>>933 流行している割にはちゃんと(?)やられてない、ってことなんじゃないの?
だから
>>930は「横光の作品自体の豊穣性を、なんていいだしてたんだから」
と言ってるんだと思う、多分。それこそ、ナショナリズム批判としてやろうとしている
横光研究が、
>>931,
>>932が言うような古臭い「政治と文学」に陥ってるってことが
問題になるとは思うけど。
横光を救い上げたいって気持ちは横光研究者には誰にでもあるだろうから、
それを批判しても仕方ないけど、せっかくナショナリズムの問題を導入するんなら
もうちょっとうまくやれないものか、と読み手としては考えてしまう…。
テクスト論導入以降大流行のカルスタが、「文化」をある種安定したものとして
捉えちゃっている結果、ただの文化史研究にすぎないことになってる(しかも
社会学などから見たらいかにも中途半端)ことと同様なのかもしれない、って
これは関係ないか、スマソ。
横光の短編
如何にも文士らしくて
んでおもろくない
>>917 >「機械」以降だとどうでしょう?
「機械」については文献は多いし、いろんな切り口があるだろうね。
≪意識の流れ≫を意識した(!)ような文体に焦点を当ててもいいし、
プロレタリア文学との共通点(状況設定)と相違点でもいいし、
探偵小説的な語り口を取り上げてもいいだろうし(沖野、スガ)、
前に書いたように≪関係の相対性≫(菅野)を構造的に読んでもいい。
『上海』や『旅愁』についてはいろいろ話題が出ているように
横光におけるナショナリズムというテーマがあるけれども、
最初は外国に目を向けていたモダニスト横光の変化を見るには、
『上海』あたりからの流れを見る必要があるだろうと思うな。
『上海』といえば、芥川の言葉の影響で上海に行ったようだけど、
都市空間と文学の関係を探る試み(前田や川村)も、
あとは、晩年と呼ぶには若すぎる最後期の作品、
『夜の靴』や「微笑」については
もっと言及されてもいいんじゃないかと。
938 :
吾輩は名無しである:04/12/09 19:20:26
「微笑」が好き。
940 :
吾輩は名無しである:04/12/11 13:34:10
いろいろな批評家の名前が出てきましたね。
研究とは縁のない読者ですが参考になります。
最も刺激的な横光論って誰のものでしょう?
小説の神様とまで言われた人の小説が今はそれほど読まれなくなって
しまったのは何故なのかと思いますか?
942 :
吾輩は名無しである:04/12/13 19:18:44
戦前はもてはやされすぎたんでしょうな。
今は「小説の神様」といえば志賀だし。
でも、もうちょと読まれてもいい作家かも。
「小説の神様」ではなく「文学の神様」では?
間違ってたらスマン
944 :
吾輩は名無しである:04/12/13 23:19:11
「微笑」みたいなへんてこな小説をよくぞ書いたもんだと感心する
946 :
吾輩は名無しである:04/12/24 14:36:05
大学の一般推薦試験の面接時に横光利一が好きだと言ったら驚かれてなぜかこっちがショックを受けたさ。
>>946 実はうちじゃ指導できる教官がいないんでね。
948 :
吾輩は名無しである:04/12/29 23:56:56
「文学の神様=横光」VS「小説の神様=志賀」
だったら、文学の神様のほうがえらそうだ。
949 :
吾輩は名無しである:04/12/30 02:23:15
保守(微笑)age
950 :
吾輩は名無しである:04/12/30 08:15:38
微笑( ´,_ゝ`)
今日は命日でした。
952 :
SXY ◆uyLlZvjSXY :05/01/16 01:14:05
ちょっとレスが止まってたんで書き込み。
「文学の神様」横光の初期には
「小説の神様」志賀の影響があった。
953 :
吾輩は名無しである:05/01/19 19:24:08
『頭ならびに腹』ってのは結局何を言いたかったんでそうか
そういう次元を超えた小説
うまく逃げたなw
うーん、確かにそういう次元を超えようとしているなぁ
それが新感覚派時代じゃないの?
957 :
吾輩は名無しである:05/01/19 22:01:10
なんで横光さんて戦後、評価がガタ落ちしたの?
そこには触れないでくれ……
>>957 でも何気に、『近代文学』同人は、横光好きだっただろうね
と思う今日この頃
大岡みたいにそれほど公言はしないにせよ
960 :
吾輩は名無しである:05/01/23 23:37:35
しかし死ぬのが早すぎた。
もしあと10年でも生きてたらとは思う。
結構多作な作家だったんだなあ。
962 :
吾輩は名無しである:05/02/04 01:43:25
「日輪」がものすごく面白かったage
963 :
吾輩は名無しである:05/02/04 20:08:30
卑弥呼マンセー
964 :
吾輩は名無しである:05/02/17 22:36:03
横光利一文学会 第4回大会で鮭切身が講演するよage
日時:2005年3月19日(土)午後1時30分より
場所:二松学舎大学(九段キャンパス)本館5階507教室
研究発表 米倉強「『旅愁』―矢代の内的対話に関する考察」
野中潤「わだつみへの眼差し―『夜の靴』再読」
講演 糸圭(←スガ)秀実「前衛の二つの型―新感覚派とマルクス主義」
横光は、先輩から新潮文庫譲ってもうて読んだが、
酒飲みながら馬車読むと泣けるなあ。
夫婦の行間のふいんきと、ラストの遣り取りがなんともいえん。
へ? 「馬車」なんて新潮文庫に収録されてたっけ?
俺も全集で一回しか読んだこと無いけど……
という戯れ言は抜きにして(「馬車」という短篇が他にある)、
確かに「春は馬車に乗って」はいい。
けど、「馬車」と聴くと、「蠅」をむしろ思い出しちまう。
>ふいんき
釣りですか?釣りですか?
釣り概念というのは2chを滅ぼすことにならないかなぁ。
>「馬車」という短篇が他にある
おお、そうなのか。気軽に略しちゃいかんな、すまん。
・・・”ふいんき”は気にすんなwここは2ちゃんだ(気持ちは判るがw)。
訃音記
970 :
吾輩は名無しである:05/03/14 00:40:14
もうすぐ1000なのに停滞してるじゃん
負陰気だからね。
972 :
吾輩は名無しである:05/03/14 01:27:44
蝿の視点はカメラ・アイか否かという議論はうやむやになってしまったのでしょうか?
973 :
吾輩は名無しである:05/03/14 01:35:49
カメラアイのことはよくわからんが、
あれは三蝿称形式だよ。
三蠅称ワラタ
横光の問題を思いっきり受け継ぐ戦後作家たちは
モノ称とか言うしな、当時は新しかったんだろうな
975 :
吾輩は名無しである:05/03/14 02:19:19
だな
976 :
吾輩は名無しである:05/03/15 23:07:53
>>974 みんな横光を乗り越えて大きくなったんだよ
横光のいう第四人称をどう継承したか(しなかったか)は大事な問題の筈
977 :
吾輩は名無しである:05/03/16 20:18:31
でも、もうだれもいないよ
う
ん
こ。
『マルクスの審判』みたいな事故だったな
982 :
SXY ◆uyLlZvjSXY :05/03/17 21:52:47
>>973 >三蠅称
蠅の視点で描写されつつも
後に蝿もまた対象として描かれてるから
三蠅称を取り入れた非人称のカメラ・アイで
その「非人称」が後の「四人称」につながると思うんだナ。
>>976 >みんな横光を乗り越えて大きくなったんだよ
なんかそんな感じがしないんだよなあ。
戦争によって横光が取り組んできたものが
惜しくも切断されちゃってる気がするヨ。
いつだったか三島が「今我々は横光さんのやって来たことを考えなければならない」みたいなこと言ってたな