★産廃物&盗作屋・田口ランディ監視スレ Part46★

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193無名草子さん
>>187
使い回しはあいかわらずってことは、まぁたトイレと糞尿の夢ですか。
それとも死んだお兄さんかお母さんが出てくる夢。
生まれる前の自分の子どもが登場というパターンや、亀はのろいから
呪いというパターンもあったっけ。
194無名草子さん:03/02/10 20:21
>>193
最近のメルマガ貼り付け作業してんの、いつも俺なんだけど、
今回のも読みたい?けっこう面倒(w
誰かやって〜。
195無名草子さん:03/02/10 21:04
■■■田口ランディのコラムマガジン■■■ 2003.2.10
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「夢で逢いましょう」
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 夢には、二十代の頃からずっと興味をもっていた。二十代の後半から三十代にかけ
て四年間くらい夢日記をつけていた。かなり克明に夢を記録していたのだけど、ある
時期からやめてしまった。やめたきっかけってのは特になかった。特にないと思って
いたのだけど、いま思い返してみると「ああ、あの頃は現実がしんどすぎて夢どころ
じゃなかったんだな」と思う。

 きっと夢は見ていたのだろうけど、それを記録して反すうするような心のゆとりが
なかったんだろう。

 いまでも、夢のことは気にしている。だいたい、自分がどういう夢を見るとき、ど
ういう状態なのか薄々わかる。このメールマガジンにもよく夢のことは書くしね。私
の夢にはいくつかのパターンがあって、類型化できちゃうのだ。それで、とりわけ印
象に残った夢は書き留めるようにしている。

 これまでのありがちなパターンとして、私が見る夢で印象的なのは「排泄の夢」「お
風呂の夢」「移動の夢」「エレベーターの夢」「身体変化の夢」「歯の抜ける夢」で
ある。これらの夢を、私は自分の人生の中で繰り返し繰り返し見てきた。

 とくに、人生の節目には「排泄の夢」はよく見る。どんな夢かと言うと、ぶっちゃ
けた話、落ち着いて用が足せない……という夢なのである。トイレがものすごく汚い
とか、トイレがないとか、トイレに入っても人が見ているとか……である。私はこの
排泄の夢をやたら見るのだけれど、それはたぶん、私が「書く」ということにこだわっ
てきたからではないかと思う。なんとなくそんな気がしている。
196無名草子さん:03/02/10 21:04

 私にとって「文章を書く」ということは「排泄」ととても似た行為なのだけれど、
それがうまくいかない、あるいは自分がとまどっていたり、なにかしっくりといかな
いとき、私はやたらとトイレの夢を見続けるのである。なぜ「排泄」が「自己表現」
とリンクしているのか、不思議だが私のなかではそうらしい。

「歯が抜ける」という夢も、若い頃に繰り返し体験した。この夢はものすごくリアル
なので、見たというより体験した、と言うほうがしっくりくる。口の中にこなごなに
砕けた珊瑚のような歯がじゃりじゃりと溢れているのだ。すげえ気持悪いのだ。吐き
だしても吐きだしても歯のじゃりじゃりした感触が口の中に残っている。

「歯が抜ける」というよりも歯が砕ける……という感じ。この夢を、私は自分が停滞
しているときによく見る。つまり、なんとなく変化に乏しく生活しているような時期
だ。ちょっとお尻がむずむずするんだけど、なにかこうヤル気が出なくてだらんと過
ごしてしまっているような時、やりたいことがあるんだけど踏ん切りがつかないよう
な時期。そういう時に見ている。

 もちろん、そのときはよくわからなかったんだけど、何年か過ぎて夢日記を読み直
すと、まあそういう時はよく歯がじゃりじゃりして困っているわけなのだった。

 「お風呂の夢」は、ここ数年は記憶にない。以前はやたらと見た。とにかく見た。
銭湯であったり、露天風呂であったり、バスタブであったり、いろいろなんだけど風
呂に入る、あるいは入ろうとしているのだ。お風呂でいろんな人た会ったりもする。
お風呂から出てきて洋服がなかったり財布がなかったりしたこともあった。

 そもそも、私はものすごい風呂好きで、それで温泉町に住んでいたりする。だから
お風呂というのは私にとっては大変意味のあるリラックスの場である。そのお風呂が
頻繁に出てくるのだから、たぶんよっぽど疲れていたのだろう。このごろ風呂の夢は
見ない。風呂で癒されていたのは私の場合「愛情の飢え」だったように思う。そうい
う状況は今はないのかもしれない。
197無名草子さん:03/02/10 21:05

 「移動の夢」というのは、タクシーに乗っていたり、自転車に乗っていたり、飛行
機に乗っていたり……、どこかへ行こうとして何らかの交通手段を使っている夢であ
る。やはり、二十代から三十代のとき、私はタクシーが止らない、という夢をよく見
た。

 誰か他人の力を借りてどこかへ行こうとするのだが、タクシーが止ってくれないの
である。まあ、いまから思えばそういう状況だったなあ、と思えなくもない。二十代
の前半の頃は自転車に乗っている夢をよく見た。けっこうしんどいのである。自転車っ
てのはこがないと倒れてしまうのでね。移動するためにはこぎ続けなければならない
わけだ。まあ、そういう状況だった。

 会社員を辞めてからは、飛行場で迷っている夢をよく見た。遠くまで飛んで行きた
いのに、なかなかうまくいかずウロウロしている。まあ、そういう状況だった。

 で、最近……といっても昨年の暮れくらいから、なぜかまた頻繁に夢を見るのであ
る。夢を見るということは「寝ている」ということである。そうなのだった。私はこ
のごろよく寝るのである。たぶん、いま長編小説の執筆に取りかかっているので、そ
のせいだと思う。小説を書き始めるとよく寝る。ふつうは逆だと思うのだけど、私は
書けるときほどよく寝てしまう。

 そして、めくるめくように夢を見るのだが、その夢のパターンが最近、ちょっと新
しいので不思議に思っている。去年の暮れから、今年にかけて、なぜか「スキーに行
く」という夢を繰り返し見ているのだ。

 実生活でも1月にスキーに行ったので、それが関連しているのかと思ってみたけど、
どうも違う。私はスキー場で、いつも迷っている。最初のときは、スキーに行ってな
ぜかスキー靴を忘れてしまうのだ。はっと気がつくと足下がサンダルなのである。
198無名草子さん:03/02/10 21:06

 スキーを履こうとして、足がサンダル履きだったことに気がついた時の、妙なショッ
クが生々しい。「あ!」と思うのである。今でもそのときのショックをよく思い出せ
る。しかも、他のみんなは私のことを待っているようなのである。私は遅刻して、し
かもスキー靴がないのである。

 さらにたて続けにスキーの夢を見る。次は、三人でスキーに行き、私だけがホテル
ではぐれて、気がつくと他の二人はもう着替えをすませている。慌てて後からスキー
場に向かうが、携帯は通じないし右手が痛い。ふと右手を見ると、右手になにかくっ
ついている、驚いてひっぺがすと、それはキドラのような形のヒトデみたいな不気味
は生物が自分の右腕に取り憑いていて、体の中に入り込もうとしているのである。

 どうやら、私は自分がスキーという状況にうまく適応できなくて、ものすごくとま
どっているのだな、ということは察知できる。なにしろスキーに来てサンダル履きな
んだから。しかし、自分にとって「スキー」というのがどういう状況と符号している
のかがわからない。まあ、意識で考えてわからなくらいだから、夢を見ているのだろ
う。

 一月は新年の行事でなにかと忙しくて夢を見る暇もなかったのだが、2月に沖縄旅
行から返って来てからというもの、いやあもう呆れるくらいに夢を見る。覚えきれな
いほどである。あまりに夢を見続けているので、朝起きると、ぐったり疲れているく
らいだ。

 このごろの夢は連続もので、夢のなかで「あ、またここが現れた。ここには前に来
たことがあった」と思っている。眠りの浅い夢は自分が夢を見ていることをうっすら
と自覚しながら夢を見ていたりする。そういうとき「ああ、ずいぶん前に夢で見た場
所だ」という場所が登場するのである。
199無名草子さん:03/02/10 21:07

 夢の中で、過去に見た夢の場所に再び出会う感覚というのは、実に妙なものである。
それが続いている。今朝もそうだ。「そうか、ここは夢の場所だったのか。そしてま
たこの夢に戻って来たのだ」と夢の中で思っているのだ。

 その場所というのは、ものすごくさびれたどこかの古い駅のガード下のドヤ街みた
いなところで、その一角にさらにさびれたスナックがあり、私はなぜかこの駅のガー
ド下のゴミゴミした暗いスナックのような場所に、よく出戻って来るのであった。

 それ以外にも、いくつか「繰り返し現れる夢の中の場所」というものがあり、その
デジャブな感じはここ数日とても強まっている。いったい、夢の中に繰り返し現れる
「夢の中の場所」というのは私にとってどういう意味をもっているのだろうか。

 夢を見ている最中の私にとってはさっぱりわからない。これも夢日記に記しておけ
ば、あと数年経過したら冷静に分析できるのかもしれないが。

 ただ、このごろすごく怖くなるのである。このように「夢の中に繰り返し現れる場
所」というものがあると、自分はいったいどこの世界の住人なのかわからなくなるよ
うな、そういう不安がよぎるのだった。

 夢には夢の時間というものがあるのだろうか。なぜかというと、夢に繰り返し現れ
る場所というのは、そこに付随するあるシチュエーション、ある状況がなんとなく共
通しており、いつも同じ雰囲気を醸し出しているのである。ということはその場所に
はその場所の固有の時間が存在しているのかもしれない。

 私は始めて駅のガード下のさびれた古いスナックの夢を見たのは、もう十何年も前
なのである。それなのに、そんななんの変哲もないようなどこにでもありそうな、そ
れでいてどこにもない場所が、時間を越えて夢の中に繰り返し出てくるとはどういう
ことだろうか。
200無名草子さん:03/02/10 21:07

 その合間合間に、旧式の……というかほとんど壊れているようなエレベーターで下
降しなければならない夢を見る。このエレベータがぶらんぶらん中吊りになって揺れ
て怖いのだ。そこにぴょんと飛び乗って降りなくてはいけない。私はエレベーターの
夢もよく見る。絶対にエレベータは昇りではなく下りである。

 なにか、よっぽどの危険を犯してまで、自分の意識を降りて行こうとしているんだ
ろうか。

 そういえば、かつて……。二十七歳の頃。私は生涯の記憶に残るような至福の夢を
見た。その夢はとても啓示的で、夢の中での幸福感が体に蘇ってくるような夢だ。な
にか、その夢に助けられてずっと生きてきたような気がする。

 その夢には私の中学時代の恩師が登場するのだが、その恩師は国語の先生で、かつ
て私の作文指導をしてくれた方だ。先生は夢の中で一言もしゃべらない。深い谷間の
あばら屋に住んでいて、夜中に訪ねて行くと黙って家に入れてくれる。すると家の奥
の方から柳行李を出してきて、その中に私が十三歳の時に書いた「詩」が入っている
のだ。私はその「詩」を取りだして読んで、たいへんに感激する。だけど、その詩の
内容は忘れてしまった。確か、春夏秋冬のそれぞれの意味について書いた詩たっだよ
うに思う。

 明けのカラスが鳴いて、先生は無言で「もう帰りなさい」と私に目で合図する。私
は黙って、自分の十三歳の心の詩を柳行李に戻して、先生の谷間の家を後にするので
ある。
201無名草子さん:03/02/10 21:08

 あの柳行李の中に入っていた詩のがどんな内容であったのか、私はわからないのに、
わかっている。その「わからないけど、わかっている」そのなにかが、私をずっと支
えてくれてきた。ここまで導いてくれた。言葉にはできないけれど、私にはわかって
いることがある。とてもとても大切なことだ。私はそれを知らないけれど、わかって
いる。いまでも。

 ああいう夢を、また見たいと思うのだけれど、あんな不思議な夢体験は一回きりで
す。


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■■■お知らせ■■■ メール読者のみなさまへ 
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■夢日記のつけ方(田口の場合)
 ときどきご質問を受けるのでご紹介します。
 私は、夢日記は特に印象的な夢だけ記録します。起きてすぐに記録しないと忘れて
しまうので、枕元にノートとえんぴつを置いておきます。時間がたつとあっという間
に忘れてしまうのだよね。とりあえず、ポイントだけ走り書きでメモしておけば、けっ
こうそのキーワードだけで後になってからも思い出せます。だから、寝起きで要点だ
け走り書きしておいて、後でゆっくりストーリーなど付け足します。夢日記歴が長い
ので、夢を見ているときに「あ、これは面白いから覚えておこう」と意識したりしま
す。けっこうそういうことできるんだよね。
 あと、夢を見た時の、その頃の気分とか身辺の出来事、状況なども簡単にメモして
おくと、後になって「あーこういうことだったのか」と、納得することも多いです。
 線が入っているノートより、小さなスケッチブックみたいなものに、絵なんかも交
えて書いておく方が楽しい。
202無名草子さん:03/02/10 21:09
■ホームページの改装工事をすすめています
 いろいろとホームページでの企画を考えています。3月からは沖縄の島の旅を写真
とキャプションでまとめた「島に触れる 特別編」も公開できそう。また、布施英利
さんとの交換メール書簡も始まる予定。昨年、巻上公一さんといっしょに行ったアル
タイ旅行、そこで出会ったボロットさんを日本にお呼びしてのコンサート企画も準備
中。
 なるべく早く、リニューアルオープンしようと思ってます。またお知らせします。
 http://www.randy.jp/
203無名草子さん:03/02/10 21:52
めくるめくように夢を見るのか。
夢の中で目眩がして記憶が定かでなくなるのかと思った。
204無名草子さん:03/02/11 01:58
夢の記録として有名な作品に、夏目漱石の「夢十夜」、つげ義春氏の「ねじ式」等がありますが、あれは脳にかなりのダメージを与えるそうです。その路線を行こうとしたジャンプの作家が、ノイローゼになった事もあったとか…。唐沢商会著、「脳天気教養図鑑」からのネタ。
205無名草子さん:03/02/11 02:04
脳にダメージってのはトンデモっぽいが、何か研究でも?
夢だけ特別な領域に記憶されるとも思えない。
206204:03/02/11 02:33
>>205
すまそ、今本が手元にないので、記憶で書いてしまいました。確か目覚めたてで、脳がまだ動きだしていない頃に夢記録をやると、段々現実との折り合いがつかなくなって来るという説だったのですが…。何か納得したんだよな。また調べてカキコします、皆さん申し訳ない!
207無名草子さん:03/02/11 02:55
日記職人さんが書いたメルマガかと思った。本物なのね(w
208無名草子さん:03/02/11 02:57
便所の夢ネタは何度書いたら気が済むのかねw

長編執筆ってどこから出すんだ?
角川か?
209無名草子さん:03/02/11 02:58
>>195
>「夢で逢いましょう」

ランディって、節目節目に夢を見るというより、節目節目に題名パクりの
癖がでる性質? 単にしょっちゅうパクっているだけかもしれないけど。

> 私にとって「文章を書く」ということは「排泄」ととても似た行為なのだけれど、

以前は、トイレの夢を見るのは自意識が肥大している証拠とか書いていたけど。
ランディにとって「文章を書く」ことは、自意識の肥大であり排泄でもあると。

それにしても独特の夢占いをする人ですね。まあ、夢解釈なんて本によっても
ずいぶん違うというか、皆好き放題なことを書いているのかも。
歯が抜ける夢は身内の不幸、靴がなかったり合わなかったりする夢は経済的な
問題の反映とかいうやつもあったです。
210無名草子さん:03/02/11 03:09
>>203
めくるめくように、いろんなところに行った、とか書く人だから<ランディ
211無名草子さん:03/02/11 03:19
夢の中で盗作してろ。
212無名草子さん:03/02/11 03:33
http://www.hotwired.co.jp/opendiary/randy/19990905.html では、

> 私は家族の問題に直面している時に、トイレの夢をよく見る。家族に
>対しては問題処理の方法に難があるのだろう。ああ、またか……という
>感じである。

ランディは自分が以前書いた文章の内容を忘れていることがよくある。
記憶処理の方法に難があるのだろう。ああ、またか……という感じである。
213無名草子さん:03/02/11 04:29
ランディは、自分の所に取材がきたり、その取材が家族にまで及ぶとブチ切れて、
弁護士に内容証明を送ったりしますが、新潟の少女監禁事件をネタにして短編小説を書き、
「この子、ヤられちゃってんだろうな」と登場人物に言わせ、名誉毀損ものの人権侵害を
しています。
214無名草子さん:03/02/11 04:31
訂正
> 弁護士に内容証明を送ったりしますが、
 弁護士に内容証明を遅らせたりしてますが、
215無名草子さん:03/02/11 04:49
>「この子、ヤられちゃってんだろうな」と登場人物に言わせ、名誉毀損ものの人権侵害を
>しています。
本当に最低の女だよね。こういうのを読むと改めて腹が立ってくる。
216無名草子さん:03/02/11 04:51
まったく、しょーがねー事ばっかり書いてんじゃねーYO!
217無名草子さん:03/02/11 05:06
ほんとですね、ランディさん
218無名草子さん:03/02/11 06:02
>>212 これは『ぐるぐる日記』に収録だけど、言っていることがだいぶ違う。(w
―――以下引用
『ぐるぐる日記』(P.274)
*六月一日(木)/また/アノ夢を/見てしまった
 朝、目が覚めてぞっとした。
 ああ、またあの夢を見てしまった……と思った。
 かつて私は夢分析を受けていて、四年間夢日記をつけていたことがある。
いまでも、印象的な夢は記録している。というわけで、自分の夢にはそれな
りに詳しい。
 ある精神状態のとき、私が必ず見る夢がある。
 それが、脱糞する夢だ。きったね〜。きったね〜けど、夢だからしょうが
ない。
 なんと、ゆうべ、わたしは夢の中でものすごく大量のウンチをするのである。
 それがすごく大量なんだよ、もうびっくりするくらい。
 あー。またか、と思った。しばらくこの手の夢を見ていなかったのに……。
 排泄の夢は、私の肥大した自我を表している。
 自我インフレ気味になると、私の無意識はその自我を処理するために巨大な
ウンチとして夢の中で排出するのである。つまり、夢の中のウンチは、私の
「自意識」である。

 昨日のように連続してインタビューを受けて、いろんな人に褒め讃えられ
おだてられると、それだけで私は自我インフレを起すのである。ふだんは作動
していない「自意識」がうごめきだし、自意識過剰状態になる。煩悩が沸き起
こると形容してもいいいかもしれない。
 さらに、自分の本がどーーんと書店に並んでいるのを見たりすると、もっと
自我がインフレーションを起こす。眠っていた自意識が目を覚ますのだ。
 そういうとき、私は決まって「脱糞」の夢を見てしまう。そして自分が排泄
した自意識を隠すために夢の中で右往左往するのである。情けない。もういい
かげんに自分はそういうものから卒業したと思っていたのに、やっぱりそうじゃ
ないんだなあ、と愕然としてしまった。
219無名草子さん:03/02/11 06:17
『ハーモニーの幸せ』に収録の「つまらないということ」では、
ウンチは自意識から、自分の分身または作品に変化した模様。
―――以下引用
『ハーモニーの幸せ』「つまらないこと」P.111
 私は夢分析を勉強していたことがあり、夢日記も四年以上つけていた。
 夢に関してはかなり思い入れが深い。この晩に見た夢は、私のこれまでの
夢人生の中でも特筆すべき汚い夢だった。もう夢のなかじゅう、クソまみれ
であった。
 それで、夢から覚めたときに唖然としたのだ。
「ああ、そうか、私はこの夢みたいな世界で生きていたんだな。この夢は私の
内的な現実なんだな」って。
 それからこうも思った。
「でも、夢を見たということは意識化できたのだ。だから私は乗り越えること
ができるに違いない」と。
 私はたぶん、人前で、しかも一番を引いたのだから「うんこしろ」と言われ
ているような状況だったのだ。そう考えると自分のことがとても納得できた。
「うんこ」は私のものだ。他人のためにしたり、他人に受け取ってもらったり
するものではない。私は私のために「うんこ」をする。
 うんこは、私の純粋な創造物であり、私の分身だ。
 十二月に入ってから、霧が晴れるように灰色のもやもやが消えていった。
 それを自覚するのも不思議な気分だった。
 それと同時に、書きたいとか、おもしろいとか、そういう刺激に対する反応
ができるようになってきた。
220無名草子さん:03/02/11 06:19
http://bbs.1oku.com/bbs/bbs.phtml?id=rantyan
★ココだ★ココだ★
221無名草子さん :03/02/11 10:03
完全にネタ枯れしきってないか?使いまわしもここまで来ると健忘症w。
222無名草子さん:03/02/11 11:27
トイレは家族の問題(>>212参照)か自意識の問題か。
歯が抜ける夢は「ヤル気が出なくてだらん」(>>196参照)か、ズレている自分
への、無意識からの忠告か。
―――以下引用
『くねくね日記』(P.271)
*七月十一日(水)/変形するトイレ/歯が抜ける/そして魔界巡り
 ここのところ、また、トイレの夢と、歯の抜ける夢を見る。
 ああ、そういう時期なのだなあと思う。
 何か自分の自意識、自我が危機的な状態になると、トイレの夢を頻繁に見るのだ。
 今回の夢で、私は、学校のようなところで集団生活をしている。
 すごくたくさんの人間がいいて、闇の規律があって、しっちゃかめっちゃか。
 そんななかで、トイレは地震のために構造が変形してしまっている。
 崩れ落ちそうなトイレで、便座に座ると、トイレットペーパーのホルダーがもの
すごく遠くにあって、手を伸ばしても紙をとることができない。
 そうこうしているうちに、私の前歯がなぜか差し歯になっていて、しかも針金の
ようなもので止められている。その歯がガクガクしていまにも抜けそうで困っている。
 以前はよく、奥歯がボロボロに砕けて、口の中でじゃりじゃりしている夢を見た。
砕けた歯の粒々で口に中に (原文ママ) いっぱいになってしまい、吐きだしても
吐きだしてもじゃりじゃりが出てくる嫌な夢だった。
 最近はこの夢は見なくなった。
 針金で歯が止めてある、というのは新たなバージョンだなあ、と目が覚めてから
思った。
 歯が抜けるというのは、自分がこれでいい、これで正しい、こうしなければ、と
思い込んでいるものが、実はもうズレているんだよ、という無意識からの忠告で
ある、と私は解釈している。
 となれば、歯が針金で止めてあるというのは、どういうことか。そろそろ考え方
を変えた方がいいのだけれど、今はまだ踏ん切りがつけられなくて暫定的にこの
状況に甘んじている、という感じだろうか。
 ううむ。確かに、そういう部分がなきにしもあらずのような気がしないでもない。
 集団生活の学校での息苦しさや、変形したトイレ、手の届かない紙、というのも
示唆的だ。排便したものの、その後始末ができないで途方に呉れている、というのは、
なんか最近の私だよなあ、と一人で笑ってしまった。