1 :
名無しさん@一本勝ち:
なんで?
2 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 07:35:42 ID:ZIfJgoRs
(=゚ω゚)ノ ぃょぅ
3 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 07:43:04 ID:vRJC0PHE
盾でなぐる道
4 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 08:21:16 ID:FuZgPF8v
日本では板金技術が発達しなかったから。
5 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 08:34:23 ID:jk/dOjmp
盾は木製の方が一般的だと思うが。
6 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 08:37:36 ID:hpCSrPaE
韓帝国から韓国刀しか伝わらなかったから。
日本人には伝わった物を独自に改良したりする技術的な創造力が無かったから、
伝わった韓国刀を名称だけ日本刀と変えて現在でも韓国刀の模倣を続けている。
上記の例を見ても分かるとおり、伝えられなかったものを新たに創造する能力
などなかったので、日本の武術には楯はない。
・肩の横に付いてるのが盾
8 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 08:51:48 ID:jk/dOjmp
>>6 釣り乙。
日本人は盾を置いて使ったんだよ。
9 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 09:14:50 ID:5B9QJ9R6
>>8 日韓の共同研究では
>>6が事実っぽいって話があるんだけど…
10 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 11:01:13 ID:sivG/NM9
7、8が正解ジャマイカ
戦いの距離感が違うということかな。
西洋(または大陸)では短距離で集団同士が固まってぶつかりあう戦法が多かった。兵は刀や槍と楯を持ってのぶつかあいになる(いわば集団による個対個)。
日本ではアウトレンジから矢での打ち合いがあり、近距離になってからはばらばらに一騎打ちになる(楯なんか使えない超近距離、小集団による個対個)。
楯は初めの段階で陣の前においてあることが多かった。
手に持つ楯もあったけど弓矢と日本式の槍では楯は使えないから楯が発達しなかったんだと思う。
11 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 11:10:56 ID:/Rtj5wDU
ザクの肩にも似たような盾があるね。
>>9 そういう珍説自体は確かに存在するな。
学者も飯食ってくの大変だからなぁ。
12 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 11:13:51 ID:Qe5QvK5n
両手でを持って使う武器が多いから置いたり付けたりする?
それとも置いたり付けたりするから、武器を両手で持つ?
日本って、武器を両手で持つよね…なんで?
いや、なんでってコトじゃないけどさ。
13 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 12:11:05 ID:wUxQu+yF
平原での戦が多い西洋と山間部での戦が多い日本の差
14 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 13:22:15 ID:/AQWC7RW
日本で持ち盾を使う機会が減ったのは、
室町〜幕末以前までの本州、四国、九州のみだよ。
その時代にあっても、城の防戦側では
対火縄銃用に金属製の持ち盾を使っていた。
長期に及ぶ大規模な城攻めなどで持ち盾は有効。
長大な城壁を擁する城塞都市の城壁守備にも持ち盾は有効。
反対に短期で終わる小規模な戦闘には不向き。
山中や小艦船上での戦闘にも不向き。騎馬戦闘にも不向き。
しかも籐製や木製のものはともかく、金属や皮革を多用した
盾を大量に装備するのには、地域の大規模な生産性が必要。
古代日本では持ち盾は普通に使っていた。
伊勢神宮での持ち盾と矛を手にした神事なんか誰でも見れるよ。
東北や北海道、南樺太のアイヌやオロチョンも
銃器出現まで普通に使っていた。元寇の際に
北日本軍が樺太経由でアムール川にモンゴル大軍を
迎撃し、大規模な戦闘を行った際にも盾は使っている。
沖縄でも盾はずっと使い続けた。籐や亀甲を使った
持ち盾と短い槍の武術は現在も練習され続けているよ。
幕末には、新撰組など幕府軍側が青竹を束ねて作った
置き盾、背負い盾、そして持ち盾を使って、天皇を戴く
日本政府軍(当時は官軍と呼称)と戦ったよ。
先の大戦後の日本では、治安警察や特殊部隊の装備として
ジュラルミン盾やポリカーボネート製の持ち盾が使われてるよ。
江戸時代の道場剣術とかお座敷武芸に持ち盾が使われないからと
いって、日本で持ち盾が使われないと考えるのは早計だ。
15 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 13:37:33 ID:/AQWC7RW
>>5 >盾は木製の方が一般的だと思うが。
木製の盾は対重量効果性を評価すると重すぎるし脆弱すぎる。
槍や弓矢を防ぐ厚さのものは持ち盾には向かない。
中世の日本列島中央部での戦闘において、矢や投石からの防御として
木製の盾は置き盾として使われた。反対に日本では甲冑が発達した。
朝鮮や中国、その他の国へ甲冑を盛んに輸出していたくらいだ。
しかし、畜肉食の習慣を持たない日本では皮革の
加工が一般的ではなく、金属加工業も大陸(欧州や中国)に
比べて小規模だった。そのため、軽量で十分な強度を持つ
金属盾が国内で大量生産されることはなかった。
籐製の持ち盾は中世日本でも広く使われたようだが、
みすぼらしいためか腐食しやすいためか江戸時代を超えて
実物の伝承は少ない。古文献には頻出するのだが。
投石紐を使った投石術や、投げ槍術、車棒なんかも同様だ。
16 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 13:47:31 ID:SxgNIrRE
ううーむ、木製の持ち盾はモノによって重さが違うような気もするが・・・。
ローマでも盾は木製だし、漏れ所有の金属盾は重いしなあ。
>>15 >投石紐を使った投石術や、投げ槍術、車棒なんかも同様だ。
投石術は民衆の間で石投げ合戦があったり戦国時代でも合戦がまず投石から
始まるなんて記述もあったので割と近年は認知されてるようですが
投げ槍術に関しては初耳です。投槍器とか使って投擲したのでしょうか?
18 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 16:37:37 ID:TMeoaJic
>>16 >ローマでも盾は木製
中東での戦いで
亀甲隊形で防御したのに
矢で射抜かれ
槍で貫かれて
大敗したのは
史実だよ…
19 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/24(金) 16:40:58 ID:TMeoaJic
20 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/25(土) 06:45:36 ID:FXCNgkXg0
>>18 それは「敗退」であって
木製盾が一般的でない事にはならない。
21 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/26(日) 20:07:18 ID:HCo68TrDO
楯を使って攻防する武術ってないんですか?スパイク付の楯でぶん殴るみたいな
自分が領主になったつもりで考えてみよう。
農民集めて軍隊つくるときに、鎧が貧弱で盾と剣等を持った兵と、胴丸着用で長槍持った兵とどちらが使えるか?
23 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/26(日) 22:09:43 ID:VYTXaqKp0
>>21 >楯を使って攻防する武術ってないんですか?
沖縄の盾武術
ttp://www.geocities.jp/ksskk546/page071.html ティンベー術は、中国南派小林拳術の流れをくむものである。
歴史的には、かなり古いもので、沖縄では、三山割拠時代には、
既に実戦に使用されていた。これは、盾(ビンローの木皮に油を
塗って仕上げ、あるいは、竹や籐を編んだものの上から牛の皮を
貼ってある円形のもの)と小刀を持って一組として「ティンベー」と
云う。盾にそれぞれの流派の模様があり、また、敵を威嚇する
ことにも使用されたものである。
盾で撲ると言えばFSS(漫画)を思い出す。
26 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/28(火) 11:53:46 ID:c9nDjSOP0
w
27 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/28(火) 12:30:12 ID:wbaKEONPO
ガンダムでもシールドで殴る場面が結構あったなあ
28 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/28(火) 18:14:42 ID:+bR7xrxN0
外国では普通の事なんだが・・・
そりゃ、明確には、日本には、武術って言うのが個体として存在しないからね。
全般的な戦術を読み解いてるに過ぎないから。
だから、盾は、流派的な物でないので要らない事になる。
なぜなら、一つの有用性を求めて作られた物だからな。
アルゴスの戦士
31 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/28(火) 21:50:57 ID:b/tRR2jN0
32 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/29(水) 08:48:37 ID:kHfV3hSE0
>>15 >金属加工業も大陸(欧州や中国)に比べて小規模だった。
そう、そこなんだよ
つまり日本では良質な金属は作れなかった。このことが日本刀は
韓国から教えられた韓国刀の劣化コピーでしかないという決定的な
証拠なんだよ
>>32 韓国刀が日本刀より優れてるって、冗談コロッケw
そういうのはもっとマシな韓国刀見つけてからほざけ低脳
>>32 小規模=質が悪いと考えている時点でアウトですね。
ここからは板違いでしょうから、ハン板か刃物板でどうぞ。
鎌倉幕府の、大陸および半島への主な輸出品の1つに刀があったって、知ってる?
日本の刀がダメだったら、なんで危険をおかしてまで運ぼうとしたのかな?
ゴルァ!!!!!
○ョソにはやさしくしないと駄目でしょう!!!!
捏造、タカリしかできない可哀相な民族なんだからさ・・・
37 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/29(水) 18:29:23 ID:roJWREAQO
つうか楯はどうした
日本刀は、日本の具術ですよ。
オリジナリティイですね。
39 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/29(水) 20:06:15 ID:1YpXXSRr0
だいたいさ、韓国糖ってなによ?
>>39 中国で日本刀のコピーが作られたのと同じで半島でも日本刀のコピーが
作られたんじゃないかと。それを半島人がこっちがオリジナルとか
主張してるんじゃないの?
41 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/29(水) 22:13:12 ID:roJWREAQO
刀はいいから楯の話題を…
>>15 >加工が一般的ではなく、金属加工業も大陸(欧州や中国)に
>比べて小規模だった。そのため、軽量で十分な強度を持つ
>金属盾が国内で大量生産されることはなかった。
甲冑に比べれば、盾のほうが数段技術的に簡単ではないのか?
だから甲冑が発達するほど盾を使わなくなる。
西洋に比べて貧弱な馬力もあったんじゃねぇの。
盾しょってたら馬が疲れてしまうとか。
中国武術でも盾使うのって一般的じゃないよね。
馬のいないところとか、馬力の強いところでしか
盾は発達してないんじゃねぇ?
>>43 金属製の重い盾ならそうでしょうけど、革とかで作った軽い盾は鎧より
低コストで軽量ですよね。沖縄には亀の甲羅で作った盾を使う技があるとか。
中国でも、片手剣と盾で武装した歩兵の絵とか見られます。盾の材質は
木か、木枠に皮を張ったモノのようです。
46 :
名無しさん@一本勝ち:2005/06/30(木) 06:27:46 ID:V4J1MDdk0
やはり矢に対処する際、それぞれの持ち盾ではなく置いて使って対処し、
接近戦で常に両手をフルに使える戦略と考えていいんじゃかなかろか?
馬に乗って盾を持たないのは、単に弓持ったら盾持てないからでしょ?
そもそも片手用武器もなかなか無い。
>>46 弓と盾の共存がムリに賛成。弓馬の道っていうぐらいだもんね。
大鎧の四角い袖を盾代わりにして矢を防いだから盾が要らない、というより、盾と鎧が一体化している。
西欧が15世紀のマクシミリアン式まで実現できなかった「盾の要らない鎧」を、平安時代に既に実現していた。
……なんて聞きますが、あの袖でホントに防御になるのかは判りません。
>>48 大鎧の袖は横に置くとしても、甲冑の発達と盾の使用頻度が反比例していることは西欧でも見られる現象。
50 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/03(日) 18:30:18 ID:1U++obji0
世界戦史全体を俯瞰すると、多湿なところや
暑いところでは鎧を着込むのが大変だから
持ち盾が結構使われていたね
51 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/04(月) 03:48:42 ID:hfngaF8c0
鎖カタビラとか 比較的両手が自由になるのを好むみたいね日本人
52 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/04(月) 12:25:06 ID:BcYbRWwp0
>>51 それだ!
日本刀って両手持ちじゃんよ。盾なんかもてないんだよ。
>>52 戦争だと日本刀よりは、槍、弓だと思うぞ。
54 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/04(月) 14:10:49 ID:HsKxDofZ0
沖縄の日本人は
片手に籐か亀甲の盾、
きき手に槍を持って戦う
武術を伝えてるぞ。
55 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/04(月) 14:27:28 ID:BcYbRWwp0
>>53 あうあう。じゃ、日本刀術はマイナーということで。
いや、俺もそんな気がしてたんだ。
だいたい、武術って戦争で使うもんじゃないような。な。
56 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/04(月) 14:50:53 ID:z79uej+00
何にせよ日本の武具は両手持ちだけどな。
57 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/04(月) 14:58:45 ID:GfwANFeL0
平地しかない国に比べたらゲリラ戦みたいなもんだからな
密集陣が敷ける場面は陣を構えた所ぐらいだから持ち盾があんまり意味を成さない
将は弓使うし、槍や刀の距離なら防ぐのも武器でやるしな
58 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/04(月) 16:42:01 ID:HsKxDofZ0
>>56 >日本の武具
沖縄や奄美や関東以北の蝦夷を無視すんな。
みんな持ち楯を使うし、片手の剣も使う。
メイスやフレイル、短弓やボウガンも使うよ。
59 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/04(月) 16:53:26 ID:z79uej+00
>>58 俺もその文化圏だが、「盾をあまり使わない」条件下の日本と言ったら大和文化の事だろ。
そこは分けよう。
60 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/04(月) 16:55:21 ID:z79uej+00
「何で盾を使わないの?」って言う話題なんだから、
「沖縄は使うよ?」じゃ話がつながらないよ。
61 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/04(月) 17:28:36 ID:HsKxDofZ0
不愉快にさせてスマンです。それでは…。
10世紀〜15世紀の本州南部、九州、四国に限定。
それ以前は日本においても鉾と持ち楯を使っていた。
それ以後は戦乱が無く、幕末には持ち楯が復活。
現代も内乱鎮圧用に日本全土で持ち楯は使用中。
1.長い都市城壁を巡っての攻防がなかった
城壁の上で下からの投石や矢弾を避けるのに持ち楯は有効。
この時期にメイスやフレイルがマイナーだったのも同じ理由。
城壁の上から甲冑武者をぶっ叩くのにメイスやフレイルは有効。
2.長期にわたる大平原での膠着戦がなかった
空を埋め尽くして飛来する投石、矢、投げ槍を防ぐのに持ち楯は有効。
遮蔽物の無い平原での長期膠着戦では持ち盾の内側で飲食までしていた。
大型の投石機、槍の射出器が無いのも同じ理由。
3.騎馬と弓射の普及
手綱を持ちながら武器を操作するのは大変。
足だけで馬を操るとしても弓や槍は両手で扱う必要がある。
甲冑をつけた武者を乗せて戦うのに日本の馬は小さすぎるくらいだから、
その上に盾まで持つわけにはいかない。
中国ではハンドボウガンの利用や標槍という投げ槍を背負うスタイルが
あったが、日本ではハンドボウガンを大量に作れる工業基盤がなかった。
あと、大事なこと。ある時期の日本だと、盾を持ってたら卑怯者扱いされたハズ。
63 :
61の続き:2005/07/04(月) 17:59:08 ID:HsKxDofZ0
4.甲冑の発達
投石や矢に対しても効果的な甲冑が普及した。
5.各種長槍の普及
木製の持ち楯では長槍に貫かれるようになった。
籐製の持ち盾では長槍に弾かれるようになった。
7.足場の悪い場所での戦いが多かった?
山中、田んぼのあぜ道、船上など。
64 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/04(月) 23:23:36 ID:7zukaKikO
陣笠が発明されたから楯の必要が無くなった ってのは?
65 :
スレ汚しスンマソ:2005/07/04(月) 23:42:21 ID:yVEwOa6I0
>そう、そこなんだよ
つまり日本では良質な金属は作れなかった。このことが日本刀は
韓国から教えられた韓国刀の劣化コピーでしかないという決定的な
証拠なんだよ
元々日本に伝わった剣は直剣。それを日本人が体験により、切るとき
折れないようにカーブをつけまた突きもできるように先を細く工夫した。
あまりに性能がいいので、中国人和冦も使うようになった。
また、それ故中国や半島にも輸出された。中国では品質の劣るコピーとして
猫刀というものが作られた。その名のもとの猫族は日本人に似ている。
半島や中国には刀とともに、剣術も伝わった。まるで影流をコピーしたような
伝書が朝鮮や中国にある。しかし、日本のような組太刀はあまり無く、
単独の形が中心だったみたい。大陸や半島をいうのはそういう傾向があるのだろう。
日本と違い、兵は奇道といわれあまり大事にされなかったので、がんがん
組み手(組太刀)する根性の座った兵士は少なかったのだろうと推測される。
溺れた犬に石を投げるような、弱いものいじめの戦いが多く、負けそうになると
総崩れになったと思われる。
浅井との戦いで信長のしんがりを勤めた秀吉や家康のような、「漢(おとこ)」
の文化が無いと思われる。
66 :
スレ汚しスンマソ:2005/07/04(月) 23:48:09 ID:yVEwOa6I0
日本は判官贔屓と言って、弱いものに情けをかける文化だが、
中国や半島は、「溺れた犬に石を投げる」文化だから、
彼らに決して弱みを見せてはいけない。つけ込まれて、
友も敵になる可能性がある。
それと、日本人は「神風」「腹切り」という「命を惜しむような
戦いを卑怯だと思う」、「漢の文化」があるので、盾の影に隠れて
自分を守りながら中途半端に切るような戦いを軽蔑したのでは
無いだろうか。
倭と言われたことは、大陸や半島の文化の影響下で盾を使ったが、
日本文化が熟成されるにつれ、無くなっていったのでは?
名機零戦も、攻撃力は強いが、装甲は薄いです。文化でしょうね。
67 :
スレ汚しスンマソ:2005/07/04(月) 23:53:47 ID:yVEwOa6I0
つまり、「敵が振りかぶる刃のした」に踏み込んで「極楽」を
見る。生死を分ける戦いにつっこんでいくというという
姿勢の現れが、盾の廃止につながっていったのでは?
日本人は「死中に活をひらう」のが好きなんです。
日本人だけでしょ、大将が戦闘に立って戦おうとするのは。
よその国は、卑怯にも後ろにすっこんで駒を動かすだけ。
だから、武士道という精神文化が発展した。
幕末は、近代兵器の戦いになったので、そういう文化が
無くなっていったのでは?
68 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 00:03:20 ID:sdAKMAOC0
死生観や美学の類は後からついてくる。というか、環境から育まれるもの。
なので、それを装備の理由にすることには反対。
69 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 00:10:41 ID:E92la+MS0
弓も鉄砲も薙刀も槍も、盾があると持てない。太刀などは片手でも持てるが、
諸手で握るのが普通。
盾と剣というのは、装備に金がかけられず、半奴隷的な大量の人員を動員できて
かつ大掛かりな陣形を組んだ戦術で戦をするときに登場する。
空気
71 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 01:20:44 ID:PBlBMdiK0
72 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 01:31:35 ID:13z/gM9g0
信長の、職業軍人の創出と鉄砲の多用が、
盾を無力化したのでは?
所謂戦術の変化。
鉄砲の弾を止めるような盾だと重くて、訓練の行き届いた職業軍人
の一撃を防げないのでは?職業軍人としても、手柄を立てるためには
積極的に攻撃しなくてはならず、むしろ盾は邪魔なのでは?
やる気のない逃げ腰の兵士だと、命を守るために盾を多用するのでは?
73 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 02:59:21 ID:W3PNgU+B0
元寇の時に明らかになったように
日本の侍は、戦後の褒賞欲しさに
個人プレーをしたがるからね。
元帝国軍の集団戦法の前に
ひとたまりもなかったワケだよ。
離れて一斉弓射、近づいて槍で囲んで刺突。
こもったら投石と曲射矢が雨あられ。
盾はローマ軍の亀甲隊形の例からも分かるように
集団戦闘で使うと有効なことが多い。
おまいらが足軽だったら盾有り短槍と盾無し長槍どっちにするよ?
俺なら盾有りがいいなぁ。
できれば体をスッポリ覆えるほどでかくて、表面にカモフラージュの草でも付けて戦闘中はその下に隠れていたい
75 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 05:12:13 ID:W3PNgU+B0
>>74 >表面にカモフラージュの草でも付けて戦闘中はその下に隠れていたい
それはいい考えだね。
76 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 07:24:06 ID:+2Gt4B0d0
鍔が盾なんですよ。
「鍔迫り合い」という言葉があるでしょ。
われわれは大陸や半島の人と違い、
両手で刀を使うことを選びましたからね。
あんな小さな鍔で己を守り、敵に飛び込むのです。
これは剣道やっている人間ならよくわかるでしょ。
ちなみに「つわもの」は「鍔者」が転じた言葉だそうです。
77 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 07:53:11 ID:E92la+MS0
>>73 装備の貧弱な大軍を編成する場合に、盾と剣は便利。
鎧や槍を用意するほどコストもかからない。
それでもって大軍が陣形を保って戦をする。
欧州でも日本でも古代中央集権国家がよくやるやり方だな。
>>74 それは盾を超えてすでに鎧かと。
78 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 10:56:49 ID:4Lu3oRUA0
>>74 足軽なのに戦場でじっと隠れてても仕方ないじゃないか
集団で陣形組んで盾に隠れるならいいが
一人で盾に隠れたって横や後ろががら空きだ
さっと長槍で戦功を上げたらとっとと森にでも隠れた方がいい
79 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 10:59:07 ID:jWUq18EG0
>76
鍔迫り合いはあくまでゲームでして、実際にこういう場面はほとんどなかったと
考えられます。なぜなら、はばき元に大きな傷を残した刀が現存しないことにあり
ます。
80 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 11:10:17 ID:YS42dscc0
>>76の話はおもしろいっと思った。
でも
>>79の話もほんとっぽいな。どっちが正しいんだろう。
あと、盾はうまくないと自分の視界をさえぎるのがよくないとか?
切るフリをして、あいてが盾を出したら、しゃがんで足を切るとか。
81 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 11:33:14 ID:9KXCxlLGO
盾を戦に効果的に使うには、古代欧州式に一糸乱れぬ隊列を組んだ歩兵が押し出して行くのが一番。
このとき、自分の盾は自分の左半身と左側の兵の右半身を守る。
地形と政治体制の違いにより、日本ではこのやり方は洗練される前に律令体制とともに消えた。
82 :
名無しさん@一本勝ち :2005/07/05(火) 13:12:58 ID:xEikVxJB0
Sporran卿、ご意見を
83 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 22:05:57 ID:kBBdRZAU0
一番槍じゃーーーーい!
盾なんて装備してられんな。
どんなに有効でも。
卑怯って意識は無い様に思えるのだが。
84 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/05(火) 22:23:56 ID:E92la+MS0
何が卑怯かという概念は環境から生まれるものであって、
日本で持ち盾が使われていたならば盾への誇りが生まれていただろう。
他にも盾無し軍隊の国はあるのか?
86 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 07:38:41 ID:/ZtfvfqlO
だから中世以降のヨーロッパは日本と同様に盾なし
87 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 09:56:21 ID:PxnsWZqc0
>>86 >中世以降のヨーロッパは日本と同様に盾なし
16世紀以降のスラヴ、中東、インド、モンゴル、
タイ、インドネシア、中国も銃器出現により
盾は軍装から外れたよ。
10世紀〜16世紀初頭の本州南半分と四国、九州のみが
領主からのご褒美欲しさに個人プレーに走る
騎馬武者の関係で持ち楯が減っただけ。
88 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 10:03:15 ID:/ZtfvfqlO
おまえ、あちこちで同じ内容を張り付けているだろ
89 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 10:05:40 ID:/ZtfvfqlO
足軽は長槍持っているのにどうやって盾を持つのか?
90 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 10:17:00 ID:/ZtfvfqlO
足軽が持つ長槍は、かなり複雑な工程を経て作られる。
騎馬武者の突進をそのしなりで文字通りはねとばす。
強度としなりを兼ね備えた5メートル以上ある槍を、時に集団で頭上から叩き時に集団で槍襖を組む足軽はまさに歩く巨大な盾。
おまえら日本の足軽をなめすぎ。
長槍の裏に技術力あり
91 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 10:28:03 ID:/ZtfvfqlO
その無敵の足軽長槍を崩すために鉄砲が取り入れられたといっても過言ではない。
といっても初期の銃は実用性で弓矢に劣るが次第に工夫改良されてゆく。鉄砲衆と足軽長槍衆は基本的にセットで編成される。欠点を補い合うかたち。
92 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 11:12:59 ID:/ZtfvfqlO
少なくとも日本に限って言うならば、火器が普及する以前から盾よりも長槍によって巨大な盾を形成していた。
93 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 11:16:48 ID:3fx3LbeGO
長鑓すごいな
94 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 11:24:06 ID:Bq122EAa0
武術は武士の嗜み。
組織化された戦闘では、一人ですべてを行う必要はない。
守りと攻めどちらを鍛錬するかといわれれば、
花形である攻めを選びたいと思うのも分からんでもない。
ましてや盾は長槍と同様に集団技。
鍛錬したいと思ってもなかなか難しかったのではなかろうか。
95 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 15:38:15 ID:1SUxJgv30
96 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 15:48:04 ID:rzotdURCO
剣道部にオリジナル槍で勝てるかな?
97 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 15:53:10 ID:EhkB58P60
刃物板の専用スレ
槍
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/knife/1091241807/ ここのスレの書き込みによると、
「槍は百兵の長」=「槍はいろんな武器のトップ」と、
中国でいわれ、長槍が一番の武器として扱われてたらしい。
槍は以下のように使われていた
1.持ち盾と組み合わせて使う
持ち盾を握るときは短めの槍や投げ槍。
持ち盾を肘に固定するときは七尺位の槍。
2.甲冑を着込み、騎馬して3メートル位の槍を使う
数本の投げ槍を背負うこともある。
3.甲冑を着込み、4メートル以上の長槍を使う
4.斥候などは軽い甲冑に七尺位の槍、サブウエポンにハンドボウガン
投げ槍は手投げ、折れ曲がった棒による投擲、
カタパルトタイプの大型投げ槍器、
カチューシャロケットのような多数の槍を同時に射出するタイプがあった。
98 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 16:12:00 ID:1SUxJgv30
>>96 >剣道部にオリジナル槍で勝てるかな?
一か月も練習すれば薙刀以上に勝ちやすいと思う。
99 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 16:28:58 ID:X8aQ7SM30
奴隷や身分が決まってる騎士が盾を持つのは理解できるが。
武功を上げたい兵士が盾を持って何をしたいんだろうか。
どうかんがえても盾は邪魔だよな。
>>99 大将首を狙う前に、投げ槍やクロスボウで殺されたらつまらないからでは?
ローマ時代の投げ槍なんかは、盾に刺さる→思いから盾捨てる、という展開も
考慮に入れてたとか。
101 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 18:33:45 ID:1SUxJgv30
日本でも大陸から渡来した外来勢力が
ネイティブ日本人である蝦夷(えみし)と
殲滅(虐殺&皆殺し)戦を遂行していたときには、
盾も矛もボウガンも使っていたよ。
集団戦だから、使うに決まっている。
室町時代〜16世紀は、内戦の時代だったから、
オーナーや上司の前でスタンドプレーをしたい
騎馬武者らは「我こそは〜」って戦いを
希望してたから、持ち楯なんか使わなかった。
102 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 18:45:12 ID:/ZtfvfqlO
日本史の認識から軌道修正したほうが良いと思うよ
ボウガンって・・・。
104 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 19:40:43 ID:a3Y8vveA0
弩(いしゆみ、ボウガン)は9世紀頃の日本の記録によく出てくるだろ
手元にあるものの本によると、1493年に越前朝倉家が上京したとき、
2000人の兵が皆立派な甲冑具足を着込んで来て乗り込んできたという。雑兵抜き。
他国と比べて甲冑の普及率が高いのか低いのか分からないが、仮に高かったとするならば
正規兵(武士)に限って言うならば、わざわざ持ち盾を装備する理由はないように思う。
106 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 19:46:01 ID:a3Y8vveA0
単独戦が基本だからだろ
密集隊形で遠間から
投石と弓射で攻められ
接近製では取り囲んで
槍で突きまくられたら
甲冑での単独戦が自慢のチームは全滅だ
元寇と同じ結果になる
ヨーロッパの百年戦争を見ると、イングランドの長弓がたびたび
フランスの弩を打ち破っている。
飛距離やら精度やら、単純に比べるならば弩のほうが優れているのだろうけれど、
武器単体での能力値と、運用まで含めて『使えるかどうか』というのは、また
別の問題だからな・・。
現実はむずかしいのだ
>>101 >日本でも大陸から渡来した外来勢力が
>ネイティブ日本人である蝦夷(えみし)と
>殲滅(虐殺&皆殺し)戦を遂行していたときには
その歴史は違うと思うぞ。
外来勢力が大規模な戦争をしていた痕跡は今の時点で見つかっていないのだが。
109 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 19:53:34 ID:a3Y8vveA0
古代戦史を顧みれば
刀剣隊が槍隊を打ち破ったことさえある
基本的には
長槍は太刀より優れ、
短弓は長弓より優れている。
遠間合いからの投石と弓射
接近しての槍での刺突
城壁を登ってくる甲冑兵にはフレイルやメイス
盾兵には投げ槍とフレイル
欧州でもインドでも中国でもそれがグローバルスタンダード
>>109 そればっかりだな。
時間と空間を全て超越したスタンダードは存在しないんだよ
>>109 そればっかりだな。
時間と空間を全て超越したスタンダードなんか存在しないんだよ
112 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 19:58:53 ID:a3Y8vveA0
戦いなんて同じ事の繰り返しだから仕方ないよ
槍と盾の大軍の行進に慢心が生まれれば
側面からの斬り込みで勝てたこともある…程度の話がちらほら
>>112 まるでゲーム的世界だな。
話が合わない
中華式がグローバルスタンダードだったと言うのならば、随分と情けないスタンダードじゃないか?
115 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 22:12:33 ID:DRGp23ja0
日本で盾を考える場合、まず時系列で古代〜盾と矛の時代、平安期〜一騎打ち、単騎戦、
鎌倉以後〜集団戦というように変化します。盾は集団戦に使われたから有利、という考えはまず、外れます。
次に、甲冑の強度があがったからという理由は平安時代の雑兵は集団でもなく装備も軽装でした。したがって鎧の強度は武士階級では正しいですが
機敏性をを売りにした雑兵には通用しません。
盾は集団でも個人でも存分に効果を発揮するものでした。盾の使用法はローマやマケドニアのような使われ方に代表されますが、あれは集団利用と言う点での一例に過ぎません。
ゲルマニアやピクト、といった個人戦が主な民族でも普通に使用されました。
ついでに言うならば、中国、インド、アフリカ、オセアニア、太平洋諸島、アメリカ大陸でも盾は不変でした。
武具としては弓、盾、槍が基本セットであるのは世界各地で共通です。車輪が無かったアメリカ大陸でさえ、このセットは一般装備でした。
日本に目を移すと戦士階級の武士の存在があります。武士は天皇を中心としたボディガード集団でありここから外れるのは蝦夷や琉球といった天皇に組しない民族です。
当然ながら彼らは異なった文化をもっていました。したがって、ここで語られる「日本」とは暗黙の了解で天皇を中心に据えた文化圏と了解して良いでしょう。
蝦夷、琉球は例として出されるのはかまいませんが、彼らの文化をもって「日本武士は盾を使った」と意味つけるのは違うと思います。
116 :
sporran:2005/07/06(水) 22:42:46 ID:DRGp23ja0
では、その日本文化においての盾は古代律令時代においては存在したのは万人の認めるところです。
しかし、ここで注意しなくてはならないことはこの時代にまだ武士は出現していませんでした。
武士と思われる者が出現するのは坂上田村麻呂ですが、まだこの時代は短甲に衝角兜というものでした。
次に、平将門になりますが、ここに至って日本甲冑の原型が出てきます。
この間、戦術は大きな変革を遂げました。それはサムライ・アーマーと認められる特徴をもった甲冑がこのときに原型として出てきたことを見てもわかります。
つまり、我々が思う武士はその誕生からすでに盾をもたなかったということになります。
JMK氏はこの変化は今までの大陸系の官僚や組織が駆逐され、一気に新文化がそれに代わって広がったからだと論じていますが、私もそれには賛成です。
117 :
sporran:2005/07/06(水) 22:43:14 ID:DRGp23ja0
日本の甲冑は世界的に見ても重装備ですが、それでもチェーンメイルを下につけないコート.オブ・プレートと大体同じような強度だったと思います。
武士は槍と弓が基本装備ですが、逆にいえば日本の鎧は弓と槍に突き通される程度の強度だったともいえます。
つまり、日本武士はロングレンジの攻撃が主であり、接近戦は少なかったということになります。
それは発掘される当時の戦士達の負傷の研究で矢によるものが死傷の大半を占めるということでも間違いありません。
是とは対象的にばら戦争当時の発掘遺骸の調査では3000人のうち矢による死傷者は2人だったことを考えると、非常に興味深い(この戦いは両軍の弓による攻撃に始まりましたが)
盾の問題は突き詰めると、「左手に何を持って戦ったか」ということになります。
私の今の所の結論は日本武士は武士も雑兵もロングレンジの攻撃が主体でした。したがって槍、弓を使うがこれは両手でしか扱えない。いきおい、盾は持つことができない。
初期の戦は盾を持つにもてないことから始まったが、鎌倉以後、盾そのものの存在が忘れられました。(若干の資料に残る持ち盾は特殊な物である。大きな合戦図に持ち盾を持った人物はまず見られないことから、合戦でほとんど使用されなかったことは明白である。)
矢を防ぐ据え置き式のもので充分だったからといえます。
ついでにいうと盾のほとんどは木でした。バックラーを除いて、金属盾はルネッサンスに入ってようやくでてきます。盾の有無を金属資源と結びつけるのは全く意味がありません。
>>115 結局、何が言いたいのか微妙に分からん・・。
武士が天皇のボディガードという認識は??
天皇を敬っている地方領主の私的軍隊=武士といったほうがまだ近い。
武士と封建社会は切り離せない。
>>117 >それは発掘される当時の戦士達の負傷の研究で矢によるものが死傷の大半を占めるということでも間違いありません。
これは、鈴木眞哉氏の言う説でしょうか?
軍忠状からの統計という・・
律令体制の時代の朝廷軍は盾を普通に装備していた。
平安期の武士の勃興期にはすでに盾は普通の装備ではなかった。
この間に何があったのか?
大陸輸入物の軍制が土着勢力と混在、もしくは土着勢力と格闘し揉まれるうちに
改良或いは駆逐され、独自の軍装備になったのであろう。
その後、鎌倉、元寇、南北朝以降のゲリラ戦、戦国期、朝鮮出兵と戦が拡大していっても
持ち盾は日の目を見ることはなかった。
ちなみに江戸期より前、日本は実は海を通じて外国と交流(戦闘含む)が盛んだった
(江戸期も意外に文物の流通はあったらしいが)。
鉄砲をあれほど工夫し普及させた戦国期の日本人が、持ち盾を知らぬはずが無い。
日本には持ち盾を必要としない何かがあった、と考えるのが自然だろうと思う
(それを精神性や美学に安易に結びつけるのは誤りであろう)。
121 :
sporran:2005/07/06(水) 23:21:44 ID:DRGp23ja0
日本武士が盾の存在を忘れていたと思う理由の一つに、日本刀の構造があります。
その前に、戦で刀を使うことはまず無かったと考えられています。鋭利な刀で甲冑を斬るというのは、あまりに無理があるからです。
甲冑相手では蛤刃のような鈍器のような物が効果的でした。しかし、鈍器で殴り倒すことを考えるならば、斧や西洋剣のような頑丈な物がやはりよく、
太刀であっても二次的な利用だったと考えられます。
で、刀は片刃であり、なで切るのに適した構造です。一方剣は両刃であり、裏刃をつかえば盾の裏側に攻撃が出来ますが、刀は表面を切りつけるだけになります。
つまり、刀は盾にたいしてとても相性が悪い存在なのですが、
にもかかわらず盾が使われなかったと言う事は、刀の使用頻度が少なかったともいえます。刀の使用頻度が少ないからその天敵の盾も必要が無かった。というわけです。
122 :
sporran:2005/07/06(水) 23:28:21 ID:DRGp23ja0
>>115・封建制度は忠誠の相手は違っても社会の中心は天皇であり、それに入っている物は武士ですし、天皇とは異なった社会体系を維持している者は
武士とは言わないと思います。蝦夷は存じませんが琉球は王国でした。
>>119.鈴木氏ではありません。戦場跡の発掘遺体からの累計です。
少なくとも戦国日本の戦に限って言うならば、持ち盾よりも長槍のほうが
はるかに威力を発揮していた。
集団戦白兵戦ではこれが盾替わり。
長槍は足軽が集団で使うもので、正規の武士はそれよりも短い槍を持つ。
さらに正規の武士は甲冑具足を着込んでいるので、これも持ち盾を持つのは無理。
長槍の柄は複合材で、木の芯を割り竹で包み、蔦や麻で巻き締めて、漆で固める。
これで何メートルにでも長さを伸ばせるらしい。
意外(?)に、手間がかかっている。
さすがに5メートルを超えるような長槍は1560年あたりで登場した、とあるが・・。
>>121 それは違うような気がする。
戦国武士についてですが、大規模な戦であればあるほど、刀よりもまずは槍を持ち出すのが
武士のならいなので。
刀は身分を問わずに腰に差しています。日本の習俗です。
>>122 個人的に鈴木氏は疑っているもので、失礼しました。
125 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/06(水) 23:39:10 ID:5mQHLePH0
使用頻度と刀の装備有無は別と思うが
詳しくは知らないのだが、中東の盾と曲刀の組み合わせは実在するもの?
>>121 斧のような武器、といえば鎌倉期には普段の労働で使い慣れた(?)マサカリを
担ぐ御家人もいたそうで。
いつしか消えました。
日本の武具はトップヘビーなものは嫌われているような気がする
>戦で刀を使うことはまず無かったと考えられています
常識外れな意見を言って偉そうにしてるのは鈴木某だけでたくさん。
戦国期の戦闘形態でさえ、正確な考証は難しいのに中世までのの日本は1000年にわたる
戦乱の歴史だよ。
129 :
sporran:2005/07/07(木) 00:35:38 ID:iLySNg+c0
精神性の事に若干触れましょう。盾は当然ながら防具でありそれを使うことは攻撃よりは防御を、戦闘が消極的になるだろうというのが一般の見解でしょうが、これは全く反対になります。
私自身、盾の技術を学びバトルをするまで思いもよらぬことでしたが、盾をもつと言う事は相手の一撃目から2〜3の攻撃は耐えられるということです。
しかも、平均的な盾の大きさは体の1/3を隠します。試合で言うとこちらは全身が有効面ですが相手の有効面は自分の1/3しかないということであり、めちゃめちゃ不利です。
つまり、盾側は少々無茶なことをしても相手よりも有利なわけで心に余裕が生まれます。しかも、防御と攻撃は同時に取れるのに対して相手はどちらかの二者択一です。
そうすると、盾側はより積極的な攻撃をします。
これは体験しないとわからないと思います。
ところで西南戦争の田原坂。
薩軍の斬り込みに苦戦する官軍が投入したのが、主に士族から成る抜刀隊。
なぜ、最初から白兵戦を想定しているのに槍隊ではなく抜刀隊なのか?
なぜ、持ち盾を持たないのか?
そこに戦における日本刀の使われ方が見える(かもしれない)。
場所は山林、足場悪し。
薩兵の斬り込みは主に夜間だったという。または官軍の銃の弾丸装填作業に乗じて。
また対する官軍の抜刀隊の最初の襲撃も早朝。
夜陰に乗じて、或いは早朝の油断に乗じて、または敵軍の先込め銃の弾丸装填の合間に乗じて。
つまり、日本において抜刀攻撃というものは、基本的に奇襲と速攻。
静かに近寄り、一気に切り込む。
だだっ広い戦場で両軍がぶつかるような展開の戦闘では、使わない。
槍が斬り折られたときや芋を洗うような乱戦になったときに、やむなく抜刀する
くらいであろう。
131 :
sporran:2005/07/07(木) 00:35:57 ID:iLySNg+c0
>>123.少し論旨がずれている気がします。長柄槍による防御はパイクマンなどと同じ戦法で主に対騎兵としてです。
この兵科の弱点は接近戦で、円盾兵の散兵隊がこれを破っています。
したがって、集団戦術の比喩としての「盾」は良いとしても盾そのものの有無とは違うと思います。
>>正規の武士は甲冑具足を着込んでいるので、これも持ち盾を持つのは無理
まさにこれを解決する為にある実験をする予定でした。結果として歴史的ではないという理由で使用できませんでしたが。
それは左の肩だけに大袖を上下に2連結した特殊大袖をつけての模擬戦闘です。
ザクの肩盾そのものになるのですが、槍を左半身で構え、この装備をつけると体は腿まで防御され、両手は使え、矢も防げるという画期的なアイデアです。
加えて槍は管槍のつばを直径20cmほどの大きさにして管槍バックラーを使う予定でした。
まだ、それを再実験する機会がありませんが、この装備、机上で考えても弱点らしい弱点を見出せません。
>>126 ペルシャでは笠のような革で出来た物、インドでは銅を貼った円盾があります
128しかし、発掘遺体の調査というのは日本だけではなくどこの国でもやっており死因や健康状態、年齢などは正確に出ます。
ちなみに先述のばら戦争の発掘遺骸の調査では死亡原因で一番多いのは、ウォーハンマーやハルベルトなどによるものでした。
頭骨には平均5〜6個の傷跡がついておりもっとも多いもので13個の傷がついていました
そのくらい傷を被いながらも戦っていたわけで、騎士が身代金目当ての生け捕りにするという穏やかなイメージではなく血みどろの戦闘をしていたということですね。
戦場で刀というのは鎧相手に刃物を使うということです。ロブスターを食う時に剃刀は使いません。
刀や剣は相手が軽装備でこちらが重装備の場合は効果的であったとおもいます。
経験としてもそれは間違いないでしょう。しかし、相手が充分に装甲されている場合は役に立ちません。
日本の場合も、発掘調査によって戦の死亡原因が分かっているのかな?
だとすると、鈴木眞哉氏の軍忠状の統計なんぞという怪しげで
まどろっこしいものがもてはやされるまでもないな。
130は幕末だけで日本史を語る気か?
>
>>119.鈴木氏ではありません。戦場跡の発掘遺体からの累計です。
どこの、何時代のものか?
>>133 まさか。日本史は長いですからな・・。
日本刀の使われ方について、一石を投じたまで。
そうなると、盾を持たない日本人が盾を持つ人と戦った事例(和冦vs中国、薩摩vs琉球とか)を
考えた時、盾を使う人たちは、
>>121によれば盾が大の苦手であるはずの日本刀を脅威と見たのは
何故かという疑問が出てきますね。反対に日本側が、盾を持った敵に苦戦したという話は聞きませんし…
137 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/07(木) 01:37:28 ID:yt8VglY2O
盾以前に日本の隣国が弱すぎるというオチはなしの方向で
138 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/07(木) 03:13:46 ID:YmlxQBqWO
武道の経験から言うと、手を使って(竹刀で)防ぐ
よりも足を動かしてかわす事が重視されていました。
鏑矢でワザワザ開戦を告げたり、名乗り挙げや馬への攻撃は
避けたりと礼儀を弁えていた 当時の武士道精神も遠因では?
農民に武士道は関係ないと思われるでしょうが、戦
術や装備は武士階級が決めるだろうし、戦うことが
仕事の人が、戦場では『攻撃こそ最高の防御』だと述べたのも本当に命が懸かっていたら 誰でも行き着くある種の境地なのではなかろうか?と素人考えをレスします
(^。^)wwwwwww〜プッ 〜♪
劣等民族のチョン猿がまた日本刀に嫉妬して
韓国起源説を持ち出したか。(爆笑)
ほとんど乞食だな、韓国、朝鮮のチョン猿どもは。(嘲笑)
(^○^)キャハハハハハハ 〜♪
140 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/07(木) 04:33:13 ID:I5tGH54w0
>>136 >日本側が、盾を持った敵に苦戦したという話は聞きませんし…
元寇で持ち楯を持つ元帝国軍に騎馬武者は大敗しただろ。
一方、アイヌを主力的とした北日本軍は
樺太を超えて大陸まで進出して元帝国軍を迎撃し、
大奮戦したが、その時は彼我共に持ち楯を使って戦った。
141 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/07(木) 06:38:25 ID:yt8VglY2O
ゲンコウの苦戦の理由に蒙古兵の盾を結びつけるのは強引ではないか
結局撃退したし
142 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/07(木) 07:10:44 ID:yt8VglY2O
アイヌが盾使ってそんなに強いならば、なぜ日本と戦って勝てなかったのか
というか、蒙古襲来絵詞に書いてある元の兵士は盾を持っていない罠…
144 :
sporran:2005/07/07(木) 11:16:28 ID:b2W4H1QR0
>>134.歴史読本のどこかにでていました。場所は名古屋近郊だったと思いますがはっきりと記憶がありません。
>.136 そこが疑問の一つです。刀は品質も良くそれを扱う日本人も生え抜きの職業軍人かその崩れた者でした。
技術と力量が違っていたと思われます。組織力の差もあるとおもいます。
楯のかぎらず道具は使う人の技量によって変わる物です。
>>138。最も良い防御は足裁きというのは同じです。しかし、世の中いつもその通りではありません。
接近されたとき楯は素人でも防御できます。
相手から攻撃されたとき、反射的に腕を上げてかばうのは本能ですが、剣でこれをやるとそれをかいくぐって攻撃する方法は申すまでもありません。
楯の場合、防御面積が格段に違います。もちろん死角から攻撃するのは基本ですが、
それでも基本的防御能力を技術ではなく、物に頼ることで誰でもそれなりのことができるわけです。
>>138。それはそれで一つの結論ではあります。しかし、その方法は戦術として瞬間的には強いですが持続ができません。
敵を5人たおしてもいずれはやられてしまいます。戦場では勝つよりも生き抜くことが大切です。
勝つことを考えるのは指揮官ぐらいでしょう。多くの人は生き残ることが勝ちと考えるでしょう。
死中に活」は窮鼠猫をかむに等しいもので、毎回使える物ではないでしょう。
>130
>つまり、日本において抜刀攻撃というものは、基本的に奇襲と速攻。
これをひと言で言うとテロ。
刀は重装備の出来ない足軽には有効なんじゃないのかなー、とふと思った。
武士を褒める言葉として賤ヶ岳七本槍とか言うぐらいだから、主装備は槍だったんだろうね。
147 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/07(木) 11:52:31 ID:I8QVC3My0
実際、木製盾に最適な木と厚さがわからない。
148 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/07(木) 11:55:24 ID:yt8VglY2O
>>145 幕末の人斬り騒ぎなどはまさにテロと呼ぶにふさわしいが、戦のなかでの奇襲はテロという言葉の範疇には通常含まないものです。
149 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/07(木) 12:24:04 ID:yt8VglY2O
野戦を前提とすると
比較的軽装の足軽は長槍を持って集団戦をして、具足に身を固めた武士は槍や長巻を持つ(どちらも刀は常に差している)。
それらを捨ててまで盾を持つメリットがあるか否か?
ヨーロッパの騎士も甲冑の発達後は盾を持っていないではないか。
そして前提を覆す仮説として、果たして日本で両軍が延々と相対するような野戦が割合的には少なかったのではないかということ。
田原坂ではないが、両軍相対するのは最初だけで戦の早い段階から敵軍の虚を突くような、遊撃する展開に移行しているのではなかろうか?日本の城を勉強?していてそう思うのだが・・・。
その場合に持ち盾が一般的な武具になり得るかどうか?
150 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/07(木) 13:03:17 ID:hyztxHjSO
盾がそんなに凄い物なら、倭寇も朝鮮出兵も南北のマイノリティの征伐も有り得ない罠
盾を持つ事は、武術の世界の常識である、間合いの理を捨てる事になるし
近間は日本刀でこなせば良いのだから、接近戦を恐れる必要は無い罠
1000年の殺し愛の歴史は、精神とか、政治に付け入らせる隙は無いよ
日本人は使えない物は徹底して切り捨ててるから
盾はただ単に戦場で有効じゃなかっただけと考える方が自然
まあ、日本には猛獣もいなかったし、基本構造の発明が苦手な日本人には
盾を本当に必要とはしなかったから基本思想がなかったかもね
151 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/07(木) 13:14:26 ID:YUAw9FEr0
>>142 >アイヌが盾使ってそんなに強いならば、なぜ日本と戦って勝てなかったのか
九州来襲の前に
北日本の蝦夷軍が元帝国大軍と大激戦を行い著しく消耗した。
元帝国軍も同じだった。だから台風で大きな損害が出ると、撤退した。
国内の北半分に残った蝦夷勢力に対して
南半分のヤマト勢力による侵略行為が
大々的に行われたのは北と南、二度の元寇の後。
蝦夷は北関東以北の各地で侵略に対し蜂起したが、
北の元寇での消耗から立ち直っていず、ヤマトに追われ
山地や北方に逃走することになった。
>>147 相手の使ってくる武器、地形、手に入りやすさなどで答えは様々でしょうけど、
中世以降の日本で歩兵が持つとなると、主な防御対象は矢と投石、なるべく軽い物、
白兵戦になったら投げ捨てても惜しくない安価な素材ということで、実際に使われた竹がお勧め
という結論になりそうですね。木じゃないけど練り革で作るというのもありかも知れません。
意外と伸びてるなこのスレ。
154 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/16(土) 07:17:25 ID:ma1U/7jd0
155 :
sporran:2005/07/16(土) 08:54:34 ID:72mQDSBV0
154
金属盾ですが盾を武器として扱うよい例です。
元龍貴(Master/2ch従業員) プロフィール
●小さな頃からうそつきハッタリ男といじめにあい護身用にと
親から武道を習うようにすすめられる。
●43歳(現在)にして空手バカ一代世代に育つも、フルコンは
怖いからと寸止め空手の門をくぐる。
●それでも極真への憧れが強いためかハッタリで店の名前をコンタクトと
名づけ、酒のラベルに一撃やバカ一代、大山倍達の動画を無許可で
流し、関係者を装って金儲けに利用する。
●43歳にしてとった 寸止め空手の段位は4級(少年部で3級を取得)のみ。
●2ch運営という職業でネット上の「脳内武道家・元龍貴」を作り上げ、
奈良の誰も来ない山奥で寸止め4級にして天下無敵を名乗り
数々の猛者を2ch運営用ブラウザを使用し、自作自演、ネット上で撃破する。
●2chという、人生ではじめて王様気分に浸れる世界の中、暴君を振り出し
各武道流派に2ch上での宣伝をもちかけ、 金儲けに利用できそうにない流派は
誹謗中傷しはじめる。
●見る目のある流派からは、オカマ、激弱アナル王、商売人武道家にあらずと
罵られ、それらの流派を誹謗中傷しはじめる。大道塾、白蓮会館、宇宙禅拳法
など被害を受けている流派多数。
●奈良県警吉野署、此花警察などに面識があるが、多数の秘密を
通報され2chプロ固定上もっとも警察にマークされている人物。
●住人に覚醒剤とカキコされると逃げる習性があることを発見され、
いたるところに書き込みされる。奈良の山奥から大阪の中心街に引越し、
以前の暴君を振るった勢いは失せ ネット上の逃亡生活を送る・・・・
格闘技なんて個々の戦闘を前提にしてるのに、戦術や戦略、果ては政略まで絡んだ話を持ち出して何をしたいんだ?
個々の戦闘以外の話をしたいんじゃないかな?知らんけど
159 :
sporran:2005/07/18(月) 07:52:16 ID:lev7pyKo0
盾を使わない理由を見つけるならば、その背景となった歴史、文化、精神性、そこから来る戦略なども考慮しなくてはなりません。
盾を使わないのは個人的理由ではないので。
160 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 11:28:45 ID:Jr8lEN7y0
持ち楯はあまり使わなかったと言うより、
必要でも容易には入手できなかったとか、
大規模長期の戦闘が無くて忘れてたというのが、
10世紀〜15世紀の日本列島南半分の状況。
樺太、千島、北海道、東北、奄美、沖縄といった
それ以外の日本では、その時代にも持ち楯は普通に使っていた。
格闘技の話は、格闘技の板でしろよ。
>>160 しかし、持ち盾普通に使ってた人たちは、盾のない人たちに敗れ去ったのが歴史なわけで
163 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 12:24:02 ID:NX1HAacaO
大和日本以外に大規模戦闘があまり無かったから、風土に合わないのに盾が残ったんだろ
164 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 13:46:30 ID:a024pMJD0
>>162 >持ち盾普通に使ってた人たちは、盾のない人たちに敗れ去ったのが歴史
全然違うよ。
持ち盾、短弓、弩、投石機、長槍、片手刀、片手剣の
集団戦法の前に、島国功名タイプの名乗り一騎打ち戦法が
九州での元寇で大敗したのは、歴史が教えるところ。
その数年前に、アムール河畔まで遠征して元寇を迎え討つべく
何ヶ月間も激戦を続け、大きな打撃と消耗を与えたのは
北日本のアイヌ系日本軍だ。勿論、持ち盾の軍勢だ。
北(大陸での元軍vs日本軍)と南(北九州での元軍vs日本軍)の
二度の元寇で、よく戦ったのは前者、あっさり負けたのは後者だ。
ただ長期間戦い、大きく消耗したのは前者で、
戦闘には負けまくりつつも台風のお陰でタナボタ撃退できたのが後者。
元軍との戦いの後、南日本軍がそれまで拮抗していた北日本軍を攻めて
関東以北の東北各地などで内戦状態になったのは歴史が語るところだ。
166 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 14:44:56 ID:a024pMJD0
史実は史実だ。
16世紀〜19世紀の間、日本は鎖国する。
中国も同時期、禁海政策をとる。
元軍によってユーラシア大陸の西の果てに伝えられた火薬、
鄭和艦隊によって伝えられた世界海図と羅針盤によって
西欧に大航海時代が始まり、銃砲と鋼鉄艦によって白人による
海賊行為が大規模に行われ、持ち盾、弓、投石機、甲冑、
そして槍騎兵は全世界的に過去のものとなった。
ムエタイや唐手など打撃系格闘技の成立は16世紀から。
前後して成立したフェンシングや剣道に持ち盾がないのも、
銃砲が戦場の主役になった後の儀礼やゲームだから。
168 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 15:18:42 ID:XWIPlf2K0
幕末の動乱で、銃弾前に甲冑は無力であり
青竹を結束した持ち盾が一時は復活。
近代軍装を持つ、中央集権国家日本になってから、
北海道や琉球(奄美、沖縄、台湾)に対する支配が
始まったんだよ。ヤマト武者と持ち盾戦士の戦いの結果ではない。
しかも、それらを日本が持ち得たのは、膨張南下して
太平洋への出口を求める元帝国の末裔、ロシア帝国を
食い止めるためにアングロサクソン(英国と米国)から
利便を図ってもらったせいだ。
翻って15世紀以前、
完成度の高い甲冑を前に、銃器以外の武器ではメイスや
フレイルが有効だった。特に持ち盾に対してはフレイルが有効だった。
それは西欧もインドも中国も同じ。日本で、それらの武具の発達や
伝承が少ないのは、大陸ほどの戦闘規模がなかったからだ。
169 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 15:31:21 ID:XWIPlf2K0
明治政府成立以前の琉球は中国と薩摩の間にあって、
小規模海洋国家として、両者と外交バランスを取りつつ存続していた。
※
持ち盾は、現代日本でも、武装凶悪犯逮捕や
暴動制圧や内乱鎮圧を主目的に使われている。
銃を持たない、角材や鉄パイプが武器の
デモ隊を相手にどうして持ち盾を使っているのか。
左手に持ち盾、右手に警棒のスタイルは現在、世界共通だろう。
両手で持つ長い警棒など使わない。4尺位の警杖や六尺棒は使うが。
拳銃など威力の弱い銃器を持った犯罪者やテロリストを
制圧(射殺を含む)する場合にも持ち盾は大活躍している。
左手に持ち盾、右手に拳銃。催涙ガスや閃光音響弾の擲弾筒や
狙撃ライフルなどに支援されて、凶悪犯と対峙し突入する。
米国などで刑務所暴動が起きると、看守は地面に伏せることを
囚人に明治、従わないものを自動小銃で射殺する。しかし、暴動が
大きくなると、持ち盾を持った鎮圧部隊が出動する。持ち盾は現役なんだよ。
日本の剣士は、マシンガン100人で一斉射撃しても全然生きてるらしい。
ちゃんとした剣士は、ね。
>>168 >近代軍装を持つ、中央集権国家日本になってから、
>北海道や琉球(奄美、沖縄、台湾)に対する支配が
>始まったんだよ。ヤマト武者と持ち盾戦士の戦いの結果ではない。
1609年に薩摩藩は琉球に出兵、一ヶ月でで首里城を陥落させています。
動員兵力はざっと3000。圧倒的大軍と言うほどでもありませんね。
これは貴殿の言う「ヤマト武者と持ち盾戦士の戦い」の埒外?
172 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 15:54:42 ID:XWIPlf2K0
>>171 中国軍にも侵略されています。歴史を調べましょう。
173 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 15:55:59 ID:XWIPlf2K0
>>171 あとね、17世紀はもう銃砲の時代で、
持ち盾がどうこうでは無いんだよ。
174 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 15:58:05 ID:2GkR3t9dO
琉球王朝にはあったんじゃないかな?
少なくとも「近代的軍装」以前だと思いますが。
176 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 16:07:33 ID:XWIPlf2K0
島津は16世紀の朝鮮出兵の時点で、
明軍相手に、数百丁の鉄砲と大砲を
活用して、古い軍装の敵を圧倒している。
1609年に徳之島や沖縄本島を攻めた時にも
銃砲が主戦力だった。籐や亀甲の持ち盾が
有効か無効かの時代ではなくなっていた。
テクノロジー導入と工業生産力という、
国力の差であって、銃砲登場以前の
盾や陣笠や甲冑の優劣の話ではない。
177 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 16:09:28 ID:vPCuBTLW0
日本は文化的に軽い感じのものを選んできたからな
家もレンガや石を使わないし
靴も履かないし
178 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 16:10:13 ID:XWIPlf2K0
>>169 >明治政府成立以前の琉球は中国と薩摩の間にあって、
>小規模海洋国家として、両者と外交バランスを取りつつ存続していた。
と述べてる通りです。
蹂躙されてもしたたかに生きていくという、小国のありかたは。
また、同じことを喚いている奴がいるな。
白兵戦でも、日本軍が苦戦したという話は聞いたことが無い。
雑兵100人全てが長槍もてるのならば、盾が必要になる理由がないではないか
181 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 16:46:59 ID:KRpeH7GN0
>>179 >白兵戦でも、日本軍が苦戦したという話は聞いたことが無い。
北九州への元寇で日本武士が苦戦したのは史実です。
朝鮮半島への出兵は種子島銃を得てからの話です。
貴方が日本側の読み物しか読んでいないからでしょう。
私は先祖代々熊本人だし、鹿児島に親戚がたくさんいます。
日本人が勇敢で強い話は読んでて愉快なのは同じですが、
娯楽性を追い求めた脚色や誇張と史実は別物です。
琉球(奄美、沖縄、台湾)、中国、モンゴルや周辺の
小国(朝鮮半島など)の歴史資料を広く読みましょう。
そもそも、持ち盾云々は、それが有効だった時代の話、
火縄銃など引き金の付いた銃器出現以前の話をしています。
それ以降は、白兵戦であれ、支援火器の下での戦闘です。
16世紀以降は、もう比較できないでしょう。
持ち盾が有効な戦闘備品として出現してくるのは、
素材問題が解決される現代までブランクがあります。
耐衝撃性や防弾性能に優れる軽量な素材(金属や繊維や複合素材)、
覗き窓や盾全体を透明にしつつ十分な強度を持つ樹脂系の素材、
それらが出現して、持ち盾は復活しました。
本スレのテーマは「日本人(という言い方がお嫌いならヤマト文化圏)はなぜ持ち盾を捨てたか?」であって
周囲の盾有り文化圏との優劣は主たるテーマではないと考えますので、軌道修正を提案します。
その上で、盾を捨てた原因を武士たちの個人プレーに求める事には、以下の点から疑問を呈させていただきます。
1:個人プレーしない雑兵まで盾を持たない理由にならない
2:やはり個人プレー系の戦士といわれる西欧の騎士は盾を捨てていない。
3:集団戦への移行から鉄砲伝来の間に盾が復活していない
個人プレー説の方、いかがでしょうか?
>>181 具体的に何を読めば、持ち盾に苦戦した日本軍の姿が分かるのか、披露してくれないか?
>>182 >2:やはり個人プレー系の戦士といわれる西欧の騎士は盾を捨てていない。
それは何世紀の騎士か?
盾をつくるよりも、甲冑や長槍を作るほうが技術と資金が必要であって、
戦闘に持ち盾が有効ならば即座に作成できる。
にもかかわらず、武士だけでなく雑兵も使用していない理由は何か?
海洋交易を通じて知った鉄砲を工夫改良し、見事自家薬籠中のものとした日本が、
隣国の持ち盾を知らぬはずもなく、またそれが有効であるならば、取り入れないわけがない。
そう思うが、それは如何に。
>>184 西欧で盾を装備しなくなったのは15世紀以降と聞きますのでそれ以前ですね。
>>186 全身を覆う立派な(テレビで見ただけだが感動した・・)西洋甲冑が、完成したのが
その頃だったのではないかな?
その後は騎士は持ち盾は、基本的には装備しないものだったはず。
188 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 17:10:56 ID:KRpeH7GN0
>>186 >盾を装備しなくなったのは15世紀以降
元軍により欧州への火薬伝来はいつか、
銃砲の改良と普及はいつからかを考えると
説明が付きやすい。甲冑の発達やパイクなどの
説明より、大局的な動きについては説得力があると思うよ。
(欧州戦史家もモンゴル軍から火砲を伝えられたから
甲冑や持ち盾が消滅したとは書きたくないんだろうけどネ)
持ち盾だけじゃなく、銃器出現直前に
対騎馬戦闘や対甲冑戦闘に主要な装備とされた
メイスやフレイルが日本になぜ普及しなかったり
根付かなかったかも考察すると興味深いと思う。
反対に日本人的視点からすると、なぜ外国では長槍を付くらなかったのか不思議だ。
190 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 17:36:33 ID:C/Pa0lq60
>>186 >西欧で盾を装備しなくなったのは15世紀以降と聞きます
1259年 中国で弾丸発射タイプの火薬銃「突火槍」が発明される。
1300年代初頭 中国より欧州に火薬とその利用法(花火、火炎放射兵器、銃、土木発破)が伝来。
1326年 「金属製弾丸と砲を作らせていた」とするイタリア議会の記録が存在。
1367年 中国で朱元璋軍が2千数百丁の銃砲を使用した戦闘を行う。
1388年 英国でハンドキャノン(引き金無し)が誕生。
1403年 中国で独立した砲兵部隊としては世界初の神機営が創設。
1411年 欧州で火縄銃が発明される。
15世紀 欧州で持ち盾と甲冑が衰退、消滅に向かう。
1500年 レオナルド・ダ・ビンチが、ホイールロック式銃を発明。
初期の銃は弓以下。
193 :
sporran:2005/07/18(月) 18:24:29 ID:lev7pyKo0
そのとおりです。銃器の発達と盾の消失は関係ないです。それ以前から盾はありませんでした。
個人プレーの源平武士の時代でさえ、郎党は頭に烏帽子!。と腹当です。武器は薙刀でした。
この時代フレイル、メイス、斧のような近接武器が無かったことを考えるとこの当時から近接戦闘は無かったと考えても良いでしょう。
刀の使用頻度が良く出てきますが、それも考慮に入れると当時の戦闘は弓は置き盾で防御し、崩れると長物をもって接近しそれで片がついたとも思えます。
理由の一つに長物は両手で扱うという固定観念があったとも考えられます。特に薙刀であれば両手で扱います。これが槍であれば片手で扱った可能性もありますが、
日本の場合は矛、薙刀、槍という順に変わりました。
いま、思いついたことがあって、鉄の産出量があるかもしれません。
メイス、フレイル、斧などは固まったマッスが必要ですが鉄の鍛えとしてはそれほど技術が必要ではありません。
その辺の蹄鉄を扱う鍛冶屋でも作れますが、薙刀などの刃物系はそれを鍛える技術が必要です。日本の鉄産出が当時の海外と比較してどのくらいかは知りませんが、
仮に少ないとしたら、少量の鉄を高度な技術で作った刃物系の武器と、大量の鉄で安価な技術で作った武器の差が攻撃レンジを決める要因となった・・
違うかな〜
194 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 18:25:40 ID:peAOy+xZ0
15世紀に入り、火縄銃が開発され普及すると同時に
甲冑と持ち盾は急速に衰退します。
昔の銃だから、金属甲冑を撃ち抜けないというのは
銃を知らない人です。ボウガンや金属銃弾に対して
甲冑が現実的には無意味なものだというのが現実です。
ステンレス製の厚手のフライパンを撃ち抜けない
戦闘用の鏃を付けた軍用ボウガンや
15世紀の火縄銃など存在しません。
実際に実験してみれば分かります。
現実的な重さ(厚み)の甲冑で火縄銃やボウガンに
立ち向かうことは無理です。
現在の技術で身長3メートルの動力付きヘビー級甲冑としての
モビルスーツを開発したとしても、50口径の車載機関銃弾すら
防ぐことはできません。ほとんどのアサルトライフル弾さえ、
防げないでしょう。サブマシンガンや拳銃相手でギリギリ…。
手榴弾や迫撃砲弾の破片から身を守りやすい程度でしょう。
性能値と実際に活用できるかどうかはまた別の問題かと。
196 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 18:40:23 ID:peAOy+xZ0
>>193 >少量の鉄を高度な技術で作った刃物系の武器と、大量の鉄で安価な技術で作った武器の差が攻撃レンジを決める要因となった・・
面白い発想だと思います。
ゾーリンゲンの刃物博物館とかを訪ねてみたことがありますか?
ただの感想ですが、高度な技術で少量の鉄を鍛えたのが日本で
欧州(ほかの大陸諸国も)が簡便な技術で豊富な鉄製武器を量産というのは
どうもピンときません。使用状況が違うと思います。長大な城郭線の攻防を
伴わない戦闘だったという点が中世日本ローカル戦士らの特徴で、
山岳地や水辺、または狭い平地での、さほど長い時間ではない、
弓矢と個人投石と長柄の刃物での戦いが中心だったように考えます。
私は銃器の出現で甲冑と盾が消えたという考えです。
197 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 18:52:09 ID:peAOy+xZ0
>>195 >性能値と実際に活用できるかどうかはまた別の問題かと。
西洋甲冑を着込んで火縄銃に重たい長剣持って
ヨタヨタと近づく勇気はないよ。
撃つ側は気楽だ、パンでボコッでドタリ、血がドクドクだ。
弾が外れたら走って逃げて、弾を込めてからまた撃てばいい。
騎馬に槍の甲冑武者でも基本的には同じこと。
火縄銃を抱えて馬から走って逃げるのは大変だけど。
199 :
sporran:2005/07/18(月) 19:09:13 ID:lev7pyKo0
193の自説を補足するならば、日本の場合郎党、家之子といえばそれなりに戦闘訓練をしています。
つまり、刃物を扱う技術を持っている。一方、フレイルは農業用のから竿だし、斧もきこりの道具です。
これらの武器は扱うに技術よりも振り回すだけの体力があれば農民兵でもそこそこのものになります。
ところがこれらの武器は防御向きではない。したがって防御する為の道具があればまあ、安心。
>>194、鎧の品質保証のために試撃ちで銃弾痕がついたのは普通にあります。
>>197弾が外れたら走って逃げて、弾を込めてからまた撃てばいい。
誰が走って逃げてよいと許可するでしょうか?当時の銃は単発。
それが戦線に伝播して総崩れになる引き金にもなりかねません。
一人でも前線を離れて逃げ出すようなことを指揮官は許さないはずです。
200 :
sporran:2005/07/18(月) 19:11:43 ID:lev7pyKo0
199
貴重なデータありがとうございます
201 :
sporran:2005/07/18(月) 19:22:06 ID:lev7pyKo0
>>197 時代は違いますが、ナポレオン戦争当時も銃は前装単発でした。
このときの戦術は歩兵は横一列になり、相手もそれに対応して一列になり、互いの白目が見える距離まで接近し一斉に発射しました。
この後、両者は銃剣を持って白兵戦になります。つまり、銃はメンテナンスと小さな使用性は高まったものの、正確性、有効距離、その後の白兵戦と
中世とさほど変わっていません。大きな違いは銃の量というべきでしょうか。
精鋭部隊であればあるほど自分が逃げることは出来ないのです。
パトリオット・ゲームでもありましたが、戦いの勝負は相手が3発撃つのに対してこちらも3発銃を発射できるかどうかでした。
刀の使用頻度の比較や、甲冑発達後の騎士や武士については一先ず置くとして、名もなき雑兵はどうだったのか?
西欧の雑兵は、15世紀以降も盾を使用していたのかな??
対する日本の雑兵は戦国期には、長柄戦術の一つの頂点ともいうべき
5メートルもの長槍を用いた戦術を確立する。
ある識者が言うには、日本において初期の銃はまさにこの長槍衆を打ち破るために
活用されたと言っても過言ではない、と記している。
それほど、野戦においては長槍衆は重要な存在であった。
203 :
sporran:2005/07/18(月) 20:34:27 ID:lev7pyKo0
西洋ではパイクマンが登場します。これは騎兵を防ぐ物で長柄槍と似ていますが、日本では槍で上から打ち叩くのにたいして、パイクマンは
積極的な行動にはでません。基本のスタンスは槍を前方に低い角度で突き出し、右足を後ろに引いて槍の石突を留めます。左手で槍を持ち右手は左の剣を握っていつでも抜けるようにしました。
パイクマンも弓兵も腰にはバックラーシールドをつけていることが多いようです。
それは、まさに長槍衆が騎馬武者を食い止め、弾き飛ばすのと同じ発想。
石突を地につけ、穂先を馬の胸に付ける。で、長槍は大変な弾力性があるため、
馬もろとも弾き飛ばす。
武者が落馬したら、よってたかって串刺しに・・。
西欧の雑兵も、ある時期以降は持ち盾は積極的な使用はされていない、と考えて
いいのだろうか?
205 :
sporran:2005/07/18(月) 20:46:59 ID:lev7pyKo0
騎馬突撃は日本でも西洋でも少なかったという意見があります。
私はこの意見には反対です。騎馬突撃が少ないのならばパイクや長柄槍が出てくる必要はありません。
日本の槍は互いに雑兵相手だとしても、5mの長さで横一列に上から叩く戦術であればそれこそ盾を持たせた散兵で側面から攻撃すれば戦列は崩れてしまいます。
206 :
sporran:2005/07/18(月) 20:51:14 ID:lev7pyKo0
少なくとも、以前のような片手に剣、片手に盾と言うスタイルは15世紀にはないと思います。
とりあえず「ロック・ユー」面白かった。
今や騎馬兵はおろか、抜刀攻撃も日本ではなかったことになりそうな雲行きですからな・・。
野戦における足軽雑兵の長槍ではなく、今度は武士(精兵)による切り込みについて。
盾と関係あるのか微妙ですが、日本史板でも少し書いた明治の田原坂の薩兵VS抜刀隊について。
なぜ、はじめから白兵戦を目的としているにも関わらず、槍ではないのか、盾がないのか?
薩兵は、主に夜陰に乗じ、或いは官兵の銃撃の合間(弾込め作業中など)に銃を置き、切り込みを敢行。
当時の日本としては新型銃を持っていたにも関わらず、白兵戦を想定していない官軍は恐慌をきたし、度々敗走。
官軍はこれを打開するために、白兵戦用に精兵をそろえて抜刀隊を組織。
そして抜刀隊の最初の攻撃は朝方。薩兵を急襲し、戦果を挙げる。
田原坂は、狭い山道、視界のよくない森、泥地などなど、いわゆる日本によくある山岳地。
そして、精兵による奇襲急襲。
多くの軍勢が延々と向き合うような展開(典型的な野戦)よりも、このようなある種ゲリラ的な
展開が割合的に多かったのではなかったか?
時代は違うかもしれないが、日本における抜刀切り込みとは、概ねこうしたものではなかったのかと。
このような展開で持ち盾がどこまで必要なのか?
これが次のポイントかと。
脱線したかな
209 :
sporran:2005/07/18(月) 21:28:26 ID:lev7pyKo0
私も小規模な戦闘のほうが多かったと思います。ところがこのような山岳 森での戦闘では槍のほうが有利なのです。
それは先日多摩のイベントでウッドバトルをはじめてしましたが、剣やハルバートは周囲の茂みが邪魔になって振り回せませんでした。
短い槍が強い。これは西洋剣と刀の扱いの違いが出ているのかもしれません。
鎧着用は茂みや枝など植物障害物をものともせず、ずかずか進めることです。
田原坂を参考に上げたのは興味深いので少し考えてみます。
この時代、槍は普及していたのか?官軍は銃剣を装備していたか?
スコットランドチャージという戦法があります。
これはスコットランド軍が行なった物で、まず、一斉に銃を撃ち相手がひるんだ隙に銃を投げ捨て、盾とブロードソードを振りかざして突撃する物です。
橋の上など狭い場所ではかなり使われたようです。
210 :
sporran:2005/07/18(月) 21:32:40 ID:lev7pyKo0
兵の兵科から考えてみましょう。日本の場合、弓兵や鉄砲兵などは接近された場合に備えて刀や組討の修練があったのでしょうか?
西洋でははっきりと申せませんが、剣を使っての護身は練習していたようです。
211 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 21:57:02 ID:jvnNiIs20
>>202 >5メートルもの長槍
古代ローマや古代中国の時代から使われてたよ。
212 :
sporran:2005/07/18(月) 22:01:46 ID:lev7pyKo0
中国はわかりませんがファランクスは特殊です。ファランクスは横列ではなく縦列の密集です。
また、これは騎兵ではなく主に歩兵相手でした。この時代騎兵は鐙は無く不安定でチャリオットが使われましたが
チャリオットがどこまで直接的に使われたかは、私には充分な資料もなく判断も出来ません
213 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 22:02:57 ID:jvnNiIs20
>>208 >日本における抜刀切り込みとは、概ねこうしたものではなかったのかと。
幕末の西郷反乱軍や大戦末期の玉砕斬り込みは特異な奇行だろう。
稀に戦果を挙げても、奇襲は何度も効果を生まない。
逃げ回りつつの遊撃戦、ゲリラ戦の戦法。
追いつめられてからの玉砕覚悟の斬り込みは愚行。
ガダルカナルでは、あれをやってから、米軍将兵の
日本兵に対する恐怖が侮蔑にかわった。
214 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 22:03:48 ID:7lW30bHW0
横にしても盾(縦)。
>>210 弓衆や鉄砲衆がどれだけ白兵戦を想定していたのか、詳しいことは分かりません。
鉄砲兵だと、重装備なところでは御貸具足に刀、脇差などが標準な家もあれば、
進退を機微にするために前胴だけ、あるいは具足なしのところもあったらしいです。
雑兵の心得の記述として、弓兵が敵兵に接近されたときには、槍一本分までギリギリまで
引き付けて矢を放ち、あとは刀脇差を抜いて斬りつけよ、というものもあります。
これだと弓兵は望んで白兵戦をやるようなものではないような様子。
>>211 どういう造りか分かります?
自称長槍研究家(?)として、興味がある。
>>213 とりあえず、近代の話は置いておきましょう。
>幕末の西郷反乱軍や大戦末期の玉砕斬り込みは特異な奇行だろう。
特異であった理由が知りたい。
あと、薩兵と抜刀隊の切り込みは玉砕とはまた違う意味かと。
両軍とも犠牲者は多かったけれども。
217 :
sporran:2005/07/18(月) 22:27:37 ID:lev7pyKo0
ファランクスはトネリコで作られたおそらく数キロある槍です。
兵は隣の兵の体半分を自分の盾でかばいあい、右手に槍を持ちました。一番右側の兵は半身ががら空きになるので
勇者の位置とされました。盾は円盾です。足元を保護する布か革が下についている時代もありました。
最前列から4〜5列目までは槍を水平に保ち、その後ろからは斜め上に掲げ降り注ぐ矢から守りました。
ファランクス同士がぶつかると前後からぎゅうぎゅうおされさながらラグビーのスクラムのようでした。
つまり、この戦いは相手を殺すことで決着をつけるよりも相手を押し破ることで力差をみせつける、雄牛や雄羊の角つきのような
我慢比べのような物だと思います。
ファランクスは平地では無敵といってよいほどでしたが、これが破られたのは(ああ、わすれた!)
ファランクスを山地に誘い出し、足場が悪くなって槍の穂先がばらばらに崩れ始めた時、攻め込まれました。
218 :
sporran:2005/07/18(月) 22:36:54 ID:lev7pyKo0
209 スコットランドの盾は小さく中央に長いスパイクが付いているのもありました。
219 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 22:42:43 ID:AQNFoWu50
日本の鉄の産出量ですが、当時は結構あったようです。
今、手元に資料がないので具体的な産出量はわかりませんが。
日本と朝鮮半島では、良質な鉄が取れたようですし。
220 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 22:46:22 ID:AQNFoWu50
盾がなくなった理由ですが、十分な強度の盾が作れなかったことがあるのではないでしょうか。
盾が消えた当時の日本では、その素材として主に木材、皮が使われていました。
金属製の盾もあったようですが、かなり少量のようです。
これらの(鉄に対して)やわらかい素材の盾では、薙刀や日本刀の切込みを防ぐには
不十分であったのではないでしょうか。
222 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 22:48:40 ID:AQNFoWu50
ついでに書くと、日本刀とその前身である蕨手刀の間には、
強度に関して1.5倍程度の差があるようです。
223 :
sporran:2005/07/18(月) 22:51:33 ID:lev7pyKo0
>>215 雑兵物語ですね。同じに矢は無駄に撃つな。相手が見えたら矢をつがえはゆるめ、引いてはゆるめ大事に撃てとあります。
その前後もあわせて考えると弓奉行の命令一下一斉に矢を放つのではなく、個人の判断で矢を放つように読み取れます。
224 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 22:53:14 ID:AQNFoWu50
>>221 日本刀ができたことにより、それまで攻撃力=防御力だったものが
攻撃力>防御力となったので、盾が廃れたのではないのかなと考えてみました。
225 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 22:54:31 ID:fEqzsJjSO
陣笠が楯の役割をしたんじゃないの?
>>223 いや、弓鉄砲は基本的に合図による一斉射撃かと。
さきほどの雑兵物語の心得は、弓兵が乱戦になって『もう終わりだ』というときの心得、という
話のようです。
>同じに矢は無駄に撃つな。相手が見えたら矢をつがえはゆるめ、引いてはゆるめ
のくだりは、弓手が鉄砲隊の合間に入り、鉄砲手の弾込めの合間に射撃するときの心得とも取れます。
全文が分からないので詳細不明。
227 :
sporran:2005/07/18(月) 22:58:31 ID:lev7pyKo0
>>220 何度か書いたことですが、盾というのは強度的には斧のような重く刃のある武器には意外と弱いのです。ブロードソード数撃でかなり破損します。
消耗品でした。通常、盾の周囲には鉄などの補強がありますが、バイキングはわざと補強しない盾を使いました。材質も軟らかいシナやブナです。
相手の武器が盾の縁に食い込んで抜けなくなることを考慮した物です。
不用意に攻撃し自分の武器が盾に食い込んだ一瞬が命取りになりました。
>>222 そんなにあるものですか?
刀に限らず、古代の武具というものは、きっと脆さとの戦いだったのですな。
229 :
sporran:2005/07/18(月) 23:01:10 ID:lev7pyKo0
>>227 その理屈を、日本の武具についても人から聞いたことがあります。
槍だか棒だか忘れましたが、わざと太めの木製で柄をつくり、刃が食い込むようにすると。
信憑性のほどはわかりませんが、あってもおかしくないと思いました。
刃は食い込んだ後に抜けないのが恐い。
231 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 23:09:01 ID:AQNFoWu50
>>228 そこで抜刀術のでばんですよ!とか。
薙刀→食い込む→抜刀して切り込みのコンボを考えてみたのですが。
232 :
YMA:2005/07/18(月) 23:10:25 ID:j5YfKLKp0
全ては読んでないので即出かもしれませんが、合戦では、竹の束で鉄砲を弾くなど、部隊を守る盾は使われていましたよ。
源平時代も雑兵が盾をもって矢を防ぎ、その後方で矢を射っていましたし。武将が盾をもたない理由は太刀で矢を落せるのと遠くからの矢では貫けないほどの鎧を着ていたからです。
源平での弓はその強靭な鎧を貫くために接近して射つのでそこまでいくと盾は貫通されるので役に立ちませんし。
あと、大陸との盾のと違いは、太刀を両手持ちで持つからだそうです。中国や朝鮮半島に朝鮮出兵時の記録に「両手持ちの日本刀に片手の剣では対抗できない」とあるみたいです{原書未確認のため}
太刀は槍や薙刀より防に優れた武器と書いてある本もありました。
追加で、古流には鎧組討の際に盾{小さな鉄蓋?}を使っての型が存在します。剣術が普及したのは江戸期で、中国の武術が発達した宋時代と同じように合戦が起こらなくなってからです。なので、それ以前には存在したようです
233 :
YMA:2005/07/18(月) 23:20:27 ID:j5YfKLKp0
書き忘れたことがあったので、追加です。
剣術には、固形の盾を使うものはすくないですが、布などの身近で鉄砲や矢を防げる物をよういた型があります。
それと、剣術{槍もそうだと思いますが}は受ける代わりに返して攻撃をすることができます。なので、完全防御という考えは非効率的なため用いられなかったのだと思います。
60年安保闘争のときに機動隊が盾で殴りかかってたのとか、このような考えの表れだと思います
僕(武道スペースコンタクト・元龍貴)はそうやっていくつもの
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236 :
sporran:2005/07/18(月) 23:28:34 ID:lev7pyKo0
>>両手持ちの日本刀に片手の剣では対抗できない
両手剣と太刀にどれだけ差があるかわかりませんが、初心者の盾と剣に両手剣の私は勝てません。
もし、充分以上に対抗できるのならば、ぜひともその方法を知らねばなりませんが、今までこれに対して充分な解答はありませんです。
置き盾と持ち盾は別の物です。今ここでは個人携行の盾が論点です。
日本での個人盾の図ですが私は和漢三才図絵と法然上人絵詞の二つでしか確認しておりません。
戦国絵巻屏風などの合戦シーンで盾を持っているのは見たことがありません。
弓、槍、鉄砲、刀はそのような絵図には多くかかれています。使用の絶対数は比べ物になりません。
他のスレでも書いたかと思いますが、私の考えを書いておきます。
武士の主要武器は両手武器です。薙刀、長巻、槍、太刀、弓を扱うには両手が必要となります。
その為、矢を防ぐ置盾を使う事はあったとしても西洋や中東等のように接近戦用の持盾を用いる事が無かったと考えています。
また、近接用の武器として両手武器を使う理由としては、攻撃重視という事もありますが、接近戦において各武器を構えた時の
姿勢は攻撃と防御の両方が考慮されています。その為、盾を持つ必要がありません。
雑兵にしても基本的に両手武器を用いる訳ですから、持盾を必要とする事はなかったと考えています。
鎧に関して言うと、互いに持っている武器から完全に身を守る事が出来る鎧が存在していないわけですから、
矢を防げる程度で良かったかと思っています。矢を防げて、武器を使用するのを妨げない鎧があれば良かったという事です。
238 :
sporran:2005/07/18(月) 23:38:19 ID:lev7pyKo0
>>233 マントや鞘で相手の剣を防御するテクニックは西洋でもあります。
>>{槍もそうだと思いますが}は受ける代わりに返して攻撃をすることができます。
なので、完全防御という考えは非効率的なため用いられなかったのだと思います。
完全防御は効率が良いのです。シングルソードだと防御と攻撃は二者択一です。しかし、盾と剣は攻撃と防御は同時に出来ます。
あなたの剣を盾で受け止めると同時に、右手の剣はあなたを攻撃できますが、あなたはそれをよけるには体で避けるしかない。
もう一つ、盾は世界中で使われています。完全防御が効率が悪いならばそこまで普遍的な広がりは無いでしょう。
機動隊の盾は重いので、両手を使った物と考えられます。これは中世の裁判決闘で使われたシールドソード
http://www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/ahund/manual/manual%20DS.htm に原型を見ることが出来ます。
Sporran卿が仰る通り、両手武器では盾+剣を相手にするには不利です。
太刀で、相手を盾をぶった切る事が出来るのなら、相手が盾+剣でも集団戦に
おいても太刀を振る場所を確保できれば有利と言えるのですが、残念ながら
盾を所有しても太刀は所有していないので、検証できない次第です。
私が盾を2,3枚くらい提供しますから何方か太刀でぶった切って下さい。
240 :
YMA:2005/07/18(月) 23:48:07 ID:j5YfKLKp0
>>236 >今ここでは個人携行の盾が論点です
了解しました。背負ったりと合戦では動かしていたので置いた盾と区別してしまいました。気をつけます。
>両手剣と太刀にどれだけ差があるかわかりませんが
両手剣というのは太刀のことです。日本の刀剣は古代以外は両手剣になります。誤解させてしまいすいませんでした。
倭寇についての記述であるのですが、大陸系は皆盾と使うために片手持ちの剣だったそうです。太刀は長いものであり、殴打の効果も打ち刀{日本刀など}に比べ威力は格段に上です。斧のようだと言えば、イメージし易いでしょうか?
つまり、大陸の人が持つような片手で守る盾を押しのけて攻撃ができ、剣を合わせれば剣ごと叩き斬っていたそうです。
参考になるかわかりませんが、打ち刀の威力の無い日本刀の模造刀もで、私のような未熟者ですら2CMの樫の板を叩き割れます。また、刀を使っての相手を動けなくし、潰す{解らなかったら質問ください}方法も存在します。
>戦国絵巻屏風などの合戦シーンで盾を持っているのは見たことがありません
これに付いては自分もそうです。というのも、
>>232で書いたとおり、鎧の性能がよく、武将クラスは要らなかったせいだと思います。かかれるのは軍の隊長クラスですから。
そして、武将以下が持ち盾を使った根拠として、柳生心眼流の甲冑での型に陣盾という小さな盾を使ったものがあります。「日本の剣術」という本でも紹介されています。
・・・・これでお答えになったでしょうか?疑問点ありましたら、書いてください。自分の解る範囲で書きますので
241 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/18(月) 23:55:52 ID:zIJvm16jO
242 :
YMA:2005/07/19(火) 00:01:10 ID:6XwpYJ1o0
>>238 機動隊の盾の事など知らないこと教えていただきありがとうございます。
とりあえず、誤解かと思われる点に付いて書きますね。
>シングルソードだと防御と攻撃は二者択一です
西洋のソードは重さが日本のものに比べ1.5倍以上重いです{武器と防具<西洋編>参照}ですので、返しという技を使えません。それに、材質にしても日本の鋼より脆い為、刃が欠ける危険性をとるようなことはしなかったと思います。
ですので、発想的に防御と攻撃という二者択一しかできなかったと考えられます。また、返しのような考え方は中国武術と日本武術くらいしか存在しないと聞いてます{あったら教えてください}
>盾と剣は攻撃と防御は同時に出来ます
これについては、太刀や刀に関してしかしりませんが、盾で片手で受けられるほど攻撃が軽くありません。240に少し書きましたが、盾ごと潰します。空手や拳法をする方なら理解できると思います
それと剣術は前提として反撃できないようにする、ということができます。詳しくはここの趣旨と反しますので、必要なら他スレを指定、そこでご説明します。
・・・・ってことです
追加
>機動隊の盾は重いので、両手を使った物と考えられます。これは中世の裁判決闘で使われたシールドソード
シールドソードとの繋がりがあったのは驚きました!このような情報あったらまたお願いします。
>241
太刀でぶった切った後なら燃やしても良いよぉ〜
今の季節なら鮎の塩焼きが旬かな?
244 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 00:06:15 ID:bFP4Xb8L0
盾の厚さってどんなものなんですか?
金属盾しか持ってないので・・・
245 :
YMA:2005/07/19(火) 00:08:31 ID:6XwpYJ1o0
>>239さん、その実験自分も見たいです。
兜切りなどは写真や映像になりますが、盾に対してというのは見たことありません。
言っていてなんですが、金属性とかでもできるのか知りたいです。
実験した場合、できたらデータ教えてください
246 :
YMA:2005/07/19(火) 00:15:40 ID:6XwpYJ1o0
>>244 正直、よく判りませんが、私が資料館とかでみたのは木製では2CMなかったと思いました。
しかし、それは置き盾なので、持ち盾になるともっと薄いか小さいと思います。
私も倭寇に関する資料を掲示され、解説された程度なので、詳しくはわかりません。自分の憶測ですが元寇絵巻{?}のものと同じだと思います{あやふやですいません}
西洋のスモールシールドとかを木製にした感じでしょうか?
金属の需要から考えて、雑兵にそこまでの盾を配備できないと考えられるので金属ではないと思います
ちなみに、金属盾でも、型で使うのは、鉄製か鋼鉄みたいです。それだと通さないそうです
247 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 00:19:00 ID:aq9vWvo4O
>244
種類にもよりますが、木製は1.5cm〜3cmです。また、縁の部分や、中心が金属になっているものもあります。
西洋の盾=木製、及び木製+金属の補強付きと考えた方が良いです。
全て金属製というのは少ないです。また、実物の金属製の盾は国内で売っている金属製に比べるとかなり厚めです。
YMA殿
オフ会etcにて検証してみたいと思うのですが、日本刀系の獲物は持っていないので検証できない状態です。
私が所有している刃物は軍用ナイフくらいなので、検証には向かないです。
また、斧を買うという手もあるのですが、やはり日本刀で検証したいですね。
昔は鎖帷子の強度を確かめるために、斧で切ってみたりとかしていたのですが、
ここ最近は検証していないので、久々にやってみたいですね。
249 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 00:28:36 ID:iUY6Ty920
>>1 体力の問題だよ
江戸時代の日本人の平均身長158cm体重45kg
これでは盾なんかもって戦えない
両手武器の刀がベストだったんだね
250 :
YMA:2005/07/19(火) 00:28:44 ID:6XwpYJ1o0
>>248 ものすごく興味ありです!
ただ、私、真剣持ってないんです
・・・・剣道版や古武術版でも書き込んでいるので何気に募集してみましょうか?
おこられない程度にしかできませんが・・・・
251 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 00:31:02 ID:+7tzJkUY0
>>248 なるほど。
その厚さがあると、重量的には初太刀を難なく防げそうですね。
重ね重ね申し訳ないですが、国内ってのはヴァイスですか?
252 :
YMA:2005/07/19(火) 01:04:42 ID:6XwpYJ1o0
>>248 他スレで募集するのちょっときついみたいです・・・話に無理が・・・一応書き込みしたので着てくださるといいのですが・・・
>最近は検証していないので・・・
他にも何か検証されたんですか?できたらお願いします
日本刀についてですが、参考にならないとは思いますが、模造刀で私が試したものとして、空き缶切りがあります。
刃がないため、切断まではできませんでしたが、スチールのコウヒー缶は縦に2CMほどめり込みました。アルミ缶{ポカリ}を横にした場合は真っ二つに折れ、一部切れました{金属の性質?}
突きをした場合は、固定しない場合はアルミだけ、固定した場合は両方とも貫通しました
YMA殿
真剣を検証に提供してくださるのなら、ブレストプレートも提供しますよ。
誰か、試し切りをしてくれる方が居られたら是非ともお願いしたいです。
もっとも大したお礼なんて出来ないですけど、それよりも折れた時にはどうなることやら。
>251
国内では装飾用の盾しか売っているのを見てないので何とも言えないです。
私個人の意見としては、国内では私が満足できる西洋甲冑のお店は皆無です。
フルオーダーを謳ってはいるモノの、顧客にあったサイズを提供出来ない店があるくらいですから。
武器に関しては似たりよったりですが、鎌倉の某店がお勧めですかね。
日本で、西洋の真剣が買えるようなら、もっと色々な検証ができるのですが残念です。
渡米した時にでも試してみようかな?
254 :
YMA:2005/07/19(火) 01:15:24 ID:6XwpYJ1o0
>>253 確かに・・・・・一応居合いスレで興味を示してくださった方がいるので、現在反応待ちです
折れたとか考えると・・・難しそうですね
256 :
YMA:2005/07/19(火) 01:33:35 ID:6XwpYJ1o0
>>255 Vailさんありがとうございます。
そうなんですか・・・・御自分でのチェーンメールの結果はどうでした?
近藤勇の逸話にも帷子があって切れないというのがありましたが・・・・
ホームページを見ると相当に強いんですね{誤解してたらすいません}。着ていても切断はされないみたいで・・・
ナイフでドラム缶を刺せるんですか!!昔、ドラム缶を木刀で叩いたことがあるので、丈夫さは知っているつもりでしたが・・・・
バックマスター・・・・すごいんですね。個人的に調べてみます!
・・・・・こういうのを聞くとますます上手な方に試して頂きたくなりますね・・・・絶望的になってきましたが
257 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 01:58:17 ID:NpE9EhJx0
警棒と持ち盾を持った10人とバットを持った10人、どっちが強い?
258 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 02:07:25 ID:XtrTchNt0
>>236 >弓、槍、鉄砲、刀はそのような絵図には多くかかれています。使用の絶対数は比べ物になりません。
絵にするのにはかっこ悪かったからかもしれねーだろ。
戸板みたいな木板や籐で編んだ盾なんか使って戦ってんのは。
「使用の絶対数」≠「戦争絵巻」なくらいは考えろ。
鎧や甲冑を着込んでチャンバラしてる絵と現実の戦闘は違うだろ。
あんた、コスプレ系のチャンバラオタクか。
ビデオで何度もピンポイント爆撃を見せられた
「スマートボムできれいな戦争」のはずのイラク戦争の実態は…。
いつの時代も同じな気がすんぞ。
259 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 02:10:39 ID:XtrTchNt0
>>255 >ナイフ類でドラム缶をさせたのはバックマスターだけでした。
食事用のステンレスナイフの先っぽをつまんでを投げたって、
そのナイフの先っぽだけグラインダとかで削っとけば
誰が投げてもドラム缶程度にはズボンッと刺さるぞ。
260 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 14:18:35 ID:jyhzjXjS0
>>259アルミの空き缶に果物ナイフ言うとおり研いで投げてみた。先だけ刺さったけど折れた。どうやったらできるようになるの?
>>257 バット持ってるのが古武道やってる人なら、バットの勝ち。素人同士なら力のある方が勝つ
非力なもの同士なら、盾が勝てるけどそれ以外は一概に言えないんじゃない?
盾も琉球のティンベーとローチンみたいな活用だったら相当強いだろうけど、用法とか確立されてになら、確立されてるほうが強いと思うよ
261 :
YMA:2005/07/19(火) 15:55:35 ID:KKc3lINp0
>>Vailさん
試し切りの人がやはり見つかりませんでした。2CH以外にも友人{?}にも聞きましたが、リスクが多すぎるとのことです。
太刀ならある程度の腕前でもできるかもしれないが、規格外が多いため、値段が相当高いそうです。扱っているところも少ないそうですし。
そして、日本刀で斬るにはやはり、真剣の修練を相当にした人でないと難しいそうです。なので、私とか友人{先輩?}では、実験として正確な証明にならないだろうとのことです。
盛り上げておいてすいませんが、私の力では被験者を探すことができませんでした。すいません
代理意見というわけではないのですが、斧で試すよりナタで試したほうが感覚的に真剣に近いそうです{友人曰く}
262 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/19(火) 16:17:16 ID:YpxXJsji0
259
嘘を付くな。鉄に食い込むにはエネルギーがいるんだ。
物に刺さるとか切ると言うことは対象を刃の厚みのぶん左右に押し分けると言うことだぞ。
1ミリの刃厚のものを鉄に切り込むとするならば、鉄を左右に1mm押し分けねばいかんのだ。
だから柔らかい粘土は左右に押し分けやすいので切りやすい。従って低いエネルギーできれる。
固い物をきるにはそれれを押し分けるだけの質量か発射速度が必要だ。
先端を研いだだけで刺さるはずがない。
263 :
sporran:2005/07/20(水) 00:07:41 ID:SMzIwefq0
>>258 おもしろい指摘ですが私は違うと思います。絵巻物を描かせた権力者が正当化し誇示
するために絵師に注文をだし編纂することは、アメリカ軍の映像のようにありえるこ
とです。
で、あるならば敵対軍には見栄えの悪いものを入れるはずです。軍容や数は信用なり
ませんがね。また?が絵師の個人的な作品だとすれば、見てくれの悪い物を描かな
いことはないはずです。絵師の心としてむしろそのような物こそ関心があるからです。
大量に使われた槍を数多くかっこよく描くのがすべての絵師ではありません。
例え様式化された画風であろうともです
>>249 江戸時代よりはるか以前に盾は使われなくなりました。江戸時代の人の体の大きさをあげるのはナンセンスです。
264 :
sporran:2005/07/20(水) 00:12:18 ID:SMzIwefq0
YMA様
>>240、刀を使っての相手を動けなくし、潰す{解らなかったら質問ください}方法も存在します
文章ではご説明しにくいでしょうがどうか方法を授けてください。
>>242「返し」というのはどのような物かご説明いただけますか?
265 :
sporran:2005/07/20(水) 00:14:22 ID:SMzIwefq0
Vail卿、甲冑の日本刀試斬ですが・・ちょっと面白いことを思いつきました。
あるところへ可能かどうか掛け合ってみましょう。
266 :
YMA:2005/07/20(水) 01:08:50 ID:yXH68gPm0
>>264 sporranさん了解です。恥ずかしいので「様」は止めてください、言われるような人物でないんで{^^}
「潰す」ことから説明します。まず、考えて欲しいのですが、貴方が正面から押された場合どうしますか?押し返すか逃げるかしますよね。
相手が押し返そうとする場合、相手の力と正面からぶつからない様に、斜めなどから力を加えます。すると相手は対応できず、力の為すままに動かされます。そして、導く方向を下方にした場合、立つことができず、蹲るしかありません。
また、相手が逃げようとした場合、逃げる方向プラス下方に加えてやると、押し返そうとするのと同様、逃げ場が無く、蹲るように誘導できます。
そして、このとき加える力は遠心力と体中の筋肉を使って行う{不思議でしょうがそうとしか言いようの無い力の加え方します。他スレで議論中}ため、瞬時に膨大なものとなります。故に同じ技術が無い限り逃れることができません。
不十分でしょうが、また質問してください
今度は「返し」についてです
これは、攻撃がきた時、その衝撃を真っ向から受けず、逃がします。回転などを使い、イナシと呼ばれる動作を取ります。
ここで注目するのは攻撃後の相手の体制です。こちらは体勢を崩さずに相手の攻撃を避けたわけです。
しかし、相手は攻撃したため、さらに攻撃できません。もう一つ加えると、攻撃できない状態にイナシてします。そして、その攻撃できない状態に対し、攻撃するのが「返し」です。
ここには多くの技術があり、流派ごとに数十とあります。
・・・・・ってことでどうでしょうか?
わからないことがあったらまたお願いします。ここの趣旨とあまりに離れる場合は他スレで話しますので言ってください
267 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 06:31:50 ID:FEUi+hv/0
ヤマト文化圏以外の勢力と戦ってる時の絵巻物には
沢山の敵が盾持ってるのが描かれてるんだよね。
その時、何故盾の有効性を再発見しなかったのか、
はたまた力の差がありすぎたために、「敵に勝った=盾は有効じゃない」というイメージが成立してしまったのか、
それとも、絵巻物に敵の持ち盾を描くくらいだから、やはり見栄えの悪い物という悪いイメージがあったのか。
>>267 例えば、倭寇の襲撃などは、明の官兵に比べて圧倒的に数では少ないわけで、
それでも寡兵ながら伏兵を多用する戦術と日本刀が明兵を苦しめた話が多い。
また、戦国期に鉄砲を知り、そして自家生産したくらいだから、それよりも開発が容易な盾を日本人が
取り入れないわけが無い。
と思う
269 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 08:57:45 ID:r0hSOm6j0
>>268 とすると、やはり日本刀で持ち盾を割れたのだろうか?
実験結果が待たれる訳だが・・・さて。
270 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 11:26:51 ID:nc1h9zo70
不毛な日本刀礼賛。
幻想だよ…。
271 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 13:33:31 ID:nc1h9zo70
火縄銃の出現以前、
弓矢、投石、槍が戦場の主役。
大刀(タータオ)や長刀・長巻がそれに準じていた。
遠い間合いでは矢や投石にかなわず、
数メートルの間合いでは槍相手にまったく無力で、
もっと近づいても大刀や長刀・長巻に勝てない。
日本刀はメイスやフレイル並みの
至近戦で使えたかも、という程度の武器。
フレイルといっても車棒(長梢子棍)が相手だと
槍を相手にする以上に、日本刀に勝ち目はない。
火縄銃が出現して、江戸時代の太平の中で
講談ものの剣士の活躍や道場剣道選手の勇姿を見て、
日本刀への妄想が脹らんだことは想像に難くない。
幕末や大戦末期での日本刀斬り込みは
そんな妄想に駆られた者たちの悲劇だ。
ちなみに倭寇は、海上や沿岸部を急襲しては
逃走する海賊であり、ゲリラ的な武装強襲を得意とする強盗だ。
日本刀、青竜刀、ナタ、大型ナイフ、梢子棍、手斧、マサカリ、
モーニングスター、棍棒、金槌、大槌、鉄棒、パチンコが有効だろう。
272 :
YMA:2005/07/20(水) 14:36:37 ID:OmBwtnrk0
誤解かもしれませんが、一言。
戦国期では、日本刀{打ち刀}はほとんど使われていません。
組討には鎧通しを、攻撃するには間合いの広く貫通力のある槍や一部で太刀が武将同士では用いられました。
雑兵同士の場合は長巻でも切れるため、対象狙い以外として、長巻が使われました。刀はそれらの予備として多くの場合使われました。
刀は平時{非武装時}に扱うものであり、盾や鎧とはめったに戦いません。
それと、太刀は刀と大きさが違い、メイスなどの打撃効果も兼ね備えたものです。
ただ単に斬る薙刀よりも打撃力があり、かつ槍などより変化が多く、矢払いなど防御に優れた面も持っています
273 :
YMA:2005/07/20(水) 14:44:25 ID:OmBwtnrk0
さらに追加です。
剣術が認められるようになったのは、徳川家康が「技術」好きだったからという説があります。
家康は剣術・馬術始め、様々なものの一流を納めていたといろいろな文献に残っています。特に医学・幾何など有効なものはどんよくに己のものとしています。
そんな気風であり、剣豪方が体系化し、人材育成{道への変化}技術の一旦として確立させたため、急激に普及しました。
蛇足ながら、日本刀、特に短い小太刀に関しては、槍や飛び道具に対する技術も確立されています。小太刀に攻め入るのはどんな武器でも難しいというほどに・・・・・上達者に限ってのことですが。
274 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 15:35:13 ID:nc1h9zo70
>>273 >剣術が認められるようになったのは、徳川家康が「技術」好きだったからという説があります。
ユーラシア大陸の別地域でも、銃器が弓矢と槍に大きく代わり、
甲冑や盾に対抗するためのヘビー級刀剣をほぼ完全に駆逐した
16世紀以降は細身の刀剣のコレクション、携行、そして
安全性を高めた対戦ゲームスポーツとしての練習が
盛んになるから、大きく見ると、家康の趣味云々は
その流れの一つととらえるのが相当だと思う。
幻想劇画「ベルセルク」や伝奇映画「ハイランダー」に
出てくるような重厚長大な刀剣は、銃器の出現により消えた。
竹刀剣道や競技フェンシングのような体育、儀礼や舞踊としての
剣術の時代が16世紀から始まったと思う。
片手で操作する小さい小太刀術が槍や飛び道具に対抗する技術は、
日本武道の中では特異に見えます。どちらかといえば南中国の
「南刀」術に似て見えます。拳銃で戦闘中の龍馬の手指を斬り
大怪我をさせたのも幕吏側の小太刀の使い手でした。
>>274 剣術に体育/スポーツ要素が導入されるのは、江戸時代末期。早くても17c
儀礼、舞踏での剣の歴史は、はるか前。剣舞も古いし、祭器としても重要な位置づけ。
草薙の剣なんて、儀礼のためのものの最たる例。
それから日本では、飛び道具中心の合戦が無くなったのが、素肌剣術のはじまり。
西洋の騎士道は日本にはない。明治期以降に騎士道が導入されてそれが武士道と
ミックスされてできたのが、現在のチャンバラ映画のイメージ。
YOU、マンガ読みすぎじゃねーの?
276 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 16:18:55 ID:nc1h9zo70
>>275 >剣術に体育/スポーツ要素が導入されるのは、江戸時代末期。早くても17c
16世紀以降ということでは同じようなもんだろ。
武藏が生きた時代でさえ、武藏の剣は天下分け目の合戦でも
島原のカルト事件鎮圧でも大した役には立たなかった。
その時代から、すでに体育なんだよ。
流派の名誉をかけての私闘とか、剣術指南とかいう
インストラクターとしての雇用目的の習い事だろ。
>>YOU、マンガ読みすぎじゃねーの?
そうだよ。貴方もそうでしょ。洋の東西を問わずにチャンバラものなら
古い講談、マンガ、劇画、映画、剣と魔法と竜の小説やRPG、
金庸や古龍の大衆娯楽剣戟小説、台湾の武侠影片も大好きだよ。
ここのスレの大半の人と同じ。でなきゃ剣道や剣術なんか
現代の世の中でたしなまないよ。
何でもいいけど、格闘技は、消えてね。
剣道とかの新興の協会系のやつは。
278 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 17:57:35 ID:86h6K6p90
>>274 >南中国の「南刀」術に似て見えます
その南刀ってどういうのなの?小太刀同様、切断したり、一撃必殺なの?
中国武器って連続でのナマス切りか力技っていうイメージしかないんで説明よろしく!
>>276 >インストラクターとしての雇用目的の習い事だろ
言いえて妙だと思うけど、そういう武術の奥深さを知らない発言は軽んじられるよ。
一応、ここは武術版なんだし。時代劇程度の知識で語るのはおこがましいよ。殺陣と剣術は別物だよ
せっかく視点とかおもしろいんだから、自重しながら書き込んで、話聞かせてよ
刀で持ち盾に対抗できたのでなら、何故盾を取り入れなかったのかという問題は解決しませんね。
刀は役に立たなかった論の方、何か盾を使わなかった、あるいは「盾なんか使えないよ」と考えてた
理由に心当たりはありませんか?
>>279 1対1でやるのはケンカ。ケンカは面子のためにやるもの。
盾で守るのは卑怯なことになるからやらないのでは?
合戦では弓を防ぐ盾は役に立つ。
ただ、にらみ合いの時間がほとんどである日本の合戦だと、持ち盾より、置き盾のほうが便利。
281 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 19:01:08 ID:uawxbwVp0
刀で盾を破壊できた、じゃなくて薙刀(もしくは他の長物)で盾を破壊できたと思うんですがどうでしょう?
検証は、薙刀の代わりに両手持ちの斧とかで。
282 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 19:34:51 ID:1CbiClrw0
>>281 武士の弓矢が強かったから持ち盾で強引に接近するのに無理があったとも考えられる。
大型武器や弓矢でという場合、より凶悪な攻撃手段であるハルバードやクロスボウのあった
西欧で、先に盾が見捨てられそうな気もしますね。日本の盾は弱かった? 謎じゃ。
なぜ武芸として持ち盾がないのか?を考えるには、まず日本の戦術として
盾が必要であったかなかったを考えることが必須。
285 :
284:2005/07/20(水) 21:56:50 ID:geqPEc+e0
ごく簡単に自分の考えを言ってしまえば・・・
両軍相打つ野戦では雑兵は長槍、武士は槍や長巻などを持ち、持ち盾を持つ必然性がない。
特に足軽雑兵の長槍戦術は鉄壁。
5メートルもの長さの長弾力性に富んだ長槍による、頭上からの一斉打撃は脅威。持ち盾の入る余地が無い。
個人プレーのできる武士は、槍や得意の長柄武器を持つ。となると持ち盾は不要。
足軽雑兵も武士も刀は常に腰にあり、いつでも抜ける。
また両軍相打つ野戦ではなく(恐らく割合的には野戦よりも多いであろう)、
精鋭部隊に敵陣営を急襲するよるある種ゲリラ的な戦術では、
最も軽装の場合でも抜刀攻撃であって持ち盾は使用されていない(田原坂など)。
286 :
286:2005/07/20(水) 22:59:22 ID:GzfFtQHi0
幕末の新撰組は刀一本でしたね。なぜなら屋内や狭い場所での戦闘は切り込むほうが
戦いやすかったからだと思います。
285さん言うとおり、集団VS集団では、いかに相手の兵をそぎ落とすかで勝負が決まりますから
槍のほうが有利だと思います。野戦にしても森、山、沼地などの地形の効果も無視できないように思えます
ふと思ったのですが、忍で手甲ってありますよね?あれって鋼鉄製ならごく限られた薄い盾のような気がします。
287 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 23:02:26 ID:/DNCTmru0
投石に対しては持ち盾、弓に対しては置き盾、鉄砲に対しては塹壕と進化したんだよ。
288 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 23:14:36 ID:cvdti+Rp0
>>242と
>>266で書いてあるけど、太刀や刀は防御も兼ねるから盾を必要としないからじゃないの?
戦う人も心得ある{実戦の場数もあり}人達しか戦わなかったわけだし。中国とかみたいにいきなり徴兵して投入なんてよっぽどトチ狂った領主しかしない{幾つか例があってぼろ負け}
それに、
>>286さんの手甲の他、陣笠や小さい盾は軽装の雑兵の間では存在したしね{古流剣術の型にもあるよ}重装備だと鉄砲の弾も跳ね返すんだから必要ないでしょう{組討で倒すから}
西洋の例が沢山出てるけど、西洋を例にとる人はわかるだろうけど、鎧の発達と盾の需要関係みればわかると思うよ。
兵器と個別戦闘法については世界屈指の先進国だったし。
両手がふさがってるとチンチンかけないからだろ
290 :
284:2005/07/20(水) 23:40:10 ID:geqPEc+e0
日本の『両軍相打つ野戦』では、長柄戦術の効果が持ち盾を上回るとは考えられないと
思うのですが、疑問が残るのは野戦よりも割合的には多いと思われる『ゲリラ的な戦』の場合。
この場合、持ち盾を使っても良い様な気もするし、倭寇やその他の浪人ものなどの不正規兵も
持ち盾を使用するという発想があってもおかしくはない。
事実、
>>288さんの言う通り、古武術(柳生心眼流?)では陣笠を盾代わりにする技があると言います。
しかし、贔屓目に見てもあまりメジャーな戦道具とはいえない。
これは何故だろうか?
以下、仮説。
甲冑具足の普及度と盾の普及度は反比例する関係にあると思うので、
日本では甲冑具足や鎖帷子の類が多く出回っていたのではないか
(実際、日本の甲冑は長きに渡って周辺諸国への大きな輸出品であった)?
あるいは、日本人の戦術は(日本人自身は当たり前だと思っているけれども)
寡兵により夜討ち朝駆けなど奇襲を多用し、伏兵をよく用いるという、多分に意思の疎通が重要で
小回りの効く戦術が中心のため、極力手荷物を省く傾向になったのでは?
291 :
284:2005/07/20(水) 23:41:06 ID:geqPEc+e0
×日本の『両軍相打つ野戦』では、長柄戦術の効果が持ち盾を上回るとは考えられないと
○日本の『両軍相打つ野戦』では、長柄戦術の効果が持ち盾を下回るとは考えられないと
292 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/20(水) 23:53:05 ID:nc1h9zo70
>>279 >刀で持ち盾に対抗できたのでなら、何故盾を取り入れなかったのかという問題は解決しませんね。
日本には日本刀で戦った時代なんか無かったからだよ。
切腹か、海賊が手斧やナタと同様に振り回しただけ。
293 :
284:2005/07/21(木) 00:00:03 ID:geqPEc+e0
>>292 使わないのに、戦場に二本も三本も刀を持って行くのは何故ですか?
294 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 00:04:24 ID:tv6sWMtQ0
>>286 >幕末の新撰組は刀一本でしたね。なぜなら屋内や狭い場所での戦闘は切り込むほうが
>戦いやすかったからだと思います。
おいおい、史実を無視するなよ。
槍の原田左之助と谷三十郎が草葉の陰でむせび泣くよ。
阿部十郎(狙撃手)もあきれかえるよ。
日本刀は、農民青年が「サムライ」に憧れて戟剣を学び
結成したテログループ新撰組の精神的シンボルではあった…。
そういえば、中国武術では盾ってメジャーですか?
296 :
YMA:2005/07/21(木) 00:29:16 ID:chWUwpn80
>>292 海賊系から発展した剣術もありますよ。塩釜の流派など良い例だと思います。
>>290での284さんの仮説、一理ありますね。確かに、近代戦争や他国の戦争を見ると手荷物が結構ありますね。
兵糧など縄に変えたり、携帯食だったり、当たり前に考えていました。
この意見から逆転発想し、盾のいらない戦闘技術や戦闘法が発達してきたのなら・・・・どうでしょうか?
297 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 00:31:50 ID:PYHWgNr4O
中国の話を振るな。
これが武板の鉄則。
話のなかの中国武術は最強にして最高。
頷くとけ。
これが処世訓だ。
298 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 01:07:37 ID:tv6sWMtQ0
>>296 大型の持ち盾は、ものによっては
内側に水筒、弁当、手投げ矢などを
取り付けておくためのポケットやホルダーがあります。
長時間に及ぶ膠着戦闘では、
盾の内側に、小さな生活があったのでしょう。
299 :
YMA:2005/07/21(木) 01:21:05 ID:chWUwpn80
>>298さんそうなんですか・・・・参考になります!
ちなみにそれはアジア地域のものですか?
インドのショテイルじゃないですが、私の想像にある大きい盾だと機動力に欠けるために太刀のいい餌食になりそうで・・・
ちょうど良い盾というのが想像できないので、できたらもう少し詳しくご説明おねがいします
300 :
281:2005/07/21(木) 01:23:01 ID:J65Zi/L+0
>>285 >特に足軽雑兵の長槍戦術は鉄壁。
>5メートルもの長さの長弾力性に富んだ長槍による、頭上からの一斉打撃は脅威。持ち盾の入る余地が無い。
槍が歴史に登場するのは持ち盾が使用することがなくなった後だと思うので、それは理由にならないと考えます・
>個人プレーのできる武士は、槍や得意の長柄武器を持つ。となると持ち盾は不要。
このことに関して、持ち盾と長物どちらが有効か考えなくてはならないと思います。
僕の考えではあなたと同じく、長物>持ち盾、です。
301 :
YMA:2005/07/21(木) 01:29:19 ID:chWUwpn80
>>281さん遅スレですが、
>>281にある、斧については、長柄戦斧のものが存在します。
槍の先が斧だと考えればいいと思います。これは戦国時代の武器なはずで鎧ごと断ち切るのが目的です。
両手持ちの斧というので、 思い出しました。
302 :
281:2005/07/21(木) 01:35:09 ID:J65Zi/L+0
>>301 どうなんでしょうね、ロング斧。
西洋ではフルプレートができて、両手開いたからハルバートを使った、というような理解をしていますが。
木製の盾なら破壊できそうですし、めり込んでしまっても、両手をうまく使えば抜くなり、相手ごと動かすなりできそうですが。
303 :
YMA:2005/07/21(木) 01:46:32 ID:chWUwpn80
>>302 ちなみにですが、ナタを先に取り付けたものや鎖鎌をつけたものも存在しました。前者は南北朝時代です。
しかし、鎖鎌{大鎖鎌}は体系化され残りましたが、長柄戦斧やナタをつけたものは槍に取って代わられてしまいました。
ちなみに、槍の登場は戦国期末期であり、鎧ごと倒せる超兵器としてできたそうです
304 :
YMA:2005/07/21(木) 01:50:20 ID:chWUwpn80
それともう一つ、西洋と武器の進歩を比較なさいますが、考え方が違うことも考慮してください。
一般的に西洋は武器を改造することで欠点を補い、中国は人間を鍛えることで補う。
日本はほどほどに武器を改造し、使い方の技術を確立させる。
それ故に、刀類には技術革新による改良に伴い、様々な使う技術が見出されてきたわけです
305 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 01:57:47 ID:tv6sWMtQ0
車棒こと長梢子棍を忘れんなよ。
持ち盾と槍は、矛盾の故事の頃からの併存。
5メートルの槍で、持ち盾を叩いても無効。
それより、歩を進めて下から上に突いた方が持ち盾には脅威だよ。
片手で使う斧、両手で使うマサカリも持ち盾には有効。
重厚長大な巨剣も持ち盾には有効。
何よりも長梢子棍が持ち盾相手には圧倒的に有効だよ。
306 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 02:00:55 ID:LguzQSOv0
西洋のメイス(鉄棍棒)って強いの?
鎧ごと破壊するだけの破壊力あるらいいけど、本当のところどうなんだろう
307 :
YMA:2005/07/21(木) 02:05:16 ID:chWUwpn80
>>305 長梢子棍!!
他スレで恐ろしさ聞きました。比喩でなく、盾砕くらしいですね。
>矛盾の故事 での槍というのは矛という戦国期に日本に現れた槍とは違うことを念のために追加しますね。
何気に勘違いしている人が多いので。刀の日本、弓の朝鮮、槍の中国の槍ですね。
突き専門というより薙刀に薙ぎ斬るのを重視したものでしたよね?
308 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 02:13:24 ID:tv6sWMtQ0
>>278 >その南刀ってどういうのなの?小太刀同様、切断したり、一撃必殺なの?
現在、国際大会などで規定種目になっている新種目「南刀」術は、
伝統的な「胡蝶刀」(全長約40センチ)から発展した武器術。
小太刀術に近いのは、南刀術より胡蝶刀術でしょう。
順手から逆手にと持ち替え、刃の部分を前腕に付けて
長柄の武器の強い攻撃を受けたりする技があります。
309 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 02:26:24 ID:tv6sWMtQ0
>>307 >槍というのは矛という戦国期に日本に現れた槍とは違う
【槍と矛の知識整理…日本での呼称を中心に…】
槍:穂先の付け根が板状で、幹棍に差し込む。
矛:穂先の付け根がパイプ状で、幹棍を差し込む。
槍:石器時代から人気、日本では14世紀以降に再流行。
太古の槍→古代の矛→平安〜鎌倉の長巻や長刀→鎌倉以降の槍。
矛:日本では古代に使われた。初期のものは穂先が銅製。
310 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 02:33:24 ID:PYHWgNr4O
だから中国の話を振るなと何度言えば
311 :
YMA:2005/07/21(木) 02:38:47 ID:chWUwpn80
>>309さん詳しいご説明ありがとうございます{^^}
312 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 02:47:42 ID:tv6sWMtQ0
313 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 02:59:08 ID:tv6sWMtQ0
>>294 日狂疽の偏向教育が行き届いていますね
政府側の治安部隊をテログループとは言いませんよ
国旗国家反対。「韓」日友好とか言っちゃう人ですかw
315 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/21(木) 10:55:02 ID:mWnbeP/3O
中国の武器なんて洗練されていないから、数が多いだけの話し
戦争でも弱い事で有名なのが中国
中国をもちあげるのは、幻想から抜け出せない厨房
日本の話しで中国を絡めるのはただの馬鹿
316 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 11:01:14 ID:fPR+QRZH0
また断か
317 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 12:12:51 ID:PYHWgNr4O
中国は武器の種類とその理論では世界最高。
ただ実用と運用が世界最低なだけです。
318 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 12:25:29 ID:PYHWgNr4O
最高の理論と最低の実用性、これを楽しめない人は中華を語ってはいけない。
319 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 13:37:40 ID:8werCsc40
>>307 >刀の日本、弓の朝鮮、槍の中国の槍ですね。
弓の朝鮮は間違い。あの国に民族武術など存在しない。
弓術、馬術、相撲はモンゴルのお国芸。
韓国朝鮮は、その時々の宗主国を真似るだけ。
コムド、テコンドー、ハプキドが
剣道、空手道、合気道のニセモノなのと同じ。
320 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 14:43:41 ID:18mrcSmh0
>>319 韓中日の文明は、すべて韓帝国から広がった事は今日では世界常識に
なっているんですが・・・製鉄しかり鋼の精製もそうです。
日本刀も韓国刀の劣化コピーであることは世界歴史的にで証明されて
いますし、あなたのその認識は世界教育上とても恥ずかしいことで
すよ。
322 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 15:02:17 ID:8werCsc40
>>304 >一般的に西洋は武器を改造することで欠点を補い、中国は人間を鍛えることで補う。
>日本はほどほどに武器を改造し、使い方の技術を確立させる。
料理だと
西洋:大航海時代までは粗末。ソースが命。
中華料理と出会う前はパスタすらなかった。
日本料理と出会う前は見てくれも悪かった。
満腹感が得られるが、やや身体には悪すぎる。
「粗野で豪快、高タンパク高カロリーで野趣満点!」
中国:豪華絢爛、多種多様。何でも食べるし何でも飲む。
調理法も何でもあり。菜食から宮廷料理まで網羅。
しかし、惜しいかな、生もの料理とデザートが弱い。
「豊饒のひとこと、なんでもありすぎで困る」
日本:皿も盛りつけも見てくれがよく、ヘルシー。
香辛料やソースに頼らず、新鮮な素材で勝負。
ボリューム感には欠けるが、上品なご馳走。
「無駄なものを削ぎ落としたシンプルさが命」
歴史が長い地域には美味しい料理がある。
ベトナムやタイもそうだし、インドもそうだ。
323 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 15:11:02 ID:6L7WhCyr0
>>322 それは少し違う。
西洋料理は西洋人の体に合ってるんだから。
因みに、西洋には低炭水化物を補うデザートがあるが、
高炭水化物の日本食なのにデザートを食べる日本人の習慣も悪い事なんだぞ。
西洋と十把一絡げにするのは如何なものか。
料理について言えば、イタメシとおフランス料理、スペイン料理、etcはそれぞれかなり性格違うんじゃないの?
世界一料理の不味い国、イギリスはどうでもいいが。
325 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 16:19:22 ID:X803dBvW0
326 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/21(木) 16:20:54 ID:mWnbeP/3O
>>317-318 お前らよくわかってるな
感心だ
真面目な話し、中国は鍛練法は優れているが
実用のための理論が糞
で、中国の武器を練習している人間はこのスレにいるのか?
327 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 16:21:19 ID:u6gDgKrG0
しかし、料理にかけては中華が一番進化レベル高い気がする
328 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 16:22:57 ID:6L7WhCyr0
>>325 だから煽りネタはもうお腹一杯だから。料理話も出てきたのに、お前の不味いガセネタなんか食えないよ。
329 :
YMA:2005/07/21(木) 16:53:38 ID:1kkvt9Ef0
>>319さん
朝鮮王朝期に胡弓という弓があります。宮廷武術だそうです。
射程が100Mを越す、弓としては常識はずれのものです。射つのを動画で見たのですが・・・・知ってる方お願いします。
ちなみに、李氏朝鮮時代のもので、今の韓国・北朝鮮の伝統のものではありません。
極言になりますが、私は韓国・北朝鮮を朝鮮半島の歴史を繋ぐ国と思ってませんので、あくまで、正統朝鮮時代の言われていたことです。
>>320さん、韓国人の友人何人かいるのですが、そのようなことは聞いたことないです。
技術は中華{中国でも黄河流域のみ}が発祥で、その末裔が辺境民族{日本や朝鮮}の原住民と混血し、技術伝播したと言うのが常識ですよ。
中国・日本・高句麗の資料{訳なので話半分にしても}を見る限りそうです。
追加で、朝鮮半島に皇帝は存在してないはずです。中国と日本だけです。宗教的な意味合いが強いので王と皇帝は違います。
私の知らない資料があると思いますので、近代韓国の物以外でありましたら、教えてください。それを読みたいので
>>320 よろしければ韓帝国(どこの国だろう?)という国の盾について語っていただけませんか?
331 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 18:55:49 ID:Ur1gvJK6O
韓国朝鮮に語るべき内容なんか無いよ
332 :
YMA:2005/07/21(木) 19:03:18 ID:1kkvt9Ef0
場違いな内容とは思いますが、
なぜ、正宗が開発した近世刀剣の製造方法を韓国の刀は持ってるんですか?
あの発想は大陸系にはみられない流れです。
日本以外でできるとしたらドイツあたりだと思うのですが・・・・・
私が知らないだけかと思いますので、説明お願いします。
繰り返しますが、ここ30年以内の韓国資料以外からの内容でお願いします
333 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 19:26:55 ID:zLZs8sXiO
鎌倉時代の武士って
畳を矢を避ける為の道具としても使用してたのかな?
横スマソ
334 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/21(木) 19:35:00 ID:PYHWgNr4O
畳が大量に普及するのは江戸期以降なので、それはない
335 :
sporran:2005/07/21(木) 20:47:34 ID:VCZKBP7g0
YMA殿
ご説明ありがとうございます。
潰しですが、潰すほうのテクニックは短に体重だけではない動きのテクニックがあるのですね。
潰される側からすれば同じにかんじます。私は小さいのでN卿などが相手の場合、潰されます。
しかし、このときダガーを抜いて突きます。今でこそ、対戦者のおおくはこれを知っているので、
反対にこちらのダガーを抜き奪って逆にやられることもあります。ルール上、ダガーはバスケットガードの剣では
使えず、したがって盾とダガーをやったことはありませんが、大きな相手には接近してのダガーは有効です。
返しですがこれはあります。フェンシングやレピアなどでいう剣先を小さく回して相手の剣をいなすデガジェという動きです。
先日、相手の剣を受け、相手の右側面にまわって剣でパリーしつつ、左手で相手の肘をつき押して背中から首筋を切る
テクニックを教えてもらいましたが、A卿はそれを見ていて、返しわざを教えてくれました。相手が剣先を剣で捉えようとした時に、
剣先で小さな円を描いて、これを交わし相手が回り込もうとしたその方向へ剣先を置くというものです。
336 :
sporran:2005/07/21(木) 20:51:18 ID:VCZKBP7g0
李朝の血を引く最後の方が御亡くなりになりました。これで李王朝は消滅することになります。
残念な事です
337 :
YMA:2005/07/21(木) 21:50:44 ID:E62t/NnD0
>>335 sporranさん、雑な説明ですいませんでした。
ちなみに、私も小さい方ですが、大きい相手にも潰しはできるので、試せたらやってみると面白いです。
御近くに合気道関係をやってる方がいれば、できるはずなので体験してみるのも面白いです。多分私の説明があまりに雑なのがわかっちゃいます。
西洋武術{?}をなさっているんですね。ダガーのことは武器としてしか知りませんが、御聞きすると小太刀や短刀と近い使い方みたいですね。
できましたら、その辺が興味あるので、ガードした相手に対する対応の仕方など、もう少し教えていただけないでしょうか。
返しについてですが、フェンシングのあの動きそうですね。デガジェというんですね{^^}
教練ビデオで見た程度ですが、あれはすごいですね。突きに対して・・・こう・・・あの捌き方は本当にすごいと思います。
剣術{まだまだ語れるほどではないのですが}でも突きを返すのは物凄い度胸と技術が要るのを実感しているので、本当にすごいと思います。
蛇足ながら、私の習う流派{正統ではない}には、一拍子で返しと攻撃を行うものがあります。成立は戦国末期なのですが、日本ではそういういろいろな発展をしてます。
>>336 ご子息等いらっしゃらなかったんですね。そのような御方がいらっしゃるのは知っていたのですが・・・・残念です
338 :
sporran:2005/07/21(木) 22:20:02 ID:VCZKBP7g0
鎧甲冑の時のダガーは鎧通しとおなじで刃は無く、断面は三角形でここを掴んで短棒術のような
業が出来ます。先端は鋭く尖っていました。上からのしかかってくる相手や、ポールアームでは中に入られて
鎧のすき間を狙いやすいのです。私はロングソードで頭部をガードしつつ接近し、相手の武器を掴んで自分の剣を捨てて
ダガーを使います。このとき一番重要なのはダガーの位置と抜きやすさ(鞘のつくり)です。
組み付いたまではいいが、ダガーが抜けず(指なしミトンと視界の悪いヘルムでは大変)もたつくことがよくあります。
339 :
YMA:2005/07/21(木) 22:38:27 ID:E62t/NnD0
>>338 フルアーマーで、戦国期の武者のように組討するために使うということですね
なんだか、西洋の戦闘法に対し見方が変わりました!
脇差{模造刀}とハサミで動いてみましたが、古武術の動きに近くてかなり興味深いです!
この方法なら、相手がラージシールドやスモールシールドを持っていても無効化できそうですね
・・・・・・納得です{勘違いしてるかも・・・}
sporranさんはこのような武術をどこでなされているのですか?
近畿とか地域名でいいので、差し支えなければ教えてください{少しでもある場合無視して結構ですので}
340 :
sporran:2005/07/21(木) 22:42:22 ID:VCZKBP7g0
341 :
YMA:2005/07/21(木) 23:49:07 ID:E62t/NnD0
>>340 そうなんですか。早速拝見しています。
アメリカの歴史再現団体{分団したそうですが}については、テレビとネットで少しですが、見たことがあります。
画像や動画やルール、戦う理由を拝見するとすごく楽しそうですね{^^}
鎧や武器の製作は大変そうですけど
Vailさんとの御話も合点がいきました!このような環境なら実戦で盾の使い方や特性がわかりますね。
拝見する限りでは、日本武術、剣術とはだいぶ動きや戦闘法が違うと言う印象をうけました。
西洋の戦闘法として新スレ立ち上げて御話聞くのも楽しそうですね{^。^}
342 :
sporran:2005/07/22(金) 00:02:28 ID:VCZKBP7g0
343 :
YMA:2005/07/22(金) 00:16:07 ID:sX/SG0SM0
>>342 違いがいろいろあるんですね。
まだ、後の方を少ししか読んでないのですが、桜田武士さんや断さんが仰るようなことが私の思うこととかなりかぶりますね。
武器に関する考え方や戦闘「技術」への考え方の差異が現れているように思います。
大きな盾にしても、sporranさんの>円形であった物が足を守る為に長くなり涙滴型になりました
これも日本なら既にある物から守る技術を開発するに発展しました{技で存在します}
私個人としては、西洋の考え方や発展の仕方がより詳しくわかり、非常に興味深いです。
おそらく、新スレになったら御邪魔すると思います。それまでに、西洋や中国について情報収集です!!{今の私では偏見が出そうなので}
良いスレのご紹介ありがとうございます!
344 :
sporran:2005/07/22(金) 08:56:38 ID:xXXfk1Z60
>>337 >>返しについてですが、フェンシングのあの動きそうですね。デガジェというんですね{^^}
教練ビデオで見た程度ですが、あれはすごいですね。突きに対して・・・こう・・・
それはリポスト(突き返し)を連続でする練習だと思います。
特にフルーレでは突いて来た相手の剣をパリし突き返すことが脊髄反射でできるよう練習します。
突いて来た剣をリポストすると相手も同じようにコントル・リポストしそれに対してコントル・コントル・リポスト・・
と繰り返しますが相手が剣を留めた時、自分の剣は相手にヒットしなくてはなりません。
デガジェは剣先で小さな円を描きますが、これに対して相手のするコントル・デガジェは同じように円を描いて相手の剣に
触れないよう自分がイニシアチブを取るようにします。
盾からはなれました。
レピアではマントを盾にすることもあります。細い片手剣だと用意に絡めとることが出来ます。
相手の顔に投げつけて視界を奪ったり、マントの裏に剣先をかくし、マントごと刺しぬく方法もあります。
マントは裏と表の色を激しく変えめをちらつかせるようしたり、先端に小さな重りを入れて、裾が重くなるようにした物もあります。
レピアの左手は素手であっても防御として使います。
日本の小太刀は左手をどのように使いますか?
345 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 11:56:58 ID:BTuBUwZe0
>>344 >レピアではマントを盾にすることもあります。細い片手剣だと用意に絡めとることが出来ます。
羽織や帯で同じ事を練習する古武術もあるね。
346 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 12:28:06 ID:BTuBUwZe0
このスレの趣旨に戻るとき、日本で持ち盾を使っていた
時期(古代、幕末、現代)と
あまり使わなかった時期(平安〜戦国)を明確にする必要がある。
周辺地域との関係ではモンゴル、中国、越南、台湾、奄美沖縄、
蝦夷(関東以北の日本)といった持ち盾を使う文化圏との交流や
衝突を考える必要がある。また、金属、皮革、木、竹、籐、布、紙と
いった持ち盾の素材についても知識の共有が必要。
甲冑については、その構造と歴史的推移を知ることと
実際の運用(誰がいつどこでどのくらいどのように)理解も必要。
甲冑や持ち盾への対抗武器であるメイスやフレイルへの理解も必要。
関係の深い武器を考慮する場合、
長弓、短弓、弩(ボウガン)、投石機、投石紐、飛礫、
内根、投げ槍、投げ槍器の存在と運用法が関係していそうだ。
関係の深い火器を考慮する場合、
手投げやカタパルト射出による破裂弾、火炎放射型、
引き金がない銃、火縄銃、大砲の存在と運用法の検討が必要。
関係の深い、刃物武器については、
槍(太古と14世紀以降)、矛(古代)、長刀(長巻・薙刀)、
マサカリ、斧、鎌、大型刃厚の刀剣の検討が必要。
私は、鉄穂がついた強靭な木柄を持つ槍の出現が持ち盾を駆逐したと考える。
踏み込みながら、やや上向きに盾の中心よりやや下を突き上げると、
盾なんか持ってられない。しなっても折れない、十分に強靭な柄の付いた
槍が持ち楯を戦場から引退させたのではないか。反対に槍が出てくる前の
空を覆うほどの矢や投石に対しては有効だっただろう。相手が棍棒や刀剣だけの
場合も同じ。幕末動乱や現代の暴動鎮圧で持ち盾を使うのも説明できる。
機動隊の持ち楯がもし木や皮でできてたなら、長槍の敵ではないよ。
347 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 13:14:49 ID:BTuBUwZe0
世界史的には、銃器出現と前後して持ち楯と甲冑が消えた。
時期について地域によって多少違うが、大まかに言えば、
「鉄砲が出たから、楯と鎧が無くなった」が正解だ。
日本においては、石器槍や青銅矛の時代が終わって、
鉄穂のついた頑丈な両手持ちの長柄武器が出現して
木製や籐製の持ち盾を駆逐した。甲冑は火縄銃の
出現で、実用の軍用プロテクターとしては姿を消した。
持ち楯は、戦国時代には金属盾が城を守ったりするのに
対火縄銃用に使われたりして細々と残り、最後は幕末に
対小火器用に青竹結束盾として手持ちや背負いで使われ、
明治維新の成立と共にいったんは歴史から消えた。
先の大戦後には、デモ隊の投石や鉄パイプ打撃からの防護、
凶悪犯が撃ってくる拳銃弾や散弾からの防護のために
復活して現在に至っている。
甲冑は、ナイフや拳銃弾から身を守るものがケプラー、
樹脂、金属、セラミックなどの素材によるプロテクターとして
復活している。軍用アサルトライフル弾に耐えられる実用的な
防弾チョッキはなく、手榴弾や砲弾の破片からの防護用に
とどまっており、現時点で、軍用甲冑の復活は無い。
348 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 14:22:18 ID:Oj07+sSj0
銃器はあまり関係がないと思う。
確かに銃の出現で盾は消えるし、日本はその活躍時期が早かったが、
それ以前の歴史の部分で盾を使っていた時期があったのに使わなくなった所にある。
話題になっている長柄武器が持ち盾を一掃する程の決定打になるかどうかが問題。
「武者=盾を使わない」とするのは良いのだが、その戦略面での理由が定かではない、と感じる。
349 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 14:28:22 ID:Oj07+sSj0
「我こそは〜」のように
「戦争のお約束」と言ってしまえば終わりだが、
持ち盾を使っていない時期が妙に長い気がする。
350 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 15:09:18 ID:ZjkcvP31O
いつまでも持ち盾を使っている国は、生産性が向上していない国だ。
前々から盾マンセーする西洋剣術派を見るたびに
書こうか書くまいか迷ってたんだが
盾が強いと感じるのは初心者から中級まで
右手に剣左手に盾もってて
防御は左手前に出すだけでほぼ完璧だと
盾信者は思ってるが
実際、あるレベルに達した相手から見たら
攻撃するたびに右h(後はわかるな?
352 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/22(金) 15:28:33 ID:2od1cH5EO
両手武器使ってたら盾使えネーだろ
盾が両手武器以上の有効性が有れば使っただろうが
両手武器の間合いの妙に較べ、盾はそれ程の有効性は無かったのでは?
後、盾は戦場の道具であり、平素を基本とする日本の武術とは噛み合わないし
使用方法も武器程複雑でないため、流派として取り上げる程でもなかったのかも
353 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 15:40:50 ID:VkVztoxl0
日本刀は片手武器だ。
354 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/22(金) 15:42:42 ID:2od1cH5EO
凄い阿保が真上にいる
356 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 15:47:17 ID:4Uu0mHqj0
単純に韓帝国から韓国刀とその使用法(現在の古流剣術)が伝わったときに
楯を伝えてもらえなかっただけなんじゃない?
日本人は現在でも韓国のパクリしか出来ない独創性のない国民性だし、独力で
新しい使用法や道具を発明できる能力がなかったんだよ
釣れますか?
>>356 一応マジレスすると、盾と弩は知られていたにもかかわらず、日本(ヤマト文化圏)では古代に見捨てられてしまった武器。
魏志倭人伝(半島の方にわかりやすく言うと、百済建国より200年ほど前の風俗記述)によれば倭人は盾を使用しています。
359 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 16:28:54 ID:wne/Yek/0
>>354 断は馬鹿なのはしょうがない、皆知ってる事だしな。
それにしても、抜刀する時に両手で抜くか?馬上ではどうだい?走る時はどうだ。
だいたい日本刀を両手で使う時ってどんな時だよ。状況を説明してくれ。
両手で構えて用意始めって、剣道ぐらいだろう。
360 :
初:2005/07/22(金) 16:33:30 ID:zOeO2v9TO
片手構えを主とする流儀を教えてください。
>>359 元ネタはこれ?
「太刀を両手にて持ちてあしき事は第一馬上にて悪し、かけ走るとき悪し、沼、ふけ(深い田)、石原、険しき道、人ごみに悪し、
左に弓鑓を持ち、其外何れの道具を持ても皆片手にて太刀を使ふものなれば、両手にて太刀を構ふること実の道にあらず、
若し片手にて打ころしがたき時は両手にても打留るべき、手間の入る事にても有るべからず」
362 :
市 ◆CRdmCEc.aI :2005/07/22(金) 16:34:54 ID:mpHSaIbn0
断さんおもしれ〜〜〜!!
>抜刀する時に両手で抜くか?
そりゃちょっと両手使用を否定するには無理があるぞw
>日本刀を両手で使う時ってどんな時だよ
斬りつけるとき。戦場では片手で使うこと多いだろうけど、
一体一のときや斬りつけるときは両手でしょ。
片手専用でも両手専用でもないと思うが。どちらかといえば
両手寄りの武器の気がする
363 :
市 ◆CRdmCEc.aI :2005/07/22(金) 16:36:08 ID:mpHSaIbn0
バカだよなぁ・・・馬上の武器は槍と弓で、リーチの短い刀じゃないだろ。
抜き身で走るのもバカっぽいよな。
366 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 16:41:32 ID:wne/Yek/0
>>360 抜刀はそうでしょう?
>>361 ネタもなにも常識でしょう。
>>362 無理があるっていうが、両手で使用する状況を説明してくれ。
一体一なんて状況がまずありえないだろう。
367 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 16:43:06 ID:wne/Yek/0
>>365 刀がリーチが短いと思ってる馬鹿発見。
槍も刀も同じ長さで使うんだよ。
ちょっと脱線気味かな?
話を盾に引き戻しましょう。仮に日本刀が片手武器だとしても、先に使用する
弓や槍、薙刀は両手武器でしょう(古代の鉾が片手か両手か御存知の方いたら教えてください)
両手武器を使うためには盾は使えないと。
で、持ち盾ではなく両手武器を選択した理由の一つに、甲冑の普及が有ったのではないかと愚考します。
このスレで知ったことですが、アイヌは持ち盾派とか。地形、風土的な条件が近いのに、ヤマトは両手武器を
アイヌは盾を選んだのは、ヤマト文化圏では甲冑が早い段階で普及したからではないでしょうか?
369 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 18:41:30 ID:7ryvOlXn0
戦場で怖いのは投石攻撃だな。下級の兵や農民なんかもみんな石投げてくるだろうから。
盾持ってる奴5人ぐらい対長巻or薙刀をもっている奴5人ぐらいで勝負してみりゃいいんじゃね?
槍は歴史上存在していない次期を考えるので抜きで。
371 :
sporran:2005/07/22(金) 19:59:13 ID:xXXfk1Z60
>>370 アメリカ大会で数千人でそれをやりますよ。
でも普通は盾が前列、ポールアームが後列でフォーメーションを組みます。
>>345 SCAの面白い所はマントの防御を試合の中で使用できることです。
372 :
sporran:2005/07/22(金) 20:02:38 ID:xXXfk1Z60
>>351 そこまで達するまでに普通の人は死んでます。
>>351さんみたいな人が昔はたくさんいて、盾の攻略法をマニアックに研究して…
……見つけてしまったので盾は滅びたのです。と与太を飛ばしてみますか。
374 :
370:2005/07/22(金) 20:17:59 ID:YdbT6Q3R0
>>371 人数にもよるんじゃないかと。
少人数なら長物が強いとか。
それと、耐用回数はどちらが多いんですかね?
日本で盾が無くなったのは、日本刀の製法が確立した時期と重なると思うのですが、
日本刀(もしくは同じ製法で作られた刃物)の強度はそれまでに比べて高い。
この強度の上昇によって盾の破損速度がそれまでより高くなり、むしろ両手持ちの武器が好まれるようになったとか。
375 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 20:20:00 ID:KE63VqXl0
日本にも袴を脱いでその袴で矢を防いだり石を防いだりする
戦い方がなかったか?
376 :
sporran:2005/07/22(金) 20:22:51 ID:xXXfk1Z60
>>351の考えでは100人の新兵が盾と剣を持って中級に達した時50人生き残っているのと
100人の新兵が刀を教わって中級で10人生き残っているのとどっちが良いか
と質問。「戦さは数だよ!兄者」
378 :
sporran:2005/07/22(金) 20:35:58 ID:xXXfk1Z60
>>370 5人くらいはやった事がありますがあまり変わらない。
耐用回数は圧倒的にポールアーム。盾は消耗品で木製。ポールアームは重く鉄製です。
盾と刀ですが、たとえ盾が壊れたとしても使用者にダメージが無ければそれでいい。
盾は壊れないに越したことはありませんが、盾の使命は使用者を防御することです。
意外と忘れがちですが。対して刀は「相手を殺傷すること」が使命で防具を破壊することは
耐久性や隙を考えると避けたほうが良いでしょう。
「盾を構えた相手に刀でどうやって対抗するか」の脳内シミュレーションで、盾ごと刀で切る
というのは容易に思いつきますが、現実ではバイキングの例を出すまでも無く、リスクが多い。
武術者であるならば、盾をいかに回避して刀で相手を襲うかを考えるべきです。
初心者は必ず相手の盾を剣で叩きます。「Oh good shield. good shield..」Bam!Bam!..
耐久度を試す為か、剣同士で相手の出かたを見るため、誘いか牽制の感覚でしょうが
これは全く意味は無い。盾はネガテヴ・スペースで攻撃しも意味が無い空間です。
379 :
370:2005/07/22(金) 20:43:43 ID:YdbT6Q3R0
>>378 圧倒的に耐用回数が違うなら、壊れるまでたたけばよいと思います。
達人なら盾を回避して攻撃することもできるかもしれませんが、
どうせ耐用回数が多いのでしたら、壊れるまで叩いた方が素人にも優しい。
間合いもポールアームの方が広いので、防がれてもすぐに致命的ではないでしょう。
盾の達人とポールアーム素人なら話は別になるとは思います。
まあ、30回叩かないと壊れないとかなると微妙です。
380 :
sporran:2005/07/22(金) 20:56:00 ID:xXXfk1Z60
そうですね。まさにそういった理由から剣ではなく斧やメイスといった武器が
使われたのでしょう。ポールアームの場合、注意しなくてはならないのは鉄部分で攻撃しないと
効果が無いことです。先端でも柄の部分で殴っては意味がありません。したがって盾が前進するとポールアームは後退するか
左右に動くか場所を変えないといけません。
これが数人であれば場所の移動は容易ですが、戦列を組んでいる場合、懐に入られる原因となります。
盾は足元が弱いのですが、仮に重いポールアームを効果的に使い盾を壊そうとするならば上から打ち叩くのがベストであり、
下から狙うのは特に戦列を組んだ場合、困難です。
381 :
370:2005/07/22(金) 20:56:42 ID:YdbT6Q3R0
バイキングの例ですが、相手の武器を食い込ませて使えなくするとありますが、
ローマあたりにピルムという、相手の盾に食い込ませて使いづらくする投げ槍があるので
ポールアーム相手に行うのは微妙な気がします。
食い込ませた隙に、盾使い側が切り込むほうが早いですかね?
382 :
370:2005/07/22(金) 20:58:53 ID:YdbT6Q3R0
>>380 そこで、少人数効果が!
あるかも・・・・。
過去の日本で、隊列を組むような戦いが無ければ、長物のほうが使い安かったかもしれませんよ?
383 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 21:03:38 ID:M92NWIwU0
>>370 >槍は歴史上存在していない次期
1万年前から16世紀まで槍が存在しない時期はないよ。
ソケット(メス型)型穂の超ロングな柄が付いた両刃の剣を矛、
差し込み(オス型)型穂の両刃のナイフが長棍に付いたものを槍、
というのは考古学上の分類で、大まかに言えば共に槍だ。
日本古武道の袋槍(16世紀〜)なんかも、その定義だと矛になる。
先を尖らせ焦がして固くした棒も槍だし、
獣の骨や石器で作った槍頭にしたものもそう。銛なども槍の1種だろう。
盾は足下が弱い…ひょっとして坂道とか山岳では効果半減?
385 :
370:2005/07/22(金) 21:11:56 ID:YdbT6Q3R0
>>383 いや、新紀元社の”武器と防具 日本編”に槍の登場が文献上、南北朝以降と書いてあったので
そう思ったのですが、そういわれりゃそうですね。
386 :
383:2005/07/22(金) 21:17:53 ID:M92NWIwU0
>>385 >新紀元社の”武器と防具 日本編”
いい本ですよね。
中国編と西洋編も愛読してますよ。
387 :
370:2005/07/22(金) 21:23:29 ID:YdbT6Q3R0
>>386 武器の歴史的な背景に関しては、これによる知識しかなかったりします・・・。
西洋編に盾も貫通する、と書いてある投槍が登場するのですが、これが出た時点で
盾はお役ごめんにならなかったんですかね?
重すぎてたくさん持ち歩けないというようなことが書いてはありますが。
388 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 21:26:07 ID:0r3gGcmo0
この間、韓国の暴動みたいのテレビでチラッと見たんだけど
殆どの暴徒が「なんじゃそれ」と言うような長い棒切れもって
たな。しかも後ろに居る人が前衛に居る人の頭ひっぱたいてたぞ。
389 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 21:36:26 ID:M92NWIwU0
390 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 21:39:12 ID:M92NWIwU0
391 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 21:44:34 ID:M92NWIwU0
銃砲、弓矢、投石がない状況での
歩兵同士の地上戦闘で、
槍、長棍、長梢子棍、長柄付きの鎌(戈)、
長柄付きの斧が揃って出てきたら、
持ち楯の出番はないよ。
ジュラルミン製盾も透明樹脂製盾も役に立たない。
2500年前も1000年前も先月も同じだと思います。
392 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 22:01:36 ID:pRnEZriV0
普通は相手よりもリーチの長い武器を選ぶよな。
何故、極端にリーチの短い盾を選ぶのかを知りたい。
>>392 リーチは反対の手に持つ剣なり槍なりで稼ぐからじゃないか?
394 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 22:16:13 ID:pRnEZriV0
>>393 それだと、盾を持ってないのと同じにならない?
>>394 え?…一般的には左手に盾、右手に剣とか槍を持って左半身に構え、敵の攻撃は盾で受け
右手に持った武器で攻撃する…じゃないかな?
396 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/22(金) 22:22:48 ID:2od1cH5EO
片手剣や槍のリーチなんざたかか知れてる
シナチク暴動は武術としてレベル低すぎで萎えた
397 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 22:26:23 ID:pRnEZriV0
敵の攻撃を受けても間合いの外なんじゃない?
そして、盾から体をだしたら無防備な体を斬られる
そうなると、盾を持つ意味がない気がするのだが。
盾を持ってる奴は何がしたいんだろう。
>>396 武術的に高度な攻防を行う暴動を行う国なんてあるんですか?
>>397 多分、取りあえず突撃→敵が攻撃してきたら盾で止めて片手剣が届くまで近づく→攻撃
ではないかと。この理屈通りに行くなら、間合いなんてどうでも良い…多分。
400 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 22:36:00 ID:pRnEZriV0
>>399 そうなると攻めてこないのがわかるのだから
戦場では、盾を持ってる奴はシカトされるのでは?
攻撃してこない奴はシカトでいいでしょう。
401 :
370:2005/07/22(金) 22:37:18 ID:YdbT6Q3R0
>>400 盾を持ったまま相手ににじり寄って、盾を相手の武器に押し付けて、
反撃されなくなってから攻撃。
>>400 そいつが「取りたい首」だと、無視というわけにも。
403 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 22:41:58 ID:pRnEZriV0
にじり寄る間に、回避されると思う。そして、横から弓の的に。
404 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 22:43:48 ID:pRnEZriV0
>>402 大将は何時でも逃げれるように、盾なんて持たないでしょう。
405 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 22:44:54 ID:/zm/XVCi0
剣先を盾兵の顔に向けてれば近づけないね。
顔をガードして踏み込んでくるなら避け攻撃だ。
406 :
370:2005/07/22(金) 22:45:21 ID:YdbT6Q3R0
>>403 弓矢まで考えるんだったらまた別の話に・・・。
それをいったら長物側のほうが弓矢に弱い肝。
盾は弓矢を防げるけど、長物で防ぐのは難しい。
つうか、横に弓兵が回りこんでいる時点でwww
407 :
sporran:2005/07/22(金) 22:58:11 ID:xXXfk1Z60
ではなぜ、海外では日本のようにポールウエポンが盾を駆逐しなかったか?
武器と武術の発達が並行進化しなかった理由は?
408 :
YMA:2005/07/22(金) 23:01:03 ID:x5fFfj0x0
遅スレすいません
>>344での >日本の小太刀は左手をどのように使いますか?
私の知る限りですが、長物の間合い外では斬られないように体側に隠します。近づいた場合、使わないこともありますが、相手を掴むのに使います。
そして、動けなくして首など、金的含む人体急所{危険なのであえてあげません}を斬りつけたり、刺したりします。また、重装の場合は、柔術と組討の型に持っていきます。
409 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/22(金) 23:01:38 ID:2od1cH5EO
外人は馬鹿の文盲で貧乏だったから
日本みたいに武術を学び研究する余裕がなかった
410 :
YMA:2005/07/22(金) 23:01:39 ID:x5fFfj0x0
>>353さんからの一連の刀片手の意見についてですが、宮本武蔵が異端児であり、剣術体系からすると特例だということは知っていますか?
宮本武蔵の剣術は五輪ノ書の引用でも見られるように合戦を想定しての物です。他の剣術は日常でのものを主体としてますので、例に引くのはおかしいと思います。なぜなら、刀は日常的な物であって合戦でメインに使うものではありません。太刀や槍を使います。
また、宮本武蔵の二天一流{画像動画求む}では、一刀を両手で使う型も存在します。そして、両手で使う流派で私が確実に知っているものとしては、一刀流{系譜全て}、神流系{鹿島・香取など}、陰流{柳生新陰など}、念流系{神道無念流・馬庭念流など}、
示現流{自顕流は太刀?}。これらについては、演舞を拝見したことがあるので確実です。
それに、居合いについても、抜き以外では両手を使います。片手で使うのは小太刀{一部違う}や短刀、鎧通しです。それらと時代劇を見て誤解なされているのかと思います。
納得できなければ、浅いとこまでしか知りませんが、使い方も書きますので、わからない所や納得できない点と共にご質問お願いします
411 :
YMA:2005/07/22(金) 23:08:50 ID:x5fFfj0x0
>>407 sporranさん
勝手な想像なのですが、西洋人の場合、以前も書かれていましたが、体格が大きいことが原因だと思います。
戦士・貴族など一般の人と軍人は異なりますよね{間違ってたら訂正お願いします}。少なくとも鍛えてない人は戦いに出ませんよね
なので、大きな盾でも比較的自由に扱え、衝撃にも強かったのだと思います。
また、その盾をクリアーするのに、戦闘技術を開発するよりも、武器自体を改良するという考えに立ってきたため、イタチごっこで防御できる盾が発達したのだと思います。
412 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 23:12:08 ID:rG3x+El80
>>407 そう、問題はそこなんですよね。
武士はこの際無視するとして、
雑兵が押しなべて盾なしで長柄装備というのはどういう事かと。
例え長柄>盾だと過程して、東西の戦術の違いがあるとして、
どの戦場でも盾がないのは疑問が。
しかも生産は容易なはず。
413 :
sporran:2005/07/22(金) 23:14:25 ID:xXXfk1Z60
>>409 断さま
>>外人は馬鹿の文盲で貧乏だったから
これは言葉はどうであれ正しい。同じ耕地面積で米と小麦では収穫量が2倍米のほうが高い。
つまり同じ労働で2倍の人間が生活できるのが日本です。
しかし、後半部分は違うでしょう。武術などの動きのあるものは文字があろうが無かろうが
伝達にさほど差は無い。また、農民も生きるか死ぬかギリギリの生活をすてて手柄を立てれば出世できる
暮らしにあこがれる者も多かったでしょう。軍隊に入れば軍隊が食わしてくれます。また、食料も他人の作った物を
力でふんだくったほうが楽です。
414 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 23:14:55 ID:rG3x+El80
>>411 戦国期の体格と変わりない私でも盾(金属ですが)を使えます。
個人的には、長い長い槍を長時間使い続けるのも同様にキツイです。
415 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 23:16:58 ID:rG3x+El80
侵略戦争に精を出さないといけない状況な訳で、
なら勝たないといけない西洋人の武術戦術武器が発達しないと考えるのは矛盾するし。
416 :
sporran:2005/07/22(金) 23:29:40 ID:xXXfk1Z60
411
西洋人といっても多様で北方のゲルマン、デーン、サクソン、スカンジナヴィアは大柄ですがラテン系は小柄です。
私はこの差はドイツとイタリアの剣術の差で出ているとは思いますが、戦士階級、農民階級の差というのは古代では明確ではありませんでした。
ヴァイキングなどは戦士でもあり、商人でもあり船乗りでもあり羊飼いでもありました。
中世以後封建制度が固定してくると食べ物で体つきは変わってきますが。
417 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 23:35:03 ID:zZzYONhs0
>>406 日本の弓の使い方は、西洋と違いますよ。
乱戦でも弓兵が紛れ込んでいます。
>>407 武術は平和な時代に体系化されるもので
戦時中には重要視されてないと思います。平行進化するはずがない。
418 :
353:2005/07/22(金) 23:38:13 ID:zZzYONhs0
>>410 合戦の話をしてるんじゃないんですか?
合戦がない時代だと必ず銃が出てきますが。
419 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/22(金) 23:56:29 ID:M92NWIwU0
>>396 >シナチク暴動は武術としてレベル低すぎで萎えた
君が参加してたら即座に撲殺されてたと思うよ
剣でも薙刀でも持って、殺されずに戦いながら
走り回れたと思うかい?
軌道修正を兼ねて質問。その暴動で盾持ってた人はいましたか?
421 :
YMA:2005/07/23(土) 00:36:23 ID:uZ5itmUn0
近いところからで
>>418 353さん、おそらく私も合戦の話だと思いました。ただ、刀についてだったので答えました。
戦場で使う太刀の場合は主に馬上などでは片手で使いますが、敵を強打、切断したい場合は両手で扱います。地面に降りた場合は切断時{構えは異なります}は両手で行います
繰り返しになりますが、合戦では、刀は使いません。武蔵も、他の剣豪も槍を使います。また、刀と太刀は形状は似ていても性質が異なります。自顕流など太刀の流派について見るとよく判るのですが・・・
そして、刀は平素の時に護身用としての武器です。鉄砲については日本で合戦時以外で使用されたのは正式には坂本龍馬{北辰一刀流}くらいしか知りません
また、鉄砲、特に短筒はものすごく高価なため僅かな人にしか手に入りません{江戸幕府では禁止のはずですが}から、刀が普及した訳です。
蛇足として、剣術にはそういう鉄砲についての防衛法もあります{何人も説明されてますね}
合戦時以外での鉄砲の使用に付いてできたら教えてください。私が知らないだけの可能性もありますので
422 :
284:2005/07/23(土) 00:39:10 ID:NcKUpPtS0
違う視点で。
近世まで持ち盾を使っていた国を思い浮かべてみましょう。
共通しているのは、貧しく、奴隷的存在の民が存在し、古代中央集権体制
だということです。
これは何を意味しているか?
それと思うのですが、持ち盾の興廃を語るに置いて、西欧と日本を対比させるのは実はよろしくない。
なぜなら西欧でも、持ち盾は中世を過ぎたあたりから、一般的ではなくなっているから。
423 :
YMA:2005/07/23(土) 00:40:48 ID:uZ5itmUn0
sporranさん、414さん、ご指摘ありがとうございます。
すると、体格や鍛え方などはあまり関係ないということですね・・・・・わかりました
また、いろいろなことから考えて見ます。そのときはご指摘、ご修正お願いします{^^}
それと少し疑問に思ったのですが、日本の盾は西洋の盾と比べて性能についてどうだと思いますか?
ふと思うのですが、日本では盾の性能が悪く、そのため途中で発展をやめたのではないのかと思います
また、盾以外の発達が目覚しいため、置いていかれたのかも・・・・
ご意見等お願いします
424 :
284:2005/07/23(土) 00:42:40 ID:NcKUpPtS0
>>421 江戸期でも、猟師は銃を普通に使っていたかと。
それと打刀は、合戦でも使われています。中には片手打ち専用に短くしたものもありました。
打刀の利便性は、携帯の容易さ(帯があれば良い)、抜き易さ、取り回しの容易さ。
425 :
YMA:2005/07/23(土) 01:02:55 ID:uZ5itmUn0
>>424 284さん情報ありがとうございます。
猟師は確かに使っていたみたいですね。火縄銃の長筒のほうだったそうですね。
>片手打ち専用に短くしたものも
これは、「鎧通し」と呼ばれるものです。打刀に形状が似ているのですが、長さや作りが異なり、性質が違うものです。
また、小太刀などはおそらくですが、284さんのご想像の物を5センチほど長くし、柄を長くしたものです。
打刀は私が知る限り、二尺三寸から二尺七寸{センチではよくわからないのでわかる方お願いします}までだったはずです。
それより長いのが、太刀。短いのが脇差になったと思いました。修正等お願いします
426 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 01:08:42 ID:QfG0W8L20
YMAさん、かなり危なっかしい知識ですな。片手打ちくらい、きちんと認識しましょう。
427 :
YMA:2005/07/23(土) 01:16:44 ID:uZ5itmUn0
>>426さん、そうなんですか。
勉強不足でした。すいません。一刀流と鹿島神流くらいしか体験はしたこと無いもので{後は、演舞を拝見するばかりでしたので}
個人的に片手打ちについてもう少し詳しくお願いします・・・・日本武器資料が少ないので{技術本ばかりで}
428 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 01:35:23 ID:QfG0W8L20
424さんが言う打刀は室町時代になって太刀の佩き方が変化したもの。
これが室町中期、戦国時代は長さが短くなって片手打ちと言われるようになった。
ただ、こういうことには規格が定められているわけではないから、人によっては
基準や認識は多少の幅がありますよ。
429 :
YMA:2005/07/23(土) 01:38:08 ID:uZ5itmUn0
>>428さん
片手打ちというのは刀の種類のことなんですか?
使い方のことかと思っていたので・・・・って使い方もですか?
理解してないようなので、御手数ですがお願いします
430 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 01:44:30 ID:QfG0W8L20
使い方から来た名称ですよ。2尺程度の打刀を特に片手打ちといいます。
そういう意味では馬上太刀も片手打ちなんですが、こういうところが、
要するに基準や規格が定められていないという意味で。
話の内容によって、判断する必要がありますね。
431 :
353:2005/07/23(土) 01:44:52 ID:ZdAX3mIi0
YMAさんは、たぶん両手のが威力あると思ってるんですね。
腕力で振る癖が治らないと上手くなりませんよ。
432 :
YMA:2005/07/23(土) 01:55:23 ID:uZ5itmUn0
>>430さん詳しくありがとうございます。納得できました。
>>431 353さんわかりました。
気をつけますね。ちなみにですが、腕力で振るわけでもないのですが・・・・・
とにかく、片手でも威力を出す方法や有効性は知っているつもりですのでそこに注意しますね
433 :
353:2005/07/23(土) 02:01:56 ID:ZdAX3mIi0
>>432 片手と両手で威力が変わるなら、腕力が作用してるわけですよね。
この単純な理屈がわかりますか?
434 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 02:07:17 ID:aIUNx8U10
>>433 いや、腕力ではなく、二箇所に力を加えられるので
有利なのでは?
435 :
YMA:2005/07/23(土) 02:09:21 ID:uZ5itmUn0
436 :
YMA:2005/07/23(土) 02:11:53 ID:uZ5itmUn0
>>433 353さん、全て御聞きしてから質問しようと思ったのですが、剣による刃筋の効能と力の収束はそこに含まれていますか?
片手だとその力の収束が難しいのですが・・・・・体験上
437 :
353:2005/07/23(土) 02:22:40 ID:mtfizoo/0
>>434 うでぢからを使う人には有利ですよ
ただ腕による力で刀を使ってる事になりますよね。
私が言ってるのはワンリョクじゃなくてウデヂカラですよ。
>>436 手で収束させようとしていたら出来ないでしょうね。
それに収束させるのは両手のが難しいですよ。
438 :
353:2005/07/23(土) 02:24:24 ID:mtfizoo/0
日本刀が両手持ちの武器だと思ってる人は
ボールを投げるときに、両手のがボールが飛ぶと勘違いしてるのと
同じぐらい恥ずかしい事を言ってますよ。
439 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 02:29:50 ID:aIUNx8U10
>>438 ボール投げと剣術の共通する部分とは、速度に関することでしょうか?
また、多くの人が日本刀を両手持ちの武器と認識していると思うのですが、
それは勘違いであると云う事でしょうか?
うでぢからとわんりょくの違いがわかりません。
質問ばかりで恐縮ですが、ぜひ教えて下さい。
440 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 02:31:16 ID:ctACzNXc0
>>422 >西欧でも、持ち盾は中世を過ぎたあたりから、一般的ではなくなっているから。
西欧は元帝国によって火薬を伝えられ、
明帝国によって世界海図を伝えられ、
はじめて世界規模の海賊国家として
豊かになったんだよ。
441 :
YMA:2005/07/23(土) 02:31:39 ID:uZ5itmUn0
>>437>>438 353さん、なんとなくわかりました。
確かにうで力なら使いますね。
収束に関しては、うで力と遠心力を混合して集中させるというものが、両手持ちではあるものでそのことだったのですが
流儀や体験などで私に偏見があったようですね。
442 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 02:40:58 ID:mO88DKGFO
>>440 元はモンゴル人の帝国、明は弱弱。
火薬なら十四世紀のゲンコウで日本で使われているが、殺傷力なし。目くらまし効果。
443 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 02:47:20 ID:ctACzNXc0
>>442 事実は事実だよ。何を言いたいのか分からないけど。
それまではイラン&イラク、インド、モンゴル、中国と比較して
西欧は暗くてカルトで野蛮で貧しかったんだよ。
444 :
353:2005/07/23(土) 02:47:39 ID:xsRMm+gR0
>>439 共通する部分は威力ですよ。
多くの人とは何処の人ですか?漫画や小説の話じゃないんですか?
>>441 そう思ってる間は上手くなりませんよ。刀を振るのにうで力も遠心力も使いませんからその考え方だと上手くならないでしょうね。
445 :
YMA:2005/07/23(土) 02:52:12 ID:uZ5itmUn0
>>444 353さん、もう少しで納得できそうなのですが・・・
うで力や遠心力を刃筋通りに使う以外にどのようにしたら上手く成れるのですか?
446 :
353:2005/07/23(土) 03:06:56 ID:xsRMm+gR0
単純ですよ。腕力も遠心力も使わなければいいわけす。
斬ればいいんですよ。
>>444 >共通する部分は威力ですよ。
共通して威力が高いということは、共通のメカニズムがあるということだと思うのですが、
それはどのようなメカニズムなのでしょうか
>多くの人
少なくとも剣道の人は両手で持っているように見受けますし(片手でも打突しますが)、僕の習った流派では
9割の形で両手持ちです。ただし、抜刀の形でのみ、7割片手です。それでも7割。
>>407 >ではなぜ、海外では日本のようにポールウエポンが盾を駆逐しなかったか?
なぜなんですかね?
たしかにポールウェポンがつよかったことが理由なら海外でも同じ現象が起きてもよさそうです。
個人的には、日本刀に見られる独自の製鉄技術の進歩の結果、盾の技術進化より、武器の技術進化が
速かったからと思っています。
日本人は農耕民族なので、鍬を扱う要領で両手武器を扱いやすかったとかはどうですかね?
西洋でも農耕はしていたと思いますし、中国でも盾を使っているので、理由としては弱いと思いますが。
日本で投槍+盾の組み合わせがなかったと思うのですが、これは上記の日本人農耕民族説と
結び付けて考えられませんかね?
449 :
YMA:2005/07/23(土) 03:17:09 ID:uZ5itmUn0
>>446 353さん
他のスレでも、私の流儀でも斬ることを目指しています。
結局は斬るようにするのですが、それには、うで力と遠心力、そして、刃筋がどうしても必要になります。
どうしたら使わずに斬れるんですか?
そこが想像できないのでお願いします
>>447さん追加で、剣術、古流武術で剣を扱うものを入れてください。
詳しくは
>>410にあります
450 :
YMA:2005/07/23(土) 03:19:56 ID:uZ5itmUn0
>>448さん
西洋や中国と違って日本は押す力より引く力が強いという分析が出ています。
生活スタイルの違いだそうです。
>>450 それは、押す力より引く力のが強い→盾を持って刺突するより、両手武器で打ち込むほうが性に合っている
ということでしょうか?
452 :
YMA:2005/07/23(土) 03:30:01 ID:uZ5itmUn0
>>451さん
一応データとして出しただけだったのですが・・・・説明不足ですいません
太刀などの刃物は日本のものは引き切り用なので、両手武器で打ち込むのが性に合ってると思います。
昔、郷土資料館で見たもので、中国の鋤は押すものが多かったように思いました
振り下ろしというのはあまり強くなかったのではないでしょうか?
ちなみに中国人が椅子に座るようになる前は日本と同じだった見たいですけど
日常使っている道具が、影響を与えているというのは面白い考えだと思うのですが、
今のところ、即、盾を使わなかった理由にはならないのではないかな、と。
片手でも引き切りはできますし。
しかし、日常使っている道具の差まで考え始めると、なんだかすごく大変になってきそうですねw。
民俗学チックというか。
454 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 03:34:01 ID:ctACzNXc0
>>448 >日本刀
そんなもん、16世紀までの日本の戦場には何の関係もない。
あってもなくても、槍や盾や甲冑のあり方に何の影響もない。
455 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 03:34:57 ID:ctACzNXc0
>>448 >日本人は農耕民族
日本人はアイヌが先住民だぞ。
>>454 日本刀に見られる製鉄、鍛造の技術はもう少し早くから存在しました。たぶん。
で、その製鉄技術が槍や盾のあり方に影響を与えたのかな、と。
>>455 じゃあ、大和系でおながいします・・・。
アイヌは農耕民族じゃなく狩猟民族、よって盾を使う、というので
僕の仮説と合っている気がしませんか?
しかし、合っていない事例もたくさんありそうです・・・・。
458 :
YMA:2005/07/23(土) 03:41:05 ID:uZ5itmUn0
>>453 439=370さん
そうなんですよね。理由には弱いですね
普通に考えると理由になりそうなのは出尽くしてますし・・・・
あとは、そういう民俗学系とか新しいアプローチしかなさそうですね・・・・武版を超えそうな気がしてきました。
>>455さん アイヌって北海道だけじゃないんですか!!
縄文人出の蝦夷や隼人、坂東人、高山系、平蜘蛛、鬼と呼ばれている人だと思ってました
459 :
353:2005/07/23(土) 03:42:10 ID:xsRMm+gR0
>>447 剣先に力を収束させる、ボールに力を収束させるって事ですね。
共に両手では難しいでしょう。
片手持ちの武器を両手で持ってもいいんじゃないですか?
両手持ちの武器ならばもっと重く作ると思いますよ。
>>449 実際に片手で物を斬ってみたらどうでしょうか?
剣術をやってる人ならわかるはずですよ。
わからないなら、流儀を変える必要があるかもしれませんね。
460 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 03:43:54 ID:ctACzNXc0
>>456 関係ないよ。
どこの国、いつの時代でも、鋼の槍頭に
丈夫な柄の付いた槍の運用に習熟すると
持ち盾は廃れる。
西洋で甲冑騎士を時代遅れにしたのも槍だろ。
木や皮で作った持ち盾を持って、
銃剣道の木銃を相手にしてみたら、
どうして持ち楯が槍に勝てないか分かるよ。
木銃がたわむほどの強烈な突きを
持ち盾で防ぐと言うことがどれほど無理か
体験してみれば分かるよ。
>>459 すみません、力を収束させるのが、両手では困難な理由がよくわかりません。
なにぶん、若輩者ですので後学のために教えていただけると幸いです。
462 :
YMA:2005/07/23(土) 03:46:21 ID:uZ5itmUn0
>>459 353さん
片手で斬る場合でも刃筋や遠心力を使うように思うのですが、どうしたらいいんですか?
自流だけでなく他流の本を読んでも。
適する本や流儀がありましたら紹介してください
463 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 03:50:19 ID:ctACzNXc0
盾を持って、銃剣道猛者の木銃の突きや
きちんと発勁のできる中国槍術修行者の突きを
受けて見ろ、空理空論を重ねる前に、自分の身体で
体験すれば一瞬で持ち楯の限界が分かるよ。
>>460 とりあえず、ポールアームが盾より強いということはわかったのですが、
日本以外の国々で盾が使われ続けた理由を考察しないと完全ではないと思います。
この場合、槍の進化が盾を駆逐する、という理屈でよろしいでしょうか?
それと、日本刀に見られる製鉄技術、と書きましたが、これは日本刀の造り込みだけを言っているわけではなく、
たたら製鉄による高純度の鉄の生産、焼入れ技術の進歩なども含めているつもりでした。
これらの技術は鋼の槍頭の進歩に影響を及ぼしたと考えられます。
465 :
YMA:2005/07/23(土) 04:05:08 ID:uZ5itmUn0
そういえば、西洋などの盾が重視された所は
>>463さんが指摘なされたような武術的技術の発展はしたんですかね?
発展してて尚且つ使われたなら、理由にならないけど、そうでないなら、理由の一つと考えられると思うのですが
466 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 04:06:36 ID:ctACzNXc0
>>464 >日本以外の国々で盾が使われ続けた理由を考察しないと完全ではないと思います。
1.対・飛び道具
弓の矢、弩の矢、手で投げた矢、カタバルトから射出された投げ槍、
投擲棒を使って投げた投げ槍、手で投げた投げ槍、投石機での投石、
投石紐での投石、素手での投石からの防護だよ。
日本でのそれより大規模な飛び道具戦があったのが理由。
2.長い城郭での攻防
城壁都市の壁をよじ登ってくる兵士に対して、
城壁の上から矢を射るだけでなく、岩や木材を落としたり、
煮えたぎった糞便をふりかけたりした。城を取り囲む兵も
城壁下に殺到する兵も、ハシゴをかけて登っていく兵も
斜め上や真上からの矢や石くれを防ぐ必要があった。
そのために置き盾では使い物にならない。
日本には城塞都市など存在しなかった。
東北・北海道の濃い顔をした毛深いネイティブ日本人たちが
楯を使い続けたのは、熊や狼など猛獣相手の狩猟や戦いが
生活の身近にあったからだろう。
467 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 04:14:23 ID:ctACzNXc0
468 :
YMA:2005/07/23(土) 04:20:50 ID:uZ5itmUn0
>>467さん、早速は意見しました!
パイクがそんなに昔からあったとは知りませんでした。
しかも、騎兵専用だとばかり・・・・・
受けた印象としては、銃剣や発頸ほどは攻撃力が無さそうですね
情報ありがとうございました!
>>466 なるほど。たしかにそれらは日本では行われなかった戦いですね。
ついでといっては何ですが、それらの戦いが日本で行われなかった文化的、地形的な理由なども考察していただけると
より完成度の高い理由となりますので、よろしければそちらもお願いします。
470 :
YMA:2005/07/23(土) 04:28:52 ID:uZ5itmUn0
参考程度ですが、太平記の千早城の話では>城壁の上から矢を射るだけでなく、岩や木材を落としたり、煮えたぎった糞便をふりかけたりした
とほぼ同様なことが書かれていましたよ。山城ではそれを想定してると思います。
城の枡形など上から攻撃するためのものですし。
詳しくはお願いします・・・・・後日、御話を楽しみにしてます。おやすみなさい
471 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 04:43:27 ID:ctACzNXc0
>>469 大規模な飛び道具戦:↓
大陸に事例が豊富にあり、日本に乏しいのは、
食糧生産力の差でしょう。大陸の方が、場所によっては
土地が広く、それに養われた人口が多かったから、
時々、とんでもなく大規模な戦闘が起こった。
その頻度が高いと持ち楯が装備として残りやすかった。
城壁都市:↓
異民族同士の殺戮戦が大陸、それも平原の戦い。
中国にある万里の長城や、現在のイスラエル国内にある
パレスチナ人を隔離するための長大な壁は、民族間の
不信と恐怖のシンボル。日本の場合、蝦夷や熊襲を
征服して以降は、民族間での大規模戦闘はごく稀だった。
>>470 宮本武蔵も島原での暴動鎮圧作戦に参加して、
そんな攻撃で酷い怪我をしたという話がありますね。
城を守る側が考えることは東西中外を問わず一緒ですね。
日本でそのような戦いが長引けば、持ち盾やフレイル、
メイス、ボウガンといった大陸標準武器が定着したかも
しれませんね。それがないから、伝来しても廃れるか、
物好きな武芸者の趣味のような形でしか伝承されなかったと思います。
472 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 04:57:35 ID:ctACzNXc0
473 :
284:2005/07/23(土) 09:50:06 ID:NcKUpPtS0
大陸の食料生産力が日本よりも大きいというのは、違うかと。
日本は古代より人口密度の高い国であり、特に戦国期あたりでは米の生産量は
飛躍的に伸びている。
マジレスすると
日本では盾のかわりに小太刀が使われた
いわゆる二刀流だ
合戦時は槍だから刀自体をメインにしない
江戸時代からは素肌剣術だから
もちろん盾を使わない
475 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 12:27:24 ID:NlJ5tM9b0
>>473 単位生産量比較だと、
同じ緯度、同じ年間降水量の地域であれば
日本地域はいい数値を出していると思うよ。
勤勉だし、頑張ってきた。それは評すべきだし、
俺たちの先祖の偉業として誇っていいと思う。
欧州や中東、華北のような小麦作より稲作の方が
カロリー的な単位生産量は優れてるしね。
もっとも、古代〜15世紀で、越南地域など
多毛作ができ、農民の勤勉さも日本人に負けない地域と
稲作の単位生産量比較すると…語らないけど。
国家の絶対的な大きさ、動員できる兵員数の絶対量が、
大陸の超大国と日本や越南など稲作小国家では違う。
476 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 12:46:28 ID:rzykyNNb0
武士は弓使うから開けた戦場なら置き盾は必需品だよね。
477 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 12:48:00 ID:4kdN0iTn0
478 :
YMA:2005/07/23(土) 13:27:08 ID:ilnqYMSn0
>>474さん、小太刀二刀は鉄壁ですよね。崩し方が全く思いつかない、すごいものですよね。
>>472さん、琉球武術の盾の使い方は、私の知る西洋等の使い方と違ってすごいですよね
捌きと攻撃と。個人的にはティンペー・ローチンが好きです・・・・あんまり型を見たことありませんが
479 :
YMA:2005/07/23(土) 14:01:37 ID:ilnqYMSn0
>>477 Masterさんはそのような方と思えないのですが・・・・
反論できない状態でするのはフェアじゃないです!行き過ぎる暴言は法に触れると思うのですが
480 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 14:28:40 ID:mO88DKGFO
マスタなんかどうでもいい
481 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 18:10:31 ID:Oe+KQMTX0
>>478 >小太刀二刀
多くの国、多くの時代にある戦い方だね。
今月21にディスカバリーチャネルで流れていた
史実検証番組「伝説の女性戦士-本物のムーラン」。
18世紀後半に実在して戦いの中に散華した美少女剣士、
王聡児 (1777−1798) は騎馬しての双剣術の使い手。
白蓮教徒軍を率いて、中国国軍を何度も撃破した女傑。
学研M文庫『夢醒往還記』
◆魔月秘伝◆王聡児紅蓮◆夢醒往還記
ISBN:4059011355
清の時代の若き義賊の活躍を描いた「王聡児紅蓮」他二篇
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4059011355.html
482 :
481のつづき:2005/07/23(土) 18:36:38 ID:Oe+KQMTX0
ttp://www.wafu.ne.jp/~artemis/eagle/200411.html より引用。一昨日の夕方に見た番組だが昨年も流れてたらしい。
清朝と戦ったカンフーの女性戦士ワン・ソンガも知らなかった。
1777年生まれのワンは3歳で父を亡くし、母と各地を転々としたのち、7歳の
時に日銭を稼ぐため旅芸人一座に引き取られたか潜り込んだらしい。因みに
旅芸人は当時の中国では最下層の身分だったそうである。そして彼女は15歳に
なる頃には呼び物の技芸だけでなく、精神修養も必要な武術も身に付けていた
らしい。だがそんなワンでも1人では複数の暴漢は手に負えなかったようで、
危ないところを咸陽の若い役人に助けられたそうである。
その頃朝廷では悪徳役人が私腹を肥やすなどヤりたい放題だったとかで、打倒
清朝を狙う宗教団体、白蓮教が農民を中心に急速に勢力を拡大しており、その
役人こそ白蓮教の指導者にして武術の達人チー・リンであった。若い2人は恋に
落ち、やがて結婚し、清朝を倒すため信者に武芸を指導するなど協力し、
1794年蜂起を決定したと言う。ところが密告により夫は捕まって処刑されて
しまう。悲しみに打ちひしがれてから2年後、指導者としてワンは先頭に
立って官軍に立ち向かう。
当初は地方の農民軍団と見下されていたが、やがて周辺地域も白蓮教に加わり、
朝廷を揺るがすまでになって行く。若い女性指導者はマーシャルアーツの腕が
立つだけではなく武将としての冷酷さと才能を持ち合わせており、信者の尊敬と
信頼を集め、勝利を信じて闘いの日々が続いたが、1798年官軍と全面対決して
完敗を喫し、自ら名誉の死を選ぶ。その時ワンは22歳だっだ。とまぁ、18世紀
の「ムーラン」は波瀾万丈の人生を送ったそうである。そして若干20歳そこ
そこのオナゴに翻弄された清朝の末路は周知の通りである。
だから中国の話は不要です。
『どこの国でも、いつの時代でも、』というフレーズが好きな方がいますが、
時間と地域を超越したスタンダードは存在しません。
485 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 19:40:36 ID:b4wThNsh0
しかし、中韓の連中はなんで関係ない話にも「俺が俺が」ってしゃしゃり出てくるんだろ?
盾は、武器にならないから。
使える盾は、すべて小楯に成るが。それなら篭手や刀のほうが良かった。
487 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 19:58:51 ID:vaU8HnX80
盾持つより刀で受け流した方
持ち物が少なくなっていいジャマイカ
488 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/23(土) 20:13:36 ID:IW1I1Q29O
盾と刀は使う場所が違うから
刀のせいで盾が無いとは考えにくい
其れは、農民雑兵の場合だ。
盾なんて、どんな状況でも無い方がいい。
自信が無い時の兵器戦ぐらいだよ。
490 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 21:08:31 ID:Oe+KQMTX0
>>487 しかし、刀マニアの連中はなんで関係ない話にも
「刀、刀」って念仏唱えるんだろ?
刀なんか、楯の話題には関係ないって。
日本も西欧も中国も中東も、
14世紀〜16世紀に丈夫な槍の活用が
楯と甲冑騎兵を戦場から駆逐したんだよ。
そして火縄銃がホイールロック銃やフリントロック銃になり、
17世紀に銃剣が出現した時点で、槍の歴史的使命は終わった。
>>484 >時間と地域を超越したスタンダードは存在しません。
元帝国の成立と火薬の伝播、
明帝国の大艦隊による世界海図の成立、
それらを前提にした欧州による大航海時代以降は、
一気に「世界スタンダード」が成立したんだよ。
銃も梅毒もタバコも瞬く間に世界のすみずみまで広がっていった。
その話から、明帝国の大艦隊による世界海図は余計。
>>490 なぜ、二本では刀を何本も戦場へ持っていったのですか?
493 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 21:46:22 ID:Oe+KQMTX0
>>491 >明帝国の大艦隊による世界海図は余計。
鄭和艦隊の航海が無ければ、
ガマもコロンブスも航海できなかった。
元による人類史上最大の世界帝国成立と、
明の大艦隊による世界航海の成功が、
欧州による大航海時代を開いたんだよ。
もう、中国関連の話はいいです。
495 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 21:49:18 ID:VRkEJj1M0
>>490 前の方を読んでください。刀が盾のような防衛ができたと言う話からの流れ
それと武器の発展が盾を無効化したという流れがある
その上での刀談義
それと時代を長く取ってるから、小太刀や槍が発現前からなどの話
だから、世界的なスタンダードでなく、歴史的な面で見てるから論点がずれてます
論点を読み取ってから文句は言いましょう
496 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 21:50:25 ID:Oe+KQMTX0
>>492 手に槍、腰に短めの刀。
14世紀〜16世紀の日本での
歩兵の普通の装備だろう。
一人で戦場で何本も刀を使うなんて、
講談の世界の荒木又右衛門の敵討ちとか
函館戦争の時の土方歳三の話だろ。
497 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 21:52:48 ID:Oe+KQMTX0
>>495 >刀が盾のような防衛ができた
戦場の主役、槍を相手に刀に何ができると言うんだ?
498 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 21:55:27 ID:VRkEJj1M0
>>496 歩兵などの雑兵はそうですが、武将クラスは数本持っていました。
太刀が歪んだり、折れたりするため。
槍の補助としてが多いようですが、数本持っていたのは確かです。
戦場で刀を多く持つのは幕末では比較的一般的。
まあ、打刀を戦場で使う例は幕末しかないですけどね{上のは太刀で刀違う}
499 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 21:57:35 ID:VRkEJj1M0
>>497 ちゃんと読んでください!
弓からの防御として太刀を使ったと言う話。
槍は盾を貫けると言う話から別の話。
江戸期には槍と対決しても勝てる技術もあるともう話に出てます
>>496 鉄砲兵でさえ重装備の家では、御貸刀、脇差を腰に差しています。
これに、鎧通しやそれよりも小さい刀は普通に持っています。
501 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/23(土) 22:00:43 ID:VRkEJj1M0
建設的な御話なら新しい観点でいいですが、
ただ否定するのだと煮詰まりつつある話だったりするので話が戻るだけです
全部は無理でもせめて過去100からの流れ見てください
502 :
sporran:2005/07/23(土) 23:49:15 ID:BNfZoetf0
460
>>木や皮で作った持ち盾を持って、 銃剣道の木銃を相手にしてみたら、どうして持ち楯が槍に勝てないか分かるよ。
>>木銃がたわむほどの強烈な突きを 持ち盾で防ぐと言うことがどれほど無理か
体験してみれば分かるよ。
あのですね、これは今日も対決をしたし、今まで何度も銃剣の猛者(Vail卿)と私(盾)は刃を交わしているんです。
それでも彼よりも体重も軽く、武道年数も短い私は彼の銃剣の突きを盾で防いでいます。
ついでに接近して台尻で殴ればダメージが与えられると思いでしょうが、それをやってもなかなかヒットになるような強い攻撃は出来ません。
全然無理ではありません。それはVail卿も何度も書いております。
問題なのはそれを否定するあなたはどこで盾を習いましたか?あなたの使用した盾はカイトシールドですか?ラウンドシールドですか?
バックラーですか?ハンガリー型ですか?ドイツ型ですか?
盾信者というのは勝手ですが、そこには何度も対戦した結果からの答えです。
否定をするならば具体的な実験をして述べてください。もし、それが無く否定をしているのならば
読んでるこちらが恥ずかしいですよ。
503 :
sporran:2005/07/23(土) 23:59:39 ID:BNfZoetf0
今日、他の人の盾&ソードとポールアームの試合を見ていましたが、槍側は盾を突こうとして穂先が盾に触った瞬間
盾側はチャージをかけ接近します。穂先がそれた槍はそのままではどんどん穂先がそれるので後退するしかない。石突で突き上げようとしても下から飛んできた石突は
盾の縁で留められます。後退するしかありませんが後ろに逃げるよりも前進するほうがはやい。
槍側から見ると、遠い間合いで小さい盾の無効面がチャージをかけられるとコンマ何秒かで目前まで敵の無効面が拡大するわけです。
そうなると槍はよほど巧みでないと穂先や石突で有効打を与えられません。槍を横にして顔面を守るのが手一杯になります。
そうならないようにするには十字や鎌槍であれば盾の上辺を引っ掛けてちょいと引き、防御が空いた時にそのまま突くか足を攻撃すると見せかけて盾を下げさせ顔面を突くかのワンタイミングしかありません。
504 :
YMA:2005/07/24(日) 00:00:33 ID:x692Qv8K0
>>sporranさん、ちょっと流れ無視した質問ですいません。
西洋で盾に対抗する武器とかどのような物があるんですか?
私の知識では、インドのショテイルくらいしか思いつきません。
攻め方を以前御聞きしましたが、武器からのアプローチはまだ不十分かと思いまして。
体験からこれを使われたら嫌だ、などありましたらお願いします
できたら以前御聞きしたタガーなど接近以外を教えてください
505 :
sporran:2005/07/24(日) 00:05:25 ID:BNfZoetf0
面白い統計ですが我々のグループは最初に盾と剣の練習をし、それから個人の好きな武器を選択します。
日本人で現在メインウェポンを盾&ソードにしているのは私と後2人、ポールアームをメインウェポンにしているのは
Vail卿(彼はもともと銃剣、長巻です)とあと6人です。日本人は本能的に防御よりもロングレンジを好むのかもしれません。
506 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 00:05:58 ID:jzPOjeER0
ポールアームvs盾の試合をしておられるスポーラン卿にちょっと質問、
日本の槍の様に頭上から思い切り叩きつけられた場合はどうなりますか?
507 :
YMA:2005/07/24(日) 00:15:44 ID:uBhnO3/30
>>503 sporranさん
タッチの差でご解説前に書いてしまいました。
あまり詳しくは知りませんが、琉球のティンペー・ローチン
>>452{?}の戦闘法と同じみたいですね。
>>505 面白い結果ですね
日本人は攻撃こそ防御という考えが根付いているようですね。ますます、民族性も関係してきそうですね・・・・板の範囲越え・・・
確かに、私が参加するとしたら、Vailさんと同じ選択をしますね{できたら、盾の代わりにソードも腰につけて}
>>506さんの話が興味深いので少し読みに徹しますね
508 :
sporran:2005/07/24(日) 00:16:10 ID:olcVB3nb0
YMA殿、日本の持ち盾の構造ですがバランス的にも、支える強度も形状も良いとはいえません。
最も初期の形で止まっています。
日本の盾は四角い板にとってがついた、左官屋さんのコテを大きくしたようなデザインです。
取っては盾の中心よりも外に出ているので手首の負担が大きいです。ローマの盾やバイキングのラウンドシールド
は板をくりぬき盾の中心にグリップをつけ、その部分の防御は金属のお碗(アンブー)をかぶせました。
次のティアドロップやカイト型はグリップを斜め上に付け下腕をベルトで固定しました。
こちらは強力に盾の支持が出来ます。さらに、ドイツ型は視界確保のため上部角を切り欠いたり、東欧がたは外側の縁が上に伸び上がって頭部へのサイドアタックを
防ぐようになりました。盾が無くなった時代でも肘当てコーターが大きくなり盾の代わりとなったグリニッジ式の鎧などがありますし、
ルテルン・シールドは盾とガントレットと短剣や肘のスパイクなどが一体となったもの(実際に使われたという記録は無い)があります。
509 :
sporran:2005/07/24(日) 00:25:37 ID:olcVB3nb0
我々は実際に鉄の穂先を使うわけではありません。したがってどのような強度と
重量の穂先かで変わると思います。普通に盾の上辺縁が鉄で保護されていたら鉄と鉄ですから数回の打撃には耐えられます。
何度か繰り返されるとだんだん壊れていくでしょうが、壊れても使用者にはまだダメージは与えられません。
この場合、槍側が盾が接近するまで何度叩くことができるかです。槍は穂先以外の部分で叩いてもダメージは与えられ無いですから
この攻撃だと、相手との距離を常に一定にしなくてはいけません。しかし、それが難しいことはいうまでもありません。
単純に叩くだけだと、接近されて終わりです。もし、破壊のために叩き降ろすのであれば、やはり斧槍など目的に合った形状をしたものの方が良いし、
そうでないならばうまく気を捉えて突くほうが良いと思います。
510 :
sporran:2005/07/24(日) 00:31:07 ID:olcVB3nb0
盾をつかって相手が持っている武器でいやなのはハルバート、ウォーハンマー、
フレイルです。つまり攻撃部分が柄よりも直角になるものですね。
フレイルは連結部分が腕などに絡まって危険なので、我々は経験が出来ません。しかし、パーティグッズで売っている
やわらかいゴムのおもちゃフレイルでも、先端は内側に回りこみ大変いやな武器だと感じました。
511 :
YMA:2005/07/24(日) 00:32:28 ID:uBhnO3/30
>>508 sporranさん
いきなりの約束破りになりますが、すると、盾については、全くといっていいほど発達していないのですね。
ご説明から察すると、強打されればすぐ受け手がダメージをうけるような脆弱なもので簡単に破られる・・・・と
とても完全防御はできませんね。少し飛んだ考えですが、日本の盾が劣りため、逆に戦闘術や武器が防御を兼ねるように発展したとも考えられますね。
琉球や一部の武術のように盾で捌いたりという発想は少なかったのかもしれませんね。
西洋の盾やルテルン・シールドについて、家にある数少ない武器の本を見ましたが、御話を聞いて改めて、すごい発達を遂げたんだと思いました。
まさしく鉄壁ですね。
一つ質問があるのですが、盾が無くなった時代と言うのは大体何世紀ごろなんですか?
西洋の鎧は日本で鉄砲と共に取り入れられたので、そのようなすぐれた盾も紹介されていればある程度は使われたかと思いまして
512 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 00:38:57 ID:olc0VKd7O
日本の長槍は穂に近い柄に打撃用の木槌が付いているタイプあり。
513 :
YMA:2005/07/24(日) 00:40:32 ID:uBhnO3/30
>>509 一定の間合いを考えたなければならない場合、またかと思うかもしれませんが、太刀が有効に思えました。
長巻よりも攻撃有効部位{刃}が広く、突く事もある程度{槍に比べたら圧倒的に劣ります}できますし、間合いもある程度調整できると考えられます
また、打撃力もそうとうありますから、盾の防衛には、特に発達段階のものでは対抗が難しそうですね。
>>510 回り込むものはやはり恐ろしいんですね。合戦期の日本ではありませんが、琉球の車棒など天敵とも言えますね。
・・・・・・錯覚かもしれませんが、なんとなく打開策が思いつきそうですね・・・・いろいろな方に意見を聞いていけば
514 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 00:41:36 ID:olc0VKd7O
ヨーロッパで持ち盾が廃れた理由探ってみればいいのでは?
そんなスゴい持ち盾が消えていった理由はヨーロッパ自身にも含まれているわけで。
515 :
YMA:2005/07/24(日) 00:43:16 ID:uBhnO3/30
>>512さん
ということは、長槍は突力だけでなく、打撃武器としても相当に有効な武器だということですね
・・・・・・秀吉公の案と聞いていますが、すごい画期的なんですね。
516 :
YMA:2005/07/24(日) 00:47:12 ID:uBhnO3/30
>>514さん
確かに!!話されていたようで、あまり突き詰めていませんでしたね。
>>512の内容とあわせて考えれば・・・・・
知ってる方、お願いします!
517 :
sporran:2005/07/24(日) 00:49:28 ID:olcVB3nb0
>>日本の盾が劣りため、逆に戦闘術や武器が防御を兼ねるように発展したとも考えられますね
それもあるかもしれませんが本質ではないと思います。
盾は15世紀初頭には消えつつあります。ランスチャージで騎馬騎士がつけているくらいで、
歩兵の備品としては小型のバックラーくらいです。
518 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 00:52:23 ID:olc0VKd7O
俺が知っている木槌のある長槍は武田家のもの。
武田家は他にもえげつない工夫が多いようです。
519 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 00:54:57 ID:uVCd1WUD0
>>499 >弓からの防御として太刀を使った
弓矢、投石、槍が戦場の主役。
後者二つに対して、太刀は無力。
「矢どめ」には、太刀より脇差しなど
小型刀剣の方が明らかに便利。矢どめも、
明らかに自分を狙っている射手が
見えていて、しかも矢威が弱ければ、
できることもあるという程度のもの。
矢は刀で払うより、身をかわした方がいい。
「矢どめ」は足場が悪いときや、不意に
飛来してきた矢に対しての緊急避難策でしかない。
520 :
YMA:2005/07/24(日) 00:59:32 ID:uBhnO3/30
>>517 sporranさん
15世紀初頭に消えつつあったと言うことは、日本へは西洋盾は伝来してないと考えられますね。
私の見る限りですが、近国の盾は日本の武器に対応できるほどの改良を受けたものは無いと思いますし。
日本にもごく小さい盾代わりの物が存在する程度ですし、大きな持ち盾の有効性を体験してないと考えられますね
>>518さん 武田家のものだったんですか!!礫部隊等いろいろ独特なものがありましたよね
その一環ということは、末期でも鉄砲伝来前には対防御の武器が存在してたんですね・・・・・・想像してちょっと怖くなってます
521 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 01:01:28 ID:olc0VKd7O
戦場と一口に言うが、田原坂などは明治期の銃があったにもかかわらず、切り込みになってしまった戦場だ。
有効な兵器は地形と戦術に依存する
522 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 01:11:25 ID:olc0VKd7O
戦術で最も大事なのは、打撃力でも火力でも防御力でもなく、機動力だ。
機動を制するものが戦を制する。
この観点から持ち盾を鑑みると・・・・・・分からんです
523 :
sporran:2005/07/24(日) 01:17:11 ID:olcVB3nb0
西洋盾は伝来していないでしょう。あったとしても紋章の書かれたディスプレイようだったと思います。
ツバイハンダーが2ふり献上されていますが、これも飾りだったと思います。
同じく軍馬も献上されていますが、馬の品種改良や馬具や調教は全く関心を持ちませんでした。
時おり、日本は優れた物なのに全く関心を持たないことがあります。
524 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 01:23:09 ID:uVCd1WUD0
>>520 >大きな持ち盾の有効性を体験してない
そんなことはないよ。
10世紀以前の日本には大型の楯や金属楯が
大陸から持ち込まれていました。
しかし持ち楯が普及したり、定着しなかったのは、
大規模な飛び道具戦と防壁守備戦が無かったからだよ。
青銅矛と鉄製刃物が大した時間差を持たずに、日本には
入ってきたため、矛と持ち楯が使用される期間が短かった。
石製槍頭のついた木の枝から、鉄製刀剣までの間に、
銅製刀剣、馬や牛に引かせた戦車、矛と盾、持ち楯を
引きはがすための「戈」などが使用される時間がなかった。
長刀、長持、薙刀、そして14世紀からの槍の時代に入った。
印度、中東、欧州、スラヴも14世紀後半から持ち楯は急速に衰退します。
木枝や木板、籐で作った小型の持ち楯は槍の敵ではなく、
木板や皮革と金属で作った大型楯も槍には対抗できなかった。
フルメタルの楯という発想は、守城の時にしか使われなかった。
そして16世紀・火縄銃の時代になり、盾も甲冑も骨董品になりました。
525 :
YMA:2005/07/24(日) 01:24:59 ID:uBhnO3/30
僭越ながら、
>>517さんや>>sporranさん、
>>519さんの御話から鑑みたことをまとめると
・日本は優れた盾についての体験や知識が無い。
・盾などの防御に対する武器が発達している
・地形や戦闘法から見て、盾が足かせになる場合がある
・盾に頼らなくともそれなりには防御動作が可能っぽい
という所ですかね。
見えてきそうで、核心に至らずという所ですね
すいません、自分はもう落ちます。また御話楽しみにしています。では、おやすみなさい。
526 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 01:27:33 ID:olc0VKd7O
日本で牛や馬に戦車引かせたら、使う局面が限られるな。
それに馬は以外に疲れやすい生き物だからな。
走り続けるのは大変だ。
527 :
YMA:2005/07/24(日) 01:31:51 ID:uBhnO3/30
528 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 02:57:14 ID:iFdZVryh0
てかさなんか混乱してる人いるから書いとくけど
盾は矢に対しては有効だった
しかし攻撃を重視する日本では歩兵は盾を使うより長槍を使った
日本には盾持ち重装備の肉壁部隊という発想はなかった
矛盾とういう言葉がある通り、盾は万能ではなく槍に貫かれた
勢いの無い矢なら鎧兜で十分防ぐことが出来た
銃には鎧も無意味だった 弾丸を止めるような盾はとうてい持ち歩けるものではなかった
続いて小規模の戦い
剣術の発達で刀は防御と攻撃を兼ねる様になった
盾を持つより、もう一本、刀を持ったほうが攻めにも受けにも使えた
受けに使う片手武器は十手より刀のほうがもちろん殺傷力が高かった
大小二本差しが定着した
しかし、二刀を使うと左手(防御側)が防御に居ついてしまいスキを作ることがあった
それゆえ二刀が必ずしも有利というわけでは無かった
左手受け、右手攻めの基本パターンで戦うと攻撃の際右半身にスキが出て
右に回られ切られた。これは盾持ちならもっと顕著にあらわれる
日本の剣術は相手にしかけさせて取る という構成が非常に多いので
盾持ちは特に左手、左半身が防御で固まるので攻めての右を切られやすい
529 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 03:15:04 ID:uVCd1WUD0
>>528 矢や弾丸、あと投石や投げ槍に対して持ち盾は有効性が高い。
それには賛同しますが、二刀流での攻防一体となった
刀術が日本で一般的だったかというと疑問です。
ハンドガードが付いた40cm程度の胡蝶刀を
両手に1本ずつ持って戦うのは、奄美沖縄、台湾、
福建、広東、越南ではとてもポピュラーな刀法です。
しかし、14世紀〜16世紀の日本の戦場において
右手に長刀、左手に短刀という、戦闘スタイルはレアだと思います。
(16世紀以降は日本でも欧州でも、刀剣術は決闘儀式や仇討ちとか
遊戯や体育になるから、なんでもありですが…)
>日本の剣術は相手にしかけさせて取る という構成が非常に多い
そんなこともないと思います。単独の型、組み型では
動作反応パターンを理解したり習得するために、そんな練習も
するでしょうが、実戦は「先手必勝」だし、相手が武芸に
巧みな者であっても「先の先」取りが有効だと思います。
幕末に示現流剣士が活躍したのも、彼らがそれを体得していたからでしょう。
530 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 03:37:25 ID:uVCd1WUD0
>>506 >日本の槍の様に頭上から思い切り叩きつけられた場合はどうなりますか?
私が西洋楯と剣を持ち甲冑に身を固めて襲ってくる男を殺すなら、
フレイル系の武器を選ぶ。沖縄古武道の車棒より、もっと長大な
長梢子棍を使う。先端に鎖でつなぐ棍棒は鉄製のものにする。
相手の楯の形状や材質、大きさは関係ない。
楯も甲冑も関係なく、剣など使う余裕を与えずに、
死ぬまで叩きのめすことができるよ。
531 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 07:50:10 ID:xIAkwoa90
話がそれるかも知れないが、
槍の先端をフレイルにしたらどうなるだろう?
532 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 09:25:02 ID:ukbQVmqC0
殺陣は使う
533 :
sporran:2005/07/24(日) 10:21:06 ID:olcVB3nb0
529
まんまフレイルですね.確かに有効です。しかし、この手の武器は中に入られたら、槍やポールアーム以上に防御も攻撃も出来ないとおもうのです。
連結部分の重さと不安定さが悪いほうに働きます。
もう一つ、では盾部隊に有効であるのならばフレイル部隊を組織したと考えたくなりますが、フレイル専門部隊と言うのはありませんね。
534 :
sporran:2005/07/24(日) 10:51:12 ID:olcVB3nb0
524の青銅器と鉄の観点は興味深いですが、槍と矛は構造が異なるだけで使用方法は同じ予感が得ます。
矛幅が広くは接合部がキャップ状になっているのに対して、槍は細く舌(中子)で柄の中に挿入されます。
フランク人のアンゴンやフラメアは鉄ですが、構造は矛とおなじです。
木板や皮革と金属、盾はほとんどが木製で使われ続けられました。防御としてそれで充分使用に耐えられたいうことです。
繰り返しますが、盾の使命は盾自身の耐久度ではなく、使用者を守ることです。
古代の金属性盾はどこかのページでみましたが、見る限りでは実戦で使われたとは考えられません。また、大量に作られたとも考えられません。
権威の象徴であったと思います。なぜならばあの大きさの盾は大量の鉄が使用されていますが当時鉄は非常に効果でした。
それだけ高価な物を一つの塊にして見せることは戦闘よりも財力の顕示が最も効果的だと思います。
実用を考えるならば、鉄を売って木で作れば大量に、安価にできます。
古代の矛と中世の槍の違う点は、素材と形状による強度の差ですな。
古代の矛は青銅製が多いため強度的には弱い。きっと戦の最中でも頻繁に折れたり曲がったりしたことだろう。
また、矛は中子がなく、袋状になった穂先を木の柄にかぶせるようにつくるため、作成は容易であるが、
穂先は切り落とされやすい。これも恐らく、戦の最中に頻繁に穂先が切り離されることになっただろう。
中世以降の槍は穂先は鍛鉄製であり、また穂先の中子を柄に差し込むつくりのため、
古代の矛に比較すると強度は上
536 :
sporran:2005/07/24(日) 11:18:53 ID:olcVB3nb0
>>503 これがハルバートなおの斧槍であれば接近戦になっても握りを短く持ち替えてバックスパイクや斧の部分で
殴りあげたり則頭部へ攻撃が出来ます。これは2mほどのポールアームですが、もしこれが数メートルの長いものになると対処が困難でしょう。
>>511.ガンシールドというキワモノもあります。円盾の中央にピストルとのぞき穴がついたものです。
当然、前装単発です。
>>528 日本の剣術は相手にしかけさせて取る という構成が非常に多いので
これですが私とVail卿のレピアの師は同じ「待ちタイプ」です。私の気持ちでは「待ちタイプ」はテクニシャンな上級者がおおい。
逆に上級になってテクニックが身につくとこれができるようになるとも。
しかし、普通に考えるならば、「待ち」は相手の初動を見て動くのでそれがフェイントであるリスクは常に負わねばなりません。
>>盾持ちは特に左手、左半身が防御で固まるので攻めての右を切られやすい
これは事実です。右の防御は剣で行ないます。短い分、カバー範囲は狭いですが動きは速くなります。
面白いことに、相手の横に回りこもうと左右に動く場合、自分の盾側へ回ろうとする人と、剣側に回る人と2種類います。
盾側にまわろうとする人は防御重視、剣側に回る人は攻撃重視の精神があるかもしれません。
私は前者ですが、昨日対戦した女性ファイターは後者でした。
537 :
sporran:2005/07/24(日) 13:25:59 ID:olcVB3nb0
防御と言う点で盾と甲冑は密接です。ローマのロリカ・セグメンタータは板金で素晴らしい甲冑でした。
しかし、ローマの場合は盾を組織的に使った軍術のいう感があり特殊です。
ローマ崩壊後、鎧はチェーンメールに変わりました。私はチェーンメールの利点がわからないのです。
板金鎧と比べても、重く、突きにも打撃にも弱く、制作に手間がかかる。
しかし、中世前期はチェーンメールでした。チェーンメールだけでは防御が不安で盾は必需だったと思います。
一方、日本は初めから板鎧でした。登場した時からすでに片手武器はパワー不足だったということもあります。
ここで、先述した鉄の生産量が関わってくると、効果のある片手武器は鉄が必要なので大量に作れなかった。
重量武器は斧があまり使われなかったことでも証明されます。
したがって、両手で突く槍であれば、レンジも長く、鉄も少量でよい。
ただし、問題が出てきます。鉄の生産が少なければ鎧も鉄製は少なくなります。
その代わり革が材料になると思われるのですが、牧畜文化ではない日本は西洋と比べて消費される牛馬は少なかったはずです。
それに見合うだけの革があったのでしょうか?
538 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 13:32:01 ID:89iXljtv0
539 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 13:33:17 ID:py4k7LQf0
540 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 15:19:10 ID:89iXljtv0
欧州と日本は13世紀まで暗愚の闇に沈んでいたようにも見える。
大きく重い両手で扱う刀剣や長柄付きの刀、
甲冑や持ち楯(日本では廃れていた)、重装コスプレ騎士と農民雑兵。
14世紀から、武具は格段に進化する。
槍、弓矢、投石、火器が戦場の主役となる。すぐさま、
持ち盾が無くなり、甲冑が廃れ、17世紀には刀剣が消える。
火器は導火線付きの破裂弾、火薬を使った火炎放射兵器、
火縄の付かない銃、火縄銃、火打ち石での発火装置付き銃と進化する。
この変化は、元軍の世界規模での膨張がきっかけだったのだろう。
弓と騎兵、槍と火器を使った集団戦に日本も欧州も敗北し、
多くを学んで戦闘方法を変えた。
1235年 元帝国、ロシアと欧州の征服を決議。ロシアへの侵入開始。
1241年 元帝国、ドイツ騎士団と東欧諸侯の連合軍を撃破。
1264年 元帝国、アムール河畔で迎撃に出てきた日本アイヌ軍と戦闘。
1274年 元帝国、日本の九州地方に1度目の侵入。日本武士団が苦戦。
1275年 元帝国、日本の九州地方に2度目の侵入。台風で侵略を断念。
1284年 元帝国、樺太まで攻め込み、日本アイヌ軍と5年間にわたり戦闘。
1297年 元帝国、アムール下流キジ湖畔で追撃してきた日本アイヌ軍と戦闘。
1308年 元帝国、樺太アイヌを支配下に置き、明代まで樺太は中国領となった。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/ワールシュタットの戦い
541 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 15:28:49 ID:olc0VKd7O
もっとも暗愚なのは中華の戦ぶり。
万事派手好みで大がかりなわりに連戦連敗。
武器の数と脳内理論だけでは戦は勝てないという大変良い見本。
>>541 >万事派手好みで大がかりなわりに連戦連敗。
>武器の数と脳内理論だけでは戦は勝てないという大変良い見本。
具体的に。
543 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 15:49:47 ID:89iXljtv0
よく訓練された軽装騎兵軍が
重装騎兵と農民歩兵の混成軍に
圧倒的に勝るということを
ユーラシア大陸のほぼ全域で実証したのが
13世紀〜14世紀、元帝国の歴史的な役割だ。
短弓とボウガンの一斉射撃、それをかいくぐって
乗り込んできた重装騎兵を取り囲んでの槍での刺殺。
この戦い方が、ユーラシア大陸世界の戦い方を一変させた。
さらに、爆裂弾と火炎放射兵器、城壁崩しの発破として
火薬の軍事利用を世界に伝えたのも大きな役割だった。
銃は、ワールシュタット戦には間に合わなかった。
13世紀後半より中央アジアや東欧地域の支配に利用し、
14世紀に入ると一戦闘単位集団に数千丁の規模で装備し始めた。
544 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 15:49:57 ID:olc0VKd7O
明国
中華のはなしはやめるべき。
545 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 15:52:49 ID:olc0VKd7O
せめて元帝国の話から持ち盾の話までつなげろよ
546 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 16:02:50 ID:olc0VKd7O
弱かったくせに主役面するのが中華信者の悪い癖。
あげくにはモンゴルなど征服王朝の戦功を自分の手柄のように話す。
547 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 16:09:56 ID:89iXljtv0
>>545 ドイツ騎士団が元の騎兵団に敗れた時には
日本での元寇の時のように
火器に驚いたという話は聞かない。
西ヨーロッパの重装騎士たちがその立派な甲冑姿で
元軍に殺されまくったのは、矢と槍とでだ。
小さな馬にまたがり、軽量の防矢チョッキを着込んだ元兵の、
攻撃の前に殺戮されまくったんだ。
東ヨーロッパ軍の歩兵たちも、その持ち盾など役に立たずに
元兵の矢と弓で殺されまくった。
3万人のポーランド・ハンガリー諸侯連合軍総大将
ポーランドのシレジア侯ハインリヒ2世は、
逃走中に馬上で槍で突かれて戦死した。
元帝国との接触以降、ユーラシア大陸全域で
持ち盾は急速に廃れて消滅したんだよ。
このスレのテーマである、日本ではどうしてかという話の前に、
元アタック後に日本も欧州も楯なんか使わなくなった。
>>546 中華が強いか弱いかはどうでもよい。
このスレのメインテーマである盾の利用についてもっと具体例を。
549 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 16:23:34 ID:89iXljtv0
元帝国の膨張によって
ユーラシア大陸全域で
持ち盾が消滅し、ヘビーな
甲冑が廃れ始めたのは史実。
この史実は共通認識として持つべきだ。
それでは「どうして元帝国の膨張以前の時期に、
他の地域にあった持ち盾が日本に無かったのか?」
という議論に移れる。
元寇以前の日本中央部で軍用の持ち楯があったのは
石器時代と鋳造金属兵器の時代だ。日本以外の他地域では
鋳造金属兵器の時代に持ち盾が活躍している。
日本では鋳造金属兵器と鍛造金属兵器が
さほど違わない時期に入ってきている。
このことが最大の差異であり、日本地域での
「持ち盾不在時期の存在」という特異性を生じさせたんだろう。
貫通力の高い鍛造金属鏃の付いた矢と
鍛造金属兵器である長巻(長刀、薙刀)が
籐や木板で作った持ち楯を一気に無効化したんだろう。
そして、元帝国との接触以降、矢、投石、槍、火器を使った戦闘法が一気に普及する。
550 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 16:36:12 ID:89iXljtv0
先のアフガニスタンへの米国侵攻の時に
友人カメラマンがキヤノンの一眼レフを持って
撮影取材に行って、帰国したときに聞いた話。
立派なカメラを持っているからか、行く先々、
あちこちで写真を撮ってくれと現地の人に言われた。
撮影すると、彼らは駆け寄って来るや、カメラの裏を
覗き込んで、「今、撮った写真を見せて♪」と口々に言う。
みんな先進国取材陣のデジカメ一眼レフをみなれてたんだ。
俺のは普通のEOS-1N、ディジタルじゃない。クソッって
思ったよ。しかし、アフガン現地人自身がどんなカメラで
撮影してるのかというと、山間奥地の写真館に訪れて
知ったんだけど、「木製ピンホールカメラ」。大工や
家具職人が木板とノコギリで作ってんの。驚いたよ。
それで結婚写真とか撮影してんだ。現像も紙焼きも
木板と紙と硝酸と酢酸に銀粉で何とかこなしてんだ。
だから、俺の35mm銀塩フィルムは珍品。
デジカメかピンホールかの世界があったんだな。
脆くて威力に劣る鋳造金属武器の時代が
ひどく短かった日本で、持ち盾が珍しいのも同じ理由だろう。
元アタック以前に持ち盾が残っていた欧州は、
銀塩一眼レフカメラがたくさん残っている日本と
似たような状況だったんではないかと思う。
551 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 17:23:17 ID:olc0VKd7O
>>549 なるほど。
流れは理解した。
だが、元と接触後も持ち盾を使用している国がある場合、その説は崩れるのではないか?
552 :
sporran:2005/07/24(日) 21:30:15 ID:olcVB3nb0
名スレです。今まで盾スレは3回ほど登場しましたが、
>>鋳造金属兵器と鍛造金属兵器が
さほど違わない時期に入ってきている。
ここまで言及したものはありませんでした。
このスレは面白い。
武術を実践している人、歴史に詳しい人、戦術が好きな人、煽り、野次馬、ド阿呆
皆が揃っているところが実に面白い。
少なくともこのテーマに関する限りは、その辺の学者の書いた本より
よほど面白い。
554 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/24(日) 21:43:53 ID:Y2Yfyi3AO
そういや日本って、元と結構良い勝負してるんだよな
元が海戦に慣れていなかったのも有るけど
結構普通に良い勝負してたよね
しかも刀で
555 :
YMA:2005/07/24(日) 21:55:06 ID:JurMrT3b0
いつの間にか、様々な意見、発展していますね。
自分の知識では追いつかないことばかりになったので、しばらく見に徹します。
ここまで来ると先の発展がすごく楽しみです!
元寇では、日本武士の一騎打ちを蒙古兵が取り囲んで討ち取られる・・・のくだりが
出回っているが(八幡愚童訓だったかな)、よく戦況を見ると意外に日本軍が
健闘していることに気付く。
文永の役では、『矢が尽きた』『蒙古軍の某副将が大宰府の御家人に射掛けられ重傷』
『最初から威嚇目的』など理由は定かではないものの、蒙古軍はなぜか船に引き上げて撤収。帰途に大風に遭遇し船は沈没。
弘安の役は、上陸すらできずに一ヶ月以上海の上。その間、小船に載った武士達の奇襲の切り込みが続き、その後また強風により崩壊。その後は日本軍による掃討戦。
大陸のような全軍合同の集団運動ではないものの、日本にも実際には源平合戦のころから、
太鼓による集団射撃などの戦術はあったし、『てつはう』も殺傷力そのものはほとんどなく、撤退時の眼くらましだったようだ。
元軍は刃を交えての斬り合いにはそれほど卓越したものはなかったようだ。
やはり、馬を使った機動力こそ、蒙古軍(元)の真骨頂であった。
確か江戸時代の軍学兵法で最前列に持盾を多用する流派があったような、
と蔵書を漁ってみた。
佐藤信淵の家伝八般の戦法「両懸」「手詰掛」「玉砕」だった。
宇内混同秘策テラアヤシス
558 :
sporran:2005/07/24(日) 22:13:33 ID:olcVB3nb0
大陸での騎馬戦術が巧みな元が半島の徴用兵をつかい、船で遠征したこと自体に戦略的失敗があります。士気自体高くありませんでした。船酔いと失病で苦しんでいたし。
日本軍は大軍相手に善戦しています。お得意の敵船への切り込みなども効果的だったようです。夜戦はあったのかな?
559 :
sporran:2005/07/24(日) 22:16:22 ID:olcVB3nb0
557は面白いですね。これに関しては全く知りませんでしたが、蘭学から西洋式の兵法をどこかでヒントにしたのかもしれません。
少なくとも江戸時代になると実戦を忘れて数世代経ているわけですから。
個人的にはむしろ戚継光の「紀效新書」が元ネタじゃないかと。
元という国は遊牧の民の宿命としてモンゴル人は数少なく、
戦においては支配した国の兵を用いることは一般的なやり口。
だから、日本遠征に高麗や南宋の兵を用いることは元にとっては『普段どおり』だったのでは?
最初の文永の役で日本軍が苦しんだ根本原因は、総指揮官不在(御家人の持ち回りだった!)のままの
にあった。
御家人達が総指揮官の命令を聞かずに、各個出撃していった模様。
これを反省した弘安の役では、北条家のものが総指揮官として進軍し、
見事防衛している。
日本軍というのは、時代を問わずに『総指揮官』がいないことが、苦戦の理由になることが多いような・・と
言ったら少々強引か。小集団は機能抜群なのに対して、全体では苦戦、という時は大抵このパターン。
強引ついでに言ってしまえば、日本軍は対外戦争するときは、大体
少数による奇襲(夜討ち、朝駆け)を敢行しているような・・・。
日本国内の戦では当然なのかもしれないが、敵方はかなり動揺している記述多し。
やはり日本の戦術は、大陸に比してゲリラ的なのだ!
562 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/24(日) 22:34:00 ID:Y2Yfyi3AO
出典は忘れたが
夜間は日本軍の独壇場だったと見た覚えがある
強引に盾に話しを戻すと、夜襲・奇襲等、隠密性と機動力は、盾を持って行うのはつらいのでは?
後、日本軍の奇襲は、あらゆる場面で及第点以上の働きをする日本刀だからこそできたのでは?
つーか、日本人マジスゲエ、普通沖の敵船まで夜襲かけねえよ
時の幕府の衰退も、ゲンコウによる直接的ダメージではなく、恩賞問題だし
563 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/24(日) 22:37:56 ID:Y2Yfyi3AO
時々思うのだが、御家人にとって蒙古襲来は祭りだったのではないか?と。
敵が来て首を挙げれば、部門の誉れで一族郎党みな繁栄する。
自分が死んでも家に恩賞はある。
ぶっちゃけ、御柱祭かだんじり祭り並みに楽しかったんじゃないかと。
女の掌に穴を穿ち、数珠繋ぎにして連れ去る元軍も野蛮だが、数人で突撃する
日本武士も狂人だ。
結論、蒙古軍VS日本軍は、大陸の野蛮人VS島国の狂人の戦いだった。
盾と関係なくてすまん
文永の役は知りませんが弘安の役では、夜襲はもう日常的に仕掛けてたようですね。
かがり火を消した小舟で近づき、いきなり矢を放つ。放火、切り込みをどの程度してたかは
よく判りませんが、元の兵士は、暑苦しい夏の九州、揺れる船の中、いつ来るか判らない夜襲と
さぞや寝苦しい夜を過ごしたのではないかと存じます。
さて、既出のようですが蒙古襲来絵詞に出て来る元の兵士は盾を装備していません。弓射兵だから
当たり前といえば当たり前ですが、元寇は「盾無し軍」同士の対決だったのでしょうか? あるいは
大陸での戦闘では盾を使用してたのでしょうか。モンゴルもまた盾無し軍であるならば
「騎射を主武器とする軍隊だから盾が早期に(槍や銃砲の発達前に)消えた」という線もあり得るかと。
566 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/24(日) 23:03:52 ID:Y2Yfyi3AO
幕末ですら、刀を持った侍一人は、銃を持った農兵数人(詳しい数字忘れた)に匹敵したわけだから
いきなり兵士として徴用されて、船で日本に送られ
そんな連中と戦う事になったチョンとチーノは、さぞ嫌だっただろうなあ
>>564 それは無いな、恩賞めあてだったからこそ、その後幕府が倒れたわけで
567 :
sporran:2005/07/24(日) 23:10:27 ID:olcVB3nb0
>>562 私も夜襲をかけるには盾、長槍よりも刀が良いと思います。隠密性と機動力を考えると
携帯に便利、接近戦、個人戦、相手は防具がない、視認性の低さ、大人数の中の少数、個人の判断での行動などを考えると
刀か短い槍が最適でしょう。
568 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 23:11:00 ID:kF/08qYD0
確かに日本はやたら奇襲が多い気がする。
黒船にも斬り込みかけようと考えたくらい。
ならば盾を持って奇襲をかけるより、
盾無し武装の方が威嚇効果もあるし機動力も高い、、、と思う。
569 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 23:16:00 ID:q4agpump0
奇襲戦「のみ」なら納得できるんだろうけど
お互い向いあっての合戦に盾が何故ないかの回答にはなっていないんだよな
570 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 23:19:07 ID:kF/08qYD0
それはそうだが。
しかし、奇襲が多いとなると
奇襲で盾無し→盾を使い慣れない、盾が発達しない→発達していく鍛造金属兵器に、日本の弱い盾が駆逐される。
ってー経緯もあるかと。
571 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 23:22:24 ID:UpIYuISo0
>>568 元軍は軽装騎兵の集団戦が得意。
短弓、ボウガン、投石紐、投げ槍、槍を騎乗から能く使う。
持ち楯は、元寇の時代には既に廃れている。
現地や遠征途上で徴用した隷属国の歩兵が
威嚇用に猛獣や妖怪の顔を描いた楯を
装備していることはあっても、元正規軍の
中核たる軽装騎兵が装備するものではない。
元軍の軽装騎兵は対弓矢用に粗絹繊維製の
プロテクターを着用していた。
元軍は、持ち盾を廃した勢力であり、
持ち盾を持って攻め込んできたものではない。
572 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 23:22:26 ID:q4agpump0
573 :
sporran:2005/07/24(日) 23:35:57 ID:olcVB3nb0
では違うアプローチを。街の構造との関連はどうでしょう。
まず、日本では市街戦が行なわれたのでしょうか?中国、西洋の街と日本の城郭、街は構造が違います。
大陸の街は城郭都市で街そのものが要塞でした。したがって、街の中に敵が進入しても要所要所で阻止することが出来ました。
おそらく小隊規模で狭い場所で戦うには盾のほうが機動性に優れていたと考えられます。
中国では塞門刀車など非常に独特な置き盾もあります。しかし、日本の街は一般人の住宅街以上ではありません。城は山城が多く侵入者を盾で防ぐよりも城の構造そのものを防御に使ったと思います。
574 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/24(日) 23:43:14 ID:UpIYuISo0
猛獣相手の狩猟で持ち盾は使う。
アフリカの土民のイメージが浮かぶかも知れないが、
大陸での虎や豹を相手の狩りにもよく使われた。
ツキノワ熊と狼という、人をほとんど襲わない
獣しかいなかった本州とう考えはできるかも。
北海道のように凶暴な人食い猛獣の
ヒグマがいるところでは、持ち楯があったよね。
>>573 日本では一般市民を巻き込むような市街戦は、特に大都市であるほどに稀でした。
これはおそらく歴史を通じて言えると思います。千年の都京都がまともに戦場になったのは
平治の乱、応仁の乱くらいではないでしょうか?
576 :
sporran:2005/07/24(日) 23:44:03 ID:olcVB3nb0
>>571 元の正規軍の騎兵はどのくらいいたのでしょう。遠征隊は船に何頭くらい馬を乗せてきて、どのくらいの馬が使えたのでしょうか?
運搬を考えると騎兵は非常に少なかったと思います。私は蒙古襲来で元軍騎兵の記述は目にしていないのですよ。
577 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 00:55:27 ID:9NjuUaoI0
だとすると、元寇を相手に戦ったのは
元のモンゴル軽装歩兵を相手ではなく、
女真、高麗、ギリヤークなど沿海州の少数民族など
二軍的な歩兵集団に苦戦したということか…
ドイツ騎士団を打ち破ったモンゴル騎兵ではなく、
そんなのを相手にしてたんだと…
アムール河畔で長期間戦い続けた
北日本(東北、北海道、樺太)アイヌ軍の方が
万単位の元の騎兵と戦ったということだ。
海峡の存在と台風の襲来に
南日本の武士たちは感謝すべきだね。
>>577 弘安の役における捕虜の出身を見ると、元軍の構成人員は
モンゴル、高麗、宋(漢人)で、女真やギリヤークの存在は見られないようです。
で、元寇の話が出て来るたびに登場するこのアムール川の戦いについて判る
資料をご紹介願えないでしょうか?
「モンゴルとの比較で見ると、盾を持つ北日本の方が持たない南日本より強力だった」
という主張は、今のところ盾を持つ方が強いというほぼ唯一の主張のように見えますので。
579 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 01:14:52 ID:9NjuUaoI0
580 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 01:19:54 ID:9NjuUaoI0
581 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 01:29:28 ID:9NjuUaoI0
>>578 >「モンゴルとの比較で見ると、盾を持つ北日本の方が持たない南日本より強力だった」
北日本は勇猛果敢だった、北からの元帝国の日本侵入を防ぎ
よく戦った、疲弊したところを南日本に支配された、という
史実を書いただけです。彼らは弱かったりバカだったわけではなく、
私たち日本人のもう一つの先祖として誇っていい存在だと思います。
楯使用の有無なんか、民族の強弱とは関係ないでしょう。
アイヌは狩猟と漁労がメイン経済の民族(古くから農耕もしてます)。
ヒグマなどの狩猟のために楯と槍の文化があっても自然なこと。
しかし、ここでいう槍は焼き入れした尖り棒とか、石器、獣骨、
鋳造金属を槍頭にした素朴な槍も含みます。楯も立派な戦闘用楯も
あれば、木の枝と木板と獣皮で作った粗末なものもあります。
楯を持って戦ったことと戦闘の強さには関係が見いだせません。
>>581 盾を使った事が、北日本の強さと直接関連していないとお考えなのですね?
であれば、北日本の強さ勇敢さとは無関係に、この話題はスレ違いと考えます。
583 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 05:55:42 ID:UypoiJOd0
>>582 ここは楯の強さを論じるスレではない。
そんな幼稚なことを言うなよ、年はいくつなんだ。
ここは日本の楯を語るスレ。
同じ日本人であるアイヌの楯も議論の対象だよ。
隣接民族の楯も、日本の楯を論じるのに
必要ならば論じていこう。
584 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/25(月) 06:40:40 ID:i3pBYrGUO
日本と元って似てるね。機動力重視の弓を使う騎馬軍団を持ち、持ち盾が無い
両軍の不思議な所は、弓を使いながら、弓に対する防御が薄い事
日本だけなら、地形要因も考えられるが、どうも地形要因だけじゃなさそうだね
騎馬に対し、弓矢による攻撃を命中させるのは、困難だったのでは?
実際、現代の質の良い弓を使っても、ワキュウでたかだか20mそこそこの的に矢を当てるのも難しい
弓騎馬の存在事態が、盾を無くした要因かも
585 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/25(月) 06:47:15 ID:i3pBYrGUO
歴史的に見れば、ホクイ征伐は、元のできる前
アイヌと本州では、戦争の実力と物量が違い過ぎるため
盾以前の問題
つーか、本州の侍は他国に類を見ない程戦争と殺し合いを好む野蛮人
日本の歴史は同じ国土での、ガチの殺し合い兼旗取りゲーム
似たような国は私は知らない
>>584 >現代の質の良い弓を使っても、ワキュウでたかだか20mそこそこの的に矢を当てるのも難しい
射法は現在の文射とは全く違っていたはず。頬づけなどもしていないし、弓返りも
させません。もしこの通りなら狩猟(とくに鳥類)という業がなりたたなかったはず。
588 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/25(月) 08:31:02 ID:i3pBYrGUO
狩猟は今も昔も止まっている相手を近間(有効射程のさらに近く)からねらうものだよ
やった事有る?
後は、罠だね
589 :
sporran:2005/07/25(月) 08:46:08 ID:MnXOg3pM0
584
しかし、似て非なるものです。日本の武士はなんと言うか奇妙な不自然さを感じる。
重装備なのに体力の無い小型馬、山地なのにロングレンジ戦法、山地なのに騎馬、騎馬なのに長弓
重装備なのに軽量武器
590 :
sporran:2005/07/25(月) 08:53:54 ID:MnXOg3pM0
そもそも重装騎馬弓兵ということ自体、面白いが日本の風土では不向きでしょう。
でもスプーンも椅子もなくてもうまくやれる柔軟性が不向きであったことなど凌駕してしまったのでしょかね
>>589 そのチグハグさこそが日本人が伝わったものをそのまま使うしかできない
独創性のない民族であるという証拠です
このことからも、日本刀が韓国刀の劣化コピーであることの証明ができて
しまいます
現在、世界中で話題になっている日本の工業ライセンスは実はすべて韓国
技術の猿真似であるという事実もこれを裏付けることになっています
592 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 10:55:33 ID:e4Vu4r19O
武士の勃興期に弓馬が武士の表芸ではあったのですが、すでに平安期に老武者が嘆いている一節があります。
近頃の武士は騎射もせずに組み討ちに突入する云々。
593 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 10:58:44 ID:e4Vu4r19O
武士は早い時期から、弓から組み討ち首取りまでこなす戦士だったわけです。
594 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 11:19:17 ID:6yt2JYGA0
595 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 14:29:50 ID:3eGfgzLZ0
>>591 だからここは釣り堀じゃねえっつの。
ちゃんとしたデータ出してから釣りしようよ、チョン。
596 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 15:23:13 ID:nNmUi7y00
>>587 ほぼ正確で中立的な論調で貫かれているね。
持ち盾やボウガンの問題についても妥当な説。
いいページの存在を教えてくれてサンクスです。
597 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 15:27:34 ID:nNmUi7y00
>>588 >狩猟は今も昔も止まっている相手を近間(有効射程のさらに近く)からねらうものだよ
>やった事有る?
大型猛獣相手の刀剣や槍(銛)、弓矢や単発銃での
狩猟は、それだけでは済まない覚悟が必要だよ。
大口径のセミオート・ライフルを持ち、
マグナム拳銃を腰に吊っててさえ、
ハンターが殺されることは現在も変わらない。
598 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/25(月) 15:59:36 ID:i3pBYrGUO
日本本州に大型猛獣がいるとは知りませんでした
つーか、お前馬鹿だろ?
話しつながってないぞ
599 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 16:28:06 ID:nNmUi7y00
>>598 日本とは南樺太、国後択捉、北海道、
本州、四国、九州、奄美・沖縄をさします。
【断 ◆kQaEe3ePcc】さんは日教組の教え子、プチ左翼ですか。
ヒグマは地上最強の大型猛獣です。
現在、日本では北海道本島に棲息しています。
旧石器時代迄は、本州や四国、九州にもいました。
弓矢や槍で狩られたことが遺跡から判明しています。
ネイティブ日本人であるエミシ人たちは、明治9年に
禁止されるまで仕掛け弓(クアリやアマッポ)にトリカブト
毒矢を装填して使いました。
600 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/25(月) 16:37:28 ID:i3pBYrGUO
だから何?
君の言っている事は
「狩りは不意打ちと罠が基本、飛ぶ鳥を打ち落とす技術はいらない」
に対し、何か意味があるんですか?
つか、なんであんたそんなに必死なの?
601 :
557:2005/07/25(月) 17:40:22 ID:xdoibz//0
佐藤信淵の「家伝八般の戦法」での持盾用法を補足。
「駒倒」は六尺棒に太刀を取り付けた斬馬刀(長巻?)で騎馬隊に対抗する戦法だが、
敵に弓鉄砲の備えが多い時には斬馬刀に持盾を通して担ぎ、矢玉を防ぎつつ押し詰め、
盾を捨てて斬り込むとか。
「両懸」「手詰掛」「玉砕」でもこの持盾の防御力で射撃戦を凌ぎ、重厚長大な武器での
白兵戦に移行するパターンは共通で、
最前列を持盾兵(サイドアームとしての打刀は装備)が固め、
「両懸」「玉砕」ではその間から鉄砲が制圧射撃しつつ迫り、
その鉄砲と弓(両懸)あるいは5貫目散弾木砲(玉砕)の最終支援射撃を得て、
野太刀・大薙刀・大身槍・金砕棒などの得物を持った白兵戦専門部隊を中心に
総員が突撃する。
どことなく畳水練臭いのはデフォです。
家伝と称していても実際の成立は幕末期なので。
602 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 17:46:39 ID:niWWoRju0
断よ、煽るだけなら来るなって言ってるだろ。
楯小太刀ならスポーツチャンバラでありますよ。
604 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 20:46:38 ID:nNmUi7y00
>>600 ここは楯のスレで、
楯と大型猛獣ハンティングには
関係があるということは意味があるよ
605 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/25(月) 20:50:42 ID:i3pBYrGUO
>>601 ハゲドウ。よく成立時期の事知ってるね、正直ネラーでそこまでの話しが出るとは思いませんでした
>>602 私が煽っているだけに見えるのは、単にあなたのオツムが弱いためです
でも、それはあなたのせいでは有りません、あなたのパパとママのせいです
あなたが気に病む事ではありません
>>603 あれは純然たるゲームだから
606 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/25(月) 21:02:57 ID:i3pBYrGUO
家伝について私見を言うと、家伝はその家で伝えられたものなので
その戦術に従うのは、一家郎党のみで、戦場で実用されたとしたら
その家はよほどの一門であったといえますね
>>604 そんなの誰でも知ってるから
ここはブイタだから、最低武にその話しを繋げろよ
もっと言うと、前後のレス読めよお前人のレス読まなさすぎ
607 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 21:08:57 ID:nNmUi7y00
>>606 >前後のレス読めよお前人のレス読まなさすぎ
>>586さんの主張に対して、
>>588の反論が変だから、書いたんだよ。
それにその前のスレの流れや、過去の武道板
盾関連スレでも「狩猟と盾」の関係は論じられてるよ。
>>589 亀レスですが、魏志倭人伝には2世紀の時点で既に鉄鏃と日本特有の非対称型長弓を使用していた記述があります。
その一方で当時の日本には馬がいなかったとも述べています。
ということで、長弓を用いたロングレンジ戦法に大陸から来た馬が加わって世界的にも珍しい長弓騎兵が登場
したのかもしれません。日本では資源の関係で短くて強い弓は作りにくいので、長弓メインは必然だと考えます。
609 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 21:18:10 ID:A+dD80bv0
つーかここで
狩猟と盾の関係はさほど重要じゃないだろ
知能の低い猛獣と人間とでは戦術はまるでちがうんだから
610 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/25(月) 21:24:25 ID:i3pBYrGUO
どこが変?
>>586は
現在の射形とかつての射形は違い、現代以上の命中率があった
そうでなければ、狩りで生計をたてる事など出来なかったはず
よって、弓の命中率と騎馬の回避能力は、盾が無くなった事に無関係である
と言っている
これは前半は正しく、江戸時代前と後では、射形に違いがあり
さらに言うなら、昭和だか明治だか以降は、カケにも変化が有り、命中率が戦国時代より低下していると言われている
私は
>>588で、狩猟の基本は止まっている動物相手の不意打ちか罠で、狩猟の成立と命中率には、必ずしも関係はない
と言った
611 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 21:30:53 ID:e4Vu4r19O
文献ではなく、骨などからギシ倭人伝よりも古い時代に東北には馬がいた模様です。
612 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/25(月) 21:31:07 ID:i3pBYrGUO
命中率についての会話から、盾と猛獣の関係に飛躍するのは無理があり、意味が無い
ただ事実を述べられても無意味、誰も猛獣と盾の関係は否定していないし
本州で盾が無いのは、猛獣と接触する機会がなかったためと言える
又、弓で仕留められなければ、次の手段を使うだけである
猛獣相手に致命傷を与えず接近戦で戦う事を基本にする馬鹿など
道楽者以外存在しない
613 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/25(月) 21:37:10 ID:i3pBYrGUO
614 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 22:02:58 ID:nNmUi7y00
格闘技や刀剣術にかなり自信がある人間でも、
両手で長刀を持ったり、片手で剣を手にして、
敵意を持って攻撃してくる大型の野犬一頭相手に
するのは大変だよ。左手に小型〜中型の盾が
有ればと思うことはあるよ。右手には剣ではなくて、
槍を持っていたって、かなり大変な思いをするよ。
野犬や猫科の猛獣は、間合いの取り方が絶妙だし、
切っ先の見切りもうまい。よほど巧みなフェイントを
うまくかけないと、有効な斬撃や刺突を与えられない。
その前に動き(反応速度、可動範囲、攻撃のパターン)を
見きられて、攻撃してくることが多い。
615 :
YMA:2005/07/25(月) 22:07:54 ID:f+/uzwzh0
>>584 遅スレすいません。
以前に資料館{近畿のどこかだったはず・・・}で聞いた話なのですが、源平騒乱期での鎧は矢に対し強固な防御力を誇っていたそうです。
構造はアメリカの防弾チョッキのような多層構造であり、大鎧などはほとんどの部位でそれをカバーしたというのです。
そして、そのような重装備には、近距離で強弓による攻撃以外通じなかったため、騎乗で素早く接近する技術が重要だったそうです。{絵巻にある弓での接近戦は絵の構図のためだけでは無いそうです}
また、他の攻撃となると、組み合ってからの組討くらいしか有効なものが無かったそうです。
追加で、これも資料館{熊本城}で聞いた話なのですが、戦国末期の西洋甲冑は鉄砲の弾を至近距離で食らっても弾いてしまうそうです。
無論、そのようないいものは武将でもそこそこ上にならないと持てなかったそうですが。
盾と直接関係ありませんが、データとして掲示します
616 :
sporran:2005/07/25(月) 22:28:52 ID:MnXOg3pM0
盾と狩猟の関係ですが、その昔私もこれを独自に提出しましたがそのときは賛同者がありませんでした。
しかし、兵器の出現以前に狩猟具としての盾があったやはり考えます。盾と逆手に持った槍は一番古いスタイルだからです。
断氏は弓を引き合いに出していますが、私は投槍もあったと思います。その流れの中で逆手に持った槍でとどめを刺したと。
日本では大型の猛獣は熊くらいです。海外では犬科、猫科、爬虫類系たくさんいますが。
>>603スポーツチャンバラの盾はお話にもなりません。正式に盾を学んだインストラクターも存在しません。
盾はシールドでも、バックラーでもない、左手につけたプロテクターです。
617 :
YMA:2005/07/25(月) 22:39:54 ID:f+/uzwzh0
>>616 不確かなのですが、虎退治に持ち盾を使ったと言うのを何かの本で読みました。
日本の物ではないので、おそらく古代中華の逸話だったと思います。
ちなみにですが、梁山泊の豪傑の話での虎退治の時は、刺す又が使われ、盾は無かったようなので、相当昔の話だと思います。
・・・・春秋戦国期くらいかな?・・・・・・うる覚えですいません
同じ狩猟でも、密林の部族は盾は持たないような・・。
619 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 22:47:43 ID:nNmUi7y00
飛び道具以外で、大型の野犬や狼、自分より体重が
小さな豹などを相手にするなら、左手に亀甲製か
ジュラルミン製の中型盾、右手に細身軽量の槍、
腰に短剣がいい。盾の材質は獣の爪や牙が
ひっかからないものがいい。表面が固くて
ツルツルしているものが選べないなら、
軽量な籐製の小型丸盾がいい。
盾でド突かれるほど野獣は鈍くないから、
純粋に防御オンリーでいい。
盾は投網でもいいかもしれないが、私は使えない。
槍以外なら、金属ハンドガードが付いていて
柄尾が丈夫な沖縄の胡蝶刀(40cmくらいの)を
両手に1本ずつ持つ。楯は使わない。
さあ、狩猟の話になってきました
>>615 平家物語の木曾殿最後のところで、一斉射撃を喰らっても「鎧良ければ裏かかず、空き間を射ねば手も負わず」と
言う下りがありますね。少なくとも矢に対しては、結構強力な防御手段だったのでしょうか。
一方で源平合戦期の鎧には面頬がなく、籠手を片方しか嵌めないなど防御に隙もあります。この辺が
「飛び道具は強弓の近矢でないと効かないけど、太刀でもなんとか攻略可能」という性能につながるのかも
知れませんね。
622 :
sporran:2005/07/25(月) 22:54:20 ID:MnXOg3pM0
623 :
YMA:2005/07/25(月) 22:56:53 ID:f+/uzwzh0
>>618さん、そういえば、密林ではあまり聞きませんね。
サバンナの部族などは槍と盾で武装してますが・・・・
蛇足ながら
>>617は村落に出る虎を退治する話のはずです
誰かの武勇伝だったはず・・・・密林に攻め入って取る話は読んだこと無いので
624 :
sporran:2005/07/25(月) 23:01:59 ID:MnXOg3pM0
刺又は猟師の解珍・解宝だと思います。虎退治は素手で殴り殺す話が多いですね。
密林の狩猟は弓か吹き矢、トラップでしょうか。インドあたりはどうでしょうかね。
625 :
sporran:2005/07/25(月) 23:09:30 ID:MnXOg3pM0
やや前の話題に戻りますが、外国で夜襲がポピュラーではないのは地形のせいでしょうか?
眠たいからだと思います。
>>625 ええと、基本的に夜襲は「素人さんお断り」の戦法です。
夜襲の要諦は、可能な限り敵に察知されないことにありますから、真っ暗闇の中を、明かり一つ付けず、
極力物音まで抑えて行軍しなければなりません。
一兵卒まで訓練され、完全に統率された部隊でなければ成功はおぼつかないでしょう。その辺が
動員された農民兵の比率が高い軍隊では採用されにくい理由では?
また同じ理由で投入できる兵力も限られます(大部隊だと察知されちゃいますから)、大陸の大規模会戦では
効果が低かったかも知れませんが、その辺は大陸の戦争に詳しい方お願いします。
628 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 23:20:26 ID:nNmUi7y00
虎や獅子や大型の豹や羆が出てきたら、
盾と槍でも対抗できる自信なんか全然ないよ。
盾と刀槍でなんとか時間稼ぎができたり、
根性と体力が有れば撃退できそうなのは、
自分の体重より1/3ほど小さい猛獣相手が精一杯。
以下は推測ですが。
奇襲というものは基本的に精兵によって行うもの。
昨日今日刈り集められた雑兵では奇襲は無理。
平素より強固な信頼関係があり意思の疎通ができている集団で、なおかつ腕の良いものが集まっている。
こういう小集団が存在しなくては、奇襲は敢行できない。
律令制の崩壊とともに、各地で土地を仲立ちとして強固な信頼関係のある集団を築いてきた
日本の長い長い封建制が背景にあるかと。
627氏と少し内容がかぶりましたな。
631 :
sporran:2005/07/25(月) 23:27:22 ID:MnXOg3pM0
>>虎や獅子や大型の豹や羆が出てきたら、
盾と槍でも対抗できる自信なんか全然ないよ。
といっても相手はそれで晩御飯を逃してはくれませんからね。
ネアンデルタール人も石器で洞穴熊を狩りだしていましたよ。
古代の狩猟で盾が使われたという証拠はまだ持っていません。知る限りでは洞窟絵画や土器に狩猟盾がかかれていたという話は存じませんが、
感ではかなり古い時代から使われたような気がします。
632 :
YMA:2005/07/25(月) 23:28:24 ID:f+/uzwzh0
>>625 ドラキュラ伯爵{本名もこれでいいんでしたっけ?}が夜襲の名人だと、不思議発見で以前やっていました。
相当な脅威だったそうですよ。なので、そんなにポピュラーなものではなかったと言ていたはずです
・・・・見た方、追加修正お願いします
633 :
sporran:2005/07/25(月) 23:32:07 ID:MnXOg3pM0
ワラキア候ブラド・ツェペェシュ。ドラクール候。
634 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 23:36:10 ID:nNmUi7y00
>>631 >ネアンデルタール人も石器で洞穴熊を狩りだしていましたよ。
こっちの人数がたくさんいれば、槍での虎狩りのように
包囲して、突き回して時間をかければ何とかなりそうだけど、
さしの勝負だと晩餐にされてしまいそうだな。
東北や北海道の狩人とかで、一人で山を歩き、
槍で熊を狩っていた人の話を聞くと尊敬してしまう。
635 :
YMA:2005/07/25(月) 23:38:22 ID:f+/uzwzh0
>>633 sporranさんありがとうございます!
636 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/25(月) 23:39:25 ID:nNmUi7y00
くしざしの方だ。
637 :
sporran:2005/07/25(月) 23:43:46 ID:MnXOg3pM0
まあ、夜襲は地形を知った防御側がかけるのが普通でしょうね。
マサイの成人式も一人で槍と盾だけでライオンを仕留めることだったかな
638 :
sporran:2005/07/25(月) 23:46:59 ID:MnXOg3pM0
>>636.だもんでルーマニアでは串焼き料理シシカバブをツェペシュ焼きというとかいわないとか。 jork
攻める側も守る側も夜討ち朝駆けするのが、日本クオリティ
攻撃側の夜討ちといえば、かの源義経が三草山や屋島で実行してますね。
また、三草山を含む一ノ谷攻略戦そのものが、大手搦め手の時間差攻撃を伴う
大規模な朝駆け攻撃のようですし。
やっぱり大陸の人は早朝や夜は眠たいのだと思います。
中国の人は、朝は湯を沸かして温かいものを飲んでからゆっくりと攻め込みます。
近代に入ってからもそんな感じなので、日本軍で訓練経験のあるかの孫文は嘆いています。
642 :
YMA:2005/07/26(火) 00:09:21 ID:f+/uzwzh0
ちょっと話の流れからズレますが、インドのマルという盾が面白かったので書きます。
17世紀のマラータ連盟の兵士の装備で、盾の上下に山羊等の角を付け、先に金属をつけ強化したものです。
短槍と盾のミックスと考えると想像しやすいと思います。それで、攻撃・防御を行ったそうです。
西洋では、ファキーズ・ホルンに変形したとも書いてあります。
相当強力な武器だそうです。これは「武器と防具 西洋編」という本にありました。
643 :
YMA:2005/07/26(火) 00:16:39 ID:jwi173cg0
>>641さん、それ私も聞いたことあります。
聞いた時驚きました・・・・・戦なのに・・・・
そういえば、三国志の中で、呉が100人の夜襲で、魏数万を後退させたというものありましたね
他にも、寝坊でやられたとか
644 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 00:22:05 ID:s3SeZ8/wO
616さん、なぜスポーツチャンバラの楯はお話にならないのでしょう?
645 :
YMA:2005/07/26(火) 00:29:16 ID:jwi173cg0
>>644さん
スポーツチャンバラではどのような盾の使い方をするんですか?
また、相手の攻撃には威力のあるものがあるんですか?
やったこと無いのでお願いします
>>643 お願いだからネタだと言ってください…そこまでしないと健康を維持できないほど寒いのかな?
……と言うところで気候風土ネタを一つ。真夏の関東以南で金属鎧着て戦争してたら、敵にやられる以前に
熱中症にやられてしまいそうです。世界的な傾向としても暑い国は軽装で戦うのではないでしょうか?
その意味でも日本は特異、というよりこの気候で着ていられる甲冑の存在が、「軽装の防具+盾」という
南国にありがちな武装と一線を画した一因かも。
647 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 00:37:13 ID:s3SeZ8/wO
悪魔でも自分の道場の話ですが、楯を自分が打たれたくないところに置いたり相手の視界を塞いでだりして使っています、打突の強さはやはり試合などでは弱い打突が多いですね、それは道場の方針によって違いますが。
648 :
ヘイロイタイ:2005/07/26(火) 00:45:53 ID:whWu6Jza0
日本の兵は基本的に貧乏農民だから金がないよって
武将のような頑丈な鎧は揃えられない。
649 :
YMA:2005/07/26(火) 00:49:23 ID:jwi173cg0
>>646さん
残念ながら両方マジで聞き、読んだ話です。
三国志の話は、今、詳しく探そうとしたのですが・・・・時間めちゃかかりそうで断念しました。
ただ、夜襲を少数精鋭で行い、内部かく乱をし、同士討ちさせたので、後退せざるおえなかったようです。
三国志も後世の人が纏めたものなので話半分ですが、さらに夜襲部隊は全員無傷で帰還し、恩賞を厚くもらったと書いてありました。
夜襲をすると同士討ちがかなりの確率で起こったそうですし。特に中国の戦では、烏合の衆が多いですから
寝坊も頻繁な夜襲に備えるあまりだらけてしまい砦を取られたという話があります。五虎将のできたころの話だったはずです・・・・未確認ですいません
650 :
YMA:2005/07/26(火) 00:55:03 ID:jwi173cg0
>>646さんの観点、そうとうに面白いですね。
確かに、東南アジアなど盾を持っているというイメージがありますね。
>>647さん
視界を塞ぐのにも使うんですね。それだとかなり有効に使えそうですね。
強さは弱いことが多いんですか・・・・以前、打撃の強さで押さえられるとかの話だったので、気になって御聞きしました。
スポーツチャンバラもいろいろ工夫できるようで、面白そうですね。
ご説明ありがとうございます
651 :
ヘイロイタイ:2005/07/26(火) 01:06:30 ID:whWu6Jza0
甘寧の夜襲で魏軍が後退する理由はない。
たぶんそんなに効果はなかったんじゃないかな?
百人ってのがすごくて歴史に残ってるだけ
652 :
ヘイロイタイ:2005/07/26(火) 01:09:02 ID:whWu6Jza0
東南アジアのはイメージだけ大航海時代の時、中間貿易で相当近代化したはず
653 :
ヘイロイタイ:2005/07/26(火) 01:10:45 ID:whWu6Jza0
鉄砲に対抗するための楯を作るなんて鉄不足になる
654 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 01:23:00 ID:ZgqAbXR40
655 :
YMA:2005/07/26(火) 01:38:20 ID:jwi173cg0
>>ヘイロイタイさん
>>651 やっぱり後世の拡大解釈ですかね。結構好きなシーンなので残念です
東南アジアはどうも、山田長政の伝記の影響が強くて・・・・日本兵が鉄人と呼ばれていた
個人的にですが、
>>654さんのような情報が欲しいです。タイなどあまり知らないので
東南アジアの盾についてのついでにで結構なので資料お願いします!
>644
616で書かれている通り、正式に盾を学んだインストラクターも存在していなければ、
盾はシールドでも、バックラーでもない、左手につけたプロテクターだからです。
スポチャンで西洋剣術並に盾の特性を生かして戦っている方は皆無でした。
スポチャンのフニャ剣では限界がありますし、相手の攻撃を防ぐ事がだけが、
盾の特性ではない事を理解下さい。盾で剣からの攻撃を防御する者も居れば、盾で剣を攻撃する者も居ます。
もし、理解出来ないというのなら、西洋剣術を学んだ方とバトルして見れば良く理解できます。
私は柔術を根本としていましたが、西洋剣術の達人と勝負して初めて盾の恐ろしさを知りました。
盾を持っていない方達とは9割以上の勝率でしたが、盾をもった達人相手には勝率は1割以下でした。
武器が剣のみで体格、技量が同じなら盾を持っている方が有利というのが私なりの結論です。
スポーツと剣術とでは違いがあって当たり前で、スポチャンを馬鹿にしているのではない事を理解願います。
657 :
ヘイロイタイ:2005/07/26(火) 02:02:27 ID:whWu6Jza0
楯は鎧には有効な打撃武器
658 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 02:09:09 ID:eZqb7n+N0
>>605 俺が言ってるのは歴史認識とかの問題じゃない。
ガキみたいな事言うためならここ来るな。
659 :
sporran:2005/07/26(火) 02:15:47 ID:cSiROtd70
マル、マドゥ(ファーキーズホーン)と似たアダガなどは面白い武器です。
マドゥは侮れません。防御しつつ、上下の穂先で攻撃できます。盾と違って視界が良いこと、
足から頭まで左右の動きだけで防御できること、当然、右手に剣を持てることです。
素肌剣法であればかなり得点高い一品です。ただし、手首が弱いと先端を打たれた場合もっていかれます。
>>616.刀を模した試合をする場合、そこには刀の基本的な考えと動作が最低限の条件として必要です。
これはみようみまねで出来るものではなく、なぜそのような動きが必要かといった理論の上にあります。
盾も同じです。単純に左手に構え防御するだけの物ではありません。盾の基本は防御しつつの攻撃が一体となることです。
それは腰の動きが大事ですが、スポーツチャンバラは腕だけで振ります。また、盾の攻撃補助としての使い方、盾を相手にした時のセオリーなど
剣術と同じ理論体系があります。私の知る限り、国内できちんとした盾術を学べるのは私の所属団体しかないはずです。
その中でスポーツチャンバラのインストラクター資格を持った人(お金払ってないのですでに失効しているでしょうが)は今の所私だけです。
と、言う事は今のスポーツチャンバラの盾技術は空手などの体術やハリウッド映画などから見たり自分の解釈で作り上げたものです。テキストもない。
形状も盾とよべるものではありません。もともと空手か何かのプロテクターをロゴを印刷してそのまま流用しただけの物です。
ソフト剣が木刀からかけ離れたのと同じくらいかけ離れた物です。
660 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 02:19:15 ID:eZqb7n+N0
となると、ヤマト文化の盾技術が問題になる訳だけど。
やはり操作技術も盾自体も発達しない日本では消える運命だったと。
661 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 02:29:07 ID:q8HCVLbBO
スレタイに沿うならば、個人で盾と剣をぶつけ合ってどうだこうだというよりも、まず日本の戦術として持ち盾が有効かどうかを考えないとだめだろうな。
スポーツじゃないのだから両者がいつもガチガチ打ち合っているわけではないし。
662 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 02:38:13 ID:s3SeZ8/wO
656さん>>見てもいないのに納得は出来ません、貴方がその動きを見せてもらえますか?本物の楯の使い方を見せてください、フニャ剣で楯をプロテクターとしか使えない自分に。
663 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 02:40:31 ID:eZqb7n+N0
664 :
sporran:2005/07/26(火) 08:25:47 ID:cSiROtd70
いつでもどうぞ.歓迎します。
>>660 逆に盾は要らない、あるいは使えないと判断されたからこそ発達するまもなく
消えてしまったのかも知れませんね。ただ、古代日本の主力武器は盾による防御が
有効とされる弓矢…う〜む。
666 :
sporran:2005/07/26(火) 08:37:38 ID:cSiROtd70
667 :
sporran:2005/07/26(火) 08:39:12 ID:cSiROtd70
獣の番号をゲット
668 :
sporran:2005/07/26(火) 08:59:22 ID:cSiROtd70
スポーツチャンバラでは棒がありますが、これをマドゥとして左手に持ち、右手に剣だと面白いスタイルになると思います。
スポーツチャンバラの盾ですが、まず大きさが中途半端で形状も思わしくなく、固定方法もよくない。
盾の原則として、「小さな盾ほど体より遠く構え盾の作る陰を大きく取る」というのがあります。
バックラーはこの原則にそって腕を伸ばして拳を相手につき突けるように構え、剣を持った右手と一緒に動かします。
重い大型の盾は中央を握るよりも手でグリップをもち下腕をベルトで留める固定型が良いのですが、
このタイプは防御の時肘を曲げなくてはいけません。攻撃の補助的な動き、相手の武器を引っ掛ける、視界を奪う、といったテクニックが少しやりにくくなります。
初心者はアンブータイプの円盾がいいのですが、スポーツチャンバラのものは固定式で小さいという、思わしくない構造です。
私は盾が正式になる以前に、樹脂ダンボールで盾を作って世界大会に持っていったことがあります。
当時は誰も関心を持ちませんでした。あ、一人だけ、欲しいから作ってくれと子供から言われて作りましたが。
>662
貴方が納得するしないかはともかく、我々は定例練習会を行っているので、自由に見学に来られたし。
私は多忙故に他の団体の定例練習会しか行けないのでお会いする事は出来ません。
私が参加できるのは8月6日のイベントくらいなので、他のメンバーが貴方を歓迎するでしょう。
もっとも貴方が見学可能な地域にお住まいかは不明ですので、見学に来られないからと言って
見せに来いとはゴネないように願います。私にはそんな義務もありませんから。
なお、ネットで検索すれば我々の活動の画像や動画が転がっているのでご自分で探してください。
教えてもらうのも良いですが、自分で探すことも重要です。どんな簡単な答えでも自分で
探してこそ価値があると思いますよ。
たまに西洋のRPGとかで
盾技術ってステータスがあって
盾なんかただ受けるだけのもんだろと
なんのことかわからんかったけど
>>666のおかげで盾技術って意味がわかった
671 :
YMA:2005/07/26(火) 13:31:19 ID:S9w8tyaX0
sporranさん
マルについて、具体的に使い方を御聞きすると本当に面白いものなんですね。
ソードブレイカーなどもこの考えから発展したんでしょうか?
盾と少し離れますが、同じ防御のものとして、気になりました。
Vailさん
盾の技術について御伺いして、私の予想以上に確立されたものなんですね。
盾の技術と言うと琉球のものくらいしかなかったので純粋に有効性に驚いています。
剣術をやる身には無い発想がありそうで。
その技術を使うための盾の条件についてできたらもう少しお願いします{技術と材質のセットで説明お願いします}
初心に帰って「日本の武者に持ち盾のニーズがどのくらい有るのか」を脳内再検討してみました。
時代は源平合戦期、というより平家物語的な戦いかたをほぼ無批判に取り入れています。「現実にはこうだった」という点も有るでしょうが、まずは叩き台ということで。
状況1:遠矢戦(矢合わせ)
戦闘開始直後はある程度離れた、曲射で撃ち合うような距離から矢を射掛け合います。両手で弓を持つので持ち盾は使えません。必要なら置き盾を用いるでしょう。
状況2:移動
敵の遠矢(と多分投石)が降り注ぐ中を進軍します。兜の錣を傾け、武者震いして小札の隙間を無くして進みます。おそらく一番盾が欲しい時でしょう。
状況3:近矢戦(騎射)
直射で当たる距離まで近づいたら馬術を尽くして相手が自分の左前方になるように位置取りし、強弓で撃ち合います。左手に弓を持つので、盾は使えません。
状況4:白兵戦前半(太刀打ち)
太刀を抜いて馬上で斬り合い(突き合い)ます。狙い所は顔面(まだ面頬はありません)、右手から脇の下にかけて(弓を引きやすいよう、籠手は左しか
付けないことが多かったようです)。
状況2に続く盾の出番といいたいところですが、馬上での太刀打ちにおける持ち盾の有効性は疑問です。というのは、太刀打ちでは相手を右に見るように
位置取りする(左に見ると右手に持った太刀では届きにくいので騎射の時とは逆になる。西欧の馬上槍試合では槍が長いので相手を左に見るとか)ので、
左手に持った盾では、右からの攻撃を防ぐためには役立たない可能性があります。このあたり海外の馬上剣がどうなのか、御存知の方は情報提供願います。
状況5:白兵戦後半(組み討ち)
徒歩で取っ組み合い、鎧通しで決着を付けます。この時点での盾は、邪魔者にしかならないでしょう。
以上から考えると、「盾欲しいな」と思うのは状況2(とひょっとしたら状況4)だけです。そして、状況2では鎧の大袖で顔面をカバーすることで
盾の代用に出来たと言います。そうなると平家物語的な武者にとって、持ち盾とは「通常の戦では使いどころがない道具」という結論になります。
徒歩戦などでは状況も違うでしょうが、盾のニーズは思いの外少なかったのかも知れません。長文妄想失礼しました。
673 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 14:08:20 ID:s3SeZ8/wO
669さん>>なぜわざわざ自分から調べなくてはいけないのですか?俺が行っても平気なら場所と団体名を教えて下さい。
674 :
YMA:2005/07/26(火) 14:12:02 ID:S9w8tyaX0
>>672さん
手がかかりになりそうなご意見ですね。興味津々です!
そういえば、平家は馬の数が圧倒的に少なかったと合戦関係の本で読みました。
対して、源氏は関東や東北の一大馬生産地を押さえていたため、陸上戦では無類の強さを誇ったとありました。
この辺も資料代わりに提出します
また、状況2の移動についてですが、私が読んだものだけですが、矢合わせはお互いの弓が少なくなるまで行うそうです。
なので、突っ込む時は矢勢が少なく、強靭な兜とそこそこの鎧で突っ込んで行くそうです。
また、状況2のような状態で突っ込むのは、毛利元就が行い、相手が度肝を抜かれたと元就の伝記にありました。
話半分にしても、矢合わせが収まる{降らなくなる}までは、突出しないのが戦のセオリーだったようです。
無責任な発言になってしまいましたが、これも参考程度に提出します
675 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 14:14:31 ID:pnW4CnxA0
>>671 >盾の技術と言うと琉球のものくらいしかなかった
沖縄の盾も、機会があったら実際に学んでくださいね。
亀甲製のものだけでなく、素材も形もいろいろありますし、
使い方も違います。奥が深いですよ。
中国武術の盾も、選手権が開催される位まで
技術体系が整理されて競技化されています。
学ぶつもりがあれば、その機会を得てください。
676 :
YMA:2005/07/26(火) 14:20:50 ID:S9w8tyaX0
>>675さん
本格的には難しいです{自分の武術があるので}が、動きなど拝見したいと思ってます。
他スレで沖縄の盾に付いては少々教わっているのですが・・・・すごさしか理解できなくて・・・
できるだけ情報を集め、実際に拝見し概要が理解できるように心がけていきますね。
ご丁寧にありがとうございます{^^}
>673
666のサイトに全部書いてある。
素人考えですが、日本で盾が余り使われなかった事については
土地の狭さに対しての人口の多さも一因だった、というのはどうでしょう。
例えば、西洋で主食となった麦の収穫率は巻いた種のおよそ2〜3倍であったのに対し
日本の主食であった米は8倍〜?(うろ覚えです。すいません)もの収穫率があったので
土地当たりで養える人間の数が多く、しかも精米してない玄米はミネラル、ビタミン、等々を多く含む
完全栄養食であり、これを食べているだけでも生きていける事になります。
結果として西洋よりも余裕のある日本は、総人口数に対しての戦闘人口が多くなる為
人一人の命の価値が西洋よりも軽くなり、そうなると装備も勢い疎かになってしまい
雑兵クラスになると胴丸程度しか行き渡らず、弓でも十分な殺傷能力を持っている事になります。
そして、兵士の数は余っているので、相手の弓矢を盾で防御するよりも
同じように弓を持たせて消耗戦で応じるのが戦の常道になったのでは、と思われます。
人命軽視のせいで盾が流行らなかったという暴論ですが
これならば、身を守りながら弓を打ち返す為に置き盾がメインになっていったという説明も出来るし
その他の理論にも反駁しない隙間理論だと思うのですが如何?
679 :
439=370:2005/07/26(火) 20:45:06 ID:gu0+3R4c0
日本の戦場から盾が消えたのは具体的には西暦何年ぐらいなのでしょうか?
奈良時代までは存在したようですが・・・?
Vailちゃんはなんでいつも挑発的な文章なのですか?
681 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 21:19:55 ID:qQ9d0fr+0
引き篭もりてのはそういうもの。
682 :
sporran:2005/07/26(火) 21:25:43 ID:cSiROtd70
>>673 所属団体はAVALON。666のトップページに行けば要綱があります。
私がVail卿の代わりに手ほどきしましょう。次回は31日小金井公園です。
一般披露は8月6,7のブラックホールです。浜松町産業貿易センターです。
>>672 西洋の騎馬、盾と剣、これは私も調査中です。
盾と剣の技術ですが相手も盾の場合、剣の基礎技術としてラップショットがあります。
盾を相手にする場合、攻撃側の考えることはどうやって相手の盾の裏側に刃を届かせるかです。
盾の間合いは殴れば届くほどの距離です。ところが接近すればするほど盾の防御面は大きくなる。
そこで相手の後頭部や臀部を切りつけるラップショットは欠かせません。ところが日本刀は片刃であるため裏刃を使うラップショットは出来ません。
刃筋云々は置いておいて残念ながら、スポーツチャンバラでこの方法を知っている人は一人もいません。
>>671 ソードブレーカー(一般的にはレピアに使うマン・ゴーシュの一形態)とマドゥは関係ないと思います。
683 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 21:35:02 ID:qQ9d0fr+0
別に裏刃でなくてもいいのでは?
684 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 21:35:55 ID:WuhlkH2P0
ラテルタンが来てるというのはホントですか?
685 :
sporran:2005/07/26(火) 21:37:05 ID:cSiROtd70
>>678 うまい隙間理論ですね。しかし、胴丸のほうが盾より高価だしそれだけ人命重視ではないでしょうか?
日本ではお貸し具足は普通でしたが西洋は武具自前が基本ですからね。
686 :
sporran:2005/07/26(火) 21:39:14 ID:cSiROtd70
持ち盾に限らず、戦場での武具の性能を比べるならば、実際にバチバチ打ち合うのも良いけど、
武装して障害物競走でもやったほうが本来の意味が分かるかもしれない。
とくに走るのは必須
例えば、西欧における『雑兵』の武装はどのようなものだったのか?
どこまで自前で用意して、どこまで重装備だったのか?
日本の戦国期では上で述べられている通り、領主が胴丸や刀、槍、兜までも貸し出しますが・・。
689 :
sporran:2005/07/26(火) 21:53:46 ID:cSiROtd70
ラップショットをこのような例えで解説しましょう。
今、あなたの目の前に広い透明な板がある。板の向うに(何でも良いんですが)時計があり時間を見たいが遠すぎて見えない。
透明版には小さな穴があって、腕が入る大きさだ。1mほどの棒があるのでこれを使って時計を手繰り寄せれば文字盤が読める。
このとき棒を握って穴に差し込んだ掌は下を向きになるでしょう。時計に当てるだけならば別段掌が上でもかまいませんが。
掌が下向きであれば時計の向こう側を引っ掛けて手首と肘の返しで手繰り寄せられます。
この方法であれば時計が重くても力を込めて引き寄せることが出来ます。
この棒が両刃の剣で時計が人の頭部であれば、今まさに裏刃で相手の後頭部を攻撃していることになります。
実際は腰の回転、肩、肘、手首のスナップを利かせて鞭打つように引き斬るのです。
690 :
sporran:2005/07/26(火) 22:36:41 ID:cSiROtd70
>>672にしたがって西洋観点で書きます。12世紀くらいかな。「おそらくこうなるだろう」です。
フレーズ1)弓兵による面制圧。弓兵は45度前後の弾道軌道で一斉に矢を放ちます。
個々は狙いません。弾幕です。弓兵と槍歩兵は置き盾で身を守ります。この間、騎馬と歩兵は盾で防御しつつ前進します。斧やウォーハンマーといった重量武器を持っているでしょう。
弓は騎馬と歩兵の援護射撃になります。
フレーズ2)接近。槍歩兵は騎馬を阻止する為に槍を構え横陣を作ります。槍といってもハルバートなどフックなどのついたもので、後世のパイクではありません。
通常に考えると騎馬と歩兵は別の方向から攻撃を仕掛けるでしょう。
盾歩兵は槍歩兵を倒し騎兵の障害を取り除こうとします。これに対して相手も盾歩兵をぶつけます。
両者がぶつかったら弓兵の仕事は終わりです。安全な所に逃げないといいようにやられるので背後に下がります。
フレーズ3)白兵戦。防御側盾歩兵はシールドウオールを造り、逃げてくる弓兵を守り敵歩兵とぶつかります。
槍兵は歩兵を相手に出来ません。騎兵の阻止に必要だから陣形を崩せません。自分に敵兵が迫った場合は、槍を逆手に持ち、棒術のようなテクニックで相手を殴り倒そうとするでしょう。
危険が迫った弓兵はバックラーと剣で身を守るでしょうが、積極的に闘いには加わりません。
フレーズ4)騎兵の突入。ランスを持った騎兵が突入します。古い時代だと盾は長く騎兵の足まで防御されます。
槍歩兵はこれを阻止しますが騎兵は陣形の手薄な所に入り込み、歩兵を追い立てます。経験者は騎兵の左側へ逃げようとします。
槍歩兵はフックで騎兵を引っ掛けて落馬をさせるでしょう。中には鎧通しを使って取っ組み合いをする者もいるでしょうが
それでは自分の背後がおろそかになります。ここが首取りを目当てとした武士と違う所です。
フレーズ5)金持ちそうな騎士で倒れている者を捕まえて、身代金のために手当てをします。
貧乏臭く身代金が払えない者はさくさく殺されるか、そのままほって置かれます。重傷の者は相手が慈悲深ければ留めを刺してもらえます。
お金を払うと坊主を呼んできて聖書の祈りくらいは最後に聞かせてくれるかもしれません。
691 :
sporran:2005/07/26(火) 22:42:26 ID:cSiROtd70
フレーズ5)追加。戦死者から金目の物を剥ぎ取ります。装身具、財布はもちろん、武具、服、靴、髪の毛、使える物、売れるもの全てです。
これは勝者の権利でした。
692 :
sporran:2005/07/26(火) 22:57:05 ID:cSiROtd70
>673
>>なぜわざわざ自分から調べなくてはいけないのですか?俺が行っても平気なら場所と団体名を教えて下さい。
それなら、何故に私が貴方に教えなければならないのですか?
Avalonの活動に関しては既出ですが、666を見れば判る事ですので後はご自分でどうぞ。
我々は活動に理解を示す方を拒む事はありませんので、遠慮なく。
なお、教えてもらう事ばかりでなく、自分で学び取る事や他人から学ぶ姿勢も重要かと思います。
自分で学び取ることが出来なくては、いくら教えて貰っても身に付きませんよ。
>681
親の介護を受けて引き篭もって働かずに生活できるなんて羨ましいですね。私も可能ならそういった生活をしてみたいですが、
働かないと生活できない、鎧や武器も買えないので残念ながら今の私には引き篭もり生活は出来そうもないです。
YMA殿
私がS卿から学んだ技術や、実際に戦って考案した技術(既に確立されているかも?)がありますが、
日本の剣術にないものばかりなので、学びながら新しい技術を身につけ発見するのが楽しいですね。
また、両手武器で盾を攻略する方法も幾つかあります。そして盾を攻略するにはやはり盾を熟知してから
学んだ方が効果的なので、両手武器で盾を攻略されたい場合は、一度は盾+片手剣を体験してはどうでしょうか?
>Sporran卿
リンク先が間違っておられますので訂正いたします。
ttp://plannedchaos.org/cadogan-bash.htmlの左がわの上から3番目になりますね。
居合いであれ、盾であれ、個人の武芸としていろいろ研究するのはいいけれど、
武具は戦から出てくるものだから、日本の戦術を考えないと
日本で持ち盾が一般的でない理由は出てこない。
武具も個人で技を競うためのものと、戦道具としての運用はまた別のものかと。
695 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/26(火) 23:58:15 ID:qQ9d0fr+0
696 :
678:2005/07/27(水) 00:53:48 ID:AfORdiYq0
>685
そういえば、確かに胴丸の方が手は込んでますね。
起伏のある野山を駆けめぐって戦うのに最低限、胴丸は必要で、盾は不要だったのでは無いかと思います。
以下、人命軽視文化盾不要理論の考えをまとめてみました。
かなりイメージ優先の憶測入ってますが、ご勘弁を
西洋。
土地に対する人口の割合が少なく、戦闘員の数も少ない為
個々の装備は日本より充実する傾向にあった。(鎧、盾、武器、馬等)
板金で全身を覆うような発想も一人の人間に多くの金属資源を使える為であり
また数少ない戦闘員を減らさない為の工夫でもあった。
持ち盾という文化もその流れを汲む物であり、平坦な土地が多い事も盾文化を助長した。
捕虜も身代金を払えば解放して貰えるのが一般的な事から、逆説的に
生き延びる事が重視されている→人命重視、の文化的裏付けになっている。
日本。
土地に対する人口の割合は中世でもトップクラス。
この為、武器を兵員に行き届かせるのがやっとで、防具までは揃えていられない状況で
豊富にある人材資源は軽んじられた上、起伏に富んだ日本の土地柄から
身軽な格好での弓の撃ち合いが戦いの常道になっていった。
当然、持ち運びに嵩張るし、弓が使えなくなる盾は廃れていき
人命軽視の文化は華々しく散る事が美しいという方向に流れ
恥をかくよりは自ら命を絶つ事も辞さないというハラキリ文化が出来上がっていった。
むしろ、雑兵にまで胴部の具足類を貸し与える封建領主の豊かさ。
持ち盾を与えるほうがコストはかからない
698 :
YMA:2005/07/27(水) 01:20:17 ID:ugz0OGvd0
>>682 sporranさん、ソードブレイカは関係ないものなんですか。
日本の刀法に繋がるかもと期待したのですが・・・・・残念。わざわざご回答ありがとうございます。
>>693 Vailさん
確かに一度は体験したほうが良さそうですね。ただ、残念ながらここ一年半は見学に行くのは難しいです。
遠いと言うのもありますが、学費の面もあり、遠征は今は無理です。自分の武術もかなり休みがちなもので・・・・
せっかくのお言葉、すいません。先になってしまいますが、機会を捉えて見学{できたら体験}に行きたいと思いますので、その時はよろしくお願いします。
あと、ページを見て不安に思ったのですが、自作の防具や武器が無ければいけないのでしょうか?
模造刀やら先に出費が考えられますので、なるべく早く知っておきたいので・・・・・
699 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/27(水) 01:24:21 ID:5Nnnw8QN0
酔鬼張三伝に書かれてる籐牌の描写はめちゃめちゃかっこいいね。
701 :
YMA:2005/07/27(水) 01:28:04 ID:ugz0OGvd0
胴丸について、また、合戦関係の本にあったことなのですが、樽をくり貫いた物を使っていた記録があるそうです。
完全な樽でないにしろ、村などで、職人が作れる程度の物も多かったそうです。
また、sporranさんのフレーズ5にもありますが、日本でも戦死者からの物取りは同様に行われていたそうです。
足軽が登場してからなどは、その略奪{?}を目的として参加する者が多かったそうです。
そして、雑兵などで自前で参加する者は、それらの戦利品{穴が開いたり}を身に付けて出たともありました。
>>678さんの人命軽視理論は要因の大きな一つになりそうですね{^^}
雑兵の命なんぞ、どこでも薄紙一枚。
むしろ地域で信頼関係の築かれている封建体制のほうが、『それなり』に
扱ってもらえる。
ある土地の領主は、その家臣やその下の地侍の軍を間接的に命令しているに過ぎない。
奴隷の存在する国や地域ではそういうわけには行かない。
703 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/27(水) 01:47:18 ID:5Nnnw8QN0
>>700 >酔鬼張三
通臂拳の使い手、小説「酔拳」のモデルですね。
『酔鬼張三伝』』(新人物往来社)は読んでいません。
籐牌のことが書かれているのですか、興味を持ちました。
古本屋で探してみます。
704 :
sporran:2005/07/27(水) 08:27:04 ID:b3a7Zptw0
人命軽視説はユニークですが696の理由だと無理があると思います。
まず、西洋の場合、流れとしては人命重視になってはいますが直接盾と結びつくには薄いです。
中国やインドといった他の国々ではどうかという疑問が出てきます。また日本の場合華々しく散るといったブシドー感は
後世のものです。どちらかと言うと防御と攻撃とどちらを優先するかという哲学のような物が先にあり、それに基づいて盾か両手武器かの選択になった。
結果として防御が薄くなったという感じではないでしょうか。
705 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/27(水) 09:01:35 ID:ME0W0gEB0
でも,ガンダムは盾持ってるよ
日本では奇襲が多かった、という説に従うとすると、
奇襲は、機動(速度)と地形を盾として相手に打撃を与える手段。
競技的に、一対一で持ち盾構えた戦士と盾のない戦士が互いの技を尽くすのならば話は別ですが、
戦術としてみるならば、持ち盾なし=防御薄い、というのは早計ではないかな。
>>705 ガンダムの楯はビームライフルやビームサーベルの攻撃を防げないからあんまり意味ないね。
たとえば狩猟においては、その対象が野生動物であるため、
技術の根底には捕獲の対象となる野生動物の行動生態を人間が読みとり、
これを利用することで捕獲を確かなものとする。
秋田県のクマと山形県のクマが同じ種でありながらまったく異なった行動様式をとるということは考え難い。
そのためクマの捕獲技術が普遍的で類似性に富むのは当然である。
しかし、類似しない側面があるわけであり、これを地域的な変異としてとらえる。
クマ狩りの見巻き、クロ巻き、ト巻きという方法は、ほとんどの地域の猟師たちが周知しているが、
その地域の猟場の自然環境によって視認性が異なるため、選択される傾向が多い方法には異同が生じる。
これはクマにもいえることであり、地域のクマがとる基本的な行動は普遍的であるが、
地域によって地形や植生が異なることで、クマの行動や生態のあり方には食べるものに若干の違いが生じたり、
頻繁に利用する移動ルート(獣道)が極端に狭くなったり、太くなったりという地域環境への適応型が生じる。
狩猟の技術も、基本的に普遍性をもった技術を根底に有しながら、
地域個体群の地域環境への適応型に準じるため、
捕獲にいたるプロセスは地域性をもつということになる。
古代より鉄砲が武器として活用される以前までは、距離のある敵を射たおすのは弓矢であり、
最近接して太刀打戦するまでの主兵器であった。
故に武士の踏むべき道を「弓矢の道」と言い、武士の家を「弓矢の家」といった。
一定の距離(矢での殺傷力のある距離)まで敵味方が進出して対峙し、
主将が鏑矢を射掛けることが、戦闘開始の合図となる。
それ以後は敵味方が矢を射掛けあって、少しずつ前進するのだが、
互いに身体が露出していると矢が当たってしまうから前面に楯を列べて、その間から矢を射るのである。
したがって楯を持つ役もあり、列べられた楯を掻楯(垣楯)という。
(「長門本平家物語」「源平盛衰記」「承久軍物語」「太平記」「新選長禄寛正記」その他軍記物)
「信長記」三河国小豆坂合戦条に、鉄砲も用いられた時代にもかかわらず、
持楯掻楯ヲツキヨセツキヨセ攻ケル
とあって、楯持ちが列んで前進する。
その様は「春日権現霊験記」にも描かれている。
矢戦は、弓矢を持つ人数が多かったり勇猛に前進する方が強く、ひるんだ敵は楯を持って後退する。
こうして陣形が崩れかかった機を見て、楯の後ろに控えていた
騎馬隊や、徒歩武者が突撃して敵を追い崩すのである。
こうした突撃隊のために、楯持ちは左右あるいは所々を開いて突撃しやすくする。
これが平地の矢戦で、崖や城を利用した時は攻撃軍は掻楯を列べ、
その陰から矢を射掛けて前進し、地形に拠った方も掻楯を列べて禦ぐ。
城や館の塀で防ぐときは、木を組んで櫓を作り楯を列べて、その間から射下す。
この時の楯を櫓掻楯と言い、城を築地塀にするまでは楯は有効な防禦用品であった。
こうした戦を楯突軍と言い、矢を射懸けあう戦を矢軍と言い、矢が集中して飛ぶことを矢ぶすま(源平盛衰記)等と言った。
711 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/27(水) 12:24:47 ID:X/vhaRW90
>>705 >ガンダムは盾持ってる
伊勢神宮の神事で使う楯に似てるよね
やはりガンダムは機械五月人形だよ
男の子が大好きなマシン武者人形絵本
712 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/27(水) 13:36:25 ID:iaHNVgQj0
>>709>>710でいうように、日本の合戦は防御と攻撃で役割分担されている気がする
盾は騎馬で潰されると伝記とか読むとよく出てくる。
盾は武器と言うより馬の突進に弱かったみたい。逆に言うと、弓の発達もあり、盾の専門がいないと守れないほど攻撃が強かったんじゃないかな
盾も強弓で砕かれたとかって記述が前九年の役の記録にあった気がするし。
読んでいてたまに出てくるけど、西洋は守りを発達させたのに対し、日本は攻撃を強化させた結果、個人装備の盾が無くなった気がする。鎧の発達もあるしね
713 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/27(水) 14:35:10 ID:bWe8GoCM0
今日ニュースでインドかどっかの暴動の映像が流れていた。
オバサンが長い棒斬れ振りまわして警官追いまわしたり、逆に警官が集団で警棒で叩いていたり
するシーンもあったりした。その中で、暴徒が長い棒斬れを上から下に集団で叩きつけて警官の
動きを牽制する場面が合ったんだけど、ああいう状況では誰も「突き」は使わないんですね。長い棒を
持った警官はオバサンの袈裟の振り下ろしを同じように袈裟で打ち落としたりできたのですが、「警棒」を
もった警官はもう長い棒の暴徒の前にはなす術がありませんでしたね。集団リンチ状態でした。この状態で
盾を持っていれば状況は変わるのでしょうが、二刀流では全く敵わないでしょうね。
唯一警棒の警官が活躍できているシーンは、倒れたりはぐれた暴徒を集団で殴って無力化するシーンでした。
戦場ならば、落ち武者狩りのイメージです。
714 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/27(水) 14:37:39 ID:bWe8GoCM0
面白かったのは、逃げる暴徒を追いかける時は、上段に構えて追いかけるところ。
八双でもなく、中段でもなく、上段。
715 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/27(水) 15:08:55 ID:iaHNVgQj0
>>713 >>714 私も見たかった・・・・・話を聞くと心得というか棒の訓練されてないみたいですね、警官
心得なしで棒だけで、盾も持たずに対応するなんて・・・・・不謹慎ながら、その映像みたら笑ってしまいそう
不謹慎だよ
717 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/27(水) 18:45:01 ID:n3L7tnoe0
>>713 先月の中国での土地収用暴動だと;
小銃、槍、長梢子棍、長棍、刀、剣、
長柄付きの鎌、マサカリ、手斧、ナタ、
短剣、ナイフ、杖、棍棒が用いられてた。
槍や長棍では突きまくっていたし、
たくさんのデカい長梢子棍が大活躍していた。
インドは中国より、暴動の武器がシンプルだ。
ブルース・リーの「ドラゴン危機一髪」での
製氷工場労働者の暴動シーンを連想したよ。
確かにインド人監督が引き込んだスト破りの
荒くれ者たちは棍棒とナイフで武装していた。
一昨日のインドのホンダ系工場での暴動シーンでは、
警官が透明な丸盾を持って逃げてるのが映ってたね。
718 :
YMA:2005/07/27(水) 22:13:21 ID:ZPGU7Oon0
>>713さん、そんなことが起こったんですか。
今日は今までテレビ見てなかったので・・・・
動画や情報あったらお願いします!
中国の武器=素人の暴動のためのもの
720 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/27(水) 23:20:30 ID:F4940YfI0
盾なんかで防御しようものなら
周りに一方的に叩かれその場で動けなくなるでしょうね。
戦場では短くて幅をとる武器を持ったらリンチ状態でしょう。
ええと、アニヲタな比喩で申し訳ないが、見た目的には
古代日本の盾:真ん中辺の取っ手を握る→ガンダムの盾
中世西欧の盾:前腕部に固定する→ガンダムマーク2の盾
中世日本の大袖:型から吊す→ザクの盾
という理解でOK?
OK
旧ザク最強
ガンダムの盾はよく壊れるけど、あれは一種のスペースドアーマーと考えれば納得できる
・・・かも。
で思ったんですが「ガンダム型」が他の形式に対して優れている点があるとしたら
「すぐに投げ捨てられる事」ではないでしょうか? 歩兵が敵の矢を防ぐ時だけ
盾を使って、接近したら盾を捨て、両手で鉾を使う。
それならば、置き盾でも別に構わないような・・。
>>726 それ故に日本では置き盾に移行してしまった…ってのは考えすぎでしょうか?
防御したまま移動できるのが持ち盾の利点ですが、防御面積は置き盾の方が
大きいでしょうし。
728 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/28(木) 07:53:12 ID:vppHi3yq0
当時の人もそういう考えだったというのでいいんでないかい?
「置き盾でも別に構わない」みたいな。
持ち盾が弱い、遠距離での戦闘が多い、奇襲が多い事もあいまって。
諸外国よりも外国の脅威もあんまりないし。
持ち盾が弱くて持っていてもあまり守ってくれないのなら、例えばそれを改善しようとした結果、
持ち盾の改良よりも、置き盾使用の方を考え選んだという予想も。
729 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/28(木) 08:20:58 ID:vQ0r6InG0
弓矢の威力が増してそれまで使ってた大きくて軽い持ち盾では防げなくなったということなのかな。
西洋にはもっと強力な石弓があった。
731 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/28(木) 18:51:15 ID:HNAFxMD00
↑
いしゆみ(ボウガン、弩)は古代日本にもあった。
中世日本にもあった。奄美沖縄にもあった。
アイヌは明治時代までアマッポという
仕掛け弩というかボウガンを使っていて
日本の法律で1876年に使用を禁止されたよ。
こないだ、北海道登別熊牧場に併設された
アイヌと羆の博物館で実物を見てきたよ。
西洋にはもっと強力な石弓が沢山あった。
733 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/28(木) 22:17:31 ID:Ot2syey10
1>> 攻防一体の考えを知らないの?
734 :
sporran:2005/07/28(木) 22:51:57 ID:+4Jgwcyx0
それは日本だけの専売特許ではありません。
735 :
sporran:2005/07/28(木) 22:52:35 ID:+4Jgwcyx0
スポチャンの方は31日来られますか?
736 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 09:05:37 ID:afcgHxz10
いままでの流れをまとめると
結局のところ、韓帝国から盾の有効な使い方を教えて貰えなかったのが
日本での持ち盾消滅の主原因でしょ
まあ、韓帝国が発明した鉄砲が日本にもたらされたというのもあるん
だろうけどね
そうか、ガムやるよ
738 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 10:11:30 ID:UYZ5Ipn10
>>736 しつこいな、俺もガムやるから馬鹿餓鬼はどっか池。
739 :
市 ◆CRdmCEc.aI :2005/07/29(金) 10:18:22 ID:Uy7MfAfvO
韓帝国というのが、俺の思っている地域と時代に有った国ならば
帝国を名乗るのは反逆罪じゃないか…
閑話休題。盾と並んで石弓も日本では「知られているけど使わない」武器ですね。
こっちは長弓で必要十分な威力と射程が得られるなら要らないので、廃れるのも理解できますが。
741 :
YMA:2005/07/29(金) 13:25:06 ID:ShFfs4KO0
本や聞いた話なのですが、短弓って動物から取れる接着剤とかが必要なため、狩猟民族が多様するとありました。
そして、長弓は狩猟民族ではなく、その材料が手に入りにくいため、農耕民族が開発したものだとありました。
そこから、短弓をパーツとして使う弩は日本では、特に坂東武者には普及しなかったのではないでしょうか。
そして、
>>740さんのいうような長弓が発達した・・・・しかもやたら威力が増すように技術と共に。
現代小説家が書いたものなので話半分ですが、源義家{八幡太郎}や平将門の伝記の中に、蝦夷や坂東兵の盾を鏑矢{鋼鉄の鏃付き}で砕くというシーンがあります。
sporranさんの日本持盾のご説明と合わせると、日本の専門兵、武士の発現頃から弓は発達し、それに追いつかない持ち盾が駆逐され、重くも対応できる置き盾が取ってかわったのでは無いでしょうか。
戦記物を改めて読んでみると置き盾は戦で有効であり、御聞きしてきた西洋の持ち盾のような効能を持っているようです。
こう思ったのですが、どうでしょうか?突っ込みなどお願いします
742 :
YMA:2005/07/29(金) 13:34:11 ID:ShFfs4KO0
>>736さん、板違いなのであまり本格的に突っ込みませんが、帝国は皇帝・天皇あって国です。{アジア圏では}
それ以外は、国や王国であって、帝国を名乗れません。また、皇帝・天皇は宗教的な意味合いが強いので、王とは決定的に違います。
米帝国など聞きますが、中華{中国に非ず}の文化圏でそのような勘違いも甚だしい発言は、貴方の言う国が蔑視されることに繋がります。
その国に愛国心が御有り、真面目な発言であるなら、そういう発言は控えたほうがいいですよ{友人ら留学生が迷惑しています}{釣りだったら不謹慎です}
中世日本で使われた鏃の中に、ズバリ「楯割」と呼ばれる種類があるようですね。
実際の用途・効果などは不明ですが、「楯をたたき割る矢」は必ずしも絵空事では
無いのかも知れません。
744 :
sporran:2005/07/29(金) 14:36:44 ID:Ko6eL5nx0
古代より帝国、皇帝を(エンペラー)名乗った国は多くはないです。
古代エジプトのファラオはこれに近いですが言葉としてエジプト皇帝とは呼ばれません。
エチオピアのハイレは近年になってです。
西洋で皇帝を名乗ったのは、ロシアのツアーリくらいです。フランス皇帝は周囲で認められたかどうか
微妙なところです。ドイツとイタリア皇帝は近世に入ってからです。
次に、オスマン・トルコ、インドのムガール帝国、中国皇帝、日本の天皇。
アメリカ大陸のインカ皇帝アタワルパ、アステカ皇帝くらいです。
そのなかで現在存在しているのは天皇家だけです。
楯割は先端が金槌のようになっていたようです。
ロシアを「西欧」呼ばわりしたあげくに、ローマ帝国をスルーとは大胆な…と失礼なつかみをしておいて。
ここまでの流れとしては、も武者については長弓を選択したことが楯衰退の大きな原因っぽいですね。
後は歩兵が鉾から薙刀(持ち楯との併用が困難))に移行した理由が見えれば…
>740
巻き上げ機が無いと、とても引けないような強力な石弓もある。
ものによっては1kmも飛ぶらしい。
手で引けるような日本の長弓とは射程も威力も段違い。
そもそも日本の弓が大きいのは
肉食文化の西洋のように動物の素材を使った小型で強力な弓が出来なかったから
個人的には美しくて素敵だと思うけどね。
747 :
YMA:2005/07/29(金) 16:05:24 ID:ShFfs4KO0
>>743さん
>>744 sporranさん
「盾割」というものが存在したんですね。すると、坂東武者のあの凄まじさは事実のようですね。
伝記読んでて、「誇張しすぎでは?」という目で読んでいたので・・・・ありがとうございます。
>>745さん
確かにそうすると、歩兵の武器が問題になりそうですね。
刀の話になっていしましますが、形状や作りの変化は、純度の高い玉鋼の生産量と共に起こったそうです。
なので、薙刀、
>>742の時は大薙刀の登場も材料の生産から変化したのではないでしょうか。
一部の高級武将しか使えなかった、鋼をより安価に提供できたのではないでしょうか{それでも高いけど}
また、戦国時代までは、雑兵や足軽はほとんど存在しない、職業軍人が多かったようですし、極端に多くは需要がなかったと思いますし
>>746 日本の鎧を打ち抜くには、そんな凶悪な石弓でなくても十分。1km先に届いても
当たらないから余り意味がない。むしろ巻き上げてる間は動けないから
長弓武者に射殺されちゃう。ということで、最初だけ必殺の一本を放つ
石弓より、手数を撃てる長弓の方が、日本のニーズには合っていたのではないかと。
英仏戦争でも上記のような感じで長弓が勝利した戦例が有ったはず。長弓>石弓となる条件としては
・相手の甲冑が長弓で有効打になる程度の強度であること
・長弓側が熟練した射手を多数揃えられること
・城壁の攻防戦など、大規模な陣地戦でないこと
あたりだと考えますが、中世までの日本の戦場は、大半がこの条件を思いっきり満たしています。
749 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 18:41:45 ID:5b3InaTwO
いくら巨大で威力のある石弓でも、速射、運搬がクソならば、役に立たない。
まるでプライドの曙の張り手と同じで当たらない
750 :
sporran:2005/07/29(金) 18:52:51 ID:Ko6eL5nx0
ロシアはヨーロッパです。ウラル山脈でアジアとヨーロッパは分かれるので。
ローマはうっかりとばしちゃいました。失態です。
クロスボウとロングボウはアジャンクールの戦いで一応決着はついているといわれますが、
これは地形の利た陣形など様々な要因がありました。
言えることはロングボウは速射性がよいが兵の養成に時間がかかり、クロスボウは素人でもあつかえるということです。
752 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 19:29:09 ID:5b3InaTwO
753 :
sporran:2005/07/29(金) 20:26:00 ID:pYNzZlRV0
日本では牧畜がないので材料の問題から石弓は広がらなかったと私は独自に推論していますが、
同じことは短弓にも当てはまるようです。
長弓は南方系のものです。一方騎馬射はアジア大陸のものです。日本ではこの両者が合体して独特の戦法が取られたのだと思います、
>748
言いたい事は良く分かるが
日本は「材料が少なくて」石弓を量産出来なかっただけ、書いてあるだろ?
有用性とかそれ以前の問題。
…と書こうとしたら、sporrranさんに書かれちった。
>749
兵器なんて使う奴次第。
曙は土俵で生きる兵器だったって事。
755 :
sporran:2005/07/29(金) 20:36:08 ID:pYNzZlRV0
日本の盾は定寸がありました。盾は防御以外に、テーブルにしたり足場にしたり、おそらく運搬にもつかったでしょう。
日常品の代用として重宝されました。考えてみるとこれは結構便利なので西洋のように防具だけと言うように限定をすると、
形状がかわり日常品としての代用が出来なくなります。重宝さゆえあえて形状を変えなかったとか。
昔、小学校で雪合戦した時、校庭に机並べて簡易防御壁を作った事を思い出した。
終わった後、教頭に叱られたけどな…
757 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 20:51:26 ID:mndDGgQH0
>>747 薙刀と同時期に手鉾というものが作られました。
手鉾は筑紫薙刀のようにナカゴの長い短刀を長柄の先につけてもっぱら刺突目的
に作られました。薙刀より軽量です。これを刺突時の抵抗をより少なくするために
両刃に改良させますと槍になります。
手鉾はナカゴをちょんぎりまして無銘短刀に変えられて現存します。
758 :
sporran:2005/07/29(金) 21:02:49 ID:pYNzZlRV0
前のほうで盾を使わないのを精神性と関連付けようとした記述がありました。
反対意見が多かったようです。西洋では騎士は弓を使いません。弓の不使用は明らかに精神的な裏付けがあります。
弓を使う者は卑怯であるという気持ちは存在し、だからこそ戦エリートの騎士は白兵戦を行う。というのは事実のようです。
すると、日本で盾が使用されなかったことも精神性を無視できない可能性があります。
むしろ、平安〜鎌倉期の名のある武士は、弓馬こそ武士の表芸であり、人に誇る業であると
考えていたようだ。
平安期にとある武士(和田義盛だったかな)が老武者に合戦のやり方を問うたところ、
「近頃は(馬上で)弓もうたずに、いきなり(馬上)組み討ちばかりして、嘆かわしい云々」と
言っている記述があります。
武士としては、結局は組み討ちを行い首をかき切らねばならないのだが、
そこまでの技で何が誇るべき業なのかは、時代により違う。
特に、鎌倉期までと南北朝以降では、身分だけでなく武装や武芸までも下克上が
行われたようだ。
鎌倉期までは、薙刀や太刀などの打ち物は下卒のやるべき技だったものが、南北朝では
高貴な人までが馬鹿でかい大刀を担いで出陣してゆく。
このスレでもたびたび見受けられる話でもありますが、『近世の当世具足までは、日本の武装は隙間が多い』
という話。
ものの本によるとこれは誤りで、甲冑の隙間を埋める小具足の類は鎌倉後期にはかなりの発達を見ていて、
南北朝期には当世具足を凌ぐほどだといいます。
小具足類は、甲冑に比べて布を用いることが多かったり、直接身につけるものなので
伝来の対象には成らなかったため、現代人が眼にすることができないようです。
>>753 その答えでは、やはり牧畜が盛んでなかった漢族の主力武器がクロスボウであること、
アイヌがクロスボウを使ったことを説明できません。
欧州でも中原でもアイヌモシリでもヤマトより利用可能な動物の人間に対する比率は高そうだが。
763 :
sporran:2005/07/29(金) 22:34:56 ID:pYNzZlRV0
ふむ・・確かに。
琉球の弓に詳しい方おられますか?
764 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 23:19:26 ID:yFOIwN8w0
>>750 >ロシアはヨーロッパです。
100年位前まであのあたりには
元帝国由来のモンゴル貴族がいたね
モスクワも元はモスコ汗国だろ
元帝国の1都市だ
ドストエフスキーの小説を読んでみると
ヨーロッパとロシアの違いについて延々と
語られてるね
765 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 23:20:50 ID:yFOIwN8w0
>>763 >琉球の弓
奄美、沖縄、台湾にクロスボウはあるよ
仮説
クロスボウが有効かどうかは、その国の熟練した弓手の割合に反比例する。
石弓(クロスボウ)は素人でも使えるけれども、速射性は熟練者が射る通常の弓に劣る。
また、大型の石弓(クロスボウ)は、通常の弓に比べて機動性も劣る。
一長一短。
767 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/29(金) 23:37:49 ID:yFOIwN8w0
「魏志倭人伝の語る日本」より
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/nihon.html 漢書地理史・粤地の条の[憺(にんべん)]耳・朱崖に関する記述をみると、
「服は単被のようなものに穴を開けて、そこに頭を通して着ている。
男は農耕をする。禾稲紵麻を栽培している。女は蚕を飼い、
糸を紡ぎ布を織る。馬と虎はいない。民は、五畜を持っている。
兵は矛・盾・刀・木弓・弩・竹矢を持ち、鏃は骨である。」と書かれています。
この記述は、魏志倭人伝の『所有無與[憺(にんべん)]耳朱崖同』の
直前の記述とそっくりです。『所有無與[憺(にんべん)]耳朱崖同』という記述は、
この直前の部分が漢書地理史・粤地の条の[憺(にんべん)]耳・朱崖に
関する記述と同じであると解釈するのが自然ではないでしょうか。
768 :
YMA:2005/07/30(土) 01:13:06 ID:XI1hD7jR0
>>757さん、わかりました!菊池氏の活躍した時代でしたよね・・・確か。歴史の本で読んだことあります!!
勘違いしてたみたいです。ありがとうございます。
武器の本でも探してみましたら、少しだけですがありました。
「有効な武器だが、不思議と普及しなかった。その内に槍が台頭し、取って代わられて」というような内容でした。
おそらくですが、槍の用途に絞られるために起こったことではないでしょうか。
万能の武器でなく、一芸に秀でた兵器のほうが、量産しやすいという・・・・強引かもしれませんね{^^}
>>767 このスレ的には結構大きな違いかも知れない差異として魏志倭人伝には兵器として
弩が無く、鏃は骨と鉄の両方を用いているところがありますね
中世では武士の象徴といえば、馬と弓であった。
大体、馬に乗って動く標的を狙うということ自体が難しい上に、
敵も攻撃してくるとなると、その難しさは想像にあまりある。
そのため武士は幼少時から、馬術と弓術をたたき込まれるわけだが、
それには各家ごとに蓄積された技術なしには、無理な話である。
また、彼らが身にまとう鎧兜は、実用品であるとともに
精密な工芸品でもあり、安価に入手できるなどというものではない。
彼らが乗る馬にしても、維持費までも含めた場合、おいそれと飼えるものではない。
そのため、騎射戦が戦の主役であった時代、武士とは累代の「兵の家」の出身で、
なおかつある程度の経済力がなければ、立ちゆかなかった。
このように武士たちはある程度の共通点を持つ集団であったわけだが、
このことは武士固有の習俗を作り出す上でも大きな力となった。
さらに言えば、敵味方が共に似た者同士である以上、
本来は問答無用のはずの戦闘においても、一種のルールを生み出すことになったのである。
勇壮、豪壮などと最大級で賞賛されている大鎧は、平安時代中期頃に発生し、
鎌倉時代から南北朝・室町時代初期にかけて最も隆盛を極めた、鎧の一形式のことをいう。
武具は本来実用第一をモットーとして作られたが、この形式は、わが国の鎧の中でも特に、
華麗さと荘厳さとを兼ねそなえたもので、別名「式正の鎧」ともいう。
着用者は大将、武将が多く、馬上戦に最も適している。
平安時代から、室町時代にかけての戦闘は、一騎駆けでの騎射戦が主力であった。
敵を左に見て弓を射るため、大鎧はその体勢の時にも身を守れるように工夫されている。
また馬上において活動しやすいように作られている。
日本の弓矢の大きな特徴は、第一に弓が約二・二メートルという、
他の民族の弓に比較して稀に見る長弓ということである。
弓の長さに関しては、時代により、多少の推移も見られる。
しかし戦闘武器として弓矢の需要の増大に伴い、
弓制作専門の職人集団の発生により、その長さが一定化されるようになったと考えられる。
洋の東西を問わず大陸草原地帯の民族は短弓を使用し、
アジア東南諸島などの森林地帯の民族は長弓を使用した。
短弓は騎射専用であり、長弓は徒歩射手用である。
第二の特徴は、弓を握る位置にある。
日本以外の弓では握りの位置が弓の中央であるのに対して、日本の弓は上から三分の二の位置を握る。
銅鐸に描かれた弓からも、また「ぎ志倭人伝」の
「木弓短下長上竹箭或鉄鏃或骨鏃(木弓は下を短く上を長くし、竹箭あるいは鉄鏃、あるいは骨鏃なり)」
という記載からも知ることができるように、古い時代から行われてきたものである。
第三の特徴としては「弓返り」といわれるものがある。
この「弓返り」も日本の弓独特のものであり、
鎌倉期〜南北朝期の射術の進歩、弓の改良によって新しく起こった現象である。
余談ながら船の上や戦場で弓を引く場合には、
敢えて「弓返り」をさせてはいけないということが弓術伝書等に記されている。
そのための特別な弓の握り方も伝えられている。
「船が返る」、ひっくり返るという言葉が「弓返り」と通じるということから
船の中では弓は返さずに引くこととされたものである。
また戦場では弦が回転した弓を元に戻すのに手間がかかることから、「弓返り」をさせなかった。
速射性を重んじた訳である。
773 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/30(土) 08:14:26 ID:leNCSkbz0
>>772 >第一に弓が約二・二メートルという、
>他の民族の弓に比較して稀に見る長弓ということである。
材質的に劣悪で、見た目のはったりがきいたからだよ。
飛ばない、当たらない、威力がないの三拍子揃ったのが和弓。
774 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/30(土) 09:07:46 ID:FAJr8y09O
基本的な事忘れてる人多いみたいだけど
弓の威力は単純に弓事態の強さと引きシロで決まり
レンシャ・命中精度は形状で決まる
日本の用に材料が少なく、短弓を量産できなかった地域では
同じくばねである弓の部分が短い、クロスボウも
威力を期待できる物を量産するのは無理
バネである弓が弱いので有れば引きシロを大きくして威力を上げるのは当然であり
その結果弓が大型になるのは必然で
戦争を目的とし、材料に乏しかった日本では、弓があのような形状になるのは当たり前
クロスボウが強いのは、形状的に機械弓にしやすいから
775 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/30(土) 09:17:31 ID:leNCSkbz0
>>772 >他の民族の弓に比較して稀に見る長弓
赤道近くの未開部族の弓は大きいよ。
隣接部族との戦争に使う時、
命中率や飛距離や威力よりも、
速射を旨としているから、
長い弓が便利なんだよ。
弦が切れたら、棒の代わりに
敵をぶった宅のにも使える。
776 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/07/30(土) 09:20:19 ID:FAJr8y09O
シャホウについては
弓返りは現代でも、「させるべき」「してはならない」の二つの説が有り
まだ確定した要素ではない
私見では、弓返りは「する」ものではなく「なる」もので
正しいシャケイの証明みたいなものだから
正しい射を見る現代弓道ではした方が良いと思うし
弓返りは簡単に止められるので、別に良いとか悪いとか言う程のものではない
嘘弓返りは最悪だけど
平安期から南北朝以降など、絵によく描かれる武者の姿に、
左半身になりながら左の大袖を正面に向け、顔を伏せながら眼だけを眉庇と大袖の冠板の隙間から
覗かせる姿勢がある。甲冑姿での基本防御姿勢。
大袖は体の動きにより、背中に回ったり正面に回り込んだり自在に動くように
作られている。
で、左手には弓、右手は半身の体の陰に隠すように太刀を構えている。
そのまま相手に接近する様子が見て取れる。
射撃用なのか、切り込みたいのか、おそらく場合に応じて両方やりたいのであろう。
778 :
sporran:2005/07/30(土) 10:04:30 ID:+izy2Xuo0
ええと…バカyouタペストリー?
岐阜県可児郡平牧村で出土した馬の化石は、中新世のアンキテリウムと思われ、
長野県安曇郡美麻村で出土した馬の化石は、鮮新世のヒッパリオンらしく、
いずれも日本列島に人類が現れるよりずっと以前のことだった。
洪積世の後期にはオナーゲルのようなものや、プルゼワルスキー馬のようなエクース属の馬が本州に生息してい
たらしいが、旧石器時代に日本列島にいた原始人が、野生馬を家畜にしていた証拠もなく、食べた形跡もない。
ユーラシアの後期では、ユーラシア大陸では多数の馬の化石が出るが、日本では非常に少ない。
ちょうど日本列島が大陸から離れつつあるときに当たり、日本に渡った馬はその後死滅してしまったと思われる。
その後、日本の縄文期には馬は入っていない。縄文時代に作られた土偶には、
人はもちろん、犬や熊や猪や猿などをかたどったものが多数あるのに、
馬を表現したと思われる土偶は、ひとつも発見されていない。
ただ、縄文時代の晩期になって、弥生時代に入る紀元前五世紀
のころの縄文遺跡や貝塚から、小型の馬の歯や骨が出てきた。
しかし放射性炭素年代測定法などの近代的手法によると、これらの骨は、
後代になってから埋められたものが混入した、ということになっている。
その後も、いくつかの貝塚から馬の骨が出たりするが、やはりそれらは後から混入したものらしい。
ということで、日本に馬が入ったのは四、五世紀の古墳時代からというのが定説になっている。
馬具が日本に現れるのが四世紀後半だから、そのころから馬が大量に入ったのだ。
馬と乗馬術が一緒に入ってきたとも考えられる。
朝鮮半島での騎兵を擁する高句麗との負け戦で、急速に取り入れたと考えられた。
ところが2001年、奈良県桜井市箸墓古墳の周濠跡か
ら、三世紀末〜四世紀はじめの木製の鐙が出土した。
鐙があるからには馬も入ったということになるのだろう。
高句麗との敗戦の時代より100年ぐらいも前のことだ。
そのあたりが、日本に馬が入ったぎりぎりの上限ということになろうか。
782 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/31(日) 23:06:31 ID:o8O5+Rhu0
今、映画「スペースバンパイア」見ている。
バスパイアを殺すには、
「スチールではダメだ、アイアンで心臓の少し下を突け」という
台詞があった。鍛鋼ではダメで鋳鉄を使えということか。
近代槍より古代矛の方がいいということか。
盾論議での鋳造・鍛造論議を思い出した。
783 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/31(日) 23:10:53 ID:04xkM68H0
>>782 呪術的な意味でもあるのかな?
でも、それなら銀を使いそうだよね・・・・・・・
盾に付いて、伝承や縁起担ぎとかないのかな?
784 :
sporran:2005/07/31(日) 23:23:16 ID:Rj8zsXwq0
盾を相手に奪われるのは不名誉なこととか、戦死した者が盾に載せられて仲間に運ばれるのは最大の栄誉とかありますね。
785 :
sporran:2005/07/31(日) 23:28:43 ID:Rj8zsXwq0
トーナメントが頻繁に行なわれる時代になると盾は個人のプラカードになってしまいます。
参加者の盾をつるして、槍先で触れて対戦相手を指名したりとか。
786 :
名無しさん@一本勝ち:2005/07/31(日) 23:36:13 ID:o8O5+Rhu0
東アジアの盾だと
鬼神や妖怪、竜虎の怖い顔を描いてあるイメージ
あとから考えてみると、ペロポネソス戦争が残した明白な教訓の一つは、当時それに気づいていた人もいるが、
密集軍には戦争にはっきりした決着をつける力がなかったということである。
密集方陣は変則的な戦闘隊形だったのであり、ヘロドトスでさえ早くからこの事実に気づいていたことは、
彼がペルシアの将軍マルドニオスの口をかりて次のように言っているのを見ればわかる。
「もっとも、私の聞き及びますところでは、このギリシア人というものは、ひどく片意地で愚かなため、
世にも愚劣なやり方でたがいに争い、戦争をする習慣があると申します。
戦いが布告されますと、すぐに彼らは国中でいちばん平坦な戦いやすい場所を選び、ここに集結して戦いますから、
勝利を収めた側も大きな損害をこうむって退くことになるのでございます。
敗れた側については申すまでもございません。戦いに敗れれば全滅の憂き目を見るほかないのでございます。
さて、もともと彼らは言語を同じくしているのでありますから、当然使者や外交使節を取り交わして、
ともかく戦いは避け、どんな手段をとってでも紛争を解決すべきなのです。
そして、最悪の場合、たがいに戦うことが避けられなくなったら、敵が最も攻めにくい場所、
「難攻不落の陣地」を選び、ここで雌雄を決するのが当然なのです」
しかし、密集方陣は単なる戦術的陣形にはとどまらなかった。
それは生活様式の表現であり、男らしさと倫理の規範を象徴するものとして、
ギリシアではおよそどんな軍事国家とくらべてもはるかに深く浸透していた。
ギリシア人がペルシアの統合軍とまみえるようになったあとも、重装備歩兵隊の倫理からして、
古代近東の明らかに優れた軍事制度を取り入れることは不可能に近かった。
>>775 以前、パプアニューギニアの原住民族が弓をもっている写真をネット上でみた
事があるけど、確かに立派なサイズの長弓だったよ。
789 :
770:2005/08/02(火) 10:21:16 ID:jhv4teZEO
しかし、こうした内輪内の戦争ルールは、異文化との交流=蒙古襲来においては、役立つはずがなかった。
戦闘開始の鏑矢の交換もない。一騎討ちを試みても大勢の歩兵に取り囲まれてしまう。あるいは「てつはう」という想像外の兵器もある。
勝手の違いにとまどいつつ、戦争を行ったというのが実情であろう。
更に鎌倉末期になると、戦闘員の増加もあって戦争の形は変わり、騎馬武者だけが戦争をすることはなくなった。
正統な武士=騎馬武者たちは、ここでも「悪党」のゲリラ戦などに苦汁をなめさせられたのであった。
会戦指導方針の変化
第一節 会戦の二種類
戦争の性質に陰、陽の二種あるように、会戦も二つの傾向に分ける事が出来る。
1.最初から方針を確立し一挙に迅速に決戦を求める。(第一線決戦主義)
2.最初は先ず敵を痛める事に努力し機を見て決戦を行う。(第二線決戦主義)
両者を比較すれば、
第一線決戦主義
一、将帥は決戦の方針を確立して攻撃を行う。
二、第一線の兵力強大、予備は少し。
三、最初の衝撃を最も猛烈に行う。
四、偶然に支配せらるる事多く奇効を奏するに便なり。
第二線決戦主義
一、将帥は会戦経過を見て決戦の方針を決定す。
二、極めて有力なる予備隊を設く。
三、最後の衝撃を最も猛烈に行う。
四、堅実にして偶然に支配せらるる事少なく兵力が最も重大なる要素なり。
第二節
1.武力の強靭性
2.国民性および将帥の性格
攻撃威力が弱い、逆に防禦の能力の脆弱な戦闘、換言すれば勝敗の早くつく戦闘では
自然第一線決戦主義が採用せらる。例えて言えば騎兵の密集襲撃のようなものである。
これに反し防禦が強靭である時は急に勝負がつき難い。妄りに猪突するのは危険で第二線
決戦主義が有利となる。それ故この二種類はその時代の軍隊の性格に依る事が最も多い。
特に兵器が進歩して来れば来る程、国民性や将帥の性格の及ぼす影響が小さくなるのは当然である。
古代、兵器が極めて単純であった時代は、国民性の会戦指導要領に及ぼす影響は比較的大であり得た訳である。
ギリシャ人は強大な大集団を作りこれをファランクスと名付けた。
この大集団に依る偉大な衝力に依り一挙に決勝を企図したのである。
これに対しローマ人はレギオンと称し比較的小さな集団を編制した。
これは行動の自由を利用して巧みに敵に損害を与え、敵を攪乱し、適時機を見て決戦を行わんとするのである。
すなわちギリシャ人は第一線決戦主義に傾き、ローマ人は第二線決戦主義を好んだのである。
マケドニア密集軍の兵士は、装甲歩兵の場合より多少おたがいの間隔を広くとっていた。
矛を使うには両手が必要だったし、隣の兵士の楯で身を守るのはもはや不可能だったからである。
マケドニア密集軍はギリシアの装甲歩兵密集軍よりさらに重武装であ
り、機動性に乏しかったが、もっと特殊な戦術的任務を与えられていた。
装甲歩兵とはちがって、マケドニア密集軍の兵士たちはふつう独力で戦闘に勝つ必要はなかった。
敵を寄せつけない重装備部隊の陣形として、彼らに課せられ
た任務は敵を迎え撃ち、その隊列を釘づけにすることにあった。
そのあいだにマケドニア騎兵隊と軽装備歩兵隊が敵軍の間隙をついて突入したり、側面や後衛を攻撃したのである。
マケドニア密集軍が鉄床となり、敵軍は包囲した騎兵という槌によって、この
鉄床に向かって追いやられ、戦闘のさなかに壊滅的な打撃を受けたのである。
既出のように持ち楯は、様々な要因(両手武器の使用、甲冑の発達、銃器など)により使用されなくなっていくのが
世界的な傾向です。
日本やモンゴルでは両手武器である弓を主力武器とした事、他の防御手段(甲冑や防矢服)が普及していた
事から、比較的早期に持ち盾は廃れたのでしょう。この過程において「両手武器と共存できる楯」として大袖が
出現しています。インドの歩兵でも「肩から吊す楯」を持つ事例が見られますし、「楯か両手武器か」という問いに
「両方」と答える試みも各地で行われたのでしょう。
一方西欧では、騎兵の主力武器が片手槍だったこと、14世紀までの甲冑は性能が低く(というかチェーンメイルは
メイスなどの鈍器と相性が悪い)普及率も低いことから(雑兵まで胴鎧を付ける日本はむしろ重装の部類)、
板金鎧の登場まで持ち楯が重要な防具であり続けたと考えます。そのため楯自体及び使用法の改良が進み、
腕に固定する楯や「楯術」とも言うべき精妙な運用法が生まれたのでしょう。
ここで謎なのが中国です。中国では初歩的な(
>>721流に言えば「ガンダム型」)楯が16世紀になっても現役で
使われています。「楯無し軍隊」であるモンゴルに一度は征服されているにも関わらず、です。
西欧のように高度な使用法が存在したかどうかは判りませんが…
794 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/02(火) 18:25:15 ID:u8qfrKR60
>>793 >西欧のように高度な使用法が存在したかどうかは判りません
回答:探してみるがいい。中国史からは他地域にあったものなら何でも出てくる。
単に廃棄物が中国に集まっただけだろ
じゃなきゃ、あそこまで弱いわけがない。
796 :
sporran:2005/08/03(水) 00:19:45 ID:qeENNVD20
次の土日8月6.7に浜松町産業貿易センターでブラックホールがあります。AVALONの定例試合がありますのでお越しください。
今回はソフト剣で希望者は対戦をすることを予定してます。
797 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 00:30:50 ID:SKsVzugn0
>>793 >中国では初歩的な(
>>721流に言えば「ガンダム型」)楯が
>16世紀になっても現役で使われています。
第一次世界大戦でも欧州で騎兵が槍を抱えて突撃したり、
第二次世界大戦でも東欧でメイスが使われたりしてるよ。
武器は興亡が激しく、時として復活もよくするよ。
100年たっても、1000年たっても、
徒手格闘技とナイフ格闘術は不滅だろう。
798 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 02:07:40 ID:nON/3wmi0
精神性を考えると、剣も不滅だと思うのだが。
799 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 09:41:36 ID:4qFLbsTA0
>795
尚古性が強いからでは?
日清戦争の時にも弩が登場してますし。
800 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 11:22:57 ID:D23L0oXC0
宣 戦 布 告
こ の 糞 ス レ の 住 民 気 に 入 ら な い
文 句 あ る な ら 俺 様 達 の 良 ス レ を 荒 ら し て み ろ よ
そ れ と も 怖 く て レ ス す ら で き な い か ?
/∧ /∧
/ / λ / /λ
/ / /λ / / /λ
/ / / /λ / / /λ
/  ̄ ̄ \
/ / ̄\ / ̄\\
/ | ●| | ●| ヽ
| し ̄ヽJ し  ̄ヽJ |
| '""" |
| """" T" | T """ |
| """" | ノ | """ |
\ 丶 ___人___ノ /
\_ ヽ―/ __/ < かかってこいよ
/  ̄ ヽヽ \
/ ぷっ
俺様達はチキンなてめーらと違って堂々と↓に俺様達のスレ晒すぜ。
http://game10.2ch.net/test/read.cgi/netgame/1120390100/l50
801 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 12:47:13 ID:OVUdM4gh0
>>799 >日清戦争の時にも弩が登場してますし。
日本帝国陸軍は1945年の沖縄戦の時に長弓を使っています…
元軍が太鼓やどらを打ち鬨をあげると日本の馬はこれに驚きおどりはね、馬を御するうち
に敵に射かけられてしまう。蒙古の弓は短いけれど矢の根に毒がぬってあり、数百人矢先
をそろえて雨のごとく射かける上に鉾・長柄・物の具を隙間なく揃えて一面に立ちならび、
攻め寄る者がいれば中を開けて両端から取り籠め討取るという、典型的な集団戦法である。
甲(冑)は軽く騎馬は達者、力は強く命(令)を違わず、豪勢勇猛自在きわまりなく、能く駆
け引きし、大将はたかいところにあがって、引くべき時には逃げ鼓を打ち、駆くべき時には
攻め鼓をならし、それに従って変幻自在に行動する(八幡愚童記)。
蒙古軍と日本軍の基本的戦法の違いは個人戦と集団戦だという。
日本戦のごとく、相互名乗り合いて、高名不覚は一人ずつの勝負と思うところ、この合戦
は大勢一度に寄り合いて、足手の働くところに我も我もと取り付きて押し殺し虜りけり、
これゆえ懸け入る程の日本人漏れるものなかりけり(八幡愚童記)と当時から語られてきた。
進退自由という点では、大将の指示から逸脱し、功名だけを追い求めた武士もあり、組織
の持つ軍事力の強さには欠けている。
このような武士の戦い方の根底には、鎌倉幕府御家人制は将軍と個人がそれぞれに直結してい
るという縦割りの封建的関係があった。守護の管轄におかれても守護とは主従関係にはない。
御家人は自分の責任で合戦に参加する。総大将のもとで指示は受けるが強制でもなく、自分中
心に振舞っても軍律違反を問われることはない。戦功も自己の責任で証明しなければならない。
文永・弘安の二回にわたる戦闘において、最も大きな違いといえば、文永の役以
後に敵の上陸予定地の水際に作られた、防御陣地の存在を指摘することができる。
その内の石築地に関していえば、今も所々に残る様子から判断すると、石築地の
規模は上端幅2メートル、高さ3メートルほどと推測できる。
石築地は海岸砂丘の頂上に作られたため、海側からの高さはもっと高いことになる。
また、各御家人が分担して工事に当たったため、各分担ごとに石材や積み方に差
がみられるのが面白い。
今に残る古文書によれば、これ以外にも潟には船舶や敵兵の侵入を防ぐための乱
杭が打ち込まれていた。
また要害と呼ばれた施設に使う、釘や板敷代の銭が記された文書からは、戦闘用
の何らかの建物の存在もうかがえる。
異国警固番役の武士たちは、各々が分担してこのような持ち場を守り、時には石
築地などの修理も行っていたのであった。
古典期のギリシア人の要塞構築術は、密集軍のおかげで必要性がなくなったので、古代近東にくらべ
て立ちおくれてしまった。
スパルタ人は、自分たちの都市に城壁がないのを誇りにしていたし、アテナイ人の中には城壁を破壊
すればいっそう安全が増大すると信じる者もいた。
それが刺激となって、スパルタに劣らない密集軍をつくりあげるのに役立つからというのだ。
804 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 13:57:37 ID:OVUdM4gh0
今、ディスカバリーチャンネルで
ニューギニア・ウォダニ族の番組を見てる。
「シリーズ:少数部族の旅路---ウォダニ族の父系社会」
(再放送は9日の午前1時から2時)
ほぼ全裸でペニスケースを付けて暮らす彼らの
生活と近隣部族との戦争を取材している。
弓は明らかに長弓だよ。
805 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 13:58:54 ID:OVUdM4gh0
>>803 モンゴル兵が怖くて万里の長城を作った漢族の気持ちが分かるね
806 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/03(水) 15:40:47 ID:YwVvBP7mO
796>>詳しく教えてもらえませんか?
807 :
sporran:2005/08/03(水) 21:15:39 ID:qeENNVD20
ブラックホールはミリタリー・サバゲーのイベントでその中に我々は主催者のご好意で
ステージを貸して頂いております。例年ですと甲冑バトル(個人・集団戦)をやり希望者にはドイツ剣術やシールド&ソードの基本を教えます。
今回はメインメンバーがアメリカ大会に行く準備で参加が厳しいので新人達がバトルの中心となるはずです。
バトルはおそらくおそらく11時ころと午後の2回あります。
ソフト剣は香港のメーカーのもので何度か書き込みをしましたが、重量、バランスは実剣と同じ物です。
私は刀がありますので、剣術経験者がおられましたら一度ご経験ください。
甲冑の試着も考えております。
808 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/03(水) 22:18:59 ID:3ziByQt3O
仕事が入らなかったら行きます
自前の居合刀や木刀は必要でしょうか?又、服装はどういった物が望ましいでしょうか?
809 :
sporran:2005/08/04(木) 01:08:39 ID:DmfvjZtn0
自前の物はひかえてください。今回はoff会ではなく剣に興味の無い人もたくさんおりますので。
服はジーンズ、Tシャツで充分です。
810 :
sporran:2005/08/04(木) 01:34:01 ID:DmfvjZtn0
それからダンスもあります。中世のダンスで楽しい。飛び入り参加どうぞ。
811 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/04(木) 10:30:08 ID:5IJyG9KmO
ラジャ
断 殿
ソフト剣、防具等はこちらで用意してありますので、服装はジーンズ、Tシャツで充分ですが、
ミリタリイベントですので、それに準じた服装は歓迎されるかと思います。
813 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/04(木) 12:25:55 ID:S5zfUeh/0
フェンシングならまだしも、ドイツ剣術なんて滅多に見れないからなぁ。
秘伝で特集組んでたやつでしょ?
前700年から650年の間に、ギリシアの諸国家は古代の戦闘技術の進歩に大きく寄
与する重装備の歩兵隊、いわゆる装甲歩兵密集方陣を創始した。
コリントスやスパルタやアルゴスでは、いちはやくこの新しい陣形を採用した。
装甲歩兵密集方陣は、重い甲冑に身を固めて何列かの横隊を組んだ槍兵によって
構成され、突撃隊の役割を果たした。
そして、敵と正面から激突し、白兵戦をくりひろげたのである。
ローマのレギオン(3000〜6000の歩兵に300〜700の騎兵を加えた軍団)が登場す
るまで、密集方陣は、古代世界で最も恐るべき重装備歩兵隊として君臨した。
前7世紀の初めに創始されてから前5世紀末のペロポネソス戦争の終結に至るま
で、密集方陣はとりわけ甲冑の面で少しずつ改良されていった。
しかし前700年から400年にかけての300年間を通じて、一団となった重装備歩兵
隊が軽装備歩兵隊や散兵、あるいは騎兵隊の援護を受けず、本質的に単独で作戦
を展開するという戦術的原則には変わりがなかった。
陣形を組んだ重装備歩兵隊が採用された結果、誇り高い英雄的な戦士は、たちま
ち戦場から駆逐されてしまった。
きちんと整列した横隊が槍の穂先をそろえて構えているところへ一人で突撃して
も、成功は望めなかったからである。
装甲歩兵密集方陣の攻撃兵器は、短距離ないし突撃兵器の槍と剣に限られていた。
この密集軍は、投げ槍とか弓のような中・長距離兵器をまったく欠いていたので、突撃戦にしか役に立たなかった。
装甲歩兵の防具の中で最もユニークなのは、ホプロンと呼ばれる新しい楯であり、
ホプライト(装甲歩兵)の名はそこに由来する。
真ん中と裏側の端に一つずつ、計二つの取っ手がついていた。
この楯は取っ手が真ん中に一つしかない従来の楯より重くて、より完全に身を守
ることができたが、背中に吊り下げる訳にはいかなかった。
装甲歩兵は、列を乱したり、敵に背を向けて逃げ出したりしないよう厳しく訓練されていた。
ギリシア全土の装甲歩兵は、すべて同じ型の甲冑を身につけ、同一の戦術的原則
にのっとって戦った。
長年のあいだには、機動性を得るため、身体につける甲冑を多少軽いものにする
傾向が生まれ、そのために前5世紀には密集方陣は以前ほど重装備でなくなって
いたが、本当の意味での軽装備歩兵隊に近いものには決してならなかった。
戦場での密集方陣の戦術的展開は、その装備によって決まった。
装甲歩兵が左腕に持つ楯は重くてやや扱いにくかったので、身体の右側を守るこ
とができなかった。
そのため、歩兵は、やむをえず隣の兵ににじり寄り、無防備の右脇腹を仲間の楯
で守ろうとする傾向があった。
歩兵隊を密集した横列と縦列に展開するのが通常の陣形で、標準となる編制は決
まっていたが、横列はかならずしも八列ではなかった。
密集方陣の編制は、横列よりも縦列にもとづいており、装甲歩兵は横列よりも縦
列の一員として動いたが、横列と縦列は戦術面で相互に依存しあっていた。
基本的な狙いは、正面の横列を堅固にかためて敵のつけ入る隙を与えないことだった。
正面の横列の一人が倒れたときは、縦列でその後ろにいる者が前に進み出て、正
面の横列をくずさないのである。
前8世紀および7世紀に密集方陣が「英雄的な」貴族の軍隊をたやすく撃破して以来、
テッサリア以南のほとんどのギリシア国家が密集方陣を採用し、前675から(前)4
90にかけてのギリシアの戦争は、主として密集方陣同士で戦われた。
密集方陣は、騎兵隊や軽装備歩兵隊や散兵による側面および背後からの攻撃にき
わめて弱かったが、その種の部隊は当時の戦争では用いられていなかったのである。
密集方陣同士の戦闘しか考えられなかったのだが、それは平地でなければ不可能な戦闘だった。
起伏の多い地形では、整然とした隊列を保つのが非常に難しかったからである。
アルカイック期のギリシアの詩には、新しい戦術における倫理を歌ったものが非常に多い。
「隊列を乱すな、自分の持ち場を固守せよ、死ぬまで戦え」
楯を投げ捨てて逃げ出すほど不名誉なことはなかった。
臆病者だからというだけでなく、同じ横列の他の者を危険にさらすからだ。
出征する自分の息子に、楯を持って帰ってくるか、さもなければ楯にのせられて
帰ってくるように命じ、楯を投げ捨てて逃げてはならないと、それとなく言い含
めたスパルタの母親の有名な話は、新しい軍隊の倫理をよく物語っている。
818 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/05(金) 06:37:36 ID:7UO+B0bD0
ホプロンってのは、ギリシャ諸都市と対立していたマケドニアの装備だぞ。
ホプロンを使うから、マケドニア・ファランクスは「ホプリタイ」と呼ばれたんだ。
どうも、あちこちに時代考証の間違いが有るようなんだが。
アバロンはんいよいよ出番でんな、期待してまっせ。
821 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/06(土) 10:33:29 ID:fOBYTv19O
11時には間に合わんな、ま、いっか
822 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/06(土) 10:55:45 ID:y20uDwFL0
823 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/06(土) 23:08:12 ID:4WUSAdwI0
打ち上げの宴会中かな…
824 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/06(土) 23:16:50 ID:fOBYTv19O
本日は有難うございました楽しかったです
ガチの殺し会い以外では、レイピアに勝つの難しそうですね
断 殿
本日はお疲れさまでした。レイピアのヒルトは防御とカウンターに適しているので
待ちに入られるとキツイものがありますね。
正直言って、片腕捨てるつもりで捨て身の攻撃しか思いつかないです。
無傷で勝つのは至難の業ですね。
はじめ持流天皇の世(686〜96)に陣法博士というものがあり、これが後世の軍学の起源といわれる。
六代ののち淳仁天皇のとき吉備真備が唐に留学して孫子をもち帰ったのが始めとされているが実際に
体系づけられたのは醍醐天皇の時代であった。
天皇はわが国の人心がようやく乱れ、各地に叛乱がおこったり、新羅人が肥前、肥後を侵冦したりす
る事件が頻繁におき、こうした内外の多端な時勢に鑑み、至急軍法、兵制の制定をしておく必要を痛
感せられた。
そこで平城天皇五代の後胤で、東宮学士、左大?宰相、醍醐天皇の持読―文章博士であった大江維時
を勅使として、延長元年(923)発未五月、唐に派遣し「覇者ノ法」を求めさせた。
維時はいそぎ「生縁ノ岸」を出航し、萬里波濤をのりこえ同八月、中国の「明星浦」に到着した。
そしてかねて日本をでるとき準備していた砂金10万両のうち5万両を唐の皇帝に献上してまづ諒解を
とりつけておき、次の5万両を軍法の総元締たる龍取将軍にあたえ
(一)六?三略、軍勝ノ図説
(二)四十三箇条ノ秘法
など30余巻の伝書を入手した。
その主な真伝は
(イ)老子が天上より伝わる法と九変化
(ロ)太公望呂尚の陣制八十一変
(ハ)順逆百二十八変
(ニ)孫子十三変
(ホ)諸葛孔明の四首八尾、常山ノ蛇勢、天文取捨ノ伝、?陽宮図、膝曲尺、奇正進退千変万化ノ伝規
などである。
維時は龍取将軍から真伝を受けて10年間、密教を研究したのち、朱雀天皇の承平4年(934)甲午の春、
すでに退位しておられた醍醐天皇に報告し、これらの書を奉った。天皇は非常にお喜びになり、これ
に解釈のご?筆を加え「日本軍法」と決定した。
維時は報告が終わると研究生活に入り、これら軍書を心読して大江流の軍学「闘戦経」を編み出し子
孫に相伝した。
匡房や大江広元等が出て研究は重ねられ、10代ののち大江時親という軍学者があらわれた。
時親はのちに西下して安芸毛利の基を開いた。従ってこの大江流の軍学は代々毛利家に伝わった。
闘戦経は、毛利元就の父弘元から元就の兄興元に伝わり、興元から異母弟で元就に殺された相合元綱
へ、元綱から上北面出羽守?武元、東山隠士真人橘正豊→東海桑門老翁大江純斉元氏→伊予松山の
(軍士)木村勝政→向井義介→同義保→野沢弘道→長州の秋良貞温を経て、最終的には江田島海軍兵学
校に寄贈―保存されたという。
闘戦経の作者は大江維時であるか、または大江匡房であるか、と言われているが、大江氏の系図を見
ると、人皇51代平城天皇の皇子阿保親王の後裔であって、親王の子、本主は大枝姓を賜り、その子音
人は清和天皇の貞観十八年に上奏して大江朝臣と改めた。
代々学を以て名を挙げ、千里、朝綱、維時、匡?、挙周、匡房等は盛名を馳せた。
匡房の三代の孫、広元は源頼朝の政所別当として幕府政治の創業を完了した。
その子孫から長井、那波、毛利、海東の諸氏が出た。闘戦経は毛利氏に伝えられたと言われている。
大江某の誌した闘戦経序に「何人の作述なるを知らず。或いは曰く太祖宰相維時卿の作と。或いは曰
わく太宰の帥匡房卿の書なり。今考ふべからず」とある。然るに維時は平安朝時代の文学者であり、
中国から六?・三略・孔明の書等三十巻をもたらした人であるが、匡房は学者であり、中国伝来の諸
書に通暁して居るばかりでなく本朝の諸学に精通し、日本精神に徹した人であり、また政治家でもあ
り、兵事にも造詣が深かった人であるから、闘戦経は匡房の書であると観るのは妥当性が多いと言うべきであろう。
830 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/09(火) 15:10:40 ID:mwmaHWMvO
ちょっと黙ってろ
およそ一軍の将たる者が、合戦にのぞんで部下の武勇のみにたよることなく、兵学的な駈引きに意を
用いるのは当然であったろう。合戦の勝敗が、兵力の多寡、装備の優劣、兵員の士気などとならんで、
運用の術によって大きく左右されたであろうことは、戦国時代であっても当然肯定されるべきである。
すでに「壬申の乱」以来中世の戦乱を通じて、この運用の術が高度に洗練されてきたことは言うまでも
ないが、その根本にあったものは、大陸伝来の「孫呉の兵法」であったと言えるであろう。
わが国においても、大江家伝来の「闘戦経」と称する兵法書が現存しているが、内容は孫呉の亜流で
あり、独創的なものとは信じ難く、おそらく近世に入ってからの成立と推定される。
そして、その「孫呉の兵法」はある意味では不変の真理を含み、およそ社会科学面よりみる限り、現
代においても十分その存在価値を評価することができる。
したがって、古来の兵学が「孫呉の兵法」を基礎にしているのは当然であるとも言える。
感状は「合戦に参加した将士の戦功を賞する為に出した文書」である。
そこには合戦の日時、場所、戦功の内容が具体的に記されている場合が多く、合戦の史実を確定する
ための基本史料として重要であることはいうまでもない。
感状は、その当時においては恩賞請求の有力な証拠として、後には家門の名誉の表徴として、時に主
君の上覧に供されたため、諸家において大切に保存されたが、またそれゆえに写や偽文書も数多く作
成されており、その取り扱いには相当の注意を要することが指摘されている。とくに既知の史実に即
して作為された感状で、しかも写として伝えられている場合、その真偽の判定には一層の困難がともなう。
しかし、史料的根拠が曖昧な軍記物類の記述に安易に依存することを排し、確実な文書によって合戦
の史実を確定するためには、写として伝えられている感状の史料批判の方法を鍛えることが不可欠である。
古墳時代に発達した身を守るための武具には、よろい・かぶとと盾があります。
盾は大半がかわ製品で、全体のわかる例はほとんどありません。
それにくらべて鉄でつくられたよろいとかぶとは、古墳から遺体にそえられた状態で出土することが
わりあいおおい遺物です。
そのかたちと構造、つくり方は変化していて、時期があたらしくなるにつれて、動きやすいもの、大
量生産しやすいものへと工夫が加えられています。
体の胴の部分のみを守るよろいを短甲とよび、腰の部分までひと連なりになっているものをけい甲と
よんでいます。小さな鉄板をかわひもでとじ合わせているため、動きやすく、馬にものりやすいつく
りになっています。
攻撃用の武器には、刀と剣をはじめ弓矢ややりが代表的なものです。
古墳から出土するのは、鉄の刀と鉄の矢じりが全期間あり、前期の古墳におおく目立つのは銅の矢じ
り、やり、鉄の剣です。
なかでも、鉄の矢じりは時期があたらしくなるにつれて、大きいものから、攻撃力のすぐれた長く小
さなかたちへと変化していることがわかります。
これはよろいの構造の変化にも対応しています。
杭をたくさん不規則に土中に打ち込んで、それに縄を張り廻したものを乱杭という。
今日では有刺鉄線を張り廻した鉄条網となっている。
また渡河して攻撃されそうな所には水中にこの乱杭と綱を張りめぐらす。
乱杭は水中に装置されると前進を妨げられ、狙い撃ちされる。
835 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/11(木) 16:26:41 ID:cxeschd40
戦国大名たちは合戦をおこなっても、損害を出したくありませんでした(人間は貴重な資源なので、あたりまえですね)。
そのため買収、脅迫、謀略、宣伝などの手段を用いて、相手より優位に立とうとしました。
何千人も戦死傷者が出るような大規模な合戦は通常ではあり得ず、やむを得ず合戦になっても、
陣地を築いて遠方から弓矢や鉄砲、石を投げたりする飛び道具が主要武器だったそうです。
「楯突く戦(たてつくいくさ)」という言葉があります。
楯を突く、楯を並べて遠くから矢を射かけ合う戦いです。
合戦は勝敗が決まって敵を追い払えば良いわけで、
敵を殺戮し、徹底的に殲滅するような合戦は案外少ないのではないかと思います。
http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/rekishi/sengoku.htm
>835
>敵を殺戮し、徹底的に殲滅するような合戦は案外少ない
なぜ殺さないかというと、人は重要な輸出品でもあったからですね。
837 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/11(木) 18:10:08 ID:cxeschd40
マンガやアニメだと
相手を徹底的に殲滅しなきゃダメなのかのような勢いで殺戮しまくるよね
ここは格闘技を扱う板だと思ったんだが違うかね?
839 :
YMA:2005/08/11(木) 22:16:36 ID:s5pABFtW0
>>838さん、武道・武芸ですから、広い意味で・・・・幅が無いと私の質問を問う場所が無くなってしまうので、大目に見てください。
ちょっと、流れと違う質問なのですが、盾を使っての相手に対し、投げなど武器以外での攻撃は有効なのでしょうか?
甲冑武者には必殺になるのですが、「西洋の盾術などでは通用するのだろうか?」と思いましたので
840 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/11(木) 22:47:41 ID:Z4IKU/Qn0
841 :
YMA:2005/08/11(木) 23:02:21 ID:s5pABFtW0
>>840さん、これが盾割なんですね!!
これを強弓で打ち込む訳ですね・・・・・・盾も貫通しそう
842 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/11(木) 23:58:50 ID:3RXfEmew0
現代では警察機動隊が白兵戦用に使ってるし、最近では軍隊や
特殊部隊で防弾用の「個人装甲」みたいな盾も使われてる。
個人的には護身用武具として、かなり使えると思う。
ビジネス鞄に埋め込むタイプ(取手だけ鞄の外に出しておく)で、30a×20a
程度のサイズがあれば、ナイフなんかで襲撃されてもかなり防げる。
843 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/12(金) 00:50:36 ID:x9Fi5dTW0
今NHKニュースで江戸時代に使われたという、連射式の石弓をやってましたね。
使ってたことは使ってたのか…
845 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/13(土) 02:21:02 ID:bs8ELrsX0
846 :
845:2005/08/13(土) 02:21:57 ID:bs8ELrsX0
それ以前から構想は有ったらしいよ、二連装で連射する模型が、遺跡から発掘されているし。
ただし弓が極端に弱く、弦の張力だのみで威力は低かったか、ただの模型だったらしいが。
848 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/14(日) 14:33:05 ID:CjN+nsw70
諸葛孔明が作った連弩は10本の鉄製矢を同時に発射するもので、
清朝のものは20数本の矢を装填し一本ずつか2本ずつ連射できた。
849 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/14(日) 14:35:00 ID:CjN+nsw70
850 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/14(日) 15:04:10 ID:ehQVFxW10
和弓の有効射程距離って大体何メートルぐらいなん?
三十三間堂の通し矢っていう行事が在ったと思うけど、
一間って何メートルだったっけ?
851 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/14(日) 15:30:55 ID:CjN+nsw70
和弓の有効射程距離は、例外はたくさんあるが、
百メートル程度が一般的だろ。拳銃よりずっと長く、
アサルトライフルより短い。サブマシンガン程度。
矢を雨のように降らすのではなく、戦場での対人
狙い撃ちなら有効射程距離は15メートル前後。
弓道での短的が28メートルだから、そんなものだと思う。
貫通力や殺傷有効性などの威力や
射程距離を大きくすればするほど
連射性は損なわれる。
三十三間堂通し矢は約60メートルで
弓道では遠的の距離だね。
矢は、時速200キロくらいしかでない上に(テニスのボール以下)
動く的に当てるのは難しいから、対人戦闘には向かないよ。
拳は時速300m程度だし、射程も正に手が届く範囲だが、対人戦闘に使われてるよ?
>>852 刀は戦場では使えなかったの次は、弓矢も使えなかった説?
856 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/16(火) 13:42:38 ID:67qCWL/h0
857 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/16(火) 17:23:00 ID:uRjH/dEa0
純粋に弓矢についてのデータだろ。前の話から読めばわかるよ
858 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/16(火) 17:37:56 ID:uRjH/dEa0
600台から700前半までかな?斜め読みしたけどその辺読むと流れが理解できるよ。
盾の発想から具足の話への結果として弓もデータが必要というとこ
859 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/16(火) 18:10:27 ID:CiSZQ3wx0
時速200キロで鋼鉄の鏃が飛んでくるのかよ、こわ。
矢の重さってどれくらいなんだろ?
860 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/16(火) 18:18:31 ID:vAhCNm1VO
和弓の命中精度が低いから、盾が必要なかった説は
だいぶ前に主張したが、華麗にスルーサレマスタ
>>853-854 >>851で有効射程について書かれてるので
実際は10m位じゃないと当たらないし
ちょっとよけられたら、すぐ詰め寄られるから
45度の角度で雨のように降らせる以外は向いてないって事。
流鏑馬の的が近いのは、実際にあの距離で騎射してたから。
ちなみに、矢は拳のように的に向かって追尾したりしないしジャブもなければフックもない。
>>854 その逆で、戦場じゃなければ使い物にならない。
矢切なんて業を使うでもなく、動き回る的には当たらないから
個人対個人で使うようなものじゃない。
862 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/17(水) 04:54:38 ID:S3oHsn2A0
日本の盾って大型の設置型が主流。
>861
>45度の角度で雨のように降らせる以外は向いてないって事
これは誤りですねえ。これでは頭上から垂直に近い角度で
落ちてきて何の役にも立ちません。大砲なら別ですが。
864 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/17(水) 10:48:54 ID:nZ9MS61V0
>>863 大鎧の背面を守る部分は、元々は放物線を描いて飛んでくる矢に対して
伏せて矢をかわすときに使うものだぞ。
上の方から矢が振ってくるので、伏せてるときは背中にある臆病で防御する
追尾する拳なんて初めて聞いたよ。
生理学的に、ジャブは完全にかわし切れないとされてるが、かわしても追尾は出来るんだ。
もの凄い反射神経だな! 反応速度といい、都合の良さといい。
866 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/17(水) 12:45:15 ID:nZ9MS61V0
>>865 のろい速度でジャブを打てば
らくに追尾できるぞ。
ちなみにミサイルの追尾は、ゲームの中だけの幻想で
実際は打ちっ放しミサイル。
最初に敵の位置を予測できるだけ。
あと、和弓は、60m先の遠的に当てるのも大変だが(通常30m)
モンゴルや洋弓は、60m先の的を当てるのが普通。
モンゴル弓大会では60mが女用の距離。
30mの的の場合、あたらない方がおかしい。
洋弓の場合、スコープだのオモリだの付けなくても、30mなら1ヶ月もあれば
確実のあてることが出来る
和弓は、精密射撃を目的にした物というより、数を頼って雨のように降らすものだと思われ。
材料の調達性もいいしね
867 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/17(水) 12:47:20 ID:nZ9MS61V0
上方から雨のように振ってくる矢に対しては
持ち盾より置き盾の方が楽そうだけどね。
>のろい速度でジャブを打てば
>らくに追尾できるぞ。
らくにカウンターで返されそうだけどな
>ちなみにミサイルの追尾は、ゲームの中だけの幻想で
>実際は打ちっ放しミサイル。
>最初に敵の位置を予測できるだけ。
半分当たりで半分ハズレ
このスレの主旨は、格闘技を知らない奴が、ハンチクな知識で歴史や軍事など、板違いな話題を振り回すことか?
のろいジャブに存在価値が無いように、ほふく前進する武者に、馬は必要なかろうに。
武士で騎馬弓兵じゃなかったんだ、数々の記録や学説を覆す、新しい視点にびっくりだ。
>>869 大鎧の背板は、なるべく矢に当たらないように馬上で体を縮めるた時、放物線を描いて飛んでくる矢が
背中に当たることを防ぐために付いていたと考えられています。
ちなみに背板が「臆病板」といわれるようになったのはもう少し後。徒歩用の胴丸の場合、背板はオプションです。
徒歩戦で背中に防具を追加するのは、敵に背を向ける予定があるからということで「臆病板」と呼ばれました。
871 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/17(水) 17:24:24 ID:tLCGVoWd0
>864
>上方から雨のように振ってくる矢
これは的が小さくなることを意味しますから、狙うためには相当な熟練を
要します。そのため、水平方向に射出するよりも4-5倍の量を射ないと同じ効果
が出ないはず。それだけの射手、矢量が確保できなければ、逆に消耗が激しくて
不利と思われます。
45°に射出するとなると、敵の弓の有効距離内に相当はいっていかないと
届かないと思います。その地点に到達する前にねらい打ちされる危険が大きいと
思うのですが、この点の工夫はどのようにしていますか?
872 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/17(水) 18:22:59 ID:SAgPZrEL0
>>867 水平に飛んでくる矢は置き盾で防いで上から降ってくる矢は大きな兜で防ぐってこと?
873 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/17(水) 19:05:53 ID:KxgtUYXe0
戦場における
遠間合いでのメインウエポンは
投石だったことを忘れんなよ。
素手、投石紐、投石機。
>>873 だから何だ、この野郎め
素手って何だ、この野郎め
875 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/18(木) 00:51:32 ID:ddx6IKgp0
武田軍団には投石衆がいたそうだな。
876 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/18(木) 00:53:32 ID:ddx6IKgp0
なぜ日本武術じゃ盾をあんま使わないか。
実際の戦では設置型の大型盾を使用していて、個人が手に装備するタイプのものは超マイナーだったから。
ではなぜ設置型ばかりになったのかが問題だな。
877 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/18(木) 01:04:33 ID:N4ch8I4Y0
射角の浅い矢の一斉射撃は置き盾でOK
頭上から降ってくる矢の一斉射撃は兜と肩プロテクタでしのぐ
投石も兜と甲冑でしのぐ
878 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/18(木) 01:10:55 ID:1zW746tn0
小さな持ち盾だとはみ出た足の部分を守るために下半身の鎧が必要だな。
879 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/18(木) 01:57:08 ID:N4ch8I4Y0
欧州やモンゴル、中国の強くて正確な弓に対して、
弓矢の威力と制度が著しくショボかったということは
日本以外の他地域で持ち盾が使われていた時代に
それを使わなかった大きい理由になりそうだね
880 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/18(木) 09:29:50 ID:qYtx3dmg0
弓の最大射程は120m(戦国時代の遠的)
現代のような精密射撃を目的とした遠的で60-90m(なかなか中たらない)
静物への精密射撃の有効射程は20-30m
移動体への有効射程は、もっと近間だろう。
材質が竹のため仕方ない。
尾張槍の長さ5-6m
以外と飛距離がある投石はバカに出来ないな。
881 :
逝き時国:2005/08/18(木) 09:39:07 ID:LEzXUsK60
置き盾とか、農民の発想だぞ。
避けりゃ済む物を、そんな駄目駄目な対策に頼ったりしまっせん。
日本人に、銃 大砲 矢は、ほとんど通用しない。
>877
>射角の浅い矢の一斉射撃は置き盾でOK
>頭上から降ってくる矢の一斉射撃は兜と肩プロテクタでしのぐ
ということは、盾を破壊するか倒す、あるいは機動力を利用し側方や後方
にまわり射るのがもっとも有効だということになりますよね。
>>879 既出。その問題には「モンゴル騎馬弓兵も楯を持たない」という反論が為されています。
英国の長弓兵も持たなかった可能性があります。
>>882 そのため置き盾をぶち壊す(あるいは倒す)ための専用の鏃が存在するようです。
884 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/18(木) 11:49:37 ID:Beo66uUw0
>>883 879は「日本以外の他地域で持ち盾が使われていた時代」と
限定してるだろ。落ち着いて読め。宋や元の時代以降では、
中国やモンゴルでは守城戦以外では、持ち盾は正規軍装として
ほとんど使われていないよ。そんなことは誰でも知ってる。
オイオイ反論する訳じゃ無いが「俺の持論は誰でも知ってる」は、典型的な詭弁だぞ。
中国の正規軍の装備なんぞ、中国兵が弱すぎて興味をもったこともなかったよ
関係ないだろ?
新しく議論に参加したいならこのスレ全部読み直してきた方が良いよ。
読んでないのバレバレの奴が多過ぎ。
だから「そんなの常識」とか「過去ログ読め」とかは、2CHのコア・ユーザーにしか通じないロジックだって。
既出ネタを繰り返したくないなら、該当するレス・アンカー張り付けて「ここ読め」とか「参照」とでもすべし。
890 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/20(土) 21:58:10 ID:WGLXDGqT0
日本での馬術は弓馬の道、武芸十八般にも数えられているように中世の武士にとって必須科目であった。
しかし、江戸時代を降るにつれ日本古来の馬術が没落していく。
その要因として長きに渡った平安な世の中であったこと、
武芸より政治的手腕を重視されるようになったこと、乗馬できる人がごく限られていたこと、
馬術を教われるほどの財産を所持していない者が多かったことなど様々である。
日本において馬とは刀剣や鉄砲と同じように兵器して扱われていたので、
武士以外の身分(商人や農民)などは通常乗馬することを禁止されていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E8%A1%93
891 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/21(日) 02:39:00 ID:8uso4z5T0
>>890 馬、弓、相撲は北アジア民族(蒙古、満州、日本)共通のたしなみだね。
892 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/21(日) 07:08:45 ID:nF3dGcjSO
過去ログ読め、半年ロムって出直して来い、ググレ
これはループによるスレの停滞を防ぐ素晴らしい発言です
ここは専門板なので、議論をするには何らかの専門的知識をもたなければならず
又、日本刀、弓、槍、甲冑、西洋武具、軍事関連等等の実践、研究を
専門家として行っている人間のいるばしょです
半端に本を読み噛った程度の知識で、これまでの流れも読まずに書き込むべきでは有りません
893 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/21(日) 11:45:52 ID:FVbsHYtI0
盾がないから矛盾することはないのだ。
あっ矛もあんまりないのかも。
盾に類似するものについて、考えてみました。
なべぶた術のように、身の回りにあるものを用いて、身を守る。
置き盾とはだいぶ意味は異なるが、織田信長が武田騎馬軍団を阻んだ柵。
うううう、盾、思いつかない。二刀流のように小太刀で受けて、といってもそれを盾というわけにはいかないし。
古武道の型の中には、武器で武器を受け、柔にもっていく技があるが、盾というわけにはいかない。
だれか民明書房にきいてよ。
振りかかる太刀の下こそ地獄なれ、踏み込んでみよ極楽もあり
そんな特攻精神あふれる民族性だからかも。
894 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/21(日) 14:10:24 ID:fRg5U5UaO
だから、戦術として盾の効果を考えねば意味がない。
895 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/21(日) 15:04:43 ID:OFrYbB0F0
>>892 そうか、だからいつもウザい断はここではほとんどロムってるのか。
たまに出てきたと思えば煽ってしかいないしw
日本の伝統武術には、たたいてかぶってジャンケンポンがあるではないか。
/!
/./ l
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`' ,,_ ゝ、_ /
897 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/21(日) 21:36:52 ID:Zstfw+O80
>>896 >ジャンケンポン
両拳ポンからの転化か。中国武術の遊び?
ジャンケン自体は、江戸時代貿易に訪れていた中国人の間で行われていた
数拳と言う遊びから派生したと聞いたことがある。
ちなみに『インジャン で ホイ!』と言う掛け声で勝負する地域があるが、
これは中国人が数拳で遊ぶときに『イー リャン ホイ!』
と言ってたのを真似たらしいのだ。
、___ /|
\丶 /⌒\!
\ "' ニ'=-
, '" ̄ヽ〈 '= |、
i ゝ iヽヽ'" 〉つ旦~
ゝ, ヽ. `'`´
ハッ!Σ
しまった・・・
「たたいてかぶってジャンケンポン」は
伝統的な日本武術では無いと言うことを自ら示してしまっているでは無いか・・・
>>897 きさま、ギャラクターによる世界征服を阻止しようとする科学忍者隊の一員だな!
| |__/|
| | \!
| |"' ニ'=-
|--| '= i、 コソーリ・・・
|文|ヽ'" l ヽ
|--| `'`´ /
900ゲットー!
|\ _,.,
|γ⌒ヽ''"~/
-='ニ '" ,/ (´⌒(´
i =' 〉/ ∩∩≡ (´⌒;;;≡
⊆⊂´ (´⌒(´(´⌒(´⌒;;
901 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/21(日) 22:21:47 ID:Zstfw+O80
ほほ〜
中国にも科学忍者隊の基地があったとはな・・・
, ,
',\ /,'
',ヽ\ /' ,
',. ヽ\ // '
ヽ ヽ \ / / ,'
ヽ ヽ \ .,. -ー- ,. / / ,'
ヽ ヽ `'ー'´ Λ `'ー'´ / ,'
ヽ ヽ .,,__ノ ゝ__,,. / /
ヽ l ゝ,,,__ `ヽ, γ'´ __,,,ノ l /
, -ーヽ. l ゝ___` _, l l ,_ ´___ノ l /ー- ,
, '´ ヽ ! `'''''' ´´ll`` ''''''´ ! / `' ,
, '´ ヽl , - , / | ヽ, - , l/ `' ,
/ l 〈 \|/ 〉 ! \
. /_,,,,,,,____ ! ヽ ,,,____,,, / l ____,,,,,,,_\
 ̄ "''ー- ,,_ ̄''ー- , l ヽ `'ー--ー'´ ./ i , -ー'' ̄ , -ー''' "  ̄
`' 、 `' 、 ヽ __ ./ , '´ , '´
ヽ 丶 ヽγ ヽ/ ./ /
ヽ. ヽ ヽ___/ , ' /
) ヽ / (
_,,, -ー''" ', / "''ー- ,,_
_,,, -ー''" ', / "''ー- ,,_
科学小飛侠を撃てー !
. 、_, -、 、_,
l`iゝ、!ノl
l__` "゙l゙'゙|
ノノゝ`' ̄'゙ ダダダダダダ
( つL=、─ ・ ・ ・ ・ ・ ・
(__)_)
さらばだ、 科学小飛侠!
_ ,,,
, '´/
, ´ / __,,,
/ / _, -''", ´
/l ,ィ' / / , ‐''" /
_/, -''´/ _,,,,, / ''´ /
γ,ィ´ l / ''", '´ _,,ィ'/ , '´ 三 ≡ = -
/, ´、 `´冫'´ ( __,,,,,,,.-ー'''" / , '´
'´ := ノ /  ̄ ̄ / , '´
(´, -/ / , '´ 三 ≡ = -
! _,,__'´__,,, -''´
,-、 ゝ.,,,,_____,,,,,, --''i´ \ ヽ、
( !,,__ノ ノ、 ', 〔___ノ 三 ≡ = -
`丶、 / ヽ._,,、 ー''"',
`'´ ', j _, -'、 三 ≡ = -
〉" ヽ
/ , j 三 ≡ = -
/' , ' , _,ヽ , ヘ
/ ゝ, 'ゝ /´ ヽ , --ー'''´ ',
i゙ , '´ \ ヽ´ , ー''" `ヽ.j
,' γ 丶 , '´
/ l `''''´
/ ノ
/ / . 、_, ,- 、_, ステナイデー
./ / lヽ!ノ´i!l
/ / |"l"゙´__!
rー-'''゙ / ⊂ ゙' ̄⊂ゝミ
‘'ー 、_丿 ヽ_ ⊃
←脱出ロケット
905 :
sporran:2005/08/21(日) 23:01:05 ID:WKJluklx0
アメリカの大会に行きました。スケールは想像以上で戦絵巻そのものでした。各国の王国旗、男爵旗、公爵旗、軍団旗が翻り、数千人が戦場に望みます。
数百メートル先にいる兵達の鎧が陽にきらめき、紋章盾が列に並びトランペットのファンファーレと大砲の轟音とともに始まりました。
盾に書かれた紋章とサーコートの識別は予想以上で、混戦の中に数百メートル離れた所で戦う個人を見つけることが出来ます。私は視力が0.4ですから見つけたこちらが驚きました。
大掛かりな戦は初日はブリッジバトル。これは幅は10mほど、長さ30mほど。並列に置かれた5つの橋を見立てて攻防するものです。弓兵もいます
二日目は森林戦。森の中でフラッグを争奪するもので、レザレクションポイントは100mほど下がったポイント。総時間90分で、生き返りの往復で体力が削られます。
三日目は城攻め。バリスタからは太矢、トレビシュットからはテニスボールの詰まった岩が塀越しに飛んできます。
4日目はフィールド戦。広大な牧場を埋め尽くしての団体戦です。
私は完全甲冑で盾と剣でした。このような完全甲冑は珍しく、数人確認しただけで多くはコートオブプレートやチェーンメール、レザーアーマーです。みっともないプラスチックアーマーも多いです。
動き安さ、ルール上の防御力などプラスチックも完全甲冑も同じなので、遊ぼうと思えば軽いほうが良いこと。もう一つは飛行機の機内重量制限にひっかかることです。実際に後者の理由は大きいでしょう。
野営地から戦場まで甲冑を着けて武具を持っての移動ですが、これがキツイ。馬が戦場間での移動手段であったことは良くわかります。
戦闘で騎馬突撃をし、馬が倒れると騎士はその後の移動は大変な負担になるからです。
906 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/21(日) 23:11:19 ID:pEH5Ulry0
しらべてきたよ。
坂上田村麻呂とたたかった、えみしは盾と槍だったよ。
907 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/21(日) 23:20:05 ID:Zstfw+O80
アメリカでの科学忍者隊フェスも大きいよ。
ガチャコンというんだ。
908 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/21(日) 23:26:55 ID:Zstfw+O80
909 :
sporran:2005/08/21(日) 23:42:36 ID:WKJluklx0
全てのバトルで感じたとこは、前線ラインは指揮官の指揮でできるのではなく、敵味方の武器の射程によって物理的にできること。
ほとんどが武器を構えたままのにらみ合いで、一人が実際に戦う時間は数分もないこと。前線が少し崩れても崩壊には繋がらないこと。
槍は強いこと。弓は危険なこと。後ろにいる兵隊は戦闘に参加できず前が倒れた時の補充になるだけのこと。
勝ったかまけたかわからないこと。対一人で練習してきた技など全く役に立たないこと。などなど。
盾は槍を守る為に配置されたような感じでした。弓に対しては盾は有効で自分だけでなく味方の槍兵も移動しつつ守れます。
910 :
sporran:2005/08/21(日) 23:43:13 ID:WKJluklx0
私は王の警護だったので、盾を肩よりも高くあげつづけなくてはならず、これが大変つらかった。
ブリッジでは左の橋が半分まで攻め込まれ、そこからサムライグループが置き盾をおいて盛んに弓を射てきました。
そのうち前面がバーストされあっという間に敵が前面にいる状態で夢中で剣を振り回しているうちに頭に数回打撃を受け倒れました。
こうなると盾をぶつけて押し当てたまま突くか、後頭部に当てた側が勝ちます。
911 :
sporran:2005/08/21(日) 23:44:15 ID:WKJluklx0
城攻めは前回の経験から剣をショーとマドゥに変えました。城攻めのようなガチガチの白兵戦では長い剣よりもこちらのほうが使いやすい。
特にアンダーグリップで顔面を突けるので接近戦には良い武器でした。初日は0でしたがこのときは3人を倒すことが出来ました。
城攻めは城門を入るとローマ軍が大盾を並べ構え待ち構えていました。槍との小競り合いではびくともせず、整然と隊列を組んだままでした。
接近すると盾越しか肩越しにハルバートが振り下ろされ、接近すると短い剣で攻撃をしてきます。
怒号が飛び交い、みるみる死体の山が築かれ、かばねを踏み越えて接近しようとすると、死体に足を取られ動けなくなり槍に刺されます。
私は無理矢理接近し、ショートマドゥで顔面かわき腹を刺してた2人を相手に一人倒しましたが、周囲を囲まれ叩きのめされました。
城壁は低く、ベニヤ製で上からの落石や煮え湯もありませんでしたし、城門も背後はオープンになっていましたが、
実際だと道は突き当たってTかLに折れています。
背後の落とし格子を落とされると閉じ込められ、槍と弓と石で全滅です。
城攻めが以下に困難か良くわかりました。
私の甲冑はフルプレートですから、実際には少々の剣ではダメージは受けません。相手が薄装甲だと剣でもやられますから、装甲の強度とロングソード、野太刀は相手にとってはいやな武器ですが、
野太刀をつかった友人の話だとひたすら上下に殴るだけにならざるをえない。野太刀は強いが混戦では防げないので死ぬつもりで使えれば2〜3人くらいとなら引き合う。そんな感じでした。
混戦になり、敵が盾をぶつける位置にいるとひたすら頭かわき腹を狙うだけで、足さばきなんてあったもんじゃない。後ろに下がっていなそうとしても、足を取られて自分が倒れたら終わり。
後ろに誰かかわりがいればいいですがそんなこと確認できない。バーストされたら終わりなので、ひたすらばこばこ叩くしかない。
ましてや左右の相手がいつ、目標を自分に変えるかもしれないので、足場を保持するだけでめいっぱいでした。
「ギャラクターを止めろ!」コンテスト
去年は「カッツエを叩きのめし」ました。今年は、・・・(以下省略)
おのれ忍者隊めっ!アメリカでも妨害していたとは・・・
、___ /|
\丶 /⌒\!
\ "' ニ'=-
, '" ̄ヽ〈 '= |、
i ゝ iヽヽ'" 〉つ
ゝ, ヽ. `'`´
913 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/22(月) 00:46:10 ID:Lpam6K2G0
タツノコはタカラに買収されて
今月いっぱいで故・吉田竜夫の
弟たちや実娘、その他の一族が
誰もいなくなるみたいだね
紅三四郎、科学忍者隊ガッチャマン、
破裏拳ポリマー、テッカマン、キャシャーンと
独自の美学に裏付けられた武術シーンが見事な
世界が消えていくのは、悲しいね。
サムライ・グループ?そんなのも有るんだ、やはり大鎧を着て、和弓を射るのかな。
915 :
sporran:2005/08/22(月) 02:31:13 ID:vHx+z3uQ0
kaminariyamaというグループです。大鎧、胴丸、でした。赤糸威大鎧のひとは履まで作っていました。
買い物の時は烏帽子直垂です。女性の一人は笠(柳生十兵衛がかぶってる目のところにスリットの入った笠)をかぶってました。
私も実物を見るのは初めてでした。
kaminariyamaの陣は周囲を幕でかこい、和風の大きなゲートをつくっていました。赤地に金の角合わせ三つ角を紋所にしたおおのぼりを左右に立て
中は周囲を障子にしたあずまやがあり、タタミマットを敷いており、ブッダの小さな像をまつっていました。
入り口は板の引き戸、よこに藁の束を置いてある芸の細かさ。
916 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/22(月) 07:38:09 ID:xpQ3Sw5KO
あの鎧軍団が数百ですか、さぞ壮観だったでしょうね
弓まで使うと言うのは驚きです、鎧という防具のなせる技ですね
以前拝見させてもらって思ったのですが
騎士の実力は剣術・剣道のそれ以上にバラツキが有ると感じましたが
そのような場では、技量の高低差はあまり問題にならないのでしょうか?
一チーム三人で、防御・足止め・攻撃を分担すれば
いかなる達人も恐れるに足りない
そういう話しを聞いた事がありますが、そんな物でしょうか?
>>906 清水寺縁起絵巻の蝦夷軍を見ると、弓が二種類(日本の弓と真ん中を持つやや短い弓)、
柄の長さが自分の背丈位の矛(長さは皆同じ位だが穂先の形が各自違うように見える)、及び長刀、
盾が二種類(やや四角くて小さい盾とやや長丸の大きい盾。
持つ所は二種類共真ん中に取っ手が縦に一つ。ビールのジョッキを持つ感じ)、
片手に矛を持っているが、多くは盾を持たず両手で矛を持っています。
刀を腰に差している人がいますが、蕨手刀ではなく直刀に見えます。
>>905 かなり面白そうですね。
918 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/22(月) 11:52:04 ID:Sshs1YEW0
>>917 蝦夷(アイヌ)の軍装はしっかりしてるね。
ボウガンも多く使ってたみたいだよ。
何だか笑っちゃうほど芸コマ
ホント良く勉強しているなぁ
920 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/22(月) 13:20:12 ID:xpQ3Sw5KO
ループな気もするが
>>917-918 つまりボウガンも持ち盾も戦場じゃ大して役に立たないという事だね
921 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/22(月) 14:15:55 ID:Sshs1YEW0
武装が勝敗を決するわけではない
タイガー戦車やVロケットを持ってても負ける時には負ける
922 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/22(月) 18:49:17 ID:xpQ3Sw5KO
ああ、
>>921は、アイヌは劣等民族で無能でオツムが弱いから負けた
そう言いたいんだな、ひどい差別主張者だな、
>>921は
タツノコが無くなってもギャラクターは滅びぬ!
、___ /|
\丶 /⌒\!
\ "' ニ'=-
, '" ̄ヽ〈 '= |、
i ゝ iヽヽ'" 〉__ カタカタカタ
. ', γ"ヽ /LaVie/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ギャラクターの繁栄を祝って 乾杯!
l、
l ヽ
lヽ \
l ヽ \
l ヽ 丶 _,,
l ヽ ` 、 _,, -,‐''" /
l ヽ `' , -- 、 _,, -‐''" , ´ /
l ', , ´ , / `ー''''"" , ´ /
_,, -‐'''"l l / l , ´ /
, ‐''" l r'´ ヽ 、/ | _,, -''´ , ´ /
', ゝ ヽ, , '´ / /
', !| \ | /´ _,ノ ,' /` 、
', j ゝ \ | /: , ‐'''" / ! / 丶
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ノヽ ヽlヽ(_ ̄ ̄` 、 ゙> l_,, -‐'''",, ‐ '"
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冫゙ "''-` , l
у"'' ‐- l
_,,, -'‐''ー- 、 !
"''' ー- ,,,__ l !
"', ゝ
925 :
sporran:2005/08/22(月) 23:27:13 ID:vHx+z3uQ0
916
確かに囲まれるとダメです。サーGmo4人を相手に戦っていましたが、やられました。
しかし、彼はいつも私よりも長く生き延びています。これは単純に武術技術の差だけでなく、周囲の状況を見る判断能力のなせる技でしょう。
彼は現役陸軍の将校でイラクも行っていますから。
926 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/23(火) 19:34:08 ID:mKcbtFRb0
>>922 毎度ウザイな。
おまいは、アイヌはロクな武装も出来ず、役に立たないものしか使わない劣等民族と言いたいのか?
ひでえ差別主義者だな。
927 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/23(火) 19:55:30 ID:IDCtwgjXO
>スポーランさん
そうなると状況判断と共に、囲まれ無いための隊列も重要ですね
>>926 アイヌオタよりウザクないよ
ああ、アイヌの武器が対人間に劣っていた事は認めるのね
928 :
sporran:2005/08/23(火) 21:03:22 ID:RKKyfXsX0
929 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/23(火) 21:44:52 ID:w5sIHfyM0
930 :
市 ◆CRdmCEc.aI :2005/08/23(火) 21:48:46 ID:ZkujE6qiO
931 :
sporran:2005/08/24(水) 08:25:13 ID:Uci125+S0
933 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 17:16:45 ID:KH/EgKQ50
>>927 確実に劣ってると言えるのかこの差別主義者めが。
934 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/24(水) 18:34:20 ID:gEU5CEs2O
おとっていると言い切れるよ
だって、負けたんだもん
差別主義者はお前だろ
武器で劣っていないと仮定したら、地の利で勝るアイヌがなんで負けたんだ?
お前の主張だと、アイヌ自体に欠陥が有った事になる
アイヌの武器が戦場において優れていたと言うのは
韓国人の、朝鮮民族は最強の民族。と言う主張と同じくらい無理が有り、滑稽だ
負けた側が強い武器、優秀な理を持つと言うのは、歴史を歪めなければ無理な主張だ
935 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 19:41:47 ID:0RCt0/Zo0
>>934 >負けた側が強い武器、優秀な理を持つ
フォッケウルフFw190 vs スピットファイヤー
タイガー戦車 vs シャーマン戦車
シュマイザー機関短銃MP18 vs トミーガンorグリースガン
突撃小銃MP44 vs M1カービン銃
936 :
sporran:2005/08/24(水) 20:17:51 ID:Uci125+S0
937 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 22:03:46 ID:TXFmU6Ys0
ここにも下劣なのがいるよ。
断っての。
本人気づいてないけど。
アイヌはその地理、歴史上、他者と争う事に慣れていなかったからね。
本州の人間と初めて戦った時も、ブス毒の塗った鏃や地勢を生かした戦いで散々に侍を苦しめたが
そいつらが砦に逃げ込んだのを見て「もう戦う気は無くなったようだ」と判断してそれぞれの村に帰ってしまい
トドメを刺ささなかった連中に各個撃破されてしまった。
また、二度目の大きな戦いの時は、状況が不利になった本州側の和平交渉に応じて出て行った所を
酒宴の席で騙し討ちにあってリーダーを失った所をやられてしまった。
こういうのを知っていると、どうしても負けたアイヌが劣っているとは思えないんだよね。
やっぱり戦争ってのは武器だけが優劣を決めるもんじゃないと思うよ。
939 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 22:22:15 ID:TsRzrkFQ0
だね。
素晴らしいじゃん、アイヌって。
940 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 22:25:30 ID:GZvZUwmB0
アイヌの弓って、材質は何が使われているんですか?
ちょっと調べて見たけどそれらしいのは出てこなかった。
941 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 22:29:59 ID:MqgeY+j50
アイヌの武器(盾やボウガン)が優秀だったならば、本州の人間は取り入れるはず。
蕨手刀だって取り入れて、日本刀へと発展するためのステップとなった。
対アイヌのみならず、持ち盾もボウガンも日本は接する機会は歴史上腐るほどあったのに、
それらを取り入れなかったのは、少なくとも日本人の戦術のなかでは価値を見出せなかったからと
考えるのは、当たらずといえども遠からず、と言ったところではないかな?
あと、優秀な武器というのは運用まで含めて優秀だと思うので、ただ矢を遠くに飛ばせる、と
いった類のものではないことに注意しないと。
ベトナムゲリラのAK銃が、米軍の最新銃をジャングルの実戦では上回った現実を
よく考えないと、武器の優秀さというものは分からないはず
942 :
断 ◆kQaEe3ePcc :2005/08/24(水) 22:30:34 ID:gEU5CEs2O
なんだ、アイヌって戦争に関して無能だったんだな
それじゃ武器の優劣付ける以前の問題だな
後、なんか上で武器並べてるみたいだけど
私は軍オタじゃないんで判断できないが、上の例で歴史的流れの変化が有ったのか?
もし有ったのなら、負けた側が余程の無能か、勝った側が天才かだな
943 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 22:34:49 ID:GZvZUwmB0
アイヌが無能かどうかは知らないが、文字を持たないっいって言うのはかなり厳しいな。
944 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 22:37:31 ID:KGhoagpg0
すいません・・・初心者なんですけども、2chって、有料なんですか?
初心者部屋の人は、ふざけた人ばっかりなので・・・・
武道を極めている誠実なみなさんに、お聞きしたいと思います・・・・。
945 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 22:43:04 ID:MqgeY+j50
>>944 金はいらないが、命を差し出す覚悟を見せろ。
命は一代、名は末代。
臆病者は去るがいい
946 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 22:43:18 ID:TsRzrkFQ0
>もし有ったのなら、負けた側が余程の無能か、勝った側が天才かだな
んなワケねーだろ、このボケ。
>941
ボウガンが本州で使われなかったのは、そもそも材料が無かった為
狩猟民族であるアイヌは動物を捕る機会があったからボウガンの材料も豊富だった。
優秀以前の問題。
このスレにも書いてあるだろ?
ちゃんと読んでから参加しような
そうだね
949 :
ああ:2005/08/24(水) 22:44:58 ID:n/opwX0c0
あ
950 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 22:49:14 ID:MqgeY+j50
>>947 日本人は、鉄砲については材料が必ずしも潤沢ではないのにも関わらず、
工夫し材料を輸入し、見事自家生産し、自家薬篭中のものとした。
俺はかなり以前も同じことを書いたけど・・。
951 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 22:51:18 ID:MqgeY+j50
ボウガンくらい、本当に取り入れる気があるのなら、なんとでも工夫するだろうな。
持ち盾に至っては、材料は木製だからいくらでもあるにも関わらず、取り入れなかった。
>950
ボウガンは作ろうとしたけど失敗したんじゃない?
というか君の文中に
<材料を輸入し
というのがあるんだが…
それとも、これは研究段階での話って事かな?それなら矛盾してないけど
953 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 22:56:00 ID:MqgeY+j50
鉄砲の火薬に関しては、輸入が多かったということ。
しかし、それでも鉄砲自体は自家生産し、戦では運用されている。
ああ、それと誤解されるとイヤだから言っておくが
別に俺はアイヌ擁護側ってワケじゃないぞ
あくまで学術的に考えたいだけだ、このスレ面白いし、そこんとこよろしく
955 :
ああ:2005/08/24(水) 22:58:05 ID:n/opwX0c0
わからN
956 :
ああ:2005/08/24(水) 22:59:51 ID:n/opwX0c0
あ
結局、ボウガンは侍の戦法に合わなかった上に材料も無かったのが一番らしい結論だな。
そういう風にいくつも要因が重なるのが歴史ってもんだし
958 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 23:00:25 ID:0RCt0/Zo0
>>934 >負けた側が強い武器、優秀な理を持つ
アメリカ合衆国第七騎兵隊はインディアンに皆殺しにされました。
959 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 23:04:14 ID:MqgeY+j50
個別の戦闘を言い出したら、きりがないと思います・・。
960 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 23:07:10 ID:0RCt0/Zo0
武器が優劣が勝敗を決めるなんて妄言を吐く
断 ◆kQaEe3ePcc への指導的書き込みだよ。
961 :
sinobi:2005/08/24(水) 23:33:04 ID:eoD+g9uQ0
両手で構えた日本刀の威力は(使える人が持って)白兵戦では最強じゃなかろうか?
倭寇の文献にもあるし、沢井健一が抗日の人達と戦ったときの話にもでてくるし。
962 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/24(水) 23:48:36 ID:0RCt0/Zo0
>>961 華北では
銃がなければ、日本刀の日本兵は
車ん棒でブッ叩き殺されました
>>947 本州側もクロスボウを使っていたが廃れたようです。
「築館町伊治城跡 クロスボウ」でググると出るかな?
964 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/25(木) 01:26:42 ID:TsIEel0r0
守城戦には中世に銃が出現するまで使っていたよ。
ただ守城戦自体が欧州や中国に比べて小規模だったから
大して普及しなかったし、アイヌの場合は仕掛け弓として
中大型獣狩猟で使っていたものの転用だったから、
その習慣がない日本では一般的ではなかった。
さらにボウガンやクロスボウを軍用に大量に作るだけの
資源と製造設備と技術者が乏しかった。
ボウガンとクロスボウは同じでは。
名前以外。
弩と石弓は違います。
…蝦夷は弩をどの程度使っていたのだろうか?
968 :
名無しさん@一本勝ち:2005/08/25(木) 02:58:01 ID:6Ke300qq0
>>967 登別熊牧場に併設された
ヒグマとアイヌの
博物館に展示されてるのを見たけど
それは「仕掛け弓」(アマックゥ)だった
ヤジリにトリカブト(スルグ)を塗ってたそうだ
弩―中国でもっぱら行われ、奈良時代に日本にも伝わって軍団の中に整備され、
それを扱う兵を弩師といったが、操作に時間がかかるので次第に用いられなくなった。
携帯に便利で、矢継早に射ることができる弓の発達によって、操作に時間のかかる
弩はその効用が失われてしまったものと推定される。
一人で手に持って矢を発射する小型のものもあるが、これでさえ矢継早に操作
できぬので流行しなかった。
一般的に日本で弩というのは、大型の設置された弓のことである。
日本書紀天武天皇紀十四年(685)には諸国に令して武器の私有を禁じた中に弩も
含まれているから、一時はかなり普及したと思われる。
古墳時代から平安時代初頭にかけての盾の使用は少なくはなかったが、小型の
「持盾」の場合には、のちにその機能を大鎧に収合したのではないかと考えられる。
大鎧には大袖を盾の袖とも称し、事実、戦士が敵に向かって攻勢に出るとき、左肩に
垂れている大袖(射向けの袖、弓を射るときの矢の方向)を盾として前進した。
これは左手に盾を執ることを省略して鎧の大袖を発達させたものである。
しかし盾の機能は大袖に移行したとはいえ、左胸上部に鳩尾の板としてその形は縮小は
されながらも、人体の重要部分を護るために大鎧の部分構成として残されたと思われる。
このような意味で大鎧の発達は短甲、桂甲の総合的製作のほかに、盾を左手にとる必要を
なくした新しい創作であり、より甲冑としての機能を充実したのである。