なるほど・・・事情了解しました。
尤もリアルで知っている人達とはまたこことは別の連絡・連携を持ってまして
それ以外はまぁあくまでウェブ上の関係、ウェブ上の人格での付き合いというスタンスでおります。
そういうスタンスでいる分には問題少ないのではないでしょうか?
>>197
>>199 カラスなんか甘やかしてはいけません!
昨日も家の前に置いた、貰ったばかりの鉢植えをひっくり返して行き・・(ry
つか、それじゃあCMにならんと思いますが(w
>>198 成る程ねぇ・・。そう言えば“フロントミドシップ”なんて言葉も有るには有りますが、
大概はFFやFRの場合、エンジンが前車軸より前方にあっても後方にあっても“フロントエンジン”で
済ませてしまいますしね。
しかし、あのダイムラー・ベンツミュージアムを紹介したウェブページは現代の視点で書かれている筈。
あの車が本当にミドシップならば何か一言くらいは触れていても良いと思うのです。
普通ならば資料にそう書かれていたならば一応信じるのですが、この150Hという車の場合には
その前に有った130Hも改良型の170Hもリアエンジン車である事ははっきりしていますので
その中間の150Hだけがミドエンジンとは考え難いのです。
まぁ、それはともかく。ポルシェ社の試作第一号車もミドシップでしたし、
59年〜60年にかけてクーパー父子がミドエンジンのレーシングカーを大活躍させる以前にも
550シリーズを作ったり、チシタリアの為に設計したGPカーもミドシップであったりと、
ポルシェ(社)は意外にこのレイアウトがお好きだったのでしょうか。
思えば大ポルシェ(フェルディナンド)さんは戦前のアウトユニオンPヴァーゲンの設計者でしたし。
もっとも、これってそれよりも更に昔のベンツGPカーのレイアウトの焼き直しでもあったのだとか。
20〜30年代はドイツ(及びチェコ)でリアエンジン車の研究がある種の流行だったようで、
ミドシップレイアウトのレースカーもその流れの中で見るべきなのでしょう。
そしてその流れの集大成がビートルであり、末裔は初代エスティマとか現代の三菱iであり。
ルネ・ボネ・ジェットやクーパーのフォーミュラカーや更にはVWポルシェ914等は
別の流れと見た方が理解し易いのかも知れません。
>>199 あのCM…同意です。せっかく頭のいいカラスがくるみを置いたのに。。。
あのドライバーの人相が悪く、くるみを避けた後のニヤリがまるで犯罪者みたい。
現代の多くの”ミッド・マウンテッド”は実態としてほとんどRRに近ひ重量配分になってゐます。
身潰しiなどまさにさうですし、多くのFF前半流用MRもさうです。
或ひはそれこそフェラーリの2+2ミッドなど完全にさう。
本来の意味で前後の重量配分を均等に近く配分するにはマクラーレンF1程のことが必要ですし
少なくとも一連のランボル縦置き式とかF40、50、エンゾやBMW・M1のやうな形態を取らざるを得づ
FF前半流用のやうなものでは事実上RRに際限無く近ひ動きとなります。
MR-2辺りを経験してゐる方はご存知でせうし、X1/9ではあの驚くべきアンダーパワーwで
糊塗されてゐますが基本的には同ぢ筈です。
アテクシ的には911のレイアウトを前後逆にしたやうに見へるボクスターあたりがだうなのか?
と思ふところであるます。RRの911もさうですし、本来ミッド・マウンテッドの場合
フロントエソジソ車と決定的に違ふのは”コーナーではきちんと減速しなひと曲がらなひ”、
つまり常時操向輪に荷重の掛かるフロントエソジソ車と異なり減速による荷重移動をきっちりやらなひと
単にハンドル回しただけでは思ったやうに曲がらなひといふのがありますので
ボクスターも911に慣れた人なら思ふやうに走れるでせうがアテクシのやうに余りにFR慣れしてゐると
だうなんだらうか?と思ふのです。
そもそもミドシップとは、エンジン本体が前車軸から後車軸までの間(ホイールベース内)
に搭載されているレイアウトです。
このミドシップですが、さらにキャビンとの相対位置により3種類に大別できます。
エンジンがキャビン前方に搭載されるフロントミドシップ、キャビンの真下に搭載される
センターミドシップ(例として初代エスティマ)、そしてキャビン後方に搭載されるリア
ミドシップです。
尤も、一般的にミドシップと言えばリアミドシップを示す場合が多いですが…。
上記の定義に従えば、フェラーリ512BBは厳密に言えばリアミドシップではありません。
なぜなら、その180度V12エンジン本体はホイールベース内に完全に収まらず、後車軸より
後ろに少しオーバーハングして搭載されているからです。
それとは逆に、一般にクラシックカーと呼ばれる車の多くは、実はまぎれもないフロント
ミドシップということになります。
ミドシップの定義について、エンジン本体がホイールベース内に完全に収まらないにもかか
わらず、エンジン本体の重心位置がホイールベース内にあるという理由によりミドシップが
成立していると主張するメーカーがあります。
かつてホンダが採用していたFFミドシップと称するレイアウトがそうですし、近年では日産
がスカイラインでFMパッケージ(FM=Front Midship)と称するレイアウトもそうです。
FFミドシップもFMパッケージも、エンジン本体の約半分程は前車軸より前にオーバーハング
しているので、本来はミドシップと言うべきではないでしょう。
ちなみに、エンジン本体が前車軸より後ろのホイールベース内に完全に収まっている、定義
に忠実なFFミドシップは昔は少なくなかったです。例えばシトロエンのDSやSM、ルノーの
4や5などがそうです。
ルノー5と言えば、リアミドシップの5ターボが印象深いですが、オリジナル版のFFモデル
も正真正銘のフロントミドシップということで、同一車種において2種類のミドシップを有
するユニークな存在でした。
>>186 フェラーリの件で理解できないのは私の場合は308のみです。
なぜなら通常は206はディーノとだけ記されてるわけですし、208はもともとイタリア本国専用仕様。
このことからだけ考えても308だけが不思議なのですが、後年は328になっているわけですので
その間に何らかの配慮が働いたのかもしれません。
おっしゃるとおり、900番台の問題として考えるとしっくり来るのですが、いかんせん憶測の域を出ません。
もしくは
>>195でも触れられていますが、当時のル・マンや各レースのことを考えるとお互いに不可侵の
領域ができていたのかもしれないなぁ、と思ってみたりしています。
>>195のついでに 150H ロードスターのほかの面からも見れる写真・・・・・ 模型ですが(w
ttp://www.momofactory.com/gallery/others/150H/150h.htm たしかに人間の入る位置を考えると、エンジンのあるのはミッドシップでねぇですか(w
130Hと170Hはたしかにリヤエンジンですが、150Hはミドシップだと考えるのがいいのかも。
しかし、年代とデリバリーした台数を考えると特注で受けたSpezial Roadsterだったのかも知れません。
>>201 確かにネット上で馴れ合うだけなら問題は少ないかも知れないですけど・・・
でも「元 対決!スーパーカークイズチャンピオン」の過去を何も知らないで馴れ合うのは
どうなのかなと思いまして余計なことと思いつつお知らせしました。
良い人か悪い人かの判断は人それぞれですけど悪い人と馴れ合っていると同類と見なされる
ので気をつけましょう。
そこでもうひとつお知らせすべきことがあります。それは自演のことです。
2ちゃんねるの40代板の常駐コテ「練乳」のことは知らないでしょうね。
少し前まで「練乳 ◆RN/man0pdU」を名乗り今は「煉 ◆LEN/FB88UY」です。
検索してみれば典型的な「2ちゃんねら」だとわかります。
しかも「練乳」の書き込みはそれこそ平日休日朝昼晩深夜問わず24時間365日
フルタイム2ちゃんねらです。
その書き込みは不真面目な内容が多くそれが原因でスレが荒れることも多いです。
実は某スレで「元 対決!スーパーカークイズチャンピオン」と「練乳」が同一人という
疑惑が発生しました。2人共毎日一日中書き込みしていてあまりに異常だったからです。
そこで何を思ったのか2人は疑念を晴らすためにオフ会を決行しました。
しかしよく考えてみて下さい。
見ず知らずの他人同士が2ちゃんねるスレでこんな都合よく簡単にオフ会が出来ますか?
3ちゃんねるより
「元 対決!スーパーカークイズチャンピオン」がオフ会を決行したことを報告するレス。
http://www.3ch.jp/test/read.cgi/honobono/1132881727/899 899 :元 :05/12/08 02:53
練乳さん、今日はどうもありがとう御座いました!。
色々御ありだったみたいですね。それなのにわざわざ、そしてこんな私を
最後まで信じて頂き、大変有難う御座います。
ク〜〜さん、お久しぶりで御座います。
練乳師匠はク〜さんがご想像されてる通りの渋いオヤジですよ!
私は、船越栄一郎と(二時間ドラマの帝王)と云われてますがね(笑)
また顔を出します!
では
追伸
本当に初めてお会いするのは大変ですね〜〜(笑)
だってですよ! 今回お会いする方のHNは・・・!
知らない人に『あの〜〜練乳さんですか?』と聞くのは犯罪に近いと
思いませんか? (笑)
もし違ってたら、通報されますよね(笑)
練乳師匠は『元さん?』でいいですけど〜〜〜(笑)
>>205 >ルノー5と言えば〜同一車種において2種類のミドシップを有 するユニークな存在でした
・・その見方は新鮮ですね。言われてみれば確かにそうでした。
>>206 1/43が出ていたとは知りませんでした。これを見ると確かにミドシップのようですね。
>年代とデリバリーした台数を考えると〜
http://www.autogallery.org.ru/pmbtable.htm これを見る限りでは、この150H(150 rearmotor sport W130)という車、35年〜36年にかけて
20台の生産に留まっているようです。
150の標準型(?)と見られるW30は更に少なく5台のみの生産に終わっているようで、
Hシリーズのメルセデスは130から直に170に発展したと見るべきなのでしょう。
こう見るとW130は独立したモデルと捉えるべきか、
それとも4300台弱が作られた130Hベースのスペシャルと見るべきか?
以前フィアット508S“バリッラ・スポルト”の話が出た時に書いた事ですが、
当事の欧州ではこうした小型スポーツの史上は英国くらいにしか存在しなかった様子。
その為に多くのサイクルカーメーカーは短命に終わり、
バリッラ・スポルトのような車も少数の生産に留まっています。
メルセデスがそうした事を知らずに、このW130を量産しようと計画したとは考え難いのですが
この車で何をしたかったのか?ってのも不明ですし、考える程に謎ではあります。
この車W130自体に話を戻すと、なんだか戦後のキャビンスクーター(カビネンローラー)を
連想させるある種の奇怪な形は中々愛嬌がありますねぇ。この模型の上部からの写真を見ると、
ミドシップ化はリアを絞り込む為でもあったようにも思えます。
>>207-208 事情了解しました。そうですね、向こうでもまぁ言い分はあるようです。
現在のところ私には判断付けかねます。
この件に関しては、では、しばらくある程度距離を置いて静観する事とします。
とりあえず、善意のご忠告と理解し感謝します。
昨日は言葉足らずでしたが、
戦前のミドシップの研究というのは一つ目玉で有名なルンプラーのトロプフェン・ワーゲン
http://www.shorey.net/Auto/Miscellaneous%20Pictures/1923%20Rumpler%20Tropfenwagen.jpg のように、車全体を(自らの考える)理想的な形状にする為であったり、
エンジンも含めた駆動系の簡略化が目的のリアエンジン車の延長であったりと、
60年代クーパーがフォーミュラカーで成功を収めた後の、運動性能重視を目的としたものとは、
そのレイアウトの採用の目的自体がかなり異なっているように思います。
エンジンの配置された位置のみに目を奪われ、そのレイアウトを採用した意図を理解しないと
本質を見誤ると思うのです。
確かにメルセデス・ベンツ150H(W130)は世界初のミドエンジン・ロードカー名乗る資格は
充分にあるのかも知れません。
しかし、最初に“世界初の量産ミドエンジン・ロードカーは何か?”という話が出た経緯から思うと
多くの人はこのW130では“ナンとなくイメージと違うなぁ”と感じる事でしょう。
それは恐らく、この車がミドシップを採用した経緯が60年代のルネ・ボネ・ジェットとは異なり
駆動系の簡略化を目的としたリアエンジン研究の延長線上に有ることなのではないでしょうか?
当然、元の130Hがリアヘビー故の操縦性に悪評を抱えていた事から、
このW130ではその改善の為後車軸よりも前にエンジンを持ってきたという意味に於いては、
確かに運動性の向上目的は有った筈。
しかし、それは飽くまでリアエンジンレイアウトに対しての事であり、車そのものの開発目的とは
少々意味合いが異なると思えます。
その為、レイアウトのみ見れば全く逆ではありますが、前輪駆動の為にエンジンを前後逆方向に
前車軸よりも後方に置いたシトローエン・トラクション・アヴァン型とも通じる物があるでしょう。
・・中々VW914の形の話に戻れないけど、これはこれで(私は)面白いからいいか・・(w
>>208 【40板】
練乳(煉)=<旧>院長=自転車操業男=おっちゃん=アキラ=星熊次郎www
http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/cafe40/1125138063/l50 「元 対決!スーパーカークイズチャンピオン」の数々の愚考をご覧ください。
このすさまじい数々のレスは異常ともいえる人格です。
賢明なここのスレの住民の方ならもうおわかりだろう。
この元 対決!スーパーカークイズチャンピオンは信用するに値しません。
その証拠に練乳との自作自演の数々の否定もしておりません。
これはちょうどいい機会です。
レスを入れるだけこちらも同じように見られるだけです。
もう一度言います。
見ず知らずの他人同士が2ちゃんねるスレでこんな都合よく簡単にオフ会が出来ますか?
この嘘がすべてを物語ってます。
ちゃんと説明してください。
↑分かったからその話はやるなら正々堂々カメリアでしたら良かろうと思う。
他スレで迷惑かけつつやるなら君も君が非難したい人間と同じだ。
ポルシェ914が世界初の量産車か否か?
話の発端は
>>176のレスなので、何をさておきネコパブリッシング刊の
ヒストリックカーブックス「PORSCHE II」に本当に書かれているのか
確認しようと思い、書店を何軒もハシゴしましたが見つかりません。
代わりに同社刊のワールドカーガイドDX「PORSCHE」がありましたので
とりあえず入手しました。
同書の914の項では「ポルシェのプロダクションカーとして初のミッド
シップ」という説明はあるものの、「世界初の量産ミドシップ」という
記述はありませんでした。
同じ出版社のガイド本とは言え、著者も異なるでしょうから断定できま
せんが、もしかしたら
>>176のレスを書いた人が「PORSCHE II」の中
に書かれている内容を読み間違えた可能性はないでしょうか。
つまり「ポルシェ初」と「世界初」を混同してしまったのでは?
>>214 その通りだと思います。
ただし、
>>207のレスと
>>213のレスとでは文体が違います。おそらく
>>207と
>>213は別人でしょう。
>>207は善意の忠告だとして、
>>213はそれに便乗した煽りでしょう。
堂々とOFFやってますよ〜w
>>214 ・・まぁ、エロスパ氏も私も“嫌がらせ芸”等と称して他スレで散々バカやらかしてますし、
あんまり他人の事は言えないかと(ww
>>215 そうなのかも知れませんが、以前も書いたようにVWポルシェ914以前に出現したミドシップカーって
“サーキットまで自走可能なレースカー”ルネ・ボネ・ジェットとかロータス・ヨーロッパ
“エキゾティックカー”ランボルギーニ・ミウラ等ですので、考えようによっては914を世界初と見ても
あながち間違いでもないかと私は考えます。
この話が出たお陰でメルセデス・ベンツ150H等について調べる機会も得られましたので
結構面白かったですし。
さて、リア・ミドシップと言っても実際にはリアエンジンに限りなく近いってのは先日エロスパ氏が
書かれた通り。レーシングカーの場合等、エンジンはホイールベース内に収めてあっても
ギアボックスはオーバーハング位置に置かれるのが普通で、かなり重量バランスはリア寄りの筈。
また、このレイアウトではエンジンのパワーは一旦デフを飛び越え、ギアボックスに行き
またUターンしてデフに行くという面倒な事になります。
本来ならばエンジンをもっと前進位置に置き、前からエンジン・ギアボックス・デフの順にすれば
重量バランスも改善され、レイアウト的にもより合理的なのでしょうが、その為にホイールベースを
矢鱈に伸ばす訳にも行かず、中々面倒なところではあるようです。
しかし、あえてこのレイアウトを採りホイールベース内に全ての重量物を収めてみせたのが
1970年のポルシェ908Vでした。
ひとつ重要なのは、”運動性能の為に意識的にミッド・マウントを採用したか”だうかでせうか?
結果ミッド・マウントになる例として逝ってる師の仰るペラシャフトの省略による
簡略化、軽量化もあるでせうし、
現実に、FFが等速ジョイントの信頼性・耐久性とコストに現実味が持てるまでは安価なクルマの
RRはひとつの手法であった訳ですから。
70年頃の耐久スポーツカーレースは、3リッターのGr・6と5リッターのGr・5に選手権が掛けられ、
前スレでも触れたGr・5の917が主力となる目処の立っていたポルシェは前年までの主力、Gr・6の
908をテクニカルコース専用に特化させる余裕が出来た為に、思い切った改造をこれに施しました。
つまりホイールベースを延長する事なく、エンジン搭載位置を前進させ、
前からエンジン・ギアボックス・デフという合理的な配列を実現させた訳です。
この為にコクピットもかなり前進し、同じホイールベース長のシャシーに12気筒を積む917とも
かなり近い程にドライバーは車体の前方に座る事になりました。
http://www.deagostiniedicola.it/ARTICOLI/modellismo/auto_rc_story1/images/big-02.jpg あんまり良い写真が見つかりませんが・・。
2300mmというショートホイールベースにこのレイアウトを押し込み、理想的な重量バランスを実現させ
前後オーバーハングに全く重量物を持たないという908/Vのハンドリング。
それがどのような物であったのか?
“ステアリング・ギアボックスがオーバーヒートする”とすら言われた程にツイスティだった
シシリー島の公道を封鎖して行われる“タルガ・フローリオ”でのこの年の圧勝劇が
全てを物語っているでしょう。
勿論“ドライバーの足先が前車軸よりも後方にあらねばならない”という、現代のレギュレーションでは
認可されないレイアウトではありますが。
余談ですが、このレイアウトは72年ポルシェが耐久レース選手権から撤退した後には
アルファ・ロメオティーポ33/TT/3も採用しましたが、イタリア人達のお気に召すところではなかったか
“赤く塗られたポルシェ”だの“ティーポ・テデスコ(German)などと呼ばれる等
あんまり人気は高くなかったようでした。
あ、またリロードしてなかった。失礼。
>>218 60年代以降のミドエンジンカーの多くは、運動性能の向上がその主目的だったと解釈しています。
しかし、戦前のミドシップカーってのは、アウトユニオンのGPカーのようなものも含めても
そういう意図はあまり無かったと思うのです。
恐らくは構造の簡略化が主目的のリアエンジン配置の発展形みたいに考えられていたと。
そういう意味で
>>211に書いたように、前輪駆動型のフロントミドシップと意図するところは
かなり近い物が有るように私は考えています。
50年代末期にクーパー父子がフォーミュラカーでこの形式を成功させるまでは
殆どレースカーの世界でも試みが無かったのもその為ではないでしょうか?
戦前型の場合、例へフロントエソジソでもいはゆるフロント・ミッドで
ミッドマウント、前後車軸の間にエソジソ置く、といふのが一般的であるまして
車軸からオーヴァーハングさせて搭載する、といふ例は少なひものと思ひます。<GPカー等
>>217 > 本来ならばエンジンをもっと前進位置に置き、前からエンジン・ギアボックス・デフの順にすれば
> あえてこのレイアウトを採りホイールベース内に全ての重量物を収めてみせた
とりあえず市販車ですぐに思いつくのは…
初代エスティマ
前から順に、エンジン→クラッチ→トランスミッション→デフ
ただしトランスミッション→デフの間にプロペラシャフトあり
カウンタック/ディアブロ/ムルシエラゴ
前から順に、トランスミッション→クラッチ→エンジン→デフ
ちなみに、フロントミドシップ+トランスアクスルのエフアール車は
ホイールベース内に全ての重量物が収まってますね。
>>221 前輪固定懸架の場合、アクスルビームが邪魔なのでラジエーターも車軸後方に置くのが普通で
あんまり“フロントミドシップ”なんて意識も無かったでしょう。まぁ釈迦に説法ですが。
アメリカ車に限っては別である事は以前にもこのスレで書きましたが。
つーか“フロントミドシップ”なんて言葉、何時頃から誰が言い始めたのでしょうか?
恐らくは初代RX-7でマツダが始めた言い方だと思うのですけど。
>>222 市販車なら別です。つか、横置きFF車の駆動系をそのまま流用した車であれば
全てホイールベース内に収まるのが当然ですしね。
217は飽くまでレーシングカーの話であります。
>>223 確かにそうですね。
正しくは、重量バランスがリアヘビーから多少なりとも良くなっている市販ミドシップカー
と書くべきでした。
ちなみに、スーパーGTのNSXはどうでしょう?
確か数年前からカウンタックと同じ駆動レイアウトになっているはずです。
前から順に、トランスミッション→クラッチ→エンジン→デフ
ポルシェ917、模型を見れば一目瞭然ですが、エンジンとデフの間にかなり長い(デフより長い?)
スペーサーを入れてエンジンを重心位置に近づける努力をしています。
あの短い車の中で、ドライバーを前端に追いやってまでエンジンを中心に置く、そのくらいの努力を
しないとミッドシップはその効果を真には発揮できないのではないでしょうか。
>>217 現在のレーシングカーは、F1を筆頭とするフォーミュラカーやLMPカー
の多くは、前からエンジン・ギアボックス・デフの順に配列しています。
話は飛びますが、ホンダ初の量産乗用車は何かと聞かれて思い浮かぶのは
Sシリーズです。そう思う人は少なくないはずです。
しかしこれもまた異なる考えもあるようでして、ネコパブリッシング刊の
「HONDA COLLECTION 1」によると、それはN360だと書いてあります。
量産の定義は十人十色ゆえ、誰もが納得できる答はないのでしょうか。
ホンダと言えば、軽トラックのアクティは伝統的にミドシップを採用して
いますが、そのルーツであるTN360、さらにホンダ初の4輪車ことT360
からしてミドシップという事実は興味深いです。
T360の生産台数は108,920台ですから、量産ミドシップトラックとして
もしかしたら世界初?
>>226 大変失礼、現代のF-1は3m超のホイールベースを持つのが当たり前になった過程を書いていた筈が
何度も書き直している内にその部分が丸々抜け落ちていました。
トラックの方は全く判りませんので、また失礼(スマヌ・・)
>>224-225 そう言われましてもあまり歯切れの良い事は書きようも無いのですけど(またまたスマヌ・・w)
スーパーGTの事はあまり知りませんのでNSXがそのようなレイアウトだということは初耳でしたが、
先日触れた70年のポルシェ908/Vがあのようなレイアウトを採った最大の目的はエンジン搭載位置
(およびコクピット)を前進させる事によって前輪の荷重を増やし重量バランスを改善する事であり、
オーバーハングから重量物を無くせたのはその副次的効果だったと思われます。
最大の重量物であるエンジン位置を変更出来ない為にギアボックスを前に置くのは苦肉の策で、
その効果は恐らくエンジンを前進させるよりは少ないのではないでしょうか?
動力の伝達もかなり複雑になるでしょうしね。
1970年、3リッターGr・6の908/Vに対してはアルファのT33/3やマートラMS650
5リッターGr・5の917に対してはフェラーリ512Sと、パワーだけ見れば更に強力と見られる車も有り、
ポルシェは苦戦しても不思議は無かった筈も、結果は圧勝。それも単に信頼性で上回っただけでなく
速さに於いても互角以上だったようです。いろいろな要素が複雑に絡んでの結果でしょうが、
やはり車そのものの完成度で一歩上回っていた事は確かだったでしょう。
ところが。耐久レースをポルシェが席捲した1970年といえば、F-1ではかのロータス72が登場した年。
こちらはそれまでフロントにあったラジエーターを後輪直前に配置する等、ポルシェ908Vとは逆に
かなり(意図的に?)リアヘビーに仕立てられていたようです。
しかしこちらも登場するやいきなり無敵の快進撃。これはこれで正解だったのでしょう。
自動車のバランスって、私等のような素人には容易に理解し難い、奥深いものであるようです。
(本当に歯切れの悪い結論 w)
ところで
>>225さんの手持ちの917の模型ってどのような物でしょうか?
私もエレール1/24を組み立てた物を持っていますが、裏返して見てもあんまりピンと来ません。
模型メーカー毎のデフォルメの違いも有るのでしょうか?
・・・・またIEでこのスレ見て気付いた。
この一番下。おすすめ2ちゃんねる ・このスレを見ている人はこんなスレも見ています。
“ナースさんの白衣に浮かび上がるパンツのライン”【入院生活】
・・ナンだよ、これは(w
↑言っておきますがアテクシではありません。w
アテクシの場合、病院、看護婦さんは洒落にならんのです。
>>229 別に疑っていません(w
つか、そんなノーマルな性癖の持ち主では無い事くらいはとっくに・・(アワワ・・w
昨日の話の続き。つか蛇足
ロータス72という車ですが、足掛け6年とF-1としては異例の長寿であった事もあり、
多くのドライバーがステアリングを握っています。その間にGP20勝の記録を残していますが
その勝利はJ・リント、E・フィッティパルディ、R・ペテルソンの三人に集中していて、
他のドライバー達は未勝利どころか表彰台(三位以内)すら幾つも得られていません。
(ノンタイトル戦では例外有りですが)
超一流ドライバーが乗ればとてつもなく速く、その下のクラスのドライバーには全く乗りこなせない
非常に気難しい車であった事が伺えます。
F-1ならばそれでも良いのかも知れませんが、耐久レース用の車はそれでは不味いのでしょう。
一台の車に複数のドライバーが乗る耐久レース。エントリーする台数も多いので
ドライバーの力量に多少のばらつきが生じるのも仕方ないところ。
しかもレースも長丁場ですから車にも或る程度の扱い易さが求められる筈。
つまり70年のポルシェの強さの理由は乗り手を選ばぬ車作りにも有ったと思うのです。
勿論、例のレイアウトがこうした性格を形作った全ての原因ではないでしょうけど。
極度に前進した運転席位置からは扱い難い車のような印象を受けますが、これは意外に慣れ易かったとか。
そう言えばグランドエフェクト全盛時代のF-1も、かなりドライバーは車体前方に座るのが普通でしたし。
・・と、書いていて思い出した事。
>>226さんが指摘下さった現代のF-1のああいうレイアウト。
後車軸以後に何も置かないのは、その場所までは規則で車体下面が自由に形作れないので
それ以後をより空気の流速を速める形状に(ディフューザー)に整える為、
つまり重量バランスの方もさることながら空力からの要求によるものと聞いたような記憶があります。
実際の所、バランスに与えるメリットと空力的なメリットとどちらが大きいのでしょう?
量産の定義ですが、それに関連した面白いエピソードがあります。
三菱がGDIギャランの発売に先立ち技術発表をした際に「量産車で世界初」の
直噴ガソリンエンジンだとアピールしました。
三菱は、メルセデス300SLクーペがすでに直噴ガソリンエンジンを採用して
いたことを承知の上で、生産台数が僅か1400台程だったことから、あの車は
量産車ではない特殊な車という認識だったのでしょう。
ところが当然と言うべきか、ダイムラ−ベンツから抗議を受けたそうです。
ダイムラ−ベンツ側にしてみれば、300SLクーペは立派な量産車という認識
だったようで、それゆえ「量産車で世界初」は三菱GDIではないと主張したの
です。
しかし「量産車で世界初」と公言してしまった三菱は、そう簡単に訂正する
わけにもいかず(何せ会社のプライドの為ならリコール隠しも厭わない)
そこで苦肉の策とも言える方法でダイムラ−ベンツの抗議に応じました。
三菱GDIがリーンバーン方式であり、対する300SLクーペはストイキ方式で
あったことを幸いに、その後のGDIギャランの広告では「量産車で世界初」の
謳い文句は変えず、その下に小さな文字で「*層状給気希薄燃焼直噴ガソリン
エンジンとして」という注釈を付けたのです。
尤も、この話は伝聞なので真偽の程は定かではありませんが。
トヨタがプリウスを発売した際に、その広告で「世界初のハイブリッドカー」と
謳わなかったのは、トヨタの見識を窺わせます。
少なくともトヨタには「量産車で世界初のハイブリッドカー」と広告で謳う権利
はあったはずです。
おそらくトヨタは、世界初のハイブリッドカーを生み出したローナーとそれを
設計したF.ポルシェに敬意を表すればこそ、自らは「世界初」でないことを認識
していたのでしょう。
>>232 トヨタの見識でしょうかねぇ・・?(失礼かもしれませんが)突っ込み入れられるのを嫌ったのか。
戦前はタトラに例が見られ、シトローエンDSやSMも有名なヘッドライトのステアリング連動機構を、
現行ハリアー(だったかな?)発売時に「世界初」と謳ってみたり。
(何処かに世界初の部分も有ったのでしょうか?)
トヨタ等、国産メーカーの言う“世界初”の定義は良く判らないところがあります。
ポルシェ博士が最初に勤めた自動車会社ローナー社、(Lohner)
先日も触れた自動車史家の折本透さんはその著書では“ローネル”と表記していますが、
例によってどちらが多数派なのか検索結果を見ると、現代では“ローナー”が圧倒している様子。
この会社は謎が多いというか、まともな資料が残って無く。
ポルシェさんの設計になる電気自動車やハイブリッド車以外の製品については殆ど言及されず、
私が頼りにしている資料でも、その取り上げる時代が二つの大戦の間が中心という事もあって
何一つ書かれていないという具合。
“世界初”の事を言うならば。
オットーサイクルのエンジンを用いた最初の車がダイムラーとベンツが1886年ほぼ同時に
生まれているというのも不自然に思います。
フランス人達は、その二年前にエドワール・ドラマール=ドブットヴィルという人が作った車を
“世界初のガソリン自動車”と言っていますし、第一自動車の定義にディーゼルサイクル車他
ガソリンエンジン(オットーサイクル)以外も含めるのならば、動力機関で自走する車輪付きのもの
全てを対象としないといけないと言う理屈も出て来て、そうなると更に前のルノワール車
(火花点火の液体ガスエンジン車)とか、有名なキュニョーの砲車まで遡る事にもなります。
あんまり気軽に“世界初ナントカ!”なんて言うのはなるべく避けるべきでしょう。
世の中、私のように寛大な(w)者ばかりではありませんから。
蒸気機関以外の動力で走行した史上初の自動車として、
以前のギネスブックにはイギリスで1825年頃に「用気エンジン」なるもので走行した自動車の記録が書かれてましたね。
製作者自身の運転で丘を登っていったというその車に関する記述は、ギネス以外で見たことがありません。
あと、世界初の自動車レースとして、1871年か72年にアメリカで行われたもので、
オシュコシュの蒸気車が優勝、という記述も、ギネスに載ってました。
これらに限らず、ギネス以外で
この辺の「神話時代」の自動車やレースについてしっかり書かれた文献って
どこにも見あたらないんですよね。
ギネスブックって、こういう「詳しい事情はどうだったの?」ってな「記録」が多いんで困る。
ここ10年くらい、日本語版の出版元が怪しい中小出版社に移って、
版型だけが無駄に大きくなってからは
マイナーな記録類自体が翻訳から外されるようになっちゃったから、余計に困ってますが。
レースに勝ったオシュコシュの蒸気車というのも、拙い英語力でネット検索してみると、
当時アメリカで農業用などに普及していた蒸気トラクターの類で、
それも1対1の一騎打ちでの争いだった模様。
いったいどういう「レース」だったのやら、と首をひねっています。
基本はビール屋ですから
それを言ったらレストランガイド出してるのもタイヤ屋だし
ギネスブックってそんな事も書かれているのですか。まともに見た事もありませんでした。
・・用気エンジンって一体ナンでしょうね・・?
其処に“自動車レース”という言葉が使われているのなら、ギネスにとっての自動車の定義は
ガソリン車に限定していないという事なのでしょう。
ところで1870年代のアメリカで行われたという蒸気牽引車のレースですが、性能評価の為の
意外と真面目なものだったようです
http://www.steamtraction.com/article/2004-05-01 此処を見ると、78年としているようです。
この手の蒸気牽引車は“Steam tractor”でイメージ検索すると結構一杯出て来ますが、
http://www.redbrick.dcu.ie/~johne/photos/big-steam_tractor1.jpg このタイプの1919年製“ギャレット・スティーム・エンジン・トラクター”という代物が
94年03月号のCG誌で動力性能を計測されています。何も曳かない状態で0-400mを140秒・・(w
現代のディーゼル・トラクターとかトレーラーヘッドのレースみたいなものは海外の大レース前、
サポートイベント(つか余興?)で行われている様子を写真で見た事が有りますが、
写真でも見た事も無いレースってのも結構有ります。
ずっと前にこのスレでも触れた、昔の日本で行われていた四輪のギャンブルレースなんかも
その一つでしたが、このスレに書いた事で初めての写真を紹介して頂き、見る事が適いました。
他では戦後のドイツで行われていたと模型雑誌にたった一度書かれていたのを読んだだけの
バブルカー(キャビンスクーター)のレース等もそんな中の一つ。
メッサーシュミット同士の競争なんて意外に面白そうに思えるのですが、
写真だけでも何処かに残っていないものでしょうかね?
上の方で触れた蒸気牽引車ってのは現代に於ける重機のような物で、
後にガソリンエンジン車と主流の座を争った蒸気自動車とは別のカテゴリーに属する物と
考えた方が良いでしょう。
この時代にはまだ馬車さえ有れば別にそれで不便という事は無いと人々は感じていたと思われ、
道路を用いて人が移動する為の機械が必要とは思っていなかったのだと思います。
大体どのような機械でもそうですが、一度手に入れて使ってみると次からはそれが無い生活は
不便に感じるものですが、全く無い内には左程の不便も感じないのが普通なものです。
そんな時代でしたから、世界初の自動車は誰の発明による物かは別にしても、
初期の発明者の一人である事は間違いないゴットリープ・ダイムラーさんが
自らの作り上げたガソリンエンジン車を“自走可能な内燃機関”と考えたのも無理は無いところでしょう。
彼は恐らく、蒸気牽引車に代わるような手軽な機関を開発出来たと考えたのだと思います。
この発明品が“馬無し馬車”と呼ばれ、馬車に代わる交通手段となっていく事は、
ダイムラーさんにとっては当初予想していなかった事だったのでしょう。
19世紀にはオットーサイクル・ガソリンエンジンに限らず様々な新しい機関の開発が盛んだったようで
蒸気機関のような既に実績を積んでいた物はともかくとしても、中にはかなり怪しげな物も多く
234さんが書かれた“用気エンジン”なんかもどのような代物なのかさっぱりですが、
そんな中の一つでしょうか。
世界初の自動車イベントとされる1894年のパリ〜ルーアン・トライアルについて書かれた資料を
あれこれと漁ってみると、100台以上あったエントリー中、ガソリン車は30台蒸気車が20台。
他は“引力が動力源である”だとか、水力だとか、怪しい物一杯(w
さすがにこの手の物はエントリーだけで実際にスタート地点まで辿り着く事も無かったようです。
中には「ペダルで動く」とか「レバーで動く」なんていう説明の物まで有ったようですが、
さすがにそれは自動車の範疇から大きく外れると思うのですが
>>238 何しろ、パリ・ルーアン・トライアルを主宰した新聞「プティ・ジュルナル」は、
まあ今で言えば東スポとかタブロイド紙みたいな大衆紙でしたから
2ちゃん同様にネタ応募するアフォが続出したのも仕方なかったのではないかとw
>>239 そんな新聞だったとは知りませんでした・・(w
このパリ〜ルーアン・トライアル。資料によって実際にスタートした台数が多少異なるようで、
“21台全てはガソリン車または蒸気車であった”としているものもあれば
“ガソリン車14台蒸気車6台、他(なんだ??)1台”とするものも有り。
結果はと言うと、信頼性とか手軽さを競うという名目が有った為にド・ディオン・ブートンの蒸気車は
二位に降着させられ、二着でゴールしたプジョーと三着のパナールが共に一位という結果。
この時、大きく遅れて四着だったという“9人乗り・セルボレ蒸気バス”って代物があったそうで、
途中リタイアした乗員等を拾いながらゴールまで到着する大活躍だったそうですが、
恐らくこれは先日触れた類の重機型・蒸気トラクターのような物だったのではないでしょうか?
ところで、ちょっと脱線ですが。
昨日の「ペダルで動く車」のような物。このパリ〜ルーアンに本当に出走していたとしたら、
トップでゴールしたド・ディオン車の平均速度が約18km/h強だったそうですから
設計と乗員の体力次第では結構いい勝負になっていたかも。
現代“ペダルカー”でイメージ検索すると、当然ながら子供用の乗用玩具が沢山出て来ます。
アンティークの子供用ペダルカーには意外にコレクターも多く、実物と同時に展示する博物館も有り。
そんな中でも最も有名でマニアならずとも垂涎の的なのが、ブガッティT52っつう物。
エットーレ・ブガッティが末っ子の為に作った子供用自動車のレプリカなのだそうですが、
自らちゃんとT52という名前を与えたように、GPカーT35の格好よさそのままの縮小版。
仙石原のマツダ・コレクションにも一台存在している筈です。
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さうですか、そんなにルートコの店名尻たひですか。
昔、吉原には”アルファロメオ”つうルートコがありました。
アテクシは逝ったことありませんが、四股名wがズリアたんやズリエッタたんはEとして
8C2900たんだの6C1750GSたんだのだったらだうするんでせうか?w
他に”BMW””ロールスロイス”つう店もありました。w
恐らくはウケ狙いでインパクトのあるスレタイの所と此処とを行ったり来たりしている人がいるかと(w
それとも、丁度蒸気自動車がらみの話になっているので、
スティームバス→個室サウナ→トルコ風呂→ソープという連想から
そっち方面に向かった人でもいたのでしょうかね??
さて・・。240で書いた事ですが、パリ〜ルーアン・トライアルで一着でゴールしながらも
二位に降着とされたド・ディオン・ブートンの蒸気車。
その理由は“釜炊き用に助手を必要とした為”との事だったそうですが、
蒸気車の方もこの後にそれなりの進歩をして行きます。
燃料も液体化して管理が楽になっていきましたし、最大の欠点=お湯が沸くまで時間が掛かる事も、
第一次大戦前後迄には、同時代のガソリン車が暖気に要する時間程度まで短縮されたとか。
となれば、ガソリン車につきものの電気系統のトラブルは起こり得ないメリットも有り、
それなりの良さも有ったのかも知れませんけど、そうはならず。
一旦進んだ時代は再逆転しないもののようです。
ドイツが産業革命に乗り遅れる原因となったのは、上下水道の整備に遅れをとった為に
大型の蒸気機関を使用出来なかった事にも有ったと何かで読んだ記憶が有ります。
しかしその事がオットーのガソリンエンジン開発の原動力となり、更にはベンツとダイムラーの
ガソリン自動車の発明(フランス人は認めていないらしいですが)に結びついたというのは
ある種の皮肉でしょう。
・・それにしても。
19世紀末に現代の瞬間湯沸かし器の技術が有ったなら、時代の変化はもう少し遅れていたのかも。
・・等とスイッチ入れてから僅か一分で準備完了の
我が家のエスプレッソマシーンで淹れたコーヒーを飲みながら書き込む・・(w
>>242 サラセン人のように息子を飲み込んでくれそうな勢いですなw
ジュリア・ベルリーナちゃんはちょっとブス専向き、モントリオールちゃんはモデル体型の美人だけど病弱、
最近入った新しい娘はみんな目付きが悪いとか・・・。
BMWなんて店だと、女の子がみんな、鼻の穴が正面向いてる手合いに思えてしまえます。
>>178 > ミウラの名前が出たついでですが、916ってのはミウラに対するイオタのような存在。
> そう考えて良いのではないでしょうか?
かたや914をベースに、より高性能なエンジンに換装し、サスペンション関係を強化し
スポイラーやオーバーフェンダー等でボディを加飾した916。
こなたレーシングカーの試作モデルとして、FIAアペンディックスJ項のプロトタイプ
クラス車両規則に準じて、一から新規に開発されたイオタ。
イオタは、その外観をあえてミウラに似せていますが、その中身はミウラとは別物です。
これと同じ例が、308GTBに対する288GTOであり、288GTOはその外観こそ308GTB
に似せていますが、その中身は308GTBとは別物です。
914に対する916の関係と同じ例を、あえてランボルギーニの中に求めるなら、それは
カウンタックLP400に対するウルフカウンタック(通称LP500S)でしょう。
カウンタックLP400をベースに、より高性能なエンジンに換装し、サスペンション関係
を強化し、スポイラーやオーバーフェンダー等でボディを加飾したのがLP500Sであり
それは914をベースとする916と、まったく同じ関係というわけです。
>>233 始動の素速い「フラッシュボイラー」は、セルポレーが1880年代末に開発してます。
で、最初プジョーと組んで蒸気自動車を作ろうとしてプジョーの設計がチャチでコケて
セルポレーは自分で蒸気車を作った訳です。
>>245 916をイオタのような物と書いたのは、実物は1台〜ほんの僅かながらも、
名前が独り歩きして多くのレプリカが社外で作られた所が良く似ていると感じた為です。
車そのものの成り立ちは言われる通りでしょう。
あの当時、ランボルギーニにはレースに参加する気が多少なりとも有ったのでしょうか?
どうも私には、そうは思えないのですが。
>>246 以前、トヨタ博物館で見たビデオの中で、1910年代のアメリカ製蒸気車についての説明の中に
“始動に時間が掛かるのが最大の弱点だった”と言われていた事が記憶に有ったので、
フラッシュボイラーの誕生はもう少し後の事だったと、勝手に思い込んでいました。
実用・量産化に手間取る内に、ガソリン車の先行を許してしまったのでしょうか?
世界最古の自動車メーカー・プジョーですが、ガソリン車に専念した経緯はやや複雑なようです。
念のために調べてみると二玄社刊“世界の自動車・プジョー編”では
セレボレの蒸気エンジンを搭載した三輪車をプジョーが最初に走らせたのは1890年1月とのこと。
全く何の経験も無いままに作られた鋼管製シャシーは酷い壊れようをしたようですが、
その後にも何度かの実験を通じて、熱効率を高める為にはある程度の大型化を必要とする蒸気機関に
プジョー側も見切りをつけたとされています。
ダイムラーのエンジンを搭載するシャシーの製作に関して、エミール・ルヴァッソールが
プジョーの元を最初に訪れたのはプジョー・セレボレの蒸気車の実験の前年、1889年。
そして、最初のプジョー製ダイムラーエンジン搭載車が走ったのは1890年3月頃の事。
この時点ではプジョーは蒸気とガソリンとの両方の可能性を探っていた様子が伺えます。
>>247 > 916をイオタのような物と書いたのは、実物は1台〜ほんの僅かながらも、
> 名前が独り歩きして多くのレプリカが社外で作られた所が良く似ていると感じた為です。
イオタは1台のみ作られた後に、新たにシャシーNo.5084を与えられた上で、ある富豪に
売却されました。しかし、不幸にも交通事故により焼失してしまいました。
イオタのレプリカは近年まで皆無でしたが、2003年頃にミウラP400のコンポーネンツを
基にオリジナルに忠実なレプリカが1台だけ作られています。
イオタをモチーフとして、ランボルギーニのファクトリーで作られたミウラのスペシャル
モデルが、ミウラP400SVJです。それはP400Sがベースのものと、P400SVがベースの
ものがあり、合計5台が作られたようです(6台説もあり)。
主として外観をイオタ風にモディファイしたもので、イオタの特徴である固定ヘッドライト
やボディ各部のエアアウトレット等が再現されています。メカニズム関係はベースとなった
ミウラの各部にライトチューンが施されたようです。
このミウラP400SVJですが、ミウラの既オーナーの間で好評を博したため、そしてミウラ
をベースに比較的簡単に作れるとあって、レプリカが多数作られました。
P400SVJのレプリカのことを、イオタのレプリカと混同している人が少なくないようです
が、上述のようにイオタのレプリカは現在のところ1台しか存在しません。
昨日のプジョー・セレポレ(この表記が正しいようで“セレボレ”は間違いでした)の蒸気車の話の続き
レオン・セレポレさんにプジョーが持ちかけた提案とは
「女性がドレスのまま乗れ、生命の危険の無い乗り物を作れないか?」だったそうで、
簡便・手軽な動力付きの乗り物を考えていた様子。
各種鉄工製品から自転車製造に乗り出して成功を収めつつあった当時のプジョーにすれば、
自然な発想だったように思えます。
これに対して、セレポレさんの方はと言えば、先日も触れたようにパリ〜ルーアントライアルにも
速度ではかなり劣る9人乗り蒸気バスで参加したように、蒸気機関の小型化にはあまり乗り気では
無かったのかも知れません。
或いは蒸気機関の専門家であるが故に、小型の蒸気機関は熱効率に劣る(お湯を何度もこまめに
沸かすとガス代が掛かるのと同じ理屈ですかね?)と考えたのでしょうか。
プジョーが自転車製造で得た技術で作った鋼管製シャシー・フレームの蒸気車。
どの程度の大きさであったのかは、あまり詳しくは判りませんが、恐らくはプジョー側の考えたサイズと
セレポレさんが持ち込んだ蒸気機関とのバランスが取れていなかったのでしょう。
それに対し、エミール・ルヴァッソールが持ち込んだダイムラー製エンジン付き自動車の方は、
565ccと小型で車重も400kgと軽量に収まり、大きなトラブルも無く走行出来たようです。
恐らく、プジョーが最初に思い描いたのはこのような小型の乗り物だったのではないでしょうか。
ところで。
プジョーと決別した後のセレポレさんが作った蒸気車とか、それ以前の大型蒸気バスの事など、
私の手許に有るD・B・ワイズさんという方の書かれた“VETERAN&VINTEGE CARS”という本には
結構載っているのですが。この翻訳本、以前“王様”って歌手(覚えてます??)の歌った
「高速道路の星」みたいな直訳調で、英語苦手の私ですが原文を想像しながら読まないと
全く意味不明つか読みづらい代物。
自動車のメカニズムに詳しい方が必ずしも英語や文章書きも達者とはいかないので仕方無いですが、
自動車関連の翻訳本にはこういうのが結構多いのは困り物であります。
>>248 成る程。私はSVJ=イオタのレプリカ(レプリカって言葉の意味も問題になりそうな話ですねぇ・・)で
社外で作られたSVJのレプリカ=イオタのレプリカのまたレプリカ
・・みたいに考えていました。
ところで蒸気車からいきなり話は飛びますが。
イオタって車ですけど、アレが作られた目的って一体なんだったのでしょうか?
市販ミドシップスポーツとしてはかなり初期の車であったミウラですが、
操縦性の方は煮詰め不足だったのか、あまり芳しくなかったようで
“やはりレース経験の無いメーカーの作った高性能車なんて”という風評も当時は有ったようです。
そこで、ミウラの改善と失った評判を取り戻す為にレース活動を行う事を目指し、開発されたのが
ミウラと良く似た外見を持つイオタであった。
・・と言うならば話は判り易いのですけど、イオタについて改めて調べてみると、作られたのは69年。
この時代のスポーツカーレースのレギュレーションはプロトタイプGr・6が3リッター以下。
スポーツカー(25台以上生産しないと認可されない)Gr・5が5リッター以下。
イオタの4リッターというのは如何にも中途半端で、仮に25台というハードルをクリアして
Gr・5に認められたとしても、70年シーズンに競うべき相手はポルシェ917やフェラーリ512S。
イオタで相手をしようと考えるのは如何にも無謀な計画に思えます。
その辺はランボルギーニ自身も判らぬ筈も無く。故にイオタが作られた目的というのは
私には理解しかねるところなのです。
今日は昼間遊び疲れたので保守だけ。
>FIAアペンディックスJ項
↑これがだういふものであったのか調べやうと思って検索しても
出てくるのは全てJ関係なんですな・・・。
ちなみにウィキではJを”スペイン語”で読んで、となっておりますし
あちこちでかう書かれておりますが完全な間違ひ、ヌペイソ語でJは”ホタ”と発音します。
イターリャ語でも”イ・ルンゴ”、長いi。
だうです実潰しの方、RRの軽にスペーサかましてストレッチしてjとして出すのは?w
イオタ、はおそらくギリシア語式で、ι(大文字Ι、ローマ字のi)と混同したのではありますまひか。
イターリャ語でもJは当用アルファベートwではなく外来語の表記に使はれ
その発音はしばしばジャ行の音ではなく”イ”として発音されます。
例:Naj→ナイ
67年ルマンに勝ったフォードGT・MKWのベースになった事で知られるプロトタイプ“フォードJカー”
http://www.mmjp.or.jp/60srace/1966LemansTestday1.html この名前の由来にもなったというFIAアペンディックスJ項ですが、それに合致することで
どのようなグループ分けになり、どんなメリットが生じたのかは不明であります。
Jカーについて書かれた模型雑誌のバックナンバー等を見ると、ラゲッジ・ボックスの装備とか
最小500mmX100mmの後方視界確保とか等がその内容である事が書かれていましたけど、
例の“25台以上”と共にGr・5“スポーツカー”と認証される為に、満たす事が必要な規則だったのかと
想像していますが。
フォードGTと言えば、最も有名なのはオリジナルのGT40と、その発展型であるGT・MKUでしょう。
以前CG誌上でカー・デザイナーの永島譲二さんがランボルギーニ・ミウラの全体形が
フォードGT40に極めて近い事を指摘されていましたが、そういわれてみると確かにミウラって車、
フォードGTのロードバージョン・MKV以上にレースカーのGT40に似ているような気もします。
そう思ってMKVの画像を検索しようとしても、あまり良いのは見つかりません。
丁度CGの二月号で取り上げられていますので、そっちを見た方が良いでしょう。
近年、フォード自身の手によってレプリカまで作られたフォードGTですけど、
そのせいでイメージ検索をするとオリジナルとレプリカの両方が引っ掛かるのはちょっと困るところ。
私程度の、特にこの車に強い思い入れの無い者には、一見すると区別がつかないくらい似ている
(つまりレプリカとしては良く出来ているという事?)なのは更に困るところ。
実物ならば大きさが違う(レプリカの方が大きい)ですぐ判るそうですが、写真ではそれは判りません。
すぐに判るのは、ホイール形状とかステアリング位置でしょうか。
オリジナルのレースバージョンは全てRhdの筈ですが、レプリカの方は英国仕様も含めて
全てLhdのようです。
>>253 > 以前CG誌上でカー・デザイナーの永島譲二さんがランボルギーニ・ミウラの全体形が
> フォードGT40に極めて近い事を指摘されていましたが、そういわれてみると確かにミウラって車、
> フォードGTのロードバージョン・MKV以上にレースカーのGT40に似ているような気もします。
確かに永島譲二氏はCG誌03年11月号で、ミウラとフォードGT40の近似性を指摘しています。
全体形もそっくりですが、細部にしても、空気取り入れ口や、前後カウルのシャットラインの
入り方、さらにリアカウルが当時としては珍しく後ろヒンジで開くこところまで似ていると。
永島氏は、ミウラの本当のデザイナーがG.ジウジアーロではないかという話にも少し触れて
います。その真相ですが、CG誌99年9月号に掲載された1枚の図面とG.ジウジアーロ本人の
コメントから、ミウラをデザインしたのはM.ガンディーニにほぼ間違いないでしょう。
ミウラの後継モデルであるカウンタックについても、永島氏はCG誌02年10月号で、ある車の
影響を受けてデザインされたと指摘しています。ある車とは、ピニンファリーナが69年11月
のトリノショーで発表したフェラーリ512Sベルリネッタスペチアーレです。
カウンタックのプロポーションも面処理も、この512Sを大いに手本にした(はず)だと。
http://www.kethmer.dk/ferrari/specielle/512s-berlinetta-speciale-1969-1.jpg これと同じことを指摘しているカーデザイナーは他にもいるようで、例えばCG誌79年9月号の
イタリアンカスタムカーを題材にした記事では青戸務氏が述べています。
青戸氏によれば、512Sのモチーフはその後のフェラーリの市販モデルに生かされただけでなく
全体形のとらえ方はカウンタックに大きな影響を与えたと明言しています。
永島氏も青戸氏も、日本人カーデザイナーとして確かな実力と見識がある人ですから、両氏の
指摘は決して単なる憶測ではなく、核心を突いているのではないでしょうか。
昨日、253を書いた後で気付いた。フォードJカーがテストされていた頃にはGr・5の
“25台以上生産された事”という規則は未だ無かった筈。
それはともかく。ちょっと気になったのですが、ランボルギーニ・ミウラって車
「世界初の横置きミドシップ市販車」と書かれる事が多いように思います。
しかし、デ・トマソ・マングスタとはほぼ同時として、また例によって19世紀〜20世紀初頭の車とか
モーターサイクルの動力系を流用したキャビン・スクーターは別としての話でしょうが
オリジナル・ミニの動力系を流用したミニ・マーコスGTの方が僅かに早かったのではないでしょうか?
まぁ、アレの場合はやむを得ぬところもありますから
「一から設計された市販車としては」恐らく世界初と言っても良いのかも知れませんが。
ランボルギーニ社が何故このレイアウトを採用したのかは意図不明なところもあります。
確かにコンパクトに収まるでしょうけれど、この車が登場した当時には、レースカーでも
横置きミドエンジン車で成功した車って、1.5リッター時代のホンダF-1が一度勝利した程度で
他に殆ど無かった筈。
逆に失敗例と分類して良いような物ならば、数多いブガッティ再生の試みの一つ、
1955年〜56年のブガッティT251が有りました。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/ed7e.jpg?bceatYGB3aTk8UoI 元フェラーリのコロンボさんの設計になる直列8気筒横置きミドシップ・・
これも何故このようなレイアウトにしたのか意図不明な車。
私も何度か「戦前のアウトユニオン・GPカー以来、クーパー車の成功までミドシップは忘れられた
技術だった」と書いたように、この車の事はすっかり忘れていました。
あ、何度も書き直したり、書き込みの途中に電話が有ったりして手間食った事もあり
>>254 書き込みが有ったのに気付きませんでした。(早い話がリロードし忘れw)
今日はもう寝ないといけないので、その話はまた明日以降に(大変失礼)
カウンタックのデザイン原案はフェラーリ512Sか否か?
自動車評論家の意見なので鵜呑みはできませんが、双葉社刊の「幻のスーパーカー」
の中で福野礼一郎はこう書いています。
『1971年のジュネーヴ・ショウで発表されたカウンタックのプロトタイプ
(LP500)は、その2年前にピニンファリーナが作ったフェラーリ512S
というショーカーにとてもよく似ています。
フロントとテールの処理、前後ホイールハウスのかたち、ボディ断面形、
上開き式のドア、サイドのうねるエッジ、コクピットetc.
盗作とは言わないのでしょうけど僕がピニンファリーナだったら怒ります。
(そういやボディカラーまで両車イエロー)』
本職のデザイナーの目から見ても、フェラーリ512Sの影響は大きいという認識
のようですから、どうやらカウンタックのボディデザインはM.ガンディーニの
100%オリジナルではないと考えるのが妥当のようです。
それはミウラにも同じことが当てはまるわけで、それらを考慮すると少なくとも
ミウラとカウンタックのボディデザインに対する世間一般の評価は、真相を知ら
ないがゆえの過大評価と言うべきかも知れません。
まぁ、丸一日置いたところで別に大した話は無いのですが。
Wiki他様々な資料でM・ガンディーニさんがジウジアーロさんに代わり
ベルトーネのチーフデザイナーになったのは65年11月の事とされていますが、
それが本当ならばミウラのデザインにジウジアーロさんの手の跡が多く残っているのは当然ですし
アルファ・ロメオ・モントリオール他、ジウジアーロさんデザインの形跡の残る作品が幾つか出たのも
判らないでもないところ。しかし、この65年11月”ってのは本当なのか?って思えるところも有り。
ジウジアーロさんがギアに移り手掛けたとされるデ・トマソ・マングスタの発表のタイミングから見ると
この車は驚異的な短期間で完成された事にもなります。
まさか、ベルトーネ在籍中から既に温めていたアイディアをギアに持ち込んだなんて事は??
会社勤めをされている方ならば、前任者が会社に残して行った仕掛り品を完成させて発表するのと
移籍先に、前の勤め先で手掛けた作品を持ち込むのとではどっちがマズイって考えますか?
まぁ、それはともかく(如何にも思いつきの駄文 w)
カウンタックの件は、フェラーリ512Sとの間にその翌年(70年秋)のトリノ・ショーで発表された
ベルトーネの“ランチア・ストラトス”(生産型とはほぼ別物)
http://www.priceofhistoys.com/wp-content/uploads/2006/05/lancia%20-stratos.jpg を挟んでみると、尚理解し易いと思えます。“僕がピニンファリーナだったら怒ります”でしょうか?
カロッツェリアと言ってもデザインを外注する事も有るくらいだそうですし、人の移動は頻繁ですので
似たような物への拘りは意外に少ないのかも。
で、ここで単にしつこいだけかも知れませんけれども。
前の方で書いたように、デザイナーを他所からスカウトする事で人の入れ替えを図り、
新鮮味を保つ事もある程度は必要でも。核となる人、一人くらいは自前で育てていかないと
会社の個性は表れないであろうっていう考えにまた私は戻ってしまうのです。
>>255 > それはともかく。ちょっと気になったのですが、ランボルギーニ・ミウラって車
> 「世界初の横置きミドシップ市販車」と書かれる事が多いように思います。
> しかし、デ・トマソ・マングスタとはほぼ同時として、また例によって19世紀〜20世紀初頭の車とか
> モーターサイクルの動力系を流用したキャビン・スクーターは別としての話でしょうが
> オリジナル・ミニの動力系を流用したミニ・マーコスGTの方が僅かに早かったのではないでしょうか?
マーコスミニGTはベースとなったミニと同様にFFですし、マングスタは縦置きミドシップ
ですから、横置きミドシップの市販車という意味ではミウラと関連ないのでは。
ただし66年1月のロンドンレーシングカーショーで、マーコスミニGTと同時に発表された
ユニパワーGTは、ミニのエンジンと駆動系をそのまま後ろに搭載した横置きミドシップの
市販車でしたから、同年3月のジュネーヴショーで発表されたミウラより約2ヵ月早かった
ことになります。
尤もミウラは65年11月のトリノショーで、シャシーのみをP400の名称で発表しています
から、それを根拠に「世界初の横置きミドシップ市販車」と書く人もいるのでしょう。
>>258 > それが本当ならばミウラのデザインにジウジアーロさんの手の跡が多く残っているのは当然ですし
> アルファ・ロメオ・モントリオール他、ジウジアーロさんデザインの形跡の残る作品が幾つか出たのも
> 判らないでもないところ。しかし、この65年11月”ってのは本当なのか?って思えるところも有り。
> ジウジアーロさんがギアに移り手掛けたとされるデ・トマソ・マングスタの発表のタイミングから見ると
> この車は驚異的な短期間で完成された事にもなります。
マングスタが発表されたのは66年11月のトリノショーでしたから、G.ジウジアーロがギア
に移籍した時期が65年11月というのが事実だとして、それから約1年の期間があります。
確かにこの1年間だけでマングスタが一から新規に開発されたのであれば、それは驚異的な
短期間だと言うべきでしょうが、実際はどうなのでしょうか。
CM誌03年2月号でM.ガンディーニにインタビューした記事によると、ミウラは3ヵ月程で
ボディデザインを完成させたそうです。
65年11月のトリノショー会場でF.ランボルギーニが直々にベルトーネにデザインを依頼
したようで、実際の作業は12月から始まり翌年3月のジュネーヴショーまでに完成させた
ということです。
ミウラのボディデザインが、G.ジウジアーロがベルトーネ在籍中に描き残したデザイン案
を基にしているという話については、その話の根拠となった図面がCG誌99年9月号に掲載
されましたので、それを見る限りでは単なる憶測だったようです。
それよりも気になるのは、CG誌03年11月号で永島譲二氏が指摘したフォードGT40との
近似性のほうです。これを偶然とするほうがむしろ不自然ではないでしょうか。
>>259 その辺は記憶が混乱しておりました。御指摘の通りでミニ・マーコスGTはフロントエンジン車で
リア・ミドシップはユニパワーGTでした。
ミウラ等の一連の車の中に、ジウジアーロさんの影ってのは実際に有ると思います。
それが直接的なものか、それともベルトーネに残っていた様々な物からの間接的な物なのかは
今となっては判らない事ではありますが。
また、異なるカロッツェリアで作られた車でも似ている物ってのは昔から有ったようです。
例えばアルファ・ロメオ1750GSのトヨタ博物館にあるザガート製ボディーの車
http://suki.tea-nifty.com/photos/thm/img_8623.jpg フランス・ミュルーズのフランス国立自動車博物館にあるトゥリング製ボディーの車
http://site-perso.chez-alice.fr/carb/images/mulhouse/6c1750.jpg この両者、ボディーサイドのクロームのモール等、細部に幾つか違いが有る程度に見えます。
まぁ、シャシーがこれくらいきっちりと出来ていて、しかも簡潔なスパイダーボディーでは
大きな違いを出す方が無理というものかも知れませんけど。
いずれにしても、当人同士で喧嘩になっていないなら外野があれこれ言う事でもないのかも。
ところで、70年代のイタリア製高性能ミドシップクーペって、所謂スーパーカー・ブームの時には
スター的な存在でしたから、今でも思い入れが強いって人も多くいる事でしょう。
しかしこの時代ってイタリアと共に自動車デザインを牽引してきたもう一方の中心だった
アメリカの失速により、イタリアのカロッツェリアに刺激を与える物が無くなった結果として
その前(50〜60年代)に比べるとイタリアデザインの質も低調気味だったように思います。
にもかかわらず、他に頼るアテも無い事から世界中の自動車メーカーはイタリアに頼る事が増えて
あまり質の高くも無いイタリア調があまり吟味もされぬままに氾濫したように見えるこの時代は、
良い形もそれなりに多い事は認めますが全体的には退屈な時代であったと私は思っています。
で、フォードGTとランボルギーニ・ミウラとの関係の話に戻りますが。
最初に永島譲二さんが近似を指摘された文を読んだ時には
「確かに、言われてみれば」と思いましたし、実際に似ている事は確かなのでしすが、
こうして幾つも写真
を見ている内に
「まぁ、そんなにそっくりというほどでもないかも・・」と思えても来ました(いい加減 w)
当時の人達はどう見たのでしょうか?
案外「今はこういうのが流行の形なんだね」で終わりだったのかも知れません。
「真似をする」ことと「影響を受ける」というのとでは似ているようで少々違いますし、
今になってあれこれは言えないところも有ります。
現代よりも“流行を追う事”それ自体が格好良いと思われていた時代の事でもあり、
ちょっと流行を取り入れてみましたくらいの感覚だったのかも。
また、デザインを手掛けたガンディーニさんの考えがどれくらい入っているのかも判りません。
当時のガンディーニさんは飽くまでベルトーネ内の人だった訳ですので、
前任者ジウジアーロさんの作品を見た人から
「カングーロみたいなの作って」みたいな注文が有ってもこなさない訳には行かなかったでしょうし
自らの個性を充分に発揮できるようになったのはもっと後の事なのではないでしょうか?
その線で、更に考えは発展して・・。
ランボルギーニ社自体が“フェラーリを超える車を作る事”を目標にしていた会社のようですから、
レース・フィールド上でそれを行おうとしていたフォードGTに感銘を受け
「ああいうの作ってよ」みたいな注文を出したなんて事も有り得る話なのではないか?
・・等と想像(つか殆ど妄想 w)したり・・。
昨日262に書いた分で、7リッタープロトタイプの部分の説明に間違いが有りました。
7リッタープロトタイプ自体は65年の車で、この年のルマンに出走→リタイアしています。
MKUは66年の登場に間違いは無い筈。
・・最近、一日経って読み返して「何でこんな事書いたのだろう?」って思う事が多い・・
フォードGT。随分とシンプルな名前ですがこれが本来の名前のようで、
よく呼ばれるGT40という呼ばれ方は誰が思いついたものかは不明です。
40という数字が車高40インチに由来するというのは有名な話ですが、公式には64年型〜
67年のGTMKUBまでは1030mmとされていますので1インチ=25.4mmで計算すると40.5インチ。
まぁ、この程度は燃料やドライバーの重量で変化するでしょうが。
68年型になると全高は何故か1016mmとなっていますので、本当の意味でGT40となったようです。
タイヤ等、足回りの変更がその理由なのかはまた不明。
前年型までは運転席の真上のルーフ部分にヘルメットをクリアする為の膨らみ
(長身のドライバーだったダン・ガーニーの為に作られた為に“ガーニー・バンプ”と呼ばれました)
が無くなった為なんて事は・・?前年型でもこれが無い車もあったようなので違うと思うのですが。
この極端に低い車高の為、この車の実物を真横から見て形状を把握すると言う事はあまり出来ません。
成人の視点で見ると、角型のヘッドライトであるとか、エアスクープの形状だとかといった
細かなディティールの方に目が行き勝ちになるでしょう。
ランボルギーニ・ミウラもかなり低い車で、こちらも成人の視点で見ると側面形全体が把握し辛く
その為にフォードGTとの近似性を感じ難くなります。
永島譲二さんが指摘するまで、この両者が似ているとあまり言われなかったのは
この辺にも理由があるのでしょうか?
また、ファン層もかなり違いそうな気がします。
フォードGTが好きな人って多分は米車好きな人でしょう。実際には英国の血がかなり濃いのですが。
当時欧州車の運動性能に優れたシャシにアメ車のハイパワーで扱ひ易ひエソジソっつうのが
一部で流行ったやうです。いはゆるアングロ・アメリカンとかデ・トマゾがヴァレルンガで
始めた一連のシリーズとか。が、結局長続きしなかったのはアメ車のエソジソ特性と
欧州シャシのマッチングが決して良くは無かった、アテクシいつも言ふ
「クルマはハンドルで曲がるのでは無ひ、アクセル(&ブレーキ、変速)で曲がるのだ」
の点に違和感があり杉たのでは無かったらうか?と考へるのです。
さて、今となってはこれ股懐かしひデ・トマゾですが、アレッハンドロの死去に伴ひ
2004年に解散、と思ってゐた同社、どっかが商標権引き継ひだかHPが現存しております。
http://www.detomaso.it/ ただ、まぁ出てるクルマがグアラまでなので2002年辺りから更新が止まってそのままなの鴨知れません。
>>265 つい最近も、クライスラー300Cってのもありましたな。
これの逆をやったのがナッシュメトロポリタン・・・欧州シャシー+アメ車エンジンよりも
失敗だったような気もします。
でも、映画版探偵濱マイクを見るたびに物欲が蠢くのを感じます。不格好だけど粋だなぁと。
デトマソと言えば、確かビグアが紆余曲折の末に、別会社からマングスタの名称で発売
されたようですが、さらに紆余曲折を繰り返した後に、MGが発売したXパワーSVという
車の基になったと聞きます。
このXパワーSVのボディデザインはP.スティーブンスが手掛けたもので、お世辞にも良い
デザインとは思えませんが、それは同じくP.スティーブンスがデザインしたマクラーレン
F1にも当てはまるようです。
G.マーレイの唯一にして最大の失敗はボディデザイナーの選任だった、とは言い過ぎなの
でしょうが、マクラーレンF1のコンセプトにこそG.ジウジアーロによる理詰めのデザイン
のほうがより相応しかったのではないでしょうか。
>>267 あらら、シャシーも美国製でしたか。
カキコした後、何をどう勘違いしたものやらナッシュ・メトロポタリンと言っていた友人を思い出しました。
>人によってはこの車もピニンファリーナ・デザインとしていますが、恐らくは勝手にナッシュ側が
>他の車用にピニンが作ったデザインを縮小して作った物でしょう。
>・・こういうのも一種の“拡大解釈”になるのですかね??
本田のビートやらNSXもこの線でしょうか。
ンダヲタの間ではピニンデザインというのは定説らしいのですが、面取りやラインの引き方やらを見ると
にわかには信じられません。
>>268 写真では「何だかなぁ」的な脱力オーラ満載ですが、現物は愛玩犬のような、微笑ましい可愛らしさを感じますぜ。
攻めるような走り方はご法度、つか逆立ちしてもできなさそうですが、一緒に散歩に出掛けるような感覚で。
>>269 私もマクラーレンF1の形は好きにはなれません。
ピーター・スティーブンスさんって方についてはあまり良く知りませんが、二代目ロータス・エランや
TWRジャガーXJR15等も手掛けた方だとか。はっきり言ってどれもあんまり良い形の物とは思えず
他に人材は幾らでもいたのではないか?って思うのですが。
「高性能車=イタリア・デザインってのは当たり前で面白く無い」
とでもG・マーレイは思ったのでしょうか?
>>270 ホンダ・NSXやビートのデザインについては全く判りませんが、もしも本当ならば嬉々として
“海外の有名デザイナーさん起用!”ってやりそうな気もします。
・・・・「こんなデザインの筈ではなかった。名前出すのやめてくれ」みたいに言われてなければ(w
ナッシュ・メトロポリタンについては前スレでも触れましたが、
やはり私は、あれって欧州製二座スポーツカーをセカンドカーに使うのが当時のアメリカ富裕層で
流行の兆しが有ったのに目を付けたナッシュ社の企画商品だと思います。
267の広告の一番上に“INPORTED”と目立つように書かれているのもそんな事の現われでは?
愛玩犬感覚で手許に置きたいという気持ちは判ります。・・凄く判ります(w
でもねぇ・・。後の事も考えるなら、やはりニッサン・フィガロとかにしておいた方が無難では??
・・本音を言うなら、古いフレーム付きの車のボディーを下ろして先日のペダルカーの話の時に貼った
http://kidlotz.com/library/Deluxe-Pedal-Car_large-b.jpg みたいなのを架装して乗りたいのですが・・。無理でしょうかね?
少し前に港北ニュータウン近辺でリア・クォーターピラーにボディー(ミント・ブルー)と同色で
菖蒲の花の絵を描いたフィガロを何度か見掛けましたが、
ああいうセンス(女性オーナーでした)っつうのは、こうしてああだこうだと能書きばかりを楽しむような
我々には中々求められない物で、見習いたいものだと思うのであります。
ホンダのピニン・デザイン、アテクシ相当以前からその辺感ぢてゐました。
それはアコードにエアロデッキのあったあの辺です。
表にピニンの名前は出てきませんが基本デザインを委託した可能性を非常に強く感ぢます。
股、適当な画像を見つけるのが面倒でw今は貼りませんが
ホンダがミッドエンジン車の計画を公表した際にピニンにデザイン委託っつな話もあり
当時ちゃうどそのアコードの頃〜少し後でしたのでぁあ、やっぱり感はありました。
いはゆるカロッツェリアとメーカの関係では、その関与の度合いによって
表に公表する場合、公表して車体に明記する場合、関与を公表する程度の大小、
一切公表しなひ場合など契約によって非常に細かくゐろゐろなのださうです。
逆に言ふと非常に細かひ契約があって、その通り事を進めなひと訴訟沙汰になる、と。
盗用多ひ某社wとイタルの間で訴訟騒ぎのあったことを覚へております。
思へばその一件のパブリカ・ヌターレットの他にもヌオヴァ・ズリエッタと71カローラ・セダン、
そして元ネタヂャギュア・ケンジントンが明らかなアリスト、
ランチャのパチもの似非イタ車と非常に多ひ。非常に大口の取引相手なのでせう。
まぁ双方納得づくで厳密に契約に則ってやってゐることですからそれはそれでE。
NSXやビートに関してピニンは多少なり関与してゐた鴨知れませんが、
その程度は実車を見て思ふ通り、そして公式に公表されて無ひ通りのものであったのでせう。
つまり、基本デザインを委託しても相当ゐぢり回して元モチーフにまでホンダの手が入った、
さう理解すべきなのでせう。
>ああいうセンス
リアガラス一面にカッティングシートで文字書くのもあると思ひます。w
股、デコトラにも良くありますし、いっときアニョータの方々が
ナントカって声優さんの名前ナンバーまでもじりにして
車体に汚絵描きもありましったけ。w アテクシ的には見習ひたく無ひ。w
↑変なモノは見習わんで下さい(w
幾ら形が気に入って買い求めた車であっても、そこはやはり量産品。
昔の一品物のような、自分の物だけは一目で他と区別できる程の個性は得られません。
そこで、昔の飛行気乗りが自分の機体にパーソナルマークを描きこんだように
ちょっと何か悪戯してみたくなるのですけれど、大体はありふれたステッカー貼る程度。
もうちょっと工夫しようとすると、ついやり過ぎで悪趣味になるのが常。
ボディーと同色で一輪の花の絵を描きこむなんつう粋な方は中々いらっしゃらないもの。
ところで、二玄社刊「世界の自動車・プジョー」の中では、プジョーとピニン・ファリーナの関係は
1960年登場の404から始まったように書かれていますが、他の資料複数では
その前の403(1955年)からとされています。403にも404にもファリーナ・バッジは付いていませんが
恐らく403からで間違い無い物と思われます。
前に書いたように403には同時期のナッシュ車等とも近似性が感じられる事もその理由ですが、
そのナッシュ車も「生産型にはピニンファリーナは関与していないらしい」という雑誌記事も有るので
あんまり自信を持って言い切れないところは有ります。
でも、403って戦後一時期のピニンファリーナデザインの典型つか、
結構他のピニンファリーナデザインの車に見られる特徴があちこちに見られるように思うのです。
平凡な造形のようでもありますが、あの楕円形に開いたラジエーターグリルとか
ヘッドライトとの位置関係とか。ナッシュの一連の車以外や、あの有名なチシタリア202等にも
つながる形ではないでしょうか?
http://www.fotozumbrunn.ch/Cisitalia_3_4_v.jpg 冷静に考えると。これとナッシュ・メトロポリタンを結びつけるってのもかなり無理筋な気もしますが(w
パッと見の格好の良し悪しはさておき、車そのものから感じる“わびさび”みたいなモノは
決してメトロポリタンだって負けてはいないのではない・・・・かも・・?
ビートとMG−Fはかなりピニンの原案に近いデザインです。
ほぼ同時期のミトスとの近似性もあります。
NS-XはZ32フェアレディのスクープ写真を見た宗一郎氏が、危機感を感じ、
もっと大きく見えるようにしろ!と指示したため、急遽トランクを延長したそうです。
原案はピニンから何枚もFAXで送られてきたようです。
ところでキャディラック(GM)とピニンファリーナの関係ですが、
第二次大戦前から一品物ではピニンファリーナデザインのキャディラックは存在したようですが、
それらは顧客からの依頼に拠る物であり、ピニンファリーナがGMと直接関係を持って
デザインを手掛けるようになったのは戦後の事でしょう。
キャディラックってGMの中でも高級ブランドって事になっているだけあり、
アメリカ上流階級に多い(らしい)欧州物好きの嗜好を反映してか、昔から欧州車のスタイルから
多くの影響を受けているようです。
あるいはライバルであるフォードのリンカーンが欧州の良いモノ好きで有名だったエドセル・フォードの
趣味に従い、欧州車のデザインを常に意識していた事への対抗心も有ったのでしょうか。
影響の素は戦前には主にイスパノ・スイザからだったようですが、戦後はイスパノが自動車からは
撤退した事もあり、新たな手本にピニンファリーナが選ばれ、直接多くの車をデザインさせたようです。
昨日貼った54年型のシリーズ62カブリオレ等ではさすがのピニンファリーナもシャシーの寸法を
持て余し気味に見えますが、61年のクーペ・ジャクリーヌとかになると見事にまとまっていて
http://www.autoweteran.gower.pl/concept/1961_Cadillac_Jacqueline_by_Pininfarina.jpg 個人的には、これがピニンファリーナデザインのキャディラックの中では最も好きです。
・・そう書いていて、ふと思った・・。
メルセデス、ジュリア、ジュリエッタ、ディアーヌ、AMI、ジャクリーヌ・・
単にスケベなだけかも知れませんけど、女性の名前らしきものが車名になっていると、
ただそれだけでなんだか見る目が二割くらいは甘くなる・・つか“名車度”二割増しになるような・・(w
まぁ、二割くらい増したところで箸にも棒にも掛からない「あれ」とか「あんなの」とかも有るのですが・・
(自主規制 w)
あるピイヌA210とCG1200・・・
ごほごほ。
>二割増ししたところで
♪キャンドルを〜暗くして〜
あと、矢沢永吉が昔いたバンド名とか?
二割増してまぁ、かなっつなところで
ロス・インディオスとアレ っつな物件もござひますが。w
コレに関しては玉にそこそこ美系が出るので油断なりませんが。w
で、ジャクリーヌに関してですが、アテクシ的に非常に目を引くのはAピラーの猫足。
この猫足つう物件が股一時代を画すものなのですが、この辺に関して皆さま如何お思ひでせう?
猫足と聞くとピアノとか家具の方を思い出しますが。60年前後、特にアメリカの高級車
(ビュイック&キャディラック、マーキュリー辺り)で流行したらしき形状ですね。
戦後は曲面ガラスがかなり安価になり、大衆車のウィンドシールドもかなりの割合で
立体化されましたが、まだ60年代初頭の時点では結構高価だったようです。
55年登場のシトローエンDSでは前後こそ曲面ガラスでしたが側面は平らでしたし、
同じ年にポルシェ356は平面ガラスのV字スクリーンから曲面の一枚板になったと言う程度。
その高級品、曲面ガラスを更に凝った造形にして使用する事も高級感の表現なのでしょうか。
私はアレ、アールヌーボー辺りのアンティーク家具とかを想起させるような形だと思いますけど、
アメリカ人にとってはどうなのでしょう?
欧州的デザインなるものをああいうところに感じたのか、どうか。
今の私には、如何にもアメリカ的に思えるのですが。
こうして私等は気安く“アメリカ的”とか“ヨーロッパ調”とかって言葉を使いますけど、
(使っている本人が言うのもナンですけど)そう思う根拠って一体何なのかって思う事も有ります。
276に貼った画像等を見ても、同じピニンファリーナデザインでもマセラーティは欧州的に見え
キャディラックはやはりアメリカ的に思えます。
単にそう思って見るからってだけではないと思うのですけれどね。
あのキャディラック・シリーズ62/PF200の写真を見ても“アメリカ車だなぁ”と思い、また
“ピニンファリーナだなぁ”とも思いますが“キャディラックらしいなぁ”とは思いませんから。
また、元はイギリス・ローラのローラGT・MkYで、改良したのも英国から来たロイ・ランや
レン・ベイリーだと知ってはいても、やはりフォードGT40を見ると“アメリカ的だなぁ”って思います。
フランス人、レイモンド・ローウィがデザインした時代のスチュード・ベーカーもそう。
これらが“アメリカ的”と思わせる源ってナンなのでしょうね?
>>275 ホンダは直線/平面基調のデザインしか作れないみたいですね。
安直にぱっぱっと線を引いて「カッコいいんじゃね?」って感じ。
立体的に面を切り替えるとか、有機的な曲面とかまず不得意ですね。
やっぱりエンジン屋か・・・最近はミニバン屋さんですが。
>>281 ホンダも最初はぐにぐにしたデザインもしてるんですよ(w
http://www.carstyling.ru/car.asp?id=2205 この辺見ると、結構いろんなのが有りますけど、何が書いてあるのかはサッパリです(w
近年は国産メーカーの中では最もピニンファリーナとの関係が深いのはホンダではないでしょうか?
もっとも、ホンダ用にデザインしたピニンファリーナの作品はなんだかあんまり冴えないみたいですが。
・・こう言うとホンダだけを貶しているみたいですけど、
他にもあんまり嗜好に合わないと思うデザインのメーカーは国産に限らず幾つも有り、
偶々ホンダが話の中に出ただけの事なので悪しからず。
ついでに言うと、ホンダ車の中でもフィットの形は結構好きです。
昔はニッサンが最もピニンファリーナとの関係には熱心だったようですが、
生産化にあたってはあんまり素の良さが出せなかったのか、市場では不評だったようです。
最も有名なのは410ブルーバードですが、その後65年のセドリック
http://gazoo.com/meishakan/meisha/sum/60480_o.jpg これなど、一昨日触れたキャディラックの“クーペ・ジャクリーヌ”を4ドアにして、二〜三回程
クラッシュテストしたのをいい加減に復元したみたいでもあります(w
基になったデザイン画でも有ったら見てみたいもの。
で、この流れで68年に登場した3代目のスカイライン(所謂“箱スカ”)が、同じ年に発表された
プジョーの504に似ている事から(日本仕様の4灯マスクは特に似ています)
これにもピニンファリーナの手が入っているのではないか?
・・っつう話は以前このスレで否定されましたけど、直接の関与は無かったにしても
採用されなかったデザイン画とか、様々な形で間接的に、ピニンファリーナの影響は
当時のニッサンデザインチームに残っていたのではないかと、
しつこい性格の私は現在でも考えております。
>>283 >基になったデザイン画でも有ったら見てみたいもの。
写真を切り貼りしていそうな気がするwww
デザインを試行錯誤していた頃の国産車って、
お気に入りのディテールをを寄せ集めた感のあるものも少なくないですね。
中国車なんぞは今その時期にあるのでしょうか。
確か、以前ホンダのコンセプト・カーとしてピニンの”アルジェント・ヴィーヴォ”
つうのがあったかと記憶しております。それ見て何だその生きた銀つな、と辞書引きましたら
”argento vivo”水銀、とちゃんと出ておりました。w 確かに水銀の玉のやうな
コロコロぬめぬめとしたカタマリであるました。
デザイン画を生産型に移すにあたり問題になるのはコスト・量産技術でせう。
金に糸目を付けなひワンオフなら相当のことが出来ても数作る量産だと
出来ること出来なひことが出てきませう。ホンダの場合もその辺にぐにゃぐにゃのままでは
量産出来なひ事情があるのではありますまひか?
さて、逝ってる師リンクのセドリック、アテクシ的には清潔な緊張感を微かに感ぢるCピラーあたりに
申し訳程度ですがピニンの匂ひが残ってゐるやうに思へるのです。
同時期のピニンにはこの手のクリーンな緊張感っつのがしばしば見られます。
箱ヌカに関しては、これも逝ってる師お書きになったときに確か
プレスのラインに向けて反り返ったサイドパネルとかコーヴェアの影響を主張した記憶も。
この手の例としてその時期からしばらくのBMWも挙げたか、と記憶しております。
>>285 ホンダ&ピニンの関係は、あまり量産を前提としない純粋なデザイン・プロポーザルに
限定されているかのように見えます。
生産化を考慮するならば、ピニン側ももうちょっと現実的な提案をして来ると思うので。
>>284 今ではコピーされる側になる事も多い日本の企業ですが、昔は結構酷い事もしてましたからねぇ(w
先日、中国で開催されたモーターショーで、中国製の車のデザイン意匠の一部がホンダ車の
それとそっくりだった事をホンダ側が抗議したなんて事が有りましたけど、
55年の初代クラウンとその当時のパッカードなんかもあれ程度には似ていたように思います。
それでも、車なんかは目立つ事もあり。また、それこそ生産技術がカーボンコピーが可能な所まで
至っていなかった事もあったか、他ジャンルよりはマシだったかもしれません。
現代の中国の場合、生産技術は結構有りますから余計に不味いところも有るでしょう。
でも、そうしたのはアチラの国民性を知りつつも、モラルを育てる努力をしないままに、
低コスト求めて技術供与した側ですしね。暫くはああしたゴタゴタは続くでしょう。
現代の自動車の流行が、骨格は単純な形で樹脂部品など造形の自由度が高い所でしか
それぞれの個性を主張し難いようになっていること(特にミニバン等)も変な追い風になっているかも。
ところで、車板ではスレッド乱立して、叩かれ放題のミニバンですけど、このスレ見ている人は
どう思っているのでしょうか?
あの種の車にだって、古くはフォードのウッド・ワゴンやフィアット・ムルティプラ(初代)とか
VW・タイプUなど、最近でもシトローエンC4ピカソや現行ムルティプラ。
更にはフランスのノータリン的スポーツ(w)ルノー・エスパス・F-1等
オタクの話のネタになりそうな魅力的な車は幾つも有って、全てひっくるめて“只の白物家電”とか
“趣味の対象とは成り得ないつまらない車”と片付ける事は出来ないと思うのですけど。
自動車ってからには運転してて楽しそうじゃないと食指が動きません
あの手を好む人たちは自分の部屋を持って歩きたい人たちとしか思えないから
趣味は合わないだろうなぁ
フィアット600“ムルティプラ”
以前由良拓也さんは「初代エスティマの形は、この車にそっくり。ただし前後逆だけど」
みたいなことを書いていた記憶が有ります。
前スレでも話に出たように、車の空気抵抗を少なくする為には前を尖らせるよりも後ろを滑らかに
絞り込む事の方が重要だというのならば、こういう形状のボディーの場合はどちらを前にするべきか。
1913年にミラノの某貴族がカロッツェリア・カスターニャに作らせたという有名な車
http://shl.stanford.edu/Bucky/dymaxion/alfa.jpg この車はステアリングホイール位置からも判るようにミニバン型三列シートではありませんが、
空気抵抗を真剣に考えた結果の雨滴型ボディー(その割りにはタイヤもシャシーも剥き出し)。
やはり、前が尖ったエスティマ型よりも後ろが絞り込まれたムルティプラ型ボディー(つか方向 w)
の方が、理屈の上では空気抵抗を減らせる筈。
もっとも、そういう意図でデザインされたのかどうかは全く判りませんけどね・・。
この時代(1950年代)のフィアットの小型車はデザインに至るまで天才エンジニアの
ダンテ・ジアコーザさんが決定していたそうです。もうかなり前にCG/TVの中のインタヴューで
「材料を節約する為に丸い形にした」等、御本人自らその頃の事を語っておられました。
デザインにまでお金は掛けられないという事情も有ったのかも知れませんけど、皆良い形で
ファリーナ・スタイルの上級車1800あたりよりも余程魅力的だと思います。
ジアコーザさん、デザインセンスも大したものだったのでしょう。
1936年に登場した初代500“トポリーノ”と1955年の“600”。更にそれをベースとして作られた
ムルティプラの断面図を二玄社の「世界の自動車・フィアット」からコピーし同一スケールで並べたもの
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/28c2.jpg?bc5oUdGBet3bxUQz ホイールベースは三者とも同じく2m。限られたサイズの中で、
かつての500では一列二人分のシートしか置けなかったのをムルティプラではなんと
三列6人分(かなり無理してますけど)
まぁ、この車の場合は衝突安全性ナンかは考えてはいけないのでしょうね。
アバルト他、多くの手によって様々にチューンされたフィアット600ですが、
サスペンションはそのまま流用される事も多かったようです。
それだけ、オリジナルの設計が優れていたという事なのでしょう。
只、前輪のバネレートを変更しようとすると、ロワーアームを横置きリーフが兼ねるという形式の為に
そう簡単にはいかず、その場合には(増えた荷重に対処するためにか)
通常のダブルウィッシュボーン+コイルに変更されたムルティプラ用のパーツを使う事が流行したとか。
そう簡単に出来る改造でもなさそうですけれど、この場合トレッドも幾らか広くなるので一挙両得(?)
「運転してて楽しそうじゃないと食指が動きません 」っつう287さんの考えはもっともだと思います。
フィアット600の中で考えても、ムルティプラよりはセダン。どうせなら過激にチューンされた奴。
リアのエンジンフードを半開きにして、パウダー・ブルーと赤に塗り分けたようなのが良い。
そう考えるのが正統的ボーソー趣味っつうモノでしょう(w
まぁ、それは冗談(でもないか?)にしても、私もなるべく余計なモノは背負いたくない。
出来るだけ身軽でいたいと考える側の者であります。
でも、そういう事は別にして車そのものの魅力とかを考えてみると、ムルティプラの有る生活ってのも
ナンだか楽しげな気がします。
恐らくあの車が現役だった頃、二〜三列目に押し込まれた子供達の目には、4段MTを駆使して
非力なエンジンをフルに使って走らせるオトーさんの姿はきっと頼もしく見えた事でしょう。
まぁ、現代この車板で散々な叩かれ方をしているのはそうしたオトーさん達の末裔ではなくて
離れかけた家族の関心をお金で買うようにミニバンを選んだとか
(でも、結局子供達はリアシートで携帯ゲーム機に夢中で、運転席は孤独だったり・・)
レジャー道具の置き場所も兼ねてミニバン買ったっつう物置と車の境が曖昧な人とか
(そういえば現在はスチール物置メーカーの岡村製作所が作った“ミカド”って車も有りましたっけ)
そんな人達なのでしょうか。
>>290 「ミカサ」ですよ。先帝陛下の弟君の三笠宮殿下の方。
曲がりなりにも本格的にトルクコンバーターを採用した最初の国産車なんですから、
覚えておいてあげましょうよw
キャブオーバースタイルで大きな定員を確保しようという発想なら、
古くは1890年代後半のパナールあたりからすでに見られた例ですし、
1930年代中期のアメリカの「スカラブ」が近代的なモノスペース車の先駆となり、
その後1950年のVW・初代タイプ2が世界に範を示して追随者が続出した・・・
スカラブなんかは時代に比べて進みすぎてほとんど売れなかったから試作車みたいなもんですが
タイプ2がその後に続いたワンボックス車の範となったのは、
何よりそういう効率的に多人数を運べる小型車が必要とされていたからで、
ムルティプラにもそれは共通しますね。時代性もあろうかと思いますが。
クライスラーの最初のミニバンも、アメリカンの生活様式に適合した車だったから成功できた。
まあそれはさておき、
生活に直結しない「空っぽの箱」をわざわざ買う事について
趣味的なクルマ好きの2ちゃん車板住人が疑念を呈し、
一方で金遣いにうるさいはずの一般人が自らに疑問を抱かずにいるというのも、妙なものですね。
>>289 ムルティのパッケージングで気が付くのは、後ろ程シートの座面が低くなること。
本来ベルリナの鉄則、それも高級であればある程守らなくてはいけなひ鉄則として
”後部シートは前シートより高くなくてはいけなひ”といふのがあります。
真っ当な時期までの真っ当な欧州ベルリナはほぼ例外無くこのやうになってゐます。
上記比較図の600、安価の極みのやうな同車でもさうなってゐます。
うちの75ですら完全に前シートより後部シートの座面がはるかに高く、
しかもトルソーアングルが真っ当、基本設計の古さが逆に基本に忠実な
セオリー通りのポヂションを与へてゐるのです。
日本車ではこんなことはこれまで只の一度も考へもしなかったやうに見受けられますが
昨今では欧州車もマーケ主導、見てくれのデザインが全ての日本車哲学に感染し
あらうことかベンシでさへもセオリー無視のパッケージングするやうになってしまひましたが。
しかし、見てくれよりも全てに於ひて実が第一のムルティ、何故このシートレイアウトを採ったのか?
ルーフ高に余裕は十分あります、2列目3列目を高く、もっとアップライトなポヂションを採れば
乗る側ももっと快適に余裕を持って乗れる筈。
涙滴型か逆涙滴型か、ムルティの場合ベルリナ同様コストが重大なファクター
そしてアテクシも昔CGTVで故・ジャコーザ氏のインテルヴィスタを拝見しましたが、
その際にも語られてゐた”表面積を小さくし鉄板の使用量を抑へる”、
その為にはエソジソ上のデッドスペースを無駄に膨らましたフォルムで
鉄板を無駄遣ひしたくなかった、といふことなのでせう。
尤も、エソジソ上をラゲッジスペースとするならそれもあったでせうが、
サンバーのやうにエソジソと燃料タンクの上にモノ載っけるつもりはさすがになかったか。w
しかし、一方でよりスペースに制限のあるベルリナでは後部シート後ろに
物置スペースが設けられてゐるのですが。
>>292 75のリアシートザーメンが高いのは、下にミッションがあるからなんでねえの?
確かに後ろに乗せると結構好評だ、75。
>>291 “ミカサ”でした・・。(またやったか・・w)
ウィリアムB.スタウトのスカラブ(1935年)は以前流線形の話で出たかと思いますが、
31年のジョン・ジャーダのスターケンバーグとかタトラ77等からの流れで見るべきで
室内空間よりも外見の要求からああいう形になった車と私は考えます。
http://www.conceptcarz.com/vehicle/z9131/Stout_Scarab/default.aspx(ポップアップが出るかも)
後ろから見た時の格好の良さと比べると、フロントの方はあんまりパッとしませんねぇ・・。
>>292 想像ですけど、ムルティプラの座面が後方程低くなるのは、恐らく畳んで荷室に使う時の使い勝手に
配慮したからではないでしょうか?
また、そこに座る人の快適さを重視するなら確かにリアシートの座面の方を高くするべきでしょうが、
運転する側にすると、そうする事により後方視界が妨げられるというデメリットも有り。
運転席後方に更に二列もシートのあるムルティプラの場合、それを避ける為にわざとああした
可能性も有るかも知れません。
現代のミニバンブームの主流となっているのは、少子化が問題視される時代には過剰な空間、
それに由来する過剰な車重。それに対処する過剰なパワーと、過剰を過剰で塗り潰す性格の車。
そういう連鎖が多くの人から反発を買う理由なのだと私は思います。
実際に幾ら低床・低重心とか言っても基本的に鈍重な性格もあるでしょうし。
また、これはミニバンに限った事では無いのでしょうが、あれこれと進歩した運転支援技術の恩恵で
より安全な運転に集中している人等実際には殆どいなくって、
退屈になった分だけだらけて散漫な運転をしている人が殆ど。
技術に甘えて堕落していく人ばかり多くては、それは進歩とは言い難いのではないでしょうか?
ミニバンって呼び方が普通になる前は
VWのコンビなんかもマイクロバスと呼ばれてましたよね
その方がよっぽどわかりやすいと思いますが。
それとも何か違いが有るとか?
逝ってる氏はイージードライブ化に対しては常々強い批判傾向を示しておられるので
(逝ってる氏に限らず、2ちゃんでクルマ好きを標榜する人は
多くが自動車のイージードライブ化に冷淡な傾向がありますね)
「イージードライブなシステムは即、無責任運転の助長になる、とは考えない」主義の
俺あたりとはスタンスが違うでしょうけど、
ミニバンを買っている人たちのほとんどが、その広大なスペースを有効活用できているのか疑問、
という点では全く同意ですね。
この点は2ちゃん車板でのクルマ好きの多くにとって共通認識かと考えます。
ミニバンを買うシチュとしてよく例示されるのが、
「小中学生の子供のスポーツクラブ活動関連で、足代わりになってやる必要があるから」なんですけど、
子供たちのスポーツクラブも昔の野球かサッカーぐらい、という状況に比べて多様化してるでしょう。
一方で少子化も進んでる。スポーツクラブ自体、規模縮小の避けられない時代です。
児童スポーツクラブの父兄たち相互の関係も希薄化してきて
(それは個人主義の進みすぎで、ある意味では「いい傾向」とは言えないのですが)、
敢えて持ち回りで送迎役を仰せつかる、という時代でもなくなってるんですよね。
自分の子供は自分で運び、連れ帰る。ならセダンでもコンパクトでも軽トラでもいいんです。
少子化の一方で高齢者に至るまでの免許普及も進んでますから、
3世代を1台のミニバンに押し込む必要性も薄れてきてます。
これじゃ、安全性に疑問のあるエマージェンシーシートを載っけて
形ばかりの7人乗り、8人乗りに仕立て上げたクルマを保有している意味ってあるのか?
ムルティプラの頃のように、みんなが貧しくて
一家に1台しかクルマを持てない、という時代じゃないのに。妙なものですね。
>>295 現在ミニバンと呼ばれているのは、昔のフォードの木製ボディーのワゴンとか、
ファミリエールとフランス人達が呼んだ三列シートセダン(バン・ワゴンボディーの流用ですが)と、
マイクロバスとの中間に出来たモノと私は思います。
まぁ、元々が大して変らないもの同士ですけど(w
現代の国産ミニバンの中で見ても、ハイエース等の商用車ベースの車も有れば
セダンをストレッチしたウィッシュとかストリームみたいなのも有り。
前者はマイクロバス寄り、後者はセダン寄りでしょうか。
>>296 イージードライブを可能にするデバイス自体は悪くないって思いますし、
トラクションコントロールとかABS等は、むしろ有るべきとも思います。
私が否定的に考えるのは、眠くなるような安楽さだとか運転中に緊張感を忘れさせる物とかです。
例えばATだってそれ自体は悪い物ではないと思いますけど、
意外に多くの人がATのポジションの意味も知らないままに使っている事に驚いた事が有るので
“ATは運転を楽にするだけで、簡単にしてくれる物ではない”って意識を持って使える人でないと
却って危険ですらあると考えるのです。
ついでに屁理屈こねると。
ミニバンのような車ってかなり難しいところがあると思うのです。
定員一杯まで人が乗った時には車高は下がり、その分ロールセンターも下がり。でも重心は上がる。
普通の車以上にロール剛性の変化が激しい車な筈。
それを最小限に抑える為に足回り固めると今度は一人で乗っている時に酷い乗り心地になる。
今度のシトローエンC4ピカソでは車高調整の可能なエアサスをリアに使用しているそうですが
そういう事に気配りしているミニバンってそんなに無いのが実情でしょう。
そういう事も有り、私はやはり「ミニバン型も有っても良いけどあんまり流行して欲しくない」
って思うのです。
あんだけ走っていたパジェロが、今じゃ見かけないからね
次は何が流行るんだろ?
昨日書いた話、実は私の若い知人に
「三人目の子供が生まれたので、三人平等にチャイルドシートに座らせる為にミニバンにしました」
って人がいて。一人で通勤に乗る時等には固い乗り心地に辟易としていたので、そう思いました。
彼の場合は、子供の体重三人足したところで大人一人分にもならないので試しにタイヤの空気圧を
驚く程高かった指定値から常識的な数値まで下げてみたところ、少しはマシになったとか。
彼のように子煩悩で責任感の強い人がミニバンを必要として買うのは良いと思います。
チャイルドシートのメーカーも、もう少し考えて欲しいところですけど。
話は少し変わりますが、現代のようにミニバン型の車が広く受け入れられるようになったのには
一般の人の車を見る目が少し変化した事も有ると思います。
元々日本人はアメリカ車大好き。つか、アメリカ車に憧れる事から自動車文化が始まった国。
現在でもある程度の年配の方に顕著な傾向として3BOX型大好き。つかそれ以外は認めないって人
案外と多いようです。なんだかんだと言いつつも購入する人の平均年齢が60代というカローラが
未だに3BOX型セダンの形を捨てられない辺りにも、それは現れているようです。
この傾向がもっと顕著に有った頃でしたら、現代のミニバンの多くを占める一筆書き、モノフォルムは
これ程迄には市場に受け入れられなかったのではないかと思う事が有ります。
>>289で触れた1913年のカスターニャ・アルファを見ても、空力を洗練させる為には、
途中に段の無いモノフォルム型が望ましい事は昔から知られていたようですが、あの手の形状は
多くの日本人が持つ“車らしい形”“格好の良い形”という概念からは外れるものであり、
“1BOX=貨物車・2BOX=貧乏臭い安車”みたいな偏見は根強く有ったようで
その為に四人乗りの最小限界を目指したような初期の360cc軽自動車にまで3BOX型が現れる始末。
幾ら現実の欧米ではそんな事は無いと言われても、そういう傾向は結構最近まで残っていたようです。
そういう傾向に変化が表れたのには、ガンディーニ等がデザインの一連のエキゾチックカーとかで
“モノフォルム=格好が良い”っていう刷り込みがなされたスーパーカー世代以降が多数派になった
今の消費者の年齢構成も一因として有るのでしょうか?
ぢつはアテクシもだうも土缶(ヒジカタの缶詰w)1Boxはダメです。
あれに似合ふのはやっぱニッカボッカに力王足袋の足を窓から出してる姿。w
一方小さひソレ系は後ろから見たキューブなんざまさにさう、Bb股然りで
だうも冷蔵庫が転がってるやうにしか見へません。w
ワゴン・ジャルディネッタは本来セダン・ベルリナより裕福感のあるものですが
今日帰宅時見かけたカローラのフィルダー、あれとかだうしてもボンバンにしか見へません。
だうも商用車あがりにしか見へないんだなぁ、なぜか。
あれを選ぶ人の選択はやはり”フィルダース・チョイス”なのだらうかなぁ、
などとぼんやり考へつつ帰ってきたのであるますた。w
アテクシは、自分の毎日の生活の道具兼玩具としてこれら↓でまぁw文句ありません。w
http://www.youtube.com/watch?v=7b1fpSDNFoY http://www.youtube.com/watch?v=xfIuY2jnVjw 踊る75w(ヌオヴァ・ズリエッタ1台混入)
つねづね思ってるんだけど
このシフトレバーって操作しずらくね?
慣れればOKなの?楽しいの?
>>300 エロスパ氏は守旧派ですからねぇ(w
私は結構キューブは好きです。一時期、本気で我が家の近距離用車候補になった位です。
DBは嫌い。“どう違うのだ?”と言われたらナンとも言いようが無いのですけど。
1BOXは、やはりプロの仕事道具ってイメージが有り、好き嫌いがどうのこうのと言うモノではないです。
アレを私用に使う気にはなれません。シトローエンTUB(実物は見た事も無いですが)
http://irishcar.com/ICOimages/citrconservgall/images/0113302.jpg これなら別ですけど。(結局シトローエンなら何でも良いの w)
>ワゴンはセダンよりも裕福感が有るモノ
そう言われていますけれど、実際にはどうなのでしょうか?
例えばフランスの安価な貨客兼用車(ルノー4とか)を前に「純粋なセダン型よりも裕福感が有る」
とか言われても・・みたいな気もするので。
先日の話の続き。
3BOX型の車が生まれた経緯は以前にも何度か触れましたし、改めてまとめるのも大変ですが
1930年代のアメリカ車のスタイルの変化を追う事で大体理解出来るのではないでしょうか?
特に30年代後半、流線形の流行が最も盛んだった時期。その次を狙って登場したキャディラック
シリーズ75がその発端と考えて良いと思います。
そして40年のリンカーン・コンチネンタルで完成を見る訳ですが、
この種の形、アメリカ人にも大好評だったのは勿論ですけれど別にこれ一辺倒になった訳でもなく
それ以前の甲虫型にも根強い人気が有ったようです。
こうした3BOX型誕生の経緯ってのは丁度日本では輸入が途絶えていた時期に進んだ事も有り
戦後になっていきなり完成形3BOX型を見せられた日本人はさぞ驚いた事でしょう。
そして、そういう経験が3BOX以外は車の形と認めない頑固な層を作ってしまったのだと思います。
・・今でも結構そういう人っていますよね。
トヨタが今でもそういう人狙いでヴィッツの派生車種に、べルタなんて車を出すくらいですから。
トヨタ・ベルタって車、我が家には小型のトヨタ車も一台有る事から例によって
「こんなの出ましたが買い換えませんか?」って営業の方がカタログ持って来てくれました。
全長4300mmっつう大きさはシトローエンで言うならばGSもBXも凌ぐもので、
当然「そんな大きいのは要らん」となりましたが。
この車の開発コンセプトの中に「セダンこそ車らしい形と考える人は今でも多い」という言葉が有って
イメージキャラクターは鈴木京香さん。
ベルタという車自体には車オタクがあれこれと話題にする要素は殆ど無いかも知れませんが
私には結構考えさせられるモノが有りました。
トヨタや日本人ユーザーにとっては2BOX型のヴィッツはセダンではないらしい事もその一つ。
それと、年齢に関わらず3BOX型こそ車らしい形と考える人が今でも存在するらしいという事。
まぁ、何処の国であろうと3BOX型が好きな人はいるでしょうけど、それは嗜好の問題ってもの。
日本人の場合に限っては嗜好以前の問題として2BOX型ハッチバックには“貧乏臭い”とか
“女・子供の乗る物”みたいな偏見を持つ人がいて、特に女性の場合には2BOX型を薦められると
「女だと思ってバカにしている」って憤慨する人すらいるようです(実際に聞いた言葉)。
こういう人がいるのは、3BOX型が生まれた経緯を実体験としてつぶさに見る事無く
いきなりそれが流行の真っ只中に有ったところから自動車文化をスタートしてしまった
日本のおかしなところであると思います。
つまり、以前に私は日本にATが多い理由として渋滞の多さ以上に戦後アメリカ車によって
初めて一般レベルに自動車文化(らしきもの)が浸透したことを挙げましたが、それと根は同じ。
車にあまり興味の無い女性層の多くには、今でもそうした“3BOX型が車本来の形”という考えが
根強く残っているように思えます。
年配の方が持っているのと同じ保守的イメージでしか無いのですが、
興味が薄い故にそれを訂正してくれる情報も外から入って来ないのでしょう
3BOX信仰の最たるものがタクシーでしょうね。
しかしベルタというクルマ、所詮はヨタ車ですが、成り立ちは面白いですね。
あれだけの図体がありながら重量1000kgを切るグレードがあり、エンジンは最小限の3気筒リッターカー、
ってシトロのアミとかパナール・ディナじゃないんだからw
CVT車だからこそできた無茶でもあるんでしょう。
タクシーについては全くその通りでしょうね。
以前にタクシーの話が出た時にも書きましたがタクシー会社毎のけばけばしいカラーリングが
施されていたりしては見栄えもフォーマル感も有ったモノではないと思うのですけど、それでも
“とりあえず3BOX型なら見栄えが良い”“何処にでも乗りつけられる”みたいに思う人はいるようです。
正に3BOX信仰ですね。
1930年代を体験すること無しに過した事、国情に合わないアメリカ車に憧れる事から始まった事。
この二つが今に至るまでこの国の自動車社会に大きな影響を与えているように思います。
そこから私は“今も昔も(その存在を知らぬ人にとっても)多くの日本人にとっての理想の車は
パッカードなのである”という説を唱えています。未だに誰にも賛同して貰えませんけど(w
現代のドイツ車人気も、実はアメリカ車に元気が無いのでその代わりにドイツ製をアメリカ製代わりに
「如何にアクセル踏まずに走れるか」と使っているだけだと思って見ています。
ところでトヨタ・ベルタですが、あの車と同じように3BOX好きな層を狙って2BOX型コンパクトをベースに
作られた車って、他にもニッサン・ティーダラティオとかホンダ・フィット・アリア等が有るようですが
如何にもとって付けたかのような急ごしらえのデザインで、あまり格好良くはないと思います。
まぁベルタが格好良いか否かは別ですが、元のヴィッツとは全く別物のデザインを用意出来るのは
トヨタの商売規模の大きさ故でしょうか。
それともう一つ。今日「おまいら年齢のバレる発言して下さい」スレの書き込みに
丁度「ティーと発音出来なくて何が悪いんだ」みたいなのが有りましたが、
そういう発音が苦手な人の多くは、恐らく年齢的に3BOX信仰の持ち主と被っていると思います。
そこまで考え“ティーダラティオ”とか“フィット・アリア”なんて(年配の方が)発音し難い車名を避け
“ヴィッツ”なんつうベース車とは無縁の“ベルタ”って言い易い車名を付けたのであれば、
正にトヨタの商売上手恐るべし・・って思うのですけど、実際に其処まで配慮したのでしょうかね??
>>306 トヨタ製でコンパクトな2BOXベースセダンのはしりといったら、コルサ/ターセルではなかったかと。
日産だとラングレーのセダンですかね?
そーいや、年配弾性が乗ってるのをよく見たような。
カローラが初代クラウン並みの大きさになったかという時代でしたから、ベーシックセダンでも持て余す
人にはちょうどよかったのではないでしょうか。
ちなみに北関東にて自動車修理工場を営む叔父は、普通に「テーダ」「ヒット」「ヘラーリ」「アルハロメオ」
「フェアレデー(これはある意味正しいか?)」と発音します。
>>307 その方、もしも現代にヴォアザン(Voisin)なんつうメーカーが生き残っていたなら
どんな風に発音されるのでしょうね(w
余談ですけど、現在では“ヴォアザン”と表記されるのが一般的なこのメーカー名。
私の手許に有る古い本の中に、著者の佐藤章三さんが“ヴヮザン”と表記されているのが有ります。
日本語の表記方法としては変なのでしょうが、実際のフランス人の発音にはこっちの方が
近いのかも知れません。
ところで最近車名の記憶違いとか勘違いが多くて心苦しい限りなのですが、
また一つ気付きましたので訂正(スマヌ・・)
>>303で3BOX型セダンの発端と書いたキャデイラックですが、それはシリーズ75ではなく
シリーズ60S(シックスティ・スペシャル)の間違いでした。
http://www.classiccarclub.org/images/38%20Cadillac%2060S.jpg 如何にも、それまでは車外に独立して積まれていた(文字通りの)トランクが一体化していく
過渡期のデザインに思えます。
また、本来はファストバックにデザインされたものの「より広い荷室を」という
市場からの要求で角ばったトランクルームを後付けした例ってのも有り。
コード810/812とかシトローエン・トラクション・アヴァン等がその代表でしょうか。
http://www.strw.leidenuniv.nl/~deul/images/travant1a.gif http://www.delayre.com/bagnoles/traction/rside.jpg 上がオリジナルのファストバックで、下がトランクを張り出した後期型のトラクション・アヴァン。
やはり急こしらえな感じは否めず、見た目の格好良さはオリジナルに軍配が上がります。
こういうのはデザイン的なバランスへの配慮が深く関わっている3BOX型とはあまり関係無く、
別の流れと考えるべきなのでしょう。
そう思うと現代のティーダラティオとかフィット・アリアなんかはこっちの側に分類するべきなのかも。
・・まぁ、そう分類したところで、全くどうなるって物でもないのですけれどね(w
ティーダラティオやフィットアリアのように、元来FF2ボックスハッチバックのリアに
如何にもトランクをとって付けたかのような、急ごしらえのデザインの3ボックス車。
この類いの車というのは、ゴルフから派生したジェッタが世界初でしょうか?
いやミニの派生のライレーエルフとかの方が早い
独立したトランクを持つのにファストバック風に見せているシトロエンといえばGS。
これと対照的にハッチバックを持つのにノッチバック風に見せているのがアプローズ。
GSはファストバック“風”つか、そのもの(若しくはコーダトロンカ)だと思いますが(w
シトローエンは何故GSやCXをハッチバックにしなかったのか?
今になって見ると、少し不思議な気がします。その方が遥かに使い勝手は良かった筈ですから。
GSは登場後何年も経ってから結局ハッチバックのGSAに発展しましたが、
どうせなら最初からそうしていれば良かったのにと思います。
GSの登場時には、初代ゴルフのヒットから始まったハッチバック型の流行は未だでしたけど
それ以前にもテールゲート付きの車なら幾らでも有ったのですから。
http://www.delest.nl/media/img/DCP_6054.JPG http://www.delest.nl/media/img/DCP_9396.JPG 上はトランク独立型のGS、下はテールゲート付き(ハッチバック)のGSA
外見は大して変っていないようですが、ハッチバック化に際してはモノコックの隔壁(補強)が
一箇所減るので、ボディー剛性確保の為に構造は結構違っているという話も聞いた事が有ります。
2BOX型ベースで3BOX型の派生車種を作るという手法は多く見られますけど、
こうしたトランク独立型をベースにハッチバック型を仕立てた車ってのは意外に少なく
他ですぐに思いつくのはトヨタの初代セリカ・リフトバック。
こちらはシトローエンGSとは逆に見た目の変化は大きいのですが、特に補強を加える事無しに
ハッチバック化した為に、元々不足気味だったモノコック剛性は更に低下したとか。
私事ですが。昔、この初代セリカLBの中古に乗っていた知人がいたので
何度か運転させて貰った事が有りました。
かなり強いアンダーステアで、カーブでテールスライドの姿勢に持ち込もうとしても、
肝心のフロントのグリップがすっぽ抜けて更なる“ドアンダー”になるという車だった記憶が有ります。
こちらも初心者でしたので「素人には乗りこなせない種類の車なのか」とその時は考えましたが、
今になって思えば単にフニャフニャなだけだったのかも(w
この初代トヨタ・セリカのリフトバック(LB)
当時流行していたフォード・マスタングのダックテールスタイルを模す為に作られたと思われ、
荷室容量の拡大とか使い勝手の向上はオマケのような物だったのではないでしょうか。
見た目よりも実質を重視したハッチバック型としては、もう少し後にトヨタから出た
カローラ/スプリンターLBの方を挙げるべきでしょう。
こちらはヒンジも外付けにする等して荷室の使い勝手に配慮しつつも、フロントエンドは
先に登場していたクーペ版と共通させる事により、商用バンとの差別化を図っていたようです。
この車は恐らく、MG-B/GTと同じ発想から作られた物と考えられます。
つまりはスポーツカーをベースとしたレジャー向き多目的車。シューティングワゴンの発想。
しかし当時(70年代)の日本には未だこの手の車を受け入れる市場は無く「バンみたい」で終わり。
企画の真意は消費者に充分に伝わらなかったようでした。
3BOX型信仰の強かった頃には、荷室と客室とが一体化する車はワゴンもハッチバック型も皆
「商用バンみたい」と一括りにされていたようでしたし、ハッチバックではなくとも2BOX車は
「軽自動車のよう」と思われていたようです。
そんな中でもホンダの初代シビックなんかは結構なヒット作になったようですが、
現代のフィットのようにカローラの牙城を脅かすには至らなかったのもまた事実でした。
当時のホンダの販売体制と共に、やはり2BOX型への偏見が存在したのだと思えます。
こうした3BOX型セダン一辺倒の傾向に変化が現れたのって何時ごろからでしょうか?
恐らく初代レガシィのヒットでワゴン型が見直された頃からではないかと思うのですが。
その背景には、小型車にも客室部分の小さなシルエットを与えて「高級車のようでしょう?」って
やらかした4ドアハードトップ型の流行が行き過ぎた反動という側面も有ったと思います。
セリカリフトバックのように、元来トランク独立型2ドアクーペを3ドアハッチバックに
仕立てた車は、確かに少なくなりました。
それというのも、ベースとなるトランク独立型2ドアクーペが激減したからでしょう。
少なくとも90年代までは存在しましたから。
ルキノを3ドアハッチバックに仕立てたルキノハッチや、シルビアを3ドアハッチバックに
仕立てた180SXなどがそうです。
ただし、これらの3ドアハッチバックは最初から予定されていたと考えるべきで、様々な
理由により、2ドアクーペの発売から数カ月〜数年後に発売されたのでしょう。
セリカリフトバックも最初から予定されていたことは、EX-1やSV-1を見れば明らかです。
開発当初は予定になかったにもかかわらず、モデルライフの途中で3ドアハッチバックを
仕立てた数少ない例として318tiコンパクトがあります。しかしこれは3シリーズクーペ
がベースというよりは、3シリーズツーリングがベースと考えるべきかも知れません。
そうなると他に思いつく例は1800ESぐらいでしょうか。P1800の発売当初に予定されて
なかったことは、まず間違いないですから。
ところでS600クーペですが、やはりMG-B/GTと同じ発想から作られたのでしょうか。
S600クーペは、着想としてはそうでしょうね。
最初は、フェアレディSP初期形と同じようにリアに横向きシートを入れた3人乗りを想定して
あのような高めの屋根になったわけですから。
でも、「ビジネスクーペ」としての売り込み方は、さすがに無理がありすぎたな、と思います。
40年経っても、我が日本では
いまだに外回りの営業と言えば、プロボックス&ADバンのようなライトバンか、
白の無難なセダンかハッチバック。華がないなあw
オープンのノーマルなS600に比べて、耐候性や安全性、荷物の収容力では勝っていたと思いますから、
2人旅行用のクルマとしてはなかなかいいクルマであったんではと思いますが、
レースではハードトップ付けたオープン型S600が幅を利かせてましたし、
一般人向けにはスポーツカーなんてそんなに売れるもんじゃなかった。
MG-Bのクーペに比べると、後部のルーフ処理がアレですが、
それでもエスロククーペ、好ましいクルマであるなあ、と感じます。
まぁ、メーカー内部の事となると私等には想像する以外に無いところもあるのですけど。
そりゃそうと・・
>>318 車名だけでなく、メーカー名も書かないと訳が判らないという人も出て来るかと(w
ちなみにGoogleにて、S600クーペ の検索結果 約 59,600 件
ホンダS600クーペ の検索結果 約 942 件
メルセデスS600クーペ の検索結果 約 222,000 件(何故かS600クーペでだけの時より増えている)
このスレでは当然のように少数派の方だっつうのもナンだな・・(w
ボルボのP1800なんて車も今や知っている人は少ないでしょう。何故か私には変に身近な車ですが。
アレをベースにしたエステート版のESは結構売れたのでしょうかね?
その後もボルボは3ドアハッチバックなのかワゴンなのか、それともクーペなのか?っつう微妙な車を
小型前輪駆動車に用意して案外好評だったようでしたが、何故か日本には入って来なかった様子。
http://www.hjscholing.com/Volvo%20480%20ES/slides/1-voorkantlinks.jpg 日本ではボルボと言えば無愛想な箱型で安全性だけが取り得のように思われていた時期。
こういう車も入っていたなら・・売れなかったでしょうね・・多分。
それこそ3BOX信仰の厚かった時代でしたから。
この手のワゴン(シューティング・ブレークみたいなの)
フェアレディZみたいなハッチバック付きクーペとの境い目など、考え出すとキリが無いのですが
とにかくスポーティーなイメージが有るって所が肝でしょう。所帯染みてしまえば商用バン(w
と、そう考えると
>>300でエロスパ氏が
>ワゴン・ジャルディネッタは本来セダン・ベルリナより裕福感のあるものですが
>今日帰宅時見かけたカローラのフィルダー、あれとかだうしてもボンバンにしか見へません
と、感じられた理由ってのも見えて来る気がします。
ベース車にスポーティーなイメージとか高級感が有れば、それのワゴン版は更に高級に見え
ベース車が所帯染みていると、ワゴン版は商用バンに見えてしまうという事でしょうか。
>>320 このボルボのクーペ(?)は中古車屋で見た記憶が・・・並行だったのでしょうか?
国産車には飽き足りないものの、ドイツ車は好みではなく、ラテン車には不安を持つ層が、
FRボルボに流れた時期があったように思います。個人的には、医者や大学教授など知性的な
イメージがあります。
お歳を召されたそんな方々相手に「まさに走る棺桶ですね」などと無礼この上ない発言を
してたのは懐かしい想い出ですwww
>>320 > 車名だけでなく、メーカー名も書かないと訳が判らないという人も出て来るかと(w
確かに車名だけでなくメーカー名も書かないと通じないことがあります。
また、以前は車名だけ書いても通じたのに今はそうでない場合もあるので、なおさら
注意が必要です。
例えば、少し前まで206GTと書けばそれはディーノを意味しましたが、今はプジョー
にも同名の車が存在します。
シエロと書けばスプリンターシエロのことでしたが、今は207シエロもあります。
レーシングカーの908も、今後はポルシェとプジョーを区別して書くべきでしょう。
なぜかプジョーばかり多いような気もしますが…。それはともかくプジョーと言えば
近年、車名が4桁数字の1007や4007などを発売しています。
中にゼロが入る3桁数字をすべて商標登録していたプジョーのことですから、今度は
中にダブルゼロが入る4桁数字をすべて商標登録するのでしょうか。
> こういう車も入っていたなら・・売れなかったでしょうね・・多分。
480は帝人が短期間ながら販売しましたが何台売れたのでしょう…。それはともかく
3ドアハッチバックなのかワゴンなのか、それともクーペなのかという微妙な車。
この類いの車には確かな需要があるのか、これまで様々なメーカーが発売しています。
例えばエリート、エクサキャノピー、Z3クーペ、スマートロードスタークーペ等々。
これらの車に共通していることは、いずれも一代限りでモデルチェンジせずに消えて
しまったということです。
スポーティーでカッコ良くて利便性まで兼ね備えた車だというのに、どうして後継車
が出なかったのが不思議です。
そう言えばボルボは昨年、480の再来とも言うべきC30を発表しました。
C30はとても魅力的な車だと思いますが、果たしてどうなるでしょう。
>>322なんつう事を・・(w
お医者さんや大学教授などには案外変態さんが多いとか聞きますので、実はボルボ等よりも
変態さん御用達・二大メーカーの方が多かったりするかも・・(w
昨日のボルボのクーペ・ワゴン(思いつきの造語)以前旅行先で撮った写真ですが、
こちらの方が形状が判り易いかと。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/2d14.jpg?bcXK8hGBZAYHbJYG >>323 輸入もされていたのですか。それは全く知りませんでした。
フェアレディZとかセリカLBもこの“クーペ・ワゴン”路線と思えば全てが一代限りとも言えないかと。
大体が、何処から何処までをこの路線に入れるのか?非常に微妙な話ですので
最近の車でも、例えばシトローエンC4クーペはこの路線の車なのか?
クサラ・クーペの後継と考えて良いのか?とか、キリがなくなりそうです。
ちょっとついでに。実は例のボルボについては良く知りませんので
ボルボに詳しい方がいらしたらいろいろと教えて頂きたいのですが。
この頃迄のボルボの小型前輪駆動モデルっていうのは自身が70年代に傘下に収めた
オランダのDAF車の流れを汲む物と聞いた事が有ります。
DAFってメーカーは、ベルト式CVTを世界で初めて実用化した事で有名な会社ですが、
現代のボルボにはCVT車は無かったと思います。
この車の写真を撮った時にはそんな事は全く知らなかったので、
室内まで覗き込むような真似はしませんでしたから、この車のトランスミッションの機構も全く不明。
ボルボ社は何時頃、どんな理由からCVTを止めてしまったのでしょう?
DAFって車には、シフトレバーに前進と後退の二つしかポジションが無かったとか(本当か?)
クリープの無いCVT。坂道の全く無いオランダならば、理屈の上ではそれで済むのかも。
↑ あ、レス番ずれてた。大変失礼。
いつもの事ながら「早く寝ないと」なんて思いながらやるような事じゃないなぁ・・(言い訳 w)
>>323 キャノピーなエクサは2代目ですね。
中途半端な位置付けのクーペに付加価値をつけてはみたものの、キャノピーの置き場所に困って
結局つけっぱなしの車が多く、せっかくのメリットを生かせずに、セールス失敗という図式。
フィアット一族の112、124、126、127、128、130、131、145、146、147、155、156
あたりは、しばらく被ることはなさそうですねwww
アルファ・ロメオ159はメーカー自らが被らせてしまいましたけどね・・。
こういう、メーカー名と車名と両方書いてもそれだけでは判らないってのが一番面倒です。
まぁ、シトローエンC4と書いて1920年代の1.5リッター級4気筒車を先に思い出す人もいないでしょうが、
トヨタ・カローラとかクラウンなんかは一体今のが何代目なのかも判りませんし、
「ナントカ型のアレ」とか言われても、そのメーカーのマニアでもなければ訳が判らないでしょう。
そう思えばプジョーのモデル名ってのは上手く考えたモノだと思います。
やたらに他と被ってしまうのは問題ですけど。
・・それにしても、確かに908ってのはどんなものか?って思います。
205の上級版に309なんて名前使ってしまったのも、後で後悔する事になりそうですが。
・・案外とプジョー自身はモデルネームにこだわりは薄いのかも?
そう思うとやっぱりポルシェ901を911に変えさせたのはプジョーの抗議であるというのは俗説でしか
ないのでは?(と、また何年も前の話を・・。我ながらいい加減にしつこい・・)
ところでプジョー309と言えば、あれの3ドア版なども(少し強引ですけど)見ようによっては
205ベースのクーペ型ワゴンと見えなくもないところ。
あの当時のプジョーには300番台が品揃えされていなかったので、405との間を埋める意味で
ああいう名前にし、デザインも一からやり直して独立したモデル扱いにした結果生まれた車でしょうが、
世間での評判とは別に、私は意外にあの車のデザインが好きだったりします。
ワゴン型に対する抵抗みたいな物が無くなりつつある今、意外とこの手のクーペみたいなワゴンって
有望な市場ではないでしょうか?それともやはり日本では難しいのでしょうか?
こうした車だからこそ、鮮やかな色を選ばないと。それこそ所帯染みた商用バン(w
328 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/04/04(水) 02:37:40 ID:CX+jE2p80
↑ 何故におっちゃん口調?(w
ベルト式CVTの発明者は確かにオランダ人のヴァン・ドゥーネ(個人名)さんの筈。
そのヴァン・ドゥーネさんがかつて在籍していたのが、先日触れたオランダの自動車会社DAFで、
50年代末から彼が考案したベルト式CVTを採用した小型車を生産していました。
しかし、この時点では普通のラバー製Vベルトを使用していたので扱えるトルクに限度が有り
(平坦なオランダ、非力なDAF車だから問題無かったのでしょうか)
そこで更なる研究・開発の為にDAF社を辞したヴァン・ドゥーネさんが立ち上げたのが
そのリンク先で触れられている、今はボッシュ傘下のヴァン・ドゥーネ トランスミッション(VDT社)。
ですからリンク先に書かれている
「無段変速機(CVT)用プッシュベルトの歴史は1971年のバンドーネ トランスミッション(VDT社)の
設立と共に始まりました」という記述も決して間違いではありません。
ところで、オランダの自動車会社というと、このDAFの他には1920年代に一旦消滅したものの、
最近名前を復活させてアウディ製エンジンを用いた高価なGTを生産し、
昨年からはミッドランドチームを買収する形でF-1にも参加しているスパイカーが知られる程度。
このスパイカーという車、かつて世界初のガソリン4WD車を作った事で有名なのですが、
他はこれといった印象が無いので“今更そんな名前を復活させる事もあるのか?”とも思いますが
オランダ人にとってはやはりそれなりに懐かしい名前なのでしょうか?
余談ですが(まぁ、全て余談みたいな物ですけど w)
オランダ人程、覚え難く言い難い名前の人が多い国民も他に無いと思います。
その為か、この国の企業や団体名ってアルファベット3文字程度に略された物が矢鱈に多いようです。
やはり、自分達でも覚え難く言い難いのでしょうね(w
>>327 > アルファ・ロメオ159はメーカー自らが被らせてしまいましたけどね・・。
156の後継車ですから本来なら157となるべきでした。メーカー自ら往年のGPカー
の栄光にあやかって敢えて159にしたと公表しています。
これと対照的に、BMWが過去の車名と重複させるべきか否かで困惑しているという
噂があります。
現在、1シリーズのトップモデルは130iですが、さらに335iの直6ツインターボを
搭載した高性能モデルを追加する計画があり、どうやらそれはMモデルとして出す
ようです。しかしそうなると車名はM1となり、いくら何でもあのミドシップカーと
同じ車名ではイメージが違い過ぎるというわけです。
M5やM6は当初、M535i、M635CSiという車名でしたから、あるいは1シリーズの
Mモデルの車名はM135iで出すというのはどうでしょう。
>>327 > ・・それにしても、確かに908ってのはどんなものか?って思います。
プジョーはレーシングカーの車名は900番台と決めているようですし、すでに905
があるので、車名の候補として906、907、908、909があったと思われます。
この中から末尾が8の908を選んだ理由は、ルマン優勝を目指す上でアウディR8の
活躍にあやかって縁起の良い数字だから、ということかも知れません。
それはともかく、確かにプジョーの車名は上手く考えられています。
けれどもプジョーが今後も、中にゼロが入る3桁数字を続けていくと気掛かりなこと
があります。
現在は107、207、307、407、607、807と末尾に7が付いています。これらの車
がモデルチェンジすれば末尾の数字が8になり、その次は9になるはずです。
では、末尾が9の次はどうなるのでしょうか。
例えば209の次を考えた場合、9の次は10だからと210にしてしまうと、中にゼロが
入るという伝統が崩れます。
あるいは9の次は1に戻る、つまり209の次は201に戻る可能性も考えられます。
いったいどうなるのか興味津々です。尤も、まだ随分先のことなので今から案じる
のは早過ぎる気もしますが。
そう言えばポルシェは、1000番を目前にして数字の車名をやめてしまいました。
カイエンもケイマンも従来の伝統に従う車名で出ていれば、恐らく1000番台の数字
になったはずです。
ポルシェの車名は911以降、9で始まる3桁数字というイメージが定着しています。
それゆえ、1000番台の車名ではポルシェのイメージにそぐわないだろうと判断して
数字の車名をやめたのでしょうか。
>>330 「どうでしょう」って言われても・・(w
>往年のGPカー の栄光にあやかって敢えて159にしたと〜
本当でしょうかねぇ・・?なんだか詭弁みたいな気もしませんか?
だって、それなら“158”にする方が自然だって思いません?
ところで、先日から何度も“所帯染みた商用バン”という言い方をしましたが、
以前も書いた事が有りますけど私は商用車が嫌いな訳ではありません。
商用車は生活臭があるところも面白さの内だと思います。
少し前迄は何処のメーカーも大小さまざまな乗用車ベースの、所謂ライトバンを用意していましたが
ふと気付くと最近はすっかりその手の車は少なくなったみたいに見えます。
例えばトヨタを例にとるならば、以前はカローラ・コロナ・マークU・クラウン等に商用の4ナンバー車が
揃っていましたけれど、今ではそうした需要は全て専用のプロボックスに集約されたようで、
カローラ・フィルダーやカルディナの4ナンバー車は姿を消したようです。
これ、恐らく生産効率面からの要求も有るのでしょうが、それ以上に乗用ワゴン車のイメージを
守る為という意味合いが強いのでしょう。
また、ああいう小型の貨客兼用車を必要とする個人経営の小規模商店とか零細企業の多くが
大手チェーン店の発展に伴い少なくなった事とも無縁ではないのかも知れません。
そうして生まれた商用バン専用車種(5ナンバーも有りますけど)プロボックスみたいな車、
先日
>>319さんも書かれてましたが確かにどうにも華が無いと思います。
車の外見はそれを使う人だけの物ではなく、街の景色の一部でもあるのですから、
もうちょっとどうにかして欲しいところ。
少し前に有った、ニッサン・エスカルゴなんかは一部からは「わざとらしい」なんて言われたようですが
結構良い所を突いていたと思うのですけどね。
でも、今はあのサイズの貨物車自体に需要が無いのでしょう。あれに荷物積んで走り回るよりも
宅配業者を使う方が殆どの場合は安上がりなようですから。
>>331 確かにプジョーのモデル名は、最新の207が208,209とモデルチェンジした後どうなるのか?
少々興味は有ります。
でもねぇ・・今ちょっと思ったのですが、207の三つ前のモデル204が出たのは1965年。
43年も前の事。
最近は少しモデルチェンジのサイクルが以前よりも短くなっているようですが
それでもあと三回モデルチェンジするには結構な時間が掛かる事でしょう。
それまで、私自身が生きていられるのか?そっちの方が余程問題だったり・・(w
334 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/04/06(金) 00:51:54 ID:xHIMpu100
(;´Д`)をスレ題に使うこと自体 キモヲタ決定。
IDがアテーサ
プジョー、実は16進表記で209の次は20A、というジョークもありました。
>>332 > ふと気付くと最近はすっかりその手の車は少なくなったみたいに見えます。
近年では、商用バンの車種を減らすどころか、開発そのものまで他社に任せてOEM車
で済ましているメーカーが増えています。
例えばファミリアバンとは名ばかりで、その実体はADですし、ランサーカーゴの次期
モデルもADになるようです。
現代は転職が当たり前の時代です。仮に国内のすべての商用バンがADとそのOEM車に
なったとしても、どこの会社でも同じ車を使えるというのは運転感覚や操作性が同じ
という点で、頻繁に転職を繰り返す人にとってむしろ好都合では?
>>333 > それまで、私自身が生きていられるのか?そっちの方が余程問題だったり・・(w
意外に早く“その時”はやって来るかも知れません。
CG誌07年5月号でF.サンジュールCEOにインタビューした記事によると、今年の後半
に308が出るようです。
308にもGTグレードが設定されると、例によってフェラーリと同じ車名に…、という
話はさておき、308の次のモデルチェンジが“その時”だと思うのです。
なぜなら、308の次は順当に考えれば309になるのですが、
>>327にも書かれている
ように309はすでに出ています。
ということは、プジョーは309ではなく別の車名で出す可能性があり、つまり9の次が
どうなるか明らかになるのでは?
ポルシェが3桁数字の車名をやめたように、プジョーもあっさりとやめてしまうことも
案外、あり得るかも知れません。
あと数年待てばやって来る“その時”が、今から待ち遠しいです。
>>337 トヨタT型は良く知りませんが、ダブル・アンダーヘッド・カムシャフト(w)っつう形式は
戦前のイギリス車ライレーにも有りましたし、更に昔のサイドバルブ(SV)カウンターフローの
所謂Tヘッドのエンジンにも幾つか存在する筈。
(戦後の日本車はワカランけど戦前のライレーなら知っているキモヲタ w)
>>336 それは如何にも有りそうな気がしますね(w
「何を今更」って思われそうな話ですけど。
“プジョーのモデル名は最初の一桁が大体の大きさを示し、0を挟んで最後の一桁が
その大きさの車の何代目なのかを示している”と書かれる事が有りますが、
この言い方はちょっと誤解を与えると思うのです。
頭が1で始まる最小クラスは01〜03までが欠番でいきなり04から始まり、6は02〜03が欠番。
このように結構抜けている車名があるので“何代目”という言い方は正確とは言えないでしょう。
あえて正しい捉え方を考えるのならば下一桁の数字は“世代を示す数字”と言うべきかと思います。
で、私がこの命名方法が上手いと思うのもこの辺に理由が有ります。
世代が判れば時代も大体判りますので、車名からイメージが掴み易いのです。
つまり01シリーズと言えば20年代ヴィンテッジ期の簡潔なデザインの車であり
02なら流線形。戦後3BOXの03シリーズ。ピニンファリーナとの関係を深め端正なデザインの04と05
(403からファリーナスタイルでしたが)306や406クーペにその名残りを残しつつ、
よりインパクトの有る格好を目指した06と07という具合。
欧州車のデザインに於ける流行の変遷を追い、或る車の位置付けを考える時、
どのプジョー車と同時代に作られタ車なのか、大きさは頭がどの位の数字のプジョー車に近いのか
そう追っていくと整理がつき易い。
つまりプジョー車のモデル名は一種の標準としても便利に思えるのです。
ところで
>>338 “その時”って、私が墓に入る時の事かと一瞬思いました(w
プジョーにとっての基幹車種って、2と4だと思うのです。
3で始まるクラスは2の拡大版(304とか)4の縮小版(302がそうでしょう)だったりという事も
結構多いようです。
ですから、308の次は華麗にスルーされる可能性も考えられるのではないでしょうか?
つか、そうやって誤魔化されそうな気がします(w
あ、今更気付いた。
>>339の二行目はSVクロスフローの間違いです。
カウンターフローならLヘッドでした。
この辺の用語って今では死語になっているのも多いでしょう。
1/4楕円リーフとかトルクチューブとか、トラックに興味が無ければ知る事もないのかも。
プジョー車のウォームのトルクチューブ・ドライブなんて、
車板に来る人の中にも知らないって人の方が多いのでしょうね。
>>339 ツインカムOHVは、パーシー・ライレーの変わったアイデアでしたね。
1920年代の名車「ナイン」が最初で、以後ライレーの伝統に。
1936年にR.H.ローズが新型4気筒を開発した際にも、パーシーのツインカムOHVを踏襲。
ローズはリー・フランシスに移籍して、更にこれをコピーしたようなエンジンを設計してます。
このユニークなライレーエンジンも、戦後のオースチンとナッフィールドの大合同によって
凡庸さの極致のようなBMCのB・C系に置き換えられてしまうわけですが・・・・
>>341 今の普通の人が判断するとしても「後輪駆動のリジッドアクスル」というだけで、
オチキス・ドライブとトルクチューブ・ドライブの区別は付かないでしょうね。
ぷぢょさんのトルクチューブ、今のぷぢょさんに乗る人は尻ますまひが
昔の505は素晴らしく良かった。うちの75のド・ディオン、
あれもリアサスの支点となる三角の頂点がリアシート前縁付近にあり
長周期の穏やかな動きをして非常に宜しひのですが、ぷぢょ505はもっと良かった。
そりゃさうでさすがミッション以後が一式ゆったりと動くトルクチューブ式の、
と思っておりましたらぢつは4独。w ぁらぁら。
>>332 私はプロボックスのデザインは大好きですがねぇ。
目的に合致した合理的なデザインは、現在の国産車の中でピカイチだと思っています。
乗用車デザインを安易に使い回しした所謂ライトバンは、ベースになった乗用車に比して
格下感・安物感を拭いきれませんが、専用車は清々しい潔さすら感じます。
後席に乗る人の不快感さえ考慮しなければ、ヘビーデューティに使えるフラットな荷室は、
キャンプ道具、ギターアンプなどの運搬には心強いものですし。
昨日は一体、最初は何を書くつもりで書き始めたのか?全く思い出せないので、また商用車の話。
セダンデリバリーという呼び方がアメリカで何時頃から一般的になったのかを特定出来ないのですが
“セダン”という呼び方自体、自動車に初めて用いられたのは1910年頃のこと。
ヘンリー・フォードさんが自分用に試作させた車に使ったのが初めと言われているようです。
その前後まではこの手のパネルバンはデリバリーバンと呼ばれていたようですが、
恐らくは乗用車と同じ乗り心地であることを示唆する為にセダンという名称を用いたのでしょう。
バンという呼び方は辞書で見ると「有蓋貨物車」と出ていますが、幌を張った大型の馬車も
かつてはこのように呼ばれていたようですので(キャラバンの略語から)
完全に貨物車に限る言葉という事もないようです。
その意味では車板で延々と続いている「ミニバン?あぁ貨物の事ね」っつうスレのタイトルは
ちょっと違うのかも知れません。
もっとも昔の何もかも手探りだった頃には現代よりも余程多くのボディーバリエーションが存在し、
各地域の交流も少なかった事からそれらの呼称にも全く統一性が無かったようなので、
参考にする資料次第で全く別な見方が生まれる事も有り得るのでしょうが。
ところで。日本でパネルバン(セダンデリバリー型)が流行らないのは「何かの時に後席も使うかも?」
みたいな考えからなのでしょうか。
昔は商売に使う車を休日にもつかいたいという個人商店主とか零細企業経営者も多かったようですが
昨今はチェーン店化の進行に伴い、こうした需要が少なくなった事からか、乗用車的な外見の
ライトバンは幾分減ってきているような気がします。
それでも完全になくなるという事は無いでしょう。都内だけ見ても、何箇所かはタクシーの“行灯”すら
引っ掛かって通れないような低いトンネルが残っているのですから。
>>349 シヴォレーのはうで、気になるのはぢつはクルマよりそのクルマに書かれた
”アンホイザー・ブッシュ イースト”
”バドワイザー・バーレイ・モルト・シロップ”のはう。w
みゅ、ビヰル屋がイースト金売ってたのでせうか? 背景もベッカライwパン屋だし。
で、その麦芽汁、麦モルト・シロップつなだういふ物件なのでせうか?
ビヰルの元? パン製造に使ふ添加剤w?
パンとビヰルの関係に踏み込むと股大脱線・転覆するなぁ。w
だうもクルマよか食ひ物で頭いっぱいの昨今。w
モルトシロップは洋菓子やパン作りには一般的に使われる材料です。
昔のカラーイラストの広告は味が有って良いですね
・・ふむ・・モルトシロップねぇ・・。早い話が麦芽糖=水飴みたいなものでしょうか?
イラスト入りの広告、以前幾つかヤフーのフォトケースに手持ちの絵葉書などスキャンしたのを
上げた事が有りました。
http://photos.yahoo.co.jp/la_croisiere_noire 殆どは欧州車物でしたけど。
アメリカ風とヨーロッパ風では結構作風に違いが有るようですが、アメリカ物、特に50〜60年代物なら
片岡義男さんの著作で「赤いボディ、黒い屋根に2ドア」っつう本が出ています。
もっとも如何にも“文化人”の手による著という感じで文章の方は文化論が中心。
くるまオタク的な観点を期待するとちょっと肩透かしかも知れません。
もっとも60年代迄のアメリカ車の場合、デザインは奔放であっても中身の方は保守的であり
また購買層の方も馬力とか快適装備に比べて機構そのものには関心は薄かったのか、
あんまり機構解説を中心にした広告は見られないようです。
従ってこの時代の広告に付ける文章が文化論中心の解説になるのも無理はないところなのかも。
こうしたアメリカ車の広告について、良く言われるのが
“広告絵の主人公は周囲に描かれた人物達であり、決して車ではない”という言葉。
>>349のセダンデリバリーの場合、車の性格上それも無理はないかも知れませんが
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/8d19.jpg?bcV_kkGBB35pwxTv この広告でも、描かれた人達は車の方に夢中という具合には見えません。
車そのものの楽しさを宣伝させるのではなく、その車が生活を楽しくするというイメージを宣伝する。
こうした行き方が成功した事から“アメリカ人は車は好きでも運転は好きでは無い”という人がいます。
彼等が好むのは車の有る生活であって車の運転では無いという理屈なのでしょう。
このスレではあまり人気が無いと思われるアメリカ車の話が続き申し訳無いのですが、
アメリカの大衆車。特に50年代迄のシヴォレーの広告に顕著に見られるのが、
本来広告の主人公である筈の自動車の前に人物が描かれて、車の全容が見られないというもの。
それもその筈で、宣伝したいのは車のそのものよりも「この車買って幸福になれた家族」という
イメージなのでしょうから。
高級・高価格のキャディラック等になるとさすがにそういうのは少ないようです。
車そのものに憧れて貰わないことには買って貰う意味が薄いのでしょう。
現代の日本のファミリーカーの宣伝が、丁度このパターンの中に有るように思います。
TVのCMを見ていればすぐに気付く事ですが、車の走る姿が最初か最後の数秒しかなく
著名なタレントさんの人気にあやかる事だけで済ます物が多いように見えます。
その車にどのような特徴が有るのか?という説明が全く無い物も少なからず有り、
車に興味の無い人には車名が記憶に残らない事も無理は無いでしょう。
“カローラ・フィルダー”という車は知らなくても“キムタクの宣伝している車”と言えば大体の人が
“あぁ、そんなCM有ったね”となるという具合。
こうした現代のミニバンや大衆車の宣伝を見ていると、
こうした車の購買層はアメリカ人と同様に自動車への興味を失っているかとも思えます。
やはり多数派はアメリカに追随するのがこの国の傾向なのでしょう。
その一方で欧州車の宣伝は常に車が中心であるように見えます。
先日ちょっと話題になったBMWとカラスのCMでも、車の走行シーンがCM中に占める割合は別にして
そこで語られているのは飽くまでBMW車のハンドリングであるという具合。
こうした両派が同一の路上に共存しないといけないこの国っの事情っつうのも
結構難儀なものではあります。
イタリアの車CMもなかなか凄いものがありますぜ。
おねーちゃんの裸しか印象に残らないとか。
ミシュランが食い気ならウチは色気で!くらいの勢いで決めたのかも。
次はブリヂストンの「世界のお布団」カレンダーかな。
何故にお布団??良く判りませんが、あんまり面白い絵柄にはなりそうにないですねぇ・・。
もしもオカモトがミシュランと提携していなかったら、きっと・・(w
イタリア車はピレリ。フランス車ならミシュラン。ドイツ車はコンチネンタルが似合うというか、
そういう組み合わせが通っぽいみたいな雰囲気が有りますが、国産はBSという具合には
あんまりならないような気がします。
BS自身、特定の国産メーカーと結び付けられて見られるのは得策ではないと考えているのか
CMには直営の“タイヤ館”(かんと書いて変換しようとすると、最初に姦という字が出る w)
やら“コクピット”の物も含めて輸入車を用いていますし。
BSの創始者(なのかな?)は38年型のプジョー202を新車の時から長く愛用されていた事で知られ
中々の趣味人でもあったようです。202と言えばその数字で判るようにコンパクトな大衆車。
フランス車好きだったのか否かは知りませんけど、402でも601でもなく202であったというのが
ちょっと渋いところ。
この車の最大の特徴だったグリルの中に入れられたヘッドライトは当時の日本の無粋な法律で
普通の位置=フェンダー前に写された為にやや前から見たところは凡庸に見えますが
石橋さんがもっとも好きだったのは、あの車の後姿だったのだとか。
そうした趣味がBSの企業カラーに今も残って・・ないかな??
実は私も歴代のプジョーの中で最も好きなのは30年代の02シリーズであります。
流線形を追いかけながらも、同時代のアメリカ車とは明らかに違う雰囲気を感じます。
この02シリーズ、先に触れたようにヘッドライト位置が変っているので写真もそこを捉えた物が多く、
石橋さんが絶賛して止まなかった後姿の写真は少ないのはちょっと不満なところ。
何しろ、かつてはプリンスを系列に擁していたブリヂストンですからね。
でも、石橋正二郎さん自身は必ずしもフランス車党という訳でもなく、
でっかいアメリカ車がお好きだったというのは、プリンスに関する文献でよく知られるところですね。
2代目グロリアのちょっとオーバーデコレーションなところなんかも、石橋さんの意向によるものです。
(あれでも石橋さんは不満だったそうですけど)
ちなみに石橋さんの202のエンジンを元にして産まれたのが、
富士精密のプリンス用1500ccエンジン。
プジョー202はその3年程前に登場した402のデザイン(6light)を4ライトにしたうえで
忠実に縮小した物ですが、この時代の流線形型量産車の中でもかなり思い切った形だと思います。
この系統のオリジナルデザインと言える402は35年の登場から41年末に大戦による生産中断迄に
約8万台余りが生産されたと言いますから、この時代の車としては高価格であった事(2リッター級)
を考慮すればかなりの数が作られたと言って良いとか。
ただし、同時代の直接の競合車種と考えられる、シトローエン・トラクション・アヴァンの場合、
大戦終結後もまた生産された事もあって1934〜55年(!)の間に75万台の多くが作られていますが。
(戦前のみ存在した1.6リッターの7CVや2.8リッターの15CVも含む数字)
そんな事からか、402はトラクション・アヴァンに比べると実物を見る機会には恵まれません。
トラクション・アヴァンなら現代でも日本の路上で見掛ける事すら有りますが(本当 w)
402はフランスの国立自動車博物館で見たのみ。
日本のトヨタ博物館にも402が収蔵されていますが、普段は見学コース上には展示されていません。
此処の場合は、自動車の歴史を理解して貰うと言う名分があるので、
限られたスペースを効率良く使う為には同時代の似たような大きさの車を複数並べる事に
配慮が働いているのだと察せられます。
つまり、トラクションアヴァンに場所を取られてしまっているという事なのでしょう。
それも無理は無い話で、トラクション・アヴァンは大量生産の車としては
世界初のモノコック一体構造+前輪駆動という技術的な特徴を持っているのに対し、
(それこそが戦後も生産する事が出来た理由なのでしょうが)
402の場合はセパレートフレーム付きの後輪駆動車と、中身の方は意外に地味。
良く見ればそのフレームも広く浅い角型断面鋼材を二本並べたような独特なものだったり、
後輪はプジョーの伝統通りにウォームのトルクチューブだったりと結構面白いのですけれど、
“どちらか一台”となればシトローエンの方になってしまうのも仕方ないところ。
普段は見られない収蔵車を見せる機会もトヨタ博物館では設けているようですが、日程は限られ
一般の目には中々触れないでいるのは真に残念な事だと思います。
生産型の402は一年早く登場したクライスラー/デ・ソートの“エアフロー”
との近似性を良く言われますが、やはりクライスラーはアメリカ車であり、プジョーはフランス車。
それぞれから受ける印象は意外なほど異なります。
http://www.hollywoodpicturecars.com/cars/prewar/8560-35DeSotoAirflowSedan.jpg http://www.geocities.com/peugeot302/Peugeot402berline.jpg 以前に「アメリカ車を見るとアメリカ的な物を感じ、欧州車を見ると欧州的なる物を感じる。
その源となる物は一体何処にあるのだろうか?」みたいなことを書きましたが、
この両者について言えば402の長く裾を引いたフェンダーラインであり、サイドステップを持たない
ボディーサイドであり、何よりもフロントエンド、グリル部分。
エアフローはそれまでの車と比較するとかなりエンジンもキャビンも前進位置に配置されている事で
知られていますが、402の場合はグリル奥に見えるヘッドライトからも伺えるように、
エンジン位置は前進していません。
この時代のプジョーの前輪懸架は横置きリーフがアッパーアームを兼ねる独立という事もあり
エンジンを前進位置に搭載するにはアメリカ式にエンジンを高く持ち上げるしかない訳ですが
それを嫌った結果がこの形状であったと思われます。
つまり重心高が高くなり操縦性に悪影響をもたらす事を嫌った結果があの形であり、
ステアリングの応答性には無頓着であったアメリカ車との差異を端的に表わす部分でしょう。
そうした事もあって、402は真上から見るとかなり細長い車になっています。
全長4.85m幅1.65m。エンジン位置を前進させる事無く、キャビンも両車軸間に収めた結果
ホイールベースは3.15mも有り、これが全長を引き伸ばした原因である事は明らか。
こうした寸法から感じられる独特な雰囲気も、402の特徴と言えるでしょう。
そして、ややコンパクトな「302」のボディに大型の「402」エンジンを積んだ「402レジェール」の後期形になると
かなりのロングノーズになってますね。
ドライバビリティは優れていたでしょうが、何だか微妙にちぐはぐだなあ、とw
ステアリングなんざ少々ダルでも困らんでしょ、とむしろ直進性と車室の居住性を選択した
「エアフロー」流儀のアメ車とは、やはりベクトルが違ってたんでしょうね。
>>363 こんな話でレスをつけて下さる方がいらっしゃるとは思っていませんでした(w
どうも302と402レジェールとは、ボディーは同一の物だったようです。
やはりオリジナルデザインの6lightボディーを持つ402とコンパクトにまとまった202が美しく
302(402レジェール)は確かにアンバランスだと私も思います。
また、402には上に書いた寸法の標準型(ノルマル)の他にL(勿論ロングでしょう)も有り
そちらは全長が5〜5.25mにも及ぶそうです(WBも3.3mと長い)
実は私も402Lの実物は見た事も有りません。かなり細長く、アンバランスだったのでは
ないでしょうか?
↑「302と“初期の”402レジェール”は」でした。
363さんの書かれた後期型は402Bレジェールと呼ばれ、ややスタイルも改められていました。
プジョーはこの改変を高性能を強調する為に行ったそうですが、
確かにオリジナルのバランスは崩れていると思います。
(一人でバタバタしているな w)
昨日触れた“402アンドリュー”
昔の車なのに何処か未来の車でもあるような不思議な形状ではあります。
AピラーもBピラーも無い所謂“カンチレバー・ルーフ”型というのは、生産車には例が無く、
他にはやはりこの時代のフランス車ドラージュの試作車に見られる程度なのが
そう感じさせる原因の一つではないでしょうか。
モノコック型では考え難い形状ですし、鋼製のボディーではルーフの重量に他が耐えられず
経年変化でボロボロになりそうな気がします。
この時代のフランスのカロシェの技術力の高さが有って、初めて可能な形態でしょう。
プジョー402という車、生産型のエンジンは初期が1991cc後期の402Bが2142ccの4気筒OHV
出力は標準型では55HP/60HPと、この時代の標準的な物でしかなく、例えばBMW328の
戦後ブリストルの手により生産されたクロスフローの6気筒エンジンの80HPに比べても
特に大した出力を得ている訳ではありません。
しかし優れたシャシーと信頼性から、販売店の経営者の一人エミール・ダールマにより
スポーツカー化された車も有り。
これを402DS(ダールマ・スポール)と呼び、プジョー自ら認めた生産車とされています。
http://memoiresdestands.hautetfort.com/images/402.jpg レースチューンでも80HPでしかありません(車重1ton程)が、30年代終盤のルマンでは
2リッター級を制し総合でも5位に入る活躍をしたそうですから結構大したもの。
それだけ402の(シャシーは302ベース)信頼性が高かったという事でしょう。
それにしても不思議な気がするのが、この写真に限らず402DSの写真は必ずクロームの
ホイールキャップをしたままで撮られている事。(当時のルマンのレース中でもそう)
あんまりレーシング・スポーツカーらしくないと思うのですけど、
一種の空力部品とでも考えられていたのでしょうか?
アメリカ人は意外に保守的であるとは良く言われる事ですが、
それは日本人や英国人等の保守性とはやや意味が違うようであり、機構的な部分に限られるのか
スタイルとかデザインという部分に於いては新し物好きなところも有るのでしょう。
ジョン・ジャーダのスターケンバーグやウィリアム・B・スタウトのスカラブ等の試作車も
その形の方には理解者が多く現れたのに対し、リアエンジンには懐疑の目を多く向けられたというのも
そんな事の表れではないでしょうか。
1930年代の流線形の流行は世界的なものであったようですが、それについていけなかった
(或いは追随する事を拒んだ)のが英国人。
この国では小学生でも「俺が幼稚園に通っていた頃の世の中はこんなじゃなかった」と言って
眉を顰めてみせるなんていう話すら有るようで(ホントかよ?)
流線形の流行にも変に距離を置いていたようです。
そんな中でも空力の研究は行われていたようで、30年代半ばにはそうした事の成果が
車の形になって現れています。
1934年のクロスレー・バーニー・ストリームライナー
http://www.forum-auto.com/uploads/200511/gv_creations_1132165980_crossley_burney___1934.jpg スムーズなフロントエンドを実現させる為にエンジンをリアに置いたところまでは
スターケンバーグやスカラブと同様なのでしょうけれど、初期の形状では商品化はされず
このような奇怪な形での登場となった様子。
まぁ、どっちが奇怪であるかは見る人次第というところも有りますけれど、
保守的なフロントエンドで化粧し直すのではリアエンジンにした意味があんまり無いと思います。
実際にこの形状でどれ程の空力効果を得られたものだったのでしょうか?
失礼な言い方ですけど、よくこんな国からスピットファイアのような流麗な航空機が出て来たものと
不思議な気さえするのです。
むぅ、達磨ヌポーシですか、手も足も出なささうですな。w
さて、シュテルケンブルクの流線型プロト、これは非常にヤーライ流の臭ひがします。
マイバッハのツェッペリン12気筒や、飛行船繋がりで英国ビアードモア、
その大失敗飛行船の製造に関はったバーネイのストリームライン、
その縮小版的なクロスレィのナントカとかと同ぢ臭ひが。
と、ちょこっと調べ物したらこんなのが引っ掛かってきました。w
http://hobby2.2ch.net/auto/kako/1036/10361/1036121597.html ブリストルスレ、さうかぁ4年以上もこんなことばっか書ひてゐたのか、
懲りなひっつうか飽きなひつうか。w
ありゃ、モタモタ書ひてたらそのクロスレィの物件が挙げられてた。w
メル欄にage入れてる奴にろくな書き込みがない件
生産型はフロントエンジンに見せ掛けたみたいで変な物ですが
バーニー卿の流線形試作車は、金魚のように愛嬌が有り、
更に変でいいかもw
>>369-370 思う事は同じなようで(w
>>372 空気よりも遥かに抵抗の大きな水中を高速で泳ぐ魚っつうのも、
空力研究者のアイドルだったそうですが、
http://www.crossley-motors.org.uk/history/others/burney.jpg ・・こりゃ確かに金魚だね・・(w
鮫とかエイって車名は有ってもさすがにマグロとかカツオっつうのは・・(ろくな書き込みではない w)
あんまり戦前の車の事ばかり続けていると退屈に思われる人もいるでしょうから、
ちょっと戦後派(?)にも興味深いと思われる話。
先日書いたアメリカの大手ボディーメーカー、ブリッグスという会社。当時フォードの中心
ハイランドパーク工場の一角に間借りしていたそうですが(そこでクライスラーのボディーも
作っていたのでしょうかね??だとしたら凄い話 w)
30年代にナチスの要請で生産技術の学習の為、フォード工場を二度程訪れたF・ポルシェ博士は
そのついでにブリッグスにも訪れ、そこでスターケンバーグも見て行ったそうです。
ポルシェ博士の最大の傑作Kdf(後のVWビートル)のスタイル。特に後姿が
スターケンバーグを母体に生まれたリンカーン・ゼファーに似ていると言われる事は、
この頃に由来しているのかも知れません。
また、ポルシェ博士。リアエンジン(正確には後車軸直前に置かれたリアミドシップ)の
スターケンバーグのシャシーを見て
「エンジン(フォードV8)が重過ぎるのでは?」と言い残したとか。
その頃、既に数多くのリアエンジン(リアミドシップ)の経験を積んでいたポルシェさんの目には
恐らくスターケンバーグは「まるでナッチャいない」って見えたのでしょう。
この辺の話は何処で読んだのかあやふやなので、元を紹介出来ないのは残念なところ。
>>373 ブリッグスの件は確かその通りだったと思いますよ。
競合メーカーの製品も作っていた訳で、
後にフォードかクライスラーのどっちかと縁切りすることになったような覚えが・・・
↑ やはりそうでしたか。おおらかな時代だったという事なのでしょうかねぇ・・?
結局のところ、ブリッグスは後にクライスラー傘下入りしています。
ブリッグス内部で起きたストライキ騒ぎにヘンリー・フォードさんが介入しようとしたのを
ウォルター・ブリッグス社長が拒否した事から関係が悪化したのだそうです。
元々フォードとの関係はブリッグスの出資者の一人がエドセル・フォードの友人だった事から
始まっているそうですが、この為にブリッグスとヘンリー・フォードとの間に起きたゴタゴタは、
一時は息子エドセルの立場すら危うくしたのだとか。
さて。クロスレー・バーニー・ストリームライナー(生産型)は後から付け足したようなボンネットが
いささか不恰好に見えますけれど、それでも英国人達はこのような形の方が
「風に向かって雄々しく立ち聳えるフロントエンドこそ男らしくて良い」と歓迎したとか
(もう、何が何やらワカラン感性 w)
それでも既に経営危機にあったクロスレー社を救うには至らず、クロスレーはこの車を出して間も無く
倒産の憂き目にあったようです。
他人の感性を何が何やらと言っておきながらナンですけど、実は私も垂直なラジエーターと
曲線のボディーの組み合わせは結構好きだったりします。
その代表は何度も此処に挙げたブガッティT57SC“クーペ・アトランティーク”ですけど
それと同じくらいにすきなのがヴォアザンの“アエロディーヌ”
http://www.barchetta.cc/All.Ferraris/villa-d-este-gallery-voisin-c25/voisin-c25-a.html 何枚か見て行くと判るかもしれませんが、屋根はAピラー直後から大きく後方に開く為、
ルーフラインはコンパスで描いたような完全な円弧になっています。
最近のポルシェ911のタルガってのもこんなのではありませんでしたっけ?
ルーフには明り取りの小窓が幾つか有りますが、上手く開く角度を調整すれば、
この小窓がリアウィンドウに重なり後方視界を確保出来るという名案。
こんな事を考え付くのはガブリエル・ヴォアザン以外にはいないでしょう。
ヴワザン、アエロディーヌとアエロスポール・プロト。
どちらも
>>375逝ってる師の書かれた通りのルーフラインを持つ流麗な空力ボディであるます。
が、それに先立つC15・13CVのデミ・ベルリーヌは
手前のC28カブリオレ(グラハム・ペイジ3.3g直8、SC付き)などと比べても一目瞭然の箱ベルリナです。
だうも元々ガブちゃんwはヤーライ流などの流線型・空力ボディがお嫌ひだったやうなのです。
元がシコーキ屋でありながら空力を拒むとは妙でありますが、まぁ下記ラボラトワールでも
純粋なレーサーにさへもダブル・スリーヴヴァルヴを使ひ、最後までこれに固執したなど
自らが信づる理念に極めて、時に過剰に忠実であったのでせうか。そしてやるとなると
相当に練りに練って出してくるやうに思へるのですが、それが股遅きに失する、と。
しかし、このラボラトワールの、恐らく軽量化のためデフを省略し異様にトレッドの狭ひ後輪のやうに
彼にとっては極めて合目的的に全てを突き詰めたのでせう。その合理性が世間の合理性と
相容れたかだうかは、まぁ閉じた世界での合理性・整合性をひたすら追った某2社のクルマを愛好する
アテクシや逝ってる師は良く分かるものと存ぢます。w
とここまで書ひて画像貼らうと用意してたのですが、例によって画ちゃんねる使わうとしたら全くダメ。
とりあへづゲラ刷り的にこのまま書ひときます。画像無いと意味無ひんだけどなぁ。
画ちゃん、最早終はったかな。
ちなみに、真円、円弧をデザインモチーフとして使ったのは先代アウデーTTとか
焼き直しヴォロクソ・バーゲン・ビートルでせう。
要するにバウハウス系を標榜したあの一連の連中でありまして、
ヴワザンの場合はどちらかと言ふとアール・デコの匂ひを感ぢます。
ガブリエル・ヴォアザンはアール・デコの信奉者で有名ですが、このアール・デコとバウハウスって
どう違い、共通するものなのか。やり出すとそれこそ泥沼(w
あんまり細かい事は考えずに、バウハウス=“形状は機能に従う”
アール・デコ=“形状は機能を表現する”くらいに考えた方が(詳しい方からは叱られても)無難かも。
それにしても、当時バウハウスを迫害しアメリカ(シカゴ)へと追いやったドイツ人。
車の世界ではバウハウス的なる物といえば、当時はむしろドイツ車よりもリンカーン・コンティネンタル
(特にクーペ)等に見られたと思いますが。それを今になってアウディ辺りのドイツ車デザインが、
バウハウス調をやたらに標榜するのは如何なものか?(まぁ、余計なお世話だな・・w)
閑話休題。またまた閑話(w
復元製作されたヴォアザン“ラボラトワール”ですが、あれってエンジンも他のヴォアザン車から
流用した物とかなのでしょうか?
>元がシコーキ屋でありながら空力を拒む
しかし見た目だけの流線形は拒みつつも、箱型としては良好な空力特性を持っていたそうですから
やはりそこは元飛行機屋。そして更に言うならば
>>377の一番上の写真左に写るC28
"アエロスポール”こそは世界初のパントゥン形(フラッシュサイド)ボディーを纏った量産車だそうで、
やはりガブリエルさん“やる時はやる”方だったようです。
私の手許にも、何度か書いたように佐藤章三さん著の「CLASSIC-CAR1919-1940」という
大型本が有ります。これA3版で分厚く、片手で持つ事は勿論立って読む事も出来ない(w
写真と文章の2冊構成ですが、ヴォアザンの写真は左程に多くないものの、
文章の方はと言うと10ページを割いてかなり細かに説明されています。
ヴォアザンのボディー架装法は独特で、剛性重視の為にボディー全長・全幅に渡るアルミ板を
まずフレーム上に置くというものだったそうです。
この為にアルミ板を戦時中に供出させられその知名度の割りに現存数が少ないことから、
写真中心の本では大きく取り上げ難いのでしょう。
さきっちょについてる小さなプロペラは何ですかいのぉ。
対気速度計ですかねえ。それとも飛行機屋ならではのマスコットか。
>>381 昔の車の話だからと言って年寄り口調にしなくとも・・(w
あれ、以前にも書いたような気がしますが本によるとウォーターポンプの駆動力を得る為の
風車だったそうです。
もっとも、はっきりと確認された訳ではないので、複葉時代の飛行機(空冷星型エンジンも含む)
に付いていたような発電機である可能性も否定出来ないと思いますが。
このスレでは何度も登場するヴォアザンですが、ボディー外見にしても中身の方にしても
知れば知るほど興味深い車であります。
ただ“今の時代に振り返って見ると”という注釈が必要な車でもあるのでしょう。
例のラボラトワールが世界初のアルミモノコックを持つ車であった事も、C28“アエロスポール”が
世界初のフラッシュサイドボディーを持つ量産車であった事も、結局は全て
“今になって思えば”であり、その当時にはその斬新さは理解されなかったようです。
つーか、中には殆ど理解されなくても当然みたいな思いつきも多かったと思うのですよね。
380の写真(昨日書き忘れましたが96年のCG誌からのスキャン画像でした)を見ると、
エンジン部分の出っ張りで気付き難いでしょうが、この車って60年代中期以降に流行する
ウェッジシェイプを目指している事が判るでしょうか?
飛行機屋ヴォアザンの空力理論とは、当時主流だった流線形への流れとは
全く別のところから生まれていたのでしょう。
こういう車ばかり作っていたことから、ヴォアザンというメーカーは過大評価と過小評価と
どうしてもどちらかの極端になってしまうようです。
↑ぅみゅ、御明察の通り、レーサーであるますからマスコットではなく
ピトー管以前の対気速度計、でもありません、残念。w
ぢつはこれ、ウォポン駆動用なんですな。ラヂエータの上端に付くこのプロペラは
走行中の風を受けて回転する風車で、これでウォーターポンプを駆動するのです。
そして、このラジエータキャップも股興味深ひ構造になってゐるのですが
その辺、詳しくはSCG18御購入をお勧めします。
なに、全ページスキャンして貼ってもEのですが、まぁそれではニ玄社も面白くはありますまひ。
このヴヮザン・ラボラトワール復元製作の詳細写真・記事以外にも
ナルディ・ダネーゼの豆レーサーとか歴代105系ヌパイダとかブガッティ新旧とか
興味を惹く記事満載であるます。
で、
>>379 >復元製作されたヴォアザン“ラボラトワール”ですが、あれってエンジンも他のヴォアザン車から
>流用した物とかなのでしょうか?
ラボラトワール(オリヂナル、つか”4号車”までのもの)で使用されたダヴル・スリーヴ・エソジソは
その後の量産型6発のプロトでもあったさうで、ボアもストロークもピストンもコンロッドも共通だったさうです。
股、空力嫌ひと書きましたが、このラボラトワール、エソジソ以外のプロファイル(側面形状)を見ると
完全な翼断面以外の何物でも無ひことに気付きます。
更に詳細な写真を見ると、なんとFサス・スプリングのシャックル後部にまで
小さな翼(フェアリング)が付ひてゐることに驚かされます。
ありゃ、出遅れた。w
しかし、逝ってる師良く仰る通り、なんでヴヮザンとかグレゴワール・トラクタとか
パナールとかさういふ隙間のさらに隙間のやうなネタ程ここでは食ひ付きがEんでせうか?w
まぅヲタつうよか変態趣味人の巣窟でせうか?w
コメートの先端プロペラも、発電機だよん。
>>383 思うところは同じなようで・・って、計ったように3分違い・・(w
>>385 そう言えば付いてました。つう事は、ロケットだけど絶対に大気圏脱出は出来ませんね(w
ガブリエル・ヴォアザンという人は、一種無謀な性格でもあったのでしょうか。
二度の大戦の間のみという短い活動期間のメーカーであり、しかも高価格な車メーカーの常で
生産台数も左程多くも無いのに、矢鱈にモデル数は多いようです。
その無謀さの一端を示すのが、生産化計画。
最初に作られたC1というモデルは、元パナールのエンジニアの手になる
4気筒4リッター級のスリーブバルブ車であり、その設計は
大衆車作りを目指したアンドレ・シトローエンから譲り受けた物である事は有名な話ですが、
それに続く筈で、計画のみで終わったC2は狭角V12の7リッター級スリーブバルブ車。
モノに出来る自信が有ったのでしょう・・ね・・多分。
大体、第一次大戦後に航空機ビジネスから自動車に転換したのはまだ理解出来ますが、
その他に検討の対象だったのが、家具まで完備したプレハブ住宅を、完成状態で配送する仕事。
有名な建築家ル・コルビジェが「全く新しい建築の姿。土着発想からの脱却」と絶賛したそうですが
規制の大工さん組合からの反発で事業化は失敗したそうです。
しかしここからコルビジェさんとの交流が生まれたのか、後に車のボディーをコルビジェさんに
幾つかデザインして貰っているとか言う話を何処かで読んだ気が・・。
箱型へのこだわりはこの辺から生まれたのかも?
ヴォアザン車のボディーは一台ずつが風変わりで面白いのですが、
当時の高級車としては例外に、ある時期から全てのボディーを自製していることから、
ガブリエルさんの強烈な個性が表現されているのでしょう。
癖の強いデザインは敬遠される事も有ったでしょうが、完成車の重量があらかじめ把握出来る為
バネレートやフレーム強度等に余裕を持たせる必要が無くなるというメリットがあるので
乗り心地や操縦性にも好影響があったとか。
結局のところヴォアザン“ラボラトワール”の戦績とはどのようなものであったのか。
デビュー戦1923年トゥールのACF-GPには3台が出走したものの、完走出来たのは一台のみ。
後にシトローエンでトラクション・アヴァンや2CV、DSの開発の中心となった
アンドレ・ルフェーブルさんがステアリングを握った車が5位入賞を果たしただけ。
このレース、古い車が好きな者には興味深いものであり、
ヴォアザンの他にもイタリアからはフィアットが過給機付きのティーポ805で参加
(過給機の有無は規則に無く、自由に使えたようです)
フランスからはブガッティが最初の“タンク”型・完全な流線形のT32で参加。
ドラージュも上記2LCVの最初期型(翌年からは過給機付き)を持ち込み
イギリスからも、前年に無敵を誇ったフィアット804をコピーしたような(エンジニア流出の為)
サンビームが参加といった具合。
レースは信頼性に勝るサンビームが1〜2位と4位を独占。3位にブガッティ。
フィアットもドラージュもトラブルで敗退。
これらの車のエンジンは過給機付き直8DOHCフィアットが公称130HP。
サンビームが直6DOHCで100HPブガッティは直8SOHCで95HPとされていました。
昨日も触れたドラージュの116HPも含め、直6スリーブバルブの“ラボラトワール”80HPでは
到底太刀打ち出来ないものと思われます。
GPカーはこの後、急速に過給機付き車が力を付け、翌年登場したアルファ・ロメオP2は
フィアット805から多くを得た設計で、最初から過給機付きでデビューしています。
しかしヴォアザンは打弁音すら嫌ってスリーブバルブに固執したように、騒音源となる過給機には
見向きもしなかったようでした。
結局ヴォアザンはGPレースからはこの暫く後、完全に撤退。速度記録挑戦に舞台を移します。
レースを統括していたACFとの間にトラブルが有った事も知られていますが、
それ以上に、レース規則の中で効率を競う事に無理を感じた事も有ったのではないでしょうか?
先日エロスパ氏が
>>384みたいなことを言うから、ヴォアザンネタで少し引っ張ってみたけど
案の定、放置プレイスレになった・・.
それでも続く。つか、一応キリつけないと気が済まないので勝手に進める(w
ガブリエル・ヴォアザンという人はアンドレ・シトローエンとは結構近かったようで、
この二人やその率いた企業には様々な接点や共通点が有ります。
しかし全く異なるのはその製品の特徴。
シトローエンは飽くまで大衆車の量産を行ったのに対し、ヴォアザンは高価格な車を
上流階級の為に少数生産し続けました。
ヴォアザンと共通するモノを感じさせる、もう一人と言えばエットーレ・ブガッティさん。
自動車メーカーの経営者であり、設計からデザインから全てを統括し、安易な流行には
頑として流されなかった事もそうですし、安価な大衆車を自らの企業からは決して製品化しなかった
という事も共通していると思います。
もっともガブリエル・ヴォアザンの場合は自動車の世界に参入するにあたり、プレハブ住宅の他にも
自転車に取り付ける原動機の生産(第二次大戦後のホンダ・カブに瓜二つ)とか
簡易な二人乗り自動車(自らが第二次大戦後に設計した“ビスクテール”のような物)の生産も
選択肢に有ったようなので、高級車に専念した理由はエットーレさんのような
”どうしようもない程のスノッブ”だったからと言う訳でも無かったようです。
それが結局、高級車市場にその進む道を求めた理由とは一体何だったのでしょうか?
ヴォアザンが自動車産業への参入を画策していた第一次大戦直後と言えば
英仏では雨後の筍のように簡易なサイクルカーが生まれ、その多くは劣悪な品質故に
あっという間に息絶えていた頃。
ここからは私の想像ですが、ヴォアザンはそうしたサイクルカーを見て、大衆車市場は未だ未熟、
大戦前から航空機事業で築いた自らの知名度を生かした商売が出来る所ではないと判断し
高級車市場へ商機を求めたのであろうと考えます。
航空機設計の精神でシャーシバランスに配慮した自動車を製造する、
という高邁な理想でクルマ作りを行ったのは良かったのですけれど、
やっぱり値がアーティストだったのかも知れませんね、ムッシュ・ガブリエルは。
パナール共々、スリーブバルブに拘りすぎたことは、どう考えても非現実的でした。
(ポペットバルブを憎悪すらしていたと言うから、もの凄い心理ではあります。
戦後のビスクテルも2ストでバルブレス。もっともこっちは2ストであることは理に適った選択でしたが)
しかも老舗のパナールと違って、会社に戦後まで生き延びられるだけの体力がなかった。
フランス高級車業界では、ドラージュと並んで、30年代の早期ダウン組ですね。
>>390 済みませんねぇ・・お気を使わせて・・(w
ガブリエル・ヴォアザンさん、確かにアーティストではあったのでしょうね。
何でも自分の気の済むようにしないではいられなかった方のようです。
“芸術家は何処で筆を置くかで常に迷う”なんて聞きますが、煩雑に繰り返されたモデルチェンジも
そうした事の表れだったのでしょうか。
それが許されたのも高級車の世界だったからで、大衆車でそれを行う事は出来なかったでしょう。
粗末なサイクルカーならばともかく、安定した品質を保持しながら利益を上げるには
ある程度以上の量産を必要とするでしょうから、煩雑に繰り返すモデルチェンジは
設計面での改良ではあれども実際に販売される車の完成度や洗練性には逆効果になりかねません。
安価な量産車で自動車の世界に新規参入する事は、現代ほどではないにしても
1920年代初頭には既に困難な事であったとは容易に想像できます。
アメリカでは既に桁違いの大量生産に成功していたフォードやGMが欧州市場への侵出を始め、
地元フランスでも老舗プジョーは1913年にブガッティ設計の“ベベ・プジョー”を発売し
ヴォアザンが自動車産業への参加を画策していた頃にはタンデム二座の161を発売していました。
これらに立ち向かうには、かなり大掛かりな設備投資を必要とする事は明らかであり
新規参入者には無理があると判断したとしても不思議はありません。
むしろ、この時期にそれを敢然と行ったアンドレ・シトローエンの行動力(時に無謀な程の)の方が
余程不思議とも思えます。
>>393 そう言えば。
昨日ちょっと触れたプジョー201Xですが、この車は現物は現存せず、写真も見つからないので
その内に写真だけでも見つかったら改めてネタにしようと思うのですが、
一つだけ興味深い写真が有りました
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__sr_/f5a0.jpg?bcal1qGBx7Timrit そのプジョー201Xに搭載されたブガッティT48エンジンの画像という事だそうです。
このエンジン、基本的にはT35の2リッター版過給機付き(T35C)直8SOHC-3バルブエンジンを
半分にしたような4気筒の1リッター級だそうですが、この写真を見る限りではT35のような
凝りに凝った仕上げは施されていないようです。
以前話に出たT41“ロワイヤル”用をベースとしたレールカー用エンジンがブガッティ流に丁寧な
仕上げを施されていたのとは対照的に見えます。
設計のみブガッティで、製作はプジョー側が受け持った物なのかも知れません。
プジョーが何故60年代の404に至るまで(1913年以来)ウォームのファイナルにこだわったのかは
ちょっと理解しかねるところではあります。
大トルクの伝達に向かない事は、プジョー自身も充分に承知していたようで、第一次大戦直後の
6リッター6気筒車“タイプ156”ではべベルのファイナルを採用していたという例も有りました。
あえてウォームのメリットを捜せば、通常は ―○ となる伝達軸と車軸の関係が
ウォームでは _○ となり(この説明で判る? w)車軸中心からオフセットされるので
トルクチューブを低い位置に吊る事が出来る(センタートンネルの張り出しが小さくなる)事でしょう。
もっともこれは、地上高が低くなるので不整路には向かない車になるという事でもあります。
ウォームギアの利点は、大きな減速比を楽に得られる事だそうですが、
自動車のファイナルくらいならその必要は無く、潤滑に苦労したり特有の唸り音が出たりと
不具合の方が多かったようです。
当時からこの事は多くのメディア等から疑問視されていたらしいのですが、
“ウォームのメリットは何も無いが、プジョー程見事なウォームギアを切れる所も無い”
等と言われていたように、工作技術の高さで問題の多くを解決していたようです。
プジョーの技術スタンスって、基本的に手堅い印象なんですけど、
例えば「203」は量産大衆車としては早い1948年に
ヘミヘッド・クロスフローのOHVエンジンを実現したりしていて、
侮れないところがありますね。
それでいてウォームドライブだから、やっぱり何だか変な気はします。
見た目は何の変哲もないアメリカ車風のクルマなんですが……
1950年代のフランスで、本当に何の変哲もない設計
(例えばBMCの凡庸車種並みのFR・ターンフローOHV・リアが普通のリジッド)のクルマが欲しかったら、
はっきり言ってシムカ・アロンド以外の選択肢はなかったんじゃないかとさえ思える。
プジョーは上記の通り、ルノーは4CVどころかFRのフレガートまでスイングアクスルにしてたし
シトロエンはハナからアレだし……
>>395 えと・・パナール・ディナ54とかではどうでしょうか・・(w
言わんとするところは判りますが、1930年代に既にモノコック一体構造&前輪駆動の
“トラクション・アヴァン”を抵抗無く受け入れたフランス人ですから、
保守的つか守旧派な設計の車を欲しがる層がどれ程存在したでしょうか?
プジョー203っつうのも結構渋いっつか、素敵な車ではあります。形は戦前最後の頃のアメリカ車を
縮小したようにも見えますが、細部に至るまで入念に考えられているようで、アメリカ車には無い
品の良さが感じられます。
http://silverstone.fortunecity.com/studebaker/677/peu203black.jpg この車、好き者さんらしき方に保護されていたのか、実際に走っている所も見た事が有りますが
例のウォームの唸りまでは聞き取れませんでした。
また、395さんの書かれた凝ったエンジンも残念ですが実物を見た事は有りません。
写真は何枚か手許に有りますが、エンジンフードの形状が撮影に向かぬ事もあって
あんまり鮮明な物ではありません。
このエンジン、確かにクロスフローの半球形燃焼室を備えた凝ったモノらしいのですけど、
なのに何故か吸気も排気もエンジンの片側に集中して付いているという不思議な代物。
吸気はヘッドの中に鋳込まれたダクトを通って一旦反対側に行き、
そこからシリンダー内に入るという複雑な構造をとっているようです。
何でこんな変な事をしたのでしょうか?
吸気の予熱を一つの理由としている資料も有りますが、これもあんまり機械モノに詳しくない私には
理解し難い話であります。
言えてるかもw
何しろヴァンケルロータリーエンジンには
ヴォアザン御大の死ぬほど大嫌いなポペットバルブがないですからねw
このお方が、最晩年の80歳に至っても
自分の往年の「作品」のハンドルを握って長駆のドライブを敢行した、という逸話には
じーんと来るものがあります。
で、イタリアにいわゆる「高級車メーカー」が少なかったことも
スリーブバルブの広まらなかった一因なのかもしれません。
正統派の超高級車メーカーというとイソッタ・フラスキーニがあったぐらいで、
ランチアやアルファだとややそういう意味での格は落ちるかと思うんです。
(クルマの質は優れているにしても、です)
>>398 ガブリエル・ヴォアザンさんの老後のエピソードは幾つか目にした事が有りましたが、
そのドライブの話は恐らく読んだ事は無かったと思います。
確かに戦前のイタリアには富裕層を対象にした高級車メーカーが少なかったようです。
ローマ法皇専用車すらも、フィアットが作っていたようですし。
(1925年のティーポ525 まぁ、それだけフィアットというメーカーが何でも有りだったという事?)
イソッタ・フラスキーニのみはロールス・ロイスやイスパノ・スイザにも匹敵する高級車という
評価を得ていたようですが。
私事ですが、最初にスリーブバルブという給排気方式の名を聞いたのは今からもう20年以上前の事。
今ならばインターネットで知りたい事はすぐに検索で知る事が出来ますが、
その頃は一体それがどんな物なのか全く解説された資料も見つからずに苦労しました。
一応、簡単に言えば、シリンダーとピストンの間に入れられたスリーブが上下して、
そこに開けられた穴がシリンダーの給排気口と一致する事で弁の役割を果たすもので
自動車に使用された多くは二重のスリーブを持つナイト式ダブルスリーブ。
他にも一枚のスリーブが回転しながら上下するシングルスリーブ式っつうのも有りました。
スリーブバルブ車がイタリアには生まれなかった理由をあえて他にも考えてみると。
このスリーブバルブの場合は給排気をシリンダーヘッドからではなく、シリンダー壁から行う為に
給排気系はSV並みに低い位置に付きますから、ランチアの特徴であった狭角V型とは相性悪く
レイアウトが苦しい事になったと考えられます。
アルファ・ロメオの場合は・・。スムーズはともかく。誰が静粛なアルファを求めたでしょうか?
マシンガンの如き打弁音に弾けるような排気音。唸りを上げるルーツ式過給機とその吸気音。
それこそ“高級車ならば高級な音を撒き散らせ派”(そんな派閥が有るなら w)の当時のアルファ。
“一人フルオーケストラ状態”こそがその真骨頂・・でしょ?(w
今日はちょっとネタが思いつかないので(だったら寝ろ w)
先日、20年代GPカーの出力の話を書いたついでにちょっと調べ、
その内に何かのついでに書こうと思っていた事を。
過給機付きエンジンは最初の内は特に何の規定も無く、出走を許されていましたが
その内に飛躍的な出力向上を見ると、近代的な「過給機付きは何リッター迄、NAは何リッター迄」
っつう具合に規則も変化していったようです。
それもその筈で、1924年のアルファ・ロメオP2は2リッター過給機付きで140HP
これは無過給のドラージュ(120HP)と大差有りません。
それが約四半世紀後のアルファ・ロメオ159(最後期の“アルフェッタ”)では
1.5リッター直8DOHCに二段過給機を組み合わせて瞬間的な最大出力は450HPとか。
これは当時混走した4.5リッター自然吸気エンジンの約1.5倍程にあたるどころか、
実にその更に四半世紀後に登場する事になるルノー・ターボF-1の初期の出力
(公称500HP)にも近い凄まじい数値。・・まぁ、そんな単純な話ではないのは当然ですが。
その代償も大きく、燃料消費率は4.5リッターNAの倍にもなったそうで、
GPレースと言えども今とは比較にならない長時間を走ったその当時には
小さからぬハンディだったようですが、それでも新興フェラーリをはじめとするライバルを
全く寄せ付けなかったのが“アルフェッタ”でした。
先日少し話に出たライレーから発展したERAとか、そのエンジンに影響されたような
“ダブル・アンダーヘッド・カムシャフト”を持つタルボ・ラーゴ(4.5リッター直6)等も
この時代のGPカーでしたが、アルフェッタを相手にしないといけなかったのは不運だった事でしょう。
今日は保守だけ
先日からライレーエンジンの画像を探してみたものの、あんまり鮮明な物は見つからず。
そこで、401でちょっと名前が出た同様なレイアウト(両肩近くにカムシャフトを持つプッシュロッドOHV)
49年型タルボ・ラーゴT26のエンジンの写真
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/8677.jpg?bcxFJtGBtvDe_16e DOHCのカムカバーのように見えるのはロッカーカバー。
事前に知識が無ければ普通のDOHCにしか見えないことでしょう。
SCGのNo.49に元ライレーのエンジニアが設計したとされるリー・フランシスが出ていますが、
そのエンジンも同様のレイアウトで見た目も似たようなものです。
直立した3バルブを持つSOHCを特徴としたブガッティもT50からはDOHC2バルブ化されたので、
イタリアのアルファ・ロメオやアメリカのデューセンバーグ(こちらは4バルブ)と共に
DOHCエンジンを持つ第二次大戦前の天上界入り。
そのちょっと下辺りのスポーツ型に良く見られるのがSOHCやプッシュロッドを持つOHVながらも
クロスフロー化して半球型燃焼室を持つエンジン。
しかし、クロスフローになっているのは見た目で判断出来ても、弁が直立している物も有り
(SOHC時代のブガッティやメルセデス“Sシリーズ”など)この場合は燃焼室は平らで
点火も中心から外れた位置に有る事が多いのですが、見た目だけでは判断出来ず。
こういうのはクロスフロー化したメリットってどれだけ有ったのでしょうか?
給排気系レイアウトは楽になったでしょうけど、他に考えられるのは弁の大経化程度くらいしか
思いつかないのですが。
それはともかく。
戦前にはBMW328やらライレーのような高級高価格なスポーツ型でしか見られなかった
クロスフロー・ヘミヘッドエンジンですが、先日
>>395さんも書かれているように
戦後は大衆車の“プジョー203”等にも使われるようになった辺りが技術の進歩でしょうか。
平たひ燃焼室形状のデメリットは、ことに燃焼室の端っこにプラグを置ひた場合など顕著ですが
高回転になると燃焼速度が追ひ付かなくなり、燃焼室内全体に火が回らなくなってしまふのです。
それを避ける為の半球(ヘミ)燃焼室でありその為にヴァルヴに挟み角が生じるのです。
筋金入りDOHCのアルファ・ロメオのお話、通常のシングルプラグのDOHCに比べ
ツインプラグを特徴とするGTA(本物の、つまりジュリアGTA)やうちの75TSでは狭角となっております。
ヌパイダと75のエソジソを並べると一目瞭然。股、その分TSではエソジソの丈が高くなっております。
これは半球燃焼室を維持しつつコンパクトな燃焼室形状にする為とアナウンスされております。
しかし、その一方でツインプラグによって燃焼室の隅々まで火が回しやすくなった、
といふのも一因ではありますまひか。
さて、弾けるやうな排気音、先日GW後半戦の為お母ちゃんヌパイダに乗っけて
東名走行中、ミッション下付近で盛大な排気漏れ音のあと弾ける”バンッ”といふ音。
帰京後下道走るとだうも床下から快音wぃあ爆音が響きぢつに痛快です、
と思ってゐたところお母ちゃんと飯食ひに行った帰り旧ゴミ屋敷w近くでつひにマフラー落ちました。w
「あれまぁ、車は乗る人に似るねぇ。アンタのチ○コと同じやわ、下向いたまんまやないか」
と嘲笑されることしきり★。
さて、見えなひところはゴミ屋敷がイターリャ流かと言へばさうでもなく、
かつてアバルトスレで明らかにアバルトと関はりの深ひメカニックと思しき方が
「アバルトの配管・ハーネス配線の取り回し・処理は見事」と仰っておられました。
気を付けて見たことがありませんでしたので探しましたが
このチョンマゲOT1300、後年手が入ってゐるかとも思ひますので何とも言へませんが
http://www.motorsnippets.com/auctionlots.asp?Lot=66836&Auction=15+May+2004Bonhams だうでせうかね?
まぁカルロ・アバルトは本名カール、オーストリー出の御仁ですので生粋のイタ公とは
根底で異なるの鴨知れません。が、このイタ公どものイタ公たるところは
その気になってやると決めるとet凝り出すと止まらなくボーソーを始め
だうでもEと放り出すと徹底してだうでも良くE加減を極め、
どっちに転んでもボーソーして収拾が付かなくなる、つなところなのでは無ひでせうか。
ひとのことは言ってられません、テレビに出ても恥ずかしく無ひ立派なゴミ屋敷、
お母ちゃんに尻叩かれ大改造始めて約1年、先日お母ちゃんの要請つか強要wつか
ドレッサーなんぞといふものをニトリで安ひ組み立て式仕入れ、組み立て・設置で
手付かづだった部屋西側のスラムwを一気に地上げ、同時に押入れの再開発やらかして
半日で驚愕すべき近代化を達成しますた、お陰で腰の痛ひこと痛ひこと。
しかし、一番安ひドレッサー配備つひでにレースのカフヱカーテンだのクロスだのまで導入、
をぢさんの一人暮らしに異彩を放つ一角、かうなるとまう止まりません。w
今度はそのドレッサーの照明、思いっきりブリブリのアールヌーヴォー調照明とか
http://www.yodobashi.com/enjoy/more/i/cat_162_187_15561295_16665919/3589827.html ↑こんなガレのパチ物風でも入れてやらうかと電気屋・古道具屋・ぶりぶりファンシー屋物色ちぅ。
伊代伊代変態屋敷ボーソーでせうか?w
>>405 ガレ風も良いですが、ティファニー風のステンドランプ等の方がお好みなのでは?
その内に部屋の中の写真でもアップして下さい(w
さて“ボーソーして収拾が付かなくなる”と言えば、私のこのスレの書き込みが正にそのもの(ww
直立した弁、平らな燃焼室というのは意外に昔のエンジンには多い形であり、
史上初のSOHCエンジンとされる英国のモーズレイ(Maudslay)社製の乗用車用エンジン
(モーズレイ自身はエンジンメーカー)などは、シリンダー真横から水平に点火プラグを
差し込んでいたようです。・・こりゃ、高速燃焼等到底期待出来ないでしょうね・・
ところで史上初のDOHCエンジンについては様々な記述が複数の資料に見られますが、
一応共通しているのは1912年のプジョー(リオン・プジョー)のレーシングカーに
採用されたのが初めてであったという事。
発明者は“エンジニアのスイス人エルネスト・アンリである”という事になっているものが多いのですが
実はアンリさん、単なる製図工に過ぎなかったという説も有り。
どうもあれこれと資料を突き合わせてみると、1910年のレースでプジョーを降した
イスパノ・スいザのエンジニアでありレーシング・ドライバーでもあったポール・ツッカレリという人と
元々プジョーにいた数人のエンジニアが中心になって作られたのがこのエンジンであり
それが何故か製図を担当したアンリさんの名前で特許申請されたといったところのようです。
ツッカレリさんが絡んでいる事から
“元のアイディアはイスパノの天才エンジニア、マルク・ビルキヒトの物ではないか?”と
書かれた本も有りましたが、その辺のところは今では誰にも判らないことでしょう。
史上初のDOHC(しかも4バルブ)エンジン・レースカーを作ったプジョーですが、
生産車の方にDOHCを積んだのは量産車メーカーとしてもかなり遅い方。
この辺りは“必要とあらば大胆に採用し、その必要が無ければ流行には全く流されない”
如何にもプジョー社らしいところかも知れません。
プジョーの生産型について。
昨日DOHCエンジンの採用はかなり遅い方だったと書きましたが、丁度レス番がその近辺ですけど
恐らくは80年代も後半になって405MI16に搭載されたのが最初だったのではないでしょうか?
特殊な例としては、その数年前の205ターボ16なのでしょうが。
DOHCエンジンを最初に採用したロードカーというと、実はアルファ・ロメオ等ではなく
日本では戦前の多摩川スピードウェーレースに於いて、ダットサン・レーサーが参考とした事で
有名(??)なフランス車のサルムソン1.1リッターであるそうです(1923年)
プジョーはレースカーの世界では世界初のDOHCエンジン搭載車を作りながらも
ロードカーの世界に於いてはサルムソンに60年以上も遅れた(?)事になります。
http://www.amicale-peugeot.ch/Peugeot/Peugeot_Indy_1913.jpg 他の画像探してあれこれと見ていたら丁度そのレースカーの写真が見つかりました。
手許の資料に似たような物が有り、そちらにも“Indy-1913”とありますが、そちらは不鮮明ながらも
No.16のゼッケンが描かれていますので、こちらの写真の車はスペアカーであった可能性も有り。
7.6リッターのこのエンジン、推定で130HPと言われていますがリッターあたり17HPというのは
当時の水準で見れば全く画期的なものであったそうです。
しかし必要と感じなければ生産に移さない手堅い設計のプジョー社。
DOHCの採用が遅かったのはそのホンの一例でしかなく、他でも例えばブレーキ等を見ても
1960年に登場した“404”ですら初めは全輪ドラムであったそうです。
(現代的ディスクブレーキを最初に搭載したロードカーは49年クライスラー)
この堅実無比なる設計思想は(つか流行に惑わされない)
プジョー社そのものがパリから遠く離れた所の発祥である事も関係しているのでしょうか。
408 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/05/09(水) 11:13:37 ID:bTcNwrzS0
車オタクの聖地と言ったら何処なんだろう?
日本では鈴鹿か、箱根か、それともトヨタ博物館か、神田神保町?
>409
高知、四国自動車博物館
高知は行った事が無いですね。四国自体行った事が無い。
その内に道後温泉名物“とんかつパフェ”でも食べに行くか・・。
こうして車がらみの話をするのは楽しいですし、珍しい車を見に博物館に行くのも楽しい。
車の本を読むのも、それを探すのも楽しい。
ですがそんな私でも、やはり車は走らせるのが一番楽しい。ですから聖地という言葉は変ですが
気持ちの良い道路っつうのが、やはり最も好きな場所であります。
博物館とかに行くのも、其処までの道のりを走るのが目的みたいなところも有ります。
さて。蒸気車から始まって、このスレではなんとなくプジョーの歴史を追っているような、
そうでもないような・・なのですが。
プジョー好きな人の聖地と言えばソショー(Sochaux)というところにあるプジョーミュージアムでしょうか?
このソショーというところ、あんまり大きな町ではないようなので
フランス地図も結構大きくないと見つけ難いかもしれません。パリの東南東400〜500km程のところ。
近くの大きな町というとベルフォール(Belfort)東に数十キロ行くとミュルーズ(Mulhouse)
今はこちらの郊外に近代的な大工場が有るそうです。
今はネットで欧州地図も簡単に見られますので、プジョーの聖地に印を付けて見ると、
単純な直線距離で見ればルノーやシトローエンの創業の地・パリよりも、
むしろBMWのミュンヘンに近く、フィアットのトリノやアルファのミラノとも大して離れていません。
先日、TV神奈川の自動車番組(専用スレも有るようです)を見ていたところ、
評論家氏が新型207を「フランス車的ではない乗り心地かも」と言っておられましたけど、
上に書いたような位置関係を思うと「別にそんな風に拘ることもあるまい」という気もしてきます。
もっとも、これは今はパリの中心に本社機能を移し、殊更フランス製を強調して
洒落たイメージで売ろうとするプジョー側のせいでもあるでしょう。。
日本以外の国でも、そういうイメージ戦略を用いているのでしょうかね?
プジョー発祥の地に、最も近い場所に有った他社というとモールスハイムのブガッティですが、
その辺ともなると戦争が起きる度にフランス領になったりドイツ領になったり。
ブガッティも創業当時はドイツ車だった筈。
上で書いたミュルーズという町も、ドイツやスイスとの国境に近く、この街の郊外にある空港は
スイスとの共同運営。EU非加盟国スイスですから、一応は空港建物内にも国境が存在しますが
「その日の都合」なんつう、結構いい加減な理由で国境線が移動してしまう事も有るのだとか。
さて、パリから遠く離れたソショーの地で、代々地道に鉄工業を営んできたプジョー社、
爪切りから胡椒挽き、コーヒーミルにスカートの骨組み、農機具に自転車と様々な製品を手掛ける
庶民派の会社だったようです。
そんな事からか、1920年代迄は結構大型の立派な車も作っていたのに意外にそちらは有名ではなく
今でも広く知られるのは、やはり二代にわたる“ベベ”やらタンデム2シーターの小型車やら
現代へと続くネーミングの元祖となった“201”等といった小型車の方。
大型高級プジョー車の印象があんまりパッとしないのも無理は無い話で、
ブガッティやヴォアザンのような派手な特徴を持たぬ、造りが良さが取り得の地味な車だったようです。
またドラージュやパナール、ルノーの大型のように、
パリ近郊で盛んに行われていた“コンクール・デレガンス”へ熱心に出場する事も無かったようですし。
ですから、第一次大戦後に自動車業界に参入したヴォアザンがフランス大統領府やら各国の王室等
華やかな場所で引っ張り凧になったというような話題性もプジョーの大型には有りません。
まぁこの事は、当時のヴォアザンが飛行機作りで得た名声の大きさを示す事とも考えられます。
やはり「あの、航空機で有名なヴォアザン社の作った車」という方が「胡椒挽きで有名なプジョー」より
ナンだか有り難味も有ったのでしょうか。
しかし、アルマン・プジョーが最初に蒸気自動車を試みた時に理想と考えたのが
「若い女性がドレスのまま乗れ、生命の危険の無い乗り物」だったという事からも想像出来るように。
本来、庶民派である事こそプジョー自身の理想でもあったのではないかと思うのです。
ぷぢょさん、しばしばお母ちゃんの206に、玉に某氏の307SWに同乗しますが
かつてのお腐卵臭の味はひはありません。ツトローエソもZXなど腐卵臭製ゴルフのやうでありました。
かつての505やCX、GS、BXのやうなおフレンチの味はひに満ちたクルマは
ぷぢょさんなら505まで、ツトローエソならアテクシ最新のCなんぼは尻ませんがXMまででせうか。
今のはなんかドイツ車つうよか比較的出来のE日本車チックに感ぢます。
お腐卵臭のクルマっつうといつも言ふハイギアードにちっこひエソジソで加速鈍く
それでゐて高速巡航の快適な、なのですがその根幹にシャシの素晴らしひ出来がありまして
一時期(まぁ今でも多ひですが)の日本車のペナペナ感溢れるシャシとは違ふ意外な骨太感と
一見当たりは柔らかくとも腰の強ひ足、芯のあるフワフワ感でせうか。
うちの75も似たやうなとこがありまして、触ると柔らかひが握ると硬ひチンコのやう。w
一見フニャでもぢつは硬ひ、昔、三波春夫センセイも歌に唄った程であるます。
♪おーぃフニャ硬さんw
http://www.jttk.zaq.ne.jp/babpa300/aa2sengo/funakatasan.html 閑話休題、この75のフニャ硬はどんなに飛ばさうとモタモタ走らうと
目地段差・バンプを乗り越へた際に見事に一発でリバウンドを抑へる、
絶対にお釣りがこなひ、それでゐて見事に衝撃が吸収され乗員に伝わってこなひ。
その感触は同ぢく過剰で無駄な路面状況を遮断するドイツ車の重さで押し潰すやうな感触とは
明らかに異なる軽く粘りのある腰の柔軟さで吸ひ込んで消す感触であるます。
東京-大阪間グランツァーの際などぢつに威力を発揮するものであります。
かつてのお腐卵臭車もこの柔らかさが更に快適方向に振られた感触と、
75ほど強烈では無ひものの十二分に優れたロードホールディングとハンドリングを持ち
高速巡航の素晴らしく快適なクルマであったと思ふのです。とにかくシャシの出来が良かった。
>本来、庶民派である事こそプジョー自身の理想
一方、うちのヌパイダのシート裏の物置きに買い物帰りスーパーの袋だの
ニトリの段ボール箱だのw満載した状況をお母ちゃん曰く
「ホンマに良ぅ似合ふねぇ、うちのぷーさんなら許されん姿やわ」。w
何でもぷぢょさんは今や購入資格試験があるさうで、おサレでなくては乗ってはいかんのださうな。
http://natto.2ch.net/car/kako/984/984399016.html ↑こちらの130以降参照、132あたり激笑。w
某氏の307SW車内でシート枕ステーに引っ掛けられた針金ハンガーを発見したお母ちゃん、
「ぃや、これは許されんわ!」とのことで
後日アテクシお母ちゃんよりシャネルのロゴ入りベロア張りハンガーを預かり届ける羽目になりました。w
416 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/05/12(土) 20:22:24 ID:3JjxfHG20
↑世界中何処行ってもアニョータはキモひ、ビヂュバソ系はマル精のにほひ漂ふ、といふことでせうか。w
つか、幼稚であることを賞賛する日本の精神構造は国家の恥部であり断固正さねばならんと
アテクシ主張するところであるます、マンガ風情が文化と言はれても恥づかしひ限り。
アテクシは上記リンク動画の子供達のお母ちゃん方のご意見に賛同するものであります。
205GTiの成功以来、スポーティー志向を強めたプジョーの各モデル。
それ以前の柔らかさを期待するとちょっと意外な乗り味だったりします。
実は505なんかもスプリングレートは結構高く(硬く)、当時雑誌の試乗記で
「ボンネットを押し下げてみると意外な程に硬い」と書かれていたのを読んで真似してみたら
乗った印象とは裏腹な硬さに本当に驚いた事が有ります。
本当は硬いのに、そうと思わせない巧みな味付けがその頃のプジョーだったのでしょう。
現代のプジョーも本国の売れ線、昔ながらにボディーサイズの割には小さなエンジンを積むような
ベースグレードは穏やかな味付けにされているのでしょうが、
日本には大きなエンジンの上級グレードばかり入って来るので矢鱈にクイックな印象。
昔はそうしたモデル自体が無かったので、変わってしまったように見えるのかも知れません。
以前406のモデル末期にLHD/MTという向こうの売れ線そのままを持ち込んだ
“406スポーツ”なんつうグレードが有りましたが、名前に似合わず乗り心地で好評を得たようでした。
そんな普通のモデルには、昔ながらの味わいが色濃く残っているのでしょう。
洒落たイメージが出来たっつうのはプジョージャポンの広告戦略が成功している為でしょうけど
良く考えると結構訳ワカランところも有ります。
206や307で人気だった革装シート仕様車“ローランギャロス”なんつう物。
革が全仏テニスのクレーコートの色をイメージした茶色だそうですけど、クレーコートって言えば
早い話が粘土色。・・粘土ってお洒落なのか?
あと、最近は結構幅広い品揃えになったとは言え、日本車メーカーに比べればモデルの数は少なく
モデルチェンジの周期も長めなアチラのメーカー。
話題作りに異業種とのコラボモデル等にも熱心なようですが、
その相手がボールペンやライターのBICだったりと、高級感の演出とは全く無縁だったりするのも
日本人の感覚では判り辛くも面白いところでしょうか。
もうちょっとプジョーの話の続き。
先日“パリから遠く離れたソショーの地で、代々地道に鉄工業を営んできたプジョー社”
なんて書きましたけど、実際には“大体、その辺”であって、それこそ産業革命以前から
この辺りにはプジョー姓の一族が営むいろんな工場が一杯有ったのだとか。
ですから、シトローエンとかルノーのように“ここが創業の地”と簡単に言えないところもあります。
大体、車の事ならばあれこれと資料も手に入りますが胡椒挽きとか農機具の鉄工所の歴史となると
あんまりまともな資料も無く、一体何が何やらな部分も多いのは仕方の無いところ。
自動車生産に入ってから後の事に関して見て行ってもそう。
1890年頃に自動車生産を始めたプジョー社、その中心だったアルマン・プジョーは
1897年にその自動車部門を基の“プジョー兄弟の息子達社”から独立させ
“プジョー自動車製造会社”を創設させたものの、残された本体側(プジョー兄弟の息子達社)も
アルマンの成功を見習い、独自に自動車製造を始め“リオン・プジョー”の名前で販売(1906年)
南北朝ではありませんが、二つのプジョー社という事態が此処に生まれました。
結局この後、リオン・プジョー側がアルマン側に合併を申し入れ、吸収合併される形で一体化。
“オートモビル・サイクル・プジョー社”となりました。
この暫く後にリオン・プジョー側から社長が選ばれた事から察する事が出来るように、
この一連の動きは円満の中に行われたのでしょう。
そこで疑問なのは、それまで作られていた胡椒挽きだの農機具だのといった
“プジョー兄弟の息子達社”で作られていたと思われる様々な製品のこと。
今もプジョーミュージアムにはミシンとか食器洗い機が展示されているそうですけれど、
それらを作ったは自動車製造とは別に存続しているのか?それとも自動車会社の名前で
そういう物も作り続けていたのでしょうか?
・・まぁ、多分私以外にとっては殆どどうでもいい事なんだろうなぁ・・(w
自転車は、現在では商標権だけ日本の商社が借りて、台湾か中国で作らせてる模様。
商標権のライセンス先も数年前に変わったようで、かなりややこしくなっています。
現在ではプジョーブランドの自転車は日本にしか存在しないかもしれません。
>高級なら高級な音を撒き散らせ
本日帰宅時、いささかショックな出来事がありました。
裏通りの2股の信号待ちで隣りの左折レーンにランボル、10亀頭か12亀頭かは
見分けが付きませんでしたが。
アテクシは75、双方アイドリング音はそれぞれなのですが、意外と今のランボルは静かだなぁ、
と思ひつつ信号変わって双方動き出したとたん!
ランボルはブォーといふ太ひが控へめな音、一方75はブォンブォン・ブオーーーと
ヌーペルヌプリントの排気管を震はすお恥ずかしひ程の爆音。★
音だけなら逆ぢゃなひかといふ体たらく。
今や欧州でも騒音規制で音が軒並み静かになってることは知ってました、
75は出足極端に悪くブワーとふかしながら断続クラッチで動かさなひとモサくて堪りません。
さういふ事情あるにせよ音だけは逆転つないささか考へるものがありました。w
日本ではプジョー自転車って既に入手出来ないのではありませんでしたっけ??
>>423 自転車のビアンキって、戦前に一度消滅したものの、戦後フィアットとピレリの援助で
アウトビアンキとして再生されたメーカーの末裔なんですか?その辺は良く判らない事だらけだなぁ・・。
>>424 今のランボルギーニは“高級な音”がしないので遠慮気味なのではないでしょうか(w
丁度今、今日発売されたSCGの付録DVDを見ていたのですが、やはり直8レーシング・アルファや
ブガッティの快音は“聞くに値します”ねぇ。
もっとも新車当時にはタペット調整ももっと念入りにされていた分だけ
打弁音等のメカニカルノイズはもう少しだけ静かだったのかも知れませんけど。
元々エンジンつうのは騒々しいものです。
それをあの手この手で静かにする。その事自体は良いのでしょうけれど、
一旦静かにされたエンジンを本来の音にする事は素人には出来ません。
改造マフラー等取り付けて悦に入る人も多いようですけれど、
元来するべき音色を知らないままに弄ってみたところで駄目な物は駄目だと思うのです。
コンサートホールでオペラを聞いた事の無いオーディオマニアのステレオセットで
モーツァルトを聞いても感動は得られないようなもの(・・ちょっと違うかな・・?w)
まぁ、とにかく。なんだって静かであればそれで良いって物ではないと思うのですよ。
勿論騒々しい事を美徳と言う気も無いですけれど。
それこそ夜中の住宅地でいきなりフォルティッシモやられたら、例えそれが一流オーケストラだって
苦情が来るでしょうから。
アウトビアンキはぢつは戦前にまで遡る歴史を有し、
元々はチャリ屋のクルマ部門としてスタートしたものです。
で、ご多分に漏れづ戦後にっちもさっちも行かなくなったところを
上記の如くFIATとピレッリにクルマ部門を救済・吸収して貰ひチャリ部門が残ったのです。
まぁFIATからしたらビアンキだのランチャだのフェラーリだのロクでも無ひ会社を押っ付けられ
クルマと名が付きゃ何でもウチかよ、つうところもあったのでせう。
挙句の果てにアルファにマゼラーティだもん。w 堪ったもんぢゃなひでせう。w
音、以前なんかの雑誌で某自動車評論家氏(ヒョンカに非づw)が166かなんかの記事で
いくら排気管替へてボーボーカーカー言はせても物を言ふのは地の音、
(アルファの旧6発はその地の音から良ひのだ、といふ話)と書かれてましたが
クルマの音っつなひとつ排気音だけではなひでせう。
今のクルマのエソジソは多くをプラスチックパーツにしてます。
プラスチックは安く軽ひ、同時に共振・共鳴し難く制震・制音にも効果があるのです。
カムカヴァーをプラにすればヘッドは軽くタペット音や内部の機械音を遮断する効果もあります。
ましてや下手するとエンジンベイ上部のほとんどをプラ板で覆ったやうなエソジソ、
エンジンや補機類の音を後から意図的に変へることは不可能に近ひでせう。
尤も、今や世界的なトレンドは制震・制音の方向、アテクシのクルマがうるさひのではなく
周りが極端に静かになっただけの話であるます。
なを、ヌパイダは先日GWのグラン・ツァー中に破けたw排気管修理の前に
これからの季節に備へてのクーラー修理中であるます。
>>427 成る程、プジョー自転車は2005年を境に販売体制が変っただけで、
入手出来なくなったという訳では無いようですね。
良く行く東急ハンズの自転車売り場等で見られなくなったので誤解しておりました。
ビアンキ社については一応私の知る範囲の事を書いておきますが、
19世紀末から自動車メーカーとして存在していましたが、基が自転車の会社だったのかは
私は調べた事が無いのではっきりとは知りませんでした。
恐らくエロスパ氏や427さんの書かれた通りなのでしょう。
この会社、イタリアの自動車会社にしては珍しくレースには無縁の地味な存在であったようで
1.5リッター級の4気筒車から3リッター直8クラスまで結構幅広く品揃えしていたようです。
工作精度に重きを置いた為に同級のフィアットよりもかなり高価であったそうですので
保守的な中産階級辺りには結構人気があったようです。が、1938年で一旦消滅。
戦後55年にフィアットとピレリの援助を得てアウトビアンキの名前で再生。その後フィアット傘下入り。
ところで、自転車メーカーから自動車業界に参入した会社というと、他にオペルもこのパターン。
鉄製フレームの製作技術を既に持っていた事が有利に働いたのでしょう。
しかしオペルの場合、最初に作った車はリアシート下にエンジンを置いた所謂“馬無し馬車”
この形は完全な失敗作に終わり、1902年にはフランスのダラック(Darracq)車のライセンスを買い
その生産をすることで地歩を固めています。
ダラックと言えば、20世紀初頭には技術的にも商業的にも意欲的なメーカーだったようで、
アルファ・ロメオも最初は不景気の影響から閉鎖を検討していたダラック・イタリア工場を買収して
始まった事は良く知られるところ。
と、いう訳でオペルとアルファはその創生期には浅からぬ縁が有った・・
・・なんて事には・・やっぱりならないか・・(w
販売体制が変わったというか、ブランドのライセンス先が替わったので生産委託先も
替わっている可能性があります。以前と同じ自転車が入手できるかはわかりません。
ところで、一時期バイクのGPで活躍していたビアンキもその一派なのでしょうか?
ともにダラックから始まった自動車屋が一世紀を経て、GMエンジンでまた出会う
……あんまり美しくないw
>>429 425にも書いたように、ワカラン事だらけな私ですので迂闊な事は書けませんが、
とりあえずビアンキにモーターサイクル部門が有った事は確かなようです。
・・例によって長文書き終え、送信ボタン押した丁度そのタイミングで我が家の無線LANが混線して
書き込み出来ず・・。
もう一回同じ事書くのもさすがに面倒なので今日は保守だけしてフテ寝・・(w
ダラックという会社、今では殆ど知る人もいなくなってしまったようですが20世紀初頭には
レースでも好成績をあげ、結構評価も高かったようです。
この会社もオペルやプジョーと同じく、ミシンやら自転車やらといった、様々な製品を手掛ける
鉄工所から自動車メーカーになったクチ。
自動車で成功したまでは良かったものの、飛行機とかバスにも手を出し、しかもフランスのみならず
各地に工場を作って無茶な拡大路線を敷いたのが裏目に出たようで、1919年には倒産、
イギリスのサンビーム社に吸収されて終わっています。
イタリアでも多くの自動車メーカーが生まれ、その多くは消え去り。またはフィアット傘下に入り。
名前が残っているならまだ良い方で、OMとかツェイラーノ等、フィアット傘下に入ってそのまま
名前すらも残せなかった会社も多く有るようです。
しかし、イタリアの場合はまだマシな方なのではないでしょうか?フランスやイギリス、アメリカでは
名前すら誰も記憶していないような、消え去ったメーカーが沢山有ります。
例えばフランスの場合、第一次大戦後に雨後の筍のように現れたサイクルカーメーカーを除いても
一時は結構評価の高かったメーカーで、今はまったく何も残っていない会社は多くあります。
このスレで、私のような物好きの話題にされるヴォアザンとかドラージュ、ドライエなんかは
結構資料も多く残されていますが、他には例えば一時期レースで大活躍したバロー(Ballot)とか
イスパノスイザにも匹敵する高級車と言われた(らしい)ファルマンとか。この辺は資料も少なく、
結構凝った設計でもあったらしいのですが、どんな物だったのかはさっぱり判りません。
ファルマンの名前は、航空機に詳しい方なら良くご存知でしょうし、日本の航空史の初期には
大変縁が深かったのですが、それだけにそのファルマンの作った自動車の事となると
検索するのも大変になってしまうようです。
ダラック車っつうのは第一次大戦前に消滅した会社の物ですので、
定型というものが出来る前の産物という事もあり、左程の興味は持てないのですが、
ファルマン車の方にはちょっと興味が有ります。
ファルマンについて書かれた資料で興味深いのはその前輪懸架方式で、非IFSらしいのですが
横置きリーフと両側二本のカンチレバーリーフの組み合わせというもの。
実物を見た事が無いのでどんな物なのかは不明ですが、恐らくは33年頃のパナールが
前輪を吊るパラレル半楕円リーフの前端をフレームに直接結びつけず、
車体中心一点に吊られた横置きのロッド両端に付けた、そのロッドをリーフスプリングに
置き換えたような物だったのではないかと思っています。
閑話休題。そしてまた閑話。フランスの自動車会社の話。
第一次大戦終結後に航空機の世界で培ったイメージを引っさげて自動車業界に参入した事で
ファルマンもヴォアザンと共通した部分は有ります。また、航空機エンジンの設計で有名になった
設計者の関わる車としてはイスパノスイザやブガッティ等が有りました。
これらは皆、高級車の世界へと参入して1929年の世界大恐慌からの荒波を超えられず
第二次大戦迄にはほぼ姿を消しています。
一時期には300を超えたフランスの自動車メーカーですが、結局のところ第二次大戦前までに
大衆向けに量産を成功させた会社だけしか生き残れませんでした。
最古の自動車会社であるプジョーがその一つに数えられる事は、
思えば大した物なのではないでしょうか。
それも、ただ簡素な設計で安価なだけのモデルを量産していたのではなく、
大衆向け小型車としては世界初の前輪独立懸架の採用等“胡椒挽きで有名なプジョー”は
時に“飛行機で有名なナントカ”以上に意欲的であった為でしょう。
アンリ・ファルマンと言へば本邦シコーキの草分け徳川・日野の両大尉による
代々木錬兵場の初飛行の際にも徳川機として使はれた機体であるます。
翌年、所沢飛行場での徳川機・ファルマンによる飛行が公式には日本初とされております。
実際には代々木の試験で既に”離陸”はしてゐたので本当の初”飛行”は
日野大尉のグラーベ機となりますが、いつの間にか出来てた航空公園液の所沢あたりでは
公式記録のはうを重視しておるやうです、当然ながら。w
ま、他に所沢の売り物なんて所ジョージ氏ぐらひしか無ひのですからそりゃ必死でせう。w
黎明期の飛行機史についてはそう多くを語る程の知識は持ち合わせていませんので
詳細は不明な部分も少々有りますが。
アンリ・ファルマンの飛行機というのも、その初期に於いてはヴォアザンに製作を依頼した物が有るとか。
ガブリエル・ヴォアザンさんはそうした依頼を受け、時には理論からは離れた物も鼻で笑いながら製作し、
そうやって得たお金で自らが信じる理論に従った飛行機を自分用に製作していた時期が有ったそうです。
結構その当時にはしたたかな商売人の一面も持っていたみたいですね。
ガブリエル・ヴォアザンの設計になる自動車と言えば、すぐに出てくるのが“航空機の思想”という言葉。
その代表例が例の世界初のアルミ製フルモノコックGPカー“ラボラトワール”でしょうが、
良く良く考えてみればヴォアザンさん、全金属製の飛行機は作っていません。
彼の手掛けた飛行機、恐らくは全て木骨に羽布張りという構造であった筈。
自動車の方も実際に市販されたロードカーに限って見るならば、時に突飛とも言える物は有れども
全体には地味で保守的な機構のまま押し続けた人と言えるでしょう。
30年代は安価な大衆車の方が高価格高級車よりも先進的な内容を持っている事が珍しくなく、
プジョーがIFSの採用に先鞭をつけ、シトローエンが驚愕のモノコック構造+前輪駆動の
“トラクション・アヴァン”を発表した頃にも、高価格車の方はアールデコの残り香を求めて
カロシェに爛熟の極め“フラム・ボワイアン”様式のボディーを作らせ、着せる為もあってか
旧態依然たるフレーム付き構造を捨てられなかった時代でした。
しかしそんな中で、ボディーを全て自製していた例外的高級車メーカーであったヴォアザンもまた
モノコックに踏み切れなかったのは少々理解しかねるところも有ります。
X型車輪配置の試作車“コッシネーユ”だの、直列12気筒車だのといったモノになりそうもない研究で
そこまで手が回らなかったのか、それとも移り気なガブリエルさんの思いつきで
次々と新奇なボディーを着せる為にはフレームレス構造にはしたくなかったのか?
いずれにせよ、若き頃飛行機屋時代の“商売になるなら顧客に妥協もする”という商売人の顔は
その頃には既に失われていたのでしょう。
世の中にかつて存在した興味深い自動車、実物が無いのなら写真だけでも見たいと思うのは
私のようなタイプの車好きなら当然思うことですが、見たい物を全て見る事は恐らく叶わぬ夢でしょう。
先日少し触れたヴォアザンの直列12気筒車等も、その存在は有名ですけど
写真は見た事も有りません。
今はインターネットが有るので、昔から考えればかなりいろんな車の画像が見られるのは良いのですが。
ところで。
先日発売されたSCG50号では、新生ブガッティと共にイタリアにかつて存在したディアットというメーカーの
復活が特集されていました。
メルセデスがマイバッハブランドを復活させて以来、こういう商売の方法はちょっとした流行のようで
オランダのスパイカーとかもこの流れに沿った物と言えるでしょう。
他にも、一時期VWグループがホルヒブランドを復活させるという噂も有ったようですが、
こちらはどうやら立ち消えに終わったようです。
ディアットについては、SCG誌上に詳しい事が書かれていますが、マセラーティとは縁の深い会社で
“もしもディアットが財政難に陥らなかったなら、マセラーティ社は生まれなかったかも”等と
書かれた本も有りました。
しかし現代に於いては全く忘れられていたメーカーでもあり、何でまたこの名前を復活させたのか?
日本人である私には、オランダのスパイカーと同じく理解しかねるところもあります。
そんなこんなで思うのですが、その国の人でなければ理解出来ないようなメーカー名の復活も
その国の市場戦略の上では意外と有効な事もあるのかも知れません。
日本でも、例えばトヨタ・レクサスに対抗してニッサンがインフィニティブランドを日本市場にも
導入するなんて話が有るようですが、それよりもいっそのことパッとしないフーガの車名を
グロリアに戻し、スカイラインと共にプリンスブランドで売った方が、インフィニティなんつう
憶え難い名前よりも(主に団塊世代とかには)アピールするのではないでしょうか?
(余計なお世話でしょうけどね w)
プリンスの名前が復活させるに値するか否かは判断の分かれるところかも知れませんが
高価格な車なんてのは、どうせ多くが売れる物でもなし。
一部の人にだけウケれば良いと割り切れば、そういう事(復活)が有るのも面白いのではないかと
ちょっと思うのです。
もっとも、名前を残す事、復活させる事に意味を感じるブランド名もあれば、
大して意味が無いと思える物も有り。
シムカ→クライスラー・フランスをシトローエンに次いで吸収、傘下に収めたプジョーが
シトローエンの名前は残すに値すると判断したようでしたけれど、クライスラー・フランスの方はと言えば
その中にかつて吸収された“タルボ”の名前を一度は使用してみたものの、
結局のところは大して残すメリット無しとなったようで、サンバ一車種でお終いになった様子。
逆に、ブランドネームには車好きな人に訴えるモノが有ると思えるのに、
それを商売の上では上手く生かせなかったような例も有ります。MGなんかはその代表でしょう。
トライアンフもそうですが、MG辺りは現代でもかつての生産車を大事に保存している人は多く、
復刻版すら生産される程に人気が有るのですから、その名前にも価値は有る筈。
もっとも、それだけに下手な形では復活させられない。難しい名前でもあるのでしょうか。
かつて存在し、今でも上手く復活させればそれなりの価値が有るであろうブランドネームは
まだ一杯有るでしょう。
それこそ、かつては高級ブランドだった筈のディビジョンのイメージ下落に苦しむアメリカ車メーカーなど
ピアス・アローやデューセンバーグの名前を復活させて、メルセデスに於けるマイバッハのように
使ってみたら面白いのではないかと、無責任な外野の一人として思うのですが。
>>438 クライスラーはドイツ人に切り捨てられて消えそうな勢いですが・・・www
どうせならコッポラが映画化した「タッカー」ブランドを復活させてみてもいいのではないでしょうか。
潰しにかかったビッグ3の手で、ってわけにもいかんでしょうが。
日本では乗用車ブランドとしての「日野」「いすゞ」の復活を望みたいところです。
>>439 いすゞはともかく、日野の復活は無理が有りそうに思えますね。
あと、タッカーの場合は映画ではかなり好意的に描かれていましたけど、復活以前にメーカーとして
成立出来たと言って良いものでしょうか?(w
昨日書いた後でちょっと思ったのですが、タルボ(タルボット)っつうのも結構ややこしいメーカーで、
英国サンビーム社と合併したダラックを傘下に収めて
“サンビーム・タルボ・ダラック”と名乗った事もあれば、方向指示器を初めて装備した車で
ヒットを飛ばした事もあり。一応は英国の会社だった筈なのが、フランスにも拠点を持ち
英国の本体が戦前一杯で消滅した後にもフランス側の方はアンソニー・ラーゴという人に買収され、
先日画像を上げたGPカーを走らせた事も有りと、その歴史はかなり紆余曲折に富んでいます。
(つか、さすがに面倒なので整理し切れていないところも有ります)
それと、ダイムラー・ベンツに切り捨てられたクライスラーですが、
こちらもアメリカにかつて存在した比較的小さなメーカーを多く傘下に吸収してきた会社ですが、
何故か日本の三菱とは縁が深いようです。
一時期三つに分割された三菱系自動車会社の内、東日本重工業が後にAMCに吸収された
カイザー社の“ヘンリーJ”を、中日本重工がウィリス社のジープをノックダウン生産
後に三菱系自動車会社は再び合併。カイザーとウィリスも合併。
こちらはジープ部門のみ残して消滅も、そのジープ部門はAMCに吸収された後にクライスラーへ吸収
自社製品を開発するようになった三菱とクライスラーは一定の関係を持ち続け、
クライスラーは後にダイムラーベンツと合併、すると何故か送れて三菱もその傘下入りしたものの、
リコール隠しに始まる騒ぎで切り捨てられ、そして今度はクライスラーも業績低迷で切り捨てられて・・
(あぁ、長い話・・)
この、切っても切れない腐れ縁(?)、この先も何処かでまたつながりが生まれるのでしょうかねぇ・・?
消えたブランドネームの話の続き。
先日MGを「車好きな人に訴える魅力の有る名前」と書きましたけど、
消え去るに至る経緯を彼の地でつぶさに見取った人とかならば、既にその名前には魅力を感じず
却ってマイナスなイメージしか残っていない。・・なんて事も有るのかも知れません。
その辺の事は、かつての栄光の日々を真っ先に思い浮かべてしまう我々日本人には
想像するしかないところでしょう。
消え去ったのにはそれなりの理由が有った訳で、多くの場合はろくな新型車を開発出来ずに
顧客層に見向きもされなくなった事から倒産の憂き目に会ったのですから、
その経緯がマイナスなイメージで残ってしまっていては、名前を復活させるメリットも無いと思われます。
しかし、そうしたマイナスなイメージよりも、かつて生産された車の名声が勝っているならば、
新規に市場へ参入するメーカーにとっては新たなブランドイメージを一から構築するよりも
かつて存在した銘柄の名前を復活させて利用する方が有利な場合も多い筈。
例えば、アメリカ市場にて新たに高級車ブランドを立ち上げたいと考えるならば、
レクサスだのインフィニティだのアキュラだのといったチャンネルを作って憶えて貰うよりも
パッカードとか、ピアス・アローといった名前を復活させた方が
簡単に誰にでも目指す方向を理解して貰えると思うのです。
まぁ、そういう手法を採らなかったのは、新しい名前を使う新鮮さの方がメリット有りと
踏んだのでしょうけど。
もっとも(例えば)かつて“アメリカの恋人”とまで言われ、全盛期のハリウッドスターも多くが愛したという
“パッカード”なんつう名前を外国のメーカーが使用することには
アメリカ人達は反発するかも知れず、そう簡単な話ではないのでしょうか。
「パッカード」「ピアス・アロー」「デューセンバーグ」「オーバーン」「スチュードベイカー」
うーん、いずれも素晴らしい栄光を背負った名前であるが故に、
生半可な覚悟ではとても復活できないし、
往年のビッグネームの衣鉢を継いだ車、として名乗りを上げること自体、許されがたいものでしょうね。
復活を試みるのがたとえアメリカの企業であったとしても、冗談でなくマニア諸氏に殴られますわ。
個人的には、1990年代以降に復活してきたブガッティにうさんくささを感じてしまうんです。
戦前にエットーレ・ブガッティが作った車って、エットーレ流の美意識でかなり凄い車にはなってましたけど
地面に足が付いたまともなクルマではあったと思うんです。
今のブガッティは、どれもただ無茶なモンスターカーですから。あんまりエレガントにも思えないし。
その点、元来は別メーカーのブランドでありながら、
「ドイツの自動車史上で唯一自社を凌駕するステータスを持ったビッグネーム」
「創業時に関わっていた偉大なエンジニアが独立して生み出したブランド」
「常識外れの途方もない高性能・高級大型車」
という歴史・史実をぶちこわすことなく、「マイバッハ」を立ち上げ直して見せたダイムラーには脱帽しました。
いろいろ毀誉褒貶はあるが、元々戦前のマイバッハ・ツェッペリンが途方もないクルマでしたから
あれはあれでうまいことやったな、という印象があります。
一方で、あまり重すぎない名前なら位置づけによっては上手く復活できると思うんですよね。
最近、日本車で往年の人気車種の相性を復活させる例が幾つも出てますけど、
あんな感じでうまく名前を使えればいいな、と思うケースは、多いですね。
個人的にはライレーとミネルヴァの復活を希望。
何故にいきなりミネルヴァなのでしょ??(w
日本人には左程馴染みの無い名前でしょうが、オランダのスパイカーの例も有るように、
案外ベルギーでは重い名前かも知れませんよ。
ブガッティに関しては、いろいろと言われているようですが、私は現代のブガッティも結構好きです。
値段や突拍子も無い性能ばかりが大きく取り上げられていますが、意外と良い形ですし。
ブガッティという名前には、力の有る自動車人ならば復活を試みたくなるに充分な魅力があるのでしょう。
そして復活させるならば、半端な物は作れない名前でも有るのだと思います。
つまり、やる以上はああいう物にならざるを得ない部分が有ると。
まぁ、最初がヴェイロンのような超弩級の物になる事は予想出来た事でもあるので、
一番の興味は次に何を出すのか?ってことでしょう。
どうせ私には無縁でしょうけれど、次に出るモデルはエットーレ時代のブガッティのコレクターも欲しがる
そういうモデルであって欲しい気がします。
私個人としては、メーカーは実はシトローエンさえ有れば良いのですが(w)
今やイタリアにしか残っていないカロッツェリアの復活があっても良いと思うのです。
イタリアだけでも現状、様々な国のデザイナーがそこに集結することで
結構多様なデザインが生まれているようですけれど、
やはり何処となくイタリア調に染まるのは仕方ないところ。
車のデザインが更に多様化し、我々見る側を楽しませてくれる為には、
独立系デザインスタジオがもっと様々な国にあるべきではないか?とか考えることが有ります。
それこそフラムボワイアン・火の玉ボディーの車とかナイフエッジの車とかの現代的解釈が
そんなところから生まれ、生産化に至れば楽しいとは思いませんか?
どんな物を出しても、絶対に賛否両論沸き起こる物ってあると思います。
ブガッティの名前を持つ車というのもそんな中の一つ。
彫刻のような直8エンジン、磨き上げられたリーフスプリングが貫通する固定前輪軸、
もしもそんなエットーレ時代のディティールを再現したモデルが出たとしても
“時代錯誤”という非難は避けられないでしょうし、
今考えられえるあらゆるテクノロジーをつぎ込んだ車を仕立てたとしても
“ブガッティらしさが無い”と言われるのはまた仕方の無いところ。
それでも、今復活させなければその名は歴史の中に埋もれてしまうかも知れない。
ブガッティの名前を復活させる事が出来るのは、もしかしたら今しか無いかも知れない。
もしもピエヒさんがそう考えたならば。強引とも見えるやり方でブガッティ・ブランドを復活させた事も
なんとなく合点が行くように思います。
とにかく、皆の記憶に有る内にブランドを復活させる事。
その為にとりあえずは生産車を出す事。それが最も大事だったのではないでしょうか?
乱暴な言い方でしょうけど、どうせどのような物であろうと賛否両論が起きるのでしょうから。
ブガッティブランドの復活っつうのは、マイバッハの例とはかなり目的が異なるように思います。
一応、マイバッハは商売ですし、その存在がメルセデス・グループ全体に与える影響という部分も
少なくはないでしょう。一種の広告塔戦略みたいに。
それに対し、ブガッティは商売にはなっていないのではないでしょうか?
すくなくとも、仕掛け人のピエヒさんにとっては、
アレは通常のビジネスとはかけ離れた物だったように見えるのです。
・・どうも変に理屈っぽくなるのは私の良くないところ。マジメなのがすぐにバレちゃう(w
ブガッティ・ヴェイロンの姿はモーターショーで見ただけですし、
この先も恐らくは公道上で見る事は無いでしょう。
私は先日も書いたように、結構あの形が好きです。
http://www.bugatti.co.jp/bugatti/index.html ここでは1991年に登場したイタリア製ブガッティEB110の他にも、
幾つかのコンセプトカーの姿が見られますが、
正直に言って他のどれでもなくヴェイロンが最初のモデルであって良かったと思います。
モノの形の美醜を理屈で説明し、片付ける事は大変困難な事であります。
そこに客観的基準なんつうものを持ち込む事も難しいですし、
何をどう書いても結局のところは個人の嗜好でしかないと言われてお終いになるかもしれません。
その“個人の嗜好”ですらも中々言葉によっては説明出来ないものではありますが。
それでは、美は見る側の目に宿り、全ては相対的な物でしかなく、
この世に絶対的な美もそれを定める基準も存在しないのか?と言えば、そういうものでもなく。
本当に美しいというものは、その時代とか見る側の視点により多少の評価の変化はあれども
決してその本質は変化しないものでしょう。
それを誰に判断を仰ぐでもなく、自ら見極めるだけの資質も経験も私には無いでしょうけど、
時には単なる自分の趣味嗜好だけではなく美の本質に近いと感じる物もあり。
改めて。ブガッティ・ヴェイロンは良い形であると思います。
そしてかつてのイタリア製・EB110はそう感じません。
これは単に私個人の嗜好の反映でしかないでしょうか?
>これは単に私個人の嗜好の反映でしかないでしょうか?
個人の嗜好以外の何物でもない。
かつて岡本太郎さんは「端正なだけ、単に綺麗なだけのものには人の心は動かない。
『これは一体何なのだろう』という驚きそれを喚起するものの中にこそ真の美がある」
といったようなことを言われていました。
自動車に於ける良い形っつうのは、商業性と切り離せない部分も少なからずある事から、
特に美しいだけではなく見る者の印象に強く残る事が求められると考えられます。
それこそ単に整っているだけで印象が希薄ではいけないものでありましょう。
しかしだからと言って、なんでも驚かせればそれで良いというものでは無いのは勿論の事であり、
退屈な全体形に、突飛な細部を散りばめただけのものは幼稚でしかない物であります。
EB110に対してヴェイロンが優れていると考えるのはこの点に対してなのです。
宝石の嵌め込まれた計器類だの、馬力計だの、常軌を逸脱した性能や価格といった、
言わば莫迦げた話題性はあの車にある種の商業性をもたらしてはいますが、
そういう事を忘れてあの車の形状を見ると、意外に細部まで奇をてらう事なく、良く練られています。
強いて人目を惹く部分を挙げるならば、例の馬蹄型グリルやダブルトーンの塗り分けでしょうが、
それはかつてのエットーレやジャン・ブガッティが作り出した車を想起させるところであり、
ブガッティ車をそれと成りせしめる部分と思うなら、そこに見る者の目を惹き付けるのは
デザインした人の意図として理解出来るところでしょう。
ブガッティのエンブレムを付けなければ他の何かであっても全く構わなかったような、
T252やらEB110とヴェイロンの違いは、かつての(特にジャン・ブガッティのデザインした)ブガッティ車への
理解の深さや尊敬の有り方ではないでしょうか。
・・と、また理屈を並べてみましたが、これまで多くの超高性能車がイタリア調に終始して来た所に
それらとは異なる味わいを持ち込んだブガッティには、一人の外野(つか、野次馬w)として
デザインの多様化を一歩推し進めた功績を認めてあげたいと私は思うのであります。
美醜はともあれ。
ヴェイロンの形がブガッティらしいか、それともらしくないか。
それは見る人それぞれが、ブガッティという名前から連想するものが何なのかにより異なるでしょう。
初期のT13“ブレシア”こそブガッティらしいと思う人とか、T35GPカー、
或いは古典的な自動車美を追い求めたサルーンカーの数々こそ“ブガッティらしい”と思う人ならば
今回のヴェイロンには“らしさ”を見い出せないのも当然と思えますし、
T46やT50の“クーペ・プロフィレー”やらT57の“アトランテ”や“アトランティーク”が好きな人とかなら
意外とヴェイロンは受け入れやすいのではないでしょうか。
つまり、ヴェイロンっつう車に流れている感覚ってのはエットーレのそれとは少々異なり
子息のジャン・ブガッティの物に近いと思えるのです。
30年代のフランス製高級クーペっつうのは現代でも人気の有るジャンルでしょうけれど、
その中にあって、ジャン・ブガッティの作り上げた形の美しさはまた格別でしょう。
ドラージュD8-120とか、フィゴニ・エ・ファラシのタルボやドライエとかも良いのですが
それらと比較してもジャン・ブガッティの作品は一歩抜けたところに有ると思います。
彼が若くして亡くなり、その才能の更なる発展が見られなかったのは大変に残念な事です。
よく“彼がも生き続けていたなら、ブガッティは絶える事なく存続していたであろう”
みたいに言われるのはさすがにどうかと思いますが、ジャンを失った後のブガッティ車、
戦後のT101等には見るべき物は少ない事、それは事実でしょう。
仮にジャンが生き続け、オリジナルのブガッティ社があと数十年続いていたならば、
現代のカーデザインの世界は少し異なる事になっていたかも知れません。
少なくともピニン・ファリーナに代表されるイタリアン.デザイン一辺倒のような事態には
ならなかったと私は考えます。
今日は疲れたので保守だけ。
さて。かつて有名だったメーカーの名前を復活させるという商売(?)のやり方ですが、
それを最初にやったのは、今ではその事を殆どの人は忘れているかも知れませんけど
アウディだったのではないでしょうか?
アストン・マーチンのように、何度も倒産と再生を繰り返しその度に経営者が代わった例も有り、
こういうのも消えかけた名前の有効利用といえるのでしょうけれど。
もっともアストンの場合は活動休止期間が長く続いた事も無いので、一度は完全に消えたメーカーが
復活した例とはやはり意味合いが異なると思うのです。
以前一度書いた話ですがアウディの歴史っつうのも複雑ですで、
元々は高価格・高級車メーカーだったのが経営難から大衆車メーカーDKWに半ば吸収されるようにして
一緒に吸収されたホルヒやヴァンダラーと共にアウトユニオンを結成。
しかし第二次大戦後は旧東ドイツ領に本拠があったことや、高級車市場の縮小からその名前は消え、
アウトユニオン社は大衆向きのDKW生産に専念、アウディの名前は此処で一度消えています。
ところが60年代に入ると2サイクルエンジン車DKWの人気が急落。一時期ダイムラーベンツが
株式の大半を取得、経営に参加していたようですが64年頃にはVW社が肩代わりしたことから
話はまたややこしくなり、VWと市場が被る大衆車の生産を止め、もうちょっと高級志向に転じ
DKWという名前は引っ込めて、かつて高級車を生産していたアウディ・ブランド復活となったようです。
つまり第二次大戦集結〜60年代半ばの約20年の間は消えたままだったブランド名の復活。
しかしアウディという車名、復活させた本人達が思っていたほどには知名度は高くなかったようで、
特にアメリカ市場では70年頃、ディーラー網を共有する戦後派のポルシェのCAN-AMレーサーに
“Porsche+Audi”なんて書き込んでいた名前を売り込んでいたようです。
最近、VWグループには更なる高級車市場に向け“ホルヒ”ブランドを復活させる案も有ったそうですが
こちらも今では知る人は少なく、名前を復活させるメリット無しという調査結果だったとか。
ドイツ人のプライドの高さと、現実との間には少々ギャップが有ったということでしょうか。
アウディという会社、その社名の由来とかはWeb上に一杯書かれた物が有るでしょうが
戦前に生産された車についてはあまり知られていません。
以前にも書きましたが、私自身も戦前型のアウディは一台しか見た事が有りません。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/2e8d.jpg?bcAfD2GBNUCsnWm_ これは1924年のタイプEという車だそうで、軽合金を多用した進歩的な設計だそうですが、
形そのものはあまり面白い物ではないと思います。
特徴的なのは鋭角的なV字型ラジエーターですが、これも古いドイツ車に良く見られる物ですし
左程に珍しい物でもありません。
そのアウディ等がDKWに吸収されるように傘下へ収まりアウトユニオン社が発足したのは1932年ですが
アウディ社に限ればその数年前から経営権は既にDKW社に握られており、
その製品もアメリカ車風の平凡な物であったそうです。
・・上の写真だけ見れば、その前から見た目は平凡な車だったようですが・・。
戦前にはドイツにも多くのコーチビルダーは存在しましたけれど、
イタリアのピニン・ファリーナやザガート、トゥリング。またフランスのアンリ・シャプロンや
フィゴニ・エ・ファラシのように特に面白いデザインや構造を作りあげたような有名どころは無く、
全体にマイナーな印象しか有りません。
強いてあげれば、現在もオープン・ボディー製作で有名なカルマン社でしょうが、
戦前にはこれといって面白いデザインの車は作っていないように思います。
20〜30年代のドイツ高級車市場は小さい物でしかなく、そんな中でヤーライ流の空力研究も行われた為
メーカー自製ボディーも多かった事が影響しているのでしょうか。
現代のアウディはドイツ車の中でもデザインに意欲的なように見え大変結構なのですが、
そんな訳ですので過去から引用出来るモチーフっつうと意外に少なく、
ドイツ的なるものを追い求めていくと何処か理屈っぽく、また威圧的になる傾向があるように思います。
さて、アテクシ購読?のCGメルマガでお知らせがありまして
なんでも”カー検”(車検に非づ)つうのが始まるさうなのです。
要するに”クルマヲタ検定”。 まーアテクシあんまり受けたくはありません、
うっかり1級なんか取ったら”ヲタ1級”つまりは1級知的障害者つうことになってしまひますので。w
”カー検”
http://www.kentei-uketsuke.com/car.html そして受験の為の勉強会も開催されるとのこと、これはちと面白さうだなぁ。
http://www.webcg.net/WEBCG/webcg_news/info/carken.html まぁ、個人的には学科のみならづ実技も試験項目に入れて頂きたいところ、
当然ダブルクラッチ・ヒールetトゥ、自在なドリフト、ABS無し車両での緊急回避など
当然出来なくてはなりません。ぁ、それでは単なるボーソー検定か。w
ちなみにアテクシ、上記検定ページの模擬試験受けたwところ
100点中90点、1ヶ落としたのはアテクシ最も苦手とする現行国産車、
それも苦手中の苦手、軽・冷蔵庫et土方缶詰(ミニバン)部門でした。
>>452 何故か満点でしたw
ちなみにC1110は間違い・・・本当はC110だったりしますww
久しぶりついでに。
当時のスカイライン型式(通称:箱スカ)
C10:1500cc、PC10:1800cc、GC10:2000cc(L型6気筒)、PGC10(S20のセダン)
KPGC10(S20の2ドアCOUPE)
さらにオタクネタとして
GC10のL型のオイルパンは、特異な形状であったため、他車からの流用にはコツが必要であった。
(大したことではないけどw)
オイルパンの交換と同時にオイルポンプからのストレーナーを交換しなくてはなりませんでした。
細かいネタでは、KPGC10のオーバーフェンダーはリベット6本留め
KPGC110ではリベット7本留め。
同時期のS30型240ZGは6本、TE27とFTOは5本、チェリーX1-Rはフロント7本、リア5本だった
と酔う度に説法を奏でる先輩がおりました。
正直、どうでもいい話ですが、毎回聞かせられると否応なく覚えるものでw
>>452-455 実は先日
>>411さんが高原書店の名前を書き込んで下さったとき、どんな本屋さんかと検索したら
そのカー検定なる物を知りました。
その時には違う模擬問題が有ったのですが、その問題の時には都市に流入する車の量を調整する
方策の名前云々という問題で間違え、今回はエロスパ氏と同じところで間違え(w)満点は取れません。
その反面、その時の問題にあった「問・ツインカムと同義語はどれか?→答・DOHC」というところで
何度か此処で話に出たライレーやタルボのOHVを思い出し、「それは違うだろ?」と思いました。
その検定、私も受ける気は無いです。あまりにも範囲が漠然とし過ぎでしょう。
オタクといっても、私とメインさんとではかなりタイプが異なるように、結構いろんなタイプがいて
私は
>>454を見て「C110?・・C111ならメルセデスの試作車だったけどなぁ」なんて思ったり(w
・・つか「お向かいのキクチさんちのカローラを、ずっとアリオンとばかり思ってみていた」なんつう私。
何処が弱いかは判っていても、興味が無い事を勉強する気も起きませんし。
ドイツ車のデザインの話・続き
アウディに限らずドイツモノと言えばバウハウス調。機能的に整理された造形
よく整理されて機能に忠実である事には文句も無いですが
「それこそが美しい」とかと言われると「ナンだかねぇ・・」みたいに思うこともあり。
元祖バウハウスの盛んだった頃。ヒトラーは何故かこれが嫌いだったようで、圧迫の末に国外に追いやり
バウハウスはシカゴで発展をみました。
自動車デザインの方面に於いてはこの当時のドイツ自動車界はヤーライ流の流線形消化に熱心であり
本当の意味でのバウハウス的なるものは、実はアメリカ車・初代リンカーン・コンティネンタルとかに
見られる。と、故・五十嵐平達さんは書かれています。
この車がヤーライ流の流線形車・ゼファーをベースとして誕生した事は興味深い事です。
ドイツ車に最初にバウハウス的なる物が現れたのは、私はVWのビートルだったと思います。
これもそのデザイン(特に後姿)にはゼファーの影響が強いのは面白いところ。
バウハウスっつうのには時に説教臭いモノを感じるは、私の性格に由来するのでしょうか。
同じ時期のフランス車、フラムボワイアンな車の方が面白いと思う事が有ります。
フラムボワイアンは装飾過剰とよく言われますが、実は意外にも理屈っぽいところも有り
その点ではバウハウスとも共通する部分も感じられます。
http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/cacd.jpg?bcsSY2GBPi107b1I http://proxy.f2.ymdb.yahoofs.jp/users/e6ddb2d7/bc/7fb6/__hr_/bddc.jpg?bcsSY2GBzJ_zwM38 トヨタ博物館のドラージュD8-120ですが、この特徴的なフロントフェンダーも
“空気抵抗の元のタイヤを覆い隠す”っつうフェンダーの機能を目に見える形で表現したもの、
説明的な造形と思えば“過剰さ”の意味合いも異なって見えると思うのです。
・・キモオタへの道、まっしぐら(w
フラムボワイアンっつう呼び方は当時からされていた物ではなく、60年代にクライスラーのデザイナー
ヴァージル・エクスナーさんが名付けた呼び方だそうです。
クロームの装飾に火炎を模ったような物が多く見られる事からの連想だそうですが、
その後この呼び方は一般化し(?)30年代後期のフランス製装飾的ボディーを持つパーソナルカーの
総称になった感が有ります。
しかし元々フラムボワイアンの総本山とも言えるカロシェ、フィゴニ・エ・ファラシっつうところは
1930年代前半にルマンを連勝したアルファ・ロメオのレース用ボディーを作った事で有名になったように
装飾的なボディー作りよりもレーシングカーの空力的なボディー作りを得意としていたところだそうです。
SCG061に詳しい事が書かれていますが、ブーローニュ競馬場の傍に工場を構えていたので
スポーツマンの顧客が自然と集まったことから、その製品もスポーティーな物が多くなり
1932年にパリへ組立工場を作ったアルファも(フィゴニはイタリア人だった事もあり)顧客になったとか。
上流階級の為に絢爛豪華かつ流麗なパーソナルカーを作るようになったのはその後の事。
で、此処からは私の推測混じりになりますが、
本来ならばブレーキの冷却などには不利な例の球根型にタイアを包み込むフェンダー等は、
レースで培ったスポーティーなイメージを目に見える形にしたものではないでしょうか。
つまり空力というものを、感覚的に理解して貰う為の説明的造形。
アールデコ的な“機能を表現する形状”の延長線上に有るモノと思うのです。
これは顧客の多くはブレーキの冷却が問題となるような使い方はしないと踏まえたうえで、
コンクールで見る人に訴える事を主目的とした脱線でもありますが、戦前にはこのお遊びも
漫画になる手前でバランス出来ていたのでしょう。
戦後にはフィゴニのデザインも急に陳腐化されていきます。
多くはかつて自らが作った作品のパロディーのようになり、バランスを崩してしまった感が有ります。
やはりレースで生まれた、車本来の機能から発生した戦前の脱線は許容される範囲にあっても、、
その脱線、他人に見せびらかす事を目的にした車からの更なる発展形には機能も何も無く
行き過ぎた装飾性からは美的なる物も失われるのでしょうか。
1938年のタルボ・ラーゴT150・フィゴニ・エ・ファラシ・クーペ
http://www.carstyling.ru/resources/classic/38talbot-lago_t150ss_1.jpg http://www.petersen.org/images/Exhibitimages/Talbot_Lago_1937_T150_SS.jpg 同形車はこの年のルマンで3位に入賞しているそうですが、さすがにルマンカーともなると
フロントのスパッツは付けられていない様子。
フィゴニ・エ・ファラシっつうカロシェは大変有名ではありますが、実際には小さな工房でしかなく
1920年代半ば〜50年代半ばの30年程の生涯の中で、手掛けた車の数は300台程に過ぎないとか。
この中には一世を風靡したフラムボワイアン様式の華麗なクーペやロードスター、
またアルファやタルボ等のルマン・カーも含まれている事から、実際の規模以上に知名度は高いようです。
また、当時のファクトリー・レーシングチームの規模っつうものもなんとなく判る気がします。
Googleイメージ検索で“Talbot-lago”と入れると、大人しいボディーの車も意外に多く引っ掛かりますが
やはりタルボと言えばこの手の装飾的ボディーを纏った派手な車のイメージが強烈でしょう(・・でしょ?)
こうした事からも、タルボという名前自体から受ける印象っつうのは意外と希薄であり、
プジョーが吸収した欧州クライスラー系モデルをタルボの名前で売り出したものの、
結局はその名前を使うメリット無しとしてしまったのもその辺に理由が有るのかも知れません。
もっともフィゴニが派手なボディーを着せたタルボは英国タルボ(タルボット)のフランス分家で
59年に消滅したメーカー。
プジョーが吸収したのは45年をもって一旦消滅した本家側、旧ルーツ・グループ傘下入りした
英国タルボの流れという事になるのかもしれませんが。
この手の30年代ネタは、やり始めると際限無く続くのですけれど(w)
さすがに興味の有る人も少ないでしょうから、ちょっとこの辺で更に誰も興味無いであろう私事の話。
何度か書いた事が有るように、我が家にはシトローエンと、もう一台小型のトヨタ車が有るのですが、
思うところあって、近くこのトヨタ車の方を手放す気になりました。
「思うところ」といっても実はつまらん事で、先日SCG50号を読んでいたところ。
瀧澤広さんという方の書かれた文章にちょっと気になるところが有った為。
長年英国車を乗り継いだこの方が、ある事情から足グルマを新調する必要に迫られ
それを決めるまでのつなぎのつもりで10年落ちのメルセデスC200を購入したところ
コバショー先生に「みっともないからおよしなさい」と叱られたというのがその内容ですが
子供の頃から雑誌やテレビにすぐに影響された単純な私。今回も簡単に影響されました。
トヨタ車が好きで乗っているのであれば、別に何も恥じる事などないでしょうが
車好きを公言しつつ、好きでもなければ愛着も無い車を所有するのはいけない事をしているように
思えてきたのです。
まぁ、バカバカしいと言えばそれまでの話なのでしょうが。
問題はそれに代わる車を何にするか?っつう事ですが、ナンと言っても(実は)家人名義の車を
私のワガママ(つか、思いつき)で勝手に買い換えようというのですから高いのは許可が下りないし
第一買える訳が無い。
以前此処に書いたように、実用車が二台有るってのは意外に無駄なのですが、
主に家人が使う車ですので、あんまり変なの買っても家庭内平和の妨げになりそう。
そんな事も思うと意外にこれと言った候補が無いので困ったものであります。
・・でも一番“困ったもの”なのは、こうした私自身の性格なのでしょうね・・(w
ぢつはアテクシT澤変酋長そこそこ存ぢております。
かつて「キミのことだから75だらうと思ってゐたのがヌパイダ、
それもよりによってセリエ4とは」と言はれたことがありました。w
まぁその後ご存知の通りの体たらくになってゐる訳ですが。w
さて、そのアテクシ、好きなものしか手を出さなひとは言へ
興味の無ひ部門に於ひては心底だうでもE、その代表例が家具でありまして
ゴミ屋敷一掃大改装の際に重宝したのがニトリ。w
凝り性のアテクシでありますが、ソファはポルトローナ・フラウでなければとか
デスクの椅子はレカロでなければとかいふ趣味は幸か不幸かありません。
もしクルマに対して単なる道具、使ひ潰しの使ひ捨てと思ってゐたなら
迷わづ盗用多の安物で満足してゐたでせう。
さりとて現状の道楽グルマ2台体勢も「クルマが好きだと公言するならこのぐらひやれ」
とは勧める気もありません、とにかく大変ですから。w
生半可な気持ちでやれることではありませんから。
いつも世話になってゐる伊藤忠時代からのアルファ工場の社長にも
「普通古アルファ乗るなら現行国産を1台ゲタに持ってるもんだけどねぇ、
古アルファ2台だけで全て済ます人も珍しひよ」と笑はれましたし。w
ぃあ、本音は2台だけで済ます気は無ひ、何とか増車したひと常々考へてゐるのです。w
馬鹿と情熱は紙一重なものであるます。w
さて、一方、今週だったか先週だったか、
朝の通勤時に反対車線をこれ股通勤と思しきをぢさんがズリエッタだかズリアだか
(要するに100系)のヌパイダで走ってるのを見て、
これはアテクシまだまだ、と性根を入れ直したものであるます。w
75にプラス増車するなら…
ES30のRZかな
エロスパ氏のように、先ずスパイダーが有って二台目を捜すというのなら話は簡単・・
とは言えないまでも候補が思い浮かばないという事はないでしょうが、
先に実用セダン、それもある程度スポーティーなモデルが有るという場合には中々難しい物です。
「何にせよ、物は良い形でなければならない」と仰った(らしい)エットーレ・ブガッティさんには共感しますが
かと言って彼のように工房で使用する万力まで自製するほどの凝り性、徹底ぶりは持たぬ私。
長時間座るとあちこちが痛くなるシートでも、乗り降りは楽。
開口部が小さく、大物の出し入れはし辛いけれどその分開け閉めは楽。
近距離の買い物用にはそんなトヨタ車の便利さも捨て難いのですが、
シトローエンの方を車には過酷なそういった用途に使うのが惜しいからと言って、愛着もない車を
使い捨て用に持つのは以前から少し罪悪感みたいな物を感じていた事もあり、これも良い機会かと。
昨日に続き、最近雑誌を読んで思ったこと。ただし今日は「少年ジャンプ」(w
先週辺りの「こち亀」で「缶コーヒーやカップ麺は、消費者に飽きられない為にだけ新商品を次々と出す」
みたいな話がありました。
そんな事もない・・かも知れませんけど、その時ちょっと思った。トヨタ辺りの商売ってのもそんな風かも。
そう思って見ると・・毎月のように新型車が出るけれど、一体何処が先月に出たモデルと異なるのか?
よくワカランモデルばかり。CMはよく見ますが、車の全体像は殆ど映らないのばかり。
形を覚えられると何か困るのでしょうか?
・・・・困るでしょうね、例えば現行のエスティマ。側面形だけ見るとウィッシュを少し拡大しただけ。
あの手のワンモーションデザインは制約も多いでしょうけど、三代目(FFになって二代目)で
あっさりとネタ切れした事がバレてしまう。
ネタ切れを隠そうともしないデザインチームも凄いですが、
販売店の都合にでデザインがついていけなくなっているように思えます。
それでも新型車(当社比w)を出し続けないといけない。
まるで泳ぎ続けていないと生きていけない鮫のような商売方法ではないでしょうか。
アルフレッド・スローン率いるGMが1920年代に打ち出した毎年のモデルチェンジ施策を
巨大なフルラインメーカーの宿命として踏襲しているに過ぎんさ。
エンスーが何を思おうが、多数派たる一般消費者が望んでいる物を提供する事は企業としての正義だと思うがね。
>>466 GM式=毎年同時に全てをモデルチェンジ
トヨタ式=ばらばらにモデルチェンジすることで、
いつでもショールームには新型車がある
また、トヨタ式だと同じ金型が四年使える
後から出た強味、上手く考えたもんだ
う〜む・・眠い・・(莫迦 w)
やはり現代の話の方が書き込みは増えるなぁ・・。
>>468 考えた結果、そうなったのか?それとも何も考えなかった故の事なのか?
どちらなのかは判らないところも有りますが、確かに何時行っても新型車が有るのは華やかな事。
>>467 私はカスタマー・ファーストっつうのは、いろんな意味で正義ではないと思います。
それは少しややこしい話になりますので、また少し頭の中を整理してから書きますが、
今のトヨタ流の商売は、カスタマーファーストともちょっと違うように思います。
トヨタに限った事ではないのかも知れませんが、昨今の国産メーカーの商品企画っつうのは
一般消費者が望む物と言うよりも、販売店側の都合に沿った物なのではないか?と、思えます。
それにしても現代日本車メーカーのワイドバリエーションっつうのは凄いですよね。
CG巻末の価格表が、国産だけで4ページ。昔は1ページで足りたのに。
欲しい物以外なら何でも有る(w
まぁチョンヨタ批判はアテクシ止まりませんので今回は控へませう。
それはとこもかく、ヲタ養成といふ御題を頂くこのスレ、こんな連中画像拾ひました。
http://wktk.vip2ch.com/vipper33626.jpg まぁキンモー★つうか馬鹿っつうか、手の施し様無ひとしか言い様ありません。
が、しか〜し、お腐卵臭の博物館の床這いずり回ってクルマの下覗いて回った逝ってる師、
工場行けばリフトに載ったクルマの下舐めるやうに見てウロウロするアテクシ、
傍目にはこのスカートの中覗く薄ら馬鹿どもと同ぢなのでは無ひでせうか?w
さて、閑話休題(そして股閑話)、使い潰しと割り切る下駄グルマなら今のままで良ひと思ふのです。
いかなコバショー御大の仰ることが正論であらうとも道楽は道楽、生活は生活と割り切ること自体
アテクシは賢明と思ひます、アテクシにはクルマに関しては出来ませんが。w
つうか本心は何とか理由を付けて与太始末してツトローエソだらけにしたひのではありませんか?w
そこで誰かに背中を押して貰ひたひ、と。w
で、あるならもし奥様がMT車に抵抗が無ければ(年代的にAT限定免許ではありますまひw)
いっそ長年の夢2馬力で如何でせう? ピアノも載るw積載量、これ以上軽ひものは無ひ
ブリキ1枚もののやうなドア、高い着座位置とそれによる乗降性の良さ、
ハンモックシートの快適さ、近所の買い物用なら十二分以上の使ひでがあるかと。
もし自分はクルマ好きであって農機具好きでは無ひと仰るのでなければw
AXやVISAよりも2馬力だと思ふのです。
ところでGM式モデルチェンジで特徴的なのは、マイナーチェンジの際
1年で一気に変更ではなく2年に分けて変更することがある、つのがあると思ひます。
例へば昨年のモデルでフロント周り変更し、今年のモデルで後ろ半分変更する、とか。
つまり顔だけ後期型であとは前期型のままの型と、全部変えた後期型が混在する、つう。
なんで2年に分けてやるのか良く分かりませんがときどきこの手をやるんですな、GMは。
借りてる駐車場のすぐ側のスペースに2CVチャールストンが時々止めてある。
(そのスペースにミドエンジンのホンダZが止まってることもあって、いずれにしてもエンスーなチョイスだと思う)
これから夏にかけてどうしのぐつもりか、ニヤニヤしながら観察するつもり。
梅雨時にあの小さなフロントのウインドシールド、デフロスタもろくに備わってない仕様で
どうやって切り抜けるんだろう、と興味津々。
そういえばパナール・ディナ54のオートカー誌による透視図では、
空冷廃熱ヒーター車ながらちゃんとデフロスタを装備していたが……
クーラーなしはひたすら我慢で、ヒーター低性能は厚着でしのぐとしても
まともなデフロスタが備わってないクルマは実用上かなり困ると思う。
デフロスタって、地味だけどとても重要な発明だよね。いつ頃から出現したんだろう。
>>470 実は二馬力系は昔乗って「もう今更・・」みたいなところも有るのです。それに今は二馬力も高いですしね。
高いと言ってもそこは二馬力。買えない程高いという訳でもありませんが、
百万近いお金で中古の2CV買うってのも、なんつうか罪悪感みたいなものを感じます。
・・などと言いつつ。アカディアーヌなら欲しいかも・・(w
>>472 そういう地味な部分って意外に知り難いものですね。
1955年・シトローエンDSの解説文に
「三角窓廃止して、導入した外気をダッシュボードから吹き出すようにした初めての例」
と、書かれていたのを読んだ記憶が有りますが。どんなものやら?
それと、一応今でも走っている2CVは後付けの吊り下げ式クーラー位は付けているのが多いようです。
昔の車の話は小休止の筈のところなのですが。
クローズドカーの換気には昔から結構苦労が有ったようで、ウィンドシールドが上ヒンジで
ちょっと持ち上げられる例とかはよく見かけます。
ジープのように、ウィンドシールドを前に倒せるというのも、戦前のオープンカーでは多く見られますが
ああいうのは他人の目を意識しながら、街中をゆっくりと流す時専用なのでしょうか。
先日話に出たフィゴニ・エ・ファラシはこの点でもユニークな特許を持っていて
ハンドルを回す事でスカットル近くへ格納出来るウィンドシールドっつうアイディアを実用化しています。
工作の入念さの一部を表わす話の一つでしょう。
あと、換気と言えば最近のはどうなのか知りませんが(さすがにそこまで見ないし・・)
欧州車って外気導入と内気循環そのどちらかにしかならないのも多いようです。
国産では大体段階的に調整出来ますが、そうする意味ってどれ程有るのでしょうか?
あんまり意味を感じないところ。
>国産では大体段階的に調整出来ますが
え! それは気が付かなかった。w アテクシどっちかなものとばかり思ってました。
うちの場合75は外気導入か内気循環かどっちかで冷暖房とも可能ですが
ヌパイダが・・・、ヒータは外気導入でしか作動せづ、クーラはこれ股後付け吊り下げなので
内気循環オンリー。まぁ余り困らなひのですが唯一困るのが寒ひ雨の日。
ヒータで暖房すると湿った外気が入ってくる、そこでクーラで除湿すると寒ひ。w
挙句クーラとラジエータ電動ファンが関連してるので水温が上がらなひ。w
この点75はクローズドボディと相まって天国ですわ。w これ以上空調に何を望むのか?w
>>475 クーラーの無い某スパイダー乗りの私は、デフロでウインドシールドを暖めつつ、
三角窓で外気導入していますが。
もっとも、三角窓を使わずともある程度は勝手に外気導入する仕様なのですがwww
477 :
通りすがりの者:2007/06/11(月) 21:20:19 ID:Xe1T5v43O
個人的にはこのスレ、かなりおもしろい。
ただ、読む者にもそれなりに背景知識を求められるのは確か(SUPER CG の購読者とか)。
『相当逝ってる』サン、引き続き熱く語ってね。
>>477 褒められたと素直に喜んでおります(w
こんなヒマな私(変人でもあり)ですが、書く事よりも他の人の書いた文を読む事の方が好きなので
何か気になる事とか面白いネタ有ったらお願いします。
ところで・・。昨日から気になっているのですが、可動式の三角窓って誰の発明だったのでしょうか?
http://www.1motormart.com/gallery/34bck02.jpg これは34年のビュイックですが、量産車では恐らくこの辺が最初だったように思います。
ではGMが三角窓の発明者なのか?つうと、ちょっとそう言い切る自信は無くって、
20年代の英国製コーチビルドボディーにも、それらしき物が見られるようです。
ただ、可動式なのか?とかは写真を見ただけでは判りませんので難しいところです。
今の40代かそれ以上ならば、子供の頃に家に有った車には三角窓が付いていたという
記憶がある人も多いかと思います。世界的に見ると50〜60年代に最も流行した代物でしょう。
以前、UHFで放送されていた“新車情報”というテレビ番組に出演していた事でも知られる
自動車評論家の三本和彦氏(だったっけ?)等、三角窓が大好きなようで、
これに勝る物は無いように言い切っておられますが、実際のところはどんな物でしょうか?
と、言うのも私の好むシトローエンっつうメーカーは三角窓にはあまり縁が無く、
乗用車に限れば可動式三角窓を持つ車は、恐らく作っていない筈。
89年登場のXMや、最近のミニバン型に僅かに(可動無しの)それが見られるのみ。
そんな事も有り、私には子供の頃家に有ったスバルくらいでしか、
可動式三角窓を実際に使ったという記憶が無いのです。
不躾棒をぢさん(まぁこの御仁も2ch等の評価と違って実際はdでも無ひ方らすぃですが)
のみならづジュジャーロ御大もお好きなやうですな。<三角窓
尤もジュジャーロ御大の場合往々にしてデザイン的なもので嵌め殺しが多ひ。
嵌め殺し三角窓っつえば911(993まで)の三角窓はごく初期の0シリーズぐらひまでは
開閉可能だったのが途中(930あたり?)からは嵌め殺しですな。
この三角窓、クローズドボディならともかくオープソの場合Aピラーの補強の意味もあるのです。
まぁ昨今の極太Aピラーならその意味も薄ひでせうが視覚的な安心感・強度感つうのは
ある程度ある鴨知れません。うちのなんかの場合現実的に強度に関はってますし。
この三角窓も好き嫌いのある物件で、アテクシ昔勤めてた会社の技術顧問はこれが嫌ひでした。
なんでも昔運転中にシャツの袖口が開閉用トグルに引っ掛かって大変危険な思ひをしたさう。
一方アテクシは三角窓大賛成派でして115ヌパと916ヌパ、ぢつは買うとき両方天秤に掛けたのです。
もちろん圧倒的にFRである115に最初から傾ひてゐたのですが
(それでも今でも916最終型の3.2なら考へたひそこそこの逸品)
ひとつこの三角窓っつうのが非常に大きな魅力だった訳です。
人工的な空調よか季節によっては外気のはうが遥かに快適、
しかし大々的に窓あけるほどでも無ひ、しかしエソジソルーム近くからインパネまでダクトを通って
ファンで導入される風より直接的な三角窓の自然な外気が宜しひ。
しかも開け方によっては室内の空気を排出させる(負圧を発生させ外に吸い出させる)
ことも可能で、アテクシのやうな喫煙者にとっては非常に宜しひのです。
何にしてもフェイスレヴェルの高さでの換気が可能つうのは非常に宜しひ。
75のサイドバイザと共に気に入ってゐる装備であるます。
昨今のクーペ・ベルリネッタのリアクォータの嵌め殺し窓もぢつはアテクシ嫌ひです。
長距離・都市間特急の窓の嵌め殺しも、まぁ空力とか安全性の関係で仕方無ひのですが
あれも閉塞感があってアテクシどうも面白くありません。
尤も新幹線の窓、200`で走る車両の窓開ひたとして開けて喜ぶ馬鹿は
オープソで170〜180`試して喜んでゐるアテクシのやうなバカタレぐらひしかゐますまひが。w
480 :
通りがかりの者:2007/06/12(火) 07:50:27 ID:v+GGp/fmO
そういや、うちにある廃車のボルボ122アマゾンにも、三角窓があります。
スウェーデン車なんか、アメ車のデザインの影響をもろ受けてますね。122はクライスラー・ニューヨーカー、544は40年代末のキャディーかビュイックに似てます。
>>479 また変な時刻の書き込みですね(w
そう言われて考えてみると、私は完全なオープンを所有した事は有りませんが、
全く屋根の開かない車っつうのも持った事が無いのでした(自分名義に限る)
今、所有しているシトローエンも、チルト機構付きのガラスサンルーフ付きですし。
>>480 スウェーデン車つうよりも「ボルボは」ですよね。サーブ(特に初期のそれ)は
アメリカ調デザインとはあまり縁が無いようですから。
ボルボっつうメーカー、フォード傘下に入ってからは欧州車である事を強調している感じですが
それ以前は確かに縮小されたアメリカ車みたいなデザインが多かったみたいです。
以前にもこのスレの中ではスポーツカー的なP1800やそのエステート版P1800ESが話に出ましたけど
あれらの車の主な市場って本国よりもむしろアメリカだったというような話も聞いた記憶が有ります。
素人考えでは、アメリカ市場へ輸出するならば、何もアメリカ車的なデザインにするよりも
純欧州車デザインで行った方が得策なのではないか?って思うのですけれど、
当時のアメリカ人にはあのくらいの方が良かったのだとか。
何せ、あのナッシュ・メトロポリタンが「欧州製小型車」という売り文句で商売になっていた程ですしねぇ・・。
(訳ワカラン w)
最近は日本でも北欧調デザインは“静かなブーム”(これ、昔から変な言葉だと思っているのですが w)
第三京浜・港北IC傍のノキア前は休日ともなればいつでも渋滞。
・・ですけど、北欧の普通の人の暮らしに関する情報ってあんまり入って来ていないように思います。
あの辺でポピュラーな車っつうと、どういった物なのでしょう?
ボルボもサーブも、そんなに多く売れる車ではなさそうですから、
あれらが多数派という事は無さそうに思うので。
あちらはVW、オペル、フォード、フィアト、プジョ、ルノーなんかがワラワラいるけど
ボルボやサーブも日本におけるクラウン程度の頻度で見かけます。
ベンツBMは日本と同程度。
483 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/13(水) 19:37:41 ID:Ld3nKGrOO
ついに、サーブまでもヤンキー風LUV(9-7X)にバッヂを貸すようになった。ボルボにサーブは今後一層アメリカナイズされてくんでしょうか。 スウェーデンの中級車ブランドはアメリカ市場にうってつけなんですねえ。
>>482 ・・つう事は、まぁ他の欧州諸国とあまり代わり映えは無しですか。考えてみれば当たり前でしょうね。
そんな中でも多数派っつうと、オペルとか独フォード辺りのドイツ製大衆車とかになるのでしょうか?
サーブ9-7XってのはやはりGM系他車と共通の設計なのでしょうか?
最近のサーブとかはあんまりよく判りません。私が興味を抱くのは初期のDKWエンジン車〜
独フォードのV4エンジン搭載車辺りまでですねぇ。
フィアット・クロマやアルファ164と共通の設計だった9000とかも有りましたが、
その辺ともなると「アルファだけ有ればいいんじゃないの?」みたいな感じがしますし、
最近まで有った筈の(スバルもGM傘下に有った頃の)旧型インプレッサ・ベースの9-2とかは
全く興味も無いです。(まぁ、私に限らず普通はそうでしょ?w)
アメリカと言えば。
最近、彼の国ではベストセラーだったというトヨタ・カムリに少し乗せて貰う機会が有りました。
正直に言って何処が良くって売れているのか判りませんでした。
でも、そう感じるのは私がずっと欧州車ばかりに乗って、そういう基準が身に染みている為も有るでしょう。
思い出してみると、カムリやアコードと共にベストセラーの座を争い、一時期日本でも結構売れた
フォード・トーラスなんかも少しだけ乗せて貰って、やはり
「そんなにいいかなぁ・・」みたいに感じた記憶が有ります。
そんな風に、乗り味に関して好き嫌いでしか判断を下せない私には、
評論家の真似事も出来ないでしょうし
また、やってみたいと言う気も起きないものです。
ヒョンカのみなさんも大して変わらないのでしょうか。
クライスラーがベンツ製になると褒めだすぐらいですから。
486 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/14(木) 06:23:16 ID:WWoHMrvsO
でも300Cって、デザイン的には興味あり。LXプラットフォームも見方によっては悪くないが。
バージル・エクスナーとかギアのデザイン史の末裔とでもいうべき。彼が後に手掛けたネオ・スタッツを発見したとき300Cを瞬時に思い出されましたよ。
ボンネットのちりが全然あってなくてフェンダーとの隙間から盛大にヘッドライトの光が漏れる。
それを見た瞬間、300Cに萌えました。ええ、普通じゃないのはわかってます。
いや、運転したけど実際いい車ですよ。
488 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/14(木) 19:11:26 ID:WWoHMrvsO
DUBラグジー系の向きみならず、エンスー的にもかなり萌える車種かと思いますが、相当逝ってる御大のご意見もいただきたく。
カローラとアリオンの区別も出来ない御大がおりますかい(w
クライスラー300C、評判良いので一度は乗ってみたい車種ではありますが、縁は無さそうです。
チョップトップしたみたいなプロポーションも、判り易い形でアメリカ車(ちょっと悪の華めいたそれ)を
表現しているようで良いと思います。
なんで縁が無いかっつうと、高いから(w)です。
現在、新車価格で600〜700万もするアメリカ車を選ぶ人っつうのはかなりの好き者でしょう。
そっち方面にマニアックな方は私の身近にはいないようです。
その値段ならシトローエンC6が買えますしねぇ・・(w
クライスラーも、その半分の価格の車でヒット作が出せたのならば、身売りされる事も無かったかも?
もっとも、安価な大衆車作りには経験が少ないダイムラー側にも責任の一端はあるでしょうけど。
あと300Cで思い出した事。
この車が輸入され始めた頃、Lhd仕様しか選べなかったのに対して
「右ハンドルが有れば欲しいかも」と、誰かがあるスレに書かれていたのに対して
「ああいう車なんだから、Lhdで少し斜に構えて乗るのが『作法』ってもんだ」
というような書き込みが有り、思わず笑ってしまった事が有りました。
やはり“普通じゃないけど萌える車種”ならではでしょう。
乗り手を選ぶ車ってことですね。
御大の昔のシトロエンとかここのもう一人の御大のような昔のアルファロメオもそうですね。
491 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/15(金) 19:30:14 ID:xF21xFXfO
確かに、300Cとゼロ・クラウンはどっちも回帰指向の鯨ぐるまだが、キャラは別物だと思う。
50年代のレターカーが頭にあって、飛び付く椰子が多いんですかね。
“御大”はホントに勘弁シテクダチイ・・・・
一つ訂正。
>>481に書いた“第三京浜・港北IC近くの家具屋”はイケアでした。
“ノキア”は携帯電話でした・・。何でそんな勘違いしたんだろう??(まぁ、こんな者ですので w)
私のシトローエンは、世界中で200万台以上も売れたような車ですし、
そんなに乗り手を選ぶっつう事も無ければ、敷居が高いって事も無いと思います。
エロスパ氏の車も、スパイダーの方はともかく75には同じ事が言えるのではないでしょうか?
話をクライスラー300Cに戻すと。
この車は確かに乗りこなすのが難しそうですよね。この場合の“乗りこなす”ってのは
エンジンやシャシーの性能を引き出すとかではなく、“服を着こなす”とかと同じ意味で。
どんな方が、どういう格好をして、何処を走らせればサマになるか?っつう事が、
全く思い浮かばない車であります。
強いて言うなら「ブルース・ブラザーズ」のダン・アクロイドみたいな人が夜の街でも流したら
格好良いのではないでしょうか(w
そう考えると、どんな車でも多かれ少なかれ乗り手を選ぶものではあります。
軽トラックは軽トラックなりに。マイバッハはマイバッハなりに。
私等は車を選ぶ時、或いは車の方からも選ばれているのかも知れません。
もっとも服や持ち物を選ぶのと同じように、車を選ぶのもその人の趣味の表れるところですので、
いきなり全く似合わないような車を選ぶって人も、そうはいないでしょうけど。
イタリア調のソフトスーツに革ベルトのブレゲを締めて、車はワゴンRではサマにならないでしょう。
(ワゴンRを貶す気は全く無いです。一応念の為)
そういう趣味の方はワゴンRを選ばないでしょうが、それは同時にワゴンR側から拒絶されている事に
その人が(無意識の内に)気付いているからでもあると思います。
494 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/16(土) 10:39:11 ID:oqlxtu1DO
よくわからないまま売文しているライター方に退職勧告するための試験制度でつか?
496 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/16(土) 21:30:26 ID:oqlxtu1DO
私事ながら、先週四国自動車博物館に行ってきまして、ランチア・フラミニア・ザガートやミド・エンジンのラリー、デルタS4をみました。フラミニアの筆舌に尽くしがたい美しさ。やんちゃなザガートがいかにランチアの上品さを保とうと苦心したか伺えました。
さて、一方ル・マンコでR、あらうことか国内では一切TV放映無し。
ネット配信もなかなか困難な状況。
しかしこのル・マンをなんとテレビで見られないなんつうのは
我が国は自動車劣等国でRことを端無くも露呈した感があって全く以って情け無ひ。
ボルドールもみたいです!!艦長!!
バイクともかくクルマでっせ問題は。ふさ浣腸!
要するにアウデーとぷぢょさんがヂーゼル対決な訳です。
いまや欧州では完全にコモンレール式ヂーゼルが環境負荷の少なひエソジソとして
次世代エソジソの中核とならうとしてゐる、
あらうことかブレッラ・ヌパイダさへこれを打ち出してゐる。
我が国はこの分野で完全に遅れをとってゐる訳です、
北米ともかく欧州では現状のハイブリッドは既にダメの烙印を押されてゐる。
チョソヨタがだうしても欧州でファビョりたひならル・マンで
ご自慢のハイブリッドの優秀さを披露すれば良ひのだけれど
そんなのは当然無理な訳です。F1の二の舞になって股も恥かくだけ。
そんなこんなが現今のル・マンにスポンサーが付かなひ理由の一つではありますまひか。
それと、まぁF1ともかく基本的にレーサーのみならづスポーツカー、ストラダーレも競り合ふル・マン、
今時売れるのは冷蔵庫と土方の缶詰だけでスポーツカー冬の時代では
パンピーの興味もル・マンに向きますまひ。
欧州マンセは判らなくないですが、
自分は舘内端氏の主張に一票を投じます。
よってディーゼルはバツです。
個人的には舘内端自身がバツ
アテクシ的にはヂーゼルとハイブリッド、どちらがEかは現時点では判断しかねます。
欧州でのヂーゼル主流も欧州のドライヴィングパターンからさう判断したとも、
股、最初からヂーゼルありきで出来レースでハイブリッド落としたとも噂はキリ無く
本当のところは不明です。しかし、既に欧州ではコモンレール・ヂーゼルで行くのだ、
と流れが出来た以上、日本車も北米市場だけではなく欧州も狙うのなら
この分野で負けたらおしまひです。VHSなのかβなのか、WinなのかMacなのか、
まだ混沌としてしてゐる今、一方だけしか無ひとなると・・・、だうでせうか?
本当に、もしハイブリッドで行くならル・マンなどその示威の場として最適な筈。
それをみすみす逃がす、そして興味も持たなひ・持たせなひやり方は如何かと。
そして、自動車劣等国つか自動車”文化”劣等国であることを股も露見させる
ル・マン放映の無ひこと、この側面からもぢつに情け無ひ話であるます。
単に金儲けの商材以外・単なる使ひ潰しの道具としてしか意味が無ひなら
それではシナチョソ車と同ぢになってしまふ。世界の中の”日本車”を確立するには
はっきりとした”文化”が必要なのです。
\300マソのクルマにLの字付けて\460マソで売ることが文化では無ひ!
ハイブリッドもディーゼルも、結局のところは燃料電池車までのつなぎと思うと、
普通の人にとってエコっつうのはエコノミーな訳で、車両価格を燃料代で取り戻せない事明らかな
ハイブリッドが主流にはなり辛いと思うのですが、どうなることか。
他スレで見たトヨタのレース用ハイブリッド車の話
http://www.chunichi.co.jp/article/economics/news/CK2007061002023028.html ハイブリッドでレースはやりたくても、ベース車両が無い今、
とっくに生産を終えた車を引っ張り出さねばならないお粗末(w
>>496 フラミニア・ザガート、良いですねぇ。高知にはもう一つ「世界クラシックカー博物館」つう所も有るとか。
山中湖高村美術館とかさいたまのオールド・ロコ等、日帰りで見学出来る博物館が幾つも休館中の今、
ヒマが有ったら行ってみたいものです。
四国自動車博物館っつうのはネッツトヨタ南国って会社が運営しているそうですが、
やはり元は個人のコレクションだったのでしょうか?収蔵車に特定の傾向が見られるようです。
海外の博物館に行くと文字通り老若男女いろんな層の人が来て賑やかな事に驚かされますが
日本の博物館ではそういう光景は殆ど見られません。
「これだけしか客が入らないのでは、土地代にもならんだろうなぁ」みたいに思う事も多いですし
(だから休館中が多くなるのでしょう)
往年のGPカーがエンジン掛けてみせてくれると、その轟音に髪が真っ白いオバァちゃん達が
手を叩きながらキャーキャーと嬌声あげて大喜びするなんつう光景は、日本では考えられないものです。
こと文化面に関する限りでは、この先も日本が欧州に追いつく事は有り得ないでしょうね。
ところで、現在ランチアブランドではスポーツカーは生産されていないようですが、
どうせ出ても買いもしない(であろう)野次馬にとっても少々淋しい気がします。
かつて、フィアット傘下入りする前に有った、四国自動車博物館に収蔵されているというフラミニアとか
フルヴィアをベースとしたザガートボディーの美しいクーペなど、大した数は売れなかったようですが、
ブランドイメージを高める上では不可欠な存在だったと思うのです。
http://i66.photobucket.com/albums/h254/Dinkel_photos/LanciaZagato900/P8191579900.jpg http://www.region-muenchen.de/g/autoanzeigen/11.jpg あらためて書くまでもなくフルヴィア・スポルト。
今の車のでは考え難いAピラーの細さが繊細な印象を作り出していると思います。
もっともこれはデザイン上の工夫でもあり、室内側から撮られた写真では特に細くは感じませんが。
このような洒落たクーペを品揃え出来ない理由としては
勿論、つい最近までフィアット自身に元気が無かったという事もあるでしょうし、
ベータ・モンテカルロだのストラトスだのといった車を作っていた頃とは異なり、今ではアルファとか
マセラーティとかのブランドも身内に抱えていますから、ランチアにスポーティーな車を割り振るだけの
余裕も中々生まれないという事もあるのでしょう。
それに、少量生産っつうのはとかく高いモノにつきますから、採算のとれる価格を設定すると
中身は同じで100万円高いみたいな車になってしまい、幾らも売れないって事にもなるのでしょうか。
でもねぇ・・。かつてのBMCみたいにクロームのモール一本追加しただけみたいな車ではともかく、
形だけで100万円分格好良ければそれで良いと私は思うのです(無責任ですけど w)
常識的には“上辺だけの形に惑わされず、中身をしっかり見るのが賢い消費者”なのでしょうが、
そういう車が対象とするのは“賢い消費者”ではなく“くるまバカ”でしょう。
こういうことに限っては“賢い”なんつう事程ツマランことは無いでしょ?(w
そういう意味で残念だったのが、新フルビア発売断念のニュース。
どのディテールも似てないくせに、全体を見るとフルビア以外の何者でもないあのデザイン、
1.8Lツーシーターで、ABS以外の補助デバイスは一切はぶくという潔さ。
発売されたら値段にかかわらず絶対買う、と意気込んでいたのに悔しい限りです。
思えば一昨日はエロスパ氏の
>\300マソのクルマにLの字付けて\460マソで売ることが文化では無ひ
つう言葉に深く頷き。昨日は自ら
“例え中身は同じでも、100万円分格好良ければ100万高くっても構わない”
なんて書く。毎度のことながらワガママ、勝手な事を書き散らす私・・(w
言い訳染みて来ますが。レクサス、差額程格好良くも無いでしょう?
それこそ”120年を超える自動車の歴史の中で、ナンダカンダ〜”みたいな枕詞をつけて語れるくらいに
格好良ければ差額も納得しますけど。(それでも私は買わないだろうな・・多分w)
>>505 http://www.diseno-art.com/encyclopedia/concept_cars/lancia_fulvia_coupe.html これですね。
勿論形それ自体も大変良いと思いますが、それ以上に、現在生産中のどの車種よりも
私のイメージするランチアに近いと思えるだけに、生産に至ることがなくなったというのは
大変残念に思います。
昨日も書いた事ですけれど、かつて名声を博した由緒正しいブランド名を幾つも抱えるフィアットも
結構大変なところは有ると思います。
ものによっては、他のメーカーに任せてしまっても良いと思うのですけど、そうもいかないのでしょうか?
例えばランチアはVWグループに委譲してしまうとか。
もし、万が一にもそんな事になれば、「ドイツの血が入ったランチアなんて」と、
マニアさんは拒絶するのでしょうか?
でもVWの技術が入って、かつてのランチアの特徴であった狭角V型エンジンが復活でもするならば、
ちょっとそれも良いかと。
・・まぁ例に拠ってただの思いつきですけど(w
フィアットに買収されたときも非難ごうごうだったらしいです。
同じトリノのメーカー同士なのに・・・いや、トリノ同士だからかな?
でもドイツメーカーになんか売ったら、ジャンニが草葉の陰で泣きまっせ。
しかも中身はアウディでしょうね。
来年デビューの3代目デルタ(正しくは4代目)ががっつり売れれば、
フルヴィアクーペ(フルヴィエッタってのは正式?)復活の目もあるでしょう。
最近の日本ではセダンが売れないそうですが、こと輸入車に限ってはそうとも言えないようで、
大小関わらず、セダン型も結構売れているように思います。
逆に輸入車のミニバン型とかコンパクトなワゴンとなると、正規輸入されている車の種類も限られますし、
今のところ売れ行きの中心とは成り得ていないようです。
国産を選ぶ人と、輸入車を愛好する人とでは多少の好みの違いが有るのでしょうが、
そのどちらにも今は無いのが、かつてのランチア・フルヴィア・スポルトとか、
アルファ・ロメオジュニアZのような小型の洒落たクーペ。
単に小型クーペと話を広げてみても、少し前までは国産にも有ったようなカローラやサニーのクーペ型、
ホンダのCR-Xとか、トヨタのサイノス、ニッサンNXクーペ等。今や全滅状態。
先日、クーペをベースとした格好の良いエステート、ワゴンっつう話が出ましたが、
そういう車が出る事も当分は無さそうです。
輸入車に目を向けても、リッタークラス〜1.5リッター辺りの小型クーペというのは無いようですが、
もう少し見方を変えて、クーペに限らず遊びの要素の強い小型車と考えれば
プジョーから207CCが発表されましたし、シトローエンのC3プルリエル、C4クーペ辺りが有ります。
VWのニュービートルとかもこの中に入れても良いのかも知れませんが、
此処まで話を広げてしまうと最初に書いたフルヴィア・スポルトとかジュニアZとかとは
かなり違う種類の車になってしまうと思います。
いずれにせよ、趣味性に特化した小型車を買おうと思うと結構な出費になってしまう現代。
余裕の無い時代性を象徴しているのか?
それとも、元々趣味性っつうのは高くつくものと思えば、今の状態が本来の姿なのでしょうか?
>>507 あ、リロードしていませんでした。大変失礼。
その話は(もしかしたら w)また明日にでも。
・・と、一日置いたところで元々が私の単なる思い付きから始まった話でしかないので
あんまり大した話はないのですけれど。
来年デビュー予定の新デルタ、フィアットの2リッター級・ブラーヴォがベースだそうです。
http://www.highmotor.com/wp-content/uploads/2006/10/fiat_bravo_02.jpg http://static.blogo.it/autoblog/lancia_delta_hpe_concept_uff_01.jpg このブラーヴォ、かなり評判が良いようですが、それだけに日本には入って来ないのは残念なところ。
これをベースとする新デルタも期待出来そうですが、輸入元が頼り無いのはマニアさん以外には
ちょっと不安なところではないでしょうか。
ブラーヴォみたいな、普通の車の魅力ってのもそうですが、
昨日書いたような小型クーペ等も、その本来の魅力というものは伝え難いところが有ります。
数字で表わせる部分だけを見るならば、全く何てこともない車でしかありませんから。
例えば、宝石のように美しい形を持ったフルヴィア・スポルトにしても、
スペックだけを取り上げれば(中期型1.3リッターモデルの場合)
“87HPの狭角V4エンジンで1ton弱のボディーを引っ張る前輪駆動車”と言うだけで終わってしまいます。
これだけで判断するならば「何処がそんなに良いの?」みたいに思う人も少なくないでしょう。
この事は、ランチアというブランドそのものを象徴しているのかも知れません。
何でも数字で判断したがる傾向の強い日本人には、中々その真価は伝わり難いブランドなのかも。
高級と言えば高級ながら、例えばイソッタ・フラスキーニのような、豪華さは有りませんし、
フェラーリのような莫迦力が有る訳でも無い。
むしろそうした“単純に判り易い豪華さは野暮であり、野卑”と感じるような人が、
本来選ぶような車なのでしょう。
511 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/22(金) 03:24:09 ID:lqZfGUBTO
IFやFに代表される誰からみても豪華、というものではなく、車そのものの控え目の上品さがLCの売りということですかねえ。戦前のLCはトリノの高級車で、ミラノのIFやARとクオリティを競っていましたが、IFは戦後試作車8Cモンテローザを最後に自動車から撤退。
512 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/22(金) 03:33:57 ID:lqZfGUBTO
ARは1900を皮切りに(1900を大衆車とはとても言えないが)、小型車への転換を計る(個人的にはモンテローザや1900は萌えるが)。こういったなか、ランチアは自分たちらしい車を作りつづけ、倒産のちも、『ラリーのランチア』というキャラを与えられながら、
513 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/22(金) 03:47:59 ID:lqZfGUBTO
(続き)持ち前の上品さを内包し続けたのかと。
IFやFのアメリカで受ける類の豪華さ、マゼラーティ・クアトロポルテのケバさなどと比べ、本来の上品さとは何なのかわかる人のためのブランド=ランチアなのかと。
モンテローザって、中身はタトラ87だっけ?
515 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/22(金) 07:21:18 ID:lqZfGUBTO
リアエンジンなのでメカニズムは似てるかもです。
質素ながら高級と言えば
その対極にあると思えるのが電気仕掛満載のレクサスLS600h
せっかく動力用に発電した電気なのだから、
少しは節電しようとは思わないものか?w
517 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/22(金) 14:50:33 ID:lqZfGUBTO
もはや、高級内装付き発電機器という感じですね。
そこに趣味性を見出だすとしたら、どんなものになるのでしょうか。
内燃機関でない自動車とは、電車のようになっていくのかなあ。
518 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/22(金) 15:11:20 ID:lqZfGUBTO
思えば、アメリカで好まれない・向かない上級車は、国内や隣国限定(ブリストル、アルピナ、トヨタ・センチュリーw、ランチア、ジル)など世界的にはかなりマイナーになってしまいますね。
さすがにイソッタ・フラスキーニやフェラーリを比較対象にするのは大袈裟だったでしょうけれど、
まぁ、そこは気分と言うかモノの例えという事で・・(w
かつてのランチアには、カロッツェリアがボディーを架装した車も多いですので、
中には派手な物も存在したでしょう。
また、ランチア自身もアメリカ市場を狙ったようなモデル(ディラムダ)も作っています。
しかし、やはりかつてのランチアを代表するモデルと言えばヴィンテッジ期のラムダであり、
その後の1.4リッター級小型車アプリリアではないでしょうか。
http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=7363 残念な事に、アプリリアが当時幾らくらいで売られていたのかは正確な資料を持ちませんが
フィアットの同級車と比較すればかなり高価であり、2リッター級のフィアット・アルディータよりも
高い値段であったと書かれたものも読んだ記憶が有ります。
そういった、見た目の大きさとか豪華さよりも実質を重視する人が選ぶのがランチアだったと
いう事なのでしょう。
こう書くと、豪華絢爛を否定しているみたいですけれど。
私自身は実は豪華絢爛は嫌いでは有りません(縁は無いですけど w)
電気仕掛け満載はともかく、このスレにも以前書いた50〜60年代のキャディラックなんかも好きですし
天井にまで絵画の描かれたような、素晴しく手の込んだサルーン等も大好き。
要は豪華=高級という事でもないでしょうし、いろんなタイプの高級が有って良いと思うのです。
日本にも茶の湯・茶室文化みたいに、質素を良しとする文化も有る筈なのですが、
そこは自動車そのものがアメリカからもたらされ、かつては自動車はフォードの発明品と信じる人すら
多く存在した国。元々が輸入文化の産物である自動車には、昔から有る
そうした質素を旨とするような考え方は至らないみたいに思います。
520 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/23(土) 05:36:42 ID:QWBSUviTO
アメリカという帝国で商売する場合、どうしても、高性能や大型化、豪華さを競わざるを得ないという点は確かにあります。(私自身も300Cが好きですw)
そこで、多少無謀かもしれないが、実質的なクオリティを志した自動車ブランドを列挙してみます。
大昔のビュイックあたりの役割を、そのまま引き継いでいるみたいな存在が、
今のクラウンですしねえ。
日本的な、飾り気のない美意識を備えた
詫びさびなクルマって、なかなか想像しにくいモノはあります。
522 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/23(土) 06:00:40 ID:QWBSUviTO
(イギリス)AC(コブラ以前)、アルヴィス、ブリストル、ライレー、ウーズレー、ローバー、ヴァンデン・プラス、タルボ 、リーフランシス、クロスレイ
(フランス)オチキス、グレゴイア、サルムソン、パナール・ルバソール(?)
523 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/23(土) 06:21:06 ID:QWBSUviTO
(続き)ロレーヌ、プジョー、バロー
(ドイツ)アドラー、アウディ(戦前)、
(アメリカ)スチュードベイカー、ハドソン、ナッシュ
(イタリア)ランチア、アンサルド、ビアンキ
実質的なクオリティを目指すと言う話は、車は走るもの、あるいは運転するものと
言う立場を基本にする事と同義だと思う。
アール・デコかアール・ヌーヴォーかの違いと言っても良い。
例えば、すごく機能的に良く考えられた使い易く且つ美しい、つまりアール・デコ調のリビングの椅子があるとしよう。
これが良いからと言って、そのまま車のシートにセットしたら、多分華美なだけで、
自動車シートとしてはまったく実用的で無い、アール・ヌーヴォー調の椅子と言う事になるだろう。
豪華のみで良いなら、アホみたいに長いリムジンとか、もっと言えば豪華装備満載のキャンピングカーを引っ張ればよろしい。
しかし、そんなのは車の機能という観点からそんな事は一切考えていない。
アメリカ人はこういう豪華さが好きと思っている。
ドイツ人あたりは、まず車は移動する道具と言う土台に立ってその上で機能性だ豪華さだを考えるだろう。
数日で汚れてみすぼらしくなる、白い内装をふんだんに使ったりとかあんまりしない。
日本あたりは正体が無いと言うか、カオスになってる気がする。
525 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/23(土) 06:32:08 ID:QWBSUviTO
とまあ、マイナーか控え目・地味(ある意味ではダサい)なものも列挙してしまいましたw
アメリカでも独立系メーカーのなかには決して華美ではない良質なブランドはあったのですが、それらは淘汰されています。
526 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/23(土) 06:46:17 ID:QWBSUviTO
侘びに通じる自動車はなかなか思い浮かびませんねえ。日本の自動車メーカーがそんなことを試してみても、奇妙なものができるのは間違いないでしょう。
むしろ、ジャポニズムが根付くフランスあたりにうまく表現できる人材がいるかもしれません。
527 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/23(土) 07:07:41 ID:QWBSUviTO
先程、ビュイックの名前が挙げられましたが、実際のところ、キャデラックの廉価版、GM大衆車の上級車という位置付けであって、ランチアと相通じる上質・高尚といったものとは別物かと思います。車格を無理に当て嵌めれば、同等と言えるかもしれないですが。
528 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/23(土) 07:23:50 ID:QWBSUviTO
ビュイックはリヴィエラという強烈なデザインさえ産んでいますし、現役のルセーヌに22インチのクロムホイールが履かされている光景を雑誌等で発見しますと、ちょっと異質ですねえ。
>>522>>523 コピペか何か知らないが、「グレゴイア」って「グレゴワール」のこと?
車格もジャンルも関係無しに並べ立ててるだけに見えるけど
べつにコピペだろうが何だろうが構わないと思うが。
そもそもこのスレの常駐コテを含めてネットや本から得た情報を書き並べているだけ。
ネット上では誰でも物知りになれる。
リアルで話して何も見ないでスラスラと言える人が本当の物知り。
そりゃ、本も見ないで戦前の事を知っていたらその方が余程変でしょう(w
「何も見ないで」で思い出した話。
以前、行きつけのジムのサウナで、知人と
「Aで始まるメーカー名、Bで始まるメーカー名と三つずつあげていく」という遊びをやった事があります。
(レーシングカー・コンストラクターも可)
A=オースティン アルファ・ロメオ アルヴィス
B=ブガッティ ビュシアリ ブリストル・・・・
「アウディは出ないのか? BMWも無しかよ」と笑われながら続けて、Qは一つも出なかった・・。
(良い子はサウナ風呂では真似しないように w)
さて、昨日書いた事とは矛盾する話ですが。
「数字で判断するのが好きな日本人には良さが伝わり難い」ランチアでしょうが、
戦前の日本には何台か輸入されていたようで、二玄社の「昭和の東京 カーウォッチング」にも
その姿が映されています。
興味深いのはラムダにウェイマン式ファブリックボディーを架装した車。
ウェイマン式ボディーっつうのは御存知の方も多いでしょうが、合板・ベニアで作ったボディーで
表面には羽布を貼るっつう、初期の航空機にも近い構造のボディーですが、
塗装が無いので表面には艶が無く、その為に「落ち着いた雰囲気なのが“良い”」とされ、
愛好する方が多かったそうです。それこそ茶の湯、茶室文化ですね・・。
また、その頃最も人気が高かったパッカードも、宮内庁御用達だった事の他にも
「アメリカ車としては地味で、威圧感が無いのが良い」というのが、支持者の多かった理由だったとか。
地味に、質素にっつう行き方に関しては戦前の方が盛んだったのでしょうか。
もっともカタログ数値を読み、理解して買う人が少なかったという事もあるでしょう。
532 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/24(日) 00:12:00 ID:kyA5+mYeO
バッカードが地味とは?
アメリカの高級車の草分け、ベンチマークだったという点から考えたら、フォーマルなイメージにはなるのだが。
アメリカの高級車の分類なんかしてみたら、それはそれでおもろいかもね。
533 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/24(日) 00:18:06 ID:3TE8S2BBO
>>530 ここのコテ諸氏は単に物を知っているという以上に
その上で見識ってものがある。
そこが立派だな。
・・・・見識・・ですか・・・・。
>>532 まぁ、私がそう言っている訳でも無し。当時はそう見る人が多かったらしいっつう話ですが、
同時代のキャディラック等と比べるならば、パッカードのスタイルには
確かに落ち着きが有るかも知れません。
また、このクラスの(特にアメリカ車)は運転手付きで使用される事が多かったので
派手なクーペやロードスターは入って来なかった為も有るでしょう。
現在、クラシックカーイベント等に登場する戦前のパッカード等の多くは社外製の凝ったボディーを
架装された個体が多いようです。
しかし日本に新車で輸入されたアメリカ車の多くは生産地から遠く離れている事や
買主自らが自動車ボディーに明るくない人が多かった等の事情から、
細かく仕様を指定する事もなくメーカー自製(或いは標準仕様)のボディーが架装された車が殆どであり、
流線形の導入等、流行を追う事には熱心ではなかったパッカード等は
保守に徹した堅実な車に見えたことがプラスに働いたという面も有ったのかも知れません。
高級・高価格な車の場合、丈夫なシャシーはまだまだ使えても上屋が先に傷むので
日本の板金・ボディー屋さんで作った上物に載せ変えた車っつうのも有ったそうですが、
小規模なコーチビルダーが重用するアルミ板が昔の日本には殆ど流通していなかった事、
馬車の歴史が無いこの国では腕の良いボディー職人さんが少なかった事等から
その数は決して多くは無かった模様。
いずれにしても、戦災とそれに続くモノ不足の時代にその殆どが失われたという事は
大変残念な事だと思います。
535 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:2007/06/25(月) 22:07:14 ID:DN55zrfpO
パッカードの標準ボディの頑丈さ・威容は特筆すべきものだったらしく、1942年のスーパーエイトのボディプレスを、戦後ソ連が買い求め、ZIS110としてリプロダクトした程です。赤い皇帝スターリンはパッカードに萌え、自分の名前を冠したのでした。
逝ってる氏の話は1930年代前半までの木骨コーチビルドボディが主流だった頃の話で
535氏の話は、メーカー純正標準の全鋼製ボディが一般化してきた30年代半ば以降の話になるな。
スターリンはパッカードがお好みだったようだが、
チャイカの前身の1950年式GAZは1941年式ビュイック風スタイルで、これもステキ。