>>567 前スレに貼ったものなので古いデータですけど。
4 名前:名無し物書き@推敲中?[] 投稿日:2002/09/13(金) 21:08
主な新人賞一覧でござんす。
特に「時代小説を募集する」賞には◎しておきました。
他は、その賞の趣旨に応じて応募可の場合もあり。
#消滅してる賞・締切日が変更になった賞もあるかもです。ご容赦くだされ。
(純文学)
新潮新人賞 300枚以内 3/31 新潮社
すばる文学賞 50〜300枚 3/31 集英社
文藝賞 100〜400枚 3/31 河出書房新社
群像新人文学賞 250枚以内 10/31 講談社
文學界新人賞 100枚程度 12/31 文藝春秋
(エンターテインメント)
小説すばる新人賞 200〜500枚 3/31 集英社
日本ファンタジーノベル大賞 300〜500枚 4/30 新潮社
小説新潮長篇新人賞 250〜400枚 6/30 新潮社
◎歴史文学賞 50〜100枚 6/30 新人物往来社
◎歴史群像大賞 200枚以上 9月? 学研
オール讀物新人賞 30〜80枚 11/15 文藝春秋
小説現代新人賞 40〜80枚 12/20 講談社
6 名前:名無し物書き@推敲中?[] 投稿日:2002/09/13(金) 21:09
(ホラー・ミステリー・推理)
江戸川乱歩賞 350〜500枚 1/31 日本推理作家協会
創元推理短編賞 30〜100枚 3/31 東京創元社
新潮ミステリー倶楽部大賞 350枚以上 3/31 新潮社
鮎川哲也賞 枚数制限ナシ 3/31(必着) 東京創元社
日本ミステリー文学大賞新人賞 350〜600枚 4/30 光文シエラザード文化財団
サントリーミステリー大賞 300〜800枚 5/31 文藝春秋
このミステリーがすごい!大賞 400〜800枚 5/31 宝島社・他
ホラーサスペンス大賞 250枚以上 5/31 新潮社・幻冬舎・他
オール讀物推理小説新人賞 50〜100枚 6/30 文藝春秋
横溝正史賞 350〜800枚 7/31 角川書店
日本ホラー小説大賞 ? 8/31 角川書店
◎松本清張賞 250〜400枚 11/30 日本文学振興会・文芸春秋
小説推理新人賞 80枚以内 11/30 双葉社
(ジュニア)
ロマン大賞 250〜350枚 1/10 集英社
ティーンズハート大賞 180〜250枚 2/末 講談社
ウィングス小説大賞 200枚以内 2/末 新書館
ソノラマ文庫大賞 300〜350枚 3/31 朝日ソノラマ
電撃ゲーム小説大賞 250〜350枚 4/10 メディアワークス
ホワイトハート大賞 250〜300枚 5/31 講談社
スニーカー大賞 ? 6/30 角川書店
ノベル大賞 95〜105枚 7/10 集英社
パレットノベル大賞 50〜200枚 12/31 小学館
572 :
名無し物書き@推敲中?:05/02/19 17:28:02
567>平安後期さん、どうもありがとうございます。
こうしてみると歴史専門の賞というのは少ないんですね。
歴史群像大賞は知っていたんですが、
賞を取った方でも続けて本を出すのは難しいようですね。
結局続けて他の賞に応募するか、出版社の意向に沿って
シミュレーション戦記のような売れ筋を書かせてもらうしかなさそうです。
私も平安時代モノには興味があります。
年代は、多分平安後期さんより少し前ぐらいで、
律令制からはみ出した人々を題材に
大風呂敷を広げたようなものを書きたいです。
いま、湯島天神&国立博物館での唐招提寺展を見て、尾花で鰻を食って
大散財して帰ってまいりました。道歩いてるとき、さすがに倒れるかと思うほど
疲れがたまっておりました。
南千住の尾花の鰻、あいかわらず旨いんですが、うざく1300円、う巻き1500
円、焼き鳥日本で900円は、そりゃあねえだろうと、思いつつも、家族の手前
「食え食え、どんどん食え!」
ってな感じで、すねが一回り細くなってしやいやした。
平安後期さんにも、
>>572さんにも、きちんとレスしなければならないのですが、
今日の処は勘弁してくだせえ(平安時代ファンが一人増えて、江戸時代ファン
がちと劣勢になりつつあるのかな?(^_^;)、平安後期さん、よかったですね)。
歴史をやってるというか好きな人、勉強してる人って、どこか、生まれつきの優しさ
を持ってる人が多いような気がします。鬼平のウォーキングツアーとか(^◇^;)、
いろいろ参加したこともあるんですが、そうしたところでお近づきになった人たちと、
話を交わしてみると、みなさん、ロマンチックな方が多いことに驚かされます。
この世知辛い世の中で、遠い昔を、ふりかえって見られるという、心の余裕というか、
どこか飄然とした姿勢が、優しさを生み出すのかも知れませんね。
今日は終日雨で残念でしたが、湯島の梅は早咲きのもの以外は2分咲きていど、
上野公園の桜が、2本ばかり咲いておりました。
肝心の唐招提寺展は・・・うーん、まあ、たいしたことなかった(^◇^;)。鑑真和尚の
座像を間近で見たのは初めてで感激しましたが・・・・・・
いや、いつかここに集まったみなさんで、湯豆腐オフとか、やってみたいものですねえ。
それではまた明日(かな?)。
ではでは。
>きちんとレスしなければならないのですが
2ちゃんですから、まあそのへんは適当にお気になさらずに。
ウナギものは、乗ったウナギよりタレのしみたご飯の方が好きだったりします。
ガキの嗜好ですなw
江戸はグルメな話題でも小説が書けそうでいいですねえ。
平安期の食事なんて貧弱で、くだくだと描写する気にもなれません。
>>572 あっしも大風呂敷大好きですよ。
律令制からはみ出た人々というと、業平とかそのへんですかね?
あっしは平将門から南北朝までを掘り下げたいと思っております。
575 :
名無し物書き@推敲中?:05/02/20 01:37:59
>574
業平がはみ出しというのは、頭の中にありませんでした。なるほどなあ。
将門でしたら、ちょっとかぶってしまうかもしれませんが、
私は藤原純友の乱を、純友自身ではなく、便乗参加組の海人の
頭領あたりの視点から書いてみたいなどと構想しています。
陰陽師モノだけが突出して数が出てるのを見て
マイナーテーマは、やっぱり伝奇やミステリーを絡めないと読んでもらえないと思い
無理に謎解きの要素を入れたのですが、
細かい設定や話の辻褄が合わなくなり悪戦苦闘しています。
プロは、こういうのも筆力で誤魔化して行くんだろうなあ。
平安後期さんは、小説の中に霊力とか予知力みたいな
幾分非現実的な要素を入れておられますか?
けっこうこのさじ加減は、古い時代を書く場合に迷うところだと思うんですが。
>>575 参考にはならないかも知れませんが、時代小説では、霊的なもの、
呪術的なものは、逆に成績が悪く、売れないものが多いそうです。ですから、
プロットを書くときも、なるべくそうした要素をはずすように気をつけています。
ただ平安時代ごろになれば、そうした要素も必要な要素のひとつにもなって
いるんじゃないですかね。
江戸時代では、まだ歴史的な距離が離れておらず、霊的なものを登場させる
と、生々しくなってしまうのかも知れません。やはり読者層は、時代小説の場合は、
剣戟シーンと人情を読みたいんだと思います。
平安時代ともなると、歴史的な距離がかなり離れるわけですから、一種幻想的
な作品でも、受け入れられる素地が出てくるのではと解釈してます。
難しいところでもあると思いますが。
>>575 なるほど。それは書き甲斐のありそうな構想ですね。
あっしも純友は追討する側から書く必要性があるんですが、
純友追討記だけじゃイメージがわかなくて困ってます。
史料がないからこそ書きやすいという人もいるんでしょうけどね〜。
話の中に陰陽師が登場することはあっても、
あくまで公僕っちゅーか脇役にもならん程度の扱いしかしてないですねえ。
調伏のシーンなんかも端折っちゃってますわ。坊主書いても楽しくないですし。
軍記物好きとしてはメインはやっぱり合戦譚なので。
自分は今のところオカルト要素を扱うつもりはないですけど、
もしやるなら微妙に取り入れるんじゃなくて、
最初からオカルト全開のハチャメチャトンデモコメディにしちゃうと思いますw
>>576 古代だと呪術が支配しているといっても過言ではないわけで。
でもそんな霊や呪術が通用するのも南北朝あたりまでですかねー。
戦国〜江戸のオカルトでまず思い浮かぶのは「仮面の忍者赤影」だったりして。
578 :
575:05/02/20 18:32:56
長吉さん、唐招提寺展に鰻とはうらやましい限りです。
なるほど、確かに時代小説は伝奇小説とは、読者層の趣向がかなり違ってそうですね。
古い時代の場合、伝奇小説でなくても、ストーリーを乱さない程度に
占いや霊などの要素が入った作品が多いように思います。
突き詰めると、読者が占いとか霊とかいうものの扱いに対して、
作者にどういうスタンスを望んでいるのかということになるんでしょうね。
579 :
575:05/02/20 18:48:24
>平安後期さん
確かに史料ないですね。海賊の設定は14世紀の前期倭寇から拝借しよう
と思っています。それじゃあ14世紀で書けよって言われちゃいそうですが、
征西将軍府モノは北方センセがいいものをお書きになってるし、
他には、海賊がまとまって活躍する事件があまりないんです。
ストーリーは?作るしかないですねえ。
たしか官軍側の動きは、海賊側より多少詳しくわかっているのでは…。
ご意見を伺って、私も当面リアリズムでやってみることにしました。
全ての謎の裏には、常に海の民山の民が蠢いていたみたいなかんじで。
大河義経は、作家志望家にはどうなんでしょう?
小説のドラマ化という点で興味があるのですが、考証的な不備が鼻につくとかになりますか?
自分は門外漢で、考証うんぬんはまったく不確かなのですが、
武蔵よりはおもしろいかなあと(^_^;)。ドラマと自分で書く作品とは、
すっかりわけてしまって、愉しんではどうかと。
まあ、ドラマ自体は、実はあまり僕は見ないことにしています。心を鬼に
して。いったん見始めると、どうしても時間的に縛られてしまうわけで、
その時間、たとえ1時間でも、なにかの本を読むようにしています。
(そんな頑なな、と言われそうですが、なにしろ年なもので、先が
見えてしまうんですよね・・・・・・)
>>575さんへ。僕も個人的には平安後期さんと同じ考え方ですね。
先ほどは舌足らずでしたが(いつもでい)、もし自分がオカルト的要素を
扱うなら、たとえ平安前後の世界にせよ、そこに力点を入れることは確か
だろうと思います。中途半端では、なぜそれを中心に据えるかわからない
わけですし、せっかくその他の部分で時代考証をしても、それもまた眉唾
としかみられないとしたら、ちょっと悲しいですし(そこにこそ、作家の仕掛け
という楽しみがあるという意見もあるでしょうが)。
先日,ある編集者の方が、
「時代小説も、エロシーンはもう、あきられてきたよね。やはり本物の
筋書きというか、大半の読者の興味は、エロではなく、人情とか謎解き
とか、心がスカッとするような剣戟シーンだとかで、とってつけたような
エロシーンは、だんだん、邪魔になってきてますよ」
といってましたが、まさに僕もそう思います、ということはおいといて、
平安前後といえども、呪術などを正面に吸えたストーリーは、逆に
食傷気味になっているような気がするんですよ。
まっとうに、考証して、その範囲内で多少筋書きを変えて遊んでしまう
正攻法が、また見直されているような(意識しすぎると、歴史小説に
なってしまいますから、自分の目指エンタテイメント作品との兼ね合いに
もよると思いますが)気がします。
ああ、575さん、また舌足らずでしたが、ある作家の方が(けっこう売れっ子の
先輩です)、
「自分の作品がいちばん面白いという気持ちを、常に持ち続けること。
修正は常にするべきだが、自分自身の才能について、これっぼっちも
疑っちゃならないこと。
自分が「これを流行らせてやる」という気概をもって、書き上げた作品を、
何十社とあきらめずに持っていくこと。採用されなければ、「向こうが馬鹿だ」
と思って、次の作品を書き上げること」
その不屈の精神が大切だと言ってました。
慢心とかとは少し意味合いの異なる、だいじなことだとハッと気づかされました。
その精神でいいのだと思います。
よしんばそれで、何年何十年たっても、誰にも認められなかったとしても、
それは「世間が馬鹿」であって、「自分の作品は面白い」と思いつつ、
「玉砕」
することが、作家を目指す人間の、矜恃ではないかと思います。
それだけ、世間の常識とはかけ離れた、無茶苦茶な精神構造を
必要とする職業なのだと。
世間一般と同じ成功を望む人間は、近づいちゃいけない職業なのかも
知れませんね・・・。うちも家族的には、全員に迷惑をかけてますから。
尾花の鰻だって、何年ぶりに、実現できたことでしょう。数年間、金で苦労
して(いまでも脱出したわけじゃないですが)、ようやく、家族全員を連れて
行くことができたぐらいで、自分の作品が、なかなか認められることはありませ
んでした(今でも完全に認められたわけではなく、書き直しも多いです)。
ご自分が好きな時代は、なぜ好きかの理由が(無意識的にせよ)、あるはずです。
だとしたら、読者の好みとか、そうした計算はもちろん必要だと思いますが、
あまり気にしすぎると、書けなくなってしまいますし、中途半端な作品が
できあがってしまうと思います。
自分を信じて書き続けることしかない以上、呪術的なものが好きなら書けば
良いし、そうでなければ、書かなければいいのだと思います。
長文失礼。
584 :
575:05/02/21 05:40:18
>580
主役にいい俳優を起用できない現在の大河ドラマの制約の中では、
ストーリー的に脇役の方に存在感があってもおかしくない義経は悪くない。
時代考証ですか?
清盛が船にのってるシーンだけ、仕事中断して目をさらにしてました。
585 :
575:05/02/21 06:05:37
>長吉さん
丁寧なアドバイス、ありがとうございます。
確かに、今はあまり小手先のマーケティングなど考えず、
まず自分が書きたいものを描き切るための筆力を鍛える必要があります。
史料調査や大筋のプロットはわりと楽しくやれるのですが、
一つ一つのシーンを文章に落とすのはまだ四苦八苦している段階です。
そうか、最近はエロシーンも必須ではないのですね。
私はヒーローとヒロインのラブシーンなんて全く書くつもりはないんですが、
魔が差して悪女に嵌められるパターンは一つ入れてみました。
お。エロシーン飽きられ傾向ですと?
10氏見てますかー。朗報ですよー。
いやね、あっしも10氏もどうも濡れ場を書くのが好きくないようでして。
そういう市場要求があることは理解しつつも、
必然性があるならともかく、無理矢理濡れ場を入れてもねえ、、、、。
とりあえず今はまだ売文しているわけではないのですから、
世間に迎合などせず「書きたいものを書くんだ」という一念でいきたいと思いますな。
>575氏
ってことは村上水軍とかあのへんの先祖が絡んでくるんですかねー。
史料調べ、楽しいですよね。本筋には不要なエピソードでも、
あれも入れたいこれも入れたいになって、削るのに苦労します。
>>580 大河ドラマは、自分が不案内な時代ならそれなりに楽しく見ちゃうんですけどね。
好きな時代ほど考証や設定にムカつきます。ああ、大人気ない。
原作読んでないので、原作が悪いのか脚本が悪いのかわかりませんが、
あれじゃ義経が平家討伐に心血を注ぐ動機がないんですよねえ。
すっかり大河板アンチスレの住民です。
ただヴィジュアルという点では参考になることも多々ありますから、
そういうとこだけは575氏と同じく目を皿にして見てますw
あ、滝沢義経は当初の不安を裏切って健闘してくれてると思います。
ただのヒステリー演技の財前政子はさっさと逝っちゃっていいですと思いつつ、
今のところの登場人物の中で一番最後まで生き残るんですよね彼女が。(つД`)
どうもそのお、マツケンサンバがちらついてしまって、弁慶が・・・・・・(つД`)
うはは、それはありますなw
春一番吹きましたねー。満月一日前のお月さまがきれいです。
店頭で「物語の舞台を歩く」って山川のシリーズ本が平積みになってまして。
「平家物語」「曽我物語」を手にとってみたら初心者向けの平易な内容ながら
執筆陣が良心派の教授たちなので即買いしてきました。
このあと「純友追討記」の刊行もあるようですよ。>575氏
この「平家物語」について書かれた青学の佐伯先生は
以前講演会でとても好感を持ちまして、
ぜひ講義を受けてみたいんですけど、
青学は科目履修制度ないんですよねえ。
デビューしたら取材を申し込みたいな、なんて、ははは、妄想妄想。
山川のシリーズですか。
こんど本屋で手に取ってみます。
今日は久々にぽかぽかと温かく、いい散歩日和でやんした。
仕事の合間に散歩してるんだか、散歩の合間に仕事してるんだか、
ときどきわからなくなることがありますw。
で、帰ってきてから、パセリとニンニクとセロリのみじん切りをたっぷりと詰め込んだ
鶏肉を、230度のオープンで30分ほど焼いて、こんがりと香ばしく焼けた
チキンローストで一杯やりました。
最近、料理にもこっちゃって・・・その分資料でも読んでりゃいいのですが。
しかし資料といえば、江戸時代の原典って独特の言い回しというか文章が
多くて、中世の古文書の方が、教科書の文法通りにきちっと読めますね。
江戸時代のを読んでると
「あれ? こいつ死んだと書いてあるのに、次の行には大名に召し抱えられた
と書いてあるぞ???死んだのは親父の方だったということか?いや、そうは
読めないし・・・・・・」
と小一時間首をひねるみたいなことがしばしばあります。
江戸時代の言葉遣いって、特に武士の書いた随筆あたりに、謎だらけの
文章があります。教養がないってわけじゃないんでしょうが・・・・・・どうにも
不可解なことが多くて、毎夜のごとく苦しんでいる今日この頃です。
山川や吉川弘文館は地道にいい書物を出しますよね。
往来社は良いものもあるんですけど、しょーもない書物も多くて、
当たりハズレが激しいのが難です。
江戸の書物というと黄表紙くらいしかまともに読んでないですが、
古典籍をふまえて書いてあるものが多いようにも思います。
川柳なんかも昔の知識があって初めて笑えるような感じですよね。
昔の日本人って、今の日本人よりも歴史に通じていたんだなあと、シミジミ、、、。
北関東へお参りに行ってきた主人公のための資料ですかいの?
謎だらけの文章なれど、謎解きもまた楽しからずや、ですかねー。
ずーっと頭の中でモヤっていた設定が何となく形を結びはじめ、
久しぶりに執筆意欲がわいてきた春です。
いや、資料は必ずしも北関東とは関係ない話で。
それより、平安後期どの、書き続けなければ・・・とにかく書き続けなければ
いけませんよ。それによって、強制的に資料を調べなきゃいけなくなったりする
わけで。
ぼくが以前デビューしちまったらと言ったのは、質のいい作品を書くのはまた先の
こととして、とりあえず自分をそうした地獄の中に突き落として、強制的に
自分自身を鍛えるという意味もあったからなんです。
たとえくだらないノベルスであっても、将来、また名前を変えて再デビューすれば
それでいいわけですから・・・。書きたいという衝動って、みんながみんな持っている
わけではないですし、それを大切にしなければいけないんじゃないかと思ってます。
デビューしちまえ!
594 :
575:05/03/02 08:11:59
>平安後期さん
「純友追討記」刊行予定ですか。それは心強い。
村上水軍も、もちろん調べる必要があるのですが、
特に壱岐、対馬、五島、済州あたりで船上生活をしていた
まつろわぬ民に興味をひかれています。
現代人が感情移入しにくいような不道徳な連中(海のヤクザとでも言うべきか)
なので、人物設定などは考える必要がありそうです。
595 :
名無し物書き@推敲中?:05/03/02 10:04:03
みなさん、はじめまして。下手な素人歴史・時代小説を書いている子家子(しかし)と申します。
このスレは見識高い方々が良質の書き込みをされてますので、私もよい刺激を受けております。
自分ももっとがんばらねばいかんな〜という気持ちになれます。
私の守備範囲は、始皇帝以前の中国と日本の南北朝時代ですから、お話についていけない場面も
多々あると思いますが、これから時々顔をだしますので、宜しくお願します。
>>595さん、こちらこそよろしくお願いします。南北朝は、一時期僕も興味を
持って、調べたこともあります(中途半端に終わってしまいましたが)。いずれ
そんなあたりのお話も。
平安後期どの。ちと煽りのボルテージ上がり過ぎちゃってごめんなさい。
いや、僕は、平安後期さんの発言とか見てるだけで、
「ぜったいプロになれる人なのに」
と、切歯扼腕しちゃってるわけです・・・失礼しました。
だから買いかぶりすぎですってw
学者叩きとか平気でするから、自信ありそうに見えるんでしょーか。
書きかけの小説やアイデアは結構あるんですけど、
なーんか最後まで書ききる根気がないんですよねー。
まあだからこそ長吉氏が「強制的に自分を追い込め」と言ってくれるのも解ります。
締め切りがないと、人間、ほんと何もしませんもんね。
長吉氏のように経済的に苦しみながらも頑張ってらっしゃる人からすると歯がゆいでしょうが、
まだちょっと二足のわらじを履ける状況でもないので、
もう少し長い目で見てやってくだせえ。
長吉氏と同じ土俵に立った暁には、一緒に鍋でもつつきましょうぜ。
>575氏
まつろわぬ海の民に興味を持ったきっかけって何なんでしょう。
武士なんてのも結構ヤクザですよね。
頼朝は部下に暗殺失敗の落とし前で指ツメ命じたりしてますし。
昔の史料を読んでると、そういうささいな1行に妙に目が留まります。
>>595 いらはーい。千客万来で嬉しいですね。
中国史を書く方は時々いらっしゃるんですけど、
このスレででかい顔してるあっしなどが中国には疎いので、
なかなか居ついていただけないのが寂しいです。
あっしも南北朝は興味あります。
平安期に比べたら全然勉強不足ですけど、
北畠親子や護良親王あたりをメインにした話をいつか書きたいです。
599 :
子家子(595):05/03/03 12:09:09
長吉さん、平安後期さん、以後よろしゅうお願します。
中国史を書く方は少ないんですか? 残念ではありますが、各国・各時代ごとに固有の魅力が
ありますしね。他の時代のお話もおおいに参考になります。
南北朝物は何作か書きましたが、書くほどに自分の中で北畠親子や護良親王の存在が大きく
なっていきました。まだ彼らを真正面から書くだけの腕と知識はありませんが、いつかは
書いてみたい素材です。
601 :
海人:05/03/03 14:24:38
>中国史を書く方は少ないんですか?
春秋戦国時代を書かれているのですか?
私も邯鄲の戦い、信陵君、墨家などは、題材として興味があります。
602 :
海人>:05/03/03 14:28:50
>まつろわぬ海の民に興味を持ったきっかけって何なんでしょう。
武士なんてのも結構ヤクザですよね。
頼朝は部下に暗殺失敗の落とし前で指ツメ命じたりしてますし。
603 :
海人>平安後期さん:05/03/03 14:45:05
>まつろわぬ海の民に興味を持ったきっかけって何なんでしょう。
日本史に対して一番無責任な視点から日本史を書いてみようと思ったからでしょうか。
それと、自分が瀬戸内出身ということもあるかもしれませんが。
>武士なんてのも結構ヤクザですよね。
>頼朝は部下に暗殺失敗の落とし前で指ツメ命じたりしてますし。
このあたりが、現代人の感覚で歴史を書いちゃいけないというところなのかな。
指だけじゃ、むしろ寛大な処分なのかもしれないし……。
だから僕は、感情移入しやすい架空の主人公を作っちゃうんですよ。
武士なんてのも結構ヤクザですよね。
頼朝は部下に暗殺失敗の落とし前で指ツメ命じたりしてますし。
いつかは古代中国の小説も書いてみたいですねえ。
そこまで手が回らないというのが現実なんですが、漢籍なんかは、
いつか書くために、少しずつ読み進めています。表現力の勉強にも
なりますし・・・・・・。前途は多難ですが。
年齢から考えると、でも、中国モノはあきらめなきゃいけないのかな・・・・・・
二兎を追う者はということもあるしなあ・・・・・・悲しい。
605 :
子家子:05/03/03 16:34:52
>海人さん
守備範囲は、春秋戦国とそれよりも過去です。
墨家は大変興味深い題材ですね。ただ、当時あまりにも異色であった存在ですから、
そこをどこまで読者に伝えられるかが問題ですよね。いまの私には手に余る存在
です(苦笑)
>長吉さん
>二兎を追う者はということもあるしなあ
歴史・時代物書き特有の悩みですよね。私も日本を舞台にした場合、南北朝時代のみ
少しは格好がつくというだけで、他の時代はお手上げ状態です。とほほ。
>>子家子さん、南北朝にご興味を抱くにいたった理由なんかはあるんですか?
僕は母方の母方が、奈良の十津川出身で、そこの郷士として南朝に組した
というようなことがありまして、それを、つまり祖母から物語りされまして、こつこつと
調べてみたりを始めたんです。
奈良の、自天皇の墓や祭りにも出かけて、郷土史の先生(中谷順一先生)
のお話を聞いたりもしました。
いまだに椿の葉を口にくわえて、村人たちが後南朝を偲んでいる姿には、本当に
驚かされましたし、陸軍大将山県有朋が、
「時節を待て」
と書いた碑に、明治政府の苦衷(南朝を正統としたあまり、自分たちが
戴いている北朝の子孫の正当性を事実上否定してしまったわけですから)
を知ることもできました。
何百年も前のことなのに、いまだにそうした記憶というのは消えないし、誰かが
持ち続けるものなんですよね。
それこそが、「歴史」ということなんでしょう。
自分でもときどき、歴史なんかやってないで、実益のある商売に精を出して
いれば、安泰な人生を送れたものを・・・・・・なんて考えることもありますが(^_^;
しょうがないですねえ、こればっかりは。
「歴史好きに悪人はいない」
なんて考えることによって、自分を慰めることにしていますです。はい。
607 :
子家子:05/03/03 19:32:22
>長吉さん
>>子家子さん、南北朝にご興味を抱くにいたった理由なんかはあるんですか?
あまり威張れる理由じゃないんで、ちょっと恥ずかしいんですが……。
南北朝に強く惹かれるようになったきっかけは、鷲尾雨工先生の『吉野朝太平記』です。中学時代から
歴史好きだった私にとって、楠木正成はヒーローの一人でした。その息子正行・正時も日本人好みの
存在です。しかし、中学生の私は三男正儀に魅力を感じることができず(知識も足りませんでしたが)、
逆に「なんだ、こいつ?」って感じでした(苦笑)。正直変節漢としか思えなかったです。
ところがたまたま復刻版の同書を中古で買って読み、衝撃を受けました。主人公正儀はたいへん魅力的な
人物に描かれており、かつ活き活きとしていました。歴史小説の醍醐味を教えてくれたのが『吉野朝太平記』
だったんです。
いつか自分なりの正儀を書いてみたいです。多分、自分が書く南北朝物のゴールはそこかな、と思ったりも
します。いつ辿り着けるかわかりませんが……。
608 :
海人>子家子さん:05/03/04 00:59:28
>守備範囲は、春秋戦国とそれよりも過去です。
春秋以前というと、宮城谷氏の太公望や天空の船も、
封神演義ほどではないにせよ、幾分ファンタジックな雰囲気が出てきますね。
『吉野朝太平記』は、恥ずかしながら知りませんでした。
機会があったら、読んでみます。
>>607子家子さん、ぜひ、奈良の山奥の、後南朝の遺跡をお訪ねなさって
くださいませ。たしかに狭い田舎ですし、どこの誰かと疑われることも多いと
思いますが(^_^;)、逆に、受け入れられれば、とてもいいところというか、自分に
とって、田舎といっていい感じになるかも知れません。
いや、こんなことをお話しできて、嬉しいです。
610 :
子家子:05/03/04 10:28:46
>海人さん
>春秋以前というと、宮城谷氏の太公望や天空の船も、
>封神演義ほどではないにせよ、幾分ファンタジックな雰囲気が出てきますね。
そうです、宮城谷先生の作品群と守備範囲が被るんです(苦笑)。
どこまでファンタジー色を加えるべきかはなかなか難しいところです。酒見
賢一先生の『周公旦』や『陋巷に在り』のように呪詛などを前面に押し出した
作品もありますしね。ただ、人が人としての限界をわきまえ、人の力を超越した
ものを神とあがめた時代ですから、あまり現代的な感覚を持ち込むのは先人
たちに失礼だと思ってます……毎度毎度匙加減に悩みます。
吉野朝太平記は(なんと)第二回直木賞受賞作であり、残念ながらいまでは
入手困難です。ご興味があるなら、『吉野朝太平記 ダウンロード』でぐぐって
いただければ、第一巻だけ無料でダウンロードできるサイトにいけます。当時の
作品ならではの味があります。ただ、第二巻以降が真骨頂かな〜って感もあり
ますが。
>長吉さん
>ぜひ、奈良の山奥の、後南朝の遺跡をお訪ねなさってくださいませ。
なかなか暇がとれず先延ばしにしておりますが、いつか必ず訪れたいと思って
ます。実は密かな楽しみのひとつだったりします^^。
あれ、後南朝で話がはずんでますな。
自天王、書いてみたい人の一人なんですよ。
あっしもいつか金峯神社訪問などの際に、後南朝の遺跡も巡ってみたいと思ってます。
>海人氏
>日本史に対して一番無責任な視点から日本史を書いてみよう
いい動機ですねえ。
書いててきっと楽しいでしょうな。
612 :
名無し物書き@推敲中?:05/03/04 19:50:16
好奇心なのですが、歴史年表から以外に「一番影響を受けた小説作品」はなんでしょうか?
歴史小説好きの登場人物を出す参考にさせていただきたいので・・・
613 :
海人:05/03/04 19:54:58
後南朝ですか。
実は、私が歴史小説を書きたくなったのは、安部龍太郎氏の「彷徨える帝」を
読んだのがきっかけで……。自分の書いてる時代は全然違うんですけど。
残念ながら、この小説は静岡新聞に連載されていたせいか、吉野の奥地方面の
場面は端折られています。そのかわり、うちの裏山あたりで幕府方と後南朝方が
死闘を繰り広げたりしていて、地元民にとっちゃあ斬新なんですが……。
静岡での死闘となると、薩陲山の戦いでしょうか?
>>612 「一番」と言われれば『平家物語』です。 ← 一応、小説作品なんですよw
中でも覚一本・延慶本・長門本が好きですな。
現代の小説家が書いたものというなら、永井路子の『炎環』。
最近読んでショックを受けたのは、橋本治『双調平家物語』ですね。
こんなもんで参考になります?
616 :
名無し物書き@推敲中?:05/03/05 00:04:40
え〜と、通りすがりです
気になったので補足を
>吉野朝太平記
たしか、ハードサイズで復刊をされているはず?
もしかしたら、市場流通分しか残存してないかもですけど
617 :
海人:05/03/05 06:27:41
吉野朝太平記情報、ありがとうございます。
>長吉さん
史実の戦いをモチーフにしたものではなく、安部氏の創作と思われます。
場所は薩陲山よりももっと奥(南アルプスまでは行かない)の山で、
後南朝側の「ゲリラ」を北朝側が掃討するといった話です。
618 :
海人:05/03/05 09:05:57
薩陲山といえば、昔武田信玄と北条氏康の対陣の小説を書こうとして
一、二行で挫折したことがあります。
江戸時代以前は、富士川の河口付近から東がずっと湖だったらしいんですが、
これが反映された戦国小説は、あまり見たことがありません。
この湖の存在がないと、武田今川北条の会盟が行われた
善得寺の戦略的重要性が説明できないのですが。
また、薩陲山から少し西、合併前の清水と静岡の境には、梶原山という山があります。
梶原景時が、鎌倉からの追手に討ち取られた場所です。
>>617 さん、なるほど、完全な創作でしたか。
>江戸時代以前は、富士川の河口付近から東がずっと湖だったらしい
いや、初耳です。お恥ずかしい、ちっとも知らなかった。
少し調べてみます。
620 :
子家子:05/03/07 10:04:54
>>617 >たしか、ハードサイズで復刊をされているはず?
誠文図書のやつは第一巻を買い損ねてしまったので収集を諦めた経緯があります(泣
>>618-619 >江戸時代以前は、富士川の河口付近から東がずっと湖だったらしい
私も初耳です。こういう情報を教えてもらうたびに、歴史小説を書くことの怖さも
痛感します。何気なく書いた一文が、実はとんでもない誤りだったとか……日々の
精進が肝要ですね。
>>612 >歴史小説好きの登場人物を出す参考にさせていただきたいので・・・
現代の登場人物で設定を『歴史小説好き』にするんですね? キャラの年齢や性格に
よるので、一概に言うのは難しいです。歴史好き以外全く知らない本を避けるなら、
・司馬遼太郎著
『竜馬がゆく』(おおらかなキャラ向け)
『燃えよ剣』(ストイックっぽい?)
『花神』(理系っぽい、歴史マニア寄り)
知名度などを考えるとこのあたりですかね。平安後期さんお薦めの『平家物語』や
『太平記』などの古典を選ぶのもいいですね。かえってキャラと矛盾する危険性が
少ないかもしれませんよ^^ がんばってください。
※因みに私のお薦めは、
『重耳』(宮城谷昌光)、『人斬り半次郎』(池波正太郎)、『海と風と虹と』
(海音寺潮五郎)、そして吉野朝太平記w
いやはや、今日は暖かい…
僕もそうですが、平安後期どのには、花粉の舞が襲いかかるでしょうけれど(^ー^;
三寒四温で、週末からまた少し寒くなるようですが、それでも本格的に春
という感じがしてきましたね。
あ、忘れずに、今のうちに土筆とりをしておかなくては…毎年忘れていて、
とりにいったときには、もう胞子が飛ぶようになってたりしますし。もうちょいしたら、
のびるも根を大きく膨らませることでしょう。
花粉症さえなかったら、これから一番いい季節だというのになあ。うう。
本格的な春の訪れとともに、中古で買った「燕石十種」の全巻揃いが、
配達されてきました。これで、また当分楽しみが増えましたでやんす。
野草取り以外は、家にこもって花粉を避け、読書三昧であります。
花粉症板の住人になりましたw
でも早めのアレグラと地道にマスクの効果か、今年はまだキませんなあ。
あと何日この平和が続くかはわかりませんが。
土筆やセリ摘み・わらびにゼンマイ採り、いいですね。
小説の中にそんな描写があると、ふわっと温かい空気を感じます。
>富士川の河口付近から東がずっと湖
この場合、田子の浦はどうなっちゃうんでしょうねえ。
富士川の合戦にも湖の存在はまったく記されてませんし、あっしも初耳です。
623 :
海人:05/03/10 15:19:57
昨日は、最後の梅を楽しんできました。
八重野梅とか鴛鴦とかの品種って、昔からあったんでしょうかね。
どうも、私は植物には疎い。
ところで、さすがに皆さんの前ではうかつなことは言えませんなあ。
私も真剣に調べたことはないので、話半分に聞いといてください。
この湖は、もともと現在富士川の河口付近から、JR原駅のあたりまでと
かなり大きいものだったようです。江戸時代には、かなり土砂が堆積して
沼や湿地になっていたようです。
安藤広重の東海道五十三次の吉原の絵を見ると、
天橋立のような街道の両側は、どうも水田ではなく沼のように見えます。
宝永津波で、吉原宿が大破したため北へ移転するという事件があったことからも、
このあたりがかなり海水が入りやすい地形だったことが予想されます。
地震、津波と言えば、宝永、安政ともに地震直後は駿河湾の西岸が隆起し、
サッタ山に上らず渚を歩いて由比から興津に行けたそうです。
これが地震後数十年経つと次第に沈降していって、
ついには渚が歩けなくなり、サッタ峠を越えるようになります。
ちなみに古今集の田子の浦は、
このサッタ峠のあたりを指すという説もあるようです。
ところで長吉さん、
江戸時代小説では隠密モノが一大ジャンルを形成していますが、
史実的にはどうなんでしょう?
隠密を放ちあっての、テロをも辞さない熾烈な権力闘争っていうのは、
実際にも多くあったのでしょうか?
海人さん、いや勉強になりました。
もう知らないことだらけだなあ……
隠密の話ですが、少なくとも史実として出てくるのは、せいぜい江戸初期まで
でしょうね。ただし、小説のほとんどはむちゃくちゃですが(^◇^;)。
本田正純とかが生きていた時代ぐらいまでは、多少あったみたいですね。
大久保忠隣との権力争いの際など、隠密かどうか知りませんが、敵情視察
をしていた「フシ」があります。そうしたことは、実際に書いて残されることは
ないわけですから、あくまで状況証拠にしか過ぎないと思います(そうした
記録があるのかどうか、浅学のゆえ、存じません)。
大久保忠隣の腹心の部下に、大久保長安という人がいましたが、死後、
何万両だったか何十万両だったかの隠し金が発見され、家康に墓をあばかれ
て死体を貼り付けにされ、子供は全員殺されたんですが、この人は、どうも
武田家のお家再興を狙っていたフシがあります(総支配地120万石)。
武田家の姫様(名前忘れた……)を八王子に呼んで面倒をみたり、周囲は
旧武田家の家臣が大勢取り囲んでいました(八王子同心という形で、幕府
に取り込まれていました)。
大久保忠隣の失脚を狙う本田正純が、大久保長安の不正蓄財を暴く
ために、八王子や、長安が一手に経営を引き受けていた各地の金山に
隠密(といっていいのかどうか……)を放ったことは想像に難くありません。
また逆に、本田正純の失脚を狙って、酒井忠世や土井利勝が、隠密を
放っていたことも考えられます。それによって、
「秀忠暗殺の噂あり」
として、有名な宇都宮釣り天井事件が起き、正純は失脚したわけですから。
ただそうしたことも、せいぜい家光の時代ぐらいまでじゃなないでしょうかねえ……
あとは、各藩のお家騒動の際とかには、互いにスパイを放ちあっていたことは
間違いないでしょう。
それから、寛文12年に起きた、有名な浄瑠璃坂の敵討ちも、双方合わせて
100人以上とも言われる大規模な敵討ちだったんですが、奥平源八敵と狙う
奥平隼人の行動を探るために、多数のスパイを放っていたことでしょう。そして、
幕府側の隠密も、奥平家を改易ないし転封するために、両者の動きを
見張っていたようです。とっくに知っていたのに、わざと江戸で敵討ちを実行させ、
待ってましたとばかりに転封しちゃいましたからね。
時代はだいぶ下りますが、田沼意次と松平定信の権力闘争のときも、それらし
き動きがあるそうですが、これについては不勉強でまったくわかりません。
あまりいい例を知らなくて恐縮ですが、大名の改易を狙った際には、
隠密に様子を探らせることはあったでしょうが、
しかし小説にあるように、幕府内部の権力争いに、公儀の隠密を使ってという
のは、まずめったになかったんじゃないですかね。
私利私欲のために隠密を使ったとなったら、お家取りつぶしでしょうし……
これは闇の歴史とも言えるものですから、実態は誰にもわからないことなんじゃ
ないでしょうか。
いや、曖昧な答えで申し訳ありません。
626 :
海人:05/03/14 13:48:59
長吉さん、丁寧な解説ありがとうございます。
>田沼意次と松平定信の権力闘争
なるほど。このあたりは面白そうだなあ。
それにしても、隠密小説に出てくるような、
幕府の転覆を本気でやろうとした大名は、
幕末の長州藩まで実際にはいなかったんでしょうねえ。
大名以外だと由比正雪ぐらいかなあ。
人殺し小説ですよね、歴史小説。
ですよねw
平安末期〜戦国などは大量殺戮小説ですし
平安中期・源義家の奥州討伐などは残虐小説でもありますしね。
現代とは違う価値観をいかに描くかが、難しいところですな。
富士川の合戦を書く時に、頭の中にその湖を思い浮かべてみると
また一味違うものになりそうな気がしました。
勉強になりますねえ。ありがとうござんす。>海人氏
武田家のお家再興って面白そうな話ですね。
あっしもお家再興もので一つ案がありまして。
あっしのことですから、これも多分ドタバタ劇になるんでしょうけどね。
隠密と言えば「義経の正室は鎌倉幕府の間諜だった」説があるんですよね。
自分の小説の中では普通に仲のいい夫婦なんですけど、
今こうしてレスしてる途中で間諜説のキャラも浮かんでしまいました。
これはこれで書いてみたいかも。
↑@平安後期でした。
ども、初めまして。
光秀=天海で、光秀の武者修行時代をモチーフにした短編シナリオを書いたのですが
分量が少なすぎて無理ですた。脇役に斉藤利三とか海北友松(画家です)とか
結構面白そうなんですけどね……
あと、時代小説って女性を出しにくいですよね。なんか取って付けた様になっちゃう。
皆さん、何か工夫していることとかありますか?
プロットを作る段階で、女性が主人公にうまく絡まるような存在にしておくこと
でしょうか。そうじゃないと、書いてる途中で必然性もなにも無くなってきてしまい
ますから、恋人でも、片思いの相手でも、継母でもなんでもいいのですが、
主人公と切っても切れない縁や訳を設定しておくことに尽きると思います。
>>平安後期どの。
確かに義経の正室を疑おうと思えば疑えるわけで…おもしろいでんな。
義経に限らず、拙者がそうした人間関係について考えるとき、お付きの女中連中が、スパイ役
を果たしていた可能性が高いのではないかと思ってます。大名同士が婚姻
関係を結ぶときには、必ずそうした女どもが付けられたんじゃないかなーと
妄想してますです。それが一種の隠密ではなかったかと。
女中連中がスパイ。それ、ありそうですね。
隠密とか間諜といった名詞はなくとも、そういう役割は古来から普通にあったでしょうね。
あっしも、会議室から洩れ聞こえる会話に耳ダンボになることもありますしw
>>630 どもども、はじめまして。
あっしの場合は必要に応じて実在の人物を出しますので、
特に苦労は感じたことないですねー。
長吉氏も言われるように
主人公と切っても切れない縁とかの、ストーリーに絡む必然性がなきゃ出しませんし。
時代ものって結構人物出入りが多くなってしまうので、、
とってつけたようになってしまうなら最初から不要と判断してみるのもどうでしょ。
男ばかりの小説でもいいと思うですよ。
そろそろ桜の季節ですなあ。早いもんです。
(10さん、復帰してくだはれ!)
今年は、三渓園で夜桜見物をし、帰りに中華街近くでお泊まりして
翌日さんざん美味しいものを食べてから、水上バスで遊覧を楽しみ、ラーメン
博物館に寄ってから(まだ行ったことないです)帰ってこようかと思ってます。
仕事の憂さって、パッとどこかに出かけないと、なかなか晴れないんですよね。
それだけは、苦しい家計の中からも、自分に対するご褒美として奮発する
ようにしてますです。
(横浜はホテル戦争で、素泊まり4000円とか、ときどきキャンペーン価格
2700円とか、とんでもない安い部屋が見つかります)
635 :
名無し物書き@推敲中?:2005/03/28(月) 20:40:28
自分も10さんを呼んでみます!
ガンダムエースで、tomino監督が山折哲雄と対談して
「日本は、武士と公家と坊主が三すくみの構造をない、一人勝ちしない」
言うてます。
江戸時代についての言及も有りです。ガンダム好きで江戸時代好きな10さん、カンバック!
平安後期さんと長耳の長吉さんの掛け合いも大好きです。私には知識がないです。でもここは
好きなのです!
636 :
名無し物書き@推敲中?:2005/03/28(月) 20:41:40
「日本は、武士と公家と坊主が三すくみの構造をなし、一人勝ちしない」
でした。やっぱ駄目だ。
>>635 公家ねぇ……
正確に言うなら皇室でしょ?
皇室って表現すると「道々の輩」も入るしいわゆる同和関係も入る。
>>637 それも正確とは言えないのでは……なぜなら力のなる坊主の
ほとんどが門跡であるわけで(力を持つために皇室から血族を迎えたとも
言えますが)、となると、すべて皇室になってしまいませんか? 武家のほとん
ども、皇室にいかに近いかの出自を争っていたわけですから。
まあ、職業的な分類として、武士と公家と坊主というのは、正しいんじゃ
ないでしょうか。
>>638 それは上澄みだけかと。
3すくみってことは下の方とかスタート段階まで含めてでしょ?
坊主は応灯関みたいのとか空海法然日蓮とか、武士だって血筋より実力で、
器量があって初めて出自ほしがったりするわけだし。
初めはともかく時間が経ち、上に行けば行くほど近づいてしまうのは、
今の官僚政治家財界も同じ。結局、血筋になっちゃうw
?
よくわかりません。
横浜の春もいいですよね。
県民ホールの2階から眺めるベイブリッジの夜景もロマンチックです。
↑コンサートなどの催事がないとダメですが。
しかし横浜は今でこそ異国情緒を売り物にしてますが
江戸以前はただの漁村でしたのにねw
10氏はもう2ちゃんねら辞めちゃったんでしょうかねえ。
ひとことでもいいから近況が知りたいですな。
>>635 知識の多寡なんて気にしない気にしない。
あっしも自分の好きな時代のことしか知らんですよ。
江戸の話についていこうとすると、ものすごく間抜けなことを言ってるかもしれんですw
>>639 なんか例として挙げてる時代が全然かみあってないような気がしますけど。
空海の時代と出自欲しがる武士とでは、数百年の隔たりがありますよね。
>皇室って表現すると「道々の輩」も入るしいわゆる同和関係も入る。
?? 道々の輩って?? 皇室と同和関係って??
不勉強なあっしに噛み砕いて教えてくだせえ。
>>640 3すくみって上から下まで含めて、ってこと。
武士は将軍(場合によっては関白や太政大臣まで)から地侍、ノブセリまで。
坊主は門跡・法王から雲水・修験者まで。
公家っていうと下がない感じかも。
皇室という表現だと「道々の輩」が「上無し(天皇を除く)」で意識として
は天皇直結なので、3すくみのバランスがいいかと。
まあ、まったりに戻りましょうや。
みんな歴史好きなんですから(って、ちと熱くなってしまった自分に
まず反省猿っ!)
ここは、日本史版でもないわけですし、重箱の隅をつつき合うより、
重箱的なことを知った部分を、伝え合い、分け合う場にしませんか。
桜の季節ですし(関係ないですが(^_^;
なんだかここ数日寒さが続いて、花見は少し先延ばしになりそうですね。
三渓園、行ってもまだダメそうだし、中華三昧と洒落込みます。
昨夜、何十年ぶりかに、「樅の木は残った」の上巻を読了。
山本周五郎の作品って、高邁な志を持った主人公たちがたくさん出てきて、
身が引き締まるというか、自分が恥ずかしくなってきます。こんな自堕落な
人生でいいのかと。
ただ、昔読んだときよりも、
「けっこう無駄な文章や展開が多いな?」
と思いました。
若いときは気づかなかったんですが、これ削ればばっさり削れるんじゃないかと
思い始めたんです。中巻、下巻と読み通してみないとまだ結論は出ませんが。
出だしのように、ものすごくスピーディーで締まった展開があるかと思うと、
どうしてこんなにもったり、という部分もあるんです。
やっぱり小説って、読む年代によってまったく印象違ってきますね。
今の世の中で高邁な志を持とうとしても難しいですよのう。
とりあえずは、周囲の人たちと笑いあいながら毎日が過ごせればいいなと思うばかりです。
平和が一番ですよね。
そう言いながら、殺伐とした物語を書いているわけですがw
平家物語も「ここいらないんじゃないか?」と思う章がしばしばありますね。
まあエピソードの要る要らないは、読者の好みもありますから一概には言えませんけど。
自分としては、星新一のようにすっきりとシンプルで
読みやすい文章を書いていきたいと日々思っておりまする。
おっしゃるとおり、星新一は、再評価されるべき作家だと思います。
(一部でされ始めているようですが)
アメリカで言えば、レイ・ブラッドベリのような、凝縮されたストーリー展開は、
今の日本でも十分通用すると思うんですが。
ハヤカワとか、もういちどフェアでもやりませんかねえ。
ショートショートの良さが、この時代に復権してもらいたいものです。
648 :
名無し物書き@推敲中?:2005/03/31(木) 00:09:20
シ、ショートショートな歴史小説ですか……。うわ。でもそれ、おもしろそう。
横浜の旅から戻ってきましたが、山下公園(久しぶりに行ったなあ〜)の
しだれ桜が満開だったのをのぞけば、ほとんど咲いてる桜はありませんでした。
中華を食べまくり、2キロも太って帰って参りました。
神奈川県立歴史博物館を初めて訪れたのですが、中世と近世の展示、
すべて見るのは無理でした。もういちど行きたいと思うほど、充実しておりました。
ただ、近世の展示が、「近世の街道と庶民文化」という、けっこう限定された
範囲のものだったので、もっと違う面の神奈川の歴史を知りたかったとも思いました
が。
佐倉市の国立歴史民族博物館もそうですが、オープン当初の館長や学芸員
の好みによって、展示内容がかなり左右されてしまい、時々不満を感じること
もあります。つまり、「郷土史的視点」が抜けてしまう傾向が多々あるからです。
その県や市などの歴史を扱うのですから、もう少し全体的な歴史を重視して
くれてもいいんじゃないかな〜と思います。
それはともかく、また横浜が好きになりました。
そっちに住めば良かったなあ。
星新一も寡作ですが歴史ショートショート書いてますでっせ。
でもいつものキレはないですなあ。>『つねならぬ話』
中華街、いいですねえ。
横浜の博物館といえば、「馬の博物館」へ行ってみたいと思いつつ、、です。
国立歴史民族博物館は、
平将門や千葉氏研究の第一人者・福田豊彦教授が館長をなさってましたな。
彼が初代だったようにも記憶しておりまする。
行ってみたい博物館のひとつです。
放送大学の「中世日本の歴史」の冒頭数回を昨年見逃してしまったので
今年こそと思ってたら、またしても初回を見損ねてしまいました。_| ̄|○
受講生になるほどの意欲はないんですけどね。
うう、五味せんせ〜の講義が聞きたいよぉ〜。
専大で、江戸時代の古文書を読みながらの寺子屋を開講するそうですよ。
締め切りが4/15消印有効なので興味のある方はお早めにどぞ。
ttp://www.acc.senshu-u.ac.jp/siec/open/terakoya_open_2005.htm
馬の博物館も行ってみたいです。
次はまた秋かな……。
専大にもそういう講座があるんですね。でも向丘遊園じゃだめだあ……遠すぎ。
独学でやるしかありませぬ。コツコツやってはいるのですが、ついつい酒に手が伸びて、
飲んでしまうと江戸仮名(変態仮名という呼び方は嫌いでござんす)がまるで
異次元の文字のように見えてきて思わずくらくらして本を閉じ……あー、いつまで
たっても同じ自堕落生活。
放送大学だの、人間講座だの、テレビの録音は、一回でも見逃すと、急に
やる気がなくなってしまいますよね。
やはりVHSで録音するには限度があるかも。今年こそは、ハードディスク付き
のDVDレコーダーを買いたいなと。
5万円台に下がってきましたしね。
ところで質問だけして、回答に対する返事もなく、消えてしまう人が多すぎ
ですねえ……。怒ってるわけじゃないんですが、寂しいです。
先日、自分が江戸の地名に弱いことを痛感して、
『「江戸・東京」地名を歩く』(リュウ・ブックス アステ新書)
『お江戸の地名の意外な由来』(PHP文庫)
を買ってきて、読んでいる最中です。
ま、これはお安い概説本だからいいんですが。
その前には、鎌倉の古本屋で見つけた
『江戸東京坂道事典』(新人物往来社)と、
『江戸看板図譜』(三樹書房)という本を見つけ、大枚2万数千円をはたいて
購入しました。両方とも豪華装丁のハードカバーなので妥当な額だとは
思うのですが、痛い出費……。
でもこうやってひとつひとつ自分の弱点をつぶし、江戸世界の常識を自分の
中に構築していかなければならないのですから、仕方ないです。
小説を書くために資料を買っているんだか、資料を買うために小説を書いて
いるんだか……。
最近は市町村合併や開発などで古い地名が消えることが多いようで、
それに対する学者さんの苦言なども見受けられますね。
地名はその土地の歴史なわけですから、
「××ヶ丘」などの安易な名付けはあっしも反対。
長吉氏ほどではないですが、あっしもここのとこ書籍代が結構かかっております。
大河義経のおかげで源平ものの新刊が玉石混淆で、
これはと思う良書だけをチョイスしてもなかなかの出費で、、、。
その中の、尊敬する五味先生/編の『平家物語図典/小学館』に
このスレで先日話題になった富士川河口の件が小さな地図で載ってました。
ただ湖じゃなくて「富士沼」という名ではありますが、かなり広大な感じですね。
本屋で見かけたら見てみてくだせえ。P37です。
お、湖というか沼が載ってましたか。
富士沼……初耳です(いかんなあ)。
さっそくその本……買います(T−T)。
いやいや、「富士沼」という名詞が極小の地図に載ってるだけで
あとは何の説明もないですから、長吉氏が買うほどのものではないすよ(^^ゞ
あ、そうですか。
本の出来としてはどうなんでしょう。
僕も日本史好きに変わりはないので、江戸時代以外のものは、逆に
概説本的なものの方が楽しいし、助かるんです(専門書まで読んでる
時間もお金もないので)。
しかし大河ドラマの影響で、ひどい本もあふれますからねえ、毎年。
僕自身は、大河ドラマに関連したジャンルの本は、なるべくその年には
買わないことに決めてます。結局流行に流されることになってしまうわけ
ですから。ただ、自分が勉強している時代だと、仕方なくということもあり
ますが、少なくとも本屋で平積みになってる緊急出版本だけは避けるように
してます。
学者の中にも、大学院の弟子に書かせて名前だけ、なんて乱暴な仕事
している人も多いそうですからねえ。
お、そうすか。
概説でいいなら、とても楽しい本ですよ『平家物語図典』。
この時代の武具や装束の写真・合戦の地図や絵巻が満載で、ビジュアル的にも充実してます。
何といってもこの時代の第一人者・五味先生によるものですから、内容の誠実度も抜群ですし。
まあ巻末の執筆者を見ると、弟子に書かせて名前だけ、の範疇かとも思いますが、
いずれにせよ良書ですです。¥3,800+消費税と、微妙な価格ですけど。
>大河ドラマに関連したジャンルの本は、なるべくその年には買わないことに決めてます。
それは正解ですねー。
知識のあまりない時代の場合、トンデモ知識が先に入っちゃうと後々不便ですもんね。
やはり資料の見極めは大事ですわなー。
あ、なら買ってみてもいいかな。楽しそうですね。
微妙な価格ではありますが(^◇^;)。
時代小説を書く時って、時代考証もさることながら、登場人物の名前って
悩みませんか?
みなさんどうしているのでしょうか。
>ところで質問だけして、回答に対する返事もなく、消えてしまう人が多すぎ
ですねえ……。怒ってるわけじゃないんですが、寂しいです。
らしいけど、キミは大丈夫?
>>661 登場させるのは実在の人物ばかりなので、名前には悩んだことがありませんねw
誰だったか大御所が「人名事典から拝借する」とエッセイで書いてましたな。
古文書に出てくる実際の人名を集めた事典があるそうな。
>>662 長耳の長吉の名前で、見分けがつくようにしてるんですから……
過去スレを見てくださいよ。一昨年の終わりぐらいから、ここに出入りしてますぜ。
長吉どん長吉どん、寝起きでっか。
>>662は
>>661へのレスだと思うですぜ。
近所の公園へ桜の撮影に行ってきました。満開ですね。
あ、寝起きでした。
>>663どの失礼しました。ほんとに寝起きだったんです。
昨晩近所に住む友人が自ら命を絶ち、お通夜で朝まで痛飲してた
もんですから。
ごめんなさい。
それは悲痛な心境ですな、、。
再度補足させていただきますが、
>>667は
>>662どのへのレスということでひとつよろしゅう。
669 :
661:2005/04/10(日) 05:08:53
>>663 ちょっとアマゾンで人名辞典を検索したらいろいろありますね。いろいろある
けど、やはり著名人を扱ったものが多く、庶民の人名を調べるのは苦労しそう
です。
架空人名辞典というものもあって、文学作品に登場した人名をひたすら集めた
やつですが意外と面白そうでした。
>>669 確かその庶民の人名を集めた事典があるそうでっせ、御大の言によると。
詳細な事典名まで覚えてないのでそれ以上のお役にはたてませんが。
もいちど言い訳を…その無くなった友人は、架空戦記を書いていた
中堅作家さんで、作家歴としては、僕よりずっと先輩だったんです。
それがもう書けないと言いだして鬱状態になって……書けないどころか、
今年すでに2冊上梓し、3冊企画が通っていたんですから、順調も順調
だったのに…魔が差したとしか言いようがありません。
本日お通夜なり。
気が重いです。昨日も明け方まで、書斎で飲んでしまいました。
物書きの気持ちは物書きしかわからないというか、あのたった一人で
原稿用紙を埋めてゆく、しかもそれが受けるかどうかわからない、もしか
したら全然売れなくてこれで打ち切りになるかも知れないというような
恐怖心、壮絶な孤独感を、お互いに慰めあって、ファミレスで何時間も
過ごしていた友人でしたので……
物書きは、絶対にあきらめないという覚悟が必要な職業だと思うんですが、
彼はなぜそれを中途で放棄してしまったのか、悔しさでいっぱいです。
で、少々取り乱してしまいました。
申し訳ない>all
>>661さん。と、言うわけで、遅レスごめんなさい。
僕もレベルは低いんですが、時代小説を書いている人間として、登場人物の
名前にはものすごく苦労してます。十人も登場すると、だんだん似て来ちゃったり
するんですよね。
○これは、過去の時代小説を読むごとに(なるべく名作がいいかと)、名前を
ノートに抜き書きしていくのがいちばん手軽で、手っ取り早いと思ってます。
○それから、大きめの図書館に置いてある「寛政重修諸家譜」という本に、
大名や旗本以下幕臣の系図や事績などが詳しく書いてあるんですが、
そこに幼名、通称名、諱、戒名、官位名などが載っているので、そこから拾うことも
あります。
●「三百藩家臣人名辞典」などから拾うこともできますが、その手の人名
辞典には諱しか載っていないことが多いので、注意が必要です。
諱というのは正式な名前ですが、その人が生きている間に使うことは
めったになく、ふだんは通称名を使いますから、諱を使って小説を書くことは、
「本来は」おかしいことなんです。
ただ、歴史上有名な人物で、諱で読んだ方が読者にピンと来る場合には、
間違いだとわかっていても、諱を使ってしまう場合もありますが……(多くの
作家の方がそうしています)。
例えば、これは戦国武将の例で、適当ではないかも知れませんが、
「前田又左衛門利家」
の又左衛門が、ふだん使われる名前で、
「利家どのっ!」
と呼びかけることは通常ないわけです。
登場人物に名前をつける際には、そんなところにも注意が必要だと思います。
(以上、ご存じなのかも知れませんが……)
○上記2つの方法だと、なかなか「庶民っぽい」名前が出てこない場合が
あります。
そんなときには、「古文書入門」みたいな本が売られていますから、その中に
いかにも庶民というか、それっぽい村人の名前がずらりとリストアップで
きるタイプの本があります。
村から支配者への誓願状とか、土地の証文、請け状、村の名前帳そのものも
ありますが、そうした文書に村人たちが連名で名前を載せているので、ひとつの
古文書を当たれば、すぐにいくつも採取することができます。
似たような手段として、各地の歴史博物館などに行くと、関連した古文書
を集めた小冊子などが売られていますから、こまめに入手しておく手もあります。
過去帳なんかが手に入れば、それに越したことはないですね。
674 :
吾輩は名無しである:2005/04/11(月) 23:20:18
;
良スレをから揚げしてどうする!
こういうとこで話題にするのも気が引けますけど
身につまされる話ですのう。
趣味の分際であっしも定期的に「もう書けない」状態に陥りますので、
これが職業だったらもう目も当てられません。
しかし本当に物を書くというのは孤独な作業ですよねえ。
どのような方かは存じませぬが、謹んでご冥福をお祈りいたします。
絶版になってた義経関係の良書が、講談社学術文庫で復刻されまして。
これは大河のおかげかもしれません。
>>676 度重なるおとりなし、申し訳ないm(__)m
あれ、義経関係の良書が学術文庫から?
さっそく買いに行ってみます。
でも、検索してみたんですが、どれがその本か……
「律令制の真実」というやつですか??
ちと、タイトルの一部だけでも教えてくださいやし。
本日、告別式でした。
花嵐というか、ものすごい風に桜舞い散るなか、お見送りをしてきました。
で、また昼間からビール飲んじゃいました。
重ね重ね、皆さんに不愉快な思いをさせてごめんなさい!
罪滅ぼしというか、僕でお役に立てることなら頑張ってアドバイス差し上げます
ので、ROMオンリーの方も、あまりしゃちほこばらずにお書き込みください!
できるだけのことは、この場をお借りして、お知恵をお貸ししたいと思います。
時代小説まんせー!(^_^;
桜吹雪を見るたびにきっと故人が偲ばれますね。
学術文庫から出たのは角川源義の『源義経』っす。
名著と名高い本で、読んでみたかったので嬉しいです。
679 :
子家子:2005/04/12(火) 11:06:54
先日、一年以上かかっていた中国歴史物の長編を書き上げ、放心状態です。
しばらくはのんびりと純粋な読書を楽しもうかと思っていたのに、今度は
生業の方がイッパイイッパイに……(ハァ。
公私共に一段落ついたら、室町物の奇譚を書いて歴史文学賞に応募しようと
目論んでいます。ただ同賞とは相性が悪いのか、これまで一次通過もありま
せん。歴史・時代物を書く身でこの状況では、お寒い限りなのですが^^!
長吉さん
不愉快などということはありませんので、お気になさらず。他人が気安いことを
言うべきではないのでしょうが、無理にでも笑顔を拵えることも供養のひとつ
だったりします。故人もご安心なさるでしょうから。
>>677 |д・) お言葉に甘えてROMの俺が来ましたよ。
色々参考にさせてもらっています。
>>678 あ、それは必ず買わなくては……また在庫無くなったら、いつ復刊される
かわからないですしね。
角川の良心((^_^;)と言われた源義先生の本ですね。
当時の出版社の経営陣には、すごい人たちがそろっていましたよねえ。
>>679 子家子さん、お疲れさまでした!
&お気遣いありがとうございます……いや、お恥ずかしい……。
まったく関係ない作家だと思うんですが、一昨年だったか読んだスティーブン・キング
の『小説作法』という本に(アーティストハウス)、僕が座右の銘にしている言葉の
ひとつがあります。少し長くなりますが……
「とにもかくにも、第一稿は仕上がった。おめでとう!よくやった!シャンペンを開ける
なり、ピザを捕るなり、喜び祝うことがある時にずくことを、何なりとしたらいい。
作品の感性を根気よく待ち続けた誰かもいることだろう。それは、作者が夢を
追う間、朝の九時から夕方の五時まで仕事に出て暮らしを支えてくれた
連れ合いかも知れない。
だとしたら、祝杯はお預けだ。
最初の読者が、書き手が自分の口から語る気になるまで、作品のことを話題
にしないと約束している限り、安心するのはまだ早い。
(中略)作者は大仕事を終えたところである。まずは休息が必要だ。どれだけ
休むかは個人差があって一概には言えないが、精神と想像という、切っても切れない
関係にありながらついには別物である二つの機能が回復して、ずっとかかわってきた
仕事を忘れるまで、作者は休息を取らなくてはならない。少なくとも、一日二日は
頭を空にずくことだ。釣りに行くのもよし、カヤックで川を下るのもよし、ジグソーパズル
でも何でもいい。そして、次の仕事にかかる。それには、書き上げたばかりの
作品とはまる肌合いの違う、短い作品が望ましい。
(続く)
(続き)
の前に、誤字脱字、あいかわらず多く……
「ピザを取るなり」「喜び祝うことがある時にすることを」でげす。
「パン生地を捏ねる要領と同じで、原稿をどれだけ寝かせるかは作者の
勘一つだが、私は六週間を最低の目安としている。その間、原稿は机の
抽斗の中で眠っている。熟成してくれたらしめたものだが、こればかりは、
どうなるものでもない。作者の意識はちょくちょく原稿に立ち返る。
よく書けた記憶があって、自分も捨てたものではないと思うくだりを読んでみたい。
誘惑に駆られて何度となく原稿を取り出そうとする。
誘惑は断固として斥けなくてはならない。読んでみれば思ったほどでもなく、
その場で書き直さずにはいられないようなことにもなりかねない。それだけなら
まだしも、なお悪いことに、目当てのくだりが記憶よりはるかに優れて見える
ことがある。これだったら、ほかのことは放り出して、はじめから読み返そう。
今すぐ手直しにかかった方がいい。何を迷うことがあろう。シェイクスピアも何の
そのだ。
が、どっこい、そうは問屋が卸さない。作者は新しい仕事にのめり込み、
あるいは、日常の生活に却って、過去数ヶ月、日に何時間も没頭した
非現実の世界を忘れて、はじめて抽斗の原稿に向き合えるようになるので
ある。
いつかはその時が来る。何なら、あらかじめカレンダーに印をしておけばいい。
(中略)
はじめてこれを体験する作者は、六週間を隔てて自分の原稿を読むことの
不思議な効果にさぞかし驚喜することだろう。自分の作品には違いない。ある
箇所を書いている時、ステレオに何曲がかかっていたか思い出したりもする。
にもかかわらず、他人の原稿を読んでいるような気持ちである。それも、赤の他人
とは思えず、どこか生き別れた双子の兄弟を彷彿とさせるものがある。
だとしたら本当だ。それこそが時間をおいた理由である。同じ切り捨てるにしても、
自分にとって最愛の相手より、人の思い者の方が気が楽だ。(まだ続く)
(まだ続きだ……)
六週間の回復期を経ると、作品の構成や人物造形に覆い難い欠陥を発見
する。トラックで抜けられるほどの大きな穴である。長いこと、来る日も来る日も
原稿に向かっていながら、どうしてそこにきづかなかったか、驚いて開いた口が
塞がらない。実は、ここが何よりも肝腎なところで、自分の原稿に大きな穴を
見つけたからといって、悲観することは断じて許されない。自分を責めるは
間違いだ」
以下綿々と続くのですが、指が疲れたのでこの辺で(^_^;。
じゃあ自分がそんな慎重な姿勢でいるかと言えば、とんでもない。
締め切りぎりぎりで、読み返しゼロの状態で出版社に送ってしまうことの方が
圧倒的に多いです。
これではいけないと思っているんですが、なにしろ目先の金を稼がなくては
ならないので、どうしてもそうならざるを得ません……なんとか今年から、
少しずつ読み返しの余裕をとるように、調整していくつもりですが……。
一年以上かかって書き上げられたのですから、ぜひとも少し寝かせて、
もういちど客観的な頭で読み返してくださいませ。
とにかく今は、生業の方も大変だということですが、せめて休みの日にでも、花見
(はもうそろそろおしまいですかね)でも温泉旅行でもいいですから、頭脳を解放
してあげてください。
脳のエネルギーって、なかなか再充電されないものだということが身にしみて
わかるようになってきました。エネルギーの蓄積ができないんですよね、脳細胞
って……。
歴史文学賞に応募なされるとことですが、それもまた、今年の締め切りにこだわらず、
数年にわたり何編か書き上げ、寝かした上で添削されることをおすすめします。
僕は賞狙いはとっくにあきらめた書き殴り作家に過ぎませんが、もし自分が
子家子さんの立場だったら、そうすると思います。
せっかく作り上げた登場人物を生かすためには、慎重にも慎重を重ねてください
ませ。失礼かとは存じたのですが、つい……
>>680 ブル伍長どの。はじめまして!
たまたま昨日、酔っぱらいながら「のらくろ伍長」を読んでましたので、
ご縁かなと(そんなわけないか)。
これからもよろしくお願いします。
明日からまた、乏しい生活費を削って、駿府城と、由井正雪の実家などを
見学に行きます。
あー、金ない……。
685 :
子家子:2005/04/13(水) 10:24:58
長吉さん
丁寧なアドバイスをいただき、感謝します。
これまでも見直しはしていましたが、甘かったな〜と痛感しました。
期間もそうですが、特に心構えが……。実は1年以上と言うのは、
全編書き直しや見直し数回を含めてなのですが、いま振り返って
みれば至らぬことばかり。脳のリフレッシュも不完全だったし、
気になって一部分をちらちら見たり(苦笑)。2ヵ月後にでも
しっかり見直しをしてみます。
歴史文学賞は、これまでひと月で仕上げて応募してました
(寝かせは2日!)。だらけがちな自分に鞭を入れる意味で
短期間に書き上げるようにしていたのですが、出来はかけた
手間なりのものでしかなかったです^^;。今回はみ月前に
初稿を書き上げ寝かせていますが、見直す前にアドバイスを
いただいて本当に良かった。これがなかったら、漫然と
機械的な見直しをしていたことでしょうし、出来云々に
かかわらず応募していました。出来によっては応募を見送る
勇気をもって見直しに臨みます。
なにはともあれ、リフレッシュしないといけませんね。
こっちにはいまが見頃の桜もありますが、私は花より団子の
手合いですね。伊勢志摩や熊野方面の海沿いの道をのんびり
ドライブして、行く先々で美味い魚をいただいて……。
熊野水軍にも興味がありますし、太平記で有名な児島高徳も
熊野修験に縁があるし。あ、こんなことを考えるようでは、
リフレッシュにならないかもしれませんね^^
追)『小説作法』は気になっていた本ですが未読でした。
やはり、いい本のようですね。今度買って読んでみます。
子家子さんへ。
作家や作家志望の人間が、
「これだけは書きたい」
と思う題材に出会うのは、めったにあることではないと思います。
賞狙いの場合、もし落選してしまうと、同じ題材をもういちど書き直して
応募することはデメリットの方が多いので、たいていは泣く泣くその題材を
捨てることになってしまいます。
これはなんとももったいない話です……
やはり、一回ぐらい応募を見送ったとしても、丁寧に見直しをした方が
いいのではないでしょうか。精魂込めて立ち上げたキャラクターの命を
長らえるためにも……。
僕が賞狙いをあきらめた(完全にではありませんが)のは、そうした理由に
よります。作品を完成させて、入選するほどの自信はなく(何度も落ちました
から……今でも納得のいかないことが多いです。決して自惚れではなく、どうして
1次落ち2次落ちなのかわからないケースが、客観的に見てもあったと思います。
入選しないとしても、これが1次落ちということはないだろう、なんてケースが
多々あったんです。じゃあなんで、今僕は1万部2万部売れる作品を
書けているのか、今考えても賞狙いをしたときの作品の方が間違いなく
面白かったと断言できる作品だってありました。
で、これは年に何回か賞に応募するより、まずは書き殴りの量産作家だろうと
プロとなり、そこで実績を残して、自分の書きたい作品を親しくなった、あるいは
他社の見知らぬ編集者に営業して売り込んだ方がいいのではと思ったんです。
むろん、そうしたやり方をして、結局鳴かず飛ばずの量産作家で終わる人間も
多くいるでしょうが。
ただ、自分の力を試すには、応募して、たまたま自分の書き方を気に入らない下読みの
人間や編集者に落とされるより、実績を引っさげて、生身の編集者に直接
営業をかけた方がいいのではないかと。(続く)
(続き)
もちろんそうした方がいいとお勧めしているわけでは、決してありません。
あくまで選択肢のひとつで、僕はそういう方法を選んだに過ぎません。
僕のような量産注文作家は、賞をとった作家にはあっという間に抜き去られます。
そういう短所もあります。
ただ、年に1作書いて応募して、10年頑張って賞が取れなかったとしたら、
自分が生涯をかけて書きたいと思っていたその10作が、誰の目にも触れずに
お蔵入りとなってしまう可能性もあるわけです。
ですから、応募する際には、拙速こそがいちばん戒めなければならない行為だと
思うんですよね。
子家子さんが1年という長い歳月をかけた力作が、その拙速のために日の目を
見ないなんてことがあってはいけないという……
手元に5作ぐらい、ストックがあってもいいと思うんです。
納得がいくまで応募しないという姿勢でもいいと思うんです。
場合によっては、250ページぐらいの短さの作品だったら、出版社に直接
持って行けば、読んでもらえて、出版という話も可能性ゼロじゃないんですから。
もちろん華やかなデビューはできないでしょうが、作品を世に問うことはできる
わけです。ならば大事に大事に扱うべきかと……
ここでお会いしたのも何かのご縁。
お互い頑張りましょう。
追伸……「ベストセラー小説の書き方」(ディーン・R・クーンツ/朝日文庫)
も、身も蓋もないタイトルですが(^_^;、これも部分的には役に立ちますよ。
35ページから、彼があまり売れなかった時代の6年間の過ごし方や、他の職業で
生計を立てながら作品を書くことについてとか、仕事の選び方についてなど、
作家の基本姿勢の問題について触れられています。1996年に買った文庫
なんですが、いまでも売られ続けているのは、そこそこ人気があるからなのでは
ないでしょうか。お暇があったらぜひ。
それではまた!
>>子家子氏
完結乙でした。原稿用紙にして何枚くらいの長編なんでしょうか?
あっしは250枚も書くと飽きちゃいます。長編に了を打てる人は尊敬です。
歴史文学賞は受賞したところで将来的に何も役に立たない気がして、、。
他の省を取った時には、宮部みゆきのように受賞歴の一つに入れることもアリでしょうけど。
つーことで、一度だけ応募してそれっきりです。当然あっしも一次落ちですw
>長吉氏
長文引用乙でした。
そのレスに向けるエネルギーは、執筆本業の妨げにならないのだろうかと老婆心ながら心配してみたり。
ま、同志とやりとりすることがリフレッシュにもなるのでしょうけど。
あっしは量産できる性質じゃないので、
一作だけでも長く読んでもらえる作品が書けたらいいなあ、と思ってます。
今はそういう時代でもないし、贅沢な夢ですけどね。
>>688 ぜーんぜん妨げになりません。というか、誤字脱字オーケー(とは言いませんが(^_^;)
で気軽に書けるというのは、ストレス解消にもなるみたいなんです。
つまり、本職でも息抜きでも、書きまくってるのが死ぬほど好きということなんでしょうねえ……
話はまるっきり変わりますが、先日のNHKで、甲野善紀さんが、母校で
先生をやっていたのを見た方、いらっしゃいますか? 身体術というのか、
僕は著書を一冊しか読んだことがなかったので、映像で初めて目にして驚きました。
技とか、その応用とかも面白かったんですが、それらと違って興味を持ったのが
ナンバ歩きという歩き方でした。
これも浅学のため、今までちいとも知らなかった……
江戸時代以前、歩き方って、今とは違ってたんですねえ……
これ、ちょっと自分の中ではショックでした。
光景を思い浮かべながら描写をするわけですが、今まで手と足は左右交互に
出てたもんなあ……右手と右足、左手と左足が同時に出ていた光景なんて、
今まで思い浮かばなかった……ちょっと頭の中で革命が起きるかも……
しかし知らないことって多いなあ。
690 :
子家子:2005/04/16(土) 22:52:39
平安後期さん
枚数は420枚ぐらいです。短くするのが苦手でして、本来は350枚以下にしなきゃ
しないといけない内容だとは思うんですが……。
歴史文学賞については――まあ、確かにそんな感じですね^^
長吉さん
お心遣い、本当にありがたく、ただただ恐縮するばかりです。いただいた
アドバイスを無駄にしないよう努力します。今回は貴重なお時間を割かせて
しまいましたが、平安後期さんの仰るように自作の執筆に差しさわりの
ない範囲で、今後ともぼちぼちとお付き合いしてください^^
そうそう、『小説作法』を読み始めました。まだ途中ですが参考になってます。
NHKはチャンネル変える途中でチラッとだけ眺めました。
ナンバ歩きは、だ〜いぶ前、あっしが日本史板に入り浸ってる頃にスレが立ってましたね。
神主さんや武道に造詣のある方が興味深いレスしてた記憶が。
着物着てた日本人には理にかなった歩き方のようでしたよ。
、、、で、過去ログ掘ってみました。
http://mentai.2ch.net/history/kako/968/968964564.html あっしも名無しで幾つかくだらないレスつけたような(^^ゞ
陸上の末次が練習に取り入れてるとかで最近脚光浴びてますよね、ナンバ。
健康にも良いとかで試してみたことがあるんですが、
体をひねらないから確かに腰が楽かも。
>子家子氏
なるほど、短いのが苦手っつーか、長いのが得意ってことですよね。
まあ枚数が膨らむか削れるかは、また今後の熟成期間次第なんでしょうね。
歴史文学賞は、じっくり書ける枚数ではないので応募意欲もイマイチで、、。
でも賞金が魅力的ですよね確かw
>>691 さっそく本日、ナンバ歩きで4キロほどウォーキングして参りました(^_^;
なんだか、後ろに蹴る力が強いように思いました。
もしかしたら、楽かも……
加来耕三が「誰でも書ける歴史小説」てな本を上梓されたとか。
歴史小説家の苦労話らしいので興味はあるんですけど
なんか書店で手に取るのがはばかられるタイトルでござりまする。
>>693 それでも読んでみたくなります(^_^;
加来耕三氏の博学ぶりは有名ですからねえ、誰にでも書けるわけでは
ないでしょうが。氏はきちんと原典を読破されてる方ですし、資料収集にも
エネルギーを傾けてる(お金も)わけですから、せめてその時代の原典ぐらい
読めるような水準じゃないと、「誰にでも」とは言えないでしょうねえ。
時代小説ならまだしも、歴史小説となると、本当に膨大な知識を仕入れ
なくちゃいけませんし……僕は一生無理かも。
695 :
もと小学生:2005/04/20(水) 08:06:16
失礼いたします。たまにレスさせていただいております。
わたくしは自営のかたわら、発表のアテのない小説(戦国・江戸)を書いているものです。
実は最近ちょっと疑問に思うことがありまして……。
あの、革靴やズック靴が普及する以前、江戸の熊さん八っつあんたち庶民は冬には
どんな履物をはいていたんですかね? という疑問なのです。
農村では藁沓などがあったでしょうが、都市部でのそれがどうにも想像つきません。
幡通院長兵衛や水野十郎左衛門が藁沓を履いてい図は、どうもなんというか……。
革足袋などは戦国期からあったようですが、これは防寒・防雨・防雪対策にはあまり
効果なさそうですよね。
閑話休題。
昨日の夜は蕎麦屋で「鴨抜き」をつまみながら、冷や酒を二合飲みました。
これはとても具合いのよい、江戸風のものなんですが、江戸期には蒲鉾がすごく高
かったなんていうことを聞くと、明治以降のものなんですかねえ……。
それでは、横レス、重ねて済みませんでした。
昨日本屋へ行ったら、スポーツコーナーにナンバ歩きに関する本が何冊もありました。
それに目を奪われて、加来耕三探すのは忘れてしまいました(^^ゞ
>もと小学生氏
その時代は門外漢なんすけど、
都会なら普通に草履に足袋じゃないんすかねえ。
うちの婆ちゃんたちは田舎の子供で、
「冬でも素足に下駄だったからシモヤケがつらかった」と申しておりました。
ただまあ雪の時はどうしていたかは想像がつきませんなあ。
697 :
海人:2005/04/20(水) 18:18:25
長吉さん
駿府城と由比にいらっしゃったそうで。なにか面白いもの、ありましたか?
上の長吉さんのお話は、業界に無知な私にはけっこうショックでした。
一次落ちというのは、日本語になっていないような作品かと思ってましたから。
職業作家として十分通用する方でもそういうことがままあるのですね。
子家子さん
作品を読めるのを楽しみにしています。
698 :
名無し物書き@推敲中?:2005/04/20(水) 23:06:03
ここのコテハンはみんな真摯でいいね!
699 :
名無し物書き@推敲中?:2005/04/21(木) 21:56:40
気になるサラリーマンの生涯年収は?
一般に、サラリーマンの生涯年収は3億円といわれています(平均収入700万円×40年)。
このうちの2割、6,000万円は税金と年金・健康保険などの社会保障費で天引きされ、
手取りは2億4,000万円。ここから住居費(6,000万円)と保険料(2,000万円)を引くと
1億6,000万円。そのうえ子供ふたりを育てると4,000万円の教育費がかかり、
残りは1億2,000万円です。サラリーマン人生40年で割れば、
実質可処分所得は1年で250万円、毎月約20万円で、食費などの生活費を考えると、
自由に使えるお金はほとんど残りません。
700 :
名無し物書き@推敲中?:2005/04/21(木) 23:02:52
↑ご、誤爆かえ(爆藁www)
>(平均収入700万円×40年)。
羨ましい、、、。
702 :
もと小学生:2005/04/22(金) 09:30:13
>>696 平安後期様
ご教示どうもありがとうございました。
冬に素足と下駄というのは、やはり厳しかったんですね昔の日本は。
わたしの父は旧制中学時代(戦後・都内)に雨の日は、ま、夏でしょうが、靴や下駄
を脱いで裸足で帰宅したもんだ、とよく話しておりました。
物資窮乏の時代ゆえ、はきものが貴重だからかとも思いましたが、平安後期さまのお
祖母さまの話を伺いますと、長い間わたしたち日本の庶民には、とりたててそれがどう
こういうほどの「難行・苦行」ではなかったのかも知れませんね……。
昭和40年代、都内山間部へ遠足に行った折、靴を片方渓谷の中に落としてしまったこ
とがありました。とり急ぎ目の前にあった小学校(分校みたいな……)へ事情を話したら
端布を鼻緒にした藁草履を頂いたことを思い出しました……。
>>695 遅レスごめんなさい。
服飾関係の本はざっと読んだことがあるのですが、履き物関係については
あまり知識がないのですが、知っているところだけざっと…。
農村はもちろん、基本的には素足です!(^_^;。
少なくとも江戸時代中期までは、農村どころか町中でも裸足で歩いていた人
の方が多かったようです。
一般的に草履を履くようになったのは江戸時代中期以降です。
農村ではそれでもしつこく裸足(^_^;でしたし、せいぜいが草履か、冬は藁沓です。
藁沓とひと言で言っても、臑当てのある長いブーツのようなものから、源兵衛沓といって、
かかとより深いぐらいの短いブーツぐらいのわら靴に、口の部分に木綿を縫いつけた
ものなど、地方によって独特の形があったようです。
足袋と沓との中間のようなものに、木の皮(主に綿の木というか茎からとった
綿で、安価なもの)を編んで作った赤綿足袋みたいなものもあります。
なにしろ寒村は、奈良平安時代から蒲団さえなく藁の山の中に潜り込んで
寝るというような暮らしがずっと続いていたそうですから……だからこそ、どぶろく
文化が発展したそうです(耳学問)。レスを改めます。
(履き物の続き)
町中でも庶民は裸足か草履だったと思います。裸足は恥ずかしいことではなかったようです。
草履は、藁で束ねて天井から釣るして売っていたようですね。笠だの草鞋だのといった旅に
欠かせない用具は、宿場町で繁盛していたようです。
さらに後期になって、庶民の懐が暖かくなり始めると、「草履」を履く人間も増えてきたようです。
粗末な物は藁で編んで鼻緒をつけたもの。さらに底に麻で滑り止めをつけて強固にしたものな
どがあったようです。そのちょい上には畳表の草履がありました。
京阪から仕入れた草履が上物として珍重されていたようです。
もちろん一方で下駄もありましたし(ただし、雨の日のみ。晴れているときは草履が主体だった
ようです)、草履と下駄を折衷した「草履下駄」というのもありました。
(草履そっくりな形で、歯がないといった形状のものです)。
もう一つは「雪駄」でしょう。主に竹の皮で作った草履に、底(裏)に皮を張って水が染み通ら
ないようにしたものです(草履にも裏に皮を張ったものがあるそうなので、どうも草履と雪駄の区別
は曖昧なような気がします。この辺りはもうちょっと勉強しないとわかりません……
想像ですが、幡通院長兵衛が履いていたのが雪駄、水野十郎左衛門が履いていたのは畳表、
麻裏付きの草履なんぞではないかと思っていますが。ともに、ふだんは粋なお洒落として、しかも
いざ喧嘩のときにも踏ん張りがきくし、雨の日には染みてこないしということで……
いずれにせよ、草履も雪駄もかなりの高級品で、庶民にはなかなか手が出なかったようです。せいぜい
中級クラスの侍が、下駄や雪駄、草履を履いていたぐらいではないでしょうか。
庶民の子供ともなれば、まず裸足であったことは間違いないと思います。
(履き物の続き2)
さらに特殊な物をあげれば、江戸城の奥女中や花魁が履いていた「重ね草履」とか、
遊女の履いていた「ぽっくり」とか、半分に割った竹に鼻緒をつけた「竹下駄」とか、
とにかく手作りですから様々なバリエーションがあったようです。
昔は、道にガラスの破片とか釘とか、危ないものが落ちてなかったですからねえ……
余談ですが、僕が高校生のころ、一夏を海のすぐ側で過ごしたことがあったんですが、
そのとき靴下はもちろんほとんど靴もサンダルも履かないで過ごしたら、一発で水虫が
治ってしまった記憶があります(^◇^;)
>>もと小学生さま
しかし鴨抜きで、冷やですか……あっしだったら4合はいきましたねえ。
いや、旨そうだなあ。来週久々に東京に出ますんで、こりゃ、蕎麦かなあ……
>>平安後期どの。
ううう、貴殿のおかげで買ってしまいましたぞなもし加来耕三。
正確なタイトルは
「今から目指せる歴史小説家―50歳過ぎてもチャンスはある」
「誰でも書ける歴史小説」より、もっと露骨タイトルでんがな……。
アマゾンのマーケットプレイスで半額近かったので、思わず購入ボタン
を押してしまいました。もし最低の内容だったら平安後期どのの責任
でごわすw。
しかし、自分の中にはやっぱり、どこかで、いつかきちんとした歴史小説
を書きたいという希望は捨てきれないんだろうなあ……
ま、いいや。今からでも間に合うそうなんだし(^◇^;)
>>697 海人さま。
これも遅レスですみません。
僕も一次落ちというのは、日本語になっていないレベルだと思って
ましたんで、そーとーショックでした……。
ただ、その後自分の実績から鑑みることで、
(おかしな下読みも、混じってるんじゃないの?)
という疑問を抱きはじめ、今では
(文句あるならかかってこい!)
みたいな精神でおります(^◇^;)。
いやでも、2次ならともかく、1次というのは本当にショックでしたよ……
自分の日本語、おかしいのかなって……
往年の編集者の方に聞いてみたところ、昔は応募総数が非常に
少なかったそうです。今に比べると。
ワープロ、その後のパソコンの発達で、応募総数が激増、しかも
大長編の応募作品が多くなって、編集者だけでは読めなくなって
いってしまったそうなんです。
それで、1次選考には、荒読み専門のライターさんに依頼することが
多くなり、編集者が目を通すのは2次選考ぐらいからというケースが
多くなったそうなんです。
ところがそのライターというのが、必ずしも全員質がそろっているとは
言えず、自分の好みだけで判断するような人間も混じるようになって
しまったと……
まあこんなこと書いてると負け惜しみみたいで嫌なんですが、僕自身は、
「ふざけるな。お前たちが1次落ちと評価しても、ぜったいに世の中で
受け入れられる作品を書いてやる」
と決心して、賞狙いをやめてしまったという経緯があります。弁解かなあ……
(続けさせてください)
(続き)
しばらく書き込みをしなかったせいか、今日は「爆発だあ!」になって
おります。ごめんなさい。
別の編集者に聞いてみたこともあるのですが、
「既成の作家であれば、十分にオーケーなレベルであっても、
新人賞となると、なるべく世間の話題になるような作品を選びたい
から、点数がかなり厳しくなるし、なおかつ宣伝効果満点の内容
のものが重視されるのは当然」
と言われたこともありました。
1次で落ちたら、日本語がおかしいと言われる落選作品を読んで
もらった別の出版社のベテラン編集者です。
その作品、
「もし君がプロの作家として活動してるなら、誰も文句を言わずに
出版できるレベルだよ」
と言われました。
そのとき、僕は、賞狙いをやめて、叩き上げ軍曹で行こうと思ったんです……
つまり僕には、もしかしたら、最優秀賞をとって世間をアッと言わせる
ような作品は書けないかも知れない。ただし、コンスタントに標準以上
の作品を書き続ける自信はあると思ったからなんです。
その結果、ヒジョーに貧乏な生活となってしまったわけですが(^◇^;)
由比は良かったですよ。捕れたて干ししたの桜エビ、旨かったなあ(食べ
物かい)。由井正雪の生家である紺屋にも行ってきましたが、僕の旅
というのは、あくまでインスパイアされる旅であって、調べ物をしたそのもの
に限らず、歴史の匂いと音を聞き、それを作品のどこかに反映したい
という思いからの旅なんです。もちろん、今回で言えば、いつかは由比
正雪を書いて見たいとは思いますが……それは無理かなという諦め
もあります……うーん。
駿府城は、引退した家康より、駿河大納言忠長のことが思いだされ
ましたねえ……。旅は、小説の題材を与えてくれる大事な儀式だと思っています。
>>698さん、どんな書き込みでも歓迎ですよ! よろしくお願いします。
今日は、久しぶりの書き込みで大爆発してしまいました。ハアッハアッ……
長文の羅列、申し訳ありませんでした。
ああ、10さんが戻って来てくれればなあ……
僕はなぜか、10さんはちと、あきらめてしまったのではないかと思ってます。
いいことがあったのではという平安後期さんの推測とは違って……
どうかぜひ戻ってきてください。
ここは貴方が仕切っていたようなスレです。
貴方の書き込み、あの知性あふれる、そして自然や社会に対する
細やかな心遣い……けっこう僕には癒しだったんですよ。
突然いなくなって、寂しいであります。
>>699 は誤爆ではなく、確実に嫌がらせだと思いますうう……
710 :
もと小学生:2005/04/23(土) 19:55:26
>>長耳の長吉様
今回は履物について詳しいレクチャーをどうも有難うございます。
いやー面白い。なんか宮本常一先生の本を目を輝かせて読んだ学生時代を思い起こ
しました。
鳶魚や石井良助を読んでるんだゾ、なんて自負がありましたが……まだまだ学ぶことが
多いようで、わが考証の学力も、前途多難ゆえの更なる探訪の楽しみに、再度ワクワク
しております。
寡聞にして、源兵衛沓、赤綿足袋、重ね草履などは初耳でした。
とくに赤綿足袋というものに興味を覚えました。
木の繊維で作った足袋とは、地下足袋のアーケタイプかもしれませんね。
ちなみにわたくしが、予備校時代の先生から聞いた話によると、先生が南方で米軍の
捕虜になった時、地下足袋を履いて作業をしていたら監視のアメ兵が飛んできて、
「サイレント・シューズを履くな!」
と血相を変えて怒鳴り散らしたそうです。
なんでも日本軍の切り込み隊(そんなものがあったらしいス)が、夜陰に紛れて地下足袋
を履き、米軍の基地を襲ったらしいです。
その恐怖心が米兵たちには地下足袋と直結していたとのことでした。
時代的に関係ない話で失礼いたしました。(続く)
711 :
もと小学生:2005/04/23(土) 19:56:28
(続き)
下駄というものは武器にもなるようで、父、祖父ともに旧制中学時代の喧嘩には必需品
だったようですよ。
この伝統は、江戸屋敷在勤の浅黄裏のヴァカモノや、とくに本所、深川あたりの御家悪
どもが濫觴で、御一新以降に薩摩あたりの諸君が更に一般化して、かみの不良学生
だったわたくしの祖父や父(バカ親子……)あたりまでに普及していたのかも知れません。
要するに中途半端な位置にある連中の、格好な喧嘩アイテムだったのですかね。
本当に日々つつましく生きている人々は、下駄をこんな勿体無い使い方をしないでしょう
しね。あと、薩摩下駄というのもよく目にいたしますが、どんなものなのか、探したいと思っ
ております。
私は自家営業なので、夏はだいたいゴムサンダルか雪駄です。
本日は珍しく豆腐屋に味噌豆が出ていましたので、芥子を練って、葱をちらして、醤油を
ぶっ掛けて、引っ掻き回して食いました。
あと「あぶだま」(油揚げの細切りを入れた煎り卵)で飯を食いました。これはかなり以前、
祖父が「ダイノモノ」系のお惣菜だ、なんて言ってましたが……どんなもんでしょうね。
あと、下読みも結構、有象無象が混じっているので油断ならんというお話。
これも大変勉強になりました。
重ねてどうも有難うございます。
もと小学生さんの書き込みを読むと、毎回よだれが出ます(^_^;)
味噌豆というのは聞いたことがありますが食したことなし、あぶだまなんて
初耳もいいところです。
どちらもご飯が進みそうですねえ……
僕も鳶魚は読んでますが、たとえば服装とか貨幣とか、宿場の制度
、行商人の種類、食べ物などなど、それぞれの細かい分野については、
それぞれの専門書に当たるべきだと思います。
鳶魚先生の本を読んでいると、江戸時代という大きな枠組みが
彷彿としてきますが、では、江戸初期と中期と後期で、どんな
服装の変遷があったのか、なんてことについてはわかりませんし……
その手の図鑑や辞書類は、やはり大きな本屋さんで漁って、少しずつ
集めていくしかないと思います。お金かかりますが(^_^;)
いやあ……「今から目指せる歴史小説家」……酷かった……。
中古のを勝ってまだ良かったです。
多少ハウツー的に役に立つのは、最後の50ページのみ。
それまではずっと、著者の半生記に過ぎません。
ぐわわわ、ランチの焼き肉定食でも食った方がマシでした……
714 :
名無し物書き@推敲中?:2005/04/29(金) 01:10:37
>もし最低の内容だったら平安後期どのの責任
でごわすw。
それは困ったw
#GW前の仕事前倒しで青息吐息でござんす。
そのうちまたゆっくりレスするです。おやすみなさいまし。
716 :
名無し物書き@推敲中?:2005/05/04(水) 00:34:16
いざ江戸時代小説を書こうとして業界を見てみると・・・ライバル山盛りで多いですね
>>716 作家というのは、自分が興味を持ち、書きたいという衝動を
おぼえる小説しか書けないわけですから(書いてはいけないわけですから)、
そのジャンルにライバルが多い少ないということは、あまり気にする必要が
ないし、気にしてもしょうがないと思います。
いくらライバルの少ないジャンルでも、自分の書きたい分野でなければ、
読者の心をつかむ作品は書けないし、そもそも何作か書いたら書くのが
苦痛になってくるのではないでしょうか。
書きたいことを淡々と書き続けるしかないのでは、と思います。
「今から目指せる歴史小説家」、読まなくても良さそうですね。
人身御供にしてすんまそん、長吉氏。
今年も岐阜へ行ってきたです。
金華山の山城を望みながら野球観戦、、、のはずが直前になって雨天中止。(つД`)
目的を果たせなかったショックで、ミソカツも手羽先も食ってくるのを忘れました。
明日は栃木でこれまた野球観戦、、、なんすけど
これまた天気は下り坂。雨に祟られそうな連休でござんす。
足利学校は去年見たしなあ。今回は観光はパス。
霧にかすむ山城を見ていると、水とかどうやって調達してたのかなあと素朴な疑問。
履物もそうですけど、ひとつ疑問を持ってしまうと
知りたいことが芋づる式に増えますね。
719 :
名無し物書き@推敲中?:2005/05/05(木) 22:59:15
おはようございます。
ご無沙汰してしまいました。
久しぶりにきていきなり質問するのも気がひけるのですが、
すごく初歩的な質問をしてもよろしいでしょうか。
江戸時代の設定の小説なのですが、地の分で「お秀」とか「お駒」とか
名前に「お」をつけるのは間違いでしょうか。
知人に聞きましたところ、正式には×で、江戸後期の設定であればいいのでは?
というのですが。
参考までに既存の時代小説作家さんの作品では「お」がついている
ものが多いのです。
宮部みゆきさんとか平岩弓枝さんとか藤沢周平さんとか松本清澄さんとか。
どうぞよろしくお願いします。
世間が休みだと、自分の心も浮ついてしまわって、なかなか筆が進みま
せん……あうう。
>>720 雛さんおひさしぶりです。
この女性の名前については、僕もきちんと何かの文献で見たわけでは
ないのですが、「常識的」に考えて書いていけば良いのではないでしょうか。
当時の女性に付いた名前は、ほとんどが平仮名二文字で、漢字は少なかった
と思います。
「はる、うめ、きく、よね」
とかですよね。武家出身とか、大店出身の娘には、漢字を使うケース
があったと勝手に想像しています。
(春、梅、菊、米とか)
で、親が自分の娘を呼ぶ場合は、当然「お」という丁寧語はつけないの
ではないでしょうか。
「おい、はる、お茶入れてくれ」
と言った具合に。
しかし圧倒的に多い他人は、呼び捨てにするのは失礼ですから、
「おはるさん」
と呼んだのだと思います。
内々で噂する場合なんかには、
「おい、あの越後屋のおはるって女知ってるかい?」
「おお、あの佳い女な。知ってるとも」
みたいに、「おはる」と呼ぶこともあったでしょうし、女友達であれば、
「おはるちゃん」
と呼んだのではと思います。(改めます)
で、小説の地の文についてですが、作者が
「おはるさん」
と書くのは丁寧過ぎて変ですし、かと言って
「はる」
と呼び捨てにするのも遠慮されるから、
「おはる」
と書くケースが多いのだろうと思います。もちろん、
「はるはそのとき、死のうと思った」
というように、「お」を抜いてしまった書き方もあると思います。どちらでも、
好みで使えばいいのではないか、両方間違いではないと思います。
あと、自分自身に「お」をつけるのもまたおかしなことであろうと思います。
(はる、あんた何考えてるのよ。馬鹿なこと考えるんじゃないの)
と自分に呼びかけるケースで、「お」をつけるのは変であろうと。
(ただし、地の文で心理描写をするときは、「おはる」でしょう)
というわけで、ごく常識的に、親(あるいは親戚も含まれるでしょう)が娘を
呼ぶケース、自分で自分の名を呼ぶケース以外は、
「お」付け、あるいは「お××さん」「お××ちゃん」
夫が妻を、恋人が女の名を呼ぶ場合には「おはる」でも「はる」でも
どちらのケースもあり得るのではないでしょうか。
ということで、僕は以上のような「常識的な使い分け」をしています。
地の文については、「はるは」とか「菊は」とか呼ぶよりも、「おはるは」
「お菊は」と書いた方が江戸時代という雰囲気を出せるので、やはり
多くの作家先生方と同じように「お」付けています。
と思います。
以上は僕自身の勝手なルールなので、もし何かきちんとした二次的
資料などあったら教えてください。
『時代風俗考証辞典』(林美一著・河出書房新社)
※「三八・忘れられた常識」より抜粋
●代名詞の混乱と誤用
いつぞや、NHKの正月番組で尾崎紅葉作の『金色夜叉』をドラマ化したことがある。
当時、現代的なドラマ処理については異論もあったようだが、見ていて気持がよかったのは、
二回にわたる放送中、一度も「お宮さん」という呼び方がなかったことだ。
終始原作に忠実に、貫一は彼女を「宮さん」と呼ぶし、ナレーションも、「宮は……」と敬称を
つけない。それはまったく痛快といってよいほどの見事さであった。
ところが同じ頃に始まった『国盗り物語』のほうは「お万阿(まあ)、お万阿」の連発である。
お万阿は奈良屋という油屋の女主人である。自分のことを言う場合も、「庄九郎様、もう
お万阿は、一生、庄九郎様に……」などという。
念のため司馬遼太郎氏の原作を見ると、やはり同じように書いてある。この第一人称と
第二人称に敬語をつけるクセは非常識きわまる困った問題なので、以前にも書いたことが
あるのだが、一向に直らない。
私事で恐縮だが、私の母の名は”きぬ”という。亡くなった祖母は、母を「きぬ」または「おきぬ」
と呼びすてだった。この場合の”お”は、二字名では呼びにくいので三字名にするための添え語
であって、江戸時代では大奥女中に用例がある。それが民間にも移ったのだが、普通は滅多に
”お”などつけはしない。『金色夜叉』の記述のように「宮」または「宮さん」でよいのである。
※同著・同章より抜粋
●覚えこんだが間違いのもと
・銚子二〜三本持ってきてくれ――お馴染、居酒屋で酒を注文するセリフである。
これも以前に書いたことだが、あまりに多い間違いだからもう一度書く。
江戸時代に普通銚子と称したのは鉄瓶のような形をした金属製の燗鍋銚子のことである。
今でも神式の婚礼の席で三々九度の盃に酒を注ぐ長柄のついた両口(注ぎ口が二つ)、
または片口の銚子が本来の姿だが、この柄をとり、代りに弦をつけたのを堤子(ひさげ)という。
この銚子の呼称が、明治に入って燗徳利に移ったのである。
従って、江戸時代には「銚子何本……」などとは絶対にいわない。
さらにおかしいのはなぜドラマでは一人で何本お酒を注文するのだろう。現実にこんな馬鹿な
注文をする者がいるだろうか。必ず一つだ。一本のんだら、代わりを注文する。
理由はいうまでもなく、燗が冷めてしまうからである。
注文するほうもするほうだが、出すほうも出すほうで、徳利が空になっても回収しないから、
座敷は徳利の林立になる。
>>723 なるほど、ありがとうございます。
僕の「常識的な使用」があまり筋違いではなかったようで、安心し
ました(^_^)。
僕もその後気になって調べてみたところ、八剣浩太郎氏の本に記述
がありました。ただ一部「ホントか?」と思えるところもあり、また自分の
誤用かなと思うところもありました。
「他人が呼ぶときは、呼び捨てなら春、さん付けならお春と呼ぶ。
「お」は敬語で現在の「さん」に当たる。町人の場合も夫が女房や
娘を「お春」と呼ぶのは異例であって、通常は春と呼び捨て、人前で
お春などと口にしようものなら、恐妻、妻ノロ、バカ亭主にされてしまう。
とくに武士階級ではまちがっても「お」は口にしない。人妻なら
「春どの」、上役の妻なら「春さま」で、お春さまといえば敬語の重複
で「様様」となり、インギン無礼の非礼を責められる」
★(武士に「お春さま」と呼ばせたことはないので、ホッとしてます(^_^;)。
[続き]
「ついでに点検すると、女が自分を「私、あたし、わたくし(武家方)」
とはめったに言わない。ほとんどが「オレ」だ。
★(げげげっ! これは知りませんでした……ただし八剣氏も、
そのまま忠実に時代のルールを守ることは、違和感がおおきすぎるため、
かなりの違反を承知の上で、ぎりぎりの許容範囲でアレンジしている
と書いてあります。
しかし、下級武士ならともかく、それ以上の階級で、武家の女房や
娘が「オレ」と言ったのかどうか、ぞさこそ違和感があります。これは
また別の資料で調べないといけないですね。
でも、自分の作品中で「オレ」なんて絶対に使いたくないし使わない
ですけど。
↑「そざこそ」→「それこそ」の打ち間違いです。失礼。
[続き]
「では女同士で、お夏がお春を「お春さん」と呼んだかどうか?
筆者が実見した限り、江戸中期までの資料には見つからない。
幕末近くになって、ようやく、お春サァ、お春サ、と出てくる。
これは、室町中期の戦国時代に発生した女性専用の女房言葉
が、響きの柔らかさをモットーに、江戸時代を通じて次第に独立した
結果、元来は敬語の重複であった「お春さん」を慣用化するに
至ったものである」
(中略)
「武士・庶民の階級が崩壊する寸前の幕末には、男性側が女房
言葉に侵食されて、江戸の下町では「お春さん」が通用するように
なり、旗本・御家人の一部まで巻き込んでいる。従って、江戸初期
の寛文や中期入り口の元禄などを背景にした作品で「お春さん」が
使われても、事実上は明らかなマチガイだが、ぎりぎりの妥協線で、
まぁ、よかろうということになる」
と書いておられます。
僕の常識的(?)使用法(ここで?マークが付きました(^_^;)は、
ぎりぎりセーフだったかなという感じですね。
やはり気持ち的には「お春さん」「お春ちゃん」と使わせたい場面が
多いですし。ただ、武家側が「お春さん」と呼ぶのはおかしいと思って
いたので助かったーという気分です。
これで「お」付けの問題はけっこうすっきりしたのではないでしょうか。
いろいろと議論もあるところでしょうが、少なくとも口の悪い八剣氏
のおっしゃるように、
「てめえの名をおノ字よばわりするバカがどこにあるか」
という常識だけは踏まえておいた方がいいと思います。
雛どの、いかがでっしゃろ?
考証って奥深いですよねえ〜〜〜w
ちなみにうちの父方の祖母は「オレ」と言ってましたよ。
父の実家は戦国時代から土着してる農家だという話ですが。
まあ古い家であることは確かです。
尾篭な話ですけど、立ち小便もしてたらしいです。
嫁に来たばかりの母はびっくりしたそうですw
西日本と東日本ではかなり風習も違うんでしょうな。
>>728 おお、お久しぶりです。
ほんと、時代考証って難しいですよね。とくに年をとってからこの世界
に入ってきた自分にとって、毎日が綱渡りの世界です(逆に、毎日が
新鮮とも言えるのでやんすが)。
「オレ」のことも、「立ち小便」のことも、僕自身祖母から聞いたことが
あります(母方の祖母は、奈良の郷士で、由緒はあったらしいんです
が、それは大昔のことで、すでに単なる貧乏村になっていたらしく、
立ち小便も希有なことではなくなっていたようです(^_^;)。
ただ、権力に携わる階級というのは、あまり例外なく、「お上品さ」を
身につけて行くと思うんですよね。少しでも上流階級に近づこうとして。
江戸時代初期は、武士といってもただの荒くれ者がいっぱいいたわけ
ですが、家光以降、厳密に言えば綱吉以降は、そうした荒くれ者は
邪魔になってきたわけで、礼節を重んじろとしつこく言いはじめた時期です。
礼節によって、幕府の安定をはかろうとしたわけですから、下級武士
といえども、言葉遣いというのはかなり改まっていった時期ではないかと
「想像」します。
となれば、先ほど引用した八剣先生の話も、当たった文献にはたとえ
なくとも、それ以前に「オレ」などという言葉遣いはなくなっていたのでは
ないかと思えますし、「お春どの」みたいな言い方は、幕末以前にあった
けれども、文献に載るのが遅かったという可能性もあると思うんです。
学者じゃないので分からないんですけども。
鎌倉幕府時代から、武家はこうあるべきということで、何々流何々流
という、お茶、花、懐石、立ち居振る舞い、歌、踊りなどに次々と
制約というか約束事ができていったわけですから、江戸時代はさらに
そうした「文化的締めつけ」は早かったのではないかと勝手に思うわけ
です。
すると、八剣氏のいう「幕末」より、江戸中期あたりから、そうした文化的
変遷があったのではないかと、これも勝手に解釈しています。
いや、いくら調べてもよくわからないです。調べすぎると学者になっちゃうし(^_^;)
>721-727
みなさまさすがにお詳しい・・
ただただ圧倒されて読んでしまいました。すみません。
自分に違和感のないほうで統一しようかなと、みなさんのレスを
読んで思いました。
とても勉強になりました。
いつも質問ばかりしているのに親切に教えていただいて感謝しています。
>女性一人称の「おれ」
わたしの持っている古語辞典によると、「おれ」は「己・爾」と表記するようで、
勝手な推測ですが「おのれ」→「おれ」になったのでは?というのは単純すぎますか(汗
いや〜考証って面倒ですね。
調べて見たら面白そうだけどね。
ところで歴史小説を歴史文学っていう言い方はどうなんですか。
最近歴史小説の解説を読むと、よくそういう事書いてあって
どうなんだろうと思いますよ。
>調べて見たら面白そうだけどね。
1にして全
現代は言文一致ですが、昔の文書は書き言葉と話し言葉が違うそうですからねえ。
そこからしてまずやっかいですね。
>権力に携わる階級というのは、あまり例外なく、「お上品さ」を
>身につけて行くと思うんですよね。少しでも上流階級に近づこうとして。
それ、すっごく判ります。
平氏や源氏といった皇統の武士が上流階級(公家)をめざしたあげく、
武家としてのアイデンティティを失くしたのが「平家」だと、あっしは思うですよねー。
逆に武家を突き進まざるを得なかったのが源頼朝で。
まあ頼朝も晩年は公家化っつーか「お上品」方向へいってしまうわけですけれども。
いつの時代でも人の志向って大差ないですねw
>>731 「歴史文学」となると吉川英治とか山岡荘八とか
そういう大御所だけに冠していただきたいような、、、。
時代考証とはちとズレますが、尊敬する山本周五郎先生のエッセイ
(これは講演記録)に、
「(歴史の)材料自身は個々別々であっても、その中身から一つの
料理を作るためには、これとこれと、これを使うと、こういう新しいもの
ができる。そういう創作能力があるかないかが、小説家として問題
なんであって資料を詳しく集めるか集めないかということは、二の次、
三の問題であります。
もちろん、資料なんか全然みないで、ヤケクソみたいなことを書くひと。
これは論外であります」
とありました。そして以下には、小説をなぜ書くのかという論調が続く
のですが、結局時代考証と小説の間には、ある段階で折り合いと
いうものが必要なのではと、自分なりに解釈してます。
江戸時代の小説を書くのに、
「ダセエぜ!」
なんて言葉づかいをしちゃいけませんがw、
だからといって当時の話し言葉を厳密に書くようにしてしまっては、
小説としての興も削がれるでしょうし、その他事実関係の考証に
しても,それを作品中に盛り込むには限度があると思ってます。
山本先生はさらにその講演の中で、
「文学は最大多数の庶民に仕える」ものだと言っておられますが、
その辺りが、時代考証家と小説家の違いと言っていいのでは
ないでしょうか。
ま、なるべく笑われないように誤魔化して書く、ということで(^◇^;)。
あっしはむしろ積極的に笑われたいがために「ダセエな」と義経に言わせたりします。
なんてったって目指すものはトンデモですからw
ぶははは!
結局、正当な平安ものを書こうとすると雑学だけでは追いつかぬ
しっかりした史学知識が不可欠なわけで。
そのへんが、最近になるまで史学なんぞとは無縁にすごしてきたあっしには
どうにもこうにも自信が持てない部分でありまして。
だから「笑われないように誤魔化して書く」ではなく
「ええい、いっそ笑われてしまえ」に走るわけですな。
正当なものを書けるように、科目履修生やりたいんですけどねー。
いや、バカにして笑ったんじゃありません。誤解なさらないでくださいね。
義経がダセエな、としゃべっている光景が目に浮かんでしまったのでつい……
ただどうなんでしょう。江戸時代でさえ、元禄以前なんか資料の数自体
が少ないし、研究者も少なくて、「これから」の分野らしいですから、
平安時代あたりも、けっこう不確かな部分もあるのではないでしょうか?
それと、やはり小説である以上いかに読者を面白がらせるかに主眼
があるわけですから、トンデモとマトモの違いなんてそれほど気にする
必要はないでしょうし、どちらかというと、何でもありありじゃないかと、
個人的には思うのですが。
もちろん、歴史に極めて近い小説を書くのであれば、大変な勉強が
必要だとは思いますが、エンタテインメントであるならば、そこまで必要も
ないような……ただ、確かにどこかの大学で履修生になりたいというのは
僕もあります。体系的な学問ができていないというのが、学者と素人の
いちばんの違いでしょうね。痛感しています。
ただ、司馬遼太郎先生がかつて、
「小説家になって、また大学に戻って勉強するなんてことは、ただ箔を
つけるだけの下品な行為だ」
みたいなことをどこかで書いてらっしゃったので(つまり勉強なんて自分
でできるということを言ってました)、それを自分の金科玉条にして
誤魔化しておりますです。はい(..;))
だいじょぶですよ。笑ってくれてありがとうございますw
なんつーか、根が両極端なもので、
ものすごいシリアスかものすごいトンデモが書きたいんですよ。
で、やはりシリアスに走る場合はキッチリした考証が必須ですよね。
泣ける話にしたいのに、つまらぬ考証の不備で笑われちゃ悲しいです。
司馬氏とか永井路子氏とか昭和一桁の作家の方たちって、
あの時代にしては珍しい大卒でしっかりした古典の素養があるんですよねー。
まー、ブルジョワな方々を羨んでも仕方ないですが。
古典とか歴史とか大っ嫌いだったあっしが
どうして今、歴史ものを書いているのか、、、。人生って不思議ですねww
え、古典とか歴史お嫌いでしたか。
僕は好きでしたが、「江戸時代」だけは大っ嫌いでした(^◇^;)。
浪人だの熊さんだの八っつぁんだの、西鶴だの門左衛門だの、
(どこが面白いのよ?)
と思ってました。
それが今では……人生って不思議ですねww
741 :
子家子:2005/05/11(水) 09:21:11
歴史と漢文は好きでしたが、古文はそうでもなかった気がする(遠い目
言葉選びを含む時代考証は、みな悩むところですよね。中国物を書く
時はなおのことです。なんと言っても台詞にひらがなが入る時点で
大ウソです^^; 仏教が入ってくる以前が舞台であれば、仏教由来と
される言葉をあまり使いたくないんですが、これが多いこと多いこと(汗
少なくとも会話文では使わないように気をつけますが、どこまで徹底
できているやら……。
いろいろ考えることは多いのですが、ある段階で割り切れました。
当時の言葉を忠実に再現するのが決して最善ではないです。論文を書いて
いるのではなく、読者に楽しんでもらえる小説を書きたいのですから。
因みに前出の女性一人称が「おれ」だってことは去年知りました。その
時は、「やはり忠実は最善にあらず」と意を強くしたものです^^
艶やかな女性に「おれ」とは言わせられません。
時代考証の加減は作品のカラーに合わせればいいかと。平安後期さんの
仰っているトンデモ物は、あまり考証に縛られると自由な発想の妨げに
なりそうですしね。私はそういう作品を書くことはできませんが、読むのは
好きですよ。
逆に、あきらかに本格志向の市販歴史小説(時代は江戸以前)を読んで、
「チャンスでござる」とか「さぼっちまった」とか目にした時は辛かった。
思わずぱたりと本を閉じてしまいました^^
い、いいなあ……
「チャンスでござる」
お、お腹痛いでござる……
「チャンスでござる」はともかく
「さぼっちまった」は普通に使ってしまいそうで怖いでんな。
しかしそうやって突き詰めていくと
古代エジプトの歴史ものなんて象形文字で書かないといけなくなってくるじゃないですかーw
八剣浩太郎を参考にするのはどうでしょう・・・
>>744 すべての二次資料は、取捨選択だと思います。
すべてが×ではないし、もちろん間違いが多いことも想定しておかなく
てはならないと思います。
でも、その中から汲み取れるものって、少なくないんですよね。
逆に、なるべくたくさんの資料を集めて、同じような項目を比較して
読んでみる方が、役に立つと思ってます。
746 :
子家子:2005/05/13(金) 12:23:22
古書の原文が一次史料、一次史料をまとめて編纂したもの(教科書含む)が二次、
小説は三次あたりになるんでしょうか^^
小説は、「ああ、こういう作風もありなんだ」って感じで参考にする程度でしょうね。
ですが、吉川英治先生や子母澤寛先生クラスになると、いまでは創作部分が史実の
ように思われてますから、気をつけないといけないですね〜^^; それだけ鮮やかな
小説だということなんでしょう。
一次史料という面では、中国物は少し楽です。抑えるべき史料は史記・左伝などと
決まってますし、なにより漢文のほうが古文より簡単なので。古文が読める人は尊敬
してしまいます。
>>746 なにしろ中国は、度重なる戦火で(日本など比べもの
にならないほどの規模で。なにしろ人口が半減してしまったという記録
もあるらしいですから……)書籍の多くも焼けてしまい、結果として
資料(史料)も少なくなってしまったとか。
ある意味、日本史をやるより楽だと、むかし国語の先生がおっしゃって
ました。日本史をやるとなると、庭に書庫を建てなきゃならんほど
膨大な量だが、中国史は書斎で事足りると(^◇^;)。
オーバーな表現だったと思いますが、中国物の方が、自由奔放な
小説を書けるということにもなりますよね。あまり細かい資料にとらわ
れることがないわけですから(?)。
それはまあ、いずれよせよですが、やはり小説はある程度「資料
無視」という思い切った部分も取り入れないと、少なくともエンタテインメント
の分野は書きにくい、書けないかも知れませんね。
748 :
名無し物書き@推敲中?:2005/05/16(月) 22:00:07
資料で「これには騙された」という経験はありますでしょうか?
うーむ。史料至上主義の自分としては、史料が少ないのは不安だすなあ。
義経が活躍するちょっと前あたりの鎌倉幕府側の史料が欠落してるんすが、
これが現存していてくれたらと涙するばかりです。
>>748 ん〜。「読むだけ時間の無駄だった」と思う資料本は結構ありますね。
「騙された」はないかなー。
750 :
名無し物書き@推敲中?:2005/05/16(月) 23:59:34
歴史小説は資料を読むのが大変だ。
また歴史の証人でも時と場合により嘘を言っているケースがある。
>>750「歴史の証人でも時と場合により嘘を言っているケースがある」
上記についてできれば具体例を提示していただけますか?
どんなケースのことでしょう。
東京駅についての質問なのですが、何かの本に「東京駅は借金のカタに取られたものだ」
というような記述があったと知人に聞いたのですが、どの本だったか失念した
とのこと。
どなたか心当たりがあるかた、またはこのエピソードについてご存知のかたが
いましたら教えてください。
よろしくお願いします(ペコリ
>>751 枚挙に暇がないんじゃないですか?
山本周五郎先生の随筆集(『酒みずく・語る事なし』新潮文庫)の中に、
「歴史と文学」という講演記録がありますからお読みになってはいかが
でしょう。
−−歴史、と申しますものは、(中略)そのときの権力や政治の形に
よって、きわめて用意にいろいろかえられる。権力者や政治の当路者
だけではなく、歴史を記録する人の、好悪、選択によっても、いろいろ
変えられるものであります。
あるときの、ある事件や人物について、資料をあつめてみますと、
面白いことに、かならずといっていいくらい混乱しておりまして、どれも
これも、同一の趣旨を記述していることは、滅多にございません。
とあって、それ以降、明智光秀、赤穂浪士の一人で金を持ち逃げ
したと悪評を立てられた大野九郎兵衛、田沼意次、そして自著の
『樅の木は残った』におけるそれまで極悪人説が濃厚だった原田甲斐
について触れてあります。
僕自身も数例知っていますが、それは自分のネタバレになって
しまうので書きません(^_^;)。
751氏も、ご自分の書きたい時代のある事件や人物について調べて
みたら、具体例なんていくつも出てくるんじゃないでしょうか。
ネタバレでない例を挙げますと(^_^;)、人妻の腹をかっさばいた
という佐々成正、同じく妊婦の腹を割いたという豊臣秀次、同じく
妊婦の腹を割いたという徳川(松平)秀康など、女の腹を割いたと
いう悪意のある資料だけでも枚挙に暇がありません(^◇^;)。
↑
×用意 ○容易
でした。ごめん。
女の腹を割くとはどういう理由によるものでしょうね。
確か今昔物語集に、平貞盛が病気治療のために胎児の肝を求めたという話がありました。
えぐい話ですな。
>>751 あなた様だって自分の都合の良いように
まったくの嘘とも言えない言い訳をすることもあるでそ。
北条氏が編纂した鎌倉幕府の公式記録「吾妻鏡」が
けっこう嘘つきなのは鎌倉好きには有名な話ですわ。
>>752 浅学にして存じませんが、長吉氏に前に教えていただいた
例の堤翁が華族の土地を買収した話を彷彿とさせますね。
ただ、そういう歴史に関する質問は日本史板の方が明快な答えが返ってくるかと思いますよ。
>>752 僕も、東京駅については何も知りません。初耳です。
頭の片隅に入れて、何かそのような記述に当たることがあったらご報告
しますが(恐らくそれは僥倖に近いと思いますが(^◇^;)、
、逆に何かわかったらなにとぞ教えてくださいませ。
僕も、日本史板の方が、ここより遙かに知識豊富な人がいると思い
ますよ。
>>755 平安後期どの。うろ覚えの知識で申し訳ないのですが、
確か妊婦の腹を割くというのは、殷の最後の王である紐王が、胎児
が男か女であるかを当て合うために、妊婦の腹を裂いたという伝承
から、日本に持ち込まれた「暴君話」だと思います。たぶん。
しかし堤翁のあの没落ぶりは、墓の上にゴルフ場を建設された将軍
秀忠公の呪いに違いありませんな(^◇^;)。
ほー、中国伝来の話ですか。
要は、成正・秀次・秀康が暴君だったと位置づけたいわけですね。
鎌倉の2代目将軍・源頼家も、北条氏の悪意で暴君化が顕著でしてな。
「歴史は為政者の都合の良いように作られる」とはよく言ったものです。
#秀忠公は今頃拍手喝采してるかもしれませんね。
その土地の歴史・史蹟をないがしろにしちゃいかんです。
758 :
名無し物書き@推敲中?:2005/05/20(金) 22:17:17
759 :
752:2005/05/21(土) 08:16:48
>>755,756さま
ありがとうございました。
こちらでも調べてみてわかりましたらご報告申しあげます。
760 :
名無し物書き@推敲中?:2005/05/23(月) 21:58:18
10さん元気かな……。こういうスレで会って飲んでみたいと思う人って
少なかったんだけどなあ。
762 :
名無し物書き@推敲中?:2005/05/28(土) 23:34:41
ふーん。好かれていたんですねぇ、10さん。
むしろ「会って飲んでみたい」という条件みたいのってどんなんですか?興味あります。
>>762 過去の発言をちょっと読んでもらうだけでわかると思うんですが、
知識が豊富なだけじゃなく、なんか心が落ち着くんですよ。
風流人だということがとてもよくにじみ出てて……いきなりいなく
なっちゃったんで、ちょっと残念なんです。
>>平安後期どの、お元気ですか。
昨日は「やぶさめ」発祥地である京都の城南宮とやらで、800年
ぶりに流鏑馬が復活したそうですなあ。
ところでスレ立てした
>>1さんって、参加してます?
このままでは、自然消滅の憂き目が……上げときます。
>>1さんは実は拙者ですw
別に仕切るつもりはないので、普通の名無しで立ててます。
昔、雑談スレか何かで「時代小説のスレがあるといいのに」てなレスがあって
「お。同好の士がいるぞよ」と思い、最初のスレを立ててみましたです。
想像ですが、そのきっかけのレスは10氏じゃなかったのかなぁなんて思ってます。
最初の頃は10氏と「スレ1周年」なんつって喜んでまして、、、、。って、思い出した。
6月頭でスレ4周年だすw
コテの方や、色んな時代を書かれている方々が通り過ぎていきましたが、
このジャンルに興味のある方は皆勉強熱心で良い方々ですよね。
あと50KBほどで次スレですが、これからも末永くよろしゅう。
#11/3の明治神宮で「どこかに10氏がいるかも」と思うのもロマンですぜ。
あ、
そうだったんですかあ……。
なるほど、歴史がわかりました。
では今後、遠慮無く、レスがあろうがなかろうが、時代小説に関する
独り言なんぞも書いてみようと思います。
というのは、ここ、ちょっと一般の方は入りにくいのかなあとも思いまして……
誘い水、になるかどうかわかりませんが、いろいろと勝手に独り言させて
いただきます。
11月3日ですか……旗日だし、出かけてみましょうかね。子供と
いっしょに。10氏とすれ違えるといいなあ……
平安後期どのとも。
ところで平安どの、もっとカキコしてください!!!
けっこう良スレだと思うし4周年となればもったいない!
(ちと、10氏が、時代小説あきらめちまったんじゃないかと、不吉な
想像もしてます……)
ともかく、細々とでも続けていけるように、平安どのもカキコよろしく!
(なんか、熱いな……)
つうかデビューしれ!(^◇^;)
長吉氏がスレ守ってくれてるので、安心してレス怠けてる部分もあるかもです(^^ゞ
今はスポーツドキュメンタリーの賞に応募してみようかなあ計画もありまして。
歴史小説はちょっとおろそかになってますなー。
中世の戦乱もスポーツも、自分の中では同じなんすよ。
戦う男たちの物語ってことで。
大河義経があまりにひどいのも、自分的イマイチ気分の要因でしょうかねえ。
CSの太平記再放送はとても(・∀・)イイ!!のに。最近の大河はつまらんです。
へー、スポーツドキュメンタリーですか……平安後期どのも
守備範囲広いですねえ。僕なんかスポーツはまったくダメ、知識も
なしです。
義経、最初の頃は期待してたんですけどね。
先日、半分は調べ物で、成田の新勝寺に行ってきました。
平安後期どのがお好きそうな平の将門ではなく、市川團十郎
の方ですが(^_^;)
何冊か寺が出版している本を購入し、大本堂で護摩をたいている
のをすぐ近くに座って見学してきました。なかなかの迫力でした。
帰りに参道を散策して帰宅。柴又の数倍も規模が大きくて楽し
かったです。ほんとは帰りに国立歴史民族博物館にも寄りたかった
のですが、さすがに時間がなく断念。先日皇太子さまも来られた
そうです。
佐倉の駅前で、噂のガンジーラーメン(!)を食べてお茶を濁しました。
古い寺社は心が洗われますよね。
参道ということでは、寒川神社が好きです。
樹齢何百年物の並木道を歩いてるととても清々しい気持ちになって
土地のもつパワーを感じたりもします。
国立歴史民族博物館、行きたいすねー。
期間限定の企画展や講演会で背中押されないと、なかなか機会もないですが。
ガンジーラーメンって何ですかあ。イメージからして辛そうな、、、。
ガンジーラーメンというのは、正式名称は
「元祖世界のガンジーラーメン」(^◇^;)
ちょっと前、テレビで紹介されてたんですよ。ラーメン番組は欠かさず
見てるモンでw
新勝寺に行くなら、昼はうなぎで、夜はここにしようと決めてたんです。
ttp://www.chibaraumen.com/report/ganji.html ↑に掲載されてますよ。
まあ、カレー味のラーメンなんですが、焼き石が放り込んであって、
沸騰してます(^◇^;)。
キワモノ系の店ではあるけれど、味はものすごく正統派の、いわゆる
中華料理店のラーメンって感じの奴です。
メニューにミトコンドリアラーメンというのもありましたが、そちちは遠慮
しときました……。
あはは。やっぱりカレー味ですか。
なかなかすごいラーメン屋さんみたいですね。
そういえば、ラーメンを最初に食したのは水戸黄門なんて話もありますやね。
日本人はオリジナリティはないけれど
他国文化を取りこんで自国のものにアレンジしてしまう民族だとも言いますね。
そのラーメン屋さんのメニューを見ているとまさに日本人ですねw
いやー、日本人としてははじっこかなと(^◇^;)
今日は「お江戸の以外な「モノ」の値段」という、PHP文庫を購入
いたしやした。まだめくった程度ですが、
「茶屋で一杯の茶を飲んだら?」
「高級料理店のお茶漬一杯の値段」
「旅の費用は?」
なんて項目が並んでて、楽しそうです。
購入しても損のない本だと思います。税別533円でした。
突然ですが、宣伝させてください。
◆◇◆ 創作文芸板 「アウトロー」祭り ◆◇◆
・投稿期間――七月第二週の週末「金・土・日」(先行する祭次第で一週間の順延あり)
・簡素期間――投稿期間を含む一週間
作品数が多い場合などは 十日間に延長することもあり
・お題――「アウトロー」 これはアウトロー小説ということではなく、アウトローを扱ったもの。
広義の解釈でけっこうです。 「はみ出し者」「異端」のようなものもOK
・規定枚数――20〜50枚 。幹事権限で上限に関しては少し緩やかにしたいと思います。
下は20枚というのを守ってください。 どうしてもという場合は18枚までは認めます。
・開催場所――EEのB投稿場
各作品の得点については随時幹事が経過報告をします。
【追加ルール】
・「自演投票」はエントリー無効とします。 →祭りの後、管理人さんに厳正なチェックをお願いするつもりです。
・開催前、開催中に自作品の情報を漏らした場合もエントリー無効とします。
☆このテンプレは、祭り開催に向けて週一回程度の頻度で貼ります。
>「高級料理店のお茶漬一杯の値段」
10氏とは少女漫画の話題も話もよくしてたんですが(奥様が読者とか)
10氏にも評判の良かった大和和紀の「にしむく士」で出てきました、それ。
すげー法外な値段なんですよね。
わざわざどこかの川まで水を汲みに行ったという理由で。
少女漫画なんて範疇外ではありましょうが
もし良かったら長吉氏も読んでみてくだせえ。
江戸の貧乏御徒組の話で、なかなか面白いでっせ。
ははあ。
スポーツに続いて、少女漫画も読んだことないなあ……僕はかなり
守備範囲が少ない人間だなあと、あらためて思います(読書だって、
ものすごく偏ってますし)。
いまアマゾンで調べたら、ユースド価格1040円でした。5巻セットで。
これも何かの縁と、注文ボタンを押してしまいました。
いやあ、少女漫画読むの初めてだなあ。これもいい勉強になるかも。
しかし平安後期どの、なんだか拙者にお金使わせること多くありま
せんか(^◇^;)
小遣い減らしてすんまそんw
でも今度は「今から目指せる歴史小説家」のようには損はしないと思うですぜ。
楽しんで読んでくだされ。
角川源義の「源義経」、
通勤中にチマチマ読んでやっと終わりました。良書でした。
日経の「義経伝説紀行」は惰性で買ってますが
昨今は写真を眺めるだけになっちまいました。つまらん、、、。
角川版「源義経」も読んで見ましょう。
ちゃり〜ん!
最近、落語の本を読み始めました。
調べてもなかなかわからなかったことが、ふと氷解したり、これは役に立つ
と驚愕しております。
文庫とかで出ていますから、みなさんもどうぞ。
驚くべき情報量です。
落語といえばこれまた10氏を思い出しますね。
あっしは今、山東京傳が書いたという
「冷哉汲立清水記」っつー黄表紙が読んでみたいです。
源平時代の登場人物を使ったパロディらしいんですけど
あっしが書きたいのも現代の黄表紙なのかもです。
>あっしが書きたいのも現代の黄表紙なのかも
あ、そうかも知れませんね、今までの平安後期どののお話を
総合すると……義経といい、ユーモアやウィットに富んだストーリー
指向なのかも。ぜひぜひ書いてくださいませ。
江戸の草紙類は、大昔に古本屋で全集を格安で手に入れたんです
が、なかなか読み進めません。「冷哉汲立清水記」というのも、
入っているかどうかわからず、お恥ずかしながら初耳です。
いや、読まなきゃいけない本、大杉……
「にしむく士」本日到着。
今日は仕事やる気てんでないので、これ読んで寝ます。
おやすみなさいまし。にしむく士では声美人の話が特に好きです。
ううむ……面白い……
「義経伝説紀行」があと3冊でやっと配刊が終了いたしまする。
長かったよー。つまんなかったよー。(つД`)
本屋行ったら講談社から「日本の合戦」なる週刊誌が刊行されておりまして
どうせ期待はずれだと思いつつも、また平安の回は買っちゃうんだろうなと。
なんか最近A4変形版のビジュアル週刊誌多いすね。
しかも内容の薄さのわりに高いし。
読者なめてんちゃうんかと小一時間(略 です。
そんなにつまんなかったですか(^_^;)。
僕も時々買いますが、(『日本の街道』というのは過半数持ってます)
それはあくまでビジュアルを見たいからという理由のみで、中身には
あまり期待してません。全国をくまなく見て歩く機会がないし、かといって
オールカラーの全集を何万円も出して買う気もしないし、古本屋を
漁りに行くよりも手ごろだし……みたいな感じで、その土地の雰囲気
を参考にするために買ってます。まあ、旅代わりというか。
ただときどき、自分の知らない現地の昔話、伝説なんかが載ってたりして、
そういうときには嬉しいですね。(ほんとはこれも、伝説紀行みたいな
全集を買うべきなんだろうなあ……)
しかしお手軽だから売れてるみたいですね。
最初は無視していた日本の大手出版社がどんどん参入しました
からね。しかし全巻そろえると、かなり高額ですよねえ。
まあ「冷哉汲立清水記」を知ったのは「義経伝説紀行」で紹介されてたからなので、
文句ばかり言ったらバチが当たるかもしれませんが。
写真多めで現地の雰囲気が味わえるのは、確かにありがたいですね。
シメジメーとした季節が始まりましたな。
1ヶ月ばかり憂鬱です。
あ、暑い……また歌舞伎見てきました。今日は国立劇場の
歌舞伎鑑賞教室で、歌舞伎十八番の毛抜でした。暑くて、
帰りにちょっと町歩きしただけで、顔や腕が焼けてしまいました。
体に熱がこもってしまって、寝られるかしらん……
仕事もあまりはかどらずでやした。
昔は梅雨が終わったら嬉しかったんですが、最近は夏もイヤ……
梅雨も夏もイヤでござんす。
横やりスマソ。にしむく士読んでみました。面白かったのでもっと続けて欲しかったです。御家人株ってのがよくわかりませんでした。ヒロインの実家が
御家人株を買ってから主人公を婿に迎えて居るんですが、御家人株って養子に入ることですよね???
にしむく士、まだ途中までしか読んでないので、登場人物の人間関係を
把握してないんですが、御家人株っていうのは江戸の中期以降、
だいたい1700何十年というころから目立つようになってきた御家人株
の売買で、買い手の富裕な商人や農民が、御家人の家に養子に
入るという形をとって、家督の相続権を手に入れました。
かなりの高額だったらしいですが、特に御家人の側に係累が少ない
場合はとくに値段が跳ね上がったそうです。
勝海舟の祖父が金貸しで儲けた金で株を買い、子孫を武士にした
というのは有名な話ですね。
だから、
「勝海舟は幕臣であるのにいばらず胸襟を開いてわれわれ下級武士とも
話をしてくれた」
という長州藩との談判場面なんかは、実は勝海舟にとっては大した
ことじゃなかったんだということが良くわかります(^◇^;)。
791 :
名無し物書き@推敲中?:2005/06/16(木) 00:35:00
ありがとうございました。確認できました。すると主人公はお嫁さんの実家の力で養子に入れたわけですが、
御家人株の持ち主(義理の親?)と暮らしたりしなくても良いのでしょうか?
792 :
名無し物書き@推敲中?:2005/06/16(木) 00:35:59
御家人株の元の持ち主でした・・
>>792 あくまで形式上のものですから、必ずしも同居する必要は
なかったでしょうし、御家人の方もそれを望まなかったのでは……という
推測は成り立ちますよね。今の社会と同じように。
もちろん個個のケースもあって、同居するようなこともなかったわけでは
ないとは思いますが……そこら辺、きちんと調べたわけではなく、あくま
で手持ちの史料の受け売りですのでご容赦を……
ただ、御家人とはいっても、旗本の祖先でさえ系図の売り買いをやって
いい加減な家系を作り上げたぐらいですから、ましてや最下級の御家人
レベルにいたっては、どこの馬の骨かもともと怪しいわけで、売り買いする
ことにさほど抵抗はなかったかも知れませんね。
もひとつ、もともと「御家人の株」というのが存在したわけではないです。
たまたま売り買いするようになったとき、株仲間の願株みたいなことがあって、
「御家人株」と呼んだだけのことに過ぎないと思います。
武士は、株の有無でなれるわけではなかったわけですから、もともと。
794 :
名無し物書き@推敲中?:2005/06/17(金) 20:27:09
ありがとうございました。同居しないかわりに料金?上乗せとかありそうですね
さらに横から横槍ですが
月末の歴史文学賞に出す方はいらっしゃいませんか?
すんません、まったく話題に上ってないので何となくさみしくて。
僕はもう最初の頃に、早々と文学賞狙いから撤退です。
もう、一年に何回か応募して、その結果をいらいらしながら待つという
のは精神的によくないと……
798 :
796:2005/06/21(火) 23:55:39
>>長耳の長吉さん
うーんそんなもんなんでしょうかー
おいらはまだ二回目のチャレンジなんで、うおおおどうだあああ読め読んで下さいおながいしますみたいな意味不明の効用感しかないです
はーでもドキドキする……
799 :
796:2005/06/21(火) 23:59:31
ぎゃあああ効用感って何だ高揚感ですすみません
推敲推敲…
新人賞のいいところは、受賞すればそれなりの待遇を、編集者が
してくれるところ。たとえ2作目3作目が使い物にならなくとも、その
出版社の編集者は、いちおう原稿に目を通してくれるでしょう。
逆に欠点は、だんだんと心に染みいってくるような渋い作品が通りにくく、
話題になりそうな派手めの作品がどうしても通りやすいであろうこと。
それと、文章訓練の少ない人がぽーんと賞を受賞してしまうと、次の
作品が緊張のあまりなかなか書けなくなってしまうことなどが挙げられる
かと思います。
僕なんかは、世間の注目を集められるような派手めの作風ではなく、
逆に「そこそこ標準以上」で、出版社の採算分岐点以上の作品なら
書けるという自負があったので、自分の足で小出版社を回るようにしました。
つまり、作家兼営業ってわけです……。
いろんな形があっていいと思いますし、真面目な人間に限って、
「何かの賞をとらないとデビューはできないものだ」
と思い込んでいるようですが、デビューに実は王道なんてありません。
有名人の子供とか、伝統芸能の継承者とか、なんらかの話題があれば、
いきなりメジャーデビューすることも不可能ではありませんし……
一時は(最近もかも知れませんが)出版界で露悪趣味が横行し、
もとヤクザの妻とか(^_^;)両手両脚がないとか(^◇^;)、17歳とか
16歳とか、とにかく話題になるひと先行の嫌いがないわけではありません。
で、僕はそんなことに付き合うのはイヤだなあと……
それで、そこそこ売れる便利屋からスタートでもいいやと思い立った
わけです。
一時は借金が積み重なって自己破産かなあ……とも思いましたが、
いまでは勤めも辞め、なんとか筆一本で食えるようになってきました。
ま、そのままの位置で終わってしまうかも知れませんが……
デビューの仕方は人それぞれ、千差万別でいいのではと思っています。
とくに時代小説は渋い分野ですから、なかなか脚光を浴びることは
少ないと思います。あの乙川先生だって山本先生だって、賞を取るのは
ほんとに遅かったし、取った後、2作目がなかなか出せなかったそうです
から、難しい分野であることは確かだと思います。
これはどんな分野でもそうでしょうが、
「書き続ける」
あるいは、
「書き続けられる」
作品を、とにかくコンスタントに作り出して行ける筆力があることが、結局は運命を
決すると思います。デビューの形なんて、繰り返しですが、人それぞれ、言ってしまえば
どうだっていいんだと思ってます。そりゃもちろん、いきなり賞をとってしまって、その後も
プレッシャーなど感じずに書き続けられる人が、本当の実力者なんでしょうけど。
>>796 おお、いたー!
私は初応募です。
お互いがんがろう。
>>長耳の長吉さん
私だったら営業かけるほうが緊張しますが、
そんな形もあるんだーと興味深かったです。
賞があるところは持ち込みじゃなく応募した方が
いいんじゃないかという話も聞いてましたが、
ジャンルによって違うんですね。
>>802さん
うーん、それも出版社によって千差万別ではないでしょうかね。すべてを知っているわけ
ではもちろんないんですが。
大手出版社で、賞を設けているところでも、いろいろな接点から新人(その出版社
にとっての)を欲している部署はさまざまありますし……(文芸賞を設けている文芸誌
だけでなく、たとえばですが、ライトノベルスやヤングアダルトの新人作家を欲している
部署もあるでしょうし、おなじ文芸路線でも、文庫担当の部署だったら、文庫書き下ろし
のできる中堅作家〜新人作家を求めているところもあるわけです。必ずしも賞という
のは出版社全体の統一された意志ではなく、ある部署の意志に過ぎないことの方が
多いと思われます)。
ジャンルによっても違いますし、部署によっても違うと思います。
ただ、ひとつはっきりと言えるのは、
「編集者というのは、ひとりひとりが独立独歩」
であるということです。
一人一人がひとつの会社といった方がわかりやすいでしょうか。
もちろん、会社に属している以上、会社の総体から制約は受けるわけですが、成功
すれば、あるていど自分が勝手に動いても評価されるのが編集者という職業です。
ここが、一般の会社とは大きく違うところだと思います。
部長の決裁を受けずとも、あるいは賞を取れなかった無名の作家を発掘しようとも、
「売れちゃったら偉い」
と評価されるのが編集者であると。
となれば、そうした野心のある編集者に出会えれば、
「俺についてくるか?」
みたいな感じで、デビューすることも可能なんです。
かえってその方が、時間的には早いでしょう。もちろん、なんどか発言したように、
コンスタントに、次々と、採算分岐点以上の作品を書き続けなければならないでしょう
が。
804 :
名無し物書き@推敲中?:2005/06/22(水) 21:00:26
これはアゲです↑
ありゃ、なんで上げてたんだろ……
806 :
名無し物書き@推敲中?:2005/06/23(木) 18:42:03
むしろあがってたほうがみんなのためになる良いレスというか、良スレなのでは?
勉強になる話&興味深い話をありがとうござんす。
それにしても賞って、よく判らん部分もいっぱいあるですよね。
本当にどうしてもデビューしたい!と思ったら、賞に頼らん覚悟も必要かもですな。
中には出来レースもあるんでしょうし。
昨日は、あっしの大好きな畠山重忠の没後800年でした。
今年は慰霊祭の他に記念講演もあったらしいんですが、
別件で有休とりまくりなので昨日の休暇申請は断念しました。
800年前の6/22は今に換算すると7月下旬にあたるので、
その日に汗だくになりながらお参りしてきます。合掌。
坂東武者・畠山重忠ですか……
しかしこうした頼朝創業に力を尽くした武士たちの悲惨な最期を見ていると、
北条氏、その影響で後北条氏のファンが少ないのは仕方がないことなのかも知れませんね……
しかし慰霊祭や記念講演なんかも開かれてたんですか。まったく知りませんでした。
平安後期どの、そうした情報、なるべく事前にアップできませんか?
僕も江戸時代に関してはなるべくアップするようにしますが、そうした情報がここにアップ
されるとなると、ちょっとは出入りする人間も増えるかと思いますが……
ちなみに今日は、東京の愛宕山神社の千日参りでしたね(明日まで。情報遅いか……(^_^;)
明日は銀座に用があるので、できれば愛宕山にも寄って、ほおづきを買って帰りたい
と思っているのですが。11時から過去一年の穢を落とすお祓いも受けられるそうなんですが……
起きられっかなあ。
もし行けたら、昼食は、創業文政十年という鰻の「ての字」で決まりですな。
江戸前と名乗ってますが、味付けは明らかに東海〜関西風の鰻は、あっさりしていて、
しかもお安う食べられまんのや。江戸風の甘い醤油味の蒸し鰻とはひと味違った、
あっさりと肉のしまった鰻重が食べられますんや。もちろんひつまぶしもありまっせ(何語だ?)。
ほおづき……そんな季節になったんですねえ。早いなあ……。
いや〜あ。すんまへんなあ。
あっしも記念講演のことを知ったのは昨日の朝刊なんですよ。
しかもどこでやったのか、どなたがいらしたのか露知らず。
昨日に限らず、あっしは新聞にこそ「もっと早く載せれ!」と言いたいすw
お暑うございます。
府中宿から日野宿へ甲州道を行くには、当然、玉川(多摩川)があります。
で、江戸時代は……? 灯台下暗しというか、川越というと大井川ばかりで、
地元多摩地区のそれに思いを巡らせたのはつい先日のことでした。
調べりゃわかるもので、立日橋と日野橋の間に、立川市の観光協会建立
の碑があることが判明。一路、思い立って今日、行って参りました。
しかし……場所が……よくわからん。このお日柄もあり、ただ汗のみかいて
立ち往生してしまいますたwww。
まあいいや、また、来りゃいいんだ。史実として現在の立川と日野との対岸を
結ぶ地点の橋の近辺を、江戸期も渡岸していたことが判明したんだ。
次の疑問点は、渡し賃は幾らだったか? 舟の大きさと何人乗れたか?
こんなことを、どこかで調べたいと思っています。
蜀山人が「公務」で日野へ行ったときは貸切りだったんかな?
「舟」は広重の「六郷の渡し」の画のやつと同じくらいかな?
甲陽鎮撫隊のときは、どうやって渡ったんだ?
吹き出る汗をかきながら、こんな疑問を次々と……味気ないけど、現在の車の
行きかう橋の袂のファミレスで、ビールとピザをやりながらブツブツと呟きました。
本当は、渡し場の傍に葦簾張りの茶屋かなんかで、婆さんに「冷やでくれぃ」と駈け込
むと「このお日柄、足が早かんべぇから、うで玉子も絹かつぎもないけんど、これで我
慢するだぁね」なんていって出してきた、塩の塊のような枝豆を舐めながら一杯引っ掛
けて汗を誤魔化す……なんてやってみたかったス。
晩飯は胡瓜と鰻の酢の物、とびうお塩焼きなぞを冷やでつまんだあと、しらす飯、茄子、
南瓜のおみおつけ、かくやなどで仕上げて、早めに寝ることにします。
失礼いたしました。
> もと小学生どの。
炎天下、お疲れさまでした。
おもしろそうな旅でしたねえ……。
府中から日野へ行くルートとなれば、それは甲州街道ということになりますが、
いわゆる「日野渡」ということになりますよね。下流にある「六郷渡」とならんで、
軍事上でも要衝だったと聞いています。すると、島田家住宅にも行かれたことが
ありますか? 江戸時代に豪商だったという島田家の再建された家、いつかは見に
行ってみたいものだと思っていました。
さて日野渡ですが、手元にある「江戸名所図絵」によれば「日野津」となっています。
冬の水涸れのときには、丸太や板を並べた仮橋で渡ることもできたようですが、それ以外は
渡し船に乗るより他なかったようです。
そして渡し賃ですが、江戸名所図絵の解説本によれば、
「天保五年(1834)の頃で、「壱人十一文。本荷駄口付共二十文」
だったそうです。本荷駄とは荷をつけた馬のことで、口付とは手綱を執っている人の
ことである。
とありました。
江戸時代は初期の二百年間ぐらい、ほとんど物価は変動しなかったそうですから、
天保以前はもっと安い値段で定着していたのではないでしょうか。きちんと資料に当たった
ことがないのでわかりませんが、これは日野市の郷土資料館のようなところに当たるしか
ないと思います。
しかしこの現代ともなると、場所の特定覚弥って難しいですよね。地元の郷土史の先生に
お尋ねするほかないと思います。
それにしても、私ももと小学生さんとおなじで、金と暇ができれば、どこかに足を運んで
しまうのは共通した性格だなあと思いました。
そして、「胡瓜と鰻の酢の物、とびうお塩焼きなぞを冷やでつまんだあと、しらす飯、茄子、
南瓜のおみおつけ、かくやなどで仕上げて」なんてあたりも……。
(覚弥、隔夜なんて感じもなんかいいですよね。ああ、古漬けの酸っぱさを思い出して、
夜食を食いたくなってきてしまいました……)。
↑なんだか文章の途中に「覚弥」という単語が混じってしまいました。すみません。途中
でメール着信の報せがポップアップされたせいかも知れません。
それはさておき、僕は昨日、なんとか愛宕神社の千日詣でに行って参りました。
いや、もと小学生どのとおなじ、「暑かったでんな〜」
予想以上に参拝客が多く、曲垣平九郎が馬で駆け上がったという男坂の途中まで、
参拝客の列が続いていたのには驚きました。みなさん、
「後ろに落ちそう!」
と怖がってらっしゃいましたが。
参拝も終わり、「ての字」に鰻を食いにいったのですが、なんと二時半閉店で夜の部
はないと初めて知り(もしかして、ここを読んで出かけた方がいらしたとしたら、本当に
申し訳ありません。まさか昼のみ営業の店とは、とんと思わなかったものですから……)、
仕方なく新橋までぶらぶらと。
すると、路地の角にちょいといい店が。
入ってみると、なんと京都料理の割烹。しかも安い……美味しい……
今年初めての鱧を食べたんですが、包丁の腕前も最高で柔らかい……
愛宕神社に詣でていたとき、
(京都の愛宕さんにもいつかお参りして、太郎坊天狗にご挨拶したいな)
と思ったせいでしょうか……京都料理をこれほど安く食べられる恩恵にあずかれたのは……
そして……なんとその次に「蕎麦で閉めたい」と思って入った店の女将さんが、
京都出身。いやあ、黒蕎麦、旨かったなあ……
というわけで、期せずして京都ざんまいの一日でした。
やっぱり千日詣では効きますねえ(^_^;)
長吉大人(うし)。ご教示ほんとうに有難うございます。灯台下暗しは自らの文献についても言えますです。
名所図会は全巻持っているのに……積ん読で、人様の手を煩わし恐縮でした。
渡しが十一文とは蕎麦より安いんスね。あと茣蓙抱えた一部の姐ちゃん(オバハン?)よりも……。
モノの値段の一つですが、元禄期に千人同心の「株」は十五両くらいで売買されていたようです。これも
御家人株売買の典型「御先手組株」同様に、部内者値段と部外者値段とが異なってたのかも知れません。
日野は豊かな土地らしく、造り酒屋なんぞもあったみたいスね(今は無いと思います)。
明治期か?あるいは幕末期まで遡れるか不明ですが『石田 多東福』なんつう銘柄の貸し徳利が、日野以外
の自治体で発掘されて報告されていました。(ま、近世末〜近代……でせう)
あー島田家はまだ行ってません。近間なので行ってみてレポートしたいです。
曲垣平九郎。おお、わたいは落語より講釈のほうが好きなので過剰反応します。
ま、いつ見てもすごい傾斜ですよね。お袋の実家が愛宕の近所なのでかなり身近な話題です。
もうすぐ六月末には大山の初山があるし、いろいろな神社で夏越の祓なんぞもあるし、六月末はまさにお参り
の季節の幕開けですね。
新橋で京料理と……意外です。先日はうちの近くでは良い鱧が手に入らないので、鰻の短冊で代用して胡瓜
と酢にしたんです。すぐきも食いたいし、鹿ケ谷南瓜だったかの?ソーメン南瓜も食ってみたいス。
閑話休題。深川の古い鰻屋で一番安い900円のうな丼を頼んだら、大量の飯に、英単語カードくらいの大きさ
の蒲焼の破片みたいなのがフタ切れ乗っておりますた。もしわたいではなく勝小吉さんあたりであったならば
暴れ出したでしょう。ただ「蒲焼の破片」の味は良かったです。
しかし四万六千日の功徳が京料理に黒蕎麦とは……お参り冥利に尽きますな。
ああ、ご実家が愛宕山の近くでしたか!
それはそれは……
もと小学生どのも、私と同じように食い意地が張っている方らしく(^_^;)、いや、
お話をうかがっていて、興が尽きません。
日野とか、八王子とか、西の境あたりは今こそ田舎というイメージがありますが、
当時はなかなか豊かで発展していたようですね。
東京一局集中の頭で考えてしまうと、「都会か田舎」の二元論みたいになってしまって、
どうもいけませんよねえ……そういう面では、江戸時代の方がよほど豊かだったような気が。
島田家も現在のお住まいからお近くのようで、ぜひともレポートなぞ拝読したいです。
うーむ、今年の秋は集中的に西に出かけようかなあ。
上で書いた「ての字」という鰻の店、安くて昼間は二階への階段(下はぜんぶ調理場)
にはずってとサラリーマンが列をなしているぐらいで、なかなかリーズナブルです。
うな重も安くて美味しいんですが、あるホームページによると、
「一番人気は、丼飯の上に細かく刻んだ鰻ともみのりが乗り、タレをかけたこの店オリジナルの
「信長丼」。添えられた刻みネギを好みの量散らし、肝吸い、おしんこといただく(850円)。
という安さ。
その、深川の老舗の鰻丼に比べたら,ぎっしりと残骸が乗っておりますぜ!
ただし味の方は、「江戸焼き」と書いてあるにもかかわらず、ぜったいに関西風。ただし
逆に、しっかりとした歯触りを感じられます。これは好き嫌いでしょうね。
ああ……もう4時だというのに、またお腹が空いて来て……これはまずい。すぐ寝なければ……
それではまた!
ところで平安後期どの、夏バテしてまへんか?
、、、、バテバテです、、、。
このクソ暑い中で数日間スポーツドキュメンタリーに勤しんでおりました。
旨そうな話題が続いてるのに、スポーツドリンクで腹ガポガポ、食欲ゼロなもんで、、、。
ウナギなんて想像するだけで吐きそうですw
食欲取り戻したらまた話に混ぜてくださいまし。
くわぁ……本日谷中近辺をぶらついていたんですが、
「どうにも暑いな」
と思ってたら36度だったとか……帰りにたまらず暖簾をくぐった飲み屋で知りました。
いやもう、こんな日の奉行所同心たちの市中見回りなんて、とんでもなく大変な
ものだったんでしょうねえ。
スポーツドリンク、あまり摂取し過ぎないない方がよござんすよ。あれは血糖値上げる
最悪の飲料ですからね。やむを得ないときにちびちびやるぐらいで、まだビールの方が
よござんす(ただし糖分カットのやつ)。喉がかわいたときは、なるべくぬるいお茶、それじゃ
満足できないときは冷やしたペリエとかが。お酒を飲むときも、水割りやロックではなく、
「氷抜きの水割り」がいいそうです。翌日が楽なんだそうで。
これから7月下旬までに、少しずつ調整してかないと、8月死にます。
あっしも、これからはビールを控え、ちびちびと氷抜きの水割り焼酎でお茶を濁すつもり
でござんす。
どうかお大事に……
>>813 もと小学生どの。
今日たまたま読んでいた「一茶句集」(岩波書店同時代ライブラリー)に、
「五月雨や胸につかへるちちぶ山」
という句の解題部分に、
(中山道の板橋・蕨間を荒川を越えて渡す戸田の私の渡舟賃が、安永年間、
「常川」で一人三文、馬六文、「増水」で一人六文、馬九文。ほぼ同時期、
東海道は富士川で常川十二文、大井川で「平水帯通」四十八文、幕末で
百文、「乳下水」七十文といったぐあい)
と書いてありました。
選者は金子兜太先生ですから、間違いはないと思いますが、どのような史料から
引いてきたのかの説明はありませんでした。
やはり交通量の多いところとか、重要な地であるとかなどの要素によって、渡し賃は
違っていたんでしょうね。ですから日野津の「十一文」とあるのは、
「ちょうどそんなもんなのかな」
と納得がいく数字でした。
とまあ、ご報告まで。
しかし書き込み少ないでんな……
長吉さま
ご教示かさねてありがとうございます。
しかし、水位によって値段に違いがあるのは理解できますが「平水帯通」「乳下水」という表現は良い
ですね。やはり舟よりは人足氏による渡川のほうが高いのは頷けます。
日野津の十一文というのはいつの値段か、孫引きのため記載がありませんでしたが、兜太師より引
かれデータを拝見するに、やはり江戸の安定期のものだったと思います。
戸田の渡しというのは、現在でも浮間舟渡という香ばしい駅名が残っていますよね。たぶんあのへん
だったのでしょう。
ところで、またまた教えてちゃんで恐縮なのですが、ルビについて。
時代モノ特有な読みとか難解語彙にはルビを振るわけですが、これは原稿の該当文字の下にカッコ
して振るのがよいのか? あるいはワープロソフトの機能をつかい漢字の横にルビを振るのがよい
のか? どちらなのでしょうか。
ワードだと漢字の横にルビをつけると、ルビのぶんだけ一行増えてしまいます。
一太郎だとそうならん、と聞いたのですが、編集部の都合などでテクストに変換する可能性を考える
と漢字の下にカッコでルビ、のほうがよいのでしょうか。
そんなことを最近気にかけています。
プロットが形になったところで、秋くらいまでに五百枚くらい書き上げたいなと思っています。
昨日多摩地区の土着の知り合いのところへ遊びに行ったら、二種類の御菓子を出されました。
ひとつはウドン粉を練って、つぶし餡を中に入れて茹でた「ユデマンジュウ」。
もうひとつはウドン粉を練って、なにも入れずに小判型に成形し、それを砂糖醤油をつけて炙った
もの。これは取り立てて名前がない!ということでした。
どちらもその人の畑で作った小麦ということで、そりや美味。とりわけ後者の「名無し」がすぐれもの。
鄙には稀という言葉を地で行くというか……番茶にあうこと比ぶるもの無し、です。
思うに「チャノコ」「コビルマ」とかいう食い物は、まさにこれだったのでは、という推理です。
以上、どうも失礼いたしました。
>>818 時代・歴史小説で応募したことがないので、ルビのことはよくわからないのです
が、一太郎だとルビをつけても全体の体裁が変わってしまうことはないので、問題なく
印刷できます。ワードがそんなことになってしまうとは、知りませんでした。そうなんですか?
だとしたら、ルビの機能を果たしてないですよねえ……だとしたら定価で2万円もして
しまいますが(ジャストショップで買うと17850円。もしオフィス、ワードでユーザー登録なさっている
なら、定価9800円、ジャストショップ価格9240円で買えるようです)、やはり一太郎
を購入した方がいいのではと思います。
やはりなるべく体裁のいいものの方が、出す側としても安心でしょうし……。
必要な投資かも知れませんね。
もしもと小学生どのと実社会でも友人であったら、古いバージョンの一太郎を
差し上げられるのですが……(文章を書くだけなら、機能的にはほとんど変わりません。
ATOKだけは毎年買い換えてますが、一太郎は2年前のものを使っています)
しかしワードは、やはり外国人向けのワープロに変更を加えて発展してきたソフトですから、
どこか日本語と相性が悪いことがあると、複数の友人が言ってたんですけど、やはり
そうなんですかね。僕も大昔に使ってみたことがあるんですが、行数と字数の設定では
なく、フォントの級数によって字数が変わってくる設定に戸惑い、ほとんど使いませんで
した(最近のワードは知りませんが)。
少なくとも、ルビをカッコに入れて挿入するというのだけは、やめた方がいいと思います。
文章の流れが止まってしまうと思います。とくにルビが連続して重なったりしたら、
リズムも崩れるし、見た目も読みにくいし、だったらルビ無しで印刷して、
その横に手書きでルビを振った方がずっといいし、手書きだからマイナスになるという
ようなことはないと思います。
(続く)
ちなみに僕の場合は、WZエディターというソフトを使ってがんがん書き(なにしろ軽い
ですし、設定が複雑じゃないので楽なんです)、体裁を整えた印刷をする必要がある
場合には、一太郎で読み込んで印刷という形をとっています。
それにしても茹で饅頭も小判煎餅?も初耳だなあ……「チャノコ」「コビルマ」なんて
のも、まったく聞いたことがありませんでした。ははあ、また暇なときに調べてみます。
ほんとに、世の中知らないことばかりです。こんな狭い日本の中だけでも……
長吉さま
ありがとうございます。ホントいろいろ恐縮です。仰せの通りワードはいろいろ設定が……。
僕らの世代はQ数に慣れていたため、初めてワードをはじめPCの文字を最初に目にした時
はポイントに少々驚きました。
「PCって活版かよぉ。活字尺なんて持ってねえぜ……」という感じで。
一太郎を導入する方向で動いて行きます。
カッコはやめよというご教示も、ありがとうございます。
そうですよね、手書きでふってもいいわけですよね。
とにかくまた書き上げるのが先決なんですが。がんばります。
しかし一太郎も買いたいし、勝海舟全集も欲しいし、徳川実記も欲しいし、甲野善紀さん
のビデオや本も欲しいし、普茶料理、精進料理のビジュアル本なんぞ買うんじゃなかった。
あ、小判型のウドンコ菓子は、どちらかというとスイトンを小判型にして焼いたという物
でした。茹でて → 炙り焼く。ま、ウドン地帯の多摩らしい素朴な粉食ではありました。
国立だか立川に『おこじゅう』なんていう銘菓があります。
「御小中飯」つまり中飯 → ヒルメシの「小」だから、まあ畑仕事の合間に食う「オヤツ」と
いったものでしょう。コビルマ → 小昼間で同様の意味と存じます。
また、チャノコはお茶の子で、やはり「オヤツ」といった意味みたいです。
出典は忘れてしまいましたが、江戸期の西洋人の滞在記かなんかで「チャノコという美味
しいパンが日本にはある」と書いてあったという記述をどこかで見ました。
お茶の子さいさいもこれがルーツとか。
相変わらず、くいもんの話ばかりで重ねて失礼いたしました。
823 :
818:2005/07/03(日) 12:52:26
>>822 さっそく試しました。できました。どうも有り難うございます。
とりいそぎお礼のみにて失礼いたします。
感謝。
なるほど……それでワードでもルビの問題は解決するわけですね。
でも、日本語ではルビって大切なんですから、ワードもマニュアルをもっとわかりやすく
すべきなのではとも思いますが(使ってないのでわからないんですけど)。
ともかく、よけいな出費をしなくてすんだようで、めでたしめでたしであります。
825 :
名無し物書き@推敲中?:2005/07/04(月) 20:35:54
826 :
名無し物書き@推敲中?:2005/07/05(火) 16:57:49
神主になる学校を出てるので、古文書は比較的楽に読めるんですが、資料を
読み込むと、ヒーローになりそうな人物ほど、けっこう、えげつない事やってる
って事がわかって、書く気が無くなります、皆さんは、どんな風にキャラを
造ってますか。
えげつなく造る
>>826 僕は時代小説なんで、架空のヒーローでいいわけですから比較的楽かも
知れません(?)。ただ、史料は後の権力者の都合のいいように書かれることが
多いでしょうから、えげつないことというのが、まったく創作である場合もあるはずで……
たとえば伊達騒動の原田甲斐なんて、山本周五郎が小説で書くまでは、極悪人
であったわけですからね……江戸時代からずうっと。
以前カキコした
>>743 なんぞも見てやってください。
古文書を読みこなせるのはうらやましいですが(僕なんか読む速度が遅くて遅くて……
これでもだいぶ早くなった方ですが……訓練次第だなあと痛感しております)、
その史料の中から何を抽出してくるかが、小説家としての腕の見せどころですよね。
お邪魔します♪ 祭りの宣伝をさせてください。
■□■創作文芸板 アウトロー祭■□■
※開催期間中は、EEライブラリ(B投稿場)に要項、注意事項などを投稿しておきます。
http://gooo.net/~eel/cgi-bin/w_view.cgi?ippannb/1119840938/152 ・投稿期間――7/15(金) 00:01 〜 7/17(日) 23:59〆切り
・簡素期間――7/15(金) 〜 7/24(木) 22:00〆切り (作品数が多い場合は7/26(日)まで延長するかも)
・お題――「アウトロー」 これはアウトロー小説ということではなく、アウトローを扱ったもの。
広義の解釈でけっこうです。「反体制」 「はみ出し者」「異端」のようなものもOK♪
できるだけ多くのかたの参加を期待しています。どうぞよろしくお願いします。
・規定枚数――20〜50枚 。幹事権限で上限に関しては少し緩やかにしたいと思います。
・開催場所――EEのB投稿場=
http://gooo.net/~eel/cgi-bin/write.cgi?ippannb 各作品の得点については幹事が随時経過報告をします。
・参加者は「アウトロー@夏祭り参加作品」と名前欄に記入してください。
【付記】
・「自演投票」はエントリー無効。 →祭りの後、管理人さんに厳正なチェックをお願いします。
・記名でエントリー、開催前、開催中に自作品の情報を漏らした場合もエントリー無効とします。
・投稿枚数の超過は60枚強くらいならば認める方針です。投稿期限も多少の遅れは認めます。
ただし同点の場合は、より規定を順守している作品を優勢勝ちとします。
830 :
名無し物書き@推敲中?:2005/07/06(水) 17:00:58
743?
832 :
名無し物書き@推敲中?:2005/07/06(水) 20:18:59
>>826 なぜ「えげつないこと」をしたのかを考察するのも楽しみですし、また読者の興味でもあるでそう
こんばんやーです。
わわわわ、1000にはまだまだですがスレがもう500KB間近でんな。
ちょっくら新スレ立ててくるです。
ワープロソフトはもっぱら一太郎派ですねー。
会社ではやはりワードなんですが、これが頭悪くてストレス溜まるんで
自分のPCには一太郎をこっそり落としてあります。
MS-DOSの頃は「松」が好きだったんですけど、今なら一太郎ですねえ。
やっぱり日本語を綴るなら日本人が作ったソフトがいいです。
しかしどうもこの、ナンバー2のシェアのものが好きらしい自分です。ああ、判官びいきw
>>826 どのへんの時代の資料ですかねー。
えげつないっつーか、そういう特徴のある人の方がキャラ作りやすい気はします。
えげつない=卑劣じゃなくて、そうせざるを得なかった裏付けを自分なりに見出したりして。
清廉潔白だと何かこう、「自分が書かなくてもいっか」って気にもなりますし。
江戸好き同士だと食い物の話で盛り上がれていいですね。
平安時代の食は貧しくてつまらんです。
茶の子のウンチク、なるほどでした。
「砂糖醤油」とありますが、昔も砂糖醤油なんてあったんでしょうかね。
江戸時代は砂糖は貴重品ではなかったのかしらん。
>>平安後期どの。
まったくもう……いっぺんに4つも書き込んだからって、閑古鳥が啼いていたことの
埋め合わせにはなりやせんぜい?ふふふ……
「松」……なつかしいですね。あったあった、僕はあまり使わなかったですが、会社員
時代の先輩に、ちょこちょこ打たせてもらったことがあります。当時としては画期的だった
ような気がしますねえ。すっかり忘れていたのでなつかしかったです。
IMEソフトで言えば、当時は、VZエディターに搭載されていたVJEだの優秀なソフトが
いくつかありましたが、いまではATOKしかない状態ですねえ。これが滅んでしまうと、
MS−IMEだけになってしまうので、お金のあるときには、なるべくジャストシステムの製品
を買うようにしている次第です。
日本語の変換としては、ずっと使いやすいと思うんだけどなあ。
まあ、もしATOKが滅んだら、一太郎や各種エディターソフトで、MS−IMEを使うという
選択肢もありますが……きっと親指シフトは特殊なプログラムをダウンロードしないと
使えなくなるでしょうから、それが面倒です(僕は親指シフト入力がいちばん書きやすい
んです。ローマ字変換によるストレスがないので……)。
それはさておき、ここを埋めてからにしませんか?
資源を大事に?の時代ですから。
>>832どの。たしかにそうですよね。えげつないことの掘り起こしもまた、歴史小説を
格上での醍醐味となりますよね。
>>837 すんません。新スレ立てたから許してくだんせw
VJE、ありましたねー。
今はATOKかMS-IMEしか選択肢がないような時代ですが
ホント漢字変換はこの2つじゃ雲泥の差ですよね。
あっしは小説書く時はATOK、2chのレスにはMS-IMEと使い分けてます。
ATOKに「ヴォケ」「〜じゃね?」なんてのを学習させたくなくて。←なら言うな。
そうですか。じゃ、次の書き込みは新スレにすればいいのかな。
いや、あと10KBくらいはここで話せますですよ。あと何レスかなあ。
842 :
名無し物書き@推敲中?:2005/07/07(木) 22:29:30
微力ながら……
このスレ好きです的記念カキコ
先日、大枚(?)をはたいて買った「江戸東京散歩」という切り絵図集(人文社)。
実は以前から持っていたのですが、さらに1冊書い足したんです。
というのは、ご存じのように江戸時代の地図というのは、あくまでお城を中心に
描かれているので、地図によって東西南北がばらばらなんです。ですからなかなか
位置関係が頭に入らず、いつもページをめくっては首っ引きで道をたどっていました。
で、いい加減むしゃくしゃしてきたので、地図部分を切り離し、東西南北をそろえた
上で、一枚の絵図に貼り直してしまおうという計画です。
「そんなもん、一枚絵図を買えばいいじゃないか」
という声が聞こえてきそうですが、一枚絵図というのは字が読みにくいものが多いのと、
「江戸東京散歩」は、裏側に現代地図が対比してあって、古地図と見比べられる
仕組みになってるんですよね。
ですからこれを二組作り、大きく広げて、両方を参照しながら見ていこうという計画。
もちろん一枚一枚の縮尺がてんで違うんで、きちんと繋げられるわけがないんですが、
とにかく「方角だけは一致させたい」というのが心からの願いなんで……。
人文社さん、もうちょっと突っ込んだ編集をして、普通の市街道路地図帳みたいな
体裁から、江戸の地図を再構成していただけませんか……縮尺も統一して。
ちょっと高くても、買う人は多いと思いますよ。
あと、嘉永・慶応だけじゃなく、元禄時代の地図も、同じような切り絵図として
出版してくれませんかねえ……江戸東京博物館で買った元禄の大地図、でかい
だけで、虫眼鏡使っても字が読みにくいでやんす。
(以上は人文社さんのホームページにも書き込むつもりですが……)
ワードがぶっ壊れたというか、全然開かなくなってしまいますた。
他のアプリケィションにはなんら問題は発生していません。
ま、ワードソフトというより、私のPCの一部がぶっ壊れたんだと思います。
いよいよ機械を買い換えて一太郎かな……という近況報告です。
これでまた原稿書きが滞るです。
追伸
・近所の畑@多摩地区で布目瓦を拾いました。奈良?平安?
・友達にラーメンを奢ったら(……いい年こいて高校生じゃあるめえに)、おまえこんなの
好きだろうと、かなり磨耗した、幽かに文字の読み取れる永楽の銀銭を貰いました。
ワード直りますた。単純な自分の操作ミスで開かなかったみたいス。
バシッ!バシッ!(自分の頭を叩く音)ハズカシ。
やはり、甲州街道を走るアベベを実見した世代には、根本的に電脳とは相性が悪いのかもしれません。
あー、仕事終わったら、また書き始めますです。
アベベ、懐かしい〜。世界記録を出した後に余裕で柔軟体操なんかやってて、
「マラソンは、ぜえぜえしながら走るもの」というイメージを根本から覆した人でつ。
847 :
名無し物書き@推敲中?:2005/07/08(金) 13:51:27
>>845 アベベはともかくとして、ワードよりオープンオフィスを使ったら?
>>844 しかし、いいところにお住まいのようですねえ。
歴史的にも、グルメ的にも(^_^;)。
あっしもいろんなところへ引っ越しを繰り返して来ましたが、やはりその土地に住むと、
当然ながらその土地に興味を持ち、なおかつ一般書店では売られてないような本とか、
現地に行ってみなければわからないような史実とか伝説とかがあって、興味が尽きません
ね。
引っ越し貧乏をしてしまいましたが、そういう意味ではけっこう楽しめたかなと思ってます。
女房はぶんむくれですが。
アべべ、あっしも両親に連れられて代々木まで見にいきましたが、
「あれがアベベよ」
と抱っこをされて言われたような記憶があるのですが、ほとんど覚えていません……
それから、ちょっと心配なのですが、アンチウイルスソフトだの、インターネットセキュリティ
ソフトだの入れておられますか? けっこう怖いですよ。いきなりわけのわからない状態
になることがあります。
それと、老婆心ながら、その日書いたものは、必ずフロッピーディスクに上書きして保存
しておくことと、できれば外付けの(USBで十分です)ハードディスクに、自動的に保存
するようなシステムを構築しておいた方がいいですよ。
なんどもやりましたから。数十ページ、百数十ページ分消失してしまうような事故を……
あれは完全にやる気なくなりますぜ。
あと雷鳴が聞こえたら、即座に保存してパソコンの電源を切り、インターネットに接続
しているモデムやらなんやらのコンセントもはずす……万全の注意をしておかないと、
ある日取り返しのつかない事態に陥りますんで。小心者というぐらいの方がよござんすよ。
あっしも、保存してたFDが
ある日いきなり読み込み不能になったことがござんすよ。
数十枚がオシャカ。あれは本当に凹みますね。
ぁゃιぃサイトは行かないのでウィルスはまず問題ないですが
ブラクラ踏んだ時は焦りましたねえ。
ウィンドウが突然何枚も開いて増加の一途。
うわわわわ、これがブラクラというものかとある意味感動もしたりしてw
皆さんも、2chで貼られるリンクはうかつに踏まない方がよござんす。
>>843 地図はきれいにしておきたくもあり、
線やメモをいっぱい書きこんで思い切り汚したくもあり、悩むところですな。
850 :
名無し物書き@推敲中?:2005/07/09(土) 02:02:36
>>849 私の場合、基本的にネット用PCと執筆用PCを2つ所持しています。
みなさんいろいろアドバイスを有難うございます。
>>848 セキュリティ関係はちゃんとしています。
あと、私も以前、大量の原稿(小説ではないですが)をパーにしてしまった経験がある
のでバックアップは毎回とっています。
フロッピーは確かに読み取り不可能になることがままあり、怖いですね。
そうですね。フロッピーも恐い。
だからこそあっしは、外付けのハードディスクをとりつけて、二重のバックアップ体勢を
とっているんです。1万7千いくらかしましたが、大クラッシュのショックを考えると、
安い物だなと……しかしいつかは、手書きの原稿に変えたいなと思ってるんですけどね。
平安後期どの。
僕はふだん使う辞書と、小説に使う辞書その他を同じATOKの中で分けて使ってるんですが、
辞書の切り替えにクリックを数回しなければなりません。やはりIMEを分けちゃった方が
かえって楽でしょうかね?
二ヶ月続いた仕事がようやく終わったので、またご褒美に伊豆の温泉にでも行ってきます。
お金ないから1泊が限度ですが、こうしたことがないと、ストレス大爆発!しちゃうんで、
これも必要経費かなと(^◇^;)。
いつか子供たちが独立したら、ノートパソコンと必要な資料、辞書類をRVに積んで、
北から南までゆっくりと旅をし、小説を書きながら年をとっていって、気に入った土地を
見つけてそこで終焉を迎えたいという夢、本気で実現を考え始めました。
そのために、年金だの保険だのをソニー保険の営業と話し合ったりして、具体的に
事を進めていこうとおもっています。実行はまだ10年以上先のことですが。
海外にも行きたいところはたくさんあるのですが、この日本の国を、くまなくのぞいてみたい
という欲求の方が強いみたいです。京都と奈良、琵琶湖のまわりは数年ずつ住んで
みたいですが、最後はやはり、瀬戸内海とか、温暖なところかなあ……いつの間にか
その土地その土地で仕入れた史料が膨らんで、コンボイみたいな大トラックを買ってたり
して……夢は野山を駆けめぐっております。
あっしのやり方だとクリック2回で辞書切り替えなので(キーボードマーク→選択)
クリック数回するなら、辞書自体を使い分けた方が楽かもしれませんな。
でもATOKとMS-IMEでは漢字の変換効率がかなり違うので、
それなりにストレスもたまりますが。MS-IMEは外人さんですからの。
小説を書きながらの旅、いいですねえ。
物書きってのは、ノートPCひとつあればどこへ行っても仕事が出来るというところがいいですね。
まあ実際にそんなのは理想の理想でしょうけど。
あっしは会社でせっせと厚生年金かけながら、二足のわらじ履くのが夢だす。
個人年金も、定年後に年200万受給できるくらいで掛けてます。
今の本職が会計畑なので、金にはうるさいですw
854 :
名無し物書き@推敲中?:2005/07/14(木) 00:28:34
月影兵庫で焼津の半次やってた品川隆二元気かな。
855 :
名無し物書き@推敲中?:2005/07/14(木) 03:16:29
わあ、品川隆二、生きてたのかあ……感激! 近衛十四郎が亡くなって久しいから、
もうとっくに、と思っておりました。
いいなあ、さすがは京都、時代劇に関するイベントって多いんですねえ。うらやましい。
またCSに入って、東映チャンネルとか見ようかなあ……
CSいいですよー。
現行の義経はもう呆れ果てて見てませんが
太平記の再放送は毎週ワクワクして見てます。
けれど、ちまたでは、義経、けっこう評判いいですよね……。
僕も、去年の武蔵よりは数倍いいと思ってるんですが、やはりその時代を専門に
勉強している方にとっては、あまりにもひどいと思われることも多いんだなと思います。
それは理解できるのですが、一方で、常に日本史の一部分に光を当ててくれている
NHKというのも、玉石混淆ということを前提にした上では、全国津々浦々の人々に、
大いなる刺激を与えてくれる貴重な存在なのかなと……だれもそうしたものを読まない、
見ないであったら、時代小説・歴史小説は、十数年、二十数年後には読者がおらず
駄目になっちゃうと思うので……必要悪(って言い方も可笑しいですよね)気がしてますです。
859 :
名無し物書き@推敲中?:2005/07/14(木) 23:36:52
たまには「新選組!」も思い出してください・・・・
大河ドラマで歴史を勉強する人もいると思うので
やっぱり最低限のことは押さえておいてほしいなあ、、、と思うですよ。
それに何でもナレーションですまそうとする演出が、もう噴飯もので。
そこで我が身を省みて、説明するな描写しろ、と。>自分
>>859 うはは。
あっしも「あれ?去年って武蔵だっけ?」と思ったですが
すっかり「組!」の存在は忘れてましたw
862 :
名無し物書き@推敲中?:2005/07/15(金) 14:33:13
>>861 来年正月の「組!」後編も見てくださいな。
いやあ、ジャニ大河はもうお腹いっぱいです。
って、まだ書けますかね。
864 :
名無し物書き@推敲中?:
役者の所属事務所じゃなく、内容をみてください! 京都に行ってからはすごいです!
とか?書けるか実験します、