【最強】南郷継正と玄和会32【アンチお断り】

このエントリーをはてなブックマークに追加
206名無しさん@一本勝ち
>>190
>そのアンチだってまともに南郷理論を検証しようとしてるわけでもなく、コピペ返しとか罵倒しか出来ていない。

その考えは間違っている。それはカルト信者の勝手な考えであって、おまえみたいに批判を荒らしと捏造するからサイコパス南郷と信者が増長するのだ。

玄和批判は具体的な南郷の記述、言動、行動を挙げ、これを批判し検証している。
信者がこれに対して論理的に反論し議論する事が南郷理論を検証となるはずだが、これを全くしないどころか
筋違いの罵倒、誹謗中傷しかしないからコピペ返しで簡単に論破されてしまう。
再三指摘され続けている事だが。

中傷内容が、本来玄和に向けられるべきモノでしかないのだから当然であろう。
南郷の行為が『天に唾する』行為だからこそ、自身に降りかかってくるのである。

>そんなものに抵抗するのは時間の無駄だ。読むのも無駄。すくなくとも俺はそう評価している。

前記のように、当然の批判にまともに反論できない自身を棚に上げ、その事実をゴマカシているに過ぎない。
南郷・玄和の『天に唾する』行為の批判を罵倒で正当化しよう等という行為こそが『抵抗するのは時間の無駄』『読むのも無駄』なのだ。

本質的な南郷・玄和の破綻や詐称から逃げ回る限り、このような信者の『語るに落ちる』現象は繰り返される。
『天に唾する』行為は自身に降りかかってくるのは当然のことであり、批判はただそれを目に見える形に表しているに過ぎない。
207名無しさん@一本勝ち:2009/06/03(水) 17:48:16 ID:tXUKu6zE0
>>200
>本当に人に嫌われるには絶好の処方箋だな

青雲ブログくらい突き抜ければ人に好かれるようだが?
「珍獣」としてだけどね(w

玄和が社会からパージされるのも当然ということかな(w
208名無しさん@一本勝ち:2009/06/03(水) 17:49:20 ID:tXUKu6zE0
どうも玄和は>>190や>>193->>194のようにイケシャアシャアと玄和のやってきたデタラメや、信者がまともな反論をせず罵倒中傷しかしてこなかった
事実をしらばっくれて、したり顔で通す卑劣なやり方を常套手段としているらしい。

こういう腐れ外道共に自身の行いをしらばっくれられないように、玄和の事実を>>37-46のようにテンプレ化して、
玄和スレで適時コピペするのが良さそうだ。

本当に出鱈目で歪んで腐りきった玄和の人間性から逃れられないようにしておこう(w
209名無しさん@一本勝ち:2009/06/03(水) 17:50:54 ID:tXUKu6zE0
◆『武道の科学』南郷継正 p221
人格を磨こうとする心をもたぬ集団であるだけに、観客に己れたちがどう映るのかの反省もなく、
ガマ油をとられるガマ蛙が己の醜さに脂汗を流すといったレベルほどの反省もない状態で、
イケシャアシャアと他人の前で醜技で踊っている様は、まるで餓鬼の盆踊りである。
◆引用終わり

◆『青雲ブログ』より(http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou
「彼の文章を載せるのもわれわれ武道を培った風土が『支那のブタ』どもに蹂躙された
過程とともに、支那の卑劣さ醜悪さを見抜けなかったばかりか日本を裏切った者
どもがいた、その一端を見据えておこうという意図があってのことである。」

「露助は人にあらず」
◆引用終わり

他にも山のように南郷の「つねに世間や他人を攻撃・征服しなければやっていられない、「魂の奇形者」の証拠」を、
随時ゴミ捨て場からの回収コレクションから発掘してテンプレ化してやろう(w
210○南郷は空手ド素人!:2009/06/03(水) 17:52:19 ID:tXUKu6zE0
飛翔隊 取立戦 パンフレットより(玄翔8年6月2日)
『日本に空手を伝えた船越義珍は沖縄では空手の白帯であったのに、
 本土ではそれが大先生になってしまったという事実がそれである。』
<南郷継正師範講義概略より>

空手の帯や段級、道着は、その船越義珍が日本での空手普及にあたり講道館
柔道を参考に導入したものなんですが?
つまり船越義珍が沖縄で空手をやっていたときは、そもそも『白帯』自体が
存在していない(苦笑)
事実が存在しないのに、大威張りで『事実がそれである』???

この点から見ても、

・南郷は空手を全く知らない。まともに空手をやった事は無い。未経験同然
のド素人。どう考えても「空手の指導者」名乗る資格が無いほど無知蒙昧。

・南郷の断言する『事実』はかなりの割合で嘘、虚偽、デッチ上げであり、
この虚偽の事実に基づいた理論派前提からして崩壊した妄想論。

という『事実がそれである』。

こんなイカサマ師の「空手(笑)」を習いましたと言っている諸君は・・・
お気の毒。
211○こんなに馬鹿な南郷継正 その1:2009/06/03(水) 17:53:24 ID:tXUKu6zE0
<機関誌 玄和14号 P140〜>
『一、内範置の目的
内範置の型の特色を一言で述べれば、〈足腰〉そのものの鍛練にある。
別言すれば、型本来のあり方としてより、むしろ型の方法を借りて足腰の鍛練を実現せんとするものである。』

なんじゃそら?と。
首里手の最も基本にして実戦型といわれるナイハンチも単なる足腰の鍛錬だそうですよ。
のっけから空手の冒涜から始まる型の珍説全開w

『もともと内範直の型は、田んぼのあぜ道での闘いを主体に創られた型とされており、カニの横ばい的動きの中での技の修練として現実的な意義を持ち、それなりに効用を発揮した過去を持つものであるが、
あぜ道での闘いがほとんど現実性を持たなくなるに従い、』

「あぜ道での闘い」なんて最初から現実性なんか無ぇだろw
田んぼのあぜ道限定でわざわざ型を創ったという発想がおかしいと思わないんだろうか?沖縄全土総あぜ道かとw
そもそも空手は昔は士族しかできなかったのに、なんで田んぼのあぜ道が主戦場???
あぜ道たって横にならないと通れないわけじゃない。現に玄和ですら内範直の対手練習では、対手は正面を向いて攻撃してくる設定なのにな。
徹底的に破綻しまくってるw

国会図書館で全ての空手の本を研究したという割には一部の俗説を丸飲みして論理的反省皆無なのが南郷らしいw
「武道の理論化」なんて唱いながらこのお粗末な論理能力は一体何でしょうなw
いかめしい文体は上っ面のみで、トンチンカンなトンデモ論を学問用語だけ拝借して、まぶしてみましたという中身しかない。
素人空手講釈もたいがいにしておけと言いたくもなる。

こんな阿保な話を何年も(下手したら何十年も?)疑問に思わず信仰している信者の脳味噌は・・・
お気の毒。
212○こんなに馬鹿な南郷継正 その2:2009/06/03(水) 17:54:48 ID:tXUKu6zE0
<機関誌 玄和14号 P140〜 「内範置の目的」>
『かつ本来の流派から離れて技本位たる流派の手にかかって脚色されるに従い、その目的から次第に、
足腰の鍛練を目的とする型に転生してしまったのである。』

ナイハンチは首里手全般で(泊手も)広く基本とされているわけだが、南郷のいう「本来の流派」とは一体何処だ?w
大きく脚色されたといわれるのは南郷が「白帯」とトンデモ発言をした船越義珍。
それも本土で大学生を教える時に大きく変化している。それが「技本位たる流派」??「次第に転生した」???
歴史認識も間違いというよりデッチ上げというレベル。

あまりにもデタラメ過ぎて南郷が全ての流派の型を研究した等という話すらがハッキリ言って疑わしい。
お得意の『夢講義』だったのだろうかw

しかも玄和のナイハンチは玄制流の内範置と松濤館の鉄騎(ナイハンチ)が混ぜられている。
213○こんなに馬鹿な南郷継正 その3:2009/06/03(水) 17:56:35 ID:tXUKu6zE0
『型は、そもそも名人・達人が已が長い闘いと修業の中で鍛えあげた得意技を、彼らの闘いの"思想"に基づき構成し
練り上げながら創造したものである。
従って、彼らにとっての〈型〉とは己が観念上では闘いそのものであり、また型による技の修練は直接自己の未来の
闘いそのものと結びついていたのである。』

「名人・達人が已が長い闘いと修業の中で鍛えあげた得意技」であるはずの重要な型を、意味不明な「時代の変化」を口実に
あまりにも安易に足腰の鍛錬程度に貶めたというのである。
とても正気の沙汰とは思えない。こんな『武道家』がいていいわけがない。
「型は名人・達人が已が長い闘いと修業の中で鍛えあげた得意技」と南郷はお題目で唱えてはいるが、中身は全く分かって
いなかったという事がこの点からも明確である。自己流武道の弊害がこのように現象するのである。

しかも、「名人・達人が已が長い闘いと修業の中で鍛えあげた得意技」をアッサリと足腰の鍛錬とやらで捨てておいて
「誰もが達人になりうる理論を確立!」と喧伝したのだから、もはや異常者の認識と言うべき内容である。
修業もマトモにしなかったド素人が、型だの名人達人の得意技だの言葉だけを弄んでいる様が誰の目にも明らかだろう。

まして後年、南郷は足腰の鍛錬という主眼の幾多の珍トレを開発(笑)しているのだから、足腰の鍛錬という玄和内範置の意義
すら失ったという事なのだろう。
もう空手を騙らず珍トレ道にしておけばいいのである。
214○こんなに馬鹿な南郷継正 その4:2009/06/03(水) 17:57:47 ID:tXUKu6zE0
<機関誌 玄和14号 P140〜 「内範置の目的」>
『型がこのような存在であった過去をふまえれば、われわれが型の演武において『自らの観念内に於ける現実的な勝負」
(『空手道綱要』25ぺージ)をしなければならないことを何としても納得してもらわねばならないのである。』

前段で「名人・達人が已が長い闘いと修業の中で鍛えあげた得意技を」と述べているのに、その過去を踏まえた挙げ句が
「観念内(だけ)に於ける現実的な勝負」になるそうだ。

おいおい、『名人・達人の得意技』は一体どこへ行ってしまったんだ?w
なんという論理の飛躍。南郷という御仁は論理的な思考が無理なお脳であるようだ。
こんなトンチンカンな論に納得などしてしまうから、梅雨君ら信者の脳はゴミだらけといった有様なのだろう。

『この型の意義を知っての訓練が、有段者レベルの型練習の究極目的たる"勝負心の養成"ヘとつながる第一歩である。
かかる点をふまえた本質レベルは、内範置の型とて例外ではないのである。』

要するに玄和では実体技は現実性の無い「足腰鍛錬」であるのに、認識だけ"勝負心の養成"なのだそうだ。
型の意義が"勝負心の養成"というのも奇天烈だが、玄和の体系というのは根本から実体技抜きの『夢講義』が本質らしい。
「技が無くとも心は育つ」とでも言いたいのだろうか。

全くハチャメチャな武道があったものだ。
215○こんなに馬鹿な南郷継正 その5:2009/06/03(水) 17:59:09 ID:tXUKu6zE0
『が、しかし、内範置の型の場合には、闘いに結びつく直接的な〈技〉の鍛練という面が時代の変化に従い薄れてしまっており
、にも拘わらず他流では、相も変わらず技の修業として実践されている有様である。
しかし、武道の理論をヘまえた我が流派では足腰の鍛練というこの型にふさわしい構造の発見を通して型の目的を実現するもの
となったのである。
騎馬立とも呼ばれる内範置は、このような目的の変化につれ、現在のように幅の広いがっちりとした立ち方に変わっていっ
たのでありその点ではかっての型の立ち方の面影は全く残つていないといえよう。』

前述の通り「幅の広いがっちりとした立ち方に変わった」のは本土普及用の空手だけであり、本来のナイハンチを
維持していた流派も当然あったわけだ。
にも関わらず、『型は、そもそも名人・達人が已が長い闘いと修業の中で鍛えあげた得意技』と型の重要性、有効性を説きながら、
不思議な事に本来の型に立ち戻ろうとすらせず、何故か学生のための普及用の型を全肯定してしまっている。

さらに、あろうことか本来の『名人・達人の得意技』として、極めて本来の正統な修練をしている流派を、
自身のデタラメ鍛錬論法を以て、なじりさえする理不尽さは凄まじい。

論文としてもここまで論の帰結が破綻した文はなかなかお目に掛かれないトンチンカンぶりであろう。
こんな低レベルな論理能力の『残念な(自称)空手家』を師としてしまった諸君には、本当にお気の毒としか言いようがない。

改めてお悔やみ申し上げる次第である。
216○こんなに馬鹿な南郷継正 その6:2009/06/03(水) 18:00:42 ID:tXUKu6zE0
<機関誌 玄和14号 P140〜 「内範置の目的」>
『が、しかし、内範置の型の場合には、闘いに結びつく直接的な〈技〉の鍛練という面が時代の変化に従い薄れてしまっており、』

「名人・達人が已が長い闘いと修業の中で鍛えあげた得意技」が時代の変化で薄れてしまったという発想が素晴らしくトンデモだ。
 その根拠がが『あぜ道の戦いが現実的で無くなったから』という気が狂っているとしか思えない理由なのだから愕然とする。
しかも士族の空手である首里手の基本中の基本、ナイハンチが田んぼのあぜ道専用というのだから、
南郷の空手ド素人の動かぬ証拠と言える珍説である。

そもそも「あぜ道でしか成立しない名人・達人技!」とは一体いかなるものだろうか?(苦笑)
そんな珍妙奇天烈な武道の技があるというなら、是非南郷君に実演していただきたいものだ。
この南郷という男の頭の中は、どれだけ生ゴミが詰まっているのだろう。

「もう実戦などは平和な社会では必要ないから、空手は体操として行うべき時代だ。」というなら、まだ筋は通る。
だが、玄和は相変わらず『命がけの勝負』等を掲げているのだから全く辻褄が合わない。

信者が本気でこんな馬鹿げた話になんの疑問も持たないとしたら、薬物中毒と同じレベルで論理的思考力が欠落しているという事になる。
南郷理論というカルト思想がどれだけ人の精神を蝕むものか、この事実と信者の無様な狼狽ぶりを見ても明らかだろう。