8 :
吾輩は名無しである:2012/10/17(水) 19:57:29.85
「国語」という言い方にはどうしてもなじめない。
イ・ヨンスク(1996)『「国語」という思想』は積読のままだけれど、
義務教育で受けさせられた「国語」は道徳に近いイデオロギー教育、という記憶しかない。
なぜ「日本語」の教育と言わないのか謎。
世界にはEnglishやFrançaisの授業はあってもNational Languageの授業があるのは日本だけ、とよく言われるね
10 :
吾輩は名無しである:2012/10/17(水) 20:26:42.09
>>8 補足
http://hokanko.jugem.jp/?eid=585 植民地主義と「国体」および「国語」に関しては次の指摘が鋭い。
ここには、近代日本における「国体」「国家」「国民」概念をめぐるパラドックスが露呈している。
日本が自然主義的「国体」概念に固執すればするほど、異民族の「同化」はそもそも論理的に不可能になるのである。
異民族を同化するということは、日本民族が日本民族たりうる本質を、人為的に異民族に植えつけることを意味する。
そうであるなら、異民族の同化が可能であるということは、国家と国民との関係がけっして〈自然〉に根ざすものではなく、
人為的にも成り立ちうることを証明してしまうのである。(p.260)
右に述べた「国家」の自然主義的概念と「同化」の可能性とのあいだのパラドックスから脱出しうるほとんどの唯一の道が、
まさに言語──「国語」──をつうじた同化政策だったのである。(p.262)
確かに日本人は、日本に住んでる人がすべて日本国籍を持つ人たちだと
思い込んでしまって、それを前提にして日本語やその他の文化の教育をしてしまってるね。
でも、それは、どの国の人間でも同じなのではにだろうか?
いや、だからと言って、開き直る気はない。日本人も、大いに反省すべきだと思う。
でも、諸外国の人に比べて日本人の方がもっと独断的だとかいう風には思わない。
それどころか、白人などは、他の民族の言葉を兵器で奪うだけでなく、
皆殺しにしてしまうこともよくあるし、
宗教が少しばかり違うからと言って、平気で虐殺するし、
同性愛者をも殺してしまったりもする。
シオランの母国はルーマニアで、ルーマニア語が母国語なわけだ。
その彼が、祖国とは国語だ、とフランス語で書くことに、アイロニーが
含まれているわけだな。山本夏彦翁の解釈だと、そのアイロニーが
すっぽり抜けているように見えるのが、気に入らないひとには気に
入らないのだろう。 "Patrie"を"祖国"と訳したから、その訳にあわせて
"langue"を"国語"って訳したのじゃないかな。 langueは言語、自国語と
訳されるから、国語と訳すのも間違いではないのでは。
アイルランドの作家であるジョイスが英語で書くということにも
シオランと同様のアイロニーがきっと含まれているんだろう。
無理をしてまで作品などを作る必要はない。ひとりの酔漢、あるいは瀕死の男の耳もとで
囁かれるべき、なんらかの言葉を発することだけが肝要なのだ。
申し訳ないけど、みなさん、これからは、シオランのことばを引用してるのか、
あるいは自分自身の言葉をつむいでいるいかを、明記してもらえますか?
ところで、中世以降のヨーロッパでももちろん大国が小国あるいは少数派の民族たちの言語
などの文化を奪いつつあるけど、そもそも、古代において、ローマ帝国がヨーロッパ全域に
あったいろいろな言語を捨てさせたんだよね。まあ、当事者の少数民族たちが自ら自分の言語を捨てたことも大いに
あったとは思うけどね。
17 :
2:2012/10/18(木) 11:25:19.60
シオランの本って古本でも高いのな。安いのは「歴史とユートピア」ぐらい。
>>17 たしかに、高いよね^^
需要が、やっぱ少ないから値段設定を高くしないといけないのかも。
でも、シオランは、やっぱ、かっこいいいよね^^
シオランが「かっこいい」っていうのは、
表現の仕方がかっこいいというか、言葉が綺麗だというような意味かな?
爽快感を感じさせるような「かっこよさ」なのかな?
僕が彼の文章を読む時は、生きていることが最終的には永遠に
無意味だということを認めざるを得ないということを感じるので、
彼の言葉をかっこいいと感じるよりもむしろ、
絶望感に打ちひしがれる。とでもじゃないけど、
彼の言葉を毎日は読めない。断片だけをたまに読むだけ。
それだけで僕にとっては大変なインパクトを感じてしまう。
生が何か目的を持ったものだという考えがオレには恐ろしいな
生きてるのは無意味で死んだら最初から何もなかったのと一緒
死んだ後はむろん無、無もない無
こう考えないとやってらんないよ、オレは
>>20 そういう考え方を持った人もいるんだなあ。
新鮮な発見だ。
>>19 そうですね^^
おれの場合は、シオランの言葉に、とても、絶望的であると同時に、
詩的な感じを受けます。
何度でも読んで、丸暗記したいな、って感じです。
エドモン・ジャベス、なんかにも、シオランと同じ文体の空気を、
感じます^^
23 :
吾輩は名無しである:2012/10/18(木) 19:01:57.36
>>7 > On n'habite pas un pays, on habite une langue. Une patrie, c'est cela et rien d'autre.
langueはソシュールを前提?
あるポーランド人から、ポーランド語は世界で一番難しい言語だって
聞かされたことがあるが、東欧の言語というのは何か非常に難しい
言語だというイメージがあるな。シオランの母国語であるルーマニア語も
ポーランド語にまけず劣らず難しいのだろうか。
イギリス人がオーストラリアを発見したとき、600〜700くらいの
先住民の言語が存在していたと言われるね。そもそも人類はなんで
こんなに多くの言語をもっていたのかって、それはひとつの疑問だな。
すべての人類はアフリカ起源という話があるが、すべての言語も
アフリカ起源なのだろうか? 言語はひとつの祖語から、すべて
わかれて発生してきたのか、それとも多くの言語が独立して
発生したといえるのか。こういう問題はどうも現代でも容易に答えは
みつからないようだ。
>>25はあまりシオランに関係ない話だったか。
んー、とりあえず元気がでるシオランの読み方でも考えますか。
Emile Cioran の名前を試しに Youtube で検索してみたら、たくさんビデオが出てきたぞ〜。
びっくりした。フランス語でしゃべってて、英語の字幕付きで、
シオランがしゃべっているビデオも見つかった。「いつでも自殺ができるという
考えのおかげで私は救われた。いつでも自殺できるという自由があるからこそ、私は今まで生きてこられた」
というようなことを言ってる。日本語でシオランについて解説したビデオもあるかも。
http://www.youtube.com/watch?v=zmvRMVMrzA4
>>27 ほーい、どうも。
>>28 自殺志願者にはむしろシオランを読ませたほうがよい、と
ガブリエル・マルセルはコメントしたとか。
シオランはエネルギーあふれる著述家であるとも、ときに
いわれる。そのエネルギーの噴出する方向は、自己嫌悪
自己否定、自己破壊の方向であるにしても。
Cioran については、ネタ切れかな?
「歴史とユートピア」ゲットしたよ〜
客体化されることで時間は歴史に、わたしたちが自己に反して召還した
怪物に、わたしたちにとって逃れられない運命に、変容をとげた。
受動的姿勢の公式に訴えても、叡智の処方に訴えても、これを
押しとどめることはできなかった。
(自己に反する考察より)
36 :
sage:2012/11/05(月) 10:46:31.91
37 :
sage:2012/11/06(火) 10:44:28.12
>>35 他の人たちには、この文章の意味がわかるの?
38 :
吾輩は名無しである:2012/11/06(火) 19:59:34.34
Emile Cioran は、いつ読んでも惹きつけられる。事情があって、僕の手元には
日本語版がなくて、どういうわけか英訳版だけがあるので、その本の最初の言葉を引用する。
Three in the morning. I realize this second, then this one, then the nexts:
I draw up the balance sheet for each minute. And why all this?
Because I was born. It is a special type of sleeplessness that
produces the indictment of birth.
"Ever since I was voren" -- that "since" has a resonance so dreadful to my ears
it becomes unendurable.
E. M. Cioran
"The Trouble with Being Born" p.1
(生誕の災厄)の最初のページ
39 :
吾輩は名無しである:2012/11/06(火) 20:01:57.63
1行目の nexts ---> next
最後から2行目
I was voren --> born
タイプミスして、ごめん。それから、日本語版じゃなくって、ごめん。
40 :
吾輩は名無しである:2012/11/07(水) 19:55:23.68
でもやっぱり、シオランは痛すぎる。シオランの思ってる通りのことを
俺は思ってるから。そして、そういう考えを持ったまま生きていくことは
不可能に近いから。自殺しないまでも、あらゆることが無意味で
馬鹿馬鹿しくなるじゃんか。人と話をするのも無意味になっちゃうし、
子供を作ることは最大の犯罪になるし。
41 :
吾輩は名無しである:2012/11/10(土) 09:50:29.12
子供を作るというこの恐ろしい犯罪に対して、
人はなぜ「おめでたい」などという大嘘をつくのか?
>>36 そんなにわかりにくいか? まあ、シオランって元々そんなにわかりやすい
文筆家ではないにしても、シオランにしてはそれほどわかりにくくない
アフォリズムだとおもうがな、
>>35は。「受動的姿勢」や「叡智の処方」が
何を意味するかあまりはっきりしないにしても、シオランにおいては有力な
題材、すなわち時間と歴史への攻撃、究極の歴史的目的論であるユートピア
思想への攻撃のバリエーションであるというのは、みやすいだろう。
世界の終わりに正義が勝利し悪が破滅するという歴史的目的論をシオランは
ひっくりかえして、生まれてきたこと自体が間違いだったって言い出すんだな。
シオランは決してわかりやすくはないよ。続けて読むことができない
思想家といわれるくらいでね。
>>44 Emile Cioran って、邦訳や英訳で読もうとすると、2,000ページくらいの本を
何冊も買って並べないといけなくなり、お金もかさばるけど、
何よりも、たったの 200ページくらいの本を何冊も持っているのが
うっとおしい。原書のフランス語だったら、彼の著作のほとんどが
一冊にまとまっていて、管理しやすいし割安になる。
ただ、Bibliotheque de Pleiade の叢書って、革で装丁してあるからきれいで
丈夫だけど、紙がすごく薄かったと記憶してる。書き込みしにくいだろうなあ。
でも、他に適当な版がないし、仕方ないか。
「歴史とユートピア」の冒頭で、シオランは祖国の言葉であるルーマニア語を
捨て去り、フランス語へと亡命した亡命者の苦渋について書いてるな。
故郷から自らを追放し、永遠の亡命者として生きることってのは、故郷が
ある人間には理解しえないことだってね。シオランを読むことで、そういう
境遇がどんなものか、僅かに理解できるかもしれないとおもって、われわれは
彼の著述を手に取るわけだ。 亡命者の著述がもの珍しさから読まれるという
のは、亡命者、異邦人であることを強いられたものからすれば、おそらくは
珍しいものへの好奇心、贅沢の一種というように思われてるのだろうきっと。
亡命者の境遇ってのは、日本人にはなかなか理解しがたいことかな。
>>35 やっとその言葉の意味がつかめたような気がする。翻訳文って、なかなか馴染めない。
元の訳文を僕なりにパラフレーズしてみた。
(1) 客体化されることで時間は歴史に、わたしたちが自己に反して召還した
怪物に、わたしたちにとって逃れられない運命に、変容をとげた。
---> 人間は、時間というものを実体のあるものとして意識し始めたから、
時間が歴史や怪物や、逃れようのない運命に変化してしまったのだ。
受動的姿勢の公式に訴えても、叡智の処方に訴えても、これを
押しとどめることはできなかった。
---> 時間に身を委ねても、知恵を振り絞っても、これはどうしようもなかった。
>>46 確かに故郷を捨てて別の場所と言葉と文化だけを受け入れて生きて行くことは、
大変だろうと思う。でも、
(1) ルーマニア語とフランス語との言語的な距離
(2) ルーマニアとフランスとの地理的な距離
(3) ルーマニアとフランスとの文化的、宗教的な距離
これら、日本人が想像するほど大きくはないと思う。日本人がもし日本を捨てて
中国や韓国で生き続けるとなると大変だろう。そもそも言語が根本的に違う。
言語や文化や散り的な距離を考え合わせると、ルーマニアとフランスは、
鹿児島と東京くらいの違いしかないと思う。
日本人は、沖縄から東北や北海道に至るいろいろな文化や言語を
単一の東京方言や東京の文化で統一してしまうことに違和感を感じなかった
けど、ヨーロッパ人は、鹿児島弁と東京言葉との違いくらいしかないような
国々や民族や宗教の微妙な違いをどうしても統一するのを嫌がって、
数十カ国という国を作ってしまったと言えるんじゃないかな?
わかりやすい例をあげると、スペイン語とポルトガル語とは、テレビのなかった
100年前の大阪弁と神戸弁との違いしかないはずなのに、二つの言語として扱われている。
イタリア語とスペイン語との違いは、もう少し大きいけど、それでも鹿児島弁と
東京方言との違いくらいだろう。フランス語とルーマニア語との違いと言っても、
テレビのなかった100年前の大阪弁と東京方言との違いくらいしかないはずだ。
49 :
吾輩は名無しである:2012/12/04(火) 19:11:24.85
Cioran の著作集のフランス語版で、1,700ページくらいある本が、Bibliotheque de Pleiade
というシリーズの中で、去年あたりから出版されている。この本は日本では手に入らないみたい
だったので、フランスのアマゾンで注文した。11月25日に注文したら、今日、Royal Mail
で普通郵便として届いた。9日で届いたことになる。その本は、
http://www.amazon.fr/OEuvres-Cioran/dp/2070126250/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1354615365&sr=8-1 というページを通して注文した。
Eur 56,82
Eur 11,50
Total: Eur 68,32
(7,587 yen)
革で装丁された、実に美しい本だ。サイズは、岩波文庫よりも大きく、
Penguin Books よりも小さい。フランスのペーパーバック文庫である
Folio classique ろ同じ大きさ。僕には少し宝の持ち腐れになるような高い本だけど、
Cioran の著作のほとんどを集めてあってこの値段だったら、むしろ安いと言っていいかも
しれない。第一、著作を一つ一つ集めていこうとしても、
日本語版であれ英語版であれ、あるいはフランス語版であれ、なかなかうまくいかないはず。
だから今回は、思い切って買うことにした。
50 :
吾輩は名無しである:2012/12/04(火) 19:16:08.27
>>49 上に書いた値段のところで、書き忘れたことがある。
Eur 56,82 --- 書籍の値段
Eur 11,50 --- フランスから日本までの運送料
51 :
吾輩は名無しである:2012/12/04(火) 19:28:33.88
Pleiade 版のこの Cioran の著作集に入っている元の著作のタイトルを
ここにリストアップします。たあし、アクセント記号は、すべて無視します。
Precis de decomposition -- p.3 からp.168あたり
Syllogismes de d'amertume -- p.169から
La tentation d'exister --- p.265から
Histoire de utopie --- p.431から
La chute dans le temps --- p.523から
Le mauvais demiurge --- p.621から
De l'inconvenient d'etre ne --- p.731から
Ecartelement --- p.903から
Aveux et anathemes --- p.1021 から
Exercices d'admiration --- p.1131から
Appendices --- p.1253から
Notices et notes --- p.1299から
Bilbiographie --- p.1609
Index --- p.1633から
そして最後のページは、p.1658です。
52 :
吾輩は名無しである:2012/12/04(火) 19:48:27.78
届いたばかりの Cioran の著作集から、さっそく少しだけ引用してみます。
ただし、アクセント記号をタイプするのは面倒なだけでなく文字化けする
可能性が高いので、やめておきます。
Ne pas naitre est sans contredit la meilleure formule qui soit. Elle n'est malheureusement
a la portee de personne.
53 :
吾輩は名無しである:2012/12/04(火) 19:50:29.36
>>52 出典: "De l'inconvenient d'etre ne", 最後から三つ目の aphorisme
54 :
吾輩は名無しである:2012/12/04(火) 21:00:48.13
Cioran の aphorismes を読んでると、最近は笑っちゃうことが多い。
馬鹿にした笑ではなく、あまりに真実を突いているときは、最近は笑って
しまうのだ。
Avoir comma tous les crimes, hormis celui d'etre pere.
--- De l'inconvenient d'etre ne, p.734, Pleiade
すべての犯罪は犯した。父親になるという犯罪は別として。
55 :
吾輩は名無しである:2014/04/16(水) 20:59:35.66
>大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな
>島本町って町は、暴力といじめの町なんだな
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ
このスレを読んでいると、(言論というより、)思想及びその発言の自由に対する意識は、
英米よりもフランスの方が段突に高いんだと実感する。
シオランは今が増刷時期ではないだろうか?
私はうんたら〜事件もあることだし・・・