【今夜も】壁に向かって囁くスレ【独演会】

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944佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t. :2008/05/19(月) 11:08:06
かっこつけてるだけの馬鹿もいる。出直して来い。
945名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 11:26:45
「被害者意識」というマインドが含有している有毒性に人々は警戒心がなさすぎるように思える。
946名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 11:27:49
以前、精神科医の春日武彦先生から統合失調症の前駆症状は「こだわり・プライド・被害者意識」と教えていただいたことがある。
「オレ的に、これだけはっていうコダワリがあるわけよ」というようなことを口走り、
「なめんじゃねーぞ、コノヤロ」とすぐに青筋を立て、
「こんな日本に誰がした」というような他責的な文型でしかものごとを論じられない人は、ご本人はそれを「個性」だと思っているのであろうが、実は「よくある病気」なのである。
947名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 11:28:31
統合失調症の特徴はその「定型性」にある。
「妄想」という漢語の印象から、私たちはそれを「想念が支離滅裂に乱れる」状態だと思いがちであるが、実はそうではなくて、「妄想」が病的であるのは、「あまりに型にはまっている」からである。
健全な想念は適度に揺らいで、あちこちにふらふらするが、病的な想念は一点に固着して動かない。その可動域の狭さが妄想の特徴なのである。
948名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 11:29:35
病とはある状態に「居着く」ことである。
私が言っているわけではない。柳生宗矩がそう言っているのである(澤庵禅師も言っている)。
「こだわる」というのは文字通り「居着く」ことである。
「プライドを持つ」というのも、「理想我」に居着くことである。
「被害者意識を持つ」というのは、「弱者である私」に居着くことである
949名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 11:30:08
「被害者意識を持つ」というのは、「弱者である私」に居着くことである。
「強大な何か」によって私は自由を失い、可能性の開花を阻まれ、「自分らしくあること」を許されていない、という文型で自分の現状を一度説明してしまった人間は、その説明に「居着く」ことになる。
950名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 11:34:05
もし「私」がこの説明を足がかりにして、何らかの行動を起こし、自由を回復し、可能性を開花させ、「自分らしさ」を実現した場合、その「強大なる何か」は別にそれほど強大ではなかったということになる。
これは前件に背馳する。
951名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 11:38:46
それゆえ、一度この説明を採用した人間は、自分の「自己回復」のすべての努力がことごとく水泡に帰すほどに「強大なる何か」が強大であり、遍在的であり、全能であることを無意識のうちに願うようになる。
自分の不幸を説明する仮説の正しさを証明することに熱中しているうちに、その人は「自分がどのような手段によっても救済されることがないほどに不幸である」ことを願うようになる。
952名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 11:39:34
自分の不幸を代償にして、自分の仮説の正しさを購うというのは、私の眼にはあまり有利なバーゲンのようには思われないが、現実にはきわめて多くの人々がこの「悪魔の取り引き」に応じてしまう。
953名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 11:40:31
「被害者である私」という名乗りを一度行った人は、その名乗りの「正しさ」を証明するために、
そのあとどのような救済措置によっても、あるいは自助努力によっても、「失ったもの」を回復できないほどに深く傷つき、損なわれたことを繰り返し証明する義務に「居着く」ことになる。
もし、すみやかな救済措置や、気分の切り換えで「被害」の傷跡が癒えるようであれば、それは「被害者」の名乗りに背馳するからである。
「私はどのような手だてによっても癒されることのない深い傷を負っている」という宣言は、たしかにまわりの人々を絶句させるし、「加害者」に対するさまざまな「権利回復要求」を正当化するだろう。
954名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 11:41:06
けれども、その相対的「優位性」は「私は永遠に苦しむであろう」という自己呪縛の代償として獲得されたものなのである。
「自分自身にかけた呪い」の強さを人々はあまりに軽んじている。
955佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t. :2008/05/19(月) 12:03:20
ちんけな理屈では何も動かすことは出来ず、つまるところ何もしていず、何の利益ももたらすことはない。
まず、やれ。
956名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 12:07:32
自分の本性であるとか、自分の能力であるとかいうものは自己評価するものではなく、「まわりが決めてくれること」なのであるから、それに任せておけばよろしい。
957名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 12:07:55
繰り返し申し上げているように、キャリア・パスのドアのこちら側には「ノブ」が付いていない。
ドアは向こう側からしか開かないのである。
ドアの前にぼおっと立って開くのを待っていると、ドアの向こうから「マジックワードは?」と訊いて来る。
そう訊かれたら、「知りません。教えてください」と言えばよろしい。そうすればドアは開く。
958名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 12:08:40
「いつまでも、今のままの自分でいたい。今のままの自分でいることに誇りがある。今のままの自分が大好き」という人の前では「次のステップ」に進むドアは永遠に開かない。
959名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 12:09:33
「仕事をする」というのは「私のもっているどんな知識を求め、私の蔵しているどんな能力を必要としているのかがわからない他者」とコラボレーションすることである。
960名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 12:10:04
相手構わず、「私はこれこれのことを知っています。これこれのことができます」というリストを読み上げても意味はない。
「私はあなたのために何ができるのですか?」
そうまっすぐに問いかける人だけが他者とのコラボレーションに入ることができる。
961名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 12:10:59
私が何ものであるのかは私が何をなしとげたのかに基づいて知られる。
なしとげる以前に「私」は何ものであるかまだわからない。
962名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 12:11:57
普通に会話しているつもりでも、訳のわからないうちに定型発達者の機嫌を損ねてしまったという経験のあるアスペルガー者は多いだろう。

定型発達者側に理解や配慮を求めるのは実は現実的でない。アスペルガー者の方が定型発達者の「感情や気遣いのやりとりがないとストレスに感じる」という特性に配慮してあげる方が手っ取り早い。

では対策としてどういった手段をとったらいいのだろうか。

実は簡単である。機会を狙って次のセリフを過剰と思うくらい多用すればいい。

1 「ありがとう」
2 「うれしい」
3 「楽しい」
4 「大丈夫?」
5 「大変(だ)ね」
6 「恐れ入ります」
7 「お手数おかけします」
8 「おかげさまで」
9 「ごめんなさい」
10「申し訳ありません」

とにかく機会を鵜の目鷹の目で狙いまくって言いまくる。
ちょっと過剰かと思うくらいで十分だ。
963名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 12:12:23
使い回すのがしんどい場合は
1、2、3、4、8をまず使ってみよう。

多用しすぎたところで問題はない。
「ちょっと変な感じ」を定型発達者が感じるかもしれないが、定型発達者が不快感を感じることはきわめて少ないからだ。

「あ、どうも」とか、「すいません」で済ませているところをできるだけ上記のはっきりした言葉にに置き換える。これだけだ。

アスペルガー者はこのことを

「自然じゃない気がする」
「面倒くさい」
「なんでいちいち言わなきゃならない」

と思うかもしれないがこれは処世術だと思った方がいい。
964名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 12:13:47
1 「ありがとう」
2 「うれしい」
3 「楽しい」
4 「大丈夫?」
5 「大変(だ)ね」
6 「恐れ入ります」
7 「お手数おかけします」
8 「おかげさまで」
9 「ごめんなさい」
10「申し訳ありません」
965名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 12:18:44
「被害者である私」という名乗りを一度行った人は、その名乗りの「正しさ」を証明するために、
そのあとどのような救済措置によっても、あるいは自助努力によっても、「失ったもの」を回復できないほどに深く傷つき、損なわれたことを繰り返し証明する義務に「居着く」ことになる。
もし、すみやかな救済措置や、気分の切り換えで「被害」の傷跡が癒えるようであれば、それは「被害者」の名乗りに背馳するからである。
「私はどのような手だてによっても癒されることのない深い傷を負っている」という宣言は、たしかにまわりの人々を絶句させるし、「加害者」に対するさまざまな「権利回復要求」を正当化するだろう。
けれども、その相対的「優位性」は「私は永遠に苦しむであろう」という自己呪縛の代償として獲得されたものなのである。
966佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t. :2008/05/19(月) 12:50:58
>>965ご苦労様。
967名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 12:51:55
1 「ありがとう」
2 「うれしい」
3 「楽しい」
4 「大丈夫?」
5 「大変(だ)ね」
6 「恐れ入ります」
7 「お手数おかけします」
8 「おかげさまで」
9 「ごめんなさい」
10「申し訳ありません」
968名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:06:46
「原則的な人」はしばしば全力を尽くして自分自身を「幼児」段階に釘付けにしてしまう。
小成は大成を妨げるというのは甲野先生のよく言われることであるが、それはほんとうで、局所的に機能する方法の汎通性を私たちは過大評価する傾向にある。
969名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:07:14
「原則的に生きる人」はある段階までは順調に自己教化・自己啓発的であるが、ある段階を過ぎると必ず自閉的になる。
そして、どうしてそうなるのか、その理路が本人にはわからない。
970名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:07:50
これだけ努力して、これだけ知識や技能を身につけ、これだけ禁欲的に自己制御しているのに、どうして成長が止まってしまったのか。それがわからない。だから、ますます努力し、ますます多くの知識や技能を身につけ、ますます自己制御の度合いを強めてゆく。
そして、知識があり、技能があり、言うことがつねに理路整然とした「幼児」が出来上がる。
971名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:08:15
若い頃にはなかなか練れた人だったのだが、中年過ぎになると、手の付けられないほど狭量な人になったという事例を私たちは山のように知っている。
彼らは怠慢ゆえにそうなったのではなく、青年期の努力の仕方をひたすら延長することによってそうなったのである。
972名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:08:44
これを周囲の人の忠告や提言によって改めることはほとんど絶望的に困難である。
本人が自覚するということも期しがたい。
そういう人を見たら、私は静かに肩をすくめて立ち去ることにしている。
973佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t. :2008/05/19(月) 13:10:14
エリック・ホッファーの「波止場日記」労働と思索

1969年

朝日新聞の編集主幹だったかが最近、亡くなる数日前にホッファーを取り上げた。このくらい痛快な思想家はいない。
974名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:12:22
だから自分は随筆を書き進めるにあたって、没にならないように細心の注意を払わなければならないが、どういうところを気をつければよいかというと、面白くないから没ということはほとんどない。
つまり没といわれて、きっと面白くなかったからだ、と気に病む必要はまったくないということである。
またその原稿の内容が不正確であったり、錯誤・過誤にみちみちているから没ということもまずない。
その場合は誤りを指摘されるだけである。
975名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:13:05
では没の理由はなにか、というとすなわち、その原稿が人をして厭な気持ちにさせる、不快な気持ちにさせる可能性がある、ということが没の理由の9割5分3厘をしめる。
すなわち、その原稿の掲載された誌面を見て怒る人が出てくるかも知れない。
これが一番困るのである。
なぜなら、どんな偉い先生でも、いわれなく人を不愉快にするのはいけないことだからである。
976名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:13:43
 だから順に考えると随筆を書く場合、没にされないように書く必要があり、そのためには他が不快にならないように書く必要があるということであり、これが基本の基本、初歩の初歩、イロハのイ、鉄則中の鉄則なのである。 
977名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:14:58
 そういうことを踏まえて、さあ随筆を書こう。

 昨日、パンを買いに行った。家にパンがなくなったからである。

 というのは大丈夫だよね?オッケー?オッケー?いいよね?別に誰も不快になってないよね。
よし大丈夫。じゃ進めよう、ってええっと、なんだっけ?そう、オレはパンを買いに行ったのだ、のだけれどもちょっと待てよ。
パンを買いに行った、なんていうことをこういう公の場所でいう場合、ことによるとパン食を奨励しているというように受け取られないだろうか。
つまり、読者にはパン以外の、米や饂飩やパスタ類を食べてはいけない、と言っているふうに誤解されないだろうか。
だとしたらその産業にたずさわっている人はきわめて不快な思いをするに違いなく、その可能性があるだけでもやはり問題で、没になる可能性はきわめて大である。
書き直そう。
978名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:16:39
昨日、パンを買いに行った。家にパンがなくなったからである。
だからといって米や饂飩やパスタ類が嫌いでパンしか食べぬという主義ではない。
というかそういうものは非常に好きなのだ。
ただそのときは気分でね、パンを食べたかっただけなのであって、小豆などの雑穀類もそれは買わなきゃあと、米も饂飩も買わなきゃあ、と強く強く念じ、
絶対に今後一生私は米や饂飩やパスタや雑穀をパンと同じくらいの比率・割合で食べていくと固く心に誓いながら、そして世の中のみんなもそうあればよいと祈りにも似た気持ちを抱きながらパンを買いに行ったのである。

とこれでいいだろう。まだ穴があるかも知れないがそれはゲラで直せばよい。
979名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:43:08
ベッドで死ぬよりも馬の背で死ぬべきだと思う。自分の家を去り、縁者たちから遠く離れて死ぬべきだと思う。友人たちと愉快に生きよう。しかし、死ぬときは見知らぬ人々の中で死のう
980名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:49:44
自分の家を去り、縁者たちから遠く離れて死ぬべきだと思う。
981名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 13:56:12
・私は生れた家が貧しかったためわずか13歳で働き始めました。

・私は両親が離婚したため母親に連れられて7歳の時に渡英しました。

・私は幼い頃、新聞記者をしていた父親が失踪したため母親とともに移住し、親戚の間を転々としながら貧しい少年時代を過ごしました。
982名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 14:03:31
・私は両親共に健在で、経済的には何一つ不自由することなく育てられました。二十数歳になるまで、アルバイトも含め就労経験はまったくありませんでした。
983名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 14:13:12
・妻は老いと脳の病に苦しむ私に最後まで献身的に尽くしてくれました。

・妻の死は私にとって人生最大の衝撃でした。一時は後を追おうとしたほどでした。

・癌に犯された私を精神的に支えてくれたのは彼女でした。
984名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 14:14:01
・私には、誰もいません。
985名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 14:15:27
自分の家を去り、縁者たちから遠く離れて死ぬべきだと思う。
986名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 16:56:23
佐原、次ここな。

【独演会】壁に向かって囁くスレ【二次会】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/bun/1211183563/l50

思ったよりスレ消費早かった。ちなみに俺は>>1とこれしかこのスレには
書き込んでいない。sageはじめてくれたのには正直感謝している。

佐原はもっと引いた視点を会得したほうがいいぞ。まあ、ガンガレ。
987名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 17:10:23
佐原、今日も
能書き垂れるだけで、一日を無駄にしたんだな・・・
そうして、42歳まで何もせずに来てしまったのか。
哀れだなあ。
988名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 17:13:08
毎日、マックやドトールで
煙草吹かしながら、苦悩する作家を演じては
悦にいっているんだよな。
滑稽だよ、佐原。
貴様が作家になれるわけがないだろ
989名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 17:16:21
読んでもいないのに、またエリック・ホッファーなどという名前を
持ち出してきたな、馬鹿が。
肉体労働する自分を、沖仲士だった思想家と重ね合わせているのか?
短絡的な馬鹿だね、佐原。
990名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 17:19:03
肉体労働をしながら、
いつか作家になれると思っているようだが、
ひとつだけ確かなことがある。
それは、佐原敏剛は、絶対に小説家になれないということだ。
なぜなら、わざわざゴミを買う人なぞ、世間にはいないからである。
991名無し物書き@推敲中?:2008/05/19(月) 17:46:03
「いつまでも、今のままの自分でいたい。今のままの自分でいることに誇りがある。今のままの自分が大好き」という人の前では「次のステップ」に進むドアは永遠に開かない。
992佐原敏剛 ◆hRJ9Ya./t. :2008/05/20(火) 15:43:58
上の症例報告はいわば症例各々に対する解釈で成り立っている。その根拠は何か、と問われて
正確な答えを出すことの出来る如何なる専門家も存在しない。
何故なら精神病、神経症は未だに難病であると認定され、誰一人その治療を完璧に行った
人間はいないからだ。極言すれば全て医者の独りよがりに過ぎず、しかも臨床経験豊富な医師とは限らないのだ。
そのような条件の下で薬を処方し、医師の判断によって入院を余儀なくされるか自分から進んで入院するという
現実がある。フロイトの理論は素人が読んでもこじつけに思われるし、独創的だが独りよがりの感を否めない。
993名無し物書き@推敲中?
独りよがりなのは、お前だよ