>>134 そりゃ、三谷が脚本家出身だからだろうな。
いままで「監督」という、漠然茫洋とした、職務領域のハッキリしない存在が
映画の創作主体であるという考え方が映画批評の常識だったのに
三谷のような奴が出てきて、それが揺らいだ。それを認めたくないんだよな。
蓮實重彦やオスギなんかもそうなんじゃないのか?
最近の流れでいえば、三谷やクドカンみたいのが、
舞台という一番古い土俵から出てきて
テレビドラマやマンガ原作や映画、ときには自分で監督まで、と
八面六臂の活躍してることについて、否定も肯定も、
つまり言及自体をしてない。こりゃ、マズイよ。
実際、いま若い人に、監督と脚本どっちが重要って聞いてみたら
脚本って答える人のほうが多いんじゃないか?
監督中心主義的な映画批評家は、時代から取り残されて
「負け組ダメダメ人間」っていう感じになりつつあると思う。