1 :
YMA:
2 :
YMA:2005/08/03(水) 22:16:57 ID:GF5k7bkt0
とりあえず、問題になってた、剣道の竹刀で叩く指導について
賛否及び自論をお願いします。
理由無しの意見に付いては、無視ということでお願いします。
ま、このスレ消えたら消えたで、必要なかったってことで良いですしね。
なんで、ちゃんとした自論のある方のみお願いします{^^}
3 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 10:18:31 ID:4A/D+v2H0
この話ね。
255 名前:YMA 投稿日:2005/07/12(火) 22:26:27 jdW7tfqE0
剣道をする人の竹刀への思い入れや意味合いは、やってない方には理解されませんよね
剣道家にとって、竹刀は刀であり、命を預けるもの。決して跨いだり、切っ先を地面に突き立てない。
>>247 道場にしても普段がどうでも、稽古の際は聖域ですから。さらに、武道館といえば、剣道家には、球児にとっての甲子園であり、聖域と同じ。
4 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 10:20:48 ID:4A/D+v2H0
369 名前:名無しさん@一本勝ち 投稿日:2005/07/26(火) 23:17:07 ho2QWz4i0
>>255 :YMA
>剣道をする人の竹刀への思い入れや意味合いは、やってない方には理解されませんよね
>剣道家にとって、竹刀は刀であり、命を預けるもの。決して跨いだり、切っ先を地面に突き立てない。
>>297が言うように・・コレはいいのかね?
体罰:教師、剣道の授業中に竹刀で高1殴打 広島の私立高
広島市西区観音新町4の私立山陽高校(津田義則校長、914人)で、男性教師(57)が
剣道の授業中に1年の男子生徒(15)を竹刀で十数回殴打していたことが20日、分かった。
生徒は、右手の甲を骨折するなど全治約2週間のけがを負った。
広島県警広島中央署が、生徒から被害届が出れば傷害容疑で調べる方針で、学校側から事情を聴いている。
同校によると、今月6日の1時間目の剣道の授業開始直後、この生徒が防具を付けていなかったとして、教師が一方的に竹刀で頭などを殴打した。
生徒は腕でかばったため、利き手を骨折。
同7〜10日に行われた期末テストを受けられなくなったという。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20050721k0000m040170000c.html
5 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 10:24:09 ID:4A/D+v2H0
これも関連しそう。
426 名前:YMA 投稿日:2005/07/27(水) 22:22:53 ZPGU7Oon0
>>423さん
自分は、小学校の頃から、剣道は文字道理叩き込まれてきました。そして、ある大学の剣道部暴行事件で先輩を殺された経験があります。
剣道をやる者の暴行事件に付いては、それなりに意見があります。
できましたら、他スレを指定するか、新スレの立ち上げをお願いできないでしょうか。
本格的に剣道について語ることになるので、ここでは場違いに成りますし、誤解ないように伝える自信がありません。
チャカしなしでの真面目な話を御聞きくださるなら、指定をここにお願いします
6 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 12:36:21 ID:Q3vixjOI0
叩いてしまう理由は、道具の特性と軍隊の因習の二つあると思う。
竹刀も防具も安全性を考慮して生まれた道具であるから、打ったり打たれたりすることに指導者・被指導者ともに鈍感になり、
結果、暴力に対するハードルが低くなってしまう。 真剣で小突く居合指導者とか滅多にいないでしょ?
剣道以外にもいえることは明治以後の軍隊の影響で、士族出身の将校は平民出の次男三男の兵卒なんか牛馬と一緒、
殴って教えりゃいいと考えていたから。 江戸時代の剣術道場であれば、師匠より弟子のほうが身分が上
なんてことはザラにあるから体罰はもちろん罵倒して恥かかせるなんてできるわけがない。
賛否についての意見は無い。 扱きというアナクロな文化があっても構わないと思うし、
それで生徒殺して剣道が白い目で見られて人口減っても、日本には他に武道もスポーツも
いくらでもあるし。
7 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 12:41:07 ID:QL0dio6z0
剣道やるヤツ、性格の悪いヤツが多い!
奇麗事いいながら キレルと竹刀・木刀を持ち出すし。
柔道、空手、相撲みたいに体と体でなく、武器と防具を使うからかな?
イマイチ人の痛み=人の心を理解できないのが多いね。
子供のうちに習わすのは良くないね!
8 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 12:48:24 ID:cj1g36WlO
9 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 12:57:42 ID:8bI63XvI0
剣道は防具をつけるけれども痛いって友人が言ってましたよ
10 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 12:58:22 ID:Q3vixjOI0
体罰は上下関係の確認行為、指導できる環境を作り出す一方便であっても指導法そのものではない。
皇族や暴力団組長の息子相手に親に無断で体罰加える度胸のある指導者がいるだろうか?
12 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 13:07:48 ID:Q3vixjOI0
13 :
市 ◆CRdmCEc.aI :2005/08/04(木) 13:17:08 ID:TAWrw5/MO
>>11そういう写真は気になってたよ。剣道だと杖みたいに、もたれかかるとすげー怒られるのになんで?とか思った。
けどアレはポーズなんだよな。刀を前に置いてるだけの。
14 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 13:21:46 ID:cj1g36WlO
竹刀は一応抜き身の刀を前提にしてるだからね。
鞘から抜いて杖にしてる写真ある?(画像が見れない)
15 :
市 ◆CRdmCEc.aI :2005/08/04(木) 14:10:52 ID:TAWrw5/MO
そりゃあ杖みたいに先をつければ怒られるわけだ。
本屋にいけば三冊くらいは明治初期前後くらいの写真があるよ。
殆ど外国人が撮ったもので、町に住む一般人は「なんだあれ?」って感じで不思議そうにみてる。カッコつけてポーズとってるやつもいて楽しいよ。
自然がいっぱいだったんだな・・・
剣道家しかいないみたいだね?
そもそも、剣道で言う人間形成って、一体どんな人間像に成るために修業をするの?
俺はイマイチそれがつかめないんだけど。
色々な剣道やってる、って人に会ってきたけど、なんか他人に対して攻撃的と言うか、自己中と言うか、そんな印象しか受けない。
特に強い人とかはね。
やるべきことはやってるんだろうけど、身辺とか、そういうのは後輩に殆ど任せっきり。
それで、はっきし言って剣道家って人格者が多いなと感じたことがないのですが、個人的には。
まあ、ただ単に俺が剣道を知らないだけか。
剣道の人間形成とやらについて、一体どう言う人間像を求めてるんでしょうね?
それによって竹刀で叩く指導の在り方も変わってくると思う。
>>16 ところであなたは何年くらい剣道やったんですか?
結構いい議論になりそうだから参加w
剣道の人間形成と言うより、剣道家の理想像がはっきりしてないよな。だって目標が決まってないなら、人殺しに形成されても「人間形成」は達成されている訳だし。
理不尽な暴力を黙って耐えられるのも、実社会では大切だ!私はそのように育てるんだ!
なんて言えば、竹刀で無茶苦茶に殴るのも有りになってしまう。
19 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 15:22:42 ID:AeZD08vg0
>>16 悪いことに対して、それは悪いといえる人間且つ、そう言われた時に、受け入れられる人間。
甘やかす人がいい人ではない。
武道の人間形成はそこに集約されると思うけどどうよ
20 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 20:41:03 ID:Lo1WyDRfO
ド〇がくる〜
ド〇がくる〜
基地外ニートの
ド〇がくる〜
>>20 この流れじゃjの付け入る隙もなさそうだから、心配要らないよ。
22 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 21:35:35 ID:RiJjXIlp0
>>16 俺は剣道を小学校からやってきてもう16年くらいになるけど、人格者と呼べる人って
ほとんどいないと思った。強い学校の先生は試合での勝ちに固執し、俺らは将棋の駒
のように扱われている気分だった。でもたまに素晴らしいと尊敬できる人も何人かいた
事も事実。
それに剣道の人間形成というのははっきり言ってよくわからない。常に暗中模索
状態です。一体剣道家の人間形成とは何なのか?俺は見本を見たことがない。だから
知りえるはずもない。それが率直な意見です。あと攻撃的や自己中が多いとの意見ですが
それは人それぞれです。温厚な人もいればキレやすい人もいます。ただ後者の方が
目立つのでしょう。
>>9 防具つけてても痛いよw
小手なんかは泣きそうになるね。
>>16 確かに剣道家には性格破綻者が多い気もする。
俺の部活仲間にも何人かおかしな奴がいた。
でも正しくやれば有意義な武道ではあるとおもうよ。
24 :
YMA:2005/08/04(木) 21:58:48 ID:uL55clZ20
一気に人が来ていて、びっくりしました!!
なかなか核心に触れるような意見が出てますね。
最初の方に自分の浅い論がいくつも出てたので話が変にならないかちょっと心配でした・・・・全くの杞憂で安心です{^^}
>>6さんの視点、個人的にかなり興味ありです。そうみると偉そうというのが説明できそうですね。
勘違いかもしれないですけど、剣道は廃れても良いという意見には、私は賛成です。別に好きな人がやればいいというか・・・・後のを見ると独善的な意見なんでしょうけど{^^}
>>16さんの>身辺とか、そういうのは後輩に殆ど任せっきり。
これについては、かなり苦々しく感じています。失礼な発言になりますが、中途半端な方ほど強制してやらせる人が多いですね。
ちなみに、私の道場でも先生に対し、防具や胴着の収納など子供たちがやりますが、それはあくまでもお礼の自主的な行動です。半分強制かもしれませんが、先輩から言われるものであって、決して先生から言われることではありません。
それと剣道を職業にしている先生方は、多くの場合これを断ってます。ただ、もてなしの意味がある場合は快く受けますが。
ちなみに、稽古の後、自分の疲れなどから動けないで遅れると、うちの先生方はどんなに偉くても勝手に仕舞ってしまいます。「若い頃から散々してるからお前らより上手いだろう?」とかよくからかわれました。
先生の面倒を見るのはあくまでも、稽古を見てくださることへのお礼であって、決して強制したり、当然のように受ける行為ではないと思います。
25 :
YMA:2005/08/04(木) 22:18:19 ID:uL55clZ20
>>18さん>剣道の人間形成と言うより、剣道家の理想像がはっきりしてないよな
全く同意です!理想像や目指す人間像を持たない指導者があまりに多くなっていると思います。
だからこそ、暴力が振るえるんだと思います。
ちなみに参考と言えるほど大それた物ではありませんが、いちおう、私が後輩に対して指導する時に思っている信念のようなものを書きますね。
一言で言えば、「不屈の精神を養う」ということになります。
どんなに苦しくても、どんなに疲労していても、追い詰められていても、決して逃げずに立ち向かえる姿勢こそ理想だと考えるからです。
ここで、誤解ないように言っておきたいのは、これはあくまでも後輩を中心に考えるものであって、教える立場の自分の感情を一切挟まないという前提があります。
怒りや歯がゆさなど、こっちが主体になる感情を持つとそれは単なる押し付けです。なので、自ら私の行う稽古に向かってくる者にしかやりません。
私の先生方もこれが前提にありました。本当に嫌ならやらないし、やっても害にしかならないという考えからです。
ちょっと話がずれますが、
>>22さんの仰る、剣道家に多い、自己中などは信念を持つことを誤解した結果だと思います。
教えるには自分の考えと信念を持つことが不可欠ですよね?
だから、それが確固となる前に、指導しなければいけない、指導できると勘違いするため、己の信念や考えに自信がなく、自己中やキレたりして自己防衛しなければいけないんだと思います。
私もまだまだ、未熟なので、ちゃんとした指導ができませんし、キレることはあまりなくなりましたが、自己中はまだまだあると思います。
そういう、確固たる信念と世界観を持つことも剣道の人間形成・武道の意義なのだと思います。
26 :
YMA:2005/08/04(木) 22:25:12 ID:uL55clZ20
流れと違いますが、経験者の方々は、どのようなことが剣道の目標だと思いますか?
また、やってない方は、どういう人間を形成させるのが必要だと思いますか?
「人間形成なんてできない」と思う方もいらっしゃると思いますが、そう邪険にせずに教えてください。
>>11さんの写真、私も昔、先生に聞いたことあります。なんか納得いきませんよんね{^^}
答えは「抜き身でやる気はあるか?」と言うものでした。そして、「個人的には感心できないことだ」だそうです。
27 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/05(金) 00:24:22 ID:oVBLlMjp0
>
>>11さんの写真、私も昔、先生に聞いたことあります。なんか納得いきませんよんね{^^}
答えは「抜き身でやる気はあるか?」と言うものでした。
剣道、ほとんどやったこと無いんだけど、いいかな。
竹刀って袋に入れて持ち運んでるよね。
竹刀を抜き身の真剣と想定した場合、あの袋は鞘相当になるのかしら。
だったら、竹刀を袋に入れた状態だったら、
>>11さんの昔の武士のように扱っても無問題なの?
28 :
YMA:2005/08/05(金) 00:30:15 ID:fMXcZej40
>>27さん
個人的な意見ですが竹刀袋に入れてあれば、良いと思います。
あくまでも、私の感覚ですが、竹刀袋に入っていれば、地面についても抵抗感はありません。
完全に杖のように扱うのには、抵抗を感じますが。
ただ、竹刀袋に防具袋{防具入れ}を引っ掛けるのは好きじゃないです。
29 :
?1/4?3??E^?3?n???e^?{????:2005/08/05(金) 13:13:05 ID:H0Vlwp5z0
武士道という視点からじゃどうなの?西洋剣術のスポーラン氏は騎士道は騎士になりきる遊びの中で身に付いてくるといってるし、騎士道は生き方の指針だといってるけど。
じゃあ、剣道のなかに武士道はあるのかと。剣道としての理想はあってもそれを生き方に合わせることはないのだろうか?
しゃかりきに剣道やっててその結果が体罰でアゲられて、遊びでやってる騎士ごっこが騎士道精神をみにつかせるつうのはなんか皮肉。
>29
ルールを遵守することの重要性や、フェアプレーや、相手を思いやることの必要性
などはスポーツマンシップと呼ばれるものです。海外の学校ではスポーツのバック
ボーンとして必ず教えられます。
武道は日本の伝統的なスポーツと考えられているが、じつは極めて近代的なもの
なのです。
>30
11です。
剣道の理念が制定されたのが昭和50年。このころ体育行政
に大きな一つの動きがありました。学校では競争的なことを
意図的になるべく扱わないようにするという動きです。
連盟の制定にも何らかの影響があった可能性があるでしょう。
ところでSportsman=Good fellowです。
武道家はなぜかスポーツマンシップということばを嫌う。
スポーツマンとはけっして運動能力の高い人ではありません。、
少年層の現場において、指導者が自分の言葉で「スポーツマン
シップ」の価値を正しく説明する必要があると思う。
32 :
?1/4?3??E^?3?n???e^?{????:2005/08/05(金) 16:14:14 ID:H0Vlwp5z0
剣道の中に武士道というのはあんのかな?フェアプレイとかスポーツ目線ではなく、もっと哲学とか精神的な物。
武道のなかで精神とか言うと、特攻隊的なかんじがするけどそうじゃなくて人としてどう生きるかってこと。
剣道精神というとなんか根性とか攻撃とかそんなことばっかし言ってる気がするが。
33 :
YMA:2005/08/05(金) 16:22:54 ID:lodsKAmZ0
>>29さん
剣道や武道で身に付くものと武士道って、実は全く違うものなんです。
騎士道については、あまり知らないのでなんとも言えませんが、武士道はあくまでも、武士に倫理観を持たせるものであって、武道精神とは違うんだそうです。
スポーツマンシップという御話に絡めて言えば、武士道はそのスポーツマンシップを封建社会に適合させたものだと、「武士道」を読んで思いました。
また、武道=スポーツという見方は、道場剣道が衰退してきてから現れた、武道の精神とは異なる見方です。
>>30さんの仰るように、本当にここ20年くらいの出来事だと聞いています。
なので、武道をやるもの、特に道場でやる者は、スポーツと同視されることを嫌います。偏見かもしれませんが、スポーツに生き死にを考える要素が欠けているからだと思います。
殺す、殺されるという事が根本にあり、それを乗り越えることに本来の武道は意味を見出してるのだと今は感じています。
ただ、剣道を少年層の現場、学校などでは、教育的な精神の育成を目的に使っている場合が多いので、
>>31さんが仰る、>指導者が自分の言葉で「スポーツマンシップ」の価値を正しく説明する必要があると思う。
これには、私も同意です。これは学校剣道においては大変重要なことであり、この欠如こそが部活での暴力事件の原因だとも思います。
なので、学校剣道自体、もっとその「スポーツマンシップ」を尊重すべきだし、大本にすべきだと思います。
34 :
YMA:2005/08/05(金) 16:33:44 ID:lodsKAmZ0
>>32さん
>もっと哲学とか精神的な物
全くその通りです。剣道、武道は本来、哲学のようなものです。
自己との対話、独特の精神状態での葛藤・・・・・最近ですが、その特性が実感できて来ました。
>剣道精神というとなんか根性とか攻撃とかそんなことばっかし言ってる気がするが
これは、中学等の部活剣道のような武道ではない、競技を「武道」だと思ってやるから出てくる考えだと思います。
自分は道場、部活と両方でやったことがありますが、「武道」としての剣道はそんな単純で、浅いもので通用する世界では無いです。
おそらく、良い師、良い先輩方に恵まれたせいで、早々に気づけたのだと思いますが・・・・・
本当に最近気づいたのですが、剣道での生き方、武術での考え方は、そのまま柔軟で奥深い人生観をもたらしてくれます。
気づくのに触れてから18年かかってますが・・・・・
35 :
剣道八段:2005/08/05(金) 21:19:03 ID:MaNvY6oQ0
剣道はちんこ
36 :
sporran:2005/08/05(金) 21:53:07 ID:sh4dnlhD0
私の名前が出ているのでお邪魔しますが、武道スポーツをやって精神的な高みを感じたり思考することはあるでしょう。
例えば「無」の境地を感じるとかね。しかし、私はそのような抽象的概念は全然わかりません。
私は騎士道を生きるための指針と確かに書きました。これはもっと生活臭のあるもので、「嘘を言わない」とか「弱者を保護せよ」とか「人には寛大」とか「人の手本たれ」とか「義の勇気をもて」
とか、「後ろ指をさされず」まあ立派な人になろうと自分を磨いて生活し人と付き合うための指針というわけです。道徳ですね。
格闘スポーツでフェアプレーとか勇気、努力、友情(少年ジャンプだ)などを学ぶことは出来ても、「道端で困った人を助ける勇気」というのは道徳の範疇です。
しかし、スポーツマンシップや武道で道徳ができるでしょうか?少なくとも、体罰がでてくるかぎりそれでは学べないといえます。
ですが、騎士道やおそらく武士道もあるいは商人道なども、その中心にあるのはこの道徳の部分ではないでしょうか。
職業上、比重のかたよりがあったとしてもです。
ですから、YMAさんがいわれるように武道と武士道は異なる物。それを同じような物だから剣道を習わせれば、道徳(人間形成)も身につく。と考えているから間違いがおこるのでしょう。
37 :
YMA:2005/08/05(金) 23:06:28 ID:5UmrCdSc0
>>36 sporranさん
>剣道を習わせれば、道徳(人間形成)も身につく
この考えは、あまりに剣道の近くにいた為、全く気づきませんでした!!
言われて見れば、こう考えると、いろいろな方々の御話がぴったりと理解できます!!
こういう風に考える人が多いんですね。人間形成=道徳、この公式が全然念頭にありませんでした。
ということは、礼儀作法ができることなどが、道徳観念と同視されてそうですね。
そういえば、武士道は道徳ですから・・・・・・頭の整理がつきました。そして、騎士道も道徳部分が強いと考えればいいんですね。
38 :
sporran:2005/08/05(金) 23:47:38 ID:sh4dnlhD0
礼儀作法というのは私らも重視しています。剣道界ではもっと厳しいと思いますが、剣道の中で礼ができたとしても、それが日常に及ぼされなくては意味がありません。
道場で先輩に頭を下げて「オッス!」と礼をしても、電車の中で年寄りを前に座ったままというのが多いのではないでしょうか?
武士道のなかに「目上の者を大切にせよ」とあるかどうか知りませんが弱者を守るというのは騎士も武士も同じでしょう。
しかし、これは武道では教えないことですよね。
それと、貴乃花と竹刀ですが、まず、この場合、竹刀は権威の象徴としての意味があるでしょうね。
指揮官のもつ指揮刀と同じです。次に、デザイン的にも持つ意味合いにも竹刀が最適であったこと。
まず、相撲とおなじく、和のテイストがあります。大きさもよい。また、武器を模したものだから威圧感がある。
殴った場合、音は大きいが木刀で殴るほどダメージがない。軽くて持ちやすい。ほかに代用できそうな物はない。
ホウキや塩ビパイプ、スポチャン剣、ピコピコハンマー、ハリセンでは見た目が悪い。
というわけで、他に代用品がなかったのでしょう。
39 :
YMA:2005/08/06(土) 00:14:18 ID:/EAppbeO0
>>38 sporranさん
>他に代用品がなかったのでしょう。
確かに、権威や使い勝手を考えるといいんでしょうね。特に
>>6さんの仰るような背景があると相当に有効ですよね。
仕方が無いと言ってしまえば、論争は終わり。これが一番いいんでしょうが、剣道を学ぶ者は不快です。
まあ、習性のようなもので、どんな理論や理屈が合ってもこれは消えないんでしょうね。剣道として大事にしている部分ですから。
ちなみに、>道場で先輩に頭を下げて「オッス!」と礼をしても、電車の中で年寄りを前に座ったままというのが多いのではないでしょうか?
これは、剣道での所作、礼儀作法を学ぶ余波で身につく物ですね。少なくとも私の周囲の剣道をやる者は実行するのが当然と考えていますから。
・・・・・・・・このままだと誤解を生みそうですね。以下、私の考えですので、異見等お願いします。
剣道では日常的な対応について、その礼儀、エチケットについては、剣道を学ぶ上で余波として発生します。
確固たる自分、周囲への目配せ、実行力を剣道を通して身に付けることで、人間として当然に行う行為ができるようになるんだと思います。
特にそのようなことは言われませんし、先輩に対しても、後輩はあまり従うように教育されません。
ただ、先輩は後輩の面倒を見なければいけないという義務があるので、そのお返しに先輩を慕うように、立てるようになります。
まあ、真剣に武道としてやらないと、できないんでしょうが、少なくとも私は強制された覚えはありませんし、強制した覚えもありません。また、剣道だけでなく剣術においても同様です。
それでも、順列というか、そういう秩序が保たれます・・・・・最近、若い連中がら、後輩の面倒を見ない者が出てきて崩れつつはりますが
sporranさんのように外から指摘いただくと、いろいろ気付き、改めて剣道を見直すことができて面白いですね{^^}
40 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/06(土) 00:40:54 ID:Q7iHMQVC0
>>28 :YMAさん
>個人的な意見ですが竹刀袋に入れてあれば、良いと思います。
>あくまでも、私の感覚ですが、竹刀袋に入っていれば、地面についても抵抗感はありません。
これは竹刀を真剣と措定するという立場からは、一貫しますね。
そうすると、道場での竹刀による体罰は、<真剣で鎧の上から、あるいは生身を、斬っている>ということになるのでしょうか?
41 :
YMA:2005/08/06(土) 01:05:42 ID:/EAppbeO0
>>40さん
体験からしかわからないのですが、注意として竹刀で叩かれる場合、竹刀の腹{刃と峰とされる部分以外}で行われます。
刃はあくまでも斬れるというのを前提と考えており、注意では絶対に使いませんでした。叩かれるのは悪い、剣道とは違う動きをする部分なので、防具{鎧}は叩きません。
素足や素手を叩くのが一般的でした。ここで言って置きたいのは、叩き方により、痛い痛くないがあります。音がするものは痛くありません。そして、注意の時は軽い音、痛くなく、注意を向けるものを行います。
それでも、何十回と叩かれていれば痣ができますが、それは、自己責任、叩かれるような動きで居る事や、注意をしてくださる先生にかかるせいであって、嫌なら受けなければいいというだけです。
この注意が体罰にあたるなら、>道場での竹刀による体罰は、<真剣で鎧の上から、あるいは生身を、斬っている>ということになるのでしょうか?
の回答は、斬ってはいません。切れない部分で叩いている状態です。
一般的に体罰を与えるのを見る{部活等で}場合は、刃もなにも関係なくやっているように思えます。そういうのを見ると、指導者の怒りが見え、かなり不快です。
18です。
私は少し剣道に関する捉え方が皆さんと異なるようです。
例えば、野球部とサッカー部で、部員には何が身に着くのか?チームワークは間違いないでしょう。
しかし野球では、攻撃と守備が明確に分かれています。また、攻撃は決められたルートを走り点を取り、守備はそれを決められた形で妨害します。つまり、より僅な差での競い合いに面白さがあると思います。
サッカーは、野球と比べるとより攻撃と守備の境目が曖昧です。FWが相手ゴール前で守備をすることもあり、攻撃と守備がめまぐるしく入れ替わります。だから、状況は瞬時に変わるから目を離すことができない面白さがあります。
何が言いたいかと言うと、野球とサッカーで身に着く物が、同じ訳がないと言うことです。試合の終盤を比べても、野球なら9回裏に三振しないでヒットを打つために集中するのに対して、サッカーならバテていてもくじけないで動くことが大切になるでしょう。
スポーツや格闘家など、ある程度は共通性がある面もあります。例えば苦しい練習に耐える精神力がそうです。しかし、それ意外にも身に着く性格の特性が、本来はあるはずです。
剣道の場合の人間形成も、その競技の特性から来る
精神面での影響が重要だと思います。
続く
43 :
YMA:2005/08/06(土) 01:50:20 ID:/EAppbeO0
>>18さん
面白い捉え方ですね。じっくり御話を御聞きしたい所ですが、明日、用があるので、もう寝なければなりません。
明日になってしまいますが、ご意見や御話し合い楽しみに拝見させていただきますね{^^}
長くなったので一度切りました。
剣道は様々な言葉があります。そして様々な考え方があります。
例えば「懸待一致」と「克己心」なら、精神面ではどうなるか?「出端」を取ることを重視した稽古と、「応じる」ことを重視した稽古では?当然差が出てきます。
その差は、剣道のキャリアが短い段階や特定の環境に入れば入る程、大きくなるでしょう。逆に剣道のキャリアが長く様々な方に指導を受けた方なら、その差は減るはずです。
一つお皆さんに聞きしたいのですが、皆さんが稽古をしてきた環境では、特に何を重視されていましたか?言葉で「不動心」や「千練万鍛」の方もいれば、「出端」や「切り返し」と技術で答える方もいると思います。
それらを総合して、その言葉や技術から導かれる性格の特性を考えれば、剣道家の性格が見えてくると思います。
長文スマソ
一介の剣道家として、竹刀で叩く指導についての意見を述べさせていただきたいのですが、よいでしょうか?
私の感覚としては、剣道の技術向上というのはまずいかに自分を不安定な状態に持っていけるか、
そしてその人間にとって不安定な動きを、いかに安定して行えるようになるか、という所に集約されると思います。
(これは他の武道、スポーツにも共通したものがあると思います。
私は剣道以外に精通したことが無いので詳しくは存じませんが。)
不安定な状態に持っていくとあれば、当然体勢が崩れる恐れがあるため、そこに一種の恐怖が介在します。
そこを自分で乗り越えられない限りは、指導者がそれに気付く何らかのきっかけを与えなければいけません。
そして二つ目の不安定な動きをいかに安定して行えるか、と言うのはそうやって気付いた事実を反復練習することによって体得します。
これが技術習得の流れだと思います。
例えば、遠間から跳ぶことに躊躇いがある者には、追い込みや、打たせるときにわざと体を退いたりしてより遠く跳ばないと届かないような状況をつくりだします。
これを反復することにより、遠い間から打つ癖をつけます。
46 :
45:2005/08/06(土) 02:05:24 ID:V7qfeTzBO
そして、竹刀で叩く指導と言うのも、そのきっかけを与える一つの手段でしょう。
竹刀で悪癖がある部分を叩いて痛みを与えることにより、いやがおうでもやらざるを得ない状況をつくりだします。
私の経験上、癖と言うのは気付いてすぐ直る場合と、意識しても中々直せない場合があり、それは本人により違います。
そして、私は後者の方が圧倒的に多いように思います。
ですから、竹刀で叩いて気付かせる場合、数回叩いただけで本人が気付いてすぐに直ることもありますが、稀でしょう。
たいていの場合、叩かれている時は本人は必死で直そうとするでしょうが、すぐに元に戻ってしまうことが多い。
ですからこの場合、本人が相当意識して直そうと努力するか、または叩いて叩いて叩きまくって体に覚えさせるしか、方法はありません。
後者は、本人が余程望んでいない限りは、色んな面で危険なのではないでしょうか?
ですから、私は竹刀で叩くことはきっかけを与えるくらいなら有意義なのかもしれない、と思うのですが、でもそれなら口で言ってあげても同じことです。
そもそも稽古と言うのは、「いにしえ(古)をかんがえる(稽)」と言う意味合いであり、
要するに先人が築き上げてきた理法を自分で考え、実践して身につけていくというものです。
確かに小学生くらいならこれは難しいことかもしれません。
しかし中学、高校生程になれば自主的に理論を勉強させて、考えさせる場を設けてもよいでしょう。
昨今、このようなことを行っている、または呼び掛けている学校はどれほどあるのでしょうか?
昨今の指導者が危惧していること、何となく分かります。
それは、「意識しすぎると雑念が生じる」と言うことです。
確かに、癖を直そう、技術を習得しようとするあまりそこに意識が行き過ぎると、それが雑念となって試合等の結果に影響が出る場合もあります。
これは近年言われる試合勝利主義を象徴しているように思います。
例えばの話ですが、剣道の技術というものを全く教えられずに、ひたすら体で覚え込ませる稽古、そしてひたすら試合を繰り返し育成された選手がいるとすれば、それは究極に強い剣士が出来上がるでしょう。
雑念がありませんから、全てが体の動くように動きます。
しかし、それはただの剣道マシーンです。
まさかこんなことは無いでしょうが、昨今の指導には「うまく当てよう」とか表面的な強さばかりにこだわっている節があります。
厳しい稽古はもちろん必要です。
しかし稽古ならば、自分から求めていく厳しさでなければならないと思いますし、そうでしか得られないものもあるのです。
それこそが剣道の本質だと思います。
……相当な長文、駄文失礼しました。
剣道をされない方々には、理解していただけたでしょうか……。
48 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/06(土) 02:13:20 ID:doeWnG/A0
>>33 >剣道や武道で身に付くものと武士道って、実は全く違うものなんです。
その通りですね。 武士道が社会的倫理観なら武道(兵法、武芸、芸術)は天地自然の理を究める道とでもいうべきでしょう。
「サトリ」の喩えにあるように武の境地は無念無想、分別あれば後れをとる世界です。
しかし、この分別を捨てるという訓えが曲者で、不意打ちされたらそれが自分の主君であっても反射的に切り捨てて
しまいかねない、即ち封建社会を根底から覆してしまうような危険思想を内在しているわけです。
主君に対しては如何に理不尽であっても秩序を守る為に黙って首を差し出すのが武士の道、
無念無想に黙って切り捨てるのが武芸者、似て非なるものです。
私は「指導時」に「指導目的」で竹刀で軽く叩くのは、違和感がありません。例えば左足に悪癖がある子に、「またできていなかったぞ」とすねを竹刀のひらで、軽く叩くことはあります。
しかしそれは相手も同意しているのと、こちらが竹刀を扱う専門家だから許されるのだと思います。
なぜこの議論が出ないのかが不思議でしたが…貴の花は竹刀を扱う、ど素人です。ど素人が、専門家と同じように使ってはいけません。
竹刀は「剣道専用」の道具です。素人が簡単に使っていいものではありません。しかも一つ間違えたら事故に繋がる、危険物です。だから我々は、「防具を着けていない時は、竹刀を振り回すな」とか「ささくれや破損はないか」と最初の頃に教わり、義務として仕込まれるのです。
貴の花は相撲の専門家であり、剣道はど素人です。だから指導は相撲でするべきであり、ど素人がかっこつけて竹刀を使ってはいけないのです。
竹刀は、剣道をするための道具です。土俵や相撲部屋は、相撲をする場所です。最近少し暑いですから、貴の花には小学生でも分かるこの理屈が、分からなかったのでしょうwww
50 :
sporran:2005/08/06(土) 08:13:23 ID:wCXzrCQC0
よく聞く事ですが、柔道や空手、剣道などに子供を通わせる理由としておやが「しつけや礼儀を身につけられるから」
というのがあります。
これが間違いの元で、古流の道場を持っている友人は「それはご家庭でするもの、それがわからないようではお教えできません」と返してしまいます。
当たり前のことです。道徳学校かマナースクールと勘違いしてる人が多い。これが武道を知らない一般の考え方です。
確かに道場では序列があり上への礼といったものは身につくでしょう。しかし、それは道場内だけ有効であって日常とは切り離され、応用が利かない。
そういう人は多いと思います。いくら礼ができるようになったからといって、「武道界内のみ有効」ではないことがわからないのは何が問題でしょうか?
最近特に気になることが「痴のデフレスパイラル」というものです。私が勝手にそう呼んでいる現象ですがこれは、悪いお手本が数多くあると、新入者はそれが標準であるとみなし、自分の上限をそこに設定する。
したがってその世界全体のレベルが下がり、また新入者がくると、自分の上限をそのレベルに合わせるので更に全体のレベルが下がり・・
と言う現象です。私は十数年イラストを書いていますが技術レベルでは明らかに、新人のレベルは落ちている。
これは漫画界、音楽、ダンス、ゲーム、全てのクリェイテブな業界に共通しています。
原因はプロフェッショナルとアマチュアの差が崩れていること、媒体や情報機器が発達し、誰でも雑多な情報を得られるので良い、悪いの判断が出来なくなったこと。
一番の原因は下手なものがマスコミに取り上げられそれを見ているユーザーがそれが良いものと判断してしまうことです。
剣道界にかぎらず、武道会にもその現象が起きていないことを願いますが。
51 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/06(土) 10:37:33 ID:doeWnG/A0
>>50 これは仕方ないでしょう。 人格形成・青少年の健全育成なんて生徒を集める建前、
そもそも近代武道の嚆矢である柔道を作った嘉納が普及のために唱えたお題目に過ぎません。
仏教が大乗化するさい修行の階梯について書かれた経典を「念仏」という名の呪文に貶めて
無学文盲の一般庶民に普及させたのと全く同じ手法です。
剣道その他は柔道という理念の制定・教本の作成・段位制度・統一ルールによる公開試合
というそれ以前の武芸に無かった普及用マニュアルを模倣して発展したものです。
52 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/06(土) 11:10:18 ID:doeWnG/A0
スポーツマンシップの話が出ていましたので、ついでに例の件について・・
外国のスポーツ選手がルールに記載が無いことはやっても良いと考えるのに対し
日本人選手は、ルールに書かれていないことはやってはいけない、と考える傾向が強い
そうです。 これはルール、明文法の捉え方が根本的に異なるからです。
西洋社会の根底にあるのは、神の名の下に人間同士が対等の立場でとりかわす
「契約」という概念です。 最低限守るべきことが書かれているので、書かれていない
ことは自由である、と考える傾向が出てきます。 しかし、日本人にとって明文法とは
お上からの命令以外の何者でもありません。 鎖国して以来、お互いに証文を取り交わす
という習慣は一部の商人を除いて一般社会に形成されてこなかった。
西洋人は大航海時代に国権も教会の威光も届かない異国を巡って商取引を重ね、
信用を失えば即武力行使という厳しい世界で「契約」という概念を醸成させてきました。
「ギリシャ・ローマ文化の合理性」「キリスト教」「契約」が西洋社会の思想的本質で、
スポーツ文化の背景です。
53 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/06(土) 11:22:34 ID:doeWnG/A0
武士道とスポーツマンシップの相違は、最大の侮辱となる表現が
「卑怯」と「アンフェア」であることに集約できます。
「卑怯」という言葉は「卑しい=志が低い」「怯える=勇気がない」つまり
武士道が「名誉」を最も重んじることの裏返しであり、
「アンフェア」は「フェア=公平・公正」でない、契約の不公平性・不履行を
訴える表現で、「お前は約束を破った、命の保障は無いと思え!」と言っているのと
同じです。
54 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/06(土) 11:45:18 ID:doeWnG/A0
スポーツが新しい道具を次々に開発して積極的に取り入れるのに、剣道では少しの改良、改変
に対しても強い抵抗があるのは上記の考え方が伝統的に存在しているからです。
剣道指導者は「教えに無いことは駄目、人と違うことやったら駄目、新しいことは駄目
とにかくダメダメ」と口を開けば否定表現しか出てきませんが、日本社会のあらゆる分野で
似たようなものでしょう。
最近メジャーで活躍できる選手が増えたのは、それまでの日本人に能力が無かったからではなく、
飛行機で簡単に外国に行けるようになって日本社会の閉鎖性から開放され才能を伸ばせる環境が
できただけだと思います。 底辺の底上げには有効ですけど。
才能無い努力しない人間も、連帯責任やらで無理やり引っ張り上げる力は誇るべき能力ともいえます。
長文、ならびにアゲてすみません。
55 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/06(土) 11:51:23 ID:ajKgkK2k0
>>41:YMAさん
>切れない部分で叩いている状態です。
なるほど。
>一般的に体罰を与えるのを見る{部活等で}場合は、刃もなにも関係なくやっているように思えます。
>そういうのを見ると、指導者の怒りが見え、かなり不快です。
仮にですが、剣道の専門家が、怒りにまかせて生徒を竹刀の斬れない部分で叩いた場合はどうなのですか?
逆に、貴乃花が(斬れる部分を教わったとして)、その斬れる部分だけを使って弟子を叩いた場合は?
西洋と日本の比較は面白いですね。
私が昔に恩師から聞いて納得した話ですが、日本文化は型を大事にする文化ってのがあります。型を大事にするから、それを維持するための作法にも当然にこだわる。
また、型を大切にする文化だからこそ、剣道の技術は「あれはダメ、これはダメ」となる。つまり自分で型を作るのではなく、自分を型に合わせていくことが、特に剣道の初心の上達には大切だとも聞きました。
55さん
怒りに任せてと言われても、多くの剣道家は指導者が怒りに任せた行動をした時点で、その指導者は修行不足や人間的にやばいと考えると思いますよ。
怒るまではありでも、それを行動に移す指導者なんてそもそもおかしな話ですし…
57 :
YMA:2005/08/06(土) 21:57:03 ID:FAtXgg3u0
いろいろなご意見や御視点、今まで考えなかったことばかりです。本当に勉強になります{^^}
若い順に私の意見を答えていきますね。
>>55さん、私の書き方が悪かったようです。誤解を与えたみたいですいません。
>>56さんがいうように、「怒りにまかせて」という部分が私にとって「不快」なのです。その冷静さを欠かす所を現すために「刃もなにも関係なくやっているように」と書きました。
剣道、剣術をやるものにとって、刃を意識しない状態というのは、異常な状態だと{私は}思うので、こう書きました。
>逆に、貴乃花が(斬れる部分を教わったとして)、その斬れる部分だけを使って弟子を叩いた場合は?
これについては、貴乃花が弟子を「殺す」つもりでやっていると考えてしまいます。なので、指導者として失格、行うべき人では無いと思ってしまいます。
・・・・・・・また、言葉足らずや配慮不足で誤解を与えるかもしれませんので質問等お願いします。
58 :
YMA:2005/08/06(土) 22:13:06 ID:FAtXgg3u0
>>51さん、そのように捉えると、剣道問題の原因がより明確に理解できそうですね。
確かに、変革を毛嫌いする方々が多いですね。守ばかりに徹する考え方というか・・・・・
>>48でのご意見は、激しく同意・・・というより、言語化して頂きやっと自分の考えが明確にわかりました!
>>50 sporranさんの見方や「痴のデフレスパイラル」について、御聞きしてやっと納得いきました。
なぜ、ああも自己鍛錬をしようとしないのか、なぜあの程度で満足できるのかが理解できなかったので・・・確かにこのように考えると納得できます。
御二人の御話を聞いていて、ふと、思ったのですが、剣道をやる方で「守・破・理」について指導された方、参考としてそれについての本などを薦められた方っていらっしゃいますか?
剣術関係を齧るせいか、このことは、指導された覚えがあるのですが・・・・・・この考え方が抜けた指導者だと、押しつけ指導や新しい物への排斥を考えそうだと思いまして。
59 :
YMA:2005/08/06(土) 22:33:08 ID:FAtXgg3u0
>>45さん、確かに剣道に対して勉強したり、考えたりさせるような指導は、あまり聞きませんね。私自身も指導されませんでした。
今考えると、これを行うかどうかが非常に重要だと実感できますね。
専門家{職業剣道家}の方々は、皆確固とした剣道観を築き上げていますが、それ以外だと、そこまで考えている指導者は居ない様に思えます。
私もごく最近まで、その必要性というか、その動作自体に気付きませんでした。しかし、気付いて行うとまるっきり剣に対する全てが変わりました。
>>18さん、昨日は途中までしか拝見できませんでしたが、確かにこのような見方をすると上で述べさせて頂いた方々とまた違う側面が見えますね。
私は余波と軽視してしまっていましたが、一般的な視点などには大変重要なものですね・・・・じっくり考えてみます。
>>44での>何を重視されていましたか?
私は、「攻めること」についてです。{これだけでは駄目だと、注意され現在は若干違うのですが・・・そっちは明言できるほどまだしっかりしていないので}
如何に相手を先に斬るか、如何に追い詰めるか、如何に仕留めるか、ということを基礎として修練してきました。おそらく習う剣道・剣術が、元々攻撃性が高かったせいだと思います。
このためには、最短、最速で斬ることができる、いわゆる基礎が最重要であり、精神の不動性や強靭性も必要になります。
ある程度、基礎を中心にやっていくと次々と課題が見つかる。それを達成できるように修練してきました。
・・・・・これからも考えると、私が思っている以上に、攻撃的で薄情な剣道のように思えますね・・・・・納得できてしまい否定できない{泣}
60 :
sporran:2005/08/06(土) 23:12:54 ID:wCXzrCQC0
「守・破・離」ですが、私は武術というものは絵画や音楽と同じクリェイテヴなものだと思っています。
したがって、いかに素晴らしい師匠の技を完璧にマスターしても、それはコピーでありコピーはオリジナルを超えることはありません。
例えば師匠が2mの大男で弟子が160cmほどの小男だとしたら、技のコピーは出来てもどうあがいても体格を有利に使うことは出来ません。
したがって、弟子は自分専用技を開発する必要があります。その基本となるのは発想でありひらめきです。そのためには様々なものを好奇心をもって観察することが必要であり
芸術家であればそこが一番肝心な所です。
古流の場合は技術を後世に伝える使命があります。ですから、「破・離」と言う考えは変質そのものですからこれに対しては厳しいでしょう。
しかし、試合中心であればこれは大切な要素です。ところが私が外部から見る限り、剣道はどっちつかずの感を受けます。
どなたかが書いておいででしたが、上段の構えは中心の取り合いを教えてもらうという意味合いから、練習では好まれないが試合では普通に使うとありました。
剣道に試合があり勝つことがシステムに組み込まれ,多くの人が楽しむよりも勝つことに主眼を置いている以上、「破・離」は技の伝承よりも優先されなければいけません。
良い師匠と言うのは基本はしっかりと教えつつ、弟子に自ら考えさせるように仕向ける人でしょう。
押し付けと排斥は最も愚かしいことです。理由はわかっていない人が、それを知られない為の防壁だと私は考えます。
次に、芽を摘む。クリエイテヴな環境でこれほど罪なことはありません。三つ目に変化に対応できない。4つ目に権威主義に陥る。
61 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/06(土) 23:17:30 ID:eaVRZ50Q0
>>57 YMAさん。
なるほど。少し整理させてください。
以下の中で、許容される余地のあるのは、どれでしょうか?
A 剣道専門家が、
甲 指導のため
1 刃と想定している部分で叩いた
2 腹と想定している部分で叩いた
乙 怒りに駆られて
1 刃と想定している部分で叩いた
2 腹と想定している部分で叩いた
B 貴乃花(刀と腹の想定だけは理解しているとする)が、
甲 指導のため
1 刃と想定している部分で叩いた
2 腹と想定している部分で叩いた
乙 怒りに駆られて
1 刃と想定している部分で叩いた
2 腹と想定している部分で叩いた
62 :
sporran:2005/08/06(土) 23:31:20 ID:wCXzrCQC0
竹刀に関してですが、構造的に刃の部分はわかりにくいです。
これは径が円形であること、刃の部分に一目で判る工夫がされていないことです。
我々の武器も径は円ですが、刃の部分は明確にわかるようラインを引くことが決められていますし
個人的に、持ち手を削って楕円にし持った時に刃の向きを感じる工夫もします。
しかし、竹刀の刃の部分であろうが背の部分であろうが、誰であろうが暴力的な叩きを許容する余地はないでしょう。
同じく柄頭でどつきあげても暴力は暴力、道具のどこを使おうが。
63 :
YMA:2005/08/06(土) 23:55:26 ID:FAtXgg3u0
>>61さん、私的な意見としてお願いしますね。私もずれている所がかなりあるので。
Aについては、甲2以外は許容できません。Bについては、刃が「人を殺す」という意味で捉えられているなら、2のみです。
そこが理解されていないなら、甲の両方は許容できます。他武道という意味、私が土俵でのマナーを知らないと同レベルででの許容です。
他の剣道家や他武術の方の意見も知りたいので、
>>61さんの問いでお願いします。
>>sporranさん
>>62での>誰であろうが暴力的な叩きを許容する余地はないでしょう
これについては同意見です。
ここで、私が剣道をする者の共通認識として、問題だと思うのは、刃であると認識して殴ることです。
剣道の経験者ならば、ツルという部位があるのですが、それの反対側が刃というのは一目で判りますし、感覚的に認識できます。
その上で、刃という「人を殺すための部分」を使うことに重要な意味を見出すのが普通だと思います。
なので、他武術の方が知らずに使う場合は仕方ないと思いますが、そうでないなら、その人に殺意があると認識してしまいます。
これについては、育つ環境から異見があると思いますので、よろしくお願いします。
64 :
桜田武士:2005/08/07(日) 00:01:49 ID:Lfkes7ha0
面白いスレですね。
武術では心や気は鍛えられます。しかし人格者になれるわけではありません。
ここのところが分ってない人間が多すぎます。
刀の扱いに関しては極めて実践的な意味合いで大事には扱いますが、それ以上の
ことはありませんね。それ以上の扱いをしている人間に刀を扱いきれている人間
をみたこともありませんし。
65 :
YMA:2005/08/07(日) 00:13:10 ID:hjk06FPU0
>>60の「守・破・離」についてちょっと補足しますね。
「守・破・離」の「離」は私の学ぶものにはありません。「理」という、万物に共通する理合いになります。
「離」については知らないのですが、「理」の方の、「守・破・理」について少し書きますね。
まず、師の教えを「守」る事から始まり、それを徹底する。その後、その教えを「破」り、自己模索することで、全てに通じる「理」に至ります。
技術の保存は大切なことですが、実際の所、完全な保存、伝達は行われていません。私の知る所では。
というのも、剣術にしても、皆、この「理」に至るまでやるので、それぞれの掴んだモノが反映されます。つまり、使い手のオリジナルになるまでやります。コピーは初心者の行うものです。
例えば、師は刀をかわす時に右足を重視して型を行います。しかし、高弟は刃筋を重視して行います。これがどちらが正しいという物は、少なくとも剣術はありません。私の剣道道場でもありません。
剣道型という剣道家全部が知るモノでもそれは顕著に現れます。審査とはその練り具合を見るものだと捉えています。
高段者の方々など、皆、構え、打ち方、体重の位置、それぞれのモノを持っています。本などでも出てるのですが・・・・いい文献あったら掲示お願いします
見ているだけだと違いが判らないでしょうが、突き詰めた方々は、個々にオリジナルと言えるまで、型を練ります。そうしなければ、自分のモノにできないからです。浅い人にはここが理解できてないのでしょうね。
仰るとおり>良い師匠と言うのは基本はしっかりと教えつつ、弟子に自ら考えさせるように仕向ける人
であり、それが必要不可欠なんですよね・・・・・・長くなってしまいました、すいません
「守・破・離」について、できたら詳しい説明お願いします。流派違いで存在するのは知ってるのですが、内容を正確に知らないので
お願いします
つーかお前ら、改行くらいしろっての。
読みにくいったらありゃしない。
YMAさん>他の武器を使う武道もしてましたが、普通は叩きません。と言うより、叩くには暗黙の形がありました。
防具は安全のために着けている。だから防具以外の場所を叩くと反則になる。
指導で防具以外の箇所を叩く場合は、有効な打突とは異なるのが分かるように叩く(例えば軽く、刃筋を立てずに等)。もしくは、防具の箇所に有効打突を打つか…
貴の花の件に関しては先に述べたように、ど素人が専門家の道具を、かっこつけて専門家の真似をして使っただけなので論外です。
守は師の教えを忠実に守る時期。則ち基礎をひたすら固める時期。
破は、各人にあったものを試行錯誤する時期。
離は、破で選び抜いたものを自分のものとして、一人立ちする時期。
普通な意見過ぎてスマソ
本来、「守 破 離」の段階の目的というのは”離”であって
”守”というのは、”破”の土台。
だから、基本動作だけじゃなくて、何故それが基本であって、その基本が
破や離とどうつながっていくのかをちゃんと教えてあげることが大切だし
第一、守→破→離の流れからしてそれが自然。
それを無視して、いつまでもそこ(守)を強制するのは
永久に掛け算九九や足し算を教え続けてよしとする数学のようなもので
徒労としか言いようがない。
剣道の場合問題なのは”守”の段階のハードルをやたらと高くすることだと思う。
その基準が”センゴクの剣聖某””幕末の大検士某”だったりするからどうしようもない。
合ったことも見たことも無い人間のレベルを本人が勝手に設定して”基準”にしてるんだから、
ある意味脳内妄想であって具体性がない(思い込み)
勘ぐれば”守”が基本的に過去のコピーでいいなら、
例外はあるけど”守”の世界だけ切り取れば基本的には
”やった時間と技術は正比例”(←実際はちがうけどね)ということになる。
”守だ、守だ、守守守守・・・!!!”
といい続けていれば、そこに座っていた時間の長い人がより大きな顔ができる
・・・という安直な理由で”守 破 離”の守ばかり主張する変な体制があるのかも。
だったら怖いな(w
剣道が停滞というか、保守化というかそうなっている面には
この「守 破 離」の捉え方がゆがんでるせいであるのが大きいと思うよ。
なるほど。
でも私的には剣道の守は、総合的には他の日本武道よりもハードルは低いと思いますよ。
と言うよりか、立合いのハードルだけが高すぎるように思います。剣道形や学科のハードルなんかは、明らかに低すぎです。
ただ、段との兼ね合いで考えると確かにそうかもですね。だいたい何段ぐらいまでが守なのかと考えると、下手したら八段までが守だったりしかねない…
>>70 剣道の目的自体に、「守 破 離」を当てはめるのは大きな間違い。
あえて「守 破 離」に当てはめるとすれば、俺にとっての剣道は「守」のみ。
より速く、より完全なタイミングで叩き込む。
その為の基本。基本だけが剣道の稽古。俺はそう信じている。
守だ、守だ、守守守守・・・!!!” の何がいけない?
”やった時間と技術は正比例”(←実際はちがうけどね)ということになる。
何が違う? 少なくとも俺は正しいと思うね。
積み重ねた時間こそがタイミングを掴む。より速い剣を生み出す。
そう信じれない人間に武道をする価値があるのか?
>その基準が”センゴクの剣聖某””幕末の大検士某”だったりするからどうしようもない。
>合ったことも見たことも無い人間のレベルを本人が勝手に設定して”基準”にしてるんだから、
>ある意味脳内妄想であって具体性がない(思い込み)
これこそ脳内妄想。そんな基準は聞いたことない
剣道を、「停滞、保守化」なんて言葉を使い、
理解したような態度をされるのは不愉快だな。
停滞も保守化もしてない。
ちょ…守だけだとまさしく停滞や保守そのものでしょ。
確かに持田先生みたいに基本に五十年、みたいな素晴らしい先人の教えもあります。
しかし誰かが離まで到達し、それを新たな守として次代に繋げるから剣道は進歩する。守だけなら、どこかで守すら究められない世代があったら、守以下になるよ?
武士は剣術を修得しないといけないから、修行人口も多く、生活がかかっているから必死でやった。それなら守だけでも十分に繋がるかもしれない。
だけど別に義務でも強制でもない現代では、目標が守だけで完結していたら危険だと思うが…
守は確かに全てを内包しているかもしれないけど、破や離がそれを活かす教えでは?
破や離の教えの内容も守に入れてしまうのなら、そのような考え方もありかもしれないけど。でもそれならその時点で、守破離なんてなくなってしまう。
〉やった時間と技術は正比例
ってやつも、質と量の両方をかね備えた場合は、って意味では?
質がない場合は正比例しないから、実際は違うけどって言ったのだと俺は捉えたが。
この守破離の私の意見に関しては、剣道家よりも古流をしている人の方がピンと来るかもね。守だけだとどれだけ危険かが。
もちろん剣道は守だけでもまだまだ大丈夫な状態だとも思うが。
正直日本の剣道・剣術史を紐解けば”守だけが大切剣士”なんて大していない。
むしろ、一刻も早く”破、離”に進もうと努力工夫した剣士が大きな仕事もし、剣壇に名を残している。
彼らが高名になってから後日を振り返り”基本が大切”といっているのは、破や離に進むための土台
として「大切」だといっているだけであって、
”いつまでもそこ(守)に留まっておれ”という主旨で言っているわけではないよ?
だから剣道の最高位たる8段が”いまだに私は守です”などと大真面目に語られると
なんだかなぁ・・という気がする。
本人は謙遜のつもりかも知れないけど、そういう姿勢が「守だけやってればいい」指導者を大量生産して
結局剣道を駄目にするんだよ。
先人の背中は追いかける目標であると同時に踏み越えるためのロイター板なんだからもっと覇気を持たないと駄目だと思う。
だから8段になれば一流一派を開いた”離”ぐらいの覇気が欲しいけど、
無理ならせめて”ようやく破の段階に進みました!”ぐらいの言って欲しい。
76 :
桜田武士:2005/08/07(日) 10:48:32 ID:vq+sJCFb0
>>72 型武道の世界では質的転換という技術的問題が存在しますから守破離の
教えは現実的な問題としてのしかかってきます。
そういう技術的問題を他にしても、守破離の真理は万事に存在し、細分化
すればどのようなものにも宿る真理です。ですから守にも守破離は存在し
ますし、離には離の守破離があります。基本は極意というのは守のままで
極意に達するのではなく浅瀬から深みに至り、やがて彼岸の浅瀬に至るが
如くであってはじめて極意に成り得ます。
子供の頃に習っていた習字には格段位ごとに人地天という位分けがありました
が、それこそまさに格段ごとの守破離を表している具体例とも言えますね。
持田盛二先生の守と初段のみる守ではまったく違った次元であることはこういう
例を持ち出すとよく分ります。
77 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/07(日) 12:51:36 ID:Ad6hh/Hd0
剣道、強くなりたいんですけど―
78 :
蝦@携帯:2005/08/07(日) 13:56:05 ID:Y73JrOO1O
>>77 取り敢えず2ちゃんやりながらでもいいから
一升瓶に砂ぎちぎちに詰めて振って手首鍛えるヨロシ。
強くなれば?
桜田武士さん
かなり参考になります。つまりは守破離の繰り返しにより、上達していくと捉えてよろしいでしょうか?
繰り返しというか、言ってることからすれば、
「守」@ の 守 破 離
「守」A の 守 破 離
…「守」S の 守 破 離
があって、
「離」@ の 守…
みたいなイメージだろね。
>>80のはすんげぇ名物扱きをやるトコの総監督と同じ意見。
ただ、どうかな。
極意への道は単線的でもないし、というか「極意」があると言って
いいかどうかもわからないけど、とりあえず、ようやく「破」まで
いきました、なんて言うのは個人的にはどうかと思う。
昔、地区のえらいじーさんがうちの道場の先生と朝から晩まで
現役高校生に混じって連盟だ所轄署だ道場だって稽古し続けてて
、その合間に麦茶飲んでる時に、汗だらだらさせながら
「OOさん(先生の名)、最近私もようやく剣道がなんなのか、
判ってきた気がするんですよ。」
とか呟いてたのを思い出す。
軽いもんじゃないんだ、それだけはそう思う。
そういう重さがあることを受け止めなきゃいけないと思う。
わかんないけどね。
81
私の意見が?75や桜田武士さんとの間違いでは?
ってかずっとROMってたから、本気でアンカーの付け方を思い出せない…orz
お前ら気合入れすぎ。
守 破 離 っていっても
守にしろ破にしろ離にしろ、個人の内面世界の基準であって
客観的な根拠は何一つ無いじゃないか?
つまり個人が自分で守だと思えば守、破と思えば破、もうこれで十分と満足すれば離だよ。
個人の主観的世界にすぎないことを外野がどうのこうの言うこと自体が不毛だ。
84 :
無名:2005/08/07(日) 21:23:31 ID:jGLrgU2dO
最初から読ませていただきました。読み応えのある、良スレですね^^貴乃花の件に関しては、どうも相撲部屋自体そういう慣習があるようですね。他にもそういうのを見た覚えがあります。
>>82 >>レス番号 で良い筈。
>>76と
>>80では微妙に違ったように感じたから。
や、殆ど同じと言えば同じだし、
>>76でも無い奴が言うのは妙だけどね。
ややこしかったらスルーして下さいな。
で、レスを通して読んで、一番鋭かったのは
>>64なんじゃないかな。
それまでは、武道家は生死の極限を彷徨って修行した分だけ、並の人間
より器が大きいことがあるだろう、実るほど頭を垂れる稲穂かな、を地で
いく人もいた、そういう優れた伝記もあった、最大限、そうであったら
いいなぁ、程度のものだったと思う。
これを30年前に剣道だけは突出して「人間形成の道である」と言い切って
しまった事、その剣道が学校教育の正課の一部に組み込まれている事で、
戦後教育の価値観の範疇で「そうあるべきだ」になってしまった事が
いろんな意味で不幸だったと思う。
本気でそうあるべきなんだと考えるのはいいんだけど、その場合、
剣術、いや、戦後になっての「剣道」があたかも全ての人が人間形成の
道として剣道を選んでいて、そうでない人はいない、くらいな思い込み
をしてしまっていて、そこから外れた人のほうが例外ケース、という
前提から出発すると、あまりの違いに絶望すると思う。だって、偉人でも
傑出した人格者でもない大多数の剣道人に対して「そうであれ」と言えば
そうなるかといえば、ならない(なりようがない)わけだし。
86 :
無名:2005/08/07(日) 21:28:56 ID:jGLrgU2dO
自分はそういうのは、好きじゃないですが。というか大嫌いですね。指導と示威行動を取り違えているとしか思えません。あれで何が上達するというのか。正しく教えることが出来ない人に多いかと。
あの1975年の建前は、明らかにただのスポーツでも、ただの武術の
継承としての技量の発展を通じて陶冶される、修行者としての人間錬磨
「ではないもの」を剣道に引き寄せた。
で、その後も剣道が他のスポーツとも武術とも格闘技とも、他の武道と
すら違うものとして利用され続けてる。
俺なんかは小学校からそうだと教え込まれてきたわけだ。
だからいじめっ子をぶん殴れと県大会で連盟会長が演説して、実は
いじめっこが怖い奴が多い会場内は動揺したわけだ。(今でも笑えるが)
でもそういう演説が出るというのは、そういう社会のモラルを守るべき
防壁となるのが剣道人の責務なんだと子どもに堂々と教え込んできたわけだ。
その究極の根拠は75年の警視総監発言と、あれに至った暗黙の合意なわけだ。
けど、じゃあ本当に違うのか、と言われると、
なんて言っていいのか非常に困る。
その一方で戦後剣道はGHQ統制の結果出来た珍妙な代物であって
あれはちっとも武道じゃない、剣道の根幹は失われたって考える人達
(そうは思わないんだが)もいて、そういう人達の話を良く見ていくと、
大抵は、剣の極意は壮絶なる修行の元から這い上がった奴だけに伝えら
れればいいし、ついてこられない奴は切ればいい、という考え方に行き着く。
そういう人達からすると75年の建前なんてあったものじゃないというか
邪魔なだけであったりする。
突き詰めれば、「剣道は人間形成の道である」べきなのか、
べきだとすればどうやってそうなるのか(建前を実体にしていく戦術)、
べきでないとすれば何になればいいのか(解体や空手みたいな流派・
分派の許容)というのが「日本剣道界」としての問題じゃないかな。
まぁ、自分の目指す剣道を目指すやり方で、毎日稽古してれば、
それはそれだけでいいんだけどね。
89 :
無名:2005/08/07(日) 21:38:10 ID:jGLrgU2dO
守破離についてですが、自分も若い頃にやはり同じようなことを考えていました。(空手の方ですが^^;)それでフルコンにいったりキックにいったり・・・。
90 :
無名:2005/08/07(日) 21:40:47 ID:jGLrgU2dO
ですがね、ある日ふと気づいたんですよ。十代の頃に叩き込まれた、古流の動きが実は一番、「実戦的」なことにです。いやはや、釈迦の手の上の悟空だったと気づいた時には・・・w
91 :
無名:2005/08/07(日) 21:49:15 ID:jGLrgU2dO
剣道八段の方が「未だ守」とおっしゃられているとありましたが、武の世界は若い頃に思う以上に大きく、奥の深いものだということを痛感しての発言ではないかと思いました
85
レス番号か、訂正感謝
ふむ…私自身、別の武道でDQNな指導者の下にいたことがあるのですよね。その方は高段者ですが、とても人格者では…かなりやばかったです。
私の考えでは、なるような人間にしかならないと思います。
前にも書きましたが野球なら野球、サッカーならサッカーと、ある程度は競技の特性に即した形に人間は成長しやすい。だから剣道も、その特性に近い形での人間形成がされる。
ただ問題は、その人間形成された形が果たして人格者なのか…
最近よく思うのですが、一般的に言われる人格者には剣道だけではなれない。だから禅やなんやで補完する必要があったのではないか、とも思います。
極論すれば、坊さんや神父なんかはその修行の内容自体が、人格者になるためのコースですよね。だから一応は人格者になる。
でも剣道の修行の内容は、果たして人格者になるコースなのか?
93 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/07(日) 22:05:28 ID:Uo50yB740
>>63 YMA さん
>Aについては、甲2以外は許容できません。
なるほど。
そうすると、
A 剣道専門家が、 乙 怒りに駆られて 2 腹と想定している部分で叩いた
ケースは、不可となるわけですね。
しかし、
A 剣道専門家が、甲 指導のため 2 腹と想定している部分で叩いた との区別は、実際上難しいと思いますが、どうやって判断するのでしょうか?
A甲2を名目にA乙2が横行する虞があると思います。
また、A甲2でも叩く程度や部位という問題があります。
その点についても、お考えをお聞かせください。
94 :
無名:2005/08/07(日) 22:05:36 ID:jGLrgU2dO
自分は剣の世界(柔術、合気道含。)に今非常に興味があります。空手の技術を「補完」することの出来る、洗練された感覚、技術体系があると、ほぼ確信しています。
95 :
無名:2005/08/07(日) 22:12:26 ID:jGLrgU2dO
温故知新。古きを尋ねて新しきを知る。若い人達は、一度競技としてだけではなく、武の道、剣の道としての「剣道」を意識して、鍛錬なさってみては如何でしょうか?多分殆ど形骸化してしまっていると思われる剣道形の見直しとか、何かの発見になるかもしれませんね^^
>>83 そうでもないな。
だって言ってる人は書物書いて世に問うてるわけだもの。
究極的には辿った道は自分にしか判らない事だってのはそうだけどね。
指導って「それ」をどういう形であれなんとか伝えないといかんのよ。
あ。っていう意図で言ったんじゃないって判ってるから。独り言ね。
>>92 そうかもなぁと思うところもある。剣禅一体っていうのも、
相互補完の関係にあったとも言える。「剣と禅」っていう、
そのものずばりの本もあるしね。
んだけど、やっぱ坊主でも色町で遊んで土地転がしに狂奔してる
のが、結構いたりする。階層序列世界をあれやこれやと争うのは
宗教界も俗世とあまり変わらない。もちろん程度問題の上下はあるし
、ホントに頭が下がるしか無い虚心な方もいらっしゃるんだけどね。
もうここまで来ると「人格者」とは何なのか、という、かなり
難しい話だよね。まして、どうやったら剣道にそれを真正面から
組み込めるのか、っていうのは凄い難しいな。
>>無名さま
そうなのでしょう。
そう言うには自分はまだまだですが。
やや違いますが「木刀による剣道基本稽古法」が少年用に用いられる
ようになりました。最近は道場でも剣道形には力を入れるようになりました。
ただそれが全体の動きか、と言い得るかどうかは判りません。
96
剣道の中に人格者を作る要素が存在するとして、例えばどのような点がそうだと思いますか?
人格者の内容は大まかでいいと思いますので。
私、武芸十八般も補完の関係にあると思います。ここに来ている方は複数の武道をされている方が多いようですので分かると思います。
剣道だけよりも、他の武道をすることで理合の共通点や相違点を発見し、互いの武道が上達しませんでしたか?私は剣道だけでは、一部の方以外は気付かないことがたくさんあると思います。
桜田武士さんは居合もされているようですが、剣道とは異なる境地に達していると思います。そのような感じで、武芸十八般のそれぞれから達する境地を統合して、さらに禅を加えたら…
どうなのでしょうね?
>>2 (スレッド主さんの出した話。ちょと違うけど。)
>>61の整理は、突き詰めれば
>>62に行くと思う。
勿論甲2にこだわるのは剣道やってれば凄く良く判るんだけど、
この整理は「受け手」がどう捉えているか、を抜いてる。
つまりね、
>>61の甲2が成立していても、
>>93でもあるように、
じゃあそれが成立していれば暴力じゃないのか、って言われれば
例えば面つけてない状態でバッコリとツルで頭叩けば暴力だよね。
だけど、剣道、っていうかまぁ広い意味での修練に関わった人
ならある程度判ると思うけど、ボコボコにやっても暴力と取られない
場合がある。それは何かというと、本人が本当に望んでいる場合。
>>45みたいな考え方もあって、口で言っても叩いても効果同じじゃないか
、と言うんだけど、やっぱりそうでもなくてね。体でしか判らない、判り
ようがない事っていっぱいあるんだ。
やっぱり壁を越えたい、とか、スランプを超えて精神的に強くなりたい
とか言うときに、反復した稽古の範囲ではどうにもならないものがある。
極限、とは言わないけど、身体のサボタージュ機能の範囲では身に付かない
もの、身に付きようがないものはいっぱいある。
言葉では自転車に乗れないんで、やっぱり身体に染みこませるには
転んだり泣いたりする事でしか超えられないものはある。実感だけど。
いやスケジュール科学的にハードにすればそれでいいって考えるかも
しれないけど、それはそれで精神的には辛いし、その選別に耐えられる
っていうのは、それは非常にその時点で精神的に強い人なんだわ。
そこで自分に何が出来るか判らなくなって、強くなりたいのに強く
なれなくなって、もがいて苦しんでる子に対して、いやそりゃ本人の
問題だとは指導者は言えないよ。
で、ここんところが問題で、
それは「本人」が「本当に」望んでいる事なのか、ってこと。
これを、「あいつは成長するはずだから今叩いてやるんだ。後で感謝
するはずだ」ってやっちゃったら、どんだけ指導者の志が高くても、
あっという間に暴力に転化するんだと思う。その瞬間、たとえそれが
技術的に巧く壁を乗り越えさせることになっても、殆どといっていい程
人間としての壁を作る。そうすると成果出しても止める事が多い。
逆にそういうとこスムーズにいった場合は、親が見てる前で子どもを
平気で羽目板に張り付けちゃえる。親は驚くし文句も言うけれど、
子どもが笑顔でケロってしてりゃそういうものかと納得する。
そういう指導を受けた子は、途中で剣道止めても、また戻ってくる。
そこまで信頼を作れるかどうかが焦点なんだと思うよ。
勿論、その前に言葉で伝える努力を怠ったっちゃいけないけどね。
>>98 ごめん。それは大きすぎて、いまんとこ手に余るよ。
要素だけなら、たとえば「相手」がいる事をルールの中にはっきりと
入れている点(一本の構成要件)とかあるけど、どこまでが剣道の
オリジナルなもので、どこまでがスポーツにもあるもので、どこまでが
他の武道や歴史的な剣術や武術のものかとか、よくわかってないから。
でも考えてみて、応じられたら応じるよ。
101
…orz
確かに話が大きくなり過ぎましたね。申し訳ないです。
叩く叩かないは、最後は「ものごとの限度」の話になりそうな予感も…
私的には本人を鍛えるために防具のない箇所を叩く暇があるなら、普通に稽古でしごけば?と思ってしまいますが…
103 :
無名:2005/08/07(日) 23:36:55 ID:jGLrgU2dO
「指導」についてですが、自分の体験から思うところを書かせていただきたいのですが、一つお尋ねしたい事ががあります。空手などの組手に相当する稽古は剣道ではなんと言うのでしょうか?大変無知で申し訳ありませんがお教えいただけると幸いです。
104 :
無名:2005/08/07(日) 23:46:17 ID:jGLrgU2dO
>>97さん、これからの世代の子供達に期待ですね^^このスレで何か質問等する事があるかもしれませんがその際はどうかよろしくお願いいたします。(というかしちゃいましたが^^;)
105 :
YMA:2005/08/08(月) 00:29:59 ID:VofKfwqv0
全部読んでませんが・・・・こんなに増えて驚きです。遅スレすいません。
>>68さん、貴方が言っていたのは、試合などについても含まれていたようですね。
そこの配慮がかけていましたので、書きますね。
試合では、決められた部位以外を攻撃するのは禁止です。厳重注意を受けることがあります。
上で私が言ったことは、そういう稽古や試合でなく、あくまでも指導の場合に限ってのことです
また、私が勘違いしてたら、お願いします。
106 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/08(月) 00:41:00 ID:U9o/1aim0
>>103 剣術における竹刀打ち合い稽古が空手における組手、柔道における乱取りです。
現代剣道そのものが組手といってもいいのですが、強いて挙げれば地稽古が近いでしょうか。
掛かり稽古・地稽古のうち引き立て稽古あたりが約束組手、
地稽古の互角稽古が自由組手という感じでは?
あと「守・破・離」はもとは軍学の用語であったものを表千家の茶人川上不白が自著で
上達を説く意を仮託し、それを剣道がさらに引用した訓えです。
戦の手順を説いたものか、上策下策、或いは負けない方法を羅列しただけなのか、
原典が判らないので元の意味は存じませんが、上達論でないことだけは確かです。
知らない方のために確認しておきますね。
107 :
YMA:2005/08/08(月) 00:43:27 ID:VofKfwqv0
>>93さん、私の書き方が不明瞭でしたね。すいません。
私は「非教育的な指導」、つまり、「教育者主観の一方的な指導」が大変不快です。
そして、刃云々については、私の剣道において、竹刀の刃部分は刀の刃と同意であって、
刃で打つことは、相手を殺すことと同意になります。なので、教え子を「殺そうとする」指導は大変不快です。
ここで、問題と考えられることは、
>>99さん御指摘の>「受け手」がどう捉えているか ということです。
これに付いての考えは、貴乃花・・・・スレでも書いた{はず}のですが、
指導者と教え子の間にしっかりとした、信頼関係があってこそ、成り立つ指導法であって、それが無い場合はやってはいけないと思っています。
信頼関係が形成されなければ、そのような指導は指導者のエゴとしか受け取れないし、恐怖でしかありません。
逆に、師に全幅の信頼を置き、「自分のために怒ってくれている」と思わせるほどの人間関係を作ることこそ、指導者の基礎だと思っています。
108 :
YMA:2005/08/08(月) 00:59:14 ID:VofKfwqv0
>>無名さん、ご回復、おめでとうございます{^^}
・・・・スレ違いですけど、向こうだと書き込めるほど知識がまだ無いもので
ええと、書こうと思っていたことはほとんど、皆さんが言われているので、あんまり書くことないんですが、剣道形についてちょっとだけ書きます。
全日本剣道形で学ぶ動きは、即、剣道の地稽古{実践組み手?}で使えるものばかりです。
ただ、タイミング・剣速・打撃点が違うのでその習性が必要になりますが。
それぞれの型の意味を捉えれば、応用まで行かなくとも、十分に即使えるようになりますよ。
ええと、守・破・離については、皆さんの御話で大分わかってきましたが、まだ理解が不十分なので、引き続きご説明お願いします。
御手数掛けてすいません
109 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/08(月) 01:11:41 ID:U9o/1aim0
61の件ですが、煽りになりそうですけど、
いかにも真剣=武器を知らない人の論理だなあ、と思ってしまいました・・
武器の性能を考えるとき、素人は威力面にばかり目が向いていて、実戦では威力以上に
重要になる耐久性・生産性・携行の利便性は頭にありません。
「竹刀は常に真剣と思って稽古している」といっても実は切れ味のことしか考えて
いない方が大半では? 刀身や柄目釘に疲労が蓄積しないよう心がけている者なら
体を叩くなどという無神経な扱いはできないはずなのですが。
110 :
YMA:2005/08/08(月) 01:30:52 ID:VofKfwqv0
>>109さん、私個人の意見として言わせてもらいますね。
おそらくですが、剣道をやる方においても私の考えは、違うものだと思うので。
竹刀を真剣と考えて扱うというのは、真剣を使う準備段階、あくまでも刃物を使うという心構えを養うためであると考えています。
なので、>「竹刀は常に真剣と思って稽古している」
こうは言っても、全ての機能を真剣として扱うわけではありません。
あくまでも、刃の部分を使うことへの慣れと危険意識の育成のためだと思います。もう少し加えるなら、殺し合いをリアルにするためだと思います。
ちなみに模造刀では、同様に腹で叩かれ、指導されたことがあります。
真剣の扱いに付いては、巻き藁を一度切った程度でわかりませんが、刃の恐ろしさ、刃筋の大切さは体験したつもりです。
とても、日頃から危険意識を持ってないと扱えないと感じました。
参考になるかわかりませんが、刃筋については考えて普通稽古しますよ。
・・・・・・・お答えになったでしょうか?また、ご指摘お願いします。
111 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/08(月) 01:46:07 ID:U9o/1aim0
基本と応用について少し持論を述べさせてください。
守破離にも関連することと思われるので・・・
上にもありましたが、基本はよく土台にたとえられます。 上達を建物に見立てて
まずはしっかりとした土台(基本)を築き、その後で柱や梁や屋根や壁(応用)
ができる、というヤツで、私は「建築的上達論」と勝手に呼んでます。
しかし武に限らず芸術、芸道はもっと有機的、生命的でより複雑なものです。
そこで旧来の建築的上達論に対して「植物的上達論」というモデルを考えてみました↓
112 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/08(月) 02:42:51 ID:U9o/1aim0
技芸の上達を建物ではなく種が巨木になる過程に見立て、基本=根や幹、応用=枝や葉
とします。 重要なのは基本と応用の間に前後や上下関係が無いことです。
建築的上達論だと必ず土台(基本)が優先され、結果として重視されることになります。
屋根を葺いた後で柱を建て土台を築く・・・なんてことは絶対ありませんから。
対して植物的上達論では、根幹(基本)と枝葉(応用)は役割が違うだけで対等です。
種から芽が出るとき、根もほぼ同時に出てくるのが普通です。 よく根幹>枝葉といわれ
ますが、これは間違いです。 枝葉がなければ光合成ができませんから根っこも一緒に
死んでしまいます。
根が土を掴んで枝葉を支え、葉が光を浴びて栄養を作り根幹を太くする・・・
お互いが循環しフィードバックし合いながら成長していく関係が植物であり、
応用の質や幅が変化するたびに基本に戻っては調整し、基本が変化したら応用も
それに合わせて調整する、これを延々と繰り返すのが修行であり稽古です。
113 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/08(月) 02:49:41 ID:U9o/1aim0
>>110 初学の段階・・ということであれば了解です。
114 :
桜田武士:2005/08/08(月) 04:52:12 ID:2U2uHo/f0
随分話が進んでしまっているようなので、最近のレスについて少し。
>>110 YMA氏
私は全く逆ですね。竹刀を真剣として扱うというのは真剣に移る準備段階
ではなく、真剣から移行してきた結果であると思います。稽古は体系化
の段階から常に真剣→木刀→竹刀と移り変わるものです。そしてこの逆は
成立しません。これは意識の問題に留まらず、技術的な問題をも包容して
そう言われているものだと解釈しています。
YMAさん
68です。えっと、試合や稽古だけでなく、指導する時もって意味です。
竹刀で叩いて指導する時は、二つの種類があると思います。
一つは相手の未熟なところを、こちらが一本になる打突を打って教えるもので、これには異論はないでしょう。
もう一つは竹刀を棒と割りきって打つ方法です。教師が黒板を指す棒みたいな感覚です。時には寝ている生徒を軽くつついたり、生徒を指名したり…
つまり棒ですから、竹刀と同じように意識して使ったら暴力になる。棒だから、強く叩いたら暴力になる。使い方は、左足が悪いぞと先で示したり軽く叩いたり、みたいなイメージです。考えられますよね。
剣道は防具があって、そこ以外を打つのは反則と決まっている。それならいくら指導でも、そこ以外の場所を打つのはおかしいはずです。
皆さんも心理的には、指導者に防具の箇所を強く叩かれても指導だと感じられますよね。もしくは示す棒みたいな感覚で、軽く叩かれるのも指導と感じられますよね。
でも逆に防具以外の箇所を黙って強く叩かれたら、指導と感じられますか?防具を着けているのに、わざと肘や膝を叩くのですよ?
それにわざわざ防具以外の箇所を叩く暇があるなら指導者は、指導するべきです。私が言う示す棒みたいな使い方も、打ったり口で言うのをさぼった少し品のない使い方です。それをさらに強く叩いたりするのなら、もっと品がないと思います。
剣術の修行なら叩くのもありかもしれませんが、剣道は文部省に認定をうけてますからね。ならば教育的配慮とやらも踏まえて、防具の箇所を打つか、それ以外の箇所は黒板に使う棒みたいな感覚で軽く叩いています。
あくまでもルールや何やに合わせているからですよwww
117 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/08(月) 06:50:54 ID:kuS8DH8sO
竹刀なんて竹の切れ端刀の形にまとめただけのもの
そんなものに意味を持たせるなんて、クダラネー
誰がどう使おうが良いじゃん
剣道のルールを他に押し付けるなってばよ
刀の扱いも色々なんだから、竹刀の扱いなんてさらにどうでもいいだろ
118 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/08(月) 06:54:56 ID:kuS8DH8sO
剣道にしろ居合にしろ、高々道具ごときを大切にしすぎ
剣道は竹刀が抜き身の真剣という想定だから、真剣同様に扱うのは当たり前だが
それを他に押し付けんな
誰か押し付けていた?www
120 :
YMA:2005/08/08(月) 10:47:55 ID:XX+C/OK70
>>114 桜田武士さん
逆なんですか・・・・・確かに摸造刀が振れれば竹刀は振れますが、反対はできませんね・・・・経験上
すると、竹刀は竹刀剣術のためにあるような形になりますね。
昔の方々が心配したような結果なわけですね。撃剣としては有効だと思いますが・・・・
せめて刀の名残と精神を残そうという所でしょうか?
基本のお話しがありましたが、基本とはなんでしょうか。
122 :
YMA:2005/08/08(月) 10:58:29 ID:XX+C/OK70
>>115 68さん
>使い方は、左足が悪いぞと先で示したり軽く叩いたり、みたいなイメージです
これについては、私はこの通りに指導されました。無論、口で注意を受けつつですが。
・・・・・腹で叩くときは、棒で示す感覚と同じかもしれませんね。
ご指摘を受けて、それに気がつきました。
ちなみにですが、指導で防具以外を叩く場合、決して強くは叩きません。
手を10CM上から落すような衝撃くらいですし、うまく叩くと衝撃だけで全く痛くありません。
数十回近くを叩かれ続けると痣はできますが、十回くらいでは赤くなる程度です。
なので、
>>116にお書きになられている様に、巷で聞くような強く叩くものは指導では無いと私も思います。
防具にしても、強く叩けば、教え子は萎縮してしまい、良い指導にはならないと思いますし。
個人的には強く叩くこと自体、防具部位それ以外関係なく、指導としてあるべきではないと思います。剣術も含めてです
123 :
YMA:2005/08/08(月) 11:03:14 ID:XX+C/OK70
>>121さん
私もはっきりとはわかりません。
御話を聞き、思い当たるのは、先生が注意してくださること全てだと思います。
私は、応用は習うモノではなく、自ら工夫し、掴み取るものだと思うからです。
実際、体験から、先生方が注意してくださることが全て{ある一定レベルで}できないと打ちができませんし。
恥かしながら、最近になってようやく面が基本にそって撃てる様になってきました。
ようやく、形になってきたという感じです。
YMAさん
イメージとしては、ピシッと当てる感じですよね。問題はボコッって感じで叩くことかと。
基本は段階によっても変わると思います。私は基本は最良の動作、応用はその調整だと考えています。
例えば単に強く相手を打つだけなら、背中まで振りかぶれば用は済みます。しかしそれだと、起こりが分かりやすく時間がかかります。逆に振りかぶらないと、打ちが軽くなる。
言い換えれば基本は妥協の産物であり、それゆえバランスの取れた最良の動作だと思います。
しかし例えば相手が剣先を開いて面をかばっているのに、真っ直ぐ小手を打っても当たりません。そこで切り返し等で鍛えた手の内を活かして小手を打ったり、左右の面を打つ。
つまり基本を活かして、打てるように調整するのが応用だと思います。
また応用は基本の積み重ねがあるからこそ、より円滑にできます。逆に応用のできない基本は、形だけの基本でしかないと言えます。
そして高段になればなるほど、基本を崩さずに打つことと、どんな場合でも応用ができることを求められるのではと思います。
正速強威のバランスが最も取れた動作が基本ではないでしょうか?
126 :
YMA:2005/08/08(月) 11:44:20 ID:XX+C/OK70
>>124さん
打ちのイメージはそうです。やっとあの面が切断できるような感触の打ちができるようになってきました!
確かに、高段者の方々を拝見するとバランスがよく、基本どおりですね。
私の先生の一人は、左手を額までもって行く、基本の面撃ちを、ヘタな指し面より早く打ちます。
しかも、返そうとしても返せないし、避けることも敵わない、受けなんて持っての外で間に合わないし、弾かれます。
あのような打ちこそ>正速強威のバランスが最も取れた動作 なのでしょうね。
127 :
121:2005/08/08(月) 12:59:23 ID:YxfN5HTD0
>123
衝撃を加えるという戦闘法は非常に原始的な行為であって、その基本というもの
は無いのではないかと思っています。
しかし剣道では基本という概念を2つ創出していて混乱しているのではないか。
ひとつは入門者を飽きさせないためのホスピタリティ。もうひとつは熟練者が
アートの追求を目指す時に新たに技術として容赦なく入ってくるものがある。
前者は実在の世界、後者は理想化され再構成された世界で、両者には重複がある
が越えがたい断層がある。YMA さんの考えている基本は後者ではないかと。
ちなみに剣道やってる訳じゃないので誤解してたらごめんなさい。
128 :
桜田武士:2005/08/08(月) 15:49:32 ID:2U2uHo/f0
>>121 基本とは流派を形成する技術の抽出です。
ですから基本はそのまま極意へと通じていきます。
正面打ちと切落の関係を考えれば分かりやすいでしょう。
桜田武士さん
なるほど、正面打ちと切落としの関係は気付かなかったです。
130 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/08(月) 16:01:20 ID:tgyNCDzj0
俺、柔道部
剣道部と部室兼用なんだけど
最悪、、、
防具からすっぺー匂いするし
竹刀で部屋の場所とりまくってるし
マジ剣道なんて無くなって欲しい。
剣道をやってない人に語ってほしい。
剣道部って、ビチョビチョに湿った、鼻が曲がるくらい
臭い防具をけろっとした顔でつけてるの?
一度、校内新聞の取材で、体験入部で、剣道部員の防具試し
につけさせてもらったけど、アレって、動きづらいよね。
臭いし。
132 :
YMA:2005/08/08(月) 21:29:29 ID:JO0VFAsJ0
>桜田武士さん
確かに切落しを考えるとわかりやすい{誤解していなければ}ですね。
129さん同様、伺いすっきりしました!
>>121さん、確かにそのご意見だと後者ですね。
あながち間違いとは思いませんし、伺ってどこか納得できました!!
ただ、自分でもよく判らないのですが、ちょっと引っ掛かりがまだあります。
なので、できたらもう少し皆さんのご意見をお聞かせください。
133 :
YMA:2005/08/08(月) 21:36:04 ID:JO0VFAsJ0
>>130さん、その剣道部、態度が横柄ではないですか?
普通はもっと柔道部に気を使って、整理したりするんですけどね。
あれ、散らかってると臭いとかもそうとうきついでしょう?
特に学校での部活だと消臭剤とか手入れとか良くないから、きついんですよね。
>>131さん、あの臭い、自分のは慣れていて気にならないんです
・・・・というより気に成らなくなる位、つけて稽古します。
感覚が残ってるとやってられないというのが正直なとこですね。
防具もあれは動きづらいです。でも、これも慣れで、邪魔にならないように動けばいいという考えで私はやってます。
今でも、面は邪魔です。でも無いとすっごく怖いです。
大元は他スレの論争だったので、やってない方の話題までまだ行ってないです。
なので、質問とか、やってない方からのカキコミお願いします{^^}
>>127 剣道やってる人の中では混乱でなく統一された概念だと思うよ。
剣道の基本は初心者にとって剣道の概略像を知る上で簡明な姿であると共に
、修行が進めば進むほどに立ち返り教えられていくもの。叩き台と見るか、
完成形と見るかはさておいて、竹刀剣道をやる上で、現時点で普及している、
最も合理的な剣の理法なわけだから。
んで衝撃を与える…以下の叙述は意味不明。戦闘術間の優劣を論じてる
のではなくて、戦闘術内で最も合理的(或いは正速強威の表現に現れるように
彫琢洗練された)動きは何か、というのが基本の概念だから。
ただアート云々に関しては、剣道芸術論を主張する人達もいるよ。
検索すれば出てくる筈。
>>130 御迷惑をお掛けします。せめて部室だけでも別室になるよう。
>>131 俺が小学生の時には努力の証と誉められていい気になってたけど、
流石にそういう時代じゃないし。
普及を妨げるってのはよく言われはするが、実際どうなのかな?
週三回に実働一時間くらいなら消臭剤とか効く場合もあるけど、
朝・昼・夕・晩とかなってくると、どうにも。まして夏時期は。
まぁ真剣にやってれば稽古中は気になりようがないんだけどね。
135 :
sporran:2005/08/09(火) 08:56:46 ID:s7F21q+u0
鎧をつけていることはこちらも同じです。我々は分厚い鎧下をきてその上から甲冑をつけます。
甲冑は必要な部分に内部にパッドを入れますが、これは発泡ウレタンです。
この部分は汗をかいても化学材料なのでそれほどにおう事はありません。におうとすれば革の部分で
篭手は皮手袋と一体になっていますから、殺菌しないとにおいます。しかし、私は袋の中に詰め込んだままでもにおう事はありません。
汗は鎧下に吸収されるので、こちらは頻繁に洗います。
匂いの原因は汗とそれを吸い込んだ自然物質が細菌によって分解される時に出ます。
と、言う事はこまめに洗う事と細菌が繁殖しにくい材料で作ることです。
剣道の場合、面と、篭手でしょうが例えばインナーパーツを取り出せて洗えるとか、面とその他の部分が分解できて洗える部分は洗えるような工夫がされているとか
構造的にそのような工夫がないと難しいでしょうね。特に布地部分は汗が浸透しやすく蒸発しにくいですから布地部分を革にするだけでもずいぶん違うと思いますが。
例えば、ですよ。私に剣道防具のデザインの依頼が来たとします。依頼要綱は匂いの問題を解消をすること。
伝統的なイメージを重視すること。この二つがあったとします。
私が思いつきで考えると、形状はそのままに、篭手、面の布部分(名前を知りません)は5mm厚の革にします。
内部は二重構造で、殺菌素材の布地でできた手袋とパッドをベロクロで装着します。面部分と、面の布部分は一見縫いこまれているように見えますが、
ホックで取り外しが出来ます。これはメンテナンスと風通しを考えてです。別デザインで革の上から藍染めの布を貼った物も良いでしょう。
オプションで、面の紐、篭手の紐もベルトでベロクロ止めにします。装着に簡単ですから。面にはダミーの紐をつけます。
革はご存知の方も多いでしょうが、衝撃に優れ色も自由に染色でき、表面加工もしやすい。また道具さえあればメンテナンスも自分でできる。
ワックスを塗ると防水効果もあり汗が浸透しにくいが通気性は布に布とくらべると落ちるが、それなりにある。
特に革は手入れをし使い込めば風合いがでてよい感じになる。
殺して欲しい人は、剣道をやろう。
>134
>修行が進めば進むほどに立ち返り教えられていくもの
基本が理想像とされ乖離があれば修正する必要があることを
表しているわけですね。
だけど竹刀技術の発達に伴い、基本に修正が必要になったことは
ないのでしょうか。
ところで、剣道の試合とかだと偶に二刀流とかもいるみたいですね。
カッコエエ
確か内部が取り外しOKの面と小手って販売されてたような…でも何か人気がないようですよね。
たいていのスポーツで靴は臭いですからね。汗で蒸れた水虫菌の靴がきもい、なんて言い出したらキリがないですし。ここで裸足でする剣道は清潔だ、と言っても意味ないし。
ってか剣道が臭いのではなく、だらしない剣道家が臭くしているのが正解。今なら便利な消臭剤もあるのだし、それでも年中臭いのは手入れをする気がないのでしょうね。
まぁ、一般人が多少臭いと言うのは分かるが、体育会系の人が臭いって言うのは引くが。おまえらはそんなにデリケートな育ち方かってw
すみません。
剣道の防具の発する臭いは、他のスポーツとはケタ違いなんですが。
汗かいたまま鞄の中にほっぽり込んで激臭を放っているタオルを
常時身にまとってるようなもんだ。
141 :
sporran:2005/08/09(火) 20:05:37 ID:s7F21q+u0
加えて、篭手の前腕と頭頂部には衝撃吸収剤材をいれる
私は鎧下にポケットをつけてそこに衝撃吸収材をいれてますが、これはいい。
>139
僕はラグビー部だけど、部室は清潔だし花も飾ってあるよ。
3時のおやつは紅茶にケーキだから、女子が来ても大丈夫。
練習前はグラウンドに落ちてる5mm以上の小石は拾う。
タックル練習なんて危険な事はまずしないし、万一やる時はお祈りしてからだよ。
だから格闘技なんてやってる野蛮な人たちは信じられない。
143 :
桜田武士:2005/08/09(火) 21:11:57 ID:1KPMdXPP0
竹刀を真剣として扱うつもりがあれば、防具もまた然りです。
それが出来ない者は所詮竹刀もその程度の扱いにしかなっていない
というしかありませんね。
そういう意味で、臭いというのは問題です。
144 :
YMA:2005/08/09(火) 21:45:55 ID:uHnXmGRA0
そういえば、防具や竹刀の手入れについて、知らない大学生が多くなってますね。
自分達は、竹刀を持った時から、防具を買った時から同時に習いましたが・・・・・
その辺の指導不足と必要性の欠如から「臭い防具」は出るのかもしれませんね。
面と篭手を陰干しすることすら知らなくて、直射日光でぼろぼろにしてたのを見たときは閉口しました
>>138さん
剣道の大き目の試合に行くと二人くらい見ますよ。
規程では、小と大の組み合わせで、大での打ちだけが有効です。
大二刀になると別の大会になってしまいます。
でも、勝ち残ってるのをみたことがありません・・・・残念ながら。
二刀流もちゃんと習うと強いんですけど、剣道での崩し方が確立されてますし・・・・
強い人の試合を見てみたい
145 :
sporran:2005/08/09(火) 22:00:12 ID:s7F21q+u0
良いかどうかわかりませんが、匂いは素材と構造を変えることで90%は解決できるでしょうね。
そのような変化が好まれるのかどうなのか、製作者側に問題解決する気持ちがあるのか、物が出たところで
需要が本当にあるのかどうなのか、なんともわからないですけどね。
変化が鈍いというのはスポーツ化に繋がるという恐怖があるのでしょうかね。
スポーツ化に繋がると言う事は、日本のココロよりも勝ち負けを優先する。
ところがその路線はすでに隣国が先に走っているという現実があるのかも
146 :
YMA:2005/08/09(火) 22:08:27 ID:uHnXmGRA0
>>145 sporranさん
道具の素材改良はだいぶ行われていますよ。
乾きやすい胴着や防具など。ただ、一回買うと高い物なのでなかなか買い換えられません。
その辺が、ネックにはなっていますね。
大々的な改造に至っては、耐久性や動きの制約についてがあるので、相当に難しいです。
それでも、使いやすく、乾きやすい篭手など出てきてるようです。
ただ、昔からの物は耐久性や使い勝手が物凄く良いので、消耗品になってしまうものよりは、そちらに流れますね。
値段が安くなればもっと普及すると思うのですが・・・・・
147 :
桜田武士:2005/08/09(火) 22:30:29 ID:1KPMdXPP0
私は必ずしも素材の改変は行うべきではないと思っています。
その理由は剣道に伝統的に使われている素材こそ、古人の叡智とも
いうべきものだからです。
剣道着の基本は綿の刺し子の藍染めです。刺し子というのは生地を厚く
丈夫に紡いであるので丈夫ですから不慮の事故に対する耐性があり、藍染め
というのはまさに古人の叡智で防虫、殺菌、保温、鎮静効果に優れている為、
剣道の様な激しい武道においては怪我、その悪化の防止とともに防具をつける
ため防虫などの効果も蚊除けなどにも効果を発揮するとともに鎮静効果によって
稽古に集中することができます。そんな理由から古来、藍染めは修行者達に愛用
されてきました。藍染めは天然繊維に適しており、安価な化学繊維などには馴染み
にくいものであると記憶しております。藍染めは主に綿、絹、麻などの天然繊維で
あれば馴染みがよいと思います。
剣道防具のあの重さはあれでも昨今の物は軽量化が図られていると思います。
面金は軽量のカーボンなどが使われるようになりましたしね。
出来る限りの軽量化などは今も継続的に行われております。素面素小手での
袋撓での打ち合いのが安価で軽い、というのは私の考えではありますが、それは
すでに剣道ではありません。剣道の歴史の中ではそういう袋撓に端を発している
部分もありますが、やはり定着したのは直神影流にはじまる竹刀と防具による
打ち合い稽古であり、大成したのは千葉周作の防具改良などによる竹刀剣術である
と言えることからこの歴史の流れを無視するわけにはいかないと思いますね。
148 :
YMA:2005/08/09(火) 22:49:30 ID:uHnXmGRA0
個人的な意見ですが、竹刀や防具の軽量化は反対です。
竹刀に付いてはもっと重く、短くして欲しいです。
防具に付いてもある程度の重さのままであったほうが、素肌になったときの感覚との違いが掴めていいですね。
>>147 桜田武士さん
そこまで、いろいろな意味があったんですね。
それは知りませんでしたが、綿の刺し子の藍染めや綿袴は、確かに使ってて良いですね。
何がと言われるとうまくいえませんが、着心地や動いた時の感覚、外されたりしたときの感覚がいいですね。
これ着ちゃうと、昔の合成繊維はちょっとという気になりました。
手入れが少々手間ですが、それほどめんどくさくありませんしね
149 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/09(火) 23:15:06 ID:irwUYrHN0
中学時代の話。
中学に行ったら、剣道やるぞ!!
と思ってたのに、私の前の代で剣道部無くなってた…
ウソーーーーーーン。
150 :
YMA:2005/08/09(火) 23:50:29 ID:uHnXmGRA0
>>149さん
それすっごく悲しいですね・・・・・・そういえば、私の出身校も一度無くたったと・・・・・
151 :
無名:2005/08/10(水) 05:37:48 ID:gw7HWhwJ0
>>106さん
かなり遅くなりましたが、本当に有難うございます!!m(_)m
指導について書かせていただきたいたいといっておきながら、
(しかもわざわざお答えをいただいておきながら)
全く書いていません・・・orz
申し訳ありません、できるだけ早めに書かせていただきます><
(どうでもいいと言われそうですが・・・^^;)
>YMAさん
剣道の形のお話ですが、打つポイントやスピードの違いなどの話、
もう少し具体的にお願いしてもいいでしょうか?
(自分は書かずに質問などしてしまって本当に申し訳ないです><;)
152 :
無名:2005/08/10(水) 05:50:10 ID:gw7HWhwJ0
>>125-126 >>128 全くの他流ですが、非常に得るものがあります。
えー、所でですね、「切り落としと正面打ちの関連」
についてお聞きしても宜しいでしょうか?
正面打ちとはいわゆる「面」の事と捉えて宜しいのでしょうか?
大変申し訳ありませんが、具体的な説明の方、お願いしたいです><;
142
wwwwwwww腹痛えwwwwwwww
何で防具や胴着が紺か白かって理由の一つが、桜田武士さんの仰るようなことですね。
でも防具って手入れ次第で飛躍的に臭いは変わる。毎回稽古後に汗を拭って、日陰干しして、ファブリーズとかを軽く使う。さらに半年か一年に一度程度、防具の汚れを濡れタオルで拭ってから藍染めをする。
これでも異常に臭い奴はわきがなだけで、剣道以外でも臭いだろうな。もしかして剣道が臭いと言う奴の周りは、手入れもろくにしないわきがだらけとか?それならご愁傷さまですwww
154 :
sporran:2005/08/10(水) 08:47:08 ID:fmHZ41CC0
146
剣道具はピンきりですが常識を逸した値段のものもありますね。
手刺のものは40万近くもするのか!!高っ!私のプレートアーマーは頭から足のつま先までフルオーダーでも30万ですよ。
キログラム一万円です。
剣道具はグラム単価いくらするんだ?
剣道人口は少なくなってるからね。例えば手刺しの職人が月に三つや四つ作って、飯を食ってくことを考えたらしかたないかも。
156 :
?1/4?3??E^?3?n???e^?{????:2005/08/10(水) 09:59:35 ID:rMGHrS0v0
なんにんくらい?
271828人
158 :
YMA:2005/08/10(水) 13:42:24 ID:46suDlXk0
>>151 無名さん
私個人的な型の応用の仕方ですので、あくまでも私見として聞いてくださいね。
まず、型と打撃での剣道の大きな差異は、打った後に抜けるかどうかにあると考えます。
剣道の場合は打った後に、そのまま相手の脇を通り抜けますが、型ではその場で止まります。
後者のほうが、甲野氏などの話では、力が無駄なく発揮できるそうです。
また、竹刀と木刀{刀}の長さが違うので、そこも注意しなければいけません。
タイミングは相手にもよりますが、木刀の大体1.2倍くらい時間をかけると物打ちで捕らえられます。
また、斜めに避ける動作を1.4倍ほど大きく行うと良い時もあります。
反対に早くしたり、踏み足の幅を小さくする型もあります。
大刀は七本あるのですが、それぞれの理合を考えて、間合いと上のようなものを調整します。
・・・・・・・わからない点ありましたら、また、質問お願いします。わかる限り答えますので
159 :
YMA:2005/08/10(水) 13:49:12 ID:46suDlXk0
160 :
YMA:2005/08/10(水) 13:53:27 ID:46suDlXk0
よく見たら、この店の防具、かなり安いですね。
特にここの鮫胴、昔カタログで見た四分の一以下の価格
大分安くはなってるんですね
胴着や袴は私が使ってるのと大差ないくらいの値段ですけど
早稲田大学教授小林哲則様へ★2ch元龍貴(Master)覚醒剤中毒者について
はじめまして、いつも東條剛史が、研究室で、お世話になります。実は私は、東條剛史が
役員をつとめる会社が運営する2ちゃんねる掲示板で、武道板運営者の元龍貴(コテハ・
Master)に 私の個人情報や名誉毀損する書き込みされた過去ログを 自動書き込みソフト
などを使用して検索上位にランクさせ、3年以上 の間、嫌がらせをされております。
その過去ログの内容も、元龍貴(Master/2ch従業員)が、自身の 犯罪を隠蔽しながら
奈良県警吉野署の熊代刑事を騙し 捏造した事件や勝手に人の動画を名誉毀損する
内容に加工し2ch掲示板に貼り付けしてきたものなど、 陰湿極まりない情報ばかりが
書かれているスレッドで、元龍貴(Master/2ch従業員) 本人に、やめるようにいっても、
電話で声を震わせて怯えて逃げまわるのみ、警察へ届けても刑事の取調べでは嘘八百並べ
警察のネット事件への対応不備などの理由から拉致があがりません。 (元龍貴(Master)が、
声を震わせておびえる電話は音声証拠あり)。 2ch運営の犯罪は、ネット詐欺オフ会での脅迫
レイプ・暴行などにもおよび、小林哲則先生の一言が東條剛史率いる2ch運営の犯罪行為を
とめることを期待しております。後ほど、2chの犯罪行為については詳しい資料をメール・
FAXにて送信させて いただきますので、よろしくお願いします。
http://www.google.com/search?hl=ja&q=%E5%85%83%E9%BE%8D%E8%B2%B4&lr= ■東條剛史が所属する小林哲則研究室東京都新宿区大久保3-4-1 55N号館509号室
http://www.pcl.cs.waseda.ac.jp/index-j.html ■■2ch運営会社監査役★東條剛史■ 商号東京プラス株式会社 監査役
本店 東京都北区赤羽北二丁目31番16号 会社法人番号 0115−01−010 090
★東條剛史<プロフィール> 略歴 1976年 東京都大田区に生まれ 1978年現在の地
(千葉県四街道市)に引っ越す 1983年四街道市立中央小学校に入学
1989年私立早稲田中学校に入学 1992年私立早稲田高校に入学 1995年早稲田大学
理工学部電気工学科に入学 1998年小林哲則研究室に配属される 東條剛史の関係している
サイト 物理問題研究会「物理の教室」
こーゆーのって海外製でしょ。わしの袴も中国製だけど。
国内業者はたいへんだよね。
>>153 だから、そうやって普通にしてても、普通の人からしたら、
ものすごく臭うんだって。
剣道部の奴が、激臭を放ちながら美味そうに弁当食ってる
の見たとき、こいつらとは嗅覚が違うなって思ったね。
164 :
sporran:2005/08/10(水) 22:52:22 ID:fmHZ41CC0
私らも鎧下は自然素材です。コットンとキャンバス。化繊は熱がこもり、汗が渇きません。
洗濯機でがんがんに洗えるのが救いです。
剣道人口が減少しているとのことですが、その原因はなにかと考えた時、剣道のジレンマを感じます。
子供人口が減ったことはあるでしょう、情報の発達でほかに楽しいものが体験できることもありますね。
しかし、一番の原因は剣道そのものに魅力が感じられなくなったとこがあるのではないでしょうか?
一つは剣道の抱える矛盾。真剣のための稽古であった物が試合主義になった。ところがそれとは別の柱で精神主義があり、ビギナーは混乱する。
閉塞性と権威主義。伝統性と保守。大衆化し人口を増やすのならば隣国のようにスポーツ性を追及するのが一番良い。
しかし、剣道の精神をもとめるならばこれは大変難しい。剣道界の指導者たちは未来にどのような剣道象をイメージしているのか良くわかりません。
魅力と言う物は少なくとも表面的には時代や文化によって変わります。では剣道に魅力がなくなってきている今、あえて一般にあわせて魅力を作り出す必要があるか?
これは防具といったハードも含めてです。
165 :
YMA:2005/08/11(木) 00:24:38 ID:HnAf3vjD0
>>164 sporranさん
確かに、矛盾を抱えているんですよね。
ちなみに、韓国のようにスポーツ化しない理由は、スポーツ化した場合、
剣道としての特性、もっと言えば、剣道が成立しないからだと伺っています。
ナンセンスに聞こえると思いますが、剣道から精神性をとった場合、単なるチャンパラにしかなりません。
韓国が騒がれていますが、あの国よりもカナダやニュージーランドなど、あの国以外では精神性があるために普及しています。
防具に付いても少々の変化はやはりあるようですが、結局、今の形以上のものは定着してないようです。
一応、留学生{指導官養成のため来日}に確認取ったら、そのように言っていました。
それと、私がこういうのも変ですが、小さい頃に剣道に魅力を感じたことなどありませんでした。
体を強くするために強制されたものです。決して、好んでやっていたわけではないです。周囲も同じでした。
ここ数年ですよ、やってて面白いと感じ出したのは。一回やると止められなくなる中毒性を持っています{ブランクありますので}
子供の剣道人口が減少する背景には、親が無理にでもやらせるという昔ながらの教育法、しつけの価値を認めていないためだと思います。
・・・・・経験者に御聞きしたいのですが、自ら望んで始められた方はどれくらいいますか?
166 :
桜田武士:2005/08/11(木) 02:35:03 ID:Ook/a3L50
正直、剣道人口が多少増えようが減ろうがどうでも良いことですね。
問題は表の数字の問題ではありませんから。
とりあえずコテはあでw
私的には剣道人口が増えて欲しいですね。なぜなら趣味の話相手が増えるからってだけw
剣道の魅力を感じないと言うより、魅力を感じる段階までいかないで剣道を辞めるor魅力を説明できない指導者が増えたからでは?
168 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/11(木) 10:10:12 ID:mnR9ZfTHO
>>165 私は従兄弟が剣道をやっていて、カッコイイと思って剣道を始めました。
親には金が掛かるからやらないでほしい、なんて言われました。
169 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/11(木) 12:57:48 ID:Pf24eIFw0
魅力というものは見出すなり掘り起こすなりすればいくらでも作れます。
剣道に魅力がないのではなくて、全剣連という組織のメカニズムが働いていて
自分で物を考え意見する人間を現状維持を妨げ組織を崩壊させる癌細胞とみなし、
各指導者が個人の意志を持たないよう常に圧力をかけているからです。
官僚腐敗・大企業病も同じですね。 剣道人口を増やすアイディアはいくらでもありますが
周囲や目上の人間を説得して実行に移すのは全くの別問題です。
ホリエモンも言ってましたね、思いつくのは簡単だが実際やるには気合いが要るんだ、と。
170 :
シィ:2005/08/11(木) 13:23:04 ID:v2LjIGrI0
剣道をオリンピックの種目に入れる事について・・・
皆さんは如何思われていますか???
>>165 小学校五年生の時、六三四の剣に影響受けて自分からやりたいって
言い出したんだけど、痛くて臭くて辛いのとですぐ後悔しましたね。苦笑。
でも親も乗り気だったし防具も買ってもらったので辞めたいとは言い出せず・・・。
いやいややってる状態で剣道の魅力なんてこれっぽっちも感じませんでした。
初めて剣道を面白いと思ったのは中学に入って出ばな技を掴み始めた頃かな。
気持ちいいなぁ、もっと上手くなりたいなぁって。
高校はわりと強いところに行ったんで稽古は無茶苦茶辛かったですが
この頃には辞めたいと思うことはもう無かったです。
個人的には剣道の本質とか理合とか精神性なんて
頭で考えて机上で理論転がしたって一朝一夕にわかるもんじゃないと思うんです。
徹底的に体を苛め抜いて無心で竹刀振った瞬間に少しずつ少しずつ
氷解していくものじゃないかと。その繰り返し。
で、精神的に未熟な少年・若年層は、試合・大会等のよりどころがないと
そういった厳しい稽古に耐えられないだろうっていう懸念で試合主義が
発生したんだろうと勝手に思ってました。
sporran氏、YMA氏は試合主義と精神性の矛盾と指摘しておられますが、
試合主義っていうのは(時代に合わせて作られた)単なる修行段階に過ぎず、
経験を積むうちにいずれ本来の剣道に収束していくものだと思ってます。
>170
パラリンピックってのもありますよね。柔道は視覚障害者が出ていましたね。
一生ハンディキャップが伴う子供にも、世界の頂点に立てる可能性があるわけ
です。とてもはげみになると思うんですよね。
車椅子の剣道なども可能かもしれませんが、現在の規則ではいかがでしょうか。
うーん…まともに考える能力のある人間ばかりなら、稽古だけでも理合とかは氷解すると思います。しかし実際は、そこまでまともに考えられる人間がどれだけいるのか?
頭で分かっているのと体で分かっているのは違う。同時に体で分かっているのと頭で分かっているのも違う。体で分かるのは動物でもできるけど、頭で分かるのは人間だけしかできないからね。
勝手に持ち出して悪いけど、桜田武士さんみたいな方なら稽古だけでも高みに行けるかもしれない。なぜなら頭が良さそうだから、自浄作用が働いてそうだから。
しかし厨や基地外は、筋肉馬鹿で強くなる可能性もある…みんなの周りにも一人くらい、初心者向けや漫画の本から借りたセリフを、さももっともらしく言う先生はいないかい?
何が言いたいかというと、まともに考える奴がいないと、勘違い野郎が訳のわからん連盟を立ち上げたり、脳内筋肉が幅をきかしかねないってこと
俺も無理やりやらされたな。
しかも幼稚園からw
175 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/11(木) 17:34:11 ID:wQu6dTixO
頭で分かるってのと体が分かるってのの区別とは?
頭で分かって体でできない=頭ではこうすればできると分かってはいても、体がそう動かせるとは限らない。要は練習や体力不足なだけ。
体で分かっても頭で分かってない=動作ができても、何でできるのかを理解していない。つまり筋肉や反射だけで、思考していない。
まぁ、どっちがましかは人によるかもですが、私は前者の方がマシかと。
こりゃどっちもどっちだな・・
頭でっかちの剣道家も思考停止、掛かり稽古剣道も、どうにかしないと困るよな
けどとりあえず体で分かってれば、少し考えれば応用きくんじゃねーの?
基本が身についてる奴って、高度なことや、普段やらない動作もきっちりこなすし、
意外と器用な奴が多い気がする。
頭で分かってても体が動かないって、結構どうしようもなくねか?
学生なら十分過ぎるほど稽古してるだろうし、逆に社会人だとそれ以上の稽古はなかなか望めないだろうし
178 :
YMA:2005/08/11(木) 21:58:43 ID:s5pABFtW0
>>171さん、私の不明瞭の部分を説明して頂きありがとうござます{^^}
>>172さん、片腕の方や知恵遅れの方など、剣道を行える方しかやっていませんよね。
普及を考えた場合、そういうことも鑑みた方がいいかもしれませんね。
>>165での私の問いのお答えくださりまして、ありがとうございます。
ずっと好きでやり続けてきた方はあまり居ないようですね。初期投資もきついですし・・・・
唯、一旦やりだし、一定まで耐えてしまうと、本当に中毒してしまう魅力{?}があるんですよね
「やっと解放される」と思って、高校で辞めたはずなのに、竹刀の音を聞いたら・・・・・つい
気がついたら、どっぷりです{^^}
>>167での あ さんのご意見を聞いていろいろ思い当たりました・・・・先生次第というのが大きいですね。
>>169さんのご意見を拝見して、今まで考えさえしなかったことをいろいろ考えるようになりました。
組織が大きくなるといろいろ問題がありますね。無視を決め込むか、改革を目指すか・・・・議論する価値ありですね
179 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/11(木) 22:05:17 ID:AuYQf4HDO
ハイハ━イ、幼稚園から今の高2になっても剣道し続けてる漏れが来ましたよ━━━
180 :
YMA:2005/08/11(木) 22:12:15 ID:s5pABFtW0
>>170 シィさん
オリンピック化には、剣道をさせるのは反対です。柔道の轍を踏み、精神性の軽視に繋がりそうなので。
変な言い方ですが、コムドあたりがなってくれれば、剣道は傷つかずに剣道の技術を試せるんではないでしょうか?
腹立ち云々より、そういう利用法を考えた方がいい気がします。やってて、正統云々を重視してるのを見て呆れしかでないので
>>あ さん
私は、筋肉脳になるよう叩き込まれましたが、結局、考える人間でなければ乗り越えられない壁を何度か体験しました。
自分はあまり頭が良い方ではないのですが、悩み、工夫し続け、それを身に付けてきました。
なので、全く考えないという条件があるなら、前者が遥かにマシだと思います。
稽古して、更なる課題を見つけられる可能性があるからです。
後者だけで満足するような方々は、申し訳ありませんが、同じ道を究めようとする同輩として軽蔑してしまいます。
>>166 桜田武士さん
しっかりと腰を据えて、道を歩もうとする人数こそが大切だと思う点では同意です。{試合会場が寂しいですけど}
桜田武士さんから見て、真剣に刀を学ぼうとする人達の推移はどうですか?
増減や思考の変化などについて、できましたら御話を聞かせてください。
あ氏にしろYMA氏にしろなんでそんな両極端なのかな?
犬道なんか論ずるに足らない。
竹刀道と名前を変えて出直せよ(wwwww
183 :
YMA:2005/08/11(木) 22:39:08 ID:s5pABFtW0
>>179さん すごいですね!そこまで持たなかった自分としては尊敬ですね{^^}
>>181さん、極端になってしまいましたか・・・・・
私の場合、周囲に同じような人達ばかりなので、そこが元になっているため、そうなってしまうのかと。
反対の意見について、まだまだ情報不足で理解ができていないせいもあると思います。
いろいろ、今、吸収したいので、いろいろなご意見や御話、皆さんお聞かせ願います{^^}
184 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/11(木) 22:45:31 ID:wQu6dTixO
んー…
2ちゃんに来たと思ったら間違えて@Aに来ちまったみたいだな
185 :
逝き時国:2005/08/11(木) 22:56:47 ID:XHZSqnvS0
其れより、暗殺やってない人に、暗殺語って欲しい。
>>180 全く考えないという前提で稽古する事を批判するなら
全く稽古しない事を前提に思索する事についても言及しないとw
まあ揚げ足とりですが。
例示には極端な方がいいかなって。実際はそんな極端な訳はないけど…極端な先生がよくいるんだよな〜www
@Aっぽいと言うより、@Aから流れて来てるのでは?
>180
>精神性の軽視
門外漢によくわからないのがこれです。一本をとるための技能や哲学を
言っているのか、それとももっと広く養生面まで含めているのかよく
わかりません。修養や人間的成長を目指すことははどのスポーツにも
見られるものです。柔道も同様。
189 :
YMA:2005/08/12(金) 21:09:13 ID:FrjFMvCd0
>>186さん、確かに>全く稽古しない事を前提に思索する事についても言及しないと
これについて書かないと、おかしいですね。
思考のみというのは、全く過去に経験せずにそれを行うなら、何も考えずに稽古を続ける人と同様、嫌いな人種です。
しかし、少し{二、三年}経験し、思考を突き詰めるならば、こちらは良いと思います。
体験を元に思考するならば、武術の思考を理解できるだろうと思うからです。
考えながらやるのが、一番ですが、私は、闇雲にやるより、考えてやるほうが大切だと思いますのでこう書きました。
>>188さん、うまく説明できなくてすいません。
ただ言えるのは、武道全般、もちろん{本来の}柔道も含め、武道には独特の哲学のようなモノが存在します。
現実に直接関係させられる哲学、現実に密着した生き方・考え方を身に付けることができます。
スポーツを突き詰めてやったことは無いのでなんとも言えないのですが、
韓国の剣道を見る限り、この精神的なものは見受けられませんでした。
一部のスポーツ化されたという柔道についても、同様です。
私見ながら、本当にうまく説明できなくてすいません。
ってか竹刀道よりも打突道の方がしっくりきたり…
191 :
YMA:2005/08/12(金) 21:20:56 ID:FrjFMvCd0
>>190 あさん
指し面とかばかりやる学生剣道だと、確かにその方が合ってますね。
それじゃあ、斬れないだろうと言うのですが、なかなか・・・・・・
本当に、{私の習う}剣道とかけ離れたのが多いです・・・・私が少数派なのかな?
192 :
シィ:2005/08/12(金) 22:07:04 ID:7ra9IOHf0
>>172 そぅか、パラリンピックかぁ・・・
今年愛知県で行ゎれた高校の全国大会でも片腕の無い選手が居たのですが、
本当に強くて驚きました。
互角以上の戦いだったので・・・
>>180 そぅですょね、私も基本的にはオリンピックの種目に入れるのに反対派なのですが・・・
YMAさんが仰る通り、精神的な面が軽視されてしまいそうで怖ぃです・・・
最近剣道は韓国が強ぃそうですが・・・
話は変わりますが、栄花直輝選手を知っている方、居ませんか?
「剣道をやってない人が剣道を語ろう」にスレタイ変えろよ
194 :
桜田武士:2005/08/12(金) 23:31:10 ID:JDgVVxOU0
>>YMA氏
真剣にやっている剣道選手は大勢いるでしょう。しかしそのうちの何人が
剣道家であるでしょうか。私が問いたいのはそういう問題です。そもそも論
として真剣でないものは論外です。そういう意味で全体的な人口減少には
賛成ですね。周囲との迎合というような形ではなく剣道という確立された世界
に魅了された者のみが自ら門を叩き教えを請うという形が望ましいと思います。
そのためにここである程度人口減少の方向に進み、剣道の行く末をある程度
方向付けるべき時であるとも思っています。先人達は技術・精神ともに剣道を
広く世界に伝えようという高尚な志のもと骨を折りましたが、現状それは困難
です。剣道は発展に力を入れすぎました。武術性と普及性は相反しますからね。
そういう意味で、私は剣道は今の教育に参加する必要性を感じません。往年の
武徳教育への参加というのならまだしも格技スポーツとして参加する剣道など
意義が感じられません。広く門戸を開けると言いますが周囲に迎合した門戸の
開き方などに意味はないですし、ともすれば剣道に対する誤解を生みます。
それから試合の話について。竹刀の巧者も実地で強くなれた、だから良いではないか
というのは武術の世界の話としては短絡的な発想すぎます。そんな即物的に誰彼より
も強い、もしくは弱いという程度のものは武術の要求を満たしているとは言えません。
武術には多分に真理があります。高度な要求がそういう核を条件の要素に含んで
いるためにそれが哲学性とも受け取れますが、武術そのものに哲学があるとは思い
ません。心身ともに兵法の実践。あるのはこれだけの様に感じます。
そもそも私は哲学というもの自体に対して問題があると思っていますから、この
問題はパスの方向で。
195 :
桜田武士:2005/08/12(金) 23:34:57 ID:JDgVVxOU0
読み返すと日本語が破綻してますね。まあいつものことですが。。。
>>シィ氏
栄花選手、有名ですから名前程度には知ってますよ。
196 :
桜田武士:2005/08/12(金) 23:37:13 ID:JDgVVxOU0
あ、スレ違いな話題を発見。失礼しました。
197 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/12(金) 23:41:09 ID:xdR7kkK40
剣道、剣術、自分は経験してますがバカにしたれレベルじゃなかったです。
昇段レベルは半端じゃないよ。黒帯の価値はこのくらい高めるべきでは?
198 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/13(土) 00:19:12 ID:SStyIUnW0
哲学の話がでていますが、みなさん哲学の意味を御存知なのでしょうか・・
思想と哲学を混同していませんかね?
思想とは言語や思考の構築物で、哲学とは構築された思想を破壊していく行為のことです。
たとえば神の存在を説く者がいたとして「何?神?神て何や?おまえ見たんか?」と延々ツッコミ
いれていくのがギリシャ哲学の基本・弁証法ですな。 常に既存の思想に疑問を呈するのが
哲学であり、近代科学の基礎でもあるわけです。 そして思想と哲学は水と油の関係でもある・・・
武道というものは宗教や資本主義共産主義と同じく思想であり、武術、武芸は科学や軍事技術と同じく
哲学に属すると考えています。 剣道ではルールの中で如何に闘うか、という稽古ばかりになりがちですが
剣術では如何に相手のルールを逆手にとって自分が有利に立つか考えるのが常ですからね。
剣道しか知らない方はこれを以って「古流は卑怯」と蔑みますけど・・・・
思想と哲学の区別がついていない言です。
199 :
桜田武士:2005/08/13(土) 00:50:29 ID:6KeGcU730
1 世界・人生などの根本原理を追求する学問。古代ギリシアでは学問一般として
自然を含む多くの対象を包括していたが、のち諸学が分化・独立することによって、
その対象領域が限定されていった。しかし、知識の体系としての諸学の根底をなす
という性格は常に失われない。認識論・論理学・存在論・倫理学・美学などの領域を含む。
2 各人の経験に基づく人生観や世界観。また、物事を統一的に把握する理念。
「仕事に対しての―をもつ」「人生―」
専門的な用語の意味はとにかくとして一般的には皆さんの思っているもので間違いないと思いますね。
>>198 蔑みの対象はお前だろ、古流じゃなくて。
剣道、剣術のせいにするな。
201 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/13(土) 01:05:06 ID:SStyIUnW0
真面目で素直で大人しい性格(=目上の人から可愛がられる)
しかし運動神経は鈍い。
自分を変えてみるのに運動なんかよさげだと思っているけど、
スポーツオンチで球技とか絶対無理だとあきらめている。
↑
剣道に居つく人種の一典型。(大抵はサークル勧誘でひっかかる)
スポーツオンチには自分でも運動ができるということがやはり楽しいのだろう。
ついでに勝ち負け以外のところに価値を付与してくるというのもありがたいこと。
大抵の人には社会人化とともに”よき青春の思い出”になって、なかには生涯剣道の道に進む人もいる。
ただそういうヤシの中に時々勘違いが出てくる。
スポーツオンチでもやっぱり勝ちたい欲が出てくる。
そうなるとスポーツオンチとしての壁にぶち当たる。
そこでそれを克服すべく技術書や雑誌の類を読むと
その中に”今の剣道は間違っている!大きな動作で斬る剣道!”とかいう文言が出てくる。
「そーだ、俺は斬る剣道をやるんだ!今の剣道は間違っている!俺はこれから真の剣道を追及するんだ!」
斬る剣道、って運動神経+才能+努力だから、努力しかないスポーツオンチには
それこそ一生無理な世界。大きな動作、斬る動作、といいながら実際には
居着いていたり、テレフォンだったりするばあいがほとんど。
そんなものを独学で目指すぐらいならフィットネスジムに通ったほうがまし。
203 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/13(土) 14:44:56 ID:XV5/Ex870
>202
するどいな。俺によく当てはまってるぞ。
204 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/13(土) 18:01:25 ID:O9aZ2IWiO
>>203 日本人は遊ぶのがとても上手な民族だと思いますよ。
仕事を遊びにしちゃうから、仕事が趣味だというおやじが
昔はずいぶんいました。
剣術も町人がやっていて幕府が何度も禁止令をだしていますよね。
彼らはなにも武士の生き方を学ぼうというのではなく、おもしろいから
やっていたと思うんですよね。武術も遊びにしてしまうしたたかさ
があります。いま武道に親しんでいる人にもこういう面ってあると
思いますよ。
>>202 でも、10行目以降は古流オタの話じゃん。
いや、古流オタって案外そういう勘違い(201が書いてるみたいな勘違い)
から剣道を逆恨みするようになった元剣道人が主体なんじゃないのか?
(202がそうだ、といっているわけではないよ)
208 :
207:2005/08/14(日) 18:12:25 ID:hsXq3IVq0
すまん、アンカーがずれてた・・・orz
×(201が書いてるみたいな勘違い)
→(202が書いてるみたいな勘違い)
×(202がそうだ、といっているわけではないよ)
→(203がそうだ、といっているわけではないよ)
209 :
YMA:2005/08/14(日) 21:37:03 ID:XwgOUJbS0
桜田武士さん
>>194 お答えありがとうございます。
確かに、剣道のプロを目指す方でも、勝率ばかり気にして崩れた剣道する方も多いですから・・・
自分もどうか、と言われると自信ないです。特に中学での剣道は完全に勝利追求でしたし{あんまり入賞できませんでしたけど}
無理した普及より、ある程度やりたい人だけやる・・・・古流武術の様にした方が確かにいいかもしれませんね。
>>205さんの意見を聞いて、剣道はそのせいで一時期流行のように人が増えたんですかね。
学校でも、やたらいいイメージ持つ人いたり・・・・そういう人に限って、チャンパラと同視してたような気がします。
また質問で申し訳ないのですが、剣道に求めるものってどんなことがありますか?
イメージ等お願いします{教育の勉強をしていて、どの面を求められているのかわからなくなってきたので}
210 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/14(日) 22:38:06 ID:bUoyXOzA0
剣道やっている人は素手でも強いですか?
211 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/14(日) 22:41:13 ID:u7+s9rnn0
↑意味不明
212 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/14(日) 22:45:18 ID:bUoyXOzA0
>>211 剣道はつば競り合い、とかが激しそうなので
それを利用してパンチに使えるか?どうか、と疑問に思いました。
あと瞬発力も速そうだけど。
>209
お前ひょっとして夏休みの宿題のネタをとるためにスレ立てたのか?w
214 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/14(日) 23:03:33 ID:wvpTEQXRO
剣道はすばらしい
215 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/14(日) 23:52:11 ID:kp5AWFmo0
>>209 YMA氏よ、志が高いのは結構だが少々独りよがりな印象うけるよ
剣道は貴方の理想の為にあるわけではない
216 :
桜田武士:2005/08/14(日) 23:58:01 ID:PIx911VP0
>>209 剣道は今や何十万人からの競技人口があります。殊更に普及にはしるよりも
じっくりと腰を据えて中身のある剣道を確立すべきでしょう。そのために数万人
剣道から離れる結果となってもそれはそれで仕方ないというものです。
そういう道こそが剣道の本道を守るためには必要だと感じますね。
あと、これは剣道のみならず武術界全体に対して言えることですが、武術の存在
を何らかの形で社会に認められるような地位まで押し上げる必要があります。
217 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/15(月) 00:00:15 ID:PjU+8fvg0
aiu
結局はスポーツか武道かという論争になり平行線
好きな方向でやれば良しだとおもいますが...。
どっちに進んでも剣道でしょう?
219 :
YMA:2005/08/15(月) 22:30:46 ID:URvs+Rzz0
>>215さん ご注意ありがとうございます。
しばし頭冷やしますね。いろいろ御聞きしてて、自分の中の剣道が肥大化してるみていです。
論のための理想のような・・・・・とりあえず、稽古して合致するまで、剣道の理想論とか書かないようにします。
>>桜田武士さん
結局、見直しになりますか・・・・・・確かに今のままだと微妙かも知れませんね。いろいろな面で
220 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/16(火) 14:31:04 ID:lc3rUOXm0
ここでも、スレと合わない考えの奴が出てきたんだ・・・・
>>213とか、真面目に話し合おうとしてるのを悪く言うのは、はっきり言って邪魔。
というか、何か個人的な恨みがあるのか?現実で何かあったとか。武版では恨み買いそうにないし。まあ、全部見たわけじゃないけど。
>>215の言い分にも一理あるだろうが、ここのスレ自体、各自の理想論を出し合って、いろいろ考えて行こうという趣旨だったと思うが。
貴乃花・・・・の頃からしばし来ているけど、みんなそういう論ばかり出してたよ。それでまとまって来たような感がある。
最近、YMA氏が若干、まとめみたいに論点を明確にしてるけど、それを見て個人の意見と思っているなら勘違いしてるよ。俺の意見も反映されてるわけだし
俺も個人レベルでは結局、
>>218のような結果になると思うが、全体として見たり、指導者になる時の考え方になるとまた別だと思う。
数名の名前有りの人達の書き込み見ていて、その辺を指導者個人個人がしっかり考えていかなと、もっと悪評が広まるように思える。
だから、もう少し、この話について煮詰めてほしい。無論、俺も話し合いに参加するけどね
>220
仕切るなタコ。
別スレに書いてあったお前の持論をコビベしてやろうか?
>真面目に議論したいと思うほど、ここから離れなきゃになる。
>・・・・・・・・俺もそろそろ別の掲示板に行こうかな・・・・
お説のとおり、真面目に議論したけりゃ持論のとおり別の掲示板をさがすがいいさ。
あんた2chには向かないよ(w
222 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/16(火) 17:25:40 ID:uRjH/dEa0
なんか、八月に入ってから急にスレが荒れたな。
何にも考えない学生が増えるのかね。
ちなみにだが、
>>220の書き込み一個だけ見たけど、別に悪いこと書いてないぞ。
>>221はどんな意図で言ってるの?脅しだったら、コピペしてあんたが恥じ書くんじゃないの?
真面目に議論してるとこも武版は幾つかあるけど、
>>221みたいな奴がいるから会員制とかの掲示板がいいと思うよ。MIXIとかお勧め
責任持てない発言するやつは、書き込めないからね。YMA氏もそっちに移動したみたいだし
223 :
無名:2005/08/16(火) 18:39:39 ID:n7eesVPHO
全くの門外漢なのですが、
>>215さんにとっての「剣道」とはどのようなものなのか、出来ればお聞かせ願えないでしょうか?ちなみに「競技」が悪いとは自分は思っていません。(ただ、「基」となる「武」としての意識は忘れないでほしい、とは思いますが)
>>220 >>222 私はYMA氏ほかコテハンの方々の意見も、反対の方の意見も興味深く読んでますが、
第三者的立場からすると貴方が一番タチが悪い人間にみえてしょうがありません。
自分が書いた文章を読み直してみなさいな。行間から醜さが滲み出ていると思いませんか?
誰も居ない。
剣道門外漢として聞いて見たい事が有ったんだけどなぁ。
まあ下らない事だから良いか。
226 :
無名:2005/08/22(月) 07:23:36 ID:mZeGsP5B0
ぐぐっても良く分らなかった・・・
YMAさんの移動した掲示板ってどこなんだろ・・・
227 :
YMA:2005/08/22(月) 16:26:24 ID:lCwfEUmK0
>>226 無名さん なんかご無沙汰です{^^}
実習で居ないうちにいろいろ合ったんですね。
まあ、実際移り出したのですが・・・・
>>222さんの言うように、MIXIという会員制の掲示板に登録しました。
誰かの紹介がないと入れない所なので、良かったら招待しますよ{^^}
ただ、メアドを教えてもらわないとなので、お互いが繋いでる状態で手段を講じますね。
夜9時以降なら、ここ数日繋げますので、無名さん時間指定お願いします。
228 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/22(月) 16:54:51 ID:bRGptr0d0
>>223 一言で言えば剣道の発祥は韓国です。
韓国剣道のサイトを見れば本当の剣道の精神・姿が分かるはずです。
日本人はサルマネしか出来ない低脳なのでこのような議論をよく見ますね。
本当の剣道を知りたければ原点に戻り、本場韓国で鍛錬して見てください。
日本の剣道は、蛆虫の這いずり以外のなにものでもありません。
それをまず知ってください。
229 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/22(月) 17:07:39 ID:bRGptr0d0
日本人が武道などと語るのは実におこがましい。
恥を知れ。
230 :
無名:2005/08/22(月) 17:22:19 ID:3dDapEglO
はいはい、ワロ(略)閑話休題。YMAさん、お久しぶりです!^^今日の十時前後に、メアド作っておくので、このスレでお願いしてもよろしいでしょうか?お手数ながら、是非よろしくお願い致します><
231 :
無やる気に付き。適当話:2005/08/22(月) 17:30:32 ID:PHwa4F7N0
剣道既に死んでるよ。
232 :
YMA:2005/08/22(月) 17:34:11 ID:lCwfEUmK0
>>230 無名さん
了解です。9時50分くらいからうろうろしてますね。
偽名でもOKなので、安心{?}です。
233 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/22(月) 19:24:05 ID:6WtZVfgVO
>j
お前はすでに死んでいるm9(^д^)プギャー
234 :
YMA:2005/08/22(月) 22:01:51 ID:hie4F+Rp0
無名さん、いらっしゃいますか?
ページを一時的に作ったので、そこからメールアドレスを読んでください。
いらっしゃったら、掲示しますので、返事ください
235 :
無名:2005/08/22(月) 22:10:57 ID:k16zk+La0
来ましたー^^サゲ進行がいいのかな?
236 :
YMA:2005/08/22(月) 22:17:12 ID:hie4F+Rp0
237 :
無名:2005/08/22(月) 22:24:11 ID:k16zk+La0
オッケーです!!^^b
238 :
YMA:2005/08/22(月) 22:25:08 ID:hie4F+Rp0
消しマース
239 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/22(月) 22:26:34 ID:wup1Pw6SO
剣道と剣術(?)ってどう違うの?
240 :
YMA:2005/08/22(月) 22:31:40 ID:hie4F+Rp0
>>239さん
剣道は剣を通して、道や理を追及することを重視。
剣術は剣を扱う技術を追求するもの。
到達地点は同じになってしまうと思いますが、
どちらを重視するかが違いだと私は思ってます。
241 :
桜田武士:2005/08/22(月) 22:39:31 ID:t6Dilbdn0
>>239 どちらも同じです。昔の呼び方で剣術、現代の呼び方で剣道。
しかし、古流剣術と現代剣道は違います。
242 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/22(月) 23:40:04 ID:YDeJIN/F0
>>240 求める物が違うんだったら到達する場所も違うと思うんですが。
「喉以外は付くの禁止」とか言ってる時点で、剣道と剣術は
別物になってると思います。
>242
思想面での到達できる境地への差異はほとんどないだろうと思います。
ただし、理想的な身体をどう考えているかが剣道では明確でないと思います。
たとえば他スポーツの優秀な選手が剣道に移行した場合も、全くスポーツ経験の
ない剣道初心者も、同じメニューでよいのかどうか議論が必要でしょう。
剣術を長年修行した者が剣道に入門すると、日本剣道形を修行しなければ
なりません。このレベルのトレーニングを高段者になってもなお繰り返す意義って
何があるのでしょうか。
また、ウェイトトレーニングとか西洋式トレーニングを導入してしまって
いるのですが、結局は試合結果(勝ち負け)で評価されることになるため
勝者の身体造りということになっていくと思います。これが適切であったのか
どうか評価するには、時間がかかると思います。
剣道は格闘技
剣術は踊り
245 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/26(金) 15:55:14 ID:53rk7JuJ0
剣術って試合はあるのでしょうか? わたしのイメージでは無いように思いますが?
246 :
無やる気に付き。適当話:2005/08/26(金) 16:06:35 ID:ubCniqv20
木刀で当ったら負け。
そりゃしょぼいな、真剣でやれよ。