1 :
ぞうよ:
【前スレ】
北方水滸伝・楊令伝を語ろう第四十四章
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/books/1255142091/ 【出版状況】
・水滸伝 ハードカバー、文庫ともに、全19巻まで発売中。
・北方水滸伝・楊令伝 1−11巻まで発売中。文庫版は、まだ未定。
【替天の志(ローカルルール)】
★楊令伝に関し、詳細・ネタバレを含む内容に関しては、
小説すばる公式発売日(基本、毎月17日)発売に解禁とする。
★公式発売日前日以前の早売りに関しては外部に記述して誘導に留める等、
早売り派の配慮と自重を持って行動されたし。
★文庫新規参入者は文庫派専用スレがあるので、深入りする前に移動すべし。
★原典との対比に付いては制限は設けず、
ただし、場の雰囲気に応じ臨機応変に対処されたし。
★☆荒らしは徹底無視するべし。耐えに耐えよ。☆★
★専ブラウザを使用すべし。★
★
>>970あたりで次スレ用意し誘導すべし.。
関連リンクは
>>2-4
2 :
ぞうよ:2009/11/27(金) 14:20:47
あ
>>1 乙
11巻、読み終わりました( ;∀;)イイハナシダナー
岳家軍の皆殺しの話が、そんなにいい話か?
「天下というのがなんだか、言える人間がいるんですかね?」
「言った人間は、いる。関勝殿と前後して死んだ、鄒淵だ。独竜岡が天下だと、呉用殿
に言ったらしい」
「記憶にないですね。最近は、なにを読んでも、後付けの屁理屈に思えるようになりました」
「私は呉用殿からそれを聞いたのだが、なんとなく心に残って消えない」
「独竜岡が、天下ですか?まさかwww」
「不思議に、それが狭い感じがしなかったそうだ」
「内弁慶というやつですね」
「鄒淵という人は、解珍殿、解宝殿の仲間の、猟師だった人でしょう?」
「鄒潤の兄で、独竜岡では一番の腕を持っていたらしい。史進の、遊撃隊の歩兵指揮をする
ようになったのだがな」
「その前の巻の最後のところで、梁山泊に入山したばかりの私の父に兵を集めろと命令されて
いましたよね。わたしは、鄒淵殿が、てっきり呼延灼隊の副官になったとばかり思っていました。
すると次の巻では、なんの説明もなく遊撃隊にいた。驚きましたよ」
この鄒淵の話というのは、
おまいらは楊令の梁山泊を小さな国だと批判する
↓
しかし、鄒淵のようにもっと小さな独竜岡を天下だと思っていた奴もいる
↓
それに比べれば、楊令の梁山泊は大きな国。まさに天下じゃないか?
こういう風に理解しろっていうことかな?
よほどおつむの悪い小学生だと思われているんだろうな、俺たちはw
独竜岡が天下なら、祝家荘戦が終った時点で、鄒淵の天下統一は成就したわけだろう。
宋を倒そうという梁山泊へ、鄒淵はなぜやってきたんだろう?
第1巻 2006年10月17日〜2007年1月16日 本スレ15章〜17章
第2巻 2007年1月17日〜4月16日 本スレ17章〜19章
第3巻 2007年4月17日〜7月16日 本スレ19章〜21章
第4巻 2007年7月17日〜10月16日 本スレ21章〜22章
第5巻 2007年10月17日〜2008年1月16日 本スレ22章〜23章
第6巻 2008年1月17日〜4月16日 本スレ23章〜26章
第7巻 2008年4月17日〜7月16日 本スレ26章〜29章
第8巻 2008年7月17日〜10月16日 本スレ29章〜33章
第9巻 2008年10月17日〜2009年1月16日 本スレ33章〜34章
第10巻 2009年1月17日〜4月16日 本スレ34章〜38章
第11巻 2009年4月17日〜7月16日 本スレ38章〜41章
第12巻 2009年7月17日〜10月16日 本スレ41章〜44章
第13巻 2009年10月17日〜 本スレ44章
【梁山泊】
〔楊令隊〕 4000 楊令(黒騎兵100) 張平(青騎兵100) 蘇h(騎馬2000) 耶律越里(騎馬2000)
〔遊撃隊〕 3000 史進(赤騎兵200) 班光(副官) 鄭応(騎馬1500) 葉敬(騎馬1500)
〔秦容隊〕 500 秦容(500騎) 田忠
〔呼延凌隊〕 10000 呼延凌 黄鉞(騎馬5000) 鍾玄(歩兵5000)
〔花飛麟隊〕 10000 花飛麟 董進 蒼貴 (騎馬5000/歩兵5000)
〔韓伯竜隊〕 8000 韓伯竜 孫安 馬霊 (騎馬4000/歩兵4000) →【南皮】
〔郭盛隊〕 40000 郭盛 党厳(副官)
李英(歩兵1万) 周印(歩兵1万) 山士奇(歩兵1万) ショウ丹(歩兵1万)
〔工兵隊〕 1000 陶宗旺
〔砲兵隊〕 呂皖
〔新兵調練〕 曽潤 ケ広 〔予備役将校〕 宋万
〔聚義庁〕 呉用
〔文治省〕 宣賛 陳娥 − 2000 〔巡邏隊〕 蘇端 − 2000
〔医師〕 白勝 文祥 蘇良 〔薬師〕 馬雲
〔大工〕 劉策 〔鍛冶〕 高平 陸博 田峯 〔造幣〕 華鋒 − 50
〔牧場〕 段景住 尹舜 〔酒屋〕 朱樺 朱杏
〔その他〕 顧大嫂 蒼香 金翠蓮 宣凱 王貴 張朔
〔兵站〕 蒋敬 孟康 李立
〔通信〕 張横
〔交易〕 瓊英 曹正 盛栄 牛直 源太 孫二娘 五郎
〔絹の道〕 李媛 荀響
【調 略】 公孫勝 喬道清
【間 者】 戴宗
【致死軍】 侯真 羅辰 チョ律
【洞庭山】 〔水軍〕 李俊 狄成 項充 張敬 (大型船40艘 中型船150余艘)
(交易護衛) 費保 倪雲 (測量) 童猛
〔造船〕 阮小二 趙林 〔医師〕 毛定
【洞宮山】 王、 白寿
【会寧府】 蔡福
【中興府】 韓成 武松 郤妁
【西 域】 上青
【子午山】 蔡豹 公淑 燕青 カク嬌 王清
>>6 「鄒淵、将校を全員集めろ」
将校は、鄒淵も含めて十四名だった。
編成は、最小で十。それがさらに十集まって一隊とする。その百名の隊をいくつか
組み合わせて、将校が指揮する。
隊が動くさまが、呼延灼には見えはじめていた。
(第十巻 濁流の章 了)
宣賛は、呼延灼の息子の呼延凌と話をしているわけだから、なにも遊撃隊の話
をしなくても、鄒淵が呼延灼の直属の部下だった時代の話をすればいいのにね。
宣賛が梁山泊にやってくる前の話だから、呼延灼と鄒淵の関係については詳しくないんだろう。
結局、宣賛の視点というのは、11月号で宣賛は楊令に「天下を取るつもりはないのか?」と
迫ったわけだが、あれは単なる貧乏ゆすりであって、これであの話は打ち切りというための
ものだな。いつものことだ。
物語が膨らむということのない小説だよな。たまに膨らむと、詳しすぎる方臘戦のように
梁山泊と無関係な方向に膨らむから、こじんまりと纏めることに専念されているのだろう。
しかし、あの無意味な劉彦宗騒ぎはなんだったんだろうな。
初登場のときは、扈成が劉彦宗を担いで燕雲十六州に聞煥章の考えた燕国の
ような国を作る計画があったが頓挫したというところで出てきた。
その後、斉建国の主体が次々に入れ替わり、そのたびに劉彦宗が担がれ、帝
になるのかと思いきや、突如劉豫が登場して、劉彦宗は斉の宰相。直後に暗殺される。
劉豫との親族関係、韓伯竜との師弟関係等の煤煙を撒き散らしただけで死んだな。
しかも、史実の劉彦宗は、旧遼の官人で、金に鞍替えした後、対宋戦に出陣した
だけで、斉とは無関係な人物。なんなんだろう、一体?
劉彦宗騒ぎというのは、鍬で畑を深く耕さない農民が、掌で土の表面を撫でただけの話。
迷走中の迷走。彼の登場した部分をすべて削除すれば、どんなに読みやすくなることだろう。
王黼と王慶、韓世忠と韓伯竜、劉豫と劉彦宗。
姓が同じというだけで、すぐに血縁にされてしまうのだけど、
面白いと思っているのかね?
バカバカしいだけだろう。小学生でも喜ばんぞ。
和田アキ子と和田誠を異母兄弟として登場させたら、小説が面白くなるか?
>>18 梁山泊の会で、どうして北方作品には騎馬隊の登場シーンが多いのですか?
という質問に答えて、「中国の歴史では北方騎馬民族の征服王朝がしばしば現れた。
その雰囲気を出したかった」と言われたときに、この人の歴史感覚がわかったような気がした。
中国史を塗り変える局面で騎馬隊が活躍したのは史実だが、どうして漢民族どうしの
闘いで騎馬隊が活躍しなきゃならないのか、俺にはサッパリ理解できない。
楊令伝でいうと、金国の騎馬隊が宋や梁山泊の騎馬隊より桁外れに強いというのなら
話はわかる。しかし、そうじゃないんだw
楊令伝で、斡離不が阿骨打の息子ではないという設定で登場したり、斉と無関係な劉彦宗
の迷路のような話をしている最中に劉豫を登場させたり、わからないことだらけなんだが、
要するに、劉彦宗や斡離不といった中国人の名前を出せば、中国モノらしい雰囲気が出る
じゃないか。その程度の感覚なんじゃないのかね?
日本の江戸時代を扱った時代小説でも、幕末騒乱が始まる前ならば、読者も
時代考証をうるさく言わない。うるさく言うほどには、歴史に詳しくないからだw
だが幕末モノになったとたんに、うるさく言う奴が増える。幕末を扱った書物は
多く、それらをたくさん読んでいるから、うるさく言うだけの知識もあるんだろうな。
水滸伝と楊令伝の関係も、これに似ているな。王朝交替のような変革期を小説
にするならば、それなりの覚悟がいるということだ。
>>16 ざっくりとドラマチックな展開を望んでいるのだが、なかなか出てこないな。
まあ岳家軍の領分の民が、岳飛に叛乱を起こしたのが、今月号の唯一の救いだ。
ここ1年の迷走楊令伝の中では、唯一、小説らしい事件が起きたと思っている。
今月、蕭珪材が戦死した。これから最終巻に向かって廃品処分が続くのだろうが、
唐昇は病死でいいな。他陣営の廃品の名誉の戦死にまで、いちいち付き合っていられない。
こいつは主観的に重要キャラだというので、いちいち戦を始められたのではかなわんな。
もっとも、2巻半もかけて戦をやった童貫のような大物は残っていないから、そんなに長い
戦はもうないだろうけど。戦の大きさ(小説でいうと長さ)を基準にして、戦死するキャラの
重要度を表現するから、主観的に重要なキャラである蕭珪材が死ぬ戦は、そこそこ
に長いものになった。だが、戦の内容は、いつも一緒。とくに、序盤の小手調べのような
部分がものすごく退屈。いつも同じだし。
野戦ばかりだよな。水軍まったく出てこないし、篭城戦もまったくない。
もう怪獣でも出してくれよ。そっちの方が、よっぽど面白いよ。
アメ横で、歳暮に贈る海苔を、一山いくらで売買している感じがするんだわな。
戦の内容は、いつも同じ。その戦で戦死する登場人物の重要度に応じて、
戦の場面を短くしたり長くしたり。
徐史の死んだ戦は短いが、蕭珪材は長い。
徐史は遠縁なんで歳暮は一山1000円の海苔。蕭珪材は近親なんで、
一山5000円の海苔を歳暮に贈る。海苔そのものは、同じ産地の同じ品質。
量だけ変えて、人物の重要度を表現。もう戦の場面は、読む気がしない。
28 :
無名草子さん:2009/11/27(金) 19:23:32
貴様らは、本気でそんなことを考えているのか?読まなきゃいいだろう?
主観的であるとはいえ、蕭珪材は作者が大事にしてきたキャラなんだろう。
もう少し物語の本筋に変更を与える死に方をさせることはできなかったものかと、
悔やまれるな。
今回最重要なのは、岳家軍の民の叛乱。これが伝聞で1ページで済まされるの
に対して、単に戦死するだけの蕭珪材の闘いには、ほぼ三節まるまる使う熱の
入れよう。しかし、蕭珪材というのは単に闘って死んだだけ。物語を大きく動かした
のは、岳家軍の民の叛乱の方だ。
この力点の置きようのセンスは理解できない。水滸伝のときは、こんなことはしなかった
はずだ。とにかく闘って死んでゆけば美しい。それが物語の本筋に大きく関わって
いようがいまいが、おかまいなし。
やはり物語の流れを大きく変える事件にページを費やすべきだし、重要キャラは、
そのような重要な事件に関与すべきじゃないかと思う。そうでないと面白くない。
蕭珪材と岳飛の闘いなど、人生の大きな節目の大きな問題を抱えた人が、
余暇にプロレス中継を見ている程度の話じゃないかと思うのだが。
ドウカン・ファイトが、そうだったよな。
童貫の死によって実質北宋は滅亡同然になったが、総帥がいなくなっただけで
兵はまるごと残っていた。どうして北宋のために、禁軍を立て直そうとする人間
が出てこなかったのだろう?
そう考えると、物語の進行とはまったく無関係に、ただ「闘った」「美しい」のためにだけ、
ドウカン・ファイトがあったような気がしてならない。
今回、岳家軍は二手に分かれて闘ったのだが、岳飛がいた方の部隊は
蕭珪材の運命を決めただけ。他方の軍の敗北は、岳家軍の運命を決めて
しまった。当然、物語全体の観点からは、後者の戦いの方が重要。
そこを書かないという神経が、よくわからん。
楊志や雷横の頃は、“何のために”闘って死ぬのかが明確だった。
彼らの戦死に、具体的に有用な意義を見出すことが出来た。
水滸伝の終盤から、抽象的な“闘って死ぬこと”それ自体が、賛美されている。
問題なのは、話の落としどころを見つけられずに、やむをえず抽象的な
“闘って死ぬこと”の美化になってしまっているということ。陳腐な上にワン・パターン。
>>31 すごい岳飛殿は、同じくすごい蕭珪材殿を倒して、箔をつけなきゃならないわけよ。
すごいすごい楊令殿への挑戦権を得るために。
楊令は、葉巻に火をつけた。
基本となるストーリーが弱いから、キャラがストーリーに関わっていけないんだろうな。
楊令伝を読んでいると、バブル期の地方都市の祭りを想起してしまう。
伝統的な祭りのなかった新興の地方都市が、予算がついたもんで、仕方なくやっていた
祭りな。日本中に知れわたった伝統的な祭りは盛り上がるのだが、新興都市がとって
つけたようにやっている祭りというのは、ほんとつまらん。豚汁ふるまったり、うちわ配ったり、
美人コンテストにブスばかり出したり・・・。楊令伝って、そんな感じ。
おまいらは、楊令伝をつまらんと言ってけなすが、小説の9割以上は、この程度の
もんじゃねーか?期待しすぎなんだよ。
そうかもしれないけど、その9割以上の小説は、楊令伝のように長くない。
1巻〜3巻程度に小説をまとめていると、面白くなくても、読後に肚の立つことはない。
それなりに楽しめるものだし、少なくとも暇つぶしにはなる。
楊令伝のつまらなさは、その圧倒的な長さにあると思う。
三国志は13巻で完結した。内容は充実していた。
水滸伝も13巻までの内容は、かなり充実していた。
楊令伝はすばるでは13巻収録分を掲載しているのだが、ここまで何があったんだろうと
いう感じ。半分ぐらいにまとめてあれば、そこそこには楽しめたんだと思う。
楊令伝をネットで公開して、〔ぶつかり合い〕〔反転した〕〔敵の横に突っこんでいた〕の
3つをNGワード登録すれば、かなり面白い小説になると思う。その3つの文節を含む
段落は「透明あぼ〜ん」にするのな。
戦の場面については、スケール感の大きさをどのようにして出すかに苦慮して
おられるような感じだな。水滸伝で最も兵数を集めた戦いは、ラストの童貫戦
なんだが、楊令伝では、ほとんどの戦が、その童貫戦を上回る兵数だ。
一万単位の部隊が動くところを書けばスケール感が出るというものでもない。
戦の描写を長くする、詳しくする。そんなもんでスケール感が出るものでもない。
広い原野の中で、敵味方双方の兵の集団が、点景に見えてしまって、かえって
スケール感が小さくなってしまっている。
絵の中の人物や集団は、比較対照となるモノがあるから、大きく見えたり小さく
見えたりする。ミニチュア・セットの中で暴れるから怪獣は大きく見える。
軍勢の多さを表現するための描写の工夫が必要なのではなかろうか?
軍勢を小さく見せるだけの原野はまずい。読者がイメージしたすい地物を比較対照
に出して、軍勢を大きく見せる工夫がほしい。
たとえば、戦場に向かう軍団の行軍シーンを描くのでも良い。
道幅との関係で、3列縦隊で行軍していたとする。先頭から最後部までが
どれぐらいの長さになるかを書く。先頭付近と最後尾付近の地物を示すこと
で、軍団の大きさを表現できる。
キャラどうしの会話など、行軍の中でもできる。いつもいつも部屋の中で
やることでもない。
船で兵を輸送するシーン。船の大きさをイメージできれば、その船に載っている
部隊の大きさをイメージできる。その部隊の単位を、陸上の戦闘シーンになっても、
継続してイメージできるような工夫をする。
・三万と一万二千を見較べると、やはり圧倒的な兵力差だった。これほどの兵力差での
戦の経験は、岳飛には思い浮かべられなかった。
・岳雲は、八千騎で三千騎を押し包もうとしていた
・馬に乗った。三千騎。
・三万なのだ。どうしても、そう思ってしまう。
・三千騎が、まとまって動きはじめた。
こういう数字を羅列されても、何もイメージできんよ。数字ですぐにイメージできるのは
貨幣価値ぐらいのもの。三万ならテレビが買えるとか、三千なら居酒屋で飲み食い
するとか、千ならタクシー代とか。人の集団は数字だけではイメージできない。
イメージできないから、戦の場面を読んでいても、ちっとも面白くない。
人の集団でも100人以下なら、すぐにイメージできるがな。
貨幣価値でも、4000万円と5000万円の違いとなるとイメージしにくい。
頻繁に朝礼をやっている会社や学校で、従業員・生徒の数を知っていれば、
その数はイメージしやすいだろう。
だが、一般的に千人以上は、イメージしにくいんじゃないか?八千人の集団と、
九千人の集団を一目で区別できる人はいないだろう。
長坂橋のたもとに張飛が立ちふさがり、その前に曹操軍の兵士がうじゃうじゃしている
場面はイメージしやすい。橋という地物があるからだ。
俺の場合、じょうごをイメージする。じょうごの細い筒の部分が橋で、うじゃうじゃいる
曹操軍の兵士が、じょうごの上部の容器にたまった液体。この場合、数字を挙げなくても
敵兵がたくさんいることがイメージできる。
だだっ広い原野の中の数字からは、何もイメージできない。
>>35 >基本となるストーリーが弱いから、キャラがストーリーに関わっていけないんだろうな。
つーか小説のど真ん中で、梁山泊が目標を達成してしまったのが、ストーリー的には
最悪なんだろうな。しかも、自ら目標を小さくして、小さな梁山泊の中にのみ民の安寧
な暮らしがあれば目標達成という矮小化をしてまで。
普通、目標というのは物語の最後に達成するか、最後まで達成できないかのいずれか。
物語のど真ん中で目標を達成するなんて、早漏男と同じ。
しかも、敵が攻めてきてくれないと、梁山泊からは何もできないというバカバカしい制約
まで付けてしまった。
まさしく、しばらく時間が経たないとと勃起しない早漏男。
>小さな梁山泊の中にのみ民の安寧な暮らしがあれば目標達成という矮小化
正確にいうと、早漏オナニー男だなw
なるほど。このスレの怨嗟の声は、早漏男の相手をしてイケなかった欲求不満女のものか。
しかし、小さな梁山泊の内部だけで裕福になって、何が嬉しいの?
仮にこれが現実の話で、自分が梁山泊の民なら、そりゃ税が安くなって喜ぶだろうが、
これってフィクションだろう?
物語がつまんなければ、梁山泊の民が幸福になっても、面白くもなんともない。
戦を間近に控えた頭領の心の内を描写した場面がすばる12月号に出てきた。
岳飛の心の内を語った428頁の「ひとりになると、岳飛は・・・」以下だ。
この場面を、呼延灼戦の前夜の晁蓋の心の内を描いた部分(文庫10巻252頁)
と比較すると興味深い。
まず、晁蓋。書かれていることは、ひとつだけ。戦を明日に控え、死の恐怖に襲われた
のだ。これはありうる話だし、自分を晁蓋の立場に置くと、同じような気分に襲われるの
ではないかと思う。読者は、晁蓋とスッと同一化できるのだ。真実味があるのだ。明日
は実戦だから。あれこれと色んなことを考えないで、情緒にのみ揺り動かされる瞬間
というものは、誰にでもあるのだ。そこが上手く書けている。
この部分は、今月号の岳飛でいうと「いや、負ければ、死ぬ。死ぬだけのことだ。死ねば、
夢も、領土も、消えている」のみだ。晁蓋の場合は、ふと襲われた死の予感がきめ細か
に語られているのに対して、岳飛の場合、そのことは2行だ。粗雑。
それに比べ、岳飛の場合、童貫に見出された頃から現在までの多くの事柄が語られる。
あれこれ多くのことを考えすぎるのだ。読みようによっては、これまでの岳飛の登場場面
のおさらいをしているのかとも思える。
また、楊令伝キャラの場合、北方氏お気に入りのキャラに対する賛辞を忘れない。岳飛も、
蕭珪材のことを「間違いなく、戦の天ビンを与えられた男」と言っている。
全体では岳飛の心の描写は晁蓋の2倍以上長いのだが、他で書いていることを繰り返して
いるだけで、岳飛という人物、また岳飛を通じて人間一般の心に迫ってゆく部分が皆無。
要するに、楊令伝キャラの場合、心の内側を描いているときでさえ、客観描写が多すぎる
のだ。また、主観描写の部分も、自分への問いかけが非常に多く、問いかけへの自答が
粗雑すぎて、視点人物の心の襞が見えにくい。
無駄に長いわりには、肝心なところはお粗末。全15巻を半分の8巻程度に圧縮し、かつてのような
簡潔な文章で書いていれば、面白かったということだよね。
>>49 主人公の楊令が、「こんな人間になったら、まわりから嫌われるだろうな」「俺は、楊令の
ような人間にはならないようにしよう」という感じの人物だからな。
楊令の発作は、もう起きないのかなあ?
>>45 一徹に早漏男であり続ければ、まだ好感を持たれていた。
楊令の領土不拡大宣言の直後に、戴宗は全国統一が当然のような言い方をする。
楊令は最近になって富による全国の統一を考えているとブレる。
北京大名府に兵は出すが、翌月には、これは全国統一とは無関係と言う。
梁山泊からアクションを起こすための模索なのかもしれないが、ブレすぎ。
梁山泊は敵が攻めてきてくれない限り、戦の面では、この物語とは無関係な集団
になってしまったのだ。
>>49 >>50 ひとことで言うと“なぞる文章”なんだ。
戦は初めから終わりまで、なぞる。
キャラの心の中を描くときでも、ここまでの視点人物の履歴を、なぞる。
状況が変化したときは、その回に登場するすべての人物が、その状況の変化を
なぞるように確認を繰り返す。
率直にいって、なぞる部分をなくせば、巻数は半分で済んてエコだったし、読み手の側も読み
やすかったと思うし、作品の評価そのものも高くなっていたと思うな。
梁山泊が斉にならなかった話を別にしても、斉に関する叙述には不満が多いな。
劉豫を出すのなら、初めから劉彦宗は不用だったと思うんだな。
その上、すんなり帝になった劉豫に対し、宰相にしかならす、なった後にはすぐに殺される
劉彦宗について、複雑すぎる操作をしたのは、明らかに失敗だろう。
斉と金の関係、斉と扈成・張俊の関係も、おかしい。一定していないんだ。
事前に決めてから書いているのかなと疑いたくなる。
>>57 >>49の「主観描写の部分も、自分への問いかけが非常に多く」というのも
似たようなもんだな。自問自答をすませてから執筆にはいれば、もっと
すっきりした文になるような気がする。そのあたりが、三国志・水滸伝(前半)
楊家将とくらべると、ずいぶん違った印象を受ける。
6ヶ月に単行本1冊ペースで、全8巻完結ならよかったのに。
内容そのままに文章は半分でいいと思う。
60 :
無名草子さん:2009/11/29(日) 02:01:08
>>57 多分、決めてるのは終わり方だけだと思う。
いかに岳飛との対決にいい場面を用意出来るか。
こまかい部分は事前に決めることは無理だとしても、10行程度で全体をまとめた粗筋
すら見えてこないよな。これがきちんとしていないと、登場人物の出し方がおかしくなる。
斡離不・斡本・兀朮の出し方、李富による方臘の過少評価などを読んでいると、そうだと
しか思えない。
いちばんひどいのは劉彦宗、次が張俊。
水滸伝は根拠地すらもたなかった梁山泊が徐々に組織を作りあげ兵数を増やしていって、宋禁軍と闘うまで
に大きくなり最後は敗北するドラマ。戦の規模も、徐々に大きくなっていった。
楊令伝は、梁山泊がいちど壊滅した事実をそれほど重視しないで、5巻までに宋禁軍と闘えるだけの兵力を
もたせてしまった。つまり、大急ぎで、水滸伝の16巻あたりの状態に梁山泊を戻し、水滸伝の延長線上のドラマ
に仕立てようとした。その過程で、まったく魅力のない頭領、新将校を量産した。基本構想を誤ったね。
どうも戦の場面ばかりが人気があったと誤解されているように思われる。
小さな戦ですら人気があったのだから、さらに大きな戦にすれば、ファンはもっと喜ぶと。
拙速に水滸伝ラストの童貫戦を上回る規模の戦ができる梁山泊にすることを急ぎすぎた。
雀のお宿から、大きなツヅラを持って帰ったおばあさんと、同じ発想だ。
楊令伝を本気で読んでいるようにも思えない無責任なブログなどで、「この巻は、戦がなくて、いまひとつだった。
次巻は盛り上がるのだろうか?」みたいな感想を書いている奴が多いからな。
この作品に好意的な感想文を書いている奴は、バトルさえあれば喜んでいるみたいだ。
率直にいって、楊令伝になってから、水滸伝時代の戦より面白い戦なんて、ひとつもないだろうに。
それと梁山泊の独自性にこだわりすぎたな。
方臘が梁山泊と同盟しようとしても拒絶。宋を倒すときも金との同盟はなし。
戦後、金が同盟を申し入れても拒絶。
新キャラを魅力的なものにしようと思えば、戦場以外のドラマの場面をふんだん
に用意して10巻ぐらいかけて、同志を再結集させるべきだった。戦力が不足する
部分は、金軍に陣借りする、方臘軍に陣借りする。童貫軍を徐々に弱らせてゆけば
よいわかだから、なにも方臘戦の後に、兵力増強した童貫軍を梁山泊が単独で倒す
という展開にこだわる必要はなかった。結果的にドウカン・ファイトは全然面白くなかったわけだしな。
先月号に、「人の愚かさや欲や野心を、小さなものだとは思っていない。争いも、絶える
ことはないだろう。それでも、夢を見失うべきではない」と楊令に言わせていた。
そういうのをやりたければ、現代の日本を舞台に、四畳半で悶々としている若者が、ゲバ棒
かついで学生運動の仲間に入った小説でやればどうなんだろう?
楊令伝の舞台では、長く続いた北宋が滅び、蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。
そんな中に、史実にない小さな梁山泊国がカネを集めまくって夢を追っかけている姿を
見ると、えらく目障りなんだが。
>>61 それぞれに宋打倒を目指して動き始める梁山泊の旧同志たち。楊令は金国の将となり、呉用
らは方臘軍の力を借りて宋打倒を目指す。
↓
方臘戦は方臘の敗北に終るも、童貫軍も多大な損傷を受け、兵数半減
↓
金と宋の最終決戦。童貫軍は壊滅し、靖康の変によって宋滅亡。
↓
華北で独立しようとする梁山泊であったが、金は傀儡張邦昌を立てる。梁山泊との関係に亀裂生じる。
↓
しかし、南宋建国によって、金と梁山泊は協力して共通の敵南宋と闘う。
宗沢、旧禁軍の兵を開封府に糾合し、抗金・抗梁山泊の戦いを始める。
↓
宗沢戦死。高宗も金軍に追われ、江南各地を転々とする。
↓
斉建国。梁山泊独立の動きはここでも封じ込められ、傀儡劉豫を帝に立てる。
↓
華北の直接統治を画策する呉乞買と撻懶。政敵粘罕を倒し、梁山泊(斉)は窮地に追い込まれる。
↓
南宋講和派、撻懶と結び、梁山泊(斉)を挟撃。梁山泊滅亡。梁山泊を倒した英雄岳飛も処刑される。
>>67 童貫戦後の梁山泊のどこに魅力があるのかさっぱり理解できんのだよな。
そのそも楊令伝は戦い主体の時代小説なわけで、金儲けに夢中で戦をしなくなった梁山泊は、
この小説にとって無用の長物。
兵数を数字で羅列するだけの戦シーンよりは、まだ読みやすいよw
“護国の剣”というのも、ずいぶん陳腐なネーミングだよな。
日本刀に変な精神性を見出していた変な人達を思い出させてしまう。
せめて領地に梁山湖を加えるのを目指すとかそれくらいの浪漫を持たないと…
ネーミングというより、小道具としての護国の剣が陳腐すぎるんだよ。
呂布や林冲が愛馬にこだわったのは、馬が生物だけに読者も情が移りドラマになっていたが、
剣に聖性をもたせるのは、安物の芝居を見ているようで嫌だな。
>>72 浪漫か、いい言葉だな。
俺たちは小説を読んでいるのであって、教室で教師の説教を聴いているわけではないんだよな。
小説の中で世界を征服しようが、地球を攻撃してきた宇宙人を全滅させようが、誰も文句は
言わないからな。
民の暮らしやすい国を作るなんて話は、よそでやればいいんだよな。
物語が面白くなるかつまらなくなるかだけが、小説家の勝負どころであって、いい国を
作るなんて話は、それが面白ければ格別、どう考えても実現可能性のない寝言を
タラタラ述べられても、つまらんだけだろう?昆布だけで国ができるか?
そんなことができたら、北海道の漁協は、みんな独立してるわな。
>>73 呂布と赤兎の話を思い出してしまったよ。
あんなに面白い話を書いていた作家が、どうしてこんなつまらん話ばかりするように
なったのだろう?単純に歳のせい?
そもそも12世紀に、王朝が民のために政事をするという発想はないわけで、
民の側にも国は民のための政事をすべきだと要望する思想もないわけで、
いったい何をやっているの?
だいたい3万の軍勢と、1万2千の軍勢が闘って、大将が大将を刺し殺す
という話を読んだだけで、バカバカしくなるわな。
まあいいじゃん。そんなに文句言わなくても。どうせ廃品処理なんだし。
靖康の変後の戦は、梁山泊がかかわらないものについては、伝聞だけで進めても
よかったな。戦闘単位となる国や軍閥を細分化して、あちこちの小さな短い戦闘を
ちょこまかやりすぎたせで、戦のシーンが完璧に飽きられてしまった。
>>78 戦の序盤・中盤は、糞面白くもない数字の羅列と騎馬隊のマスゲームだけ。
終盤は何万という兵はそっちのけで、大将どうしのチャンバラ。
ワン・パターンも、ここまでくると腹が立ってくる。
ていうか戦の場面読んでねーし、読む気しねーし。
楊令伝の戦の場面を熱心に読む気がしないのは、どうしてその戦場で闘っているのか、
その意義がつかめないからというのもあるな。
その場所が戦場として選ばれた必然性がない。
水滸伝では、董平・秦明・花栄は、双頭山・二竜山・流花寨を死守する意義があった。
衛星拠点を死守しなければ、本拠の梁山泊が丸裸にされる。
楊令伝の戦場は、単なるプロレスやボクシングのリングだ。
その場所で戦う意義がない。その証拠に、戦が終れば、両軍とも、さっさと本拠地に引き揚げる。
たとえば、軍事拠点を守る。重要城郭を守る。交易に欠かせない港を守る。兵站上
不可欠な道路を守る。なにか意義を探し出せないか?
84 :
無名草子さん:2009/11/30(月) 12:26:16
残りの巻数からして、ここでこいつを殺しておかないと、死に場所がなくなる。
そんな奴が、原野というリングに次々に登場して死んでゆくドラマにすぎんよな。
旧梁山泊の二竜山等の拠点は、面としての領土の中に点在する拠点ではなく、
宋という敵地の中に点在する拠点ではあったが、それらが一つずつ潰されてゆく
ことによって、梁山泊の劣勢や終焉を表現できたな。
楊令伝には、戦略などはもちろん、そういう簡単な表現すらない。
話の落としどころといえば、抽象的で陳腐な、“闘う男は美しい”。これだけ。
こんな抽象的なテーマを繰り返してると、ある戦を他の戦と区別することすら
困難。一体全体、俺たちは何を読んでいるの?という印象だけが残る。
残り巻数の都合だけで死んだ蕭珪材、カワイソウス
戦略らしき話もしているのかもしれないが、記憶に残らないな。
やはり目に見える砦、城郭等、守護すべき軍事拠点をめぐる攻防でないと、
戦をやる意義が明確にならない。だから、読む気も起こらない。
なお、これは野戦に飽きたから篭城戦をやれという意味ではない。
野戦をやるにしても、守るべき戦略拠点がないと、戦の意義が見えないということ。
>>85 >話の落としどころといえば、抽象的で陳腐な、“闘う男は美しい”。
そういう抽象的なところに逃げるときというのは、じっくりと物語を組み立てる時間がないから
だろうな。楊令伝は慢性的な時間不足でつまらなくなった小説じゃないか?
鮑旭が結婚を控えた部下を助けるために云々という話のときに、そう思ったね。
作者も、家族を守るために闘って死んだ楊志、宋江を守るために影武者になって
死んだ雷横の話の方が面白いということは百も承知なんだろう。
だから、部下を守るために闘った鮑旭を出したが、感動的なドラマに昇華するには
やはり時間不足。その後も同じことの連続よ。殺さなきゃさんら廃品は山ほどいる。
しかし個々のキャラの死に、いちいち面白いドラマを考案する時間のゆとりは無し。
ここから先、抽象的で陳腐な、“闘う男は美しい”ばかりが続くのだろうね。
しかも、戦略部分もお留守になって、どの戦もさいたまアリーナでどうぞ、となる。
もう戦まで「はぐらかし」に利用されるだけよ。はぐらかし、つまり、著者言うところの「意外性」な。
重要キャラである岳飛と蕭珪材の戦いを延々と続ける。この戦では、岳飛が勝利。
岳家軍はいっそう飛躍するのかというミスリードを誘っておいて、岳家軍別働隊(実は岳飛は率いる
兵数よりずっと多い、本隊というべきなんだろうが)が民の叛乱に遭遇して壊滅。
勝利が急転直下、別働隊のせいで大敗北となる。
岳飛と蕭珪材の戦いなんて、煙幕と同じ。もうそろそろこういうのはやめないか?
ちっとも面白くない。
梁山泊の各部隊は、一時は梁山泊の各地に分散して配備されていたが、
最近の叙述では、部隊と地名の対応関係は消滅してしまった。
唯一、韓伯竜隊だけは登場場面がなかったから、南皮に配備されたままだと
思っていたが、先月号の登場場面では、とくに南皮の文字は出てこなかった
ような気がする。また全員集合して、野戦一発で決着をつけるんだろうな。
面白くねえ。
もう原典ファンの連中にとっては、戦死が気になるキャラといえば、史進と郭盛
しかいないじゃない。俺は、この二人もどうでもよくなったけど。
水軍はもう出さないことに決めたようだし、燕青も死なないだろうし、楊令のポチ
になりさがった武松など、さっさと死んでしまえだしww
93 :
李俊:2009/11/30(月) 16:33:39
俺、むかしは陸上部隊の隊長
斡本・兀朮も出てくるのが遅すぎるし、まともになってきたのは、ここ数回
だし。彼らは、遼との戦いにも参陣しているから、早くから出してもよかった
んだよね。
緞帳にスポット・ライトを浴びせ、ドラム・ロールを打ち鳴らし、生まれ変わった楊令殿
の登場だけに期待感を集中しようとした序盤の展開がまずかったな。
淡々と1118年の歴史を語るところから始めればよかった。
阿骨打と方臘以外は、史実キャラが、パッとしなかったな。
おまけに楊令殿への期待を高めすぎたために、古参の梁山泊キャラは劣化、
楊令以外の二世は糞ばかり。
>>95 嫌韓と反日はCIAの工作であると言う妄想をネット上で良く目にします。
もしそれが事実だとしたら、彼らは日本と朝鮮に関してあまりにも無知と言わざるを得ません。
ほんとうに日本を潰したいのであれば、離間工作などよりもっと簡単で確実な方法があるからです。
日本と韓国を自滅させるには、離反より友好を煽って共倒れさせる事。
その意味では、むしろ日韓友好こそCIAの工作と言えるのではないでしょうか。
>>95 鳴り物入りで登場させて、「なるほど、すごいや」と思った例はないからな。
魅力がないからこそ、鳴り物を入れる。
宋江と晁蓋の初登場のときは、若干鳴り物が入ったが、楊令のように1巻
丸々使って鳴り物を入れるという愚は犯さなかった。厭味ではなかったな。
林冲や史進は、自然な感じで、スッと登場した。
誘拐されて、日陰者にされて、無理やり犯されて・・・。
それでも10年間も、楊令の帰りを待っているという、今月登場の熟女真の女は、
池沼なんですか?
そりゃ、女真の幻王様だし、梁山泊へは頭領として赴任だし、カネには困らない。
カネに群がるクソ女なんだろうよww
交易で楊令が大儲けしたという噂は耳に入っているだろうから、
ますます動かん罠。
中国と日本という違いはあるにしても、読者が時代小説に求めるものは
「むかし」なんだから、「むかし」らしく未舗装のあぜ道とか出せばいいのに。
ノスタルジーをかきたてる情景描写だけでもポイントは稼げるぞ。
社会主義を時代小説でやっても、誰も喜ぶまい。
>>89 「闘って死ぬこと=ドラマ」というように考えてしまうと、これから数巻の間、今月の
蕭珪材のような面白くない場面が連続するわけだな。まあ戦死寸前の数ページは
死という変化が生じるから退屈ではないが、その前の戦の序盤からワンパターン
の戦闘をタラタラと続ける部分が、退屈でかなわんな。
闘って死のうが、餅を喉に詰まらせて死のうが、死は死だ。
抽象的に闘って死ぬことそのものはドラマではない。
ドラマチックな人生を送った人物の死であるからこそ、ドラマになるのだ。
楊令伝の人物たちは、生きている間に何をしたんだ?
人を一人死なせるために、馬を走らせるページが10頁続くのはうんざりだ。
馬の調教師の物語を読んでいるようだ。退屈だ。
聞煥章に監禁されて性奴隷にされた扈三娘が、聞煥章が訪れるのを待ちこがれるという話も、
一面の真実を穿っているのかもしれないが、わざわざ小説にして読むものなのか、と思ってしまう。
ポルノ映画によくあるストーリーなので、嫌悪感を感じる人の方が多いのではあるまいか。
自分の人生のどこかを切り取ってドラマになるかなと考えてみると、ドラマになりそう
なところはないなと思うのが多く人。たいして面白くないのよ、自分の人生なんて。
まして、他人の人生なんかに興味など起こるはずがない。私小説など愚の骨頂。
で、ロマンを求めて架空の人物の人生を面白おかしく書いた小説を読む。
そこに登場する人物が、流れ作業の機械の組み立ての仕事のように、いつも似たりよったり
の戦をしていれば、わざわざ小説を読む意味もない。
プロフィールを紹介されたキャラで、そのプロフィールがもっとも詳細だったのが
岳飛だからな。次が韓世忠だが、これは義母と一発やったというろくでもない話。
他は、ほとんどプロフィールなし。これじゃ面白くならんわな。
水滸伝では梁山泊キャラの3割ぐらいは詳細なプロフィールが語られた。
ケ飛、解珍、鄭天寿などは、すぐにでも思い出せるぐらいに印象的だった。
魯智深のプロフィールなどは、それ単体で面白いというより、物語全体の構造を
要約したようなものだったしな。鮑旭のプロフィールは、これから描こうとする宋
の社会の腐敗や矛盾を描き出すものだった。
岳飛のプロフィールなど、なんのためにあったのかよく分からないし、韓世忠の
ものなど論外。ページを埋めただけ。梁山泊の二世キャラなど、それすらない。
名前なんか付けないで記号でいいよ。二世1号、二世2号・・・・でもいいし。
>>99 まあ、その部分については、黙りを決めこんでいたのに、触れただけでも一歩前進だよ。
今月の蕭珪材の戦いのところは、拾い読みしかしていないんだけど、
幻王軍から引き継いだ4000人の女真兵の話は出てきたのかな?
梁山泊へきた6000人の女真兵(多くは楊令が攫ってきた熟女真の女を
妻にしている)に関しては、4巻以降、まったく語られないのだけど。
111 :
無名草子さん:2009/12/01(火) 15:22:37
>>110 攫ってきた熟女真の子女は、三百余名だ。
攫ってきた熟女真の女が、熟女真と結婚していても、幸せになるとは限らないと、
3巻あたりで言っていた。幻王の略奪を正当化するための屁理屈だが、これは
理屈になっていないと思った。
さらに、水滸伝18巻では「ほんとうの熟女真」というのは、遼から優遇されている
と書いてあった。差別されていた生女真に比べると、ずっと裕福だったのだ。
であるとすれば、熟女真の男と結婚した方が、幸せになる確率は高い。
攫ってきた女は山中の兵の妻にされた。未亡人になる確率が高い。
楊令にべったりくっついていると宣言した張平も、最近はまったく姿を見せんな。
それと、名前忘れたが、欧鵬の親戚だか周炳の親戚だか忘れたが14歳のガキが
楊令の従者になったろう?あいつ、どうした?
もう靖康の変の後に現れた新キャラは、名前を覚える気力もない。
兀朮や張俊の部下も増えていたみたいだが、名無しで出て来い。覚える気がしねえ。
いまのままじゃ、梁山泊は井戸の中で、交易だ、民の安寧だと騒ぐことしかできんだろう。
史実から見ると架空の存在なんだから、独自の道を歩むという方針だと、この時代の中国
の歴史に関わってゆくことができない。台湾へでも行って、寝言を言っていればよかったな。
原典の108人を書き分けるために、梁山泊は兵数に比べて将校の数が多かった。
その構成で19巻も書いたから、楊令伝で、急激に将校数を減らすことはできなかった。
しかも、兵数は旧梁山泊よりも多い。当然、闘う相手の兵数が多い。
童貫軍などは水滸伝のときよりも将校数を減らしているが、あまり減らしすぎると不自然。
それ以外にも、岳家軍、金軍等にも将校はいる。
そんなことで、何の役割も担っていないのに、大量の将校を出さざるをえなかった。
結果、梁山泊の個々のキャラを描く余裕がない。戦の回数が増えたことも拍車をかけた。
打開策としては、梁山泊はひとつにまとまるべきではなかった、としか言いようがない。
梁山泊の同志がたいした数の兵を連れずに、金軍や方臘軍に陣借りしていれば、無用な
将校を量産する必要はなかった。主役でない金や方臘は、将校数が少なくても不自然では
ないからな。
楊令、李富、岳飛等々、特定の人物だけが登場してばかりで、組織の人材の厚みが
感じられなくなった。前半いい役者をたくさん出したために、終盤予算が底をついて
少数の俳優で回している長篇ドラマみたいだ。
そこが不思議なんだわ。小説なんだから登場人物にカネを払わなくていいはずなのに、
どうして登場人物が少なくなってくるんだ。しかも、新人はどしどし投入してくる。
思うに、新人キャラなら、初めて書くわけだから、何でも好きなことが書ける。
古いキャラや出来事を蒸し返すと、前に書いたことを調べる手間がかかる。
今回は岳飛と蕭珪材の戦いがほとんどでした。
例によって数字の羅列ばかりなんで、1ページ読んだだけでイライラしてきました。
この本を評するのに個人のブログを晒すのはやりすぎ
つい昨日6巻読み終えた自分ですが、
>>105の展開は全然気にならなかった。
ただ、聞聞煥章の最期の呆気無さには、しばし呆然。
こいつの退場のタイミングはこれでよかったのか?
散々策謀を巡らしてきた重要なキャラなので、せめて本人視点の最期の描写くらいは
必要だった気がするんだが。
義足に隠していた書簡も、なんか取ってつけた感が否めないんだが。
>>124 別に聞煥章を殺す必要はなかったよな。
いま斉にいる扈成が聞煥章であっても、何の不都合もない。
扈成は聞煥章の劣化コピーにすぎないから。
それどころか、李富とのからみがほとんどなかった扈成が斉の背後で実権を持つより、
斉=聞煥章、南宋=李富で対峙させたほうが、はるかに面白かったと思う。
聞煥章をエロエロにする必要があったのかな?
聞煥章と粘罕主導で斉を建国し、そこに梁山泊を引き込むという展開があっても
よかった。エロエロ・キャラを登場させると、物語が小さくなるだけよ。
武松と魯智深の精力絶倫は、原典の彼らのイメージからして抵抗なかったが、
その後、史進を始めどいつもこいつも精力絶倫キャラになった。調子に乗りすぎ。
楊令や花飛麟などは、別のドラマでキャラを立てるべきだったな。
同じことをくどく繰り返すというのが、水滸伝終盤からの特徴になっているな。
下ネタに限らず、騎馬隊のシーンも。
小説の中で精力絶倫という設定にされれば、体格は太め・がっちり型で、
脂ぎってテカテカしたイメージがある。一般的な符牒として、そのように使われる。
楊令・花飛麟が精力が強いのは、若いから当たり前のことなんで、わざわざ
書く必要はない。
そんなことをやっていたら、若いキャラ全員にエロ・エピソードを用意しなきゃならんからな。
無駄に長いんだよな。すきやきの味が薄いのだが、醤油も味りんも砂糖もない。
しかたなく汁を沸騰させて水を蒸発させ半分にしたらマトモな味になった。
そういう風にして楊令伝を半分に出来ないかな?
単行本をすきやき鍋に放り込んでみたら?
本文ページは食えたけど、表紙は固くてだめでした。
>>131 戦シーンは数字が多すぎるのを工夫すれば、面白くなるんじゃないの?
最近の楊令伝は、珠算を習っている人に人気が高いらしいよ。
数字が多いから、暗算の練習に使えるらしい。
楊令伝って昔の作品と比べて、句読点の使い方がかなり変わってない?
上手く表現出来ないけど、楊令伝は普通の文章に句読点を入れたようにしか見えない。
それに台詞が異常なほど多いし。
ライトノベルなので^^
>>136 >それに台詞が異常なほど多いし。
多い台詞に見合った内容があれば問題ないんだけど、楊令伝はそうじゃない。
一人の人物の1回の台詞で済む内容を、二人の人物の4回のやりとりで表現
してるから、非常にまどろっこしい。そのまどろっこしさがキャラの個性になって
しまうので、どの人物も、知能指数の低い人物に見えてしまう。
楊令伝の登場人物、とくに年配キャラの精神年齢が低く見えてしまうという
批判が多かったけど、ダラダラした会話の応酬が原因じゃないでしょう。
マジで言動が子供っぽかった。とくに史進。
史進は永遠の19歳
指針って今何歳だよ
もう50歳を超えた。
143 :
無名草子さん:2009/12/07(月) 11:32:27
まあ、連載を読んだ日の一日で語り尽くせるレベルの小説になったな。
過去の叙述との矛盾が多い回は、少しだけ語ることが増えるけど。
北方先生の作品にケチをつける奴は、側面から突っ込まれて潰走しろ
いいえ。二つに割れて、反転します。
アンチが増殖しても困るのだが
一頭の黒い獣に蹂躙されればいいんだ
八千騎が、三千騎を、押し包んだ。
楊令は、あらかじめ、トンネル掘りのスペシャリストに、落とし穴を掘らせておいた。
八千騎は、尽く穴に落ち、殲滅された。
これが、戦いである。
聞煥章が一時期篭ってた塞ってなんて名前だっけ?
永和鎮だっけ?
ええわ、チン
史記の二巻目を読んだ。
北方先生はこっちに力を入れてて、よーれーデンッ!はスケープゴートのお弟子さんが代筆していらっしゃるんだなぁ、と思いました。
騎馬隊が出てくるんだろうから、史記も読まない。
ん?
童貫死んだから、騎馬隊の出番も減ってきたぞ。
10巻11巻あたりから、老いた梁山泊の戦士たちの人生を振り返るさまが おもろいぞ。
>老いた梁山泊の戦士たちの人生を振り返るさま
そこがつまらない。
梁山泊入山後の彼らの人生に大きな転変がないんだ。
せいぜい尉官が佐官になった程度の変化。
戦国モノだと秀吉のまわりをウロチョロしていた加藤清正や福島正則が国持ち大名になる。
幕末・明治モノだと戊辰戦争では小隊長やってたやつが日露戦争では将軍になっている。
楊令伝では、呉用や武松の性格が変ったといって大騒ぎしているだけ。変化が乏しすぎる。
>>159 その点、楊令殿は序々に亀裂が入り、粉々に砕け散ったから流石だよね☆
小さな梁山泊になってしまえば、メンバー個々の発展は望めないからな。
古参連中は、何の変化もない。
二世連中も、はじめから梁山泊にいるから、年齢に相応した変化しかない。
強盗犯人が軍人になるとか、敵将が梁山泊の将になるといった大胆な変化はまるでない。
孵化したボラの大群を投網で捕獲して「大漁だ」と喜んでいるだけの作品。
楊令伝のブックカバー当った!
>>162 おお!おめでとう...で、いいんだよね?
久しぶりにこのスレ覗いてみたんだが、なんとなく過疎ってるような…
とうとうアンチも見放したか…
明日か
今回はちょっとだけ面白かった。
戴宋がちゃんと活躍したのって楊令伝が始まって初めてじゃないだろうか。
雑誌発売日にこの過疎り具合w
義務感だけで読んでるんで古参以外は誰が誰だかよく分からん
主人公がここまで魅力を無くして話を続けてもなぁ
まぁ今回は文句のつけ様がないくらいのイイ出来だったから、過疎るのも無理ないがな!
すばるは買ってはきた。しかし、ほかにやることがある。
「物資の集散に梁山泊が不可欠」というが、梁山泊が日本と西域と交易を始めただけで、
どうして不可欠になるんだよ。さっぱり理解できない。
物資を北京大名府に集積して、梁山泊以外の地域を物不足に陥らせていたのでは
梁山泊にカネは集まらないだろう。物資を売らないと。
何で楊令殿の気持ちの奥を測らなければならんのだ?訊け!
何様よ、楊令ごときが。
で、結局、呉用と宣賛の会話では何をいいたいんよ?何か前進があったか?
無駄ばなしだろう。
きな粉をつけないで食っているわらび餅のようだ。
ロンパールームだな
>>138 まどろっこしいな。今月号でも、秦容を将軍にするに際し、楊令が呉用に「誰だと思う?」と訊く。
その問答だけで6〜7行使っている。ドッと疲れる。こんなペースでずっと進むから、読む気をなくす。
眼は疲れるし、読んでいると頭が悪くなりそうだし、知性にも感情にもまったく作用しない。
ダラダラと長くて、読書の快感がまるでなし。
水で薄めたような薄味感が回を追うごとに著しくなってきている。
まともな判断力を持った人間が楊令だけであるという設定で(読者は楊令がまとも
であるとも賢いとも思っていないが、ここでは措いておく)、周囲が楊令が何か新しい
方針を打ち出してはじめて、まともな判断に気づくという仕掛けがウザすぎる。
天地創造神話を読むより、つまらん。
まっすぐ泳げば25mで到達する対岸までの距離を、曲がりくねった経路を辿って
「100m泳ぎました」と得意になっているような小説
>>180 作者の現実の仕事と楊令伝のフィクションがゴッタ煮になっている箇所が
このところちょくちょく出てくるな。はげしくウザイ。
戴宗の口調が、水滸伝の前半と全然違う。
一つの節で進行するドラマが短すぎるんだわな。たいして進行しないのに、グチャグチャと登場
人物が会話ばかりしているから、かったるくて読めたものではない。
水滸伝の頃は、一つの節で、それなりにまとまったドラマの進行があった。
進行が遅い。この小説、退屈すぎる。
赫元を捕えた話など、10行程度にまとめれば十分だと思うが。
チョ律が最初誰を追っているかを隠しているが、その後にすぐ赫元だとわかる。
まったく意味がない。
水滸伝3巻「地好の星一」(孔明視点)と、今月号「地サツの光二」(チョ律視点)を比較してみる。
同じく人ひとりを捕えるだけの話なのに、内容の豊富さがこんなに違う。
「地好の星一」
済仁美の店の二階で女と遊ぶ孔明
(その合間に二竜山の調練の模様も語られる)
(孔亮が惚れていた人妻についても語られる)
周通登場→武松が周通を捕える
武松の跡を追う孔明→武松のアジトへ
周通が青蓮寺の手先として働いていたことが判明
周通、桃花山の様子を語る
「地サツの光二」
致死軍が赫元を捕えた 以上
その節のメインとなるキャラが孔明・武松・周通の三人で、ほかに話題にされているキャラが、
楊志・孔亮・曹正・石秀・花栄・魯智深・柴進・李忠だから面白いんだよ。
「地サツの光二」では、登場するのが戴宗、話題になるのが呉用だけだ。
一日一節が限界。マジつまらん。
宣賛にとって天下は彼を惹きつけてやまない魔物だそうだが、
魯達がスカウトしなければ、宣賛は一生田舎の庵で晴耕雨読の毎日だったわけだわな。
誰をどういう人物にするかを過去の経歴と整合させるという努力は、もうしないの?
楊令らが会議室に入ってきて軍議を始めたところを読んでいると、
教室に入ってきた高校生が文化祭の準備の会議を始めたような印象しかないのだが。
どう見ても戦や政事をしている精神年齢に見えない。
「これは、文化祭の準備の話でも行われているのかな、楊令殿」
「まあ、そういうものかな。うちのクラスでたこ焼き屋をするとして、どれぐらいの小麦粉
とタコがあればいいかを、話し合おうとしているところだ」
平然として、楊令が言った。
「それは放課後にやってくれないか。これから世界史の授業だ。それでは、先週の続き、
金が建てた漢人傀儡政権斉国の将軍に張俊が就任した、というところからだったね」
張家軍が力を持つと斉が独立性を強める →金は援軍を出さない
岳家軍は弱体化した →梁山泊の留守を襲わない
ほんと観念論だけだな。
話が迷走するよな。グチャグチャと何をやっているのかわからない。
俺、子供の頃、紙芝居の紙の裏を見たことがあるんだけど、そこに紙芝居屋の
おっさんが喋る台詞が書いてあるのな。子供相手の紙芝居屋だってアドリブで
いいかげんなことを喋っているわけじゃないんだ。もうちったぁ、筋の通ったスッキリ
した流れの物語にしてもらいたい。
オリキャラのあだ名はやめてもらいたいな。原典のキャラのあだ名はあらかじめ
覚えているから混乱しないが、オリキャラのあだ名は覚えられない。
オリキャラどうしがあだ名で呼び合うとわけがわからん。
魅力的なあだ名なら努力なしに覚えられるが、どうでもいいようなあだ名だしな。
あだ名に魅力がないという以前に、キャラに魅力がないから、その存在すら忘れる
ことがあるのに、あだ名なんてもってのほかw
>>183 水滸伝では2ページぐらいで済ませていた小さなエピを、楊令伝ではまるごと1節まで拡大して
いるよな。どうでもいいような会話で水増ししているから、読んでいて退屈だし、その上、その節
のポイントすら霞んでしまう。いったい何をやっているんだ、となってしまう。
面白い・面白くないという以前に、日本語として意味が通じない部分、つまり、作者が
頭の中で伝えようとしていることが、読者にさっぱり伝わらない部分が、回を追うごとに
増えてきた。
水滸伝1巻を読みなおした。
史進に知性があって驚いた。
それ以上に、張藍のおかげで宗を敵役と思えた事にびっくり
楊令伝だと「楊令死ね」としか思えないんだよなー
〇〇死ねって思える奴が居ないし。
>>189 三国志=南北朝
水滸伝=キューバ革命
楊令伝=学生運動
だから仕方ない
>>198 「勝てるのか、楊令殿?」
「それこそ、老婆心というものだ、呉用」
こういうところを読んでも、頼もしさなど、かけらも感じられないんだよな。
「なにを偉そうに、死ね、楊令」としか思えないんだわな。
チョ律が捕えた赫元を恫喝しているんだが、説明ばかりしているから、恫喝になっていない。
>>197 死んだ同志のように語り継がれることが、「金持ちになるようなものではないか」と
戴宗が言っている。わけわからん。
青蓮寺が赫元を殺しに来たのが意外だったと、クドクドと説明しなければ駄目かね?
ここまで30巻以上も読んできて、そんなことを説明されなければ理解できない読者が
いるだろうか?それを言ったのがチョ律なのか、侯真なのかもよくわからない。
数行先の「わかっているよ、チョ律」という台詞から逆算して侯真なんだということが
やっとわかる。しかし、まてよ、致死軍に古くからいる侯真に向かって、最近致死軍に
入ったばかりのチョ律が、読者なら誰でも知っていることを説明するのか?侯真は
致死軍の隊長ではないのか?逆なら話はわかるが、と思ってしまう。
なんなんだ、この小説は?
「だとしても、梁山泊は遠い。開封府への遠征軍を出しているが、そこに行き着くのに、
四、五日はかかる」
直前の戴宗視点で説明したばかりだろう。まだページを1枚めくっただけだぞ。
同じことを繰り返し説明する必要があるか?しかも、台詞で。
くどくて読むのがアホらしくなる。
チョ律と羅辰と侯真の三人が同じ場所にいるのか?
それともチョ律が場所を変えて、羅辰のそばに行ったのか?
さっぱりわからん。
こいつらは、「勝負してやるよ」の冗談しか言えんのか?
梁山泊軍と張家軍の戦の様子は、この短さで十分だと思う。
すべてこのペースでやれば面白くなると思う。
同じことを何度も読むのは飽きた。
あの短さで、戦の模様は十分に伝わる。
というかこの程度の短さでないと伝わらない。
>>207 戦の様子をクドクドと長く書いていると、ポイントを押えられないからな。
何をやっているんだか、さっぱりわからない。
209 :
207:2009/12/19(土) 14:43:09
それ以前に、長いと読まない。
数ヶ月前に王定六が走ったばかりだから、今月号の戴宗の走りは「またか」という
失望感を禁じえないな。原型は宋江の危機を知らせるために双頭山へ走った
王定六のエピソードなんだが、この前の王定六も、今回の戴宗も、状況はまったく
同じ。同じネタを何度も使いまわしてまで、続ける意義のある楊令伝なのだろうか?
恋愛ネタが出てくると、恋愛ネタばかりが何個か続く。走りネタも、同じように繰り返し。
そういうのが多いね、楊令伝。
正月の名物番組だった「新春スターかくし芸大会」は、マンネリでつまらなくなって、
今年は打ち切られたみたいな。
>>197 禿同
読んでいて意味不明な部分が増えてきた。
陸に揚げられた魚が酸欠で瀕死の状態にあるような文章のように思える。
前後の脈絡を無視して、今月号で楊令がポックリ死んで、13巻で完結することを
実は期待していたww
>>205 会話部分が長いから、いま喋っているのが誰だかわからなくなることは、
楊令伝の初めの頃からずっとあるな。とくに3人以上で話している場合。
長い会話の場合は、みっともないけど、
(羅辰)「・・・・・」
(侯真)「・・・・・」
のようにすべきだと思う。
1936年10月、国民政府主席蒋介石は、梁山泊の根拠地に対する総攻撃を命じた。
蒋介石は梁山泊に対する総攻撃に消極的な張学良を督戦するため、12月4日に西安に向かった。
西安を訪れた蒋介石に対し、張学良は内戦を停止し、抗日統一戦線を樹立するよう蒋介石に
説いたが、蒋介石にこれを拒絶された。これをきっかけに、張学良は蒋介石を監禁した。
蒋介石「私は、天下を求めているわけではない」
張学良「日本軍を排する。つまり、満州国を排して、国を作りあげる。それは、漢民族としての
天下を求めている、ということでしょう」
蒋介石「難しい。実に、難しい」
張学良「難しくはありません。満州国は、どういう国なのですか。女真族がいて、契丹族がいて、
渤海の民もいる。漢民族だけが人と言っている蒋介石殿と較べて、はるかに他を受け
入れていると言えるでしょう。漢民族は、ほかの民族を受け入れず、この広い国土を
自らのものにしようというのですか」
蒋介石「俺が単純な男に見えるのだろうな、張学良殿」
張学良「そういうことではありません。漢民族の中に、違う国がある。それを認めることで、新しい
なにかがはじまる、と考えられないのですか」
蒋介石「ひとつの民族が、ひとつの国というのは、正しくはないのか?」
張学良「そこに、欺瞞がある、と言っているのですよ。一見、正当に見える意見だから、欺瞞は
目立たないかもしれません。しかし、関東軍の傀儡満州国を見られるがいい。民族どころ
か、宗教まで違う。それでも、国をひとつにすることは可能でした」
蒋介石「あれは」
張学良「漢民族は、その多さゆえに、漢民族の国がなにより正しい、ということになるのですか」
蒋介石「俺は紅軍と組んで抗日を口にする君が信じられないだけだ」
張学良「どう思われます、毛沢東殿」
毛沢東「肉を、もっと食わないか、蒋介石殿」
「毛沢東殿の民の国は、どこの民族の民でもいいのですか?」
「いいのです。すでに熟女真の民は皆殺しにしましたから」
毛沢東が言った。手は、猪肉を炙り続けている。
花飛麟と岳飛の論争に楊令が加わらない。楊令の器の大きさを表現したかったのだろうが、
こういう議論はもうよせよ。論理破綻していて読めたものではないw
金国は平和裡に移民の受け入れを宋に要求してきたのではない。
内乱によって国力が疲弊した宋へ武力をもって侵略してきたのだ。
しかも宋金同盟を無視して。
宋が金を侵略したことはない。金を排すると主張する岳飛を非難する花飛麟は、
ズバリ基地外以外の何者でもありません。
楊令殿の民の国は、どこの民族の民でもいいと言いつつ、漢民族であっても
従来から梁山泊領内に居住していた民以外の移住を認めないことを忘れている
張平も、ズバリ基地外以外の何者でもありません。
>>220 今月号の爆笑シーンというか、ユーモアあるれるシーンに対して、文句を言うやつがあるか!
もう頭の中、腐っているんだろうww それとも脳味噌を茹でたのか?
先月あたりから、やけに「天下、天下」とうるさいが、このキーワードで何を言いたいんだ?
梁山泊だって、自領を攻めてきた敵とは闘うという方針なんだろう?
現に、岳家軍とも張家軍とも戦った。自領を攻めてきた敵だからだよな。
岳飛が金と闘うというのと、どこが違うんだww?
サッパリわからん。
今月号は、過去に起きた様々な事柄を正当化しようという試みに溢れていたな。
耶律越里が斡離不の親戚だとか、隊商と商隊の違いとかの小さな話題を含めて。
早く高Qも正当化してやれよwww
徽宗は駄目なのかwww?正当化できんよなww
>>205 主語や目的語を省略することはままある話なんだが、文脈から考えて一目瞭然な場合に
省略することが多い。この一年ばかりの楊令伝では、文脈から考えて省略された主語または
目的語が二人の人物ないし二つの事柄のどちらを指しているのかわからないことが多い。
20行に1回ぐらいのペースで立ち止まって考えなければならない箇所が増えてきて、読書の
快感を得られない。いちどでいいから、30分ぐらいつまづくことなしに楊令伝を読んでみたい。
頑張ってくれ。
二つの事柄に絞れるなら、まだまし。少し立ち止まって読み直すなり、考えればどちらか
わかるから。1節に1箇所ぐらい、何を言っているのか、サッパリわからないところがある。
>>217-219のような作者独特のゲバ棒君思想がわからないというのではなく、
指示代名詞レベルの小さなことなんだけど。多すぎる。スーっと頭に入ってこなくて、中断
される箇所が多い。
>>227 で、結局、後半は退屈になって、5倍速の速読で、ポイントだけを掴むという読み方になって
しまうんだな。斬った張ったは、何度読んでも同じだからな。
1年前ぐらいまでは、楊令ばかりが持ち上げられて、他のキャラが無個性、
筋が粗っぽくて右往左往しているという内容的な不満が多かった。
この1年は、それ以前の文章の粗さからくる読みにくさに不満が多い。
日本語の文章として“読む”という作業そのものが苦痛なんだ、楊令伝の場合。
まあ水滸伝後半の1巻分の内容を2巻に水増しした感じだな。
それも簡潔な叙述で済ませることが可能な説明を、会話形式にして膨らます。
無内容な戦闘描写を水増しする。
はっきり言って、読むのが苦痛だ。
>>225 同民族での殺し合いを増やすことには賛成なんだが、異民族の侵略には逆らってはダメということにしかならんな。
>>231 楊令伝の登場人物のように説明の台詞が多いと、現実社会では、それだけで嫌われるだろうな。
俺も他人に対してはともかく、嫁に対しては説明が多くて、文句を言われることが多い。
台詞で説明するほかない舞台芝居や映画・ドラマならともかく(後者はナレーションでも可能だ
が、ナレーションが多すぎるのも嫌われる)、小説の場合、台詞で説明する必要はないだろう。
説明の台詞が多いと、しらけるよ。そんなに説明をしたければ、軍議や青蓮寺の会議を増やせば
いい。ああいう場面では説明をするのが不自然ではない。
>>229 他の本は(北方作品を含め)、速読しても内容がちゃんと頭に入るが、
楊令伝のみは5倍速になってしまい、ポイント以外は記憶に残らない。
眼と頭脳が、無意識に楊令伝を避けようとする気持ちはよく理解できる。
生理的に受け付けない作品だな。
>>225 作者も小さな梁山泊の評判が良くないことに戸惑っている感じだな。
俺たちは、どうして小さな梁山泊の評判が悪くないだろうと思うことができるのか理解できないが。
>>232 方臘の乱は別格だが、方臘軍は今はない。
内乱で兵士が死んでゆく元凶は、楊令なんだよね。
こいつの命を縮めることさえできれば、世界は平和になる。
早く市ね、楊令!
登場は早かったのに視点となる話がほとんど回ってこなかったキャラに出番が来ると、
それがそのままそのキャラの最期になるんじゃないか、とは思っていたけど・・・
章題にもなっている、阮小七もそうだったしね。
何気に、親より先に子が死ぬケースは初めてではないだろうか。
このスレ覗いてから本誌読んだので、戦死者が出てるとは思わなくて驚いたよ。誰か触れてやれよ。
最後に南に逃げた人は割とどうでもいいけれど。
水滸伝の楊令(小さい頃)は最高の素材だったのが、どうしてこうなった?
>>239 最強設定が与えられるに従ってどんどんキャラとしては落ちていった
水滸伝の時ですらやりすぎと感じたが、楊令伝で水滸伝ではまだ抑えていたことが発覚
軍略は宣賛を上回り、政治力は呉用を凌ぎ、軍の指揮官としては呼延灼は足元にも及ばず、一武人としては王進を越え、騎馬隊指揮官としては水滸伝の時点で林冲より上と後付
作者は楊令殿を嫌われキャラにしようとしてるとしか思えなかったよw
>>240 >作者は楊令殿を嫌われキャラにしようとしてるとしか思えなかったよw
実際には、作者は、楊令をこのようにすれば魅力的になる、人気が高まると思っているんだろうがな。
このあたりの感覚のズレが、この作品への共感を呼び起さない最大の理由だと思う。
楊令は初めから高い能力を有している。ところが、次々に新しい能力が付加される。
そこから連想される人物というのは、桁外れの金持ちなのに、ドケチで、かつ歳をとっても利殖の
ことしか考えていないカネの亡者なんだわな。
共感を呼ぶ人物というのは、成功して最高の富と名声を得たが、若い頃の貧乏暮らしを懐かしそう
に語る人物。
俺は、楊令伝を読んでいると、登場する人物がどいつもこいつも宇宙人に見えてしかたない。
小説を読むのは、そこで語られる人物や出来事が、「あるある」「そうだよなー」と、自分の体験
と重なる部分があるからじゃないかな?ある時期の自分に似ているところがあったり、自分じゃ
なくても知人に似ていたり。ほんと実在感のない、まったく共感を感じられる部分のない人物
が次ぎから次に出てくると、読みたくなくなるわ。地球の話がなくて、宇宙の話みたいで。
今月号で、張敬の部下が次々に死んでいったが、ゲームの中のキャラクターが死んでゆくような
感覚しか覚えない。
>>222 どこの民族の民でもいいなら、梁山泊は一箇所にとどまっていないで、1年ごとに移動すれば
いいのに。南極のペンギンの安寧を図るために、南極へ行ってしまうとかな。
つーかこのスレ早くdat落ちしろよ。文句を言うのもバカバカしくなってきた。
民族という言葉を聞いただけでアレルギー反応を起こしているキモい小説だわな。
とにかく、他民族国家であれば、世界中どこを侵略しても良いことだけは、よくわかった。
楊令が岳飛を呼び捨てにするところも反吐が出た。
「北方水滸伝」「楊令伝」以外では通用しないオリキャラの楊令糞に箔をつけるため、
史実キャラで、どの書物にも出せる有名人岳飛の上位に置こうという発想がいやだ。
他人の人気に便乗するいちばん嫌な奴。
日常生活でもいるよな。タレントと知り合いだとか言って自慢するバカ。それが楊令。
>>245 “思想的な偏りのある人は、使える語彙数が減るから、小説家には向かない”
By 隣町の植木屋さん
>>242 100人以上登場人物がいるはずだけど、好きになれる人物がひとりもいないという小説は
珍しいよ。そもそも人間の手ざわりが感じられない。実在感がない。だからといって、少年向け
小説のような眩いばかりの正義感があるわけでもない。
登場人物の言動が、自分の記憶の中のどの扉も叩いてくれない。
落語・漫才だって、心当たりがあるから笑えるんだぞ。楊令伝は、まったく心に響かない。
暴走族にいた読者だったら、少しは楊令伝の登場人物を理解できるの?
「俺は、戦が嫌いだ」
「それにしては、苛烈な戦をされます」
「その苛烈な戦をする時間が惜しいのだ。戦がなければ、もっと熟女真の男を皆殺しにできるし、
熟女真の女を犯すこともできる。だいたい俺は、百〇八人の熟女真の女を囲っている」
張平が、慌てて楊令の口をふさいだ。
「せっかく完顔成殿が、楊令の囲われ者は二人だけだと嘘をついてくださったのに」
巻数は増えても、登場人物個々の出番がないな。
一度登場すると、意味のないくだらん会話をやってばかりなんで、キャラが立たないのだろうか?
曽潤や馬霊って生きているのか?まあ将校新キャラは全員同一キャラだから、出てこない方が
いいのかもしれんがな。
同一人物の侯真と羅辰とチョ律の会話は、この上なく紛らわしかったな。
>>246 今日、床屋へ行って床屋のおじさんに「岳飛、知っていますか」と訊いたら、
「知っている」と言いました。「楊令、知っている?」と訊いたら、「知らない」と
言われました。
オリキャラなんぞは、しょせん水槽の中の魚。
大海を自由に泳げる史実キャラとは身分が違う。
オリキャラが偉そうにしていると、むかっ腹が立つ。
幻王というクサいネーミングの由来を解説していた楊令に、マジで吐気がした。
また脱線しそうだな。親子の話を聞くと発狂する病気については復活したものの、
例によって貧乏ゆすりに止まっていたからな。
来月号からは内容も詳しくこのスレに書いてくれ。
俺は、この二ヶ月は実質半分しか読んでいない。
昆布が薬として用いられていると書いてあったけど、効能は?
日本国内では薬事法によって、健康食品は医薬品のように効果効能を謳うことは
禁じられておりまして、「昆布」という医薬品ではない自然の食品は効果効能をサイトで
表記してはならいとされています。
秦の始皇帝が求めた仙薬、実は日本の昆布!
昆布はどうでもいいが、日本からの輸入品の中から、金が抜けていた。
西域との交易では金がものを言うということを2ヶ月ほど前に力説していたばかりなのになw
俺はそこを梁山泊の西域交易が立ち枯れになって梁山泊が滅亡する伏線だと読んだ。
そうじゃなかったの?誤植?
>>248 小説の中のキャラクターは経験の中から搾り出さないとな。
楊令伝のキャラ、とくに楊令と梁山泊の連中は、あまりに作為的だ。
経験の中から搾り出したキャラではなく、作為的に頭の中で造ったキャラなので、
人間らしい手ざわりがない。ゲームのキャラという宇宙人のように思えてしまう。
能力主義の悪い面が梁山泊のキャラに集中してしまったな。
現実の中国は20世紀初頭まで帝政が続く。
楊令伝は世襲を徹底的に嫌うのだけど、それだけで場違いなわけよ。
まあ、それはいいとして、世襲に代るものは能力主義しかない。
そこで梁山泊の頭領楊令はとことん高い能力にされてしまった。
反面、楊令の能力の高さを際立たせるために、梁山泊の他のキャラは
意識的に低い能力にされてしまった。
ここが作為的すぎて、梁山泊のキャラから人間たしい手ざわりを奪っているのだと思う。
現実世界には、楊令のような万能の高能力者もいないし、梁山泊の他のキャラのように
気の毒になるほどの無能もいない。
梁山泊には精鋭12万の兵がいる。それを指揮する将校はわずか30名足らず。
精鋭12万の中から選ばれた30名というのは、かなり能力が高いと思うぞ。
ところが、ダントツの楊令。次点クラスの花飛麟・呼延凌・秦容の格差をつける。
ところが、次点クラス以下でなければならない、それ以外の将校
は、かなり低い能力にせざるを得ず、平の兵卒にしか見えないんだよな。
12万の精鋭の中から選抜して、どうしてこんな阿呆が30名の将校に入るんだ、
という疑問を禁じえない。
読者も自分の経験と照らし合わせて小説を読む。
楊令のような万能の才能をもった人物は、大人になってから出会ったことがない。
多くの現実の人物は、一芸には秀でてはいるが万能ではない。
そういう読者の経験に照らすと、楊令には実在感がない。
万能の才人に出会えるのは少年時代だよ。
少年時代の同級生の中には万能の才人がいた。
勉強も一番、スポーツも一番、給食を食べ終わるのも一番。
そういう万能の才人がいた。
だから、楊令は小学生にしか見えないんだ。
いまでも、楊令伝を読むと、三頭身のギャグ漫画の主人公のような
楊令が中国地図の上を駆け回っている姿しか想像できないんだ。
楊令は小学生にしか見えない。
とにかく、楊令は死ね。
>>266 むかし広島カープにいたホプキンス選手は、3番バッターで、医者になったぞ。
横綱だった曙は、K-1では惨めだった。
楊令伝では万能の楊令も、2ちゃんねるではミジメ
>>265 盧俊義を背負って開封府を脱出した燕青とともに行動した致死軍の平兵士は、
かなり優秀だったのよな。
あれと比較すると、蘇h・鄭応・蒼貴・鍾玄らは、どうしても将校に見えない。
飯炊きオヤジがいいところ。
>>248 チートツールでRPGの主人公の能力をMAXにして、
ボスキャラまで一気に倒しまくった経験があると少しは理解できます。
「このモンスター、俺の作ったキャラよりはるかに能力低いくせに
でかいツラしやがって、おめえなんか一撃なんだよ、プププーッ」
という、自分が神になったような歪んだ優越感です。
「この岳飛とか言う奴、俺の作った楊令よりはるかに能力低いくせに
でかいツラしやがって、おめえなんか一撃なんだよ、プププーッ」
という事です。
たいへん理解しやすいたとえです。
楊令伝という小説を読んだ後、本を叩きつけたくなるような嫌悪感を感じるのは、
「自分が神になったような歪んだ優越感」を、この物語から強く受けるからだろうな。
>>267 自己の能力が万能であるかような錯覚をもつのは、書生特有の妄想だな。
実社会では一芸を磨かないと飯が食えない。
楊令が子供っぽく見えてしまうのは、書生の妄想を実現したキャラだからだろう。
水滸伝の連中は一芸に秀でた連中で、他のことには不器用だった。
現実の人間に似ている。だから一人一人のキャラに親近感が持てた。
カップ・ラーメンを買いに行った留守に、お湯の減っているポットに水を足したら、
帰ってきた俺に、水を足したからまだぬるいわよ、というのが正常人の感覚だよな。
おまえの分も買ってきてやったのに。おかげでぬるま湯を入れてしまい、ラーメンが
食えたもんじゃない。
水を足したことを教えてくれない嫌な奴のような空気が楊令に漂っているよな。
おまいの気持ちはよくわかる。うっかりカップ麺にぬるま湯を入れてしまったときの
悔しさというのは、今月こそは買うまいと思っていた小説すばるを惰性で買ってしまった
ときの悔しさに似ている。
あきらめる前に、麺と汁を丼に移しレンジでチンするか、鍋に入れて煮るかすれば、
若干のびるけど、食えないことはないよ。
楊令伝って、カップにお湯を注いだとたんに長電話癖のある友人から電話があって、
20分経った後に食べるカップ麺みたいなんだよな。
>>276 頭領である宋江よりも武術の腕が劣る人物といえば、呉用・安道全ほか数名しかいないだろうな。
全員、頭領宋江よりも武術の腕が優ってはならないという制限なしに伸び伸びとやっていたから、
各キャラは青天井に武術の腕を伸ばすことができて、キャラは魅力的になるし、物語も面白くなった。
楊令は物語をつまらなくするためにのみ存在している。
でも、なんで楊令がすごい人じゃなきゃならないの?タイトルが楊令伝だから?
そこがサッパリ理解できない。
タイトルが楊令伝だったら、楊令が頭領でなきゃダメな理由って何?
つい先日まで戦っていた敵の大将に向かって、わざわざ「呼び捨てにしていいか?」
と確認して、呼び捨てで会話する必要はないわな。
普通に殿を付けて会話すればいい。
おまいらは楊令のやることなすことすべてが気に入らないんだなww
>>239 少年時代の楊令がウケが良かったのは、「フランダースの犬」のネロ少年だからだな。
性格は違うが不幸な境遇はネロ少年以上だ。おじいさんの楊志とパトラッシュ
の白嵐が同時に死んで、ひとりだけ生き残ってしまう。
「フランダースの犬」の作者は、大人になったネロ少年を主人公にした続編を
書いた。ところが、本編のネロ少年とは似ても似つかない傲慢な楊令。
嫌われるわな。当然。
唯一の救いは、楊令伝が「フランダースの犬」に比べると、ずっとマイナーな作品であること。
ほんとうに「フランダースの犬」の続編に登場するネロが楊令のような嫌な人間だったら、
公式HPは炎上して復旧に48時間かかる。
>>286 馬桂が白嵐に「さあ楊令を探しましょう」と言った瞬間に、
フランダースの犬キタ━━━━(゚∀゚)━━━ !!!!!と思ったな。
作中における時間経過がスロー・テンポすぎて、この小説は退屈に感じるのだろうな。
水滸伝1巻で林冲が牢城に入れられるシーンがある。白勝・安道全とともに脱走するあの牢城だ。
ページ数にすればわずかなんだが、作中では数ヶ月が経過している。その数ヶ月の時間の流れ
を表現するために、様々なエピソードを盛り込んでいる。短いのは数行、長くても3ページ程度。
これによって読者は数ヶ月の時間の経過を体感できる。
楊令伝には、そのスピーディな時間の流れがない。
一節使っても1時間程度しか経過していないこともある。長すぎる会話場面が、それに拍車を
かける。だけでなく、くどくどとわかりきったことを確認する登場人物の知能指数は低く見える。
また、首都変更、新国家の樹立のような大きな変動があると、5〜6人の視点人物によって、
同一事象が確認される。すばるの一回の連載の中では、1つぐらいしか大きな変動は起きない。
その一つの事件を、その回の全登場人物が入れ替わり立ち代り確認する。
まるで時間が止まっているような印象を受ける。
この作中における時間の流れの遅さが、この作品から受けるストレスの主要部分である。
もう読むのはやめる。
楊令が最初の暗い幻王のまま苛烈な天下統一に乗り出して、
その過程、梁山泊が崩壊していくだけで俺等は満足出来たのにな…
俺の不満は内容云々よりも展開の遅さ。
20頁読み進んでたいした進展がないと徒労感だけが残る。
三国志や水滸伝のときのテンポの良さがないから面白く感じない。
楊令の性格の傲慢さが読みたくない理由の最大のものじゃないか?
とりわけウリ殿と話をした後の倣岸な感想が最悪だった。
天才の俺が他人から学ぶことなど何もないといった不遜な態度よ。
あれで人から好きになってもらおうと思うのは、狂気である。
>>295 死ぬまで学んでいこうという態度がないと、才能を伸ばすことはできないと思うがな。
人間の命は有限だが、やろうと思うことは無限にある。生まれながらに、あらゆる才能
を持っているなんて設定は、こういう糞小説以外ではやらんのじゃない?
楊令はサイテーの人間にしか見えない。
楊令って性格が陰気だから、才能があることが、かえって嫌われる原因になってしまっている。
陽気な奴だと、能力は低くても、読者から愛される。
楊令を含めキャラに魅力がないのは、プロフィールが乏しいことと、ダラダラした
会話が続くことに起因する部分が多い。
1回で済む台詞を会話形式で4回の台詞の応酬にする、説明が不要と思われる
箇所をクダクダ説明する。楊令とて例外ではない。
これがあるために、楊令が有能と言われてもピンとこない。他のキャラ同様、阿呆
に見える。
この小説のキャラには保険がない。
水滸伝の場合、キャラ作りに失敗しても、最低限原典に近いキャラにしておけば、
大きく破綻しなくて済んだ。つまり保険があった。
ツーか楊令にはその場の思いつきで色んなことをやらせすぎたために、統一的に把握
できるキャラクターってないんじゃない?暗い性格というのだけは一貫しているけど、
これも水滸伝18巻・19巻の楊令と比べると分裂しているし、救いようのない糞キャラ。
史実部分とフィクション部分のブレンド具合がたまらなく嫌な作品ですね。
楊令伝と同じようにフィクションと現実をブレンドした作品である「巨人の星」と比較してみます。
「巨人の星」でも中心となって活躍するのはオリキャラであって実在の人物は脇役として
登場するだけです。だけど、オリキャラは実在するセ・リーグの球団に入団して、そこを
活躍の舞台とします。空想や妄想に一定の制限を施して、現実との接点を保っているのです。
楊令伝にはこういう制限がありません。とくに史実にない梁山泊国という中国内部の独立国
を設定したことが大失敗だと思います。プロ野球にたとえると、セ・リーグに7番目のチームが
できて、そのチームが既存のチームに連戦戦勝しているようなものです。
つまらなくて読めたものではありません。
第二に、そのセ・リーグの7番目のチームの監督兼エース投手兼4番バッターが、
入団3年目の若手である楊令だという設定が大失敗だと思います。
プロ球団は分業で成り立っています。監督・コーチ・球団スタッフ・投手・捕手・内野手・外野手。
そのいずれをやらせても楊令が最も能力が高いという設定にしてしまうと、他のキャラは
登場する必要がありません。
なおかつ若年の楊令が先輩である長嶋選手や王選手を呼び捨てにして、長嶋選手や王選手が
若手の楊令に対し「楊令殿はすごい」と言っている小説なんてバカバカしくて誰が読むんですか?
「巨人の星」では、川上監督や長嶋選手や王選手や金田選手が、主人公に様々なアドバイスを
します。「川上や長嶋の話すことは全部俺様の知っていることばかりで何の役にも立たなかった」
と主人公星飛雄馬が陰で言っていたら、誰が「巨人の星」を読むんですか?
単行本を床に叩きつけるでしょうよ。
>>301 史実との接点を保つために梁山泊が斉になるべきだったな。史実のユニホームを着て
闘わないと荒唐無稽な物語になってしまう。
主人公を心配する優しい姉も登場しないしな。星明子など、孫範と徐史に、「飛雄馬のこと
を心配するなんて、傲慢だという気がする。おまえに話してよかったという気がする」と言われ
るんだろうよw
中国製品は粗悪品ばかりだからな。
>>302 オリキャラにはオリキャラのポジションというものがあるからな。
能力は高くてもかまわないが、一国の王になってはならない。
王とは何だ、王とは!天下という魔物にとりつかれたのか?
しかしww 幻王というネーミングといい、魔物といいww
マジでお子様向けだなwwww
天下という魔物というフレーズ見ていると、読んでいるこっちの方が
羞恥で顔を赤らめてしまうわ
北京大名府の自由市場のアイデアは、元々水滸伝時代の呉用のものだったと
思うのだが、いつのまにか楊令のアイデアにされていたな。
>>310 余計なことを書くな、バカ!
また違いのないものを、違いがあるかのごとく説明する、くどい文章が付け加えられるだけだぞ。
312 :
310:2009/12/30(水) 17:17:34
いや、もう説明は不要。来月から読まないから。
お前等は素晴らしい作品を読んで否定して、
ただただ自分は大学中退に屈指はしないインテリだと主張したいだけの薄っぺらい2ちゃんねらーだと、
ここ数ヶ月ロムって判断した。
とりあえずソープに行け糞子供ども
素晴らしい作品って言っているから、誤爆だな。
会話部分が不必要に長いので、どのキャラもみな饒舌になってしまった。
もともと個性が感じられない連中が、饒舌という一点でますます似てきた。
喋り方ひとつでも差別化は可能だと思う。
昨夜のレコード大賞に出ていたアリスのように。
訊いてもないのに喋りまくる堀内孝雄
訊けば喋る谷村新司
まったく喋らない矢沢透
あんまネガキャンばっかしないで、皆で楊令伝の良い所を出し合おうぜ
まずはオレから
ない。以上。
とにかく長すぎる。飽きる。
余談であるが、梁山泊に敗れた岳飛は、こののち金軍にも敗れ南宋を頼る。
馬泥棒というくだらない理由によって始まった岳家軍と梁山泊の戦いを描写する
ことに対して読者の批判が多いということは筆者も十分に承知している。しかし
この戦いでは徐史が死ぬ。英雄に相談相手が必要と考えることは傲慢だと
述べて読者の非難を浴びた徐史が死ぬのである。この叙述によって読者の溜飲が
いくぶんでも下がることを期待して、筆者は馬泥棒から始まったこのつまらない戦
を延々と書いているのである。もうしばらくお付き合いねがいたい。
安保闘争とかの学生運動(笑)も楊令伝みたいになまっちょろかったのかな?
楊令伝の梁山泊はまだしも官軍と同等の装備を身に付けて闘うわけだから正常な感覚の持ち主だよ。
学生運動はバカのひとこと。小学3年の頃、ニュースでやっていた安田講堂の闘争を見てそう思った。
浅間山荘事件の頃は、キチガイを見て面白がっているレベルで、誰も本気で相手にはしていない。
心配されたのは人質の安否だけ。
>>318 戦のシーンは、こまかな動きまで全部描写する。そうすると、どの戦も同じになってしまう。
基本的にどの戦であっても騎馬隊の動きに違いはないからな。
水滸伝の終盤も戦続きだったけど、退屈しなかった。水滸伝の登場人物が多く生き残って
いたというのもあるけれども、戦のシーンがいまほど細かく描写されていなかった。
第1巻で梁山泊の連中が楊令の帰りを待ち望むという展開からして限りなくつまらなかったな。
第2巻で登場した楊令には、何の魅力も感じられなかった。燕青との酒と水の問答も、意味も
ないのに意味ありげな会話をしているようで反吐が出そうなほどつまらなかった。
第3巻では仲間に対しても尊大に振舞う。でも先は長いから、そろそろ楊令のキャラにも修正
が施されるのだろうと思って読んでいたら、第4巻の登場だ。
楊令の性格修正以前に、揚子江を渡河した方臘信徒の軍の存在が敵味方双方から忘れられている。
あとは燕京戦から始まるやけに詳細だがつまらない戦闘シーンの連続。もう嫌だな。
>>317 それに尽きる。
長い物語なのに、言っていることは、「楊令殿はすごい」だけ。
体術をやらせばチョ律と同じぐらいできる。弓も花飛麟と大差なし。
騎馬隊の指揮は林冲以上で、剣や槍なら負ける相手がいない。
国づくりから、交易まで、何をやらせても楊令はすごい。
まるで母親から毎月1500万円貰っていた誰かさんの話を聞いているようで、
ほんと面白くない。
>>318 徐寧と徐史が腹違いの兄弟と言い出す前に徐史が死んでくれて安心したよ。
孫立・孫新と孫範が腹違いの兄弟となる可能性が残っているから安心できない。
読まないのが一番安心できるよ。
モンゴル系諸部族が1135年ごろに金の国境を侵したというのは史料の裏付けがあるんだな。
なにがしたいのかよくわからんよ。
岳飛は南宋へ行くということで確定したが、張俊は南宋へ行くという叙述の後で、
まだ斉にいるという話になった。さっさと前に進め。
斉に来た李英との関係で、張俊に何かやらせるのかもな。
だったら、その前に、張俊も南宋へ行くだろうという予測を、第三者にさせなければいい。
こういうところが、すごく鬱陶しい、物語なんだよ。
正月休みに「黒龍の柩」を読んだ。
楊令伝がそれほどに嫌いということはないけれど、黒龍の新撰組のように
皆に慕われてるけど駄目な部分もきちんと描写される近藤や
命がけで国の行く末を見定めようとした山南や
魂胆がバレバレで周りから底が浅いだの散々な言われようの伊東や
末期の孫立のように死ぬことしか考えてないけどなかなか死ねない沖田のような
色々な人が組織にいた方が面白かったんじゃないかな、と思った。
5W1Hを次々に考えてストーリーをつないでいくだけで手一杯な感じなのが楊令伝だな。
キャラの個性まで手が回らないという感じ。
様々な個性のキャラのぶつかりあいの中からストーリーが生まれてくるのなら、物語は
面白くなるが、5W1Hを考えて戦シーンにつなげていくだけなんで単調。
セックスや料理(食事)はやろうと思えば誰にでもできるから、キャラの個性にはならない。
医師、鍛冶、造船技師といった誰でもできるわけではないことをやらせないとな。
童猛が測量をやりはじめたのが楊令伝になって新たに付与された個性なのかもしれないが、
ひとつ考えると、おなじことを何度もやらせる。童猛の測量シーンなんて5〜6回読んだような
気がする。童猛はもういいから、他のキャラの個性を考えればいいのに。
「仕事」「趣味」で検索すれば、いくらでも出てくるだろう。その中に12世紀の中国人がやっても
おかしくないような仕事や趣味は掃いてすてるほどあると思うがな。どうしていつも童猛の測量
なんだ?
水滸伝では原典が5W1Hを山ほど用意してくれていた。多くは改変されていたが、
改変する基準となる5W1Hはあらかじめ用意されていたから、5W1Hを考える時間
は短縮された。その分、キャラのプロフィールや個性付けを考える時間を多くとれた。
もう少し12世紀の物語を読んでいる、中国の物語を読んでいる、と思えるような
装飾を施さないと、時代小説の醍醐味はないな。
楊令伝は、かつらをつけずに時代劇をやっているような印象。
志村けんの「バカ殿」でも、かつらをつけて時代劇っぽくやっているぞ。
内容は現代的なギャグだけどな。
論語や孟子を読んでいる登場人物がいてもいいような気がするな。
戦をやっているんだから、せめて孫氏・呉氏ぐらいは出せないか?
その程度の装飾はほどこさないと、志村のバカ殿にも劣るぞ。
>>335 ストーリー面ではもはや原典の時代は過ぎ去って使える部分はないけど、
職業や趣味については、まだまだ原典の中から、多くのものを拾えると思う。
それをオリキャラに付与すればいいこと。
>>337 風景や風貌とかが描写されることが、まずないよな。
違う国の違う時代なんだから、描写しなければ、現代の風景・風貌しか思い浮かばない。
日本の時代劇なら、時代々々に応じた風景・衣裳等がパターンとして読者の頭にインプット
されている。だからクドクド説明しなくても足りる。
しかし、12世紀の中国の物語なんだから、描写抜きには何も思い浮かばない。
そのための原野における戦闘
そのための会話で埋め尽くされる戦闘以外の場面
じゃないのか?わかってやれよwww
楊令がすごければ、それ以外はどうでもいいからな。12世紀の中国人がどんな衣裳
を着ていようと、この物語には関係ない。家屋の構造、食器、調度品・・・、すべてどうでもいい。
楊令がすごければ、それでいい。
そのあたりが是正されることは絶対ないよ。できるならば、とっくにやっているさ。
三国志や水滸伝ではこの手のクレームはなかった。
諸事情があって、そこまで手が回らないんだろう。
それどころか、先月書いた戦の作戦も忘れて、方向違いな展開になったことさえあった。
構想をじっくり立て、丁寧に書き、読者にわかりにくいところがないか、キャラは個性的
になっているか、季節感は出せているか、前に書いた叙述と矛盾するところはないか
等々を確認して推敲を繰り返すというタイプの小説ではない。それなりに読めよ。
江藤新平が箕作麟祥に言った言葉を思い出す。
「誤訳も妨げず、唯速訳せよ」
なにかしら読者の心の琴線に触れてくるドラマがあればいいんだけど、それがまったく
ないのが不思議だよな。13巻も鉄砲撃てば、まぐれ当たりがあってもよさそうなものだが、
それがただの一発も命中しない。ギネスに残る記録が出るかもしれんよ。
面白くない小説という概念を通り越しているんだわ。面白くない小説であっても、
1行ぐらいは、「いいこと言うな」「そうだそうだ」「あるある」「かっこいいなー」
「泣けてくるよなー」「こいつ、いいやつじゃないか」・・・何かあるぞ。それがなければ、
糞つまらん小説なんて続かないからな。
それが一箇所もないんだ。世界不思議発見で取り上げてもらえよ。
小説は書いたことはないが、レポートや企画書を書いた経験のある人は多いはずだ。
その経験の中で思うのは、書いているうちに徐々に詳しくなってしまうということ。1枚目
は要点だけを押えて簡潔に書こうと心がけていたのに、10枚目はやたらとディテール
が煩雑になっているなー、という経験は多くの人にあると思う。長く書いていると、自然
にそうなるのだ。このスレに長文が多いのも、同じ理由だ。
楊令伝の現状が、そうだ。不必要なまでにディテールが書かれており、戦の場面は
同じことの繰り返しにしか思えないし、会話の部分は「そんな、まどろっこしい会話をする
人間は世界中探してもいない」と思えるようなのばかり。退屈を通りこして、不愉快になるような
詳しさ、まどろっこしさなんだ。
同じ内容のまま叙述を思い切って半分に圧縮しないと、読めたものではない。
三国志の第1巻は、桃園の誓いから、孫堅の戦死までいったわな。
あのテンポだと、13巻という長尺であっても、退屈しないで読める。
話がどんどん先に進むから、13巻が長く感じない。
楊令伝は、半分でいい。詳しすぎて長くなっているというのは最悪だ。
結婚式の年寄りのつまらんスピーチを思い出せ。誰も聞いてないよ、あんなもん。
結婚式での長いスピーチは、その場所にいる者の心の琴線に響かないからな。
楊令伝と同じだな。
楊令伝は新郎新婦を語らず、スピーチしている人本人の人生を語っている退屈なスピーチと同じ。
いいかげんゲバ棒君の話は止めろ。水滸伝をやれ。
単行本派は3か月分まとめて読むから多少は物語が前進しているような印象をもつ
かもしれんが、すばるを読んでいると全然前に進んでいる感じがしないな。
Wikipediaの記載(水滸伝)で質問なんですが、「登場人物ネタバレ」の項目にある
・章タイトルに宿星が使われたキャラクターから戦死する
ここの意味がわかる方いませんか?
これって文字通りの戦死のことでしょうかね・・・楊志は戦死に該当しないとかって解釈ですか?
>>353 章タイトルに宿星が使われない間は死亡しないという意味
>>354 あっなるほど・・・わかりました
ありがとうございます
>>349 ダラダラと進行が遅いからつまらなくなっているというのも理解できるが、
やはり主人公楊令の魅力のなさに尽きると思う。
革命やクーデタで政権が非合法に変えられると、その指導者は英雄に
祭り上げられる。能力は異常なまでに高いことにされ、根拠不明の人気
によってすべての人から好かれているという神話が創作される。
北朝鮮の金正日を見ているような気味悪さが楊令にはある。外国人から
見ると、金正日を崇拝している人間は阿呆にしか見えない。
楊令は最低・最悪のキャラクターだと思う。
楊令には人間らしさが少しも感じられないからな。旧共産圏の広場に立てられた
革命指導者の銅像にしか見えない。
弱点もあるという設定だが、親子の話を聞くと発狂するという、あるのかないのか誰も
知らないような異常な病気なんで、リアリティがなく、弱点になっていない。ただの基地外。
楊令がやるから交易で大儲けという安易な設定も反吐がでる。
そんな簡単なもんじゃないだろう。たぶん他の奴がやれば、交易で大損するんだぜ。
死ねよ楊令。肚の立つ。
>>356 冒頭から梁山泊の古株が楊令を頭領にと望むから嫌われてしまったんだろうな。
冒頭から楊令を大活躍させるのはかまわない。しかし、梁山泊の古株連中
が楊令を頭領にしようとしない。読者の側で、「どうして梁山泊は楊令を頭領にしないのか」
という声が出てくる。しれでも、作者はじっと耐えて楊令を頭領にしない。
そのうち作者に対する批判が出るようになっても、耐えて頭領にしない。
このあたりまで来れば、楊令を頭領にしても誰も文句は言わない。
梁山泊の古株を劣化させ、他の二世キャラに何も魅力を付与せず、といった
バカなこともしなくてすんだはずだ。人情を解さないと、ここまでくだらん小説になるものか。
まっ、デパートの屋上にやってきた縫いぐるみ人形がやっている寸劇レベルの駄作だわな。
楊令以外の二世キャラは、絶対に楊令を追い抜けないことがはじめからわかりきっている
という状況に追い込まれた。これじゃ何人出しても同じこと。
前作のラストから、続編の中心人物は楊令だということは誰にでもわかるが、他のキャラ
に魅力を感じてもらおうと思うなら、タイトルは楊令伝以外にすべきだったし、最初から楊令
を頭領にすべきではなかった。最低でも10巻は予定されていた長い小説なんだから、前作
のように日替わりヒーローが出てこないと興味をもって読み続けられるはずがない。
愚かなことをしたな。
第5巻では、宣賛や呼延灼が楊令の戦略構想の壮大さに驚いていた。
俺たちが思いつくのは、せいぜい一つ二つの城郭を奪うことぐらいだが、楊令殿は広大な
領土を得ようとしておられる。すごい。ということを言っていたのは、宣賛や呼延灼だ。
ところが、最近は、宣賛は天下という魔物にとりつかれ、楊令は小さな梁山泊の信奉者だ。
一本の統一された筋で書いている?その点が、ものすごく腹立たしい小説なんだが。
単に安い税にするために民を囲い込んだだけだろう。戦略というのもバカバカしい。
もともと金国との共同作戦に都合がいいということから、現在の梁山泊の位置が選ばれた
わけだからな。これは韓成との会話の中で、楊令が明言している。
>>363 現在の場面で過去にやったことと矛盾する行為をやらせる、あるいは思想を持たせると、
過去の行跡はすべて否定されると考えるところが、この小説の変なところ。われわれ
正常な感覚の人間の小説の概念と異なるんだよな。
若い頃少年院・刑務所のやっかいになっても、現在更正していればそれでいいわけなんだが、
更正したからといって過去が否定されるものではない。その間に矛盾があれば、どうして変化
が生じたかをわかりやすく説明する必要がある。
だからといって、幻王の「幻」は、闘っている楊令が幻であって、実は楊令は戦いが嫌いなんですといった
とってつけた説明ではシラケルだけ。もう少しまともにやれんか?
黄信の亡霊が多数書き込んでいるw
藤正太
クライマックス間近なのに、この過疎り具合は何?
500KBか?
敵の騎兵が精強だと思えば、丘陵地や沼地に陣取れば、敵騎兵隊の機動力を
封殺できる。そんなことを敵味方ともにまったく考えもしない馬鹿がやっている
戦が面白いわけがない。
すごい楊令殿の騎馬隊なんだから、90度の絶壁でも登ると思うよ。考えても無駄。
いくらなんでも沼地に陣取る阿呆はいないだろ
丘陵=弓兵の的
沼地=動きにくい、そもそも沼に陣ははれない
・・騎馬隊対策にはなっても、本末転倒な気がする
今月号の話題解禁しておk?
まあ相変わらず意味の無いオリキャラが登場して、オリキャラが意味も無く・・・なんだけど
今月号ラスト、こういうのは叙述トリックと言えるのかな。
何ヶ月もたってから、いきなり何の前触れも無くやられるよりはずっと良かったかもね。
まぁ、何にせよ「終り」の形が見えてきたので、ちょっとホッとした。
379 :
無名草子さん:2010/01/18(月) 23:46:20
そうだねー
李俊の予感が終わりの始まりを連想させるね。
結局楊令伝の連載が始まるまでのこのスレが面白かったな。
予想し合って、
・呉用生存説→的中
・楊令=呉乞買説→半分的中
・南宋の孝宗=李冨・李師師の子→的中 これは連載後か。
ラスボスは李英で確定って事でおk?
381 :
無名草子さん:2010/01/19(火) 15:22:24
>>380 あぁ、どうやらそうなるようだよ。
今月号にわかりやすい伏線がびっしりと張られている。
岳飛はどうなるんだ?
ガクヒファイトの末に楊令殿と相打ち
でも、それ『血涙』でやっちゃってんだよなぁ。
楊令伝のファンって、小沢の擁護に必死で自分を見失ってる民主党議員と同じだな。
悪党楊令を擁護するから無理が出てくる。
梁山泊が崩壊していく様をみるのは面白いなw
まるでオウム民主党だなw
そういや、李媛が李英追っ掛けて行ったという描写で、最初は十数人の部下を連れて、なのが
次の話だと百人ちょい連れて行った、ってなってるのとかどうにかして欲しい。
ま、本筋とはあまり関連性の無い些細な話ですけどね。
杜興に続いて弟にまで死なれた李媛
落とすのには絶好の機会が訪れたと思うけど、
筍響は昔言ってた「紙一重」の運を自分が助かるためではなく
李媛を助けるために使うような気もする
そういえば楊令伝で、楊令殿が青面獣と呼ばれたことってあったっけ?
水滸伝19巻時の楊令殿は
顔の火傷の跡をみた兵から青面獣と呼ばれてたみたいだけど
楊令伝開始時点で青コツ鬼→幻王になってからそのまんまだな。
楊令伝のはじめの方で青面獣楊令と書かれていたこともあったぞ。
赤いやけどの跡なんだから赤面獣にすべき
楊令伝12巻の表紙の絵って王定六?
>>392 馬鹿だなぁw
親父の渾名とかけてるんじゃないか☆
395 :
無名草子さん:2010/01/27(水) 02:31:39
か、過疎ったなぁ・・・
最初のころは、色んな新キャラが出てきて、一人一人に水滸伝の時のようなドラマを期待したもんだが。
梁山泊軍や旧宋禁軍がうなぎのぼりに精強になっていった。精強であるからには、
戦のないときも将校は調練に没頭しなければならない。それで、戦と調練以外の
場面で将校キャラを使うということができなくなった。せいぜいありふれた恋愛ネタ、
つまり愛し合う二人の一方が戦死する話とか、死んだ原典の好漢の思い出話を
古参キャラから聞く、この程度のエピソードしか作れなくなった。それか愚にもつかない
食い物の話。
冷静に考えると12世紀なのであって、日本でいえば源平合戦の頃。そこまで軍隊を
精強に設定する必要はない。前作のように、林冲や軍務をほったらかしにして張藍を救出
に向かう話や、孔明が兵の調練を石秀に押し付けて妓楼で遊ぶかたわら楊志に迫る
青蓮寺の密偵の動きを探る話のような、余裕を感じさせるエピソードがなくなってしまったな。
軍隊が精強なんだから普段は調練ばかりしているだろうと想像するのはリアルかもしれないが、
くそまじめに考えすぎて物語はつまらなくなった。もっとキャラを自由に動かせばいいのだ。
天才楊令殿は稽古などぜずとも何をやらせても巧いが、
平凡な兵どもは毎日調練しないと強くはなれないということを言いたいのだろう。
俺が頭領を辞めた後は、バカなおまいらは多数決で事を決しろと言うぐらいだからな。
>>396 主人公楊令だけは別格の優れた人物としてしまったから、主人公と他の人物の
人間関係が、小沢と民主党の若手議員の関係のように、他の議員はひれ伏す
だけのものになってしまった。楊令と呉用の関係、楊令と呼延灼の関係というように
個別化できないのな。全部同じ。
もともと楊令と関係の深い人物は前作でほとんど死んでしまった。楊志夫婦、魯達、
秦明。王進と公淑は生きているが子午山という別世界にいるから関係がないのと同じ。
せめて阿骨打と楊令の関係を濃厚に描くとかの工夫はほしかったな。
登場人物の多い歴史小説の場合、個々の人物に迫ってゆくスペースがないこともある。
そういう場合、主人公を中心にした複数の人間関係の違いを見せることで、個々のキャラ
の人間性の一端を示して単調に陥らないようにする。
信長と秀吉の関係、信長と家康の関係、信長と勝家の関係、信長と光秀の関係。どれも
個性的だ。楊令の場合、それがない。師匠である王進でさえ、楊令にひれ伏したような印象。
せめて阿骨打が楊令の新しい師匠役になれば、個性的な人間関係が見れただろうが、それもなし。
ことさらに単調な物語の道をまっしぐらという感じの小説になったな。
>もともと楊令と関係の深い人物は前作でほとんど死んでしまった。
たいして楊令と関係が深かったとも思えないような者たち全員が口をそろえて
楊令を頭領にと望むのでシラけてしまったな。
宋江の指名が決め手になったようだが、その宋江からして楊令との関係が薄い。
楊令が楊志に拾われたときは宋江はウン城の小役人でまったく無関係。
楊志が戦死したときは宋江は旅の空で、その死を強く受け止めてもいない。
楊令は宋江が梁山泊に来るのと入れ違いのように子午山にゆく。
子午山から梁山泊に帰って来る楊令をそわそわして待っている宋江には、「なんだ、こいつ?」
と思ったものだ。おまえは楊令との接点ほとんどないだろう?と思った。
その宋江の指名など、何の説得力もない。
まさに他の民主党議員、というか日本中の議員一般と水と油の小沢一郎そのまんまの楊令www
あぁ、また始まった。
規制が解けたのかい?
規制ではなく帰省中だったのだ。
だいたい21歳の若造が「すごい、すごい」と言われている小説を誰が読むんだ?
誇大妄想の基地外だけだろ。
好意的に書かれた感想でも、言外に「楊令だけはちょっと・・・」というニュアンスが溢れているな。
主人公なんで楊令が嫌いなら小説全体も面白くないはずなんだが、原典キャラと史実キャラの
その後を読みたくてかろうじて読みつづけているといったところか?
楊令伝なんて表題からして、こうなる危惧は感じていたがな。
体術で武松だか燕青だかと互角とかほざいてんの読んで
謙三の首筋に肘叩き込んでやろうかと思ったな。そこまで無敵にする必要がどこにある。
体術なんてのは致死軍や間諜には必要な技かもしれないが、騎馬隊指揮には役に立たないからな。
索超が馬上で体術を使って敵の馬を奪う調練をしていたが、実用化には至らなかった。
まして梁山泊の頭領の資質としては無用のもの。宝の持ち腐れ。他のキャラの個性が際立たなく
なるだけ。
戦時の財政というのは税を負担する庶民にとってはつらいもので、政権崩壊の主因に
なることが多い。楊令伝でも北宋滅亡の原因がそうだった。
梁山泊が領土を小さく限定してしまったもので、小さな国々が濫立し、北宋末期にも増して
戦が増えた。戦時経済を支える庶民の負担は、北宋末期以上の大きくなるはず。
ところが、梁山泊は交易の独占ということで反対に財政が楽になっている。これはいくら詭弁
を弄しても納得できるものではない。
腐敗した政事だと民の負担は増えるが、戦をいくらやっても民の負担は増えないと
勝手に決めこんでいる節があるな。
いまさら水滸伝を読み終えたのだけど、どうも呼延灼が好きになれなかった。
それがそのまま、最終決戦時に梁山泊側ではなく禁軍へ感情移入してしまう原因にもなった。
梁山泊の大将格の人間の中では一番器の小さいこの男が、総大将を任されていたことが納得いかない。
続編も読みたいと思っているけど、この男が相変わらず出しゃばっているのでしょうか?
将軍としては最年長という状況からまとめ役をやらされて少々老害化しかけましたけど、最終的にはツンデレパパになります。
413 :
無名草子さん:2010/01/31(日) 08:33:13
傷心燕青のカムバックを望む。」
414 :
無名草子さん:2010/01/31(日) 13:59:02
李俊にフラグが立って、大海戦がありそうなのが唯一楽しみかなぁ。
水軍が瓦解しそうな予感。
415 :
無名草子さん:2010/01/31(日) 21:27:56
まだ読んでいる人がいるんだね。
>>413 そこで王進に点穴を突いてもらって視力回復、燕青復活!という武侠な展開にw
楊令は交易で儲けすぎて、何に使えばわからないぐらいの大金が梁山泊にあると言っていたな。
小沢一郎のように不動産買えよ。糞ガッ。
タイトルが楊令伝。楊令の別名が幻王。この時点で読む気がうせるわな。
幻王のネーミングは、低学年向けのコミックないしヒーローアニメに登場しそうだからな。
俺がいまかりに中学生だったとしても、幻王のネーミングを広告で見ただけで、
読むのよすと思うわ。
1巻は幻王の正体を伏せることで、「この先どうなるんでしょうね」という期待だけで1巻もたせたな。
2巻の冒頭で楊令が姿を現し、わけのわからん水と酒の話を始めたあたりでアホらしくなって
読むのをやめたわ。
2巻で長々としゃべりまくった楊令への失望感の大きさは、俺の読書経験のなかでも
1,2を争うわ。
2008年12月号の童貫戦後の楊令の演説は、それにも増して失望したろう。
このスレでも、あの楊令の演説だけで2スレ消費したほどの不評を買った。
梁山泊に魅力がなくなっただけではなく、戦が中心のドラマなのに梁山泊から
外に出て戦うことをしないと宣言した時点でこの物語は終了したと思った。
案の定、馬泥棒を懲らしめるために岳飛と戦を始めるというバカみたいな物語
になってきた。
つねに原野で行われる戦が単調すぎるよ。
盛り上げかたが、始めチョロチョロ、中パッパで、
飯炊きのノウハウと同じだもの。そいで、いつもそれ。
このあいだ、飼い猫が、楊令伝の2巻の上にゲロしたんだけど、肚も立たなかった。
1月24日から1月30日までの成文堂全店の文芸書ランキングです。
1位は「楊令伝 12(九天の章)」です。
前回は集計期間が1日でしたが、今回は1週間順調に売上を伸ばし10位から1位にランクアップです。
9巻読まで読んだ。
童貫、呆気無さ過ぎ。
郭瑾、あれだけ慕ってた楊令に看取ってももらえずかわいそすぎ。
李明の最後は何だあれわ。
岳飛、見せ場なし‥‥‥
う〜ん。確かに読んでいても水滸伝の時ほど夢中になれないのは、
このスレに集まる感想をざっと斜め読みしても、納得するものがあるな。
まあ、まだ読むけどね。ハァ‥‥
もう読まん。
物語の基本的な構成が「戦」と「戦の合間」なんで各キャラの活躍場面が似かよってきて
面白みに欠けるな。戦の合間にやっていることも国を作るだの海外までに交易路を広げる
だのといった大げさな話なんで、下っ端の連中の出る幕がない。
生辰綱を盗むという身近で具体的な話なら白勝にも活躍の場が与えられるが、国づくりや
交易路の拡大では出る幕がないわな。
それと楊令の好感度をアップさせたいという作者の焦りがあるから、何でも楊令の手柄に
したがる。王倫の梁山泊を奪取したときのように、20数名のキャラに役割を分担させて、
その有機的な連関の見事さで面白く読ませるといった緻密な物語構成ではなくなっている。
水滸伝 名人の盆栽
楊令伝 ヘリコプターで播種するアメリカ式農業
「呉用を処断するしかない」
これをみたとき、北方のおっさんは呼延灼が好きじゃないんだなーと思った
てかよく読み返してみるとこいつ、連環馬の奇襲以外で役に立ったこと殆どねぇな。
>>431 一応あの髭のおっさんは趙安とは相性がいいらしく、
伏兵や騎馬戦でまぁまぁの戦果はあげてるよ。
他の人との戦いではお前の言う通り、蛇に噛まれて死んだ人以下だよねw
楊令よりマシ
>>425 王様のブランチでは8位でしたね。
他のランクインした作品が1冊読みきりなのに対して、
楊令伝のみ12巻。不景気な時代に向いた作品ではありません。
あれ、自爆NG?
すげー重いんだが、何かあった?
15巻までの内容を、全8巻ぐらいでまとめれば面白かったのにね。
>>432 趙安は野戦は弱い上にプライドが高いという設定があるのでどうにも、、、
劇中の描写では劉譲や李明よりも明かに弱い。
にしても岳飛が史実同様大して強くないところだけは読んでて面白いな。
これで凄い楊令様も弱かったら面白かったんだが。
楊令ももう 40 近いか越えてるころだっけ?全然そういう雰囲気無いなこいつ。
楊令伝が水滸伝に比べ物足りなさを感じさせる原因は、三つほどある。
1.最初から楊令を頭領にしたこと
2.騎馬隊を無制限に活躍させるため、広々とした原野での戦しかなく、戦シーンが単調になったこと
3.個々のキャラのプロフィールが水滸伝に比べると無きに等しく、キャラの差別化ができていないこと
楊令に関しては、しばらくの間は林冲ポジションにとどめておき、徐々に戦以外の方面でも
才能を発揮しはじめる。そのうち聚義庁の連中の老害が目立ち始める。早く楊令を頭領に
すればいいのにという読者の願望が高まってくるのをじっくり待つべきだった。そうすれば
いまほど嫌われることはなかった。
440 :
無名草子さん:2010/02/09(火) 14:22:39
なんていうか、「全キャラ好かれないといけない」みたいな信念でもあるのかね。
水滸伝時代は宋朝廷の腐れ役人達が嫌われ役みたいな感じだったし、
南北朝シリーズでは新田義貞とかを嫌われ役ポジションに配置してたし。
組織には嫌われ役が必要とか水滸伝で呉用に言わせてた癖に、楊令伝では
読者の為の嫌われ役が提供されてないよな。その辺りがいろいろこじれる
原因の一端ではとも思う。
>>440 それは強く感じるな。水滸伝の続編なんだから、読者は梁山泊側に感情移入して
読みたいんだよ。それなのに「全キャラ好かれないといけない」みたいな信念に基づいて、
李富は王安石の理想とした国づくりを目指し、武松や孫二娘や楊令は冷酷な殺人をして、
両陣営の好感度を均等にしようとする。
ただ、抜かったのは、好感度が均等になった結果、楊令が嫌われてしまったこと。
憎まれ役という読者の正義感情を満足させる役がいなくなったために、作者によって
能力抜群に設定された過保護の楊令が、読者の憎悪を一身に浴びることになってしまった。
母親から毎月1500万円もらっていた鳩山首相と同じ。
さらに殺戮・掠奪を繰り返した楊令が、他の梁山泊のメンバーから頭領にと望まれる点は、
小沢一郎を守ろうとした民主党が国民から嫌われたのと同じ。
倒すに値する強大な敵は、同時に憎悪の対象でもあることが望ましいな。
敵の大将はそうでなくても、敵側には憎悪に値する人物がいるという程度でいいから。
ちんけな敵だと面白くはないが、どちらに肩入れして読んでもいいですよ、
というのでは、読み手は力が入らない。
高Qや王黼がいるから、そういう敵になっているはずだという意図だったのかもしれないが、
読者から見ると、高Qや王黼は最終的には敵でも味方でもない、物語の外の人になってしまっていたな。
小説を読んだり映画を観るときに、必ず誰かを憎みつつ見るわけではないのだが、
戦が主題の小説・映画では、どちらかに肩入れするよな。
肩入れしている方が勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。敵将を倒せばスカッとするし、
味方の将が死ねば悲しい。水滸伝にはそれがあったが、楊令伝にはそれがない。
なかには梁山泊がまったく関わらない戦まである。はっきりいってどうでもいい。
そういえば唐昇ってどうなったんだろうな
しらん
年取って一軍の指揮というのは難しくなったから、阿骨太の子供達の軍師と言うか、アドバイザーや後見役みたいな役割じゃなかったっけ?
最近出番無いから影薄いけど。
>>442 そもそも、謙三のバカはいつもそういうところがある。
水滸伝はコウキュウがいたし、宋自体が憎悪の対象だったから良かったものの
楊令伝はなんだ。
>>448 作品を批判するのはいいが、個人をバカ呼ばわりするのは、よせ。
お里が知れるぞ、低脳。
バカや阿呆は日常用語で、軽く使われることもあるが、文脈によっては侮辱罪になるぞ。
>>445 水滸伝のファンは、祝家荘戦で欒廷玉が生き残ってくれた方が嬉しかったね。
孫立の見せ場は、唐昇を斬る。
続編でも欒廷玉が活躍していたら、嬉しかったな。
楊令伝は原典好きの人たちに対する配慮が少し甘かったような気がする。
原典キャラが前作とは比較できないほどに魅力がなくなった。
単行本化に際し、林貴を陸謙に変更した程度じゃ足りない。
どうも「俺様の書いた水滸伝」という臭みが強く、「俺様が書かせていただいている水滸伝」
という謙虚さが足りない。
天童よしみが「俺様は美空ひばりより上手い」と言ったら誰も聞かない。
「ひばりさんの歌を歌わせていただいている」という謙虚な姿勢があるから、天童よしみによる
美空ひばりカバーは鑑賞に堪えうる。
楊令が梁山泊トップというのは嫌なんだが、李富が南宋トップというのも嫌だな。
水滸伝の1巻から登場している馴染みのあるキャラだけど、南宋のトップに押し上げ
たいというような愛着を感じさせるところはまったくない。ずっと裏の仕事をしていたんだから、
政治向きのことをやるのではなく、政権を守るために影で暗躍する青蓮寺のままで
よかったと思う。李富がトップだと南宋が軽すぎる。
古典作品の著名な登場人物や史実で有名な人物のなかにまじったオリキャラは
苦戦するのが普通。オリキャラは登場場面が多くても、史実キャラに比べると
どうしても見劣りする。それもあって三国志ではオリキャラは脇役にとどめていた。
このあたりまでは賢明だったのだと思う。
楊令伝はオリキャラを主人公にして古典キャラや史実キャラを脇役にした。
オリキャラの見劣りが、作品そのものの見劣りになってしまったな。
つまり、楊令に魅力が無いってことなんだよな
次々に他の同志よりも優れた能力を付与され続けた楊令は、
たとえていえば大嫌いなドクター・ペッパーを何杯も飲まされつづけたような感じ。
嫌いなものは何杯飲んでも好きになれん。
とある北方作品を読み終わって思ったんだけど、
最終的に梁山泊は滅亡するが、張平あたりが黒い鎧を着て「楊令」として死に
当の楊令は新天地を求めて蒙古あたりに旅立つとか
そういう結末をやってのけそうな気がしてきた
>>457 『黒龍の柩』だな?わかりやすすぎるぞ。
しかも、その展開じゃつまらないにも程が有る。
基本的に北方先生の時代小説は、男が夢に生きる姿と、その夢が状況や他者によって潰されていく儚さ、
その過程で男がどう己の美学に従って生き、滅びていくか、ってのがテーマだから、梁山泊が潰れる、というのは北方ファンにとっては初歩的な前提だぞ。
梁山泊サイドはもう「どう潰れるか」っていう点しか今後の期待ないよな。
岳飛、張俊とかは史実とオリジナル設定両方うまく生かしてるから生産的な期待が持てる。
劉光世が一人だけ頭抜けた地位にあるっていう設定も凄く面白いし、
劉光世>兀朮>岳飛っていう力関係の設定もなんだかんだで結構美味しいし。
楊令と梁山泊さえ無ければ凄く面白い小説だと思うよ、楊令伝。
>>459 >楊令と梁山泊さえ無ければ凄く面白い小説だと思うよ、楊令伝。
楊令と梁山泊はなきゃダメだよw
だが楊令と古参同志の力関係はもっと考えてもらいたかった。
楊令が古参同志を途中(9巻あたり)で追い抜くという展開でよかったのではないかと思う。
1巻から今日まで続く「楊令はすごい奴なんだよ。期待しろよ」という設定が面白くないわけだから、
楊令は不要だろう。二竜山で高熱を発したまま死んでくれればよかったと思う。
楊令は子役時代が華だったな。子役時代は人気者だったが大人になるとパッとしない役者が
いるけど、その典型だわ。
楊令を頭領にするのが早すぎたということだよ。
長嶋や王がいるのに、高校出の新人が監督兼オーナー兼エース投手兼4番バッターを
やっていりゃ、誰も見向きもしないっしょ。
楊令を早めに頭領にすることで物語が面白くなるならいいのだが、児童向けアニメの
ストーリーになってしまったからな。小学生が宇宙パイロットになるといったストーリー。
楊令伝の楊令を見ていて、初めて宋江の偉大さが理解できたな。
それだけでも楊令伝を読む価値はある。
その後は、どこで楊令伝に見切りをつけるかだなw
北畠顕家なんかも、史実では比較的象徴的な立場だったとされてるけど、
オリジナルのアレンジ加えて若い完璧超人に仕立て上げて、でも全然嫌味にはなってなかった。
昔出来てたことがなんで今は出来なくなっちゃったんだろうな。
俺は北畠顕家の登場する小説は読んでいない。楊令は完璧超人なんだけど、
横柄で傲慢なんだな。楊令の心底にある弱さの裏返しとして横柄に振舞っている
というのではなく、天然の傲慢さが目につく。性格が暗さも災いしているね。
とてもじゃないが好きになれない。
史実無視して完全ファンタジーでやってればよかったと思う。
水滸伝なんかは完全にファンタジーだったから良かったけど、
楊令伝は史実縛りが大きすぎるからなんともなあ、と。
そんなに縛られているとも思えないが?
>>466 悲運で悲劇だから。
能力に恵まれても、運と状況に恵まれない儚さに同情してしまうからさ。
>>467 最低限、他の北方作品の時代小説を一通り読んでから楊令伝の批評しろよ。
>>470 そりゃ、楊令伝を読んだために、他の北方作品の時代小説を一通り読もうという気力
をなくした読者に対して、酷な注文だろうww
>>468 水滸伝の終盤で金国に独立の動きがあることを示唆し、
「替天行道」に年表を載せて水滸伝の終了時点が1115年ということを明確にした以上、
大まかな流れは史実ベースにならざるをえないよ。
北方のクライマックスを書くのが下手なのは、今までの作品で皆わかってるだろ?
終盤上手く書けたのは三国志くらいだろ。
今更ガタガタ言うなw
474 :
無名草子さん:2010/02/15(月) 01:55:30
金と南宋の狭間で繁栄する
「すごい楊令殿が率いる謎の経済大国・梁山泊」
を早いとこ滅亡させないと、
このままでは史実との整合どころか、単なるラノベになってしまう。
日本人にあまり馴染みのない北宋末期の時代をせっかく描くのだから、この時代のことを
知りたいと思い読者の要望に応えるような作品ならよかったと思います。
楊令の交易大国梁山泊が宋の時代になければならない必然性がまったく感じられないし、
いろんな国のいろんな時代がランダムに詰まった無国籍小説のような気がしてならない。
宋は徴兵制だしwww
童貫が討たれるまでは徴兵してたろ。
>>474 けんちゃんの小説はラノベ感覚で読むのがいいと思いますよ。
本人も「小説なんて酒みたいなもん」とか言ってるし。
そういうの嫌なら他の作家あたった方がいい。
案外、“北方謙三の小説”がどういうものかも分かってないで批判する莫迦が多いんだな、ここ。
479 :
無名草子さん:2010/02/16(火) 12:55:45
最終的には惚れる死に方をしてくれれば、それで満足w
いきなりかっこよくなったら死ぬ前兆だけど、
今のところすぐに死にそうなのいないな。
趙安のいきなりかっこよくなりっぷりは、ある意味酷いレベルだったと思う。
水滸伝の続編でストーリーは繋がっているが、108人全員をヒーローとして描こうとしていた
水滸伝とは手法が異なるから、前作そのままの雰囲気の繋がりを期待している人は面食らうだろうな。
楊令伝にも梁山泊に多数の人物が配されているが、全員をヒーローにしようというのではなく、
ヒーローは楊令ひとりだ。
楊令ひとりをヒーローにするなら、作者は主人公楊令にぴったり寄り添って5巻ぐらいで
コンパクトにまとめるべきだった。他の梁山泊の人々は脇役に徹するべきだったのな。他のキャラにも中途半端
に前作と同じようなスペースを割いたために、ヒーローではない魅力のない人物の話を次々に
読まされて退屈だったのだろう。他の人物も丁寧に描きたいのなら、楊令をスーパーヒーロー
にすべきではなかった。少なくとも頭領にすべきではなかった。
張青や孫新には恰好悪いところもあったけど、恰好いい人物だけがヒーローではないからな。
張青や孫新をもヒーローとして描こうとしている作者の姿勢はヒシヒシ伝わってきた。
108人全員をヒーローにすることができたのは頭領宋江が統率力以外については凡人で
あったから。楊令伝は、宋江と正反対の人物を頭領にしてみようという壮大な実験だったのか
もしれないが、それならそれで短くまとめるべきだったな。
108人全員をヒーローとして描くからこそ、19巻という長さに必然性があった。
どういう理由からかわからないが、方臘戦と燕京戦が物語の中心になると、楊令の
登場場面がピタリとなくなったな。
梁山泊としては、この二つの戦に、もっと干渉すべきではなかったろうか。いったい
誰が主人公なのかわからなくなってしまった。
北と南の戦のどさくさに梁山泊は領地を得たから、他の戦への干渉はむずかしかったの
かもしれない。ただその領地の獲得というのが梁山泊の財政基盤の確立のためではなく、無税
を享受できる幸運な民を選ぶための戦というところは、もはや時代小説の範疇内で語られる
べきことがらではない。
楊令の能力値を高めるだけたかめておいて、小さな梁山泊しかできなかったところが、
不釣合いな感じがするんだよな。この物語の中では、最大限の侮蔑を受ける存在である
宋の帝が、広大な領土を易々と支配していることとバランスがとれない。
小さな梁山泊であることに積極的意義があることを作品の中でいくら熱弁されても、
説得的でない。耶律大石の西遼を引き合いに出して、梁山泊の交易立国と税の安さを
正当化しようとしても、梁山泊と西遼とでは成立条件がまったく異なる。
どうでもいいが、梁山湖って今は枯れちゃって無いんだね…
晩年に行ってみようと思ってだけに寂しい…
枯れたって言うか、干拓した農地にしたんじゃなかったっけ?
昨日立ち読みで2月号をサラリと眺めた。
李英が劉豫暗殺に失敗したような叙述があったな。
やっぱり裏切りじゃなかったんだ。
死んだなー
今日発売か。そのうちサラッと立ち読みする。
小さな梁山泊というのが、この小説への興味をなくした最大の要因だな。
二世代以上の世代を描く小説やドラマにおいては、子供の時代から登場している
次世代キャラというのは、いつまでたっても頼りなく見えてしまう。
彼らが成長して年齢相応に見れるようになるのは、それなりの高い地位に就くからだ。
秀吉の台所飯を食っていた頃の加藤清正や福島正則が、成長してひとかどの人物に
見えるようになるのは、彼らが国持ち大名になるからだ。
梁山泊の場合、斉ぐらいの領土を持つべきだったな。梁山泊の次世代が各地に分散
してそれぞれ数万の兵を擁する大将級の人物にならなければ、いつまで経っても
子供にしか見えないんだ。
実際にはいつまで経っても楊令の部下。その楊令が嫌いとくれば、その部下になぞ
何の興味も持てない。
原典の108人も最後まで宋江の部下だったが、これは違う。北方水滸伝が始まる前から
名前を知っている有名人なんだ。各地に分散して大将級の人物にならなくても、存在感を
示せる。オリキャラが大きな裁量権を持たない楊令の部下のままなら、過去にやってきた
ことばかりか、名前すら忘れられる。
売れ残りキャラ大処分市の様相を呈してきてるな。
「狂え、趙仁」はよかったな。呉用も次で退場かな。
宣賛が梁山泊へ来てからの呉用は、それまでの呉用とは別人だからな。
楊令伝ではさらに変化した。方臘戦後は4度目の変化になるかもしれないが、
こんなに何度も変えていると興味は失せる。
それに方臘戦後の何もしない呉用というのは、まったく魅力がない。
武松が虎を殺す前に山中で出会った老人や、脱獄した王定六が同じく山中で出会った老人
に比べても存在感がない。蜜をかけないで食っている寒天みたいだ。
>>495 呉用の死域の伏線はやっぱ方臘がらみで消化なのかね。それだとちょっと惜しい気がする。
最後に格好付けやがって。糞爺
暗いヤツらが明るい青空の下で
小便漏らす暇もなく
面白かった!!!
・・・・笑酔亭梅寿謎解噺と腰痛探検家
先月の李英も酷いと思ったが今月の李媛はそれを凌駕するな、正直驚いたw
>>500 もう見せ場作ることすら放棄されてたなあ。
せめて荀響にはかっこよく死んでもらいたい。
荀響は呂方鄒淵ルートな気がする
張横と童猛はジワっといいわ〜
>「晁蓋、宋江、楊志、秦明、穆弘、そして李俊。みんな、青蓮寺に狙われた」
呉用「わ、わたしは・・・??」
次々に同志がやられているみたいだな。
頭領が糞だからだろう。責任とって辞任しろよ。
史上最高のすごい頭領なのに部下が次々に死ぬなんて変よね( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
水滸伝は10数巻かけて積み上げてきたものが童貫との戦いで崩れ去る快感があった。
少し童貫が強すぎたのが難点だったが、好漢ひとりひとりに思い入れがあったから、
面白く読めたな。死ぬ時に、彼の元気だった時代を多い出して感慨に耽った。
楊令伝では、死ぬ前に何をしたよ、お前?っていう感じの奴ばかり。楊令伝にはいって
からの活躍場面というのがないんだよな。
水滸伝から出ている古参キャラに関しては、「こいつはこんなに劣化しています。
だから棟梁は楊令しかいないでしょう?」という確認作業のためにのみ登場場面
が用意されていた。その次の登場場面が死ぬ場面なんだよな。
「こいつも死ぬのかー。やめてくれーー」とは思えないんだよ。何の感慨もない。
まあ楊令伝もなんだかんだで時間かけて梁山泊大きくしてくれたから、
一気にこれが崩れると思うと面白そうだな。
>>508 その辺のことで凄いのが、楊令すら同じ手法で劣化させちまったところだよな。
今回は戴宗、王進の台詞や呉用の活躍で楊令の劣化を印象づけてる回だった。
その一方でウキマイが一気に成長したり、韓世忠の異常さを印象づけたり、
もはや魅力的な人物が南宋や金にしかいなくなってきてるのが凄い。
>>501 1行ですむようなところに4行使ったりしていて、水滸伝の序盤と比較すると、
物語の進行が遅いんだよね。10頁読んでも物語がまったく進行していないじゃ
ないかと感じることがしばしばある。だから、ここ一番の見せ場を盛り上げる
ことができない。どうでもいいダラダラとした叙述が続いた後で、死んだのか
死んでいないのか判然としないような場面がポツリと出てくる。
>>509 俺の頭の中では、水滸伝18巻で梁山泊へ来た楊令は最低で、楊令伝でさらにつまらなく
なった。梁山泊の他の人物から「すごい」と言われていた楊令を、彼らの言うままのすごい
楊令として受け入れていたわけではないから、第1巻から最低の男なんだよね。
いま以上に楊令を劣化させる余地のないほど最低な奴。
>>509 どんだけ南宋や金を魅力的にしても、大半の読者は梁山泊に気持ちを寄せたままだろうから、意味ないよな。
けんちゃん的には「南宋や金にいいキャラ配置すれば読者はそっちに気持ち寄せてくれそう」とか考えてそう。
>>512 そういう気配は方臘戦の頃からあったな。楊令をほとんど登場させず、方臘・童貫・趙安に
この小説のゆくすえを託したような印象だった。
楊令が糞キャラになったから、梁山泊も客観的な存在にして他陣営のキャラと差別せず、
群像劇にしていこうかという趣向かと思った。
結果的には、「続・水滸伝」を期待していた読者の嗜好とかけ離れていっただけだったが。
>>513 方臘戦は方臘のインパクトがあまりにもデカかったから持ったけど、
今は岳飛は史実の性格そのままに弱くしただけっていう意味不明なアレンジだし、
韓世忠は何がなんだか分からないし、劉光世と張俊は史実では濃いキャラなのに
ただの優等生にされちゃったし、今一意図が分からん感じだな。
他陣営は面白みに欠ける優等生キャラが多いよね。梁山泊の新キャラは頼りなげなのが
多いけど。一癖ありそうなキャラは韓世忠のようにわけわからん人物になる。
実現できそうにもない理想に燃える梁山泊の面々。欲望、野心、保身等々の現実的だが
俗っぽい価値にこだわる他陣営の人物。わかりやすく二分すればよかったのに。
今回はそこそこ面白かったからここの流れが遅いな
オリンピックを観ている奴が多いのさ。専門スレはどこも伸びよろしくない。
自国が攻められたら怒り狂うのに、
いくら軍事的な侵略ではないとはいえ、
他国に(経済的)侵攻を始めた楊令はほんとに最低だと思う。
519 :
無名草子さん:2010/02/20(土) 13:20:38
後先考えない他勢力圏での自由市場の拡大とか、
某国の首相みたいな中途半端な戦略眼の持ち主だし。>すごい楊令
しかし楊令の不人気ぶりって、「銀英伝」のユリアンとかぶるなw
経済での侵略、楊令は何もやってないだろ。
呉用がほぼ独断ではじめてるって感じじゃなかったか。
もう3月号発売かね。
あす買いに行こう。
>>519 お前、ニュー速のミッターマイヤー氏のスレのせいで銀河英雄伝説のことを思い出しただろう
ミッターマイヤーってw
524 :
無名草子さん:2010/02/21(日) 20:10:42
今月号を立ち読みで流し読みしてきたけど
完全に投げてるね
こんな作品を掲載してる編集部の気が知れない
>>522 そうか、銀英伝か!!
スレタイに心惹かれるものがあるはずだ
楊令伝、立ち読みというかななめ読み
しょぼい終わらせ方になりそうだな
>>524 しかし半端に楊令立ててたころよりは投げてる今の方が面白いという
楊令伝になってからの楊令は苦しみ悩んでいるだけだろ。
このスレに常駐している連中よりはマシな連中の無理解のせいで。
そんな状況で、凄い!と言われているのは秦容。
なんでそんなことも理解できないの?
馬鹿なの?死ぬの?
>>527 悩み抜いてるのは分からんでもないけど、いきなり言うことは変るし、いちいちムカツク話し方するし、
あげくのはてには「凄い、楊令殿、凄い」だし、方臘はかっこいいし、趙安は渋いオッサンになるし、
これで楊令好きになれっていう方が難しい。
方臘伝にしておけばよかったんだ。
>>527 楊令伝になってからの読者は、楊令のせいで、楊令以上に苦しみ悩んでいる。
凄い楊令殿はともかく、群像劇的な傾向が強いのは、血涙の成功が大きいんだろうな。血涙では従来単なる悪役だった
遼を主人公サイドに回すというのが比較的成功してた。でもこれって北方謙三の筆致によるところはもちろん大きいだ
ろうけど、楊家将演義が日本の人口に広く膾炙してたらどうだったのかな。「遼を主人公にするなんて気に食わない」
って感想持つ人がガンガン出てきたんじゃないのかなあ。
それに血涙、ベースの部分は四郎探母まんまで、四郎探母でも蕭太后は母性的ないい人で、四郎と六郎の働きによる
宋遼和平ってネタは先行してるドラマがあって血涙が初出ではないし(最後まで殺し合うのは初出だろうけど)、
オリジナル色が強い要素って耶律休哥を四郎の父親に設定したことぐらいかな?
そういう風に考えると楊令伝の問題点は(北方謙三に古くからある傾向の筆が若干荒いというのを除くと)実験的
要素が強すぎたっていう風に纏められる気がする。メイン層である水滸伝ファンは金や方臘なんかに興味ないのにそ
こにリソース割きすぎて楊令以下梁山泊が総残念になってしまったのとかは、そこが原因な気がする。
金や方臘に言及することは不可欠だったと思うが、ページ割きすぎだよね。
燕京戦も方臘戦も、メインで闘っているのは梁山泊ではないが、梁山泊の登場人物が
関与する限度でのみ、それらの戦に言及するという制限はあってしかるべきだった。
方臘の視点はなかったが、彼の言動の詳細は呉用によって詳細に伝えられた。
あんなに方臘と童貫に集中すると、梁山泊による領地獲得の話など、みみっちい話に
堕してしまい、あほらしくて読めなかった。その後のドウカン・ファイトのつまらなさは、
このスレで散々罵られたとおり。直前の禁軍の戦の描写が長すぎるんだよ。
方臘の乱はバカバカしいカルト教団による巨大ではあるが計画性のない散発的な叛乱
という位置づけで十分だったな。
きわめて計画性の高い叛乱で、祝家荘と同じく表と裏がある。純粋な信者が表とすれば、
裏に祝家荘に潜入した荘軍のような正規兵がいる。ここまで手の込んだ叛乱に昇華して
しまったのが大失敗。
こういう計画性のある叛乱は前作の梁山泊そのものであって、これを詳細にやったがために、
楊令梁山泊は方臘軍団とも宋江梁山泊とも性格を変えざるを得なかった。変った梁山泊が
魅力的なら成功したんだろうが、現在の民主党政権よりも何をやりたいのか理解しがたい
変な集団。その迷走がドウカン・ファイトの後1年以上も続けば、飽きる罠。
>>533 史実の方臘は塩賊茶賊を背景に計画的な叛乱起してるから、その辺の扱い難しかったんだろうな。
叛乱の計画性はともかく正規軍は失敗だった気がする。童貫李明岳飛の視点を中心に、梁山泊の
描写の合間合間に延々と同じ殺戮の描写が入り続ける、とかでよかったのではとか思う。
あと方臘は韓世忠の話をオミットした意味が分からん。
まあリアリティを言い出したら田畑からの税収を政府が期待してる時点でリアリティなんて皆無なんだよ。
この時代の税収の九割は塩からで、支出の九割は塩を守る為の軍事費だからな。
とにかく楊令伝の韓世忠はまったくダメだね。韓世忠への期待が高まれば高まるほど、
「糞でも食ってろこの野郎」というわけではなかろうが、とことん韓世忠は貶められた
感じがするわ。
>>535 前作水滸伝では、そういう塩の重要性に対する配慮が十分なされていたが、
楊令伝では、塩の道を押えていた梁山泊が、宋が滅んで専売価格が崩れた
という理由で、あっさり塩の道を放棄。ここは信じられなかったな。
盧俊義や燕青の功績を無にしてまでも、楊令の手柄を作りたかったのだろうか?
塩の道を守るために致死軍の将兵はどれだけ死んだことだろう?
北京大名府で梁山泊自身の手で殺された塩の道従業者の魂は成仏できるだろうか?
だいたい価格が崩れても需要が減らないのなら、塩の供給量の調整によって
梁山泊はボロ儲けできる。水滸伝の終盤では、梁山泊は塩の出荷を調整することで、
開封府の塩の相場を操るという仕事をしている。楊令は馬鹿だから知らなかったのだろうが。
北宋は滅んだから塩の道を拡大する絶好のチャンスだったのだ。
>>537 塩鉄専売っていう古い国家のありようを壊すだとか、宋と同じような塩中心の国家運営は
そういう意図をこめてなら別によかったけど、何事も無いかのように放棄したのはかっこよかったな。
>>536 著名な史実上の人物の異常者化で一度成功して味をしめて同じことやってみたら柳の下に泥鰌はいませんでした、って感じだな。
531の言うことではないけど、これまでファンなんて一人もいなかったであろう童貫はどうとでもいじれたけど、ファンが山程
いる韓世忠を同じように扱っちゃだめだよな。
総じて意外性と天邪鬼を勘違いした作品としか思えないね。
水滸伝は日本でもポピュラーだけど、岳飛伝はそれほどでもない。
北宋末〜南宋初を舞台とする長尺の本格的時代劇は馴染みがない読者が多いから、
登場人物については、オーソドックスな解釈で書くべきだったと思う。
>>534 韓世忠の話をオミットした理由は簡単だよ。
水滸伝は史実を結構無視してファンタジーな世界観で話を進めてたのが原因。
税制の話もそうだし、軍制もそう。宋代の軍制では、禁軍と地方軍におおまかに分かれていたのはけんちゃん水滸伝
の通りだけど、禁軍と言ってもその全軍が開封府にいる訳ではない。中央の直接管轄下にある軍が禁軍。
簡単にいえば開封府から給料出てるのが禁軍。対して地方軍というのは地方の州やらから金が出てる軍。
で地方軍というのは雪風FAFみたいな犯罪者の収容場所みたいなもんで、戦闘力はろくに無くて建築に主に従事してた。
だから史実の北宋では「地方に駐屯する禁軍」というのが山程いた。あと細かくは下禁軍だとかいろいろあるけどね。
で韓世忠の出自は「地方に駐屯する禁軍」の指揮官。ところがけんちゃん世界には「地方に駐屯する禁軍」
という制度は無いので地方軍の指揮官とせざるを得ない。
こうしちゃうと史実では当たり前の話であった「韓世忠が童貫の直接指揮下だった」という現象がこの作品世界
では当たり前の話にならない。で後から不自然な言い訳を付けるハメになる。
という風に長い理屈を推理してみたけど、あそこを書いてた時には単に知らなかったという可能性はあるな。
>>541 知らなかった、忘れてた、ミスだったを鮮かに回収してくるのが北方謙三だけど、楊令伝ではどうもその辺衰えてるよな。
水滸伝の唐昇とか絶対忘れられたけど、18巻のところで超絶回収仕掛けてきたし。楊令伝でも臨安のミスの回収は上手かったのにね。
>>542 そもそも楊令伝で何をやりたかったのかがよくわからんからね。
「続・水滸伝」よりもさらに内容を絞り込んだ「楊令伝」というタイトルなのに、
一時期は楊令も梁山泊もほったらかしで、童貫や方臘ばかりを書く。
遼というすでに滅んだ国の遺臣蕭珪材を伝説の英雄扱いする。
そろそろ殺さなければならない時期がきても、梁山泊の連中は誰一人として魅力が出てこない。
ヤマ場は戦の場面であると決め付けて、そのヤマ場に向けて大味な準備が続く。
それが何度も繰り返される。ところが繰り返せば繰り返すほど、戦の場面には魅力がなくなる。
魅力のない戦だから、そこで闘っている連中に魅力があるはずがない。
新しい国づくりについても同様。魅力がない国だから、そのつくり手もその作業の過程で魅力を示せない。
なにごとにつけ、アメリカの大農園の農法のような粗雑な作品づくりだった。
前作のように、時間をかけて、ひとりひとりの登場人物にプロフィールを作り、そこからキャラを引き出し、
キャラを固めた上で、複数のキャラのぶつかり合いの中からドラマを生み出すという、
時間はかかるが丁寧に作りこむという作業がないと面白くはならない。筋も人物も粗すぎた。
水滸伝=その道30年の職人の手仕事
楊令伝=人件費が安くすむので途上国に発注し大量生産された粗悪製品
>>542 楊令伝と同時進行の独り群せずとか史記とかはめちゃくちゃ面白いから、衰えたとかじゃなくて単にやる気ねえんじゃねえのか。
やる気がないのに、この作品がいちばん長い。長いところが、またつまらない、という悪循環。
まあ1巻2巻の楊令がまずかったのだろう。契丹や女真の民から魔王のように怖れられる人間を
主人公にするのは難しい。童貫・方臘・岳飛・蕭珪材らが作品の中で大きな地位を占めるように
なったのも、1巻2巻の楊令を棚上げにしておいて、ほとぼりが冷めたら、もう少し好感のもてる
キャラに変更しようと思ったのだろうか?その楊令も能力値を高めるだけで、ちっとも面白くは
ならなかったが。
楊令が他から飛び抜けて高い能力に設定されたことが、そもそもこの作品の粗さの象徴なんだけどね。
適材適所に配置された多くの人物の協力によって官軍に勝ち進んでいった前作の梁山泊の描き方と正反対。
どうでもいいけど、もう呉用って 70 歳越えてるよな?
古くは少弐頼尚とか、最近では李富とか、けんちゃんの老い描写は結構真に迫るものがあるけど、
呉用にはまるで年齢が存在しないかのような描かれ方だよな。
公孫勝ですら老い描写あるのに、なんで呉用は老けないんだ。
1巻の幻王は読者をビックリさせるのが目的だったんだろう。
その後できれいにフォローできれば問題はなかったが、やっていることが二竜山のケ竜
と違いのない犯罪行為なんで、どうあがいても正当化できない。
よほどの変人でないかぎり、あの幻王を好きになれるはずもない。
そういう読者の思いとは裏腹に、梁山泊の原典キャラたちが楊令を頭領にと望む。
この展開が、楊令嫌いの水滸伝ファンの感情を逆撫でした。
楊令は死ねばいいと思っている読者と、楊令を頭領にしようという梁山泊の原典キャラとの
間に大きな溝ができて、原典キャラまで嫌いになる。最悪のストーリーだったな。
タイトルが「楊令伝」ではなくて、「楊令は死ねばいい」なら、内容とピッタリだったんですね?
人間ひとりひとりの力はたかが知れているから、国を倒すという大事業を行う場合、
大勢の人間の協力が不可欠。前作水滸伝は、そういう当たりまえの事理が基礎にあった。
ところが楊令伝では、楊令というひとりの人物にそれをやらせようとした。本人はそういう
立場に置かれたことに悩み迷惑がっていたそうだが、結果的に楊令はその線に沿って
行動した。そのことは、自分が頭領を辞めた後は、おまえらは馬鹿だから多数決で事を
決めろと楊令自身が言ったことでもわかる。悩んでいる、困惑しているといいながら、
悦に入っていたんだよ、楊令という阿呆は。
スーパーヒーローが地球を守るために悪の結社や宇宙人と戦うアニメは子供の頃よく
観た。「スーパージェッター」や「宇宙少年ソラン」だ。楊令伝はそれらを観ているのと
変らないアホくささがあった。
ただし、彼ら少年時代のヒーローには、あふれるばかりの正義感があった。だから、少年少女の
鑑賞に堪えうる作品になった。楊令にはそれがなかった。アホくさいだけだった。
楊令が糞という問題点があまりにもデカすぎたから分からなかったけど、
楊令に関しては最近大分改善されて、結果として他の問題点が目立ってきてるな。
>>550 旧梁山泊にいた頃は、近場の妓楼からデリヘルしてたんじゃなかったっけ?
「幻王の殺人・強盗・誘拐については、検察は不起訴としているわけでしてね。それなのにマスコミが連日
楊令殿は真っ黒であるかのような報道を流す。あの時点で、梁山泊の滅亡はある程度予測できたんですよ」
>>552 晁蓋や宋江時代も、梁山泊は表には出せないような暗い陰謀や犯罪行為を行っている。
しかし、頭領がみずから手を汚すということは周囲がさせなかった。それについては細かく
神経を配っていた。まあ、楊令を頭領として迎えることには強い反発があるだろうな。
楊令を頭領に迎えることが全員一致で決められたことも面白くない。賛成派と反対派の
二つに分裂してもよかったな。
>>553 楊令が囲っている熟女真の女が、楊令に恋慕の情を抱いていると、とってつけたような
話をいまさら出されても、改善されたとは思わない。
女真の地を去って以来、楊令は一度もその女を訪ねていないんじゃないか?完顔成に
事後を託しただけでは納得する読者はいないと思う。
もう梁紅玉は出てきそうにないよなw
女真の金持ちに対して強盗をはたらいた点に関しては、弁解をしようとする姿勢すらないなw
>>558 耶律余賭クラスの時代のVIPが無視されてるからな。
あんまそういうのは期待しない方がよさそう。
>>559 平等志向の強い人たちは、平等に配分すべき富の原資をどうやって稼ぎ出すか
については他人まかせだからね。
平等と叫んでいれば、カネが向こうから歩いてくるとでも思っている。
水滸伝の1巻では、「晁蓋も宋江も、…こういうこと(闇塩の道)で知恵が出るとは、
私には思えん」と盧俊義に言わせている。
鳩山脱税事件を見ていると、金持ちになるにはそれなりの理由もあるように思えるが、
だからといって金持ち一般の蓄財を悪とし、その財産を強取することを正義と評価
するような叙述には抵抗があったな。
太平記書いてたころの北方謙三と言えば、同性愛っていうイメージがあったんだけど、
水滸伝にホモキャラ一人も出てこないな。
南北朝モノの同性愛って、尊氏ぐらいだろ?
他では『林蔵の貌』の小太郎関係ぐらいで。
尊氏、氏直、信平、小太郎、浮羽、黒蛾ぐらいじゃねーの露骨なホモって。
楠木正成での、正成が大塔宮にはじめて会って一目惚れして胸キュンしちゃう
シーンとかも結構キてたけど。
ホモっていうか「男同士の友情」みたいのが楊令伝だと若干薄いよな。
けんちゃんの過去作って志に賭ける男が一人いて、あとそいつに賭ける
そいつの友達がいて、って感じだったのが、楊令伝だと全員が志に
賭けちゃってるから登場人物がみんな同じになって埋没しちゃってるのな。
それにしても北方謙三の作品って、これでもかってくらい腐女子受けしそうな
設定や描写に溢れてるのに、あんまりその界隈から人気あるようには見えないよな。
単純にリーチしてないって話なのかな?
>>561 水滸伝の闇塩の道は、全貌を見せないところが上手かった。肝心なところは曖昧にしていたが、
曖昧にした部分に成功のノウハウが隠されているような気がして、闇塩の道が梁山泊の人口
を養うに足るだけの実力があると、読者は想像することができた。
楊令の交易の道は全貌を見せすぎた。そんなチンケな方法で儲かるわけがあるまい、と読者は
思ってしまう。企業秘密は隠すところにありがたみがある。きれいに盛り付けられた料理は美味そう
に見えるが、それを作っている厨房を見てしまうと食欲がなくなることだってある。
「戦乱のさなかであっても、高価な玉を買う客は大勢いる」と、楊令と呉用はホクホクしていたが、
実際には、戦乱のさなかに高額な装飾品を買う客はいない。江南へ移住している民が多いのに、
玉なんて買っている精神的なゆとりはあるまい。「不景気でも、高額商品を買う客はいる」という
台詞は、マルチ商法のセールスの常套句だ。気分が悪くなった。
子午山の焼物の売り方にしてもそう。「安くしたら売れた」だ。同じ商品だったら、安い売価が
客に選ばれるのは当然のこと。わざわざ書く必要もないし、現今の日本のデフレのことを考え
ると、むしろ書かない方が賢明。
不景気でも間違いなく売れるリピート期間の短い低価格の生活必需品が、利益なしの目玉商品
に使われる。時間とカネをかけて企業が育てたヒット商品がディスカウントによって利益がなくなり、
結果的にヒット商品の座をすべり落ち売上が激減する。こんなのばかりこの20年間見てきている
のに、「安くしたら売れた」は無神経すぎる。腹が立った。
書かなくてもよいことに踏み込みすぎて面白くなくなった小説だったな。
ディテールを具体的に書きすぎて面白くなくなった。
弓矢の能力の個人差を示すのに、花飛麟は10回矢を放って10回命中させる。
B君は9回で、C君は8回。こういう叙述が多すぎたな。
楊令の多彩な才能も、実際に見せることで表現する。あらゆることを見せると、
読者の想像力によってキャラを過大評価する余地がなくなる。
水滸伝のときの童貫が神秘的な実力者に見えたのは、実力を見せる機会を
ずっと後ろに引っ張ってなかなか見せなかったから。
この点、闇塩の道の全貌を見せなかった手法と同じ。読者に想像力を働かせる
書き方じゃないと、小説に書かれたことがすべてになって、「すごい」と言われても
ピンとこない。
ヘアヌード写真にまったく色気を感じないのに、半乳が妄想をかきたてるのと同じだなw
とても長い小説なのに、オリキャラが多すぎたところが、最大の問題だろうな。
きのう水滸伝1巻をチラと読んでそう思った。
1巻で梁山泊の数名が集まって、他人の噂話をしている。その噂話の中に登場する
他人というのが、原典でご存知の有名キャラばかり。いまだ未登場のキャラの噂話
も含まれていて、きらびやかでいくら読んでも飽きない。期待感が高まるばかりだ。
30人の他人の噂話をしても、読者は原典を読んでいて、即座に差別化できるから、
混乱することもない。
ところが、楊令伝で未登場のオリキャラ30名の噂話をすればどういうことになるだろ。
オリキャラは登場して何かして初めて差別化が可能。未登場あるいは登場していても
とくに何もしていないオリキャラの噂話など、混乱するだけで読めたものではないだろう。
オリキャラは登場させるにしても数を絞って丁寧に書き込んでゆかなければ、原典キャラや
史実キャラのレベルに達しない。楊令伝はオリキャラが多すぎた。
オリキャラって、その小説の内部でしか通用しないんだよな。タイトルになっている
楊令は、本屋でこの本を見かけたり、広告で名前を知ることはあるだろう。
だけど、他のオリキャラは読んでみるまではわからない。読んだ後も、他の書物で
その名を見ることはないから、忘れていくだけ。
中学で水滸伝を読んで、高校世界史の参考書で方臘や蔡京の名前を見つけると、
むしょうに嬉しいんだよね。こういう楽しみがオリキャラにはない。オリキャラ
に作者が寄り添って育てていかないのなら、オリキャラを数だけ出すものではない。
興味を失ってゆくだけ。せめて梁山泊以外の登場人物は、史書に忠実に名前を出す
べきだった。
続編は楊令が中心になるであろうことは誰しも予想したことだ。水滸伝のラストからな。
しかし、中心というにはあまりに楊令の重量が大きすぎ、すべてを焼き尽くしたという印象。
楊令に対抗できたのは童貫ひとりだが、童貫にしたって高齢。結局、楊令のひとり舞台
なのに、それよりも劣る岳飛や蕭珪材や李富や聞煥章がチョロチョロするだけの、つまらん
物語になったな。梁山泊の他のキャラはもっとも被害が大きく、いてもいなくても同じ。
そんな存在感のない梁山泊の他のキャラがそこそこに視点を与えられて、面白くない話が
続く。口を揃えて言うことは、楊令はすごい、俺は二流。こればっかり。楽しくなるはずがない。
>>565 「秦明にトイレの重要さを語らせて、でも実際のトイレを描いたりはしないのが北方謙三のリアリティ」
だったのが、楊令伝では実際にトイレを描いちゃってる感じだな。
根本的な疑問は、どうして楊令がすごい人じゃないといけないの?
楊令がすごい人だと、どういう点で物語が面白くなるの?だったな。
つまらなくなっただけだからな。
>>565 最初に無税を実施したのは方臘なんだよな。その後、梁山泊も無税にした。
方臘のところで税率の話をしたのに、梁山泊でしないわけにはいかない。
さらに、税率の違いで、その国がどれだけ「民のための国」であるかの尺度にするようになった。
このあたりになると、もうグダグダ。方臘のところで税の話を始めたのが、躓きのはじまりだったな。
政治に腐敗があるのは、政治家・役人が無駄遣いをするから。そういう腐敗した国家を倒せば
無駄遣いがなくなって、当然のごとく安い税率になる。
この単純思考が耐えられなかったな。
どこぞの国にも、無駄遣いを無くせば子ども手当て月々2万6千円が可能なんですと公約して、
増税と赤字国債の増発を平然とやっている政党がある。
楊令伝では赤字国債の発行はないが、自ら交易をして国家財政を賄うという、マンガ展開ww
自分が儲けちゃだめだろう?民に儲けさせないと。かりに民のための国を作るとすれば、
梁山泊がやるべきことは、民を豊かにするための基盤整備。真っ先に国防の充実と和平の実現。
梁山泊は、中国を戦乱に巻き込んだだけで、平和への道は遠のくばかりだ。
税金を安くしてもらっても、戦だらけで人が死につづけていて、何か楽しいか?
最新話になってやっと「国は市場を整備して民間企業に商売させて税金を取る」っていうシステムを確立させたけど、
これまではずっと「国が主体となって商売をやる」っていうメチャクチャな話だったからな。あらゆる商売が国の専売
中国史上例を見ない究極の独裁国家だった。
結局北方謙三の中国史感が甘すぎるんだよ。穀物作ってる農民以外にロクに人間の存在が見えてこない。国の歳入の
大半が専売の上がりだったっていう基本中の基本も抑えられてないし、まるで民は農民しか存在しないかのよう。
太平記での山岳民や北海道シリーズでのアイヌみたいに非農民層を見事に描いてた過去作が嘘のような稚拙さ。
投げやりで、基礎となる構想すら見出しがたい愚作だったね。
とりあえず船を出せば、どこかに到着するだろうと、太平洋にボートで漕ぎ出したような小説だった。
行き当たりバッタリで、出てくる話や思想は戦後日本のあらゆる時期からランダムにチョイスして、
統一感を欠いた。どこを読んでも中国の物語には思えなかった。
水滸伝の朱仝が戦死した双頭山の闘い、つまり春風山・秋風山に少数の兵が篭城した話は、
203高地の堡塁を占領したが援軍も送られずに孤立した香月隊・村上隊の話がモデルかと思った。
仮に違っていたとしても、そう思わせるだけの迫真性が水滸伝にはあった。
楊令伝の闘いは、俺とスペース・インベーダーの闘いにも劣る。
ヒット作品の続編で、高収益が見込まれるから、会社側の強い要請で、
現場では準備が十分できていないのに、お正月公開に間に合うように
と急いで作られたシリーズ物映画のような感じなんだわな。
>>564 あぁ確かに、志と言うか夢を抱いた男と、自分で夢を見る事はしないけど友の夢に賭ける男、というのが基本線だよな。
『武王の門』でいくと、前者が牧ノ宮、後者が菊池武光か。
本来なら楊令が夢を抱く立場なんだけど、いかんせん暫くの間楊令視点が無かったから楊令の内面の心理描写が無くて読者が楊令に感情移入できなかったんだよなぁ。
元々、子午山から下りてきた時の完璧人間っぷりで生々しさが無くなっちゃった為に、感情移入する取っ掛かりが無かったから尚更に。
んで、そんな状態なのに見せ場も無く楊令ageしちゃったから、持ち上げ方に説得力が無くなった。
一番の見せ場としていた童貫ファイトも、あまりに前振りが長過ぎて始まる頃には飽き始めちゃった。
ようやく童貫ファイトが終わった後に楊令が夢を抱き始めるんだけど、やや状況に対応しながら手探りでやっていくという、悪く言うと泥縄なやり方だったから、読者に“夢”と認識されず。
結果、モヤモヤしたまま煮え切らない物語に終始してしまった『絶海にあらず』の不完全燃焼感が漂っちゃったな。
腐女子向けって、一部のガンガン系の月刊青年誌に見られる様な耽美なもんなんじゃない?
北方作品って基本的に汗と血の臭いと男臭さが充満してるから、そういう女が寄り付かないんだと思う。
まぁ、そっち系の絵師に絵柄だけ腐向けで中身は完全に北方作品って漫画描かせたら、世間にどんな受止められ方するのか見てみたい気もするがね。
>>581 手探りのところ「童貫に勝ってみたら、国のビジョンなんて無かったぜ」とかになって、
みんなで構想立ててく、とかだったらよかったのにね。せっかく楊令伝、いつも以上に
会話描写多い小説なんだからその雰囲気を生かして。
楊令と呉用の二人で全部、みたいな感じだと如何にもみみっちすぎる。
>>581 楊令視点が長く出てこなかったのは、いまにして思えば大失敗だったね。
楊令が普通の人ならいいが、幻王は女真や契丹の民から悪魔のように恐れられている。
それだけではなく身近にいる蔡福すら楊令と面会する前は死を覚悟する。
楊令の口からは、「黒騎兵からは抜けられる。俺を殺せばな」という言葉が出てくる。
やっていることは、皆殺しと強盗と誘拐。
こんな状態なのに長く視点を出さない。読者の興味を惹く時間にしては長すぎた。
主観描写のない悪役楊令は、仮面ライダーの悪の組織ショッカーの総統、リアル世界で
相当しうるのがオウム真理教の麻原か連合赤軍の永田。読者には楊令はそう見えた。
ところが梁山泊の連中は、梁山泊に足りないものは頭領。頭領にはすごい楊令殿以外ありえない。
この読者と梁山泊の連中の考えのギャップは埋められないよな。分裂ぎみのスタート。
楊令視点を出さないという仕掛けで楊令の真意をしばらく伏せておくにしても、
読者の気持ちが楊令から離れないようにする工夫は必要だったな。
楊令の真意を代弁する爺役か、幼馴染で楊令の本当の性格をよく知っている
恋人が出てきて、楊令は悪い人じゃないんだと読者に訴え続けるのが普通。
お前等は北方に多くを求め過ぎだw
北方作品は仕事や勉強の合間に気軽に読んでリフレッシュする為のライトノベルだぞ?
>>581 >んで、そんな状態なのに見せ場も無く楊令ageしちゃったから、持ち上げ方に説得力が無くなった。
ここは問題だったな。黒騎兵は確かに強かったが、それは遼の地方軍レベルが相手だったから。
梁山泊騎馬隊だって地方軍が相手なら常に鮮やかな勝利を勝ち取っていた。
それ以外に楊令の見せ場など、まったくない。まして頭領に相応しい言動など皆無に等しい。
楊令と初対面なはずの侯真が、「幻王でなく、楊令だ。見た瞬間から、楊令は楊令だった」と言ったのは、
意味不明だった。その侯真の独白は、「水を酒だ、と楊令は言った」の一文に続いて同一段落で
述べられている。どうして、水を酒だと言えば、楊令は楊令だったと認識できるのかも不明だ。
侯真が知っている楊令という男は、いつも水を酒だと言っている変人だったのだろうか?
第1巻の楊令(幻王)はやりすぎだったんだよ。戦場で敵兵を一兵残さず殺し尽くす。
これだけで十分だった。金持ちの財産を奪う、女を奪う、蔡福が死ぬ覚悟で幻王と会う。
むかしの同志と再会しても無愛想な口調で喋る・・・等々。少しやりすぎて読者が楊令と一体感
を持つ余地がなくなった。そんな楊令を梁山泊が必死になって頭領にと望むので、面白くなくなった。
幻王のやっていることが二竜山の山賊のやっていることと違いないからな。
宋の政事の悪いところのひとつに、山賊の横行から民を守ることをしなかったというのがある。
楊令が山賊と同じ事をして、宋を非難することなんてできないじゃないかという疑問が生ずる。
楊令は実はかくかくしかじかの理由で強盗・誘拐をやっていたんですよとあとになって説明
しても、客観的に山賊なんだから、弁解に説得力はない。
対遼戦での戦いが描ききれてなかったからなぁ。
せっかく蕭珪材という『血涙』の系譜のキャラ出すにしてもこれまた最初から完璧人間だったからなぁ。
この時に、名門の血筋で血気盛んだけど実戦経験が足りない御曹司という形で蕭珪材を登場させ、
遼軍の内部で直言をするけど疎んじられ始めている所を総帥の総帥の耶律披機が「ちょっと女真相手に実戦経験積んで来い」と辺境に派遣すると、
そこで一端暴力を突き詰めてみようと暴れ回る幻王という強力な敵がいて、北辺の軍閥・耶律大石と出会いなどもあり蕭珪材は成長していく、(同時に楊令も強力な敵を得る事で一つ脱皮する)
けれども、その分だけ遼と女真の戦争は激しさを増していく。
そんなタイミングで燕青達が楊令を探し当て、先ずは北を一段落させようと致死軍が遼への工作開始。
それによって後に燕の三将軍となる連中は遼帝に疑われる事になり逼塞し、軍の混乱で弱体化した遼は女真に破れ、
そこに乗じる形で聞煥章が燕国建設の謀略を進める。
そんな形ででもできれば、まだ楊令の成長を描けたかな〜と。
岳飛を将来の楊令のライバルキャラにする事自体は悪くなかったけど、如何せん方臘戦が終わるまでペーペーだったから、楊令と対比させれなかったのも痛かったな。
それやこれやで極悪人を頭領に戴く梁山泊の魅力がいっきに消えうせ、物語は童貫・趙安
聞煥章・方臘らを中心に展開するようになる。しかし、そこに梁山泊がからんでいかないので、
まったくつまんなくなる。
燕京戦が始まる前に、葉超と梁山泊が闘う場面なんか、ほんと申し訳に付け足した戦のようで、
その戦の存在自体が悲しかった。
呉用を方臘陣営に放り込んだのはよかったが、その後呉用が本気で方臘の幕僚になってしまい、
方臘戦は梁山泊とは無関係な戦になってしまった。
これら史実を基礎とした闘いと、フィクションである梁山泊の闘いが、水と油のように交わることがない。
その後に北宋の運命を決めるドウカン・ファイトが始まるが、水と油の印象を引きずったまま突入した
ために全然盛り上がらない。さらに連環馬や大砲という大技は方臘戦で使ってしまったため、
ドウカン・ファイトはやけに地味。地味なのにもかかわらず、作者の主観では、これが最大・最高の戦
なので、やけにもったいぶって進行が遅い。方臘戦・燕京戦も長い戦で、戦に飽いてしまっているのに、
それを上回る長くて進行の遅い戦。もう耐えられないという状況になる。
>>589 若いキャラは成長してゆくキャラにしないと、物語は作りにくいわな。
当たり前のことを、当たり前にやるだけで良かった。歴戦の勇者は、後輩を指導してゆく立場に置くべきだろう。
それなのに、19歳の楊令が最高なんですと制限を設けてしまう。
他の二世キャラは成長してゆくが、絶対に楊令を追い抜けないという制約の下での成長なので、
成長しても、ちっとも面白くない。
もっと悲惨なのは、梁山泊の古参キャラ。40代、50代という働き盛りなのに、19歳の楊令よりも
下位に置かれるという制約をかぶせられる。楊令に進言も諫言もできない立場に置かれ、
物語の中に存在する意義が失われる。これでは水滸伝ではなく、水滸伝ファンを憤激させる小説だわな。
それでも本当に楊令が素晴らしい人間なら、読者は納得しただろう。ところが、楊令に関しては
物語中盤まで視点がなくて、何を考えているものやら、幻王時代の大暴れはどういう真意に基づく
ものやら何もわからない。気味が悪いだけ。
花飛麟や呼延凌の様な、童貫ファイトで成長した軍人連中の見せ場が無かったからなぁ。
領内が平和なのは良いが、国境線では張俊とかとの小競り合いがもうちょい熾烈なぐらいが緊張感あったかなぁ。
ちょっかい出したらやくざの出入りみたく相手のとこ乗り込んでって叩き潰す、ってだけじゃなぁ。
馬泥棒に続く梁山泊と岳家軍の闘いは、無理やりねじこんだ戦という印象が強いな。
理由@ 梁山泊の会等で岳飛と楊令の闘いに興味があると公言していたのに、
岳家軍は金軍と闘うことが多く、梁山泊vs岳家軍という状況を作りあぐねていたこと
理由A 交易の話が長く続き、梁山泊の戦シーンが絶えてなかったから、そろそろ梁山泊の
戦をねじ込みたかったこと
本気で19歳の楊令を頭領にすれば面白くなると考えたのだろうか?
現在の政界にたとえると、25歳の1年生議員を、総理大臣にするようなものだろう?
綿密な構想の下に書かれた作品ではないだろう。
町内のご隠居が囲碁打ちながら与太話をしている感じだな。
596 :
無名草子さん:2010/02/27(土) 07:51:20
同時進行の他の作品は面白いから、作家としての腕が衰えた訳じゃないんだろうから、
単純にやる気が無いんだろうな。それが一番悲しい。
挿入された恋愛エピソードにしても、水滸伝ほど本筋の流れに影響しないものばかりで、
つまらなかったな。
本筋が宋の滅亡とか金の進攻という大きな事件なので、個人にふられたエピソードが
効果的に本筋にからんでいかないのな。
李富と馬桂の恋愛ドラマは、楊志暗殺に深くかかわった。宋の滅亡に比べると小さな事件
なんで個人のエピソードを本筋の流れにからめやすかったんだろうな。
楊令を巨人に見せようとしたのも、本筋が大きな戦なんで、それへ対等にからんでいける
キャラ造りを目指したのだろうが、楊令が10万の敵陣に幻王軍だけで突入したエピソード
なんかは滑稽でしかなかった。
監禁された扈三娘が聞煥章に調教されてゆくシーンは不要だったな。
楊令伝という小説は、物事には必ずある表裏のうちネガティブな側面ばかりを
書いていて、全体に暗い印象の小説になっていた。そこもつまらなさの大きな
要因だったと思う。
脅迫されてセックスに応じた扈三娘が通常のセックス以上の快感を得て聞煥章
とのセックスにのめり込んでゆくというエピソードは、話そのものが三流ポルノ並
でつまらないということもあったが、この小説の本筋と何の関係もないからな。
楊令の権力観も、ネガティブな側面からのみ観察したものだ。夢だ志だと言って
いるわりには、物事を明るく肯定してゆく人間が登場しなくて、息が詰まりそうな
暗い小説だった。
扈三娘のエピは真実の一面を捉えてはいる。恋愛の一要素ではあるのだろうが、それがすべて
ではない。昭和20年代のカマトト恋愛ドラマのような、まったくセックスを連想させない男女の恋愛
と、扈三娘のエピの複合が実在する恋愛に近いのかもしれない。
が、いずれにしても、そういうことはボサーっと20年も生きていてもわかるわけで、わざわざ活字に
する必要はない。12世紀の中国の歴史を知ろうと思えば、ボサーっと20年生きていただけでは
わからないわけで、それなりに調べなきゃならん。作家が調べてくれて、読者がそれを読めば、
目的とする情報が得られるなら、カネを出して買う価値もあるわけで、ボサーっと生きていてもわかる
話を書いてもらう必要はない。
真婉だったか、蔡福の妻。あの自殺のエピも暗かったよな。
まあ、李富と馬桂のエピも暗かったが、ちゃんと次のエピに繋がっていったから、
許せた。楊志一家の明るい団欒の様子と、鮮明な対比になっていたところも秀逸だった。
だが、真婉の自殺は、ただ暗いだけ。
冒頭で殺人・強盗・誘拐をしていれば、明るく登場できるわけがない。
鳩山首相がいつも暗い表情で国民の前に姿を現すのといっしょ。
主人公に陰気な犯罪をやらせれば、それなりのスケールの小さい物語にしかならないよ。
>>601 >李富と馬桂のエピも暗かった
>楊志一家の明るい団欒
何のための暗さか、何のための明るさかを考えながら書いていたのが水滸伝だった。
簡単にいうと、人相のいい役者が善玉をやり、人相の悪い役者が悪役をやるのと同じ。
読者に梁山泊へ肩入れしてもらおうと思うと、そうならざるを得ないわけよ。
ところが、楊令伝では、善悪なんて一方的に決められることではないんです、ということになった。
それまで比較的善玉扱いされることの多かった梁山泊の面々が、悪事の限りを尽くす。
幻王は最たるものだが、武松や孫二娘も、あまり意味のあるとは思えない殺人を繰り返す。
悪玉で暗く描かれていた青蓮寺の李富が、風光明媚な湖上の小舟の上で、王安石の夢を
実現すると誓う。構成を逆転させただけの中二病糞小説になってしまったな。
>ところが、楊令伝では、善悪なんて一方的に決められることではないんです、ということになった。
楊令伝のように膨大な数の人物が登場する小説でやるべきことではなかったな。
水滸伝も登場人物の数は多かったけど、梁山泊側と宋側というように二分されていたから、
そういうことをやっても混乱が少なかった。
ところが、楊令伝では北宋は滅亡するし、梁山泊以外にも、金・方臘・旧宋系軍閥・南宋と
多くの陣営に細分化される。さらに、登場人物も原典からの人・史実の人・オリキャラと出自が様々。
最低限、梁山泊と青蓮寺だけは、前作からの性格を引き継がないと、わけがわからなくなる。
>>604 3年前に梁山泊が一度は滅びた。18巻で梁山泊に来た楊令が明るくはあったがフワフワとした
軽さがあって不評だったので、少し重厚さを出す必要があった。
こういう事情から楊令伝1巻は、少し暗いイメージになったんだろうな。
しかし、その後の梁山泊は人が徐々に増えて発展してゆくのに、相変らず暗い事件が多い。
水滸伝の前半が、躍動し発展してゆく梁山泊の力強さ・明るさに満ちていたのと対照的だった。
結局、第1巻で行った頭領予定者による犯罪という暗い影を引きずったまま10数巻まで
きてしまった。
4巻ぐらいで楊令を死なせ、方臘戦後は、楊令抜きの陣容で、梁山泊は邁進すべきだったな。
いちどやってしまったことは、あとになって屁理屈を言っても無駄なんだよな。
よほど説得的な理由があれば別だけど、通常、非戦闘員の皆殺し、強盗、誘拐を
正当化するのは困難。
それでも楊令を梁山泊に連れ戻すことは必要だったろう。あんなものを世間に出しておけば
皆様にご迷惑をかける。一兵卒に落とし、梁山泊の牢屋に3年ばかり拘禁しておくんだったな。
,..--‐‐‐‐‐‐‐‐---..
/::::ヽ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;)
|::::::::::/ ヽヽ
.|::::::::::ヽ ........ ..... |:|
|::::::::/ ) (. .||
i⌒ヽ;;|. -=・=‐ .‐・=-.|
|.( 'ー-‐' ヽ. ー' |
ヽ. /(_,、_,)ヽ |
._|. / ___ .|
_/:|ヽ ノエェェエ> | 皆殺しがどうしたっていうんだ?
:::::::::::::ヽヽ ー--‐ / 俺はやめんからな。ありがとあーした。
::::::::::::::::ヽ \ ___/
609 :
無名草子さん:2010/02/27(土) 21:23:10
北方の親父、日本であれ中国であれ戦国史ものに飽きたんじゃないのか?
同時期に連載していた望郷の道、引き込まれたぞ。。。
>>609 時代ものでは史記も独り群せずもクソ面白いよ。
単に楊令伝がやる気無いんだろう。
611 :
609:2010/02/27(土) 22:25:37
>>610 史記も読んでるけど、楊令伝よりはまだ読めるかなって程度なんだよなあ。
相変わらず騎馬隊が活躍してるよって感じで。
「独り群せず」 戦国ものではなく、幕末を背景としたお得意の短編ハードボイルドだから
面白いのかな
血涙も良い作品だったんだけど、そこで騎馬隊フェチが悪化したのがなぁ。
史記は実際に騎馬隊活躍した時代だから、騎馬隊ばっかでも面白いんだよな。
匈奴側の登場人物も凄く魅力的だし。
ところで凄く不思議なんだけど、けんちゃんの中国史ってなんで弩が出てこないんだろうな。
614 :
無名草子さん:2010/02/27(土) 22:52:33
一連の北方太平記で騎馬隊の魅力に取り付かれる。
日本が舞台では描けるスケールが非常に小さい、で、舞台を中国に移す。
が、ここ10数年なんだろうけどさ。
いや、騎馬隊を描くことが悪いことじゃないんだよ、でも武器とか車の描写にばかり
ページを費やして、どの作品もおなじになっちゃった、晩年の大藪晴彦みたいでね。
>>613 単純にドラマが作れないからじゃない?
砲兵ですら、出したはいいけど、うまく運用できてないからなあ
そういや、童貫ファイトの終盤で宋禁軍を包囲する形になった時に郭盛の陣の後ろの丘とかから大砲並べて砲撃しまくっても良かったよなw
南北朝期では、北畠顕家の軍団の高速運用を高師直が真似て、以後流行った。
楠木正儀が短い矢を使った山岳奇襲戦法を開発したりすると、これもまた師直
が真似たりして、流行った。
中国では基本的には、騎馬隊を有効運用する北方系の集団と、弩と舟でこれに
対抗する南方系の集団という基本的な構図がある。
単に北方謙三はこれらの事実を知らないか、知ってて無視してるかなんだろうし、
戦闘描写が史実に沿ってるかとか北方謙三の小説に求めるのは不毛だろう。
楊令伝の問題はそんなことじゃなくて、熱い男が一人もいないことだろうと思う。
そんな北方謙三の作品に何の魅力があるんだか。
さらにいえば文章もあまり美しくない。同時連載の史記は、騎馬隊やら登場人物
の出てきかたとかが完全にパターン化されてるけど、さすが純文学出身と思わせ
るような綺麗な表現が多々出てきて、ちょっとした一言に泣かされるようなこともある。
ところが楊令伝にはこれもない。
>>617 確かに全員なんか白けてるよな。
熱かったのは方臘ぐらいか。
>>613 矢は自軍の騎馬には絶対に当たらない、というルールがあるんだよw
>>617 さらに出だしの幻王が悪すぎた。
第1巻の幻王
力道山が反則技を連発して外人悪役レスラーを殺す。それだけでは飽き足りず、
観客をも皆殺し。金持ちらしい観客の懐の財布を盗み、観客の中のいい女は手篭め
にして囲う。そんな力道山を民主党が「ぜひ党首になってください」と全員一致で懇願。
力道山は民主党の党首になる。こんな話。
第2巻の幻王
第1巻の悪事について国会から証人喚問されるが、ひとことも喋らない。弁護士燕青
が殺人・強盗・誘拐の事実に関して、でたらめな言い訳をする。
国会に証人喚問された政治家ぐらい国民から嫌われる魅力のない人間がほかにいるか?
そんな主人公が「すごい」と言われ続ける不思議な小説が楊令伝。
史実ベースの部分と純然たるフィクション部分(すなわち梁山泊の部分)のブレンドが上手くいかなかったな。
せっかく楊令を女真へ行かせたのに、その後は女真と梁山泊の繋がりを断ち切ってしまったのが最悪だった。
第2巻で楊令は、女真の力を利用して宋を倒すと言っていたのに、結果的には、梁山泊
はほぼ単独で童貫軍を倒し、その後の開封府攻撃を金軍単独で行うという、つまらない展開になった。
この時代を動かした最大のエネルギーは女真族なんだろう。楊令を金へ行かせたのは
正解。梁山泊は金と協力して北宋を倒すが、その後の統治を梁山泊と女真だけでやる
のは無理。宋の中には、青蓮寺の他に、新しい国づくりを目指す新官僚グループが形成
されている。それと梁山泊を組ませて斉を建国する。何年かは蜜月時代が続くが、徐々に
考え方の違いが明確になってくる。この対立と金国内における撻懶と粘罕の対立を結合
させる。結局、斉は廃止。梁山泊は抵抗して金軍と闘うが敗北という流れだろうな。
その前提として、宋の保守派を形成しておく必要がある。南宋は宋の帝室に繋がる人物を
立てて建国したのだから、新しい国なんて作っちゃだめだ。理解しにくいばかりでなく馬鹿だ。
保守派の中心が軍(童貫)と青蓮寺。当然のこと。読者の日常の経験や歴史を勉強して得た
知識と抽象的に重なる物語を作らないと、作品が理解されるはずがない。その意味で、李富
が新しい国づくりを目指したのは最悪。童貫を保守派にしなかったのは馬鹿。
青蓮寺が新法党ということで保守派にすることに抵抗があったのかもしれないが、旧法党と
新法党の争いは保守派内部の抗争だ。
青蓮寺が新しい国づくりを始めてしまったことで、梁山泊の存在が目立たなくなってしまった。
ここも大きな失策だと思う。
童貫が帝大事でなかったことも、李富が新しい国づくりを目指したことも、そういう
ことをやると、他のパーツにどのうような影響を与えるかを、まったく考えないで、
書かれているような気がしたな。
主役は梁山泊。その梁山泊が宋を倒して新しい国を作ろうとしているのに、倒される
側の中心人物が新しい国づくりを目指したのでは、わけわからん。物語にならんだろうw?
童貫は異常者と設定した以上視点はつけるべきじゃなかったんだろうな。
童貫視点は常人には理解し難い感覚が延々と綴られるだけで、話がだれる。
同じく異常者の方臘は視点がついていなくて、より印象が強いキャラクターになった。
個々の視点や登場人物のキャラクターの問題もあるのかもしれないけど、
そもそも続編を書いてはいけなかったのかな。。。
ここでは殆ど批判されることの無い水滸伝も、楊令の成長を描かなくてはいけないために
後半はグダグダだし。
楊令の成長と活躍は水滸伝のエピローグとしての1〜2巻程度で終わらせておけば
良かったのに。
風呂敷を拡げすぎて収集がつかなくなっちゃてるな。
625 :
無名草子さん:2010/02/28(日) 21:42:02
フィクションとはいえ、歴史というものが厳然として存在する以上、
国に替わろうとした集団を待ち受けるのはバッドエンドしかないわけで。
読みたいのはさ、その集団もしくはその集団を構成する人物の屈折した心のありようとか、
成長の過程、その中での人の営みなのよ。
いったん挫折したとはいえ、出来上がってしまった組織の話を、延々と語られるのは
結末が滅びしかない中でつらいな。
>>623 水滸伝時代は異常性がまだ低かったから、部下思いで清廉潔癖な童貫は、蔡京や高Qとは違うぞ、
というので人気が出たんだと思う。その意味で、童貫視点は役立っていた。
楊令伝の童貫は、無理して読者が期待する方向、というかこの手の物語で当然に童貫に期待される
キャラクターから遠ざけようとしていた印象がある。結果的に一般に童貫に期待されるキャラにしな
かったというだけで、斬新な童貫像を作ることには失敗した。はじめから異常人として書く予定ではなく、
新しいキャラを創造しようとして失敗しただけのキャラクターだと思う。それゆえ、異常人に見えるだけ。
童貫も楊令と同じで統一した性格を感じられんな。
「決めてから書け。書きながら決めるな」の法則を徹底してもらいたかったな。
逆転の発想でキャラ作りをして、呂布と武松で成功しちゃったんだよな。
楊令と童貫でも、同じ逆転の発想でキャラ作りをしようとしたのかどうかは知らないが、
楊令伝を読む限り失敗だったな。
呂布は貂蝉と陳珪・陳登と高順との関係で性格を変更し、赤兎との物語を濃密にして印象が良くなった。
武松は潘金蓮との関係で両者の性格を逆さまにすることによって成功した。
いずれもパーソナルな点で性格の変更をしただけだから、上手くいったのではないかな。
梁山泊の頭領になることが予定された楊令、宋禁軍の元帥として国を背負う立場にある
童貫の場合、私的な面よりも、公的な面に読者は注目する。そういう立場にあるキャラは、
期待される役割が定型化されている。各国元首の公的な立場における発言はかなり定型化
されていて、定型化された中でわずかな個性の違いを出せるにすぎない。
定型化された枠からはみだすと、フセイン・ガダフィ・金正日のように、異常者としかみなされない。
トップにいる人物は、宋江・晁蓋・盧俊義のように、期待どうりの役割を果たすべきだ。
それでも、この三者の個性は書き分けられていた。水滸伝はそのあたりが良かったのであり、
楊令伝は、そこが出来ていない。
>>624 楊令がラスト近くになって梁山泊へ来てから、物語の展開が拙速になったような気がするな。
林冲を死なせて後釜に楊令を据えるなどは、その典型。
水滸伝の序盤で、いちどは少華山の頭領になった史進が、その重責に耐えられず、子午山
送りになったような成長記録はスルーされた。子午山に長年いたというだけで、宋江の次の
頭領としての資質に欠けるところはないというのでは、話が出来すぎていて面白くないな。
>>625 金と梁山泊を緊密な関係に置くということが、結末を隠すためには不可欠だったんだよね。
斉の廃止によって、北が金国で、南が南宋となる。ここは動かせない。
展開からすると、青蓮寺が南宋になることは予想できた。梁山泊と金国の関係が緊密ならば、
梁山泊単独の国が残るという展開は有りえないが、金国の中に梁山泊の面々の活躍場所が
残される可能性はあった。あるいは、楊令が金の帝になるという想像も不可能ではない。
また、選択肢の中には、もちろん梁山泊の滅亡という筋書きの可能性も残る。
展開予想の選択肢が三つぐらい出てきて、読者は「どうなるのだろう」とワクワクしながら読めた。
だが、楊令伝は、そのような展開にならなかった。
金国との関係が薄くなった時点で、梁山泊の滅亡以外の筋書きはなくなる。想像の可能性は一つ
に絞られる。これで、面白いわけがない。下手なドラマ展開だったと思うね。最悪だ。
楊令が女真の地を離れ梁山泊へ帰った頃から、強引に金国と梁山泊を引き離そうとする
展開にもっていったよな。その前に、呉乞買が梁山泊の傀儡ではないかと思わせる箇所
もあったが、ただちに忘れられて、金国と梁山泊は疎遠になっていった。
いったい何を考えているのだろうと不思議だったよ。
>>632 その頃は、すごい楊令殿が、金軍の力を借りずに、単独で童貫軍を倒しましたよ。
どうです、楊令はすごいでしょう?と、幼稚園児が運動会で1等賞だったことを自慢
する親バカ状態に作者があったのだろうな。
楊令をすごい人に描くこと以外、何も考えていなかったと思うよ。
方臘戦の開幕には梁山泊も一役かっている。わざわざ方臘戦の開始時期を早めた
のは、燕京戦へ向かう宋禁軍を二手に分けて、戦力を殺ぐためだった。それが、後に
童貫と闘う梁山泊にとって利益になるからだ。
ところが方臘戦・燕京戦が終ってみると、童貫軍の兵数は、戦前よりも増加した。
「どうです、こんなにたくさんの童貫軍を、楊令ちゃんが倒すんですよ。すごいでしょう?」
ここでも親バカ丸出し。見てられないバカっぷりだったなww
>>631 梁山泊だけが現在よりももっと小さくなって金国の領土内で細々と生き残るという可能性はあるぞ。
それだと実質滅亡と異ならない。邪道だ。
>>632 呉乞買を梁山泊の傀儡にするというのは、女真と梁山泊の一体性の原則を崩さないから、
それはそれでひとつの卓見だった。しかし、そこを曖昧にして、女真と梁山泊はどんどん
疎遠になった。幻王軍の兵士は全員女真族なんだが、4巻以降それに触れられることはなくなった。
梁山泊も金国も岳家軍も張家軍も南宋も、横に並列になって、それぞれが新しい国を目指す
バラバラの単位になってしまった。同盟関係も、金と梁山泊、岳家軍と張家軍の間に、
ゆるやかな相互不可侵条約があるのみで、共同して闘うといった強い軍事同盟はない。
そういうことを考えるのも面倒だったのか、考えて書いても翌月に忘れるから複雑なことは
やりたくなかったのかは知らないが、まったく構想のないバラバラの戦闘単位の闘いを、
グダグダやっている児童向けマンガのようになってしまった。
結末の予測を困難にし、梁山泊の未来に読者の希望をつなぎとめるには、最低限、
金国と梁山泊の一体性はなくしてはならなかったな。
>>632 呉乞買を梁山泊の傀儡にするというのは、女真と梁山泊の一体性の原則を崩さないから、
それはそれでひとつの卓見だった。しかし、そこを曖昧にして、女真と梁山泊はどんどん
疎遠になった。幻王軍の兵士は全員女真族なんだが、4巻以降それに触れられることはなくなった。
梁山泊も金国も岳家軍も張家軍も南宋も、横に並列になって、それぞれが新しい国を目指す
バラバラの単位になってしまった。同盟関係も、金と梁山泊、岳家軍と張家軍の間に、
ゆるやかな相互不可侵条約があるのみで、共同して闘うといった強い軍事同盟はない。
そういうことを考えるのも面倒だったのか、考えて書いても翌月に忘れるから複雑なことは
やりたくなかったのかは知らないが、まったく構想のないバラバラの戦闘単位の闘いを、
グダグダやっている児童向けマンガのようになってしまった。
結末の予測を困難にし、梁山泊の未来に読者の希望をつなぎとめるには、最低限、
金国と梁山泊の一体性はなくしてはならなかったな。
638 :
無名草子さん:2010/03/03(水) 12:25:36
楊令が幻王の昔に戻り、朝鮮半島を襲撃して、半島にあるすべてのパソコンのF5キーを
破壊し尽くす戦をやるなら、楊令を許す。
639 :
1/2:2010/03/03(水) 13:16:01
>>629 俺も、呂布と武松の性格逆転は上手くいっていたと思う。だが、楊令は失敗だな。
楊令伝が単行本1〜3冊程度で終る小説なら、主人公の性格をどのようにしようが
読者に違和感はないんだ。短い小説は、ふつうそういうものだ。
しかし、楊令伝は15巻。楊令ひとりに焦点を当てて、主人公の行動・心情・性格を
深くえぐっていくタイプの小説ではない。
登場人物は膨大な数にのぼり、それらを個性的に描こうと思うと、中心人物は、ある
程度、読者が慣れ親しんだタイプのキャラクターにしないと、全体のまとまりが悪い。
横綱に品格が求められるのと同じだ。宋江・晁蓋・水滸伝の童貫は、この点が上手く
いっていた。だから、それ以下の大勢のキャラを個性的に描くことが可能になった。
640 :
2/2:2010/03/03(水) 13:19:49
呂布と武松は重要人物ではあるが、劉備・曹操・宋江らに比べると、物語の中心人物
とまではいえず、重要度はワン・ランク下がる。つまり、個性的に描かれたその他大勢
の中のひとりにすぎない。
北方三国志の劉備と曹操は、北方らしい新しさはあったが、それでも従来の劉備と曹操
のイメージを逆転させることまではしていない。それをやると三国志ファンはソッポを向く。
北方水滸伝の宋江と晁蓋も同様だ。読者が慣れ親しんでいる主人公のタイプからはみ出して
いないから安心して読めたんだ。
楊令を主人公にすることは間違いではないが、頭領にすることにはまず年齢の点で違和感
があった。幻王の言動も、従来の大長編の主人公にはないタイプだった。
それゆえ、物語全体が安定感を欠いた憾みがある。
楊令の性格は、前作水滸伝と大幅に変更すべきではなかったし、頭領にするなどもってのほかだったと思う。
すばるは1月号までしか読んでいないので、比較的ネタばれの多いブログの記事を参考にして、
2月号、3月号の感想を書いてみるわ。
>「見ておけ、これが、梁山泊の漢の、死にざまだ」
水滸伝から累計すると、すでに100名以上の人物(名無しを除く)の死に様を読んできたので、
この手の台詞が心に響かなくなってきたな。まるでパチンコ屋の開店をアナウンスして回る
宣伝カーのように感じる。
これは北方謙三が上手いとか下手というような問題ではない。まして、読者が飽きっぽいとか
粘り強いという問題でもない。客観的に、この物語は長すぎるのだ。長いわりには、戦死場面に
変化がないのだ。
日本の戦国時代の長尺小説を読んでいると、分国内で行われていた、まだ鉄砲を多く用いない
初期の戦闘と、関ヶ原(野戦中心)、大坂の陣(攻城戦中心)とでは、戦の様相が変化してくる。
水滸伝〜楊令伝は、単に戦の規模に大小があるにすぎず、常に騎馬隊中心の戦闘であることは、
一貫している。その点で、長尺の戦国小説よりも退屈なんだな。
史実に拘泥することなく、大砲等の新兵器を重視して変化をつけるべきだったな。
12世紀と16世紀の違いがあるとはいえ、戦国時代の日本は半世紀で大きく変化する。
それゆえ、戦国時代を舞台にした小説は、大長編でも飽きないんだよな。
それにひきかえ、アジア的停滞の代表選手、中国人は進歩がないわ。
馬鹿の一つ覚えのように、騎馬隊、騎馬隊。
3月号では、水軍も闘ったみたいだよ。
>>642 鉄砲と南蛮交易というきらびやかな要素も入ってきて激しく変化するよな。
物語のスタートが1101年なのに変化に乏しいな。
西域・イスラムの要素を、もっと盛り込めば、変化は出せると思うがな。
南宋の各地には北宋の頃から、イスラムの居留区域が各地にある。
理想郷を作っていこうという物語に、魅力を感じる読者が減ったんだろうな。
理想郷としてリアリティが感じられるのは、無人島に流れ着いた15人の少年が
作った小さな理想郷か、せいぜい村単位の規模のものだ。
国の規模でこれをやられると、財政破綻した実例しか知らないから、アホらしくて読めないんだ。
梁山泊に財政破綻はないという設定で語られると、空想阿呆小説になってしまうしな。
しかも、その指導者が、俺は天才だから独裁が許されるが、俺が頭領を辞めた後は、
多数決で物事を決めろと言われると、もう肚が立って読めたものではない。
李英が死んだらしいな。父親も地味だったが、息子も地味だ。それだけ。
方臘って人気があるんだな。
たしかに戦場で前に出た場面は良かったが、方臘のキャラが良いというより、
楊令伝の戦闘場面の中では、唯一筆がのっていた場面といった方がいいような気がする。
あとは毎回生肉を食っていた退屈なオッサンというイメージしかないな。
生肉の味付けは毎回変えてあるなんてところは、ほんとウザいわ。
食い物なんか食ってなんぼのもの。小説内で食い物の味付けを変えようがどうしようが、
どうでもいいわ。
音楽と料理から受ける感動というのは文章化しにくいものだな。
読まないで批判できる人ってカッコイイヨネ〜。
音楽と料理から受ける感動を全編にわたり美化した文章って、ほとんど詐欺だよな。
映画や小説の感想もほぼ同じ。基調は腐しつつ、良いところは褒めているものだけは
信頼できる。
結局、金と南宋に挟み撃ちされて、梁山泊滅亡か。
まあ予想どおりなんだが、梁山泊国という独立国を作ったのは面白くなかったな。
そういうのを作るのなら、別に北宋末〜南宋初のこの時期を舞台に選ぶ必要が
なかった。もう少し、この時代の歴史に梁山泊を組み込んでもらいたかったな。
「狂え、趙仁。長江を渡った信徒の軍が童貫に無視されたことに、誰も疑問を差し挟まなかった
あの時代を思い出すのだ」
>>645 いくつもの国に分裂している状態なんだから、そのなかのひとつである梁山泊が理想郷を
作るという話はあってもいいと思うんだ。他の国がもう少し早い段階で、19世紀の列強の外交
のようなシビアな政治感覚を見せてくれれば、面白くなっていたんじゃないかな?
横一列にならんで内政を争い、その成果を税率によって示すという話じゃなくてさ。
戴宗も張横も死んだんだな。結局、通信の道は、楊令伝でも残したというだけの
存在にすぎなかった。通信網が切断されて宋江が危機一髪とかの面白いエピソード
はなかったね。
飛脚通信網が完成してしまうと、次にはそれが切断されて機能不全に陥るエピソードしかないわな。
単行本単位で感想を寄せてるブログだと、6巻の扈三娘あたりから、この作品に対する
評価がぐらつきはじめ、ドウカン・ファイトで飽きられたというパターンが多い。
俺は4巻の「楊令すごい」の嵐で嫌になったが、ドウカン・ファイトが面白ければ、熱心に
読みつづけたかもしれないな。
ドウカン・ファイトは、基本的に梁山泊と童貫軍の二極対立で、終盤になってやっと金軍
が登場した。二極対立ということになると、水滸伝17〜19巻の闘いとの比較にならざるを
得ないが、まだ原典の好漢がキラ星のごとくにいて、彼らが次々に戦死してゆく水滸伝と
比べると、もうしわけないが面白さのレベルが1桁落ちたな。
何考えてんのか分かんないリーダーって足利尊氏の二番煎じだしな。
史実どおり、金軍が主体となって宋と闘い、梁山泊が金軍に協力するという形態でもよかったと思う。
それまで宋を倒すことが梁山泊の志だった。ところが、方臘戦・燕京戦で弱体化した宋軍を、金軍が
襲撃する。梁山泊としては志の実現が第三者によって邪魔されることになる。梁山泊は金軍と共同
する以外には志を遂げることができない。そこで、梁山泊と金軍の同盟。
その結果として待ち受けているものは、金軍による開封府における暴行凌虐に唖然とする梁山泊の姿。
とてもじゃないが梁山泊の志とは相容れない。しかし、暴行凌虐が大好きな楊令は、「金軍すごい」を
連発。金軍との同盟を破棄しようとしない。→旧同志によってなぶり殺しにされる楊令。END
そういう展開はありえないだろうw
楊令が同志に殺されるなんてw
幻王の第1巻の大暴れによって、物語の自由な展開が大幅に制限されたということよ。
それと何でも形式的な表と実質を支配する裏に分けるという構造から早く脱却すべきだった。
宋の廷臣と青蓮寺、祝家荘の人々と荘軍。このあたりまではいい。まだ平時だから。
北宋の滅亡する靖康の変まで、これでやってしまった。
表の金軍は飾り物で、裏の梁山泊が実質部分である童貫軍に止めを刺した。
こういう形式と実質に分けるやり方って、国の滅亡というようなスケールの大きなシーンでやると
ヘンだよね。
おかしいんだよな。梁山泊は何もしなくても、史実では金が宋を攻めるんだから、
金と宋を戦わせ、梁山泊はその間、高みの見物をしながら、交易でも何でも、
好きなことをやってりゃいいだろうw?
>>658 そもそも楊令が女真で闘っていたのは、金の力を利用して宋を倒すのが目的だったんだからな。
申し訳のように後から金軍が出てきたのでは、利用したことにならない。
燕京戦のときと同じ構造になってしまうが、金軍に北で宋軍の半数と闘わせるのよ。
そうすりゃ梁山泊の闘いは楽になるだろう。
幻王=楊令=呉乞買 ・・・ 梁山泊と女真は一体
呉乞買を傀儡化 ・・・ 金は梁山泊の傀儡
同盟関係は曖昧化 ・・・ 金は宋との同盟を破棄した。通常、梁山泊との同盟を曖昧にするようなことはしない。
宋滅亡の土壇場で金軍参戦 ・・・ ゆるやかな軍事同盟
金と梁山泊の関係は、迷走に迷走を続けたな。
形骸化していた宋金同盟を破棄したばかりの金国が、宋と敵対している梁山泊との
同盟関係を強化しないというのは、異常事態だと思う。
梁山泊と女真の関係は、きわめて理解しにくかったな。
遠交近攻策は外交の基本のひとつだし、敵の敵は味方というのは子どもでもわかる道理だからな。
最近は高校で漢文をやらないところがあるのかもしれないが、俺らの頃は十八史略などは高校で
やった。そこで得られた知識が小説の中に出てくると嬉しかったもんだ。
中国の小説らしくするためにも、中国の古典に出てくる話は、ふんだんに引用すべきじゃなかった
のかね?
とくに青蓮寺は科挙合格者なんだろうし、朱貴や樊瑞でさえ、科挙合格を目指して勉学に励んで
いたわけだ。中国では故事を用いて政治を語るのが普通。科挙と無縁の人々でも、もっと故事を
引用しないとな。その点、物足りなさを感じたし、中国が舞台という空気感がまったくなかった。
原典の存在した三国志・水滸伝との大きな違いはそこだな。三国志・水滸伝には、まだしも中国の
物語だという空気感が伝わってきた。
>>665 そういう知識自慢オナニーは北方じゃなく、田中芳樹とかに求めたほうがいいんでないの?
古典や歴史知識の無い現代人にもすいすい読めるのが売りなんだし
史進とか唐昇とか、明確な構想があって生きてるんじゃなくて、単に殺し損ねたから生きてるだけなんだろうなあ。
唐昇は耶律余賭がいない穴を塞ぐ為に生きている、そう信じていた時期もありました。
>>667 史進については梁山泊の会で成長キャラとして描いているとおっしゃっていた。
なるほど、水滸伝の史進は成長の過程がうまく描かれていると思った。
ところが楊令伝の史進は、劣化キャラとしか言いようがない。
言葉遣いは王進と出会った初登場時よりも悪い。まるで一日中ギャンブルをして、
すられて、なけなしのカネでワンカップ大関を買い、自販機前にすわりこんで飲んでいる
糞DQNのオッサンみたいだった。楊令伝の史進については、読むたびに嫌悪感が
増幅していったな。
>>666 知識自慢が過ぎた小説は読む気が失せることは認めるが、楊令伝の古参キャラの劣化ぶりは、
>>668の言うように、たぶん読書するようなタイプの人とは無縁の糞DQNを出してくることなんだわ。
楊令伝の史進や聞煥章や扈三娘や杜興や孫二娘や武松や、言葉遣いが糞な童猛レベルのDQN
に親近感を抱くような人が、三国志や水滸伝を読んでいただろうか?
原典水滸伝の登場人物も、DQNといえばDQNに違いないわけだが、こちらはコミカルに描かれて
いるから親近感が持てた。楊令伝はシリアスなタッチでDQNを描くから、登場人物に共鳴できない
んだろうな。自分と重なる部分はおろか、自分の人生のある時期と重なる部分もなく、知人のなかにも
ちょっといないような糞DQN。リアル世界ではなるべくかかわりをもちたくないような人間ばかりに
なってしまったからな。水滸伝のときはそうではなかった。
原典は、DQNも多かったけど、軍人、役人、保正、商人など、普通に働いていた好漢が
社会からはみだして梁山泊へ入った。その連中が上層部を占めていたから、楊令伝
梁山泊のような緊張感を欠いたバカは少なかったな。
楊令伝梁山泊の連中の中にも、むかしは働いていた奴もいたわけだが、すでに30年
以上戦争ごっこばかりやっているから、まともな言葉遣いもできなくなったんだろう。
つきつめると、戦争ごっこ阿呆馬鹿ニート。働けよw
>>668 寂しいから口調は荒くなるけど、でも実はやさしいおっさん、とかそんな感じにしたかったんだろうな。
内面描写が足りなすぎだアホが、という風になってしまったが。
梁山泊の会では、史進は趙雲のような男だとおっしゃっていた。たぶん北方三国志の張飛の
ことなんだろうが、思いが届かず、とてもじゃないが張飛のような男に見えなかったな。
客観描写で馬鹿っぷりが繰り返し描かれるだけで、主観描写が少ないから、ただの馬鹿にしか
見えない。
楊令は別格の共鳴できないキャラクターなんだけど、それ以外のキャラの中にも
感情移入できそうな人物がいなかったのが、楊令伝がいまいち盛り上がらなかった
原因なんだろうな。安道全のように変人で自分と全然違うタイプでも、傍で見ていて
面白いという人物すらいなかった。
とんでもない馬鹿ばかりを見ていたから、燕の三将軍のように、礼節をわきまえた言語体系で
会話するキャラが登場したときは、砂漠でオアシスを見つけたぐらいにホッとしたよ。
ただそれだけなのに、いつのまにか蕭珪材が軍神に祭り上げられたのには驚いたがw
>>600 扈三娘と聞煥章のシーンを嫌っている女性ファンは多いな。
団塊世代特有の女性観として非難轟々だ。
だが、団塊世代がどうしてかくも偏った女性観を持つようになったのかについては、彼らが育った
時代背景を理解してやらなければならない。
日本で本格的にポルノ映画の量産が始まったのは、昭和36年ぐらいからじゃないかと思う。
その後、映画産業は斜陽の一途をたどり、街の小さな映画館は値段の高い名作を敬遠し、
安いポルノ映画専門館に転業していった。つまり、団塊世代が思春期を迎えた頃には、近所に
ポルノ映画館が林立し、わいせつなポスターがところかまわず貼りまくられていたわけだ。
そんな彼らは「監禁」という文字を見ただけで、性的なイメージしか連想できなくなり、監禁した
密室に男と女がいれば、やることは他にないと考えるようになったのだ。
団塊世代とは、映画産業の斜陽化が招いた偏狭な性的イメージしか連想できない被害者である
とも言えるのだ。
そんなあなたはビニールを剥がす瞬間に性的昂奮を感じるビニ本世代ですか?
>>673 「あーそうだよねー。俺にもこういう経験あるよ」と思える場面がないと、のめり込めないわな。
なんか水滸伝の終盤から急いでいるような感じはするね。実際、4ヶ月で単行本1冊ペース
から3ヶ月で1冊ペースに早まっているわけだが。それでも、水滸伝終了までは、なんとか
乗り切れたねと思った。楊令伝は、2巻あたりでもうグダグダした感じになっちゃたな。
どの人物も共感できる場面がない。重要人物が死んでも全然悲しくない。
彼らに殺される名無し庶民が気の毒なだけの小説になった。
民のための国を作ると声高に言っている主人公とそのグループの小説なのに、
殺される民がもっとも読者の同情をかうというところが、そもそもおかしいんだよ。
梁山泊にも岳家軍にも肩入れすることができない。まあ対策としては、読むのを
やめる以外になかったな。
【殺される弱い善人】→ 【悪 人】 →【悪人を退治する強い善人】
魯達の父 塩役人 成長した魯達
曹正の兄 青蓮寺 成長した曹正
女真の民 幻 王 (このスレ)
前作の基本が正統派時代小説パターンだったのだから、楊令伝で無理に変更する必要はなかったな。
楊令や岳飛が悪人のポジションに入ってしまい、読者は腹立たしい思いをするだけで、それが解消されない
物語になってしまった。
古典的な勧善懲悪パターンが飽きられてしまったのは、はるか昔のことで、それに依拠しない
物語というのはたくさんある。その中には成功例も多い。
楊令伝がつまらないのは、失敗例だから。
民のための国を作ると言いつつ、民を皆殺しにする楊令と岳飛
高速道路を無料にすると言いつつ、土日1000円のサービスを廃止する民主党
なんかそっくり。キチガイのやることは理解できない。
モノの善悪なんてどちらの側から見るかの違いにすぎないから、ある人物を善人・悪人と
仕分けするのは本来無理なはず。これが勧善懲悪パターンを嫌う人の言い分なんだろうな。
もっともだ。
ところが、幻王や岳飛に殺された民には、何の罪もないんだ。
幻王や岳飛は物語の中では完璧な悪人なんだな。
モノの善悪をどちら側から観察しても、この二人は悪人だ。
それ以後の叙述は、単なる詭弁にすぎなくて、書けば書くほど、楊令や岳飛に対する怒り
は燃え上がるばかり。魅力があるとか無いとかの次元の話ではなく、水滸伝の1巻で、
盧俊義に絡んでカネを巻き上げようとしたゴロツキ程度に、あるいは二竜山のケ竜のように、
軽くあつかえば済む、その程度の小悪人にすぎない。
15巻に費やされたエネルギーは、浪費でしかなかったな。
せめて「民のための国を作る」というスローガンを掲げることをやめるとかの工夫はあってよかったな。
そして、第2巻で、民のための国を作ろうとしている梁山泊に、楊令が殺される。END
>>682 >盧俊義に絡んでカネを巻き上げようとしたゴロツキ程度に、あるいは二竜山のケ竜のように、
>軽くあつかえば済む、その程度の小悪人にすぎない。
楊令も岳飛も、そうではない大人物として描きたかったのだろうが、まったく描けてない。
楊令や岳飛が水戸黄門に出てくる悪代官のような性格なら理解しやすいのだが、
そうではないから気持ちが悪い。何をやっているのかサッパリ理解できない。面白くない。
くだらない。
民の皆殺しをした楊令と岳飛について特に言えることなんだけど、
料理を作るために材料を集めて鍋の中に放り込んだはいいが、
ガスが切れて煮ることができず、まったく料理になっていないような
状態なんだわな。
民のための国を作るために、一部の民を皆殺しにするという話は、
読者に納得させるように昇華するのは難しい話だとは思うが、やって
やれないことはない。
しかし、まったく料理されていない感じだな。
それなのに、作中の楊令と岳飛の子分どもは、すごい、すごいと大騒ぎ。
それで一見落着したことにしているインスタントな処理が、たまらなく嫌な作品だ。
インスタント・コーヒーをぬるいお湯で溶いたら、うまく溶けない。
粒子がぬるま湯と混ざり合って飲めたモノではないのだが、
子分どもは美味いと言って飲んでいる。そこが肚が立つ。
そういう物語だと理解してよろしいですか?
戦の場面や新キャラの魅力のなさは、まあ他の作品、とくに前作水滸伝との比較で
すこし劣るかなという程度の話で、そうガツガツ叩くほどのこともないと思うが、
皆殺しは、この物語の根本に関わるエピソードだからな。もう少し煮詰めて慎重に
書いてもらいたかったね。
平日の昼間っから夜中まで、読んでない小説の話をgdgdと難癖付けれるって凄いよね〜。
>>673 第1巻の悪逆楊令は、そのまま突っ走らせて、楊令と同等の能力の若いライバルが
梁山泊の内部にいればよかったかもな。性格は正反対で、そのライバルは幻王を批判しまくる。
攻撃的な楊令は戦場ではそのライバルよりも上なんだが、なにしろ殺人・強盗・強姦犯人
という糞キャラ。戦場で失敗はするものの、心優しいライバルに惹かれていく読者。
楊令とそのライバルのいずれが頭領になるのかは、物語の中盤まではわからない。
もちろんタイトルが楊令伝だとネタばれになるから、続水滸伝とする。
殺人・強盗・誘拐そのものよりも、それやったバカタレ以外に梁山泊の頭領はいないと
決めつけて、梁山泊の幹部全員が梁山泊の頭領に楊令を望むという糞展開が、
糞つまらんわけだから、他に読者が感情移入できる頭領候補がいれば、まだ楽しめたな。
作中の楊令がどんな人物であろうと、作者と楊令の関係を見ると、無条件に梁山泊の頭領に
推薦され、無限の能力を付与された楊令は、マザコン馬鹿息子にしか見えないんだな。
毎月1500万円の小遣いを貰って子分を養って総理になった男にたいなひ弱さしか感じない。
それが殺人・強盗・誘拐やっちゃうもんだから、死ねよボケ!と言いたくなる罠。
楊令は惰弱な人間にしか見えないね。反吐が出る。
/ ̄ ̄\ また作者からすごい能力を貰ったのか?
/ノ( _ノ \
| ⌒(( ●)(●) そいで、無条件に頭領か?この糞野郎!
.| (__人__) /⌒l
| ` ⌒´ノ |`'''|
/ ⌒ヽ } | | 楊令
/ へ \ }__/ / / ̄ ̄\
/ / | ノ ノ / ●)) ((●\’, ・
( _ ノ | \´ _ ( (_人_)’∴ ), ’
| \_,, -‐ ''"  ̄ ゙̄''―---└'´ ̄`ヽ て
.| ______ ノ (
ヽ _,, -‐ ''" ノ ヽ r'" ̄
\ , '´ し/.. >>@ | J
\ ( / |
\ \ し- '^`-J
>>691 第1巻の皆殺しにしたって、まったく恐怖感を感じなかったしね。
楊令がそんなことするはずないじゃないかとも思わなかった。
くらーーーい雰囲気で楊令が登場してくるんだろうなと思っていたら、
案の定、くらーーーい感じで出てきたよwww
楊令が「こんな俺が頭領でいいのか」と言って梁山泊に帰ってくるのなら、その間の
心情の変化を見せるために楊令視点が必要だった。
>>689のいうように悪逆幻王
路線を突っ走るのなら、視点はないほうが効果的だと思うけどな。
しかし、どういうつもりで幻王と岳飛の皆殺しをやったんだろうな?
項羽の30万蓁兵皆殺し、信長の伊勢長島一揆5万人の皆殺し。
どちらを読んだときも、楊令伝のように嫌悪感はなかった。
項羽も信長も、民のための国を作るというスローガンを掲げていないから。
楊令と岳飛は言行不一致というか、矛盾したことをしている。
別に民のための国を作る過程で、民をひとりも殺すなとはいわないが、楊令伝で
行われた非戦闘員の皆殺しは、無意味。後付けでなされた弁解は、意味不明。
説得力なし。
そもそも行為の前に葛藤するならともかく、後付けで屁理屈を述べるのはみっともない。
698 :
無名草子さん:2010/03/05(金) 14:43:37
実際には幻王の弁解を燕青が代弁しているのに、楊令はひとことも喋らず、
のちに楊令が「俺はひとことも言い訳をしていない」と言ったところも、むかっ腹が立ったな。
幻王のような特異なキャラを主人公にするなら1巻で終了すべきだよ。
序盤で「なんだ、これは?」と思っても、最後まで読めば解決する仕組みになっているから、
安心して読める。問題が解決せずに後味の悪い終わり方をする小説もあるが、1巻きりなら
時間の無駄だったとも思わずにすむ。
楊令伝は楊令視点を長く出さずに、序盤の幻王皆殺しの後味の悪さを、ずーと引っ張った。
どこで解決するのかと思えば、「わーい、楊令殿は変った」だ。ええかげんにせーよ。
楊令以外のキャラに魅力があるとか、戦の場面が面白いとかの、読んで損しない長所が
あるなら我慢できる。それらはまったくなしに、いつになったら幻王の皆殺しについての
説得力ある理由が述べられるのだ、それを心待ちにしている読者を引っ張りつづけるというのは
卑怯なやり方だと思う。
大事なことを1行ですます、どうでもいいことに何行も費やすということがしばしばなので、
背景事情や登場人物の心情を理解することが困難なことが多い。
第2巻で燕青らの前で志について述べた楊令と、2008年12月号で志について述べた
楊令とでは、考えに変化があるのか?
後者では宋江から受け継いだ志の意味を、自分なりに解釈して述べていたが、第2巻では
そうではなかったのか?
皆殺しをしただけではなくて、その直後、楊令が頭領に推されたので、理解不能になってしまった
部分が多々ある。
みなが頭領に推すぐらいだから、いろんなことをわきまえた人間なのだろうという先入観を読者が
抱いてしまうからだ。この先入観からすると、宋江の志の実現を幻王がなしていたようにも思える。
しかし、2008年12月号で志について延々と述べると、それ以前は違った考えであったようにも思えるのだ。
とくに第1〜2巻の頃とは違うように。
そんなこと、たいして深く考えて書いているわけではないから、おまいが混乱するんじゃないの?
とにかく長い作品なんで、前後矛盾する箇所、矛盾とまではいえないが不整合を感じる箇所は
多々ある。
注意深く読む読者ほど混乱し、元々読解力のない奴が、なんか深い人生哲学が含まれている
じゃないかとありがたがって読んでいる小説のように最近思えてきた。
時間不足なんだろうね。全体に目配りが行き届いていないとい気がする。
宋金同盟と梁山泊の関係なども、何も難しいことはないのに、グチャグチャした説明だった。
もっとスッキリやれんかね。かえって混乱した。
それと騎馬隊を船で輸送するのは何時になるんだろう?
∧_∧ ♪
(´・ω・`) ♪ 楊令殿は変った
( つ つ
(( (⌒ __) ))
し' っ
♪
♪ ∧_∧
∩´・ω・`) 楊令殿は変った
ヽ ⊂ノ
(( ( ⌒) ))
c し'
>>705 三国志の時も騎馬隊を船で輸送する話呉で出してたけど、最後までやらなかったよ。
三国志も後半面白くねえんだよなあ。キャラを型に嵌めるのに一生懸命になっちゃって。
史実での孫権の激烈な荊州攻撃をまるまるオミットしたりして、民政にばかり力を注ぐ孫権って型に嵌めてた。
三国志はドMの司馬懿っていう魅力的なのが居たから何とか読めたけど。
非戦闘員を皆殺しにし、金持ちの財産を奪い、女は好きなだけ拉致してきたキチガイが
梁山泊に帰ってきて、兵士と会話をしはじめただけで、「楊令殿は変った」の大騒ぎ。
どこぞの国の王子さまか、きさまは?胸くその悪い。
あの楊令殿は変ったの大騒ぎは、本気で面白いと思ってやっているのか?
農閑期の百姓がやっている素人芝居みたいな気がするんだが。
信じられない程クオリティの低い場面が、約2割あるな。
7割ぐらいがダラダラしているだけのつまらない部分。
ときどき覚醒したように、普通の場面があるが、これが約1割。
といっても、この1割の部分は、水滸伝2巻の梁山泊奪取、5巻の楊志暗殺、
7巻の太原府戦〜雷横戦死などの名場面には遠く及ばないことは言うまでもない。
水滸伝も5巻までは非常に密度が高い。
6巻〜12巻あたりまでは若干テンションがさがるが、それでも密度は高く名場面も多い。
13巻以降になって原典ネタが少なくなり大味になってくる。
だが、戦の場面には目配りがゆきとどいている。戦のない場面、とくに章のタイトルとなる
好漢の描写が、若干過去の好漢の焼き直しのようになり、新鮮味がなくなる。
とくに、楊雄、阮小七、孔亮、キョウオウなど終盤の好漢。
楊令伝は戦の場面が多いが、まあ水滸伝の終盤の13〜19巻を水で3倍に薄めたような
ものだと思っていれば間違いない。つまり、同じことの繰り返し、かつテンポも水滸伝の
ようにテキパキしていない。もったいぶっていてダラダラしてつまらない。
戦の合間の人物描写は糞。それ以外に表現しようがない。とくに梁山泊の面々がダメ。
とにかく楊令伝は人物がダメだな。作中の人物を好きになったり嫌いになったりする
前提として、人物が実在する人間のように生き生きとしていなければ、評価の対象に
すらならないと思う。かけだしの小説家が苦労する、この生き生きとした人物を描き
出すという基本中の基本が出来ていない。どいつもこいつも人間の手ざわりがない。
作中キャラの言動に共感するとか、俺にも身に覚えのあることをやっていると共鳴
するといったことは不可能だ。キャラが人間に見えないのだから。
だから、嫌いという以前に、評価の対象にならないと言った方が正確かもしれない。
長々と楊令の悪口を書いてきたが、実は嫌いという以前に、物語の中の人間として
立ち上がってきていないというべきだったかな。人間に見えなくて、イライラするんだ。
林冲は逮捕され拷問を受けた。同情される。
公孫勝は二年間地下牢に閉じ込められていた。脱走後、致死軍で厳しく敵を苦しめたが、
牢獄で理不尽な仕打ちを受けていたから、公孫勝に対する非難は縮小された。
ところが、楊令。目の前で親を殺されるという不幸はあったが、林冲や公孫勝のように、
権力による理不尽な仕打ちは受けていない。
それが反対に、民を皆殺しにする。
人間としてではなく、生物として、嫌悪感の対象となる。
当然のことだと思う。
それを、大上段に構えて、「権力とは何か」を考えるおっしゃる。
生物としての嫌悪感の対象となった楊令を、そんな理屈で救済できるものではない。
李富に、李師師と自分との間の子供をわが子と思わせて帝にすることに成功
した燕青がラスボスとなる予感。
虐殺々々と何年もネチネチとうざってぇ〜な。
良いじゃねぇか、別に悪事に手を染めようと。お前らのお手々はそんなに綺麗なのかよ?
これでまた虐殺の言い訳で数ページ割かれる方が読んでる者にとっちゃうざってぇんだよ。読んでない連中には気にならないようだが。
そんな事より、いつになったら群一族出てくるんだ?って方が気になるわ。
寧波の南、四十里。んなとこに本拠地在ったら、洞庭山と洞宮山を行き来してたら何度かは遭遇してんだろうがよ。
岳家軍の虐殺の理由は、もっとひどかった。
納税しない民がいる→皆殺し→岳飛殿は手が届かないぐらい大きな人物になった。
日本の税務署も、滞納処分や修正申告の申し出に応じないで、滞納者を皆殺しに
すれば、大きな人物になったと尊敬されるのに惜しいことをしたね。
現代国家が国民から尊敬を受けれなくなったのは、皆殺しをしないで修正申告の
申し出を認めてしまうからなんだろうね、集英社さんw
どうして皆殺しをすると、部下から尊敬されるようになるの?よくわからないんだけど・・・
718 :
無名草子さん:2010/03/06(土) 12:59:06
皆殺しをすると尊敬されるようになるのは、「むかし」だからだと作品の中で言っておられました。
今夜、日本むかし話のビデオを見て、よく復習してください。
>>713 肉体的・精神的苦痛というのは、生物としての読者の共感を勝ち得るからな。その描写を
誰について、どのようにしているかによって、登場人物に対する情の移り方に違いが出てくる。
戦場でいちどに1000人戦死しても、そのひとつひとつの戦死を細かく描写できるものではなく、
死んでゆくのは名無しの知らない人だから、何人死んでも別にどうってことない。
その意味では、幻王の虐殺なんて描写があるわけではないから、本来なら腹立たしくはないはず
なんだ。
しかし、民の命を大量に消滅させておいて、民のための国もなかろうと思うわけ。
全部殺してしまえば、民のための国を作りようがないからな。一部を殺すにしても、殺される者と
生き残る者の選択が恣意的で正当化が難しい。
権力の本質をこのエピソードで抉り出すにしても、虐殺の主体については、少し思慮をめぐらせる
べきだったろうな。
ドラマの水戸黄門や桃太郎侍のような正義の味方が実在したと思ってみているバカもいないと
思うんだけどな。楊令や岳飛に悪者のやることをやらせる必要はなかったんじゃないの?
その反対に、悪役の青蓮寺に、新しい国を作る志を持たせる必要もなかった。
混乱を招いただけで、少しも面白くなくなったし、毎日楊令を罵倒する余分な仕事まで増えた。
虐殺シーンは同じ生物として被害者に対する同情が強烈に生じるから、描き方を間違えると、
虐殺主体に対する猛烈な反発が起きるよな。
映像作品で被害者の死体のリアルな描写があったりすると、虐殺を命じた人物に対する強烈
な嫌悪感が生じると思う。
楊令伝は虐殺シーンを濃厚に描いているわけではないのに、これだけ嫌われるのは、民のため
の国というスローガンを掲げた連中によって虐殺がなされたという矛盾と、幻王の場合は、虐殺後
すぐさま梁山泊の頭領に推されたという点が腹立たしいからだろうな。
どの場面を読んでも、時間不足しか伝わってこないから、腹立たしいんだろうよwww
幻王や岳飛の虐殺が、「こういうことをやりたくて失敗したんだろうな」ということが理解できれば、
多少は救いがあるんだ。
何をやりたいのかサッパリ理解できない。物語を壊しているようにしか思えない。結果的に、全然
面白くなっていない。いいところがひとつもない。虐殺の理由づけが、常識では計り知れない。
狂気しか感じない。楊令に対する憎しみの感情しか生じない。毎日イライラする。楊令、氏ね!
だからまずいんでねぇ?
映画やドラマや小説のつまらない場面を分析してゆくと、どうしてつまらないかが、ある程度は
把握できるんだよな。
楊令伝の皆殺しに関しては、非常識にしか突き当たらない気がする。
725 :
無名草子さん:2010/03/06(土) 13:52:32
小説の中で扱われるエピソードから、とてつもなくかけ離れた現実世界のあることを連想させようとして、
作者本人以外には連想できないから、サッパリ理解できないということはあると思うよ。
三国志も水滸伝も、構成とストーリーの面白さで読ませてきたからな。
王倫の梁山泊を奪取するための作戦なんて、1巻2巻で出てきた、すべての人物、
すべてのエピソードが、有機的に結合して、梁山泊奪取という目的に向かって邁進し、
最後には見事に目的を達成してしまう。
そのパーツの描き方の巧妙さ、目的を達成したときの満足感、あのエピソードがここに
繋がるのかという意外性。すべてにおいて卓越していたのよ。
作者の頭脳も冴えていたと思うが、やはり周到な準備の賜物だと思うね。
それと比較すれば、楊令伝の1巻2巻なんて、何も考えていないに等しい。1巻2巻の
中心は幻王の暴虐な振る舞いだが、何も考えないに等しいドラマが面白いわけない。
それだけだと思うよ。
>>102 時代劇によってノスタルジーをかきたてられる世代というのは、40代以上に限られる
ような気がするな。最近のTVの時代劇を見ていてそう思うわ。年配者が求めている時代劇と全然違うからな。
まあ新作などは読まずに、昭和30年代〜40年代の時代小説を読み、同時期の映画を見ているのが無難。
しかしまあ、どうして「むかし」を想像させる情景描写が出てこないのかは不思議だな。
戦が多く原野が舞台になることが多いのが理由かもしれんが。
日本と中国の違いがあるとはいえ、同じく極東の国の農村風景なんだから、そんなに
違いはないと思うがな。
昆虫や果物や樹木の名を出すだけでも、小説っぽくなると思うがね。
味気なくて、砂漠を歩いているような感覚に襲われる作品だわ。
雨も降らないから、読んでいて躰が乾燥してしまうような感覚におそわれる小説だな。
ダラダラ台詞ばかり長くて、どういう場所で会話しているかは何も叙述されない。
登場人物が足が地に付いた感じがしない、人間の手ざわりが感じられないのも、
そのせいかもしれない。もう少しバランスよく情景描写も加えた方がいいね。
室内か、原野だからなwwww
>>723 続編なんか書く必要はなかったんだよね。
水滸伝には二竜山にケ竜という幻王そっくりのキャラがいたわけだから、
このケ竜をでっかく成長させて、最後に童貫と戦わせて、宋が滅亡すれば、
楊令伝の9巻までの物語になる。
ケ竜が童貫を殺したところで水滸伝は終了すればよかったんだよ。
>>716 税務署よりも、暴力的な取り立てをする闇金融の方が、大きな人間だということですね?
政府は尊敬されず、闇金融は尊敬されるということですね?
それも債務を弁済できない債務者をドラム缶にコンクリート詰にして海底に沈める闇金融
だけが、岳飛のように大きな人間になれるんですね?
なんというか、狂っているよね、楊令伝。
最初に楊令伝が狂っていると感じられたのは、いつですか?
735 :
733:2010/03/06(土) 15:51:08
放火を手段とする皆殺しだけが真正の皆殺しであって、その他の手段を用いた場合は
皆殺しではない。皆殺しをしたつもりになっているだけだ、と軻輔が言ったとき。
俺は、その記述があったあたりから、楊令伝はユーモア小説に変質したんだと思っていたよ。
>>731 なにも幻王で「権力とは何か?」を検証する必要などはなかったんだよな。
幻王のやっていたことは、ケ竜そのもの。
ただし、ケ竜の権力が及んでいる範囲は狭いから、一村を皆殺しにすることまでは
できなかった。働き手がいなくなって、次回の掠奪が不可能になるから。
金国の権力の及ぶ範囲はケ竜よりも広域なので、一村を皆殺しにしても、働き手
がいなくなることはなかった。
そういうことでしょう?違う?
楊令の父楊志は、そのような悲劇が中国各地で生じていることを悲嘆して、官軍を離れ
叛乱に身を投じた。二竜山を放置している宋の政府がのさばっているかぎり、楊令を
拾った村の悲劇はなくならないと思ったからだ。
その息子が、よりによってケ竜に成り果てた。狂っているというより、マンガだろ、これってww
氏ねよ、楊令!
楊志が生き返って楊令を殺すという展開になれば、水滸伝らしかったな。
黒騎兵の女真族は、楊令を殺さなければ黒騎兵から抜けられない監禁状態で、
同民族の殺戮、強盗、誘拐という、人として恥ずべき行為を楊令に強要されて
しぶしぶ行っていたんだよな。機会があれば、楊令を殺したいと思っているよな?
黒騎兵たちが二竜山のケ竜の手下のようなゴロツキならば、糞楊令と同じ穴のムジナだから、
殺人・強盗・誘拐を恥ずかしいことだとは思っていないだろう。
しかし、黒騎兵は真面目な人間が多かった。殺したいほど楊令を憎んでいるだろうな。
人間としての矜持を奪われ、犯罪者になることを強要されたわけだから。
>>735 これだけは、退屈とかつまらないという次元の話ではなかったわなー。
自分の眼を疑ったよ。こんな非常識が活字となっていることに、空恐ろしさを感じた。
ここは日本なのか?俺はいま21世紀の現代に本当にいるのか?夢を見ているのではないのか?
自問自答が続いた。
>>737 にやけた顔したゴロツキのケ竜が皆殺しをやれば非難されるが、
深刻な顔つきをした楊令と岳飛が皆殺しをやれば、すごく大きな人になってしまう。
その違いを説明するために、愚にもつかない屁理屈を並べ立てる。
なんか空虚なものを追い求めている小説のような気がするな。
幻王が皆殺しをすれば領内の叛乱は絶えるはずだったのに、金国の領内は叛乱が絶えなかった。
もっとも、金軍が宋領内に進攻できない理由として、領内の叛乱があると言ったわけだがw
ほんと御都合主義だなww
すごい楊令殿が金国からいなくなったから、叛乱が相次いだと言いたかったのだろう。
ほんま反吐が出てくる。
746 :
無名草子さん:2010/03/07(日) 16:49:47
楊令には新しい国を作るという夢があるが、俺たちにも夢はある。
楊令がズタズタボロボロになって死ぬことだ。
できれば、フランケンシュタインの怪獣ガイラに食われた羽田空港の女性職員のように、
噛み砕かれて肉を喰らわれ、穴だらけの服をポイとガイラが吐き出すような死に方を望む。
ケ竜は幻王と同じような虐殺をしたのに、このスレでまったく叩かれない。嫌われてもいない。
民のための山賊になるという志を叫んでいなかったからだ。
なによりも悪いことをした後に殺されたので、読者がフラストレーションを溜め込むことがなかった。
幻王は殺されるどころか、梁山泊の頭領に望まれた。この違いだな。ケ竜が好かれ、楊令が嫌われるのは。
はよ氏ねや、楊令!死なないのなら、はよ連載終われや。楊令が生きていると思うだけで気分が悪い。
.∧_∧ ∧_∧
;;;;;、(・ω(:;(⊂=⊂≡ (・ω・ ) <死ねよ、楊令
(っΣ⊂≡⊂= ⊂≡ ⊂)
/ ) ババババ ( \
( / ̄∪ ∪ ̄\ )
>>747 一般に、人間が人間を殺すシーンや、人間が人間をいじめるシーンを見るのは面白いもの
ではない。映像作品で被害者の体の損傷がリアルだと、加害者に対して無条件に怒りが
こみ上げるな。作品の中で加害者が観客に嫌われてはならない立場のときは、それなりに
演出に工夫がこらされる。
小説の場合、殺傷現場の描写を控えれば映像作品ほど虐殺シーンのインパクトはない。
あるいは虐殺シーンは生々しく描いても、加害者があとで制裁を受ければ、読者の怒りは
おさまる。ところが、楊令と岳飛には、その怒りを中和させる演出がまるでない。それどころが、何が
何でも彼らの悪行を正当化してやろうという屁理屈ばかりが並べられる。
だから、肚が立つんだよ。
放火を手段とする皆殺しだけが真正の皆殺しであって、その他の手段を用いた場合は
皆殺しではないwwwwwwwwwwwwww
皆殺しをしたつもりになっているだけwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
751 :
蔡 福:2010/03/07(日) 17:22:26
「俺は軍営を訪ねるたびに、いつ殺されるのかと思わずにはいられなかった。阿骨打殿とも、
いつでも戦をしてやる、という感じだったしな。俺は、心の中では、幻王が死んでくれないか
と、祈るような気持ちでいたよ」
死ねよ、楊令
「俺は、汚れましたね」
「罪のない民を皆殺しにしておいて、汚れただと?万引きや痴漢とは、わけが違うぞ、楊令。
正気なのか、きさまは?」
「まて、武松。楊令も、人なのだからな。汚れをを持っていて、当たり前と言っていい」
「死ねよ、燕青。洗濯する前のパンツの話をしているんじゃないんだぞ。殺人だ。強盗だ。
誘拐だ。汚れたの、どうしたのという次元の話じゃねえ。キチガイがきさまらは!」
楊 令 は 氏 ね ば い い と 思 う よ
,.、;',,;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,.`丶. /イハ/レ:::/V\∧ド\
/,;;;;;;;;;;;;;:、- ‐ ' ''= 、;;,.ヽ /::^'´::::::::::::i、::::::::::::::::::::::::::::\
. ,',;;;;;;;;;;;i'" ヽ;,.'、 ‐'7::::::::::::::::::::::::ハ:ハ::|ヽ:::;、::::::::::::丶
{,;;;;;;;;;;;;{ _,,;;;;,、 ,,;,、;,.', /::::::::::::::/!i::/|/ ! ヾ リハ:|;!、:::::::l
_l,;;;;;;;;;厂 〃 .__、` ,r' ゙゙`'};;,.j /´7::::::::::〃|!/_,,、 ''"゛_^`''`‐ly:::ト
. { トヽ;;;;;! '´ ̄ ` { '=ッ{;< /|;ィ:::::N,、‐'゛_,,.\ ´''""'ヽ !;K
. ヽ.ゞさ;;} ,.r'_ ,..)、 !;,.! ! |ハト〈 ,r''"゛ , リイ)|
ヽニY ,.r' _`;^´! ,';/ `y't ヽ' //
ヾ:、 ヾ= 三;〉 /'′ ! ぃ、 、;:==ヲ 〃
ノ,;:::\ ` ー" , ' `'' へ、 ` ‐ '゜ .イ
,.、-',;;;{ ヾ:ヽ、 __ ,∠、 `i;、 / l
',,;;;{ {;;;;;;ヽ }::〈;;;;;;;;l iヽ、 〉 ` ‐ ´ l`ヽ
楊令伝を読まなくなったのも、楊令が生き延びるとか、死ぬにしてもエエカッコさせて
死なせる場面を想像するだけで気分が悪くなるからな。
そういう後味の悪いラストは読みたくない。
100人の敵に、100回槍で突かれ、楊令の体中が穴だけになって、流れ出る血もなくなり、
砂漠に放り捨てられて、死体はコヨーテの餌になり、楊令の遺体が人間とは思えないような
無様な姿を晒して死ぬラストなら、ぜひとも読みたい。
正直にいって、楊令を好きな読者って、いないだろう。
楊令伝を叩いていない感想文でも、褒められるのは方臘・呉用ら、主人公以外の人物ばかり。
そもそも楊令を話題にする人は少ない。たまに楊令に関する感想があっても、なんか苦しそう
に称えているだけだわw
このスレでも、2巻あたりまでは、楊令の話題はほとんど出てこなかった。
楊令については不満の方が多くて、良いところを探すのは難しいよ。
タイトルを楊令伝にしなけりゃよかったんだよな。
無難に水滸後伝とかでよかったじゃねえか。
明確に主人公を設定するならせめて顕家ぐらいにちゃんと書けばいいし、
それが出来ないならタイトルに楊令って入れんなって話だよな。
1.ありふれたストーリーだが、感動を呼ぶ叙述・演出 →名作
2.ありふれたストーリーで、平凡な作品 →多くの小説・ドラマ
3.斬新な設定・展開だが、感動を呼ぶ叙述・演出 →衝撃の問題作
4.斬新な設定・展開ゆえに、支離滅裂 →楊令伝
楊令伝は、3.を狙って、4.になってしまったな。
北方水滸伝は斬新な解釈と評されることが多いが、それはあくまで原典との比較で斬新な
だけであって、北方水滸伝そのものはオーソドックスな物語だった。
むしろ李逵の少年殺しや、秦明の家族殺し、人肉饅頭などに見られるように、原典水滸伝こそ
3.ないし人によっては4.と評価する作品。
それを北方氏の奮闘努力によって1.に転換した見事な作品だった。
ところが、楊令伝では、何を勘違いしたのか、3.を目指してしまったな。
>>758 楊令伝のストーリーというのは、おおまかには12世紀の中国の歴史なんだけど、
その部分を除くと、独自のストーリーなんてものはなく、単にエピソードが連続して
いるだけだよね。テーマは一貫して「楊令はすごい」。それ以外に何もない。
聞煥章と扈三娘のエピソードなんて、物語の本筋に何ら影響していないしな。
その他、個別キャラのエピソードも、物語の本筋に影響してゆくことが、ほとんどない。
方臘戦・燕京戦は、梁山泊の領地獲得のために、童貫軍を南北に出兵させることが
目的だった。いつのまにか本末転倒して、方臘戦・燕京戦が物語の中心に位置し、
梁山泊の闘いは、あってなきがごとく。また、童貫軍の兵力減殺も目的だったが、
戦後は宋軍の兵力が戦前に優るというお粗末な展開。
>>758 >3.斬新な設定・展開だが、感動を呼ぶ叙述・演出 →衝撃の問題作
成功率は低いんだよね。ほとんど4.になる。
>>759 ストーリー的には支離滅裂な原典を、オーソドックスな物語に再構成したところが
高く評価されたわけだからな。続編で支離滅裂に逆戻りしたのでは、続編はないほうが良かった。
>>757 作者も楊令に固執する義務から解放されて、自由に新しい物語を創作することができただろうな。
世界的に有名な古典である水滸伝のタイトルの「水滸」の部分を「楊令」に置き換えた。
こんなことをすれば、肩に力が入るに決まっている。楊令すごいの連発で、俺の読書体験の中でも、
一、二を争う糞ドラマになってしまった。
その点、日本人なら誰でも知っている桃太郎をタイトルに頂いた桃太郎侍は上手くいっているよね。
桃太郎侍は単なる洒落だからw 内容的には別のドラマ。
楊令伝にはしゃれっ気がない。楊令に、殺人・強盗・誘拐を冒頭でやらせ、
それをやることで人物が大きくなったことを、大真面目に論証しようとしている。
やればやるほど支離滅裂。
幻王があのまま即頭領になるのでなければ、皆殺しや掠奪のエピソードも面白いものに
なっていただろうな。あとから色々と屁理屈をこねていたが、第1巻第2巻の描き方を見ると、
二竜山の山賊そのもの。女真・契丹の民や蔡福は、そのような恐怖感をもって幻王に接している。
なのにケ竜は大きな人物にはならず、楊令は大きな人物になったというのは無理がありすぎるし、
志さえあればケ竜と同じことをやってよいというのでは、独裁と恐怖政治の歴史から、
何も学んでいないことになり、あまりにバカげている。
楊令は若いのだから、幻王の思い違いを古参同志が矯正してやり、楊令は下士官あたりから
出直すべきだった。そうしておいても、すぐに頭角を現してくるだろうし、童貫を討ってはじめて
頭領になった方が、童貫戦終焉の区切りとしても面白い展開になった。
実際に書かれた童貫戦は、予定どおり楊令が童貫を討ち、ダラッと終ってしまって、
童貫の戦死場面からたいした感銘を受けることもなかった。
童貫戦の終了までは、楊令に厳しく接していた梁山泊の古参同志が、童貫戦死を契機に、
「これで後を託する男が出来上がったな」と、楊令を頭領にすることを決めるというイベントに
すべきだったな。
「おまえが選べる道は、二つだけだ、粘罕。これ以上、なにも言わん。おまえが決めろ」
「斉は廃止する。そう決めたよ、斡本」
「いいのか、あっさり決めて」
「死にたくなくて、言っているのではない。俺は、貴様や撻懶と争うのが、ほとほといやになった。
きっかけさえあれば、宰相など辞めて、放浪の旅に出たかもしれん。つまりは、その程度の男だ」
「わかった。しかし、劉豫は爵位さえ与えればおとなしく開封府を離れるだろうが、楊令はおとなしく
はしていまい。やつの念願は、南宋をこの世から葬り去ること。そのための足場として、斉軍二十万
は必要だと固執するはずだ」
「斉軍を解散させるのか?」
「そうだ、粘罕。南宋との国境には、撻懶の軍を置く。梁山泊軍と斉軍の力によって、斉領内の
叛乱の芽はことごとく摘み取った。二十万の斉軍は、もはや無用よ」
>>758 ドウカン・ファイト後の内政重視は無用だったな。無税(その後1割の税)を言い出したがために、
財政が逼迫しているわけではないことを論証する必要が生じ、面白くもない交易の話がダラダラ
と続いた。それを蒋敬や瓊英がやるならまだしも、楊令が中心になってやる。しかも、交易路の
安全確保なのか、玉ひとつを守るために史進の赤騎兵に護衛をさせるというナーバスな性格
まで露見してしまった。
水滸伝の頃、青蓮寺の民政担当は何恭ひとりだった。そのくらい民政なんてアバウトに捉えられ
ていた。事実上、塩専売制度を守ることが、民政のすべてだったろう。
軍事と外交を中心に物語を進めるべきだったな。とくに外交。戦のシーンがマンネリだった上に、
金と南宋以外にも多くの軍閥が割拠したのだから、外交を物語の中心に据えれば面白くなったはず。
其々の内政を比較するなんて、退屈で読んでられなかった。
楊令のキャラクターがこの小説の最大の癌だったが、その次は、税率の話を不用意に出しちまった
ことだったな。具体的な数値まで挙げてしまうと、それじゃあ財政が破綻するだろうと誰もが疑問を
持つ。その疑問に答える必要が生じる。小説の題材としては、およそ面白くもない税と財源獲得の
話が長く続きすぎた。
楊令は、はじめて吹毛剣に手をかけ、抜き放った。横から、騎馬が突っこんできた。
払い落とす。別の一騎。槍。かろうじてかわした。それで精一杯だった。兵とぶつかる
ようにして、楊令は雷光から落ちた。
跳ね起きる。その時、敵兵は侯真が打ち倒していた。
馬群が、囲んでいる。四人だけになっていた。呉用はと思ったが、確かめる術はない。
吹毛剣を構えた。槍。吹毛剣で撥ねのける。矢が尽きた花飛麟が、馬上の敵の戟を奪い、
それを頭上に構えた。
ここで倒れるのか。楊令は、吹毛剣を構えながらそう考えていた。
この戦は、負けだ。満を持したのに、なにをなす術もなく、負けた。
倒れるのか。岳飛の陣さえ抜けば、高宗と張浚の首は討てる。すべては、見果てぬ夢か。
これしき。楊令は、躰の底から気力をふり絞った。敵兵二人を、切り落とす。
闘えるだけ、闘う。いまは、それしかない。まだ、力尽きてはいないのだ。
>>770 このころは、まだ、戦の場面における視点人物のひとりがたりの文が短い。
短文のリズム感は、まるで激しく躰を動かして息遣いが激しく
なっている視点人物の生理現象と呼応しているようで、臨場感があった。
楊令伝では、こういう緊迫した戦闘シーンにおいても、一文が長い。
ずいぶんまったりと喋るんだな?躰を動かしているのか?息は切れないのか?
こちらから問いただしたくなる。
戦闘シーンを書く前に、作者は100mダッシュを5本やってから書き始めれば、
上手く短文が書けるんでねぇ?
草むしりとウサギ跳びも忘れずに
幻王の強盗を正当化する理屈なども、60年代の左翼臭がプンプンで、なぜ21世紀のいまになって
こんなことやってんの、とその時代錯誤に驚いた。
金持ちの財産しか守らないとして、刑法の存在を根底から疑問視・軽視していた連中がむかしはいたが、
いまの若い奴に言ってもわかるはずがあるまい。
んで、そもそも12世紀の中国の物語なのに、そんなことやるな。
挿絵が内容と微妙にズレてるのどうにかならんかな?
今月号で言えば、候真と羅辰が戴宗の最期を看取ってるシーンの挿絵があるけど、
致死軍は人の海に紛れ込んで動く為に武器を持ってる以外は平服着てるって設定なのに、
あの絵じゃ2人とも具足付けてるじゃん。
もう、絵師の人も設定とか忘れてるのか、ろくに読んでないのか…。
>>774 いまだにブルジョア刑法と言っている人間もいるみたい。ぐぐってみなw
蕭珪材の戦死場面について
「二十六名が、あとを追って殉じたそうです。それほどの、武人だったのですね」
“それほどの、武人だったのですね”という説明の部分がクサイ。楊令伝では、こういったわかりきった
ことをダイレクトに説明する箇所が多くて、読書の興をそいでいる。
「二十六名が、あとを追って殉じたそうです」
自分が死んだら、殉死者がでるだろか。岳飛は武人として蕭珪材が羨ましかった。
10年前なら、こういう風に書いているだろうな。
同じ場面。負傷した岳飛をいたわる岳雲の台詞。
「無茶は、やめてください、父上」
軍人らしくなくて興醒めするんだわ。遊園地で絶叫マシーンに乗ろうとしている70歳の父親を
止めているみたいだ。
楊令伝の若い連中の喋り方は、TPOによって違いを出そうとする姿勢が、まったく感じられない。
どんな場所、どんな場面でも、口調が同じ。ばか丁寧で、甘ったるい。
TPOによって口調を変えるどころか、少年期から25歳ぐらいまでの登場人物って、わずかな例外
を除くと、全員口調が同じじゃんw
どいつもこいつも子午山を下りて梁山泊にきたときの楊令のまんまだよwww
性格も、おとなしいか、ちょっとはしゃいだように見えるかのどちらかだな。
いずれにしても個性が希薄。数だけ多い。
戦の最中に両軍の大将である岳飛と蕭珪材が会談して、「国と国との戦ではない、これは。
蕭珪材殿と俺の戦になってる」なんて言う必要があるのだろうか?なんか戦とスポーツを
混同している感じがするし、なによりも嫌なのが、この「自分のための戦」という言い回しが、
飽きるほどに多くの軍人によって繰り返し繰り返し述べられたことだな。マジで飽きた。
闘うことそのものに意義があるんだ。俺が自己表現できるのは戦においてだけなのだ。
戦をしているときだけ充実感を感じる。大将だけど、部下の損傷を最小限に止めることなんて
考えたこともない。これは俺の戦だ。
こんなのばかりなんだよね。バカですか?
全体的な戦略から考えて自分がどう闘うべきか?味方の犠牲を顧みず敵に甚大な損害を
与えることが、いま求められているのか?そのあたりの利害得失を顧慮することなく、戦う
ことそのものに大きな価値を見出している阿呆を見ているとイライラしてくるわ。
783 :
無名草子さん:2010/03/09(火) 14:12:55
遊びに夢中になっている幼児は、無垢で純粋で美しい。
そういった思想をそのまま闘う男に当てはめているよな。
ほんとバカバカしい。
考えてそうしているというより、急いで書いているから、その程度のことしか思いつかない
というところが悲しいよ。
「闘う。闘う。闘う。生きて、生きて、生ききった」
それが、なんだってよw?
パズルのように複雑な作戦を立てて見事的中させ、次々に敵を打ち破っていた水滸伝
前半の梁山泊の闘いがウソみたいだよな。
水滸伝前半・・・複雑だけど決まると痛快な作戦を具体的に考案するのは手間と暇が必要。
楊令伝・・・闘う男を抽象的に美化するのは、手間も暇もかからない。
以上
787 :
781:2010/03/09(火) 14:32:44
いま初めてすばるを読んだのだが、兵の無駄な損傷を避けるため、大将どうしの一騎討ちを
岳飛と蕭珪材は望んで、実際にやったんだな。
バカバカしいww
長すぎる物語なんで、戦のシーンも、思いつくものはすべてやりつくしたという印象だな。
宿元景戦は、まだ読み応えがあったが、次の童貫戦では、かつてやったことを繰り返す
ようになっていた。楊令伝になってからは、かつてやってないことを探すほうが困難。
度人以外に目新しいものはないだろう。一騎討ちは原典で読み飽きた。原典の一騎討ちが
面白くないから、北方水滸伝のリアルな闘いがウケタといっても過言ではない。
そうか、一騎討ちをやったのかw
もうおしまいだな。
>>784 40年前のスポーツ根性ドラマ全盛期ならいざしらず、いまこんなことを書かれても
人生の応援歌にはならないよな。アホらしくなるだけ。鼻白んじゃうんだよ。
しかも民を皆殺しにした楊令糞までが、こんなこと言っているしw
せっかく楊令以外の話題になっていたのに、楊令の名を出すな。名前を見ただけで、むかっ腹がたつ。
戦の場面は何度も出てくるんだから、作戦で見せ場を作らないとね。エンタメ小説なんだから。
「ただ、戦いたかった」のつぶやきだけでは、読者になんら感銘は与えない。
雷横の戦死場面が支持を受けたのは、最後の数分間の雷横の闘いが素晴らしかったからだけど、
その前に雷横が宋江の身代わりになるという作戦を立てて、それが見事に的中したからなんだよね。
そういう作戦なしに、雷横が一人暴れ回って、「愉しかったな」とつぶらいただけでは、感動はなかった
と思うよ。
作戦によって敵をまんまと術中に嵌める。作戦的中の達成感・満足感がある。
その後に、闘いたいだけ闘って死んでゆく。
楊令伝になってからの戦史たちの「ただ、戦いたかった」のつぶやきはむなしいが、
雷横の「愉しかったな」のつぶやきは、してやったりの爽快感がある。
楊令伝で楊令の次に目立っていたのが童貫。しかし、その童貫の戦死場面は
まったく印象に残らなかったよな。まあ、もったいぶってくどいのもどうかと
思うし、解珍のように調子こいて死ぬのも悲しいが、あまりに目立たない。
石秀が戦死した二竜山の戦いで、火達磨になって油の壺に飛び込んだ青蓮寺の手の者
のほうが、童貫の戦死よりも強い印象を与えたよな。
やはり、きちんとしたストーリー、きちんとした作戦の下で死んでゆかないと、犬死の印象
しか残らないな。「ただ、戦いたかった」「志を胸に闘いきった」というのは、何も考えなくて
いいから楽かもしれないが、もう少し工夫してくれ。全然面白くない。
それなりに時間をかけて書いているとは思うのだが、原典があったときと比べると3倍ぐらい
時間をかけないと、水滸伝と同じレベルにはならないだろう?
たとえば広告を作成する時間・手間と比べてみる。
デザイン、キャッチ・コピー、写真は、分業で他人に任せる。編集作業だけを自分がやるとする。
原典のある小説を書くようなものじゃないかな。編集作業に慣れていれば、短時間で完成品を
作成できる。
ところが、デザイン、キャッチ・コピー、写真の撮影まで、全部ひとりでやるとする。
完成品が出来上がるまでに3倍以上の時間がかかるだろう?
水滸伝は原典を再構成するだけで、史実に細かな配慮をする必要もなかったしな。
原典のエピソードを組換え、そこに自由なオリジナル・ストーリーを書き加え、
原典以上に面白い作品になった。
徽宗・蔡京らは原典の登場人物でもあるので、原典から大きくはずれなければ、
間違うこともない。楊令伝では、史実との兼ね合いを配慮するという手間も加わった。
それらを考えると、楊令伝に割くべき時間は短すぎたな。おかげで、下書きのような
完成品を読まされるはめになった。
しかも、タイトルが楊令伝で、楊令は誰よりもすごい人でなくてはならんという
バカバカしい制約まで加わったw
もう楊令の名前は出すなよ。スレ違いだろう。
オラオラッ!! /◎)))
出ていけ!! / // : _________
\ / / // : /\
/ // : . / \\\\\\
/ // :, / \\\\\
/ // :, / 梁山泊 \\\\\\
/ // :, | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ // :, ヽ ____ |
∧ ∧ / // ド゙ガーン!! :, y.| .∧∧| .|
_( ゚Д゚)/ // . 、 ∩_ .|_(゚Д゚;)楊令.|
| / つ¶_//_ ヽヽ /;;;; ヽ .|
L ヽ /. | | ヽ ニ三 |:;;;; |< |
_∪ |___|_| \;;;;_ノ > . |
[____]_] / _/__/__iヽ丶 . |
/__ _ヽ |::::::::::|:::::::::::::::::| |
|______|_| ∧ ̄ヽ]:::::|/  ̄∧::| |
/◎。◎。◎。◎ヽ= / ̄/ ( ´∀`):::(´∀` )|| |//
ヽ_◎_◎_◎_◎ノ=ノヽニヽ /~ |つ ( ~ |つ|
このままでは、今夜も夢精ということになる。二日の夢精で、パンツ二枚がベトベトという
犠牲が出てしまっているのだ。
大信田礼子の写真を見つめながら、岳飛は沈思の中に入った。
なんのために、オナニーするのか。
握りしめた手に、力が入った。
>>784 精一杯やるのは素晴らしいということだろう。
楊令が過労で死ねばいいのに
水滸伝が始まった頃の梁山泊は、精一杯やることを売り物にしているという風ではなかったな。
宋江なんか妾と遊んでいる場面の描写しかなかった。
晁蓋や呉用の作戦も、余裕の頭脳プレーが目立った。
水滸伝の梁山泊に比べて、楊令伝の梁山泊の精神年齢が著しく低く思えてしまうのは、
そんなところに原因があるのではなかろうか?
精一杯を売り物にしなくちゃならないなんて、寂しすぎるわ。
精一杯を売り物にするのは、能力が低いことの裏返しだからな。
水滸伝前半の梁山泊の面々のほうが、はるかに能力が高いように思えるのは、そのせいだろう。
「生きて、生きて、生きってやる」の楊令ちゃんの能力は、高く見えないのよ。残念ながら。
楊令には余裕が感じられないんだよね。李俊らが「呉用殿は変った。呉用殿ははじけている。
楊令殿はどうだろう?」という話をしているとき、楊令がいきなり高笑いを始めた。
率直にいって、楊令に狂気を感じた。
あれって、ひょっとして、楊令の余裕を示すためのエピソードだったのかしら?
>>793 ドウカン・ファイトは終了時もつまらなかったが、始まる前の盛り上げが輪をかけてつまらなかった。
趙安や馬麟の「自分は二流。楊令と童貫は天才」という発言が相次いだけれど、終った後で振り返って
みると、天才どうしの闘いというニュアンスは、あの闘いのどこからも読み取れない。
精一杯、力の限りを尽くして闘いましょう、という以外に、何かあったか?
まるで、高校野球の選手宣誓だもんなwww
精一杯闘うだけなら、宋軍の総大将が志村けん、梁山泊軍の総大将が研ナオコでも、十分だった。
>>806 馬麟が自分を二流と定義づけた場面は、とりわけひどかった。
なにしろ戦の最中だ。命のやりとりをしている場面で、「俺は二流だから、童貫の首を狙うなんて
だいそれたことはすべきじゃない。童貫に相応しい相手は、楊令殿だ。百歩ゆずって、花飛麟か
呼延凌だ」
戦の最中に、アホなことを考えるな。斬りかかってくる敵なら、一兵卒だろうが、童貫だろうが、
闘わなきゃならんだろうが?
それも、それまで馬麟の目立った登場シーンがなく、出てきたかと思うと、いきなり自分の定義づけ
だからな。面食らったよ。
この当時の人物造形の拙劣さというのは耐えがたかったな。まるで粘土を与えられた幼稚園児が、
何か形のあるものを粘土で作ってみなさいと言われて、大急ぎで、天才の人形や、二流の人形を
作っていたような感じ。どうして天才なのか、どうして二流なのか。その肝心なところをエピソードの
形にして読者に提示するのではなく、自己や他人の定義づけだけによって、楊令は天才です、馬麟
は二流です、とやっていただけの思いを受け取りました。実にくだらん。
戦場で大失策を犯した人物が、自信を喪失して、自分を二流と嘲るのであれば、まだ話はわかる。
それはそれでよくあるドラマであって、上手く書けていれば読者の共感を呼ぶこともあったかもしれない。
だが、楊令伝のそれは、自分が雛祭りの雛壇の何番目に座るのかの評価をしているだけだからな。
物語でも何でもない。単行本の登場人物欄に、その人物の能力値を棒グラフで示しておけば一目瞭然。
本文でやるのなら、ちきんとしたドラマの形で提示してもらいたかった。
「梁山泊軍に、耶律越里という指揮官がいます」 ・・・知っているよ
楊令軍の半分を指揮しているのが、その男だった。 ・・・バカでも知っているよ
そういうことを、李富はほとんど把握している。 ・・・諜報機関なんだから当たり前
韋亮は、李富が把握している範囲を、まだしっかりと認識していなかった。 ・・・どうでもいい。
書く必要はないだろう、こんなこと。会話している両者ともに、耶律越里について知っている
という前提で、てきぱきと会話を進めればどうだ?無意味に複雑にしているだけで、それによって
何か面白くなっているか?この先、この二人の認識の齟齬が、物語の進展になにか影響するのか?
しかしwwまあwwwwwほんとに糞小説だなwwwwwwwwwwww
こういう会話をしていると、登場してくる人間が、リアルな馬鹿に見えてしまうんだ。
楊令以外の人物を全員バカに描いても、楊令がいっこうに天才に見えないことこそ問題なわけだが
魅力のある人物が競合したほうが面白くなるだろうに。
嫌われ者を主人公に据えて、その主人公をひとかどの人物に見せるために、その他の人物を
バカに描く。結果的に魅力的な人物をこの作品の中から探そうにも、ひとりもいないことになる。
あほらしいことをやっているな。
「続水滸伝」というタイトルだったら、2巻で楊令を殺して、その後は面白い物語にすることができたのにな。
もう読んでいないからどっちでもいいけどww
韋亮という新キャラを出すまでもなく、もとからいた青蓮寺のメンバーを成長させたほうが
それを束ねる李富の像も大きくなったのにな。
梁山泊の頭領にしても、まったく同じこと。楊令をすごいすごいするのではなく、その下に
いる将領級をぐんぐん成長させたほうが、それを束ねる頭領は巨大に見える。
楊令伝は、逆さまなことをした。No.2以下を劣化させれば、頭領は楊令しかいないだろう
という短絡的な行動に出た。逆だよ。
楊令の場合、頭領にするには年齢的な無理があるから、そういうことをやってしまったんだろうな。
その結果、目を覆うばかりのつまらない小説になってしまった。
楊令伝読んでない俺勝ち組みw
水滸伝の終盤あたりの楊令大活躍あたりで、もう嫌気がさしてたんだよね
梁山泊の滅びを見届けるもの&チョウ蓋や宋江の託す次世代の象徴くらいにとどめとけばよかったのに
俺の場合、もともと水滸伝ファンで、あくまで北方アレンジの水滸伝を楽しんでたわけで
オリキャラが原作の百八星以上に活躍する話なんて求めてなかったんだよね
だから、それがさらに加速されることが予測された楊令伝ははなから読む気がなかった
極端な話、祝家荘編終わったあたりで
宋江「俺たちの戦いはまだこれからだ!」
でジャンプ的打ち切り終了しとけば、誰からも惜しまれる名作になった気がする
ほんとうに昂奮の連続だったのは、祝家荘戦までだな。その後の数巻は序盤のクオリティの
高さを維持している部分が半分以上を占めていたから、まだ楽しめた。しかし、退屈に感じられる
部分もポツポツ出始め、その割合は巻を追うたびに増加する。
楊令伝になってからは、退屈さ全開。ごくまれに方臘戦のある部分のように、水滸伝レベルの
叙述が顔を出すが、ほんとうにごくまれになので、他のつまらない大部分の印象が優ってしまい、
褒める気にもならない。
祝家荘戦ではいっきにキャラが増える。あの巻そのものは上手く処理できていた。
晁蓋の出番を大幅に減らす等の工夫をしてな。
しかし、祝家荘戦で大幅に増加した同志に役割を付与してゆくのに時間がかかったな。
新加入キャラのエピソードばかりやっていると、物語が前に進まないし、祝家荘戦
以前に加入したキャラでも、欧鵬や阮小七のように、なにをやっているのか不明な奴
も多くいた。あの巻の大量加入を契機として、若干減速した感はある。
それにもってきて、楊令だ。楊令は梁山泊に置いておけば良かったな。二竜山で秦明
に子ができたのなら、朱貴の店でバイトでもやらせておけばいいんだ。
同じことを繰り返すだけの子午山は、早めに鮑旭と馬麟を梁山泊に送って、その直後
に王進親子は青蓮寺に殺されればよかった。
子午山を好きな読者も多いようだったが、せいぜい鮑旭と武松と史進を受け入れたあたりで
役割は終了で、その後は同じことのくどいくどい繰り返しだったからな。不要だった。
水戸黄門を観ている年寄りじゃないんだから、子午山で何度も同じことをやっていると、
“飽きた”を通り越して、子午山の存在そのものが腹立たしいものになっていた。
王母が死んだ頃には、王母の存在がうざくなっていて、「やっと死んだか、糞ババア」という
状態だった。マンネリは嫌われるからな。嫌われないうちに消してやらねばならんよ。
子午山は変人を母の胎内に戻すという役割を担っていたようだが、『リアル世界に存在する母の胎内』
といった妄想を抱いたことのない人間にとっては、サッパリ理解できない存在だったからな。
三回ぐらいバカを叩き直して、消滅でよかった。
>>818 森光子主演で「方臘記」というタイトルでよかったんでねぇ?
>>822 水滸伝終盤の楊令を見て、楊令伝をまったく読まないと決めたのなら、
偏差値75以上だね。
まあ一般的には、生き残った原典キャラを読みたいと思って、一度は
楊令伝を手に取るだろう。ただ、タイトルが楊令伝というところで、暗雲
が立ちこめたわけだが、それでも一度は読んでみたいと思うのが人情。
>>823 おいおい、108人が揃うまでは、やらんとダメだろう。
でもまあ、宿元景戦と童貫戦の二つは不要だった。
まとめて禁軍戦1回でよかったな。
もったいぶって2回もやるから、趙安と董万をあちこちで使いまわし、
結果として、趙安と董万は印象が薄くなった。
似たような状況でキャラを使いまわすと、キャラの印象が薄くなる。
何度も梁山泊が占拠した北京大名府の戦いなんて、読み終わってしばらくすると、
どれがどれだか思い出せなくなる。数回の北京大名府占拠のドラマが差別化できなくなるのな。
傑作として後世に作品名を残そうと思えば、こういうことはやっちゃいかん。
>>829 それから馬万里など十名ばかりの将校がいたが、そのうちの半数を宿元景戦に出しておくとかな。
童貫戦で童貫とともに大挙して登場したため、全員同一人物みたいで、まったくキャラが立って
いない。半数を先出しすることで、童貫軍の実力も窺われるし、また指揮官が童貫でないと、
彼の幕僚も十分実力を発揮できないことも証明されて、童貫像が一段と巨大になる。
「すごい」「天才」と口で言うのは簡単だけど、言われている読者の側はどこがすごいのか、サッパリ
わからない。上述したような構成上の工夫で、童貫軍の将校のすごさも、童貫の天才も、
いくらか理解しやすくなる。
漢陽の商人梁興の名前は、なんとかならんのだろうか?
三国志の梁興を思い出していかんのだが。
岳飛は南宋へ行ったんだな。知らんかった。
戦場では殺しにくい戴宗・張横のようなキャラを先に殺して、残りは南宋、ひょっとすると南宋
と金の連合と梁山泊の戦いで殺す、梁山泊が滅ぶという段取りだな。
一部が生き残って原典の李俊のようにシャムへ行くという展開があるのかもしれん。
そうなっても、もう読む奴もいないだろうが。
劉光世が岳飛に「韓世忠と会っておけ」と言っているから、金と南宋の戦いの有名場面は、
梁山泊との戦いに振り向けられるのだろう。
「いまから命じておこう、呂皖。太湖を一望のもとに見下ろせる前方の高地を落とすことが、
貴官の任務である」
「必ず。しかし、この野砲陣地から発砲しますと、味方の歩兵や騎兵を撃つおそれがあります」
「かまわん」
「それはできません、呉用殿。陛下の赤子を味方の大砲で殺すなど、許されることではありまっしぇん」
「その陛下の赤子を無益に殺してきたのは、貴様らではないのか?」
「そのことについては呉用閣下にも責任があります。わが軍が砲弾を至急送れと懇請しても、いつも
閣下は退けてこられた」
「なにー、ぬしゃーわしに喧嘩を売る気か?」
呉用は、呂皖の頭髪をつかみ上げて、怒鳴った。そのとき初めて楊令が口を開いた。
「呂皖。呉用の言う通りにせよ」
>>806 力押しの戦を活字媒体で表現したって面白くないだろう。
相撲やボクシングを小説にしたって、生で見る迫力に優るはずがない。
それどころか、ラジオで実況中継を聞くのでさえ面白くない。
勝敗に一喜一憂しているだけだ。
力押しの戦の客観描写ではなく、作戦の進捗ぐあい、敵の作戦にまんまと
嵌ってしまった人物の心理などを描いてゆくしかないだろうに、
いったい何をやってんだ?
力で押す戦って幼稚園児のおしくらまんじゅうと変らないよねw
子どもでもドッジボールをやる年齢になれば作戦を考えるからな。
正面の敵の反射能力が優れていれば、ボールをぶつけても倒せない。
正面の敵にボールをぶつけるかのごときフェイントをかけて、真横にいる油断した敵を倒す。
多少は頭を使って闘ってもらわんと、読めたものではない。
さすが北方と称賛されるような、小難しい作戦に拘泥して、結局、作戦なしの戦になっている
のではあるまいか?作戦なんて小難しい原理があるわけではなくて、相手に実力を発揮させ
ないように、混乱させ、疲れさせ、油断させる。その程度のものなんだがな。
あるいは、味方が最も効率的に戦略目的を達成する。味方の士気を高めるための統率上の
工夫をする。そのような作戦があれば、小勢の軍が兵数において優る軍に勝利しても納得できる。
作戦なしに力と力でぶつかり合い、常に少数が多数に勝利しているのでは、馬鹿だ。
ドッジボールをしている小学生にも劣る。
それと人の死を、結果だけで同一視するのは幼児の発想だぞ。
戦で死ぬ、権力の皆殺しによって民が死ぬ、殺人犯に殺される、自動車事故で死ぬ。
人の死の重大性を残された遺族の側から観察すると、死であることにおいて重要性
に違いがないのかもしれないが、社会的非難の度合は夫々について、著しく異なる。
なんでも一緒にしちゃダメだぞ。
戦場における敵兵士の殺傷と、平時の殺人事件を同視してしまう阿呆な日本人が
ウジャウジャいた時代もあったのよ。
楊令は幻王の殺戮・掠奪に関して、王進にむかいきっぱりと「自らに恥じるようなことは何もしていない」
とほざいておったよな。幻王の所業の何が非難されているのか、心底わかっていらっしゃらないのではないか?
国家の命令で多くの兵士が戦場で死ぬ、新しく権力を作ろうとする志を持った者が
罪のない民を殺すのと違いはない。違いがあるとする社会倫理や法があるなら、
その倫理や法が間違っている。
敵味方ともに武器を持って相手を殺傷しようと戦場に出てきている者どうしの戦いと、
一方的に殺害の意思を有する軍隊が、武器も持たず相手を殺傷する意思もない民
を殺す行為が、どうして同一視できるのか、わけがわからんな。
幼少時に見た二竜山の山賊の殺戮と掠奪こそが権力にほかならないと、幼心に強く印象づけられたと
正直に言えばいいのにな。
>>844 原始時代の原始人は、両者を区別していなかったんだよ。
12世紀の歴史を書くのではなく、野生動物の実態を描写する小説を書いたほうが賢明だと思う。
エーライヤッチャ
エーライヤッチャ
ヨイヨイヨイヨイ
♪ /i /i /i
♪ ∠_ノ ∠_ノ ∠_ノ
〈(・∀・)ノ・∀・)ノ・∀・)ノ カワッタ カワッタ ヨウレイドノハ カワッタ
`└i==|┘i==|┘i==|┘
〈 〈 〈 〈 〈 〈
 ̄  ̄  ̄
|
\ __ /
_ (m) _ピコーン
|ミ|
/ .`´ \
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(・∀・∩< 敵兵の殺傷と民の皆殺しを同一視できない俺は、ブルジョア刑法に洗脳された馬鹿なんだ
(つ 丿 \_________
⊂_ ノ
(_)
>>846 人間社会を野生動物の社会と同一視することが好きなやつは、
女王を中心とした秩序ある社会を作る蜂や蟻とは、人間を同一視しないんだよな。
幻王の殺戮と掠奪については、その後の展開に期待した読者が多いのではないかな?
前作からの流れからすると、幻王は悪役そのもの。物語の構造を180度逆転させたわけだ。
この先、この冒頭の重大なエピソードに、どのような決着をつけるのだろうと、興味がわいた
読者は多いはずだ。
ところが、2巻開始早々に愚にもつかない正当化で失笑され、それでもほとぼりが冷めないので、
4巻あたりで「楊令殿は変った」の大騒ぎ。
これでは、読者が肚を立てるのも、もっともだと思うよ。
それから、幻王の殺戮・掠奪は、別な意味でも期待を高めてしまった。
本格的歴史小説になるのではないかという期待だ。
つまり、現代人の価値観で希釈されない12世紀の中国の歴史ドラマが展開されるのではないのか
という期待を高めてしまったんだ。
12世紀なんで完全な法治国家ではない。安定した法治国家で生まれ暮らし、権力の成り立ちの根源
まで突き詰めて考える癖のない戦後日本人に、800年前の権力の実像を読ませるための工夫に
満ちた作品になるのではないかと期待させちゃったんだな。
ところが、宋金同盟締結の年が違う。呂英のキャラが前作19巻と違う。楊令を頭領に迎えることに誰
ひとりとして反対しない。しかるに、前作からの志を引き続いき述べる。実現できない志が志と言えるか
と逆ギレしたかと思うと、経済で統一するなどと安易な方向転換を見せる。
結局、何も考えずに書き始めたのか、という疑念を抱かざるを得ないのな。
楊令が180度変ってしまったのに、彼を頭領に迎える梁山泊の面々の意見が二つに割れず、
みな神を迎えるかのように楊令を迎えてしまったから、つまらなくなったのだろうな。
全員一致だとドラマが生まれるはずがない。
なんでも全員一致で決まるのなら、国会もいらない。言論の自由もいらない。楊令伝もいらない。
第1巻で大暴れした幻王の実像が、第2巻で明らかになった。
それが、つまらなさすぎた。とても頭領は無理だと思えるようなクズを、
作中の梁山泊の面々だけが無条件に頭領に推す。説得力がなかったな。
とにかく注目を集めたいので、納得できる決着も考えないで主人公の性格を正反対にしてみた。
とくかく票が欲しいので、財源もないのにガソリン税の暫定税率は廃止すると言ってみた。
でも、どうして楊令を頭領にしなきゃならなかったの?
ここがこの作品の永遠の謎として後世に残ると思う。
脳味噌が溶岩流状態になっていて、主人公=頭領という風に、頭の中がショート
してたんじゃないの?
頭の中がショートして、呂英が呂牛になってしまった。
あとでそのことに気づいて、呂牛は時遷にシンパシーを抱いていたと、呂英との違いを
示すことにやっきになった。そうすると、ますます呂英が19巻の呂英から遠のき、呂牛が
19巻の律儀な呂英に近づいてしまうのに、そのことは一顧だにしなかった。
けだし、脳味噌が溶岩流状態になっていた。
毎月百五十枚から二百枚の原稿を書いているので、全部書き上げてからすばるの
編集部に原稿を送るのではなく、書き上げたところから順次分散して送っていた。
趙仁が長江の北に信徒の兵を配置して童貫軍に対応すべきことを先月書いていた
ことに気づいたのは、童貫軍がすでに長江を渡渉した後だったのだ。
しかし、原稿はすでに編集部に送ってしまった。苦しい言い訳になったが、趙仁が
長江の北に送った信徒の軍の役割は、自然に変化したのだとするしかなかった。
「そんなことを質問しているのではありません」
そうだ。梁山泊の会で受けた質問は、そんなものではなかった。でも、ちょくちょく
2ちゃんねるを覗いているので、梁山泊の会に集まった百八人の読者の顔が、すべて
無名草子さんに見えてしまったのだ。不覚だった。質問されてもいないことを答えてしまった。
>>854 楊令の性格の逆転にどのような決着をつけるかを、あらかじめ準備していなかったのは、
先送りが大好きな鳩山内閣と同様だけど、燕青の言った幻王の殺戮・虐殺の正当化理由は、
幻王の行為が不評だったために、急遽思いつた理由を述べた感じだったな。
本当はもっと時間をかけて考えて、説得力のある決着をつけたかったのではなかろうか?
| 原稿は順次編集部に送っているので、
| 信徒の軍の役割は自然に変化したのです。
|
 ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ヘ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ < そんなことは質問していませーん
___/ ヘ (´∀` ) (´∀` ) (´∀` ) (´∀` ) \_____________
\ ∧_∧ ) ∧_∧ ) ∧_∧ )∧_∧ )
/ |. (´∀` ) .(´∀` ) (´∀` ). (´∀` )/|
; \_| (____) (____) (____) (____)
\| / ./|./ /|./ /|/ /|
/ | ̄ ̄ ̄|/| ̄ ̄ ̄|/| ̄ ̄ ̄|/| ̄ ̄ ̄|/|
/ || ̄ ̄ ̄|| || ̄ ̄ ̄|| || ̄ ̄ ̄|| || ̄ ̄ ̄||
二二二ー―-,-、
/ \
まあ、好意的に解釈するなら、水滸伝ファンというものの嗜好を想像して、過剰に水滸伝ファンに
気を使いすぎたのだろうな。それは、早期に旧同志を梁山泊という拠点に集め、宋軍との戦いを
梁山泊だけでやらせよう、そして梁山泊が童貫軍に勝利するようにしようということに固執した点に
表れている。さらに、水の滸りの物語なんで、本拠をいちどは洞庭山に決めた点にも表れている。
楊令が第2巻で、「いま宋と闘っても勝てない」というのは子どもでもわかる道理だ。だから急ぐ
ことはなかった。また、水の滸りの梁山泊に108人が結集して宋軍と闘う物語は、すでに前作で
やったことだから、同じことを二度繰り返す必要もなかった。旧同志が金軍や方臘軍に分散し、
あるいは山賊として生き長らえ、連携して宋を倒す物語でもよかったんだ。
同志の連絡は飛脚通信網が健在だし、水軍は自由に動けるし、糧道である塩の道も健在。
これらのネットワークを生かし、戦闘そのものは、実際の史実の流れに沿って、その中に梁山泊の
キャラを分散して関与させるというので十分だった。
そうすれば、20歳の楊令を無理に頭領にする必要もなかったし、無税の新しい国なんていう
バカバカしい話をする必要もなく、戦闘シーンの充実に力を集中し、国の滅びと新国家の成立という
ダイナミックな歴史の変動の中で、梁山泊の人物たちを縦横無尽に活躍させることができた。
北宋滅亡の直接の要因となった童貫軍の敗北というこの物語の中心部分において、
金軍は申し訳程度に宋軍と戦うだけで、ほぼ梁山泊軍が単独で童貫を倒したのが、
最大の糞だと思う。原典ファンに気を使ったのかどうかは知らないが、最もつまらなく
なる展開を採用した結果になった。話を単純化しすぎで、せっかく大勢の人物を他陣営
にも登場させながら、そのことをまったく生かしていない最低の展開だったと思う。
方臘の残党も、ドウカン・ファイトの時点で、まだ数万の宋軍を引き付けておく勢力として
残しておいてもよかったんだよな。南宋建国について李富と童貫の間で意見が分かれ、
李富は童貫軍の幕僚の何人かを引き抜く段取りをつけ、彼らのサボタージュによって
童貫軍の力が弱体化するという話があってもよかった。楊令は梁山泊軍を率いるのではなく、
童貫軍滅亡までは、金軍の有力武将として宋領内に進攻する役割でもよかった。
金軍、方臘軍、遼軍に、様々なキャラクターを準備しながら、この物語の中心である
ドウカン・ファイトが童貫軍と梁山泊軍だけで闘われたことが、宝の持ち腐れというか、
意味もなくキャラを増やしただけというべきか、とにかく無駄の多いつまらない物語だったな。
贅肉だらけの小説で、メインの部分である梁山泊の領土獲得戦や童貫戦という
ひきしまった筋肉部分が少しも目立たないのな。結局、すべてが贅肉のような小説になってしまったな。
>>852 楊令を頭領にするというのが既定路線で、タイトルまでが楊令伝なんで、第1巻で設定した
幻王のキャラを貫くことができなかったんだろうな。
楊令が重要キャラのひとりにすぎないというのであれば、第1巻の性格のまま突っ走らせて、
童貫を倒した後で、名も無き黒騎兵の兵に裏切られて殺されるという展開でも面白かった。
まあ、旧同志の全員一致で楊令を頭領にしたのが、つまらなさの最大の要因だわ。
楊令が自分で「汚れた」と言っているのに、燕青が「俺たちを舐めるな。おまえはかくかくしかじかの
理由で民を殺し、強盗をし、誘拐をしたのだ。悪くない」と言っているあたりは狂気すら感じたな。
燕青の言っていることは、まったく幻王の行為を正当化していないんだ。
民の皆殺し・・・1度やっただけで2度目はやっていない。
強盗・・・合法的に商人が集めたカネを非合法に返してもらっただけ。それ犯罪やんw
誘拐・・・若い娘を攫っただけで、ババアは攫っていない。刑法225条の結婚目的の誘拐だ。悪くない。
汚れた仕事というのを、非合法な闇塩の取引や、拉致した敵の間諜を拷問にかけることぐらいに
止めておけば紛糾しないで済んだのにな。
梁山泊も戦場では散々敵兵を殺している。民が敵軍の兵となって戦場へ行けば殺されることもあるから、
アバウトに同じことと考えたのかも知れないが、全然違う。
司馬の「愛染明王」の冒頭で、まだ戦に出るような年齢に達していない福島正則が、
殺人事件を起こす場面がある(当時14歳)。異常児と評されている。
戦国時代であって戦で多くの兵が死んでゆく時代ではあっても、平時の殺人は殺人
でしかないことを確認するような叙述だ。そんなこともわからない読者も少ないかとも
思うが、中学生の俺は戦国時代の殺人事件なんてものを想像した経験がなかったから、
なるほどなと思った。
>>864 なんとなく結論が出てきたな。幻王の殺戮・掠奪キャラというのは、使いようによっては、
この作品の中で、面白い役割を果たす可能性はあったんだよな。
やはり楊令を頭領にしたのが失敗。頭領であるからには、幻王時代の犯罪を正当化しなければ
と無理をしたのが失敗。楊令じしん、「汚れた」と言ったり、「自分は間違ったことは何もして
いない」と王進に言ったりと、発言がぶれまくっているのが失敗。「楊令殿は変った」と
インスタントな鎮静化を図ったのが失敗。
>>855 作品の中では、楊令以外に誰がいるんだという書き方をしておられたが、
原典の縛りのないオリジナル小説なんだから、やろうと思えば誰を頭領にすることだって可能だ。
白勝や金大堅を頭領にしたのでは、さすがに「ふざけるな」の声が上がるだろうが、軍団長クラス
なら頭領候補として不足はないし、そもそも次世代がそれなりの年齢に達するまでは、聚義庁は
合議制でゆくというのが、暫定的な措置としてはもっとも妥当性があっただろう。
とにかく楊令を頭領にしたことで、他のキャラの発言はいっさい封じられ、楊令以外の人物は
自分は二流だという以外には、何も自分の意見を言わなくなって、著しく魅力を低下させたな。
自分の意思や主張をしない人物は、風貌や雰囲気が視覚を通じて伝わるリアル世界や映像
作品ならともかく、活字媒体ではいっこうに魅力が伝わらない。
無口な高倉健は映画でこそ魅力があるが、無口な人物を活字にすれば、客観描写では存在
しないに等しい。原典の登場人物には、もっと自分の主張や意見を、楊令と対立してでも言って
もらいたかったな。
総合すると、原典のキャラが好きな読者にとっては、書いてもらわないほうが良かった続編だったね。
冷めた焼き餅みたいで固くて食えなかったな。
前作よりはテンションさがっても、せめて冷めた焼き芋ぐらいに、食える代物であってほしかった。
いま旧作映画のDVDが1000円で買えるのな。一度見た映画でDVDを買っても間違いなく10回以上
見るだろうという気に入った映画なら、小説を買わないで、DVDを買うからな。
もう小説家どうしで誰が売れているかということを競えるような牧歌的な時代じゃないぞ。
本以外のツールに売上を攫われるか、活字媒体としての魅力を存分に発揮して、他のツールの売上
を食うかという競争の時代だろう。もっと、しっかりせんと。
小説も劇画のようにスタッフを揃えて分業制にしないと、他の娯楽に太刀打ちできなくなる
時代が来るのではないかね。
楊令殿と同じで、いまのところ、まったく分業はないからな。
作家の仕事というのは、何でも一人でやる楊令殿なのかもしれん。
ひとりでやっていると独善に陥ったときに、どうしようもなくなるな。
読んでみるまでは内容がわからないから、読んで不快感・嫌悪感が生じたときの
読者の治癒が必要になる。その点で、このスレは非常に役立っている。
>>862 これといった面白いストーリーがないので、新キャラを登場させることだけが
この小説における目ぼしいイベントになっていたんだよ。一度登場させると、
次の出番が中々回ってこなくて、意味もなくキャラだけがウジャウジャ増える。
海岸で見かけるボラの稚魚の大群を見ているようだった。
>>877 水滸伝は、原作に登場する百八星という無駄に大量な人物にそれぞれ個性付けするという目的があったから
キャラの多さ、部隊長やハンコ職人なんて組織の細部の人間を描くのにも意味があり
多少の冗長さも許容できる範囲だった
しかし、オリキャラ作ってまでそんなこと無理矢理やれとは、少なくとも俺は望んでない
せいぜい二、三巻程度の、楊令を中心にした生き残りのその後の生き様程度にとどめとけば
こんな失敗はなかったんじゃないかな?
無理に水滸伝的壮大なストーリーを続編でもやろうとして、グダグダになった感じ
>>878 原典の地サツ下位キャラの中には、108人の数合わせで登場している無個性キャラも多い。
北方水滸伝では、それら凋んだ風船に空気を入れている。そういう部分は冗長というより、
むしろ長所と言ってよかったと思う。
楊令伝の新キャラの中堅以下は、まさしく凋んだ風船。たいしたエピソードもなく登場してくる。
その新キャラについて、いつドラマが始まるんだと思っていても、いつまで経っても始まらない。
初登場場面がすべてなんだわな。あとは無名戦士として闘うのみ。
北方水滸伝の長所は、楊令伝では影も形もなくなり、原典以上に無個性キャラの羅列となって、
楽しめるところがなかったな。
その上、すごい楊令殿がはじめっから頭領になっちゃうもんだから、個性的だった古参キャラ
まで無個性になってしまう。
一君万民思想は、万民を平等にするということだが、平等ということは無個性でもあること。
楊令一人を突出させることで、楊令にひれ伏す古参キャラは、無惨なまでに無個性になった。
そして、その楊令が、物語中の最大の嫌われ者。救いようがない。
その結果、感情移入できるキャラ、共感できるシーンが皆無なのな。
下手な鉄砲を数撃っても当たらないという小説になってしまった。
下手な鉄砲13発目の発売日は4月26日です。
>>878 関心があったのは生き残りの原典キャラだけなんだよな。
前作では登場場面の少なかった兵站要員などは、新国家の大臣クラスに成長させればよかったのに。
戦闘には不向きだけど、文官としてなら大物になってもいい。
戦の場面も、初めから終わりまで逐一描写する必要はなかったな。特に方臘戦と燕京戦。
一冊の本の中に戦場面がまったくないと盛り上がらないけど、梁山泊がかかわらない戦
まで逐一描写する必要はないと思う。ましてフィクションの戦。史実を掘り起こしたものならば、
逐一書かれた戦の全貌に興味を持つ読者もいるだろうが、フィクションの戦に史実ほどの
魅力があるのだろうか?ゴジラや仮面ライダーやタイガーマスクの戦いと基本的に違いは
ないよね。キャラの魅力をアピールする部分だけを抜書きすれば十分で、序盤から終結まで
すべてを書いても退屈なだけ。
俺がすばるを読むのをやめたのは、岳飛と蕭珪材の戦の回からだけど、戦が始まろうとする
最初の20行ぐらいを読んだだけで、その後を読む気持ちが失せた。ドウカン・ファイトの始まり
の部分とそっくりだったから、その後もいつもと同じだろうと思って、うんざりしただけ。
楊令の新国家構想をはじめ、やけに60年代ゲバ棒君思想が目につくのがこの小説の特徴だ。
だが、それを作者が熱意をもって書いているのかというと、そうでもないような気がしてならない。
そういうことを本気で書きたいのなら、60年代の日本を舞台にした現代小説を書けばいいわけだ。
どうして水滸伝の続編で、そんなことをやりたいのか理解に苦しむ。
邪推かもしれないが、本作品の準備に十分な時間が作れず、史実や時代背景について十分な
準備ができなかったために、ゲバ棒君時代に毎日考えていた妄想を、埋め草として使ったような
印象を受ける。若い頃に毎日考えていた妄想ならば、準備なくしてアドリブで書ける。
『Beatles For Sale』のレコーディングまでに、十分な数の新曲を用意できなかったポール・マッカートニーが、
学生時代に作曲した“I'll Follow The Sun”を埋め草に使ったようなもんか?
半分はつまらないけれど、残りの半分はそこそこに面白ければ、叩くことを躊躇するよな。
好きで読んでいる読者もいると思うと、多少は遠慮をする。
しかし、ここまで見事な失敗作だと、叩くことに良心の呵責をまったく感じない。
生半可な失敗作よりも、100%の失敗作というのは、痛快ですらある。
その意味では、素晴らしい作品だ。
>>883 そこなんだよな。晁蓋や宋江が頭領だったときは、職人キャラもいまよりもずっと魅力があった。
短い登場時間の中に面白いエピソードを満載して、職人シーンもとても楽しめた。
楊令というのは核爆弾級の破壊力があるよ。水滸伝時代に魅力のあったキャラが、例外なく魅力
がなくなった。終盤に圧倒的な存在感を示した童貫ですら、楊令伝ではバカに見えた。
「楊令と闘いたい」
笑わせんな( ゚д゚)、ペッ
読者に人気のあった登場人物を選んでは、「楊令すごい」を言わせていたよな。
そんなことをすると、楊令は、他のキャラの人気に便乗するしかない情けない
主人公になってしまうということがわからなかったのだろうか?
890 :
無名草子さん:2010/03/12(金) 15:03:18
楊令本人の内から滲み出てくる魅力がないから、他人に「すごい」と言わせるしかないだろう?
他に方法があるか?
>>865 幻王の殺戮・掠奪が、これほどまでに嫌悪感を呼び起すのは、読者が現代の倫理観で幻王の行為
を評価するからだ。12世紀なんだから、現代の価値観で判断してはいけないよ。
読者が現代的倫理を作品に持ち込むのは、この作品に現代の臭気が漂っているからだよ。
幻王が殺戮・掠奪をするのと同時並行で、青蓮寺の残党狩りが進行していた。
秦容や公淑の似顔絵まで準備している青蓮寺の組織の力は、とても12世紀のものとは思えなかった。
この青蓮寺の捜索能力のすごさが読者の意識に「現代」を吹き込んでしまったんだよ。
その意識のままで幻王のパートを読むと、読者には幻王の行為が犯罪にしか見えない。
青蓮寺の捜索能力が12世紀らしい間抜けなものであったならば、読者の意識に12世紀が吹き込まれ、
幻王の殺戮・掠奪の評価も、違ったものになっていたと思うよ。
893 :
無名草子さん:2010/03/12(金) 15:15:21
それって結果論だろう?
結果論だよ。事前に読者が作品のあるパートに影響されてどのような意識を持つかまで計算して作品
を書くことは難しい。構想・執筆・推敲に莫大な時間を要することになる。
しかし、そういうことまで考慮して作品を作っている作家や・映画監督もいるよ。
そういうことが書かれている評論の一部を、楊令伝に当てはめてみた。
>>888 戦にしか興味のない童貫というキャラは、安道全の軍人版なんだろうか?
職人なら自分の職に関係すること以外にまったく興味がないというキャラクターに好感が
持てたが、軍人の場合、政事との関係を無視することはできない。とくに政事と軍事が
不可分で、文官ですら軍を率いていた北宋の時代、童貫のキャラクターは奇妙でしか
なかったな。
水滸伝の童貫は、戦の上手い軍人という側面が目立っていたから、変人ぶりは後退していた。
梁山泊にも勝ったしね。
ところが、楊令伝では負ける。そのせいか卓越した軍人の側面よりも、政事に無関心で、自分
の闘う姿に惚れ惚れしているナルシストにしか見えなかった。
梁山泊の古参キャラの劣化は目を覆うばかりで、それとの比較で出番の多い童貫は準主役の
扱いだったが、キャラ的には水滸伝時代ほど面白くないね。
とにかく長すぎる小説だった。方臘戦・燕京戦をいつまでやるつもりだと飽き飽きしていたら、
終るときには唐突に北でも南でも戦が同時に終ってしまい、戦の傷痕や、そこに登場した
人物が後の物語に影響することなく、物語から一斉に退場してしまう。こういうところは、嫌
だったな。話の流れはスムースではない。
水滸伝では、ひとつの話が終る前に、次の話の芽が徐々に大きくなってゆくという構成になっていて、
流れが非常に良かった。例えば、祝家荘戦の終了前に、張藍生存の噂を聞いた林冲が、無断で
戦場を離脱する話。各巻、このようなきれいな流れになっていて、楊令伝のように、個々の話が
ぶつ切りになっていて、ひとつの話が終ってから、「さーて、次は何をしようか」みたいなところは
皆無だったな。
同時並行で進行していた二つ、三つの話が、あるところで絶妙にクロスするといった卓越した技も、
楊令伝にはまったくなかったな。漫然と二つの話が同時進行することはあったけど。
まあ、粗探しをすると、全部糞というのが楊令伝。
傑作水滸伝としか比較されない続編のつらさだなw
>>897 戦の傷痕は、あとで取ってつけたように、童貫軍の将兵のトラウマとなって表れたがな。
ところが、度人を行ったのは方臘の正規兵ではなく信徒なのに、梁山泊軍に参加した
正規軍が信徒扱いされている。いちおう呉用によって正規兵は信徒の大量の死を見ていた
から、信徒と同じなったという説明はあったが、これは噴飯もの。俺は毎日外人の顔を
見ているが外人にはなっていないw
おまけに、燕京戦に参加した部隊が、方臘正規軍を見て、あるはずもないトラウマに
悩まされるという糞展開w
もう立ってられないぐらいに笑っちまいましたよwww
903 :
無名草子さん:2010/03/12(金) 16:55:04
すでに書いたところを読み直す時間の余裕ができるようなスケジュールで書いてほしかったね。
>>895 女性向けの恋愛ドラマにたとえると、一途にひとりの男を愛する、むかしパターンなんだよな。
自分の職能を愛し、一途に職能のみを追求し、他にはわき目もしないという純粋性を至高のもの
と位置づけたいようだけど、そんなの最近はやらないし、どちらかというと嫌いなタイプに属するね。
それでも安道全の純粋のように、周囲がユーモアを感じてくれれば、面白いエピソードも作れるけれど、
シリアス・ムードの軍人でこれをやられると、嫌悪感とまではいわないが、やるだけ時間の無駄、
全然おもしろくないですよ、という感想しかもてないな。
まあセオリーどおり、宋の内部に童貫の足を引っ張る奴がいて、童貫が少数の梁山泊に
負けるというパターンを踏襲すべきだったな。
セオリーどおりを極端に嫌う作家でもないと思うのだが、楊令伝では準備不足のうしろめたさを
糊塗するためなのか、ことごとくセオリーの逆をやって、ことごとく失敗した。
>>887の100%失敗作というのは誇張でも何でもない。そのとおり。
戦の場面をどうするかだけでも、かつて調べたことを復習して、万全の体制で楊令伝に
臨んでもらいたかったな。三国志の頃と比べると、戦の描写は滅茶苦茶よ。
>>900 叩いてホコリの出ない箇所がないんだよな。全部やると疲れるから、誰もやらんけどw
>>881 このキャラ俺にそっくりだ。
俺にもこういうことで悩んでいた時期があったよなー。
こういう経験、俺にもあるよ。
こういう奴、いるよねー。
ほんと無いんだ。一箇所も。もう12巻も出ているのにwww
いったいどのような読者を想定して楊令伝を書いているんだぁ?
>>901 あのトラウマも、ほんと頭の中だけで考えた観念の産物で、リアリティがなかったな。
部下のことで悩んでいる韓成も、暗いし、うざい。
そんでもって、秦容の幼馴染の女をレイプして、呉用か誰ぞが、「韓成には、ああいう
女がピッタリなんじゃ」
なんのことかサッパリわかんなかったわ。世間一般の将棋のルールと違うルールで将棋
を指す人と、対局しているみたいだったぞ。
個々のキャラの登場時間は極端に短いのだから、あっちこっちでキャラを使いまわすべきではなくて、
郤妁は秦容の恋人でいいだろうw?
水滸伝は個々のキャラのエピソードにページを割くために、戦の一部を大胆にカットしていたな。
それがために、林冲騎馬隊の襲撃場面をあえて読者に見せず、その強さを神秘的なものにして
いたし、なにより特徴のない戦の開始場面などは大幅カットで、読者は退屈から免れることができた。
原典ネタ尽きたし、オリジナルのエピソードを作っている暇ないし、戦をダラダラやっていたほうが、
ページがはかどるのよ。
>>898 >ひとつの話が終ってから、「さーて、次は何をしようか」
楊令すごいのせいで全キャラの魅力喪失が生じたのが、この小説のつまらなさの第一。
戦のダラダラ感が、この小説のつまらなさの第二。
不必要に長く、一行で言えることを四〜六行に水増しした長い会話が、この小説のつまらなさの第三。
新キャラにプロフィールがないのが、この小説のつまらなさの第四。
戦の場面が騎馬隊ばかりなのが、この小説のつまらなさの第五。
ひとつの話が終ってから、「さーて、次は何をしようか」というアイドリングが長すぎるのが、
この小説のつまらなさの第六だな。
文芸書といえども商品には違いないから、最小のコストで最大の利益を目指してくれても
かまわんけれど、まあ印刷・製本・流通コストを押えるぐらにしてもらいたいわな。
作者の時間的コストを最小にしてもらったんじゃ、面白くない。
それでも新作かつ単行本1冊であれば問題は小さいが、これは水滸伝の続編かつ15巻の
大作だ。そこのところに配慮は必要だったんじゃないかね?
>>906 500人程度の小部隊による戦闘シーンがいちばん面白いのは、個々のキャラの動きを
詳細に描けるという技術上の理由もあるけれど、やはり作者のゲバ棒君時代の体験
が生かされているからじゃないかな?
そうすると1万以上の大軍の戦いという未体験の戦闘を描く前には、ある程度勉強をして
もらわんと。過去の作品における経験の蓄積があるから、それを生かせば乗り切れると
考えられたのかどうかは知らないが、三国志と比べると、大幅にテキトーになっているよね。
三国志と比べると、登場人物の品格が、日本人と朝鮮人ほど違うな。
楊令伝の登場人物は、言葉遣いだけでもいいから、まともにならんかな?
「おう、言ってくれるじゃねえか、侯真」
「小僧がどれぐらい根性を出せるか、見てみてえもんだ」
三国志が、次郎長三国志になったみたいだ。
物語全体のトーンと適合してないんだよな。まあたくさんのキャラを書き分ける必要なのはわかるが。
まあダラダラと長い会話じゃなきゃ、それでいいや。時々単行本で4ページぐらい喋り続けているときがある。
あれは疲れる。まあ会話の場合、下半分真っ白でも改行できて、いいんだろうが。
「みなさんが大嫌いな国語の宿題に、作文というのがありますよね。嫌いでしょうw?実は、僕も
小学生のころ、作文が嫌いだったんですよ。200字詰原稿用紙に4枚作文を書けって言われますとね、
何を書こうかと迷っていたんです。そこで、今日会場に来てくださった方々にだけ特別にね、原稿
用紙1枚の作文を4枚に増やす秘伝を、ご教授しようと思うんです。手品みたいな話ですけれどね、
これが本当に出来ちゃうんです。テキストの15頁を開いてください」
【元の文章】
水滸伝の続編の楊令伝は、つまらない。
【4倍に膨らませた文章】
「楊令伝って、面白いの?」
「なんだっけ、それ?」
「ほら、水滸伝の続編の・・・」
「ああ、あれね。つまんないよ」
「どうです、簡単でしょう?これで、作文の宿題の10枚や20枚、へっちゃらでしょう?
でも将来小説家を志している人は、こんなことしちゃだめですよ。編集者に原稿を突き返され
ますからね。こんな小説で飯が食えるか、地下鉄工事にでも行けと怒られちゃいますよ。
とくにかけだしの間は、こんな水増し、やっちゃだめですよ。
ところが、ベテランになるとやれるんです。編集者なんて年下ばかりになりますからね。
こっちの方がこの業界長いんだぞ、みたいな大きな顔していれば、若い編集者はおっかなくて
怒れませんからね。僕なんか髭はやしているでしょう。最近、白くなっちゃいましたけど。
この髭面で、なんか文句あるって構えていれば、怒れないんですよ」
>>912 董万と双頭山の戦いは、梁山泊軍が董万軍に山頂の砦に追っ払われたシーンから
始まった。戦の見せ場は後半にあるのだから、あれでよかったと思う。
楊令伝は、どの戦も、始まりからなぞるように全部描写する。そこが、退屈。
戦の合間のエピソードが少なく、かつ新登場のキャラの紹介に割かれることが多い。
それで、それ以前に登場した重要キャラであっても、出番がさっぱりないことが
多いんだわ。彼らを出すには、戦のシーンを長くして、幕の内弁当みたいに、
前に出たキャラの描写をチョロチョロと挿入せざるをえない。
それってまさしく原典の最大の欠点だったんだわな。
林冲・秦明・楊志といった入山前は大活躍した人物が、入山後は戦闘シーンで幕の内弁当的
にちょこっと顔を出すだけ。王進などまったく出ない。そこを改善した北方水滸伝なのに、楊令伝では、
原典の欠陥をそのまま承継してしまった。
花飛麟・呼延凌・李英になると、そもそも入山前の活躍というのがないからな。
入山後の下っ端時代にちょっとだけエピソードがある程度。
これじゃ、キャラは立たない。スーパーのお惣菜を詰めただけの幕の内弁当。
水滸伝ファンへ配慮した結果だと思うのだが、梁山泊が単独で、17〜19巻の童貫軍との
戦いを上回る規模の戦ができる体制を整えることを急ぎすぎたな。
楊令伝第1巻の状況は、水滸伝の5巻よりも劣悪なんだ。本拠地はなし、兵の数も劣る。
水滸伝では16巻かけて童貫軍と対等に闘える実力を養ったのに、楊令伝では、同じこと
を5巻程度でやってしまった。そのために、個々の新キャラのエピソードなんかやっている
暇がなく、どれもキャラ立ちしないままドウカン・ファイトを迎えてしまった。
なんでも楊令が一人で決める大味な展開も、5巻までに宋禁軍と対等な実力に引き上げる
ためだろう。その間、梁山泊に割くページが減り、方臘戦と燕京戦ばかりやっていれば、
なおさら梁山泊のキャラは磨かれない。
嫌われ者の楊令を梁山泊の頭領として梁山泊に戻す必要などなかった。
楊令は靖康の変まで金軍の将軍のままでいい。そこに史進等数名の将軍も参加。
別に梁山泊は本拠を選んで再結集するが、梁山泊は金軍と同盟。
表向きは宋金同盟なんで、裏で密約。
反楊令派は同盟を嫌うが、梁山泊単独では宋を倒せないのは自明の理だから、
同盟が利益になることを理解できない阿呆はいないだろう。
むしろ金との同盟関係を強化しようとしない楊令伝の展開のほうが阿呆に見えた。
方臘とも同盟でいい。方臘は第2巻ラストの致死軍の細工によって暴発せざるを
えない立場に追いつめられ、最後は滅亡する。
しかし、梁山泊にとっては童貫軍の力を削減するために方臘を利用するだけなんで、
必死になって大軍を送る必要もない。連絡将校として方臘軍にいる呉用を救出する
致死軍の活躍だけがあれば足りた。
ただし、変名を名乗らせて呉用(趙仁)を送り込んだだけの楊令伝のストーリーは、
ぬるすぎた。最後は童貫の力によって方臘軍を滅亡させるのが梁山泊の目的なんだが、
簡単に滅亡してくれたのでは、童貫軍の力を削減できない。
童貫軍の兵站線を混乱させたり、一部は援軍に赴いたりして、方臘戦そのものも、
梁山泊のキャラの活躍場所にするべきだった。
石宝と童貫・岳飛の戦いなんて、ほんと余計。
原典の石宝は梁山泊キラーなんだから、梁山泊の将校をめった殺しにする。
ストーリーはこうだ。
>>933でも述べたように、梁山泊は表向きは方臘と同盟しているが、腹の中では
童貫軍の実力低下と方臘軍の滅亡を望んでいる。共倒れならば理想的だが、
童貫軍がそんなに簡単に滅亡するという甘い予測をするやつはいないだろう。
そういう梁山泊の腹の中を石宝に察知される。
怒り狂った石宝は、援軍として方臘軍に来ていた鮑旭、阮小二、孟康、馬麟を殺す。
これは原典どおり。呉用だけは、かろうじて致死軍が救出する。
登場人物の配置はこうなる
金軍として闘う・・・楊令、カク瑾、史進、花飛麟、李媛
梁山泊本体・・・呼延灼、張清、扈三娘、呼延凌、郭盛、李英
方臘軍として闘う・・・鮑旭、馬麟、阮小二(造船)と孟康(兵站)もここ。
キャラの分散は必要だったな。水滸伝ではほぼ最後まで二竜山・双頭山・流花寨があって
キャラの分散を図ったから、キャラの差別化ができた。秦明などは梁山泊の秦明というよりも
二竜山の秦明という感じだった。他のキャラも地名と結びつけることで、差別化が図れた。
楊令伝では、なんでもひとりで決める楊令をトップにして、全キャラを梁山泊に放り込んだので、
キャラの差別化が図れなかった。
それもこれも、最初から楊令を頭領にするという糞設定のために実現が困難になった。
呼延灼や張清は童貫との戦いで死ぬので、梁山泊はそれまでの聚義庁による集団指導
体制を維持できなくなる。また金軍の先鋒として楊令・史進が宋に進駐して金の傀儡政権
を立てるので、ここで梁山泊と合体する。楊令が頭領になるのは、ここで良かったな。
楊令が金軍を率いて宋に進攻するとなると斡離不の扱いが難しくなるが、
斡離不が靖康の変の直後に病死するのは、天の配剤というべきだよ。
また、せっかく粘罕を文官にしたのに、それを生かしきれなかった。
金軍は二路に分かれて宋に進攻したのだから、史実で粘罕が辿った経路を
楊令が辿れば、きれいなストーリーになった。
幻王の殺戮・虐殺の事実が証明され、梁山泊の同志の半数は、楊令の梁山泊復帰に反対する。
しかし、梁山泊単独で宋禁軍と戦えるはずもなく、金の有力将軍となっている楊令を通じて阿骨打
と同盟することを主張する同志が半数。
武松や燕青が北にゆくのは、幻王の噂の真偽を捜査するためだった。
その後、公孫勝と呉用が北へ行くのは、金と同盟するため。
方臘の乱が勃発。この方臘軍とも同盟するために、呉用は鮑旭、馬麟に1万の兵を率いさせて
方臘軍に参加。
その後の展開の中で、楊令は徐々に狂った権力観を改め、再び梁山泊の志に傾斜する。
ドウカン・ファイトが始まるまでには、楊令の正常さを示すエピソードの一つや二つは用意できた
はずだ。それで、そのころには8割近くの同志が楊令を頭領にすることを望み、呼延灼・張清の
戦死を機に、童貫を倒した楊令が梁山泊の頭領に迎えられる。END
940 :
無名草子さん:2010/03/13(土) 14:45:24
2年間は無税にするとか、税率を1割にするとかの話は、必要だったのですか?
まったく必要ありませんでした。
942 :
無名草子さん:2010/03/13(土) 14:49:11
小説の中の民の税金が安くなって嬉しくなってしまう読者っているんですか?
いるとすれば変態だと思います。
>>939 席次からして、宋軍打倒のために楊令の力が必要だと考え、梁山泊と金国の同盟を
締結するために女真へ出かけるのは、原作(楊令伝)どおり、呉用と公孫勝でいいな。
杜興・孫二娘・顧大嫂は、楊州で酒場をやっていればいいや。ここが、楊令伝における
子午山の代わりの役割を果たす。もちろん、その前提として、子午山は第1巻で青蓮寺
に破壊される。王進も王母も死亡な。この事件を契機に、宋軍打倒の意思をいっそう強く
する楊令。鬼になる。魔王になると、さらに殺戮をヒートアップ。
そうなると、梁山泊本体で、楊令批判の急先鋒になるのは、呼延灼と張清。
とまどう役は、郭盛と曹正と蒋敬。かれらは幼年時の楊令を知りすぎている。
楊令が何をしても憎めない無条件な愛情をそそぐキャラでいいだろう。
水軍・兵站・飛脚・職人は、これらの論争に深くかかわらず、自分の仕事に精出している
というスタンスでいいな。性格的にそれが似合っているし、楊令を梁山泊に迎えるかどうかで
意見が対立してギスギスしている梁山泊の描写に飽きた読者は、中立的な水軍のシーン
でほっと一息つける。このような存在も必要だ。水上の戦はないわけだしw
遅れて登場した項充は、水軍に復帰しないで、あのまま山賊をしていればいい。
そういう奴もひとりはいないと。時期を見て、梁山泊に合流する。
平の兵士は、ほぼ全員、楊令批判でいい。
幹部と林冲騎馬隊の連中以外は、楊令と親密に交わっていないわけだから、
そもそも楊令がどんな人物か知らないはず。女真や契丹の民と同じだわ。
本人を知らない庶民は、風評だけで人物を評価するのは、いつの時代も同じこと。
こういう点をすっとばして、全員一致で楊令を頭領にと望むのが、マンガ的展開でバカバカしい。
>>945 >水軍・兵站・飛脚・職人は、これらの論争に深くかかわらず、自分の仕事に精出している
>というスタンスでいいな。
飛脚については、戴宗と張横で意見が対立するというのが面白い。
まあ、戴宗は飛脚なのか、致死軍なのか、間者なのかわからない曖昧な立場だったがな。
水滸伝初登場の頃の戴宗は、いかにも反政府運動の地下組織のリーダーといった風貌だった。
志指数(平等志向)が高いので、無意味な民の殺戮には反対。
これに対して、張横は、息子の張平が子午山で楊令に世話になったという親密さがあって、
楊令批判には心情的に加担できない立場だろう。江州以来の同志である戴宗と張横の対立
というのも見物だな。
水滸伝時代と性格が逆転した楊令に対して、かつての同志が、それぞれの楊令との人間関係の
親疎に応じて、それぞれ違った反応を示し、それによって梁山泊内に党派が形成されるという
発想には思い至らなかったのだろうか?楊令の示した権力観について、同志各自が自分の意見
をもつということはないのだろうか?
戦後日本の党派的対立は太平洋戦争の敗戦の事実に対する反応の違いに応じていることを
見ればわかると思うが、大きな事件を契機として党派の対立は生じるのだ。
楊令にひれ伏す梁山泊の全員を見ていると、虎の穴で絶対的権力をもつタイガー・ザ・グレート
や、ショッカーの総裁と変りないだろう。もそっと大人の鑑賞に耐えうる小説にできなかったものか?
アンパンマンやドラえもんよりは、年長者が読める小説だと思うけど・・・
>>949 全員が「楊令殿はすごい」。話をしなくても、その姿を見ただけで「楊令殿はすごい」。
ある人物が集団の中心的存在になるということは、「すごい」と言われることを通じて
だけなのかな?
各国の元首は、支持者もいれば反対者もいて、国内で中心的存在になっている。
幻王の行為に対し、梁山泊の面々に個別的な意見を述べさせることで、楊令を物語の
中心人物にすることはできなかったのだろうか?
「楊令殿すごい」では、あまりに幼稚ではなかろうか?
全体主義者に、そんな説教は通用しないと思うよ。
まあ、おまいらが、ここであれこれ新しいアイデアを出せるのも、楊令伝というたたき台があるからだ。
基準となるものがあれば、人間の思考は地に足がついたものになる。
北方氏にしても同じこと。「三国志」「水滸伝」のようなたたき台があるときは、優れた作品が書ける。
楊令伝のように、原典のない小説を手探りで創作していくと、こんなもんよ。
だからこそ、新作というのは1〜3巻程度のコンパクトな内容にまとめるべきなのよ。
短いものなら、事前に初めから終わりまでのアウトラインを考えてから執筆に入れるからな。
手探りで15巻の壮大なストーリーを作れば、間違いなく、つまらなくなるよ。
史実とフィクションの融合が避けられない物語だったのだし、骨組みとなる原典がなかった
のだから、もっと史実の流れを中心に据えて、そこに登場し活躍する人物を、フィクションの
梁山泊や青蓮寺の面々に置き換えるという作業をこまめにやるべきだったね。
すごい楊令殿が誰に反対されることもなく梁山泊の頭領になり、北宋権力の実体である軍
を倒し、新しい国を作る。作るけれども史実と矛盾しないように、茨城県のような小さな国に
しますというストーリーではほんと粗すぎるわ。
小さな梁山泊は、粗いというより、面白くない。
29冊も読んできて、これかよ、とガッカリすること請け合い。
小さな梁山泊は、物語としてつまらないという話なのに、いつのまにか北宋の版図を
当然のごとくに新国家の版図と思い込むのは、「天下という魔物」に取りつかれた
ヘンな人にされちゃうしな。
梁山泊と岳家軍と楊家軍が点在し、それらと南宋以外の地域が、いつのまにか自動的に
金国の版図となる展開のほうが、よっぽどヘンなんだがw
それと斡本の軍が進攻してきたとき、楊令殿は余裕綽々で、金国の政治体制の未熟さを
バカにしていたよな。それがいつのまにか最大の国になってしまった不思議。
腐敗政治と闘うはずが、いつのまにか恐怖政治になり、その次は税金なしの国になり、
その次は貿易立国で決して国内統一を目指してはいけない国になりました。
わけわかりません。
長篇マンガなどで、コロコロ目先の変るやつがあって、その場その場は楽しめるんだけど、
統一感はまったくないというのがある。
楊令伝は、統一感がない上に、その場その場が楽しめないんだよな。
キャラに魅力があれば、物語全体の統一感はなくても、その場その場は楽しめるというのは、
まさに原典水滸伝そのもの。楊令伝は、キャラに魅力がないから、どんなエピソードを作っても、
楽しめない。魅力がないのがわかっていて、次々にキャラを増やし、結局、薄味キャラが
ますます薄味になって、もう新キャラが出てくるというだけで、読む気しなくなった。
>>954 海中に網を張っておけば、そこに海苔がくっつくわけだが、
楊令伝は海中に手を突っ込んで海苔を掬い取ろうとしているような物語だよな。
手を開いてみても、海苔はあるわけない。
何か基準となる骨太なストーリーがないと、小さなエピソードは海水の中から
掬い取ろうとした海苔。形のない物語が延々と続いているような退屈さだ。
ストーリーはあるよ。
『すごい楊令殿は宋を倒し、新しい国を作ろうとしている』
たったそれだけなんだ。15巻かけてやることなのだろうかと疑問が生じる。
何のために楊令は金にいたのか、そこでなぜ民を虐殺したのか、方臘戦はその後の梁山泊の
戦いに有利にはたらいたといえるのか、聞煥章の動きは物語になにか影響したのか、李富の
南宋建国は楊令伝の展開に影響を与えるのか、岳飛・張俊・梁山泊の戦いはいったい何だった
のか・・・。それらのミニ・ストーリーの存在意義がすべて不透明で、結局、
『すごい楊令殿は宋を倒し、新しい国を作ろうとしている』しかないわけだ。
アンチとおぼしき連中が必死に書き込んでいるからちょっと買って読んでみた。
「アホどもがこうも非難しているからには」と考えたわけなのだが、予想通りにおもしろい。
どんな板やスレでもアンチって連中は人間の屑なんだなと再認識した。
個別のミニ・ストーリーが、『すごい楊令殿は宋を倒し、新しい国を作ろうとしている』という
中心的なストーリーとの関係で、きっちり位置づけできていれば、物語の壮大感を感じられた
のだろうな。なんか理屈で関連性を説明しようとしているところはあったが、説明なしでそれが
伝わるような構成になっていることが、物語の面白さだと思う。
また大量に出てくる脇役たちも、『すごい楊令殿は宋を倒し、新しい国を作ろうとしている』という
中心的なストーリーとの関係で、きっちり位置づけされなければ、存在意義はない。
梁山泊の面々が楊令の部品にすぎないことはしばしば指摘されているが、他の陣営のキャラも、
なぜ登場してきたのかわからないものが多い。
この点、梁山泊と宋の二極対立であった水滸伝にあっては、存在意義の不明なキャラは少なかったな。
水滸伝も中心となるストーリーは一行で示せるシンプルなものだ。
『梁山泊が、腐敗した宋の打倒を目指す戦い』
出番の少ない脇役でも、その中心的なストーリーとの距離が離れていなかったから、
無駄を感じることがなかったな。
楊令伝は中心となるストーリーの主語が、梁山泊ではなく、楊令なんで、
楊令と面識のないキャラクターも多く登場してきて、中心となるストーリーとの
距離が遠くなる。そこで、存在意義の不明確なキャラが大勢いるように感じる。
そういうことだろう。
まだやっているのか、糞アンチ。とっとと消えろ!
>>966 水滸伝のストーリーの主語は梁山泊だったから、梁山泊のメンバーに感情移入ができましたね。
楊令伝になってからは、梁山泊のメンバーが他人のような気がしてなりません。
前作から引き続き登場の梁山泊の人物は、冷蔵庫にいれっぱなしのチーズケーキのことを
2週間後に思い出し、それを食ったときの味に似ているな。
>>965 時間的にも長く、やっていることも前王朝の打倒という大きな物語なのに、
粗筋の主語が、楊令という個人になるのが、大失敗の原因だろう。
しかも、王になる血筋でもない犯罪者。
何でこんなに伸びてんだ?
締め切りとの兼ね合いで、作戦を考える時間がないときは、戦は生き物になるんだろうな。
>>972 そうでね。参加キャラが少数だった初期の戦には、ちゃんと作戦があったし、戦は生き物だ
なんて言われていなかった。敵は名無しの地方軍だから、敵の作戦を考案する必要はないし、
梁山泊側の作戦だけ考えればよかったから、考えるのに時間はかからないし、100発100中
作戦は的中するしな。
水滸伝終盤の原典ネタが尽きたあたりの大味な物語から楊令伝の不振は予想できたのだが、
水滸伝終盤は魅力のある原典キャラが大勢いたからなんとか読めたし、続編への期待も
抱いてしまったのだろうな。それが、俺たちの不幸の始まりだった。
楊令伝は、その原典キャラの生き残りを隅に追いやり、くそ面白くない楊令ひとりをヨイショしたから、
どうしようもなく退屈なシロモノになった。
教訓:原典キャラの魅力を過少評価してはならない。
おまえらは、原典さえ崇めていれば満足なんだろう。かたわの原典オタwww
「明日の講義では、言い訳のしかたを勉強します。読者からの苦情に対して、作品の中で
言い訳をしなきゃならない事態が起きることがあるんですよ。夏目漱石が小説を書いていたころ
は、そんなことはなかったんですね。愛読者カードなんてものがありませんから。いまは無料で
郵送できる愛読者カードなんてものが、本買うと付いているんですね。だから、読者が好き勝手
な苦情をいっぱい書いて送ってきます。それへの対処のしかたですね。これを勉強しましょう。
テキストの32頁から40頁を、必ず予習してきてください」
>>904 家族を守って死んだ楊志、頭領宋江を守って死んだ雷横。こういうわかりやすくて、かつ読者の
多数が価値を認めるものを守って死ねば、感動的になる。何もむずかしく考えることはない。
童貫や蕭珪材に関しては、わけのわからない小難しいことを考えて、何の感銘も読者に与えない
結果に終っている。使い慣れない小難しい言葉を無理して使っている中学生みたいに、わけわからんし、
面白くもないんだよな。ナルシストが死んだだけだろう。
水滸伝の序盤登場の梁山泊の幹部が、あの時点ですでに能力が高すぎたんだ。
後から出てくるキャラを、前よりすごい奴にしようという無理に無理を重ねて、
最終的には楊令のようなバケモノまで生まれた。ここまでくると、愛着など
いっこうにわかない。宇宙人のようで人間に見えない。嫌悪感のみ。
水滸伝後半をもう少し圧縮して17巻ぐらいで終了していれば、ここまでひどい
小説にはならなかったろうね。楊令伝は不要だった。
後から登場するキャラで能力値が高い者で、成功したのは聞煥章、呼延灼、童貫ぐらいかな。
その聞煥章も祝家荘戦で負けると一気に色褪せた。聞煥章の登場場面が鮮やかだったのは、
それまで官軍が一度も梁山泊に勝てなかったから。負けてしまえば聞煥章とてただの人。
要するに、敵も味方も等価に描こうというのは無理なのよ。負ければ色褪せるから。特に軍師
タイプはね。一方の側を魅力的に描けば、他方をそのように描くことは出来ない。
ウルトラマンや仮面ライダーに倒される敵は、毎週変っていたろ。そういうこと。
>>977 これを徹底していれば、楊令伝も、もう少しましな小説になっていたろうね。
「これは好き」「あれは嫌い」という多数の読者の嗜好は、時代によって表現の仕方は
変化してゆくが、根底にある本質は大きく変化しないと思うぞ。
罪のない民を無差別に殺す主人公が大活躍する時代劇が大好きです、という変態は
いないと思う。
, -―- 、
〃´ ̄.::ヽヾー'´ ̄`ヽ
/{ ..:::::::::::l! 丶、 、}
,.ノ ヾ::o:::::::::ノ `ヽ 丶
,/ ,、 ,、` ― '" _,,. -― 、) お父さんは、牛よりも大きなお腹にすることが
/ _ノ!∀し、 ,r ''"´ ,ィfィ できるんだぞうーー。
/ ゝ、_,ノ-'" , ィ "ー'ツ
/ / ~´ ― ''" ,r‐ ''"´
/ / /
ノ _ 」 /
,r‐くr ''"_, ノ^丶 、 __,,..,, :- '´
^レV´ ̄ '^~
あまり長いと、賞味期限が切れるんだよ。
○○ファンというのは、ある程度裾野の広い特定分野のファンなのであって、
他のものにはわき目もふらず、それしか眼中にないという狭い分野のファンというのは少ないからな。
水滸伝ファンといったって、一生水滸伝しか読まない奴はおらんだろう。
長すぎるんだよ、これ。
たぶん楊令伝に最初に見切りをつけたのは水滸伝ファンだと思う。
>>982はコアな水滸伝ファンじゃないよ。
>>980 平気で皆殺しをするような奴でなければ天下は取れないみたいなことをどこかで書いて
おられたが、そのこと自体は間違いでない。それをこの小説でやるのが適切かどうかを
考えるのが人間の知恵というもの。前作からの流れを考えれば、できるはずがない。
また、キャラどうしの会話によって幻王の犯罪を正当化できるかどうかを冷静に考えてみればよかった。
つまり、作者の視点が出せない小説では、作者による説明ができない。登場キャラの半数
以上は前作で出来上がったパーソナリティがある。彼らの会話で幻王の犯罪を正当化することは
無理だろう?わかんないか?幻王ひとりだけでなく、この話題を口にする前作からのキャラ
全体が影響を受ける。致死軍だって不必要な殺人はしていないからな。
幻王が殺戮をしても、金国内の叛乱は、いっこうに終息していないだろう?
あとになって、皆殺しをした区域は、熟女真だけで、契丹ではしなかった。叛乱は契丹の民が
やっていると、屁のような理屈を出すな。
987 名前:復習水滸伝[sage] 投稿日:2009/11/25(水) 16:01:26
というか阿骨打自身が熟女真なんだよな。
<水滸伝単行本18巻>300ページ
阿骨打は、軍に入る時に、熟女真になった。それでなければ、軍で受け入れて貰えないからだ。
長老会議も、すべて熟女真だ。
_,,..-‐'''" ̄ ̄~`''ー-.、_
,r''" ,:''""""""`''; `ヽ、
,:' ,:''""" ,,,0,,, ゙゙゙゙゙`''; ゙,: 熟女真のAAがなかったので、
,: """;; ""゙゙゙ :,""" ,: 熟柿のAAでかんべんしてください。
:;, '、,,,,, ,,,,,, ,,,, ,'' ,:
:;, ,:
:;, . ,''
:;, ,;.
:, ,,,,;.
:::、::::,,,; _ .:: _,,;,;.::::'''´
゙゙゙゙゙~゙゙゙゙゙゙
>>985 ジョン・コルトレーンはアドリブで適当に吹いているけれど、レコードを繰り返し聴いている
ジャズ・ファンは、アドリブ・フレーズを全部覚えてしまうという例えで、間違いないですか?
この熟女真は3年の賞味期限を経過いたしますと生女真に戻ります。ご注意ください。
>>987 違います。譜面パートをとちったジョン・コルトレーンのたとえが正確です。
てか、もうこのスレもいらないんでねぇ?
もう読んでない奴のほうが多いしな。図書館で無料で読めるとしても、読みたくないわ。
>>979 両方とも魅力的に描こうとして、結局、宋側まで悪役の魅力を失っただけだったな。
梁山泊の魅力がなくなったのは、楊令すごいが原因だが。
>>978 林冲、武松、公孫勝、安道全・・・、みんな能力は高かったが一点集中だから、人間の能力の
高さと認識できた。楊令は少年向けアニメのような能力の高さだったな。しかも、悪役だから、
少年向けアニメの主人公にもなれない、くそキャラ。
幻王軍だけで20倍以上の童貫軍の陣に突入した糞エピソードがあった。とてもシラけたけれど、
楊令伝の全体を象徴するエピソードだったな。
名前の付いているキャラは200名以上出ているだろうに、どうして楊令ひとりだけのドラマに
してしまったんだろうな。
995 :
無名草子さん:2010/03/14(日) 23:09:52
ねちねち文句を言いながら、結局読んでるんだろお前ら。
っていうか、このスレ3人ぐらいの粘着が殆ど消費してんじゃねえの?
こっちで好き勝手してるのにはなんにも文句を言わないでいるんだから
Sスレではジは止めてほしい
煽りとか抜きで、毎日常駐して同じようなことを書き込んでる人がいることはなんとなく分かる
IDでない番だからなんとでもいえるだろうが、やっぱ特徴ってのはあるんだよね
俺は楊令主人公って時点で読んでないから、楊令伝叩きとかどうでもいいw
なぜ、立てた?カス!
1000 :
無名草子さん:2010/03/15(月) 12:41:32
1000なら今月楊令死亡
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。