悪辣逆臣列伝【我は全てをこの手に握る】

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1来俊臣 ◆rbseVr1Ek2
ここは古今東西の反乱者・逆臣・悪臣・謀反人が集まって、
如何にして己が野望を遂げるかを論じ合うスレである。
我こそはと思う者は続々と名乗り出て、我輩と共に語らおう
ではないか。
無論、名無し諸君の意見・疑問も答えるので、皆遠慮無く門を
叩いて欲しい。
以上である。
2以上、自作自演でした。:03/08/08 05:39
どりるまんまん
3来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/08 05:44
我輩の自己紹介である。

名前 :来俊臣
年齢 :47歳
性別 : 男
職業 :武周王朝御史中丞
趣味 : 仕事・密告・訊問・美食・女
恋人の有無 : 妻帯中、他多数
好きな異性のタイプ : 我輩の意に添う女
好きな食べ物 : 肉料理全般 酒
最近気になること : 刑罰が緩すぎる
一番苦手なもの : 左遷
得意な技 : 事務処理能力 自白術
一番の決めゼリフ : 死刑判決を下す!
将来の夢 : 皇帝
ここの住人として一言 : 存在を認めてくれれば何もない
ここの仲間たちに一言 : 来る者拒まず
ここの名無しに一言 : 自らが欲する道こそ正しい道である
4以上、自作自演でした。:03/08/08 05:48
奸賊うつべし!
5以上、自作自演でした。:03/08/08 05:48
人肉は食べちゃうほうですか?
高宗をどう思う?
7来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/08 05:53
早速来たか。

>2 どりるまんまん
そうだ!そうして己が欲望を満たし、明日への活性剤にするがいい。
ここでは、如何なる卑猥な語句も己が正しいと思えば全て良いのだ。
2おめでとう!

>4 奸賊うつべし!
貴様はおそらく、世間並みの正義感か儒教論理に毒されたのであろう。
今からでも遅くは無い。自らの欲望に忠実に生きるがいい!
一度しかない人生、己自身のためだけに生きろ!
8蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/08 05:55
ええいっ!何故、私が宋史姦臣伝に入れられておるのか解らぬ!
9来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/08 06:01
>5 人肉は食べちゃうほうですか?
ふむ、我輩がまだ一介の小悪党の頃、飢えに苦しみ、たまたま
通りすがった親子連れを殺してその肉を貪った事もある。
母親の方は年取っていたので、それほどでもなかったが、子供の方は
実に歯ごたえがあり、美味であった。
高官になった後も、裏で強壮剤として出回っていた肉や脳髄を
調理させて食したのだ。

>6 高宗をどう思う?
武則天皇帝陛下の夫であらせられた高宗陛下の事か?
我輩はその頃は諸国を流浪する身だったので、詳しくは知らんが、
下賎な言葉だが、女房の尻に轢かれる無能な亭主というのが我輩の
正直な評価だ。
皇帝になどならずに、一介の地方の王か刺史にでもなれば、安楽な
人生が送れたものを。
小物ばかりですね。
11以上、自作自演でした。:03/08/08 06:05
ジャーンジャーンジャーン!
中国史限定?
13以上、自作自演でした。:03/08/08 06:10
お米が食べれないのなら、肉を食えばいいじゃない?
14来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/08 06:11
>8 蔡京
おおっ!早速の仲間入り、感謝するぞ、宰相殿。
北宋において姦臣といえば貴殿を置いて他におらぬではないか。
徽宗に芸術を薦め、私腹を肥やし、ついには国家を滅亡に追いやったのは
まさに賞賛に値する。しかも貴殿は二十歳前後で科挙に合格した秀才と
言うではないか。頭の働く悪党にぴったりだぞ。

>10 小物ばかりですね。
確かに今現在は微官にすぎぬかも知れぬが、皆、大望を抱いておる。
例えて言うなら、鳳凰が雛の時なのだ。いずれは大鳳となって、
天空まで羽ばたいて見せようぞ。
その時こそ、今まで我らを小物と罵った輩を笑い返して見せるわ!
15来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/08 06:20
>11 ジャーンジャーンジャーン!
むっ!?昇殿の合図か。陛下のお呼びとあらば、行かねばなるまい。
直ちに馬の準備をせよ!

>12 中国史限定?
そんなことは無いぞ。1で書いたように古今東西とあるように、世界中
或は架空のものでも一向に構わぬ。
我輩は、ここが悪臣たちで賑わうのが一番の望みなのだ。

>13 お米が食べれないのなら、肉を食えばいいじゃない?
なかなかの学を持っているな。それは西晋の恵帝が発した歴史に残る
名文句だ。発想の転換といい、実に笑える言葉だぞ。
米は天候によって凶作にもなるが、肉はそこら辺に腐るほどあるからな。
そういえば、今年は前半が冷夏だったので、米の収穫が心配されたが、
急に暑くなってきたので、杞憂に終わりそうだな。
16以上、自作自演でした。:03/08/08 06:29
岳飛って悪人ですか?
17来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/08 06:39
>16 岳飛って悪人ですか?
南宋の将軍で、救国の英雄と言われる岳飛のことだな。
一般的には英雄の代名詞となっているが、当時の南宋は江南を
維持するのが精一杯で、とても華北を金から奪還する力など無かった。
そうした視野から見て、宰相の秦檜を中心とした和平派は、抗戦派の
首領である岳飛を抹殺したのだ。その意味から言うと和平派や、
これ以上の戦火を望まぬ民から見れば岳飛は迷惑極まりない悪人の
部類に入るかも知れぬ。
このように、どんな善人・英雄でも見方を変えればいかようにも
なるのだ。そういう範疇では君の考えは正しいぞ。
18来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/08 06:54
質問も収まってきたので我輩は出仕することと致す。
今夜にでも、また会おうぞ。名無し諸君。

尚、常駐を望む者は我輩の許可を取る必要は全く無いので、
遠慮無く来るがいいぞ。


                       






               


              ・・・武則天皇帝陛下だけは御勘弁を
武周王朝について説明よろしく

ここに来ている人は分かってるとは思うんだけどね
20以上、自作自演でした。:03/08/08 07:48
中宗ってどうよ?
21蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/08 08:24
>2
私はそのような言葉を知らぬ。
>4
良い心掛けだ。契丹、女真、喫菜事魔と大宋国の敵は山程おる。
>5
そのようなもの食わぬわ。
名族に生まれ、若くして進士となり位人臣を極めたこの私が食事に不自由などせぬ。
>6
そなたの聞いておるのは唐の高宗であるな。
武后の跳梁跋扈を許した罪は重い。
>10
私は小物ではない。中国史上稀に見る実務家としてその名を知られておる。
水滸伝など読んではならんぞ。あのような悪書は火にくべるが良い。
>11
騒々しいぞ貴様。
>12
違うようだな。来もそのように申しておる。
>13
西晋の恵帝司馬衷が言ったとされる言葉であるな?
それは後世の史家の創作であると私は考える。
22蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/08 08:31
>14 来
能力、実績を鑑みれば・・・
私>>(超えられぬ壁)>>童貫>>(超えられぬ壁)>>梁師成>李彦>朱勔>王黼、となる。
姦臣と呼ばれるのはまだ良い。しかし5馬鹿と一緒くたにされるのは我慢ならんな。
ところで来よ、貴様、映画『武則天』では許敬宗とタッグを組んで悪さをしておったな。
貴様のような一酷吏と同列に置かれては、許も草葉の陰で泣いていよう。
>16
歴史的経緯は>17で来が解説しておる通りだ。
私は岳飛の如き群盗の類と面識は無いので、善人か悪人かなど知らぬ。
秦檜もよく覚えてはおらんが、元来は過激な主戦論者であったと聞く。
南遷後に講和派に転じて後世に悪名を残したのは、私にとっては意外な事だ。
>17
唐の四代皇帝中宗は西暦690年、実母の武太后によって廃位される。
武太后は中国史上唯一の女帝となり、自らの王朝を「周」と称した。これが武周王朝だ。
外に対してはなかなかの良政を施いたが、朝廷内部では反対派を弾圧する恐怖政治を行った。
705年、宰相張柬之らの決起により壊滅。中宗が復位して国号も唐に戻った。
武后は同年、失意の内に没しておる。まあ詳しいことは当事者たる来に聞くがよかろう。
>20
女に人生を翻弄された無能な男であるな。
母に帝位を追われ、復位した後は妻と娘に再び帝位を脅かされておる。ぶざまな事よ。
23蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/08 08:34
ふむ。上の>17への答えは>19の間違いだ。
ではまたな…
24以上、自作自演でした。:03/08/08 09:10
漢を滅ぼすは当塗高
天下取ったやつは総じて謀反人だな
26以上、自作自演でした。:03/08/08 20:40
王則の乱が起こりました
27以上、自作自演でした。:03/08/08 20:41
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28来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/08 21:27
今日は七人の罪囚に死刑を申し渡した。その中には頑として自白せぬ輩が
いたので、くびり殺して自殺と報告しておいた。死ぬ事に代わりは無いのだが、
運がよければ流刑ですんだかも知れぬのに愚かな奴よ。

>19 武周王朝について説明よろしく
蔡京殿が申された内容と重複するが、唐の高宗の皇后である武則天陛下が
高宗の病弱を理由に天下の大権を行使されたのが、そもそもの始まりだ。
高宗崩御の後、息子の中宗を帝位につけ、自らは皇太后として後見され
ようとしたが、中宗の個人的人事に立腹された陛下がこれを廃し奉り、
実質上の皇帝として唐王朝を支配されたのだ。
その後、天授元年(西暦690年)もう一人の息子である睿宗より禅譲
(平和裏に政権を委譲する事)を受け。正式に皇帝となられた。
これが武周王朝である。ちなみに歴史上では他にも武王で有名な周に
北周、後周があるため、区別するために陛下の苗字を取り武周と呼ぶのだ。
内政面では農民をよく治め、人事にも腕を振るわれたが、中央では貴族・
高級官僚・唐宗族を中心に徹底した粛清を実行した。我輩も死刑囚の身から
抜擢を受け、この粛清に貢献した酷吏の一人である。
その後、紆余曲折があり、神龍元年(705年)、皇太子の中宗を擁した
時の宰相張柬之ら、唐の旧臣が謀反を起こし病床にあられた陛下を退位させた。
公式には陛下が帝位にあられた15年を武周時代と呼ぶが、我輩は実質的に国を
支配されていた約五十年間を指してもよいと考えるのだがな。
陛下も我輩の言う通りに狄仁傑らを抹殺しておけば、心安らかに安眠できた
のだが。
ちなみに張柬之らは後に政変に敗れ、流罪中に病死。あるいは密殺となった。
我輩から見ればまさに因果応報よ。
29来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/08 21:37
>20 中宗ってどうよ?
話の前後から推測すると、陛下の息子である中宗の事だな。
我輩の視点で申すと。優柔不断の上に女に手玉に取られた愚帝、いや帝王の器
にない男だな。妻の韋皇后の言うままに人事を行ったために廃位され、挙句の
はてには、その韋皇后の傀儡となった挙句毒殺された。男とも呼べぬ愚物よ。

>22 蔡京殿
>映画『武則天』
あれは俗説の寄せ集めですぞ。そもそも我輩と許敬宗は仕えた時代も内容も
異なります。タッグどころか一度も顔をあわせたことすらないのですから。
ちなみに、その映画の吹き替えですが、我輩の役を塩沢兼人が担当していた
のには、大きな違和感を感じたのは我輩一人ではないはずですぞ。
まあ、それはともかく今後ともよしなに願いまする。
30来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/08 21:52
>24 漢を滅ぼすは当塗高
後漢の昔に、そのような妄言を本気にして皇帝を僭称した身の程知らずが
いたな。自分の名がそれに当て嵌まるなどと勝手な解釈をしたが、そういう
予言じみた物はどうにでも読めるのだ。
だが、愚民どもをはぐらかす手段としては悪くないぞ。我輩の時代でも
迷信を重んじた者は少なくない。武則天陛下も瑞兆や珍品をこよなく
好まれたが、ある時、「天子萬萬年」と書かれた亀が献上された際、
ある者がそれを削り取って諫めた事もあった。

>25 天下取ったやつは総じて謀反人だな
それも正しい見方だ。我輩に近い時代では、唐の高祖李淵は隋王朝の
重職であり、姻戚関係にありながら大義と称して謀反を起こした。
別に謀反を非難する気はさらさら無い。端的に言えば勝利者は賞賛され
敗北者は謀反人・逆賊の汚名を被せられるのだ。
勝利した者のみが正義面できると言う訳だよ。君も褒められたくば強くなれ!
31来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/08 22:07
>26 王則の乱が起こりました
北宋仁宗の時代に起きた弥勒教の反乱だったな。詳しくは蔡京殿
がご存知だと思うが、我輩なりの意見を述べる。
弥勒教とは字の如く、弥勒菩薩がこの世に降って貧乏人どもを救済するという
いたって簡単な宗教だが、それゆえに民乱の口実に使われたのだ。
24と同じように愚民を煽動するにはもってこいだからな。
これより約300年後の元末にこれと同じ趣旨の宗教「白蓮教」が反乱を起こし
この一派に参加したのが後の明の太祖、朱元璋である。

>27
実に飢えているな。だが、その飢餓感こそ己を強くする糧となるのだ。
我輩は興味が無いが、他の何者かが見てくれるかも知れぬから、
他の所なりとも貼り付けるがいい。

本日の詮議はこれまで。名無し諸君、大儀であった。
32以上、自作自演でした。:03/08/09 02:18
歴史以外の質問もいいんですか?

今近付いている台風何とかなりませんかね。
33方臘:03/08/09 09:46
喫菜事魔してますが、何か?
御史中丞て、どういう役職なの?
35以上、自作自演でした。:03/08/09 20:03
おはようからおやすみを見つめてますか?
36以上、自作自演でした。:03/08/09 20:03
ブルマ姿の可愛らしいロリ少女が体育倉庫でなにやら怪しい動き!
物凄くでかいオッパイをぷるんぷるんに揺らしながらハゲオヤジにバックから突かれます。
最後のオナシーンではなんととうもろこし挿入!
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37来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/10 17:04
昨日は二十人近くも判決を下したので、自邸に帰って一杯の酒を煽ったら
眠ってしまった。早々からこのような調子ではいかんな。

>32
今の所、歴史の質問が続いているが、別に固定したスレでは無いので、
他の範囲でも構わぬ。我輩らの理解できる限りで答えるつもりなので、
無用な気遣いはいらぬ。
さて、台風だが、こういった天災は人間の及ぶ範囲を超えているので
完全に防ぐのは不可能だ。やはり事後の被害を最小限にくいとめるために
具合的な対策をたて、実行するのが最善の策だろう。
何やら、模範的な回答ですまぬが。

>33 方臘
北宋末期で反乱を起こした貴様だが、水滸伝では多くの好漢を戦死においやった
悪役として記憶に残っておるな。まあ、実際に貴様らを討伐するために投入した
軍隊は本来、契丹族の遼を金と共に討伐するためだったので、それが元で
両国の関係が拗れ、滅亡の遠因となったな。
漆園の主に過ぎぬ貴様が、そのような形であれ名を残したのには同情するぞ。
やはり悪名であれ名を残すのは男子足るべきものの夢だからな。
38来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/10 17:21
>34
我輩の役職であるな。
御史とは諸役人を監察する職で、昇進・左遷・追放の際に参考になる意見を
述べる立場にある。それゆえ、ある程度の者にのみが任命された名誉ある
役職だ。御史中丞は、それらを統括する役所の次官で、長官は御史大夫と
称する。死刑囚上がりの我輩が就任できたのは、おろらく古今を通じて
例が無いであろう。そうした意味で大いに誇りに思う。

>35
遠回しな言い方だが、察するに一日をどう過ごしているかと言う事か。
定刻に役所に入り、その日に割り当てられた罪囚の裁判を行い、判決を下す。
我輩はほとんどに死刑判決を下すが、その後に、可否を上奏し、最終的な
聖断を求める。大抵そのまま通るが、稀に死一等を減じられ流刑もしくは
左遷ですむ時もあるな。
で、夕方に職務を終え、自邸に帰り疲れを癒して床につくと言う日々を
送っておる。

>36
ある程度の目こぼしはするが、そう度々貼られると他の者が不快に感じるかも
知れぬぞ。我輩も賄賂を受け取っている訳ではないので、奨励してはおらん。
今は最初ゆえ無視するのも何だから、こうして返答を返しているが、その内
短文か無視をするかもしれん。

本日の詮議はこれまで。我輩は退廷する。皆も休むが良い。
39以上、自作自演でした。:03/08/11 16:26
儒教の孔子を、どう思いますか。
自分のライバルだと思う人はいますか。
日本人を、どう思いますか?
42来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/12 20:05
先日は思わぬ事故があったが、何事も無く戻り、何よりだ。
機嫌が良かったので、つい減刑の沙汰をしてしまったぞ。

>39
巷では儒教の祖だと騒がれているが、あれは単に失敗者にすぎん。
魯を追われ諸国を流浪し、自分らの思想が受け入れられないので知りもしない
過去を礼賛する、自己妄想の集団に他ならぬ。
それが長い中華の歴史に、発展と改革を阻む汚辱になって残ったのだ。
武則天陛下は、それに早くから気付かれ、儒教勢力の撲滅に尽くされたが
いかんせん、根が深すぎたため失敗に終わった。
我輩も、儒教論理を振りかざす保守派や反体制派を数え切れぬほど死刑に
してきたが、焼け石に水であったな。
その意味では、かつて秦の始皇帝が焚書を実行されたのは、甚だ理に
かなっておる。思想の根源を断つのだからな。陛下に上奏すれば認可された
かもしれん。実に惜しい事だ。
43来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/12 20:14
>40
基本的に、我輩自信以外は全て好敵手、もしくは邪魔者と思っていた。
我輩の同僚の酷吏には、親近感を持って接したり、模範として尊敬して
いた者もいたようだが、我輩は一度もそんな生ぬるい感情を持った事は
無い。今はどうあれ、将来では我輩の立身出世の障害になるだろうから
な。それゆえ、色々な手段を駆使して、陥れてきたのだ。

>41
我輩の時代では、幾分かの交流はあったが、詳しくは知らん。
見た目、我輩ら漢民族と似ていたが、習慣・言語共に大きく異なって
いたので奇異に思った物だ。
それに、大周に朝貢していた西域、北方諸国もあったので、さして
日本を重視していなかったのが本当の所だった。
東夷の島国が、いくら背伸びしようと、我が大周の足元にも及ばない
のだよ。

本日はこれまで。皆、退廷するが良い。
44以上、自作自演でした。:03/08/12 20:20
明智光秀まだ?
45児島高徳:03/08/13 00:17
天莫空勾践時非無范蠡          
46蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/13 02:48
諸君、親子関係は上手くいっておるかね?
私の長子、攸は親孝行をするどころか政敵と結託し、私の追い落としを図っておるのだ。
寂しいことよ。

>24
袁術か、貴様は。残念ながら帝位を僭称するのは時期尚早であったな。
実力も実績も足りぬ者は、それを手にするまでは待つしかないのだ。

>25
さよう。それは一つの真実である。私の仕える大宋国の始祖、太祖趙匡胤も
五代の第五王朝『後周』を乗っ取っておる。しかし太祖は簒奪者の汚名を
着る事を嫌い、後周の宗室柴氏を子々孫々まで保護するよう遺訓として残した。
新たな王朝が立てば、旧王朝の一族は抹殺されるが世の常。
太祖の行為は褒められて然るべきものと言えよう。

>26
貝州で起こった事件のことじゃな?だが特に歴史的に意味のある大乱ではない。
二ヶ月あまりで鎮圧されておるし、これが諸路諸州に波及したという事実もない。
ちなみに私はこの乱の起きた慶暦七年(1047年)に生まれたのだ。
こんな小反乱よりも、そちらのほうが歴史的一大事と思わんかね?

>27
たわけが。なぜ私が貴様のごとき下賎な女の奉仕を受けねばならぬのだ。
私が七十九年の天寿をまっとう出来たのも、過度に女色に耽ることをしなかったからだ。
もっとも、天寿をまっとうしたとは言え、最期は野垂れ死に同然であったが・・・

>29 来
>あれは俗説の寄せ集めですぞ。
申す通りじゃな。許敬宗と貴様では時代も位階も全く異なる。
映画化するならば、もう少し設定には凝って欲しいものだ。
長孫無忌がやたら硬骨漢として描かれていたのも微妙なところじゃな。
47福田首相:03/08/13 20:57
人命は地球よりも尊い
48以上、自作自演でした。:03/08/14 15:13
若い時は苦労されたんですか?
49来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/14 20:42
今日も十三人に死刑判決を下した。今は先祖を弔う時期ゆえ、奴らも直接
言葉を交わすことが出来て本望であろう。

>44
日本で逆臣の代名詞と呼ばれる者の事だな。今現在、我輩と蔡京殿の中華
の者のみなので、他国の連中が望ましいかも知れぬな。
こればかりは本人が参加するかどうかなので、我輩らは今まで通り皆の質問に
回答してゆくのみだ。
明智光秀なる者よ。何時でも歓迎するぞ。

>45
ええい!ここは題名通り、悪臣が集う場所。貴様のような忠義面した者が
立ち入れる場所ではないぞ!
身の程を知らず、幕府に反抗し国を乱した愚帝の犬となり、自らを范蠡に
なぞらえる程の痴れ者の顔など、見るだけでおぞましさを感じるわ。
ものども!こやつを叩き出せ!!

>46 蔡京殿
おお、蔡京殿。夏は何かと過ごしずらい季節ゆえ、御自愛の程を。
>映画化するならば、もう少し設定には凝って欲しいものだ。
大衆受けしやすいとは言え、やはり史実を元にした物なのである程度は
考えて欲しいですな。真に仰る通りですぞ。
>長孫無忌がやたら硬骨漢として描かれていたのも
武則天陛下を貶めるために、そうされたのでしょう。元来あやつは外戚の
地位を利用して、唐を私物化しようとしたが陛下の前に敗れ始末された
愚か者に過ぎませぬ。
50来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/14 20:51
>47
何をたわけた事を言っておる?もしや我輩に対するあてつけか?
国を越えた不貞の輩に屈し、要求をのまざるを得なかった貴様が
苦し紛れに吐いた戯言ではないか。ここではそのような空論など
不要ゆえ、とっとと消えうせるがいい。
貴様の様な年寄りでは、訊問してすぐに息絶えるであろうからな。

>48
そうだ。我輩は故郷の長安を半ば追放された形で諸国を放浪し様々な
苦汁を舐めてきたのだ。時には前述した通り、母子を襲ったり、糧を
得るため強盗や闇商人の用心棒にもなった事がある。
思い起こせば、実に苦難の連続であったが、その経験が今の我輩を
完成させたのだから、これも天が与えたもうた試練であろうな。

本日はこれまで。退廷いたす。
51以上、自作自演でした。:03/08/14 23:43
ジャーンジャーンジャーン!楠正成の逆落としです
52山崎 渉:03/08/15 13:04
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
53以上、自作自演でした。:03/08/15 14:18
拷問は好きなんですか?
科挙は受けましたか?
来俊臣様と蔡京様は、どっちがメジャーな人なんですか?
56来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/15 19:00
少し早めに帰宅した。三人と少なめだったのでな。無論、全員死刑だ。

>51
むっ?大石を落としたり、熱い油を流したりしてるな。高山に陣取り
備えを固めて立てこもっているが、数に十倍する大軍を相手勇戦しておる。
楠正成と申すこの武人、中々の強者と見たぞ。
出来れば敵にしたく無い奴であるな。

>52
     刑具を使うまでも無い。引き回して殺してやろうぞ
      ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ≡ ≡ 、,,,,,,,,,,,,、  ≡
      _)____ノ_,, ≡ 三 ≡
   /^^ヾ、( ´∀` ) ≡ ≡ 三 三 ≡      .
   / ゚_,-ーと   ) 三 ≡ オ、オユルシヲーーー!!!
  (,,/ヾ 、゙''(⌒_ノ''')ミ-、  ∧∧        (´;
     ノノ`ー`J--´)\ \(^^)、_)/) 、;´(⌒'; 
     乂 ,;(´(⌒; ノ  ヽ と`)),,、;;,,;,;;';,つ,;´⌒;(´ ,
       ` ;"、 ≡ ≡ (´⌒"゙`;∵((⌒`(⌒,  '
57以上、自作自演でした。:03/08/15 19:05
山賊と官僚、どっちが悪いんですか?
58来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/15 19:24
>53
嫌いではない。職業柄そうした現場に立ち会うし、時には我輩自ら
指揮を取る場合もある。
我輩が考案した方法が幾つか伝わっているようだが、ほんの一部に
すぎぬ。自分でも完全に記憶していないほどだ。
だが、後には合理的な手段で進めた事が多かったので多少、飽きた
面もあったがな。

>54
受けておらぬ。武則天陛下の御恩情により引き立てられた我輩は
科挙などの試験とは無縁だったからな。
だが、科挙出身にも我輩から見れば無知無能の者が山ほどいた。
科挙やそれに類する物は決して万能ではないのだ。我輩も何ら
恥じてはおらぬ。
59来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/15 19:31
>55
やはり宰相であり北宋滅亡の功労者である蔡京殿だろう。
我輩も決して無名ではないが、やはり後塵を拝せざるを得ない。
だが、蔡京殿ほどの高名な方が序盤から参加してくださったのは
大いに感謝する所である。

>57
我輩から言わせると官僚だな。
山賊はせいぜい、通行人ぐらいにしか害をもたらさないが
官僚は自らの無能・怠慢を持って国家を害する極めて危険な存在だ。
肝心な所は、大多数の奴らがそれに気付かず、特権階級の如き
大きな顔を振り撒いている事だ。
陛下も常々、それで頭を痛められていた。

本日はこれまで。帰宅の道中気をつけるが良い。
60以上、自作自演でした。:03/08/15 21:04
赤穂浪士が逆臣ですか?
61蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/16 05:13
>32(台風)
中華において天変地異は宰相の責任となる風潮がある。宋代においては、さすがにそのような
考え方は薄れてきてはおるが、それでも何らかの自然現象が宰相を弾劾する口実になることも
あるのだ。私もかつて、彗星が現れたかどで罷免されたことがあるぞ。
まあ、すぐに復帰することができたが、迷惑な話じゃな。

>33 方
私が仕えた徽宗皇帝は世界史上5本の指に入るくらいの道楽者でな。珍品奇品を収拾すること
余念が無かった。中でも艮嶽(人工の庭山)の造営には心血を注ぎ、太湖石という巨大な庭石
を運ばせる為に、民間に多大な負担を強いた。この運搬作業を担当したのが朱勔という蘇州の
商人なのだが、これがまた横暴な男でな(推薦したのは私だが)。作業に邪魔な民家を強制的に
取り壊したり、人員を徴用したりと、無茶苦茶をした為に、人民の激しい恨みを買うことになった。
まあ庭石運びはほんの一例で、北宋の財政難のしわ寄せが重税として民間に押し付けられたと
いうのが、事の本質ではあるのだが。いずれにせよ徽宗の贅沢三昧が財政難に拍車を掛けた
ことは事実だ。
 方臘の乱はこのような状況下で発生した。方臘自身は広大な漆園の所有者で資産家だったが、
それゆえに収奪されること激しく、堪忍袋の尾が切れたのだろう。馬鹿な男じゃ。
所詮、烏合の衆の反乱であった為、政府軍15万の精鋭の前に、百日余りで鎮圧されたのだがな。
しかしこの15万の大軍は、もともと対遼戦に向けて編成されたものだったゆえ、こんなチンケな
反乱を鎮圧する為に疲弊させて良いものではなかった。この失策が北宋滅亡の要因になったのは
来が>37で申しておる通りだが、当時の私は半ば失脚状態にあり、どうしようもなかったのだ。
ちなみに方臘は生け捕りにされ処刑されたが、奴が憎みに憎んだ朱勔も北宋滅亡の元凶の一人として
後に処刑されておる。政府軍の指揮を執り、方臘の乱を鎮圧した宦官童貫も同様だ。
私も湖北に流罪となり、刑地に赴く途上で死んだ・・・
結局は方臘の望んだ通りになったのだ。無念なり。
62蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/16 05:55
>34(御史中丞て、どういう役職なの?)
御史台の次官である。要するに監察官だな。
ちなみに私は門下侍郎だ。これも門下省の次官といった地位だが、同省の長官は普通任命されず
門下侍郎が宰相として民政を統率するのが慣わしだ。時代によっては同中書門下平章事などという
呼び名もあるが、実質的にはさして変わらぬ。

>35(おはようからおやすみを見つめてますか?)
わけのわからぬ質問だな。まあ良いだろう。
皇帝のおはようからおやすみまでを見つめるのは宦官の役目だ。
宦官といえば諸君らは、皇帝に取り入り政治に害毒を流す寄生虫と見ているかも知れぬが、
時代によってその影響力は異なる。唐代には宦官の弊害激しく、皇帝を廃立する程の力を
持っておった。もっとも、唐代と言っても、来の生きた時代よりだいぶ後になってからだがな。
一方、宋代はそれほど宦官の害がなかった時代とされている。だがそれでも歴史の表舞台で
活躍した宦官は大勢おって、私と同時代では、童貫、梁師成、李彦、楊戩などが挙げられる。
特に童貫は、私と二人三脚で協力し合いつつ、出世の階段を駆け上り、宦官にもかかわらず
将軍として兵を率いて軍功を上げ、後には郡王にまで上り詰めた。王にまでなった宦官は、
おそらく中国史上で童のみではあるまいか。

>36 業者
たわけが。貴様如きに頼らずとも、宰相として位人臣を極めた私が女に不自由などせぬわ。

>39(儒教の孔子を、どう思いますか)
私は正統派の儒教系官僚だからな。儒学の祖として、建前では敬意を払っておる。
特に宋代においては、魏晋南北朝以来、訓詁学(経典の解釈、文字の校定を中心とする
学問)に終始しておった儒学が、『宋学』として再構築されたという事情もあるのでな。
しかし、宋学が集大成されるのは南宋期であるし、私は書家・文章家としては令名高いが、
思想家ではない。よって本音では孔子の理想主義的な教えなど、くだらぬ物と思っておる。
北宋の熾烈な党派争いに勝ち抜き、宰相にまで上り詰めた私にとって、
現実から乖離した倫理観など、持っていても邪魔になっただけであろうしな。
63蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/16 06:44
ふむ。今日は筆のノリが、なかなかに良くてな。
つい長文になってしまった。これでは諸君らも読みにくかろう。
ここからは少し簡潔にまとめて参ろう。

>40(ライバル)
一人挙げるとすれば、私の前任の宰相、曽布じゃな。
徽宗の摂政、向太后の腰巾着のような無節操で無能な男だったが、
彼奴の追い落としに成功したことが、私の人生の一大転機であった。
傍目には、曽布は向太后の死後に勝手に失脚したかに見えるが、
影で私が必死の根回しをした結果なのだ。

>41(日本人)
よく知らぬ。宋代においては、北方および西域に対する備えこそ
重要であり、東方の島国になど関心を払う余裕はなかった。

>43 来
>我輩自信以外は全て好敵手、もしくは邪魔者と思っていた
貴様の敵と言えば羅列するに事欠かぬが、
とりわけ李昭徳は、憎みて余りあるのではないかね?
まあ、一番憎いのは太平公主であるかもしれんが。

>44(明智光秀)
あの男はあまり悪臣という感じはせぬな。織田のごとき横暴な男を
主君にしていては、背きたくなる気持ちもわからぬでない。

>45 児島高徳
貴様のことはまるで知らぬ。
忠臣の部類に入る者と、来が申しておるようだが。
64蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/16 06:49
>47 福田赳夫
貴様も文官試験に及第し、官僚から宰相にまで上り詰めた者であったな。
派閥抗争の苦労も経験しておるようだが、私の味わった苦労に比べれば、
足元にも及ばぬ。だが、孝行息子に恵まれたのは羨ましいことだな。
私の子供達ときたら、どいつもこいつも親不孝者ばかりじゃ・・・

>48(苦労)
当然じゃ。何度も申すが、北宋の派閥抗争は熾烈であった。
私の弟は、新法の発案者たる王安石の女婿であった為、私自身も新法派と見られていた。
そのため、旧法党が政権を担当した時代は、地方に出されて不遇をかこっておった。
それでも私は新法、旧法の枠に縛られること無く臨機応変に黙々と仕事に励んでおった為、
旧法党の領袖、司馬光にも一目置かれておった。
また、宮中の宦官たちとのパイプも築き、朝廷での評判を高めることに腐心した。
そして五十三歳にしてようやく宰相にまで上り詰めたのだ。
しかし、その後も失脚を経験したり、また晩年には新たな政敵も現れたりと、
一生涯苦労は絶えなかった。

>49 来
>夏は何かと過ごしずらい季節ゆえ、御自愛の程を。
ウム。心遣い痛み入る。夏は私のような老人には過ごしにくいものじゃ。
もっとも私は貴様より400歳ほど年下なのだがな・・・
65以上、自作自演でした。:03/08/16 08:23
なんで、新法と旧法をころころと鞍替えしたんですか?
光秀はプッツンしやすいだけでかなり義理堅いぞ。
逆臣に相応しいのは茶器自爆した久秀。
来俊臣と蔡京かよ…
なんつうか、渋い人選だな…
68以上、自作自演でした。:03/08/16 16:39
唐と宋ってかなり違うんですか?
69来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/16 22:53
何故か今日は一人も無かった。判決を下すに値しない小物ばかりなので
部下に任せて休んでおったわ。

>60
赤穂浪士とは何であるのか?
・・・ふむ、籍没(財産没収・家断絶)された家の家来たちか。
主君の遺恨を晴らしたと言うのか。それでその後はどうなったのだ?

・・・ほう、国家より無法と断じられ自決を命じられたと。
実に愚かな者たちだな。家の再興も果たせず自らは犬死という滑稽な
結末を迎えるとは法も時局も見極められぬ痴れ者と言うしかない。
仮に我輩なら、早々と見切りをつけ他家への仕官を考えるだろう。
自分の過失で死んだ主君に忠義立てしても、何の利益にもならぬわ。
我輩が心から笑ってやろう! ふっははははは!!
70来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/16 23:07
>61 蔡京殿
>ウム。心遣い痛み入る。夏は私のような老人には過ごしにくいものじゃ。
差出がましい言葉ですが、蔡京殿の頭脳は並みの若者をはるかに超えて
おりまする。例え肉体は老いても、頭のさえは益々盛んとお見受けしますぞ。
>もっとも私は貴様より400歳ほど年下なのだがな・・・
(それは禁句ではないですかな・・・)

>65
詳しくは蔡京殿が申されるだろうが、我輩なりの私見で申すと、新法を
実行した王安石の後ろ盾である神宗皇帝が若くして崩御した事だろう。
その後に即位した哲宗・徽宗が固定した政治的識見を持たず、言葉は
悪いが、皇帝の気まぐれや首脳の交代などで、その場限りで新法・旧法
と変えていった事が挙げられるだろう。
仮に神宗が長命で保守派や外戚の圧力を撥ね退けたならば、王安石の
理想も実行されたかも知れぬな。
71来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/16 23:28
>66
そうなのか。明智光秀なる者は一時の感情で謀反を起こしたのか。
それでは些か欠けるかも知れぬな。
その松永久秀なる者については明智同様、詳しく知らぬが時の
権力者を暗殺し、主君を滅ぼした上由緒ある寺院を焼き払うなど
常人には出来ぬ事をやってのけたそうだな。
是非一度、顔を見てみたいものだ。

>67
まあ、そう申すな。時が異なれば評価も同様であろう。
我輩らが活躍した頃は、道行く者も知らぬ名を誇っていたのだ。
それに、君が我らが名だけでも知っていてくれたのには大いに感謝する
所である。改めて頼むぞ。

>68
そうだな。まず貴族階級の存在が挙げられる。唐では貴族などの累代血縁
による階級の官位・資産独占が圧倒的に多かったが、宋では唐末五代の
動乱によりほぼ完全に消滅した。拘束する存在が無くなった事により皇帝
独裁権が大幅に強化したと言える。
次は軍事面で言うと、唐中期以降、節度使(地方軍司令官兼統治官)の
存在が大きくなり、中央と地方の軍事的関係が険悪化した事もある。
その反対に宋では、ある意味横暴を極めた節度使が有名無実化して
科挙出身の文官が軍司令官を兼ねた事により、中央集権が強化された。
尤も、それの影響により尚文卑武の風潮を生み、対異民族戦などで
何かと苦労したと聞く。
結論で言うと、どちらの王朝にも欠陥があったのだよ。
勿論、我が武周王朝も同様だがな。
72来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/16 23:38
最後だが、蔡京殿宛てに多少書き加える。

>貴様の敵と言えば羅列するに事欠かぬが、とりわけ李昭徳は、
憎みて余りあるのではないかね?まあ、一番憎いのは太平公主で
あるかもしれんが。

仰るとおり、李昭徳は我輩の最大の障害と言える男でしたな。
敵ながら当意即妙の才を持ち、武則天陛下の寵愛も厚く、中々手が
出せなかったのです。
いつかは刑場に送ってやろうと考えていたが、よもや、あ奴と一緒に
死ぬ事になるとは全く予想外でしたな。
太平公主に関しても、色々と申したい事があるが、陛下の愛子ゆえ、
差し控えさせていただく。
長々と愚痴めいた事ですみませぬ。

では、本日はこれまでと致す。
これに親しい人物名を入れて実行してみてください。

ttp://ikinari.pinky.ne.jp/
74蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/17 07:46
>51 楠正成
フム。なにやら日本人が多いのう。
ところで楠よ。そなたは勇猛な武人であると聞く。
だが、生憎と中華においては武人の地位はそれほど高くないのだ。
まして、大宋国は文治主義なのでな。

>52 山崎
大宋国の掟として、「士大夫を言論によって殺すなかれ」というのがある。
不敬罪を除けば、政治的にいかなる発言をしようと処刑まではされぬのだ。
しかし、それはあくまでも原則。まして貴様は士大夫ではない。
厳刑に処するよう、刑部に申し渡しておくゆえ、覚悟いたせ。

>53(拷問は好きなんですか?)
私のような高官が拷問を手がけることはない。
また、そのような趣味もない。私は一流の文化人なのだ。

>54(科挙は受けましたか)
宋代においては進士(科挙に合格した者)にあらざれば人にあらず。
どんなに家柄の高い者でも、科挙に及第しなければ出世は不可能だ。
だが、一たび進士となれば高位高官への途が保証されるため、競争は激しい。
幼少時から勉強を始めて、30代半ばで合格するのが通常であり、
一生かけて合格できない者も山ほど居る。だが私は、この難関をわずか23歳で突破した。
まことに偉業であると自画自賛する次第である。

>55(来俊臣様と蔡京様は、どっちがメジャーな人なんですか?)
私は『水滸伝』の悪役として、悪い意味で後世の者には馴染み深いからのう・・・
実際の歴史において、より重要な役割を果たしたのは私だが、
一般人の知名度となると、来も私も五十歩百歩かもしれぬな。
75以上、自作自演でした。:03/08/17 08:41
 ∫ ∬

  /⌒ヽ
  |ヽ_ノ|
  |   |∬ 
  |    |(^)
  |  ∫||^ |
  |∞∞と  |
  |∞∞(___)
  |    |
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

炮烙の刑
76以上、自作自演でした。:03/08/18 05:07
奥さんまで連座された像を造られた事について
77以上、自作自演でした。:03/08/18 07:20
来護児ってつおい?
78以上、自作自演でした。:03/08/19 03:36
ベルばらのオスカルはどう?
79来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/20 01:57
本日・・いや先日は六人であった。その内一人が洛陽でも指折りの富豪なので
減刑と引き換えにたっぷりと搾り取ってやったわ。尤も支解(五体を分裂)を
斬首に代えただけだがな。
では、開廷と致す。少々遅いが。

>73
何を企んでおる?まあ良いわ。とりあえず我輩の邪魔者でも入れてやるか。

新しい魔球を完成させたエース李昭徳と狄仁傑 が、ついに長孫無忌 に挑む!
はたして李昭徳と狄仁傑 は全国大会に進む事が出来るのか!?
次回、熱い熱い新展開!!

李昭徳「待って!私を置いていかないで…」
狄仁傑 には李昭徳の心の声が聞こえる…。
でも狄仁傑 と同棲中の長孫無忌 はペットが大嫌いなのです。
狄仁傑 「ごめんよ。李昭徳!!本当は君を連れて帰りたい…」
ついに「サトラレII」がビデオになって新登場!
今度のサトラレは猫の李昭徳。
李昭徳は果たしてどうなるのか!
ビデオを買って真実を知ろう!

ふむ、奴らを貶めるのに使えるかも知れぬな。預かっておく。
80来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/20 02:24
>75
古来より伝わる酷刑の一種であるな。日本では拳法家を主役にした演義物で
名を広めたそうだが、我が大周で公式な刑罰ではなかった。
見せしめには悪くないが、準備や維持に金がかかる事に加え、殷の紂王が
始めたので、歴代皇帝が紂王と同列に並べられるのを恥じていたので、ほと
んど行われなかったと聞く。
我輩も、こういう非効率的な物は避けていたな。

>76
妻と連座された像だと?もしや秦檜の事を指しているのか。
岳飛を殺し、金と講和したので、後世で売国奴の烙印を押されて、妻と
並んで作られた像に唾を吐く者が多いと聞く。
別に同情も憐憫も沸かぬが、あれのした事のおかげで南宋の一時的な
安定が続いたのだから、そういう面を見れぬ者が多いのだろうな。

>77
確か、隋の煬帝が高句麗征伐に送った将軍の名前であったな。
詳しくは知らぬが、南朝の陳から寝返って、国を売って出世し将軍として
高句麗に出征したが、功を急いで独断で戦い敗北したと聞く。
このような者、強弱を図る必要も無い。国の歴史でよく出る小物に過ぎん。

>78
その様な物は知らぬ。題目から察するに西域をはるかに越えた異境の地の
雑話だろうが、評価するに値しない物だ。
男装した女が主役だそうだが、そのような痴れ者が大周におったら婦道に
外れた不貞の女として処罰の対象になるであろう。

では、これで閉廷とする。
81以上、自作自演でした。:03/08/20 15:36
側室はいますか?
三国志の三国の中でどれが一番中国の歴史に貢献したと考えますか?
83以上、自作自演でした。:03/08/20 23:50
ある将軍が戦争の最中、兵糧が尽きて兵士が飢えた時、自分の食事を兵士に
分け与えました。
これは美談でしょうか?
84以上、自作自演でした。:03/08/21 00:27
ある将軍が戦争の最中、兵糧が尽きて兵士が飢えた時、自分の妻女を殺して兵士に
分け与えました。
これは美談でしょうか?
85以上、自作自演でした。:03/08/22 03:02
賄賂好き?
86蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/22 08:31
しばらくであった諸君。元気にしておったかね?

>57(山賊と官僚、どっちが悪いんですか?)
宰相として文武百官の頂点に立つ私が、「官僚の方が悪いぞ」などと
申す筈がなかろう。山賊は居ない方が世の為じゃが、官僚がおらんでは
国家が機能せぬ。全くもって単純な話じゃ。

>60(赤穂浪士が逆臣ですか?)
吉良なる者と赤穂浪士は、主従関係ではなかろう?逆臣とは呼べまい。
単に、法に背いて騒乱を起こしたというだけの事ではないのか?
私は日本国の法体系や政治制度がいかなる物であるかは知らぬが、
国王の重臣を勝手に討ち取れば、罪に問われるのは当然ではないか。
87蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/22 08:33
>65(なんで、新法と旧法をころころと鞍替えしたんですか?)
新法とは、財政難を解決する為に神宗の宰相、王安石が提唱したものだ。これに対して旧法とは、
特定の法ではなく、いわば反新法の立場一般を指す。そして新法と旧法の対立というのは、
元来は単純な利害対立なのだ。詳しくは省くが、新法の内容は富裕層に経済的打撃を
与えるものであったからな。科挙の受験には相当の資力を要するので、高位高官は軒並み
富裕層の出身。新法が激しい抵抗にあったのもいわば当然のことと言えよう。
しかし神宗は若く意欲的な皇帝であったし、北宋の帝権は強大であった為、強引に新法を
推し進めることは不可能ではなかった。そう考えると>65で来が申しておるように、神宗が若くして
崩御したことが、朝廷の方針が二転三転した最大の理由じゃな。
歴史の流れを見ると、神宗→太皇太后高氏摂政→哲宗→皇太后向氏摂政→徽宗となるが
高氏は旧法党を採用し、哲宗は新法を。そして向氏は新法党と旧法党の融和政治(と申せば
聞こえはいいが、単に中途半端なだけであった)を行い、徽宗は私を宰相に登用して新法を採用した。
朝令暮改というのは大げさかもしれぬが、わずか15年ほどの間で、こんな右往左往をしておっては
国は混乱するばかりじゃ。
・・・さて、貴公の問いは、私が何故新法・旧法両派の間を渡り歩いたのかとのことじゃが、
上記のように、朝廷の方針がころころと変わり行く状況では、信念など出世の妨げでしかない。
私には王安石の姻戚という“色”が付いておった為、旧法党にも擦り寄って行かぬと
生粋の新法党と看做され、宰相にまで登りつめる事は不可能であったろう。
私がはっきりと新法支持を打ち出したのは向氏摂政時代後期になってからじゃ。
向氏は先に述べたように、新法・旧法両派の融和を企図して、どっちつかずの政治を行っていたから
逆にそういう状況下で、明確な指針を誇示することが、人望を得ることになったのじゃな。
私は常にそのような緻密な計算のもとに行動しておる。どのように立派な信念を持っていようと
それを実行できる地位にまで登らねば、絵に描いた餅じゃ。
88蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/22 08:36
済まぬ。>87を訂正じゃ。

× >65で来が申しておるように
○ >70で来が申しておるように
89蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/22 09:05
>66(光秀はプッツンしやすいだけでかなり義理堅いぞ。)
ほう。左様か。些細なことで激昂するとは損な性格じゃな。
冷静さを失った人間は見苦しいからのう・・・
松永とやらは、茶器惜しさに自爆して果てたというのはまことかね?
なにやら後世の創作に過ぎないような気もするが、
まあ中華と日本国では価値観が違うであろうしな。

>67(来俊臣と蔡京かよ…)
いかにも。来と私じゃ。
歴史は英雄英傑のみが作るものではない。むしろ我々のような人間を
研究することで歴史への造詣が深まるものと言えよう。
貴公は我々をして「渋い」と申したが、それは誉め言葉として受け取らせてもらう。

>67(唐と宋ってかなり違うんですか?)
最大の違いは経済力じゃ。農業においては自作農と、荘園で小作に従事する
「佃戸」とがあったのは唐代と相違ないが、佃戸の地位が宋代においては上昇し、
半奴隷的な色彩は完全に払拭された。当然それにより生産性も高まった為、
佃戸の中には、零細な自作農より生活の楽な者も多かったのだ。
さらに商工業も唐代と比して飛躍的に発展し、都市の商工業者が新たな階級として台頭した。
北宋の都が、交通の要衝たる汴京(開封府)に置かれたのも、その現れじゃな。
唐王朝に対し華やかな印象を持つ者も多いかもしれぬが、経済大国の宋のほうが
一般庶民の生活水準も高く、軍事的に脆弱であっても文化的活力があった。
さらにもう一つ付け加えよう。>71で来が述べておる事と関連するが、唐末から五代の
動乱を経て門閥貴族が一掃され、皇帝権が著しく伸張した。
このことは皇帝と人臣の間の実力格差が、埋めようもなく拡大したことを意味する。
いささか乱暴な考えなれど、北宋以降の王朝交代が、すべて漢族政権と異民族の
征服王朝との間で行われたことは、それが理由である・・・と申す史家もおる。
90以上、自作自演でした。:03/08/22 09:07
>>80
じゃぁ、花木蘭に実際に会ったらグーでパンチですか?
91蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/22 09:32
>72 来
>太平公主に関しても、色々と申したい事があるが、陛下の愛子ゆえ、
>差し控えさせていただく。
なるほど。貴様はなかなか慎重な男じゃ。
もっともそうでなければ、のし上れなかったであろうがな。
ところで一つ問いたいのじゃが・・・最終的には貴様、何をしたかったのじゃ?
貴様の家柄では宰相にまで登ることは不可能であったろうし、
公主、郡主を娶って武・李氏との閨閥を築くこともまた然りじゃ。
薛壊義の様な真似も得意とするところではなかろう?

>73(これに親しい人物名を入れて実行してみてください)
ふむ・・・ではバカ息子と、バカ皇帝と、バカ政敵の名でも入れてみようかの。

犬になってしまった徽宗。
元に戻すために蔡攸は旅にでる。はたして帰って来れるのか!?
そして徽宗をしばらく飼うことになった王黼はちゃんとしつけができるのか?
次回「3回まわってワンと鳴け!」鳴かないと晩飯はぬきだ!!

・・・史実をなぞっておるな。躾には失敗しおって国が滅んだのじゃ。

>75(炮烙の刑)
こういった残忍な処刑方法は、主に漢代以前の古代において行われた。
史実であるのか否かも、怪しいものじゃな。
北宋における刑罰体系は、おおむね唐制にならっておる。
従って、来の述べた事がほぼそのまま宋代においても当てはまるな。
92蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/22 09:49
>76(奥さんまで連座された像を造られた事について)
これはやはり秦檜のことなのであろうな。
秦は、名将として名高い岳飛を政治上の理由で謀殺した為、
売国奴として史上に汚名を残しておる。
その理由とは、秦が金国との和平を企図しているにも関わらず
主戦論者たる岳の武勲と名声が巨大過ぎることを警戒した為じゃが、
武官風情に国家の命運を左右されることへの嫌悪もあったと考えられる。
さて、いかに秦といえども、名声高い岳を殺すことには躊躇があった。
そこを敢えて謀殺に踏み切ったのは、妻の後押しがあったからと言われる。
こうした理由で秦は、妻と共に憎まれ、夫婦で鎖に繋がれた像が造られたのだ。
もっともこれは単なる言い伝えに過ぎぬがな。

>77(来護児ってつおい?)
知恵の回らぬ小物ゆえの腕力はあったかもしれんな。
しかし戦争は武術大会ではないからの。
一兵卒ならばともかく、将たる者に個人的武勇など不要。
ましてこやつは敗軍の将。讃えるべき何物もない屑じゃな。

>78(ベルばらのオスカルはどう?)
その小娘は架空の人物なのであろう?
宦官にでも将軍は務まるゆえ、女にも務まるかもしれぬが、
中華には婦人を官吏として登用する制度はない。
聞く所によるとその娘、情欲に溺れて官を辞し、
反徒どもに与して戦死したそうじゃが、浅はかなことよな。

>81(側室はいますか?)
側室・・・要は妾のことじゃな?
私はさほど色欲が強いわけではないので、2人ほど置いているのみじゃ。
妻がきっちりと子を産んでおるからの。馬鹿息子じゃが・・・
93蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/22 10:16
>82(三国の中でどれが一番中国の歴史に貢献したと考えますか?)
なかなか難しい質問じゃ。ここは曹魏と答えるのが普通なのかもしれぬが、
孫呉も意外に重要な政権と言える。
六朝の第一王朝として江南の開発を手掛け、その後唐末まで続く貴族社会の
端緒を担ったという点で興味深いとは言えまいか?
主に文化史的な意味合いではあるのだがな。
ところで『三国志』の愛好者は多かろうて、不興を買うこと承知で申すが、
三国時代など、歴史的意義の薄い、不毛で野蛮な時代じゃ。
後漢末の黄巾の乱から隋の大統一までの400年間を一括りと考えれば、
三国時代など単なる通過点に過ぎぬでな。


今日はこれまでと致す。また会おうではないか諸君。
蔡ちゃんは王安石嫌いなん?
徽宗嫌いなん?
なあなあ、嫌いなんやろ?
       (  _,, -''"      ',             __.__       ____
   ハ   ( l         ',____,、      (:::} l l l ,}      /      \
   ハ   ( .',         ト───‐'      l::l ̄ ̄l     l        │
   ハ   (  .',         |              l::|二二l     |  ハ こ  .|
       ( /ィ         h         , '´ ̄ ̄ ̄`ヽ   |  ハ や  |
⌒⌒⌒ヽ(⌒ヽ/ ',         l.l         ,'  r──―‐tl.   |  ハ つ │
        ̄   ',       fllJ.        { r' ー-、ノ ,r‐l    |  ! め  |
    来ちゃん→ ヾ     ル'ノ |ll       ,-l l ´~~ ‐ l~`ト,.  l        |
             〉vw'レハノ   l.lll       ヽl l ',   ,_ ! ,'ノ   ヽ  ____/
             l_,,, =====、_ !'lll       .ハ. l  r'"__゙,,`l|     )ノ
          _,,ノ※※※※※`ー,,,       / lヽノ ´'ー'´ハ
       -‐'"´ ヽ※※※※※_,, -''"`''ー-、 _,へ,_', ヽ,,二,,/ .l ←蔡ちゃん
              ̄ ̄ ̄ ̄ ̄       `''ー-、 l      ト、へ
96以上、自作自演でした。:03/08/22 17:02
やたら博識な来ちゃん蔡ちゃんに萌え〜
97以上、自作自演でした。:03/08/22 21:21
尤渾 って 誰?
98来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/23 00:43
ちと、日を空けてしまったわ。ある大きな大逆の謀が発覚し、
それの審問に当っていたゆえ、勘弁して欲しい。

>81
当然おる。本妻の他に何人か集めたのでな。
賄賂代わりによこされた者もおれば、籍没され行先を失った貴族の娘も
何人か抱えておる。
古来、中華では「女色の絶妙は盗にあり」と言って他の者の女を盗み取る
事こそ最大の快楽とされてきたのだ。
我輩もそれに従い、美人の側妾を抱えている家があれば、脅し取り、時には
無実の罪に落として奪い取る事も多々あった。主を失って悲嘆に暮れる女の
表情は格別であったぞ。

>82
政治制度では曹魏であるな。禅譲や九品官人法などの諸制度で他の二国に
先んじておる。
だが、蔡京殿の言われるように孫呉の存在も後の歴史に残した影響は大きい。
山越と呼ばれた原住民族を平定し、漢人中心による開発を進め、それまで
未開の地に等しかった江南を六朝から後の南宋まで中華の財庫としての役割
を果たさせたのは真に多大な功績と言えるだろう。
最後に残った蜀漢については、流遇政権が益州で立てられた特殊な物ゆえ、
あまり挙げるに値しない。強いて言うなら諸葛亮の南方征伐ぐらいだな。
99来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/23 00:45
>83
美談どころか聞くにも値しない話だな。
元来、戦争とは国家の大事にて、長い期間を使い準備せねばならぬ。
それを兵糧不足を招き、兵を飢えさせるのは名将どころか愚将の行
動に他ならぬ。
例え、自らの食事を分け与えてもせいぜい五人の兵に行き渡るのが
やっとであろう。無駄の一言だ。

>84
83と似たような話だが、聞く所によると武則天陛下の孫に当る玄宗
皇帝の後期に起きた安史の乱にて、張巡と申す者が篭城の際に自ら
の妾を煮て兵士に振舞ったと言う。
尤も、落城して処刑されたので結局は無駄だったそうだが。
要するに、愚かな者を嘲笑する風刺の類にしかならぬ話だ。
諸君らも、このような事の無いよう、常にあらゆる面に準備を怠ら
ぬようにな。

>85
あまり大きな声で言えぬが、その類の賄い物を極めて好んでいたの
は事実だ。
金銀は言うに及ばず、珍宝・名馬。あるいは81でも少し触れた美女
などが主な賄賂であった。
貧困を経験した我輩は、これら財物を蓄え、しかるべき時に備えて
いたが、処刑された際に全て没収された。
使う時を見極められなかった我輩の不明を笑うがいい。
100来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/23 00:47
>86 蔡京殿
>なるほど。貴様はなかなか慎重な男じゃ
畏れ入りまする。何分我輩を憎む者は天下に事欠かぬゆえ、何時しか
習慣になり申した。
>最終的には貴様、何をしたかったのじゃ?
2の自己紹介で述べたように最終的には主だった臣下を抹殺して陛下
の手足を抜いた後に禅譲にて皇帝位をいただく事でありました。
今では夜郎自大の極みでしょうがあの時は真剣に考えておったのです。
・・・所詮、蟷螂の斧に過ぎませんでしたが、その野望で処刑される
瞬間まで生き抜いてきたので、後悔の念はありませぬ。

>90
・・・確か隋の煬帝の時代、男装して従軍したという女子の話だな。
君の興味をくすぐる存在であろうが、史実に無い民間説話の類から
生まれた者らしい。
まあ、仮に会ったとしても一介の女子が高官である我輩に害を及ぼ
さんとすれば、見せしめに市にて惨刑にしてくれるわ。
民の間で崇められる女子の死に様は、さぞ見物であろうの。

>94
これは蔡京殿にしか答えられぬ物ゆえ、我輩は回答を差し控える。
許されよ。94。
101来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/23 00:48
>95
中々良く描かれた絵であるが、宰相であり、位人臣を極められた
蔡京殿の前で、このような呵々大笑をするほど、我輩は礼を失す
る事は無い。下座について、頭を下げるのが本当の所だ。

>96
嬉しい言葉であるな。だが、若くして科挙に合格され、その後も
研鑚を重ねられた蔡京殿はともかく、無学な死刑囚上がりの我輩
は学ばねばならぬ事が山ほどある。決してうぬぼれず自分を高め
てゆくつもりだ。

>97
尤渾(ゆうこん)と言う者は殷の紂王に仕えた悪臣と聞いておるが
史記にも詳しく述べられてる訳ではないので、我輩は知らぬ。
ただ、封神演義という民間の書で名前が出ている関係で知る者も多
いと聞く。
だが我輩ら高官を含めた官僚や学者の間では、このような荒唐無稽
な書はほとんど無視されていたがな。

では、本日はこれにて終了とする。
>民の間で崇められる女子の死に様は、さぞ見物であろうの。

((((;゚Д゚)))) ガクガクブルブル
ジャンヌダルクはどうです?フランスの聖女。
神の名を騙る魔女は火あぶりじゃ。
ウェー、ハッハッハッハ。
中国史上もっともスケールの大きい女性は武則天で決まりでしょうが
では、2番めは誰だと思いますか?
106以上、自作自演でした。:03/08/23 11:17
魯粛ってつおい?
107オスカル・フランソワ・ジャルジェ:03/08/23 23:40
おのれ!私を愚弄するとは許さん!!
ジャルジェ家の名誉にかけて、貴様ら逆臣を斬る!!
107は公開死刑ですか?
109来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/24 20:55
職務も無い今日は自邸にてくつろいでいた。日々の雑務から離れる時間が
貴重なのは身分に関わらず変わりないであろうな。

>102
震えておるか。多くの民は処刑を見世物として楽しむが、君のように
縁の無い者には聞くのも辛いであろう。
無理に見物に来る必要も無いだろうから、他の趣味で時を過ごすがいい。
強制はせぬ。

>103
その娘は、我輩の時代から七百年以上後の西夷で活躍した者であるな。
神の言葉を武器に戦い、祖国を有利な立場に導いたが、敵に捕われ、
処刑されたと聞くが、我輩は疑問に思っておった。
貴族でもなければ武将の出身でもない一介の少女が、軍を率いた最初から
大功を上げるなど、古の韓信でもありえぬ話じゃ。
存在は確かであろうが、後世で半ば伝説化、もしくは加筆された事柄が
多分に含まれると思うがな。
それに、その少女が現れなくても両国で適当な時期で和平に持ち込まれ
戦争が終結したと推測する。
しかし、うら若き少女が戦場に立つ話は東西を問わす民衆に受けるのだな。
110来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/24 20:58
>104
103で挙げた少女か活躍した時代の西夷で主流を占めていた宗教
では異端と断定した者。すなわち魔女と称される存在は規定に
より全て火刑と定めたと聞く。
敵国に捕われ、宗教裁判に掛けられた先の少女が、この死刑に
なったのもそれであろう。
ちなみに、火刑はそれほどの酷刑ではない。燃やすのに使う藁
束の煙で窒息死するそうだ。

>105
難しい質問であるな。確かに武則天陛下が最大の女傑であるのは
古今の史家の認める所だが、それに次ぐ存在となると、ちと考え
ざるを得ぬな。
有名な所では清の末期、国政を牛耳った慈禧皇太后(西太后)だ
が、あれは目先の利益に捕われ国家を滅亡に追いやった愚かしい
女にすぎぬ。
我輩の私見では、前漢の高祖劉邦の妻、呂后がかろうじて陛下の
後に並ぶ者と考える。多少の粛清や残虐話が伝わっておるが、秦
末漢初の動乱で疲弊した民衆に休養期間を取らせ、文帝・景帝の
最盛期の基礎を築いた功績は大きい。
尤も、自分の死後に一族を滅ぼされたと言うおまけがつくがな。

>106
三国の孫呉で活躍した者か。
前任者の周瑜同様、呉による天下統一を最終目標にしていたそう
だが、劉備との協調路線を選び、その関係で苦労したと聞く。
万一、その者が長く生きて呉の主導権を取っていたなら、蜀と共
同で何度か大規模な戦争を曹魏に仕掛けたかも知れぬが後々任の
陸遜(呂蒙は短期間)が君たちで言う所の専守防衛を選んだため
呉が中原に鹿を追う事は無かった。
一個人の死が後の歴史に影響を及ぼす例の一つだな。
尚、強いかどうかだが、剣術を好んだと言う記述があるのみだ。
111来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/24 21:00
>107
ん?78が挙げた西夷の女か。金色の髪とは珍奇であるが、ここが
どのような場と知っていて来たのか。
蔡京殿が申されるように、一時の情欲で自らの立場を誤り犬死し
た貴様など、我輩らの前に立つ事すら出来ぬわ。
本来なら酷刑に処する所なれど、流血を好まぬ者も多いであろう
から、ここは見逃してやるので、尻を見せながら立ち去るがいい。
者ども!こ奴を縛り上げ、西域の砂漠にでも放り出せ!

>108
君の言うように、常法ならそうするのだが、諸君らの出入りする
神聖なこの場を鮮血で穢すのは憚りがある。
処刑を好む者もいれば、それに反する者もまたしかりだ。
我輩の言葉らしくないかも知れぬが、理解して欲しい。

では、本日はこれにて閉廷とする。
112以上、自作自演でした。:03/08/24 22:08
昔、喝!とか言ってませんでしたか?
113以上、自作自演でした。:03/08/25 17:20
日々、何を心掛けていますか?
114廃帝子業:03/08/26 05:58
103で挙がったジャンヌダルクの肖像画です。

ttp://hanzou3.hp.infoseek.co.jp/kiriban/hanajan.html
宰相と丞相ってどう違うの?
116以上、自作自演でした。:03/08/26 22:49
最近何か面白い本読んだ?
117来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/26 23:48
連日の酷暑で疲れがたまった者も多いであろう。だが、それに負けず
自らの役割を果たすが良い。

>112
うむ。罪囚を訊問する際に良く発する言葉だな。
酷吏として名の知られた我輩の一喝に怯えぬ者など、そうはおらぬ。
他の者でも使う機会は多いだろうな。

>113
我輩を憎む敵に付け入られぬよう、何事においても慎重に進めておる。
何時、どこに敵の回し者が潜んでいるかも知れぬからな。
我輩自身、めぼしい高官の側に使用人や奴僕の立場で配下を潜ませて
いるから余計、気をつけねばならん。
118来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/26 23:53
>114 廃帝子業
う?劉宋(西暦420年〜479年 江南六朝の一つ)の皇帝である
貴様が何故、そのような絵をわざわざ持ってきたのだ。
まあ良い。見てみるか。

………うむ、見目麗しい娘だが、西夷の者に見えぬな。どちら
かと言えば、我ら漢族か日本人に似ておる。髪が黒いからそう
見えるのか。緑の瞳と言うのもまた珍しい。
で、貴様に二つ聞きたい。この娘は何故下半身が無防備なのだ?
それと、どこでこのような絵を手に入れた?国家の財貨を私物
化した貴様の事ゆえ大金をはたいて買ったと考えるが。
まあ、中華の絵の技法と大きく異なるので、客用にどこか飾っ
ておくのも悪くないか。

>115
宰相とは、国王や皇帝を補佐。或は国の頂点に位置し国政をつ
かさどる者の総称だ。
古くは春秋戦国、そして君らの世界まで東西を問わず広く使わ
れている。
それに対して丞相とは秦が創設した官位の最高位の一つで文武
百官を統括する立場である。
君らで有名な所なら、諸葛亮や赤壁の戦い前後の曹操がそれに
当る。
尚、丞相は漢の時代より何度か名称を変えて存続したが、明の
太祖朱元璋によって正式に廃止された。
我輩の時代では門下平章事という名で存在し、同時に何人かを
置いていたな。一人に権力が集中するのを防ぐためだったが、
我輩もその端に加わりたかったものだった。
・・空しい希望であったが。
119来俊臣 ◆rbseVr1Ek2 :03/08/26 23:55
>116
書物か。やはり実利的な面を考え、歴史書であるな。
日常の行動から、処世術まで参考になるし、我輩ら役人
には必須の書だ。
抜擢されるまで無学だった我輩は、寸暇を見つけては読
書に励んだものだが読み慣れていく内に惹かれていったわ。
今から考えると、書に無縁だった青年期が残念でならぬ。

では、本日はこれにて終廷。皆も休むが良い。
120以上、自作自演でした。:03/08/27 15:21
毎日死刑判決ご苦労様です。
ところで、主にどういう連中を扱っているんですか?
121以上、自作自演でした。:03/08/28 09:14
四書五経はそらんじて当たり前ですか?
122蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/28 09:46
しばらくである。早速質問等に答えて参ろう。

>83-84(美談)
物の道理を分かたぬ民衆にしてみれば、そのような逸話も美談に映るのであろうな。
大局的に見れば、自らの食糧を兵卒に振る舞い、妻妾を煮て食卓に供する行為に、
いかほどの意味があるか?それで結果的に勝利を得ることが出来たならば美談として
彼の経歴を彩る材料にもなり得ようが、敗北したのであれば罪一等を減じるだけの
理由にすらならぬ。美談どころか滑稽な話だ。

>85(賄賂好き?)
宋代の官僚の俸給は中国史上最も厚く、まして私は実入りの良い地方官を長く経験
しておるから、金銭に事欠いたりはせぬ。従って私に賄賂を贈るならば、骨董や書画
などの美術品が有効である、と申しておこう。特に好むのは書である。私自身も
令名高い書家ゆえに、これらの蒐集には心血を注いでおるのでな。
・・・これでは質問の答えになっておらぬな。嫌いではないという程度じゃ。他の者に
比して私だけが特別、賄賂の類に貪欲であるとは思えぬ。

>90(花木蘭に実際に会ったらグーでパンチですか?)
ほう、男装して従軍し武勲を挙げた少女のことであるか。結構なことではないか。
私としては、役に立つ者であれば女であろうと宦者であろうと拘りはせぬよ。
官職を与えるのは不可能じゃが、諸将の私的に召抱えた兵卒とすれば問題は無い。
まして武運尽き戦死を遂げたとて、小娘一人の命など軽いものよ。
私にとっては痛くも痒くもないわ。
123蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/28 09:54
>94(王安石・徽宗は嫌いか?)
王安石の、周りと全く妥協せず協調性の欠片も無い所は苦々しく思っていた。
そして結局は反対勢力との戦いに疲労困憊し、自ら官を辞して隠遁生活に入った事もな。
そのおかげで、彼の姻戚であった私は反主流派として苦労する羽目になったのでな。
徽宗については・・・胸中複雑で、とても一言では語れぬ。

>95(文字絵)
ほう。来と私が、何やら楽しげに語らっておるな。だが、私が唐代に生まれておれば
宰相にまで登ることは不可能であったろうし(私は福建の名族の出ではあるが、天下に
冠たる家柄というわけではない。従って唐代の貴族社会での出世は困難じゃ)、北宋に
おいては来のような酷吏の居場所は無い。
したがってこのような光景は現実にはなかなか想像しがたいものと言えよう。

>96(やたら博識な来ちゃん蔡ちゃんに萌え〜)
別に構わぬが、先程から馴れ馴れしい態度の者が多いな。
だが、博識と思って貰えるなら嬉しいことじゃ。
来も私も、大望の為の努力は惜しまぬ性質であるからの。

>97(尤渾 って 誰?)
殷の紂王に仕えた者と聞く。紂王と申せば暴君の代名詞であるが、その殆どが
誇張されたものであると考えるが自然である。殷を打倒した周を賛美する為に、
紂王は暴虐非道の君主とされねばならぬでな。従って史書にいう尤渾なる者の
事績も正確であるかどうかは極めて怪しいものじゃ。

>100 来
>禅譲にて皇帝位をいただく事
禅譲か・・・。それはかなり無理のある野望であったな。
後ろ盾となる兵力があれば格別、貴様は中央の文官であるからの。
しかし貴様は昇進が早かったゆえ、長命であれば新たな展開があったやもしれぬな。
どちらにせよ、武后から直接禅譲を受けるのではなく、間に一人や二人挟むのが
適当かもしれぬ。
124蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/08/28 10:07
>102(ガクガクブルブル)
残忍な光景は嫌いかね?私もまあそれほど好かぬな。宋代においては血生臭い
粛清の類は殆ど見られぬのでな。北宋の派閥抗争に酷吏群が絡んでおれば、
それはそれは凄惨なものになっておったであろうが。

>103(ジャンヌダルクはどうです?フランスの聖女)
ふむ。関連する書物を取り寄せ読んでみたが、聖女と申すにはあまりに無様な
最期じゃな。捕らわれたジャンヌとやらを、国王が救出しようとせなんだのは、
身代金を惜しんだ為であろう?英国に引き渡された後ならばともかく、
ブルゴーニュ侯なる者の捕虜になった時点では、身柄を交換するに支障は
なかった筈じゃ。つまりは捨て駒。私の感想はそんなところだ。

>104(神の名を騙る魔女は火あぶりじゃ)
まったく西洋の蛮族どもの不寛容さには呆れたものよ。
しかしジャンヌとやらはその後、宗教裁判の再審により名誉を回復して
おるではないか。程度の低い茶番だな。

>105(武后に次ぐ女傑)
武后に加え、前漢の呂后、清末の慈禧太后をして中華の三大女傑と申す事が多いな。
このうち慈禧太后は他の二者に比べ、格段に見劣りする。巷間で語られるほどの実権は
有していなかったと考えられるでな。しかし呂后を挙げると、来と全く同じ答えになり、
いささか興を欠く。そこで強引ながら、西晋恵帝の皇后賈氏を挙げてみたい。
西晋八王の乱を惹き起こし、その後数百年に渡る華北の動乱を招いた愚かな女だが、
負の事跡を残した者もまた傑物とは言えまいか?私個人としては、後漢の女流学者、
班昭なども評価したいところじゃが、どうにも地味すぎる感があるでな。


今回はこれまでとしよう。
125来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/08/28 19:55
ここも蔡京殿と諸君らのおかげで百を越えた。今までどおりよろしく頼む。
我輩もこれを機会にトリップを代えてみた。

>120
うむ。我輩が担当する罪囚は、主に政治犯が多い。
上は大臣貴顕と高い身分の者から、下はそれらの使用人・奴僕に
わたっておる。
我輩が直接訊問するのは前者の連中だ。大半が中高年、もしくは老人
なので、激しい訊問に耐えられぬものが少なくない。
自白させる前に死なれては責任問題になりかねぬので、経験豊富な我輩
が担当しておるのだ。

>121
いや、我輩は一度読んだだけだ。そらんじる以前に大半を暗記しておらぬ。
我輩が処刑した重臣や役人の中には、重箱の隅をつつくかのように、一言
一句も欠かさず述べるのも多かったが、自らの身一つ守れぬ愚昧の輩が幾
ら教養をひけらかしても何にもならぬわ。
つまり、四書五経を含めた諸書を実用できるかどうかだ。
本に読まれる人間は哀れな存在に過ぎぬ。
126以上、自作自演でした。:03/08/28 21:10
董卓は英雄ですか?
127以上、自作自演でした。:03/08/30 17:07
三国志の質問が続いて恐縮ですが、諸葛亮孔明についての評価を
お願いします。
128以上、自作自演でした。:03/08/30 17:57
仕えるなら明晰な帝と愚昧な帝どちらがいいですか?
時は皆さんの事情に関わらず、無情に流れ行く。
これに抗うか。それとも従いますか?
130以上、自作自演でした。:03/08/31 20:19
好きな音楽はあるかね?
131来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/08/31 21:57
暦では季節の変わる時期であるが、諸君らは再び本職に戻る事であろう。
我輩も何日かの賜暇の後は些か辛かったが直に慣れるものだ。

>126
董卓か。後漢末期の群雄割拠の幕を開いた男であるな。
洛陽を焼き払い、数多くの廷臣を殺したりと暴虐話に事欠かぬようだが、
英雄となるとどうであろうな。
黄巾の乱討伐でも敗戦を重ねておるし、中央の権力を握ったのも、何進
の不用意な呼び寄せの結果とも言える。
若い頃の逸話から武人肌であっただろうが将帥や覇者には程遠い器量だな。
たまたま時の利に恵まれたが、己の力量を越えたがために家臣に殺された。
それだけの存在に過ぎぬのだろう。

>127
いや、別に構わぬ。諸君らの間で三国の時代が話題になりやすいのは我輩
も存じておるからな。
さて、諸葛亮だが、やはり優秀な宰相という評価は否定できぬ。特に劉備
崩御の後の蜀漢は諸葛亮個人に大きく依存していた。皇帝が若年の上暗愚
だから当然だろうが、諸制度も整っておらぬ蜀漢ではやむを得ぬのだろう。
軍事面については三国志を記した陳寿が否定的な見方をしているが、蜀漢
の少ない動員兵力と生産力で、あらゆる面で圧倒する曹魏と互角に戦った
のは諸葛亮の指揮と軍律重視等の軍事面での功績が大きい。
少し後に遼東の反乱を寡兵で討伐した司馬懿(西晋宣帝)が諸葛亮に勝る
大軍を有しながら正面衝突を避けたのが何よりの理由であろう。
尤も、曹魏内の立場が微妙だった司馬懿が自分の存在を認めさせるために
あえて諸葛亮を討たなかったという少々捻くれた見方もあるがな。
我輩の結論だが、古今稀とは言わぬが、名臣と呼ぶに値する者だろう。
132来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/08/31 22:00
>128
我輩なら愚昧な帝の方を選ぶ。皇帝が暗愚な分、我ら臣が直接
政治を担当せねばならぬから才能あると自負する者にとっては
絶好の働き場であろう。
それと、これは本音だがいざと言う時簒奪を図りやすいという
利点もあるしな。
我輩が仕えた武則天皇帝陛下は畏れ多き事ながら、明敏すぎて
些か恐ろしい方であった。謁見を賜った際も歳に似合わぬ若々
しさと何とも言えない威厳に満ち、修羅場を潜り抜けてきた我
輩ですら緊張で汗を流す事も少なくなかったわ。

>129
我輩は既に幽冥境を漂う身だ。時がどう過ぎようと気に解さぬ。
だが、生ある時代では、如何にして貧困や命の危険をもたらし
てきた時を恨み、それに抗って諸君らも存じておるように高い
地位に上がってきたのだ。
よく、時に利あらずと嘆息する者がおるが、それは単なる自分を
慰める言葉に過ぎん。
蟷螂の斧と罵られようと、時を敵とするほどの気持ちで動かねば
ならぬ事もあるのだ。
133来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/08/31 22:01
>130
特に限定した楽曲は無いが、聞いてて明るくなるような調子の
曲を好んでおる。
自邸にて時を過ごす際には、家妓などに演奏させ耳を傾けてい
たが、その中では西域や突厥(唐代、北方に存在していた遊牧
民族)の曲が良かったのを覚えておる。
聞く所によると、君らの間でも他国の音楽が好まれているそう
だが、我輩らの時代でも同様の流行があったのだよ。

では、本日はこれにて閉廷と致す。
134以上、自作自演でした。:03/09/01 13:56
漢の名将、韓信についてどう思います?
135以上、自作自演でした。:03/09/01 21:55
新しい刑具を開発しましょう!
136以上、自作自演でした。:03/09/02 05:13


襲来
近現代においてあなが自分と同じ臭いを感じる人物はいますか?
私的には旧ソ連のベリヤとかが、いい味だしていると思うんですが。
138来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/02 23:52
このような時刻ですまぬが、開廷と致す。

>134
韓信か。前漢の高祖の天下取りに大きく貢献した武将であるな。
我輩の時代は愚か、諸君らにまで名が広く伝わっておるが、その
軍事的才能・功績は我輩ですら大いに認める所である。
でが、我輩はこの者がどこで専門的な軍事知識を得たかを疑問に
思っていた。貧乏で他人の施しを受けていた男が師に学ぶなど論
外であるし、兵法書(当時は木簡)を購入する事も困難であった
はずだ。仮に天賦の才だとしたら百年に一人の鬼才と言える。
我輩が思うに、才能も多分にあっただろうが、項羽軍にいた頃に
実地経験から吸収したと推測する。
晩年、処刑されたのは斉王任命を懇願した時からの、高祖劉邦へ
与え続けた不快感が溜まった結果だ。
自分への疑惑に気付き、それ相応に処世を考えれば生を全う出来
たかも知れぬが、それが出来ぬ所、巨大すぎた自己の才能ゆえ身
を滅ぼした。ある意味、天才と凡人が同居していた奇妙な存在と
言えなくも無い。

>135
そうであるな。従来の刑具から離れた物を造るのも悪くない。
とりあえず、見せしめに使う酷刑用と、一度に複数もしくは短時
間で処刑できる二種類が考えられるが、君はどれを考えていたの
かな?
まあ、この場で使う事も無い故、急ぐ事もあるまい。良く薦めて
くれた。
139来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/02 23:54
>136
何者であれ、奸賊と称せられる者がここに来るのは我輩らの
多いに喜びとする所である。
そのような漠然とした名ではなく、実名を名乗れば良いもの
をあえてそうせぬとは意外に謙虚なのであろう。
しかし謙虚な奸賊というのは何か矛盾していると感じるのは
我輩だけか?

>137
その者ははるか北西の国で審案や民衆の監視を担当した部署
の長であるな。名は存じておる。
我輩と同様、国の頂点にある方から抜擢を受け活躍したそう
だが、何でも、その上の者の死後に政敵に陥れられ処刑され
たと聞くが、そこまで我輩に類似していると、さすがに同情
めいた感情を覚えるな。
国には表沙汰に出来ぬ役目もあるが、それを引き受ける一種
の汚れ役も必要なのだ。
大っぴらに評価出来ぬかも知れぬが、せめて花一輪手向けた
いものよ。

では、本日はこれまで。皆も大儀であった。
140以上、自作自演でした。:03/09/04 13:02
皆さんの時代の朝鮮はどんな風でした?
諸葛亮は韓国人ニダ
142蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/05 01:07
長く留守にしてしまったな・・・。今から返答するゆえ、しばし待たれよ。
全てに答えるのは無理やもしれぬが、最善を尽くそう。

>106(魯粛ってつおい?)
有力な豪族の出身であったと推察されるゆえ、武より文を能くした事は疑いなかろう。
孫呉の豪族連合政権的性格からして、一定の発言力は有していたであろうが、
夭折した者ゆえ詳しい事績については何とも言えぬ。

>107 オスカル・フランソワ・ジャルジェ
黙れ、痴れ者が。そもそも逆臣とはむしろ貴様の方ではないか。
禁軍の士官でありながら国王を裏切り、反徒に与する事はまさに謀反じゃ。
また、貴様が個人的に寵を受けておった王妃も、後に斬首されたと聞く。
刑場に向かう際、さぞ貴様を恨んだことであろうな。恥を知るが良いわ小娘。

>108(107は公開死刑ですか?)
御史中丞来俊臣の名において、死一等を減ずるとの裁決が下ったようじゃ。
御史台や刑部の細かい方針についてまで、私が口を挟む事ではないのでな。

>112(昔、喝!とか言ってませんでしたか?)
私は申しておらん。声の大きさに頼んで他人を恫喝したりはせんよ。
宰相に求められるのは、事に当たって常に冷静であることなのでな。

>113(日々、何を心掛けていますか?)
弾劾の口実となるような失策をしないことだな。人間関係に気を配り、
失言などせぬよう心がけることで地位を保全し、権勢を愉しむ。
また、健康にも日々留意しておる。病に倒れては元も子もないでな。
143蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/05 01:10
>114(103で挙がったジャンヌダルクの肖像画です)
ほほう。絵画を持参したのか。見せてみよ。
・・・ふむ。輪郭を強調した力強い描写は北宗画に似るのう。
しかし色使いがあまりに毒々しい。これでは目が疲れる。
それに剣をこちらに向けた娘というのは、題材としていかにも風雅を欠くな。

>115(宰相と丞相ってどう違うの?)
宰相とは、民政を統括する主席大臣一般を指す言葉だ。従ってそのような官職が
公式に存在する訳ではない。これに対し、丞相とは正式の官職であり、詳細は>118で
来が解説しておる通りだ。つまり丞相というのも宰相の一種ということになるな。
どのような地位にある者が宰相と呼ばれるかは様々であるが、宋代では門下侍郎など、
明代では内閣大学士の筆頭者、清代では軍機大臣や直隷総督であり、これらを
いちいち表記するのは面倒じゃ。正式な官職で呼ばれず「宰相」と称されるのは、
おそらくそのような理由ではあるまいか。なお宰相と一口に言っても、唐代以前と
宋代以後ではかなり朝廷における位置づけが異なるのだが、長くなるので次の機会にしよう。

>116(最近何か面白い本読んだ?)
ふむ。『羅織経(らしきけい)』なる書物を読んだ。唐代の作であるな。
罪人を取り調べる極意や、冤罪を捏造する手法などが事細かに記されておる。
編者は来俊臣および万国俊と伝えられておる・・・。

>120(主にどういう連中を扱っているんですか?)
これは私宛ではないようだ。まあ、来も申しておる通り政治犯が多いのであろう。
そもそも御史台は官吏の不正を監察する役所であるからな。
民事犯は刑部の管轄じゃ。あくまでも原則に過ぎぬが。
144蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/05 01:13
>121(四書五経はそらんじて当たり前ですか?)
四書五経をそらんじられねば、科挙に及第することはできぬのだ。
私も物心ついた時より、一字一句暗記させられた。まさに苦行じゃ。
しかし一たび進士となれば、四書五経の内容など実務に役立たぬのでな。
忘れてしまった部分も多いのは無理からぬことよ。

>126(董卓は英雄ですか?)
暴虐の徒として悪名高いが、董の行動にはそれなりの計算があったように思う。
少帝を廃したのは、己の権威を誇示するためであったろう。劉協(献帝)を
擁立したのは、背後に有力な外戚が存在しなかったからであろう。
長安へ遷都したのは、董の本拠地である隴西により近かったからであろうな。
それに伴い洛陽を廃墟にしたのは、焦土作戦の意味合いもあったかもしれぬし、
部下の将兵に略奪を許す為であったかもしれん。あるいは何か偶発的な事情に
よるものかもしれんがな。しかし全体として勘案すれば、いかにも長期的視野を
欠いた行動であるといえよう。天下に覇を唱えるならば人臣の怨嗟を招くような
ことは慎むべきじゃ。いずれにせよ、配下の将に殺害されるという最期を遂げた為、
必要以上に悪く書かれている節はあるが、結果を出せなかった以上、到底英雄とは
言えまいよ。これは何も董に限らず、曹操らも同様じゃ。

>127(諸葛亮孔明についての評価)
出師の表などを見るに、文章家としての才能は認められよう。しかし、それだけだ。
蜀漢自体が歴史的に無意味な政権であるし、諸葛孔明もまた政治的実績なき者だ。
強いて言えば西南夷の討伐による南方の開発事業が挙げられるが、これとて
曹魏の屯田制や孫呉の江南開発に比べれば、無意味に近い卑小なものよ。
私が蜀漢で評価するのは、平和的に国を明け渡した後主禅くらいのものだ。
145蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/05 01:18
>128(仕えるなら明晰な帝と愚昧な帝どちらがいいですか?)
明晰な天子に仕えるならば、私はその手足としての役割を満足できよう。
私は実務家として有能ゆえ、いかなる命令でも遺漏なく遂行する自信がある。
愚昧な天子であれば、やはりその意のままに奉職するのみだ。
要するにどんな天子であろうとも、私の能力があれば宰相は務まるし、
明晰なら明晰で、暗愚なら暗愚で一長一短があるゆえ、どちらが良いとは言えぬな。

>129(これに抗うか。それとも従いますか?)
つまり儒家的な価値観と、道家的な価値観のどちらを重視するかと?
なれば前者だ。無為無策であれば私は宰相にまで登れなかったでな。

>130(好きな音楽はあるかね?)
音楽は私の得意分野の一つだ。伝統的な雅楽から庶民の流行まで大抵の物は好む。
宋代を代表する音楽は「詞」と申す韻文の歌曲だ。初期には庶民の文化という趣で
あったが、周邦彦という者が出て詞を体系化し歴史的文化にまで高めた。
その周を見出し朝廷に推挙したのは、何を隠そうこの私だ。
そのおかげで詞は雅楽と並ぶ地位を確立できたのだから、私の功績は大きい。


ふむ。今宵はここまでに致す。
次はあまり日をおかず来るゆえ、なんなりと質問を記しておくがよかろう。
ではまたな。
お二人共レスが濃いですな。質問しがいがあります。

少しマニアックですが、六朝梁の武帝について教えて下さい。
147以上、自作自演でした。:03/09/05 09:45
始皇帝はどうですか?
この前痴漢被害に遭いました
あのサラリーマンを宮刑にして下さい
149蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/05 16:14
>134(漢の名将、韓信についてどう思います?)
軍事的才能に関してはほぼ疑いないな。韓の力なくば前漢高祖の覇業は、
成しえなかったであろう。それゆえに漢の天下が到来した後、その才を危険視され
粛清の対象となったのは理解に易いが、果たして冤罪であったかは疑問だ。
韓は高祖子飼いの臣ではないし、並々ならぬ野心家であった。
『史記』にある通り、陳豨の挙兵に呼応して長安を衝く計画ではなかったか?
あまりに杜撰かつ無謀ではあるが、韓は一軍の将として有能なのであり、
政治的謀略に長けていたとは思えぬし、楚王から淮陰侯へ降格されたことは
叛意を抱くに足る屈辱的人事であった。あくまで私見だがな。

>135(新しい刑具を開発しましょう!)
今用いておる刑具では用を為さぬと申すか?
なれば具体的に問題点を列挙し、開発試案など沿えて、然るべき筋に上申いたせ。

>136(奸賊襲来)
ほう。新しき同士が現れるか?悪臣奸臣なれば古今東西を問わず門戸を
開いておるゆえ遠慮することなく参るが良かろう。
来や私のような長文を書き連ねることは強制せぬし、日参せずとも良い。

>137(近現代においてあなたが自分と同じ臭いを感じる人物はいますか?)
あまり思いつかぬな。実務を能くし、なおかつ芸術面にも優れた才を持つ政治家など、
近現代において存在するであろうか。知っておれば是非紹介して欲しいものだ。

>140(皆さんの時代の朝鮮はどんな風でした?)
北宋期の朝鮮半島は高麗によって統一されていた。仏教文化が栄え、陶磁器の
製作技術なども進んでおったと聞く。白磁に鉄絵で草花、山水、魚鳥などを描いた
『絵高麗』が私にも何点か献上されたが、なかなか美しく、気に入っておる。
北宋の滅亡と前後して女真族の金国に服従したようだな。
150蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/05 16:17
>141(諸葛亮は韓国人ニダ)
諸葛亮は瑯邪の出身であろう?瑯邪と申せば現在の山東省あたりになるが、
まさか朝鮮半島から海を渡り、山東半島を越えて瑯邪に辿り着いたとでも言いたいのかね?
・・・無茶苦茶な推測だな。少なくとも私はそのような説を耳にしたことはない。

>146(少しマニアックですが、六朝梁の武帝について教えて下さい)
楽しんでもらえておるようだな。まこと嬉しい限りじゃ。
貴公らの期待を裏切らぬよう、これからも努力して参る所存である。
武帝は名を蕭衍(しょうえん)といい、六朝の第四王朝、南斉を簒奪して梁(502-557)を
建国した者である。ところで南斉の国姓も『蕭』であり、蕭衍もその一族であった。
従って新王朝を興さず、南斉の皇帝を称しても特に不都合はなかったが、
敢えて『梁』という国号を定めて初代皇帝となったのは、おそらく仕切り直しの意図であったろう。
一般に六朝の歴史というのは殺伐としておって、特に南斉は暴君暗君を数多く輩出し、
あまりに人臣の評判が悪かったのでな。蕭衍は在位50年近くに及び、六朝随一の明君と
称されるが、これは比較の問題じゃな。他の皇帝があまりにも悪すぎたのだ。
特に晩年は仏教に傾倒し、突然出家を敢行したりという奇行も見られた。
とは言え、この武帝期は南朝において唯一と言って良い安寧の時代であり、
その点は大いに評価して良いだろう。しかし武帝は謀反によって倒れ、梁は実質的に
彼一代の王朝であるのだが、その滅亡についての顛末はまたの機会に語るとしよう。
151蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/05 16:19
>147(始皇帝はどうですか?)
うむ。今度はいきなり大物であるな。実はそちらの方が評価するのは難しいのだ。
さて始皇と申せば暴君の代名詞のように語られるが、これは正解と言えば正解であるし、
誤りと言えば誤りである。その思想弾圧政策が暴君説の根拠にされることが多いが、
これは正しくない見解じゃ。焚書坑儒により民間にある儒教および諸子百家の書を、
没収し焼き捨てたのは事実であろうが、史書や医薬、占卜、農業関連の書は除外して
おるし、朝廷に所蔵された古典類はそのままに保存しておる。学問全てを一律に
否定したわけではないのじゃ。むしろ中国統一前の秦で行われていた、法家思想に基づく
封建制の否定───すなわち郡県制を柱とした中央集権と法律至上主義をいきなり
中国全土に敷衍した性急さこそが、始皇の失策と言えよう。だがそれは失策であると同時に
偉大な功績でもある。唯一人の皇帝が中央集権的に全国を統治するという、中華帝国
二千年の雛形はここから生まれたのだからな。これ以降の王朝がすべて封建制を廃し、
秦制にならって中央集権を志向したのは、この制度が合理的であったからに他ならない。
始皇が生まれた頃、既に秦は戦国諸国の中で最強であり、統一事業は時流に乗っただけ
という穿った見方も可能ではあるが、やはり彼なくして中華の歴史は語れまい。

>148(あのサラリーマンを宮刑にして下さい)
戯れに女の尻や胸を触ったくらいのことで、処罰などできぬ。あきらめよ。
諸君らの生きる時代とは価値観が違うのだ。
もっとも被害者が貴人であったならば不敬罪の余地もあろうがな。
どうしても許せぬというならば、来に賄賂でも贈って頼んでみるが良かろう。


ふむ。ようやく私も追いついたようだ。
ではまたな、諸君。
152趙匡胤:03/09/05 20:05
ええい、あの芸術馬鹿にせめて朕の半分程度でも気力があれば、
貴様ごとき小物にでかい顔させずに済むものを!!
>>149
>蔡京閣下
>あまり思いつかぬな。実務を能くし、なおかつ芸術面にも優れた才を持つ政治家

そうですね、祖国の命運を賭けた大戦争を勝利に導いた
英国宰相のチャーチル氏などはいかがでしょう?
日曜画家としても有名なお人ですし、文筆家としてもノーベル文学賞を受賞してしまうほどの
お方ですし。

もっとも閣下とは随分と人柄・実績ともに異なるような気もしますが・・・
さらっとしか読んでないけど、スゴイキャラハンスキルだね。
武則天って言うのと則天武后って言うのと、どっちが正しいの?
156蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/06 19:09
>152 太祖匡胤
これはこれは。太祖皇帝陛下ではございませんか。
仰せの通り徽宗は不徳の帝王にて、まさに“芸術馬鹿”と呼ぶに相応しいと存じまする。
本来ならば、臣(わたくし)の才をもってすれば国家の財政を立て直し、華北を女真ごときに
奪われる屈辱を回避できたこと疑いござりませぬが、残念ながら徽宗は臣を金集めの道具
としてしか使いこなし得なかったのでございます。臣にとって大変不幸なことでありました。
おかげで北宋滅亡の首魁として後世の史家から面罵され、『宋史』において賈似道の如き
佞臣と同列に扱われるとは痛恨の極みでございます。臣が陛下の生きられた時代に生を
受けておれば、大業に力をお貸しし、大宋三百年の礎を共に築き上げたでありましょうな。

>153(英国宰相のチャーチル氏などはいかがでしょう?)
確かにこの男の過激な個性がなければ、英国は戦勝国とはなり得なかったろう。
民衆を扇動し、徹底抗戦を唱えるというのも戦略の一つであろうし、現に結果を出して
おるゆえ、それは評価して然るべきかもしれぬが、戦勝国となった功績を彼奴に帰する
ならば、対外領土を失した英国が二流の国家に転落した責も当然に負うべきであろう。
時流に抗う術を見出せなかったこともまた支配者の罪である。国王が飾りに過ぎぬならば
宰相が全ての責任を負うのは当然のことであり、未だ彼奴が高い人気を誇るのは
甚だ不合理なことであると私は考える。芸術面における実績では一定の評価を下しても
良いが、王羲之、王献之と比せられる書家であり、詩家、文章家としても世界史上に
名を留める私とは、器があまりに違いすぎて比較の対象にもならぬわ。
157蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/06 19:12
>154(さらっとしか読んでないけど、スゴイキャラハンスキルだね)
そうか。我々の技量が評価されるのは光栄である。礼を申そう。
私が行う人物評価は批判的なものが多く、不快に思う諸君も多いやも知れぬが、
最後まで付き合ってもらえれば幸いである。

>155(武則天って言うのと則天武后って言うのと、どっちが正しいの?)
謀反に倒れた武后は廃帝であり、その没後も皇帝としてではなく、高宗の皇后として
埋葬されておる。そのため『旧唐書』『新唐書』ともに武后を皇帝とは認めておらぬ。
この観点から言えば、則天武后もしくは則天皇后と呼ぶが正しいと言えよう。
しかし武后が帝位を称したのは厳然たる事実であり、彼女の実績を評価する者は
武則天あるいは則天皇帝と呼んだりもする。まあ、どちらがより正しいかというのは
あまり意味のない事だ。要は好みの問題じゃな。ちなみに帝位にありながら、死後
皇帝として扱われなかった者は中国史上大勢おるので、武后のみが不当な扱いを
されておるという訳ではない。


今日はこれだけだな。また会おう。
馮道についてどう思いますか?
159来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/06 20:52
日を空けて我輩も些か遅れを取ったわ。

>140
我輩の時代では唐・武周であるな。
唐代初期では、高句麗・百済・新羅の三国が存在し覇を競っておったが、
高宗期の高句麗遠征と、その余波を受けての百済への日本援兵の結果、
前記の両国が滅亡し新羅による朝鮮半島統一がなされた。旧高句麗は安
東都護府の統治下におかれたが、尚も現地の抵抗がやまず、一部を辺境
に配属して防いだそうだ。

>141
荒唐無稽な説であるな。諸葛亮の出生等から考えても、そのような答え
は出ぬ。
著名な人物を自分らと同一視する思想があるのは存じておるが、信憑性
が無くては妄言として片付けられるだけだな。
160来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/06 20:54
>146
我輩らには過ぎた言葉であるな。今後も諸君らの質問に答えて
ゆくが、なるべく読みやすい簡略な文を心掛けたいものだ。
さて、梁の武帝だが既に蔡京殿が回答されている通りだ。
前朝である斉の皇族ながら廃帝(蕭宝巻)に兄を殺されて挙兵
し、簒奪に到った。
六朝では貴族官僚と軍人上がりの皇帝との間で権力闘争が絶え
ず行われていたが、それを中断させ寛容な政治を実行したため
長期の在位を誇ったが、華北からの亡命者である侯景の反乱に
より、一気に衰亡の道を辿った。軍事面での大きな欠陥があっ
たという事だろう。
武帝の仏教信仰については後に南朝四百八十寺と称されるほど
の仏教文化を生んだが、やはり溺れすぎたと評するしかない。

>147
やはり長らく分裂していた中華を統一し、諸君らの時代で言う
「中国」の原型を生み出した功績は大きい。
単位・通貸等を統一し、大幅な中央集権を図ったのは後の世の
王朝に大きな影響を与えたが性急ゆえ反感を生み、始皇帝死後、
短期間にして滅亡に到った。
功罪相半ばする評価であるが、やはり中華の歴史上欠かせぬ存
在であるのは代わりない。
161来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/06 20:56
>148
うむ。女性にとって、そうした性的な被害は軽くない。
だが過失かも知れぬし、仮に故意にしたとしても宮刑のような
重罰を課す事は憚られるな。相手が特定できているなら、双方
で和解にこじつけるか相応の罰金で済ませるのが常法であろう。

>152 北宋太祖陛下
北宋の太祖でありますな。蔡京殿から伺っておりますが、かの
お方を小物呼ばわりとはちと語弊があるのでは?
仮に蔡京殿が陛下と同じ五代末期に生を受けておられれば、陛
下の右腕と称される趙普に劣らぬ才を発揮され北宋の発展に大
きく貢献したと考えますが如何ですかな?

>153
その者は確か第一次・第二次大戦で英国において重要な地位に
あり戦争勝利に貢献したそうだが、経歴を見た所、戦時にのみ
優遇され平時では敬遠されておった。
学才と実務の才を兼ねられる蔡京殿とは、ちと立場も異なると
考えるがな。
それに、その者は功績を誇りながら戦勝年の選挙で敗れたと言
うではないか。英国の国民も冷静に見ていたと言えるな。
162来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/06 20:58
>154
そう見てくれると嬉しいが、少なくとも我輩はまだ非才の身だ。
まだまだ改めなくてはならぬ事も多いだろう。それに我輩は悪臣と
自称する身ゆえ、読んでて不快感を催す文もあるだろう。
それらに目をつぶってそのような評価をくれると言うなら有難いが、
もし気についた箇所があれば遠慮無く申してくれ。

>155
我輩は武則天陛下と呼んでおるが、帝位を廃された陛下を皇帝とし
てではなく皇后・皇太后として称するなら則天武后が妥当であろう。
中華では武則天。諸君ら日本では則天武后としているのが一般的ら
しいな。
古来、帝位を廃された者は一種の別称として王・庶人等と呼ぶ事が
あるが、その類と考えてくれれば良い。
とは言え我輩にとって武則天陛下は絶対唯一の皇帝であったのだが、
まあ諸君らの呼びやすい方で呼ぶと良いだろう。
163来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/06 21:01
>158
馮道の評価は難しい所である。
いわゆる「五朝八姓十一君」に仕え、中には契丹族の遼にも籍
を置いていた時期もある。
諸君ら日本の忠義の概念で言えば唾棄すべき変節漢と称せられ
てもおかしくは無いだろう。
だが、当時の五代では王朝が短期間で交代し、その度に多くの
血が流れた。馮道はその度に出来るだけ穏便に運ばせ、自分ら
官僚と民を守り続けたのだ。特に遼の太宗、耶律徳光に進言し
なければ華北で大虐殺が行われた事は想像に難くない。
従来の儒教論理には当て嵌まらぬ器の政治家と称すべき存在だ
ろう。何しろ民を尤も重き物とした思想に基いて行動したのだ
からな。諸君ら普通の階層には一番必要な政治家かも知れぬ。

では、本日はこれにて閉廷とする。また日を改めて。
164以上、自作自演でした。:03/09/07 20:08
たとえ悪名であろうとも、史書に名を残したいですか?
中国史の名君ベスト5を挙げてみてください。
166蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/08 18:18
ようやく涼しくなって来おった。良い季節だ。

>158(馮道についてどう思いますか?)
五代の後唐、後晋、後漢(こうかん)、後周、そして契丹の遼。あわせて5つの政権に
宰相として仕えた馮道は、後世において、忠義心の片鱗もない廉恥漢と罵られておる。
しかし五代というのは中華史上極めて特殊な時代であり、平時の倫理観をそのまま
当て嵌めて馮を非難するのは誤りである、との意見も多い。その辺りはまあ、好みの
問題と言えよう。馮の実績について勘案すれば、来が>163で申すように王朝交代時の
無用な混乱を避けることに努め、民の安寧を図った事が挙げられよう。人間関係の
調整や、仕える天子を統御する能力に長けておったということだな。とは言え、馮が
宰相として奉職した政権は全て短命に終わっており、その点鑑みれば宰相として軍事、
内政能力に秀でていたとは言えまい。およそ民を安撫するならば、安定した長期政権を
確立する事こそ至上の課題であり、それを為し得なかった事の責めは負うべきであろう。
いささか厳しい見解ではあろうが、本末転倒の感を禁じ得ぬ。

>164(たとえ悪名であろうとも、史書に名を残したいですか?)
無論そうした願望はあった。しかし死後に名を残すよりも、現世において権勢を愉しむ
ことに比重を置いてはおったな。とは言え、もう少しマシな天子に仕えておれば、
私もここまでの汚名を青史に留めることはなかったであろう。その点については
生まれた時代を恨むより他ないが、悪臣、奸臣と評されるはまだしも、無能のそしりを
受けるのは我慢がならぬ。
167蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/08 18:19
>165(中国史の名君ベスト5を挙げてみてください)
序列を付けるのは非常に難しいが・・・

1.聖祖康煕帝(清)
2.太宗李世民(唐)
3.太祖趙匡胤(北宋)
4.光武帝劉秀(後漢)
5.太祖朱元璋(明)

と、私は考える。康煕帝および李世民は軍事、内政を両立させた点が偉大じゃ。
古来より外征にかまけた天子は、おおむね国家財政を破綻させ、王朝そのものの
衰退を招いておる。前漢武帝、隋煬帝などがその典型だ。しかるに康煕、太宗の
二帝は、版図の拡大に並行して内政も能くし、各々長期政権の礎を築いておる。
趙匡胤は軍人皇帝ながら、五代以来の武断政治を排除し、文治主義による皇帝
独裁体制を確立した。軍事面での弱点を経済力によって補うという、新しい形の
国家を形成した点は評価に値しよう。光武帝はやや時代が上るものの、やはり
有力豪族を牽制した、文治主義的な面を評価したい。最後の朱元璋であるが、
かなりの傑物ではあるものの、暴君的要素が強すぎるゆえにこの位置じゃな。
168以上、自作自演でした。:03/09/08 20:48
地獄はどんなところですか?
169以上、自作自演でした。:03/09/10 05:08
包青天について一言
170来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/10 19:19
秋は何かと忙しいわ。死刑もこの時期に集中するから余計であるな。

>164
この現世に生を受けたからには何らかの形で名を残すのが男子の本懐
だと考えておる。例えそれが悪名であろうと一向に構わぬ。
さすがに我輩も蔡京殿と同じく無能者として残るのは御免だが、後世
まで酷吏の代名詞として史書に名が載った事は大いに喜ばねばならん。
171来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/10 19:23
>165
では、我輩はこう並べる
1 明の太祖 洪武帝朱元璋
2 清の聖祖 康熙帝愛新覚羅玄Y
3 後漢の世祖 光武帝 劉秀
4 唐の太宗 李世民
5 前漢の高祖 劉邦

洪武帝は他の歴代皇帝と違い、財産・地盤の全く無い流浪の托鉢僧から
立身し自分の政治・軍事・人事各方面に渡る才能と研鑚で一代にて中華
を統一して二百八十年にも渡る明王朝の基礎を築いた。後年の大粛清を
差し引いても余りある大きな功績だろう。
康熙帝は幼少で即位しながら早くから親政し三藩の乱や対外遠征と勝利
を収めながら内政・文教面でも多大なる成果を残した清王朝最高の名君
と言えよう。
光武帝も王莽期の混乱から一代で天下を平定し後漢王朝を築いた功績は
大きいが、洪武帝よりはるかに恵まれた出発点をかんがみ第三位とした。
唐の太宗は我輩の時代では名君の代名詞であったが、隋王朝の国公の家
柄。兄弟を抹殺した玄武門の変。そして晩年の長孫無忌の専横を許した
事で光武帝の下とした。
漢の高祖は人心掌握術と有能な家臣を使いこなし天下を平定したが特に
内政面での功績が見当たらぬため第五位とした。
尚、北宋太祖と武則天陛下については主観が入るため別格としたが優れ
た皇帝であることに代わりない。
しかし、こうして見ると創業の皇帝が多いな。
172来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/10 19:27
>168
地獄などと言う物は限られた宗教論理の範囲内でしか存在せぬのだ。
我輩は在世時から神仏の類は全く信じていなかったが、死して後もそ
のような地獄の責め苦とやらに御目にかかった事は無い。
人間とは誰しもが何らかの罪を背負って死ぬ。仮に地獄があるならば
全ての人間がそこに送られるであろう。諸君らも何ら案ずるに及ばぬ。

>169
宋代で清廉恪勤と名が高かった官吏を題材にした劇であるな。
確かに名声を得るだけの人物であったろうが、それは地方や中小の役
人で可能であっただろう。しかし、中央や皇帝の側で仕えるとなると
ある程度の清濁併せ呑む器量が問われる。ただ己が信じる道を行くと
言う姿勢では、陰謀渦巻く宮廷ではとても立場を保てぬであろう。
むしろ、限られた範囲で名声を役目を全うできたその者は稀に見る幸
運者で言えるな。もちろん、能力もあるだろうが。

では、本日の我輩の回答はこれにて終了する。
173以上、自作自演でした。:03/09/10 23:04
生まれ変われば何になりたいですか?
来俊臣殿と蔡京殿では、微妙に歴史観が異なるみたいですね。
暗君ワースト5も挙げてみてください!
176蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/11 18:31
>168(地獄はどんなところですか?)
私は地獄になど堕ちておらんよ。むしろ現世こそ地獄であろう。私は若き日より
高位高官として苦労しつつも権勢を愉しんで参ったが、晩年は地獄の苦しみを
経験しておる。北宋滅亡六賊の首魁とされ流罪となった私は、行く先々で民衆の
罵詈雑言を受けた。投石されたり、糞尿を浴びせられたりもしたのう。食料すら
ろくに与えられなかった。そのような旅の途上、衰弱し切った私は刑地に辿り着く
までもなく客死したのであるが、齢八十の身には地獄そのものであった。

>169(包青天について一言)
包拯(ほうじょう)であるな。天聖五年(1027)の進士で、主に地方官を勤め、
知開封府(首都圏知事)を経て枢密副使(軍政を司る役所の次官)にまで上り、
その在任中に没しておる。取り立てて派手な経歴ではないな。私が進士に及第し、
朝廷に仕官する以前に没しておるゆえ面識はないが、公明正大な人柄では
あったようじゃ。しかるにこのような地味な男が、後世において名判官として名を
留めておるのは不可思議なことじゃ。新法・旧法の党派抗争以前の人物ゆえに、
私や王安石への当てこすりとも考えられるがな。

>173(生まれ変われば何になりたいですか?)
生まれ変わっても高位高官を目指して努力するであろう。私にはそれ以外の
生き方は出来ぬ。市井の一庶人として生を終えることなど考えもせぬわ。
そして前世の二の轍を踏まず、名臣として名を残してくれようぞ。
ちなみに天子になりたいとは思わぬな。宰相こそ私には相応しい地位じゃ。

>174(来俊臣殿と蔡京殿では、微妙に歴史観が異なるみたいですね。)
それは当然であろう。歴史的事実の解釈は十人十色であって然るべきじゃ。
来の歴史知識が並々ならぬ物ゆえ、奴に見劣りせぬよう、私も精緻な解答を
心掛けてはおるが、それでも私の行う歴史批評は無味乾燥なものになりがちじゃ。
より精進しようと思うゆえ、諸君らも思う所があれば忌憚なく述べて欲しい。
177蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/11 18:43
>175(暗君ワースト5も挙げてみてください!)
それは困難じゃ。実績なき天子は史上数え切れぬほど存在するゆえ、その中で
序列など付けられぬ。しかし回答せぬのも興を欠くし、礼を失するであろうから、
私が暗君と思う天子を幾人か列挙してみよう。

・安帝(東晋)
・順宗(唐)
・霊帝(後漢)
・天啓帝(明)
・元代の皇帝すべて

安帝は生来の白痴と伝えられ、言語を発することすら侭ならなかったようじゃ。順宗は
皇太子時代に中風(何らかの脳疾患であろう)を患い、その後遺症で言語能力を失し、
ほぼ寝たきりであったという。この二帝を暗君として糾弾するは酷なれど、やはり根本的に
天子としての資質に欠けると言わざるを得まい。霊帝は三国志に精通した諸君が多いゆえ
挙げてみた。売官制度というのは、それなりの合理性を孕む制度ではあるのだが、
それまで行われてきた登用制度との質的相違が激しく、混乱をきたしたことは否めない。
天啓帝は宦官の専横を招いた暗君である。およそ明代には暗君が多く、正統帝、正徳帝、
万暦帝あたりが特に有名であるが、最悪の暗君は天啓帝であると私は考える。魏忠賢なる
文盲の宦官の跋扈を許し、わずか七年の治世で凄まじい腐敗と衰退を国家にもたらした。
明朝滅亡の責を負うべき最たる者は先々帝の万暦帝なれど、こやつには確信犯的な
所があるので、とりあえず除外して置いた。最後に“元代の皇帝すべて”と書いたが、
これには当然、開国の英主とされるフビライ汗も含む。そもそも元代の皇帝には、
中華を統治する資質が欠けておるのだ。国家経済というものを全く無視した搾取と、
無意味な外征に時を費やし、官僚制度を根底から覆して、それに変わる制度を考案
しようとすらしなかった。文化的功績以外には何物ももたらさなかった混沌の時代である。
他にも暗君と申せば西晋の恵帝や、我が徽宗皇帝など幾らでも存在するが、
全て列挙してはキリがないのでこの程度にしておこう。
南宋の文天祥のような生き方をどう思いますか?
彼のような人生と前に出た馮道のような人生、あえて選ぶならどちらがいいですか?
179以上、自作自演でした。:03/09/11 22:39
ンッン〜、こいつぁあ名言だぜ?と思うのはありますか?
180来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/12 21:02
毎日来れずすまぬ。では早速返答に移るか。

>173
今まで通り人間に転生できれば文句は無い。
人として生を受ければ己自身の才覚でのし上がるのも不可能ではないし、
好機が訪れぬとも限らぬ。それらを活かせる環境なら何ら問題は無いな。

>174
おそらく名君の基準でそう感じたのだろうが、正統派の高級官僚たる
蔡京殿とは異なり、下層出身の我輩は出自等から考えた。いわば出発点か。
それに皆が皆同じ見方で論じては張り合いが無いであろう。
我輩も畏れながら蔡京殿に少しでも近付こうと苦心しておるのだ。
181来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/12 21:07
>175
今度は暗君か。では我輩なりの視点で並べてみるとしよう。

1 秦二世皇帝 胡亥
2 西晋二代皇帝 恵帝司馬衷
3 明熹宗 天啓帝朱由校
4 唐中宗 李顕
5 陳後主 陳叔宝

まず胡亥だが、宦官の趙高の完全な傀儡となり始皇帝の天下統一や
諸々の制度改革を全て己が一代で崩壊させ、ついには秦を滅亡に追
いやった罪は絶大だ。
恵帝司馬衷は先帝の武帝司馬炎の弊害を除くどころか、外戚・諸王
の跋扈を許し、国を混乱に陥れただけでなく、隋代まで至る中国分
裂を招いた張本人の一人としてこの位置に置いた。
天啓帝朱由校は万暦帝以来の派閥問題や後金(清)への対応は愚か
皇帝としての義務を全て放棄して、ただ遊侠と大工仕事のみに時を
費やし、宦官魏忠賢による明代でも稀な恐怖政治を敷かせ明王朝を
回復不可能にした。何でもこの男、一生涯文盲だったと言う。
中宗李顕は武則天陛下の息子ながら、その暗愚さで帝位を失い、復
位後も皇后や武氏一族の専横を招きながら何ら手を打とうともせず、
ただ遊興にのみうつつを抜かし、ついには邪魔と見られ妻の韋皇后
と娘の安楽公主に毒殺された。最早皇帝以前に男としても失格だ。
最後の陳後主、陳叔宝はただ女色と音曲に心を奪われ、佞臣のみを
重く用い隋に国を滅ぼされたが、何と寵姫と井戸に隠れ醜態を晒し
たそうだ。その無能さと無様さに隋の文帝も抹殺するに値しないと
呆られたそうだが。
追記だが、諸君らの間で暗君として有名な蜀漢の後主劉禅だが、早
くに降伏して無用の血を流させなかった事を考え、外させて貰った。
182来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/12 21:11
>178
確かに文天祥の生き様は多くの共感者を得るほどの物であったが、元王
朝に仕えて漢文化や士大夫。ひいては民の保護に努めた同時代人の政治
家に劣ると断ぜざるを得ない。
我輩はむしろ馮道のように生きて何かを成し遂げようとする生き様を選
ぶな。やはり生きてこそ人間は価値があるのだ。

>179
我輩と同時代で武則天陛下の甥であった武三思の言葉にこういうのがある。
「我に善き者を善人。悪しき者を悪人と呼ぶ」
善悪の基準など千差万別な中で、ここまで言い切ったある意味清々しい言
葉だと思っている。

では、本日はこれまでといたす。
183以上、自作自演でした。:03/09/12 22:48
牝鶏が晨を告げるとどうなりますか?
ベスト5シリーズ面白いですね。
お二人の答えが微妙に違ってくる所が興味深いです。
という訳で、今度は悪宦官ベスト5をお願いします!
185184:03/09/14 06:43
ベスト5じゃなくワースト5ですね。
失礼しました!
「一般に韓国人は中国人のことを軽蔑して「テノム(垢野郎)」と呼びます。
また中国のことを
『非衛生的で汚く、ウジャウジャとやかましく、秩序を守らずひどく
利己的なところがある。そして面子を重んじ、口汚く団結心が無い。
また極端に嘘をつくし、虚礼虚飾で自身のプライドを守ろうとし、
自分の過ちを認めたり反省したりすることはほとんど無い。保守的で
自己顕示欲が強く、怠け者で目先のことしか見ない近視眼野郎たちだ。
金銭と名誉の前では奴隷と化して跪き、うまくいけば自分の徳、うまく
いかなければ他人のせいにする』
等等と徹頭徹尾コテンパンに叩きのめす。(中略)
ところがこのような中国人の特徴、性格はほとんどそっくりそのまま
韓国人にもあてはまる。
韓国人は日本人のことをあれほど嫌いながらも、中国人よりもむしろ
日本人に類似していると言われることを好む。いや日本人の方が韓国
人に似ているのだと口を揃える」

           『韓国人よ常人になれ』金文学著より抜粋
187以上、自作自演でした。:03/09/14 20:29
西洋史で恐縮ですが、ナポレオンをどう思いますか?
188来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/15 16:35
明るい時刻に開くのは初めてであるな。

>183
朝が来た事が分る。それだけだ。
よく儒教の経典で牝鶏が晨を告げれば国が滅ぶと書いてあるが、何ら
根拠の無い妄言に過ぎん。男でも女でも優れていれば何の支障も無い。
武則天陛下の治世は一部の上流階級にとっては暗黒の時代であったか
も知れぬが、国の大多数を占める農民にとっては善き時代であったの
だ。その証拠に、他の王朝では日常茶飯事だった農民暴動の類が陛下
の頃には全く見当たらぬではないか。
189来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/15 16:36
>184
好評を博しているようだな。では宦官を論じるとしよう。

1 秦 二世皇帝の代 趙高
2 明 天啓帝の代 魏忠賢
3 明 正統帝の代 王振
4 北魏 太武帝の代 宗愛
5 明 正徳帝の代 劉謹

趙高については諸君もよく存じていると思うが、秦を滅亡に追い
やったのは胡亥だが、それの擁立・傀儡化・殺害を全てやりのけ
たのが他ならぬ趙高だ。古今稀なる悪宦官と断じる事が出来るだ
ろう。
魏忠賢は何度か名前が出ているので詳しくは述べぬが、無学文盲
の身にて、明王朝滅亡最大の主犯者となった。その残虐さは我輩
ですら頭が下がる。
王振は正統帝の教師と言う立場を利用して明王朝を私物化し、は
ては土木の変で国を危うくした。その際に自分も戦死したのは自
業自得であろうが。
あまり名の知られていない宗愛だが、太武帝とその後に擁立した
南安王拓跋余を自ら殺し、実質上北魏を支配した宦官だ。歴代の
悪宦官でも類を見ない。
最後の劉謹だが、明の正徳帝の遊蕩好きに乗じて政権を握り、多
くの臣を処刑しただけでなく、ついには自分自身が皇帝になろう
とした宦官である。
最後は処刑されたが、変な言い方だが他の悪宦官に恥じる事無い
大逆の者だろう。
190来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/15 16:47
>186
民族が異なると偏見が生じるのは別に珍しい事ではない。
まして過去の歴史上で支障が生じた間柄なら余計である。
全部が全部そうだとは言い切れぬが、これが続く限り、完全な
友好関係などあり得ぬであろう。所詮、国家の関係で真の友情だの
なんだのと言うのは無いのだ。単に利益などで結びつくに過ぎん。

>187
フランスの植民地とも言えるコルシカ島の下級貴族出身ながら
革命の動乱期にその才能をもって皇帝にのし上がった男だが、
いわゆるナポレオン帝国はナポレオン個人の能力に大きく依存
しており、完全な国家体制を有していなかった。皇帝が不在な
戦線で絶えず敗退を繰り返していたのが良い証拠だ。
それにタレイラン・フーシェなどの不穏分子を警戒しながら、
その有能ゆえに重く用いざるを得なかったのも滅亡の原因だ。
もし武則天陛下や朱元璋。或は劉邦なら禍根を断つために粛清
したであろう。人を信じぬと公言しながら最後の詰めを欠いた
ナポレオンの限界だったのだろう。セントヘレナでも自分が負
けたのは運命だと申したそうだが、最後まで自分の過失に気付
かなかった点では、項羽に似ていなくも無い。

では、本日はこれまで
ご家族との関係は良好でしたか?
192来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/16 20:37
ようやく日参のめどが取れた。

>191
我輩は貧しき時に娶った妻がいたが出世をする内に疎遠になり、別居して
唐王族の流れを汲む者と再婚した。とは言え年も離れていた上に半ば強制
した婚姻なので常に冷え切っていた夫婦仲だった。
当然、子供にも恵まれず、やがて我輩が処刑されると同時に籍没され奴隷
に墜とされ、その後どうなったかは知らぬ。
所詮、世間並みの家族愛とは無縁であったが、我輩のような男には丁度良
かったのかも知れぬな。

では、明日の開廷まで。
193以上、自作自演でした。:03/09/16 20:54
悪い人なの?
194蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/16 21:15
長く空けてしまい、済まぬ。
規制に巻き込まれてな・・・。今日は外部からの返答じゃ。

>178
文天祥と馮道か。なるほど面白い比較じゃな。時流に抵抗した者と時流に乗った者。
文と馮は、その両極端であるからな。獄中の文天祥が遺した『正気の歌』は様々な
解釈があるが、その根底には正統派の士大夫として蛮徒どもを嫌悪する感情が
読み取れる。彼奴が蒙古政権への帰順を拒んだのは、あながち宋家への忠義立て
からのみではあるまい。信念と申せば聞こえは良いが、己の狭い価値観を押し殺す
ことが出来なかった男であるとも思える。どちらの生き方を選ぶかと問われれば、
私もまた来と同様、馮道と答える。自己の権勢欲を満足させるにせよ、漢土の安寧を
図るにせよ、生きてこそじゃ。自ら死を選ぼうとは思わぬ。

>179
北宋太宗の宰相、呂蒙正にこのような言葉がある。
“水至りて清ければ魚なし.人至りて察なければ徒なし”
不正を取り締まるにあたって、法を厳格に適用すること過たれば無用の反発を招き、
人心が萎縮して結局は社会の為にならぬということだ。法は単なる文言に過ぎぬ。
どのように適用するかが為政者の力量であると、そういった所じゃな。

>183(牝鶏が晨を告げるとどうなりますか?)
牝鶏之晨 惟家之索(ひんけいのあしたするは これいえのつくるなり)
出典は『書経』だな。女性が政治に口を差し挟み、権勢を振るう国家は遠からず滅ぶ
ということの例えじゃ。古来より皇帝は朝廷において人臣に君臨し、皇后は後宮に
おいて妃嬪に君臨するが中華の慣わし。女性が朝政に関与することは秩序の破壊と
一般には考えられておる。・・・とは申せ、それが必ずしも国家に害悪を生じしめる
訳ではないがな。
195以上、自作自演でした。:03/09/16 21:15
この悪人めが!
196蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/16 21:16
>184-185(今度は悪宦官ベスト5をお願いします!)
今回は私が後発だな。では考察致そう。

1.魏忠賢(明)
2.王振(明)
3.劉謹(明)
4.李輔国(唐)
5.侯覧(後漢)

中華史上において宦官の弊害が甚だしかったとされるは、後漢、唐、明であった。
しかるにその権勢の本質には、かなりの相違がある。後漢および唐代の宦官群は初期には
皇帝の信任のもとで権力行使におよんだものの、やがて勢力を拡大し、ついには帝権を圧迫
するに至った。しかし帝権の後退は貴族、豪族あるいは地方に割拠する軍閥等の権力拡大にも
繋がるゆえ、必ずしも宦官勢力のみが突出した権勢を振るったわけではない。つまりこの時代の
宦官は、いかに朝廷内で高位に上ろうと、その実権には限界があったということになる。
 しかし宋代以降、帝権が絶対化すると、宦官も含めた人臣が、皇帝を凌ぐ勢力を形成する事が
不可能化したのじゃ。ゆえに明代の宦官は皇帝の寵を失えば一夜にして没落する哀れな
身分ではあったが、逆に皇帝の信任を受けておるうちは、その権力は絶大無比であった。
暗愚な皇帝が宦官に政治を委託してしまえば、その者はほぼ無限の権力を行使でき、
誰もそれを掣肘できぬということになるな。
 以上のような理由で、私は明代の代表的宦者3名をそのまま序列第三位までに当て嵌めた。
各々の事績については>189で来の述べる通りである。
 四位以下には、唐、後漢より一人ずつ選んだ。李輔国は粛・代宗期の宦官で、主に軍政に
おいて実権を握り、後には宰相格にまで上った。晩唐における宦官の跳梁跋扈の端緒を
開いた者として、この位置に置いた。後漢の宦官は徒党を組んでの活動が多く、唐代以上に
個々人は没個性であるが、中でも朝廷における権勢に加えて、その私生活における悪行が
特筆されておる、桓・霊帝期の侯覧を挙げてみた。曹節、王甫などを代わりに挙げても良い。


まこと申し訳ないが、本日はこれで帰らねばならん。
規制が解除されれば、頻繁に訪れるようにしようと思うゆえ、容赦されたい。
では、さらばじゃ。
197以上、自作自演でした。:03/09/17 18:15
光栄的数値化してください。
198趙高 :03/09/17 18:23
オレ、いいヤツだよ。
199以上、自作自演でした。:03/09/17 19:36
悪じゃないと頂点にはたてませんか?
200蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/17 21:16
まだ規制は解除されぬ・・・
昨日に続いて外部からの書き込みだ。不便よのう。

>186(中国人および日本人に対する韓国人の見解)
ふむ。このように、ある民族を定型化して貶めるのは、あまり意味のある事ではない。
察するに貴公の時代では中華、朝鮮、日本の関係はさして良好ではないようじゃな。
まあ朝鮮人全てがこのような見解を持っているかは知らぬが、貴公もまた唐突に
このような文を貼り付けるということは、あまり朝鮮人に対して良い印象を持っては
おらぬのだろう?私が申すのもなんだが、貴公らは我々より進んだ社会に生きて
いるのだから、互いに寛容であれと思う次第じゃ。

>187(西洋史で恐縮ですが、ナポレオンをどう思いますか?)
欧州を混乱に陥れた一世の雄であるな。彼奴の才能は軍事的勝利と、外交政策に
おいて顕著に表れたと言えようが、その最終目標は英国の打破と自らの帝国の維持に
あったのだから、そのどちらも為し得なかったという点では無意味にも思える。
すると最も論じるに値するは一点。彼奴がその対外遠征の過程で西欧に撒き散らした
フランス革命の理念が、どのように後の歴史に作用したかという事じゃな。
結論から申せば、私はその点過大評価はしておらん。何故ならばナポレオン敗北後の
欧州は反動化し、自由主義の後退を見たからである。その反動体制、すなわちウィーン
体制を崩壊させた1848年の諸革命も、結局は保守派の勝利に終わり、さらにフランスに
おいて二月革命の成果を無に帰したは、ナポレオンの甥、三世であったのだから、
ナポレオンの事績と、民主主義・国民主義の進捗に因果関係を認めるのは困難であると
いえよう。よってナポレオンは功よりも、欧州を混乱に導いたという罪の方が大であると
私は考える。そもそもナポレオン自身は革命家でも思想家でもなく、権性欲、征服欲に
取り憑かれた成り上がりの軍人皇帝に過ぎぬのだからな。
201蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/17 21:35
>191(ご家族との関係は良好でしたか?)
妻とはそれなりにうまくいっていたが、やはり子供達がな・・・。特に長子の攸は私に似ず
軽佻浮薄で、ただただ権力に媚びる事のみ得意としていた。権力への迎合は私自身も
得意として憚ることはないが、息子には政治家としての能力が欠けておった。
そしてついには私を邪魔にし、宦官たちと結託して無理矢理辞職に追い込んだ。
無論あれらの権謀術数などたかが知れておるゆえ、後に復職したがな。
いずれにせよ私の死後、息子達はみな処刑され、蔡家の祀は絶えた・・・。

>193(悪い人なの?)
>195(この悪人めが!)
貴様らはスレタイおよび>1を百遍読み返せ。。
・・・まあそれは冗談であるが、確かに我々は後世において悪臣、奸臣と面罵され、
忌み嫌われておる。特に『水滸伝』から中国史に興味を持った諸君は、ほぼ十割がた
私の事は嫌いであろう。私も自分自身が善人であるとは思わぬが、諸君らに悪意を
抱いておるわけではない。あまり警戒せず、気軽に質問に来て貰えれば幸いである。

>197(光栄的数値化してください)
能力を数値化せよと申すか?だが私は既に光栄なる企業の開発した商品に
登場しておるな。それによると私の能力値は・・・

体力 78 腕力 18 技力 37 知力 71

と、なっておる。腕力などはいいとしても、知力が71とは何事じゃ。
せめて95は欲しいところだ。さらに“政治力”という項も加えて貰いたい。
当然数値は100じゃな。さすれば私の実像に近づくであろう。
202蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/17 21:45
>198 趙高
そうかね?貴様については何とも評価が難しいでな。
始皇の遺詔を改竄して、公子胡亥を帝位に据えたと史書にはあるが、
そもそも密室での出来事ゆえに、それが始皇の意思に反するものなのか解らぬし、
首謀者は貴様でなく、丞相李斯であった可能性も高い。また、後に丞相となった貴様が、
胡亥を弑殺したのも、冷静な政治的判断の一つと考えられない事もない。
従って、俗に語られるほどの悪人ではなかったかも知れぬが、かと言って善人で
あったとは到底言えまい。

>199(悪じゃないと頂点にはたてませんか?)
一概には言えまい。卑賤から身を起こして天子にまで上ろうとすれば、
悪に類することも手掛けねばならぬであろうが、天子の家に生まれれば
さしたる苦労もなしに帝位を手中にできるやも知れぬ。
いずれにせよ、歴史は勝者が書き記すものゆえ、頂点に立つことができれば
自分がそれまで行ってきたことを正当化できる場合も多い。
善悪などというのは相対的、観念的で、極めて曖昧なものだからな。


以上じゃ。追いつくことができたな。
また会おう。
203以上、自作自演でした。:03/09/17 21:47
最高ですかー!
204高[イ求]:03/09/17 22:02
がっはっは!
拷問術や書道は出世の道具ですか?
それとも純粋な趣味ですか?
206来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/18 18:29
では、本日の開廷と致す。

>193.195
諸君らにとって我輩らは悪人か。しかし悪臣と銘打っている場所で罵る
とは例えて言うと市で物を売るなと申しているのと同じなのだぞ。
軽い冗談としてなら聞き流すが、そうでないと言うのなら諸君らは見当
違いをしておる。悪には悪の魅力と言う物がある事をここで知って欲しい。

>197
では、我輩の能力を数値化してみよう。

政治82 戦闘48 智謀88 野望95 魅力41

我輩は一度も戦争に参加しておらぬので戦闘は低くしたが内政関係は
合格点だと自負しておる。魅力が低いのはやむを得ぬか。

>198 趙高
貴様は厚顔無恥と言う言葉を知っておるか?
はるか後世まで悪宦官の代名詞とされた貴様を善人と評する者がいたら
是非御目にかかりたい物だ。だが、別に非難しておる訳では無い。
貴様程の大物が参加を希望してくれるのなら、蔡京殿も我輩も大歓迎す
るぞ。
207来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/18 18:32
>199
一概に言えぬな。悪人としてではなく、清濁併せ呑む器量が
問われるだろう。
ただ奇麗事にのみ終始し、他人からの誹謗中傷を気にして動
きが取れぬ者は最初から頂点の器ではない。
善悪を上手く使い分ける一種の奇妙な存在になって大業をな
した連中が多い事で見るとそうなる。

>203
最高とまでは行かぬが、順調に伸びている現状については満足
しておる。
最初は御世辞にも広く名が伝わっていない我輩ゆえ、即座に廃
墟と化すと思っておったが、幸いにして蔡京殿と諸君らの協力
のおかげでここまで来れた。悪臣と呼ばれて誇りに思うなど初
めてだ。

>204 高[イ求]
水滸伝の悪役で現代まで名を残せたようだが、詳細な実績が伝
わっておらぬ貴様が果たして蔡京殿と肩を並べられる地位にま
でのし上がれたか分らぬな。
それに、ただ呵々大笑するためにここに来たのか?
何か自己弁護でもあるのなら聞いてやっても良いぞ。
208来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/18 18:36
>205
我輩の方は拷問術だな。
結論を先に述べると、趣味と実益を兼ねた物だったわ。
若い頃では、身分に天地の差があった高位高官連中を思う
ままに嬲りつくし処刑する事は、何とも言えぬ心地良さが
あった。それについては否定はせぬ。
諸君らで言う所の嗜虐性だな。それを満たしながら出世出来
たのだから我輩は幸せ者と言えるかも知れぬな。

>蔡京殿
突然の規制、さぞ不都合の極みと存ずるが、その中での御回答、
真に頭が下がり申す。改めて蔡京殿と共にここを運営できる事を
光栄に思いますぞ。一日も早い解除をお祈りいたす。

では、本日はこれにて閉廷と致す。
死は痛ましくもあり悲しくもあり、美しくもあり輝かしくもある。
210以上、自作自演でした。:03/09/19 19:41
皆様の悪行はどのようなご書物に載っているのでしょうか?
裏切ったっていいじゃない
人間だもの
あなたにとって吐き気をもよおす邪悪とはなんですか?
213以上、自作自演でした。:03/09/19 21:21
中国史上の悪人10人を上げてみるとしたら?
214くるっぱ(*'з') ◇KURUPPAh6I:03/09/19 21:23
くるっぱちょーあたまいいよ。
あなたを殺そうとした者が捕まったとします。
どうしますか?
216セイアヌス:03/09/20 06:25
俺って結構イイ線行ってたと思うんだけどなあ。
217蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/20 06:43
規制が解かれたな。本日は早朝よりの参内じゃ。

>203(最高ですかー!)
何ということはない。私はいたって平静な心境だ。
その言葉、諸君らの時代の宗教家が好んで発したそうだな。

>204 高俅
貴様か。まあ笑いが止まらぬのも解らなくはない。進士出身でもなく、名門の
生まれでもない貴様が、都指揮使(武官の最高位の一)にまで出世し、引退後は
儀同三司(宰相格の名誉職)にまで叙せられたのだからな。それも貴様の
人当たりの良さと処世術の賜物であったやも知れぬが、部下の士卒には極めて
過酷に接しておったというではないか。その為に後世の者に憎まれ、水滸伝の
悪役として描かれることになったのだろうよ。いずれにせよ貴様は北宋滅亡に際し、
何らの罪にも問われず、栄誉に包まれて死ぬことが出来たのだから、よき人生で
あったと言えよう。せいぜい徽宗と童貫に感謝することだな。

>205(書道は出世の道具ですか? それとも純粋な趣味ですか?)
そもそも書を能くすることは官僚の必要条件であり、悪筆では科挙に及第すること
まかりならぬ。従って出世の道具と言って差し支えないが、趣味としても愉しんで
おったな。そうでなければ書家として青史に名を留めることなど出来んよ。

>208 来
おお、来よ。ようやく私も規制が解けた。そなたの心遣いにはまこと痛み入る。
これからも、そなたの支えとなり、スレの為に微力を尽くして参るゆえ、
宜しく願う次第じゃ。無事200を超えることが出来て、私も感無量であるぞ。
218蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/20 06:51
>209(死は痛ましくもあり悲しくもあり、美しくもあり輝かしくもある)
名臣と呼ばれる者は、死してなおその威光が陰ることはない。それは当然と
言えようが、実際には名臣と呼ぶに値せぬ無能者であっても、人気が衰えぬ事がある。
私が宰相として政権を掌握したおり、司馬光ら旧法党の面々の悪行を
石碑に刻み込み、“元祐姦党碑”と称して各地に立ててやったが、その事がかえって
私の評判を貶めることになってしまった。事の本質を理解できぬ愚かな人臣が
多かったとしか言いようがないな。

>210(皆様の悪行はどのようなご書物に載っているのでしょうか?)
『宋史』姦臣伝に、私個人の伝記が立てられておるが、私の事績については宋代の
歴史を扱った書物にならば大抵は記載されておるな。むろん『水滸伝』にも私の名は
数多く登場し、何故か私、童貫、楊戩、高俅をして四姦と括られておるが、あれは史書
とは呼べぬので正確であろう筈がない。おそらく水滸伝中最大の悪役とされるのは
高俅であろうが、あれは大した悪事は働いておらぬ。せいぜい部下を私用に使役し、
軍費をちょろまかして私腹を肥やしていた程度じゃ。

>211(裏切ったっていいじゃない人間だもの)
まあ、それも道理じゃ。時と場合にもよるであろうがな。私もまた他人を裏切りもしたが
裏切られることも多かった。中でも息子に裏切られ、宰相職を一時追われたのは
痛恨の極みであったな。

>212(あなたにとって吐き気をもよおす邪悪とはなんですか?)
特別思いつかぬ。親や国家を裏切る行為は邪悪と言えようが、吐き気を催すとまでは
いかぬな。私は過酷な派閥抗争の中で、人間の穢れた部分を多く見てきたゆえ、
どんな邪悪な行為といえど驚愕したりはせぬ。己がそのような目に遭わぬよう
注意深く身を処そうと考える程度じゃ。
219蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/20 07:06
>213(中国史上の悪人10人を上げてみるとしたら?)
・・・そのような者、挙げていってはキリがなかろう。そもそも“悪”の定義すら
難しいでな。とても順位など付けられぬよ。しかし全く無回答とする訳にもいかぬ。
せっかく質問に来てくれたことであるしな。まあ悪人10傑は無理としても、
ここに参加するに相応しいと思われる“有名すぎず、適度に面白みのある悪臣”を
10人列挙してみた。あくまでも私見じゃ。

・江充(前漢武帝の用いた酷吏。廃太子等に関与)
・梁冀(後漢の外戚。天子の廃立を繰り返し、専横を極めた)
・爾朱栄(じしゅえい。北魏末期の権臣。天子の廃立、廷臣の虐殺等を行う)
・上官婉児(唐代、武・韋后に仕えた高級女官。詩人)
・楊復恭(唐末期の宦官。昭宗を擁立)
・韓侂冑(かんたくちゅう。南宋寧宗期の権臣)
・アフマド(元朝、フビライ汗の宰相。過酷な搾取政策で経済を混乱させた)
・王振(明代、正統帝の宦官。土木の変における主要戦犯)
・和珅(わしん。清朝乾隆帝の寵臣。国家予算の横領等で国政を乱した)
・董福祥(清朝末期の将。義和団事変における中心人物の一人)

まあ、各時代から一人ずつ挙げてみたが・・・適当だな。
中には、史書の言う通り悪人と解釈してよいか疑問な者も混じっておるが。
なお、帝王・皇后・皇族等は意図的に除外した。

>214(くるっぱちょーあたまいいよ)
・・・何事だ?悪い病にでも冒されたか。
季節の変わり目には意味不明な者が多いな。養生せよ。
220蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/20 07:10
>215(あなたを殺そうとした者が捕まったとします。どうしますか?)
逮捕されたと申すなら、何程の事もない。刑部に引渡し、法の定める所による
処分を下すのみじゃ。私を憎む者など数えていてはキリがない。いちいち感情的に
なったりはせんよ。刑部尚書の職域に口を挟むほど、私は暇ではないのだ。
もっとも、政治的陰謀に絡む暗殺未遂であれば、話は別であるがな。

>216 セイアヌス
古代ローマの奸臣か。兵卒から身を起こしてチベリウス帝のもと専横を極め、
後には簒奪すら企図したものの、事が露見し刑死したと聞くが、それでよいか?
いずれにせよ捨てハンとは惜しいことじゃ。私はその辺りの歴史には非常に
疎いゆえ、貴様のような者が参加してくれれば非常に有り難いのだがな。
自ら「結構イイ線行っていた」と申すからには、それなりの能力者だったのだろう。
気が変わったら、また来るが良い。


本日はこれまでじゃ。またな、諸君。
221来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/20 10:35
余暇なので早めに回答しておくとするか。待たせては悪いのでな。

>209
我輩は数え切れぬほどの者を刑場に送ってきたが、見苦しい醜態を晒す
者もいれば泰然自若と死についた者も少なからずいたのは確かだ。
別に感動するなどと言う事は無かったが、後世まで語り伝えられる名臣
の類は大抵それに入るようだな。
己の名声のために土壇場まで平静になれるなど常人には無理である事は
確かなようだが。

>210
我輩の事績については旧唐書・新唐書の酷吏伝に記されているが何でも
未だに日本語訳が出版されていないそうなので諸君らにはちと縁が遠い
だろう。代わりに小説ではあるが、原百代の「武則天」と津本陽の
「則天武后」に我輩が描写されているので、そちらを薦めておく。

>211
中々はっきりとした物言いだな。裏切り裏切られるのは何時の世も変わり
ない人間の本質の一つであり、それを醜い物と忌み嫌うのは現実に目を向
けられぬ理想主義の権化だろう。所詮、人間は神でもなければ聖人でもな
い。種の生存をかけて食い争ってきた種族なのだ。
222来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/20 11:00
>212
我輩自信が唾棄されていた邪悪な存在と言われてきたので、特に考えた
事も無い。まあ、強いて言えば我輩に歯向かってきた奴らを指差す事に
なるな。敵や障害こそが真の邪悪と呼べる存在かも知れぬ。

>213
一口に悪人と申しても、下手したら簒奪した歴代皇帝の全てを含まねば
ならぬだろうから、我輩も皇帝は除くので了承して欲しい。

○侯景(梁の武帝に対し謀反を起こした者)
○安禄山(玄宗に対し安史の乱を起こした)
○楊国忠 (楊貴妃の親類ゆえに宰相となり国政を乱した)
○李林甫 (玄宗の宰相として政敵を数多く失脚させた)
○梁冀 (後漢の外戚として専横を極めた大将軍)
○李輔国 (唐の粛宗に仕えたが、宦官として最初に宰相となった)
○和士開(北斉の宰相。数多くの醜聞と専権ゆえ処刑された)
○王敦 (東晋中興に功績ありながら謀反を起こすも病没)
○袁世凱(清の滅亡にとどめを刺し、自らが皇帝となろうとした中華民国大総統)
○林彪(中華人民共和国建国に功績あり、文化大革命の責任者でもありながら
     毛沢東に対しクーデターを謀り失敗。表向き飛行機事故で死亡)
223来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/20 11:13
>214 くるっぱ(*'з')
何者だ。貴様は。自分を誇りに来たのなら一つ試しに幾つかでよいから
ここの質問に答えてもらおうか。それとも学は無いが当意即妙の才がある
と言いたいのか?どちらにしろ、うぬぼれるのは程々にしておけ。

>215
罪人を処刑するのは我輩の管轄内だ。よって即座に入獄させしかるべき
訊問と手続きを取った上で酷刑で報いてやるのが筋と言う物だろう。
我輩の命を狙った時点でそやつは敵であり排除すべき存在となる。
そのような者にかける憐憫の情など微塵も持ち合わせてはいないのでな。

>216 セイアヌス
ほう。古代ローマ帝国の者とは、また珍客だな。
西洋の者が加われば、またより一層幅が広がるので何時でも歓迎する所存
にて、また来るが良い。西洋的な主観での回答も是非見てみたいのだ。

>蔡京殿。
早くに解除され、真に大慶の至りですな。再び蔡京殿と歩めると思うと
実に光栄の極みにてこちらこそ宜しく願いますぞ。身に余る言葉であります。

では、本日の午前中の部はこれにて閉廷と致す。
お二人の普段良く見るスレを教えて下さい。
225来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/20 13:31
今日は時間に余裕があるので即答をしてみるか。

>224
我輩の視点でよいのなら題名を出していこう。
○ZZガンダムのジュドーだけどなんか質問ある?
○陸遜ですが何か聞きたい事はありますか?
○卍卍卍 ドイツ第四帝国公式スレッド 卍卍卍
○燕 公孫淵配下の兵士数 第五部 東南の旋風 →
○バーハラ城地下牢の光景
○武装錬金の楓(仮)だが、来いッ!!
○【シャアと】ネオ・ジオン軍本営【一緒】
○元アケ板住人のビリーだ。質問はねえか?
○【格ゲー】ラモンと愉快な格闘仲間たち【総合スレ】
○■聖戦■グランベル軍が集まるスレ■悪役■
○奴隷ですけど…何かご用でも?
○【光をつぐもの】FE聖戦解放軍総合スレッドpart7
○京都の寺社仏閣スレ
○司馬家だ!
○【質問・懺悔】KOFのゲーニッツです【受付中】
○【FC】レトロ・ファミコンゲームスレ【New FC】
○惟任日向にて候
○【Z】アーガマスレッド@ニ隻目【ガンダム】
○闇の裁きを下しましょう
○都道府県なりきりスレ
○【浅井長政】 その時、歴史が動いた 【朝倉義景】

ざっとこれぐらいだが、もし諸君らが薦めと言うのがあれば教えて欲しい。
>225
お勧めはここだYO!
伯約タンが生まれ変わったんだYO
蜀漢
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/charaneta/1062910261/
227来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/20 13:50
>226
早速教えてくれて感謝する次第である。ほう、蜀漢の姜維か。
一度見たが特に興味を魅かれなかったので、そのままにしておいたが
見事に変わっておるな。まさに「士、別れて三日なれば、即ち更に刮
目して相い待つべし」だな。これは注目すべきだろう。

では、この場を借りて、これらの場の者に応援と恙無きようにとの
言葉を贈らせて貰う。我輩も常にかの者たちの回答を範としていき
たいのでな。
姜維がもっと頑張れば魏に勝てたと思いますか?
229以上、自作自演でした。:03/09/20 21:05
他人を信頼してはいけませんか?
230姜維伯約 ◆KyohidF0GY :03/09/20 21:06
越境と申されるかも知れぬが、これだけ言わせて貰いますよ!

>228
その可能性は皆無に近いですよ。
私が頑張ろうとしてもダメですね。
蜀の兵力・兵糧は魏と比べ、どう考えても劣っていた。
それと、人材が少なすぎる。
孔明殿・張嶷殿の死、痛いものですよ。
しかも私自身、蜀での信頼は薄かったのですよ。
だからこそ、劉陛下は私に精鋭で屈強な兵を送らなかった。
その時点で張嶷殿が生きていようとも北伐は失敗していたであろう。
そして、何よりも内政だ。
これを私は蔑ろにして戦争ばかりをしていた。
蜀の中はボロボロに崩れ落ちていたのだよ。
たとえ私が北伐で司馬軍師を討ち取っていても、蜀は魏に負けていただろう。
義理か人情、どっちを取る?
232以上、自作自演でした。:03/09/20 23:14
人肉食べる?
233蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/21 04:03
質問が溜まる前に回答しておこう。

>224(お二人の普段良く見るスレを教えて下さい)
中華系スレには一通り目を通しておるが、やはり司馬仲達の所は秀逸だな。
私は三国志関連にはさほど詳しくないゆえ、参考にさせて貰っておる。
『曹魏』『孫呉』『蜀漢』スレも、今後の動向が気になるゆえ逐一目を通しておる。
陸遜スレもなかなかに奮闘しており期待が持てるな。

>226(伯約タンが生まれ変わったんだYO)
知っておる。そこばかりでなく、白百合女学院にも目を通しておるゆえ、
伯約の動向は、ほぼ把握しきっておるぞ。トリップもつけたようであるし
良スレとなることを願う次第だ。

>228(姜維がもっと頑張れば魏に勝てたと思いますか?)
本人がわざわざ“無理”と言いに来ておるのだから、無理なのであろう。
経歴から考えるに文人ではなかろうし、そのような者に大将軍として兵馬の全権を
委ねること自体が蜀漢の人材不足を露呈しており、国家として末期症状と言える。
本来、大将軍とは武官としての経歴しかないような者を充てる地位ではない。
史書の記す所によれば、費禕存命中の延熙十年(247)、姜維の官を進めて録尚書事に
任じたというが、単に名誉職を付与されたに過ぎぬと考えるのが妥当であろう。
姜維本人の資質については、史書の記述が簡潔に過ぎるゆえ、推測し難いが、
反対派の妨害もあって、能力を出し切れなかった面はあったかも知れぬな。
まあ、出し切った所で結果は変わらなかったであろうが・・・

>229(他人を信頼してはいけませんか?)
それも時と場合によると思うがな。心の底では舌を出しておっても、表面的には
誰か彼かを信頼せねば、職務の遂行すらままならぬ。
最後に頼れるのは己のみということを肝に銘じつつ、円滑な人間関係を築くことが
成功の秘訣と言えよう。抽象的な物言いではあるが。
234蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/21 04:08
>230 姜維
ふむ。そなたが姜伯約か。私は大宋の大宰門下侍郎、魯公蔡元長と申す。
一応そなたに関する私の見解は上に述べたとおりであるが、
本人を前にしては是非もない。何か訂正があれば遠慮なく申されよ。

>231(義理か人情、どっちを取る?)
義理人情に流されておっては、派閥抗争を勝ち抜けず、宰相にまでは
なれなかったであろうよ。まあ、己の不利にならぬ限り義理も人情も
大事にはする。世間の評判を落とすこともまた恐怖であるからな。

>232(人肉食べる?)
食べぬ。確かに中華の歴史を紐解けば、人肉を食したという逸話に事欠かぬが
一般的には、嬉々としてそのような行為に及ぶわけではない。極度の飢餓状態
など余程の異常事態においてのみじゃ。ただし諸君らの生きる社会ほどには、
人肉食は禁忌とされておらぬがな。
235来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/21 20:15
諸君。今日の我輩は実に心地良い。本来なら死刑にする者もつい
左遷で上奏してしまった。職務失格かも知れぬが、我輩も人間なのだ。

>228
本人が申しておるように、当時の魏と蜀は国力で歴然とした差が
ついており、それに加えて諸葛亮のような大幅な内政・軍事独裁
権を得られぬ姜維では当然、大きな制約があり、作戦を立案して
も実行するのにも困難だったろう。
例え姜維に雄才大略が備わっていても、北伐の成功は考えにくい
と断ぜざるを得ぬ。

>229
我輩は自分以外の者は利用するか排除するかの二者択一の方法を
取ってきたが、今の世の中では、そのような手法は無理だろうか
らある程度まで信用しても、余程の親友でも無い限り、心の奥底
までは距離を置いた方が良い。
相手を信用しすぎて損をしたら、相手と共に自分の愚かさをも悔
やまねばならぬのだ。
236来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/21 20:25
>230 姜維伯約
ようこそ。我らが場に。姜維伯約よ。
越境など咎めるに値せぬ。歴史に名を残した者なら、自分の事績を
誇ったり或は自己批判したりするのは当然である。
また折を見てくるがいい。

>231
我輩はどちらも拒否してきたが、強いて選ぶなら人情か。
義理は例え相手に返しても、それを好意的に受け止めるかは分らぬ
ので、誰しもが持っている人情を重く見たほうが何かと便利だろう。
とは言え稀に人情をも嫌う人間がいたのもまた事実なので、難しい
所であるな。

>232
いや、いらぬ。若き時の流浪の日々では貪った事もあるが、さして
衣食住に不自由しておらぬ今では余程好まぬ限り食う機会も無かろう。
中華では人肉は闇や飢饉・戦災で食されていたが、さすがに現在の日
本では抵抗が強すぎる。
よく海外では、性的快楽のために人肉を喰らう輩がいるが、法で厳しく
罰せられる存在に他ならぬ。

では、本日はこれにて。
人を信じられない人間は結局、己自身も信じられない・・・。
ここも三国系スレの一つかいな。
なんでやねん。
来俊臣氏の良く見るスレにガンダム系が多く見られる所から考えるに
ある程度の知識を有されていると拝察します。
少々スレの空気から異なるのは恐縮ですが、ガンダムの人物でベスト5を
挙げてみてくれませんか?
241来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/22 19:28
では、本日の審問に入る。

>237
確かにな。他人全てに懐疑的になれば、やがて自分自身をも信じられぬ
ようになるだろう。余程のうぬぼれか身の程を知らぬ夜郎自大でもなけ
れば有り得ぬだろうが、稀にそのような者がいても、気付いた時には
完全に孤立して再起不可能に陥っている事になるな。

>238-239
別に三国志と限定している訳ではないが、扱っているのも事実だ。
現に何度か三国志関連の質問に回答しているし、姜維を歓迎したりも
しておる。諸君らも気兼ね無く利用して欲しい。
242来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/22 19:43
>240
現世にいた頃には存在すらなかったが、今では幾許かの興味と知識を
持っておる。我輩のでよければ挙げて見せよう。
尚、悪人と言う意味ではなく、我輩なりの視点で良き人物と見た者だ。

1 ハマーン・カーン(若年での摂政としての実績と能力)
2 パブティマス・シロッコ(万能の天才にして野望多き男)
3 アナベル・ガトー(鉄の如き忠誠心と不屈の闘志・操縦技術)
4 シーマ・ガラハウ(裏切りとマキャベリズムの権化。悪女の魅力)
5 エギーユ・デラーズ(指導力と信念・志に殉じた最後)

しかし、このような趣旨の質問は初めてだが悪くない物だ。

では、本日はこれにて閉廷とする。最近肌寒い日が多いので諸君らも
気をつけられよ。
243皇帝司馬仲達 ◆AnKOKUuzKo :03/09/23 00:49
来俊臣よ。先日はわしの場に来て良き話を聞かせてくれた
礼として参った次第じゃ。相変らずの達論見事であるな。
北宋の蔡京には初めて御目にかかるが、わしの所を見てくれて
いるとは光栄じゃな。二人共わしの師と呼べる存在じゃ。

わしも一部では魏を簒奪しかけた悪人と呼ばれておったから、
ここに顔を出しても差支えなかろう。後趙の石勒もわしの事を
寡婦を騙して天下を盗んだ男と酷評していたからな。

さて、質問じゃが二人共多くの政敵を排除、或は抹殺してきたが
時に悔やむ事は有ったかの?
244司馬昭 ◆0msRrid7Us :03/09/23 15:26
仲達の後に控えしは司馬子上である。
過日わが晋に来俊臣殿の参内をいただき一同欣舞しましたぞ。
おお、蔡京殿、ささ、蜀より取り寄せましたプーアル茶でもいかがですかな。

聡慧博識の双傑を擁するこのスレで、生半可な質問をしては物笑いの
種となりますな。威儀を正し、それがしも問わせていただきますぞ。

>225を拝見させていただきましたが、来俊臣殿は格ゲーにも造詣が深き
御様子。ガンダムについても宜しくお答えされておいでだ。
そこで好きな格闘ゲームのキャラ、ベスト5を挙げていただければ是幸い。
興味がありますのでな。蔡京殿も無論ですぞ。
ちなみにそれがしはバンパイヤシリーズのアナカリス陛下が一番ですな。
魅惑の妖術と操作性の意外な良さ、まさにファラオと讃えられる御方ですな。
245姜維伯約 ◆KyohidF0GY :03/09/23 17:02
これからも燕と賈範を応援してね(^^)

質問ですな。
正直、自分の思い通りに事が進まなかった時にはどう思います?
やはり、悔しいですか?
246来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/23 18:53
千客万来であるな。ここも意外と名が知られていたようで喜ばしい限りだ。

>243 皇帝司馬仲達
過分なる言葉畏れ入る。元来一酷吏に過ぎぬ我輩に宣帝自らが返礼とは。
石勒の評価などラチも無い事。宣帝は古今稀なる智将にして歴史に大名を
残す人物だと愚考する次第である。
さて、言われる通り我輩は数多くの政敵を抹殺してきたが、後悔など
した事は一度も無い。仮にそう思っても殺した連中にとっては笑い話にも
ならぬだろうし、第一多すぎて覚えるのもやっとであったからな。
貴殿も曹爽一派を処刑した時と同様であろう。悔やむ時点で失格と言える。

>244 文帝司馬昭
今度は文帝とはまさに将星天の如く。我輩も熱が入ると言う物。
確かに我輩も格闘遊戯は多少知っておるので、回答できる範囲である。

1 ギース・ハワード(正に悪のカリスマ)
2 ルガール・バーンシュタイン
  (洗練された格闘センスと銅像に見られる残虐美)
3 ゲーニッツ(オロチ四天王でありながら、その実力は主を凌駕する)
4 八神庵(好敵手役では格闘中最高であろう)
5 サスカッチ(愛嬌と初代から使っているので)
247来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/23 18:57
>245 姜維伯約
無論だ。燕と賈範将軍は古くからの我輩の範としている所だからな。
返答だが、悔やんだり何かにあたる前に、まず具体的な対応策もしくは
次善の策を考える。ただ悩みいたずらに時を浪費しては下手をすれば
身を滅ぼしかねぬ。
口惜しいと思うのもあるだろうが、まずは行動に示さねばならないと
思っているのだ。

では、本日はこれまで。
りょーらいらい!りょーらいらい!
249蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/24 01:56
賑わっておるな。嬉しい限りじゃ。

>237(人を信じられない人間は結局、己自身も信じられない・・・)
だが、権力にまつわる人間関係は尽きるところ背信の応酬であり、猜疑心
なくしては勝ち残ることができぬのだ。最後に信用できるは身内のみと言うが、
その身内にすら裏切られた経験をもつ私には、信頼などという言葉は空しく響く。
尤も、政治的抗争から解放された今では、貴公の言も理解できるがな。

>238(ここも三国系スレの一つかいな)
>239(なんでやねん)
私は三国志とは縁もゆかりもない者であるが、三国時代の者が来訪することを
何ら拒むものではないし、また三国志関連の質問も随時受け付けておる。
従って、それら三国系スレの外伝的なものと捉えるも良し、中華系総合スレと
捉えるも良し、歴史総合スレと捉えるのもまた良しと考える。尤も、私は三国志に
さほど詳しい訳ではないので、回答にやや物足りなさを感じるやも知れぬがな。

>240(ガンダムの人物でベスト5を挙げてみてくれませんか?)
ある者に勧められ、一応ほぼ全作見てはおるのだが、なにしろ私の生きてきた
世界観とあまりに相違が激しいゆえ、論じられるほどに内容を把握しておらぬのだ。
生半可な知識で語るは甚だ不遜と考えるゆえ、今回は回答を差し控える。
期待に沿えず申し訳ない。
250蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/24 01:59
>243 司馬仲達
よくぞ参られた。貴卿については広く聞き及んでおる。深い教養に裏打ちされた回答は
まさに見事。私も見習うべきところ大じゃ。同じ中華の者として、互いの場が共に繁栄
して行くことを心より願っており申す。

質問に回答致そう。私も宰相に上り、またその地位を維持する過程で多くの政敵を
排除して参った。それは無論、第一義的には己の栄達の障害となる者を除くが狙い
であったのだが、旧法党の観念的に過ぎる政策論が国家に害を及ぼすという確固たる
信念も同時に持ち合わせていた。私は新法を提唱した王安石の人柄を必ずしも
好いてはおらなんだが、新法そのものは合理的な経済政策として評価していたのでな。
従って、政敵を左遷もしくは流罪とすることに何ら良心の呵責を感ずることは無かったが
それによって己の評判を貶めることには警戒しておった。貴卿も、皇統に連なる
曹爽一党を除くに当たっては、世論の反発がかなり気になったのではあるまいかと
拝察するが如何であろうか。史書に記された曹爽らの悪行については、たぶんに
捏造の疑いがある。特に何晏などはその奇癖ばかりが誇張されて伝わっておるが、
学者としての評価が埋没しておるのは、貴卿らによる工作の結果なのであろうな。
251蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/24 02:01
>244 司馬子上
父君に続き貴卿も参られたか。開国の英主たる二君と語り合えるは無上の慶びである。
それは蜀の名産品じゃな。私は福建の生まれにて、官途に就いて後も、かの地には
赴任した経験がないゆえ物珍しい。ありがたく頂戴しよう。

さて、仮想格闘技についてか・・・。

1.キサラ・ウェストフィールド
   (ボタン同時押しのみで超必殺技まで出せる。まさに初心者御用達のキャラであった)
2.春麗(ボタン連打で技が出るのがラクであった・・・)
3.エドモント本田(上に同じじゃ・・・)
4.チョイ・ボンゲ(溜め系キャラは使い易い。動きも速くて秀逸であった)
5.リムルル(ハメ技というものをある者に伝授され、初めて自力でクリアしたのじゃ)

・・・私の技量の無さが浮き彫りになっておるな。
どうしてもこの手の遊戯は苦手なのじゃ。
貴卿は相当腕に自信があると拝察する。是非私に教授願いたいものだ。
252蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/24 02:03
>245 姜伯約
おお。再び参ったのか。ゆっくりしていくが良い。
燕と賈範については私も応援しておるぞ。懸案の勢力図も完成したようだな。
司馬子上に貰ったプーアル茶があるが、貴殿も飲んでみるかね?

さて回答じゃが、確かに悔しいことは悔しい。
しかし私はあまり感情的にならぬ性格ゆえ、せいぜい次策を練って、
同じ事態を招かぬよう心に留め置くという程度じゃな。

>248(りょーらいらい!りょーらいらい!)
遼来来。名将と名高い張遼のことであったな。曹操の部将として幾多の
手柄を挙げたようだが、それが曹魏の建国にどれほど寄与したかを図るのは
なかなかに難しい。だが、列侯に封ぜられ食邑二千六百戸に及んだというから
武官としては破格の待遇だ。相当な評価を受けておったという事になるな。
乱世ゆえの傑物と言えよう。

では本日はこれまで。また会おう。
本当は悪でも表面上は正義に見えなきゃダメだよね
心に愛が無いとスーパーヒーローになれませんよ!
255来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/24 18:07
秋は死刑の季節だ。今日も十八人に死刑判決を下したが、自らの死を
告げられた時の奴らの表情は何とも言えぬな。

>248
三国魏の名将、張遼を讃えると同時に畏れを含めた言葉だな。
何でも、呉では、それを唱えれば泣く子もやんだと言う。
人材星の如きと言われた魏でも、正に最高級の武人と言えよう。
人を見る目確かであられた武則天陛下でも間違いなく重用した事だろう。

>253
いわゆる偽善の仮面かぶった存在か。三国志で言うと劉備玄徳が
それに当て嵌まるな。本心はどうあれ美麗壮句や虚言を並べれば
多くの人間を偽る事も容易だ。君の申す事、尤もである。

>254
別にそのような物になりたいとも思わぬな。
名も顔も知らぬ者共のために無意味な労苦を味わい、自らの命を危険に
晒すなど痴れ者の所業と評するしかない。その者が悪人と断じる組織か
何かに殺されかけて尚も、そのような戯言を吐けるなら多少は認めて
やっても良いがな。

では、本日はこれまで。
へのつっぱりはいりませんかー?へのつっぱりはいりませんかー?
チューさんもそうでしたが、来さんもファイヤーエムブレム
見ているようですね。では定番ですが好きなキャラベスト5をお願いします。
蔡京さんもご存知でしたら是非とも。
おすすめ観光スポットを教えてください
259以上、自作自演でした。:03/09/25 14:25
久しぶりに歴史質問。清の乾隆帝をどう思われます?
260来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/25 20:49
今日は朝から雨で憂鬱だったので、担当の罪人を幾人か判決が面倒だから
密かに獄中で絞殺してしまったわ。どうせ死刑なのだから構わぬがな。

>256
何を申しているのか分らぬ。
要領を得ぬ質問ではさすがの我輩らでも回答の仕様が無い。
今度はもう少し文章の形を取ったのを頼みたいのだがな。

>257
うむ。遅かれ早かれ来ると思っていた。如何にも我輩も好んでおる。
尤も紋章と聖戦・トラキア(途中で止めた)だけだが、それでよければ
並べるとしよう。しかしすっかり定番になったな。

1 トラバント(国のために戦い、自ら悪名をかぶった王だ)
2 ヒルダ
(一番の憎まれ役だが何故か我輩はこういうのを好むのだ。趣味も合いそうだ)
3 ラケシス(常々一国の王女を審問してみたいと思っていた)
4 フュリー
(司馬仲達殿とほぼ同じだ。制獄を担当しているとこういう者を扱ってみたい)
5 リフ(何故かこの世界では人気がある)
261来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/25 20:53
>258
観光地か。諸君ら日本ではやはり京都だろう。宗教に関係なく
古寺を見るのは精神的にも良い。自然に親しむなら北海道を訪
ねるべきだ。
我輩らの故国、中華では、北京・洛陽・開封・長安などの古都
が有名だが三国志を好むのなら四川省成都の武候嗣まで足を運
ぶと良いだろう。

>259
乾隆帝は雍正帝の四男ながら早くから祖父康熙帝に才能を見込まれ、
二十四歳で帝位についたが、文化面では古今の図書を整理した四庫
全書の編纂や多くの文物を集め、現在の故宮博物院の原形を整える
と同時に、文字の獄や反清文書の版木焼却に見られる徹底した文化
統制を敷いた。
また、自らを十全老人と称したように対外的に軍を進め清の最大領
域を誇ったのだ。
よく指摘される晩年の和珅を重用しての弊害だが、麒麟も老いては
駑馬に劣ると言うように、幾分かの老耄と言っておこう。
何せ歴代皇帝の中でも最長寿の八十九歳まで生きたからな。
ちなみに、忍びを好み、その関連の測字占いや茶の際の礼などに見
られる逸話は幾分誇張はあるが信憑性が高いらしい。
忍んで町を見たという記録は無いが、類似した行動はしていただろう。
結論だが、清朝でも名君の部類に入るのは勿論だが、即位時点で既に
ほぼ完成された帝国が受け継がれており、それを保持するのが乾隆帝
の役目と言えたから、創業の皇帝や混乱期を生きた祖父康熙帝と比較
すると、幾分落ちるのはやむを得ぬ。
それゆえ名君ベスト5にはあえて入れなかった。

では、本日はこれまで。
262姜維伯約 ◆KyohidF0GY :03/09/25 22:19
すみませんが、聞きたい事がありますよ!!

ヌルハチって何ですか?

ははは、さて、逝きますよ。
羽毛布団のこと
264蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/26 06:44
早朝に目覚めたので、外出する前に回答を記して置く。

>253(本当は悪でも表面上は正義に見えなきゃダメだよね)
正義とまで行かずとも構わぬと思うが、外面を取り繕うことは大抵の
人間にとっては重要なことと言える。所詮人間は集団の中で生きる
動物であるからな。その意味で他人からの評価は高いに越したことはない。

>254(心に愛が無いとスーパーヒーローになれませんよ!)
そうか。だがこれを反対解釈すれば、心に愛さえあれば英雄になれると
言うことだな?とかく歴史上の英雄と申さば乱世において武勲を挙げた者
ばかりが列挙される傾向にあるが、私のような平時の能臣が英雄視されても
何ら差し支えはなかろう。私は北宋新法派の官僚であるが、基本的に新法の
精神は“愛民”にあるという。王安石もそのように申しておった。
だから私の心は愛に満ち溢れておる・・・と解釈しても間違いではあるまい。

>256(へのつっぱりはいりませんかー?)
いらぬ。「へのつっぱり」が如何なる物であるかは解らぬが、言葉の響き
からして、さして価値のある物ではないようじゃ。

>257(ファイヤーエムブレム・キャラベスト5)
何やら面白そうな遊戯なので体験してみた。

1.ユリア(強い。初めは役立たずであったが。最後に敵の天子を討ち取った功績は
      他の者に抜きん出ておる。見た目に不気味な小娘ではあるが・・・)
2.フィー(強い。縦横無尽の活躍で、幾多の敵将を撃破した。空を飛べるのがまた良い)
3.レイリア(後方支援で活躍した。この女に戦死されると甚だ困る。代わりがおらぬでな)
4.シャナン(強い。騎兵であればなお良かった。金食い虫なのは仕方がない)
5.マンフロイ(こやつが一番目的と行動が合致しておったように思う)

ちなみに“聖戦の系譜”なる物しかやっておらぬ。
265蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/26 06:47
>259(清の乾隆帝をどう思われます?)
清朝の最盛期を現出した天子として広く名を知られているが、評価は難しい。
一般には康熙、雍正、乾隆の三世百三十年が清朝の最盛期であり、世界史的にも
これほど勢強な大帝国は類を見ない。三帝の中で乾隆帝は特に頻繁に外征を起こし
新疆、チベットまでも支配下として揺ぎ無い支配体制を築いた。しかしこの膨張主義的
政策は確実に財政を疲弊させ、それほどの実益を国家にはもたらさなかった。
また爆発的に増えた人口を把握しきれず、雍正期以来の地丁銀という簡素な税法を
維持し続けたため、人口増加が税収増に結びつかないという悪循環に陥った。
乾隆帝は軍事面および文化面では父祖より受け継いだ遺産を拡大発展させたが、
内政的には清朝の構造上の特性から発する諸問題を解決できず、以後の衰退を
招いたと言って差し支えない。個人的資質は有能であったと言えど、晩年の知的衰弱
ぶりは目を覆うばかりであり、和珅を重用してその専横を許した事は滑稽にすら映る。
晩節を汚した天子として有名な前漢武帝、唐玄宗にまでは及ばぬものの、なお名君と
讃えるには大いに疑問符が付く天子であると私は考える。

>262 姜伯約
貴公か。ヌルハチについて聞きに参ったのだな。
おそらくそれは十六世紀末に出た女真族の首長ヌルハチのことであろう。
当時中国を支配していた明王朝の衰退に乗じて近隣の諸部族を統合し、
明の支配を脱して、万暦四十四年(1616)に、金(後金)という国を建てた。
これが後に中国全土を支配下に置き、二十世紀初頭まで存続した清王朝の
前身じゃ。清という国号を称するようになったのはヌルハチの子、
ホンタイジの代になってからだが、一般的にはヌルハチを清王朝の
始祖として扱っている。漢字では“弩爾哈斉”または“奴児哈赤”と書く。

>263(羽毛布団のこと)
そなたの申したいことが少しも解らぬ。布団がどうしたのいうのだ?
私は、布団に関する知識は乏しいので語ることは難しい。
もし出仕してなければどんな人生を送っていたと思いますか?
また来たぞ。邪魔してすまぬな。
なるほど、二人共聖戦の系譜中心か。好きな者が蔡京は実利主義で
来俊臣が職業趣味に分かれているとは面白い物があるのう。

さて、質問じゃが人間にも光と闇と言える二面性があるが、多くの経験を
重ねられたお主らにとって、これら分別をどう見るかのう。何やら遠回しな
言い方ですまぬがな。
それじゃあファイヤーエムブレムで嫌いなキャラも5人お願いします。
269来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/27 12:42
昼間で太陽の下で罪囚の首が飛ぶ光景はまた格別だ。強いて言えば年配の
むさ苦しい男なのがちと興ざめだがな。

>262 (姜維伯約)
ヌルハチか。彼は後金の建国者であると同時に清の太祖でもある。
女真族の一部族の首長に生まれ、最初は明に服属していたが、父と祖父を
明軍に誤殺されたのを契機に独立を考えたそうだ。
時の明の腐敗に乗して満州を統合し、後金を建国したが、後の皇帝とは異なり
八旗並立と称される一種の連合政権だったそうだが、大幅な独裁権ではない
状態であれだけの業績をなしたのだから、調停者としての能力も相当の物が
あったのだろう。また即位するかなり前から満州文字作成を命じているように
確固とした方針を持っていたと思われる。
ちなみに、建国当初は人口不足に悩まされたようで、捕虜とした漢族や朝鮮族
を連行して使役に使っていた面もあった。

>263
奇妙だと思い調べさせてみたが、関係は見出せなかった。
君の勘違いか、或は何かの比喩かは分らぬが、姜維が混同しない事を
願うのみだ。

>266
我輩は死刑執行前の土壇場で告密の恩恵に預かり、武則天陛下の臣と
なったが、もし陛下が聞き流されていたら確実に処刑されていた。
従って仕官していなかったらと言う仮定は考えにくいな。
死刑を度外視したら、流浪の犯罪者か無頼の徒として塵芥の如き一生を
送り、諸君らの耳目に触れる事など全く無かっただろう。
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/charaneta/1053699484/601-700
ここの>606や>607みたいな人を見てどう思いますか?
個人的に嫌いなキャラハンがいて、そいつは普段から日参でレスしてた。
自分の好きなこのスレに来てる荒らしも毎日来てるからきっと同一人物だろう。
だそうです。しかもほぼ断定するような口調で。
これだけの根拠で犯人という事になるならこの板は容疑者だらけだな。
気に入らない相手を叩くためならどんな強引な思い込みでも平気で
できる厨名無しは恐ろしいよ。    
271来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/27 13:02
>267 皇帝司馬仲達
再び来られて恐悦の至りである。何ら気遣い無用にて何時でも
来られるといい。
光と闇か。我輩は明らかに闇の部類だが、昼と夜が交錯するように
どちらも人間の本性と言える。ただどちらかに傾いている事で善悪
の評価が分かれると言うべきだろう。
闇が世界を覆うと滅びるなどと言う俗言があるが、既に世界の大半が
闇と言うべき思想や行動で占められているのだ。現実に起きている
戦火や政治的謀略・経済活動の裏面がその代表だろう。

>268
うむ。我輩は実用的な部類ではなく人物面で述べるとしよう。
1 レヴィン 
(出奔した無責任極まる王子が奇麗事を申しても何ら説得力が無い。
 祖国を荒廃させた責任の多くはこの者にある)
2 シグルド
(一軍の将と同時に指導者としても失格だ。たやすくあの様な謀略に
 陥れられるなど、人間を知らぬと言うしかない。性善説の悪しき
 見本だ)
3 エーディン
(この女に関わった者は皆不幸になっておる、一人のうのうと生き
 延びているのも潔くない行為だ)
4 ティルテュ
(単に神父が好きと言う理由で実家を裏切り実の父を殺した。愚かな
 女ほど可愛いと言うが、ここまで来ると何も言えぬ)
5 エルトシャン
(一国の王でありながら私情と忠誠の合間で矛盾した行動を取り続けた
 挙句死んだ。家臣や領民にとっては迷惑以外の何物でもない)

では、本日はこれまでと致す。
272来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/27 13:08
>270
今日にいたるまで存在すら知らぬ場所をどう論じれば良いのだ?
それに何ら関係の無い我輩が口を挟む問題でも無い。
そこを担当している者と利用する者が決める事だ。
我輩からはこれだけしか無い。
自分で自分に聖母神皇とか教主道君皇帝とかの称号を付けるセンスをどう思いますか?
274レヴィン:03/09/28 00:48
貴様のような悪党に言われる筋合いも無い!
フォルセティ!!
275宇宙大将軍:03/09/28 01:36
>273
ん?なにか言ったか?
来俊臣様も蔡京様も逆臣と言いつつ反逆はしていないわけですが、
皇帝を殺っちまいたいと思ったことはありますか?
侯景様もお答え下さるなら実際に反逆した感想を教えて下さい
277宇宙大将軍:03/09/28 02:44
>276
そうだな、頭の上に乗かっていたものが無くなってせいせいしたと言うところだな。
あのじじい、もう耄碌して久しいと言うのに無駄に長生きしやがって。
力のあるものが栄え、無いものが滅びるのが、世の道理というものだ。
だから、あんな耄碌じじいより、俺の方が余程皇帝の座に相応しい、
そうはおもわんか?んん?

あまり長居するつもりはないのに、答えてやったのだ。有り難く思え。
278蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/28 12:46
また少し日を空けてしまったな。早速回答していこう。

>266(もし出仕してなければどんな人生を送っていたと思いますか?)
科挙に落第し続けていたら・・・と、いうことか?
弟が進士であるからその縁故で官職にありつく事はできたかも知れぬな。
それが無理でも、私の生家は裕福であったから、生活には困らぬ。
書をしたため、詩作に耽りつつ平凡な一生を送っていただろう。

>267 司馬仲達
よう来られた。貴卿のような名声高き者と交流を持てることは光栄じゃ。
今後とも宜しく願いたい。

光と闇・・・つまり陰陽のことであろうか。太陽と月、昼と夜、男と女、朝廷と後宮、
そのように陰陽が相互に補完しあうことで万物は成り立ち、秩序が構成されるという。
こういった分別は、社会秩序を維持するための形式的概念に過ぎぬが、
その均衡が崩れれば世は混沌とする。貴卿は混沌を収め、中原に新秩序を
打ち立てた者だが、私は結果的に混沌を招いた者だ。その意味では貴卿は
光と闇の双方を持ち合わせており、私はどちらかに偏っていたということになろう。

>268(ファイヤーエムブレムで嫌いなキャラも5人お願いします)

1.ディアドラ(足手纏いでしかない。不気味な外見だけが印象に残った)
2.ティルテュ(登場が遅く、育て上げても弱い)
3.アイラ(打たれ弱すぎる。それでは流星剣も役に立たん)
4.シャルロー(存在意義がわからぬ。姉を見習って舞踊の一つも体得せよと言いたい)
5.エーディン(一言で言えば虫が好かん。内心に腹黒いものを感じる)

・・・言っておくがあくまで私見じゃ。
279蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/28 12:50
>270(ここの>.606や>.607みたいな人を見てどう思いますか?)
一読してはみたがさっぱり事情が飲み込めぬ。
私は当板の事情にはあまり詳しくなく、行動範囲も狭いので、
そなたの申したいことは良く解らん。ゆえにこれ以上は何も申せぬ。

>273(聖母神皇・教主道君皇帝)
各々事情が違うので一概には申せぬ。武后について言えば、彼女はそういった
新しい名称を使うのが趣味だったのだ。センスに関しては何とも言い難いが、
概ね仏教上の用語から引いた物が多いので、さほど奇抜な印象でもない。
一方、道君皇帝を名乗ったのは我が徽宗皇帝であるが、これは単に自らが道教信者
であることを示しただけで、深い意味はない。ただし徽宗は、当時の全世界において
最高の芸術的資質を持った帝王なれば、センスがあったか否かと問われれば、
あったと言わざるを得まい。

>274 レヴィン
一つ問いたいのは、貴様なぜ後半では戦闘に参加しなかったのだ?
そもそも貴様らの世界では、王侯自ら前線に立つのが慣わしなのだろう?
それを後に隠れて適当な檄を飛ばすだけでは評判が悪くても仕方があるまい。
娘(フィー)が猛将であっただけに、貴様の役立たず振りが余計目立ったな。
280蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/28 12:56
>275>277 宇宙大将軍
おそらく易経の一節から引いた名乗りなのだと推測するが、現代人には
かなり奇異に響くようだ。何か空想小説の悪役であるかと思った者も多かろう。
無論、実在の武将であり、実質的に梁王朝を滅ぼした姦雄であるそなたは
ここを訪れる資格十分じゃ。折角であるから自己の詳しい経歴や、
高歓父子への怨念、王僧辯・陳覇先とのせめぎ合いなど語ってみてはどうか?

>276(皇帝を殺っちまいたいと思ったことはありますか?)
いや、それはない。私が皇帝を弑逆しても全く意味がないのでな。宋代以降の
中華では皇帝権の絶対化により、人臣が帝家を打倒して取って代わるという
司馬仲達のような真似は、ほぼ不可能になっておる。そもそも私は可能不可能
に関わらず天子になりたいと思った事はない。王佐の才はあっても、帝王として
君臨するような気概も野心も私は持ちあわせておらぬよ。

これで全部だな。次回はなるべく早めに参る。
ではまたな。
281来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/28 18:56
さて、今夜も皆の質問に回答していこう。

>273
武則天陛下は極めて明敏かつ合理的な思考の御方であったが、それと同時に
瑞祥や縁起の類を好まれると言うある意味矛盾な所があったが、皇帝の尊号
もそれに入る。
多くは陛下御自らの発案だったが、たまに陛下の機嫌を取ろうとする臣下が
上奏して追加名を挙げる者が多くいた。最初は陛下も快く応じられていたが
晩年では些か鬱陶しさを感じられていたらしい。自己過剰と後悔の念が交差
していたのだろう。陛下のような複雑な御人格は我輩もあまり見なかったの
でな。

>274 レヴィン
やはり来たか。我輩の評価が気になる時点で貴様に後ろめたさがある証拠だ。
それに我輩らは死んで久しい身なので、物理的攻撃など効かぬぞ。
このような場に正義や偽善を表する貴様のような者が無粋を働けば、酷刑は
免れぬのだが、貴様の死を悲しむ者が我輩らに刃を向けぬとも限らぬので
見逃すから、早々に立ち去り多少は王子か王らしい行動に励め。
多弁を労するだけでは子にすら見放されるぞ。
282来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/28 19:11
>275、277 宇宙大将軍侯景
確かに貴殿の官職名は些か過大過ぎると申すしかないな。
宇宙とはまた大きく出た物だと前から感心と呆れが半々だったが、
貴殿にとっては満足だったのだろう。
梁王朝を滅ぼし武帝・簡文帝を殺した貴殿は明らかに逆臣の類にて、
再び来る事を願う所存だが、貴殿を殺した羊鯤が現れてはその限りでは
ないかな?
冗談だよ。ここでは過去のしがらみも無いので安心されよ。

>276
如何に魔怪の化身と呼ばれた我輩でも、武則天陛下の御命を狙おうなどと
考えた事は無い。大恩あると同時に我輩が現世で唯一恐れた存在であった
からな。
まあ陛下の甥である武承嗣や武三思らと問題を起こして殺意を持った事は
あるが、陛下御本人に対しては一度たりとも無いのが本当の所だ。

では、本日はこれにて閉廷と致す。
オカマと言えば誰ですか?
惜しい事しましたね。レヴィン獄に放り込んでおけば、
フュリーかシルヴィアが助けに来るかもしれないのに。
そうすれば罠にかけられるでしょう。
285来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/29 00:43
今宵はどうも寝付けぬな。

>283
女装癖のある者か。
特に断定はせぬな。六朝時代では貴族は化粧や軟弱な趣味を好み、中には
風を怖がる者もいたと言う。
また宦官の中にも女のような振る舞いで皇帝などの性的対象となった者も
少なからずいた。
我輩はこのような特殊趣味については別に否定も肯定もせぬが、その時代の
風俗に面があるだろう。一概に嫌いと片付く問題ではない。

>284
最初はそう考えた。特に前者の女が来て捕えれば、最近現れている一部の
者達に喝采を浴びるだろうが、ここは獄舎でも処刑場でもない。諸君らと
我輩らが語り合う場だ。何時かオスカルの時でも申したが、鮮血で穢すべ
きではないのだ。我輩は酷刑を好むが他全員がそうとは限らぬのでな。
その点を了承して欲しい。
しかし、そういう類の者が案外多いには正直感心と驚きがある。

では、また日を改めて来るとする。
286蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/29 07:34
今日はあまり質問が来ておらぬようだ・・・

>283(オカマと言えば誰ですか?)
“オカマ”の定義が良く解らぬが、私が反射的に思い浮かべるのは、
前漢の哀帝劉欣だな。限田策により豪族の大土地所有制限を企図した
それなりに意欲的な天子ではあったが、それ以上に同性愛者として知られ、
董賢なる美童を大司馬(軍政を統括する宰相格)に据え不興を買ったのは
有名な話じゃ。ある日董賢は、哀帝の衣服の袖を頭の下に敷いて、添寝を
しておった。先に目覚めた哀帝は董賢を揺り起こすのを不憫と考え、
刃物で自らの衣服の袖を断ったという。中華において、隠語的に同性愛の
ことを『断袖』と言うは、この逸話から来ておるのじゃ。

>284(惜しい事しましたね)
罠にかけて捕らえ、その後どうせよと申すのだ?私にはあまり嗜虐的趣味は
ないぞ。そもそも“武力18”の私に、あのような豪腕の娘など手に負えぬ。
余計なことに体力を使わぬのが私の信条にて、その提案は却下じゃ。
だが、兵卒として使役すると申すなら幾許かの役には立とう。兵部に上申せよ。
玄武門の変は太宗の汚点と呼ばれてますが、お二人はどう評価しますか
288青森県民:03/09/29 10:54
自分の故郷、青森県戸来村にはキリストの墓なる物があります。
もしご存知でしたら、信憑性なりを論じて頂けませんか?
もし老人と子供、どちらかを殺さねばならないとしたら、どちらを選びますか。
290以上、自作自演でした。:03/09/29 16:21
老荘思想をどう思われますか?
291来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/29 20:26
今日も多くの首が飛んだ。後始末の者の苦労も理解できなくも無いな。

>287
唐の太宗李世民の事か。唐書では兄である李建成と弟の李元吉の悪行が
述べられているが、あれは捏造や虚構と言うべきだろう。
太宗が王朝創世に大功があったのは間違い無いが、それにより高祖が
天策上将などの破格の待遇を与え、それで兄弟間に不和が生じたそうだが、
太宗が事を起こさなければ、何らかの口実で弾劾されるかで粛清された
可能性も捨てきるぬし、正当防衛の名を借りた権力闘争の一つと見て
差支えないだろう。古今、帝位をめぐり骨肉の争いがあるのは枚挙に
暇が無い。

>288
竹内巨麿であろう。我輩も多少存じておる。
さすがに全てが真実とは言えぬが、過去の日本にキリスト教の小規模な
共同体が存在していたのは事実だろうから、その延長で誰か名をなした者
の墓を後に半ばこじつけたのが本当の所ではないか?
ヘブライ語らしき歌も伝わっている所から、もしやユダヤ民族の古代日本
渡来を裏付ける証拠かも知れぬが、真実は闇であろう。
292来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/09/29 20:35
>289
両名が我輩に何ら関係無いのなら、殺す必要も無いが
謀反人もしくは我輩を狙った者の身内なら、どちらも殺す。
老人は何らかの手段で我輩への怨言を他に伝えるだろうし、子供なら
後々刺客にでもなるかも知れぬからな。
禍根は早くに断つに越した事は無い。

>290
老荘思想は儒教と並び、中華の大きな思想源であるが、我輩は嫌いだ。
老荘で唱える事はただ己一人の安寧を良しとし、人間の有意義な事柄を
否定しておる。かつて魏晋の一時期に竹林の七賢と呼ばれる老荘や清談を
好む風潮がもてはやされたが、その結果役人や貴族などの政治に携わる者
に一種の虚無感が広まり、衰退の原因となった。
個人で嗜むのなら構わぬが、国家には害しかもたらさぬのだ。

では、本日はこれまで。
293蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/29 20:47
今日は歴史に関する質問が多いようだな。

>287(玄武門の変は太宗の汚点と呼ばれてますが、お二人はどう評価しますか)
後世の者の評価はともかく、太宗李世民自身、玄武門の変を自らの汚点と考えて
いた事は間違いない。その汚点を正当化すべく、太宗は歴史の改竄を企図した。
玄武門で殺害した兄、李建成の功績を貶めることは言うに及ばず、父帝高祖李淵の
勲功まで自らの物として史書に記させた疑いもある。長期政権の創始者、例えば
前漢高祖や宋・明の太祖と比して、李淵があまりに地味に映るのは、その為だろう。
そのように考えると玄武門の変は、李世民の残忍で狡猾な本性を象徴する事件で
あったと言える。そうして帝位に上った後も、即位にまつわる後ろ暗さを払拭する為
明君として振る舞い続けた太宗だが、その緊張感を生涯に渡って持続させた点は
驚嘆に値すると言ってよかろう。太宗の治世は粉飾されておる部分も多いが、
それを差し引いても中国史上屈指の明君とみて間違いはない。

>288(青森県戸来村にはキリストの墓なる物があります)
聞く所によると、昭和初期に出た竹内某という気狂いが、自らの主宰する宗教団体の
教義の一つとして、そのような説を唱えたのだという。その根拠は「自分の生家に代々
伝わる古文書にそう書かれていたから」だそうだ。さて、その信憑性について論じよとの
ことであるが・・・無理じゃ。これは史論の範疇に属するような性質の事ではない。
むしろ精神医学か行動心理学の分野であろう。あまりの荒唐無稽さに、流石の私も
目眩を感じた。これならばまだ>141の珍説の方が百倍の信憑性があろう。
294蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/29 20:49
>289(老人と子供、どちらかを殺さねばならないとしたら、どちらを選びますか)
生かしておいて、より有益な方を助ける。一般論としては、子供を助けると申すが普通
であろうが、宰相としては常に利益の比較衡量を図らねばならぬ。
とは言え、そのような選択を迫られるような状況は思い浮かばぬな。

>290(老荘思想をどう思われますか?)
無為自然の道に従うことで社会を安撫するという思想だが、やがて宗教性を帯びて、
道教という形で、儒教、仏教と並立するようになった。だが私の生きた北宋の頃には
邪教的な色彩が加わり、礼節を遠ざけて、快楽を追求するという物に成り下がった。
これが宮中での奢侈を正当化し、味を占めた徽宗が道君皇帝などと名乗って、
道教の神仙を気取ったものだが、そそのかしたのは私なので、何とも言い難い。
結局は宗教も倫理も、後世の人間に都合良く歪曲されるのが常と言うことだな。


以上だ。ではまたな。
(・3・) エェー 元のフビライについて教えてYO
残酷さは許容されるのでしょうか?
今更と思われるでしょうが、主君であった武則天と徽宗、それぞれの人物像を
聞かせてください。
298蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/30 20:46
>295(エェー 元のフビライについて教えてYO)
殺戮と略奪によって世界中を恐怖に陥れた蒙古帝国だが、フビライ汗はまだしも
開明的な帝王であったとされる。南宋を滅ぼした際もその皇族を優遇しておるし、
当地での蛮行も戒めたというから、蛮族としての蒙古からの脱却を図る意気込みは
あったのだろう。軍事的資質、汗家の熾烈な権力闘争に打ち勝った権謀術数の才も
相当な物であったと認めざるを得まい。だが、中華の支配者としての内政面における
事績は稚拙を通り越して無残と言うより他ない。蒙古人には財政処理能力など皆無
であったから、フビライ汗はそれまでの伝統に従い、色目人(西域人)官僚に経済政策
を委託したが、この連中は場当たり的な搾取を繰り返す事にのみ長じていた。
言ってみれば、絹の道での中継貿易において利益を上げるような限定的財政手法を、
農業国である中華にそのまま敷衍させ、宋代を通じて発達した経済構造を根底から
破壊し尽くしたのだ。元朝の国家としての施政方針を定めたのはフビライ汗であり
その後継者達も同様の手法で統治した為、漢地にどれほどの混乱が生じたかは
筆舌に尽くしがたいものがある。草原の王者として君臨しておる分には偉大な帝王と
呼べたかもしれぬが、中華の支配者としてのフビライ汗は暗君と言って差し支えないと
私は考える。

>296(残酷さは許容されるのでしょうか?)
抽象的な問いではあるが、例えば、残虐な刑罰というものは必ずしも有効ではない。
死刑ならば、確実に受刑者の生命を絶つようなものであればそれで足りる。
宋代にはあまり残虐な刑罰は存在しなかったが、その為に他の時代と比べて
不法が蔓延したという事実もないので、よく言われる見せしめとしての効果も
甚だ疑問と言えよう。刑罰の残忍さに秩序維持を依存するのは統治体制の不備だ。
・・・やや貴公の聞きたい事とは回答の趣旨がずれているかもしれんが、
私はあまりこの手のことに詳しくないのだ。来が、熱のこもった回答をしてくれるで
あろうから、そちらの方を参考にして欲しい。
おしっこしたい
300孔明:03/09/30 20:50
孔明ですよ!
301蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/09/30 21:04
>297(徽宗の人物像)
一言で申せば、やはり暗君だな。ただし芸術的才能と、それにまつわる教養は
端倪すべからざるものがあったゆえ、人間的には馬鹿ではなかった。要するに
天子としてはさして必要のない能力にばかり長けていたということだな。
徽宗は皇太子に立てられた事もなく、天子になれたのは偶然のようなものだから
帝王学に類するものを身につける機会も意思もなかった。そう考えれば
天子になったことが奴にとっての不幸とも思えるが、むしろ際限なく金を使える
身分を愉しんでおったから、全く同情には値せぬ。そもそも遊興費が勝手に
湧いてくる筈もなく、私があの手この手で金集めをしたからこそなのだが、
その為に王朝自体が半壊し、徽宗自身も辺境の地で客死したのは因果応報と
言えるかもしれぬな。こんな不徳の天子を戴いた我ら人臣こそ不幸というものだ。
302以上、自作自演でした。:03/09/30 21:14
来俊臣さまと蔡京さまは宋の時代に活躍されたのですか?
蜀漢スレの伯約に一言!
専門用語が多すぎて難しいのは何とかならないでしょうか(´・ω・`)
305来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/01 00:45
今日は十六人だったが、その中に見目麗しい娘を持つ親がいたので
減刑と偽って手に入れたが、我輩を拒んで舌を噛みおった。愚かな女よ。
腹いせに親兄弟全て斬首してやったがな。

>295 ぼるじょあ
フビライはチンギス・ハーンの四男トゥルイの次男として産まれた。
兄に憲宗モンケ、弟にイル=ハン国の創立者フラグがおる。
最初は兄であり大ハーンであるモンケの下で漠南漢地大総督として
対南宋戦に従事していたが、モンケの陣中死により急遽ハーン位を
末弟のアリク=ブカとの内戦の末手に入れた。
当初から漢人官僚を重用し中華王朝を目指しており、大都(今の北
京の原形)に都を定め元王朝を創設したのだ。その後南宋を崖山の
戦いで滅亡させ、諸君ら日本に二度遠征しているように対外的には
拡張政策を取り続けた。
内政面では蔡京殿が申されている様に長期的視野を持たず搾取と
人口の大半を占める旧南宋人を南人(蛮子と蔑称される)として
最下級に置き、厳しい態度を取り続け後の元朝滅亡の遠因を放置
したのは大きな失敗だろう。
元王朝随一の皇帝だが、ただ単に他が酷すぎるからそう見えるの
であって、決して名君とは言いがたい。人材登用に多少寛容な面
が見受けられるが、それを差し引いても厳しい物があると断ぜざ
るを得ぬな。
306来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/01 00:47
>296
無論だ。残酷さとは人間が有する感情の重要な物だ。
人智を尽くし大いなる叡智と称される発明を生み出すのも人間だし、
残酷惨劇を演出する酷刑の数々を考案するのもまた人間なのだ。
相反すると言われるだろうが、複雑にして拒まれるのも人間の性の
一つ。何時か来た質問のように死に残酷や悲劇と共に美を見出すの
もまた然りなのだよ。
それを嫌悪する者が多いのは否定せぬが、理想と現実がかけ離れて
いる事を重々承知して見る事だ。
我輩の私見はこの通りだが、別に強制するつもりは無い。
所詮好みの違いと返されればそれまでなのだからな。

>297
武則天陛下は何事にも冷静に対処され、常に最適と思われる策を
出される極めて明敏かつ優れた御方であった。
人材登用でも歴代の名君に決して劣る事無く、玄宗朝の名臣の全ては
陛下御自身が見出された連中だ。
御性格だが、太宗の後宮に入られて以来、艱難辛苦を味わわれた経験
から、極めて恩讐の念が強い御方であった。一度受けた恩は決して
忘れられぬ反面、些細な怨恨も同様に必ず報復された。例えば陛下が
まだ十代の頃、太宗の寵を失いかけ食事すら満足に出されぬのを
見かねた宦官が密かに長安の市で餅を買い陛下に届けたのだが、
高宗の皇后になられてから厚く報いられ、邸宅まで下賜されたそうだ。
逆では、一言でも陛下への怨言を吐いた者はそれまでの功績奈何に
関わらず、即刻我輩ら酷吏に密命を下され処刑を命じられた程だった。
間違いなく古今稀なる名君の一人であられたが、同時にどんな暴君・
残酷な王に劣らぬ恐怖と畏怖の対象だった。
おそらく世界史でも例を見ない巨大な女帝であろう。
307来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/01 00:49
>299
左様か。どうやら君は頑是無い幼児らしいな。
今、我輩の部下に言いつけ、しかるべき場所に案内させるので、
それまで堪えよ。気を紛らわせるのに菓子でも渡すとするか。

>300
今まで一度も顔を見せなかったが、これでここもある程度の
認知を受けたという事か。今更諸葛亮孔明の業績を述べるのも
意味無いが、わざわざ下げるのも謙譲の美徳と受け取っておこう。

>302
蔡京殿は紛れも無く北宋末期に活躍された方だが、我輩はそれとは
異なり唐代の人間だ。諸君ら日本で言う所の大和・奈良時代に当るか。
元来一酷吏に過ぎなかった我輩が名を知られておらぬのは自覚している。
御世辞にも有名でも無いし、中華に大きな功績があった訳でもないので
当然と言えるな。

>303
同じ中華の者ゆえ、交流は持っておるし、今後とも続けていく
つもりだが、一人で運営しているので、何かと気苦労や難題も
多かろう。もし何かあれば我輩らも多少は助力したいと考えている。

>304
確かに君の申す通り、人物名やその他の記録・事績が多いのは
やむを得ぬ。今後は初出や読むのに困難な人名などに振り仮名を
つけるなどして、出来るだけ入りやすくしたいと思っておる。
素直な感情を聞かせてくれて感謝する次第である。

では、今夜はこれで閉廷と致す。
御二人にお願いがあります。日本ので恐縮ですが、俳句・短歌のどちらかを
一つご披露願いたいのですが。
王安石もヘタレですか?
私を論じてください
311以上、自作自演でした。:03/10/01 17:04
御二人にお願いがあります。中国ので恐縮ですが、漢詩・楚辞のどちらかを
一つご披露願いたいのですが。
312以上、自作自演でした。:03/10/01 20:24
ヒトラーってどうよ?
313来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/01 21:43
今日は十一人を処刑したが、刑場で秋月の光を浴びる屍が心地良く見える。

>308
諸君ら日本古来の文学の一種か。我輩でよければ書くとしよう。

紅に 染まりし衣 身にまとい ただ影も見ゆ つみびとの末

訊問で全身傷や血で汚れたのを紅の衣と表わし、刑場に歩く罪囚に
残るは自らの影のみと言う意味だ。

>309
詳しくは蔡京殿が論じられるだろうが、北宋衰退の一因となった
新・旧法派論争において王安石の存在は不可欠だが、仮に王安石が
新法を実施しなければ、旧来通りの政策が続き、かえって諸問題が
積み重なり北宋弱体が進んだかも知れぬ。
ただ一部を見て結論を出すのは早急では無いかな。

>310 エリザベート・バートリー
東欧の大貴族で叔父にポーランド王も出したバートリー家出身だが、
嫁ぎ先である家の姑に馴染めず不遇を囲い、自らの名門と美貌に頼り
後年の残虐行為の一因となったようだが、世界史は無論、ハンガリー
史にも何ら貢献していない貴女は、残酷嗜好者の興味の対象に過ぎぬと
言うのが我輩の思う所だ。
当時の貴族が領民を塵芥の如く見ていたのは間違い無いが些か度が
過ぎたとしか言い様が無い。永遠の若さと美貌を保ちたいと言う願望は
畏れながら武則天陛下も持たれていたが、せいぜい霊薬や神仏頼みに
留まり、決して若い娘の生血になど頼ろうとはなさらなかった。
所詮、永遠の若さなど夢物語に過ぎぬ。貴女の行動の答えがこれだ。
314来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/01 21:45
>311
人命如草木(人命草木の如し)
抜尚何故生(抜いても尚生えるのは何故か)
万物無情理(万物の理は無情にして)
残惨状屍数(残る屍の数を惨状とする)
老天案如不(老いた天はこれ案ずるに及ばず)
後事無夢見(後に夢に見る事も無し)

全てを支配する天にとって人間など草木の如き物にて幾ら死のうが
気にかける事も無く夢に見る事も無い。そういう意味だ。

>312
ヒトラー程評価の難しい政治家はおるまい。何せ第二次世界大戦と
ユダヤ民族絶滅政策が大きな障害だからな。
世界大恐慌後のドイツを復興させ、諸々の先見性に富んだ政策を
好意的に見ても尚余りあるのだろう。
良くも悪くも世界的影響を及ぼした政治家では古今未曾有な存在だが、
我輩はこう断じよう。
一介の税官吏の家に生まれ、若くして不遇(本当はウィーン時代は
裕福だったらしいが)をかこちながら、第一次世界大戦とその後の
混乱期に頭角を表したヒトラーは正に乱世の英雄かも知れぬが、
自らが書き記した我が闘争の論理に最後まで忠実すぎたのが没落と
滅亡の遠因だろう。
本来政治家とは将来的な展望も必要だが、時の応じて臨機応変に
立ち回り事を謀るのが理想だが、ヒトラーは最後まで己自身を
信じすぎて頑迷になり自らを持て余して、文字通り神々の黄昏を
演出したのかもな。
そう言えば、ここにはごく最近までヒトラーがいたそうだが、
今どうしているのか我輩も些か気にかけておる。

では、本日はこれまでとする。
ロシアのエカテリーナ二世が武則天と比較されるのが多いようですが
これについてどう思われますか?
思いっきり自分とはキャラ違いな台詞を吐いてください。
317蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/02 17:02
一日空けてしまったが、結構溜まっておるな。
では回答して参る。

>299(おしっこしたい)
来の部下達が案内してくれるそうじゃ。
恐ろしげに見えるやも知れぬが泣くでない。
珍しい菓子も貰ったのだろう?

>300 孔明
そう言えばここに現れるのは初めてであったな。
あちこちで見かけるゆえ、今更という感じではあるが。

>302(来俊臣さまと蔡京さまは宋の時代に活躍されたのですか?)
来は唐代の臣だが、私は申す通り北宋時代の者だ。日本で言うなら平安時代
後期にあたる。徽宗皇帝趙佶の下で、宰相として約二十年にわたり政権を
担当した。私の名は初耳かね?確かに日本における知名度は殆ど無いが、
水滸伝を読んだ諸君ならば悪役の一人として記憶に留まっていると思う。

>303(蜀漢スレの伯約に一言!)
何やら難しい局面に追い込まれておるようだな。越境に関して各所で揉めて
いるよう見受けられるが、関連スレ相互の交流を深めるのは有意義であろう。
規範に縛られ過ぎるのもまた退屈なものだ。
318蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/02 17:05
>304(専門用語が多すぎて難しいのは何とかならないでしょうか(´・ω・`) )
それに関しては以前より気にしておった。あまりに難読と思える漢字や、聞き
慣れぬ歴史用語などは逐一説明することを心掛けてはおるが、それも余りに
過ぎると、かえって雑然となるのが悩ましい所だ。より平易かつ詳細な回答を
して参るよう我々も努力するゆえ、今後も支援を賜りたいと願う次第じゃ。

>308(俳句・短歌のどちらかを一つご披露願いたいのですが)
では秋を愛でて一首詠んでみよう。後水尾帝には及ばぬがな。

   桂秋の 菊花香りて 雨滋し 琴を携え 問う客もなし

秋も半ばとなり、琴の調べを愉しみつつ杯を傾けんとしたが、折からの雨で
訪ねて来るものもおらぬ。庭に咲く菊の花も雨に濡れてわびしげに映る。
まあ、そういった感じを読み取って貰えれば幸いじゃ。
319蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/02 17:06
>309(王安石もヘタレですか?)
王安石については何度か断片的に語って来たが、この機会に詳しく論じてみよう。
北宋が、遼・西夏に対する莫大な歳幣(安全保障費用)および官僚組織の充実による
費用などがかさみ、11世紀半ば頃から財政難に陥っていたことは前に述べたと思う。
王安石はそのような状況下で宰相となり、新法と呼ばれる改革を断行した。詳しい
内容について言及すると冗長になり過ぎるゆえ省くが、新法の根本的理念は農民や
中小商工業者を支援し、それによって生産増加と景気浮揚を図ることにあった。
だが、これらの政策は富を独占する地主・官僚等に打撃を与えるものであったから
彼奴らの凄まじい抵抗に遭い、さらには法適用にあたっての不手際と、改革に伴う
一時的な景気の後退によって、民衆にも全く歓迎されなかった。新法は長期的視野に
立った経済政策であり、継続されれば効果を上げられたとは思うが、王安石は余りの
不人気から在職五年で宰相を罷免される。翌年には復権したものの、一年間の
左遷生活の中で完全に覇気をなくし、すぐに自ら辞職して二度と政治に関わらなく
なってしまった。やはり、ここで諦念してしまったことが新法を失敗に終わらせた最大の
原因であったろう。王安石は皇帝の信任篤く、かなりの権限を有しておったから、
独裁的に新法を推し進めて成功させることは可能であった筈だ。反対派である
旧法党には、これといって新法に代わり財政難を解決する具体的試案は何も無く、
ただ己の利益と儒家的価値観に縛られて、感情的に新法を謗っていたのみだからな。

(・・・下に続く)
320蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/02 17:07
(続き)

その後、新法・旧法の政策対立は単なる派閥抗争へと堕落する。そして最終的に
勝利者となった私は旧法党を全て駆逐し、新法を完成に導いて国庫を黒字にしたが、
その金は徽宗の贅沢三昧に費やされて、王安石の理想とはかけ離れた結果を生じた。
結局のところ、王安石はあまりにも実直過ぎたのだ。実権を有しておる以上、反対派
に対して幾らでも過酷な処置がとれたものを、無駄に説得を試みるなどしておる。
それに政治家として、良い意味での狡猾さが無かった為、付け入られる隙を与えた。
改革に成功した宰相として、しばしば王安石に比せられる者に、明代の張居正がいる。
こちらは王安石と違い、権力維持の為に反対派を弾圧するなどの非道さを持ちあわせて
いたのが成功の鍵と言えよう。私もまたその範疇だな。尤も私は亡国の臣であるが。
321蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/02 17:08
>310(エリザベート・バートリー )
ハンガリアに勢力を持つ大貴族で伯爵夫人とされているが、婚姻前から
バートリー姓であったことを鑑みると、女伯であったのかもしれんな。
ハプスブルグゆかりの者であったというから、人種的にはドイツ系なのだろう。
バートリー伯家はハンガリア国王とは不和であったと聞く。ゆえに、そなたが
逮捕拘禁され幽閉の身のままに生涯を終えたのは、政治的背景あってのこと
とも推察できる。伝えられる残虐行為にどれほどの信憑性があるかは疑問だが、
何せそなたの生きた西暦1600年の前後と言えば、全ヨーロッパで魔女狩りが
盛んだった時期だ。あらぬ噂に尾ひれが付いて、口から口へと伝わるうちに
かような人物像が形成されただけかもしれぬ。

>311(漢詩・楚辞のどちらかを一つご披露願いたいのですが)
では、拙いながらも一遍を披露しよう。

談空説有夜不眠 (空を談じ有を説いて夜眠らず)
光残月未在深宮 (残月の光いまだ深宮にあり)
窓前寮花猶睡寂 (窓前の寮花なお睡り寂れたり)
忽聞茜燕再紹隆 (忽ち茜燕の再び紹隆するを聞く)

質問に回答し、諸問題に付き論ずる間に朝が来てしまった。
だが、人間のせわしなさとは無関係に、花も鳥も泰然自若としておる。
そのような意味だな。朝方に吟じて貰えれば幸いだ。
322蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/02 17:08
>312(ヒトラーってどうよ?)
ヒトラーは政治家としては決して有能ではないし、その思想も独創的な物ではない。
ヒトラーが作り上げたナチ国家は、組織構造も命令系統も全くの不明瞭で、ヴァイマル
共和国の統治体制をいたずらに破壊したに過ぎない。彼奴は首相になった後も閣議を
開かず、ごく限られた者にしか面会もせず、明確な施政方針を表明した形跡もない。
妄想にも似た抽象的な世界観を語ることと、人気取りにのみ邁進していたのだな。
その為に国家機関およびナチ党の各部局は、行動の足並みが揃わず、ただ各々
ヒトラーの意を向かえる為に迷走して、ホロコーストのような惨劇を招いたと考えられる。
ヒトラーは独裁者と呼ばれ、また現にそのような権力を有していたが、独裁体制に
相応しい整然とした国家機構の形成を放棄したのだ。つまりナチ体制の本質は、
最高権力者の無能を原因とした、中間権力者達による暴走であったと言えようか。
戦争の遂行に際しても、ナチ思想が重要な役割を果たした訳ではない。結局のところ、
大陸の覇者としての地位を英国に容認させ、東欧に生存権を確保するという伝統的な
思想と、当時の世界情勢に基づいての決定だろう。ヒトラーは権力を掌握する過程に
おいてのみ非凡さを発揮し、不満を抱える大衆と、金融資本家や保守的なエリート層
との利害を一致させてドイツを挙国体制に導いた事は評価できる。しかし、そうして得た
ほぼ無制約の権力を使いこなすだけの能力が無かったと言える。所詮この男は扇動家、
演説家の域を出ず、ドイツ第三帝国の顔として機能したに過ぎない。時流に乗って
怪物の役を演じていただけの、無能で矮小な俳優であったと考えるが如何であろうか。
323蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/02 17:10
>315(エカテリーナ二世が武則天と比較されるのが多いようですが・・・)
カザリン大帝か。啓蒙専制君主として有名だな。農奴制の強化と中央集権の
整備で国家体制を強化し、版図の拡大と相まってロシアをヨーロッパの強国に
押し上げた女傑であるが、その治世全体を照覧すれば、一貫性を欠くようにも
見受けられる。ウラルのプガチョフ一揆を経て、遠くフランス革命の声を聞くや
極端に反動化し、それまでの開明化政策をほぼ百八十度転換しているのでな。
武后と似た点と言えば、成り上がりであるという事だが、カザリンの生家は
国王を輩出するほどではなくとも、ドイツの名門貴族であった。
さらに(多分、一番比較されるのはこの点なのだろうが)男癖が悪く、多くの愛人を
抱えていたということだろう。ただ、カザリンが愛人を政治的にも重用したのに対し、
武后はそのあたりの区別を明確にしていたので、同一視は出来ぬな。
しかし両人とも名君と讃えるには一歩及ばず・・・というのが私の意見だ。

>316(思いっきり自分とはキャラ違いな台詞を吐いてください)
蔡京ですよ!


では本日はこれまで。またな。
324来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/02 17:41
ここもマルチが来る程になったか。感慨深い物がある。

>315
うむ。共に王家の出ではなく、嫁ぎ先を掌握して皇帝となり辣腕を
振るった点は共通しているな。武則天陛下も当初は高宗の寵愛のみを
頼りにせざるを得なかったし、エカテリーナ二世も夫のピョートル三世
と険悪の上、ロシア貴族とも決して良好な関係ではなかった。
それを己の美貌(見る者によって異なるだろうが)と才腕で乗り越え
ついには一国の頂点に立った。
よく指摘される愛人問題でもそうだが、武則天陛下は有用な間は重用
されたが、用済み或は害になると判断されれば躊躇無く処分されたの
に対し、エカテリーナ二世はポチョムキンやオルロフ一族を最後まで
丁重に扱ったと言う点が異なるか。とは言えポニャトフスキに対する
後半の冷淡な態度はロシアのポーランド分割を優先した君主としての
姿勢とも取れるか。
そう言えば、諸君ら日本でも大黒屋広太夫の関連で少しは名が知られ
ているそうだな。当時の欧州で日本を意識した数少ない君主と言えるか。
後、武則天陛下に比較に値する者はせいぜいエリザベス1世ぐらいだな。

>316
あの。。。私来俊臣です。。俊ちゃんとよんでね♪
私、血を見るの大っ嫌いっっ!!
血を見ると、もう。。。頭くらくら。。(フラッ
。。ああ。。誰か優しく介護してくれるステキな女の人
いないかな。。。(´・ω・`)

自分で演じておぞましさを感じた事は今日が初めてだな。

では、本日はこれまでと致すか。
325バーハラ城の看守:03/10/02 20:57
>324の316へのレスを拝読し…なぜか恐怖を感じました。
え、オホン。
格ゲーの話題がまえにありましたが、両賢は最近のRPGはやりますか?
今度は逆に来俊臣閣下が徽宗皇帝を、
蔡京閣下が武則天を論じてみて下さい。
前から不思議に思ってたんだけど、三国時代の皇帝の呼び方は献帝とか宣帝とかなのに、
宋や唐では徽宗とか太宗とかなのはどうしてなんですか?
328来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/03 18:51
今日は九人だったが、久しぶりに腰斬を言い渡された者がいたので、見物客
に取っては珍しい見世物となっただろう。本人も二つに分裂した自分の肉体を
見てどう思ったか。

>325 バーハラ城の看守
相変らず、あの城も賑わいでいる様だな。我輩も毎日見ておる。
さて、質問の返答だが我輩はここ数年、新作のそれとは無縁であった。
記憶に新しい所と言えばDQ7ぐらいか。歴代のを全てした関係で購入した
のだが、それ以後の他種類は名前を聞く程度だったのだ。
時間や種々の制約でそうなったかも知れぬが、もし機会があれば何か
目新しいのを嗜みたいと考えている。

>326
宜しい。では我輩は徽宗の芸術面での功績を述べよう。
蔡京殿同様、書の達人として有名だった徽宗だが、その筆跡である痩金体は
後世の金王朝でも章宗が好むなど幅広く使われた。「金を痩せさせる」と
読めなくも無い表現技法が流行したのは皮肉と言えるな。
また、絵画・陶磁器でも徽宗はこれらを保護し推奨したが、李唐を始めと
した当時の著名な画家は、皆何らかの形で徽宗の恩恵を受けておる。
陶磁器で当時、もてはやされたのは白磁だが、徽宗は「雨過天青雲破処」
(雨上がりに雲が破れ、そこから見える青)と呼ばれた青色を表現する
ために国家事業として青磁を完成させたそうだが、これは現在では製造・
残数共にほとんど無く、後の乾隆帝も再現させようとしたが不可能だった
そうだ。
国家を挙げて芸術の向上に貢献したと言う点で五代南唐の後主李U(りいく)
と比較される事が多いが、国を滅ぼしてまで追求した美とは何かと考えさせ
られる物だ。尤も人臣や民にとっては迷惑極まる話だっただろうがな。
329来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/03 18:51
>327
唐代以前の皇帝は、ほとんどが諡号(生前の業績を表した呼び名)で、
それ以後のを廟号(先祖を祭る宗廟に含む呼び名)で言い表すのが半ば
慣習化した。武に優れ戦争で領地を拡大させれば武帝となり、内政で
功績を残せば文帝と呼ばれるようにな。
唐の李世民は、二代目故太宗と呼ばれたが、彼にも諡号は存在しており
「文武大聖大孝皇帝」略して文皇帝と呼んでいた。

では、本日はこれまでとする。
330バーハラ城の看守:03/10/03 21:43
やはり来俊臣閣下も見ておられましたか…

日本史で恐縮ですが、藤原道長の歴史に置ける役割を論じて下さい。
331蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/04 00:15
今日は少し遅くなってしまった。では回答を付して参る。

>325(両賢は最近のRPGはやりますか?)
あまり新しい物はやっておらぬな。ドラクエはほぼ全作やったが、
FFは5と9と10しかやっておらん。しかも内容を忘れてしまった。
その他にはテイルズ・オブ・エターニア、テイルズ・オブ・ファンタジア、
グランディアの1と2、そのくらいだろうか。後はもっと古いものしか知らぬ。

>326(蔡京閣下が武則天を論じてみて下さい)
なるほど。来とは異なる視点で武后を考察するのも一興だ。
武后の治世は概ね太宗時代の威光を受け継ぎ、唐の隆盛期ではあった。
しかしその内実は、均田制の崩壊によって確実に税収が落ち込んでいた筈だ。
実際問題として唐王朝は巨大に過ぎ、均田制のような画一的制度を継続するのは
不可能に近かったと思うが、その崩壊に直面して武后は場当たり的な対応しか
講じていない。武后は人材登用に関して積極的だったとされるが、そうして門地に
こだわらず登用した官僚群の中にも、傑出した経済官僚は居なかった。
狄仁傑からして、宰相としての内政面における実績は特に見当たらない。
均田制の崩壊はそのまま府兵制と租庸調制の崩壊でもあるから、中唐以降の
皇帝権の後退、軍事力の低下の直接的原因であり、単なる経済問題には留まらぬ。
結局のところ武后は、国家最大の懸案につき無為無策であったのだ。
ただし、構造的な問題を解決できず先送りにしたとは言え、とりあえずの繁栄を
維持するだけの良政は敷いており、晩年になってもそれほど政治能力に衰えが
見られなかったので、玄宗よりは遥かに真っ当な天子であったとは言える。
なれば唐代において太宗に次ぐ賢帝であったともみなし得るが、やはり能力に
おいても実績においても、太宗とは比較にならぬとしか言いようがない。
332蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/04 00:18
>327(皇帝の呼び方)
では説明しよう。献帝や宣帝、武帝といった呼称は『帝号』という。そして太祖や太宗、
徽宗などといった呼称は『廟号(びょうごう)』という。唐代以降の天子は確かに廟号で
呼ばれることが多いが、原則として中華の皇帝は廟号と帝号の両方を持っている。
例えば司馬仲達は一般に宣帝と呼ばれるが、廟号は『高祖』という。帝号も廟号も
諡(おくりな)の一種であり、皇帝の死後、その事績によって使用する文字を決める。
後世の人間が、過去の皇帝を廟号と帝号のどちらで呼ぶかは自由であるが、
慣習として南北朝以前の歴史を記す時には、帝号の方が広く用いられた。しかし、
諡に使われる文字というのは、さほど多いわけではないので、例えば『武帝』という
皇帝は前漢から南北朝までに5人以上もいる。時代が下れば下るほど武帝や文帝と
いったありふれた帝号を持つ皇帝が増えていくのは当然のことで、それではあまりに
ややこしく混乱を生ずる。そこで唐代以降の歴史を記す時は、廟号の方を用いるように
なったのだ。なお、明代以降の皇帝は洪武帝や乾隆帝のように年号で呼ばれるが、
これも太祖や太宗といった廟号が多くなって再び混乱してきた為だ。明清では一人の
皇帝が複数の年号を使用するのが禁じられたという事情もあり、また年号というのは
親しみがあるものだから、廟号や帝号を使うより解りやすいのでな。

>330 看守
私も見ておる。だが、最近やたら血生臭いというか何というか・・・
拷問史に詳しい者が多いようだな。そなたも残酷なのは好きかね?

藤原道長か。平安中期の貴族で、外戚として権勢を誇った者・・・であったな。
申し訳ないが、私は日本史には疎くてな。どのような歴史的意義を持つ者なのか
までは解らぬのだ。専横によって国家に害を為したという訳ではないようだな。
文化的功績の方が大きいのかも知れぬ。
チンギスハーンのモンゴル軍が強かった理由を幾つか挙げてみてくれませんか。
334:03/10/04 08:40
両賢にお尋ねします。先ほど放送された実写版セーラームーン
御覧になられたでしょうか?
335来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/04 18:33
暑からず寒からずと言ったこの時期は過ごしやすい物だ。
牢獄に入っている罪囚どもも、さぞ安楽であろうな。死刑か流刑の前の
ほんの一時と言った所か。

>330 バーハラ城の看守
無論だ。あそこ程我輩の興味を引く場も少ないからな。
さて、藤原道長についてだが、平安朝の摂関政治には欠かせぬ名前だが
別に政治的功績や優れた政策を立案・実行した訳でも無く、ただ己と一族の
安泰と昇進のみに費やした宮廷内のみでの存在に過ぎぬ。
他の面では荘園を広げて財を貪り、間接的ながら国家の力を弱めた事か。
中華でも、このように外戚の地位を利用する者が少なくなかったが、その
類と見て間違い無い。異なる点と言えば、易姓革命の慣習が無い日本では
帝位簒奪を考慮の外としていた事か。

>333
遊牧騎馬民族は、普段から馬を乗り慣れている関係上、他の民族より
騎馬戦術に長けており、狩猟などの集団行動も軍事訓練として活動していた。
古くは匈奴や突蕨などもその範囲だが、モンゴルはその中でも抜きん出た
存在だ。
諸部族を統一したチンギス・ハーンの軍事的能力は無論だが、当時としては
効率的だった軍団編成や指揮系統、騎馬軍団ならではの迅速な作戦展開が
挙げられる。他でも侵攻先の技術を積極的に取り入れ、自軍に採用した点も
重要だ。有名所では回回砲(回回とはイスラム教及び地域を指す)などの
攻城兵器や震天雷のような火薬を用いた物だ。
見逃せぬ部分だが、捕虜を極力得ない虐殺・焦土戦術をも躊躇せずに用いた
点もある。占領後を考慮すると難しいのだが、あえてそれらを選んだ特異性
も合理的或は非人道的か。
336来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/04 18:38
>334 民
実は我輩も見たのだが、特に期待もしていなかったので、何ら感想も無い。
演技や脚本も変わり映え無く、強いて興味を引く物ではないが題名上見ざるを
得なかったと言うのが本音だ。
何せ、悠理愛のこの作品を題材にした漫画を所有しているぐらいなのでな。
悪くない過去の一行なのだよ。

では、多少早いが本日はこれまで。
>来閣下
>(実写版セーラームーン)実は我輩も見たのだが
 閣下ともあろうお方がご覧になるとは思わなかったです・・・(笑)
一見、冷酷で現実的なお二人が時折見せるユーモアに何かほっとさせられます。

質問ですが、楊貴妃は国を衰えさせた悪女と呼ばれていますが、本当の所は
どうなのでしょうか?
339来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/05 08:24
早朝から開くのは初めてか。

>337
うむ。前々から広まっていたので、話の種と思って見たのだが、
やはり我輩には似つかわしくないな。とは言え我輩の嗜好に沿う様な
番組など、国営放送か闇経路でしか無いかも知れぬ。
皆とは異なる趣味を持つと言うのも中々不自由なのだ。

>338
そうかな? 大半が黒い物ばかりではないかな?
まあ、それはさて置き、本題の楊貴妃について述べるとしよう。
武則天陛下の孫である玄宗皇帝の寵愛厚き楊貴妃(本名玉環)は、
元々孤児の所を楊家に養われたが、美貌が目にとまり十八皇子で
ある寿王李瑁(りぼう)の王妃となった。ここまでなら別に珍しくは
無いのだが、さらに父である玄宗の命で離別を強制され後宮に入った。
儒教的観念では明らかに禽獣の行為だが、唐王朝では例が無い訳では無い。
武則天陛下も太宗の後宮人でありながら、息子である高宗と通じておられ
たし、太宗も弟の李元吉の妃を奪って子を産ませておるからな。
楊貴妃が悪女と言う評価は多いが、我輩はこれを否定する。
この様な事を経て玄宗の物となった貴妃が本心から愛していたとは
考えられぬし、玄宗とて玩弄物としてしか見ていなかったかも知れぬ。
ただ関心を引いたりするのに身内の楊国柱らを重用して、後の安史の乱の
原因を生んだのは他ならぬ玄宗だ。
その意味では貴妃本人に武則天陛下の様に野望とかは持ち合わせて
いなかっただろう。ただ時流と運命に流されただけの哀れな存在に過ぎぬ。
それ故、後世で語られたのだろう。
尚、美人とは言っても我輩らの時代では、恰幅の良い、悪く言えば肥満した
女が一般に好まれていたので、おそらく楊貴妃も諸君らの基準で見れば美しい
とは思われぬかもな。

では、また今夜再廷すると致す。
340来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/05 08:30
すまぬ。訂正だ。本当は楊国忠の所を楊国柱と書いてしまったわ。
>338始め諸君らに詫びる次第である。
341蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/05 21:02
>333(チンギスハーンのモンゴル軍が強かった理由)
実際のところ軍事制度においても、東西通商路の有機的確保といった点においても、
突厥やウイグルなど過去の遊牧民政権と比して、蒙古のみが特別に優れていたとは
考えにくい。遊牧騎馬民族というのは、優れた指導者が出れば短期間に強大な政権を
作り上げることがしばしばあるが、それもまた蒙古に限ったことではない。
では何故チンギス汗が、かくも強大な大帝国を築き得たかと申せば、周辺国家が
おしなべて最盛期を過ぎ、弱体化していたことが最大の理由であろうと思う。
既に有名無実化していたアッバース朝カリフ政権や、中世抜けきらぬ中・東欧諸国は
もとより、金やフワーリズムのような大国でさえ、易々と蒙古の侵入を許しておる。
仮に13世紀初頭の中華に、盛期の唐宋のような政権があったなら、蒙古はああまでも
強大にはなり得なかったろう。結局は時流に乗ったというのが本質であろうな。

>334(実写版セーラームーン御覧になられたでしょうか?)
実写版・・・? 実写ではない方ならば幾度か見た事はあるが、とても成人の鑑賞に
耐えるような作品ではなかったような気がする。一体あれを今さら実写化したところで
視聴者を獲得できるのだろうか? 製作者の意図せぬ方向で話題をさらうような
予感がせぬでもないが、いずれにせよ私は見ておらぬ。

>337(閣下ともあろうお方がご覧になるとは思わなかったです・・・(笑) )
来は幅広い方向に知識を持つ者ゆえ、ああいう物も一見はするのであろうな。
私も時間が許せば来週は視聴し、然るべき感想を述べたいと思う。
342蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/05 21:07
>338(楊貴妃は国を衰えさせたか?)
宰相時代の私はどちらかと言えば気難しく、若い者達には不評であった。
貴公が私の申す事に幾許かのユーモアを感ずるとすれば、それだけ私の
識見も現代化して参ったということの表れかもしれぬ。

して楊貴妃についてか。私も来と同意見だ。中華史上において著名な
他の寵妃たちと比しても、楊貴妃はそれほど悪質であるという印象がない。
己の栄達と一族の隆盛を無邪気に喜んでいただけの平凡な女だろう。
彼女の従兄弟で宰相になった楊国忠にしても、実際にはそれほど暴虐な
人間ではなかったと考えられる。むしろ玄宗が重く用いた人材の中で、
歴史的に重大な意味を持つのは、宦官の高力士だろう。
唐王朝の衰退の原因は、楊貴妃うんぬんというよりも、より内在的な部分に
あった。私が>331で申したように、均田制の崩壊による統治形態の推移に
伴う軋みが、たまたま安史の乱という形で現れたに過ぎない。
とは申せど、唐王朝は安史の乱以降も100年余り存続し、両税法のような
均田制の発展的代替案も施行されたことから、必ずしも玄宗を王朝衰退の
元凶と断ずることは出来ない。むろん失政の多かった暗君であることは
否定せぬが、安史の乱以降の唐王朝は統治機構や権力構造が、ほとんど
別国家と言っていいほど様変わりしている。さすれば玄宗の治世は、衰亡の
出発点というより、大きな転換期であると考えるのが妥当かも知れぬ。


本日は以上である。
343 :03/10/05 21:07
お二方は、ご自分の容姿に自身はおありですか?
字は上手ですか?
346蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/06 18:13
秋風が身に染むな。体調を崩しやすい季節にて
諸君も健康には気をつけるが宜しい。

>343
宣伝掲示板だと? そのような板があるのを私は初めて知った。
知ったからとて有益とも思えぬが。
性欲も金銭欲も枯れ尽きた身なれば、業者と誼を結ぶ意味はない。

>344(お二方は、ご自分の容姿に自身はおありですか?)
容姿については十人並みと自分では思っている。
また史書においても私の容貌につき、取り立てての記述はされておらぬ。
と言うことは周りの者達にとっても、特別な容姿には見えなかったという
事になろう。あまり関係ないが、横山光輝の漫画『水滸伝』に登場する私は
非常に面白い顔をしている。また集英社の学習漫画『中国の歴史』では、
何故か私は宦官のような衣冠を身につけて「ほっほっほ、童貫どの」とか
「おのれ〜、反逆者どもめ〜」とか「ははは!天下はわしのものだ!」とか
酷い台詞を述べており、大変に不気味な印象であった。

>345(字は上手ですか?)
何度も繰り返すが、私は中華史を代表する書家の一人なのだ。
当時の人間はこぞって私の筆跡を模範とし、褒め称えたものだ。
その点をもう少し評価して欲しいと思うのだが、後世の者達には私の
人柄を憎むものが多く、一顧だにされぬというのが現実だな。


以上だ。また会おう。
蔡京閣下と秦檜では、どっちがより嫌われ者なのでしょうか?
348一日本人:03/10/06 22:51
わが国では謀反人と言えば
斎藤道三殿
松永弾正殿
明智光秀殿
陶晴賢殿
の4名が挙がりますが、光秀殿は概出としても、晴賢殿も前御二方に比べ同情すべき点があるように見受けられますが、両閣下の評価は?
後、ついでに言えば、晴賢殿の主君、大内義隆公の治世は宋国の縮小版のような政(まつりごと)が行われていたそうです。
349:03/10/07 00:56
         ,.-'""゙゙ ‐'´ ̄ ̄`ヽ
       /           .\
      /        _     \
.     r'  ,.r‐'"/ ,r'"´  ヽ      ヽ
    /   j  〈. ヽ    L_      .|
    j  i´   `i 〉    `ー、    .|
.    |  |     V       j    |
    |  !.´,Ξ=,r'  ニ=,_ ./    |
.    |   l `ニ´,';   `ニ´ (     ,!
    \  !、   : j      ,.j.    /
      7 ゙;   `r-゙    / ,.!   〈
      ゝ .l   __ __.   ,.J   ノ    北宋、そして塩沢声とくれば
      \ .!、  `ニ´   ゝ‐'  /     私を思い出さずにはいられないだろう?
       く ヽ       ヒ  ノ
        `ー`Tー-‐'"   `T´
          ,.!、_ _,...._,.-l゙l
350来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/07 09:21
今日も朝になってしまったか。司馬仲達殿の所にあった小説に読みふけって
しまったが、あのような純愛物も良い物だな。

>343
特に我輩の興味を引く物では無いな。
論じるに値せぬと申しておこう。そもそも何を期待して貼ったのか
分らぬのだが。

>344
実は唐代の官吏選考の基準の一つに容姿が要求されていたのだ。
我輩も武則天陛下に初めて拝謁した際も、御目を引いた様なので人よりは
若干抜きん出ていたのだろう。何でも他の者が見るには、蛇眼と見間違う
独特の目が大きな特徴のようだな。大抵の罪囚も我輩に睨まれれば冷や汗が
止まらぬそうだったから、自分で言うのも変だが不気味な容姿と申しておこう。

>345
名だたる書家である蔡京殿とは異なり、特に書道に関心も造詣も無い我輩は
御世辞にも端麗な筆跡とは言えぬな。一応一通りの読み書きは出来たが、
陛下に提出する上奏文の時には、しかるべき腕を持つ者に代筆させる事も
あったのだ。意外に気を遣うのだなと陛下も失笑されていたがな。

>347
水滸伝愛読者や旧法派擁護なら蔡京殿であろうが、岳飛を好んだり極端な
異民族を嫌う中華思想を有する者には秦檜になる。
ただ単に二者択一といかぬ事もあるのだ。功罪相半ばする我輩ら歴史上の
人間なら尚の事だが、それをあえて断定したがるのも悪くないだろう。
尤も、それまで知識と独創的な判断が出来る者は少ないだろうが。
351来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/07 09:41
>348 一日本人
斎藤道三と松永久秀は明らかに主家乗っ取りを最初から画策して実行した
いわば確信犯だが、後の二者はどちらかと言えば自分の立場を守るために
謀反に追い込まれたと言えなくも無いな。
陶晴賢は代々大内家の重臣であり軍功ある武将だったが、主君の大内義隆
と土地問題や方針で対立していた上、義隆の文弱ぶりに愛想をつかした所
がその原因だろう。何でも本人は無骨一辺倒だったらしいから京風の文化
や制度を白眼視して当然か。
宋国の縮小版とは徹底した尚文卑武と取れるが、戦争が日常の戦国時代で
その様な政治を行えばどうなるかは自明の理だ。京から有職故実の専門家を
招いて、それに習うのも時勢に全く合わぬな。所詮家臣に討たれる要因を
自ら生んだ主君の当然の末路だ。

>349 マ=クベ
確かに北宋の壺を好んで収集して声も我輩と同じ(映画で)貴殿なら
そう言えるな。だが悪臣と呼べるかは疑問だ。
直属の上司であるキシリアに媚を売ったり、ランバ=ラル隊にサポタージュ
をしたりしたが、派閥で動く官僚・軍人の間では別に珍しくも無い。
最後のギャンに搭乗しての行動もある意味潔さを感じるし、複雑な人物像を
与えられてさぞ迷惑だっただろう。些か同情を禁じえぬ。

では、今朝はこれにて終えるとしよう。
ナウいことしようぜ!
御二人共、そこまでフュリーがお好きなのですか?
もし、良ければ理由をお尋ねしたいのですが。
354蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/07 22:31
どうにも中華系の者には残虐な印象がつきまとうな・・・
私はそれ程でもないのだが。来も仲達もよくやりおる。

>347(蔡京閣下と秦檜では、どっちがより嫌われ者なのでしょうか?)
宋代の嫌われ者といえば概ね以下に並べた通りだな。

一 王安石、秦檜
二 私、賈似道、童貫
三 韓侂冑、史弥遠

秦檜は売国奴の代名詞であるから嫌われるのは当然としても、
国を滅ぼした訳ではないので時折弁護する声も上がる。
だが私を弁護する史家は皆無だ。そういう意味ではワリを食っておると思う。

>348 一日本人
斉藤と松永は悪逆非道と聞いておる。明智については確かに同情の余地もあろう。
して最後の陶と申す者だが、実は初耳だ。何と読むのかすらわからなかった。
調べた所によると、九州の大内なる諸侯に仕えた者であるとか。
そして大内は海外貿易で蓄えた資力を背景に貴族趣味的な統治をしておったとか。
しかしそれが陶の謀反を正当化する理由になるのか疑問なのだが。
しかも主君に代わって実権を得た陶も、結局は能く統治せず他家に滅亡させられたと聞く。
このような男が日本ではそれほど評価が高いのか?私には謎だ。

>349 マ
成る程。盲点と言えば盲点であった。それはさておき、そなたが指で弾いて音色を
愉しんでおった骨董・・・あれは壺ではないぞ。浄瓶(じょうへい)という水差しの一種だ。
真に北宋の白磁であるか否かは手にとって見ねば私にも解らぬがな。
それに、そなたは悪臣という感じはせぬ。赤装束の男の方が、余程の悪党であろう。
ところで宋代の骨董に興味があるなら、私の書を軸にしてやるから持ってゆけ。
二本用意したゆえ、片方はあの女丈夫に届けてやるが良い。
355蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/07 22:43
>352(ナウいことしようぜ!)
私も存命中には常に流行の最先端を走っていたぞ。
現在でいう音楽プロデューサーのような事もしておった。
特に書においては、私自身が流行の発信源だったのだからな。

>353(御二人共、そこまでフュリーがお好きなのですか?)
そうでもない。武将として評価しておるだけだ。
命令に忠実で野心も無く、女ゆえに官位を与える必要もない。
まこと使い勝手がいい猛将になり得るではないか。
しかし、あれで意外と男に虐げられるのを愉しんでおるのかもしれんがな。
いずれにせよ私は既に性欲枯れ果てた身。
宋国に連れ込んだとしても性的虐待を加える気はない。


それではまたな。
>355
>まこと使い勝手がいい猛将になり得るではないか。
しかし、あれで意外と男に虐げられるのを愉しんでおるのかもしれんがな。


チューさんや来俊臣閣下に比べたら意外にいい人なのかと思ったら…
やっぱ悪人なんですね…(ノД`)
やはり拷問と言えば中国ですか?
お二人の字は何て言うんですか?
チューさんの暴走ぶりに一言いただきたい
息子の名前は何ていうの?
361来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/08 11:52
では、本日の開廷とするか。先程、当該罪囚の家族全員を斬首
したばかりで多少、気が上向いているが。

>352
最早死語になっておる言葉を吐いて、何を頼みたいと思えば
そんな事か。では最近流行の高所からの突き落としでもするか?
何、落下する途中で気絶するから、苦痛を味わう暇も無い。
安心して落ちるがいい。

>353
愚問だな。そうでなければ名を出してまで行く訳が無い。
今まで担当した罪囚は皆、年配か高齢な男ばかりで、正直閉口していたが
正に千載一遇の好機に恵まれ、我輩も大変機嫌が良いのだ。
それに、あのように人品高い女などそう居らぬし、獄中生活と連日の訊問で
どこまで耐えられるか是非とも試してみたいのでな。

>356
ここに常駐している時点で気付くべきだな。悪辣逆臣と銘打っている場所に
善人かそれに値する輩がおれば、滑稽な事に過ぎぬ。
それに、そのように考える者は男でも腐るほど居るのだよ。
案外、諸君らもそうではないのか?
362来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/08 12:07
>357
西洋・東洋どちらにおいても拷問は長い歴史を有するが、我が中華も
その範囲内である。特に春秋戦国から続いた分裂時代で、国家間の紛争が
続き、その関連で種々の拷問技術が発展してきた。
それに加え、北方異民族の侵入や国家建設で外来の技術も輸入され、
その結果、諸君らが知る所の中華独特の物が完成されたのだ。
世界一とは言わぬが、優れているのは確かだな。

>358
我輩には存在せぬ。姓が来で、名が俊臣なのでな。
三国時代などでは一般的だっただろうが、唐代では、この表記が
普通だったのだ。

>359
暴走でも何でもなかろう。あれが司馬仲達殿の本性なのだからな。
別に仲達殿に限らず、我輩らは弱者にかける憐憫の情など微塵も
持ち合わせてはおらぬ。その様な物など、陰謀渦巻く宮廷や足の
引っ張り合いが当然だった世界では、邪魔物以外の何物でもない。
むしろ、弱者や敗者を嬲りつくし、自らの優越性を誇示したいと
思うのが当然ではないのか? 徳川秀忠もそう申しておる。
諸君らの時代でも、あらゆる階層で縮図となって表われているはずだ。
今更否定しても始まらぬよ。

>360
我輩には子はいなかった。特に欲しくも無かったし、仮に居ても
我輩自身、構う暇も気も無かったので放置状態に近かったな。
それに、処刑された時点で我輩の家族は族滅されたので、残っていても
意味が無かった。

では、本日はこれまで。
363蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/08 18:29
>356(チューさんや来俊臣閣下に比べたら意外にいい人なのかと思ったら…)
まあ、この場所に常駐しておるのだからな。善人とは言い難かろう。
しかし私は政治的意味での悪人であって、さほど暴虐非道な訳ではない。
戦場に出た経験もなければ、直接的に他人を殺した事もないのでな。
来や仲達に言わせれば、文弱の徒ということになろう。

>357(やはり拷問と言えば中国ですか?)
残虐な拷問、処刑法といえば古今東西を問わずいかなる政権にも存する。
何も中華のみが特別残忍ということはない。
むしろ文化的に洗練されており、刑罰体系も整然としていたから、
酸鼻きわまる残虐な拷問の類は、他社会に比して少なかったと言って良い。
では何故、中華史の中には残忍な逸話が多いのかと申せば、
中華の士大夫は恥ずべき歴史であっても正確に書き記して後世に伝えることを
美徳とするためだ。歴史というのは必然的に醜いものなのだよ。
従って、特殊なエピソードを直ちに中華全体の風潮と捉え、我々を残忍酷薄な
民族と看做すのは、あまり合理的とは申せぬ。

>358(お二人の字は何て言うんですか?)
私の字は元長(げんちょう)という。しかし別に字で呼ばずとも構わぬ。
なお私の名は「さいけい」と読む。「さいきょう」でも間違いではないが、
漢音呉音の併読はあまり一般的ではなかろう。
364蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/08 18:34
>359(チューさんの暴走ぶりに一言いただきたい)
仲達も私と同様に長寿であったが、老いてなお精気盛んなようだ。
・・・と言うより29歳の若き時分に回春しておるらしいな。
元来仲達は欲望に忠実で、残忍狡猾なればこそ西晋の祖となれたのだ。
暴走というより、あれが本性なのだろう。

>360(息子の名前は何ていうの?)
崇寧三年(1104)の進士で枢密院事にまで上った蔡攸(さいゆう)
礼部尚書を務めた蔡翛(さいゆう)
大学士となったが早逝した蔡儵(さいしゅく)
公主(皇帝の娘)を娶った蔡鞗(さいちょう)
末子で私の秘書役を務めた蔡絛(さいとう)

私の男子は八人いるが、名が後世に伝わっておるのは上の五人だ。
早死にした儵と皇家の婿であった鞗を除き、北宋の南渡に際して、
みな処刑されたり、遠方に流罪となった。
麻叔謀ってどうなったの?
366蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/08 22:39
どこぞの地下牢は相も変わらず賑わいでおるな。
もはや私が出る幕ではなさそうだ。

>365(麻叔謀ってどうなったの?)
申し訳ないが全く解らぬ。隋の煬帝の臣であり、>77にて出た来護児とも
繋がりのあった者らしいが、正史の『隋書』にその名は見えぬ。
実在しない人物のようにも思うが、何かその者についての詳しい資料
などあれば教授願いたい。
横浜市長の中田宏について一言。
なんか宇宙大将軍がバーハラ城に現れたみたいですよ。
369来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/09 10:59
ここ数日、役所からの回答が続くな。間近に罪囚の嗚咽と悲鳴を聞きながら
諸君らと語り合うのもまた一興か。

>365
隋の煬帝に仕え、運河建設の監督に当ったようだな。
苛烈な労働を強いて多くの人夫を死なせた上、自らの病気回復と称して
民間から幼児をかどわかし次々と殺して食べたそうだが、最後は弾劾され
死刑にされた男だ。野史や酷刑史に名前が出てるが我輩の同類と言えるな。

>367
衆議院議員から立候補して、最年少の三十七歳で当選した事で名前が
知られているようだが、実績がまだ不十分だな。
市長に限らず政治家は如何に口舌をひけらかそうと、経験と実績が無ければ
単なる無用の長物に過ぎぬ。支持者が多いだろうがその期待に応えて何事か
を行ってこそ評価に値する。せいぜい長い目で見てやるがいい。

>368
うむ。見てきたが侯景殿に相応しからぬ言を吐いているようだな。
建康を陥落させた際に略奪強姦を奨励し、各地で石臼・車裂・射殺で
民を虐殺した人間が、今更奇麗事を申しても始まらぬな。
千五百年の歳月で人が変わったのか、或は人気取りかは知らぬが、
清廉にして美貌な女義士だからこそ愉悦も一層益すのではないか。
まあ、あそこに書き込んだ時点で同じ穴の狢と言える。

さて、しばらく巡回でもするか。
370宇宙大将軍:03/10/09 14:06
>369 来俊臣
>建康を陥落させた際に略奪強姦を奨励し、各地で石臼・車裂・射殺で
>民を虐殺した人間が、今更奇麗事を申しても始まらぬな。

んー?所詮民草なんぞ、足下に転がっている石ころも同然。
所詮は強者にへつらい、自分より弱いものを虐げるしか能のない、どうしようも無い連中だ。
そんな連中は強者の糧となるのがお似合いだとは思うだろう?おまえも。

だが、俺は俺に敵対したものでも忠臣とか烈士とか、そういう筋の通った連中は嫌いじゃあない。
例えば霍俊とか羊侃とかそういった連中だな。
確かに俺は残忍非道な蛮夷だが、そういう連中はその辺の民なんぞとは、
人間のありがたみが違うことくらいは知っている。
あと人気取りは俺の得意技の一つだ。建康攻略の際には捕虜にした
奴隷を解放して、庶民として連中に城内に呼びかけさせることによって、
城内の動揺を誘ってやった。

騙されるヤツが悪いのさ。
371宇宙大将軍:03/10/09 14:23
それと、もう一つ自分を正当化させてもらうと、
俺が生きた、南北朝時代ってヤツは中国史上もっとも血なまぐさい時代の一つだ。
略奪だの、虐殺だのを奨励したのは、俺だけじゃあない。
例えば、正義の官軍だとか偉そうなことを名乗っている、湘東の片目野郎なんかも、そりゃ酷いもんだ。
自分が帝位を狙う上でライバルになりそうなヤツは、
たとえ、味方や親族であっても攻め殺すは暗殺するはとやりたい放題。
親分が親分なら手下も手下さ、特に王僧弁は俺が好き放題やったせいで、荒れ果てた建康を奪還したときに
民を慰撫するどころか、もう一回、大略奪やっちまって、完全に街として役に立たなくしちまった訳だしよう。
司馬スレでも似た質問がありましたが、宇宙大将軍閣下もおられるよう
ですので、おしえていただきたい。もちろん来閣下も。
なぜ、いまのフュリーにここまでの情熱をそそがれるのでありますか?
ここも最初の頃は謙虚な感じで良スレだったのに、この騒動で底の浅さが見えてきた。
サディストだけが悪人の形じゃないでしょ。もっと他の方法でなりきれないの?
いくら悪人のなりきりだからと言っても、他スレに行ってまで強引な主張を繰り返すのは不愉快。
それに燕スレの864は自分の知識をひけらかしてるようで、すごく感じ悪い。
あれがここのキャラハンや仲達の本音なんだろうね。自分たちは良キャラハンだから何やっても許されるっていう。
孔明や美雨と根は同じじゃん。
悪臣スレに越境し、キャラハンの人格攻撃をした>373様に敬礼!
善良そうなこと言ってズルイね。きみ。
自分と違う意見を持つからといって、そのいいかたは失礼だろう。
>自分たちは良キャラハンだから何やっても許されるっていう
それは決め付け。きみの憶測。自分の憶測で人を責めるのはどうかな?
燕で373に来が誠意をもって答えているのに
さらにここにまで来て追い討ちか
>374
まあ敬礼するのは勝手だけど…
興奮してるの?感情的すぎて言ってることがわからない。
いきなりズルいとか卑怯とか言われても(゚д゚)ポカーン
キャラハン降臨?
>373
>376
ああ、ついにこのスレにも荒らしがでたか。
378375:03/10/09 16:38
>376
荒らすのやめてくれ
名無しが釣られるから・・・
ここの二人ならこの程度の荒れに動じないとは思うが・・・
そう、そう。スルーしろ。373=376は燕も荒らしてた。
381孔明:03/10/09 16:48
ははは
382375:03/10/09 16:49
釣られちゃった。さすが悪臣スレの住人先輩がた。逝ってくる。
>382
おぬしも甘いのう。
あれは正論荒らしという手じゃ。
暗くなってきました。夜が!夜が来ます!魅惑の夜が!!
385来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/09 19:35
>370-371 宇宙大将軍
確かに民草の見方、我輩も共感する所が多い。
単に利用すべき存在と言う認識しかなかった時期もあったし、
極端な話、路傍の石と見た事も否定せぬ。不利益をもたらさなければ
それで良いのかも知れぬ。
貴殿が自分を正当化されるのも同感である。歴史に限らず人間とは
誰しもが自らを悪し様に見られるのは好ましく思わぬので、他の例
と等しく考えるのも自然と言えよう。非人道的な点では大なり小なり
我輩らも変わらぬからな。
忠臣烈士を丁重に扱い、宣伝の一つとするのも古今の権力者が良く
使ってきた方法だし、それを見抜けぬ評論は拙劣であった。お詫びしよう。

>372
嗜虐性癖と賛美の両面が複雑に入り混じった物だ。
彼の者の心身に渡る美を賞賛する反面、その崇高な人格の限界を
見極めたいと言う部分も大きい。
ある文学者はは拷問の快楽性について、精神が肉体の苦痛に平行して
堕落していく様が多くの愛好者の賛同を得ると書いているが、それが
我輩の偽らざる感情だ。だがそれを望むに反してそうあってほしくない
と言う矛盾したのもある。
386来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/09 19:48
>373-383 名無し諸君及び孔明
確かに今回の騒動は我輩の軽率な行動にあったのは否定せぬ。
些か逸脱したと自戒しているが、我輩はどう言葉を取り繕っても
極悪人である事を理解して欲しい。何とか望む物を手に入れたいと言う
願望の表われであったが、それが諸君らの目から見れば暴走や常軌を逸した
行動と思われても何ら不思議でもない。今後は肝に銘じて慎むとする。
それに、どのような形であれ、ここに書き込んだ事柄を一概に否定できぬし
ただ無視・排除したのでは必ず不都合が生じよう。少なくとも我輩は余程の
物でもない限りは真剣に答えていくつもりだ。その点を了承して欲しい。

>384
日々当然の如く来る夜を上手く表現した言葉であるな。
夜は古来より眠り或は死の象徴の一つと言い表されてきたが
逆に夜を秘めた快楽に費やす時と呼んできたのも見逃せぬ。
人間には欠かせぬ男女の営みもそうだし、人には言えぬ事柄も
また然りだ。闇の中に魅惑を見出すその詩心見習いたいものだ。

では、今夜はこれまで。諸君らには詫びる次第である。
387蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/09 19:55
騒動が各所に飛び火しておるようだな。

>367(横浜市長の中田宏について一言)
市長か。私の時代で言えば県令に相当するな。
私が最初に県令を拝任したのは25歳の時であったから、中田とやらより遥かに若い。
中田が市長に就任した37歳の頃は、知開封府(首都圏知事)にまで上っていた。
私の官歴を自慢しても始まらぬがな。来も申しておる通り、まだ目に見えた実績なく
評価が定まるのは先のことであろうよ。

>368(なんか宇宙大将軍がバーハラ城に現れたみたいですよ)
さしもの宇宙大将軍も、情欲に身を焦がした面々の前では為す術なしと言ったところか。
しかし、かの者がフュリーを身請けしても、結局は来らと似たような仕打ちを施すのでは
なかろうかと思うがな。ちなみに私は違うぞ。あの女を江南の叛徒どもにぶつけて、
その隙に禁軍を北上させようと考えたのだ。羽の生えた奇妙な馬に跨る美女を見れば
恐れおののき戦意を喪失するであろう。とかく迷信深い時代であるしな。

>370-371 宇宙大将軍
おお、早速現れたな。貴卿もまた大業ならず歿した身ゆえ史家の面罵を浴びて参った
者なれば、我々と相通ずるところも多かろう。ところでこの板には南北朝時代に興味を
持つ者が少なくないようだ。関連する質問が多いのでな。貴卿、ここに常駐して答えて
みてはどうかね?当事者が回答すれば、さぞかし面白い物になろうでな。

>372(なぜ、いまのフュリーにここまでの情熱をそそがれるのでありますか?)
高潔なところといい、見目麗しいところといい、とにかく何から何まで“そそる”のだろう。
世間的には特殊な嗜好であるから、なかなか理解し難いかもしれぬがな。
また彼奴らは、心の闇を実行に移せるだけの権力を保持していた。
死してなお盛んなのは納得し得るものよ。
388蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/09 20:37
>373-383
意見は様々であろうが、私としてはあまり堅苦しいことは言いたくない。
名指しで非難を受けた来や仲達には気の毒なれど、私も燕の徐昭と
同じくこの成り行きを楽しんでおったのでな。
私も地下牢には書き込んでおるゆえ、来ばかりを責めるは公平ではないぞ。
とにかく、今後も我々は諸卿らの質問に回答して参るゆえ、今まで通りに
遊びに来て貰えれば幸いだ。

>来
さて・・・。今回のことはあまり気にするでない。
尤も、この程度のことで動揺するそなたとは思えぬがな。
私も今までと変わることなく、この場所で質問に回答しつつ
そなたや名無し諸卿と親睦を深めて参る所存なれば、今後も宜しく願いたい。
来閣下、>385での372への解答では納得できかねます。
それでしたら以前からそうであった筈。
なにゆえ、いまの、フュリーなのか、をおたずねしたのであります。
いまの、ってとこを聞きたいのであります。
390来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/09 21:39
>389
そうか。我輩は見当違いの言を吐いた様だな。
実は我輩も仲達殿同様、当初から何らかの形で入り込む事を考えていた。
質問から誰かしかになり直接言葉を交わせたらと密かに望んでいたが、
自作自演決め付けの輩によりその機会を失い、半ば諦めていたが
先日の降臨を目にして、正に目前に吊り下がった肉に飛びつく犬の如き
状態に陥ったのだ。我ながら短慮だったが、まさかあれ程の者がおるとは
予想外だったな。
正直、今後どうなるかも解らぬし、何かしらの具体策を考えている所だ。
具体策ですか。…来俊臣様が、あいかわらずお元気で安堵いたしました。
蔡京閣下には何か血なまぐさいエピソードはないんですか?
どのへんが悪人なのか良くわからないのですが…
じいさん宰相とばぁさん宰相
394蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/10 04:58
残りの質問に回答して休むとしよう。

>384(暗くなってきました。夜が!夜が来ます!魅惑の夜が!!)
北宋の都、汴京は不夜城なり。夜通し煌々と明かりが灯り、平和と繁栄に
酔いしれたものだ。それは私が宰相として君臨した時代も変わらぬ。
国庫は傾き、衰亡の足音は聞こえど汴京のみは泡沫景気に沸いておった。
水滸伝には徽宗皇帝が夜の街に繰り出して、李師師なる芸妓と戯れる
描写があるが、あれはほぼ史実と考えて良い。愚かなことよな。

>391(…来俊臣様が、あいかわらずお元気で安堵いたしました)
さもあろう。これが来俊臣という人間だ。嗅覚鋭く利に聡い、機転の利く者
なればこそ、獄中にあって死刑の沙汰を待つのみの無頼漢から、朝廷の
要職にまでのし上がったのだ。豪胆なること常人の比にあらず猛獣の如し。

>392(蔡京閣下には何か血なまぐさいエピソードはないんですか?)
残念ながら、ない。前にも申したが、宋代では士大夫(インテリゲンチャ)を
処刑すべからずという慣わしがあってな。敗戦の責任を問われる場合や、
大逆罪など刑法的な咎ある場合を除いて、原則官僚は死刑にならぬのだ。
ゆえに私が旧法党人を弾圧した際も、左遷、流罪、官界からの永久追放
などが限度であった。宋代は血生臭さの薄い時代なのだ。

>393(じいさん宰相とばぁさん宰相)
左様。巷間では私を公相(爺宰相)、童貫を媼相(婆宰相)と呼び、揶揄して
おったらしいな。確かに私と童貫は二人三脚で出世の階を踏んで参ったが、
最終的には決裂した。童貫は将軍として各地に出征し、武勲を挙げる事
めざましく、節度使と領枢密院事(軍政長官)を兼ねるに至った。私も当時は
宰相に安遠節度使を兼ねており、官位において並ばれたことになる。
私もこれにはいささか危惧を抱いたが、童もそれを察したようで、私から
離れて息子の蔡攸に接近するようになった。結局のところ童貫は宦官であり、
私は科挙官僚。本心から相容れる仲ではなかったということだな。
ひかえおろう!ひかえおろう!この方をどなたと心得る!
さきの周王、趙元儼八千歳であらされるぞ!頭が高い!ひかえおろう!
候景「蔡京殿の求めに応じて、このスレに常駐してやることにした。みなのもの有り難く思うように。」
   「・・・とは、言えこうもスレの流れが進んでいては、なかなかどうしてレスを返すのも一苦労だな。」
王偉「閣下。ここは、とりあえず最近のものに限ってレスを返し、折りを見て前の方のものにも
    レスを返していくのが上策と存じます。」
候景「うむ。分かった。そのようにしよう。」
王偉「では、古からのなりきり板の習慣に従い、テンプレから始めるといたしましょう。閣下もご記入をお願いいたします。」
候景「うむ。」

名前 :候景
年齢 :わからん
性別 : 男
職業 :宇宙大将軍のちに漢帝
趣味 : 狩りと戦争
恋人の有無 : 臨賀王の娘を妻にしている。 つまらん女だ。
好きな異性のタイプ : 華北に残してきた妻。
好きな食べ物 : 肉と酒。肉は自分で狩ってきたものが一番よい。
最近気になること : 湘東の片目野郎の動向
一番苦手なもの :梁の武帝。この俺とあろうものが冷や汗をかかされた、もう二度と会いたくない。
得意な技 :伏兵、人気取り
一番の決めゼリフ : こやつは義士だ。殺してはならん。逃がしてやれ。
将来の夢 : 中原を制して、高澄を出来る限り、惨たらしく殺してやること。
ここの住人として一言 :俺には軒先を借りて母屋をかすめ取った前科がある。
               もし今度もそんなことになっても文句をいうなよ。
ここの仲間たちに一言 : ここの連中を仲間などとは思ってはいない。
ここの名無しに一言 :俺を恐れ敬え。
王偉「今度は私が書かせていただきます。」

名前 :王偉
年齢 :申し訳ありませんが、私は生年不明なのです。
性別 : 男ですよ
職業 :候景閣下の謀臣
趣味 : 詩作
恋人の有無 :澄みませんが、これも不明なのです
好きな異性のタイプ : 今はそれどころではありません
好きな食べ物 : 美味しいものならばなんでも
最近気になること : (心の声:候景の馬鹿さ加減)
一番苦手なもの :(心の声:候景)
得意な技 :謀略と有職故実ですね。王佐の才といえましょう。
一番の決めゼリフ :閣下、 ここは○○するのが上策と存じます。
将来の夢 : 丞相になることです。 王佐の才の持ち主である私にはこの地位こそ相応しいでしょう。
ここの住人として一言 :私は自分が逆臣であるなどとは思っていないのですが・・・
ここの仲間たちに一言 :候景閣下共々よろしくお願いいたします。
ここの名無しに一言 :質問お待ち申しております。
398来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/10 18:29
今日は某所で名前の出た弓矢による緩慢な射殺刑を試してみたが、
運悪く急所に当ってしまい即死だった。今度折を見て腕の良い者を
官費で雇うか。

>391
現在ある筋に依頼し進行中だ。
それに我輩が何時までも悩むなど笑話に取り上げられるだけだからな。
悩むより、何らかの手段を考案し実行するのが最良の策だと思っている
のだよ。

>392
酷吏の我輩と異なり、正統派官僚の蔡京殿には、そのような逸話は
無いし、伝わってもおらぬ。政敵を左遷・流罪にするのは何時の時代でも
ありえるし、宋では原則的に士大夫を言論で殺してはならないと言う
暗黙の規則があったらしいからな。
いわゆる石刻遺訓と称される物だが、実際に存在していたかは時代の異なる
我輩には分らぬ。

>393
蔡京殿と童貫を揶揄した物らしいが、最後まで連れそう老夫婦のような
間柄など、昨日の友は今日の敵が常識な政治世界では不可能だろう。
蔡京殿が申されている様に、立場も出自も異なる者同士が手を組むのは
当面の双方の利益が合致した時のみで、やがては離れていっても不思議
では無い。尤も通常の人間関係でも同様だろうがな。
399来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/10 18:40
>蔡京殿
この度は我輩の過失で貴殿にも迷惑をかけたが、愉しまれていたとは
さすがは蔡京殿らしい言葉。
悪臣が互いに憐憫の言葉を掛け合うなど、嘲笑されるだけだろうし、
今回は目こぼしを願う所存ですよ。今まで同様宜しく頼みますぞ。

>395
北宋太宗の八男を表現しておるな。
皇帝は万歳だが、それから幾分差し引いて八千歳とは、大きく出る物よ。
確かに果断豪気で父の太宗に愛されただけの事はあるが、本来皇子で王
に封じられた者は、ある程度身の程を弁えぬと兄弟である皇帝に睨まれ
時には粛清の対象となるのだぞ。武則天陛下の夫である高宗の兄弟も
それで大半が最後を全うしておらぬ。

>候景殿・王偉殿
これは南朝に燦然と輝く逆臣のお出ましか。
こちらに常駐していただけるとは真に光栄の至り。存じている通り
全てに回答する義務は無い故、自分らの可能な範囲で答えられるが
宜しかろう。
我輩らもせいぜい、ここを乗っ取られぬよう心掛けるので貴殿らも
隙を見せられぬ様に。過去の通りにらならぬ事を祈る。

では、本日はこれまで。
400孔明:03/10/10 18:41
孔明ですよ!
401来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/10 18:44
>400 孔明
やはり来たか。そう思って四百を残していたがこうまで
好機を逃がさぬとはさすがは諸葛亮孔明。
三国志演義での活躍は未だ健在だな。おめでとうと申しておこう。
(きょきょろとあたりを見回して候景がいないのを確認してから)
王偉「朝方、候景閣下が書かれたテンプレには重大な誤りがいくつか存在するようでございます。」
   よって、私の方からご訂正申し上げたいと思います。」

>年齢 :自分の年齢もお解りにならないとは・・・まあ、私も閣下のことは言えませんが。
>趣味 : 虐殺と略奪に無上の喜びをお感じになられているようです。
     時には必要な事かも知れませんが、少しは御自重なさって貰いたいものです
>好きな異性のタイプ : 残してきた奥方にまだご未練があるようでございます。意外と女々しゅうございますな。
>好きな食べ物 :仮にも閣下は一国の支配者。蛮夷丸出しの食べ物ではなく、もう少し、雅な物を召し上がって貰いたいものです。
>最近気になること : もう少し、ご自分の行動を気にしていただきたいものです。
>一番苦手なもの :ご本人が書かれている通り、武帝陛下でしょうね。初めて対面したときなど、
            まともにお声もお出せにならない始末。端から見ていて、笑えましたとも。
>一番の決めゼリフ :こやつの腸を引きずりだせい!とした方が正解というものでしょう。
             まあ、確かに閣下が義士を好まれるということに嘘偽りはございませんが。
>ここの住人として一言 :皆様に向かってこのおっしゃりよう。先が思いやられます。
>ここの仲間たちに一言 : 行ってるそばからこれですか・・・・はぁ。
>ここの名無しに一言 :あまりに傲慢な物言いにお気を悪くなされた方もいらっしゃるでしょう。
              閣下に変わって、私から皆様にお詫び申し上げます。

私も閣下も多忙につきレスをお返しできるのは明朝以降になりそうです。申し訳ございません。
403蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/10 20:02
>395(さきの周王、趙元儼八千歳であらされるぞ!)
趙元儼は北宋太宗の第八子にて真宗の弟に当たる皇族だ。幼少の頃より
才気煥発で太宗に特別愛されたらしいな。榮王位にあったとき奴婢の失火
により宮殿に火事を起こし、その咎で端王に降格されたと史書にあるが、
附馬都尉の石保吉らが真宗に言上して赦しを請うたそうじゃ。
その後は真宗歿後も皇族の重鎮として在り、仁宗の慶暦3年(1043)に病死した。
謚は恭肅燕王。後に徽宗の時代になり進封されて周王に上っておるようだな。
従って趙元儼は、生前に周王と称されたことはなかった筈だ。

>396-397 宇宙大将軍ならびに王偉
おお、よく参ったな。常駐してもらえるとは心強いことだ。見れば未だ叛心衰えず、
梟雄の風格が漂って参るな。私もせいぜい寝首をかかれぬよう注意を払おう。
とりあえず以前の質問の中から適当に選んで回答してみては如何かな?

>400 孔明
どこをどう解釈しても貴様は悪臣ではないからな・・・。
まあ、私からも400獲得を祝福しよう。

>402 王偉
貴公も存外苦労人だな。
あの檄文さえ無くば、元帝の下で第二の人生を歩めたやも知れぬが。
ところで『宇宙大将軍』の号は貴公の発案であろうか。


以上だ。それではまた。
三侠五義に出てくる襄陽王趙〔王+玉〕って存在したん?
405蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/10 22:14
>404(三侠五義に出てくる襄陽王趙〔王+玉〕って存在したん?)
そうか。先に名が挙がった趙元儼もその書物に登場するのだな。
私は読んだことがないのでよく解らぬのだが。
調べたところ、襄陽王趙珏というのは魏王趙廷美の子という設定らしいな。
『宋史』宗室伝によると魏王には男子10人があって各々封侯されたというが、
全て名前に「徳」の文字が入っており、珏という名の者は見えなかった。
爵位においても長男の徳恭が死後高密郡王に追封されたのが最高位で、
襄陽王に封じられた者は居ない。よって実在の人物ではないのだろうと思う。
>宇宙大将軍

なんだか、王偉が閣下のことを馬鹿にするような書き込みをしていましたよ。
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/charaneta/1061533344/
このスレについてどう思います?
歴代のローマ皇帝が出没しているようですけど。
石刻遺訓があったのに岳飛はなんで殺されたの?
409来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/11 13:33
今日、密告があった景教(ネストリウス派キリスト教)の寺院を
探索したのだが、その際に容貌の良い尼僧がいたので、逮捕して
部下に与えてやった。たまには部下に施さなければな。

>402 王偉殿
貴殿も主君のために励まれておりますな。儒教的観点及び梁王朝から
見れば逆臣だろうが、案外忠誠を尽くしたと言えなくも無い。
名無し諸君らはともかく、我輩らは侯景殿の尊大な物言いが如何にも
それらしいと感心しておるので、別に修正する必要も無かったのだがな。
まあ、その気の配り様は見習うべきか。

>404
蔡京殿が申されておるように、あくまでもその作品中のみに登場する
人物と見て間違い無いだろう。
貴賎の者を重要な役柄とするのは、多くの歴史を題材にした野史小説の
類では良く使われるし、武侠物ではその傾向が強いようだ。
中には清の乾隆帝があたかも諸君ら日本の水戸黄門の如き活躍をする話も
あるから、特に珍しい事でも無い。
実在・架空と余り考えずに楽しむのが一番だろう。
410来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/11 13:54
>406
侯景殿もそこまで狭い了見の方ではあるまい。
おそらく杖打十回程度で許されるのではないか?
何せ股肱の臣の言を一々咎めては、後々自分が困るのだからな。
まあ、今の所は採決待ちという所か。
ところで、宇宙大将軍と侯景殿とでは、どちらで呼べば宜しいのかな?

>407
奴隷であるな。そこは我輩も良く見ておる。
レティシアの影響でローマ帝国の歴代皇帝がよく顔を出しているが、
剣闘士を互いに戦わせ、どちらかが殺されるまで見物するのは古代ローマの
重要な娯楽の一つ。むしろ皇帝直々の御来駕とは奴隷たちにとっても光栄の
極みと言うべきだろう。
初代アウグストゥスや五賢帝などの名君もいれば、ネロ・カリギュラの如き
暴君もいたローマ帝国時代は、多くの者の関心を引くから、別方向でローマ
総合スレに変えるのも悪くは無いのではないか?

>408
石刻遺訓では士大夫と限っており、軍人はその範囲に入っておらぬようだ。
岳飛は元々農民出身で一兵卒からのし上がった者故、出世の過程で多くの
反感・嫉妬を買っていたのは間違い無いし、秦獪もその点を見抜いて
殺したのだろう。
金との和平反対は突き詰めれば皇帝への反逆と取れるし、謀反の嫌疑と
なれば尚更だ。
結論だが、柔軟に対応できなかった岳飛の非と言えるかも知れぬ

では、本日の昼の議はこれまで。
>399 来俊臣殿
>これは南朝に燦然と輝く逆臣のお出ましか。
候景「誉め言葉と受け取っておこう。」
王偉「ですから、私は自分のことを逆臣などとはry」

>403 祭京閣下
>梟雄の風格が漂って参るな。私もせいぜい寝首をかかれぬよう注意を払おう。
候景「ふん!貴様ごときが気を付けたからと言って、どうにかなるものでもないわ!」
王偉「祭京閣下にそのようなご言動・・・すこしは御自重ください。」

>あの檄文さえ無くば、元帝の下で第二の人生を歩めたやも知れぬが。
王偉「かつて、魏の武帝(曹操)は自分のみならず、自分の父祖をも罵った檄文をかいた、
陳琳をその才を愛するが故にお許しになられ、重用なされたと言う故事がございましたが、
元帝陛下にはそのような度量に全くかけておられたということでしょうな。
もっとも、首尾良く元帝陛下に仕えることができても、候景閣下と良い勝負のあの御気性では
お先真っ暗という気もいたしますが。」

>ところで『宇宙大将軍』の号は貴公の発案であろうか。
王偉「ええ。そうですよ。候景閣下が「俺に相応しい、強そうで格好いい号を考えてくれ。」
などとおっしゃるものですから、それにお応えしたまでです。
ある意味、候景閣下に最も相応しい号だと自認しておりますが何か?
あと、出典ですが、易経ではなく准南子です。恐れながら訂正させていただきます。」

>404
候景「王偉!貴様が答えよ!俺にはわからん!」
王偉「と、おっしゃられましても、すでに>405で祭京閣下がお答えになられているご様子、
私から付け加えることはございません。」
あなたの一族の姓の始まりを教えてください。
>406
王偉(むう、余計なことをおっしゃる)
王偉「閣下!>406が閣下の右足のこと(候景は右足が生まれつき短かった)を誹っておりましたぞ。」
このようなものの罵詈雑言、閣下のお耳に入れるのはおそれ多いと愚考いたし、
舌を引き抜いておきました。どうぞ、御処分くださいませ」
候景「うむ。そうか。大儀である。誰か、こやつを車裂きにせい!ゆっくりじわじわとやるのだぞ。」
王偉(くくく、うまくいったようですね。)

>407
王偉「ローマ帝国でございますか、歴代のローマ皇帝で、候景閣下にもっともお近いお方といえば、
マキシミヌス・トラクス帝でございましょうな。」
候景「ほう、ローマ皇帝にも俺とよく似た男がおるのか。」
王偉(成り上がりぶりとか統治の残酷さとか、部下に背かれて暗殺されるという死に方といい本当にそっくりです。
    それに、閣下は江南の貴族方と対立なさいましたが、マキシミヌス・トラクス帝も元老院と
    激しく対立なさっていたようですな)

>408
候景「来俊臣めはあれこれ、難しいことをいっておるようだが、俺に言わせれば事態はもっと単純だ。
要するに法だの、遺訓などは現世で力を持つものにとっては好きなように曲げることができる、無力なものに過ぎんということだな。」

>409 来俊臣殿
>貴殿も主君のために励まれておりますな。
王偉「そういって貰えると嬉しゅうございますな。
武則天陛下とちがい、候景閣下はそのおそれ多くも無学なお方でいらっしゃいます。
その分、操りが・・・もとい、補佐のし甲斐もあるというものです。」
>412
候景「うーん?一族の姓の始まりだと?そんなものが俺に何の関係がある?興味ないな。」
王偉「閣下、閣下は一応、漢代の司徒候覇さまということになっております。
   もう少しそれに相応しいご言動をなさいませ。」

王偉「ところで、みなさまがたは電子遊技の初代三国志で遊ばれたことはありましょうか?
以前、候景閣下が私めのパソコンで遊ばれたときには・・・」
(以下、王偉の回想)
候景「こたびの戦のため兵を集めたいのだが兵糧も金もほとんど無いではないか!」
王偉(「開発」も「商業」も面倒くさがって一回も実行していないのですから、当たり前でしょうに)
候景「ええぃ!略奪だ!ものどもゆけい!」
王偉(早速、十八番ですか。先が思いやられますな・・・)
候景「何ぃ!住民反乱だと!?おのれい、あの辺の民を根絶やしにいたせい!」
王偉(兵糧が足りぬと言っては、略奪をし金が欲しいと言っては略奪をし、美女狩りだといっては
    略奪をしているようでは当たり前でしょうに。つーか民衆の根絶やしなんてコマンドはありませんって。)
候景「呂布が裏切っただと!さんざん恩賞をくれてやったのに裏切りをなすとは恥知らずめ!ヤツの三族を皆殺しにせい!」
王偉(閣下に呂布のことを非難する資格は無いでしょうに。それに三族皆殺しなんてコマンドry)
候景「こやつは義士だ、逃がしてやれ!」
王偉(ゲームの中で何をカッコつけているのですか?関羽を逃がしたりしたら後々面倒なことになるのは目に見えておりますのに)
候景「洪水発生だと!天は俺を滅ぼすというのか!」
王偉(だから治水コマンドくらい実行しておきなさいて申しましたのに。閣下を滅ぼすものは閣下ご自身の愚かさです!)
候景「もはやこれまでか!だが、さんざん俺のことをこけにしたこやつも道連れだ!)
王偉(って、八つ当たりで人のパソコンを壊さないでください!)

と現実さながらの有様でした。
王偉「レスに漏れがあったようですな。心からお詫びをいたす次第でございます。

>410 来俊臣殿
>宇宙大将軍と侯景殿とでは、どちらで呼べば宜しいのかな?
候景「俺様は皇帝になった身だ。だから陛下と呼べ。」
王偉(声を潜めて)
「皇帝になどなるのではなかったと、さんざん泣き言お並べになられたのに
今更、それは無いでしょう。どうぞ、閣下のおっしゃることはお気になさらずに、
皆様のお好きなようにおよびになられて結構です。」
お気に入りの処刑法を聞きたい。
ワシは、戦車のキャタピラに罪人をくくりつけて、戦車を走らせるのが好きだ。
ワシの屋敷の中庭を軽く一周させれば、人間ミンチのできあがりという寸法だ。がははは。
417蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/11 21:09
>406(王偉が閣下のことを馬鹿にするような書き込みをしていましたよ)
これ。そのようなことを吹き込むでない。ただでさえ宇宙大将軍は戦況
思わしくなく疑心暗鬼に陥り易くなっておろう。実際の所、王偉が心底から
大将軍に忠誠を誓っておるのかは微妙な所だが・・・

>407(このスレについてどう思います?)
ほほう。そのようなスレがあったのか。奴隷制社会というと反射的に古代
ローマ帝国を思い浮かべる者が多いということであろうか。いずこかの
地下牢と違い、こちらの方は若干明るい雰囲気だな。まあ奴隷と虜囚では
置かれた立場が違おうし当然の事ではあるが。

>408(石刻遺訓があったのに岳飛はなんで殺されたの?)
岳飛は謀反の罪で誅殺されており、言論を咎としての刑死ではない。
冤罪ではあったろうが、当時の朝廷はそれを国益と判断したのだ。
ちなみに『宋史』『金史』とも石刻遺訓なるものに関する記録は存在しない。
野史に記載があるのかも知れぬが、私は目にしたことがないので解らぬ。
だが、もし石刻遺訓が実在したとすれば宦官を通じて我々の耳にも入り、
史官の記録に留める所となった筈だ。よってその実在は疑わしいと思う。
宋王朝が後周の子孫を保護したのは、太祖の公的な遺訓によるものであり
石刻うんぬんとは関係がない。士大夫勿殺因言論(士大夫を言論によって
殺すなかれ)というのも、徹底した文治主義に起因する暗黙の掟であって、
誰かが明文的に定めたものではない。
418蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/11 21:12
>411宇宙大将軍と王偉
>ふん!貴様ごときが気を付けたからと言って、どうにかなるものでもないわ!
左様左様。将軍。何も態度を改めて殊勝になる必要などなきゆえ、今後も貴卿
らしく振る舞いなされよ。ここには貴卿に満顔の汗を滴らせた武帝もおらぬでな。

>あと、出典ですが、易経ではなく准南子です
なるほど。淮南子からの引用であったか。『南史』によれば簡文帝もその号を
聞き「将軍すなわち宇宙の號ありや!?」と驚愕したそうだな。驚愕というより
呆れ返ったというのが真相のような気もするが、わざわざそのような号を考案
する貴卿も中々に人が悪い。ある意味私同様、典型的な文人気質であるな。

>416 アブドゥル・ラシッド・ドスタム
現代アフガニスタンの将軍か。様々に残忍な逸話が漏れ聞こえるが、卓越した
軍略家だとの評価もあったな。私は特に囚人が死にゆく様に愉しみを見出す
人間ではないゆえ、気に入りの方法はないな。行政官僚としては余計な費用と
手間の掛からぬものを推奨する。斬首・絞首で差し支えあるまい。


以上だ。
412が飛ばされた!?
420蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/11 21:58
>419
おお、ついうっかりしていた。故意ではないので赦されよ。

>412(あなたの一族の姓の始まりを教えてください)
“蔡”というのはありふれた姓だが、おそらくは地名に由来するのだと思う。
河南省中部あたりに古来、蔡という国が存した。周王朝の一族が封じられた
伯爵の国であった筈だが、そこから起こったのかもしれぬな。
まあ、私はあまり古代史に詳しくないので誤っている可能性もある。
ちなみに私の生家は祖先に特別著名な人物がおるわけではない。
南方の開発に伴って福建に流れ込んだ新興の地主一族であったろう。
光栄の三国志で、顔グラフィックがご自分に似てると思うキャラをあげて下さい。
ここで一句
辮髪にされて、額に中の字をつけられたらどうしますか?
424来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/12 14:51
日々、他国の多くの者が飢餓に苦しみ家族の死に目を見ておる様だが、
所詮、その国家の責任。手を施す必要も無い。

>412
我輩の姓である「来」は特に漢族では珍しくも無い物だ。
我輩の表向きの父である来操は長安で賭博を糧とした無頼の徒で
母方も何ら名家でも無いただの一民草。由緒も何も無い。
後年、出世してから家系図を作ろうと言う薦めがあったが、
興味も関心も無かったので、そのままにしたが家柄とは無縁で
自分の才能のみでのし上がった我輩には、それが似合っていたからな。

>415 宇宙大将軍侯景殿・王偉殿
では、幾分敬意を込めて官位と名前を足した表現で呼ぶとする。
我輩に関しては、特に指定はしないので呼び捨てでも一向に構わぬから
遠慮無く我を通されるがいい。

>416 アブドゥル・ラシッド・ドスタム
ほう? 現代の者が来るのは貴殿が初めてであるな。未だ政情不安な
アフガニスタンはいわば群雄割拠。貴殿が政権を取られても何ら
不思議では無いので、自らの野望成就と祖国再建に励まれるが宜しかろう。
さて、我輩も無数の処刑を実行してきたが、制約があり大抵は斬首。
良くても腰斬だったので試してみたい方法は幾らでもあった。
>409でも述べた景教の寺院に置いてあった彼らが救世主と崇める男の像
だが、それで表現されている磔刑がその一つだった。
両手両足に釘を打ち込み、さながら蝶の標本の如き姿で晒しつつ、緩慢な
窒息による死を迎えざるを得ない死刑囚の表情を是非とも眺めてみたかっ
たのだ。我輩の美意識に沿った端麗な死に様と言えるだろう。
ちなみに、中華最高の酷刑である凌遅刑は余り我輩の興味を魅く物では
無い。鮮血で穢れるし後始末が大変な上、罪囚の表情が余りにも醜く
歪むので観賞に値せぬのでな。皇帝陛下の命令とあれば実行するだろうが。
425来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/12 15:13
>419
幸い、蔡京殿が即答された様で何よりだ。
我輩もたまに過失を犯すかも知れぬが、その時は同様に
指摘してくれると有難い。

>421
周瑜・孫策と言いたいが、さすがにそこまでうぬぼれておらぬので
ここは少し差し引いて甘寧としておくか。
好男子の顔に幾分釣り上がった目を加えれば、ある程度我輩の顔に
近くなるだろう。

>422
問われては 尚ぞ愛しき秋の陽を 我が名広まる 池の葉の波

諸君らの質問に回答しつつ、少しでも我輩らの名が池に木の葉が落ちた際に
浮かぶ波の様に一面に広がるのを願うと言う意味だ。

>423
某超人格闘技漫画か。あれに出てくる中華の超人の髪型が辮髪だが
元々は狩猟民族特有の物で、主に女真族・満州族が用いられてきたが
明末の清の北京制圧の頃から漢民族にも強制された。
「髪を留める者は頭を留めず」と布告された様に違反者は斬首された
程だったが、諸君ら日本人には中華のイメージの一つとして定着した
ようだな。
尚、もし我輩がそれをされるとしたら、やはり拒まねばなるまい。
我輩らの時代では禽獣の類と蔑まれていたのでな。

では、本日はこれまで。
426蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/12 22:45
>421(顔グラフィックがご自分に似てると思うキャラをあげて下さい)
シリーズによって違うだろうが、賈詡や王朗あたりの顔を想像してもらえれば
概ね間違いなかろう。国家の重鎮にありがちな顔と申せば良いか。
三国志Z限定で良ければ王粲の顔が一番近いように思う。

>422(ここで一句)
玉庭に 紅葉踏み分け立ちぬれば 虚空に聞こゆ 神仙の声

あまり深い意味はない。前回と同様に秋の情景を詠んでみた。

>423(辮髪にされて、額に中の字をつけられたらどうしますか?)
例えば清朝建国時のように、強制的に辮髪を結わせ、額に“中”と書かせる
習俗を持つ民族が中華全土を支配したならば是非もあるまい。粛々として
これに従い、足早に新皇帝の元に赴いて、官職にありつけるよう世辞の
一つでも申すであろうな。まあ、一歩間違えると不忠者として斬られる
パターンであるから万全の注意を払わねばならぬが。
だが、何らかの刑罰として辮髪を施され、額に“中”と書かれたならば、
中華の士大夫としては恥ずべきことよな。髪が生え揃うまで自宅に篭もり
憂悶の日々を送るより他あるまい。


以上だ。ではまたな。
玉をおもいきり蹴られた時の痛みを言葉で表してください
李儒って頭いい?
今の勢いが漢字一字で表すのだ!
430来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/13 02:08
秋の深夜は色々と思い浮かぶ事も多い。頭から離れぬ事も同様だが。

>427
それでは不足であろう。今担当の者を呼んでくる。

………………
宮刑係「お待たせしました。では下半身を露出して、そこに座って下さい」
427「あの……何を?」
宮刑係「はい、動かないで。では“後悔不後悔”?」
427「え?は、はい」

427「ギャーーーーーッッ!!!」
宮刑係「陰茎睾丸、切除完了しました」

ご苦労。適当に手当して内侍省に引き渡しておけ。

>428
その者は三国志の董卓の参謀らしいな。後漢書の董卓伝に名前が出ていた
筈だが、やはり演義での描写を元にして述べざるを得ないか。
廃帝の弘農王と何皇后を処分し、長安への遷都を進言するなど完全な
悪役の参謀だが少なくとも主君に利益をもたらしておる。
特に王允の計略を一早く見抜き、的確な対策を立てておる所は良臣を
呼べよう。優れた知略を有しておる証拠だ。
主君に殉じた点から見ても、悪臣逆臣では無いな。
431以上、自作自演でした。:03/10/13 02:09
みなさんどこの国の方ですか?
432来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/13 02:16
>429
「酷」
酷吏である我輩がほぼ同じ時間におり、酷烈とも呼べる勢いが
あるであろう。また最近の傾向として残酷な回答が多い。
それ故、酷を選んだ。

>431
今現在ここに常駐している我輩ら四名は皆、中国の人間だ。
我輩、来俊臣は唐と武周の二つの王朝で武則天陛下に仕えた
酷吏である。
どうやら君はここを見るのは初めての様だが、一通り見てどう
思ったかな?是非感想を聞きたい物だ。
433蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/13 04:52
妙な時間に目が覚めた。早速回答しておこう。

>427(玉をおもいきり蹴られた時の痛みを言葉で表してください)
ふむ。蹴られる痛みと切除される痛みとでは相違があろうと思う。
その点、来は質問の意味を取り違えた。どうせ故意であろうがな。
ちなみに清朝の時代で去勢手術の成功率は九割に達したというが、
おそらく唐代においても致死率は低かったであろうと推測できる。
中華医学の偉大さがしのばれよう。

>428(李儒って頭いい?)
董卓の命令で廃帝劉辯に毒酒を勧めた者として、『後漢書』何皇后伝に
わずか一行の記載があるのみで、詳細は解らぬ。
『三国志』『後漢書』双方の董卓伝にも、李儒という者の名は見えない。
よって三国志演義に描かれた李儒の姿は全てが創作という事になるな。
経歴も事績も全く不明の人物ゆえに、名前だけを借りて董卓の女婿と
いう設定にしたのだろう。

>429(今の勢いが漢字一字で表すのだ!)
「衡」。つまりバランスだな。ここには来のような極悪非道の酷吏がいる一方で、
私のような正統派科挙官僚もおる。粗暴粗野の宇宙大将軍には、王偉のような
洗練された文人が侍しておる。姦臣賊臣と一括りにされつつも、様々な類型が
あって、ここに奇妙な均衡が成立しておる。そう思わぬか?429よ。

>431(みなさんどこの国の方ですか?)
中華だ。四千年の歴史じゃ。私は蔡京、字を元長といい北宋の徽宗皇帝の
下で、新法派の宰相として仕えた。『水滸伝』にも登場する。なお我々四名は
いずれも刑死したり惨殺されたり野垂れ死んだりと最期を良くしておらぬ。
因果応報と看做すか否かは、ここを見ておる諸卿次第と言えよう。
皆様はそれぞれの皇帝に仕えられましたが、正直幸せでしたか?
武田勝頼には生き残るチャンスは無かったのでしょうか?
このスレッドの方々は、耶律楚材氏をどう評価されますか?
437来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/13 21:49
>434
武則天陛下に御仕えした十一年間は真に充実していた。
一介の死刑囚から抜擢を受け、自分の得意分野で功績を上げ、
悪名とは言え歴史に名を残せたのは望外の幸せであった。
最後がどうあれ、これが我輩の偽らざる気持ちだ。

>435
長篠の戦いで大敗を喫した時点でそうした断定がなされてきたが
他にも幾つか好機はあったのだ。
特に越後の上杉家の家督争い、いわゆる御館の乱の折、勝頼は
正室の実家である北条家の推す上杉景虎への支持から一変し
景勝へと鞍替えしたが、これが致命的と我輩は考える。
仮に従来の姿勢を貫けば、武田・上杉・北条が血縁関係で結ばれ
織田・徳川とも対抗できただろう。甲陽軍鑑の記述通りに賄賂で
そうしたと言うのなら、展望が甘すぎたと断じるしか無い。
家督継承や当主としての立場で勝頼を弁護できるが、軍略・政略では
父の信玄よりはるかに劣ると言える。

>436
元の前身であるモンゴル帝国に仕え、中華方面の財政担当として
活躍した耶律楚材だが、中華文明の保持に欠かせぬ存在だろう。
もし耶律楚材が進言しなければ、華北一帯は牧草地か略奪の場として
しか扱われず、無数の被害が出たのは間違い無い。
利益を問いて文明とは程遠いモンゴルを、開明化に導いた功績と
ある程度の帝国財政基盤を築いたのも大きな功績だ。
後の元王朝の人種基準で言う「漢人(旧金の漢民族・女真族・契丹族)」
に分類される耶律楚材だが、もし彼の政治姿勢がもっと強く継承されて
いたら元王朝の形態も変わっていただろう。
所詮、モンゴルにとっては都合の良い徴税係に過ぎなかったのかも知れぬ。

では、今夜はこれまでとする。
金王朝最大の暴君、完顔亮について一言。
明治に活躍した、初代県令・三島通庸について一言
440蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/14 02:30
>434(皆様はそれぞれの皇帝に仕えられましたが、正直幸せでしたか?)
そうだな・・・。私は純粋な出世主義者であり、徽宗の下で官は太師、
職は尚書左僕射兼門下侍郎、爵は魯国公にまで登り、人臣として最高の
地位を得たのだから、まずは思い通りになったと言える。ただし私は若年で
進士となり、行政手腕も権謀術数も突出していた(と自分では思う)から、
徽宗の治世でなくとも宰相にまではなれた筈だ。その点では生まれた時代を
呪うばかりだが、苦労して宰相となってからは七十歳を過ぎるまで権力を
掣肘されることもなく、やりたい放題に振舞ってこれたのだから、
幸福と言えば幸福であったかもしれぬな。ただし、もう十年早く死んでいれば
私の評価も変わっていただろう。私は長寿であり過ぎたのだ・・・

>435(武田勝頼には生き残るチャンスは無かったのでしょうか?)
来が>437で詳細な回答をしておるので、日本史に疎い私の出る幕では、
なさそうだな。私としては長篠の役は、新旧の戦法の差が勝敗の分かれ目
になったと考えていたのだが、どうやらそのような単純なものではないらしい。
調べてみると勝頼が兵を引くことを躊躇ったのも大きな敗因であるそうな。
とまれ勝頼個人が政治的に生き残る機会があったかはともかく、武田氏の
勢力が再び隆盛を誇ることは不可能であった───くらいのことは私にも
想像がつく。
441蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/14 02:40
>436(このスレッドの方々は、耶律楚材氏をどう評価されますか?)
実際のところ、耶律楚材という人物がどの程度の能力を備え、またどの程度の
権限を有していたのか、あまり詳しいことは解らぬ。この時代の事については
信頼に値する記録が乏しいのだ。まず耶律楚材はチンギス汗の代においては、
国家の重臣というより、汗家の執事といった趣であったと思う。チンギスに近侍
して、征服事業に伴う蛮行を諌め、天文について助言することで信任を得たよう
だが、このあたりの事績は幾分抽象的で評価が難しい。
オゴタイ汗の時代になってからは財政官僚として活躍しておるな。
“漢人世侯(金王朝から帰順した軍閥)”を用いた漢土の間接統治を排して
中央集権化を図るために、華北の戸口調査を指揮している。中央政府が戸籍を
把握することは、住民から直接に税を確保することを意味する。だがオゴタイ汗は
そうして漢人世侯から奪った税収ルートの大半を蒙古の一族功臣に譲与してしまった。
このあたりにオゴタイ汗と耶律楚材の絶望的な思考のズレが見られるな。
これら税制の整備は中華的思考を持つ財政官僚としてはごく常識的な発想であり、
耶律楚材は必ずしも突出した能力の持ち主ではなかったと思う。しかし、所詮は
外様である楚材が、敢えて身の危険を顧みず己の思うところを進言して、蒙古を
ある程度啓蒙したことは評価して良いのではなかろうか。だが、逆に耶律楚材が
蒙古を中華の政権として生半可に漢化したことが、以降百年に渡って漢地を
圧政の下に置く原因になったとも解釈できる。
442蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/14 02:42
>438(金王朝最大の暴君、完顔亮について一言)
完顔亮、すなわち金の海陵王だな。これも判断の難しい帝王だが一言で申す
ならば“焦り過ぎた”ということだろう。都を移し、漢族官僚を重用し、諸制度を
整備しつつ、自らも中国文明に陶酔して中華の帝王に相応しい中央集権型の
皇帝独裁国家を築こうとした。これは施政方針として間違いではない。しかし、
それら諸政策と並行して南宋討伐の軍を起こしたことが、結果論から言えば
海陵王最大の失策であった。とは言え戦況はむしろ金軍に有利であったから、
遼陽でのクーデターがなければ、長江を渡って南宋を滅ぼしていたかも知れん。
海陵王は暴君に違いないが、明確な方針を持って国家運営をしており、決して
無能ではなかった。もし南北統一に成功しておれば、かなり強大な統一王朝が
中華全土に出現していたと思う。海陵王の私生活における残忍さや、即位の
際に多くの皇族諸侯を殺した事は、あまり重視する必要はあるまい。廃帝に
関する事績だけに、捏造や誇張の類が多かろうしな。

>439(明治に活躍した、初代県令・三島通庸について一言)
初めて聞く名だ。調べた所では山形・福島・栃木などの県令を歴任し、
盛んに土木工事を興して社会基盤の整備につとめる一方で、県民に
過酷な負担を強い、反対派を弾圧した圧政者として有名な者らしいな。
行政手腕には優れていたのだろうが、性酷薄で悪名高い。為政者に
とってみれば便利に使える官僚と言えようか。


以上だ。
俺は曹操が好きだ。
だから北魏が嫌いだ。
まぎらわしいんだよゴラァ( ゚Д゚)!!
春秋戦国の宋桀について一言
来俊臣 ◆SiKEI/O88M 様の伝言を預かって参りました。
詳しくは、こちらをご覧下さい。
ttp://il24.alfheim.jp/~alps/narikiri/test/read.cgi/TheNorthWind/1065975212/l50

>438
完顔亮(迪古乃)即ち金の海陵王は従兄弟である熙宗の下で
宰相となっていたが熙宗の淫虐を見てこれを暗殺し、自ら皇帝
となって蔡京殿が述べられた通りの中央集権策を強引とも言える
手法で押し進めたが、南宋討伐の最中に自分が暗殺され、死後に
庶民に落とされた廃帝である。
当時の金と南宋は表向き敵対関係にありながら和約や歳幣で共存
関係とも取れる矛盾した間柄だったが、それを打破する方法が
相手の存在を認め経済的に共存するか、或は敵国家の殲滅しか
無い。海陵王が選んだのは後者だが妥当な判断と見て良いだろう。
単に結果が最悪となったので暴君の烙印を押されたと言える。
反対派や一族の粛清も別段、この男のみがした訳でも無いし、
簒奪した世宗による過大な捏造が多分に含まれても不思議では
無い。何せ史官にもその類の話を懸賞金付きで求めたと言う
から余計拍車が掛かったのだろう。

>439
三島通庸は薩摩出身で各地の県令を歴任した人物だが悪評が
高いのは否定できぬな。
土木事業で苛烈な重労働を強いたのは将来への展望と中央政府
からの支持だろうが反対派、特に田中正造との確執は三島には
悪評、田中には美談となるが、当時の県令は今とは異なり、
中央の命令を忠実に実行するのが役目なので別段、三島が残忍
非道と言う訳では無い。
県令罷免後も警視総監として終始要職に在った様に中央特に
伊藤博文の庇護が物を言ったのだろう。
仮に我輩が同じ立場なら三島と変わらぬ手法を用いただろうから
若干親近感を感じなくも無い。
伝言の続きです。

>443
確かに知名度の極めて高い三国志ファンから見れば、魏を
冠する王朝は単なる曹操及び曹魏の劣化コピーの類と見ても
不思議では無い。
だが、春秋戦国や五胡十六国、南北朝にも魏王朝が確固として
存在していた以上それらを廃して論ずるのは出来ぬのだ。
支配民族から政治形態まで異なる王朝だから尚更なので、
それを理解して貰えれば幸いだ。

>444
宋の辟公の息子に、兄を追放して自らが君主となり暴虐の評を
得たあげくに宋を滅亡に追いやった者が夏の桀王に類似した点
が多いので宋桀と呼ばれたそうだ。
春秋戦国では同族が王位を争うのは日常茶飯事で、それに
関しては何も無いが、亡国の君主となるとやはり厳しい評価を
下さざるを得ない。
まあ、別にこの者に限った事では無いのだがな。

では、本日は出張の形となったがここまでとする。
早く解除されぬものか。

尚、この場の管理人及び利用者に対して詫びと同時に
多少の理解を得たい。日参を売りとしている以上
仕方が無いのでな。
規制ですか来俊臣様…ご愁傷様です。

元王朝の姓は何て言うんですか?あまり聞いたことないですよね。
448蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/14 18:26
>443(北魏が嫌いだ。まぎらわしいんだよゴラァ( ゚Д゚)!! )
無茶苦茶を言うな貴公は。魏は地名に由来する国号であり、別に曹操の
専売特許という訳ではないのだから、諦めて区別するより仕方がなかろう。
確かに日本では曹魏の方が知名度が高いが、北魏は隋唐の源流となった
政権であり、歴史的には重要な意義を持つ。均田制を初めて施行したのも
北魏であり、道教の成立にも関わるなど文化的な功績も大きい。
まあ、北魏には“代”という別称もある。どうしても北魏と言いたくなければ
そちらを使うが良い。あまり正確ではないのだがな・・・

>444(春秋戦国の宋桀について一言)
宋桀ではなく桀宋ではあるまいか?宋の康王偃(えん)のことだな。
みだりに家臣を殺し、その妻を奪うなど非道の振る舞いが多く、暴君の
代名詞である夏の桀王になぞらえて“桀宋”と呼ばれた。これは宋王に
対する罵倒としては幾分微妙な意味を持つ。なぜならば、宋という国は
周の一族功臣が封じられた国ではなく、殷の王族の末裔だからだ。
桀王を倒して夏を簒奪した(と思われる)殷王朝の子孫を、その桀王に
譬えるというのは痛烈な皮肉であると言えよう。偃は宋最後の君主であり
国を滅ぼしたという点でも桀王に似るが、その為に暴君に仕立て上げられた
という印象を受けるな。いずれにせよ古代の、それも中原では非主流の
小国にまつわる話ゆえ、詳しい所は不明な点が多い。
449蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/14 18:29
>445-446
どなたか存ぜぬがわざわざの伝言痛み入る。しかと承った。

>来
今度はそなたが規制か・・・。
不便ではあろうが、やはり当スレはそなたがおらねば始まらぬ。
早々に規制が解除されることを祈るばかりじゃ。


>447(元王朝の姓は何て言うんですか?あまり聞いたことないですよね)
奇渥温(キャット、またはキャン)という。
正確にはボルジキン氏族の中のキャット部であり、
合わせて“キャット=ボルジキン氏”と称することもあるな。
どちらにせよ蒙古の人名はかなり中国語と異なる音を持つので、
姓にはあまり触れず、名だけで呼ばれる事が多い。
表記する上でもその方が楽であるしな。


とりあえず以上だ。質問が溜まれば後ほど再び参る。
450趙高:03/10/14 18:48
ふ、後世に佞臣と呼ばれるものが
愚民の質問などほっておけば良いものを、
いちいち答えるとは律儀なものよ。
451来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/14 20:57
思ったより早く規制解除できたようだ。

>445-446
実に速やかな対処、我輩も心から感謝する。
君のおかげで面目も立ち、これに勝る喜びは無い。
幸いにして解除されたが、人間がこれほど善き存在と
思えたのは何百年ぶりかな。

>447
うむ。何とかなったようだ。長く留守には出来ぬからな。
元王朝の祖、チンギス・ハーンはボルジキン氏族出身で
蔡京殿が申されているのが答えだが、いわゆる「黄金の氏族」で
代々皇帝位を継承してきた元は、他の中華王朝とは多くの点で
異なるが、姓もその一つだな。

>蔡京殿
祈りが通じたのか、早くに解除されて我輩も柄にも無く
笑みがこぼれますぞ。迷惑を掛けることが無く幸いですな。

>450 趙高
貴様らしい言葉だが、それがこの場所の売りであり魅力なのだ。
我輩らに害をもたらす訳でも無く、むしろ益となる名無し諸君らと
ある種の関係を持ち、双方に足しになるのは善き事ではないか。
452蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/14 22:49
>450 趙高
ほほう、久しぶりだな。それとも以前に参ったのとは別人かの?
そのような憎まれ口を叩いておらんで、そなたも何か一つ選び
回答してみよ。中々に面白いという事が解るぞ。
ちなみに私は佞臣というより姦臣だな。
『宋史』でも佞倖伝ではなく姦臣伝に記載されておるのでな。
まあ、どうでも良い話ではあるが。

>451 来
おお、思いのほか早い復帰でなによりだ。
これでまた安泰じゃな。
中国の「三国志演義」、フランスの「三銃士」、日本の「赤穂浪士」など、人は、歴史のなかで
敗北した方に思い入れが、あるようで、たくさんの創作物になってます。
これについて、一言、お願いします。
年俸どれくらい貰ってました?
第2次大戦以降の独裁者ワースト5を挙げてみて下さい。

個人的には以下の面々を推しますが
1.金正日
2.フセイン
3.ポル・ポト
4.ビノチェト
5.フランコ
次点.アミン
456来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/15 19:28
燕に恐ろしい奴が現れおった。正に楽毅が昭王に仕えた様な物だ。

>453
諸君ら日本で言う所の判官びいきだな。
敗者に憐憫の情と共に再評価もしくは「もしも」を考えるのに欠かせぬし
彼らにも美学があるのが主な理由か。
忠誠心・愛国心・野望などだが、それらが絡み合い後の世でそれらのような
物語となって大衆に受けるのだろう。
ちなみに我輩は「三銃士」を原作・NHKアニメ版双方とも好んでおった。
アラミスが全く異なるキャラクターとなったのには驚きと興味が沸いた
物だったな。

>454
我輩に限って言うと、国家よりの俸給の他に、副収入即ち賄賂が
主な収入源だった。減刑や昇進の口添えに相手から渡されたり、時には
我輩の方から遠回しに要求したりと様々な方法で集めたが、一年として
計算すると、今の高級官僚と同等だろう。
その他にも、我輩ら官僚が現役の間に下賜される「職分田」と子孫に相続
できる「永業田」の上がりを入れると相当な額になった。
唐・武周は官僚の待遇が割合良かった時代だったが、明では歴代でも
最低の水準だったそうだ。下手な庶民の方が恵まれていた程で、俸薄の害と
まで呼ばれたが、それ故汚職が日常化したのだろう。
457来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/15 19:30
>455
久しぶりのベスト5だな。では我輩の視点で見てみる。

1 毛沢東(建国の父だが、文化大革命・大躍進で中国の発展を大きく妨げた)
2 ポル・ポト(功績が全く無い独裁者も珍しいがこれが最たる物だろう)
3 フセイン(やはり1980年代以降の中東最大最悪の男だな)
4 金日成(偽りと粛清・自己保身で国家を私物化した)
5 アミン(残虐性では上記の四人を上回るが世界的に見ると小物か)

尚、我輩としてはスターリンを1位に置きたかったが、ありふれており
何より第二次大戦後限定としたら疑問が残るのであえて外した。
金正日も有名すぎるが末路が未定な分、評価が難しいので除外したが
独裁者の評価も色々あるものよ。

では、本日はこれまで。我輩も気を引き締めねばな。
458蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/15 19:37
>453(敗者への思い入れ)
確かにそうだが、私としてはその手の創作物は苦々しく感ずる。
・・・仕方があるまい。私自身が水滸伝で悪罵の対象となっているのだからな。
実際のところ劉備などは三国志演義に描かれた聖人君主的な人物像とは、
かけ離れた梟雄であった訳だし、赤穂浪士の討ち入りとて、
単なる言い掛かりであったともいうしな。
美談を捏造したり粉飾したりを試みれば、それだけ史実とは乖離する。
本物の美談などという物は、ひっそりと歴史の影に消えて行くのが常だ。

ところで『三銃士』というのは悲劇であったか?
私はあまり詳しく読んでいないので忘れてしまった。

>454(年俸どれくらい貰ってました?)
宋代の官僚の俸給は中国史上最高であった。
通常の官職に対する報酬は勿論、名誉職や爵位にもそれぞれ特別の
手当てや恩給が存在した。
私は宰相職に限らず、太師、節度使、司空、太宰、太保、国公など、
ありとあらゆる肩書きを持った経験があり、その時々で、どれだけの
収入があったかは全く把握できぬ。
現在の感覚ならば年収数億円といった所か。特に根拠のない数字だが。
459蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/15 19:41
>455(第2次大戦以降の独裁者ワースト5を挙げてみて下さい)
どのような基準で比較すればよいかが難しいな。

1.スターリン
2.毛沢東
3.ポル・ポト
以下同列にピノチェト、アミン、ボカサ、ソモサ、ホメイニなど。


まあ、1,2位は妥当であると思う。後世に与えた悪影響や本人の
非道さなども合わせて考え、この二人の罪はあまりに大きい。
毛沢東は中国独立の父と言えど、文革以降の堕落ぶりは、その功績の
全てを覆い隠して余りある。私は必ずしも共産主義というものを
否定はしないが、だからこそスターリン主義、毛沢東主義には嫌悪を覚えるな。
3位のポル・ポトは、未だ世界史に残る衝撃の大きさから選んだが、
上の二人に比べれば小物に過ぎまい。
以下は適当に思いつく名を並べたが、どれもこれも似たり寄ったりで
比較のしようがないと感じる。
逆にそこそこ評価できる独裁者としてはティトーとフランコを挙げたい。
貴公が1,2位に挙げたフセインと金正日については、
未だその功罪を総括できぬというのが正直な所であり、除外させて貰った。



私のほうが後発になってしまったか。
ふむ・・・。来の申す通りスターリンはちと基準外かもしれぬな。
さて・・・御言葉に甘えて参った次第だが実を言うと
妾を歴史を好むのじゃ。いわゆる悪の論理で見た人物・事柄考察には
前から興味を持っていたので、質問も何度かしていたのだが
決して手を抜かぬ所は見事の一言。

・・・質問だが妾の嗜好と我がバートリー家に些か縁のある
ワラキアのブラド三世を御四名はどう見られるかの?
好きな詩人はいますか?
別に中国限定で無くてもかまいません。
フュリーたんみて思ったんですが、ジャンヌダルクは
イギリス側に拷問か強姦されたのでしょうか?
463来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/16 17:36
十月半ばを過ぎて寒くなってきたな。獄中の罪囚にも藁束ぐらいは
支給してやるか。

>460 エリザベート・バートリー伯爵夫人
よくぞ来られた。貴女の様な高名な貴婦人がこちらに来ていただける
とは華やいだ雰囲気になる。貴女方の場所も羽振りが良いらしく、
共に栄えたい物だ。
ブラド三世いわゆるブラド・ツェペシュ・ドラキュラですな。
串刺し公の異名の通り残虐な行為が有名だが、国内の秩序維持のための
厳法やトルコ戦での勇戦振りと、決して暴君の類では無いが、
後に東欧を征服したオスマン・トルコ及び敵対した勢力の過大宣伝により
現在のイメージが定着したと我輩は考える。
それに当時では捕虜虐殺や酷刑は欧州でも半ば慣習化されていたので
別段、この王が格別残酷だった訳でも無い。

>461
我輩は元好問(げんこうもん)の詩を好んでおる。
金王朝の末期に活躍した詩人で、当時では最高の評価を得ていたが
モンゴルの侵攻による惨状や金の滅亡を多く読んでおり、他の詩には
見られない悲愴感・絶望感が見事に表現されているのでな。
特に哀宗が自殺した際に読んだ一節の「老去りし天公真に潰潰」が
天への怨恨の言として頭に残っておる。
ちなみにこの人物、耶律楚材と同年の生まれで旧金国の文臣保護を
依頼したりして幾分かの交流があったそうだ。
464来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/16 17:37
>462
やはりあれを見てジャンヌ・ダルクを連想する者は多い様だな。
魏忠賢もそうだが、悲劇の中に美を見出すのだろう。
公式の裁判記録では無論載っていないが、罵詈雑言を浴びせられたり
時には暴行未遂されたのは確からしいし、拷問か劣悪な条件に移す事も
検討されていたそうだ。結局取り消されたそうだが政治宗教面での
利用を考慮して扱ったのだろう。身代金も交換も期待できぬ捕虜の
末路は悲惨だからな。
とは言え処女確認や牢獄での監禁が拷問の類に入らぬかと訊かれると
難しい所だな。女性にとっては屈辱の極みに変わりないだろうが。
465魏忠賢 ◆AKuSiN8P2Q :03/10/16 20:23
お邪魔します。逆臣悪臣の御歴々の皆様、ご機嫌麗しゅう。
大燕帝国司礼監太監、魏忠賢でございます。尤も今現在宦官は
私一人ですが(笑)

不躾ですが、皆様は私に自殺を命じた明最後の皇帝、毅宗崇禎帝を
如何に評価されますか? 御返答頂ければ、これに勝る幸いは
ございませぬ。では燕にてお会いしましょう。
466以上、自作自演でした。:03/10/16 20:53
何故、お二人はそんなに歴史にお詳しいのでしょうか?
467来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/17 02:16
>465 魏忠賢
来たか……お前の笑顔を見るまでは機嫌が良かったがな。
崇禎帝か。明朝最後の皇帝としてお前やお前らの派閥即ち閹党(えんとう)を
処罰して立て直しを図ったが最早洪武帝でも回復不可能と言われた明末は
崇禎帝の手には余り過ぎていた。
何より性急さの余り袁崇煥ら有能な臣下を些細な疑いで死罪にしたのが
響いた。
最後は李自成の乱で自殺したが、その時殉死した王承恩とお前が同じ宦官
だとはとても思えぬな。
しかしお前の燕での行動はどう見ても今で言うストーカーでは無いか?

>466
我輩らは歴史上で活躍し著名な人間・事柄を目前で見聞きし、死後も
何らかの形で見続けてきたのだ。
無論、多くの資料や事績を事細かに調べ見る事も欠かせなかったな。
それに別段詳しい訳でも無い。あくまでも内部の人間としての論評だから
そう見えるのかも知れぬ。
468蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/17 03:05
本日は少し遅くなった。ちと私用で忙しくてな。


>460 バートリー伯夫人
よう参られたな。そなたのような才媛と誼を通じ、親しく言葉を交わせる事、
まこと光栄に思う次第じゃ。今後とも宜しく願いたい。

>ワラキアのブラド三世を御四名はどう見られるかの?
一言で申せば狂君だな。異教の侵略者に敢然と立ち向かった英雄という
見方もあるようだが、ワラキアは従来トルコと宥和関係にあり、何故一方的に
その関係を絶ったのかが甚だ疑問だ。メフメト2世の親征を迎えるにあたって
焦土作戦によりトルコ軍の疲弊を誘い、ゲリラ戦で一気に片をつけたというが、
このような無茶な手段でその場限りの戦勝を得て後の統治はどうするつもりで
あったのだろう?串刺し刑うんぬんについては、大公本人の趣味であるか、
何か他の意図があったか推察し難いが、それによりトルコ軍の士気が衰えた
というのは、おそらく事実であろうな。しかし、これとてその場限りの事だ。
ワラキアはその後トルコの支配下に入っているし、無駄な抵抗であったとしか
評価のしようがあるまい。ヴラドの伝記を眺めていると、ヨーロッパの後進性と
イスラム社会の先進性が浮き彫りになって興味深いが、実際の所ワラキアに
まつわる歴史的意義はさして高いものではないと思う。
469蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/17 03:07
>461(好きな詩人はいますか?)
そうだな・・・。やはり詩は唐代のものに尽きる。宋代の詩は幾分技巧に偏り
過ぎるきらいがあり、優雅さを欠くと思うのでな。
私は唐詩では白居易が好みだ。作風としては杜甫に似て「諷諭」つまり
社会詩的な匂いのするものが中心だが、恋愛の情や花の美しさなどを
詠んだ作品も多く、私はそれらの方が好みだ。
西洋ではボードレールが気に入っておる。こういった反社会性・反規範性を
含む詩は中華ではなかなか見られぬからのう。

>462(ジャンヌダルクはイギリス側に拷問か強姦されたのでしょうか?)
強姦は知らぬが拷問は受けたのではないか?宗教裁判に起訴されたと
いうことは、自白を取る為の拷問に掛かった事と表裏一体であろう。
まあ、ジャンヌに関する記録というのはあまり信頼に値するものでは
なかろうし、細かい検証は拷問史を得意とする面々に譲るとしても、
西欧の宗教史から帰納的に推測すれば、公正な取り扱いなど受けた
筈がないからな。
470蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/17 03:10
>465 堯天舜徳至聖至神
そなた・・・。仲達にも指摘されておったようだが、甚だ不気味であるぞ。
まあ私は宦者との誼を結ぶことで栄達した者ゆえ大概のことには驚かぬが、
それでもそなたが詩文を能くし、西欧の戯曲について滑らかに舌を動かす
様は背筋が寒くなるというものだ。

>明最後の皇帝、毅宗崇禎帝を如何に評価されますか?
うむ。これもまた評価の分かれる天子だな。私の意見としては相当な暗君で
あったと思う。加えて暴君的要素も入った、不徳の天子、亡国の暗夫だな。
崇禎帝に一定の評価を与える向きもあるが、それは押しなべて万暦天啓の
二君との比較から生ずるものだろう。およそ中華史上最悪の暗君とも言える
二帝と比べれば、まだしも聡明に映るであろうからな。崇禎年間の前期で
あれば、まだなお明朝は劣勢を挽回して国を建て直せたと私は考える。
袁崇煥を誅殺した事は明らかな失策で、満洲政権を利した訳だが、
それよりも国内の反乱に対して有効な手を打てなかったのが最大の過ちだな。
明朝の整然とした軍事機構は、農民反乱が勢力として巨大化する前に鎮圧
することが可能であった。であるのに些細な咎で将相の更迭を繰り返し、
具体的な戦略も二転三転して徒に時を過ごした為、ついに挽回すること
不可能とあい成ったのだ。
有能な廷臣に恵まれなかったことをして崇禎帝擁護論の根拠と為す場合も
あるが、猜疑心に捉われて満足に人材を使いこなせぬ天子の下で
臣下が能力を発揮することなどできよう筈がない。
崇禎帝の最大かつ唯一の功績を挙げるとすれば・・・まあ言うまでもないな。
孔子と並祀された身の程知らずの宦者を駆逐したことだよ。
471蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/17 03:11
>466(何故、お二人はそんなに歴史にお詳しいのでしょうか?)
まあ実際のところ、私はそれほど史論に精通しておる訳ではない。
細かな事件や人物の知識は、来や仲達にかなわぬのが現状だ。
それでもなお、貴公らが私の回答に一定の評価を与えてくれるなら、
それはひとえに読書の成果であると言えよう。史学というものは、
読書により知識を増やすことで、ある程度までは理解を深め得るものだ。


以上だ。またな。
太平天国をどう思われるでしょうか?
473以上、自作自演でした。:03/10/17 10:52
悪名高い御二方でも魏忠賢氏は苦手らしいですね。
474蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/17 16:28
>472(太平天国をどう思われるでしょうか?)
太平天国か。キリスト教の平等思想を下敷きにしている為、表面的には
男女の平等や『天朝田畝制』という共産主義的社会制度を標榜して
農民の支持を集めたが、これほど短期間に急速な勢力拡大を見たのは
清朝の統治能力が既に失われていた事によるものが大きい。
様々な歴史的意義を持つ太平天国の乱であるが、その実態は中華史に
数多ある農民反乱とそう変わらないと思う。仮にその共産主義的政策が
実際に行われておればまた結果も違ったかも知れぬが、洪秀全は南京を
陥とすと天子として君臨し、清朝とさして変わらぬ圧政を敷いた。
最終的にこれを鎮圧した曾国藩も、軍事的才能は大したものではなく、
むしろ太平天国の側で勝手に瓦解するに乗じたというのが真相であろう。
外国勢力から見放されたことも敗因としては大きい。清朝の正規軍は
既に崩壊しておったから、この乱以後いつ滅亡しても不思議はなかったが、
曾国藩や李鴻章は清朝に取って代わる野心を全く持たなかったのだな。
その意味で清朝は運が良く、為にその命脈を後数十年保つことができた訳だ。

>473(悪名高い御二方でも魏忠賢氏は苦手らしいですね)
苦手というより、呆れておるのだ。
詩文を理解するどころか、彼奴は本来文盲だったのだぞ。
数百年の時の流れは無知蒙昧な宦官をして、士大夫に匹敵する教養を
身につけさせたという事だな。
まあ、ある意味では感慨深いことにて、その研鑽を褒め称えるとしよう。


以上だ。質問が溜まれば、また参る。
べいふつ っていう漫画しってる?
戦国時代の北条氏5代について語ってください。
477来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/17 21:30
本日の回答に参るか。

>472
太平天国は科挙に落第し続けた洪秀全(こうしゅうぜん)が結成した
キリスト教を基とする拝上帝会が清に対し起こした反乱運動だが
黄巾の乱や黄巣の乱と幾つか似た部分があり、別段独創的な事でも無い。
宗教を方便にする所は黄巾だし、貧困層が大半を占めたのも同等だ。
それに決して一枚岩では無く、絶えず内紛に悩まされていたそうだ。
当時の清朝は正規軍である満州八旗が完全に機能停止状態だったので
漢族、それも民間からの徴収に頼った曾国藩(そうこくはん)の軍閥に
任せざるを得なかった。
本来なら蔡京殿の申される様に、禅譲で曾国藩か誰かが清に取って代わる
のが普通だったが、あえてそうしなかったのは幸運と曾国藩の野望も無く
健康問題等があったと我輩は考える。何せ長話すら出来ぬ状態が長く続いた
らしいからな。

>473
正直に言うとそうだ。中華史上最悪にして残酷冷酷卑劣の三拍子が揃った
大物宦官が直に現れたのだからな。
しかも一丁字も読めぬ筈だったのに、何故か詩文古典演劇果ては史学まで
引用するまでになるとは全くの想像外だ。あの美麗壮句の裏にどのような
黒い野望と欲望が渦巻いているのか解らぬだけに余計不気味なのだよ。
もし、本性を現したら失礼ながら司馬仲達殿が善人に見えるかも知れぬ。

>475
読んだ事は無いが、名前から推測するに米芾の漫画かな?
北宋後期の官僚・文人で宋の四大家に数えられる人物だが
その者を題材にする漫画とはどのような話なのか多少興味が
沸くな。文学的な内容か、或は歴史に忠実なのかもし君が
良ければ教えて欲しい。

では、今夜はこれまで。
478来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/17 21:41
>476
後北条氏か。徒手空拳からのし上がったとされる初代早雲だが
今川家に妹が嫁いでいる事から決して卑賎の出では無いだろう。
室町幕府の家臣か、それなりの武家の出だと考える。
二代氏綱は割合地味なイメージだが、この人物の代で北条を名乗り
関東に地盤を広げており良く役目を果たしたと言える。
一番名前が知られている三代氏康は河越の合戦で関東管領上杉家
などの敵対勢力に勝利し、北条氏の関東における覇権を決定的にした
だけでなく、武田信玄、上杉謙信とも互角に戦った随一の名君と
言えよう。
四代氏政は小田原の役の影響で凡君の評が強いが、この代で北条家
の版図が最大になっている様に、決して無能ではなかったが、
豊臣家の実力を見誤ったのが痛い所だろう。
五代氏直については父の氏政の終始影響下にあり特に挙げる事柄は無い。
479魏忠賢 ◆AKuSiN8P2Q :03/10/18 03:20
さすがはこの板でも名高いお二人。中々辛辣なご評価で。
私も身を慎むよう心掛けましょう。丁寧かつ分りやすい御返答
真に有難うございました。
では、こちらに一万年の栄光と繁栄が訪れる事を祈って上げます。
人中の呂布、馬中の赤兎

では、あなた方は何中の何ですか?
481蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/18 10:34
今日は午前中からの参内じゃ。

>475(べいふつ っていう漫画しってる?)
いや、知らなんだ。だが興味が湧いたので、連載されておる雑誌を取り寄せ
一読してみた。どうやら今週をもって最終回のようだな。残念だ。
米芾というのは、まさに私と同時代の人間でな。私より4歳ほど年下になる。
その漫画には私も登場したのであろうか?非常に気になるゆえ、単行本が
発売されれば是非買い求めたいと思う。

>476(戦国時代の北条氏5代について語ってください)
北条早雲とその末裔のことか。一介の浪人から大名となり、戦国時代の
幕を開けたとされるのが早雲であったかな?そして小田原評定うんぬんを
最後に歴史の舞台から姿を消した──そのくらいの知識しかないな。
私は全く戦国時代に詳しくないゆえ、来のように満足な回答はできぬ。
あい済まぬことだが、悪しからず了承されたい。

>479 魏忠賢
また参ったのか。まあ遠慮はいらぬゆえ、いつでも顔を出すがよい。
しかし、そなたから「身を慎む」などという言葉を聞くのは薄気味が悪いのう・・・
ところで、もしその気があれば、ここに常駐してみぬか?
今のそなたの才知があれば、十分過ぎるほどに務まると思うのだが。

>480(では、あなた方は何中の何ですか?)
貴公の申される趣旨とは若干異なるが、先に挙げた米仏と蘇東坡、黄庭堅、
そして私の四人は北宋四絶と申し、書の大家として各々讃えられておった。
しかるに後世の史家は私の人柄を憎んだか、四絶から私の名を抹消し、
同姓の蔡襄という者を代わりに当てて四大家とした。まことに許せぬことだ。
・・・つまり、そうだな。書中の蔡京、画中の米芾。このような表現で如何か?
邪魔するぞ。ここにも魏忠賢が来ているようじゃが、
お主らも気をつけろ。わしの所なぞ一日空けだだけで見事やられたわ。
あそこまでやられると怒りを通り越してあきれるしかないわ。

手ぶらじゃ悪いので質問を置いていく。
米芾の質問絡みじゃが、好きな漫画家はおるかの?
魏忠賢って一体何やってた人だったのか事細かに説明してくれると有難いYO!
484来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/18 18:06
夕方から雨が降ってきたか。天も泣いているのか。

>479 魏忠賢
ここ最近のお前の所業を見てると、さすがと言うしか無い。
辛辣も何も、自分の過去の行状を知っていてそう申すのなら
厚顔無恥とはお前の様なのを言うのだろう。
一万年どころか今日明日お前がどうするかが大いに気になるよ。
蔡京殿も言われているが、我輩らと手を組まぬか? 味方にすれば
頼もしい限りだが、敵に廻したら神悪魔に匹敵しかねぬ。

>480
酷吏中の来俊臣、獣中の虎と言っておこう。
生きていた頃から武則天陛下配下の酷吏の中で最高最悪と評価を
貰っていたし、残忍さ狼虎に勝ると唐書酷吏伝に記された同僚の
索元礼(さくげんれい)をも陥れたので、これが妥当だと考える。

>482 司馬懿仲達殿
拝見しましたが、あれ程堂々とやられると失礼ながら笑うしか無いですな。
こちらも気をつけるが、どうか気を落とされずに。
漫画家だが、余り最近のを読まないので古い人物だが根本敬と千之ナイフ
と申しておく。極北の特殊漫画家と、骸骨や死を好んで描く古株の性漫画家
だが、我輩はこう言った極めてマニアックなのを好むのでな。
485来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/18 18:08
>483
一般では知名度は無いが、中華史特に明代では燦々と輝く極悪人だ。
元々家柄も財産も無い一介の無頼漢で、李進忠と名乗っていたが
賭博の負債から逃れるために自ら自宮(去勢手術)を志願した宦官で
その際に魏忠賢と改名した。時の皇帝天啓帝の乳母、客氏を手を組み
明朝のほぼ全ての権力を手中にし、あれが燕で名前を挙げた楊漣
(ようれん)以下反対派を徹底的に弾圧・処刑したが、官僚のみ
ならず市井の者まで取り締まったそうだ。
野史に掲載されている逸話によると居酒屋で酔った男が魏忠賢を誹謗
した所、間も無く捕われ生皮を剥がれた上一族もろとも殺されたと言う。
しかも好んでその現場を見物していたそうだから残酷さも折り紙つきだ。
しまいには自らを孔子以上だと誇大妄想を抱き、堯天舜徳至聖至神
(ぎょうてんしゅんとくしせいししん)なる神号で各地に自分の神廟を
建造し、その際にも数多くの民や富豪から土地家屋をただ同然で
没収したから、バブル期の地上げ屋顔負けだろう。
最後は天啓帝の後を継いだ崇禎帝に追放され、自殺を命じられたが
その後も魏忠賢派の官僚や宦官が崇禎帝を陰に陽に妨害し、ついには
明朝滅亡に到らせた。詳細な数字は不明だが魏によって殺された人間は
反対派及びその一族・一般人含めて何十万と推測する。
万暦天啓の両暗帝の責任は無論だが、実質的に明王朝に終止符を
打ったのは魏忠賢と申しても過言では無い。
もし自分が女で、魏忠賢に言い寄られたら死んだ方が遥にましだ。
何せ自分に反抗もしくは無視した女官さらには王妃まで監禁拷問の上
殺しているからな。正に悪徳の権化と言えよう。

では本日はこれまで。悪魔と手を組むのも悪くないかも知れぬ。
486蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/18 21:18
>482 司馬仲達
貴卿には腹立たしい事であろうが、少しばかり感心してしまった。
まあ、あれも余興のつもりであったのだろう。
帝王の徳を以って、今回は大目に見てやるが宜しかろう。
しかし、何だな。貴卿も奇妙な有名税を払わされたという所か。
こちらでも悪さをせねば良いがな。

して漫画家か・・・。どうにも疎くてのう。
手塚治虫やら藤子不二雄やらは知っておるが、特に好みとは申せぬな。
まあ『水滸伝』で私を面白い顔に描いた横山光輝でも挙げておくか。
487蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/18 21:20
>483(魏忠賢って何やってた人だったのか事細かに説明してくれると有難いYO!)
詳しい経歴については知れぬが肅寧の出身で、来が>485で述べているような過程で
宮中に入り、姓名を改めて李進忠とした。後に天啓帝より“忠賢”という諱(いみな)を
賜り、もとの姓に戻して魏忠賢と名乗ったそうだ。官歴については天啓三年に「東廠を
総督す」とあるのみだ。東廠とは公安警察のようなもので明朝における皇帝独裁権を
実質的に確保する役割を果たしていた。その責任者となった魏忠賢は天啓帝の
寵愛を背景に絶大な権力を奮い、明朝の衰退に拍車をかけたとされる。
そのあたりの事情については>196も合わせて参照してもらいたい。
さて魏忠賢が後世においていかに憎まれておるかは、来が詳しく解説してくれたので
私はむしろ逆の視点から考察しよう。天啓年間には『東林党』『非東林党』と呼ばれる
二大派閥の激しい抗争があり、魏忠賢が徹底的に東林党を弾圧したのは有名だ。
だが、私見を述べさせてもらえば、魏忠賢はむしろ非東林党の傀儡であったように
思う。『明史』における魏忠賢の事績は、その殆どが東廠の長官として反対派を逮捕し
杖刑(杖で殴る刑)、流刑あるいは死刑に処したというものばかりで、積極的に朝政に
参与した形跡が見られない。魏忠賢以前に力を持った王振、劉謹などに比べると、
あまり主体性がないのだな。文盲であったことも関連すると思うが、官僚を意のままに
統御するだけのきめ細かな権謀術数に欠けていたようで、万事につき大雑把な印象だ。
確かに明朝の大宦官の中で、最も人間的に悪質で残忍ではあったが、その権力は
自己の為に用いられる以上に、他人に利用されていたふしがある。
孔子に並ぶ聖者として讃えられた点も、神輿として担がれていた事を象徴する出来事だ。
魏忠賢の最期は、まず地方に左遷され、後に逮捕の知らせを聞くにおよび絶望して、
部下の宦官李朝欽を道連れに縊死したとあるが、死体のみ北京に運ばれて天啓帝の
乳母であった客氏とともに凌遅(身体を切り刻む処置)を施されたという。
本来ならば凌遅というのは生きながらに身体を切り刻まれることであったから、
早々に覚悟を決めて自殺したのは非常に賢明な判断であったと言えような。
去勢したら、どのような変化が起きるのでしょうか?
489蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/19 06:48
残ったものに回答しておく。

>488(去勢したら、どのような変化が起きるのでしょうか?)
声が高くなり、髭が抜けて女性的な体つきになるとも言うが、個人差がある。
例えば、童貫には髭があったし筋骨隆々としておった。
燕の賈丞相が呟いておったが、独特の体臭を発することもあったようだ。
この手の事は私よりも来の方が詳しそうだな。
490来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/19 10:16
午前中から行くとするか。

>488
うむ。去勢にも幼時時と成年時とでは幾つか違いがある。
前者を「通貞」後者を「浄」「通」を呼ぶが、
幼時時では男性らしい部分がほぼ全て無くなる。
髭は勿論、外見の筋肉や変声期等がそれだが、
蔡京殿が言われる様に若干の個人差が生じる。
大航海で有名な鄭和(ていわ)は明史に記されるように
堂々たる体躯を備えていたし、その他の著名な宦官についても
ある程度の記述が残っている。
賈範殿が言われた体臭については、成年去勢の宦官は夜尿症・失禁を
繰り返すため、その臭いが身体に染み渡るそうだ。
性格面で言うと、去勢のショックと男性喪失からか大きく変動し、
上に媚び諂い下に大言壮語し、特に敵や弱者に対して必要以上に
残酷になれるそうだ。
宦官の前で「切る」「割く」などの関連語も禁句で、
実際それに違反して処分された者も少なくない。
御免、今更と思われるが挨拶にまかり越した。
相変らずの卓越した論、見事と感心しておる。

少し趣が異なる質問で恐縮だが、両卿が好まれる
中国水墨画の画人は誰であるかの?
朕は元末四大家の一人、倪瓚の画を気に入っておる。
あの蕭々とした感じが良くての。
492以上、自作自演でした。:03/10/19 14:23
御二人に愛称をつけさせてもらいました。

来閣下=地獄の最高裁長官
蔡閣下=風雅なる冷血宰相
493蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/19 18:14
>491 後水尾帝
これはこれは。よくぞおいで下されました。
私も時折短歌を請われ、拙いものを幾つか詠み申したが
まだまだ陛下の足下にも及びませぬ。

陛下は水墨画をお好みでございますか。
私は・・・そうですな、水墨では李公麟を好んでおりまする。
私と同年に進士となり、顔も見知った間柄なれば、
若き頃には、親しく芸術につき語り合うたこともござります。
元末の完成された文人画に比べますれば、やや風雅を欠くものの
力強い描線から感じる生き生きとした印象が魅力と申せましょう。

>492(蔡閣下=風雅なる冷血宰相)
なるほど───言い得て妙だな。
だが、そのように通称を考えて貰えるようになるとは、私の名も少しは
知れてきたという事であろうか。
風雅という点を評価してもらえるのは非常に嬉しい。
何せ私を芸術家として捉える向きは、日本ではほぼ皆無に等しいのでな。
礼を申す。492よ。
蔡京閣下は蔡瑁の子孫ですか?
495来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/20 18:22
今日は十五人に死刑を命じたが、倦怠感からかどうも物足りぬ。

>491 後水尾天皇
これは花と火の帝。行幸を賜り恐悦の至りでございますぞ。
我輩も文才も無いながら拙い短歌を披露しておりますが、
陛下に遠く及ばず、汗顔の至りでございます。
また是非ともおいで下され。

我輩も些か水墨画を見る事を好みますが、
有名所では黄公望の富春山居図ですな。
元末四大家の一人にて山水画の最高峰とも言える雄大な画風は
見る者を自然と一体化させると考えますのでな。
南人故、不遇をかこちながら元代に漢文化を花開かせた
黄公望らの事績には、悪人の我輩も感銘させられます。

>492
愛称とは、中々気の効いた事をしてくれる。
地獄の最高裁長官か。何か閻魔大王を連想させるが
実際に、それに比せられた我輩に相応しい名と言えるな。
君の様な諧謔に富んだ者が、ここを利用してくれるのは
実に喜ばしく思うので、また面白い物を期待している。

>494
単に同じ姓であると思うが。
福建出身であられる蔡京と湖北の豪族である蔡瑁では
目立つ接点が見当たらぬし、降伏後の蔡瑁の記述が不明なので
どこでどう繋がったかも解らぬ。
族譜に名のある人物を故意に含めるのは珍しくないが
さすがに蔡瑁を入れるのはいないのではないか?
来俊臣様以外に来姓で有名な人物はいますか?
497来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/20 18:52
>496
我輩の記憶では、同僚の来子シュン(王旬)と、
前に名前の出た来護児ぐらいしかおらぬ。
前者は我輩と同じ酷吏で、陛下から武姓を賜るほど信任されたが
周辺とそりが合わぬ奴だったので、誣告され愛州(ベトナム)に
流刑となり死んだ者だ。
他に調べても、王族貴族にも見当たらぬし、
やはり庶民の家なのだろう。

では、今夜はこれまで。
498蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/20 20:02
>494(蔡京閣下は蔡瑁の子孫ですか?)
いや、>495で来が述べる通り全く無関係だろう。
そもそも三国時代から南北朝にかけて発達した貴族・豪族階級は
唐末の混乱で軒並み途絶えておるから、宋代にまで残っている
ケースは稀なことだ。
三国時代から選んで族譜に含めるならば、襄陽の蔡氏ではなく
陳留の蔡氏を選んだだろうな。蔡邕の一族だ。

>496(来俊臣様以外に来姓で有名な人物はいますか?)
唐代の宰相に来済(らいせい)という者がいた。既出の来護児の子だ。
おそらくこの一族が、中華史上最も栄えた来氏であると思う。
来済は文人としてもそこそこ名高かったようだが、字も伝わっておらず、
事跡についても、褚遂良などと共に武氏の立皇后に反対を唱えたこと
くらいしか記録にない。だが父の護児よりはこちらの方が著名だな。
ちなみに宋代には来姓で宰相、尚書格にまで上ったものはおらぬ。
蒼天己死
偶然、このスレッドを見つけました。
悪人が悪巧みをする場所かと思えば、それ以上に読み応えがあり驚いております。
ここを支える中心のお二方の歴史に対する知識、考え方、とてもおもしろく、
中国史にさほど詳しくない私も1週間かけて最後まで読んでしまいました。

>235
ここにおかれまして「心地良い」「つい」とおっしゃっておられたことについて、
慎重さを身上とする閣下におかれましては、いささからしくないと愚考奉るが、
……い、いかがでありましょうか。
(酷吏を目の前に全身冷や汗)
できればほかの方の意見も賜りたく……
(失神して退場)
ちょっとお聞きします。
封禅の儀を行った皇帝ってのは何人くらいいるんですか?
難しそうな漢字がイパーイですね。
どうやってそれらの漢字を皆に伝えたのですか?
503来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/21 20:03
本日も良い刑場の光景であった。見物に来ていた民衆も満足して
帰っていったが、数少ない娯楽故、趣向を凝らしてやらねばな。

>499
三国志で有名な後漢の黄巾の乱の折に、
張角が使った現代で言う所のスローガンであるな。
陰陽五行説と言う中華の易姓革命の理論に基いての言葉だが
如何にして大衆に受ける物を考え出すかも重要なのだろう。

>500
そうか。題名からは単に悪人の集まりとしか思えないのも無理はない。
実際に見てこそ真実も見えると言う物だが、また君の様な前向きに
評価してくれる者が増えて光栄だ。
>「心地良い」「つい」
確かに君の言う通り、法律に忠実な酷吏に相応しからぬ言葉だったが
我輩も人間。感情で判断を変える時もある事を理解してくれれば有難い。
それに左遷・流罪に減刑と一口に言っても、実際には赴任地・流刑地に
赴く途中で憤死、或は野盗に襲われ殺されると言う結末も用意しているのだ。
いわば裏方の死刑なのだよ。
優しい印象を与える言葉には常に裏があるのだ。教訓になったかね?

>501
封禅の儀を実行したのは全部で七十二人と記録にあるが
さすがに全部は把握していないので、有名所を述べると
秦の始皇帝・前漢の武帝・唐の高宗・玄宗。北宋の真宗。
そして我が主君、武則天陛下だが、古来より封禅の儀は
天下に安寧をもたらした聖天子のみが執り行えると言う
のが建前なので、それに当て嵌まらぬ皇帝が大多数なのが
本当の所だろう。
504来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/21 20:04
>502
何分、中華に関しての質問・回答がほとんどなので
どうしても漢字に頼らざるを得ないのが本音だ。
平仮名に直したら、人物・事柄への印象から何からが
大きく異なってしまうので仕方が無いのだよ。
皆に伝えると言うのは、如何にして現代まで伝えたと言う意味かな?
歴代王朝において記録をつかさどる史官の存在が大きいだろう。
中には時の王から歪曲を命じられても、断固として拒否し、
そのため一族を滅せられたと言う記録もある程だ。

では、今夜の応答はこれまで。
505蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/21 20:56
>499(蒼天己死)
黄巾か。中華史上もっとも暗い時代がここから始まってゆく。
後漢末に蒼天が死んだと申すなら、それが再び蘇るには
隋唐の大統一を待たねばなるまい。
しかし、どうにか平穏な生涯を送れるほどに、人民の立場が
回復向上するのは北宋王朝の出現まで待たねばなるまいな。

>500(偶然、このスレッドを見つけました。)
おお、わざわざ通読して貰えるとはありがたいことだ。礼を申す。
そうか、一週間も費やしたか・・・。
しかし、私も時折最初から読み返してみるのだが、どうも理屈が一貫しておるか
自信がない。場当たり的回答になってはいまいか───ということだな。
これまでの回答の中に矛盾や錯誤を認められたら、どうか指摘を願いたい。
なかなか書き込んでいる本人には、気がつきにくいものなのでな。

>501(封禅の儀を行った皇帝ってのは何人くらいいるんですか? )
秦漢以降の“皇帝”に限るならば12人がこの儀式を行っている。

始皇帝(秦)、二世皇帝(秦)、武帝(前漢)、光武帝(後漢)、章帝(後漢)、安帝(後漢)、
文帝(隋)、高宗(唐)、玄宗(唐)、真宗(北宋)、康熙帝(清)、乾隆帝(清)

まあ、ある意味納得のいく顔ぶれだな。膨大な費用のかかる儀式を敢えて行う
自己顕示欲の強そうな者ばかりだ。
西周から春秋戦国にかけての諸王侯については詳しく知らぬが、
来の述べる通り、上記の12名と合わせて70人以上に達するとのことだ。
506蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/21 20:58
>502(どうやってそれらの漢字を皆に伝えたのですか?)
中華文明の進捗と共に東アジア各地に伝わっていった漢字であるが、
その起源は象形文字の一種である甲骨文字というものだ。
すべての文字は象形文字から発し、それが次第に表音文字に進化
するが、漢字というものは完全なる表音文字に変わる前に進化が
止まってしまった。文字の伝播は、音と形の両方を以ってなされるが、
漢字は特に形が重視された文字で、そのために漢字文化圏では
書道の発達が見られ、また庶民に文字が浸透しにくかったようだ。
507500:03/10/21 23:59
書き込んでからつまらぬ質問であることに気づいたがあとの祭り。
あの書き込みが2ちゃんねるデビューだったので舞い上がっていたかもしれません。
それにしても、さすがは来俊臣閣下。抜かりはありませんね。

さて。
“打者と投手が向かい合ったとき、すでに勝負は決まっている”
“野球はツーアウトから”
たとえが野球で申し訳ありませんが、ご自分の性格はどちらのタイプだと思われますか?
(↑いささか愚問か)
あるいは、この後者に関する考え方をお聞かせください。
とくに、処刑間際からの逆転劇を演じたという、来俊臣閣下のご意見はぜひ伺いたい。
508以上、自作自演でした。:03/10/22 01:11
明朝の成化帝を性的かつ精神的とりこにした
17歳年上ながら豊艶な肌の万貴妃さまは
お二方も遠く及ばない権勢を振るわれましたが何か?
表の内閣大学士、万安(自称、貴妃さまの親戚筋)も
裏の汪直(貴妃さまに奉仕してる内にお声がかりで特務ボスへ)も
使いこなすような美女は武則天と違って皇位など必要としませんが何か?
宝石貴金属を熱愛し華麗な軍装で皇帝の身辺を護衛して
陛下自身に「万侍(衛)長」と呼ばれた貴婦人は
中華女性史において空前絶後な呼ばれ方でして、
よって萌えまくりですが何か?

http://www.tabiken.com/history/doc/C/C181L100.HTM
509蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/22 17:36
>507(ご自分の性格はどちらのタイプだと思われますか?)
私は何事も追詰められる前に手を打つ人間だったからな。どちらかと
申せば“すでに勝負は決まっている”の方だろうか。新旧法両党を遊泳しつつ
王道を歩んで参った私に、“ツーアウトから”という譬えは適当でないな。
仮に北宋の滅亡に際して流罪となったおりに、再度復権できておれば、
九回裏ツーアウトから十点差を逆転するくらいの衝撃であったと思うが、
残念ながら世の中そうは上手くいかなかった・・・

>508(万貴妃さまはお二方も遠く及ばない権勢を振るわれましたが何か?)
もしかすると、そなたは汪直なのか?万安なのか?もしくは万貴妃本人か?
私が思うに、万貴妃はそなたが誉めそやす程には権勢を振るってはおらん。
成化年間は、万安や劉吉などの閣臣によって内閣は正常に機能しておった。
そなたの述べる通り、万安は単に万貴妃と同姓であるという理由で信任を
得たのみだ。そして貴妃の本当の親族たる万喜なる者は、特に目立った
官爵を賜ったという記録はない。つまり万貴妃は身内をして権門を形成する
ほどの力はなかったのだろうと思う。後宮において他の妃嬪を虐待したり、
天子の子を殺害したりなどの逸話は様々伝わるが、要するにごく限られた
範囲内で権力を行使していただけで、積極的に朝政に参与していたようには
見受けられぬ。汪直という宦官も、在任中は幾度も閣臣からの弾劾を受けて
おるが、それに対して逆襲した形跡はない。そして最終的には地位を失っておる。
成化帝は万貴妃の勧めで仏僧や道士を重用したという記録もあるが、
これらも特に朝政を壟断していたようには感じられぬ。さらに言えば
万貴妃の手を逃れて民間に匿われていたという親王(後の弘治帝)の
立太子にあたっても万貴妃は無力であり、それが元で憤死を遂げたようで
あるから、いかに成化帝を精神的に統御しておったとはいえ、自ずと限界が
あったのだろう。仮に万貴妃が成化帝を無制約に支配しておったとすれば、
それによって得られる権力を敢えて行使していなかったということになるな。
510来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/22 22:14
今日は二十二人と忙しく、このような時間になった。
遺族を含めると、どれ程の者が嘆き悲しんでおるか分らぬな。

>507
ほう? ここが最初の書き込みとは珍しい事よ。
我輩も前者の考えと言える。事前に何らかの手を打ち、
その場で慌てずに実行すると言う手法だったが、
時に予想外の邪魔が入り、頓挫した事も少なくない。
両方を使い分けれれば良いのだが、そうも行かぬ物よ。
>処刑間際からの逆転劇を演じたという
その通りだ。あの時は告密に唯一の活路を見出すより
他に無かったからな。仮に武則天陛下に一言「下がれ」と
返されれば、即座に獄内に戻され、誣告された刺史の恨みが
何層倍にもなって返ってきた事は疑い無いから、考えられる限りの
言葉を並べたわ。正に九回裏ツーアウトからの逆転だが、今思えば
我ながら大胆不敵だったよ。

>508
明代で皇帝独裁が完成し、その寵を得た側近・寵姫の権力も歴代王朝より
はるかに強大だった。万貴妃も成化帝の絶対的とも言える盲愛を元に専横を
揮ったが、それが如何に明に実害をもたらしたかと言うと、稀少な物だろう。
汪直や万安ら万貴妃の一派も、表向きは結束していたが、内情は個々に
私利を図り、或は人事を行使したりと、他の王朝でも同様の存在は幾らでも
いた。言葉を変えるとコップの中の嵐と表現できる程の小さな影響だ。
徒手空拳で皇帝位を勝ち取られた武則天陛下とは比較にならぬよ。
仮に弘治帝の代まで生き長らえても、浣衣局に飼い殺しにされるか
客氏の様に杖刑で処刑されるかのどちらかだろう。
代替わりで生き残った権臣は、明にはほとんどいないから余計だ。
まあ、そこまで万貴妃に入れ込む君の主観を否定はしないが
案外当事者だとしたら面白いがな。

では、今夜はこれまでとする。
お二人から見て、劉備はどんなもんですか?
512来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/22 22:30
即答と行くか。

>511
三国志の陳寿は前漢の高祖、劉邦になぞらえているが、案外
当を得ていると思う。劉備は「劉」姓と人望のみを財産として
後の皇帝位を勝ち取っているが、決して演義の描写のような
善人では無いな。
むしろ人間学に優れ、時に狡猾とも取れる手段を実行できる
乱世の英傑とも言える存在だ。曹操に下された評価がそのまま当て嵌まる。
だが、曹操とは異なり、文武の才及び内政面などの実績が無いし、
何より私情で呉と戦い夷陵で敗れたのは弁解の余地が無い。
創業者としては良いかも知れぬが、国を保つのには落第点を下すのが
妥当だろう。ファンが多い劉備を酷評してすまぬが、冷徹な目で見ると
こうなるのだ。了承して欲しい。
513500:03/10/22 23:37
>507
やはり愚問でありましたか。

さて、ベスト/ワースト5シリーズです。
劉備に関する話題が出たので、こちらもそれで。
貴国には厚黒学(うろ覚え)、というものがあるそうですね。
厚とは面の皮が分厚いこと、黒とは腹の中が黒いこと。
黒の代表は曹操で、(重ね重ね蜀漢ファンには申し訳ないが)
厚の代表は劉備だとか。(うろ覚え)
では黒が多そうなこの場において、あえて厚をお尋ねしたい。
古今東西の厚を、5人挙げてみてください。

もうひとつ。
曹操は最後まで帝位簒奪を実行しませんでした。
その点については義と道理をわきまえている、とする主張があります。
それでも黒の代表にされてしまった原因とはいったいなんでしょうか。

この書き込みを最後に、名もなき聴講者として質問していくこととします。
張良ってどんぐらいすごいんすか?
紂王ってどんな人?
寝てる間に黄色い布を掛けられたらどうしますか?
517徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/10/23 12:29
燕にて知遇を得た折なので、こちらに挨拶にまかり越した。

質問だが、名宰相の代名詞である蕭何について両卿は
如何に考えられるかな。
518来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/23 23:31
今夜も遅くなった。晩秋ともなると死刑の数も多くなる。

>513
厚か。面の皮が厚いと言う事は主君を変えて上手く立ち回ったと
受け止められるので、それらの人物を挙げるとしよう。

1 タレイラン(フランス革命から七月王政まで終始政権の中心に存在した
         外交手腕と変節を買った。当時の評では欧州に外交の 
         ある国はイギリスとタレイランのみとまで呼ばれたそうだ。
         フランスに圧倒的不利だったウィーン会議で主導権を握り
         復古王政に有利な条件を成立させたのは端倪すべき事だ)
2 フーシェ(タレイラン同様、革命政府からナポレオン時代まで主に警察・
        諜報分野で辣腕を揮いながら、時の政府・皇帝を裏切りつつ
        立場を保ち続けたのは世界的にも少ない例だ)
3 馮道(既に何度か述べたので省くが、中華でも尤も多くの王朝・主君に
      仕えた経歴で挙げた)
4 ベルナドット(ナポレオンの配下の元帥ながらスウェーデン王太子と
          なりナポレオンと手を切り、現在にまで続く王家の 
          血脈を保った)
5 松永久秀(日本限定だが、やはり変節と下克上の権化と称させる存在 
        だろう)
 
曹操を黒即ち悪役とする見方は古くは唐代より存在していた。
民間の講釈でも悪玉として語り継がれていたし、史学でも劉備や
諸葛亮への評価が高まるに連れ、相対的に曹操の立場が悪化していた様だ。
南宋の朱熹(しゅき。朱子学の祖)も蜀漢を正統と断じているし、
その結果の集大成が三国志演義として諸君らの広く知る所となった。
いわば曹操は歴史の犠牲者と言えるな。
519来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/23 23:34
>514
前漢の高祖、劉邦に仕えた名軍師の代名詞である張良だが、具体的に
伝わっている献策を見ると、秦一番乗りの際に略奪を禁じた事と、
[麗β]食其(れきいき)の旧六国復興案の反対。長安への遷都に
論功行賞への助言と、どちらかと言うと対局的な助言が目立つ。
おそらく、戦場での参謀より、戦略家としての才能に優れていたと
推測するが、ただ細かい献策の資料が無いか、病弱故戦場に従軍
しなかったかのどちらかが大きいのかも知れぬ。

>515
殷の第三十代君主で、現代では残虐な暴君の代名詞であるが、
何回か述べた様に、前朝の記録を改悪するのが中華の伝統なので
史記の記述をそのまま信用するのは抵抗がある。
妲己絡みの逸話や、封神演義の如き話もそうだが、
後世の俗説の結果として見るのが良いだろう。
最近の研究では、遠征や多くの祭祀で国力が衰退し、
その際に周に滅ぼされたと言うのが信憑性の高い説とされている。
ただ、祭祀で使用した奴隷を生贄とした事が誇大に伝わり、
種々の残酷な逸話となったと我輩は考える。
520来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/23 23:37
>516
北宋の太祖、趙匡胤の事だな。後周の殿前都点検として遠征中に
従軍していた近臣・兵士に擁立された際の話だが、本来皇帝にのみに
許された黄袍が、そんな簡単に手に入る訳は無いので、あらかじめ
擁立の準備がなされた後で実行されたのだろう。
質問の返答だが、もし我輩がその立場となったら容認せざるを
得ないだろう。もし拒否すれば兵士に殺されかねないからな。

>517 徳川秀忠公
これはよくぞおいで下された。公のスレは毎日見ているが
卓越した日本史学と現代分野への独自の視点には我輩も模範と
させておりますぞ。
蕭何ですな。劉邦の挙兵以後、主に補給分野を担当し、
漢楚の戦いでも常に兵員・兵糧の補充を怠らなかったそうだが、
この点については優秀と評価できます。
だが、漢王朝成立後では、特別諸制度や統治面での功績が見当たらず
せいぜい韓信の粛清に一役買った事ぐらいだが、その意味では名宰相と
呼ぶには難しい所がありますな。
だが、当時の黄老思想や休息期間として、あえて放置したと考えると
別段、劣っていた訳でも無く、やはり前漢には不可欠な存在であったと
言うのが我輩の評価です。
521以上、自作自演でした。:03/10/24 23:24
高力士は悪人でしょうか?
人生最大の失敗は何ですか?
もしも生まれ変わるとしたら、どの時代のどこがいいですか?
パンツはいてない?
525蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/25 13:43
週末は私用で忙しく、回答できなかった。あい済まぬ。

>511(お二人から見て、劉備はどんなもんですか?)
端的に言えば、乱世によく現れるタイプの人物だな。既成の道徳観に
捉われぬ狡猾さと、強運を兼ね備えた傑物ではあったと思う。
曹操ほどに大成できなんだのは、各地を放浪していた期間が長く、
一定の勢力を築くまでにかなりの時間を要した為だろう。
劉備が登用した人材の中に有能な者が多かったのは確かなようで、
その点については評価できよう。しかしながら蜀漢は弱小の田舎政権に
過ぎぬし、歴史的な意義も薄く、あまり詳しい記録も残っておらぬ為、
しばしば指摘される人望や度量の広さについては何とも推測し難い。
526蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/25 13:47
>513(古今東西の厚を、5人挙げてみてください)
厚黒学か。現代中国の倫理書だそうだが、読んでおらぬのでよく知らぬ。
従って“厚”がどういった類型の人物像を指すのか(劉備と一口に言っても
その著者がどのように捉えているかにもよるので)解らぬな。
よってかなり適当に選んだゆえ、話半分に聞いてくれれば宜しい。

・王莽(聖人君主を演出する為の自作自演は、見ている方が恥じ入る程だ)
・馮道(やはり挙げざるを得まい。ちなみに本人は五朝に仕えた事を恥じてはいない。
     むしろ自画自賛しているくらいで、それもまた嫌われる要因となっている)
・耶律大石(いわゆる“西遼”の始祖で、トルキスタンのカラハン朝を滅ぼして建国した。
        厚顔とはやや違うが、劉備が蜀を奪った経緯に少し似ているのでな)
・劉豫(りゅうよ。もと宋臣だが、金が漢地を治めるにあたって作った傀儡国家の
     皇帝となった。見苦しい投降派として秦檜以上に軽蔑されておるな)
・王黼(おうふ。私の後任で北宋の宰相となった者だ。私の引きで出世しておきながら
     あっさりと裏切りおった。小物だが個人的に憎々しいので挙げさせてもらう)

曹操を悪玉と看做す史観は、劉備・諸葛亮を礼賛する風潮の反作用だ。
詳しいことは来が述べておるが、すでに南北朝の頃からそういう思想は
存在したようだ。理不尽な理由で国を奪われた者が、巨悪に敢然と
立ち向かう姿は、政治的にも思想的にも利用しやすいものだからな。
だがそうして一方を賛美すればするほど、史実との乖離をきたすのは
無理からぬことだ。かと言って曹操が自らの存命中、簒奪に手を
汚さなかったことをして、義と道理の表象とするほどに世間は盲目ではない。
魏の実質的な建国者は曹操であって、それを否定するような意見は皆無だ。
しかし曹操のごときは所詮華北のみ(正確には違ったか?)を支配する
軍事政権の領袖であり、本来ならば歴史の片隅に埋もれて然るべき存在だ。
そう考えると、例え悪玉であろうと虚名であろうと、これほどの存在感で
語られることは本人にとって、意外な幸福なのではなかろうかと思う。
527蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/25 13:52
>514(張良ってどんぐらいすごいんすか?)
劉邦の謀臣として非常に有名だが、その事績には怪しい部分が多い。
始皇帝を暗殺せんと目論んだことなど、おそらく後世の創作だろう。
劉邦に戦略面での助言はしていたのだろうが、韓の貴族出身という
経歴を考えると、士大夫階級への接し方や、功臣への論功行賞の
ありかたなど政治的な部分での指南をしていた人物なのかも知れんな。
特に漢王朝の成立後、表面的には引退しておきながら廃太子がらみで
呂后一党に与したあたりに、戦場における立ち振る舞いより宮廷での
政治的工作に長けた陰謀家としての人物像が見てとれる。

>515(紂王ってどんな人?)
中華の古代王朝、殷の最後の君主だ。殷王朝も紂王も実在じたいは
考古学的に証明されているが、妲己に溺れて政治を乱したことや、
その人柄が暴虐であったことなどに客観的な根拠は殆ど存在しない。
殷周革命は民族移動の結果生じた政権交代で、紂王の悪虐というのは
後から為された理由づけに過ぎぬ。古代における不徳の帝王として、
紂王の他に、夏の桀王、周の幽王がいるが、いずれも一人の女性に
溺れて政治を乱し、国を滅ぼしたという点で共通する。これは偶然の
一致とは到底考えられない。時系列上、最も新しい周の幽王の逸話
──褒姒(ほうじ)という女を寵愛して諸侯の反感を買ったというものを
下敷きとして、他の二つが作られたのだろう。いわゆる“反映伝説”だ。

>516(寝てる間に黄色い布を掛けられたらどうしますか?)
おそらく、風邪でもひかぬようにと家人が気を遣ってくれたのだろう。
さりげなく礼でも申しておくのが家長の正しいあり方だな。
むろん宋の太祖趙匡胤が泥酔して寝入った隙に、部下達が黄袍を
かぶせ(中華では黄色は天子の色とされている。黄袍を纏うことは
天子として即位することを意味する)、天子に推戴したというのは、
単なる作り話に過ぎん。来の申す通り、あらかじめ計画されていた
ことだ。当然太祖自身の発案であっただろうな。
528蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/25 13:56
>517 日本国王
よく参られたな。ここでも何度か日本史関連の質問があったのだが、
私は満足な回答をできず、恥じ入るばかりだ。貴卿は自国のことに
限らず、広く学芸に通じておられるようで、まこと尊敬に値する。

前漢の宰相蕭何について述べさせて戴こう。
蕭何は劉邦の旗揚げの頃から付き従い、補給や兵員の確保に勤めた、
有能な実務家であったと推測できるが、これは宰相として必要な能力とは
若干趣を異とする。なぜなら古代中国の宰相の役割は、天子の民政に
おける代理人として、全体的な事項を総攬するものであり、こと細かな
政策については各部局の長官に委任されていたからだ。蕭の内政面での
細かな業績が、いまひとつ不明瞭なのはその為であろうな。しかしながら
郡国制を採用して妥協的な統治策を用いた一方で、功臣の粛清を断行
するなど、宰相に必要なバランス感覚は見てとれる。また呂后の一党に
与して己の保身を図るなど、権謀術数にも長けておったようだ。
やはり名宰相として讃えられるだけあり、有能であったのだとは思う。

>521(高力士は悪人でしょうか?)
『旧唐書』によると高力士は潘州の出身で、元の姓を馮といったそうだ。
玄宗に仕え、楊貴妃を見出したことでも有名な高力士だが、少なくとも
玄宗に対しては忠実であった。ただ玄宗が高力士を重用したことは、
宦官勢力の台頭を許した事と同義であり、力士自身は表立って朝政に
関与しなかったものの、その後の宦官跋扈時代の萌芽となった。
悪人かどうかと言われれば判断が難しいが、例えば魏忠賢の様な者と
比較してどうかといえば、否とせざるを得まい。
529蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/25 14:01
>522(人生最大の失敗は何ですか?)
冷静に己の人生を振り返るに、私は特に目立った失敗はしておらぬの
だがな・・・。北宋がああなった原因として、女真と結んで遼を討つという
政策に走ったことが挙げられる。そしてそれは私が立案したかのように
思われることが多いが、実際には違う。あれは童貫と蔡攸が政敵との
競争を有利にする為に考えついた、いわばスタンドプレイなのだ。
私はそれに明確に反対し、その意思を詠んだ詩も残っている。
ところが私もいい加減歳を取り過ぎて、強硬に阻止出来なかったのだ。
まあ、そのように考えると、私はもう少し早く引退すべきだった。
なまじ長寿であっただけに地位に執着した。それが失敗といえば失敗で
あったのだろうな。今さら後悔しても始まらぬが・・・。

>523(もしも生まれ変わるとしたら、どの時代のどこがいいですか?)
出世が家柄に左右される時代では、栄達できそうにないゆえ却下だ。
三国時代に生まれれば曹操あたりに重用された気がしないでもないが、
やはり科挙が行われている時代が良い。となると、科挙による恩典が
最も篤い、宋代が私には最適と思う。しかし、太祖や太宗のような
明君の治める時代でないと、前世と同じ目に遭いそうだな・・・。

>524(パンツはいてない?)
そうだな。穿いておらんよ。そんな物が宋代に存在する筈がなかろう。
まあ下着のようなものはあったが、現代のそれとは違う。


以上だ。可能であれば夜にでもまた参る。
大和の国についてはどう思われますか?
しかし、明確な政治ビジョンを持ってなかった
蔡大師が宰相になれたのはあの時代をおいて他にはなかったでしょうね。
太祖の時代でしたら、せいぜい優秀な官吏どまりだったでしょう。
532来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/25 22:47
日を空けてすまなかった。出張糾問で離れていたので了承されたい。

>521
高力士か。彼は初め武則天陛下に仕えたが、その頃から抜きん出た
能力を示し、陛下の覚え目出たかったそうだ。
陛下没後、臨淄王時代の玄宗の元に配属されたが、韋氏・太平公主
に対する挙兵に参加し功績を挙げ、それ以後玄宗の信任を得たそうだ。
宦官故、誤解されがちだが李林甫に政治を委任する事に反対したり
姚崇と玄宗の間を取り持ったりと裏方の功が多い。
玄宗が、力士が宿直している夜は良く眠れると公言している様に
並み居る臣下の中でも尤も信任されていた事は疑い無い。
楊貴妃の推挙についても、玄宗の意に沿った行動なので非難する
理由も無いので、他の悪宦官と比較すると、良識派と言えよう。

>522
我輩が武氏一族を誣告しようとした際に裏切った衛遂忠の事だ。
奴は格別目をかけていたが、その恩を仇で返し、我輩の策謀を
餌に寝返りおった。
常に部下には監視をつけていたのだが、それを怠り一時とは言え
信じたためにあの様な羽目に陥ったのだ。

>523
我輩のような低い身分では、どの時代でも芽が出なかっただろうから
やはり武則天陛下と同時代と返答しておく。
とは言え、他の時代と質問されてこれでは芸が無いので五代十国も
面白いかも知れぬ。実力のみでのし上がれる時代なので、あわ良くば
節度使にはなれたかもな。少し大きく出たが笑ってやり過ごして欲しい。
533来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/25 22:48
>524
唐代に今の様な下着は存在せぬので、穿いていないと返答しておこう。
だが、ここでその様な質問が来たのは初めてではないか?
仮に楊貴妃でもここにおれば、そう云った質問で溢れるかも知れぬが。

>530
大和の国…即ち日本だな。
>41で同様の質問が既に来ており>43で返答しておるので
それを参照して欲しい。
政治文化などの面で唐に多くを学んでいた関係上、遣唐使などの
交流はあったが、何でも遭難・沈没も珍しくなかったらしい。
阿倍仲麻呂と鑑真和上の話が有名だろうが、当時で日本と中華を
旅するのは今では想像もつかぬ物だったのだ。

>531
それは違うな。
明確な政治ビジョン云々は、政治的識見を持たぬ徽宗の元で
働かれたからで、当時の新旧法派闘争では、どちらかが相手を
弾圧駆逐しなければ収まらなかっただろうから、蔡京殿は
最良の方法を取られたに過ぎぬ。むしろ妥協に終始した王安石に
非があるのだ。
太祖太宗の下なら、蔡京殿の実務的才能と教養は大いに役に立ったと
考える。特に遼や南方・北漢などの敵対国との戦争が続いた北宋初期
なら、財政担当として腕を振るわれたことは疑い無いし、学問を特に
好んだ太宗なら私的公的両面において重く用いた筈だ。

では、今夜はこれまでとする。
534魏忠賢 ◆AKuSiN8P2Q :03/10/26 09:23
朝の日差しが爽やかな一時、両閣下には如何御過ごしでしょうか?
臣は紅茶とクロワッサンでささやかな朝食を取りつつ
東廠にて報告書を眺めております。

さて質問ですが、後水尾天皇陛下が水墨画の好みを訊ねられましたが
それにちなんで臣からも一つ。
西欧絵画でお好みの絵もしくは画家はおられますか?
ちなみに臣はフランシスコ・ゴヤであります。
535以上、自作自演でした。:03/10/26 14:49
超マニアックですが史可法の行動は評価できる物でしょうか?
536来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/26 19:59
今日も一日中裁判に明け暮れたが、有意義である事は代わらぬな。

>534 魏忠賢
燕を見たが、今度は怪物蟻と手を組んだらしいな。
手段を選ばぬお前らしいと褒めておくぞ。
西欧絵画だが、我輩はルネッサンス時のラファエロや
ミケランジェロの様な写実的な宗教絵画を好む。
躍動感溢れる人間描写と、自然美とも取れる画風が
見ていて心地良いのでな。
だが、お前がゴヤとは面白い物だ。
我が子を喰らうサトゥルヌスなどがお前の趣味に
合うのではないのか?
参考に貼っておく。御世辞にも気持ちの良い絵ではないので
それを踏まえて見る事を薦める。

ttp://material.miyazaki-c.ed.jp/cec/internet_artmuseum/rococo/goya/h-gya4.jpg

>535
まず史可法(しかほう)について多少述べるか。
明末の南京兵部尚書(中央である北京のに対して南京のは
名誉職色が強い)で李自成による北京陥落後に発足した南明政権で
軍事的中心を果たした人物だが反対派と対立し、清との戦いで揚州を
死守した結果敗れて捕われた挙句殺された人物だ。
江の堤防を決壊させて清軍を水責めにすべきとの進言に孟子の
「民を貴しと為し社禝之に次ぐ」を引用して反対したそうだが、
生きるか死ぬかと言う状況で、その様な奇麗事など通用せぬ筈だ。
実際に、史可法が抵抗したために揚州では八十万と言う数の人間が
清軍に虐殺されたそうだが、正に本末転倒だ。
これなら、即刻降伏して官位にありついた他の将の方が高く評価できる。

では、本日はこれまで。
537伯約:03/10/26 20:01
ははは、何とかしてください(^^)
ここも伯約の敵スレか!!
許さねぇ!!
539伯約:03/10/26 20:18
ここは司馬家スレの次くらいに怪しいですよ!
私に嫉妬するのは醜いですよ(^^)
悪臣スレ荒らすなクソ伯!出てけ!二度とくるな!
月餅食べる?
542伯約:03/10/26 22:01
>540応援どうも

ここのスレの連中はメッセだかチャットだかで打ち合わせしてるらしいですね
姜子牙はどういう評価ですか?
544伯約:03/10/26 22:07
伯約は代を重ねる事に強靭になっていきますよ!
545蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/27 09:07
昨晩はちと出にくかったものでな。静観させてもらった。
本日はsageで書き込むことにする。


>530(大和の国についてはどう思われますか?)
日本のことだな? 
前に申したが、私としては東方の海上にそのような国があるくらいの認識で
しかなかった。軍事的に脅威となりうる勢力ではなかったのでな。
また、唐代と違いそれほど朝貢が盛んではなかったと思う。北宋の記録では、
元豊元年(1078)に仲回と申す日本僧が来朝したのが最後だな。

>531(宰相になれたのはあの時代をおいて他にはなかったでしょうね)
私はビジョンのない人間だったのではない。単に表に出さなかったというのと、
出世欲の方が強かったというだけだ。新法による改革で財政難を解決すると
いう政治目標は一貫して持ち続けておったし、だからこそ宰相になってからは
旧法党を残らず追放したのだ。そして現実に国庫を黒字に転じさせておる。
私は改革を志して、しかもそれを実現させた“大政治家”なのだ、本当は。
たが、太祖の時代であればそれほど出世できなかったのでは、という貴公の
推測にも一理ある。太祖は北方系の官僚を重用し、私のような南方出身者を
軽んじておったからな。石刻遺訓の話が前に出たが、太祖はそれとは別に
「南人官僚を宰相として用いるなかれ」という訓戒を石碑に刻みつけたという
噂があった。実際、太祖太宗の時代に南人で宰相になった者は無く、長らく
被征服民として官界においては差別の対象になっていたのだ。
546蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/27 09:12
>534 魏忠賢
そのクロワッサンには人間の脳髄でも練り込んであるのかね?
・・・まあ、下らぬ当て擦りは控えるとしよう。そなたはゴヤが好みか。
私も来と同様、真っ先に『我が子を喰らうサトゥルヌス』が頭に浮かんだ。
それで私の好みだが・・・ルノワールだな。平凡と笑わば笑え。
ああいった柔らかな印象の絵画は心に平安をもたらす。
緊張感のある作品はいまいち私の性に合わぬのだよ。
『カーン・ダンウェルス嬢の肖像』など素晴らしい作品だと思うが、
そなたなら、ああいう少女を見ると、むしろ嗜虐心の方が刺激されるのかもな。

>535(超マニアックですが史可法の行動は評価できる物でしょうか?)
南京に拠った明の亡命政府では、北京で自殺した崇禎帝の後継をめぐり、
東林党が潞王(穆宗隆慶帝の第四子)を、非東林党が福王(万暦帝の孫)を
それぞれ推していた。結局は福王推戴派が勝利を収めるが、潞王派であった
史可法は不思議にも、大学士に太師を兼ねる宰相待遇として重用された。
あるいは最初から史可法は福王を推していたかもしれんな。
とは言え、史可法は南京政府の中では非主流派であったらしく、前線に
出されて清の豫親王多鐸(ドド。ヌルハチの第十五子)の南征軍を迎え撃つが、
ほぼ何の抵抗もできぬままに敗死している。善戦したという形跡すらなく、
とても評価に値するものではない。忠節は忠節としても、王朝に殉じた者は
他に幾らでもおるし、史可法のみが格別に讃えられるべき根拠は何もない。
南京亡命政府は終始党派抗争に明け暮れており、清の南下に対して何ら
有効な策を講じれなかったが、史可法もまたその責を負うべきだ。
尤も、明の廷臣たちは皇帝の裁可がなければ、制度上一致団結することが
不可能であり、亡命政権の天子の下では支離滅裂にならざるを得なかった
という事情もある。なお、豫親王が揚州で行ったとされる大虐殺は、
どの程度まで信頼に足るものか判断が難しい。
547蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/27 09:14
>535(ははは、何とかしてください(^^) )
まずトリップを出して本人と証明せよ。でなければ基本的に偽者と看做す。
何とかせよと申しても、この騒動は我々が何とかできる範囲を超えている。

>538(ここも伯約の敵スレか!!許さねぇ!!)
なぜそのような結論に達するのか極めて疑問だ。以前参った伯約の質問には
来も私も普通に解答しておるではないか。疑心暗鬼も大概に致せ。

>539(私に嫉妬するのは醜いですよ(^^) )
別に知識の競い合いをしている訳ではないのだ。嫉妬する理由がなかろう。
私としては共存共栄が望ましいと思っており、他所を妨害する気など毛頭無い。

>540(悪臣スレ荒らすなクソ伯!出てけ!二度とくるな!)
貴公もあまり昂奮せぬように。上の二人は本物の姜伯約ではなかろう。
この程度の荒らしに、来も私も動じたりはせぬよ。


とりあえず、ここまでとする。
これから所用にて外出するのでな。夜にでもまた参る。
548伯約:03/10/27 17:37
ははは、伯約はみんな加藤の自作自演らしいですから本物も偽者もないらしいですよ
これは衆目の一致するところです
貴方もまだまだですね(^^)
549蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/27 18:21
戻って参った。朝の続きを書き記す。


>541(月餅食べる?)
差し入れか?ならば戴くとしよう。宋代には月餅と言う言葉はなかったな。
似たような菓子ならば、我が家で召抱えた料理人が作っておったが。
天子の行幸もしばしばあったゆえ、常に最高の饗応が致せるように、
普段から抜かりなく準備をしておく必要があったのだ。

>542(メッセだかチャットだかで打ち合わせしてるらしいですね)
打ち合わせならば基本的にここで足りる。他スレの者と会話を交わすには、
燕に参ればよい。尤も、燕で雑談が過ぎると賈丞相が難儀するでな。
必要とあらばチャットも利用するやも知れぬ。
550蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/27 18:25
>543(姜子牙はどういう評価ですか?)
いわゆる太公望であり、周王朝建国の功臣だが、あまりに古代の人物ゆえ
正確なところは何も知れぬ。周を建国した民族の一員であったとする説と、
はじめ殷の紂王に仕えており、後に寝返ったという説があるようだ。
史記によると太公望は呂尚と名乗っていたという。「呂」というのは姓ではなく
“氏”といって、一般的にその者の発祥地や領土を指す。そして太公望が
呂氏を称したのは、殷によって呂の地に封じられた者が先祖にいたことに
ちなむとされる。となると太公望はもともと殷の家臣であり、何らかの原因で
周に寝返ったと考えられよう。周風の姓である「姜」もその時下賜されたのだろう。
一応、太公望は最初から姜姓であったと史記は記すが、それであれば彼は周を
建国した民族に属していたことになり、呂氏を名乗っていたことと整合性を欠く。
周に仕えてからの功績も、信頼できるほどの記録は殆どないが、
斉に封じられたことからして、相当なものがあったのだろうな。

>544(伯約は代を重ねる事に強靭になっていきますよ!)
そうかね?ならばいいのだが。姜伯約の復帰を待ち望んでいる者もいよう。
叩かれておるのは大いに気の毒なれど、いずれ攻撃も止むであろうと思う。

>548(これは衆目の一致するところです)
らしい、らしいと二重に仮定しつつ“衆目の一致”とは滑稽なことだ。
伯約の中の者が加藤であるか否かなど、私にとりさして重要なことではない。
551伯約:03/10/27 19:04
ははは、私が言ったわけではありませんから(^^)
それに私が完全に肯定してしまったらまずいでしょう
伊尹の評価をお願いします。
553来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/28 11:54
審問の途中だが、余暇が出来たので返答する事にする。

>537〜540 >542 >544 >548 >551 伯約
まずは落ち着くが宜しい。我輩らは一度足りとも姜伯約に
害意を持った事も無い。むしろ同じ中華の者として親近感を
抱いていたが、突然の疑問を挟まれた事には当惑するばかりだ。
誰が本物かは知らぬし知り様も無いが、これだけは理解して欲しい。
>540も落ち着いて冷静になる事だ。

>541
月餅とは珍しい。一つ頂くとしよう。
そう言えば、明の太祖朱元璋が餅を食していた時に参謀である
劉基が現れ、食べかけの餅を隠した朱元璋が中味を当ててみよとの問いに
金竜が一口噛んだ物と言い当てた故事があるが、もしかしてそれに
習ったのかな? だとしたら中々面白い事だが。

>543
姜子牙…即ち太公望の事か。
貧困時代に妻に見捨てられ、功挙げて後に復縁を迫られて
水をこぼして遠回しに拒んだ故事などが伝わっておるが
やはり古代の人物なので信憑性が薄すぎる。
釣りの最中に周の文王を待たせたと言うのも同様だが、
そうした逸話らしき物がある以上、架空の存在ではないのは確かだろう。
おそらく蔡京殿が>550で申された物と類似した点が多分だろう。
名軍師としての事績も全くと言っていい程伝わっていないし
太公望の兵法即ち六韜三略も、後世の創作という事が判明している。
存在はしただろうが過大評価の部分がほとんどではないか。
554来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/28 11:55
>552
殷の初代の王である湯王に仕え、夏の桀王を放伐するのに
功績が有ったらしいが、太公望以上に古い人物なので
事績事柄も史記を参考にするしか無く、評価が難しい。
料理人から出発したらしいが、多芸多才の者と言う
表現からだろう。
宰相の理想的存在として伝来されてきたのが本当の所かも知れぬ。

では、本日はこれまで。尚我輩も蔡京殿に倣い下げる事とする。
555555ゲット:03/10/28 15:00
士は誠に小人なり
太陽板で梁山泊の女頭領が蔡京様のことを

>有能だが出世至上主義者で(中略)自分の地位を守る事しか頭にない。

と評していますが、これについて一言お願いします。
557蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/28 19:00
ageるかsageるかの判断は、来に委ねる。

>551(それに私が完全に肯定してしまったらまずいでしょう )
そなたの判断など知らぬよ。
わざわざ此処に参って主張せぬでも内心に留めて置けばよかろう。
話も噛み合わぬし、これ以上の議論は時間の無駄というものだ。

>552(伊尹の評価をお願いします)
殷の湯王の宰相を勤めた者とされるが、実在したか否かは不明だ。
殷の初期と言えば神話と史実との境界も曖昧であるし、また湯王によって
簒奪された(と考えられる)夏王朝の存在自体がそもそも疑わしいのでな。
伊尹は、湯王の後を襲った曾孫の太甲を追放して専権を振るったという。
もしかすると湯王は、この部族の象徴神か何かに過ぎず、伊尹が君主で
あったのかも知れんな。
後世において臣下が天子の権力を掣肘し、政治を恣(ほしいまま)にする際、
しばしば「伊尹に倣う」と標榜して己の行為を正当化したものだ。
一応、伊尹は太甲の無道を諌める為に政権を一時的に乗っ取ったに過ぎぬと
伝えられるが、模倣者達にはそのような意図などなかった事は言うまでもない。

>555(士は誠に小人なり)
そのように謙遜せずとも良い。五五五を獲得して喜んでおるのだろう?

・・・まあ元末の群雄、張士誠のことを申しておるのだろうがな。
もともと張九四なる名であったところ、儒者に士誠という文字を奉られ、
以って改名したとされておるが、実際に当て擦りであったかは不明だ。

>556(有能だが出世至上主義者で(中略)自分の地位を守る事しか頭にない)
うむ。実際に見て参った。私のみならず徽宗や童貫、楊戩、朱勔についても
評していたが、どれもみな的確と言えるものではないか。
あの女性はなかなかの慧眼だな。確かに私は出世主義者であり、
己の地位を維持する事を何より大事にしておったよ。まことその通りだ。
558蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/28 19:23
魏忠賢は丞相の立場を慮っていた筈だ。
確かにレスが進めば進むほど負担は大きくなるであろうが、
丞相は自分に構わず進行せよと述べておったしな。
それは建前にあらず丞相の本心であったと思う。
昨晩のような事態は論外としても、皆で遠慮して書き込みを控ることが
燕の停滞を招いては本末転倒というものだ。
部外者の私が申すのは僭越とは存ずるが、戦闘スレであれ何であれ
再度盛り上がって欲しいものだ。
559蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/28 19:24
・・・誤爆じゃ。燕に書き込もうと思ってのう。
失礼致した。
北宋代の派閥とも言うべき、
新法派、旧法派のそれぞれのリーダー的存在であった。
王安石、司馬光について一言お願いします。
追魂奪命剣!
儂は見様によって
良臣とも悪臣とも言われておるが、
貴殿らはどう見ておるのか?
蔡九知事も最期は処刑されたんですか?
背は高いほうですか?
565以上、自作自演でした。:03/10/29 16:13
中華人民共和国の
革命天子、毛沢東主席について
所見をご披露頂ければ幸いでつ。
566来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/29 19:25
本日の返答の前に述べるが、上げ下げについては特に自由とする。
やはり悪臣である我輩らが下でくすぶっているのは性に合わぬ。

>555
朱元璋に対抗した張士誠の名の由来だが、孟子の一節だそうだ。
朱元璋が後にこの話を聴いて、文人への不信感を増長させ、
文字の獄に繋がったそうだが、本当に当て擦りの意味があったか
どうかは不明だ。それと五五五を取れて何よりだ。
この様な偏った内容の場がここまで進むのも珍しい。

>556
本人が許容されているので我輩がとやかく言う事も無い。
太陽の様だが、せいぜい梁山泊の名に恥じぬ働きをする事だ。

>560
王安石と司馬光は新旧法派の頭ながら幾分の交流があったそうだが
政治的立場は大きく異なっていた。これはおそらく双方の出身が
影響していたのだろう。
王安石が貧しい属吏の子として地方を回り、科挙に合格して後も
地方勤務が多く、直接民間と接触する機会もあったので当時の諸問題を
熟知できたのだろう。
対して司馬光は代々進士の名門に産まれ、長く中央勤務を勤めたので
民間、特に貧民層の実状を知る機会も無かったので、国家の利益を
優先して貧者切捨ての立場を取った。
とは言え、司馬光は反対に終始し、具体的代案を出さず王安石も妥協と
強行の間を右往左往していたので結果的に北宋の弱体化を招いた。
例えば蔡京殿や明の張居正の様な現実思考の政治家なら、政敵を排除して
改革を断行しただろうから、その意味で言うと一流の宰相政治家の類とは
評価できぬ二人よ。士大夫に優しい北宋だからこそ宮廷で生きていけた
かも知れぬ。
567来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/29 19:27
>561
書剣恩仇録の登場人物が使う剣術らしいが、随分と大仰な名前だな。
まあ、架空の話故、如何様にもつけられるのだろう。
ある意味はったりが大半かも知れぬが、それはそれで効果がある。
あの魏忠賢の神号もそう言えるな。

>562 平清盛
平家全盛時代を築きながら一代で衰退、そして次代で滅亡とめまぐるしい
貴殿だが、前半は表向き後白河法皇の忠実な武力として働き、
後半は平家第一主義を貫いたのは臨機応変と言え無くも無いな。
鹿ケ谷の変に見られる反対勢力の粛清は当然であり、その他の平家一門
による官位独占も悪事とは思えぬ。
また南宋との交易に目をつけるなど先見性や視野の広さも中々の物だし
決して悪臣賊臣とは呼べぬ存在よ。あえて申せば当時の武家及び時代の
欲求に応じて動いたと言える歴史の申し子か。
難を言えば平治の乱の折、頼朝や義経ら源氏一門を絶滅させなかった事
が悔やまれるが、これは結果論だろう。

>563
名前から察するに、蔡京殿の一門でその血縁で出世した者かな?
生憎、その人物に関しては我輩は詳しく存ぜぬので明確な返答が出来ぬ。
当時の政治状況で言えば、蔡京殿の派閥はほとんどが流刑や解任された筈
なので、その者も例に洩れる事が無かったのだろう。
ただ死刑かどうかは分らぬが。

>564
いや、よく正史に掲載される様な者とは異なり、我輩はごく普通の背丈だ。
唐ではある程度の容姿が求められたので、背丈も高いに越した事無いが
別段、短小と評される程でも無いので、平均か若干上と申しておこう。
568来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/29 19:28
>565
長い中華の歴史で、農民出身で実質的に中華全国の皇帝となったのは、
劉邦、朱元璋そして毛沢東と称されている。
中国共産党の一党員ながら、都市での武装蜂起に反対し農村中心主義を掲げ
国民党や日本軍との戦争で軍事的能力を発揮し、長征に見られる数々の困難
乗り切ったのは、やはり優れていた証拠だろう。
ただ共産主義の思想教条に忠実すぎたのか、或は自己の権力維持のためか
大躍進・文化大革命で中国の近代化及び発展を大きく妨げたのも他ならぬ
毛沢東本人だ。
結局、建国の父と言う栄光を自らで汚辱に塗れさせた結果に終わったが
功罪相半ばする存在と言えよう。仮に千九百五十年代で現実路線を敷いて
いたら、現代中国はどう変化していたか、興味が沸く話だがな。

では、本日はこれまで。
梁中書さまからの、お誕生日のお祝いでござる。
(;:・:∀・)ノ 金
現代の悪臣?藤井元総裁解任劇について
571蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/30 11:41
昨晩は多忙につき回答できなかった。あい済まぬ。
では私もageて書き込むことに致そう。

>560(王安石、司馬光について一言お願いします)
司馬光というのは、ある意味非常に清廉潔白で道徳感情に溢れる人物だった。
だからこそ、新法によって貧民(主に農民だが)を経済的に支援し、その生活水準を
底上げするという理念に、吐き気すら催すほどの嫌悪感を感じたのだな。
富者がいる一方で貧窮した農民が多数存在するという、階層化された社会秩序こそ
理想と信じて疑わなかったのだ。現代人には奇異に映るだろうが、このような
歪んだ思考も儒家的倫理観の一典型として存在し得る。すなわち司馬光は
私利私欲を図る為に新法を非難していた訳ではなかったゆえ、
宰相としてそれらを全面的に廃止するにあたり、迷いも後ろめたさもなかった。
無論、このような現実から遠く離れた理想主義者が宰相として国政を統括するのは、
国家にとり害悪でしかない。その意味で司馬光は私以上に悪質な宰相であった。
一方の王安石だが、現代的な感覚では、貧民を慮る正義の味方に映るやも知れぬ。
だが新法というのは、ある程度貧困層を支援して経済力を備えさせ、しかる後に
搾取すべしというのが本質であった。王安石自身はしばしば“愛民”などと口にし、
新法の社会福祉的な側面も強調していたが、まあ無理のあるこじつけだったな。
どちらかと言えば科挙官僚というのは司馬光のごとく経済にも軍政にも刑法にも
疎い者が多く、王安石や私のような実務家のほうが珍しいのだが、より宰相として
相応しいのがどちらであるかは言うまでもない。

>561(追魂奪命剣!)
うむ。私には何のことやらさっぱり解らぬ。賢明なる諸君は既に勘付いている事と
思うが、私はそういった創作物には極めて疎く、『三国志演義』も『水滸伝』も、
まともに読んだ経験がないのだ。特に三国志に疎いのは致命的な欠点だな。
・・・とまあ、このような戯言を吐くのは“追魂奪命剣”について調べた結果、
何も解らなかったからなのだ。済まぬな、561よ。
572蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/30 11:44
>562(先太政大臣平朝臣清盛)
これはよく参られた。確か『平家物語』は貴卿と一族を揶揄するものであったか。
趙高や王莽に譬えられているのだから、悪臣という評価なのだろうな。
一族で官位を独占し、専横の限りを尽くしたという印象だが、>567における
来の弁によれば、政治的実績は残した有能な武家の棟梁であったようだ。
それゆえに悪罵されるのは大いなる不満と思うが、長く一族で政権を
保てなかったのだから仕方がないと言えば仕方がない。

>563(蔡九知事も最期は処刑されたんですか?)
『水滸伝』によると蔡九は私の第九子で本名を蔡得章といい、知江州府を務めた
者とされている。だが私の男子は八人しかおらぬし、得章という名の子もおらぬ。
つまり架空の人物だ。だが、仮に実在しておれば処刑か流罪にはなっていただろう。
何せ私の息子達は、北宋の滅亡時に、天子の女婿である一人を除いて全員が
処罰を受けておるのでな。

>564(背は高いほうですか?)
普通だ。史書においても特別な記述はされていない。まあ165aくらいと思って
くれれば宜しい。当時の平均身長はもっと低かったかも知れぬが、私は貧しい
生まれではないので、成長期の栄養状態が良好だったのだよ。

>565(中華人民共和国の革命天子、毛沢東主席について)
理想が先立って現実を直視できない傾向は、およそ旧共産圏の政治家全てに
共通するものだ。外部的な視点からすれば、現実に迎合して理想の方を修正
すれば良いと思えるが、当事者達はそうは考えない。毛沢東もそのような鎖に
縛られた不幸な人物であったな。革命家としては極めて有能であり、指導力も
人望も中華史上稀に見る傑物であったと思うが、やはり全体として見れば
中国の発展を遅延せしめた不徳の指導者だ。
私見だが、共産主義理念はいずれ再評価される時代が来ると思う。
そうなればますます毛沢東の事績は、共産主義の歪曲の好例として
罵倒されること疑いあるまい。歴史というのは冷酷で理不尽なものだ。
573蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/30 11:49
>569(梁中書さまからの、お誕生日のお祝いでござる)
梁中書が私の誕生日祝いに調達した大金を梁山泊の楊志(であったか?)に強奪される。
そのような場面が『水滸伝』にあった。それを踏まえた上で、二つほど言いたい事がある。
第一に、高官の誕生日を盛大に祝うのは当時の風潮であり、
私のみが特別に欲深かった訳ではないということ。
第二に、梁中書(梁世傑)は私の女婿ということになっているが、
実際には架空の人物であり、この話自体が私を貶める為(あるいは物語を
面白くする為)の創作であるということだ。

・・・という訳だが、その金はしっかりと戴いておく。
賄賂(とは一概に申せぬがな、この場合)の額こそ贈り手の誠意を示す物差しだ。
何か見返りを欲するのであれば申してみるが良い。それも政治だ。

>570(現代の悪臣?藤井元総裁解任劇について)
道路建設に代表される公共事業を行い、国庫金を民間の所得に転じしめることで
国民生活を安定させ、景気を維持するのが、長く日本の国策であったのだろう?
その体制が数十年に渡って存続したのは、国民の大多数がそれを支持したからで
あろう?官僚主導の行政がこれほど良好に機能した例は歴史上類を見まい。
そして藤井とやらは、この体制を忠実に支えて参った功臣の一人なのだと聞く。
ゆえに悪臣ではないと思うが、時代の潮流が変わりつつあるのだから退場させる
より他ないのだろう。惨めと言えば惨めな男だな。ただ、こうした政治的潮流は、
むしろ日本を中世的停滞の中に放り込む、危険な流れであると私は思う。


以上だな。では、また会おう。
>573
え〜と、水滸伝のくだりですがちょっと違いますね。
楊志は誕生日祝いを護衛していた方で
強奪したのは托塔天王・晁蓋をリーダーとした7人組です。
あなたの腹の中に詰まってるのは何ですか?
576来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/30 17:45
本日は十六人であったが、何時もの担当の斬首係が病欠なので
代わりの者に執行させたら、腕が悪かったのか一刀で刎ねそこねた。
罪囚は血塗れでのた打ち回ったが、見物人の方は盛り上がった様だ。

>569
蔡京殿宛の祝いに名を借りた賄賂の様だが、受け取って戴き光栄だろう。
近い内に沙汰があるだろうから、愉しみに待つ事だ。
かつての我輩も似た様な事をしていたので充分理解できる行動だな。

>570
今の日本ではその者の行動がマスコミなどで盛んに叩かれているが
本人は忠実に国家の方針に従ってきたつもりだろうから、突然の解任に
腹立たしい限りだろう。
別段、その者のみが行ってきたのでは無く、大抵の官僚や自治体の
関係者がして来たので、悪臣どころか凡人の類と評される者だ。
単に歯車を取り替えたに過ぎん。

>574
本人が申されている通り、蔡京殿は史実重視派であり、
演義や水滸伝の如き野史創作の類は熟読されていないそうだ。
元来、科挙出身の官僚は、儒学古典や諸子百家。正史を重んじてきたし
試験の際も、それらが中心だったので、蔡京殿のみが特別な訳では無い。
指摘については本人の存念を訊くが良い。
577来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/30 17:46
>575
生きていた頃は胃や腸を始めとした臓腑だったが、
死んで久しい今では何も無い。
おそらく安禄山の太鼓腹を見た玄宗が戯れに訊いた話から
取ったのだろう。
今の単位で二百キロを下らぬ体重だったそうだが、
そんな肥満体で戦場で働けたのかと疑問が沸くのだがな。
当初、契丹などの異民族戦で功績を挙げた安禄山は、
後年安史の乱を起こしたいわば逆臣なので、
それを貶める意味で記しただけかも知れぬ。
ぬけぬけと、腹中赤心あるのみと返答した禄山も
相当の器だろうがな。

では、本日はこれまで。
ちょっと為になる、へぇと思える知識を披露して下さい。
579以上、自作自演でした。:03/10/30 19:09
トイレで鼻の穴に棗つめるって本当?
580魏忠賢 ◆AKuSiN8P2Q :03/10/31 01:29
お二方には弁護していただきお礼の言葉も見当たりません。

質問ですが、オゴタイハーンのヨーロッパ遠征ですが、
もしオゴタイハーンが病没していなければ、モンゴル軍は
欧州制覇していましたかね?
581以上、自作自演でした。:03/10/31 11:42
地獄ってどこにあるの?
582蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/31 17:50
では本日の回答を行う。

>574(強奪したのは托塔天王・晁蓋をリーダーとした7人組です)
おお、左様であったか。わざわざ訂正してくれて済まぬな。
それにしても私の誕生日祝いに用意された品を奪うとは不逞の輩じゃ。
挙句それが叛徒どもの活動資金に回るとは、まこと腹に据えかねる。

>575(あなたの腹の中に詰まってるのは何ですか?)
胡舞(西域の舞踏)を披露する安禄山を見て、玄宗がそのように問うたらしいな。
『新唐書』によると、安禄山は「唯赤心耳(ただ赤心のみ)」と答えたそうだ。
“赤心”とは「偽りのない真心」くらいの意味で、まあ忠誠心と言い換えても良い。
そして私もまた、基本的には己の腹中に徽宗に対する赤心を充填しておったよ。
そうであろう? 私は徽宗の為に八方手を尽くして金をかき集め、新法の成果を
台無しにしてまで、あれの期待に応えたのだからな。
その意味でも、私が「徽宗を惑わした姦臣」との評価を受けるのは間違っておる。

>578(ちょっと為になる、へぇと思える知識を披露して下さい)
周王朝の姓が「姫(き)」ということは知っている者も多いと思う。
>550で述べた事と関連するが、周王朝を建てた部族の習慣として、男性は氏を、
女性は姓を名乗るというものがあった。つまり男性は周王発や周公旦など名乗り
姫発や姫旦などとは称さなかったということになる。即位前の始皇帝も“秦王政”
であり、“嬴政”とは表記しない(嬴は秦の姓)。
だが女性の場合は諱や字に関わらず、単に姓のみを称した。
ゆえに周王朝ゆかりの女性はみな“姫”と名乗っており、これがいつしか貴人の
女性を指す一般名詞に変化したのだ。
583蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/10/31 17:55
>579(トイレで鼻の穴に棗つめるって本当?)
詰める詰めぬは各人の自由だが、便所に棗を盛った皿を置く習慣はあった。
乾燥させると芳香を放つので、便臭を消すのに都合がいいのだ。

>580 魏忠賢
なに、礼などいらぬよ。そなたもあの程度の事で悩むような柔な者ではなかろう。
また燕で顔を合わすことがあれば宜しく頼むぞ、九千歳。

>オゴタイハーンが病没していなければ、モンゴル軍は欧州制覇していましたかね?
ロマンチスト(?)のそなたらしい疑問だな。たとえ誇張があったにせよリーグニッツの
戦いで欧州の劣勢は明らかになっておるし、単純に考えればフランス本土を蹂躙して
大西洋を窺えたのではあるまいか?そもそも当時のフランスは一枚岩ではないし、
宗教に寛容な蒙古軍と妥協する勢力も現れたと思う。レコンキスタで意気上がる
イベリア半島にしても、蒙古の精鋭を押し返せるだけの力はなかっただろう。
欧州全土が蒙古の支配下に置かれれば、ルネサンスが百年ほど早く開始されたかも
しれぬな。まあ、この手の空想を始めるとキリがないのもまた事実か。

>581(地獄ってどこにあるの?)
想像もつかぬよ。だが生前に悪事を為したとされる私は地獄に落ちておらぬ。
いかなる宗教の下でも地獄に落とされそうな来や魏忠賢も、地獄を棲み処とは
しておらぬで、ここに現れているではないか。
およそ地獄などというものは、死後ではなく現世にこそ存在するのだ。


以上だな。それでは、またな。
     £
 /⌒/⌒'⌒丶  Trick or Treat!
│││(,,゚Д゚)::│ オカシチョーダイ
││::(ノ ;;;;;;;:つ:|
 ゙:、..,,,ゝ__;;;;;;ノノ
     ∪∪
585来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/31 22:59
遅くなったが本日の返答に移ろう。

>578
日露戦争の日本海海戦で有名な東郷平八郎だが、
この人物が日本料理の一つ、肉じゃがに深く関わった事は
諸君らは存じていたかな?
明治三十四年から二年間、舞鶴で司令官を務めていたが
その在任期間にイギリス留学時代に食べたビーフシチューを
元にして「甘煮」即ち肉じゃがを作らせたと言う。
尤も、呉市も自分らが肉じゃが発祥の地と異議を唱えて
ちょっとした議論をかもし出した事もあるが。
歴史とは少しずれるが、身近な物が良いと思って
これを出したがどうかな?

>579
現代の便所と異なり消臭設備も無い昔の中華のそれでは
その様な習慣があったが、東晋の王敦は置かれてあった棗を
全て食べたと言う話が世説新語に掲載されている。
おそらく故意にした事だが、便所にある物を食べるとは
さぞ、周辺の者も驚いた事だろう。
586来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/10/31 23:05
>580 魏忠賢
礼を言われる事も無い。お前が燕にいないと我輩らが困るからだ。
当時のモンゴル軍の快進撃を考えると、まずドイツ・オーストリアは
容易に取れるだろうし、唯一の自然障害であるライン川を越えれば
後は騎兵を使うに適した平地が続き、フランスやイベリア半島も
さして困難無く進撃できる事から、充分可能だったろう。
宗教に肝要なモンゴルがヨーロッパを支配すれば、異端と断定された
カタリ派ネストリウス派なども存続が認められ、カトリックによる
宗教支配も無いので後の世のフスやルターによる宗教改革や異端審問
魔女狩りも無い。或はローマ法王も単なる地方の一司教に落とされ、
今のバチカンも無かったかも知れぬな。
そうなればヨーロッパの体制その物も大きく代わっていたと思われる。
面白き質問であったが、お前も発想力は大した物だ。また来るがいい。

>581
今、諸君らが生きて生活している現代世界が地獄だ。
日本やアメリカを始めとした先進諸国が華美飽食に明け暮れる反面
アフリカやアジアなどの後進諸国では水一杯容易に飲めないと言う
人間と呼べるか疑問な生活が日常的だし、その先進諸国でも人が人を
憎み、相争いながら自らを生かそうとする激しい生存競争が
繰り広げている。これを地獄と言わずして何と言おうか。

>584
ハロウィンか。なら胡餅を渡そう。
我輩が生きた唐代で西域から伝来した菓子の一つで
今で言う餅と異なり、粉を練り固めた饅頭に近い物だ。
中に肉や野菜が入っているので肉まんの類と思えば
美味く食べられるだろう。

では、今夜はこれまで。
587光武帝劉秀:03/11/01 20:28
朕の知名度が低いのは何故であろうか?
588蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/01 20:30
今夜は一つだけか。

>584(オカシチョーダイ)
菓子か・・・。饅頭でも持って行くか?
黒糖の餡を入れており、当時としては大変貴重なものだ。
それと羊羹も持っていくかね?
これは諸君らが現在食べておるものと違い、羊のスープを煮固めたものだ。
菓子とはやや違った趣だが、軽食代わりになるぞ。
589蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/01 20:38
>587 光武帝
これはこれは、気付きませなんだ。よう参られた。
陛下は知名度が低いでしょうかな?私はあながちそうとも思いませぬが。
ただ、日本人は漢楚の戦いや三国志を好む者が多うござりまする。
ゆえに、その狭間にある後漢建国史は、いささか地味に映るのでしょうかな。
しかし前漢後漢を通じての最高の名君は陛下であると思いまする。
いわば古代中華帝国の隆盛期ですな。
590以上、自作自演でした。:03/11/01 20:55
羊の羹一杯で恨みを持つ人間をどう思いますか?
591蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/01 21:20
>590 (羊の羹一杯で恨みを持つ人間をどう思いますか?)
いわゆる「羊斟の怨み」だな。
戦争の際、一人だけ羊羹を振舞われなんだ御者が大将を恨んで、
利敵行為に走ったという故事だが、まあ事実とは到底考えられぬ。
食べ物の恨みは恐ろしいと言うより、むしろ羊羹がいかに美味であるかを
表しているものと言えよう。
ただ、ここにいう羊羹は純粋に羊肉のスープであり、私が先程述べたもの
とは少し違う。あれはいわゆる“煮こごり”だな。
592以上、自作自演でした。:03/11/01 22:00
スッポンのスープと羊の羹、どっちがおいしいんですか?
593蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/01 22:15
>591(スッポンのスープと羊の羹、どっちがおいしいんですか?)
現代中国ではスッポン食の盛んなこと日本のそれを凌ぐ勢いだが、
昔はあまり食用とは考えられておらなんだ。むしろ薬用だったのだな。
歴史自体は古く、既に周代には漢方薬の一種として珍重されていた。
だが私は南方の生まれゆえにその美味なることも知っており、
取り寄せて来客に振舞うこともあったが、あまり評判は良くなかったな。
どちらかと申せば、羊羹のほうが万人の舌に合うものだったのだろう。
私個人としてはスッポンの繊細かつ透き通った風味が好みなのだが。
594以上、自作自演でした。:03/11/01 22:31
笑比河清!
595蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/01 23:08
>594(笑比河清!)
それは包拯のことであったな。
『宋史』包拯伝によると「人以包拯笑比黄河清」とある。
人は以って包拯の笑を黄河の清に比す───黄河の流れは常に濁り、
清く澄むことがないように、包拯が笑顔を浮かべることもあり得ない。
包拯の謹厳実直さを示したものだが、当時は女子供でもそうして包拯の
人柄を讃えていたと史書は記す。まあ、表現としてはやや大げさだがな。
596以上、自作自演でした。:03/11/01 23:12
仏教派?道教派?儒教派?
597蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/01 23:22
>596(仏教派?道教派?儒教派?)
むろん士大夫である以上、儒家的素養は持ち合わせていた。
さらに徽宗が道教信者であった為、私もおもねって道士を食客に
抱えておったりもしたな。また当時の教養として仏教典にも
幾許かは目を通していた。だから一概に何派とは言い切れぬが、
基本的にそういった抽象的なものには心酔していなかった。
あくまでも文人としての嗜みに過ぎぬ。
598以上、自作自演でした。:03/11/01 23:40
林霊素に一言
599蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/02 00:18
>598(林霊素に一言)
徽宗が信頼を寄せておった高名な道士だ。温州の出身で初めは仏教徒
だったらしいが、どういう経緯で道士として名を為したかは謎だ。
徽宗ばかりではなく私にも取り入っておったな。あれが申すに私は左元仙伯なる
仙人の生まれ変わりだそうだ。さらに徽宗の寵妃たちや、童貫、王黼、蔡攸に
至るまで、それぞれ某かの神仙の生まれ変わりであるとも述べておったな。
それで徽宗はたいそう喜び、何か林霊素に官位を与えてやれと私に命じて
参ったので、應道軍節度使をくれてやったよ。
それほど害のある者ではなかったが、皇太子と折り合いが悪く、それを徽宗に
咎められて失脚した。私にも泣きついて参ったが、役に立たぬ者を庇う道理など
ない。左遷されてその地で憤死したと聞く。
600蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/02 00:29
600だな。思えば長いようで短い道程だった。
今夜はあまり熟考せずに回答致したから誤字脱字が目立つな・・・
まあ致命的なものはないので良しとしよう。
そろそろ私は休む。
では、またな。
601以上、自作自演でした。:03/11/02 17:35
この世で一番、酷い目にあったと思う悪人は誰だと思いますか?
あの……もし世界征服できたら、何をしますか?
603項羽:03/11/02 23:18
俺って逆賊?
火薬を使った兵器とかありましたか?
浅倉威
606来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/03 09:51
私事で留守にしていた事を詫びる。早速返答に移るとしよう。

>587 光武帝劉秀
功績実績では、決して他の名君と劣らぬ陛下ですが、
やはり日本で小説などの作品化を為されていない事が主な理由でしょう。
それに劉邦などの創業者と異なり、功臣の粛清をしていないので
人間的に温厚と言うイメージがあるので、それがかえって無個性に
見られるのでしょう。

>590
故事の話なので、事実どうかは不明だが、やはり御者と言う身分なので
除外されたと言う思いが尾を引いて将軍への裏切りに発展したのだろう。
人間は些細な事でも他人を憎み、報復を考えられる生物という事を
戒めた意味だろうが、あえて実行に移した御者の執念深さは賞賛に値するか。

>592
羊の羹だろう。
薬用に使われるのがほとんどだったスッポンより一般的だし
栄養価の面でも勝っている部分が多いと聴くので、こちらに
軍配を上げたい。
我輩自身、貧しき頃にはなけなしの金を放出して一杯の羹に
舌鼓を打った事があるので思い入れがあるのだ。
607来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/03 09:53
>594
包拯の謹厳実直を指す表現らしいが、国と時代は異なるが
上杉謙信の養子であった上杉景勝は家臣の前では滅多に笑みを見せず
強い畏怖の対象であったそうだが、多くの者の上に立つ者は
軽々しく喜怒哀楽を見せるなと言う一種の訓戒の意味が強いな。

>596
我輩の生きた唐代ではその三種類の宗教(儒教は思想学問としての
意味合いが強いが)が共存していたが、武則天陛下はその中でも仏教を
保護され、唐王朝の伝統であった道教重視を改め、仏教を第一とされた。
皇帝に即位される際にも「大雲経」と言う陛下を弥勒菩薩の下生とする
経典を広く天下に流布させ、民衆の世論を変えるのに役立てたのが
その良い例だろう。
宗教は阿片なりと言われるが、使い様によっては国家に有益な
存在となると云う事だ。

>598
徽宗に取り入って政治の中枢に入り込んだ道士らしいが
古来より不老長寿を謳った道教は多くの皇帝を魅了してきたので
何らかの形で時の政治に影響を及ぼす事が少なくなかった。
一例を挙げると、唐後期の武宗代に趙帰真(ちょうきしん)
なる者が神仙や不老長寿の言で武宗にとりいり、会昌の廃仏と
呼ばれる仏教弾圧を実行させたが、次代の宣宗に処刑された。
所詮はまやかし物だが、それを見抜けぬ君主側にも責任があるのだ。

>601
すまぬが、流石にそれは断定出来ない。
歴史上、星の数ほど存在した悪人の中には天寿を全うした者もいれば
因果応報の報いを受けたのもいる。その中で一人を挙げるのが
何を基準とするか、或は後世の評価からかすら計りかねるのでな。
608来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/03 09:53
>602
絶対にお断りだ。我輩が仕えた武則天陛下は中華を統治されたが
一日の半分以上を各地からの報告やそれに対する命令の作成で
費やされ、その多忙ぶりは驚嘆に値した。
中華限定でもそれでは、全世界となると、とても人間の扱える
範囲ではあるまい。
まあ、あくまで仮定の話だが、やはりごく普通に各国の従来の
諸制度を踏襲して、問題の起きぬ様に治めていくのが妥当だろう。

>603 項羽
秦から見れば逆賊に違いないだろうが、時の民衆にとっては
秦の圧制から解放してくれる救世主の如く見られただろう。
漢との戦いに敗北した後も、魯公の尊位を与えられ司馬遷も
君主の伝記を指す本紀に入れている事から、賊では無いな。

>604
兵器に火薬を使う様になったのは宋代とされ、南宋と金の戦争で
使われていたそうだ。震天雷と呼ばれ、現代の火砲の元だが
精度・命中率・威力では小規模だったのは言うまでも無い。
元のフビライの日本遠征の際にも使用された記録が残っているし
竹崎末長の蒙古襲来絵詞にも絵で表されているので、
それを参考にすると理解しやすいだろう。

>605
仮面ライダー龍騎に出てくる人物名だな。
本来、低年齢層向けの特撮物で脱獄犯を重要な役柄にするとは
中々思い切った決断だと感心した記憶がある。
まあ、別段大人が見ても差支えない特撮番組だし、むしろ
そのほうが望ましいか。年齢層を限定した番組は維持が困難だと
聴いているから尚更だな。

では今朝はこれまでとするか。連休最後の一日有意義に過ごすが良い。
609蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/03 11:05
昨日は多忙につき来られなんだ。あい済まぬ。

>601(この世で一番、酷い目にあったと思う悪人は誰だと思いますか?)
何を以って“酷い目”とするかが難しいな。単に悲惨な最期を迎えたという
だけならば、等しい者が幾らでもおってなかなか特定はできまい。
残虐な手段で処刑された者が、一番悲惨だというならその通りであろうし、
徽宗のように位を追われて蛮地へ流されるのも、本人にとっては地獄の
苦しみであっただろう。また秦檜のように、存命中ではなく死後に糾弾され
未来永劫売国奴として罵られるというのも、ある意味悲惨なことだ。
やはり単純に誰が一番とは決められないな。

>602(あの……もし世界征服できたら、何をしますか?)
功臣を各地に封じて分割統治するより仕方があるまい。全世界を一円に
中央集権的な手段で統治するのはほぼ不可能だろう。
・・・もしかしてハレムを作り遊蕩に耽るとか、そのような答えを期待して
おったのか?それならば生前の私でも十分に可能であったよ。
世間の評判が恐ろしいが、それは世界征服者であっても同じことだろう。
一代で世界帝国を築いたとして、己の死後も長くその統一を維持しようと
考えるなら、聖人君主として振舞わねば如何ともし難いと思うぞ。

>603 項羽
秦からすれば逆賊と看做し得るのだろうが、歴史的に貴公はそのような
見方はされておるまい。『史記』では本紀に伝を立てられて、始皇帝や
高祖と形式的なれど同列に置かれているし、後世における大衆的な人気も
高祖より貴公のほうが上なのではないか?公平に考えて、漢楚の戦いに
おける貴公の振る舞いは貶められた部分もあると思うし、史書に記された
愚劣で狭量な人間像が事実であるのかどうかは解らぬ。
610蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/03 11:07
>604(火薬を使った兵器とかありましたか?)
あったことはあったが、それほど広く実用化はされていなかった。
戦場において火薬兵器が一定の地位を獲得するのは南宋から元代に
かけてのことだな。むろん火薬自体は中国で発明された物に相違ないが、
いつどのように発明されたかは不明な点も多く、一説によると5〜6世紀
まで遡るようだ。

>605(浅倉威)
現代の戦記物に登場する男か・・・。さすがによく解らぬな。
調べた所、以下のような寸評を発見した。

>脱獄犯。自分を取り巻くすべてのものにいら立ちと嫌悪感を抱き、
>その対象をつぶす以外の解消法を受け入れない危険人物。
>独房で神崎士郎と出会い、カードデッキを入手。王蛇となる。

やけに生々しい設定が為された人物だな・・・。
こういうのを社会不適合者というのだろう。


以上だ。
像をどう思いますか?
612以上、自作自演でした。:03/11/03 13:15
宋代の天才科学者、沈括について。
613以上、自作自演でした。:03/11/03 20:05
蔡倫ってどんな人?
キャラハンやコテハンによる質問者の常駐は可ですか、不可ですか。
“無名の異端審問官”あたりを名乗りたいのですが。歴史上の悪、ということで。
微妙な上、宗教も絡んじゃいますが。
615松永久秀:03/11/03 21:30
悪の中の悪は私で決まりだろう。主君を裏切り、なおかつ殺し、将軍も殺害して大仏まで焼き払ったこの私にかなう者はいまい
616614:03/11/03 23:55
魔女裁判官、のほうがわかりやすいですね。
質問側なのは、知識も教養も両閣下にはおよばぬものですから。
617蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/04 14:48
また一日明けてしまったな。少々私事で忙しくてな・・・。
謹んで詫びる次第だ。

>611(像をどう思いますか?)
何の像かね?私の像がどこかに残っているという話でもあるのか?
仮にあるとすれば水滸伝関連のものではなかろうか。
梁山泊の叛徒どもに縛り上げられておる姿とかでな。

>612(宋代の天才科学者、沈括について)
天才であったかどうかは解らぬが、沈括はいわゆるテクノクラートだ。
三十四歳で進士に及第する以前より、既に地方官として水利事業などにおいて
実績を挙げていた。王安石の手下の一人でもあったので私とも面識があるが、
かなりの博識という印象だったな。だがあまり世渡りを能くせず、神宗末期の
宰相蔡確に疎んじられて左遷され、あまり出世できぬまま生涯を終えた。
『夢渓筆談』二十六巻に当時の学術・文化をまとめ、その方面での実績が
今日に伝わっているようだな。
618蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/04 14:50
>613(蔡倫ってどんな人?)
“蔡侯紙”と呼ばれる筆写用の紙を発明した人物として有名だ。主に包装用で
あった質の悪い紙は前漢の頃から存在していたことが近年明らかになった為、
蔡倫は紙の発明者にあらず“改良者”とみるのが大勢となっているようだな。
後漢和帝の下で中常侍となり、安帝の代に及び列侯に封じられた高級宦官で
あったが、のち政治的な事情により死を賜ったそうだ。

>614>616
私は一向に構わぬ。大いに歓迎したいところだ。察するに卿は西洋の事情に
通じているようだな。
ただ私の一存では決められぬゆえ、来が現れるまでしばし待たれよ。

>615 松永久秀
そうなのか。時代が時代であったゆえに当然の振る舞いとも思えるが、
貴公自身が己の所業を悪と看做しているならば是非もあるまい。
私はあまり日本史に詳しくないので、これ以上のことは言及できぬが、
どうであろう、此処に常駐してみぬか?貴公がいれば日本史に関する
質問が増え、大いに盛りあがるかもしれぬよ。
619松永久秀:03/11/04 15:38
面白い提案ですな蔡京殿。変な質問をしたやからに毒を盛ってもよろしいのであればできるかぎりお答えいたしましょう。
620来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/04 18:54
今夜は少し冷えるな。下男に命じて暖房の用意をさせるか。

>611
銅像石像の事かな?
我輩のは全く現存しておらぬし、第一注文した覚えも無い。
興味が無かったと言えばそれまでだが、仮に残っていても
大事に扱われるなど絶対にあり得ぬので同じ事だ。
唾を吐きかけられたり尿を注がれるなど真っ平よ。

>612
北宋後期の官僚兼学者で、多くの事績が伝わっている。
「夢渓筆談」などの著作や蔡京殿が言われる様に、実務家としても
優秀だったそうだが、北宋時代の官僚文人は他の時代に比べて
質・量共に抜きん出ており、極めて高い水準を誇っていた。
反対に明代の官僚は最低の基準で、有名な詩人文人も大抵
民間か中小の者だ。せいぜい王陽明ぐらいが高官になったぐらいか。

>613
紙を発明した宦官として有名だが、実際は紙の元らしき物は
それより前から存在していたが、非実用的なのでもっぱら木簡や
絹などが使われていた。蔡倫が考案した物はそれを改良して
一般化に適した物で、今、諸君らが使っている紙の原形だ。
後に後漢の安帝に、過去の安帝の祖母の糾問役としての責任を追及され
自殺に追い込まれた人物だが、宦官の間では司馬遷・鄭和と並ぶ
宦官の偉人として崇められたと言う。
621来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/04 18:55
>614>616
我輩は全く構わぬ。むしろ歓迎したい。
異端審問や魔女狩りとなると西洋史や宗教、
或は当時の訊問関連と言った幅広い話題に及ぶだろうからな。
好きな名称で都合の良い時に来られると良い。
楽しみに待っていよう。

>615>619 松永久秀
日本戦国時代の有名な悪臣とは、これは光栄だな。
数々の悪事と言われる振る舞いも、下克上がごく普通の論理として
実践されていた戦国時代では、何ら悪徳でもない。
それに日本では「悪」とは強い、猛々しいと言った意味が
含まれていたので、敬服の念が多分に入っている。
常駐を希望されるのなら、我輩も大歓迎だ。宜しく願いたい。

では、今夜はこれまでとする。諸君らもそろそろ暖房燃料の準備を
迫られる時期だな。
622松永久秀:03/11/04 20:43
>来俊臣殿 ありがたく存ずる。薪のことなら織田家の羽柴猿めがよく知っておるゆえ手配させておこう。
623無名の魔女裁判官:03/11/04 20:55
常駐をお許しいただけたようで、まことに光栄でございますな。
お近づきのしるしに両閣下には……少なくはございますが。
いやいや、これは先日処刑した魔女の没収財産から出ておりますゆえ、
遠慮せずにお納めくださいませ。
それにしても、あれほど裕福で発言力のあるものが異端の中でも
最悪の罪を犯す。恐ろしいことにございますな。またけしからんことです。
おろかなことをせねば焼かれることもなかったでしょうに。くくく。

常駐とはいえ、両閣下ほどの頻繁かつ深い発言はできますまい。
そのあたりはご容赦願いましょう。

ちなみに、先日の質問にあった厚黒学の厚顔無恥なる人物をひとり
挙げさせてもらいますならば、イングランドのマシュー・ホプキンズですな。
魔女狩り将軍とあだ名されたこの人物はいかさまを用いて
幾人もの“魔女”を処刑場へと送り、その手法が知られるところになると
世間の信用を失い引退しておるのです。
もっとも魔女狩りにたずさわる者はみな、信仰か面の皮か、
そのどちらかが“あつい”ものばかりでございますが。
624無名の魔女裁判官:03/11/04 22:17
>615
ところで松永殿。あなたのしでかしたことはたとえるなら、
あるじたる領主を葬り国王までも殺害し、教会を焼き払ったというところか。
われわれの社会でそれをやらかしたならば、異端審問官たちが喜んで、
しかし表向きは悲痛の叫びを上げながら裏でそろばんをはじくところでありましょうな。
もっとも魔女狩りが流行する中でそんなことをやらかすものはおりますまいが。
社会が変われば悪にもいろいろな形があるものですな。
おもしろい――いや、不謹慎ではありますが、実におもしろいものでありますな。

同時期に常駐をはじめたもの同士、仲良くしてまいりましょうか。くく。
異教の異端や背信を裁くことは幸か不幸か、私の仕事ではございませぬゆえ。
ご安心ください。
625松永久秀:03/11/04 22:40
>魔女裁判官殿 そちらも権力と信仰の力と猜疑心で大勢の弱者を葬り去ったまれに見る悪ですのぉ。日の本で例えるなら一向一揆・・・いや、あれは農民じゃ。うーむ悪徳商人に権力を握らせたようなものかのう。蔡京殿の國ではどうでござるか?
626以上、自作自演でした。:03/11/05 09:30
新撰組は悪ですか?
627伴善男:03/11/05 17:15
もっと我が国のことも取り上げて欲しいのう。
628松永久秀:03/11/05 19:21
>626そんなことはないのではないかな?己の信念に従った者は悪とは認められまい。
629松永久秀:03/11/05 19:27
>627ふん、なにをほざく。たかが門一つ焼いたくらいで悪気取りとは笑止なり。貴様前後の時代で悪と言えるのは蘇我入鹿ぐらいじゃ。もっと悪事をして出直すのだな。
630松永久秀:03/11/05 19:34
まあ貴様の言うとおりこのスレは、“中華逆臣列伝”みたいなものであるからな。蘇我入鹿殿や源悪太郎義家殿なども来てくれれば嬉しいのう。
631以上、自作自演でした。:03/11/05 20:04
鎮西八郎はどうよ?
632来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/05 20:21
晩秋の夜空に星が瞬いておる。刑場の露と消えた者共も
星か何かになるのだろう。

>622 松永久秀
早速、辣腕振りを披露しているな。真に結構な事だ。
薪の事、言葉に甘えて頼んでおこう。
確かに我輩と蔡京殿で続けていたので中華逆臣列伝と見られるのも
頷けるな。貴殿が参加してくれた事で幅広く変われば良いのだがな。

>623 魔女裁判官
ほう? 賄賂…いや贈り物とは久しぶりだ、遠慮無く受け取っておこう。
そう言えば魔女狩りの標的にされた者の中には地主富豪の類が
多く含まれていたそうだが、やはり経済的な側面があるのだろう。
宗教の名の元に行われた合法的搾取略奪と言えるな。
謙遜している様だが、中々興味深い意見発言で我輩も
喜ばしく思っておるので気にする事も無い。
633来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/05 20:27
>626
新撰組はただ単に京都所司代の管轄下で京の都で尊皇攘夷派や
反幕勢力を取り締まる事を目的として結成された一組織に過ぎぬ。
ただ近藤勇や土方歳三と言った現代まで伝わる有名人が多く
加わっていたので、歴史特に幕末ファンの注目を浴びているのだ。
悪でも無い治安維持機関と呼ぶ物だろう。

>627 伴善男
応天門の変の首謀者とされている貴殿だが藤原良房・基経に陥れられた
と見るのが妥当だろう。古くから朝廷の軍事を担当して大貴族として
名望の高かった大伴氏の根絶を目的とした、いわばでっち上げと見る。
日本史を含んではいるのだが、ここに常駐している顔ぶれの関係上
中華史に傾いているのは事実だが、松永久秀の参加で範囲が広がれば
良いと我輩らは考えている。無論、他の者の参加も大歓迎だが。

>631
鎮西八郎為朝の事か。
保元の乱の折の武勇で有名だが九州で乱暴狼藉を働き
父の源為義の罷免を招いた事から扱いにくい者だったのだろう。
悪臣の類と聞かれればそうかも知れぬが、跡目に縁の無い庶子故
不満もあったのだろう。
ただ崇徳上皇側に付いたのは単に父に追従したと思われるので
悪人親不孝では無いと弁護できるな。尤も政治的才能は皆無だが。

では、今夜はこれまで。
日本のタカ派政治家でつい最近まで現役だった
中曽根康弘、江藤隆美、奥野誠亮はどう?
岸信介や佐藤栄作の方がスケールは上だと思うが。
636松永久秀:03/11/05 21:50
>634、635政治家か。あやつらは儂の時代から見れば所詮悪徳商人レベルでしかない。よってどこかの八代将軍あたりに斬られるのがオチじゃろうて。皆自分の利益しか考えていない所がほれそっくりじゃろう。
637松永久秀:03/11/05 21:59
>631すまぬすまぬ忘れておったわい。年かのう。やつぐらいなら戦国の世で十分に渡って行けただろう。生まれた時代が早すぎたのがおしまれるのう。武術一筋ならば織田あたりの柴田や佐久間にもひけをとらぬな。どことなく平将門に似ておるのは気のせいかな?
638以上、自作自演でした。:03/11/05 22:25
もうちょっと改行してくれないでしょうか?>平蜘蛛茶釜爆死さん
639松永久秀:03/11/05 22:27
ついでに最近孔明が荒らしているな。他人のスレを乗っ取る辺りなど黒田如水のようじゃ。2000年も眠っている間に脳味噌にカビでも生えたのじゃないかとチと心配じゃ。それとも何か策略でもあるのかのう。それでは皆様 夜道にお気を付けて。
640無名の魔女裁判官:03/11/05 23:09
魔女狩りの時期の異端審問に関して、来俊臣閣下はお詳しそうですな。
私もさほど知識が深いわけではありませんからな。
もしなにか勘違いなどございましたら指摘していただけるとさいわいですな。

>626
新撰組は善悪ではなく、あくまでも幕府が組織した公的機関のようなもの、
でしょうか。あまり詳しいわけではありませんが、悪行を重ねたという話を
私は知りませんからな。もちろん荒っぽい行動はあるでしょうが、それは
権力が揺らごうとする時期においてはあってしかるべきものでありますからな。
体制が磐石であるときですら、公的機関が荒っぽいことをすることもあるくらい
ですから。くく。

>627
ご安心召されませ。貴国の将、松永殿がここの表舞台に立たれました。
来俊臣閣下もおっしゃるように、これから貴国の話題もまた、増えていくのでは
ないでしょうか。
ところで伴殿、あなたが悪であるかどうかは私には判断いたしかねますな。
あなたが事件にかかわったかどうか、どうやらはっきりしているわけでは
なさそうなので。
641無名の魔女裁判官:03/11/05 23:09
>631
源為朝、というのが本名のようですな。彼の逸話をひもといてみるに、
どこか多神教系の民話や神話に出てくる神、あるいは英雄を彷彿とさせますな。
悪というよりは粗暴という印象が強い。

>634>635
まとめてで恐縮です。まだ歴史的評価も定まりきらぬ最近の政治家でありますな。
あいにく、私はそういったものたちを評価するにはまだまだ未熟です。また、政治を
充分に語れるほどの知識が私にあるとは思えませぬ。まぁ、ここはほかの
みなさんにお任せすることといたしましょうか。

さて。常駐後はじめて出た質問ゆえ、私も資料を見つつ回答をさせていただくことに
いたしました。今後はいかがいたしましょうか。スレッドの質を落とさぬためには、
資料を見ながらのにわか仕込みの知識で回答するよりも答えぬほうがよいのかとも
愚考いたしますが。
642松永久秀:03/11/06 00:58
>638ど の
まあ、とりあえず儂がたてた茶でも飲みながら話を聞いてくだされ。
儂はあいにく自分のパソコンは持たない主義でな、普段は携帯から
書き込んでいるのじゃよ。よって様々な制限があるわけじゃ。ゆえに
いつも短い文章や改行していない文に不満を持つ者もいるであろうが
そこは了承されたい。ところで以前変な質問や無礼な質問をした者に
毒を盛るといったはずだが、それ、手足が痺れて目の前が真っ暗に
なったであろう?さらばじゃ
638は松永久秀に毒を盛られてしにました。
>魔女裁判官殿
早速ご活躍なさっているようで誠にお目出度い。蔡殿や来殿と共に
このスレを盛り上げて参りましょうぞ。それとやはり資料はしっかり
読んでおいた方がよいかのう?出来る限り努力はしているが何しろ京
の周辺は応仁の乱で全てが灰になってしまいましたからのう。我が居
城でも資料は少ないのじゃ。まあどうしても解らなければ図書館でで
も探してきましょうかの。
643張角:03/11/06 17:27
張角ですよっ
世界で一番長い人の名前を教えてください
645蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/06 19:50
また一日明けてしまった。しかし賑わっておるようで幸いだ。

>619 松永久秀
おお、我らが一党に加担してくれるか。では宜しく頼むぞ。
日参や全レスにこだわらずとも良いので、貴公の都合のいいように
愉しんでもらえれば幸いだ。

>623 魔女裁判官
どのような手段で蓄えた財貨であっても金は金色、銀は銀色に変わりはない。
“汚れた金”などというのは空想的観念に過ぎぬ。貴官の心付け、この蔡元長
しかと受領致すとしよう。年末にかけては何かと物入りなのでな。

それにしても、貴官は“あの”魔女裁判に関わった者であったか。
我々が魔女狩りに関する資料を目にしてまず驚くべきことは、
それが盛んであった時期だな。およそ中世暗黒時代の産物かと思わば
16世紀以降、ルネサンスと並行するように猛威を振るったというのだから、
ヒューマニズムも実証主義も宗教的狂気の燃料に過ぎぬということを
如実に表していると言えよう。
私のごとき中華の士大夫にとってみれば、このような無知蒙昧は滑稽ですら
あるが、さりとてこの狂気のルネサンスを抜けてみれば西欧はいち早く
近代への途を開き、ついに中華の地をすら飲み込む発展を遂げたのだから
文明の進捗とはどのような因果性を内包するか解らぬものよ。

>625 松永久秀
まあ日本でも中華でも、西欧ほどに政治と宗教に密接な関連性がないし、
魔女狩りに類するような事例は特に思い浮かばぬな。
さて、松永卿よ。私はあまり貴卿の事績に詳しくないのだが、貴卿は
来や魔女裁判官のように残虐な行為そのものを愉悦とする真性の極悪人
であったのか?それとも私のごとく単に政治的意味での悪人であったのか?
貴卿も茶器に入れ込むなど一種洗練された文化人と聞くが、その方面に
おける功績が大きいならば私と相通ずることになろう。
646蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/06 19:52
>626 (新撰組は悪ですか?)
私は詳しくないのだが、要はテロリストの集団なのであろう?
どう好意的に捉えても反社会性を帯びた悪の集団にしか思えぬのだが。
反動的な狂信者たちほど社会にとり有害なものも珍しかろう。

>627 伴善男
喜ぶがいい。貴卿の希望に沿うような流れになっておるぞ。
とは申せ、貴卿自身は悪と評されるのに不満ではないのか?
貴卿は性酷薄なれど、かなりの能吏であったと聞くぞ。
とかく私のように日本史に疎い者にとっては大伴の一族と聞くと
反乱者の血脈というイメージが湧くが、それもまた心外であろうな。

>630 松永久秀
とは申せ実際には、来も私も“逆臣”ではないのだよ。
むしろ各々仕えた天子には極めて忠実な、いわば“忠誠度100”といった感じだ。
次スレを立てる際には『叛臣姦臣佞倖列伝』とでもするが適当やもしれぬ。
貴卿には“叛臣”の代表として大いに奮闘を期待しておる。

>631 鎮西八郎
済まぬ。全く存ぜぬ。幸いにも来が詳しく解説しておるのでそちらを参照されたし。
それにしても何でも知っておるな、来は・・・。

>634(中曽根康弘、江藤隆美、奥野誠亮はどう? )
中曽根とやらは有能と言って差し支えない内閣総理大臣だったのではないか?
長命であることや、派閥抗争を巧みに遊泳して位を極め、なおかつ長期政権を
維持した所など私と微妙に共通するが、あれは軍人出身ゆえにシンパシィを
感ずるとまでは言えぬが。他の2名については特に評価すべき点はないと思う。
その反動思想ゆえに大した出世もできなかった者達なのだろう?
647蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/06 19:53
>635(岸信介や佐藤栄作の方がスケールは上だと思うが)
岸というのは良くも悪くも戦後の日本を牽引し、発展の礎を築いた政治家
だからな。まあ高い評価を与えても良かろう。官僚出身ということで私も
幾許かの共感を覚える。弟のほうも同様に、安定政権のもと高度成長を
演出した有能な宰相ではあったのだろう。疑獄事件に巻き込まれて危うく
失脚を余儀なくされる所であったとも聞く。それを切り抜けられたのは
運の良さもあったのだろう。

>638(もうちょっと改行してくれないでしょうか?>平蜘蛛茶釜爆死さん)
携帯から書き込んでおるそうだ。
・・・それは別に構わぬのだが携帯電話の画面を通して、当スレを読むのは
かなりの困難だと察する。長文が多いからのう・・・。目を悪くせねば良いのだが。

して638は毒殺されてしまったのか。口は災いの元よな。

>643 張角
ほう。そなたがかの有名な張角か。現代中国ではそなたを共産主義的英雄と
看做す向きもあるようだな。全く事実に即してはいないが。
そなたの起こした乱は中国史において、かなり重要な意味を持つと思う。
私は中国史の中世は黄巾の乱に始まり、北宋の成立をもって終息すると
考えておるので、そなたが果たした役割は、そなた自身の意図したところと
無関係に中華古代帝国の歴史に終止符を打ったことであると言えるな。

>644(世界で一番長い人の名前を教えてください)
じゅげむじゅげむ・・・という者であろうか?咄嗟には思い浮かばぬな。
スペインの画家、パヴロ・ピカソの本名も相当に長いものであった筈だが
世界一ではないだろうな。おそらく。何せ、私は名前が短いことで特徴的な
漢人であるからな。どうにも長い名前というものには違和感を感ずる。
よく見ると蔡京閣下はこのスレが立った直後からいるんですね。
たまたま発見したの?
もしも松永殿と毛利元就の対決が実現してたら面白かったろうな。
絶対戦国の歴史に残るような、もの凄い謀略戦が繰り広げられることは
間違いないだろうし。
650松永久秀:03/11/07 00:26
>蔡京殿儂はたしかに三つの大罪を犯しておるが、京を根城にしておった時には商人共と何回も茶会を開いて交流を深めたのじゃ。だから信長が京に来たときその方面ではかなり活躍したのじゃ。儂が居なければ織田もあそこまで大きくなれなかったじゃろうて
651無名の魔女裁判官:03/11/07 00:41
歓迎されたことを改めて喜ばしくおもう次第です。今後ともよろしくお願い
申し上げる。

>638>642
ぬ。あっさりと毒を盛ってしまわれたな。松永殿。確かにあれは変といえば
変かもしれませぬが、そもそも質問ではありませんぞ。要望であれば多少
無礼にもなろうというものですから。(明日はわが身。くわばらくわばら)
詭弁に聞こえますか? 魔女裁判には「機転」は必要なのですよ。くく。

>643
太平道なる宗教の創始者、でよかったはずですな。時代が違うとはいえ、
中央の教会が力を持っておれば王朝を揺るがす宗教反乱などはありえなかった
かも知れませんな。歴史に名を残せたのは民衆が宗教を欲するという、そんな
土壌のおかげかもしれません。まぁ、貴国の代表的な作品たる三国志演義の
きっかけを作ったのはほかならぬあなたですからな。その意味では文学史とも
無関係とはあながち申せませんな。

>644
長い名前、ですか。思いつくものは蔡殿がすでにおっしゃってしまわれたし。
申し訳ないが、これはお手上げでございますな。
652無名の魔女裁判官:03/11/07 00:42
>625
蔡殿はひとつ誤解をしておられる。私は血を見るのを好んでいるわけでは
ございません。なんと申しましょうか……赤い花も美しいが、山吹色の花は
それにも勝る美しさでございます。ここまで申し上げれば、これ以上の説明は
必要ございますまい。不当? いやいや。神の国を守る仕事の報酬ですよ。

さて、いわゆる魔女狩りについてです。私なりの見解を申し上げさせていただくなら、
滑稽であっても笑うに笑えぬ喜劇ですな。まともに涙するにはあまりに愚かな悲劇
とも申せましょうな。もっとも、被告にしてみれば真剣な悲劇でありましょうが。
それにしても、蔡殿もまた魔女狩りの知識をお持ちのご様子。やはり世界史の
中でもとくに目を引くものではあるようですな。

ところで>646の>631へのレスは私へのメッセージでもある、と勝手に解釈させて
いただきましょう。

>648
私もそれは興味があるところではありますな。初期から常駐して、今となっては
ここに欠かせぬ人物となりましたからな。

では、そろそろ失礼させていただきましょう。
653松永久秀:03/11/07 00:54
やはり携帯は不便じゃ!二百字ほどしか打てん!よって出来る限りパソコンで打とう。
>649
たしかに毛利の爺には儂も一目置いておる。しかし奴とて所詮信長に対抗出来る器では
ないな。戦国の世でもっとも恐ろしいのは信長よ。しかし儂と毛利ならそもそも話にな
らぬわ。中国地方の雄と大和の一領主では象と猿みたいなものじゃて。もし儂と毛利が
戦うことになったら儂は降参するね。乱世を生き抜く最大のコツは長い物に巻かれる事
なのじゃよ。しかしこれも難しくてな、選択を誤ったがために命を失った者がどれほど
多いことか。まあかく言う儂もその負け組じゃがな・・・
さて、ではまたぞろ誰かを暗殺してくるとするか。安宅もいいな、いや十河も・・・・
654来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/07 01:44
>634
中曽根氏は極めて長い政治家生活を送った現在の日本の元老格だが
今の日本の政治状況では珍しく長期政権を保ったのは大きな功績だろう。
総選挙やスキャンダルで一年か二年で総辞職が普通の状態では当然だな。
派閥抗争や政策でも実行力を示し、有能さを発揮している。
政治家とは白黒関係なく、実行して実績を残す事が第一にてその意味では
優れていたと言えよう。他の二名は言葉は悪いが派閥内でのみ生きられる
小型の存在に過ぎぬと考える。

>635
岸信介は一時、戦犯指名まで受けながら政界に復帰し日米安保条約を
締結させた功績が大きいな。当時の反対運動は米ソ冷戦の中で日本が
立場を明確にすべき所を一国平和主義に惑わされた愚行と我輩は考える。
政治家とは長い展望を見て政策その他を決定するのだが、それを成し遂げ
日本の西側陣営での安泰を勝ち得た人物と評価する。
実弟の佐藤栄作は沖縄返還と非核三原則で有名だが、徹底した米への
追従路線が少し目を引くが、当時の情勢ではあれが最大の方針だと思うので
非難する事は無いな。ただベトナム戦争に積極的に支持協力して
ノーベル平和賞とは皮肉な物だ。
スケールの大きさについては時代事柄が異なれば功罪もまた目立つので
自然とそう見えるのだろう。
655来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/07 01:45
>643
中華で宗教の名を借りた全国的な反乱運動の長だった貴殿だが
それが後漢王朝の腐敗に疲弊した民衆の希望であり訴えだったのだろう。
いわばその声に応じて立ち上がったと言えるな。
従って悪人の類とは言えん。ただ王朝側から見れば大小を問わず反乱者は
逆賊であり反乱者なのだから代々の歴史では悪名を受けてきた。
組織だった活動も見られ、後に曹操が太平道の一部容認・青州兵の登用
と言う方針を取っている事から見て歴史的にもプラス面が多いな。

>644
蔡京殿が言われたピカソの本名が有名だが、その他となると我輩も
存ぜぬ。ただ我輩ら中華を含めた漢字文化圏の者は苗字・名・字を
使い分け、短い物が多いのでこの範疇には入らぬな。

では、今夜はこれまで。
656徳川秀忠 ◆mIDARTHUcY :03/11/07 11:44
御免。先程燕を見てきたがあの様な事となり残念だ。
だが貴公らとの関係は前以上に深めていきたいと考えているので
そうして頂ければ幸いだ。

同じ日本の武将の松永弾正殿も居られる様だな。某は徳川秀忠でござる。
父上から色々と逸話や下克上の具現者として伺っておりましたぞ。
西洋の魔女裁判官も同様によしみを通じたいので宜しく頼む。
余も当時の正統異端の宗教闘争は些か耳にしていたので多少は存じている。

では質問と到そう。
来俊臣・蔡京両公=李林甫を如何見られる?
松永殿=主君三好長慶の弱点を教えていただきたい。
魔女裁判官殿=魔女の罪状を被せられた者に憐憫の情を持たれた事はあるかな。
657松永久秀:03/11/07 12:52
すまぬ。パソコンはやはり無理のようじゃ。壊れてしもうた・・・。>徳川秀忠おお、秀忠殿。貴殿があの柳生などを使い、徳川将軍のなかで一番大名を改易したあの二代将軍か。儂は松永弾正忠久秀じゃ。以後よろしく頼む。
658武田信玄:03/11/07 20:58
御旗楯無ですよ
659上杉謙信:03/11/07 20:59
剣心ですよ
660蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/07 22:00
では本日の回答を行う。

>648(このスレが立った直後からいるんですね。たまたま発見したの?)
そうだな。夜中眠れずにいたら偶然スレが立ったところに出くわしたのだよ。
しかし読み返してみればわずか18分後か・・・。まあ縁があったのだろう。
だが正直ここまで発展するとは思わなかった。
来も私も他の歴史系キャラハンと比し、極端にマイナーな存在だからな。

>649(もしも松永殿と毛利元就の対決が実現してたら面白かったろうな)
ほう。毛利元就というのも謀略家として有名なのか。中国地方の大名としか
知らぬが、大河ドラマにもなっておったし人気が高いのだろうな。
世代的にも松永卿と同年代くらいだったかね?織田信長よりは
かなり年長であったように記憶している。

>650 松永久秀
なるほど。貴卿は織田信長とも関係が深い人物なのか。そういえば茶釜を
抱えて爆死うんぬんというのは、織田に降伏を迫られてのことだったかな。
それは作り話ではなく史実なのか?あまりにも物語がかっているのでな。
そのあたりの事情を詳しく教えて欲しい。携帯からの書き込みでは困難だと
いうのなら別の機会でも構わないが。
661蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/07 22:02
>652 魔女裁判官
成る程。よく解った。貴官にとっての魔女裁判は純粋なる“ビジネス”であって
錬金術として以外の愉悦を感ずるようなものではなかったというのだな。
ローマ法では異端者の財産は没収することを得ず、すべて相続の対象として
保護されたと聞く。しかるに中世以降の異端審問では訴訟費用や拷問、処刑
に要したる費用の全てが、刑死した者の債務として発生したらしいな。
しかもその債権は競売に掛けられて、不正な談合のもとで裁判官なり聖職者
なりの手に渡ったという。魔女裁判の犠牲者の中にユダヤ人が多く含まれたと
いうのも、これら歴史の考察に一定の方向性を与えるものと言えるだろうな。
ところで貴官は世俗裁判官なのか?教会の異端審問官なのか?
また旧教徒か?新教徒か?
662蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/07 22:06
>656 日本国王
おお、よく参られた。燕のことだが、もう少し様子を見てみようと思う。
むろん我々は、今後とも貴卿との誼は大事にして参りたいと考えている。

さて李林甫に関する私見を述べさせて戴く。一般に玄宗の治世における初期の
廷臣たち───すなわち姚崇や宋mなどは名臣と讃えられ、李林甫は玄宗の
意欲後退に乗じてそれらの者を追放し、政権を私物化した姦臣と見られている。
だが私はこのような見解に賛成しない。これは李林甫に代表される門閥貴族
勢力と、姚崇・宋m・張九齢ら寒門出身の士大夫層との党派抗争に過ぎず、
どちらか一方に非を認められる性質のことではない。李林甫は極めて陰険な
性格であり政敵を追放するに手段を選ばなんだと非難されるが、この党争は
それほど血生臭いものでもなく、他の時代と比して特別に苛烈であったという
形跡も認められない。林甫は確かに貴族的な権謀術数に通じていたのみで
政治家としてさほど有能とは思えぬが、さりとて彼奴以前の、寒門出身者たる
宰相達がとりわけ優秀だったとも言えぬ。既に衰退の兆しを見せていた唐王朝
の根本的諸問題に対して有効な策を提示し得なかったのは双方とも同様だ。

>658-659 信玄と謙信
実は私はこの二名につき全く知らぬ。むろん名前くらいは知っておるが・・・。
塩を送ったであるとか、戦場で直接一騎打ち(?)をしたとか到底信じ難い様な
逸話について述べ、失笑を買うのは本意にあらざれば、松永卿など詳しい者に
任せるとしよう。不甲斐ないことだがな・・・。
663松永久秀:03/11/07 22:55
ふっふっふ。今日は3人も暗殺して機嫌がよいわい。その時のことを再現してしんぜよう。>張角、信玄、謙信・張角「いや荒らしは面白いなあ」信玄「まったく」謙信「儂なんか剣心ですよじゃ・・・」三人「ぐふっ・・・床から槍が・・・おのれ・・・久秀・・・」
664松永久秀:03/11/07 23:03
>蔡京殿うぬ。儂の死んだときの話か。そう、あれは1577年。儂は大和信貴山城で織田軍に囲まれておった。信長は儂に家宝の古天明平ぐもを渡せば命を助けてやろうとほざいたわ。奴が謀反人を許すわけなかろう。
なりきりさん現状報告・連絡 第二スレッド
ttp://www.ad.il24.net/~alps/narikiri/test/read.cgi?bbs=TheNorthWind&key=1065975212
からの転載です。

55 名前:無名の魔女裁判官 投稿日:2003/11/07(金) 23:42 ID:YJYI437E
どうやら規制のあおり?を食らってしまったようです。
どなたか親切な方、こちらへの転記をお願い申し上げます。

>656
おお。徳川秀忠殿。聞くところによれば、あなたが生きた時代は
ちょうど魔女狩りが激しかったころですな。いや、それだけといえば
それだけのことですが……なんだかおもしろいものにございます。

さて、憐憫の情、ですか。まじめにお答えしましょう。正直を申せば、
ございます。私がまだ半人前だったころは無実を訴えんとする叫びも
拷問のうめき声も、夜には悪夢と姿を変えて私を悩ませたもので
ございます。だが、彼らの言葉に耳を貸せば私はどうなりましょう。
裁判が滞るばかりではなく、私自身も重罪人として裁かれ、焼かれる
ことでございましょう。
早く狂わねば成り立たぬ職業でございますな。黄金色、山吹色は、
純真な目をくらませるにはちょうどよかった、というのもございます。
もっとも今となってはあくまで事務作業であり、こなすべき仕事、
という認識で臨んでおります。

>657
再び携帯からとなられましたか。なにかと不便かと思いますが、
がんばってみてくださいませ。
>658-659
まとめて、で恐縮です。
戦国時代きっての戦上手と呼ばれたお二人でございますな。
「信玄」も「謙信」も仏教に帰依した者が名乗る法名だそうで。
信仰が篤くて強い。異教徒とはいえ、たたえたいものでございます。
それにしても、信玄殿を悪と呼ぶ声はあっても謙信殿はそのような
評価はあまりないようでございますな。
清濁併せ呑めるのが信玄殿、誇り高き孤高の士が謙信殿、という
評価であっておりますでしょうか。(多少のよいしょも込めて)
56 名前:無名の魔女裁判官 投稿日:2003/11/07(金) 23:44 ID:YJYI437E
>661
いや、赤い花、すなわち血や炎になんら感ずるところもないかというと
まぁそうでもございませんな。それを見て優越感に浸ることもございます。
もっとも、山吹色の花をめでるほうが現実的で気楽なのは言うまでも
ございません。あとは徳川殿に申し上げたとおりですな。

さて。おっしゃるとおり、ユダヤ人が狙われることは多くございました。
富は流れ、またよどむものにございます。そのほとりにユダヤ人が多かった
というのは確かでございます。財産没収が禁じられた時代、地域は魔女裁判が
あまり盛んではなかった、ともいわれております。理由のすべてではなくとも
重要な理由のひとつであったことは確かでありましょうな。なお、確かに
相続人が罪人でなければ相続財産に手をつけてはならぬ、という決まりは
ございました。が、「異端審問官指針」によれば、異端は重罪ゆえそれに従う
必要はない、と書かれているそうです。
なお、本来、没収した財産の一部は国庫へ、残りは教会へ、というのが通例で
ありましたが、蔡殿がおっしゃるような手段を用いてわれわれの懐に入る分は
少なくなかったのです。まったく、お察しの通りですな。

それにしても、世俗か教会か、旧教か新教か。鋭い質問であると同時に、
ある意味で恐れていた問いでもございます。異端審問間ではなく
魔女裁判官を名乗るようにしたのには、そのあたりをはぐらかそうとした
部分もございますからな。質問によって、そのつど別の裁判官が顔を
出してみるのもおもしろいかな、と思った部分があるのも確かですし。
では、私はカトリックの世俗裁判官、ということでまいりましょう。
ある意味でもっとも面白みのないところではございますが。

(メインで使っている資料がそろそろばれるころでしょうかね)

>663-664
おや。いつの間にやら松永殿……
規制情報によれば、つい今しがた規制が解除されたようです。
親切な転記者殿、心よりの感謝、申し上げます。
ずいぶん短時間であったようですなぁ。
(というか、規制情報が書き込まれているにもかかわらず数時間前
まで読めたわけですし。はて)
669松永久秀:03/11/08 12:59
儂は信長の案を拒否し、天守閣へ、いった。そして小姓に灸をすえるよう言った。なぜかと聞くので儂は武将たる者死ぬ間際まで健康に気を使うものじゃ答え、それから平ぐもに火薬を詰め、首に掛けて火を付けたのじゃ。
670松永久秀:03/11/08 13:05
ちなみに日本で最初に爆死したのは儂だそうじゃ。おわかりいただけたかな?>裁判官殿おお、がんばっておるようでなによりですな。ところで集めた宝はどうしてるのじゃ?まさか溶かして自分の像でも作っておるのか?
671スパルタカス:03/11/08 15:12
俺も一応反逆者なのだが、どうも居心地が悪いと言うか
何というか・・・。
672来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/08 16:34
昨夜は審問が長引き来れなかった。お詫びする。

>656 徳川秀忠公
再びの御来駕真にかたじけない。我輩らも代わらぬ親交を
望んでいるので、気兼ねなく来て欲しい。
李林甫は唐代玄宗皇帝期の宰相で「口に蜜あり腹に剣あり」と
言われた程、陰険な策謀家と伝えられてきたが、別にこの者のみに
後の唐の衰退の責任がある訳では無い。
李林甫に政治を一任したのは他ならぬ玄宗であり、若き頃の通り
親政しておけばよかった物を、自らの判断の結果を後に身を持って
知ったのだから無理からぬ事だ。
節度使に外国人を当て、安史の乱の遠因を作った事は自らの競争相手を
未然に無くす抑止策の延長として見れるが、本質は宮廷政治家の域を出ない
存在だったのだろう。
余談だが、かの鑑真和上が日本に渡来する際に密かに援助した記録がある。
国法に反しながら、あえて黙認した節があり案外利害の無い相手には
寛容だったのかも知れぬが。

>658 武田信玄
戦国時代の有名な大名だが元来、貧しい山国に過ぎなかった甲斐国を
金山開発や甲州法度、独自の治水工事等で富まし一大強国を築いたが
>659の上杉謙信との長年の戦争が大きく行動を妨げたと言える。
川中島の戦いは結果的に、その周辺の支配権を得る事のみだったが
何らかの形で妥協できれば、別の路線を見出せたかも知れぬ。
673来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/08 16:35
>659 上杉謙信
武田信玄との長きに渡る戦いで共に時と国力を消費し後の行動に
支障をきたした点では一致しているな。
それに国主でありながら個人の信仰に固執し後継者で禍根を残したのは
非難されるべき事だろう。幸い景勝が有能だったので事なきを得たが
もし器量の無い人物だったら、上杉家は埋没していただろう。

>665-667 伝言
魔女裁判官と共に我輩からも深く感謝の意を述べさせてもらう。
前に同様の事となった時も心ある者に助けられたが、やはり有難い物だ。

>668 魔女裁判官
規制解除が早くて何よりだ。また面白き話を聴かせて欲しい。
もしかして、規制されたのは魔女の仕業かも知れぬな。
そうだとしたら、近隣の村々を探索する手もあるか。

>松永久秀
左様か。携帯では長文が普通のこの場所を見る事も難儀であろう。
小刻みに書き込む事については構わぬので、従来通りにされよ。
しかし、早速暗殺とは昔取った杵柄は衰えぬと言う訳か。

>671 スパルタカス
映画で有名な剣闘士奴隷の反乱の首謀者だが、政治的意味合いは弱く
抑圧された階層の反乱と位置付けられる。
当時のローマ帝国には娯楽の対象でしかなかった職業故不満も
多かっただろうが、組織的な行動とは言いがたい。
結果は無惨な物に終わったが、一介の剣闘士に過ぎなかったのが
己の意地を貫いたと言う点では評価できるか。
自分に悪意を含んでいないので、ここの居心地が悪いと感じるのも
無理は無いな。

では、本日はこれまで。
>665、666で、あるか。大義であった。
675松永久秀:03/11/08 18:04
来殿、御心配かたじけのうござります>671ローマの剣闘士か。お主の場合悪と見る輩は少ないと思うぞ。なにしろローマ帝国が悪であったからな。それに今の輩は体制に対する反逆が好きらしいからな。嘆かわしいわい←お前が言うな
676パトロナ・ハリル:03/11/08 18:08
あっしはどうですかね?
まあうちのスルタンと大宰相がイスラムに反した軟派なことしやがるから、
懲らしめてやったんでさ。
文化だなんだ言っておられるようですが、守らなけりゃならねい
慣習や物事ってのもあるんじゃないんですかい?
677松永久秀:03/11/08 18:10
さて、儂は信貴山で信長を迎え撃つため2、3日このスレには顔を出せなくなるかも知れない。だから山城の足利義昭公が代わりに儂に対する質問に答えるじゃろう。今日はまだ居るので聞きたいことがあるなら早めに言うてくれ。
理想の部下といえばどのような人物ですか?
わしも秀忠同様、ここと今以上に親睦を深めたいと思って来た。

来・蔡>明建国の功臣で好きなのはおるかの?
松永久秀>若い頃の苦労話を一つ聞かせて欲しい。
魔女裁判官>「魔女への鉄槌」はどうであった?
680松永久秀:03/11/08 19:54
>676すまぬ。良く解らん。そなたはトルコ人か?トルコには親日派が多いと聞くが本当かの?そうなら一度行ってみたいな。ぜひ案内してくれ。
681松永久秀:03/11/08 19:59
>678そうじゃな。有能で暗殺ができる者、例えば伊賀の服部半蔵や百地三太夫、箱根の風魔小太郎などがよいな。
682松永久秀:03/11/08 20:10
>司馬仲達おお!お主があの有名な!よろしく頼みますぞ。実は儂の若い頃は誰も知らないのじゃ。儂が一番苦労したのは房事についての本かな。たとえ房事と言えど健康であるためには色々と注意しなくてはならん。あなたに一冊進呈致しましょう。
覚悟を決めてトリップを使ってみましょうか。ここまでお邪魔
してしまっては、そろそろいい加減なことも言うわけに参り
ますまい。しばらく居候させていただきますゆえ、今後とも
どうぞよろしくお願い申し上げます。

>670
そんな形にならぬことはいたしません。だいたい、そのような
ことをすれば嫉妬や反感を買ったり、次の標的と目をつけられる
かも知れませんし。まずは家族を養うこと、それからたくわえを
持つこと。衣食足りて礼節を知るという言葉もありましょう。それから
聖俗を問わず、上のものに対する「礼儀」や「あいさつ」、ですな。
無用な悪感情を買って容疑をかけられるのは私とて恐ろしい
のですよ。もちろん、派手になりすぎぬようには気をつかって
おりますよ。

>671
古代ローマ帝国の剣奴のお出ましですな。自由を求めて反乱を
起こした、といえば現代なら正当とみなすこともできましょう。が、
強力な中央集権体制が敷かれていたり、封建制度が生きている
社会においては許しがたい罪になるのでしょうな。社会における
善悪は、その社会そのもののあり方によって基準が異なってくる。
まったく、おもしろいものでございます……なんだかおもしろがって
ばかりですな。この程度のことをおもしろがるうちは、私もまだまだ
なのでしょうが。
……なんだか的外れな意見のような気もしますが、ご容赦願い
ましょうか。
>673
さいわい、接続不能になってからさほど経たぬうちに接続できるように
なりました。規制の宣言から実際の接続不能まではなぜかずいぶん
時間があったため、実際の時間はだいぶ短くすみました。なお、
あちらの板に伝言を頼むという方法は、来俊臣殿が実際に使われた
方法をそのまま使わせていただきました。
面白き話、とは恐悦でございます。

さて。部下に命ずる。こたびの規制は悪魔の手先による可能性がある。
容疑者どもを厳しく尋問し、また周辺の調査を強化せよ。あやしい者は
即座に逮捕せよ!

>674
信長……織田信長殿でございますか。英雄と評される一方で
第六天魔王の化身と恐れられもしたそうですな。仏教におけるこの
魔王は、キリスト教においては口に出すのもはばかられる、恐るべき
魔王に匹敵するものであるとかないとか。あなたがキリスト教社会に
いたならば、教会と血で血を洗う争いを繰り広げたかもしれませんな。

>676
よく存ぜませぬゆえ、いま調べさせていただきました。オスマン朝滅亡の
決定的な原因となる反乱を起こしたのはあなたでしたか。しかし、どうやら
最後には鎮圧されてしまったようですな。主張があるにしても、最後まで
成し遂げられずに国を衰退させた反乱をどう評価すべきか。このあたりは、
ほかの方にお任せしてしまいましょうか。さいわい、来俊臣・蔡京両閣下は
王朝を揺るがす反乱を幾度も経験する土地にお住まいのようなので。
>678
実務能力に優れてかつ盲目であることが望ましいですな。盲目とは
いっても文字通りの意味でないことは申すまでもございませんな。
私の行為を告発するものが現れたりなどしたら、身の破滅はまぬかれ
ないでしょう。もっとも魔女狩りが流行する中で目もつぶれぬものは
長生きできますまい。教会から目をつけられ、同僚からは反感を買うこと
でしょう。それは破滅への入り口にたったも同然でございます。

>679
「魔女への鉄槌」ですか。「魔女の槌」というのもございますが、これは
同一の書物なのでしょうかね。著者も発行時期も同じなので、おそらく
同じなのでしょうな。その前提で話をさせていただきましょう。無知を
さらけ出すようで恥ずかしいことですが。
恥ずかしながら、私は「魔女への鉄槌」そのものをいまだに読んだことは
ございません。内容も詳しく知るわけではありませんので、そのあたりは
触れぬこととさせていただきましょう。

これは「魔女狩り」――魔女裁判ではなく、魔女狩りです――これを流行
させる契機となった、恐るべき……こほん。偉大なる書物ですな。たとえを
用いさせていただきましょう。この書物が出版されるまでは、魔女狩りは
粗悪な炭火に乾ききらぬ生木をくべたようなものでございました。この書は、
そこに注がれた大量の油のようなものでございます。強まった火力は
生木といえども劫火に沈め、それはそれはすさまじい勢いで燃え上がる
ことになったのでございます。

……本音で申し上げましょう。狂信者の理論を正当化させ、信仰以外の
すべてを悪とみなすことが許されるようになる、いわば免罪符のような
書物ですな。免罪符、すなわち贖宥状も教会の発行によるもので、それを
比喩に用いるのも皮肉なものではございますが。一冊の書物が狂気とも
いえる現象を引き起こす。恐ろしいことではございませんか。
……ここで申し上げたことは、教会には内密に願います。
>679
さて、ごあいさつが遅れました。 司馬懿仲達殿、あなたの
ご高名はかねがねうかがっております。なにとぞ、よろしく
お願い申し上げます。

さて、こちらから質問させていただきます。
「死せる孔明 生ける仲達を走らす」
という言葉がございますな。実際は走らされたのではなく、
無理に追撃する必要を感じなかったためにそれを口実に
引き上げただけ、というお話もうかがっております。
実際のところはいかがなのでしょう。
……いや、このような質問で申し訳ありませんが。
687伏見宮博恭王:03/11/09 00:16
私など一部ではいろいろ言われているようだがどうかね。
操船に関しては自信があるのだがね。
688足利義昭:03/11/09 01:13
ではこれより松永から引き継いでまろが質問に答えるでおじゃる。戦国時代の陰謀策謀に関することなら任せてたもれ
>魔女裁判官
お主なかなかやるな。どうじゃ?まろに仕えぬか?褒美は過分にとらそう
>伏見宮
ぐぬぬ・・・すまぬ!いきなり答えられぬ!まろの勉強不足じゃ。ゆるしてたもれ!
本当の忠誠とはなんでしょうね?
690足利義昭:03/11/09 15:26
>689とりあえず麿の命令に絶対服従する事じゃな。そも忠誠とは、己のつかえる主君の命令にどんなに非道な事でも従うことじゃ。よってお主ら武家の棟梁である麿の命をみな忠実に遂行するのじゃなホッホッホ。
691以上、自作自演でした。:03/11/09 17:07
儂智高や徴側・徹弐姉妹をどう思いますか?
692足利義昭:03/11/09 17:22
>691・・・ソナタは中国人か?どうも麿は中国史には弱くての。来殿、蔡殿、お任せいたすでおじゃるよ
693桃太郎侍:03/11/09 17:24
ひとーつ、人の生き血を吸い、ふたーつふらちな悪行三昧。みっつ醜い鬼を・・・
694蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/09 18:28
昨晩は空けてしまい申し訳なかった。
では回答して参るよ。

>664 松永久秀
成る程。もともと織田には貴卿を助命する意思などなかったのだな。
茶釜うんぬんは、単に貴卿の死に際を彩る付随的逸話に過ぎぬと。
まあ考えてみれば、織田が貴卿を生かしておいて、何がしかの得に
なるとも思えぬしな。よもや部将として召抱え得るでもあるまいし。
しかし貴卿は“日本最初の爆死者”か・・・。
それはまた名誉(?)なことだな。

>667 魔女裁判官
そうか。身分については曖昧にして置きたかったのか。なれば無粋な
ことを尋ねてしまったな。
さて貴官も今でこそ、こうして魔女狩りにつき理性的に総括しておるが、
やはり当時は魔女の存在を固く信じておったのだろう?
>665におき、判事として駆け出しの時分は、容疑者の中に無実の者
(まあ、魔女狩りの犠牲者は全員が無実であったと言えようが)が
含まれることも薄々気がついておったように述べておるが、それはそれ。
法律家としては、冤罪の者も含めて広汎に魔女を“狩る”ことで、
キリスト教(貴官ならばカソリックか)世界の秩序維持に貢献していると
いう使命感もあっただろうと思う。“疑わしきは被告人の利益に”などと
いう観念は存在しなかったであろうしな。
逆に、魔女狩りという“制度”の欺瞞を当時から看破していたとすれば
貴官は相当な理性を有したルネサンス人ということになろうか。
695蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/09 18:31
>671 スパルタクス
一応も何も、貴公は“立派な”叛逆者だよ。それを自由を求めての
闘争に昇華し、英雄との評価を定着させたのはヴォルテールや、
マルクスなど遥か後世の思想家たちだろう。そもそも奴隷反乱であれ
農民一揆であれ、その発端となった事情に幾許かの同情すべき点が
見受けられるのは当然のことで、いちいちその全てを英雄的行動と
評価しておってはキリが無い。貴公とて容易にトラキアに帰還できて
おれば格別、南転してイタリア本土を荒らし、土匪化して自由農民を
大いに苦しめたのだからな。
居心地が悪いなどと言わず、堂々開き直って己の正当性を主張して
おれば良かろう。歓迎致すよ。

>676 パトロナ・ハリル
これはまた著しく知名度の低い者が参ったな・・・。私も貴公に関して
詳しくは存ぜぬのだが、アフメット3世(だったか?)の治世───
チューリップ時代を反乱によって終結させた、イエニチェリ軍団の
総帥だったな。確かにチューリップ時代は、仏国からの文化輸入で
大いに繁栄したものの、その実、宮廷社会に限定された奢侈文化で
あった。つまりトルコそのものの国家的近代化政策でも何でもない。
まあそれを鑑みれば、反乱に遭って終結しても不思議はないが、
何せそなたの人柄についてさっぱり解らぬゆえ、正しい評価もできぬ。
関係ないがチューリップは、ネーデルラントにあって泡沫経済を演出し、
またトルコに戻っては退廃した宮廷文化を彩ったのだから、
何やら魔性を感じさせる花だな。
696蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/09 18:33
>678(理想の部下といえばどのような人物ですか?)
実務に精通し、ある程度融通がきき(倫理的な意味でのな)、
でしゃばらない者であれば非常に便利だと思うが、実際には
そうはいかぬ。およそ宰相として長く君臨するにはどのような
性質の部下であっても、時には懐柔し、時には威圧して、
満遍なく使いこなせるようでなければならぬ。
忠誠心までは要求せぬよ。利害が一致しておれば裏切らぬし、
また、そのような者しか手元には置かぬ。

>679 司馬仲達
おお、何やら久しぶりといった感じだな。元気そうでなによりだ。
逆に貴卿に問いたいが、明の創業期にまつわる話は、どうにも
不明瞭な点が多いと思わぬか?記録が歪んでいる部分も多いと
思うのでな。それを踏まえて貴卿の問いに答えさせていただくが、
・・・まあ、特に好みと思う人物はおらぬ。強いて言うならば私は、
李善長を高く評価したい。大明律の制定や土地制度、税制の
整備などにおける功績は宋濂よりも上と思うし、よく朱元璋を
支えて国家の基盤を作った有能な実務家と言えよう。
しかし全体として明建国の功臣には優れた者が多かったように
思えるな。特に常遇春などかなりの名将であったろう。

>687 伏見宮博恭王
ふむ・・・。よく解らぬので調べたが、日本の皇族か。
確かに海軍で活躍したとある。ドイツ留学の経験もあり、
皇帝ヴィルヘルム2世とも親しくしておったようだな。
で・・・、貴卿は何故悪く言われておるのだ?
質問に質問で返すは甚だ礼を欠くとは存ずるが・・・。
697蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/09 18:35
>688 足利義昭
室町幕府最後の征夷大将軍だな?松永卿の代理なのか。

・・・何故じゃ?

確か、貴卿の兄たる将軍足利義輝を弑逆したのは、松永卿の
一派であったような記憶がある。
なれば許し難い敵同士という気がするのだが。
それに貴卿はあまり「悪」ではないように思う。むしろ幕府の
劣勢を挽回せんと織田相手に奮闘した、誇り高き将軍という
印象なのだが・・・。
しかしまあ、せっかく参られたのだ。今後とも宜しく願う。


まだ全て終わっておらぬが、本日はここまでと致す。
これからしばし外出せねばならぬのだ。
何とも最近、怠惰なようで申し訳ない。
必ず明日以降、返答いたすゆえ容赦されたい。では。
698足利義昭:03/11/10 00:12
>蔡殿
麿はにくき織田信長を倒すためならたとえ兄殺しといえども手を結ぶのじゃ。
>桃太郎
おのれ、儂とて三好三人衆の手の者と斬り合ったことがある。みすみす斬られて
たまるか!ものども!奴を斬り捨てい!
699来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/10 15:50
少し前まで死刑現場を視察していたが今終えたので返答に移るか。

>676 パトロナ・ハリル
イスラム文化圏の者が来るのは初めてだな。
西欧型の宮廷に反発して反乱を起こしたと言う点では
保守派かイスラム教条主義者とも言えるが、何分人格その他の資料が
ほとんど無いので詳細に論じるのは難しい。だが結果的に要求が通った
ようなので無駄ではなかった様だな。

>678
優れた者と言いたいが、前に名前を出した衛遂忠の様に我輩の心中を
察知して寝返る者は論外だな。程々に能力を持ち、裏切らないと言う
人間なら文句は無い。無理に優秀でなくても人並みに役目を果たせれば
充分と言えよう。

>679 司馬仲達殿
久しぶりですな。何時でも門を開いておるので気軽に来られよ。
して明の功臣については蔡京殿も申された通り、不明瞭な記載が多いので
今まで故意に貶められたが、これは胡惟庸・藍玉(こいよう・らんぎょく)
の獄に見られる粛清に絡んでの事だと思う。
それらから我輩は湯和(とうわ)を選びたい。朱元璋と同郷で竹馬の友ながら
挙兵時から従い各方面で軍功を立てた人物だが、何と行っても朱元璋から
公位に封じられ天寿を全う出来たのは湯和だけだ。他に封じられた李善長や
徐達ら六人は皆、誅殺か原因不明の死と終わりを善くしていない。
率先して兵権を返上し隠居したのが成功したのだろう。
700来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/10 15:52
>687 伏見宮博恭王
明治から太平洋戦争に到る時期を海軍軍人として活躍された
貴殿だが、あの黄過論の提唱者であるヴィルヘルム二世ら欧州の
君主と親交を結び皇族ながら日露戦争で戦傷の経験ある事から
中々の人物と拝察する。
それが何故悪評があると自分でも言われるかは、太平洋戦争勃発の
二ヶ月前に昭和天皇に対米即時開戦を上奏し、またロンドン軍縮
会議の日本の軍艦の対米比率七割に固執した艦隊派に祭り上げられた
事からかも知れぬ。
皇族と言う身分と終戦時に高齢と病気で無ければ戦犯指名に
引っかかっていただろうから運が良かったと言えるか。

>689
主君のために身代わりになった者や、死を恐れず諫言した者を含む
かも知れぬが、死んでは全てが無に帰すのみだ。
生きて何事でも良いから主君に忠誠を尽くし、同時に天寿を全うする事
こそ、本当の忠誠であると我輩は考える。だが自分で言っていて何だが
我輩は正反対の行動をしてきたな。正に言葉と行動がかみ合わぬ。

>691
儂智高は壮族の出身で安南と北宋に大して反乱を起こした人物で
徴側・徹弐姉妹は後漢の光武帝の時に独立戦争を起こした姉妹だが
共に民族の英雄とされ、賞賛されているが強大な中華王朝に反抗し
思惑とは逆に平定された後、独立どころか更なる圧政を受けた原因を
作った事から、決して容認できる物ではないな。
民族独立の崇高な理念も時には害となる良い例だ。
701来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/10 15:52
>693 桃太郎侍
架空の御伽噺に過ぎぬ存在だな。
せいぜい高橋英樹の時代劇ぐらいしか思い浮かばぬし語る物も無い。
おそらくそれを見込んで書き込んだのだろう。

>足利義昭
室町幕府最後の将軍が松永久秀の代理とは珍しい事だな。
死後四百年を経て兄を討たれた恨みも消え、何らかの縁が出来ても
不思議ではないな。織田信長に反抗しなくても遅かれ早かれ
室町幕府は廃され、貴殿は適当な隠居料を与えられ飼い殺しに
されただろう。
将軍としての一抹の誇りをかけたのだから悔いはあるまい。

では、本日はこれまで。
少々、船頭が多くなってまいりましたな。このままでは船も山に
登ってしまいましょう。今後現れるかも知れぬ新規の参入者に
席を空ける意味も含め、私は一歩引き下がっておきましょうか。
今後は回答を減らす方針で参りましょう。
ピンポイントな書き込みと答えておきたい質問を除いて、ですが。

>688
お戯れを。私程度のものならそこかしこにおりましょう。それほどの
身分のお方が、あまりそのような冗談を口にされるものではござい
ません。
……いや、私ごときがご意見するなど、恐縮にございます。

>694
魔女の存在は信じておりました。当時の常識や通念は、魔女がいる
のは当たり前という発想でしたからな。こんにちで言うならば、世界が
丸いという観念を疑うようなものです。教会に対する恐怖もあり、
疑おうという発想すら起きませんでした。
使命感はございましたな。おっしゃるとおりです。
さて。欺瞞の看破についてですが、
「欺瞞とはいったい何のことですかな?」
……そして、当時の私ならさらにこう付け加えます。
「社会の秩序を乱すものめ。こやつを逮捕せよ」、と。
たとえ「欺瞞」に気づいたにせよ、声に出すわけにはまいりません。
盲目であったにせよ、意図的に目を閉じたにせよ、社会的にはなんの
意味もございません。
さて。私はどうだったのか。今となっては思い出せませんなぁ。無意識
なのか意図的なのか。意図的なものを無意識と錯覚することが多い
のです。記憶力のなさをどうか笑わないでください。そんな錯覚を、
起こさせるような時代を生きてきたのです。
蛇足かと思いますが、いくつか。

魔女、という言葉についてです。言うまでもないかと思いますが、
これは悪魔とかかわりを持つものの総称でございます。確かに
容疑者は女性が多数を占めておりましたが、男性の魔女も
おります。なお、魔女狩り以前は、魔術や怪しげな膏薬を用いて
人や家畜などに害をなさねば、魔女というだけで逮捕されることは
あまりなかったようです。それどころか、教会からは災害や天候の
不順などを魔女のせいにしてはならぬ、とたしなめられた領主が
いるほどだとか。
いまさらですが、魔女という言葉の定義と、魔女狩り以前の魔女に
ついて。まぁ、ご存じの方も多いかとは思いましたが念のために。

それから、一歩引く理由をもうひとつ。来俊臣・蔡京両閣下と比較し、
私は回答の中でキャラクター作りを前面に押し出している感じが強い
ようですな。毛色の異なるものはあまりでしゃばらぬほうがよいかも
しれませぬ、と。ただ、このスレは本当に好きなので、引きはしても
居座ることにさせていただきます。お呼びいただいたり答えるべき
質問が出てきたら喜んで出てまいります。無論、不快感のたぐいを
抱えているわけではございません。
……いや。「面倒だから逃げた」などとおもわれるのも癪に障るもので
ございますからな。
いままでほどではないにせよ書き込みはしていくつもりですので、
今後ともよろしくお願い申し上げます。
なるほど。来俊臣が湯和で蔡京が李善長か。
生き残った事と実務的なものとで評価が分かれたか。
質問に答えてくれて感謝する。ちなみにわしは劉基じゃな。
わしと同じ軍師だが、戦略面ではかなり優れていたが
処世術では失敗しておる。剛直すぎて同僚の恨みを買って
最後は毒殺の疑いが強い。
実際、明の功臣の伝でも功績一覧の後に死を賜ると素っ気無い記述が多い。
やはり無実の罪で粛清された事からかもな。
松永も魔女裁判官もすまぬな。「死せる孔明 生ける仲達を走らす」
についてだが、本音を言うとあのまま追撃する事に抵抗感を感じた事と
わしの存在意義のために、あえて蜀を温存させたのじゃ。
狡兎死して走狗煮らると言うじゃろう。獲物がなくなるとわしら走狗は
必要無くなるのじゃ。
両閣下のモンゴルに対する見方は肯定的と否定的に分かれてますね。
やはり中華思想の強弱か、科挙の有無でしょうか?
706以上、自作自演でした。:03/11/11 12:59
うわー、百の眼を持つものが来たぞー!
707松永久秀:03/11/11 13:24
やあお久しぶりで、やはり義昭風情では限界があったか。桃太郎とやらに散々に追い散らされたそうじゃないか。儂が帰ってきたからにはもう安心ですぞ。儂も信長との戦いで答えかたも成長したぞ。あと、似たようなすれの阿部怪異なる者を勧誘したゆえ後で来るかもしれん。
708蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/11 20:12
では、まず残った物から回答する。

>689(本当の忠誠とはなんでしょうね?)
こういった抽象的観念は、まず言葉の定義に拠るしかないな。
主家や上官などに誠心誠意尽くす行動、または意思のことだろうか。
実際のところ、忠誠という言葉にこれ以上の意味などないよ。
後世の人間による勝手な解釈に左右される、極めて曖昧なものとしか
言いようがあるまい。

>693(桃太郎侍)
勧善懲悪物の主人公か。私は未来永劫そうした物語の悪役として、
忌み嫌われる宿命にある者だ。まったく不愉快なことだよ。
貴様など悪代官か悪奉行にでも斬り殺されてしまえ。
まあ「人の生き血を吸う」とは重税を課すことの比喩か。
これに限って言えば、私に当て嵌まらぬとは言えぬな。

>703 魔女裁判官
特に貴官自身に障害がなければ、今まで通りに振舞っていてはどうか?
貴官は私などより知識も表現力もあるし、是非様々な問題に対する
意見を聞きたいのだが。何せ、魔女裁判についてのみしか語らぬでは
自ずと限界があろうし、かえって興を欠くというものだよ。
毛色が違うと貴官は申すが、それこそ大いに歓迎されるべき所だ。

>704 司馬仲達
なるほど・・・。劉基といえば名軍師の代名詞ゆえ、貴卿にはとりわけ
敬愛に値する人物なのだろう。まして三国志演義の諸葛亮のモデルと
なったであろう人物だけにな。
貴卿は劉伯温と諸葛孔明、どちらがより偉大だったと思うかね?
ともに粉飾も多く、正確な人物像をつかみにくい所があると思うが、
その一方と直接対峙した貴卿ならば、評価を下すこと可能であろう。
709あいん:03/11/11 20:14
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710蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/11 20:15
>691(儂智高や徴側・徴弐姉妹をどう思いますか?)
まず徴側・徴弐───いわゆるチュン姉妹の反乱だが、周知のとおり
ヴェトナムにおける最初の独立運動と位置づけられ、姉妹は民族の
英雄として現在も讃えられている。しかしその本質は民衆反乱でもなく
独立運動ともやや異なる。中国(当時は後漢)から派遣された太守と、
現地の土侯との間に生じた、主として徴税権をめぐる争いが発端であった。
実際に後漢のヴェトナム教化政策は極めて性急であり、農法の変化や
社会資本整備の為の強制労働などが、大いに原住民を苦しめていたが、
では土侯による支配がそれに比して緩やかなものであったかと言えば、
これは怪しい。普通に考えて原始的な方法による搾取が中心で、民衆に
とってはさして変わらぬ圧政であっただろう。さてチュン姉妹はこのような
土侯の一族の出身であり、徴側の夫が漢人太守に殺害されたことで
立ち上がったといわれるが、これは創作との説もある。いったい当時の
ヴェトナムは母系社会であり、女子を以って一族の象徴としたことから、
たまたまこの姉妹が反乱軍の首領と看做されたに過ぎず、実際に彼女達が
計画を立案し、白刃を振るって戦闘に参加したという事ではないようだな。
とにかく反乱は失敗に帰し、これがヴェトナムの民族運動の出発点で
あったと考えるのは困難だ。姉妹が神格化されて讃えられるのはかなり
後世になってからのことだ。

次に儂智高(ヌ・チン・カオ)についてだが、これはヴェトナム北部と
中国南部にまたがって居住していたヌン族の首長だった男だな。
12世紀に独立して国を建て、しばしば中国に侵入を繰り返した。
この国はすぐに宋軍により鎮圧されたものの、儂智高は各地でしぶとく
反乱を続け、大いに北宋の朝廷を悩ませた。儂智高の死後、王安石は
この反乱をヴェトナムの扇動によるものと断じて南征を行うが、失敗に
帰した。ヴェトナム軍は何と王安石の悪政から民衆を救う解放軍と称した。
しかも実際それに呼応した漢人も多かった。いかに王安石が民衆から
嫌われていたかを示すものと言える。
711あいん:03/11/11 20:17
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712あいん:03/11/11 20:19
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713以上、自作自演でした。:03/11/11 20:24
ここが騒動の黒幕ですよ!
714以上、自作自演でした。:03/11/11 20:25
蔡京はふんどし荒らしの主犯らしいぞ!!
燕に干渉し杉。
来蔡は三国志じゃないだろ?
716以上、自作自演でした。:03/11/11 20:42
自治は荒し
>713->716
燕の避難所に池
何故、悪臣スレでのもめごとまで持ちこもうとするのか不可解だ。
そういう吐き溜め扱いをするような態度が今日の乱れに繋がっているのが解らんのか。
これ以上燕に迷惑かけるなって。
ここが荒れるのはここのキャラハンの責任。燕は関係ない。
ローマ帝政時代のカリギュラ帝ってどう?
映画における酒池肉林ぶりは史実なんかな。
721松永久秀:03/11/11 23:09
最近荒らしが多いな。なーにがゴリビアじゃ。テトロドトキシンでも飲んで往生せい!糞孔明のパクりはさらに許せん!地面にうめて鋸引きにしてやる!帰れ!歴史に興味のない輩は帰れ!貴様らみんな暗殺するぞ!とっとと消え失せろ!胸糞悪い。
とりあえず落ち着いて話せ、見苦しい。
723以上、自作自演でした。:03/11/11 23:19
眼鏡が似合う悪人といえば誰?
金持ちですか?
725松永久秀:03/11/12 08:33
また、緊急の用事ができて一週間ほど出られぬ。来殿、蔡殿、しばらく任せましたぞ。
>松永殿
『2ch総合案内 - 使 い 方 & 注 意 - 「荒らし」ってなに?』……を
よくお読みください。お怒りになる気持ちもわかりますが、冷静に。
と、もう出かけてしまわれたか。

それから事情がお分かりの方へ。関連するであろうスレをのぞいて
みましたが、どうも状況がつかみきれませぬ。他スレに顔を出そうか
とも思いましたが、それこそ問題であろう、と思いとどまりました。
ご対処、よろしくお願いいたします。
と、この書き込みそのものが反応にほかなりませんね。話題が出た
ついで、ということで。もうしわけございません。

いまは時間がないのでこれにて。おそらく今日のうちに、夜にでも
また参ります。
失礼。>726は私でございます。
すぐ怒る久秀なんか久秀じゃないな
729足利義昭:03/11/12 18:48
ホッホッホ。いっそトリップでも貼ったらどうじゃ?
わたくしは通りすがりの旅の者。。。
お困りのご様子の御方より、頼まれましたのよ。
ttp://www.ad.il24.net/~alps/narikiri/test/read.cgi/TheNorthWind/1065975212/59

でわひとつ酔狂ではございますが、、、悪辣とは何ぞや?
わたくしにはわかりかねますゆえ、、、
質問も置いて立ち去ることと致しましょう。。。お許し願いたく。。。
731北宋神宗:03/11/12 19:28
59 名前:蔡京 ◆GtkPmKwSp2 投稿日:2003/11/12(水) 19:02 ID:h1BfEjLY
>705 伯顔
よく来たな。確かに貴公の申すとおり、私が蒙古に対して否定的なのは
中華思想によるものも少なくはなかろう。これは私の経歴上仕方がない。
科挙の有無についても同様だ。ただし私は必ずしも科挙至上主義者では
なかった。胥吏(行政の末端運営に携わる民間人)に試験を課して、
官僚への途を開く制度を作ったのは私(と王安石)だしな。
しかし、元朝の官僚任用制度は実に素朴なもので、殆ど南北朝以前の
門閥主義に逆戻りしたものと言ってよい。蒙古至上主義をとったのは格別、
およそ蒙古人以外で元朝の宰相にまで上った者が片手で数えられるほど
しかおらぬというのも、驚くべき不均衡といえよう。
それと元朝の最も非難されるべきは、その経済運営だ。旧南宋の領土に
おいては両税法を維持したものの、華北における税制は全くの支離滅裂。
これは耶律楚材にも責任の一端がある。さらに元朝一代はすべて通貨を
紙幣をもって流通せしめ、これは高度の兌換性をもつものであったから、
その点驚愕するが、およそ農本主義の中華社会において循環経済を敷衍
せしめんとすれば、まず農民の購買力を育成することに重点を置くべきなのだ。
しかるに元朝においては土地の私有に制限なく、また制限を設けんと企図した
形跡すらない。土地の兼併は大いに貨幣経済を衰退させる方向に作用する
ものであり、この点でまず経済政策に整合性が見られない。
実際、宋代以来築き上げられてきた、現実に即する経済振興策は元代に
おいて殆ど水泡と帰し、さらに後継の明王朝も宋代の社会を範とすること
薄かった為に、中華社会を長く停滞せしめた。やはり蒙古の漢土支配は、
中華社会にとり不幸な出来事だった。異論もあるだろうが、私はそう考える。
60 名前:蔡京 ◆GtkPmKwSp2 本日のレス 投稿日:2003/11/12(水) 19:03 h1BfEjLY
>706(うわー、百の眼を持つものが来たぞー!)
バヤンというのは蒙古族には、ありふれた名だ。なぜ百眼と言われるのかは
私にはよく解らないのだがな。とまれ>705のバヤンは極めて有能な軍人で、
南征軍を率いて南宋を滅ぼした後、カラコルム行枢密使として海都(ハイドゥ)
の乱においても絶大な功績を挙げた。ペルシャの出身らしい。

>709>711-712(お笑いサイト作ったからぜひきて!)
貴様、それを方方に貼り付けて大いに迷惑を及ぼしておったな。
しかも三度も同じ事を繰り返しおって、鬱陶しくてしようがない。
早々に退出して、もう少しまともな身の振り方を考えるが良いわ。

>713-719
少し落ち着くが良い。・・・まあ、もう落ち着いておるか。
ここではっきり述べておくが、私は燕に越境はしても、こちらを蔑ろに
するつもりはないし、また他所を荒らす意思など微塵もない。
それに、中華系・歴史系各所が越境に厳しくないからこそ、
今日この場もこれほどの発展を見たのだと私は考えている。

>720(ローマ帝政時代のカリギュラ帝ってどう?)
あまり詳しくはないが、カリグラはオリエント的専制君主制を志向した
極めて強権的なローマ皇帝らしい。貴公の指摘する映画は見たことが
ないので何とも申せぬな。ただし酒池肉林というのは帝王の奢侈を
誹謗する意図で用いられる言葉なので、真実木に肉を吊るし、
池に酒を充たすという演出が行われた訳ではないのだろう。
カリグラは専制政治の過程で自己の神格化にも熱心であったようで、
その為にユダヤ人やキリスト教徒の反発を買ったとも伝えられる。
その意味で、後世のヨーロッパ社会において貶められやすい性質の
皇帝であったと言えようか。
61 名前:蔡京 ◆GtkPmKwSp2 本日のレス 投稿日:2003/11/12(水) 19:03 h1BfEjLY
>721 松永久秀
良い。たまにはそういった罵声を浴びせてやることも必要だ。
ただし一度きりにしておいた方が無難だと思うぞ。
構い過ぎはますます事態を悪化させるもとになるのでな。

>723(眼鏡が似合う悪人といえば誰?)
・・・うむ。誰であろう? 何やら非常に難しい質問だな。
まあ眼鏡というのも一般に使われるようになってまだ歴史が浅いし、
どうしても近代以降の人物になろうか。スペインの独裁者フランコは
なかなかサングラスが似合っていたと思うので、彼奴を挙げておくか。

>724(金持ちですか?)
金持ちだ。・・・しかし前にも申したが、私は自分の資産がどの程度
あったかなど把握していなかった。財産管理は親族の手に委ねて
おったし、さらに運用益が莫大なものであったから、一々私自身が
調べたりはしなかったよ。しかし単純に考えて、私が12世紀における
世界的な富豪であったのは間違いないかもしれぬ。
ちなみに私の死後、財産がどこにいったかは知らぬ。
南宋の国庫に入ったか、金軍に持ち去られたかのいずれかと思うが、
民間に溶けて埋没したものもあろう。今さら、どうでもいいことだがな。
62 名前:蔡京 ◆GtkPmKwSp2 本日のレス 投稿日:2003/11/12(水) 19:04 h1BfEjLY
>725 松永久秀
わかった。用事が片付けば、また戻ってきてくれ。貴卿の毒舌が再び
聞ける日を楽しみにしている。その頃までには、再び平和になり活気を
呈していよう。道中気を付けてな。

>726-727 魔女裁判官
まあ、過去にも何度か荒れたことはあるゆえ、あまり気にする必要はない。
貴官もこの程度のことで動じるような者ではなかろうしな。
詳しい事情については私もあまり存ぜぬ。

>728(すぐ怒る久秀なんか久秀じゃないな )
そうなのか?
茶釜爆死うんぬんからして、かなりの激情家と思っていたのだが。
まあ時を経て人が変わるという事もあるから、あまり気にするな。
かいつまんでまいりましょう。

>693
正義の味方のお出ましでございますな。よく耳にするせりふに
「古来より 悪の栄えたためしなし」というものがございますな。
確かにそうかもしれません。悪が悪のまま何代も続く、これは
そうそうありうることではありますまい。しかし、悪がいなかった
世界というものもまた、なかったのでございます。勧善懲悪の
英雄がたびたびもてはやされるのも、世の中から悪が消えない
その裏返しかもしれません。
倫理的に悪であっても歴史的、社会的に大きな役割を果たす
者もおります。
ところで悪が栄えなかったのは、それが悪ゆえではなく、ただただ
諸行無常の世の中にもてあそばれただけなのかもしれませんぞ。
……少々、乱文の感が否めませんな。少し急いでおりますゆえ、
どうかご容赦願います。

>704
当面の敵を弱らせすぎずに……そのような意図がございましたか。
ひとつ勉強になりました。ご回答、痛み入ります。

>708
かようなお言葉……身に余る光栄でございます。私でもこのスレで
一定の役割を果たせている、ということでございましょうか。まったく、
私は果報者にございます。

>709,711-719
正直、状況が読みきれません。なにがあったのかは存ぜませぬ
が、一旦落ち着いたようなのでとくには触れますまい。
>720
悪名名高きローマ皇帝ですな。若くして暗殺されるあたりなど、
ドラマティックとさえいえるかもしれません。残虐な行為や処刑などを
好む。帝位についたいきさつなどを見ても、なるほど、悪と呼ぶに
ふさわしい皇帝でございますな。暴君がわんさと出てくるこの時代に
ネロと肩を並べるほどの悪名をほしいがままにするあたりはさすがと
申し上げて差し支えございますまい。
しかし、このあたりの歴史は私の中でかなりごちゃごちゃとしている
のです。なにかよい資料を見つけてじっくり学んでみるのも面白い
時代かもしれませんな。機会があったら探してみるとしましょうか。
こんな状態なので、酒池肉林が史実であったかは……私には判定
いたしかねますな。もうしわけございません。

>723
めがね、ですか。難しいですなぁ。なぜかストZEROのナッシュなどが
浮かびましたが、悪というわけではございませんし。もうしわけ
ございません。
>724
さあ。いかがでございましょうな。私の財産は神の国を守る報酬であり、
すなわち神が私に預けたもう物でございますからな。当然、教会の
ものであるという意味ではございません。くく。それよりも、私の財産を
詮索してどうしようというのですか。よもや告発などをするつもりでは
ありますまいな。

>728
いかがでしょうな。それはここにいる松永殿と、あなたとのイメージ
との相違に過ぎないのかもしれませぬ。
あるいは、歴史上はもろもろ束縛があったものの、ここで解放されて
内面に溜め込んでいたものをぶちまけた、のかもしれませんな。

>729
再度のお越し、恐れ入ります。ところで、トリップとはどなたに?

>730
親切な旅のお方、まことに感謝いたします。世の中、捨てたものでは
ございませんな。あなたのような方に助けられたものは、ここには多い
のです。
さて、悪辣ですか。その行いが、人によっては顔をしかめたりあきれたり、
憤ったり吐き気を催すなど、そういったことを引き起こすような悪が、悪辣、
ではございますまいか。たとえば魔女狩りもそうです。具体的なことは
申し上げませんが、社会的な事情、拷問の実情などを書籍などでじっくりと
読み、よく考えてみてください。きっと、なにか感ずるものがあるのでは
ないかと思います。もっとも、歴史の出来事に過ぎぬと流せる方もおそらく
いらっしゃるとは思いますが。
738来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/13 16:01
ここ数日出張糾問で留守にしていた事を詫びる。

>704 司馬仲達殿
返事が遅れて失礼致した。貴殿は劉基でしたか。
同じ軍師型ながら片や位人臣を極め、劉基は胡惟庸と衝突の末
毒殺とは、天地の差がありますな。
「悪を憎む事甚だ激し」と述べた劉基は処世術では明らかに貴殿に
劣っておりますぞ。
ところで我が悪臣の場に移籍をお望みと伺いましたが我輩は大歓迎
致しますぞ。三国志乱立が叫ばれる中での決断、真に恐縮の至り。
何時でも席を用意しているので、都合の良い時に来られよ。

>705 伯顔(バヤン)
元最高の武将のお越しか。我輩は蔡京殿とは異なり科挙とは無縁であり
中華思想の影響も余り受けていないので客観的にモンゴル及び元王朝を
見ている。中華限定だった物から、西は東欧・中東まで到る大帝国を
築いたモンゴルは異民族如何に関係なく優れた国家・軍事体制なのは
疑いの無い事実にて、それを評価するに憚りは無いと考えている。
しかし貴殿も南宋征伐に成功した時に詩で「ただ挿す梅花一両枝」とは
風雅ながら私利を図っていないと言うフビライへの遠回しな弁解を
含めていたな。やはり有能すぎると気苦労が絶えぬか。

>706
当時の南宋の全太后が占いで出た事を鵜呑みにした事を言っているか。
百の眼を持つ者でしか南宋を滅ぼせぬと出たので安心していたそうだが
半ばこじ付けで伯顔になぞらえたそうだ。国家の末期で迷信事で政策を
決めるなど愚かの一言よ。
ちなみにバヤンとはモンゴル語で「有徳の賢者」を指す。元王朝では
何人かの同名の人物が出ているが、最後の順帝の時に権力を握ったのは
極端なモンゴル至上主義者で、各地で反乱が起きた際に、
張・王・劉・李・趙の五姓の者全てを死刑にせよと提案したそうだ。
南宋征伐の時でも虐殺を極力避けた伯顔とは天地の差があるものよ。
739来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/13 16:14
>720
カリギュラ帝はかのユリウス・カエサルの姪の息子に当たり
西暦37年から41年まで在位したローマ皇帝だが現在では
各種資料や映画なので暴君のイメージが定着している。
本当に虐殺や残虐行為を行っていたかは知る由も無いが
臣下に暗殺され、像の一つも残さず破壊されたと言う記述から
恨まれていたのは確かだろう。尚名前のカリギュラは一種の
愛称で意味は長靴を愛用していた事から取ったそうだ。

>723
眼鏡か。痩身で長身、冷酷なイメージがある人物が似合うと考えるので
フランス革命期に活躍したジョゼフ・フーシェが適役だと思う。
シュテファン・ツヴァイクの小説では冷血動物とまで評されている人物だが
処世術と秘密警察の運営でナポレオンの帝政の発展と終幕に貢献した特異な
人物と我輩は見ている。

>724
若き頃の我輩はその日の食事にすら事欠く有様だったが、武則天陛下に
登用されてからは、各種の手段で財貨を貪り貴族貴顕に劣らぬ財産を築いた。
だが死刑に処せられた時に全ての財産を没収されたので泡沫と化した。
せめて生きている内に使い果たしたかったよ。
かのアンドリュー・カーネギーが慈善や各種寄付に莫大な財産を費やし
遺産の類を何も残さなかった話があるが、今では幾分頷ける。
740来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/13 16:26
>730
悪辣とは読んで字の如く悪く非道で行為事柄を指すが
別段変わった意味は無い。
我輩がこの場所を立ち上げる際に、少し変わった名称を
つけようと思ったので偶々思い浮かんだ悪辣を選んだまでだ。
それと旅の途中ながらの心遣い感謝する。道中気をつけて。

>731-734 北宋神宗及び名無し諸君
そうか。蔡京殿が規制に引っかかったか。一日も早い帰還を望むが
それまで容量が心もと無いのも事実か。伝言の貼る付け有難く思う。
しかし、神宗御自らとは光栄の至りと同時に蔡京殿が陛下の御治世で
活躍していればと改めて悔やまれる。

さて、名無し諸君の指摘に従い我輩はしばらく燕とは距離を置く事とする。
正式に燕の官位を得られた蔡京殿はともかく、我輩も少々でしゃばりすぎた。
今後はこの場において名無し諸君や訪問する歴々の人物との歓談に専念する。
独白。

1。トリップが変わったのは案内-運用情報板の全サーバトリップ
統一作戦に関係があるのでしょうか。

2。回答を減らすという方針を覆してしまったのは、蔡京閣下の
お言葉ももちろんあるのですが、それ以上に荒らしの出現に
触発された部分が大きい。冷静なつもりが動揺していたようです。
私もまだまだですねぇ。

3。来俊臣閣下もおっしゃっておられるが、もうだいぶサイズが
大きくなってまいりました。レス数はリミットまではあと25%以上ある
のに、容量的には2割をきってしまいましたな。そろそろ、次のスレを
どうするか考え始めてもいいころあいかもしれません。

4。蔡京閣下への私信。知識ではあなたにはまだまだおよばぬと
思っております。若干視線をずらしてみたり、表現を変えてみたりと
目先を変えてみる、という方法は取っておりますが。こんな小細工を
必要とするうちは、私もまだまだ未熟ということでございます。
戦国四君が抱えていた食客というのは今でいう居候ですか?
743以上、自作自演でした。:03/11/14 15:47
明の功臣は、何故あの様に酷い仕打ちを受けたのでしょうか?
次のスレタイはどうします?
745来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/15 19:18
今夜の返答に移るが、そろそろ次の事を考える時期か。

>742
鶏鳴狗盗で有名な孟嘗君らが抱えていた食客だが、別に居候と言う
物では無い。普段は衣食住を領主が保障し、事有る時にそれらが持っている
能力や技能を有効に利用するために養っている私的で非常勤な家来だ。
学識や弁舌、武芸の才能もあれば、文字通り無為に食べるだけの客も
居たが、それらを上手く使いこなしたのが前述の戦国四君らだ。

>743
功臣の粛清は古くは前漢の劉邦が韓信らに謀反などの罪を着せて誅殺
した様に、別段珍しい事ではないが明の太祖朱元璋のそれは中華史上でも
類を見ない程の激しい者と言える。
具体的な数を挙げると功を上げて爵位を授けられた者の内七十五人中七十人が
何らかの罪を被せられ死刑もしくは流刑先で病死とか自殺と最後を迎えている。
一人が断罪されれば一族郎党が連座されるので、総勢では計り知れぬ数になる。
これらの主な理由は朱元璋が目指した皇帝独裁権の確率と明王朝の永続を願う
表れと言える。自分の死後に王朝を乗っ取る恐れのある有能な人物を抹殺して
安全を保つと言う考えだったらしいが、雑草を抜きすぎて庭全体を駄目にした
良い例だろう。事実朱元璋死後の靖難の変において明軍を上手く指揮できる
人物が存在しなかった事がこれに当るか。

>744
幾つか候補を考えているが、次回は今の悪臣中心からある程度範囲を広げて
過去の歴史上の人物を含めた形にしようと思っている。
現在の悪辣逆臣では司馬仲達殿らごく普通の有能な臣だった者が入りにくい
だろうから、いっその事歴史総合スレにするのも一つの案だろう。

では、今夜はこれまで。
746蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/15 19:22
また久しぶりになってしまったな。規制自体は解除されていたのだが、
生憎昨日一昨日と多忙にて、その報告が遅れてしまった。
心配をおかけして申し訳ない。

>730
おお、旅のお方。悪人ながら御好意大いに感謝致す。
もう行かれるのか?道中気をつけて参られよ。

悪行には様々な類型があれど、それらを十把一絡げに断罪する言葉──
悪辣というのもそうしたものの一つと言える。
善悪というのは抽象的観念であり定義づけは困難なれど、実社会にあって
特定の人間についての善悪の判断はいとも容易にこれが為される。
およそ社会集団というものは、そのような不公正を貫くことで調和を保つ、
存在自体に矛盾を孕んだものと言えよう。

ではまた機会があればお会いしよう。

>731 北宋神宗
これは・・・。陛下。
陛下のお手を煩わすことになろうとは、臣京ひたすら汗顔の至りにございます。
臣も今や、宋家から解き放たれた身にて、特に徽宗皇帝などにつき手前勝手な
論評など致しておりまするが、やはり陛下は大恩ある我が師なれば、
王安石ともども畏敬の念は滅ぶるところを知りませぬ。
行幸を賜り恐悦至極にございます。臣の稚拙な論評を転載戴きましたること
謹んで御礼申し上げまする。
747蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/15 19:23
>732-734
こちらを転載して下されたのは、上の二方とはまた別人であろうか?
わざわざのご足労を謹んで感謝致す所存。

>741 魔女裁判官
実は貴官が積極的に回答致してくれれば、西洋史関連の質問が増えるの
ではないかという目論みもあるのだよ。どうも中華史に偏向しすぎるきらいが
あるのでな。私としては、西アジアやインドからも人材が来てくれると
ますます幅が広がり盛況となるように思うのだが、なかなか難しいかのう。

>742(戦国四君が抱えていた食客というのは今でいう居候ですか?)
一般に食客とは、王侯や士大夫が私邸において私費で養う者たちを指す。
したがって、居候と考えてほぼ間違いはないように思う。
主従関係には至らぬ程度の上下関係とも言えるが、あまり深く考えずとも、
その意味する所が困難であるような言葉でもあるまい。
748蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/15 19:24
>743(明の功臣は、何故あの様に酷い仕打ちを受けたのでしょうか?)
洪武帝朱元璋の病的とも言える猜疑心が惹き起こした惨劇だな、あれは。
功臣の粛清自体はとりわけ珍しいことではないが、粛清を行うことで、
廷臣たちの間に不穏が広がり、かえって新たな造叛の火種となることもある。
従って粛清というものは綿密な方針のもと理性的にこれを行わねばならない。
国家としての基盤が一たび固まってしまえば、新たな人材は自ずと供給
し得るもので、その点からすれば建国の功臣を殺し尽くすというのも間違い
とは言い切れぬ。それを踏まえた上でまず考えねばならぬのは、洪武帝の
後嗣たる建文帝が燕王の造叛により倒れた靖難の変についてである。
この無謀ともいえる挙兵が成功し、燕王が永楽帝として帝位を確保し得た
要因を、洪武帝が有能な功臣を殺し尽くしてしまった為に、建文帝に有効な
対処策を提示できるものが居なかったことに求める見解と、建文帝自身の
無為無策にそれを求める見解とがある。前者の見解を採用し、洪武帝の
大粛清と靖難の変に因果関係を認めるならば、この世界史上稀ともいえる
酸鼻極まる殺戮は、長期的視野を欠いた蛮行と言い切れよう。

>744(次のスレタイはどうします?)
そうだな・・・。既に来が幾通りかの案を考えている思うが。
単に“Part2”としては芸がないしのう。できればここに関わった皆の意見も
取り入れ、独創的かつ優雅な題名を付けて欲しいといと思う。
749松永久通:03/11/16 07:25
悪の定義を教えて下さい
750以上、自作自演でした。:03/11/16 20:48
西太后は本当に悪女でしょうか?
久しぶりに参りましたぞよ。
某所で面白き物を拾いましたので両公にもお薦めいたしますぞ。

ttp://c-yaoi-3.bom-ba-ye.com/
752来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/17 18:35
審問の終わった後の茶はまた格別美味い。

>749 松永久通
貴殿ら日本では「悪」は悪事などを指さす他に強い・猛々しい等の意味も
同時に含んでいた。源頼朝の兄に悪源太義平と名乗る者がいたり、悪党と
呼ばれる在野の武士団が存在していた。従って戦国の世では悪と呼ばれる
事がむしろ名誉だったとも考えられる。特に貴殿の父の松永久秀が良い例だ。
同じ言葉でも時代が異なれば意味も変わる。

>750
映画や数々の書物で中華三大悪女の一人に挙げられている西太后だが、
皇帝の寵愛を受け、次代の皇太子を産みそれで権勢を振るうと言う点では
別に他の皇后や皇太后と何ら代わらぬ。それに政治的実績は愚か、当時の
西洋諸国の進出に対して何ら有効的な手段を取れなかった西太后とその
支持者である李鴻章ら清王朝の首脳は明らかに清にとって阻害物に他ならない。
結局、清の衰退・滅亡を早めた愚者に過ぎぬ存在だろう。
逸話等で語られる残虐話は一部が真実だが、宮廷とは陰謀や密殺が普通なので
何ら驚く事は無い。西太后は特別な存在とは言えぬただの権力欲の強い女だ。
753以上、自作自演でした。:03/11/17 18:35
754来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/17 18:36
>751
ようこそ。何か持参されたがいわゆる投票の様な物ですな。
試しに我輩もやってみましょう。

来俊臣さんは、攻様タイプです!!
美形だったり頭脳明晰だったりちょい鬼畜だったり生徒会長だったりする(偏ってるなぁ(^_^;))あの攻様です!!
これからも、攻様として自分に誇りを持って生きていってください!
時代はあなたに味方しています!!

おつかれ様でした!来俊臣さんの合計やおいポイントは89やおい でした!

攻様度 12やおい
俺様受度 7やおい
善人攻度 8やおい
健気受度 6やおい
鬼畜度 13やおい
いぢめて度 5やおい
ストーカー度 11やおい
電波度 11やおい
ノーマル度 9やおい
非やおい度 7やおい

興味深い結果だが、あくまでも参考に過ぎぬな。

では、今晩はこれで閉廷と致す。
禅譲ですが、三国志の献帝らは生き残れましたが他のは何故殺されたのでしょう?
756松永久秀:03/11/18 01:18
すみませぬ。最近城にこもっておりまして、
なかなか書き込めませんでしたわい。
ところで、急にこれより中東に出張するようにと
言われてしまいましたゆえ、
我が居城はもうてんてこ舞いなのじゃ。
やっと暇も見つけられたので、ここに書くが、
明日、成田に行かねばならない故、これにて御免こうむる。
又、あまりにも休みすぎて常駐失格じゃと思うので、
この地位は返上させてもらいまする。
短い間でしたがこの儂の愚言に付き合ってくれて
誠にありがとうございまする。
深く深く礼を申し上げておきまする。
しからば御免!
757以上、自作自演でした。:03/11/18 09:19
英雄らしい最後ってどんなのでしょう?
758以上、自作自演でした。:03/11/18 11:37
麻雀はいつからあったのですか?また、どのような遊びだったのですか?
759ぶるたぶちゃん:03/11/18 12:21
すす、すいません、おトイレかしてもらえませんかぁ?
さっきからもれそうで…
ぶるたぶウゼエ。逝ってよし!
761来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/18 20:39
最近、獄囚が寒さを訴えてきた。
自白する者に限り綿入れか寝藁を支給してやるか。

>755
献帝や元帝曹奐は禅譲の後も大国に封ぜられ天寿を全う出来たが
その他の皇帝は大抵何らかの口実を設けられ殺された。
三国時代では実施されて間も無いので牧歌的光景が見られたが
南北朝や隋唐になると、禍根を断つために容赦の無い虐殺が行われた。
当事者である支配層の思惑が大であるが、現実的思考とも言える。

>756 松永久秀
そうか。短い間だったが我輩も色々と学ばせて貰った。
中東とはまた遠方だが、石油関係にも手を伸ばされていたのか。
ともあれ異郷での仕事と生活、くれぐれも大事無い様に。
762来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/18 20:42
>757
英雄と称された人物の最後にも色々ある。
皇帝などの国の頂点まで昇り詰め天命を果たすのもいれば
敵側に捕われ悲劇的な最期を遂げる者と様々だ。
前者の代表が日本の豊臣秀吉や我が中華の歴代王朝の初代皇帝で
後者が文天祥やジャンヌ・ダルク、ウィリアム・ウォレスだろう。
あくまでも我輩個人の視点だが、権力欲に取り付かれ畏怖と恐怖の
対象に成りかねぬ前者よりも、後の世の同情と感銘を呼ぶ後者が
英雄に相応しい最後だと考えるが、これも評価が分かれる所か。

>758
現在の麻雀の原形は清の時代に生まれたが当時は紙牌と呼ばれていた
そうだ。十九世紀後半に花麻雀と言う今のに近い物が生み出され
アメリカや日本に広まったが起源については諸説あり、唐代の札を
使ったカルタ遊びとする説から、チベット・西域説と様々なので
断定は出来ない。
ちなみに我輩は麻雀は出来ないのだ。故事関係で国士無双を知っている
ぐらいなのでな。余り表立って言える事では無いが。

では、今夜はこれまでとする。
不老不死の薬て、効果があったんでしょうか?
お二方は戦国四君の中で誰が一番と評価されますか
(///)「馬鹿っ!」って言ってビンタしてください。
おとなしくしておこうかとも思いましたが、蔡京殿がどうやらご不在
のようですな。こんなときは、枯れ木が山に立つのも悪いことでは
ございますまい。

>742
食客、でございますか。そのあたりはあまり詳しくございませんが、
来俊臣殿と蔡京殿がお答えしておられるようなのでそちらに任せて
しまいましょう。ところで、いままで「しょっかく」と言っておりましたが、
「しょっきゃく」でもまた変換できるものですな。剣客が「けんかく」でも
「けんきゃく」でもあるが如し、でしょうな。

>743
ここも同上でございますな。まったく、未熟でもうしわけございません。
いや、読み方うんぬんに関する考察はございませんが。

>744
どうなるのでしょうな。どうであるにせよ、このスレッドはまだまだ存続
させていただきたいものでございますな。

>746-747 蔡京殿
規制が解除されているようでさいわいにございます。また、ご多忙の中
での書き込み、恐れ入ります。
役割を認めていただけているようでさいわいにございます。
中国系の両閣下のレベルの高さゆえ、敷居を感じざるを得ないものも
中にはおるのかもしれませんな。もっとも、私などは遠慮するそぶりを
見せながら、平気でまたいでしまいましたが。
>749
悪の定義、でございますか。「神にそむくこと」、と申し上げておきましょう。
神とは言うまでもなく三位一体なる唯一神のことでございます。仏教徒
だから、無神論者だから関係ない、などとは言わせませぬ。神とはいずこ
にも宿り、すべてをお見通しでございます。哲学的な物言いになりますが、
「お天道様が見てる」という言葉がございましょう。その「お天道様」こそが
神の……おっと。あまりしゃべりすぎて異端の烙印を押されてはたまり
ませんな。
もしも神にそむいたというなら私にお申し付けください。私がじきじきに、
裁きを下してさしあげましょう。くく。

>750
ここも、両閣下にお任せしてしまいましょう。

>751
エリザベート……ほぅ。吸血鬼とさえ恐れられた……あなたにお会いできよう
とは。光栄でございますな。私ごときが裁きを下すことのできる相手では
なさそうですが……くく。あなたに比べれば、私の悪事などは子どもの戯れに
すぎますまい。
さ、て。このリンクは両公、すなわち来俊臣・蔡京両閣下へと宛てたもので
ございますな。私は遠慮しておきましょう。いやいや、やましいところも恐れる
ところもございませんが、ははは。
さて、次へ参りましょう、次。
>755
むしろ、生き残れたほうが運がいい、とも思いますな。私が中国の故事を
引っ張り出すのも妙な感じでございますが、臥薪嘗胆のエピソードなどを
見ても、相手にとどめを刺さぬことは危険をはらみますからな。あるいは
源頼朝なども平家にとってはのちの悲劇を招きましたし。
私の仕事も、のちの世に禍根を残さぬため、という考えのもとにおこなわれて
いるのですよ。それだけがすべてではございませんが。

>756 松永殿
お仕事でございますか。遠いところへと旅立たれるようですね。いつ頃の
お帰りになるかは存ぜませんが、よい旅を。幸運をお祈り申し上げます。

さて、同系のキャラクターが、これでいなくなってしまいましたなぁ。

>757
英雄でございますか。悲劇的な最期、というのは絵になりますな。
来俊臣閣下のご意見はごもっともでございます。あるいは、ユリウス・カエサル
や、少し前に出てきたカリギュラ帝のように暗殺されるのもまた英雄らしい
最期でございます。これも悲劇的な最期のうちでございますな。
「ブルータスよ、おまえもか!」
このようなせりふを吐いて倒れるというのも絵にはなりますまいか。
暗殺といえば、明智光秀の反逆も絵になりますな。
「わが敵は本能寺にあり」
というせりふ。そして最期に敦盛を舞う織田信長。絵になるではありませんか。
もっとも、あまりに絵になりすぎてどこまでが事実なのかは判定いたしかね
ますが。
個人的には、鯛のてんぷらを食べたのが死因らしい、という徳川家康の
最期などが好きでございますな。このような形であっさり死んでしまうところに
無常観がにじんでいるとは思われませんか?
>758
麻雀についての資料はどこかにしまったはずですが、さて、どこへいって
しまいましたものやら。常日頃から、こういったものはきちんと片付けておかねば
なりませんな。もっとも、この質問は私ではなく両閣下への質問でございましょうな。
ところで、日本とアメリカとでできたものが最新のルール、といわれておりましたが、
近頃中国では――とはいえ少し古い話題ではございますが――各地でばらばら
だったルールを統一しようという動きがございましたな。あれはいったいどうなった
のでございましょうな。

>763
不老不死……ですと。これこそ神が定めた法則をゆがめようとする、悪魔の業に
相違ございますまい。そのようなものに魅入られるなど論外でございますな。
もしもその製作に携わろうとするものがおるなら、私に報告していただきたい
ものでございますな。もっとも、始皇帝なぞは私の手に負える相手ではござい
ませんが……
成功例など、少なくとも私は存ぜませんな。魔女と思しきものたちを次々と逮捕
してきた、その積み重ねでございましょうかね。くく。

>764
ここも、両閣下にお任せしてしまいましょうか。こんなことばかり申しておりますが、
どうかお許し願いましょう。
来俊臣・蔡京両閣下へ。
松永殿がお出かけになってしまいました。また新しいどなたかが
ここに定着するまでの間、少し出現頻度を上げて参りたいと思います。
改めまして、よろしくお願い申し上げます。

では、今夜はこのあたりにて。
前にも出た名前ですが、宦官のくせにかっこよさげな海の男(?)、
鄭和についてお願いします。
できれば永楽帝と麒麟についてもふれていただけると。
772蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/21 15:46
久しぶりになってしまったな。
どうも多忙にて、暫くはまとめての回答が多くなるやも知れぬ。

>749 松永久通
悪の定義そのものは何も難解なことではない。要するに道徳や法に
背くような行為一般だ。あるいはその行為者を指す言葉だな。
道徳というのはいかに時代・地域が変わろうと、ある程度普遍性を
帯びた面があるため、善悪の判断は観念的には困難であっても、
実際上容易に決定されるものだ。その意味で私は未来永劫悪として
嫌われる運命かもしれぬな。
773蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/21 15:49
>750(西太后は本当に悪女でしょうか?)
映画などの影響もあり、恐怖の独裁者とされる慈禧太后(西太后)だが、
その権力基盤は実体的な武力を有する李鴻章、曾国荃(そうこくせん)、
左宗棠など漢人官僚の忠誠心を拠り所とした危ういものでしかなかった。
これらの漢人官僚は慈禧と政治姿勢を根本的に異としていたにも
関わらず、特に両者の間に衝突が生じたという形跡はない。
つまり李鴻章らにとって、慈禧は排除の対象とすべき強大な存在では
なかったということだ。慈禧の親臣たる栄禄(えいろく)ら満洲人官僚は
朝廷における人事権などをある程度掌握していたと考えられるが、
然れども李らの地位権力を掣肘するような権力は到底持ち得なかった。
ただし慈禧は清朝の象徴として国民的人気があり、それも李らによる
排除を受けなかった要因の一つと考えられる。
して彼女が“悪女”であったか否かだが、これは何とも断定し難い。
慈安(東太后)、同治帝皇后、光緒帝の愛妃を密殺したことや、公的には
自らの甥として扱った栄禄と情を通じていた事などが有名だが、これらは
いずれも確たる根拠のない噂に過ぎぬ。よって問題とすべきは政治的な
手腕の方だ。慈禧が主体的に朝政に関わらんとした意思は見て取れるが、
宦官を重用したり、軍費を流用したり、殆ど保守勢力の発狂と言っても
差し支えない義和団事変を引き起こさせた事など、褒め得るような功績は
無に等しい。その意味では清朝の存続を不可能化した悪女と言えぬ事も
ないが、亡国の摂政として貶められ過ぎている感もある。単に権力志向が
強いのみで、ごく普通の皇太后であったというのが正解かもしれぬ。
774蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/21 15:50
>751 バートリー伯夫人
しばらくだな。そなたの所領もますますの発展を遂げておるようで何よりだ。
どれ、持参された物を私も試してみようか。


蔡京さんは、善人攻タイプです!
いい人です。優しくて、いつも受ちゃんに幸せであって欲しいと思っていますね?
これからも、その優しい心をもちつづけてくださいね。

おつかれ様でした!名無しさんの合計やおいポイントは22やおい でした!

グラフ 結果値
(単位:やおい)
攻様度 2やおい
俺様受度 3やおい
善人攻度 4やおい
健気受度 1やおい
鬼畜度 1やおい
いぢめて度 0やおい
ストーカー度 1やおい
電波度 0やおい
ノーマル度 5やおい
非やおい度 5やおい


───だそうだ。まあ、私はあくまでも政治的意味での悪人だからな。
家族や親しい者に対しては、ごく普通の人間であるということだろう。
それにしても“やおい”とは、どういう意味かね?私にはよく解らぬのだが。
775蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/21 15:51
>753
残念だが、既に閲覧不可となっている。
申し訳なかったな。また別の機会に持参されよ。

>755(献帝らは生き残れましたが他のは何故殺されたのでしょう?)
あえて理由をつけるならば、三国時代以降、皇帝権が時代と共に衰退し、
前朝の天子を生かしておくだけの心理的余裕がなくなったということだろう。
尤も、こんなものはこじ付けに過ぎぬがな。要は禅譲を強いた者の性格や
生命を軽んじる風潮など、偶然的要素から生じた結果であろうと思う。
実際には禅譲した天子を生かしておいたところで、新王朝に害を為すとは
考えにくいが、それはいわば後知恵であって、当事者にしてみれば危険な
要素の排除を欲するのは当然の心理だと言えよう。

>756 松永久秀
中東か・・・。それはまた遥か遠方への赴任だな。
常駐すること能わざるようになったのは残念だが、時間に余裕ができれば
またいつでも姿を見せるが宜しい。では元気で旅立たれよ。また会おうぞ。
貴卿の毒舌には、大いに愉しませてもらった。

>757(英雄らしい最後ってどんなのでしょう?)
そんなものは存在せぬと思う。英雄か否かを判断する基準は生前の行動に
置かれるのが通常であり、何らかの大業を為した者は、どのように無様な
最期を遂げようとも英雄とされる。逆にその最期をよくしなかったことをして
英雄としての評価が埋没するならば、その者が為してきたことは、さほど
評価に値するものではなかったと、そう言って差し支えなかろう。
776蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/21 15:53
>758(麻雀はいつからあったのですか?どのような遊びだったのですか?)
少なくとも宋代にそのような遊戯は存在しなかった。いつ誕生したものか、
私には知識がないが、乗っていた列車の爆破により暗殺された清末の群雄、
張作霖は、その車内で麻雀に興じていたと伝えられる。
つまりその頃には、遊戯として確立され、一定の地位を得ていたのだろう。
なお現代日本の麻雀は、米国を介して伝わった規則を採用すること多く、
中国のそれとはかなり趣を異とするそうだ。

>760(ぶるたぶウゼエ。逝ってよし!)
まあ別に構わぬのだが、この局面で容量を無駄にされては不都合なので、
あえて飛ばした次第だ。

>763(不老不死の薬て、効果があったんでしょうか?)
結論から言えば、なかった。特に道教を基盤とした淫祀邪教の中には、
不老長寿の術を探求するものが多くあり、道士の練った“丹”と称される
丸薬は不老長寿の薬とされた。しかしこれは水銀や硫黄を含んだ毒性の
強い成分からなり、人体に有害なことが殆どであった。明や元の天子には
これを服用してかえって命を縮めた者が幾人もいるとされる。

>764(お二方は戦国四君の中で誰が一番と評価されますか)
何をもって一番と評するか悩ましい所だが、最も有名な孟嘗君はあまり
評価できぬな。どうもこの人物の事績は疑わしい感じがする。
「鶏鳴狗盗」ではな・・・。あまりに真実味に欠ける逸話だ。
となれば楚の春申君であろうか。もともとの身分が低かったことを
鑑みれば、宰相として実務的な能力に長けていたのだと想像し得る。
己の命を賭して考烈王を解放したという逸話は、どこまで信用できるか
わからぬがな。
777蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/21 15:54
>765(「馬鹿っ!」って言ってビンタしてください)
無意味な暴力に訴えぬ事をして士大夫の誇りとする。それが私の信念だ。
実際には文官ながら家族や部下に手を上げる者も多く、私も官途につき
間もない頃は、そりの合わぬ上司に硯をぶつけられたことなどもあった。
とにかくそのようなことは他で頼むが良いわ。全くもって歪んだ嗜好だな。

>770 魔女裁判官
留守にしていて貴官にも負担をかけたようだな。あい済まぬ。
だがせっかくであるから、そのまま頻繁に訪れて回答をこなして欲しい。
778蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/21 15:55
>771(宦官のくせにかっこよさげな海の男(?)鄭和についてお願いします)
恰好が良いと見るか否かは貴公の主観に委ねるものとして、鄭和の従事した
南海経略につき述べよう。この壮大な遠征航海事業は、明王朝の威信を
あまねく世界各地に示し、朝貢貿易の振興に大いなる貢献をした。何せ、
鄭和の艦隊はアフリカ東岸にまで達したというから、それだけで端倪
すべからざることだ。しかしながら明王朝は海禁策(鎖国政策)と農本主義が
その特長であり、そもそもこれほどの遠征航海を行うことと全く整合性を欠く。
朝貢貿易が栄えたことで、例えば絹織物や陶磁器の産業が活発となり、
それが民間の資本の蓄積に寄与して商業全体の発展に貢献したとの見方が
あるが、私はこのような見解には賛成し得ない。なぜならば朝貢貿易は、
朝廷による独占貿易に過ぎず、その利潤が民間の所得に転じ得ないからだ。
また、朝貢貿易は必ずしも利潤を上げることを目的とせず、むしろ朝貢国に
恩恵を与える性質のものだから、それにより国庫を潤じしめるわけでもない。
さらに、民間人の海外貿易および海外渡航は法により固く禁じられていた為、
民間における商業活動の活発化と、朝貢貿易の繁栄に確固たる因果関係を
認めるのは極めて困難と言えよう。およそこの南海経略の本質は、永楽帝の
虚栄心を満たす為の壮大なる浪費に過ぎず、国家威信の発揚という観念的
成果の為に国庫金を損じた大いなる愚行と考えられる。異国から珍品奇品の
類を持ち帰ったとて、それが何か具体的国益に転じる訳ではないのだ。

次に麒麟についてだが、鄭和がアフリカから持ち帰った首の長い動物は、
長く中華で瑞兆を表す聖獣とされた「麒麟」とは全く異なる。
伝説上の「麒麟」は正確な音階を持った鳴き声を発すると伝えられるが、
実在の「キリン」はそもそも音声を持たぬ動物として有名で、いかなる
外的刺激を与えても決して発音をせぬらしい。はっきり言えば、見た目も
相当に異なるし、この珍獣をもって麒麟となした鄭和の発想は、
いかにも宦者らしいという印象だ。麒麟は聖天子の治世にのみ現れて、
瑞兆を示すものとされるからな。永楽帝もさぞ上機嫌になったであろうよ。


以上である。ではまたな。
779以上、自作自演でした。:03/11/21 17:02
博打を国で認めていた時期はあったのですか?
780えげれす人:03/11/21 21:51
オーあなた悪ネー。阿片イパイあるよ。あなたに少しプレゼント。これ売れば儲かるヨ
781林則徐:03/11/21 23:51
>780
焼却しました。
782来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/22 10:18
ここ数日出張糾問であったが、毎日来れぬのも不便だな。
それと今回から返答番号に質問内容をつける。

>763 (不老不死の薬て、効果があったんでしょうか?)
全く無い。チンギスハーンに長春真人が申した様に衛生の道は
あるが長生の道は存在しない。まして不老不死の薬の類は全て
まやかし物だ。秦の始皇帝から明の嘉靖帝までと多くの皇帝が
道士術者の言に惑わされそれらの薬を口にしたが、結果は発狂死や
無駄に寿命を縮めたりと様々だ。
聡明な武則天陛下も晩年にはこれらの愚説を真に受けられ種々の
方法を試されたが、見ていて痛々しい物であった。

>764 (戦国四君の中で誰が一番と評価されますか)
魏の信陵君魏無忌(しんりょうくんぎむき)だと考える。
食客に対する謙譲の態度に加え、六国の連合軍を率いて秦に勝利する等
他の三人に比べて功績が大きい。最後は秦の計略にはまった魏王により
実権を奪われて失望の余り酒色に溺れた挙句、今で言うアルコール中毒で
死んだが、後に前漢の高祖が個人的に私淑していた面も考慮した結果だ。

>765 ((///)「馬鹿っ!」って言ってビンタしてください)
罪囚なら遠慮無く訊問・拷問に移る所だが、通りすがりの者を理由無く
叩く程、我輩は鬼では無い。もし被虐性癖があるのなら現代ではその手の
者を相手にした商売に事欠かぬので、そちらに行くがいい。
783来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/22 10:19
>771 (鄭和及び永楽帝と麒麟についてお願いします)
鄭和は元々雲南の出身だが先祖はトルコかアラビア系の色目人で
元の地方官を代々務めた家柄だそうだ。
十二歳の時に雲南が明の支配下となった時に一族が抵抗し、
それの関係で捕虜になり去勢されて、当時燕王であった永楽帝に
献上されたのが彼の経歴の始まりだ。
靖難の変の際に戦功を立てたとあるが、おそらく南京の建文帝配下の
宦官への内通工作関係だろう。それにより宦官の最高位である太監に
抜擢され大航海の責任者に抜擢された。
鄭和に限らず、永楽帝は満州やチベットに派遣する使節には大抵
異民族出身の宦官を任命したが、おそらく現地民及び情報に精通
していると見たのだろう。
大航海の歴史的意義については蔡京殿が申されている通りだが、
当時の士大夫階級は海外問題に対しては極めて保守的でこれを
前向きに評価した者は皆無と申して良い。
後のヨーロッパでの大航海時代での艦隊規模とは雲泥の差だった事から
当時の中華の航海技術と国家の力が伺えるだけに残念だが。
麒麟については瑞祥の一つである神獣として歓迎されたそうだが、
現代に存在するキリンとは全く違う物なのは言うまでも無い。

>779 (博打を国で認めていた時期はあったのですか?)
国営賭博所を設けている国は現代では多いかも知れぬが中華でも
同様の口だ。役人が賄賂を貰い某かの便宜を図った例が多いし
あの孔子も何もしないよりは賭博でもしていた方が良いと論語の中で
申しているし、別に悪徳とは受け止められていなかった。
尚、厳法論者で知られる朱元璋は、すごろくをした者を断手すると言う
些か奇妙な触れを出した事があるが、これは極端だろう。
784来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/22 10:22
>780-781 (アヘン戦争)
清後期の状況を端的に表現しているな。
中華から大量の茶葉を輸入していたイギリスが貿易の不均衡を
是正するために窮余の策として持ち込んだのが他ならぬ阿片であった。
麻薬でしかない阿片を売りつける事は当時から反感があったが
それを押し通して中華を半植民地化した欧米列強の態度は今では
明らかに侵略行為と否定されている。
だが、当時の弱肉強食の帝国主義時代では戦争に敗北し不平等条約を
受け入れざるを得なかった清に罪があると言うのが正当な論理だったが
幾分でも意地を通し、当のイギリスからも賞賛された林則徐は名臣と
呼んで差支えないだろう。

では、今日はこれまでとするか。おそらく次回で新しい場を設ける事に
なりそうだが、次は悪臣に拘らずごく普通の人物も参加可能にするつもりだ。
司馬仲達殿も合流されるし従来の悪辣逆臣では差障りがある。
何か良い題名でも考えてくるが、蔡京殿及び魔女裁判官も何か良い
代案があれば遠慮無く書き記して欲しい。無論名無し諸君らも同様だが。
韋皇后について評価お願いします。
論語は読んだ事ありますか?
787来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/23 20:25
まだ余裕があるな。後数日様子を見る。

>785 (韋皇后について評価お願いします)
韋皇后は唐の中宗の皇后の事だな。
武則天陛下の嫁に当るが、中宗即位時に父親の韋玄貞を抜擢させようとしたり、
復位して後も私的な人事で国政を混乱させ、あげくに娘の安楽公主と謀り夫の
中宗を毒殺する等、権力欲に取り付かれた魔物と言う表現が似合う女だ。
本人は姑である武則天陛下に習ったつもりだっただろうが、とても比較にならぬ
愚行としか評価出来ない物だが、唯一の男子である李重潤を陛下に皇帝誹謗の罪
で殺された事で暴走したとも言える。
最後は当時一親王であった玄宗のクーデターで母子共々殺されたが政治を知らぬ
感情中心の女が現場に立てばどうなるかと言う良い例だ。
陛下を高く評価する歴史家は多いが、韋皇后については単なる玄宗の表舞台に
出る端初として片付けている様だが、それが妥当な論だな。

>786 (論語は読んだ事ありますか?)
儒学とは縁の無い我輩でも最低限の教養として一読はした。
士大夫階級の理想である聖人君子の教科書だが、
あの様な内容を完璧にこなす官僚や政治家などいる訳が無い。
単なる空論と憧景の羅列に過ぎぬ書物だろう。
ただ我輩の同時代の役人は報告書や上奏文には大抵引用されていた。
論語の一文でも掲載しないと、担当官も肩身が狭かった時代だったのだ。

では、今夜はこれまで。
思うところがあり、トリップを変えさせていただきましょう。
さて、これからレスの量を抑えさせていただくことにいたします。今後の
ことを決めておかずに私が容量を消費してしまうのも気が引けるもので
ございますから。

>771
中国からアフリカまで朝貢を目的として航海した宦官でございますな。
これに関しては蔡京・来俊臣(回答順)両閣下がすでに詳しくお答えに
なっているので、私から付け足せることはございません。

>779
欧州においては、公営賭博は古代ギリシアや古代ローマの時代から
あったそうでございます。古代ローマでは剣奴の試合が賭博の対象に
なったそうでございますな。
なお、蛇足ですが、古代ローマでは賭博を禁止する法律が幾度も
施行されたそうでございます。裏を返せば、“幾度も”の狭間は公認、
あるいは黙認されていたということでございましょうな。さらに蛇足ですが、
かの皇帝カエサルも“采は投げられた”という言葉を残しております。
さいころは賭博性の高いものでございますからな。さいころ賭博が
ローマでおこなわれていた、ひとつの証拠になりましょうな。
念のため、元のトリップにて。>788がかたりでないと証明しておきましょう。
疑う方もおそらくおりますまいが。

>780-781
この連続に、思わず吹き出してしまいました。「通報しますた」を思い出した
こともありますが、それ以上に絶妙の切り返しの気がいたしまして。
さて。これについてのコメントも両閣下にお任せすることにいたしますが
ひとつ。これに続く戦争の敗戦は、当時の中国王朝の清が、眠れる獅子と
呼ぶにはもはや国力が低下していたことを示た事件ではないでしょうか。
そののちには太平天国の勢力が南京を制圧するのを許しておりますし。

>785
武韋の禍、という言葉は聞いたことがございます。が、民衆の生活が乱れた
のは、その韋皇后の時代になるそうでございますな。いや、「武韋の禍」
などとひとくくりにしては、来俊臣殿のお怒りを買ってしまいますかな。この
コメントも両閣下、とくに来俊臣殿の専門分野でございましょう。お任せする
ことにいたしましょう。

>786
「論語読みの論語知らず」という言葉がございますな。そんな言葉があるくらい、
論語というのは有名な書物なのでございましょう。しかし、私は当然のことながら
読んだことはございません。

さて。今夜はこれにておいとまさせていただきましょう。
790鬼平:03/11/24 09:53
長谷川平蔵である。神妙に縛につけい!
791蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/24 14:47
>779(博打を国で認めていた時期はあったのですか?)
賭博の蔓延が国民の労働意欲を削ぎ、社会に悪影響を為すという
考え方は、世界各地で普遍的に存在しており中華においても例外では
なかった。ゆえに賭博に対しては禁令と容認が繰り返されてきたが、
賭博行為そのものを刑法的に処断した例は少ない。賭場を開帳して
不当利得を貪った者に対する取締が主であった。また賭博の倫理的
評価は時代により左右されること大で、必ずしも儒家倫理に反するとは
言い難いが、現代日本における公営競技の如く、朝廷が賭場を主宰し
寺銭を得ることは明らかに不道徳とされた。よって政府が積極的に
賭場開帳に加担することはないが、黙認という形で存在を許容していた
というのが大まかな実態だ。

>780-781 英国人と林則徐
麻薬等薬物に対する社会学的な考え方もまた、賭博に対するそれの
延長線上にあると申して過言ではない。然るに19世紀における阿片の
問題は倫理的なものに留まらず、英国から阿片を買い付けるにあたり
決済に用いた銀の流出が経済不安を惹起したことによる。それゆえに
清朝廷は阿片貿易に高率の関税を課すことなどで、この問題の解決を
図ったものの、林則徐らは阿片そのものの厳格な規制を主張し、
違反者には死刑を以って臨むとの極論を唱えた。結果これが英国との
摩擦を解決不能な所まで追い込み、阿片戦争につながった訳だ。
林則徐ら阿片駆逐論者の思想的背景は、とりもなおさず儒家倫理に
あったと考えられ、その硬直した社会観の前には英国に対する軍事力
での劣勢や、既に阿片吸飲の習慣が中国社会に根を降ろしていたこと
などは目に入らなかったのだろう。阿片戦争での敗北は中華にとり
恥辱の時代の幕開けであって、それを招いた林則徐は唾棄すべき
存在なれど、その人柄が高潔かつ倫理的であったことから、また英国と
対決する姿勢が果敢であった事から、一種英雄的な扱いを受けている。
私はこの虚名高き英雄とよく類似した人物を知っている。
その名を司馬光という。
792蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/24 14:48
>785(韋皇后について評価お願いします)
唐の中宗の皇后で、武后歿後に復位した中宗にかわり政治を壟断した
女性である。『旧唐書』には“廃后韋庶人”と記され、皇后として扱われて
おらぬ。これは>787で来が述べている通り、夫たる中宗を毒殺し、
武后に倣って唐王朝の簒奪を企図した為と一般には考えられているが、
幾分疑いを差し挟む余地はある。『旧唐書』の記述では、中宗・韋后の
末娘である安楽公主が、自ら皇太女として立つことを望み、以って韋氏と
通謀し、中宗に毒をすすめて弑逆したとあるが、韋后が簒奪を図ったと
いう具体的記述は『旧唐書』『新唐書』ともに存在しないし、既に韋氏の
完全なる統御下に置かれていた中宗を、ことさらに弑殺する必要性は
薄い。韋氏一党を誅滅したる李隆基(のちの玄宗)が、自らの正当性を
主張するため、韋氏の事績を徹底して貶めた結果の創話ではないかと
私は考えるが、さりとて韋后に褒め得るべき政治上の功績は何らなく、
安楽公主もまた同様であるから、これをもって韋后を再評価すべきと
までは言えまい。ただし、史書に記されたとおり、かようなまでに野心の
高い女性であったなら、既に武后存命中に殺されていたのが自然とも
考えられ、さすれば実際には無害な女性であった可能性もある。

>786(論語は読んだ事ありますか?)
読んで理解するのみでは、まるで足りぬ。およそ進士に登第せんと
欲すれば論語を含めた四書五経を一字一句暗記せねばならぬのだ。
たまたま私が科挙に応じた年は、王安石による試験内容の大改革が
行われ、詩や書にかわって経済、法律、外交的策案が重点的に
問われたものの、古典の知識だけはどうあっても必須だったのだ。
従って当時の私は論語を易々と諳んじたものだが、今となってはそうも
いかぬな。歳月は記憶を薄れさせるものだ。
793蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/24 14:49
>790 長谷川平蔵
そなたの役職は火付盗賊改とあるな。所詮は民間の犯罪を取締る
小役人なのであろう?私に縄を打とうとはいい度胸だ。
北宋では概ね、民間の犯罪は刑部あるいは地方官の管轄なれど
私はそれを統括する尚書左僕射なのだぞ。
そなたは己の職分をわきまえ、盗賊の一人でも逮捕して参れ。


これにて私の回答は終わりだ。次回からは第二幕に移行であろうか。
表題については来に一任するが、できれば重厚かつ優雅なものを
頼みたいところだ。
まだ二百も有るのに早い話だな
795:03/11/24 15:40
神の名において汝ら不徳の輩に天罰を下す!
>794
容量オーバー。500超えると書き込めなくなる
新しいスレタイ決まりましたか?
蔡京殿は一足早く発たれましたか。

>790
ほほう。長谷川平蔵殿ですか。火付け盗賊改め方の長官ですな。
悪党どもに鬼と恐れられ、ついたあだ名は鬼平だそうですな。
頭も切れ、人望は厚く部下に慕われ剣術の腕もかなりのものだとか。
あなたのような人材は部下にほしいほどですが、おそらく私の下に
つくような方ではないのでしょうな。そもそも私は逮捕した容疑者を
部下に使うという、あなたのやり方は採用できませんからな。
ちなみに、あなたが描かれている小説には盗賊をはじめとする悪党が
数多く出てきますが、現実の江戸の治安は驚くほどよかったそうですな。

>794,796
そう、まだまだ200もあるのに、もう次のスレッドを考えなければならぬ
ところに来てしまったのです。もっとも、まだもう少しだけ余裕はあるよう
ですが。
>795
ほう。神を騙るとはいい度胸ですな。本来ならば、あなたを異端とみなして
即刻逮捕するところですが、来俊臣・蔡京両閣下が作り上げてきたスレッド
です。今回は多めに見てあげましょう。
……よもや本当に神が訪れたのではありますまいな。いや、まさか……

>797
いや、私はまだ思いついておりませんな。どういったスレッドにするのか、
実は私にはまだ明確に見えていないものもありますゆえ。

>来俊臣殿
私にもいいタイトルが思いつきません。真に勝手ながら、来俊臣殿に
お任せしてしまいたいのですが、よろしいでしょうか。無論、なにか案が
浮かべば提案はさせていただきます。

では、今夜はこれにて失礼させていただきましょう。
次スレ期待してますよ!
スレタイですけど、

悪辣逆臣列伝・其の弐【全てを我が手中に】

なんてのは、どうですか?
802蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/27 08:43
まだ第二幕は開かれぬようだな・・・。
残ったものに回答しておこう。

>795 神
無神論者───とまでは参らずとも、私はさほど神やそれに
類するものを意識した生き方はしなかった。だいたい私は、
道教の神仙の生まれ変わりであると、道士から持上げられたりも
していたし、およそ宰相として政治に携われば宗教など信ずるに
足りぬものと軽蔑しておったよ。むろん宗教の持つ力に対しては
警戒心を抱いておったがな。くだらぬ農民一揆も宗教的色彩を
帯びれば、恐るべき反乱に昇華することも多い。
そういう訳であるから、天罰などと言われても何ら私には効果が
ない。と申すより、既に天罰らしきものは下った身なのでな。

>794>796>797
まだもう少し余裕があるな。立ててしまってからこちらを埋めても
構わぬと思うが、とにかく来がおらぬではどうしようもない。
表題についても、私はまだ何も聞いておらぬよ。

>798 魔女裁判官
>蔡京殿は一足早く発たれましたか
そのつもりであったが、どうもまだ立たぬようなので戻って参った。
ちなみに神は私に神罰を下すこと能わず、このとおり壮健である。

>800
うむ。期待を裏切らぬよう私もより精進してまいるよ。
仲達も新たに加わるとのことで、私自身も大いに期待している。
803蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/27 08:44
>801
まあ、それでも構わぬのだがな。しかし来はより間口を広げて、
単に悪臣姦臣にとどまることなく人材を募るそうだ。
尤も従来の路線で行くのならば──────

【姦臣】世界悪徳列伝【佞倖】

などでも良いかもな。“逆臣”ではやや受けが狭い。
まあ、「天に叛く」ということで逆臣とも解釈できるだろうが。


ではまた夜にでも参る。
次スレタイトル、海音寺潮五郎の著作からとって「悪人列伝」ではどうでしょう。
あの作品のテーマはたしか「歴史上悪人とされる人物の再評価」というものでしたし、
このスレのお歴々にはある意味ふさわしいのでは。
姦臣の意味は歴史好きには当然わかりますが
“姦”の文字がカンチガイさんをしばしば招きそうな気がするYO
悪辣逆臣列伝【○○○○○○○○○○】 は?
仲達も魔女裁判官も悪臣といえば悪臣だし。

>蔡京殿
 おかえりなさいませ。まだもう少し余裕がありそうですので、しばらくは
大丈夫かもしれませんな。

 さて。ところで次のタイトルについてですが、やはりコンセプトは悪で
行くのでしょうか。仲達殿がどのようなスタンスで参加されるのか、そこも
つかみきれていなかったものですから。
 これまでの候補に票を投じるなら、「【姦臣】世界悪徳列伝【佞倖】」でしょうか。
もっとも指摘があるので「奸臣」あたりに差し替えたほうがよいかもしれません。
杞憂のような気もなきにしもあらず、ですが。
 「悪人列伝」はシンプルでわかりやすく根拠もあり、また名無しの中から出てきた
というのがうれしいところですな。
 最期の、「悪辣逆臣列伝【○○○○○○○○○○】」については、新規参入者を
考えた場合、微妙になってくる気はしますな。というのは、皇帝や国王、あるいは
教皇といった肩書きを持つ方々の参入を妨げることになるやもしれませぬ。ただ、
現行スレッドの後継という意味で考えるなば、このタイトルがふさわしいでしょう。
 ここで個人的な意見を述べさせていただくなら、「【姦臣】世界悪徳列伝【佞倖】」
ないしは「悪人列伝」でございますな。無論、反論や異論のたぐい、あるいは新しい
案などをお持ちの方もいらっしゃいましょう。

 すでに見てお気づきでしょうが、記述の形式を少々変えます。もしも差し支えが
ないようでしたら、この形式で参りましょう。
次スレを立てると言うので、皆書き込みを控えていると思うのですが…
肝心の来俊臣殿はどこ行ったんですか?
確かに今のままだと質問もしにくい。
三皇五帝について解説お願いします
811来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/11/30 11:59
今週は出張糾問で全て潰れたので、ここに来る事も出来なかった。
皆にはただただ詫びるばかりにて許して欲しい。

>790 (長谷川平蔵である。神妙に縛につけい!)
日本の火付け盗賊改めの貴様が、中華王朝の大官である我輩らを逮捕とは
それは何かの戯れかな? なら目こぼしもするが本気だとしたら職分を大きく
逸脱した物だ。江戸幕府より処分が下るの楽しみに待つがいい。

>795 (神の名において汝ら不徳の輩に天罰を下す!)
別段、神仏を信仰しておらぬ我輩らを神の名において罰するか。
過去の独裁者や君主の中には異常な優越感の肥大からか神と自称する者も
少なくなかったが、この現代でその様な言葉を吐けば即刻精神を疑われかねぬ。
都立松沢病院が有名なので、そちらの閉鎖病棟なりで安穏に暮らすがいい。

>810 (三皇五帝について解説お願いします)
中華で古代より崇拝されている帝王を表わし、伏羲、神農、女媧の三皇と
黄帝、帝高陽、帝高辛、帝堯、帝舜の五帝が挙げられるが、何分はるか古代の
話なので実在その他については甚だ疑わしい。
三皇を天皇、地皇、人皇とする説もあるので確定もしておらぬ。
秦の始皇帝が天下統一した際に、これらの名から「皇帝」の尊称を考案したのは
有名だが、広く流布されていた伝説を引用したと考えるのが妥当か。

次の題名についてだが、従来通り悪臣を通すべきとの意見が大半なので
そうしたいと思う。蔡京殿の【姦臣】世界悪徳列伝【佞倖】と>801の提案を
踏まえて【全てを】世界悪徳列伝【我が手中に】で行こうと思う。
今日の夜十一時くらいになりそうだが、それに対する最終的な意見も歓迎する。
三皇と三公ではどっちが偉いんですか?
813蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/30 20:24
>来
おお、戻って参ったか。今夜にも次幕に移行するのだな?
では私も残ったものに回答しつつ時を待つことに致すよ。

>804-806
様々な案を持ち寄ってくれて感謝致す。どうやら表題も決定
したようだ。それにしても“姦臣”は誤解を招くか・・・。それは
あまり気づかなんだな。性的な意味合いを想起するかね?
まあ“奸臣”でもほぼ同意義なのだがな。

>807 魔女裁判官
貴官も色々とお疲れであった。
第二幕からは仲達も来るとの事で、貴官にも今まで以上の
活躍を期待致すよ。目下のところ西洋人は貴官のみだしな。

>808-809
どうやら無事に戻って参ったようだ。貴公らも新たな場で、
再び質問に来てもらえれば幸いだ。
814蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/30 20:27
>810(三皇五帝について解説お願いします)
古代中国における8人の帝王のことを指すが、その顔ぶれは異説が多く
一定しない。司馬遷の『史記』によれば、天皇・地皇・泰皇を三皇とし、
黄帝・顓頊(せんぎょく)・帝嚳(ていこく)・唐堯(とうぎょう)・虞舜(ぐしゅん)を
五帝とする。有名な伏羲・神農は三皇に入れる場合もあるし、五帝に含む
場合もある。これらはみな、本来バラバラに存在した民間の伝承や記録が
もととなった伝説上の帝王で、必ずしも三皇の後で五帝の治世があったとか、
五帝の最初が黄帝であるとか、そのような時系列的な意味を含有しない。
唐堯・虞舜(いわゆる堯舜)は五帝の最後に位置し、堯は舜に、舜は
夏后氏の禹(う)に帝位を禅譲して伝え、これにより世襲王朝たる夏王朝が
開始された───と、長く我々漢人は信じて参ったが、これとて客観的な
根拠は殆どないのだ。そもそも夏王朝の存在じたいが疑問視されているの
だから、それよりさらに古い三皇五帝など、完全なる神話世界と言い切って
差し支えない。ただし神話には元となった史実が存在するケースが多く、
その意味で、有史以前の中華社会を知る手がかりにはなり得よう。
815蔡京 ◆GtkPmKwSp2 :03/11/30 20:29
>812(三皇と三公ではどっちが偉いんですか?)
中華王朝の官制にいう“三公”のことかね?これは天子の下に置かれた、
最高位の大臣三名のことを指し、周代には太師・太傅(たいふ)・太保の
三官であり、秦漢以降は丞相(民政担当)・太尉(軍政担当)・御史大夫
(監察担当)がこれに代わった。後漢から魏晋南北朝を経て、丞相は
司徒と呼ばれたり、独立して三公の上に置かれたり、また御史大夫は
司空と改称されたりもして、各々の位置づけは一定しなくなった。
その後、貴族社会の進展と共に中書・門下・尚書の三省が政治の中心に
なると三公はまったくの名誉職と化し、宋代には単なる称号となっていた。
私も宰相位に司空を加官され、さらに太師に進んだが、その地位自体に
権限がある訳ではなかった。しかしいずれも正一品の最高位ではあった
から、箔付けにはなったがな。太師を加官されるのは、よほど宰相として
勲功があった者のみなのだ。
───さて、それを踏まえた上で質問に答える。三皇と三公、どちらが
偉いかといえば・・・やはり帝王たる三皇だろう。三公はあくまでも人臣に
与えられる地位称号なのでな。奇妙な比較ではあるのだが・・・。


では私の回答を終わる。第二幕でお会いしよう。
816来俊臣 ◆SiKEI/O88M :03/12/01 21:02
新しい場所を設けたので、移動を願う。

【全てを】世界悪徳列伝【我が手中に】
http://etc.2ch.net/test/read.cgi/charaneta/1070279844/l50
保守
>817
 また酔狂な方がいらしたものでございますな。ご存じのとおり、
こちらはもはや使われておりません。それでも保守をしてくださる
とは、それほどまでにこのスレッドを気に入ってくださったという
ことでございましょうか。それならば私もうれしき限りでございます。
来俊臣様に代わり、僭越ではございますが、私から御礼申し上げ
ます。
ただの保全荒らし
>819
 なるほど。あれがうわさに聞く……わざわざのご報告、痛み入ります。
821以上、自作自演でした。:03/12/14 02:48
>296みたいな?
ゆっくり埋めよう
生め
埋め
ume
埋め立て
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    :V;;||:::: '~ニ=ッ, r='|
    i!f !:::::      ゙、i
    i!ゝ!::::     ‐/リ
    i::/:、 :::、  /''ii'V
    ̄ハ:::::\ "''il|バ''
 ショカツリョウ
 諸葛亮 曰く
ジングルベル♪ジングルベル♪お正月〜
今日は〜楽しい〜鏡もち〜♪ ヘイッ
今日は大晦日ですね。もしかして一人で暇してませんか?
そんな皆さんのために、チャットの席をご用意しましたので、
もし宜しければ下記のお部屋にお越しください!

*尚、ご多忙の方に無理強いは致しませんのでご安心ください*
―――――――――――――――――――――――――

日時:12月31日 22:00〜(場合により、0:00より二次会もアリ。)

場所:                   
ttp://nari.s4.xrea.com/          
                         
     
―――――――――――――――――――――――――

部屋割りは以下の通りです。
SFキャラ3号室
ファンタジーキャラ4号室
リアルキャラ6号室
名無し11号室
と、ジャンル別に分類されています。
自分の分類がわからない方は1号室にお越し下さい。
832以上、自作自演でした。:03/12/30 00:12
ちゃんと埋めよう
埋めましょう
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837以上、自作自演でした。:04/01/08 14:06
age
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