>>938 入手できたら、整体医法教範を入手してください。
全然違います。少林寺は、東洋医学共通の14経絡を用いますが、
十二反応帯は用いません、その単語も、その図も開祖の著書にはありません。
>この部分に熱刺激を与えると、内蔵の働きの調整が図られていきます。
少林寺の整法は、骨折脱臼の処置、活法、そして指圧的手技でのゆるめと
カイロ的手技での矯正を行います。
十二反応帯ではなく経絡秘孔(経穴)を用います。
結局貴方は金剛禅少林寺に対して無知だったのですね。
>さて、森が「三角技法」に気づきだしたのは、七段か八段になった約20年前だという。
つまり開祖から教わった技法を鍛錬するうちに独自に編み出した
らしいですね。三角技法を。
そもそも三角だとか三合だとかは、誰でも思いつく名称ですよ。
語感がいいですからね。
それと訂正
>入手できたら、整体医法教範を入手してください
↓
入手できたら、整体医法秘普を入手してください
>>941 名前でなく中身をみなさい。名前は器で、器は中身を注ぎ込むためにあるのだから。
942は、もう少し、ということです。きつい言い方でした。ごめんなさい。
>名前でなく中身をみなさい
平田式と整法なら中身が全然違います。
武道の極意なら、どの流派も最後は同じ境地にたどり着きます。(常識です)
とにかく貴方は汗をかく方がいいと思います。
なぜ本部公認の不遷流ではなく八光流なのか?
理解に苦しむ所です。
>きつい言い方でした。ごめんなさい。
慣れています。何せ「シャドー死ね師ね」ですから。昔は(w。
>>945 多分、関節技の方が切り売りにされやすく、それで齧っただけの人が
関節技を切り売りされたと感じやすいからじゃないですかね。
私は今の金剛禅に大東流の影響がまったく入っていないとは考えていませんが、
金剛禅の主なルーツが大東流だとはまったく考えていません。第一大東流には蹴りがない。
そこから先はわかりません。金剛禅の様に前屈してかまえる武術はインドのものに多い、
インドから来て比較的原型を留めている武術は、中国では仏教寺院を中心に伝承されている。
ツァイチャリというのは少林寺から還俗した元・僧侶のことで、少林寺自体が一種の
秘密結社であり地域社会と一体になって独自の文化圏を維持している。「しんいは」などと
呼ばれる中国拳法の核心とされる技術は、前屈姿勢と独特の(鉄槌風の)独特の手形を
特徴としており、金剛禅の構えに酷似している。武花華山という嵩山少林寺を特徴づける
構えと同様のものが、宗開祖の写真として残っている。
そんなところでしょうか。私は杖で何年も無駄にしたと感じていたのが、
自分の間違いだとさっき気付いたので、ちょっと歴史のあれこれから興味が薄れてきています。
>「皇法医学」というのはその昔平田内蔵吉という人が創始した療法です。
>もともとは指圧から体操法(内容は肥田式とほぼ同じ、平田は肥田氏と共著で本を書いたりしていました。)・食養法・易・光線療法・
>温熱療法などが一体となった総合的な療法です。
>療術理論としては主に経絡や、平田氏独自の帯状反応帯(これを平田氏帯とも言います)理論を利用した反射療法を主体としています。
少林寺には「あの体操法」も無いし、温熱療法も伝授していません。
また、皇法指圧は痛いことで有名ですが、少林寺の指圧はどちらかというと
気持ちよく眠ってしまいます。また奥山氏の創始した皇法指圧には接骨も背骨矯正もありませんが
少林寺にはあります。
また、平田氏独自の帯状反応帯は東洋医学の経絡学説を参考にし、それを
現代医学区の皮膚反射と合わせ、改変したものですが、少林寺では純経絡理論
を用いています。
>金剛禅に大東流の影響がまったく入っていないとは考えていませんが
それは同意です。開祖は帰国後色々な武術格闘技を研究しました。
今では誰でも使うミドルキック(背足回し蹴り、や肘受け(今はアポーン)
を初期から導入していました。ストッピング(足受け、待ち蹴り)や膝受けも
ありました。本ではああ書いていますが大東流を研究した部分もあると思い
ます。ただ「何が主体か」ということに関しては
八光流大東流は違うとだけ主張しているのです。
946ですが、嵩山少林寺の開門式は羅漢拳というものと酷似しており、
それもしくはそれと通背拳(モンゴル相撲が中国化したもの)が習合し八卦掌と名称が変わり、
それらのある部分を、北京に留学していた佐久川寛賀(さくがわかんが)が
沖縄に持ち帰ったものが空手(首里手)の起源であり、つまり宗開祖が
空手を習った、という説の傍証にもなりうる事実なので、つまり
何の証拠にもなりません。まちがいですので訂正させていただきます。
そろそろ大東流に帰りましょう。
悪いです。
>>948 それにはまったく同意します。大東流の伝播経路として、金剛禅に取り入れられた部分があるのも
追いかけて全容を概観したい、という自身の欲求があり、それはそれで楽しい作業だったのですが、
それをもって金剛禅の第一のルーツが大東流もしくは八光流であると主張するものでは全くありません。
他に大東流の影響が見られるものの例としては、極真空手の護身術、太気拳の逆手などが候補に挙げられます。
両者とも、大東流が主体になって発展した武術ではありません。八光流の門人で
後に一派を創設した姉川氏が、太気拳の創始者が柔術に興味をもっていたと証言しています。
極真空手と太気拳とは交流があるので、そこで影響があったのかもしれません。
いずれも現在は廃れてしまっている様です。
952は、「影響が」です。極真空手、太気拳、ともに現存しています。
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/19 23:35 ID:jtGwTMI8
>少林寺=【(不遷流+その他柔術)+結社系中国武術+その他】×開祖の工夫
なぜ無理矢理に、色々不確かな情報を本に記述して色々言われている
奥山氏の方『だけ』信用するのでしょうか?
開祖は結社系中国武術?をおそらく見たんでしょうね、そして見た記憶を頼りに創作したように
思えます。また柔法も発行の三日くらいの稽古記憶を頼りに見よう見真似で作ったように
思えます。
ふせんりゅうですか、どのくらいはいってるんでしょうね・・・・、。
>八光流の
>技術の見学で「ちゃんと大東流を教えているじゃないか」と言うことがわ
>かり、そのまま帰りました。
これは、「奥山氏が大東流という書籍を出したのを知って、『大東流という名前で』
教えているじゃないか」という事になった、というエピソードの伝聞まちがいですね。
956 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/20 00:01 ID:FaIJGrQM
だから!少林寺で始に習う逆手投げ逆小手等は何処の技なのか?
知っていれば教えてほしいです!
>>956 最初は目打ち、金的だろ。逆小手は合気会の三教と起源を同じくする技で、
八光流経由で取り入れられた大東流の技では。運足等下半身の技法が
違うので、手の決め方以外は別のものになっていると思われるが。
逆手投げは合気会の交差取り小手返しと同じ起源を持つ大東流の技が
金剛禅に取り入れら得たものだが、運足等下半身の技法が異なるので
だいぶ違う技になってきていると思われるが。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/20 00:33 ID:xVB/VKsr
まあ混ぜものということなわけだね。あとは少林寺という名前でなければ
解決するわけだ。
ただ厳しいこと言わせてもらうけど乱捕りの技術に関してはもう少し新しい技術が
欲しい。
剛法の型もやればやるほど弱くなるかも。テイクバックが大きすぎる基本技の改善等
>>959 嵩山少林寺の武術に大東流が混ざったもので、不遷流の癖が抜けず飛び蹴りなどしてしまうのが玉に瑕。
という程度では?
まあ、嵩山少林寺の最も重要な拳法が心意拳法といって、形意拳(中国化)、意拳(近代化)、太気拳(日本化)などして
習えるようになっているが、最後のものへの大東流の影響はとてもシンプル。
しかし敷居が高く習いにくい拳法だそうだし、創始者が柔道を
やっていたときの癖が抜けないのが玉に瑕。
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/20 01:00 ID:xVB/VKsr
嵩山少林寺の武術の影響は1パーセントくらいあれば上等、あとはボクシングや空手、日本拳法
の影響ががほとんどだろうな。
ジュウホウは八光が基本技として形を変化させて、後のうつ伏せの押さえや四か条等は合気道より
から取ったんでしょう、とにかく混ぜこぜ、拳法から柔法の投げなんてあれは不可能に近い技だよ。
箱庭武術だね。実戦の匂いがしないね。素人相手の喧嘩なんてだめよ。
これは、『「福建鶴拳」と「大東流」を弊習すると、大東流の技が削れてなくなる。』
の法則とまとめられるものかも。心意拳法(心意把)と大東流だけが弊習された例というのは
あるのかな。金剛禅がこれに近いのかな。うーんわからんし、あんまり意味のある
話じゃないかも。それより、「下段・上段・中段」と「裏・表」で掛け合わせて六本の杖。
中段が槍(棒)、上段が刀で、下段はきっと剣(直刀・杖)の理合いかも。
こちらが面白くなってきたので大東流の影響範囲の把握はひとまず中断します。では。
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/20 01:02 ID:xVB/VKsr
>技術に関して言えば、不遷流というのは、金剛禅でいう剛法の、それも蹴りの部分が酷似しているだけで、
突きの部分は嵩山少林寺に伝わるものに似ていると思う。これの右の構えとか。
似ているだと、馬鹿なこと言うなよ
>>962 中国で同僚と二人、喧嘩に巻き込まれたが、危ないと思い自分はとっさに
よけたものの、同僚は針のようなもので腹を刺されて死んでしまった。(宗道臣)
フルコン空手や大相撲が実戦かね。不遷流は捨てた方がいいよ。かっこよすぎる。
それで、立禅か心意把か、中国の本流とされる基本の訓練で器に水を注ぎ込んで
見るといいんじゃないかね。そうすれば金剛禅が嵩山少林寺の武術だと分かると思うよ。
立禅というのは日本に入ってきた中国の本流の武術だけど、柔道が残っていて
すごくかっこいい。捨てた方がいいと思うね。
>>964 中国拳法の核心、嵩山少林寺の奥義などと紹介されるものが、
少林寺から還俗した在じゃり(漢字失念)と呼ばれる人の家系に伝わっており、
その構えが金剛禅の剛法の突きに酷似しているんだから仕方がない。
偽物だと思っていたものが本物だと分かったんだから、もっと喜べ。
さー、三戦立ち基本で六本の杖を振り直してみて、
立禅をみっちりすると合気道の技が変わるかな?
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/20 01:50 ID:xVB/VKsr
馬鹿が来たね。傍観するよ。馬鹿はよけるに限るね。では、おやすみ。
>>928 赤影君さー
>かんぬき系、コの字系、木の葉系、圧法、ガクン類似技、
>四方投げ類似技、等、例の一日の講習会で習ったとはとても
>言えるものではない技がたくさん少林寺にあります。
習ったといえるものではないと、思っているのは君だよね? 確かめられないのに
>うろ覚えも何も、「講習会でやっていない技」はさすがに
>起源にはなり得ないでしょう。
一日ではやったと(君には)思えない技が、
あたかも(現実に)「講習会でやってない技」にいつのまにかすり替ってるのは何故?
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/20 10:46 ID:xVB/VKsr
馬鹿は去ったようだね。
あと赤影くんは知識は多少あるけれど、自分の流派に洗脳
されているかんじだね。少林寺に多いタイプだね。洗脳され派かな。
>中国で同僚と二人、喧嘩に巻き込まれたが、危ないと思い自分はとっさに
よけたものの、同僚は針のようなもので腹を刺されて死んでしまった。(宗道臣)
つくり話でしょ。
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/20 10:58 ID:QwEu+lY6
>>935 > だから、少林寺の柔法技の大部分が講習会の技に存在しないと指摘しているのです
> から。
別段、私は八光流の技が少林寺の柔法技のルーツかどうかを問題にしていませんよ。
私は大東系・少林寺ともに門外漢ですから、どちらかに肩入れする立場にはありません。
ここの記述の根拠を尋ねているだけです。
>金剛禅の開祖宗道臣は、八光流の見学に行き、「講習受けたカタチにしろ」
> といわれ受講しました。初日実技を少し習い(と言うか体験)し、
> 2日目はただの見学。
特に、「奥山龍峰旅日記」によれば2日目には1対1で理論を習っているので、
見学しようにも見るべきものはないことになります。
一方には、「奥山龍峰旅日記」があり、それとニュアンスを異にする主張をされているので、
>>ソースを教えてください。と書いただけです。
少林寺側の本であれば機会があれば読んでみたいと思います。
書名を教えてください。
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/20 12:26 ID:L/QxCem1
奥山龍峰旅日記って創作じゃなかったの? 事実だとするとあいつ、面白すぎ。
>>970 君は柔道の人だろ?柔道はスポーツだ。精神修養の意味で武道であると言えるが、
武術の一種ではない。武術とは無縁なんだからバカとか言っては駄目です。
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/20 19:38 ID:+zqPu1uz
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/20 20:08 ID:xUxZnBNt
松田敏美氏は奥山龍峰氏と大東流として一緒に活動しており、
奥山龍峰はそれとは別に八光流も教えていた。
>ここの記述の根拠を尋ねているだけです。
>金剛禅の開祖宗道臣は、八光流の見学に行き、「講習受けたカタチにしろ」
> といわれ受講しました。初日実技を少し習い(と言うか体験)し、
> 2日目はただの見学。
いきさつについては、総本部のA先生が某所で、大勢の拳士の前でおっしゃいました。
確か、機関誌か格闘技雑誌のどれかでもそういう事を述べられておりました。
(確か破門組が手の平を返し開祖の悪口を言い出した頃の話です)
沖縄空手の上原先生もいつの間にか八光流を元にして・・・と言われるように
なっているらしいです。その先生は、それほど習っていないと主張しているらしいです。
大東流系統は、すぐ英名録に名を書かせ「あいつは俺の弟子」みたいに
言うそうです。言われた方の先生として堀川先生、柳生心眼の島津先生が
知られています。どちらの言い分が正しいかは分かりません。
2日というのは、八光流側からの情報です。もっと日数が多いのなら
証拠を明示して、広告するでしょう。八光流より遙かに大きい組織の
長が長期に習ったとなれば相当な宣伝です。
で、八光流の最初の初段講習は約10技/日です。2日目は実技を受けなかったので、
前述の状態となりました。そこで奥山氏が「宗は痛いから逃げた」と
言い出したのです。
あの「旅日記」にしても、通常取材先の言い分をそのまま載せる月刊空手道誌が、
「奥山氏は口八丁の所があり云々」と最後に記述していました。
古い本は多く処分したので号数は示せません。
国会図書館で25年前から10年前ぐらいの間の月刊空手道誌を調べてください。
東京センターの人は、他の武道のことを知らないと思うので、本部のA先生に
訪ねるとその辺のいきさつを詳しくいってくれると思います。
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 01:44 ID:HsFKvnBA
まあ何を言っても無駄だと思うが・・・・・。
古くから年配の研究家の多くが八光流が少林寺の柔法の元だといっているし、
彼ら皆ちゃんと比較している。赤影氏がナンと言おうと、当時の武術界を知っていれば
こそ研究家達はそう言っているわけだし。
ただ少林寺の柔法は大分変形して、力任せの剛術になっている。
八光の初段をしっかりと学んでみれば自ずから自分の技の欠点がわかるよ。
978 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 04:46 ID:pr54D++d
日本少林寺拳法の柔法の元になっている技術体系の1つは紛れもなく、八光流柔術であるが
開祖の宗道臣の家の家伝の不遷流柔術はどの位混ざっているのだろうか?
俺は、そちらの方が気になる。
奥山龍峰旅日記は色々と問題のある書ではあるが、真実もまた書かれているのも事実であり、全てが嘘や我田引水と言う訳でもない。
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 08:19 ID:V8OhlqWd
>>978 何か組織的な理由があってそう主張しているんだろうね。
そう考えても赤陰氏の方が正しいように思う
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 09:07 ID:pr54D++d
>976
>沖縄空手の上原先生もいつの間にか八光流を元にして・・・と言われるようになっているらしいです。
>その先生は、それほど習っていないと主張しているらしいです。
上原先生に関しては八光流側の吹聴ではなくて、昭和中期に八光流から発行されている、師範名簿に住所、氏名、写真迄、きっちりと記載されています。
見る機会のある方はご覧になってみると良いと思いますよ。
これは国会図書館にはないのかな?
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 10:34 ID:OsYYpj5D
>>976 大東スレと直接関係ない書き込みで、申し訳ありません>大東の方々。
> 2日というのは、八光流側からの情報です。
> で、八光流の最初の初段講習は約10技/日です。2日目は実技を受けなかったので、
> 前述の状態となりました。
私は図書館で「旅日記」を読んだことがあるので、2日間と言うことは承知しています。
問題にしているのは、日数ではなく、「2日目はただの見学」という点なのです。
「旅日記」によれば、2日目に宗氏は、理論を速記したことになっていたと記憶します。
一対一の個人指導での理論教授ということですから、
それを「2日目はただの見学」と呼ぶことに疑問を感じた次第です。
>確か、機関誌か格闘技雑誌のどれかでもそういう事を述べられておりました。
ここが明らかになれば、図書館に行ったときにでも読んでみたいのですが、残念です。
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 10:35 ID:OsYYpj5D
> そこで奥山氏が「宗は痛いから逃げた」と 言い出したのです。
これは出典は何でしょうか?
「旅日記」にも少し似た記述がありましたが、それは1日目の実技指導中でのことで、
私の記憶では、『技をかけ続けられていた宗氏から、中断(休憩?)を申し入れられたが、
断った』というような記述でした。
> あの「旅日記」にしても、通常取材先の言い分をそのまま載せる月刊空手道誌が、
> 「奥山氏は口八丁の所があり云々」と最後に記述していました。
> 国会図書館で25年前から10年前ぐらいの間の月刊空手道誌を調べてください。
これは宗氏直筆の英明禄(?)の写真が載っていた号のことでしょうか?
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 10:43 ID:OsYYpj5D
ひょっとして、赤影さんは「旅日記」は未読でしょうか?
(もし読んでおられたら、別の箇所の記述で頭にくると言うか、ツッコムと思うので・・・)
984 :
ぽ:03/10/21 11:11 ID:GQ7YWtFH
つーか、常識的に考えて、2日でどうにかなるわけねーじゃん。
2日でなんとかできるなら、教えるほうも、教わるほうも、天才だぜ!
いや、天才なのか?
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 13:02 ID:HsFKvnBA
中野氏はたしか二日目は手首が痛くて、奥山先生にお願いして理論だったんだよ。
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 14:14 ID:HsFKvnBA
中野君も「先生、もう握る力がありません。手が利きませんから残りの技はこの次に教えていただきます」
とかぶとを脱がれるのを、「まあ、もう少しですから・・・」
翌日「先生、機能は大変ありがとうございました。」と乾うどんを差し出された。
「今日は技の方は結構です。それにまだ手首が少々−(と言って手首を撫でられる)
というかんじかな
987 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 14:17 ID:HsFKvnBA
ちなみにこのころの初段の技は現在のものとは異なるものもあるし、また技数も多かった