史上最高の文学だろ、いろいろな意味で
2 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 23:30
「文学」ですか?
3 :
1です:2001/05/28(月) 23:35
決まってるだろ、何だと思ってるの?
キリスト教の経典。違うの?
5 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 23:46
内容のことを言ってるんだよ、通読したことあるの?
6 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 23:47
なによう…お板ちがいじゃあ、ござんせん?
うわ、宗教板、ありますけど〜。
もしくは哲学板とか。必ずカブるでしょう、論じても。
8 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 23:52
筒井の「バブリング創世記」ではだめか?
9 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 23:53
10 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 23:53
西洋文学との関係などで文学板でも論ずる必要が
あると思うが、どうだろう
11 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 23:55
ドストやジイドを語るのに聖書抜きには出来ないだろう
12 :
海外放浪:2001/05/28(月) 23:56
文学的に聖書を語るっていうのはどうか
13 :
吾輩は名無しである:2001/05/28(月) 23:57
しかし聖書そのものを語りたがっているようだが1氏は?
14 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 00:02
ん…説教くさくないか?文学として聖書をみると
15 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 00:03
母がクリスチャンだけど、僕は「創世記」や「出エジプト記」なんか
小説として読んでたね。かなり面白い。小学生でも楽しめたんだから、
経典とはいえ、物語としてもやっぱりすごいんだと思う。
意外に「ルツ記」とか「エステル記」みたいな、経典としては重視
されていないのも好きだったな。やっぱり物語として。
ユダの説話は「人間の弱さをあらわしてる〜」とかですか。
違ってたらスマソ。
17 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 00:06
海外文学を読むのにある程度知識が有った方がいいと思う。
それがたとえキングであっても。
どっちかっつーと、SF系の面白さとは言えないか
>>17 だから聖書そのものを文学としてみよーっつってるのだよどーやらONEは
20 :
海外放浪:2001/05/29(火) 00:17
だいたい聖書をたんなる説教としかとらえられないやつに
文学を論ずる資格はないね
21 :
禁断の名無しさん:2001/05/29(火) 00:21
旧約はSFっぽいが新約は説教臭くてイラつく。
22 :
3流記者:2001/05/29(火) 00:27
日本人に聖書はわかりません
23 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 00:31
面白いのに……聖書……
新約でも「黙示録」なんかは幻想文学みたいじゃない?
……なんつっても、読まずにイメージだけで書き込んでるやつが
多いみたいだな。
24 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 00:37
新約はサドより血なまぐさく、トルストイより
人道的だ
25 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 00:48
酒に酔った時に、資料として買っておいた新約を手にとってマタイのとこを読んだら、
すっごく感動してぼろぼろ泣いてしまった。
「なんて素晴らしい人々!なんて素晴らしい教え!一生ついていきます!」って。
でも、しらふでもう一回読んだら、「ふ〜ん。あっそー。」って感じで、
あの感動を味わえずちょっとさみしかった。
26 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 00:52
芥川が自殺したとき枕もとに聖書があったそうだ
文学板にくるひとは皆知ってるだろうけど
27 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 00:54
聖書面白いけど文学じゃないよね。
でも素晴らしい本です。
僕キリスト教徒です。
伝道の書(新約聖書だとタイトル違うかな?)が一番好きです。
おほほ。
28 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 01:00
出エジプトまでは民話。
民数記は民俗史。
黙示録はご都合SF。
宗教的な意味を考えたくないのでこう思ってます(藁
29 :
AK:2001/05/29(火) 01:03
聖書は精神分析学的に読むと結構面白い。
ノアの方舟もそれを事実として信じるよりも、精神的な物語として。
例えば、方舟にあらゆる動物を入れるところは、
あらゆる欲望や人間性を受け入れる広い心を方舟と解釈した。
30 :
ixion:2001/05/29(火) 01:03
And A begat B, B begat C, C begat D…
『バブリング』いいよねぇ。で、今手元の聖書開いたらTitusの
ところに付箋貼っていて、こんなことメモってあった。
パラドクス:クレタ人の予言。
聖パウロ13編のうち、確実なものは7編。テトス・テモテへの書
は偽書とされる。
こういう読み方しか出来ない俺は、きっとキリスト教徒にはなれない
だろう。
31 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 01:14
>>27 「新約聖書」って、「新しい訳の聖書」の間違いでしょ?
伝道の書は旧約だぞ?
キリスト教徒なんだろ?
32 :
27:2001/05/29(火) 01:21
ああ。間違えた。
新共同訳聖書の間違い。
ごむぇん。
ちなみに俺持ってるの口語訳聖書。
新約4書から、書き手のキャラ想像するのも
なかなか面白いと思われ。
ちなみに、一番「文学してる」のはモチロン「ヨハネ書」。
あの書き出しは、すごい。ヨハネは意識的に文体?を
練っている。見事な仕上がり、作家、と呼びたいね。
34 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 01:57
マタイは収税人で、ルカは医者だよね。
マルコは?!
聖書は当然だが説教臭くて面白くない。
ご都合主義にむかついてくる。
文体に関しては厨房だから分からんが、構成はてんでなってない。
あんなもの聖書じゃなかったらめちゃめちゃに叩かれてるぞ。
文学としてなら聖書よりもそれに纏わる作品の方が価値高くないかい。
>>34 世界をまたにかけるイタリア生まれの次男坊
37 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 04:38
>>35 聖書はすでに「文学的傑作」という評価がなされていますが?
特に詩篇とかね。
だいたい、海外の文学の根底には聖書が話型として使われる以上の
浸透の仕方をしていますけど。
っていうか、あなた、あまり読んでないんでしょ?(w
38 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 04:48
>>37 文学的傑作と言うのは言い過ぎだと思われ。
ギリシア系の方が文学的評価が高いのは常識。
西洋において聖書を論じることが困難なことを思えば、
それでもかなり手加減したものだろう。
それにどうでもいいことだが35は構成についての批判をしてるらしいよ。
39 :
38:2001/05/29(火) 04:52
それと聖書が海外の文学に浸透してるのと
聖書が優れているとは別次元の話だね。
浸透しているのは思想だからね。
聖書を読み込んでいるのは余程敬虔なキリスト教徒ぐらいでは?
これはマジでそう思う。
聖書を読んで理解できるか?
41 :
理系:2001/05/29(火) 07:17
ルカ伝が秀逸。ゲッセマネの祈りのイエスの様子とか。
42 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 07:39
とりあえず、西洋思想、文学を語る上では、必読でしょう。
聖書の思想が浸透しているのは、やはり、
文学的価値も高いからだと思うのですが。
構成がなってないという意見も出てますが、口述で伝わっていたものを
後で書きおこした部分もあるし、複数の使徒の手によって書かれた事を思えば、
仕方がない部分もあるでしょう。
聖書が存在しなければ、書かれなかったであろう作品も多くあるはずです。
いろいろな読み方が出来るから、クリスチャンじゃなくても、
結構楽しめるんですけどねえ。
「はげしく同意」ってのは
マタイ伝でペテロがシラネーヨ
シラネーヨ シラネーヨ
んで、鶏が鳴いて
「はげしく泣いた」が出典か?
>31
新約が、「新しい訳の聖書」?
新約聖書はNew testament
キリストの出現によってなされた、神との「新しい契約の書」だよ。
聖書がすごいすごいと言ったって。
結局それを受容する精神文化の中から出てきたものでしょ。
確かにものすごい書物だとは思うけど、アリストテレスまで都合で抱え込む
カトリックの連中はハクチだと思う。
(IMEって「白痴」変換できないぞ!)
46 :
かっこわるいら:2001/05/29(火) 12:34
文語訳でなきゃ読めたもんじゃない。
英語なら欽定訳。
「現代語訳」ってこしくだけ〜
なんとかしてくれい。
47 :
27:2001/05/29(火) 15:29
>>44 31は新約聖書が「新しい訳の聖書」っていってるわけではないですよ。
俺へのレスだから俺の発言と照らし合わせて
確認すればわかります。
聖書読んだことないのですが、どうすれば手に入りますか?
文庫とかでありますか?
49 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 17:36
>>38 ええと、なんだったか忘れたけど「文学的傑作」って評価してる
本があったんですよ。
それに、もっと当たり前の話で、たとえば遠藤周作の『沈黙』で
宣教師が踏み絵を踏んだ場面が「鶏が遠くで鳴いた」っていう
一文で結ばれてるけど、聖書を知らなかったらどうしてこういう
一文が来るのかとか分からないんじゃないかな。
もちろん分からなくても楽しめるけど、もっと深く読める気がする。
春樹の「風の歌を聴け」のラスト近くに引用されてるニーチェの言葉も、
もともとは聖書に書いてあることだしね。
聖書を下敷きにしたりの引用したりの秀逸文学は、そりゃたくさんあろうさ。
聖書を知っていればこその深読みも出来る。
だからといって聖書に文学的価値があるとは俺は思わないです。
あれは思想だもの。ある民族・種族から出てきたひとつの考えだもんよ。
「ためになる話」「生き方るうえでの、何らかの示唆を与えてくれる説話集」
だと断言していいか?でも
>>49が「文学的傑作」という言葉をどこで
見つけたか知りたいよ。いろんな意見を聞いときたいしな。
51 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2001/05/29(火) 19:08
コーランは読まなくていいのか?
西遊記を読むときは仏教や道教の知識が絶対に必要になるし、なにも聖書が特別なわけじゃない。
52 :
1の友人:2001/05/29(火) 19:10
53 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 19:10
キリがない…
54 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 19:12
55 :
33:2001/05/29(火) 19:46
>>46 激しく同意!!
文語訳の文体の方が、それが伝えようとする「中身」と
ピッタシカン!という感じがする。現代語訳は
日なたに置いといたビールみたいだ。文語訳まんせ〜〜!
56 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 20:50
汝ってどういう意味?
いまどきこんな言葉使わないでしょ?
もっとわかりやすい訳きぼ〜ん
57 :
Tango:2001/05/29(火) 21:11
>それに、もっと当たり前の話で、たとえば遠藤周作の『沈黙』で
>宣教師が踏み絵を踏んだ場面が「鶏が遠くで鳴いた」っていう
>一文で結ばれてるけど、聖書を知らなかったらどうしてこういう
>一文が来るのかとか分からないんじゃないかな。
「今夜、鶏が鳴く前にあなたは三度わたしを知らないというだろう」
のことですね? 風見鶏なんかも一種のシンボルで、それを見てヨー
ロッパの人は慫慂や誘惑に対する警戒を思うらしいです。
それと、聖書には「神は沈黙の中で語りたもう」という句もありまし
たね。あ、これは言わずもがなのことでしたか。
58 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 21:16
「語りたもう」ってどういう意味?
>「語りたもう」ってどういう意味?
ほんと。どういう意味?
60 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 21:20
「小説 聖書」って面白いのかな。
だれか読んだ?
61 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 21:57
>「語りたもう」ってどういう意味?
たもう=給うだろ?
尊敬語だよ。
語ったのが神様とかイエスの場合に使うんでしょ。
62 :
高校生さん:2001/05/29(火) 22:02
新約聖書と聖書辞典なら持ってる・・・
という以前に文学部で国文やろうか
神学部で神学研究しようか悩んでる
ああ 神よこんなことで迷ってる私をお助け下さい
善悪はっきりした世界が好きなら神学部
不条理紋々世界に身をゆだねたいなら文学部
どーよ
>>62?
紋々→×
悶々→○
もし入試までに神の啓示がなかったら恩寵薄いと諦めて文学部。
だめ?
66 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 22:32
>>48 学校なんかだとたまに聖書を普及させる会みたいなのが来て
希望者にくれたりします(昔英和対の新約を貰った)
67 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 22:34
>>62 とりあえず無難に文学しといて、神学は
人生嫌になった時に始めるためにとっておく(藁
私ももらったよ白い表紙の新訳聖書
69 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 23:11
>>60 読み物としては正直面白くないし、聖書を理解するには物足りない。
発刊当時かなり絶賛されていたがあれは嘘ではないにしても大袈裟だと思うね。
時間があって聖書について知らないなら読んで見ればって程度。
70 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 23:13
>>50 もうだいぶ前に見たから何で見たのか分からないんだけど、たぶん旧約聖書
のことを指していたと思う。新約はキリスト伝&経典(主にパウロの手紙)
という感じだし、旧約と新約じゃ性質がかなり違うでしょう。
旧約の中でもそれぞれの書でだいぶ異なる。列王記・歴代誌はそのまま歴史書、
ヨシュア記、士師記、サムエル記なんかもその系統で、ヨブ記・ヨナ記は寓話?
箴言なんかはその名の通りアフォリズム集だし、旧約の後半はイザヤ・エレミヤを
はじめとしてほとんど預言書、ルツ記、エステル記は物語っていうか説話って
言うかそういう感じ、そんなわけで「文学」に組み入れが可能なのは創世記、
出エジプト記、あたりなのかな。でもそれも人によっては説話的な書物だというんで
文学とは言いたくない人もいそうだけど(出エジプト記はエジプト脱出後は
ほぼ律法の書になってしまうし)、新潮文庫のスタインベック「怒りの葡萄」の
解説文に「聖書の出エジプト記にも匹敵する云々」っていう比較がされてる
くらいだから文学として見る向きも確かにあることはある。
詩篇・哀歌なんかは詩集だからこれも文学かも知れない。
しかし、敬虔なクリスチャンにとっては「文学」として見られることこそが
とんでもない冒涜らしいけど。
71 :
吾輩は名無しである:2001/05/29(火) 23:51
>>70レスありがとう。
>敬虔なクリスチャンにとっては「文学」として見られることこそが
>とんでもない冒涜らしいけど。
そーなん?
>>1はどう思うんじゃろ…
比較云々は出版社側の目論見もたぶんにあるのではなかろうか。
某小説(「じんじんじん」て題だったか)は「現代の『神曲』だ!」
なんて触れ込みだったぜ。読んでみての感想「どこが」(w
72 :
1:2001/05/30(水) 00:16
なぜ、文学とか宗教とかの枠組みにとらわれるのかな
素直に読んでみて、何か感動があればそれでいいだろ
おれは今32歳だけど、周りに文学好きは一人もいなくなったよ
20くらいのときは結構いたけどな
おまえらがいくつか知らないけど、衒学的なやつは
自然に文学から離れていくよ。昔は左翼だったけど今はどてっ腹かかえてる
企業の重役みたいにな。周りに惑わされず自分で考えろよ。孤独をおそれるなよ
素直な言葉で表現しろよ。もっと人間をみろよ。俺が言いたいのはそれだけ。
73 :
荷役:2001/05/30(水) 00:27
そういえばなんでホテルの部屋には聖書置いてあるんだろ?
74 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 00:33
>>72 >史上最高の文学だろ、いろいろな意味で
アナタはじめに枠つけた発言してるぢゃんw
75 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 00:38
>おれは今32歳だけど、周りに文学好きは一人もいなくなったよ
>20くらいのときは結構いたけどな
痛いよな。いや、1が痛いんじゃないよ。我が身にてらして、痛いのだね。真理であると思う。まあ学生さんには分からんか。
つうことで文学老年の吾輩は1に一票。
>>72 ふーむ…71だけど。
聖書を、文学として真面目に、自分の見解でもって語る者が
ここ板に現れるのを祈るよ。いや嫌味でなくさ。
要はグッとくるかこないか、それだけなのかもしれないな。
「聖書って読み物としても面白いよね!」て思う奴がくればなぁ。
ちなみに、あんたとさほど年齢差ないよ。
ふざけた書き込みしたつもりはなかったんだけど
不快にしたようなのでそれは謝りたい。マジスレ>ワラワバワラエー
77 :
70:2001/05/30(水) 00:47
僕は子供のころから聖書を読んでました。最初は「お話」だと思って。
でも、本当に聖書に「出会った」と感じたのは高校生の時です。
皮肉にも、母や周りのクリスチャンの考え方についていけなくて、
教会から離れた後です。
文学と思って読んだら、ぜんぜん違う書物に見えてきたんですよ。
厳密な意味での「文学」じゃないかもしれないけど、「文学的」な
書物だとは思います。
正直聖書には興味があって、少しずつ読み進めてはいるのだが、「私たちは
聖書研究をしております。あなたももし興味がありましたら次の日曜・・・」
という電話には「どうでもいいです」と断り、切った今日。
79 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 01:10
あの、聖書に興味はあるんですけど、
聖書ってどこで売っているんですか?
岩波文庫かどこかででているんでしょうか?
80 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 01:35
教会行ってただで貰う。
81 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 01:35
>>79 書店で普通に売ってますよ。「新共同訳」とか。
キリスト教系の大学の生協なんかだと安く買えるかも。
82 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 02:02
一番新しいのが新共同訳ですね。
出たのが五年くらい前かな。
その前が口語訳。
両方買って照らし合わせて読んだりしても面白いですよ。
83 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 02:13
モルモンの聖書はキテレツでっせ!
84 :
ixion:2001/05/30(水) 02:25
文学が枠組みかどうかなんてのはどうでもいい話。と言いつつ…
英文学の話になるけど、いわゆるKing James Versionで訳された
のが17世紀の初めで、これは英国文学の開花期と一致する。聖書の
思想的な受容と同時に、やっぱり文学的な受容についても考えな
きゃいかんのでしょうね。だいたい欽定訳の英語のリズムってのは、
今でも朗読に心地よいものとされるし。
ところで、grove pressってところから出てるポケット版正典
シリーズっつー薄い本があるんだけど、そのうち「マルコによる
福音書」の序文書いているのがあのバリー・ハナです。
確かに葡萄園の寓話とか、ハナの言う通りで「全くのリアリズムで
不快」なのがマルコの福音書なんだけど、そういう視点を与えて
くれるところがやっぱ作家だなぁ、と思った。リアリズム、ね…。
85 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 02:26
「有名な宗教の本です」「ヨーロッパとかいろんな文化の下敷きです」
「うちはクリスチャンなんだからそのくらい読みなさい」
なんていう付帯条件がなかったら
自分から読もうと思う、あるいは少し読んでみて更に読み進めよう
などとという魅力は感じない。
86 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 19:57
まあ寓話読む練習にはなるかもな>新約
一部日本人がチーズ位で大騒ぎするのは
寓話という形式を知らなかったからじゃないかと邪推してみる。
俺は旧約も新約もそれなりに面白いと思ったし、カラマーゾフの兄弟とか読むとき
にだいぶ参考になった。でもあれを文学といっていいか、という意見もあるよね。
もちろん欧米の精神には大きく関係しているんだし、読まなきゃ理解できない
文学もあるけど聖書自体は文学になりえるのかね?
あっちだと文学的である、だとかそれ以前に自然に読むわけじゃん。
俺にはそこらへんはわからん。
クリスチャンであるT.Sエリオットもそんな講演してるしね。
88 :
吾輩は名無しである:2001/05/30(水) 20:40
旧約は、子供の頃漫画(というより劇画?)で読んだなあ。
キリスト教系の出版社が出してるらしくて、普通の本屋で売ってなかった。
新約の方も、絵本や教会学校の教材でおおかたのエピソードは自然に吸収した。
実は未だにちゃんと聖書を通読したことは無い。
89 :
荷役:2001/05/30(水) 21:28
1はどこ逝った?
文学板はさー、文学専攻してる(してた)輩が結構いると思う。
文学かじってるモンはまず対象作品を「文学か否か」と考える。
んで、論じるに値する「文学作品だ」と判断したら、
その作品について書かれた批評を片っ端から集める。そういう癖がついてるハズ…
だから
>>72=1さん、「いろんな意見を聞く」という姿勢は
文学をかじったものの、言ってみれば悪癖です。
孤独を恐れて、周りに伺いをたててるわけではないです。
単純に聖書についての感想を語りたいならば、他板にいかれることをお勧めします。
意味わからん&勘違いスレだったらスマソ。
>>90 同意です。信者じゃないが、聖書は好きでよく読む。
新約とか伝導の書、詩編、黙示録、あたり、好みです。
しかし、文学的に読んでるかというと、ちと違う。
同じところを何度読んでも、
違う「意味」が見えてくる。その面白さは、聖書の言葉が
つまりは「象徴」であって、伝えるべき「何か」は
字面ではなくその奥に潜んでいる、というところにあるようだ。
読み手の「時機」に応じて、読み取り得る「中身」が
変わってくる。その「中身」が、物語の側に在るのではなく、
読み手との関わりによって「発生」してくるところに、
聖書の特殊性があるかな〜、と感じる。
・・・つまり「感想」をしか語れないんだ、聖書については。
92 :
ウナギ:2001/05/31(木) 11:05
遠藤周作が聖書は素人が手引きなしで
読むのはムツカシイと言っていたのは
彼自身が色々勉強してやっと見えてきた
経験から言っているのだろうと思う。
『イエスの生涯』『キリストの誕生』を
読んでから新約を読むと目からウロコまでは
落ちないがメヤニくらいは落ちる。
ageてみる
93 :
1の友人:2001/06/09(土) 14:38
出て来い
94 :
吾輩は名無しである:2001/06/09(土) 14:45
聖書の逸話やことわざなんか、一種の基礎教養くらいにしか思ってなかったので
このスレで、聖書を文学としてとらえようとする姿勢を見て、すごく新鮮に感じた。
>>94 でもその方が健全では?
むしろあれを文学と捉えようとする方が歪んように思うよ。
96 :
仏教徒:2001/06/10(日) 11:29
『仏教聖典』を読むぞ!!
日本人じゃないか。
お経の一つでも唱えようぜ!
97 :
吾輩は名無しである:2001/06/10(日) 13:21
>>95 同意。西洋美術のモチーフがぱっと分かるくらいに
聖書の内容が身についてればいいんじゃないかな。
98 :
吾輩は名無しである:2001/06/10(日) 15:58
まあ、聖書を通読した人間の方が大蔵経通覧した人間より
圧倒的に多いのは事実だろうなあ。
99 :
吾輩は名無しである:2001/06/10(日) 16:30
旧約はともかく、新約は凡人にもわかりやすい例え話のオンパレードだからな。
お経みたいに「ありがたい」言葉よりも、簡単に頭に入るし、
読み物としてのおもしろさがあるのだと思う。
100 :
吾輩は名無しである:2001/06/10(日) 21:01
>>99 新約がわかりやすい?
あんた、おめでたいな。
101 :
吾輩は名無しである:2001/06/10(日) 21:36
102 :
吾輩は名無しである:2001/06/10(日) 23:15
旧約のほうが物語的で好きだな。
103 :
吾輩は名無しである:2001/06/11(月) 00:11
聖書を文学ではない???
では、文学の定義とは何だ??
文学に決まってるだろ!!!
無教養な人は、黙っててね。
105 :
吾輩は名無しである:2001/06/11(月) 02:14
昔は深遠な「神の教え」みたいなものって、学僧とか、一部の教養のある人のものだったと思う。
そういう意味ではお経とかももともとそうじゃない?よくわからないけど。
「何だかよく分からないけど、小難しくてありがたい言葉」
が無知な人間を支配する権威とか力になっちゃっているのに対して、
イエスという人が、あまり教養のない当時の庶民や
ドキュンな奴にでもわかりやすく語ろうとしたのが福音書だと思ってたけど。
そう思うと、当時の律法学者みたいな宗教の権威者
施政者側にウザがられたのもちょっとわかる気がする。
この「ドキュンにもわかる」というのは本来の新約
(っつーか福音書)のキーワードじゃないかと思うんだけど…。
でも、当初、イエスが対象にした人々には
分かりやすかったのかも知れないけど、
現代人が読んでも「????」みたいなところいっぱいある。
個人的には迷える子羊の話が好きだが、福音書で語られるような
迷子の1匹も見捨てない慈愛の神と、旧約のちょっとコワい神
ずいぶん性格が違うように思えるのは、気のせいか?
>迷子の1匹も見捨てない慈愛の神と、旧約のちょっとコワい神
>ずいぶん性格が違うように思えるのは、気のせいか?
他の文化のように、神様を何人も作れないのが苦しいところ。
107 :
吾輩は名無しである:2001/06/11(月) 05:06
◆
100個もレスついてますが、まるで内容無いです。
読むのは無駄と思われます。
◆
>>100 新約はわかりやすいとおもふ。
あれを小難しく考えようとする方がドキュン。
109 :
吾輩は名無しである :2001/06/11(月) 09:24
聖書を文学として見るかどうかは人の判断だけれども、静養には聖書学という学問があるし、簡単と言いきれるほど簡単な物ではないと思われ。
ギリシア語での微妙な語感や意味などはやっていればきりがないよ
>109
それは何も聖書特有のことじゃなく、
歴史のある古文書であれば当然のことだからして…。
で、誰かここで聖書を文学として語った人はいたの?
>>110 あと、オカルト入ってる人とかね。
でなきゃ、その道でメシ食ってる研究者か。
でも後者は果たしてこのスレにいるの?
>>109 もしかして、聖書が難しいって言ってる人は、
註釈なしにすらすら読めるもんじゃないって意味で言ってたの?
それならわかりやすいと言ってる人達となぜ噛み合わないのかわかる。
文学的態度っていうのもずいぶん奥が深いものなんですね。
あと、素人がここで聖書の古文献学的アプローチしようというなら
どうせ既存の研究書の受け売りを披露し合うだけになりそうなんでやめたほうが。
まあ、本当の専門家がわざわざこのスレ来て
「何も知らん素人は、黙っててね」なんて言わないと思うから大丈夫だろうけど。
113 :
1じゃないけど:2001/06/11(月) 17:08
>>104 ここで、いちいち「文学とは何か」論を
繰り広げてたらスレの趣旨とは違う方向に
行くだろ。もともと文学とは自由な発想を
約束されたものだし、各々の判断にまかせた
方がスムーズに進むと思うけどな。
114 :
吾輩は名無しである:2001/06/11(月) 21:46
つまんない。
もっと面白い読み物いくらでもある。
欧米の文学作品の根底に流れているのが聖書の思想。
だから聖書中の逸話や表現を知らないと、
ピンとこない文学作品は多いはず。
2000年も前に書かれた古典中の古典。
どうせオリジナル原文で聖書を読む人なんて世界中ほとんどいないんだし
大事なのは中に書かれたエピソード。(聖書の一字一句をまにうける原理主義者は別として)
だから、難しく考えないで、とりあえず取っ付きやすい
子供向けの「絵本聖書」みたいなのから入るいう手もある。
世界的古典なだけあって、この手の本は良質なものが結構出ていたりする。
>116
せっかくだが、このスレでそれを言っても無駄というもの。
文学的態度とやらは、何がなんでも難しい(難しそうな)
ものじゃなきゃいやなんだそうだ。
118 :
吾輩は名無しである:2001/06/13(水) 01:18
ほんと内容ねーな、このスレ。
俺にも勿論論じるだけの引出しは無いが
みんな俺レベルだ。読んで損した。
>>118 論じている奴がいたらそいつが一番のドキュン
>>119 たしかに。
「宗教」の部分に触れるのが怖いから文学として語る〜とか
言ってみたものの、それ自体にそもそもムリがあったんだろ。
119=120
ちがうよ。120=116です、一応。121は何が言いたいの?
119みたいな考えの奴は少数派だと思えば安心できるの?
こんな盛り上がらないスレで、他人に自作自演だとかからんでくるほど
何か強い思い入れがあるんだろうけど、理解できない。
うぁー宗教ヲタの襲撃だぁ
要するに門外漢は語るな、つーことだろ
やっぱり宗教は閉鎖的だな・・・あたりまえか
124 :
吾輩は名無しである:2001/06/14(木) 05:47
>>123 どれが襲撃なの?118〜122のどれか?
>>124 宗教ヲタって使ってみたかっただけだと思ふ。
そもそも宗教ヲタって宗教を客観的に分析する門外漢の人の事をいふ。
どうでもいいけど、宗教をやたら怖れる人には
カルトにはまってる奴らと似たものを感じる。
127 :
吾輩は名無しである:2001/06/14(木) 20:55
ブラジルの人とか
128 :
吾輩は名無しである:2001/06/14(木) 21:05
129 :
吾輩は名無しである:2001/06/14(木) 23:17
>>128 新世界訳っていう言葉をここで聞けるとは思わなかった(w
130 :
吾輩は名無しである:2001/06/14(木) 23:29
知らぬものはこわいのさ
131 :
吾輩は名無しである:2001/06/15(金) 17:24
しらぬものなしも こわい
130と131は、ある意味同義だと思う。
知らぬものなしのつもりでいる人ほど、
知らぬものにであった時に、それを否定したがる。
133 :
吾輩は名無しである:2001/06/17(日) 18:34
こわいものナシもこわい
それで?
135 :
吾輩は名無しである:2001/06/19(火) 23:23
んじゃ文学に詳しいみなさんの意見を聞きたい。
もし今、何らかの作家グループあるいは個人から
あれと同じ長短いろいろの伝説、歴史、書簡、詩、空想入り混じった
60個近い文章群が2分冊で発表されたら
世間はどう評価する?
文学とは思えない、ってのがしろーとのおいらの意見。
>>135 恐らく扱いとしては文学になると思うよ。
でもそれ以上はなんとも。
137 :
吾輩は名無しである:2001/06/20(水) 00:55
ふと気になったんだけど…。
初めて聖書を著したのは誰なんですか?
138 :
吾輩は名無しである:2001/06/20(水) 01:14
馬小屋の主人
>>135 あまりに自分の白知を晒すのは、やめとけ。
聖書は、有史以来、最大部数を発行し、最も人類に影響を与えつづけている大ベストセラー文学。
また、重層的な構成が、多用な解釈を可能にし、時代とともに現在もなお新たに読み直しされている。
>>137 俺も知らんが、パウロとかではないのか?キリスト死後に宗教化した信徒の仕事だろう。
140 :
吾輩は名無しである:2001/06/20(水) 06:00
旺文社の仕事じゃなかった?
141 :
吾輩は名無しである:2001/06/20(水) 06:10
>>135 「聖書」に「もし」を言ってもなァ。
偉大と言うとレベルが高いと言う意味に取って反感を感じるかもしれないので言うと
巨大過ぎる足跡(文化的影響その他)を残してしまっているので
「もし」という仮定によるスッピン条件考察は流石に無意味と思われ。
142 :
吾輩は名無しである:2001/06/20(水) 06:45
なぜ語らぬかと言えば、宗教上の理由で
143 :
吾輩が名無しである:2001/06/20(水) 06:47
>>137 旧約と新約では大分事情が異なる。
旧約は民族説話みたいなものだから、多くの人により長期間に渡って収集され、
編集されてきたものと思われる。一口に誰とは言えない。
新約で最も古いのはパウロの書簡(テサロニケ人への第1の手紙?)だと思う。
4大福音書ではマルコ→マタイ→ルカ→ヨハネの順。つまりマルコが最も古い
と言われている。
いずれにせよこれらを編集した人(グループ?)がいるはずだが、これについて
は知らないので、誰か詳しい人の説明きぼーん。
145 :
吾輩は名無しである:2001/06/21(木) 01:51
>>135 君の文学観は、すこし幼稚じゃないかい?
146 :
吾輩は名無しである:2001/06/21(木) 01:55
コーランは?
>>139 もう少し、聖書(キリスト教)が広まった
歴史的背景を考えたほうがよくないか…?
148 :
135:2001/06/22(金) 00:26
「聖書」の「宗教」によらない文章群の意味をきいてみたかったんだけどね。
「文学」ってそーゆーことじゃないの?
ベストセラーなのも影響が大きいのも「宗教」の力であって「文学」じゃないだろ?
ま、宗教が背後になければあのよーな本は存在しなかった、
とゆーなら無意味だけどね。
149 :
吾輩は名無しである:2001/06/22(金) 00:31
電話帳は?
150 :
吾輩は名無しである:2001/06/22(金) 00:32
は?
151 :
吾輩は名無しである:2001/06/22(金) 01:22
たぶん149は電話帳だって部数は出てるぜ!って
言いたかったのでは?つまり部数=作品の価値
ではないってこと。
153 :
吾輩は名無しである:2001/06/22(金) 01:43
旧約の創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、ヨブ記を書いたのは
モーゼでしょう?それが最初じゃないの?
他の書物についてもだいたい作者は(いちおう)明らかだと思うけど。
サムエル記はサムエル、伝道の書はソロモン王だっけ?エレミヤ記はエレミヤとか。
もちろん、本当にその人かどうかというのは分からないんだろうけど、
定説はあるわけでしょう。
聖書って、小説じゃないけど、文学作品じゃないの?広い意味で。
154 :
(゚д゚)@実はクリスチャン、、:2001/06/22(金) 02:37
放蕩息子のたとえとかタラントのたとえって私の中では
最高の寓話なんですが、どうでしょうか??
信者じゃない人の聖書の読み方って興味あります。
>155
いや、どう読もうといいんだけどさ、
あれをいちいちトンデモと言う態度って、
創世記をマに受けて進化論を否定するセクトと
ベクトルが正反対なだけで同一線上にあるような気が…。
今世紀になって歴史遺物が発掘され、旧約の中にも
歴史的に正しい部分があるとわかった時に、世間がすごく驚いたらしい。
つまり、一部の人々を除いては、旧約は一種の神話的民族伝承
というのが近代人の一般的な考え方だったのだと思う。
157 :
吾輩は名無しである:2001/06/23(土) 01:57
最新スレしか読んで無くて前に書いてあったかどうか知らないんですけど、
聖書って、キリスト教系のしか読んだ事ないので分かりませんが、
源流を辿るなら多分、ユダヤ教だと思うんで、ユダヤ教の聖典って
一般人に手に入るのかどうか教えて下さい。
いわゆる旧約聖書がユダヤ教の聖典ですけど。
それともその他、タルムードとかカバラ系のゾハールとか、
そんなのが読みたいの? アマゾンあたりでも手に入るよーん。
159 :
欝:2001/06/23(土) 03:08
論語もコーランもダンマパーダも文学なのなら
聖書も文学なんだろうね。あと古事記もか。
160 :
我輩は名無しである:2001/06/23(土) 18:33
聖書を読んでから意見してください。
161 :
聖書初心者:2001/06/23(土) 21:04
ちゃんと聖書読む人って、あの系譜全部覚えてるんですか?
162 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 00:04
聖書が文学なのはわかったよ。
じゃ、「文学として」どういうものなのかな、あれは。
163 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 00:24
ゲッセマネの祈りのところはいい。キリストは死を覚悟したんだね。
でもなんで「主よなぜわたしを見捨てたのですか?」なんていうわけ?
>>163 重要な神学的命題の一つなんだろうけど、
「文学的」に解釈すればどうなる?ってこと?
165 :
(゚д゚):2001/06/24(日) 02:35
>>163 そのへんのいさぎ悪さが文学として読んだ時に面白いのかも。
話的にはヨハネの黙示録が一番面白いかな。あとレビ記とかの
訳のわからん浮気の定義とか、何も知らないで読むとちょっと
不条理入ってる気がする(w
>>163 それこそは、聖書を文学としてではなく聖書として読む時でも、
最大の躓きの石。なぁんでだ?と聖書は言ってる。考えろ、それが
聖書とイエスがこの世に現れた真の意味であるぞ、と。
ほんとのキー・ワード。…面白いよ…
167 :
我輩は名無しである:2001/06/24(日) 03:47
>>163 やっぱりさ、イエス・キリストも人間だからさ、死の間際で信仰が揺らいだんだろ。
神の子イエスも人の子だったのさ。
168 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 04:04
そう言えば、聖書(日本語)って
ネットで全部読めるの? せめて新約だけでも。
>>167 キリスト教的には「人の子」としては生まれてきたけど、
あくまでイエスは「神の子」なんだよね。あのセリフは
人間の声を代弁したという説教を聞いて、妙に納得
した覚えがある。
170 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 10:36
イエスが超人かなんかで、磔刑なんかも平気な顔してたら、かえってイヤかも…。
絵に描いたような超人や聖人は、さいばばみたいな胡散臭さに通じる。
お弟子さん達も、今でこそ聖人の列に叙せられてるけど、もともとは全然そうじゃないところが面白い。
171 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 10:43
イエスの「文学性」なるものについては・・・一言たりとも直筆の文書を残さなかった神聖性が、ソクラテスや釈迦と比べられるよね。説教をしたかもしれないが、その場だけで、権威づけになってしまうような文章として自筆をかたくなに拒んだかのような。。そこが文学的にみて(あるいはプラトン的にみて)「崇高」とかそんなんなるんじゃなかったっけ?(汗)
言葉を書き記すわれわれは魑魅魍魎というわけよ。。
172 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 10:52
すごい恥ずかしい質問なんだけど
これって誰が書いたの?
173 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 10:54
誰って我輩(汗)
もちろん猫よ(=^.^=)
174 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 11:38
聖書のことなんですが、、
175 :
163:2001/06/24(日) 14:28
キリストはもしかしたら死の瞬間に奇跡が起こると思ってたのかな。
で、自分がいよいよ息も絶え絶えになって「まだ?」みたいな意味で
「なぜ私を見捨てたのか」と。
176 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 20:59
芥川龍之介 「西方の人」より
「十字架の上のクリストはついに「人の子」にほかならなかった。「わが神、わが神どうしてわたしをお捨てなさる?」もちろん英雄崇拝者たちは彼の言葉を冷笑するだろう。いわんや聖霊の子供たちでないものはただ彼の言葉のなかに「自業自得」を見出すだけである。「エリ、エリ、ラマサバクタニ」は事実上クリストの悲鳴に過ぎない。しかしクリストはこの悲鳴のために、一層我われに近ずいたのである。のみならず彼の一生の悲劇を一層現実的に教えてくれたのである」
文学的にイエスをみるとこうなるのだろう。いや芥川はこうみたかったのだろう。すこし聖書を研究すればこの見解はまったくのナンセンスであることが判る。なぜならイエスのこの言葉は詩篇22編の冒頭の句、すなわち神を讃える言葉だからだ
177 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 21:16
なるほど。おもしろい。>176
歴史的にも、そういう解釈でずっと来たの?
全然詳しくないんだけど、いろいろな神学論争とかなかったのかなって。
あ、でも文学の話からズレます?
ここってなんか煽りたいだけどさー、いまいち煽りがいのある骨のある人が
出てきてないのよねぇ。栗栖ちゃんだからなの? 日本のクリスチャンは自意識が弱いの?
179 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 23:01
>>178 お前が最初に見解を述べろよ
骨のあるところを見せてくれよ、まあハッタリだろうけど
大人しく語り合ってるところに憑りつくタイプの煽りっているよね。
もしかして、「知らないものは怖いんだろ」とか言われて、ちょっとムキになってた人?
悪いこと言わないから、紋切型スレあたりでマジレスしてる方が幸せだと思うよ。
181 :
吾輩は名無しである:2001/06/24(日) 23:26
念のため、「人の子」っていうのは、キリストを指す記号的な言葉だよね?
もとクリスチャンのくせに、聖書を読まされただけだから、神学的な解釈とか
実はあまりできない。骨のある書き込みしたいけど、4歳から聖書を
読まされてたことを考えると自分の考え方が客観的なのかどうか、いまいち自信が……
私自身は聖書は面白い読み物だけど全然文学じゃないと思ってるだけ。
なぜかっていうと私にとっては聖書は単に偏向のある歴史本でしかないから。
類似の見解はこのスレでも出てるわけだけどなんかいまいちパンチのある
反論がないんだ。なぜ文学といえるのか。まぁ読み物全てが文学だという
人にはこちらも反論できないけどね。
あるいは仮に聖書を読みこんだとしても解釈論や神智学のほうへ行って
しまって文学的になりにくいでしょう。どう読むと文学的に語れるの?
183 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 00:08
ええとですね。イエスの事案で歴史的事実とされているのは、
「イエスは十字架刑に処せられた」
この1点だけなんですよね。(「イエスとその時代」荒井献著より)
「エリ・エリ・ラバ・サバクタニ」なんて
神学的解釈としては、176氏の言われるとおりですが、
だいたいほんとにそう言ったんだか?(笑)
処刑時には彼の弟子・支持者はみな逃げ出して、彼の発言なんて
残ってるはずもないし、それに公開処刑場の雑踏・混雑の中で、
処刑される者の発言なんて聞き取れるわけもない。
つーことで、「エリ・エリ」も詩篇をもとにした創作だろうというのが、
一般的な歴史解釈です。
ただ、神学的解釈は、先も指摘したように、
176氏のおっしゃるとおり。
「人の子」というのも、要するに旧約聖書あたりに散在してる
キー・ワードです。
また「処女懐胎」や「奇跡」、「ロバに乗ってイェルサレムへ行進」など、
旧約聖書にその起源を求めることのできるものはかなり多い。
というか、新約聖書はそういう事例だらけなのです。
つまり、新約聖書(イエス伝)は、旧約聖書(イスラエルの預言)を
「実現」したものとされているわけで、
旧約聖書で預言・示唆されていたことが、イエス(ヨシュア)の生涯において
実現された。これがキリスト教の基本的スタンスです。
ですから、聖書というものは、
歴史的文書・文学作品としてはあまりにも不完全きわまりないものです。
むしろ「宗教文書」としてならかなりの完成度を誇っていますが。
そういうものとして読みましょう。
184 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 00:44
>>105 >迷子の1匹も見捨てない慈愛の神と、旧約のちょっとコワい神
>ずいぶん性格が違うように思えるのは、気のせいか?
ええと、この件なんですが。
・ユダヤのエホバ神=復讐の神・嫉妬の神
だったわけです。
それをキリスト教では
・キリスト教の神=慈愛の神
という性格になっている。
一神教ですから、別の神様をつくりだして、なんてご都合主義的なことはしない。
人間だって、「普段は心優しいけど、ちょっとしたことで怒る人」がいるわけです。
そういう矛盾してる性格を含み持つわけです。
人間ですらそれくらいの複雑さは持ち合わせている。
唯一絶対神=世界の創造者だったら、
もっともっともっともっと・・・・・(以下省略(笑))
ややこしい性格をしていて当然。そういう発想があるわけです。
ただ、この「神の性格の転換」こそが、キリスト教が世界宗教になれた
原因の1つといわれています。
「わしはおまえらの唯一の神じゃ。他の神様敬ったらやきもち焼くぞ!」
とかいうような神様よりも、
「羊が一匹いなくなったね。じゃ、最後まで見捨てずに探そうよ」
っていう神様と。どっちが庶民にとって受け入れやすかったか。
ただ、当時の歴史的経緯から見ても分かるように、キリスト教が
広まったのは、ローマ帝国の崩壊という事情も絡んでくるわけでして、
このテーマだけで長大な論文の対象になるくらいなので、
これ以上の言及はひかえます。
ただ、すっごくややこしい問題があるということだけ指摘しておきます。
185 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 00:58
>>183 創作も何も含めて「聖書」。
その中のキーワードが、「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」
詩編もイエス伝(新約)も含めての、鍵。
186 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 00:58
キリストが処刑されたことが事実ってソース希望。
疑ってる訳じゃなくて、純粋に知りたいから。
調べてみたがどうも確定的なのに出会えないもので知ってる人いたらお願い。
187 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 01:07
>>185 それは宗教としてであって、文学としてではないよね?
188 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 01:15
なんか、急に面白くなってる。こもスレ。
特に聖書に詳しい方、または単に文学的に切ってしまう方
双方の意見をもっと聞きたいなァ。
189 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 01:15
>>186 はっきり言って、ソースはありません。
新約聖書だけです。
そしてその史料は先にも指摘したとおり、
歴史的文書として不完全きわまりない。
だからこそ、当時の法制度(たとえば処刑方法として
十字架刑が採用されていたのか? 裁判の方式など)や
社会状況(どのような勢力があり、だれが権力を担当していたのか)
その他諸々の史料をつきあわせて研究し、その結果、
イエスがどうやら処刑されたのは確実
との結論にいたっているわけです。ただそれも歴史解釈ですから
100パーセント確実なことではありません。
ひょっとしたらイエスは80歳近くまで平穏な生涯を送って、
ベッドの上で大往生を遂げたのかもしれない。
しかし、現在まで知られた史料などをもとにした研究では、
歴史的に見てもイエスの刑死はまぁあったんだろうとされているわけです。
(ただ、その(処刑の)まわりにこびりついた諸事件(ペテロのエピソードとか、
最後の晩餐とか、「エリ・エリ」発言とか)は疑わしいものとされています。
もちろん、これらも神学的・宗教的に見れば実在した事件です。)
19世紀には「イエス非実在説」なんて学説が有力化したことも
あります。「イエスという人物は実在しなかった。当時の複数の
宗教改革者たちの性格を少しずつ集めて『イエス』という人物を
つくりあげたのだ」と。
ただ、さすがにこの学説は否定されています。
イエスは実在した。しかも1人で。
(ちなみに孔子や釈迦にも「非実在説」がありました。実在が疑われなかったのは
ムハンマド(イスラーム創始者)くらいです。)
イエスは文句なしに、人類史上最重要人物の1人なわけですから、
その生涯の事跡の解釈もまた複雑なものとなるわけです。
結論は最初に明示したとおり、ソースなんてありません。
ただ不完全きわまりないソースがあるにすぎません。
190 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 01:20
おお、凄い!
もっと教えてください。>189
>>189 どうもありがとう。
うーん、きちんとしたソースってやっぱりないんだ。
考えてみたらそんな物があったらとっくに世界中の話題になってるよね。
192 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 01:42
う〜ん、でもやっぱりちょっと良かったね。
専門知識っていいよなァ・・・。
193 :
たまごリュック:2001/06/25(月) 01:58
最後に1つだけ。
「事実=Fact」と「真実=Truth」を分けてください。
(民事訴訟法を勉強した人にはすぐに分かる話ですが)
真実=宗教・文学
事実=歴史・文学
です。歴史的には疑わしい「事実」であっても、
それは宗教的には「真実」なこともあるのです。
事実じゃないから無価値だとか、信じるに値しないとか、
そういうことにはなりません。
ただ、上の分類でも指摘したように、「文学」は
事実と真実の両面にまたがるものです。だからややこしい。
聖書の「文学性」という問題も、
実はこの文学の持つ二面的な性格から出てくるのです。
最後に私個人の意見を申し上げますと、
・(歴史的な)事実の文学としてなら、聖書なんて三流のへっぽこ文学ですが、
・真実を語る文学としてなら、聖書は超一流の文学です。
>>193 そんな定義は全く無意味です。
(哲学を勉強した人にはすぐ分かる話ですが)
195 :
たまごリュック:2001/06/25(月) 02:02
訂正・追加
× 事実じゃないから無価値だとか、信じるに値しないとか、
そういうことにはなりません。
○ 事実じゃないから無価値だとか、信じるに値しないとか、
そういうことにはなりません。 真実じゃないから無価値だとか
信じるに値しないとは言えますが。
(逆に言えば、真実だからこそ価値があり、信じるに値する。
ただの事実こそそれだけの「生の事実」としては無価値であり、
信じるに値しない。真実性というフィルターを通して始めて
その事実に価値・信頼性が充填されるのです。
少し難しい話になっちゃいました。ここらへんはパスしてくださって
けっこうです)
196 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 02:36
>>193 それは一つの主張としては成立するかも知れんが、
決して正しい認識とも言えんぞ。
というよりむしろドキュソ的な意見かと。
指摘しないと分からないなら指摘してもいいが自分で考えればわかるだろ。
197 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 02:47
マーティン・スコセッシの映画「最後の誘惑」は80歳まで生きて結婚して
子供までつくって平平凡凡として生きた(生きかけた)イエスを描いてて、
なかなか面白かったな。文学でなくてスマソ。でも原作あるし。
189さんの書き込みに関連するけど、ピラトが年をとってた時に、
昔「イエス」という人物を処刑したことなんか覚えてもいなかった、っていう
ような小説?か何かあったけど、あれって何だっけ?
198 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 02:52
>>193 の書いてることはごくまっとうな事だと思うが。
遠藤周作はそういうスタンスだったよね。
199 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 05:22
う〜ん。
聖書派(宗教書として捉える側)の文学的解釈・感慨も聞いてみたい。
(当然ながら馬鹿にするためじゃないよ。)
どうやって、その落差を埋めてるのかなと思って。
もし、よかったら教えてほしい。
何か優良な解釈もありそうだから。その場合みなさん余り煽らないでほしいよ思う。
200 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 05:55
200ゲット(だと思う)!
凄い優良スレですね。意外でした(失礼)。
宗教者側(もしくは宗教研究者)の意見をもっと聞きたいです。
(ここ文学板ですけどね)
確立された体系が矢張り他の文学作品などとは段違いであるため
聞き役に回るだけでも面白いですね。
201 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 06:52
こんなんで優良に見えるなんてめでたい。
202 :
吾輩は名無しである:2001/06/25(月) 07:18
優良店というのと同じ
203 :
我輩は名無しである:2001/06/25(月) 15:18
イエスは、ユダヤ教のある宗派のリーダーだったユダヤ人。
で、ユダヤ教と相容れない神との関係を打ち建てたことが、キリスト教の成立につながった。
処刑されて死んだのは、事実でしょう。
西洋絵画のキリストは、なぜか白人の美男子に描かれているが、
本当はもっと褐色の肌をもったユダヤ鼻の男だったって。
朝日新聞の記事なんだけど、イギリスの大学での仮説ですが。
204 :
吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 01:11
普通の文学ではテーマや登場人物の行動や果ては作家本人が実生活で
自殺したりもしますが、キリスト教で自殺を禁じた起源・時期はいつ
頃なんでしょうか。
また、それは聖書に明記されてるんですか?
本当に素人ですいませんが、誰か教えてください。
205 :
我輩は名無しである:2001/06/26(火) 03:15
>>199 いわゆる原理主義者のことでしょうか?
アメリカでは、ダーウィンの進化論を学校で教えることを反対している人もいる。
映画では、イングマールベルイマン監督の映画の中の神父が、神を信じられないことに
苦悩するところがあった。ニヒリズムに苦しんでいた。
>205
誰でも知ってること書いて
いきなりレベルを下げるな。
いきなりでもないか…
207 :
吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 03:39
>199 ですが、
>いわゆる原理主義者のことでしょうか?
>アメリカでは、ダーウィンの進化論を学校で教えることを反対している人もいる。
それも聞きたいのですが、もっと普通に普段文学を愛するキリスト教徒がいたとして
信者として読む時と文学として醒めた目で鑑賞するときとで(信者としては
あまり感心しない行いではありますが)、読み取る意味・感動が違ってくるのでは
と思うからです。
また、精神がその落差を乗り越えようとするために独自の解釈を自分で(こっそり)
加えてしまっている例などあれば聞きたいと思ったのです。そしてもしそれが
行われているのなら、それは極めて文学的行為であると同時に極めて個人的な宗教信者
としての告白になるかと思ったからです。
キリスト教徒でありキリスト教に関しての視点から作品を生み出した作家達だけが文学を
行ったわけではありません。それぞれの心の中で知られざる「文学行為」が行われている
はずです。
その一端を、ここで垣間見せてもらえたらと思ったのです。
ところで、キリスト教における自殺の概念・禁止についてなんですが
私も正確なところが知りたいので、もしよければお教えください。
208 :
吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 06:22
これを言うと終わってしまうが
宗教なんぞは権威者(資産階級)の方便とされているわけで
聖書の自殺禁止の概念も奴隷に自殺されたら困るから、でっちあげられたもの
「デカメロン」にも根底にはこの批判がある。ただ坊主の品性を嘲笑した
だけではないのだ
要するに無知な民衆を統治するための教科書でしかない
社会が変化すれば、また新たな聖書解釈がでっちあげられるだろう
209 :
吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 06:27
サヨは逝ってよし、ととりあへず言っとく。
210 :
吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 06:59
>>208 そういう全てに通底しそうなことは一応措いといて。
キリスト教ならキリスト教で教義と絡めてその禁止を説かねばならず
しかも、実利的な真意をうまく包み隠し更に教義全体に破綻を来さない
ようにしなくてはならない。聖書のような散文形式にも見える経典でそれを
どう記述し折り合いを付けてるかということなんだけど。知りたいのは。
またそれは宗教を欺瞞と断定したい訳ではなくて、何らかの信者に対する
扱いにその独自の論理、修辞学を見たいという事です。そんな風なんで、
どなたか、一つよろしく。
それから、幾らかは納得させるのに手間を尽くすのは矢張り単なる騙し
というより愛の修辞学と捉えられると思うがなァ。(そんな愛要らないって
言う人もいるだろうけど・・)
211 :
吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 07:06
>>208 そういう全てに通底しそうなことではなく
「目的」ではなく「手段」が聞きたいんだよ。キリスト教の。そう書いてあるじゃん(上のレス)
なんですか。要するに修辞学の話でしょ?
要は、・実際的な修辞学 >信者を説得させる法
・文学的な修辞学 >書き手(集団)が物語をより美しく、
説得力を持つように描く法
二番目の場合、書き手たちが「意図せずに」美しい物語を書いて
しまった可能性もあるが、結局すべては信者たちを納得させ、
平和に彼らを統治する方便として利用していたわけだから
両者を区別する必要はない。というかあとの解釈は読む側の
態度によって変わってくる。当然聖書すら過去の修辞表現を
拝借してきた場合もあるはずだから、“文学的修辞”を作る
努力は筆者グループ内であったはず。ただどこまで「信者
獲得」が目的だったのかは、はっきりしないけどねぇ・・・
宗教的体験に起因する自己体験美化と陶酔(?)が文学表現
を惹起した、とも考えられる。そんな場合どこに「文学的
修辞」の意図を求めるのか? が問題となるはず。
213 :
(゚д゚) :2001/06/26(火) 13:11
信者だけど、聖書を文学としてみるとそんな
に面白いものではない気が。コーランやラー
マーヤナの方が文章はキレイだと思う。
モーゼの件とか、小さい頃こそ面白いと思っ
たけど、今読むと隠し部屋がオチの推理小
説みたいだし。ただ暗喩されているものを考
えたりとか宗教的な読み方をしていくと、奥
が深いものかな、と思う。
タラントのたとえが好きなのはそこに込めら
れたメッセージに魅力を感じるたのが大きい。
後、自殺禁止というのは、「人の命は神から
与えられたもので、それを粗末にするなんて
もってのほか」という意味だから、別に後づ
けされた訳じゃないと思ふ。自殺した人、洗
礼を受けずに死んだ人の葬式はあげないとか、
人が決めたルールの部分に問題があると思われ。
214 :
吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 17:10
>212 修辞学の分析、ありがとうございました。
しかし、ちょっと前から希望が上がっているのは
>意図を求めるのか?
の意図ではなく、手段・方法について聞いてみたいという事なんですよ。
キリスト教の教義に詳しい人に。民主主義の世の中でもありますから自分の
生命は自分に帰すというのが社会的に詰めた場合の結論な訳ですけどね。
>208 内の言葉を借りて言うならば、「方便」と「でっちあげ」をキリスト教では
どのように行っているのかを知りたい訳です。「方法」を問うている訳です。
つまらない事を信じ込まされている事を笑ってやろうと思っている訳ではありません。
宗教教義が影響を持っていた事は否定できない事実ですし現在も(比較的小さくは
なったようですが)それは変わりません。キリスト教は信者が少ない宗教ではなく、
また最近作られたものでもないので長い歴史のなかで、その経典である聖書内の言葉と
結び付けられた形での自殺禁止の論理付けがあるかと思うからです。
繰り返しますが、その論理の手順を聞けたらということです。
ユダヤ教の神とキリスト教の神とイスラム教(!)の神は実は神学的に詰めても同じだ
という意見を聞いた事があります。ですから自殺禁止の根本理由は >213内にあるように
>自殺禁止というのは、「人の命は神から与えられたもので、それを粗末にするなんて
>もってのほか」という意味
なのだとは思います。ただ、キリスト教での聖書の言葉と結びつけられた自殺禁止の宗教論理
があるならば、その具体例(つまり教義を語る手段・方法)を知りたいのです。
宗教を信じない者にとっては愚かと映るだけかも知りませんが、人というものは
何らかの根拠(非科学的であっても)を示さねば納得しないものであり、放っておいても年月を経る
内にその論拠(その宗教内のみ通用するものが多いですが)が作られることが多く、その意味で「修辞」
の「具体的」解説をその教義内に問うと言ったのです。
215 :
吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 18:40
age
216 :
吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 19:07
要するに、以下のような論理展開になると思います。
大前提 (人を)殺すな(有名な十戒のひとつ)
小前提 自分といえども「人」である。
結論 自分を殺す(=自殺する)な。
という三段論法が成立するわけです。
そしてその根本は大前提にあたる「人を殺すな」に求められる。
そう言う意味では、ソースは「十戒」にあるわけです。
>>216 母親(基督教団の牧師ね)に聞いたらやっぱり十戒
がソースといえばソースだって。ただユダが自殺し
ていることとか、キリスト教の大前提としてある「万物
(人間も含めて)は神が創った。神の創ったものを粗
末に扱うことは神を侮辱することに繋がる」ていうのが
どちらかといえばデカい気がする。
218 :
吾輩は名無しである:2001/06/26(火) 19:16
>>197 >ピラトが年をとってた時に、
>昔「イエス」という人物を処刑したことなんか覚えてもいなかった、っていう
>ような小説?か何かあったけど、あれって何だっけ?
「クオ・ヴァディス」かな? 「ベン・ハー」かな?
意外と初期キリスト教を扱った小説・映画って思い浮かばない(笑)
219 :
たまごリュック:2001/06/26(火) 19:27
>>217(゚д゚) さん お母様(女性)が牧師って、珍しいですね。
宗派は?プレスビテリアン? アングリカン・チャーチ?
1つだけ異論を。貴方の見解では、
「ユダが自殺している」から、キリスト教徒たるものは
(反キリストの代表たる)ユダと同じ行為をしてはいけない。
だから自殺もダメよ。
ということですよね? これはもう通説・判例の立場といっていいでしょう。
ただ、ユダという人物の「歴史的実在性」は、先日も指摘したように
不明です。おそらく、「事実」として内通者がいて、
その者の内通・裏切りによりイエスは逮捕・処刑されたのでしょう。
その内通者=ユダ とされるわけですが、彼が自殺したかどうかは「?」です。
むしろ、この場合こそ、自殺禁止の後付け理由として考えることもできるのでは?
「キリスト教徒たるものは自殺しちゃ、いけないよ。
ほら、あの裏切り者のユダも自殺してるんだしさ」
って。つまり、
・ユダが自殺したから、自殺を禁ずる。
というよりも
・自殺を禁止したいから、ユダに「自殺させた」
という解釈も成立するのではないでしょうか?
1つの私見に過ぎませんが。
220 :
たまごリュック:2001/06/26(火) 19:34
219のギャグはわからないかな?(^_^;
>宗派は?プレスビテリアン? アングリカン・チャーチ?
両派とも、女性の聖職者を禁止しています(笑)
くだらないこと書いてすんませんm(_ _)m
熱くなっちゃってスマソ。ただ私はクリスチャンがあまり好きでは
ないクリスチャンなんで、非信者の人とキリスト教の話するのは
かなりうれしかったり。
私はよくも悲しくも信者なんで、「ユダの自殺=自殺を悪とするため
の位置付け」という風には残念ながら取れない。そういう見方もある
んだなぁ、という程度で、そこで疑いを持つことができないんですね。
そういう意味で宗教があるというのは、世界を狭めることでもあるんだ
なぁ、としみぢみしてしまうんですけど。
ただ繰り返しになるんですが、「あなたは神によって生かされている」
というのは、なかなか重い言葉で、神によって生かされてることが
人生を楽に生きるための大きいバックボーンであり、逃げ道を封じ
られている鎖のような所があります。中世のヨーロッパの人々にとっ
てのキリスト教と今私が慣れ親しんでいるキリスト教というのは重さや
意味が全く異なっているとは思うんですけど、それを承知で敢えて
言わせてもらうと、キリスト教信者でありながら自殺を選ぶというのは、
その時点でキリスト教を捨てるに等しいものがあるなぁ、と。キリスト
教の教義って時代時代に都合よく解釈を変えられ、ローマ法王が
「あん時は間違ってました、スンマソン」なんて言っちゃうような曖昧な
部分はあるんですが、優れた音楽や絵画、文学がキリスト教を
媒体として生み出された背景には、神によって生かされる喜び
みたいなんがあるんですよ。その喜びを捨てるっつうのは
間違いではないか、みたいな。あぁ、上手く書けない上に長文
レスでスマソ(゚д゚)
>>220たまごリュックさん
ちなみに教団というのは、戦中のお達しによって生まれた
日本独自の教派みたいです。(私も今日知ったw)
プレスビテリアン=長老派で、教団も長老派の流れは汲んで
いるんですが、今では超長老派というどうしようもないネーミン
グをもって、うちの母親はめでたく牧師としてやってます(゚д゚)
223 :
たまごリュック:2001/06/26(火) 20:34
>>221(゚д゚)さん。
信仰を持たないよりは、信仰を持っていた方がずっといいです。
生きる上での「背骨」になるものを持っている人は、本当に幸福です。
現代の「実存の悩み」なんて、キリスト教に支配されていた中世ヨーロッパでは
あり得なかった。人間(とりわけヨーロッパ人)は、
「キリスト教(信仰)からの解放」というものを得ると同時に、
別の何かを永遠に失ってしまったのかもしれません。
私の立論の根本には
ユダの歴史的実在に対する疑惑
というものがあります。「ユダって、ほんとはいなかったんじゃねーのか?」
ただ、信仰者の立場からすれば、(゚д゚)(<なんて読むの?)さんの
立場が正しいです。
>キリスト教信者でありながら自殺を選ぶというのは、
>その時点でキリスト教を捨てるに等しいものがあるなぁ、と。
これはほとんどすべての社会において妥当します。
たとえば仏教だと自殺を認めているのかと言えば、そうではありません。
やっぱり自殺はいけないことです。
ちなみに、私も子供の頃、親に殴られながら日曜学校に通わされていました。
いまではまーーーーーーーーーーーったくいきません(笑)
子供の頃、無理やり教会に通わされていなければ、いまごろは私もクリスチャン
だったかもしれないです。キリスト教はそれくらいの魅力と完成度
(宗教の完成度というのもへんな言い方ですが)
を持った宗教なのです。(キリスト教以上に完成度の高い宗教といえば、
イスラームしかありません。)
224 :
たまごリュック:2001/06/26(火) 20:54
1つ指摘を。
>優れた音楽や絵画、文学がキリスト教を
>媒体として生み出された背景には、神によって生かされる喜び
>みたいなんがあるんですよ。その喜びを捨てるっつうのは
>間違いではないか、みたいな。
「神が人間を生かしている」つまり
「人間は自律して生きているわけではない。
人間は自己発電できない存在だ。自己の存在の基盤を「自己そのもの」に
もとめることはできないのだ」
というのは、要するに
神 → 人間
という関係を持てるわけです。
これに対して信仰を持たない人間は、
人間(まわりになーんも無し)
だけという、非常にアンバランス・不安定な存在になる。
だからこそ、「他の何か」にすがりたがるわけです。
それが特定の宗教だったり、政治思想だったりするわけです。
現代人(とくに日本人)は信仰を失っており、宗教というものに対して
「うさん臭げ」なものを見る人も多い。オウム事件などの影響もあるんでしょうが。
私を含めた現代人は、宗教から自由になるのと引き替えに、
「何かを失った」不幸な人たちなのです。
(自分でこう書いてて、なんか自分がかわいそうになってきた(笑))
あと、バッハの「マタイ受難曲」やパレストリーナの諸作品は、
私も好んで聴きます。そう言う意味では私もキリスト教から
利益を享受しているわけですъ( ゚ー^)
これで終わりにするんで、最後のスレ汚しを許してください、、
>>223たまごリュックさん
>>キリスト教はそれくらいの魅力と完成度
>>(宗教の完成度というのもへんな言い方ですが)
>>を持った宗教なのです。
そう言ってもらうと非常に嬉しいんですが、今のキリスト教
ってちょっとおかしな方向にいってしまってるように思います。
生きることに意味を与え、嫌なことや不幸なことをはねのける
支えとなるべきものが、「悔い改めよ」とか「人は罪人」とか
ハァ?と非信者の人が(信者からみても)理解に苦しむことが
強調されてるじゃないですか。信者も聖書一つ一つの言葉
に囚われすぎていて、それを現実社会と結びつけることが
できてない。そういう意味で聖書を非クリスチャンの立場で
読めることこそ、人生を豊かにするんでは、、なんてこの
スレを読みながらしみぢみ思ってしまったのでした。
226 :
たまごリュック:2001/06/26(火) 21:16
>>225(゚д゚)@ゴルァと読むらしい?さん
>生きることに意味を与え、嫌なことや不幸なことをはねのける
>支えとなるべきものが、「悔い改めよ」とか「人は罪人」とか
>ハァ?と非信者の人が(信者からみても)理解に苦しむことが
>強調されてるじゃないですか。
キリスト教の救済思想の前提条件として、
「人間は存在自体が罪(sin)(≠犯罪(crime))である。
そこから救済されるためには、
自らが罪の存在だと承認すること(=悔い改め)が必要だ。
だって罪の存在じゃない人には、救済なんて要らないじゃん」
つーことなんですよ。
「救済」ということは、正しい人に必要ありません。
むしろ罪人・病人こそ、「救済」されるにふさわしい。
福音書でイエスも言っています(どこか忘れたけど)。
「健康な人に医者はいらねぇ。病人にこそ必要なんじゃ」って。
これこそ、私の理解では、キリスト教の根本理念の1つだと考えます。
「人は罪人」だといっても、「だからみんなけーむしょに入れ!!」
なんてわけじゃありません。例の原罪(アダムの盗み食いね)のために、
人間は要らん苦労ばかり背負う運命におかれている。
(これはもう、全人類が認めることでしょう(笑))
そういう運命から「救済」されるためには、心を素直にして、
キリスト教の教えに導かれようぜ!! と。そういうことでしょう?
キリスト教の教義って。
(ただそれが「教会」を通じてのみなされるというのがちょっとねぇと。
おめーら、それって独占禁止法に違反するぞ!!って(笑))
なお、ヴァーグナーの「パルジファル」なんて、
ごりごりのキリスト教救済思想をモティーフにした作品ですよね。
パレスチナを解放しよう。
228 :
163:2001/06/27(水) 00:06
僕はクリスチャンでないし、
宗教的な問題を本当に切実に捉えたことは無いと思うんだけど、
(「宗教的な問題」っていったらなんでもこじつけられるが)
ゲッセマネの祈りのところは本当に感動したというか、戦慄を覚えたというか……だった。
229 :
吾輩は名無しである:2001/06/27(水) 00:17
信者の方にはたいへん申し訳ないんだけど
極言すると信者は聖書自体を読む必要が無いと思う
後付けされた教義をおとなしく遵法してればいい、そんな気がおれにはします
イエスの語ったとされる思想に取り組んでたら今日の宗教のありかたが
矛盾に満ちているのは明らかでしょう
ですから「真実」のイエス信奉者は「文学的」にイエスを解釈したひとに
限られるのではないでしょうか。すなわち「人間イエス」の苦悩に共感し、
その一生はスケールの違いこそあれ一般的にも当てはまるということ。
イエス自身も言ってるでしょ「お前らなんでおれの比喩がわからねーんだよ」って。
「キリスト教徒」と「イエス崇拝者」は別けて考えるべきだとおもうな。
230 :
吾輩は名無しである:2001/06/27(水) 02:22
そうだね。
三位一体も、マリア崇拝も、聖書には一言も書いてないもんね。
そう解釈できなくもないっていう個所があるだけで……
ニケア公会議とかエフェソス公会議とかで決まっただけでもんね。
231 :
吾輩は名無しである:2001/06/27(水) 02:39
>>228 >ゲッセマネの祈りのところは本当に感動したというか、戦慄を覚えたというか……だった。
少し、簡単にでもいいから
そのシーンと感動の内容をこのスレに上げてみてくれませんか?
当方、殆ど聖書を読んだことなく、
遥か前に一回目を通したような気がしますが、結局興味がなかったのと
もともと阿呆なのとでスッカリわすれています。
よく考えると、聖書を読んで感動しましたという非信者の文章が編纂される
事は少なく信者の聖書による感動は色眼鏡で見られるばかりでなく、実際少し
退屈させられる場合もある訳です。
お手数でしょうがその「感動」をUPしてください。(スレ主旨から言っても本意だと思う)
232 :
吾輩は名無しである:2001/06/27(水) 04:08
ミホノブルボンも確かに小島じゃなかったらってのはあるね。
でも勝ったライスシャワーも正味の話ブルボンほど強くはなかっただろうけど、
少なくともあれだけ記憶に残れば名馬と言っていいでしょう。
そんな訳であれはあれでドラマとして記憶に残って良かったかなって思うよ。
もっとも当時は歯軋りして悔しがったけどね。(笑)
233 :
吾輩は名無しである:2001/06/27(水) 06:44
ゲッセマネの祈りのところ
私もキボンヌ!
234 :
モサド:2001/06/27(水) 09:01
235 :
吾輩は名無しである:2001/06/27(水) 16:58
>>232 中途半端な荒らしなんかしてないで
>>229の見解に不服があるなら、堂々と見解を述べろよ
あんた信者だろ
>235
なんだかなー…。
荒らしを信者と決めつけてるところに
怪しい匂いを感じるんだけど、気のせい?
>>235 単純に誤爆だろ。
荒らしにしては真剣に書き過ぎてる。
しかも詳しいし(藁)
238 :
吾輩は名無しである:2001/06/28(木) 02:37
ゲッセマネの祈り!
は、いったいどうなったんだぁ〜〜〜〜〜〜〜!!
239 :
163:2001/06/28(木) 02:57
>>231 じゃあ一応引用&感想を。
ぼくが感動したという「ゲッセマネの祈り」はマタイ伝のこのセリフです。
「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯を私から過ぎ去らせてください。
しかし、私の思いのままにではなく、御心のままになさってください。」
中略(イエスは少し弟子の様子を見に行くが、また戻って一人で祈る)
「わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、
どうか、御心が行われますように。」
以上です。
240 :
吾輩は名無しである:2001/06/28(木) 03:04
ありがとう。
でも、感動の理由がちょっとこれでは分からないので(私の知識がないだけか)
もう少しどこがいいのか教えてください。
241 :
163(続き):2001/06/28(木) 03:04
多分引用だけじゃわけがわからないと思います。
このシーンの前がいわゆる「最後の晩餐」で、イエスはこの時点でユダの裏切りも、
ペテロの否認も(どういうわけか)知っています。
じっさいユダは晩餐の前に祭司と密告の約束を交わし、お金をもらっているのです。
で、この祈りのシーンのすぐ後でイエスはユダの接吻を合図に捕まり、
このあとはもう受難伝のクライマックスで、結局磔刑に処されます。
まあこんな流れなんですが、イエスを一人の人間として捉えたとき、
祈りのシーンのあのセリフは、すごく決意のこもった言葉だと思うのです。
242 :
163(続き):2001/06/28(木) 03:12
「この杯を飲むほかに……」というのは、要するに「私は死ぬほか道がないのなら……」
ということだろうと思います。
イエスは自分の意志か神の意志か知りませんが、とにかくなんらかの使命感を持って、
説教をしたりしていたはずです。その結果弟子たちが集まり、使命は果たされたかのように思われたかもしれません。
でも、弟子たちに慕われるだけでは、特異な集団を作っただけで、まだまだ足りない。
結局、イエスは自分が刑死せねば自分の使命が達成できないことをどこかで感じていたんだと思います。
243 :
163(続き):2001/06/28(木) 03:17
そこで、例のゲッセマネの祈りが出てくるわけです。
イエスは弟子たちに「起きていて一緒に祈りなさい。」というのに、
弟子たちはみな寝てしまいます。
その中で、一人逡巡しながら、悲壮な覚悟をもって「あなたがまだ不満なら、死んでみせようじゃないか!」
と祈るのです。
一人の人間に、神の使命が宿るということが現実にあるのかないのかは別としても、
自分の命よりも使命を優先させた「覚悟」が、僕にとって感動的だったわけです。ようするに。
使命がなんなのかはよくわかりません。「魂の救済」とか言っても言い尽くせない気がするし。
244 :
吾輩は名無しである:2001/06/28(木) 03:18
あ、またもや丁寧なレスありがとうございました。
少し分かったような気がしました。
私が勝手に思うだけかもしれませんが
こういうレスこそこのスレの本意だと思うのですが・・・・
史上最高かどうかは措いたとしても・・・。
245 :
163(続き):2001/06/28(木) 03:25
ついでに、聖書を文学として読む……なんていう話ですが、
小説として読むとやはり出来は良くないんじゃないでしょうか。
でも、イエスという一人の人間が「死」の運命を知りながらそれを受け入れていく物語として読み、
ひとつひとつのフレーズにイエスの悲壮な気持ちを読み取ろうとすれば、
本当に切実な問題がこめられているようにも感じるます。
とにかくゲッセマネの祈りのところは、自分の死が見えてきたときにまた読みたいと思います。
246 :
163(続き):2001/06/28(木) 03:38
>>245で変なタイプミスをしましたが、それはともかく、
僕としては、ゲッセマネの祈りのところを読むことで、
聖書があんなに大事にされてる理由がすこしわかった気がしました。
イエスは超人と言うわけでもなく、ただの弱い人間なんです。(多分)
でも、例えば、民族や身分の違いによって屈辱を受けることの悔しさとか、
死の恐ろしさとか、そういうことに毅然と立ち向かって、
自分と向き合いながら死ぬことができたから立派なんだと思います。
で、死んだら結局同じじゃないかと思いきや、
復活したとのうわさが流れ、「そうかあの人は死を克服したんだ。」
みたいな希望を与えたんだと。
聖書はこの一連の流れがごたごたと書いてある本だと、僕は思ってます。
247 :
吾輩は名無しである:2001/06/28(木) 04:26
>>246 素晴らしい感想・講評をありがとうございました。(様々な意見はあるでしょうが)
「文学として」よいう話ですが、文学を言う以前に文章全般のように広く
捉えた場合、宗教的昂揚を得るといった性質の文学は特に近代以降余り
無く(主題として選ばれなくなったため、また厳密な意味で皆無という訳
ではない。)それに至る文章技術・記述内容等といった点からも実は非常
に興味深いと思ってます。
その点ではさすがによく練られてもいるわけです。(経典なのですから当たり前
ですが)
また、よくできているとはいうものの、未来永劫の感動を保証できるとは限らない
ので、最近の雑音の多い情報過多の環境で人々がそれでもなお聖書のどこに
感動するかも知りたかったんです。
ところで、キリストの聖書内の言辞もその生涯も意味あいも極めて逆説に富んで
いるようにも思えますが、その辺はどう考えられますか?
実は他の文学でこれほど逆説に満ちた物語はなかなか見出せないと思います。
戯れ文や風刺文学は最後に与える感動が比較的小さいという点で実はその存在
自体の倒立が大きく成功を収めていないように思えるからです。
如何でしょうか?
248 :
吾輩は名無しである:2001/06/28(木) 23:29
「ゲッセマネ」は「マタイ伝」だろ?
「ゲッセマネ」に感動したのは「マタイ伝」がよかったということだと思うのだが
なぜ「聖書」がよかったことになるのか不思議。
「聖書」の中に読んで感動する部分があるのは理解できる。
しかし全体であれだけの数の文章を含む「聖書」の中に
感動する部分がいくつかあるのは当然と思われ
つーか折れ的にはむしろ感動できない文の比率が高い。
249 :
吾輩は名無しである:2001/06/29(金) 00:40
age
250 :
吾輩は名無しである:2001/06/29(金) 01:47
>>248 必ず揚げ足どりって、出てくるんだな
ゴキブリみたいに
おれは163じゃないけど
251 :
吾輩は名無しである:2001/06/29(金) 02:07
>>250 248はべつに揚げ足とりじゃないだろ、、。
文学作品として読んだ場合ああいう感想がでるのはおかしくないと思うが。
252 :
吾輩は名無しである:2001/06/29(金) 03:33
基礎以前の質問で、すいません。
>>183 >「エリ・エリ・ラバ・サバクタニ」なんて
>神学的解釈としては、176氏の言われるとおりですが、
>だいたいほんとにそう言ったんだか?(笑)
>処刑時には彼の弟子・支持者はみな逃げ出して、彼の発言なんて
>残ってるはずもないし、それに公開処刑場の雑踏・混雑の中で、
>処刑される者の発言なんて聞き取れるわけもない。
お尋ねしたいのですが「エリ・エリ・・」は実際何処に(と言うか聖書上の何処にという意味)
記されているのですか?今、手元にはネット上で仕入れたヨハネの福音しかありません。
(ヨハネの福音には「エリ・」が登場しません。無教養過ぎて申し訳ありませんが教えて下さい。
なるべく明日にでも図書館行ってみますができましたらどうか。それから本屋はなかなか置いてない
ですね。聖書)
>>176 >文学的にイエスをみるとこうなるのだろう。いや芥川はこうみたかったのだろう。すこし聖書を研究すれば>この見解はまったくのナンセンスであることが判る。なぜならイエスのこの言葉は詩篇22編の冒頭の句、>すなわち神を讃える言葉だからだ
>「十字架の上のクリストはついに「人の子」にほかならなかった。「わが神、わが神どうしてわたしをお捨>てなさる?」
結局十字架の上でキリストは「エリ・エリ・・・」を呟いたんですか?聖書上のどこにあるんでしょうか?
マタイ伝?
それから、どうして「・・お捨てなさる?」が神を讃える言葉になるんですか? この後にすぐ逆説的言辞
が続くんでしたっけ? できましたらどなたでも結構ですのでこれらももお教え下さい。
253 :
たまごリュック:2001/06/29(金) 04:08
>>252 マタイ27-46参照してください。明示してあります。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と。
あと、これは詩篇22-2に拠ります。
同詩4節以降をお読み下さい。
「わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。
・・・
だがあなたは、聖所にいまし
イスラエルの賛美を受ける方。
わたしたちの先祖はあなたに依り頼み
依り頼んで、救われてきた。
助けを求めてあなたに叫び、救い出され
あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。
・・・」
ただ、ほんとに言ったかどうかは「?」
254 :
吾輩は名無しである:2001/06/29(金) 04:28
どうも、ありがとうございました。本当に。
「僅か」ばかり読んだんですが、聖書って凄い面白いと思いますね。
(今頃、無知ですいません)
ところで、神(=無い物)を在ると言い、しかも言い続けた訳で
長い間に数々の修正が行われたかもしれませんが論理学的に考えても
興味深いんじゃないでしょうか。
(不信心な読み方で申し訳ないとは思いますが、論理展開としては
面倒とも思える手続きを踏みながら、論理の筋を踏み間違えておらず神の実在
の証明を脇に措いた場合「確かに存在する神」に基づいて全ての発言
が成されているように思え、そういう意味でも感動しました。宗教とも
文学とも外れた読み方ですが)
また分からない事を質問するかもしれませんのでその時はよろしく
おねがいします。
255 :
吾輩は名無しである:2001/06/29(金) 04:59
>>254 自レス読み返して余りに愚かというか、これではなんだか分からないで
しょうから、蛇足を書き付けておくと
「神なんかいない」という命題の存在に対しての「アリバイ(不在証明)」
論理的に行い見事に言い抜けきっているように見えるのです。
「神不在」の更に否定ですから「神はいる」という事になってしまいます。
(実在の直接証明ではないので論理的に穴がないとは到底言えませんが)
実在の神を示さずにそれについて論理(言葉)を重ねていき最大の効果を
上げた場合「聖書」(新約)の内容に近くなると思います。(当たり前な
こと言ってすいません)
でも、象徴操作と論理操作に富んでいてやっぱり面白いですね。凄く。
256 :
吾輩は名無しである:2001/07/08(日) 21:26
257 :
吾輩は名無しである:2001/07/15(日) 17:26
聖書が文学として巧緻なのかどうかはともかく、読む人に影響を
与えることが多いのは事実だと思います。
当方中学・高校とミッションスクールで、まるで笑う大天使のような学校で
聖書教育をふんだんに受けて過ごしましたが当時はちーとも思うところなく、
読み直してなるほど感銘を受けたのは卒業後10年もたった最近です。
『父よ、私の魂を御手にゆだねます。』
4福音書のうち、ひとつだけに記されているイエスのこの言葉。
なぜ??
私をお見捨てになったのですか、と他の福音書では叫んでいるのに…
疑問浮かんじゃったよ
博識なみなさま教えてキボンヌ
258 :
吾輩は名無しである:2001/07/15(日) 18:04
ヨブ記以外は…ちょっと…
259 :
吾輩は名無しである:2001/07/15(日) 23:56
>>257 ヨハネじゃないかな。それ。
4っつの内、最も傾向が違うしね。違ってたらゴメン。
260 :
吾輩は名無しである:2001/07/16(月) 23:51
>>257 ゴメン。「ルカ」だった。スマソ。
ヨハネの方は「全て、終わった」というような意味の言葉が最後の台詞。
261 :
吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 00:31
佐古純一郎だどうですか?
262 :
吾輩は名無しである:2001/07/17(火) 00:31
だ→は
263 :
吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 02:19
>>257 旧約聖書の詩篇からの引用を最後に口にしたと考えられており
「エリ、エリ・・・」はその詩篇の冒頭の句
>『父よ、私の魂を御手にゆだねます。』 は詩篇の終わりの句。(複数章にまたがっての)
「神よ、私をお見捨て・・・・」が22篇で
『父よ、私の魂を御手にゆだねます。』 が3?篇の最後。
うーん。不正確ですまない。旧約を取り出して見れば分かるでしょう。
264 :
吾輩は名無しである:2001/07/18(水) 06:58
田川健三はどうですか?
265 :
吾輩は名無しである:2001/07/21(土) 04:54
age
266 :
私だけ?:2001/07/22(日) 18:03
井上洋治なんてどうですかね?
267 :
吾輩は名無しである:2001/07/22(日) 23:27
>1
史上最高というよりも、最も良く売れた本というのは、当てはまってる(ワラ
268 :
吾輩は名無しである:2001/07/28(土) 22:21
『創世記』11章は言わずと知れた「バベルの塔」ですが、
それに先立つ10章で、ヤペテの子供たちが「それぞれ、その国で
その国語に従い・・・住んだ」とあるのは、
一体どういうことでしょう?
269 :
吾輩は名無しである:2001/07/28(土) 23:08
それを言ったらきりがない(笑)
たとえば、創世記2-18で、アダムが一人でいるのをみて、神は、
人が独りでいるのはよくない。彼に合う助ける者を造ろう。
とイブ(女)をつくったわけです。これは子供でも知っている。
ところが、その前に創世記1-27で
神は…人を創造された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。
とある。これ、どーなってるの?(笑)
(ちなみにこの「女」はレベッカでしたっけ? 名前もあったりします)
おそらく聖書の原典となる文書を編集する際に、
前後の矛盾を放置したまま編集しちゃったんでしょう。
270 :
基礎知識:2001/07/28(土) 23:17
ったく、しょうがねーなー。
創世記はJ資料・S資料などいくつもの元資料の寄せ集めなの。
そんなの聖書の常識よ。
くだらない現代小説なんか読んでる暇あったら、
聖書を頭から通読しなさい。
ただし、素手じゃだめだよ。
せめて略解を参考にしながらね。
2CHの宗教版で勉強しな!
271 :
269:2001/07/28(土) 23:35
>>270 勉強すべきなのは同意しますが、2chの宗教板で、というのは
いかがなもんでしょうか?(笑)
272 :
268:2001/07/29(日) 00:30
>それを言ったらきりがない(笑)
>おそらく聖書の原典となる文書を編集する際に、
>前後の矛盾を放置したまま編集しちゃったんでしょう。
>創世記はJ資料・S資料などいくつもの元資料の寄せ集めなの。
>そんなの聖書の常識よ。
それを解っていながら、今尚信仰心を持ち続けている耶蘇教徒って、
やっぱ真性のヴァカだったんですね。
なんかすっきりしました。
ありがとう。
273 :
吾輩は名無しである:2001/07/29(日) 02:09
残念だね。
こうやってまたひとり、誤解と無知に基づく偏見が生まれていくのか。
おそらく272は268氏の偽ものだろうけど、いずれにせよ、272は困りもの。
おそらく、「作る会」教科書や小林よしのりしか読まず、
視野狭窄に陥ってるんだろうね。
ああいうのが野放しになってる社会は、自由な社会なのか、単なる衆愚社会にすぎないのか?
インターネットで若い素人がでたらめな思想を持つことについて、
伝統的教育を受けてきた年寄りの保守主義者(西尾、西部など)ほど
否定的になっているのも理解できなくもない。
274 :
吾輩は名無しである:2001/07/29(日) 03:00
>273 かっこいい!ちんぽしゃぶらせて!!
276 :
吾輩は名無しである:2001/07/29(日) 05:11
聖書読んでる人間ってとっても傲慢ですね!
277 :
吾輩は名無しである:2001/07/29(日) 05:17
>273 保守主義者=保田圭守る主義者
278 :
吾輩は名無しである:2001/07/29(日) 05:32
>>273 >残念だね。
こうやってまたひとり、誤解と無知に基づく偏見が生まれていくのか。
おそらく272は268氏の偽ものだろうけど、いずれにせよ、272は困りもの。
どこがどう偏見なのか、全く説明なし。ただ切って捨てるだけ。
>おそらく、「作る会」教科書や小林よしのりしか読まず、
視野狭窄に陥ってるんだろうね。
ああいうのが野放しになってる社会は、自由な社会なのか、単なる衆愚社会にすぎないのか?
まず小林とかを読んでることの根拠が不明。どういう推論をしたのだろうか?
論理的に導き出されたわけではない。273の中では小林を読んでる=馬鹿
という等式が既に成り立っているのだろう。だがここでもやはり何故小林を読んでると
馬鹿なのかについて納得のいく説明がなされていない。
>インターネットで若い素人がでたらめな思想を持つことについて、
伝統的教育を受けてきた年寄りの保守主義者(西尾、西部など)ほど
否定的になっているのも理解できなくもない。
ここでも保守主義者が批判的に書かれているがやはり何故、かは
書かれていない。
結論273の言ってることは全て単なる悪口。非難、中傷でしかない。
なるほど、聖書を読んでるとこのように他人を貶すことしかできない
人間のクズになるのですね。ちなみに俺は272じゃないよ。宗教の
人間の偽善っぷりにむかついたただの通りすがり。
279 :
基礎知識:2001/07/29(日) 15:24
>272
あのね、聖書の成立より信仰の成立の方がずっと早いの。
じゃなきゃ、だれが書いたかもほとんどわからないような聖書の
文書が今まで残るわけないでしょ。
信仰が先でそれを補足するために聖書が出回ったと考えてね。
これ、宗教と教典史の常識ざんす。
280 :
@:2001/07/31(火) 20:46
イエスってワガママだよね。
イチジクが食べたくなって、季節が違うから実が成ってなかったら、怒り狂って
町中めちゃくちゃにしたり。
281 :
吾輩は名無しである:2001/07/31(火) 21:12
>>280 まあそのシーンが気になるのはわかったから、
わざわざスレッド立てるなよ。
282 :
吾輩は名無しである:2001/08/01(水) 05:45
だいたい木を枯らしてしまわなかったか?
反エコロジストだよ。まったく。
でも好きなんだけど。
283 :
後藤まみ:2001/08/01(水) 10:10
284 :
吾輩は名無しである:2001/08/01(水) 15:10
聖書は世界中で読まれているベストセラーである。
・・・ってもう出た?あり?
285 :
吾輩は名無しである:2001/08/01(水) 19:48
聖書は毎年けた違いのベストセラーで(1年で約2000万部、福音書などの頒布数
は6億)、キリスト教クリスチャンの総人口は20億人とも30億人ともいわれている。
またヘブライ語・原典の聖書は1948年に死海文書が発見され、本物との分析結果が
出ている。しかも聖書は歴史上唯一預言を全くはずしてない歴史書で、イスラエルの分断や、
エジプトの王の内容やイエスのことなどは圧巻。また聖書は異なった時代に違う人物が書いた
ものだが内容が一致し、また弟子の失態なども客観的に述べられている。宗教書で不利なもの
を載せているのは聖書のみである。また世界の年号のみならず、この2000年の世界の歴史
は、キリスト教の歴史といっても過言ではない。聖書は地球の人間のために書かれた。ゆえに
タンニン(恐竜)のことも少し触れているが、地上の知識のみに縛られている人間には到底理解
できぬように書かれている。これも聖書の預言通りである。やはりダーウィニズムは誤謬である。
600万年前と15万年前の数字・・・1日24時間でたとえると、人間は23時間59分に突如
として遺伝学的に猿からヒトへと進化し、23時間59分30秒ほどで飛行機を作ったことになる。
これは、進化とは漸次的に起こる、というダーウィンの結論と矛盾する。またキリンなど祖先の化石
は多く発見されているもその中間、進化の過程の化石は全く発見されていない。いかなる動物に関し
てもそうである。また適者生存・弱肉強食がダーウィニズムならば、猿の4足歩行や体毛は退化する
はずがない。そしてミトコンドリア・イヴの発見、つまり人類共通の祖先が今から約15万年前のア
フリカ大陸にいた、という事柄を進化論はどう説明するのか。小進化、たとえばある生物の眼が退化
した、バクテリアが抗生物質に対抗できるようになった、というような進化は当然ある。しかし眼が
勝手に形成される、というようなことはありえない。眼は見ることができるもの、として創られねば
ならない、これは著名な医学者の意見である。彼はさらに言う。簡単なタンパク質でさえ、高分子な
どの複雑な関係上、偶然にできる、ということは考えにくい、そうである。だとすれば聖書は間違いは
ない。ニュートン、パスカル、ガリレオ、コペルニクス、アインシュタイン、ダーウィンでさえ神を
信じていたのである。聖書には地動説を否定するようなことは全く書かれていない。それどころか、
ダ・ビンチ、ダンテ、ゲーテ、ドストエフスキー、トルストイ、ナポレオン、ゴッホ、リンカーン・・・
あげればきりがないほどの偉人たちが神を信じ、聖書を聖霊を通して読んだ。人間は空気、水、種を
科学力で創ることはできない。すべては偶然なのか? イエスは30歳そこそこで死んだ。伝道年数は
なんと3年である! これはどういうことだろう? なぜマザー・テレサは神になれなかったのか?
イエスがもし嘘でこれほどの全世界的影響力を持てたなら・・・そのほうが奇跡的な確立であろう。
イエスだけがユダヤ教にもイスラム教にもヒンズー教にも登場する。聖書にはこう書かれている。
「イエスを心の中で神の子と信じ、罪を赦してください、と祈り、互いに愛し合うなら、あなたもあなたの
家族も救われます」この宝はお金では買えない。また死後、持ちつづけられない地上の宝はあまり意味がない。
地球も太陽も滅びる。人類の良い遺産も負の遺産も。人間の喜びも悲しみも。しかも人間は明日死ぬかもしれない。
これが現代科学の考え方である。生きる意味は、本質的にない、と言っているのである。
286 :
吾輩は名無しである:2001/08/01(水) 22:13
287 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 00:42
聖書の記述に科学的根拠を求めることは無駄なことであるし
イエスの思想にも反することだと思う。イエス自身、自分が
比喩的に語っていることを告白しているし、彼が旧約をその
ように捉えていただろうことは容易に推察できる。
物事の真実に科学的根拠を求めることは迷妄であるということを
教えているのが聖書である。人間の意識変化を促すことが聖書の
核心の思想であり、それ故に政治に利用されやすいのである
288 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 00:45
>>287 要は聖書に書かれてることは事実じゃなくてつくりごとってことね。
政治=教会が利用しやすいように書かれてるのね。
289 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 01:12
トマスアキナスいいね。
290 :
赤い王:2001/08/02(木) 01:15
「あなたの子孫のうちで、障害のある者は、代々にわたって、神に食物を
ささげる勤めをしてはならない。だれでも、障害のある者、すなわち、目や
足の不自由な者、鼻に欠陥のある者、手足の不釣り合いな者、手足の折れた者、
背中にこぶののある者、目が弱くて欠陥のある者、できものや疥癬のある者、
睾丸のつぶれた者など、以上の障害のある者はだれでも、主に燃やしてささげる
捧げ物の務めをしてはならない」(レビ記21−17)
このように偉大なるこの世の最高の愚書は、人種差別を認め、勧め、それに貢献してきました。
聖書が抱える数々の矛盾は、決して信者からの口からは語られず、彼らは良いことしか言いません。
本当に罪深き人が一体誰なのか?それは彼らです。
悪魔の囁きには十分注意してください、どうか真実を見極める目を持ってください。
291 :
つる:2001/08/02(木) 01:18
聖書をベストセラーというのは、あのホテルで無料で配ってるあれも入れてのことかぇ?
ぼくはいつも、あれはずるいと思っていたのだ。
292 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 02:51
「悪の書」として読んでも実は面白いのだが・・・・。
嫌うというか退屈に感じる人は描写による現実感にズレを感じて
しまうのではないだろうか?
ベストセラーの多くも(欧米の作品におけるプロットなど)
聖書の影響下にあるものも多い。
だから素晴らしいと言いたいのではなく、目を曇らされないためにも
出所を知っておくのも良いかも。
そう読む場合、当然ながら信者としての目ではない。
意外に面白いのも確かである。
293 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 06:33
現在でも世界文学はそのほとんどがアメリカ・ヨーロッパ文学で構成されている。
(最近ではアジア・アフリカ文学も台頭しているが)
その欧米文学を読むには、
・聖書の知識
・ギリシア・ラテン古典についての知識
が絶対に必要。深い知識までは必要ないけど、最低限の知識がないと
意味が分からないところも出てくる。
聖書を「悪の書」として読まないのは、世界文学の基礎知識なしに文学を
読もうとするものであって、羅針盤なしに大洋航海をしようとするのと同じ。
(しかも290はおもいっきり誤解と無知に基づいてるし(笑))
>>288 以前から思ってたけど、こういうこと言う人って
高校の時「世界史」とってなかったのかなあ。
295 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 20:06
>290
旧約聖書時代は人間を律するためにあり、救いは明確ではなかった。新約すなわち
キリスト・イエスはどうだったか? 彼はハンセン病の患者の洞窟で治療し、人間の
行ないではなく愛の恵みによって救いを提供したのです。「父よ、彼ら(人間)をお赦し
ください、彼らは自分がなにをやっているかわからないのです」。神が不完全な人間の
ために愛によって自ら肉の苦しみを受けたのは、必然でしょう。神がいるのならイエスは
唯一の完全な真義でしょう。聖書を一度しっかりと読んでみてください。恐ろしく不思議な
296 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 20:25
律法学者(今でいう社会的地位の高いエリート)が元大工イエスを嫌悪し、試みるために言いました。「この女は娼婦です。なぜ
裁かないのだ?」イエスはこの女の悩み・苦しみをすべて観抜いて言ったのです。「今までで一度も罪を犯したことがない、と断言
できる者が、まずこの女に石をぶつけなさい」
297 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 21:22
聖書を悪魔の書というなら、ダンテ、ゲーテ、シェイクスピア、ドストエフスキー、
トルストイ、ディケンズ、トーマス・マン等々・・・・世界の文学を否定することになるよ。
また映画、日本の優れた文学、近代憲法まで、ね。
298 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 21:31
>>297 そうだね、罪と罰なんか、イエス様って唱えてりゃ
殺人がチャラになっちゃうんだから、開いた口がふさがらない
299 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 22:18
300 :
高校生:2001/08/02(木) 22:45
学校の聖書の先生って大変だとおもわないですか?
すべて絵空事ってわかってても事実っぽさを匂わせて話しをしないと
いけないし
301 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 23:00
>>300 事実っぽく話すと、オウム真理教と大差ないことが判明して
却って大変かもよ。
302 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 23:12
>>300 そうそう楽な仕事など無いと思われ。
教職免許取って教師として飯喰っとるのはそいつの勝手。
子供はバイバイ〜★
・・・にしても聖書の先生ってなんや? シスターの事かいな
303 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 23:17
私の卒業した高校では数学の先生が
聖書の時間を教えてました。
304 :
高校生:2001/08/02(木) 23:18
キリスト教系学校の「聖書科」の先生とか
よくやっとる 聖書を知る、とかの公演の講師とかやね。
305 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 23:20
アメリカとイスラエルがなくなれば世界はどんなに
307 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 23:40
>>302そういう意味の 大変 ではないとおもわれ。
308 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 23:47
聖書がなくなれば世界はどんなに
309 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 23:51
聖書よりもトマスアキナスの「神学大全」の
方が重要なの。
310 :
吾輩は名無しである:2001/08/02(木) 23:57
面白いのは確かなんだけど。
絵空事としても、どうして
こんなに多くの人がこんな絵空事に騙されてるんだろうと思うと興味が涌きます。
そこまで皮肉に捉えず感動することもできるし。
また、この教えに基づいて幾多の戦乱が巻き起こったかと考えるのも一つの読み方。
描写・記述にある種のテクニックが集約されているのも確かだし・・・・・。
311 :
302:2001/08/03(金) 00:10
>>307 そうなのか? すまんが君の言う「大変」の意味がワカラン。
面倒でなければ教えてくれ。
312 :
吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 00:19
神学的な教義理論を組み立てていかなければ
聖書って意味ないの。
313 :
吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 00:29
309=312
お前ウザイよ。自分の聖書観を語れや
314 :
吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 00:43
勝手に読む聖書というのも重要だと思うけどなあ。
最終的に完全に押し付けだけでは
信仰は成り立たないからね。
一信者をバカにするのもいいかもしれないが
一分の魂を認めなきゃ、成り立たないんだからね。そもそも。
315 :
吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 00:47
「神学大全」も読んでない奴に、聖書を語る資格はないね。
316 :
吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 00:54
日本人的な意見多すぎ。。。
317 :
吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 00:56
>>316 じゃあ、韓国人的な意見はどれとどれよ。
318 :
吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 00:58
神学大全がこの世に存在する前に
聖書を読んだ者達はどうなるのだ?
字が読めないために口伝えに聖書を聴いた者達はどうなるのだ。
文盲者を認めないなら文盲である者達に
宗教的自由(白紙の状態)を返すがいい。
319 :
吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 00:58
>>316 日本人的な意見とはどの様なものなのか
具体的に説明してください
320 :
吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 00:59
>>318 そいつらはキリスト者ではない。
「神曲」の地獄の入口にいる人たちだよ。
321 :
320:2001/08/03(金) 01:00
カソリック教徒という意味でね。
322 :
吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 01:01
だから、それなら
返してやれよ。
323 :
吾輩は名無しである:2001/08/03(金) 01:06
トマス・アクィナスを読んだって
語れるのは、せいぜいカトリックについてだけ
324 :
320:2001/08/03(金) 01:13
「聖書」じゃねーのか?
タイトルにそうあるべ
326 :
吾輩は名無しである:2001/08/11(土) 23:58
旧約聖書は、世界3大わい書だって言ったの誰だっけ。
キリスト教っていうと、新約の内容のほうが本質ついてると思うんだよね。
旧約は途中で、いろいろその時代に都合いいことを
付け加えられたんじゃないの?
と思うのは恐れ多いことでしょうか。
327 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:26
いやいや、
敬虔な信者を除いて
前提や成立を疑いながら読むのは当たり前です。
それから旧約も矛盾は多いかもしれませんが
象徴やその操作、寓意などについて豊穣であり
示唆にとんでいて読む甲斐はありますよ。
奔放な想像力を巡らしながら読むと面白いです。
有り難がってばかりじゃツマンないでしょうが。
328 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:54
旧約のほうがおもしろい。
神様がいかに傲慢な奴で、
ユダヤ人がいかに学習能力の無い民族かが
延々と綴られている奇書。
329 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:57
ユダヤを悪く言うなや
330 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 00:59
しかも、主体やら
主張やらどんどん変わっていってるでしょ。旧約。
一人の英知じゃ、到底あんな混沌に辿り着けない。
331 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 01:17
>>330 わたしもそう思うんだよね。
でも学校のシスターはそうは教えないんだよね。
新約とも矛盾してるように思えるのだけど
みんな結局は同じ事言ってるんだって。どうやったらそう思える。
332 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 01:26
まあ、それはそれでしょうがないです。
職業として
そして信徒としては、矛盾に目を瞑らざるを得ないでしょうから。
ただし基本的にどう読むかを始めとして
精神活動は実は自由であるわけですから
自分なりの曲解・誤読も含め
追求されるといいと思います。
キリスト教圏の文学は
その殆ど全てに新・旧聖書の影響を受けていることは
否定し難いので、独特の解釈から
何か生まれてくるかもしれませんからね。
333 :
さわら:2001/08/12(日) 01:40
街角でもらったことはある
334 :
吾輩は名無しである:2001/08/12(日) 04:22
聖書はねえ・・・・・。
くだらねえコピペ文作ってないで
仕事探せ!
336 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 23:13
キリスト教精神が色濃く反映されてる作品てなんでしょう? アーサー王と騎士たちの伝説とシエークスピアですかね?
337 :
吾輩は名無しである:2001/08/13(月) 23:18
ノノノハ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ・≧・)< フォッ、フォッフォッ、加藤 淳です。
( ) \__________
| | |
(__)_)
338 :
芝:2001/08/14(火) 01:38
教会などで見かける手垢のこびりついた聖書、赤えんぴつの線が一杯の聖書より
ホテルの引き出しにひっそり置かれてる小さくて小奇麗な新約聖書が好きだ。
偽善の匂いがしないから。
339 :
吾輩は名無しである:01/08/26 16:29
ホテルの聖書は何故置いてあるの?
340 :
吾輩は名無しである:01/08/26 17:10
迷ってる人がいっぱいくるんでしょう。
341 :
ID野球:01/08/28 00:55 ID:A7XpYQI.
ま、聖書を書いた当事者は、
文学をかいている自意識はなかったでしょうけど
342 :
吾輩は名無しである:01/08/29 08:04 ID:WbaqsUw2
>>339 カトリックでは毎日聖書のどこそこを読めって決まってるの。
聖書ってでかいじゃん。持ち歩くのタイヘンだから置いてあるのよ。
読むとこってすこーしなんだけど、今じゃ誰も読んじゃいない。
でも、おじいちゃんとかおばあちゃんとかは朝の祈りのあとに読んでるな。
あ。祈祷文は暗記してるから祈祷書は持ち歩かなくていいのよ。
343 :
吾輩は名無しである:01/09/01 09:57 ID:tLQV6VIc
何時の間にか300超えてる、、、
344 :
名無し読者:01/09/03 11:20 ID:6ddoW1a.
おれ的には、旧約の「ヨブ記」を初めて読んだ時に非常にショックを受けたのを
覚えている。
信心深く善良な人・ヨブに、不条理にも数々の不幸が襲う・・・という話。
ヨブは最初は幸福に暮らしている。
神が「ヨブほど善良で神を敬う人間はいない」というと、
サタンが「それは幸福に恵まれているから。不幸に落としてみれば、たちまち神を
呪うでしょう」と答える。
そしてヨブを試すためにサタンが不幸をもたらして苦しめる・・
345 :
吾輩は名無しである:01/09/04 22:36 ID:ChBrbSDc
新約のイエスの話は、説教くさくておもしろくないです。30ぐらいの若造に、
いろんなこと言われたら、ちょとカチンとくることもある。
まあ、本当に目の前にいたら、かっこよくて信じてしまうでしょうけども。
比喩とか、意地悪っぽくて、「もっとマターリしましょう」とつっこみたくなる。
旧約はおもしろいです。いくら不妊だったからって、
100歳くらいで平気で産んでしまうなんて、ユダヤ人って、すごすぎる(藁)。
346 :
旧約聖書で:01/09/05 00:33 ID:8KVaREs6
しょっちゅう主の怒りを受けて罰を受けまくったり警告されたりしてるのに、
いつもいつも異教の神を崇拝したり悪徳にふけるイスラエル民族ってアホ?
って思っちゃう。
学習能力全然ないやん
悪さして罰を受ける・・・の繰り返し
347 :
名無しさん@Emacs:01/09/05 12:48 ID:WyBVOywg
旧約の方は、子供向けに簡略化された本を小さい頃読んだきりだなぁ。
新約の方は厨房の頃、はまっていたナボコフ「ロリータ」に聖書や神話の引用が多すぎて読みにくくて、
知識ベースを少し増やしたいがために読んだ。
(注釈は確かにあるんだが、できればストレートに読みたいしね)
20代には単車で日本一周した際、岩波のコーランを途中で入手して読んだ・・・
といってもほとんどの書店には置いてなかったので、
下巻まで揃ったのは出発半年後、沖縄県は石垣島の本屋さんだったが。
で、そこまで読んだ結論なのだが、
聖書は、
西洋の文学を読んだり西洋の文化を理解するのには「読んでると良いかもしれない」が、
単独の読み物としては興味持てなかった。まぁもとより私の場合、
唯一絶対の神を信仰する世界観そのものが異質なものと感じているし、
そのための抵抗感もあるのかもしれない。
「読み物として読めば」ってのはわかってるんだがあまりに自分の主義主張と反している場合、
なかなか素直に読み進める事ができないらしい・・・2ちゃんの煽りと一緒だね。
俺もまだまだお子様って事かなぁ。
348 :
吾輩は名無しである:01/09/11 21:05
age
349 :
吾輩は名無しである:01/09/12 20:20
異質だからこそ面白いという考え方もあるが。
信仰持ってたらとても楽しむようなものにはなるまい。
350 :
吾輩は名無しである:01/09/17 00:29
聖書は読んでつまらないけど、聖書を読んだ後、芥川龍之介の
「西方の人」を読むと面白い。
351 :
吾輩は名無しである:01/09/17 02:27
妹がキリスト教のあまり正統派でない宗派にハマッてしまいました。
家族に布教しまくり、「宗教(良くない意味で言われる方です)」ではなく
「信仰」なのです などと言って押し付けてきます。
本当に「信仰」なのであれば、「聖書勉強会」にわざわざおカネを払って
行かなくても、自分で聖書を買って勉強すれば良いのでは と思ってしまう
私は信仰心の薄いナンチャッテ仏教徒。
352 :
吾輩は名無しである:01/09/17 18:02
エピソードとしては深いんじゃないの?
表現については保留します。
353 :
吾輩は名無しである:01/09/20 12:46
『新約聖書中の一篇を参考にしつつ、「キリスト教信仰の特質」を考察せよ』
↑こういう宿題でたんですけど、わかりやすい本とかあったら教えてください。
お願いします
354 :
吾輩は名無しである:01/09/20 15:12
ついでに論語版もつくる。
355 :
吾輩は名無しである:01/09/20 15:21
新約と旧約、別々にわけない。
どっちのこと言ってるのか分からん
356 :
吾輩は名無しである:01/09/20 16:39
age
357 :
吾輩も名無しである:01/09/21 21:51
>>339 亀レスだが・・・
ギデオン協会の聖書でしょ?
あれは、自殺防止のために
無償配布されてるのね。
358 :
吾輩は名無しである:01/09/25 22:26
>>357 ホテルで自殺する人はどれくらいいるのでしょうか。
聖書を読んで自殺を思いとどまった人はどれくらいいるでしょうか。
ギデオンが何を根拠にしているのか、具体的な事例があれば
教えてください。
359 :
吾輩は名無しである:01/09/25 22:33
個人的には聖書は絶望の書に思える
果てしなく血なまぐさい書物だ
こんなものを読んで自殺を思いとどまる
とは到底思われない。イエスはペシミズムの
代表選手だろう。
>>358 ギデオンの関係ではないので詳しいことは知らないが
あくまでも日本が発祥の地ではないということを念頭に
チョト考えてみてもらいたい。
キリスト教的価値観の中で育ったある人が
何等かの理由で疲れ切って、死に場所を求めて
やってきたホテルの部屋で、置いてあった聖書に目を止める。
そういうシチュエーションでも思い描いてみてほしい。
逆説的ではあるが・・・
聖書を読んで自殺したくなったという人は
果たしているのだろうか?
小説や詩に起因する自殺というのはよくあるが。
少なくとも聖書には「生きよう」という
メッセージが息づいているのが感じられると思う。
と、クリスチャンが言っても信憑性ないかもしれんが。
ちなみに聖書といっても、ギデオン協会が配ってるのは
New Testment(新約)の方ね。
チョト宗教板的な方向になってしまうが、ついでにもう一つ。
キリスト教では自殺をしてはいけないことになっている。
では、なぜにこの世の全てを創造した父なる全能の神は
人間に自殺するという知恵を授けたのか・・・?
例えば、創世記にもある禁断の木の実の話し一つとっても
さまざまな疑問が次々と沸いてくる。
なぜに「食べるな」と言わなきゃならんようなものを作るのか?
そして、なぜに「食べるな」と言われたものを食べてしまうという
創造主に逆らうような知恵を授けたのか?
そもそも、人をそそのかすような蛇だとか
後々に出てくる悪魔などというものまで、何の目的で作ったのか?
自分の中では、それなりの答えは出ているが
とりあえず、どうよ?
ありゃー・・・
放置かいな
ありゃ・・・まだ放置されてるよ
人がマジレスしてるってのにこの仕打ちって・・・
これが神の試練とは到底考えられないな。
おまえらいい加減にしないと知らないよ。
ageるぞ!
>>361 要するに旧約聖書はユダヤ民族の後付け理論だから?
バビロン捕囚の辛さを耐える為の拠り所として聖書が作られたから?
素人だからよく知らないけど。
357が可哀想なのでsage。
366 :
吾輩は名無しである:01/10/20 18:15
357はまだいるのかな?
>>361 ネガポジの発想とある意味同じなんじゃないのかなー。
たとえば、ムラ社会の一員としての利益と自己を中心とした利益と
視点の違いから発生した「利益=義」の相異から始り
それを安直に解決する策として悪魔という定義を設けた。
とか。
このスレを最初から読んでるわけではないから
ガイシュツだったらスマンけど。
なんか面白そうなスレなのでageる為にもカキコしてみたんですが
どーでしょーか
368 :
吾輩は名無しである:01/10/20 18:33
コー○ンは史上最高の電波文だな
369 :
吾輩は名無しである:01/10/25 10:33
「旧約聖書」の中で、ヨセフがエジプトに売られる話があるけど(創世記)、
その後、飢饉になって兄弟達に食糧を分けてあげる所、あれには泣けた。
ヨセフ自身が兄弟だと告げずに隠れて泣く場面では本当にもらい泣きした。
その話をしても、聖書読んでない人って『ふ〜ん』って思うだろうから
語ることができずジレンマに陥る。
私の好きな登場人物はアブラハム、サラ、イサク、ヤコブ、ヨセフという
一連の流れ。あと「ルツ」かな。
クリスチャンじゃないけど、クリスチャンに「(登場人物で)誰が好き?」
って尋ねるのがまた、好き。
女性に人気があるのは(新訳の)「マグダラのマリア」が多かったけど
新訳では旧約のようにその人物の持ち味があまり出てない気がして、
読み物として面白いのは断然「旧約」だと思う。
ここで、みんなの好きな登場人物が語られたらうれしいんだけど。
ぜひ、聞かせて。
手塚治虫の「火の鳥」を見る時、「ああ、彼の中のイメージはこうなんだ」
と思ったりして、聖書の中の人物を手塚治虫のフィルターを通して見ること
も楽しい。遠藤周作が直接的に解説するよりもね。
370 :
吾輩は名無しである:01/11/06 10:33
ノアの箱舟の伝承ってシュメール文明からあったらしいよ。
それで実際あった洪水が元になっているらしい。
nhkの四大文明でやってた。
イエスの肌は白いか、否か。
幾ら何でも基督の肌が真つ白とゐふことはなひ。
373 :
吾輩は名無しである:01/11/06 16:59
>>369 新約でもパウロの個性は際だってると思うな。
回心は劇的だし、行動的だし、何か惹かれる。
クリスチャンじゃないけど。
374 :
吾輩は名無しである:01/11/07 21:47
375 :
吾輩は名無しである:01/11/07 22:51
>>371 このまえTVでやってたけど、アラブ人な雰囲気ぽかった。
時代考証を考えるとそうなるそーな。
376 :
吾輩は名無しである:01/11/08 15:12
マグダラノマリアが好きっていうのはキャッツの娼婦の猫の人気と同じだね。
穢れへの罪悪感から解放されたいんだな。
377 :
吾輩は名無しである:01/11/08 16:37
>>374 あんたあの監獄の場面をみるように
薦めてるの?見る人は客観的な姿勢を
忘れないでね。
378 :
吾輩は名無しである:01/11/09 15:44
>>374 「マルコムX」は問題作でもありますが、
聖書を考えるときにはいいたたき台になる
でしょう。
神の名のもとに戦争の火種を撒き散らしている
アメリカの病魔があの映画には描かれています。
それにしてもブッシュは自国がテロを中東で
テロを起こしているということに気がつかないのでしょうか。
それこそ宣誓供述してもらわないと。
聖書の全文(英語)が載ってるサイトってないですか?
単語検索なんかができたらなお良です。
bible.comってのがあったーよ。
381 :
吾輩は名無しである:01/12/05 00:45
質問なんだけど、創世記の最初に、アダムとイヴに
神が着せる皮の衣(garment of skin)て何の皮?
382 :
吾輩は名無しである:01/12/05 01:05
そりゃもちろん、チンポの革だよ
ダヴィデ王覗きage
アダムが〜イブの〜マソコを舐めてから〜
ふにふにふにふに〜あとをたたない〜
385 :
吾輩は名無しである:02/01/18 11:14
ageておこう。
386 :
吾輩は名無しである:02/01/20 19:11
旧約は記述に重複があって読みにくいから好きじゃない。
複数の出典を継ぎはぎしたせいだというけど、校正にあたる者は
何とかしようと思わなかったんだろうか。
387 :
吾輩は名無しである:02/01/20 19:19
>>386原稿集め、整理、構成、レイアウト、紙の発注、配本
全部ひとりでやってたんじゃないの? ある意味イエスよりも
偉いかも。
388 :
吾輩は名無しである:02/01/21 08:59
当時は紙って羊皮紙だったんでしたっけ? 確かに発注は大変そうだ。
だから途中でキレて、外典をばっさばっさ切り落とした、と。(違)
389 :
吾輩は名無しである:
>>388パピュルスの巻子本です。羊皮紙のコデックスは4世紀前後。