952 :
関羽雲長:2007/04/30(月) 18:46:52 ID:19aw1jUAO
そしてナカユクイとなる訳だな。
その後またまた、大袈裟な見栄を切る。
そして、下段払い、下段払い逆突きの切り返しだな。
ここはベッチュウリンみたくもあり
泊ワンスみたいでもある。
こういう動きは、他にはあまり見られないのではないかなぁ?
あまりにも現代空手的だ。
しかし、ベッチュウリンや泊ワンスは古い形だ。
まさに温故知新!!!
953 :
名無しさん@一本勝ち:2007/04/30(月) 19:53:19 ID:oYJtvivE0
関羽さん、松濤館の雲手はやっぱり摩文仁伝なんですか。
954 :
関羽雲長:2007/04/30(月) 20:02:45 ID:19aw1jUAO
最初はそうだと思ってたんだけど・・・
なんか違うみたい。
摩文仁賢和に雲手を伝えた人に直接
義豪先生が習った可能性が高い。
沖縄唐手倶楽部あたりでね・・・
何故かと言うと似ているようで似ていない。
しかし、謎だわ!
955 :
名無しさん@一本勝ち:2007/04/30(月) 20:48:34 ID:aDfUQyY00
沖縄唐手倶楽部は大家だけのクラブじゃなかったっけ? 義豪先生が
気軽に出入りできたんだろうか?
956 :
関羽雲長:2007/04/30(月) 20:51:16 ID:19aw1jUAO
摩文仁賢和の紹介状があれば・・・
ただし当時倶楽部が存在したかは疑問???
957 :
名無しさん@一本勝ち:2007/04/30(月) 20:53:09 ID:aDfUQyY00
大正13年、唐手研究クラブ発足
大正15年、沖縄唐手倶楽部に改称。
昭和3年、解散。
だったと思うが。
958 :
名無しさん@一本勝ち:2007/04/30(月) 20:58:00 ID:aDfUQyY00
> 富名腰義珍先生は安里安恒先生に師事されて、首里手(糸洲安恒)の形は習得されておりませんでし
> たので、のちにご子息義豪先生を沖縄へゆかせて、摩文仁賢和のもとで首里手の形を学ばれました。
> (攻防拳法空手道入門の後書きより引用)
> 「後にご子息義豪氏を沖縄へ行かせ」ということは、「義豪氏が上京したあとに沖縄に行かせ」という意
> 味にとれます。もしそうだとするならば、義豪氏が上京したのは17歳の時とされるので、1906年(明治39
> 年)生まれの義豪氏が上京したのは、大正12年(1923年)ということになります。
> そして、摩文仁賢和先生が上阪したのは昭和3年(1928年)39歳の時のことですので、義豪氏が摩文仁
> 賢和先生に会いに沖縄へ行けるのは、大正12年(1923年)〜昭和3年(1928年)の5年間に限られます。
> 知られている事実に昭和9年に、1ヶ月沖縄に帰ったとされていますが、この時期は摩文仁賢和先生が
> 本土に来た後なので、行き違いとなります。
摩文仁先生の紹介でクラブに出入りできた可能性はあるか。
959 :
関羽雲長:2007/04/30(月) 21:01:30 ID:19aw1jUAO
そっちの考証はお任せします。
960 :
名無しさん@一本勝ち:2007/04/30(月) 21:04:35 ID:aDfUQyY00
義豪先生が帰郷して雲手を習ってそれを東京に持ち帰ったとしたら……松濤館
でいつ雲手を教えはじめたかが確定できれば、新垣派の型の伝達経路がかなり
特定できるな。
大正9年、新垣世璋死去。
昭和3年、本部朝勇死去。
昭和3年、摩文仁賢和上阪。
961 :
名無しさん@一本勝ち:2007/04/30(月) 21:08:03 ID:aDfUQyY00
大正9年、新垣世璋死去。
大正11年、船越義珍上京。松濤15の型に雲手含まれず。
大正12年、船越義豪上京。
大正13年、唐手研究クラブ発足。
大正15年、沖縄唐手倶楽部へ改称。
昭和3年、本部朝勇死去。
昭和3年、摩文仁賢和上阪。
962 :
名無しさん@一本勝ち:2007/04/30(月) 21:23:40 ID:wT4AqNqg0
そんな関羽がよろこびそうなエサばらまいたらダメ。またぞろ、船越義豪は
本部御前に師事したとか言い出すから〜。
963 :
関羽雲長:2007/04/30(月) 21:24:57 ID:19aw1jUAO
なーんにも!
別に。
964 :
絵垣源之助 ◇2sPaW4aI2Y:2007/04/30(月) 21:33:59 ID:BOWBnpcM0
隠されていた空手は、本部朝勇先生から分解の口伝キーワードを義豪先生
が聞いて、それが義豪先生から久保田先生に伝えられたものだったのです。
965 :
関羽雲長:2007/04/30(月) 21:43:05 ID:19aw1jUAO
続き振り返ったら猫足で掛け手、
逆ですくい受け、そして蹴りからの二連突き。
ここはソウチンの最後に似てますわ!
ここからがこの形の面白いところ。
四股で下段払い、その場で立ち上がり開手横受け。
これの連続。
このテーマはどっかで見たことがある。
そうサンチンから始まる二ーセイシだな。
方向はちょっと違うがな!
966 :
名無しさん@一本勝ち:2007/04/30(月) 21:45:14 ID:Ygy/SQw20
ネタと分かりつつ、もしや桧垣分解の取手は御殿手からだったのかと、10秒
ほど妄想しちまったぜorz
967 :
名無しさん@一本勝ち:2007/04/30(月) 23:36:15 ID:ejSypGhv0
あながちネタとも言い切れない。
本部朝勇からウンスーを学んだと主張している千唐流の千歳剛直は、
> 大正11年 上京し医学生として勉学に励む。卒業後は医者として多
> 忙な勤務の合間に富名腰先生の松濤会四谷道場の開設ならびに長男
> 義英氏をはじめ現在では各流派の最高師範である当時の門下生(大
> 塚博紀、小西康裕、中山正敏氏等)に技術指導。
という経歴になっている。
本部朝勇→千歳剛直→松濤館の雲手という伝系は、もし千歳先生の経歴が
正しいなら、十分考えられる。
968 :
名無しさん@一本勝ち:2007/04/30(月) 23:39:28 ID:ejSypGhv0
ちなみに千歳先生は、取手術を金城ウフチクから習ったと経歴にある。
本当ならば?、松濤館に取手も伝わった可能性はないとは言い切れない。
969 :
名無しさん@一本勝ち:2007/04/30(月) 23:53:28 ID:8xmCmaht0
燃料も何も、君以外誰も信じていないから(w
971 :
名無しさん@一本勝ち:2007/05/01(火) 00:47:48 ID:os6zsQ890
ど、ど、ど、ドラちゃうわ。
973 :
名無しさん@一本勝ち:2007/05/01(火) 09:36:50 ID:fLlaUI920
宮城先生が東京で船越先生を訪問したとき。
船越「君は誰だったかなぁ?」
むかっとしたが「宮城長順です」と答えた。
帰り際、宮城先生は弟子に「あの人はああいう空威張りするところがある」
と不愉快そうに答えた。
この逸話聞いたことありますか?
974 :
名無しさん@一本勝ち:2007/05/01(火) 10:34:09 ID:kvTCBbJY0
aaaaa
975 :
関羽雲長:2007/05/01(火) 10:41:55 ID:qEmc3UgtO
これからが雲手のキモだね!
回し蹴りからの一回転して伏せる。
クーシャンクー小に一番にているかな?
スーパーリンペェやマチムラローハイじゃ物足りない!
空手のなかでも一番の大技。
はっきりいって何の意味があるのかはよくわからない・・・
ただ難易度高めるだけとしか思えない。
そりゃあ、こじつければいろんな意味はありますよ!
しかし、代用品で十分よ!
もっとシンプルで有効な技はあるはず。
いくら考えても糸州安恒の向こうを張ったとしか・・・
976 :
名無しさん@一本勝ち:2007/05/01(火) 11:27:36 ID:upAWE/F50
雲手は冊封使節を楽しませる一種の舞踏。だから舞手。
977 :
名無しさん@一本勝ち:2007/05/01(火) 12:45:00 ID:yTtP9pAb0
こんなにスレ消化して、なんか結論でたのか? 剛柔流は結局古い那覇手
だったんか?
978 :
関羽雲長:2007/05/01(火) 12:55:25 ID:qEmc3UgtO
伏せた後は立ち上がって回し受け。
これは二回も三回もありだな。
そしてあげ受け逆突き。
こんな技はジオンにしかない。
最後に掛け手逆突き。
回し受けで終り。
新垣の象徴的な動作だな!
979 :
金城昭雄:2007/05/01(火) 13:00:13 ID:yTtP9pAb0
来月号から反撃するからね。永春白鶴拳の新情報も仕入れてきたし!
980 :
関羽雲長:2007/05/01(火) 13:03:15 ID:qEmc3UgtO
何が言いたかったのかと言えば・・・
当時の形や技の集大成みたいな形なんですわ。
雲手は!
だから那覇手らしくもあり、首里手らしくもある。
東恩納の手ではない。
明らかに比較的新しい時代に作られた感じが見える。
もともとウンスはあったのかも?
けどもっとシンプルだったのでは?
982 :
東恩納マンボウ:2007/05/01(火) 15:10:03 ID:DCScaRFr0
二回目の中国調査も空振りに終わった。宮城長順は内心焦りを気持ちで
いっぱいだった。
「やばい……。莫大な費用をかけて手ぶらなんて……」
那覇有数の資産家だった宮城家も、今回の渡航ですっかり財産を使い
果たしていた。現在の金額で言えば数億円は使ったであろう。一族へ
の手前、中国拳法調査が空振りだったとは、長順は口が裂けても言え
る立場にはなかった。
「明日には、摩文仁君や許田先輩も土産話を聞きに来るという。なん
とか成果を創り出さなくては……」長順の額には苦渋の汗が浮かんで
いた。
「そうだ。いくつか型を学んできたことにしよう。とりあえず名前
だけそれらしく作って、中身はおいおい作っていけばいい」
翌日、宮城は集まった親族や摩文仁らの前で中国調査が成功だった
ことを告げた。東恩納先生の「兄弟弟子」から、いくつか型を学んで
きたことも明らかにした。摩文仁の目は、長順の話を聞いてキラキラ
と輝いていた。
「そのうち、摩文仁君にも僕が学んできた型を教えよう。セーパイと
かクルルンファとか。見たら驚くよ。なんせ本場の型だからね!」
聞き慣れない異国の発音に摩文仁はうっとりした。そのとき、宮城
の顔はかすかにゆがんでいたのだが、摩文仁はもう新しい型を宮城が
いつ教えてくれるのか、そのことで頭がいっぱいで気づかなかった。
983 :
名無しさん@一本勝ち:2007/05/01(火) 18:19:00 ID:iZtktBzE0
梅
ume
ウメ
卯女
鵜目
うめ
宇目
埋め
生め
産め
ウメ
膿め
熟め
倦め
楳
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