横光利一

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1 
何故、横光は今そんなに読まれないんだ?
2吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 18:11
神に呪われているから
3吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 18:47
bungukuzenpanniierudaro
4吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 00:08
横光大好きだけど、前スレでほとんど話題出ちゃったからなあ。
そういや「復刊ドットコム」で横光全集への復刊リクエストの票が7票あつまり、入手可と
なったのだが、初版時よりグッと値上がりした17万(しかも分売不可)という値段にビビり、
だれ一人として(俺も含めて)買わなかったのは悲しい。
5吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 00:11
おもろさと深さを同居させる事ができなかった。
これどう思う?
686:2001/07/19(木) 00:23
評論家は口をそろえて「深くない」とか「表面的なところしか見ない作家」とかいうけど、
それなりに深さはあると思うけど。
現代のほうがうんざりする程軽いのが多いから、こんな風に感じるのかも知れないけど。
7吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 00:27
横光が現役作家だったころの文芸誌を読むと、「こんなのが新しい文学のはずはない」
とえらく叩かれていることに驚く。
あくまでこれは、早すぎた天才ゆえの過小評価だとおもうけど。
8吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 00:30
真の天才は才能を時代に適合できるって、何かに書いてあった
んだけどどう?
9吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 00:31
「表面的なところの表現」に関してはめちゃくちゃうまかった。それだけでも文学史に
残る価値はある。
10テヘラン:2001/07/19(木) 00:32
横光利一すごく好きです。
で、前から気になっていたのですが、終戦直後のゴタゴタで国粋主義作家(?)扱いされて、
表舞台から葬り去られたとかいう話の詳細を知りたい。
川端が弔辞で謝ったという。
11吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 00:38
戦時中何カヤッタノデスカ?
12吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 00:39
「旅愁」が問題のタネなのだろうか?
13吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 01:22
国語の教科書で要求される「読み」の文法が通じないからじゃない?
そこが凄いところなんだけど。それはそうと『機械』はすごすぎる。
14テヘラン:2001/07/19(木) 02:02
なんかの本に横光の息子が文を書いてて、
「父は殺されたようなものだ」とまで言ってました。
なんだっけな、ちょっと確認したい。
15  :2001/07/19(木) 02:25
横光の天才が正当に評価されるまでには、あと50年はかかるだろう。
16吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 03:29
>>10
戦争中に書かれていた「旅愁」は読めば分るけど、後半になればなる程、当時の国粋主義的空気を帯びてきて、かなりまずいことになっていることも確か。
さらに、それまでの文壇での名声の高さもあり、その反動で、文学者の戦争責任の追及という敗戦直後の風潮のなか一斉に叩かれた。
こうした一種の特殊状況での批判は、時代が安定へと向うなか終息するわけだが、横光にとって不幸だったのは、昭和22年というまだ混乱の最中に死んだこと。
これで、彼はその批判を浴びたまま死んだ形になり、他の作家は、その後の文学活動によって、名誉を挽回することが出来たが、それも出来なかった。

川端は弔辞で謝ったというより、かばったという方が正確だと思う。非常に友情にあふれた名文です。
17吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 03:37
戦争に協力的なことを書いたり発言したりしたか否かで戦後の
評価がガラッと変わるからねえ。賢治とか中島敦なんて
典型的だよね。二人とも戦中・戦後を生きてたらどうなっていたことやら。
18吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 03:42
戦争中冷遇されていたとされる太宰や安吾も、本当はけっこう国粋主義的なことを書いていたんですけどね。戦後になると当時のことはみんな頬かむりだ。
19吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 03:48
頭がいいのは耽美派のブルジョア連中だね。谷崎荷風は沈黙を
守ってたおかげで戦後持ち上げられもしなかったけど糾弾される
こともなかった。『断腸停日乗』ですごいのは、終戦の日の日記
で、谷崎と肉を食った話が出てくる。
20吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 08:40
>>8
死後評価を受けた天才ならいくらでもいるだろ。宮沢賢治、カフカ、(作家ではないが)ゴッホ、
竹久夢二等々。
21テヘラン:2001/07/19(木) 10:47
>>16-18

なるほど。ひどい話。
現役時代は「小説の神様」だったんでしょ。
22吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 10:48
20であげられた人たちが天才かどうかは議論が分かれるかもしれんが、同時代に評価されない
人の中にも天才はいるだろう。
23吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 11:27
島崎藤村も戦争後まで生きてたらどうなったんだろう?
24吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 19:13
国粋主義の芽は初期からある、と思う。
早くから「欧米と亜細亜の差」を気にしていたし。

八木義徳によると、八木が徴用されて戦地に赴くとき、
見送りの横光が万歳三唱を唱えていたと言うし、
戦争が横光を「国粋主義」に固まらせた。

川端はいつも横光の尻拭いをしていたけど、
川端自身は横光文学碑の挨拶で「私は横光の後に続くものとして
歴史に認知されるはずだ」様なことを言っていた。

横光が後20年生きていれば・・・

前スレって何処?
25吾輩は名無しである:2001/07/19(木) 20:05
俺は全集買ったけどね。
おかげでローン生活さ。
あれって復刊ドットコムの影響じゃなくて、
補巻が出たから復刊したんじゃないの?
26吾輩は名無しである:2001/07/20(金) 02:02
こうやって自由な意見が出てくると、>>5は安易な受け売りをしてしまったことに後悔してるだろう。
27吾輩は名無しである:2001/07/20(金) 14:08
>>5
復刊ドットコムが、河出に出向いて、倉庫にねむってた売れ残りを発掘したそうだ。
28JPB:2001/07/20(金) 15:53
横光の国粋化とその作品という問題は、現在のJ回帰と文学作品という問題系に
照らしてもアクチュアルだと思うので、『旅愁』はとても興味深い作品だとは
思うのです。
そうしたのを差し引いても、『蝿』『日輪』『上海』なんかは今読んでも、なか
なか面白いですが。
29吾輩は名無しである:2001/07/20(金) 17:14
『機械』以外に興味なし
30吾輩は名無しである:2001/07/20(金) 17:49
新感覚派の命名者って誰なんざんしょ?
31吾輩は名無しである:2001/07/21(土) 00:46
『春は馬車に乗って』の、随所に出てくるメタファーは流石。
32吾輩は名無しである:2001/07/21(土) 00:48
>>30
千葉亀雄。
3327:2001/07/21(土) 00:52
しまった。これは5ではなく25へのレス。
34吾輩は名無しである:2001/07/21(土) 09:47
「鳥」が好き。
あの人間関係が螺旋階段を描いて最後は飛行機ってのが。
あれ、機械もそうだけど、結局何が何だか解らなくなって行くような迫力があって
面白い。
35吾輩は名無しである:2001/07/21(土) 23:25
>27
平成十一年二版
になってるよ。
消費税だけで壱万近く・・・
364:2001/07/23(月) 12:29
>>24
遅レスごめん。前スレです。
4で「前スレでほとんど話題出た」などと書いてしまったが、あらためて見直したら記憶違いだったようだ。

http://mentai.2ch.net/book/kako/968/968347936.html
37セクリタス:2001/07/24(火) 02:51
加藤周一の「縮図」(『羊の歌』(正編・岩波新書など)に語られるエピソードは痛々しい。
#そんな横光利一<も>大好きです。
3824:2001/07/24(火) 22:29
前スレ、サンキュー
39吾輩は名無しである:2001/07/29(日) 19:26
はやくも失速か……
40吾輩は名無しである:2001/07/29(日) 20:06
で、結局『機械』の”機械”って何の事よ?
41吾輩は名無しである:2001/07/29(日) 21:44
メカニズム。ある種の自動運動。
42吾輩は名無しである:2001/07/29(日) 22:54
毒虫に変わったはじめのうちは、こんな妙なこともあるのかと不思議に思った。しかしそんなことを気にして毒虫の姿を憎く思ってみたところで、元に戻るすべもわからず、そもそも毒虫になった原因がわからぬのだから仕様が無い。こうなればひとつ毒虫の気持ちも味わってやろうとまで思うのだが、毒虫らしく這ってみたところで自分が毒虫、毒虫が自分ともなれば自分の頃との違いも良くわからず、仕舞いにははじめから毒虫だったのではないかという考えも浮かんでくるのだ。
43吾輩は名無しである:2001/07/31(火) 23:37

なにこれ。横光って『変身』のパロディでも書いたのかな。
44吾輩は名無しである :2001/08/01(水) 08:46
文学板に「文体模写スレッド」というのがあって、そこからコピペったものと思われる
45吾輩は名無しである:2001/08/07(火) 21:28
こうやって自由な意見が出てくると、>>5は安易な受け売りをしてしまったことに後悔してるだろう。
46我が輩は名無しである:2001/08/08(水) 14:09
というか5の反論が聞きたい。
ついでに安易な受け売り仲間の8も。
47吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 15:56
当時の文学青年にとっては神のようなものだったそうですね。
48吾輩は名無しである:01/09/11 17:29
『機械』を映画化するなら
私…エレカシ宮本(なんとなく風貌が横光っぽい)
軽部…フジテレビ軽部アナウンサー
屋敷…元横浜の屋敷
49吾輩は名無しである:01/09/16 16:47
芥川が死んだから、当時の文学青年の注目を浴びれたのだ。
50吾輩は名無しである:01/10/01 17:16
あげ
51吾輩は名無しである:01/10/02 20:25
(ΞζдξΞ)
(∩Ψ∩)
52吾輩は名無しである:01/10/05 03:46
「頭ならびに腹」の小僧はどういう意図で使われてるの?
53吾輩は名無しである:01/10/09 21:48
全集ってあるの?
54吾輩は名無しである:01/10/09 21:49
上の方で復刊したようなこと言ってるよ
55吾輩は名無しである:01/10/10 00:52
>>52

主人公
56吾輩は名無しである:01/10/10 01:02
>>52
「小僧」じゃなくて「子僧」なんだけどね。
57どんな馬鹿も霞む男:01/10/10 09:33
買うものか! そんな高い全集。
クソ研究者ども、自腹切って新しい全集を出せーい!
58リアル厨房:01/10/10 16:00
上にもありますが、横光の提出した問題は現代においてもアクチュアルだと思います。
『純粋小説論』はまさに純粋小説だらけになってしまった80年代以降の日本文学の状況を
確実に照射していますし、『旅愁』のある種のオリエンタリズムはポスコロ全盛の現代
においてこそ読まれねばならないと思います。もちろん、J回帰の問題ともシンクロします。
もっと横光にスポットが当たってもいいと思うんですが。
戦時中のことなんかがあるから、やっぱり負のイメージで見られているんでしょうかね?
59吾輩は名無しである:01/10/14 13:35
って、80年代以降の文学がいわゆる「負のイメージ」。
それを「純粋小説論」で称賛していたことが、まるで予言したかのように
見えたとしても、横光のマイナスになるのでは?
60吾輩は名無しである:01/10/14 17:08
「上海」ってどう?
61吾輩は名無しである:01/10/14 17:56
読まれないわりには研究は盛り上がりつつありますね。
横光の研究学会ができるし。
62吾輩は名無しである:01/10/14 17:58
横光利一研究学会?
もともとあったんじゃないの?
63吾輩は名無しである:01/10/14 18:00
>>62
さぁ。
私が知ってるのは来年の3月あたりに立ち上がるとのことですが。
64名無し:01/10/14 18:24
蝿を読みたいんやけど文庫になってる?
65吾輩は名無しである:01/10/15 17:03
講談社文芸文庫は?
66吾輩は名無しである:01/10/15 20:25
『春は馬車に乗って』も好きだし、『機械』も好きだが。
『微笑』がかなり好き。
軍国的といえば、そりゃそうなのかもしれないが、ある意味で日本独特の「何か」を
感じさせるような、不可思議な掌編。
捨てるにはしのびない。
67吾輩は名無しである:01/10/18 07:22
>64
「蝿」は現行の岩波文庫『日輪・春は馬車に乗って』に収められて居ます。

>66
2重鉤カッコ-『』-は、本の題名に。個々の作品は-「」-で括りましょう。
基本ですよ、老婆心ながら。
68吾輩は名無しである:01/10/18 13:06
>>66

別に個々の作品の題名も『』でいいですよ。>>67は何か勘違いをしているようです。
69吾輩は名無しである:01/10/18 13:31
>>67
それは、派閥によって違うのだ。
どうでも良いことだし。
70菊恥寛:01/10/18 14:09
関東大震災の時、私が横光君の無事を確認するために駆け回
ったのは才能を評価していたからです。同性愛からではあり
ません。決して。
71吾輩は名無しである:01/10/28 23:28
横光も風呂に入らなさそうだよね。
72吾輩は名無しである:01/10/30 15:46
誰も横光読まないのかな?
73吾輩は名無しである:01/11/03 05:12
いや、最近横光よんでるよ。
『春は馬車に乗って』は素晴らしい。
読み終わった後に、思わずもう一回読み直したよ。
74吾輩は名無しである:01/11/03 05:15
ちくまのアンソロジーに入ってる『雪解』が好き
75吾輩は名無しである:01/11/03 12:42
利一、金はどうだったのかな?
76吾輩は名無しである:01/11/04 04:03
同じ新感覚派でも川端の数倍偉大だと思うのは俺だけか?
77吾輩は名無しである:01/11/04 04:40
その比較では川端が余りに卑小すぎる。
つーか、川端は、他人の功績の美味しいとこだけ摘んで
再提示してみせるのが上手いだけでしょ。
78吾輩は名無しである:01/11/04 05:14
横光、がんばった人
という印象である
79吾輩は名無しである:01/11/04 14:04
千代夫人キレイ。
80吾輩は名無しである:01/11/04 16:15
横光、あの風貌でスポーツマンだったとは想像し難い。
81吾輩は名無しである :01/11/04 18:03
>>77
そうそう、横光が切り拓いた原野を小奇麗にして売ったのが川端って感じだよね。
82吾輩は名無しである:01/11/05 08:36
>>81

まあ、それは川端本人が自覚してるでしょ?
谷崎ー川端ー三島という誰が作ったかわからん
系列のなかで、川端の作品にだけはうなったことがない。
ノーベル賞って一体。

まあ、川端の話はこのくらいにして・・・。
横光って「野心作」が多くあるね。
「国語との不逞極まる血戦」って言葉を本人も書いているしね。
8377:01/11/09 00:32
川端は逝ってよし!
84吾輩は名無しである:01/11/09 04:02
>>77

>>川端は、他人の功績の美味しいとこだけ摘んで
>>再提示してみせるのが上手いだけでしょ。

つまり、創造力はないが、模倣力はあるってことで、
典型的な日本人ってことじゃん。

つーか、何時の間にか、川端を煽るスレになっているような・・・。
85リアル厨房:01/11/10 12:34
横光と川端の対比が話題になっていますが、ボロボロに叩かれることを
覚悟して敢えて問題提起をさせていただきます。
私も川端よりも横光の方が数段上の作家だと思います。
誤解を恐れずにいえば川端は結局日本に、あるいは日本的な美に自閉した
作家であって、他者との交流を描いているようでいてその実全く他者を気
にかけていません。かつて安吾が永井荷風を「全く他者をわからん野郎だ」
と批判したことがありましたが、むしろ川端にこそ相応しい。川端が好ん
で使うメタファーとしての鏡なんて内省以外の何ものでもないでしょう。
それに比べて横光は日本回帰という側面もたしかにありますが、日本回帰
が云々された『旅愁』においても、他者の問題が出てきています。奇妙な
オリエンタリズムを孕みつつも他者の問題がそこには基調低音をなしてい
る。と思ったりするのですが、いかがでしょうか?
86吾輩は名無しである:01/11/10 12:41
こう見えても高校時代は野球部のエース。
B組の横光・上島は名バッテリーといわれたものさ。
87吾輩は名無しである:01/11/10 22:02
>利一、金はどうだったのかな?
最近発見された川端の横光宛書簡によると、
結構苦しかったらしい
88吾輩は名無しである:01/11/10 22:08
あ、あれ読んだの?
どんな内容?
89自称・川端派:01/11/10 22:27
>>リア厨
川端というと、すぐに「自閉した部屋で自足した文学を綴っていた…」
とかなんとかと非難がましい事を言われるが、川端は性の問題を
人間存在の深奥にまで探った垂直的に深い作家だと思う。
一方横光は舞台こそ壮大で裏返しのオリエンタリズムというか
日本をまるで外国のように描く作家だが、設定そのものは凄く
人工的。彼の文体の人工性も相俟って、多くの人を共感させる
ような普遍性は獲得できなかったような気がする。
彼の短編はやはり好きだけれども。『機械』や『春は馬車に乗って』
は単純に、イイ。
9084:01/11/12 05:16
>>85
>>奇妙な オリエンタリズムを孕みつつも他者の問題が
>>そこには基調低音をなしてい る。

禿同。単なるナショナリストというとらえかたではなく、
そうした側面から読みなおされるべきだとおれも思う。

>>89

>川端というと、すぐに「自閉した部屋で自足した文学を綴っていた…」
>とかなんとかと非難がましい事を言われるが、川端は性の問題を
>人間存在の深奥にまで探った垂直的に深い作家だと思う。

いや、それなら谷崎の方が数段上な訳で、
潤ちゃんに比べたら川端は垂直的にみても浅いよ。
同じ潤ちゃんでも、川端は吉行さんちの淳ちゃんに
毛が生えたようなもの。
9189:01/11/12 10:02
>>90
ええっ… 毛ですか、、、毛なら俺にも、川端にも
立派に生えていると思うけど…

谷崎の潤ちゃんの作品は、好きでも嫌いでもない。
文章は美しいけど、ちょっと俗っぽい感じ
俺はこどもなので、谷崎のその俗っぽさの良さがまだよく分からない…
9284:01/11/13 03:58
>>91

>俺はこどもなので、谷崎のその俗っぽさの良さがまだよく分からない…

そんな卑下せんでも・・・。おれも言いすぎたか。
反論が返ってくることを期待した煽りのつもりだったのだが。
まあ、マタ―リいきましょうや。

谷崎が俗っぽい? 具体的な作品名は?
『春琴抄』読んだ?

って、横光スレなのに、また谷崎に話題がシフトしてるし(w。
93リアル厨房:01/11/17 19:57
>>89
>川端派さん
たしかに
>川端は性の問題を人間存在の深奥にまで探った
と私も思いますし、問題提起を兼ねて敢えて85のようにいいましたが、
変態の大家であると認識しています。
しかし、川端は自閉していることには変わりない。性の問題といっても
結局「美しい日本の私」の性の問題でしかないし、そこには内省しかない。
そういう意味では横光は日本回帰といわれようが何だろうが、他者を提示
している。そして、それがあるために、横光の提出した問題というのは
アクチュアルであり続けるのではないかと、思っている次第です。
敢えて大まかに言うと、
川端は古典として現実から離れて読まれ続けるのに対して、横光は現実に
交差し続けることによって読まれつづけるのではないでしょうか?
94吾輩は名無しである:01/11/21 21:55
高校の教科書に『蝿』が載ってて横光好きになったアルよ。
『春馬車』もイイ!
95吾輩は名無しである:01/11/21 22:52
「蝿」は全文書き写しなんてことをしたことがある。
96吾輩は名無しである:01/11/24 21:41
で、何か良いことあった?
文章書いていて、フレーズが浮かんだりとか・・。
971=95:01/11/24 23:25
いや、ただ単に衝動的に書き写しただけだから、
何もなかった。

全集で新発見の川端の書翰に対応する手紙を探したけど
見あたらなかった。

小島昂への有名なのを読んだけど、これって後の横光の作品の
ベースがほとんど入っているんじゃない?
98やれやれ:01/11/24 23:26
「日輪」が死ぬほどに好きなんだ。

横光は偉大だ。
99吾輩は名無しである:01/11/24 23:44
生田長江訳「サランボウ」が読みたーい
100やれやれ:01/11/24 23:47
良い理解者がいてよかった。
私も激しく読みたいです。

フロベールも偉大です。
101ブリジット・フォンダ:01/11/25 00:00
しかし、96で久しぶりにこのスレを上げたのは、私だったりする。
102吾輩は名無しである:01/11/25 00:01
↑なかなかやり手だな。
1031:01/11/25 00:07
上げていただいてさんきゅうです。
104吾輩は名無しである:01/11/25 00:09
48のおかげで「機械」を再読中に軽部の顔が頭から離れない。
105吾輩は名無しである:01/11/25 00:28
横光って、早稲田出身だっけ?
106吾輩は名無しである:01/11/25 00:29
それにしても初期ばかりで後期の横光は話題にならないな。
「純粋小説論」とかはどうよ?
107ブリジット・フォンダ:01/11/25 00:33
今読むと笑うよね。
でも実際、あれ書いた辺りから面白い変化が感じられたり
するんだから凄いよね。
川端もそうだけど、天然ボケっぽいところが感じられて
かわいい。
108吾輩は名無しである:01/11/25 00:34
そんな変化したかなぁ・・・?
例えばどういう変化よ?
109吾輩は名無しである:01/11/25 00:35
なんでもかわいいという女は自分をかわいいと思っている。

さんま御殿より
110ブリジット・フォンダ:01/11/25 00:39
「突発的な事件」
「多くの登場人物」などだったよね。
「紋章」とか「機械」辺り、読んでみて。
「紋章」の方がわかりやすいかな。
講談社文藝文庫か何かで高いんだけどね。
111吾輩は名無しである:01/11/25 01:11
「四人称」をどう解釈してよいのか、途方にくれた記憶がある。
『紋章』はその実践だったと、横光が言っていたようだが。
112ブリジット・フォンダ:01/11/25 12:33
太宰研究者が太宰に指摘する潜在二人称とか、そういうのに近いんだよね。
実は横光に方がはるかに早い・・。
語りの視点を少しずつずらすつもりだったようだけど、
本人は、もっと長くないとダメだとか・・・。
ようは、「そんなところまで見えてないはずでしょ?この登場人物」
ってところまで書いても気づかれないくらいのさりげない超越的
視点ということさー。と思うけど。
1131:01/11/25 21:08
『紋章』はドストエフスキー『悪霊』の書き方を意識したと
横光は言ってるけど、書き方のレベルでは『悪霊』が「四人称」に
もっとも近いと横光は考えていたんじゃないかな?

『悪霊』を読んだことがないので、ドストエフスキーの
思想面とかを抜きにした方法的なお話を誰か聞かせて下さい。
114吾輩は名無しである:01/11/26 21:56
『紋章』のはじめのほうに語り手というか、書き手が登場しますよね。
これを読んだとき、横光は作品と作家の主従関係を逆転させたかったのかな、と身勝手に
思ったものです。それが「四人称」とどうつなげられるか、結局わからなかったわけですが。
115吾輩は名無しである:01/11/26 22:28
「純粋小説論」の中で書かれている「作家としての眼」をやりたかったんでしょう。
「他人を見る眼」「自分を見る自分の眼」「作者の眼」それらが
雁金と久内と書き手で表したかったんじゃないですか?
116吾輩は名無しである:01/11/27 00:09
『機械』における”機械”が一体何なのか、
そこに触れようとするのは愚かなことなんでしょうか。
117吾輩は名無しである:01/11/27 00:31
『機械』は横光の頭の中身
118吾輩は名無しである:01/11/27 21:27
横光、大学のゼミでかなり読まされたよ!(笑)
私としては「ナポレオンと田虫」が面白かったな。
違う角度からみたナポレオンの姿が印象的だった。
横光の面白さは、文章なのに映像を浮かばせるところだと思うよ。
緻密な文章には天晴れ利一!という感じです。
119吾輩は名無しである:01/11/28 01:01
筒井康隆は何で横光が好きなの?
120吾輩は名無しである:01/11/28 01:10
>>119
なぜ、一言レスしか、書けないの・・・
121吾輩は名無しである:01/11/28 20:25
横光利一イッパツ、ドラドラ!!
122吾輩は名無しである:01/12/01 01:03
>ナポレオンと田虫
あの頃の横光は文章を如何に映像化して書くかと言うことでしょう。
「新感覚派」の文体というのは、映画の「編集」のようにして書かれた
と私は考えているのですが、どうでしょう?
123吾輩は名無しである:01/12/02 22:04
誰か横光原作の映画を見たことある人っている?
「日輪」「家族会議」くらい?

何だか今揺れてるな
124吾輩は名無しである:01/12/02 22:36
「機械」でレポート書くことになっちゃいました。
にしてもこの作品、文学史の流れの中でしか評価されていない気が・・・
作品の内容それ自体についてだけでレポート15枚って難しそう。
第一、<機械>が何の象徴なんだか見当もつかないよ!助けてぇ、誰かヒントを。
125吾輩は名無しである:01/12/02 23:15
とんでもない。
「機械」はうまくいけば天皇制に関してまで論じていけますよ。
「機械」が何の象徴であるかよりも、どういった形で描かれているかを
考えていった方が良いと思いますよ。
12684:01/12/03 17:30
久し振りにここ来て、驚いた。
すごい伸びてるね、このスレ。
文学板も捨てたもんじゃないな。

>>125
>>「機械」はうまくいけば天皇制に関してまで論じていけますよ。

それ、是非聞きたい。
127吾輩は名無しである:01/12/03 19:50
「機械」の文学史的評価ってどういうの?
小林秀雄が何か言ってるみたいだけど、それ?
128 :01/12/03 22:33
>>127
小林秀雄の同時代評はいくらなんでも誉め過ぎかな〜と思っちゃうけど、
伊藤整なんかは外国の心理主義小説やマルキシズムの影響について冷静に指摘してる。
129吾輩は名無しである:01/12/03 22:55
へえ。
そういえば「マルクスの審判」なんてのも書いてるね。
これも「機械」系に連なる作品として捉えられるかも。
130125:01/12/04 00:30
廻転している生活を「機械」として捉えて、
その生活が何の「機械」として組み入れられるかとして
考えていくと、主人の位置取りに天皇が来る。
で、構造が似ている「寝園」の仁羽を天皇として捉えると
横光は「天皇」を撃ったことになる。

大雑把で申し訳ないですが。

「機械」の文学的評価で考えると、そういった作品を
書こうとしていた伊藤整の評価が信頼置けるんじゃないですかね?
「マルクスの審判」は志賀の「犯の犯罪」を考えて書いているのでしょう。
これをちゃんと比較した論文ってありましたっけ?
131吾輩は名無しである:01/12/04 01:06
梶木剛「横光利一の軌跡」って読んだこと有る人居る?
読みたいんだけど、早稲田で12000円だったから買えなかった。
13284:01/12/04 11:04
>>125
なるほど。
で、『寝園』も同じように読めるわけか。

ちなみに、『紋章』、『家族会議』はどうだった?
天皇制うんぬんじゃなく率直な感想として。

それと、小林の横光論ってどの本で読める?
文庫じゃ読めないよね。今、新しい全集出てるから
それで読もうかな。

なんか、教えて君でスマソ。
133吾輩は名無しである:01/12/04 11:31
新潮文庫の『Xへの手紙・私小説論』所収の
「私小説論」でちょっと横光に触れてるが。

ってそんなこともう知ってるか。
134吾輩は名無しである:01/12/04 11:33
あと、ちくま文庫の吉本隆明『悲劇の解読』にも横光論有り。
吉本が触れてる作品を全然読んでないのでつまらなかったけど。
135125:01/12/04 20:14
小林の批評は岩波文庫の「小林秀雄初期文芸評論集」に載っていた気が。
新潮の「作家の顔」にはどうだったかなぁ・・・?
吉本は横光好きだったみたいだね。
「言語にとって美とは何か」でも触れているし。
131氏の梶木剛も横光と一緒の同人をやっていた人だね。
「紋章」はどうだろう。「寝園」(ああ、このタイトルが天皇を
象徴している!)に
対になるようにしたんじゃないかな。
「家紋」を大事にしている人間を仁羽の位置に持ってくることで。
「上海」→「機械」→「寝園」→「紋章」→「旅愁」は確実な一本の線。
「家族会議」は(上記に連なる作品以外としての)モチーフ的に「寝園」とさして変わらないような・・・
13684:01/12/05 01:11
>>125

>>小林の批評は岩波文庫の「小林秀雄初期文芸評論集」に載っていた気が。

情報サンクス。でも、品切れの予感が・・・。
大きい本屋に逝ってみるか。

>>「上海」→「機械」→「寝園」→「紋章」→「旅愁」は確実な一本の線。

なるほど、そういう風にみたことはなかったなあ。
確かに、漢字2字の題名が多いなあと思ったことはあったが。
呑気だな、おれ(藁。 それはそうと、思わぬ所に「機械」が入ってるね。
で、「日輪」を「上海」の前に入れるのはまずいのか?
と書きつつ、やっぱ同一線上では語れないような気がする。
「って、自己完結かよっ。」(←さま〜ず三村風に)

何はともあれ、名スレの予感・・・。
137125:01/12/05 22:49
私は「機械」は「上海」の”中断期間”中に書かれたことに注目しました。
横光自身は「新感覚派の総決算」としての「上海」ですが、
後半は明らかに趣が変わってきてますね。
もしそうなら「日輪」も入りますけども、あれはもしかしたら
生田長江訳「サランボオ」の「パクり」という説もありますが。
(まだ読んだことがありません)

長編で漢字二字ではないのは唯一「家族会議」だけですね。

小林秀雄の「作家の顔」を確認したら入ってませんでした。
138125:01/12/05 23:36
補足
最初の構想から離れつつあった「上海」・・・
上海での人間関係を書こうとしていたら、新感覚派としての
側面が失われてきてしまって、その失われて新たに得たモチーフが
「機械」に書かれて無いではないか? ということから出発しています。
それを育てたのが「寝園」。
横光という大樹は新感覚派=既存の文学からの反逆という土壌から
「上海」という根を持ったものだと私は考えています。

まぁ、中途半端なセイガクの戯言ですが
139吾輩は名無しである:01/12/08 01:03
俺は機械より時間の方が好きだ
140吾輩は名無しである:01/12/08 01:10
そういえば、筒井が国営放送で
「機械」の一部を朗読したことがあったな。
チョト、シュールというか、感動したよ。何故か知らんが・・・。
141吾輩は名無しである:01/12/08 23:23
筒井の朗読は新潮のカセットで出ていた。
数年前買おうと思っていたのが忘れてしまい、
最近になって買いに行ったら廃盤になってしまっていた。
本なら古本屋探すけど、カセットはないしなぁ・・・
142吾輩は名無しである:01/12/08 23:25
いや、テレビ放送もあったぜ。
NHKの放送ストック持ってるとこならあるんじゃないの?
143141:01/12/09 01:09
>142
本当か?
情報産休!!
144吾輩は名無しである:01/12/09 01:20
筒井が講座(文章作法だか近代文学紹介だかの)を
NHKで持ってたんだよ。昔。
だから勿論ごく一部だよ、朗読したのは。「機械」の。
その短い部分にも現在の放送コードには引っかかる語句(多分、基地外関係)
があったらしく、筒井の
「一行、飛ばします。」という朗読中の宣言が入る。
筒井読者なら分かると思うが
チョト、萌えるよね。
「一行、飛ばします。」(w)
ましてや「ファン」だったら
堪まんねェってとこじゃないの。
145吾輩は名無しである:01/12/09 01:27
をいをい、コラコラ
筒井ファンにはタマんなくっても、飛ばされた横光の立場はどうなるよ。
それに、だいたいココ横光スレだぞ。
14684:01/12/09 02:39
>>144

>「一行、飛ばします。」という朗読中の宣言が入る。
>筒井読者なら分かると思うが
>チョト、萌えるよね。

筒井ファンでもあるおれとすれば、すごい萌え萌えだ。
いいなぁ、それビデオでもってない?
147吾輩は名無しである:01/12/09 02:49
だからここ横蜜スレだって。
気持ちは凄く、痛いほどと言うより笑っちまうほど、よく分かるけど。
14884:01/12/09 02:57
>>147
スマソ。
しょぼりんこ。
149吾輩は名無しである:01/12/09 03:00
おもしろかったよ。本当は。(不謹慎ながら)
1501:01/12/09 22:02
主人が狂人だと思った

のところだな。
えと、このスレを建てたものですが
横光を読もうと思った要因が筒井が薦めていたからで
筒井の話でもかまわないかなぁ、なんて思ってます。
まぁ、横光に絡めた話ならファン層もかぶっていないこともない
ような気もしないことがないので、
個人的には歓迎します。
15184:01/12/09 22:30
筒井の『人間みな病気』というアンソロジーにも
横光の作品入ってたね。題名は忘れたけど・・・。
掌編という感じの短い作品、アナーキーで面白かったなあ。

それはそうと、映画化された横光の作品(『日輪』とか)
見たことあるひとがいたら感想きぼ〜ん。
152吾輩は名無しである:01/12/09 22:41
>84さん
ナポレオンと田虫じゃなかったっけ?
ん?それって集英社文庫の実験小説名作選の
アンソロジーだったかな?
15384:01/12/09 23:09
「ナポレオンと田虫」じゃないよ。
いくらおれでも、この作品の題名は忘れない。(ちなみに、大好き)

もっと、もっと、短い作品だよ。病気持ちの男が円タクに乗って、
都会の街をぐるぐる徘徊するという、
文字通り「筒井ワールド」を先取りしたような内容。
154>84:01/12/10 17:21
調べてみる
15584:01/12/10 19:38
分かったよ。
『盲腸』という短編でした。
全集だったら、第何巻くらいにはいってるのかな?
この種の実験的なやつ大好きだ。
156吾輩は名無しである:01/12/10 23:26
俺の今手元にある全集(1.2.3巻)には入っていない
157吾輩は名無しである:01/12/11 03:14
今日青空文庫に『頭ならびに腹』『一条の詭弁』『神馬』『父』『七階の運動』 が
追加されてた。
158吾輩は名無しである:01/12/11 21:09
『神馬』は必読だね
159吾輩は名無しである:01/12/11 22:53
話題になった途端に、「盲腸」が青空文庫に入ってるよー
http://www.aozora.gr.jp/cards/yokomitsu/mocho.html
16084:01/12/12 01:16
情報、ベリー・サンクス!!
「盲腸」の入った例のアンソロジーを買おうと思っていた
矢先だったので、とても嬉しい。
で、早速DLして読み返した。
いやー、おもろい、おもろい。

しかし、「青空文庫」に入った作品、ぐっと増えたねえ。
「日輪」とかも今、打ってるみたいよ。
16184:01/12/12 01:27
もう少し詳しく書こう。
信用できる筋からの情報によると、『青空文庫』で、他に掲載予定の
作品は以下の通りらしい。

「寝園」「上海」「微笑」「新感覚派とコンミニズム文学」「洋灯」
「純粋小説論」「夢もろもろ」「汚い家」「詩集『花電車』序」
「マルクスの審判」「冬の女」「黙示のページ」「夜の靴」「日輪」。

いやー、文庫本に収録されているやつはあるにしろ、すごいね。
162吾輩は名無しである:01/12/12 01:37
『筋』っていったい?
16384:01/12/12 02:05
スマソ。かっこつけすぎた。へへへ。
「横光利一倶楽部」というWEBの掲示板に書いてあったのだ。
164吾輩は名無しである:01/12/12 02:22
>>163
いや、なんか妙に期待できてよかったよ。
なんだか意味も無くマフィアかなんかがカラんでそうで・・・・。

また、思わせブリブリなカキコをやってくれ。
でも後でオチャメな種明かしもやって頂戴ね。
コチとら世間知らずなもんでね・・・・。
165吾輩は名無しである:01/12/12 23:13
横光利一倶楽部はいつしっかりと活動をするんだ?
第一期もすぐになくなっちゃったし。
166吾輩は名無しである:01/12/13 00:11
『夜の靴』読むと泣きそうな気がして、読むことが出来ない・・・
167吾輩は名無しである:01/12/14 01:47
最近の良い横光研究家は居ないのか?
16884:01/12/14 01:49
「国文学−解釈と研究」なんてものを久し振りに買ってしまいました。
「横光利一、疾走するモダン」(平成2年11月号)ってやつです。
後藤明生と菅野昭正の対談がのってるんだけど、
ありきたりのことばかり話していて、あまり面白くなかった。
特に、後藤が凡庸。横光のこと、尊敬してるらしいけどね。
そういえば、先日、亡くなっちゃったね、この人。
169吾輩は名無しである:01/12/15 00:12
そうかな。
後藤は良いこと言ってたぞ。
『純粋小説論』の再検討の件とか。
中村真一郎よりも一歩先に行くと思うけどな。
(本当に書かれていれば)

後藤は横光の後継者。
170吾輩は名無しである:01/12/15 23:49
菅野昭正の横光に関する講演を聞きに行ったけど、
『横光利一』で言っていること以上に何も言っていなかったので、
萎えた
17184:01/12/16 00:45
「後藤は横光の後継者」って言われてもねえ。
萎えるよ。

作家としての格が違いすぎ。
つーか、今、後藤みたいな4流作家の本
読んでるやついるの?
172吾輩は名無しである:01/12/16 00:48
ていうか横光自体既に忘れ去られ気味だと思う。
173吾輩は名無しである:01/12/17 21:42
様々な問題を含んで居るんだけどなぁ
174169:01/12/17 22:55
格が違うのは認めるが
何を持ってして4流という。
横光が捉えようとした問題の一端を確実に掴んでいたのは後藤明生。
17584:01/12/17 23:44
>>169

じゃあ、その問題の一端とやらを提示してよ。

ただ、その問題の一端を掴んでいたのが後藤だったにせよ、
それだけで彼を横光の「後継者」と呼んでいいのか?
その問題とやらを掴んでいたのは後藤だけだとはいえないんじゃない?

「純粋小説論」の中で横光の提示した問題は日本文学を貫く
問題であり、後藤はそうした「伝統」のただ中にいる一人に
過ぎないとおれはあの対談を読んで思った。
それなのに、さも自分の大発見のように得意げに話す、
後藤が鼻についた。

つーか、作家のくせに勉強不足じゃん、後藤。
だから、手厳しいかもしれんが4流と呼んだのだ。

まあ、おれの言葉不足はあやまるよ。
176169:01/12/17 23:51
>>84
『関係』は読まれたか?
少なくとも『機械』のモティーフを引き継ぎ、
その先に行こうとした作家は後藤しか居ない。
『機械』が横光の核をなすものだと私は考えているから。

あの対談での『純粋小説論・注』は実現できれば面白いと私は思ったが。
自意識が「関係性」により生じるものだとしたなら、
『関係』は『純粋小説論・注』により生まれた作品だと思う。

「後継者」は言い過ぎかも知れないけれど、
問題の一端は掴んだと思っている。
で、その問題は横光を最も捉えた問題だろう。
177吾輩は名無しである:01/12/18 00:00
横光の「四人称」って埴谷の「虚体」のことですか?
17884:01/12/18 00:54
>>169
いいたいことはよく分かった。

>『機械』が横光の核をなすものだと私は考えているから。

でも、ここがおれとは違うとこなんだよなあ。
『機械』、確かにすごい作品だと思うけど、おれは
『上海』が横光の核をなすと考えている。ポイントは2つ。

1.西洋化と伝統回帰という日本の近代化が孕む矛盾、
  そうした漱石以来の問題を引き継いでいる点。

2.プロレタリア文学との耽美主義文学との相克の中で、
  文学が自らの形式を犠牲にすることなく、なおも政治的であると
  すればそれはいかなる形においてかを模索している点。

これらの問題を後藤は継承していないと思う。
だから彼を後継者とは認めたくなかった・・・。

でも、『関係』読んでみるよ。
少なくとも、横光が『機械』で扱った問題を後藤が現代に
活かそうとした点は評価したいから。
179吾輩は名無しである:01/12/18 02:23
 横光 利一
 ●● ○○
 16 6  7 1
 総運30× 野心家で勝負好き。波乱の人生を送る。犯罪傾向。結婚は晩婚が吉。
 人運13◎ 頭脳明晰で活動的なリーダータイプ。才能を発揮できる。
 外運17○ 活動力に溢れ、華やかで活気ある環境が○。事故注意。
 伏運21◎ 強い運気の持ち主。
 地運 8○ 努力、忍耐、達成運。
 天運22△ 目の前の幸福を逃しやすい家柄。
 陰陽 □ 悪くはない配列です。
180169:01/12/18 23:33
『上海』は転向の小説じゃないかな・・・
西洋に目を向けていた横光が回帰する点で。
『上海』を核にする気持ちは大いに理解できる。
前期横光(新感覚派)→後期横光に変わる中継地点だから
でも、俺は前期横光は大した評価をしていないから、
「前史」のラストという形でしか『上海』を見ていないですね。
181吾輩は名無しである:01/12/20 00:44
清水義典の「永遠のジャック&ベティ」の文体は絶対に「日輪」の
パクリだと思う。
182吾輩は名無しである:01/12/20 00:47
ていうか清水は「パクリ」を自称しているからいいんだYO!
183吾輩は名無しである:01/12/20 03:19
へー、横光って結構読まれているんだ。
ちょっと驚き。
「旅愁」を読んだことがあるけど後半がダレ気味。
読了するのが辛かった。それ以来読んでいない。
入り口間違ったかな?
18484:01/12/20 04:05
>>180
>でも、俺は前期横光は大した評価をしていないから、
>「前史」のラストという形でしか『上海』を見ていないですね。

ここの所、もう少し詳しく説明して。(ネタ振りという意味もこめて)
前期横光=新感覚派時代ととらえていいのかな?
185169=180:01/12/21 00:59
前期横光はもちろん「新感覚派」を指しています。
その集大成としての『上海』を書いたら、今までとは違う問題点が出てきた。
ここで前期横光は終了。
違う問題とはもちろん「外国の中の日本人」から描きだれてきた「心理」。
後期横光の出発は『鳥』から。
新感覚派=前衛として考えると、後期横光のモチーフはむしろ
今までの「感覚」的な表面から内部(心理)に向かっていくので、
ベクトルとしては正反対、即ち「転向」という風に『上海』読める。
(もちろん感覚と心理についての議論も必要ですね。)
前期横光の核『日輪』→『上海』→後期横光の核『機械』
こういった感じで私は考えています。
前回のことに訂正を加えさせていただくと、
前期の終わり後期の始まりとしての『上海』。
総体としての「核」は当然『上海』になりますね。
後藤は新感覚的な表現は用いていないので、後期横光の後継者
に訂正させて下さい。

私は新感覚派の横光利一をそんなに評価しているものではないので・・・
18684:01/12/21 02:56
>>169氏へ

フムフムなるほど。

ただ、「前期」と「後期」の間に本当に断絶があるのかという問題は
あるね。氏も議論の余地ありといっているけど。
彼の作品において「表層」(=感覚)と「内奥」(=心理)は本当に
二項対立なのだろうか? やっぱり横光の心理主義は新感覚派時代の
産物なのだし・・・。恥かしながら、横光をたくさん読んでいるわけでは
ないから断定はできないけど、むしろ、その(=表層と内奥)「間」で
考え続けた人という気だするのだが・・・。

>私は新感覚派の横光利一をそんなに評価しているものではないので・・・

なんで? このへんも説明きぼ〜ん。
187吾輩は名無しである:01/12/22 14:42
>>181
清水みたいな通俗作家の名前を出すな!
188169:01/12/23 23:18
新感覚派ではやはりカメラアングルの固定ができないですから
小説そのものの面白さは書けないですね。
皮膚的な感覚でしか小説が楽しめない、と
私は常に感じています。
これは好きずきだとは思いますが。
新感覚表現は『旅愁』ぐらいまでになってしまうと
ほとんど「どこに有ったっけ?」くらいに減っていますね。

「心理」を描こうとするなら、「カメラアングルの固定」が
とりあえずそれまでの日本文学(つまりは私小説)では
不可欠だったわけで、新感覚表現で「心理」を
描こうとするのは矛盾が生じる。
だからこそ彼は「第四人称」を提唱したのでは?
もちろんそれは84さんが仰っている
>その(=表層と内奥)「間」
で小説を書き続けるために。
189吾輩は名無しである:01/12/25 02:03
新感覚派って誰が居るの?
190吾輩は名無しである:01/12/25 02:06
毒にも薬にもならない二股膏薬の川端がいる。
191吾輩は名無しである:01/12/25 02:23
中河与一
片岡鉄兵

そういえば片岡鉄兵の本なんて手に入らないな
読んだこともない。
192吾輩は名無しである:01/12/25 22:30
稲垣足穂を忘れるなよ
193吾輩は名無しである:01/12/28 22:15
新発見の川端書簡の内容について教えて下さい。
194吾輩は名無しである:01/12/29 23:02
酢モロコより恋だ!
195吾輩は名無しである:01/12/30 01:47
横光利一文学会の大会があるってさ。
俺は行こう
196taka ◆Ywt5hnsQ :01/12/30 12:50
どこで、ですか?
197吾輩は名無しである:01/12/30 21:01
東洋大学
3/30に
198吾輩は名無しである:02/01/01 21:29
日輪論を書きます。
何かこの作品について思うところがある人は
書き込んで下さい。
参考にさせていただきます。
199吾輩は名無しである:02/01/01 21:35
「日輪」…あの文体のお手本だというフローベール「皿無謀」って
読んだ?…俺は読んでません。
200吾輩は名無しである:02/01/01 23:33
     コソーリ200ゲットスルヨー!!
         ∧∧
       ヽ(゜ω゜=)ノ           (´´
        (x  丿〜≡≡(´⌒;;;≡≡≡
       /  ゝ≡≡≡(´⌒;;;≡≡≡
           (´⌒(´⌒;;
      ズザザーーーーーッ
20184:02/01/02 01:14
みなさん明けましておめでとう。
今年、最初のレスは横光スレから。
年末忙しくてなかなか、書き込みできなかったよ。
なんか、心なしかマターリしてきてるような・・・。

>>199
「サランボー」、おれも読みたい。昔、角川のリヴァイバル
コレクションから出ていたね。横光は「日輪」で、
ストーリもぱくってるらしいだがここは
「換骨奪胎」とあえていいたい。いや、言わせてくれ・・・。

で、家の馬鹿息子=フローべールといえば
自然主義の作家にも影響大だが、その具体的な作品が
「ボヴァリー夫人」や「感情教育」といった
リアリズム小説なのに対して、横光は「サランボー」ってとこが
いいね。さすがはアンチ自然主義作家。
202198:02/01/02 23:04
でも角川文庫の『サランボー』は生田長江訳でないので、
参考にはなりませんでした。
生田長江の訳が横光のあの文体と似通っているらしいのですが・・・
手に入らない・・・
20384:02/01/03 04:18
>>202

いや、インターネットで古本屋のサイトから探したら見つかったよ。
でも、4500円もする。昭和7年の初版らしいのだが、
読めるような状態なのか・・・。

青空文庫で掲載されることをひたすら待つか。
204taka ◆FvNZG6pw :02/01/03 06:32
>>197
どうもです。
レスがついてたの、気が付きませんでした。
都合がつけば、行きたいと思います。

そういえば、先月、有島研究会があるのに前日気が付いて、
とうとう行きはぐったことがあったな。
そういうことがないようにしなければ。
205198:02/01/03 22:07
>84
そんなに高いんですか・・・
角川リバイバルのでも文体は似通っているのですが、
やはり同時代的に読まれていたのを参考にしなければ意味無いですからね。
206吾輩は名無しである:02/01/05 14:55
「御身」という小品が一番印象に残っている。
主人公の青年が姉の赤ん坊をひたすら可愛がる話。
生まれた姪の顔に自分に似た風貌をみつけて「よし、一人増した!」と喜ぶセリフが笑えます。
横光の、笑える作品が好き。
207194:02/01/05 20:05
>「御身」
「御身」の前稿に「悲しめる顔」というのがあって、
そちらの方が笑えます。
完成度は全くないけど。
208吾輩は名無しである:02/01/07 21:48
あげ
209日輪論は:02/01/11 20:40
結局「第四人称の萌芽がみられる」という結論に落ち着きました。
210吾輩は名無しである:02/01/17 20:22
誰も話題にしないので、たいした作品とは評価されていないのかもしれないけど、
「時間」という短編は笑った。
ちょっと「機械」的な文章で、コミカルな人間関係が描かれていながらも、なんか
清冽なラストにじーんときた。
たしか「機械」の直後に発表された作品だったと思うけど。
211吾輩は名無しである:02/01/18 08:57
や、俺も好きだよ。「時間」
というか、横光の短篇は、「機械」「鳥」「時間」のスラップスティックな
饒舌が面白い。
212吾輩は名無しである:02/01/18 11:15
スラップスティックといえば『盲腸』もすごかった。筒井康隆がアンソロジーに収録したが、
筒井ってかなり横光ファンらしい。
21384:02/01/18 11:48
>>210
『時間』は篠田一士が絶賛してた。
秀逸なファルスだって言ってたよ。
横光作品はいかにシリアスなテー
マを扱っている作品でも、どこかフ
ァルスの要素があるってさ。ちなみ
に『盲腸』はちょっと前でガイシュツ
だが、おれも好き。
21484:02/01/18 11:50
訂正:扱っている作品でも→扱っていても

細かいけど、文学板なので言葉は正確に
215吾輩は名無しである:02/01/18 23:26
俺も時間が一番好き。
鳥機械時間の中では時間を採る。
216吾輩は名無しである:02/01/22 21:16
あげ
217吾輩は名無しである:02/01/26 18:37
盛り下がってるな。
218吾輩は名無しである:02/02/07 23:08
沈没寸前あげ
219吾輩は名無しである:02/02/11 14:53
>212
 >筒井ってかなり横光ファンらしい。

分かる気がする。
 横光利一って日本じゃダントツに
 実験小説書きまくった作家だから。
 ゆえにダサーなものも多いけど、
 なかには「機械」みたいにすごいのも
 結構あったりする。
 好きな人はとことん溺れそうな作家だと
 思われ。

 

220吾輩は名無しである:02/02/22 00:09
新潮文庫の「機械・春は馬車に乗って」はもう絶版なの?
221蟻台上に飢えて月高かし:02/02/22 23:45
新感覚派の旗手で川端康成の盟友だけあって
男女の心の機微や恋愛物を書かせたら
やはり名手の人だったと思います。
「春は馬車に乗って」「花園の思想」「蛾はどこにでもいる。」等。


「計算した女」「眼に見えた虱」も忘れられない。
横光は純粋小説論や「紋章」の四人称(!)理論等、
「国語との闘争」「文学のフォルムとの格闘」に
明け暮れた作家ってイメージがあります。
そうするとマニアックな作家なのかなとも思うけど
戦前は川端よりもずっと人気があったのだそうです。
今全集を買って読んでますが、理論だけの天才では
ないと強く実感します。読まれて欲しい。
222吾輩は名無しである:02/02/23 01:04
新潮のはまだ手にはいると思う。
この前紀伊国屋で見かけた
2231:02/02/23 20:46
「君の名に傍えて私の名が呼ばれる習わし」(川端康成「弔辞」)
というわけで、横光が死ぬまで川端は横光の後続だった。

>蟻台上に飢えて月高し氏
良いハンドルですね。
伊賀上野の碑でしたっけ?
全集をお読みでしたら、書簡の小島宛の書簡を読むと
なぜああいう小説を書くようになったのかがわかりますよ。


新潮文庫のは在庫分だけみたい。
重版予定はないそうだ。
224親切な人:02/02/23 20:49

ヤフーオークションで、幻の人気商品、発見!!!

今は無き「コピーガードキャンセラー」↓
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ヤフーオークション内では、現在、このオークション
の話題で、持ちきりです。
225吾輩は名無しである:02/02/24 23:39
age
226吾輩は名無しである:02/02/26 05:06
岩波文庫から『上海』が復刊されたらしい。600円なら文芸文庫よりお得か?
227吾輩は名無しである:02/02/26 22:45
岩波の底本は定本から?
違ったら買うけどね。
228:02/03/01 23:40
>上 海
>横光 利一
>■緑75-2
>■体裁=文庫判・248頁
>■本体 600円
>■1956年1月9日
>■ISBN4-00-310752-7
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/bun_req2002/index.html
(ttp://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/31/7/3107520.html)

定本と同一の底本の可能性はあるものの、
当然、定本全集の刊行以前のものの復刊なので、どうか知らん。

わたしぁ、明日にでも買うつもりです。
情報サンクス≫226.
229吾輩は名無しである:02/03/02 02:12
「微笑」の栖方という男は本当に天才数学者だったのか、
狂人だったのかどっち?
230:02/03/07 12:38
『上海』について

定本全集の作品採録は初刊行本からが原則なので底本は、s7.7の改造社版。
(講談社文藝文庫版はこの定本が底本)。

今回復刊された岩波文庫版の底本はs10.3、全面修正された書物展望社刊の所謂「決定版」でした。
231吾輩は名無しである:02/03/07 18:25
定本全集の「上海」はかなり編集側が手を加えているような気が・・・
調べてみます。
232吾輩は名無しである:02/03/09 23:06
…で、君達は3月30日の「横光利一文学会 第一回大会」に行くのかね、
行かないのかね?
233吾輩は名無しである:02/03/09 23:49
行くよな? 行くと言ってくれ
234まめ:02/03/13 01:24
>1
俺もそう思う。
横光も地に埋もれた天才作家の一人だな
235吾輩は名無しである:02/03/13 17:49
天才ではないと思う。
ただ、自分の資質を超えたことに挑戦していった作家だ
236まめ:02/03/14 02:33
>235
まぁどっちでもいいよ(笑
237吾輩は名無しである:02/03/23 21:40
で、『上海』読んだ?
238吾輩は名無しである:02/03/31 00:35
学会どうだったよ?
239吾輩は名無しである:02/04/05 18:56
240吾輩は名無しである:02/04/05 19:29
241吾輩は名無しである:02/04/05 21:09
「蝿」はどうよ?
242吾輩は名無しである:02/04/07 00:17
まともではない感じはするな
243吾輩は名無しである:02/04/10 01:04
『家族会議』はどうよ?
244吾輩は名無しである:02/04/10 20:12
湘南行くと、横光みたいなへヤースタイルで横光みたいな顔した
奴を時々みかける。よもやサーファー系なのか!?>横光
245吾輩は名無しである:02/04/27 19:57
ヨイヨイ
246>>244:02/04/28 07:31
...確かに
超うけたッス.
247半可通:02/05/04 08:02
高校の時(20年まえ)の現代国語の教科書に、「ナポレオンと田虫」が
載ってたね。ナポレオンの欧州進撃と同時におなかの疥癬が広が
っていく話だったかな。
ぎゃはははは、なんでこんなふざけた作品載せたのよ!角川書店さんよ〜
248白鳥湖:02/05/04 11:59
15歳の時に読んだ「雪解」が忘れられません。青春小説として
傑作だと言いたい。文庫化してほしい。
249吾輩は名無しである:02/05/16 21:00
ヨイヨイ
250吾輩は名無しである:02/05/22 22:40
横光と芥川って交流あったんだっけ?
251吾輩は名無しである:02/05/22 23:45
上海行きを勧められたそうだ
252吾輩は名無しである:02/05/30 03:08
青空文庫に「純粋小説論」が入っていたあげ
http://www.aozora.gr.jp/cards/yokomitsu/jyunsui_shosetsuron.html
253吾輩は名無しである:02/06/08 01:03
あげ
254吾輩は名無しである:02/06/23 18:17
第四人称挙げ
255吾輩は名無しである:02/07/06 23:39
「御身」という小品が一番印象に残っている。
主人公の青年が姉の赤ん坊をひたすら可愛がる話。
生まれた姪の顔に自分に似た風貌をみつけて「よし、一人増した!」と喜ぶセリフが笑えます。
横光の、笑える作品が好き。
256吾輩は名無しである:02/07/10 21:10
その前に同じモチーフで書いた作品があるが、
それでは「酢モロコより恋だ!」とか唐突に叫びだして
かなり笑える>「御身」
257吾輩は名無しである:02/07/15 22:12
短編「火」のラストがサパーリわからん。
母子は心中してんのか?
258吾輩は名無しである:02/07/29 20:55
文芸文庫からはもうでないのかな?
259吾輩は名無しである :02/07/29 21:00
夏は馬鹿に乗って
260吾輩は名無しである:02/07/29 21:24
頭ならびに腹が痛くてどうしようもない
261吾輩は名無しである:02/07/29 21:33
利一一発ポン!ドラドラハネ万単騎
262吾輩は名無しである:02/08/04 15:55
age
263吾輩は名無しである:02/08/04 17:00
静かなる呂律が回らない
264吾輩は名無しである:02/08/05 08:53
ちんこ並びにまんこ
265吾輩は名無しである:02/08/16 23:42
おやじの名前は清一(チンイツ)
おじの名前は混一
266吾輩は名無しである:02/08/26 20:18
栖方死んだぞ
267吾輩は名無しである:02/08/27 16:43
横光氏ね!!!!!!!!!!!!!!!!!!
268吾輩は名無しである:02/08/27 16:50
hjlblj
269吾輩は名無しである:02/08/27 20:05
> 栖方死んだぞ
実在の人がモデルだったの??
270栖方:02/08/29 01:19
私は勿論実在しますよ。
あと、もうちょっと待ってたら、私の光線で日本は勝っていたのです。
271白鳥湖:02/09/08 12:03
そろそろ「新・横光利一全集」が出てもいいころだと思うが?
272吾輩は名無しである:02/09/08 22:26
河出の「定本」で充分だろ
273吾輩は名無しである:02/09/08 22:42
くだらねえ煽りいれないでお前も意見を述べよ
274>273:02/09/08 23:27
誰にいってるんだ??
275 ◆QvQLcsBc :02/09/15 07:24
>>271-272 むしろ筑摩あたりで文庫版全集刊行キボン。
276吾輩は名無しである:02/09/20 23:02
教科書で毎年取り上げてくれたら文庫も復活するだろうにね。
277吾輩は名無しである:02/09/25 07:43
文庫、良いですなあ・・・。文庫をポケットに忍ばせておいて、列車が止まるたんびに
取り出しては虫の息の精精のような声で唄う。子僧は、列車が止まる以前から大声で
唄っていますが、私は子憎にはなれない。

そういえば、「頭ならびに腹」の子憎の主体性について考えたことがありました。
ぜーんぜん分からなかったけど。


笑えると言えば、「笑われた子」(あるいは「面」)は口のすぼむ苦笑いでした。

278吾輩は名無しである:02/09/27 12:01
agege
279吾輩は名無しである:02/10/04 02:08
ヒロミに似てるよねage
280吾輩は名無しである:02/10/04 08:51
河出の全集、全部で17万もするんだもんなあ…
281吾輩は名無しである:02/10/07 19:09
戦後も作家活動を続けていれば、
川端と評価が逆転することも無かった?
もしかしてノーベル賞も取れたかな?
282吾輩は名無しである:02/10/07 19:12
メール欄が正解。
283吾輩は名無しである:02/10/17 23:59
事典あげ。
284二笑亭:02/10/18 01:51
『微笑』は隠れた名編ですねw

>85 :リアル厨房 さん
いい線ついていると思います。
285 :02/10/18 06:15
>>284
>>85
>誤解を恐れずにいえば川端は結局日本に、あるいは日本的な美に自閉した
>作家であって、他者との交流を描いているようでいてその実全く他者を気
>にかけていません。
川端は自らの自閉性に非常に自覚的だったと思うよ。
286二笑亭 :02/10/19 00:44
……川端は、自覚的ですね。
ただ「他者」の存在というのは、
こちらを脅かしてこないかぎり、表象に過ぎないという…。
そういう意味では、川端の登場人物は、主人公を侵さない風景のようなところがある。
あの透明感は、人間の体温や体臭に汚されていない、風景の質感。
川端の場合は、ジェラシーすら叙情化されているような。
「あくがれ」ですか…w

横光の場合は、「機械」に描かれているメカニックな自意識の地獄そのものが、
「他者」との比較や力関係に発生するところのもののような。

まあ、これは、日本文学にどれほどの強烈な意志を持った「他者」が
造型されてきたかという問題になってしまいますけどw。
287二笑亭:02/10/19 01:44
それと……初期の小林秀雄のへーンな習作的短編て、
どこか「機械」に似てませんか?
どっちが先かわかんないけど、
あの時代のインテリ青年の頭の中の暗いギリギリした感触ね。
288名無し募集中。。。:02/10/19 23:33
「機械」での自意識をコミカルに取らずに、メカニックな自意識と取るのはいかがなものか
289吾輩は名無しである:02/10/20 22:57
「高架線」を読んだが、非常によかった。
この時期の横光は最高だね。
290吾輩は名無しである:02/10/26 23:12
『横光利一辞典』買った?
291吾輩は名無しである:02/10/26 23:15
項目執筆ならした。
292吾輩は名無しである:02/10/27 16:13
「花園の思想」は泣けるよ。
293吾輩は名無しである:02/10/27 17:06
ブクオフ100円コーナーにて『旅愁(上、下)』(新潮文庫)購入。
294吾輩は名無しである:02/10/27 21:08
>291
あんた誰よ?
ヒント希望
295吾輩は名無しである:02/10/27 23:31
>>294
私は井上謙・神谷忠孝・羽鳥徹哉三氏のいずれでもありません。
第二部の作品鑑賞で目立たない作品について、ちょこちょこっと
書いてます。それだけのちっぽけな人間ですたい。
296吾輩は名無しである:02/10/28 22:22
さすがに井上さんだとは思っては居ない(笑い
もちろん保昌さんでもないだろう。
このお二人が書き込みをされていたら恐れ入るが。
297保昌正夫:02/10/28 22:58
ですが、何か質問は?
298吾輩は名無しである:02/10/29 22:43
横光はもっと読まれるべきだと思う…つーか読め!
299吾輩は名無しである:02/10/29 23:51
栗坪さん居る?
300栗坪良樹:02/10/30 11:15
呼んだ?
301吾輩は名無しである:02/11/15 18:52
利一「これはねミキプルーンの苗木。あ、つまりベイビー。わかる?
このカリフォルニアの農園で、すくすくと、ヘルシーに育って、
春になるとね、ビューティフルなお花がmany many・・・あれ?」
子供達「リイチ〜」
302吾輩は名無しである:02/11/21 22:16
「夜の靴」はどうですか?age
なんか恐くて買うかどうか迷ってます
303吾輩は名無しである:02/11/21 22:45
泣きそうだから(内容で、じゃなくて)未だに読めない(w>「夜の靴」
304吾輩は名無しである:02/11/27 20:39
「蝿」age
305吾輩は名無しである:02/12/03 05:24
麻雀やってるやつなら「横光リーチ」とかやったことがあるだろう。
つまらんネタでageてごめん。
306吾輩は名無しである:02/12/07 01:59
ごめんって……いや、気持ちわかるから、age。

つーか横光の『春は馬車に乗って』は、表現がいちいち美しくて、
内容がすさんでて、好きだ。イイ!
307白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :02/12/09 18:20
保昌正夫氏のご冥福をこころよりお祈り致します。
あと10年は生きていて欲しかった・・・。

保昌氏の存在がなかったら、横光は歴史のかなたへ消え去っていたかもしれない。
308吾輩は名無しである:02/12/14 12:53
「微笑」「雪解」は感動的でしょう!
晩年の透徹した視線には涙を禁じ得ない…。
309吾輩は名無しである:02/12/14 13:32
川端なんて何十冊も文庫が出ているのに、
横光は講談社の文藝文庫が良心を見せているだけ…。
ま、民度の低下を嘆くしかないでしょうな。
そのうち「寝園」あたりが昼の主婦向けメロドラマになって
復活するのかな、菊地寛みたいに。
310吾輩は名無しである:02/12/14 16:06
君たちも日本精神を遵守するべく
禊の会に連なり給へ。
真冬は寒いぞ!
311吾輩は名無しである:02/12/14 19:11
>>308
初期も捨てたもんじゃないよ。
「青い石を拾ってから」等々。
312白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :02/12/14 20:30
>>308
激しく同感だ。特に、「雪解」は、悲しいほどに美しい。
僕は、躊躇うことなく、「寝園」とともに「雪解」を
横光文学の最高峰であると、主張したい。
313吾輩は名無しである:02/12/18 18:45
晩年の横光短編集を編むべきではないか?
各出版社の方はぜひ検討されたし。
314吾輩は名無しである:02/12/18 20:00
河出書房はクソ高い分売不可の全集を出すのなら
独自に編纂した横光集を出すべきだ!!
所収は「微笑」「夜の靴」「雪解」等々…タイトルは「雪解」で決まり!
315吾輩は名無しである:02/12/18 20:44
利一がアクションフランセーズにふれた旅愁の数行をなぜか、想い出した。
316吾輩は名無しである:02/12/20 14:06
「雪解」の初版本てなかなか出ないな。
「微笑」はたまに見るけど高いしねぇ…。
「夜の靴」もそうだけどさ、あの時期(終戦直後)の本は
紙質も悪くて購うのがためらわれるよ。
317吾輩は名無しである:02/12/20 14:25
たしかに「夜の靴」の美本は見ない。
318吾輩は名無しである:02/12/20 16:28
「微笑」(齋藤書店)は以前神田で見たけど
¥15,000でした、ビックリ!!
319吾輩は名無しである:02/12/20 16:47
>>314
「雪解」も文藝文庫が出すんじゃない?
320くらっしゅ:02/12/20 18:23
世田谷文学館に横光愛用の帽子があった。
渋かった。
321吾輩は名無しである:02/12/24 14:11
あの茶色いやつ?
漏れも見た。
322白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :02/12/26 16:46
>>319
その際は、「洋燈」も収録していただきたい。
323 :02/12/26 18:49
紋章を久々に読んだが、面白過ぎる。
雅歌+花花=紋章なのかな?
324吾輩は名無しである:02/12/26 18:53
325吾輩は名無しである:02/12/26 22:14
あれ買ったか?
横光事典。
326吾輩は名無しである:02/12/27 01:29
この指摘「ガイシュツ」かもしらんが、横蜜は器用というか、
なんというか、作風が作品によってバラバラで、統一した
作家像を描くのが難しいタイプの人だな。そう言うタイプの作家には
熱狂的ファンはあまりつかない傾向がある。偶像化しずらいから。
でもやはり数々の実験的創作のなかで、常にそれなりの水準のものは
きちんと残しているという印象は受ける。個人的には「機械」の文体、
作風で、もう少し腰落ち着けて欲しかったと思う。
327ごはん ◆NjaujxTGn. :02/12/27 10:45
俺は作風が変ってるからおもしろいと思うんだけど。

>でもやはり数々の実験的創作のなかで、常にそれなりの水準のものは
>きちんと残しているという印象は受ける。

まったく同意。
例えば『寝園』みたいなのでも読ませちゃうもんなー。
他の作家がやったら、目も当てられない(ワラ
328白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :02/12/27 17:47
>>325
高すぎる。ちょっと手がでない。ぜひ欲しいけど。
329 :02/12/28 00:07
一作ごと常に前に進もうとしている(実際に進んでいるかは別として)印象を受ける。
梶木剛じゃないけど「軌跡」を読んでいくのが楽しい。
330吾輩は名無しである:02/12/30 22:05
横光利一に会いたい。会って話がしたい。そんな気持ちにかられる。
俺はどうしたらいいのか・・・。
331吾輩は名無しである:02/12/30 23:01
>>330
氏ね
332白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :02/12/31 15:25
>>330
霊媒師に頼んで、横光の霊を呼び出してもらったらどうだ。
333吾輩は名無しである:02/12/31 16:30
333                             
334吾輩は名無しである:02/12/31 16:50
>>332
それいいね。
誰が霊媒になれよ。
335 :02/12/31 17:58
>330
命日に不気味なことを書き込むなよ。
気持ちは分かるけど。

墓参りに行って来ますた
336吾輩は名無しである:02/12/31 17:58
>>335
どこにあるの?
337吾輩は名無しである:02/12/31 18:01
志賀直哉の遺骨って盗難されていまだに行方不明なんだよな。
330氏みたいなヤシが盗んだんだろう。
338吾輩は名無しである:02/12/31 20:11
339 :03/01/03 00:08
そういえば、佑典氏に子供は居ないのかな?
血統的には素晴らしいのだけれど。
340吾輩は名無しである:03/01/03 00:35
>>320
「微笑」の生原稿も世田谷文学館にあるみたいだね。
図書館で配ってた世田谷文学館ニュースに載ってた。
展示されているのかな?
341吾輩は名無しである:03/01/03 14:39
質問があります。横光利一の作品で、最低限読んでおくべき作品は何ですか?
ご教示ください。よろしくお願いします。
342 :03/01/03 18:41
>>341
『日輪』『蠅』『頭ならびに腹』『ナポレオンと田虫』『春は馬車に乗って』
『花園の思想』『上海』『機械』『寝園』『紋章』『旅愁』『夜の靴』『雪解』『微笑』

小説外では
『感覚活動』『純粋小説論』

最低限だったら、これだけかな。
326氏が
>作風が作品によってバラバラで、統一した
>作家像を描くのが難しいタイプの人
と書き込んでいるし、同感なので、「これ一つを読んでおけば」と絞るのは無理。
強いて、本当に強いて言えば「機械」にならざるを得ないかな。
343吾輩は名無しである:03/01/04 19:12
静かなる羅列・マルクスの審判・高架線を読め。
344白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :03/01/05 16:13
>>341
『時間』と『馬車』も追加しておこう。

話しは変わるが、『時間』が『機械』と比べ、過小評価されているのは
非常に疑問だ。決して二番煎じ的作品ではないし、独自の世界を構築している
と思うのだが・・・。
345白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :03/01/05 16:14
>>341
『家族会議』も追加しておく。
346吾輩は名無しである:03/01/07 20:16
『雅歌』はダメですか? 好きなんだけどな・・・。
347342:03/01/07 21:59
>>344 346
最低限だとねぇ・・・
私も「時間」は横光の中ではもっとも好きな小説(「旅愁」は別格)なんだけど。
「雅歌」は作品としてちょっと・・・好きだけど。
そういえば全集で一カ所「羽根田」が「羽田根」になってた。
348吾輩は名無しである:03/01/07 22:01
「鳥」「時間」「機械」は俺のなかでワンセットという認識でどれも好きなんだが
「鳥」はイマイチ人気がないな。
349 :03/01/08 23:21
「鳥」はちょっとねぇ・・・意欲は買うけど。
350白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :03/01/09 19:24
>>347
正直、『馬車』は苦しいかとも思うんだが、『時間』は入るんじゃないか?
『雅歌』はちょっと落ちると思う。

ところで、『家族会議』に言及がないのは何故か? それなりの作品だと
僕は見ているが・・・。
351 :03/01/10 00:11
『家族会議』は嫌いではない。
けれど、『紋章』の方がいいなぁ。
352白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :03/01/12 14:05
「蛾はどこにでもいる」
最低限には入らないだろうが、面白かった。一読の価値はあろう。
353吾輩は名無しである:03/01/12 18:35
第一、新潮文庫の「機械・春は馬車に乗って」が絶版じゃあなぁ。
354 :03/01/12 20:32
病妻ものは好いよね
355白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :03/01/17 19:28
>>353
ということは、岩波文庫一冊と、講談社のあれだけですか?
横光利一の作品には、楽しめるものが多い。もっと読まれても
いいのに、こんな状況では、とてもおぼつかないな。
>>354
「春は馬車に乗って」「花園の思想」そして「蛾はどこにでもいる」
どれも読ませる作品群だ。僕は後者が一番楽しめた。
356吾輩は名無しである:03/01/17 19:30
>>355
横光の後期作品はどうですか?
357山崎渉:03/01/20 09:21
(^^)
358吾輩は名無しである :03/01/22 11:04
今年は来るね、本当の意味での横光ブームが。
359白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :03/01/22 15:10
>>356
横光利一の前期作品の代表作が「機械」「寝園」だとするなら、
後期作品の代表作は「夜の靴」「微笑」ということになろう。
それにもうひとつ、わがままだが追加させていただくと、「雪解」
ということになる。

これら3作品には、横光の純真な人柄が感じられる。読後の爽やかさは、
それゆえであろう。もちろん作品としての完成度も高いが、僕は前者の
理由により、「夜の靴」「微笑」「雪解」の3作品を、後期の代表作と
見ている。
360吾輩は名無しである:03/01/23 15:04
ズバリ横光利一ベスト5をあげよう!
 1、機械
 2、寝園
 3、上海
 4、春は馬車に乗って
 5、紋章
361吾輩は名無しである:03/01/24 23:28
福田恆存が横光のことをボロ糞に言ってたそうだけど、何て言ってたの?
362 :03/01/24 23:55
日本文学史上でもっとも誠実な作家だったと思う。
次が高橋和巳。
363吾輩は名無しである:03/01/26 09:33
>>362
どのへんが?
364白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :03/01/26 13:26
>>361
はっきりとしたことは覚えていないが、旅愁について、
作家としての立場を悪用して旅愁を通じて間違った
思想を宣伝した・・・という意味のことを書いていた
ような気がする。曖昧ですみません。

確か保昌氏の「横光利一見聞録」に紹介されていた。
この本、探しているんだけど、見つからないんだよね・・。
365吾輩は名無しである:03/02/08 21:34
早稲田文学の保昌先生の追悼文を読んだ。
立ち読みで涙が出かけた。
366白鳥湖 ◆YFkdxoQG22 :03/02/12 16:29
>>365
保昌先生は横光を本当に愛しているんだな。先生の横光関係の文章を見ると
先生の思いはひしひしと伝わってくるよ。
367吾輩は名無しである:03/02/12 23:04
学生の頃の栗坪先生が保昌先生を訪ねたら、
瓶を取り出して「これは五十鈴川の水です」と見せたそうだ。

最高だ、保昌先生
368吾輩は名無しである:03/02/17 23:02
369吾輩は名無しである:03/02/17 23:19
「機会」の初版本って高いんですか?
なんか家に転がってるんですけど。
370369:03/02/17 23:21
× 「機会」
○ 「機械」
371吾輩は名無しである:03/02/17 23:26
どうせ復刻だろ。
372吾輩は名無しである:03/02/17 23:44
昭和拾年三月十日印刷
゙ 三月十五日発行
定価壹円二十銭
創元社 (旧字)と書いてあります。

373吾輩は名無しである:03/02/18 00:06
>>372
変わった装幀の小口が黄色のものだよね。再版なら持ってる。確か千円で買ったかと。
多分もっと高いのは昭和六年の白水社発行のものだよ。それなら五万ぐらいはすると思う。
374369:03/02/18 02:54
>>373情報ありがとうございます。
本の部位の名称は、よくわからないのですが、表紙は、半紙みたいな
紙質です。色は白だと思います。何となく黄色っぽいですが汚れだと思われ
ます。
その表紙に縦書き黒字で大きく機械と書いてあり、その右下に横光利一、
名前の横に二段に分けて収録作品(歴史・薔薇など)が書いてあります。
表紙を開くと臙脂色の和紙があり・・・もう止めときます。
白水社版じゃない事は、確かですから。残念だ〜。おやすみなさ〜い。
375羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :03/03/02 13:55
「実いまだ熟せず」を読んだ。昭和10年代前半という時点において、
女性の社会問題をテーマに据えた横光利一の先見の明は素晴らしい。

作品としては「旅愁」と「家族会議」を足して2で割ったような小説だ。
後半が、早足だったような気もするが、そのスピーディーな展開が心地いい。
376吾輩は名無しである:03/03/07 00:43
るくるくるくるく、るるるるるる-------るくるくるくるく、るるるるるる-------

まるで神さまを見ているようだわ



ここが横光の全ての作品で一番好き
377勘弁 ◆cheerzFXQc :03/03/07 12:08
新潮社 日本文学全集の端本、100円だった。
この全集、赤い函の小さなサイズで嫌いじゃない。
どんな順序で読むのがいいんだろ。
執筆順か掲載順か、それとも何か基本があるのか、それともどれからでもいいのか。
とりあえず『機械』読んで、次は『紋章』にしようかな。
378吾輩は名無しである:03/03/07 13:07
>377
執筆順に汁!
379吾輩は名無しである:03/03/14 13:35
>377
私もそれもってる!春は馬車に乗ってから読んだ!!
380勘弁 ◆cheerzFXQc :03/03/14 14:00
悩むなあ・・・。
でも実は新潮文庫で『機械・春は馬車に乗って』『紋章』『家族会議』は
持ってたんです・・・。
読み直すのにどんな順がいいかなと思って。

というわけで執筆順に読みますです。
381吾輩は名無しである:03/03/17 22:39
ひさしぶりに「時間」読んだけど、やっぱりおもしろいね
逃げ出す一団の連中が、なんか群生動物のように
運動しているありさまをイメージしてしまったw
382吾輩は名無しである:03/03/18 15:15
「時間」は、登場人物一同がみんな芝居の一座という
設定になっているのも効果的で、
まさに読み方によっては、ドタバタ逃走騒ぎすべてが
一座の演じる「劇」なのだというふうにも見えるね
383羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :03/03/18 15:24
「機械」はちょっと肩に力が入ったようなところがあるけど、
「時間」にはそういうところがない。「時間」にこそ、横光
らしさを感じる。作品の出来も「時間」の方が上だと思う。
384吾輩は名無しである:03/03/23 15:19
荒らしならびにネタ
385吾輩は名無しである:03/04/01 23:30
毎日で文学者の生原稿が大量に見付かったようだけれど、
横光の葉書もあったらしい。

毎日のサイトより引用
>-------------------------------------

 一方、新感覚派の旗手として登場した横光利一は、欧州訪問中に、阿部あてに手紙をした
ためた。36(同11)年、横光が東京日日新聞、大阪毎日新聞両紙の特派員として訪れた
時期のもの。

 横光はロンドンは自然が美しく、パリは都会が美しいと書きながら<日本は何より、都會
(とかい)より、自然より、人情の方が美しいから、人情小説が多いのでせう。理智小説な
んか、まだまだ日本からは出る筈(はず)はありません>と記している。横光は、この旅の
後、日本人とは何かと問いかけた長編小説「旅愁」を執筆した。
>----------------------------
386吾輩は名無しである:03/04/16 03:08
「横光利一研究」創刊号って出たんですか?
387吾輩は名無しである:03/04/16 03:17
「時間」はいいね。
「ぐだぐだ」って感覚を極めてる。
作品がぐだぐだになっちゃってるってことじゃなくて
ぐだぐだの表現に成功しているってことね。
無意味に流れる時間ってのかな?
388吾輩は名無しである:03/04/16 22:58
新潮文庫のは字が大きくなったね
もってるけど買っちゃった
389吾輩は名無しである:03/04/17 00:00
『天の夕顔』も同時に改版。
新感覚は復興の兆しが・・・・
鉄兵の傑作集(読んだこと無いけど)が講談社文芸文庫入りすることを切に願う。
390吾輩は名無しである:03/04/17 08:12
「機械」は確かに面白かった。正直純文とか苦手
なのだが、「機械」は最後まで読めた。凄い。
391吾輩は名無しである:03/04/17 10:01
おいおい、そういうことは長い作品読んで言ってくれよ・・・
392吾輩は名無しである:03/04/17 14:59
>>386
確か2月か3月に。抜き刷りもらいましたよ。
393吾輩は名無しである:03/04/17 22:38
>392
どうすれば手に入る??
394吾輩は名無しである:03/04/19 20:57
>>393
オレの靴を舐めろ
395山崎渉:03/04/19 22:52
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
396吾輩は名無しである:03/04/27 19:12
ちくま日本文学全集で安く出てないですかね。
講談社文芸文庫は高すぎるので……。
397吾輩は名無しである:03/05/02 08:48
>396
ちくま日本文学全集は、なぜか横光の巻はない。
398吾輩は名無しである:03/05/06 21:31
四人称ってなんですか?
どなたかわかりやすく教えてください。
399吾輩は名無しである:03/05/06 23:50
純粋小説論よめボケが
400吾輩は名無しである:03/05/06 23:51
400
401吾輩は名無しである:03/05/06 23:51
読んでもわかるかボケが
402羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :03/05/08 20:34
今、「夜の靴」を読んでいる。清々しい作品だ。
403羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :03/05/12 18:22
「夜の靴」読み終わりました。横光利一が身近に感じられる作品ですね。

>>398
横光の言葉を借りると「人としての目、個人としての目、その個人を見つめる目」
そしてそれらを超越した視点が四人称である。例えば、「紋章」における〈私〉
などがそれにあてはまる・・・と解釈しています。
もし、間違っていたらどなたか訂正してください。
404吾輩は名無しである:03/05/13 00:09
河出の「定本横光利一全集」の端本って、根気強く古本屋で探すのは
難しいですか?
「日本の古本屋」や「スーパー源氏」を見ると一冊3000円前後でちら
ほらあるみたいですが。
405吾輩は名無しである:03/05/14 00:13
早稲田で端本1000円くらいで見たよ。

私は新本で一括購入し、この前やっとローンが終わったばっかり。
406吾輩は名無しである:03/05/14 00:22
>>404
もともとの発行部数が少ないから、何冊かは集るかもしれないけどすべてそろえるのは難しいかも。
407 :03/05/14 00:23
408吾輩は名無しである:03/05/14 00:59
>>405
早稲田界隈の古本は安いけど書き込みとかあるからなー
409吾輩は名無しである:03/05/23 05:39
「蛾はどこにでもいる」
どうしたら読めますかね。全集しかない?
410吾輩は名無しである:03/05/23 05:46
411吾輩は名無しである:03/05/23 12:00
>>409
おすすめなのが近代文学館・名著復刻全集の
「春は馬車に乗って」改造社版です。
表題作と「蛾はどこにでもいる」のほか
ナポレオンと田虫/園/街の底/慄える薔薇/無礼な街/
街へ出るトンネル/妻/静かなる羅列/表現派の役者を所収。
古本屋なら500〜800円くらいで売ってるし、装丁も綺麗。
412409:03/05/23 20:05
>>411
感謝。さがしてみます。
413山崎渉:03/05/28 09:02
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
414羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :03/05/29 12:43
>>409
学研から出ている、「現代日本の文学(15)」にも収録されています。
「蛾はどこにでもいる」のほか、「実いまだ熟せず」なども収録されて
います。

小説のほかに、八木義徳氏の「師の跡を訪ねて」などが収録されていて、
読み物として興味深いですね。
415羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :03/06/23 17:08
保昌先生の「横光利一見聞録」が神田の古本屋にありましたが、
値段が5800円でした。結構値がついているようです。
416吾輩は名無しである:03/06/23 18:25
横光文学会のホムペ見つけますた。

http://www1.speednet.ne.jp/~matsuryo/index.html
417吾輩は名無しである:03/06/23 18:26
☆可愛い彼女が貴方のために・・・☆
↓ ↓ ↓☆見て見て☆↓ ↓ ↓
http://yahooo.s2.x-beat.com/linkvp/linkvp.html
418吾輩は名無しである:03/07/03 05:00
泣けるよね まじ泣ける 本当に泣ける まじで まじ泣けるって ていうか、泣いた 会ったことないし いい奴らしい それで泣いた
藤沢のあたりにある鴨のいる小さな池のちかくのへんな図書館に思わず篭った てか、通った ぜんぶコピーした 家賃払えなくなった うなぎは、学食でたべた
「機械」と「時間」だったら、「時間」のほうがすきかな? でも、「馬車」のほうがすきよ 長編もいいが、どっちかっていったら、やっぱ短編だろ?
ドライヤー貸してあげたい 岡本太郎生意気なんだよ、お前 「文学の神様」意識丸出しって、てめえその面でいえた面か? カノコは芥川に盗聴されたらしい
で、芥川はキノコみたいだって、川端がいってた 横光、俳句もいいよね すきすき 保田は茫然自失したらしいぜ
保田と横光って、あり得ないくらいのいい人伝説が、泣ける 大好きよ。
419「紋章」の続きが気になる:03/07/03 21:29
>ていうか、泣いた 会ったことないし いい奴らしい それで泣いた

写真見てると妙に泣けてくるし、読みながら泣いた・・・。
そして>>418を見たら胸がつまってきた・・・
420山崎 渉:03/07/15 09:12

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
421吾輩は名無しである:03/07/21 12:20
『微笑』って短編が、すげーいいと思う。
曖昧な言い方で悪いけど、日本的な美とかアルカイックなやさしさというか、
不思議な魅力が伝わってくるような。
横光って、いい人だったのか?
伝記とか読んだことないけど、あの話を読むとさもありなん、って感じがするんだ。

422吾輩は名無しである:03/07/28 01:47
八木義徳の作品を読んでいると、横光の人格のすばらしさがよくわかる
423吾輩は名無しである:03/08/01 20:11
機械如きに時間をはかられる
から鳥飛べぬのだ
424吾輩は名無しである:03/08/01 20:16
「君達二人は眼鏡をかけているようだが、眼鏡を通して現実が見えるのかね?」

横光が伊藤整と松永定にいった言葉
425吾輩は名無しである:03/08/01 20:17
無料画像でモロ見え!
間違いなくヌケル!!
http://www.cappuchinko.com/
426吾輩は名無しである:03/08/01 20:20
横光だよ
ただそうだよ
418、そうだよな
427吾輩は名無しである:03/08/01 20:25
425、おまえはさ
それでもろ三重かよ
おまえになんかなにもみえねぇよ」
そんなお前に抜けるわけもない
お前はもろ味えのつもりかもしれないガ
そんなにぷーだよ」機会読めよなんでもいいよ
いい機会だからさそんでおまえも一度こんすれこいよ。な
428山崎 渉:03/08/01 23:50
(^^)
429吾輩は名無しである:03/08/09 01:06
スガ秀実 探偵のクリティック
横光論に稲垣論
430吾輩は名無しである:03/08/09 01:09

気になる。詳細はなあに?
431吾輩は名無しである:03/08/09 03:45
機械を中心に純粋小説論や上海を論じていた
図書館で借りてみてくれ
432吾輩は名無しである:03/08/09 13:03
横光はジィドが好きだったらしいけど、
作品ではどれがお気に入りだったのか誰か教えて〜。
433吾輩は名無しである:03/08/09 13:29
「贋金作り」
434山崎 渉:03/08/15 10:01
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
435吾輩は名無しである:03/08/20 23:46
上海に彷徨う日本人。
436吾輩は名無しである:03/08/21 11:15
筒井康隆は、明らかに横光の影響大だよね?
『乖離』なんか、完全に意識してると思うけど。
437吾輩は名無しである:03/08/21 13:40
>>430-431
探偵の〜って書店でまだよくみるよ
438吾輩は名無しである:03/08/21 16:35
´*:;,. ★ 〜☆・:.,;* http://www.gals-cafe.tv ´*:;,. ★ 〜☆・:.,;*

夏なのにカノジョがいなくてこまってるそこのアナタ!

同じくカレシのいないなつきちゃんに会いにこないっ?

一週間の間、10分間はカクジツにさんごはあなたのもの♪

え?それ以上?それはぁ・・・えへっ(≧▽≦)~~*
アナタがなつきにもっと会いたくなってくれたら、かな☆
ここで待ってるから、必ず来てね!来てくれないなら…おしかけちゃうぞ♪
´*:;,. ★ 〜☆・:.,;* http://www.gals-cafe.tv ´*:;,. ★ 〜☆・:.,;*
439吾輩は名無しである:03/08/21 23:12
筒井は「機械」を名作短編として挙げていたり、
新潮文庫『旅愁』の帯書いたり、「機械」の朗読をしたりしているしね
440吾輩は名無しである:03/08/31 12:55
講談社文芸文庫って高いねage
441吾輩は名無しである:03/09/05 23:52
「機械」読んだ。
なんか、一般の純文とは少し離れているね。
別にいいんだけど。そういうところが好き。

また、純文は登場人物のことをあまり深く
掘り下げてないものとかもあるけど、これは
違う。気に入った
442吾輩は名無しである:03/09/14 22:34
今こそ旅愁を映画化してくれage
443吾輩は名無しである:03/09/15 00:43
機械はおもしろかった。
初心者なんで横光研究の必読二次文献教えてください
444吾輩は名無しである:03/09/15 03:44
444ゲット!
445吾輩は名無しである:03/09/19 22:45
>初心者なんで横光研究の必読二次文献教えてください
保昌正夫先生の研究を読むんだ
446吾輩は名無しである:03/09/21 23:32
『台上の月』だろ
447林彪 ◆ZJMS.Joo8Q :03/09/28 18:27
横光を読むことにした。
まずは岩波の「日輪」から。

これから感想をちょくちょく書き込む。
すごい頻度で書き込む
448吾輩は名無しである:03/10/01 04:37
私は短編でいえば「比叡」が好きですね。
横光が好きだった父親の法事で京都にいって比叡に登りながら
空海と最澄のことを思い巡らしていく半随筆だけれども、
なにか読んでいてたまらなく人柄の暖かさが伝わってくる、
そんな「比叡」が好きですね。
短編に限定しなければ圧倒的に「旅愁」だけれども。
449吾輩は名無しである:03/10/01 05:01
会社に泊まりこみで、眠れず暇なので書き込みます。

>>1に正面から答えている人がいないのではないかと思うのですが、
私の意見では終戦の前後で評価が反転し、戦犯にまで指定される
ことになって読まれなくなった、というような経過を避けて通れない
のではないですか。ここらへんは戦中派の方々の仕事だろうけれども。
「旅愁」なんかでも国粋主義のベクトルで解釈されていますね。
私の持っている改造社版の解説では、いや旅愁はむしろ日本の
歴史や通念に対する批判なんだということが書いてあって、
私はそれに賛成するし、賛成したいですね。
(続く)
450吾輩は名無しである:03/10/01 05:05
そこらへんは、私は西田幾多郎あたりはよくわからないけれども、
鈴木大拙の戦後受けた評価を思い出しますね。
大拙の場合、「禅と剣」とかいうのは思想のもつ平和的力という
意味でのことだろうけれども、そこで戦争とか剣とか持ち出すのは
暴力主義につながるという奇妙な文脈で梅原猛が批判しておられたと。
そういう批判も気持ちとして私なりに同感できるのだけれども、
それに横光を批判していた方々にも敬意をこめながらの矛盾に満ちた
批判を敢えてしていた人もいらっしゃるだろうと想像するけれども、
それでも総論として横光のような人のしていた仕事を潰していく
ような流れがあるとしたら、そういう力は私は好きではないし、
自然と抵抗していってしまいますね。
(続く)
451吾輩は名無しである:03/10/01 05:21
しかし、自分が横光の時代に作家であったならば、谷崎や荷風のように
政治に完全に口を閉ざす消極的批判の道をとるか、小林多喜二の
方々のように堂々と批判して弾圧されていくのか、それとも横光のように
体制(大勢)のなかでできうることを考えていくのか、いったい
どれを択んでいくのかということはやはり自分に対して問うているんですね。
よく新感覚派ということで横光、川端、片岡(鉄兵)の3人が
いわれるけれども、私の眼から見ると、川端は谷崎路線、片岡は
多喜二路線で、ちょうど三者三様の道を採ったように映るのですが、
そういう視点からこの3人の交流とか、意見交換とかを読み解いていくと
面白いのでしょうかね。ここらへんは私は蒙いのですが。
(続く)
452吾輩は名無しである:03/10/01 05:25
しかしこんなことを暇にまかせて書いていて、誰か読む人がいるとしたら、
拝眉できずに失礼ですが、ありがとうございます。
さらにご批判などありましたら、忌憚なく仰せください。
では小生はこのへんで失礼。
453吾輩は名無しである:03/10/01 05:30
>>451小林多喜二の方々のように→小林多喜二のように
失礼。
454吾輩は名無しである:03/10/02 22:57
『比叡』で「空海は京都に遠いところに寺を構えただけでも勝利だ」とか言っていて、
いかにも「横光が言いそうだなぁ」と思わず笑ってしまう。

455吾輩は名無しである:03/10/22 00:34
梶木剛『横光利一の軌跡』が面白かった。
456吾輩は名無しである:03/11/13 23:21
挙げ
457吾輩は名無しである:03/11/30 22:00
保守保守
458吾輩は名無しである:03/12/02 23:51
友達に横光が好きだと言ったら、鉄人28号の人?と真顔で聞かれた。
459吾輩は名無しである:03/12/03 07:35
安岡と言ったら力也だしなぁ。
460ハァ?:03/12/12 23:58

       巛彡彡ミミミミミ彡彡
       巛巛巛巛巛巛巛彡彡       
   r、r.r 、|:::::           | 
  r |_,|_,|_,||::::::     /'  '\ | 
  |_,|_,|_,|/⌒      (・ )  (・ )|     ハァ?
  |_,|_,|_人そ(^i    ⌒ ) ・・)'⌒ヽ  
  | )   ヽノ |.   ┏━━━┓| 
  |  `".`´  ノ   ┃ ノ ̄i ┃|  
  人  入_ノ´   ┃ヽニニノ┃ノ\   
/  \_/\\   ┗━━┛/|\\
      /   \ ト ───イ/   ヽヽ
     /      ` ─┬─ イ     i i
    /          |      Y  | |









461吾輩は名無しである:04/01/01 14:05
新年age
462ベンガル:04/01/12 10:53
後藤明生の横光への言及はまあ割りとまともなところだったかね
「機械」について、なんか言ってたが 『小説―いかに読み、いかに書くか』で。
ただ後藤が汲み取ったのは政治への姿勢ではなく作中人物の自閉した袋小路のような論理と
めまぐるしく変わる主人公と他者との関係による中心の喪失であったと思う
後藤の小説がこの側面から影響を受けているのは確かじゃないですか?
463吾輩は名無しである:04/01/12 11:18
春は馬車に乗って、ねえ
うちの隣の餓鬼はもっとシュールよ
「散歩が、寺町に行きました」って読んでいたもの
464吾輩は名無しである:04/01/18 12:26
めざましの軽部ワロタ 今日機械読んだけどあの軽部がぴったりだよ
465吾輩は名無しである:04/01/27 13:38
このスレの下がり具合から横光利一に対する世評の冷淡さが察せられて来て
それがどうにも耐へ難く、もつと評価されてしかるべきであると憤慨しつつ
ageるのはわたくしのセンチメンタリズムに因るものであらうか。
466吾輩は名無しである:04/01/27 19:37
いいえ、横光と武田秦淳はもっと読まれるべき評価されるべきです
467吾輩は名無しである:04/01/31 01:34
sage
468吾輩は名無しである:04/02/07 19:37
『旅愁』上下計200円ゲットage
469吾輩は名無しである:04/02/08 13:51
「頭ならびに腹」の書き出しが秀逸だと思う。

「真昼」「特別急行列車」「満員」「全速力」と、
お腹一杯な単語が並び、
「小駅」「石のように黙殺」との鮮やかなコントラスト。

掲載は『文芸時代』創刊号。
まさに新感覚派の登場。
470吾輩は名無しである:04/02/08 14:16
>>308>>312
「雪解」は昭和8年、利一35歳になったばかりのときに発表したものに、
新稿を加えて昭和20年12月に単行本として上梓したものですよ。
晩年の云々は、半分正解というところでしょう。
471羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/02/08 16:39
>>465
それでも一時に比べれば、随分横光への関心も高まってきているのでは
ないかと思われる。終戦後の十年間なんか、石の如く黙殺されていたからな。

>>469
同感だ。ただ、冒頭部とそれ以降の落差が激しすぎるのが難だ。

>>470
まあ「雪解」は半分だけ戦後に書かれたものだから、半分正解は
ごもっとも。しかし、違和感は全然ないですね。横光の繊細な感受性が
伝わってくる名品だと思う。

あと僕としては「洋燈」にも感じるものがある。
472吾輩は名無しである:04/02/08 16:44
がんばれ文芸文庫。
もっと横光作品出してくれ。
473羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/02/08 16:47
横光利一中後期短編集・・・なんて出してくれないかな?
474吾輩は名無しである:04/02/14 13:06
横光利一に関係する人で、「れいこ(漢字は不明)」という人はいますか?
475吾輩は名無しである:04/02/14 13:15
何故?
476羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/02/14 14:11
>>474
聞いたことが無いが、長編小説の登場人物の一人にいそうな気も・・・。

河出から出ていた「定本横光利一全集全17巻」が古本屋で5万円で
売りに出ている。まあ、安い方なんだろう。

岩波から先年復刊された「上海」は早くも品切絶版の由。
477吾輩は名無しである:04/02/14 14:15
横光作品は岩波からたくさん出してほしい。
文芸文庫は無駄に高いし、高い割には色褪せが早い。
3年ほど前に買った文芸文庫『寝園』なんて藁半紙状態。
5年以上前に買った岩波文庫『日輪・春は馬車に乗って』は、
今でもきれい。なんなのだ。
478羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/02/14 14:21
>>477
「旅愁」は上下刊で3400円の由だが、ぼったくりやんけ。
古本屋で新調文庫を探した方が安い罠。
479吾輩は名無しである:04/02/14 15:03
通りすがりですが、
「旅愁」はもっと読んで欲しいです。
私は、高校時代旺文社文庫を高校の図書館から借りて読みました。
480474:04/02/14 18:25
いえ、関係があるかは定かではないのですが、
昭和37年発行の講談社版「横光利一集」の巻末に
手書き(青ペン)で Reiko とありましてね。
その横に色々書いてあるのですが、それは草書体、しかも旧字体で読みにくく
只今解読中。なにやら「スズキ屋」云々と書いてあるようです。
481吾輩は名無しである:04/02/14 18:35
単に読者が自分の名前書いただけだろ。
むかしの古書ってたまに持ち主の名前書いてあるよね。
482吾輩は名無しである:04/02/14 18:40
横光のサイン本、だれか持ってないか?
483吾輩は名無しである:04/02/14 22:23
機械よりも時間が好き。
484吾輩は名無しである:04/02/17 20:15
amazonの『上海』のページ、
「あわせて買うおすすめ」と
「この本に興味のある人は、これらの商品にも興味があります」にワロタ。
485吾輩は名無しである:04/02/21 11:50
『日輪』読了age。
凄すぎる・・・。なんで一般に評価されていないんだ・・・?

「君は日輪の登場の初めから問題の人、毀誉褒貶の嵐に立ち、検討と解剖を八方より
受けつつ、流派を興し、時代を劃し、歴史を成したが、却つてさふいふ人が宿命の誤解
と訛傳とは君もまぬがれず、君の孤影をいよいよ深めて、君の魂の秘密の底に沈めてい
つた。西方と戦つた新しい東方の受難者、東方の傳統の新しい悲劇の先駆者、君はその
やうな宿命を負ひ、天に微笑を浮かべて去つた。君は始終頭を上げて正面に立ち、鋭角
を進んだが、野望も覇図も君が本性ではなく、君は稚純敦厚の性、謹廉温慈の人、生涯
土の落ちぬあらたまであつた。」
                     
                       ―川端康成―
486吾輩は名無しである:04/02/21 13:06
>>485
読了スレにも報告お願いします。
487一戸 雄:04/02/21 13:59
横光利一は凄い!
488吾輩は名無しである:04/02/21 22:48
横光最高だよ
489吾輩は名無しである:04/02/23 00:34
>>483
「時間」ってのは良いね。
ひょっとしたら「機械」よりも上かもしれない隠れた名作。
490吾輩は名無しである:04/02/23 00:35
横光って何であんな髪型にしてたの?
491吾輩は名無しである:04/02/23 00:47
原稿に忙しくて床屋に行けなかったんじゃないかw
492吾輩は名無しである:04/02/23 01:01
横光の髪型も謎だが芥川の写真ポーズも謎だ。
493吾輩は名無しである:04/02/23 01:02
横光と云えば、
保昌正夫先生も去年亡くなられたね・・・
御冥福をお祈りします。
494吾輩は名無しである:04/02/23 01:05
岡本太郎と肩組んでる写真は感動した。
495吾輩は名無しである:04/02/23 01:09
別スレで梶井基次郎の顔が評判になっているが、横光の顔も相当なもんだよ。
2番目の奥さんはあんなに美人なのに!?
496吾輩は名無しである:04/02/23 01:18
川端と将棋指してる写真は感動した。
497吾輩は名無しである:04/02/23 01:32
決して美男子ではないけど、味のある良い顔だと思うけどな、横光。
これぞ文士って感じで。
498吾輩は名無しである:04/02/23 01:40
文が硬い
499吾輩は名無しである:04/02/23 01:41
「文士」の顔であることはまちがいないが、
誰にも似ておらん、なんともいえん顔してるよな。
俺はいいと思うよ。
500吾輩は名無しである:04/02/23 01:43
>>498 そこが横光の魅力じゃないかw
501吾輩は名無しである:04/02/23 01:49
「鳥」とか「武装せる市街」もオススメしとくよ。
502吾輩は名無しである:04/02/23 01:52
「武装せる市街」は黒島伝治。
503吾輩は名無しである:04/02/23 01:58
あ、ごめん、ごめん。まちがえたよ。
「無礼な街」だっけ?
逝ってくるよ。
504吾輩は名無しである:04/02/23 02:01
「無頼の街」ならつげ忠男だ。関係ないが。
505吾輩は名無しである:04/02/23 03:50
俺は、好きだ、利一が。
506吾輩は名無しである:04/02/23 17:50
>>497
正確には太郎の方が肩を組んできてる写真だよ
507吾輩は名無しである:04/02/23 17:51
>>497じゃなくて>>494の間違い
508吾輩は名無しである:04/02/23 20:19
『横光利一事典』ってどうよ?
509吾輩は名無しである:04/02/24 00:09
高価
510吾輩は名無しである:04/02/24 10:45
「新感覚論」「純粋小説論」って難しいよねぇ。
511羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/02/25 16:08
デニス・キーン氏の「モダニスト横光利一」は読み応えがあるぞ。
512吾輩は名無しである:04/02/25 16:54
菅野某の「横光利一」は読むんじゃないぞ。
513吾輩は名無しである:04/02/25 17:36
何故?
514吾輩は名無しである:04/02/25 23:37
>>510
難しいよね・・・
なにせ自分勝手に用語を規定して書いてるから他の奴にはチンプンカンプン。
515吾輩は名無しである:04/02/26 21:23
>>514
小林秀雄みたいなヤシだな
516吾輩は名無しである:04/02/26 21:28
小林秀雄よりヒドイでしょ、横光の評論は。
かなりいい事言ってる気がするんだけどとにかくわけわからん。
新感覚論はとくにヒドイやね。
読んだ人いるか?
517吾輩は名無しである:04/02/27 10:39
「愛の挨拶・馬車・純粋小説論」(文芸文庫)に収録されてるよね。
でも挫折した。短い分量なのに…
518吾輩は名無しである:04/02/29 02:04
「高架線」は?
519吾輩は名無しである:04/03/03 22:47
このスレの諸君らは「旅愁」をどう評価してるの?
520吾輩は名無しである:04/03/03 23:13
日本が戦争に向かう真っ最中の作品だから、戦後書かれた小説とは、戦争に対する視点がまったく違うのが新鮮に、また貴重に思える。後半は、かなり書きづらそうだし、破綻してるけどね。
俺は、読んだ当時主人公たちと同年代だったから、のほほんと太平楽に暮らしている自分を反省したり。
新潮文庫の、筒井が推薦分書いた時の版だから、もう10年以上まえか。
521吾輩は名無しである:04/03/05 01:07
旅愁は難しいっす。
522羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/03/06 15:39
>>519
憤慨したり、感銘したり、様々な感想が脳裏を去来したよ。とても一言で「旅愁」を
語ることはできない。

最初に「旅愁」を読んだのは18だったと思うが、前半部(第一篇・二篇)は印象深かった。
それだけに後半部の混迷が残念だ。
523羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/03/06 15:43
横光の作品で最高傑作といえば「機械」ということになるのだろうが、
個人的には「雪解」や「夜の靴」「洋燈」が好きだ。人間横光利一に
直に接しているような気がする。誠実な人柄が感じられるいい作品だ。
524吾輩は名無しである:04/03/06 16:27
なんかの葉が陽の光に輝いて美しい、その形容詞を発明したら歴史に名を残せる
ってのが何かにあったけど
横光の新感覚の志が集約されているとも言える

ところで小林秀雄の「機械」評はひどいな、小説というものがまったくわかってない。

しかし2ちゃんねらは小林以下だな―あたりまえ―改行と句読点の打ち方ぐらい工夫しろよ、馬鹿。
525吾輩は名無しである:04/03/08 17:14
( ゚д゚)ポカーン
526名無し募集中。。。:04/03/11 01:56
>>499
ヒロミに似てるよね
527羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/03/15 14:41
ようやく「旅愁」の第二編まで読み終えた。第三編の矢代が東京駅に到着し、
両親の出迎えを受ける場面まで読んだ。まだまだ先が長い。
528吾輩は名無しである:04/03/20 03:20
富ノ沢麟太郎だけどなんか聞きたいことある?
529吾輩は名無しである:04/03/20 10:29
ココハ誰デモ知ッテル横光利一先生ノすれっどデアル。
旧友ノまいなーぽえっと如きガ出ル幕デハナイ。
530吾輩は名無しである:04/03/20 14:38
「紋章」で
雁金よか久内の方がわかりやすい感じするのですけど
どうですか?
531羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/03/20 18:48
今まで講談社の「豪華版日本文学全集」収載の「旅愁」を読んでいたが、
とうとう読み終えてしまった。これから新潮か旺文社文庫の「旅愁」を
探すことにする。

ちなみに場面は、矢代が滞在する山小屋に千鶴子と慎三が訪ね、翌日の
昼、山小屋で3人で食事を摂るところで終わっている。続きは読みたい
ような読みたくないような複雑な気持ちだが。


>>530
そう言われれば、そう思われない事もない。横光の長編の中では、一番
面白い。ちなみに久内のモデルが河上徹太郎氏である、とどこかで読んだ
記憶があるが。
532吾輩は名無しである:04/03/27 02:09
文学の神様age
533吾輩は名無しである:04/03/31 23:15
>>528←このひと、誰?
534吾輩は名無しである:04/03/31 23:29
詳しくは知らんが横光と同人誌やってた小説家。早逝した後に横光が
短編集を編んでる…筈。
535吾輩は名無しである:04/04/01 00:56
文学全集で読めるの、この人の作品は?
まさか横光の編んだ短編集はもう手に入らんだろうし。
536吾輩は名無しである:04/04/01 00:58
横光の全集なら復刊ドットコムで手に入る。
537吾輩は名無しである:04/04/04 00:53
『機械』の文体は真似したくなるんすけど……
538羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/04/05 19:27
先日、ネットで保昌先生の「横光利一見聞録」を入手しました。
確か昨年、東京神田の古本屋で5500円程だったものが、今回
1200円で入手できた。

保昌先生の、横光への思いが伝わってくる著書だったですな。
539吾輩は名無しである:04/04/05 20:15
前に神田の古本街で保昌先生の豆本が売られてたよ。
540吾輩は名無しである:04/04/05 20:16
確か「ナポレオンと田虫」の中に明暗という
言葉が出てきていたが、漱石の事を意識して
いたのかな。
541吾輩は名無しである:04/04/05 20:18
漱石についてはほとんど言及してなかったんじゃない?
542羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/04/05 20:24
>>539
どんな内容なのか、覚えてますか? 気になります。

>>540
直接の関連はないかもしれませんが、横光は漱石について
書いており、「明暗」についても読んでいたと思われる。
もしかすると念頭にあったのかもしれません。

余談だが、漱石のお札とも、もう直きお別れか。流石に
横光がお札になることはないだろうが。
543羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/04/05 20:26
>>541
まあ、当時としては、漱石に言及する事自体、憚られる風潮があった、と
どこかで読んだ覚えがある。
544吾輩は名無しである:04/04/05 21:30
いわゆる「大衆作家」だったからね、漱石は。
545吾輩は名無しである:04/04/06 21:00
500円札を復活して横光に登場していただこう。
546吾輩は名無しである:04/04/06 21:48
絶対無理。川端の方がまだ可能性が・・・
547吾輩は名無しである:04/04/07 10:48
>>546
自殺者は基本的にお札の顔にならないらしい。
川端と同じノーベル文学賞作家で自殺しそうもない大江が将来お札の顔に
なりそうな悪寒。
548羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/04/07 12:01
まあ、可能性があるとすると、森鴎外か志賀直哉か、
はたまた島崎藤村か・・・といったところだろう。

余談だが、岩倉具視の500円札、好きだったなぁ・・・。
549吾輩は名無しである:04/04/07 20:47
先日NHKニュースで、横光のような髪型をした女の子が登場していた。
横光の娘もたぶんこんな感じなんだろうなと思った。
550吾輩は名無しである:04/04/08 17:01
このスレにもちょこっと出てるけどさ、
小林秀雄の「機械」論と後藤明生の「機械」論、どっちを読むべき?
551吾輩は名無しである:04/04/10 23:44
それよりデニス・キーンの「横光利一」は?
552羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/04/12 14:37
>>550
人それぞれだろうが、後藤氏の「機械」論のほうが良かろう。

>>551
非常に興味深い書物だと思います。

数日前、知人を介して昭和30年発行「文芸・横光利一読本」を入手した。
平成2年の「疾走するモダン」なんかとは比べ物にならんほど面白かった。
こうなると、昭和23年の文芸各誌の「横光利一追悼号」も是非見たくなって
きましたな。

「横光利一読本」収載の「名月」を読んだが、題材的には芥川的だろう。
横光としては異色の作ではなかろうか。
553吾輩は名無しである:04/04/12 18:37
小林某なんかダメだよ。俺は奴を認めていない。
554吾輩は名無しである:04/04/12 18:38
小林某じゃダメなんだよ。
555吾輩は名無しである:04/04/12 20:23
小林のいう「裸眼」の意味がよくわからん。
556吾輩は名無しである:04/04/13 20:46
そういうひとなんだよ、小林は。
557羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/04/15 12:53
>>528
「横光利一読本」収載の井伏鱒二氏の随筆ではじめて知ったのだが、
君の死後、横光は君の母親に生活費を支給し続けていたそうじゃないか。
君の母親は横光利一のことを「神様のような人だ」と言っていたそうだ。

僕は今、横光利一の愛読者でいて本当に良かった、と思っている。
558吾輩は名無しである:04/04/15 14:52
横光利一は文学だけでなく、日常社会においても神様であった。
559吾輩は名無しである:04/04/15 15:13
大火傷したんだってね。作家は不注意な人が多いな。
560吾輩は名無しである:04/04/15 23:33
横光と川端は顔に鋭さがあるな
561吾輩は名無しである:04/04/16 19:00
講談社文芸文庫で前に「紋章」が刊行されて
いたのに、なぜ、今出ていないのか。絶版に
しないと聞いたことがある。
562吾輩は名無しである:04/04/16 19:02
3年前のスレだな。
563吾輩は名無しである:04/04/16 20:25
一瞬、横山光輝と誤読した。

合掌。
564羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/04/19 12:47
>>561
「寝園」も絶版らしい。出版社に言わせれば、「絶版」ではなく
一時的な「在庫切れ」ということか。

数日前ネットで注文していた「旅愁」(昭和33年初版・新潮社)を入手した。
立派な造りに感心したが、テキストが戦後版に拠ることと、編者による勝手な
字句の改竄があるのは残念。
565吾輩は名無しである:04/04/24 10:37
不死鳥横光利一
566吾輩は名無しである:04/04/24 10:53
今、坂口安吾の「墜落論」を読んでいるのですが、横山利一の名前が
出てきます。何か読んでみたいのですが、お勧めはありますか?
567吾輩は名無しである:04/04/24 11:06
横山なら「鉄人28号」、利一なら新潮文庫「機械・春は馬車に乗って」がおすすめだ
568吾輩は名無しである:04/04/24 11:11
横山大観ならこちらへ→美術鑑賞板http://academy2.2ch.net/gallery/

横光利一ならこちらへ→横光利一文学界ホームページhttp://www1.speednet.ne.jp/~matsuryo/
569吾輩は名無しである:04/04/24 11:43
墜落論じゃなくて堕落論じゃないの?
570吾輩は名無しである:04/04/24 12:26
きっと「墜落論」なる作品には、横山利一とやらが出てくるんだよ。
横山の話題はスレ違い。該当スレは見当たらないので新しく立ててね。
571吾輩は名無しである:04/04/27 19:54
結局新感覚派って何なんですか
どの辺が偉いんですか?
572吾輩は名無しである:04/05/04 20:20
あまり言及されないけど、敗戦直後に書かれた作品もいいね。
573羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/05/07 16:20
>>572
直後と言うと、「雪解」の後半部か、「夜の靴」のことか?
いずれも瑞々しい、良い作品だ。

>>564
自己レスだが、昭和33年新潮社版「旅愁」各巻530円は、現在
ではおよそ3500円に相当するのだそうだ。知人の見解ではね。
574吾輩は名無しである:04/05/09 12:54
小森陽一の『構造としての語り』の第五章に取り上げられてたね。
「表記されたもの(シニフィアン)と意味されるもの(シニフィエ)が同一で
ある筈がない。私はその差異を明らかにしようと試みた」
カコイイ。あの時代にこれ程まで方法論に意識的だった作家ってミッちゃん
だけでない?
575吾輩は名無しである:04/05/16 03:28
横光は、1935年に「文芸懇話会賞」っていう文学賞もらってるけど、
あれについて、横光読んでる人はどう思ってるのかな?
文芸懇話会は、当時の内務省の警保局長なんかとつるんでできた、
文芸統制機関だよね。

それと最近、横光をポストモダン的な作家でした、というよな形で
再評価してる人多いけど、あれいいのかな。同時代の「近代の超克」と
比較して読むと、シニフィエ、シニフィアンやら言えるような作家
ではないと思うんだけど。四人称とか、前にここで誰かが指摘してたけど
埴谷の「虚体」とならんで日本的な「無」の典型だしさ。
576吾輩は名無しである:04/05/16 06:37
つうか、新感覚派はモダニズムとして
捉えられていたんじゃないの?
未来派のような感じかな。
それにしても右も左も機械化とか全体化とかが
好きだったでしょう?
葉山嘉樹の小説なんて
恋人がダムの一部になっちゃうからね。

リーマンやフリーターの自分探しを描いた
昨今のふにゃけた小説よりも
よっぽど先鋭的だな、あの当時の小説は。
577吾輩は名無しである:04/05/16 10:19
>>575
ポストモダンというよりかモダニズムでしょうな。
モダニズムと近代の超克を分けて考える必要はないと思う。
中村光夫なんかも書いてたように
日本の作家の場合、
表層はポストモダンでも(反対にプロレタリア文学でも)
根っこは私小説の要素が強いからやがて私小説に回帰するか、
近代の超克にいっちゃう。
いまの時代とどっかで通じるものがあるけど横光にもその傾向がある。
モダニズムと近代の超克、それぞれ別個のものとして考えているだけじゃ
いつまでたってもあの時代の文学はとらえられないと思う。
578吾輩は名無しである:04/05/16 13:45
>>577
四人称が私小説−純文学以後を目指したのと、
近代の超克が西洋−近代以後を目指したのと
論理的には地続きだからね。
「近代の超克」では、近代の超克の一形態
として「大東亜戦争」を明言してるけど、だとすると、
横光もそれとは無関係ではなくなる。四人称的な解決
には同じものが連続してるわけで。
まあ、別に戦争協力とか、そういうものをシビアに暴き立てることが
何らかを解明してるとは思いませんが。

横光はモダンの小説家だけど「真のモダニスト」=近代をある意味
外から批判できた人(ポストモダン的?)、というような評価が結構
多いしね。
今の時代に通じるものがあるというのは、同感です。
579吾輩は名無しである:04/05/17 23:58
> 横光は、1935年に「文芸懇話会賞」っていう文学賞もらってるけど、
でも、これで横光は生活が助かったからなぁ。。。
580吾輩は名無しである:04/05/18 03:51
で、四人称ってなに?
581吾輩は名無しである:04/05/18 10:30
自分を見る自分
582吾輩は名無しである:04/06/05 11:28
横光利一は永遠に不滅だ!
583吾輩は名無しである:04/06/05 20:09
貧乏詩人の吉田一穂に月々お小遣いをあげて生活の面倒を見てたという話、
本当でつか?
584吾輩は名無しである:04/06/11 19:27
しかし、横光の再評価って、いつぐらいから本格化したんだ?
585吾輩は名無しである:04/06/11 20:08
うんうん
586吾輩は名無しである:04/06/26 00:31
あの髪型だけはなんとかしてほすい
587吾輩は名無しである:04/06/26 00:41
太宰とか芥川とか夏目漱石みたいに○○といえばこの写真、っていうのがほしい。
横光利一といえばこの写真のこの顔だよね、っていうやつが。
どこからか奇跡の一枚を捜し出して、その写真だけを使ってやってほしい。
588吾輩は名無しである:04/06/26 01:31
あれ以外をどうしろと。
589羊が丘 ◆KYn3QoJvRY :04/06/26 13:57
>>584
昭和30年頃からだ。河出版全集刊行の頃からだろう。
590吾輩は名無しである:04/07/21 00:08
「すごいこめろ(小女朗)よのう。」
というセリフを、馬車乗り(?)が、後ろから追いかけてくる都会風の少女を
見てつぶやくシーンがある作品をご存知ですか?
物語はその田舎の馬車乗りと少女との駆け引きが延々と続く話。
川端が、その登場人物二人の関係を「実に官能的だ。」と評してたはずなんですが。。
題名を忘れてしまいまして、ずっと気になって探しているのですがなかなか
見あたらないのです。もしかしたら横光ではないかもしれないですが…。
591吾輩は名無しである:04/07/21 23:12
寝園と家族会議ゲットしました
記念上げ
592難波:04/07/21 23:46
渋いな。機械、上海、いいなあ。
この人、川端康成の良き友で、新感覚派の一人。もっと目立っていいはずな
んだが。どこかで読んだんだが、「もし横光が生きてて、大江健三郎の登場を
目の当たりにしたら、激しく嫉妬するだろう」と。ま、この是非はともかく、
日本文学の発展の上で、この人の存在も大きかったわけだから。
もうあんまり文庫本残ってないのかな、寂しいよ。
593吾輩は名無しである:04/07/22 00:21
文芸文庫・岩波文庫・新潮文庫
594吾輩は名無しである:04/07/22 01:33
>>593
手薄だがな。
595吾輩は名無しである:04/07/22 09:26
夏休みだ!
こんなクソ暑いときはやっぱり横光だ!「機械」だ!
これから読み返してみるべ!
596吾輩は名無しである:04/07/23 20:22
もうなにがなんだかわかんねーだよ
このラスト大好き。
勿論終局に辿り着くまでのプロセスも、
なんど読んでもスリリングでたまりませんな。

プロレタリア文学の如き素材を扱いながら、
それとは確実に一線を画す読後感に、
作家の矜持のような何かを感じたりして。
(別にプロレタ文学を批判してるわけじゃないです。
作品の目指すベクトルが違う、ということで)
597吾輩は名無しである:04/07/25 13:08
>>590
川端の「掌の小説」所収の「夏の靴」だよ。たぶん。見てみて。
598 :04/07/25 13:24
横光のトリスタン・ツァラ会見記が読みたい!
599吾輩は名無しである:04/07/28 19:07
>>598
厨房日記とか読んだらどうですかね。

ただ宮本百合子なんかが批判するように、たしかに、あんまり
感心できないかもよ。ただ、どういう気持ちでヨーロッパにいたか
を知る上では面白いかもね。
600吾輩は名無しである:04/07/29 21:51
おうふうの横光利一事典ってどーすか?
601吾輩は名無しである:04/07/29 22:02
あまり評判よくないですよね。
他の作家の事典に比べても、粗い気がするのは確か。
やっと資料整理が始まったと考えれば、仕方がないのかな。
602吾輩は名無しである:04/07/29 23:24
>>600
なんかどーでもいいような語彙を解説したりしてるんだけど、
作品論をもっと充実させてもいいのかも?
603吾輩は名無しである:04/07/30 00:31
「新感覚論」は何が言いたいのかさっぱりわからん。
皆さんのご感想をうかがいたいものだ。
604吾輩は名無しである:04/07/30 01:00
>>603
この論がカントの影響を受けている、といわれてるが、
確かにそういった用語は使っているが、内容的には
眉唾物。

ただ、カントをフォルマリストとして読むという視点があるのを考えれば、
一応フォルマリストの横光が意識的にも無意識的にもカントを援用しよう
としたのは、それなりに解することはできる。

でも、新感覚論の内容に整合性や、なにかしらの卓越した文学理論
見たいなのを読もうとするのは、疑問が残るね。
605吾輩は名無しである:04/07/30 01:03
つーか、本人も余りよくわからんで書いてるんじゃないか?
この人にはありがちな事だけど。
606吾輩は名無しである:04/07/30 01:06
確かにそれを言っちゃあそうなんだけどね>本人もよくわかってない
607吾輩は名無しである:04/07/30 01:11
まあ、小説家、だな。
間違っても評論家・理論家ではないよな。
にもかかわらず、理論とか論理とかいいたがる傾向があるのが問題なわけだが、
少なくとも何か核心をつかんではいると思う。
608吾輩は名無しである:04/07/30 01:44
意識的じゃない部分が多いと思うけど、新感覚論にしろ純粋小説論にしろ、
時代の雰囲気は読めるね。
609吾輩は名無しである:04/07/31 00:21
>辞典
村山知義の項目に強烈な間違いが。
「村山が映画「日輪」の舞台美術をした」とあるが、
村山知義がやった「日輪」は三上オトキチの「日輪」では?
610吾輩は名無しである:04/07/31 01:53
誰が書いた項目?
611吾輩は名無しである:04/08/01 00:15
俺も知りたい
612吾輩は名無しである:04/08/01 01:45
>>609
あの事典、それにとどまらず間違いは他にもたくさんありますね。
間違いをかばうつもりはないし、事典なんて大概そんなもんかもしれないけど。
613吾輩は名無しである:04/08/01 16:31
ttp://www.jmdb.ne.jp/1926/bb002420.htm

上記のアドレス見ただけでも、三上の「日輪」だよな。
ネットでも調べられるのに、何で間違えるな。

執筆者はべつに、事典読めばわかるのでここには、書かないけど、
いくら事典に間違いがつき物でも、これはひどいだろ。
614吾輩は名無しである:04/08/01 21:28
つーか、監修者が校閲する段階で訂正しろよ
615609:04/08/02 21:53
村山と横光の関連性を調べているときに事典のその項目にぶちあたったので、
かなり喜んだんですけどね、私。
616:04/08/10 20:47
小説家としては魅力があると思うんだけど
「純粋小説論」はどうなんですかね?
617吾輩は名無しである:04/08/10 22:39
何が言いたいかよくわからん論文だという説もあるが、
俺はこれをもとにそれぞれがどの箇所をどう咀嚼するかにかかってるような論文だと思う。
四人称に「作者の眼」まで含めるという箇所、
よく考えたらこれってメタフィクションになるんだとはたと気づいたことがある。
「花花」と「書簡」の関係もこれじゃない?
618:04/08/10 23:30
>>617
即レス感謝!
「純粋小説論」はイマイチ読み込めなかったんだけども
「四人称」というのは確かに斬新な視点で面白い。
619吾輩は名無しである:04/08/10 23:37
「純粋小説論」では偶然性の話が面白い。
純粋小説を純文学にして通俗小説であると規定する横光に対して、
それは中間小説の事だと言った研究者がいたし、
今でもそう思ってる輩がいるようだけど、全然違う。
横光がカフカを読んでたら・・・と残念に思う。
カフカの小説も偶然=因果関係不明の世界を描いたものだろう。
620吾輩は名無しである:04/08/11 00:14
横光は第四人称っていうメタ的な超越性に日和ったのではないか?
純粋小説論が最終的には「純文学」を称揚するための論だということ。

それを忘れて、斬新だって言い切っちゃっていいのかって思うよ。
621:04/08/12 21:30
「純粋小説論」はまだ読み込めてないんだけど
戦前にこういう視点を提出した横光は面白い存在だと思うね。
622吾輩は名無しである:04/08/12 21:38
>>621
プロレタリア文学なんかもよんだほうがいいよ。
芸術と大衆・労働者の融合とか、当時言われてるけど、純粋小説論も
その一変奏として捉えることはできる。転向問題とかね。

戦前に二つのものを融合しようって考えたのは横光だけじゃないし、
横光だけが考えたことじゃないよ。
623吾輩は名無しである:04/08/14 15:12
ここはsage推奨なのかな。よくわからないので不備があったらあしからず。

「上海」の岩波文庫版が出てるってこのスレで今日知りました。
ぬるい読み手でごめんなさい。
いまから買いに行ってみます。

>622
二つのものを融合させようとしたというか、小説を高みに押し上げるために
(その是非はさておいて)いろんなものを取り込もうとしたように感じてました。
そのタイトルに「純粋」とつくことがまた興味深く。
624吾輩は名無しである:04/08/14 23:42
純粋小説=不純小説
625:04/08/15 02:47
純粋小説論について。
>>617で出た「メタフィクション」的な自意識、そして「四人称」の視点、
また、>>619で言及のあった「純文学にして通俗小説」としての純粋小説、
このあたりはやはり1930年代においては斬新さがあったと思うけど。どう?

>>620
>純粋小説論が最終的には「純文学」を称揚するための論
というのは誰の説なんだろうか?
横光の論を読む限りはそうは受け取れない。
626:04/08/15 02:47
>>622
>戦前に二つのものを融合しようって考えたのは横光だけじゃないし、
これはそうかもしれないけれども、
「純文学」と「通俗小説」を融合させたというよりは、
そういう分類とは別の次元で話を展開するために
「純粋小説」というものを持ち出していると思う。
だから、
>>623で言われた
>二つのものを融合させようとしたというか、小説を高みに押し上げるため
に同意で、そういう視点が横光にはあったと思うけど。どう?
627吾輩は名無しである:04/08/15 16:16
>>625
純粋小説論が純文学のための論だって言うのは、中村真一郎の
「「純粋小説論」再読」を読んでみて、はっきりとなんで横光は通俗小説に
創造性があるとしながら、なぜほとんど通俗小説を論じなかったのだろうって疑問を呈してる。

小林の私小説論や中村光夫の純粋小説論についてとかも読んでみれば?純粋小説論が自然主義的な
純文学の範囲からいかに出られてないか論じられてる。純粋小説論だけ読んでも、あいまいだからね。

>>626
で「高み」には押し上げられなかったでしょ?高みって言うのが何のことかよくわからないけど、
近代の超克が「近代−純文学」を超えられなかったこととあわせて考えないといけないと思うよ。
あの当時、近代と近代を象徴する純文学の行き詰まりを打開するって論はかなりでる
戦争とともにね。でも「高み」「超克」はどんな結果を招いたか考えなくちゃって思うけどね。

628:04/08/16 23:51
>>627
うーん、中村真一郎の視点はどうなのかな?
やはり「純文学」と「通俗小説」という分類とは別の次元で
横光は「純粋小説」というものを持ってきたように思うけど。

純粋小説論の曖昧さ(というよりも「捉えにくさ」といいたいけど)を
「近代の超克」や小林秀雄、中村光夫にひきつけて読解するよりも
安易に解消しようとせず、「捉えにくさ」を残したままにしたい気がする。
629:04/08/16 23:52
>>510>>514>>516あたりで話題の出た「新感覚論」。
確かにこれは難しい〜。まるでカントみたいな哲学書。
横光は、西田とか和辻とか九鬼なんかを読んでたのだろうか?
630吾輩は名無しである:04/08/16 23:55
%氏の言わんとすることはわかるが、そっちのほうが安易にすぎない?
「捉えにくさ」を好意的に解釈しているけど、横光へ過大な期待を
もちすぎてると思うよ。
ひきつけて読解を避けろといっても、時代を問う部分がある以上、それは無理なんじゃないの?
631:04/08/17 00:15
>>630
即レス感謝。たしかにそれはあるね。
歴史性や時代性という時間軸を外せないのは確かに。

ただ、
「横光への過大な期待」というより現代にも通じるかもしれない可能性が
その「捉えにくさ」の中に読めないかな、という気がしたわけなんです。
横光自身が言っているように「純粋小説論」を覚書として書いてて
自分でも確信のもてないことも言葉にしてた気がする。
四人称というメタレベルの自意識もどこまで実作に反映されているかは不明。
でも、横光の可能性を後藤明生は汲み取ってると思うな。
632吾輩は名無しである:04/08/17 00:24
松尾芭蕉の生家と忍者屋敷を見るために伊賀上野に遊びにいったが、
横光利一が5年間学んだという石碑のある高校があった。ほんまか
いなと思った。
633吾輩は名無しである:04/08/17 01:15
ほんまでつ
634630:04/08/17 15:34
>631
うーん、%氏の言うことがだんだんわからなくなってきますた。

横光の論を「近代の超克」や小林秀雄にひきつけて読解するのは
やめておこうと。ポジティブな「捉えにくさ」としようと。
けれど今度はその「捉えにくさ」で「現代にも通じるかもしれない
可能性」を読めないかな、と。
結局、他の論にひきつけんの、ひきつけないの?どっちなの?
ちょっと都合がいい論展開に見えてしまうよ。

現代に持ってくるなら、その前に横光の論がどういう位置づけに
なるのかを、もっと厳密にやんないと姑息な気がしますよ。
%氏が言う残しておくべき「捉えにくさ」というのは、別段
「近代の超克」や小林秀雄にひきつけて読解したところで
なくなりはしないでしょ。それが本質であるならば。如何。

635吾輩は名無しである:04/08/17 19:06
630氏はちょっと粘着気質かな?
自分の論を展開しないで相手に求めてもねえ。
636627:04/08/17 20:06
しばらく間を空けましたが、>>630、% 両氏のおかげでもりあがってまいりますた。

>>630
同感です。私の書きたかった以上に敷衍、再解釈感謝です。歴史性や政治的な
ものをいったん括弧にくくって評価されうる、横光の内面的な「可能性」とは、何か?
それがまずは問われないといけないと思いますね。「捉えにくさ」を「可能性」という
担保としてとっておきたいポジティブさにある種の文学主義的な危険性があるような気が
私はするんですが。「ひきつける?ひきつけないの?」の曖昧さがそれと関係してるんじゃ
ないでしょうか。残しておきたい「捉えにくさ」とは文学のユートピアみたいな気が
します。

>>628
順序逆失礼。
>やはり「純文学」と「通俗小説」という分類とは別の次元で
具体的に「別次元」とは何に当たるんでしょうか?見たところ「捉えにくさ」と
ほぼ同意と見えますが。その別次元が第四の人称なのでしょうが、それはすべてを融合しちゃう
超越的な立場じゃないでしょうか?四人称は日本的な虚無と当時から結び付けられるけど。

かなり前にほとんどスルーされちゃったけど、政治性を括弧にくくるやり方って「文芸懇話会賞」
を括弧にくくってる横光読者と、賞もらう時に政治なんて関係ないですよーって傍観しちゃった
横光本人とアナロジカルに結びついちゃってると思うけど、そこんところどうだろうか?
637627:04/08/17 20:23
》635 630はちゃんと持論を展開してると思うが?
で、635の論理は?w
貴重な一行レス乙です。
638627 :04/08/19 16:12
下がり気味なのでageで。
>>630
横光のどういうの読んでるの?
639:04/08/19 22:51
>現代にも通じるかもしれない可能性が
>その「捉えにくさ」の中に読めないかな、
>という気がしたわけなんです。
「私がこのように書けば、文学について錬達の人であるなら、
もうこの上私の何事の附加なくとも、直ちに通じる筈の言葉である。」
といいたいところだけど、しかしながら、これまでは、
まだ私見をアウトラインしか提示してないわけで、
これから具体的に肉付けしないとわかりにくいかもしれないね。
質問・疑問があれば、おいおいではあるけれど、
可能な限り、応答していきたいな、と。

横光の「捉えにくさ」についての考察ゆえ、
「捉えにくさ」があるかもしれないにしても、ね。
640:04/08/19 22:52
630さんへ
>結局、他の論にひきつけんの、ひきつけないの?どっちなの?
>ちょっと都合がいい論展開に見えてしまうよ。
もちろん、様々な「読み方」はあるでしょう。
私は純粋小説論を可能性を開く形で読みたい。
間テクスト性が可能性を開くのであれば、
他の作者や作品に接木することはいいと思うけれども、
可能性を開くためには、「他の論にひきつける」べきではないと思うな。

>現代に持ってくるなら、その前に横光の論がどういう位置づけに
>なるのかを、もっと厳密にやんないと姑息な気がしますよ。
>>622>>627で出たように「文壇状況論」的に読むことも可能。
でも、>>622>>627を読む限りは、可能性を開こうとしていないと感じた。
一方、「文壇状況論」とは異なる「小説方法論」的な読み方もある。
私見ではこういう視点のほうが面白いと思うし、可能性を開くように思う。
641:04/08/19 22:56
630さんへ(つづき)
>%氏が言う残しておくべき「捉えにくさ」というのは、別段
>「近代の超克」や小林秀雄にひきつけて読解したところで
>なくなりはしないでしょ。それが本質であるならば。如何。
そう。だから可能性の中心として「本質」を読もうとするならば、
中村真一郎や小林秀雄を経由することも益はあるかもしれない。
ただ、やはり「ひきつけて読解する」べきじゃないと思うんだね。
言及した後藤明生の文章というのは、直接には横光に触れてないけれど、
横光と後藤がすごく似てるようなことを言ってるな、と思ったから。
必要があれば今度二人の引用を並べてみてもいいけれども。
642:04/08/19 23:35
627さんへ(>>636
>具体的に「別次元」とは何に当たるんでしょうか?見たところ「捉えにくさ」と
>ほぼ同意と見えますが。その別次元が第四の人称なのでしょうが、
>それはすべてを融合しちゃう超越的な立場じゃないでしょうか?
横光自身、「純粋小説」を「純文学」と「通俗小説」との融合として書いてますね。

@「もし文芸復興というべきことがあるものなら、純文学にして通俗小説、
 このこと以外に、文芸復興は絶対に有り得ない、と今も私は思っている。」(横光)

しかし、こうも書いています。

A「私は純粋小説は、今までの純文学の作品を高めることではなく、
 今までの通俗小説を高めたものだと思う方が強いのであるが、
 しかし、それも一概にそのようには云い切れないところがあるので、
 純文学にして通俗小説というような、一番に誤解される代りに、
 聡明な人には直ちに理解せられる云い方をしてみたのだけれども、」(横光)
643:04/08/19 23:36
627さんへ(つづき)
Aはたしかにわかりにくい文章ですが、「純文学にして通俗小説」という言い方は
「文壇状況論」として、横光がかなり便宜的に使ったんじゃないか、という気がする。
で、「小説方法論」として読むと、私見では、「偶然性」との関係が重要で、
さらには、「自意識」や「四人称」や「新感覚」にも絡ませて考えても面白い。
今日はこれにて失礼。
644吾輩は名無しである:04/08/20 19:08
純粋小説って純文学のことだと思ってますた(恥
645吾輩は名無しである:04/08/20 20:46
純文学とか通俗小説の定義も必要かとは思うが、
肝心なのは「偶然性」と「四人称」の問題を考えることだと思います。
横光は通俗小説の「偶然性」をご都合主義的な「必然性」だと批判している訳ですな。
それは決して「偶然」ではない、と。
646吾輩は名無しである:04/08/20 20:49
(補足)
横光が批判してる「偶然性」というのは、
今で言えば、冬ソナに見られるようなそれ、でしょう。
あれでは全然リアリティーは感じられない。
647:04/08/21 20:49
627さん、630さんの読み方ももう少し詳しく聞いてみたいな。
648吾輩は名無しである:04/08/23 13:21
627=630じゃないの?
同一人物の悪寒!
649627:04/08/23 15:06
何でそういえるのか知らないけど、自作自演ではありませんw
627≠630ですよ。投稿内容を読んでいただければ、よくわかるかと。

%氏のレスにどう答えるか考え中だけど、ちょっと書く時間なくてね。
放置してるわけではないよ。いずれレスさせていただきます。

>>648
その悪寒は、夏風邪がまだ治ってないんだよ、きっと。
650吾輩は名無しである:04/08/23 15:36
蛇足で馬脚
651627:04/08/24 13:13
自作自演説が渦巻く627ですw。630氏登場によって、その疑惑も払拭できると
考え、確信していますので、630氏の登場を期待しつつ、%氏にレスをしましょう。

>>642-643
「文壇状況論」と「小説方法論」、言わんとしていることは、なんとなくわかるのですが
むしろこのようなわけ方自体が、疑問に付されねばならない、のではないでしょうか。
私は、別に「状況」だけを語ればよい、とは考えていません。しかし、「小説方法論」、多分これは
テクスト論?の作品限定版みたいなもんだと思いますが、このような素朴な読解には反対です。
%氏は私の読解が周辺的であって、可能性を開くものではないといいますが、むしろ
横光の作品に引きこもろうとする%氏にこそ可能性の黙殺を感じてしまいます。
「状況」もテクストとして(テクストテクスト馬鹿みたいに言いたくないですが)、作品とアナロジカルにつながりまた、
アナロジカルに断絶しているところを指摘すべきではないかと考えます。
だから、近代の超克や他の批評などのテクスト、戦争などを地続き的に読まねばならない、と思うのです。それこそ、強いて
いえば、横光の現代性を問うことではないでしょうか。都合の悪いところを黙殺して、作品だけに引っ込むのはその対極ですから。
(続く)
652627:04/08/24 13:27
>>642-643
さて、私が四人称は超越的立場でしかもそれは日本的な虚無であって、すべてを融合して
しまう地点だといいましたが(これは戦争や天皇、純文学にかかわりますが)、それに対する
%氏のお答えとして、横光のそのままの文章を提示されていますが、それは果たしてレスになっている
とお考えでしょうか?横光がいう「文芸復興」とは何でしょうか。それすら説明されていないと思います。
引用だけ載せられて「聡明な人」には直ちにわかるとおっしゃいますが、聡明でないのでそこのところよろしく!

さて、「偶然性」の問題ですが、中河与一の「偶然文学論」が同時代にありますが、ああいうのにも
ひきつけちゃだめなんでしょうかねw。中河は明らかにあそこで蔵原惟人的な形式主義を批判しています。
必然−偶然の弁証法と、プロ文と新感覚派が戦わせた内容−形式の弁証法が、アナロジーを結んでいる
ことは当然とわれねばならないのです。その意味において「純粋小説論」は独自の理論では決してなく
むしろプロ文とともに読まれなくてはならない、といえるのです。
(続き)
653627:04/08/24 13:38
>>642-643
偶然性と必然の問題は、そのような文脈を必要としています。>>646の言うような
作品の中だけで、単なる物語内容・筋のレベルで「冬ソナ」ではだめなわけです。
必然(純文学)-偶然(通俗)の弁証法によって「純粋小説」が止揚される、その過程は
近代という必然性が行き詰まり、近代の超克を経て、偶然(創造性)を取り入れる過程を
なぞっているのです。そこになぜ「戦争」が関係ないでしょうか?横光と戦争は切り離せません。

まだまだ、私の書いたことにも問題があります(蔵原に触れながら、福本イズムには触れなかったし)。
それと時間もないですので、まずはこの辺で630氏と%氏のレス待ちということにしときますね。
どんな作品を読んで面白かったかも聞きたいですね。

それと>>650 乙
654377:04/08/24 14:03
ごめん。補足。思いつきの。

>>644
正しい
655吾輩は名無しである:04/08/24 14:05
煽れば盛り上がるなw
しかし630は消滅。
656吾輩は名無しである:04/08/24 14:11
>>655
煽ってる気になるなよw
そういうのをフィクサー気取りの、能無しって言うんだからさ。
主張しろって言うのw、本も読まないのに来ないこと。
657吾輩は名無しである:04/08/24 14:31
377=%=656の悪寒!
658吾輩は名無しである:04/08/24 14:46
>>653
他のとこも前後も全然見てないんだけどさ
>単なる物語内容・筋のレベルで「冬ソナ」ではだめなわけです

なんで横光語るのに冬ソナなんか持ち出すんけ?
あれは少女漫画だら? 
役者が美形でカメラが優秀だから
あとBGMの味付けで見せているだけのアホどらま。
659吾輩は名無しである:04/08/24 14:55
>>658
646が持ち出しているのをいってるのと思われる。
見たほうがいいよ前後。
660吾輩は名無しである:04/08/24 18:48
みんな馬鹿だなあ。
661吾輩は名無しである:04/08/24 19:48
純粋小説論なんてわけわからんよ
662630:04/08/24 23:11
えー、なんだか自作自演って言われてどきどきですよw
2ちゃん生活も長いですが、初めての経験で嬉しかったり。

さて、逃げていたわけでも消滅していたわけでもないのですが
いかんせん9月までは時間がとれません。
%氏、627氏の問いかけには、安易に答えたくないのでもう少し
お時間をいただければと願います。
663630:04/08/24 23:21
ただ、個人的に今のスレの流れについて、少々気になっている点があります。
それは私が「純粋小説論」に抱いているうっすらとした不満(というか疑問かな)に、近似値を持っているのではと思うのです。

うーん、やっぱ駆け足になるけどざざっとレスさせていただきます。
煮詰まってきたら、また書き込むので、ほんとすみません。

まず、%氏へ。
本質を考えるときに、その価値を計るためのものさしはいらないということでしょうか。>640-641
なるほどそれは一理あるかもしれません。非常にシンプルで力強い考え方だと敬服しきり。
ぜひ後藤の文章引用お待ちしています。
664630:04/08/24 23:26
つづいて、とんでもない誤解をされてしまった627氏へ。
(本当に申し訳ない)

といっても氏は%氏と白熱されてるので、私は
しばし静観とさせていただきましょうかw
好きな作品を訊ねられたのでそこだけ回答します。
羅列ですみません。
「寝園」「上海」「春は馬車に乗って」「夜の靴」「比叡」
やー、とりとめない上に、浅薄な好みがばれそうで怯えてますよ。
665630:04/08/24 23:34
それから663で書いた不満について。
結句、横光の「純粋小説論」はいったい誰に向けて書かれたものなのか。
このことを考えるとき、どうも薄皮の外へ追いやられた気がする。
その「内」へ入ろうと試みるとき、私は横光の論へ横光以外の論を
読むことをもってしか、アプローチできないのです。

%氏のようにポジティブさをもって、
この論に可能性や本質を見出せないのは
私の読解不足なのかと、煩悶しております。

うーん、どうもスレ汚しだな。以後は推敲の後書き込みます。ご容赦。
666吾輩は名無しである:04/08/24 23:56
みんな指摘しないのだが、「純粋小説論」発表の直前くらいに
「文春」で「文芸復興座談会」というのが開かれている。
とうぜん横光も呼ばれているんだが、ほとんどしゃべっていない。
その座談会へのレスポンスが「純粋小説論」だと思っている。
つまりは「文壇状況論」とも言えるけど、それを横光が自身の作品に
引きつけすぎて書いたから訳が分からなくなってしまったのではなかろうか。
というわけで、最終的には横光の「小説方法論」とも言えるわけだけど、
それは「文壇状況論」を書こうとしているうちにそうなってしまったと見るべきでは。
「新感覚論」もそうだと思う。千葉亀雄がいなきゃ書けなかったろう。
667吾輩は名無しである:04/08/25 01:15
「微笑」というわけのわからない作品の評価について。
みなさんどーなんですか?
668吾輩は名無しである:04/08/25 17:57
>>654
名前が377になってるが627だろ?
スガスレの377だな。
で、純粋小説って純文学のことなのかい?
669:04/08/25 22:49
627さん、630さんに応答する形でもう一度私見をまとめてみます。

@まず「純粋小説論」のチャームポイントはどこにあるのか、
 それがわたしの一読者としての一番の関心事。

A「純粋小説論」にはエクボもアバタもあるけれども
 わたしにはエクボが小説方法論として、アバタが文壇状況論として感じられる。
 研究者であれば全体的な評価、時代性というファクターなどが必要になるが、
 アバタをエクボと誤読しないかぎりはどんな読み方も可能だと思う。
 (もちろん時代性や政治性と関わらせた別の読み方を排除するものではない)

B「純粋小説論」はパートごとに眺めると論理的で明確だけれども
 そのパートとパートのつながり具合に曖昧さや矛盾がある。
 いくつもの層がまとまりなくつなぎあわされてる感じ。
 666さんのいうような背景もそこには感じられると思う。
 その中でどの層がエクボとして面白く可能性があるのかといえば、
 小説方法論的な部分じゃないかと感じる。
670:04/08/25 23:09
>>667
「微笑」は最晩年の気になる短篇ですね。
横光の小説にも魅力的な《捉えにくさ》を感じるなぁ。
671627:04/08/26 13:19
>>668
確かに私ですが、それもまた誤解ですよ。私の場合、純愛板一本やりですからねw。純愛板で使ってた
数字の誤爆です。「モテたい私が夕食をさらす」スレに行ってみて下さいw

それはともかく、「純粋小説」とは純文学か?というご質問ですが、私見ですが、
あれは純文学だといって差し支えないと思います。後に詳しく書けるときに書きますので、
さわりだけ言えば、小林の「私小説論」を少し読んでいただければわかると思います。
新感覚派の小説もついに「私」を避けることはできず、私小説の一変種としてしか存在しなかった
といっているはずです。
同じく、その中で久米の「純文学余技説」(字が違うかも)が、大正期の純粋小説論であったとも言っています。

私はおおむね小林は横光よりも純文学に対して敏感だったと思っています。「私」は絶対になくならない
純文学は常に更新せられて、純文学になっている、と考える小林は、自意識を超克する第四人称などほとんど
信じなかったはずです。ならば横光がなんと言おうと、それは純文学に・・・とならないでしょうか。
そこで%氏が触れてくれなかった、中村真一郎をもう一度言えば、結局横光は通俗小説のことをほとんど語らないんですよね。

すみません。また書きますので、今日はこの辺で。

672吾輩は名無しである:04/08/26 21:10
>小林は、自意識を超克する第四人称などほとんど
>信じなかったはずです。

ちょっと待ってください。
横光の四人称って自意識を超克したものなのですか?
横光は「自分を見る自分」=自意識を「四人称」と称してて、
これ(自意識)を描くことがこれからの文学には必要だと述べていた筈なんですが。
私の記憶違いでしょうか?
673627:04/08/26 21:42
>>672
記憶違いというか、素朴に受け取りすぎですね、横光の文章を。
あなたの言ってることが、自意識を超克するということです。
自意識が第四人称ではありません。第二の自意識です。結局同じことですが。
だから純粋小説は純文学でしかありえないんです。

「純粋小説を語る」という座談会を読んでください。自意識を止揚するものとして
四人称を捉えていますし、四人称を横光は「自然」とおきなおし、作家はその「自然」を
征服しないといけないと言っています。

自意識とは、ヘーゲルにおける主と奴の弁証法でいうところの、奴が主を忖度する際の意識ですが
その自意識を横光は超克しようとするのです。ただその自意識を超克しようとすること自体が、新たな
自意識を形成する弁証法を成立させるので、ある種の堂々巡りがあるんですが。
ゆえに、純文学、私、自意識が滅びることはないといった小林は、ある種正しいといえるのです。
そういう意味で、四人称は捉えないといけないと思いますが、どうでしょうか?
674吾輩は名無しである:04/08/26 21:54
まず
「第二の自意識」=「自意識の超克」
「純文学」=「自意識」
という捉え方はかなり恣意的で乱暴なんじゃないの?
675627:04/08/26 22:18
>>674
そりゃ乱暴でしょうねw特に数行で説明しなくてはいけない場合。
でも、それはそう読んだほうが面白い場合もあるからね。
それと乱暴にならないためには、ここで論文?書かなくちゃいけないじゃない?
そんなの能力的にも無理でつ。

それと自意識の超克はそれとしか読めないですが、資料的にも。3行で乱暴では
ということ自体乱暴では?wなんか書いたらレスしますよ。
676吾輩は名無しである:04/08/28 09:29
生田長江のサラムボオ、何時の間にか出版されているようですが、読まれた方いますか?
677:04/08/28 19:12
基本的なスタンスについては669で提示したので
「純粋小説論」についてやや具体的な意見をぼちぼちと。
まずは「純文学/通俗小説」についてですが、
「純文学/通俗小説」というタームで考えている限り、
既成の(例えば小林秀雄的な)読解からは先に行けないし、
横光の可能性を開く形での読み方はできないだろうと思う。
実際に横光が「純文学/通俗小説」を語っている部分では
河上徹太郎、幸田露伴、小林秀雄といった名前が上がり、
中島健蔵、阿部知二、深田久弥、川端康成、広津和郎、久米正雄、
木村毅、上司小剣、大佛次郎、岡田三郎、豊田三郎など、
当時の様々な議論への目配せがされているけれども、
このあたりの横光の展開はかなり「適当モード」で、
実際にナント! 中島健蔵以下の各論について
「これらはすべて、私の見たところでは、純粋小説論であるが、」
と、のたまっている!
678:04/08/28 19:13
それでは横光が「本気モード」になってるのはどこかといえば、

「ここで少し私は自分の純粋小説論を簡単に書いてみたい。
今までのべて来たところの事は、誰にでも通じることであったが、
以下書くことは、現代小説を書こうと試みた人でなければ
興味のない部分に触れると思う。」

と書いているところからがそうだと思う。
ここまで横光は「純文学/通俗小説」についていろいろ語ってきたけれど、
それは「自分の純粋小説論」ではなかったのであり、
ここからが「自分の純粋小説論」なんだと言っている。
そして、ここから小説方法論としての「四人称」の話が出てくる。
679吾輩は名無しである:04/08/28 19:15
横光ってバカな奴だよな。忘れられてさ。
680:04/08/28 19:18

で、以下が小説方法論的な部分の中締めの言葉。

「いったい、われわれの眼は、理智と道徳の前まで来ると、何ぜふらつくのであろう。
純粋小説の内容は、このふらつく眼の、どこを眼ざしてふらつくか、
何が故にふらつくかを索ることだ。これが純粋小説の思想であり、
そうして、最高の美しきものの創造である。も早やここに来れば、
通俗小説とか、純文学とか、これらの馬鹿馬鹿しい有名無実の議論は、万事何事でもない。」

最後の一行に横光の本心があって、
通俗小説と純文芸とを分けたのが間違いだと言った幸田露伴に近い立場なんだと思う。
そういう二項対立図式であれこれ考えたって無駄ですよ、
もっと異なる次元で(すなわち小説方法論としての純粋小説論)考えたらどう?
こう横光は提案してるように思う。
681吾輩は名無しである:04/08/28 19:21
その提案がまたダサイんだよなー―ツ。
682627:04/08/29 17:06
正式なレスにならないのでageついでに、すこし。

純粋小説論を内在的?に読みたいっていうのは、たしかにわかるんですね。
捉えにくさ、ポジティブさ、特異性など、云々。

ただ、私が状況(%氏に言わせれば外在的なのもなんでしょうが)から読むのは、
文芸復興の雰囲気、むしろ無意識と読めると思いますが、その無意識を横光は
ボケのレベルでは表現できていたと思うんですね。ボケの審級が四人称および虚無
と読替えられていいと思います。>>681氏のいうダサイは、横光のボケだと思うんですよね。
その点小林が意識的だったというのは、前に述べたとおりです。

ただ、この横光のボケを単なるレトリックや能力などに還元せず、1930年代の文学的な
無意識を読解する上での資料になるのではないかということです。純粋小説論のあいまいさを
横光のレトリックなどに還元し脱神化する試みも、ある種のポジティブさを見てしまいます。
やはり作家ありきじゃないですか。(続く)
683627:04/08/29 17:12
問題はそのボケが、むしろ横光に関係なく機能しちゃうところなんだと思うんですね。
横光のレトリックや、あいまいさ、それによる脱神化にも与しないためには
当時の状況を押さえないといけないと思うんですよ。
横光の欧州旅行なんかも絶対に影響してるはずだし。

%氏のレスには、またちゃんと考えてレスさせていただきます。今日は思いついたこと
を少し書いてみました。
684横槍失礼。:04/08/29 21:30
>>627
四人称を「超越的立場でしかもそれは日本的な虚無であって、すべてを融合して
しまう地点」と捉えるのは如何なものでしょうか。純粋小説論を読む限り、四人称はその
ような超越的な立場ではなく、むしろJ.H.ミードが主張するところの意識の二面性
に即したものと思われます。意識の二面性とはすなわち「主体としての自己」(I)と
「客体としての自己」(Me)のことで、Meの存在こそがデカルト的独我論を超える重要な役割
を果たしたものですが、横光はこのMe=「私を見る私」の意識を抉り出すことによって従来の
閉塞的、それこそ独我論的な文学からの脱却の可能性を提示したのではないでしょうか。
もはや自己の対象化というのは現代を生きる私たちにとってはアイデンティティを確認する自明にして
唯一の手段ですが(上野千鶴子なぞは「他者の眼でしか自分を確認出来ない」と申しております)、
横光の生きた時代の日本にあっては画期的な理論(と云うのも大袈裟か)であったのでしょう。
とういことで、横光の論を「ボケ」の一語に収斂するのはいかにも乱暴すぎるでしょう、ト
異議を申し立てて筆を(?)擱かせていただきます。
長々と失礼。 草々
685吾輩は名無しである:04/08/29 22:12
難しそうに書いてるけど、つまるところ672の言ってる事と一緒じゃん
686:04/08/30 00:27
630さん(>>665)
>結句、横光の「純粋小説論」はいったい誰に向けて書かれたものなのか。
@>>666さんのいうような背景はひとつあると思いますし、
A横光が言及している、中島、阿部、深田、川端、広津、久米、木村、上司、
 大佛、岡田、豊田などへのレスポンスの面もあるでしょう。
B特に、当時の浪曼主義者と能動主義者に対する意見でもありました。
Cそして、横光自身が長篇を書き進めるにあたっての覚書の面も。

横光自身はこう語っています。
「私は目下現れているさまざまな文学問題に触れつつ廻り道をして
純粋小説に関する覚書を書きすすめて来たが、(中略)唯ここでは、私は、
自分の試みた作品、上海、寝園、紋章、時計、花花、盛装、天使、
これらの長篇に関するノートを書きつけたような結果になったが、
浪曼主義者も、能動主義者も、共にこの問題について今しばらく考えられたい。」

630さんもヒマができたらまた書き込んでください。
687:04/08/30 00:28
627さん(>>651)
>私が四人称は超越的立場でしかもそれは日本的な虚無であって、すべてを融合して
>しまう地点だといいましたが(これは戦争や天皇、純文学にかかわりますが)、
横光の「四人称」を「日本的な虚無」や埴谷雄高の「虚体」に引きつける読解には、
わたしは即座に留保をつけたい、というよりかなり違和感を感じます。
「四人称」についてはいずれまた機会を見て私見を述べてみたいと思いますが、
>>682で「ボケの審級が四人称および虚無と読替えられていいと思います」とあるのは
一体何のことやらさっぱり理解できない。是非詳しい説明を。
688:04/08/30 00:29
627さん(つづき)
>テクスト論?の作品限定版みたいなもんだと思いますが、
いえ、別に限定するつもりはありません。
ただし、まずは横光の作品にできるだけ添った読み方が必要であり、
二次文献として他の作家・作品を参照するのはその次の段階だと思います。
>>682で「1930年代の文学的な無意識を読解する上での資料になるのではないか」
という視点から横光を読むという視点はわからなくはないのですが、
最初から俯瞰的に先入見をもって眺めてしまう姿勢にならないでしょうか?

間テクスト性の益については>>669でも応答したことになると思いますが、
ひとつ付け加えるならば、小林秀雄の「私小説論」にしても
わたしは627さんとはかなり異なる読み方をしています。
小林秀雄の「純粋小説」の捉え方自体がジイドのものに重心があるからです。
これも機会があれば私見を述べてみたいと思っています。
689:04/08/30 00:34
627さん(>>652)
>さて、「偶然性」の問題ですが、中河与一の「偶然文学論」が同時代にありますが、
>ああいうのにもひきつけちゃだめなんでしょうかねw。
中河与一「偶然文学論」を参照するのはいいと思うのですが、
その際に注意すべきなのは、中河と横光の差異にも目を向けることだと思います。
「偶然性」についても後でもっと掘り下げてみたいと思いますが、

>必然−偶然の弁証法と、プロ文と新感覚派が戦わせた内容−形式の弁証法が、
>アナロジーを結んでいることは当然とわれねばならないのです。
>その意味において「純粋小説論」は独自の理論では決してなく
>むしろプロ文とともに読まれなくてはならない、といえるのです。
確かにアナロジーを見ることは一方で大切かもしれません。
しかしもう一方で、横光の特異性を見ることも大切でしょう。
その意味で、もう少しリベラルな視点で読解しようとするならば、
わたしと627さんの両方の視点が必要なのかもしれません。
プロ文との関係については、機会があれば私見を述べてみたいと思いますが、
このテーマでは「純粋小説論」を中心にするよりも
「新感覚派とコンミニズム文学」を参照したほうがいいでしょう。
690627:04/08/30 00:37
>>684
レスありがとうございます。
これは以前にも言いましたが「純粋小説を語る」という座談会では、
横光も出席していますが、四人称を西洋に対する日本的な「虚無」と
おいています。横光はその虚無を「自然」と置き換えています。
なぜ「虚無」、「自然」とおきなおすか、考えないといけないでしょう。
だから「純粋小説論を読む限り」というように、それだけ読んでも駄目なんじゃないでしょうか。

Me(自分を見る自分)ですが、これもフロイト=ラカン的には自我(小文字のme)のこと
でしょう。この自我は鏡像的に成立するものですが、これもヘーゲルの自意識論を
下敷きにしています。ヘーゲルの自意識については前に少し触れましたので、読んでください。

デカルト出してますけど、あれも超越論的な自我の問題ですよね。にもかかわらず
超越的な問題がないかのように振舞うのは、どうかと思いますが、どうでしょうか?
691627:04/08/30 00:42
今書き込んだら、%氏のレスが見えましたのでw
%氏には改めてレスをさせていただきます。

ボケの審級についても(ボケって別に中傷する意味合いではないですので
その辺はお願いします)。

ではまた。
692:04/08/30 00:54
>627さん
ダブリましたね。
1週間ほど留守にするのでまとめて書き込みました。
連続書き込みでみなさんに失礼しました。

>%氏のレスには、またちゃんと考えてレスさせていただきます。(>>683
という配慮には感謝です。

>どんな作品を読んで面白かったかも聞きたいですね。(>>653
これについては後日また。
627さんの意見はどうですか?
693627:04/08/30 20:10
>>692
一週間の猶予を頂いたのでw考えさせていただきます。

630氏、%氏に好きな作品を聞いておいて、私が答えていませんでしたね。
失礼いたしました。

私の好きな作品は、順不同で「紋章」、「微笑」、「寝園」、「悲しみの代価」
でしょうか。「〜園」はいっぱいありすぎて、何が何の話かわからなくなりますねw

それでは少し時間を頂きます。
694630:04/08/31 23:14
消えてない証にこそっと書き込んでおきます。

>686の%氏へ
なるほど、もう一度長編をじっくり読み直すことにします。
それと平行して、小林秀雄にもあたってみる予定です。
暇はいつできるのやらさっぱりわかりませんが・・・

お戻りの一週間後までにもう少しなんらかの手ごたえを
つかんで、こちらへ参上いたします。

>627氏へ
どうもいろんなスレですれ違っているような気が。
が、このようなことを言うのは野暮天の骨頂。相すみません。
695627:04/09/01 00:57
>>694
小林の「私小説論」が、横光の「純粋小説論」の批判版だという説には
江藤淳や大岡昇平が批判してますね。私も小林を読み直そうかなあ。

おや、すれ違っているというのは、どこでだろうwまさか純愛板!?
まあ冗談はともかく、今後もどこかでの邂逅楽しみにしていますw
696吾輩は名無しである:04/09/02 18:13
なかなかの良スレ。
697:04/09/05 11:21
戻りました。少し付言します。

これまでに書いたように大きな見取図としては
  純文学/通俗小説→文壇状況論
  純粋小説→小説方法論
といえるけれども、>>645で書かれているように、
>純文学とか通俗小説の定義も必要かとは思うが、
>肝心なのは「偶然性」と「四人称」の問題を考えることだと思います。
というのはその通りで、『純粋小説論』の中心は、
小説方法論としての「偶然性」と「四人称」にあると思います。

「四人称」の問題は >>672>>684でも出されているけれども
>横光はこのMe=「私を見る私」の意識を抉り出すことによって従来の閉塞的、
>独我論的な文学からの脱却の可能性を提示したのではないでしょうか。
という>>684に同意ながら、ここからもう少し掘り下げる必要があると思います。
698:04/09/05 11:22
これまで、下記のような様々なテーマが出ていますが、
1)「四人称」
2)「偶然性」
3)「純文学/通俗小説」
4)小林秀雄の『私小説論』
5)時代性
   @プロレタリア文学との関係
   A1930年代の文学的無意識
   B西洋との関係
まず、4)について私見を書いてみましょう。
699:04/09/05 11:24
(つづき)
小林秀雄は『私小説論』の後半で「純粋小説」を取り上げているけれども
この論を横光批判として読むのはミスリーディングで、むしろ横光擁護だと思う。
(横光の難解さや曖昧さには言及してるにしても)
   純粋性⇔真理性、事実性
   偶然性、感傷性⇔真理性、事実性
という図式があって、描写も告白も信じられない状況における自意識(方法意識)として
ジイドと横光に共通する「新しい土俵」を見ている。
小林の論がジイドを参照しているのは当然で、横光自身も          
「私が今一番外国の文人の中で興味深く思ふのは、ヴァレリイとジイドである」
と述べているけれども、小林はジイドと横光の差異もよくわかっている。
(しかしながら、小林『私小説論』よりも横光『純粋小説論』のほうが面白い)
700:04/09/05 11:28
627さんが言及した「純粋小説を語る」という座談会については
これから図書館に行く用事があるのでちょっと見てきます。
701:04/09/06 00:28
座談会「純粋小説を語る」を図書館で読んできましたが、なかなか面白かったです。
そこで横光はジイドの「純粋小説」と自分のとはちょっと違うと語っていました。

ただ、627さんが>>690で書かれている
>四人称を西洋に対する日本的な「虚無」とおいています。
>横光はその虚無を「自然」と置き換えています。
という座談会の読み方はかなり短絡的だと感じますね、
しかしこれについて語ろうとするとどうしても
「四人称」という最も捉えにくいテーマに入らざるを得ないので、後日また。
702吾輩は名無しである:04/09/06 16:26
パ−セント氏は横光研究者ですか?
703吾輩は名無しである:04/09/06 17:07
>>702
まさか。
だとしたら横光研究のレベル低すぎ。
全集も持っていないようだし。
704627:04/09/07 04:32
%氏お帰りなさい。

近日レスさせていただきます。ご連絡まで。
705627:04/09/09 04:25
>>699
ジイドが横光とある種の同時代性を持っているのは確かですね。
贋金使い・ヴァレリー参照しつつ、1920年代「詩と詩論」を掛け橋にしなく
てはならないでしょうが。

%氏は小林が、横光とジイドの差異をよくわかっているといいますが、
どういう点ででしょうか。お答え願います。

むしろ批判として、ジイドと横光の差異は、小林と横光の差異と読みかえられなければ
ならないでしょう。

文末のカッコ内には触れませんが・・・
706627:04/09/09 04:49
>701
なぜ短絡的なのか、説明願います。

横光が「自然」=「大衆」(横光より)を征服するという意味をどのように考えてい
たかですね。これは>>630氏が、一体「純粋小説論」は誰のために書かれたのか?
という点に、まったく私たちが触れなかったのを不満としていますが、そのことと
関係しています。これは少なからず>>630氏への応答としても。

中村光夫も指摘するように「私小説論」の冒頭でルソーを私小説の原型だと
おくのは、当時独創的だったのです。ルソーは著書で「自然」状態からの頽落する
人間を批判したんではないでしょうか。自然状態の回復として。
例えば横光が純文学から失われた「大衆」=「自然」を回復させることによって、
復興させようとするのは、文芸復興にとって重要だったのです。それは文芸における
自然の回復だったんです。自然・大衆・偶然性はアナロジカルに志向されなければな
らないのです。
(続く)
707627:04/09/09 04:51
(続き)
この「自然」は日本の中で「虚無」というものに置き換わる可能性を、座談会では三木清が
指摘しているでしょう。
大衆が虚無に収斂されるのは天皇問題と考えると面白いでしょうね。
そして、その「自然」=「大衆」を取り戻すロマン主義的な手法は、
自然主義的私小説においても同じくあるんですね。
言文一致以来リアリズムは何らかの「自然」を目指すんですよ。
自然主義って名前は偶然ではないです。

それはともかく、ぜんぜん短絡的ではないんですよ。
708627:04/09/09 04:58
これは>>630氏へ

違和感の面ですが、だから「純粋小説論」は、上記の結論から
「大衆」のために書かれた、とはいえないのです。なぜならば、
それは大衆を迂回しながら、じじつ、私小説の原型たるルソー
の目指した「自然」状態への回帰を目指しているからです。

それは小林の言う新感覚派ですら「私小説」の変種でなかった
という言葉と符合するわけなんです。私が「私小説論」のほうが
そのことに意識的だったという根拠もそこにあります。

だから「純粋小説論」はやはり「純文学」に向けて書かれた、と
私は言いたくなりますね。

異論反論、おねがいします。
709罧原堤 ◆MHDsw63xe6 :04/09/09 05:01
ただ四人称と言ってみたかっただけです(プ
710吾輩は名無しである:04/09/09 08:37
純粋小説はいいとして、
横光が挙げている通俗小説・大衆文学・純文学・芸術文学とは、
それぞれ具体的にどういった作品のことなんすか?
分かりにくくて困ってます。
通俗小説と大衆文学の区別もよくわからんし。
711627:04/09/09 13:44
>>710
5時に書き込んで、今、寝起きにまたここに来てる、ダメダメ夏休み生活?
の627です。

それが私もよくわかんないんですよねえ〜。私的には、その区分は、
内容がないようじゃないかと思うんですが。調べてみると違うのかなあ。
確かに「純粋小説論」では、それらの名前出してますね。

これはインスタントっていうか、横着ってことなのかもしれないけど、
1935年・1936年の「文芸年鑑」なんかぱらぱら見ると、なにかわかるの
かなあって思いますけど。そういう用語が頻出してるんじゃないでしょうかね、
当時の文壇では。

>通俗小説と大衆文学の区別もよくわからんし。
私もわかんないんですが、同じって言っちゃっていいんじゃないでしょうか。
「大衆」って一体誰なのかとか、さまざまな問題がありますね。

寝ぼけ頭で考えてみますよ。
712吾輩は名無しである:04/09/09 14:39
冬ソナで一気にイメージアップした韓国。

ドラマの影響で韓国人男性への好感度をも上げた模様。

で、そんな韓国男性に恋する日本の女性が急増中らしい。

韓国への留学生もウナギ上りで増えてるとかで。

たびたび放映される、テレビの韓国特集によると韓国男性は、一緒に歩く時、

バッグを持ってくれたり、食事の時アーンしてくれたり、とても優しいらしい。

韓国人男性と結婚したい、或いは彼氏に欲しい日本の女性が急増中だって。
713:04/09/11 18:12:38
>>707-708 ※座談会「純粋小説を語る」について
>なぜ短絡的なのか、説明願います。
短絡的という表現が気にさわったのなら許してください。
ただ、627さんは以前に座談会について、
>四人称を横光は「自然」とおきなおし、
>作家はその「自然」を征服しないといけないと言っています。
>四人称を西洋に対する日本的な「虚無」とおいています。
>横光はその虚無を「自然」と置き換えています。
と書かれていました(>>673および>>690)。

もう一度よく読んでいただきたいのですが、
横光はその座談会において決して四人称を「自然」とおきなおしていません。
また、四人称を西洋に対する日本的な「虚無」とも言い換えていません。
714:04/09/11 18:14:13
※座談会「純粋小説を語る」について(つづき)
座談会「純粋小説を語る」は横光、豊島、三木、谷川、河上、中島など、
十名の出席者がいますが、最初に「虚無」を持ち出したのは豊島で、
それに中島が同意し、三木がつなぎ、次に谷川が「場」ということを言い、
それに対して横光が「場というと自然というような解釈になってしまうのですか」
と質問してるだけなんです。四人称を「虚無」と置き換えていないんです。
また、ここでの「虚無」は当時よく読まれたシェストフのそれがベースであり、
シェストフの背後にはドストエフスキーとニーチェがいるわけで、
西洋に対する日本的な「虚無」とも読めないと思いますよ。

座談会はこの後、「偶然性」のテーマに移ってから、
西洋の「神」に対する東洋の「自然」という話が出てきますが、
ここでは四人称の話は切れているので、
四人称を「自然」と置き換えたと見るのはミスリーディングだと思います。
715:04/09/11 18:26:25
>>705 ※小林秀雄「私小説論」について
>%氏は小林が、横光とジイドの差異をよくわかっているといいますが、
>どういう点ででしょうか。お答え願います。

横光とジイドの差異は、簡単にいえば、日本と西洋との差異です。
小林だけでなく、横光自身がジイドの純粋小説との差異を理解していました。
座談会「純粋小説を語る」においても、谷川のジイドについての問いかけに
「それは僕はね、ジイドの言ったのとは違うと思います」と答え、
ジッド的な純粋小説を今の日本に持ってきても駄目だと語っています。
つまり、横光は西洋と日本との文化的差異を理解したうえで、
「贋金づかい」でジッドが提出した「Roman Pur」は
当時の日本文学においては受け入れる土壌ができていないことを
感覚的にわかっていたのだと思います。
716:04/09/11 18:32:30
※小林秀雄「私小説論」について(つづき)
そして、小林も横光同様にそれを理解していたわけですが、
小林は両者を「新しい土俵」を築いた点でともに評価した上で、
  ジッド=無飾な帰納的手法
  横光=装飾的な演繹的手法
という差異を見出しています。
717627:04/09/11 20:25:59
>>713
気に障ったんじゃなく、やっぱ短絡的というなら自説をかかないとなあと
思ったので。

まずですね、「作家の秘密」という横光の論文があるんですが、
そこで「虚無からの創造」を主題に書いています。それを踏まえないと
いけないですよ。
「体系」に対する「虚無」。横光は虚無こそ、体系に対立して創造をなすものだ
というのです。これはシェストフの援用なのですが、この哲学が「京都学派」
が主に受容したということを踏まえないといけないんですよ。
シェストフ的な虚無が日本にどう受容したかを%氏は無視してると思いますよ。

座談会「だけ」では駄目なんですよ。連関させないと。それは以前から私が言ってることですけど。

「体系」(必然性)が「虚無」(偶然?)によって止揚されるんですよ。
そしてここには「京都学派」「神道」などの問題が入り込むんです。

座談会ではいってませんでは、なにもいってません。
718627:04/09/11 20:34:19
以下2つの質問いついては考え中です。

しかし%氏は西洋と東洋の「差異」というだけでまったくその差異が何であるか
語ってないと思うんですけど。

  >ジッド=無飾な帰納的手法
  >横光=装飾的な演繹的手法

上記は一体何を言わんとしているのかが不明です。

議論があんまかみ合ってないのかなあと、思ってちょっと
質問攻めですが。やはり、そのテクストだけで解釈してたら
だめですよ。いろんなもの踏まえないと。

四人称が「国語への服従」からなぜ出てきたかのとか。
西洋と日本の差異が「体系」と「虚無」の止揚にかかわり
それがとりもなおさず「純文学」と「通俗小説」の止揚と
対称を成している、などなど。

やはり、ここには書いてありませんとか、横光が言ったんじゃなくて
、だれそれが、では駄目じゃないですか?横光も出席した座談会で
横光の「沈黙」こそ読まなければならないでしょう?

だから、明らかにかかれてあるかのようなもの追っても駄目だと思いますが。

すみません。詳しくはまた書きます。ちょっと疲れてましてw
719吾輩は名無しである:04/09/11 20:38:47
%氏ではないが、627氏にちょっと質問させて。

「虚無」と純粋小説論で言う「偶然」とは同じなんですか?
一緒なら純粋小説論でも「虚無」という言葉を使うと思うんですけど・・・

何も知らない部外者の勝手な質問でごめんなさい。
720627:04/09/11 20:55:33
>>719
いえ、質問うれしいです。
煮詰まっちゃいそうで、気になってたんです。

私はそう関連付けられるんじゃないか。むしろそう読むとつながりが
見えるんじゃないかって考えるんですね。

座談会や「作家の秘密」では虚無とはっきり述べています。
前者は横光が例え自らいってないとしてもです。

その沈黙を読むことが、読むってことなんじゃないかと思うんですよ。
どこそこに明記されていない、ではすまない問題が。
721630:04/09/11 21:43:51
えー、週末に現れる630です。
このタイミングはいかがなものかと思いながら
書き込みますよ。
しかしちょっと来られない間に白熱してますね。

まず、%氏に。
>横光とジイドの差異は、簡単にいえば、日本と西洋との差異です。
とありますが、ここは私も説明願います。
ちょうど「贋金つかい」を読み返しておりましたので、非常に
興味があります。ぜひ%氏の意見を伺いたい。
そのあとのご説明でも私はよくわかりませんでしたので……。

時代、そして戦争を考えると(これは考えないほうが不自然だと
私は思っていますが)、その「差異」という部分は明確にして
おくほうが、今後627氏を含めてスレの方たちに%氏のスタンスが
よりクリアになると思います。非常に偉そうな書き方ですみませんが。
併せて氏は「旅愁」についてはどう位置づけられてるのかも、ぜひ伺いたいですね。
722630:04/09/11 21:44:23
長編への覚え書きとして「純粋小説論」があったという氏の考えには
なるほどなとも思いましたので、その後実際に欧州へ行き、「旅愁」を書いた
ということには、私自身ももっと注意深くあたっていきたいと考えています。
なぜ未完であるのか、戦後版が存在するのはなぜか。
%氏は横光は横光として読まれるべきで、そこに他のテクストをひきつけるのは
できうる限り避けるべきだという考えだと理解しています。
(違っていたら、訂正願います)
しかしながらその氏の考えに対しては、横光自身が単独の存在ではなく、
むしろ非常に時代に鋭敏であったと私は考えているので、
なんでもかんでも他のテクストや論を持ってくることもないだろうけど、
まるっきり触れないのは一種の「横光マンセー」陥穽ではないかとも思います。
723630:04/09/11 21:44:50
続いて627氏に。
純愛板ですかw ってこんなことはどうでもよくてですね。
えー、まず706の書き込みに非常に感謝しています。
個人的な観ではありますが、蒙をひらかれました。
「誰に対して書かれたか」という疑問は言葉通りのものだけではなく、
どう投げかけたいのかという横光の姿勢にもかかわってくることだと思います。
その上で627氏の結論は
>だから「純粋小説論」はやはり「純文学」に向けて書かれた、と
>私は言いたくなりますね。
ということですが、恥ずかしながら「純文学」と「純粋小説」の定義が
私には曖昧模糊としています。よろしければ、氏の解釈を伺いたいです。
710氏の書き込みには、首肯することしきりでした。
(そんな程度なら数字コテハンはよせと言われそうですが、
そこはご容赦願います。行きがかり上ですから……w)
724630:04/09/11 21:45:32
それと627氏の717の書き込みですが、三木清もそのようなことを
書いていたと思います。「行動する新しい人間」(でよかったかな)が
そのあと数年にわたり、なにを生み出したのか。横光もまた同じく。
それは見過ごせないことだと思います。

そしてまた%氏に。
>シェストフの背後にはドストエフスキーとニーチェがいるわけで、
>西洋に対する日本的な「虚無」とも読めないと思いますよ。
とありますが、もう少し説明いただけますか。
私はニーチェとナチスの関係を考えるとき、シェストフと京都学派、
ひいては海軍との関わりを思わざるを得ません。
725630:04/09/11 21:46:04
さて、流れと関係ない私の疑問ですが、どなたか解答願えたらなあと。
横光と全体小説はどう位置づけられるべきでしょうか。
どうでもいい疑問ならうっちゃってください。

っと、日付のせいもあってか、やたら戦争について喚起する書き込みに
なってしまいました。
627氏のちらっと触れた神道について、また八紘一宇という言葉にも思うところ
ありますが、それはまた次の機会に。
(小林秀雄がなかなか読み進まないので、どうも私はだめですわーw)
726:04/09/11 22:12:11
To 627さん
>「純粋小説を語る」という座談会では、
>横光も出席していますが、四人称を西洋に対する日本的な「虚無」と
>おいています。横光はその虚無を「自然」と置き換えています。
627さんは>>690で上のように書かれていましたね。
「四人称=虚無=自然」という視点が627さん独自の読みであれば
それはそれで「ひとつの読み方」として尊重したいと思いますが、
627さんはあたかも横光自身が語ったかのような書き方をしてた。
>座談会ではいってませんでは、なにもいってません。
座談会でこう言ってる、と627さんが書いていたから
それに対して批判したまでなんですよ。

>シェストフ的な虚無が日本にどう受容したかを%氏は無視してると思いますよ。
で、シェストフについては>>714で既に言及してるので、これは的外れです。
シェストフは『悲劇の哲学』しか読んだことがありませんが、
ニーチェとドストエフスキーの流れを汲んだ実存的哲学として
当時の哲学者にも文学者にもよく読まれていたわけですが、
シェストフ的「虚無」が横光的「四人称」にどうつながるのか、
それを説明して欲しいですね。
727:04/09/11 22:13:08
To 627さん、630さん
>  >ジッド=無飾な帰納的手法
>  >横光=装飾的な演繹的手法
>上記は一体何を言わんとしているのかが不明です。
上は小林が見出した差異であって、
これについては627さんおよび630さん自身が
小林のテクストから読み取るべき事柄だと思います。

>横光とジイドの差異
これについてはまず横光の純粋小説をもう少し掘り下げた上で
両者を比較したほうが見やすいでしょう。
で、横光の純粋小説の核心と思われる「偶然性」「四人称」について
今度時間のあるときに私見を書いてみますので、それからにしましょう。
728:04/09/11 22:14:28
To 630さん
>%氏は横光は横光として読まれるべきで、そこに他のテクストをひきつけるのは
>できうる限り避けるべきだという考えだと理解しています。
これは誤解です。前にも書きましたが他のテクストを参照することは有益です。
ただ、それは「引き合わせる」べきであって、「引きつける」べきでない、
と考えています。
また、ここは横光スレッドなので、まずは横光のテクストを中心にして、
引き合わせるべきじゃないでしょうか。

で、行間を読むにしても、横光を忠実に読むべきところは読んだ上で、
そうしなければならないと思いますよ。

それから、あまり立て続けに質問攻めにしないでください(微笑
横光に詳しい研究者でも何でもないんですから(苦笑
729630:04/09/11 22:42:38
おお、%氏即レス感謝です。
文学板でこのようなレスポンス速度とは驚嘆しきり。
このままじゃ、627氏=630=%氏という人も現れかねませんねw

横光とジイドの差異についてですが、なるほど小林の論でしたか。
てっきり氏の論だと思い、質問攻め(そんな気はないですが)に
されたと感じられたようで、陳謝いたします。
しかしながら、改めて問いかけ致します。

では%氏は、その小林の論を如何お考えであるか、と。

もっともこれは私が小林を読む上で足がかりにさせていただこうかと
いう、きわめて他力本願かつ私利私欲の問いですから、もちろん
スルーしていただいてもけっこうですよw
横光の純粋小説を掘り下げた上でないと、そこには触れられないという
のであれば、かまいません。お待ち申し上げております。
730630:04/09/11 22:43:20
続いて、誤解の件につきまして。
私の浅読み、及び思い込みがこのような結果を生んだのでしょうか。
これまた、陳謝いたします。しかしながら、氏のおっしゃる
「ひきつける」と「引き合わせる」はもはや言葉遊びの域では……。
そこに厳密なスタンスの違いを持ってあたっておられるのなら
なんとも言えませんが。

それと引き合わせるというのであれば、フラットさが不可欠だと思います。
ここが横光のスレであるというのは、わかりきったことですしね。
また、行間を忠実に読むことに関しては私自身ももっと注意深くあろうと
心を引き締める思いがいたしました。さすが%氏。

なお、最後に書かれた
>それから、あまり立て続けに質問攻めにしないでください(微笑
>横光に詳しい研究者でも何でもないんですから(苦笑
ですが、質問されるというのは、それだけ%氏がかわれているということで
「よっしゃよっしゃ」と構えていただけたらと思いますよw
私はこれからも、ばんばん質問しちゃうでしょうし。
だって私自身も「横光に詳しい研究者でも何でもない」からです。
実際、私には質問がきませんしなw
とスルーされがちなことをぼやきつつ、今宵は今度こそこのへんで。
ではまた、来週末にでも。
731吾輩は名無しである:04/09/12 12:43:05
>627氏=630=%氏という人も現れかねませんねw
正解
732吾輩は名無しである:04/09/12 18:11:06
%よ
およそ百レスにわたる壮大な自作自演乙
733627:04/09/13 03:48:05
>>732
ただ言いたいことは、意見の齟齬があっても、100レスも議論が続いたことに関して、
自作自演はひどいかな、と思います。特に630氏、%氏は、私とともに、議論してい
ただいた方ですので、自作自演で一括りにされるのは、大変申し訳なく思います。
2ちゃんでマジレスは、野暮なのかもしれませんが、この100レスが自作自演で
閉じてしまうのは大変もったいないのであえて書きます。

>>696氏の良スレ認定に感謝しつつ。

しかし、馬鹿話ですが627・630・%を操る第四の主体はやはり
「第四人称」でしょうか。それならばこのスレでも、「純粋小説論」
と「第四人称」は作動している、というのでしょうか?

それはともかく、今後も元気にやっていきますか。
734:04/09/16 01:31:07
もう100レスもいきましたか。あっという間ですね。
「四人称」「偶然性」の本題に入る前にひと息入れます。
しかし、考えてみると627さんに批判的意見ばかり出してました。
自分の関心や視点にとらわれすぎていたと少し反省。
私見をまとめることにエネルギーを費やすあまり、書き忘れてましたが、
個々の内容にはストレートに批判的意見をぶつけてきたにせよ、
様々な作品や時代背景と絡めていく627さんの俯瞰的読み方には
ダイナミックで遠心作用があり、大いに刺激にも参考にもなってます。
座談会を読むきっかけを与えてもくれました。

それから、告白しておきますが、未読の横光作品はかなりあって
630さんや627さんほど読んでないと思います。
630さんから「戦争」と『旅愁』の関係を尋ねられましたが、
『旅愁』も未読で、これについては語れないのでロムに回ります。
横光は多種多様な作品を書いているので、好きな作品は選び辛いのですが、
630さんや627さんと重なっていないものとしては、やはり「機械」で、
後は「蝿」「花園の思想」「微笑」などなどの名前が思い浮かびますね。
今、『家族会議』読み始めたところです。今日はこれで。
735吾輩は名無しである:04/09/16 08:49:03
機械の中の、皆が「見えない機械」に動かされてるという部分。
この「機械」って、
第四人称と関係づけられないかな?
736627:04/09/17 16:13:42
>>735
確かに「機械」と第四人称をからめるのってあるね〜

「機械」=「無意識」ってことなんだろうけど、ドゥルーズ=ガタリの
『機械』みたいに読もうとしてるのは、なんだかなあと思うけど。

ただ、「機械」=「無意識」≠「第四人称」って意味で関係がある
ということだとは思います。「第四人称」とは「機械」における無意識、
まあ「機械」化されたある種の差異を打ち消すために現れたと考え
られるきがするけどなあ。その差異を打ち消しながら第四人称は
機能するとすれば、機能するんじゃないかな。

そういうことをレスでは書いてきたつもりだけど。

寝起きなのですみませんw
737627:04/09/17 16:21:17
>>734
いえ、こちらこそさまざまな読み方を提示してもらって、普段考えてないのを
考えさせてもらってます。

630氏の一連の書き込みには膨大な問題が含まれてますね。
「全体小説」、「旅愁」、「ジッド」、「京都学派」などなど、他にもあるけど。
四人称にこだわりまくって100レス越えたので、>>735さんのように「機械」
や他の問題に言ってもいいのかもしれないね。

しかし、せっかくここまで四人称もやったので、適せん触れることになる
とは思うけど。630氏も週末にいらっしゃる予定だと書いてあるし、私も、
なんか考えとこう。
738吾輩は名無しである:04/09/17 19:33:51
第四人称ってまだわかんない。。。
739:04/09/18 20:07:04
>>735 ※四人称と偶然性について
横光自身は【四人称】を長篇において考えていたのですが(「純粋小説論」)、
実はわたしも「機械」等の短篇において、意識的か無意識的かはさておき、
【四人称】を萌芽の形であっても提出していたのでは、という私見を持ってます。
横光自身【四人称】を長篇において考えていたことに抗って。
740:04/09/18 20:07:54
※四人称と偶然性について(つづき)
横光には作品は作者の手を離れて生きるという視点があって、
(これは後の「作者の死」のロラン・バルトにも共鳴していく面あり)
(そういう視点は漱石という先行者にもあったとしても)
横光が言うには、作者は短篇では作品をコントロールできるけれども、
長篇になるとどうしても筆まかせにならざるをえない(エクリチュール)。
筆が自分が考えもしなかったプロットや言葉を【偶然性】によって導くこともある。
(これは後に後藤明生「アミダクジ式」に影響を与えた面あり、と思う)
【偶然性】によって作者を追い越してゆく作品内存在が【四人称】だとすれば、
【四人称】というのは無意識に近いけれども、
それはまたメタレベルの過剰な自意識(方法意識)でもあるので、
非常にパラドキシカルな概念になっていると思う。
741:04/09/18 20:09:38
※四人称と偶然性について(つづき)
【四人称】は「自分を見る自分」であり、「自意識といふ不安の精神」だけれども、
哲学的文脈(コギト)でも精神分析的文脈(エゴ・無意識)の文脈でもなく、
あくまでも作家としての小説方法論を文脈的コアとしてると思うので、
【四人称】は作品の中で一人称にも三人称にもくっつきうるし、
非人称的な視点ということにつながる要素があると思った。

以上が四人称をめぐる私見ですが、
それはたとえば短篇「機械」末尾の主人公の独白に
作者横光自身の四人称化していく分身的声を聞くのは間違いでしょうか。

「誰かもう私に代って私を審いてくれ。私が何をして来たかそんなことを私に聞いたって私の知っていよう筈がないのだから。」
742吾輩は名無しである:04/09/21 12:38:03
最高傑作はなんだとおもいます?
私はもちろん旅愁です
743630:04/09/21 15:21:44
週末には時間がとれず、忸怩たる思いの630です。
こっそり書き込んでおりますので、何も目新しいことを
書けず……ただ生存確認をこめましてw

さて、いまさらな感もありますし、実際野暮だとは承知の上で。

同一人物による自作自演だと思われるのは甚だ心外です。
また、私の書き込みがその煽りにつかわれたこともあり、
改めて%氏、627氏には、己の軽率を深謝する次第です。
横光という作家について語るスレですから、もちろん主論は
彼の作品、創作姿勢、スタイルといったことになります。
しかし、この場によって私自身の「本を読む」姿勢というものを
再考させられることも多いです。何よりの恵みだと感じております。
これからもどうか宜しくお願いいたします。
744630:04/09/21 15:22:08
さて、「旅愁」の件はトスされてしまいましたが、私もアタッカー
になれるほどの練り上げはいまだ成せておりません。
漠然と思うことはありますが。

現在は横光作品では、%氏にならって「家族会議」を読んでいます。
二度目の読みなのですが、ラストの「きゃっきゃ」という描写には
いつもぞーっとするので、そこにたどりつくのが楽しみです。

他には小林秀雄をいったん棚上げにして「言語の金使い」という本を
読み始めました。ジイドと横光における同時代性とはなにか。
また差異はなんであるのか。手がかりになればと思いつつ、ページを
くっております。627氏、%氏はこの本は既読でしょうか。

「機械」についても触れたいところですが、今日はこのへんで。
次回登場は、第四人称に導かれて、ということでw
みなさま、よい初秋を。
745吾輩は名無しである:04/09/21 15:34:59
横光先生、ここに劇団ひとりがいます
746:04/09/21 23:34:55
>>742
最高傑作は『旅愁』ですか。
どういうところがイケテますか?
嗚呼、早く読まなければッ。

>>743>>744
ノイズはどこのスレッドでもありますから気にせずに。
それから、『旅愁』と戦争との関係についてですが、
是非630さんと627さんとに教示してほしいな、と思います。
『言語の金使い』は知らないんですがどんな感じですか?
747:04/09/21 23:36:09
>ジイドと横光における同時代性と差異
これには小林秀雄の視点を経由してちょっと触れましたが、
@ジッド=無飾な帰納的手法
A横光=装飾的な演繹的手法
と小林がいうとき、ジッドの「純粋小説 Roman Pur」が
小説から小説以外のものを削ぎ落とそうとする引き算(=@無飾な)、
小説についての小説というメタフィクションの領域、
さらに小説の不可能性=不可能性の小説といった地点、
そこまでを視界に入れていたと思うんですが、
横光の場合には当時の文壇状況の問題が目の前にあり、
【四人称】というメタレベルの自意識をジッド的に考えながらも、
実作においては「純文学にして通俗小説」という足し算(=A装飾的な)
に目を向けなければならなかったとこに差異があるんじゃないかと。
748:04/09/21 23:38:10
747で書き忘れたのですが、
横光の「愛の挨拶」という戯曲が結構好きで、
これは劇中劇という入れ子構造をうまく用いていて
メタフィクショナルな視点を感じさせてくれます。
749627:04/09/22 17:52:15
>>744
「言語の金使い」は読みました。ジッドの「贋金使い」がじつはヨーロッパの
金本位制の崩壊と密接に絡んでるってやつですよね。マラルメ、ヴァレリー
の「純粋詩」が横光の「純粋小説」と関係があるというのは「詩と詩論」が
1920年代に「純粋詩」の特集をしているところからわかりますが。

同じく日本の金本位も「純粋小説論」の数年前に崩壊してしまいますので、
ジッドと横光の関係は、ある種の同時性を持っていたとは言えるでしょうね。
大岡昇平なんかは、短い論文でですが、純粋小説が第一次大戦後の経済体制
の崩壊によるところが大きいんじゃないかって論じていますが、それは、あるていど
正しいのでしょう。

欧州紀行の中でも横光は貨幣の換算率に頭を悩ませますが、そういうのも、それで読めちゃう
と思いますよ。

そういう意味で「言語の金使い」は、いい本だと思いますね。630氏が買ったならもう一回読み直して
見ようかなあって考えてますよ。
750627:04/09/22 17:57:36
「旅愁」は630氏も思うところが少なからずあるようですので、何か投げ込んで
いただければ、反応するつもりです。ただあれは本当に長い小説ですからねw

ちょっと前の、レスでも、いくつか問題点を挙げられていたようなので、630氏は週末
に登場が多いですので、そのときにでも挙げていただければ、私も、何か考えて
書き込めたら書き込もうかなと思っています。
751627:04/09/22 17:58:57
>>748
一応読んだんですが、横光の戯曲はいい意味でも悪い意味でも、読みにくいですね。
もう一度%氏が好きといわれるのを、読んでみようかなと思いますね。
752630:04/09/24 16:06:26
よい初秋を、と前回書きましたがなんだかな、この天気。
見えざる手により導かれて630が書き込んでおります。

>746=%氏
どうもありがとうございます。

さて「旅愁」は627氏もいうように「長い」です。
私はこの長さこそが、いけてるんじゃないかと思ってます。
(こう言ってしまうと甚だ単純ですが)
というのも、「純粋小説論」の中で、横光自身が
第四人称に触れるには短編ではちょっとしんどいというような
書き方をしていたからです。(細かな書き方はいま手元に
本がないので確認できず。なにかあればツッコミ願います)
がっつり第四人称と対峙するための組み立てであり、
結果あの長さになったのだと考えています。
だから、長いこと=「旅愁」の最大ポイントかと。
(相変わらず単純ですみませんw)
753630:04/09/24 16:07:31
「旅愁」と戦争の関係につきましては、627氏の論も
楽しみにしています。
組み立て不足を承知で私の考えをざっと申し上げますと、
旅愁の舞台=欧州に横光は結句なじめなかったのだと。
執筆の前年、彼は渡欧していますが、何かを得たというよりは
圧倒的欠落を実感したのではないかと考えます。
この欠落感こそが、また欠落の反動(一種の回帰願望?or帰依?)
のようなものが、後年、横光利一がある種の政治的な場に果たした
役割の行動原理ではないでしょうか。

しかしながら、「旅愁」のすばらしいところをもうひとつあげるなら
アナロジカルな読みをしなくても、充分楽しめる点ですね。
ドラマに翻弄される楽しみ、喜びも、小説に触れる上での醍醐味と
考えますので、%氏もきっと楽しく読まれることと思います。
(もちろん、とことんアナロジカルに読んでも面白いです)
滅法、長いんですけどねーw
754630:04/09/24 16:09:08
「言葉の金使い」につきましては、749=627氏のふれておられる
とおりです。ある島でサルが芋を洗い始めると、遠くの島でも
まったく同じ行動を取るサルが現れるという話を思い出しました。
なにがしかの同時性はやはり、似た背景によって生み出されています。
それはもはや、偶然などではなく必然なのでしょうか。嗚呼、機械。

そういった組み込みからも逃れる、或いはその先を疾走することに
文学の可能性を見出す姿勢は、有益であり、正ポジティブかもしれません。
しかし、「純粋小説論」における横光がそこまでを意識していたかは
私には読み取ることができませんが……。
755630:04/09/24 16:10:18
なお、627氏の投げかけであります、全体小説、京都学派の部分ですが
750でももう一度問いかけていただいてますね。
駆け足で申しわけないですが、触れておきます。

全体小説と横光については、まったく自分ではなにも考えていなくて(ひー)
識者の多いこのスレで何がしかのヒントをもらえればと思っただけなのです。
ただここ最近、このスレにお邪魔するなかで気づかされたこと、そして読み返した
横光の作品を考えると、横光自身の意識には「全体小説」への傾倒があったのでは。
それがいつごろからなのか、自覚的なものであったのか、そしてなにの動きが彼の
筆をそうさせたのかという点をここでまったり(ここ重要)、
時には殺伐と(これまた重要)と話してみたかっただけなのです。
私自身も全体小説とはなんぞやと訊ねられたとき、正解を出せる気はしないのが心許ない。
なんだか卑怯者くさいレスになったなあ。すいません。
756630:04/09/24 16:11:47
続いて、京都学派〜海軍のことにつきまして。
シェストフを背骨に持つ京都学派は、戦争中海軍と陸軍の争いに利用されています。
ニーチェがナチスに利用されたことを思い出すと書いたのはこの点です。
(もしや、これも一種のジイド〜横光の構図でしょうか)
当時、京都学派の面々が海軍と密談していたことを示すメモが発見されています。
そのメンバーのほとんどが「近代の超克」のメンバーであることも627氏には
興味深いのではないですか。もっとも、これらの説を一種の「トンデモ」とする
むきもあるようですが。私はやはり、知識人と軍部の接近はあったはずだと考えますので
そうとんでもなくはないと思っていますけどね。

で、京都学派ではないにせよ、その面々と知らない仲ではない横光も周縁から
何がしかの作用を果たしていたのは、至極当然に思えるしだいです。
もうひとつ、つけくわえますと「通俗小説であり純粋小説」を目指した横光にとって
もちろん戦争は「ないこと」にはできないわけで、いきおい発言もし、ある位置に
担ぎ出されることとなったわけでしょう。
「旅愁」はなぜ戦後版があるのか。それはこのあたりに答えが潜んでいるのでは。

私自身の考えもまだ茫漠としております。627氏、%氏をはじめ、何らかの
レスポンスをいただければ、欣喜雀躍の極みです。
ではまた。
757吾輩は名無しである:04/09/24 20:09:47
>756
京都学派と横光はどんな関係を持ってたの?
758627:04/09/24 21:48:48
>>753
面白いと思いましたので、簡単ながら、レスさせていただきます。さーと
通した説明になってしまうのはご勘弁を。詳しくは後ほど出来たら。

630氏の言うところの、その「欠落」という指摘はたしかあの、ニーチェなどを翻訳している
西尾幹二が「文学界」でしていたですね「『旅愁」再考」(決して最高ではない!)。

西尾いわく日本主義と西洋主義の対立は、横光自身、西洋の何らかを言い表しているわけ
ではなく、「欠落」を言い表していただけだと。だから、「欠落」と「欠落」同士の対決は、
畢竟、空回りでしかありえないのだということです。それが「旅愁」のある種の不毛性であると。

ただこの「欠落」を内容-価値的なものの喪失と見るか、横光の有していた構造的な「欠如」
と見なすかが問題と思いますね。というのは、内容-価値的な「欠落」は容易に反転して
しまいますからね。横光の戦後の弾劾から、現在の再評価が、まさしくこの反転にエネルギー
をも利用しているのは明らかだからです。

そうではなく、その「欠落」は一切内容-価値的な「欠落」ではなく、むしろ630氏が言われるように
その「欠落」に向かって横光は動かざるを得なかった、ほころびと読むべきだと思います。
これこそ純文学のかかえる欠落ではないでしょうか。そうすると明らかに
「純粋小説論」は視野に入るわけです。

ここら辺でまずはやめときますね。というのも書いてる私も考えまとめないといけないですからw

めっぽうながいですね。しかし、山小屋で千鶴子と泊まっちゃう矢代はいったいなにをしてるん
でしょうかw
759吾輩は名無しである:04/09/25 19:47:35
横光っつあんは天才だ
賛否両論はあるが天才だ
あれだけの方法的実験やったのはあのあと居ないだろう
成否はともかくだ
760吾輩は名無しである:04/09/25 19:54:04
「蝿」って横光?
761吾輩は名無しである:04/09/25 20:46:12
蝿は蝿だ。
いや横光だよ
762:04/10/02 21:51:14
しばらく日本を離れていたので久しぶりにちょっと書き込みを。
「蝿」は新感覚派時代のモダニスト横光の面目躍如たる佳品で、
映画(当時は「活動写真」ですね)からの影響があったようだけど、
非人称的カメラアイによる描写が当時はかなり斬新だったのではと。
尾辻克彦やロブ=グリエを連想?したり。
763吾輩は名無しである:04/10/03 23:52:23
新感覚派って横光のほかに川端もそうだったって?
764吾輩は名無しである:04/10/04 00:24:09
4人称ってすごいね
765630:04/10/04 17:08:36
いきなりの涼しさに鼻水をたらす630です。
スレ伸びもちょっとゆるやかになりましたでしょうか。
%氏は海外へ行っておられたとか。実地「旅愁」ですかw
おかえりなさいませ。

>757
具体的にどんな関係といわれて、あげられるものはないのですが
現在と比較したとき、この当時(昭和10年ごろからとりあえず敗戦
まで)は文壇という場が機能していたと思います。
よって、当時の知識人たちは互いの論を意識していたに違いないし
また横光は三木と座談会をしています。そのオチのつけかたとして
「純粋小説論」があるとするならば、そこに、三木清をはじめとする
京都学派の存在は抜きにできないのではないでしょうか。
766630:04/10/04 17:09:52
しかし、こういった事柄は、いったいどこまでを作品への呼応として
読解にあたっていくのかという、大変デリケートかつ大切な要素だと
思います。でありながらも、この部分でアプリオリにコンセンサスが
なければ、意見交換もなかなかに頓挫するのでは……と思ったり。
私個人のスタンスを申し上げますと、先ほども書いたように
当時は(そして少なくとも敗戦までは)、作家たちはおおむね、他の
作家・知識人を意識し、互いに作用/反作用しながら、すなわち
呼応しながら、持論を展開し、作品を発表していたはずと確信しています。
757さんの問いかけに対する答えとしては不十分かもしれませんが、
以上をもって「横光と京都学派は関係を持っていた。それは
個々としての交信でなかったにせよ、互いを意識していた」と
いうことで、回答とさせていただきたく存じます。
767630:04/10/04 17:10:39
>758=627氏
寡聞にして、西尾幹二のその論は存じておりませんでした。
興味深いですね。西洋/日本という二項では片付けられぬ、圧倒的
欠落、というように私は受け止めたのですが。そしてそれは「旅愁」
だけの読後感ではなく、横光の他作品との比較である旨、申し添えます。
(言うにおよばず、でしたかしらん)
>横光の戦後の弾劾から、現在の再評価が、まさしくこの反転にエネルギー
>をも利用しているのは明らかだからです。
↑上記につきましては、首肯しつつも掘り下げて聞いてみたいですね。
有は強烈に無であるという感想を持ちましたが。(的外れなら深謝です)

矢代は底ぬけに踏みはずしちゃってるんだと思いますよw
768630:04/10/04 17:11:04
さて、ちょっと時間なくなってきました。
隠密書き込みは辛いですわ。

762の%氏の書き込みについてだけ。
尾辻克彦は卒業制作で大きな偽札を作ってるんですよね。
贋金使いに導かれ?と思ってしまいましたw
しかし、ロブ=グリエの方法について述べだすと
ヌーヴォー・ロマンのムーブメントをぬきにはできませんやな。
ちょっとまとめて、また書き込ませていただきます。ではまた。
769吾輩は名無しである:04/10/04 22:32:46
>>630
もういいよ
770627:04/10/05 00:57:01
書き込みの後、意見もないくせにw茶々を入れるのがいるから、すばやく
でも、手短にレスさせていただきます。手短になるかどうか、私の意図は
達せられるかわかりませんが。

>>767=630氏

もし、その二項では片付けられぬ圧倒的「欠落」を感じられたとしたら、
これは私の勝手な敷衍ですが、横光の「ボケ」の部分ではないでしょうか。
それは「第四人称」的な空虚と重なり合うんじゃないでしょうか。
ただそれでも私は、その空虚は、二項を融合するエネルギーで「しか」ない
と思います。そういう意味で圧倒的にボケたおした「欠落」であると、私は
思います。

横光の再評価の件ですが、単純化して言えば、「欠落」に対してそれを
欠点として弾劾するか、その欠落を埋めてそこに横光像を建立するかの
違いで「しか」ないということですね。同じ構造の中で反転を繰り返すわけ
ですから。簡単にひっくり返っちゃうわけです。

そこでカギとなるのは、戦後特に肯定的に横光を扱う、主に研究者たちが
目指した、真の横光を「再現」する運動です。この再現は、私が恣意的に
名づけているわけではなく、簡単に、色々な所で見られますので説明は省き
ますが、この「再現」という方向付けが、横光の何かを抑圧しながら「再現」
されるということです。

つまり「現前性」がつねにエクリチュールを抑圧したように、横光の再現は、
何を抑圧しているか。このなかに、先ほどの「反転」でしかない横光の評価を
批判的に扱う問題があると思いますね。(この問題はいったんここまで)
771627:04/10/05 01:07:50
さて、前後しましたが%氏の帰国お喜び申し上げます。一度も
海外の地を踏んだことのない私はうらやましく思いますよw

ただいまのところ「旅愁」を話してみたいなって気分で、「旅愁」
一辺倒ですが、ご容赦ください。

>>765-766 同じく630氏の指摘ですが

三木が「不安の哲学」で不安が文壇と思想状況を雰囲気として作り出して
いたとすれば、やはり、三木がうまくハイデガーを利用したことははずせない
でしょうね。まさにしの「雰囲気」を強引に日本で流行らせたわけですから。

とすると、以前言われていたように、戦争、630氏はナチスの問題を取り上げら
れていましたが、やはりはずせないと思いますね。しかもその三木が座談会
に参加しているというのですから。たしか、他の座談会にも、京都学派の
メンバーは参加してたきがしますが。

さて、簡潔にという、当初の予定がくじかれましたので、一応ここまでと
何かあったら一行レスでもさせていただきますw
772吾輩は名無しである:04/10/05 22:00:41
>>627

消えろ
773:04/10/05 22:40:36
>>763
 >新感覚派って横光のほかに川端もそうだったって?
横光のほかに川端も当時はともに新感覚派ですね。
横光は、新感覚派→新心理主義→純粋小説、と移行。

>>764
 >4人称ってすごいね
この言葉自体を思いつくことが新感覚派たる所以かな、と。
774:04/10/05 22:44:26
>630さん
実地「旅愁」というほど優雅なものじゃなく。。。

で、630さん言及の「京都学派」についてですが、
横光がどういう関係をもっていたか、私も気になりますね。
特に「新感覚論」を読んで、ああこれはカントだな、と思い、
横光が直接カントを読んでいたのか、それとも、
京都学派を通して哲学に接していたのかな、と。
後者なんじゃないかと推測をしてますが。

尾辻克彦には『贋金づかい』という本がありますね。
775:04/10/05 22:54:52
>627さん
 >「現前性」がつねにエクリチュールを抑圧したように
さりげなくデリダを持ち出すところが627さんらしいですね(笑

しかし、「ボケ」についての言及はまだよくわからないな。
前にも使われてたので単なる思い付きの言葉じゃないと思いますが、
また今度もう少し補足説明してください。

『旅愁』については興味深くROMっています。
776:04/10/10 20:42:05
横光については様々な人が様々な角度から語っていると思いますが、
627さん、630さんが有益だと感じている横光論について
ひまなときにでもサジェストしてもらえるとうれしいです。
もちろん評価、批判どちらでも構いません。
小林秀雄、中村光夫、中村真一郎、西尾幹二らの名前がありましたが、
横光論というのは大小を問わなければ数多くあるでしょうね。
最近吉本隆明のものに目を通しましたが。
777627:04/10/13 00:36:41
777get〜個人的な、あまりに個人的な理由で777は私にとって必要な数字です。

失礼しました・・・・・・

「ボケ」についてですが「悲劇の読解」にある吉本論(宮沢賢治も含め)
あと「日本人に思想はあるか」?(失念)でも、宮沢について話してますが、
あれ一通り読んで、「小ブル急進主義宣言」の横光のところを読んでいただければ
「非-知」と「ボケ」、「4人称」のことがかかれていますので、参考に。

時間ないので?いやありあまってる?からこの辺で。
778吾輩は名無しである:04/10/13 01:12:20
探偵のクリティックに入ってるスガの横光論ってのは?
779吾輩は名無しである:04/10/13 01:29:33
横光論と言へば、福田恆存を忘れてはなりますまい。
780吾輩は名無しである:04/10/13 02:34:20
福田「横光は40になるやならずで、もう志賀直哉のあとの゛文学の神様゛といわれていた。
私はこっぴどくやっつけました。面白いのは「横光利一」を書くとき
私は『家族会議」という彼の作品に出てくる人物の俗物性を指摘した
箇所を引用したわけです。
ところが、そこで引用した文章が、その後の本では見当たらないん
ですよ。」
佐伯彰一「作者自身が削ったんですか?」
福田恆存「そうなんです。「負けて勝つと云うのは、昔の大阪人の云うことだったが、今は東京人のモットーなんだ」という作中人物の
自己優位感を綴った部分を、横光さんは後日抹消しちゃた。
あの小説は作ったものでしょう。
その部分がなくなったら最初に彼が意図したものとはまったく別のもの
になってしまう。
それに、私が何いおうとしたか、読者にてんで通じやしない。
今度初めてそのことがわかったときは、ひっとしたら私が引用を
間違えたのかと思いました。
しかし、自分でそんな文章を作って引用するはずがないしね。(笑)」
昭和11年非凡閣社版「横光利一全集」出版→昭和12年2月「横光論」発表→昭和13年12月創元社『家族会議』を大幅な改稿して刊行
昭和57年1月発行の「定本横光利一全集」で非凡閣社版に戻る。


781吾輩は名無しである:04/10/13 02:37:09
松浦総三「いまでいうと民芸風の立派なお宅で、横光さん、和服姿で出てきましたよ。
長い髪をバサッとたらし、いかにも文士スタイルといった感じでね。
それで、実はGHQの検閲にひっかかって、これこれですって説明しら、横光さん、顔色もかえず、いとも簡単に「ああ、わかりました。」って云ったかと思うと、その場でゲラ刷りに手を入れはじめましてね。
ものの10分くらいでかたづけちゃった。直した箇所を見ると、
たとえば<アメリカ人を軽蔑した>というくだりを<アメリカ人を尊敬した>とことごとく正反対に書き直してあるわけです。
まったく唯唯諾諾というふうなんだ。」
昭和46年「噂」江國滋による松浦総三へのインタビュー
(GHQの検閲で「旅愁」のゲラ刷りを直す場面)

↑こんな作家の小説は論じるに値せず
782吾輩は名無しである:04/10/13 08:47:24
>たとえば<アメリカ人を軽蔑した>というくだりを<アメリカ人を尊敬した>と
>ことごとく正反対に書き直してあるわけです

おお、そうだったのか。
だとしたら、えっぱスゲー奴だったんだ。
ますます尊敬する。
783cecily:04/10/13 17:54:11
私も横光大好き。
今「紋章」を読んでる。「紋章」に登場した小説家「私」も「四人称」でしょう。
でも、いままでは「四人称」というものは一体どんなものかまだ分からない。
784吾輩は名無しである:04/10/13 19:58:39
のつもりで本人は書いたんだろうけど、
純粋小説論で言わんとしてる四人称とはズレてる気が・・・
そこがまた横光チックで(・∀・)イイ!
785cecily:04/10/13 21:57:23
私もそう思います。純粋小説論に書いた四人称は登場人物としてながら、他の人物の考えることまでもよく知ってるような感じがしている。
でも、「紋章」には、「私」はこういう「神様視点」とは言えないんですよね。
そのほかに、横光チックってどういう意味?
786吾輩は名無しである:04/10/13 22:50:22
退屈な文章書くよね。どんどん消えてくよね、この人。川端と比べても仕方ないでしょ。
ただのエッセーなんだから。温度も感じられないしね。
787吾輩は名無しである:04/10/13 23:18:15
川端なんぞよりずっと重要な作家なんだがなあ。
788吾輩は名無しである:04/10/13 23:20:44
「機械」の何処が退屈か教えて欲しいねえ。
君にこんな確信犯的な文章、書ける?
789吾輩は名無しである:04/10/13 23:33:48
初めの間は私は私の家の主人が狂人ではないのかとときどき思った。
観察しているとまだ三つにもならない彼の子供が彼をいやがるからといって親父をいやがる法があるかといって怒っている。

いきなり意味がわからない。文章下手すぎ。
790吾輩は名無しである:04/10/13 23:37:38
どこが?
意味わかるよねー。
もっとわからん箇所は機械にはたくさんあるゾ。
791吾輩は名無しである:04/10/13 23:40:19
の混合液のザボンがいつの間にか危険な重クロムサンの酸液と入れ換えられていたりしているのが初めの間はこちらの過失だとばかり思っていたのにそれが尽く軽部の
為業(しわざ)だと気附いた時には考えれば考えるほどこれは油断をしていると生命まで狙われているのではないかと思われて来てひやりとさせられるようにまでなって来た。
殊に軽部は馬鹿は馬鹿でも私よりも先輩で劇薬の調合にかけては腕があり、お茶に入れておいた重クロム酸アンモニアを相手が飲んで死んでも自殺になるぐらいのことは


長い。なんで一文がこんなに長いんだ。わざとか? 意味不明。
792吾輩は名無しである:04/10/13 23:50:21
彼をいやがるからといって親父をいやがる法があるかといって
793吾輩は名無しである:04/10/14 00:00:51
>>791のような横光の事は何も知らない厨は放置しといて、
(そういえば「厨房日記」という作品もあったなw)

私の知り得られる程度のことは彼が屋敷を殺したのではないと云い得られる
ほどのことであるより仕方がないのだ。


この記述は分からんww
いかにも筆が走っていて書いてしまったような文章で好感を持つのだがな。
794吾輩は名無しである:04/10/14 05:17:34
いみがわからない。同語反復じゃなくてこういうのなんていうの。致命的なミス。
795吾輩は名無しである:04/10/14 10:03:56
私が知り得ることは、彼が屋敷を殺したのではないかと推論できる
範囲のものでしかない…っていうのを気取って言ってるんでそ
796627:04/10/14 20:08:22
こうそんの文章で横光批判しても、馬鹿だといっても、何言ったて、駄目じゃないかなw
というのも、言ってるようにそんなのは評価と表裏なんだから。横光が良かろうが悪かろうが
まあ、カッコに入れつつでも、それと違ったところで批判すべきだと思うけどね。
こうそんの文章のレスに「だからこそ横光はすばらしい」ってレスついたけどさ、
結局そういうことでしょ。容易に反転しちゃう。

>>778

福本の弁証法と、横光の形式主義のアナロジーが説かれてる部分が面白かった
きがするね。機械と上海の論は、面白いけど、あんま、同意できない気がします。
亀井の転向の「ユダ」をシェストフで乗り越える弁証法もだから結局アナロジーなんだよね。

ということで、短いながらレスさせていただきました。
797吾輩は名無しである:04/10/14 21:35:06
福本の弁証法と、横光の形式主義のアナロジーが説かれてる部分が面白かった
きがするね。機械と上海の論は、面白いけど、あんま、同意できない気がします。
亀井の転向の「ユダ」をシェストフで乗り越える弁証法もだから結局アナロジーなんだよね。

ということで、短いながらレスさせていただきました。


↑赤ペン先生に添削してもらえよ。
798627:04/10/14 21:55:07
赤ペン先生って何?
799:04/10/14 22:45:33
急にレスが伸びてるんでちょっとびっくり。

>>777(627さん)
最近目を通したのは吉本隆明の『悲劇の解読』でした。
吉本のいう「非-知」はバタイユがリソースですね。

>>778
スガ『探偵のクリティック』所収の横光論はどうでした?

小林秀雄、中村光夫、中村真一郎、西尾幹二のほか
吉本隆明、福田恆存、松浦総三の名前が挙がったけれど、
横光をその「可能性の中心」で読解する試みとしては
後藤明生『小説―いかに読みいかに書くか』の「機械」論も。
800吾輩は名無しである:04/10/15 14:03:27
僕の苗字、軽部です
801:04/10/15 22:13:59
>>783
cecilyさんの『紋章』についてのレスにからめると、
たしか主人公のひとりは「贋金」という名前でしたね。
味噌や醤油の醸造をやっていた男だと思いますが、
これはあきらかにジッドを意識したんだろうな、と。
802:04/10/15 22:30:26
801で訂正。「贋金」→「雁金」、でした。
803吾輩は名無しである:04/10/16 00:14:45
>>800
大阪にはやしきたかじんという歌手もいます
804:04/10/17 22:58:40
それから、純粋小説論に関して書き忘れてたことがひとつ。
純粋小説論における「偶然性」と京都学派との関係についてですが
横光が「偶然性」ということを言い出した背景には
九鬼周造の『偶然性の問題』が影響してるのではないか?
ということを先日ちらっと考えてました。
805吾輩は名無しである:04/10/18 00:54:47
>>804
とりあえず、九鬼の偶然論の自分なりの理解の紹介ぷりーず。
まさかタイトルだけじゃないよね?
806627:04/10/18 02:15:55
深夜に数分時間があいたいので、すこし、眺めてレスできそうなのを。

>>799

バタイユのアセファルのような「非-知」ではなく、吉本のは「痴」(ボケ)
に行っちゃったっていうのが、みそなんでしょう。そのボケって
賢治や横光には、空から眺めるまなざし、あの世から?のまなざし
があるって言ってるけど、それが「第四人称」とつながるのだろうってことだよね。

そういう超越的なボケの視点が、横光が内在的にふんばれなかった地点なんじゃない
かな。そこは「旅愁」も含め、批判されるべきところだよね。

だから630氏が言った、京都学派の問題は重要だし。「偶然」って本当に
必然性と相容れないような「偶然」なのか?そこが問題だね。

あと、「再現」は別にデリダのことがいいたいわけじゃなく、横光の
「再現」によって抑圧されたのは、何かってことだよ。作家横光を
ありのままに再現することが、実際は政治的な方面などを抑圧
してしまったんじゃないかな。

さて、時間?ですのでここまでです。
807吾輩は名無しである:04/10/18 16:51:01
627って自分で言ってることの意味わかってる?
808吾輩は名無しである:04/10/18 18:12:37
吉本の意見をうのみにして横光批判しても、駄目じゃないかなw
そんなのは評価と表裏なんだからw
809吾輩は名無しである:04/10/18 18:31:54
>>873
マンは1875年の生まれで、19世紀にゃ2作しか出してない。
寧ろかれはWWT後の小説の危機に向き合って現実と格闘し、
10年かけて「魔の山」生み出した訳だが誰かと勘違いしてないか?
810吾輩は名無しである:04/10/18 19:05:20
>>873
マンは1875年の生まれで、19世紀にゃ2作しか出してない。
寧ろかれはWWT後の小説の危機に向き合って現実と格闘し、
10年かけて「魔の山」生み出した訳だが誰かと勘違いしてないか?
811吾輩は名無しである:04/10/18 19:14:36
2発も誤爆スマソ
812627:04/10/18 22:20:32
>>807
そういうレスにどう答えていいのかわかんないんだよねw
ということは、わかってないのかな、自分の言ってることが。

なんか例出してよ。あなたの言ってることもそれ以上意味わからない
あるいは意味ないかもしれないね。

>>808
わけわかってない、横光好きさん、乙です。
813627:04/10/18 22:29:01
デリダが「留保なきヘーゲル主義」で、批評してるように、バタイユの「至高」とか
「非-知」ってヘーゲルの弁証法をどう解体するかってことでしょ。それがどういう形
をとってるかは、まあ読んでもらえればわかるけど(複雑なので詳述しませんが)。

「純粋小説論」が純文学と通俗小説の弁証法であったのもいったし、自意識が主と奴の
弁証法から産出されるっていうのもずっと前に言ったよね。でも、横光は弁証法を肯定
こそすれ全く、無効にしてないよね。自意識なんだから。

ここにはまったくバタイユ的な「非-知」なんてありえるわけはないんだよ。
こんなところにバタイユの「非-知」を持ってくることが「ボケ-痴」でしょ。

それだけがいいたかったの。>>807-808が必死になる必要はないと思うよw
814吾輩は名無しである:04/10/18 22:42:33
627必死だなw
815627:04/10/18 22:49:06
>>814
お、やっぱすぐ書き込みってあるよね、こういう感じだと。
茶々もスレの活性化って面では確かに効果あるんだよね。
「w」もなんか微笑みに見えるから不思議だよね。「微笑」
が話題に出したいわけじゃないよw

ということで、シニカルな意味じゃなく、乙。でもこう言っちゃうのも
野暮なのかな…
816吾輩は名無しである:04/10/18 22:58:40
>>815
乙。馬鹿っぽいなw
817:04/10/20 00:15:10
時々中傷的茶々が入るね。
これまで基本的にはスルーしてきたけど、ひと言。
批判は悪意がなければしていいと思うけれど
中身のない中傷や非難はノーサンキュー。
作家に対してもレス者に対しても。
818:04/10/20 00:16:38
>>805
その「まさか」ですよ、というのは冗談。
が、804で書いたように特に根拠があるわけでもなし。
今度折をみて書きますが、その前に「新感覚論」を経由することにしましょう。
京都学派の哲学に横光が親しんでいたとすれば、
1930年に『いきの構造』を出して注目を浴びた九鬼を読んでいた可能性も高く、
それによって「偶然性」という言葉を用いるきっかけになったのではと考えるのも
あながち空想とはいえないんじゃないか、というぐらいで受け取ってもらえれば、と。
805さんは横光と哲学の関係をどう考えてますか? Please tell me.
819:04/10/20 00:18:20
で、627さんのレスにはわたしもわかりにくいところがあるので
いくつか質問があるんですが、
まず>>777で挙げられている参考文献のうち
吉本隆明『悲劇の解読』は読んでいたのでわかりましたが、
(しかし宮沢賢治論を援用する理由はどういったものですか?)
 >「日本人に思想はあるか」?(失念)
これは吉本・梅原・中沢の『日本人は思想したか』ですか?
(これは以前に目を通したことがあるのですが)
 >「小ブル急進主義宣言」
「小ブル急進主義宣言」というのはどこで読めますか?
820:04/10/20 00:20:56
>>806
 >バタイユのアセファルのような「非-知」ではなく、吉本のは「痴」(ボケ)
 >に行っちゃったっていうのが、みそなんでしょう。
「非-知」は627さんが最初に出してきた言葉なわけで(>>777で「ボケ」と対にして)
それに対してバタイユという名前を出したわけです。
「非-知」という言葉が出てくれば当然そういう連想が働くと思いますが、
そこで「バタイユは関係ない」といわれても?です。

 >そういう超越的なボケの視点が、横光が内在的にふんばれなかった地点
 >じゃないかな。そこは「旅愁」も含め、批判されるべきところだよね。
「超越的」とか「内在的」という言葉は哲学的概念ですね。
もう少し「批判されるべきところ」をわかりやすく肉付けしてもらえませんか?
というのも横光の思想性に対する批判であればまだ理解できるのですが、
「四人称」という小説方法論に対する批判としてはちょっと違うんじゃないかと。
821:04/10/20 00:21:55
>>806(つづき)
 >あと、「再現」は別にデリダのことがいいたいわけじゃなく、横光の
 >「再現」によって抑圧されたのは、何かってことだよ。作家横光を
 >ありのままに再現することが、実際は政治的な方面などを抑圧
 >してしまったんじゃないかな。
627さんは以前に下記のように書いてましたね。
 >つまり「現前性」がつねにエクリチュールを抑圧したように、
 >横光の再現は、何を抑圧しているか。
「現前性」という言葉もまた哲学的概念で、あきらかにデリダを連想させる。
@横光の「再現」による「政治的な方面など」の抑圧
A「現前性」による「エクリチュール」の抑圧
この二つに627さんはパラレルな関係を見出しているわけですが、
今2なって「別にデリダのことがいいたいわけじゃなく」といわれても?ですね。
デリダ的脱構築の比喩をもってきた意味がないことになると思う。
822:04/10/20 00:32:01
>>813
627さん。これはわたしへのレスと考えていいですか?
ここでも哲学的な概念がいろいろ出てきますが、
 >「純粋小説論」が純文学と通俗小説の弁証法であったのもいったし、
 >自意識が主と奴の弁証法から産出されるっていうのもずっと前に言ったよね。
 >でも、横光は弁証法を肯定こそすれ全く、無効にしてないよね。自意識なんだから。
二つのものの融合が「弁証法」になるとは限らないと思います。
また、自意識が異なる次元の二重性を帯びるとすれば、必ずしも
ヘーゲル的な「主と奴の弁証法」から産み出されるともいえないのでは。

 >ここにはまったくバタイユ的な「非-知」なんてありえるわけはないんだよ。
 >こんなところにバタイユの「非-知」を持ってくることが「ボケ-痴」でしょ。
これについては>>820で書いたので。
823627:04/10/20 17:09:52
>>819-822
1・なぜ宮沢賢治かは、宮沢賢治集の初回になぜ横光が関わっているか
考えないといけないでしょうね。

2・私は「非知」と「ボケ」の関係と書いただけで、バタイユとは一言もいっていません。
たしかにバタイユからの引用ですね「非知」は。だけど、「非知」=「ボケ」とも
言ってないですよ、私は。%氏はバタイユがソースですよねっていってますが、だから?と
私は聞きたいですね。だから何なの?って。私はだから何なの?の部分を説明しただけです。
バタイユ的な「非知」を持ってきた、吉本はボケのレベルであって、四人称も近いと。

3・内在と超越は、第四人称のレスで、もう言い過ぎたぐらいいいましたけど?思想性と小説方法論
の境界がわかんないし、第一それを分ける意味が見出せないですね。

4・「現前」とそれによって抑圧された横光の痕跡(まあエクリチュールでもいいですが)は何かって
ことですよ。脱構築とか別にいう話でもないですから。横光の忠実な「再現」によって無視される
政治性はどうするのってことだけです。ここでも、バタイユと同じ疑問ですね。デリダですね、だから?

5・ヘーゲルの「自意識」も二重性を帯びてるよw「必ずしも〜」って反論になってないですねw
私はヘーゲルの自意識論が「第四人称」を読み解くのに、有効だって言ってるんで、自意識が
「かならず」ヘーゲル的かを言ってるのではないです。でもだったら自意識とはなんでしょうね?
824627:04/10/20 17:18:21
素朴な疑問なんですけど、%氏はまったく自身が示した/他人が示した論
の内容に対する、自身のスタンスを示さないと思うんだけど、どうかな?
九鬼の話にしたって自分でしておいて、答えないじゃない?それってどうか
なあと思うよ。「内在」「超越」の問題もべつに「哲学的概念」って言う必要ないでしょ?w
第四人称レスでこの問題はかなり言ったはずなんですけど、また振出ですか?

九鬼の「偶然」を持ち出すのは「あながち」たしかに空想ではないかもしれないですね。
だからどういうふうに?どう空想じゃないの?
825:04/10/24 22:14:10
>>824
九鬼の話を「答えないじゃない」と書いているけれども
>>818を読んでもらえばわかるように下記のように書いている。
 >今度折をみて書きますが、その前に「新感覚論」を経由することにしましょう。
なぜ「新感覚論」を経由したほうがいいのかといえば、
これが横光の最も哲学的な作品だといえるだろうし、
横光と哲学(あるいは京都学派)の関係を探る上でも有益だろうと。
で、>>818>>805への返事だけれど、>>805は627さん?
826:04/10/24 22:16:41
>>824(つづき)
私見や基本的スタンスについては
>>669>>677-678>>680>>713-716などのレスを参照。

四人称と偶然性については
>>739-741を参照。

で、なにか質問や異論があればぜひ。
827:04/10/24 22:20:23
>>823
まず、AとCについていえば、
「非-知」とか「現前性」「エクリチュール」という言葉があったので、
バタイユやデリダがどう関係するのかな? と興味が沸いたわけで、
627さん言及の「ボケ」について「ツッコミ」を入れる形になったけれど、
ほとんど関係がないようなので、それ以上の話題ではなく。

で、当方の質問や異論が的外れだと感じられるのであればスルーで。
828627:04/10/25 02:40:18
>>825-827
デリダは、たしかにことさら関係ないね。ただ、忠実な再現、横光の本当の
「姿」を「再現」することが、政治的なものを抑圧してませんかってことだから。
で、やっぱり抑圧してるんじゃない?

「ボケ」はバタイユ的なものとはまったく違うって意味で関係してるんだよw。じゃあなんで吉本が
「非-知」なんていっちゃうのかわかんなくなるじゃない、スルーしちゃったら。
関係あると思って%氏がバタイユは出したんだろうから、その関係あるだろうって立場を
示してくれれば全然、いいんじゃないでしょうか。そのツッコミみてみたいですよ。

吉本は「非知」がそういう純文学-通俗小説という二項対立を「非知」ていうか、空からの目から
崩してると思って話してるけど、実際はその二項対立を包括してしまう新しい空虚な主体-ボケ
に過ぎないっていうことなんじゃないかな。バタイユの非知が弁証法を破壊するについては
>>813のとおりで、吉本とは違う。

いや、新感覚論経由するのはいいけど、九鬼の名前出したんなら
九鬼とどう関係したかは皆聞くし、そこから行くべきかと。
>>739-741がどう九鬼と結びつくの?探る上で有益かどうかは>>630
が京都学派を提示した時からわかってるはずだと思うけどね。

それと>>805は私ではないですよ。発言はすべて627でおこなっています。
829627:04/10/25 02:42:55
「小ブル〜」は、単行本ですから、アマゾンなどで検索すれば買えるし、
図書館にもあるかと思います。古本でもあるだろうね。
830:04/10/27 23:10:41
>>828-829(627さん)

A)横光をその作品によって再評価することが、
どういう「政治的なものの抑圧」になるのだろうか?
その「政治的なもの」を具体的に聞きたい。
 >つまり「現前性」がつねにエクリチュールを抑圧したように、
 >横光の再現は、何を抑圧しているか。
上のように627さんは書いてましたが、むしろこう言いたい。
「政治性」を持ち出すことによって抑圧されているのは、
横光のエクリチュールのほうなのではないか、と。
だから、横光作品のどういう部分に「政治的なもの」を見るのかを
具体的に指摘しなければならないと思う。

B)前にも書いたように「非-知」という言葉を627さんが出したから
バタイユという名前を出してみただけで、デリダもバタイユも関係なければ、
「ボケ」や「非-知」という言葉もここではほとんど関係ないと思う。
また私見では、「弁証法」や「現前性」という言葉もたいした意味はないと思う。
宮沢賢治との関係性についてもかなり稀薄なのではないだろうか。
831:04/10/27 23:20:00
C)「純文学にして通俗小説」という多くの評論家が取り上げる言葉は
前に「純粋小説論」についてのレスで書いたように
横光にとってあまり重要性がないと思うし、
「二項対立」という図式はもっていなかったと思う。
>>680で既に書いたことを再び持ち出せば、
>二項対立図式であれこれ考えたって無駄ですよ、
>もっと異なる次元で(すなわち小説方法論としての純粋小説論)考えたらどう?
という視点が横光「純粋小説論」の核心だろうと思う。

>>805とは別人ならば、九鬼について質問をしたのは805さんなので、
まず805さんの意見もいろいろ聞いてみたい。
その上で九鬼や「新感覚論」の話題へと。

「小ブル〜」はスガの本でしたか。どうも。
832:04/10/27 23:21:11
吉本の『悲劇の解読』の話題にからめて少し。
これはなかなか読み応えのある横光論だったけれど、
ちょっと「悲劇」に焦点を合わせすぎたきらいがあるのはやむなし。
長篇より短篇を評価する吉本には同意だけれども
個人的には「実験性」を評価したいな、と。

劇中劇という入れ子構造を用いた「愛の挨拶」はメタフィクション的だし
非人称的カメラアイによる描写を用いた「蝿」はヌーヴォーロマン的といえる。
こうした新感覚派時代の横光のエクリチュールの実験性を。
833吾輩は名無しである:04/10/27 23:51:28
吉本は電波だからスルーで。
834吾輩は名無しである:04/10/27 23:52:09
読んでて伝わってこないのよ。熱が。体温が。どっか冷めてるよね。
おはなしになりませんよね。
835吾輩は名無しである:04/10/28 00:05:51
それが零度のエクリチュール。

個人的には小森陽一の横光論(『構造としての語り』第五章)が重要だと思ふ。
836627:04/10/28 01:26:39
>バタイユという名前を出してみただけで、デリダもバタイユも関係なければ、
>「ボケ」や「非-知」という言葉もここではほとんど関係ないと思う。
>また私見では、「弁証法」や「現前性」という言葉もたいした意味はないと思う。
>宮沢賢治との関係性についてもかなり稀薄なのではないだろうか。

あのー、何でこうなのかの「説明」を延々と、私は求めてるんだよね。
%氏はただ逃げ回ってるよね、視点変えながら。それって、私がどん
だけ説明したって駄目そう、ずっとはぐらかせてるんだもの。何で宮沢
と希薄なの?私は一応説明できるけど、それもやめ。だって私だけ
説明してるんだもん。
引用では、「〜ではないだろうか。」「〜思う」連発だけど、じゃあ、何でそう思うの?
と聞きたいけどもう聞かない。結局違うこと話し出しちゃうからね。
837627:04/10/28 01:29:44
>「政治性」を持ち出すことによって抑圧されているのは、
>横光のエクリチュールのほうなのではないか、と。

それはないね。横光の真の姿、「再現」を%氏自身求めてるじゃない?
横光にとってそれは大事だったとか、どうであったとか。%氏は
横光の意志を忖度してるじゃない、その意志こそ現前性でしょ。
そして、その作家像の再現こそ、政治性の隠蔽なんだよ。
%氏のそのやり方だって十分政治的なんだよ?わかってるかな。

「政治的な具体的なもの」の指摘といってますが。これも振り出しかなw
戦争と第四人称って私は説明したよね。自分説明しないで逃げ回って
人にだけ説明責任っておかしくない?
838627:04/10/28 01:33:03
>横光にとってあまり重要性がないと思うし、
>「二項対立」という図式はもっていなかったと思う。

全部「思う」で説明できるなら何でもありだねwしかも横光における弁証法
について論じられるのは普通良くあるんだけど、無視なんですねw

ということで、627はしばらく様子見させていただきますね。ただ、乗りたい話には
乗っていきますけど。こういう討論形式から一度離脱します。

ただ、懸念されてるような自演wは決してしてません。以後も627です。
839627:04/10/28 01:35:54
630氏も気になさらず、書き込んでください。

迷惑かもしれないけど、乗ってくかもしれませんのでw
840吾輩は名無しである:04/10/28 01:35:58
ちと横レス。

%氏は政治性が横光のエクリチュールを抑圧すると言ってるが、
政治性を持ち出すことで抑圧されるものなんてせいぜい
「文学」の独自性みたいなどーでもいいものに過ぎないんじゃないの?
作品内の具体的な指摘ってのは当然重要だとは思うけど、
そこに拘泥して「政治性」を消すのは結局「文学」の失地回復運動に加担するだけじゃ?

あと%氏が吉本の『悲劇の解読』を持ち出してスガの話と絡まったから
非―知とボケの問題になったと俺は思うんだが、だったら%氏は少なくとも
スガの本を読んでみて応答すべきだと思うよ。スガの本が良作か愚作かは
また別レベルの問題として。

二項対立図式については、仮に横光がそのようなものを否定していたとしても
彼の「第四人称」の設定自体が二項対立を喚起し、それを内包してしまうって
いう問題をどう見るかって話だと思うんだが。「小説方法論」と「二項対立」とは
別に齟齬をきたすものではないだろうし、むしろ二項対立図式を喚起させるような
問題設定が「小説方法論」として出された、ってことが問題なんでしょ?
例えば>>832で触れている非人称的カメラアイなんて、結局いかに全てを記述
するか、っていう全体小説的概念とアナロジーを結ぶわけで、それが近代の超克
の問題と繋がるわけではないの?

横槍なのに長レスでスマンね。
841627:04/10/28 01:48:57
お、4秒後にレスかぶってるw奇遇だなあ。

激しく同意。と自演ぽく書いてみるレス。

このレス読んだら、自演と間違われてもいい!w
842吾輩は名無しである:04/10/28 19:05:02
627は感情に訴えかけるスガ信者だからスルーで。
wの使い方に注目。
843627:04/10/28 23:40:02
ふうむ。
やっぱ自演やら、信者やら、弱ってくるとたたかれちゃうねw(w←に注目らしい)

ということで、ちょっとロムにまわったほうがいいのかもなあ。

では、また!
844:04/10/29 01:38:30
>>838
あなたがそのような態度にでられるのでしたら、
私としてももう言うべきことはありません。さようなら。
845% ◆VYxLrFLZyg :04/10/30 14:51:58
>>844
わたしになりすませてレスしてるのはわたしのファンかな?
こういう手合いがいつか現れるだろうとは思ってはいたけどね。
846% ◆VYxLrFLZyg :04/10/30 14:52:30
>>836-838
 >何でそう思うの?と聞きたいけどもう聞かない。
 >結局違うこと話し出しちゃうからね。
「ボケ」についての具体的な「説明」がないから、そのテーマを尊重し、
いくつかのレスを留保していたまでで、きちんとした質問にはもちろん応答するよ。
>>805の2行レスへの返事は>>818の応答で充分)
あなたが「説明」したと「思っている」ことは
具体性に欠けていて「説明」になっていないと「思う」。

この間は「思う」をあえて連発したけれども
評論家に頼らない私的読解の提示の仕方として
「わたしはこう思う」「わたしはこう考える」という以外にないわけでね。

まあ、去るものは追わず、の主義なので、このへんで。
847% ◆VYxLrFLZyg :04/10/30 14:53:12
>>835
 >小森陽一の横光論(『構造としての語り』第五章)が重要だと思ふ。
こういう具体的なレスはありがたいね。
できればポイントをもう少し書いてくれるとうれしい。
848% ◆VYxLrFLZyg :04/10/30 14:58:29
>>840
これまで政治性について出されてきたのは抽象的な思想用語ばかりで、
横光の作品からの引用、言及がまったくなされていないわけですね。
抑圧されるものは、「文学」の独自性、というよりも
横光のエクリチュールの「特異性」といいたいわけです。
 >作品内の具体的な指摘ってのは当然重要だとは思うけど、
その「当然重要」であるべきところがこれまでスポイルされているから、
横光のエクリチュールが抑圧されている、と書いたわけです。
それがスポイルされてなければ勿論「拘泥」するつもりもないわけで、
名前が出される評論家に対しても同様で具体的な参照がない。

 >吉本の『悲劇の解読』を持ち出してスガの話と絡まったから
 >非-知とボケの問題になったと俺は思うんだが、
前のレスを読んでもらえばわかると思うけれど、
流れは、627氏が「非-知」と「ボケ」という用語をまず持ち出し、
わたしが吉本の名前を出したところ、『悲劇の解読』の書名が出たわけで。
840氏の把握はちょっとずれている。
そして、吉本の「ボケ」についても『悲劇の解読』についても
名前が出されただけでまったく具体的参照がなされていないわけですね。
849% ◆VYxLrFLZyg :04/10/30 14:59:27
>>840(つづき)
 >二項対立図式については、仮に横光がそのようなものを否定していたとしても
 >彼の「第四人称」の設定自体が二項対立を喚起し、それを内包してしまうって
 >いう問題をどう見るかって話だと思うんだが。「小説方法論」と「二項対立」とは
 >別に齟齬をきたすものではないだろうし、むしろ二項対立図式を喚起させるような
 >問題設定が「小説方法論」として出された、ってことが問題なんでしょ?
そうした意見はわからなくもないですが、
まず「二項対立図式」というものを具体的に設定しなければならないでしょう。
たとえば「純文学と通俗小説」という二項対立図式に関しては
その図式の外で純粋小説の核心である「小説方法論」としての「四人称」があったわけで、
その「自分を見る自分」である作家の四人称的自意識についていうならば、
これは一人称にも三人称にもくっつきうるものでありながら、
ヘーゲル的な主と奴の弁証法的図式に収まってしまうものではなくて、
分裂を抱えたままの自意識という視点があるのであって、
これは二項の間に宙吊りにされているということになるわけです。

私見では、実はこの「二項間の宙吊り」ということに
九鬼周造の思想を絡めてみたいと思っているわけですが、
両者の「偶然性」との関係も含めて。
850% ◆VYxLrFLZyg :04/10/30 15:00:05
>>840(つづき)
 >例えば>>832で触れている非人称的カメラアイなんて、結局いかに全てを記述
 >するか、っていう全体小説的概念とアナロジーを結ぶわけで、それが近代の超克
 >の問題と繋がるわけではないの?
非人称的カメラアイが全体小説的概念とアナロジーを結ぶというのであれば、
そのことはロブ=グリエについても当てはまるということになりますか?
実際に横光の「蝿」という作品を読んでもらえれば、
そこに「全体小説的概念」を見出すのは難しいと思いますが。
851840:04/10/31 01:31:27
>>848-850
酔っ払ってちとボーっとしてますが、レスを頂いたんで。
>その「当然重要」であるべきところがこれまでスポイルされているから、
>横光のエクリチュールが抑圧されている、と書いたわけです。
このスレに関して言えば確かに具体的な小説に対する言及はないかもね
俺の場合は、既存の横光論を踏まえたうえでのこのスレでの「政治性」という問題
と考えたんで、別にそれは抑圧的には働かんだろう、と思った。
あと、やっぱ「エクリチュールが抑圧される」って表現はどうかと思う。
エクリチュールってそんなものではないのでは?「政治性」だってエクリチュールでしょ。

「非―知」と「ボケ」の話についてはあなたの言う通りかも知れん。スレ読み返す元気が
ないんで留保。

>たとえば「純文学と通俗小説」という二項対立図式に関しては
>その図式の外で純粋小説の核心である「小説方法論」としての「四人称」があったわけで、
このスレの議論では、四人称は決して図式の外ではないということでは?

>ヘーゲル的な主と奴の弁証法的図式に収まってしまうものではなくて、
>分裂を抱えたままの自意識という視点があるのであって、
うーん、そもそも分裂する自意識というのが弁証法の前提であるわけで
>私見では、実はこの「二項間の宙吊り」ということに
>九鬼周造の思想を絡めてみたいと思っているわけですが、
ここがどうしても引っかかる。九鬼の思想を絡めることには同意だが、そもそも九鬼の
思想を考えるならば京都学派の問題も生じるわけで、そうするとやっぱり弁証法の問題は
考えざるを得ないのでは? これはまあハイデガーの存在論も当然関わるだろうが。

カメラアイの問題については、既に出た小森も含め、様々な論(映画的手法とか)が提出
されていると思うけど、果たして例えば「蠅」に見られる「カメラアイ」と%氏が挙げた
ロブ=グリエの「カメラアイ」とを同列に論じていいかが問題になるのでは?ロブ=グリエ
を出すならば、例えばプルーストはどうなるのか?とか話が広がってしまうが。
852840:04/10/31 01:57:32
ロブ=グリエと横光のことについてさらに書きたく。

横光の「蠅」などの視点の問題は極めてモタニズム的な問題では?
それは、ある一点(誤解を恐れず言えば一人)からの言表行為がうまく
いかないことを踏まえたうえで、様々な言表主体を導入していく作業だと思う。
それは例えば「頭ならびに腹」(だっけ?)における、連続する運動をどう記述するか
って問題だろうし、だからこそ同時代において(あるいは少し遅れて?)プロ文も
その文体に似てくるわけだよね。
でもそこでは、少なくとも記述(言表)行為は最終的にうまくいくことは疑われていないのでは?
ここら辺の知識は浅いので批判を頂ければ幸いだが、つまり横光などの「カメラアイ」の
問題は、しばしば批判されるところのキュビズムとの相同性において語れるのでは?
(だからこそこの問題は4人称に絡むはずだろうし、全体小説に絡むと考えた)

ロブ=グリエなどの場合、そうした言表機能の無効の後においてとられる手法だと思う。
もちろんその問題がどこまで提出されたかはまた別のレベルの問題。
だからドゥルーズのプルースト論を念頭に置いて、プルーストの問題を出してみた。
853吾輩は名無しである:04/11/02 23:37:11
>>852
言いたいことは分かるが、それにしてもプルースト出さんでもいいと思うが
854:04/11/06 00:34:34
>>851-852
@エクリチュール
エクリチュールって言葉は前の文脈の流れだからね。
ただ、横光は、作品は作者の手を離れて生きるということを語っていて、
たとえば、「作者の死」のロラン・バルトなんかを引き合いに出せば、
エクリチュールという言葉も関連性を出す事はできるかもしれない。

A既存の横光論
で、「既存の横光論を踏まえたうえで」というとき、
たとえばどのあたりの横光論を前提しているのかな?
小林からスガまでいろいろ名前は出ているけれども。
まずそれを聞きたいと思った。

B純文学と通俗小説
これについての私見は>>677-680を参照してみてほしいな。
855:04/11/06 00:35:17
C京都学派の問題
これは横光がどこまで京都学派の哲学にどの程度親しんでいたかという問題で、
よくはわからないけれども、「新感覚論」と「純粋小説論」の差異がヒントになるかな、
と思ってるけれども、西田、田辺、三木、和辻、九鬼の間にも差異があるわけで。

Dカメラアイ
横光の「蠅」とロブ=グリエ『嫉妬』を比べてみれば
もちろん同じ「カメラアイ」でもかなり異なってくるわけだけど、
だからこそ、
 >非人称的カメラアイなんて、結局いかに全てを記述するか、
 >っていう全体小説的概念とアナロジーを結ぶわけで
というふうには簡単に言えないわけで(「蠅」が巨視的というわけでもない)。
「すべてを記述する」ことよりも「人称=主体の消去」に注目できると思う。
856:04/11/06 00:35:58
E初期短篇:「蠅」「頭ならびに腹」
「様々な言表主体を導入していく作業」「キュビズムとの相同性」
この2点がピンとこなかった。ピカソやブラック
そうした用語に不慣れなのでもう少し補足・解説してくれればなと。
 >記述(言表)行為は最終的にうまくいくことは疑われていないのでは?
この点はそうかもしれない。横光も短篇には予定調和的でない偶然性を認めていないし。
シナリオのト書きのような「真昼である。」の書き出しで始まる「頭ならびに腹」もまた、
映画=活動写真の影響がある作品でしょう

Fプルーストの問題
横光スレでドゥルーズのプルースト論が出てくるとは意外!
これもどう絡んでくるのかちょっと興味があるんで聞いてみたい。
857840:04/11/06 16:09:41
>>854-856
気になった点だけ幾つか。

「政治性がエクリチュールを抑圧する」という言葉の問題については、気になったんで触れた
だけなんだけど、デリダを経由した(らしき)近代文学研究が、なんでカルスタにいったのか
考えれば、むしろエクリチュールって問題が提出されたから文学テクストの政治性を考える
必要性が生じた、ってするほうが自然では?と思うのだが。ま、カルスタが政治性を本当に
考えてるかどうかはさておき。

横光のカメラアイとキュビズムの相同性は、モダニズム的志向の連関で考えた。
言うならば、色んな視点から物を見ればモノ自体を捉えられるかもしれないよね、みたいな。
キュビズムに対する知識は足りないんで(だったら言うなよ、俺w)、この考え方が
間違ってるようならば指摘いただければ。

人称=主体と言えるのか?主体のあとにはilが来るのかもしれんが、横光が仮に人称を
消去しようとしたとして、それで主体は消え去るのか?それが可能なら、何故大西巨人は
戦後、人称問題にあれほどまでに拘らなければならなかったのか?

あんまりレスになってない気もするが、取り急ぎ失礼。
858:04/11/07 20:21:02
@政治性とエクリチュール
以前から主張していることは、作家の政治性をいうのであれば、
エクリチュールや作品読解の次元を抜きにはできない、ということであって、
それをスポイルしてしまえば作家の生き方とか人格とかの問題になる。
作品読解を経由するならば、政治性でもなんでもOKだということであり、
それを前提にしているなら「文学テクストの政治性を考える必要性」は納得できる。

A横光のカメラアイ、および人称
大西巨人の問題はさておき、まず「人称」という言葉に注目すれば、
それが「書き方」の問題であり、小説方法論であり、形式の問題だといえるし、
つまりは、視点の問題だといえるわけだけれども、「蠅」や「頭ならびに腹」では、
その非人称的カメラアイによって唯物論的描写が目指されている。
「頭ならびに腹」の「小僧」の位置に、「蠅」の「眼の大きな一疋の蠅」がくる。
小僧=蠅=作家(横光)という見方を誰かがしてたと思うけれども、
それは悪しき解釈になってしまうと思う。
859吾輩は名無しである:04/11/10 12:36:39
唯物論的描写ってことの説明キボン。
860:04/11/11 23:48:21
>>859
映画の影響を受けた「蠅」などのいくつかの横光作品は
非人称的でドライな視点(カメラアイ)があって、
主体(見る人)の感情を排し、その存在感も稀薄で、
対象に余計なイメージを与えないようなスタイルになってる。

とはいっても、横光にはいろんなスタイルの作品があるけれども。

横光自身も「唯物論的」という言葉を使っていて、
(例えば、「文字について」や「新感覚派とコンミニズム文学」など)
その場合はプロレタリア文学との関係を文脈としてる要素が大きい。
≪本当に唯物論的なのは新感覚派だよ≫と言いたいようだね。
861吾輩は名無しである:04/11/12 01:00:36
それと『上海』の当初のタイトルである『唯物論者』は
どう絡みますか?
あるいは『上海』中の「物理主義者」は?
862吾輩は名無しである:04/11/12 15:39:21
非人称的なドライな視点、対象に余計なイメージを与えない視点って
もろリアリズムの文体じゃん、柄谷やら既出のスガやらその他諸々が既に言っているところの。
まあ%はそんなもんじゃない、って否定するだろうけど。(否定することを否定したいわけではなく、
否定するならば%自らが言うところの「具体的な」論述を見たいな、問いを横滑りさせずに)
新感覚派(の一部、横光含む)がプロ文より相対的に唯物論的だったのは同意。(作品と言うより
プロ文との論争からの判断で)
863吾輩は名無しである:04/11/12 15:48:54
>>862
蔵原との論争では、たしかに、蔵原のほうが観念的なんだよね。「精神」とか
いいだしてるし。でも、862のいうように、それもやはり相対的な問題で、中河
が偶然文学論でいうように、程度の差で、唯物的なんだよね。

そしてこの両者のモデルが福本なんじゃないかって流れなんだろうけど。
864% ◆uyLlZvjSXY :04/11/13 00:01:34
>>862
リアリズムの定義は? 論旨が明確でない以上反論も同意もできないわけで。
参考文献の引用でもいいよ。具体性がないものに具体的に応答するのは無理だから。
単に「リアリズム」といってもかなりアバウトな概念だし、
できる限り作者の主観性を削り、無駄を排したリアリズムもあれば、
全てを「私」という作者の視点で描写していく自然主義的なリアリズムもあるからね。

860で挙げた「文字について」「新感覚派とコンミニズム文学」をまず読んで、
まずは自分なりの読解なり意見なりを提出してほしいところだけれども、
「非人称的なドライな視点、対象に余計なイメージを与えない視点」というのは、
「蝿」を文脈にした言葉で、新感覚派としての横光の言葉に
「自然の外相を剥奪し、物自体に踊り込む主観の直感的触発物」(「新感覚論」)
というのがある。「文字と感覚」などでも≪言葉の物質性≫という形で敷衍。

で、次にプロレタリア文学との関係における『上海』について。
865% ◆uyLlZvjSXY :04/11/13 00:03:00
>>861
プロ文との関係で重要な作品は確かに『上海』で、そして「機械」ですね。
横光が考えていた題は『ある唯物論者』じゃなかったかと思うけど、重要な示唆です。
『上海』では紡績工場(「機械」ではネームプレート工場)を舞台にしながら、
政治や革命、そして共産党員の中国女性との恋も描かれていて、
プロ文陣営に向け≪きみたちはここまで書けたかい?≫といいたげ。
そして上海という都市や異国人の描写に新感覚的な筆の冴えが見られると思います。

で、次にプロ文との論争について。
866% ◆uyLlZvjSXY :04/11/13 00:04:06
>>863
新感覚派とプロ文との論争は結局「形式と内容」が焦点ですね。
@横光らの新感覚派・・・形式>内容、芸術的価値、文学の革命
A蔵原らのプロ文・・・内容>形式、政治的価値、革命の文学
ロシア・フォルマリズムの文献も充分に紹介されていなかった時代に
横光はフォルマリスト的観点を強く持っていたわけです。
それが言葉の物質性という唯物論的な視点に結びついてくる。

「文学の形式とは文字の羅列である。文字の羅列とは、文字そのものが容積を
持った物体であるがゆえに、客観物の羅列である。」(「平林初之輔氏の形式論」)
867吾輩は名無しである:04/11/13 01:24:38
>リアリズムの定義は? 論旨が明確でない以上反論も同意もできないわけで。
>参考文献の引用でもいいよ。具体性がないものに具体的に応答するのは無理だから。
>単に「リアリズム」といってもかなりアバウトな概念だし、
>できる限り作者の主観性を削り、無駄を排したリアリズムもあれば、
>全てを「私」という作者の視点で描写していく自然主義的なリアリズムもあるからね。
こっちとしては柄谷とかの名前を出した時点で一応定義したつもりだったんだが
「作者の主観性を削」った<かのように>見せることで、逆説的に「私」という作者の視点を
充足化し得るものとして提示するのが「自然主義的なリアリズム」なわけで。
自然主義は基本的に三人称で描かれるものなんだから。
868吾輩は名無しである:04/11/13 02:18:58
お前らまだやってたのか。少しレスを読めば%が
>単に「リアリズム」といってもかなりアバウトな概念だし、
>できる限り作者の主観性を削り、無駄を排したリアリズムもあれば、
>全てを「私」という作者の視点で描写していく自然主義的なリアリズムもあるからね。
みたいなことを何のためらいもなく言うただの馬鹿って分かるだろうに
わざわざよく付き合うなw
869% ◆uyLlZvjSXY :04/11/13 21:36:55
>>868
それはわかったから(微笑
とりあえずきみの横光についての意見は?
「ただの馬鹿」以上の知性を披露してくれ。

>>867
で、さらに具体的につめていくと、867の意見は
 >作者の主観性を削ったかのように見せることで、逆説的に
 >「私」という作者の視点を充足化し得るものとして提示する
ところの「自然主義的なリアリズム」を
横光作品「蝿」に見出せる、という意見でいいのかな?
870横やり:04/11/14 22:49:38
『蠅』に自然主義描写的なところがあると私は卒論で書いた
871% ◆uyLlZvjSXY :04/11/15 00:45:47
>>870
このスレでは横光作品への具体的言及が少なかったので、
そろそろ他の作家スレへの移住を考えていたところ、
横光を卒論にした人が通りがかるとはなんとラッキー。
―きっと私よりも横光に詳しいに違いない。
ぜひ「蠅」論のさわりを。

「日輪」「蠅」は新感覚派時代の記念碑的作品だから、
多くの評論家が論じているし、菅野昭正を含め、
きっといろいろな文献も読んでいることでしょう。
872吾輩は名無しである:04/11/15 01:19:51
>>871
君も具体的に言及してないだろうよw
ほんとうに、独善的だよな。

よこやり、は%の読解への批判だろ。ちゃんと答えてやれよ。
873吾輩は名無しである:04/11/15 13:27:49
870のどかが批判なの???
874吾輩は名無しである:04/11/15 22:07:49
%が述べるような横光の人称に対する態度が、結局は自然主義リアリズム
とそれ程変わるものではない、ってことなんじゃないの?
よこやりに横槍入れた>>872にさらに横槍入れてみた。
横光は自然主義を否定した、とかいう文学史的な<事実>はどうでもいい。
875吾輩は名無しである:04/11/15 22:53:58
岩波の「日輪・春は馬車に乗って」が欲しくて買いに行ったが無かった。
がっかりしたけど、自分以外にもこの本を読みたい人がいたんだと思い、
少しうれしかったりして。周囲に横光好きいないし。ていうか知ってる人も(ry
もしかしたら最初から入荷しなかっただけかもしれないのだけど。
876吾輩は名無しである:04/11/16 00:15:18
岩波はなぜかコンスタントに出してるよね。
ちょいまえは上海もだしてたし。
でも、文庫の充実度でいけば講談社文芸文庫だろうね。

アマゾンで探せばたぶんすぐに手に入るよ。
877% ◆uyLlZvjSXY :04/11/16 00:55:47
>>872
横やりの横やりのきみだったら>>870の横やりの
 >「『蠅』に自然主義描写的なところがあると私は卒論で書いた
という一行にどう返事をするんだい?(微笑
まあ、それはともかく、きみは横光のどういうところに興味を抱いて
このスレに寄ったのか聞いてみたいね。

>>873
同感。でも870の横やり氏のレスをもう少し待ってみようかな、と。
878% ◆uyLlZvjSXY :04/11/16 00:58:05
>>874
横やりの横やりの横やりのきみ自身はどう思っているのかな?
わたしも「自然主義を否定した、とかいう文学史的な<事実>」じゃなくて、
「蠅」という作品のどういう部分に「自然主義的リアリズム」があるのか、
という具体的レスを>>864以降求めているんだけど、
横やりの連鎖反応ばかりで(微笑)、残念ながらいまのところ応答がないんだよ。

>>875
青空文庫ならば無料でかなりの横光作品が読めるね。
「頭ならびに腹」「静かなる羅列」「機械」「時間」「春は馬車に乗って」や、
「鳥」ならびに「蠅」も読める。
879% ◆uyLlZvjSXY :04/11/16 00:59:45
みんなもとりあえず青空文庫で「蠅」を読んでみてよ。
そして、蝿への視点蝿からの視点、ズームインとズームアウト、といった
不定のカメラアイの視点の移動を実際に体験しておくれ。

「真夏の宿場は空虚であった。ただ眼の大きな一疋の蠅だけは、
薄暗い厩の隅の蜘蛛の巣にひっかかると、後肢で網を跳ねつつ
暫くぶらぶらと揺れていた。」(「蠅」冒頭)
880吾輩は名無しである:04/11/16 03:15:58
>>878
必死だなw

常に質問返しで自分は全く答えない。
そして最後は「みんなよんでみてよ」かよ。

ごまかしばっか。
881吾輩は名無しである:04/11/16 09:44:58
結局パーセント氏以外の人は横光の作品に言及してないんだよね。
横槍ばっかりでw
882840:04/11/16 10:42:43
名無しさんのレスが続いてるんで一応署名。
>>863
福本ってのはスガが論じた流れ上ってことなのかな?
福本が切り捨てられたことと、蔵原らのなんちゃってフォルマリズム、
横光が「文学の神様」と称されたことに、何か通底するものがあるのかね、よう分からん。
ここら辺はあなたと>>862氏を待つ必要がありそうだ。
>>879
数多の名無しさんの真意は分からんけど、%氏がそこで引用している箇所にも
自然主義との相同性を見出すことは可能だよ。不定のカメラアイ(ズームイン&アウト)
の手法で横光を語る論は結構あるが、自然主義だって決して定点から見るわけでは
ないよね。(だから一元描写論なんてのが出てくるわけで)
自然主義の目論見が現前性の確保ってことならば、引用した箇所の視点の移動は、
正に現前性の確保の欲望となるのでは?(巨視的か否かってのが問題なのではなく、
そうした視点の移動が、全てを見ようとする欲望と繋がる可能性を有している、ということ)
もちろん、『蠅』のそのような描写を単に現前性の一言で片付けたいわけではない。
実際、そうした視点の移動は際限がないわけだし、横光の文体も、現前性を切断しよう
とはしている。でも、自然主義であってもそのような際限のなさ(散文的なキリのなさ)
はあるわけだから、そういう観点で考えれば、横光の『蠅』なんかは近代の散文(自然主義)
のリミット、とも言えるかもね。

んで結構前から言われている問題に還元すれば、そうしたリミットの行き着く先に
第4人称の問題が提出されるのでしょう、多分。
883吾輩は名無しである:04/11/16 16:31:25
884% ◆uyLlZvjSXY :04/11/17 21:50:56
>>880
それはわかったから(微笑
きみは横光の何に興味があってここに寄ったのかな?

>>881
同感。あまりにも同じパターンのレスが多くて。

>>882
横光「蠅」に「自然主義との相同性を見出すことは可能」という視点、
そして、「自然主義の目論見が現前性の確保ってことならば」という仮定、
その仮定に基づく「現前性の確保の欲望となるのでは?」という問い、
あるいは>>852で触れていたドゥルーズのプルースト論の援用も含め、
これらについて840氏が探っていきたいというのであれば、
同意はできないが、茶々を入れるつもりもないから頑張ってみたらいいと思うよ。

ところで、ひとつ質問。
840氏が「近代の散文(自然主義)のリミット」を超えたと考える作家/作品は?
885% ◆uyLlZvjSXY :04/11/17 21:51:47
以上、というのもなんだから、私見を投げ出しておこう。
横光「蠅」は、田山花袋「蒲団」や島崎藤村の作品よりも、
ロブ=グリエの「覗くひと」「嫉妬」とのアナロジーで読めるし、
自然主義が私小説の母体となったことからもわかるように、
「私」という一人称の視点(一元的)に結びついていくのに対して、
横光「蠅」における非人称の不定の視点=カメラアイというのは、
蠅を描写していたかと思えば、今度は蠅からの視点にもなり、
対象と交換可能なフレキシブルな流れる視座を獲得してるから、
「蠅」や「日輪」が既存の文学に新しいスタイルを持ち込んだといえるし、
それを小林秀雄は「私小説論」で「新しい地平」と形容したわけだね。

特に小林は「日輪」がその決定的作品だとして、その「眼の獲得」を賞賛してる。
886吾輩は名無しである:04/11/17 23:28:24
頑張ってみたらいいと思うよ、って随分高飛車だね
んで私見が>>885なんだからなあ
%はもう一度(ていうか繰り返し)840のレスを読み返してみな
君が言う横光の「新しいスタイル」「カメラアイ」ってのを「新しい」
と賞賛するのはまずいよ、ってことを言ってると思うんだけどね

まあこれに対するレスも「で、君の考えを聞かせてくれ」なんだろうけどw
887吾輩は名無しである:04/11/17 23:41:31
名無しに戻っちゃダメだYO!>886
888870:04/11/17 23:56:31
「自然主義描写」は言い過ぎた観もありますが、
私はあれをけっして人が言うような「カメラアイ」だとは
思ってません。
断片の集積というような感じで、コラージュという言葉の方が
私にはしっくりきます。
そして、その断片の一つ一つを切り離して考えてみると、
それらは「自然主義」的な内容と言えるのではないか、
と思っております。
「カメラアイ」というよりも、馬車を谷底に落とすことが
目的だったのではないかな、と。
で、周りの人々が「カメラアイだ!」とかなんとかいうから、
横光がその気になってしまったのではないかと思っております。
889870:04/11/17 23:59:01

 宿場の場庭へ、母親に手を曳(ひ)かれた男の子が指を銜(くわ)えて這入(はい)って来た。
「お母ア、馬々。」
「ああ、馬々。」男の子は母親から手を振り切ると、厩の方へ馳けて来た。そうして二間(けん)ほど離れた場庭の中から馬を見ながら、「こりゃッ、こりゃッ。」と叫んで片足で地を打った。
 馬は首を擡(もた)げて耳を立てた。男の子は馬の真似をして首を上げたが、耳が動かなかった。で、ただやたらに馬の前で顔を顰(しか)めると、再び、「こりゃッ、こりゃッ。」と叫んで地を打った。
 馬は槽(おけ)の手蔓(てづる)に口をひっ掛けながら、またその中へ顔を隠して馬草(まぐさ)を食った。
「お母ア、馬々。」
「ああ、馬々。」


--------------------------------
ここに一番強く「自然主義」を感じます。
890840:04/11/18 02:19:37
>>884-885
>横光「蠅」に「自然主義との相同性を見出すことは可能」という視点、
>そして、「自然主義の目論見が現前性の確保ってことならば」という仮定、
>その仮定に基づく「現前性の確保の欲望となるのでは?」という問い、
>あるいは>>852で触れていたドゥルーズのプルースト論の援用も含め、
>これらについて840氏が探っていきたいというのであれば、
>同意はできないが、茶々を入れるつもりもないから頑張ってみたらいいと思うよ。
いやまあ、別に横光研究やってるわけじゃないから、特に頑張る気もない、すまん。

>840氏が「近代の散文(自然主義)のリミット」を超えたと考える作家/作品は?
「リミット」って表現が何かネガティブに取られがちだが、別にそんなニュアンスを
持たせたかったわけではないよ。逆に言えば、リミットを越えることなど不可能
なのではないの?それが散文ってものだろうし。むしろ横光は、リミットを越えよう
としたからこそ、第4人称に行ってしまった気がするな。

例えば%氏が持ち出すカメラアイに関しては、横光と映画とを関連付けた論文が
私見のかぎり結構出されてることからも分かるように、重要な問題だとは思うが、
映画が何故文学者にとって衝撃的だったかと言えば、そうした手法の問題に加えて、
「カメラは全てを見ることが出来る」ってことだと思うんだよね。ズームイン・ズームアウト
もできるわけだし。近代散文のリミットは、現前性を欲望しつつ(仮にでもいいや)
代行=表象の際限のなさ、遅れに直面せざるを得ないってことだとすれば、
それを回収しようとして、カメラアイってものが提出されるのではないか、って思うんだ
けど(そのカメラアイが第4人称に接続するのではないか、というのは短絡的かもなw)

あとはまあ、個人的に引っかかるのが>>885の自然主義=「私」という一人称の視点
って所なんだけどな。花袋にせよ藤村にせよ、一人称小説は結構少ない。
891840:04/11/18 02:30:07
何か前のレスが長くなりすぎた、すまん。

>>886
いやまあ、別に高飛車とも感じなかったが。
カメラアイについては上に記したとおり。まあ確かに「新しい」と
捉えることには違和感があるかも。当時においては新しかったかも知れないが。
繰り返しレス読み返されるのは勘弁願いたい、粗が随分ありそうだしw

>>888-889
コラージュって表現は言い得て妙、って気がした。
断片の集積が拡散されるか回収されるかが問題なんだろうな。
>>889の引用部分とか、ここだけ見ると自然主義ももちろんだが
個人的には志賀の文章か?と思ってしまう。別にそれが良いとか悪いとかではなく。
892627:04/11/18 03:38:20
>>891
「御身」をはじめとして、初期に志賀の模倣だったのは有名。
893吾輩は名無しである:04/11/18 13:09:51
>879
青空文庫でハエ読んでみたよ〜。
たしかに映画みたいな感じ。
大正時代にもこんなのがあったんだな〜みたいな。
894吾輩は名無しである:04/11/19 00:33:18
『機械』やばいよ『機械』。
日本語としてギリギリのところでのあやうい綱渡り。
後藤明生の『機械』論は「移動する物語の中心」を眼目に論じたものだった
けれども、『機械』論のなかではかなり良い部類だと思う。

『蝿』。研究者の間ではカメラ・アイによる映画的手法が取られている、という
のが定説ですね。これを指摘したのは由良君美「『蝿』のカメラ・アイ」
(『横光利一の文学と生涯』所収、桜風社、1977)が最初で、それまでの
「蝿の眼」=「表現者の眼」(栗坪良樹『蝿』)といった読みとはまったく
違う読解の地平を明らかにしたものでした。
上のほうでも書いたと思いますが、小森陽一の「蝿」の映画性」(『構造として
の語り』新曜社、1988)は由良の論をふまえつつ、作品に内在化された「見る−
見られる」関係を、物語の枠内における「緊張」−「弛緩」間の意識の転換に着目
しつつ(つまりは構造主義的に)論じたものとしてたいへん重要なものです。

「・・・このような表現が生まれてきたのは、あらかじめ「解体してしまった<私>
の意識」に「対象は自然であれ人間であれすべて交換可能な相対性にすぎないという
認識が存在して」(吉本隆明『言語にとって美とは何か』第一巻、頸草書房、昭和40)
いたからではない。それ以前に、その意識にとっては違和としてしか存在しないよう
な外側の身体にやどる欲望にこだわざるをえず、むしろあるときは意識をも拘束する
外側としての身体こそ自己の実態ではないか、といった認識の転倒があったことを看
過してはならない。このような意識(内側)、身体(外側)という分離した自己意識(それ
を解体した<私>と呼ぶならそれでもいい)を媒介にしてはじめて、見る自分と見られ
る自分という文節が可能になるのである。」
以上引用(『構造としての語り』P451〜P452)
895吾輩は名無しである:04/11/19 00:39:49
失礼、引用に欠落がありました。(酔っているもので、すいません・・・)
正しくは、

「・・・このような表現が生まれてきたのは、あらかじめ「解体してしまった<私>
の意識」に「対象は自然であれ人間であれすべて交換可能な相対性にすぎないという
認識が存在して」(吉本隆明『言語にとって美とは何か』第一巻、頸草書房、昭和40)
いたからではない。それ以前に、人間を意識と身体に分離した存在として捉え、その
意識にとっては違和としてしか存在しないような外側の身体にやどる欲望にこだわざる
をえず、むしろあるときは意識をも拘束する外側としての身体こそ自己の実態ではないか、
といった認識の転倒があったことを看過してはならない。このような意識(内側)、身体(外側)
という分離した自己意識(それを解体した<私>と呼ぶならそれでもいい)を媒介にしてはじめて、
見る自分と見られる自分という文節が可能になるのである。」
以上引用(『構造としての語り』P451〜P452)
896吾輩は名無しである:04/11/19 14:54:11
>>894-895
『機械』は俺もいいと思う。
これまで出てきた現前性とか全体性の問題に絡めれば、
他の作品はともかく少なくとも『機械』はそれを切断しようと試みてるようだ。
>>882が『蠅』を近代散文のリミットって述べたけど、『機械』の妙な一文の
長さのほうがむしろ「リミット」っぽい。現前性をもたらそうとすればするほど
散文は長くなり、切断がもたらされる。

由良って人の論の存在は知らなかった。研究者の間では有名なんだろうね。
今度読んでみよっと。thx。
でも小森の論は、そのまんま疎外論だよなあw

そう言えば、前に映画批評やってる人に、映画批評におけるカメラ・アイって
実は意味が違うみたいなことを聞いたような気がするが、これは記憶違いかな?
897627:04/11/19 15:57:53
>>896
由良の父親は、旅愁のモデルになってるよ。
898吾輩は名無しである:04/11/19 18:46:46
いまだに現前性とか全体性とかいってるDQNハケーン。
899% ◆uyLlZvjSXY :04/11/19 23:31:25
>>886
最後の一行はきみの予想通りだよ。
同じパターンのレスには同じリターンで。

>>888-889
横光を卒論にした870氏は、実際に「蝿」を読んでの感想のようだから、
 >「自然主義」的な内容と言えるのではないか、と思っております。
というふうに感じるのは自由。同意はできないけれどね。
で、もっと本は読んだ方がいいよ。
>>894-895で引用された由良君美とか小森陽一とか。

>>890
840氏のいう「近代の散文(自然主義)のリミット」という言葉が、
 >「リミットを越えることなど不可能なのではないの?」
という問いを孕んだものであれば理解できるし、
その不可能性に対する横光の実験的姿勢(その成否はともかく)を
 >「リミットを越えようとしたからこそ第4人称に行ってしまった気がする」
と考えるのであれば同感。ジッド、ヴァレリー経由の自意識への道だね。
900% ◆uyLlZvjSXY :04/11/19 23:32:13
で、横光の実験的姿勢としては、いろんなものを応用/変形した点がある。
「蝿」に持ち込まれた映画的手法というのもそうだし、
「日輪」の生田訳サラムボオの直訳的文体というのもそうだし、
「新感覚論」におけるカント的概念もそうであれば、
「純粋小説」におけるジッドやヴァレリーもそうだろうね。
それは>>892で指摘されてるように、志賀などの既成の文学から、
横光が脱却しようとしたあがきもがきなわけで、
それが結実した作品のが「機械」になるだろう。
901% ◆uyLlZvjSXY :04/11/19 23:33:02
>>894-895
で、その『機械』なんだけど、やっぱヤバイ作品だね。
そして引用どうもありがとう! 引用箇所もすごく適切。
≪楕円≫的思考の後藤明生はさすが、横光の「機械」が
ひとつの中心を持つ構造ではないことをしっかり指摘してるし、
菅野昭正もまた「機械」における≪関係の相対性≫に言及(『横光利一』)。

その「新しさ」については小林秀雄がこう語っている。
「人々はこの作に新しい試みを見た筈だ。これは一目瞭然のことである。
(中略)成る程この作品の手法は新しい。併しそれは全々新しいのだ。
類例などは日本にも外国にもありはしない。」(「『機械』論」)
902% ◆uyLlZvjSXY :04/11/19 23:39:52
横光作品や横光論への具体的な言及が増えてきたのはうれしい。

『蝿』に関しては>>894-895で言及された
由良君美「『蝿』のカメラ・アイ」、小森陽一「『蝿』の映画性」は重要で、
また由良には『花園の思想』へのニュークリティシズム分析の試みもあるね。
903870:04/11/20 00:39:21
もっと本を読んだ方がいい、とのことですが、
私は「神馬」からの流れとしての「蠅」を考えているもので。
もちろん「カメラアイ」の論を意識した上で
卒論は書いたのですが、蠅がいったい何を見ているのか、
ということを中心に考えていきました。
で、あの馬を見ている子供が横光その人である、という形に
持っていったのですけれど。
904627:04/11/20 01:41:01
>>903
馬を見てる子供が横光かどうかはともかく、自然主義のコラージュっていうのは
正しいと思うよ。横光自身が言う「国語への屈服」はつねに初期からあったと思うよ。

カメラアイ批判は行なわれて当然だと思う。そうじゃなかったら追随するしかないからね、
そういう「常識」に。
905870:04/11/20 20:04:56
>904
その輪に加われない少年が後に『頭ならびに腹』の少年になるのではないかなと。

誰かの論を読みこなして、批評的に読んでいくということが
できないものでして。

こんな事を言うのも何ですが、私がこのスレッドの1です。
初期には自演もよくしたものでした。
皆様のおかげで900を超えることができましてありがとうございます。
最近はあちこちスレを見るようなことはしてませんが、
活発に議論が行われている優良スレになったのではないのかな、と。
スレッドを立てたのが早三年前。感慨深いです。
次のスレッドはどなたかにお任せします。
ではでは
906870:04/11/20 20:08:11
追伸

>「頭ならび
>に腹」の「小僧」の位置に、「蠅」の「眼の大きな一疋?>フ蠅」がくる。
>小僧=蠅=作家(横光)という見方を誰かがしてたと思>うけれども、

こういう意見もありましたね。
私は「小僧(少年)」「蠅」「横光」はイコールにならないイコールだと
思っております。
907吾輩は名無しである:04/11/22 18:44:28
>905
2001/07/18(水)から3年間で600レスだったのが、
そしてここ4ヶ月足らずで300レスを稼いでる。
スレ立て人としては感慨深いかもね〜。
908% ◆uyLlZvjSXY :04/11/22 23:14:25
>>903ならびに>>905-906
870氏は、それぞれの作品(「神馬」「蠅」「頭ならびに腹」)に
関連性をもたせた読み方をしているわけだね。
横光には子供が中心になる作品はいくつかあるけれども、
「蠅」においては子供を含む人間たちが馬車もろとも谷底に落ちてしまう。
さまざまな事情=ドラマを持つ人間たちを≪蠅の大きな眼≫は相対化してる。
じゃあ蠅が中心的存在かというと、そうした読み方は可能ではあるけれど、
蠅は≪観る存在≫であると同時に≪観られる存在≫でもあるから、
蠅もまた相対化されうる存在だといえるので、断定はできない。
それでは非人称の語り手=作者がそれらの様々な視点を司っているのか?
もちろんこれにも肯定的判断を下すことは一応可能であるにしても、
蠅からの眼で描写されている部分がある以上、これも断定できない。
909% ◆uyLlZvjSXY :04/11/22 23:15:12
(つづき)
こうして、語りや描写の視点が流動的で相対的である以上は、
作者は蠅だとも子供だとも馬だともいえない決定不可能を孕むし、
作品構造はひとつの視点=中心点をもつ正円ではなくて、
「機械」について後藤のいう≪楕円構造(中心が分裂した構造)≫、
もしくは、菅野がいう≪関係の相対性≫につながる作品形式がある。
と、こんなふうな読み方をしているんだけどどうかな。

で、卒論では「機械」についてはどういう扱いをしました?
910870:04/11/23 00:07:01
>908-909
ROMで居たいというのが、本音です。
作品論的な読み方が出来ないので、
皆様の書き込みで勉強させていただいています。

『蠅』の少年ですが、彼だけが和に溶け込めないで居ますよね。
にも関わらず、世界(=落ちていく馬車)には抗えない。
そういう世界から意志的に飛び立とうとする蠅(=横光)というのが
私の基本的な読みです。
その世界というのはあのような断片が集積したものであり、彼らは皆
「世界」に抗うことが出来ない。
(ここから強引)
「抗えない世界」というのは自然主義的な世界であると思っています。
自然主義的な世界にあえて抗うために、ああいった書き方をしたのではないかなと。

『蠅』というのは抗う/抗えないという二つを相対化して書いていると思っています。
抗う自分=蠅と抗えない自分=少年がいて、
横光は馬車を谷底に叩き落とすことによって、
「抗う」と決断した、と思ってます。
楕円、というと後藤明生を思い出しますが、
最後の最後で蠅に重心がかかっており、
そこに横光の意志を読みとりたいと思っています。

『御身』で「今に見ていろ」的な発言は、
蠅を落ちていく馬車から飛び立たたせることで、
(文学的には)叶ったのではないかなと。

『機械』については触れていないのです。
「新感覚派」と呼ばれるまでの横光を扱いましたので。

というわけで、しばらく皆様の書き込みを拝読させていただきます。
1000だけは取りたいですけど。
911% ◆uyLlZvjSXY :04/11/23 23:39:48
 >ROMで居たいというのが、本音です。
とのことなので、以下はひとりごとだと思ってください。

小説というものにはいろんな読み方が可能だし、
場合によっては十人十色になることもあるでしょう。
870さんのレスは具体的なので好意をもってますし、
その意見は尊重したいと思ってます。

ただ、「作品論的な読み方が出来ない」とのことですが、
どんな読み方であるにしても、それは作品論的になるし、
「自然主義的な世界」といった解釈を加えていたり、
作品に「横光の意志」を読み取っていれば尚更です。
912% ◆uyLlZvjSXY :04/11/23 23:40:22
わたしは大学で日本文学を専攻しなかったのですが、
横光を卒論に選ぶのは面白いんじゃないかな、と思ってます。
今年の夏前から横光への関心が芽生えてきて、
再読したり、未読のものをいくつか読み始めるなかで、
このスレッドでも私見を書き散らかしてきたわけですが、
形式や文字へのこだわりをもっていたこの作家には、
トリッキーな部分やあやふやな部分があるにしても、
あるいは、それらがあるがゆえに、魅力を感じるのです。
文体の実験性、解釈の多義性、作品の多様性・・・
日本近代文学において異質であるところのそうした魅力を。

英文学の由良君美や仏文学の菅野昭正が興味を寄せたのも、
やはり横光にそうした魅力を感じたからじゃないかと。不尽
913吾輩は名無しである:04/11/25 12:52:19
横光を卒論でやるとしたらどういうテーマがいいのかなあ?
914吾輩は名無しである:04/11/27 01:41:20
>>911
ずっとひとりごとじゃなかったのかよw
915% ◆uyLlZvjSXY :04/11/28 21:57:39
>>914
それならそれで別にいいんだけどさ、
せっかく書き込むなら、
横光に関することを何か書けないのかい?
916% ◆uyLlZvjSXY :04/11/28 21:59:14
>>913
 >横光を卒論でやるとしたらどういうテーマがいいのかなあ?
いろいろテーマはあるんじゃないかな。
「機械」までの初期の作品だけに絞っても、
870さんみたいに「蝿」などの新感覚派時代の作品に焦点をあわせるほか、
「悲しみの代価」などのコキュものに横光の「悲劇」を見る(吉本)とか、
「春は馬車に乗って」「花園の思想」などの病妻ものもあれば、
「笑われた子」「父」みたいな自伝的な作品もあるし。
917吾輩は名無しである:04/11/30 12:34:46
>>916
なるほど。「機械」以降だとどうでしょう?
918 :04/11/30 22:46:26
>917
横光とナショナリズム
とかかな。
919吾輩は名無しである:04/11/30 23:20:51
横レスだが、吉本の「悲劇」を参照するのはやめとけ
指導教授が吉本ファンのじいさんだったらともかく
920吾輩は名無しである:04/12/01 02:23:15
>>919

まあ、一応、参考文献で触れないといけない場合があるにはあると思うけど、
卒論書くんなら、後藤や吉本、菅野を中心でやっちゃったら、やばいと思うな。
921吾輩は名無しである:04/12/01 09:24:26
>>920
読むことは不可欠だけど、このスレの議論の前提となってる言表行為
の問題以前だからな、吉本の論は。何故吉本があれほど受け入れられたのか
って論と、何故横光は「文学の神様」などと呼ばれたのか、って論をつなげたら
面白いことになりそうだけど(適当に言ってるだけなんで気にしないでくれw)

後藤の本は面白いんだけどね、さすがに卒論レベルでこれに乗っ取る形で
論述進めるのはまずいだろうね。

>>893
あの時代だからこそ、ああいう文章が生まれたと思う。

>>905
遅レスだけども、しかも今更ですが乙です、そして多謝。
922吾輩は名無しである:04/12/01 19:34:34
>>918
横光とナショナリズム、というテーマだと、
どんな横光作品が中心で、どんな参考文献があります?
923 :04/12/01 23:38:32
>922
そりゃぁ、『紋章』→『旅愁』の流れだろうな。
大東亜戦の真っ直中での横光の国粋化は、
時代に巻き込まれたか、あるいは彼が必然にして掴み取った思想なのか
という点で考えていけばいいと思う。
もっとシンプルに「横光の日本観」を追っていっても良いと思うよ。
時代背景を参考にしつつ。

ただ、今は流行のテーマだし、丹念に追うとけっこう重労働だと思う。
924吾輩は名無しである:04/12/02 10:24:16
>>923
なるほど。国粋主義化という視点からは誰が論じてます?
925吾輩は名無しである:04/12/02 21:29:42
つか、国粋化は見るからにそうなので、
「誰が論じてる」とかいう問題じゃない。
「どのように」論じてるか、だね。
926吾輩は名無しである:04/12/03 11:21:41
>>925
で、たとえば誰が「どのように」論じてるの?
あるいは、あなたは具体的にどう考えてるの?
927吾輩は名無しである:04/12/03 13:41:44
>>926
そういう聞き方はないと思うよ。
たたき台みたいなのを自分から出すならともかく。

知らない論文出されたって、はあそうですかあって感じにしかならないだろうし。
検索すれば一杯、横光のナショナリズムについて論じてるものは見つかるし、
このスレだって、前のほうで横光と戦争に付いて触れられてるんだからさ、
それも参照できるんじゃないの?

田口律男編の水色の本で「横光利一」って本もあるし、編者自身も「旅愁」中心に
ナショナリズムの問題を論じてるし、ワセブンでも、1999年に横光特集やってるけど
それ読めば数本あるからね。探せばいくらでもでてくるよ。

同時代評でも、横光の国粋化は批判されてるんだし、宮本百合子、中野重治・・・
プロ文からね。横光の再評価もあいまって、そういうの無視されがちだけど、
同時代的にも十分批判の対象だったんだからね、横光は、戦争に関しても。
928吾輩は名無しである:04/12/03 17:06:17
>>924>>926が同一人物でないことを祈るのみ。

小学生じゃないんだから、それくらいは自分で調べろよな。
929吾輩は名無しである:04/12/03 17:50:13
というか、横光とナショナリズムなんてごくありふれたテーマだから、
そんなのを今更論じても面白くもなんともないんじゃないの?
930吾輩は名無しである:04/12/03 22:22:56
>>929
ナショナリズムから、円満に救い上げるかどうかの問題は常に残るがな。

いまだちゃんと批判されていないと思うよ。しかも研究としてのナショナリズム批判は
今さらって感じじゃないからな。まだやられてないって感じだよ。

そんなことより横光の作品自体の豊饒性を、なんていいだしてたんだからさ。
931吾輩は名無しである:04/12/04 11:21:52
政治と文学、というテーマ自体が古いな。
932吾輩は名無しである:04/12/04 21:20:35
>>931
平野やその周辺がいってたような「政治」や「文学」なんて、いくらなんでも
今は誰も言ってないよw

政治なるものや、経済的なるものの分析は行なわれるべきだが。
933吾輩は名無しである:04/12/04 23:20:48
ナショナリズムは流行のテーマなんでないの?
934横レス:04/12/05 09:29:42
>>933
流行している割にはちゃんと(?)やられてない、ってことなんじゃないの?
だから>>930は「横光の作品自体の豊穣性を、なんていいだしてたんだから」
と言ってるんだと思う、多分。それこそ、ナショナリズム批判としてやろうとしている
横光研究が、>>931,>>932が言うような古臭い「政治と文学」に陥ってるってことが
問題になるとは思うけど。

横光を救い上げたいって気持ちは横光研究者には誰にでもあるだろうから、
それを批判しても仕方ないけど、せっかくナショナリズムの問題を導入するんなら
もうちょっとうまくやれないものか、と読み手としては考えてしまう…。

テクスト論導入以降大流行のカルスタが、「文化」をある種安定したものとして
捉えちゃっている結果、ただの文化史研究にすぎないことになってる(しかも
社会学などから見たらいかにも中途半端)ことと同様なのかもしれない、って
これは関係ないか、スマソ。
935吾輩は名無しである:04/12/07 14:02:54
横光の短編
如何にも文士らしくて
んでおもろくない
936% ◆uyLlZvjSXY :04/12/08 21:57:10
>>917
 >「機械」以降だとどうでしょう?
「機械」については文献は多いし、いろんな切り口があるだろうね。
≪意識の流れ≫を意識した(!)ような文体に焦点を当ててもいいし、
プロレタリア文学との共通点(状況設定)と相違点でもいいし、
探偵小説的な語り口を取り上げてもいいだろうし(沖野、スガ)、
前に書いたように≪関係の相対性≫(菅野)を構造的に読んでもいい。

『上海』や『旅愁』についてはいろいろ話題が出ているように
横光におけるナショナリズムというテーマがあるけれども、
最初は外国に目を向けていたモダニスト横光の変化を見るには、
『上海』あたりからの流れを見る必要があるだろうと思うな。

『上海』といえば、芥川の言葉の影響で上海に行ったようだけど、
都市空間と文学の関係を探る試み(前田や川村)も、
937% ◆uyLlZvjSXY :04/12/08 22:02:02
あとは、晩年と呼ぶには若すぎる最後期の作品、
『夜の靴』や「微笑」については
もっと言及されてもいいんじゃないかと。
938吾輩は名無しである:04/12/09 19:20:26
「微笑」が好き。
横レスですみません

私は「日本文学の革命」という文学運動を行っている関場というものです

これは「インターネットから日本文学を変革しよう」という文学運動です

一人でも多くのネット・ユーザーの皆様に知ってもらいたくて書き込ませてもらいました

2ちゃんねるの文学板でもスレッドを立ち上げています
ぜひ一度お越しになってください

http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1100423874/l50
940吾輩は名無しである:04/12/11 13:34:10
いろいろな批評家の名前が出てきましたね。
研究とは縁のない読者ですが参考になります。
最も刺激的な横光論って誰のものでしょう?
941吾輩は名無しである:04/12/12 00:52:53
小説の神様とまで言われた人の小説が今はそれほど読まれなくなって
しまったのは何故なのかと思いますか?
942吾輩は名無しである:04/12/13 19:18:44
戦前はもてはやされすぎたんでしょうな。
今は「小説の神様」といえば志賀だし。
でも、もうちょと読まれてもいい作家かも。
943吾輩は名無しである:04/12/13 22:56:17
「小説の神様」ではなく「文学の神様」では?
間違ってたらスマン
944吾輩は名無しである:04/12/13 23:19:11
>>943
それであってるよ。
945吾輩は名無しである:04/12/14 00:30:55
「微笑」みたいなへんてこな小説をよくぞ書いたもんだと感心する
946吾輩は名無しである:04/12/24 14:36:05
大学の一般推薦試験の面接時に横光利一が好きだと言ったら驚かれてなぜかこっちがショックを受けたさ。
947吾輩は名無しである:04/12/25 22:23:59
>>946
実はうちじゃ指導できる教官がいないんでね。
948吾輩は名無しである:04/12/29 23:56:56
「文学の神様=横光」VS「小説の神様=志賀」
だったら、文学の神様のほうがえらそうだ。
949吾輩は名無しである:04/12/30 02:23:15
保守(微笑)age
950吾輩は名無しである:04/12/30 08:15:38
微笑( ´,_ゝ`)
951吾輩は名無しである:04/12/30 21:27:28
今日は命日でした。
952SXY ◆uyLlZvjSXY :05/01/16 01:14:05
ちょっとレスが止まってたんで書き込み。

「文学の神様」横光の初期には
「小説の神様」志賀の影響があった。
953吾輩は名無しである:05/01/19 19:24:08
『頭ならびに腹』ってのは結局何を言いたかったんでそうか
954吾輩は名無しである:05/01/19 20:11:27
そういう次元を超えた小説
955吾輩は名無しである:05/01/19 20:40:51
うまく逃げたなw
956吾輩は名無しである:05/01/19 20:56:23
うーん、確かにそういう次元を超えようとしているなぁ
それが新感覚派時代じゃないの?
957吾輩は名無しである:05/01/19 22:01:10
なんで横光さんて戦後、評価がガタ落ちしたの?
958吾輩は名無しである:05/01/20 01:12:24
そこには触れないでくれ……
959吾輩は名無しである:05/01/20 02:12:03
>>957
でも何気に、『近代文学』同人は、横光好きだっただろうね
と思う今日この頃
大岡みたいにそれほど公言はしないにせよ
960吾輩は名無しである:05/01/23 23:37:35
しかし死ぬのが早すぎた。
もしあと10年でも生きてたらとは思う。
961吾輩は名無しである:05/01/28 22:36:52
結構多作な作家だったんだなあ。
962吾輩は名無しである:05/02/04 01:43:25
「日輪」がものすごく面白かったage
963吾輩は名無しである:05/02/04 20:08:30
卑弥呼マンセー
964吾輩は名無しである:05/02/17 22:36:03
横光利一文学会 第4回大会で鮭切身が講演するよage
日時:2005年3月19日(土)午後1時30分より
場所:二松学舎大学(九段キャンパス)本館5階507教室
研究発表  米倉強「『旅愁』―矢代の内的対話に関する考察」
      野中潤「わだつみへの眼差し―『夜の靴』再読」
講演 糸圭(←スガ)秀実「前衛の二つの型―新感覚派とマルクス主義」
965吾輩は名無しである:05/02/22 15:22:39
横光は、先輩から新潮文庫譲ってもうて読んだが、
酒飲みながら馬車読むと泣けるなあ。
夫婦の行間のふいんきと、ラストの遣り取りがなんともいえん。
966吾輩は名無しである:05/02/23 21:49:03
へ? 「馬車」なんて新潮文庫に収録されてたっけ?
俺も全集で一回しか読んだこと無いけど……





という戯れ言は抜きにして(「馬車」という短篇が他にある)、
確かに「春は馬車に乗って」はいい。
けど、「馬車」と聴くと、「蠅」をむしろ思い出しちまう。

>ふいんき
釣りですか?釣りですか?
釣り概念というのは2chを滅ぼすことにならないかなぁ。
967吾輩は名無しである:05/02/26 01:57:09
>「馬車」という短篇が他にある
おお、そうなのか。気軽に略しちゃいかんな、すまん。

・・・”ふいんき”は気にすんなwここは2ちゃんだ(気持ちは判るがw)。
968966:05/02/27 22:22:22
>・・・”ふいんき”は気にすんなwここは2ちゃんだ(気持ちは判るがw)。
いや、仮に俺がほんとに突っ込んでたら、
「釣られますた」とか言われてしまうだろうと。
2chの大概は目を瞑れるが(むしろ愉しむが)、
「釣り」で逃げられるのだけは嫌いなんだな。

横光ネタを少し
http://www1.speednet.ne.jp/~matsuryo/page006.html
には誰か行かないのかね。
969吾輩は名無しである:05/03/01 23:15:09
訃音記
970吾輩は名無しである:05/03/14 00:40:14
もうすぐ1000なのに停滞してるじゃん
971吾輩は名無しである:05/03/14 01:11:45
負陰気だからね。
972吾輩は名無しである:05/03/14 01:27:44
蝿の視点はカメラ・アイか否かという議論はうやむやになってしまったのでしょうか?
973吾輩は名無しである:05/03/14 01:35:49
カメラアイのことはよくわからんが、
あれは三蝿称形式だよ。
974吾輩は名無しである:05/03/14 02:06:41
三蠅称ワラタ

横光の問題を思いっきり受け継ぐ戦後作家たちは
モノ称とか言うしな、当時は新しかったんだろうな
975吾輩は名無しである:05/03/14 02:19:19
だな
976吾輩は名無しである:05/03/15 23:07:53
>>974
みんな横光を乗り越えて大きくなったんだよ
横光のいう第四人称をどう継承したか(しなかったか)は大事な問題の筈
977吾輩は名無しである:05/03/16 20:18:31
でも、もうだれもいないよ
978吾輩は名無しである:05/03/16 20:23:00
979吾輩は名無しである:05/03/16 20:24:06
980吾輩は名無しである:05/03/16 20:24:48
こ。
981吾輩は名無しである:05/03/16 23:14:47
『マルクスの審判』みたいな事故だったな
982SXY ◆uyLlZvjSXY :05/03/17 21:52:47
>>973
>三蠅称
蠅の視点で描写されつつも
後に蝿もまた対象として描かれてるから
三蠅称を取り入れた非人称のカメラ・アイで
その「非人称」が後の「四人称」につながると思うんだナ。

>>976
>みんな横光を乗り越えて大きくなったんだよ
なんかそんな感じがしないんだよなあ。
戦争によって横光が取り組んできたものが
惜しくも切断されちゃってる気がするヨ。
983吾輩は名無しである
いつだったか三島が「今我々は横光さんのやって来たことを考えなければならない」みたいなこと言ってたな