【デュラヲタ】ロベルト・デュラン最強神話2【拘置所】
938 :
石の拳:2005/06/25(土) 20:16:55
石のこぶし最強伝説・3
1971年9月ケン・ブキャナンWBAライト級タイトルマッチのセミファイナルにデュランがアメリカ初登場!
相手はベニー ヒュータスというプエルトリカン。リングネームがゴールデングローブ・チャンピオン。
連続KO勝利で快進撃を続けているホープとのお互いにプキャナンに名前を売り込む絶好の一戦。かくして試合は・・・
デュランの野獣のごときファイトが展開される。
何か恨みでもあるかの様に猛然とヒュータスに襲いかかり左右の7連打で1度目のダウンを奪う開始ゴング6秒後。
カウント8で立ち上がってきたところを凄まじいラッシュ・・・右・右・左のボディーブローで2度目のダウン。
歯をくいしばってたってきたヒュータスに尚も執拗に攻め立て3度目のダウン。
意識朦朧のヒュータスにとどめを刺すべく鬼の形相で襲いかけたところで、レフェリーストップ。。
166秒の惨劇であった。 ヒュータスはそのまま病院送りとなった。
この惨劇をリングサイドで観戦していたヒュータスの婚約者が激怒し憤然とリングに駆け上がり勝ち名乗りを上げてる
デュランの横っ面を張り飛ばそうとした瞬間・・・・・スエーバックと同時にサイドステップ・・・
デュランの渾身の左フック一閃。 哀れ、プエルトリコの若者2人は揃って病院送りとなってしまった。
「彼女の動きのほうが素早かった」とうそぶいた。 謝罪の言葉は無し。 まさに石のこぶし・・・実話です。
939 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/25(土) 20:20:48
>>938 この話は初耳だ、やっぱ凄いなデュランは伊達じゃない
コロナビールを飲んで
ゴキブリの味がするって
言ったのは本当でつか?
941 :
石の拳:2005/06/25(土) 21:27:27
石のこぶし最強伝説・4
1972年3月10日フランシスコ ムニョス戦。
きたるケン ブキャナンとのWBAライト級タイトル挑戦を6月に控えての大事な前哨戦である。
リングセレモニーも終了し両選手がレフェリーとのルールの確認のためリング中央に呼ばれたその時・・・
デュランとセコンドのフレッディー ブラウンがもめていてリング中央に出てこない・・・レフェリーの再三の呼び出しに
メインセコンドのレイ アーセルひとりだけリング中央で相手選手、相手セコンド、レフェリーとのルール確認をするという
滑稽な異常事態。。。 事の真相は?? 試合は???
事の真相はこうだ・・・
フレッディー ブラウンはこの試合を無事に終わらせたかったのだ。この試合の結果とは関係なく6月26日にもうタイトル戦
は組まれている。前哨戦にしては相手はJ・ウエルターの世界ランカーでハードパンチが売り物のボクサーだ、つまらない怪我でもしたら
後のタイトル戦に向けてのスケジュールが狂ってしまう。なんとしても不測の事態は避けたい。
フレッディーは「GOの指示を出すまでは距離をとってアウトボックスしろ」とデュランに試合前から作戦を伝え続けていた・・・
フレッディーなりの老獪な指示といえる。対してデュランは「たいした相手じゃない、速攻でいく」との一点張りだった・・
試合はデュランの1RKO。 2度のダウンを奪う10カウントの完全なノックアウトだった。
デュランの速攻のこだわりは”1RKO”でも”相手に不足”を感じたのでもなかったし、フレッディーに反抗したのでも無かった。
デュランは試合が長引くことで、アリーナの外のアイスクリーム屋さんが店じまいすることを恐れていたのだ。
事実その2ヶ月前の試合で10R判定で大好物のバニラアイスクリームを食いそびれていたのだ・・・
リングを降りて控え室に戻らずファンをかき分け会場の外のアイスクリームを心ゆくまでほお張った・・・勝利直後よりうれしい顔で・・・
世界ランカーよりアイスクリームの事がきになる・・・ まさに石のこぶし・・・実話です。
942 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/25(土) 23:36:27
その話が事実なら思考回路が普通じゃないな
センサク・ムアンスリンも普通じゃなかったが
まぁそれもデュランの魅力と言う事かな
943 :
石の拳:2005/06/26(日) 13:50:40
石のこぶし最強伝説・5
1975年1月ベネズエラのWBA本部で1974年度の表彰式が執り行なわれた。
ライト級最優秀選手にデュランは3年連続で選出されたが、全階級を通じての最優秀選手はやはりモハメド アリだった。
10月30日対フォアマン戦「キンシャサの奇跡」、この一戦が高く評価されたのだ。当然年間最高試合もこのヘビー級の
タイトルマッチが選ばれたのである。
各チャンピオンの喜びや今後の抱負を語るスピーチが進みデュランの番になった。ここでデュランはこうスピーチした・・・
「パナマ人はみんな生まれつき小さい。もし私がアメリカに生まれ育っていたなら、もっと大きな体になり、アリをはじめ全ての
ヘビー級を地獄へ叩き込む偉大なチャンピオンになっていただろう」さらにアリにむかって大きな声でこう吠えた
「おい!そこの大っきいの!!俺が、お前と同じ国に生まれてこなかったことを神に感謝しろ!!」
「おれがヘビーウエイトなら今日おまえはこの席にいない。」
さしものアリもデュランの迫力と存在感に圧倒されたという。
まわりは全て敵 このあくなき闘争心 まさに石のこぶし・・・実話です。
944 :
石の拳:2005/06/26(日) 14:27:26
石のこぶし最強伝説・6
デュランはパナマシティの端にあるチョリオ地区というスラム街に生れ落ちた。
異父兄弟8人の中で2番目のこどもだった。8人兄弟の口にパンを与えるには、あまりにも両親が
貧しすぎた。子供たちは幼いときから自分の手でパンとミルクを得なければならない宿命だった。
そんな中、ロベルトは丸木舟に乗り小魚をとる名人だった。しかしこの仕事は常に年上の大人たちから
収穫を狙われる危険性があった。ある日このスラム街で名だたる悪がきから2人で獲物をとる事に失敗した
連中は8人でロベルトを取り囲み激しい喧嘩となった。ボロボロになりながらもぎりぎりで勝った!!
デュラン12才の時である。この喧嘩を見ていたのが町の顔役チャフランであった。
デュランにボクシングを教えた人物であり、デュランに付いたはじめてのマネージャーである。
それにしても12才といえば小学6年生・・大人が8人・・全てが伝説 まさに石のこぶし・・・実話です。
945 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/26(日) 14:50:26
天下のアメリカに孤軍奮闘するデュランは凄いな・・
最初はアメリカ人からかなり嫌われて叩かれたみたいだけど
逆切れして貫き通して最後はヒーローとして迎えられた・・
デュランには強烈な芯の強さを感じる
946 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/26(日) 14:56:43
なぜ石のこぶしさんはこんなに詳しいの?でも俺はデュランはアリには
勝てないと思うぞ・・・たとえヘビー級でも・・・
948 :
石の拳:2005/06/26(日) 16:43:36
石のこぶし最強伝説・7
1975年3月デュラン6度目のタイトル防衛戦。相手は当時世界ランク1位で強打を誇る
アメリカのレイ ランプキン。ランプキンは一歩も引かず果敢に打ち合ったがパナマシティ中米独特の
灼熱の太陽に焼かれ、10Rすぎから疲れ始めた。14Rになり30秒すぎに、デュランの強烈な左フックが
レバーを直撃し、返しの右フックがランプキンの顎をまともにとらえて、ランプキンは失神。挑戦者を見事キャンバスに沈めた。
ひどいダメージを受けたランプキンはそのまま病院送りに・・・その後一ヶ月の入院を余儀なくされた。
試合後デュランは「私はトレーニングをしてなかった。バッドコンディションにリングに上がった。次にやる時は見事に体をシェープ
してリングに上がる。そのときヤツの行き先は病院ではなく、モルグ《死体置場》になるだろう。」
一ヵ月後無事退院したランプキンは「あんな恐ろしいパンチは初めてだった。テンプルに彼のパンチを受けたとき打たれた瞬間に顔がブクーっと
腫れ上がっていくのがわかったし、ボディーブローは手首までめりこんでいた。」自分が生きているのが不思議であるとさえ言った。
デュランとの再戦はなかった・・・
ランプキンはデュラン戦後深いダメージにより選手生命を絶たれてしまった。 まさに石のこぶし・・・実話です。
949 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/26(日) 17:41:52
>>947 素人?
PFPならアリよりデュランの方が格上。
さらに言えばデュランよりロビンソンの方が格上。
950 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/26(日) 18:22:50
デュランはもうかっこよすぎ
こんな人ってガッティとか才能はイマイチタイプに多いのに
才能が飛びぬけててこんなのってなあ
ハグラーくらいか後は
あ、ケビンケリーもすっごい人格者なんだよなあ
才能はスーパーには後一歩だけどさ
951 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/26(日) 18:24:36
さらにPFPでは川嶋の方が上
953 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/26(日) 18:25:59
>>949 アリには勝てないわ・・・あのセンスすごすぎ
955 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/26(日) 19:36:44
デュランとやった当時のハグラーの評価って、どんなものだったん?
とりあえずおもすれーw
馬の逸話は知ってたけど。最高w
ヤンチャ坊主がそのまま大人になり、大人の環境を好き勝手に生き抜いてる感じ
957 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/27(月) 01:40:13
ここまで我道を貫き通すのはちょと凄いな。
デービー・ムーア戦の記者会見でもまるでどこぞのマフィアみたいな格好で
現れ「自分の非礼をパナマ人に謝罪する、どうか許してください」とか
言っておきながら次の瞬間には「俺に喧嘩を売る奴は頭が悪い、徹底的に叩き潰す」・・
謝ってるのか喧嘩売ってるのか訳わからんしw
ウサギ・・だ。
デュランは動物が好きなんかな?
でもこのデュランちょっと太めだけど男前だ。
若いときかな。
960 :
石の拳:2005/06/27(月) 21:55:54
石のこぶし最強伝説・8 PartT
プロボクサー・・・それも世界ランカーになるほどのボクサーの夢はただひとつ。世界チャンピオンになることである。
したがって世界タイトルに挑戦できたボクサーは幸せである。だがたとえ実力があろうとも夢叶わずそのチャンスすら
もらえずに闇に消えていくボクサーがほとんどである事が現実である。
そんな厳しい掟のなか1975年12月20日プエルトリコ サンファンシティで行われたWBA世界ライト級タイトル
ロベルト デュランVSレオンシオ オルチス戦は異例中の異例といえた。
当時のデュランは阿修羅の如き戦いぶりで次々と挑戦者を屠っていった。そのデュランに敗れ去った挑戦者の多くは哀れな
末路を辿り、辛酸をなめていた事実もあり、ついに挑戦意欲の失せたトップランカー達はWBAの打診に何らかの理由をつけ
デュランとの戦いを尻込みし拒んでいた。WBAは挑戦者探しに四苦八苦していた折、お鉢がまわってきたのがオルチスだった。
オルチスはこのデュラン戦を遡ること13ヶ月もの間試合を全くしていなかった。そんな選手がこの年の8月WBAワールド
ランキングにいきなり9位にランクイン。20位圏外からである。翌月には6位に。とうとう12月には5位までのぼりつめた。
オルチス側はWBAとプロモーターに対して突きつけた要求はファイトマネーの額だった。デュランのファイトマネー75万ドル
に対し100万ドルを要求した。(最終的には同額の75万ドルにおちついたが・・・)
試合はオルチスが両腕を高くガードしリングを走り回り、ちょこんと打ってはすぐにクリンチするというとんでもなく
つまらない試合となった。このオルチスの超消極的戦法にいらだった観客がブーイングを浴びせ続けるなか試合はとうとう
最終の15Rまで進み・・・・・PartUへ つづく・・・
961 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/27(月) 22:00:52
デュラン伝説凄いな〜ガッツとは比べ物にならん
962 :
石の拳:2005/06/27(月) 22:19:46
石のこぶし最強伝説・8 PartU
試合はとうとう最終の15Rまで進み残り30秒を切り判定かとおもわれた矢先の2分46秒、デュランの軽い右アッパーがオルチスの
顎をとらえオルチスはダウン。大げさに両手を大の字にひろげノビているふりをするオルチス。そのままカウントアウトされ試合終了。
試合後デュランは「こんな茶番はたくさんだ」「タイトルマッチを虚仮にしやがってWBAもオルチスも糞食らえだ」と
すてゼリフを吐きすて会場を後にした。オルチスは控え室に戻り体調不良を訴え病院へ直行。
最終ラウンドのデュランのワンパンチで顎がぐしゃぐしゃに骨折していた・・・
デュランの発言が物議をかもしだし、後日WBAはオルチスの挑戦権に対する不正を正式に認め、公に陳謝。
一方オルチスはそのまま引退した。
デュランの豪腕は世界ボクシング協会(WBA)のアゴ?まで砕いた。 まさに石のこぶし・・・実話です。
963 :
石の拳:2005/06/27(月) 22:49:23
石のこぶし最強伝説・9
デュランの恋女房はフェリシダというとても美人な奥さんである。
なれそめはフェリシダが学校帰りにデュランが声をかけたことでふたりは恋におちた。
「ムイボニタ セニョリータ」というのがくどき文句だった。(意味不明)
当時デュランが18才・フェリシダは14才であった。ふたりはその日うちに結婚し、翌日には
一緒に暮らしていたという秒殺ぶり。その後ふたりは3男・3女の6人の子供をもうける。
女の子3人のなまえは・・・OOOOカルメン???覚えてないですごめんなさい。
男の子のなまえは長男ロベルト・ジュニア・デュラン次男ロベルト・V世・デュラン3男ロベルト・W世・デュラン・・・
以前デュランは「家の中がロベルト・デュランがいっぱいですごく楽しい」と陽気に笑っていた・・・
デュランは頭の中も石だった・・・ まさに石のこぶし・・・実話です。
964 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/28(火) 02:17:33
ムイボニタ セニョリータ
ムイト(とても) ボニータ(美女) セニョリータ(彼女)
「そこの彼女! めちゃくちゃ可愛いな」
965 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/29(水) 22:37:58
こっちのスレも消化しろよ。
966 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/29(水) 22:39:41
デュランって船木に負けたデブだろ?
967 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/29(水) 23:25:13
>>941 アイス食べられるかわからないと思ってたら
前の試合ももっと気合入れてたかも。
いかにもデュランらしいなw
デュランの子供って何やってるの?
ちょっと前にもしかしたらデュランの息子じゃねってボクサーをBoxrecで見掛けたけど。
サンティアゴ・サマニエゴは従兄弟で元世界王者だしやっぱ血は凄いんだろう。
デュランは全盛期が比較的長期でどう見ても個人としての強さが備わっている為
少しくらいの煽りや中傷には全く動じる必要が無い。本当にミラクルな選手だ。
970 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/30(木) 00:03:04
デュランJRだろ。血のつながり無い人間が名乗る訳の無い名前だ。
もし名乗ったら、この前のオリンピックの決勝を辞退したモハメドアリ
やヤングジョールイス並みにカッコ悪w
971 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/30(木) 00:35:19
>>963 マジワラタw
ここまでイメージ通りに生きてくれる人って中々いないな
名前の付け方までマチズモに満ち溢れてる
972 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/30(木) 00:37:05
でもロベルト・デュランなんてそんなに珍しい名前でもないよな。
同姓同名だけど恥ずかしくてリングネームつけてる奴とか
いそう。
973 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/30(木) 00:39:22
フォアマンも子供に同じように付けてるんだよね。
やはり回路がどこか違うのかな。
んじゃなきゃあんな野生っぷりやスタミナや強打は出せない・・
しかもこの逸話の数々・・・。
974 :
勃起:2005/06/30(木) 08:42:52
石のこぶし最強伝説・番外編
デュラン対高山戦 日曜の午後
余りにも試合前セレモニー長く腹減った私は出前一丁
作ってテレビの前に・・・そこには顎ひげ面の笑顔の
デュランがうっすらと額に汗をにじませてスペイン語を・・・
まさに石のこぶし・・・実話です (TωT)
975 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/06/30(木) 22:43:20
デュランとかフォアマンってナチュラルに強いんだろうな。
うらやましい・・・。
>>957 頭悪格好良いw
馬鹿過ぎて全てを許してしまうw
977 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/07/01(金) 00:31:50
こんな人って漫画の中だけかと思ってたけど実際いるんだね。
実際目の前にしたらどんな気分なんだろうか?
圧倒されそうだ。
978 :
石の拳:2005/07/01(金) 10:40:41
石のこぶし最強伝説・10
デュランはその貧しき幼児体験からか「食」に対して異常ともいえる執着心をみせていた。
名伯楽の2人がついていたにも関わらず、デュランの体重は試合後に野放図にあがりつづけ、1ヶ月もすればでっぷりと肥えた。
ライト級時代には最大45ポンド(20kg)もの厳しい減量も行ったこともある。
減量のきついボクサーはその試合の検量が終わると、それまでのストイックな状況から少しは開放され、試合前でもステーキなどを
平らげることもめずらしくない。 が・・デュランの場合その量さえ別格である。
___1976年ボクシングマガジン9月号よりの記事(7.31ノンタイトル;エミリアノ・ビリャ戦速報特集)を抜粋してみると・・
10時;検量_11時30分;昼食__休憩__17時”2回目の昼食”_19時30分試合開始
11;30昼食 17;00”二回目の昼食”
ステーキ500g グリルチキン500g ハッシュドポテト一皿 ステーキ200g チーズバーガー2個
ホタテのパスタ一皿 グリーンサラダ大ボウル ボイルしたエビ2尾 スープ グリーンサラダ ボイルしたタマゴ3こ
ライス ワイン一本 フレッシュジュース2杯 フレッシュジュース2杯 ミネラル水1本
ミネラル水2本 デザートバナナ3本 デザート バナナ1本 チョコレートケーキ1片
ソフトクリーム1カップ
現代スポーツ医学では食事を1日に5〜6回にわけて食べることを奨励している。デュランは時代を先取りしてたのである。
・・ただし現代スポーツ医学では少量をすこしずつとすすめているが・・・
・・・ 試合前からすでにデュランは祝勝会である。 まさに石のこぶし・・・実話です。
デュランて実はサイヤ人だったんじゃね?
980 :
石の拳:2005/07/02(土) 20:46:58
石のこぶし最強伝説・11
デュランとみたび死闘を繰り広げたエスデバン・デ・ヘススも1978年デュランとのライト級王座統一戦で12Rデュランの
右フック一発に沈んでからは急速に衰えはじめ、晩年の人生は汚辱にまみれたものとなっていく・・・
デ・ヘススは76年5月にガッツ石松の幻の右を完封し、ようやくWBCライト級王者になった。3度目のタイトル挑戦だった。
その後3連続KOにてこのタイトルを防衛した。 絶頂にいたはずのデ・ヘススのまわりから黒い噂がたちこめたのも
この時分であった。少年時代から博打の常習者でギャングの手下で働いていたデ・ヘススは麻薬の常習者、いわゆるジャンキー
であった。「シャキッとしてるのはリング上だけで、普段は完全に痴呆状態だ」という声が広まっていった・・・
デュランとの第3戦目に敗れたデ・ヘススは1980年7月WBC世界Jウエルター級タイトルに挑戦するがチャンピオン
ソウル マンビーに12RKOで敗れ、リング生活にピリオドを打った。 このデ・ヘススがちょっとしたトラブルから17歳
の少年をピストルで撃ち殺し、法廷で終身刑を言い渡されたのは翌1981年のことであった。
その後ジャンキーであったデ・ヘススの体はボロボロになり1988年の暮、両眼を失明。翌年の夏に肝臓ガンを引き起こした。
ゆかりの人達やまわりにいたすべての人から見捨てられただ死を待つだけのデ・ヘスス。かつてのライバルの悲しくも切ない
そんな窮状を風の便りに聞きつけたデュランがアメリカからデ・ヘススのいるプエルトリコの医療刑務所に見舞いに訪れた。
もはや自力で起き上がることの出来ないかつてのライバルをデュランが抱え起こし、やさしく抱きしめ、明るくそして力強く
励まし続けた。光を失ったエスデバン・デ・ヘススの両眼から涙がとめどなく流れたという・・・
デュランがシュガー・レイとの第3戦目に向けてキャンプを張っていたロスに戻った8日後に褐色のカウンターパンチャーは
静かに息を引き取り、波乱の人生に幕をおろした。
ラフでタフなパナマの英雄は義理がたく心優しい任侠の男でもある。 まさに石のこぶし・・・実話です。
しかもヘススはエイズにもなっていたんだよね。
多分注射針からだろうけど。
サバイバルという点ではガッツは借金を返して
成功して生き残っているんだからしぶといね。
982 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/07/02(土) 23:28:12
大事な台詞が抜けている。
ヘ「俺の何が間違ってたのかな?」
デュ「俺と戦った事だ」
これは冗談みたいだがマジらしいw
983 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/07/02(土) 23:34:06
っていうかなんでデュランって
100戦練磨の戦績を残しているのに
言語障害が出てないんだ?
984 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/07/03(日) 00:10:42
>>983 あの・・割合で言えば多数試合こなしてる人でもそんな人は少ない。
基本的には元の体質の影響が大きい。
それ用のスレを見てみたら何故かってレスはあると思うよ。
986 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:2005/07/03(日) 07:04:54
パンチドランカーか・・
デュランは頑丈だからそういう話は聞かないな
一発いいの貰って人生終わっちまう奴もいれば
デュランみたいにハーンズに前のめりに倒され、バークレーの左フックまともに
受けても大丈夫な奴もいる
まぁ生まれ持っての頑丈さかな
避けるのが上手い上に頑丈なんて・・相手からしてみれば最凶に嫌・・
987 :
名無しさん名無しさん@腹打て腹。:
>>978 凄い食欲だな・・・。
力士かマラソンランナー並みw
だからこそあんなエネルギッシュなんだろう。