宅八郎
3 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/06(日) 21:00:45 ID:9tFZYwpaO
3だーバードage
サンダーバードなら、61-63年型か、70・71年型がイイな・・・
4 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/10(木) 06:35:29 ID:Pf9TbMq5O
前スレ落ちたな。
5 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/11(金) 22:56:49 ID:sXAaNa4wO
逝ってるは
放置プレイか
アクセス規制か
それともほんまに
逝てもうたか
とりあえずネタも特に無いのでこの辺から。
サンダーバードと言えば毎度御馴染みのこれですが
http://www.youtube.com/watch?v=KoLMLFz2Hg8 この曲・The Beach-Boys“Fun Fun Fun”(64年)に出て来る
“女の子が親父さんの目を盗んでハンバーガー・スタンドにぶっ飛ばして行ったT-Bird”は
恐らくはその“ロケット・ルック”61〜63年型だと思います。
よく“GMのコルヴェットに対抗して生まれた”と言われる事の多いT-Birdですが、
開発のタイミングとかを考えれば“コルヴェットと同じく、ジャガーXKシリーズなど欧州製スポーツカーに
対抗する目的で生まれた”と言うべきでしょう。
しかし、一方のコルヴェットがスポーツカーで在り続けたのに対してT-Birdは変遷の繰り返しで
モデルチェンジ毎に平凡なアメリカ車になって行ったように思えます。
それでもこの61〜63年“ロケット・ルック”は充分に個性的であり、格好も宜しいのですが
翌年(64年型)では、新たに若者向けスポーティーカーとして誕生したマスタングとの差別化の為か高級化路線。
早い話がオッサン臭い(w)車への道を歩んだようで、私のような若者(w)の興味の範疇からは外れて行きます。
Beach-Boysの方へ話を戻しますが、
この“女の子が親父さんの目を盗み借り出して、ハンバーガー・スタンドへぶっ飛ばす”っつうのは
このT-Birdに限らず、数ある車の使い道の中でも“最も正しい”ことの一つではないでしょうか?
他にこれ以上“正しい使い方”と言えば、ハンバーガー・スタンドではなくアイスクリーム・ショップへ行くくらい。
そしてまた、そうした使い方に最も似合うっつうか、その為にあるような車がこの“ロケット・ルック”T-Birdでしょう。
「車の使い方に正しいも間違いも有るか?」って言われそうですが。
これが正しいからこそ“Fun Fun Fun"の“And she'll have Fun Fun Fun Til her daddy takes the T-Bird away ”
ってサビのコーラスは格好良いのです(w
9 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/14(月) 18:36:08 ID:rliBclxaO
Tバードの無節操な肥大と原点回帰は劇的ながら萌える。
コルベットも肥大しつつスポーツカーとしてのガイドラインを最低限守ってきたのに。
萌えます?(w
生まれた動機には共通するものが有っても、他のGM各車とは隔絶した存在であったコルヴェットに対して
フォード社のラインナップの一部に位置づけられたT-Birdは商業的には当初成功を収めましたが
他の車に影響されることを余儀なくされ、
時代によっては「この車が何故T-Bird?」と思わざるを得ぬモノとなったりもして来たと思えます。
その極端な例がリンカーン・コンティネンタルとボディー・シェルを共有した70年代中期等。
幾らアメリカ車がきめ細かにワイド・バリエーションを敷いたにせよ、殆ど無いに等しい隙間を狙う車は
その存在そのものに無理が有ったのではないでしょうか。
64年型T-Bird
http://www.accg.at/images/tbird/tbird64front.jpg 既に生産化が決定したマスタングに若者向けスポーティーカーという役割を明け渡す為に
高級路線化をはっきりさせていますが、豪華なだけのクーペモデルと見る事も出来そうな気がします。
実際にもT-Birdが計画された当初の“欧州製スポーツカーに対抗する”という目論みは
マスタングに受け継がれて世界各地のサーキットやラリーで実践されましたし。
60年代初頭までのT-Birdが残したのは“パーソナルカー”という概念でしょう。
元々クーペタイプってのはそうした物で、T型以前からクーペや二座カブリオレ等は存在していましたが
それらを通常のセダン型・ファミリーカーと区別する呼称としての“パーソナルカー”という呼び方を産んだのは
55年に登場した初代T-Birdだったようです。
この言葉が生まれた元々のきっかけは、GMのコルヴェットが曲がりなりにもスポーツカーであったのに対して、
セダンを短縮しただけの初代T-Birdをスポーツカーとは呼べないフォードの苦肉の策だったようですが。
まぁ、そんなこんなで私としては、誕生当初のコンセプトが生きている60年代初期の“ロケット・ルック”T-Bird
それも昨日の写真のような、リアシートにとノーカバー装着した“スポーツ・ロードスター”モデルが欲しい。
とは言え、持ちきれないことは明白ですし、運転すれば恐らく古いアメリカ車そのものでしょうから
形だけ楽しめるミニチュアでも良いかな?と・・(w
もうちょっとサンダーバードのこと。
モデル誕生時のエピソードなどは、後に創作された部分なども多いという指摘を以前頂きましたが。
一応、T-Birdの開発は1951年に当時のフォード・ディヴィジョントップのロイ・クルーゾーさんと
後の副社長兼チーフデザイナー、ジョージ・ウォーカーさんがパリで目にした欧州製スポーツカーに
感化された事に始まるとSCG誌39号の特集記事中には書かれています。
1954年に登場した初代T-Bird
http://media.canada.com/267c54bd-63f5-4113-9b72-08e5f2aaa7c2/cns-reflect.jpg 短縮されただけの、平凡なアメリカ車のようですが。
30年代に乗り心地の改善の為にエンジン搭載位置が前進(フォード流で言うセンター・ポイズ)した
アメリカ車のシャシーをそのまま用いた為、同時代の欧州製スポーツカーと比較するとキャブ・フォワードで
2シーターには視覚的に無理を感じるプロポーションと感じます。
30年代に流線形サルーンを生み出すきっかけとなったエンジン搭載位置の前進が此処では仇となり
スポーツカーらしい、滑らかなフロントエンドが作れなかったかのようにも私は思うのですが。
こうした全体形の違いによって、比較する意味もあまり無い気もしますが、
大きさそのものはフォードが直接の目標と考えたであろうジャガーXK120とほぼ同じWB2590mm
これは僅かに早く誕生したGMの初代コルヴェットやフェラーリのLWBモデルともほぼ等しく
これらの車が互いに意識しあっていたようにも思えるところ。
しかしT-Birdは他のスポーツカーとは異なる道を歩み。
ホイールベースの値だけを見ても58年登場の二代目では4シーター化に伴い一気に280mmも伸び、
欧州製スポーツカーとの比較も何も無くなって行きます。
例えば62年からの“ロケット・ルック”のT-Birdとなれば、その前年に誕生したジャガーE-typeとこの車を比較して
どっちを買うか悩む人ってのも(当時のアメリカでの価格だけは5500$前後と割合近かったみたいですが)
あまりいなかったでしょう。殆ど好みの問題で解決されたかと思います。
コルヴェットは、FRPボディ+オープンボディ+六気筒+ATでデビューしたことが
その後の方向性を決定付けてしまったのかもしれません。
コルヴェット以前のアメリカンバックヤードスポーツからの流れで捉えれば、大GM製なりの
品質はあったものの、遅くて高くてドアの窓すらなく、ビニールをめくって室内から外の
ドアノブをまさぐらなければ降りることもできなかったのが、初期のコルヴェットでした。
スパルタンを厭わない人は欧州製の本物を選び、快適が欲しい人の眼鏡には適わない。
その結果が二年目、三年目の大量在庫を招き、挽回策としてサスの改良、MT導入、
V8搭載、大排気量化、インジェクションのオプション設定などが次々と進められ、
見た目に見合った動力性能と、それらしい雰囲気を身につけていきます。
生産台数の四割が売れ残る死亡フラグにも関わらず、利益を生まないコルヴェットが続々と
改良を加えられた背景には、ハーリー・アール(以前も話題に出ましたなw)とエド・コールという、
デザインと設計、二つの部門のドンの存在が大きいといわれています。
車の陰に人ありですなw
一方、話題のサンダーバード。
GMモトラマのショーカーにコルヴェットの試作車が登場したことが契機となり、1951年頃から
細々と続いていたスポーツカープロジェクトの動きが加速し、初代サンダーバードの誕生となります。
さて、ここでも車の陰に人あり。
ちょうどこの頃、1955年にフォードディヴィジョンのゼネラルマネージャーに就任したのが
「歩くコンピュータ」で有名な、ロバート・マクナマラw
(ある世代以上の方は、ニュースで嫌というほど『マクナマラ国務長官』の名を聞いたのでは?)
確実に個々の車種が利益を上げること、自動車は実用性を持つこと。
統計と分析を本分とするトップを迎え、4シーターの二代目スクエア・バードへと性格を変え、
その路線は、60年にマクナマラがフォードの社長に就任するに至ってさらに強化されます。
もし55年にフォードディヴィジョンのトップに、別の人物が就任していれば、Tバードも別のものに
なっていたのかもしれません。
同じことはコルヴェットにもいえます。
54年のGMモトラマには、オープンのコルヴェット以外に、クローズドクーペのコルベア、
ワゴンのノーマッド(後のシボレー・コルベアやシボレー・ノーマッドとは別物です)が出展されていました。
これらのバリエーションが展開されていれば、コルヴェットはTバード以上に節操のないものになっていた
かもしれません。
>>12-13 成る程、成功した車の影には、それなりの人材がいらしたっつうことですね。
しかしアメリカ車の場合(日本車もそうかも)アメリカ国民の多くにとっての自動車の在り方を反映してか
T-Birdを成功に導いたマクナマラさんにしても、またT-Birdが上級に移行した後の若者向けコンパクトカー
マスタングを生み出したアイアコッカさんにしても。
成功した車のその影に存在した人材というのは、自動車人というより優秀な企業人である事が多い気がします。
勿論、どちらが良いという問題ではありませんが。
上手い言い方ではないかも知れませんが。例えて言うならば
“タッカー”という映画が有りましたが、もしああいう映画をアンドレ・シトローエンさんとか
ガブリエル・ヴォアザンさん、エットーレ・ブガッティさんを題材に製作していたならば、
自動車そのものが好きな人にとっては更に興味深く劇的な作品となったように思うのです(却ってワカランかも w)
さて、昨日ちょっとジャガーE-typeと“ロケット・ルック”T-Birdの値段のことを書きましたがちょっと追記
お金の話ってのはちょっと下世話な気もしますが、それが示すモノというのも有る訳で。
あらためて資料を捜してみたら(昨日はうろ覚えで書いたのがバレる発言 w)
発売当初(62年)のジャガーE-typeのアメリカでの価格はロードスターが$5620だったそうで
先日写真を挙げたT-Bird“スポーツ・ロードスター”$5439とは結構近かったようです。
「性能の割には安価であった」と言われる事の多いE-type。
実際似たような性能値を掲げた同時代のフェラーリ250GT・ベルリネッタ・ルッソ($13,375)の半分以下ですが
フェラーリが比較対象となるってのはやはり絶対的には高価な車だった筈で、
例えば2リッター級のスポーツカー、トライアンフTR-4の倍以上だったとか。
ですから、これと近い値段だったT-Birdも、やはりかなり高価な車だった事が伺えます。
(ちなみに64年誕生のマスタングも当初ベースモデルは$2300程度)
やはりこのロケット・ルックT-Bird、当時一般の若者が買える車ではなく“Fun Fun Fun”の歌詞にあるように
“娘が親の目を盗んで借り出してぶっ飛ばす”っていう車だったのでしょう。
ちょっとT-Birdの話は置いといて。
前スレではジャガーを始め英国調のスポーツカーの形の話が出ましたが、
その時に思ったものの、なんとなく書くタイミングを逸したサルーンカーの形のことなど。
http://www.jaguar-xj8.com/68-73-Jaguar-XJ6-Series1.jpg 1968年誕生のジャガーXJ6ですが、戦後の英国製高級サルーンというと重々しいデザインが多い中で
私が60年代のコンパクトサルーン・MkUと並び軽やかで大変良い形と思うのがこの車。
つい最近まで、モデルチェンジを重ねながらも基本的な形は守られたまま生産されていたのも
好評だった事の証でしょう。
この車が生まれた60年代終わり頃〜70年代には空力的デザインのサルーンカーが幾つか生まれていますが
それらとは別に、クーペ的なデザインのセダンってのも結構多く生まれていて
日本で言えば二代目トヨタ・マークUとかニッサンの所謂“ケンメリ・スカイライン”等が
同時に生まれたクーペ(ツードアハードトップ)と共通するデザインのセダンを生産していますし
67年登場のフォードア型のT-Birdなどもそうした“クーペ・ルックのサルーン”の一つでしょう。
http://www.thunderbirdrestoration.com/Ford-Thunderbird_1967_800x600_wallpaper_01.jpg 上の写真のXJ6はロング・ホイールベース版のようですのでちょっと判り辛いですが
この車もそのサイズの割には室内は広くないことから、クーペ・ルックのサルーンの一群の中に入れて
考えられがちな気がしますが
私はこのXJ6の格好の良さってのは飽くまでサルーン。しかもフォーマルカーとしての格好良さで
クーペ・ルックでパーソナルカーのイメージを追ったものとはちょっと異なるものと考えます。
後席重視の筈のフォーマル・サルーンに於いて、後席のヘッドルームを削って滑らかな形を実現するのは
本来の機能の追及に反する事と思われそうですが、元々正装なんてのは窮屈なものでもあります。
もっともジャガー社も、狭いという意見には逆らえずにこの数年後にはヘッドルームを拡大したり
また元のラインに戻したりと、モデルチェンジ毎にルーフラインを改変した辺りは
結構難しいところは有ったようですが。
16 :
33さい:2009/09/20(日) 00:40:48 ID:Rfkw3xWFO
職場の20歳台前半の同僚と車の話をしたんですが、
例によって、感性の違いに驚かされます。
「ジャガーのほうがベンツより高級っぽくない?」と言われた時は、
成り立ちを知らないだけで、デザインや(日本での)オーナー層を考えるとそう見えるかな、
と、なかなか納得できる答えだと思ったんですが、
では、高級車のブランドとは?と聞いてみると、なんと、ロールスロイスを知らない。
名前だけ知らないのかと思って、70年代辺りの画像を見せてみると、
「アメ車みたいだね」という答えが orz
ちなみにその若いヤシは、キャデやリンカーンは知ってました。
田舎ではロールスは滅多に見ませんが、ローライダーは結構走り回っているので・・・
その後、40歳前の人とスーパーカー談義で盛り上がりましたが、
端で聞いてた若いヤシは、「何を言ってのるか、さっぱりわからなかった」と呆れてました w
英国製サルーンカーと言えば、アールデコ期〜戦後間も無く迄英国で流行したレザー・エッジ(ナイフ・エッジ)
サルーンが私は大好きなのですが(写真はベントレー)
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12711.jpg この優美に裾を引く姿を、現代の車で再現して見せたのが昨日も触れたジャガーXJ6の
尻下がりのサイドビューでは無いかと思うことが有ります。
ファストバック・クーペに影響されたと思えるクーペ型セダンとかとは異なるものと思うのもこの為で
例えばトヨタの二代目・マークUにしても、空力的なサルーン・シトローエンGSなどにしても
“裾を引いた”ように見せたいという意思は感じられないものであります。
また、レザー・エッジサルーンの話となると必ず出て来るこの車
http://www.libertysoftware.be/cml/trivia/sevillehist/81sevil.jpg 80年代初め頃のキャディラック・セヴィル。レザー・エッジを形の上では忠実に再現していますが
このスタイルの肝である筈の“裾を引いた”優美さという意味では、やはり何処か違う気もします。
やはり英国的なサルーンカーの流れから見るべきものではなく
アメリカ人の懐古趣味の一つか、単なる冗談(?)でしょう。
ジャガーが格好良く見える要因の一つには、この裾を長く引いたような優美さにあると思うのですが
これは単に3BOX型セダンのトランク上面を、尻下がりに作れば成せる物ではなく
車全体の形がそう見せているような気がします。
ですから後席のヘッドルームに配慮してルーフラインがやや角ばったマイナー・チェンジ版などでは
全体が崩れているとも思い、あまり興味も持てないモノです。
また、狙いは何処に有った物かは知りませんが、ジャガーと同様にテールエンドが下げられた
プジョー504セダンとか、日本の410ブルーバード、ずっと時代は下がってレパード・J・フェリーなど
トランク部分が尻下がりになってはいても、XJ6のように優美とは見えないもの。
やはりレザー・エッジの家元・英国人独特な境地にあって初めて作られる感覚なのでしょうか。
昨今のジャガーは、ウィリアム・ライオンズ卿が現役時代に手を入れたモデルに比べると、
社会的ステータスはともかく、デザインは落ちたなあ、と思うのは、わたしだけでしょうか。
生産性からの他ブランドパーツ流用はスタンダードエンジン流用時代への先祖返りのような気がしてきた。
先日、石川県小松の日本自動車博物館へ行ってきましたが、
展示の窮屈さ(四方から一台の車を眺めるだけのゆとりがない)と
立て札のキャプション・解説文の間違い・問題点の多さ
(完全鋼製ボディ化された37年式フォードの解説なんか五十嵐平達さんの二玄社「フォード(1)」まんまでした)、
日本式ナンバープレートを模した年代と生産国表示の無様さなど、変なチープさと泥臭さは否めなかったものの、
あの収蔵台数と車の貴重さだけは圧倒的ですね。
貴重な自動車を百台単位で見過ぎて興奮で嘔吐しそうになったのは生まれて初めてです。
夏木洋介御大貸出のコード812は涙ものでした。
これでトヨタ博物館並みのゆとりがあればいいんですが
(福山自動車時計博物館のようなアットホームさもいいが、展示車が壊されること必至なので避けた方が無難か)
英国車ではジャガー各車や、ライレーRM、アームストロング・シドレーの優雅さに溜め息を吐き、
ローバーの重厚さやトライアンフの漢気を味わいつつ、
一方でA135リムジン以外のオースチンの泥臭さにがっくり来ました。
A135は、同じ博物館に並べてあるロールスロイスやキャディラック、紅旗(www)にも負けない風格がありましたが、
その他の通常モデルは、どうすればあんなに野暮ったくなるんだ?
80年モデルのセビルを初めて街で見かけたときは、何じゃこりゃと思いました。
ツートン塗り分けなら、まだなだらかに下がる尻っぽく見えるのですが、単色だとトランクが削れた
変態車に見えるだけで、どう解釈すればいいのか困った覚えがありますw
CAFE規制値が急速にきつくなることへの対応に必死で、そのショボい空気がデザインにも波及
しているようにすら感じられました。
案外知られていませんが、80年のセビルは本国ではV8 5.7L 電子制御ディーゼルが標準で、
エクストラコストなしで、5.7L V8 ガソリンや6.0L V8 電子制御ディーゼルが選べました。
ディーゼルエンジンを標準にすることで、できるだけCAFE平均値の底上げに役立てたいという
GMの本音が見えます。
81年モデルになると、この姿勢はさらに徹底されて、V8 5.7L 電子制御ディーゼルと、訴訟沙汰で
悪名高い6.0L 8-6-4可変気筒ガソリンが標準。
普通のガソリンエンジンが欲しければ、4.1LのV6にまで落ちぶれる羽目にw
>>18 小松は私も一度行った事がありました。その時に撮影した写真の日付を見ると96年。
その頃には知らなかったことも多く有り、また訪れてみたいと思いつつ果たせずにいます。
収蔵台数ならば世界最大級・フランスのシュルンプ・コレクションにも匹敵する日本自動車博物館ですが
それ故に展示にゆとりが無いのは仕方の無いところでしょうか。
それにしても山中湖高村美術館や大宮・ハタミュージアムなど
日帰りで簡単に行ける博物館が皆休館状態なのは大変残念に思います。
>>19 セヴィルがディーゼルエンジンを標準で搭載していたというのは知りませんでした。
しかし、あの形。私も冗談でやっているとしか思えない(w)のですが、結構お好きな方も多いとか。
まぁ、個性的と言えば・・・・なんでしょうけどね・・。
あれ、古い英国車のレザー・エッジスタイルという元ネタを知らないと意味不明でしょう。
元ネタを知らないと笑えないパロディ映画のように、作品自体の力つうか出来栄えとしては
あんまり褒められたものではないと思います。
こういうのはエロスパ氏が良く言われる「判る者だけ判れば良い。判らぬ者は置いて行く」っつうのとも
ちょっと違うと思います。
さて。ジャガーの新型フラッグ・シップサルーンXJ。まだ実物を見たことも無いのでナンとも言えませんが、
写真を幾つか見た限りでは何処と無く現ジャガー社デザイン主任のイアン・カラムさんが
かつて直接手掛けたとされる超高速クーペXJ220にも繋がるような形に思えます。
つまり、形そのものの力はともかく、これまでのXサルーンが持っていたフォーマル的な格好の良さから
クーペスタイルに宗旨変えしたかのよう。
この車を紹介したCG9月号の記事中で、ジャガー社側からは
「伝統的な形ではなく、伝統的な価値を持つ最新のXJ」との言葉が有りますが、
フォーマルスーツのような格好の良さという、伝統的な価値は継承されていない気がします。
少なくとも私が「一番ベーシックな仕様なら、無理すれば買えるかも知れないけど、乗る時に着る服が無いな」
なんて夢想をする車ではなくなったかと。
21 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/21(月) 06:50:49 ID:BQifIijMO
小松の自動車博物館は、フランスのベルリエに玄関で出迎えられ、正直ちびりかけました。
職場慰安旅行で行ったけど、若い女性の方が熱心に閲覧していたような。
高知県の自動車博物館は良かったですよ。
9月10日のニュースで「吉田元首相愛用車と同型」のロールス・ロイスがネット公売、と出てましたが、これですね。
1938年の25/30HPですから確かに吉田さんのと同型だ。ボディのコーチワークもフーパーで一致しますね。
ボディ後部はレザーエッジでない仕様なので色気という点ではいまいちですけど、
走行距離9万km足らずは「ロールスとしては全然無問題、再調整で十分」レベルでしょう。
撮影した大阪国税局職員、カーマニアではないでしょうがさすがに内心「むう」と唸ったものと思います。
夏前にオークションで1400万で出品したけど入札がなかったそうで、
今回、約1000万からスタートというのは、まあこの年式のロールスで状態の良さを思えば妥当なラインですかね。
それでも不景気では手を出せる人間も限られてくるでしょうが。
http://koubai.auctions.yahoo.co.jp/auction/auction?pid=osaka_nta&oid=1250587879354721&aid=i11194746#detail この秋の国税当局のネット公売はなかなかの珍品が多いようですが(将棋の56期名人戦の封じ手入り封筒とか)、
いいオーナーが見付かって欲しいものです。
>>21 高知も一度は行ってみたいのですが、それだけで行くとなると遠いのですよね。
首都圏から日帰りで行ける自動車博物館としては、他に那須高原なんてのも有りますが
展示車の説明が無いのは、特に古い車に興味の多くない人連れて行くには辛いかも。
また自動車博物館って、トヨタ博物館を例外として殆どが個人のコレクションを公開しているものですから
コレクターさんとの趣味が合うか合わないかで、印象が変るのは仕方ないところもありますが。
>>22 そうした古い車を維持出来る人は限られるでしょうから、中々難しいとは思いますが
良い人の手に渡って貰いたいものです。
ちなみに。吉田茂元首相の愛車であった25/30HPは、その当時のナンバーもそのままに
埼玉県の“ワクイ・ミュージアム”に動態保存され、広く一般に公開されています。
http://www.wakuimuseum.com/ 吉田茂元首相が亡くなった後は、娘婿の麻生多賀吉氏が使用されていたと
二玄社「世界の自動車 ロールス・ロイス戦前」に書かれていますが
(こう言っては悪いのですが w)今は麻生太郎前首相の手元とかに有るよりも、こうした愛好家の下で
縁の深い白州次郎さんの愛車だったベントレーと共に手厚く保護されていて良かったと思います(でしょ?w)
こうした私設・個人所有車を展示した博物館って、自動車に限らず運営は大変でしょう。
展示内容を入れ替えるのも簡単な話ではなく、企画展を開催するのも難しいでしょうから
どうしてもリピーターは少なく、来館者の数もそう多くは見込めないでしょう。
それこそ、公の手で助成する仕組みが有れば良いのでしょうが。
そうすることでフランスのシュルンプ・コレクションの収蔵車のように、他に貸し出したり館外を走らせることに
制約が生じたりするのでは、所有者さんが本来持っている自由を侵害することになるでしょうから
それでは下手に一般に公開したくなくなるかも知れず。それも難しい話かも知れません。
24 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/23(水) 18:24:46 ID:SUp1vRFfO
東京コンコースみたいに展示車を集めて、ある期間だけ間借りした方が効率的です。
メーカーやディーラーや収集家とのコネクトこそ大切な要素。
大きな器を何不自由なく運用できるのはこの時勢天下のヨタ公ぐらい。
>>24 いつでもそこに行けば目当ての車が見られる博物館っつうのも、イベント型とは異なる意味があると思います。
イベントを通して古い車の面白さを広めるのは当然必要で、
そうした事から博物館に足を運ぶ人が生まれてくれれば良いのですが。
さて、古い車と言えば現代の日本で最も人気が高いのは恐らく戦前型ではロールス・ロイスでしょうか。
昨日も触れたワクイ・ミュージアムの他でも、多くの博物館に展示されていますし
生産された数から思えば、生息する数はかなり多いことかと思います。
元々高級な英国車っつうのは比較的地味で目立たない事を善しとする日本人の気質にも合い
また、職人さんの質の高い仕事が堪能出来ることから昔から人気は高かったようです。
ところが、そのことが博物館に展示される車としては少々インパクトに欠けるのもまた事実ではないでしょうか。
私もあちこちで古いロールス・ロイスを幾つか見ている筈ですし、
以前撮影した写真を見返してもロールス・ロイスを撮ったものの数は少なく無いのですが
「強く印象に残る一台」を挙げるとするとちょっと考えてしまうところが有ります。
そうした中では大変目立つのが、トヨタ博物館のシルヴァー・ゴーストやワクイ・ミュージアムの
シルヴァー・ゴースト“アルパイン・イーグル”と並んでこの車
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12714.jpg 休館中の山中湖・高村美術館に展示されていたアメリカ製ファンタムTです。
如何にもアメリカ製らしい派手好みな車で、実際に持つ事を考えると躊躇してしまいそうですが
アメリカ工場が存在した事を今に伝える意味でも貴重な車でしょう。
ところで、派手な形の車と言えば。戦前〜戦後の一時期にかけて日本でも人気が高かったと言われるのが
レザーエッジの英国製サルーンですが、今に残り展示されている車となると思い浮かびません。
当時は高級車のみならず、量産型普及車にも多く見られた形ですが
ああいう華美で優雅な形を持つ英国製サルーンっていうのは現代日本のコレクターさんには
案外人気ではないのでしょうか?
・・と、昨日書いた後で思い出しましたが。山中湖高村美術館には、もう二台ロールス・ロイスが有り
その内の一台は見事なレザー・エッジボディーを持つ1950年型のシルヴァー・レイスでした
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12715.jpg http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12716.jpg ・・まぁ、思いつきで書いているので・・。つか、この車は正面しか見えないような展示のされ方でしたので
すっかり忘れていました(言い訳)
そういう訳ですので写真は高村美術館のミュージアム・ショップで売られていた写真集から拝借しました。
ちょっと不味いかも知れませんが、実物が今見られない状態ですので。
この山中湖高村美術館、アメリカ車が主体でしたがその中にはリンカーン・コンティネンタルMkT
(ホイールカバーに“ゼファー”の文字がある初期型)有り、コード812有り、キャディラックV16(40年型)有り
またパッカードも戦前のスーパーエイトにトゥエルヴ他数台有りと大変充実した内容でした。
また、アール・ヌーボー〜アール・デコ期のガラスコレクションなども有ったので
車に興味の無い人連れて行ってもそっちで時間潰して貰えるって良さもありましたし。
休館中なのは大変残念に思います。
さて、レザーエッジに話を戻すと。
以前私が小松の日本自動車博物館で撮影した写真の中には
>>18さんの書かれたオースティンA135の姿は見つけられませんでしたが
その車も、50年代前半迄の型でしたら、レザーエッジだった筈。つか、この場合はセミ・レザーエッジでしょうか。
この頃迄は結構英国車には多く見られる形のようです。
http://www.philseed.com/images/tr-mayflower.jpg これはトライアンフのメイフェア。このクラスでレザーエッジはサイズ的にかなり無理が有るようで
やはり大型高級車向きのデザインだったのでしょう。
だからこの寸詰まりなメイフェアは駄目かと言われれば、案外そうとも言えず。
何処か愛嬌が有ってこれはこれでちょっと好きなんですけど(w
同時期のアメリカ車や、シトロエントラクシオンアバンを考えてみると、
既にプレス加工の抜けを配慮した、エッジを立てない曲面で処理してあるんですよね。
確かに量産の面だけから言えば鋼製外板ならこれが正しいんです。
完全なレザーエッジは、木骨ボディ(もしくは鉄骨手叩きボディ)とか、
人手の入ったコーチワークとかが許されていた1950年代以前の英国車ならではのデザインだったと思います。
28 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/25(金) 06:41:07 ID:yUm/im3RO
ちなみにトラのメイフェアには、レナウンというロングホイールベースもあって、しっかり四ドア化している。
一体何を作りたいんだか、という代物だが、ヴァンプラに対応する品揃えにしたかったんだろうか。
えーと、それはメイフラワーじゃないかと
30 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/25(金) 18:52:38 ID:yUm/im3RO
ゴメンコ。メイフラワーやんね。
>>29-30 大変失礼しました。
もう一枚、レザーエッジボディーの写真。二玄社「昭和の東京カーウォッチング」からディムラー・ストレイト・エイト
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12718.jpg 確かにこうした、糊の利いたシャツのようにピンと角の立ったレザーエッジボディーっつうのは
鋼板プレス加工には向かない形で、熟練の職人さんの手仕事が安く買えた時代ならではのものでしょう。
職人さん側からすれば、あんまり良い話ではありませんけど。
このディムラー、WB147インチ(3730mm)という堂々たるサイズですから、
昨日のシルヴァー・レイス(130インチ・3300mmくらい)と比べても伸びやかで実に美しい車ですが
見比べると判るように、同じコーチビルダー、フーパー製ボディーのものだそうです。
昨日、シルヴァー・レイスの写真を引用させて頂いた高村美術館の写真集に添えられた文章にも
「似たようなボディーは多くのコーチビルダーが架装していたが、やはりこのフーパー製が最も美しい」
と書かれています。
で、このフーパーというコーチビルダーについてちょっと調べてみると。
さすがに19世紀初頭まで遡れる馬車時代からの名門だそうですが、さらに1938年にはもっと老舗の
18世紀初頭創業のバーカー社を傘下に収め、この時代(1940年代後半頃)はバーカー社から来た
腕の良い職人さんを多く揃え。またデザイナー、オズモンド・リバースさんという方にも恵まれたそうで、
もっとも油が乗っていた時期だったのでしょう。
しかし高級車メーカー達がボディーをs自製するようになるとあっさりと凋落。59年にはコーチビルダー業から
撤退しているようです。
先日、年バレスレでエロスパ氏が「イタリアのカロッツェリアも残り少なくなった」ことを嘆いたおられましたが
イタリアはまだマシでしょう。他の国のコーチビルダー達は殆ど無くなったようですから。
もっとも、フランス辺りでもかつて華やかな活躍をしたカロシェが今でも街の板金・修理屋さんとして
生き残っていると言う例もあり。フーパー社ももしかしたらそうして今に残っているのかも知れません。
それこそ、なりたくてそうなったという訳ではないのでしょうけど(w
三栄書房の「日本の名レース100選」が58号で廃刊になりました。
お蔵入りになった残り42レースとは一体何だったのでしょうね?
>>32 廃刊ってマジ?
第一回日本グランプリもまだ出てなかったな
>>32 実は初めから行き当たりばったりな企画だったりして(w
・・な訳は(多分)無いでしょうが。あのシリーズ「日本で行われた」ってだけを共通点に
国内格式もF1も一緒に扱うのは無理が有ったように思います。
当然、全てに興味を持つ方も限られるでしょうが、かと言って買い始めるとシリーズ揃えないと気が済まない
几帳面な人もいるでしょう。そういう人には悩ましい廃刊でしょうね。
話は逸れますが、
ほぼリアルタイムで見た(中継でも)自動車レースの中で最も面白かったものと言えばどれかと考えてみると、
私の場合は案外思い浮かばないもの。
レースカーは好きですが、レースの面白さとかストーリー性は競馬の方が面白いってのも有るかも知れません。
そんな中でも、幾つか活字で読んで「リアルタイムで見たかった」と思うレースもあります。
例えばJ.リントが予選ポールタイムすら上回るラップを刻んで追い上げ、最終ラップの逆転劇につなげた
1970年のモナコとか。
また今のようなオンボード映像でジム・クラークの運転を見たかったとかって思うことも有り。
でも「観客としてその場にいたかった」と思うレースを一つ選ぶなら、1924年リヨンに於けるフランスGP。
前年の勝者・イギリス車としては最初のGPウィナー・サンビーム。
その手本だった6気筒車を捨て新たに開発されたフィアット8気筒車805
前年は信頼性不足に泣いたドラージュのV12エンジン搭載車2LCV
そして、かのヴィットリオ・ヤーノ技師がアルファ・ロメオに最初の黄金期をもたらすことになったP2と
ブガッティのT35がこのレースで同時に実戦デビューしていますし
アメリカからはインディーの覇者・ミラーも参加と史上最も豪華な顔ぶれの揃ったレース
こうして名前を挙げているだけでもたまらないこのフランスGP
映画「GRAND-PRIX」みたいに、忠実に作られたレプリカを用いて今のF1中継のようなクオリティーで
誰か再現してくれないものでしょうか?(絶対無理 w)
「鉄道データファイル」みたいに、当初の予定をはるかに越えて発刊し続け、
逆に購読者が悲鳴をあげてる、というのもあったり・・・
第一次世界大戦くらいまでの飛行機なら、映画用にレプリカを作って飛ばす、
という事はありましたが、映画向けにクルマをイチから作る、というのは寡聞にして聞きませんねぇ。
クラッシュ用にポルシェのガワを被せたローラ(だったかな?)とか、
ビートルのシャーシを使ったキューベルワーゲンとかは登場してますが・・・
今の映画じゃ、実物よりCGで、ということになるんでしょうか。
CGも凄くなった、とは思うんですが、まだ微妙に違和感もあって、
昔の映画のほうが気に入ってたり。古い人間なだけかもしれませんが。
>>35 映画用にレプリカの飛行機作って飛ばす(ついでにぶっ壊す)って言えば「素晴しきヒコーキ野郎」ってのが
正にそのものをやっていましたね。
あの、ドーヴァー海峡横断レースを題材にしたコメディーの成功に続き、同じくケン・アナキン監督が
「モンテ・カルロラリー」っていう1920年代終わり頃のモンテカルロラリーをネタにした映画を作っていますが、
二匹目の泥鰌狙いで失敗した典型のような代物。
昔、テレビで放送されたのを一度見ただけでDVD化もされていないようです。
その映画に使われた車の内、数台は本物のヴィンテッジカーで数台は精巧なレプリカだったそうですが
未だ古い車にそれ程の興味が無かった頃の私には全く判りませんでした。
DVD化されたら、リモコン片手にじっくり見直したい映画ですが、作品自体が大したことないので望み薄かも。
さて、昨日の話に出たみたいな1920年代のGPカーってのは、私は自動車の歴史の中でも
特別に格好の良いものと思います。
少し前迄は、そうした車の数々は個別に様々な資料を捜して見る以外に知る術は殆ど有りませんでしたが
現代にはネットという便利なものが有り、また貴重な資料を気前良く公開して下さる方もいらして
当時の姿をそのままに見る事も出来るのは大変有り難いこと。
http://www.motorsnaps.com/v/1920s+Racing+Cars+and+drivers/1924/French+Grand+Prix/ なんと、あの1924年のフランスGPの時の写真がアルバムになって見られるのですから良い時代です。
アメリカからやって来たミラー・インディーカー(規則により二座に改変されていましたが)に乗っていたのは
“チティ・チティ・バン・バン”や創生期のアストン・マーティンの支援者として知られるポーランド人貴族
ルイ・ズボロウフスキーさんだったなど、このWebページで初めて知りました。
レーシングカーはこの時代から変化する必要は有ったのでしょうか?
F1GPを生で観戦すると、その場の雰囲気に圧倒されて理屈抜きで楽しむことができますよ。
もっとも、レース展開を楽しむだけなら家でテレビ中継を見ているほうがいいでしょうね。
さて、先日のシンガポールGPの結果、いよいよ日本GPがとても楽しみな一戦になりました。
というのも2003年以来、実に6年ぶりに鈴鹿でチャンピオンが決定する可能性が高いからです。
そう言えば、今シーズンのルールは優勝回数が最も多いドライバーがチャンピオンとなる予定でしたね。
仮にそのルールが施行されていれば、シンガポールGPで既にチャンピオンが決定していたことになります。
シンガポールGP終了時点の優勝回数
バトン 6回
バリチェロ 2回
ベッテル 2回
ハミルトン 2回
ウェーバー 1回
ライコンネン 1回
その他 0回
残りは3戦なので、仮にバリチェロが3連勝してもバトンの優勝回数より少なく、逆転は不可能でした。
結局、全チームが猛反対したため、従来通り獲得ポイントで決定するルールとなり本当に良かったです。
毎年欠かさず日本GPを生で観戦している私ですが、今週末は例年にも増してワクワクしています。
現代マシンみたいに空力特性の視覚化がまだ航空機でも未熟な時代でしたしねぇ…………
タイヤの路面設地面積もまだ少なかった頃ですし(ラジアルなんてまだ先の話)、市販車がこの領域まで来るなんて想像すら出来なかったでしょうしw
開発途上のGPマシンてどう進化していくのか、気になる存在ではあります。
確か91年だったと思いますがF1GPを見るために鈴鹿まで行きました。
でもせっかく行ったのにつまらない茶番を見せられてガッカリでした。
最終ラップで最終コーナーを抜けてゴール直前で順位入れ替えですよ。
チームオーダーか何か知りませんが見ていてとてもムカつきました。
もうあれ以来F1GPには2度と行ってません。
チームオーダーも結構ですがやるなら巧妙にやってほしいです。
例えば去年のルノーのように。
>>39 ヒトラー時代のアウトウニオンやダイムラー・ベンツのレコードブレーカーでも、
長大な直線コース(ボンネビルならベストだが、ヒトラーの国粋的意向を尊重すると
ドイツ国内のアウトバーンで何とか可能な区間を探すしかなく、直線が足りなくて困った)の確保と並んで、
タイヤの性能が大きな問題になったんですよね。
コンチネンタル社も頑張ったけど、要求条件が当時の技術では想像を絶する無茶苦茶だから……
42 :
39:2009/10/02(金) 00:09:02 ID:yPxWUn12O
>>41 そうですねぇ、あの性能用件は確かにキツいですからねぇ…………
まぁその分で開発にはバックアップが付きましたけど、やはり縛られた中でしたから、大変な事だったと思いますよ。
アウトウニオンやBMWのストリームライナー(フラットツインバイク、SC搭載機)なんてのも、国家のためとはいえ、技術を探究しようとしたエンジニア、パイロットたちの結晶なんですよね。
そう言えば、レーシングタイヤがラジアル構造になったのって何時頃だったでしょう?
ロードカー用(1948年のミシュランX)の話は、以前にこのスレでも取り上げましたが
レース用となると、ずっと時代は下って1970年代だったような。
ターボエンジンを持ち込んだルノーF1が使用していたミシュランだったかな・・?
さて、私独りが楽しいだけかも知れない(自覚はあるの w)話の続き
風洞設備ってのは19世紀から有って、飛行船を含む航空機の初期研究に役立っていたそうで
自動車への応用も20世紀初め頃から徐々に行われていたようです。
しかしエットーレ・ブガッティさんが風洞を利用していたとは考え難く、
飽くまで経験と直感で“Cigar”や“Tank”はデザインされた物のように思います。
それでも、特に1923年の“Tank”は間違ったアプローチではないように思えるのですが
風洞等を用いて最適化を繰り返すっていう手順を踏んでいない“空力ボディー”は実効が薄く
満足出来る操縦性や抵抗の軽減をもたらさなかったのではないでしょうか。
エットーレさんがそうした独自の“空力ボディー”の製作に熱中する間に、
フィアットやサンビームなどは常識的と思える形の車を作り、エットーレさんの車を後続に従えて勝利を収め
結局エットーレさんも空力的フォルムを諦めたか、
自らが信じる良い形そのものを車としたようなT35を送り出します。
http://www.bugattipage.com/voitures/bugatti/t35.jpg この車はデビュー戦24年のフランスGPこそ奮いませんでしたが、20年代の世界中のサーキットを制圧
アルファ・ロメオP2と並ぶこの時代の最強マシーンと言えるでしょう。
この車の成功が、エットーレさんのその後を決めたようにも思えます。
「何であれ、物は良い形でなければならない」とはエットーレさんの有名な言葉とされていますが
実際にそう言ったのかはともかく、彼の考え方を良く表しているように思います
後にはそこに固執するあまりに、保守的と言うよりも守旧派となっていくのですが。
そこに固執する契機となったのが、このT35の成功だったのではないかという気がします。
大手メーカーで風洞実験をやりだしたのは、クライスラーが最初じゃないかと思います。
時は1930年前後。
ライト兄弟に助言を貰いに行って、コストのかかるフルサイズではなく、
模型を使う小型風洞をまず設置したようです。
形状はもちろん、そのためにキャビンを前進させるなど、レイアウトから考えた、
理論的かつ先進的な車を開発し、自信を持って送り出したのが、かのエアフロー。
ご存知の通り、技術上は後世に影響を与えたものの、商業的には大ゴケしましたが・・・
同時に出した、今まで通りのデザインにちょっと空力風味を足した
エアストリームは好評だったそうで、この後しばらくは、
クライスラーはデザインでの冒険はしなくなってしまいました。
まあ、クライスラー好きの私でも、エアフローはカッコ悪いな、と思います w
その後の、ちょっと流線型なアメリカ各車は好きなんですが。
クライスラーが次にスタイリングで一発ホームランをかっ飛ばすのは、
バージル・エクスナーのデザインした1955年式300Cまで待たねばなりませんね。
それまではヘミヘッドでもスタイルは堅実、ですから。
まあ、エクスナーが暴走して後世から見るとどんどん変な形になっていくんですが。
>>43 確かレーシングタイヤのラジアル化はルノーターボF1だったはずですよ。
二輪だと80年代のホンダNS500が最初だったはずです。
構造上の縦剛性と軟らかさ、コレが巧く組み合わせられるまでに解析時間が必要だった様です。
>>44-45 平日の深夜未明に書き込む人って、ちゃんと仕事しているのでしょうか?
>>47 6時台カキコしましたが、日々無駄に早起きなだけです。
逝ってる氏や44氏は夜更かしなだけです。
平日昼の12時台から職場のPCでカキコしているようなのが一番まずい。
職場で珍しくハイゼットバンの新型を運転する機会がありましたが、それなりに改良されてますね。
ステアリングが乗用車共用になったのか握りが太く、電動パワステも旧型の軽すぎるタイプから適度に重い設定に。
エンジン設定や遮音対策も改善されているようです。
そこまでは良かったけれど、
コラムからインパネに移ったATのシフトレバーに電光インジケーターがないのはあからさまにコストダウンな気がする。
>>48 これは失礼しました(笑)
ハイゼットと言えば、名車サンバーも近い将来OEMになるんですよね(泣)
51 :
44:2009/10/03(土) 01:52:06 ID:RzfTj6IwO
>>47 44です。
朝7時前に起きて仕事行ってますよ。
与えられた役割をきっちり果たしてる自負はありますが、
残業するほど仕事ないので、後の人に引き継いで夕方には帰ります。
疲れてたら、帰るなり一眠りして、夜中に起きたり w
夕方から0時頃、というシフトもあるので、夜型になってしまってます。
仕事は、工場でHV用の電池作ってます。何処のメーカーに行く物か、わからないんですが。
個人的には、最新技術に興味はありますが、
HVより内燃機関の車の方が好きですね。
内容の無い、自己紹介ですいません。
HVもやたらに売れまくってますな。44氏の会社にとってはこのご時世に貴重な収益となっとられるでしょうが。
母親から
「プリウスの中古を知り合いから買うってどうなの?3年前の」
俺「? 新車で買った方がメンテの面でディーラーと関係作りやすいとは思うが。保証とかどうなるかなあ?」
母「いいクルマなの?大きさは?」
俺「まあまあかね。以前試乗に逝った限りでは初代より格段に良くなってた。そこそこゆとりはある。
中古でもかなり売れちゃってるみたいだが、出物でもあったの?」
母「うーん、N(俺の実弟)が知り合いとクルマ取り替えてプリウス買った、っていうから」
俺(ずっこける)「最初に言ってくれよ!ってーか、もう買っちゃったのかよ」
するとミーハーな母親、ウチも買おうかしら、などと本気で馬鹿なことを言い出したので、
大都会暮らしで道路渋滞が多い弟と違って、田舎暮らしの我々には意味ないからやめろ、と必死で止めました。
嘘で固めたエコカーで、ぢつは非常に環境負荷の高ひクルマとちゃんと教へて上げて下さひ。w
さて、風洞と言へばピニン。
フードで避妊?
風洞といえば、ルンプラー・トロップフェンワーゲンをVWが風洞に入れてみたら
cd値が0.28と出て驚嘆したという話がありましたね。
>>44-45 1955年の300C、そして57年式各モデルまでデザインの冒険と無縁だったクライスラー。
その原因の一つはエアフローの失敗に求められそうです。
クライスラー系のデザインを縛っていたもう一つの原因は社長のカウフマン・T・ケラーでした。
1928年、創業者ウォルター・クライスラーによって迎え入れられ、1935〜50年まで社長、
56年にクライスラーを引退するまで、厳格で遊びを好まず仕事の虫であり続けました。
この社長が、デザインに対して求めたものは
「外観は出来得る限り小じんまりとまとまり、室内は広く、帽子をかぶったまま座れなければならない」
こんもりと丸く、ルーフが盛り上がって深くなっていたクライスラー系のデザインは、この社長の
言葉を反映したものでした。
そらぁ、社長がそう言えば部下は反逆せんわなw
カウフマン・T・ケラーがどこまで仕事の虫だったかを物語るエピソードなんですが、
この人、1926年に(
>>55の1928年はタイプミス)クライスラーへ来てから、ずっと
長期休暇を取らずに仕事ばかりしていました。
そんな彼がようやくホリデーを取ったのが11年後の1939年。
取った日数はたった三日。
その三日間は、ずーっと釣りだけで終わってしまいましたw
クライスラーのデザインを束縛していたケラーですが、意外にもヴァージル・エクスナーを
クライスラーに引き入れたのもケラーだったりします。
ミスター・ケラー、アメリカ離れした生真面目な人材ですなあw
とてもあの時代を生きたアメリカ人とは思えない理詰めのデザインポリシーだ。
いっそイギリスあたりで仕事した方がいい結果になったかも知れないが、
それで大戦前後のプリムスが堅実なスタイルになったのだと考えれば、
アメリカ国民にとっても悪いことではなかったかな、とも思います。
ヘミヘッド時代初期のクライスラー系フルサイズ各車でのボディシェル共用化施策は行きすぎな気もしますが。
>>51-52 HVと言えば。街中を低速・電気走行するプリウスが静か過ぎて
歩行者に接近を気付かれ難いってことが言われ出した頃、このスレッドで「何らかの音を出すようにしては?」
と書いたことが有りましたが
最近、同様のことが書かれた新聞記事に対して「音で歩行者を威嚇して蹴散らすような真似はもってのほか」
みたいな読者投稿がその数日後同じ新聞に載っていました
私や(恐らく)新聞記事書いた方は、遊園地の遊具のようなのどかな音を少し流す事をイメージしたのですが
記事に反応・投稿された方は騒々しいブザーのような音を思い浮かべたのでしょう。
車に対する印象の持ちようの違いで、思うところも変るものだと考えさせられました。
>>55 ルンプラー・トロップフェン・ワーゲン(1921年)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8a/MHV_Rumpler_Tropfenwagen_01.jpg この車が風洞実験に於いて現代の水準で見てもかなり優秀な空気抵抗値を示したって話ですが
私はちょっとこれ、眉唾物(年寄り臭い表現 w)だと思っています。
http://www.treehugger.com/rumpler.jpg この写真が、1979年にVWが実際にその測定を行った時の物かは不明ですが
フェンダーを持たず、気流の中に車輪がほぼ露出されたこの車を
車輪が静止した状態で測定してもあまり意味が無いと思うのです。
もしもこの車がヴォアザン“コッシネーユ”や戦後ピニンファリーナの“PFX”のような
菱形車輪配置でタイヤが全てボディー内に収まっていれば、また違うのでしょうけど。
とは言え。同時代の中ではかなり抵抗が少ない車だったことに、恐らく間違いは無いのでしょう。
ただ、真上から見て流線形化した形状ってのは人間の視線の高さで見ても意図が理解出来ず
「何がなんだか判らない車」としか受け止められなかったかも。
高価だったこともあり100台程度の生産に留まったそうです。
また、航空機エンジニアでもあったというエドムント・ルンプラーさん
高速走行時に発生する揚力により(この車実は揚力は少なかったそうですが)車が浮き上がるのを
「車体が軽くなり、タイヤが生む転がり抵抗も現象する」と、むしろメリットと考えていたとか(怖っ!w
>>53 ピニンと言えば、オースチンに提案した「エアロディナミカ」がありました。
シトロエンGSが影響受けたとかいう・・・
プリウスとか見てると、シトロエンGSを思い出してしまうんですが、
5ドア・ファストバックは日本じゃ売れない、とちょっと前まで言われてたのに、
いつの間にかプリウスやインサイトが氾濫して、一般的になってしまいました。
HVだからあの形で売れるのか、試しに普通のガソリン車でやってみたらどうでしょう?
やっぱりコケるんでしょうね w
DSからCX、SMにXM、最近ではC6、と、ことごとくファストバックの
高級車を出して来たシトロエンはやっぱり、変わってるのでしょうか。
それとも、それらを買っちゃうフランス人が・・・
話は変わりますが、プリウス等にある、リアハッチ下にある垂直なガラス、
あれはやっぱり後方視界に利くんでしょうか?
昔、CR-Xで採用された時に、「スモークかかってるし、まともに見えないんじゃね?」とか
生意気に言ってましたが、未だにそういう車でバックしたことが無いのでわからない。
これまたいつの間にか一般的になってたり。
ミニカ・スキッパーなんて車もありましたが w
60 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/10/04(日) 17:55:24 ID:UZCfayRXO
プリウスの無音さは正直引く。視覚障害者によれば危険なクルマという印象だ。
>>61 その上のリンク先のCMは有名ですね。
「1960年の車に乗ろう」みたいな、この謳い文句。ちょっと「55年に登場した65年型モデル」という
シトローエンDSの評価からの影響も有ったのではないか?って思ったり
>>59 >リアハッチ下にある垂直なガラス
そういわれて思い出してみると・・。先代プリウスとかシトローエンC4クーペで少し経験しましたが
それ程印象に残っていませんね(役に立たない記憶 w)
C4クーペの時には「まぁ、有れば有ったでちょっとマシかな?」みたいなことを思ったような・・。
で、1966年のピニンファリーナ・BMC1800ベルリーナ
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12734.jpg スクラップした小さな写真のスキャンですのであまり鮮明ではありませんが。
確かにGSのようでもあり、また数年後に登場したフェラーリ・ディトナへのつながりも感じます。
ピニンファリーナが実車風洞を完成させたのは1970年代とのことですが、それ以前から誰よりも空力には
熱心に取り組んでいたようで、その始まりは恐らく30年代後半頃だったと思います。
その頃の有名作・アルファ・ロメオ6C2300“ぺスカーラ・クーペ”
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12735.jpg 空力的デザインを熱心に取り入れることで他との差別化を図ろうとしたのは、
フランスのフラムボワイアン派フィゴニ辺りと同じ意図だったのでしょうが、
ピニンの場合勘に頼らずに正しい空力的形状を模索していたようにです
形そのものが「正しい」っていう自信があるためなのか、クロームの装飾の類に頼ることなく
すっきり見せているのはさすがと思いますが、その分アクが無いので印象が弱いのは仕方ないところでしょうか。
私個人の見方ですが、最近に至るまでピニンファリーナの作品ってそういうところがある気がします。
>>63 これは楽しいですねぇ。ご紹介有難う御座います。確かに誰に見せる為の映像なのかはちょっと謎ですね。
最近の話ですが、チェコの公用語は勿論チェコ語。最もポピュラーな外国語はスロバキア語(当然だって w)
次がドイツ語とか。ですから当然母国向けそのままとは考え難いところ。
英語圏でも放映されたのでしょうかね?
ところでSCG06号の“タトラ・ストーリー”片手に見たのですが、幾つか気になるところが有って
使用されているパトカーがT201とのことですが、そういう名前は記事中の乗用・商用両リスト中に無く
600“タトラプラン”系のバリエーションに用いられた名称なのでしょうか?
また細かなところですがタイトルロール終わりに1962年と出るのも、
SCG記事中では603が特異な三灯式ランプから(更に特異な)四灯式に変ったのが
63年とされているのと前後するのも引っ掛かります。
まぁ(自分で書いておいてナンですが)うるさいことはともかく。
私にってタトラの乗用車の外形が魅力的に思えるのは、この603迄。次世代(73年登場)の613は
http://www.leblogauto.com/wp-content/uploads/2006/11/joest_jo_ouaknine/tatra_613_1.jpg イタリア・カロッツェリア・ヴィニャーレデザインとのことで大変すっきりとまとまった車ですが
T77〜603迄に有った強い個性は失われたのは残念に思います。
後車軸上にエンジンが置かれ、クランクケースからハーフシャフトが出たという配置
(デフやギアボックスはエンジン下?)には興味が有りますが。
もっとも603迄の流線形・雨滴型からは外れてはいても、全体的に洗練された613の方が
空力的にも効率化されてはいるのでしょう。
全体形に頼るよりも細部の洗練の積み重ねの方が効果を生むもののようですから。
で。いきなり変な話ですが。
以前、或るスレッドで“エスティマはバックする時の方が空気抵抗少ないのでは?”って話が出ていましたが
バンパー等をスムーズにボディーと一体化させないと、多分それは無いだろうと思います。
(誰がするか w)
>>64 >タイトルロール終わりに1962年と出る
これは謎ですなw
ただ、メーカーは発表前にプロモーションフィルムを作れる立場にはありますね。
>パトカーがT201とのことですが
T201は量産に入らず没になった試作車で、フロントにエンジンが載っています。
(実は、書いた本人も、これがT201だと100%の確証はないのですがw)
ただ、映るシーンの映像を仔細に見れば見るほどT201系統だと思えるのです。
鉄のカーテン(古)の向こうは厄介で、まず資料が乏しい上に
「国家に権力があるので、特殊需要向けに平気で変な車を作る」
「試作車でも実用に供して、しかもそれが現存していたりする例がある」
「国家威信やプロパガンダが絡むと、ワンオフや試作車でも外電や映画に誇大に露出させる」
特殊性があります。
現時点でこのパトカーのような量産タトラが存在したことは確認できませんから、試作車、
もしくは特殊需要向けに作られたT201系の可能性が最も高いと思われます。
>>65のちょっとした実例を
・「国家に権力があるので、特殊需要向けに平気で変な車を作る」
一例として、ザクセンリンクP-240という車。東独の党幹部と人民警察のため作られました
また、ポーランドのトラック、スターにも、資料にない大型救急車などがあって困り者です
「試作車でも実用に供して、しかもそれが現存していたりする例がある」
ほとんどおバカ車に近いのですが、タトラ603のエンジンをフロントに積んだ試作マイクロバス(空冷V8 w)
こいつは確か現存していたはずです
「国家威信やプロパガンダが絡むと、ワンオフや試作車でも外電や映画に誇大に露出させる」
党幹部用の高級ミニバス、ジル119を主役級に据えた映画を作ってみたり
日本でも一時期、「ソビエトではすでに未来型タクシーが作られている」と、モスクビッチの試作車、マキシの
情報が、超誇大に喧伝されていたりしました
>>65の実例で言うと、量産車種にもかなり特殊仕様がカタログに載っていたりするようですね。
前にTopGearでも東側特集をやってましたけど、かなりニヤリとするモデルが多かった………
輸出用はさすがにある程度の高級化を施してくるようですけどw
そういや、英国だとワンメイクラリーのシリーズ(確かラダ)もあったようです。
68 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/10/07(水) 12:38:18 ID:tV4Z3uWmO
ザクセンリンクって、ホルヒのエンブレムを付けてたね。
>>68 P-240自体がホルヒ系のエンジン設計を流用してフラッシュサイドボディを与えたような成り立ちでしたからね。
タトラ613にも社会主義時代にインジェクションモデルがあったけど高官用の特殊リムジン専用で、キャブ標準が続き、
一般型がインジェクションになったのは民主化後、とか、もう上のためならやりたい放題ですね。
何というか、小型車メーカーと、中型・大型車メーカーが入り組んでいて、皆目正体を掴めないのが共産圏のクルマの傾向でしょうか。
ついでに思うところを言うと、ラーダのセダンを共産圏のクルマの代表に挙げるのは抵抗感があります。
西側で最もよく知られたソ連車(ロシア車)だから無理もないんですが、元はフィアットの正式なライセンス生産車であって、
東のオリジナルではありませんから。
>>64 > 以前、或るスレッドで“エスティマはバックする時の方が空気抵抗少ないのでは?”って話が出ていましたが
> バンパー等をスムーズにボディーと一体化させないと、多分それは無いだろうと思います。
その話が本当なら、600ムルティプラの空気抵抗はどうなのか、ちょっと気になりますね。
バックする時の方が空気抵抗が少ない車と言えば、もっとも有名なのが初代911でしょう。
これは911がデビューした当初から巷で噂されていましたが、メーカー側はあくまでノーコメント。
それならばと、某自動車誌は実際に911を風洞に持ち込んでバックで計測するという企画をやりました。
その自動車誌とは? そして気になる計測結果は如何に?
逝ってる氏なら当然御存知ですよね。
意外に東欧ネタってお好きな方が多いようですね。
>>65-66 わざわざご返答有難う御座います。考えてみれば(考えるまでもなく?)
普通の感覚だと、メーカーが試作車をそのまま実用にするなんて無茶しようとしてもお役所が認めないものですが
メーカーもお役所も皆一体みたいな旧東側ではそんなの平気になっちゃうのでしょうね。
>>70 CG誌上で昔やってましたね。
確かGPブガッティとかも一緒にCD値計測していたように記憶しています。
で、その911使ったおバカな実験(w)結局、ちゃんと前向きの方が抵抗少なかった筈。
つか、今の常識で見れば「911はバックの方が空気抵抗すくないのでは?」って考える人もいないのでしょうが。
しかしエスティマみたいな形状だと、後ろ前にした方が雨滴型に近くなり
先端をスムーズにしてしまえば、抵抗も少なくなるんじゃないか?とは思います。
で、その某スレではエスティマのオーナーさんに
「ギアボックス組み換えて、バックで燃費試してみろ。(何故か)全裸で」
って話が進んでいたのですが。その後どうなったのかは不明(やる訳ないって w)
あらためて先日のタトラ603
http://www.ltv-vwc.org.uk/wheelspin/ws_june_2003/early-Tatra-603.jpg この三灯型ランプのモデルは二玄社「昭和の東京カーウォッチング」にも登場していたように
日本でも走っていたようです。
http://bringatrailer.com/wp-content/uploads/2009/05/1966_Tatra_603_Sedan_V8_For_Sale_Front_1.jpg でこちらがマイナーチェンジ版四灯型(For_Saleですと・・)
写真で見るものの多くはこうした比較的地味な色の車が多いですが、
先日の動画のようなツートーンに塗られた車は、ちょっとアメリカ車のようにも見えます。
サイズ的にはWB2750mmと言いますから、現代の中型車並み。前後オーバーハングが長いので全長は5m程。
エンジンは2.5リッター程度の空冷V8。
ちょっと縮小されたタッカーみたいでもあります。
もっともタトラ側に言わせれば、こちらの方が本流って言うのでしょうけど。
イタリアの戦車は前進一段、後進五段の変速機を装備・・・
というジョークを思い出しました。
すいません、それだけです。
>意外に東欧ネタってお好きな方が
当時は地域丸ごと、なにやってるのかわかんないところでしたからw
また、ドイツが分断されたり、オペルの生産設備がソビエトに持っていかれた結果、
「もし別の進化を遂げていたらどうなっていたか」というSF小説みたいな仮定を、
東側の車は実際に形にしてくれたわけで、そこも面白い。
東側は計画経済で、車でも工場ごとに作る車種や分野が党に指示されていましたが、
戦後、タトラは大型のトラックや軍用車専業になるよう通達されました。
そのときに没になったのが前述の201系ですが、タトラプランも同時に没になるはずでした。
タトラがそれに頑強に抵抗したおかげで、その後の600系、700系と大型乗用車の歴史が
続いていくわけです。
74 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/10/08(木) 03:19:05 ID:Ux/HeBDXO
タトラが目ん玉を3つ4つ真ん前に鎮座させられるのは、リアエンジンであればこそ。
タッカーの三つ目よりラジカルな造形だ!
さすがロボットを初めて発想した国、恐るべし。
そう言えば、タトラ603辺りのデザインってレトロなSF調と共通するものが有りそうですね。
タッカーってのも、計画初期のデザイン画では、四つのフェンダーが全てボディーから独立したような形で
SF的だったようですが(何処かに絵が有った筈が失念)生産型は、かなりあれでも大人しくされたようです。
さて、流線形の話をするとき避けては通れないのがドイツの空力学者パウル・ヤーライさんの名前ですが
この方も先日のエドムント・ルンプラーさんと同様、元々は航空機畑の方だったそうで
風洞を用いて飛行船の形状の改良を行っていた方だったとか。
飛行船程、空気抵抗の影響を大きく受ける乗り物もないと思いますが、
20世紀初め頃の飛行船は両端を尖らせた円筒のような形状で、ほぼ前後対称形だったのを
ヤーライさんは雨滴型に近付けると、それまでよりも見た目鈍重な形状だったにも関わらず抵抗は激減。
これ以来ヤーライさんは雨滴型の信奉者となり、第一次大戦後ドイツが航空機開発を禁じられると
自動車の世界に転身して、空力ボディーの開発を提唱したそうです。
・・っつうのは良く知られた話ですが。
今の私等の感覚ではちょっと奇異な感じがするのですが、ヤーライさんはこの“空力ボディー形状”で
世界中で特許を取得したそうです。
フランスのフラムボワイヤン派のフィゴニ・エ・ファラシ辺りも球根型タイヤ包み込みフェンダーの形で
同様に特許取得した事も知られていますが
自動車ボディーの形状で特許が取得出来、似たような形を取り入れたメーカーを相手には
パテント侵害の訴えも起こすってのは、或る意味当然ながら今では考え難いこと。
事実、ヤーライ型シェイプを取り入れたエアフローを発表したクライスラー社を相手取り
ヤーライさんはパテント料の支払いを求めたそうですが、それが結局どうなったのかは不明です。
或いはこの時にウヤムヤになって、それが悪しき前例となって後の日本車とか
今の中国製自動車の“パクリデザイン”横行につながっていたりして・・(w
そりゃそうと、ヤーライさん。今のエスティマ見たら「自分の特許デザインを前後逆に使っている」と
言うのでしょうか(しつこい? w)
>当時安全性を前面に打ち出して夢の車を謳ったタッカー車が、欧州での流行に乗って
>何故リアエンジンレイアウトを採用したのか?ってのは少々不可解に思えます。
ジャーダのスターケンバーグやその後のショーモデル(換骨奪胎でリンカーン・ゼファーになりますが)やら
ダイマクシオンカーのように、シカゴ博の時期にリヤエンジンのモノがあったじゃないですか。
とはいえ、メカニズム面に携わったハリー・ミラー(インディレーサーのあの人です)がなぜリヤエンジンを
採用したのかは謎なんですが。
これまた珍しい プレストン・タッカーの試作装甲車
背中に、戦時中タッカーに財産をもたらしたターレット銃座が載ってます
http://www.youtube.com/watch?v=mTga-68fplQ
>76
フリッツ・トートは1930年代のアウトバーン建設をコントロールした、エンジニア&プランナーとしては相当有能な人物でした。
現代の高速道路と基本的コンセプトの変わらないアウトバーンのデザインを作り上げた立役者ですね。
バリバリのナチ党員ながら、「物量戦必至で、我々が連合国とガチで戦っても絶対勝てないから、マジでやめてくりゃれ」
と必死でヒトラー止めてたような技術屋としての見識もあったんですが
(もちろん、そんなまともな認識なんかチョビ髭が聞くはずもなかったんですが)
最後は軍需大臣に任命されて「こりゃダメだろう」と頭を抱えながら東西奔走、航空事故で1942年に亡くなってます。
この人がいなかったら、たぶんタトラT87はダイムラー・ベンツやアウトウニオンの圧力でチェコ併合早々に消えていたでしょう。
タトラはメーカー自体が自動車生産40年の経験の蓄積でT87まで到達してるわけですが、
業界の新入りだったタッカーは「設計も企画も無謀だった」としか言いようがないですね。
出来上がった最終完成型ですらあれだけ無謀なメカを満載しているのだから。
経験による蓄積の乏しい企業が、とっくに成熟しきった市場に対して
ケレン味の強い新製品でいきなり参入しても勝算は薄い、ってことでしょう。
新規参入でも、クルマとしては平凡だがまっとうなカイザー・フレーザーすら10年足らずでフルサイズから撤退を余儀なくされ、
ビッグ3以外の歴史ある各社が退潮期に入っていた時代で、市場は完全な爛熟期でしたから。
>>79 成る程、トート博士って、そんなに偉い方でしたか。
ところで、時々思うのですがBIG3っていう言葉は何時頃から使われ始めたのでしょうね?
最初の“クライスラー”が生まれたのが1923年。
1930年代半ばには一時的とは言えフォードを抜きアメリカ第二位のメーカーとなっている訳ですから、
20年代終わり頃には既にこの呼び方が生まれていたのでしょうか?
>>78 ハリー・ミラーさんは戦時中の43年に病気で亡くなられているそうですから、
タッカーの“トーピード”とは直接関わっていないと思うのですが。どうなのでしょう?
1934年のシカゴ博頃に表れたアメリカ製流線形試作車の類の話は、以前もこのスレッドに出ましたが
ジョン・ジャーダさんのスターケンバーグには一般のアメリカ人は
そのスタイルには好意を示しつつもリアエンジンレイアウトには不安を持っている事が判明した為
この時ジャーダさんのスポンサーだったフォード社(つか当時の社長・エドセルさん)は
フロントエンジンに改めさせたとか。
その話に以前触れたときには、その少し前にバックミンスター・フラーさんが提唱したリアエンジン流線形試作車
ダイマキシオンが横転事故を起こした事との関連を指摘されました。
こうしたことから、恐らく第二次大戦後にフォルクス・ワーゲン・ビートルが流行に乗る迄は
多くのアメリカ人はリアエンジンには懐疑的だったように思います。
客室前にボンネットを形作り、中にエンジンを収めるというフロントエンジンレイアウトが一般化したのには
「馬無し馬車」と呼ばれた黎明期の自動車に何処か物足りなさを感じていた昔の人達が
心理的な“馬”を取り戻した事も有るのではないか?って見方も有るようです。
「そんなこと、あるのか?」と馬車に馴染みも無い私等は考えますが
実際に“馬無し馬車”に取り付ける飾りとして馬の頭のハリボテが昔は売られてすらいたと言いますから
“馬がいない事の不安・物足りなさ”を感じていた人ってのは本当にいらしたのでしょう。
庶民層まで馬車が浸透していたアメリカでは特にその傾向が強くリアエンジン車には
拒絶反応が有った・・なんて事も満更冗談でもなかったりして・・
>ダイマキシオンが横転事故を起こした事との関連を指摘されました
懐かしい。それ私だw
>ハリー・ミラーさんは戦時中の43年に病気で亡くなられているそうですから、
>タッカーの“トーピード”とは直接関わっていないと思うのですが
ミラーとタッカーの関係が見えてこないと、なぜ設計にミラーが絡んできたかがピンとこないと思いますので少々。
1929年に二人は知り合い、意気投合します。
無口で交渉事と経営が苦手なミラーを、弁舌が立ち交渉と経営に秀でたタッカーが支えることで関係は深まり、
1935年には、ミラー=タッカー株式会社を設立するまでに至ります。
こうした二人の関係により、タッカーの設計する各種のモノには、ミラーの設計、アドバイスが入るようになります。
戦時中、自動車への戦後参入を目指して二人で構想を固めてゆき、本格的にプロジェクトを進めようと、ミラーを
チーフエンジニアに据えようとしたところで、ミラーがガンで死去します。これが1943年。
その後、ミラーに代わる人物として、1944年からタッカーの設計を引っぱったのがベン・パーソンズ(Ben G Parsons)
ミラーとの交友の中で知りあった人物で、友人、タッカーの依頼を受け、技術担当副社長を無給で引き受けました。
パーソンズが設計に参加した時点で、リヤエンジン、フラット6、安全設計といった基本は固まっており、
後年のインタビューにパーソンズは
「ミラーとタッカーはすでに基本レイアウトを決めていた。私はそれを整理しただけさ(意訳w)」と答えています。
逆に新参者だから、戦後に新しく車を買う世代にアピールしようと、
何もかも新しくしようとしたのでは。
もちろん、コケる可能性のほうが大きかったわけですが、戦争で唯一、
大きな被害を受けてない大国、アメリカの勢いのあった頃ですから、
タッカーの夢(野望かな?)も、大きくなったかと思うんです。
結局、アメリカの豊かさは、革新的な車より、中身は保守的でも見た目が派手な車を
選んだように思えますが・・・
83 :
82:2009/10/12(月) 01:38:45 ID:vajskAYw0
リロードせずに文章書いてる間に
>>81さんの書込みが w
戦前戦中からの構想だとしたら、
>>82の推測は的外れですね。
>>83 いあいあご遠慮なさらずに。その感覚で合っていると思いますよ。
勢いのあるアメリカ、自動車には戦時統制が掛かっていて、イエローフラッグ&セーフティカー状態。
戦後、一花咲かせようと夢見て消えたブランドは大小いっぱいあります。
このタッカーもそうですし、戦時生産で鬼のように早い造船で名を馳せたカイザー・フレイザー、
プレイボーイ、ケラー、タウン・ショッパー、グレゴリー うんたらかんたらと、アホほど戦後に乗り出した
お花畑組はいました。
(さすがにカイザー・フレイザーはお花畑扱いしちゃ失礼かw)
それでも、新規参入組なのに不利さを認識できず大手とフルサイズで張り合おうとし、
相方のフレーザーから見放されたカイザー社長の暴走は、お花畑組と大して変わりないと思いますよ。
AMCのジョージ・ロムニー社長が、形勢不利と判断してナッシュとハドソンという栄光のネームを切り捨て、
コンパクトモデルであるランブラー主力化へ戦略変更したような勇断(これでAMCの寿命はとりあえず20年延びました)は、
並の経営者ではなかなか難しいことだと思います。
カイザーは土木で財をなした自動車オタク、フレーザーは車メーカーで社長まで務めた
経歴を持つ業界人ですから、フレーザーの方が現実を見極める眼があったのでしょう。
何より周囲が大馬力化を競いあっている状況で、直6エンジンをコンティネンタルに頼り、
ATをGMに頼り、ついにV8を調達できないまま最後にスーパーチャージャーに望みを
託しているような状況では、とても勝負にはならないでしょうね。
さて、先を読んだ経営手腕なのか、時の利を得たのか、幸運に恵まれたのはランブラー。
カタログ落ちから三年後に、古いプレス型を引っ張り出して少々手直ししただけの復刻版。
大元をたどれば基本設計はもっと古い。
そんな新味のない復刻車が、赤字続きのAMCを黒字に引っぱり上げ、プリムスを蹴落として
ブランド別売上げランキングの三位に踊り出る。
ちょうど他車が巨大化の頂点に来たライバル不在期、かつ不況の年という幸運があったとはいえ
あまりにもサクセスストーリーすぎて不思議ですよね。
久しぶりに覗きましたが、ココは相変わらず知識自慢大会ですなw
今度はこっちで粘着荒らしかwww
>>88 >ところで昨日は面倒だったので
>皆リアエンジンと括りましたけど
あ、すんません。私も面倒で同じ扱いをしてました。
ダイマクシオンは車という視点より、羽根のない航空機という方向から見たほうが
何となく腑に落ちるような。
(何となくこいつを見ると、長野のイナゴの佃煮を思い出してしまいますw)
さて、航空機ということで、現代の眼からはあまりにも無邪気というかおバカなものを
1956 Chrysler Flight Sweep TV Spot
ttp://www.youtube.com/watch?v=yCVqlxiYDYA 56年モデル発表の半月前に、期待感を煽るために番組内で流された広告ですが、
自動車を売るというより、玩具の夢を売るような時代だったのですね。
「クライスラーのフライト・スウィープ、あなたはきっと欲しくなるわ」
歌詞もひでえw
91 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/10/13(火) 20:08:51 ID:h54Fz2uHO
なんか最近ここのスレもイカレてきたなあ(笑)
>>87 こんな所でしか知識を披露する場が無いのでしょうね。
実生活で語り合える仲間が居ないというのは憐れです。
94 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/10/14(水) 01:44:48 ID:358q44+l0
p5165-ipad05yamaguchi.yamaguchi.ocn.ne.jp
p5088-ipad201yamaguchi.yamaguchi.ocn.ne.jp
p5015-ipad05yamaguchi.yamaguchi.ocn.ne.jp
p2077-ipad205yamaguchi.yamaguchi.ocn.ne.jp
p4084-ipad05yamaguchi.yamaguchi.ocn.ne.jp
p2025-ipad05yamaguchi.yamaguchi.ocn.ne.jp
p1218-ipad03yamaguchi.yamaguchi.ocn.ne.jp
そして今度は携帯で自演www
95 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/10/14(水) 01:58:56 ID:358q44+l0
・・あんまり古い車のはなしばかりが続くと退屈に思う方もおられますかねぇ?
ま、もうちょっと(?)ご辛抱を(w
>>90 50年代のポピュラー音楽って物自体が今の目で見れば無邪気で、ちょっとおバカなものだったと思います。
昔、日本で使われていた「軽音楽」なんて言葉には、そうしたものを軽視するような意味合いもあったのでしょう。
ところで、またダイマキシオンですが。
“車というより羽根の無い航空機”という感じでしょうか。私は同じ航空機でも飛行船の方を連想します。
まぁ、飛行船で言うならばガス室に乗るような話になってしまうのですが・・。
で、飛行船のような自動車というと思い出すのがもう一つこれ。
http://gazoo.com/meishakan/meisha/sum/8266.jpg 1914年、ミラノの貴族マルコ・リコッティ伯爵なる方が特製させたカスターニャ・アルファ。
ダイマキシオンに約20年先駆けている訳ですが、この頃には未だパウル・ヤーライさんの風洞実験前で
こうした完全な雨滴型は路面の影響を受けて効果が発揮出来ないということは知られていなかったようです。
建築家バックミンスター・フラーさんがダイマキシオンで何をしようとしていたのか?っつうのは
私には良く判りません。
雨滴型空力ボディーを作りたかったという意思は読めても、この頃には前記したような空力理論は既に有り
上下半分に割っていない完全雨滴型を試みた事自体が最新理論に疎かった証拠と思います。
またカスターニャ・アルファや先日話に出たルンプラー・トロップフェン・アウトのように
四輪が露出したり別体のフェンダーを装備するのを嫌って三輪としたのは判りますが
その結果走行安定性に問題を抱えたのは本末転倒でしょうし
デッドスペースだらけの車内構成も建築家らしからぬと思います。
その点、我等がムシュー・ガブリエル・ヴォアザンはさすがに切れ方も一枚上手(w
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12771.jpg 以前にも何度か話に出たコッシネーユ(てんとう虫)。実車の製作に迄至らなかったのは残念なところ。
もっとも、この車の本当の狙いは別のところにあったそうですが。
荒らしの正体が判りました。
ビキニカンフーへようこそ◆009nyOw1.g
↑コイツが犯人です。
失礼します。この荒らしを観察している者ですが、情報提供します。
コイツは「全裸マン」といって、車板で荒らしまくる推定40代の荒らしのオッサンです。
◆009nyOw1.g というトリップを使い、荒らし仲間から「ビキカン」と呼ばれています。
よく「全裸」という言葉を使いたがるので「全裸マン」と呼んでやればかなり嫌がりますw
ミニバンは全部クソと言ってますが、フランスのシトロエン社のミニバンならOKとか言うバカっぷりですw
人のレスする時間を調べるのが大好きな変態オッサンです。
コイツに同じ内容のコピペで対応すると逆に「連投コピペ荒らし報告」してアク禁にする小細工を
しかけて来るので、ひたすら私生活のウダツの上がらなさをボコればヘタレなので逃げますよ。
別に誰だっていいです(正直面倒臭い)
昨日の話の続き。
ガブリエル・ヴォアザンという方は、元々飛行機屋さんだっただけのことはあり、空力にも熱心で
例の1923年GPカー“ラボラトワール”などは流線形の流行すらも飛び越えて時流を半世紀近く先取りする
楔形・ウェッジシェイプを取り入れていました
http://farm3.static.flickr.com/2258/2221039432_43e1c660fc.jpg この復元車(乗員を見ないように w)の写真を見ても「これの何処が?」と思うかも知れませんが
こちらの模型(ペーパークラフト)の写真で見ると判り易いと思います
http://pierreg.free.fr/carton/projet/voisin/vlab01.jpg クサビ型を強く志向していながらも、フロントエンジンに拘った為にエンジンがクサビから飛び出した形が
理解出来るでしょうか。エンジンフードが無ければ70年登場のロータス72並みのエアロスタイル。
ヴォアザンさんにとって、空力は非常に大切なものではあっても
それが車体全体のバランスや使い易さに勝るということは無かったのでしょう。
自動車メーカー・ヴォアザンは当時の慣習に従わずに全てのボディーを自製したことでも知られますが
その殆どは当時の流行に流されることなく、流線形とか空力的とかという言葉とは無縁なもの。
自らが信じる“良い形”にのみ忠実であったと思われます
(その“良い”というのがエットーレ・ブガッティさんとはまた異なる意味で癖が強いのですが)
で、昨日の画像の菱形車輪配置の“コッシネーユ”
この車は60年代にピニンファリーナが完全な流線形を志向して作った同様の車輪配置社“PFX”と
同列に見られがちでしょうが、ヴォアザンさんの本当の狙いは流線形ボディーよりもむしろその運動性にあり、
ラジアル(星型)5気筒のスリーブバルブエンジンがこの車のために作られ
リア・ミドシップとされる予定だったそうです。・・どういう配置にされる筈だったのでしょうか?
彼はこの車を“未来の車”と位置付けていたそうですが、せめて一台限りの試作車でも作って欲しかったところ。
あまりに突飛な計画故に、ラボラトワールのような復元車も作れないでしょう。
>>96 ヴォアザンさんの菱形車両は「未来の車(voiture de l'Avenir)」という、身もフタもない名前で
発表されていたかと思うのですが、coccinelleという名はどこから出てきたのですか?
ずいぶん以前にオタク養成スレかどこかで、第一次大戦前から戦中に発売されていた
サンビーム・メイベリーやサーペンティナのことを書いた覚えがありまして、菱形配置というのも
すでにヴォアザンがこれを世に問うた1934年には、過去の再発見でしかありませんでした。
とはいえ、菱形の機動性や側二輪の大型化による乗り心地の向上という点は、捨てがたい
魅力があったようで、著名な建築家、フランク・ロイド・ライトも同配置の車の図を残しています。
なんか連発になってきたw
>>96 >ところで、またダイマキシオンですが。
>“車というより羽根の無い航空機”という感じでしょうか。私は同じ航空機でも飛行船の方を連想します。
これははっきりと飛行船ではなく「羽根のない航空機」なんです。
ダイマクシオンの前にフラーが手がけていたものに「4D」というものがあります。
鋼管フレームに、前二輪、後一輪配置、流線型の胴体に、空気袋式の収納可能な主翼が付いたものです。
要は、自動車に続きやってくるであろう、ガレージに入る軽便な自家用飛行機ですかね。
この4Dの基本レイアウトから翼を取っ払うと、ダイマクシオンのできあがり。
>>96 ヴォアザンさんの菱形車両は「未来の車(voiture de l'Avenir)」という、身もフタもない名前で
発表されていたかと思うのですが、coccinelleという名はどこから出てきたのですか?
ずいぶん以前にオタク養成スレかどこかで、第一次大戦前から戦中に発売されていた
サンビーム・メイベリーやサーペンティナのことを書いた覚えがありまして、菱形配置というのも
すでにヴォアザンがこれを世に問うた1934年には、過去の再発見でしかありませんでした。
とはいえ、菱形の機動性や側二輪の大型化による乗り心地の向上という点は、捨てがたい
魅力があったようで、著名な建築家、フランク・ロイド・ライトも同配置の車の図を残しています。
星型エンジンは、後輪に入りそうな気がしますな。
(一説には七気筒星型という文献もありますね)
星型エンジンということでこれを。
可愛いゴゴモビルに星型エンジンを積んでしまったナイスなキ○ガイさん
いい音させて走ってて笑えますw
Radial Engine Powered Goggomobil
ttp://www.youtube.com/watch?v=1TIdQFnUvCA >>96 >ところで、またダイマキシオンですが。
>“車というより羽根の無い航空機”という感じでしょうか。私は同じ航空機でも飛行船の方を連想します。
これははっきりと飛行船ではなく「羽根のない航空機」なんです。
ダイマクシオンの前にフラーが手がけていたものに「4D」というものがあります。
鋼管フレームに、前二輪、後一輪配置、流線型の胴体に、空気袋式の収納可能な主翼が付いたものです。
要は、自動車に続きやってくるであろう、ガレージに入る軽便な自家用飛行機ですかね。
この4Dの基本レイアウトから翼を取っ払うと、ダイマクシオンのできあがり。
それと、フラーの本業である建築家としての仕事を見ても、
やっぱりそんなに普遍性のある仕事をしたわけではない。
コルビユジエとも異質なタイプの「奇才」ですね。
確かに着想は概して凄いんですけど、コルビユジエ、ライト、ミースファンデルローエなどのような現実味がいまいち薄いというか。
ほら、1回で書けるだろ
>>100 コッシネーユっつう名前は、私が最初にこの車の計画を知った佐藤章三さんの著作に書かれていました。
また先日の画像を拝借したCG88年10月号でもそう呼ばれていましたが
“ラボラトワール”と同様、ガブリエルさんがそう呼んでいたという呼び方のようです。
随分前にも、このスレッドで菱形車輪配置車の話は出ましたが、
確かその時には他にもダンクレイ(1896年)とか画像も残っていない(見つからない)ものとか
果ては1912年のウーズレー・ジャイロ搭載自立二輪車とか迄いろんな変り種が出て来たと記憶しています。
しかしこの菱形車輪配置って乗り心地は実際にはどうなのでしょうか?
単純に考えて、路面のギャップに対し通常・前・後輪で二回ショックを受ければ済むところ
前・中・後輪と三度受けなければならないのは辛いところで
軍用六輪装甲車のように(乗った事はないですが w)酷い乗り心地になるのでは?って気もします。
またこの手の車。実際にモノになったのはサンビーム・マブレイ(メイベリー)くらいのものでしょうか?
ダンクレイって会社も一応市販したらしいですのですが、良く判らないところであります。
で、ダイマキシオンですが。考えてみると当時の航空機は殆どが地上では前二点の三点支持。
ダイマキシオンが三輪なのもその名残りってところが有るのか?などと考えてみたり・・
また、この車(?)良く“ダイマキシオン No.1”とも言われますけれど、No.2以降も計画は有ったんですかね??
建築家さんのことは私は良く知りませんが、ガブリエル・ヴォアザンさんもプレハブ住宅の製造販売を
一時期計画していたように、何処か車のデザイナーと共通するところは有るのかも知れません。
有名なル・コルビュジェさんにも1928年に“人間サイズの車”っつう提言をされています。
これは何かの企画に応じて作られたもので、コルビュジェさんが自発的に行った提言ではなかったかも
知れないっつう、うっすらとした記憶もあるのですが。
http://lint.s1.x-beat.com/up/img/up12772.jpg 写真はSCG07号から拝借したもので、ずっと後にこの計画に共鳴したジウジアーロさんが製作された
木製1/1モデル。
前三人掛け後席は横向きに一人という構成の四人乗りでリアエンジンを予定していたそうです。
>“ラボラトワール”と同様、ガブリエルさんがそう呼んでいたという呼び方のようです
なるほど、そうでしたか。ご教授ありがとうございます。
長いスパンで同じネタが回りますね。
ここしばらく、あえてアメリカ車や東欧車のネタを引っ張り出してきているのですが、
ご自分の守備範囲にすぐ戻っちゃうようでは、また閉じた輪の繰り返しですよ。
>>105 フラーの場合、彼個人の哲学と宗教のミクスチャーに心酔しないと無理ではないかと。
口は悪いんですがフラー教。
例示された近代建築三大巨匠との決定的な違いは、その人の生きた現代との接点がなく
遊離した存在であることのように思えます。
フラーのデザインはいささか後年のポストモダンじみた気味さえありますしね。
同時代の主流思想であったインターナショナルデザインとは異質に過ぎます。
私としては、組み立ての速さ以外は使いにくいこと甚だしいジオデシック・ドームコンセプトをブチ上げたり、
円形ドームプレハブ住宅を提案してる時点で
「だからその意味は?」としか思えないのです。
コルビユジエの都市計画や自動車など、様々な機能に即した合理性ある提案と比べると、フラーは理解に苦しむところが多い。
やたらに博覧会のパビリオンのようなケレン味を持ちこんで、首を傾げるようなことばかりしているんですけれど、
アメリカという国の余裕がこういうヘンな人の存在余地を残していたのかも知れません。
なお、私は建築も思想もポストモダン系は大嫌いです。アンチのためのアンチなど芸術分野だけでやっておればよろしい。
逝ってる氏へ
CG誌やSCG誌の奥付には「無断転載を禁ず」と明記されています。
スキャン画像を好き勝手にアップロードするのはやめたほうが宜しいかと思います。
どうしてもと言うのなら (株)日本著作出版権管理システムに連絡して許諾をもらって下さい。
そして1頁につき30円の転載料を支払わなければなりません。
以上、老婆心から言わせて頂きました。
112 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/10/17(土) 11:05:52 ID:f9s4oirmO
↑要するに、出典元が特定されないように十分工夫するか、ご自分で撮影された画像を使用すれば、宜しい。
113 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/10/17(土) 13:54:03 ID:m2ATbyHs0
コテ粘着キモス
>>108 同じネタが繰り返されるっつうのは自覚も有って。
以前触れた事でも、その後思い直す事が有ったり、新たに判った事が有ったりすると、気になって書き直し。
また其処が好きな話ですとダラダラと続けてしまいがちになるのは気を付けたいと思います。
>>111 確かに。以前は絶版になっていたりで入手の難しいものは仕方ないかと思っていましたが
その後オンラインで誰でも過去の記事を購入可能になるなどの変化もありましたし
今後自分でアップするのは自分で撮影した写真と、せいぜいメーカーの広報写真・広告程度に控えます。
さて。建築に関しては昨日も書いたように私は門外漢ですし、
著名な建築家さんの残した作品を現実に使用することも、かなり限られた経験しか有りませんので
何も言えないところかも知れませんが。
使用する立場からの使い勝手となれば、その顧客の資質を抜きに考えられないでしょうし
また建造された場所から動かない物を、その周囲と切り離して考えるのは無理と思います。
ガラスのピラミッドを砂漠の中に作るのとルーブル宮の中に作るのとでは意味合いが異なるモノでしょう。
この事は本来車にも言えることで、例えばその走行性能も交通環境が異なれば評価は変化するもの。
また外観にしても周囲の景観に印象が左右されるものでしょう。
ところが自動車と建築が違うのは、当然移動が可能だということで。
ある国で作られたものが他国で使われるということが珍しくない訳ですから、
作られた国の景観の中でのみ良く見える車というのが存在しても、評価は低くなるのは仕方ないところ。
ですから“美しい車”と言われるものは、何処に置かれてもそれなりに見えないと美しいとは言われず
実物を見る機会の無い人にも写真でその良さが伝わる物でなければならず。かなり難しいもの。
それだけに、過去に著名な建築家さんとか彫刻家・イラストレーター等が
工業デザイナーの作品を不満として自らの理想を具象化してきたのでしょうか。
そう考えると、都市計画との関わりを抜きにしては考え難い建築家さんが自動車デザインに興味を抱くのも
理解出来るような気がします。
>>110 ポストモダンは、ムーブメントを仕掛けるところから始まった臭さがあって好きじゃありません。
学生運動でいうなら、訳もわからぬまま、まずはお約束で「ナンセンス!」と叫ぶ様式美。
いろいろ理論付けはあったものの、後年からみれば単に「擬似装飾の時代」とでも言われる
のかもと感じます。
ともあれ、それをかたちにしたAT&Tビルの建築家が、インターナショナルデザイン(スタイル)系の
フィリップ・ジョンソンだったのは、何ともいえない皮肉です。
金太郎飴と揶揄されたデザインへの反動だったのでしょうか、トヨタらしくもなかったが、車らしくも
なかったのが、一連のWill。
トヨタの社内ベンチャーから始まったためか、主張を発信することに呪縛され、車としての機能と
かたちを擦り合わせることも適わなかったのでしょうか。
今となっては、Willも何も残さなかったように思えます。
99 :相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ :2009/10/16(金) 00:06:54 ID:36wUQBy+0
別に誰だっていいです(正直面倒臭い)
16 :相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ :2009/10/02(金) 07:55:23 ID:c3f2lyVe0
↑ ミニバンは嫌いと言いつつ、ミニバンの話をするのは好きだってのも、
不思議つか変った御人だね
43 :相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ :2009/10/02(金) 00:10:29 ID:c3f2lyVe0
そう言えば、レーシングタイヤがラジアル構造になったのって何時頃だったでしょう?
16 :相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ :2009/10/02(金) 07:55:23 ID:c3f2lyVe0
↑ ミニバンは嫌いと言いつつ、ミニバンの話をするのは好きだってのも、
不思議つか変った御人だね
>>116-117 ??タマには他スレに書き込む事も有りますよ。普通に。
>>115 パンクロックみたいな話ですかね?
トヨタのWillっつうのも、つい最近の事にもかかわらずすっかり忘れられたことのよう。
確かに言われる通り、先に企画ありきで中身が乏しかった事は否めない気がします。
車そのものの面白さから言えば、その前にニッサンが初代マーチをベースにして作った
一連のパイクカーの方が上だったようにも思いますし。
さて、ちょっと時事ネタですが。
昨夜(日本時間で)のブラジルGPで今年のF1年間王者がジェンソン・バトンさんに決まりましたが
シーズン序盤で大量リードを築いた後、後半はナンともパッとしない成績で、なんとなく影の薄い王者決定劇。
勿論バトンさんの資質に異議を挟むものではありませんし、
勝利を得たレースの中には、周回数不足のまま途中打ち切りでポイント半分にされるという
不運な事も乗り越えての選手権制覇ですから立派とも思います。
しかしそれもシーズン序盤・二戦目でのことで、人々の印象には強く残っていないでしょう。
シーズンも大詰め近い頃に、そんな事が起きていたならば、かなり違うイメージで語られるのでしょうけどね。
これは私の勝手な見方でしょうが
彼は序盤で大量リードを築いてしまった後は気持ちが守りに入ってしまったかのように思えます。
一つのシーズンの中で、こう両極端な前・後半を過したドライバーも少ないかも知れません。
時々思うことですが、頂点で活躍するレーシングドライバーの能力の中に占める
所謂気力の割合ってのはどれほどのものなのでしょうか?
以前にも我々は何人も「この人の力はこんなものじゃないだろう?」って思わざるを得ないような晩年(?)を過す
ドライバーを見ています。例えば78年のチャンピオン、M・アンドレッティさんの翌年とか
ネルソン・ピケ(父)の最後のロータス時代。最近ではジャック・ヴィルヌーブさんなど。
決して腕が衰えたとも思えないのに不振に陥り、負ける相手とも思えぬチームメイトにも遅れをとった彼等を見ると
理由は様々でも気力が漲らないってのは、厳しい戦いの中で非常に大きなマイナスだったと思います。
>>118 F1GPの場合はマシンの性能が大きく関係していますからね。
ロータス80は完全な失敗作でしたし、ロータス101は非力なジャッドエンジンでしたから。
ウィリアムズFW20もメカクロームエンジンではどう頑張っても勝てなかったのでしょう。
もっとも、ピケはキャリア最後の2年間にベネトンで3回も優勝していますから大したものです。
ブラウンBGP001は、ホンダが昨シーズンの戦いを諦めて丸1年かけて開発したマシンです。
今季開幕戦からいきなり連勝したのは当然の結果で、さらにディフューザー問題もありましたしね。
とは言えメインスポンサー無しで資金不足はどうしようもなく、マシン開発もほとんど進まず。
それでシーズン半ば頃になると、マシン開発を進めた他チームに太刀打ちできなくなったのです。
私は、バトンは常にマシン性能を100%出し切って戦っていたと思いますよ。
>>119 まぁ、これは全く私の個人的主観ですから、いろいろと思われることも有るでしょうが。
前半戦では圧倒したチームメイトのボブ・ホープさん(w)に後半戦では分が悪い成績に終わったのが、
不満と言うほどでもないですが、ちょっと引っ掛かるところ。
もっとも、大量リードを築いた後は無理をせずに後続の様子を伺うってのは有って当然のことですから
後半戦も追い上げる側にもっと勢いが有れば、また展開も変った可能性は高いと思います。
昨日挙げたかつての名ドライバー達が低迷期を迎えたのには、皆それぞれに原因は有るでしょうが
チームメイトとの比較から、今思えばなんとなく腑に落ちない思いが残るもの。
細かく見ていくと、例えば79年のマリオ・アンドレッティさんなどは
当時のチームメイト・C・ロイテマンさんには早々と失敗作80を諦めて前年型の改良版が与えられたのに対し
開発能力を高く買われたマリオさんは思うように走らない80に専念させられたりと
チーム内の事情も見えて来ますが。
まぁ、こうした同じチーム内のドライバーとの比較を書くと、
どうしてもそれぞれのチームメイトの実力を軽視してしまうような話になるのであまり踏み込みませんが
一旦何らかの原因で崩してしまうと、中々元には戻せないのが調子の波というもの。
低迷期にあった頃の名ドライバーさん達は皆、単に腕が落ちたとも考えられませんし
やはり気力の充実が以前のレベルになかったように思うのです。
そう言えば、F1レーサーなどが引退する時の言葉って、大概が体力ではなく気力とか
危険に立ち向かう理由が希薄になったなど、精神的なものを理由としている事が多い気がします。
まだ年齢的には中堅どころ、29才と若いジェンソン・バトンさんには
とりあえず残る最終戦・アブダビGPでそうした懸念を払拭する快走を期待したいところ。
また、可能性はあまり高くないようですが、WRCの第一人者セバスチャン・ローブさんの
トロ・ロッソからの出走という噂の実現も期待しております。
アメリカン・フォーミュラを除けば、他カテゴリーの王者がF1GPに参加するというのは
マイク・ヘイルウッドさん以来ではないでしょうか?
121 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/10/21(水) 02:10:35 ID:+9gV4G7A0
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>>118 >パンクロックみたいな話ですかね?
パンクは違うかもw
こうすべきという概念を先にブチ上げちゃって、現物が着いてこなかった感じでしょうか。
今も、マニフェストぶち上げたあげく、国を巻き添えに喜劇を(以下、友愛されるので省略)
>やはり気力の充実が以前のレベルになかったように思うのです
引用される言葉の宝庫、スターリング・モスさんによると、レーシングドライバーになるため
学ぶべき事柄の中で、最も難しいのは
「レースの間、一秒たりとも気を抜かずに操縦だけに集中する能力を身につける」ことだそうです。
山の頂点、F1からはるかに下、ふもとの平地レベルのお遊びでサーキットを走っても、気力の充実度合いや
集中力の多寡はわかるような気がします。
しっかり脂が乗っているときは、四輪がジリジリ流れたままスロットルとハンドルを合わせ、それでいて
恐ろしくきれいな曲線でラインを取って回れますが、ダメなときは進入で尻が流れて、グラベル突撃w
もうもうとたつ砂煙の中、「あややぁ」と声にならない声でボヤく始末。
二輪のジムカーナもかなり凝りましたが、気力と集中力でいいときと悪いときは極端に違いました。
上手くいくときは、挙動への反応が早くて先読みも決まるし、無駄な力も抜けて浮遊するような感覚に
なります。極度に集中したときはタイムは速いのに、無音の中をスローモーションで走っているように
感じられます。(そう錯覚するのは、脳内の処理が上手く、正確にできているということですね)
またアクセス規制
携帯苦手なので(いい加減慣れろよ w)一応保守だけ
>>120 > 前半戦では圧倒したチームメイトのボブ・ホープさん(w)に後半戦では分が悪い成績に終わったのが、
> 不満と言うほどでもないですが、ちょっと引っ掛かるところ。
分が悪い成績とは、バリチェロが後半戦で2勝したのに対して、バトンは1勝もできなかった事でしょうか?
私は、バトンはバリチェロに対して後半戦でも互角以上に戦っていたと思いますよ。
今シーズンを前半(第1〜8戦)と後半(第9〜16戦)に分けてバトンとバリチェロの成績をデータで比較してみます。
まず獲得ポイントでは、
バトン
前半=64 後半=25 総合=89
バリチェロ
前半=41 後半=31 総合=72
バトンは前半でバリチェロより23ポイントも多く、また後半ではわずか6ポイント少ないだけです。
次に各GP毎のレース中のファステストラップによるチームメイト同士での勝敗を見ると、
バトン
前半=6勝 後半=6勝 総合=12勝
バリチェロ
前半=2勝 後半=2勝 総合=4勝
バリチェロがバトンより速かったのは、中国GP、スペインGP、ベルギーGP、ブラジルGPのわずか4戦のみです。
これらのデータから、バトンはシーズンを通してバリチェロよりも速く、また好成績を残している事は明白です。
それでもまだ、バトンがバリチェロに対して後半戦で分が悪い成績だったと主張されるのでしょうか?
>>123 > またアクセス規制
そろそろ2チャンネルを卒業してブログに移行されては如何ですか?
126 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/10/25(日) 10:21:24 ID:TZx6NpUaO
逝ってる不在につき代わって浮上措置
☆湯
>>124-125 まぁ、そう嫌わないで下さぃ
今回の規制は長いなあ。S.ローブさんにライセンス発行されなかったとかの時事ネタが間が抜けてしまった
1964 Chevy - Monument Valley
ttp://www.youtube.com/watch?v=wvKvP4r4i2o "In a class of its own, it stands alone."
売上げNo.1、並ぶライバルはいないというメッセージを、現物でやってのけたCM。
心なしか女優さんの笑顔が硬直している気も。
カメラに映る部分以外を徹底的に軽量化した抜け殻と、女優さんをヘリで運び込む荒業。
いざ撮影が終わって撤収というとき、風が強くなってヘリが近づけず、風が収まるまで
数時間、女優さんはそのまま放置プレイだったそうでw
130 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/10/28(水) 06:19:21 ID:iTl6x5O3O
浮上代行
>>129 女優さんカワイソ(w
まだ規制中。ま、急ぎの用事を話すスレッドでもなし。
逝ってる氏のプロバもよくよく規制に掛かりますね。
こちらも岡田祭りで引っかかってました。
で、空気も読まずにまたシェビーをw
1961 Chevrolet - Commercial
ttp://www.youtube.com/watch?v=N5kPig1958s アニメーターで画家の、アイベン・アール(Eyvind Earle)によるアニメーション作品。
一つの作品として充分鑑賞できます(一見、悪いクスリでイッちゃってるようにも思えますがw)
アメリカが世界の経済の中心となり、時を同じくして抽象表現で美術界の中心になった時代の
厚み、それが2分間のTVCFに詰まっています。
振り返って高度成長やバブルの時代。 後年にその豊穣を伝えるものは、我々から生まれたの
でしょうかね。
133 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/11/03(火) 09:53:22 ID:bBGlVChlO
旧き佳きアメリカ車はいまでもノスタルジアを醸し出すが(昭和元禄もまあ多少は)、バブル期の市販車は悉く忘れ去られている。
ハイソ・カーというコトバの貧相さには失笑してしまう。
レクサスにはバブルの落とし子或いは残滓という程度の認識しか抱けない。
そのレクサスが今更スープラをリバイバルするそうな…。今頃になってバブルのゾンビが!
134 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/11/03(火) 11:02:20 ID:mJUcH0q+0
<鳥取市のリコーマイクロエレクトロニクスは馬鹿だ>
鳥取市のテスコという工場で夜勤専属工員をしていた。
元請けの鳥取最大の工場・鳥取三洋の昼の仕事に行かされた。
テスコの社長から嫌がらせを連呼されてクビ同然で辞めた。
あとで社長から「社員にしてくれなかったことを恨んでリコーに報復したのか?」
などと身に覚えのないことを尋ねられた。
どうも「僕がリコーマイクロエレクトロニクスに報復した」という話をデッチ上げられ
テスコをクビになったらしい。
この3年前、僕はリコーにバイトに行っていた。
リコーのバイトをサボっていら「休みが多い!」と激怒されクビになったが、テスコでは休まずに真面目に働いたことが報復になった、という非現実的な論理だった。
テスコをクビになった直後、「これからは真面目に働いてはいけないとは言わないようにする。何もなかったことにする」とリコーから謝罪?の電話があった。
しかしその後、リコーはこの馬鹿馬鹿しい人権侵害を弁護士までつけて揉み消し。
詳しくはリコーマイクロエレクトロニクスを検索。
気分が悪いので多くのホームページを作り上位表示させている。
現時点ではヤフーもグーグルも上位30件以内に10以上乱立している。
今のところリコーマイクロエレクトロニクスは無視。
http://ee2c.yourfreehosting.net/
>>133 国内ではお子様漫画人気にあやかってFT-86、海外では"The Fast and The Furious"(ワイルドスピード)
シリーズにあやかってスープラですか(失笑)
そういえば先月、トヨタの章男社長が、自社の現状を「救世主にすがる」第4段階だと分析していましたね。
第5段階の「企業の存在価値消滅」まであと一歩w
冗談はともかく、あざとくはありますが、そこがトヨタの商売の上手さ、強さでもあるのでしょう。
トヨタはレクサスという鍍金ブランドを維持するために
苦手としてゐた欧州のやりかたを真似ることを覚へたやうですな。
つまりブランドとは歴史である、といふこと。
常に過去を否定し歴史を捨ててきた日本メイクですからそれは困難だったでせう。
多少なりとも歴史で勝負できるヌカGやZと違って。(そのヌカGは歴史を捨ててしまひましたな、
遠くない将来、”スカイライン”の名は消滅するでせう)
アテクシにはあれ、しくぢったアルテーザ焼き直しに見へますね。
チョウセンなんとかつう和名のつけ方で言へばチョウセン75のアルテーザ。
まぁ所詮後輪が駆動されてゐれば感性駆動なのださうですから。www
ただ、極めて重要なことはクルマ買う人の大多数は
決してクルマヲタでもなければ運転といふことに真正面から取っ組む
運転好きでもありません。そんな隙間びとを相手に商売してたらだうにもなりません。
だうでもE連中にだうでもEクルマを売る、そこにどれほどの嘘と欺瞞があっても
売れればそのこと自体が発言権と影響力を増す。さういふ事実を世界に広める。
それがトヨタの務めなのです。
通常あるブランドを買ふといふことはそのブランドの哲学を買ふことであるます。
トヨタの場合「クルマ良く分からないけどトヨタならEんでしょ」
「日本なんだからトヨタだよ」(全く以って意味不明w)
かういふ買ひ方をしてゐ大多数の人は、
ぢつは極めて正しひトヨタの買ひ方をしてゐるのです。
アテクシもクルマ音痴・運転下手・運転嫌いになりたひと願ってゐたら
真っ先にトヨタのディーラに行くでせう。店長がこども店長や
ゴルファ店長だったらひとたまりも無く買ってますって。w
>>137 なんでまた(w
>>132 規制に巻き込まれ易いのは、多分加入者が多いところだからでしょうか
それにしても長すぎ
アメリカでは今、レクサスの暴走事故が話題になっていますね。
走行中にフロアマットがずれるとアクセルペダルに引っ掛かかりやすく、ペダルが戻らなくなる。
そうなると運転手が必死にブレーキペダルを踏んでもスピードはまったく落ちない。
そして時速200キロ近い猛スピードで暴走したまま壁に激突したそうです。
亡くなられた方はお気の毒ですが…、でも…、この話を聞いて思いました。
このスレッドを見ている人なら、仮に自分の車が暴走したらどうしますか?
まっ先にする事は、ギアをニュートラルに入れる事ですよね。
そうすればエンジンが全開状態でも、ブレーキを強く踏めばスピードは落ちます。
亡くなった運転手は、そんな当たり前の事すら知らなかったのです。
つまり、相当な車音痴で運転下手だったのでしょう。
実はレクサスのユーザーには、相当な車音痴で運転下手が多いようです。
トヨタは先日、約380万人のレクサス・ユーザーに手紙を送りました。
その手紙には「暴走したらニュートラルに入れて下さい」と書いてあるそうです。
それにしても、こんな当たり前の事をわざわざ手紙で教えなければならないとは…。
ユーザーが車音痴ばかりなので、トヨタも大変ですね。
運転席のフロアマットずれがアクセルに引っかかってフルスロットル状態になりかねない、という問題は、
先代アクセラで4年前に発覚して、マツダは速やかに(リコール扱いではないが)対策した。
(フロントシートに固定されたホックに、対策済みマットの穴を引っかけてズレを確実防止した)
ヨタは競合メーカーでの事例を見ていなかったのかなあ、と思う。
あと、アメリカの運転免許取得は日本より簡単だし、
金はそれなりに稼げても、自動車の扱いには不注意なレクサスユーザーがいてもおかしくない。
>>133 > そのレクサスが今更スープラをリバイバルするそうな…。今頃になってバブルのゾンビが!
LFAはスープラではなく2000GTのリバイバルでは?
2000GTの中身はエランでしたが、LFAの中身はアストンDBSにそっくりです。
要はどちらもコピー車で、少なくともスープラにはオリジナリティがありました。
スープラのリバイバルなんて言ったら、スープラに対して失礼ですよ。
そう言えば、2000GTは当時のクラウンの2倍以上の値段でしたね。
今度のLFAも、なんとレクサスで一番高いLS600の2倍以上の値段で売るそうで…。
2000GTもLFAも、たかがコピー車のくせにボッタクリにも程があります。
143 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/11/08(日) 15:50:59 ID:R/lXREpjO
それはそれとして、
名古屋市のアウト ガレリア ルーチェに、ヤマハのOX99‐11が展示中です。
ご興味があれば、是非とも観に逝かれるべし。
こちらこそ、バブリーの極みですなあ…
それにしても一列二座とは、戦闘機です。
>>142 80スープラは
「(バットマンの)バットモービルみたいなデザインを作れ」の指示でひねりだされた外観。
30ソアラを流用したプラットフォーム、目に付くところだけアルミ製のサスアーム。
重量配分のよさを謳うため、わざわざリヤオーバーハングにガソリンタンクを配置。
こういう素性の車なので、オリジナリティ以前にゲンナリするんですよね……
Proven! 1965 Ford is quieter than a Rolls-Royce
ttp://www.youtube.com/watch?v=z6gC8Oj_51A こちらは数値で説得タイプ。
二台のロールス、三台のフォードを使い、あらゆる路面と速度でテストした結果
時速20、40、60マイルでフォードは、世界に名だたる高級車、ロールス・ロイスより
静かだと証明されました。
数値を出されると納得ですが、容赦ない比較広告ですなw
これをパクッて、数値を示すことなく
『ロールスロイスより静かと言われたフォード、それよりも静かです』
と広告でやらかしたのが、三代目のトヨタクラウンでした。
しかし、車格から言うとヨタマークU程度の位置付けのLTDみたいなクルマで、ロールス凌駕する静粛性追求するぐらいなら、
他にやることがあるだろう、とフォードに突っ込みたくなる。
クラウンは分をわきまえてないという点で論外。
各社、かつては殺し文句とも言うべき「我が社ならではのキャッチフレーズ」があったもので。
ロールス・ロイスの「世界最高の自動車」、パッカードの「品質はオーナーに訊け」、
これらは戦前に限れば、決してハッタリでない実力を伴ったフレーズで、「ごもっとも」と脱帽したくなります。
>>144 >80スープラは「(バットマンの)バットモービルみたいなデザインを作れ」の指示でひねりだされた外観。
ちぃっとも似てませんな・・光岡のオロチは「バットモービルそのまんま」なのに。
149 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/11/12(木) 13:11:48 ID:bUeQYV7PO
トヨタの脳内ではあれがバットモービルに変換されるのですょ。
マジレスすれば最初はバットモービルのつもりでも企画書が回ってく間にあちこちから余計な注文がついて
出来上がりはああなってしまうと。
皆、トヨタには厳しいですね
それにしても。このまま永久にアクセス規制か?(w
151 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/11/15(日) 07:23:28 ID:D6zF+ZQiO
ヨタが作る製品について何ら期待はしていない。
大抵は割り切って買うか、皆が乗っているから買う、という程度か。
最近のトヨタ系趣味というと、いじりまくったヤン車その他を思い浮かべるしかない現実。
総じて日本の中古高級車はドキュンの掃き溜めという認識。
遠からずLFAも餌食になるだろう。
>>124 バトンはマクラーレンに移籍したそうです。
ブラウンGPに残留するか相当迷ったあげくの決断でしょうが、果たして吉と出るか凶と出るか…。
ともあれ“カーNo.1”を手土産に移籍するも、チーム内では実質No.2ドライバー。
現チャンピオンの年俸がチームメイトの半分というのも妙な話ですね。
154 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/11/21(土) 19:18:05 ID:fw31vievO
ブルネイ国王他の富豪がレクサスのLFAを欲しがるか否かが、富裕層の中での位置付けの分岐点になると思われ。
いい加減、なんとかならないかな??
>>155 規制されてから30日以内に解除されないという事は「永久規制」でしょうね。
このまま何もせずに待っていても無駄ですよ。
どうしても書き込みたいならビューアを使うかプロバイダーを変更するしかありません。
いずれにしても余計な出費が必要となります。
もっとも、いい年した大人がそこまでして2ちゃんねるに執着するのは如何なものかと。
これを機にブログに移行されるのが賢明でしょう。
158 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/11/24(火) 12:48:46 ID:3xp6H0hQO
なんとかコテ追い出したいいつもの粘着か?
暇つぶしに貼り。
今のターボと違うのは、高圧縮比のエンジンに強引に過給してしまうこと。
そのままだとデトネーション起こして、ピストンを溶かしちゃうので、別タンクから水メタノールを噴射。
CMの中では、ターボロケットフルードと言ってますが、やってることは第二次大戦の戦闘機と
おんなじですな。
映像の中、アクセルの踏み方がドッカン上等で笑えます。
1961 Oldsmobile Jetfire - Commercial
ttp://www.youtube.com/watch?v=n3Km9qlhaR0 フルード補充を忘れるとやられる面倒さ、難解な過給機を直す修理屋もいない、価格は高い、
過熱してトップパワーが維持できない。
そんな物を誰が買うのか? 技術屋の理想が先走って大失敗した例ですね。
>>157 残念ですがそのようですね
たまたま近くPC買い替えるので、これを機会にプロバイダ替えるかと考えていたのところ。本当にそうしようかな?
(電気屋さんでお薦めのところと契約するとお得値段っていうあれ w)
でもその前にどの機種にするか決めないと。さて、どうしたものか…
販売側のお勧めで安くあがるプロバイダって、多くの人が入るので、
荒らしが居る可能性も高くなりませんか?
かく言う私も、一月以上、巻き添え規制喰らってます。
安プロバイダ御用達のyournetですが。
運営議論板に、プロバイダの良し悪しについての書かれたスレがあったと思います。
>>160 逝ってる氏、お早いお帰りを待っておりますぜ。
No More Shake, Rattle and Roll このあたりの時代、音楽がとても楽しいです。
ビッグ・ジョー・ターナーやエルヴィスが歌ったヒット曲、Shake, Rattle and Roll に引っ掛けた言葉で、
60年式からクライスラー社が導入したモノコック、『ユニボディ』の、車体のしっかり感をアピールしてます。
車体丸ごとディッピングして防錆に力を入れたり、音震の遮断のため、パネル間に樹脂を充填したりと
思い切り技術を叩き込んだのに、途中から歌詞はは「甘い月の光の中を滑るように走り」とラブラブ路線へw
TV Ad Series 1960 Plymouth
ttp://www.youtube.com/watch?v=GtGls3LmEeY
163 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/12/03(木) 21:03:28 ID:pJvk8zFWO
揚げ
逝ってる氏、まだ戻らないねぇ
理詰めで理解しようとしても答えが出ないシロモノなんだけど魅力的な車。
超巨大FF車、オールズトロナード。
手馴れた手法で似たような車を作るようになり、魅力を失うと先がない。
最近の日本車を見ていると、なんとなくGMの後追いをする日も近いという気も。
1966 Oldsmobile Toronado TV Ad
ボビー・アンサーがパイクスピークを登ってます
ttp://www.youtube.com/watch?v=hQbX4bjefKw 市販車には結びつかなくとも、いろいろと新技術に貪欲だった頃、GMの研究に
ドライブトレインをワンパッケージにするUPP(Unitized Power Package)という
のがありました。
そのお蔵入りになった寝た子を起こして、おバカな巨大V8で実現したのがこれ。
エンジンとトランスミッションをサイレントチェーンでつないで、出力をUターンさせて
前輪を回すイカレっぷりですが、モノを作る意欲がここにはありますね。
あの巨大なハイパワーカーのドライブトレーン途上に、大容量チェーンが介在している、
というのは、技術の常道から言うと許し難いことなんだけど、
必要なキャパシティと静粛性を成立させた上でぶちかまして成立させてるんで、
わかったわかった、いいから許す、という気分になる。
何より、ゴードン・ビューリグの伝説的傑作・コード810という先達を彷彿とさせる
ヘッドライト格納スタイルが伸びやかで素晴らしい。
あの時代のアメ車の中では粋なデザインだ。
オールズモビルのプロトタイプブランドとしての真骨頂と言える奇怪な傑作ですな。
オールズのトロナードと言えば、そのユニットにスーパーチャージャーを付けて
駆動系ごとオールズ442に前後に搭載した4駆、
HURST HAIRY OLDSがおバカで良いです w
もちろん、イベントのエキシビション用ですが、
4つのタイヤから白煙を上げている画像を見ると楽しくなってきます。
バカな事を、本気でカッコ良くやってしまうアメリカが好きですね。
>>166 ハーストのオールズw
トロナードのチェーンの耐久性、信頼性アピールと、442のイメージアップ目的とはいえ
あれがメーカーとの協力関係で作られたところがまたおバカで素敵です。
シンプルに圧倒的な楽しさがあるもんねw
168 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/12/07(月) 10:51:35 ID:PLCHfrpb0
>>164 お前、バカだな
逝ってる氏は永久規制って言ってるだろw
いつまで待っても戻って来ねぇよwww
>>168 youtubeオタクさんに対してバカとは失礼ですよ。
いい年した大人が2ちゃんねるの為にわざわざプロバイダーを変更するそうですから。
ここは生暖かく見守ってあげましょう。
正のイメージはかすかな芳香のごとく消えるのに、負のイメージは悪臭のごとく
一度付くとなかなか消えないものです。
マツダの設計にアメリカの皮をかぶせた二代目フォード・プローブ。
ヨーロッパでは、ぬるっとしたデザインとアメリカ流の大味なインテリアが不評でした。
パッとしないこのプローブにとどめの一撃を喰らわせたのがなんとテレビドラマ。
大げさでいい加減で口八丁手八丁で嫌味ったらしいセールスマンが主人公のコメディ、
そのセールスマンの使うカンパニーカー(まあ営業車みたいなもんです)がプローブ。
ドラマは好評でしたが、プローブには『ああいう性格の奴が乗る』イメージが付いてしまって
中古相場が大暴落してしまいました。
いまだに、ヨーロッパの中古車ガイドでは、ドラマのことが不人気と安値の理由と書かれて
いる始末。
こんな末路を迎えた車は、なかなか珍しい存在です。
Coogan's Run Title Sequence
ttp://www.youtube.com/watch?v=1gf0YdnSnN4 Gareth Cheeseman - Ford Probe
ttp://www.youtube.com/watch?v=hlQySJ-_c6Y
人間も負を玩んでいると、そのうちに取り込まれて毒ばかり吐くようになりがち。
まあ、他人事ですんで病んでいく人格を楽しみに見守りましょう。
174 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/12/11(金) 10:09:39 ID:ofmkSHOt0
>>170 失礼ってかw
たかがツベ厨だぜww
ぜんぜん失礼じゃねぇだろwww
175 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/12/11(金) 19:45:59 ID:Tce2LeQ1O
逝ってるの曖昧模糊な書き込みより、ヨウツベの動画のほうが理解しやすいし、多くを示唆していると思うが。
176 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/12/11(金) 21:43:44 ID:ofmkSHOt0
>>175 逝ってるの曖昧模糊な書き込みってかw
なかなか鋭い指摘だなwww
禿しく同意するよ
>>177 確かに、アプローズにとっては気の毒な事件でしたね。
もっとも、マスメディアを鵜呑みにした世間も同罪でしょう。
要はメディアリテラシーの欠如こそが原因なのです。
車だけでなく、時には人も殺されます。
昨日は「今年の漢字」が発表されて話題になっていたのですが…
その主催者の漢字検定協会では、前理事長親子が無実の罪で逮捕されました。
彼らはマスメディアによって殺されたも同然なのです。
真実はどこにあるのか?
利害や情は憶測にすがりやすく、憶測は信仰へと変わりやすいものです。よって漢検の件はパスw
安心感、不安感といった○○感は、人間が動物である以上つきものです。
事実を冷静に説くより、○○感を煽った方が勝ちというのは、古今東西にゴロゴロと例があります。
第一次大戦の撃墜王を経営陣に迎え入れて発足した中級車、リッケンバッカー。
ttp://www.visionsinchrome.com/images/1923rickenbacker.jpg 現在では常識の四輪ブレーキを1923年から標準装備したのですが、
『前輪にブレーキがあると、ハンドルが効かなくて危険』という、大規模なネガティブキャンペーン
によって売上げは伸びず、27年に終焉を迎えてしまいます。
このネガキャンを張ったのが、まだ後二輪ブレーキだったスチュードベーカーとフォード。
人々が、四輪ブレーキの優位性より、ネガティブキャンペーンの煽る不安感を信じてしまった故の不幸でした。
そのフォードが、Life-Guardと銘打って安全装備をセールスポイントにしたのは、ネガキャンの約30年後のこと。
1956 Ford TV Ad: Important News Three Ways
ttp://www.youtube.com/watch?v=VN9UeXJP0Mc コーン型ステアリング、衝撃に強いドアラッチ、シートベルト、ダッシュボードのソフトパッド、脱落式ルームミラーと
現代ではこれまた常識の装備です。
しかし皮肉なことに、安全を売り物にしたフォードはその年、シボレーに完敗してしまいました。
56年式フォードの失敗について、GMのハーリー・アールが語った言葉は、なかなか人間の心理を捉えています。
『安全は金にならないものだ。 船に乗船したとき、あたり一面のテーブルに救命胴衣が準備されているところなんて
(不安を煽るだけで)見たくもないだろ?』
あのメーカーの車は壊れない。あの車は家族が幸せになれそう。
現在も、中身そっちのけで○○感に訴える広告がいっぱいですなw
そしてGMはシボレー・コルベアの欠陥問題で
実に拙劣な対処の末、大恥をかいてラルフ・ネーダーに頭を下げる羽目になったわけですが。
結局自動車メーカーの商売の本質は、大して変わっていないようです。
大事な事なので再度書きます。
漢字検定協会の前理事長親子は無実の罪で逮捕されました。
そもそもの発端は、文部科学省が天下りを拒否され続けた事にあります。
業を煮やした連中はメディアを利用して、漢字資料館だの供養塔だの言い出したのです。
前理事長の息子さんは当時は副理事長でしたが、相当な車好きで有名でした。
彼が趣味でスーパーGTのスポンサーをしていた事まで、格好のネタにされましたね。
悪者をでっち上げるメディアと、それを鵜呑みにするしか能が無い世間…。
彼らはマスメディアによって殺されたのです。
1960 Chevrolet Corvair
ttp://www.youtube.com/watch?v=PTP7mK6nShM ラルフ・ネーダーの著書"Unsafe at Any Speed"が出版されたのは、1965年11月30日。
この5ヶ月前、コルベアはすでに、将来の保安基準などへの適合作業を除き、すべての開発と改良を中止
するよう、GM自らの手で安楽死の決定が下されていました。
水平対向6気筒リヤエンジン、モノコックボディなど、他のGM車との共用率も低くコスト高なコルベアは、
しかしその特異さゆえに、コンベンショナルな車を求める既存シボレーユーザー層を共食いせず、また
コルベア・モンザに代表されるスポーティさを求める層に販路を確保できていました。
それをぶち壊したのが、フォード・ムスタング。
既存コンポーネンツを多く共用できる低コスト、スポーティイメージ、低燃費の直6から289cu inのV8まで
選べ、オプショナルパーツを多く揃えたムスタングを前に、コルベアの人気は急落します。
GMも対抗上、強引にリヤに283のV8を積んだコルベアを試作しますが、元々がリヤヘビーな車に
さらに重いエンジンを載せるのは無理な相談。
どこへ飛んで行くか予想もできない試作車は、コルベアに素早く見切りを付ける役目は果たしたそうです。
CRASH: Ep 1: Carnage: Car Safety & Car Crashes: Pt 4: High Toll, Ralph Nader, Corvair & Pinto
(NHKが放映した日本語版があったはずだけど見つからねぇ)
ttp://www.youtube.com/watch?v=DLrMaFkLjlI さて、コルベアとネーダーについて評価が定まるのは、もう少しあとの時代でしょうか。
ネーダー事件を超ダイジェスト版で書けば
〜コルベアの危険性を告発したひとりの青年が、大GMに勝利し、コルベアは生産中止に追い込まれた〜
こんな感じになります。 車に興味のない多くの人がうっすらと頭に浮かべるのもこれくらいでしょう。
本の出版から間もなく、雑誌やTVで刺激的な発言を繰り返すネーダーに対し、GMは探偵を雇って、
ネーダーの信用を失墜させるゴシップを探らせます。
このことでプライバシー侵害により訴えられたGMは負け、さらに上院での謝罪を引き出します。
ここまでが、大企業と果敢に戦った市民ネーダー大勝利!GM涙目!のお話。
ところが話は先に続きます。
コルベアへの攻撃と、危険を放置した政府機関への攻撃を続けるネーダーと、賠償金訴訟の臭いを嗅ぎつけた
弁護士たちの活発な動きにより、ついにNHTSAが動きます。
政府機関であるNHTSAは、中立性を保つため第三者委員会を設置して、GM内部の資料や過去の事故データの
精査、実車による転覆テストを実施します。
コルベアに加え、同クラス車のフォード・ファルコン、プリマス・ヴァリアント、VW、ルノー・ドフィンをテスト車に用意し、
乗員とトランクは満載、タイヤは空気圧を下げた厳しい条件でテストした結果は、
『コルベアが他車と比較して、異常な挙動を示したり転覆をする傾向は見られなかった』 でした。
このNHTSAのテスト結果、そして第三者委員会でネーダー自身が語った
「あの頃(60〜63年頃)の車の中で、コルベアだけは不安定な感じがして、転覆しそうな感覚があったんだ」という
妙に主観的な言葉、そしてネーダー自身が自動車について学んだ期間が、著書の出版前のわずか二年足らず
だったことは、なぜかほとんど言及されることはありません。
184 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/12/14(月) 11:18:35 ID:EO/TdzBV0
だから何?
ツベ厨も逝ってる氏に劣らず曖昧摸糊だなwww
ネーダーを抜きにすれば、車としてのコルベアはなかなか魅力を感じさせます。
特にスタイリングは、各国にコルベアルックの小型車を誕生させることとなりました。
Nsu Prinz spot commercial 1965 (pubblicita)
ttp://www.youtube.com/watch?v=B71KXb4KxJA 他にもFIAT1300/1500やヒルマン・インプ、鉄のカーテンの向こうのザポロージェツ969、
広義にはノイエクラッセのBMWもコルベア的と云われています。
日本ではこいつがコルベアルックですが、ダッジ/プリムス辺りのエッセンスも加えられ、
良くまとまったデザインに仕上がってます。
MAZDA FAMILIA Ad
ttp://www.youtube.com/watch?v=rDVZUOAL3MU 初代ファミリアの0:20秒あたり、フロントホイール周りがアップになるところで、ゆさゆさと
ノーズが揺れています。
いま2チャンネルでフニャ足といえばトヨタですが、この頃はマツダがフニャ足の代表格
でした。
>>184 まあ、そう言わずに。
youtubeオタクさんはわざと長ったらしい書き込みをしているのですよ。
そもそも、このスレッドの趣旨は「如何に少ないレス数で512KBを目指す」ですから。
188 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/12/16(水) 10:00:38 ID:TUCkmph80
>>186 くだらない趣旨だなw
字数稼いでダラダラ書いてりゃいいって事かwww
2ちゃんサーバにとっちゃ無駄に容量が食われて迷惑だろな
てか、それって禁止行為じゃね?
昨夜は「車というものは走るからこそ楽しい」と書きました。
そこで今夜は、切実に移動の手段が欲しい人のために存在した車をようつべから。
INVACAR
ttp://www.youtube.com/watch?v=1DM9bxXUQzU 70年代中期のサンダースレイ・インヴァカー モデル70
Thundersley invacar
ttp://www.youtube.com/watch?v=DsBg39kmfZU こちらは50年代中期のサンダースレイ・インヴァカー モデル8
invalid + car でinvacar そのまんまの名前ですね。
傷痍軍人と障害者のための車は、第一次世界大戦後、主に欧州で普及しましたが、
第二次世界大戦後、イギリスでは保健省が、障害者のための三輪自動車開発を
各社に依頼し、障害者の社会参加を促す政策をとりました。
保健省の認定を受けた車両は、モデル70やモデル8のようにモデルナンバーを付与され、
政府が購入して、障害者にレンタルされました。
衝突安全性が皆無に等しいことと、三輪の不安定さから、2003年3月末をもって回収と
廃棄が始まり、政府に戻った車は全数シュレッダーに掛けられることに。
上の動画のように健在なのは、個人所有車とわずかに残る未返却車だけです。
190 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/12/17(木) 06:27:23 ID:phfZsVPSO
リライアント・ロビンなんて三輪車が最近まで英国で存在したのは、そういう背景があったんやね。
>>188 禁止行為かどうか…、それでは2ちゃんねるガイドラインを見てみましょう。
削除対象の中に「大量な書き込みを目的としているスレッド」と明記していますね。
くるまオタク養成講座は、表向きは車の知識自慢を目的としているスレッドの様に見えますが…
然しながら、本当の目的は「如何に少ないレス数で512KBを目指す」です。
この目的の為には、1レスに大量な書き込みをしなければなりませんよね。
要は、大量な書き込みを目的としているのですから削除対象ではないでしょうか。
192 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/12/18(金) 09:43:04 ID:X3XAA6b10
禁止行為をやり続けていたら、そりゃ永久規制になるわなwww
おお、ずいぶん頭がおかしくなって来たねぇw
>>190 保健省のインヴァカーは、排気量やディメンション、乗員に制約のある特殊例ですけど、
小型軽量な三輪や四輪は、バイクに毛の生えたB1免許で乗れて、バイク相当の
税金しか掛からないので、一定の需要があったんですよ。
有名なスペースシャトル打ち上げをどうぞw
Top Gear - Reliant Robin space shuttle - Richard Hammond and James May - BBC
ttp://www.youtube.com/watch?v=_b4WzWFKQ20
>>173 おっ、エアーじゃん!
まさかゲームで泣くとは思わなかったなぁ
それにしても綺麗だね
>>153 バトンの移籍はさて置き、バリチェロが早々にウィリアムズに移籍したのは正解でしたね。
もしブラウンGPもといメルセデスGPに居続けたなら、又あの人の飼い犬になっていたのですから。
そうです、あのシューマッハの現役復帰が決定しました。
来シーズンはセナ・シュー対決が16年ぶりに見られるわけだな
16年ぶりに見られると言えば、ロータスもそうですね。
去年、三輪の話題からリライアント・ロビンの名前が出たので、おバカレースを
3-Wheeled Demolition Derby
http://www.youtube.com/watch?v=VhteNsqjlxA とにかくぶっ壊しまくるレース、bangerの一種ですが三輪でやるので笑えます。
他にも、キャンピングカーを引っ張ったり、バスでやるcoachやら、霊柩車のhearse、リムジンのlimoと
何でもぶっ壊しまくり。
古いディムラーやサンビーム、ローバー、オースチンと、戦前モノでも平気で競技車に仕立てて
スクラップにしてしまうので、旧型車愛好家からは嫌われていたりもします。
こちらはロシア
Old-School Russian Truck Racing
http://www.youtube.com/watch?v=hEX9rlHQTFE Zil 131トラックのワンメイクで遊んでます。
とりあえずそこにあるもので楽しむあたり、なかなかロシア人も素敵な奴らですな。
軍民共用の短くて強いフレームに、V8 6リッターのガソリンエンジンが載ってるから面白そう。