近の七姉妹学園は、生徒も教師もどこか浮き足立っている感じがした。
これぞ文化部!と堂々と胸を張って言える我らが美術部も、そのプライドと誇りにかけて、個々が自身の作品に魂を打ち込んでいる。
……と見せかけて、ただぼんやりしているだけのダメな部員が一人、それが神部衣世だ。
イーゼルに掛けられた無地に近いキャンバス。
課題よりも、もっと気になることがあったのだ。
小休止をすると断りを入れ、衣世は部室を後にした。廊下に出てすぐ、手近な空き教室を見つけて入る。
扉を閉める右手。それと同時に左手はスカートのポケットをまさぐる。
手に少し余るほどの大きさ。マホガニーのひんやり硬質な触り心地。
昨日父の書斎からこっそり失敬してきた、そこそこ上質なアーミーナイフ、
もっと気安く呼びたいなら十徳ナイフである。
誰も見ていないことをもう一度確認した後で、衣世は柄に収納されてある刃を慎重に取り出し、
親指の腹に切っ先を軽く立てる。
ぷつりと表皮が破られた。数拍置いて血が球状にもりあがってくる。
それを見つめながら心の中でペルソナを呼ぶ。
アクラシエル、これを治して欲しい。
球は徐々に体積を増す。ある大きさまで膨れ上がるとその形は歪み、
自らの重さに耐え切れず、たらりと指から滴り落ちた。
……つまり、ペルソナからの答えは無かったということだ。
ハナから期待はしてなかった訳だが、それでも少し落ち込んでしまう。
超常の力が得られたのならば――
傷つけるよりも、守る為の方が良かったのに、と。
それはもちろん、過ぎた願いだ。
この力によって一度ならず二度までも危うかった命が救われ、そしてその先を求める。
けれど、昨日のような戦闘がこれからも起こるとするならば、流れる血は親指の先だけでは済まされないのだ。
もしかすると、ペルソナの能力の中でも"治癒"とは特別なものなのだろうか。
ため息を一つつく。
汚れた指を水道ですすぎたくなった。
これで気は済んだ、と無理やり自分を納得させて衣世は美術室に戻る。
そしてその数十秒後、海棠と神部はばたりと会うことになるのだった。
1時限目が終わるまでの時間だけ、保健室のベッドで仮眠を取ってから教室に戻った。
僅かな時間で見た夢は、相変わらず別の自分が鏡に映っているだけだった。
授業が終わって昼食の時間も過ぎ、特に何事もなく下校時間がやってきた。
我先にと席を立つ生徒もいれば、帰り際の寄り道ルートを相談を始める生徒もいる。
その中で優愛は自分の学生鞄を隅々まで探っている。
上着のポケットに挿しておいたはずの万年筆が見当たらず、身の回りを探しているのだ。
側面に金縁で『Yua』と名前が刻まれた白い万年筆で、上品なデザインが気に入って持ち歩いていた物だ。
しかし出てくるのは精々塵ぐらいの物、どこかに落としていたとしても少なくとも教室ではないようだ。
落ち着いた所作で鞄を両手で持つと教室を出て、そのまま保健室に向かった。
幸い保健室には生徒も教師の姿もなかった。
床を注意深く眺めながら、朝に使わせてもらっていたベッドまで歩いていく。
スカートが汚れないように裾を押さえながら、ベッドの下を覗き込む。
だが、そこにも目当ての物はない。
隅の方に転がっていないかと思い、保健室の中を端から回っていくが見当たらない。
そうこうしている内に刻一刻と時間は過ぎていく。
迎えの車も待たせていたので、今日のところは潔く諦めて帰ることにした。
保健室を後にすると、少しだけ歩を早める。
決して慌ただしく廊下を駆けたりはしない。
そうして正面玄関に向かって歩いていると、突如廊下に轟く男の怒声。
>「……ッ、待てやゴラァ!」
何かの揉め事であることは声色から容易に想像出来たが、それよりも派手に響き渡る足音の方が、優愛は気になった。
方向としてはこっちに向かってきているのは間違いなく、落ち着いた動作で近くの教室に身を隠す。
こういった争い事に入学当初は戸惑いもしたが、今ではすっかり慣れてしまっていた。
出来るなら皆と仲良くしたいと思ってはいるが、それはやはり難しいようであることを、優愛はもう何度も実感させられている。
今が正にその時だった。
二人分の足音が通り過ぎていくのを確かめてから教室を出ると、すぐに正面玄関に行って靴を履き替える。
これ以上長居しないように、脇目も振らずに玄関を出る。
すると、遠目に一人の生徒と長身の和装の人間が並んで立っているのが見えた。
生徒の方は男子用制服を着用していることから男であることは間違いない。
だが、もう一人の方は分からない。見えないからだ。
距離があって見えないという意味ではない。
何かの被り物で頭部が覆われていて、後ろ姿の体でしか判別が出来ないのだ。
そこまで確認して、優愛は咄嗟に校舎の中へ舞い戻った。
長身の人間の纏った着物が血で赤く染まっていたからだ。
やはり揉め事であることに違いないが、流血沙汰までは優愛も想像していなかった。
すぐに教師を呼びに行くべきか迷っていると、生徒一人だけが玄関を通って入ってきた。
たまたま玄関から死角になる場所にいたので見つからずに済んだようだ。
先ほど後ろ姿を見た時には気づかなかったが、その生徒のシャツも血で濡れている。
生徒の姿が校舎の奥に消えて行った後も、優愛はしばらくその場から動くことが出来なかった。
俺はその長いやり取りの中、極力吐かずにいた息をドッと吐く。
傍目には呆れられたと誤解を招くかもしれないので慌てて訂正を入れる。
「……その前に、須佐野さん。君を、いや、君達『探検部』を正直見くびってたゴメン」
と、最初に謝罪の言葉を吐く俺。
何だかんだ言って今日一日俺は何をしていたのか、そう思えるほど彼女達の理解と推測に感嘆を覚えた。
いや、俺にみたいに普通な奴はジウジして長い時間を掛け行動を起こすのが『普通』だろう。
しかし、須佐野さんは既に昨日(今日)の動きについて明確な行動まで示している。
アグレッシブにも程がある。褒め言葉的な意味で、だ。さらに助手であろう副部長なる人物も相当な能力の持ち主だろう。
昨晩あった事柄を要点良く纏め、記事に起こす。中々出来たものではない。
相当優秀なのだろう。そういう意味では月光館の生徒に両名とも相応しい人物と言える。
それが何故、このような同好会じみた所にいるのか? 人材の無駄遣い? オー人事?
いや、個性を伸ばす、って月光館の教育理念的には合ってるんだろうけどさ。
でもこんな有能な人材2人が埋もれちゃあ……って、好きでやってんのかこの2人は。
まあ、それはいいや。褒めるところは随所に有るが今は品評は押さえておこう。
「須佐野さん、ええと……」
一応、『まだ』部外者であろう副部長なる人物を見つめる。
……巻き込む可能性があるか? いや、事情を知っているようだし大丈夫だろう、多分。
「話を変えさせて申し訳ない、俺には圧倒的に情報が足りていない。須佐野さん以上にだ」
物置に在った机の上に懐から取り出した鈍色の召喚器を取り出し、置く。
「須佐野さん、昨日、同じものを見ただろう。これの出所、正体、何もかもが俺には解らない」
銀色のそれを指で弾く、机の上でからからと音を立てて回り回り、そして止まる。
「だから俺はこの正体が知りたい。異常を異常のしたまま何て御免こうむる。
だから兼部になるがこの部活に入る事でこれの正体が知れるならそれでいい。
昨日のトール? あぁ、不良のにーちゃんの所に乗り込むならそれでも構わない」
都合よく用意しておいた入部届を鞄から取り出し、机に静かに置く。
「だから、これから先、君等が関わる事に全て関わらせてくれ。同じ力を持つ者同士」
さて、これでもう後戻りは出来ない。否、はなからする事なぞ出来ない。
突っ込んでしまった以上、これを日常に変えるしかないのだから。
須藤竜子が目を覚ましたのは次の日の午後だった。
陽射しは大きく傾いていて、窓ガラスを叩く交差点の喧騒の隙間から
騒々しくパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。
須藤は薄っすらと目を開けながら、白っぽく濁った意識の表層で
聞くともなしにその雑音に耳を傾けていた。
「テロだってよテロ!路地裏で爆弾テロって話だぜ!!」
「え?ほんとかよ?隕石が落ちたんじゃなかったのかよ?無数のクレーターが発見されたって誰かが言ってぜ」
「おい、警察が来てるぞ!」
言い合いをしている男の人たちの言葉の意味はよくわからなかった。
しかし騒がしくなってきたのは事実だったので、須藤は清算を終えると漫画喫茶を後にする。
そんななか、前方の人込みの間に見え隠れするのは猫耳のフード。
刹那、再び沸き起こるデジャヴ。
(あ、私…、あの猫耳を知ってる……)
何かがわかりかけてきたような気がした。
それはまるで、忘れてしまっていた夢を思い出すような感覚に似ていた。
だがその時、どこからともなく男の声が響き、すべての思考を打ち壊す。
「君、ちょっと、いいかな?」
ひっ!須藤はぎょっと身を縮め、思わず声を上げてしまった。
しかし男に呼び止められたのは須藤ではなく前を歩く白道睡蓮のほう。
「署まで来てくれないかなぁ?」
男が警察手帳を見せると白道のまわりを数人の男たちが取り囲む。そう、彼らは私服警官だった。
白道が抵抗をしなければ、彼らはパトカーに彼女を乗せて警察署まで連れて行くことだろう。
が、それを見ていた須藤が白道にむかって大声で叫ぶ。
「…逃げて!!」
その掛け声とともに人込みが割れた。次々と巨大な人影が警官や通行人をなぎ倒す。
それは明らかに須藤のペルソナだった。それも制御されていない暴れ馬のような力を秘めた…。
「ちっ!ばけものめ!!」
警官たちは恐れおののきながらも立ち上がると、ペルソナにむけて拳銃を構える。
ただただ驚愕している彼らではあったが、一部の者はすでに察していた。
「あ、あの子は須藤竜子だ!外務大臣から直々に捜索願が出ている子だ。あの子も捕まえろ!」
私服警官が複数、須藤に駆け寄りその細い腕を掴みあげる。
いっぽうの白道のほうは婦人警官が一人、震える手で彼女の手首を掴んでいた。
目の前にはドアの開かれたパトカー。
「さ、中に入りなさい。警察官殺しの重要参考人としてあなたを連行するわ」
婦人警官は白道の背中を押してパトカーに押し入れようとしていた。
【現時刻:放課後】
>「……その前に、須佐野さん。君を、いや、君達『探検部』を正直見くびってたゴメン」
いきなり謝られて面喰う。どうやらカザマ君はこちらを賞賛の眼差しで見ているようだ。
嘲笑や奇異の目を向けられるのは慣れているがまさか賞賛の目で見られる日が来ようとは。
この見るからに普通なオーラを纏ったカザマ少年、実はイヨカン隊員と同じクチなのかもしれない。
つまり優秀な隊員になる素質を秘めているという事だ。
>「須佐野さん、ええと……」
副隊長を見つめるカザマ君に、彼女の素性を解説する。
「彼女は櫛名田姫子、探検部副隊長にして主に情報処理を担当している。
裏方ながらもこの事件にも最初からどっぷり関わっているから気を使わなくていい」
それを聞いたカザマ君は安心したように話しはじめる。
>「話を変えさせて申し訳ない、俺には圧倒的に情報が足りていない。須佐野さん以上にだ」
>「須佐野さん、昨日、同じものを見ただろう。これの出所、正体、何もかもが俺には解らない」
そう言って懐から取り出だしたるは召喚器。
「実は僕も持っている。
といってもカイドーさんからイヨカン隊員を経て渡ってきた物を返し忘れたのだが……」
僕も鞄から取り出して、机に置く。机の上に並ぶ二つの召喚器。
「引き金を引く事でペルソナなる超常の力を呼び出せること。見ての通り複数存在する事。
これはカイドーさんが”ジョーカー”なる人物から渡されたものらしい。
今の所分かっているのはこれぐらいだ」
>「だから俺はこの正体が知りたい。異常を異常のしたまま何て御免こうむる。
だから兼部になるがこの部活に入る事でこれの正体が知れるならそれでいい。
昨日のトール? あぁ、不良のにーちゃんの所に乗り込むならそれでも構わない」
>「だから、これから先、君等が関わる事に全て関わらせてくれ。同じ力を持つ者同士」
カザマ君の口から出たのは――堂々たる入部宣言であった。もちろん拒む理由などあるわけがない。
右手を差し出して握手を求める。
「入部届、しかと受理した! 君も今この時から立派な探検部員だ。よろしく、カザマ君、いや……カザマ隊員!
では早速最初の活動だ、共にカス高新聞部に乗り込むぞ!」
召喚器をカイドーさんに返しに行った方がいいのか? という考えも一瞬浮かんだが、結局当初の予定に落ち着く。
僕が持っている限り、これが必要になった時に向こうから何らかのコンタクトを取ってくる事が保証されているという事。
ならば、返すなら少なくとももう少し彼女の素性が明らかになってから、要するに仲良くなってからの方がいい。
今返してしまったら、カイドーさんは一人で戦おうとしそうな気がする。
やはりカイドーさんからの情報収集は、今日のところはイヨカン隊員に任せておくとしよう。
「いってらっしゃいでありますー!」
出来立ての原稿を持ち、副隊長の見送りを受けて意気揚々と出発した。
@ @ @ @ @ @ @
場面は変わって、僕達は春日山高校通称カス高の前に立っていた。
辺りはすでに暗くなりつつあるが、熱心な部活ならまだ残っているかなーという時間帯。
正面玄関から堂々と校舎内に侵入。流石カス高、部外者が侵入しても何ともないぜ!
そして校舎内には絵に書いたような理想的なフォルムの不良が……と思いきや。
そこにはこの高校に似つかわしくない、見るからにお嬢様然とした少女が立っていた。
しかし来ている制服から考えて、この高校の生徒なのだろう。
お嬢様オーラに釣られて変な方向に丁寧になった口調で話しかける。
「お初にお目にかかる、僕は月光館学園探検部部長須佐野命という者だ。
今日は新聞部部長を訪ねて来たのだが部室の場所を教えてもらえると……」
大変助かる、と言いかけて言葉が止まる。彼女の様子が明らかにおかしかったのだ。
怯えた瞳で小刻みに震えている。まるで、何か恐ろしい物を見た直後のようだ。
またもやシャドウが現れたのか、頭の片隅でそんな事を思ってしまう。
「……何があった!?」
辺りを警戒しながら少女に問いかけた。
海棠は美術室の前に一人、ぽつんと立って
廊下の壁に掲示されている美術部員たちの作品を鑑賞していた。
だが海棠には作品の内容よりも一つ気になっていることがあった。
そう、神部の名前だ。彼女の描いた作品はいったいどれなのだろう。
海棠はまだ、神部自身と触れ合うのは怖かった。
廃工場であんな風に会話をすることが出来たのは、これが最期と覚悟していたから。
でも今は怖い。一人でいるほうが自分が自分でいられる感じ。
壁の向こうには神部本人がいるのであろうが、
ただ近くに自分がいるというだけで今は満足していた。
沈黙が落ちる。海棠はしばらく掲示物に視線を這わせていた。
もちろん海棠には、作品を観てすぐに誰の作品なのか分かるほどの眼力はない。
ただ想像しているのは、神部の作品なら優しい感じなのだろうということ。
実際神部は、長身でおっとりしてそうなタイプ。でもどこかに茶目っ気を秘めた感じ。
海棠は知らない名前と知らない作品を照合させる作業をしばらく続けていた。
が、そのときだった。突然携帯電話が鳴り出した。慌ててカバンから携帯を取り出す海棠。
ディスプレイにしるされている発信者ナンバーはプリンス・トーラス。
きっとこのまえの、シャドウ殲滅作戦のことなのだろう、
海棠はこっちにも言いたい事があると言わんばかりに強く通話ボタンを押す。
「もしもし海棠ですが」
(あ、お疲れ様。プリンス・トーラスだが。今すぐ水晶髑髏を持って来てくれないか。
それと話がある。とりあえず今すぐに来てくれ、あとお友達も何人か連れてな。頼んだぞ)
「え?」
海棠が返す間もなく電話は切れた。来てくれというのは多分ゾディアックにということなのだろう。
それにわざとなのかなんなのか忙しい感を出していたトーラス。
おまけにあろうことかお友達を連れて来いという指示。海棠は目を瞑ってため息を吐いた。
誰にでも友達が沢山いると思うのは大間違いのことなのだ。
そう、海棠の友達は少ない。
同じ、苛められっ子仲間のエミコは最近なにかと忙しいようすだった。
学校が終わればすぐに用があるとどこかに消えてしまう。
それならもう、頼みの綱は……
海棠が立ち尽くしていると隣に人の気配。
振り向けば神部衣世。
「あ!あの…お久しぶりです」
びっくりした海棠は、きょどりながら軽く会釈。カバンを胸の前で抱きながら何故かその場で一回転。
すぐにこの場から逃げだそうと思ったのだったが、トーラスの指示もあったために逃げ出せず、
いわゆる軽いパニック状態になりながら頬を赤らめている。
そして暫くモジモジ。
もう自分でも変な感じになっていることは分かっていた。
それならここは思い切って……
「あうぅ…、神部さん。今ってお忙しいですか?やっぱり、学園祭も近いことですしお忙しいですよね。
あの、えっと…私、神部さんにとんでもないお願いごとがあるのですけど、いいですか?
その、あの…、今すぐになんですけど私と一緒にクラブ・ゾディアックに来ていただけませんか?
出来れば、その、お友達として……」
無茶と知っていて頼んでみた。
たとえここで断られたとしても一度は問うたのだから、断られてしまったのだと言い訳の弁が立つ。
海棠は何としても仮面党の幹部、レディ・スコルピオンとしてジョーカーに認められる必要があった。
それはあの男にもう一度会いたいがため。
実際には仮面の彼の正体が、男かどうかもわからなかったし
ボイスチェンジャーを使っている女なのかも知れない。でも彼の悲しそうな声が海棠には忘れられないでいた。
いつか、あの男と同じ場所にゆくことが出来れば、その悲しみの意味がわかるような気がしていた。
だから、ジョーカーのことが許せず倒すべき相手としてみているわけでは決してない。
だが自分がジョーカーに会いたいというだけで、神部を利用しようとしていることには
とてつもなく罪悪感を感じている。
珠間瑠市夢崎区、クラブ・ゾディアックは、この近隣の不良たちのたまり場だ。
大して広くもない店内は今日も混み合っており、叩きつけるような重低音が床や壁を震わせ、
立ち込める紫煙が視界を曖昧にしていた。
仮面党の幹部、プリンス・トーラスはVIPルームにいるはずだった。
海棠は一つ唾を飲み込むと店の奥に進む。
そこは暗い場所で、黒い服の男がその目立たない扉のそばに立っていたが、
海棠の顔を見ると何も言わずに扉を開けてくれる。
そして扉を潜れば赤い照明に照らされている不気味な廊下に出る。
扉一枚隔てているだけなのにフロアの喧騒がここにはまるで届かず
さらにややこしく曲がりくねった廊下を通って階段を上れば
三階の一番奥、重厚な扉の奥にVIPルームがあった。
真紅の絨毯に革張りのソファ、大理石のテーブル。
そこはまるで、どこかの会社の重役室のようだった。
「ふふ…、お友達を連れて来たようだな。さあさ、座りたまえ遠慮せずに」
トーラスは相変わらずに派手なネクタイをぶら下げており、何故か今日は機嫌が良い様子。
海棠はそんな態度に少々苛つきながらもソファに腰を下ろした。すると…
「レイディ、約束のものはどうした?」
と、トーラスは仮面のような笑顔で問うのだった。
なので海棠は、腰巾着の中に入れた水晶髑髏を彼に手渡した。
トーラスはそのパンダの刺繍の施された腰巾着から、
ぬるっと水晶髑髏を取り出すとそれを持って奥の部屋へと消える。
そして数分後。
大理石のテーブルに用意されたのはストロベリーパフェだった。
「食べながらでいいから聞いてくれ。
単刀直入に言うが君たちにはアイドルグループ『ミューズ』としてデビューしてもらいたい。
ああ、ミューズとは学芸、芸術を司る九人の女神を意味する言葉だ。
それにデビュー曲もすでに用意してある。その名も『ジョーカー』。これはその歌詞と譜面だ」
トーラスは白い紙を数枚、テーブルの上に置く。
その紙にはこんな歌詞が書いてあった。
享楽の舞 影達の宴 異国の詠 贖罪の迎え火は天を照らし 獅子の咆哮はあまねく響く
冥府に輝くは五なる髑髏 天井に輝くは聖なる十字架 天に昇りて星が動きを止める時
マイヤの乙女の鼓動も止まる 後に残るは地上の楽園 そして刻は繰り返す
この男は一体何を考えているのだろう。歌詞を見ながら海棠は思った。と同時に恐ろしくなってくる。
このまま彼の指示がどんどんとエスカレートしてしまったらどうしよう。
というよりこの話を回避することは出来ないものだろうか。
海棠は紙面から視線をトーラスに移して…
「ミューズって九人の女神を表しているんだとしたら、ぜんぜんメンバーの人数が足りなくありませんか?
それに私、歌なんて歌えません。っていうかずっと言いたかったんですけど貴方は私に無茶なことを言いすぎなんです。
この前のシャドウだって、私一人じゃ勝てなかったし!」
刺々しい口調で言い終えるとパフェをスプーンで一口。
でもトーラスは、ネクタイの結び目を弄くりながら余裕の顔。
「んんー…、何はともあれ勝てたということは事実なんだろ?
ならそれで良かったんじゃないのか?たぶん、そういう運命だったはずだ。
それにシャドウ殲滅はジョーカー様の命令だったんだ。俺の指示じゃない。
だがまあ、すまなかったな。これもイン・ラケチ成就の第一歩だということで
ここは我慢してくれないか?」
言い終えてからトーラスは、苦笑するような表情を見せた。
その時、扉が開く。その隙間から室内を確かめるように覗いているのは何と野中エミコ。
「お、いいところに来た。入りたまえ野中君。この子たちは新しく入ったミューズのメンバーだ。
紹介しよう海棠美歩君に…」
「神部さん!」とエミコ。
「お?知り合いだったのかね。そうか、君たちは同じ七姉妹学園の生徒だったんだね。
んー、なら話は早いんじゃないか?野中君にはすでにボイストレーニングをやってもらっている。
海棠君が歌うのが無理でもその、神部君という子と野中君に歌ってもらえばそれでいい。
最悪、神部君も無理でも野中君一人に歌ってもらってあとは適当に周りで踊ってもらえたらそれでもいい」
なんということか。 こんなところで野中エミコに遭遇してしまうとは。
やはり彼女も仮面党なのだろうか。それともトーラスに偶然にスカウトされた?
いたたまれなくなった海棠は思わず立ち上がってしまう。
「えっと、いきなり歌手になれって一体なんなんですか?もしかして貴方の趣味とか?」
トーラスの話に、すっかりついていけなくなった海棠は強い口調で問いかけた。
だがトーラスは気にも留めていない様子で言葉を続ける。
「趣味?いや、俺の正業だよ。それに君の大事な仕事でもある」
そう言って目を細めるトーラス。
なので海棠は察した。これも仮面党の仕事の一つであるということを。
「よし、ということで、君たちのデビューの舞台は学園祭にしようかと思っている。
そうだな…。詳しい日取りは後で連絡するよ。ああそうだ。最後に何か質問はないかね?」
トーラスは意味ありげな微笑を浮かべ一同を見回した。
海棠はその微笑を正視出来ず、思わず立ち眩みそうになる。
まさかこんなことになってしまうとは。
神部を巻き込んでしまったことに強く罪悪感を感じられずにはいられない海棠だった。
【トーラス:歌手デビューしないかい?何か質問はないのかい?と問いかける】
>「君、ちょっと、いいかな?」
>「署まで来てくれないかなぁ?」
その言葉に睡蓮は歩みを止める。言葉の中に含まれていた悪意で大方の想像は出来ていた。
この国の警察は馬鹿ではない。死体が無くとも、血の滲むような捜査の果てに自分達の身内を殺した殺人鬼に目星をつけていたのだ。
それこそ鬼のような執念で、だ。
「お断りッス、って言える雰囲気じゃないスね」
睡蓮の周囲は既に相当数の私服警官に包囲されている。
よもやこんな往来で人目も気にせずの逮捕劇とは、自らの保身を考える警察には考えられない。
睡蓮も予想していなかった動きだ。
だが、だ。赤い口内を覗かせぐんにゃりと口を歪める睡蓮。詰めが甘すぎる。
「なんも身に覚えないんスけどねぇ。ま、しょうがないッ―――」
>「…逃げて!!」
須藤の言葉が響いたのは数通りの脱出方法を脳内で考えつつ、軽口をたたき掛けた時だった。
それこそ睡蓮にとっては予想外中の予想外だったが、順応能力の高い睡蓮は即座に考えを立て直す。
声の先からペルソナが通行人、警官関係なく吹き飛ばしながら現れるその姿はまるで巨大な暴れ馬の如くだ。
「おっほー!誰のだか知らないけどド派手なペルソナッスねぇ!
……ん?いや、あれはもしかして制御出来て無いッスか?だとしたらルーキーとかそういう問題じゃねッスねぇ」
数人の警官が態勢を立て直し、須藤のペルソナに拳銃を構える。
ペルソナは言ってみれば自身の片割れだ。撃たれたって死には相応の痛みを受ける。
>「あ、あの子は須藤竜子だ!外務大臣から直々に捜索願が出ている子だ。あの子も捕まえろ!」
>「さ、中に入りなさい。警察官殺しの重要参考人としてあなたを連行するわ」
数人の私服警察官は須藤へ、そして婦人警官は睡蓮へ。
もしかしたら、この時その場にいる全員で睡蓮への連行に力を注いでいればあるいは少なくとも警察署まで連れて行けたかもしれない。
しかし、不幸かな。彼らは二手に分かれてしまった。先人は言う事はいつも正しい、即ち『二兎追う者は一兎も得ず』。
「昇進おめでとうございますッス、公僕の皆様。
確か、二階級特進でしたッスか?殉職って……」
どこから出て来たのか、紅い翼を身に纏わせたネメシスが姿を現す。
「須藤竜子っつったスか、アンタのお陰で準備が出来たッス。お礼にアンタを助けてあげるッス」
青い魔力の奔流が睡蓮とネメシスを中心に渦を巻く。
『コンセントレイト』、集中力と共に魔力を大幅に高め、技本来の威力、精度を倍以上に高める技。
ネメシスは両手を何かを探すように大きくその手と紅い翼を広げる。
「それでは公僕の皆様、任務ご苦労さようならッス。メギド」
まるでそれは遥か上空から落ちてくる大きな光の塊。神話に出て来る神の怒りそのものだ。
それが繁華街の地面に落ち、そして弾けると警官や私服警官達に群がる様に纏わりつく。
そして、消える。まるで光に蝕まれるように人間が断末魔も悲鳴も言葉も無く消失していく。
睡蓮の背を押していた婦人警官もその光に飲まれ跡形も無く消え去っていった。
そこに居た警官達は勿論、本部にて指揮を執っていたお偉方も何処からか現れた光に飲まれ消えていった。
それは睡蓮のネメシスが多少探知型の特性を秘めていたからだろう。
普段は出来ない悪意の遠距離探知がコンセントレイトのお陰で強化された、と説明するのが尤もだ。
警察官以外の一般人や須藤、そして須藤のペルソナには何の被害も無く、その場に一瞬の静寂が戻る。
「んじゃ、逃げるッスか!行くッスよ、竜子チャン♪」
そう言って睡蓮は須藤の手を取ると身体を猫の様にしならせ走る。
2人が駆け抜けた後には五月蠅いほどの大きなざわめき、混乱が起こった。
しかし、関係ない。睡蓮は自分の世界の為に好きな事をし、嫌な事を無くす。
それが睡蓮の行動原理だ。
「にゃお♪」
悪戯っぽく猫の様に鳴くと睡蓮は半無理矢理須藤の手を引っ張り走り続ける。
珠間瑠市夢崎区にある自身の拠点に向かって。
街なかでの突然の捕り物劇に、携帯カメラのシャッターを押す者、
ツイッターで呟きを始める者、逃げ出す者、などと様々な動きを見せる通行人たち。
それらを背景に須藤竜子は私服警官たちと睨み合っていた。
須藤の傍らに立つのは異形。無意識の海から生まれ出た影。
まるで心臓の殻を突き破って生まれ出てきたような「それ」は
少女の身体に激しい痛みさえ与えていた。
歯を食い縛りながら須藤は思う。
こんな思いまでして白道を助けたのは何か絶対的な理由があるのではないかと。
自身の無意識の奥底に、その理由が今も眠り続けているのではないのだろうかと。
私服警官たちの背後に白道が見える。彼女はパトカーに押し込められようとしていた。
しかし、須藤には分かっていた。
白道の余裕の表情と、婦人警官の青ざめた表情から、
猫耳の少女が助かるものと確信していたのである。
>「昇進おめでとうございますッス、公僕の皆様。
確か、二階級特進でしたッスか?殉職って……」
「は?何を言っているの。貴女…、ま、まさか!!」
婦人警官の見開かれた瞳には紅い翼が映る。そう、確かにそれは見えていた。
が、次の瞬間、網膜が強い光に射られると、婦人警官の視界は完全にホワイトアウト。
そうだ。彼女が最期に見たのは紅い翼の女神。
そして天上から落ちてきた光は収束を開始すると、血も骨も魂さえも残さずにすべての警官たちを消し去ってゆく。
こうして南港警察署刑事一課強行犯係の捜査チーム、通称「三島班」は全員が殉職した。
確かに彼らの正義心と連帯感からくる勇気ある行動は敬意に値するものだった。
しかし、保身を第一と考える警察の上層部は三島班の行動を汚点として処理し、
きっと闇に葬ってしまうことだろう。
――気がつけば、断罪の光が街に沈黙を齎している。
>「んじゃ、逃げるッスか!行くッスよ、竜子チャン♪」
「あ…」
手を繋ぎ、雑踏を駆け抜ける二つの影。
冷たい秋風が死人の手のように須藤の髪を梳かしている。
そう、すでにこの街は死で満ちているのだ。
>「にゃお♪」
悪戯っぽく猫の様に鳴く白道睡蓮。一体彼女はどこへ向かっているのだろうか。
半ば強引に導かれながら、須藤はいつの間にか暗い裏通りに入っていた。
徐々に悪臭が鼻を刺激する。飲食店の生ゴミが散開する裏路地を二人は野良猫のように駆けていた。
その時だ。脳裏に蘇る記憶。頭の中で呪詛のように鳴り響く旋律。
それに思わず須藤は口ずさんでしまう。そう、まるでミュージカル映画のワンシーンのように。
「享楽の舞 影達の宴 異国の詠 贖罪の迎え火は天を照らし 獅子の咆哮はあまねく響く
冥府に輝くは五なる髑髏 天井に輝くは聖なる十字架 天に昇りて星が動きを止める時
マイヤの乙女の鼓動も止まる 後に残るは地上の楽園 そして刻は繰り返す」
きっと白道は、須藤が気が狂っていると思うことだろう。
だがその歌は、人の意識の奥底を揺さぶるような魔術的な要素を含んでいるようだった。
歌い終えた須藤は呼吸を荒げ、白道の手を振り解くと歩調を落とす。
ふと視線を這わせば、残飯に半身を突っ込んで食料を漁っている猫。
その様子に須藤は感覚でわかった。どうやらこの辺りは夢崎区らしい。
「ハア…ハア…。ありがと…助かったわ。それに貴女の名前は白道睡蓮さんでしょ?、
私、何故かはわからないけど知ってるの。たぶん、前にどこかで会ったのかもね…」
それがどこかは、まだ思い出せない。
だから須藤竜子は、生ゴミの残骸を避けながら白道についてゆく。
彼女のことを知れば知るほど、何かを思い出してゆくのではないか。
そんな期待を胸に秘めて。
「貴女のペルソナ。すごいペルソナだったね。
私のと違う。ちゃんと言うことを聞いてくれるペルソナ。
羨ましいなぁ。強かったし…」
目を輝かせている須藤。
白道が警官を複数人殺害したことは気にも留めていない。
否、むしろその能力の高さに敬意を払っているようでもあった。
それ故に少女は、羨望の眼差しで言葉を続けるのだ。
「その力、私たちに貸してくれない?私たち仮面党に……。イン・ラケチの成就のために。
いいでしょ?貴女と私たちで世界を変えてみせましょうよ。
イン・ラケチが成就されたら人類は新たなる段階へと進化するの。
そうなったら、みんなの病気もなくなるだろうし、
無能な人間たちが馬鹿げたことを繰り返さなくってもすむようになるのよ」
明らかに宗教団体的な須藤の発言に、白道はどのような反応を示すのだろうか。
だがその須藤は興奮し過ぎたのか、白道の答えを待たずに胸を抑えながら苦しそうにしている。
「……ねえ、いいでしょ?
この命がさ、無くなっちゃうまえに…。私は世界を変えたいのよ。
どいつもこいつもさ、馬鹿げたことをただ繰り返してるだけじゃない…。
それはね、あきらかに時間の無駄なのよ。そう、命の無駄遣いなのよ……」
弱弱しく震える須藤の身体ではあったが、その瞳には怒りにも似た激しい情念を孕んでいた。
「ん、海棠さん、美術部に入部希望ですかい」
見知った背中が掲示板の前に佇んでいたので、いきなり声をかけてみる。
>「あ!あの…お久しぶりです」
海棠は案の定びっくりしたようだ。
会釈の次に、謎のターンを入れてくれた。とても軽やか。
昨晩のキリっと勇壮な姿が嘘みたいで、衣世はくすくす笑う。
>「あうぅ…、神部さん。今ってお忙しいですか?やっぱり、学園祭も近いことですしお忙しいですよね。
あの、えっと…私、神部さんにとんでもないお願いごとがあるのですけど、いいですか?」
「時間は平気。前に描いたの出すつもりだから。今してるのはただの落描きなんだ。
……それで、お願い? なんだろう。お金なら貸しませんよ。」
これはもちろん冗談のつもりで言った。
>「その、あの…、今すぐになんですけど私と一緒にクラブ・ゾディアックに来ていただけませんか?
出来れば、その、お友達として……」
クラブ・ゾディアック。昨日門前払いをくらったあのVIPルームのことである。
それは衣世にしても願ったり叶ったりな誘いだった。特に深くは考えず、二つ返事で引き受ける。
「オーケー。……あ、でもね、こちらからもお願いがあるの。」
少しだけ身構えられた気がした。海棠は他者との距離を必要以上に取る子だ。
孤独は楽で身軽だから。誰も傷つかないから。
けれど、それははたして本当に良いことなのだろうか。
「友達ならさ、敬語は止めてくれないと。苗字で呼ぶのもダメだよ。
――今がダメなら、いつかででいいから。」
衣世は鞄を持ち直して海棠の背中を軽く押す。
自分はお節介焼きが大好きだ、と思いながら。
「それじゃ、美帆。行きましょうか。」
都会にやってきたばかりの田舎者のように、衣世は目をキョロキョロさせている。
クラブなんぞ初めて入るのだから仕方がない。
部屋にかかる靄はなんなのだろう。煙草?お香?まさか薬物ではないだろうが。
先導を導く海棠は、すいすいと人混みを掻き分け再奥の部屋まで行っている。
二人のガードマンは彼女を見るなり無言で一歩下がり、入室許可を下ろした。
中では一人の男性が、革張りのソファの上に足を組んで座っており…。
VIPルームに顔パスというだけでも驚きだというのに、
なんと海棠は、その得体の知れない男と言い争いを始めたではないか。
(普段は大人しいけど、芯は強い子…なのかな?)
呼び出された意味も分からず、衣世は海棠の横で、ただただ振舞われたイチゴパフェを突っつく。
>「単刀直入に言うが君たちにはアイドルグループ『ミューズ』としてデビューしてもらいたい。」
こんな恐ろしい話題に突入するまでは。
「……はい?」
バニラアイスをすくうスプーンも止まる。
アイドルデビューを偽り、女の子達の夢や希望を食い物にする詐欺は、この夢崎では少なくない。
>「えっと、いきなり歌手になれって一体なんなんですか?もしかして貴方の趣味とか?」
>「趣味?いや、俺の正業だよ。それに君の大事な仕事でもある」
トーラスから仕事と言われると、海棠はそれきり黙った。何か弱味でも握られているのかと勘ぐりたくなる。
彼女には恩があり、なにより大切な友人だ。独りぼっちで茶番を演じさせるわけにはいかない。
笑い者になるならいっそ二人の方が心の傷も浅くなるというものだ。
衣世は腹を据え、ここに来て初めて自分の主張を述べようとした。
「わ、私が今から言う条件を貴方が了承して下さるなら…協力しましょう。」
と前置きをしてから、わざとらしい咳を一つ、コホン。
さりげなくポケットの中のケータイを手探りでいじり、ボイスレコーダー機能をオンにさせる。
万が一のことがあれば、これを警察なり司法の場なりに突き出してやるつもりだ。
「まず、レッスン代、衣装代、その他一切の費用をそちらで負担して下さい。私達はびた一文払いかねます。
次に、空いている時間はなるべくダンスだの歌だのの練習はします。けれどあくまでも学生は学業第一。
ということで学校の行事がなにがなんでも最優先事項です。
それと、自意識過剰と思われたら嫌だし、誰が得するのって話なんですが、
……露出の多い衣装は絶対着ません!水着も下着も却下です! はあ…。
最後に、ミューズが売れなくても、私達のせいにしないで下さい。
以上全てを厳守できるのならば、神部衣世17歳、アイドルデビューと行こうじゃあありませんか。」
馬鹿らしい。恥ずかしい。みみっちい。
三拍子揃った要求を、半ばやけくそ気味に言い放ってやった。
トーラスはどこ吹く風でそれを受け流す。
交渉の場で、一介の女子高生が大人と張り合って優位に立つなど無理な話なのだ。
折り合いもついたところで、新たな顔ぶれが追加される。野中エミコである。
>「神部さん!」
性格が一変し自信がついたのか、野中は随分垢抜けて可愛らしくなった気がする。
野中の高めの声に、衣世は弱々しく笑って手を振った。
強気目の彼女が入ればなんとかなるかもしれない…なんて希望的観測だ。
>「よし、ということで、君たちのデビューの舞台は学園祭にしようかと思っている。そうだな…。詳しい日取りは後で連絡するよ。」
「まじですか。」
絶望色濃いその言葉はトーラスによって鮮やかに無視される。
>「ああそうだ。最後に何か質問はないかね?」
はたと、衣世の顔色が変わった。握っていたスプーンを紙ナプキンの上に置く。
質問は、それこそ山のようにある。
貴方達仮面党の目的は何なのだ。
そう尋ねたとすれば想定される答えは一つ、"イン・ケラチ"の成就。
昨夜海棠の口から初めて聞いたその言葉は『私はもう一人の貴方である』という意味だそうで。
はっきり言ってそれは衣世が望んでいるものではなかった。もっと明確な、具体的な答えが欲しかった。
今ここで彼らに踏み込まなければ、ずっとはぐらかされ続ける。
彼らの手駒に成り下がり、利用されるだけの存在になってしまう。
「では3つほどお尋ねしますが、秘したいのであれば一向に構いません。
今会ったばかりのお子様に胸中全てを明かすのは無理がある。それはこちらも承知しているつもりです。
……ただ、嘘だけは止めてください。私達は一応協力関係にあります。私は貴方を信用したい。」
これは建前だ。教えてもらう真偽の程は、彼の良心に依存されるのだから。
トーラスは食えない男、彼のペースに翻弄されぬよう衣世はキっとその目を見据える。
「どうして私達のような素人を捕まえてミューズを結成したのでしょう。
仮面党の宣伝塔にでもしたてあげるつもりですか?そんな浅い考えでは無いことを願いますが。」
数枚の譜面テーブルに広げられている。
軽いノリのアイドルグループが歌うには、歌詞が……なんというか芸術的で、堅い。
影達の宴、五なる髑髏、聖なる十字、マイヤの乙女…目を引く様々な単語の中で、最も引っかかったものは――
「ジョーカー。」
それはこの歌詞のタイトルであり、そして。
「貴方の、そして美帆さんの上司ですね。私は今までジョーカーを都市伝説の人物だとばかり思っていた。
大衆の創りだした暇つぶしの偶像だと。だけど違ったようです。
実際に貴方に指示を下し、美帆さんを戦闘へ向かわせている。
……ジョーカーは人間ですか?何をしているのです?年は?性別は?ペルソナ使いなの?」
気づけば熱に浮かされたようにまくし立ていた。
が、隣にいる海棠を思い出し、我に帰る。
「……失礼しました。情けないことに混乱してしまったようです。」
彼女とトーラスに向けて一言非礼を詫びた後、3つ目の話題に移る。
「長いこと喋ってましたけど、あと一つだけ。これに答えてくれさえすれば、後の問いはぶっちゃけノーコメントでも結構。
――どうしてジョーカーはイン・ケラチを成就させたいのだろうか。
その願いが叶った後、世界はどう変わる?」
――夢崎区。クラブ・ゾディアック(VIPルーム)
ミューズというユニット名で、歌手デビューをしろと無理難題を押し付けてくる仮面党幹部トーラス。
それに毅然とした態度で条件を突き返すのは神部衣世。
二人に挟まれた海棠美歩は、何となく大人の世界を垣間見たような気がした。
たった一歳違うだけだというのに、神部の行動は洗練されているし
何よりも常識的で正しいと思う。
これも大病を患って、彼女が一年留学したという影響なのだろうか。
神部は過去に死というものを実感したはずだ。
だからこそ今、生きている時間を大切に過ごすことが出来ているし
自分自身を大切にすることが出来ているのだろう。海棠はそう思う。
自分のように人生が上手くいかないからと言って、
「どうでもいい」とか「世界が終わるのを見ていたい」など
そんなみすぼらしい考えなど神部は持ち合わせていないのだろう。
そんな折、野中エミコは部屋の奥の扉に入ってゆくと
中からチョコレートパフェを自分で勝手に持ってくる。
海棠は野中のそんな行いに、彼女がすでにジョーカーと接触しており
仮面党の一員であるのだろうと想起。
でも一体野中はジョーカーに何を願ったのだろう。
まさか、性格を明るくしたいとか?
そんなことを一瞬だけ気にしながら、神部とトーラスのやり取りに意識を戻す。
神部衣世がトーラスに投げかけたのは三つの質問。
>「どうして私達のような素人を捕まえてミューズを結成したのでしょう。
仮面党の宣伝塔にでもしたてあげるつもりですか?そんな浅い考えでは無いことを願いますが。」
「ハハハ。いやいや図星だよ。神部君とか言ったね?君は実に聡明な女性だ。
今、仮面党は君みたいな凛として強い若者の力を欲しているんだよ。
その為には今時でポップな広告塔が必要と思ってね」
トーラスはあっさりと神部の意見を肯定。
>……ジョーカーは人間ですか?何をしているのです?年は?性別は?ペルソナ使いなの?」
「……ジョーカー様は思慮深いお方だよ。俺たちのために仮面を被り、ジョーカーになられたという。
年齢も性別もわからぬが、イン・ラケチ成就のために今もこの街を奔走なされているはずだ。
それにペルソナ使いかはどうかはわからん。俺はあのお方のペルソナを見たことがないからな。
ただその可能性は大とだけ伝えておこう。なぜならあのお方に成せないことはないからだ。
さらに望龍術という神秘的な力も持っておられる。
それらを惜しげもなく使役し、ジョーカー様は俺たちをイン・ラケチへと導いてくださっているのだ」
気がつけば、あのトーラスから笑顔が消えている。
ジョーカーについて語る彼の眼差しは真剣そのものだった。
>「長いこと喋ってましたけど、あと一つだけ。これに答えてくれさえすれば、後の問いはぶっちゃけノーコメントでも結構。
――どうしてジョーカーはイン・ケラチを成就させたいのだろうか。
その願いが叶った後、世界はどう変わる?」
「……ん」
短く言ってトーラスはテーブルの上のブランデーを一口。
乾いた喉を潤すためか、その動作の間に言葉を選んでいるのか。
それは本人以外にわからない。
「そうだな。宗教を超えた大いなる救済が行われたのち、
世界は生まれ変わる、とでも言っておこうか」
その時、海棠は不思議に思った。かつて海棠が教えられたことと
トーラスが今、神部に答えたこととでは少々ニュアンスが違っていたからだ。
それに何かの意味はあるのだろうか。考えるとすれば、神部はまだ仮面党員ではないということと
ジョーカーと接触していないということ。
やはり身内以外には真実は伝えられないということなのだろうか。
海棠がトーラスから聞いた言葉は、イデアルエナジーを集め
人類を新たなる段階へと進化させるということだった。
しかしそもそも進化とはどういうことなのだろう?
進化したあとの人間はいったいどうなるというのだろう?
どんなふうに世界が生まれ変わるか、どんなふうに人類は進化するのか。
トーラスにそれを問うても、彼には答えられないことだろう。
なぜなら彼は知らないからだ。
だが、イン・ラケチにいたるまでの過程は知っている。
その内容を、神部たちに教えることは出来ないだろうが。
――神部と海棠がゾディアックを出る頃には辺りは薄暗くなっていた。
神部は門限があるだろうから海棠は彼女と一緒に帰ることにした。
野中はというと、しばらくこのゾディアックで踊りのレッスンを続けるのだという。
海棠は野中のことを心配したが、兄に迎えに来てもらうので大丈夫とのこと。
「ごめんなさい」
帰り道、前を歩く神部の後ろ姿に、海棠は深々とお辞儀する。
それもお辞儀しながら歩いていたので中年のサラリーマンの胸元におもいっきり頭突きをかます。
でも幸いなことに優しい方だったので事無きを得、そのまま神部と歩いた。
路地裏からは猫同士の喧嘩でひっくり返ったゴミ箱の金属音が響いてくる。
そこで海棠は堰を切ったかのように一言。
「……トーラスは私に、イン・ラケチで人類が進化するって言ってました。
そのためにはイデアルエナジーを集めなきゃいけないって。
それと隠していたわけじゃないんですけどゾディアックで私が彼に渡したものは水晶髑髏なんです。
廃工場にいた化け物から奪ったイデアルエナジーが詰まっている」
相変わらず敬語の海棠。
敬語は海棠の口に染み付いている言葉なのでそんなに簡単には変えられない。
ただ、自分の心に近づいてくれた神部が、トーラスに騙されているような気がして
海棠は自分の分かりうることを伝えずにはいられないのだった。
>「ハア…ハア…。ありがと…助かったわ。それに貴女の名前は白道睡蓮さんでしょ?、
私、何故かはわからないけど知ってるの。たぶん、前にどこかで会ったのかもね…」
>「貴女のペルソナ。すごいペルソナだったね。
私のと違う。ちゃんと言うことを聞いてくれるペルソナ。
羨ましいなぁ。強かったし…」
>「その力、私たちに貸してくれない?私たち仮面党に……。イン・ラケチの成就のために。
いいでしょ?貴女と私たちで世界を変えてみせましょうよ。
イン・ラケチが成就されたら人類は新たなる段階へと進化するの。
そうなったら、みんなの病気もなくなるだろうし、
無能な人間たちが馬鹿げたことを繰り返さなくってもすむようになるのよ」
>「……ねえ、いいでしょ?
この命がさ、無くなっちゃうまえに…。私は世界を変えたいのよ。
どいつもこいつもさ、馬鹿げたことをただ繰り返してるだけじゃない…。
それはね、あきらかに時間の無駄なのよ。そう、命の無駄遣いなのよ……」
「…………」
熱っぽく喋る須藤をよそに、睡蓮は無言に徹して歩き続ける。
須藤にとっては気まずくも感じるであろう沈黙が流れ続ける中、とある廃墟となったビルの扉を開けた。
罅の入ったむき出しのコンクリートに散乱したゴミ、電気の通わないビル内はまだ夕暮れ時だというのに暗い。
その中を睡蓮は迷いなく歩く。進み、曲り、階段を上り、また進む。幾度かそれを繰り返し、あるドアの前で立ち止まる。
コートのポケットから鍵を取り出し、差込口に入れると。主の帰りを知らせる開錠の音が響き渡る。
そのドアの先もまた薄暗く、どうなっているのか解らない。
しかし、御香だろうか、蠱惑的な脳髄を蕩かす様な甘い香りがその部屋には充満していた。
睡蓮は足元のランタンの摘みを捻る。すると山吹色の炎が揺らめき怪しく部屋を照らす。
そこでようやく部屋全体が見渡せるようになった。
元は何かの事務所だったのか。ただっぴろいその部屋には様々な物が置かれていた。
クローゼット、成人男性が入れそうな大きさの金庫、大きなソファー、装飾の無いベッド。
積み重なった缶詰やレトルト食品やインスタント麺やスナック菓子の山。
ガスコンロに薬缶、そして大型のバッテリーに繋がった冷蔵庫。
およそその廃ビルの中でその部屋だけだろう生活感が溢れている部屋だった。
睡蓮はクローゼットを開けると中をゴソゴソと漁る。
クローゼットの中には睡蓮の着ているコートと同様の物が数着引っかかっていた。
その下には無造作に数十の拳銃が積み重なっている。扱いは雑だが手入れはしている。
と、その時、睡蓮はその拳銃の山から赤黒い塊を取り出した、言わずもがな召喚器だ。
そして自身のコートを乱暴にソファーに脱ぎ捨て、ふんぞり返る様に座るとそこでようやく口を開く。
「いやぁ〜、竜子チャンはせっかちでいけないッスねぇ。勧誘にしろ商談にしろ落ち着いた場所でするべきッス。
これ物事を円滑に進める為の鉄則鉄板ッスよ」
露わになったその肢体は蝋の様に白い。そのまま目を瞑り眠ってしまえば死者の様にも見える。
全身を覆うコートによって長年太陽の光を遮ってきた結果であろう。
手にした召喚器を須藤に投げ渡す。何故、鈍色の筈の召喚器が赤黒くなったのかは睡蓮の性格を考えれば容易に想像できるだろう。
「あー、まず自己紹介からッスかねぇ?ていうかなんで私の名前を竜子チャンは知ってるんスか?
私そんな有名人だったスかね?痕跡残さないようにしてたんスけどねぇ……」
ぬー、と唸りながら睡蓮の話は早速脱線する。
「ま、それはどうでもいいッスか。竜子チャンもペルソナ使いッスよね?んじゃそれが何か分かるッスよね?
あげるッスよ。私はそんなの無くてもネメちゃん出せるッスし。
それにいっくらペルソナが強力だからって制御出来ないなんてルーキーよりも弱雑魚ッスから」
そう言いながら睡蓮は立ち上がると冷蔵庫から炭酸ジュースを取り出しブルタブを開け飲む。
「んぐんぐ、竜子チャン。さっき私のペルソナが強いって言ったスよねぇ?ソレ間違いッス。
アタシのネメちゃんは弱いッスよ?攻撃スキル一個しかないッスし。基本、奇襲、強襲用のペルソナッス。
しかもその攻撃スキルもさっきみたいに強化しないと素早い奴には当たんないし、弱々ッス」
そう、だから睡蓮は基本的にペルソナに一方的に頼らない。
むしろ対シャドウ、ペルソナ戦においては自身が銃や包丁で攻撃することを基本とする。
そして睡蓮のペルソナ、ネメシスが固定砲台として戦闘を補助するのだ。つまり普通のペルソナ使いと戦法が逆と言っていい。
「ちゃ〜んと制御できれば竜子チャンのペルソナの方が何倍も強いッスよ。
多分、ペルソナ同士なら竜子チャンのペルソナ、うちのネメちゃんなんか圧倒しちゃうんじゃないスか?」
ククッ、と自嘲的に笑うと睡蓮は飲み終わったジュースの空き缶を適当に投げ捨てる。
からから、と空しい音を立てて空き缶が転がった。
「で、さっきの勧誘の話ッスけどぉ……そんなよく分かんない組織のお手伝いなんてゴメンッスね〜。
人類の新たな段階とか、悪いけど私には興味ないッス。てか自分の世界以外どうでもいいんッスよねぇ。
そもそも人に使われるのと面倒事って嫌いなんスよねぇ……私。と、言うわけで答えはNOッス」
いかにも興味のなさそうに須藤の勧誘を切って捨てる睡蓮。
しかし、睡蓮は分かっているだろうか?自身が先ほど渡した召喚器と自身の発言で自分が不利に立たされている事が。
その気になれば、須藤は力づくで睡蓮を味方に引き入れることが出来る。安定したペルソナ能力で嬲り殺す事だって出来る。
なんせ睡蓮のペルソナは、須藤のペルソナよりも弱いのだから。そのことを睡蓮は理解しているのか。
それは愚問だ。睡蓮はちゃんと分かっている。分かった上で須藤の勧誘を切り捨て、そして試しているのだ。
即ち、自身の世界に彼女は有害か、無害かを。
そして睡蓮はとぼけた声で須藤に全然関係ない質問を投げかける。
「そいや、竜子チャン。さっき走ってる時に口ずさんでいた歌なんスか?
歌詞やらなにやらはともかく、とてもいい音色?いや旋律だったッスけど」
>「いやぁ〜、竜子チャンはせっかちでいけないッスねぇ。勧誘にしろ商談にしろ落ち着いた場所でするべきッス。
これ物事を円滑に進める為の鉄則鉄板ッスよ」
「ふーん。私は私なりに合理的に話を進めたいって思ってるだけなんだけどなぁ。だって、時間は待ってはくれないでしょ」
山吹色の炎に照らされながら、須藤は微苦笑。
白道はこの廃ビルの一室を落ち着いた場所と言う。ということはここは白道にとって自宅ともいえるような場所なのだろう。
目の前のスナック菓子の袋を見つめながら、須藤はこの交渉が上手くいくものとばかりと考えていた。
感じたデジャヴに投げ渡される召喚器。きっとこれは運命の出会い。そう信じていた。
>「あー、まず自己紹介からッスかねぇ?ていうかなんで私の名前を竜子チャンは知ってるんスか?
私そんな有名人だったスかね?痕跡残さないようにしてたんスけどねぇ……」
「え?それはデジャヴ。きっとどこか違う世界で貴女と私は出会っていたの」
短く答えて、赤黒い召喚器をまじまじと眺める須藤。
しかし、次の白道の発言にその表情は一変。
白道の「制御出来ないペルソナは雑魚」その言葉はありのままの須藤に対する侮辱だ。
さらに白道は自身のペルソナの解説を始め、力を貸して欲しいという須藤の申し出も断ってしまう。
おまけに無関心な態度が須藤の感情を逆撫でする。
自分は雑魚じゃない。雑魚とは海棠美歩とかそんな者のことを言う。
命をかけて頑張りもせず、だらだらと最低のビリッ尻で生きている者。
人生を諦めて妥協している者。成長しない者。あんな者たちには生きている価値がない。
家畜以下のくせに自然や命を食い物にしている無駄な存在。
須藤はランタンの明かりだけで照らされた広い部屋の壁際まで移動。
白道の死角に立つと、この部屋には窓がないのでは?と、ふと思った。
とすればこの場所は、外側からは攻め難いし内側からは逃げ難い場所。厄介な場所。
息苦しさも感じる密閉感に、須藤は森本病院の隔離病棟を思い出してしまう。
しかしここが白道の世界。彼女が安心していられる唯一の場所なのだろう。
「うーん…残念。貴女と私はとっても気が合うと思っていたのになぁ」
須藤の緊迫感のない声が響く。それとは裏腹に行動は狂気。
少女は銃口を自身のコメカミに押し当てると引き金をひいていた。
その瞬間、禍々しい光が放出されカンテラの明かりが相殺される。
そして出現したのは須藤のペルソナ「エリス」
鎧を纏った有翼の女神は槍の尖端で白道を狙い、今にも飛び掛ってしまいそうだ。
>「そいや、竜子チャン。さっき走ってる時に口ずさんでいた歌なんスか?
歌詞やらなにやらはともかく、とてもいい音色?いや旋律だったッスけど」
「あ、それはね。人の心を奪う歌。聞いた者の魂の一部を肉体から離れさせるための歌。
そして肉体から剥離させた人々の魂をイデアルエナジーとして水晶髑髏に溜め込んでイン・ラケチを完成させるためのものなのよ。
それと同時にその歌は予言でもあるの。享楽の舞はクラブ・ゾディアックでの集会。
影達の宴は学園祭で大量に生み出されるであろう影人間たちを示唆してる。それと異国の詠は文字通り異国の女神たちの歌。
まあ、予言って言っても何度も繰り返されていることを皆忘れているだけって話なんだけどさ…。
だからこの運命の螺旋から抜け出すためには何としてでもイン・ラケチを成就させなければならないのよ」
饒舌に語る須藤は、何かしらの記憶を断片的にではあるが思い出しているようだ。
それはエリスを制御して召喚出来たということも関係しているのかも知れない。
威風堂々と直立するエリスを傍らに、余裕の須藤。
白道が振り返れば、その姿にきっと恐れ戦くはず。
「ねえー、これからの貴女の運命のことなんだけどさ。このままじゃ貴女はすぐに不幸になっちゃうと思うんだ。
この先、貴女を狙って貴女の世界を破壊しようと迫ってくる者が現れるの。嘘だと思う?
それなら数日後の春日山高校の学園祭に行ってみるといいわ。そこに貴女の宿敵が現れるはずだから。
多分貴女の言うルーキーね。でも今のうちにどうにかしておかないと取り返しのつかないことになるわよ。
世界の歪みは今のうちに正しておかないとねぇ…」
須藤は白道を、他のペルソナ使いに引き合わせ地獄へ叩き落そうとしている。すでに交渉は決裂していると考えてもいい。
ただ分かり合おうとした結果がこれ。世界のすべてを許せない須藤に自分の世界を大切にする白道。
「ねえ、黙ってないでこっちを見なさいよ。どう?私のペルソナ「エリス」は」
相手を恐れさせて威圧する。それは須藤竜子の祖父、須藤竜蔵と同じやり口だ。
でも須藤には、無理やりにでも白道を従わせる積もりはない。
ただ自分を雑魚と呼ぶものは許せない。
ならば恐れ戦かせ敗北感を味合せる。それだけで十分だった。
この後白道が、どのような態度を見せるのかはわからなかったが、
戦いとなれば須藤は命をかけて戦うだろうし、そうでなければクラブ・ゾディアックにむかうことだろう。
イン・ラケチ成就のために、トーラスともっと踏み込んだ議論を交わすためだ。
春日山高校の治安が良くないことは重々承知の上でした。
きっと最初の内は苦労するでしょうし、それも覚悟をしていました。
だからこそ、きっと上手くいくと信じて私は入学を決心したのです。
たゆまぬ努力はいつか報われるもので、真っ直ぐな想いはきっと誰かの胸に届くはずと。
今日まで私は孤独に震えながら、一人で戦い続けました。
毎日生徒の皆さん、先生方に笑顔で挨拶をしました。
自分を甘やかさず、勉学に打ち込み続けました。
困っている人がいたら率先して手を差し伸べました。
理に反することには勇気を振り絞り行動を起こしました。
何もこの学校を変えようだなんて、そんなおこがましいことを考えていたわけではありません。
ただ少しでも、仲良くなりたかっただけなのです。
生まれも育ちも関係ない、私は貴方方と何も変わらない人間なのだと理解して頂きたかっただけなのです。
なのに、それなのに、どうしてこのような悲しくて恐ろしい諍いばかりが起こるのでしょう。
ああ、あの真っ赤な血の色が頭から離れてくれません。
なのに、頭の中は真っ白になってしまって……。
>「お初にお目にかかる、僕は月光館学園探検部部長須佐野命という者だ。
>今日は新聞部部長を訪ねて来たのだが部室の場所を教えてもらえると……」
突如耳に届いた声で、深く沈んでいた優愛の意識は急速に浮上する。
何故か視線が上手く定まらない、歯の根がカチカチと音を立てている。
そこで、自分の体が小さく震えていることに気が付いた。
>「……何があった!?」
「……あっ、あの……」
それは、自分でも驚くほどに小さく掠れた声で、喉からようやく搾り出した断末魔の呻きのようだった。
そこから続く言葉が見つからず、上手く伝えることが出来ない。
何があったかを説明しようにも、どう説明するべきか思い付かない。
脳裏にこびり付いて消えない物を、そのまま口にすることしか出来なかった。
「……“血”が……」
自分が発した言葉で、血に染まった着物の人間、シャツの襟元を血で染めた生徒、それぞれの姿を鮮明に思い出す。
「……あの、生徒の方が怪我をされていたようで、私驚いてしまって……。
きっと生徒同士のケンカが原因ではないかと思うのですが……」
あの血が本人の体から出た物なのかは定かではないが、優愛の口は自然とその疑惑を避けて動いた。
それでもたった一つの疑問が思い浮かんでしまうと、ついそのことも口に出してしまう。
「……けれど、あの方はとても生徒には……」
凡そ一介の高校生とは思えない風貌をしていた着物姿の人物。
そういえば生徒の方が一人で校舎に戻ってきたのは何故なのか。
そのことを考えるよりも先に、目の前の一風変わった見知らぬ生徒が発した先ほどの言葉を思い出す。
「……あっ、失礼致しました。私、春日山高校一年生の桐生優愛と申します。
ええと……新聞部の部室、ですか?
申し訳ありません、そのような部の活動は存じ上げませんが……」
そう言いかけて、たまに耳にするある噂を思い出した。
図書室の一角を勝手に間借りして、無認可でありながら新聞部を名乗る生徒がいるのだとか。
実際にその目で確かめたことはないので真偽の程は不明だが。
「いえ、もしかすると図書室に向かえば、その新聞部の部長の方にお会いすることが出来るかもしれません。
正式な部活動として認可を受けてはいないとも聞いていますし、私も詳しいお話については分かりかねますが……。
お急ぎでしたら私が図書室までご案内致します。それに、他校の生徒の方々だけで歩くには心許ないでしょうから」
澱みのない親切心を優雅に微笑んで表すと、二人の生徒を校舎内へと招いた。
>「あ、それはね。人の心を奪う歌。聞いた者の魂の一部を肉体から離れさせるための歌。
そして肉体から剥離させた人々の魂をイデアルエナジーとして水晶髑髏に溜め込んでイン・ラケチを完成させるためのものなのよ。
それと同時にその歌は予言でもあるの。享楽の舞はクラブ・ゾディアックでの集会。
影達の宴は学園祭で大量に生み出されるであろう影人間たちを示唆してる。それと異国の詠は文字通り異国の女神たちの歌。
まあ、予言って言っても何度も繰り返されていることを皆忘れているだけって話なんだけどさ…。
だからこの運命の螺旋から抜け出すためには何としてでもイン・ラケチを成就させなければならないのよ」
「……ふーん、そッスか」
と、睡蓮はさして興味もなさそうに相槌を打つ。
自分から聞いといてその態度は慇懃無礼極まりない。相手の態度を逆撫でするだけであろう。
それを知ってか知らずか、須藤に背を向けたままの態勢の睡蓮。
というか現に、既に須藤は己のペルソナを召喚しこちらに丸出しの悪意を向けている。
>「ねえー、これからの貴女の運命のことなんだけどさ。このままじゃ貴女はすぐに不幸になっちゃうと思うんだ。
この先、貴女を狙って貴女の世界を破壊しようと迫ってくる者が現れるの。嘘だと思う?
それなら数日後の春日山高校の学園祭に行ってみるといいわ。そこに貴女の宿敵が現れるはずだから。
多分貴女の言うルーキーね。でも今のうちにどうにかしておかないと取り返しのつかないことになるわよ。
世界の歪みは今のうちに正しておかないとねぇ…」
>「ねえ、黙ってないでこっちを見なさいよ。どう?私のペルソナ「エリス」は」
そんな須藤の忠告かどうかも分からないその言葉を、睡蓮は意図的に無視して首を捻ったり唸ったりする。
人の悪意や殺意に敏感な睡蓮が、須藤の徐々に溜まっていくソレに気付かないはずがない。
「……あー、ようやく思い出したッス。『イン・ラケチ』、私はもうひとりのあなた、だったっしたっけ?
なんつーんスかねぇ、知ってる言葉の意味が出てこない時の小骨が喉に引っかかる感じ。やっとすっきりしたッス、よ?!」
そう言って振り返り、ギョッと驚いた顔をする睡蓮。
須藤の隣に姫を守る騎士の様に並び立つのは有翼の鎧を着込んだ女神。その女神の槍は睡蓮に向けられている。
そんな須藤とペルソナ「エリス」を驚いた顔で見つめる睡蓮。
しかしその驚き方は、まるで子どもが自分の名前を初めて『ひらがな』で書けた時の親の様な、いかにも、な驚き方だった。
「おー、やれば出来るじゃないッスか、竜子チャン!凄い凄い!いやぁさっきも見たけど強そうッスねぇ」
大げさにバチバチと両手を叩きながら、睡蓮は喜びに満ちた満面の笑みを作り言った。
しかし、その両眼は濁っていた。
汚泥の様に汚物の様に、今にもドロリと蕩け腐り落ちそうな程に濁った眼。
作った笑みを帳消しにする、見る者に嫌悪と怖気を与えるその呪いの様な眼。
「で?なんで今そのエリちゃん召喚したッスか?もしかしてちゃんと召喚できたって事を褒めて欲しかったスか?
それともまさか、そのエリちゃんで私を殺そうとしたとか?だったら駄目ッスよねぇ、駄目駄目ッス」
満面の笑みを仮面の様に張りつかせたまま、睡蓮は言い放つ。
次の瞬間、睡蓮の背後からネメシスが紅い翼を広げて現れた。
「エリちゃん見せて、私がどんな反応するか見たかったスか?あわよくば恐れおののいてくれると?
残念ながらそれはあり得ないッス、竜子チャンのより格上のペルソナもペルソナ使いも見た事あるッスから」
己が身を焦がす業火も、凍てつく様な吹雪も、焼けつくような紫電も、身が千切れるほどの暴風も、睡蓮は味わってきた。
実戦経験は何よりの宝なり、修行僧の様な事は言わないが睡蓮の態度はまさにそれだ。
ベルトに差し込んだ錆びた包丁を抜き、態勢を低く構える。
それは猫科の動物が狩りをするかの如く、しなやかで、隙がない。
そして次の瞬間、放たれた矢弓の如く、睡蓮はその身を疾駆する。
それと同時に主人の身を案じたエリスの槍が放たれた。
空気を切り裂く音を立て、破壊筒の如く放たれるその重い一閃。
睡蓮の頬に切り傷が走り、肩に衝撃が走り、次いで胸を穿たれる感覚に口内から夥しい血液を撒き散らす。
だが、睡蓮の身体には損傷はない。何故なら胸を穿たれたのはネメシスであって睡蓮ではない。
皮膚を破き、肉を裂き、胸骨を砕き、心臓を貫き、胸椎を抉り、そして背中から羽化する羽虫の如く破り出でる。
ペルソナとはもう1人の自分、自身の半身。そのペルソナの痛みは即ちその半身の痛みが自身へと返るという事。
だが、睡蓮にとっては……『所詮、その程度の痛み』だ。
ペルソナが大きな傷を負ったからと言ってよっぽどの事がない限りペルソナ使いが死ぬ事は無い。
口から夥しい血を撒き散らしながら須藤の首に錆びた包丁を当てる。
いや、それは当てるなんて生易しい物じゃない。既に皮膚を裂くギリギリ、血管間近で止める。
荒い息と血を吐きながら睡蓮はその眼と笑みを崩そうとしない。
「ここで問題ッスよ竜子チャン。
アンタのエリちゃんが私とネメちゃんを殺すのが早いか、それとも私が竜子チャンの首を切り裂くのが早いか、やってみるッスか?」
獲物を前に舌なめずりは三流のする事、どこかのライトノベルの主人公の台詞だったと記憶している。
此処で容赦なくその首を切り裂けば、睡蓮にとっての脅威は排除したと言ってもいい。
また以前の様に安寧なそこそこの刺激と危険性、そして野望に溢れた自身の世界を創れる。
しかし、この女。恐ろしく気分屋で気紛れで、そして、何故か恩には忠実である。
濁った眼は既に消え、残ったのは血に塗れた満面の笑み。
ふぅー、と、急に溜め息を吐き、その首にあてがった包丁を手放す。
「……って、冗談ッスよ、冗談!恩人を殺っちゃう程、私は薄情じゃないッス。
でぇ、竜子チャンはホントせっかちさんッスね!勧誘、交渉ってのは相手にとっても有利な条件出さなきゃ成立しないッスよ?
格下であろうと格上であろうと、これは鉄板鉄則ッス。脳内に刻み込んどくが良いッスよ」
口から血を吐きながらケラケラ笑う睡蓮。それは異常者以外の何者でもない。
「あーあー、グッサリやってくれちゃってぇ。戻るッスよ、ネメちゃん」
槍によって壁に磔にされたネメシスに手をかざすと、まるで溶ける様にネメシスは掻き消えた。
恩には恩で、仇には仇で、悪意には悪意で、好意には好意で。これは彼女にとっての日常だ。
この場合、恩と仇、好意と悪意が一緒くたになっていたのでそれをチャラとし、睡蓮はその包丁を引いたのである。
「私は命令されるのは嫌ッスけど、お願いや頼みなら聞いてあげてもいいッスよ。
見返りと報酬、それ次第で悩める竜子チャンのお願いと頼みを聞いてあげる、ってのはどうッスか?
ま、竜子チャンが攻撃的じゃなかったら2、3個位は無料奉仕してあげたッスけど、さっきの悪意と攻撃でチャラッスねぇ
時間の有効活用もいいッスけど、短気は損気、覚えておいて損は無いッスよ、竜子チャン。
時間を有効に使っているつもりでも結果的に、ロスしてる事だってあるんスから」
持った包丁をくるくると人差し指で西部のガンマンの如く器用に回しながらベルトに収める。
睡蓮の言葉に深い響きは無い。自身の世界を脅かす存在など、この手でいつも消してきた。
では須藤を消さなかったのは何故か?それは、須藤が自身に害成す存在と認めなかったからか。
……いや、それとも、もしかしたら、害悪にすらならないと今の攻防で確信したからか。
須佐野さん……いや須佐野部長、貴女ちょっとアグレッシブ過ぎやしませんかねぇ。
えぇ褒め言葉じゃありませんよ! 断じて!
いいよ、カス高に乗り込む。それは分かってる。でもさぁ、恰好考えよう! ホント。マジで頼むから。
『例のあの恰好』のまま街を歩けば否応なしに(悪い意味で)注目を浴びる。当然だ当たり前だ。
せめて『普通』の恰好をするように進言するべきだった。
そんなこんなでカス高に到着。昨今警備を強化してもしたりない情勢の中、この高校の警備はザル過ぎる。
なんせあからさまな不審者1名を正面玄関から校内に難なく通してしまうのだから。
大きな溜め息を吐きつつ、部長の後に続くと1人の女生徒が目に入った。
その女生徒を何と言ったらいいか、表現の仕方は悪いが……『掃き溜めに鶴』、と、言った所だろうか。
女生徒の周りだけ空間から切り取られた様な、そこだけ別の空間の様な、そんな印象すら受ける。
あぁ、お嬢様、ってのはこういう人の事を言うのか……。一般ピーポーとはオーラが違う。
横目で我が部の須佐野部長をちらりと見る。……ここにもオーラが違うのがいるが。別の意味で。
顔立ちやスタイル、性格、無駄な行動力は素晴らしいと思うが……その奇行が全てを台無しにしている。残念美人とはこの事だな。うん。
そんなくだらない事を考えていると須佐野部長はそのお嬢様に話しかけていた。
>「お初にお目にかかる、僕は月光館学園探検部部長須佐野命という者だ。
今日は新聞部部長を訪ねて来たのだが部室の場所を教えてもらえると……」
些かおかしい口調で話しかける部長、その言葉が一旦止まる。
何かとお嬢様を見ればどこか怯えた様子で震えている、何かいけないものを見てしまったかのように。
あぁ、と俺は納得する。コレだ。コレだろ。コレに決まってる。
再び大きな溜め息をつき、部長を見た。そりゃ、初対面の人物にはアクが強すぎるもんこの部長。
>「……何があった!?」
むしろ『何があった!?』言いたいのはお嬢様の方だろう、部長の服装的に。
自身を客観的に見るって、とても大事な事だと思う。本当にマジでいやまったく。
俺は部長の後頭部をガシリと掴み、ギリギリと力を込める。所謂『ブレーン・クロー』というやつだ。
決して女性に対して使用していいような技ではないがこのおかしな部長に対しての使用は許可してもいいと思う。
「取りあえず落ち着け、いや落ち着いてください。須佐野部長」
>「……あっ、あの……」
部長にストップをかけていると意を決したようにお嬢様が声を上げる。
>「……“血”が……」
>「……あの、生徒の方が怪我をされていたようで、私驚いてしまって……。
きっと生徒同士のケンカが原因ではないかと思うのですが……」
流石、カス高……バイオレンス&サバイバル、暴力的で生存競争に厳しい場所ですなぁ。
あー! 変人の巣窟の月光館でよかった! なんて言うと思うか。はぁ、セブンスに入るべきだったかなぁ。
まあ、今更悩んでもかなり遅いけどな……。
>「……けれど、あの方はとても生徒には……」
ごにょごにょと何かを呟くお嬢様。断片的にしか聞こえないが何か、部長以外の変な物を見て怯えていたらしい。
ゴメン、部長、冤罪だった。
いまだ力を込めてる手を解放すると軽く部長に『ドモスイマセンデシタ』と形だけの謝罪する。
>「……あっ、失礼致しました。私、春日山高校一年生の桐生優愛と申します。
ええと……新聞部の部室、ですか?
申し訳ありません、そのような部の活動は存じ上げませんが……」
>「いえ、もしかすると図書室に向かえば、その新聞部の部長の方にお会いすることが出来るかもしれません。
正式な部活動として認可を受けてはいないとも聞いていますし、私も詳しいお話については分かりかねますが……。
お急ぎでしたら私が図書室までご案内致します。それに、他校の生徒の方々だけで歩くには心許ないでしょうから」
……ないんだ、新聞部。てか自主活動? いいのかそれって。
いや、いいのか。うちの高校でさえ勝手に認可を受けないで部活を行っている輩もいる。
そして今や俺もその部員の1人だ。文句は言うまい。俺は一歩前に進み出ると桐生さんの微笑みに返すように笑顔を浮かべる。
「案内の申し出そいつは大変ありがたい。俺一人だとこの暴走部長をどれ程抑えられるか分からないから。
それと、自己紹介が遅れて申し訳ない。月光館学園、風祭 晶。兼部だけど一応探検部の一員だ。よろしく桐生さん」
>「取りあえず落ち着け、いや落ち着いてください。須佐野部長」
カザマ隊員が僕の後頭部をガシッと掴んで制止をかける。
「いや、いつも落ち着いているぞ!」
もしかして僕のあまりにも斬新な服装に驚いてしまったのだろうか。
しかし相手はお嬢様とはいえカス高の生徒。
趣向を凝らした改造制服が跋扈する世界に身を置いてちょっとやそっとじゃ驚かなくなっているはずである。
>「……“血”が……」
>「……あの、生徒の方が怪我をされていたようで、私驚いてしまって……。
きっと生徒同士のケンカが原因ではないかと思うのですが……」
「この学校では喧嘩が日常的にあるのか……!」
我らが月光館学園は変人奇人の巣窟ではあるが表立った喧嘩もなければ陰で行われる陰湿ないじめも聞いた事がない。
いやむしろ陰湿ないじめが無いのは変人奇人を容認し個性を伸ばす校風だからこそ、かもしれない。
あの魔境は本当に名門校なのか、とはよく言われるが偏差値よりも何よりもその点をもって名門校だと僕は思う。
>「……けれど、あの方はとても生徒には……」
――!? 生徒には見えない者が喧嘩に絡んでいた、という事か?
教師かそれとも全くの部外者のおっさんか。どっちもあり得そうな気がしてしまうのがこの学校の怖い所だ。
>「……あっ、失礼致しました。私、春日山高校一年生の桐生優愛と申します。
ええと……新聞部の部室、ですか?
申し訳ありません、そのような部の活動は存じ上げませんが……」
「あまり公にはなっていないのかもしれない。部長の名前は中務透というのだが……」
>「いえ、もしかすると図書室に向かえば、その新聞部の部長の方にお会いすることが出来るかもしれません。
正式な部活動として認可を受けてはいないとも聞いていますし、私も詳しいお話については分かりかねますが……。
お急ぎでしたら私が図書室までご案内致します。それに、他校の生徒の方々だけで歩くには心許ないでしょうから」
優雅な微笑みに他意のない親切心を感じ取り、彼女はとても芯の強い人間なのではないかとなんとなく思った。
典型的な心優しいお嬢様、と言ってしまえばそれまでだが
異質な者の中に身をおいて自分が自分であり続ける事ができるって、凄い事だと思う。
>「案内の申し出そいつは大変ありがたい。俺一人だとこの暴走部長をどれ程抑えられるか分からないから。
それと、自己紹介が遅れて申し訳ない。月光館学園、風祭 晶。兼部だけど一応探検部の一員だ。よろしく桐生さん」
キリューちゃんに案内され、僕達は“新聞部部室”に辿り着いた。
「ちわーっ。探検部部長です!」
声をかけてみるも返事は無い。ドアを開けてみるもののもぬけの殻。
床には週刊誌の切り抜きや新聞のバックナンバーが散乱し、ハイスペックPCが一台無造作に置かれている。
「留守か……む?」
床に落ちている校内のビラのようなものが目に止まった。
【春日山高校学園祭開催! なんとアイドルグループデビュー……!?】
例によって語尾に”?” 真偽不明の情報を見出しにする場合の常套手段。
アイドルグループデビューは出所不明の他愛も無い噂か何かだろう。
「学園祭があるのか。キリューちゃんは何かやったりするのか?
もしそうなら今日のお礼に是非訪ねたいものだ」
須藤竜子は自身のペルソナ「エリス」を白道に見せつけ、彼女を威圧しようとした。
しかし当の白道は驚いた素振りを見せたものの、それは演技。驚いたふりだった。
だから馬鹿にされていると感じた須藤は下唇を噛んで真っ赤な顔。
>「エリちゃん見せて、私がどんな反応するか見たかったスか?あわよくば恐れおののいてくれると?
残念ながらそれはあり得ないッス、竜子チャンのより格上のペルソナもペルソナ使いも見た事あるッスから」
「どこでよ!?あたしより優れたペルソナ使いなんているの!?
いるとしたら、そいつはいったいどんな人間なのよ!!」
須藤は声を荒げる。なぜなら自分は選ばれた人間と信じているから。
自分を蝕むペルソナの力も、それは力が強すぎるからと思っていた。
そして自分は現職の外務大臣の孫娘。無下に扱う者など日本にはいない。
おまけにその美貌に男子生徒たちはメロメロ。傍に近づくと緊張で転んでしまう男子もいた。
それに女子生徒たちは羨望の眼差しで須藤に接し、会うたびに褒め称えてくれる。
すべての人間は、この須藤竜子様を崇めて大切にする。それが当たり前。というよりそうでなければならない。
なのに目の前の白道は須藤をとても馬鹿にしている。
「私の既視感からしたら、貴女とはとっても仲良くできると思っていたのに何かを勘違いしちゃってたみたい。
私はすべてに置いて下に見られることが大嫌いなの。それが現実って言われちゃってもね」
須藤は誰からも弱く見られたくなかった。なので自身に不治の病があることを悔しく思っている。
これは神の嫉妬なのだと本気で思っている。
だからイン・ラケチでこの世界を変える。神に復讐する。人の業を取り払う。
でもそれが白道にはわからないらしい。
――包丁を持ち迫る白道に、エリスの槍が投擲される。
「エリス!」
人は物を見て認識するまで刹那の時間を要するらしい。
ということは「今」と認識している時間はほんの少しの過去ということ。
その無意識の狭間よりも早く、エリスは反応した。そしてネメシスを串刺しにした。
しかし――
>「ここで問題ッスよ竜子チャン。
アンタのエリちゃんが私とネメちゃんを殺すのが早いか、それとも私が竜子チャンの首を切り裂くのが早いか、やってみるッスか?」
強く当てられた包丁に、ひくりと白い喉を動かす須藤。
「やってみたいのなら、やってみなさいよ。私にはその覚悟があるんだから」
須藤は命乞いなどしない。弱音を吐く自分を想像すら出来ない。敗北する自分も。
だからエリスのパワーで何とかこの状況を打開したいと思っていた。
それが無理なら何とか立場的に優位に立って負けない感じで終わらせたい。
そんな矢先…
>「……って、冗談ッスよ、冗談!恩人を殺っちゃう程、私は薄情じゃないッス。
でぇ、竜子チャンはホントせっかちさんッスね!勧誘、交渉ってのは相手にとっても有利な条件出さなきゃ成立しないッスよ?
格下であろうと格上であろうと、これは鉄板鉄則ッス。脳内に刻み込んどくが良いッスよ」
包丁は引かれ、ネメシスも消える。
なので須藤は内心安堵。が、それと同時に怒りも沸々と湧き上がってくる。
最初に「制御されていないペルソナはルーキーよりも雑魚」と馬鹿にしたのは白道なのに…。
だが、まさかの人間性を試されたのだとは思いもよらない須藤だった。
>「私は命令されるのは嫌ッスけど、お願いや頼みなら聞いてあげてもいいッスよ。
見返りと報酬、それ次第で悩める竜子チャンのお願いと頼みを聞いてあげる、ってのはどうッスか?
ま、竜子チャンが攻撃的じゃなかったら2、3個位は無料奉仕してあげたッスけど、さっきの悪意と攻撃でチャラッスねぇ
時間の有効活用もいいッスけど、短気は損気、覚えておいて損は無いッスよ、竜子チャン。
時間を有効に使っているつもりでも結果的に、ロスしてる事だってあるんスから」
その言葉を聞いた須藤は、目を瞑って人差し指で頬をぽりぽり。
短気は損気とはいったいどういう意味なの?と聞き返したいような顔をしていたが
わかったふりをして腰に両手をあて、両目を細める。
「ってことは仮面党に入るのは嫌だけど命の恩人の私に従うのはOKってことね。わかったわ。じゃあ見返りは……。
えっと、イン・ラケチにはまったく興味がないわけでしょ。自分の世界にしか興味がないって、たしか言ってたわねぇ。
……あ、それじゃあ報酬はお金でいい?
今すぐには無理だけど祖父の竜蔵が死んじゃったら遺産はすべて私のものになると思うの。
それとこれからはお願いね。次に仮面党で計画しているのはイデアルエナジーの奪取。
数日後に春日山高校で行われる学園祭の催しでミューズっていうアイドルグループが歌を唄うから
その時に私たちの護衛をして欲しいのよ。それならいいでしょ?ね、白ちゃん」
白道の好意とは別に、須藤は白道のことを少し馬鹿にし始めていた。
それは白道が自分の世界を壊すものを殺すのと似ている感情。
出会った当初は白道に対して畏敬の念を持っていた須藤だったが、今では内心見下し始めている。
分かり合うほどに互いの距離は離れてゆく。そんな矛盾の生まれる瞬間だった。
>「案内の申し出そいつは大変ありがたい。俺一人だとこの暴走部長をどれ程抑えられるか分からないから。
>それと、自己紹介が遅れて申し訳ない。月光館学園、風祭 晶。兼部だけど一応探検部の一員だ。よろしく桐生さん」
程良く丁重な物腰で笑顔を返してくれた青年。
掴み所がない……と言っては失礼かもしれないが、優愛は彼にそんな印象を受けた。
あくまでも聞こえの良いように言うのなら、普通の少年、ノーマルと言うべきか。
だが、その佇まいには少なからずの違和感があるような気がした。
それは言葉にしようにも明瞭な単語が思いつかない、取るに足らない物だ。
だが、初対面の人間に対して知ったような物言いをするべきではない、こうして邪推を巡らせることすら失礼に当たる。
そう思って、一瞬生じた違和感はすぐに心の片隅に追いやってしまった。
「こちらこそ宜しくお願い致します。先程は、お二人にお見苦しい姿をお見せしてしまって申し訳ありませんでした」
そもそも違和感の正体は、彼ではなく彼女――須佐野命のその格好にあるのかもしれなかったからだ。
>「あまり公にはなっていないのかもしれない。部長の名前は中務透というのだが……」
優愛にはあまり聞き覚えのない名前だった。
少なくとも同級生ではないようだ。
探検部と名乗る二人を連れて辿り着いたのは、新聞部の部室(暫定)。
当然のことだが、傍目にはそうは見えない。
>「ちわーっ。探検部部長です!」
随分思いきりの良い挨拶が廊下に響いたが、中からは何も言葉は返ってこなかった。
「……やはり、噂は間違いだったのかもしれません。少しでもお力添えになれたらと思ったのですが」
そう言って、申し訳なさそうに須佐野と風祭を見る。
だが、視線の先には何故か風祭しかいなかった。
いつの間にやら、須佐野は一人でそそくさと部室に侵入していたからだ。
優愛も慌てて――しかし、極力しとやかに――須佐野の後を追って踏み込む。
紙切れや新聞が散乱しているが、それが何を意味する物なのかは分からない。
それよりも優愛は誰がここを掃除をしているかの方が気に掛かった。
>「留守か……む?」
須佐野が目にしているのは、一枚の紙。
さすがにそれに関しては在校生である優愛も知っている、学園祭の開催に当たって校内で配られたビラだ。
【春日山高校学園祭開催! なんとアイドルグループデビュー……!?】
そんな見出しが紙面に躍っている。
真偽の程は不明だが、優愛はその内容を目にした時からすっかり鵜呑みにしていた。
>「学園祭があるのか。キリューちゃんは何かやったりするのか?
>もしそうなら今日のお礼に是非訪ねたいものだ」
須佐野の言葉に、優愛は複雑な表情を見せた。
今日のお礼にと学園祭にまで来て貰えることは、率直に嬉しい。
知り合って間もない相手ではあるが、他人と友人関係を築くまたとない機会だと思ったから。
だが、それとは別に一つ、その申し出を手放しに喜ぶことが出来ない理由があった。
一瞬表情が陰ったが、すぐに柔らかな微笑を取り戻した。
「私は……クラス一同で喫茶店の出展を計画しています。
きっと良い物になると思いますので、是非お二人にも足を運んで頂けたら、とても嬉しいです」
喫茶店を開くにも、それぞれの者に役割を分担する必要がある。
調理係、配膳係、宣伝係等々。
そのどれもが優愛には毛ほどの馴染みもない仕事ばかりだ。
それでも本人は率先して取り組むつもりだった。
結果、優愛に任された仕事は、『ショートケーキにイチゴを乗せる係』。
調理係が片手間でやれば済むような作業だ。
そして、当日のメニューに『ショートケーキ』の文字はない。
とどのつまり、何も任されていないのだ。
しかし、そんな話を今日会ったばかりの相手にする必要はない。
せめて言葉で取り繕うことで、学園祭が楽しい物になるだろうという予感だけを口にした。
実際はそんなことを微塵にも思ってもいなくても、そう思うように。
「それにアイドルの方にお会いする機会なんて、そうは無いでしょうし。
私、そういったことには明るくありませんけれど、きっと可愛らしい方なのでしょうね」
学園祭の話題からアイドルの話題に切り替えて、話を広げようと試みる。
だが、そこで、はっとして室内に掛かっている時計の時間を確かめた。
もう随分針が進んでしまっている。
「あっ……申し訳ありません。迎えを待たせていますので、私はそろそろ失礼致します。
新聞部の中務さんという方のこと、私も後日お話を伺ってみますね」
そして二人に真っ直ぐ向き直ると、深々と一礼をした。
「他校の生徒の方と交流を持つことが出来て、とても新鮮で有意義な一時を過ごせました。
ありがとうございます。それでは、ごきげんよう」
ひらひらと控え目に手を振る、あくまでもしとやかな動作で。
そうして、優愛は一足先に部室を後にした。
「ごめんなさい、探し物をしていたら遅くなってしまって。さ、行きましょう」
――僕は月光館学園探検部部長須佐野命という者だ。
「そうだわ、さっき他校の方とお会いしたの。少しお話をさせて頂いたのだけれど、もしかしたら学園祭に来て下さるかもしれないわ」
月光館学園。
「お友達になれるかしら……。なんだか不安だわ、流行りの話題くらいは考えて用意しておいた方が良いのかしら?」
――月光館学園、風祭 晶。兼部だけど一応探検部の一員だ。
「そのままで良いだなんて……そんなはずがないでしょう? 私は真剣に思い悩んでいるのに」
月光館学園、月光館学園。
「もういいわ、一人で考えます。私一人でやってみせます、いつだってそうだもの」
月光館学園、月光館学園、月光館学園。
「……なんだか今日は疲れてしまったみたい。少しだけ眠るわね、着く頃には声を掛けて」
月光館学園、月光館学園、月光館学園、月光館学園。
「おやすみなさい」
クラブ・ゾディアックからの帰り道、街灯はちらほらと明かりをともし始めていた。
その下に延びる表通りを、衣世は海棠と共に歩む。
トーラスの解答はひどく複雑怪奇で、ヒントに見せかけた落とし穴を用意している、そんな印象を受けた。
救済、望龍術、果ては世界改変、ときたもんだ。
とち狂った新興宗教のような戯言を吐いている。
昨日までの自分なら、一笑に付していただろう。
>「ごめんなさい」
「あなたは謝らなくていい。むしろ怒っていい。」
>「……トーラスは私に、イン・ラケチで人類が進化するって言ってました。
そのためにはイデアルエナジーを集めなきゃいけないって。
それと隠していたわけじゃないんですけどゾディアックで私が彼に渡したものは水晶髑髏なんです。
廃工場にいた化け物から奪ったイデアルエナジーが詰まっている」
「…シャドウから得られる謎エネルギーを、充電式の電池みたいに貯めているってこと?」
トーラスの言葉を思い出す。
>『――世界は生まれ変わる、』
それは旧を廃し新を興すということ。
世界的な革命を起こすのなら、何かしら莫大な力が必要だ。
その源泉となるものがイデアルエナジーであると?
考えられない事ではない。
現に仮面党は、現代科学では解析不可能な謎エネルギーを長期保存できる技術を有している。
……つまり、超能力を実行使できると言う点において、タチの悪さでは新興宗教を遥かに凌ぐのだ。
徐々に明度を失っていく空を睨みながら、衣世は低く唸る。
「もうさぁ…めちゃくちゃしてやればいいと思うよ。あれだ、歌なんか歌わないで漫才する。」
その一言に端を発し、衣世は愚痴をつらつら重ねた。
「仮面党を宣伝したいなら、さっき貰った歌詞に仮面党のカの字すら無いって絶対おかしいでしょう。
というか、歌で売り出すって前提がそもそも変。今の時代、広告チラシ、ポスターにCM…
そういう手段の方がよっぽど市民へダイレクトに伝わる。こんなの私みたいな女子高生にだって分かるじゃない。」
トーラスの情報を鵜呑みにするな
トーラスの命令通りに行動するな
トーラスは危ないヤツとこころえよ
とにかく、衣世の頭の中は彼への不信感で一杯だった。
明日の放課後にでも須佐野、風祭、中務に連絡してボイスレコーダーで記録した内容を伝えなければ。
その結果、協力が得られれば文句無し。無理だとしても注意喚起程度の効果は期待できる。
衣世は険しい表情で思案していた。しかしふと横を向くと小さくなっている海棠がいる。
己の配慮の無さを恥じ、慌てて付け加えた。
「あー…いや、別に美帆を責めている訳じゃないから安心して欲しい。
私が言いたいことはね、仮面党の宣伝というのはカモフラージュで、
ミューズ結成の目的はどこか別にあるんじゃないかって。
そんでこのままじゃ利用されるだけだからなんとかしなきゃいけないなって…。」
望む望まぬに関わらず、既に二人はトーラスの――仮面党の手先になってしまっている。
トーラスが信用に足る人物ではない、と分かった以上、
衣世は、“自身がペルソナ使いである”というカードを出来る限り伏せようと思った。
アクラシエルが果たして己を護る有用な牙足りえるのかは疑問だが、そこは腐ってもペルソナ。
喉に刺さった魚の小骨程度には煩わしかろう。
――学園祭日和の秋晴れだった。
春日山高校の校門前には晴々しく学園祭の看板が立てかけられ、
色とりどりの紙テープで飾られている。
いつもは無味乾燥な学校も、今日ばかりは音楽が鳴り響いて、
楽しげな雰囲気に満ちていた。
「美術部でーす。見て行ってくださーい」
「バレー部、間もなく試合を始めます」
「模擬店やってまーす」
張り切ったカス校生が大声で呼び込みをしたり、チラシを配ったりしている。
他校の生徒も遊びに来ているし、父兄も多数来校している。
そんな中、校門をくぐった君は「おねがいしまーす」の声とともにチラシを受け取ることだろう。
それは『ミューズのマスカレードコンサート』の案内だった。
主催は生徒会。場所は体育館。開演は午後二時から。
参加者は必ず生徒会で配っている仮面を受け取って着用すること、と規定されている。
しかし、コンサートが始まるまでにはまだ時間があるようだ。
なので君たちは、それまで自由に行動をしてもらっても構わない。
が、君たちの様子を伺っている二人の少女の存在に気付いてみるのもよいだろう。
一人は猫耳フードの少女。もう一人は仮面の少女。
二人とも校舎の壁にもたれかかるようにして君たちの様子を伺っている。
勿論、猫耳フードの少女は白道睡蓮。仮面の少女は須藤竜子だ。
須藤は黒いマントを羽織り腰には小太刀。街中では人目をひかずにはおかない姿であろうが今日は特別。
生徒会が配っているマスカレード用の仮面を被った人々が行き交っているのでその姿はあまり目立たなかった。
傍らに白道を連れ添えた須藤はぽつぽつと言葉を紡ぐ。
「すぐ近くに来ているわ。私には感じるの。すぐ近くにデジャヴの少年少女たちが来ていることを感じるの…。
イン・ラケチを邪魔する者たちは世界改変時にすでに消え去ったと思っていたけど、
でもやっぱり現れるのね。謎を探り嗅ぎつけ怠惰な日常を求め守ろうとする者たち。
彼らの顔はまだはっきりとは思い出せないけれど会えば必ずわかるはずよ。
だからもしも彼らを見つけ出せたらこの学校の地下にある防空壕におびき寄せてそこで始末するの」
仮面の覗き穴から見える須藤の両眼は狂気を孕んでいた。
数日の時が流れ、春日山高校学園祭の日がやってきた。
あの後イヨカン隊員から聞いた話によると、アイドルデビューは仮面党の差し金。
その上デビューするのはカイドーちゃんとあの野中エミコ、それになし崩し的に巻き込まれたイヨカン隊員らしい。
歌で信者を増やそうとしているだけならまだいいが、それ以上の事を企んでいるのかもしれない。
もしイヨカン隊員が本当に漫才を始める事態になったら飛び入り参加も辞さない。
>「おねがいしまーす」
校門をくぐった途端にチラシを渡される。かなり大々的に宣伝している一大イベントのようだ。
「参加者は必ず仮面を着用する事……?」
見れば、すでに仮面をかぶった生徒達が行き交っている。ますますきな臭くなってきた。
ふと殺気を感じてその方向を見ると、帯刀している少女と猫耳フードの少女が目に入る。
普段なら異常かもしれないが、今日のこの状況においては全く持って通常の出で立ち。何の問題も無かった。
どうやら神経質になり過ぎていたようだ。
仮面の配布場所まで行って仮面を受け取る。
一度被ったら外せなくなる呪いのアイテムじゃないだろうな!?
なんて一瞬思ってしまうが、見た所何の変哲もない仮面である。
しかし歌に反応して何かが起こってしまうのかもしれないので油断はできない。
コンサートまではまだ時間があるので、キリューちゃんのクラスがやっているらしい喫茶店で時間をつぶす事にした。
「サンドイッチとクリームソーダお願いします」
メニューを注文した後、イヨカン隊員と、多分来るであろうカザマ隊員、トール新聞部長にメールを送信する。
『こちら探検部隊長、体育館近くの喫茶店にて待機(`・ω・´)ゞ』
ミューズデビューに仮面党の暗い思惑が絡み付いていると信じて疑わない衣世は、
自ら内偵を買って出、アイドル修行中もトーラスの一挙一動を注視した。
といっても血を吐くような激しいレッスンの後は海馬も相当疲弊しているらしい。
期間中の記憶と言えば、彼の派手なネクタイが何色でどんな柄だったか程度のものだ。
苦し紛れの弁解を述べるなら、疲れがふっとぶような目立った行動は見受けられなかったということだが、
それにしても自身のもやしッ子体質を嫌でも再認してしまったのだった。
ということで、レッスンのない昼、つまり学校での授業中、
激しい肉体労働でたまった鬱憤を晴らすかのように、
衣世はクーデター用のお笑いネタをノートに書き連ねつづけた。
鉄板にトレンド、ちょっとマニアックなネタを各33本、計99本。
笑点、コント、落語、若手一発芸、いかなる年齢層にも幅広く対応し、
お子様の教育上よろしくない下ネタは不使用を徹底する等細かい配慮も忘れない。
「って何をやってるんだ私は」
本当に舞台をぶち壊すのかと問われれば答えに窮する。
これはあくまでも、
『ひらひら丈の短い衣装を着て頭ゆるふわなアイドルを演じなければならない』
という現実をひとときでも忘れたいが為の、精神的逃避行なのである。
それに、鬼特訓の際も弱音を吐かずに真面目に体を動かす野中エミコがいる。
夢を追い掛けて努力する人間に、衣世はとても弱かった。
他の誰よりも懸命な態度で練習に打ち込む彼女の姿を見せられれば、どうにも決意が鈍ってしまう。
彼女の初の晴れ姿を台無しにするのは、最悪の事態に陥った場合だけにしたい。
そしてそんな事態に陥る時は、おそらく漫才なんかで衆目はごまかしきれないだろう…。
もったいないことに貯めたネタ99本は全て無駄に終わり、
これだけは封印したいのだが、ぶっつけ本番のアドリブ100本目――
――アクラシエルと神部衣世の二人羽織を打たなければならなくなる。
>『こちら探検部隊長、体育館近くの喫茶店にて待機(`・ω・´)ゞ』
未だクーデターを起こすかそのまま歌うかの二択を選べない衣世は須佐野にも相談してみることにした。
須藤竜子の苛立ちの表情を隠す仮面。
ペルソナ使いたちの存在をどこかに感じながらも
見つけられない苛立ち。
それは、海棠にむけられた。
楽屋として使われている用具室で海棠は
首を締められている。
「あんたがさ、仮面党の幹部でミューズの一員だって聞かされた時は耳を疑ったわ。そもそもどうして、あんたなのよ。何かを企んでいるんじゃないの?」
海棠には答えられなかった。
こんなときに限って、トーラスもいない。
(いたとしてもトーラスに須藤を止める勇気はない)
「とりあえず、あんたはコンサートが終わるまで防空壕に入ってなさい。
信頼できるペルソナ使い以外は、体育館に立ち入り禁止なんだから」
横暴な意見の須藤。
でもそれは、自分のように向こう側の記憶が突然甦り
コンサートを阻害されても困るからだ。
(海棠美歩、、向こう側の世界で何かとんでもないことを
やらかした記憶があるのに、それがなにか思いだせないなんてね。
そんな女がこっちの世界じゃ仮面党の幹部になっちゃってる。
得体の知れない不気味さだけが私の魂に残ってる)
「防空壕には入っちゃったら二度と出れなくなるって噂があるみたいだけど大丈夫よね」
須藤は海棠の手を縄跳びで縛り
わざと乱暴に扱いながら、学校の地下の防空壕へとむかう
喫茶店で待機していると、イヨカン隊員が来るのが見えた。
彼女はクーデターを起こすか普通に歌うかを決めかねていた。
仮面党の思い通りにしてやるものか、
しかし夢のために鬼特訓に耐えてきた野中エミコの頑張りをぶち壊したくない。
至極もっともな葛藤だ。
しかしそれを聞くうちに、野中エミコに対して以前から覚えていた違和感が疑惑へと変化する。
「イヨカン隊員……飽くまでも可能性の一つなのだが野中エミコこそが仮面党の腹心という可能性もあるぞ」
彼女を苛めていた須藤竜子が事故に合い、その事故前後で極端な性格の変化があった事
そして美術室で一瞬見せた意味深な笑み――
「ミーハーを装って僕自ら話を聞いてみるとしよう」
そう言って体育館裏口の近くに待機。
暫くたつとカイドーちゃんが出て来た。
それはいいのだが、黒いマントに小太刀という出で立ちの仮面を被った人物に連行されている。
一瞬飛びだしかけたが、思いとどまる。後を付ければ何か情報がつかめるかもしれない。
声を出して気付かれてはいけないのでイヨカン隊員とメールで意思疎通を図る。
『こちら探検部隊長、尾行を開始する。万が一の場合は強硬手段に出る故援護せよ』
>「イヨカン隊員……飽くまでも可能性の一つなのだが野中エミコこそが仮面党の腹心という可能性もあるぞ」
須佐野が発した一言に衣世は反論しようとし、言葉を詰まらせた。
野中エミコと知り合ったのはほんの二三週間前。須佐野や海棠達のように九死一生の体験を共にした訳でもなく、
当たり障りの無い会話をレッスン中に交わしただけ。彼女を信じられる程その人柄を理解出来てないのだ。
「……」
模擬店で注文したアイスコーヒーを口にふくむ。色がついただけの、薄くて冷たい液体。
>「ミーハーを装って僕自ら話を聞いてみるとしよう」
押し黙ってしまった衣世に対して、須佐野は気遣いを見せる。
「隊長…。ええ、分かりました。では仲介役は私に任せてください。
まだ踏ん切りはつかないけれど、………もし彼女がクロであればその時は――。」
少しだけ味の移った氷を奥歯で噛み砕いて、衣世は須佐野の後に続く。
そして体育館裏。
二人は野中エミコに会えずにいた。代わりに…。
芝居がかった衣装の娘が、整った顔を斑に赤く歪ませている。
その感情の矛先は、衣世のよく見知った人物であった。
「美帆さん…?!」
大声を出しそうになったが、須佐野の素早い目の合図を受け、衣世は無理やり口を抑えた。
黒いマントの少女は、声から推測するに須藤竜子だ。
(彼女は入院中に脱走して行方不明だったのでは…?どうしてここに?なんで美帆を縛っている?)
>『こちら探検部隊長、尾行を開始する。万が一の場合は強硬手段に出る故援護せよ』
須佐野がケータイのディスプレイを示し、衣世に指示を与える。
衣世は、こくり、と頷く。
遠目からでも分かるが、須藤竜子は帯刀していた。そして現在、海棠は抗う術を失っている。
ペルソナの戦闘とはまた違った緊張感が背筋に這い上がってきた。
急ぎ、須佐野に返信を書く。
『了解。隊長を全力でサポートします。』
仮面党の目的は世界を変えること。
そのためには、予言通りに行動しとある目的を果たさなければならない。
今回の目的は、コンサートを開催し、観客たちからイデアルエナジーを奪うこと。
イデアルエナジーを奪われた観客たちは、夢見る力を失い影人間となってしまうことだろう。
だがそのことは神部には伝えられていない。
夢見る力を失った人間が廃人のようなものになってしまうなどとは伝えられていなかった。
須藤竜子は同じ仮面党である海棠に難癖をつけ、春日山高校の地下にある防空壕に監禁しようとしている。
既視感からくる嫌悪感が須藤にそうさせたのだった。
向こう側の世界の記憶では仮面党を邪魔するペルソナ使いたちが何人か現れた。
しかしここでは存在を感じはするがそれがどこかはわからない。
向こう側の世界とこちら側の世界とではまるっきり何かが違うようだ。
あのときに、何かもっと大きな異変があったのだろうか。
彼ら以外からの何かもっと大きな力を加えられた。
それしか考えられない。
須藤は海棠を連れて地下への階段を降りる。
すると目の前には分厚い鉄の扉。
「あなた以外にペルソナ使いっているの?
別にとって食おうってわけじゃないんだけどね」
そう言って、扉を開ける須藤。
中を覗けば春日山高校の生徒がちらほら。
学祭のイベントで季節外れの肝試し、もとい根性試しが行われているらしい。
「やべぇ、あのこ、いなくなっちまった」
気がつけば、不良たちは顔面蒼白。須藤はゴミでもみる感覚で問いかける。
「どうしたっていうのよ?」
「アイドルのこが奥に入ったまま帰ってこねぇんだよ!!」
詳しく聞いたらアイドルの子とはやっぱり野中エミコ。
でもなぜ?普通に好奇心とか?それともプレッシャーからの現実逃避?
「もう、あのバカ…、こうなっちゃ最悪、神部ってこに一人で頑張ってもらうしかないわね」
須藤は不良たちから電灯をむしりとり思い鉄の扉を開けて中に進入。
野中を探すつもりだった。
内部は異様な空気に包まれており、暗闇。
しばらく進むと人影が走ってくる。
それは日本兵のようだった。
「いぢおぐそういん、ひのたまだああああ!!」
須藤と海棠がそれをひらりと避けると、日本兵は銃剣を構えたままスサノに突撃。
「なにあれ?もしかして、亡霊!?」
>『了解。隊長を全力でサポートします。』
イヨカン隊員と目配せして頷き合い、尾行を開始。
黒マントの少女は、防空壕らしき場所へとカイドー隊員を引っ張っていく。
何故か防空壕へ向かう道には春日山高校の生徒がうろついていた。
>「やべぇ、あのこ、いなくなっちまった」
気がつけば、不良たちは顔面蒼白。須藤はゴミでもみる感覚で問いかける。
>「どうしたっていうのよ?」
>「アイドルのこが奥に入ったまま帰ってこねぇんだよ!!」
話を聞いていると、どうやら野中エミコが自らこの中に入って行ったらしいという事が分かった。
>「もう、あのバカ…、こうなっちゃ最悪、神部ってこに一人で頑張ってもらうしかないわね」
黒マントの少女には、コンサートが滞りなく行われなければ困る事情があるようだ。
ならば何故コンサートのメンバーの一人であるカイドー隊員をこんなところに連れて来たのか。
謎は深まるばかり。
黒マントの少女に続いて、防空壕の中に侵入。一体ここに何があるというのか。
と、突然日本兵のような人影が突っ込んできたではないか。
>「いぢおぐそういん、ひのたまだああああ!!」
「ぬわ――――――――っ!」
時代錯誤の日本兵出現という異常事態に対し、うおっまぶしっのポーズで固まるというザ☆一般ピープルの反応をしてしまった。
しかし、その次が一般ピープルとは決定的に違っていた。
細かい理屈はよく分からないが、命の危機に際し無意識的にペルソナを召喚したという事だろう。
頭の中で何かが砕け散るような音が響いたかと思うと、大剣の鎧武者が現れ、日本兵を一刀両断にする。
僕はそれを見て頭を抱えて叫ぶ。
「なんてこった! 過剰防衛で逮捕だー!」
しかしそうはならなかった。
日本兵は明らかに人間が死んだ時とは違う、ゲームの敵キャラを倒した時のように消えたのだ。
そう、それはまるでこの前対峙したシャドウとかいう化け物に似ている。
知らないうちに影時間に入ってしまったというのか!?
もしくはここがそういう空間なのかもしれない。
さて、時代錯誤の日本兵の亡霊のお蔭で完全に僕達の存在が明らかになってしまった。
本来なら“カイドーちゃんをなんてところにつれてきてんだ””そっちこそ何で尾行してんのよ”となるところだが
もはや細かい事をgdgd言っている場合ではない。
「一刻も早く野中エミコ殿を連れて出るぞ!」
ヘッドライトをオンにし、野中エミコの探索をはじめる。
彼女は確かに黒幕かもしれないが、同時に無実の一般人かもしれないのだ。
あの日本兵にしても結果的にペルソナ使いにとってはワンターンキル級の雑魚だったが
一般人が襲われたらひとたまりもないだろう。そして、更に強力な敵が出て来ない保証はどこにもないのだ。
「ほしがりません、勝つまではぁあああ!!」
と、またもや日本兵が突っ込んでくる。
どうやらこの雑魚敵、いくらでも沸いてくるようだ。
さてどうしたものか…。徐々に小さくなる須佐野のシルエットに否が応でも焦燥感が募る。
彼女と同じく防空壕に入るというのは得策ではない気がした。後方支援の意味が薄れてしまうからだ。
暫定黒幕の野中エミコと、あからさまに犯罪者な須藤竜子を『一度入ったら戻れない防空壕』
に閉じ込めてしまえば文化祭で面倒なことも起こらないのでは?!
などという臭いものに蓋的発想が一瞬頭をよぎったが、それを急いで打ち消しつつ。
「むぅ…。」
衣世は自覚しているより予期せぬ事態に弱いようであり。
焦る思考では『トーラスに電話をしてみる』くらいしか打開策が思い浮かばない。
彼に頼るのはいささか癪であったが、衣世はケータイを開き、仮面党の事務所の電話番号の通り数字のボタンを押した。
「もしもし、神部です。トーラスさん……なんとなんとハプニング発生よ。
ミューズのメンバーが出番も間近なのに心霊スポットとして有名な防空壕に突撃しちゃったんです。それも全員でね。
遠目で見たところ、須藤さんが海棠さんを縛って連行してるみたい…彼女をなんとかできないかしら。
私はとりあえず入り口で待機している所。一応断っておきますけれど、一人で舞台に立つなんてとてもじゃないけど無理ですからね…!
…で正直どうすればいいか分からなくて困ってる。プロデューサーとしてのアドバイスが欲しい。――お願い、助けて。」
>「ほしがりません、勝つまではぁあああ!!」
スサノのライトに照らし出されて、迫ってくるは日本兵。
須藤は思考する間もなく己のペルソナ「エリス」を降臨。
「エリス!!」
大槍が日本兵を引き裂き、虚空に霧散させる。
続いて須藤は
「私に命令しないで!!この私を誰だと思ってるの!!?
仮面党幹部、プリンセスレオの須藤竜子さまよ!!」
と、スサノにむけキンキンとしたヒステリックな怒声を飛ばす。
そして、
「あんたもペルソナ使いなのね。私たちを尾行してきたってことは、
カイドウミホとはどういう関係?他に仲間はいるの?」
問いかけたあと、須藤はカイドウをひっぱり歩き出す。
カイドウはうつむいたまま。
(お人好し…)
人生でたった本のすこし、すれちがっただけの
スサノがどうして、ここにいるのか。
自分なら見てみぬふりをするかも知れないのに。
そんななか、暗闇の奥に人影。
否、それは人影と呼ぶにはあまりにも異形。
その異形は日本兵を貪り食らっている。
「シャドウ?……それとも、ペルソナ?」
日本兵を喰らう異形の姿に、さすがの須藤も息をのむ。
かたやスサノミコトは、ライトの光のむこうに
ノナカエミコの姿をとらえることだろう。
彼女は放心状態のような感じ、
見方によっては、影人間とも見える。
神部からの電話を受けたトーラスは軽い目眩がしていた。
須藤竜子が海棠美穂を拘束し、防空壕に連行している。
それを聞いたトーラスは思考がホワイトアウトしてゆく感じ。
神部に、一人で舞台に立って欲しいと頼んでも、
それは叶わぬ願いだろう。
彼女の芯の強さをトーラスはわかっている。
「んんん…、と、とりあえず君はレオ(須藤竜子)を止めてくれないか?
歌い手がいなければ、このイベントは失敗だ。
イデアルエナジーを観客から集められなければ
まったくの意味がないことは、レオも重々承知しているはずだから」
トーラスは焦っていた。
他に手がないかと思案してみるも何も思い浮かばない。
まさか犬猿の仲の二人の関係がこんなところで爆発するなどとは
思いもよらず、ただただ右往左往するばかり。
「……とにかく!頼んだぞ神部くん。この作戦の成功は君の手にかかっているのだ!!」
この期に及んで、トーラスは指示ばかりで、自分では行動しようとしなかった。
でもそれがトーラスという男なのだろう。
>「エリス!!」
黒マントの少女がペルソナを召喚。
大槍を振るうその姿は、恐ろしくも美しい戦の女神――
そして直感的に思った。自分たちのペルソナよりも段違いに強いと。
>「私に命令しないで!!この私を誰だと思ってるの!!?
仮面党幹部、プリンセスレオの須藤竜子さまよ!!」
「仮面党……幹部!?」
>「あんたもペルソナ使いなのね。私たちを尾行してきたってことは、
カイドウミホとはどういう関係?他に仲間はいるの?」
どういう関係かと言われたら、一度成り行きで共に戦った関係だろうか。
成り行きとはいえ、危ない所を助けられ共に死地を切り抜けたのだ。
放っておけるはずがない。
「僕は探検部長須佐野命、そしてカイドーちゃんは……探検部員候補だ!
安心しろ、優秀な部員のイヨカン隊員が後ろに控えている」
この際隠していても遅かれ早かれ分かる事なので言ってしまった。
相手にとっては安心どころか驚愕の不安要素かもしれないが。
「今度はこちらから質問させてもらうが何故同じ仮面党のカイドーちゃんを拉致する必要がある?
しかもこのコンサートを成功させなければ困るんだろう?」
そんな中、異様な光景が目に入ってくる。
異形の存在が日本兵の亡霊を貪り喰らっているのだ。
>「シャドウ?……それとも、ペルソナ?」
シャドウや、増してペルソナが亡霊を喰らう事なんてあるのだろうか。
もう何が何だか分からなかった。
混乱しつつもようやくノナカエミコの姿を発見。
「ノナカ殿、早く出るぞ!」
駆け寄って肩を掴んで揺さぶる。しかし放心状態で反応が無い。
半ば引きずるように強引に引っ張っていく。
とにかく見つかって一安心だ。残る問題は須藤竜子の動向だが……
>「んんん…、と、とりあえず君はレオ(須藤竜子)を止めてくれないか?歌い手がいなければ、このイベントは失敗だ。
イデアルエナジーを観客から集められなければまったくの意味がないことは、レオも重々承知しているはずだから」
「ちょ、ですからね……具体的にどう止めればいいかとか、弱点とか、なんでもいいのでアドバイスを下さいってば」
どうやら不測の事態に弱い人間は衣世だけではなかったらしい。
トーラスの慌てふためく表情が電話越しでも手に取るように分かる。
>「……とにかく!頼んだぞ神部くん。この作戦の成功は君の手にかかっているのだ!!」
プツン、ツーツー……
会話は唐突に断ち切られた。無慈悲な電話音が頭蓋に反復し続ける。
「なんて……なんてだめな大人なの!」
その嘆きは彼の元へは届かない。
神部VSトーラスの交渉が失敗に終わった時、須佐野の尾行も同じく失敗に終わったようだ。
>「僕は探検部長須佐野命、そしてカイドーちゃんは……探検部員候補だ!
安心しろ、優秀な部員のイヨカン隊員が後ろに控えている」
時を置かずして須佐野から堂々たる自己紹介が聞こえる。
もうこそこそする必要はないようだ。衣世は物陰から申し訳なさそうに現れた。
>「今度はこちらから質問させてもらうが何故同じ仮面党のカイドーちゃんを拉致する必要がある?
しかもこのコンサートを成功させなければ困るんだろう?」
「そうそう須藤さん、話し合いをするためにも少し冷静になって欲しいな。
先程仮面党の幹部であるトーラスから直々に命令が下ったの。レオの暴走を止めなさいって。
上司の言葉には忠実になるべきよ。ジョーカー様も貴女に失敗して欲しくないと思う。ね?」
須藤の高い自尊心を刺激して正気に戻す作戦だ。お手本は火曜サスペンス劇場。
犯人の説得に熱を上げる刑事と、人質を盾に今にも崖から飛び降りようとしている犯人を思い描いて。
しかし、彼女の供述を聞く前に、場面は新たな展開を迎えた。
防空壕のさらなる奥、幽霊よりも更に幽霊らしい少女の姿。
衣世が知っている垢抜けた彼女はそこにはいなかった。猫背になって前髪で表情を隠して。
しかし、さすがアイドル志望と称賛すべきか。
そのような風貌でも野中は衆目の注意を集めることに長けていた。この機を逃してはならない。
>「ノナカ殿、早く出るぞ!」
騒ぎに乗じて衣世はさっと海棠に近寄り、手足を雁字搦めにしている縄跳びをプツンプツンとアーミーナイフで切った。
「……おつかれさん。出来れば保健室に連れて行って上げたいけどそうも行かないみたい。
野中さんも須藤さんも本番直前で精神が昂ってるのかね。正直、放っておきたい気持ちと助けたい気持ちが半々ってところ」
と笑った後で、姿勢を正す。
「――でも彼女達に関わった手前、無視する訳にも行かないよね」
火サスばりの説得が功を奏し、須藤竜子が新たな情報を垣間見せた。
>「……ううっ、コンサートを成功させるために、
この胡散臭いババーが目障りなのよ!!
こいつは嫌な予感がするの。たしかな証拠なんてないけど
向こう側の記憶が甦ったら絶対にわかるから、
こいつは危ないやつってことがね」
「向こう側の……記憶!?」
探検部心、鷲掴み。
もう一つの世界、消された未来……そんな素敵ワードが脳内を踊る。
さて、僕が野中エミコを保護している間にイヨカン隊員が素早くカイドーちゃんの拘束を解いてみせた。
>「――でも彼女達に関わった手前、無視する訳にも行かないよね」
そしてこの言葉。まさしく探検部員の鏡である。
>「……コンサートが終わって一段落したら、
神部さんもスサノさんも、すべてからてを引いたほうがいいと思います」
対するカイドーちゃんのこの言葉。まさしく他人に迷惑をかけまいとする良識人。
でも、僕達が手を引いて全てを忘れて日常に戻ったとしてカイドーちゃん自身はどうなる?
知り過ぎた彼女にはそれが許されないのではないのだろうか。
それより何より……
「探検部を甘く見てもらっちゃあ困る。
向こう側の記憶! そんな面白そうな言葉を聞いて今更手を引くなんて出来ると思うか!」
一方、須藤竜子は釈然としない様子ながらもこれ以上カイドーちゃんに手を出そうとはしなかった。
そして野中エミコを連れて一応は無事に防空壕の外へと出るのだった。
@ @ @ @ @ @ @
そして少し時間は流れ……とにかく予定通りコンサートは始まる事となる。
僕は仮面を付けようとするも、ヘッドギアにひっかかってうまくはまらずにごぞごぞしていた。
>『享楽の舞、影たちの宴……』
そうこうしている間に歌が始まり、沸き起こる大歓声。
装着するのを諦めて手に持った仮面を降ろした時、とんでもない光景を目撃してしまった。
水晶ドクロを持った須藤がステージ上に乱入して観客達から心の力――イデアルエナジーを吸い取っていたのだ。
吸い取られた人間は、魂が抜けたように次々とその場にへたり込んでいく。
これこそがこのコンサートの目的! 危ない所だった、僕も仮面を付けていたら今頃……。
そして黒幕は何の捻りもなくいじめっ子の須藤竜子だった、と一瞬思ったのだが……
野中エミコの体から人影が噴出し、防空壕で現れた怪物となる!
その怪物がイデアルエナジーを根こそぎ吸い取っていくではないか。
>「えっ!!えっ!!?」
狼狽し水晶ドクロを取り落とす須藤に対し、野中エミコが厳かに語り始める。
まるで何かが取りついたように今までとは別人のよう。
もしくは、こちらが本性なのかもしれない。
「須藤竜子、薄幸なる獅子座の姫君……今まで本当によく働いてくれた。
正しき世界を手に入れるために時を遡り孤独に耐えてまでも……。
そなたは誰よりも美しく気高き魂を持つ故穢れたこの世界が許せなかったのだろう。
散々働かせた末にこのような事は心苦しいのだが最後にもう一つだけ頼みがある。
イデアルエナジーは心の力、生命の輝きそのものとでもいうべきもの。
計画を完遂するには誰よりも強いそなたのイデアルエナジーが必要だ。
安心するがいい、そなたが夢見た理想郷は我らが必ずや実現しよう!
その強き心……我らに捧げよ!」
異形の怪物を伴った野中エミコが水晶ドクロを取り出し、カイドーちゃんに渡す。
「さあ、それでプリンセスレオのイデアルエナジーを吸い取るのだ……!
案ずるな、須藤竜子はああ言ったがそれは向こう側の世界が間違えた選択肢を辿った故。
真実の道ではそなたこそが理想郷実現の鍵! 新時代の到来はもう目の前だ……!」
カイドーちゃんにとって須藤竜子は、散々手ひどいいじめを受けた宿敵だろうと思う。
いじめと言ったらまだソフトに聞こえるが、要するに名誉棄損に暴行恐喝下手すりゃ傷害。
場合によっては恨みつらみは相当なものかもしれない。
カイドーちゃんを止めなければ。
そう思うものの、あまりの展開に体が硬直してしまって動かずにただ成り行きを見守るだけであった。
野中エミコのペルソナは、暴走している。
それがすでに、ペルソナと呼べるしろものであるかはわからないが。
須藤竜子は思う。
野中エミコは自身のペルソナに飲み込まれ
心を支配されてしまったのだと。
ジョーカーは人の願いをかなえてくれる。
それがもし、無尽蔵に、底無しに叶えられていったとしたら
人の心はどうなってしまうのだろうか。
「来たれ、エリス!!」
須藤の傍らに、大槍を持つ有翼の女神が出現する。
野中エミコは海棠に水晶ドクロを手渡し、
イデアルエナジーを奪えと頼んでいる。
まさか野中エミコまでが、自分の脅威となろうとは
夢にも思わなかった。
「あんたたち、なにしようとしてるかわかってんの?
無能な虫けらの分際で、この須藤竜子さまに逆らおうっていうの?
世の中のことなんてどうでも良いような、余裕綽々な生き方なんてしてるくせに」
抜刀し、須藤は海棠を睨み付ける。
手負いの獣のような怒りが周囲に伝達する。
「わたしは…、プールで最初にあなたのことをみたとき、
綺麗で素敵な人って思っていました。
水をきって、誰よりも速く泳ぐあなたのことを
カッコいいって思っていました…」
「……ふん。だけど幻滅しましたっ、とでも言いたいの?
こっちだって、変な憧れを持たれたって困るのよ。
言っておくけどね。わたしがジョーカー様に願ったことは
一つだけ。健康にしてくださいっことだけよ。
てか、あんたは何をジョーカー様に願ったの?
まさか私に復讐したいとか?」
「……」
海棠は答えられなかった。
自分の願いは『何もかもが終わるのを見ていたい』
そんな願いごとなんて、ここにいるスサノや神部にも
誰にも言えない願いごとだ。
それに、世界が終わるのを見ていたいとは願ったが
終わらせたいとは願っていない。
まさか水晶ドクロがシャドウのエネルギーを奪いとるだけでなく
生身の人間のイデアルエナジーをも奪いとるるものだったなんて
想像もできなかった。
普通ならば、仮面党からは速やかに脱退するべきだ。
しかし、海棠にはジョーカーに会いたいという願望もある。
あの日のジョーカーの悲しげな様子を忘れることもできない。
この仮面党の野望の果てにジョーカーと同じ世界を見ることが
できるなら。同じ十字架を背負うことに罪悪感はない。
むしろ苦しみを共有できることに喜びさえ感じる。
「野中さん。気をしっかりもってください。
それとあなたが奪ったイデアルエナジーは返して欲しい」
水流とともに出現する海棠のペルソナ「乙姫」
もしかしたら、ここで神部とは別れることになるかも知れない。
神部は敬語はやめてと、対等なお友達になろうと言ってくれた人。
でも、海棠はジョーカーに会いたいのだ。
そのためには仮面党の片棒を担ぐ。
これにはスサノも神部もドン引きするはずだ。
「……ごめんなさい」
水晶ドクロを構えて野中エミコのペルソナらしきものを吸引せんとする。
それが海棠の答えだった。
ジョーカーへの思いだけは須藤に受けた辱しめさえも越えている。
そのとき、鋭い哄笑が耳の奥に聞こえたような気がした。
「わたし、かみさまになれたら、いじめも戦争もない世界をつくるの」
「……エミコ?」
野中の声を聞いたような気がした。
刹那、触手が海棠の体に巻き付く。
触手の主は野中のペルソナ「アウラニイス」翻弄なる死を運ぶ者。
その女の形のペルソナは、ドレスをまといどことなくアイドルを想起させた。
回転しながら踊るように旋回し、海棠を振り回している。
「探検部員!?」
スサノの言葉を一瞬理解出来ないでいる須藤。
スサノをまじまじとみつめ、焼けるような思考を冷ましてゆく。
探検って……あの探検?
どうみてもスサノが嘘をついているようには見えない。
ぼくは探検家…、それはスサノの見事な自己紹介だった。
>「今度はこちらから質問させてもらうが何故同じ仮 面党のカイドーちゃんを拉致する必要がある? しかもこのコンサートを成功させなければ困るんだ ろう?」
>「そうそう須藤さん、話し合いをするためにも少し 冷静になって欲しいな。
先程仮面党の幹部であるトーラスから直々に命令が 下ったの。
レオの暴走を止めなさいって。 上司の言葉には忠実になるべきよ。
ジョーカー様も 貴女に失敗して欲しくないと思う。ね?」
「……ううっ、コンサートを成功させるために、
この胡散臭いババーが目障りなのよ!!
こいつは嫌な予感がするの。たしかな証拠なんてないけど
向こう側の記憶が甦ったら絶対にわかるから、
こいつは危ないやつってことがね」
須藤は凄まじい剣幕で訴えかけている。
(向こう側の記憶?)
それを聞いて首をかしげる海棠。
須藤さんって、ボク月とか読んでいるの…。まさか。
はなとゆめとか漫画の読みすぎ?
>「……おつかれさん。出来れば保健室に連れて行っ て上げたいけどそうも行かないみたい。 野中さんも須藤さんも本番直前で精神が昂ってるのかしらね。正直、放っておきたい気持ちと助けたい気持 ちが半々ってところ」
「ありがとうございます…」
そう言って海棠はうなだれている。
まるで糸をなくした操り人形のように。
> 「――でも彼女達に関わった手前、無視する訳にも 行かないよね」
「……コンサートが終わって一段落したら、
神部さんもスサノさんも、すべてからてを引いたほうがいいと思います」
抑揚がなく海棠の口調は平坦だった。
もっとかわいらしく、感情のこもった言い方もあるはずなのに
そんなふうに喋るのは慣れていなかったのだ。
とにもかくにも須藤は我慢することにした。
海棠の仲間は例えたら枯れススキ。
仮面党の野望を阻止するべく現れた第三勢力、
というには程遠い存在。
あとは、様子のおかしい野中エミコの回復を待って
コンサートを開始し、イデアルエナジーを集めるだけ。
時間は過ぎてゆく
仮面をつけた観客たちが体育館を埋め尽くし
開演の時を今か今かと待っている。
幕の裏でスタンバイする神部に海棠、
もちろんセンターは野中エミコ。
須藤竜子はというと、水晶ドクロを手に持って
舞台袖に潜んでいる。
そして大音響とともに暗幕で作られた闇に光の洪水。
ブレークビート。
『享楽の舞、影たちの宴……』
大歓声。
ステージ上に躍り出る須藤。
その頭上には水晶ドクロ。
仮面をつけた観客たちの額から幾条もの光線が
水晶ドクロにむけて放たれる。
水晶ドクロは人々のイデアルエナジーを吸収し凝縮させて
光輝いてゆく。
イデアルエナジーを奪われた人間はその場に骨を失ったかのように
ぺたりと座り込んでゆく。
その時だった。
野中エミコの体から噴出する人影。
それが水晶ドクロに吸収されるであろう
イデアルエナジーを横取りして喰らってゆく。
「えっ!!えっ!!?」
須藤は驚愕していた。
あれは防空壕で現れた怪物。
まさか、野中エミコのペルソナだったなんて……
>「……ごめんなさい」
その6文字は謝罪の意味を持つのだけれど、読み取れた真意は、
……別れの挨拶。
カイドウは衣世と視線を合わさない。 その様子に衣世はスカートの端をぎゅっと握り締める。
――結局、私は最後まで海棠美穂の心を理解できなかった。
虚しいのに、胸が苦しい。
「こちらこそ、変に付きまとってごめん」
彼女の孤独を埋められるのは、きっと衣世ではない誰かなのだろう。
海棠と誰か。彼らの世界がその二人だけで完成されるのなら、自分は不必要だ。
「忠告通り、この騒ぎが収まれば、私は仮面党には一切関わらないことにする。
……海棠美穂、あなたとも。」
そのまま舞台袖へと踵を返す。須佐野がいた。衣世はなんとなく彼女の横に並んだ。
「ねえ隊長。今回は探検部、新入隊員確保に失敗したみたいですよ」
一度関わった人間との縁をほどくことに寂寥感を感じずにはいられない。それがどんなに短期間であるとしても。
須佐野の手を無言で握る。
「ペルソナについてこれ以上深く関われば、私は隊長も失うかもしれない。
……もう引き際は見えたんじゃないでしょうか。」
喪失を恐れることを、臆病と呼べるか。
衣世は沈痛な面持ちで舞台袖から観客席を見下ろす。
倒れている者、棒立ちの者、座り込んでいる者。
彼らを救う唯一の手段は、イデアルエナジーを取り戻すことだ。
カイドウが水晶髑髏を掲げた。仮面党である彼女がこの惨劇に引導を渡す。
しかし、野中は海棠の懇願に応じなかった。
「………」
海棠が彼女にさらに近づく。それは野中の罠だったのだ。
>「アウラニイス」
エミコの影から突如現れたペルソナの名。
グロテスクで艶かしい。
彼女は野中エミコの抑圧されていた自己顕示欲を体現していた。
「アクラシエル……ッッ!!」
半身の名を心の底から叫ぶ。彼は光と共に現れる。
召還器を用いずともペルソナを呼べたことに、衣世はその時点では気づかない。
「衝撃を削げ!あの化け物は前の奴と比べ物にならない…!」
――是。
アクラシエルの返答はいつもながらごく短い。
(弛んだ、たるんだ、タルンダ。)
二対の槍から発せられる一際明るい光が、敵の視界を圧倒し動作を鈍らせた。
せわしなかった触手が動きを緩める。
(タルンダ、たるんだ、足るんだ?……いや、まだ足りない。)
間髪入れず、衣世はアクラシエルへ指示を飛ばす。
「野中さんにハンマ!傷つけてはならない!できるか?!」
――是。
光鎖が交差する。野中エミコはもとより挙動が著しく緩慢であった。拘束は容易に完遂した。
アクラシエルが鎖を素早く引き寄せる。がんじがらめの野中が衣世の元へ引きずられてきた。
パシっと頬を叩く。続いて二度、三度。
「野中さん、起きなさい、起きて、…起きてよっ!」
しかし彼女のペルソナは暴走を止めない。
「命さん、どうしようどうしよう、どうしようこのままじゃ、みんなが…!」
>「……ふん。だけど幻滅しましたっ、とでも言いたいの?
こっちだって、変な憧れを持たれたって困るのよ。
言っておくけどね。わたしがジョーカー様に願ったことは
一つだけ。健康にしてくださいっことだけよ。
てか、あんたは何をジョーカー様に願ったの?
まさか私に復讐したいとか?」
「そうだったのか……。教えてくれ、健康の代償として何を求められた……?」
健康を願ったという事は、彼女は本来健康では無かったという事。
だからといって健康な者に妬みひがみをぶつけていい理由はどこにもないが、誰も一方的に彼女を責める事は出来ない。
健康な体を持つ者にはその本当の有難さが、持たざる者の気持ちが、決して分からない物だからだ。
彼女もまたジョーカーの被害者だったのかもしれない……。
海棠ちゃんは須藤の問いに答える事は無く、野中エミコの命令に従う事もなく、野中エミコに水晶骸骨を向けた。
>「野中さん。気をしっかりもってください。
それとあなたが奪ったイデアルエナジーは返して欲しい」
良かった、海棠ちゃんは須藤竜子への憎しみに負ける事無く正しい道を選んだ……と一瞬思ったのだがそうではなかった。
>「……ごめんなさい」
別れを告げるようなその言葉から直感的に分かった。
カイドーちゃんは完全に仮面党の片棒をかつごうとしている。
目的のためなら憎い須藤竜子の側に組することも厭わない……という事だろう。
「やめろ! 踏みとどまれ!」
制止の叫びをあげる僕とは対照的に、イヨカン隊員は落ち着いた様子。
それはこちらがどう足掻こうとカイドーちゃんの意思は変えられないと確信した故の落ち着きだ。
本当は僕も分かっている。
>「ねえ隊長。今回は探検部、新入隊員確保に失敗したみたいですよ」
>「ペルソナについてこれ以上深く関われば、私は隊長も失うかもしれない。
……もう引き際は見えたんじゃないでしょうか。」
「そうだな……記念すべき探検部初のミッション失敗かもしれない」
退くもまた勇気――そう自分に言い聞かせる。
その時、哄笑交じりの声が聞こえたような気がした。
――わたし、かみさまになれたら、いじめも戦争もない世界をつくるの
次の瞬間、無数の触手が海棠ちゃんを捕える。
野中エミコのペルソナが暴走し、海棠ちゃんに襲い掛かったのだ!
>「アクラシエル……ッッ!!」
間髪入れずにイヨカン隊員がペルソナを召喚。
素早く野中エミコを拘束するも、アウラニイスの暴走は止まらない。
>「野中さん、起きなさい、起きて、…起きてよっ!」
>「命さん、どうしようどうしよう、どうしようこのままじゃ、みんなが…!」
助けを求められても、今回ばかりはおろおろするばかり。
というのも、相手を傷つけずに恐慌を解除し平常心を取り戻させる技なんて持っていない。
むしろペルソナの性質から言って正反対だ。
持っているスキルはすがすがしいまでの攻撃技と即死技、そして今は全く役に立たない炎に対する防御技
そして相手を混乱させる技――元々混乱しているのにこれ以上混乱させてどうするというのか。
しかし、しかしだ――別種の混乱に陥らせる事によって元々の混乱を解除できる、という屁理屈も通らなくはないかもしれない。
駄目で元々か一か八かも分からないが、ただ一つ確かなのは手をこまねいていても決して状況は好転しないということ。
『――少女よ、力が欲しいか?』
待ってましたとばかりにスサノオが語りかけてくる。
「前口上省略! プリンパ!」
混乱の業を命じると、スサノオが暴れ狂うアウラニイスに峰打ちをくらわせてみせた。
果たして、吉と出るか凶と出るか――
>「忠告通り、この騒ぎが収まれば、私は仮面党には一切関わらない ことにする。 ……海棠美穂、あなたとも。」
海棠はそれで良いのだと自分に言い聞かせた。
深い海に何処までも沈んでゆく感覚。
ある意味、海棠は自殺にも似た感覚を装飾したいのかも知れない。
それをジョーカーとの邂逅に求めているのだろう。
むろん、そんなことに神部を巻き込むことは出来ない。
だがそれは何故か。
神部や須佐野が自分にとって、特別な存在になってしまっては
困るからだ。 そう、困るのだ。
(私は…、この世が消えてゆくのを見ていたい…)
そんな思念が頭の中を埋め尽くす。
埋め尽くされた思念の中には家族も友達もいない。
信じても夢は叶わない。信じても人は裏切る。
求めても与えられない。 それならいっそ……。
水晶ドクロの冷たい光を浴びた海棠の能面のような顔。
その顔を苦悶に変えたのは野中エミコのペルソナ「アウラニイス」の触手だった。
もしも何もかもが思い通りになる世界があったら
人はどうなってしまうのだろう。
目の前の野中エミコは狂っているように見えた。
するとアウラニイスの触手が海棠の体を締め上げる。
強く肉に食い込む触手が全身に痛みを与える。
そこへ放たれたのはアクラシエルの光鎖。
それは見事に野中を拘束して神部の元へと引き寄せた。
>「野中さん、起きなさい、起きて、… 起きてよっ!」
>「命さん、どうしようどうしよう、ど うしようこのままじゃ、みんなが…!」
>「前口上省略! プリンパ!」
「……」
アウラニイスにスサノオのみねうちがヒットする。
そのとたんに野中は落ち着きを取り戻したかのような様子になり
布団の中で寝る前の幼児のようになっていた。
「わたし、いつも不安なの。でも歌ってるときは安心できるの。
でも、その安心もずっとじゃないでしょ。だから不安なの。
不安で不安でしょうがないの」
光鎖に繋がれたまま、野中は静かな口調でそう言った。
その一方で、アウラニイスはまごまごしている。
なのでその好機を利用して、海棠は触手の拘束から逃れると
拘束時に手放してしまった水晶ドクロを拾いあげた。そして再び構えようとしたその時。
――やめろ、ふみとどまれ!
思い出す。
須佐野の言葉、初めて聞いたような強い口調。
それに手がいっしゅんだけ止まった。
たが――海棠とスサノを繋ぐ魔法の言葉、探検部。探検部員。それはただの名前にしか過ぎない。
だから海棠はこう思った。
あなたには私のなにがわかるの。神部さんの何を知ってるの。
須佐野のやっていることは、ただの仲間ごっこだ。
まるで夢。夢物語の住人にしか思えない。
海棠は水晶ドクロを構えると、アウラニイスのエナジーを吸収する。
アウラニイスから放たれた幾条もの光線が水晶ドクロに吸い込まれてゆく。
野中エミコは泣きそうな顔。
「あたし、あのとき、盗み聞きしちゃったの。トーラスさんと須藤さんの話を。
お客さまから力を奪うって話。
でも、あたしは歌いたかったの。
だからずっとずっと迷っていたの。
そんなの嘘っぱちって信じたかったの」
アウラニイスの体が透明になってゆくのに比例して、
野中の瞳も虚ろになってゆく。
「……お願い。海棠さんを止めて。このままじゃあの人、操り人形だもん。
きっと、ジョーカーに騙されてるのよ。
このままじゃ、あたしみたいにもうひとりの自分に飲み込まれちゃう。
人が神様になるなんて、おかしなことなんだから……」
野中の語尾は聞き取り辛くなり、それに追い討ちをかけるかのように警察のパトカーの音が近づいてくる。
須藤は黒マントをひるがえして
「どうやら潮時のようね。それとさっきの質問だけど、
私は健康と引き替えにジョーカー様に忠誠を誓ったのよ。
だから仮面党に逆らうものは容赦なく殺すから。
それじゃ、さよなら」
先程のスサノの問いに答え体育舘をあとにする。
同時にアウラニイスが砂像のように砕け散る。
それを呆然と見ながら海棠は立ち尽くしていた。
【須藤竜子:逃走】
【野中エミコ他多数、影人間と化す】
>「前口上省略! プリンパ!」
須佐野の峰打ちをくらい野中は倒れ伏した。
衣世は思わず、ぐったりとした彼女の身体を抱き起こす。
>「あたし、あのとき、盗み聞きしちゃったの。トーラスさんと須藤さんの話を。お客さまから力を奪うって話。」
「どうして、なんで、それを私に伝えてくれなかったの……!そうすれば、みんなも貴女こんなことにはならなかった!」
>「でも、あたしは歌いたかったの。だからずっとずっと迷っていたの。そんなの嘘っぱちって信じたかったの」
途切れ途切れの声に、衣世は何も答えられない。
彼女はただ“歌いたかった”。
野中に対し感じていた隔意と絶望が、徐々に悲しみへと移り変わっていく。
(野中エミコ。……あなたはあまりにも。)
あまりにも純粋すぎた。
>「……お願い。海棠さんを止めて。このままじゃあの人、操り人形だもん。
きっと、ジョーカーに騙されてるのよ。このままじゃ、あたしみたいにもうひとりの自分に飲み込まれちゃう。
人が神様になるなんて、おかしなことなんだから……」
独り言のようにそう囁いた後、彼女はゆっくり目を閉じ、動かなくなった。
「そうしたい、そうしたいよ、私だって」
サイレンの音。警察だ。遠くから徐々にこちらへ向かってくる。
遅い。衣世ははばからずに舌打ちした。
後一足早ければ役に立ったものの、今となっては……。
意識を失った野中の身体を丁寧に床へ寝かせ、衣世は立ち上がる。
「私達は、逃げないといけない。……海棠さん、特にあなたは。
いくら眉唾の超常現象と言っても実被害が出てしまったのだから。
この状態で立っているのは私達だけ、疑われない方がおかしいわ。」
実際、手を下したのもミューズのメンバーであり仮面党なのだから、取調室で自己弁護のしようもない。
そしてそれに加担したのは紛れも無く衣世自身だ。
「本来ならば、私は自首すべきなんだろうね」
舞台から観客席を見下ろせば、数えきれないほどの無秩序な人の群れがある。
ケタケタ笑う者、ぼんやり空中を眺める者、座り込む者、倒れる者。
彼等に共通している意志のない表情。罪悪感に眼を背けたくなる。
「――ただ、今は皆のイデアルエナジーを取り戻すのが先。
牢屋に入って反省大会をするのはそれからでも遅くない。私は頭のお固い国家権力よりも、仮面党を知っているもの」
仮面党は皆から吸い上げたイデアルエナジーを使う。
それまでに水晶髑髏を取り戻さねば、犠牲はこの体育館だけに留まらない。
「私は、人の魂をこんな風に安く道具扱いするジョーカーが許せない」
そう言い放ち、衣世は海棠の目を真っ直ぐ見つめた。
>(……お願い。海棠さんを止めて。) ――野中の最後の言葉を噛み締めながら。
「さっきまでは貴女個人の問題だから深くは追求しなかったけど、こうなってしまった以上ぬるいことは言ってられない。
……貴女だっておかしいって分かってるでしょ。
貴女が仮面党の幹部として私の足止めをしようとするなら、私は、」
アクラシエルが背後で光を増す。
「――私は貴女の敵にだってなるよ。海棠さん」
峰打ちは確かにアウラニイスに叩きこまれた。
後は事態の行く末を息を呑んで見守るのみ。
野中エミコは力が抜けたように大人しくなった。とりあえずは成功――か。
>「わたし、いつも不安なの。でも歌ってるときは安心できるの。
でも、その安心もずっとじゃないでしょ。だから不安なの。
不安で不安でしょうがないの」
「……!」
この少女を黒幕、なんて思った自分の愚かさを思い知る。
寂しさに押しつぶされそうなこの少女は、歌っている時だけは確かに自分はここにいるって感じる事が出来たんだ。
“歌いたい”とても単純でとても純粋ゆえに、何より強いその想いを利用された――
拘束から抜け出したカイドーちゃんが水晶ドクロを構える。
「駄目だ! それを吸い取られたら彼女は……!」
アウラニイスの前に立ちはだかり、両手を広げて首を振る。
しかし無情にもアウラニイスから放たれた光が僕の体をすり抜け、水晶ドクロに吸い込まれていく――
>「あたし、あのとき、盗み聞きしちゃったの。トーラスさんと須藤さんの話を。
お客さまから力を奪うって話。
でも、あたしは歌いたかったの。
だからずっとずっと迷っていたの。
そんなの嘘っぱちって信じたかったの」
「もういい! しっかり!」
次第に瞳が虚ろになっていく野中エミコの体を揺さぶりながら必死に声をかける。
>「……お願い。海棠さんを止めて。このままじゃあの人、操り人形だもん。
きっと、ジョーカーに騙されてるのよ。
このままじゃ、あたしみたいにもうひとりの自分に飲み込まれちゃう。
人が神様になるなんて、おかしなことなんだから……」
「分かった! 分かったから……!」
アウラニイスが砕け散ると同時、糸が切れた操り人形のように野中エミコは気を失った。
>「どうやら潮時のようね。それとさっきの質問だけど、
私は健康と引き替えにジョーカー様に忠誠を誓ったのよ。
だから仮面党に逆らうものは容赦なく殺すから。
それじゃ、さよなら」
「それじゃあ……逆らった瞬間に君は!」
――おそらく、健康を失う事になるのだろう。
人の純粋な願いにつけこむとは何たる卑劣。野中エミコだってそうだ。
一歩間違えたら僕が野中エミコの立場だったのではないだろうか、とさえ思う。
野中エミコは空虚な現実の寂しさを忘れるために歌い、虚構の中の光輝くアイドルになりたいと願った。
正常な思考ができなくなるほどにただ只管に願った。ならば僕は――
周囲の燦々たる状況に気付き、思考を中断する。
目に飛び込んできたのは、魂を奪われた観客達。大変な事になってしまった。
>「本来ならば、私は自首すべきなんだろうね」
「実際どうなんだろうな……。魔法や超能力による殺人が認められた前例は無い……と思う」
イヨカン隊員の呟きにどうこたえていいか分からず、場違いなマジレス。
>「――ただ、今は皆のイデアルエナジーを取り戻すのが先。
牢屋に入って反省大会をするのはそれからでも遅くない。私は頭のお固い国家権力よりも、仮面党を知っているもの」
「少なくともその前に前代未聞のトンデモ裁判があると思うが……暫くお預けだな!」
イヨカン隊員の言葉に大きく頷き、並び立ってカイドーちゃんと向かい合う。
須藤竜子と野中エミコの言葉から分かった事は、ジョーカーは人の願いに付けこむ天才だということ。
カイドーちゃんがこうまでして叶えたい願い、それが分かれば糸口が掴めるかもしれない。
>「さっきまでは貴女個人の問題だから深くは追求しなかったけど、こうなってしまった以上ぬるいことは言ってられない。
……貴女だっておかしいって分かってるでしょ。
貴女が仮面党の幹部として私の足止めをしようとするなら、私は、」
>「――私は貴女の敵にだってなるよ。海棠さん」
強気に攻めるイヨカン隊員。ならば僕は――逃げ道を提示する役だ。
「カイドーちゃん、奴は人の願いに付けこむ天才だ。須藤竜子は健康を人質に取られて逆らえない。
野中エミコは甘言に乗せられ心の影に乗っ取られて正常な思考が出来なくなっていたんだ。
でも……君は違う。健康な体を持っているし今はまだ心の影に乗っ取られてもいない。
君の願いは何? こうまでして叶えたい願いは何?
教えてくれれば……力になれるかもしれない。 そうすればジョーカーにすがらなくたっていいだろう!」
>「――私は貴女の敵にだってなるよ。海棠さん」
神部の強い意志を孕んだ瞳に、海棠は思わず見つめ返してしまう。
内気な海棠なら普段は反らしてしまうはずの他人の目をだ。
それにしても神部はなんて悲しい目をしているのだろう。
海棠の心が痛む。
そう、痛む。
痛む故に、海棠はやっと気がついた。
神部との間には、仲間意識が芽生えていたということに…。
(だから、私はそれをぬぐい去るために…)
視線を落とした瞳に映るのは、人形のようにぐったりとしている野中エミコの姿。
次に須佐野の爪先。
>「カイドーちゃん、奴は人の願いに付けこむ天才だ。(略)
そうすればジョーカーにすがらなくたっていいだろう!」
須佐野の必死の説得にも、海棠は落ち着いた様子だ。
「……私は、ジョーカーにすがってなんてません。
願い事だってありませんでした。こんな世界で叶えたいことなんてなかったから…。
だからジョーカーをバカにするかのように言ったんです。
私に願い事なんてない。ただこの世界が、終わるところを見ていたいって。
これはきっと、能天気で挫折を知らない貴女にはわからない気持ちでしょう。
でもジョーカーは、悲しそうな仕草を私に見せてくれました。だから……」
――アクアダイン!
水の気が迸る。水流が、水の壁が神部に向かって押し寄せる。
もしも神部がまともにこれを受けたら、水流に流され足止めをくらい
警察に捕まってしまうことだろう。
そして須佐野は神部を見捨てない。
二人が仲良く警察の取り調べを受けている数日間の間に、インラケチは成就するのだ。
「神部さん。貴女に私は止められない。仮面党の野望も、何もかも…」
>「神部さん。貴女に私は止められない。仮面党の野望も、何もかも…」
衣世はアクアダインを正面からまともにくらった。
しかし、強力な敵を一掃できるだけの力を有するはずのそれを受けたにも関わらず、衣世の体は傷一つ負わなかった。
彼女には確かにあったのだ。衣世へ攻撃を向けることへの躊躇いが。
(私はその“躊躇い”を彼女の叫ぶ助けの声だと信じる)
濁流に飲みこまれる間際、衣世は須佐野に向かって叫んだ。
「海棠さんを追って!」
遠い距離と激しい水音にも関わらず、衣世の声はすんなりと須佐野に届いているようだ。
ペルソナ同士が何らかの形で二人間の意思伝達補助の役割を担っているのだ、と衣世は推察する。
「私に考えがあります。あまり上策とは言えないけど、警察の目をかい潜る方法が1つだけ…!」
床に倒れ伏す野中が溺れぬよう、衣世は彼女を背負った。
体勢を崩させない為に、濁流に沿う形を取りながらじりじりと壁に近づき身を寄せる。
「後から絶対に追いかける、だから行って……美帆さんを追うことができるのは、命さん、貴女だけです!」
元より衣世は足が遅く体力もないのだ。無理に二人で行くとすれば確実に須佐野の足手まといになるだろう。
いくら超常と言えどペルソナの力も有限。どうやら水高は、太ももから上まではあがってこないようだ。
しかし海棠がいる場所からかなり流されてしまった上に水流を遡るのは至難の業である。
背中に負っている野中エミコの体が重い、けれどその分暖かくもある。
衣世は彼女に向かってつぶやいた。
「野中さん、待っててね…。貴女のお願い、ちゃんと叶えるから。――命さんと私で、絶対」
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
さて、濁流が引いた後、代わりに場を制するのは煩わしいサイレンの音だ。
体育館は一見して死屍累々、立っている者は衣世だけ。自他共認める怪しい黒幕候補である。
唐突に、衣世は父の顔を思い浮かべる。
連日の仕事漬けでこの頃はまともに話せていなかったが、下手をすると今日にでも再会できるかも知れない。
――取り調べ室の机を挟んで、という嫌な制限付きで。
父を筆頭に複数人の大人を騙しきる才などなく。ならば衣世が取れる行動は限られている。
木を隠すなら森の中。では人を隠すなら?答えは簡単。
衣世は舞台を降り、学生が折り重なって倒れている場所近くで適当に仰向けに転がった。
「アクラシエル、“タルンダ”お願い。」
『タルンダ』は精神に作用を及ぼすスキル。
当たりどころが悪ければ、外傷なしに昏睡状態に陥らせることすら可能だ。
気配で分かる。アクラシエルはかなり渋っている。衣世はそれに構わず続けた。
「当てる相手は、……いい?――わたしよ」
>「……私は、ジョーカーにすがってなんてません。
願い事だってありませんでした。こんな世界で叶えたいことなんてなかったから…。
だからジョーカーをバカにするかのように言ったんです。
私に願い事なんてない。ただこの世界が、終わるところを見ていたいって。
これはきっと、能天気で挫折を知らない貴女にはわからない気持ちでしょう。
でもジョーカーは、悲しそうな仕草を私に見せてくれました。だから……」
「”世界が終わるところを見ていたい”それが……君の願い……」
なんて悲しい願いなんだろう。
逆説的だが世界に強い憎しみを抱いて世界を滅ぼしたいと願っている方が、まだある意味生きる原動力を持っているとも言える。
何か言わなければ。この世界は生きるに値するって、生きる事は素晴らしいって言ってあげなきゃ。
でも……何を根拠に? 根拠なんて無いけど理由ならあるかもしれない。
そう思ってないと闇に引きずり込まれてしまうからではないのか? ペルソナが心の投影だとしたら、僕の心の奥底には、底知れぬ闇が――
>「神部さん。貴女に私は止められない。仮面党の野望も、何もかも…」
「イヨカン隊員危ない……!」
まるで自ら立ちふさがるかのように、アクアダインをくらい流されていくイヨカン隊員。
激しい水音の中で、イヨカン隊員の声が確かに聞こえる。
>「海棠さんを追って!」
>「私に考えがあります。あまり上策とは言えないけど、警察の目をかい潜る方法が1つだけ…!」
「何を……!」
>「後から絶対に追いかける、だから行って……美帆さんを追うことができるのは、命さん、貴女だけです!」
「信じて……いいんだな!? ――君は最高の探検部員だ、だから信じる!」
イヨカン隊員の言う通り、水のペルソナを駆るカイドーちゃんと組するには、海神としての属性を持つスサノオが適しているだろう。
美しき海原の女王を従えたカイドーちゃんと再び対峙する。
「能天気で挫折を知らない、そう見えるか。自分でもそう思う。でも残念ながらそうじゃないみたいなんだよな……」
ペルソナは深層心理の投影。だとすれば僕の本質には、抗えぬ破滅への衝動があるのだ。
何故なら、スサノオは海神であると同時に冥界神。
気付いていないわけじゃなかった、気付かぬはずはなかった――スサノオが人を即死に至らしめる事の出来る力を秘めている事。
その力事態もさることながら、それが自分の一面だなんて恐ろし過ぎて、目を背けて気付かぬ振りをしてきたのだ。
「世界が終わるのを見たいと言ったな……。僕のペルソナならすぐに叶えてあげられる。
自分が死んでしまえば自分にとっては世界が終わるのと等しい事なのだから……。
言葉で分かり合えないなら……人格《ペルソナ》同士で語り合えばいい!
死にたくなければ君の人格《ペルソナ》で抗ってみせろ――ムド!」
賭けに出る。抗ってくれると半ば確信しつつ、もう半分はどうか抗ってくれと願いながら。
もちろん抗う素振りを見せない時は寸止めするつもりだが、そうなってはもう打つ手がない。
それは一撃必殺の構え――大剣がカイドーちゃんの命を刈り取らんと迫る!
体育館から抜け出し校舎の裏に出た海棠は
しばらく走ったあと、歩きはじめた。
少し呼吸は乱れているものの、中学生の頃よりも長く走れたような気がする。
これも水泳をはじめた結果なのか。そう思うと苦笑がこぼれた。
そしてここまで来たらもう大丈夫と安堵しつつ
後ろを振り返り驚愕する。
なんとそこにはスサノがいたからだ。
きっと神部がよこしたのだ。
神部の仮面党の野望を阻止するという意志は本物らしい。
>死にたくなければ君の人格《ペルソナ》で抗ってみせ ろ――ムド!」
突如スサノの大剣が迫る。
それでも海棠は虚ろな目で立ち尽くしたまま。
だがその切っ先がその身を貫かんかと思われた刹那、少女の体は宙に舞った。
そう、海棠はアクアの水流ジェットで跳躍したのだ。
「……死に場所くらい選ばせてよ」
海棠の目の色が変わる。
あの夏、プールの中で味わった
何処までも広がってゆくような感覚を思い出す。
今の海棠には、水を自在に操れるような気持ちがした。
スカートを手で押さえながら着地すると一呼吸おいて、スサノを見据える。
あろうことか、この女は自分を殺そうとした。それを恐ろしく思う。
まさか大剣を寸止めしようとしていたことなど知るよしもなく
海棠のスサノに対する軽蔑の色は深くなる。
夢見がちな人に多い浮き世離れした感覚。
理由も考えず、己が悪行と認識したことへの容赦ない鉄槌。
このスサノミコトという女は、自分が正しいと思ったことを
何処までも信じて、真っ直ぐに貫くことの出来る人種なのだ。
それは仮面党にとって、もっとも厄介な人間だろう。
「……わたし、スサノさんの苦しむ顔を見てみたいって思いました。
その理由、貴女にはわかりますか?」
そう言って海棠はペルソナの指先から水流を放つ。
大剣の切っ先が迫ってもカイドーちゃん自身は動く気配はない。
しかし、彼女のペルソナの躍動を確かに感じた。
刹那、水圧で宙に舞いあがり大剣をかわす。
水を自在に操り舞うその姿は、まさに海原の姫君だ。
>「……わたし、スサノさんの苦しむ顔を見てみたいって思いました。
その理由、貴女にはわかりますか?」
ひとまず今の所狙い通りの反応。
他人の苦しむ顔を見たいなんて決して前向きな願いではないけれど
それでも世界が終わるのを見てみたいよりは大分いい。
奇しくも、同じ水属性を持つ海神対決。
相手が水流を放ってくるのに応えるようにこちらも水流を放つ。
「さあ、完全に分かるはずなんてない。……でも嫌いという事は確かだろうな。
知ってるか? 人が誰かを嫌いになるよくある理由のうちの一つが、自分の似姿だ――」
ぶつかりあい拮抗する激流。
双方ともペルソナが水の海神なので当たっても死ぬ事は無いだろうが、気を抜けば押し流される。
押し流された方が負けだ。
「……昔僕もいじめられてたんだ。それで父上から月光館を勧められた。
偏差値は高いけどそれだけの価値のある、どんな個性だって存在を認められる校風だって……
それからもう猛勉強したよ。あの校庭の隅の探検部はそうやって勝ち取った居場所だ。
だから世界が終わるのを見たいなんて理由で潰されちゃあ困る!」
世界と非公式の部活を天秤にかけるなんてギャグにしか聞こえないが
よくありがちな少年漫画だって主人公達が世界を守りたい理由なんて実も蓋も無く言えばそんなもんじゃないだろうか。
取るに足らない事に抗ってほんの小さな居場所を掴んだ僕と、全てを受け入れて世界の終わりを望んだカイドーちゃん。
高天原を追放された後に地上で豊穣の姫君を救い英雄となったスサノオと
深い水底から出る事も地上の光景を見るのを願う事すらなく、訪れた者を甘い誘惑に陥れ甘美な破滅へと導くオトヒメ。
道はそこで決定的に分かたれた……と思っていいのだろうか。
否。スサノオの神話にはまだ続きがあり、最終的にスサノオは冥界の神となっているのである。
もしも僕もまた神話と同じ道を辿るとしたら……
幾度となく激流をぶつけあう。
そうしているうちに、カイドーちゃんの方が世界の真理のようなものを見ていて
僕の方がくだらないちっぽけな事にこだわっているように思えてくる。
もしかしてこの世界は、一度滅びた方がいいのだろうか――
「どこまで知ってるんだ? 奴らはどうして世界を滅ぼそうとする? 世界が終わった先には何が……」
その言葉を最後まで言う事はできなかった。
ほんの少し意志が揺らいだ瞬間、拮抗を保っていた水流が押し負ける。
あっと思った瞬間、大量の水が覆いかぶさってくる。
普通なら流された後に水が引くはずだが、いつまでたっても水が引かない。
この時校内の池に落ちていた事は後に知る事になったのだが……とっさの事で訳が分からず意識が遠のいていく。
(もう、駄目なのか……? ごめん、ごめんよイヨカン隊員……)
そんな時、見えてきたのは羽が生えた光輝く人型、まるで前衛的絵画のような”天使”……。
意識が朦朧としている時特有の幻を見ているのか、どう見てもイヨカン隊員のペルソナだった。
――タルンダ。
手足に掛かる重圧、酩酊感、三半規管が渦を巻く。
くらり、くらくら 膝を突く。
そのまま床にうつ伏せると 頬に冷たく硬い感触。
それも徐々に消える刺激、衣世は暖かい泥に意識を委ねる。
(眼が醒めたら病院か、な。…みんな、お願いだから、無事でいて。
美帆さん、お願いだから無茶は、止め、て。
……あ、あぁ。眠い、もうなにも…考えら……ない、……みこと……さ)
アクラシエルもまた、その輝きを鈍らせシルエットを薄める。
時を置かずして体育館の扉が開いた。通報を受けた警察が到着したのである。
局所的に水浸しのフロアと、折り重なるように倒れる生徒達、教師達を見、
彼らは立ちすくんだ。
「何をぼさっとしてる、早く、早く救急車を呼ぶんだ!意識のある人間を探せ…!」
一拍置き我に返った幾人かが本来の役割を思い出した。慌ただしい雑音が館にこだまする。
しかし、衣世がそれを認識することはなかった。
意識の冥界にたゆたう。現実と意識の境界が曖昧な。朝靄に溶ける夢のような。
暗くも明るくもなく、白くも黒くもない、目を閉じると視える瞼の裏の世界に、衣世は漂う。
(病院で死を待っていたころの私はベッドの中で常に考え事をしていた。
人の心は大きな根であり、深く深く、地中の奥底で1つに繋がっているのではないかと)
ここでは体という殻がない。
心を守る器を無くし、文字通り『心許ない』状態であると同時に、
自我と非我の間に隔てられている障壁もまた、無い。
意識はより自在に、より遠くへかけめぐる。
(自分のペルソナに仕込まれた”タルンダ”で意識を飛ばすだなんて……
警察の目をかいくぐらなきゃいけないとはいえ‥…。
きっと体育館の床に、間抜けな私の殻が横たわっている)
思考は泳ぐ。
(命さんは美帆さんをちゃんと止められただろうか。
彼女達は今どこへいるのだろうか。
私は野中エミコの最後の願いを叶えられるのだろうか)
ふいに水の音が聞こえた。川の流れと海の波音がぶつかり合う音。
――違う。あれは。
足下から泡沫が浮き上がり、耳元で弾けた。
>(「……わたし、スサノさんの苦しむ顔を見てみたいって思いました。
その理由、貴女にはわかりますか?」)
これは海棠の声。続いてもう一つの泡が弾ける。
>(「どこまで知ってるんだ? 奴らはどうして世界を滅ぼそうとする? 世界が終わった先には何が……」)
須佐野の声。どうやら間に合ったようだ。衣世はひとまず安堵した。
けれど。
次に来た泡はおびただしい数だった。無数の小さい泡が舞い上がる。衣世は圧倒された。
細かな空気の群れは形を変え続け、やがて一枚のスクリーンとなる。
青みがかった少女二人のシルエットが映った。
振り上げられた海棠の手と、それに追随するオトヒメの袖と、水流と。
次の瞬間、あっけなく須佐野が流されてしまった。
スクリーンの泡から光が消えたと同時に、須佐実物がこちらへ落ちてきた。
しかし衣世の意識はうろたえなかった。
(命さん、命さん。…ねえ、スサノ隊長。池の中を探検する時はシュノーケルくらいつけなきゃあ)
アクラシエルが優しい光の糸を紡ぐ。
”パトラ”……須佐野が陥ってる意識混迷という『異常』を回復させる。
続いて”ハンマ”。 その光鎖は水中から地上へ伸びる。
本来は攻撃手段であるはずのこのスキルが、
使いならすことによってあらゆる用途に応用出来るようだ。
海棠の元へ戻るのであれば、この直線を辿ると良いだろう。
(私の体はここにありませんけど、私の意識とペルソナは貴女と共にある。
……今度は一人にさせないよ、一緒に美帆さんを止めましょう)
(自分の似姿?)
ずいぶんと古典的なことを言うと海棠は思った。
それに的外れとも。現実を知らないインテリが
本の知識だけで物事を判別するような感覚に似ていると思った。
(ばーか。私と貴女なんて、ぜんぜん似てないじゃん)
そう思った矢先、スサノはかつて苛められていたことを独白。
続けて努力して月光館学園に入ったこと。
そこで新しい部活を創設したこと。
つまりは自分の居場所を掴みとったことをべらべらと語った。
(……なるほどね)
海棠はわかった気がした。スサノのことを嫌いな理由が。
今までは何もかもを最初から手に入れているお気楽な人と思っていた。
でも本当はちがう。
スサノは失いかけたものを自身の力で掴みとったのだ。
海棠は奥歯を噛み締める。
悔しい。妬ましい。
スサノのようにそんな真っ直ぐな気持ちを、自分も何時までも持っていられたら。
「……この世界は、私の居場所なんて用意してくれなかった。
それならこんな世界、いらないじゃないっ!」
心の奥底から溢れだすほの暗い感情。
濁流と化した水の気はとどまることを知らない。
本来なら緩やかに、溶けてゆくように
破滅へと埋没してゆくだけのはずだった。
その先には今見ている世界はなく、
ただ違う現実があるだけのはずだった。
きっとそこが、自分の新しい居場所になる、そう信じていた。
海棠のペルソナ「オトヒメ」の水撃によって、スサノミコトの体は宙に舞い池に落下。
小さな水柱をあげたあと水面に波紋を作り上げる。
それを海棠は呼吸を乱しながら虚ろな目で凝視していた。
頭に浮かんでくるのは影人間となった野中と春日高校の生徒たちのこと。
そして水撃で吹き飛ばした神部のこと。
彼女たちに対しての罪悪感はあったがそうしなければ自分は今の自分のまま。
何も変わりようがなければ、それはまるで、死んだまま生きてゆくようなことだ。
スサノが言っていた「自分が消えたら世界も消える」と
海棠の「世界が終わるのを、じっと見ていたい」はイコールではないのだ。
海棠は、かぶりをふって迷いを払おうとする。
そんななか、目に飛び込んできたものは池のなかの光。続けて光鎖。
それはオトヒメの右手に巻き付き離れない。
「……アクラシエル?神部伊世?どうしてここに」
なんとそれは錯覚ではなかった。
無意識の海を経由し空間を越えて現れた天使の意識。
「……もう。邪魔をしないで。
私は世界の終わりを、ジョーカーと一緒に見ていたいんです。
きっとそこが、私の唯一の居場所になるんですから」
オトヒメは右手に巻き付いた光鎖をほどかんとする。
が、ほどくこともままならず、次の瞬間に見たものは複数の人影だった。
彼等は戦隊ヒーローのような出で立ちで
その顔はフルフェイスで覆われており
様々な武装をしていた。
きびきびとした動きにはまるで無駄というものがなく
いわゆる人間らしさというものがない。
彼等は怪事件が多発するこの街に、須藤龍蔵の財力によって新設された特殊部隊だった。
「前方にペルソナ反応あり」
「直ちに無力化せよ」
特殊部隊の一人が海棠のいる池に向かって、魔力の帯びた宝石を投擲する。
その宝石はジオンガジェム。
雷の力を秘めており、発動されれば辺りに電撃の効果を発揮することだろう。
>(命さん、命さん。…ねえ、スサノ隊長。池の中を探検する時はシュノーケルくらいつけなきゃあ)
優しい声が聞こえる。
イヨカン隊員の声が頭の中に直接響いてくる。
幻聴、と言ってしまえばそれまでだが、集合的無意識、という言葉をおぼろげに思い出す。
全ての人々の意識――もしかしたら人以外の魂も繋がる広大な海、神話の源泉。
お互いに意識混濁している今、無意識の連結のラインが出来ているのかもしれない。
いや、普段は肉体の枷に捕らわれて気付かないけど……本当は誰とでもいつだって繋がれるのかもしれない。
優しい光の糸に包まれる。
意識にかかった靄が晴れたような感覚。
これは気のせいなんかじゃない。
ペルソナは深層心理の投影――だとしたら、天使のペルソナを従えるイヨカン隊員は全き光なんだ。
>(私の体はここにありませんけど、私の意識とペルソナは貴女と共にある。
……今度は一人にさせないよ、一緒に美帆さんを止めましょう)
光の鎖を辿り、地上へ――
天界(一般的学校社会)を追放された問題児は豊穣の姫君(櫛稲田姫子)に導かれ(そそのかされ)英雄(ある意味)となった。
しかしまたしても闇堕ちしかけた英雄は――今度は天使に導かれ……
やっぱりヒーローにはヒロインがいないとダメダメなのだ。
そして守られ系ヒロインは今は昔、後方支援系ヒロインを経て今や一緒に戦う系ヒロインが花形なのである!
(好奇心旺盛な天使と、光に憧れる問題児か――今更だけど僕達いいコンビだよな)
水面から飛び出て、そのまま大上段に剣を振り上げる。
そこには、光鎖に拘束されたカイドーちゃんとオトヒメがいた。
「真面目に考え込んでそうなるなら、いっそ馬鹿になってしまえばいい! ――プリンパ!」
僕はカイドーちゃんに、スサノオはオトヒメに。殺傷能力の無い、相手を混乱に陥れる技をクリーンヒットさせる。
きっとカイドーちゃんは考え過ぎなのだ。
この世界で生きている意味なんて、考えたってきっと誰にも分からない。
拘束されたままのカイドーちゃんに語りかける。
「居場所ならある! 探検部はいつだって大歓迎だ!
僕だってこの世界に意味があるのかなんて分かりゃしない。でも生まれてしまったもんは楽しまなきゃ損だろう!
一緒に馬鹿な事して、くだらない事で笑って……悲しい顔してきた今までの分も、たくさん……」
突然光の拘束が消える。まるでそうしなければいけない状況が起こったかのように。
その予感に従い神経を張り巡らせると……
>「前方にペルソナ反応あり」
>「直ちに無力化せよ」
怪しげな人物が、さっき僕が出てきたばかりの池に向かって何かを投げるのが見えた。
「……お喋りしてる場合じゃないみたいだ!」
地面に水流を発射し跳躍、カイドーちゃんを抱えるようにして池から離れる。
>(好奇心旺盛な天使と、光に憧れる問題児か――今更だけど僕達いいコンビだよな)
須佐野の声に衣世はにやっと笑う。
(命さんったら問題児って意識はあったんだ。でも、問題児のその方が相方としては面白いです。100点満点)
二人は糸を辿って水から浮かび上がった。
もちろん水面を波立たせるのは須佐野一人分のみだった。
日の光の元に立つとより顕著に認識できる。今の自分は幽鬼そのものだ。
利き手をかざせば薄ぼんやりと背景が透けて見え、声は出せない。
その代わり伝えたいことは考えればそのまま相手に理解させてしまえるようだった。
海棠が衣世の登場に呆気にとられ、中々対応に困っているところを見て、衣世は感慨深く思った。
17年という短い半生にして2回も幽体離脱を経験してしまったのだな、と。
>「……もう。邪魔をしないで。
私は世界の終わりを、ジョーカーと一緒に見ていたいんです。
きっとそこが、私の唯一の居場所になるんですから」
海棠の言い放った言葉に、衣世は俯いた。彼女の意思は固い。
>「居場所ならある! 探検部はいつだって大歓迎だ!
僕だってこの世界に意味があるのかなんて分かりゃしない。でも生まれてしまったもんは楽しまなきゃ損だろう!
一緒に馬鹿な事して、くだらない事で笑って……悲しい顔してきた今までの分も、たくさん……」
悲しい顔と聞いて、衣世は海棠に伝えねばらなぬ事を思い出す。
(野中さんが影人間に成り果てる前、私達に言った事があるの)
その口からポツリとこぼれるのは、雨の雫のような小さな言霊だった。
(あの子は仮面党の駒になって、助けられもせず、使い捨てられた。
その事実を知りながらも 彼らを怨まなかったし、自分の悲劇を嘆かなかった。
……ただ、あなたを最後まで心配していた。海棠さんを助けてって、言って、気を失ったよ。
そしてもう二度と……歌う事も、踊る事も……考える事もできなくなった)
野中エミコの居場所は、カイドウの隣だったのだ。
でもその逆は――カイドウの居場所は、野中エミコの隣ではなかった。
しかし衣世はこうも思った。もし野中エミコの海棠を思いやる気持ちが、本人に伝わっていれば、
今のような悲劇は起こらなかったのではないか。
(自分の居場所はジョーカーの隣だけって美帆さんは言ったけど…けど、
きっと今までだって居場所は作れていたと思う。…あなたが気づいてないだけで)
私の絵を褒めてくれた時。廃工場で皆とシャドウを倒した時。私の傷を治してくれた時。
ならば今度こそ、私は気づかせてあげたい。
(私はあなたと友達になりたかった。けれど美帆さんはそのチャンスすらくれない……
お願いだ、海棠美帆。少しだけ私達を信じてください)
衣世は海棠に透明がかった手を伸ばし、そっと触れようとした。
なのに。
>「前方にペルソナ反応あり」
>「直ちに無力化せよ」
”ジオンガ” その雷は池を襲った。
衣世の背後に控えていたアクラシエルは咄嗟に双翼を広げてシールドを作る。
実体が無いのだからダメージだって通らない、などと話が上手くいくわけでもなく。
ペルソナが追撃に対して構えを取る中、衣世は彼にそっと命じた。
「次は守らなくてもいい。その代わり美帆さんに”パトラ”よ」
須佐野の”プリンバ”が効いてる内は、あの集団には対抗できまい。
またしてもアクラシエルは躊躇っている。けれど最終的には否と言えないことを衣世は知っている。
二つ目のジオンガジェムが池に投げられたのと、アクラシエルの”パトラ”が発動したのは同時だった。
■ ■ ■ ■ ■
体育館裏には幾台もの救急車が停車していた。
意識はないものの促されると歩行可能の生徒もいた為、救助活動は比較的にスムーズに進行している。
衣世の身体は担架の上に乗せられており、複数名の救急隊員がそれを車内に運び込む直前であった。
常人には不可視の光線が衣世を貫いた。
突然、AEDで電気ショックを与えられた心配停止患者みたいにその体がもんどりうった。
衣世を囲んでいた隊員はその衝撃にたじろく。
さらにその身体がベッドから転がり落ち、弱々しく立ち上がろうとしているのを見て、彼らは激しく動揺した。
「大丈夫か!……何が起こったんだ、重体患者の意識が戻ってる!?」
「う、裏の……池へ行って、女の子が、二人、お、おそわれ、てる……」
スサノオによって、海棠にプリンパがかけられた。
だから海棠は混濁した意識でスサノの言葉を聞くことになる。
>「居場所ならある! 探検部はいつだって大歓迎だ!
僕だってこの世界に意味があるのかなんて分かりゃしない。
でも生まれてしまったもんは楽しまなきゃ損だろう!
一緒に馬鹿な事して、くだらない事で笑って……
悲しい顔してきた今までの分も、たくさん……」
その言葉は昔、海棠が夢見ていたことだった。
でも今は捨ててしまった言葉。
それを大嫌いなスサノミコトが語っている。
ゆえに海棠は思う。
苦しみを与える世界を憎むことが、果たして悪いことなのだろうか。
かごのなかの小鳥は逃げることを考えるよりも、死ぬまで餌に困らないことを幸せ
と思って、ただ盲目的に生きてゆくべきなのか。
混濁の渦へと埋没してゆく憎悪が、自身の存在を認めぬものたちへの怒りへと変わってゆく。
が、その時だった。神部の意識が流れ込んで来たのは…。
>(あの子は仮面党の駒になって、助けられもせず、使い捨てられた。
その事実を知りながらも彼らを怨まなかったし、自分の悲劇を嘆かなかった。
……ただ、あなたを最後まで心配していた。海棠さんを助けてっ て、言って、気を失ったよ。
そしてもう二度と……歌う事も、踊る事も……考える事もできなくなった)
神部は野中エミコの最後の言葉と一緒に
自分たちを信じて欲しいと、その手を差し出していた。
「……エミコ」
海棠の脳裏に、エミコとの思い出が蘇る。
一緒にお弁当を食べたこと。
いつも子犬のようにあとを着いてきてうざかったこと。
チョコレートの匂いのする消しゴムをプレゼントしたら使わないでいつまでも大切に持っていたこと。
それなのに自分はエミコのことを心の何処かでバカにしていた。
友達と認めていなかった。
それはエミコもいじめられっ子だったからだ。
クラスメイトたちに拒絶されていたから海棠さえもエミコを拒絶していた。
他の子と同じようにランク付けして下にみていた。
それなのにエミコは海棠を慕ってくれていた。
こんな最低な自分なのに。
(ごめんね……エミコ……)
後悔しても、エミコはすでに影人間になってしまっている。
自分が変わるために、すべてのことを振り切るために、
仮面党として生きることを決心した結果がこんなふうになってしまうなんて
これほど悲しいことはない。
さらに神部の言葉は続く。
>(自分の居場所はジョーカーの隣だけって美帆さんは言ったけど…けど、 きっと今までだって居場所は作れていたと思う。…あなたが気づいてないだけで)
それを聞いた海棠はうつむき沈思。
否、それは気付いていなかったわけではなく、認めていなかったのだ。
認めることが怖くて逃げていたのだ。
自分は暗い人間。
面白いことも言えないし、運動も苦手。
誰かに好かれるわけなんてないと逃げていたのだ。
>(私はあなたと友達になりたかった。けれど美帆さんはそのチャンスすらくれない…… お願いだ、海棠美帆。少しだけ私達を信じてください)
そう、今まで海棠は逃げていた。
だから何事にも真正面から立ち向かうスサノを嫌悪していたし
嫉妬していたのだ。
(私は、許されるものなら、エミコと一緒に、もう一度笑いあいたい。
だから、だからエミコ…。私に勇気をちょうだい)
海棠は神部の手に触れようとする。
これからはできるだけ逃げないようにする。そう誓った瞬間だった。
>「……お喋りしてる場合じゃないみたいだ!」
刹那、凄まじい電撃が迸る。
池の中のアクラシエル、つまり神部は無事なのだろうか。
(逃げて!)
そう叫びたかったものの海棠は混乱していてうまく声がでない。
だがその時、浄化の光が海棠を包み込む。
それはアクラシエルのパトラだった。
海棠はスサノに抱えられたまま、スサノオの水流で高速移動。
それを見ていた謎の集団も人間とは思えない速度で二人の退路を絶つ。
彼等はいったい何者なのだろう。
でも海棠は、あのフォルムには何処と無く見覚えがあった。
(あ、スサノミコトのサークレット……。それに廃工場で見た機械仕掛けの化け物)
彼等はそれに似ていた。
「あなたたちは何者ですか?まさか仮面党ではないですよね?」
海棠は問う。
仮面党に海棠を襲う理由はない。
謎の集団は抑揚のない声で海棠の問いかけに答える。
「我らは、この街をジョーカーの魔の手から救うために結成された、ヒーローズだ!」
>「大丈夫か!……何が起こったんだ、重体患者の意識が戻ってる!?」
>「う、裏の……池へ行って、女の子が、二人、お、おそわれ、てる……」
「なんだって?それは本当かい!?」
救急隊員が近くの警官にその事を伝えると
数人の警官が裏の池に急行。
そこで彼等が見たのはヒーローズ。須藤竜蔵の私設戦隊だった。
「警部、あいつらヒーローズですよ!女の子を襲ってる奴等ってあいつらだったんすかね?」
ヒーローズの存在は警官たちも知っているらしい。
警察官の連続殺人事件やジョーカー絡みの怪異を追うために組織されたのだという情報は警察まで流れていた。
「よし、少女たちを重要参考人として確保するぞ」
警部の指揮のもと、警察官隊も隊列を組み立ちふさがる。
このままでは捕まってしまう。
彼等に捕まってしまっては、多分自由に行動できなくなってしまう。
そう思った海棠はスサノにこう語った。
「私は、あなたたちを信じてみたい。だからあなたたちも、私を信じてほしい」
そう言ってアクアダインを放ち
水流をヒーローズの一人に直撃させる。
「ピギーっ!」
すると水流を受けたヒーローズはバランスを崩し転倒。
頭を地面に打ち付けると奇声をあげ大暴れ。
「小娘が、いい気になるなよ!」
そして跳び跳ねるように起き上がると
先程までの無機質な声とは違った怒気を孕んだ声を響かせる。
しかし彼の目に海棠の姿が映ることはなかった。
乙姫は水のペルソナ。
水を自在に操るとそれを霧に変化させその場を去ったのだった。
13年前――
昔から古墳ではないかと噂されていた蝸牛山で、人類史を覆すようなものが発掘された。
それは巨大な施設であり発見当初はそれが何か誰も理解できないでいた。
しかし、一人の男がそれを日本神話の「アメノトリフネ」(宇宙船)と推測し私財で発掘と研究活動を始める。
その男の名前は須藤竜也。
外務大臣須藤竜蔵の息子であり、須藤竜子の父であった。
彼は日本中から知識人を集め、極秘利にトリフネの調査と修復を開始。
その知識人の中には機械工学のスペシャリスト、須佐野命の父もおり、
彼はオーバーテクノロジーを解読し、人型の作業機械「模擬人間」(後のヒーローズ)を制作したりしていた。
そんなある日。トリフネの奥で巨大な召喚器が発見される。
研究員たちはそれがなんであるかを証明するために
模擬人間を憑り代とし、俗に天使と呼ばれるものの召喚に成功。
当初は神話の世界が何らかの形で実在したと考えられていたが
結論としては人知を超えたエネルギーが、人類の精神世界を媒体として具現化したものと結論付けられた。
(その時の天使には安定性がなく、数秒で消失してしまう)
そして、運命の日――あの事件が起きたのだった。
月見原大夢(つきみがはらひろむ)
大夢「今日は竜子ちゃんのじっけんの番だね。がんばってね竜子ちゃん」
竜子「うん、今日こそは神様に会いたいよぉ」
大夢「あのね。いよちゃんは、もう少しで神様に会えたんだってさ」
竜子「え?ウソよ。そんなのぜったいウソだもん!
いちばんさいしょに神様に会うのはこのわたしだもん。
神様にあったらこの世界からウエやセンソーをなくしてほしいってお願いするの。
大夢くんは何をお願いするの?」
大夢「えっと、ぼくはね。いよちゃんの病気を治してもらうんだ」
竜子「……」
大夢「どうしたの?竜子ちゃん」
竜子「……しらないっ」
数分後、召喚室。
須藤竜子が魔法陣の中央に横たわっており、
それを別室の窓越しから見ている研究員たちがいた。
須佐野博士「もう子どもたちを使った召喚実験はやめた方がいいと思う。
神部博士の娘さんの伊世ちゃん、彼女の持病は悪化するいっぽうだそうだな。
竜子ちゃんも頑張りすぎて精神的に不安定になっているそうだ。
実験ならば疑似人間で充分のはず…。
今すぐに実験は中止するべきだ!」
月見原博士「あのね。あなたの作った模擬人間の模擬人格では、神を召喚するには不充分なのよ。
それにあなたはね。いつだって綺麗事を語りすぎ。
少しはその身を削るようなことをやりなさいな。
科学の進歩には犠牲がつきものなのよ。
あ、思い出したわ。あなたにも娘さんがいたわよね。
たしか名前はミコトちゃん。あら〜、今日は一緒じゃないのかしらぁ?」
研究所内保育室
みこと「あ、やっぱりここにいた」
いよ「!」
みこと「こんなとこにとじ込もってないで、一緒に遊びましょ?」
いよ「で、でもぉ」
みこと「わたし、ねこのいる場所しってるんだ。ねこ、見たくない?
ふわふわのねこなの」
大夢「うーん、むにゃむにゃ…。どうしたの?」
いよ「このこが、ねこを見せてくれるんだって」
大夢「え、そうなの?じゃあお昼寝してる場合じゃないよ。はやくねこを見にいこうよ」
ミコトに促されて、こどもたちは穴のなかにもぐっていく。
そこでは模擬人間たちが作業をしており子どもたちに気が付いたようだった。
模擬人間「ミコト。どこへゆく?ここは危険。博士、心配する。もどれ」
ミコト「ねこをみせてあげたいの」
模擬人間「ねこ?こんな地下に、ねこいない。いきものはここにはいない」
ミコト「さっきみたの。ほんとよ。わたし見たんだもん!」
ミコト「いこっ!」
三人はさらに奥に進むと、広大な空間に出る。
そこは闇で、床に描かれたマントラが赤黒く光っていた。
ちりんちりん。
鈴の音が聞こえる。
ミコト「ほらね。ねこがいる」
ミコトはマントラの中央へ。
伊世たちもそれに続き、気がつけば三人は
召喚室へと瞬間移動していた。
月見原博士「え?あの子たち、どこから入ったの!」
召喚室では須藤竜子が神様の召喚の真っ最中で
それはもう少しで成功と言えた。
しかし突如現れた子どもたちに集中が乱されてしまうのだった。
竜子「なんで大夢くんと、伊世がいっしょにいるの?
大夢くんと、伊世はいっしょにいちゃだめなのぉ!
……ちねぇ。ちねぇ!」
魔法陣に巨影が浮かぶ。
それは大鎌をもち、血の涙をながしている天使サリエル。
サリエルは咆哮し手の甲でミコトを払い壁に叩きつけた。
須佐野博士「実験は中断!模擬人間発進。子どもたちを死守しろ!」
大夢「マ、ママー!」
月見原博士「大夢ー!」
須佐野博士「行くな!危険だ!」
サリエル『汚レタ魂ニ死ヲ…』
大夢「うあああああママぁ!!」
須佐野博士「月見原博士ぇ!
……くっ、トリフネに残存しているイデアルエナジーを全て開放。
サリエルに注入し奴をオーバーフローさせる!」
研究員「し、しかしそれでは、一時的に個体形状が維持出来なくなるだけなのでは!?」
須佐野博士「……かまわん。その後はサリエルを、模擬人間たちの疑似人格に小分けに封印すればいい!」
研究員「でも、模擬人間だけでは容量が…」
須佐野博士「かまわん。やれ!」
その後、サリエルは分裂。
模擬人間たちに封印される。
だが……
(すまんミコト……。強力な精神体の檻となるものは、やはり人間の精神体しか、この世にないのだ)
蠢動する黒い心臓のようなものを、須佐野博士は特殊な装置を用い
ミコトの意識の奥に封じ込める。
かくして神の召喚実験はこの日を境に凍結されたのであった。
ここ、珠阯レ市(すまるし)は人口128万人を誇る政令指定都市だ。
真円を基本とした区画整理は戦国時代からの名残で、
現在は出版局やテレビ局、新聞社などの
メディア企業が位置する大都市に成長している。
表の顔は人々の活発な暮らしを感じさせる魅力的な街だが
裏の顔は怪異の蔓延る恐ろしい街である。
※
季節は秋。
春日山高校の学園祭は数々の爪痕を残し終わった。
今回の事件で、警察もやっと重い腰を上げ始めたようだった。
数日後、月光館学園では一度中止になりかけた学園祭が行われており、警察の警備も厳重であった。
生徒たちは怪異に警戒しながらも奇妙な連帯感を各々の胸に秘め、学園祭を満喫しているようだ。
「やあ…ミコト」
スサノの前には少年が立っていた。
透明感のある、何処と無く影のある、けれど美しい少年だっ
た。
彼の名前は月見原大夢(つきみがはらひろむ)
スサノミコトのクラスメイトである。
「君はたしか、探検部だったよね。
……探検部って、いったい何をやっているんだい?だいたい想像はつくけど…。
すこし、興味があるんだ……」
そう言って、少年は微笑していた。
※
森本病院は蝸牛山にある総合病院だ。
山中にある隔離棟には、かつて須藤竜子が入院させられており
その地下には謎の研究施設があったという噂があった。
神部はそこに入院させられていた。
窓から見える風景は鬱蒼とした山林で不気味そのものである。
「ほんっとに何も覚えてないんだ」
神部の病室で、若い刑事は困った顔。
「もう一人のアイドルの子、彼女は君のお友だち?」
もう一人のアイドルの子とは海棠のことだ。
野中エミコら影人間となったものは皆、隔離棟に収容されているらしい。
事件が事件だけに、刑事たちは知っている情報を聞き出す術しかないといった感じで
次々と神部に質問攻めをしていた。
>(私は、許されるものなら、エミコと一緒に、もう一度笑いあいたい。
だから、だからエミコ…。私に勇気をちょうだい)
イヨカン隊員の説得により、ついにカイドーちゃんの心が動く。
しかし、伸ばした手が届くことは無かった。
水撃の力を借りて飛び退った直後、池に凄まじい電撃が走る。
それを見てはっとする。
アクラシエルがあの中にいるとすればイヨカン隊員は……。
気付けば、カイドーちゃんが正気を取り戻していた。これもアクラシエルの力か。
その瞳には強い意思が宿っている。
騒ぎを聞きつけた警官隊までやってきた。このままでは捕まってしまう。
>「私は、あなたたちを信じてみたい。だからあなたたちも、私を信じてほしい」
カイドーちゃんはヒーローズと名乗った人物を水撃でひるませ、辺りを霧で覆い隠す。
「信じる――だからまずはここを切り抜けるぞ!」
† † † † † † † † † †
こうして僕達は逃げおおせ――現在。
イヨカン隊員はあの後病院に運ばれたと聞き、まだ入院中。後でお見舞いに行こう。
そして我が月光館学園では、学園祭が開催されている。
といっても特にやる事はない。
探検部の活動発表として展示などを用意していて、ネタとして黙認されていたのだが
昨今の物騒な社会情勢を鑑みてシャレにならないという事で流石に却下されてしまったのだ。
というわけで適当に出店を冷やかしながら回っていると……意外な人物が話しかけてきた。
>「やあ…ミコト」
「む、月見原君か」
変人奇人揃いのクラスメイトの中では大人しい部類になるし、普段あまり話す相手ではない。
どちらかというと暗い感じがして地味な印象を受けるが……実はよく見ると美少年だったりする。
>「君はたしか、探検部だったよね。
……探検部って、いったい何をやっているんだい?だいたい想像はつくけど…。
すこし、興味があるんだ……」
願っても無い申し出。
「実は今日活動内容を展示する予定だったんだがお蔵入りになってしまった。
良ければ部室まで見に来るかい?」
もし部室まで行ったら櫛稲田副隊長がノリノリで今までの事件の顛末を解説する事だろう。
「そうだね。お願いしようかな。
個人的にはお蔵入りという言葉がとても気になるよ」
そう静かに言って、月見原は部室に入った。
すると鼻孔をくすぐる紅茶の匂い。
「あ、いらっしゃいであります」
目と目があって櫛稲田が微笑む。
部屋の中央には優雅なテーブルが置かれており、
そのまわりには猫足の小椅子が並べられ、そこはまるで宮殿のお昼休み。
そして事情を聞いた探検部副部長こと櫛稲田は、
これまでの探検部活動内容をぺらぺらと喋り始めるのだった。
まず始めに失踪した久我浜を捜索し、遭遇した廃工場での化け物(大型のシャドウ)のこと。
つぎに春日山高校での学園祭で起きたイデアルエナジーの搾取事件のこと。
これらに隊長のスサノミコトと 隊員の神部衣世が関わっていたこと。
知りうる限りのことを副部長は月見原に語った。
「ここまでの探検で私たちのわかったことは、
ジョーカー率いる仮面党は、単なるオカルト集団ではないということであります。
インラケチが成就されてしまったら本当に世界が滅びてしまう
かもしれないということであります」
「……ふーん。にわかには信じられない話だね。
お蔵入りということも頷ける、
怖くって震え上がってしまいそうな話だよ」
月見原はテーブルに頬杖をつき、どこ寂しげなようすだった。
「話は変わるんだけど。
君たちはアメノトリフネ伝説って知ってるかい?
かつてこの地を統治していた澄丸清忠という武将が
望龍術を用いて一夜にして不気味な城を建てたとも、
トリフネを出現させたとも言われてるとても摩訶不思議な伝説だよ。
でも彼は、天下統一の志し半ばにして討たれてしまった。
どうだい?探検部としては興味の沸く話だよね」
月見原は流麗に口元に紅茶を運ぶと、その香りを楽しんでいる。
森本病院に搬送され目が醒めてから、回復の為に安静にしておけなどという優しい言葉は一向に掛けられなかった。
看護士は事務的な態度を貫くし、同じ時刻に搬送された患者とは離れ離れとなった。
さらに追い打ちをかけるように刑事が訪れ、病室は取調室と化す。
>「ほんっとに何も覚えてないんだ」 「はい。先程申し上げた事以外は」
「もう一度確認するよ。君達は数日前の文化祭で、駆け出しアイドルユニット”ミューズ”として舞台に立っていた。
そして一曲目『ジョーカー』の歌唱途中に……ある種の集団ヒステリーが起こったと。
で、会場にいた観客百名近くと舞台に立っていた一名が気絶し、現在に至るまで心神喪失状態になった」「はい」
「でもどうして神部さんだけは軽症で済んだのかな?」「しりません」
>「もう一人のアイドルの子、彼女は君のお友だち?」「私はそう思っていますが?」
最後の質問に対し衣世は少しムキになって肯定した。言い切った後、その答えが質問の趣旨に即していないと気づく。
彼は二人の関係の微妙な距離感について言及したい訳ではなく、単に参考人としての海棠を知りたがっている。
「……海棠美帆は今回の事件の被害者です。仮面党に唆されたんです。彼女は悪くない」
「……」
「もう、よろしいでしょうか。少し気分が悪くなってきて」
彼らに帰って欲しい一心で、いかにも辛そうな振る舞いを試みた。
緩慢な動作でサイドテーブル上の水差しを手に取り、ガラスコップに水を注ぐ。透明が波打つ。
刑事はまだ何か言いたそうな顔をしていたが、それを遮って衣世はやや強めの口調で続けた。
「ごめんなさい。……何も思い出せない、頭が痛い、お願いです。一人にさせて」
「……では日を改めて、また」
刑事達が病室を去る気配を背中で感じる。
本当にごめんなさい。衣世は息を吐き、ことさら深く掛け布団の下に潜った。
もしここで彼らに真実を告げれば、刑事達は仮面党本部へと向かうだろう。
そして邪魔立てする彼らになんの情けもかけず、須藤竜子はペルソナの力を行使する。
守らなければ。例え善意の人々を欺いてでも。これ以上、犠牲者を出してはならないのだ。
でもどうやって?分からない。警察が仮面党に出向くのも時間の問題だ。
ぎゅっと目を瞑り、枕に顔を埋めれば、睡眠は案外すぐ手の届く場所にあった。
夢を見た。
鈴の音が聞こえる。
わたし、ねこのいる場所しってるんだ。ねこ、見たくない?
――で、でもぉ
え、そうなの?じゃあお昼寝してる場合じゃないよ。
――■■■くんがそういうなら、いく
二時間ほど寝た。夢はおぼろに消えた。
病室に人の気配は未だあった。しかし刑事ではなかった。看護師でもなかった。
それは白衣を着ていたが森本病院の医師ではなかった。あの背中には見覚えがあった。男は振り返った。
衣世と目があった瞬間、彼はにこりと微笑みを返した。
「や。衣世ちゃん、おめざ〜」
「あ、浅賀先生。どうしてここに?」
浅賀 智(あさか さとる)は、神部衣世の主治医を務めている。
白衣の下にはチャコールのベストとネクタイ。スラックスもおそろいの色。四十後半の男性が好みそうな服装だが彼は至って若かった。
衣世が物心つく前から、浅賀はちっとも変わらない。冴えた美形であるとは首肯しづらいが、人を惹きつける魅力はあった。
つまり浅賀は風変わりな男だった。口調が子どもっぽいのだ。顔つきもあいまって、少年が大人の振りをしていると錯覚してしまうことが稀ではない。
ただ、名医であることは事実なので勤務先の院長は彼の奇行奇癖には目を瞑る。衣世が変人に対し一定の理解と興味を示すのは、浅賀の影響が少なからずあった。
「医者が病院にいちゃおかしい?森本病院とは昔から何かと縁があってねぇ。
今回のことで一気に重篤患者が増えちゃって、人手が足りなくなくなった訳で。だから僕は助っ人なのさ」
あ、これお見舞い品ね と浅賀はビニール袋を引っ掻き回す。大粒の林檎が3つ、立て続けに衣世の手に渡った。
どうやら手土産というよりは自分が食べたかったようで、浅賀は中からさらに一つ取り出し、無造作に白衣の袖で表面を磨きだす。
先生は相変わらずだと衣世は思った。もらった林檎は一つだけ手元に残して窓際に並べた。
「一つ、疑問に思うことが」「ほい、なんでしょう」
程よい大きさの林檎を両手で転がして遊びながら、衣世は浅賀に問い掛ける。
「なぜ患者達は全員が全員、この病院に収容されているのですか。失礼ですけど、ここは見たところ廃墟みたいに古びていて手狭だわ。
総合病院の方がベッドに余裕もあるし、機器も最新の物を導入しているはず。わざわざ浅賀先生が派遣されるのもおかしい気がします」
その問いに対して、浅賀は衣世へ哀れみの視線を寄越した。衣世はその真意を図りかねた。
「衣世ちゃんも分かってると思うけどー。彼らの存在は世に出しちゃいけないんだよねぇ。病院だなんてとんでもない。
ここは、街の怪異に関わってしまった者が死を待つだけの場所だ。現状では彼らを治す手立てなんてないもの」
「では先生がこの病院に派遣された理由も、他にあるってことですね 「どうでしょう」
「先生は、なにをしっているのですか」「さぁねぇ」「教えて下さらないの」
浅賀は曖昧に笑った。
「君は今影踏み鬼をしている」 「……はぁ?」
浅賀は捉えどころの無い笑顔のまま、言葉を続ける。
「影踏み鬼。衣世ちゃん昔好きだったろ?でも普通の鬼ごっこじゃないんだ。鬼に捕まったら、影を奪われて一発アウトの即死ゲーム」
「浅賀先生、からかわないでくださ」
「時間が経つにつれて追われる方は不利になる。陽が傾けば影は伸びるもんね。仲間は一人ずつ鬼に影を踏まれて倒れていくんだ」
逢魔時。窓から挿す赤色の陽射しが、浅賀の顔に深い影を落とす。
「でも君は逃げ方をわきまえてる。自分の影を前にして走れば後ろから踏まれることはないし、いざとなれば大きい影の中に隠れたらいい。
そう、君は賢く逃げてきた!逃げて、逃げて、逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて鬼ごっこしてるってことを忘れるほど逃げた!」
私が逃げている?いつから?何から?誰から?――頭に広がる違和感。神部衣代は何かを忘れている。
ちりんちりん。 どこかで鈴の音が鳴った。
(>こんなとこにとじ込もってないで、一緒に遊びましょ?)
(>はやくねこを見にいこうよ)
窓際に並んだ二つの林檎が嘲う。
「でも思い出さなければ。そうじゃないと君まで鬼に捕らわれる。でもね、さっき言ったようにこれは普通の影踏み鬼じゃないんだ。
……他ならぬ君の影が、鬼から君を守ってくれる。君は逃げるだけが能じゃない。そして逃げているのは君だけじゃない」
「ごめん、なさい……何も思い出せない!......あ、あたまが痛い、お願いです、ひとりにさせて......っ」
「衣世ちゃんは馬鹿だなぁ。これもさっき言ったけど、僕は助っ人だから。君達の味方だから」
(い、よ、ちゃん。私のことをそう呼ぶ子は、たしか他にもいた。)
うずくまる衣世をさして心配する風も見せず、浅賀は綺麗に磨いた林檎に歯を立てた。が、彼はすぐに顔を顰めて咀嚼を止める。
「うへぇ、綺麗なの選んだつもりなんだけど中腐ってたや、これ。損しちゃったなあ。君にあげたのはどう?
ま!とりあえず、この林檎みたいに手遅れになりたくなければお友達と一緒に反撃に出るべきだよ。そろそろ彼女達も君に会おうとしてここへ来るんじゃないかなぁ?」
月見原君は、副隊長の話すにわかには信じがたい話を
端から否定するでもなく面白半分でからかうでもなく、真面目に効いていた。
そしてこんなことを言い出す。
>「話は変わるんだけど。
君たちはアメノトリフネ伝説って知ってるかい?
かつてこの地を統治していた澄丸清忠という武将が
望龍術を用いて一夜にして不気味な城を建てたとも、
トリフネを出現させたとも言われてるとても摩訶不思議な伝説だよ。
でも彼は、天下統一の志し半ばにして討たれてしまった。
どうだい?探検部としては興味の沸く話だよね」
「もちろん知ってるとも。
実はミッション候補にあがってはいるのだがそこには古墳っぽいものがあるらしく外務省管理下で立ち入り禁止。
噂では古墳は宇宙人との交信装置で、宇宙人との外交のために外務省が管理しているとか何とか。
何回か現場を見に行ったこともあるが警備が厳重でとても入れそうにない。
どこかに隠しルートでもあればいいのだが……」
副隊長の情報収集能力のおかげで、探検部の情報網には抜け目がない。
尤も主なソースがネット上の噂なので信憑性の無い嘘情報だらけなのだが。
「優秀な副隊長だね。ところで……他の隊員は?」
「実はイヨカン隊員という七姉妹学園の生徒がいるのだが現在悪の組織に監禁されている。
これから奪還作戦に行くところだ。よければ君も一緒に行くか?」
「翻訳すると入院患者をお見舞いに行くということであります」
常識的に考えれば副隊長の翻訳の方が合ってるのだが
僕が言った言葉の方に近い事態になるとは、この時はまだ知る由も無かったのだ。
「森本病院……。随分古い病院でありますねえ。
今回の事件の被害者は全部ここに運ばれたそうでありますが。
でも雰囲気が合って探検部のミッションにはぴったりでありますよ」
「ご一緒させてもらうよ、体験入部といこうじゃないか」
快く承諾する月見原君。
躊躇なく付いてくるというあたり、大人しく見えて意外ととんでもねースペックを秘めているのかもしれない。
そして僕達は件の森本病院へやってきた。
普通に入り口から入って受付に話しかける。
「須佐野命という者だが友人の面会に来た。友人の名は神部伊世という者なのだが」
「少々お待ちください。……そんな名前の者は入院していませんね」
「そんなはずはない。学園祭の毒ガス事故で患者がこの病院に大勢運ばれてきただろう」
表向きにはあの事件は毒ガス散布の疑いで調査中ということになっている。
「いえ、ここには来ておりません」
「……そうか、ではこちらの勘違いだな。これは失礼した」
きな臭い空気を感じ、いったん大人しく外に出る。
強行突入すれば摘まみだされるだけの上に相手の警戒態勢が強化されるだけだからだ。
「今の態度、明らかに何か隠してるな……作戦変更。
正面突破を諦め別ルートからの侵入を試みる」
古い建物ゆえに防犯意識が甘いのか、裏に回ってみると案外簡単に入れそうな所があった。
非常階段の踊り場によじ登って内部に侵入。月見原君に手を貸して引っ張り上げる。
入った場所は入院病棟らしく、廊下にそって病室が並んでいる。
一つずつ部屋を除きながら廊下を進むが、どの部屋もぴくりとも動かず眠っている患者ばかり。
やはりあの時イデアルエナジーを吸われたのだ……。
途中向こうから足音が聞こえてきて危ない隠れろ!なんて危機を切り抜けつつ何十個目かの病室を見た時。
見知った顔が目に飛び込んできた。
「イヨカン隊員! ここは危険だ、早く脱出するぞ!
表向きには誰も入院していない事にされていたんだ!」
そう言って駆け込んでから、見知らぬ顔と目が合う。かじりかけのリンゴを持った……医者?
いや、白衣を着ているからには医者なのだろうが、只者ではない不思議なオーラがあった。
だからだろうか、普通なら「ヤバイ見つかった!」というところだが、何故かそうは思わなかった。
どちらかといえば味方のような気がする、という根拠のない感覚。
「イヨカン隊員、彼は……?」
感情の波が岸辺から引く。
と同時に喉元までせり上がってきた記憶もまた、無意識の底へ引きずられてその全貌を隠してしまった。
衣世の心は穏やかで空虚な気持ちに満たされた。
>「イヨカン隊員! ここは危険だ、早く脱出するぞ!表向きには誰も入院していない事にされていたんだ!」
「命さん!どうしてここが・・・・・・それに、そちらの人は」
衣世が言い終わるより早く、浅賀がずいっとベッドの前を遮った。彼は目を輝かせて両者を交互に見る。
「やぁやぁ須佐野ちゃんに月見原くん、久しぶり、じゃなくて初めまして!?とうとう真打登場って感じだね!」
>「イヨカン隊員、彼は……?」
須佐野がめずらしく困惑している。
「僕は浅賀智!衣世ちゃんの主治医をしてるんだ!」
衣世の紹介を待たず飛び出してきた浅賀本人は、素早く二人の手を取る。
その握手は彼なりの友好の証なのだろうが、ぶんぶん振り回されている様はある種の暴力にも見えた。
呆れるほどパワフルな浅賀のせいで、須佐野に連れ添っている男子生徒についての情報を衣世は知り損ねる。
数秒、月見原と呼ばれた者の横顔を盗み見る。絵になる、と思った。
造形に調和がある。華やかではないが安定した均整感が伺える。
躍動的でヴァイタリティ溢れる須佐野と並ぶとコントラストが鮮やかだ。
「あの」
声をかけようとしたが、いつものような勇気が沸かない。
そこにあるひっかかりをあえて思考から排除し、衣世は不躾になる前に月見原から視線を外した。
「命さん、あのね、先生のペースに嵌められたらダメです。無視して本題に戻りましょう。
・・・・・・助けに来てくれてありがとう。私もこの病院は少なからず胡散臭いところだと思ってたの。こんなところ、一刻も早く」
「逃げるの?また?」
「・・・・・・っ」
目だけで笑う浅賀。
「ねえ、須佐野ちゃん、月見原くん、思い出せない?まだ?うぅーん刺激足りないかぁ。
――じゃっさぁ、とっておきのトコ行ってみる?」
どこへ、と聞かずとも衣世には分かる。
暗い場所。寒い場所。静かな場所。狂った何かが蠢く場所。
「地下室。いやだ、わたし、行きたくない」
過去を知る重要なピースは全て揃っている。
後は当事者がその1つ1つを手に取り、あるべき場所に戻すだけだ。
>「やぁやぁ須佐野ちゃんに月見原くん、久しぶり、じゃなくて初めまして!?とうとう真打登場って感じだね!」
「どうして僕達の名前を!? 前に何処かでお会いしただろうか。それに真打って……!?」
この医者、何かを知っている!? でも一体何を……?
>「僕は浅賀智!衣世ちゃんの主治医をしてるんだ!」
「う、うむ。うちの隊員がお世話になっている……!」
手をぶん回されつつとりあえずはイヨカン隊員の治療をしてくれた礼を述べる。
>「命さん、あのね、先生のペースに嵌められたらダメです。無視して本題に戻りましょう。
・・・・・・助けに来てくれてありがとう。私もこの病院は少なからず胡散臭いところだと思ってたの。こんなところ、一刻も早く」
>「逃げるの?また?」
>「・・・・・・っ」
「”また”……?」
>「ねえ、須佐野ちゃん、月見原くん、思い出せない?まだ?うぅーん刺激足りないかぁ。
――じゃっさぁ、とっておきのトコ行ってみる?」
「あなたは何を知っているんだ……?」
どこかに行く事を提案する浅賀。
どこに行こうとしているのかを察したらしいイヨカン隊員が、まるで駄々をこねる子どものようにそれを拒否する。
>「地下室。いやだ、わたし、行きたくない」
この医者、果たして敵か味方か――
僕達を言葉巧みに変な場所に連れ込んで罠に嵌めようとしている可能性もあるのだ。
「地下室……」
――わたし、ねこのいる場所しってるんだ。ねこ、見たくない? ふわふわのねこなの
――このこが、ねこを見せてくれるんだって
その時、ちりんちりん、と鈴の音が聞こえてきた気がした。
その方向を見ると一瞬、扉から出ていく猫の姿が見えた気がした。
「イヨカン隊員こっちだ、猫がいる……!」
自分でも何故なのかは分からない。
まるで何かに操られるように、猫の影を追っていたのだった。
>「地下室。いやだ、わたし、行きたくない」
>「イヨカン隊員こっちだ、猫がいる……!」
「……ねぇ、彼女は行きたくないって言っているのに、どうして先に進もうとするんだい?
顔に似合わず、君はスパルタな隊長さんだったんだね」
微笑の仮面の奥、スサノの好奇心と勇気に感心しつつ
月見原は不思議に思っていた。
猫が地下室に向かうと、自分を含めた皆が
暗黙の了解で知っていたかのようだったからだ。
自分はこれをなんと思えばよいのか?
浅賀は自分の名前を知っていた。
彼は自分たちの知らない何かを知っているかのようだ。
月見原は目を半分ほどに細めて
神部に手を差しのべる。
「大丈夫、怖くないよ。僕が君を守ってあげるから一緒にいこう」
月見原はこれから先、彼女たちがいなければならないと直感していた。
理由はよくわからない。
修得した望龍術からくる予見か、デジャヴか。
神部の薄い手のひらを握り月見原は思う。
運命というものがあるのならそれを回避してはならない。
すべて受け止めて操るべきだ。
そんな力を自分は手にいれている。
神の力の片鱗を。ペルソナの力を。
そして一同は猫を追った。
一方で浅賀は何も考えていないのかのような不思議な顔で後をついてくる。
(変な顔。いったい何の感情の顔なんだろう)
彼の無の顔は自分たちに選択権を与えているかのようでもある。
……ちりん。
猫が曲がり角で消える。
曲がった廊下の奥にはエレベーターが見えた。
一同が地下に降り、エレベータの扉を開くとそこは洞窟。
剥き出しの岩肌を仮設の照明が煌々と照らしており、
その最奥には不気味に光る金属の壁と入り口があった。
「あれがアメノトリフネだよ。今はほとんど埋まっちゃってるけどね」
浅賀の声が背後から響く。
トリフネの内部の通路には、仮設の照明が均等に設置されておりその道は緩やかなカーブを描いていた。
きっとこの施設は途方もなく巨大な円形を描いているのだろう。
通路の幅も広く、人が人のために設計したような雰囲気も感じられない。
まさに神話に登場する神の船と言えた。
(大当たり…)
月見原は思った。
あとは須藤竜子たちに集めてもらったイデアルエナジーを
水晶ドクロからトリフネに移し変え、この船を生き返らせる。
そうすればインラケチの成就に一歩近づく。
「今、何時かな」
月見原は須藤と連絡を取るべく、携帯を取り出してみた。
しかし携帯は圏外。物事はそんなにうまくゆかないものだ。
……ちりん。
すると再び聞こえる鈴の音。
やはり猫は、皆を何かに導いているのだろうか。
浅賀は遠く仮設の照明で照らされている廊下の奥を見つめながら呟く。
「やっぱり須藤大臣はコントロールルームに向かったみたいだね。
孫娘にでもこのトリフネを奪われるのは嫌なのかな。
ほ〜んと、強欲だね。あのおじいちゃんは…」
「!?」
浅賀の口から出た予想外の言葉に月見原は驚く。
「須藤大臣って、あの外務大臣の?
どうしてそんな人がこんなところに?」
「ふふふ、彼も焦っているんだろうね。
もう、先は長くないみたいだから…。
そう、孫の竜子ちゃん。彼女たち仮面党が地下鉄からトリフネに侵入したって聞いたら
慌てて手下を連れてトリフネに向かったんだよ。
おまけにヒーローズの追っ手を竜子ちゃんにかけてね。
たぶん仮面党はヒーローズに皆殺しにされちゃうよ。
大臣は裏じゃ容赦ないからね」
「……僕はおじさんが何を言ってるのかさっぱりわからないよ」
そう言いながらも、月見原には外務大臣の裏が読めた。
彼はコントロールルームで待ち伏せし、地下鉄方面から追っ手をかけ須藤竜子を挟み撃ちにするつもりだ。
そして彼女のもつ水晶ドクロごとイデアルエナジーを奪取してアメノトリフネを奪うつもりなのだろう。
だがそれにしても、すでに須藤竜子も地下鉄経由でトリフネに侵入していたとは驚きだった。
それは女の勘というものなのだろうか、それとも……。
猫は照明の道から外れ階段を降りて行く。
「さあ、どうするの?」
浅賀の問いに月見原は少し苛立った。
この男はただの神部の主治医ではない。
現状から過去まで、物事を知りすぎている。
「正直言って僕はここに始めて来た感じがしないんです。
この階段にも見覚えがあるし、あの猫も昔みた感じがする。
たぶんあの階段を降りたら仮眠室がある。
その先には工事中の場所があって、その先には……」
一同が進めば、月見原の言った通りだった。
視線の先には赤く光る魔法陣。
月見原はその先で母が死んだことまで思い出していた。
深呼吸をして魔法陣に踏み込めば、
視界は一瞬にして変わり
一同は広大な空間へと移動する。
空間の中央に幾つもの巨大な召喚器の銃口が向けられているのは
ここが神の召喚場となっていたからだろう。
「母さんはここで死んだんだね……」
ぽつりと月見原が呟く。
辺りには沈黙が落ちている。
果たして浅賀は、皆の記憶を甦らせて何をしたいのだろう。
真実を知った者たちはいったい何を得るのだろう。
「母さんが死んだのは事故だったんだ。
それは誰も悪くない。ここでの実験も誰かのためにって
大人たちが思ってやってたことだったんだからね。
そうさ、誰も悪くない。悪いのは運命なんだ!」
だから、インラケチは必ず成就させる。
どんな犠牲を払っても……。
何者も運命に翻弄されない世界を創造する。
月見原の、否、ジョーカーの決意は強固なものとなっていた。
>「イヨカン隊員こっちだ、猫がいる……!」
>「大丈夫、怖くないよ。僕が君を守ってあげるから一緒にいこう」
月見ヶ原は衣世の手を引く。
それはいわゆる"ジェントルマン"の所作でなく、仲の良い子供が親しさの表現としてするようなものだった。
初対面の、しかも男の子だというのに、その接触には不思議と嫌悪感は一切なく、衣世は奇妙な安堵感を得るのだった。
前へ急ぐ須佐野、月見ヶ原と神部は真ん中に、浅賀は最後尾で鼻歌を歌っている。
>「あれがアメノトリフネだよ。今はほとんど埋まっちゃってるけどね」
>「やっぱり須藤大臣はコントロールルームに向かったみたいだね。
孫娘にでもこのトリフネを奪われるのは嫌なのかな。ほ〜んと、強欲だね。あのおじいちゃんは…」
>「須藤大臣って、あの外務大臣の?どうしてそんな人がこんなところに?」
>「ふふふ、彼も焦っているんだろうね。もう、先は長くないみたいだから…。
そう、孫の竜子ちゃん。彼女たち仮面党が地下鉄からトリフネに侵入したって聞いたら
慌てて手下を連れてトリフネに向かったんだよ。おまけにヒーローズの追っ手を竜子ちゃんにかけてね。
たぶん仮面党はヒーローズに皆殺しにされちゃうよ。大臣は裏じゃ容赦ないからね」
「自分の孫さえも?……狂ってる。それに、仮面党を皆殺し、ですって。それじゃ、海棠さんが危ないわ、あの子今一人よ?」
>「さあ、どうするの?」
浅賀は皆を試している。
>「正直言って僕はここに始めて来た感じがしないんです。この階段にも見覚えがあるし、あの猫も昔みた感じがする。
たぶんあの階段を降りたら仮眠室がある。その先には工事中の場所があって、その先には……」
「その先は行かせてもらえなかった。仮眠室にはウォーターサーバーがあって、その隣にはインスタントコーヒーを淹れる場所があった。
子供にカフェインはダメだからって飲ませてもらえなかった。そうだよね、大夢くん、命ちゃん」
この地下室の何かに触れる度、何かを嗅ぎとる度、何かを見る度に脳の皺に刻まれた記憶が呼び覚まされていく。
>「母さんはここで死んだんだね……」
その言葉を聞いて、衣世は間近にあった月見ヶ原の顔をまじまじと見つめる。
解かれた記憶、被験体として扱われていた衣世の世界で、月見ヶ原大夢は大きな部分を占めていた。
彼は優しく、良い友であった。人見知りな自分とまっさきに友達になってくれたのは彼だし、体調のすぐれない時はいつだって寄り添ってくれた。
他の子供達もそう、竜子は自分と違った視点で世界を捉えていた。分かり合えはしなかったが憧れはした。
そして須佐野…。彼女は3人とは異なり自由の身だった。衣世は時々見かける彼女の、その屈託の無さに憧れを抱いていた。
>「母さんが死んだのは事故だったんだ。それは誰も悪くない。ここでの実験も誰かのためにって
大人たちが思ってやってたことだったんだからね。そうさ、誰も悪くない。悪いのは運命なんだ!」
小さい頃の恩人、という側面以外にも、月見ヶ原大夢に思うところがあった。
(運命、事故、実験、アメノトリフネ、母さん……月見ヶ原大夢、あなたはもしかして)
いや、“もしかして”などという言葉で自分の直感を弱めてはならない。
彼は、自分の右手を握っている彼の名は。
「私、思い出したよ。今まで忘れていてごめん。分かるかな、あなたの友達だった、いよ、です。
私はあなたのことを、昔と変わらずにひろむ君と呼びたい。……でも今、あなたには別の名があるわよね」
心に立ち込めているのは月見ヶ原への不信感だろうか?それでも繋いだ右手は離せなかった。離さなかった。
「ジョーカー。運命を変えてどうするつもりなの」
>「私、思い出したよ。今まで忘れていてごめん。
分かるかな、あなたの友達だった、いよ、です。
私はあなたのことを、昔と変わらずにひろむ君と呼びたい。
……でも今、あなたには別の名があるわよね」
手をつないだまま、月見原は無表情。
でもどこか、悟ったような顔をしていた。
(こんな宿命もあるんだね……)
>「ジョーカー。運命を変えてどうするつもりなの」
「……運命を変えるんじゃなくって、変わらないようにするんだよ。
人の運命というものは羽虫の命のようにうつろいやすい。
何か大きな意識を前にすれば簡単に追われ、
圧迫されて潰されてしまう。
だから揺らぐことのないものに変える。
運命じゃなくって人間そのものを変えるんだ。
そのためのインラケチなんだ」
――イン・ラケチ。わたしは、もう一人のあなた。
月見原が言う大きな意識とは無意識の海。
人は無意識に誘われ超自我と葛藤を続ける不思議な生き物だ。
彼はそれに終止符打ち安寧を手に入れるつもりらしい。
月見原は真っ直ぐな瞳で神部にそう語った。
ここでの嘘は幼馴染みと自分の気持ちにたいしての冒涜になるからだ。
「ここは危ないから、君たちはもうお帰り。
たぶんもうすぐ、このトリフネは浮上する。
地上に珠間瑠市を乗せたままね」
大臣とヒーローズが動いているということは
事態は切迫した状況にあるということだ。
月見原は寂しく微笑。
「最後に君たちに会えてよかったよ」
月見原は神部の手からそっと手をひき、踵を返した。
振り向いた視線の先、召喚場の奥が赤く光っている。
遠くから聞こえる爆音。
続いて地下から響いてくる無数の靴音。
「もうっ、しつこいったらない!」
現れたのは須藤竜子だった。
彼女が階段をかけ上がって来ると
続いてヒーローズが三体、そのまわりを取り囲む。
須藤に海棠の所在を聞けば、
「そんなのはぐれちゃったわよ!」と答えるだろう。
――ギガンフィストっ!
須藤のペルソナ、エリスがヒーローズの一体に襲いかかった。
彼女はジョーカーの存在に気づいていた。
「おりゃあぁ!」
れっぱくの気合いとともに、ヒーローズの一体を壁に押し潰すエリス。
背中がすきだらけだった。
しかし――
「サリエル!」
白く美しい天使が月見原から出現していた。
まるで月光を放っているかのような美しいペルソナ。
――ゴッドハンド。
白い拳がヒーローズの体を貫く。
貫かれた体からは歯車や小さな部品が弾け飛んでいた。
それを見届けながら
須藤は床に転がり荒い呼吸。
スサノを睨み付けている。
「はぁ、はぁ。あんたのパパの造ったガラクタ。うざったいのよ!」
やはり須藤も記憶が戻っているようだ。
その刹那。
「きゃあぁ!」
マハガルの疾風が一同を襲う。
すると須藤のポーチから吹き飛ばされた水晶ドクロが
コロコロとスサノの前に転がった。
「それをよこせぇ。たつぞうさまのためになっ!」
ヒーローズこと模擬人間が飛びかかってくるも
ジョーカーによって胴体から真っ二つにされる。
「が、ががぁ……。み……こ…と……?」
模擬人間から何か魂のようなものが
吹き出したと同時に、それは正気を取り戻したかのようになっていた。
一方でジョーカーの様子がおかしい。
ペルソナの影が深くなった印象も受ける。
「……ミコト。それをお渡し。僕にそれを渡したら、ここから早く逃げるんだ」
右顔を右手で鷲掴みにしている月見原はとても気分がわるそうだった。
>「正直言って僕はここに始めて来た感じがしないんです。この階段にも見覚えがあるし、あの猫も昔みた感じがする。
たぶんあの階段を降りたら仮眠室がある。その先には工事中の場所があって、その先には……」
>「その先は行かせてもらえなかった。仮眠室にはウォーターサーバーがあって、その隣にはインスタントコーヒーを淹れる場所があった。
子供にカフェインはダメだからって飲ませてもらえなかった。そうだよね、大夢くん、命ちゃん」
「ああ、一体どんな凄い物が隠してあるんだろうと思ったものだ……」
そうだった。イヨカン隊員、月見原君、須藤竜子、みんないた。
皆親がここの研究員で、僕も例に漏れず両親とも研究員だった。
そして忌まわしき運命の日――僕のせいで大夢君のお母さんが死んだ。
「う……ぁああああ!」
>「母さんはここで死んだんだね……」
「ごめん、ごめんよ……! 僕があの時猫を追いかけたりしなければ……!」
>「母さんが死んだのは事故だったんだ。
それは誰も悪くない。ここでの実験も誰かのためにって
大人たちが思ってやってたことだったんだからね。
そうさ、誰も悪くない。悪いのは運命なんだ!」
それは僕に対してというよりも、自分自身の決意の決意を固めるような言い方。
それを見た瞬間に確信に近い疑念が沸き起こる。
確認するか否か迷う暇もなく――イヨカン隊員が切り込んだ。
>「私、思い出したよ。今まで忘れていてごめん。分かるかな、あなたの友達だった、いよ、です。
私はあなたのことを、昔と変わらずにひろむ君と呼びたい。……でも今、あなたには別の名があるわよね」
>「ジョーカー。運命を変えてどうするつもりなの」
>「……運命を変えるんじゃなくって、変わらないようにするんだよ。
人の運命というものは羽虫の命のようにうつろいやすい。
何か大きな意識を前にすれば簡単に追われ、
圧迫されて潰されてしまう。
だから揺らぐことのないものに変える。
運命じゃなくって人間そのものを変えるんだ。
そのためのインラケチなんだ」
「なんということだ……」
この展開にはうめくしかなかった。ジョーカー。一連の事件の黒幕。
いたいけな少女達を手玉に取って弄び、全ての事件の裏で糸を引き、高みで高笑いしている最強にして最凶にして最後の敵。
よくゲームに出てくるような、世界の滅亡を目論む極悪非道の大魔王。
そうであるはずだった、そうでなければならなかった。それなのに――
彼もまた、運命に翻弄されたいたいけな少年に過ぎなかった。
しかも、心優しい少年がジョーカーへと変貌するきっかけを作ったのは他ならぬ自分だったのだ。
>「ここは危ないから、君たちはもうお帰り。
たぶんもうすぐ、このトリフネは浮上する。
地上に珠間瑠市を乗せたままね」
>「最後に君たちに会えてよかったよ」
「何を言っているんだ……」
須藤竜子が現れ、ヒーローズと交戦を始める。
大夢くん――ジョーカーが須藤に加勢するべくペルソナを召喚する。
そのペルソナとは……
>「サリエル!」
「サリエル……だと!?」
全ての元凶となった忌まわしき死の天使――
それは分割されてヒーローズに封じられ、核は僕の中に封印されたはずだ。
しかしジョーカーが使う其れは、禍々しい死の化身では無く、まさしく光に愛された存在に見えた。
俗説では悪名高いサリエルだが本来は、癒し手としての力を持ち、生と死の全てを司る最高位の天使なのだ。
乱闘の中、水晶ドクロが足元に転がってくる。
>「それをよこせぇ。たつぞうさまのためになっ!」
>「が、ががぁ……。み……こ…と……?」
憑きものが取れたような態度を見せるヒーローズ。
「そうだ、みことだ! 一体須藤竜蔵に何をされた!?」
>「……ミコト。それをお渡し。僕にそれを渡したら、ここから早く逃げるんだ」
もはやどうしていいのか分からない。
水晶ドクロを持ったままうろたえていると、ちりん、と鈴の音がした。
黒猫がジョーカーに歩み寄っていく。
黒猫は伝承によると……悪魔の使い、悪魔の化身。
そう、あの日僕達を残酷な運命へと誘ったのも黒猫。
僕の中に封印された死の天使サリエルの核。
そして先刻、どこからともなく突如現れた黒猫……。
それは、何らかの理由で封印が緩んだ拍子に僕の中から出てきたと考えられなくもない。
「駄目だ……そっちに行ったら駄目だ……」
ジョーカーが元々癒しの熾天使としてのサリエルをペルソナとして持っていたとして。
死の天使としての暗黒面が分かれて存在していたとして。
それがジョーカーのペルソナと合わさる事であの忌々しい事件が起きたとしたら……。
ジョーカーと黒猫の間に割り込み、無我夢中で水晶ドクロを向ける。
「大夢君に触るなぁあああああああああ!!」
銀色のシベリアンハスキーを連れた男が雑踏の中を歩いていた。
男はトーラスだった。
彼は歩を止めると悩ましげな顔でウィンドウガラスに映った自分を見つめる。
が、なんと鏡に映ったその顔はまるで別人。
「お前が、向こう側のオレか」
須藤竜子の話では、この世界は何度も繰り返されているらしい。
にわかには信じられない話だが
フリーシナリオのゲームのデータが
分岐点から分かれて複数存在するといった感じなのだろう。
そしてそれを操作しているものが人類全体の無意識。
この世界のジョーカーは、そのゲームをハッピーエンドでクリアしたいらしい。
「だからデジャヴを感じたり、
向こう側の記憶があるものは予言ができたりするわけか」
ぶつぶつと呟く姿はまるで危険人物だった。
今の彼に、以前のような人を食った感じは存在しない。
それもそのはずで彼は須藤竜子にとんでもない命令をされていたのだ。
「やはり、やるしかないのか」
ポケットのなか、握ったリモコンタイプの起爆スイッチを押す。
すると遠方にそびえるビルが
爆発とともに大炎上。
それはテロ行為だった。
「ぐひひ」
泣きそうな顔で笑うトーラスを傍らの犬が見上げている。
「しょ、しょうがないよな?アクエリアス。
これは予言なんだって。
こうしないとインラケチは成就されないんだからさ」
悲鳴。逃げ惑う人々。
トーラスの頭の中ではあの歌が繰り返されていた。
空に瞬く昴の星に、止まった刻は動き出す。
享楽の舞 影達の宴 異国の詠
贖罪の迎え火は天を照らし、獅子の咆哮はあまねく響く。
冥府に輝くは五なる髑髏、天上に輝くは聖なる十字架。
天に昇りて星が動きを止める時、マイヤの乙女の鼓動も止まる。
後に残るは地上の楽園。そして刻は繰り返す……
水晶ドクロの光のなか、彼女たちの青春は終わるのかもしれない。
スサノの叫びを耳にし、召喚場にたどり着いた海棠美帆は神部の姿をみた。
そしてジョーカー。
海棠はひとめみて月見原をそれと理解した。
水晶ドクロは妖しい光を放ちながら
ジョーカーのイデアルエナジーを吸いはじめている。
否、正確には負のサリエルのエナジーだ。
ゆえに堕天使はもがき血の涙を流しながらスサノを足げりにした。
だがそれもただの悪あがきに終わる。
負のサリエルが封印され、辺りが静寂に包まれると
ジョーカーと海棠が何やらはなし、少女は崩れ落ちて泣いていた。
きっと野中たちのことを話しているのだろう。
「安寧は必ず君にも訪れるから心配しないで」
とジョーカーはいう。
しかし海棠は
「私、エミコを元にもどしたい。
私は私のままでいいから」
そう返し後退りするとスカートの中から拳銃のコルトポニーを取り出す。
すると須藤竜子が、背後から海棠を羽交い締め。
「やめなさいよバカ。イデアルエナジーを取り戻す方法なんて水晶ドクロを破壊するしかないのよ。
でもそんなことをしてみなさい。エネルギーが元に戻るってことはどういうことか。
わかるでしょっ!」
どん!
須藤が海棠の腹部にパンチ。
海棠はうずくまる。
それにジョーカーは悲しげな顔。
「ごめんね海棠さん。
……みことも大丈夫かい?」
スサノを介抱するジョーカー。
「もうっ、ジョーカー!」
金切り声をあげる須藤。
>「……運命を変えるんじゃなくって、変わらないようにするんだよ。 人の運命というものは羽虫の命のようにうつろいやすい。
何か大きな意識を前にすれば簡単に追われ、 圧迫されて潰されてしまう。 だから揺らぐことのないものに変える。
運命じゃなくって人間そのものを変えるんだ。 そのためのインラケチなんだ」
月見ヶ原大夢は大悟している。他者に冒されない確固たる信念を持っている。
彼の絶対的な意思の前に衣世は言葉を紡ぐことができなかった。大夢の目をただ見つめ返すことしかできなかった。
大夢は沈黙する衣世からそっと離れた。場の静寂が一転したのはその直後だった。
模擬人間、ジョーカー、竜子、須佐野の、一連の動作。
激しい「動」の渦の取り囲まれながら衣世はかかしのように突っ立っている。
争いごとは嫌だ。人が傷つくのは嫌だ。そう思いながらも、衣世の内にあるアクラシエルがサリエルに強く呼応する。
少し前までは現界するのにも召還器という外部装置に頼らなければならなかったものが、
今では意識しなければ外へと放たれてしまうくらい、このペルソナは力ある存在になってしまった。
どちらにせよ制御が危ういという点に関しては五十歩百歩ではあるが。
(どう抗っても私は運命に翻弄され続ける。それが嫌なら大夢君の言うイン・ケラチを成就させればいい……)
無気力感に苛まれる。諦めが大夢の意思に迎合せよと誘う。
「衣世ちゃん、ぼやっとしてちゃだめだよ、折角生き延びたのに死ぬよ」
唐突に肩を後ろへ強く引かれ、衣世はバランスを崩して2歩後ず去る。
時をおかずして今いた場所に銃弾が打ち込まれ、さらにヒーローズの残骸が飛び散った。
「ああ」 それは死ぬ前に息をこぼした。模擬人間にも痛覚はあるのだろうか、死を恐怖しているのだろうか。
無残に手足を失った彼らの体が地面に転がる。ゴミみたいに。
動揺は生まれない。今のこの凄惨な情景はまるで、テレビに映される、どこか遠い国の紛争を見ているようだった。あまりに実感が湧かなかった。
「今までさんざん偉そうなことを言ってましたけども。この状況を生み出した元凶って実は10年前の僕達なんだよねえ」
「…………」
「ペルソナの存在はあの時から、公表されないながらも真面目に取り扱われる分野だった。僕達はどうしても他国に先駆けて研究を始めなければならなかった」
>「それをよこせぇ。たつぞうさまのためになっ!」
>「はぁ、はぁ。あんたのパパの造ったガラクタ。うざったいのよ!」
>「ここは危ないから、君たちはもうお帰り」
その寸劇を遠目に観察しながら、浅賀はかつての被験者へ懺悔とも言い分けともつかない告白を続けた。
「須藤竜蔵は自分の孫すら被検体にするような人格破綻者だけど、政治のセンスと金儲けに関してはずば抜けた才覚があってさ。
あのプロジェクトにはそういった賢い出資者がどうしても必要だった。でも研究者は所詮お勉強しかできない人種でね。
老獪な爺さんにまんまと全てを乗っ取られて、目的が変質してしまった。後はお察しの通り、計画に携わった7割の人間が死んで、
生き残った2割はなんらかの記憶改竄を行われた。最後の1割――僕や大臣達は――今でも事件の尻拭いに徹している」
「私に逃げるなと言ったのも、その尻拭いを手伝って欲しいからだったのですか。私達を好き勝手使った癖に、まだ利用し続けるんですか」
「否定しない。でも逃避は君に何も与えないということも理解して」
遠くでは、騒ぎに乗じてもう一人のペルソナ使いであり……神部をこの世界へ再び招いた少女が――海棠美帆が、姿を表していた。
ジョーカーと彼女の話し合いを神部は聞いた。
>「安寧は必ず君にも訪れるから心配しないで」
>「私、エミコを元にもどしたい。 私は私のままでいいから」
浅賀はプロジェクトの暴走を阻止できなかったことを悔いている。しかしそれは衣世にとり過去の出来事だ。今更捕らわれることではなかった。
では何から逃げてはならないというのか。何が正しく、何を止めるべきなのか。
須藤大臣の思惑は分からない。ジョーカーの願いは理解できる。かといって今まで彼がしてきたことに賛同できるはずもない。
迷い、惑い、同じ場所を巡る。何も解決できないが、一つだけはっきりとした思いが残った。
(もう私みたいにペルソナに振り回される子を出してはならない)
自分と同じ犠牲者を生み出さない為に衣世が選択した道は、ジョーカーにも須藤にも抗うという最も困難なものだった。
>「やめなさいよバカ。イデアルエナジーを取り戻す方法なんて水晶ドクロを破壊するしかないのよ。
でもそんなことをしてみなさい。エネルギーが元に戻るってことはどういうことか。 わかるでしょっ!」
「あらいいの、須藤さん、そんな重要な情報を私なんかに教えてしまって。……イデアルエナジーを取り戻せばみなは再び意識を取り戻すんだね?」
一度分離した魂と身体を再び繋ぎ合わせる。その芸当なら衣世にも二度ほど経験があった。
……ならば彼らにも、望みはある。
その楽観にすぎる未来予測を肯定したのは、以外にも浅賀だった。
「可能性は0じゃなくなるってくらいだけど、幸い我が国の科学は世界でも類を見ないほど発達している。
医者としてもかなり興味のそそられる分野だしね、モノさえ渡してくれたら力は尽くす」
「大夢君、いいえジョーカー。いくらあなたが私の大切な人であるとはいえ、これだけは、絶対に譲れない。分かってとはいいません。
あなたにはあなたの崇高な理想があり、私には果たさなければならない義務がある。でも。
……でも、これしか方法はなかったの?――他人を犠牲にして自分の理想を実現させるだなんて、そんなの10年前の須藤大臣の行為と本質的に変わらないじゃない…!」
> 「大夢君、いいえジョーカー。いくらあなたが私の大切な人であるとはいえ、これだけは、絶対に譲れない。
分かってとはいいません。 あなたにはあなたの崇高な理想があり、私には果たさなければならない義務がある。
でも。……でも、これしか方法はなかったの?――他人を犠牲にして自分の理想を実現させるだなんて、
そんなの10年前の須藤大臣の行為と本質的に変わらないじゃない…!」
「譲れないもの?義務?」
ジョーカーはスサノを床に寝かせ立ち上がると神部を凝視。
言葉から推測するに、彼女はジョーカーの行いを否定しているかのようだ。
「たしかに、僕は目的のために手段を選ばなかった。そう、あの須藤大臣と同じさ。
でもあの人の心の中にあるのは私怨だよ。
彼は日本が敗戦国となった時からアメリカを憎んでいる。
このトリフネを復讐の道具になり下げようとしている。
たしかにやってることは同じようなことだけど
僕と彼の差は月とすっぽんほどあるんだよ」
その時、月光のような光がジョーカーに降り注ぐ。
するとサリエル(聖)が現れ、少年に仮面と大鎌を与えた。
その変貌した姿はまさに悲しき道化師、ジョーカーだった。
「誰かがやらなきゃこの哀しみは終わらない。
犠牲になった人たちと共に、僕はイン・ラケチを成就させる。
君はきっと、人には人としての幸せがある
と思っているのだろうけど……」
空間に沈黙が落ちる。耳朶をうつ靴音。
ジョーカーは壁際に転がっている水晶ドクロのもとへと歩んでゆく。
「……もしかしたら、ミコトには僕の気持ちがわかるかもしれない。
だって、君は好奇心の塊だから……。
さっきだってイヨのことよりも
好奇心が先にたっていた。
きっと人間がイデアリアンへと進化することを
受け入れてくれるかもしれない。
ね、そうだよね。僕の邪魔はしないよね?
邪魔する理由もないよねミコトには……」
そう語るジョーカーの胸は、悲しみで溢れていた。
自身がミコトに求めている答えは希望的観測だ。
彼女たちと自分は、とうていわかりあえることはない。
それは人として生まれてしまった宿命でもある。
一方で、須藤竜子は剣呑とした顔で、歩くジョーカーの背を見つめている。
その表情が語る通り、やはりその胸中は穏やかではなかった。
「神部の言ってることって、ほとんど宣戦布告じゃないの!?
同じ幼馴染みなのにどうして大夢は神部に甘いのよっ!」
有翼の女神、エリスが大槍を片手に飛来。
「マハラギダイン!」
刹那、大火炎の火柱、炎の壁が
一同に立ちふさがり、
その火力が勢いをましてゆく。
「邪魔者は焼け死ねばいいっ!
いいえ、その前に熱風で肺を焼かれて悶え苦しみ死ねばいいっ!」
炎を操り須藤竜子は満面の笑みを浮かべている。
その姿はまさに災いの女神エリスと言えた。
水晶ドクロが負のサリエルのエナジーを吸い取っていく。
僕は負のサリエルの熾烈な抵抗を受けることとなった。
猫が堕天使の姿になり足蹴をくらわせてくるが、負けるわけにはいかない。
堕天使が無言の断末魔をあげ吸い込まれつくしたのを見届け、がっくりと膝をつく。
>「やめなさいよバカ。イデアルエナジーを取り戻す方法なんて水晶ドクロを破壊するしかないのよ。
でもそんなことをしてみなさい。エネルギーが元に戻るってことはどういうことか。 わかるでしょっ!」
>「あらいいの、須藤さん、そんな重要な情報を私なんかに教えてしまって。……イデアルエナジーを取り戻せばみなは再び意識を取り戻すんだね?」
「そうか、水晶ドクロを破壊すれば……。!! でも……」
たった今、負のサリエルを水晶ドクロに吸収したところなのだ。
>「ごめんね海棠さん。
……みことも大丈夫かい?」
「ああ、どうってことない……。海堂隊員、早まるな!」
大夢君が介抱してくれる。純粋に僕を心配しているのが伝わってくる。
今水晶ドクロを破壊してしまえば、あの時のように再び制御不能の死神が降臨する。
いや、あの時と同じく本人から分離して制御不能ならまだいい方とすら言えるかもしれない。
大夢君が根底の部分であの時と変わらず持っている優しい心を失い、完全なる死神へと変貌するかもしれないのだ。
>「大夢君、いいえジョーカー。いくらあなたが私の大切な人であるとはいえ、これだけは、絶対に譲れない。
分かってとはいいません。 あなたにはあなたの崇高な理想があり、私には果たさなければならない義務がある。
でも。……でも、これしか方法はなかったの?――他人を犠牲にして自分の理想を実現させるだなんて、
そんなの10年前の須藤大臣の行為と本質的に変わらないじゃない…!」
>「……もしかしたら、ミコトには僕の気持ちがわかるかもしれない。
だって、君は好奇心の塊だから……。
さっきだってイヨのことよりも
好奇心が先にたっていた。
きっと人間がイデアリアンへと進化することを
受け入れてくれるかもしれない。
ね、そうだよね。僕の邪魔はしないよね?
邪魔する理由もないよねミコトには……」
>「神部の言ってることって、ほとんど宣戦布告じゃないの!?
同じ幼馴染みなのにどうして大夢は神部に甘いのよっ!」
大夢君――ジョーカーが僕に同意を求めてくる。
負のサリエル……あらゆる人間が潜在的に持つ破滅を望む深層心理の具現化。
僕の好奇心が、それが牙をむく引き金を引いてしまった。
そして今もまた性懲りも無く、好奇心のために――
「残念ながら理由ならある……。
もしもこの世が完全な世界になったら……探検する場所がなくなってしまう!」
倒れていた僕は立ち上がる。
好奇心は猫を殺すと言うように、好奇心とは元来破滅と隣り合わせの物なのかもしれない。
ジョーカーは世界を破滅させようとしているわけではなく、言わば絶対破滅しない世界を創ろうとしているのだ。
『少女よ、力が欲しいか――?』
「――欲しい!」
スサノオの声が聞こえてきた。
スサノオも大概、大人しくしとけば穏やかに暮らせるものをそれが出来なかった、破滅的な神。
『その力が呪われた破滅の力であったとしても――?』
「望むところだ!」
ペルソナ発動――今までにない強力な力。
僕は今、自分の本当の役回りを知ったのかもしれない。
有翼の女神エリスが飛来し、行く手には、炎の壁が聳え立つ。
「――マハアクアダイン!」
水の壁が炎の壁を迎え撃ち、それと同時にスサノオの大剣がエリスの槍を受けとめる。
「僕はとんでもない勘違いをしていたようだ。
英雄の前に立ちはだかる大魔王は――僕の方だったんだ。
来い! 信念を貫きたいなら……僕の屍を踏み越えて行け!」
考えても誰にも正解の分からない問題は、世界の選択に委ねてしまえばいい。
どちらが正しいかは、神のみぞ知る――だからこそ、全力で立ち向かう。
「イヨカン隊員! 水晶ドクロの回収を頼む!」
水晶ドクロに封印した負のサリエルをどうするかは、後で考えればいい。
もしかしたら浅賀先生ならいい方法を思いつくかもしれない。今はとにかく回収するのが先決だ。