>>950 実は、そうなんですね。
今は通りすがりの人にまで狂犬が噛みつくほど、
スレが荒れていたりします。
ちと、どうするか様子をみてるところ
ムーさんのスレがあったので「シネマ」入手したけど
読んでない。
>>944 最後の一行外すなよw
>皆さんのご意見を聞いてみたい。
なにゆえ、皆さん?
954 :
吾輩は名無しである:2013/01/06(日) 21:53:07.42
>>953 >なにゆえ、皆さん?
お前の糞のような書き込みまっぴら御免ということだけど、なにか?
だから、答える必要がないと思ったw
誤爆りました。
まあ荒らしは心地よいBGMみたいなもんじゃないすか
そうでしたか、なんで論先生って、悩んでいたw
確かに、ドゥルーズ「シネマ」スレの荒らしも凄かった。
いや
ああいうの苦になりませんよw
俺もモリタポ買って再開しようかなあ。
ではでは
960 :
吾輩は名無しである:2013/01/06(日) 22:06:03.46
>>955 >だから、答える必要がないと思ったw
Gは2chにいる理由を根拠がない。
グダグダここで糞のような書いていないで、ブログを開設すれば
何の問題もない。でも、それをやらない。
簡単です。文句を垂れている皆さんに相手をしてもらう事が嬉しいからです。
嬉しくないら、即刻ブログを作り去れ
961 :
吾輩は名無しである:2013/01/06(日) 22:07:28.71
ブログに移らない理由はなぜ?
962 :
吾輩は名無しである:2013/01/06(日) 22:08:24.17
2chに粘着している理由は何故?
964 :
吾輩は名無しである:2013/01/06(日) 22:10:03.80
唯一、その根拠は、何の仕事もしていない世の中の屑だからなんだろうなーw
965 :
吾輩は名無しである:2013/01/06(日) 22:11:21.66
世の中の屑なので、自分に絡んでくる者へ薄汚いレスを返すのだろうな
ありがとうございやす。
もう少し居座るけど、
なぜブログじゃないかと言えば
ライブ感ですかねー。
俺もブログとここ両方に書き込んでるけど、
思考の結果じゃなくて現在形の過程をあーでもないこーでもないと積み重ねるには
こういう場所がいいw
>>949>>737 恥ずかしいのはお前のほうだw
ポリテクは通訳が高等専門学校と訳すから中にはとんでもない誤解をするアホが出る。
理科系のグラン(ド)・ゼコールはエコール・ポリテクニック(理工科大学校)か
エコール・デ・ミーヌ(鉱山大学校)、エコール・ノルマル・シュペリュール(高等師範学校)
の理数科などがある。これらはフランスの国を支えるエリート中のエリートだ。
訳がショボいからといって短絡的に考えるな。
日本でもいわゆる蔵前高校は東工大の前身だが、日本での東工大などより上の存在だ。
国の比較はしにくいが、東大工学部より価値はあるだろう。
本来フランス国内の場合、受験の前に準備学級で2年間ほど叩き込まれる。
代表格はルイ・ル・グラン高等中学校だ。パリ六区通常「ソルボンヌ」と呼ばれるパリ第四大学と
サン・ジャック通りをはさんで隣り合っている。パリに行く機会があったら見るといい。
まあこういう経緯を省いてポリテクに東洋人が入学するのは容易ではないだろうが。
それだけ色々引用するならば、常識ぐらいはおさえておけよ。
>>966 こちらこそ、ありがとうございます。
私はミクシィしかやったことがありませんが、
ライブ感なるほどと思います。
ポリフォニックと言ってもいいのかな。
訂正が利かず、誤字脱字はもちろん、間違ったことを
書いていても残っちゃうというのもかえって面白いのかも。
>>967 ありがたく、受け取っておきます。
970 :
吾輩は名無しである:2013/01/06(日) 23:14:07.05
971 :
吾輩は名無しである:2013/01/06(日) 23:33:11.49
Gのバカが全開ですな、ふぉふぉふぉ。
50過ぎのモノを知らない恥ずかしいジジイw
2ちゃんしか世間がない哀れなお一人様。
キムラの不法収入を断つw
973 :
吾輩は名無しである:2013/01/07(月) 01:11:44.98
木村いい加減どっかいけや(怒)
>>968 Gに一番足りないのは愛だろうな。
50まで誰も認めてやらなかった。母親は誰かの愛人で、父親も浮気して
家を出ていった。母子家庭で進学するのも大変だ。
母親は老体にムチうちながらスナックでバイト。
禿じじいの愛人になってこづかいをせびる。やがて病にたおれて入退院をくりかえす。
Gもどこかを中退した哀れな超暇人老人なんだと思う。
まともな職業についたことがないから、周りの人間の空気が読めない。
本から引用して張り付ける毎日。これでかまってくれて叩いてくれれば一挙両得。
人生で初めて味わう甘美なまでの陵辱感。毎日オナニーしながらこのスレを見ているんだろうよ。
Gのママはヤリマンなのか
もとつくだにです。
えーなになに、ですぺらの話題ですか!ちょっと興味あります…。
一度行ってみたいと思いつつなかなか足が伸びなくて、東京在住じゃないものですから…。
ハンドルネーム変えたんですね
ですぺら、結局、一度も行ってないんです
10代終りから20代にかけて辻潤のファンだったんで、その著書にちなんだ
店名に惹かれ、長年、行きたいとずっと思ってたのですが、文章から伝わって
くる店主の渡邊一孝氏のキャラが怖くて敬遠してました。高遠弘美氏、亡加藤
郁乎氏、佐々木幹郎氏といった文人の名前がしばしば登場する、常連客ばかり
でないかと思わせる多そうな文壇バー的雰囲気も(過去スレで触れた自殺した、
国書刊行会の編集者二階堂奥歯氏も)
http://www.despera.com/bbs2/2011/09/post_1251.html(例えば、こんな記事)
その渡邊氏はすでに引退してしまったけど。
980越えたんで、このスレは24時間以内に書き込みがないと
自然と落ちることになります。
>>729 「バースト!」半分くらい読んだ。
プルースト関連で似たような現象はないかあ
>>981 奥歯と雪雪のリリカルなブログから、彼女らの読書遍歴を実際に読んで辿ってみたりなどしたものですが、
やっぱりお店に顔を出すには、幻想系の文学好きである以外に、お客と共通の知り合いとかいないと
だめっぽいかもしれないなあ。
編集者の知り合い、二〜三人ぐらいならいましたけど、東京を離れて疎遠になりました。
このスレももう終わりですね、
Gさんはよくネタも尽きずにあれこれと話題を提供してくれました。どうもありがとう。
こちらこそ、ありがとうございます。
知り合いに編集者いるし、身内でも出版関係いるけど、小さな
出版社は入門書、教科書、資格試験の問題集などある程度
部数が見込めるでる本でなんとか糊口をしのぎながら、黙々と
売れない良書も出している、ほんと大変だと思う。
辻潤のことをまるで知りませんでしたが、ここで Wikipedia を読み、すでに僕が少し知っていた
大杉栄や伊藤のえと関係のある人だと知り、さらに辻潤の生き様の概略を知り、すごく面白く
思いました。
「ですぺら」についても、初めて聞きました。一考さんが書いているその「読書」と題する文章など
からにじみ出る一考さんの性格に怖さを感じられるんでしょうか?確かに怖そうですね。でも、
言っておられることそのものは、僕はまっとうだと感じます。ただこれをここまではっきりと書き、
普段からそう言い続ける人は、通常の仕事や交流はできないでしょうね。でも、こんな人なのに
ちゃんと生きていき、仕事を続け、たくさんの人と交流しておられたみたいだから、羨ましいです。
>>984 私の知り合いというか、元恋人が編集者でした。日暮里に大きな家をシェアして住んでいて、
パティシエの男性と夕刊フジの編集者の女の子と、一緒に住んでいるようでした。
色んなところに連れて行ってもらって、思い出があります。
出版の内情は聞いたことないけど…。
>>985 鈍感なもので気がつかなかったけれど、一考さんは結構過激な事を書いていますね?
頑固な人なのかも知れないけれど、文学に対する良心にかけて人一倍熱くて、
私は何か普段モヤモヤしていることが、これを読んですっきり晴れた様な思いがします。
>>986 小さな出版社で、良書でも売れない本を出す場合、印税収入どころか、
著者自身がお金を出したり、その本をかなり買い取ったりが当たり前
なんですよね。
自分の書いたものを不特定多数の人に読んでもらいたい人、本を出せば、
それが名刺代わりになり本職の顧客拡大に役立つ人はそれでもそういった
書店に出版してもらう。
プルーストも『失われた時を求めて』の第1巻は、ガリマールのところを
含め出版を断られ続け、結局、グラッセ社から、自腹を切って出している。
彼は親の遺産で、金持ちでしたが。もし、彼が出版を諦めてしまっていたら
どうなったんだろう。自分の書いた小説の価値に確信を持っていたんだろうなあ。
文学板みてると、たまに、ちくま文庫の絶版書の復刊を求める声が
あるけど、ちくまは、数千部売れればいいような本をあえて文庫化
しているんだから、無茶な要望だ。
(他社の単行本の良書を見つけ、文庫化する選定眼はすごいと思う)
ドゥルーズの著作等を次々と文庫化している河出ともども、経営
危機ないし倒産の憂き目にあったこともある。
(フーコーの「知の考古学」みたいに、「プルーストとシーニュ」の
新訳を河出文庫で出してくれたら、とてもうれしいのだけど)
そういえば、ちくま学芸文庫の中井久夫コレクションの最終巻、いつ出るんだ。
前の巻がでて、1年になろうとしているが。
ヴァレリー論等精神医学以外を集めると予告しているから、プルーストについて
書いたものも収録されることを期待。
スレも残りわずかなので、「だらだら思ったことを書いていきますばい。」
>>981でリンク貼った、一考さんの文章、「ラルボーの弁証法的読書」って
言葉が出てくることに気づいた。
>理解できない書物と出遇ったとき、ひとは自らの不明を恥じる。その対象がプルースト
であれベケットであれ、事理に暗いこと、識見のなさを思い知らされる。ならば対象の内
に融合し、解体する努力こそ問われるべきである。ラルボーのいう弁証法的読書が有効
になる一瞬である。
読書は生涯続く、続く限り人は迷い憂え頭を傾く。反芻を必要としない文学など、それだけ
で如何わしい。
彼自身が、岩崎力によるヴァレリーの読書論の翻訳書出版に尽力したことは
>>821で紹介し
ました。ラルボーの《究極の理想の読者》に域に達する弁証法的過程(プロセス)
訳者あとがきより
>初版本や稀覯本の蒐集、博識、研究、そして読むかわりにみずからペンを取って書くこと
――そのひとつひとつが、ラルボーに言わせれば《理想的読者》に通じる道の途中で出会う
誘惑なのであった。それらはいずれもラルボー自身が身を委ねてきたものであっただけに、
それだけよく彼にはわかっていた。その彼が究極の理想の読者として提示したのは、「一介
の読者であることに満足し、自分の愛する本、いまのところはほとんど人目を引かないが
二十年後には有名になっているはずの本を、ひそかに、最良の友たちに推奨するだけで
満足する人」である。
>>498 >ライプニッツに関する論文を読んでいたら、
>主語概念がこれに属するすべての述語を含んでいるように、それに起こりうる
全ての出来事を一度に合わせて含んでいる。
ライプニッツの主語述語概念気になっていて、ちょうどドゥルーズのライプニッツ論
「襞」が本の山の中から出てきたのでこれも読んでいます。
脂さんのブログで出てきた中村雄二郎「述語的世界と制度」も。
述語的同一性の論理(古論理的な思考)って、プルーストの隠喩と通じる面がある
と思っています。同書p38−39
>私は処女です。
聖母マリアは処女です。
ゆえに、私は聖母マリアです。
>古論理的な思考では、リンゴは乳房と同じような形をしているので、母親の乳房と
同一視されうる。こうして、乳房とリンゴは同じになる。
このようなかたちの推論は、精神医学的には分裂病者の思考のうちに見られるし、
また、精神の象徴作用や芸術的創造のメカニズムのうちにも見られる。……
994 :
吾輩は名無しである:2013/01/08(火) 12:34:57.74
>>993 >私は文型のS+Vの概念がどこから来てるのかがずっと気になっていて
あなた精神疾患をお持ちのようですねw
995 :
吾輩は名無しである:2013/01/08(火) 12:35:56.85
木村いい加減どっかいけや(怒)
996 :
吾輩は名無しである:2013/01/08(火) 12:36:53.60
精神医学的には分裂病者
こんな単語使わんだろう、いまどきw
997 :
吾輩は名無しである:2013/01/08(火) 12:40:37.29
G、精神病の病歴をもつらしい。なので異常そのものの粘着を
プルーストスレでやってるらしい
>>624 >内田樹の『他者と死者 ラカンによるレヴィナス』
>>993のライプニッツの論文の紹介dです。
過去スレで内田樹がこの本を宣伝し、ハイデガーに言及した記事を紹
介してくれた方がいる、 もしかして◆ulOn/T2aKSkAさん自身かな )
121 名前: 吾輩は名無しである 投稿日: 2012/01/27(金) 23:24:07.28
>>114 ハイデガーの「存在と時間」で大笑いしてしまったブログ。
http://blog.tatsuru.com/archives/000031.php 「存在者」を「生者」、「存在」を「死者」と書き換えて読んでみるとどうなるか。
そういうことだったのか、と妙に納得してしまった。
125 名前: G ◆vDcOqdC/aA [sage] 投稿日: 2012/01/28(土) 06:27:35.02
>>121 >存在者などといふものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えている
のやら、何を言ひ出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人
の事にせよ、解った例しがあつたのか。観賞にも観察にも堪へない。
其処に行くと存在といふものは大したものだ。何故、あゝはつきりとしつ
かりとして来るんだらう。まさに存在の形をしてゐるよ。してみると、
存在者とは、存在になりつゝある一種の動物かな。
小林秀雄「無常といふこと」の一節。
http://d.hatena.ne.jp/ari1980/20100218(原文の引用あり)
生きている人間を存在者、死んでしまった人間乃至人間を存在に置き換えてみた。
人間は、「存在と時間」では、現存在(Dasein)と呼ばれていることは知っての通り。
現存在は、小林の「死者になりつつある一種の動物」とパラレルになりそう。
承前
「存在と時間」より(内田に倣って存在者→生者、存在→死者に置き換え済み)。
>死者問題を仕上げるとは、或る生者を――問いを発する生者を――その死者において
見通しのきくものにすることである。[略]われわれ自身こそそのつどこの生者であり、
またこの生者は問うことの死者可能性をとりわけもっているのだが、われわれはこうした
生者を、術語的に、現存在と表現する。死者の意味を問いたずねる問いを表立って見通し
のきくように設定するためには、或る生者〔現存在〕をその死者に関して先行的に適切に
説明しておく必要があるのである。
http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/denshi/g_books/heidegger.pdf 「述語的」ってのが結構ポイントだと思う
述語とは「S はPである」のPの方。あらゆるPを含む究極の述語がbe(ドイツ語のsein、
フランス語のetre、存在)、ではあらゆるS(主語)を含む究極のSはというとあらゆる
属性(述語)を 包摂する全知全能の存在。ありてあるもの。
究極の主語と究極の述語からなる命題は同語反復的になってしまう。
スピノザの汎神論めいてくるが。
多分、存在=死者を神と置き換えることもできるだろう。
http://www.ne.jp/asahi/village/good/heidegger.html
>>994 粘着されて何故かうれしい。トリップにしてよかった。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。