【説教芸者】コラムニスト中野翠 2【映画評論】

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134無名草子さん
前々スレにあったのかな?
福田和也「作家の値打ちの使い方」所収の中野さんとの対談で
渡辺淳一の「失楽園」や丸谷才一の「女ざかり」がヒドイのに
だれもその件について語らない、っていう話の流れで
「ある程度話題になったものについては、語るべきである」と
中野さんは言ってるわけ。
つまり、何について語らないかは、究極には書き手本人の勝手なんだけど
寅さん風に言えば「それを言っちゃあオシマイよ」
ということなんだというのが
中野さん自身の考え方で、
それを自分についてだけじゃなく物書きの基本ルールみたいなものとして
提唱したんだよ、あのとき。

これを中野さんの文筆活動の柱の一つである映画に当てはめてみれば
いま三谷について語らないのは、自分内ルールに反すると思うんだけど。
げんに、山田洋次や岩井俊二や宮崎駿やハリーポッター映画なんかには
コメントしてるわけで。
だけど、三谷&ワイルダー面会の深夜番組について失礼だ、と批判したことは
あっても、三谷の作品自体について中野さんがコメントしたことってあるの?
俺の知るかぎりでは無い。

黙殺としか思えないんだけど。
岩井映画に「民青センス」と言ったみたいに批判するのもよし、
小林信彦が舞台版「笑の大学」を誉めたみたいに肯定的評価するのもよし、
だけど三谷作品にまったく触れないとしたら
上記のような自分で掲げたルールに背いてることになると思うけどなぁ。
なぁんて、偉そうなこと言っちゃいました。
135無名草子さん:2006/11/04(土) 13:24:50
>>134
そりゃ、三谷が脚本家出身だからだろうな。

いままで「監督」という、漠然茫洋とした、職務領域のハッキリしない存在が
映画の創作主体であるという考え方が映画批評の常識だったのに
三谷のような奴が出てきて、それが揺らいだ。それを認めたくないんだよな。

蓮實重彦やオスギなんかもそうなんじゃないのか?
最近の流れでいえば、三谷やクドカンみたいのが、
舞台という一番古い土俵から出てきて
テレビドラマやマンガ原作や映画、ときには自分で監督まで、と
八面六臂の活躍してることについて、否定も肯定も、
つまり言及自体をしてない。こりゃ、マズイよ。

実際、いま若い人に、監督と脚本どっちが重要って聞いてみたら
脚本って答える人のほうが多いんじゃないか?
監督中心主義的な映画批評家は、時代から取り残されて
「負け組ダメダメ人間」っていう感じになりつつあると思う。