871 :
川村景信:2008/07/13(日) 02:11:03 ID:9AY5kfb20
>>869 ◆ap5M8aZ8yI様
御返事ありがとうございます。
まずお願いしたいことが二件あります。
一つは、私の管理コミュニティに参加して頂きたいたいと思います。
氏について詮索もしません。
他の参加者も詮索は嫌っておりますので大丈夫かと思います。
強制はしませんが、出切れば良い返事を期待しております。
そしてもう一つ、過去に鳩氏が
>>776で投稿した内容について、
そのソースが分かり次第教えて頂けたら幸甚です。
話しておきたいこと、とは以下に述べる内容です。
氏が提示した資料は私にとって喉から手が出るほど欲しい「情報」になります。
以下の内容は私も流儀に関わることなので、
核心に触れる場合はメールを使って遣り取りしたいしたいと思います。
信州系資料には天明六年に、大矢弥五兵衛尉師が瀧澤武太夫師に発行した
『居合根元之序』が存在します。
この伝書には含まれない内容で、
英信流下村派の『居合根元之巻』には以下の記述があります。
↓
貴賎尊卑を以って隔て無く、
前後の輩を謂はず。
其の所作に達せば
目録印可等を許すに相違なし。
↑
872 :
川村景信:2008/07/13(日) 02:12:16 ID:9AY5kfb20
>>続き
これを補う形で、この様な話があります。
↓
当流七代目には上級武士であった弟子と、
貧乏浪人で世間から「偏屈」と噂されるほどの変わり者であった弟子がいた。
兄弟子であった上級武士は弟弟子を嘲笑し、
周りも上級武士の弟子が跡目を継ぐと思っていた。
しかし、七代目は貧乏浪人の弟子を選びこの言葉を残したと伝えられる。
↑
当流の伝書では、
↓
此の居合と申すは大森六郎左衛門之流也。
英信流と格段意味相違無き故に話して後に守攻翁是を入れ候。
六郎左衛門は守攻先生の剣術の師也。
↑
とあり、前述の話は「荒井勢哲師の師」とだけ伝えられていました。
873 :
川村景信:2008/07/13(日) 02:13:15 ID:9AY5kfb20
>>続き
それ故、「英信流と格段意味相違無き故に」というところから、
大森師の師=長谷川英信師=荒井勢哲師の師
と思われてきました。
実際には長谷川英信師が居合術を伝えた根拠は無く、
もしかすると『別の師』から伝えられたのではないかと考えられます。
この『別の師』こそが鳩氏が書いた「田宮某」ではないかと推測します。
※鳩氏以外、この話のソースは伏せさせて頂きます。
内容も多少イジッておりますので、このままでは使えない情報です。
【追記】
コミュニティ参加者から、捨てアカウントでの参加は許可しないとの旨承りました。
参加希望者は自分のアカウントを以って参加要請してください。
当コミュニティは相当内容を濃くしています。
ここで述べているのは一般に流布する資料でしか述べておりません。
874 :
川村景信:2008/07/13(日) 10:44:51 ID:F+jt9D6i0
>>八郎様
研究仲間から横槍が飛びました。
長野の家人で師事した一宮左太夫が長尺刀を差したのは周知の事実である。
孫四郎には井伊家寄食の記述もあり、大森流の切紙には連名がされている。
とすれば当然、同時期に師事したと考えるのが筋だ。
なれば孫四郎が長尺刀を差したと考えるのに不自然は無い。
記述が無いと言っても、孫四郎は確認されている以上に変名が考えられる。
藩庁文書だけで安易に結論を出そうとするのは無理。
尾州と紀州の文献まだ見てないので、
もう一回、民弥権右衛門師について洗い直してみたいと思います。
まだ他にも権右衛門師らしき記述が散見しているそうです。
875 :
八郎:2008/07/13(日) 11:23:39 ID:mZiUcqMD0
なるほど、古語曰、貴賎尊卑無隔謂前後輩にはそういう意味が有ったんっすね。
今まで読み飛ばしていました・・・orz
>田宮師がキーパーソンだったと思います。
オイラもそう思います、無楽斎自身が田宮流or林崎を称していましたし。
個人的な興味で猛将長野の兵法に興味があっただけですので
民弥つながりで少し振ってみました。すんません。
ところで
>>863の上泉孫次郎伝の新陰流目録とは利方の討太刀目録でしょうか?
連也兄弟は父の面前で孫四郎方から直接燕飛を学んだと利方が晩年書き残しているそうです。
>>874川村氏
あ、すいません。打ち込んでる間にレスが入っていたんですね。
打ち込みがメチャクチャ遅いもので(笑
大森流切紙の連名と一宮左太夫が長野家人だったことについては初めて知りました。
良いお仲間をお持ちですね。
孫四郎の変名は晩年の民弥しか知りません。母はたしか北条家でしたね。
無楽斎の変名については匂坂、浜川などではないかと言われています(2ちゃん情報w)
877 :
川村景信:2008/07/13(日) 12:14:47 ID:F+jt9D6i0
>>八郎様
>なるほど、古語曰、貴賎尊卑無隔謂前後輩にはそういう意味が有ったんっすね。
同じ英信流を名乗っても、「伝書も発行しない・意味も教えない・謂われも言えない」
では本流とは言えないと思います。
私は現在、「目録」に相当する伝書まで発行されていますが、
“師匠(師家)”には死んでもなりませんd(^^*)
勿論、稽古会・研究会でも絶対に教えないです(今回は鳩氏と情報交換のために止む無くです)。
>ところで
>>863の上泉孫次郎伝の新陰流目録とは利方の討太刀目録でしょうか?
>連也兄弟は父の面前で孫四郎方から直接燕飛を学んだと利方が晩年書き残しているそうです。
恥ずかしながらこの話は知りませんでした。
尾張藩には上泉権右衛門師を祖とする影流の系統及び伝書があったと言います。
また、他藩から新陰流を学びに尾張に来た剣士も、上泉権右衛門師から発行された目録を持ち帰っています。
上泉家の資料には、上泉氏に従い長野師が放浪したという記述があるそうです。
とすれば、権右衛門師を預けたこと、一宮師が追従したこと、なども納得がいきます。
その流れで羽州米沢領や会津領に逗留したことから、
居合術の師家を乞われて長野師は一宮師を米沢領においたのかもしれません。
このことは、諸田氏の『剣聖上泉信綱詳伝』今村氏の『史料 柳生新陰流』に記載されているようですし、改めて見直してみたいですね。
878 :
8郎:2008/07/13(日) 18:10:03 ID:mZiUcqMD0
なるほど、権右衛門が独自に影流目録を発行していたのは知りませんでした。
現在でも尾張新陰で影流との比較用法が伝わっているのはこのためかもしれませんね。
利方、連也への燕飛伝授については柳生厳長先生の本に少し書かれています。
ところで英信の太刀打位が影流を冠してると耳にしますがこの権右衛門の系統でしょうか?
たしかに大森流や太刀打位には新陰や神道流に似た構えが少し有りますね。
例えば受流(流刀)での刀を脛に取る動作とかね。ちょっと珍しい構えです。
自分は小栗→朝比奈ラインかな?と思っていたのですが大森六郎からでしょうか?
2ちゃんでもさしさわりが無かったらご意見下さい。
>川村さん
ちょっと訂正がありました。
資料を確認した所、田宮某についての史料は「朝陽館漫筆」のようです。
手元に資料が無い状態で書き込んでいたので間違いました。
わたしが読んだ資料と言うのは、無双直伝流の研究者、南山大学教授榎本鐘司の論文
「北信濃における無双直伝流の伝承について」(双と伝は字体が違いますが)
です。
詳しくは、原典にあたるか、榎本教授に直接尋ねるかするのがよろしいかとおもいます。
とりあえずこちらから川村様にmixiメッセでもお送りしますので少々お待ちください。
880 :
川村景信:2008/07/14(月) 12:40:00 ID:Uc9XuvY80
>>879◆ap5M8aZ8yI様
丁寧な御返事ありがとうございます。
以後は二人だけの御話とします。
881 :
川村景信:2008/07/14(月) 16:28:23 ID:Uc9XuvY80
882 :
8郎:2008/07/14(月) 23:13:40 ID:b9NUT8bW0
おっ。それはありがたい話ですね。強引にでも「何か」思い出していただきましょう(w
オイラはたいした資料を持っていませんけど参加させてもらえればありがたいです。
いや、その前にミクシイに入らねば・・・(笑
竜馬堂は以前水野柳滴斎を調べたさいに読んだ覚えが有ります。
これを読んだ限りでは朝比奈時代は居合いは水野流居合やわらだった事になります。
そこで疑問なのですが「尾府御家中武芸はしり廻り」に
長尺刀の寸を縮めた居相の改革者として小関口流鈴木才三郎門下の
『水野作兵衛正勝』なる人物が出てきます。
当時はかなり有名な柔の師範だったようです。
山田次郎吉も剣道史に「水野柳滴斎関係者・・・かなぁ?」と書いていますが
この人って何者かご存知しょうか?
883 :
川村景信:2008/07/14(月) 23:16:11 ID:YqEgcb950
>>八郎様
今までこんな素頓狂な考えをしなかったのですが、
他の方に分からないニュアンスで私の仮説を書いておきます。
孫四郎師の後年の苗字は母方のでしたよね。しかも北条家の「重臣」だったでしょう。
この姓ですが、現時点まで日本に存在したとは確認はされていません。
本当に盲点でした。
何かのついでにでも、日本姓氏辞典など引かれると分かると思います。
さて、当時の北条家で、そもそもこんな「苗字」は多くなかったと思いますよ。d(^^*)
下手したら神格物ですからね。
そういえば、土佐の細川家が島村姓を名乗ったのは上司に「細川」という人物がいたからですよね。
或いは「富田」流を弟子の代で「冨田」とか「戸田」なんて書くこともありましたね。
ということは…。。。
そういう訳で、私の紀州藩資料検索のテーマは北条家でこの姓を名乗った人物と、
上泉家の姻戚事実がなかったかということです。
そう考えると、私が鳩氏に「どんな」資料の提示をお願いしたのか、
分かると思います。
それと、これは
>>878で聞かれたことに対する答えの一つでもあります。
裏付資料はmixiでしか公開しませんけどね。
八郎氏には私が述べたことがどれだけ「吹っ飛んで」いるか分かっていただけると思います。
884 :
川村景信:2008/07/14(月) 23:29:59 ID:YqEgcb950
>>882 八郎様
存じ上げません。
というか、今資料の殆どを上司に貸してるもので。
和田流の伝書も一緒に渡したので手元にないです。スイマセン。
関連はあると思います。別名だったり、弟君だったり色々考えられますね。
資料がないことにはなんともいえませんけど。
ちなみに私の上司は「軍学」や「築城」を主に研究しています。
「無外流兵法譚」の[水戸藩系田宮流の一考察]待つしかないんじゃないですかね。
あちらは「専門家」な訳ですから(笑)。
885 :
八郎:2008/07/14(月) 23:54:19 ID:b9NUT8bW0
>883
なるほど外他一刀斎みたいなもんですな。
・・・と、さらに飛躍させる。
886 :
川村景信:2008/07/15(火) 00:26:58 ID:mKLRSmY90
>>各位
大体の目的を果たしたので私は以後、このスレッドから退去させて頂きます。
さて、「天狗古爺洞blog」の足跡増を三日間の平均で見たところ、
23〜26人の方がこのスレッドに興味を持たれているようですね。
うち、当コミュニティへの参加者増は見込みも入れて3人でしたのでまずまずの成果でした。
スレッドは見ているので呼べば来ますが、
私がお話したく無くなる様な、礼儀も知らないような方の相手はしません。
ご了承の程、宜しくお願いします。
何でそんなに偉そうなの?
888 :
川村景信:2008/07/15(火) 03:28:56 ID:mKLRSmY90
>>887様
私、礼を尽くしたつもりでしたが「まだ」足りなかったでしょうか。
これまで私は諸兄の質問に対し、敬意の念を持って「全て」に応えさせて頂きました。
私も弱輩ながら、初めて参加する場で不慣れでしたので、
諸兄に置かれましては不愉快な思いを抱かせたかと思います。
それは私の誠意が伝わらなかったのですから、お詫び申し上げます。
皆様御多忙とは思いますが、私も一日中ネットをしている人間ではないので、
昼は仕事で部下を見なくてはいけませんし、夜は大学の講義に出席しなくてはなりません。
その間を縫っての稽古と研究です。
忙しい身の上ですが、八郎氏・鳩氏との論も収束したことですし、
新しく得させて頂きました情報ついて私なりに考証もしなくてはなりません。
そこでこれ以上皆様の議論の場を汚すのはよくないと考えて「退去する」と申し出ました。
これらの立居振舞いに問題があったことは大変申し訳なかったと真に反省致します。
言い訳に聞こえたかもしれませんが、私の不徳と致す所、重ねてお詫び申し上げます。
最後に返事が送れたこと、遺憾と存じます。ご容赦ください。
なんつーか、居合ってのは肩が凝る世界だな・・ははw
俺には難しいや。
890 :
名無しさん@一本勝ち:2008/07/15(火) 05:33:19 ID:dPl/kBc10
>>889 いえいえ、そんなに肩の凝るものでもないですよ。川村氏のように研究を
される方もおりますし、私のように気楽にやってるものもおりますし...
要は楽しむことです。
891 :
長文その2:2008/07/15(火) 18:59:46 ID:nAtMY/G+0
あなたの建前
>私は専売研究が目的ではありません。方法論を提示して、地方に居る修行者、特に学生の修行者を主体とした相互研究のモデルを作りたいと考えています。
本音
>それは不特定多数ではありませんし、付き合う人間は取捨選択したいと考えています。
>誰かの研究に貢献しようなどとはまったく考えていません
こういう気持ちはよく分かります。
研究成果を盗まれたら堪ったもんじゃありません。しかし、あえてこの掲示板に
まことしやかな情報を垂れ流すことについて
>私が持つ情報、持つ資料が多くの研究者に混乱を招くことを知っているからです。
知りながらやるのは悪質ですよ。あなたの我儘のために少なからず混乱した人は居るはずだ。
こういうのもあなたの立居振舞いの一つではある。
向学心の有る者(ほとんどは教えてクンだが)ならあなたに教えを乞いたくなるはずだ。
何しろ、我が神通力をば見よとばかりの「天狗ナンタラ」とかいう大看板を掲げてるんですからねえ。
それでも、持たざる者は門前払い。さぞかし、あなたの胸はスっとすることでござんしょう。
貧しい教えてクンどもにはいい加減ウンザリでしょうからね。
貧乏人の患者を見殺しにする医者の話って、時代劇の定番だなあw
我々の誠意もあなたには通じないでしょうな ( ̄ε ̄)〜〜
どこぞで黄金色の「情報」とやらを手に入れねば。
江戸っ子なら女房を質に入れてでもね!
892 :
長文その1:2008/07/15(火) 19:02:53 ID:nAtMY/G+0
川村さんへ
> 私、礼を尽くしたつもりでしたが「まだ」足りなかったでしょうか。
はっきりいって、「厭味」にしか聞こえないっす。
> 私がお話したく無くなる様な、礼儀も知らないような方の相手はしません
こんな常識、わざわざ書かなくてもいいですよね?この「私」という一人称が誰であれ、
あなたでなくても私(この書き込みをしている私)だってそう思いますよ。
>これまで私は諸兄の質問に対し、敬意の念を持って「全て」に応えさせて頂きました。
はっきりいって、「嘘」でしょ(^^)
>この話もコミュニティ内で展開するので、ここではやめておきます。
>勿論、稽古会・研究会でも絶対に教えないです(今回は鳩氏と情報交換のために止む無くです)。
諸兄などと言いながら自分の欲しい情報を持たない不特定多数の者は眼中ではないと仰ってますよ。
あなたの誠意は感じませんでしたが、建前と本音はチラッと見えました。
他の掲示板のクセで前後の投稿が逆になっちゃってゴメンw
無礼な情報乞食が顔真っ赤すぎてワロタ
そうかな
顔真っ赤というほど冷静さを欠いてるとも思わないけど
俺も川村さんの書き込みにあまり良い印象は持たなかったよ
まあそもそも川村さんや雨龍君も、書きすぎですよ!なんてレスをしあってたように
mixiで閉鎖的である事を前提にしてコミュニティを開催しているから
書き込みの内容は至極真っ当だと思うけどね
鼻につく物があったというだけの事でしょ
895 :
8郎兵衛:2008/07/15(火) 21:50:15 ID:1NZv0Iow0
うむ。人間とはむづかしいであるなぁ。
まあ、ここには前スレから居るけどネタ的にがんばってたのは暗殺くんぐらいだったのも事実だ。
このスレは技術と武道史を真っ向から語り合えば絶対良スレになると思うのだがなあ・・・
良い機会だたと思うよ。
まあオイラ的には武道情報と言うものは足で稼ぐもの。
いろんな師範に会って話して酒飲んで怒られてまた会って酒飲んでw
そういうことを繰り返して武道の人脈を広げれば情報も技術も広がる。
すげー簡単な話じゃあーりませんか。
もう一つ重要な事は、目先の情報ではなく自流派を深めていくことだね。
武道というものは深めれば深めるほど必ず迷いが出てくる。だがどうすればいいかわからない。
大いに苦しめば必ず必要な情報が見えるのじゃまいか?
896 :
川村景信:2008/07/15(火) 22:45:51 ID:0t0XmnY70
>>八郎様
関東付近を中心に調べた結果をご報告します.
前に言った奥の澤のたまひで郷ですが、場所が違って
埼玉県の熊谷辺りの「玉井郷」でした。
古書で言うと『新篇武蔵』に出てくるそうです。
幡羅郡・榛沢郡の2郡からなり、中世末期から用いられたようです。
属村が新島・玉井の2か村です。
和歌山紀州藩にはドンピシャで「たまで」がありました。
現在は「玉伝」と書き、古くは「玉手」とあります。
現在の日置川町にあたるそうです。
あとは誤字を考慮に入れて栃木県の「玉生(たまにゅう)」と言う地名もあります。
古くは玉生城という城が築かれたといいますから、時期が会えば可能性があると思います。
山梨県には「玉井郷」がありますが、現在でも場所が特定されていません。
出典「角川地名大辞典」(9 栃木県)(11 埼玉県)(19 山梨県)(30 和歌山県)
897 :
八郎:2008/07/15(火) 23:47:21 ID:1NZv0Iow0
すげーーー。自分は何年かかってもわからなかったけど
あっという間に調べちゃったんっすねw
さすが専門家。感謝します。
埼玉いいですね。埼玉県なら武州一宮流と繋がりますし
林崎始祖ゆかりの地だし箕輪から小田原の中間ですごくイイ感じです。
まだ空想のレベルだけど凄く楽しいです。ありがとうございます。
898 :
川村景信:2008/07/16(水) 00:06:25 ID:8wSis28+0
≫八郎様
専門家ではないのですが…。
一応、趣味を活かして
『血縁系統調査業』と言うリサーチ業もやって居ります。
あとはカルチャーセンターで歴史学を教えたり、漢字の成り立ちを教えたり、
コンビニの店長やったり、居酒屋やったり、司法事務やったり、警備業やったり、
派遣やったり、引越しやったり、営業もやりましたし、PR業もやりました。
文献だってタダじゃないですから。地域調査含めて年に150万もかかったら、
仕事の「ついで」に調査できる仕事を選びますよ。
899 :
8郎兵衛:2008/07/18(金) 00:27:54 ID:qKP1xap00
=゜ω゜)ノ 補足っす。
以前他板で話題にした時、この人が無楽じゃないかと指摘されました。
長野業真(ナリマサ)十郎左衛門。幼名伝蔵。上野出身、彦根藩家老。
甲州若御子台、真田陣、蟹江、小牧長久手、関ヶ原、大坂の陣へ従軍。
小田原陣の篠曲輪の働きでは秀吉より馬を賜る。
井伊直政より知行壱千貫。関ヶ原、大阪での働きで3000石に加増。
井伊家の家老となる。(三百諸藩家臣事典)
900 :
川村景信:2008/07/18(金) 04:04:26 ID:XwdMJIn20
≫八郎氏
長野師の名前ですが「ナリザネ」と読む方が合っていると思います。
ex)道真→「ミチザネ」の読み方です。
学研刊『歴史群像シリーズ68 戦国剣豪伝』に見開き(2頁分)で大体同じ内容が書かれていました。
>無楽斎は浜川伝蔵という変名を用いたことがある。これは遠祖・在原業平が上野国司として赴任した地が
浜川領だったことにちなむものであろう。
>無楽斎は小田原の北条攻め(天正十八年)に軍功あって、主の井伊直政より備前国宗の刀を下賜された。
>無楽斎こと長野十郎左衛門自身、三五〇〇石を禄したこともあるが、四代藩主・直興の代に編まれた
『藩士族譜』に同名の士の記録があって、五〇〇〇石と書かれている。何代目かの長野十郎左衛門の
禄高である。
箕輪城陥落後、信玄麾下の内藤昌豊の配下になった折、上泉公や出羽業親が居たであろうことや、
井伊直政に下った山県昌景の「赤備え」を継承した一人(当時・二十二、三歳と推測)であったろうことが
書かれています。
出典が書かれて居なかったので、資料を提示して頂いたのは助かります。
有難う御座います。
901 :
名無しさん@一本勝ち:2008/07/18(金) 12:16:38 ID:vn4EEfB60
また質問させて下さい。
刀を握る手の親指はどういう風にされていますか?
伸ばしていますか?それとも握り拳(例えば空手の正拳)のように曲げていますか?
どちらにしろ強く握り締めるのではない事は前回教えて頂いたので分かっていますが、
もし親指を曲げて刀を握っている場合は、親指の腹で押さえますか、
それとも曲げた親指の第一関節の部分で押さえていますか?
くだらない質問なのかもしれませんが、どうか宜しくお願い致します。
それはあなたの師に聞いた方がいいかと・・・
904 :
8郎:2008/07/28(月) 19:22:14 ID:xsy0xCFo0
「刀を握る手」とは構えの時事っすか?打撃時の事ッすか?
自分は構えは親指は力を入れず軽く自然に曲がるていどですね。
斬り付けでは、ゆるく曲げる場合も有りますし、練習のさいには伸ばす場合も有ります。
押えは親指の内側脇腹です。
また「曲げて握る」のではなく「内側に押しながら捻りこむ」感じです。
武蔵も「大指、さし指は浮かす、小指は強く」と言ってますが、これは
小指を支点にした操作性の事だと思います。固定するなら曲げるのも有りかもしれません。
当身はウチの場合でもゲンコツを親指を曲げて握りこむけど、
これは手首を固めるためだと空想しています。
これだと小指より人差し指方向に力が入りやすい気がしまつ。
その場合小指側が操作の支点となる流派の剣術の場合は
親指を曲げるための力が入るとバランスが狂うかもしれません。
ただ、握りは流派によってかなり違うので、その流儀の武器や動作をよく見ないと
結論は出せませんねぃ。
そのへんは851氏の言われたとおりです。
8郎様
分かりやすい説明で、大変参考になりました。
本当なら専門の先生について修行出来ればいいのですが、
諸事情により、殆ど独学で剣を振っている状態なので助かります。
ありがとうございました。
906 :
八:2008/08/02(土) 01:21:42 ID:WSeUTngr0
まあ、関節痛めないていどにやってねw
もし身体に痛みや違和感が有ったら稽古を中止してもう一度ここへ来てください。
居合い関係者と話した時にその刀(本身)で斬られたら大怪我しますか?と聞いたら当たり前と言われましたが
刀は(元々は)人を殺すためのものだというのは居合い関係者にとっては常識なんですか?
活人剣とかいってる奴はたまにいるけど
人が殺せる道具、人を殺す為の武器ってのは常識なんじゃね?
前も居合総合スレで似たような質問が出てたな・・・同じ人?
質問の意図は何?
910 :
八:2008/08/07(木) 00:41:51 ID:DX/AUgL90
殺すとは限らないっしょ。
武器で防御、または制圧するのは銃器も同じだし。
制して守る。刃向かえば斬る。
始祖の言う袈裟の一刀の教えだね。
ただ、相手によっては手傷を負わせたら止めを刺してやるのも作法のうちだろうけど。
911 :
三丁目の山田:2008/08/07(木) 10:00:39 ID:iUEpV1W90
刀は人を切るための道具ですがどう遣うかは
八氏の仰る通り。
>>907 良く判らない質問だな、刀は切れるもんだし、切られたら怪我するのは当たり前。
居合だけに限らないよ。
武器とは本来そういうもの。
同じ事を、剣術や、他の武器術を稽古している人間に同じ事を聞いてみろ、皆、当たり前
とこたえるぞw。
こんな質問があるのも、夏になったせいなのか?
ちょっと見方を変えて、鞘のままぶん殴っても殺傷能力はあるかと問われても答えはYES。ただし抜き身の方が能力は高い。
腰に差した刀を鞘ごと抜くのと、居合の術を使って抜き身にするのとでは居合の方が早い。
914 :
名無しさん@一本勝ち:2008/08/12(火) 21:04:51 ID:GxEpjPZC0
915 :
名無し@そうだ水戸へ逝こう:2008/08/17(日) 12:12:50 ID:LiItgcTMO
東武館 最強居合道
「腰抜け」
これが今だ出来ない方はどうぞ学びに来てください。
常識ですが、賂として菓子折りとお金(多額の現金を札束で)を忘れずに持参すること。
血なまぐさいも何も、人を殺す技術ってんなら
別に普通な話じゃないの?
>>916 逆手に持ち替えないのを、初めて見た。
こんなやり方もあるの?
919 :
名無しさん@一本勝ち:2008/08/19(火) 18:08:15 ID:eBmhL4/SO
新田宮流はどこへ消えたのですか?
920 :
名無しさん@一本勝ち:
茨城県水戸の東武館に立会形が六本くらい残ってる。