【盗作猿】ランディの日記を先取り予想だ!【パクルな】2

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397無名草子さん
*夢で逢いましょう (2)

私はずっと夢に興味をもっていた。二十代の後半には夢分析を受けていて、克明な
夢日記までつけていた。印象的な夢の話は、日記に何度か書いている。

そのせいだろうか。自分の夢の話をメールで送ってくる読者が非常に多い。
「この夢はいったいどういう意味なんでしょうか」と質問してくる人もいて、私は
しょっちゅう途方に暮れる。しょせん私はその人ではないから、その人の見る夢の
意味なんてわかりっこない。

私が分析できるのは自分の夢だけだ。おしなべて、自分の夢を一番的確に分析できる
のは自分自身なのだ。それも何年も経った後で、ようやく。

私はトイレで脱糞する夢をよく見るのだが、夢の中のウンチは私の肥大した「自意識」
であり、他人から隠しておきたいものだ。ところが世の中にはいろんな人がいるもんで、
トイレの夢についてこんなメールを書いて来た人がいた。

  人生の節目には「排泄の夢」はよく見ます。どんな夢かと言うと、ぶっちゃけた話、
  落ち着いて用が足せない……トイレがものすごく汚いとか、トイレに入っても人が
  見ているとか……です。私はこの排泄の夢をやたら見るのだけれど、それはたぶん、
  私が「書く」ということにこだわってきたからではないかと思います。私にとって
  「文章を書く」ということは「排泄」ととても似た行為なのだけれど、それがうまく
  いかないとき、私はやたらとトイレの夢を見続けます。
  なぜ「排泄」が「自己表現」とリンクしているのか、不思議ですが、「うんこ」は
  私のものです。他人のためにしたり、他人に受け取ってもらったりするものではなく、
  私は私のために「うんこ」をします。うんこは、私の純粋な創造物であり、私の分身
  なのです。
398無名草子さん:03/02/11 17:40
(>>397続き)
ううむ、自分の書く文章は自分のウンチだと言い切るのか。人それぞれだからそれはいい
んだけど、「ランディさんの見るトイレの夢も私と同じなんですよね」と書いて来られると
困ってしまう。私は自分の日記に、ウンチは私の肥大した自我なので、他人から隠そうと
右往左往する様子を書いている。私の創造したエッセイや小説が、そんな肥大した自我の
産物で、人前に出してはいけないもんだと言いたいんだろうか? 失礼なっ!

それに私は、大量にウンチをする夢を見た時のことを、自我ダイエットが必要な印だ、
いい歳をして恥ずかしいなあとも書いている。ウンチが純粋な創作物ならば、ウンチは
大量であればあるほどいいに決まっている。この人は私に、私の書く文章の量を今以上に
減らせとでも言いたいのだろうか。いや、そもそも私がトイレの夢について書いた文章を
全然読んでいないか、読んでたとしても、きれいさっぱり忘れてしまっているんだろう。
そういうもんだ。

では、このメールが、私を途方に暮れさせたメールナンバーワンかと言うと、実は違う。
私が一番困ったのは、こういうメールなんだ。

  二十七歳の頃、私は生涯の記憶に残るような至福の夢を見ました。とても啓示的で、
  夢の中での幸福感が体に蘇ってくるような夢。この夢に助けられてずっと生きて
  きたような気がします。
  その夢には、中学時代に作文指導をしてくれた私の恩師が登場します。先生は深い
  谷間のあばら屋に住んでいて、夜中に訪ねて行くと黙って家に入れてくれます。
  そして先生が家の奥から出してきた柳行李の中に私が十三歳の時に書いた「詩」が
  入っているのです。私はその「詩」を読んで、たいへんに感激するのですけど、
  その詩の内容は忘れてしまいました。春夏秋冬のそれぞれの意味について書いた詩
  たっだように思います。
399無名草子さん:03/02/11 17:42
(>>398続き)
  明けのカラスが鳴いて、先生は無言で「もう帰りなさい」と私に目で合図します。
  私も無言で、自分の十三歳の心の詩を柳行李に戻し、先生の家を後にします。
  あの柳行李の中に入っていた詩のがどんな内容であったのか、私はわからないのに、
  わかっている。その「わからないけど、わかっている」そのなにかが、私をずっと
  支えて、ここまで導いてくれました。言葉にはできないけれど、私にはわかっている
  ことがある。とてもとても大切なこと。私はそれを知らないけれど、わかっている。
  ああいう夢を、また見たいと思うのだけれど、あんな不思議な夢体験は一回きりです。

こんなことを書くと自分もとっても辛いんだけど、この人の文章はお世辞にも上手とは
言えない。「書いた詩たっだ」も、「入っていた詩のがどんな内容」も、「その『わから
ないけど、わかっている』そのなにかが」も、あえて改ざんせず、原文のママ引用させて
いただいた。

ところが、この人は、いつか自分の書いた詩集を出すのが夢だと言うんだ。

現実のこの人の恩師は、彼女の詩を高く買っていたわけではない。彼女自身がメールに
書いたところによれば、先生は彼女に「あんたはね、歌心がわかってない」「あんたの
書くものはあざとい、いつかそれに気がつくだろう」と言ったそうだ。

彼女の意識は、一見それを冷静に受け止めているかのように見える。しかし、彼女の
隠された心は、そんなはずない、そんなの嘘だ、あたしにだって詩が書けるはずだと
叫びながら、あたかも現実に復讐を果たすかのような夢を見せる。夢の中で先生は、
一言も言葉を発することが許されない。
400無名草子さん:03/02/11 17:45
(>>399続き)
本人が夢に救われて、それで幸せならばいいのかも知れない。だけどね、そんな夢に
いつまでも浸っていてはいけませんよ、と警告しているのも、彼女の無意識なんだ。
だから彼女は、明けのカラスが鳴くのを合図に、谷間の家を出なければいけない。
夢でわかったことを、現実世界の言葉にすることはできない。これからも。ずっと。

素質がない、と中学時代に宣告された彼女には、血のにじむような努力が必要だろう。
だけど夢の甘美な幸福感と、自分はすべてわかっているという根拠のない確信が、詩を
言葉にするための研鑽の邪魔になる。たぶん彼女はひたすら待ち続ける。言葉たちが
魔法みたいに、すとんと天から降ってくることを。

これは夢のもつ残酷な側面だ。夢は現実では滅多に味わうことのない、いろんなものと
セットで登場する。それは目もくらむような恐怖だったり、めくるめく至福感だったり、
自分は森羅万象すべてのことを理解したという確信だったりする。

普段暗い感じの夢ばかり見る人は特に、たまに至福感にあふれた夢を見たら、それを
重要な神のお告げであるかのように思い込んでしまうのではないか。夢の内容が、
満たされなかった自分の願望を満たし、かつて傷ついたプライドをやさしく撫でて
くれるものならば、その誘惑に抵抗するのは難しい。

だけど明けのカラスが鳴けば、やはり夢から出て行かなければいけないんだ。
人を誘惑しときながら、ずっといっしょにいることを許してはくれないのが夢だから。
何だか、質の悪い商売女みたいだけど、それが夢の本質なんだから、しょうがない。

参考: http://book.2ch.net/test/read.cgi/books/1044203572/193-222
http://web.archive.org/web/20010708061016/http://journal.msn.co.jp/worldreport.asp?id=990219randy&vf=1