503 :
◆YNJHAJIMEY :
>>501 >目に見えるもののはそれだけでも確認は出来ます。
何が確認出来るのか。その精神が目に見ただけでわかるのか。
それがわかるようなら、それは相当の眼力のある奴だな。嘉納翁のように。
>練習によって培われた技術と体力。
>それらすべてを有意義に統合する為に精神の裏づけが必要だと僕は考えたからです。
理念というのは、その道の「目的」のことである。
技術と体力があっても、それがその目的のために使われないとしたら意味はない。
いや、目的のために使われないものが技術と言えるのだろうか。
>以前言いましたが柔道やっている人で常日頃から『自他共栄』などと言うことを考えている人は少ないと思います。
>つまりその理念を元にしているわけではないと言えます。
だったらそれは柔道ではない。柔道に似た何かだろう。
そんな人間はこのスレッドでは要らない。
>あと座禅の話ですが、座、立、走に限らず禅的な行動には肉体的を多少なりに使用しますが、その心と体の関係は武道よりも更に心に重点を置いていると思います。
>そこから精神面を鍛えるだけならば座禅でよいと思うわけです。
座禅で何の目的のためにどういう精神を鍛えるのか?
お前は理念と精神の区別がわかっておらんようだな。
登山に例えると、精神は山に登るための心構え。理念は目指すべき山頂である。
>上記のように武道の場合は技を覚え身体を鍛える中で精神の練磨を副次的に行うものであるとの僕の見地からです。
精神を鍛えるのが武道の目的ではない。武道の目的は、それぞれの武道が掲げる理念である。
その理念のために肉体と精神を鍛えるのが武道である。
ゆえに座禅が武道にとって替わるわけにはいかんのだ。
504 :
茨城県人:02/12/22 20:52 ID:fmzt8wxJ
>>それは柔道に根本理念であり、その理念を元にして術理改定を柔道は行って来たと俺は理解
>>しているが違うのか。
柔道の技術体系がそのようにして作り上げられたというのを、言われて始めて気づきました。
たしかに、危険な脇固め、蟹ばさみのような技は、精力善用とか、自他共栄
という概念とあいません。相手の骨を折って、共栄とは言えませんから。
>>精力善用は、合気道で言えば入身転換であると俺は考えている。
>>入身転換は合気道の根本術理であることに間違いはない。
入身転換がどのような技法かは知りませんが、
それを使えば、敵をなからしめる状態を作れる、というのでしょうか?
あと合気道の来歴は詳しくは知りませんが、柔道と同様に古武術(柔術?)
からできたのでしょう?同じものから発生しているのに、
柔道には寝技があり、合気道に寝技がない(ように思える)。
これは、柔道が自他共栄という基本理念に従い、技を削ったように
合気道も同様に、理想的状態のために寝技を削ったのですか?
それとも合気道の元となる武術にはそもそも寝技がなかったのでしょうか?
505 :
須加ジャンバカ一代:02/12/22 20:52 ID:tT+gtBB+
そうですか。
それではここに出入りするのは止めたほうが良いですね。
ひたすらスレ違いのお話を続けてきてすみませんでした。
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:02/12/22 20:55 ID:QxGkn/b9
>>504 >危険な脇固め
これ柔道で禁止事項(反則)
なるほど、なるほど
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,ヘ/\ /\,ヘ /
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( ´ Д` ) ( ´Д ` )< わかってないだろ!
./‖V‖ヽ ,ノつ ./‖V‖ヽ |
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| .| |\ / | .|合気|. |
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508 :
合気バカ一代 ◆knhF0rmC.o :02/12/22 21:04 ID:BHEe9gD6
>>504 >入身転換がどのような技法かは知りませんが、
>それを使えば、敵をなからしめる状態を作れる、というのでしょうか?
そういうことだな。
入身とは正面から相手と対し自他を認識する作業。転換とは自他が同じ目的のために同じ方向を向くこと。
まさに敵を無からしむがための技法である。
>あと合気道の来歴は詳しくは知りませんが、柔道と同様に古武術(柔術?)
>からできたのでしょう?
そうではない。合気道とは宇宙の法則に従って出来た。古武術から出来たわけではない。
>柔道には寝技があり、合気道に寝技がない(ように思える)。
お前がそう思えるだけのことだな。
また、寝技の稽古を行うところが少ないだけのこと。
合気道は何でもありである。