【前スレ】
北方水滸伝・楊令伝を語ろう第四十五章
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1259299041/ 【出版状況】
・水滸伝 ハードカバー、文庫ともに、全19巻まで発売中。
・北方水滸伝・楊令伝 1−12巻まで発売中。文庫版は、まだ未定。
【替天の志(ローカルルール)】
★楊令伝に関し、詳細・ネタバレを含む内容に関しては、
小説すばる公式発売日(基本、毎月17日)発売に解禁とする。
★公式発売日前日以前の早売りに関しては外部に記述して誘導に留める等、
早売り派の配慮と自重を持って行動されたし。
★文庫新規参入者は文庫派専用スレがあるので、深入りする前に移動すべし。
★原典との対比に付いては制限は設けず、
ただし、場の雰囲気に応じ臨機応変に対処されたし。
★☆荒らしは徹底無視するべし。耐えに耐えよ。☆★
★専ブラウザを使用すべし。★
★
>>970あたりで次スレ用意し誘導すべし.。
関連リンクは
>>2-4
>>1 もういいんじゃないの、このスレ?同じことを繰り返し述べているだけだろう?
楊令伝の1巻2巻の話題しか書かない奴もいるしさ。
>>1 乙
楊令が死ぬまでは、叩きつづけるべきだ。犯罪者を許すな。
すばる最新号を買ってきても、楊令伝は半分も読めない回が2度続いたので、
もう新しい展開を叩くこともなくなったな。戦は毎回同じだし、性格は均一なのに
名前だけ違う無印良品のような新キャラが出てきても、覚える気力がない。
無印粗悪品と言え。
工業製品としては均一性が確保された楊令伝のキャラは良品という評価を受けるよ。
梁山泊の将校として登場するか、岳家軍の将校として登場するか。
それで差別化は終了なんだよな。数回とばして久しぶりに読むと、
新キャラがどの軍の将校なのか、さっぱり識別できないよ。ほんと。
マラソン完走したランナーが、地べたにはいつくばりながら、さらに40km走っている
ような小説なんだわな。
あるいは12ラウンド闘ってヘトヘトになったボクサーが、リング上で尻餅ついてまで、まだ腕を
振り回しているような小説というか・・・
もうストーリーもない、戦もキャラも差別化できない。なぜ続けるの、と言いたくなる小説。
それぞれの戦の終盤は、叙述まで
>>9のようだもんなw
併行してやっている仕事の量を考えれば、楊令伝を、このペースで、この巻数書くというスケジュールが、
大失敗なんだと思う。
水滸伝には原典のエピソードがふんだんにあったから、それをアレンジするなり、オリジナルを
加えるなりして、1冊の内容はエピソード満載で、飽きさせなかったんだよ。
多くのキャラクターにまつわる多くのエピソードがあったから、戦パートを削ってまで、それらを
ぎっしり詰め込んでいた。冗長に書いていては、予定どおりにエピソードを消化できないので、
張り詰めた内容充実の叙述が続いた。
いまは、その正反対よ。エピソードがほとんどないので、戦パートを伸ばす、会話部分を伸ばす、
新キャラを意味もなく出す、ありふれた恋愛をさせる、料理を食わせる・・・。
どのようにして締め切りまでに埋めようかと四苦八苦している印象しかない。
>>8 そこは中国人しか登場しない小説の難しいところよ。
日本の時代小説ならば、方言を喋らせるだけで、キャラの出身地・所属藩がわかる。
楊令伝のキャラの喋り方は5種類しかない。
1.みょうに言葉遣いが丁寧な子ども
2.低学歴の大人・・・語尾は「ねえよ」「もんだ」
3.高学歴の大人
4.老人・・・語尾は「じゃよ」
5.女性・・・細分化すれば高学歴と低学歴に分類できる。
女真は秋田弁、契丹は福島弁、中原は標準語、江南は鹿児島弁、巴蜀は関西弁でいいんでねぇ?
阿骨打だけではなく、長老会議もすべて熟女真だったんですか?
16 :
無名草子さん:2010/03/15(月) 14:46:24
>>15 『阿骨打は、軍に入る時に、熟女真になった。それでなければ、軍で受け入れて貰えないからだ』と
おっしゃっているから、金軍の兵士は全員熟女真。
それでなければ、戦の素人。
今北
45章で終了じゃなかったのか?
早売りを読んでいるような奇特な人は、まだいるのかね?
じわじわと、絞めつけてきた。
陽根を攻撃する、というようなやり方ではなかった。朱室の奥にいても、さらに奥深く
引き込まれているという感じはあった。それなのに、攻撃を受けている、という気は
しない。締めあげられている、という言葉がぴったりなのだ。
「たまたまだよ、羅辰」
神行太保と、呼ばれたのだ。
この世に、自分ほど速く書ける者はいなかった。
死んだ王定六が、早く書いたが、楊令伝百五十枚ならば、自分の方が早かったと、戴宗は思っている。
>>1 乙〜
楊令は良心の呵責なく叩けるキャラだから、楊令伝終了までまた〜り叩こうやw
>>9 たしかに作者の疲れを感じさせる小説だな。新鮮なネタが全然ない。下っ端は当然やるべきことを
淡々とやるのみ。楊令・李富等の出番の多いキャラは、いつも調子外れ。新鮮とか斬新と
はほど遠いことをしている。もう少し基礎固めをしっかりやってからじゃないと、交易にしたって、
税制、居住・移転の自由にしたって、違和感を感じる部分が多くある。
戦闘シーンを一部始終書いてしまうのが退屈なんだ。とくに序盤戦をやけに詳しく書く。
ポルノ映画なら、一枚一枚着衣を脱がしていくところはワクワクするが、
戦闘シーンが好きな読者でも、序盤の手合わせみたいなところでワクワクせんだろう。
しかも、戦のたびに、まったく同じような序盤戦を丁寧に書いていれば、なおさら。
それと、梁山泊の将軍格を、戦のシーンで、幕の内弁当のおかずのようにチョコッとだけ出すところが嫌。
他陣営の新キャラを増やすことに時間を割いて、梁山泊の中堅キャラは、思い出したように戦の場面
でチョコッと出す。戦の場面以外では、出すところがないんだ。しかも出すだけで、みんなが
目立った活躍をするわけではない。花弁が開くような花飛麟の用兵などと、数行書かれるのみ。
下手な構成だと思う。
入山前のエピソードがなく、入山後は闘うのみ。侯真と花飛麟だけ恋愛エピソードはあったが、
「それがどうした?」という程度に無内容。はじめっから幕の内弁当のおかずなんだよ。
楊令の添え物。
カク瑾など、恋愛エピソードに発展するのかという期待を持たせただけで、戦死により中断だからな。
水滸伝とたいして巻数が違わないのに、どうしてこれだけ差がついたかな。楊令伝は、まったく内容
のないペラペラの物語に思えてしまう。
水滸伝では、宋清のような下っ端キャラに、印象的な恋愛エピがあった。3巻には他に楊志の恋愛
だってある。その他、水滸伝3巻に詰め込まれていた豊富なコンテンツと比較すると、楊令伝は水で
4倍に薄めた感じがするね。
原典に閻婆惜と宋江の物語があった。とても有名な話だ。これをどのように料理しようかと
思考をめぐらせている過程で、宋清とオリキャラ(ケ礼華)の恋愛を、閻婆惜と唐牛児に
からめることに到達。子午山を下りた武松や、朱仝・雷横までからめてくるのよ。
物語の核になるエピソードがあると、空想はどんどん広がる。
真珠貝も、核を植え付けられて初めて、美しい真珠を作り出す。
この核になる部分を思いつくのが一苦労なんだろうね。また、それさえあれば、物語は
急激に膨張してゆく。
楊令伝には、その核となるべき小さなエピソードが何もなかった。
主人公楊令を巨大な人格にすることによって乗り切ろうという粗雑なアイデアしかなかった。
閻婆惜事件に武松・朱仝・雷横をからめてゆこうというアイデアがサッと出てくるのは、
作者の頭の中に、すでに武松・朱仝・雷横の完成されたイメージがあるからだよ。
ここでも原典の存在が大きくモノを言う。
これに対して、楊令伝の登場人物は圧倒的にオリキャラが多い。これからイメージを
作っていかなければならない人物たちだ。いわば未完成の半製品。作者の頭の中で
すら存在感の小さな人物たちだ。だから、ある事件にこいつをからめていこうなんて
発想が出てこない。
そうしている間も、物語を前進させなければならないし、新キャラも出さなきゃならない。
金国、遼国、方臘等々目配りすべき単位は増加する一方。
個々のキャラに配慮する時間なんてないわな。
梁山泊を、5巻ぐらいまでに、童貫軍と単独で闘える戦力にしようと急いだのが敗因よ。
そのため、
@全員を一箇所に集めて頭領を選定する必要が生じた →楊令殿すごいの悲劇
A呼延凌・李英等の重要な二世キャラの入山前のエピソードが皆無になり、入山後の話しかなく、
どの二世も同じようにしか見えなくなった。
新キャラは前作と同様に、入山前のエピソードをたっぷり与えるべきだった。
もちろん子午山抜きで。あのうざい子午山は、物語開始早々、青蓮寺によって壊滅させるべきだった。
楊令は靖康の変が終るまで金国にいればよかったし、梁山泊は旧同志を中心に、金および方臘と
同盟。同志は、金軍、梁山泊軍、方臘軍、水軍の四軍に分散して闘い、四者を連結する役割を、
飛脚通信網、闇塩の道が果たすという構造こそ、「河の流れのような戦い」という呉用の方針に
ぴったりだったな。
聞煥章の燕国というのも、振り返ってみると、不要だったな。
梁山泊の物語に、何の影響も与えていない。
なぜ、聞煥章や蕭珪材をヨイショする必要がある?
梁山泊の敵でもないのに。
しかも蕭珪材は岳飛に討たれて死ぬという最後まで梁山泊と無関係な人だった。
史実を若干アレンジして、童貫が燕の三将軍に負けるというので十分だった。
アンチが108人勢揃いするまでこのスレは続きそうだなw。
第1巻の幻王の殺戮・掠奪は、そのままでよい。「いま、あなたたちと会いたくなかった」などと
本音を吐くのではなく、旧同志の合流嘆願など拒否して、靖康の変まで女真の幻王として
闘うべきだった。
金は宋と同盟するが、この同盟は遼という共通の敵を倒すまでのこと。楊令は遼が滅亡するまでは、
それに専念することになる。
しかし、梁山泊(呉用/公孫勝)と金国(阿骨打)の間では、遼滅亡後の戦略が密かに準備されている。
この同盟は、楊令と梁山泊の共同作戦ではなく、阿骨打と梁山泊の同盟でなければならない。
楊令は有力な金軍の武将のひとりにすぎない。
梁山泊と金国の同盟の目標は、もちろん宋を倒すことである。しかし、この時点での梁山泊は童貫軍
と闘うだけの戦力を持っていない。また、表向きは、宋と金の同盟がある。そこで、金軍(楊令)は、
宋と戦端を開くわけにはいかない。
ここで重要になってくるのが、方臘の乱である。つまり、第2巻のとおり致死軍の偽装によって、方臘は予定
よりも早く宋に叛乱を起こすことになる。梁山泊は、呉用と馬麟・鮑旭の部隊と水軍を、方臘軍の協力
部隊として送り込む。
北では趙安の部隊と燕国(遼の後身)の戦いもある。童貫は方臘軍に当たる。
この隙をついて、梁山泊(中心は呼延灼と張清)は、塩の産地である山東半島を含む広大な領土を確保する。
もちろん、のちに金国が作る漢人傀儡政権の土台となる国である。楊令伝では、傀儡ではなく同盟国という
位置づけになると思うが。
頭領は、誰がやるんだ?
金軍の一部、梁山泊軍、方臘軍の一部、水軍、飛脚通信網、闇塩の道の六つのパーツが
梁山泊の全貌ということになるので、それぞれのパーツの代表者の合議制で、梁山泊を
指導してゆく。呉用は方臘軍の軍師として梁山泊本隊と離れた位置にいるから、議長は
呼延灼ということになるかな。ただし、梁山泊本隊も、領土が拡大するに従い、拠点となる
大都市に軍を分散することになるので、議長を固定してもあまり意味はない。
方臘の乱
軍師呉用、騎兵馬麟、歩兵鮑旭、水軍の交易従事以外の将校が参加することになる。
馬麟、鮑旭、阮小二、孟康(兵站)は、後に石宝に殺される。梁山泊が方臘軍を利用して
いただけという真相を石宝に察知され、方臘軍に内紛が起こるのだ。これによって方臘軍
は弱体化。童貫はいっきに方臘軍を破り、燕京戦に向かうことになる。ここでは童貫は、
燕軍に敗れる。
旧版では、呉用は方臘に心酔し、真剣に方臘を勝たせようという気分になっていたようだが、
梁山泊の物語なのに、ここまで方臘を持ち上げるのはバカバカしい。
水滸伝の前半における冴えた呉用に戻すべきだった。
方臘の乱は、呼延灼・張清の梁山泊本隊が山東半島から北京大名府に至る広大な領土を
確保するための時間かせぎにすぎない。金軍の楊令は、遼軍という敵が目の前にいるので、
梁山泊の領土獲得戦には参加できない。
同時に、童貫軍の兵数を半減させるという目的もあるので、梁山泊は精強な兵を援軍として
送る。南の戦いなので水軍を送るのは当たり前。というか、そのために太湖洞庭山という拠点
が必要だったのだ。
史進は金軍へゆくのではなかったのか?
楊令は金国の軍事力を利用して(表向きは同盟だが)宋を倒そうとする派。
これに対して、他民族の軍事力を宋領内に引き込むことは、後々宋国内の内乱を拡大し、
下手をすれば、金国に宋を乗っ取られるという危険もある。そこで、楊令の考えに反対し、
あくまで梁山泊単独で宋を打倒すべきであると考える者が、梁山泊本隊に残ることになる。
主として、下士官や兵が、この考えをもつことになる。
上層部は楊令の考えに心の中では賛同しつつも、兵の統率上、楊令の考えを排斥せざる
を得ないという立場だろう。
楊令伝序盤は、金軍と方臘軍の闘いを中心に話が進むので、若干の同志を金軍に参加
させる必要もある。楊令の考えに表面上も賛同した史進が金軍に参加すればよい。
梁山泊本隊の活躍は、宋禁軍が方臘戦に出兵した後ということになる。
楊令が第1巻で示した実力本位の考え方は、梁山泊の兵卒には理解しがたいものである。
指導してゆく上層部はともかくとして、最底辺の兵卒は、梁山泊に加入していなければ、
単なる庶民なわけで、まかりまちがえば、幻王や岳飛に虫けらのように虐殺されていた立場
にあることを、旧版はまったく考慮していない。彼らも、幻王の名前を聞いただけで震え上がって
いた契丹や女真の民と大きな違いはない。
ところが、上層部が楊令を頭領と認めれば、下士官や兵の考えは一顧だにすることなく、楊令は頭領
になってしまった。こういう展開が、あろうはずがない。
楊令が梁山泊で闘った期間は、ごく短い。童貫戦の途中から梁山泊に加入した
新参者なのだ。関勝がいつまでたっても「新参者が言わせてもらうが」と遠慮しながら発言
していたことを思い出してもらいたい。
楊令と親密な関係にあったのは騎馬隊の兵や、少年期をよく知る郭盛・曹正・蒋敬ら一部の
幹部にすぎず、他の幹部にとっても楊令は新参者にすぎない。つまり、よく知らない人なのだ。
そのよく知らない人が虐殺や掠奪をすれば、そんな犯罪者と付き合いたいと思う人間は、ふつういない。
この楊令が下っ端の兵卒に至るまで、ただの一人の反対者もなく梁山泊の頭領に迎え入れる
というストーリーは奇妙でしかないのだ。
ということは、聚義庁が進める金軍と梁山泊軍の同盟は、梁山泊の兵にも隠すということなのか?
だから、梁山泊と阿骨打の同盟なのである。
梁山泊の民も、先に童貫軍と闘った経験、現在の梁山泊の戦力を考えれば、梁山泊単独で
宋を倒すことが不可能なことは理解できる。金との同盟が必要なことは、理性ではわかるのだ。
梁山泊の兵が楊令を嫌うのは、生理的なものだ。
兵に隠すことはないということだな。
しかし、兵の感情を考えると、楊令を頭領にすることはできない。
第2巻で行った幻王の殺戮・掠奪の正当化は、理論的に破綻していたことは別にしても、
正当化の議論すら必要なかった。悪いことを善いことにすりかえることはできないからな。
楊令を梁山泊の兵が受け入れるエピソードは別個に用意して、徐々に兵の気持ちが変化
してゆくようにもっていけばよい。何と言っても時間が最大の解決なのだ。
こういうことか?
しかし、刑事訴訟法は改正されて、死刑を含む凶悪犯の時効は廃止されたぞ。
梁山泊本隊の戦いは、旧版と同じで、宋の地方軍を相手の戦いなので、将校の頭数を急いで
揃える必要はない。花飛麟と呼延凌ぐらいは、軍団長ではない将校として5巻あたりまでに
梁山泊に参加させればよいと思うが、年少の李英などは、もっと後でよい。
彼らは梁山泊の外にあって、当時の宋の庶民の暮らしをレポートする役割を果たしつつ、梁山泊
の外で自立し成長してゆけばよい。
水滸伝ではケ飛や孟康ですら手下を1000人も抱える頭領だったのに、そういう男が梁山泊の
二世キャラの中にひとりもいないというのが奇妙で仕方ない。二世キャラは兵士になれそうな年齢
になると、こぞって梁山泊に就職して、スイスイ出世してゆく。ここが彼らがひ弱に見える最大の
原因である。
宋を倒す中心勢力は金軍なんで、金軍の将軍・将校が充実していれば十分。
梁山泊は二万程度の精強な軍団であれば足りるので、まったく魅力のない
二世以外のオリキャラ将校を量産する必要はなかった。
二万の軍なら将校の数も少なくていいし、二世キャラを市井の中で暮らさせて、
そこでエピソードを用意してキャラ立ちさせた方が賢明だった。
二世キャラ各自が、それぞれの生活の中で、独自の人間関係を形成してな。
それがないとキャラに厚みは出ないよ。花飛麟は母親がいるという話だが、
物語には登場しない。二世以外の新キャラなんて家族関係すら紹介されたことがない。
どれもこれも単身赴任者のように、家族関係、師弟関係、友人関係の紹介されない
単なる部品として登場してくる。これでキャラが立つはずがない。
阮三兄弟の母親は、チラッと出てきただけだが、あのシーンがあるから阮三兄弟の人格に
厚みが出てくる。その他のキャラにしても、最低限、家族関係ぐらいは紹介されていた。
これがないと、キャラクターは紙の上の乾いたインクにすぎないからな。
人間というのは人間関係があるから人間なのであって、人間らしい名前だけつけて、
花飛麟は10本の矢を全部命中させますが、蘇hは9本しか命中できませんでした、とやって
いたのでは、ほんと工業製品だよw
洞宮山→洞庭山→新梁山泊への兵員の移動を、細かな数字を挙げて克明にやる必要があったの
だろうか?誰もそんなことに興味を持たないだろうし、細かな数字を挙げても、面白くもなんともない。
読む気力が失せるだけだ。問題は、新梁山泊に何名の兵がいるかに尽きるのじゃないかね?
意味不明の詳細な叙述は、そこだけじゃない。
小説内の時間の経過が、現実世界の時間の経過と同一な箇所が多すぎる。
小説って、作中の時間の経過にメリハリをつけて、面白い時間を詳細に書くものじゃないの?
たとえば、
『一日待ったが、敵は現れなかった。翌日、・・・・・』
これだと、敵が現れない、したがって、あまり面白くない一日は一行で済ますことができる。
楊令伝というのは、敵が現れない面白くない一日であっても、長い会話があって、リアル世界
と同じように時間が経過する。
要約する能力、抽象化する能力の低い人と喋っていると、ときに退屈さを感じることがないか?
そういう人って、10分間の体験を他人に伝えるときに10分かかる。
肝心な部分は最後に出てくるのだが、そこに至るまで、時系列で体験したことをすべて喋るから、
途中で話に飽きてしまう。
楊令伝のつまらなさは、そういことだと思う。
10分間の体験を10分使って喋る暇があったら、個々のキャラのプロフィールを考えろってことだな。
作中の時間経過に苛立ちを感じる部分が増えたのは確かだな。
林冲は数ヶ月地下牢に監禁されていたが、描写は、ごく一部がなされたのみ。
公孫勝の二年間の地下牢生活は、脱獄後に監禁生活の一部が要約して述べられただけで、
進行中の監禁は、いっさい描写されていない。
地下牢なんて何もないところを、リアル時間経過と同じ速度で描写しても、つまんないからな。
楊令伝でも、さすがにそんなバカなことはしないが、会話部分が極端に増えたため、その部分
に関しては、リアル時間と同じ速度で物語が進行する。それが多すぎると、小説を読んでいる
のではなくて、芝居を見ているような時間感覚になるが、視覚に訴えることのない小説で、
この時間ペースはないわ、と思う。
>>53 >芝居を見ているような時間感覚になる
ならねーよ。芝居は、長くても二、三時間だろう。少なくとも15巻も続くような長い芝居はないよ。
台詞や動作は厳選され洗練されている。
楊令伝の長い会話は、15巻という長尺に起因するダラダラ感なんだと思う。
いちどディテール地獄に陥ると、ある日突然、水滸伝の初期のような時間の流れに
戻すのは不可能だろうね。突然、文体が変化したような印象を与えて、それはそれでヘンだ。
しかし、それならそれで工夫はできる。
たとえば、「○○の光」の一と二と三の間に、長い時間が経過している設定にする。
一、二、三の内容の時間経過そのものは、従前と変化しないにしても、時間の流れが
早くなったような印象が出てくる。
あるいは、戦の一部始終を描くのではなく、すでに戦が始まって五日経過したところから
始めて、過ぎ去った五日は回想で語る。
それができてないんだわな。たとえば、南宋の建国という重大事件が起きる。
梁山泊や金国その他の誰にとっても重大な事件であることは間違いない。
しかし、南宋建国後しばらくの間に登場するすべてのキャラが南宋建国について
語ると、そこで時間が止まっているような印象を与えてしまう。
「武松は変った」のところもそうだった。武松が変ったかどうかは、実際に武松に
会うまでは作中キャラにはわからない。しかし、しばらくの間、武松と再会したキャラが
出てくるたびに「武松は変った」と言っていたのではくどすぎる。
作中人物にとっては驚くべき事実なのかもしれないが、何度も同じことを読まされる
読者はたまったものではない。飽きる。
>>27 楊志に妻ができたのは、あとで惨殺されるシーンの前に、一家の団欒を描くことによって、
惨殺シーンの悲壮感をいっそう高めるため。
宋清の恋愛は、宋江をお尋ね者にして旅立たせるため。それぞれ物語の展開に不可欠の
要素だったよね。
楊令伝の恋愛は、言っちゃなんだが、重要人物にしたいのにキャラ立ちしないので、登場
場面を増やすためにだけ用意されたエピソードにすぎんよな。
花飛麟、侯真、韓成、カク瑾・・・。恋愛が他のドラマに発展していったためしがない。
かろうじて蔡福の妻の自殺は、蔡福と蔡豹の父子関係をまずくするという効果があったが、
例によって蔡豹の子午山送りでお茶を濁された恰好。
恋愛シーンは、会話シーンの延長にすぎないよ。
いちおう戦という大きなドラマがある。個々のキャラ専用のエピソードというのはなくて、
戦前前後に戦について、あるいは戦から生じた変化に関して、キャラどうしで会話して
いるだけなんだよな。
>>45 Wikipediaの北方水滸伝の登場人物紹介を読んでも、水滸伝時代のキャラは10行前後で紹介
される者が多い。楊令伝から登場のキャラは、1〜2行で紹介がすんでしまう者がほとんど
なんだよね。個々のエピソードどころか、身体的特徴すらない奴がほとんど。
史実にある大きな近代戦争を扱った小説などでは、戦争が始まる前は個々のキャラについて
エピソードをふんだんに用意しているが、戦争が始まったとたんに、戦争という巨大な事件
のなかに個々のキャラが埋没してしまい、急に人間が目立たなくなるものはある。
それは戦争そのものの大きさや、戦争で用いられる殺傷兵器の機能の高さを表現するため
のテクニックなんだろう。だが、中世のたいして殺傷能力の高くない武器を使用しているだけの
楊令伝の戦では、もう少し人間が目立ってもいいんだがな。
戦においてキャラが目立たない。戦の合間にはたいしたエピソードがない。それなのに、物語
の長さだけは圧倒的に長い。
戦のパートが長すぎるのが、楊令伝のつまらなさの最大の原因じゃないかな?
水滸伝で、宿元景戦・童貫戦という、両者あわせると6巻を超える大規模な
戦を見てきたわけよ。内容は明らかに楊令伝の戦よりも面白い。
楊令伝の戦は、規模だけは水滸伝の戦よりも大きいが、大きい戦の弱点として、
闘っている個々の人物が目立たなくなるというのは避けられない。
それなのに、以前の戦よりも小さな戦はできない。バブルとその崩壊に向かってまっしぐら
の頃の日本と似ているね。
水滸伝では、500の兵を3名の将校で動かす戦も初期にはあった。
こういう戦での3名の戦いは非常に面白い。
ところが、楊令伝では、3万の軍の中で、名前があるのは将軍と副官だけというのも
多かった。そして、三つの軍が合同して戦う場合、主将以外は将軍であるにもかかわらず、
佐官のような戦いをしている。それが率いる兵が1万5千だったりするから、滑稽なんだわな。
なんとか工夫の余地はあったと思うな。
それ燕京戦だよね。最悪だった。両軍ともに、将軍格が将軍らしい多数の兵を率いているのに、
その下に将校がいない。そこで、趙安だけが将軍で、劉譲と葉超は、佐官扱い。
万単位の兵を率いて千単位の部隊の動き。ほんと最悪。
戦の内容を詳細に描くのは、各軍団長が1万以下の兵を率いているだけで、かつその下
に3名前後の名有り将校が配属されている梁山泊の戦いだけにとどめるべきだったな。
燕京戦などは、戦を遠くから見ている主将視点で語れば足り、肉体活動としての戦の
描写はあきらめるべきだった。
そんな燕京戦でも、戦の流れが、主将が剣を執って闘わざるを得ない状況に至れば、
肉体運動としての戦も描けたわけだしな。
鍼を打ちながら戦の報告を聞いている曹操ではまずいと思うが、どこでもかしこでも
同じような戦の描写をする必要はなかったな。ドウカン・ファイトが始まる頃には、戦に
飽いていたよ。
>>60 >楊令伝の戦では、もう少し人間が目立ってもいいんだがな。
たまに人間が目立つときというのは、10万の陣に単身斬り込んだ楊令や、
ひとりで何百人を食い止めた秦容のような、キチガイ話になるしな。
敵味方あわせて20万〜30万の戦において、個々のキャラを目立つように描くには
どうすればよいかについて、事前に緻密な計画を練るべきだったね。
水滸伝最大の戦である童貫戦では、敵味方あわせても10万ちょっと。
梁山泊には腐るほど将校がいた。それに比較すると童貫軍の将校は少なかったが、
うまく分散させて動かしていたから、燕京戦のような不自然さは感じなかったな。
地形の妙味を生かしていたから、大軍を少数の将軍で動かしている不自然描写を
免れたんだよ。流花寨のような地形であれば、正面から攻撃してくる敵は、敵の
兵数にかかわらず限定されてくる。
原野の戦いであっても、地形に起伏はあった。
楊令伝では、どこまでいってもだだっ広い原野が戦場だから、広所恐怖症の鼠が、
狂って走り回っているようにしか見えない。
要約すると、水滸伝と比べると、面白いところが目くその先ほどもないということでいいですか?
目くそ鼻くそキャラはうんざりすほど出てくるがな。
聞煥章は初登場のときは禁軍参謀と呼ばれていたのだが、結局一度も禁軍の戦いに関与
しなかったな。
太湖の費保ら四人は1500の兵をまとめていたんが、その1500の兵は、どうなった?
李明は禁軍師範時代の徐寧の調練を受けた経験があるんだが、もう誰も覚えていないだろうな?
>>61 15巻の巻数が多すぎるという意味での「長い」だけではなくて、一人物の視点で語られる一節
という個別パートが、たいした進展もないのに「長い」。これがうんざりするんだろうな。
その中でも、戦のパートの長さは、毎回同じことを繰り返しているから、読む前から食傷する。
よく考えられているなー、面白いなーと思うところがない。だから、つまらない。
>>56 >作中人物にとっては驚くべき事実なのかもしれないが、何度も同じことを読まされる
>読者はたまったものではない。飽きる。
そのあたりは、くどさを省略するための工夫はあってもいい。100人の知人のいる
武松が、作中で100人に再会するたびに「変った」と驚かれるシーンを挟まれたの
では、飽きる。楊令伝も、そこまではやっていないが、「変った」と驚かれるイベントは、
一度あれば十分ではなかろうか?
怪獣の名前が映画の中で決められると、その次の怪獣の登場シーンでは、誰もがその名前で呼ぶ。
映画に登場しない場面で、たとえばTVのニュースで、作中人物は怪獣の名前を知ったのだろうと想像
すれば十分だからな。
>>44 梁山泊軍の占領地の支配は、旧宋の地方軍に任せるのか?
それこそ、どこかの地方軍を皆殺しにして、旧宋の地方軍を治安維持に転用すればいい。
地方軍じたいが盗賊とかわらないような悪質なものならば、劣悪な将兵は粛清すればいいしな。
賊徒が減少すれば地方軍も兵数は少なくていいんだから。
今回死んだ人間より乱雲の死に方の方が悲しかった。
馬は劣化しないからか。
史進の馬か。最近調べないとわからなくなってきた。どうでもいいや。
燕青
思えば、盧俊義の残した梁山湖底の銀を拾い上げるシーンが、楊令伝でもっとも感動的だったな。
その後は、期待はずれのシーンの連続。劣化加速が著しく、5巻あたりで目も当てられなくなる。
真っ先に幻王と面会した燕青は、反楊令派=楊令を頭領にしたくない一派の急先鋒でいいだろう。
ドウカン・ファイト後に梁山泊の頭領となった楊令は、闇塩の道を潰し、交易の道を拓く。
ここで燕青と楊令は訣別。燕青は梁山泊を去る、というストーリーになるな。
もちろん、交易の道など、旧版のやり方で成功するはずもなく、財政破綻で梁山泊滅亡となる。
9巻までの間に、楊令にも人間らしいところがあるじゃないというエピソードを徐々に挟んでいって、
梁山泊の反楊令派の気持ちも、徐々に楊令受け入れの方向に傾いてゆくが、女真で幻王軍
の殺戮場面を目撃した燕青だけは、最後まで反楊令を貫く。
燕青は、古典的時代劇の主人公のような性格づけでいいだろうな。
旧版では、カク嬌が燕青に惚れる設定だが、古典的時代劇の主人公は、女にモテるが、女に興味は
ないからな。後を追って付いて来るなんてエピは余計だ。それによって物語の進行に変化が生じるの
ならともかく、役に立たない不要なキャラ、とくに女性キャラに、男を宛がうだけの意味のない暇つぶし
のようなエピは不要。
>役に立たない不要なキャラ、とくに女性キャラ
典型が公淑でしたね。男に宛がう以外にとりえのないキャラ。
心配するな。第1巻で、公淑と秦容が子午山にたどり着くと同時に、子午山は青蓮寺に襲撃される。
花飛麟は、この旅に同行していない。花飛麟は、5巻で梁山泊に合流するまでは、独立した叛徒の
大将で、初めは手下が100人ぐらいだけど、6巻で梁山泊に合流する時点では、5000人の手下
を率いる一方の大将になっている。
それゆえ、子午山で死ぬのは、王進、王母、公淑の三人。まだ子どもの秦容は、郤妁とともに王進
が逃がす。第1巻の見せ場は、秦容・郤妁を守って死ぬ王進ということになる。
うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ
第1巻で、水滸伝5巻の楊志戦死のシーンを、王進によって再現すれば、売上倍増でつね?
>>28 原典にないオリジナルのエピソードでも、キャラが充実していたから、複数のドラマを重ね合わせる
のが上手かったよ。
たとえば、9巻の林冲による張藍救出シーン。これが核になるドラマだが、オリジナルだ。
ここに索超を絡める。ところが、索超もただで登場させるわけではない。10名前後の賊徒の仲間と
ともに登場する。それまで、北方水滸伝には「賊徒」が頻繁に登場していたが、その発生史について
は語られていない。索超のエピで、それを語った。さらに、呂方を絡める。すばるでは郭盛の役を
はじめ呂方という名でやっていたのだが、単行本化に際して、キャラの入れ替えをしてまで絡めた。
そこに、林冲を探す魯達と白勝。クライマックスでは公孫勝と致死軍の見せ場も絡める。
多くのキャラが錯綜しつつ、ストーリーを複線化し、ドラマを盛り上げる。こうでなくっちゃ面白くはならん。
楊令伝の致死軍は間者にすぎないからな。本当の間者集団は、結局、誰が率いているのか
わからないような状態で、何をしているのかもわからなかったな。
致死軍を間者にしてしまったからだ。キャラかぶりの役立たず。
>>85 1巻の中の分量的には6分の1程度を使って書かれた張藍救出エピだけで、これだけ重層的なドラマに
なっているのだが、これなど派生的なエピソードにすぎず、本体である梁山泊では別個のストーリー
が進行している。さらに敵側である宋でもストーリーが進行しているという状態だったからな。
会話しているだけ、戦っているだけ、の楊令糞伝とは段違い。
王定六
結局、最期は“走り”のエピだった。オーソドックスなんで驚きはないが、懐かしさもない。
まあ、あたりまえすぎて、面白くもなんともない。
年齢のことを考えると、飛脚通信網の重鎮となり、新キャラに走らせれば足りたという
線も考えられる。
あるいは、張横に交易の仕事等、他の仕事を与え、王定六が飛脚通信網の責任者でも
よかったな。下っ端が重役になることで、時間の経過を表現することができた。
ふつうはそうする。
>>79 史進は死ぬ時ぐらいは、まともな言葉遣いだったのか?まあ、うざいのが死んで、いいことだ。
史進の死亡フラグ圧し折り、そう何度もやられるといい加減イライラするわ。
さっさと殺しちまえよ。
蔡福と唐昇の殺し損ねた金の二人はもう病死で片付けんのかな。
カク瑾
たしかドウカン・ファイトで死んだんだな。とくに目立った死に方でもなかったよな、よく覚えて
いないけど。そうだ、張平が子午山から幻王軍に来て、楊令のまわりでベッタリしているもの
だから、カク瑾の居場所がなくなって殺されたんだったな。
こういうキャラの交通整理が下手くそなのが楊令伝の特徴のひとつだ。
張平と入れ違いにカク瑾を軍団長として独立させて、張平を楊令の副官的立場に置けば、
カク瑾をあわてて殺す必要もなかったな。
李媛との職場恋愛がほのかにあったが、その後に出てくる花飛麟や侯真の職場恋愛エピとかぶる
ので、恋愛が発展する前に殺されてしまった可愛そうなキャラだ。しかし、18巻で女真へ行った
ときにソープへ行っているから童貞ではない。もって瞑すべしだな。
カク思文との父子エピも、呼延灼と穆凌にパクられた。パクられたカク瑾が穆凌とその件について
語り合うシーンを作るという細かな配慮が作者にあれば、カク瑾も多少は浮かばれたが、それもない。
つくづく気の毒なキャラだな。たぶん今では誰も覚えていないだろうな。
新版でのポイントは、張平の入山と入れ違いに軍団長に抜擢する。テンコウの子、チサツの子という
差別をせず、古参の二世は大事にしてやらんとな。名前を覚えてもらっている可能性が高いから。
あとから出てきた二世は、はっきりゆうて、名前も覚えていないし、区別もできんのじゃ。
それは張敬にもいえることですね(ノД`)シクシク
>>91 読んではないが、なんとなく15巻→17巻にしようという陰謀の気配があるな。
郭盛
楊令との再会場面がなかなか登場しないのでやきもきしたな。
新版では、楊令は童貫軍を倒すまで梁山泊に帰ってこないので、この再会場面もカットだ。
ただし、生き残った旧同志の中では、もっとも楊令と親しかった人間だし、しかも幼少時に
兄弟のようにして育っているので、幻王の蛮行をも楊令の深い考えに基づくものと過大評価
する親楊令派の急先鋒となる。
原典での地位も決して低くはなく、中堅将校として活躍しているのだが、楊令伝ではいまいち
伸び悩んだ。中央で動かぬ歩兵陣というのも、戦術というより、ギャグ扱いの気配が垣間見られ、
あまり愉快ではなかった。
新版では、曹正・蒋敬とともに、金軍にいる楊令と梁山泊の仲を和親させるべく重要な役割を
果たす。将校としてよりも、外交官としての役割に期待したい。
子供の頃読んだ少年漫画や小説には、登場人物の紹介が挿絵つきであって、そこに
ある紹介文を読んで、期待を膨らませたものだな。
ある小説や漫画の続編が出てきた場合、前作の生き残りに続編では違った、より発展した
役割が与えられて、それが冒頭の人物紹介欄に載っている。それを読んでワクワクしたものだが、
楊令伝には、それがないな。
中央にでっかく楊令の顔が描かれ、その下段に小さな顔の梁山泊のメンバーがずらりと
並べられ「楊令の部下」とだけ紹介されるのだろうな。
これまで、時間をかけて、生真面目だけど弱い岳飛、というそれなりに面白いキャラを作ってきたのに、
今回ではそれを一気に崩しちゃったな。「弱い」という属性は張俊が一手に担うこととされてしまった。
岳飛が原因で大敗する、とかやっても面白かったのに。
花飛麟
その存在は水滸伝のときから知られていたが、初登場は楊令伝1巻。
旧版では、最初から梁山泊入り→子午山送りと、いずれにしも隔離された環境に
置かれた。隔離された環境から連想される“暗さ”が、梁山泊の二世キャラの全員にある。
とくに第1巻では青蓮寺の残党狩りが熾烈を極めたので、二世キャラの暗いイメージが
増幅され、好きになれたキャラはひとりもいない。
>>83の言うように、重要な二世キャラは、梁山泊から独立して、叛徒になるなり、方臘軍に
参加なりして、男を磨くべきだろう。
水滸伝では、鮑旭や薛永のような少数の例外を除けば、軍人でなくても、みな仲間がいるか、
部下がいた人物だった。入山前からそうなので、キャラに箔がついて、人格は肉厚になった。
梁山泊の二世キャラは最初から梁山泊にいるか、若くして梁山泊に入山したので、仲間や
部下に押し上げられた頭領としての風格に欠けるのだ。だから軍団長になっても頼りなく感じるし、
いつまで経っても子どもにしか見えない。
花飛麟も童貫戦前に梁山泊に加盟すれば足りる。それまでは生き残った母親や、友人・師匠
などとの人間関係を濃厚にしてキャラに厚みをつけることに専念すべきだった。
5巻までは、梁山泊の本格的な戦はないのだから、それで十分。どうして梁山泊に入れたのだろうか?
>5巻までは、梁山泊の本格的な戦はないのだから、それで十分。どうして梁山泊に入れたのだろうか?
子午山に行かないと武術の腕が一流にならない。梁山泊軍か童貫軍に入らないと精強な兵に
なれないという神話に拘泥したから。水滸伝の好漢たちは、入山前からすでに一流であった人物
ばかりだ。『ブランド物でなくても良品はある』という物語だった。そこが人気の秘訣。
一流の学校へ行っていない人でも、一流会社の社員でなくても、共感できる物語だったのだ。
楊令伝の人物たちは、人間ではなく工業製品なので、子午山ブランド、梁山泊ブランドのシールを
貼られないと良品ではないという、ブランド志向が強い。
このブランド志向の軽薄さが、楊令伝のキャラの浮薄な印象を、いっそう助長にしていることに
誰かさんは気づいていない。
子午山出身者だけが集合したシーンがあった。たしか王母が死んだという報を受けた場面だったか。
反吐が出た。
>>97 二人の間にまったく交渉がなかったときはそうじゃなかったけど、並列して登場するようになると、
こうなるんだろうなとは思っていたけどね。
韓成
方臘軍の残党である韓成隊を見て、童貫軍の兵士がトラウマに悩まされるというエピソードは、
新版では全面的にカット。率直にいって、このエピあたりから、読むのがバカバカしくなってきた。
どうせやるなら、方臘戦の最中に、その予兆となるべきエピソードを挟まないと、後付けの泥縄
にしか見えない。
その後、ほぼ全滅した方臘残党のことで悩む韓成の姿が描かれたが、どうせやるなら、幻王に
皆殺しにされた熟女真の民のことで悩む新キャラクターを出した方が正々堂々としている。
いまさら別立てでやるな。そんな韓成にアドバイスしている楊令を見て、再び怒りがこみあげた。
それと、韓成は父親よりも勇猛な祖父に似ているという初期設定はどこかに吹っ飛び、シリーズ
中最悪の女々しいキャラになった。
郤妁をレイプして恋人にするエピは蛇足。この先、何の進展もないのなら、やる必要はなかった。
梁山泊に来ても使い道はないので、郤妁は西夏にでもおれ、というようにしか読めなかった。
>幻王に皆殺しにされた熟女真の民のことで悩む新キャラクターを出した方が正々堂々としている。
軻輔がそれになるのかと思っていたのだが、その気配を見せたのは1回だけで、
次に登場したときは、「幻王は放火をしていないから皆殺しをしたのではない。皆殺しを
したつもりになっているだけだ」と、わけのわからん理屈で楊令を弁護しはじめたからな。
怒れるやら、呆れるやら、もうどうしようもない小説だなと見放した。
手段は放火ではないが対象者が全員死亡した →世間では皆殺しというのが常識
手段は放火であるが対象者の9割は逃げた →世間では皆殺しといわないのが常識
金大堅
偽装印を彫るのが仕事だった金大堅が、本物の印を彫って喜んでいたところは良かったが、
世界史のどこにも残っていない梁山泊国であることが不満。
梁山泊は斉となるべきだった。
数年で廃止された斉は、フィクションの集団である梁山泊が姿を変えるには絶好の史実上の
国家である。
史実の斉は、金の傀儡国家ということであるが、楊令伝では、金と梁山泊と宋の反青蓮寺勢力
三者の合作ということでよかろう。内部で、まず旧宋の官僚が蹴落とされ、最後は梁山泊が
蹴落とされて廃止されることになる。
金大堅の活躍場所は、水滸伝同様多くはないだろうが、もう少し生き続けてもよい。斉の皇帝
に皇帝の印璽を献呈する場面が、金大堅の花道になるであろう。
時代小説らしさを出すには、中国だったら、皇帝の列席する儀式というのは必須だと思うがね。
水滸伝には、それがあった。楊令伝でも、童貫出陣前にあったが、それきりだ。金国の宮廷は
貧乏くさい。映画なら予算の都合で出せないこともあろうが、予算のかからない小説で頻繁に
登場しないのはなぜなんだ?私は、その場面は重要だと思うがね。
皇帝という存在を、物語中最悪の糞キャラにしたかったからだろうね。糞キャラだから、登場させても
面白くないですよってこと。だったら、高官の豪壮な邸宅でも出せといいたくなるが、これも皇帝に次ぐ
糞キャラなので、そのような華やかな場所もあまり出てこない。池の鯉に餌をやる蔡京が、李富と
会話するシーンなんてのがあると、時代小説らしくなっただろうに。文官の登場は、いつも執務室。
あとは、騎馬隊が好きなので、原野ばかりwww
まあ、楊令が物語中最悪の糞キャラだと俺たちは思っているんだけどね。
瓊英
瓊英に限ったことではないが、梁山泊には多数の交易担当の人材がいるのだから、旧版のように
楊令が立案からルートの整備まで全部やってしまうという糞展開だけは、新版では避けなければ
ならない。頭領は、他の事業や戦の計画、財源との関係で、交易の道を拓くべきか、拓くなら何時か、
の総合的判断をして、瓊英らの計画を裁可するだけでよい。
頭領が何でもやってしまうのは中小企業。人口500万人の国で、頭領がなんでもひとりでやっていると、
読むのもバカバカしいし、頭領も小物に見えてしまう。
張清が生きているときに、瓊英も礫を投げる稽古をしていたようだが、その後遣ったことはあるのだろうか?
遣わないのなら、稽古するな。
また、水滸伝の楊志一家の団欒は、読んでいてとても温かな気分になれたが、張清一家の団欒は
とってつけたような感じで、愉しそうに見えなかった。張清と瓊英は、ちゃんとセックスしてんのか?
それから、平家の隆盛を見抜けなかったのは、瓊英のミスだな。
∧_∧
( ´・ω・) みなさん、お茶が入りましたよ・・・・。
( つ旦O
と_)_) 旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦旦
阮小二
死んだらしいが、読んでいない。
爺キャラは杜興ひとりに集中してしまい、何でも杜興、杜興でうっとおしかった。
阮小二も、いいオッサンなんだから、もっと使い道はあったと思う。
水滸伝では、前職の漁師の技を生かして晁蓋や宋江とからんでいたが、
そんなことを考える余裕もないのだろうか?
とにかく水軍という存在は、一度忘れられてしまうと、長期間にわたって忘れられてしまう。
その中でも、阮小二と張敬の忘れられ方は、見事といってよいだろう。
張俊が水軍の隊長になる前は、水軍の責任者でもあったのだから、造船担当に拘泥する
ことなく、もっと活躍させるべきだった。
水滸伝では108人の人物をどのように書き分けるかという課題があったので、原典では
戦闘要員なのに、北方版では職人にされる例も多々あった。つまり、全員を戦闘要員にしては
収拾がつかなくなるから、職人にして個性を発揮させ、戦が始まるとリストラするために、
原典の戦闘要員を職人にした。
楊令伝では、もうその必要がなくなったのだから、阮小二などはもっと登場機会を増やすべきだった。
造船担当にして「一丁あがり。あとは無視するからね」という伝統だけが残ってしまった。
原典ファンの阮三兄弟ひいきは絶大だからな。水滸伝序盤の楽しさは、阮三兄弟に由来する部分が多い。
李逵の登場機会が増えるにしたがって、少し空気が変わってくるが、李逵の無茶苦茶ぶりに飽きてくると、
原典ファンは、阮三兄弟が活躍していた序盤が懐かしくなってくる。
黄鉞
いまだに、こいつが何かやったという記憶がない。
いわゆる1行AAキャラ。(*゚∀゚)=3ハァハァ
騎馬隊を指揮することが多かったようだが、水滸伝のときと違い、誰でも騎馬隊を指揮する
騎馬隊インフレの楊令伝にあっては、意味のないことなんだろう。
新版の楊令伝は、梁山泊本隊は二万の少数精鋭なので、黄鉞は登場しない。
韓伯竜はいくらか登場したが、実戦で役立っていないし、師弟関係と異母兄弟関係が
後付けかつ何の役にもたっていないから、黄鉞と同じく削除でヨロ。
項充
第1巻では、その存在を忘れられていたが、遅ればせながら、第2巻で登場。
怪我の功名だろうが、項充の登場場面は面白かった。
しかし、項充はあのまま山賊を続けていた方が面白くなったと思う。
水滸伝の初期には、少華山と官軍(地方軍)の戦があったが、弱い地方軍を
相手の胸のすくような戦は、楊令伝にもあった方がいいだろう。
精鋭どうしの闘いというのは、作者が思っているほどには読者は望んでいない。
映画なら精鋭どうしの戦闘は面白いかもしれないが、小説で読んでいると、
実力10vs10の闘いも、実力50vs50の闘いも、同じにしか見えないのだ。
実力伯仲の引き分けが原則であって、したり顔して精鋭どうしは紙一重の差で
勝敗が決まる、多数が常に勝つとは限らない、などと言われると肚が立つのだ。
面白いのは実力10vs50の闘い。実力50の軍の作戦がバシバシ的中して、
敵の鼻面を引きずりまわす戦闘というのは胸がすく。水滸伝序盤の梁山泊や
少華山の闘いがそうだ。
その意味では、楊令伝の闘いは、全然面白くなかったのだ。
項充は、4巻あたりで、梁山泊に合流させればいいかな。水陸両用部隊として創設
された項充隊ではあるが、いつのまにか水軍になってしまった。
山賊をしばらく続けた後は、梁山泊の陸上部隊として復帰すればよい。
なんでもいいがお前の妄想は他所に書いてろ
しょーけー材殿の護国の剣にも勝った岳飛の名も無き名剣が、今回ちんこ鞭に簡単にへし折られたのを読んで、
我慢強い自分も流石に愛想が尽きました…
118 :
無名草子さん:2010/03/17(水) 23:06:57
田忠・・・・おいおいw
都合良過ぎだろw
侯真
侯真は前作の終盤で両親が殺されて梁山泊で育てることになったのだから、
登場の仕方は悪くない。孫二娘が経営する運送屋でアルバイトをしていたが、
そのままでよい。第1巻の侯真も特に問題はない。
ただし、母親代わりだった顧大嫂との関係がプッツリ途切れたのは、毎度のこと
とはいえ、呆れる。その後、孫二娘と源太が親子のような関係になったというつまらん
エピを新設するぐらいなら、顧大嫂と侯真の関係を残しておいてよかったのではないか?
第2巻以降の侯真の性格は大幅に変える。幻王の殺戮を目の当たりにした侯真は、
燕青とともに反楊令の急先鋒。浅野内匠頭の切腹を身近で見聞した片岡源五右衛門が
仇討ちの急先鋒になったのと同じ。
侯真は純真な性格から始まって徐々に幻王化してゆく。幻王の殺戮に衝撃を受けつつも、
心の奥底では幻王の果断さに憧れていたのだ。しかし、それを表面には出さないで、常に
楊令を罵る。燕青以上の感情的反楊令派だ。
公孫勝から致死軍を引き継ぐのは、旧版どおり。しかし、不評だった邵房殺しのエピは削除。
致死軍の隊長になった侯真は公孫勝以上に冷酷で、第1巻の幻王のように怖れられる。
徐々に人間らしさに目覚めてゆく楊令とは対照的なコースをたどる。
斉建国後、侯真の行過ぎた殺戮は批判され、楊令によって粛清される。
「とどめを刺してください、楊令殿」
侯真の躰は、膾のように斬り刻まれていた。放置しておいても、侯真の命は、数分も保つまい。
「初めて出会った日から、毎日のように罵っていた俺に殺されて、悔しいか、侯真?」
息が途絶えようとしている侯真の顔に、かすかな微笑が浮かんだ。
「あなたが好きだったのです、楊令殿。あなたのようになりたかった」
「何を世迷言を。死ぬ間際になっても、人をたばかるのか、侯真?致死軍の悲しい性だな」
ふたたび侯真が、微笑した。
「信じてはもらえないのでしょうね。あなたの命を狙ったこともある俺ですから」
「新しい国ができた。もう致死軍のような暗殺団は不要なのだ。おまえにも正規軍の将校の地位を
用意した。しかし、おまえは断った。あくまで致死軍の存続に固執した。致死軍隊長侯真に死を
賜るのは、帝の意思でもある」
「帝?あの腐れ劉豫を、楊令殿は帝と呼ばれるか?」
「いまは劉豫が、斉の帝だ」
「なぜ、楊令殿は、帝になられなかった?」
楊令は、侯真の顔を、もう一度見た。侯真の目から、徐々に光が失われていった。
「さらばだ、侯真」
吹毛剣が、侯真の左胸を刺し貫いた。
第1巻では純真な少年だった侯真が、次第に冷酷な致死軍隊長に変貌してゆくという
ストーリーぐらいはあってもよかったな。単なる生真面目なキャラにすぎず、面白くも
なんともなかった。事務所の圧力で無理やり人気ドラマにねじ込んだ若手の歌手が、
演技力もないくせに登場時間の多い中堅キャラを演じたような侯真だった。
公孫勝
楊令伝においてまったく存在意義のない無駄なキャラになってしまったのが公孫勝である。
原因は、楊令を3巻で梁山泊に戻し、楊令を頭領にしたことは言うまでもない。
致死軍を侯真に譲ったのは、現場でハードな運動のできない年齢になったから仕方ないに
しても、その後に言われた青蓮寺のごときものを公孫勝が作るという構想は果たされていない。
また、旧版では金国と梁山泊の関係をどうするかについての構想が十分練られておらず、
二転三転して理解しにくかった。とくに公孫勝が呉乞買を脅迫して遼の天祚帝を討たせた件は、
旧版の流れのなかでも突出して異様であり、他の叙述とマッチしていない。あたかも金国が
梁山泊の傀儡になったごとくであった。
新版では、楊令は金国の将軍として靖康の変が終るまで梁山泊に復帰しない。呉用は方臘の
乱へ出張する。致死軍の現場を離れた公孫勝は、梁山泊に残り軍師の役割を果たす。
原典でも、公孫勝の地位は軍師である。
戦場へは出ない公孫勝が、呉用が留守の聚義庁の議長ということになるな。
席次からも妥当な結論だ。
公孫勝が聚義庁にいつづけることで、読者は、旧同志が老化しはじめていることを
感得するという副次的な効果もある。
黄表
誰だかわからないので調べたら、花飛麟隊の旗手だった。郁保四を回想するためにだけ
登場したワンポイント・リリーフ。どこで死んだか忘れた。視点があったかどうかも忘れたが、
この手のワンポイント・リリーフにまで視点を与えたのが、楊令伝の失敗の要因の一つだ。
水滸伝でも視点回数一回の好漢は多くいたが、それなりのエピソードが用意されていた。
また、視点はないが他の登場場面で活躍するということがあった。なによりも、原典で何を
したか知っている、北方版でも入山前の家族関係・職業・友人関係等があってキャラが
立っていたから、わずかな登場時間しかなくても、それなりに目立ってはいた。
楊令伝の下位キャラには、これがない。名前以外にはほとんど個人情報が明らかにされない。
たいしたエピもないのに視点を与えてしまうと、時間だけが無駄に経過する。
新版では、削除される。郁保四の回想など、旧林冲騎馬隊の馬麟の視点でやれば足りる。
黄表は名前もよくない。三国志の黄祖と劉表の名を合体したようで、下っ端の黄表には
重すぎる名前だった。
このあたり108星の子どもではない将校キャラが毎月のように2〜3名登場していたな。
地獄のようなつまらなさだった。花飛麟、穆凌、李媛・李英姉弟などの、新版では5巻〜6巻
で梁山泊に合流する二世キャラの梁山泊外部における成長・活躍をじっくり描くべきだった。
その過程で、宋の庶民の暮らしも描ける。庶民の宋王朝に対する怨嗟の声、梁山泊や幻王
や金国・遼国の評判、信者以外の庶民の目から見た方臘の乱。物語は大きく膨らんだはずだ。
高平
鍛冶担当。鍛冶屋のシーンで登場するだけでよかった。船に乗った趙林が、高平と劉策を
紹介するシーンがあったが、合コンやっているわけじゃないんだから、自己紹介は不要。
自己紹介が多すぎて、小説を読んでいるような気分にならなかった。
新版では削除されることはないが、用なないときは出てこなくていい。どうして鍛冶屋だけ、
陸博、田峯、華鋒とスタッフが多いのか、多くする必要はあったのか、大工の方にだって
スタッフがいてもいいんじゃないか、等々の疑問がある。その後鍛冶屋の人数の多さが
役に立ったストーリーがあったとも思えない。恣意的なキャラ増やしでページを埋めたよう
にしか感じられない。
前作の湯隆にくらべるとキャラの出来に雲泥の差があったな。鍛冶屋については、前作で
散々やったから、もう新たにやるエピもなかったのだろうが、白勝のような他の職人キャラ
の魅力を引き出す技をもった気軽な三枚目キャラが楊令伝には不在であったことも影響
していると思われる。
梁山泊にゴロゴロしている幼年の二世を職人にからませて使えばよかったんだよ。
白勝の代わりにな。少年というのは生真面目と決まったものではなく、大人の芸人
以上にギャグ・センスが豊かで面白いやつがいるもんだ。
前作の阮小二や李雲と、少年趙林の話題のようにな。
宣凱などは無駄飯を食わせているだけで、何の役割も果たしていない。
幼年キャラについては、生真面目で、相応の年齢になれば、梁山泊の優秀な戦士
になるという固定観念しか持っておられない。
水滸伝執筆時と比較すると、思考の柔軟性が失われてしまっている。
皇甫端
これは変わりようがないな。死ぬまで馬のそばだろうから、他の場面で使うということも難しい。
∬ ∬ ∬ ∬ ∬ ∬ +
+ 人 人 人 +
(__) (__) (__)
+ (__) (__) (__) +
. + ( __ ) ( __ ) ( __ ) +
( ´∀`∩ (´∀`∩) ( ´∀`) 子どもは生真面目と決まってる ラン ラン
+ (( (つ ノ (つ 丿 (つ つ )) +
ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_)
呼延灼
楊令は金国の将軍。呉用は方臘の軍師。留守は、公孫勝・宣賛・呼延灼、梁山泊にいるときは
戴宗・李俊・燕青らも、聚義庁の構成員として会議に参加する。彼らの合議で梁山泊は運営
される。
旧版の呼延灼は糞だった。わが目を疑うほどの劣化ぶりだった。劣化なんて騒ぎじゃない。
一、二の城郭を占領すればそれが国家になるという思い違いをしていた幼稚園児以下の糞バカ。
領土を得るなんて考えたこともないという、徽宗も信じられないような大バカ。
「呉用を処断する」は、言ってみただけ。自分の言葉に責任ももてない鳩山首相以下の破廉恥漢。
実現できないマニフェスト。
楊令伝は、ここまで原典の好漢を悪し様に劣化させてまで、楊令をすごい人に仕立て上げようと
した犯罪のような小説。
新版では、梁山泊本隊は、呼延灼と張清の2軍団に分かれる。全軍で2万の少数精鋭。童貫戦
前には、花飛麟の5000、穆凌の5000、李媛・李英姉弟の5000が梁山泊外部から合流する。
2巻で楊令が梁山泊に帰ってくるシーンがあるが、ここでは梁山泊将兵の嫌悪感に満ちた
まなざしに会い、楊令は虚しく女真に帰る。楊令は、しばらくの間、梁山泊には帰れないことを
深く心にとめる。
3巻で楊令が頭領として梁山泊に復帰するシーンなんて、
削除、削除、削除、削除、削除、削除、削除、削除、削除、削除。
生きて、生きて、生きて、生ききって、楊令が梁山泊の頭領になる場面を削除してやる。
それが、俺の志だと、宋江殿に誓いました。
楊令が頭領になる場面を思い出すと、冷静さを失ってしまうんだなw
呼延灼が死んでしばらくして後、梁山泊の連中があつまって、呼延灼は楊令が復帰するまでは
梁山泊の頭領だったと回想したシーンがあったが、あそこもわが目を疑ったな。
そんな事実はないし、そのような扱いもされていなかった。呼延灼が頭領として「呉用を処断すべきだ」
と考えたのなら、本当に呉用は処断されるはずだが、それもなかった。
どうして不用意に、呼延灼が頭領だったなんて言えるのか、私はこの作家の感覚を疑いました。
もしも原典オタへのサービスとして、そのようなことを言ったのだとしたら、とんでもない思い違い。
まず、矛盾のない叙述をすることが第一。その上で読者サービスなんて考えればよい。
矛盾を増やしてまで読者サービスなんてすべきじゃない。
ほんとうに、この作家とは、「小説」の概念が違うんだと思った。
「現在の梁山泊の兵力では、せいぜい一、二の城郭を落として維持するのが精一杯だと
思うのだが、楊令は、この地域一帯を面で支配できると手紙で言ってきた。なにか秘策でも、
あるのだろうか?」
「秘策など、あるまい。客観的な兵力がすべてだ。あの男を頭領にしなくて正解だったな、宣賛」
「そう思うか、呼延灼。やはり楊令は、虐殺と掠奪しか能のない法螺吹きなのだろうか?」
「間違いない。この一帯を占領するのは、花飛麟、穆凌、李英の軍が合流してからでも、遅く
はあるまい。宋軍は、方臘戦と燕京戦への対応で手一杯だ。あと二年は、この地域の治安に
まで目を配っている余裕はない。三万だ。三万の精兵が集まるまでの辛抱だ、宣賛」
梁山泊本隊に残る呼延灼・張清らは、こぞって反楊令。彼らは、幻王の殺戮と略奪を現認した
わけではないので、感情的に楊令を嫌っているわけではない。楊令の頭の悪さを嫌っている。
わずかな軍隊経験しかないのに、大法螺を吹きまくる楊令など、バカバカしくて相手にできない
というスタンスだな。
楊令に同情的なのは、何度も繰り返すが、楊令の幼年時代を知る郭盛・曹正・蒋敬。
扈三娘は無関心だろう。
下士官や兵は、幻王の噂を過大に尾ひれをつけて想像しているので、圧倒的に反楊令。
聚義庁の公孫勝・呉用・戴宗は、宋を倒すためには、金軍の力が不可欠と考えているので、
阿骨打との同盟を考える。若年で知恵遅れの楊令など眼中にない。
それと梁山泊が支配する地域は、塩の産地である山東半島から北京大名府に至る地域だ。
塩は梁山泊の生命線だ。
もちろん領地内の民を無税にするというバカバカしい目的のために領地を得るのではない。
童貫軍が梁山泊殲滅のために出兵せざるをえない状況を作り出すのだ。
つまり、騎馬隊が中心の金軍は、篭城されると役に立たない。原野に誘き出すために、領土
を宋から奪う。
その前提として、楊令伝における騎馬隊の扱いを変更しておかなければならない。
水滸伝の終盤から騎馬隊インフレが発生している。このインフレを終息させた上で
新版楊令伝の執筆にかからなければならない。
史実における金軍の強さは、騎馬隊の強さだ。これに比肩しうる騎馬隊は、林冲騎馬隊、
童貫直属の騎馬隊の少数にとどめておかなければならない。
宋国内に強力な騎馬隊がいたのでは、北宋は滅亡できないからだ。
楊令と史進が女真の兵を率いて宋と闘うのは、この強い女真の騎馬隊を手に入れるためだ。
ゲーム三国志でも、烏丸の騎馬隊は、漢人の騎馬隊より強いからな。常識だ。
童貫軍は、方臘戦で勝利はするものの兵力は2割減、燕京戦では敗北し兵力は半減。
開封府でその傷を養う暇もなく梁山泊の叛乱が勃発。この時点で、童貫が率いる軍は、
7万程度で十分。それを、金軍20万+梁山泊軍3万で倒す。もちろん、小説での見せ場
は梁山泊軍と金軍内にいる楊令・史進の闘い。
蕭珪材とかうざいから死ね。
ドウカン・ファイトは3巻なんてやる必要ないな。1巻でけりがつく。
童貫は方臘に続き燕とも闘っている。ヘトヘトだ。そこに梁山泊と金軍。3倍する敵。
3日で終了でいいよ。
童貫を持ち上げるだけ持ち上げ、その童貫をして「楊令と闘いたい」と言わせ、楊令が
童貫を討って「すごい、すごい」。
こんなことをやってりゃ、誰でもバカバカしいと思うだろう?わからないかな?
>>141 闘いを描くドラマというのは、だいたいそんなもので、骨格を洗い出せば、ストーリーは
単純なんだけどな。しかし、ふつうはその単純な構造を気取られないように、巧妙に隠す。
楊令伝がかわっているのは、それを隠さないで、これでもかと表に出す。
楊令と童貫だけを雲の上の人にするために、それまでの物語の経過を全部無視して、
優秀だった軍師は知恵遅れにし、強かった将軍も二流のヘボにしてしまうという操作
だけは、まあ、ようやるわと思ったな。作品がグチャグチャになるだろう。矛盾だらけで。
扈三娘
聞煥章による監禁事件は、前作からの宿題なので、予想どおり。ただし、あの事件が物語
に何か影響をあたえたかというと、聞煥章が死んだ以外には特にない。
戦ばかりでは退屈でしょうから、合間にポルノを挟んでみましたよ、という印象しかない。
どこがダメかというと、文字通り戦の合間のエピソードであったことだ。
これが戦の直前に勃発していれば、梁山泊は王貴・王清の救出、および扈三娘の救出に
貴重な兵力と時間を割かざるを得ず、梁山泊にとってはダメージだった。
林冲が張藍救出のために祝家荘戦のヤマ場で戦場放棄したのとは反対に、このエピソードは
童貫戦の直前にもってきてこそ意義があった。
花飛麟との恋愛は、ポルノの続きなんで、どうでもよかった。削除。
145 :
無名草子さん:2010/03/18(木) 16:26:35
>>117 もっと最新号の内容を教えてください。
楊令伝は、ネットのネタばれ程度の長さで十分です(・∀・)
顧大嫂
前述したように、新版では子午山が第1巻で全滅する。まーあ、よくも飽きもしないで、
子午山ネタを読む人がいるものだと感心するわ。同じことの繰り返しだろう。
王進と童貫の面談なんて、どうでもいい。現に無内容だったしな。
ただし、子午山に代るべき場所は必要だろう。今度は山中ではなく、街中にすべきだ。
朱貴・朱富の酒場もなくなったし、朱椛・朱杏の酒場は、まったく盛り上がらない。
やはりそれなりのキャラを配すべきなんだ。
杜興・顧大嫂・孫二娘でいいだろう。1・2巻あたりの三人の会話はたいへん愉しかった。
反対に、杜興が聚義庁で重要な仕事をしている場面には、最後までなじめなかった。
迷いのある若者、そうでなくても失策で悩む将校は、杜興酒場でリフレッシュすればよい。
>>1 今北
スレ立て 乙
すばる発売の時期なんで、レスが延びているね。
呉用
呉用を方臘軍に参加させた点は、秀逸だった。だが、偽名を用いる必要はなく、また、
どうして方臘と同盟しなかったのかは理解できないな。
理念が違うから他との連立はしないという政党は、ミニ政党に多く、永久に政権の座に
つかない安心野党なんだよね。梁山泊も、安心野党を目指したのだろう。だから最後は滅亡ww
新版では、梁山泊と方臘は同盟する。宋という共通の敵があるのだから、同盟するのは当たり前。
宋を倒した後で、大きくなった方臘を殺せばすむことだから、同盟を懸念する人間はいないと思う。
童貫軍の実力と現状を知っていれば、宋の敗北はないというのは予想できるし、第一志望である
金との同盟は、宋金同盟が形骸化するまでは表沙汰にできないのだから、それまでは同盟した
方臘に協力して童貫軍の力を減殺するしかない。誰でも思いつく道理だと思うのだが、旧版では
気持ちが悪くなるほどに、方臘軍を援助しなかった。童貫軍の力を減殺するという作戦だったのに、
童貫軍の兵站線を混乱させることすらしない。不思議だった。その間、梁山泊はたいした戦をしていない。
水軍は暇で暇でしかたないのに。ほんとに不思議だった。
呉用は、馬麟の騎馬隊2000と、鮑旭の歩兵8000、および水軍を率いて方臘軍に参陣する。
149 :
147:2010/03/18(木) 16:44:32
ちょっ、ちょっと。今月号の話題が、ほとんどないじゃんかwww
蔡福
楊令伝に登場した旧梁山泊系キャラで唯一満足できたのが、蔡福だった。
楊令が女真にいた頃の蔡福は、臆病なだけのとり得のない男だったが、
楊令が梁山泊に帰るやいなや、潜在的な能力を開花させた。
金国の文官として大臣クラスの働きをした。
実は、生き残った梁山泊の非軍人キャラに期待していたのは、このような成長を果して
もらうことだった。というか続編というのは、通常、そのような展開になる。
そうならなかった楊令伝が異常にすぎないのだがな。
真婉の自殺については、もう少し整理していれば、面白いエピになったかもしれないが、
なんか唐突に自殺しよったという印象しかなかった。
女真の習俗かなにかは知らないが、古典的時代劇では、弟が死んだとはいえ、ヒーローが
その嫁と寝たりはしない。まあ、楊令伝でやる必要があったのかどうかは知らないが、
物語全体には、ほとんど影響を与えていない自殺だな。
プロフィールを考える時間がないので、新キャラがキャラ立ちしない。というより、物語に何ら
変化がない。恋愛ネタは、そよ風のごときささやかな変化を求めて、そよ風が吹いたという印象が強い。
宋清の恋愛のように台風が生じたことはないし、原典の恋愛ネタほどにも物語に影響することがない。
151 :
147:2010/03/18(木) 17:02:28
>楊令が女真にいた頃の蔡福は、臆病なだけのとり得のない男だったが、
>楊令が梁山泊に帰るやいなや、潜在的な能力を開花させた。
ほんと楊令がそばにいると、そばの人間はダメ人間になるんだよね。
楊令がいなくなると、普通に能力を発揮する。
楊令がかかわらなかった方臘や燕国は、まともなキャラばかりだったからね。
こうなると、楊令は病原菌以外の何者でもないね。
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\__:::::::-===-;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ 天才の戦というものを見てみたい。
>>148 理念と政策は、朝日新聞が大好きな言葉だよね。
山士奇
こっちは黄鉞とは違い前作に名前だけは出てきていた原典キャラなので、新版でも残してやろう。
呼延灼隊と並び、張清隊は、新版で中心的な部隊となるからだ。
少しだけだが見せ場もあったのかな。でも、もっと活躍してもいい。下位キャラが活躍すると、楊令
の「すごい」が減少するわけでもあるまいに、神経質なまでに、楊令を凌ぐような他のキャラの活躍
は忌避されていたな。ほんとバカみたい。物語は全然つまらなくなるのに。
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ヽ -===- / 恋愛ネタで物語に変化をつけましょう
|ヽ::  ̄ /|
|:::ヽ、___, ' |
史進
この作家はむかし書いたところを読まないのだろうかと疑いたくなるほどに、性格が激変
したのが、史進をはじめ梁山泊の古参キャラ全員。史進の劣化もひどかった。
戦闘能力は変らないが、品性のなさは水滸伝の史進とは別人である。
史進が登場するたびに、楊令伝という小説に興味を失っていったと言っても過言ではない。
新版では、史進は楊令とともに、金軍で闘う。靖康の変が終るまで梁山泊には復帰しない。
史進が女真へ行く理由は単純明快。女真には、いい馬がいるからである。史進騎馬隊は
これによってパワー・アップする。
_人
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\ヽ_( 史進 ) _/ ::(
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L_ `ー / / / \_―― ̄ ̄::::::::::\
ヽ | |__/ | ノ ̄ ::::::::::::::::::::::)
| ̄ ̄ ̄\ ノ 九紋竜 ( ::::::::::::::;;;;;;;;;;;;ノ
| | ̄「~| ̄( 、 A , ) なんざ / ̄――――― ̄ ̄::::::::\
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し' し' \__::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
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うんこの中で寝てろー! Y人, ' ',人⌒ヽ、, '
Y⌒ヽ)⌒ヽ、 人,ヽ)人'、, '
へ, --- 、 ノ ̄ ::::::::::::::::::::::)
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し' し' と∨ ̄∨ \__::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノ
蒋敬
蒋敬あたりが成長しなければ、なんのために続編を書いたのか、意味ないじゃん。
地味な兵站担当は多くが生き残ったが、続編でも前作同様、ヘコヘコ食糧や武器を運搬していて
どうすんのよ?年嵩の兵士が引退していっているのに、兵站担当のみは昔のままってことが
あるか?現場で食糧・武器を運搬する役は、若い非正規雇用の職員でもできる。
蒋敬などは、盧俊義クラスの商人に成長すべきだった。もちろん頭領にはならないがな。
楊令が言い出した交易の道なんてものは、蒋敬のプランでなくちゃ、こいつの出番がないだろう?
覚えているか?蒋敬は神算子と呼ばれているんだぞ。
新版では、斉の大蔵大臣になる。かつ、二竜山で楊令とともに暮らしたことから、親楊令派である。
老化現象に統一感がないんだよな。
童貫と兵站担当は、まったく歳をとらない。
元気でいてくれちゃ楊令にとって都合の悪い呼延灼等の梁山泊の有力軍人だけが歳をとる。
蕭譲
人手不足だったので、一時期文治省の責任者のような立場にあった。
蕭譲の職能が特殊すぎたために違和感があった。
蕭譲が責任者ができるのなら、金大堅にだってできるだろうと思ったものだ。
しかし、金大堅はいっこうに登場しなかった。
特殊な職能の人なので、職能での見せ場は固定されてくる。楊令伝では見せ場はなかっただろう。
蕭譲・金大堅は、もう少しユーモアを感じさせる変人にして、ちょくちょく出してもよかった。
広場で茶を飲みながら、若い兵士に話し掛けてくる爺役のような軽い役でな。
もう頭の中には杜興しかいないかのように、何でも杜興だったな。
宣賛
この作家は、水滸伝の宣賛と、楊令伝の宣賛を読み比べて、良心の呵責に悩まされる
ことはないのだろうか?
以上
手抜きとは、手抜きをしたことが瞬間的にはわからないようになされるものである。
瞬間的にわかってしまう手抜きをする者は、阿呆である。
宣賛は別人だな。しかし、ここまで変えてしまうと、物語としては破綻だろう。別人だもの。
宣賛の能力が著しく低減することを根拠付けるイベントは何もないもん。
>>163 幻王の登場が、それ。幻王とは、周囲にいる人物を劣化させる病原菌。
常時そばにいる宣賛と呉用の劣化がもっとも激しい。
呼延灼・張清・史進も、性格激変といっていいまでに劣化。
童貫など、楊令の名を口にしただけで劣化。
おそろしい病原菌だよ。
∧∧ ∧_∧
(,,゚Д゚) ( ・∀・)
|ヽ)(/ / つ ___________
〜| 、。 ∬ ∬(_(_⌒)| ← 下に楊令殿がいます |
U"U ヽ。 ∬ ∫ ,;しし'  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
"""""""|;;:。ヾ;;;;,:.,∬..,.';"://;:'|"""""""""""""""""""""
|:::,;,':,;,ヾ ;;;;,..,.,, ●;∬|
|:::,;,'::::,;,'l。,': :,;,':,;∬::...|
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|:::,;,'::::,; :,': :,:,;∬;:...|
|:::,;,':l! l。 ,.._,,.,,_.●;;;;:::|
|.;:._..;:.:,':ル;◇;リ_:,'::.:,i| ←楊令
|li,;;: ;::;;@; ;;..;@;::::..;;:l|
`ヾ゙;;;;;.ii..@,;*;,@;●ノ
楊令伝がつまらなくなった理由を想像すればできないことはないが、
どうしても理解できないのは、楊令伝を面白いと言って読んでいるやつが、
どこがどう面白いと思っているのかを想像することなんだよなw
50歳ぐらいになると、数年前ならつまづくことなどありえないような地中から出ている
小さな突起に足をとられてつまづくこともある。
60歳すぎればなwww
>>134 読者サービスにすら見えなかった。端的にムカツイタ。物語の初めから誰もが楊令を頭領
に望んでいて、他の誰かが仲間から頭領あつかいされたことなど一度もなかった。
>>160 その前に、水増しされた4行を1行にまとめる作業が必要だよ。
連載1回分を読んでも、コンテンツは水滸伝の4分の1しかないような気がした。
多数の人が登場するのだが、1〜2回しか印象に残る登場場面がなかったから、
久しぶりに出てくると誰だかわからない。
水滸伝では、著名なキャラはいつも登場しているような感じがしていた。
水増しされた4行を1行にまとめれば、スペースが4倍になる。
蕭譲や金大堅のようなマイナー・キャラであっても、
常時登場し続けているような錯覚に陥るまでに、
しばしば印象的な登場機会を用意できたということ。
>>154 楊令にすごい活躍をさせるために、他のキャラはほどほどにしか活躍しないんだよな。
そんなつまらないことだけに神経質になって慎重に書かれていたから、読んでいて
ばかばかしかったな。
次回作は、「長嶋茂雄伝」なのかな?
ひとりで九つのポジションを守るんじゃないかww?
174 :
無名草子さん:2010/03/18(木) 19:22:15
まだやるのかアンチ?どうせ自演なんだろう?
打席には楊令殿が立った。投手の投げる第一球を楊令殿はジャスト・ミートした。
打球はライト・スタンドに飛び込もうとしていた。
「ホームランです。楊令殿、特大の8号ホーマーです」
ところが、そのときフェンス直前に腕が伸びてきて、スタンドに入ろうとしていた球を
キャッチした。
よくみると、打席の中から右手を伸ばした楊令殿が、自分の打球をキャッチしていたのだ。
「すごい。楊令殿、すごい」
長期間にわたる連載ということもあるのだろうが、作品のテイストが水滸伝とまったく
違うんだよな。同一人物が書いているとは、とても思えない。
これが、続編だというところが、まずい。
曹正、宣賛、史進。みんな別人だし。これで続編を楽しめと言われると、
うんこ食えといわれているのと一緒。
むしろ水滸伝のときと性格が変化していないキャラを見つけ出すほうが難しいよ。
楊令伝になって新たに登場してきた新キャラは、別の意味でどれも同一人物なんだけどね。
縦の時間においては、同一人物がいない。
横の時間においては、同一人物ばかり。
なぞなぞみたいな楊令伝ですね。
周信、楊雄、孔亮あたりからだな。全員、同一人物になってしまったのは。
まあ同一人物は言い過ぎか。五種類と言ったほうが正確。
文句言う奴はソープに沈め
>>154 黄鉞も前作に名前だけは出てきていた原典キャラ
>>180 楊志が二竜山を奪った前後を読むと、主な登場人物は次のとおり。
楊志、魯智深、曹正、済仁美、楊令、ケ竜、村の長老、ケ竜の手下。
軍人は楊志ひとりなんだ。これだとドラマを作りやすい。さまざまな職業・身分・年齢の人がいたからね。
これに対して、楊令伝は軍人ばかり。
ドラマを作ろうと思うと、どうしても戦が多くなる。まあ、戦が多くなるから、軍人キャラが増えたんだが。
戦以外のエピソードを作ろうとしても、戦の予定が将来ぎっしりなので、
短くまとめられたしょうもない恋愛、もっと短い食事の場面。こんなのしか作れなくなる。
それならそれで、戦シーンのバリエーションを豊富にすればいいのに、
騎馬隊中心に書くことに固執して、広大な原野で単調かつ大味な野戦ばかり。
これで飽きないやつがいたら、よほど退屈が好きな人なんだろうと思うよ。
曹正
水滸伝とは別人。読み直してみればすぐにわかると思うが、世間に通じた頼りがいのある
間者だったのだ。当初は、官営の塩に関する情報収集が仕事の中心だった。
ところが、朱椛の店で戯れている曹正は、バカそのもの。
くだらないことをやっていれば楽しいんだと勘違いしている奴は、リアル世界でも軽蔑
されるか、避けられる。ひどい場合はいじめられる。そんなバカな曹正になってしまった。
楊令にとっては恩人といっていい曹正なのであるが、恩ある人に対して頭を下げることも
しない傲慢な楊令は、ことさらに曹正に会うことを避けている。
水滸伝時代も様々な仕事をしていたが、青蓮寺の捜索能力が高いため、市井で暮らす
ことができなくなった。梁山泊に来てからは、兵站担当となる。
楊令伝では曹正の仕事は、曹正のことを書くたびに変った。軍で兵站を担当しているのか、
軍とは無関係の交易に従事しているのかすら不明。
そもそも作者の頭の中で、兵站と交易が明確に区別されているのか不明。
将校不足のため洞庭山で兵の調練をした。曹正に鍛えられた兵が童貫軍に勝ったということは、
世界史の七大不思議に数えられている。
文章の格調が水滸伝と楊令伝では月とスッポン。ちょっと比べてみよう。
水滸伝 この国は、役人から腐っていった。役人が腐ったので、軍人も腐った。もともと、文
を尊ぶ国だったのだ。その文があってこそ、膨大な武も生きた。それが、眼をそむけたく
なるほど、腐っている。
楊令伝 「おう、宣賛。おまえだって、帝がいて、廷臣がいてって国しか、考えていなかったろう。
いや考えたんじゃなく、国というのはそういうもんだと、決めてかかってたろう」
同じく国を語るにしても、表現にこれだけ違いがある。まるで、直木賞選考委員と
中学生ぐらいの差がある。
楊令伝の文章のほうは、眼をそむけたくなるほど、腐っているなw
蘇h
皇甫端の牧場で拾った黒騎兵だったかな。よく覚えていない。
いなくてもいい。この手のプロフィールの希薄なオリキャラを大量投入すると、
つまらなくだるだけだ。
水滸伝の108人は、ひとりひとりを丁寧に描くところがセールス・ポイントだった。
楊令伝では、その義務はないはずなのに、大量投入された。量だけ多くて、個々の
キャラを丁寧に描いているスペースがない。なのに中途半端に台詞を与え人物を語ろうとする。
中途半端にしか描けないから、どれもこれも同一人物になってしまうという悪循環だった。
戦の場面で将校が少なくて困るのならば、そこだけ名のある将校キャラを出せば足りた。
戦の合間の彼らを描く必要などない。
話の成り行きで、そんな戦の場面でのみ登場するオリキャラが脚光を浴びる結果になることもある。
人気が高まれば、そのキャラだけ戦の合間にもエピソードを与えてやればよい。
事前に「花飛麟隊には、董進と蒼貴という優秀な将校がおりましてー。彼らの人となりを
簡単に紹介すると、かくかくしかじかでありましてー」とやるから中途半端になるんだな。
戦いの中で、部隊を三つに分ける必要が生じたら、そこで名前を出せばいい。それまでは、
花飛麟隊には二名の上級将校がいるということだけ示しておく。
部隊によっては、永久に二名の上級将校の名が出てこないこともある。
官軍や燕軍でもこのようにやっていれば、将軍が他の将軍に命令されて、将校のように動く
という愚を避けることができたな。
普通は誰でもそうするよな。必要だからキャラに名前を付ける。
主人公が旅先で道を尋ねた通行人の名前までは書かない。
楊令伝は、必要もないのに名前付きのキャラを大量投入したり、
必要なときにキャラに名前を与えなかったり、チグハグだった。
金軍と闘う李明隊の軍議の場面で発言する幕僚が、全員名無しなのはヘンだったな。
ああいう場合は、使い捨ての名前を出せばいい。それまでも李明隊には
彼ら名前付きキャラが存在したのだが、たまたま紹介する機会がありませんでした。
その必要がなかったからです。今は必要があるので名前を明かします、というのが普通でしょう?
一度戦の場面で名前を出すと、次の機会で出したときに違う名を出して矛盾が生じるから、事前に
この部隊にはAとBと決めておくんじゃないか?
1万の軍であれば、1000単位の大隊が10、100単位の中隊が100というようになるから、
大隊長10名、中隊長100名となる。
10名の将校の名前を全部出す必要はないから、重複さえ避ければ、その場で適当な将校
の名前を出しても、全部出す前に小説の方が終る。
また中隊長クラスの将校の名前を出さなければならないような戦の展開もあるだろう。
個性もないのに、1万の軍に、隊長のほかに、将校2名がいて、その名前を事前に決めておいて、
最後まで名前付きのキャラにこだわるほうがおかしいんだよ。
方臘戦ラストの寇亮と衛政の使い方はまずすぎる。人材不足の糞軍隊にしか見えなくて、
精強と言われると吹きだしてしまいそうになった。
これだけ軍人の数が多く、そのすべてを個性的に書き分けることなんか不可能なんだから、
事前に決めた名前つきキャラにこだわってはならない。こういう大軍を描く小説の場合ね。
漫画になっちゃう。
前作よりも軍隊の規模が大きくなり、軍人の数も増えることが予想されたわけだから、
大軍らしく見せるためには、どのように軍隊を叙述していくかについての研究が足りなかったな。
なんとなく前作の延長でやってしまった。
>>192 そのようにリアルに考えていくと、楊令殿が頭領というのが違和感ありありになるし、
花飛麟や呼延凌が1万の軍を率いるというのでさえ、抵抗が出てくるよ。
だから、しなきゃいいんだ。頭領や軍団長にならなければ、物語の主役・準主役になれないのか?
一兵卒が主人公の小説や映画は、たくさんあるだろう?
それに、楊令伝の場合、前作から引き続き登場のベテランキャラが多いから、頭領や軍団長の候補
に事欠かない。数が足りなければ、40代の将校から引き上げるという手もある。
主役・準主役の二世は、物語の中盤以降に、頭領や軍団長になればいいだろう?それが普通だろう?
作中時間は何十年というように長いのだから、序盤からあわてて若手を重要な地位につける意味があるか?
李英が将校になったのは16歳だぞ。ありえないだろう。将校にしたはいいが、ありえないということは
作者も冷静に考えるとわかるので、そこから長い間李英を登場させないという暴挙に至る。
ふざけていないで、もう少し真面目に小説を書いてもらいたかったな。
>>189 >部隊によっては、永久に二名の上級将校の名が出てこないこともある。
さっきから、ずっと、俺たちのことを言われているような気がします。
>>195 >李英が将校になったのは16歳だぞ。ありえないだろう。
少年ジャンプに文句を言うなんて、おまいはよっぽど暇なんだなww
>>193 大軍が大軍らしく見えるようにするための描写は、あきらかに水滸伝の方が上手い。三国志も上手い。
楊令伝は、比較にならないぐらい下手。
孫二娘
洞宮山を出たいと言った老人数人を殺してしまう、連合赤軍もオウム真理教も真っ青のキチガイ。
旧版の孫二娘は全面的に削除。
新版では、杜興酒店で働く。
源太と事実上の養親子関係になったらしいが、それがどうした?
楊令伝を読んでいて、普通の小説と違うなと思うところが、こういうところ。
ドラマの端緒にすぎないと読者が考える事実が、楊令伝ではドラマの結末になってしまっている。
普通なら、ここで孫二娘が死に、事実上の養子が犯人ではないかと疑われるが、名探偵が登場
して真犯人を突き止める。
楊令伝では、新キャラの登場そのものが、ドラマの結末になっていることも多々ある。
で、この人これから何をするんだろうと興味深く見守っていると、何もしない。
「新キャラが登場しました。それがドラマの結末です」という展開が極めて多い。
ただし、軍人の場合、戦死場面の描写もなく戦死するという結末が用意されていることがある。
初登場から戦死までの間に、何もエピソードはない。
>普通なら、ここで孫二娘が死に、事実上の養子が犯人ではないかと疑われるが、名探偵が登場
>して真犯人を突き止める。
warota
たしかに、そればっかりなんだよな。
何かドラマが始まりそうな端緒だけを見せて、そういうのばかりが大量に放置されている。
なんの結末もなく、ドラマの始まりばかりがゴロゴロ転がっている。
第1巻の全部を使って行われた幻王の殺戮・掠奪も、実は何かドラマが始まりそうな端緒
をばらまいただけなんじゃないかと最近思うようになった。第2巻の燕青に喋らせた糞つまらん
正当化理由を読んでいると、常識はずれのことを楊令にやらせ、後始末については実は
何も考えていなかったんじゃないか。孫二娘と源太の養親子関係と同じようなドラマの端緒
のバラマキにすぎないのではないかと思うよ。そのうち適当な正当化を考えようと思っていたら、
読者の非難が轟々なので、あわてて燕青に終息させたんじゃないかと疑っている。
燕青がもう少しまともなことを言っていれば終息したかもしれないが、バカなことを言って、火に
油を注いだだけだったがな。その後が、「楊令殿は変った」のお祭りwwwww
戴宗
公孫勝は存在意義を失ってしまったキャラになったが、迷走キャラの代表格が戴宗。
曹正も迷走しているが、戴宗は登場場面が多いので、迷走ぶりの異常さは、曹正の比ではない。
まず、江州に宋江を迎え、中洲で官軍と戦ったときの戴宗を読み直してもらいたい。
別人です。
リアル世界では30年経過すれば人間は大きく変ることが多々ある。しかし、表面は変ってしまっても、
根底のところで変っていない部分も残るのが人間である。
この小説の作中時間の経過は30年以上だけど、読む人は30年かけて読むわけではない。
登場人物の多さから考えて、少数の人物で語られる小説のように、人物の性格の変貌を丁寧に
描くスペースはない。ひとりのキャラのイメージを途中で変えることはやらない方がよいのでは
ないでしょうか?最近の戴宗に慣れた読者が、水滸伝の4巻5巻の戴宗を読むと、吹きだしますよ。
水滸伝時代の杜興や周通も、初登場時と三回目あたりの視点つきで詳細に語られた時点とでは、
人格は一致していないんだよな。言葉遣いが時と場所によって違うのは、我々も日常経験しているが、
北方水滸伝の場合、そうじゃない。初登場時は、その状況に合わせて、とりあえず仮の性格で
登場させてしまう。その後、熟慮してそのキャラの興味深い性格を発見する。以後はその新性格
で突っ走る。杜興がその典型だ。
矛盾といえば矛盾なんだが、物語が面白くなりさえすれば、読者は文句を言わない。
初登場時と若干性格が違うけれど、時と場合によって我々だって口調は変えるからな、と認識できる
範囲内であれば、読者側で脳内補完して納得してしまう。周通がその例だ。
だかストーリーや描写がつまらなければ、キャラの性格変更が矛盾にしか見えなくなるんだな。
とりあえずキャラを登場させて、その性格を少し見せ、その後熟慮して本格的な性格設定をする
やり方が、自分の抱いている小説の概念と違うものに思えてしまうんだ。
また、戴宗、童猛、武松、いずれの性格変更も、くどくて読むのが嫌になぐらい何度も繰り返された。
戴宗の飲酒シーン、童猛の測量シーン、武松は変ったと他のキャラに大騒ぎされるシーン。
同じことを繰り返しすぎなんだよ。ほんと同じことの繰り返しは面白くない。
「人間なんて」を1時間歌い続けるよしだたくろうは飽きる。そういうことですか?
同じことを繰り返すのと、懐かしいことを思い出すのとは違う。
好きだった曲だけど、20年ぐらいまったく耳にしなかった。
久しぶりに聴いたら、あらためて感激した。こういうことは、しばしばある。
あのキャラのあのネタが懐かしいと思うぐらい時間が経過してから同じことをやれば喜ばれる。
童猛の測量シーンが何度も出てくるのを読んで感じることは、
「この人、ほんとにネタがないんだな」 それだけ。
>「この人、ほんとにネタがないんだな」
「ほんとに」の部分は、“ほんとぅぅぅぅーーーに”とお読みください。
段景住
とくに目立った出番もなかったな。水滸伝では、どうして誰彼となく、出番が多かったような印象
があるのだろうか?登場していなキャラであっても、常にそこにいるような存在感を示していた。
楊令伝のキャラは、水面に浮かぶ泡のようなキャラばかり。
水滸伝時代に存在感を示していたキャラまで、存在感を失ってしまった。
段景住も、登場したことは覚えているが、とくに彼らしい個性を発揮した箇所はなかった。
まあ新版でも、あまり出番は多くないだろうな。班光やら蘇hやら、牧場出身者が多かったのだから、
牧場サロンの主催者のような地位に段景住を置けば面白いのかもしれない。同窓生が集うね。
旧版では、子午山同窓会のおかげで、他のサロンは目立たなくなってしまったな。
張横
第2巻ラストで致死軍が方臘軍を装って官軍を挑発する場面を張横視点で語ったのは、数少ない
楊令伝における優れた工夫のひとつである。まあ、たいしたことではないが。
楊令伝では水滸伝の宋江の旅のようなのんびりした旅を描写する余裕はないであろう。
そこで注目されるのが飛脚網であった。旅であれば、始点から終点までを一部始終描写しなければ
旅らしくない。しかし、飛脚網の拠点が全国に張りめぐらされていて、張横や王定六は、頻繁に
全国の拠点を飛び回っているであろう。彼らの出張を利用すれば、読者は中国全土のどの土地へでも
ランダムに飛ぶことができた。方臘戦前夜に張横が江南のある都市にいたように。
各地の民情や、各地で生起している事件をレポートするには、とくに間者や致死軍の手を煩わせることなく、
飛脚網の拠点とそこへ出張した張横を出すだけでよかった。
間者や致死軍には、派手なアクションがつきものだが、飛脚網拠点への出張だと、アクション抜きで地方の
民衆とふれあうこともできる。
旧版では、公孫勝の旅などが代役を果たしたが、他にも適役はいたのです。いつも同じ奴が飛び回って
いては面白くないし。潜水部隊の張敬だって、暇なときは飛脚の手伝いをしてたら良かった。
水に潜る以外のことはしてはならないという法律はないと思う。
>>207 戦シーンが長すぎて、人間ドラマのシーンが少なすぎるんだ。
映画などではよくあるパターン。カネをかけた戦闘シーンを長くしたい気持ちはよく理解できる。
活字媒体で戦略や作戦の分析をするわけでもなしに、ほとんど○○騎馬隊が戦場でどのように
動いたという面白くも糞もない話を延々と続ける北方氏の気持ちは理解できなかった。
読んでいても全然面白くない。読んでも勉強にならんし、他人に、「知っているか?方臘の
乱って、こんな闘いだったんだぞ」と自慢げに話しても、大うそなんで恥をかくだけだし。
飛脚屋で手紙を受け取った武松によって戦の前半を回想させ、回想が終ると実物の戦の
後半をやるというような工夫はできなかったのだろうか?
まったく面白くなかった。
張清
思えば19巻の梁山泊陥落シーンの多くは、張清視点で語られたんだったな。
そんな張清の魅力も、水滸伝と比べると5分の1程度にまで劣化した。
もっと厳しく野生的な魅力のあるキャラでしたよ、水滸伝では。
原典の張清と比べても、楊令伝張清は、かなり劣化。
とにかく普通の人になってしまって、水滸伝の地サツ・キャラ程度だったな。馬麟クラス。
その馬麟は周通クラスにまで劣化。
新版では、水滸伝時代の野性味あふれる張清が復活します。
呼延灼と並ぶ梁山泊本隊の二大軍団長なので活躍を期待してください。
もちろん反楊令です。
楊令が梁山泊に帰ってきた。幻王の虐殺と掠奪の噂を耳にした張清軍の兵士たちは、
いちように楊令に対して冷淡だった。
そもそも歩兵が中心の張清軍の兵たちは、楊令と親しく言葉を交わしたこともないのだ。
聚義庁でちやほやされている楊令に対して、露骨に嫌悪感を示す兵も少なくなかった。
「よう。元気だったか、張清?」
掠奪を行った楊令は、態度まで大きくなっていた。礼儀知らずの史進とは気が合うようだが、
地方の名家出身の張清には耐えられなかった。
「張清ではないのか?俺の挨拶が聞こえないのか?」
相変らず醜い痣が、楊令の顔半分を覆っていた。この醜い顔を見るだけで、張清は虫唾が
走った。
張清は、袋の中から、飛礫を取り出した。
「おう。飛礫か。俺に教えてくれないか?きっとお前よりも上手く飛礫を投げることができるぜ。
何でもそうやって北方が書いてしまうんだ。うしっしっしっし」
「教えてやるよ、楊令殿」
張清は、飛礫を楊令の額の中央を狙って投げた。ぐさっ!楊令の額が大きく窪んだ。楊令は、
口から泡を吐いている。そのまま、地面に倒れた。
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
気分がええのうううううううううううううううう
張平
水滸伝時代の張平は、盗癖があって、子午山へ行ってどういう変貌を見せるのだろうかと、
このスレでも期待が高かった。馬麟のような渋いキャラに変貌するのではと期待したのです。
ところが、さすがはすべてのキャラを劣化させる楊令伝。期待を裏切りません。
子午山を下りてきた張平は、
見事な女子高キャラでしたwwwwwwwwwwww
プードルのように主人の周りをうろつく張平の姿は、きめえー。
楊令のちんぽでもしゃぶってろ、このオカマ。
「僕が楊令殿を守る」
きめーーー。少女フレンドでやってろよ。
時遷や王英も、原典とは違って渋かったよな。
シブ系とは無縁の小説になってしまったな。
陳娥
名前がチン毛に似ている点で、俺的にはパス。
公淑みたいに、いつもそばにいる蕭譲とくっつけられるのではないかとヒヤヒヤした。
梁山泊に入山する兵の選別を陳娥がやると聞いて、この小説は狂っていると思った。
禁軍師範時代の王進が、師範みずから禁軍兵士の選別をすると上申書を提出し、
高Qに握りつぶされた事件を思い出した。
カク思文の妻だからという理由で安易にその役割を陳娥に振ったが、いつも家庭にいて
御飯炊きをしていたおばさんに、兵の選別は難しいのではないか?
どんな屁理屈を述べて陳娥をその役にしたと述べても、たいした実績もない陳娥に
そんなことができるわけがなかろうと、誰でも思うよな。顧大嫂の裁判官もそうだけど。
ふざけすぎている。
鄭応
杜興に鍛えられたのは董進なんだが、鄭応・董進ともに出番が少ないため、どっちがどっちだったか
いつも忘れてしまう。こういう場合、名前のイメージで判断しがちだ。
王進、史進の「進」の名のついた董進の方が強く見えるので、こっちが林冲・史進ごのみの明るく闊達
な中堅将校に思えてしまう。鄭応の文字は弱そうに見えるのな。
まあいてもいなくてもいいキャラの典型。青蓮寺の石倫や林貴と同じ。
楊令伝が始まる前に、原典の108人と血の繋がった二世をもっと用意しておくべきだった。
それら二世は、前作から引き続き梁山泊に保護されているキャラを除いて、原則として、すぐに梁山泊
に来ることはない。独立して叛徒になるか、商売をするか、官軍に入るか、方臘の乱へいくかだ。
青蓮寺は、梁山泊の二世でも騙せば官軍に入隊できる程度のゆるやかな警戒でいい。
現に林冲だって潜入できたのだから。穆凌などは呼延灼との関係が判明することなく
官軍に入隊できると思う。同居していた親子ではないからな。
鄭応と曽潤が台詞を喋っている楊令伝の一部を伏字にして、きちんと区別できる読者がいたら、
天才だと思う。
このクラスになると、登場機会も少ないし、作者も目配りできないだろうな。
元々梁山泊にいた将校というだけで、無個性になる。
あえて台詞とか視点を与えないで、戦闘シーンで名前が出てくるだけで十分だった。
どうせ同じキャラクターになることは避けられないのだから、初めから抽象化した存在として
単なる「将校」に記号としての名前が付いていて識別しやすくしました、というスタンスで臨むべきだったな。
このクラスがキャラ立ちしないのは、同じ職業である軍人が多すぎるからだろう。
映画なら顔・髭・甲冑・兜のデザイン・色で区別できるが、小説では無理だ。
周信で失敗して懲りなかったのだろうか?
水滸伝で108人、いや敵側の人間を含めれば、その2倍ぐらいのキャラを登場させたから、
読者は続編でもほぼ同数のキャラの登場を望んでいると思われたのかな?
あるいは、兵数が増加したから、必然的に将校の数も増加させる必要があったかのどちらかだ。
しかし、108星を描いたようには、続編の一人一人にページは割けない。原典がないし、
戦は大規模化かつ回数も増える。
血のつながらない将校キャラまで、前作の地サツ星のように、扱うべきではなかったな。
董進
ほぼ鄭応のところで語りつくした。
まるで鄭応と董進は、原典の兄弟キャラだな。
原典の兄弟キャラの個性が似かよっているところから、
あえて性格を正反対にするなどの工夫をしてきた北方水滸伝の続編が、
まさか兄弟キャラを量産するはめに陥るとは思わなかったな。
しかも、2人、3人の兄弟じゃない。50人ぐらいの兄弟というかクローンだからなw
陶宗旺
登場してくるキャラには出身地というものがある。
楊令伝は、水滸伝とは違い、梁山泊の領土が少なくとも中国の北半分になるから、
各キャラの故郷も、ほぼ梁山泊の領土になるはずだった。
回想シーンは、この領土の中にある故郷と関連付ければ、面白いものになったろう。
ところが、小さな梁山泊ときたw
陶宗旺には、故郷に残してきた母がいるのだが、どうなっただろう。
そのような過去はすべて捨象された抽象的なロボットのような登場人物が、闘い、
飯を食い、セックスをするのが、楊令伝であります。
それら前作で残した痕跡を、事前に全部洗い出して、物語の中でどのように生かすべきか
を熟慮に熟慮を重ねる。そのようにして書き始めるのが、世間一般の小説の概念。
童猛
測量ネタ、飽きた。闘えよ。むかし騎馬隊を指揮して、宿元景をきりきり舞させた実力が
あるんだからさ。
>>226 占領地に元からいた宋の地方軍や吏員の扱いをどうするかなども、事前に熟慮を
重ねておくべき事柄だろうね。
>>216 >梁山泊に入山する兵の選別を陳娥がやると聞いて、この小説は狂っていると思った。
たぶん、そのようなことを狂っているとは思わないのが、左翼の特徴なんだろうな。
むかし学生運動をしていた経験のある議員を多数含む政党が政権を取って、
マスコミに露出する機会が増え、彼らの思想をわずかながら知るに及び、そう思うようになった。
杜興
楊令は核爆弾クラスの糞キャラだけど、それに負けず劣らずのウザ・キャラが杜興。
とにかく出すぎ。爺キャラは杜興が一気に引き受けた形だが、杜興に魅力があったのは、
遊撃隊や双頭山の副官をしていたあたりまでよ。
童貫戦終盤で聚義庁で偉そうに発言するようになってからは、ウザくなった。
新版では、顧大嫂・孫二娘とともに酒屋を開店する。
梁山泊には、一切出入しない。
>>190 >主人公が旅先で道を尋ねた通行人の名前までは書かない。
甘いね。その通行人が犯人だよ。
白勝
水滸伝時代は、そこそこの三枚目キャラで、安道全、湯隆らの魅力の引きだしに一役買っていた。
楊令伝での医者は、いまいち。前任者安道全の個性が強すぎたため、李雲・蕭譲クラスの並の
キャラに落ちてしまった。患者の祖永に魅力がなかったせいもあって、白勝の治療場面は、パッ
としなかったな。でもまあほとんど登場シーンのない他の職人キャラに比べればマシ。
時遷のいない楊令伝では、むかしの技で活躍するという手もある。昼間は医者、夜は盗人という
のもカッコいいぞ。
いまにして思うと、梁山泊入山と同時に盗みをやめた白勝が滑稽に見える。
頭領の楊令は、殺人・強盗・誘拐犯人だww
馬麟
期待はずれキャラ。19巻での騎馬隊用兵によって頭角を現すと思っていたが、杜遷クラスに落ちた。
古参キャラの劣化が著しい楊令伝であるが、馬麟を語るころになると、北方謙三は、キャラを劣化
させる術すら思いつかなくなったのか、かわいそうに馬麟は、自分の口で「俺は二流だ。童貫と闘う
のは楊令や花飛麟や呼延凌でいいんだ。俺の相手はバイキンマンだ」とわけのわからん言葉を
ほざきだした。
新版の馬麟は、方臘軍として闘う。梁山泊崩壊後、鮑旭とともに方臘正規軍に参加していた、というの
でもいいし、梁山泊軍再結集後、呉用に率いられて方臘軍の援軍として童貫と闘うというのでもよい。
正々堂々と童貫と闘うが、岳飛に横から槍を出し、引き分け。
最期は、梁山泊が方臘軍を利用していることを知り激怒した石宝に討たれる。
楊令殿を頂点とするキャラの格付けだけをやっていた小説ともいえるね。
雛壇のどの段に雛人形を飾るかだけを考えていた雛祭り小説だ。
>>233 そのあたりに何の矛盾も感じないんだろうね。やっぱり小説の概念が違うよ。
班光
オリキャラ将校の中では比較的よく書けていた方だ。短いがプロフィールの紹介もあった。
ドウカン・ファイト最中の馬とのシーンも悪くない。
だが、それだけだ。ベタなあだ名を付けられて以降、楊令・張平コンビとイメージがダブって
しまい、存在感が薄れた。
オリキャラも、班光で書いたところが最低ラインになるように頑張ればよかったな。
水滸伝では、終盤に視点が集中した楊雄・孔亮・阮小七の出来の悪さは別格として
中盤までは個々のキャラのエピソードが充実していた。
水滸伝だったら、班光のエピは、それほど目立つものじゃない。
>>200 いちおう「民を平気で殺せるやつじゃないと天下は取れない」という理屈を最近になっても
言っている。
しかし、これは押し売りの論理だ。バイヤーの財布の中身を心配していたのでは、
押し売りなんてできやしない。
自由社会で成り上がるには、他人を蹴落とすことは不可避だが、それが殺人や強盗となると
話は別だ。殺戮・掠奪を遂行する意思で、何をかを語ろうとしていることは理解できるが、
前作からの流れを考えるべきだったな。
要は、物語として、幻王の殺戮・略奪を、前作から引き続き読んでいるファンが望んでいるか
どうかだ。結論は、3秒で出てくる。望んでいない。
アイデアそのものは悪くないだろう。しかし、それは楊令があくまで金軍の将として最後まで
闘う物語という制限付きでな。
梁山泊の頭領になるのなら、民の殺戮は、民のための国を作る梁山泊の志と矛盾する。
役人に賄賂を強要されるのと、命を奪われることを強要されるのと、二者択一で選べと言われたら、
100人が100人、賄賂を取られる方を選ぶ。
人
カタカタカタ(__)
カタカタ (__) / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
カタ (・∀・#)< 民を皆殺しにして、民のための国を作るぞ
_| ̄ ̄||_)_\_________
/旦|――||// /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . |
|_____|三|/
要するに、楊令が頭領にさえならなければ、何をしたっていいんだよ。
ショッカーのゾル大佐と死神博士と地獄大使が、「民のための国を作ろう。税率は1割でいい。
国家経営のための経費は、ショッカーが交易をして稼ごう」なんて相談をしている仮面ライダー
の視聴率がどうなるかを想像してみてくれ。誰も見ないよ、そんなもの。
楊令伝なんて簡単だろう。
腐敗した宋を倒そうと革命戦をおこしたが童貫軍に敗れた。
その童貫はいまだ健在。梁山泊単独では宋を倒せない。
金と反青蓮寺派の宋官僚との合作で北宋を倒し、斉を建国した。
青蓮寺は南宋を建国して斉と対峙。
しかし、斉は北宋と同じように腐敗した。
熾烈な革命戦を闘った梁山泊には、第二革命を起こす余力は残されていない。
金と南宋の挟み撃ちにあって、斉は滅亡。
10人の素人が考えて、10人ともこの結論に到達すると思うぞ。
腐敗した国を倒すところからスタートしたのだから、筋の統一を図らないとな。
腐敗していない青蓮寺と禁軍というのが登場してからヘンになったかな。
自分たちが国を作ったら、自分たちは腐敗しなかったが、協力者である金と劉豫が腐敗した。
いずれにしても作った国も腐敗したことに間違いはない。
皮肉な立場に立たされる梁山泊という構図で、ちゃんとドラマになるがな。
ストーリーの上で、楊令伝を混迷に陥れ、物語の魅力を奪ってしまったのが、
金国の扱いの統一性のなさだと思う。
まず、金軍が第1巻の時点で、弱すぎるというか、存在すら見せなかったことが最悪。
これは史実云々の話ではない。
梁山泊が滅亡した1118年に、女真は遼の大軍を破り建国している。
建国したばかりのエネルギーに満ちた国であるべきなのに、外交交渉に疲れた阿骨打の
倦怠感を第1巻で見せるというのは勘違いも甚だしい。
また、楊令以外にめぼしい将軍が出てこないで、こともあろうに田虎の叛乱の残党である
元宋軍将軍唐昇が金軍のNo.2というのは、いったいどういうことだろう?
女真が遼軍を破った1118年の闘いのときは、楊令は梁山泊にいる。いったい誰が遼軍を
やぶったのだろうか?
金が北宋を滅ぼしたという史実だけは、どんなフィクションであっても動かすことはできないよな。
日本の首都は金沢です、と小説に書けば馬鹿にされるだけだろう。
そうであるなら、北宋の滅亡が目前に迫っているわけだから、楊令伝の1巻の時点で、金軍は
錚々たるメンバーを揃えておかなければならない。
阿骨打はもちろん戦場に立つ。呉乞買、斡離不、撻懶、斡本、兀朮。彼らは全員、遼軍掃討戦
に参加している。楊令は後から参加した漢人の将軍という位置づけで足りた。
まあ、主人公なんで、この中では最も強いという設定でもいいが、軍人は強さだけで比較される
ものでもない。経験不足のところはあるが黒騎兵は最強という伝説を作りあげる程度であれば
許されるであろう。
第3巻ラストで、梁山泊と金国の同盟締結だな。それまでは、過去の経緯から、友好関係にある
という程度。
まず、北方水滸伝を熟読してもらいたかった。
第5巻で、魯智深は、梁山泊と似たような立場にある女真と同盟しようとした。つまり、遼国内にあって
独立運動を進めている女真と、宋国内において叛乱を起こした梁山泊とは、似た立場にある。
そこで魯智深は同盟というか連携を考えたが、時期尚早。
この構想は、魯智深の死後、呉用によって推進される。第18巻だ。
呉用は資金面で阿骨打を支援している。
1118年という同じ年に、宋では梁山泊が宋軍に敗れ、女真は遼に勝ったという事実は興味深い。
梁山泊の資金援助は効を奏していたのだ。しかし、支援者自身は敗北した。
梁山泊の首脳部が、女真の軍事力に頼る気持ちが起きるのは、当然のこと。第三者から見ても
小さな勢力になってしまった梁山泊が、女真の力を借りて宋を討つという構想を持つだろう
という展開になるのは、当たり前すぎるほど、当たり前じゃないかね?
続編のストーリーの基礎になるものは史実しかない。原典のネタは方臘戦を除いて、やりつくしている。
北方氏もインタビューで、水滸伝の時期は原典よりも10年前にずらしているとおっしゃっていた。
ということは、続編で歴史上の事件である方臘の乱や靖康の変を書くということじゃないかね?
もちろんフィクションである梁山泊が物語の中心になるわけだから、史実を根掘り葉掘り書くわけでは
ないことは誰しも想像できるだろう。しかしながら、有名すぎて動かせない史実というものはある。
徳川幕府を倒した中心勢力が、津軽藩と秋田藩だと書けば、キチガイ扱いされるだろう。
楊令伝でいうと、金国が北宋を倒した事実などは最たるものだ。
さらに、前作水滸伝をたんねんに読んでゆけば、続編で使えそうなネタを方々にばらまいている。
これらばらまいた種を大きく育ててゆけば、原典がなくても面白い物語は作れるはずだ。
その意味で、前作で書いた女真に関する叙述を、ほぼ無視した展開は、物語の整合性という点から
も失格だし、楊令伝という物語を魅力のないクソ話にしてしまったように思える。
子午山や童猛の測量を、くどいぐらいに繰り返す暇があったら、最初に女真との連携を思いついた
魯達の話は毎回出てきてもよかったな。
牢城に入れられる前の魯達の女真における活動など、毎巻回想で出しても良かった。
その時期の魯達を知る女真人のオリキャラを一人出してな。
そういう重要なキャラは出さないで、耶律越里と斡離不が親戚だとか、劉彦宗と韓伯竜が
師弟だとか、新たなタネをばらまくばかりで、いっこうに過去にばらまいた面白そうなタネ
を育てようとはしない。いったい何をやっているだろうか?
女真といえば、魯智深と、呉用による資金援助以外に、こだわるものがあるか?
楊令が女真へ行った事実も、まったく生かせてないだろう?
面白そうなタネは生かさないで、面白くもない新しいタネばかり撒くなよ。
簡単だろう。仕事が忙しくて、水滸伝を読む暇すらない。
しかしまあ、水滸伝では阿骨打も族長会議も熟女真だと言っておいて、楊令伝で阿骨打
の政権を生女真政権のように扱い、熟女真を皆殺しにするというクソ展開だけは避けて
もらいたかったな。何があっても、前作は丹念に読めよ。前作で撒いたタネが、楊令伝
の原典みたいなものだよ。それを膨らます以外に、続編は書きようがないじゃん。
幻王の皆殺しが、どうしてこのスレで批判されているのか、最後まで理解できなかったんだろうな。
阿骨打は熟女真なんだよ。
武松
楊令に拳を斬られて性格が変化したようだが、変化した後の武松が面白いというわけでもなく、
変化する前の武松に読者が不満をもっていたわけでもなく、むしろ原典と比べて性格が変化
したキャラクターの中でも武松は傑出した出来栄えの良さを誇っていたので、結果からいうと、
性格を変化させるエピソードは不要だった。
もっと不要だったのが、数回にわたって仲間から、「おまえ、性格かわったな」と言われるシーン。
くどすぎる。
新版では、好きにせい。性格の変った武松などに、まったく興味はない。
斬られた拳の代りに鉄球をはめ込んで闘う場面は、もっと出せよ。
何のために斬ったのか意味がない。
公孫勝と同様、楊令伝の武松は、どうでもいいキャラだったな。
事前に各キャラをどのように使うかをよく考えてから書き始めればよかったのに・・・
「呉用殿は変った」も、くどかったな。性格が変化するって、そんなに嬉しいことなの?
よくわからないんだけど。
鮑旭
馬麟のところで書いたが、方臘軍として闘い、最期は石宝に殺される。
戦場で味方だと思っていた石宝に背後から襲われ部隊は全滅。
それを見逃さなかった童貫に攻められ、方臘軍は敗北というのでいいだろう。
方臘信者を莫大な数にして、童貫軍が殺しても殺しても、方臘信者の数が
尽きないという戦は面白くなかった。信者を次々に戦場へ送り出すことで、
連載を引っ張っているようにしか思えなかった。
間は生肉を食う方臘たちの面白くもない食事シーンばかり。退屈だった。
>>253 阿骨打も族長会議も熟女真を装っていたが、叛乱を起こしたから、生女真に戻ったという
脳内変換をすればいいじゃないか?そう堅苦しく考えることもないだろうw
水滸伝18巻p300では、叛乱を起こした後の阿骨打と族長会議を「熟女真」と言っている。
誤植じゃないよな。それを言った場面は戦の直前。
「熟女真」の阿骨打は、「本物の熟女真」と戦闘を開始する。
穆凌
楊令伝の1〜2巻で、めぼしい二世キャラは全員梁山泊に入山してしまう。
そのせいで、どの二世キャラもキャラ立ちしなかった。どれも周信に毛の生えたようなキャラばかり。
名前を伏字にして楊令伝を読むと、おそらく区別することは不能であろう。
どれも周信にしか見えない。
この二世キャラの入山ラッシュを見るに、とにかく早く梁山泊が単独で童貫軍と戦えるまでに、
陣容を整えようとしたのだろうな。金軍の力を利用して北宋を倒すことに作者は抵抗があったの
だろう。戦闘シーンを梁山泊のキャラ中心に描けば、とくに問題はないのだが、そこまで思いが
至らなかったのだろうか?
実際の楊令伝の戦闘は、まったく面白くない。なぜかというと、兵数が多すぎるのだ。
北宋という大国が倒れる戦であるから、少数で闘うわけにはいかない。しかし、各地で行われる
金軍と宋軍の闘いの一部分だけを描写して、多方面の戦闘は伝聞で読者に伝えれば、大軍
どうしの闘いという大味さを避けることができた。
具体的にいうと、金軍は二方面から宋に進攻する。その一方の大将が楊令。その下に史進・カク瑾
らがいる。率いる兵は三万。対する宋軍は六万。三万対六万の正面衝突という事態は少ないだろう。
また、梁山泊軍も三万。これは、別な戦場で闘う。敵は七万。
こういう工夫をすれば、戦の場面も面白くなった。戦の一部始終を描くなんて愚の骨頂。描写のない
斡離不などの闘いは、それこそ伝聞で鮮やかな戦勝を伝え、「斡離不殿、すごい」と言っていれば
いいのだ。「すごい」は具体的な描写のないときに使うのだ、常識的に。
穆凌について書き忘れた。
穆凌は宋軍の将校として、はじめは梁山泊軍ないし金軍と対決する。
その後、梁山泊の調略の手が伸び、穆凌は宋を裏切る。
父親とパターンが酷似することになるが、こういうベタな酷似を嫌っていては、
二世のオリキャラなんぞがキャラ立ちできるはずがない。
楊令伝のキャラの創作は、既出のキャラとの重複を避けようという意識が強すぎて、
新キャラの居場所がなくなり、結局、無個性な生真面目キャラばかりになってしまっている。
みんな周信だ。
前作であれだけ多くのキャラを創作してきたのだから、重複を嫌っていては、新キャラの創造
は不可能だったのだ。へんな見栄を張って、物語がつまらなくなったな。
なお、青蓮寺の捜索能力が高すぎる。青蓮寺があるので、穆凌などの二世キャラは官軍将校
になれなかったのであろう。
しかし、青蓮寺の捜索能力はもっと低くていい。21世紀の警察を上回る捜索能力をもつ青蓮寺
を有する北宋が滅亡するはずがないだろうという違和感を読者がもつからである。
呉乞買も、斡本も、兀朮も、みんな熟女真。
撻懶と斡離不は、遠方で生活する第二種熟女真。
のちに彼らのいた地方では、生女真と熟女真を区別しなかったということに変更された。
それもこれも、撻懶を紹介するときに、撻懶は「熟女真の巨頭」とうっかり口を滑らせたからだ。
ちなみに、同じ箇所で、完顔成は「生女真の巨頭」だった。
主君の阿骨打が熟女真なのに、完顔成は阿骨打と上手くやってゆけたのだな。エライ。
昭和30年代の映画黄金時代って、映画が量産されていたため、脚本執筆に時間をかけられず、
不備が多いんだよな。それらの不備を突っ込みながら、鑑賞するのも楽しい。
いま俺は、楊令伝で、同じ楽しみを味わっている。父ちゃん。俺はいま、最高に感動している。
孟康
旧版では、李媛とのからみで登場したな。
一度出しておけば、義理は果たした、あとは放置しておいても文句はあるまいということで、
それ以来、ずっと安牌扱いされている。
新版では、方臘戦に参陣した馬麟、鮑旭、水軍のための兵站を担当する。
生き残りキャラの中で、原典で石宝に殺されたのが、馬麟、鮑旭、阮小二、孟康であることは
繰り返し述べた。
北方水滸伝(少なくとも前半)が高く評価されたのは、原典のエピソードを残しつつ、巧みに
原典を再構成したからである。原典で石宝に殺された好漢を、どのようにして楊令伝でも石宝
に殺されるようにするかを考えるのが、プロというものである。
>>253 つい最近まで、幻王がどうして熟女真を皆殺しにしたかを熱く語っておられたよな。
生女真が遼に叛乱を起こせば、同じ民族である熟女真は、契丹ではなく、生女真につくと
思っていたのが、阿骨打の誤算だった。そこで、幻王による皆殺しが行われた。
しかし、阿骨打の誤算は、みずからが熟女真であることに気づかなかったことなのであった。
耶律越里
青蓮寺の陰謀によって梁山泊を離れたというネタばれを、どこかのブログで読んだ。
斡離不と親戚設定にされたが、何の役にもたたない無駄な種まきであることは、
いつものとおり。
新版では、存在そのものが削除される。契丹との混血で名前も契丹人特有の「耶律」
であることが紛らわしい。
俺が読んだ範囲では、まったく必要のないキャラだった。まあ、そんなのが数十人いるわけだがww
女真軍で闘う梁山泊系キャラは、楊令、カク瑾、張平、史進、鄭応、董進、班光、蘇h
まあ、場合によっては、鄭応、董進、蘇hは、不要になるかもしれないがな。
蘇端は出してもいいだろう。皇甫端の牧場の100人テーブルは爆笑ネタなんで
新版でも外せないよ。
旧版では、皇甫端の牧場から楊令が馬を選んで女真へ連れて行ったが、
楊令は梁山泊の人間じゃないのだから、勝手に馬を盗まないでくれ。
むしろ、女真の優秀な馬を、同盟国の誼として、皇甫端の牧場へ送るという話にした方が自然だ。
元々梁山泊は女真から馬を買っていたのだからな。
楊令
第2巻の幻王の性格のまま、靖康の変まで突っ走る。梁山泊の兵は、楊令を蛇蠍のように嫌うので、
楊令の戦闘力に期待した呉用ら首脳部は、楊令の梁山泊復帰の計画を断念。
楊令は女真の幻王のまま闘いを続ける。
史実の金国の宋進攻の一方の大将となる。童貫との戦闘シーンを望むならば、太原府ルートを進攻
した粘罕の代役ということになろう。粘罕は旧版でも、文官だった。
>>256 「楊令殿、すごい」にくらべれば、たいしたことない。
羅辰
侯真が黒騎兵にいる間から、公孫勝とともに致死軍で活動していたので、侯真に追い抜かれた
形になり、実力をもちながらも過少評価されるという、面白くない展開になった。
侯真に迫る実力者であることをアピールするには、侯真を黒騎兵に入れるべきではなく、公孫勝
が隊長をしている間に、その部下として、羅辰と侯真を並立させるのがベター。
致死軍はまだ兵力僅少だった頃の初期梁山泊においては、一軍に匹敵する活躍をする闇の軍団
だったが、徐々に存在感を薄めてゆき、現在は間者との違いすら明確ではない。
新版の梁山泊は三万前後の少数精鋭なので、致死軍は、水滸伝初期と同様、大活躍する。
青蓮寺との闘争に明け暮れているという誤魔化しで、致死軍の登場場面を減らすのはよくない。
繰り返しになるが、邵房殺しのような糞面白くもないエピソードはやめたほうがいい。
後付けで邵房が青蓮寺の二重スパイであったという言い訳があったが、そのような邵房を致死軍に
入れていたという管理の甘さが問われ、致死軍の面目丸つぶれである。
邵房を致死軍に入れたのは、兵の選別がお得意な陳娥のおばさんの眼力じゃないのかw?
切腹ものだなww
李英
旧版では、花飛麟、穆凌に続く新加入二世の3番手だった。花飛麟には子午山行きというエピが
あったが、穆凌にはなく、李英になると16歳でいきなり将校に抜擢されつつ、登場しないという
異常な状態が長く続いた。これでキャラが立つわけがない。その後、過剰に競争意識を剥き出し
にする性格で、仲間と協調できないことが明らかになる。
ところが今度は、そんなやつがどうして16歳という梁山泊史上最年少の上級将校になれたのか
という疑問が発生する。
新版では、はじめは陳夫人という名だった王、や李媛とともに、長く市井で暮らす。彼ら三人が、
子午山から逃げてきた秦容と郤妁の保護者になるという展開でもよい。
ある程度成長するまでは、飛脚通信網の一拠点を任されて、そこで王黼の重税に苦しめられる民衆
の姿をレポートしたり、他の事件に巻き込まれたり、波乱万丈の入山前エピソードが用意されている。
なんのエピソードもなく梁山泊に入山させ、入山したとたんに台詞もないまま家族三人がバラバラに
される。前作に比べると、家族のシーンが皆無に等しい梁山泊なのに、せっかくの家族シーンを描く
チャンスを逃してしまったな。下手な出し方だと思った。とにかく将校を増やすことを急ぎすぎた。
反対に李富に家族が出来たりする。そもそも家族のいるキャラというのは、読者が感情移入しやすい。
高Qや王黼の家族が描かれないのは、彼らに感情移入してもらっては困るからじゃないか?
子午山のような擬似家族ではなく、本物の家族が登場する好漢が多かったから、水滸伝では、読者
は梁山泊に感情移入しやすかったのではなかろうか?
李英は、相応の年齢に達すると梁山泊の兵にり、十分な経験を積んでから将校になる。当たり前のこと。
“心の故郷子午山”という設定は、ほんと糞だったな。
梁山泊には十万も兵がいる。それぞれの本物の故郷を描けばいいじゃないか?
インスタントに、故郷回想シーンは、すべて子午山で代表させてしまった。安易すぎる。
どうして人工的故郷にすぎない子午山にこだわる必要があるのだろう。
一日一時間の稽古で、あとは焼物だけしていれば、武術が格段に上達するというのも、
マンガ的すぎた。その後のシーンで、童貫戦が終ったばかりなのに、厳しい調練をしている
幻王軍を出し、「この調練量が強い軍隊を作るのだな」と感心したのと整合しない。
李媛
そんなに才能があるようでもなかった。カク瑾と荀響の三角関係も、タネを撒いただけで中断。
出した意味のないキャラだった。新版では、単なる李英の姉として登場する。軍人になる必要なし。
また、新版では、楊令が小さな梁山泊を作るという馬鹿な話はなくなるので、李媛と楊令の争い
もない。顧大嫂に嬲られるシーンもない。そもそも顧大嫂は、杜興酒場で働き、梁山泊には一切
出入禁止。
李媛は、軍人に見えなかったな。荀響よりも能力が高いとも思えない。
売り出したい新人タレントに躰を売らせてドラマに放り込んだみたいだ。
視聴者は、まったく演技ができない新人タレントに失笑、爆笑wwwww
李俊
水軍一般の話が多くなると思う。
続編でも、水軍への目配りはできていなかった。もっとも、楊令伝は水軍だけではなく、
数多い登場人物の7割方に対して目配りができていないので、驚くことでもないがな。
実際に稼動している人物は3割にすぎず、その多くが梁山泊以外の人物だ。
洞庭山を本拠地にした時期があった。兵力の不足を方臘の乱で補うつもりかと思った。
それでもよかった。あの時期の梁山泊が単独で童貫軍と闘えるはずもない。
方臘が童貫と闘うのなら、同盟はなくても童貫軍を攻撃し、あるいは兵站線を荒らし、
方臘軍に有利に取り計らう作戦はあってもよかった。
まかりまりがっても、方臘軍が勝つことはないだろう。仮に勝ったとしても、怖い敵ではない。
新版では、梁山泊水軍は洞庭山を拠点として、方臘軍に参加する。
もっとも大切なことを言い忘れていた。
新版ではドウカン・ファイトはない。完全に1頁残らず削除される。
ドウカン・ファイトで行われた内容は、方臘戦、燕京戦、
金の宋進攻戦の三つに分散される。
もっとも水軍はドウカン・ファイトでは何もしていないので、分散させようもないがな。
李立
まず、李立の妻を出せ。それから、子どもの有無を明確にしろ。
話はそれからだ。
第1巻では、李立・盛栄というマイナー・キャラの再会シーンがあって、期待させたがな。
孟康もそうだが、つい忘れやすい兵站担当のマイナー・キャラ
を忘れないうちに書いておき、後は一切無視する作戦にすぎなかったな。
李立は、美味い魚料理を出す峠の料理屋だったんだよな。
あの場面に李立の妻は登場していなかったから、料理は李立が作るのだろう。
無駄な食い物ネタをやっている暇があったら、李立に魚料理を作らせ、まだ楽しかった頃の
水滸伝の読者の記憶を喚起した方が得策だと思うがな。
衛政
このあたりの将軍になるにはまだまだ時間がかかるが、武術自慢の中堅将校は、もっと大切
にした方がいい。戦闘シーンで実際に活躍すべきなのは、童貫などではなくて、こういうキャラ
なのだ。梁山泊の史進クラスの豪傑にしてもよかった。
水滸伝〜楊令伝を読んでいて不満なのは、統率力と戦闘力が比例しているところだ。将器は
小さいが戦闘能力は高いというキャラが少ない。
統率力抜群の童貫が戦闘力も最高では、面白くない。
というかこの二つを比例させていたのでは、キャラの書き分けすら難しくならないか?
実際、楊令伝はそのような小説になってしまった。
統率力の高い低い、戦闘力の高い低いを組み合わせると、それだけで4種類のタイプの軍人
が作れるぞ。楊令伝は、2種類だろう。
童貫軍の将軍数が少なくなったときに、衛政と寇亮を、そのリリーフに使ったのは、何度も
いわれてきたが、まずかったな。
投手を全部使ってしまったので、捕手をリリーフ投手にするようなものだ。名前つきキャラ
を限定し、それらを使いまわすだけで、すべてを賄おうというやり方はまずかった。
どうせオリキャラなんか名前を覚えるまでの活躍をしないのだから、ジャンジャン名前だけは
出せばよかったんだ。
大軍が大軍に見えなくなってしまう。名前を覚えきれないほど将軍がいるんだ、と読者に思って
もらった方が大軍に見えるぞ。また、オリキャラなんで名前を覚えても一銭の得にもならんから、
最初からオリキャラの名前を覚える気持ちもないしな。
/\___/\
/ / ヽ ::: \
| (●), 、(●)、 |
| ,,ノ(、_, )ヽ、,, |
| ,;‐=‐ヽ .:::::| オリキャラの名前を覚えても一銭の得にもなりませんから、
\ `ニニ´ .:::/ NO THANK YOU
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ヽ ,イ ヽ :イ
>>279 ドウカン・ファイトが不要なのがわからないというところで、まったくセンスが違うんだよな。
楊令と童貫の二人を持ち上げて、「天才どうしの闘いを見てみたい」と思う人がいるのかな?
こんなにたくさんの登場人物がいるにもかかわらず、二人だけにスポットを当てるのが、
面白くないと思う人の方が多いと思うのだけど。
ほんとうにこの一戦で宋の命運が決まってしまうとしたら、児童向けマンガに堕してしまう
と俺なんかは思ってしまう。実際、そう思った。くそつまらん楊令伝を象徴するつまらん
闘いがドウカン・ファイトだった。
>>283 4種類ではなく、無限に軍人キャラを作り出せるだろう。統率力と戦闘力を数値化すれば。
加えて、作戦力、政治力、魅力も数値化する。
統率力 85
戦闘力 90
作戦力 65
政治力 55
魅 力 85
というようにキャラそれぞれについて能力値を決めておいて一覧表にしておく。
馬麟と李明が闘うとすれば、両者の数値表を見比べることで、戦の様相も浮かんでくる。
「花飛麟は、梁山泊軍の岳飛というところですかな」という大雑把な能力表で、何ができるんだ?
王慶
王黼の弟という設定で、燕京戦の頃登場したんだっけ?花飛麟に討たれたんだったかな?
忘れた。
呂方を呂将軍の子どもという設定にして以来、調子こいて、こればかりやっている気がする。
こういうのを原典の再構成として、評論家や読者が高い評価をしたとでも思っておられるのだろうか?
単なる洒落なんで、二度も三度もやると失笑を買うだけだろう?
まあオヤジなんで仕方ないがな。
劉彦宗 - 韓伯竜 ・・・ 師弟
韓世忠 - 韓伯竜 ・・・ 兄弟
斡離不 - 耶律越里 ・・・ 従兄弟
あまりたくさんやると笑われますよww
王黼
高Qが張藍にした仕打ち。これが読者が梁山泊に感情移入する上で、どれだけ大きな効果を
もっていたのかを、作者は過少評価しているような気がしてならない。
そのうち、腐敗していると言われていた宋の役人・軍人が、青蓮寺と童貫軍の登場で、腐敗して
いないことに変更された。変更したなら、続編は書くべきではなかった。一回で終らないと、
梁山泊の目標がなくなる。腐敗していない青蓮寺と禁軍が梁山泊を倒せば、彼らが宋の中心
勢力となって、腐敗が蔓延る余地がない。
それがあるから、幻王に殺戮・掠奪をやらせたわけでもないんだろうが、とにかく理解しにくい
小説だった。ひとことで言うと、中二病の背伸びにしか見えなかった。
青蓮寺や童貫軍ですら、どうにもできない宋の腐敗というところを描いていかないと、物語の統一性はない。
そのためには、青蓮寺や禁軍でも、一掃できない腐敗廷臣の強さというところも描かなければダメじゃ
ないかな?ただ廷臣を阿呆扱いして、殺そうと思えば青蓮寺はいつでも殺せるようでは、どうして
腐敗廷臣が蔓延るのか説明できまい。
王黼と高Qには、続編でも頑張ってもらいたかった。悪役がいてこそ、正義の味方は物語の中に
棲息しうる。彼らが頑張らないと、梁山泊に感情移入できないよ。
楊令伝が失敗というよりも、水滸伝の中盤以降、腐敗していない青蓮寺と禁軍ばかりにスポットを
当てたところから失敗の芽が育っていたんだね。
青蓮寺と禁軍が宋の中心、しまいにゃ宋の柱石と呼ばれていたが、そうすると腐敗と
闘っていた梁山泊は、大いなる事実誤認をしていたことになり、物語が成立しなくなる。
腐敗は描きつづけなければならないし、梁山泊の関係者も腐敗の被害者にならなければならん。
幻王に殺戮・掠奪をさせて、善悪を転倒し、それで「民のための国を作る」なんてほざいていたのでは、
理解できんでしょう?
岳飛
楊令に人気がないので、楊令伝の中盤以降、この人に加重な負担がのしかかり、
無意味な民の虐殺までやらされ、潰れてしまったキャラ。興味なし。
岳家軍に次々に入ってくる新キャラのあまりの数の多さにうんざりして、楊令伝を
読みつづけることをやめた人も多いのではないか?
俺も、最初に覚える気力を失ったのが、岳飛の妻になった女が多数連れてきた
ガキの名前。このあたりから、読んで面白くないのではなく、読む気がしなくなった。
軻輔の名前は覚えたが、その仲間が二人ぐらいいたな。岳飛の妻とどっちが先に登場したか
忘れたが、そのあたりから俺は覚えられなかったな。
羌肆
興味なし。赫元との役割分担も不明確。
優秀な官僚集団の青蓮寺は、まったく描かれなくなった。描かれたとしても、とても優秀とは
思えないような描写が続いた。優秀な人材を描写するのが苦手というわけでもあるまいが、
暗殺集団の青蓮寺ばかりが登場したな。
羌肆が生きているのか、死んでいるのかも、忘れた。
どういう使命を果たすために致死軍と闘っているのかが明らかにされないまま、慢性的に致死軍
との闘争がダラダラ続いていたようにしか思えない。
青蓮寺の軍は廃止してもよかったな。
水滸伝の3巻で、李富と安丘を旅していた王和が、地方軍の半数を殺した。あれが青蓮寺の軍の
正しいあり方です。黄文炳や史文恭のようにひとりで動く手の者。あれが青蓮寺です。
梁山泊の劣化も甚だしいが、青蓮寺の劣化も、負けず劣らずであります。
これで物語が面白くなるはずがありません。
たしかに、黄文炳や史文恭のキャラの深さを思い出すと、楊令伝の人物は劣化というような
軽い言葉では表現できないぐらいに、激しくつまらなくなっているな。
高Q
この人が出てこない水滸伝が、水滸伝と言えるのだろうか?
吉良上野介が出てこない忠臣蔵みたいなもんだわな。
原典の高Qがお嫌いなのであれば、袁明役を高Qの名でやってもよかったしな。
297 :
無名草子さん:2010/03/20(土) 19:01:41
>>296 張藍手篭めのシーンは北方水滸伝にとって、最重要の場面なんで、
袁明と高Qは別人でなきゃダメでしょう?
どうでもいい新キャラ同士があだ名で呼び合った瞬間
誰が誰だかわかんなくなってしまった
名前すら覚えられないのに、あだ名が出てくると、混乱するばかりだわな。
あだ名があるから、新キャラに愛着が増すのではなくて、
キャラに愛着がわくと、あだ名まで欲しくなってくる。これが順序というもの。
原典キャラに比べてきわめて登場機会の少ないオリキャラのあだ名が嬉しい
読者って、いるのだろうか?
せっかく時間をかけてあだ名を考えてくれている作者には悪いと思うが、
混乱するだけなのよな。
読者:原典の好漢が、戦場であだ名で名乗りをあげるシーンはカッコいい。
原典の好漢が、お互いをあだ名で呼び合うシーンもカッコいい。
↓
作者:いっこうに人気の上がらないオリキャラが、戦場であだ名で名乗りをあげたり、
お互いをあだ名で呼び合うシーンがあれば、人気が出るのではあるまいか?
↓
読者:名前の記憶すら曖昧なのに、オリキャラがあだ名で呼び合うと、サッパリ誰だか
わからなくなった。
岳家軍の将校が量産されつつあるけど、ガクヒ・ファイトの準備だね。
楊令伝の戦というのは、戦死要員となるべきキャラを増やしていって、
戦場で大量に殺す以外には、盛り上げ方を知らないといった感じすらある。
水滸伝ラストで原典の好漢が大量に戦死していったのを、読者が一人
一人追悼してくれた嬉しい思い出が忘れられないんだろうね。
【楊令伝の戦】
事前に戦死要員となるべきキャラクターを増産する <準備>
↓
増産されたキャラクターが続々と戦死 <クライマックス>
↓
滅 亡 <終焉>
【オナニー】
事前にちんこを擦って勃起させる <準備>
↓
勃起していたチンコが射精する <クライマックス>
↓
萎える <終焉>
戦死するキャラを増やしておいて、戦場で大量死させるだけなんだよね。
戦というのは、それに尽きるのかね?
増やしておいた精子を大量死させるオナニーに酷似していて、なんかキモい戦なんだわな。
キャラが増産されない軍は、クライマックスの戦で活躍することはないというのが、
すぐにバレちゃうしな。
キャラ増産軍団の優秀性を表現する手段は、その頭領に対し「すごい、すごい」を
連発するだけだし。
. |::| | |_|,,,,,|.....|--|::| | .| .| |:::|
. |::| | |_|,,,,,|.....,;;;;;;;;;;;、‐''''''''""~~ ̄|:::|
|::| | |. | | {;;;;;;;;;;;;;;}.: . .: . : .. .: |:::|
|::| | | ̄| ̄| '::;;;;;;;;;::' . . :. . .: .: :|:::| 増産 増産
|::| | | ̄|,r''''"~ ""''ヽ. : .: .: ..|:::| すごい すごい
|::|,__!_--i' 'i,-――|:::| 大量死 大量死
|::|―-- | 'i,二二|:::|
|::|. ! i'> } . iュ |:::|
-''" ̄~~"",.`! ; _ノ _,...、|:::|
'i, `'i'''―--―''''i'ニ-'" ノ// ̄~""
ヽ.i' "' '''"'; _/ // _,,..i'"':,
===`ゝ_,.i、_ _,;..-'"_// |\`、: i'、
 ̄  ̄ ̄/,/ \\`_',..-i
/,/ \|_,..-┘
方臘の乱のように、将校ではない一般信者の大量死では、感銘を与えられなかったしな。
戦争ノン・フィクションの戦死者数のレポートみたいだった。
まあ、何人死ぬかよりも、誰がどのようにして死ぬかの方が重要。
この点、一人死んだだけの雷横の戦死のように、感動的なシーンもある。
水滸伝での大量死は、それまで丁寧なキャラ作りをしてきた原典の好漢が死んだから、感動的だった。
まあ、大急ぎで増産した楊令伝のオリキャラ将校の大量死は、
輸送途中の商品が、輸送船の難破によって全部売り物にならなくなったときの感傷しか
生じないような気がするな。
>>299 >原典キャラに比べてきわめて登場機会の少ないオリキャラのあだ名が嬉しい
>読者って、いるのだろうか?
俺は、スーパーで買って来た玉子パックの中の10個の玉子の一つ一つにあだ名を付けてから食べるよ。
もちろんM玉の話な。L玉は6個入りパックしか買わないから。
/ヾ
ゝイ丿
/ /
/ /
/ /
∧ ∧ / // ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
シコ ( ゚Д゚)、 / /< ひゃっほう!増やした精子を大量死させるぞ!
/ ヽ、 / / \______
シコ ( ) ゚ ゚/ヽ、/⊂//
\ ヽ、 ( /⊂//
\ ⌒つ /
(  ̄/ /
| |O○ \
| | \ \
| ) | )
/ / / /
/ / ∪
∪
309 :
無名草子さん:2010/03/21(日) 21:20:55
気持ち悪いAAを書き込むな
自演野郎
310 :
無名草子さん:2010/03/21(日) 21:24:24
ここで毎日多量の自演書き込みをしているヤツは
司馬遼太郎スレも占領しようとして、問題行動を起こしまくっているんだけど
いい加減にしろよ
311 :
無名草子さん:2010/03/21(日) 21:54:32
2ch歴が半年くらいでモリポタ持っていないので、このスレで延々と続いている自作自演がいつ頃始まったのか
知らないんですが、だれかご存知ありませんか
延々と自演を続けている基地外氏ね
大体、人が書いた小説を気に入らないから俺の脳内設定を聞けって幼稚過ぎる
取り上げる内容から言っても五十前後だろうに馬鹿じゃないのwwwwwww
毎日原稿用紙十枚どころの量じゃ済まないな
でもそんなことしても周りが気味悪がるだけ
315 :
無名草子さん:2010/03/21(日) 22:54:28
他にもいくらでもあるが、
>>272-273のやり取りなんて間が70秒くらいしかない
ただでさえレスポンスの遅い一般書籍板で11行もある文章を読んで
別に2行レスを書くなんて人間の出きることじゃない
このスレは前から、この手の自作自演ばっかり
ここで吉が、延々と自演しててキモいって色んなところで話題にさせてもらうわ
いっそこの板に単発スレ立てようか
「楊令伝スレの自演がキモいことについて」とか
毎日毎日楊令伝は手抜きだ同じ話ばっかりだ
楊令伝は手抜きだ同じ話ばっかりだ
自分が同じ話ばっかじゃんwww
ばかか
おまいらは、ほんと下ネタが好きなんだなw
公順
水滸伝で登場した呼延灼の副官程順に名前が似ていることもありイメージが完全にダブった。
衛政同様、このクラスが豪傑タイプとして活躍してくれれば面白くなったと思う。
>>304 「すごい」はまだ軽いからシャレになるが、楊令と童貫だけを天才にして別枠で扱ったのは
失敗だと思う。あとから登場する新キャラに期待をもてなくなってしまうのな。実際、楊令と
童貫の神格性を際立たせるために、他のキャラの実力は神経質なまでに抑えられていた。
戦の始まる前は、政治家・外交官・中央の参謀本部の武人が活躍し、実戦になるとそれまで
名前の出ていなかった中堅クラスの将校が颯爽と登場し大活躍するような小説を読みたかった。
あとから登場する新キャラは常に楊令と童貫という漬物石に抑えつけられているようなのばっかりで、
出た瞬間に期待できないのな。
鄭天寿は急成長した後に戦死した。
地味だった楊春も、着実に成長した。
こうでなければ面白くはない。
すべては楊令殿がいなかったから出来たことだと思う。
侯蒙
楊令伝の中では比較的好感のもてたキャラ。途中でプッツリ消えてしまったのが残念だ。
水滸伝では戦闘シーンの描写は最低限にとどめ、戦の全貌や、戦の位置づけ、戦後の
両軍が被った損害等の事情は、青蓮寺の会議で語られていた。諜報機関ということもあり、
公平で正確な分析をするので、実質的には作者視点の代弁者として登場しており、作者の
視点の出せないこの小説において重要な役割を果していた。
前作の青蓮寺の会議に代替する機能を果たしていたのが、童貫と侯蒙の会話シーン。
とくにこの先この物語がどのように展開してゆくのかについての予想が的確なのが、この
二人の会話シーンしかなかった。
女真の力を利用して宋を倒すといった楊令の予測はデタラメだったし、李富の方臘についての
評価もデタラメ。読んでいるこちらは混乱するばかりで、頭の中をまったく整理できなかった。
原典でも史実でも童貫が飛び抜けた天才というわけじゃない。楊令は架空の人物。
趙安の台詞「天才の闘いを見てみたい」というのは、俺様が天才の闘いを書く、とうことに
他ならない。ドウカン・ファイトが嫌われる原因は、これじゃないかな。
現代の読者が読んで面白いと思うのは、原典の翻訳よりも、北方水滸伝であるのは
多数意見じゃないかな。実際、俺も翻訳は一回しか読まなかったが、北方水滸伝は
何度か読んだ。
しかし、原典の翻訳よりも面白い北方水滸伝を書いた俺様の書く続編だから、そこに
登場するオリキャラまでが、原典のキャラクターよりも面白いということにはならない。
名前すら初めて見る新オリキャラなんだから、原典のキャラ以上に詳細なプロフィール
を準備してキャラ立ちさせないと、普通おもしろくはならん。
古典の生命というのは数百年に及ぶものもあり、現実世界で年長者がそれなりの敬意
を払われるのと同様に、古典も敬意を払われる。数百年の寿命をもった古典ともなると、
人間の寿命よりも長いわけで、神に近い。実際に読んでみると全然面白くない古典という
のも多いが、それでも後世の人間から敬意を払われる。現実世界の年長者を肚の中では
軽蔑しつつも表面だけは敬意を払うのと同様でな。
そうような敬意を払われる古典の登場人物の存在感というのは、一作家が量産するオリキャラ
と比べることすら傲慢というもの。
なんとなくそのあたりに勘違いがあるような楊令伝のオリキャラたちであったな。
北方水滸伝の梁山泊側のキャラは、それなりに敬意を払われていたろ。
ところが、童貫とその部下を除く敵側のキャラは、ことごとく馬鹿にされていた感じ。
高キュウだけでなく祝家荘の連中もそう。
楊令伝になると、梁山泊の原典キャラも、馬鹿にされた感じ。それだけでなく、新登場
のオリキャラの魅力も意識的に抑えられる。楊令ひとりが持ち上げられていたが、
別に天才だとも思えなかった。
実際、楊令がやった戦で、水滸伝時代を上回る面白い戦は、ひとつもなかった。
>>324 小説に登場する歴史上の人物についても、古典の登場人物と同じことが言えるよね。
普通の人が死んでも、覚えていてくれるのは、孫ぐらいまで。
何百年も前に死んだ歴史上の人物について、赤の他人である後世の人間が関心を
もってくれるということは、それはすごいこと。
後世の作家は、歴史上の人物には一定の敬意を払うべき。小説はフィクションであるし、
残された史料が人物の正確な人間像を再現しているわけでもないから、古い時代に
遡れば遡るほど作者の裁量は拡がるが、動かすことはできない事実というものもある。
史書の中から恣意的に名前だけを借用し、デタラメを書くことまでが許されるのだろうか
と思うってしまう。劉彦宗などがその典型。こういう人物を描くためにこそオリキャラ登場
の必要が生じてくるのではあるまいか?
>史書の中から恣意的に名前だけを借用し、デタラメを書くことまでが許されるのだろうか
中国では許される。外国のアニメの中から恣意的にキャラクターを借用し、デタラメにグッズを
作って販売している。
寇亮
童貫が領内視察の旅に出た際の臨時の副官なので、階級でいえば少佐以下だろう。
もうすぐ少将になる大佐には見えなかった。若かそうだったしな。
このクラスの将校であれば、二十万禁軍には、腐るほどいるはず。
戦が進展して将軍クラスが減っていくと、寇亮を軍団長に臨時採用したが、こういうことは
厳に避けなければならない。
小説の登場人物に二種類ある。登場以後容易に消えないキャラと、その場限りのキャラだ。
寇亮はその場限りのキャラにしておけば十分だった。禁軍に将軍は少数しかいないが、少佐
となると何十倍もいると思う。これをいきなり将軍格で扱ってはならない。
水滸伝は、わりと思い切りよく、その場限りのキャラを登場させていたのだが、楊令伝では、
どのキャラに関しても、登場以降は容易に消えないことを原則としていた。寇亮のように、初登場の
場面では、とても将軍になれそうにないタイプまで、キャラが不足すると平気で将軍格にして
しまう。顧大嫂の裁判官や、曹正の調練担当、陳娥の兵選別役などもそうだ。許定や唐昇の
長い長い使いまわしは、正直いって飽きた。ウザかった。
孫安や馬霊のように、とりあえずは用のないキャラでも、各部隊に配属される将校は二名と
決まると、名前だけは早くから出しておいて、半永久的に何もさせないというキャラもいた。
その他、各部隊に二名配属されていた将校には、この手のキャラが多い。
それに引きかえ、裁判官や調練や兵の選別のような重要な役職を、余っているキャラで賄う
という神経には付いていけなかったな。とても適役だとは思えないし、とりようによっては
ふざけているとしか思えない。16歳で将校にした李英などもな。
蔡京
聞煥章が蔡京に面会したあたりまでが蔡京の人間時代で、それ以降はゴミ扱い。
水滸伝序盤の林冲の台詞によると、蔡京を倒すことが梁山泊の究極の目標で
あり、高Qや童貫は蔡京の走狗にすぎないという位置づけだった。
梁山泊側は青蓮寺をも蔡京が操っていると見ていた。袁明登場により、必ずしも
そうではないことが判明したが、それでも袁明と蔡京の緊張感あふれる相互の警戒ぶり
を読んでいると、水滸伝前半は大人の読書に耐えうる作品だったのだと思う。
この蔡京の凋落と水滸伝シリーズの面白さの凋落とは、見事に軌を一にしている。
青蓮寺と禁軍の重要性が高まるにつれて、蔡京をはじめとする廷臣の盲腸化が進展。
いまでも宋の廷臣というのは、何のために存在したのか理解できないでいる。
南宋建国を実務に長じた青蓮寺が主導することに異論はないが、李富が南宋建国の
フィクサーとして権力を独占することには抵抗がある。宗沢や李綱はもっと活躍しても
よかったと思う。
なお、新版では、張邦昌や劉豫等の反青蓮寺派の官僚が、梁山泊や金国と合同して、
華北に新国家を建国する。
待ち続けた。
肥溜めの周囲は、たえず兵が巡回していた。
肥溜めに入って、二日になる。敵兵が近づいてきた時は、糞尿に潜った。細い竹の、節を抜いた
ものを持っていて、それを水面に出して息を継ぐ。張順は三日三晩、水面に出てこなかった。すごい
楊令殿なら、七日七晩は肥溜めの中に潜っていられると、聚義庁でおだてられた。やってみることにした。
敵兵が近づいてきた。楊令は竹の筒を水面に出して、肥溜めに潜った。
「うぐっ」
香ばしい液体が、楊令の口腔を満たした。竹の筒の先が、水面に達しなかったらしい。
徐史
税を納めなかった荘の民を皆殺しにした後の徐史と孫範の会話シーンは、軻輔の「火を放って
いないので皆殺しをしたつもりになっているだけ」に負けず劣らずの糞シーン。
それ以外には、とくに印象に残っている徐史のシーンは、申し訳ないが、俺には無し。
史書に登場する岳飛には、創業以来の仲間で、広く後世に名前を周知されている有名キャラが
いるのであるから、オリキャラを出す必要はなかったと思う。義経登場の小説で、あえて弁慶を
出さないようなもの。もったいない。
最初は孫範が村の民の皆殺しを進言した。岳飛は言語道断と孫範の進言を一蹴した。
その後、岳飛は孫範が皆殺しにしようと進言した村ではない他の荘を皆殺しにする決断をした。
皆殺しの後で、
「荘をひとつ、皆殺しにするなんていう決定は、俺らが立入ることができないところで、されたことだ。
岳飛殿がそれを決める時、孤独だった」
この徐史の台詞は、笑うところなんでしょう?
「楊令殿。熟女真の村を襲い、罪のない民を皆殺しにされるのは、爾後一切やめられよ」
斡離不が、馬を近づけてきて、言った。
「斡離不殿。わたくしが熟女真の村を一つ殺し尽くしたことによって、その後の熟女真の反抗の
力が、著しく弱まっております。力の誇示こそ、権力の証し。それによって、無益に殺されてゆく
民の数が少なくなるのであれば、一つの村を殺し尽くす幻王の闘いに、過ちはないと思います」
田舎者の女真族に、権力とは何かを教えてやろうと思っていたのに、田舎者に反論されて、楊令
は不機嫌になった。
「お若いのう、楊令殿。領内の民は、殺すものではなく、育んでやるものですぞ」
「斡離不殿の考えは、民を甘やかすものにすぎません」
「たしかに、甘やかしはよくない。しかしながら、楊令殿は梁山泊の叛乱がいかにして生じたかを
ご存知なくはあるまい。なるほど一村の民を皆殺しにすれば、二年や三年は民はおとなしくして
おろう。だが、それがいつまで保つ。父親を殺された魯智深殿、兄者を殺された曹正殿ら梁山泊の
方々が立ち上がって、宋の禁軍と闘うまでに成長した。女真の国内でも、叛乱が生じぬと、誰が
保障できるのです」
「この幻王が女真にある限り、民の叛乱は起きません」
「たいした自信ですな。しかし、これは父である大金国皇帝陛下の命であります。熟女真の村で
殺戮や掠奪を働くことは、お控えめされよ」
「いやです」
「まだ、わからぬのか、小僧!われらは、熟女真じゃ!やめろと言ったら、やめんか!この、基地外!」
孫範
徐史のところで述べたことに、ほぼ尽きる。
ひとつ付け加えると、徐史も孫範も、いつまで経っても子どもにしか見えなかった。
孫範は岳家軍の民政を総覧する立場で、水滸伝3巻の呉用と同じ立場だ。
しかし、水滸伝3巻の呉用の描写の深さに比べると、孫範はいかにもインスタント
な印象しかなかった。
孫範は、中学校の文化祭の劇に登場する市長さん役の中学生みたいだったな。
司馬遼太郎をあれこれ語る 27巻目
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1265199241/332 332 名前:無名草子さん[sage] 投稿日:2010/03/22(月) 16:21:59
今スレでも下のように平日の昼間から自演認定しているから
自演認定池沼がニートだという推測は当たっていると思う
夜も自演認定はしているから深夜業でもなさそう
仕事でも学生でも11時頃に休憩はまずありえない
24 :無名草子さん:2010/02/04(木) 11:25:23
>>22-23 27巻初自演乙
27 :無名草子さん:2010/02/04(木) 11:44:03
>>25-26 連投乙
他にもこんなのもある
同じく平日で時間帯も近いことから考えて同一人物の可能性が高い
つまりコピペ爆撃もこいつが犯人
203 :無名草子さん:2010/03/17(水) 10:56:03
有りもしない物の話しを妄想で延々と語る症状は何ていう病気?
204 :無名草子さん:2010/03/17(水) 11:04:32
やっぱ、変なのが張り付いて、イチャモン言う相手を待ってるよ
俺もウンザリするから書き込みやめちゃったんだけど
なんでそんなにこのスレッドを監視するのが好きなの?
それより、自分から書き込みしようと思わないの
司馬遼太郎をあれこれ語る 27巻目
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1265199241/333 333 名前:無名草子さん[sage] 投稿日:2010/03/22(月) 16:38:44
なるほど、つまり犯人は無職で2ちゃん用語しか使えない小卒程度の知能を持つひきこもり
親も見放して早く○んで欲しがっているようだと
以前から確かに、平日の午前中でも自演認定は多かった
定年退職後の老人などなら2ちゃん語だけしか使えないということもあるまい
なんという完璧な推理だ。間違いない!!
そいつは絶対ひきこもりで人間のクズだ!!!!!!!
自演のオッサンが貼ったか、ニートのクズが貼ったか
どちらにせよ1月ごろの司馬スレ見るとこの二人のゴミみたいな書き込みしかなかった
趙安
これも長く使いすぎた。水滸伝のラストで、花栄と相打ちで死んでいれば、楊令伝で恥を晒すこともなかった。
楊令伝まで生き残るということは、登場するキャラにとっては、恥を晒すということでしかない。
なんか楊令伝が始まった頃にあった対談内容のようだが(北方氏は必ずしもそうではないような口ぶりだった
が)、そういう意味ではなくて、楊令伝がもう少し魅力的な物語であれば、前作から引き続き登場している
キャラも、魅力的になっていたろうという意味な。
ドウカン・ファイト最中の、趙安の「天才の闘いを見てみたい」、馬麟の「童貫を倒すのは楊令の役割」。
この二つの台詞で、ドウカン・ファイトは一気に魅力を喪失した。
しかし、趙安には名場面もある。燕京戦で終盤に出陣した高Qに噛み付く場面だ。やっぱり、こういうのを
読者は望んでいたのであろう。
腐敗した宋を打倒する物語から、善悪には関係のない“闘う美しい武人”の物語に変質してしまった。
変質するのはいいのだが、両軍の“美しい武人たち”が闘い、両者が傷つくことによって、最終的には
腐敗した廷臣たちが漁夫の利を得るという構造になっていれば我慢できた。しかし、そういう構造にも
なっていない。腐敗した廷臣たちは漁夫の利も得ない代わりに、滅亡もしない。清廉潔癖な役人・軍人も
宋国内で支配的な地位を占めるわけではない。
いったいどういう物語なんだ?疑問が残るばかりである。
すばる最新号を立ち読みしてきた。
いまでも、宋江梁山泊は宋を倒すことまでしか考えていなかった。
倒した後の新しい国をどうするかは、楊令殿が初めて考えた。
楊令殿、すごいが続いていた。わろた。
それから、花飛麟が梁山泊軍の総大将になったんだな。
楊令はこころおきなく死んでくれw
陳ショ
陳ショ、李明、劉譲、葉超の四人は区別できない。
陳ショ、李明の方が先輩なのに、劉譲、葉超に追い抜かれたということは、
陳ショ、李明は、ヘボだったということにしかならない。
陳ショは19巻ラストで楊令が梁山湖に飛び込む場面に出てくるな。
わずかな登場場面なんだけど、それなりに風格を感じさせた。
なんか、楊令伝の童貫軍の将軍は、前作から引き続き登場している人物が四人もいたのに、
別人のように普通の人になってしまったな。
337 :無名草子さん:2010/03/22(月) 17:20:33
もう現実に同じヤツがマッチポンプで自演と自演認定繰り替えしているか
マッチポンプでないが二人の引きこもりが自演と自演認定をやっているかのどちらかじゃん
どっちだよ
前者ならまだマシだが、後者なら頭が本当におかしい奴の仕業としか思えないな
本人なんだから完璧には無理でも、少しは弁護できるだろ
できないのなら、一人で自演一人で自演認定を繰り替えしていたことになるなww
人が寄り付かないようにするためか?
前からそういう書き込みは多かったよな
童貫
劣化した。老化による体力低下で悩む童貫にした方が、まだましだった。
呼延灼のように童貫よりも10歳以上若い梁山泊キャラが老化で悩んでいるのに、
童貫にそれがなかったのは、異様な感じがした。
童貫については、他の箇所で散々書いた。ここでは重複をさける。
>>345 >マッチポンプでないが二人の引きこもりが自演と自演認定をやっている
こっち。ただし、俺は最近、司馬スレには行ったことがない。
ただし、自演認定の奴は、ほとんど間違えて認定しているんだけどなw
まあ本当なら二度といかない方がいい、基地外は伝染ると他の人に警告された
俺も今日でやめる
それとこのやりとり向こうのスレにコピーするから
>>345 俺は、他の掲示板の工作員ではない。
人が寄り付かないようにするために、荒らしているのでもない。
良質な大衆小説の発展を望んでいる者だ。
わずかな時間があれば調べられる自作内部での矛盾が放置されるような小説は、
良質な大衆小説の発展を阻害するものだ。
あるいは、そのようなハード・スケジュールの下でしか作家稼業が続けられないのだと
すれば、その環境を改善すべきではないかと思っている。
しかし、俺は宋を倒すことしか考えていない。
その後に出来る新しい国についての構想は白紙だ。
畢勝
こいつが死んでから、童貫軍の重量感が低下したな。
方臘戦での戦死が、意義のあるものだとも思えなかった。
陳ショか李明を殺せば足りたんでねぇ?
梁山泊が参加していない方臘戦の一部始終を描写する必要があったのかすら疑問だな。
新版では、梁山泊の水軍、馬麟、鮑旭が、方臘戦で闘う。
当然、描写の中心は、梁山泊軍の闘いとなる。
夜中に、扉を叩く音が聴こえた。呉用は、隣りで寝ている蒼香を起こさぬように、静かに衣服を着け、
寝台を下りた。扉の外に、孟康が立っていた。
「なにごとじゃ、孟康?」
「申し訳ございませぬ、呉用殿。われらの方臘軍からの脱出経路を指示した梁山泊が密書が、本日
届くことはご存知でしたか?」
孟康がしゃべり終わる前に、呉用はすべてを悟った。水滸伝の登場人物は、打てば響くように、物事
の成り行きを悟ったものだ。楊令伝の登場人物のように、十数行使ってダラダラ会話しないと、物事
を悟れないような阿呆は、ひとりもいなかった。
「密書を誰に盗まれた?それとも張横の飛脚が、どこぞに落としたか?拾ったのは、石宝か?婁敏中か?
石宝なら、きわめてまずい。お前と馬麟、鮑旭、阮小二は、石宝に殺されてしまう。すぐに逃げろ」
孟康は、きょとんとした顔で、呉用を見つめていた。しかし、覆面で隠された呉用の表情は、見えない。
「呉用殿。これがその密書です」
孟康は、梁山泊からの密書を、呉用に差し出した。
聞煥章
扈三娘の面影をもつ扈成とホモになった方が、変態ぶりをアピールできたと思うが、それはそれで
キモいな。
燕を独立国にしようとしたが、李富に簡単に阻まれた。あっけなかったな。
水滸伝では、李富と聞煥章は協力して作業をしていた。対立すると、どのような見物が出てくるか
と期待していたが、結局、青蓮寺に船頭が二人いたのでは収拾がつかないので、一方は消された
という展開でしかなかったな。
聞煥章の跡を継いだ扈成は、聞煥章の燕国構想を真似たりしていて、パッとしなかった。
立ち読みをしていたら、やたらと自由市場という文字が眼に飛び込んできた。
どうやら楊令はこれをやりたいらしい。
宋は塩の専売はしていたが、その他の商品の取引についても制限を設けて
いたのだろうか?日本の中世の座の制度のようなものをそれまでまったく
描くことなく、いきなり楽市・楽座の話が始まったという唐突な印象を受ける。
そればかりか、つい数回前には、梁山泊自身が、昆布の専売制を始めていた。
自由市場との関係はどうなるのだろう?例によってブレているのだろうか?
日本語のお勉強はチラシの裏でやってね
>>352 作中人物数人が、なにか物事を進める上で、阿吽の呼吸でやっていると、作中人物の知能が
高くみえるのな。梁山泊や童貫軍の将兵の場合、精鋭という設定になっているのだから、よろしく
阿吽の呼吸で物事を進めてもらいたい。
岳家軍の将校二人がドウカン・ファイトの後で、次はどこと闘うことになるのかを予想している
シーンがある。
「金と闘うことになるんじゃないのか?」
「そうか。俺は梁山泊と闘いたいな」
といった内容の会話だ。20行近く、この話題に終始している。
こういうふうにダラダラ口に出して喋っていると、とてもじゃないが精鋭に見えないし、それどころか
こいつら中学生か?と思ってしまうんだな。
水滸伝時代の致死軍や青蓮寺の軍の名無し手の者は、阿吽の呼吸で物事を進めていたね。
これをやると、よく訓練された精鋭に見える。かつ、物語の進展がスピーディで、読んでいて
イライラすることもない。いいことづくめだ。
水滸伝の頃の致死軍や青蓮寺の名無しは、楊令伝の将軍よりも、大人に見えるんだわな。
5巻で「楊令殿はすごい」をやっていた呼延灼・史進・宣賛は、水滸伝の名無しよりも阿呆に
見えてしまう。
>>353 新版では、金軍と梁山泊軍の軍事力を中核として、北宋の反青蓮寺勢力(張邦昌・劉豫等)が
金と梁山泊に協力することにより、楚→斉という新しい国を作る。
楊令伝で初登場の張邦昌・劉豫をキャラ立ちさせるまでに時間がかかりそうなことは、楊令伝
をここまで読んできて痛切に感じることなので、反青蓮寺勢力の中心人物として、聞煥章を立てる
というのはどうだろうか?つまり、李富と対立した聞煥章は、かつての敵梁山泊と組む。
李富が梁山泊と組むというのは不可能だよな。梁山泊幹部の暗殺の多くは李富の指示に
よって行われている。晁蓋・柴進等。盧俊義拉致事件も、呂牛は失敗し、李富の部下の沈機
によって行われた。聞煥章がかかわった殺しは、孫新だけだ。
聞煥章が扈成を通じて梁山泊と組むという展開は、不可能ではない。
聞煥章の脚を斬り、孫新を殺された顧大嫂は反対するだろうが、聚義庁は聞煥章を利用する
だけで、本当に同盟したいのは張邦昌・劉豫等の新官僚。
彼らと梁山泊の結束が強固になった頃に、梁山泊・金との中心人物になる肚だった聞煥章は、
自分だけ阻害されていることを恨むようになる。そのあたりで、扈三娘の拉致事件を出せばよい。
李富は、あくまで裏で南宋建国に奔走すべきだな。表の廷臣は必要だ。
とりわけ宗沢と李綱。楊令伝では添え物的な登場でしかなかった。
カレーライスの隅に置かれた福神漬のようだった。
登場させる意義がまったくないのに、登場させて期待を抱かせ、その後の落胆を大きくした。
文立
扈三娘脱出の際に、武松に殺された。趙安が自分の麾下から選んで聞煥章につけたように
記憶しているのだが、違ったか?あれは、ときどき何進になっていた何信か?
李富の護衛周炳とキャラがかぶって、楊令伝ではまったく目立たなかったな。
袁明の護衛洪清の存在感が圧倒的だったからな。
その後で登場してきた似たようなキャラは、いずれも洪清より年少ということもあって、
強烈な個性を発揮できず、単なる戦う機械になってしまった。
水滸伝は純然たるオリキャラであっても、個性豊かに描かれていたな。
葉超
禁軍将軍。新版では削除。楊センが引き続き禁軍の将軍として活躍する。
早くに戦死したため、劉譲ほどには印象に残っていない。
蕭珪材が葉超を一刀両断するエピがどうして必要なのかよくわからない。
燕京戦の前の蛇足的な梁山泊軍との闘いは、こういう形でしか梁山泊は
この物語に参加できないのか、と悲しくなった。
幻王が冒頭いきなり民を虐殺・掠奪
→燕京戦前のゴミのような葉超と梁山泊の闘い(物語に影響なし)
→それ以降延々と続く宋禁軍と梁山泊以外の軍の闘い
→弱すぎる地方軍を相手に領土獲得戦をアッサリ終らせた梁山泊
1巻〜5巻あたりの展開は、謎だったよね。でもまあ先は長いから面白い展開も待っているかも
しれないと思っていたら、やけくそ気味に梁山泊と童貫軍だけを闘わせ金軍が添え物的にしか
登場しない靖康の変。このあたりで呆れたね。
意味もない王進と童貫の面談ww
食べ物の話しかしない情けない王進www
李師師
靖康の変の頃だと思ったが、燕青が笛を吹き、李師師が踊るシーンがあった。あれ何なの?
意味がわからんかった。
むかしからある青蓮寺から妓楼の青蓮寺が分離独立されて、以後の物語は妓楼の青蓮寺
が中心になったわけだけど、何か意味あるの?
妓楼の青蓮寺は南宋を建国する実力を持っているが、水滸伝で活躍した青蓮寺は馬鹿でした
と言いたいの?意味がわかんない。
任先は元々無能な感じがしたが、それ以降に青蓮寺の幹部に補充された連中も、
任先と同じということだろう。いちおう優秀という設定なんだけど、優秀さを示す
エピソードは、任先以下にはまったくなかった。
楊令殿もどこが優秀なのかよくわからないが、青蓮寺の任先以下は優秀さを示せなかった
ので、作者があっさり引っ込めてしまった。登場し続けている楊令殿の場合と違って、
潔い態度だと思う。
李富
闇塩の道で使用している暗号を徹夜して解読している姿が印象的だった。
また、その程度の仕事がお似合いの凡人だと思う。
楊令伝では、持ち上げすぎ。
「李富殿は、安丘の地方軍の兵の半数を皆殺しにされた。それにしても、その決断をした李富殿は、
俺たちがどうこう言えないほどに、大きくなった。もう、手が届かないよ」
「安丘の兵の半数しか殺していないから、楊令殿や岳飛殿の半分しか大きくなっていないような気が
するぞ、孫範」
「契丹人が言わせてもらうが、李富殿は火を放って安丘の兵の半数を殺したわけではないから、
皆殺しをしたのではない。皆殺しをしたような気になっているだけだ。その意味では、楊令殿も、岳飛殿
も、李富殿も、手が届かないほどには大きくなっていない。大きくなったのは、扈家荘で火を放って
皆殺しをした宋江殿だ」
「いや、待て待て。扈一族は荘の半分以上を焼き払って、自害した。残っているのは、全身の骨を折って
安道全の治療を受けている扈三娘と、科挙を受けるために開封府にいる兄の扈成だけである」
<水滸伝・文庫8巻/382頁>
“皆殺しをしたのは扈家荘に火を放った梁山泊だ”を読んだ時は、連載打ち切りだろうと思ったよなw
ここはもう単行本化されたんだろうな。これ以来、このスレも罵倒一色だし、単行本出版のたびに
更新されていたブログも、新しい記事を書くのやめたww
やっていいチョンボと、やっちゃならないチョンボがある。
水滸伝8巻を調べればわかることだが、調べるまでもなく、この時期の
梁山泊が、皆殺しなんかやるような性格ではないということは、わかりそうなものだがな。
それとも、水滸伝のこの部分を改訂して、梁山泊が扈一族を皆殺しにしたことに変更するの?
梁山泊は秦明を入山させるために、秦明の家族を皆殺しにしたことに変更すればw?
火を放ってww
375 :
楊林:2010/03/23(火) 14:12:16
俺は扈家荘のことなど一切語り継がん。
/ ̄ ̄\
/ _ノ \
| ( ●)(●)
. | (__人__) 宋江の梁山泊が、皆殺しをするかしないか
| ` ⌒´ノ 調べなくても、わかるだろう?
. | }
. ヽ }
ヽ ノ /つ━・
/ \ / /
/ /\ / ̄\
_| ̄ ̄ \ / ヽ \_
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \__)
||\ \
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| || ||
李明
金軍と闘ったな。以上
このあたりは全員、周信なんで。
>>373 梁山泊は、北京大名府で塩の道の従事者を大量に殺しているから、水滸伝の梁山泊というのは
ずっとそういう集団だったと記憶に残っていたんだろうな。
孫二娘の老人殺しもその延長で考えているから、どうして批判されるのか心外なんだろう。
途中から変わっているんだよ。祝家荘戦の梁山泊は、入山と同時に窃盗をやめた白勝と同じだ。
前半は、生真面目で犯罪は嫌う集団だったんだ。
第3巻で石秀の幼児殺しはあったが、悩む石秀を描くことで文学的に昇華していた。
現実世界で殺人事件が起きて誰かが死んだたわけじゃないから、文学的に昇華していれば批判されない。
北京大名府の塩の道従事者の大量虐殺も、まったく同様。
梁山泊としては説得に説得を重ねた末に、殺戮の決断をしている。それを指揮した呼延灼の悩み
も見せている。殺戮行為の描写はしないで、残酷表現を回避している。
このシーンに不満のある読者もいるかもしれないが、俺はギリギリ・セーフだと思っている。
幻王、孫二娘、武松の殺人に関しては、何の配慮もされていない。
ショッキングな幕開けにするために、ことさらに残虐さを強調されたのか、
あるいは梁山泊が扈一族を皆殺しにしたと勘違いをしていたごとくに、ボケていたかだな。
劉光世
初登場時の劉光世は、好感がもてた。
初登場時にそこそこの風格を有していないと、その後の成長を書くのは難しいと思う。
劉光世そのものは、その後たいして成長しなかったけどな。
洪清などが人気が高いのは、初登場時にすでに初老にさしかかった年齢で、
最後までその貫禄を維持しえたからだろう。
それに引きかえ、楊令伝は初登場時に10代のガキが多すぎる。登場人物の数が
やたらと多いから、ひとりひとりの成長を描いている暇がない。それで、いつまでたっても
ガキにしか見えない。登場場面の多い楊令ですら、そう。
劉譲
一時期このスレでも劉譲を賞賛する声が上がった。
部分的には良いところがあったのかもしれない。しかし、どこがよかったのかは忘れた。
まあ、その程度のキャラだ。
だが、劉譲が良かったというよりも、他のキャラ、とくに若いキャラに魅力がなさすぎたのだと思う。
蕭珪材や耶律大石も、劉譲と同じ。
とにかく、三国志、楊家将、水滸伝に比べて、キャラの出来が著しくよろしくない。
そんな中で、その三作の中堅レベルのキャラが登場すると、読者はホッとしたのだろうな。
やっとまともなのが出てきたw
その劉譲、蕭珪材、耶律大石などでも、武松や公孫勝のように個性的というのではない。
やっとまともなのが出てきたw
20人書いて、まともなのは1人だなー、という感じ。
「よかった」というのは、キャラが魅力的というのとは若干違うんだよね。
野球をしようと思ったけど、メンバーが8人しか集まらない。
最後の1人をやっと見つけて「よかった」と思う、その程度の「よかった」。
阿骨打
金国については、すでに多くを述べたので、重複になるから、書かない。
しかし、斡離不、撻懶が登場するまでの金国はひどかった。
初めから金国については多くを語らないという段取りしかなかったのかどうかは知らないが、
主人公楊令がその後しばらく金国に滞在するにもかかわらず、どうして金国の将軍や政治家
を出さないのか、不思議でならなかった。
新版の阿骨打は、旧版のように病弱ではない。
それから、新版の金国は、旧版とは違って、前作との連続性がある。
魯智深の女真潜入の事実は、当時魯智深の道案内をした女真族の青年によって詳細に語られる。
また、梁山泊から女真族へ資金援助がなされていた事実も無視されない。
金国は、北宋進攻の中心勢力である。
女真は半農半牧の民族だし、違う言語を用いる。また、遼国を倒したばかりなので、
国内にも不安材料がある。そこで、金国は北宋を倒すための中心勢力で最大の
軍兵を送りながらも、靖康の変の後は、兵を引き上げ、華北の統治は漢人のうちの
親金国派に委ねることになる。
ところが、梁山泊のみでは、地方の行政組織が動かない。地方の行政組織と地方軍
を傀儡政権の配下におさめようと思うと、どうしても旧宋廷臣の協力を必要とした。
また、梁山泊と旧宋官僚グループという二つの政党が牽制し合うことによって、独裁
を防止するという配慮もあった。金の呉乞買が特に警戒していたのは、楊令による独裁
である。
呉乞買
楊令伝旧版で描かれた呉乞買は、
>>384のように知能指数が高くない。単なる馬鹿である。
というか旧版楊令伝には、高校生以上の知能をもった人物が、ひとりも登場しない。
5巻の呼延灼や宣賛は、小学校低学年以下の知能。
それと、旧版の金国の人物は、一世代ずれている。
契丹掃討戦、北宋進攻戦には、若き日の斡本や兀朮も参加している。
公孫勝に小便垂れ流しの目にあわされた呉乞買は、当時50歳を越えている。
粘罕
粘罕を文官として登場させたのを読んで、「さすが北方」と思ってしまった。
ご存知のように、金軍は二路に分かれて宋へ進攻する。その総大将が、斡離不と粘罕だ。
楊令伝で粘罕を武人として登場させると、楊令の出番がなくなるか、あるいは、斡離不か粘罕の
部下として北宋進攻戦に参加することになる。楊令を金軍の一方の大将にするために、
あえて粘罕を文官として登場させたのだと思ってしまった。
とんだ買いかぶりだった。
ウリ
楊令が李俊とともに、ウリ殿のところへ交易について相談に行った場面があった。
その後の楊令の台詞が、「ウリ殿の話は、全部自分の知っていることばかりで、何の参考にも
ならなかった」だ。
マジで楊令死ねと思ったな。
楊令ぐらい世の中で嫌われるタイプはいないよな。
どう贔屓目に見ても、こんな大長篇の主人公になれるようなタイプじゃない。
傲慢なナルシスト。死ね!
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
,__ | ミミズにおしっこかけた楊令の陽根が腫れますように
/ ./\ \______________________
/ ./( ・ ).\ o〇 ヾ!;;l;::lilii|//"
/_____/ .(´ー`) ,\ ∧,, |;;l;;::|liii|/゙
 ̄|| || || ||. |っ¢..|| ̄ (- ,) ナムナム |;;l;;::||iii|
|| || || ||./,,, |ゝ iii~ ⊂ ).. |;;|;l;::i|ii| (○)
| ̄ ̄ ̄|~~凸( ̄)凸 .⊆ ___)〜 wjwjjrj从jwwjwjjrj从jrヽ|〃
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王進
新版楊令伝第1巻のラストで、青蓮寺に襲撃され、王母・公淑とともに死ぬ。
秦容と郤妁を助けるが、王進は力尽きる。
青蓮寺は、楊令伝では悪役路線をまっしぐら。だたし、腐敗した廷臣と同じことをさせる
わけにはいかない。青蓮寺と禁軍は、前作同様に清廉なのだが、帝の浪費と梁山泊との
戦いに費やされた軍費がかさみ、財政難に陥る北宋。民からの収奪で財政再建を
図るのは、蔡京や王黼ら腐敗廷臣でなければならない。
青蓮寺と禁軍は、彼らを軽蔑しつつも、徴税権を握る腐敗廷臣と手を結ぶという話になる
のであろう。
つまり、前作で登場していた官僚三グループが梁山泊・金国・方臘軍と闘う。
そんな彼らに対抗するように、金国・梁山泊と手を握り、新しい国を作ろうとする新官僚
グループが形成されてくる。旧版にも登場した張邦昌・劉豫らがそれだ。
斡離不
阿骨打の子ではなく、家臣として登場してきたので、気絶しそうになった。
しかも、無理やり撻懶とくっつけられ、叔父の烏古乃は、撻懶の父親になっている。
あとづけだが、耶律越里の従兄弟というのもあった。
こういう史実無視というのは、複雑な史実の血縁関係をシンプルなものにして、
読者の負担を軽減するために行われることがある。
あまり好ましいことではないが、日本人になじみのない外国の古い時代の話をするときには、
許されてもよいのだろう。ただし、小説内部では重要人物でなく、史実においてもそれほど
注目されることのない人物という制限は必要であろう。
北方氏の奇妙なところは、史実をシンプルに変更するのではなく、複雑に変更するところである。
世間の誰もが親子であることを知っているのを、無理やり主君と家臣に変える。親族関係の
ないところに親族関係を作る。叔父と甥を親子にする。何をしたいのか、サッパリ理解できない。
劉彦宗などの軌跡についても、同じことがいえる。
複雑にすることで物語に面白みのある付加価値がつくわけでもない。
何を考えての複雑変更なのだろうか?真意をお伺いしてみたいものである。
好意的に解釈すると、遊牧民(女真)の相続法に慣れない日本人に、阿骨打の子を差し置いて、
弟呉乞買が二代皇帝になった事情を説明する手間を省くために、阿骨打の子を伏せておいた
ということかもしれんな。斡本や兀朮は皇位継承時に幼少だったという説明ができるが、戦に
出ている斡離不については説明しにくい。
>>393 >>392は、そんなことを言っているんじゃないよ。斡離不を単純に家臣とするのではなく、
まったく物語に影響がないのに、他のところで複雑な親族関係をでっち上げるのがどうしてか
理解できないのだろう。撻懶や粘罕の身分は正確。斡離不や劉彦宗について、どうして
史実にもない複雑な操作をしなけりゃならないかだ。いずれに関しても、物語に何の影響
も与えていないぞ。
わかっているくせにwww
戦の結末に何ら影響しないにもかかわらず、騎馬隊が突っ込んだり反転したりの繰り返しが、
無意味に続くのと同じよwww
>>392 史実を正確に叙述しようと思うと調べるのに時間がかかる。
史書から名前だけを適当に拾い出して、適当な親族関係を作りあげる。
複雑になればなるほど、ページは埋まる。
しかも、親族関係や地理の話なので、あたかも史実を調べたかのごとき
もっともらしさがある。正確を期する精神的な負担がないページ増大法だろう。
完顔成
登場するのがずいぶん遅かった。水滸伝時代は、阿骨打のほかに女真の軍人は完顔成
しか登場していなかったので、すぐにでも登場すると思っていたが。
あるいは、他の女真人と違い「完顔成」の名では統一感がなくなるので、闇に葬るつもり
だったか。しかし、読者の記憶に残っているキャラが唐突に消滅するのもヘンである。
それらのことを悩まれているうちに、完顔成の登場が遅れたのか。
いずれにしても、唐昇を女真に招くのは余計な話だった。元々青蓮寺の手先だ。
唐昇こそ、名前を出すこともなくフェイド・アウトしても、誰も悲しまないキャラだった。
一度たりとて、読者に感動を与えたことはないのだから。とにかくウザいだけ。
名前だけで抵抗のあるキャラだったな。やはり女真名で統一してもらいたかった。
後半に出てきた、楊令から妾の面倒を見るように頼まれていたというエピも嫌いだ。
「敦煌」では、趙行徳から妾の面倒を見てくれるように頼まれていた朱王礼は、
妾と一発やったんだがな。
>>397 唐昇は北京大名府攻撃の手助けをすることで、梁山泊の危機を救った。
唐昇があそこまで梁山泊に深く関与していながら、仲間にならないことを「煮え切らない」
の一言で片付けたのもインスタントな感じ。
官軍将校だった楊志が、叛徒に対して偏見をもっていて、容易に叛乱グループに参加できなかった
ドラマは面白かったが、煮え切らない唐昇で、何をやりたかったのかは不明だな。
いちおう時と場合を考えずに楊志の二番煎じをやって失敗した例だと、自分の気持ちのなかに
位置づけている。
状況がまったく違うのに、二番煎じをやろうとして、二番煎じにすらなっていない。
それで、読者が、何をやりたいのか理解できないというところは、楊令伝には多いんじゃ
ないかな?そうでも思わないと、何がなんだかわからないところが多すぎる。
許貫忠
どうして自分の故郷あるいは童貫のところに帰らないで、唐昇とウロウロしていたのか、
さっぱり理解できない。その説明すらされていない。初対面に近い、しかも、童貫戦のときは
敵味方に分かれていたといってもいい、唐昇と行動を共にする理由がわからない。
金国へ行っても何ら重要な役割はなかった。死ぬ直前になって何か仕事をしたようだが、
取ってつけたような感じ。もう楊令伝そのものに興味をなくしていた時期なので、許貫忠が
死ぬ前にやった仕事については記憶にない。
まあバカみたいなキャラだった。出す必要もなかった。
初登場時は、あるいは、許貫忠と侯蒙が、童貫軍の柱石になるのかという勢いを見せたが、
元々畢勝ともうひとりの優秀な副官がいたので、出る幕はなかった。
シリーズ中、無個性キャラのモデルとなったという意味で最低のキャラと言ってよい
周信の軍師をしていたために、運に見放されたのだろうか?
許定
年齢的に戦場を駆け回るのは無理だったのではないか?
そもそも青蓮寺の命で南へ行ったのは、かなり早い時期だったが、
方臘の存在が明らかになったのは、楊令伝になってから。
水滸伝の15巻あたりで許定は野垂れ死にしていれば足りた。
唐昇よりもつまらないキャラになった。
水滸伝5巻の許定と李富の会話は素晴らしかったのに、惜しいことをした。
李富は、許定は一度は方臘と闘わざるを得ないだろうと言った。しかし、闘わなかった。
楊令は、女真の力を利用して宋を倒すと言った。しかし、共同して闘うことはなかった。
呼延灼は、呉用を処断すると言った。しかし、処断されなかった。
洞庭山は、一度は梁山泊の本拠とされた。しかし、一度も闘うことなく本拠ではなくなった。
この小説の執筆に入る前に、なにか構想のようなものはあったのだろうか?
疑問が生じてくる。
シコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ
聚義庁の楊令の部屋からは、いつも、この音が聴こえてきた。
シコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ
あの女、いまごろ完顔成に手篭めにされているのではあるまいか?
シコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ
しかし、帝の阿骨打や呉乞買が熟女真なのに、どうして完顔成は生女真なんだろう?
シコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ
本物の熟女真と、阿骨打の熟女真は、どこが違うのだろう?オナニーのやり方か?
シコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコシコ
ピッ ピッ ピッ
公淑
劉定 → 秦明 → 王進
その間、宋江に惚れられていたりもする。
あまり使いまわすと、キャラの個性が立たないという典型例。どうでもいい。
蕭珪材
この程度の人材を、軍神のようにして祭り上げなければならないところが、楊令伝の悲しいところ。
梁山泊の会の質疑応答のビデオでは、「楊令伝を読む前に、どういう順番で、北方中国作品を
読んだらいいですか?」という質問に答えられて、楊家将→血涙→水滸伝→楊令伝と言って
おられた。ご本人が、そのようにおっしゃるのだから、他人がとやかく言うまい。
楊家将から順番に読むと、『歴史』がよくわかるとのお話だった。護国の剣も出てきて『歴史』が
よくわかるのだそうだ。『歴史』が。
>>405 郤妁は、秦容→韓成だけなんで、公淑ほどひどくはないが、これをやっちゃだめだよね。
そうでなくても、登場機会が少ないのに。これじゃキャラ立たない。というか立ったキャラ
まで潰してしまう。
公淑などは、宋江が旅で出会って、そこでフェイド・アウトしていれば、もっと印象に残る
キャラとして読者に愛されていたと思う。秦明の妻は産む機械にすぎず、楊令と公淑の
ふれあいは、楊令の子午山送りで終了。このあたりから公淑は、宋江の旅で築き上げた
キャラを破壊してゆく。王進の妻などは、もう阿呆かと・・・。
使い回しは、いくない。
許定、唐昇、許貫忠、みんな使いまわしで潰れたね。
寇亮、衛政も、少しニュアンスは違うけれど、使い回しの犠牲者。
どうして、こんなことをやるんだろう?
登場人物の数が多すぎるから、読者の負担を考えてそうするのだろうか?
それとも、一度登場したキャラを徹底的に使い回して、読者にそのキャラの
名前を覚えてもらいたいのだろうか?
武松が山中で出会った虎の番をしていた老人。
王定六に蛇と木の実の粥を食わせてくれた老人。
こういうキャラの方が心に残るんだがな。登場場面は少なくてもな。
印象に残る素晴らしいキャラなら、名前はなくても、いつまでも忘れない。
また、どんなに数が多くても、読者の負担にならない。
秦檜
史上悪人とされている人物は、善人っぽい出し方をする。
史上善人とされている人物は、悪人っぽい出し方をする。
秦檜の初登場は、そんな感じだった。
まあ、いつものことなんで、飽きたが。
秦檜が本格的な活躍を始める前に、楊令伝に飽きた。
この先、大活躍をするのかもしれないが、もうどうでもいい。
秦容
いいぞ、秦容!
僕らのスーパージェッターみたいだなw
あほくさ
日本の読書人口、とくに小説の場合は、10代20代が圧倒的に多いのだろうが、
楊令伝を20代の人が読んで、楽しめるの?
子どもが読む小説だからといって、子どもばかりが登場してきて、面白い?
10代20代が読んでも、水滸伝前半の高Qや洪清のような大人の悪役がいないと、
物語が締まらないと感じるのではないかな?
俺が高校生だったら絶対に読まない。小学生だと漢字が多くて読めない。
結局、中二が読むんだろう、これ?
>>407 助さん格さんは、いつも黄門様と一緒に歩くから、キャラが立つ。
毎回毎回、違う人と歩いていたら、キャラは立たんぞ。
水滸伝の場合、たとえば、朱武、陳達、楊春は、原典ではいつも一緒。
いつも一緒というのが強烈に記憶に残っているから、バラバラにしたとき、
新しい面白さが生まれた。原典では会話をしたことのない二人の好漢が
北方水滸伝で会話をしているのを読むだけで楽しかった。
しかし、オリキャラは違うぞ。まず、名前と履歴を覚えてもらうのが最優先。
配属部隊をコロコロ変更したり、相棒を変えていると、覚えられん。
いつまで経ってもキャラが立たん。
鄭応、董進は、ずっと史進騎馬隊にいて、史進騎馬隊のイメージに染めてしまわないと、
いつまで経ってもイメージが決まらん。
>>412 助さん格さんでも、杉良太郎や里見浩太郎のように、水戸黄門を観る前から
知っている俳優さんなら、水滸伝の原典キャラと同じだがな。
最近の若い俳優は、顔を覚えられんから、オリキャラと同じ。
その機微を理解しろと言ってるの。
二人とも、助さんやんwww
>>399 「唐昇は、煮え切らない性格である」というのが、結論なんだよ。
唐昇のそういう性格を結論づけるために、長いエピソードを引っ張るんだよ。
軍の中に、唐昇という煮え切らない性格の将軍がひとりいたために、
戦局が大きく変化した、というような使い方をしないのな。
面白くならんわ。
そんなんなら、単行本の人物紹介欄の唐昇のところに、「煮え切らない性格」と
書いておけ。それだけで十分だ。オリキャラなんだし、誰も関心ないから。
履歴書の性格欄の紹介を、長いエピソードを引っ張ってやるな。無内容なんだし。
梁山泊の快進撃が続いていますね( ̄▽+ ̄*)
方臘配下の将領たちを、ゲテモノ扱いしないで、一部は生き残って梁山泊軍に来る
ようにすればよかったのにな。方臘正規軍を信者に変貌させておかしなことをするのではなく。
オリキャラよりは、よっぽど名前に愛着があるから、梁山泊のオリキャラをはねのけて、
方臘キャラを使った方が良かった。
経済立国となったことで、国境すら必要なくなるような国づくりを、楊令はしておるようだが、
何世紀の話をしとるんじゃ?やりたい放題の近未来小説だな。
「なんのために、戦をするか。それはもう、梁山泊を守るため、ということではなくなっている。
新しく、現れてくるものを守る。新しいものを、ただの夢に終わらせない。
そのために、戦をする。俺は、そう思っている」
ションベンかけてやりたくなるのう。ええのう、こんな抽象的なたわごとで熱くなれる奴は。
幸せよのう。
「夢。ゼロベース。国民の皆様のお暮らし。新しく、現れてくるものを守る。友愛を、ただの夢に終わらせない。
そのために、俺は、15巻予定の楊令伝を、19巻に延長する。そのためには、一行で済ませることができる
叙述を、会話形式で八行に膨らます。ここまで十四巻分書いてきて、そのテクニックだけは、他人に、いや
世界に自慢できるものになってきた。俺は、そう思っている」
>>420 しかし、ほんと楊令殿の台詞は薄味で、心に響いてこないな。
宋江や晁蓋は、もう少しマシな台詞を言っていたがな。
ウリ殿に対する態度を見てもわかると思うけど、楊令は傲慢で性格が悪いからな。
性格の悪い奴が無理してきれいな言葉を並べようとすると、どうしても薄味になる。
心の中では、熟女真の男を殺して、熟女真の女を犯したい。それしか考えていないからな。
>>420 >新しいもの
>夢に終わらせない
やはり中高生向けだな。こいうのに感応できるのは、中高生だろう。
優秀な高校の弁論大会だと、こういう臭い言い回しは出てこないよ。
いつも夢見ているようで、ちょっと周囲の仲間から浮き上がったアニメチックな女子が、
クラス替え直後の自己紹介でいいそうな台詞だ。
もちろん数十年前の日本でのお話だよ。
15歳ぐらいのアイドル歌手のB面の楽曲の歌詞って、こんな感じだったよ。
フォークだと、アルバム1枚で消えていったB級グループを探せば、
「新しいものを、夢に終わらせない」というクサい歌詞の楽曲があるかもしれない。
時代小説を読む人間の全員がそうではないかもしれないが、たぶんほとんどの人は、
江戸や明治の情緒を求めて読むからな。とくに風景や風俗。
ノスタルジーを感じる時代の中に、60年代の学生運動は、入っていない。
実際にそれをやったあるいは目の前で見た人はどうだかしらないが。
俺たちは、ニュースで観て、何てバカなことをやってんだと思ったくちだからなー。
林冲が張藍目指して一騎崖する所までよんだ
林冲ここで死ぬのか
従来の時代小説にも、「新しいものを、夢に終わらせない」のような台詞が皆無
ではない。とくに明治維新モノには、この手の叙述が多いよな。
しかし、基本的に時代小説ファンは、古いものが好きとか、歴史という古いものから、
新しい知恵を学ぼうという理由で時代小説を読むわけで、そうでなきゃ、現代小説を読んでいる。
最低限のルールとして、現代小説として書こうと思えば書けなくもない素材を、時代小説
の装いだけを借りるというのは、無しにしてもらいたいな。
現代の戦争を素材にして小説を書こうと思うと、最新の兵器に関する勉強を
しなければならない。それはそれでたいへんなんだよ。
むかしが舞台なら、単純な兵器しか使っていないから、たいして調べる必要もない。
中国史の特定時期の歴史について学者なみに詳しい読者は少ないから、史実に関する深い知識は不要。
最新鋭の兵器や戦術に関する知識も不要。原典の縛りもないからテキトーにオリキャラをでっちあげて、
単純な兵器と戦術で戦わせておけば、毎月150〜200枚を書きつづけられるわけで、絶好の素材を発見
したんだと思うよ。しかも、前作の序盤でそこそこ頑張っているから、その続編という謳い文句で売り出せば、
前作の読者が食いつくしね。
現代モノでも経済小説などでは、特定の業界の関係者しか知らないような知識・情報を
読者に伝えるために、たいへんな勉強をして書いている人がいるよ。
読者と同レベルの知識・情報しか伝えられない小説だと、誰も読まないから。
その点、夢だ、志だといって単純兵器で闘うだけの小説は楽だね。
史実の縛りは物語のダイナミズムを奪うという自己正当化で、史実を調べる必要もないし。
でも、まあ、中国は隣国なんで、中国史に詳しい素人もいるからな。
12世紀のアフリカの土人どうしの闘いを描いた方がよかったと思う。
新しいものを 夢に終わらせない
そう言って あなたは 部屋を飛び出した
白いヘルメットに 赤いタオル
せなに担いだ 五寸のゲバ棒
梁山泊が中心なんで、史実は後退せざるを得ないが、それでも高校世界史レベルの
知識と矛盾があったのでは、面白くはないだろう。
楊令伝で残念なのは、前作水滸伝との間でも整合していない記述が多いこと。
前作だけは徹底的に読み込んでから、続編執筆にかかってもらいたかった。
もう少し前作のネタを拾ってもらいたかったね。
聞煥章と梁山泊との関係は、扈三娘しか出てこなかったけれども、まだまだ前作から
ネタを拾えたはずだ。
続編で聞煥章と梁山泊が敵対関係を捨て味方になるとしたら、生き残った前作のキャラは
どのような反応を示すか、という点だけ取り上げても、多くの新ネタが作れる。
祝家荘戦では味方だった杜興や李応の子らの反応、彼と闘いかつ亭主を殺された顧大嫂
の反応、祝家荘戦で中心的な役割を果たした軍師呉用の反応、通信網を切断された
戴宗・張横の反応、楽大娘子を知る者たちの反応、そして最大の興味は李富の反応。
これだけ登場人物が多いと、個々のキャラの違いを描き分けるなんて作業は、
前半の50人ぐらいが限界だろう。あとは人間関係の変化を描いていくしかないよ。
もっともドラマチックな変化が見られるのは、敵だった者が味方になること。
あるいは、その逆。
それをやろうと思うと、変化した人物の登場場面を全部拾い出して熟読し、その人物をめぐる
人間関係を精査しないといけないからな。面倒。
人物の変化は個人の内部で生じさせ、「呉用殿は変った」「武松は変った」とやっている方が楽。
比較的楊令伝に近い時期に生じたネタは拾っているよな。盛栄と李立の件のように。
しかし、李立の掲陽鎮時代のネタは拾ってもらえない。
呂英は直近19巻に登場したんだが、それよりずっと前の呂牛の性格を拾っていたね。
もうそれらを書くような段階は過ぎているよ。
最近は南宋と闘って大勝利したらしい。
自分の側からは敵を攻めないと言っていた楊令が、方針転換したのか?
李富がすいか泥棒をしたんじゃないのかw?
方針転換があったとすれば、またまどろっこしい言い訳をしているんだろうよ。
それを読むのが苦痛。
退屈なドウカン・ファイトの直後に、小さな梁山泊宣言だ。これでトドメを刺されたな。
幻王の皆殺しを正当化するための軻輔のタワゴトは駄目押し?
梁山泊は扈一族を火を放って皆殺しにしたwww
___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ) 新しいものを、夢に終わらせない
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
| | ( ./ /
___
/ || ̄ ̄|| ∧_∧
|.....||__|| ( ^ω^ ) 新しいものを、夢に終わらせない
| ̄ ̄\三⊂/ ̄ ̄ ̄/
| | ( ./ /
___ ♪ ∧__,∧.∩
/ || ̄ ̄|| r( ^ω^ )ノ 新しいものを、夢に終わらせない
|.....||__|| └‐、 レ´`ヽ
| ̄ ̄\三 / ̄ ̄ ̄/ノ´` ♪
| | ( ./ /
___ ♪ ∩∧__,∧
/ || ̄ ̄|| _ ヽ( ^ω^ )7 新しいものを、夢に終わらせない
|.....||__|| /`ヽJ ,‐┘
| ̄ ̄\三 / ̄ ̄ ̄/ ´`ヽ、_ ノ
| | ( ./ / `) ) ♪
>>429 1860年代の青年が、10年から50年先を見つめて、「新しいものを、夢に終わらせない」
というから時代小説になる。
12世紀の楊令が、夢に終らせたくないと思っている新しいものは、現代を連想させるから、
時代小説にならない。
現代小説で戦争を描く →最新鋭の兵器や戦術を勉強するのは骨が折れる
史実ベースの歴史小説 →史実を調べるのは骨が折れる
原典のある時代小説 →原典の再構築は骨が折れる
その続編 →テキトー史実をベースにオリキャラが暴れるだけなので楽
岳飛以外のキャラには、ろくなプロフィールを考えなかったので楽
岳飛のプロフィールだけだと文句を言われそうなので韓世忠のプロフィールを
考えたが下ネタだったので楽
あちこちの軍団の将校を増やすだけなので、「軍人ですから性格は似たりよったり
になりますなー」という言い訳ができるから楽
女性キャラの夫が死んでも、再婚させる男を探す苦労がないから楽
1行ですませるべき文章を4行の会話形式に転換するテクニックは、2ちゃんねるの
自作自演を見て会得したので楽
Y・⊃ 楽だ
∩∩ノノ
ノヽ ノ
||
>>361 宗沢と李綱も、初めは張邦昌・劉豫と同様に、青蓮寺と敵対する新官僚グループとして
登場するのでいいな。初め彼らは梁山泊とのみ結んで、北宋を倒すつもりだった。
ところが、梁山泊の兵力が思ったように増加しない。そのうち、梁山泊は金国と共同して
宋に進攻することを決定する。
新官僚グループは、ここで二派に分裂する。宗沢・李綱は、古典から様々な例を引き合い
に出し、国内の紛争に外国勢力を招き入れることは、王朝の滅亡を招くとして、梁山泊と
訣別する。最終的には青蓮寺に取り込まれ、南宋建国の柱石となるが、宋禁軍滅亡後は、
抗金の旗を掲げる、岳飛ら若い武将は、これに賛同する。
他の一派、張邦昌と劉豫は、梁山泊・金との同盟を強化。その後、張邦昌は楚の帝となるが、
在位一ヶ月あまりで青蓮寺に暗殺される。ここは史実を変更するが、青蓮寺にも見せ場が
必要。ネタが重複するので、燕の耶律淳の暗殺は削除。その後、劉豫が斉を建国する。
劉豫は蔡京ないし高Qタイプの腐敗官僚でいいだろう。梁山泊の楊令と斉国内で対立する。
斉を建国した楊令が見たものは、北宋の頃とかわらない官の腐敗であった。清廉な帝であった
張邦昌を青蓮寺に暗殺されたのが、楊令の誤算だった。その後に擁立した劉豫は、食わせ者
だった。開封府に巨大な宮殿を造営する計画がもち上がると、劉豫は多額の裏献金をした業者
にのみ建築工事を請け負わせた。裏献金の事実が発覚すると、劉豫は、「朕は何も知らない。
すべては秘書が取り計らったことだ」ととぼけた。斉の民の九割が劉豫の廃位を金国の宰相
である粘罕に嘆願したが、粘罕は、「どうぞ、検察と戦ってください」と言うばかりで、劉豫
を廃位しなかった。その頃から、粘罕は劉豫の傀儡であると、斉の民は噂するようになった。
>>441 郭盛も死んだらしいから、古株の処分は、あらかた終了だろう。
これから二世を殺してゆくのだが、1巻で足りるのかどうかは知らん。
また延長するのかね?
好きなだけ続ければいいじゃん。
>>452は、もう読んでいないんだろうw?
>>443 小さい梁山泊宣言をしたからといって、それで梁山泊が終了と考えた読者はいないよ。
いずれラストに大きな戦があることは誰でも予想できること。
いかんせん、そこまでの展開にもっていく速度が遅すぎる。展開の遅さが致命傷に
なったと思う。他の作品はこうではない。1冊読めば、それなりの大きな変化がないと
つまんないよ。
梁山泊をめぐる展開が遅いのなら、間に各キャラの個人エピソードでもあれば退屈
しないんだろうが、それが恋愛とか、食事とか、死んだ同志の回想とかの、ドラマ性の
とぼしいエピばかりだったからな。
456 :
無名草子さん:2010/03/24(水) 17:16:53
『改訂 楊令伝』は、もう終了したのか?毎日、自分の好き勝手な妄想を垂れ流していたが。
>>436 梁山泊から誰か一人が飛び出して、同志と違う道を歩むというのでもよかった。
飛び出した人物をめぐる過去の人間関係をすべて洗い出して、各関係者が
どのような反応を示すかを個別に考えてゆけば、そこからストーリーも生まれる。
楊令伝では、人間関係を書こうとしないで、もっと内向的に、個人の内部で生じた
変化ばかりを書いていたな。個人が内部から変ると、周囲の人物の反応は、
画一的になる。楊令、武松、呉用・・・。どれもみんな「変った」と大騒ぎされただけ。
大味だった。ひとりの例外もなく、周囲は「変った」と騒ぐだけ。
蔡福は飛び出したも同然だがな。しかし、元々梁山泊の人々との繋がりが希薄な人物だった。
塩の道の従事者で、梁山湖の砦に来たことも稀。塩の道関係者と、女真の地へ訪れた同志
以外には知る人がいない。過去の関係との比較が楽なキャラだったな。洗い出すべき
人間関係が少ない。
徹頭徹尾、楽なものを選んでいるのかな。
「(騎馬隊が)反転した」などは、万年筆で書いているんじゃなくて、専用のゴム印があるんじゃないか?
>>420 「新しく、現れてくるものを守る」と楊令は言っているが、それは楊令ひとりの頭から
出てきたものじゃなかったっけ?誰も考えもしないようなことを思いついた楊令を、
他の同志が「楊令殿はすごい」と褒め称えていたような気がするが。
そんな自分の創案したものを、さも民の間から起こった新しいもののように置き換えて、
「新しく、現れてくるものを守る」と言うのは、いかがなものかと。
史進「いま楊令殿が言ったことが、俺らにすぐにわかるわけないんだよ。
なにしろ、考えてこなかったんだからな」
楊令「新しく、現れてくるものを守る。新しいものを、ただの夢に終わらせない。
そのために、戦をする。俺は、そう思っている」
ドウカン・ファイトの後では、小さな梁山泊を守り抜くことだけを強調していた楊令殿が、
「なんのために、戦をするか。それはもう、梁山泊を守るため、ということではなくなっている」
とおっしゃっている。
こういうところを変化ないし成長と捉えればよいのか、またいつものブレと捉えればいいのか、
悩ましいんだよな、楊令伝は。
それが、読みたくない理由でもあるな。
鳩山内閣の支持率低下の主要原因と同じだなw
そもそも国家が交易で稼いだカネで国家経費を賄うから、一定地域の民が無税になる
という構想が、俺たちの夢でもなく、実現された夢であるとも認識できないんだな。
(実際には1割の税を徴収しているが、それは国家経費に当てられるのではなく、
すべて貯蓄にあてられる)
これって、貿易をする業者が国軍を有し、その経費を自弁するということだ。
国有の軍隊ではなく、東インド会社が軍隊を持つので、国家も国軍も不要ということだろう?
他の地域も、みな軍隊を有する商社になって、平和になるのかね?
商業上の争いが、戦争に発展した例は、枚挙に暇がない。
商社と軍隊を動かす国家が分離していれば、議会の賛同が得られなくて戦争が
回避されるということはある。しかし、東インド会社が軍隊を有していれば、商業上の紛争は、
すべて戦争で解決されることになり、平和は遠のくぞ。戦争で解決しないと、東インド会社は
倒産してしまうからな。なにを考えているんだ?
それを基礎として、楊令が闘う理由を説明しても、理解不能なんだ。
まあ、思いつきに文句を言っても始まらんさw
梁山泊は国家ではなく、企業になっている。
国家は徴税するが、企業に徴税権はないからな。
楊令の考えは、中国中を企業だけにして、国家をなくそうというものだよな。
現在の企業は軍隊などは有さず、商業上のトラブルを戦争によって解決することはない。
それをやろうというのだから、恐ろしい世界観だ。
企業ならば、国家に納税するが、梁山泊はそれを拒むために、軍隊を保有して、
国家の軍に勝ってしまった。考えようによっては、恐ろしいことだな。
しかも、その頭領は、民を殺戮することや、強盗や誘拐を悪いことだと思っていない。
梁山泊の周辺の地域も梁山泊に憧れて梁山泊のようになればいいと願うことは、
結局、世界中が山賊になればよいという考えに等しい。
それを周囲の地域が理解してくれないかといって、逆ギレして戦を仕掛け、今日も殺しまくっている梁山泊
腐敗した権力と戦ってくれるだけでよかったんだよな。物語は読者の夢を実現するだけで
いいんだから。作者の夢はどうでもいいよ。
日常生活の中で面白くない奴と面白くない出来事がある。その面白くない奴を悪代官に
見立てて、正義の味方がぶった斬るドラマを観て溜飲を下げる。それで十分でねぇ?
大衆小説は読者を治癒するものである。作者の治癒は、よそでやってくれ。
>>470 忠臣蔵の浅野内匠頭は若くてハンサムな男優が演じることにきまっているから、
女性も感情移入しやすいしね。
楊令伝の最大の難点は、登場人物の考え方が変化した場合に、作者が明確な意図をもって
変化させたのか、そうでないのかの判断がしにくいところ。シリーズを通して不整合な箇所が
たくさんあるので、今回もそうなんじゃないかと疑心暗鬼になって読みつづけるのは、しんどい。
決定的なのは、扈一族を梁山泊が皆殺しにしたという軻輔の台詞だな。
これをどのように捉えるかについては、いろいろな見解がある。
一、軻輔の事実誤認
→これだと矛盾はない。軻輔が阿呆なのか、第三者が虚偽の風説を信じるように
青蓮寺が工作したかのいずれかということになる。
ただし、軻輔の前に張俊が禁軍の史料を調べたという叙述があり、そこでは、
梁山泊が扈一族を皆殺しにしたか否かは明瞭でないと言っている。この叙述からは、
作者が意図的に梁山泊が扈一族を皆殺しにしたように水滸伝8巻の叙述を変更しようと
しているようにも思える。
二、水滸伝8巻で扈一族について述べた呉用がウソをついている
→呉用は梁山泊に都合の悪いことなら、自分をも騙す精神異常者ということになる。
扈一族が自害したという事実は、呉用の台詞ではなく、呉用の頭の中で述べられた事実である。
作者が扈一族の自殺に関する事実を、呉用を精神異常者にしてまで変更しようとするのは、
幻王の皆殺しは、梁山泊の伝統に基づくもので、驚くようなことではないといいたいのだろうか?
燕青も呼延灼も李俊も、幻王の殺戮・掠奪には驚いていたと思うのだが。
三、作者が梁山泊の基本的性格について誤解している
→これだと救いようがない。ただし、張俊が禁軍の史料を調べたといったところの記述からは、
その可能性は低い。やはり、作者は意図的に水滸伝8巻の叙述を、呉用がウソをついたことにして、
変更したいのではあるまいか?楊令ひとりが皆殺しをするキチガイではないと言いたいのか?
四、幻王の皆殺しも、噂に尾ひれがついて大げさに伝わっただけ
→すべてを丸く収めるならば、この見解。これだと、軻輔は阿呆でなく、呉用は精神異常者では
なく、作者も水滸伝8巻の叙述を意図的に変更したのではないことになる。
しかし、この見解の難点は、張俊が官軍の祝家荘戦に関する記録を読んだという点にある。
いちおう官軍の記録は正確との推定がはたらくのではないか?
また、第1巻では、民の皆殺しは叙述されていないが、遼軍(熟女真軍)の兵の皆殺しは叙述
されている。楊令自身も民の皆殺しを認めている。軻輔も、父親が虐殺された事実を目撃して
いる。噂に尾ひれがついただけとして、幻王の殺戮・掠奪から受ける悪い印象を、緩和するのは
無理ではあるまいか。その場面で軻輔の言った「放火を手段としない限り、皆殺しではない。
皆殺しをしたつもりになっているだけだ」という意見は、あまりにもバカすぎる。この軻輔のバカ
ぶりから察すると、一の軻輔の事実誤認という線が捨てがたくなる。
五、そもそも幻王の殺戮を正当化するための操作なのか、幻王の殺戮を謎めいたものに
したいがための操作なのかも、明らかでない。
→この叙述の数回前に、父親を幻王に殺されたという契丹人(熟女真ではない)の軻輔
を登場させて、楊令に対する恨みを述べさせ、幻王の冷酷さを一層強化する方向へと
一度は話が進められたからである。第1巻の寒々とした幻王伝説を復活させるような
展開に一度はもっていきながら、その張本人である軻輔が、楊令擁護の急先鋒になる
という逆転劇は、奇妙以外の何者でもない。その過程で、根拠は曖昧なれど、祝家荘戦
の梁山泊も皆殺しをしたという印象操作をするなどは言語道断である。
都合の悪い話をうっかりしてしまったからと言って、直後に引っ込めるのは、みっともない。
日常の会話をしているのではない。小説を書いているのである。
決めてから書く。書きながら決めない。
六、そもそも軻輔による楊令攻撃が緩やかになったのが、意図的なものなのかどうかがわからない。
→一度は楊令を強烈に非難するキャラがいた方が面白くなると思い軻輔を出したが、
幻王非難がいっこうに収まらないのに、火に油を注ぐような真似はよした方がいいと思って
軻輔に幻王を擁護させたのか?
はたまた、幻王を強烈に非難している契丹人の軻輔ですら、幻王の虐殺は本当の虐殺
ではないんですよと擁護していますね、という計画どおりのストーリーなのかが不明。
後者だとすると、放火を手段とする皆殺し以外は、皆殺しではありません、という非常識な
論理を用いる点が理解に苦しむ。
このスレの第何章だったか忘れたが、岳家軍の皆殺しのところで、殺すんじゃなく村の
家屋を焼き払って、村人が途方に暮れるようにする仕打ちで十分じゃないか、というレス
があったんだよ。コピペしようと思って探したんだが、見つけられなかったけど。
たぶん、そいつの意図は、家屋を含めた家財道具一式を焼き払われた村人は、これに懲りて
岳家軍に逆らわなくなるか、他の領分へ移転すると思ったんじゃないか?
村人が寝静まった夜中にひっそり村の家屋に火を放って皆殺しにすればいいと思っては
いなかったと思う。
それを読んで、「勝った。いつもいじめられている無名草子をギャフンと言わせることができる」と
思った人がいるんだよw
熟慮しないで、「やった。絶好のネタだ」と思って書いてしまったもので、勇み足になって返り討ちww
許定や唐昇が水滸伝における役割が終了したにもかかわらず、楊令伝でも方臘軍や金軍で
闘うというストーリーは、あまり魅力のあるものではなかった。しかし、彼らは脇役にすぎないし、
当時の宋の官軍の将軍が数奇な運命をたどって宋軍と闘うことになったということにしても不思議
ではないと自分を納得させることはできなくはない。
これに対して、主役で登場場面の多い楊令の人格の不統一というのは、読んでいて目障りな感じ
がするんだな。女真では冷酷な印象だった楊令が、梁山泊に帰ったということ自体、大きな変化
ということなのかもしれない。でも、梁山泊に帰ってからも、仲間と話すときの口調は横柄だし、性格は
あまり変っていないんじゃないか、と俺なんかは思ったが、「楊令殿は変った」の大騒ぎ。
新国家建設の構想も、第2巻で言っていたことと違うような気がするし、また、童貫戦直後と現在と
でも、ずいぶん違うような気がする。
呉用は楊令伝にも出てくるんですか?
>>480 古典的時代劇の主人公は、次にやることがやる前からわかってしまう。それじゃ退屈だろうと
いうので、次になにをやるのか予想もできない楊令にしたのかな?楊令視点をずっと出さないで。
展開が予想できなくて面白くなる物語というのはあるけど、楊令伝は少しやりすぎなんだわな。
物語が不安定になっているような印象しかない。
>>473 李富が方臘の実力を見誤っていたというところも、李富が見誤っていたのか、
作者が見誤っていたのか、判然としないんだよな。
「許定は、一度は方臘と戦わねばならないだろう」と、李富が真顔で言っていたが、
小説の中では、そんな出来事は起きない。
「作者が見誤っていたんじゃないの?」と思ってしまう。
だが、これは青蓮寺の探索能力の低下を示すエピかもしれないとも思えるし、読んでいて
疲れる。
梁山泊の主要メンバーの人相書を全国にばらまくだけでなく、少年にすぎない秦容や
秦明の妻にすぎず梁山泊で重要な仕事をしているわけでもない公淑の人相書まで
作ってしまう青蓮寺の捜索能力が低下しているわけないじゃんw
この二つの話が、同じ巻に出てくるから、方臘の実力を見誤ったのが、李富なのか作者
なのかわからないという疑問が生じるんだよ。
方臘の乱を、弱すぎた田虎や、スルーされた王慶の乱と、最初は同レベルのものとして
書こうとされていたのかもしれんね。その後、方臘の乱をもっと大きく取り上げることに
変更されたんじゃないか?
ひとつのエピソードから複数の解釈が出てくることは、小説や映画にありがちな表現テクニックで、
そのような曖昧な部分が作品の懐の深さになり、その作品を名作に押し上げるということは、しばしばある。
だが、その複数の解釈のひとつに、「作者の事実誤認」が選択肢として入るようではいけない。
____
/ \
/ ─ ─\
/ (●) (●) \
| (__人__) | 梁山泊の残党狩 →抜群の捜索能力
/ ∩ノ ⊃ / 方臘の実力 →許定と一度は闘わねばならない
( \ / _ノ | | 同じ巻・・・
.\ “ /__| |
\ /___ /
>>486 「作者の事実誤認ではないか」という選択肢だけでなく、
「作者が楽をしたいから、ことさらに物語を単純化しているんじゃないのという疑念」も
複数の解釈の選択肢として入ってくるんだよね。
一時期、梁山泊軍は、
【清河】 〔張清隊〕 1万
【南大樹鎮】〔馬麟隊〕 6000
【冀州】〔鮑旭隊〕 8000
【歴亭】〔扈三娘隊〕4000
〔攻城隊〕 600
【大城】〔韓伯竜隊〕3000
というように分散して敵(この時期は童貫軍)の攻撃に備えていたんだよね。
戦後、このような、細やかに分散した駐屯地の叙述は消えた。
皆殺しを平気でやれる人物じゃないと天下は取れないという台詞は、他の小説・映画にも出てくるが、
それを実行した人物には感情移入できないようなドラマを作るのが通常。
この小説では、必死で楊令や岳飛に感情移入してもらたいような書き方をしている。
その一環として皆殺しをするのな。理解不能。
「玉とってこい。ビビッとったら天下とれへんでぇ」のヤクザ映画みたいなんだけど、
岳飛も徐史も孫範も、ヤクザのようには描かれていないのな。
楊令だけは、ヤクザよりも嫌な人物だけど。
皆殺しを平気でやれる人物という部分が、公務執行妨害罪や凶器準備集合罪を平気で
犯すことのできる人物に読めてしまうんだよな。
俺の青春に誤りはなかった、公務執行妨害罪や凶器準備集合罪を平気で
犯すことのできる人物だけが天下を取れると、必死でゲバ棒君を賛美しているようで、
うっとうしいんだわな。もういいから、そろそろ水滸伝をやってくれ。
95%は現代を感じさせる内容だな。
残りの4%は、むかしを感じさせる。鉄砲や戦闘機で闘っているわけではない部分な。
登場人物の中に歴史上の人物の名前や国名・地名が出てくる部分が、宋の時代の話なんだなー、
と感じさせる部分。これが全体の1%
まあ、臨安は勇み足だったがw
季節感を表す言葉が、麦秋以外になくなってしまったのは、残念だな。
麦秋は、童猛の測量ネタと同程度にウザくなってきた。
店の前の枯葉を掃除する朱貴 →粉雪が舞散る牢城の広場で秣を積む作業をする林冲
→大雪のなかで牢城を脱走する林冲・白勝・安道全
秋から冬に向かう様子を、きめ細かく描写していた水滸伝第1巻。
変れば変るもんだな。
ソープへ行け、というがソープに行ったことがあるのかね?
トルコ風呂でねぇ?
>>495 晁蓋の入山前後に降った雨。王倫の垢を洗い流しているようだった。
雨だけでドラマを作っていたんだな。
年がら年中騎馬隊で戦をしなくてもさ、たとえば、河を堰き止めて洪水を起こし敵を
流してしまうとか、なんとか工夫はできないのかな。金軍と岳家軍の闘いでも使われた
ようだし。なんぼでも戦のやり方はあるんじゃないか?
原野の戦いは、埃臭い、汗臭い。
あの原野の黄砂が、海を越えて日本へ舞い落ちていると思うと、むかついてくる。
原野は出すな。
“闘うこと”について、作者と読者の認識にズレがあるような気がする。
作者は、“闘うこと”それ自体が、気高く、美しく、価値があるもののように思われているような気がして
ならない。民は他の民の反抗を封じ込めるために見せしめ的に虫けらのように殺される。
これに対して、戦士の死は美々しく装われる。軍人キャラは、さしたる個性がなくても、軍人であるという
ことで、一般の民より一段たかい価値がある人物だと描かれているような気がする。
読者は、“闘うこと”それ自体が、価値の高いことだとは思っていない。戦が中心の小説なんで、
戦士が登場するのはあたりまえ。軍人に名前を付けただけで、彼が飛び抜けて魅力的な人物に
なるわけではない。小説の中で、どういう感動的なドラマを演じたか。それだけに注目している。
戦についても同様で、戦があるだけでは、面白いとも、楽しいとも思わない。戦の内容が面白ければ
面白いというし、楽しければ楽しいというだけだろう。オリンピックじゃないのだから、参加することに
意義があるわけではなく、あくまで試合内容の興奮度を基準に評価する。
大長編なので、戦がマンネリ化して、さしたる目新しい内容を盛り込めないから、抽象的に“闘うこと”
それ自体の美しさを強調されているのかとも思える。前作のように戦士たちのプロフィールを詳細に
書くことをなさらないので、民と兵の間に連続性がなく、登場したときからずっと兵士である人物が
多いことも、このような先入観に拍車をかける。もしも戦士がゲバ棒君の化身で、民がゲバ棒君以外の
一般市民だと考えると、ゾッとする。
将校の中にも文字を読めないのがいてバカにしか見えないのもいるのだが、彼に率いられ指揮される
下級将校、一般の兵は、どれだけバカなんだろうか、想像がつかない。
それでもいちおう闘う人間は称賛される。闘わない庶民がどんな人間たちなのか、もう目に見えない
宇宙の裏側みたいに、想像できない。
民と兵の連続性を描くために、最低限、将校クラスのプロフィール、とくに軍人になる前のプロフィール
を描くことは必要だったんじゃないかね?楊令が新しい国について御託を述べるより、もっと重要だった。
プロフィールは前作でたくさんかいたから、そこから類推しろというようなものじゃない。
>>500 もう戦は、退屈を通り越して、苦痛という以外に表現しようがない。この小説が長すぎる
のと、何回やっても、水滸伝のときのような新しい工夫がないからだ。
TVのウルトラマンはドラマがあるから、闘いの場面も面白い。水滸伝の戦もそうだった。
楊令伝の戦は、デパートの屋上で、ウルトラマンと怪獣が闘っているだけのイベントのようだ。
呂布騎馬隊、楊家騎馬隊、水滸伝騎馬隊は、嫌いではなかったが、楊令伝の騎馬隊の戦いは、
さすがに飽きた。
ご本人は、よほど騎馬隊がお好きなんだろうね。
楊令伝の騎馬隊の戦いを読んでいて思い出すのは、3歳児が飛行機の模型を手に持って、
ブーン、ブーンと唸り声を上げながら遊んでいるところ。3歳児の頭の中では、本物の飛行機
が飛んでいる。先生はお好きなのかもしれないが、俺たちは飽きた。頼むからやめてくれ。
騎馬隊のシーンを読むのは、拷問を受けているようだ。曹正の兄の気持ちがよくわかる。
丘陵、河、水、沼沢、橋、建物、森・・・。戦で使えるアイテムは、いくらでもあるだろう?
俺は馬に踏み潰された李袞の気分になるよ。
⊂⊃ ⊂⊃
⊂ \ /⊃
\\ /⌒ヽ//
⊂⊃ (( \( ^ω^) ))
/| ヘ 騎馬隊が空を飛べたら
//( ヽノ \\
⊂/ ノ>ノ \⊃
レレ スイスーイ ⊂⊃
彡
\____________________/
(⌒)
 ̄
O
。
/⌒ヽ
⊂二二二( ^ω^)二⊃
| / ブーン
( ヽノ
ノ>ノ
三 レレ
>>498 戦が始まる前のウンザリ感の主因は、「また、同じことをやるのー」なんだわな。
少しだけ読んでみると、案の定、同じこと。
楊令伝の戦は、圧縮・凝縮された感じがなく、しかも一部始終を描写するから、内容が薄い
わりには長くて、水滸伝の戦にくらべると退屈だね。
その上、水滸伝では原典のスターたちがキラ星のごとくに登場して闘っている。この魅力は
大きい。少しぐらい戦の展開が退屈であっても、彼らの魅力で乗り切ってしまうだろうね。
楊令伝のオリキャラには、彼らのような魅力がない。そもそも魅力を感じてもらえるほどには、
登場していないんだ。初登場時にちょこっと紹介されて、次はもう戦死場面という人物さえいた。
比較的詳しく書かれていた楊令・岳飛は、別の意味で魅力を失ったし、楽しめるシーンがないね。
まあこのスレに常駐して粘着しているアンチどもを見れば「皆殺し」にされて当然の輩が存在することにも納得だなw。
「w」のあとに「。」付けるやつって珍しいw
>>85 とくに傑出したエピソードだとは思わないが、この手の中級エピソードを作るのは、朝飯前という
感じだったな。これらの中級エピソードをずらりと並べ、各巻に一つ上級スペシャル・エピソード
を配していれば、退屈しないで読める。
しかし、このエピソードを楊令伝のキャラでやるとして、同じように楽しめるだろうか?
俺は楽しめないと思う。
索超と呂方の役を、鍾玄と田忠がやる。
魯達と白勝は、武松と蘇良。
致死軍を率いるのが侯真で、林冲役がカク瑾だとしらた、全然面白くない。
初登場の索超と呂方は、出てきただけで嬉しくなってしまう人物だからな。
その嬉しさが持続している間に、張藍監禁事件を挟むから、面白く読めただけだよ。
楊令伝キャラが演じたとしても、何もない楊令伝に比べると、エピの面白さは10倍以上だよ。
あの場面の白勝の台詞は、まったく魅力がなかった。「初対面の相手にそんなことを尋ねるか?」
のような台詞があったが、初対面の相手に尋ねて違和感のある質問とそれに対する答えを内容とする
会話は、最初から書かなければいい。登場人物の多い物語では、最低限必要な問答だけで、会話を
進めていくべきだと思う。
水滸伝のどこかに凌振の撃つ大砲の弾が、榴弾(炸裂弾)ではないことを説明する場面があった。
知らない読者もいるだろうから、説明することそれ自体は問題がない。
だが、作者が読者に説明するのではなく、作中人物が説明するのは違和感があるんだよな。
とくに説明されている相手が、将兵である場合。将兵なら知らないはずがないだろうと思うわけだ。
実際、自分の眼で見ているわけだから。
説明を受ける相手が、子どもか女性なら違和感はなかったと思う。
もっとも、あの場面で説明を受けていたのが誰であったのか、かなり前のことなので覚えていない。
楊令伝でも、説明の場面があるが、説明を受ける人物を考えてから書かないと、せっかく読者のため
に説明していても、作中人物の立場がおかしくなることになりかねない。
むかしの小説なら、まったく説明を省くという手法で、この違和感が生じないようにしていた。
読者の便宜よりも、物語の流れを阻害しないことを優先したわけだ。
わからないことがあったら読者が自分で調べろという態度だった。好きな人は実際自分で
調べていて、それはそれで読書の楽しみの一つだった。
いまはそういうわけにもいかないのだろうが、作者が読者に説明することを、作中人物が
作中人物に説明するときは、その人物を誰にするかを、よほど注意して決めないと、すごく
違和感があるよね。
物語の状況がいまどうなっているのかを復習的に作中人物が作中人物に述べるシーンが
違和感アリアリの典型的なシーンだね。ここを繰り返しやりすぎると、よくわかっている読者
にとってはウザくてしかたない。それだけならいいが、たとえば諜報機関の人間がわかりきった
ことをクドクドと復習的に確認していると、「こいつら本当に諜報員か?」ということになりかねない。
書物の場合、読者側でわからないことがあれば、前のページをめくって確認するという方法が
あるのだから、復習的な繰り返しは避けるべきではなかろうか?
復習的な繰り返しを避けていると10巻で終ってしまうじゃないかw
15巻まで行くんだからww
読者の便宜のためにキャラクターが劣化してゆくという弊害が目立ちますね。
水滸伝は宋と梁山泊の二極対立だったから、状況は複雑じゃないしその確認は短くてすんだ。
楊令伝は、戦闘単位となる国や集団が多極化しているので、状況確認の繰り返しが
すこぶる多い。これを繰り返すたびにキャラが阿呆に見えてくる。
劣化したのは諜報員にとどまらない。梁山泊の古参キャラのほうがもっと悲惨。
冒頭から楊令の視点がまったくなく、楊令の行動はすべて梁山泊の他のキャラ
によって説明される。そこで、「楊令すごい」が連発されるわけだが、すごいと
言われているのが20歳そこそこの糞ガキだから、古参キャラはバカに見える。
そのことは読者にとっては苛立ちでしかなく、楊令をすごい人物に見せるという
所期の効果はまったく生じていない。反対に、楊令に対する憎しみが起こっただけ。
国家リフォームを手掛ける人気小説で「楊令」として登場した新棟梁に
設計を依頼し建設した新梁山泊国に欠陥があったとして、梁山泊在住の男性が、
楊令と梁山泊に計9800万円の損害賠償を求め、横浜地裁に提訴していたことが25日、分かった。
>>513 9巻あたりから、楊令伝のようなしまらない会話シーンがポツポツ出始めたね。
まだまだ面白いシーンが多かったから、目くじら立てる人はいなかったけど。
白勝の持ち味は、無口な湯隆とでも、すぐに友達になれる暖かいところなんだろうが、
索超・呂方との会話シーンでは、持ち味の良さは上手く出せないで、歳の割り
には幼稚という側面だけが目立った。
>>511 晁蓋、宋江、盧俊義、呉用、公孫勝・・・。どのキャラも初登場の時点で、そこそこの年齢
だったんだよな。それなりの風格があった。敵側のキャラにしても同様。
楊令伝には、それがない。数少ない年配キャラであるウリ殿は、楊令から「あいつの言っている
ことで俺の知らないことはなかった」と言われる始末。
しかし2年以上楊令を叩き続けていれば、楊令が可愛そうになってきて、同情心から
楊令を好きになれるのではないかと思っていたが、いっこうに楊令を好きになれん。
冒頭で主人公らしくない振る舞いをする主人公が登場する映画・ドラマは数多くある。
前半60分は悪いことをしていても、終盤30分でいいことをすれば、ラストには感動を呼ぶこともある。
だが、楊令伝のような長い連載で、毎回毎回、楊令はひどいやつという洗脳を続けられると、
中盤以降で楊令が真人間になっても、容易にイメージは変らない。
水滸伝と楊令伝は一連のドラマで、水滸伝は、父や兄やその他の家族を殺された
庶民が、腐敗した権力を倒すために立ち上がったドラマだ。
家族を直接手をかけて殺されたわけではないが、貧困から盗賊にならざるをえなかった少年、
はびこる盗賊から軍が民衆を守ってくれないので家族を失った少年。そういう不幸な人生を
背負った人々が、権力に向かって戦いを挑んだ。
その論法からすると、幻王に家族を殺された熟女真の民衆、幻王による強盗の被害者になった
熟女真の大商人らが結託して幻王を倒すべき物語にならなければ、楊令伝は水滸伝の基本精神
と合致しない。
幻王に掠奪された熟女真の大商人は、盧俊義になれ。父や兄を殺された民衆は、魯智深や曹正
になれ。恋人を奪われた熟女真の男は、林冲になれ。
民の反抗を押さえ込むという理由で、見せしめに殺された罪のない民の遺族よ。遺恨をはらせ。楊令を討て!
権力者による民の無差別殺戮以上の圧政は、この世にないからね。
梁山泊の志を勘違いして、宋の圧政以上の圧政を繰り広げた幻王が殺されなければ、
この物語は完結しないね。
前政権を倒すために、前政権の軍を徹底的に叩くという話は、史実にも物語にも多い。
軍と軍なら対等の立場にあるから、一方が他方を皆殺しにしても、物語の上では、
不快感・嫌悪感を感じる読者も少なかったんじゃないかな?
しかし、これから権力を握ろうという新しい勢力は、民の人気を取ることから始めるだろう。
劉邦の法三条を見ればわかるように。
このところの楊令伝は、新しい国を作らねば夢(志)は実現しない→そのためには冷酷な
までの権力行使が必要→幻王が必要、という論理に頼っている。だが、幻王が矛先を民
に向けた以上、民の人気を得ることは難しいんじゃない?読者ですらこれほど反発する
のだから、幻王の殺戮を免れた女真や契丹の民は、幻王を恨んでいるだろう。その噂を
聞いた宋の民だって幻王は嫌いだろう。
民が望んだ新しい国を楊令が作るのなら文句はないが、一方的に楊令が正しいと信じる政策
を押し付けられて喜ぶ民もいないと思うよ。
楊令は民に殺されるべきだね。
幻王の殺戮も敵軍の兵に限定されていれば、誰からも文句を言われなくて済んだよな。
まして、強盗や女の誘拐などは、論外。だいたい女真の戦いなんだから、強盗や誘拐をやっても
何の利益もない。そのようなリスクを犯して、楊令が金軍内部で重い地位を占め、
金軍を梁山泊の目標とする宋の打倒に向かわせるのならば、やった意味もあるが、散々
女真で殺戮・掠奪を繰り返すと、梁山泊に頭領に迎えられサッサと宋へ帰ってしまう。
いったい、何なの?
大商人に奪われたものを返してもらっているだけだw
うちは小商人なんで、強盗に入らないで下さいね、幻王殿w
そのくせ、梁山泊が交易を始めると、暴利を貪っているよな。
玉一個を売っただけで、耶律大石の西遼を建国できるほどの暴利。
玉を買わされた人たちは、楊令殿に奪われた暴利を、早く返してもらいなよ。
楊令殿を殺して奪い返せばいいからな。
俺を殺せば、玉の代金は奪い返せるのだ。
楊令が誘拐していた熟女真の女が、楊令を慕い、楊令の帰りを待っているという
後付け正当化は、読んでいると肚が立ってくるフィクションだったな。
楊令は燕青に「これから生きる喜びを知ろうという、若い娘を何百人も攫ったのが
(汚れても、汚れきれなかった、ということになるのか?)」と反論している(2巻18頁)。
梁山泊の大人たちが、幻王の殺戮・掠奪を見て、楊令は汚れても、汚れきれなかった、ということ
を見抜き、楊令を許して、梁山泊に連れ帰る、というのなら、まだわかるんだ。
幻王の殺戮・掠奪は、楊令の若気の至りというエピソードで終る。
そうではなく、梁山泊の大人は、楊令を梁山泊の頭領として迎え入れている。そして、最近になるまで
皆殺しをするような男じゃないと、天下は取れない、みたいな話をしている。
そうなのかね?
幻王の殺戮・掠奪は、女真の民が噂しているほどには、大げさなものではなかったという
修正をしたとする(実際には、第1巻の女真の民の反応からして無理だとは思うけど)。
それならそれで、自分は汚れきったと、燕青・武松の前で言っている楊令は、悪ぶって
虚勢を張っている糞ガキだ。そんな虚勢を張るような惰弱な男を、どうして頭領にできるのだ?
ブルジョア刑法を崇めて、小心翼々とそれを遵守すべきだと考えている小市民には、
天下は取れないとバカにしたいんでしょうよ。
殺人・強盗・誘拐を屁とも思わない豪胆なお方でないと、国を論ずる資格はないと
おっしゃりたいのでは?
>>511 >初登場の索超と呂方は、出てきただけで嬉しくなってしまう人物だからな。
ここが決定的に違うところだろう。読者も、大好きな原典の好漢が登場してきて興奮するが、
作者にとっても原典は好きな古典であって、同様に興奮するんだよ。だから筆も乗ってくる。
作者の頭の中でも原典の好漢は存在感が大きいから、その中の数人をチョイスしてエピソード
が次々に湧き出る。そんな感じじゃなかったのかね。
有名な俳優が大挙登場するオールスター映画のようなもので、知っている俳優が出てくるたびに
ワクワクする。
日本であまり上映されないマイナーな外国の知らない俳優ばかりが登場する映画は、俳優の
識別すら困難で、見ていても面白くない。楊令伝は、そうなってしまっているね。
>>525 決してありえないラストだとは思うが、常に夢想しているラストは、女真族ばかりの黒騎兵を
含めた女真族が、幻王を殺して終るラストだね。
幻王に家族・恋人・友人を殺された女真族が結集して、黒騎兵や、岳家軍の軻輔ら契丹人
にも呼びかけ、幻王暗殺の有志の精鋭100名を募る。
その100名が、楊令殿を100本の槍で1000回胴上げするんだ。
1000回「楊令殿は、すごい」と称賛しなからね。楊令殿の体には、10万箇所、槍で貫かれた
穴が開く。ぼろぎれのように捨てられる楊令殿。その遺骸は、野犬やカラスの餌になる。
白骨になるまで食い尽くされる楊令殿の体。その残忍なシーンを50頁にわたって詳細に
描写する。このシーンだけはダラダラしている、長すぎると批判しないよ。
人間(読者)を喜ばすことのできなかった楊令殿が、最後の最後で
野犬とカラスを喜ばすというオチはなかなかなものだと思うぞ。
100レスに1件くらいのペースでもいいからたまには面白いことも書いてくれ・・・
無理だろ
司馬スレだともっと酷いぞ。読んでいて胸糞が悪くなるような書き込みだ
読み手を不愉快にさせる気が無いだけこのスレの書き込みの方がマシ
北方さんの文体は、全力投球型。バッターにたとえると、全力でバットを振り回す
タイプか。当たれば大ホームランだけど、当たらなくなると打率1割5分で低迷。
作者と読者が物語から一歩引いて冷静に進行している物語を分析するという
文体ではないから、作中人物に肉迫できたときの叙述は素晴らしいものになる。
呂布や楊志の最期のシーンなどがその例。大ホームラン。
楊令殿については、空振りが続いているな。
全力投球ばかりやっていると書く方も読む方も疲れるから、意識的に弛みの叙述を挿入していた。
性描写や食事の描写。あまりに日常的すぎて、本来なら物語にならない部分なんだけど、他で
全力投球しているから、効果的な息抜きになっていたんだよな。
ところが、全力投球部分が空回りに終っているのに、弛みの描写を挿入すると、マジで弛んでいる
ようにしか見えない。そうでなくてもダラダラした印象の小説なのに、性描写と食事の描写のために、
さらにダラダラ感が拡大する。逆効果になっている。
片手で酒をちびりちびりやりながら、もう一方の手に本を持って読む、というタイプじゃないんだわな。
呂布や楊志や雷横の最期の場面は、両手で本をつかんで、ブルブル興奮しながら読んだ。
こういう場面が100レスに1件くらいのペースでもいいから出てこないと、北方作品というのは読めた
ものではない。楊令伝は長いだけで、そのような興奮シーンが皆無なんだわな。
>>515 第2巻冒頭の侯真視点が、まさにそう。作中で侯真が頭の中で言っていることは、実は
作者が読者に説明していることに他ならない。
“幻王でなく、楊令だ、と侯真は改めて思った。見た瞬間から、楊令は楊令だった”
楊令の身近にいた人物、たとえば史進や王進や張平が、これを言ったのなら、読者も
納得できるんだ。ところが、楊令と侯真の接点が、まったく記憶にない。読者にとっては、
楊令と侯真は初対面のはずなんだ。侯真は武松や燕青から楊令の話を聞いたかもしれ
ないが、それだけで、目の前の楊令を、“楊令は楊令だった”と言うのはおかしい。
第1巻の幻王の殺戮・掠奪を、第2巻の冒頭から、消火しはじめたんだろうな。
あわてて消火活動に入ったから、侯真と楊令が面識があるかどうかなど、考慮の外。
唐突に作者視点が侯真視点に混入して、読んでいる者は違和感を感じたな。
>>542 >楊令殿については、空振りが続いているな。
楊令を、原典の生き残りキャラの上位にもってきた時点で、この小説は終っているんだよ。
21歳の若者を描くのに、その成長を描かないで、ほかに何を描くんだ?
もうこれ以上成長の余地はない素晴らしい人間なんですと決めつける。
殺人・強盗・誘拐をするような人物のどこが素晴らしいんだろう、刑務所へ入れて改善更正
させた方がいいんじゃないかな、殺人犯人を刑務所に入れるのは無駄なことなのかな、
総理大臣にした方がいいんじゃないか、と様々な疑問が次から次へと浮かぶだけの小説。
21歳のゲバ棒君たちに日本の将来を託さなかったのがよくないと言っているんだよね。
幻王が民を皆殺しにしたのが大失敗なんだよ。
多くの読者は林冲や史進などの豪傑と自分を同一化しているわけではない。
戦場で敵に斬られると「痛い」から、同一化はしたくないんだ。
でも、頼りになる仲間・友人として位置づけたいという欲求は強いだろうな。
そこで、兵站要員や職人と同一化して水滸伝を読んでいたと思う。
まあ、英雄・豪傑と自分を同一化するほど幼稚でもないしナルシストでもないということだ。
ところが、楊令伝には同一化したいと思うような魅力的な兵站要員・職人がいないんだ。
オリキャラの高平や劉策とは同一化できない。登場場面が少なすぎるというのも、理由のひとつだ。
そうすると、読者は民と同一化するよ。自分に似ているのは、民以外にいないから。
民の視点で楊令伝を読んでいるのに、幻王や岳飛によって民は皆殺しにされる。そりゃ、起こる罠。
趙安や馬麟が自分のことを二流と位置づけていた。それによって、読者が彼らと同一化しやすく
なるかというと、そんなことはない。楊令や童貫のような一流には同一化しにくくても、二流の人
なら、まあ普通の人と言ってよいから、同一化しやすいかというと、それは違うんだ。
自衛隊員や格闘家なら、戦士に同一化しやすいのかもしれないが、俺は自衛隊員でも格闘家でも
ないから、彼らの気持ちまではわからない。
同じく刀を振り回す物語の人物であっても、泰平の世の赤穂浪士や浪人剣士には同一化しやすい。
彼らは年中刀を振り回しているのではなく、ここぞというときにしか刀を抜かないからな。
普段は普通の人なんで同一化しやすいのだろう。
水滸伝・楊令伝の戦士は、プロの戦士だ。年中闘っているから、普通の人は同一化しにくいだろうな。
信長・秀吉・家康も、戦場には立つが自分で闘うわけではないから同一化しやすい。
豪傑を配下に従えていると、彼らに同一化した読者は気分がいい、という余得のあるな。
>>549 高平や劉策は人物まで登場させる必要はなかったな。名前だけの登場で、鍛冶も大工も
滞りなく仕事を続けています、ということを示すだけでよかった。名前すら覚えにくい職人
キャラにまで登場機会と台詞を与え、ちょこっとだけ出すぐらいなら、花飛麟・穆凌・李英
といった主要二世キャラに多くのページを割くべきだった。とにかく、この連中をいきなり
梁山泊に入山させてのが失敗。入山前のエピソードをふんだんに盛り込むべきだった。
原典の108人は、名前を出すだけで、いつでもこの物語のとこかで生きていますよという
存在感を発揮するが、オリキャラにはそれが無理なので、主要二世キャラにだけ登場機会
を与えて、深く叙述していった方が賢明だったと思う。
ひじょうに有名な原典のある小説の続編をオリジナルでやるというのが、そもそも無理だった
のではないかと、原典のファンは思っているだろうね。
まったく予備知識なく北方水滸伝で初めて水滸伝を読んだ若い読者はどうだか知らないが。
林冲や魯智深のような原典キャラは、その場面に登場していなくても、いつも物語の中で
棲息している印象がある。サザエさんの登場人物のような存在感があるんだわ。
オリキャラは登場回数を増やし、かつ読者に対し強烈な魅力を放たないことには存在感を
獲得できない。そういうオリキャラを一人や二人ではなく、数十人登場させるわけだから、
いつまで経っても存在感を獲得できない。
強烈な印象を読者に与えようとして、民を皆殺しにさせたはいいが、それをやった楊令は、
楊令伝最大の嫌われ者になったしww
>>553 >いつまで経っても存在感を獲得できない。
作者にすら忘れられてしまうキャラが続発するしな。
556 :
無名草子さん:2010/03/27(土) 14:22:52
>>554 そこは、水滸伝ラストの楊令の台詞「この楊令は、鬼になる。魔神になる。そうして、童貫の首を奪る」
を、現実のものにしただけだろう。
557 :
侯真:2010/03/27(土) 14:48:44
幻王でなく、楊令だ、と侯真は改めて思った。見た瞬間から、楊令は楊令だった。
558 :
軻輔:2010/03/27(土) 15:17:16
楊令殿は、皆殺しをしたつもりになっているだけです。
559 :
楊令:2010/03/27(土) 15:18:47
女真では、いつも自分が屍になった姿を見ながら闘っていました。
ラストでは、きっちり屍にしてやるからな。
561 :
阿骨打:2010/03/27(土) 15:32:39
実は、俺も熟女真
もっか楊令暗殺団員を募集しております。
>>555 呂英って死んだのかな?まあ、うざいから、もう出てこなくてもいいけど。
564 :
呂牛:2010/03/27(土) 15:37:51
息子の名前を騙って、こっそり楊令伝に出ていたのは、実は俺。
565 :
周信:2010/03/27(土) 15:40:14
楊令伝に出ている将校、実はぜんぶ俺。一人50役で、きつすぎる。
自作自演が、最近、一人一役にしか見えんのだが。
周信のようにやっているだけです。
このスレは、つねに作品の状況を反映しているんだなぁ。いや、感心した。
>>552 >高平や劉策は人物まで登場させる必要はなかったな。
中途半端に自己紹介をしただけで、キャラの個性のなさを曝け出しただけだったな。
その後に、鍛冶の高平の下に、3人の部下が出てきたところは、いまだに意味不明だしな。
どうして水滸伝では、湯隆や李雲まで、しっかり書けたのだろうな。不思議な気がする。
水滸伝でも、後半は、戦つづきで、個人のエピに割けるページは、多くはなかったはずなのに。
>>552 花飛麟、穆凌、以前は陳夫人といわれていた王、、李媛、李英だけでなく、韓成、祖永、曽潤
等も、入山前の姿を描くべきだった。とにかく、流浪の梁山泊から、根拠地をもった梁山泊に
変貌してゆく過程が拙速すぎた。梁山泊の外部にいる未来の将校たちを、順に紹介するべく
彼らの市井での暮らしを丁寧に描いてゆくべきだったな。個人にスポットを当てれば、水滸伝
前半のような、個人による格闘、少人数の集団による戦闘を描けて、面白くなっていたと思う。
そこをやらないで、方臘戦、燕京戦に力が入りすぎた。はっきり言って、その次に行われる
ドウカン・ファイトよりも規模の大きな戦を直前にもってくるというのは愚か。ドウカン・ファイト
はかすんでしまったよ。物語の展開の上で、方臘戦、燕京戦は外せないものかもしれないが、
その一部始終を描く必要は、まったくない。江南で賊徒をしていた花飛麟のところに方臘から
檄が飛ばされ、花飛麟の五千の叛徒にも乱への参加を促す使者が来る場面を書く等の工夫をして、
方臘戦の顛末を伝聞で書くことも可能であったはず。
方臘軍と闘う南京応天府軍の将校として穆凌を登場させてもよかったしな。
燕の耶律披機の軍の中には、韓成がいるというのでもよい。
将来梁山泊の将校となるべき人物を、あちこちの陣営にバラマキ、いつ、どのような形
で梁山泊に合流するのだろうということを想像すると、ワクワクしてくるぞ。
梁山泊に集まる物語は、不可欠だったな。
それは、梁山泊の古参キャラにもいえること。
流浪の軍の中には、扈三娘と項充を除く旧梁山泊の将校が全員含まれていたというのも
芸がない。流浪の軍には三名ぐらいおればいい。他はそれぞれ市井に隠れていればいい。
中には宋と闘う気持ちを失って、誘いをかけても中々腰を上げない好漢がいてもいい。
水滸伝における王進や関勝のようにな。
杜興・扈三娘・白勝らが洞宮山にやってきたような場面を、もっと膨らせて、
梁山泊に至る道中を描いてもよかった。
まあ、その一部は、花飛麟・公淑・秦容が
子午山へ行く道中でやられていたが、梁山泊へ集まる同志に、そのようなエピソード
があった方が面白かったかもな。
それ以前に、彼らが三年間、楊州等で変装して隠れている日常を描いていれば、
どんなに面白かったことか。あそこには、陳娥やカク瑾の姉もいたな。
梁山泊の職人たちも、いきなり集まった後の彼らを紹介するのではなくて、市井に
あるときの姿を描いてもらいたかった。
方臘戦や燕京戦は長いだけで面白くなかったなー。
クライマックスのいい場面を描写するだけで十分よ。
水滸後伝とは登場人物が重ならないが、水滸後伝の生き残り好漢の日常の
暮らしや、そこにおけるエピソードには、楊令伝で使用できるものがあったんじゃないかな?
他の人物のものであっても、北方版の生き残りキャラに流用できたはずだ。
10巻予定の楊令伝だけど、延長の目論見は、執筆前からあったわけだろう?
執筆後間もない時期に行われた梁山泊の会でおっしゃっていた。
であるならば、なおさら方臘戦と燕京戦は簡略にしなきゃ。
19巻すべてが戦の場面(および戦の合間)では、面白くないだろう?
旧同志、新しく同志となるべき者が、梁山泊に集うドラマをやるべきだったね。
「韓成、入ります」
「入れ」
韓成は、耶律披機の執務室の扉を開けた。
「将軍。童貫元帥の軍が、北上を続けています」
「開封府に、立ち寄らずにか?」
「そうです。燕京城を取り囲む趙安の軍が九万。童貫元帥の軍と合わせると、十四万の大軍となります」
童貫軍は、方臘戦で兵数が半減していた。梁山泊の水軍と、馬麟、鮑旭の部隊の奮闘により、
童貫は苦戦を強いられたのだ。しかし、趙安の軍と合流すれば、燕軍の兵力に倍する大軍となる。
「韓成。戦は兵数だけで勝敗が決まるのではないぞ」
「聞き飽きました。ゲバ棒君の内ゲバでは、兵数ではなく、志の高い集団が勝ったというお話でしょう」
「そうだ」
「ばかばかしい」
耶律披機は、不機嫌な顔で、韓成を睨みつけた。
「韓成。貴様が昨夜、幕舎で会っていた右手のない男は、だれだ?」
耶律披機は、韓成と武松が面談したことを知っていた。陣中の配下にも間者を放っているのだろうか。
この男には、耶律大石や蕭珪材と違って、陰険なところがある。
「怪しい者ではありません。また、燕軍にとって不利に働く者でもありません。その男の名は、武松と申し
ます。梁山泊軍は、燕軍に加勢します。ともに童貫軍を殲滅します」
「なに?そのことを耶律大石将軍や蕭珪材将軍は、ご存知なのか?」
「まだ、わたくしの肚の中に収めておくべきこと。だた、劣勢のわが軍にとって、援軍はありがたいのでは
ありませんか?
「しかし、梁山泊の一方の大将である楊令は、金軍の将であろう。宋と金の同盟は、どうなるのじゃ?
梁山泊はわが軍を謀り、宋軍に内応するのではあるまいな?」
「何を馬鹿な。梁山泊軍の目標は、宋王朝の覆滅以外にありません」
「それもうだな」
耶律披機は、自分が韓成に対して発した愚かな質問を恥じた。
「宋金同盟は、遼を倒すための便宜にすぎませぬ。すでに金国は、宋を倒す戦いの準備を始めております」
「表では、金軍を使って遼軍と闘い、裏では、遼軍の残党であるわれら燕軍と手を結ぶ。梁山泊の志とは、
いったい何なのだ?宋軍を倒した後、燕軍はどうなるのじゃ、韓成?」
しかし、現実は、楊令殿はすごい。
「それは、わたくしがお答えいたしましょう」
「誰じゃ?」
耶律披機が目を凝らすと、床の上に頭だけで逆立ちをしている男がいた。その男は、器用に
足の指でグリコ・ポッキーをつまむと、自分の口まで運んで、むしゃむしゃと食べ始めた。
「変った食い方をするのう」
「足の指で、みかんの皮を剥くことだってできる。お見せしようか?」
「そんなことはどうでもよい。わしの質問に答えよ、公孫勝」
「ほう、どうしてわしの名を知っておる」
「ダラダラと展開の遅い小説は読者が好まぬ。手間を省いただけじゃ」
「蛙、しびっちゃる」
楊令は、脛をからげて、田圃のなかに入ると、小さな土かえるを掴まえては、その蛙を
固い地面に叩きつけて殺していた。
「民の皆殺しを禁じられて、楊令は、そうとう鬱憤がたまっておるようですな、呼延灼殿」
「まったく、あのような馬鹿を頭領にしなくて大正解だったな、宣賛」
楊令は、また田圃に入って、蛙を掴まえていた。
「蛙、しびっちゃる」
585 :
呉乞買:2010/03/27(土) 18:38:28
わしは小便をしびった。
Λ_Λ
( ´Д` ) Λ_Λ
Λ_Λ / ,\ (´Д` )
( ´Д`) | l l | / ,\
/ \ | .;|;;:。;:,:、| ;| ..,. | l l |
| l l | ..,. ., ヽ '゚;_。:_;./ /;-゚;・,。:゚;:.゚|;;|. | ,|
| | | _|。.:_::゜。-.;.:゜;/_ン∩ソ/\;;:;.:.。: ヽ '゚;。_ / /
ヽ \_ .。'゚/ `。:、`;゜::;.:、,:゚;: .:..゜:: ゚。:..;: /_ン∩ソ/\
/\_ン∩ソ\ ゚ ;:゚..゜:: ゚。:.:.:゚; ゚ ;:゚..;゚; / /`ー'ー'\ \
. / /`ー'ー'\ \ ゚ ;:゚..゜:: ;。:.:.::゚。;:;.:ヽ < / /
〈 く / / ゚ ;:゚.。゜:;゚;/楊令ヽ \ \ / /
. \ L ./ / .;.:.;.゜::: イ ノハぃ) .〉 ) ( .く,
〉 ) ( .く, ゚. ィ⌒` wノ *'ρ ソアウアウ \.`)
(_,ノ .`ー' と、_入`_,つ λ う :゚.;.:;
>>571 黄表、鍾玄は、五千の手下を有する叛徒花飛麟の部下ということでいいな。
飛脚の拠点の一つを任された李媛・李英も、宋の要人の暗殺を始めるようになる。
飛刀の技が生かせるよ。その手下が、孫安と馬霊。
どうしても1割の格安税率をやりたいのなら、杜興・顧大嫂・孫二娘の酒場で、
料金1割のサービス・デーを設ければいい。
589 :
無名草子さん:2010/03/27(土) 18:52:15
兀朮は梁山泊と闘うのですか?
>>588 曹正も、その店で、肉を切っていればいいんじゃない?
兵站担当なのか、兵の調練担当なのか、交易担当なのか、よくわからないので、
もっとも古い職である肉切り屋でいいな。
こうして楊令伝の始まった頃を振り返ってみると、決定的に欠けていたものは、
金軍のズラリを居並ぶ将軍たちと、楊令以外の二世の梁山泊入山前のドラマだな。
必要以上に書きすぎたのが、宋禁軍の戦いにすぎない方臘戦・燕京戦。
それと、杜興だな。
致死軍と青蓮寺の軍も、しょぼすぎた。侯真も羅辰も、王英の10分の1の魅力もない。
公孫勝や劉唐とは比較にならない。石秀のようなドラマもない。
つまり、何もない。
水滸伝の致死軍の連中は、公孫勝の部下ではあるが、独立した人格として、個々の活躍が
描かれた。人間としては公孫勝と対等に見えた。
侯真・羅辰は、いつまでたっても、公孫勝の部下でしかないような感じ。侯真など公孫勝から
致死軍を譲られ、初めから隊長なんだけど、そんな感じがしない。楊林のようにしか見えない。
侯真は、前作の流れで、ずっと梁山泊で飼われていて、武松と燕青からスパルタ教育を受けた。
水滸伝の致死軍の連中は、それぞれが山賊の大将であったり、用心棒であったりという入山前
の経歴がある。ここが決定的な違いよ。
19巻でせっかく梁山泊がバラバラになったのだから、各メンバーが再結集する前に、独立して
生活する場面を描くべきだった。それがないから、いつまでたっても子どものイメージが抜けない。
これは大きな失敗だったね。
進行中の連載では、梁山泊が南宋や金と闘うらしいが、もう読む気がせんね。
ロンパールームが、なんで戦争するねん?という気がしてならない。
>>593 方臘の乱は、描きようによっては、梁山泊の乱との違いを鮮明にできて、比較の対象として
面白い存在になりえたのだと思う。
石宝の正規軍が失敗だった。これを中核とする方臘軍は、梁山泊と大きな違いがなくなる。
その正規軍は信者ではないんだ。ここで、梁山泊と同質の存在になってしまった。
正規軍を出したのが失敗だったな。
祝家荘戦を祝家荘と梁山泊の戦いにしないで、官軍の精鋭を祝家荘に入れたのと同じ発想だね。
精鋭どうしの戦いでなけば面白くないという偏見をお持ちだ。
しかし、そもそも、なにを持って精鋭というかの基準すら明らかでない。
祝家荘戦の官軍注入はともかく、方臘正規軍の存在は面白くなかったね。
直後に行われる梁山泊と宋禁軍の戦いのことを思うと、なおさら方臘正規軍は不要だった。
正規軍がいなくても、100万の信者という“人の壁”があるのだから、10万正規軍など不要。
100万の信者の壁vs少数精鋭の童貫軍の戦いで十分。それだと、梁山泊戦との違いが明確になった。
楊令伝では、大きな禁軍の戦いが、さしたる内容の変化もなく二回続いたような気がしてならない。
宋の廷臣と青蓮寺、祝家荘と官軍、方臘信者と正規軍。
表はだらしないけど、裏に優秀な精鋭がいますよという構想でやってきた。
まあ、青蓮寺は、それなりに成果を上げたけれど、ほかは無用だったと思う。
小説の中に登場する各種の集団が画一化されてしまい個性がなくなってしまった。
精鋭の名の下に、物語性を希薄化する画一化が進行したな。
祝家荘も、方臘軍も、精鋭でないなら精鋭でないなりに頑張ればよかっただけのこと。
梁山泊軍や童貫軍は、究極の精鋭とされているから、区別すら不可能なんだわ。
究極は一点しかないからな。
精鋭が多ければ面白いという独善的な考えのもとに、精鋭騎馬隊はどんどん増やされ、
蕭珪材軍も、岳家軍も、耶律大石軍も、とにかく精鋭にされ、画一化された。
いままであまり指摘されてこなかったけど、精鋭のインフレ化も、楊令伝がつまらなくなった
理由にあげていいね。
数スレ前までの各論的な叩きから、総論的な叩きに変貌してきているなw
>>602 精鋭だらけになったから、精鋭でないことが明らかだった地方軍は、童貫軍の敗北とともに、
蒸発したように消えてしまったからね。
>>543 食事シーンの変遷
A. 魯智深と阮小五が食堂で出会うシーン
B. 少華山料理
C. 韓成と秦容の食事シーン
A.では、魯智深と阮小五の会話がメイン。饅頭と豚肉は登場するが、その調理法が語られるわけではない。
B.では、少華山の連中と阮小五が了義山と戦うか否かを話し合う。調理法についても詳細に述べられる。
C.では、ほぼ調理法の話に尽きる。
食事のシーンは、なごやかな雰囲気をかもしだすので、それが小説の中に取り入れられる
ことは、ごく普通のことで、とやかくいうようなことでもないな。
水滸伝の初期に登場した食事シーンには、なんの抵抗もなかった。魯智深と阮小五が食堂
で会話を始めるのは、両者が初対面であることを考慮すれば、道端でいきなり会話を始める
よりも自然であるといってよい。
ところが、徐々に出てくる料理の調理法が詳細に語られるようになる。ここが余分なんだ。
物語の本筋とまったく関係がない。なんのために調理法を語るのか、理由がわからない。
しかも、動物の生血を調理に使うと美味くなるというデタラメまで書いてある。
魯智深と林冲が、魯智深の右腕を食うシーンでは、林冲が、「美味い味が出るように血を抜いたのは
俺だ」と自慢している。生血がを入れた方が美味いんじゃなかったのか?
魯智深の右腕の生血煮 ¥1,500
魯智深の右腕煮(生血抜き) ¥3,800
>>424 中高生向けというよりは、世代的特質なのではなかろうか。
テクノロジーの進歩が眩いようだと感じた世代は、政治制度や芸術の分野でも、
新しいものを価値あるものと捉えがちだ。
新しいものは無条件に素晴らしいものなので、夢に終わらせてはならないと思いがち。
素晴らしいスイング・ジャズは、新しいフリー・ジャスに駆逐された。
新しいものを夢に終らせてはならないと考えていたら、ジャズそのものが終った。
食えなくなったジャズメンは、タクシー運転手になった。
新しいものを夢に終らせてはならないと思い、表現の自由を最大限に認めた。
少年に夢と希望を与えていた少年漫画は、児童ポルノばかりになった。
強姦や近親相姦、親を斧で殺すシーンなど反社会的なものが蔓延しはじめた。
>>611 テクノロジーだって、もうこれ以上進歩しなくていいじゃんという段階にまできているしな。
どうして電話とカメラが合体して、日常的にカメラを持ち歩かねばならないのか、理解に苦しむ。
そんなに写真とりたいか?
旅行や運動会・遠足等の各種イベントに持ってゆくだけで十分じゃないか?
「カメラ忘れないでよ」という台詞が懐かしく思える。
進歩よりも、伝統に価値を認める人たちもいる。
そうでなくても、時代小説を読むのは、古い時代を知りたい、古い時代の空気に触れたい、
コンクリートやアスファルトの出てこない小説を読みたい、という欲求によるところが大きい。
「新しいものを夢に終らせてはならない」が時代小説の中に出てくることは、いっこうに
かまわないと思う。しかし、物語の舞台となっている時代の制約の中でな。
中世の人物が近世の足音を聴くとか、近世の人物が近代を希求するとかな。
楊令伝は、12世紀の中国という舞台を無視しすぎ。
現代の日本を舞台にして楊令伝のような内容の小説を書こうと思うと、制約がありすぎて
書きにくいのだろう。1巻の幻王なんて、即、逮捕されるだろうし、水滸伝の闇塩の道を
覚せい剤取引に置き換えて書くと、梁山泊が暴力団にしか見えないし。
そんな理由で時代小説を書いてもらいたくないのだが。しかも時代考証の労を省くために、
日本ではなく中国を舞台にする。外国が舞台なんで日本人は日本の歴史ほどには中国
の歴史を知らない。苦情の数は減るだろうが、中国史に詳しくない日本人が読んでも、
楊令伝には、12世紀の中国らしく見せるための努力の跡が、まったく感じられない。
>>618 >苦情の数は減るだろうが、
これだけ苦情の数が多い小説も珍しいと思うがw
まあ、あれだ、前にも誰かが書いていたが、楊令伝の宿命は、他の作家が書いた同傾向の作品
と比較されることがないことだ。比較の対象となるのは、北方水滸伝だけ。それが、続編の宿命。
北方水滸伝は、下敷きにすべき原典があったから、それなりに12世紀の中国に見えたんだ。
楊令伝では、そんなところにまで目配りする余裕は、ないような感じだな。
時代の空気を描けてなくても、ストーリーがハラハラドキドキの連続であれば、誰も文句はいわんよ。
迷走に次ぐ迷走だから。
>>549 軍師と同一化して読みたい人も多いんじゃない。
肉体労働の経験がない人や学生だと、戦場で日常的に闘う戦士とは同一化しにくいんだよ。
戦闘とスポーツは、ちょっと性質が違うしな。
呉用人気の背景が、いまいち理解できてなかったんじゃないかな。
現場でゲバ棒かついで闘っている奴には純真な奴が多くて、現場に出ないで、背後から
指示だけしてくるゲバ棒君に、陰険な奴が多かったんだよ、きっと。
現場、現場と、うるさいほどこの言葉が出てくるよな。
中央の司令塔に対する悪罵は、数限りなく登場する。
童貫も、戦が始まると、開封府の意向はいっさい気にしない。帝は別だが。
きっと指令だけ送ってくる委員会か執行部かしらんが、そういうところにいる連中が、
陰険な奴らだったに違いない。
現場に出てこない執行部批判のための小説なんだな。
しかし、40年以上もむかしの話よ、ようやるわw
そういうのを、少し控えろと言っとんのじゃ、時代小説なんだから。
時代小説であっても、書き手も読み手も現代人だから、物語の底流にあるものが現代的
なものになってしまうのは、やむをえない。
しかし、普通の時代小説は、現代的なものを、あくまで底流にとどめ、表面には出てこない
ように細心の注意を払う。そうでなきゃ、冗談小説か、露骨な手抜き小説になるからな。
楊令伝は、そこに片足を突っ込んでいる。そうしないためには、表面の時代小説部分を
厚化粧にすべく、もっと勉強・努力せんといかん。
いまさら言っても遅いだろう。
俺は、穆凌と李媛・李英が、知らない間にボソボソと梁山泊に入れられたところ、
金軍に楊令と唐昇以外の将軍がいなかったところ、
李富が方臘の実力を見誤っていたといったところで、
この小説はダメだと思った。準備が出来ていない。
第1巻では、洞庭山と洞宮山がすぐそばにあるような感じがしたな。
その後、すごく離れているような設定に変えられた。
傑作と言われた北方水滸伝でも、「考えながら書く」は、行われているんだよ。
しかし、読者に気取られないように、上手くやっていた。
連載1回目に登場する宋江は、林冲や魯智深から「あのお方」と呼ばれていて、
神秘性をもたされている。閻婆惜とセックスしている宋江とは、ずいぶん印象が
違う。馬桂も、最初は「閻婆惜の母」としか紹介されていなくて、李富の
妾にする予定はなかったんじゃないかな?その青蓮寺ですら、連載開始前に
構想されていたかどうかすら怪しい。林冲が推測したように、「李富は蔡京直属」
の諜報員だったのかもしれないぞ。林冲は、高Qや童貫が敵ではなく、究極の敵は
蔡京だと言い切っているからな。青蓮寺の連中がその姿を現すのは「天暗の星」
(第3巻)なんだが、その頃は後半の青蓮寺とは随分印象が違う。楊令伝の妓館
青蓮寺とは比べものにならない。
まあ、挙げればきりがないが、忙しい作家が、事前にすべてを構想しつくすなってこと
は不可能で、「考えながら書く」は、当たり前のことだろう。
水滸伝 ・・・ 考えながら書く
楊令伝 ・・・ 書くべき枚数に考えが追いつかない
>しかし、読者に気取られないように、上手くやっていた。
水滸伝を1度読んだだけで、
>>628に書いてあるようなことは、すぐに分かるよ。
全体に小説が面白ければ、誰も文句を言わないだけ。
連載を開始して間もない頃は、すでに書かれた部分と矛盾がないように、新たな構想を付加する、
従来の構想を変更する、が容易だったんだろう。
長期連載で書き替えのきかない叙述が山のように増えた。
登場人物の数も多いが、登場人物相互の人間関係となると、組み合わせによって無限大に増加する。
しかも最初に書いた部分は、10年以上も前のこと。通読するにも、過去の叙述が多すぎて無理。
まあ、矛盾、不整合が、山のように増えるのも、無理はないでしょうなぁ。
>>602 画一化という点では、梁山泊、青蓮寺、岳家軍までが、民のための新しい国を作るという一点
において異同がなくなってしまったことだ。
それぞれ新しい国としてイメージしているところが違うとはいえ、梁山泊が新しい国を作る側、
青蓮寺が古い国を守る側という明快な異同がなくなってしまった。
梁山泊の替天行道と、岳飛の尽忠報国の違いがわかる人がいるなら説明してもらいたい。
俺には同じものにしか思えない。
各集団・各人物が、総論では同じなんだが、各論でちょっと違いますよ、というのが多すぎて、
非常にわかりづらい物語になったな。
腐敗した宋、それと正反対の国づくりを目指す梁山泊という、明快な対立がなくなった。
青蓮寺は腐敗してはいないが、叛徒を猛烈に敵視する点で、梁山泊とは相容れない存在
だったのだけど、梁山泊と同じように廷臣の腐敗を憎むところで、違いがなくなった。
童貫禁軍などは、清廉な精鋭として、むしろ梁山泊と共通点が多い。
その上、腐敗した登場人物というのがいつの間にか蒸発。彼らが現在でも圧倒的な存在感
をもって物語の中に棲息しているのなら、それはそれで将来の展開に期待できるが、同質
な兵団が相互に争って両者ともに傷ついても、その先の展望が見えない。
つまり、いい人どうしが争って、結果的に悪い奴だけが生き残った、くやしい物語なんですよ、
という結末すら無し。いったい何がしたいんじゃ?
最近、しきりに見かける“自由市場”というキーワードも、ここやあちこちの感想文で、
梁山泊が共産主義と見られていることを受けて、あわてて挿入されたキーワードだしな。
ほんと鳩山みたいだ。
信念をもって書かれているような物語に見えないな。
海中でユラユラしている昆布を見ているようだ。
もう終ればいいよ。
で、昆布の専売制は、どうなったんだ?
“自由市場”の思想に反する施策を採用した楊令は、自己批判して処刑されたのか?
>>599 数万単位の軍隊を精鋭ということもあるし、200人の部隊を精鋭ということもある。
ニュアンスの違いを読者側で想像できなくはないが、この二つを同じ語彙で表現するのは、
いかがなものか。
熟女真=阿骨打、本物の熟女真=阿骨打が戦おうとしている敵。そのように理解すればいいんでねぇ?
童貫軍=精鋭、本物の精鋭=童貫麾下の200騎(ただし、時期によりその数は様々に変化するが)。
>>636 昆布の専売制に関しては、総括が必要だな。
>>626 水滸伝では、大勢のキャラクターを書き分けるために、たとえば、楊志が死ぬまでは秦明
を出さない、といった操作が必要だったけど、金国の将軍は、それと同じ手法でやったのでは、
ダメだよね。冒頭から目ぼしい将軍の名前は全部出さないとダメ。個々のキャラに迫ってゆく
叙述については、一度にやる必要はないけど。
>>342 水滸伝では、花栄は長く秦明の副官を務め、中盤以降に流花寨を任された。
花栄クラスのキャラは、ざっと見ても20名ぐらいはいたよな。
花飛麟が梁山泊軍の総大将にならざるをえない楊令伝というのは、情けない感じがする。
花栄クラスのキャラは、他には呼延灼(死亡)、張清(死亡)、史進、呼延凌しかいない。
たった5名だ。水滸伝の約20名と大違い。
楊令伝の出来が悪いというより、水滸伝の出来が良すぎたのではないか?
軍団長クラスを20数名書き分けるというのは、たいへんな技だ。
水滸伝では、敵側の将軍にたいしたのがいなかったから、できたことだよ。
たいした敵将は、最後の童貫軍にいただけで、それ以前には、宿元景、趙安、董万の
三人しかいなかった。
楊令伝では、燕軍、方臘軍、もちろん童貫軍、金軍と、花栄クラスの将が分散して登場する。
花栄クラスの将と、気安く言うなよ。実力レベルがそのように設定されているというだけで、
個々のキャラに、水滸伝の楊志、林冲、雷横、朱仝などのようなドラマが用意されている
わけじゃないから。
董平程度のドラマは用意されていたろw
周信ばかりが叩かれているが、もしかすると、無個性キャラの原型は董平かもな。
杜興、孫立、鮑旭という、部下が全員、戦の気配を感じているのに、大将の董平ひとりが
それを感じていないというのは、痛かったな。双頭山の陥落から、梁山泊の凋落が始まった
のだから、董平がA級戦犯かもしれんね。
寝ているときにみる夢の中に出てくる人物みたいに、掴もうとして掴めないキャラだったな>董平
楊令伝のキャラは、9割以上が董平・周信だけど。
>>588 楊令の税率1割政策が、読者の共感をまったく得られないのは、文字通りの貧困というものを
わからなくなっている人が多いからだよ。まれにいるであろう文字通りの貧困者は、本を買って
読まない。80年代を境として、文字通りの貧困を肌で理解できる人がいなくなったから、
無税だ税率1割だと言われても、誰も喜ばない。
村上春樹でたとえると、「気分が良くて何が悪い?」の時代は去ったが、「金持ちなんて・みんな・
糞くらえさ。」の時代には戻らなかった。
1億総白痴化したバブルの80年代は去ったが、メンタリティまでは貧困の時代に戻らなかった
ということ。熟女真の大金持ちの財産を強奪しても、誰も共感しない。
田舎の爺ちゃんは、肥溜めの肥を肥桶に汲んで、畑に撒いている。
俺たちゃ都会の三畳一間のアパート暮らし。
「チューリップのアップリケ」や「昭和枯れすすき」がヒットする国があるかと思えば、
豊かなアメリカ人は「Love Me Tender」を歌っている。
「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」
初登場時の戴宗は、まさくし「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ。」だったんだがな。
初老といっていい年齢の朱貴は、学生運動に呆けているうちに就職口をなくし、
喫茶店かスナックをやっている親父に見えた。
戴宗や朱貴のように、そこはかとなく人生の背景を匂わす描写なら、読者も称賛するんだろうな。
ダイレクトに「金持ちの財産を強奪して何が悪い?」といわれると、
「そりゃ悪いでしょう?わかんないの?」と答えるほかないよ。もう少し文学的に脚色しないと。
梁山泊の人物だけでなく、小物の悪役といっていい王倫や唐牛児も、きちんとキャラとして
作りこまれていたんだわな。しっかりしたストーリーを与えてキャラを作りこまないと、そりゃ
おもしろならんわ。楊令伝のキャラは、印刷しただけで手書き部分のまったくない業者の
年賀状みたいに、画一的で味もそっけもない。
ダイレクトに言いたいことを言いたいのなら、評論か随筆を書けばいいわけで、
小説なんだから、その中で生じる事件や、人物の造形を通じて、背景を匂わすような
書き方でないとな。戴宗や朱貴のように背景から現代の匂いが立ち上るだけなら、12世紀
の中国の物語という表看板と矛盾はないから、気にする人はいない。
それどころか卓越したダブル・ミーニングだと絶賛されるよ。一つの物語ないし一人の人物で、
12世紀の中国と現代の日本の両方を書いているとね。
>>648 董平の前に、李応が無個性キャラだったんじゃない。保正で金持ちという客観的な個性は
あったが、狭義の性格、つまり気性は、偏りのない平均的なものになった。
史進・魯智深・林冲・公孫勝を出した頃の強烈な主観的な個性はなくなってきたな。
水滸伝は登場人物の平均年齢が高かった。中年キャラは年齢相応の魅力を放っていたな。
楊令伝では若年キャラが多すぎるので、途中から急遽中年の新将校を出し始めたが、
どれもこれも引退を目前に控えて体力の衰えを嘆いてばかりの魅力のないキャラだった。
中年キャラの多くが知能指数が低く粗野な言葉遣いをするのは、抵抗があった。
ことさらに学生に迎合して学生の間で流行っているギャグを無理して言って、
失笑を買っている中年教師のようだったな。
>>462 >史進「いま楊令殿が言ったことが、俺らにすぐにわかるわけないんだよ。
> なにしろ、考えてこなかったんだからな」
梁山泊で命を張って闘っている人間は、新しい国について、夢想のようなものかもしれないが、
何らかの構想を持っているのが通常ではなかろうか。
楊令ひとりに花を持たせるために、ここまで無理をして、古参キャラを阿呆の地位に陥れる
必要はあるまい。
なかには本当に何も考えていない奴もいるだろう。しかし、そうじゃない奴の方が多数だと
思うけどな。
革命が成就した国では、その後の国家経営に関して、意見の対立が生じるのが普通だよ。
そのような内部紛争を書くのを避けたかったのだろうな。
水滸伝の個々人に関する叙述の中には、「強い志をもって闘っているやつ」「ただ戦いたい
から梁山泊にいるやつ」「仲間が好きだから共に闘いっているやつ」・・・それらを細かく
書き分けていた。
画一的に全員が新国家構想について何も考えてこなかったことにすれば、それらの叙述との
矛盾を避けられる。過去の叙述も調べる必要がなくなる。
強い志があるから梁山泊軍は強いと青蓮寺は分析していたのですが、
強い志のない将校の部隊は、精鋭ではないと思っていて間違いないですか?
青蓮寺は、梁山泊の「兵」は志があるから強いと評価していた。
将校の志については、何も言っていない。
ハァ?青蓮寺は、梁山泊の将校は、常に兵の先頭に立って敵に立ち向かう。
だから梁山泊軍は強いと言っておりますが?
古今東西、どの国の陸軍でも、中隊長・小隊長クラスは、兵の先頭に立って闘うけどな。
しかし、師団長や軍司令官が、武器を執って闘う話は聞いたことがない。
664 :
無名草子さん:2010/03/29(月) 15:51:13
この先、どのようにすれば、楊令伝は面白くなるのでしょうか?
早く終了すること。楊令の死は、めいっぱいみっともないものにすること。
以上
水滸伝読み終わって独語の満足感がすごいんだが続編にも期待しての?
>>666 宋の駒として使い捨てられた原典よりよっぽどマシな最後だろ?
最後に変なオリキャラが意味ありげに叫ぶが無視して問題ない
そこで終わっとけ
>>666 案外、水滸伝がまあまあの出来だと思っている読者の方が、楊令伝を平静に読めるのかもな。
水滸伝が傑作だと思った読者は、楊令伝はやめておいた方がいい。
とくに前半の緻密な構成が素晴らしいと思った読者はなおさら。
108人すべてが死んだわけではなく、生き残った好漢がこの先どうなるのか気になるとは思うけど、
それが気になる読者は、絶対に読まない方がいい。「俺は歳とった。体力落ちた」と愚痴をこぼして
いるだけだ。
669 :
1/2:2010/03/30(火) 13:32:18
水滸伝では、朱貴や皇甫端や解珍のように、初登場時から年配のキャラがいて、
年配であることが、それぞれに興味深いドラマの要素になっていた。
朱貴は、若い頃は世直しの情熱に燃えていたが、歳をとり、惰性で王倫との腐れ縁が続いている
だけの人生に倦怠感を感じていた。若い嫁をもらい、もうリタイアしようかと思っている時に、宋江らの
策略に乗せられ、梁山泊奪取の片棒を担ぐことになる。朱貴の演じた中年のペーソスは、北方水滸伝
の中でも強く印象に残るエピソードだった。
朱貴を利用して梁山泊を奪取するという宋江・呉用らの戦略は、卓越していた。
皇甫端はアル中で廃人になっていた。彼を立ち直らせた段景住と孟康の話は、読み応えが合った。
孟康は皇甫端の妻とその愛人を殺したが、こういう物語を進める上で重要な意味を持つ殺人は、
不愉快ではない。原典の秦明の家族殺しのような後味の悪さ、というか不可解さもない。
670 :
2/2:2010/03/30(火) 13:33:08
解珍などは、歳をとってから世直しのために立ち上がった人物だ。颯爽と登場してきた。
いずれも、年齢とともに低下する体力を嘆いているだけの虚弱な人物ではない。
かりに、そのようなエピソードを
挿入するのなら、朱貴のペーソス、皇甫端の廃人であることのように、彼自身のドラマとして、
彼に帰属させるべきである。楊令伝では若年の楊令がどうして頭領であるかを説明するためにのみ
古参キャラの加齢が語られている。敵将である童貫は、
梁山泊の古参よりもずっと年長であるにもかかわらず、
楊令が倒すべき敵であるため、まったく老化しない。このあたりは、肚が立つを通り越して、呆れる。
水滸伝の登場人物は、数は多かったけれど、世代的にうまくバラけていて、飽きがこなかった
といえるな。楊令伝は、特定世代に重要人物が集中しすぎている。
とくに楊令と同世代に集中していて、この世代の書き分けが上手くいっていない。
水滸伝では、この世代は登場していても、成長するまでは、あまり書かなかった。
史進のような、とりわけ強い奴は例外だがな。
阮小七は、第1巻で登場したが、活躍するのはずっと後のことで、若い間は、目立つことはない。
鄭天寿や楊春も同様。
目立ったとしても、三国志の王安のように、弱いがゆえに悲劇のヒーローになった奴はいる。
若い奴の扱いは、こんなものだろう。
ところが、楊令伝の若い連中は、どれもそこそこに強くなる。三国志の陳礼のように、その成長
過程を克明に描けば、強さに説得力がある。しかし、楊令伝では、陳礼のように一人に集中して
若い奴を成長させるのではなく、集団で数名を成長させたために、結局、強い奴は生まれつき
強いという根拠に頼らざるを得なかった。生まれつきですべてが決まるのなら、小説を読む必要
がなくなってしまう。生まれつき愚鈍な奴は、小説を読んでも、何のヒントも得られないからな。
>生まれつき愚鈍な奴は、小説を読んでも、何のヒントも得られないからな。
そういう本の読み方をするのは、子どもの間だけ。それは、北方さんも、梁山泊の会で
おっしゃっていたぞ。自分の人生を変えてしまうような、そんな本との出会いなんてものは、
滅多にあるもんじゃない。小説は、要するに、面白ければいい。
ただ、子どもは、モノを知らない。要するに、バカなんで、他人や本やテレビから影響を
受けやすいというのはあるだろうな。
そんな子どもが楊令伝を読めば、楊令殿のような多彩な才能に恵まれていない自分は、
いくら頑張ってもダメだからと、人生をあきらめるだろうな。
李英を16歳の若さで上級将校にしたのは、早急に将校を増やす必要があったが、李英の
成長を時間をかけて書いている余裕がなかったので、「若くても生まれつき優秀なやつはいる」
ということにしたんだろうな。
この一文が、才能はないが努力して世の中の役にたつような人間になりたいと真摯に考えている
青少年に与えた影響は計り知れない。研鑚努力の日々が虚しくなったに違いない。
そんな折も折り、母親の莫大な資産の中から毎月1500万円のお小遣いを貰っていた人物が、
その弟の言うところによれば、母親から貰ったカネを子分を養うために使って総理大臣になった。
実家の資産も生まれついての客観的な能力と数えるならば、そんな大金持ちの家に生まれなかった
自分は、いくら独力してもダメなんだなと、世の中をあきらめてしまった青少年は多いだろうね。
楊令伝に書いてあったことが、身近な実例として目の前に現れたわけだからな。
水滸伝と比べると全体に薄味なんだよね。ストーリーは戦と戦のつなぎを交互に繰り返すだけ。
その途中に、北宋の滅亡という大事件があるんだけれど、李富の視点で伝聞なんだ。
宋の帝や廷臣を隅に置いてゴミ扱いしたものだから、こういう大事件を感動的に描くことができない。
鍾玄や黄表を書いている暇があったら、こっちを優先すべきだったね。梁山泊の中心人物を絞って
そこを濃厚にやるのは当然なんだけど、方臘の乱やフィクションのドウカン・ファイトに比べると
ずっと重要な金軍の進攻と北宋の滅亡があれだけじゃ満足できない。
宋の帝や廷臣は、意識して軽く扱われただろう。金国の帝呉乞買のションベン事件も、同様の
文脈で捉えるべきだ。
水滸伝のときから、高Qはバカ扱い。蔡京は第1巻までは重く扱う予定だったような気が
するけど、青蓮寺が本格的に始動しはじめると、軽くなった。
政府の人間ではない祝家荘ですら軽い扱い。
帝や廷臣や国に忠実な人物を軽く扱うことで、なにがしかの快感があったんだろうね。
楊令が帝のいない国を作ると宣言した後で、史進が宣賛に向かって、「おまえだって、帝と廷臣
がいる国しか、国として観念できなかったろう」という件がある。
このはしゃぎすぎの軽薄な会話を読んだ時、率直にいって、子どもが書いているのか、と思った。
12世紀の人間である宣賛はそうかもしれないが、この小説を読んでいる読者は21世紀の人間だ。
(もっとも宣賛は、そんな単純な人間ではないし、楊令糞の思いつきぐらい予測できない人物とも
思えないんだがな。水滸伝の宣賛登場シーンを読み直してもらいたい)
それも配慮して作中人物に台詞を喋らせないと、作中人物がバカに見えてしまう。
>このはしゃぎすぎの軽薄な会話を読んだ時、率直にいって、子どもが書いているのか、と思った。
日本における還暦の祝いでは、本人に赤色の衣服(頭巾やちゃんちゃんこなど)を贈る。
かつては魔除けの意味で産着に赤色が使われていたため、生まれた時に帰るという意味でこの慣習がある。
登場人物の無個性は、梁山泊の人物にとりわけ集中している。これが、楊令ひとりを天才と
持ち上げ、他の人物を凡人、平均的な人物に仕立てようとした結果であることは疑いない。
ところで、現実世界に無個性な人間というものが存在するのだろうか?
ひとりひとりの人間は、顔も違えば、考え方も違う。じっくりと付き合ってみれば、無個性な
人間なんてものは、ひとりもいないのではあるまいか。凡人というのは、他人を蔑むときに
使う言葉にすぎないし、平均的な人物は想像上の人格にすぎない。
平凡な人物や、平均的な人間像を描くというのは、不可能なのである。
楊令伝に登場する梁山泊の人々を読んでいて、人間らしさ、人間くささを感じ取れないのは、
そんなところに理由があるのではないかね。すべて楊令ひとりを天才と祭り上げたことが悪い。
水滸伝には、初登場時、破滅型の人物もたくさんいた。鮑旭、馬麟、皇甫端等々。破滅型
ばかりでも困るが、思い切って個性的に描かないと、人間らしさを感じ取れない。
それと、年配の人物には、年齢にふさわしい知性を与えないとな。水滸伝ではそれができて
いた。ところが、楊令伝ではまったくできていない。
とくに水滸伝から引き続き登場している人物は、さらに年輪を重ねて、知性が磨かれ、人格に
重厚さが出てくるのが当たり前。ところが、史進、呼延灼、呉用、張清、宣賛、武松、公孫勝…。
どれをとっても高校生に逆戻りしたのかと思うほど、阿呆になっている。これでは連続した物語
とはいえないだろう。
多くの民を殺した人物が、大人物として作中で称賛されるというのが、理解不能なんだよな。
食糧の生産高が低かった古代において、自己が支配する民を食わせるために、他の集団を
戦で破って追っ払う、あるいは殺し尽くして食糧を独占する頭領というのはいたろう。
支配されている民は、頭領のおかげで食わせてもらっているから、頭領を称賛するわな。
古代でなくても、他の集団よりも、より豊かな生活をするために、他の集団と戦い、利益を独占
すれば、勝利した頭領は称賛されるだろう。自己の集団の生存を脅かす他の集団に勝利した
場合も同様。しかし、楊令伝の皆殺しは、性質が違う。
楊令や岳飛の民の皆殺しというのは、どうやら権力の本質というものが、一部の領民を皆殺し
にすることによって、他の領民が恐怖心から、その権力に反抗しなくなる、ということを言いたい
らしい。そのためには、自分と同じ人間を殺すという不道徳の壁を乗り越えなければならない。
その苛烈な決断をした者のみが頭領である、ということを言いたいみたいだ。
そうは思わん。
その論法でいくと、徽宗は腐敗しているだけで民を殺していないから、つまらない頭領ということ
になってしまう。梁山泊の乱、方臘の乱をはじめ、各地で叛乱が相次いだからな。
誰に民の皆殺しをさせるかの問題なんだわ。
利権あさり、賄賂取り放題の廷臣がいた。それを倒して民のための国を作ると言っている
連中に、それをやらせてどうする?
たとえば、民の虐殺を金国にやらせる。楊令は権力の本質に苛烈な要素があることは
頭では理解できる。しかし、実父母を二竜山の山賊に惨殺された記憶がトラウマとなっている。
別な方法もあるのではないかと考えをめぐらす。金国とは考えが相容れないとして訣別する。
利権あさり、賄賂取り放題の政事のほうが、命を奪う政事よりは、ましだと思うけどな。
だいいち、親子の死に別れの話を聞いただけで発狂する楊令は、皆殺しをしているときは、
殺している親に、子がいることは考えなかったのか?
幻王は、殺している熟女真にも子がいることを想像して、発狂していた。
発狂したがために、皆殺しを行った、というオチにすれば、心神喪失で無罪だ。
水滸伝の時点で、すでにすごい人物をたくさん書いてしまったんだよな。
それ以上にすごい楊令を書こうと思うと、エピソードがエスカレートしてしまって、
一見誰が見ても明らかに嫌われる殺戮・強盗・誘拐をさせてしまったんだろう。
こんなひどい犯罪だと、誰も真似できないだろう?どうだ楊令はすごいだろう?という
わけでもあるまいが、無茶なことをさせてしまった。その後、岳飛が真似をして、民の大
反発をくらったがな。だからといって、楊令を許すことはできない。また、岳飛だと反発
をくらうが、反発されなかった楊令殿はすごいということにもならない。
林冲や魯智深や公孫勝がすごいと言っても、彼らには人間なら誰でももつであろう
弱点があって、そのバランスによって人間らしく見えた。
楊令殿は、他人から嫌われるところが最大の弱点だと思うのだけれど、作品の中では、
とりたてて嫌われていないところが納得できないな。楊令という人物は二、三の例外
を除くと、ほとんどの梁山泊の将兵は、その人となりを知らないはずだ。梁山泊にいた
期間は、ごくわずかだからな。しかるに、梁山泊の全将兵から圧倒的な人気で頭領に
迎えられた。このあたりは設定ミスだな。読者はなぜなのか、ピンとこないと思う。
幻王の殺戮・強盗・誘拐が、これほどまでに嫌われるのは、中学生の不良を連想させるからだよ。
万引きをやって偉そうにしている奴より優位に立つため、コンビニ強盗をやった阿呆にしか見えない。
殺戮・強盗・誘拐をした楊令が、梁山泊の人々から嫌われるのなら、誰も文句を言わない。
そうではなくて「すごい」と言われるのだ。「頭領になってもらいたい」と言われるのだ。
まさしく
>>682の言うように、『こんなひどい犯罪だと、誰も真似できないだろう?
どうだ楊令はすごいだろう?』という少年犯罪者の精神しか伝わってこないのだ。
楊令が不良グループの親分にしか見えない。楊令を絶賛する梁山泊の人々が、その子分にしか
見えない。結局、梁山泊の連中は全員中学生にしか見えない。それで、この小説が面白くないわけ。
これってガキの読む漫画じゃないの、という気がするのよ。
楊令を頭領にした理由は、むかし熟女真で今は生女真になった阿骨打のそばにいて国家
の建設を目の当たりにしてきたからだと言われていた。
楊令が岩倉遣欧使節のような存在なんで、梁山泊の国づくりは、楊令に任せる他ないことに
なったんだな。
しかし、その阿骨打は、むかし熟女真で今は生女真になったことは別にしても、梁山泊の
資金で叛乱を始めたのだ。その梁山泊が阿骨打のそばにいた楊令から学ぶ?
笑わせんなwww
その後、民を皆殺しにするような男でないと、天下は取れないとも言われた。
地下鉄にサリンを撒いて民を皆殺しにしようと思った男は、いまは留置場にいる。
まあ、それはいいが、民を皆殺しにするような男なんで天下を取れそうだと言われた楊令が
やったことといえば、梁山泊の民に無税の恩恵をもたらさんと、せっせと国家経費を自弁
するために交易を始めること。滑稽だなw
こんな冗談みたいな物語を、「権力とはなにか?」を考えてみたかったと、真顔で言わないで
くれない?権力とは、経費を自弁する団体のことなの?
18巻あたりで楊令が梁山泊にやってきて、そこから林冲騎馬隊を引き継ぎ、頭領に駆け上がる
までが拙速すぎたんだと思う。少華山の頭領になってはみたが、その重責に耐えられず、子午山
へ強制収容された史進と比べると、楊令の場合の拙速ぶりは明らか。
楊令と史進の能力の違いと言ってしまえばそれまでだが、数学や音楽や芸術の才能と異なり、
人の上に立つための能力というものは、若年で開花することなどありえない。しかも、60代、50代
のおっさんも多い梁山泊の頭領、人口500万人の国の元首。それらの事実を考えると、この物語
は滑稽でしかないよ。
どうして、楊令を頭領にしようと思ったの?不思議で仕方ないんだけど。
楊令の能力が高いことは繰り返し述べられているから、この小説の中では、能力は高いという
ことになっているんだろう。
しかし、それだけで頭領にふさわしいといえるのか?宋江は、何をやらせても能力は他の同志に
劣っていたぞ。でも、梁山泊の全員が宋江を頭領と認めていた。読者の間にも、異論はなかった。
楊令は、頭領にふさわしいかどうかといった次元で論ずるような人柄ではない。周囲の人間から
嫌われるタイプだろう。横柄、傲慢、独善的、無口で暗い、人を蔑んだような高慢な口のきき方、
何を考えているのかわからない、殺人・強盗・誘拐犯人。なにか一つでも、他人から好かれるような
要素があるか?
おまいらは何を熱弁しとるんだ?
熱弁しなくとも、頭領が楊令であることに満足している読者はいないんじゃないか?
ようやるわ、楊令さえいなければ、そこそこに面白い話になっていたのに、
と残念に思っている読者が多いんだと思うよ。
楊令さえいなければ、他のキャラは伸び伸びと自分の才能を伸ばせただろうし、
敵軍の将兵も、「楊令と闘いたい」などと、子どもっぽい台詞を吐かなくて済んだんだ。
楊令こそが、この小説の癌だということに、気づいていない椰子なんていないさ。
688 :
無名草子さん:2010/03/31(水) 19:26:32
( ^∀^)やっとアク禁解除だ。また、バリバリ楊令の悪口を書くからな。
なんだ、他の板・スレでも迷惑をかけていたんだねw
21歳の楊令を最初から頭領にするという設定。その楊令が頭領になる前に、民を皆殺しにする
エピソード。阿骨打が梁山泊の先輩のような扱いを受け、阿骨打の国づくりを梁山泊が学ぶという
設定。ところが、出来上がった梁山泊国は、金国とは似ても似つかない国であること。
金国に襲撃された李富が、逃げるとは言わないで、江南に新しい国を作る物語にもっていった
強引さ。方臘の乱で荒れ果てていた江南が、李富が行くといったとたんに、よく整備された地域に
なっていたこと。もつれた釣り糸のような小説ですな。一貫した筋というものがまるでない。
「もう1つ気になったのは」と切り出した三反園は以下のような場面を伝える。楊令の梁山泊復帰後、
頭領楊令に対して周辺が「楊令殿、よかったですよ」「すばらしかった」と連発していたというのだ。
そして三反園は「周りが、よいしょとか、いいことしか言わなくなると、政権は末期症状」と述べ、
頭領になって半年以上たつと、いいことしか言わない人を周りに集めるようになる、と続けた。
政界を長年、取材してきた記者らしい説明だった。
耳を傾けていた鳥越俊太郎は「ついこの前まで水滸伝を褒めていた読者がアンチになると、人の
あげ足を取ったり、欠点しか言わなくなる。情けない」と、北方水滸伝スレを批判した。よほど
アンチがお嫌いとお見受けした。
http://www.j-cast.com/tv/2010/04/01063564.html
「楊令殿がすごいと言われてもですね、読者には、どこがすごいのか、理解できないんですよ。
なにしろ楊令伝が始まってから楊令殿がやったことといえば、民を皆殺しにし、大商人に強盗
をはたらき、若い娘を三百人も誘拐して、むかしは熟女真だったのに楊令伝になってからは
生女真に変更された生女真の男と強制的に結婚させただけですからね」
「そんなこともありましたけれどもね、それはどうでもいいんですよ。僕は病院のベッドで寝ている
ときも、ずっとここのアンチの動向を見ていたんですよ。アンチはですね、楊令伝はマンネリだ、
楊令はつまらない、水滸伝との矛盾が多すぎると、人のあげ足をとるばかりなんですよ。そのくせ、
自分たちのあげ足とりが、ひどくマンネリ化していることはですね、棚に上げて、他人の悪口ばかり
でしょう。僕は、ずっと見てきたんですからね」
赤江「楊令殿が、交易で大儲けして、梁山泊に金銀を山ほど積み上げていることについては、鳥越さんは
どのようにお考えなんですか?」
「銀行が破綻すると預金は1000万円の限度でしか保障されないのでね、最近の大金持ちは、タンス
預金にするという人が、いやw全部がそうだというわけではありませんよwwwでも、そうなんです」
東ちずる「ギャハハハハハハハハ」
赤江「そうなんですか。次のコーナーへゆきましょう」
楊令伝は戦のシーンが単調すぎるな。
両軍あわせて何万人いても、いつでも一箇所に集合させて乱戦を演じさせる。
そういう戦闘も、1回ぐらいはあってもいいと思うが、毎回これだと飽きる。
「三国志演義」の翻訳小説は、諸葛亮の作戦が常に敵の裏をかくワンパターンの戦なんで
退屈ではあるが、個々の戦闘シーンのロケーションは工夫されている。城壁上の戦い、
林を駆け抜ける騎馬、森に伏せられた伏兵、山岳での闘い、水上戦。洪水、焼玉、諸葛亮の
開発した新兵器等々ロケーション以外でも飽きさせない工夫がある。
水滸伝までは同じように戦闘シーンの単調さを避ける工夫があったが、楊令伝になってからは、
度人以外には、何ら新しい工夫がない。
ドウカン・ファイトでいうと、防御側の梁山泊は、領内に戦略拠点を10箇所ほど設け、
それらに兵を分散させるべきだった。攻める童貫は一点集中の攻撃を仕掛けるだろうが、
攻撃中に後背を突かれることを怖れて、他の拠点にも、いくらか兵力を分散させるだろう。
兵力差によって梁山泊は一度は窮地に陥るが、そのタイミングに出兵の遅れていた金軍が
進発する。いつになったら金軍はやってくるのだと読者はヒヤヒヤする。
金軍の進発を遅れさせるために、趙安軍が北に出張ったままでもよかった。
楊令伝でも、金軍は遅れて宋へ進攻を開始したが、早く来てくれないと梁山泊が滅亡しちゃうよ〜
というスリリングな演出は何もなかったな。
>>693 楊令伝の戦闘シーンが、「三国志演義」の翻訳モノよりも退屈というのは、かなり重傷ですね。
戦闘シーンに登場する兵数と将校数のバランスが悪かったんだと思うんですよ。
小部隊が移動中に敵軍に急襲されるとか、兵站移送のために付近の城郭へ入ったら、
待ち伏せしていた敵兵に襲われた等、少人数の闘いの舞台を設定しようと思えばやれたはず。
いつも原野で闘っているよりも、ロケーションは豊かになりますよ。
少なくとも有名キャラの戦死シーンは、全軍の乱戦の中でではなく、戦死者ひとりが目立つ
ような工夫ができなかったものかと悔やまれます。
水滸伝第1巻で、晁蓋が50名の部下を引き連れて、官軍の輜重を襲ったシーン。第3巻で
楊志の二竜山が300名ぐらいで、同じく官軍を襲ったシーン。まあ、それとまったく同じ状況
は作れないと思うけど、急遽援軍に駆けつける部隊の移動シーンを利用すれば、1000人対
5000人の闘いの舞台は作れたはずだよね。そういう小部隊どうしの闘いであれば、別に
だだっ広い原野である必要はない。付近の農家を遮蔽物にして弓矢の応酬をする、敵が
渡る橋梁に細工をして敵兵を河に落とす、森林に伏兵を置く、様々な工夫ができたと思う。
また、分散した部隊が細かな動きを示すことで、戦の場面がいっそう面白くなる。
ドウカン・ファイトでも、部隊の細かな動きはあったのだけど、そういう部分は箇条書き的に
書かれるのみで、複雑になったという印象を与えただけ。それら移動のシーンこそ描写すべき
だった。その過程で、隊長と副官に会話させ、それまでの戦の顛末を語らせる。そんなときに、
敵の斥候部隊と遭遇して小競り合い。全軍でのぶつかり合いよりも、戦闘シーンも面白くなるし、
個々のキャラの見せ場も作れたのではないかと思う。
なにか「30万の兵が一堂に会して闘うことのみが、戦のスケール感をかもしだす」という固定
観念に囚われて、広い原野に敵味方の兵を集合させたみたいだけど、必ずしも思い通りの
効果は上げていない。全軍のぶつかり合いを描くと、かえって少人数に見えてしまう。将校以下の
兵の姿が見えないからだ。
いまにして思うと、「○○隊と△△隊がぶつかりあって、16名の犠牲が出た」というような叙述を
こと細かに繰り返していたのは、将校の後ろにたくさんの兵がいることを示すためのテクニック
なんだろうな。だが、かならずしも成功していない。
まず、細かな数字が頻繁に出てくると、読むのが面倒になる。また、素早い動きをする騎馬隊が、
すれ違ってぶつかり合うたびに出てくる犠牲者を、1の位まで正確に、しかも戦の最中に把握
できるものだろうか?騎馬隊が反転するたびに点呼でもしているのだろうか?この点、非常に不自然だった。
大軍どうしの闘いを、大軍を構成する要素である小さな部隊や個人の動きにまで分解して、
文章で客観的に表現するのが面白いのか、という根本的な問題を考える機会になった。
楊令伝は、きわめて克明にフィクションの戦闘の一部始終を描写していったが、率直に
いって全然おもしろくなかった。
文章で表現して迫力のある描写ができるのは、1対1の闘い、まあ1000名以下の部隊
の運動の描写が限界だろうな。万を越える軍の運動をこと細かに描写しても面白くない。
戦略、戦術、戦闘の中で個人が考えたこと・・・。描写は、これらに限定すべきだった。
水滸伝でいちばん躍動感あふれる戦闘を読者に伝えられたのは、武松と虎の闘いだな。
兵数が増えるにしたがって、面白さは反比例していった。万を越える軍の闘いの描写は、
1対1の戦闘の拡大版ではなく、まったく別な観点から叙述すべきだった。
そもそもフィクションの戦にすぎない方臘戦・燕京戦・ドウカン戦の初めから終りまでの顛末
をすべて読みたいと思う人がいるのだろうか?同一の小説の中に、これほどまでに戦を盛り込む
のが妥当であったのか疑問である。慢性的に戦が連続しているという印象しかなく、歴史の流れを
捉えることすら困難だった。とくに雑誌連載を月1回のペースで読んでいる人にはね。
大きな戦闘が慢性的に連続しているので、より小さな戦闘である致死軍と青蓮寺の闘いは、
水滸伝では重要な地位を占めていたが、楊令伝では、すこぶるつまらなかった。
このシリーズは、通常考えられる数以上の人物を登場させることを強いられる
作家にとっては過酷な題材である。水滸伝の1・2巻で登場した個性的なキャラクター50名ほど
で、それ以上キャラを増やさずに最後まで書くことができるものだとしたら、続編の楊令伝も、
さぞや素晴らしい作品になっていたであろう。登場人物のあまりの多さに、続編に至ったときは、
すでに四煎め、五煎めのお茶のような薄味キャラクターしか残っていなかった。これで面白い
作品を書けというのは、作者に酷なような気がする。序盤で登場した朱貴・安道全・林冲・宋江・
晁蓋等々の優良キャラ数十名が長い物語を駆け抜けるのが普通の小説だからな。
水滸伝のころは、「えっ、もう殺すの?もったいない」と読者が思うほどのハイ・ペースで優良キャラ
を次々に殺していったんだよな。当時は優良キャラを短い期間で殺しても、次々にそれに代るべき
優良キャラを生み出せていたから、それで問題なかったんだろう。
しかし、楊令伝になって、優良キャラが尽きた。ほんと無惨なまでに糞キャラばかりになった。
物語を延長すべきではなく、早めに打ち切ることだと思うけどね。
扈一族を梁山泊が皆殺しにした、と過去の事実を捻じ曲げてしまうようなエピソードを出した直後に、
急速に打ち切りの方向に舵を取るべきだったね。
物語のベーシックな底流が、楊令伝は面白くないんだろうな。
水滸伝、とくにその前半は、梁山泊に人が増え、拠点が増える物語だった。
「外→内」への“獲得”の物語で、そこから連想されるものは、財布にカネが増える、友人が増える、
コレクションが増える、お客が増えて商売繁盛等々のポジティブで嬉しくなるものばかり。
楊令伝は、この「外→内」への“獲得”の物語を詳述しない。新キャラは初めから梁山泊の「内」にいる。
外から来た花飛麟・穆凌・李英らも、気づいてみたら「内」にいて、「外」にいた時期は詳述しない。
領地を増やす第5巻の話は、「外→内」への“獲得”の物語として、もっとも面白くなるはずなのに、
梁山泊と無関係な方臘戦や燕京戦の話ばかりで詳述されなかった。
楊令伝は、いわば「内→内」の閉塞的な物語で、そこから連想されるものは、ヒキコモリや井の中の
蛙、大海を知らずといったネガティブなものばかり。
もっともネガティブな話だったのは、楊令の領土不拡大宣言。ここに至って、閉塞感・息苦しさが
頂点に達したな。
楊令伝は、自分が属する現実世界よりも、閉塞感が大きいんだよね。精神を解放したくて小説を
読むのに、現実よりも閉塞感の大きい小説は読みたくない。
とくに楊令の作った新しい国。
現実世界の読者は、日本のどこにでも住もうと思えば住める。外国旅行だって、ほとんどの外国に
行くことが可能。
ところが、楊令の新しい国は、居住・移転を制限された不自由な国。
第1巻の青蓮寺の残党狩りも、閉塞感が大きかった。旧同志や二世たちは、宋には居場所がなくて
梁山泊に集まってきたという息苦しさがあったな。
いっそのこと、楊令伝は、鬱になるような面白くない話ばかりを集めた小説にすればいいのに。
宝くじが当たったり、恋人ができたり、事業が成功したり等々、現実世界では人間が浮かれてしまう
事態が起きる。あまれ浮かれすぎていると、周囲の人間に迷惑がられ嫌われる。そんな人が浮かれた
自分を引き締めるために、楊令伝を読んで鬱になる。こういう小説があってもいいかもね。
小説を読む楽しみは様々なんだろうが、現実世界では解き放つことのできない空想・妄想の類を
小説世界の中で解き放つ楽しみというもの、その一つではないかと思っている。
しかし、空想・妄想といっても、実現可能性がゼロではないということが前提となっており、空想・妄想
の度合があまりに大きすぎると、個人差はあるだろうが、読みたくないという読者はいるだろう。
一般的には、派手なアクションが出てくる小説、恋愛小説などは、小説世界と自分を同一化することが
困難ではない。派手なアクションは鍛錬すれば自分にも不可能ではないかもしれないし、恋愛ならば
相手ひとりを口説けばすむ話だからだ。ところが、国を倒すとか、新しい国を作るというドラマは自分
ひとりでできるものではない。多くの人々の協力があってはじめてできること。
それなのに、楊令伝は、楊令ひとりの才能で、宋を倒し、新しい国を作るという話になってしまっている。
新しい国の内容も、新しいというよりは、アホらしい国になっているしな。
「なるほど、こういうやり方だったら、古い国を倒し、新しい国を作れるな」と読者が感心するような内容
になっていれば、実現可能性があるわけで、熱心に読んだかもしれない。
しかし、そこに書かれている内容は、恋愛小説にたとえると、エアコンの室外機に恋した男が、エアコンの
室外機とセックスしたいと考えているようなもの。ちょっと阿呆くさいね。
そもそも魅力のない楊令が新しい国を作ったからといって魅力のある国になるわけがない。
楊令を頭領にしたのが、最大の誤り。
魅力のない主人公も、魅力のない梁山泊も、いずれも事前の構想が不十分だからのような気がするな。
水滸伝の序盤のように、緻密に練られた構想というものが感じられない。
楊令伝は、人間の叡智が考え出した作品というより、人間のかかと、あるいは爪が考えた小説のような感じ。
俺は、いまだに、幻王の殺戮・強盗・誘拐の意味が理解できない。
冒頭に目立つネタをもってきたかっただけじゃないのか、と今でも思っている。
それも、およそ主人公がやると思えないような事件。現に、水滸伝では、二竜山の山賊がやっていたことだ。
楊令は、あの事件のおかげで、二竜山の山賊クラスのキャラクターになりさがってしまったのよ。
反抗期の3歳児は、親の関心を惹くために悪いことをする。幻王は、それにしか見えない。
冒頭に主人公がとんでもない悪いことをすれば、読者は、その事件がどのような決着をつけられるのだろうか
と関心を持つ。まあ、関心を持つほどの決着は付けられなかったんだがな。「楊令殿は、変った」wwwwwwww
数々の逆転ストーリーを成功させてきた北方謙三なんで、変貌した幻王(楊令)でも、卓越した逆転
ストーリーが見れるのではないかと、一瞬期待しちまったよな。
だが、呂布や藩金連の逆転ストーリーは、いずれも原典での悪玉を善玉化したものだった。これって
善玉を悪玉にするよりは簡単だと思うのな。悪玉化した元善玉が、物語の最後まで悪玉ならば、簡単
だけど、始まったばかりの長篇小説で、それはありえない。一度は悪玉化した幻王が、そのままで
終るわけではないと読者が期待するから、書く方は難しいのよ。でも、数々の逆転ストーリーを成功
させてきた北方謙三なんで、何とかするだろうと期待する。
ところが、腰砕けの中途半端。なにがなんだかわからないままに、「楊令殿、頭領になってください。
梁山泊に欠けているものは、頭領である楊令殿」と、梁山泊の全員が思っている。
読者は、誰もそうは思わない。また、楊令は子午山行きか。何回、子午山へ行くんだと思う。
まあ、上手い解決ではないわな。
>>705 成熟した法治国家で、しかも半世紀以上戦争をしていない日本人にとっては、戦争をしていた時代、
あるいはいまも戦争やテロが盛んな地域のニュースが、他人事のように思えてしまう。
楊令伝の時代は、もちろん戦争があったわけで、その時代感覚を蘇らせるために、あえて残忍な民
の殺戮等を冒頭にもってきたんじゃないの?
そんなことは、楊令に民の殺戮をやらせるまでもなく、戦場での兵士の戦死の場面を多少グロいものに
すれば簡単に脚色できる。重要なのは、兵士ではなく、民を殺したという点だよ。
強盗、若い娘の誘拐に関しては、まったく余計。水滸伝3巻の二竜山の山賊のやったことを、幻王に
やらせただけじゃないか?
楊令が成長過程において、権力の本質を暴力装置の独占を見極め、それを現実の戦や政事の場で
遂行すること自体を問題にしているのではないのだよ。権力の本質に、そのような側面があることは
真実だ。たとえば、妻に暴力を働くDV夫や、幼児を虐待するバカ親は、家庭の中で自分が権力の本質
と見極めたことを実行しているわけだ。
しかし、それだけで家庭内の平和が保てるのか?現実には家庭は崩壊する。
若年の楊令が、短絡的に権力の本質と捉えたものだけでは、国家は維持できない。
ところが、そんな楊令を梁山泊は頭領として熱望した。ここが理解に苦しむところなんじゃないか?
ノ´⌒ヽ,,
γ⌒´ ヽ,
// ""⌒⌒\ ) 権力の本質とは
i / ⌒ ⌒ ヽ )
lj⌒i, (・ )` ´( ・) i/、
/ ノ (__人_) | .j 選挙直前に、子ども手当てをばら撒くことだよね。
/ 〈ヽ ヽ、__( // 外国人にもばら撒くからね。地方参政権も、もうすぐだよ。
\ /
「俺が、お守だよ、戴宗殿。少し休んだら、酒にするかい。それとも、飯がいいか?」
「くそっ、死なんのか」
「糞は死なん。おまえの腹の中にいるときに、すでに死んでいる。肥壺に落としたから、死ぬのではない」
「くだらん」
「おまえの台詞のほうが、よっぽどくだらん」
「俺にも、忸怩たる思いはある」
「どうした?急に水滸伝五巻の口調になったな」
「もういい。喬道清、俺は、梁山泊軍と斉国禁軍のぶつかり合いの、見物だ」
「また、最近の口調に戻ったな。それから、見物の前に『、』を打つのはよせ」
「幻王殿、自分の時が止まった、と思ったことはあるか?」
「あるな」
「童貫元帥を討った時?」
「あの時もだな。ほかにも、何度かある、という気がする」
「“という気がする”を語尾に付けるのは、やめてくれないか。ムカッとする」
「すまん。癖なんだ。許してくれ」
「ほかには、どんな時に、止まったと思ったことがある、という気がしたのだ?」
「このスレの勢いが止まった時」
「ほう。悪口ばかり書かれているのに、レスが止まると寂しいのか?」
「何も書かれないよりは、ましだ、という気がする」
すばるの1月号では、武松が藩金連の名を平気で口にした場面がある。そのことが、いいことの
ように書かれている。つまり、楊令殿が武松の拳を斬ったことは、武松の抱える過去の事件への
屈託を断ち切った素晴らしい出来事だったのである。
現実世界では、たしかに、過去に起きたことにいつまでも屈託を抱いているのは、好ましいことで
はないのであろう。
だが、時代劇のキャラクターとしてみた場合、屈託を抱えた人物というのは、いかにも昔の人という
感じが出ていてよいものだ。自分の父母・祖父母の世代を見ていると、屈託が多いような気がする。
武松をはじめとして、楊令伝では一世世代も屈託を捨てた現代的な人柄に描かれ、それが良いこと
のように言われることが多いが、俺は反対である。すこしも昔の人っぽく見えない。数少ない時代
小説的な風味が損なわれてきたような気がしてならない。
「西では、いよいよ耶律大石の国ができるそうですよ」
「また、事実確認か。飽きた。もう10回ぐらい聞いた」
「斉もできましたし、南宋も、かたちは整ってきた、と言っていいと思います」
「もうよせ。それは10回どころか100回ぐらい聞いた。そんなに同じことを繰り返し述べないと、
新しく生じた事実を覚えられないのか?読者は読む前から覚えている。くどいからよせと
何度言えばわかるんだ」
このままでは、自分は、とてつもなく大きなタコを耳に作ってしまう、と張俊は思っていた。
>>710 だから、この小説は、人間の頭脳が編み出したものではなく、
かかとが考えたものだと、何度言えば・・・( ̄ー ̄)
この好青年は、国事に憑かれていた。この種の青年にありがちな思考法として、天下国家の
大事からすれば、たかが善良な民が皆殺しによって命を落とそうと落とすまいと知ったことでは
なかった。「岳家軍の領分の民の千人に一人を殺す。その程度のことなのですよ?」
皆殺しを批判された彼は、そのような反応しか示せなかった。べつに人が悪いのではなく、
考え方が明快すぎるだけのことである。その証拠に、岳飛と孫範と徐史は、他愛なくニコニコと
笑い、おおげさにいえば、天使のように澄んだ瞳をほそめていた。
人としての情緒感覚が欠けているだけなのだろう。
岳飛が楊令(幻王)と同じことをしたのは意味がわからないな。失敗だと思う。
岳飛と楊令の気性は異なる。楊令のような陰気なキャラは他で見たことがないから、
董平のような平凡なキャラの岳飛とは、気性は違う。
だけど、楊令(幻王)を民の皆殺しをする非人にするのなら、準主役ともいうべき岳飛は、
正反対の性格にした方が読者にとっては親切だ。
読者は応援できるキャラを求めている。非人の楊令を叩くばかりでは小説を読んでいても
面白くない。準主役の岳飛が、非人の楊令を作中で非難してくれれば、読者は岳飛と
一体になれる。登場する主要キャラが、みんな善良な民を皆殺しにしていたのでは、
読者はこの物語の中に、身の置き所がない。
国民の8割が自分を中流と思っていた飽食の時代には、欲望のほとんどはカネの力で解決された。
物語に求められるようになったのはカネの力では実現できない妄想をフィクションで示してくれる
ことだったのだろう。妄想というか趣味も多様化した。ハードボイルド小説というのも、そのような
趣味の多様化の中で咲いたあだ花だったのだろう。
ところが時代は変わった。平均所得は下がり、資産のある人も将来不安から消費は控える。年間の
自殺者数は増加するばかり。ベタな情緒を丸出しにして傷を舐めあうような感傷的なものは望まないに
しても、楊令伝のように、善良な民を皆殺しにして痛痒を感じない情操欠如のキチガイが次々に登場
する物語が受け入れられる状況ではない。少なくとも、作中に幻王を批判する人物がいなければ、
読んでいても腹が立つだけ。
たとえるならば、オウム事件を素材にした小説で、事件を追う刑事の性格が、麻原そっくりな小説を
読んでいるようなものだからな。読者は、いったい作中の誰と同一化して、物語に参加すればいいのだ?
水滸伝の中で最も人気が高いシーンがどこかを冷静に考えてみればいいのだ。
たぶん楊志の戦死場面。妻子を守るために闘って死んだ男のドラマだ。
ひねりもなにもない。テレビの連続時代劇で、3回に1回はやっているようなベタなネタだ。
しかし、それでいいのだ。ひねりも何もない単純明快でストレートなネタを感動的に書いてくれる
人材が求められているのだ。連続ドラマのベタなネタが嫌われるのは、作りが粗末で感動しない
からだ。ひねりではない工夫をすれば、ありふれたネタでも面白く見れるのだ。水滸伝でいうと、
楊令と白嵐の友情を殺人計画に織り込むとかの工夫な。あるいは、殺害者の側にも、被害者と
同様に愛がある。陽性な楊志一家の家族愛とは対照的な李富と馬桂の陰気な恋愛な。
こういう複線化によって、“妻子を守るために闘って死んだ男のドラマ”というベタなネタでも、
面白くなるのだ。
無用なひねりなどは求めていない。ひねりにひねった作品がエスカレートして形をなさなくなった
美術や音楽を見ていれば、そのあたりの機微は理解できると思うがな。楊令伝は、それらに
近づきつつある。
だいたい忠臣蔵を勧善懲悪ドラマの典型と考える感覚は、いつの時代のものなんだ?
吉良上野介が意地悪な悪玉にすぎなかったのは、昭和30年代までの話で、昭和40年代以降に
作られた忠臣蔵で、そんな単純なドラマは、ひとつもないぞ?
赤穂も塩の産地、三河の吉良郷も塩の産地。浅野と吉良の対立の背景に、塩をめぐるトラブルを
置くのが、昭和40年代以降の忠臣蔵の一般的なやりかた。また、赤穂浪士の討入も、
亡君の無念を晴らすの一点張りではなく、御公儀の喧嘩両成敗を無視した裁きに異議を申し立てる
というニュアンスに変更されてきている。
「幻王殿、自分の時が止まった、と思ったことはあるか?」
「あるな」
「童貫元帥を討った時?」
「違うな。昭和40年から、ずっと」
二万の兵が、ついてきた。岳家軍では、最も精強な部分だ。
「しかし、孫範。二万の精強な兵は、平均して精強といえるのだろうか?二万もの人間がいれば、
当然、強弱の差はあると思うのだが」
難しい質問だった。孫範は、五十人の学級の中では、一番相撲が強かった。同じ学級の中に
敵はいなかった。孫範と対等に闘える相手は、校内に四人いただけだ。
そのような精強な相撲取りを二万人集めようと思うと、四千の小学校から五人ずつ精強な相撲取り
を集めなければならない。市内には小学校は三十校しかなかった。四千の小学校という数字は、
孫範の想像を絶するもので、いったいどうすれば二万の精強な相撲取りを集められるのか、
孫範にはわからなかった。
さて、いましがた、私は公園にいたのである。マロニエの根は、ちょうど私の腰掛けていたベンチの
真下の大地に、つき突き刺さっていた。
私は公園で、楊令伝の単行本四冊に火を付けて燃やした。これは楊令伝の皆殺しだ。楊令伝の
単行本を地中深く埋めても、それは皆殺しではなく、皆殺しをしたつもりになっているにすぎない。
楊令伝は、勢いよく燃えていた。
しかし、私は、肩の荷が下りたとも、満足しているとも言うことはできない。反対に、私は圧倒されて
いる。燃え尽きて灰になった楊令伝が、私を圧倒したのだ。
あの<嘔気>がやってきた。<嘔気>は、楊令伝を灰にしても、私から離れることはなかった。
文学的頽廃とは、いったい何であろうか。じつは、私は明確にその答えを出すことができない。
本編の前半だけ四ヶ月に一冊ペースで書き、続編は三ヶ月一冊ペースで書くこと。
大勢の登場人物を書き分ける煩を避けるため、主人公ひとりをすごい人にすること。
性描写の増加。
その種のものを、良風美俗の見地に立ってみれば、文学的頽廃と言える。文学的頽廃と判断を下して
動かぬ人たちも多いことと思う。しかし私には到底そういう判断を下す気持ちは起こらない。正式の夫婦
の正常位における性交以外は、すべて性的頽廃と見做され兼ねなかった時代が遠くに過ぎ去ったように、
将来において手抜きの復権が行われる予感を私は抱いている。
そんなことを考えているうちに、いつの間にか、彼は青春の時期の楊令になっていた。肘を曲げて、軽く
女の腕に触れてみると、女は躯を避けようとしない。さらに深く曲げた肘で、女の横腹を擦り上げるようにして、
乳房を下から持ち上げた。乳房の重たさが、ゆっくりと彼の肘に滲み込んできた。次の瞬間、彼はその肘を
離し、躊躇うことなく、女の腿に掌を押し当てた……。
>>717 岳家軍が民の皆殺しをした後の孫範と徐史の会話部分は、まさしく、このようだったな。
薄気味が悪かった。
二竜山の山賊が皆殺しをした後の会話などは、まったく違和感がない。
悪役には悪役の居場所というものが物語の中に用意されている。
彼らが皆殺しの後で、酒を飲み女を手篭めにしていても、それは悪役として当然やるべき
ことなので腹が立たないのだ。
普通に会話して岳飛を褒め称えている孫範と徐史の会話シーンは、ほんとおぞましかった。
青州から来た商人というのは、李富が南宋建国資金を得るために強盗をはたらいた開封府の被害者
たちなんだな。彼らの話を、熟女真の大商人に強盗を働いた楊令が聞くというのは、笑えるな。
おのれは李富と同罪やろが、糞バカタレ!
「楊令殿の民の国は、どこの民族の民でもいいのですか?」
「いいのです」
張平が言った。手は、猪肉を炙り続けている。
「民族ではなく、民。俺は、楊令殿が言われることを、そんなふうに理解してきましたよ。ひとつ
の民族が、ひとつの国というのは、欺瞞なんです」
「わたしは別に、ひとつの民族が、ひとつの国を作るべきだと言っているのではありません。
楊令殿の民の国は、どこの民族の民でもいいと言いつつ、建国以来、いっさい他の地域の
民を受け入れていませんよね。他民族のみならず、漢民族であっても。むなしくないですか?」
「そっ、それは、ひとつの民族が、ひとつの国…」
「楊令殿は、必死になって生女真と熟女真をひとつにまとめようとされていましたよね?両者の
融和を図るという口実で、熟女真の若い娘を攫ってきて、生女真の男の妻にした」
「そっ、それは、ひとつの民族が、ひとつの国…」
「もういい」
楊令は言った。
しかしwwまあwwこんな矛盾だらけの小説を、よく混乱しないで読めるものだなw
ある意味、感心するわwwwwwwww
「他を排する。つまり、金という国を排して、国を作りあげる。それは、漢民族としての
天下を求めている、ということでしょう」
「私が主張しているのは、抗金だ。金国が侵略してきたから、排すると言っている。
金を排さなければ、宋は金に侵略されたままだ。金国の領土に侵攻して、金国を殲滅
するとは言っていない。金国が宋の領土を侵さなければ、両国は並存できるのだ」
「それが、他を排するということなのです。ひとつの民族が、ひとつの国というのは、
欺瞞なんです。どうして、岳飛殿は、金国の侵略を認めようとなさらないのですか?岳飛殿
が抗金の兵を起こさなければ、金国は宋を侵略できるのですよ」
「侵略されるのが、そんなに嬉しいの?」
「そこに、欺瞞がある、と言っているのですよ。一見、正当に見える意見だから、欺瞞は
目立たないかもしれません」
「抗金の兵を起こさないと、宋は滅びるんじゃないの?」
「漢民族は、その多さゆえに、漢民族の国がなにより正しい、ということになるのですか?」
「馬鹿ですか?」
ついに現れたwww鳥越俊太郎以上の人物wwww
730 :
無名草子さん:2010/04/03(土) 18:51:46
「漢民族は、ほかの民族を受け入れず、この広い国土を自らのものにしようというのですか?」
「受け入れる、受け入れないの問題ではなくて、宋は金軍に侵略されているんだ」
「そこに、欺瞞がある、と言っているのですよ。一見、正当に見える意見だから、欺瞞は
目立たないかもしれません」
「面白いことをおっしゃる人だ、花飛麟殿は」
「わたしの考えではありません。わたしは北方謙三の書いたとおりを喋っているのです」
「ほう。その北方って人は、ずいぶん面白いことを考える人なんだね」
「水滸伝を書いているときは、そうではありませんでした」
「どうだろう、花飛麟君。その北方っていう人に、ワイドショーのコメンテーターをやってみる
つもりはないか、打診してみてくれないかね?きっと日本は、もっと楽しい国になるよ」
たしかに、今年のすばる1月号408頁の楊令・岳飛・花飛麟・張平の会話を読んでいると、
福島瑞穂や鳥越俊太郎が、まともな人間に思えてしまうよなw
単行本だと、13巻に収録されるんじゃないか?長い会話なんで、単行本化に際し、
大幅に改訂されることはないだろう。ほんと笑えるわw
>>731 笑える人はいいね。俺は、作者の健康状態が心配になったよ。
1月号のその部分を読んでから、連載を読み続けるを断念した。
扈一族を皆殺しにしたのは梁山泊というデマもひどかったが、金国が宋を侵略するのは
許せるのに、岳飛が抗金を唱えるのは欺瞞だという花飛麟には、それ以上に呆れたよ。
楊令もそれを否定はしていない。国がどうあるべきかについて絶対に正しい考えというもの
はないと、岳飛や花飛麟よりも自分は一段高い見地から考えていると自慢していただけだ。
わが心の故郷はモスクワとか言っちゃって、ソ連軍に侵略されることを真剣に望んでいた
日本の詩人もいたりしたんだよな、むかしは。ほんにキチガイ。
花飛麟は、そのあたりがモデルなのかね?
「俺の親父は、密州の塩職人だった。役人が横流しをした塩の罪を被せられて、首を刎ねられた」
笑って済ますことができないような、切実な響きがあった。阮小五は、じっと魯智深と名乗る坊主を
見つめた。
「なあ、阮小五。その役人は、俺の親父を殺すと、よく決心されたと思う。そこに、俺たちが入る余地は
なかった。孤独なんてもんじゃなかったはずだ」
「塩職人に横流しの罪を被せて、首を刎ねるなんていう決定は、俺らが立入ることができないところで、
されたことだ。役人がそれを決める時、孤独だった。それは、当たり前だと思う。孤独にしてしまったかも
しれない、と悩むのは、傲慢だって気もする」
阮小五は、豚の腿の部分に食らいついた。
「やっぱり、おまえに言ってよかった」
魯智深が顔をあげ、大きく息をついた。
「密州の塩役人は、天下を取るだろうか、魯智深?」
「そんなことを考えるのも、傲慢だった。天下を取る人間は、自分でも意識しないまま、大きくなる。桁はずれ
に大きくなるもんだ。あの塩役人は、俺の親父を含む二十数名の塩職人を皆殺しにした。役人は、俺たちが
どうこう言えないほどに、大きくなった。もう、手が届かないよ」
皆殺しにした相手が、たかだか生女真の統治に服そうとしない熟女真、岳家軍の統治に服さず
税を納めなかった民というところが、根拠薄弱なんだろうな。
たとえば、日本の戦国時代の小説で、主人公の領主が、叔父か兄弟に所領を押領されたとする。
主人公は戦に勝って所領は奪い返したが、肉親の情から叔父・兄弟を殺すことまではできない。
そのような状況下で、主人公が老臣に勧められ、肉親を殺す決断をしたという物語なら、孫範と
徐史の会話は感動的になるのではないか?
税を納めない百姓を殺したのでは、ドラマにはなりにくい。実際には戦国時代に、そのような事件
は多いのだが、ドラマ化は困難だ。とくに北方水滸伝のストーリーの流れの中では、挿入しにくい
エピソードだろうな。
それを、童貞にむかって「ソープへ行け」と言ってしまう手軽さで、民の皆殺しをさせたことに反発
があるのだろう。物語として練られていない。感動どころか、不快感しかない。
それでも、こんな楊令や岳飛を、「理想を述べるだけではない現実的な政治家」だとして誉めそやす
馬鹿な読者もいる。この馬鹿どもが目を覚ますまで、この件は叩き続ける。
皆殺しにされた民の側にも、ずる賢くて、いやらしいところがあるという描写を事前にすればよかった。
読者がそれなりの嫌悪感を殺された民に感じるようになっていれば、岳家軍の皆殺しも、大きな非難
の対象にならんよ。皆殺しにされた民については、まったく描写抜きだ。描写されないと、民は善良と
いう推定を受けるよ。読者は自らを「民」と自覚しているから、小説の中に出てくる「民」には同情的だ。
なにか楊令や岳飛の口ぶりを聞いていると、彼らは、民を自己と対立する物としか捉えていないね。
自分も「民」の中から出てきた人間だという自覚がない。
左翼が人民を語るときは、いつもそうだ。この思い上がりこそ、左翼が嫌われる最大の理由なんだけどね。
世間に向かってメッセージを発することのできる左翼の人は、恵まれた立場にあるんだよ。
あんたらが、民を自己と対立する物としか捉えていないのを聞いたり、読んだりすると、吐き気がするんだよ。
――わが社に就職を希望する理由をお聞かせください。
「交易と兵站の仕事をしたかったんです」
――兵站?うちは商社なんで兵站はやっていませんが。
「そうなんですか?楊令伝を読んでいると、交易と兵站は同じようなものだと思うのですが」
――どうして、そう思うの?
「兵站は“買った”物を前線の部隊に輸送する仕事でしょう。交易だって“買う”じゃないですか」
――それはそうですが。。。
「だから、楊令伝では、兵站担当が、みんな交易をやっていますよ」
――そうなんですか。ま、いいでしょう。
「内定、いただけますよね?」
――後日、連絡いたします。
就活君は、面接室を出た。
――彼、どこの大学?
――( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
――うそでしょうww
>>256 性格を変えて面白くなったキャラが、ひとりもいないんだわな。
屈折した武松は個性的だったが、過去を払拭した後の武松は、粗暴なだけの月並みなおっさん。
競輪場やパチンコ屋のお客のなかに、掃いて捨てるほどいる。
性格変更後の呉用は、変ったというよりも、何もしていない。なるほど好々爺っぽくはなったが、
武松や王定六が山中で出会った老人と同じで、チョイ役で登場すれば印象に残るが、出番の
多い重要キャラが、こんなに何もしないというのはダメだろう、という感じ。
楊令は、どこが変ったのか、よくわからなかった。梁山泊へ復帰した後は、他の将校や兵と歓談
するようになったと書いてあったが、それ以前は、ヒキコモリだったということなんだろうか?
あらゆるエピソードは、楊令がすぐれた人物であることを証明するために作られているようなんだが、
これだと楊令を好きになれない読者は、読むのをやめるほかないわな。
そのようにさせないために、いろんなタイプのキャラを出すのじゃないかと思うのだがな。
岳飛などは、民を殺戮するという楊令と同じ立場に立たされた。楊令と同じことをやったのだが、
楊令は成功者、岳飛は失敗者のように描かれている。
趙林や馬麟は、いくら頑張っても楊令のようになれない二流の人。費保や狄成は、「楊令すごい」と
言うだけのファンクラブ。阿呆らしくて、読めません。
水滸伝の梁山泊は、宋を倒すために集結した男たちの物語だった。
楊令伝の梁山泊は、単なる楊令ファン・クラブ。
人間誰しもご贔屓にする他人というものはあるけれど、タレントの追っかけをやっている
熱心なファンのようにはなりたくない。そういう人々とは一線を画した生き方をしたいのな。
だから、楊令ファン・クラブの生態を描いた物語などは、読みたくもない。
まして、楊令は犯罪者。つい最近も英国人女性英語講師を殺した馬鹿のファンというものが
発生してワーワーキャーキャー騒いでいたらしいが、そういう人間の生態を描いてもらっても、
読む気は起きないのよ。
「楊令殿はすごい」の連呼が典型だけど、この小説は、自画自賛をしている場面が多すぎる。
それが、読むのが嫌になる理由のひとつな。
楊令の作った新しい国を誰も褒めてくれないので、作中で杜興や岳飛に褒めさせる。
「実にいい国」「夢のような国」「きらびやかな国」
まるで子ども相手にインチキ商品を売っているテキヤの口上のようだよ。
むかし放課後の小学校の校門近くで、テキヤのおっさんは、「実にいい玩具」「夢のような玩具」
「きらびやかな玩具」という口上で、30円ぐらいの玩具を売っておったわ。
そういえば「美しい国」なんてのもあったな
内容的に水滸伝ほどの興奮度はないだろうなというのは、ある程度覚悟していた。
だけど、文章までが、こんなに読みにくくなるというのは、ちょっと意外でしたね。
北方謙三というのはコンパクトに引き締まった文章だと思っていたが、楊令伝は、回を追うごとに
冗長になってきた。三国志の頃なら2行で済ませていたところが、10行ぐらい費やしている感じ。
とくにドウカン・ファイトの後は、その傾向が著しくて、内容以前に、文章で疲れてしまう。
10頁ほど読んでも、話が先に進んでいないような印象のところが多すぎる。
ここ数回は10行ほど読むと、続きを読むのが大儀になるのな。
それと、「幻に負けた」だの「自分に負けた」だの、抽象的でわかりにくい議論を延々と続ける。
はっきり言って、何の話をしているのか、サッパリわかりません。
こういうのを読んでいると、高校の国語の授業における生徒の発言を聞いているようなんだよ。
事態を率直に眺めると、皆殺しをやり、無理な徴兵を繰り返した岳飛が、民の叛乱に負けただけでしょうが。
「微妙なところだな。商いを、国がやる。国のありように、馴染むのかな、それは」
「少なくとも、不正は起きない」
「どうして、そんなことが言える?宋が同じことをしても、不正は起きないと言い切れるのか?」
「この楊令がいるから、不正は起きない」
「民は殺されることがあっても、不正は起きないというのか」
「そうだ」
「生意気なやつだな。おまえの物言いを聞いていると、殺したくなる」
「俺を殺せば、黒騎兵は抜けられる」
楊令の喋り方が、陰気で高圧的で横柄な割りには、会話内容が小学生みたいなんで、
ギャグ漫画になっているんだよね。次の会話を読んでくれ。1月号の419頁だ。
(商人)「しかし、四百で買った物を、五百で売っておられる」
(楊令)「確かに。しかし、それが商いでしょう」
商いの一方の主体が、梁山泊という国家なので、(消費)税収益のほかに利潤があることを説明する
会話なのだが、こういうのを会話でやるのは、どうなんだろうな。馬鹿に見える。簡単なことなので、
視点人物は事前に調査しておいて、自分の頭で読者に説明しろや。
楊令は、梁山泊がやっている商いを、いずれは商人がやると言っている。
そのときは、1割の税収のみになり、2割の利潤は梁山泊の収入にならなくなるが、交易で財政を
立てている現在の梁山泊が、3分の1の収入になっても、やっていけるのか?
なんか馬鹿馬鹿しいにも程があるんだが。
「実にいい国」「夢のような国」「きらびやかな国」と作中人物に言わせると、読者も釣られて、
同じように「実にいい国」「夢のような国」「きらびやかな国」と思ってくれると考えたの?
それは、あまりに他人を舐めすぎているよ。世間って、そんなに馬鹿じゃないよ。
こういう自画自賛が増えると、「作者は、いったい何をあせっているんだ」と思われるだけよ。
どのような国にすれば、読者が「実にいい国」「夢のような国」「きらびやかな国」と思って
くれるかを熟慮して、作品の中に、具体的にその姿を提示しないと、逆に腹が立ってくる。
誰だって、他人(この場合は作者な)の自慢話を聞くのは、嫌だろう?
他人の自慢話を聞くぐらい、時間の無駄だと思うことは、ほかにない。
自慢話や法螺話をしたければ、クラブかバーかスナックかキャバクラでやれば?
そこは、客からカネを取って、愚にもつかない自慢話や法螺話を、お世辞を言いつつ
聞いてくれるところだから。
小説を売るというのは、その正反対よ。こっちが、客だ。
パッとしない主役になってしまった楊令に申し訳ないという義務感からなのか、続編に期待していた
読者を十分満足させられなかったことへの慙愧の念からなのか、最後に楊令に一花さかせて
やろうと一所懸命頑張っておられるのは、よくわかる。
しかし、楊令伝のつまらなさは、作者の能力の劣化とか、過密なスケジュールで執筆時間が十分
とれなかったという主観的な事情によるものではないと思う。
物語には客観的に適当な長さというものがあるのだ。
なるほど楊令が世に出たのは、水滸伝の18巻なので、楊令の一代記を書こうと思えば、水滸伝と
同じ長さの物語を書けなくはないだろう。しかし、李富や史進は、水滸伝の1巻から出っぱなしなのだ。
それが楊令というスーパーヒーローの登場によって、みんな物語の中で、居場所をなくしているのだ。
楊令伝で、そこそこの働きをしたのは、童貫と方臘ぐらいであって、他のキャラは、どれもこれも居場所
がないのだ。立ち位置の明確でない大量のキャラが液状化したように、物語の中で浮遊しているから、
面白くならないのだ。それもこれも、客観的に適当な長さを超えてしまった小説の中に、他のすべての
キャラを見下してしまう楊令殿を、後半になって投入したことによる。
つまらなさの原因が楊令の存在にあることは、一目瞭然なので、このまま続けても楊令は晒し者になる
だけだろうと思う。もうやめた方がいい。
北方謙三の書くものなら何でも好きだという作家固有のファンもいるんだろうが、三国志や水滸伝や史記
のように古典をタイトルに冠した作品だと、原典のファンも読むからな。
楊令が嫌われる最大の理由は、皆殺しや強盗をしたからではなく、前作の水滸伝で108人がやってきた
ことを否定したところにあると思う。
あんたらは甘ちょろいから童貫に負けた。俺は負けない。そのために、民の皆殺しだって平気でやる。
新しい国づくりは俺一人がやる。賛同できなければ、新しい頭領を決めてくれ。俺は、新しい国ができるまでは
頭領をやるが、できたら頭領を辞める。おまえらは俺と違って馬鹿だから、ひとりで決めるな。多数決で決めろ。
まあ、水滸伝19巻かけてやってきたことを全否定。要するに、宋江の志を実現するためには、梁山泊の108人
では無理で、俺のような優秀な頭領がいないとダメなんだと言っているだけ。
これで腹を立てずに読めというのは無理。
北方水滸伝はスタート時は、典型的エンタメ小説だった。腐敗した権力を民が倒すという構造も
そうだが、文体も古典的時代小説を踏襲していた。林冲の従者は、「あっし」という一人称で喋って
いる。どうぞ皆様、この小説で楽しんでくださいという謙虚さがあったな。
6巻あたりで魯智深が「権力奪取はきれいごとだけでは無理」ということを言い始めてから、「俺が
おまえらに教えてやろう」という、あつかましさが出てきた。
それでも50代の作者なんで、読んでいるやつはほとんど年下だから、それほど腹も立たない。
また、作中人物の晁蓋・宋江・魯智深等も、そこそこの年配なので、彼らが「教えてやろう」という
態度で読者に臨んでも腹は立たない。
ところが、楊令伝では、21歳の楊令というキャラを通じて、「俺が教えてやろう」という話になってきた。
腹が立たないやつはいない。
岳家軍の孫範と徐史が、民の皆殺しをする決意をした岳飛を褒め称えるシーンは、きわめて
不愉快だ。民は、蚊取り線香で殺される蚊か?
幻王のときもそうだが、殺された民には、死という制裁を用いるだけの罪科がない。
どうも恣意的な殺戮の決断ができる人物でなければ、頭領になれないといわれているようで不愉快だ。
もう少し創作上の工夫はできなかったのだろうか。
忠臣蔵でたとえると、いきなり吉良邸討入のシーンから始まった芝居のようなもの。討入のシーンだけ
見ると、屈強な48人の武士が屋敷に無断で押し込み、1人の老人を殺したにすぎない。
その前段に、浅野の殿様が切腹するというドラマがあるから、討入のシーンで観客は赤穂浪士を応援する。
孫二娘や武松の殺人は、討入シーンから始まった忠臣蔵のようなもの。
幻王の皆殺しは冒頭にショッキングな事件を持ってくるという作劇上の必要があったから、説明が後付け
になるのはやむをえない。しかし、岳家軍の皆殺しの前段で、岳家軍の徴税吏員が叛乱を起こした荘
の過激派に殺害された等の工夫ができたのではないか?
>「約30年前、本を出し始めた当時は何がハードボイルドか分からず、
>『俺が書くのがハードボイルドだ』と答えていた。
>謎を殴り合いなどの肉体で解決する小説を書いてきたのは、
>それが人間のリアリティーだと思うから」
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20100323bk15.htm?from=yolsp 楊令伝の作者は、こんなことを考えている人なんだな。
やっぱり頭ではなくて、かかとで考えて書くんだ。
そうであるなら、「幻に負けた」とか「自分に負けた」などの小理屈をひねりまわすのは
よした方がいい。
高校の現国の時間に、予習してきていない生徒に小説の感想を述べさせると、たいがい
こんな風に発言する。「主人公の弱さ」「主人公は自分に負けた」「主人公は強くて弱い」
北方水滸伝の成功は、原典のキャラに魅力があったから面白かったのか、そうではなくて
北方謙三の文才ゆえに面白かったのかという二者択一を迫られる問題ではない。
水滸伝という素材を選択して料理した北方謙三の才能に負うところが圧倒的に大だと思うのだが、
楊令伝のオリキャラの魅力のなさを見るとき、原典の果たした役割もまた大きい。
ところが楊令伝を読んでいて鼻につくのは、原典のキャラに魅力があったから水滸伝が
面白かったわけじゃないんですよ、ということを必死で証明しようとしているように見受けられるところ。
邪推かもしれないが、楊令と原典キャラの扱いの差を見ていると、ついそんな風に思ってしまう。
結果的には、楊令を持ち上げれば持ち上げるほど、物語はつまらなくなっている。
最近はめったに読まない楊令伝であるが、手許にころがっているすばるをペラペラめくって楊令登場
シーンを読んでいると、1週間ぐらい怒りがおさまらなくて、文句を言いたくなるな。
つまらんから、もう読むのも、書き込むのも、やめようよ。
42章〜44章を読んでみたが、ずっと同じことばかり書いてある。
すばるの最新号を読めば、新しいネタも出るかもしれん。
過去の叙述との矛盾を探せば、いくらでも出てくる小説なんでな。
しかし、それをやるのも疲れた。
1頁も読まないうちに飽きてしまって、続きが読めないというのが大きな理由だ。
続きが読めないというのは、不可抗力になりつつある。
754 :
1/3:2010/04/06(火) 16:58:35
あまり長いと賞味期限が切れるわな。
方臘戦を挟んで、梁山泊と童貫が闘うというところまでは、誰しも予想する展開なんで、
安定感のあるストーリーだ。まあ、5巻までに片付けていれば、面白くなっていただろう。
ダラダラと長すぎたので、面白くなくなったけど。
楊令による小さな梁山泊宣言は、物語がつまらなくなりますよ宣言といって過言でない。
梁山泊が旧宋の地方軍を傘下に収めて、中国の北半分を領有するという発想に至らなかった
のは残念でならない。「天下という魔物」で述べられた読者批判(おそらく当スレに対する批判)は、
的外れ。俺たちは、中国の北半分が「小さな梁山泊」だと思っているんでな。楊令伝の梁山泊の
小ささは、意味のない小ささなんだ。その後、楊令が商いによる中華の統一を打ち出すが、
そのここと現在の梁山泊の領地の小ささは、どういう関係があるのだ?どうして商いによる中華
の統一にとって、現在の領土が理想的なのだ?
755 :
2/3:2010/04/06(火) 16:59:45
宋の正統は南宋で続いている。梁山泊が楊令伝のように小さくなってしまうと南宋の存在意義すらなくなる。
梁山泊と青蓮寺は、水滸伝からずっと対立していた間柄なんだ。続編でも国境を接して、
対峙する関係に立たなければならない。宋禁軍を倒した戦果が、現在の領土というのは、不自然
すぎるし、他の領域を金軍が支配してゆく経過の描写も、お粗末すぎるし、何よりも、楊令が金軍
の進攻に関心をもたないのが不自然すぎる。
阿骨打が死んで、金軍との関係は切れたのではなかったのか?切れた軍が付近に進攻してきて
関心を持たない馬鹿がおるか?
諸国濫立する華北に、史実どおり斉国が誕生したが、5巻の梁山泊による領地獲得と同じような
蛇足的な誕生で、面白くも糞もない。その間、もっぱら国家としての岳家軍ばかり描いていた
というのも、史実を知らない読者に誤解を与えただけ。
756 :
3/3:2010/04/06(火) 17:01:14
税が安くなって喜ぶのは高額納税者だけであって、納税などしたことのない学生読者にとっては
ピンとこない話だよ。貧乏人の俺にとっても、税率の話なんてどうでもいい。
そこから、安い税率を補うための交易の話が延々と続くが、いつの間にか交易の道は商人に
払い下げる話になってくる。領土は小さいが、商いで中華を統一するというのも、わかのわからん
話だ。自国の領地以外に軍を置かない梁山泊が、どうやって他国の民に梁山泊と同じ富を保障する
つもりなんだろう。もう迷走以外の何者でもない。
内政をやるならやるで、最低限、ドウカン・ファイトが終了した時点までには、統一的な構想を用意
しておくべきだったのではなかろうか?とにかく右往左往して理解しにくい話が、ダラダラと続いて
いるとしか思えない。
税や財政ひいては財源確保のための交易の話は、不要だったな。
もしやるのなら、12世紀の宋・金の政治・経済をバッチリ調べてからやるべきだ。
楊令伝で描かれている世界は、現代でもないし、12世紀の中国でもない。共産主義の革命で
ないことをアピールするために、最近は、大商人を勃興するブルジョアジーになぞらえ、近代
市民革命前夜のヨーロッパを連想させる部分すら現れた。
こういう無国籍な国家を舞台にして、経済・財政の話をされても、歴史の勉強にもならんし、現代
の問題を考える上でも、何の参考にもならない。
妄想をクドクドと聞かされているだけで、時間の無駄。
<水滸伝>文庫1巻・278頁
いまも王倫が襲うのは、大商人の荷が多かった。役人と結託して得た利。一応の理屈は通っている。(朱貴)
<楊令伝>2巻259頁
「略奪は?」
「弁解する気は、ありません。生女真から搾り取った富を、熟女真から取り返しているだけなのですが」(楊令)
・・・ここまでは、大商人とは腐敗役人と結託して国の利を貪る者という位置づけだった。強盗されて当然の人。
<楊令伝>すばる1月号・420頁
「不正とみなしたのは、国です。王黼という宰相の名で、すべてを不正とみなしました。営々として蓄えたもの
までです」「南宋は、われわれの父祖の、血と汗で建国されたようなものなのです。倉に溢れる銀と言っても、
それは三代も四代もかけて蓄えられたものです」
・・・突然、大商人が古典的時代劇の相模屋さんではなくて、被害者の立場に変更された。それまでの、
朱貴、楊令その他の梁山泊の人々の認識不足だったと理解すればよろしいのでしょうか?
>>750 幻王や岳飛や孫範と同一化して、彼らが民を皆殺しにするシーンを読んでいる読者がいるのか
と想像すると恐ろしいね。戦争映画で作戦を検討している軍人のシーンには、すっと同一化できる。
兵といえども民なのだから、同様なおぞましさがあってもいいはずなんだが、不思議なことに
まったく感じない。むしろ勇ましい気分になって同一化できる。
それが民の殺戮となると、おぞましさしか感じられないね。
世間の誰もが忌み嫌う“弱い者いじめ”だからかね?こういうのが好きな人って、幼児殺しや
小動物殺しのグロ写真をニタニタしながら眺めているんだろうね。気持ち悪。死ねちゃ!!!!!!!!!!
>>758 >朱貴、楊令その他の梁山泊の人々の認識不足だったと理解すればよろしいのでしょうか?
単なるご都合主義だと理解しておいて下さい。
それから、わかりきった質問は、二度としないでください。
楊令伝の会話シーンと同じになってしまいますので。
「幻王の略奪によって、熟女真の商人は、死んだのです。大商人と言われる者は、ほとんど死に
ました。商人として、死んだという意味ですが。ご存知でしたか、楊令殿?」
「なんとなく、知っています。しかし、生女真から搾り取った富を、不正蓄財していたのですから、
それを幻王に摘発されたのは、自業自得でしょう」
「不正とみなしたのは、幻王です。阿骨打という帝の名で、すべてを不正とみなしました。営々として
蓄えたものまでです」
「利について、不正か不正でないかの線引きは、非常に難しい。国の都合で決められたりもする
のでしょう」
「金国は、われわれの父祖の、血と汗で建国されたようなものなのです。倉に溢れる銀と言っても、
それは三代も四代もかけて蓄えられたものです」
「不正ではなかった、と主張したいのですか?」
「そうじゃ、楊令。いや、幻王。わしは、貴様を殺すために、ここまでやってきたのじゃ」
習泥忽は、懐刀を取り出した。梁山泊の聚義庁では、帯剣が禁じられていた。楊令は、帝にでも
なったつもりか。習泥忽の剣は、聚義庁に入る前に、警護の兵が取り上げた。
しかし、安道全は、袖に隠せるほどの、小さく、切れ味のいい刃物を多く揃えていた。湯隆が打った
刃物だ。習泥忽は、それを取り出した。
「死ね、楊令」
習泥忽の刀が、楊令の喉を掻き切った。そして、心の臓を、深く貫いた。
ひとつだけ訊いていいですか?
楊令伝というのは、矛盾した部分、不整合な部分を見つけてゲラゲラ笑うための小説なんですか?
最近、矛盾・不整合を楽しむ小説のように思えてならないのですけど。
矛盾部分を突かれるのは、「楊令殿、すごい」の部分がつまらないから、それへのあてつけです。
「楊令殿、すごい」の部分は、日常生活でたとえると、結婚式の仲人のスピーチ。
「楊令君は、子午山大学を優秀な成績で卒業いたしまして、超優良企業の梁山泊産業に入社し、
若干18歳で林冲騎馬隊の隊長に抜擢されました。その後、女真商事に出向して、そこでは
民を皆殺しにして、手の届かないほどの大きな人物になられました。その実績を買われ、楊令殿
は21歳という若さで梁山泊産業に社長に就任されたのであります」
日常生活で出くわす出来事の中でも、この結婚式のスピーチほどつまらないものはない。
出席者が興味があるのは、披露宴の料理だけだ。それが美味ければ、みんな「いい結婚式だったね」
と言うのだ。楊令伝という小説は、この糞つまらんスピーチを延々と続けている小説。
面白いわけがない。
「楊令殿、すごい」は、小説でいちばんやってはならないことをやっているような気がするね。
小説を読んでいて登場人物や作者に親近感を抱くネタは、成功談ではなく、失敗談の方だよね。
昨夜読んだ小説の主人公は16歳の少年で、彼には好意を寄せる女性がいて、彼女の前で
いい恰好をしようとするが、女性の方ではその行動が気味が悪くて戸惑っているという内容のもの。
こういう失敗談は誰にでも一つや二つはあって、数年は思い出すと恥ずかしいのだけれど、
もう数年すると、若気の至りで楽しい思い出。似たような体験のある読者なら、その登場人物や
作者に強いシンパシーを抱く。
それに限らず、自分の知る他人の性格や言動にそっくりなものを小説の中で見出すと、楽しくなるものだ。
小説によっては、日常ほとんど体験できないような事件や人物を解き明かしてゆくものもあって、それは
それで面白い。でも、楊令伝は、両者のうちの、どっちをやりたいのかわからないのな。
自分の体験に照らして「こういうこともあるよね」とシンパシーを寄せる部分は皆無だ。かといって、民の
皆殺しをした幻王や岳飛が、僕たちが日常出会えないような人物として描かれているかといえば、そうでもない。
いかにも普通の人っぽい楊令や岳飛が、民を皆殺しにして、大きな人物になったと言われる不可解な物語。
どうも、民を皆殺しにすることと、童貞を捨てることとを、混同しているような気がしてならない。
成功談、失敗談でいうと、好感をもたれるストーリーは以下のとおり。
成功談―謙虚な人物が成功する話。うさぎとカメのカメ。蟻とキリギリスの蟻。
失敗談―傲慢でナルシストな嫌な人物が失敗する話。うさぎとカメのうさぎ。蟻とキリギリスのキリギリス。
楊令伝は、このセオリーの反対をやっている。1冊完結の短い小説で、実験的にやったのなら、
「面白くなかったけれど、まあいいか」で済ますことができる。あるいは、天才作家が
いて、このような非常識な題材であっても、感動的な物語に仕上げるのかもしれない。
(まあ、いないだろうが)
しかし、楊令伝の続編。前作を読んだ読者の予想を根底から覆すような非常識な物語の転換は
慎まなければならない。
これは幻王に民の殺戮をやらせたことが悪いといっているのではない。その幻王のストーリーが、
直接、楊令を梁山泊の頭領に迎えるストーリーにつながったことが不可解なのだ。
燕青が代弁した言い訳で、幻王の殺戮・略奪は正当化されていない。
最近の楊令伝は、第1巻の幻王の殺戮はなかったこととして物語を進めているような気がしてならない。
よそで書かれている読者の感想文を読んでも、楊令の話題には触れないように、という気配が見えるな。
まあ、楊令が好きだという読者は稀だろう。楊令から連想される人物は、オウムの麻原、秋葉原無差別殺傷
事件の加藤、チロを殺処分されて元厚生次官を逆恨みした小泉・・・、この程度か。
どうみてもまともな人間じゃない。
楊令伝を読みつづけている読者であっても、楊令はつまんないが、方臘と童貫がいたからという感想が多い。
このスレも、童貫戦死後、罵倒一色のようになった。楊令の登場機会が増えるだけで面白くないからな。
唯一の頼みの綱は岳飛だったのだが、1月号の楊令と岳飛の対話で、明確に、岳飛は楊令の下位にいる
人物ということになった。もう罵倒する以外にすることのない小説になってしまったな。
,j;;;;;j,. ---一、 ` ―--‐、_ l;;;;;;
{;;;;;;ゝ T辷iフ i f'辷jァ !i;;;;; 清濁併せ呑む人物は大人物・・・
ヾ;;;ハ ノ .::!lリ;;r゙
`Z;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;> そんなふうに考えていた時期が
,;ぇハ、 、_,.ー-、_',. ,f゙: Y;;f. 俺にもありました
~''戈ヽ `二´ r'´:::. `!
清濁併せ呑む人物を大人物と考えるのは、世代的特質なので、まあ許してやれ。
読者の中にも、そう思っている人が多い。つい20年ほど前までの小説や映画では、
清濁併せ呑む黒幕の大人物というものが、頻繁に登場していた。
現実世界でも、そのような人物を待望する妄想が蔓延していた。
外交機密費の明細をすべて公にできないあたりに今も名残があるが、それを扱う
政治家に「清濁併せ呑む人物」を待望する庶民の声は、ここ10年ばかりで消滅したな。
「ソープへ行け」の感覚が、恐竜クラスの古さなんだな。童貞であることを自慢する時代になって
しまっている。まあシャレなんだろうが。草食系男子という言葉も、すっかり定着してしまったし。
ただ、そんな弱々しい男にも飽きてしまったという声も、他方にはある。
そんな御時世の中で、水滸伝・楊令伝に期待されたのは、むかしのジョン・ウェインや
チャールトン・ヘストンや三船敏郎のような男くさいキャラの活躍だったんだよな。
それを考えると、民の虐殺・強盗・女を攫う楊令・岳飛は不要だった。
ジョン・ウェインやチャールトン・ヘストンは、そんなことはやらんから。
771 :
無名草子さん:2010/04/07(水) 15:33:06 BE:4871567399-2BP(261)
楊令伝そのものには、もうまったく興味がなくなってしまって、どのような終わり方をしようが
どうでもいい。興味深いのは、文庫化された楊令伝の巻末の解説に、どんなことが書かれるかだよな。
これは、いまから楽しみで仕方ない。
直截に面白くない原因を分析してくれる解説を期待しているが、業界人どうしの人間関係も
あるだろうから、奥歯にモノが詰まったような口調で称賛する解説が主流になるのだろうか?
こんな楊令伝でも絶賛するバカ解説をゲラゲラ笑いながら読んでみたいという気もする。
真面目に言うと、この作品を面白く読み解くためのヒントがあれば参考にしたいと思っているが、
いまのところ、自分でも思いつかないし、他人の感想からヒントを得たこともない。
水滸伝は連載開始早々に多くの批評が寄せられ、多くは絶賛していた。俺も、水滸伝は面白いと
思ったから、絶賛している批評に反感を覚えたことがない。ネットで公開されていたプロの批評も
多かったけど、楊令伝は素人の感想文以外は、あまりないね。
高い評価をしている感想文に心を打つような内容はまったくない。遠慮がちではあるけれど、楊令伝は
面白くないですね、ということを理由を付して書いている感想文は、こころを打つ。
楊令伝を読みながら、相槌を打つような箇所がまるでないので、批判的な感想ばかりをネットで探す
毎日になってしまったなー。
同じ作家の同じ小説を長期間にわたって読んでいることからくる“飽き”があるんだろうな。
飽きて文句ばかりを言っている連中は、水滸伝も楊令伝も、連載を通じて読んでいる
奴が多いんじゃないの?毎月1回必ず北方謙三の水滸伝を読む。それが10年続いている。
まあ、飽きるわw
山岡荘八の「徳川家康」も長いが、文庫化されたものを一気に読んだから、飽きはこなかった。
北方水滸伝には文庫から入ったという読者は、文庫を一気に読んで、引き続き3ヶ月に1度の
単行本なんで、まだ飽きてないんだろう。
ちょいと他の北方スレを読んでいて目にとまったのだが、
楊令伝の戦の場面には、「魚鱗や鶴翼」の文字すら出てこなくなっているんじゃないか?
楊令伝をもう長く読んでいないから、記憶違いかもしれないが、水滸伝までは、頻繁に
出てきていたような気がする。
それと、三国志では「枚(ばい)を噛む」も、戦場の必須アイテムだったのだが、楊令伝では
出てきていないんじゃないか?
「枚を噛む」が出てこなくなった理由が、前から気になっていたんだよな。
他の歴史小説では、枚を噛むのは、もっぱら馬。
北方作品では、もっぱら人なんだ。馬には草鞋を穿かせて足音は消していたが。
俺は戦国時代の戦にそんなに詳しくないが、常識的には、他の作家のように、
馬に枚を噛ませるのが正しいと思う。
人間は自分の意思で声を出すことを我慢できるが、馬には人間のような意思がない。
なぜ人が枚を噛み、馬が噛まないのか、不思議だった。
いずれにしても、このような近代以前の戦に特有のテクニカル・タームが出てくると、
時代小説を読んでいるという気分を味わえたよな。楊令伝は、それらテクニカル・ターム
が著しく少ない。
>>774 連載開始直後の対談で、「文体が変りましたね」という質問に対して、「中学生の読者もいる
から、彼らにもわかりやすいように書いていたら、そうなった。意識して文体を変えたつもり
はない」というお話だった。
だが、中学生ぐらいになると、時代小説特有のテクニカル・タームを使ってやった方が、彼ら
も喜ぶと思う。
邪推かもしれないが、俺は、この作品が世界の児童文学として、世界中の幼児の心に灯火
をつけることを予想されて、テクニカル・タームを使用することを極力避けられているのだと思う。
世界各国の言語に翻訳された楊令伝は、難しいテクニカル・タームもないから、世界の児童
に読まれる。世界の児童は、楊令殿や岳飛のように大きな人物になるべく、無差別に民を
虐殺しはじめる。世界は幼児による虐殺の阿鼻叫喚の中で、美しく生まれ変わるんだよ。
楊令や岳飛の皆殺しは、昨日も言われていたが、作劇上の拙さが目立つ。
たとえば、Aという人物がBを散々挑発したとする。Bは我慢に我慢を重ねていたが、
Aがいつまでも挑発をやめないので、とうとう我慢しきれなくなって、Aに反撃を始めた
とする。そのとたんにAは怯んだ。テレビ・カメラが、Bが反撃を始めた瞬間から撮影
を開始したとする。観ている人は、Bが一方的にAを攻撃しているように見える。
小説で、あえてこういう作劇をするときはどういうときか。読者にBを嫌ってもらいたい
ときではないかな?楊令伝は、楊令や岳飛を嫌ってもらいたいとしか思えないんだ。
とてもじゃないが、楊令や岳飛が大きな人物になったとは思えないぞ。
そうではないだろう。先に熟女真や納税をしない民が、楊令や岳飛を挑発していたというのなら、
吉良に挑発されて殿中で刀を抜いた浅野と同じになってしまう。それだと当たり前すぎる。
そういう筋書きで浅野を応援するような(作者に言わせれば)愚劣で陳腐な物語にはしたくないんだよ。
先に熟女真や納税をしない民が楊令や岳飛を挑発したわけでもないのに、楊令や岳飛は皆殺しを
始める。我々のようなブルジョア刑法と常識を信じる愚劣な庶民であれば、楊令や岳飛を狂人だと思うだろう。
ところが、忠臣蔵と違って高邁な物語である楊令伝では、そのような楊令や岳飛は、人物が大きくなる。
忠臣蔵を信奉する愚劣な庶民を覚醒させ、楊令伝の高邁な物語世界へ導こうという意図なんじゃないか?
ブルジョア刑法と常識を信奉していたのでは、楊令伝の高邁な物語世界は理解できないんだよ。
吐き気がするわ。
そもそも、人物が大きくなったということは、作者が作中で説明すべきことじゃないんだよ。
読者が、どのように感じるかという問題であって。
読者の反応を見て、楊令は大きくなったと説明を積み重ねると、ますます人物が小さくなった
ように思える。
初登場時に20歳だったキャラが、40歳になり、能力や言葉遣いに重厚さが加わってくると、
人物は大きくなったように見える。
楊令伝は、そういう簡単な成長描写ですら上手くいっていない。
初登場時19歳の史進は、40歳の史進よりも、はるかに立派な人物に見える。
楊令のように初登場時に7歳ぐらいだと、成長を描くのは、史進以上に難しい。
子役時代のイメージが強烈だと、何歳になっても、子役時代のイメージが抜けないからな。
まあ、頭領なんかにすべきじゃなかったよ。非常な困難に挑戦して轟沈したな。
もう、やる気がないんだろうよ。
水滸伝の前半には、年配のキャラクターが大勢いる。彼らの性格・言動との均衡をとれば足りること。
人物の成長を描くのが、それほど難しいことだとは思えない。
武松、呉用、宣賛、杜興・・・。どのキャラを見ても、王倫に劣るよ。
王倫は猜疑心の強い小人物だが、少なくとも人前での振る舞いは、楊令伝の梁山泊の連中よりも
品があった。見た目の品格というのも、人物を大きく見せる上では重要な要素だと思うよ。
史進など現代日本のふざけた高校生にしか見えない箇所が多々あった。
まじめにやってもらいたかったね。
奇抜なことをやって、新しい創造物が生み出されることは、よほどの僥倖に恵まれないと、
ありえない。ほとんど偶然の産物といってよい。
あらゆる面で常識はずれなことをやれば、物語の隅々まで常識はずれなものになる。
常識はずれをやれば、論理必然、常識はずれな物語になるということだ。
それ以上、付け加える論評のないのが楊令伝。
19歳の頃すぐれた青年であったならば、40歳になればもっとすぐれた人物になる。
そのようにならないのなら、小説らしく、彼が人生を踏み外すことになったイベントを設ければいい。
そのような事情がないのなら、順当に成長するのが普通の小説だ。
常識はずれなことばかりするな。
愚か者どもは自己の惨めな人生を振り返り、さも論評であるかの如く書き込む。
>>759 楊令が殺戮・略奪をした刑法犯だから、嫌われているということじゃないよな。
ルパン三世も、ボニーとクライドも、強盗だ。ルパンは事後強盗の場合が多いが。
「俺たちに明日はない」を観ているときは、警察に追われたボニーとクライドが、逮捕
されればいいのにと思っている人はいない。これは、青蓮寺の残党狩りにあった梁山泊
の逃亡者を読んでいるときも同じだ。日常生活では「強盗は逮捕されるべき」と思っている
普通の人が、物語の中では、犯罪者を応援しているのだ。倒錯しているが、面白い物語だと、
観客・読者は、それが当たり前だと思ってしまう。だから、楊令も、殺戮・略奪をしたがゆえに、
嫌われているのではない。理由は他にあるんだろうな。
ひとことでいうと、楊令伝は面白くない物語なんだな。だから、読者は、日常生活における
自分のままでいる。それで、殺戮・略奪をした楊令は、死ねばいいのに、と思ってしまう。
どこが面白くないかを探ってゆくと、楊令が出すぎたオリキャラだからということになるのかなぁ。
北宋末〜南宋初の歴史の中で、楊令の異物感は目障りなんだろう。
オリキャラが活躍する時代小説で、他に歴史上の高名な人物が登場する場合、オリキャラの
身分は低く設定される。もちろん、彼は剣の達人である等有能な人間ではあるのだが、
歴史上の高名な人物を凌ぐということはない。凌いでしまうと、「じゃあ、なんでそのオリキャラ
の名が歴史に残らなかったの?」という不自然さがあって、物語に対する興味を失うからだ。
むかし、次のような忠臣蔵を読んだことがある。
赤穂浪士の企てに共鳴したオリキャラが登場した。堀部安兵衛の飲み友達程度の出番だったら
我慢できるが、そのオリキャラの出番が非常に多い。剣術は安兵衛以上の達人。しかし、赤穂藩士
ではないから、討入には参加できない。それなのに、陰に陽に赤穂浪士の手助けをする。
要するに、暇人だな。ところが、物語の重要な局面になると、このオリキャラが大石の窮地を救ったり
する。そのような重要な役割を何度も果たす。読み終わってみると、このオリキャラがいなければ、
大石らは討入などできなかったよな、という感想を読者はもつ。
オリキャラがここまで活躍すると、赤穂浪士は、まるで木偶。なんか、赤穂浪士をバカにするために
この小説を書いたのだろうかと思ってしまう。
そのオリキャラを楊令、赤穂浪士を梁山泊の旧同志と考えてもらえば、楊令伝のつまらなさは、
一目瞭然。
青蓮寺はオリキャラ。読者は大して能力は高くないと思っているが、物語の中では有能という
ことになってる。原典には登場しない有能なオリキャラ青蓮寺が、楊令ほどに目障りだったかというと、
そんなことはない。「裏の組織」だったからだ。目障りにならないような工夫をしていたのだ。
楊令伝でも、この手法を用いるべきだったな。梁山泊は斉になる。頂点には旧宋官僚の清流派
である劉豫を頂くという形式にする。実権は梁山泊が握ってもいいだろう。しかし、金や宋の一派
と共同して作った国なので、楊令の独裁ということにはならんがな。
史実の斉は、叛徒の集団を取り込んでいたという記録が残っているから、斉の中の梁山泊というのは、
歴史小説ファンの空想力の範囲内にある。楊令伝の人口500万人の梁山泊国のような異物感
はなかっただろうな。
民を皆殺しにすると、人物が大きくなって、天下を狙える人物になれる理由がよくわかりません。
>国公立の幼稚園に通う子どもを持つ保護者に「理想の子ども像」を聞いたところ、
>「人に迷惑をかけない」のほか「礼儀作法をわきまえる」「ルールや決まりを守れる」という項目で、
>「そう思う」「ややそう思う」と答えた保護者が合わせて98〜99%に上った。
http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20100408013.html 楊令伝嫌いの理由は、案外、このあたりにあるのかもね。
「人に迷惑をかけない」・・・民を殺す、強盗、誘拐は、迷惑そのもの。ほぼ100%の保護者が嫌う。
「礼儀作法をわきまえる」・・・史進が嫌われる理由。
「ルールや決まりを守れる」・・・楊令伝の非常識な展開が嫌われる理由。
>一方、「リーダーシップをとれる」は合わせて54%、「人より秀でたところがある」は同じく59%だった。
楊令の長所は、世間ではあまり重視されていないんだわな。
>>771 楊令伝の文庫巻末の解説は、楊令伝は面白くないから読むな、とか書かないだろうよw
同時代の書評で、作品をこきおろすようなものは少ない。
公正な評論が出てくるのは、文庫が完結して数年経ってからじゃないか?
もっとも、最近の出版事情だと、文庫が出てから数年も人々の記憶に残るものは少ない。
結局、君が望んでいるような、楊令伝がつまらない原因を分析してくれるような書評は
現れないと思っていた方がいいんじゃない。
レコードや映画は、発表後かなりの期間が経過しても、CDやDVDで製品化されることがある。
その発売に際して評論したものを読むと、内容を公正に判断できることもある。
初めて発売されたときには書けなかった不満などを読んで、他人も自分と同じような感想を
もっていたんだな、ということがわかると嬉しいよね。初めて購買者の本音が聞けるのは、
ずいぶんと時間が経ってからだね。
>>787 自分の子が、「人より秀でたところがある」子に育ってほしいと願う親が59%だから、
楊令殿のように何をやっても一番という子を望む親は、いないだろうな。
楊令殿も一芸に秀でているだけなら、そんなに嫌われていなかっただろう。
自分が楊令殿と同じ万能の天才だと思っている自己肥大した阿呆は、小学校
低学年にしかいないだろう。アホクサ。それが殺人・強盗・誘拐をする。
もう絶対に同一化できないキャラだわな。
>>786 北方謙三以外にはわかる人がいませんので、楊令伝を繰り返し読んで下さい。
ひょっとすると、恋愛に悩んでいる童貞に、「ソープへ行け」と言ったときと同じ軽い気持ちで、
「天下を取りたければ、皆殺しをやれ」と言ったのかもしれません。
いずれにしても、我々正常な感覚の人間には計り知れない深い哲学があるものだと思われます。
楊令伝のように、多数の登場人物が出てくる小説で、楊令殿のような何でも一番の
キャラがいると、他のキャラとの共棲が難しい。現に、梁山泊の新旧のメンバーは、
全員魅力がなくなってしまった。楊令殿のキャラをこのように設定するのなら、楊令殿
の出番が5割以上の短い小説にまとめるべきだよね。そうではなくて、魅力のなくなった
他のキャラにも十分な出番を与えるから、糞おもしろくない。
「青臭い議論だけで、宋を倒せるのでしょうか、晁蓋殿?皆殺しです。抗う者は、兵であろうが民で
あろうが皆殺しです」
楊令は、杯を置いて酒を注いだ。酒といっているが、中身は水だった。
「青臭いか。私は、そうは思わないな。正しいことを言ったら青臭く聞こえるほど、この世は濁り、汚れ
ている。違うかな?」
「梁山泊軍は、宋軍に勝てません」
「それだけで片付けるのか。清河も濁る。しかし魚は生きる。当たり前のことだ。問題は、濁った水が
腐りかかっていることだと、私は思う。腐った水の中で、魚が生きられるか?」
「魚は皆殺しにすればよいのです」
「殺すために、殺したか」
「まさしく」
「梁山泊軍が、再結集する」
「頭領かどうかはべつとして、俺はいま、梁山泊軍に戻ろうとは考えていませんよ」
「誰も戻れとは言っていない。私が女真の地にわざわざ来たのは、一生梁山泊に戻るなと、おまえに
伝えるためだ」
台詞の言葉遣いだけでも、丁寧なものに変えてもらいたいね。
<水滸伝>
・「上申書のことで、高大尉に責められていたのですか、王師範?」(林冲)
・「母に苦労をかける、愚かな息子です。老いた日々を、静穏に暮らさせてやるのが、私の夢でありましたのに」(王進)
・「幼いころより、祖父に教えられました。剣は父に教えられましたが、自分には合っておりません。・・・」(薛永)
<楊令伝>
・「おう、宣賛。おまえだって、帝がいて、廷臣がいてって国しか、考えていなかったろう」(史進)
・「そうだ。こいつは、鼠みたいに隠れていやがった」(李俊)
・「おい、女。俺を、誰だと思ってる?」(戴宗)
793 :
一/二:2010/04/08(木) 17:29:44
右肩を突かれた。胸も、鳩尾も。
楊令はうずくまり、息を整えるために、しばらくじっとしていた。自分が泣いていることに、
はじめて気づいた。涙は、顎の先から乾いた地面に滴っている。
「民を皆殺しにしたことを謝罪したくないのか、楊令?」
楊令は、無言で頷いた。
「なぜだ?」
「俺は、男だから」
「男か、おまえは。魯智深が言ったように、ただのけものの雄ではないのか?民を殺し、財産
を奪う。子午山に来る前の鮑旭と、どこが違うのだ?」
「男に、なりたい」
794 :
二/二:2010/04/08(木) 17:30:04
肚の底から、声が出ていた。男になりたい。ほとんど、叫びに近かった。
「わかった。いまから、おまえがやるべきことを言う。幻王が女真の地で行った殺戮、略奪を
三十頁かけて反省しろ。自分の行いが間違っていたと、悔い改めよ。それが終れば、朝食を
摂ってよい。謝罪をしないおまえは、食い物を食える身分ではない。穀物は、農民の労働に
よって得られたものだ。それがわからないのならば、いますぐ、死ね」
「はい」
「慌てることはない。おまえは若く、時はまだ充分すぎるほどある」
795 :
1/2:2010/04/08(木) 18:25:28
【*本文】
「おい、カク瑾。熟女真の女の件は、上手く隠せたんだろうな」
楊令は、手にしていた鞭で、カク瑾の額を殴った。また、酔っている。カク瑾は、逃げ出したい
気分になった。いつまで、この糞バカタレに仕えなければならないのだろう。楊令伝のような
糞小説など、早く連載打ち切りになればいい、とカク瑾は思った。
気の小さい楊令は、攫って手篭めにした熟女真の女のことで、読者の不興をかっていることが
気になって仕方ないのだ。
「完顔成には、一生かかっても使い切れないほどの金銀を握らせました。あの女は、楊令殿を
慕っているのだと、次の巻で偽証するはずです」
「北方も、ちゃんと口裏を合わせるのだろうな」
「大丈夫です」
796 :
2/2:2010/04/08(木) 18:25:41
それでも不安なのか、楊令は、いつもの貧乏ゆすりを始めた。
気の小さい男だ。カク瑾は、楊令をあざ笑いたい気分になった。
「もとはといえばカク瑾、おまえが悪い。おまえは、俺が女を囲っている生女真の村を読者に紹介し、
女を囲っているのは楊令殿だけで、自分はそんなことはしていないと喋った」
しかし、それが真実だった。楊令の見境のない下半身には、カク瑾はほとほと手を焼いていた。
楊令伝の他の登場人物を買収して偽証をさせることが多くなった。そのため、交易で蓄えた金銀が、
もうすぐ底をつく。蒋敬は、いつも肩を落として、嘆いていた。
「楊令殿。そろそろ税率を五割に引き上げないと、梁山泊は…」
「わかっておるわ」
楊令の貧乏ゆすりは、いちだんと激しくなった。
「私は心配なのだ、史進殿」
「お気遣いをいただいて申し訳ないのですが、梁山泊は私が守ります」
「そうではない。私が心配なのは、史進殿のことだ」
「私をですか?」
「もう十年になるかな、水滸伝を読み始めて。十年前、史進殿の戦はこれほどうまくなかった。しかし、
なにか不思議なところがあった。そうだな、男が立っているという感じとでも言うのかな。決して戦に
負けていなかった」
戦がうまくなったからどうだと言うのだ、と史進は思った。十年戦をやり続ければ、誰でもうまくなる。
「いまは、馬だけが走っている、という感じなのだよ。楊令伝を読んでいても、史進殿をあまり感じない。
極端に言うと、いないような感じがしてしまうのだな」
不意に、心のどこかを刺されたような気分になった。いないとはどういうことだ、と言い返そうとしても、
口が開かなかった。
水滸伝の1巻を読み返していると、楊令伝が稀に見る糞小説になってしまったのが、よくわかるな。
ガキが夏休みの宿題で書いてきた作文みたいだ。とくに登場人物の言葉遣いの悪さには辟易する。
>>790 民の殺戮を何かのメタファーを捉えることは無理だろう。この小説は、ここまでリアルに徹して
書かれてきた。額面どおりに受け取るべきだな。
そうすると、北宋の文治主義、南宋の宋学のイメージと適合しにくくなってくる。
また、読んでいる21世紀の日本の読者は、生まれたときから、ずっと文明国で暮らしている。
いきなり旧共産圏で起きたようなエピソードを持ち出されても、理解に苦しむわな。
>>790 次郎長三国志や忠臣蔵では、次郎長や大石のリーダーシップの素晴らしさを読みたいのではなく、
二十八人衆や四十七士の銘々伝が読者のお目当て。
水滸伝も、同様の系譜に属する物語。原典が、108人集結までは面白いのに、終結後はとたんに
つまらなくなるのは、銘々伝が尽きるからにほかならない。
北方水滸伝も、この点では、原典を越えることができなかったな。張清ほか二名を残して、105人が
出尽くしたあたりから、失速は始まった。しかし、原典では好漢が方臘戦でまとめて死んでいったのに
対し、北方水滸伝では戦死場面を5巻〜19巻に分散させたので、原典後半のつまらなさは免れた。
楊令伝では、せっかく梁山泊が一度崩壊したのだから、梁山泊に再結集してくる新旧のキャラの
銘々伝を丁寧にやるべきだった。これがなかった。
さらに、新旧の全キャラの能力を、一足飛びに超えてしまった万能の楊令殿という設定がまずかった。
これによって、梁山泊には誰一人として魅力的な人物がいなくなってしまった。呉用が良くなったと褒める
人もいるが、あれは梁山泊の呉用ではなくて、方臘軍の趙仁。呉用は梁山泊のためには、何もしていない。
楊令伝で目立ったキャラといえば、童貫軍の将軍・将校や、燕軍や金軍や方臘軍の人間ばかり。
楊令殿ひとりを能力の高い人にしてしまったために、ほかのメンバーは魅力がなくなってしまった。
水滸伝では頭領の宋江が主人公ではなく、組織である梁山泊が主役という感じだったな。
複数人の協力によって、仕事を成し遂げるところが、読者に受けたのだと思う。
典型的なのが、第2巻の梁山泊奪取。中心人物は林冲だったが、計画を練ったの呉用。
医者、薬師、漁師、食堂の親父、王倫の部下、できたばかりの致死軍・・・。各人が各人の特技
を生かして協力し、ひとつの仕事を成し遂げる過程を読むのが楽しかったのだろう。
楊令伝には、この楽しさがない。
まあ、次郎長や大石の戦闘力が最強であるなら、子分の戦闘シーンで興奮することはできないわな。
常に次郎長や大石が闘えば、勝利の確率は高くなるならな。
誰一人として楊令に意見できない絶対君主なんで、誰も何も言わない。最近になって、李媛や宣賛が
意見を言い始めたが、数ヵ月後には楊令の意見が正しかったことを悟るという展開になるので、
「楊令殿はすごい」を証明するエピになっているだけ。
能力は楊令以下でも、人柄で勝負するという手もあったが、これもうまくいっていない。杜興ばかりが
その役割を担わされていたが、水滸伝序盤の晁蓋・宋江・盧俊義・魯智深と比較すると、魅力はない。
それ以前に、杜興の喋っている日本語が、よく理解できない。
楊令をすごい人にしたい意図が理解できなくて、薄気味の悪い小説なんだわな。
とにかく楊令のやることには、一点の誤りもあってはならない、すべて正しくなければ
ならない、そういう書き方がなされているように思える。
楊令の名を小説のタイトルに使ってしまったので、楊令がもっとも目立つキャラになる
のは当然だと思う。だが、もっとも魅力的な人物であれば足りるわけであって、能力的に
他のすべてのキャラを凌駕する必要はないし、まったく過ちを犯さないキャラにする必要
もない。
>>801 そもそも楊令伝のキャラには、「医者、薬師、漁師、食堂の親父、王倫の部下、できたばかりの致死軍・・・」
というような個性がないから、ドラマを作りようがないんだよ。全部、軍人というカラーしかない。
点数で表現して、80点の軍人、50点の軍人という能力値だけがある。
闘う以外に能がなく、その戦いも、どれも同じにならざるを得ない。
元官軍の将軍が官軍と戦うとか、元王倫の部下が王倫殺害に協力するというドラマが作れないんだ。
さらに、いつのまにか敵も味方も精鋭だけになり、山賊がヘボな地方軍と闘う、旅の途中で少人数の一行が
官軍に包囲されて山に篭る、そんな個性的な戦いも作れなくなった。
楊令伝の童貫軍は、梁山泊戦で多くの優秀な将兵を失い、方臘戦でも傷ついたのだから、もっとヘボ軍隊
にしてもよかったな。水滸伝の童貫戦で戦死した同志を今になっても称えることをするのなら、あの戦いを
最後の精鋭どうしの戦いと位置づけ、楊令伝の戦いは、精鋭は少数で、人数ばかりが多いヘボが闘っている
という位置づけでもよかった。精鋭インフレはつまらん。
物語創作のベースにある発想が、高度成長期の右肩上がり。
ここは古臭くて笑えるところだわな。
初めは少人数で単純な戦をしている梁山泊が徐々に大きく強くなる。
出てくる敵も最初は地方軍で弱いが、徐々に強くなって、最後は最強の童貫。
最強のものを出したのなら、それをピークに斜陽してゆけばよいのだ。
童貫は水滸伝ラストですでに50代半ば。楊令伝では歳をとり弱くなっているのが自然。
しかし、楊令伝になっても、ひたすらに右肩上がりの発想。精強です。もうすぐ北宋滅亡なのにw
童貫軍の兵数を減らすというのが、方臘戦を始めさせた梁山泊の戦略だった。
童貫軍は方臘戦で傷ついた。ところが、その後のドウカン・ファイトでは、
童貫軍の兵数は増強されていた。飽きもせず右肩上がり。しかも精強。
精強のシンボルは騎馬隊。この騎馬隊の増えること、増えること。
最強と最強の戦いで、楊令殿が勝利。楊令殿、すごい。単細胞で笑えるわww
戦ばかりで読者が飽きると思われたのか、楊令の新しい国づくりが始まった。
これがまた最悪w
まあ小さい梁山泊というのは理解できなくはないが、境界線をバッチリ引いて、外の住民は一切
受け入れませんという息苦しさ。そのくせ、岳飛には、楊令殿の新しい国は、漢民族には限らず
誰でも受け入れる素晴らしい国と、大法螺を吹いているしww
税金が安ければ民は喜ぶだろうという発想が、素朴すぎて、泣けてくるなー。
梁山泊のおかげで戦が増えて、喜んでられないぞと思っている民もいるだろう。
変人の頭領が周囲の国々との協調を一切考慮しないので、梁山泊国が袋叩きにされないかと
不安を抱えている民の多いだろうね。
「だけど税率が安いのだから、喜べ、おまいら」と、無邪気な楊令殿。
807 :
候真:2010/04/09(金) 15:50:32
黒騎兵は楊令殿を殺さないと抜けられなかったのですけれど、梁山泊国も、楊令殿を殺さないと
抜けられないのですか?
>>806 まあドウカン・ファイトが終ってからの楊令の国づくりの話は、中高生の妄想レベルに落ちてしまったな。
もうやめりゃいいのw
俺は性欲に負けやすい中高生だったので、楊令殿のような妄想を抱く暇がなかった。
弁当箱のフタの裏側にくっついた海苔を剥がしながら、昼休みに楊令殿のような妄想をしていた中高生
がいたのかと思うとキモいな。
809 :
無名草子さん:2010/04/09(金) 16:01:12
北宋が滅んで金が華北を征服するという史実を、物語の背景として扱うだけなら、梁山泊と宋以外の
登場人物を、たくさん出す必要はなかったんだよな。しかも、耶律越里と斡離不の従兄弟関係とか、
劉彦宗と韓伯竜の師弟関係などは、まったく不要。こういう関係を出したはいいが、エピソードに昇華
できないので、唖然とするようなくだらないネタで落とし前をつけた。
このあたりは、読んでいて情けなかったね。
そうそう、耶律越里と斡離不の従兄弟関係は、完全スルーだったな。韓伯竜についてのみだ、くだらない
落とし前をつけたのは。
韓伯竜と韓世忠の異母兄弟関係なども不要。韓伯竜が入山前の人脈を生かして情報収集にも能力
を発揮し、韓世忠について詳細な報告を聚義庁に提出する。そこで、史進が、
「ずいぶんと韓世忠について詳しいんだな。ひょっとして腹違いの兄弟じゃないのか?
親父によく聞いてみろよ、韓伯竜w」という冗談で流せば足りる程度のネタだわ。
姓が同じ人物を見つけると、無理やり親族関係に持ち込んでしまう、現在の傾向は悲しいね。
「異母兄弟といっても、むこうは覚えていないでしょう」
「師弟関係といっても、むこうは覚えていないでしょう」
と、エピソードに発展しませんよという、念を押してはいたがな。
だったらわざわざ兄弟や師弟にする必要はない。
意外に物知りな韓伯竜ということにしてやればいいじゃないか。
まあ、楊令殿よりも物知りがいると、楊令殿の頭領の地位が脅かされるのではないかと
心配でならないのだろうがw
∧_∧! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__( ;´Д`)__< 楊令殿の頭領の地位が脅かされるのではないかと思うと、夜も寝むれません
| 〃( つ つ | \_______
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\ |______|
結局、戦をやって勝ったり負けたりしているだけの小説だな。
親族関係を複雑にして、それが次の展開に影響するのかと思わせるだけの叙述を
挟んで、戦の合間をもたせている。それと、食事とセックス。
替天行道には宋を倒した後の新しい国づくりのことが書かれてあったということで、楊令殿
はせっせと国づくり。宋を倒したはいいが、その後にどんな国を作るかを考えていたのは、
実は楊令殿だけでしたというオチ。他の同志は、子ども扱い。なーんにも考えていなかった馬鹿。
華北を制圧する大きな国を作るのはめんどくせーし、史実厨に斉との矛盾を突かれるのが
めんどくせーから、小さな梁山泊にする。
反対する連中は、同じ民族が一つの国を作らなければならないというテーゼは欺瞞にすぎない
と批判。それに気づかない岳飛も、馬鹿扱い。
勝手にやってろ。
物語の肝の筈の楊令の成長の過程の苦しみが描かれてなくて、
オレは苦しんで略奪とかしちゃったけど、お金儲けの国が心に光りを当てたぜ!の事後報告だもんな…
楊令の視点が初めて出てきたのが、梁山泊に復帰してから、かなり時間が経っていた。
幻王時代の殺戮・略奪のことを、そろそろ読者が忘れたかなと思われる時期だった。
であるから、幻王時代の苦しみなどは、読者にまったく伝わっていない。
すべて他人視点で幻王を客観的に描いたので、楊令が心底正しいと信じて殺戮・略奪
をしたようにも取れるし、虚勢を張っているようにも思える。
苦しんでいたようには見えない。女を攫って、気持ちのいいことをしていたからな。
二つに村に女を囲っていたと書いてあったから、最低ふたりはいるということだろう。
後付けで、恋愛だったように変更するなよ。
第3巻で王進と再会したとき、楊令は「自分は間違ったことはしていない」と言った。
師弟再会の場面では、弟子は本音を述べるというのが暗黙のルールなので、この
発言によって、楊令は正しいと信じるところを行ったのだと思った。
また、同じような状況にあった岳飛が、皆殺しをすることによって「本物の花」になった
と言ったから、幻王の場合も、これと同様なんだと思った。つまり、確信犯。
>>720 楊志殺害シーンをドラマチックに盛り上げたのが白嵐という犬の存在だな。
白嵐の嗅覚というものが存在しなければ、楊志一家は安全な場所にいたわけだ。
楊志一家の密会は曹正が宰領して安全な場所を選んでいた。
さしもの青蓮寺でも、密会場所を突き止めることができなかったのだ。
ところが馬桂は白嵐を楊令に近づけ、暗殺に利用した。
犬と少年の友情という無垢なものを、凶器に転換したのだ。
この瞬間、楊志一家の安全は脅かされ、ドラマはスリリングに盛り上がる。
また、暗殺団の卑怯な手口に、読者の怒りがわいてくる。
作者は、このような結末から逆算して、白嵐という犬を登場させて、楊令に近づけた。
王和が偶然、楊志に会いに行く楊令と済仁美を見つけて、跡をつけて殺しただけなら、
楊志殺害シーンは、あんなに盛り上がってはいないよな。
まあ、この程度の細工はしてもらわないと、ドラマは盛り上がらないよ。
楊令伝には、結末から逆算して事前に細工を施すという工夫がまったく見られない。
とりあえずキャラをばら撒いておいて、兄弟だ、師弟だと、後付けの関係をつけるが、
それが生かされた例がない。出たとこ勝負。
それどころが、登場人物を新たに出すことそれ自体を、イベントと勘違いしている節がある。
個性も魅力もない人物の数だけ増やしても、物語の筋が見えにくくなるだけ。
それとも、自分の描き出す人物は、すべからく魅力的だとでも思っているのだろうか?
勘違いも甚だしい。
文句ばかり言っている連中は、楊令伝の見方が甘いと思う。
もちろん俺も、北方水滸伝は面白く、楊令伝がつまらないという結論に異議はない。
しかし、原典を思い出してみろ。
原典も108人が結集するまでは面白く、その後は面白くない。
楊令伝は、そういう原典に忠実なだけだ。
そういや、原典が決定的に面白くなくなるのが、招安を受けてからだよな。
招安によって物語が180度転換する。その後は、退屈な戦ばかり。
楊令伝で物語を180度転換するエピソードは、幻王の民の殺戮だ。
ここから、楊令伝は決定的に面白くなくなる。退屈な戦ばかりの小説になる。
まあ全巻つまらないということになるが。
それなのに、楊令伝は10巻完結予定を延長して15巻にした。
ここも、原典の100回本が、120回本に延長されたのと同じだな。
つまり、20回増やして、糞面白くもない田虎戦と王慶戦を増補した原典。
楊令伝も、糞面白くもないガクヒ・ファイトを増補する。
>>820 >個性も魅力もない人物の数だけ増やしても、物語の筋が見えにくくなるだけ。
原典の70回以降が、そうなっているから、踏襲しているだけだと思う。
遼、田虎、王慶、方臘のところで登場するキャラは、石宝を除くと、
どれも楊令伝のキャラのように、無個性で魅力がまったくないからね。
小説の良し悪しというのは相対評価だから、比較の対象になる有名作家の有名作品があって、
それを凌駕しているときに、あとから執筆された新作が高く評価されるだけだろ。
「三国志」と「水滸伝」は、吉川英治のものが最も有名だけど、それが少し古くなってきた。
それ以降の作品も、基本的に吉川英治の真似っこの同系列作品。
(別系列のもあるが、大作ではないため、吉川英治のものと比較してもらえなかった)
北方謙三は、大幅に違った。しかも面白かった。だから高い評価を得た。
楊家将などは、日本に比較すべき作品がないため、いまいち盛り上がらない。
作品中の国名と人名を三国志のものと入れ替えると、三国志と勘違いしてしまいそうな作品。
楊令伝も比較の対象となるべき古い大作がない。続編であることから、北方水滸伝と比較
されるだけだ。だから評判が悪い。
北方三国志は、各パーツの叙述をコンパクトにして、原典の冗長な部分を割愛した。
割愛した部分を正史の情報に入れ替えたような作品なので、好感をもたれたのだろうな。
オリキャラも登場したが、楊令のように出すぎたオリキャラはいなかった。
楊令伝は正反対で、正史の情報が少ないのに、各パーツの叙述が冗長。
しかも、楊令殿だ。
三国志でたとえると、後漢を倒した陳礼が、税率1割だ、交易だ、自由市場だと騒いでいる
作品。同時代に生きた曹操や孔明が聞けば、「こいつ狂人か?」と思えるようなことをしている。
時代小説・歴史小説の最低限のルールは、形だけでもいいから、舞台となっている時代の
制約を見せることだと思う。全面的に時代の制約の下に物語を置くと、書きたいことが書けなく
なるから、形式的な部分だけでいい。
三国志や水滸伝は、まあまあそのルールが守られていた。戦のシーンなどは、かなり慎重に
時代の制約を遵守していた。
楊令伝は、ほぼ全面的に無視だ。こういうことをやりたいのなら、近未来小説でやれよ。
肚が立つだけだから。
率直に言うと、楊令伝のような時代小説もどきが増えてほしくないのな。
理想を言うと、絶滅してもらいたいんだがね。
日本ミステリー文学大賞を受賞されたことだし、そろそろあちらの世界に帰ってもらいたいのね。
こんなルール無視の作品で荒らすのならばね。
>>826 最低限のルールというのならば、もっと緩やかな基準でもいいよ。
せめて「むかし」を思わせる描写を、ちょこっと挟んでもらえばいい。
フィクションを読むのは、旅行と同じで、日常と違う世界で遊びたいわけだ。
時代小説一般に対して求められているのは、「むかし」だろう。
正確に12世紀の中国でなくてもいいから、「むかし」を思わせる描写を入れてくれ。
水滸伝シリーズは、キューバ革命が俺様に夢を与えていた頃の話を書きたいのかも
しれないが、そこばかりを書いていると、露骨に戦後日本になってしまうがな。
夜間、会話する登場人物のいる部屋の窓から、蛍の飛ぶのが見える。
梁山泊の誰かが農民の暮らしを視察する。あぜ道に蛙がいる。蜻蛉が飛んでいる。
その程度でいいんだがな。
むかしはよく見かけたけど、最近はあまり見なくなった動植物。
ハードボイルド小説というのは、動植物が出てこない小説のことなのか?
あの長ったらしい会話や、長ったらしい戦の描写をやるスペースをちょっとだけ割いて、
もう少し他のものにも目配りをしてみてくれ。
ほんと殺伐としていて味もそっけもない文章になってしまっている。
殺戮がなくて、食事をしていても、殺伐としているのだ。
ちょっとでいいから、出てくる人物の周辺の様子にも気を配ってくれんか。
核戦争によって地球上にわずかな人類しか残っていない近未来に、廃墟になった街で、
その僅かに残った人類が戦っている映画が、いっとき流行ったな。
西部劇が流行らなくなった頃に、そういうのが流行った。
ロケーションは廃墟だから、殺伐としていて見るところがない。低予算で製作するには
もってこいだったのだろう。近未来だから時代考証もへったくれもない。奇抜な恰好をした
人物たちが闘っていたよ。
楊令伝を読んでいると、それを思い出す。
隊商が移動するシーンで風景が出てきても、情景を想像する手がかりがごくわずかしかない。
『森の中。時々、木の枝が顔を打つ。・・・ 森を抜けた。小さな岩山を迂回すると、草原の中に
火がいくつか見えた』
こんな感じだから、自分の体験の引きだしから、スッと情景が出てこない。
したがって、殺伐とした風景になる。
また、視点人物の目の前に風景があっても、遠くから風景を写しているように見える。
上記の一節だと、『木の枝が顔を打つ』だけは、枝が目の前に見える。しかし、他は全部遠景だ。
まあ、風景は無いに等しい。
>>833のいう映画はTV用の低予算映画だが、一時期、外国でたくさん作られたね。
俺も楊令伝を読んでいると、そんな廃墟の風景しか目に浮かばない。
風景の描写が少ないのは、ずっとそうだ。
熟読玩味したくなるような引き締まった文章であれば、それらの短い風景の描写から
想像をめぐらす楽しみもあった。
いまのように、とてつもなく長い会話や、戦闘描写が続く中で、たまに風景の描写が
出てきても、誰も情景を想像するようなことはせんだろう。
>>775 ついこのあいだまで、専門の学者が絶賛するような小説を、中学生が平気で読んで
楽しんでいたわけじゃない。わざわざ中学生にもわかりやすく、なんてことを考える
必要はないんじゃない?
新ネタが皆無といっていいほどにないよな。
小さな梁山泊を作って、物語の展開上面白くないだろうという批判を浴び、
それに反論する。
馬鹿みたいなことをして、批判され、反論するというだけの小説になっている。
それがネタといえばネタ。それで頁を埋めているようなもんでねぇ?
北方水滸伝を熟読すれば、発展させてもよいネタは、ずいぶん拾えると思うのだがな。
聞煥章と扈三娘ネタのように。もっともこれはくどかったがな。
ムルハーンのおばさんが喜ぶからだろう。
>>822 各巻の感想文を読むと、戦のある巻が人気があり、ない巻は盛り上がりに欠けるという
パターン化したものが多い。まんざらウソでもないんだろうが、何度も同じような戦で
飽きないのだろうか。俺は、水滸伝ラストの童貫戦以降、面白い戦を読んだ覚えがない。
楊令伝の童貫戦は、戦死者確認のために流し読みしていただけだ。
一騎討ちばかりの原典との比較で面白い戦だと思っていただけなんだよな。
北方本のほうが組織立った動きをするから。
騎馬隊ばかりになってきてから、つまらなくなった。
「レッドクリフ」で騎馬隊が歩兵にやられているシーンは痛快だった。
楊令伝の反対のことをしている映画や小説は面白いな。
それと、ネットで楊令伝をこきおろしている感想を読むのも好きだ。
「そばにいろ、張平」
寝言のように、楊令は呟く。
「俺が眠るまで、躰に触れていてくれ。おまえの陽根を、俺に押しつけていろ」
「楊令殿。眠くなってきました」
「ともに、眠ろう」
それ以上、言葉は出なかった。
深い眠りだった。
「楊令殿」
張平は、躰を起こそうとした。なにか、おかしい。温もり。それが、どこにあるのか。
上体を、やっと起こした。
濡れた掌が、赤かった。なんなのか、しばらく張平はそれを見つめていた。それから、そばで寝ている
楊令に眼をやった。
腹が裂け、はらわたが躰に絡みついていた。一部は、張平の男根にも巻きついたようになっている。
顔は、赤い。人の顔ではない。いや人の顔だが、皮を全部剥ぎ取られ、赤い肉が露出しているのだ。
楊令の顔を覆っていた陰惨な火傷の痕が、みごとになくなっていた。
「綺麗な顔になられました、楊令殿」
楊令殿には、めいっぱいグロい死に様を望みたいな。
「この国は、民のための国だ、と思うことにします。苦しむ、民のための国だと。苦しむ
のは当たり前でも、他国に苦しめられはしない国。俺はいま、そう思っています。そして
これまで、そんな国があったためしはない。俺は傭兵のようになるのでしょうが、抗金
という、絶対に譲れないものは持っているつもりです。花飛麟殿は、どう思われる?」
「岳飛殿の言われることが、当たり前のようでいて、欺瞞に満ちていると思いますね。
当たり前のことをやって、この国は駄目だったのです。誰も、きちんと治めることは
できなかったのです。天下を求めることは、欺瞞の中にいる自分を肯ずることです」
間が抜けた答えであることはわかっていて、言ったのだ。抗金を唱えることが、論理
必然、天下を求めることと繋がるわけではない。ドイツに占領されたフランスのレジス
タンスが天下を求めていたのではないことなど、説明するまでもないのだ。
しかし、ここで喋るあらゆることで、岳飛はなにかを測ろうとするに違いなかった。
間が抜けているが馬鹿ではなく、いかにも左翼っぽいので扱いにくい。楊令殿の部下は
その程度がいいのだ。
時々出てくる楊令伝中の論理の飛躍というのは、いったいどうして生じるのだろう?
あなた、見えない敵と闘っていませんか?
宋の野党である梁山泊と、外国の金が共同で斉を建国する。中華の北半分は斉だ。
南半分は、かつての与党の南宋。
斉と南宋は国境を接して対峙する。
斉は南宋に戦で勝ち、常に優勢。
そのうち協力関係にあった金国の影響を排除して真の独立を勝ち取ろうとする。
金国はそれを許さない。結局、金国と南宋が裏で同盟を結び、斉を滅ぼす。
金、斉、南宋に、現代の国や政党を当てはめると、現代に似たような状況を見出せて、
面白いドラマになったではないか。シンプルでわかりやすいし。
楊令伝の梁山泊国は、複雑すぎてサッパリわからん。
すばるだけだと地図がないから、梁山泊がどこにあるかもよくわからず、どの程度の広さかも
わからない。岳家軍や張家軍もそうだった。
それに、最近やけに地名が細かい。単行本でも、細かな地名までは地図に載せられないんじゃ
ないのか?
チベットを除く現在の中国の領土を、金、斉、南宋の三つに分けるのが、もっともシンプル
でわかりやすいねん。
2対1で、1の国が負ける。
斉は金と梁山泊が共同して作るから、最初は南宋が劣勢や。
最後は金と南宋が同盟して斉をつぶし、史実に戻る。
梁山泊国だ、岳家軍だ、張家軍だ、その他に斉だとぐちゃぐちゃやっているから、サッパリ
わからんね。
三国志の領土関係は、すごく複雑だけど、あれはメジャーな物語で、誰でも知っているから、
問題なく、複雑な領土関係をそのまま小説でやればいいんだ。
フィクションの楊令伝で、史実以上の複雑な領土関係を作って、どうするの。
しかも、地図のないすばるで、どこにどの国があるのか、金と南宋以外は、わからないよ。
中国史が好きで、水滸伝から読んでたけど
まさか楊令伝が、こんなに続くとはおもわなんだ。
3巻で止まってたけど、また読み始めようかなと思ってる。
しかし、この楊令伝て、水滸伝みたいな三大演技とかと違って
どういう視点で読めば良いのか分からない。
荒筋も知らないし。どうなるんだろう・・どういう気持ちで読めば良いのかな。
で、岳飛伝とも繋がるんだよな。どこでかな・・ややこしいな。
>>851 史実は背景として出てくるだけなんで、知らなくても大丈夫。
戦をやって勝ったり負けたりしているだけの小説。
あとは楊令がおよそ12世紀とは思えない現代的な話をグチャグチャやっているだけ。
もっとも、僕は、そこが不満なんだけどね。
史実は物語の中に取り込まなかったというよりも、取り込めなかったという感じ。
徐絢という梁山泊の女間者が宗沢に接近するというエピもあったけど、彼女も
史実とフィクションの橋渡しはしていない。侯真とセックスをしていただけ。
岳飛・韓世忠・張俊・劉光世は登場するけれど、史実の彼らとはまったくの別人で、
99%フィクション。阿骨打の息子の斡本・兀朮・訛里朶も同様で、史実とは似ても
似つかない人々。だいいち金軍の騎馬隊がとくに強いわけではなく、梁山泊や宋の
騎馬隊が強いのだから、史実もへったくれもない小説。
靖康の変は、作者も歴史を勉強していないわけではないですよ、という申し訳程度に
出てくる。ほぼ李富が一人で語っただけの内容。こういうところに登場人物を配して
ドラマを作ろうという気配すらない。史実は背景として軽く流していれば充分という認識
なのだろう。つまり、日本の捕物帖のような歴史認識。
捕物帖は平時が舞台だから、そのような歴史認識で十分なんだろうな。
しかし当時の風俗に関しては、ちきんと時代考証をしているぞ。
楊令伝は、わざわざ歴史の変動期を選んで舞台としたのだから、捕物帖
のように歴史は単なる背景という認識では駄目だと思うけどね。
しかも、経済や財政について言及するのら、それらについての時代考証
は十分準備すべきだったのではないかと思うがね。時代も国籍もないテキトーな
舞台で、楊令が好き勝手をほざいているドラマに、どういう魅力があるというのだろうか?
人気のない楊令殿が交易の話を始めても盛り上がらないね。
蒋敬の発案で、蒋敬が楊令に進言して、梁山泊の交易が始まった
という展開なら、評価は違ってきていたかもな。
>>852 オリキャラが多すぎたというか、オリキャラ比率が高すぎた。
方臘軍は比較的原典の著名キャラで固められていたが、それ以外はオリキャラばかり。
一人一人をじっくり描く時間があるならそれでもいいが、わずかな登場時間しかないのに
オリキャラばかりだと、まず覚えてもらえない。
水滸伝の何恭や蒼英は出番が少なかったが、オリキャラ比率が低かったので覚えて
もらえた。
岳家軍などは、どうせ名前だけ借用なんだから、オリキャラじゃなくて「岳飛伝」に出てくる
人物にすればよかったね。「岳飛伝」なんて日本人は知らないだろうからオリキャラにしておけ
というのは乱暴。岳飛の部下の各人を描くことのできるスペースを考えると、名前は付いて
いても匿名キャラと同じ。史伝に登場する人物だと知ってる人はいるし、知らなくても後日の
読書につながる。史伝のエピソードを引用する時間がないからオリキャラにしたのかもしれ
ないが、多少なりともエピソードを引用していれば、楊令伝も面白くなっていたんじゃない?
金軍がいちばんひどかった。途中から史実キャラも出てきたけど、最初は阿骨打しかいなかった。
水滸伝で副官をしていた完顔成すら、第2巻には出ていなかった。
選りによって唐昇と許貫忠を金軍にスカウトするという不可思議な展開。
唐昇やら許定というのは、弱い官軍を象徴する人物。
後で、董万、趙安、宿元景、童貫と徐々に強いのが出てくるから、カス同然の人物なんだよな。
どうして使い回すのかな?
>>857 >唐昇やら許定というのは、弱い官軍を象徴する人物。
違う。水滸伝の前半は、地方軍に優秀な将軍・将校がいて、禁軍が腐敗の温床、宋のお荷物。
水滸伝の後半とは、評価が正反対なんだよ。
関勝が梁山泊に入山するまでは、そうせざるをえなかった。
859 :
無名草子さん:2010/04/12(月) 13:11:47
梁山泊には秦明・花栄・朱仝・雷横・呼延灼等、官軍出身者が多かったからな。
しかしそういう御都合主義をぬけぬけと活字にできるというのが信じられないのな。
史実重視の歴史小説であれば、正確を期するために、調べながら書くというのは当たり前。
長くなればなるほど、「調べながら書く」の必要性は高くなる。
ところで、調べる史料というのは一つではないわけだから、幾つもの史料を調べているうちに、
人物に対する評価が変化してくることはある。そういう長篇歴史小説は、何本も読んだし、
作者が誠実であればあるほど、そのような事態は不可避になってくるだろうな、と読者も許容
する。
しかし、水滸伝・楊令伝は、高校世界史レベルの史実については嘘は書かないという程度の
歴史濃度の小説で、基本的にはフィクション。登場人物についても、名前を借用するだけで
自由に書ける架空の物語だ。張俊が斉の将軍になったようにな。
このような架空の物語であれば、事前に矛盾なきようドラマを構成できるはずだし、矛盾が生じても
事後のフォローは簡単なはず。史実を基準にしないのだから、およそ矛盾が生じる余地のない
物語なはずだ。調性もテンポの決めないフリー・ジャズのような小説だからな。
どうして矛盾が生じるのだ?
扈一族を梁山泊が皆殺しにしたというデマは、仔細に読んで見ると、水滸伝の当該記述を
知らずに、そのように書いたといわけじゃないだろう。矛盾ではないんだよ。
楊令伝の叙述を使った壮大なデマだ。
同じく自作ではあっても、水滸伝は糞扱いよ。
楊令殿さえ立派な人物だと読者が思ってくれれば、それでいいんだろう。
狂気を感じるね。
でも、どうして楊令殿がすごい人でないと駄目なの?
この小説の根本の疑問は、そこでしょう。
・スポーツの試合を見て、「いい試合だったなー」と思う。
・職人さんの手作業の素晴らしさに感動する。
・年間の売上が一気に2倍になった会社をすごいなーと思う。
他者を見ていて、「すごいなー」と思うのは、その程度のことだし、それ以上だと滑稽でしかないんだよね。
そのスポーツ選手が、人口500万人の国の元首になったり、そうなるために、民を皆殺しにしたり、
女を攫って手篭めにしたりしないと、「すごいなー」と思わないのだろうかね?
なにか人間とか世間とかを勘違いしていないか?
楊令でいえば、有能な幻王軍の司令官で十分。それ以上の能力の付与は、楊令の人格を滑稽にしている
だけだわ。まして、そのような手の届かないような大きな人物になるために、殺人・強盗・誘拐をしなければ
ならない、というのは狂っていると思わんのか?
ハードボイルド小説が流行ったのも、理解できなくはないんだ。
学校の先生が読めと勧める戦前の名作は、登場人物が悩んだり、迷ってばかり
というのが多い。
ところが、自分たちの日常を振り返ってみると、悩みや迷いはあるけれど、年がら年中
悩んだり、迷ってはいないからな。「おかしだろう、むかしの小説」と思ってしまうんだわ。
戦後はそうでない小説が増えたし、ハードボイルド小説もそのひとつだわな。
ところが、迷わない・悩まないがエスカレートして、情操欠如の人物を祭り上げるようになって
は駄目なんだろうな。情操欠如は、迷わない・悩まないとは、性質の異なる話で、読者は
明確に区別しているからな。
あとから、楊令にも眠れない夜があっただろう、みたいなことを岳飛が言ったじゃないか。
>>865 それは、ほんとうに後から書いたことだ。
幻王軍の戦が苛烈で、敵兵を皆殺しにしていただけならば、岳飛に言われるまでもなく、
読者だって、「楊令にも眠れない夜があっただろう」と理解しただろうよ。
しかし、幻王は、それだけではなく、民を皆殺しにし、強盗をはたらき、女を攫った。その女のうちの
数名は、幻王自身が慰み者にしていた。
つまり、「楊令、どうしちゃったんでしょうね?二竜山の山賊のようになってしまいましたね。主人公が
こんな風になっちゃって、この小説は、この先どうなるんでしょうね?興味があったら、1680円払って
次の巻を読みましょうね。80円は消費税ですから国庫に納めますよ。ここから取材費は落とせません
から」みたいな読者の興味を引き出そうとしたんじゃない?
それが、4巻で、「楊令殿は、変った」だ。ふざけるなよ。
>>864 太原府戦で、陶宗旺が敵兵を溝に埋めて埋葬している場面などは、そのあたりのことを、
きちんとわきまえていたんだがな。
水滸伝の終盤、血涙を書き始めたころからかな。もう馬を走らせる以外何も書けなくなった。
ドラマ不在。
>>863 楊令ひとりが好き勝手に自分の作りたい国を作れるように、梁山泊の将兵は大量に
死んでいったのか?少なくとも、水滸伝を読んでいるときは、「楊令に新しい国を作らせる
ために、俺は闘うんだ」と言っていた奴は、ひとりもいないぞ。
それから、帝が存在するかしないかは、さして重要なことではない。帝であろうが総書記
であろうが、専制国家であるかないかが問題だろう。
専制国家であるという点では、北宋よりも梁山泊の方がタチの悪い国だとは思わんか?
どうして国が商いをすれば、腐敗は生じないといえるのか?専制国家は必ず腐敗する。
楊令を批判する信頼できる常設キャラを置かなかったのが、この小説がつまらなくなった
原因だろうな。力ずくで「おまえらを楊令のファンにしてやる」と力んでいるだけなんで、
読者の気持ちは楊令から離れてゆくばかりだよ。
政治をどのようにやるかについては、いろんな考えがありますからね、という台詞を楊令
に言わせるのはおかしい。もっとも偏ったことをしている張本人が、悟ったような口ぶりはよせ。
世俗を離れた王進のような立場の人間を、楊令批判の常設キャラにすればよかったな。
楊令がやっていることは、かなり偏った立場の人間にしか受け入れられないので、
世間の一般常識を代表するようなキャラに、常時楊令を批判させていなければ、
常識的な読者は、読みつづけることはできないよ。
童貫や岳飛も、楊令を批判する立場になく、どちらも楊令に憧れているという設定だ。
もうつまらなくなるように物語を進めようとしているとしか思えない。
>>868 >国が商いをすれば、腐敗は生じない
この楊令の台詞は謎だったよな。
役人と商人は別人格なのに、結託して腐敗が生じることがある。
同一人格だと、結託する必要すらなく、いっそう容易に腐敗が生じやすいと考えるのが常識。
きちんと常識に立脚して考えてもらわんと、読んでいて首をひねることばかりだ。
放火を用いない皆殺しは、皆殺しをしたつもりになっているだけですからwww
非常識ではなく、考えが浅いのだろう。
水滸伝の1巻で、林冲が、李富に疑われないように、鋭くはないが馬鹿ではなく、そこそこに
欲があって扱いやすい人間を演じていた。丁寧にキャラを作っていたね。
いまは注意深くキャラを作っている暇がないんだよ。
水滸伝に登場していた20代・30代のキャラと、楊令伝の40代〜60代のキャラを比較して
みろよ。後者は、中学生にしか見えない。
水滸伝時代の童貫も、政事について、けっこうまともなことを言っていた。
それに輪をかけたのが楊令。
このシリーズは単純すぎて嫌なんだ。戦闘力が高ければ、他のすべての
能力も優れている。
水滸伝の途中までは、そんなことはなかった。
>>864 邵房殺しも、情操欠如シーンの典型だな。かなり後になって邵房が青蓮寺の間者であることが
判明したが、李富が邵房を羌肆の後の軍の隊長にするつもりだったというところを読んで、あと
付けの言い訳だと思った。梁山泊にいたころの邵房からは、王和や高廉のような風格は感じら
れなかったからな。
なんのために、あんな糞つまらんシーンを挟むのだろう?
不良少年が、剃り込みを入れて、悪い目つきで他人を睨みつけるのと、同じ心境なんだろう。
>ただ、阮小七は深く潜れたのだ、と張順は言った。梁山湖に潜って、よく魚を獲っていたからだ。
>張順は、深くない長江に潜っていた。
梁山湖は深く、長江は浅いという認識でおられるようだが、そうだろうか?
まず、長江は、少々内陸に入っても大型の船が通れるほどの幅と深さがあり、
武漢までは5000トンクラスの船が入る。
さらに上流の三峡地域では幅が狭い分深さが大変なもので、
100メートルを越す場所もある。
なお、梁山湖は黄河の氾濫で、宋代になくなっている。まあ、氾濫でなくなるような深さということだ。
朱貴が管理する船着場から金沙灘へは浅瀬が多いため、小舟ですら、複雑な経路を辿らなければ
ならなかったことは、北方水滸伝に詳しく叙述されている。
【審議中】
∧,,∧ ∧,,∧
∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` ) 長江が浅い???
| U ( ´・) (・` ) と ノ
u-u (l ) ( ノu-u
`u-u'. `u-u'
879 :
無名草子さん:2010/04/12(月) 16:50:50
また文句ばかり言っているのか?一日平均30個も、よく文句が出てくるなw?
>自尊心が毀れてしまうと、どこか憐れな人間になる。相手は公孫勝であろうが喬道清で
>あろうが、自分をみとめさせようとするのだ。
精神医学的な「自尊心」とは、いわゆるプライドや傲慢、自惚れ、驕りとは異なるもので、
その意味での自尊心であれば、それが毀れると、自身の能力に自信がもてなくなり、
いわゆる鬱病患者になる。自分をみとめさせようとすることはないと思う。
いわゆるプライドや傲慢、自惚れ、驕りの意味で、「自尊心」を用いているなら、それが毀れて
いないときこそ、自分を認めさせようとするはずである。
「自尊心が毀れてしまうと、自分をみとめさせようとする」という命題は、意味不明。
「はじめは、こういう国を作るつもりではなかった、ということですか?」
「そのつもりになれば、できるものか、国というのは?」
「さあ」
「やるべきことを、やる。ひとつずつだ。それが積み重なって、国というものはできてしまう」
「楊令殿が、国づくりのために初めにされたひとつとは何ですか?」
「熟女真を皆殺しにすることだ。それをしないと、手が届かないほどの大きな人間になれない」
「それから」
「強盗。国を作るには莫大な金が必要だ」
「そして」
「女を攫って手篭めにした。権力を得たと実感できる瞬間が、これだ。岳飛、女は攫ったことが
あるか?」
「いいえ」
戦人と書いて、「いくさびと」と読ませるのだが、「いくさ」という訓読みには抵抗があるね。
「いくさ」の語源は、矢を射ること。たぶん開戦の合図である矢合わせ。「いく」が射るで、「さ」は矢。
中国には、矢合わせの伝統はない。
元寇のとき、日本の兵が矢合わせをするのを見て、敵は笑ったそうだ。
敵は、いきなり攻めてきた。
中国を舞台にした小説で、「いくさ」の語は適当ではない。
>戦人なのだな。岳飛殿を見ていると、その言葉がぴったりです」
語源的にも岳飛が「いくさびと」と呼ばれることはありえないが、主観的に思い入れのある
言葉を多用して、それに自分で創作したキャラをあてはめるという癖が好きじゃない。
中国の戦記を日本人に伝えるのなら、日本人に理解できる範囲で、中国で発達した観念で
可能な限り説明すべき。理解しにくいところは解説を加えるという方法がある。
いずれにしても、日本で独自に発達した「いくさ」という観念で、中国人の軍人を表現する
というのは、いかがなものだろうか?本末転倒。
おいおい、楊令伝は中国の戦記じゃないから、そこまで厳格に考える必要はないよ。
しかしフィクションであるとしても、登場人物は数名を除き、全員中国人。
多少は中国らしさを感じさせないと、読む気が起きない。
外国らしさを感じさせるには、その外国で独自に発達した観念を用いること、これが
第一。それから、美術や衣裳や楽器や詩文や風景に、その国独特のものがあれば、
それを物語の中に織り込む。
三国志では、船の形状の描写などで、中国らしさを伝えていたよ。
楊令伝で、そういう努力をしている?
代りに答えてやる。まったく、していない。
楊令伝がここまで反発を食らうのは、隅から隅まで、「俺様がいちばん」で貫かれて
いるからだよ。中国の物語ならば、可能な限り、中国らしさを文面で伝えないと、舐め
とんのか、ということになるよね。
まして、楊令伝は、水滸伝の続編。可能なかぎり、水滸伝らしさ(この場合、北方水滸伝
でいい)を伝えないと、なめとんのか、ということになるよね。
俺様がいちばん。俺様が考える国とは、こうだ。わかったか。よく、読め。
どーでもええですわ、そんなこと。
そのうち、イギリスに住む仏教徒の物語とか、グリーンランドに住むアフリカ象の物語を
おやりになるんでしょうよ。俺様が、いちばん。
>「もうひと泳ぎだ、波涛児」
>あだ名で言われた。自分でつけたあだ名で、誰も呼んでくれなかった。
あだ名の意義:本名とは別に、その人の容姿や性質などの特徴から、他人がつける名。ニックネーム。あざな。
自分でつけるあだ名というものは、ない。
>>881 低脳な奴ほど弱いものを暴力で痛めて優越感を感じるんだろうな。
楊令って低脳にしか見えないもの。
親玉が低脳だから、子分もキチガイだらけ。
洞宮山に勝手にやってきた梁山泊は、そこに自分たちの隠れ家を作る。
元からいた村人は、洞宮山を出ることを禁じられる。
どうしても出て行きたいという奴は、孫二娘に殺される。
キチガイ集団だわ。誰がこんな小説を面白いと思って読むというの?
人口500万人の国を作っても、地下組織であった時代の癖が抜けないのだろうな。
国を作ってやった最初の仕事が戸籍の調整。国境を固めて、外からの民の移住は
厳しく禁じる。洞宮山の悲劇を思い出して、気分が悪くなるな。
楊令伝は、10数巻読んで、共鳴できる箇所が一箇所もなかったという点で、稀有な小説だと思う。
その原因は、幻王の殺戮・略奪によって、梁山泊の正悪を180度逆転させたことだろうな。
林冲・魯智深・曹正らのプロフィールは、北方水滸伝の世界にのめり込む上で、非常に
重要なエピソードだった。妻・父親・兄という肉親を殺された怒りから、彼らが叛乱に立ち
上がるというエピは、読者がもし彼らと同じ立場だったらどうするか、という観点から考えた
場合、怒りという点で彼ら梁山泊のメンバーに強い共感を呼び起すもので、読者自身も
梁山泊の兵になったような気分で、水滸伝を読むことができた。
楊令伝は、180度逆さま。いつ楊令の暗殺を計画する熟女真の被害者が立ち上がるのだろうと、
そればかりを心待ちにしている。
姿の見えない小説世界で読者の共感を呼び起すには、読者の感情に訴えかけるという
手法は重要だよな。喜怒哀楽で作中人物と同一化できれば、自然にその人物を応援する。
反対に生理的に嫌悪された楊令を頭領に迎えた梁山泊など、皆殺しに会って全員死ねば
いいのにと思う。当然でしょう。
喜怒哀楽で左右される小市民的な世界から、一段高い地平に出ようとして、失敗した小説
なんだわな。水滸伝の冒頭から、そのような色調で物語が進行していれば問題はなかった
わけだが、途中から変更した。林冲・魯智深・曹正らの身の上に起きた事件が、楊令によって
熟女真の身の上に起きた。物語は前半と後半で矛盾を拡大するばかり。正と反は止揚する
ことができても、正と邪、善と悪は止揚しようがない。
読めば読むほど楊令が憎くなる。もう終了したほうがいいね。
途中からの変更というのが、まずいんだろうな。
>>734のような、水滸伝序盤の名場面と、楊令伝の糞場面を繋げて読むと、
ギャグにしかならない。
書けば書くだけ矛盾が増えるということよ。
その矛盾を隠蔽するために、「民を平気で殺せる人物が大人物になる」といった詭弁
を弄する。軍政下の民を圧殺したような政権が、後世の人々から称賛された例を、
いまだ俺は知らないのだが、そのような政権の指導者は大人物だったのか?
嘘を垂れ流すのも、いいかげんにしろよ。
「楊令殿にとって、国とはなんですか?」
「自分にとって、国とはなんだ。そう考えている間は、迷った。結論を出して迷い、考え直し、
また結論を出す。つまり、結論ではないのだな。民にとって国とはなんだ、と考えはじめて、
あまり迷わなくなったような気がする」
「民は、国が恣意的に殺戮できる存在ですからね」
「そうだ。逆らう民は、皆殺しにすればよいのだ。迷うことが、なにもない」
楊令と岳飛が、国とはなんだ、民とはなんだ、というような会話をしているところを読むと、
反吐が出そうだわな。偉そうに。むなくその悪い。
>漢民族は、ほかの民族を受け入れず、この広い国土を自らのものにしようというのですか。
広い国土を有する国は、他民族の武力による侵略を常に甘受しなければならないという理由
がよくわからない。1月号の花飛麟の発言を何度読んでも、そのようにしか読めない。
敵の飛車が角行を取りにきたので、角行の前にいた金将をヨコに避けて、どうぞ角行をお取り
くださいと言っているようにしか読めない。
それとも、漢民族は、元々宋の領内にいた契丹や女真を北に追っ払ったというのだろうか?
岳飛が、花飛麟の言葉を聞いて、謙遜して「俺が単純な男に見えるのだろうな、花飛麟殿には」
と答えると、花飛麟は、「そうじゃない。漢民族の中に、違う国がある。それを認めることで、新しい
なにかがはじまる、と考えられないのですか」と切り返すんだ。
それまで、他民族国家を称揚していた花飛麟が、唐突に、漢民族内の一部を切り取った梁山泊
の話にもってゆく。理解不能。
901 :
無名草子さん:2010/04/13(火) 14:21:02
左翼はどうして“民族”という言葉に過剰反応するのですか?よくわかりません。
>漢民族は、周辺の他の民族より、圧倒的に人数が多い。だからいつも正しいのだという考えは、
>歴史の中で何度も否定され続けてきました。その愚をくり返さない試みは、むしろあるべきだろう、
>と思います。
岳飛は漢民族が正しく、女真族が誤っているとは、ひとことも言っていない。
金国は、宋金同盟を一方的に破棄して、宋を侵略したのだ。
宋の禁軍は、宋金同盟に忠実に、金国の敵である遼軍(燕と名を変えていたが)
と闘ったのだ。そうしたら、宋が梁山泊軍と闘っている隙に、金は開封府を攻めたのだ。
宋が女真を圧迫した事実はないのだ。むしろ女真を圧迫していた契丹と戦ったのだ。
こういう事実を無視して、国際化・他民族国家の話にすりかえ、抗金を唱える岳飛が
非難される理由はないのだ。
そんなことをしている暇があるのなら、民を殺戮した楊令を殺してくれ。
殺された民には、一民族一国家も、他民族国家もないのだ。
死んでいるのだから。
なんか必死に書いているのはわかるのだが、もう少し考えてから書けよw
背景となる事実関係とかけ離れているし、議論の筋が支離滅裂で、読んでいて意味が
わからん。趙仁が童貫軍を迎え撃つために、長江の北へ信徒の軍を渡渉させたのと
同じような展開になっているぞ。
呼延灼や宣賛が阿呆のように書かれたのは、年長者を阿呆にすることで、楊令=頭領の
正統性を根拠づけるためだと思っていたが、それも怪しくなってきたな。
花飛麟は、楊令のやっていることを正当化しようとして、阿呆なことを言っている。
杜興の長ったらしい台詞が支離滅裂・意味不明で理解しにくかったが、
杜興が高齢でボケてきたという演出ではなかったのかもしれん。
若い花飛麟も、杜興の台詞に負けず劣らず、サッパリわからんことを
ほざいている。
杜興は高齢でボケ、花飛麟は低学歴で込み入った議論が苦手ということじゃないか?
花飛麟は山中で虎をはじめとする獣と闘って武術を磨いていた。学問はしていないはずだ。
北方水滸伝のような高学歴者ばかりの時代が、特異な時期だったんだよ。
青蓮寺は全員科挙の合格者。軍人は武挙合格者。
長い台詞を喋っても、読者に意味が通じた。
梁山泊には科挙合格者はいないが、樊瑞や朱貴でさえ科挙の受験生だったから、
半数は高学歴だったのだろう。宋江や晁蓋や李応は科挙を受験したわけではないが、
保正という合格者を多数輩出した階級だ。
あとの半分は、文字も読めない将校だった。楊令伝で、彼らの代表的人物として
花飛麟を描いたのだろうな。花飛麟の言っていることがサッパリわからないのは
同感だが、それは演出だよ。だって、梁山泊の将校の半数は、文字が読めない。
文字の読めない奴は、筋道の立った議論をするのが苦手。
>>900 考えて書いていない。フィーリングだけで書いている。
読者に自分の主張を伝えたいのではなく、それっぽい会話になっていればいい。
その程度にしか考えていないんだろう。
いくらリアリティを追求したいといっても、現実世界によくいる頭の悪い奴を
小説の中にそのまま登場させて、支離滅裂な議論をさせていたのでは、
読者は困惑するよな。
「民族ではなく、民。俺は、楊令殿が言われることを、そんなふうに理解しましたよ。
ですから、楊令殿も、熟女真だけを皆殺しにされたことを反省しておられます。
生女真も、契丹も、漢民族も、皆殺しにしなければならないのです」
岳飛 女真族が宋金同盟を一方的に破棄して宋を武力で侵略した →抗金を主唱する
花飛麟 漢民族は他民族を受け入れなければならない
→女真の侵略後、数年を経過しただけなのに、漢民族が女真族を武力で排除
することは正しくない →侵略を受け入れるべきである
→岳飛が謙遜すると、そうではない、漢民族の中に違う国を認めることで
新しいなにかがはじまると考えられないのかと反論にならない反論
楊令も、花飛麟の主張を聞いた後で、「もういい。梁山泊はこうだ、というだけの話になる。金の侵略
を許さないという考え方も、あっていいのだろう」と言っている。
やはり、侵略する相手の意思は尊重されなければならなのだろうな。外国の侵略を排除するような
偏狭な考えは駄目なんだよw
民の皆殺し →肯定
外国の侵略 →肯定
>金は、どういう国なのですか。女真族がいて、契丹族がいて、渤海の民もいる。漢民族だけが
>人と言っている岳飛殿と較べて、はるかに他を受け入れていると言えるでしょう。
熟女真を皆殺しにして、受け入れている?
契丹の叛乱の鎮圧で、宋への進攻が困難になった時期があったのに、契丹を受け入れている?
武力で屈服させているといわないか?
次は、漢民族に屈服しろ、ということか?
それと女真族と渤海族を区別しているようだが、同じくツングース系の民族であり、少なくとも、
契丹の統治下では、渤海国の遺民は、女真と総称されていたわけで、区別する必要があるのだろうか?
915 :
無名草子さん:2010/04/13(火) 16:04:18
>>914 金国内における渤海人の存在は、女真族と区別しないといけないよ。
四代皇帝完顔亮の母は、渤海の女性を迎えた、阿骨打は渤海人張浩を新しい首都北京建設責任者に
登用する、といった文脈で、女真と渤海は区別して史書に記録されている。
>あと二年、女真の地に留まりたかった。それは、楊令の抱いていた欲と言ってよかった。
>二年あれば、女真の地での戦を、思い描いた通りに終息させることができたかもしれない。
中国には当時でも1億を越える人口がいたと思うのだが、その歴史を、楊令殿ひとりが
きり回すのですか。なんとも、すごいお人ですね。
晁蓋も、宋江も、童貫も、李富も、みんな馬鹿に見えてしまいますね。
こういう人物を読んで、楽しいと感じる読者というのが存在するのですか。
いやー認識不足でした。
こんなことができるのは、ショッカーぐらいだよね。そのショッカーだって、世界を
征服するといいながら、いつも日本でチョコマカしている。
楊令殿は、二年あれば、女真の地での戦を、思い描いた通りに終息させるのですか。
そりゃーすごい。
二年で女真の地での戦を終息させ、中国全土の民に、富むということがなにかを、
楊令殿はお伝えになられるのですね。
フランス文庫を読んでオナニーをしている僕には、想像もできないような、きらびやか
な世界です。
そうなんですか。中国全土の民に、富むということがなにかを、お伝えになられるのですか。
すごい。
/....::::::: ''''::. l |
/ ...................::::::: ノノ
ノ ....:::::::::::::::::;;.=={彡' ∧
ノ .::: ...::::ゝ_,..-'‐‐-- /∧ヽ
_,.-'"_, ....:::;-''" _______// ,,,ヽヽ____
`ー-/ .:::::::/ \ヽ ̄,, ; ;;  ̄/〈
/.:: .::::::/ _,,.ゝゝ;;,, ,, ,,;; '< ヽ__
/ ..:: ..::/ ,.',ニ=''",,,,,.. "'ヾ,,,,,,;;' ;;:..`ー-‐}
ノ..: ,.: .::::/ //;''";:______,.-‐-、 ''' ,.-、__,,,;;;;/
〃....::: ...::::| // ;;: / -===、,,_ `'" _,.==j; |
_,.;' ...:::丿l // ;;: /l ,.rt=;y,`''" /,.t=y‐ }l| |
.....:::::/ l //,,;' /l|  ̄~ i:: ̄~ ll| l'
...../ l ヾ、,,,.ヽl! ;::. l| l
/ ヽ ヾ、;;: ヽ ''" l l'
ヽ ヾ、 ;,ヽ _,,.-‐一,. |l_l' しかし、夢が実現していくだろうという
ゝ ヾ、_,.ゝ '''"'' ::::/〈 手応えもある。
//ヾニ〃ヽ_ .::/ヾ丶
// l〃 `ー-- _____,,::シヾ:::ヾヽ
// 〃 \ ノ/ \ ヾヽ
// 〃 \ // \ ヾヽ
///〃 \ / / 〃\`ー=ニ二
乃木大将の代りに、楊令殿が第三軍を率いていれば、旅順要塞は、一日で陥落したでしょうね。
すごい。楊令殿、すごい。
<1月号402頁>
梁山泊には、一割の税が落ちればいい。船と車輛の、輸送の儲けがあればいい。
・・・船と車輛の、輸送の「経費を賄う」儲けがあればいいという意味なんだろうな。
いずれにしても、1割の税があれば、輸送経費を賄えるということだ。
しかし、農民から徴税した1割の税は、すべて貯蓄されるんだよな。国家経費
は交易によって賄うという話だった。船と車輛の、輸送の儲けに当てていたのでは、
国家経費は、どこから出てくるんだ?
<一月号419頁>
「一割の税です」「しかし、四百で買った物を、五百で売っておられる」「確かに。
しかし、それが商いでしょう」
・・・402頁では1割の税で輸送経費をまかない、それ以上の利益はいらないような口調だったのに、
さらに2割の利益が出ている。これは、楊令が囲っている女へのお手当てになるのか?
>>921 >梁山泊には、一割の税が落ちればいい。船と車輛の、輸送の儲けがあればいい。
「儲け」と言っているのだから、2割の粗利で「船と車輛の、輸送」経費を賄うということじゃないのか?
梁山泊には、一割の税が落ちればいい。「それに加えて」船と車輛の、輸送の儲けがあればいい、
と言えばわかりやすかったのだと思う。
それでもいいが、そうすると、1割の税で、梁山泊はすべての国家経費を賄わなければならなくなるぞ。
交易の輸送経費ですら、2割の粗利をすべて充当しないと賄えないのに、
国家経費を1割の税で賄えるのか?
商社の輸送経費の金額と、国の予算額とを比較してみてくれないか?
あとは、君のかかとで、しっかり考えてくれ。
商品原価=8割 2割の輸送費
┝━━━━━━━━━━━━━━━━┿━━━┿━┥
88彡ミ8。 /)
8ノ/ノ^^ヾ8。( i )))
|(| ∩ ∩|| / / <1割の税が国家経費
从ゝ__▽_.从 /
/||_、_|| /
/ (___)
\(ミl_,_(
/. _ \
/_ / \ _.〉
/ / / /
(二/ (二)
すごい楊令殿。1割の税で、中国全土の民に、富むということがなにかを、お伝えになってください。
梁山泊は、毎年、税収の1600%の赤字でも、耐えてみせます。
五年生から、やり直せよwwwwwwww
ディテールを書くようになってから、ほんとつまんないな。
盧俊義の闇塩の道は、全貌を知るのが盧俊義のみで、断片は見せていたが、読者にも
全貌は伝えられなかった。ミステリアスなところが、かえって梁山泊を運営する資金を
十分に稼いでくれているのだろうと想像させた。
ディテールを書くといっても、調べあげたディテールではない。
想像だけでディテールを書いている。こういうのは、よした方がいい。
自信過剰なのか、むこう見ずなのか知らないが、ディテールを書くと、
一目瞭然、「そりゃ無理でしょ、先生」というのがわかってしまうからね。
サラリと読み流せば問題点に気づくこともないが、そういう小説が増える
ことは望ましいことではない。
またディテールの内容が、全然つまんないし、勉強にもならなし、こうして
非常識な点を探して笑う以外に価値のない叙述なんで、ほんとやめたほうがいい。
>>916 楊令殿の自己肥大というのは、児童マンガの系譜だよな。
もっとも、児童マンガの主人公は、正義感にあふれ、年長者の言うことは素直に聞く。
下に自己肥大症候群の定義をコピペしておいた。なんと楊令殿にピッタリすることか。
「自己肥大症候群」
自己中心的で万能感を持ち他を見下す、一方で傷つきやすく他を怨む。
簡単に人を殺し、思うに任せねば安易にリセットする(「楊令殿は変った」)。
他からの攻撃や批判中傷には傷つくが、反省もなく相手を怨む。
それで、詰まり読む価値はあるか?買う価値はある?
明日から、自己肥大症候群の症例を、楊令殿の言動から探ってみる。
・自己中心的
・万能感を持つ
・他を見下す
・簡単に人を殺す
・思うにまかせぬときは安易にリセットする
・他からの攻撃・中傷には傷つくが反省もなく相手を怨む
>>932 >簡単に人を殺し、思うにまかせぬときは安易にリセットする。
ここは、ひとつの文章で読むから、笑えるのだ。二つの要素に分けてはならない。
>>931 水滸伝から読み始めるのが一般的だろうから、勢いで楊令伝も読み始める人もいるだろう。
好きなところでやめればいい。俺は4巻でやめた。
岡田尊司氏による「自己肥大症候群」の五つの特徴
1.現実感の希薄さ = ファンタジー世界にどっぷり浸かったり現実性を欠いた願望や空想に向かいやすい傾向
2.幼児的な万能感
3.罪悪感の欠如と他者に対する現実的な共感の乏しさ
4.突発的に過激な行動に走ること = 突然暴走を始めると、取り返しのつかないクラッシュまで突き進んでしまう
5.非常に傷つきやすいこと = 些細な傷つきに対しても激しい怒りを生じ、それを鎮めるために仕返しや復習をしようとする傾向
まあ、政治家を目指す人間は、みな少なからず自己肥大しているからな。
楊令と岳飛が、民をどうする、国をどうするという話をしているところを読むと、
そんな感じがするね。
だが、岳飛や李富や粘罕には、誇大自己症候群の傾向は感じられないね。
>>935の五大特徴は、こわいぐらいに、楊令殿にピッタリだ。
水滸伝、とくにその前半は、典型的エンタメ小説だった。楊令伝は、どうも調子が違うのは、
病人を主人公にしていたからなんですね。
でも何か、物凄い批評家ばっかだな。
歴史的事実に基づいてという人は良いけど
人格否定とか、小説で一々してたら疲れるなあ
言論の自由を行使する割りに、言論封鎖してるというか。
最近、こういう病気の青少年による犯罪が増加したな。
それを踏まえて楊令伝を書いたのならば、卓見といえるのだが、
楊令を梁山泊の頭領にするというのは、どんなものだろうな。
社会の側からする楊令に対する反動によって、最終的に楊令が
潰れてしまわないと、物語として完結しないと思う。
犯罪を奨励するような小説は、社会に受け入れられないだろうからな。
楊令伝のストーリーだと、最後に楊令が潰れてしまわないと、物語が完結した感じがしないな。
梁山泊に復帰した3〜4巻の間に、幻王時代の楊令を払拭してしまうようなイベントがなかった
から。3巻では王進に向かって「自分は何も間違ったことはしていない」と言っていたし、梁山泊
の連中が4巻で「楊令殿は変った」というほどには、読者には変ったように見えなかった。1巻の
楊令がそのまま連続しているだけ。楊令が他の人とよく会話をするようになったということが他人
の口から語られ、それで「変った」ことにされたのだが、その後に発作は起きるし、誇大自己症候群
の症状に変化が生じたとは思えなかった。
「現実感の希薄さ」
= ファンタジー世界にどっぷり浸かったり、現実性を欠いた願望や空想に向かいやすい傾向
楊令ひとりの発案で作られた梁山泊国が、まさに楊令の「現実感の希薄さ」の表れ。
作中でも、杜興や宣賛や岳飛から、楊令の国は「夢のようだ」と盛んに言われている。
楊令自身も、そのように認識している。
読者から見ると、楊令の作った国は、国籍や時代を感じさせないもので、実在感がない。
水滸伝といえば宋代を舞台にした物語で、ここまでずっとそのつもりで読んできたから、
楊令のファンタジー世界には、ついてゆけない。早くこの小説が終了すればいいのにと
思う最大の理由になっている。
>>931 楊令の新しい国、とくに交易に関するディテールは、ギャグとして楽しめる。
マジで笑える。
「幼児的な万能感」
= 自己中心的で、万能感を持ち、他を見下す傾向
まさしく楊令のキャラクターそのもの。新しい国づくりのプランは、楊令ひとりが決めた。
こういう国を作ると宣言し、嫌なら俺は頭領を辞めると言う。他人の異なる意見とのすり合わせ
をして協調と妥協の上に物事を進めていこうという気持ちはまったくない。
女真にいたときも、阿骨打が楊令に逆らうならば、阿骨打とでも闘うという姿勢を見せていた
ことは、蔡福と阿骨打が証言していた。女真の地を訪ねてきた燕青や呉用とも、ことごとく対立。
他人の意見をひとつでも「そうですね」と認めたためしがない。
他を見下す傾向は、ウリ殿との対話の後に楊令が呟いた「参考になる話は何もなかった。ウリ殿
の言ったことは、俺は全部知っている」に典型的に表れている。
また、城郭の攻撃に関しては、孫子のセオリーすら無視する傲慢ぶり。先人の知恵から何かを
学ぼうという意思は、まったくない。自分は生まれながらの天才で、孫子こそ自分にひざまずくべき
であると考えているのであろう。
新しい国を作っている間は楊令が独裁するが、自分が頭領を辞めた後は、多数決で物事を決する
以外にないだろうというあたりにも、楊令の他人を見下す傾向が表れている。
長年交易をやってきたウリ殿を馬鹿にするわりには、楊令の始めた交易の内実は、
ど素人の発想としか思えないんだがな。
商品原価が8割で、2割の儲けはすべて輸送費。外税の1割で国家を運営という話は、
まあ小学生の発想だわな。
「突発的に過激な行動に走ること」
= 突然暴走を始めると、取り返しのつかないクラッシュまで突き進んでしまう傾向
= 簡単に人を殺し、思うにまかせぬときは安易にリセットする
幻王時代の殺戮・略奪が、まさにこれ。
梁山泊に復帰してからも、童貫軍10万の陣に、単騎で突入するなどの過激な行動が目立つ。
自己肥大そのものは、精神異常でも何でもなく、自分の身近にも、そんな人物がいるよと、
心当たりのある読者も多いだろう。
しかし、楊令殿が異常なのは、それが過激な行動となって表れるところ。
精神異常というのは、それが原因で、自己または他者が苦しむこと。楊令殿は、他者を苦しめて
いたし、岳飛の証言によれば、「楊令も眠れぬ夜を送っていただろう」と苦しんでいたいうことで
あるから、まさしく精神異常者である。
>>944 あそこを読むと、続けて読むのがバカバカしくなるな。あれを見過ごせるのは、
ボサーっとした高校生以下だけだろう。
「罪悪感の欠如と他者に対する現実的な共感の乏しさ」
楊令が、幻王の殺戮・略奪について、その師である王進に語った言葉が、すべて。
「自らを、恥じてはおりません」(3巻198頁)
何の罪もない民を、女も子どももなく無差別に殺し尽くす。それが、熟女真を平定するための
見せしめという理由で。熟女真を庇った正義感あふれる契丹人の役人、軻輔の父も、
見せしめのために殺された。
これで、「自らを、恥じてはおりません」という罪悪感の欠如が、誇大自己症候群の症状である。
そして、楊令は殺された民に対する同情心のかけらもない。これは言うまでもないことであるが。
誇大自己症候群というキーワードを見つけてくれた人、ありがとう。
いままで、どうして自分は、こんなに楊令が嫌いなのか、その理由がよく
わからなかったのです。楊令が精神の病気をもった人であることがわかって、
いままでモヤモヤしていたものがスッキリしました。
やっと楊令伝という不可解な小説を理解する手がかりを掴めたような気がします。
「非常に傷つきやすいこと」
= 些細な傷つきに対しても激しい怒りを生じ、それを鎮めるために仕返しや復讐をしようとする傾向
すでに水滸伝19巻のラストに、楊令の誇大自己症候群の症例は現れていた。
<19巻347頁>
「その童貫に、伝えろ」
楊令は、旗竿を放り出し、吹毛剣を抜いた。踏み出すと、戟を構えた兵はみんな退いた。
「この楊令は、鬼になる。魔神になる。そうして、童貫の首を奪る。この国を、踏み潰し、滅ぼす。
いつの日か、おまえの眼の前にこの楊令が立っていると、童貫に伝えろ」
単に戦に負けただけなのに、「魔神になる。この国を踏み潰す」とまでの激しい怒りを発するのは異常。
方臘信者の殺戮に疲れた童貫元帥が、「楊令と闘いたい」と言っていたのとは、対照的である。
┌┬┬┬┐
―――┴┴┴┴┴―――――、
/.  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| || ̄ ̄ ̄||| ̄ || __________
/. ∧// ∧ ∧| || ||| || /
[/____(゚_//[ ].゚Д゚,,) ||___||| || < 楊令君を迎えに来ました
||_. * _|_| ̄ ̄ ∪|.|. |ヽ. _|| \__________
lO|o―o|O゜.|二二 開|.|封 精神病院 ||
| ∈口∋ ̄_l__l⌒l_|_____|_l⌒l_||
 ̄ ̄`ー' ̄ `ー' `ー' `ー'
昨日から、楊令=自己肥大症候群の話題をやっている人さ、
それ事実だから、シャレになってないよw
>>947 魯智深は、燕青の生い立ちを聞いた後で、この国にはお前の兄弟(似たような生い立ちの子ども)が
多いなと同情していた。
鮑旭を子午山へ連れて行って王進に再教育を頼んだのも、他者に対する共感なんだろうな。
楊令に関しては、そのような言動は、皆無だな。
他者に対する共感・いたわり・思いやりを持たない人物を描いて、それを通常の人よりも、大きな人物
と言っているわけだが、首をひねらざるを得ない。
でも楊令殿は、自分が中国最大の知性だと思っているんだよな。
中国全土の民に、富むということがなにかを、伝えようとしているw
キチガイほど自分がまともに見えるからあら不思議w
>中国全土の民に、富むということがなにかを、伝えようとしているw
西域から運んできた玉が、高価な値でたくさん売れたと、楊令も呉用も喜んでいたよな。
中国全土の民は、十分に富むということがなにかを、知っているんじゃないの?
貧乏なら高価な玉など買えないよ。
昭和の日本の様々な風景を、時系列ではなくて、ランダムに小説の中に放り込むから、
わけがわかんなくなるんだわな。楊令伝は、元来十二世紀の中国の話だし。
それに、不人気の楊令殿の人気を回復するため、最近は、信長人気にすがりつこうと
しているように見える。
部屋の隅で、母と娘が抱き合って、黒騎兵の襲撃に怯えていた。
「若い娘は、連れてゆけ」
「母親は、どうします?」
カク瑾が言い終わる前に、楊令は、母親を刺し殺していた。
「若い娘以外は、例外なく皆殺しだ」
立ち上がった楊令は、床の上で泣き声を上げていた赤ん坊の頭を、踏み潰した。即死である。
脳漿が流れ出ていた。
先ほどの若い娘を、黒騎兵が担ぎ上げて、表の荷車に乗せた。娘の着物の裾が割れて、
肉づきのよい太腿が垣間見えた。
「大きくなった」
「確かに、大きくなられました」
カク瑾が、楊令の股間を覗き込んで、そう言った。
「違う。俺の人物が大きくなったということだ。カク瑾、こんな無慈悲な皆殺しが、晁蓋殿や宋江殿
にできたと思うか?俺は、あの二人を抜いた。もう手が届かないぐらいに、俺は大きくなった」
>>948 >>951 自己肥大という言葉は昔から知っていたが、病名としては、誇大自己症候群というのが定着
したみたいだな。オウムの麻原などが、その典型例とされている。このスレの意見と同じだ。
「鮑旭殿のように、経験で指揮官がつとまることもある。花飛麟や呼延凌のように、天賦を感じさせる者もいる」
「秦容は?」
「どちらでもないな」
「何を言っておられるのか、さっぱりわかりません。経験もなく、天賦もなければ、箸にも棒にもかからない
ということになりませんか、楊令殿?」
これが楊令伝の特徴なのだ。非常識な言い方をしては、なにか深い意味があるのではないか、と読者に
考えさせる。その実、なにも深い意味はない。楊令の台詞は、論理的には完璧に破綻しているのだ。
しかし、大人に較べると国語力の劣る中学生は、このような没論理な問答を、意味深長な問答として
喜ぶ傾向がある。
そもそも楊令のキャラクターからして、そうなのだ。常識的には犯罪者を大きな人物と考える馬鹿はいない。
でも、楊令は作品の中で、大きな人物と言われる。中学生は、錯乱するのだ。しかし、常識に欠けた中学生は、
「そうか、こういう人物が、大きな人物なのか」と、自分の判断に疑念を抱きつつも、常識とは異なる判断を
した自分に陶酔することがある。何しろ反抗期である。大人の常識をすべて疑ってかかりたい年頃なのである。
ゲバ棒君は、反抗期の少年の心理を掴むのが得意なんだね。
しかし、どうして「物資の集散に梁山泊が不可欠」ということになったのだ?
それまで宋には商業がなかったのか?
>物資を集積させて、梁山泊以外の地域を、物不足に陥らせるという狙い
梁山泊の人口 500万人
それ以外の地域の人口 9500万人
どれだけ集積すればいいんだ?
だいいち運送費は売価の2割なんだろう?集積するだけで大金がいるぞ。その資金力はあるのか?
売価の外税1割しか税収はないんだぞ。しかも、税収はすべて国家経営の費用だ。
まあ、後で商品を売却して運送費は回収するのだろうが、回収するまでの運転資金が底をつくのでは
ないか?融資を受けるにしても、国家が交易をしている梁山泊では、民間資本が育ってないだろう?
梁山泊がくるまでは、単なる農村だろうが。どうやるねん?
領内からの買い入れなら信用取引もあるが、領外の商人はサイトの長い信用取引
には応じないだろう。梁山泊軍は負け知らずなんで、そこそこには信用があるとしても、
人口500万人の国にしては大きすぎる軍隊を持ってる。破綻は目に見えているから、
領外の商人は信用取引には応じない可能性が高い。
そうなると仕入れ代金の決済ができなくて、梁山泊は破産だろうよ。
物資を集積するだけのカネがあるのかね。
童貫戦の後も戦つづきだよ。しかも、農民からの税収はすべて備蓄に回し一切手を
つけない。交易への課税で国を回している。売却利益の2割は輸送費だからな。
物資を集積するカネはないだろうよw
ウルトラマンが壊した建物・道路の損害の賠償は誰がするのか、みたいな話はよせよ。
そういうことを考えないのが、児童文学だ。
>>958 楊令は実はバカだから、いつも「どちらでもないな」の台詞でお茶を濁しているよ。
燕青と「酒の味・水の味」論議をしているときも、「幻王の味は酒でも水でもない」と言った。
岳飛と花飛麟が抗金について議論しているときも、国をどうするかについては色んな
考えがあるで議論を切った。
自分には定見がないくせに、他人には賢いと思ってもらいた奴が、よく使う手だよ。
「どちらでもないな」
965 :
無名草子さん:2010/04/14(水) 15:46:27
早く死ねばいいのにな。糞楊令。
>>965 要約すると言いたいことはそれしかないのだが、それだけで1000まで行くと荒らしと
認定されるから、グダグダと理屈を述べている。
人気作品の続編というのは、通常、前作より劣る。小説でも映画でも、だいたいそうだ。
前作が大長編小説である場合、作者がネタを使い果していることが多いから、とりわけ
続編はつまらなくなる。
水滸伝の童貫戦で連環馬を再度登場させたことを見ればわかると思うが、もう水滸伝
の終盤で、ネタは使い果していたんだよ。
前作と同一傾向の作品を作るとすれば、楊令伝が面白くなくなることは宿命づけられていた。
それでも、あえて続編を書く。つまらなさを回避するには、同じ傾向の作品にしないこと。
俺は、史実を調べ尽くして、その中にフィクションの梁山泊の人物を注入してゆく準備が
できたので、続編執筆を決意したのかと思った。連載開始前のすばるの特集で、「すべて
の準備はできた。あとは書くだけだ」というキャッチ・コピーに騙されたのな。
フタを明けてみれば、なんのことはない、ただのつまらん続編よ。しかも前作の濃密な叙述に
較べると、3〜4倍は文章を水増しして、グダグダと書いている。まれに見る愚作だ。
続編なんだから、前作の錚々たる登場人物に遠慮して、スケール・ダウンした物語にする
という選択肢もあったんだろうな。
金・宋・方臘を史実どおりに動かして、梁山泊は一箇所に集結せず、少人数ごとに、各陣営
に陣借りして闘う、というのでもよかった。むしろ、そっちの方が「すごい楊令殿」がいなくて、
面白くなっていただろうと、いまにして思う。
ところが、作者が考えたのは、前作をスケール・アップすることだった。役者が前作よりも劣る
のに、スケール・アップは無理なんだ。しかしそれをやろうとする。
方策は楊令をすごい人にすることだった。主役のスケール・アップで、なんとか打開できないか。
でも、そのすごい楊令殿は、読者の目には精神異常者にしか見えなかった。誇大自己症候群。
そんな魅力のない楊令が、自己中心的に進行させる物語が面白いはずがない。
その他の主要登場人物については、彼らにどのような役割を果たさせるかすら考えていなかった。
いや、考えたというほどに興味深い活躍をした旧キャラがひとりもいなかったという方が正確だな。
とりわけ梁山泊の他のメンバーは楊令殿に奴隷の如くひれ伏すだけの役割。
アラーの神を崇める古代エジプトの庶民にしか見えなかったな。
これが楊令伝のすべて。
残念でした。
>誇大自己症候群の原因は、幼少時に溺愛され、その後見捨てられる体験をしたような、
>「溺愛と愛情不足の並存」した生育環境に生じやすいらしい。
>一見、恵まれた家庭で育った「王子様」が、やがて周囲の期待に添えない現実に直面したときに陥ったりする。
楊志と済仁美は楊令を溺愛していたな。その後、秦明夫婦に育てられるが、ここで秦明・公淑に
秦容が生まれたことで、「見捨てられる体験」をした。子午山に追っ払われたからな。
また、子午山という恵まれた家庭で育った「王子様」が、林冲騎馬隊隊長という梁山泊のエース・ポジション
を任されながら、童貫軍に敗れた。つまり、周囲の期待に添えない現実に直面したのだな。
症状だけでなく、原因の面から考えても、間違いなく誇大自己症候群ですね。
役人による腐敗のない国を作りたいというだけなら、一般庶民の願いと同一だから、
楊令は嫌われていなかっただろうな。
「中国全土の民に、富むということがなにかを、教えたい」
ここまで考えると、キチガイだわ。余計なおせっかいだから、やめてくれと言いたくなる。
作者は常に、こういう言動をする人物の側からしか考えないようだな。
楊令に殺された熟女真の側の物語が、楊令伝に欠如していたようにな。
「中国全土の民に、富むということがなにかを、教えたい」と楊令に言われたら、
「余計なおせっかいだから、死んでくれ」と言い返したくなるだろう?
それが理解できないか?
★
>>970あたりで次スレ用意し誘導すべし.。
お願いいたします。
>>970 作品の中でも、梁山泊国が安い税率になったのに、民(読者)が喜ばないのは
どうしてだろう、みたいな叙述があったな。
敵を攻撃する、腐敗した政権を倒す、悪者を殺す、このような能動的な
行動であれば、読者は作品に同一化するんだよ。
ところが、受動的に、積極国家の受益者の立場に立たされても、読者は喜ばんよ。
余計なお世話だと思う。作品中の民と同一化して、安い税率を喜んだり、富むという
ことがなにかを伝えていただいてありがとう、とは思わない。
そんなことを考える人間を、こいつ何様のつもりだ、と思ってしまう。
そこのところが理解できないようじゃ・・・・・・・
973 :
970:2010/04/14(水) 16:57:21
>>971 俺は、もう次スレは不要だと思っているんだ。
楊令殿の病名が明らかになったから、この小説が読者に与える不愉快の原因が
明確になった。納得できる答えが出たから、もうこのスレは不要だと思う。
>>972 誇大自己症候群の人物と、ひょんなことから数時間を過さなければならないハメになったとする。
自己中の奴って、そばにいるだけでうんざりするよね。偉そうで。
小説だって同じなんだわ。
誰が、そんな嫌な小説を、自分の方から身近に近づけるか?
おっしゃりたいのは、そういうことですよね。童貫です。
> 誇大自己症候群の人は、一見すると「いい人」にみえたり、とても真面目で控えめな印象を
>与えたりすることも多い。第一印象では、一般の人は欺かれがちである。逆に、好印象を
>もってしまうことも多い。カリスマ性という点では、誇大自己症候群の人は、優れた素質を
>もっている場合もあるので、魅了されてしまうこともある。
18巻で梁山泊に来た楊令は、まさしく「いい人」に見えたな。
楊令伝でも、梁山泊の面々には、「すごい」と言われている。
間違いなく、誇大自己症候群だな。
>「気まぐれに、考えや決定がころころ変わる。だが、相手が決めることは好まず、自分が決定権をもとうとする」
これも、誇大自己症候群の特徴のひとつに挙げられている。
>>935の岡田尊司氏の「誇大自己症候群」(ちくま新書/206頁)
>>973 同感
こんな糞面白くない小説のスレが長々と続いた理由は、つまらなさの原因を特定する決め手
がなかったからなんだわな。
楊令=誇大自己症候群で特定できた。もう次スレはいらないね。
そうだな。楊令が普通の人間だと思っていたから、腹が立った。
しかし、病気なら怒ってもしかたない。もういいな。
>>972 登場人物の視点で書いてあるから、たとえば、楊令が呉用その他の作中人物を相手に
話していると、そんなに腹が立たない。
ところが、楊令が一人語りで、民に富むということがなにかを伝えよう、というように民を相手に
語り始めると、読者に直接話し掛けられているようで、腹が立つんだよ。
まあ楊令が頭領になる年齢が若すぎたということだろう。
晁蓋や宋江ぐらいの年齢であれば、慈父のような優しさで若い兵士に話しかけても
サマになる。
しかし楊令の若さでそんなことをすれば、オカマに見えるだけだ。
楊令を頭領らしく見せようと思えば、万能の天才にするしかなかった。
それだけでは足りなくて、非情なまでに決断力のある人間というキャラにしたかったのだろう。
しかしそれを表現するエピソードとして、民の殺戮・強盗・女攫いは不適切だった。
そういうことでねぇ?
>>975 それは、誇大自己症候群の人の中にも、病気を克服して、いい方向に転化させた人もいる
という例として挙げられているんだよ。ガンジーなどな。
楊令の場合は、克服していない。「楊令殿は変った」と、いいかげんに誤魔化しただけだ。
楊令がいつどのようにして変ったのかは、明らかでない。
ヒキコモリ楊令が梁山泊という大組織の中に出てきただけ、という感じしかなかったな。
幻王ネタというのも、緻密に練られたネタという感じはしないな。
幻王=楊令=呉乞買というところが重要なのかという思わせぶりもあったが、
結局、そこはどうでもよかった。
最近になって、幻王の「幻」ばかりが強調されて、闘っているときの自分は幻だ
と思いたい。自分は平和を愛する、とわけのわからんことを言い出す。
ほんと、「気まぐれに、考えや決定がころころ変わる。だが、相手が決めることは
好まず、自分が決定権をもとうとする」
王でもないのに、幻王と名乗るところだけで、十分自己肥大。
そのくせ帝は大嫌い。
葉敬の荘をもっときちんと描いていけば、面白くなっていたんだろうがな。
中国の王朝というのは村々の上に乗っかって収奪をしていただけ。
その収奪に村々も参加するために、科挙の制度があり、村から有力官人
が出ると、それにぶらさがった。
祝家荘がそうなろうとしていた。楊令の誇大妄想を聞いている暇があったら、
中国社会のベースになる地縁・血縁団体の生態を描いた方が、多少とも
読んで役立つ小説になっていただろうにな。
>>980 楊令の年齢からすれば、若き先鋒の将である方が、どんなにキャラが引き立ったことか。
頭領にするなど愚の骨頂。
小さな梁山泊しか作れない弱小軍団を組織して、そのとおりの小さな梁山泊を建国したのでは
面白くない。
金軍の力を利用して、帝には劉豫を立て、梁山泊が斉を作るべきだったね。
本来、梁山泊は帝を否定したいわけだが、現実的には帝政を採用しなければ民を統治できない
という妥協を受け入れれば、楊令も多少は利口に見えたのに。
南宋と広大な前線で対峙するから、必要なときに、戦の場面を挟むのも容易になる。
岳飛に馬泥棒をやらせるという、原典的(マンガ的)展開を用いる愚を冒すこともない。
いいこと尽くめだよね。
商品原価が8割、輸送費が2割というバカみたいな話も読まずにすんだし。
南宋も、史実で活躍する人物を新たに登場させるよりは、長く出ていて読者に馴染みのある
李富にやらせた方が、読者にわかりやすいという判断だったのかな?
そもそも史実キャラが登場するのを嫌うような人は、時代小説を読まないと思うんだがね。
反対に、オリキャラの李富がそこまででしゃばると、物語に対する興味が失せてしまう。
暗号解読をしているのがお似合いの小役人で、童貫禁軍が活躍するようになってからは、
実質青蓮寺は何もしていない。水滸伝の後半では、大きく評価を落とした、また落とすように
描かなければならなかった青蓮寺だ。
それが、南宋建国とはおそれいった。やめてくれよw
>>975 殺人・傷害といった過激な行動に出なければ、病気じゃないよ。
>>980 項羽が旧蓁の兵を20万だか30万だか生き埋めにしたエピソードは、面白かったけどな。
項羽を嫌うどころか、項羽の特徴の一つとして、好意的に受け入れることができた。
当時の流浪する軍団の発生史をきちんと説明してあったから、項羽が皆殺しをした理由
が理解できたことと、描写方法がいかにも劇中の人物という客観手法だったことで、
殺戮の悲惨さよりも、人物の長所・短所を知るという読者の知的興味に訴えたからだろうな。
幻王の場合、読者の痴れ者的興味に訴えたので、ソッポをむかれてしまいましたね。
現在は読んでいなくて、むかし読んでいただけなのに、これほどまでにおまいらを憤慨
させる楊令の破壊力は、すさまじいなw
ハードボイルドな主人公というのは、せいぜい探偵・刑事どまりじゃないとな。
水滸伝でいえば、致死軍・青蓮寺の手の者どまり。
人口500万人の国家の元首がハードボイルドだとマンガにしかならん。
993 :
無名草子さん:2010/04/14(水) 18:44:48
で、まだ、このスレ、続けるのか?もうやめんか?
>>943 >自分は生まれながらの天才で、孫子こそ自分にひざまずくべきであると考えているのであろう。
楊令は陰性だから何をやっても嫌われるんだよ。
「国盗り物語」の松波庄九郎は、孫子どころか、神仏に向かって自分のために働けと命じて
いたが、読んでいて嫌悪感はなかったね。それどころか、その台詞が気に入ってしまった。
庄九郎は陽性なので、そんなエピソードが愛嬌になってしまう。
もっとも当時俺は中学生だったので、もしかすると、現在の中学生は楊令をそのように読んでいる
のかもしれんがな。
歳をとると人物の好悪も違ってくる。「イージーライダー」のラストで主人公を鉄砲で撃ち殺す
田舎のおっさんは、若い頃はひどい奴だと思ったが、歳をとってから見ると、あの場面が痛快で
しかたない。「やれやれ!あと100発、銃弾を撃ち込め!」と思ってしまう。
>>982 そのあたりは、韓世忠と韓伯竜を、あとから兄弟にしたのと同じ発想だわな。
楊令=呉乞買を統合する符牒として幻王が必要だったのに、幻の字ズラだけから、
新しい意味を与えたという感じがする。
だから新しい意味づけを読んでも、面白くもなんともない。
等身大の楊令人形が発売されたら、ぜったいに買おうと思っています。
楊令の顔にうんこしてやりたいです。
>>993 もうすぐ13巻が発売になる。その部分は、すばるで読んだ。といっても、半分読むと
後半が読みたくなくなるような内容だった。作品がつまらないのか、俺が飽きたのかは
わからないが、とにかくそんな状況だ。すばる2月号以降(14巻収録分)は読んでいない。
もう読んで面白いとか面白くないといった状態ではなく、読みつづけるのが大儀になって
いる。あくまで俺の主観の話だがな。
すでに読んだ部分を仔細に検証すれば、つっこみどころは多い。とくに交易の部分。
しかしあまりにつっこみどころが多いと、やる気をなくすものだ。
もう終了でいいね。
総論的な話題になると、ほぼ幻王時代の楊令に話題が集中する。
重複した内容のレスが多い。
リアルタイムの話題がないなら、もう終了でいいよ。
北方スレは他にもあるから、連載中の楊令伝について話題にしたい人は、
そこでやればいいし。
終了に賛成
1000 :
無名草子さん:2010/04/15(木) 13:40:10
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