1 :
日本語教師 辰巳:
日本人の心の美徳 大和魂と武士道について紹介してください。
このスレで紹介いただいた話、意見、考えは留学生に日本の精神的
素晴らしさや美徳として話そうと思います。
世界に誇る堂々たる日本人の話など教えてください。
__________________________________________________________
エンセン井上など大和魂を闘志や闘魂と勘違いしている者につい
ては、間違っていることを前提のとして、紹介ください。
2 :
踏み込みの鬼:03/05/26 13:43 ID:f/AGhA1t
武道的な2
3 :
動画直リン:03/05/26 13:43 ID:lfmL6nYb
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/26 14:52 ID:osh+D+vB
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/26 17:40 ID:FWgJF4ky
この本お奨めします。
『「武士道」解題 ノーブレス・オブリージュとは』
李登輝/小学館/2003年/1700円
< 武士道は実践躬行たれ >
著者は、「武士道」は、その淵源としてキリスト教のみならず、儒教や仏教など、ありとあらゆ
る宗教や思想を闊達に引用しながら、いわゆる「道徳体系としての武士道」の本質を解き明かそう
としているのだという。「武士道」を、現代にも適用する「永遠の真理」となりうる日本で培われ
た「道徳体系」として見る。そして、日本の「武士道」の良さというのは、口先だけではなくて、
実際に行うというところ(実践躬行)にこそあるのだ、ということを忘れてはならないと熱く説く
のである。
「武士道」の中には幾つもの「徳目」がある。それらについての、実践躬行を宗として生きてき
た哲人・李登輝氏による解題には、体現者としてのリアリティがある。本書を紐解くことで、多く
の人が「忘れかけた道徳」と「日本人としての誇り」を想起することを願いたい。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/26 17:59 ID:N5DWgDfa
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/26 18:10 ID:FpIeyVMT
8 :
喧嘩空手 ◆35mOmifNOM :03/05/26 20:58 ID:xYxUY0qh
>>6 李登輝は中華民国(台湾)の前総統。すごい親日家(自称18歳まで日本人)ですよ。
母語は日本語らしくて、大学も戦前の慶応だかです。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/26 22:50 ID:03pM4+yP
>>8 親日家の中国人政治家って結構いますね。たとえば、
孫文、蒋介石、周恩来など。李登輝ってこんなような感じの人ですか。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/26 22:53 ID:YmLdzPp8
いまとなってはもう殆どいないよね
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/27 00:14 ID:0Ovw7Cdp
こんなの見つけました。
■宮崎滔天と孫文■
孫文は宮崎滔天の印象を「他人の急を救わんとのこころざしやみがたき…現代の侠
客」であると評した。
宮崎滔天を通じて、孫文は日本の政府高官や志士達に紹介され、人脈を築いてい
く。後の政友会総裁、首相の犬養毅、アジア各国の独立を支援した頭山満などの知
己を得た。
この頃から、孫文は「中山」と号するようになった。日比谷公園近くの中山忠能
公爵(明治天皇のご生母・中山慶子の父)邸の前を通ったとき、その表札を見てつ
けたという。この号が、今や台湾の大通りの名になり、また生まれ故郷が中山市と
改称されたいわれになっている。
■中国・台湾で祀られた日本人志士■
孫文の革命への志に深く共鳴した一人に山田良政がいた。日本によって上海に建
てられた東亜同文書院の教授をしていた山田は、1900年(明治33年)、孫文ととも
に広東省恵州で兵を挙げるが、捕らえられ、殺害される。中国革命のために一命を
捧げた最初の日本人となった。
孫文は山田の死を悲しみ、郷里弘前市に建てられた碑に、次のような文を寄せた。
山田良政先生は弘前の人なり。康子閏八月、革命軍恵州に起
つ。君身を挺して義に赴き、遂に戦死す。鳴呼(ああ)其人道
之犠牲、亜州(アジア)の先覚たり。身は湮滅(いんめつ)す
と雖(いえど)も、而も其(その)志は朽ちず
1927年(昭和2年)11月4日、中国国民党は山田良政の建碑を議決し、孫文の
眠る南京、中山陵に建立した。
12 :
吉田松陰:03/05/27 02:00 ID:Llysfw8j
身はたとえ武蔵の野辺に朽ちるとも、留めおかまし大和魂。
13 :
喧嘩空手 ◆35mOmifNOM :03/05/27 23:03 ID:XQ/1cvxy
>>9 いますよ。というか、親日家なアジア人は非常に多いです。その例として中国残留孤児を上げる人もいますけどね。
自分は以前東南アジアと台湾に済んでいましたが、日本人だからというので嫌がらせをされるより、むしろ
「懐かしい」
と話し掛けられる方が多かったですよ。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/27 23:11 ID:6Q3nTcoN
新刊「信義に生きたサムライたち一足利尊氏・直義兄弟、高帥直、松永弾上、
明智光秀が語る日本武士道と大和魂」
どうぞお読み下さい。
15 :
山崎渉:03/05/28 16:30 ID:ViQbqmZ0
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/28 20:54 ID:PCLD9Ool
堂々と国家を愛せ。日本を愛することだ。愛国心こそは最高の道徳なのだ。
日本は敗戦後50年にわたって、この道徳をあらゆる世代にわたって封印
してきた。大戦直後のアメリカの対日戦略がそうさせたのだ。もういいの
だ。国を愛していいのだ。国を守るために立ち上がっていいのだ。反日勢
力の洗脳から一日も早く覚醒せよ。堂々と国家を背負え。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/05/29 23:17 ID:S2Hzjstf
日本人の精神を規定してきた考え方に、武士道がある。武士道は、主君や国に対する
献身を前提として成り立っている。公共心と言ってもいいだろう。この公共心は今
日の日本人に一番欠けているものであると感じます。自由、人権、個性が叫ばれる中、それが
成り立つ前提があることを忘れてはならない。それこそが公共心であり、武士道で
ある。日本人の精神的土壌を考えるとき、武士道を無視するわけにはいかない。日
本人の道徳的価値、すなわち勤勉性、忠誠心、克己心、忍耐心、団結力などの淵源
をたどれば、武士道に行き着くのではないかとおもいます。
18 :
硬派バンカラ熱血野郎 :03/05/30 08:30 ID:BFN68unD
この板に来てる香具師はオタクばっかりやろ!
ホンマに大和魂持ってる侠はおるんか?
フルコンやっとる香具師らの「押忍!」も口だけのオスや!
ホンマの侠が押忍!と言う体育会的な道場はないやろ?
あるんやったらジャンル、流派を問わず熱く語ろうやないけ!
漏れはあくまで国士舘的な男らしさを言うとるんやで!
ヤ○ザチックなバカ流派は書き込むなよ!
この感覚わかる侠は書き込め!
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/02 03:46 ID:h6hmcWwz
切腹を抜きにして語れないね。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/02 10:50 ID:Lsk8T2mU
エンセン井上の勘違いについて。
じつは私もエンセンと同様に、大和魂という言葉には好戦的な
印象を持っています。
たぶんこれは、大日本帝国が、武士道という言葉に代えて
大和魂という言葉を流行らせたからじゃないかと思うです。
軍人勅語を読んでみても、明治政府は武士のことを
ボロカスに書いてます。
明治以降に流行る「葉隠」や、新渡戸によって解釈された
明治の「武士道」は、いずれも日本の伝統文化として培われた
武士道とは異質・異例のテクストのように思えます。
西洋コンプレックスに凝り固まった好戦的な大日本帝国は、
日本人には本来不向きな国家ではなかったか、と私は思います。
なので、近代=なにがなんでも大日本帝国、という図式を捨てて、
現代の国際社会でも評価されるべき日本文化としての武士道や
ヤマトゴコロを、いっそのこと、大日本帝国の臭いが強い大和魂
という言葉から相対化させて眺めてみるのも一考かと思います。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/02 11:55 ID:xGzyJLMQ
佐山先生にきいてみれば?
22 :
硬派バンカラ熱血野郎:03/06/02 13:12 ID:2cga84qC
>>20 では、貴方の言うところの「日本の伝統文化として培われた武士道」
とはどのようなものだと考えているのでしょうか?
>>23 武士道は、非生産者の倫理観、からスターとしたモノだと思うです。
そして、王侯貴族に仕えることが仕事の西洋の騎士とも違い、
日本の武士は武士自身が直接の支配階級であったのですから、
その、非生産者の倫理観、は統治される側の生産者(非武士階級)
にも受け入れられるモノでなければならかかった、とも思います。
時代劇風にイメージしてみるならば、雲上人の将軍様にも
長屋に住んでる貧乏浪人さんにも、じつは同じ倫理が貫かれて
いることを、周囲の町人たちはよく知っていて、その倫理のことを
武士ではない自分たちの生活規範にも役立ちうるモノである、
という程度には尊敬していた。こんな感じでしょうか。
その内容の核となるのは「恥」と「協調」ではないかと思うです。
非生産者の生きる道は、コレか略奪かのどちらかでしょう。
武士の表芸である武芸は、建前はともかくも、ようするに破壊と
殺傷の技であるのですから、これほど非生産的なモノはない。
略奪を生業とするのならこれでイイわけですが、そうでない
道を選んだ場合、刀を抜くことは我の張った恥ずかしい行為であり、
協調性を崩す行為であり、略奪を否定した倫理観に背く行為で
あったはずです。
しかし、恥と協調でバランスされた世界を、内外から脅かす輩が
現れた場合には、武士は恥を忍び協調を一時的に破ってでさえ、
毅然としてその脅威を討つ。その時は必勝でなければならない。
武士自身による武士道の実現は、非生産的武芸修行によって
養われた倫理観を、その武芸によって破ることで、さらに完成
していくような、一種の矛盾で成り立っていた、とも私は思います。
非常に興味深いです。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/05 23:53 ID:iQXBTdTV
「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」18世紀後半の国学者本居宣長の詠
んだ和歌である。
辞書を索けば、「大和魂=大和心」であり、「漢意(からごころ)・
漢才(からざえ)の反対語」とある。『広辞苑』によると、「大和心(やまとだましい
に同じ。日本人の持つ、やさしく、やわらいだ心情)」とある。とてもじゃないが、
特攻精神には結びつかないではないか…。
わたしの考える「大和魂」とは、組織つまり和を形成する為の適応能力や自然との中で育まれ
た適応能力のことを指していると思う。
この日本固有の精神の発露を紫式部は源氏をして「大和魂」と呼ばせしめている
が、ここでいう「大和魂」とは、花鳥風月の愛(め)で方から女性の口説き方まで含
めている。
しかも、「大和魂」だけでは不十分で、「漢才」との調和がなければ役に立たな
いとまで言い切っている。
つまり、「和魂漢才」である。この「和魂漢才」つまり「可憐な花を愛でる風流心
」が本質にあるのだと思います。
つまり あれだ。
沿線が唾飛ばしながら、たどたどしい日本語で叫んでる「大和魂」ってーのは、
「オレ ニホンジン!オマエ ヌッコロス!!」といってるだけなのか。
28 :
英:03/06/06 00:27 ID:j/XPO+Zm
>>24 だいぶ自分の考え方とは異なっているかもしれません。
人間の倫理観の出発点は何処の人達も大した変わりはなかったのではないかと思います。
人は何故人を殺してはいけないのか?
もし、仮に人が強い牙や爪を持っていたのなら、一人で生きていくことが容易かったならば
人に倫理観というものは生まれず、ただ本能の命じるままに行動するだけで十分な存在で
有ったのではないかと思います。
しかしながら、人はそのようなものは持ち合わせず、生存のための有力な手段として
集団で暮らすことを選びました。
それゆえ、自分達の集団を維持することは人の生存にとって重要なことになります。
集団の存在を危うくするような行為は、例えば集団内での勝手な殺人などは忌み嫌われ
悪とし犯罪行為として認識され、反対に集団を強固にすることや円滑に維持される
ような行為は推奨される行為、あるいは善として認識されるのだと思います。
悪とされる行為をしたものは集団内で制裁をうけることは間違い無かったでしょう。
一方で、もし仮に自分の集団と異なる集団があり、その集団が自分の集団を
脅かすものであったとき自分達の集団はどうするでしょうか?
彼らは、自分達の集団を守ることに躊躇いは無かったのではないかと思います。
集団を維持するためにその中での殺人を強く禁忌としながらも、集団を守るために
外敵を排除するための殺人は肯定されていたと考えられます。
これが平時に一人殺せば殺人だが戦時に多数を殺せば英雄だと揶揄されることになる
遠因だと思われます。
ところで、日本には「一生懸命」と言う言葉があります。
この言葉の元になったのは鎌倉時代の「一所懸命」という言葉であると言う話ですが
この言葉の意味は、自分達の土地、ひいては生活を守るため、あるいはそれらを安堵して
くれる存在のために命を掛けると言うことだそうです。
こうして考えてみると
>刀を抜くことは我の張った恥ずかしい行為であり、協調性を崩す行為であり、
>略奪を否定した倫理観に背く行為であったはずです。
というのはあくまで集団内の論理であり、外敵に刀を抜くことは何ら恥ずべき行為ではなく
むしろ賞賛されるべき行為であったのではないでしょうか。
しかしながら、敵対する集団であっても同じように集団を維持するという行為は
変わりませんから、集団を維持するための善なるところは大して変わり有りません。
他集団に自分達よりも善なるところを見つければ、即ち敵でありながらも尊敬する
ということは可能だったでしょう。
初期の日本の武士達の倫理観は、このような自分達の守るべきものは全力で守り、
敵といえども尊敬すべきところが有れば尊敬するというような、おおらかで
単純素朴なものではなかったかと自分では思います。
また新渡戸稲造の「武士道」等に見られる倫理観は中世以前の古いものとは
全く同じということは当然ないと思いますが、その倫理観は途中で歴史的な断絶が
有るわけではなく、古い形の武士の規範を元にして江戸時代という封建制の中で
育まれてきたものだと思いますので
>日本の伝統文化として培われた武士道とは異質・異例のテクスト
とは思いません。
>>26 特攻を強制する精神はそうだと思いますが、一方で自分の愛するものを守りたい。
その為には自分の命を捨てても構わない。という精神は「可憐な花を愛でる風流心」
あるいは「日本人の持つ、やさしく、やわらいだ心情」と何ら矛盾を引き起こさない
と思います。
31 :
24:03/06/06 19:59 ID:q7g1xmEb
>>29 私は倫理一般そのものについては何の興味もありません。
たまたまスレッドの趣旨に誘われて日本の文化について
思うままを書き込んだだけです。
全世界の全時代には様々な文化があります。それらの中から
なにがしかの普遍を見いだそうと、現時点の我々が試みる、ことは、
そうしたいヒトがそうすればイイだけのことだ、と私は思います。
私は日本文化の特殊性とは何だろう、と改めて思ってみたわけで、
あなたと同じ何かを巡って「考え方が違う」というわけではありません。
繰り返しますが、私はあなたのようには倫理一般に興味はありません。
最初から書き込んでいることが根本から違うわけです。
ちなみに
>>30は、どこがどう
>>24へのレスなのか私には丸で
分かりませんので、スルーさせて頂きます。
32 :
29:03/06/06 23:38 ID:sHrlWLYN
>>31 そうですか。自分は貴方の
>刀を抜くことは我の張った恥ずかしい行為であり、協調性を崩す行為であり、
>略奪を否定した倫理観に背く行為であったはずです。
>しかし、恥と協調でバランスされた世界を、内外から脅かす輩が現れた場合には、
>武士は恥を忍び協調を一時的に破ってでさえ、毅然としてその脅威を討つ。
>その時は必勝でなければならない
「切り取り強盗、武士の習い」等という言葉もあった初期の武士の行動原理に
上記のような倫理観が存在したとは思えず、貴方の言うことを否定するために
言葉を尽くしたのですが理解されなかったようですね。
以後スルーして構いません。
以下は興味のある人だけ読んでください。
33 :
29:03/06/06 23:39 ID:sHrlWLYN
倫理観の出発点では大方の諸部族、諸民族とも大した変わりは無いと思いますが、
その後辿る道筋はそれぞれ微妙に違ったものになっています。
その原因とすれば諸民族の元々の特性というものや、生まれ育った自然風土
というものが大きく作用していたのだと思われます。
例えば砂漠地帯の人々と水資源にに恵まれた人々では水というものにまつわる
倫理観は当然違ったものになりますよね。
さて、では日本人の民族的特性というのはどのようにして出来上がったのでしょうか?
>>30 で
>敵といえども尊敬すべきところが有れば尊敬するというような、おおらかで
>単純素朴なもの
と書きましたが、仮に敵対する相手を恨み、憎しみのみを抱き続けるような者達で
あったならば上記のことは実現出来ないでしょう。
それを可能せしめる性質が、自分が考えるところ「もののあわれ」を感じるという
心ではないかと思います。
物事や他者に対する共感、美点を素直に認める心。
これがあって初めて日本は海外の優れた技術や文化を取り込み、醗酵させ独自の
形態として昇華せしめることが出来たのではないかと思います。
その精神的特徴を持ってして日本の自然環境、そして封建制の中で神道、仏教、儒教
その他様々なものを取り込みながら発達していった日本人の道徳感というものの類型が、
明治の世で新渡戸稲造氏によって「武士道」という名前で書き記されたものだと
自分は思います。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/06 23:56 ID:FEpm//8M
めっさ論理破綻しとるな。
初期の武士の行動原理を「武士道」と言ったり
他者に共感する道徳観を「武士道」と言ったり。
そんなんじゃとにかく何でもかんでも「武士道」になっちゃうだろ。
敵といえども尊敬する、なんてのは世界中どこの軍人でも常識だよ。
乃木将軍を尊敬していたマッカーサーも「武士道」なのか?
三国志の各種エピソードも「武士道」なのか?
なんでもかんでも「偉い!キミは侍だ!」と言ってるのと同じだ罠。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/06 23:59 ID:lXdArpPB
武士道は日本の始まりとともに存在します。
>>34 誰がどこで
>初期の武士の行動原理を「武士道」と言ったり
>他者に共感する道徳観を「武士道」と言ったり。
してるんだ?
>>32-33 では原初的な倫理観を類推して言っているだけ。
だいたい他者に共感することがどうして道徳観なのかね?
単なる精神的特徴だろ。
武士道精神は日本の封建制の中で育まれたものだということは書いたつもりだよ。
>その精神的特徴を持ってして日本の自然環境、そして封建制の中で神道、仏教、儒教
>その他様々なものを取り込みながら発達していった日本人の道徳観
発達する前のものがそのまま武士道なんて言ってないだろ?
そしてその内容は自分で説明するよりも、新渡戸稲造の「武士道」に十分以上に
書かれているからその名を出して終りにしているんだよ。
また西洋の騎士道と日本の武士道に共通のものを見いだして驚いているという
記述が明治期だかそれ以前だかの西洋人の文にある。
そして大航海時代さまざまな土地を見てきた者をして当時その他の地域には無いとも
言っているな。その中では
>敵といえども尊敬する、なんてのは世界中どこの軍人でも常識
とは言っていない。希で尊いものと言っている。
何故マッカーサーが乃木将軍などを尊敬していた等という話が未だに語り継がれて
いるのかの意味をもう一度考え直した方が良いね。
そして三国志や春秋戦国時代に出てくる「仁義礼智信」などの道徳観は日本の武士達の
倫理的教範の一つとなっている節が大きく矛盾するものではないね。
だからこそ三国志演義が日本人に愛されて来たんだろ。
仏教や儒教は海外から伝わって日本人に取り込まれたものだということを
もう一度考えてみれば?
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/07 01:22 ID:xTV1C/Lp
>>37 必死だな。
ようするに敵といえども尊敬するということは、騎士道にはないのか?
それともあるのか?日本武士道にこそ際立った特色だといっちゃってもいいのか?
やばいのか?
>>1をもう一度よく読んでから落ち着いて書いてくれ(w
>西洋の騎士道と日本の武士道に共通のものを見いだして驚いている
>希で尊いものと言っている。
これらから「敵といえども尊敬する」ということは武士道と騎士道に共通する美点
だと言っていることが解らないようじゃどうしようもないな。
というよりそんなことが解らないようじゃ新渡戸稲造の「武士道」すら読んだこと
無いだろ。
それじゃ話すだけ無駄だわな。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/07 01:42 ID:VBYwUDdf
山岡鉄舟の「武士道」もなかなかようございます。わたくしも本書によって勤皇精神に目覚めたのでございます。
話の流れと違うがね、漏れは
「葉隠武士道」が好きです。
ま、恐らくは「自分と正反対」の行動理念に引かれていると、自分で思う(W。
好きか嫌いかで言えば戦国時代の、多少無茶苦茶があるような
おおらかな人達の方にロマンを感じる。
バカな主君を裏切っても部下に好かれるような奴ら(w
>>39 悪いがキミの文章ではそこらへんでさえよく分からんのだよ。
さて改めて尋ねるが、騎士道にも武士道が、武士道にも騎士道が、
それぞれ相通ずるものがある、とう意見はそれでよろしい。
では、日本武士道とは何か、と考えるときに、日本流の騎士道です、
という説明で事足りるのかね?新渡戸の真意はそうなんだろうがな。
いっとくが、俺は尊皇佐幕派なんすよね。
>>42 あ、そういうのにもめっさ憧れる。
忠孝っての、殿さんサイドの規準だけで決められるの腹立つ。
>>43 じゃ君の意見書いて。
それに対する論評するから。
新渡戸の真意が日本流の騎士道ですということなのかどうかはよく分からないな。
騎士道についてそれ程詳しくないし。
>>45 俺たちは変な民族じゃないですよぉ、どこの国でもやってる
美徳を俺たちなりにやってるだけですよぉ、と弁明して廻ったのが
明治時代の武士道レクチャー。
その結果西欧から、全然ワシらと違うやんけ! とバカにされ倒した。
俺たちはお前らとは違うだろうが、これはこれで何百年も有効だったんだから
これからも自信もってやってくさ、外野は黙ってて頂きたい、と言明すのが
俺風の武士道レクチャー。
その結果西欧から、ワシらもそれ欲しいですぅ、と尊敬される。
新渡戸のポジションは歴史的に前者になるしかなかった。それはしょうがない。
誰だってあの時代にあの立場でどうにかしようとすればああなるしかない。
でもいまは21世紀。ここは西欧文化にはないだろなぁ、ってな部分を無理してでも
発掘した方が、お互いのためになる。俺はそう思う。
騎士道と武士道の違い、について、その剣術文化のアレコレだけをみても差は大きい。
日本武道では後ろから斬ることは卑怯ではなかった。斬ること即ち上意という位置づけだから。
西欧ではこれは建前上無理。タイマン死闘が許される文化なんだもん。
ここほどかように文化は多様なんだ。新渡戸の苦労は評価されるべきものだということくらい
誰もが知っている。ただ
>>1のテーマにいまさらどうよ?とも俺は思う。
今日、天皇さんが韓国の元首とモーニング姿で握手してたでしょ。国技のお相撲さんでさえ
チョンマゲで頑張ってるのに、これこそ明治の弱腰外交の名残だと思ったですよ。
Xタイマン死闘
○タイマン私闘
>>46 それじゃ自分には全然良く分からん(w
>日本武道では後ろから斬ることは卑怯ではなかった。
確かに日本では卑怯とはされなかった。
(というよりもむしろ後ろから斬りつけられること自体が恥とされていたけれども)
これは孫子の言うところの「兵は詭道なり」という教えが出発点になっている
という考え方もある。
例えば「闘戦経」的解釈では正面から堂々と打ち破る気構えこそが大事という
ことになるが、これも日本の兵(つわもの)の倫理観の一つになっていた。
平安時代などには名乗りを上げて一騎打ちというものが有ったというだろう?
義経の時代はそういう点で面白いね。
一の谷の戦いで、義経がした鵯越というのは完全に「詭道」だけれども
正々堂々の一騎打ちも有った時代なんだから。
このように解釈すれば新渡戸の武士道は江戸時代の中で育まれた行動規範
だけではなく、それ以前の倫理観を合わせて自分の中にある行動原理となる
倫理観を考えて書き記したものと言えるのかもしれない。
それに西洋にないものを発掘すると言っても、昔ながらの倫理観すら失われている
なかでは昔のものを再認識するだけでも価値はあると思うよ。
ところで新渡戸稲造の「武士道」は海外でバカにされていたのか?
>>48 「武士道」は西洋的な論法で西洋に対して説明された書物であったから
その点では高く評価され、内容も今までになくよく理解された。
つまり難解で奇妙であったものをわかり易く、しかも日本人によって
説明されたわけだから決してバカにされることはなかったはず。
新渡戸の「武士道」は武士道を語っていないと思います。
彼の書いたことは、日本人もキリスト者となる資格を充分に持つ民族であり、
そのことは日本にも騎士道があることで証明できる、という西欧へのアナウンス
であったように思えます。あくまでも西欧向け日本人論ではないでしょうか。
であるからこそ、維新の息吹がまだまだ生々しかった1900年と、グローバリゼーションが
ますます課題とされ始めた2000年とに、一世紀を隔てて同じく新渡戸「武士道」が
注目を浴びるようになったのでしょう。
20世紀初頭には西欧が日本を知らず、21世紀には日本が日本を知らない。
時を経て同じ書物が応急のガイドブックとして読まれているわけです。
ならば我々現代の日本人が新渡戸の書物を読むことで得る恩賞は、100年前の
西欧人並には日本を想像できるようになれる、ということでしょう。
おそらくその結果、日本的な「美徳」をどれもこれもサムライやゲイシャに
結びつけたがる、あの滑稽なオリエンタリズムが日本人自身によって演じられるように
なりそうな予感があります。
批判という訳じゃないんだが、新渡戸稲造の著作が本来の武士道を語っていない
という人間は、どのようなものが本来の武士道なのか具体的に語ってくれないと
訳が分からないよ。
それが出来ないならせめて新渡戸氏の「武士道」のどの辺の記述がダメなのか
言って欲しいな。
新渡戸は「武士道とは何か?」を語ったわけではないよ。西欧風の宗教がなくても
道徳はあり得るのだ、という当然の真実を、日本を例にして発表したわけよ。
このときの道徳というものが、じつは日本人が見た西欧風道徳だったわけで、
同時に日本人はこの西欧風道徳こそが、ひょっとして近代化の鍵ではなかろうか、
とも思っていたわけさ。近代ビギナーらしく謙虚な姿勢で、日本的にはよろしい(w
キリスト教圏でない日本にも道徳がある、という弁明は、日本にも独自近代化の
資格がある、とう弁明なんでしょう。ただ同時に、ではそんな近代的自律が何故
いまになって初めて可能になったのか? ということも弁明できなきゃまずかった。
日本の立ち位置を西欧のタイムスケジュールを超えた中で確認したかった、といってもいい。
じゃないと、やっぱ黒船だけのおかげでしょ、といわれかねない。
そこで明治直前までの日本文化の、どこまでがよくて、どこからは悪かったのか、
この秘密を、封建を克服した「つもりの」明治知識人新渡戸は、武家社会の倫理に
求めたわけだ。釣り上げた「つもりの」封建をどう料理するかは明治人の勝手だった。
なので、まず最初から「西欧封建以上、西欧近代未満」という落とし処があって、
その具体的なモデルとして「武士道」をねじ込んだ、ともいえる。けっして武士道
そのものについて探求した、とう種類の著作ではないよ。そういう読み方は新渡戸に
とっても「不名誉」ではないでしょか。
誤解をした解釈をしているかもしれないが、新渡戸氏は先ず日本人の倫理観を
説明するテキストとして武士道というものを例に挙げて説明しただけで、
武士道そのものを言っているわけではない。と言いたいのかな?
それとも新渡戸氏が表したのは日本の倫理観でない西洋の倫理観をいかにも
日本にも古くから有ったように見せかけただけと言うのだろうか?
仮にそうだとしても、一方で武士道が武士の行動規範を指すものならば、その行動規範は
どのようにして生まれたのかが問題になってくる。
して良いこと、悪いことが決められるのであれば当然それに沿った倫理観というものが
有るはずで、それの基盤となったのはどのようなものなのか、またその独自性とは
いかなるものかが重要ではないかな?
対比としてのいわゆる、新渡戸氏とは違う本来の武士道の姿とか日本人の倫理観というものを
説明しなければ要領を得ないよ。
養老孟子も面白い。
===============引用開始
明治の人たちは、和魂洋才というほどに、破壊されるはずのないなにかを信じていた。
その一つが、おそらくは型であったと思われる。かれらはすべてを政治制度、社会制度
だと信じた。それらはいずれも意識化され得るものだからである。意識的なものを破壊
したところで、意識的に修復可能なはずである。こうして徹底的にやってみたところが、
妙なものが壊れてしまったことを発見する。妙なもののほうは、そもそもが無意識だか
ら、それをどうしていいかわからなくて当然であろう。それを議論することすら、むず
かしいからである。無意識をいったいどうやって議論したらいいのか。そのうちに変化
はどんどん進行してしまった。そうなれば、要は徹底的に保守化するしかない。なんだ
かわからないが、それらしいものを守れ。おそらく気分はそうなっているのだと思う。
(身体の文学史)
===============引用終了
新渡戸は彼自身のいうところの「武士道」がいずれ日本に復活すると信じた。
なぜそういうことを信じちゃったのか。また、それが今日ますますありえそうに
ないのもなぜか。上記引用のような「型=身体性」をめぐるアレコレについてが、
現代に武士道を考えてみる場合のミソになるように思う。
明治期にでさえまだ自明であったがゆえに、わざわざ対象化してみよう
などとは誰も思ってみなかったモノ、がきっと日本にはあったのだろう。
そこを無視したまま巷の武士道論を、例えば、新渡戸の「武士道」を読んで
みても、山本の「葉隠」を読んでみても、そこには劇画的にまでストイックな
サムライ精神は感じられるが、衆道や慢性的アル中や半端ではない刀装ヲタ
までを包括したリアル武家社会の雰囲気は伝わってこない。
それどころか、BUSHIDOが本当に武家の行動規範だったのだろうか、
という疑問さえ湧いてくる。日本民族がそこまで生真面目な民族なんだろうか。
いや、たしかに真面目は真面目だろう。しかしアバウトな部分について思い
起こしてみるとすれば、それはそれで桁違いに「いいかげん」な民族ではないか。
明治維新の薩長なんざ、そもそもは攘夷派ではなかったのか。鬼畜米英から
ぎぶみぃちょこれぃと、までが一瞬なのはどういうことなのか。
西欧の倫理観には聖書や教会への忠誠心が大きく関係しているのだろうが、
日本の倫理観について考える場合、西欧のそれに変わるような「武士道」があった
とは私には思えない。それどころか、行動原理といったほどのことさえ、あったかどうか
疑わしいと思う。もしそういうものが本当にあったとしたら、現代の朝鮮の人々が日本を
罵るように、じつに我々は節操のない民族だということになる。
違うのだ。日本人は原理原則で動く民族ではない。ただただ「和」の実現としての「型」
だけがあって、その「型」に向かって誠実な身ごなしをすることこそが、善い行いだった
のではなか。そうであるからこそ、武士道とは何か、ということは源平の時代から日本人に
親しいテーマでこそあれ、しかし解答が存在するような話ではないと思う。
各時代の侍たちが、一生かけて「己に問う」べきテーマでこそあったのではないか。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/12 20:05 ID:tfLDRFVJ
非常に興味深いです。すばらしい。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/20 20:59 ID:cCAv0mXi
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/06/28 09:05 ID:vu9xMHmE
age
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/07 20:22 ID:lC3fdla1
保守
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/07/07 21:20 ID:cKfB6pZu
武士道って、江戸幕府の作った倫理規定じゃん。
大和魂も大本営発表じゃん。
日本人に本来備わっているのは武士道でも大和魂でもなくて、
「和」
の心だと思うのです。
65 :
山崎 渉:
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄