545 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/08/16(日) 23:24:30 ID:/wR2WSfaO
センチュリーこそ、日本風が最も色濃い日本車ですねえ。その証拠に、欧米受けは全くしませんw
旧態依然とした設計の最新型は、しかしながら驚くことにV12気筒エンジン搭載でっせ!
お盆休みも今日で終わりという方も多いのでしょうね。
普段書き込みまばらなスレッドで、一日に十も進むと勝手が違いますが(w
確かに英国人は使えるものは改良を加えながら長く使うのが好きっぽくて
日本人はすぐに全裸・・じゃなくって・・零に戻ってやり直すのが好きっつう傾向は有るのかも。
車に詳しくない方でも目の前に50年前のジャガーMkUとtype-Eを最新のジャガーと並べられ
「同じメーカーのもの」と言われても別に不自然は感じないでしょうが
トヨタ2000GTを知らない方に「これは昔、トヨタが作った車」と言ったら、どれだけの人が信用してくれるでしょ?
その点、初代デボネアとかセンチュリーはねぇ・・。
用途が限られていた車で、またそれだけの為に在り続ければ良かったから、変える必要も無かったのでしょうか。
一つ、センチュリーで思うのは、あの車の用途と言えば基本フォーマルカーの筈で
あの車でゴルフに行ったり、キャンプに行くってのは考え難いのですが
では乗る人はどんな服装で乗れば似合うのか?って考えると和装洋装どっちでもピンと来ない。
でも、まぁ一応フォーマルっぽい格好であれば特におかしくもない。
つまり、正装の定義に曖昧なところのある日本に特化したフォーマルカーなのでしょう。
で、また無理矢理話を引き戻しますが。
スポーツカーと言うとデザインし過ぎない、野趣を残したものが英国人はお好きなように思います。
これは勿論この分野には小規模スペシャリスト(所謂バックヤード・ビルダーや、それに近いところ)が多く
デザインのプロに任せる事も出来ないという事情もありますが
大メーカーの製品でもオースティン・ヒーレー・スプライト(所謂カニ目)みたいなのも有りますし
「あと僅かで完璧と思えるところで手を引いた」デザインが英国人にとってのスポーツカーの“粋”なのではないかと。
そこへ行くと、30〜50年代に流行したレザーエッジ(ナイフエッジ)サルーンとかをはじめ
英国製のサルーンカーというのは全く別モノのように(実際別ですけど)細心の配慮をもって
大変格好宜しくつくられるようです。
その辺はON-OFFの切り替えに対する意識の高さなのでしょうかね?
547 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/08/17(月) 07:03:55 ID:WZi5Lk2qO
外国向けに販売することが念頭にあれば、それなりの格好が求められる。
しかし、英国人の国内用とか「プライベートカー」として準備する場合は、彼らが私生活や国内で落ち着きくつろいで使えるような配慮=「ダサさ」が必要なのかも。
零戦は正しくはレイ戦と呼ぶそうです。
そう言えば光岡にはゼロの他にレイという名前の車もありました。
もっとも、零戦に固執する一方でメッサーシュミットのレプリカを販売するあたり
光岡イズムを理解するのは難しい。
余談ですが、零号機のパイロットの名前もレイですが、あれは意図したものでしょうか?
レイ式艦戦と呼ぶことはあっても、レイ戦とは言わなかったという話もありますな。
かの坂井三郎でも昔からゼロ戦と言っていたという話で…
550 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/08/17(月) 23:51:26 ID:TGDvf1Vi0
機銃弾 雨霰で ボケたのだと思われまつが?
当時 「ゼロ」なんて 敵国語しゃべってたら
鬼より怖い 特高警察が 黙ってなかった筈
>>547 輸出を意識していたといえば、サルーンカーよりもむしろパーソナルなスポーツカーではないでしょうか。
バックヤードビルダーの製品等はその限りとは言えませんが、特に戦後〜60年代。
例えばトライアンフのTRシリーズ等は総生産量の実に90%以上が輸出に回されていたとか。
で、(また w)思ったこと。
このトライアンフTRシリーズの流れの中で、最初に大きく外見が変化したのは
戦前からのトライアンフ社のデザイナーさんが手掛けたTR-3A迄から
ミケロッティデザインのTR-4になった時ですが、その時に主要な市場だったアメリカからは
洗練された新型を好まぬ方の声が多く寄せられ、仕方なく旧型ボディーの車をTR-3Bと称して
売り続けたそうです。
http://bringatrailer.com/wp-content/uploads/2007/07/1960_Triumph_TR3_Roadster_Front_1.jpg この写真はTR-3A
このTRシリーズ。最初に作られたプロトタイプはかなり凝ったデザインのもの
http://www.philseed.com/images/tr-roadster.jpg 1950年、ロンドンのモーターショーに展示され、評判も中々良かったそうです。
しかし凝りすぎたのか、複雑な工程を必要としコスト高になるという理由から没になったとか。
そこで代わって作られた生産型は確かにプロトタイプから比べれば簡潔な形状ですが
それがアメリカをはじめとする外国人には好評をもって迎えられたということなのでしょう。
そうしたことを見ると。
実は英国調のスポーツカー・デザインってのは元々は(英国人から見た)
ガイジン達がイメージしたものという言い方も、決して間違いではないのかも知れません。
で、誰よりもそこを鋭く見抜いていたのが、他ならぬジャガー社総帥・ウィリアム・ライオンズさんだったのかも。
>>550 ちょいと脱線。それは戦後に誇張されすぎた都市伝説です。
官庁発行物ですら戦争末期のタイ視察報告で、ホテル、サロンなどと
ごく普通に使っていて、印刷物として残っています。
このスレに似合いそうな例では、オイルはモビール油でしたし、オクタンも
普通に使われていました。
軍の飛行機のエンジンを始動するときなんてこうですぜ
「イナーシャ廻せぇ」(セルに付いてるフライホイールを回す)
「コンタクト」(空転しているフライホイールをクランクシャフトに)
確かに当時もマスコミ等が「敵性語はやめませう!」とか煽ってまして、読者欄に
「敵性音楽のレコードを庭の木に吊るし、銃剣でエイヤとばかりに叩き割り」
などと投書があったりしました。
要は、煽るマスコミと、その尻馬に乗せられる情弱という図式は、昔も今も
変わってないわけですねw
551 :相当逝ってる ◆B9CPtVclVQ :2009/08/18(火) 00:06:27 ID:ncMaIB5g0
>>547 輸出を意識していたといえば、サルーンカーよりもむしろパーソナルなスポーツカーではないでしょうか。
バックヤードビルダーの製品等はその限りとは言えませんが、特に戦後〜60年代。
例えばトライアンフのTRシリーズ等は総生産量の実に90%以上が輸出に回されていたとか。
16 :名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/08/17(月) 00:16:15 ID:ncMaIB5g0
これもコンビニの駐車場でのことだけど
昼間、店入り口脇に立っている郵便ポストにぶつけて停まったノアがいたな。
運転していた40くらいのママさん「なんで(車止めの)ブロックが無いのよ」って
何故か同乗していた旦那に八つ当たりしてた。
>>550 海軍は特に、英語(と英語もどき)をバリバリ使ってましたよ。
一番敵性語にうるさかったのはたぶん、国内の民間 w
もっとも本当に、「辛味入り汁掛け飯」(カレーライス)なんていう奴が居たかどうかは疑問ですが。
自動車を発進させる時は、剪断器践板を踏込み、変速槓棹を一速に入れ、
剪断器践板を徐々に緩めつつ、同時に加速践板を踏み込む、
・・・ことになります。
こんな感じの悠長なこと、戦場で一刻を争う時に言ってられませんよね。
さて、零式艦上戦闘機の呼び方は、レイセン、ゼロセン、レイシキ艦戦、
あたりが混じってたんじゃないでしょうか。
零式観測機、なんて飛行機もありまして、これをレイカンとは
あんまり言わないみたいですね。大抵、ゼロカンか正式名称かですね。
要するに言いやすい呼び方で通じればいいんです。
あと、今のオタクみたいに、形式名や内部での通称などで呼ぶ場合もあります。
零戦ならA6、紫電改ならJ改などと。
陸軍なんかは、機体やエンジンを、愛称で呼ぶより、制式番号で呼ぶことが多いようでした。
一式戦闘機”隼”なら、キ43と言ったり、エンジンをハ25と呼んだり。
愛称は国民に宣伝する時によく使われまして、戦時中は、零戦等の海軍機より
陸軍各機のほうがずっと有名だったそうです。
・・・また脱線してしまいました。すいません。
戦時中の陸軍で、
当時希少な専門職だったプロの運転手・整備工から徴兵された、良くて下士官級の兵士が、
自分より若い士官相手に、自動車講習で講師になることは多かった。
何しろ彼ら黎明期のプロドライバーやメカニックは
運転や整備はエキスパートだが、その用語はみな半ば日本語化された英単語で覚えている人たちだ。
「ぶっちゃけわかりやすいように英語を使いますのでご了承願います」と説明し、
受講してる士官たちも和製英語混じりの講習を熱心に傾聴していた。
筆記するならともかく、口づてに実物の操作法指導で外国語を使っても、別に誰もとがめなかったという。
現場にとっては、用語をうんぬんするより、実際に車両の操縦法や整備法をマスターする方が遙かに重要だったのだ。
当たり前のことだが。
ちなみに軍用トラックでも、いすゞ系(陸軍制式。丈夫で壊れないが高価で遅い)を除くと国産車の信用がほとんどなく、
敵国製の中古フォード・シボレーに人気が集まったのは有名な話。
>>553 コテで書いた方が良かったですかね?(すぐ忘れるけど w)
先日書いてあった事故報告スレ。結構私も不謹慎好きなもので。
>554
そう言えば今年は無かったですが、CG誌夏の名物小林先生の飛行機話でも、よく
「制式番号で呼ぶのが我々の間では半ば常識だった」とか書かれていますね。
零で思うのは、欧州行くと皆地階は“ゼロ階”でこちらで言う二階が一階と呼ばれますが、
日本で“二階建て”と呼ぶ建物は向こうでも“二階建て”・・でも当然“二階”は無い。
なんだか納得行かない気がします。
さて、ちょっと昨日書き残したこと。
先日も少し名前を出したオースティン・ヒーレー・スプライト(カニ目)
http://www.allenmotorsports.com/images/cars/austin-healey_sprite.jpg この愛嬌のある顔立ち、最初はポップアップ式の灯火を装備する予定だったのがコスト高を理由に
こうした形状とされたというのは有名な話ですが、
これ、考えてみると昨日書いたトライアンフTRシリーズのヘッドランプと同じ道ではあります。
身近にそういう例が有ったにもかかわらず、同じ事を繰り返すものかとちょっと不思議に思うところ。
スプライトはこの形を5年程続けた後、MKU以降は常識的な形状になりますが
http://local.aaca.org/southflorida/photogallery/pg1965AustinHealeySpriteAtwell.jpg 普通はポップアップ式が使えないと判明した時点でこうするものではないでしょうか?
デザイン変更が不可能なギリギリのタイミングでポップアップ式が没になったとも考え難いですし。
“カニ目”(アチラではフロッグ・アイ)のMkTも五年続いたくらいですから人気は高かったのですが
ちょっと穿った見方をすると“このくらい、即興性が有った方が英国製スポーツカーらしいかも”
みたいな計算があって“とにかく一度出してみるか”みたいに売り出された・・なんてことは・・(w
>>554 >一番敵性語にうるさかったのはたぶん、国内の民間 w
>もっとも本当に、「辛味入り汁掛け飯」(カレーライス)なんていう奴が居たかどうかは疑問ですが
戦時中の、銃後を護る節約料理献立本の裏表紙には「チキン印 ケチャップソース」と堂々と広告が載ってましたw
ともあれ、このスレ的にも、宮内庁がパッカードを使っていて、マレーの虎・山下奉文は南方で鹵獲したラジオ付きの
アメリカ車を自慢し(車種は何でしたっけ?)、山本五十六の遺骨はリンカーンで運ばれるというのが現実でして。
トラTRにスプライトの出目が話題ですが、このカエルライトで思い出すのがクロスレー・ホットショット。
当時の人にはカエルライト=スポーティというイメージでもあったんでしょうか?
何か、レース車にその源流があったりするんですかね?
558 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/08/19(水) 11:42:09 ID:9NvFW6aT0
>>556 「CG誌夏の名物小林先生の飛行機話」で思い出したが、
>>556は6月号の「小林の世界」を読んだか?
公共の雑誌で堂々と「第三国人」と書いてるぞ。
>>558 前に石原東京都知事もその言葉使い「なんでいけないんだ」と言っていた事があったように
ある程度の年齢以上の人にとっては悪意の無い言葉なのでしょうね。
(あの人が言うと開き直りに見えるけど w)
今は戦時中等とは違う意味で言葉を制限しすぎているとは思うけど、それはまた別な問題で
“使っちゃ駄目”っつう前例がある以上は、印刷される前に誰かが気付かないといけないのだろうけど、
先日も“写真の説明文等にも細かな間違いが目立つ”と私も書いたように、
今のCG誌の質が低下している事の表れかも。
>>557 海軍の補機駆動用エンジンを用いたというアメリカ製バブルカー、クロスリー・ホットショット。
このスレッドでは久々に出る名前ですね。
このところ季節柄か戦時中の話が多く出てますが(当時を実際に知っているような書き込みが多いのが怖い w)
そんな事も有って、ちょっと思い出したのが、以前有った“ジープの美しさ”についての話。
ああいうミリタリー物の格好良さってのは、それ自体は忌むべきものであっても用途の為に特化したもので
つまりは“持つ事に誇りを持てる”とか“見る人の羨望を集める”とかを考えてデザインされていない
機能にのみ、忠実である事に由来したものでしょう。
自動車の世界にあっても(特にスポンサーカラー導入以前の)純レースカーの美しさってのは
それに近いものだった筈。
ですから、純レーシングカーをアイドルとするスポーツカーの世界に於いても、
“機能に忠実で見た目にこだわらないのが格好良い”みたいなところは昔の方が強く有って
レースの現場で即興的に作られた物を模写した物が粋に見えたのでしょうか。
だとすれば“カエルライト”そのものが格好良いと言うよりも、そういう即興性を感じさせるものの象徴として
“ああいう形の物が格好良い”と思われる風潮が有ったのかも知れませんね。
時代はずっと下りますが、ランチア・ストラトスとか初代フェアレディZのフロントエンドに
ずらりとフォグランプ並べたラリーカー・ファッションが格好良いとされたのもそれと近いのかも。
しかし、戦後一時期の輸入車需給を語る際に「第三国人」ルートの存在は言及せざるを得ないからなあ。
侮蔑的意図のない歴史的用語としてなら別に使っていいとも思うんだが、
向こうさんと自主規制好きな方々の声が大きいから……
上っ面の言葉さへ狩れば事実が無くなると思ってる低能でカタワなおツムで、
チンバな偏った意識の連中は、真実が見へなひメクラどもなんですな。www
さういふ意識でもの書かれても、それは片手落ちといふものでせう。www
さうしてさういふ批判に耳を塞ぐツンボの大声ってやつ、と。www
562 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/08/20(木) 06:56:01 ID:nrugVPtIO
最近えらく怒っておられますな‥。
563 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/08/20(木) 11:18:35 ID:PQWLRSaT0
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さて、もうちょっと飛び出したヘッドランプ(カエルランプ?)で思ったこと。まぁ、いつもながらの無駄話ですが。
トライアンフTRシリーズやオースティン・ヒーレー・スプライトでは、コスト高という理由で没になった
ポップアップ式のヘッドランプですが、先日もちょっと話に出たトヨタ2000GTはコスト度外視で
トヨタのイメージリーダー(だったのかな?)として作られた為か、それが採用されています。
もっともこれ、本来ならば先に発売されていたトヨタスポーツ800と同様にノーズ先端に付けられたランプを
ヘッドランプとして使いたかったのは明らかだと思います。
ポップアップ式のランプは、スポーツ800とは異なり輸出も考慮した為ランプの位置(高さ)が
あれでは具合悪かった為に後から付け足された物ではないでしょうか。
英国的にレーシングカーを直接のアイドルとはせずに高級パーソナルGTとして入念にデザインされたと見える
トヨタ2000GTですが、あのポップアップ式ヘッドランプを出した状態だけは
格好良いという声が聞かれないのはちょっと残念な気がします。
もっともヘッドランプを飛び出させた状態の時ってのは夜に決まっていて
車全体の形を把握出来ないのですからそれも仕方ないのかも知れませんが。
しかしフロントエンドの形ってのは車全体の印象を大きく左右するもので
トヨタ2000GTが、もしも普通にフロントのやや奥まったところにヘッドランプを装備して
アクリルカバーでも付けていたならば、フェラーリGTOやらジャガーtype-Eにより近い印象の車となり
独自性は大いに失われていたでしょう。
また、あの車がポップアップ式ではなく“カエルランプ”にしていたら、それこそ変なモノだった筈。
やはりあれはあの形で良かったとしか言い様が無いものなのでしょうか。
2000GTのデザインを手がけた元トヨタデザイナーの野崎さんは、春先に亡くなられたようです。
会社のせいで現役時代には名前も出ませんでしたが、
デザインとしては日本車最高水準の作品が一つ世に残っただけでも、もって瞑すべし、でしょうか。
一方、初代ZのプランナーでもあるミスターK・片山豊さんは来月で100歳になりますがまだご健在。
ご出身が浜松郊外の春野というのは、
Hマークのヤヴァいぶち切れオヤジや、中小企業のオヤジを称する怪社長のいる会社を連想させて、面白いものがあります。
浜松には何か変な自動車関係の放射性物質が埋まってるんでしょうか。
思えば片山氏、車を運転して80年近い経歴があるだけで凄い。
戦前のダットサンの販売に関わり、鮎川社長に満州に行かされたりもし、
戦後はフライングフェザーのアイデアを冨谷龍一氏に進言し、
オーストラリアラリーには難波さんなどの猛者と共に
トラック同然のノーマルダットサン共々現地へ乗り込んで指揮を執り、
完走とクラス優勝で凱旋して国に帰ってきたのに
恐るべきバカ社長の川又克二らのせいで冷や飯を喰わされて、アメリカへほとんど左遷として送られ、
そこで商社系のやる気のない連中をけり出してダットサンを売り込み、510やZをアメリカで成功させ……
そしてまた冷や飯を喰う形で引退せざるを得なかった……
エンジニアでない自動車人で、これだけ波瀾万丈なキャリアを歩んだ人も貴重ですな。
>Hマークのヤヴァいぶち切れオヤジ
ワロタw
片山さんくらいの人になると、左遷されてもDATSUNのブランドを
全米に浸透させるくらいの事をやってのけちゃうんですねぇ。
逆に、日本に居て煩い連中に干渉されるより、アメリカで駆け回ってる方が性に合って、
実力を発揮できたのでしょうか。
ところで、DATSUNの復活という話はどうなったのでしょうか。
Zカーの存続でお茶を濁して・・・る訳ではないですよね w
>ワロタw
部下相手にスパナ振り回してガツン、何かあったらガオーガオーですぜ。説得しようとすると逆ギレしてぷいと消える。
これで貴重な人材を逃してしまったこともあるぐらいだから、藤沢さんがいなかったらどうなったことか。
「Topgear」なんぞを見ると、ジェレミー・クラークソンなどあちらの方たちは、
「ニッサン」ブランドの新しいZでも遠慮無く「ダッツサァン」と呼んでたりしますね。
>>565-567 そう言えば。元ホンダF-1のエンジニアだった、かの中村良夫さんが書かれたものなどを見ても
「本田宗一郎さんと中村さんとの関係って、中村さんの人柄だけで成り立っていたのでは?」
みたいに思う事が有ります(w
世の中には「アンタ惜しいなぁ!」みたいに思うことって一杯有りますが、
中村さんが深く関与していた第一期ホンダF-1なんかもそんなクチ。
もうちょっと誰かがこうしていたならばと思うところは一杯有ります。
例えば“プロのレース屋さんのように、最初は無難なことから始め。新奇な機構は後から少しずつ出していたら”とか
でも、仮に本田さんがそういう方でしたら、殆ど二輪の実績しかなかった会社がいきなりF-1に出たとは思えず。
また中村さんが自分の意見を強く押し通す方なら、本田さんとの衝突は避けられなかったでしょう。
第一期ホンダF-1が、今の目では無謀な機構の塊のような車で結果を残せなかったのは
同時期のブラバム・ホンダF-2が無敵だった事も有って、「惜しいなぁ」とは思いますが
そこに関わった人の組み合わせから必然の道でも有ったのだと思います。
その点アメリカの“自動車の殿堂”にも称えられる片山さんは、御本人の人柄とめぐり合わせとが
上手く噛み合った方だったのかも知れません。
それとも本当に優れた方は、周囲がどうあれ、それなりの結果を出してみせるということなのでしょうか?
以前から気になっていましたが、「F-1」という表記は間違いですよ。
FIAの公式サイトで確認して下さい。
>>569 失礼。それ、癖になっているので油断しているとつい出ちゃうんですよね。
さて。トヨタ2000GTのデザインですが、近年迄はこの車については(特に海外で)
「元々のプロトタイプははヤマハがドイツ人デザイナー・ゲルツさんという方に依頼してデザインしたもので
ヤマハはこれをニッサンに売り込んで商品化される筈だったものの、ニッサンとは最終的に折り合わず
後にトヨタに売り込み、トヨタ2000GTとして世に出された」
・・ってことになっていたそうです。
それがトヨタ2000GT開発ヒストリーに関して書かれた本も出版され、またヤマハの製作したプロトタイプも
(実在しましたが)トヨタ2000GTとは直接何も関わりは無かったことも明らかになり
やっと本来のデザイナーが野崎喩さんという方だったことも明らかになったようです。
この辺のことは私はSCG誌43号で読みましたが、それ以前に読んだ
他の元トヨタデザイナーさんが書かれた「空力とカーデザイン」という本でも
トヨタ2000GTには触れながらも、誰のデザインなのかは書かれていなかったようです。
世に誤りが広く流れていたならば、一言書かれても良かったと思うのですが。
・・それにしてもなんで海外ではニッサンが依頼してヤマハが作った2000GTって車が広く知られていたのか?
また何処からゲルツさんという名前が出たのか?不思議な話ではあります。
ところで野崎喩さんという方、他にはどんな車を手掛けた方だったのでしょうか?
トヨタ2000GT自体は古典的なGTのプロポーションに忠実な格好の良さを追求したと思える形ですから
革新的とかって言葉とは無縁でも、決してその事が価値を低めるものではないと思いますが
それをジャガーE-typeに似ているとかナンとか言われたのは、面白くなかったのではないでしょうか。
あの頃の日産のデザインの話になると、よく名前が出て来るのがゲルツさん w
初代シルビアにせよ、Zにせよ、日本人デザイナーの作にもかかわらず、
ゲルツさんの作、あるいは関与した、とする文章をよく見ました。
日産に関わりがあって、感想くらいは述べたかもしれませんが。
私の個人的な好みで言えば、同じロングノーズでも、
トヨタ2000GTの流麗さより、Zカーのワイルドさの方が好きだったりします。
あまのじゃくなのか、完成度の高いのが逆に物足りない。
Zにしても、昔はZGの方が好きだったのに、今はノーマルの口の開いた方が良く思えたり。
それにしても、初代シルビアというのは、美しくてカッコイイと思います。
フロントグリルが睨みつけるような表情で、
美しい中にも男らしい感じがします。
初代プレジデントも、マイナーチェンジ前はシルビアと似たグリルで、こちらも好きなんですが、
あんまり長い間は作られませんでしたね。
高級車としては、センターグリルの後期型の方が押出しが強くてよかったのでしょうか。
このスタイルは長かったですけども。
シンプル横長グリルから、センターグリルへのチェンジと言えば、
いすゞのフローリアンというのもありました w
>>571 昨日も触れたSCG43号の記事の中には、その名前は出て来ませんが
アルブレヒト・フォン・ゲルツさんという方、ニッサンとコンサルタント契約を結んでいたのは確かなようで
その初代シルビアはゲルツさんの作とも取れる文章は先程ちょっと見たwikiの中にも見られます。
で、どうも海外で“トヨタ2000GTはゲルツさんの作品”という説が広く流れていたのは
ゲルツさん自身がニッサンの為にプロトタイプ(日産2000GT)をデザインした事を何処かで話したのに
いろんな尾鰭がついて昨日も書いたような話が出来上がってしまった為のように思えます。
まぁ、それはともかく。
昨日までトヨタ2000GTを格好良いと言っていたのに、簡単に手の平返すようですが。
“完成度が高いのが却って物足りない”と言われるのも判る気がします。
それこそ先日の“デザインし過ぎないのがスポーツカーの粋”みたいな話ではありませんが
意外と好き嫌いで考えればそういうモノなのでしょう。
トヨタ2000GTって博物館など屋内で見る機会は多いのですが、先日或るイベントで珍しく屋外で見たとき
なんとなくまとまり過ぎ、窮屈な感じを受けたので
もう少し生まれた時代が後でしたら、コークボトルでも纏って、バランスは少し崩れるかも知れませんが
もうちょっと気楽に見られる車になっていたとも思いますし、自分でも乗ってみたいと思ったかも知れません。
また、このスレッドで以前“スポーツカーとGTとの境い目”みたいな話をしましたが
案外こうしたところにもそれは有るのでしょうか。
スポーツカーってのは細部まで完全にデザインされていなくても良いっつうか、ちょっと野性的なくらいで良く。
純粋なGTを目指したトヨタ2000GTに無くて、(かなりGT寄りでも)スポーツカーを目指した初代Zには有るモノ。
それが“ワイルドさ”っていうものなのかも。
>>571 >高級車としては、センターグリルの後期型の方が押出しが強くてよかったのでしょうか
プレジデントがあのゴツイ後期になったのが昭和48年。
メーカーの公式アナウンスはないものの、この時期あたりから、取ってつけたようなフェイスリフトや
ノーズ延長、エンジンの排気量増大が各メーカーに見られます。
ちょうどこの時期は、48、50、53年の排気ガス対策に向けて必死になっていた頃で、酸化触媒やら
二次エアブロワーやらぶち込んで、熱害対策必至の状況になっていました。
グリルの拡大も美醜はともかく、その時代に必然のことだったのでしょう。
わかりやすい例に、同時期のコロナマーク2があります。
前期ではグリルに合わせたデザインのバンパーですが、後期では一直線のバンパー、しかも
グリルとバンパーのスキマは開けっ放しで開口部を稼いでいます。
見た目の印象は「投げやりなフェイスリフト」ですが、50年対策のエンジンを積むために、
フロアパネルのプレス、エンジンマウント位置まで変えているという涙ぐましいシロモノです。
前期型
ttp://www7a.biglobe.ne.jp/~Car_life/jpg-f/ccr16-094.jpg 後期型
ttp://www.geocities.jp/msom5833/eventpict/kcm2004_2.jpg
’60年代の国産車なら SR311が最強だと思いまつ
>>573 そう言えば、先日もちょっと触れた「空力とカーデザイン」って本を書かれた元トヨタデザイナー氏
(以前この本に辛辣なこと書いたので、名前は出しません。調べればすぐ判ってしまいますが w)
そのコロナ・マークUのデザインの中心となられた方のようで、
その本の中でも熱対策に苦労された当時の話も書かれていました。
で「自ら手掛けた車は自分でも買って使ってみる」と言われているのは結構ですが
「視界が悪くて使い辛かった」とも・・って他人事みたいなことを・・(w
ところで、カーデザイナーさんっつうお仕事も大きく二つに分けられ
レーシングカーのデザイナーと市販車のデザイナーでは全く内容も異なることでしょう。
市販車の場合、フルスケールのクレイモデルを作るのにも数ヶ月という時間を掛け
入念な検討がなされるそうですが、レーシングカーではそんな事していたらシーズン終わっちゃいます。
また高度に専門化した現代の自動車レースではボディー形状に求められる要件も
市販車とは大きく異なるようです。
60年代半ば頃迄は、フェラーリの純レーシング・スポーツカーもピニン・ファリーナがデザインして
スカリエッティの工房で製作されるという具合に、
結構レーシングカーデザイナーとロードカーのデザイナーの仕事の境い目には曖昧な部分も有ったようですが
今は市販車ベースのカテゴリー以外ではそうした事は考え難いでしょう。
一時期ルマンがGTカテゴリーで争われたことなども有りましたが“市販ロードカー型”は
かなり特殊な車になってしまっていましたし。
最新の純レーシングカーをアイドルとする“硬派の”或いは“スパルタンな”量産スポーツカーっつうのは
中々生まれ難いご時世でもあります。
いっそのこと、レース規則をちょっとだけ改変して「トランスポーターによる競技車両の運送禁止」
ってしてしまえば良いと思うのですが。
サーキットまで自走しなければならないとなれば、ナンバー取れないような形の車は作れず
かなりレースカーの形も変化するでしょうから。
576 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/08/26(水) 06:01:01 ID:6p2fY5dfO
そんなことしても、ヘリコプターで持ち込むだけ…
トランスポーター以外で競技場に持ち込む方法なんて、議論は止めましょう(笑)。
書いてある内容を文面通りにしか理解できない、小学生並の知能レベルの人って・・・
公道を自走する以外禁止ってルールは、エコ時代もあって近い将来そうなると思いますよ。
>>577 すみません
>>576読んで「・・あ、そうか・・」って思っちゃいました(w
(その程度のもんなんですって。私の書いていることなんて)
まぁ、それはそうと
>>574さんもお気に入りの様子のフェアレディ2000とか、過去このスレッドで話に出た中では
ポルシェ356スピードスターとかジャガーXKSSとか。
こうした“硬派の”とか“スパルタンな”とかって形容されるスポーツカーっつうのは、
多くの車好きにとって大変魅力的に見えるものだと思うのですが。
残念なことに今は数少なくなりつつあるのは
「純粋なスポーツカーは格好良いけど、実際に乗るとなればやはりエアコンくらい付いてないとなぁ」
みたいに乗る側は軟派に退化してしまっているところが有る為なのかも知れません。
(私もそうですしねぇ・・)
純レーシングカーが市販ロードスポーツと乖離し、全く別物となってしまったのは何時頃からでしょうか?
勿論それはいきなりそうなった訳ではなく、徐々にそうなっていった訳ですが
ポルシェのレーシングカーを例にとれば60年代半ばの906迄は一応ナンバーとって
合法的に公道を走行することも可能だったという話だそうです。
同時代のフォードGTにも一応ロードバージョンが存在しましたし、そのライバルだったフェラーリも
ロードカーと同様にピニン・ファリーナがデザインしていたように
この時代が純レースカーとロードスポーツの境い目に曖昧さが残っていた最後の時代でしょうか。
それが全くの別物となったのは、やはりラップタイム向上には空気抵抗削減だけではなく
ダウンフォースを重視しなければならないという考えが広まってからでしょうか。
と、考えればアメリカで生まれたシャパラルの果たした役割は無視出来ないでしょう。
白一色に塗られていたこともあり、何処か素人臭い印象も有るシャパラルですが
「速ければ見てくれなんて後からついてくるもの」みたいな実も蓋もない感覚も含め
いろんな意味でレースカーの転機となった車だったのかも。
>>578 ’70年代中期 友人が フォードGT40個人輸入したのですが
はかなか ナンバーが取れなかったので
夜な夜な ナンバー無しで走り捲ってってたような・・・?
シャパラルって ひょっとして 怪鳥チャパラルのことですか?
580 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/08/27(木) 20:37:26 ID:kcNYHk0FO
よく考えてみれば、ロードゴーイング・バージョンなるものは、レーシングプロトタイプ等からの派生を意味するんですねえ。
こんな語彙はいつ頃から生まれたのか?
市販スポーツカーのレーシングバージョンとは逆のものではないかと。
>>579 シャパラル/チャパラル。いつもカタカナ表記は悩ましい問題ですが、いずれにせよその“白い怪鳥”です。
それにしても70年代中期にフォードGT個人輸入とは凄いですね。
当時すれ違った方は、さぞびっくりされたことでしょう(w
>>580 “ロードゴーイング・バージョン”っつう言葉がいつ生まれたのか?ってのは判りません。
元々レースカーとロードカーの境い目が曖昧だった頃には無かった言葉でしょうが。
ところで。
丁度
>>579さんがお書きになったフォードGTにはMkVって
最初から北米安全基準を満たしたロードバージョンが存在した事を御存知の方も多いと思いますが
あんまり人気は高くなかったのか、僅か7台の生産で終わっているそうです。
http://www.automotivetraveler.com/images/stories/adventures/090311-6_GT401103.jpg 丸型四灯のヘッドランプ、前後の小さなバンパー、小さなトランクを設ける為に延長されたテール等で
他のフォードGTとは区別出来ます。
フォードGTのロードカーとしては、他にMkT(つまりオリジナルの4.7〜5リッターバージョン)に
最小限のロードトリムを装備させて公道用としたものも有り、実はこちらの方がMkVよりも遥かに数多いとか。
ですから、このフォードGTには昔ながらの“レースカーにするもロードカーにするも使う人次第”のものと
メーカーが最初から公道用として作ったロードバージョンとが両方存在したことになり
如何にもレースカーが専門化する端境期の車らしいと思います。
もっともメーカー自らが純レーシングカーをベースにロードカーを作るという試みはこれが初めてではなく
先日もちょっと触れたジャガーXKSSはレーシングカーD-typeのロードバージョンそのものですし
ジャガーの工場の火災でそれが幻と消えた後に生まれたE-typeは、
C-typeD-typeと続いたレースカーの名称を引継ぎ、またデザイン的にもD-typeのイメージを引き継いだように
レーシングカーから多くのものを持ち込んだ、言わば心情的なロードゴーイング・バージョンと
言っても良いのではないでしょうか。
ストラーダに対するコルサとかコンペティツィオーネ なんてのはまた別なのかな
583 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/08/29(土) 22:38:52 ID:o0WKWzXHO
ロード・ゴーイング・バージョンてのは、神の子が俗世間に降臨したようなもの。
レーシング・バージョンてのは俗世を捨てた修行僧みたいなもの。
>>582 ストラダーレ=ロードバージョン、コンペティツィオーネ=レースバージョン
・・基本的にはそういうことなのでしょうが、イタリアの場合は50年代迄続いたミッレ・ミリアや
70年代迄存続していたタルガ・フローリオを視野に入れた、
(単にカテゴリー毎の量産規定を満たす為とは異なる)レースの為のロードカーが存在するので
やや話は複雑になるかも知れません。
まぁ、そんな細かなこと言わなければ同じ物と考えて何も問題は無いと思いますけどね(w
英国に劣らず小規模な車生産者が多かったイタリアでも、そうした小規模生産者の製品は
レースカーのつもりで作られながらも、買った人が公道に用いる事も多かったことでしょう。
初期のフェラーリ等も、ロードカーとレースカーの区別等、作っている側も意識していなかったでしょうし。
(さすがに単座フォーミュラカーは別でしょうが w)
現代に於いてもGT-Rであろうがアルファードであろうが、公道で用いようとクローズドサーキットで
レースに用いようと買った人の勝手ではあるでしょうが現実的ではなく
その点はやはり、昔の方がレースカーとロードカーの境い目は曖昧だったようで
アルファ・ロメオを例にとれば30年代にGPカーのティーポC8C(単座)を殆どそのまま複座化して
8C2900という名前で売っていますが、それこそレースに用いるも公道で用いるも入手した人次第。
ワークスチームからルマンに出る物もあれば、クーペボディー纏って公道で用いられる車も有り
http://fc08.deviantart.com/fs27/f/2008/098/1/2/1938_Alfa_Romeo_8C_2900B_by_oO_Rein_Oo.jpg 写真手前はルマン用クーペ。奥の水色の車はロードカー、基本的に中身は同じ
戦後はディスコ・ヴォランテやらジュリエッタSZ等、ロードカーから転用したレースカーの方が数多いですが
やはりそれだけでは気が済まなかったのか、60年代末期にレースカーから派生のロードカーとして
ティーポ33“ストラダーレ”が生まれたのはやはり血が騒いだってところでしょうか。
http://www.partaj.cz/imgs/alfaromeo/tipo33/33t.jpg
知人がBXを20年間大切に乗っていて、この先も一生ずっと乗り続けると公言していました。
ところが、先日突然C4に買い換えたので理由を聞くと、20年落ちで査定ゼロのBXを廃車にし
25万円の補助金と、今なら50万円の値引きまでしてくれて、つまり合計75万円のお得なので
迷わず買い換えたそうです。
逝ってる氏も、今なら新車のシトロエンに買い替えると75万円引きで買えますよ。
それとも、この先も一生BXを乗り続けるつもりですか?
>>585 C4は大変良い車ですが、買うつもりにはなれないです。C5も同じ。
まぁ、もしも買うとすれば一台増車ってことになるでしょうが、サルーンカーばかり何台も有っても仕方ないので。
この先車を買うなら、全く異なる形の物になると思います。
一生とか、そういう事は口にしません。常に明日の事は判らないと思っています。
ビーチ・ボーイズの「神のみぞ知る」って曲は御存知でしょうか?
“I may not always love you ・・・・ God only knows What I,d be without you”
(永遠に君を愛さないかも知れない。 でも君無しの僕がどうなってしまうのか?それは神のみぞ知ること)
人であれ物であれ。今大切に思っているということ、それに勝ることは無いと思います。
さて、話はちょっと戻ってシャパラルなんですが。
シャパラルとひと口に言ってもいろいろと有りますが、このコンストラクターが作り出した車に共通するのは
空力を最大限に重視していること。その為には形振り構わぬことで
それが白一色に塗られていることとも相俟って、同じ時期のポルシェやフェラーリと比べると
素人臭い感じにも見えます。
http://wildman.up.seesaa.net/image/0801-2.jpg これは欧州のスポーツカーレースで実際にポルシェやフェラーリと競い合ったタイプ2F
しかし考えてみるとレースカーなら空力を重視するのは当然な話で、また小規模な生産車の車が
素人臭いっつうか垢抜けないところが有るのも珍しくないのですが
このスレッドで先に触れた幾つかの英国製やイタリア製のレーシングカーの、ある種の奇怪さと
このシャパラルの実も蓋も無い感覚っつうのは、似ているようで何処かが違う気がしてなりません。
単純に空力への考えの違いってものでしょうか?
それとも、本当に「目的の為には手段は選ばぬ」ものと「デザインしたけど、その腕が未熟だった」
ものとの違いでしょうか。私はなんとなく後者ではないかと思うのですが。
・・今日は柄に無い変な事書いたのでsage(w
神のみぞ知る
蟹のみそ汁
↑上手いことを書かれる(w
と、駄洒落に感心しつつ・・。シャパラルってコンストラクター、フェラーリやらポルシェやらとは異なり、
バックにGMの技術供与が有ったとは言われますがロードカーとは無縁で
テキサスの石油王・ジム・ホールさんの個人的なプロジェクトだった訳ですから
ロードカーを売る為のアイドル的な存在である必要が無かったことは考慮すべきでしょう。
レースで速ければ、格好云々は気にする必要は無かったと。
それでも格好っつうのは悪いよりは良いに越した事は無いでしょうから、
シャパラルのスタッフもそれなりに格好良く作る努力はしたのでしょうが、何処か垢抜けないもの。
勿論、それが駄目だと言う訳ではなく。シャパラルにはマニアさんが多く存在される事は充分承知ですが。
シャパラルのもう一つの特徴である、樹脂成形モノコックボディーの製作にあたっての制約も
出来上がった車に影響したのでしょうか。
それに対して、英国製スポーツカーの垢抜けなさってのには何処か無頓着さが感じられます。
以前も書きましたけど、バンカラな気風みたいなものをもって格好善しとするみたいな。
ジャガーXJやロールス・ロイスなどのサルーンカーの端正さも英国的ならば
そうしたバンカラ(今は言わないなぁ・・)なスポーツカーも、また英国的というものでしょうか。
日本と同じ車両左側通行国って事もあって、身近に感じる人もおられるかも知れませんが
私には英国人気質ほど判らない物はないと思う事が有ります。
思えば第二次大戦時、最も優美な航空機スピットファイアを作ったのも英国人ならば
http://www.richard-seaman.com/Aircraft/AirShows/Oshkosh2002/Samplers/Ww2/Spitfire8oClock.jpg 洗練という言葉とはかけ離れた、トンでも無く時代遅れな雷撃機ソードフィッシュを用い
http://www.spitcrazy.com/Swordfish-opt.jpg 敵軍に嘲笑されつつもちゃんと成果を残してみせたのも英国軍だった訳で、
こうした二面性はどの時代にも生き続けているのかも・・。
空母主体のガチな勝負がなかったのも幸いして、戦後まで堂々と飛びつづけたソードフィッシュ。
戦場でその姿を見たドイツ軍人には『大英博物館の虫干し』と驚かれつつも、なぜか愛されて
後継の現代的なアルバコアやバラクーダは先に退役したり、アメリカ製に代替される始末。
どことなく、モダン化を図ったモデルを出すと失敗する英国製スポーツカーと軌を一にしているようでw
戦後復興のため強力な輸出政策をとったイギリスは、北米市場を狙ったわけですが、そこで売れた
車を思い起こせばドロップヘッド主体で、もしかすると駐留軍人やその帰国者によってもたらされた
英国スポーツ=MGなどのイメージが固着したことが、モダン化失敗の一因かもしれません。
オートバイの世界でも、『なんでもかんでもインライン4』と揶揄される日本車の前は、英国車の
トライアンフ、BSA、ノートンなどが北米で『なんでもかんでもバーチカルツイン』に固着したまま
枯死していました。(黄昏期にはトリプルもありましたが)
そういえばソードフィッシュは、改良型でレーダーが載ったりロケットランチャーが搭載されたりしました。
飛行機でも車でもオートバイでも、根幹から変えれば楽なものを、どうしてわざわざ古い土台のまま
枝葉に凝ってしまうのか、イギリス人というのは謎の多い存在ですw
590 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/02(水) 18:53:21 ID:1P1x/WjdO
ビッグ・ヒーレーなんかも、Zカーに北米でのポジションを奪われたもんねえ。
MGミジェットとてエスハチの革新性には太刀打ちできなかった。
591 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/02(水) 19:37:20 ID:PUp7VG3j0
>>338 そりゃ転がってるだろうけど、10万円で買える900馬力の国産中古車とやらを教えてみな
592 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/02(水) 22:49:56 ID:1P1x/WjdO
593 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2009/09/02(水) 22:54:46 ID:1P1x/WjdO
↑こういう珍車を見つけましたよ。国内です。
正直迷ってます。
逝ってるさん的にはどう感じられましたか。
>>593 そう言われましても、私にはナンとも・・(w
珍車には違いないですし、価値も有ると思いますが。ブリストルの良さっつうのがどうもピンと来ないので。
>>589-590 その話で思い出しましたが、(以前にも書いたかも・・このスレッドだったかな?)
初代Z-Carは「クーペボディーの快適さを武器に、アメリカ市場で英国勢を駆逐した」みたいなことを
書かれているのを時折見掛けますが。
Z-Carの登場は1969年。その時既に英国からはMG-B/GT(1965年)やトライアンフGT6(1966年)
http://www.motorimania.it/manifestazioni/sportive/images_triumph/a_triumph_gt6_11.jpg http://www.capecodbritishcarclub.org/CarPhotos/John_Harris_74MGB-GT.jpg と、こういったクーペボディーを持つ小型GTが生まれていた訳ですから
そうした言い方は正しくはないと思います。
しかしこれらもZ-Carの人気の前には影が薄くなってしまったようなのは、589さんの言葉をお借りするなら
英国スポーツ=ドロップヘッドのイメージが強すぎた為か、
それとも先に存在したスピットファイアやMG-Bといったロードスターモデルのバリエーションと見られ
新鮮味に欠けたからでしょうか。
今の目で見れば、これら英国勢のクラシカルな風情っつうのも中々捨て難いものですが
その当時はZ-Carの新鮮さに太刀打ち出来なかったのも無理は無い気もします。
さて、そろそろ今回も600レス弱とこのスレッドとしてはごく平均的ペースで容量一杯の模様(w
もう1レス書き込めるかどうか。
次スレはまた例によって(私もちょっと遅い夏休みで留守にする予定もあり)少し間を置いて始めたいと思います。
・・・・そりゃそうと、何か気の利いたスレタイ(この場合はサブタイトル)って有りませんかねぇ??(w