デリダとドゥルーズU 文学との関係を中心に

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1アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7
いまなお刺激的であり続けるこの2人
そしてこの2人を&で接続するところに可能性があるだろう。
おそらくは(プテートル)。

フーコー、ド・マン、ブランショ、ベケット
ナンシー、ラクー=ラバルト、コフマンなど周辺も視野に入れつつ
2アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/06(月) 01:09:48.22
思考と思想の差異は実は見過ごされている!
3アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/06(月) 01:13:41.23
前スレ
デリダとドゥルーズ 文学との関係を中心に
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1323993151/
4吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 12:06:12.00
>>2
広辞苑ですら見過ごしてないよw
5吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 12:46:00.90
ええっと、辞書的に言うと、論理的に考えることが思考で、その人の行動をひろく規定しているものが思想。
6吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 13:47:20.94
前スレ>>994

>ポストモダンにおいて失効したという「大きな物語」、それは
>マルクス主義のことであるという、そこを確認しておかないと
>ポストモダンとは単なる物まねや軽薄なパスティーシュでしかない
>そういう話にしかならんと思うなあ。

マルクス主義以外のものを大きな物語と呼ぶことは、ポストモダンの物まねにすぎないんだろ?
自分で言ったことくらいちゃんと覚えておけよw

言い逃げされそうだから、一応こっちにも書いておく。
7つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/06(月) 17:21:26.37
アセンションとジャネットさんは熱い男だな
昨日はついつられて語ってしまった
8レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/06(月) 17:57:06.31
わたしは、おほめにあずかるほどの、熱い男ではないね。
現代思想に関しては、たんに執着的かつ怨恨的な情感がはなはだしいだけですよ。
つまり愛憎半々というやつです。
外っかわから腐されれば、けっこう熱心に擁護するが、
ぎゃくに現代思想の内輪にいるように見える人には、どうにも嫌味をいいたくなって仕方ない、
という捻くれた思いを払しょくできないというだけ。まあ、おっさんには、ありがちなもんです。

ところで、浅田は前に、ハイデガーを二十世紀前半最大の哲学史家、ドゥルーズを後半で最大のそれ、
だといっていた。云われてみて、そうなんじゃないか、と私も思った。
ハイデガーは形而上学者ではなかったと思う。ドゥルーズもそういえるだろうか。
むしろ形而上学者じゃないからこそ、
とうに用済みになった感のあったそれ(存在論、でもよい)を、アナクロにもやりつづけたんじゃないか、と思うんである。

唐突だが、ジジェクは、ヘーゲルは完全な唯物論者だ、といっていた。これも、云われれば、そうなんじゃないか、と思うんである。

9吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 21:49:10.37
なんか新スレ立ってると思ったら、愚にもつかない訓詁学で前スレ使い果たしたわけね
10レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/06(月) 22:00:49.10
何かを「実践」しようとしている人がいるとして、その場合、
今朝何を読んだか、よりも、たとえば、何を食ったか、のほうが「実践」への影響度大じゃないかと思うのは、
私だけだろうか。
プラトン読むかアリストテレス読むか、よりも、
納豆ごはん食うかきんぴらバーガー食うか、のほうが、肝心じゃないか。
それで、こういう考え方は、もしかしてドゥルーズ的なんじゃない?
11N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 22:16:25.54
>>6
んん? なんか質問が前と微妙にずれてるな。 大きな物語とは
マルクス主義のみをさすのであるかって、その疑問はもういいの?
前スレでさんざん食いついてきたじゃないか。こんな具合にね。
>それが「大きな物語」がマルクス主義のみを指していることの根拠になるとでも?
>それなのに「大きな物語」はマルクス主義のことしか指さないんだね。なるほどw

とりあえずなー

AはBである

AはBのみである。

これらの文章は同じ意味か否か、まずはそれを確認しておきたいんだがなあ。
疑問はひとつひとつ順番に解決していこうぜw
12吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 22:33:10.86
>>11
バカじゃないの?w
おまえが言ってるのは、
「AはBである。AをBでないものとすることは偽である」ってことだぞ?
>ポストモダンにおいて失効したという「大きな物語」、それは
>マルクス主義のことであるという、そこを確認しておかないと
>ポストモダンとは単なる物まねや軽薄なパスティーシュでしかない
これをそれ以外のどういう意味で言ったって言うんだよw
ぐだぐだぐだぐだしつこくくだらない言い訳してるんじゃねえよカス
13N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 22:38:49.90
>>12
なにいってるかなあ?

AはBである
AはCである

これらが矛盾しない場合だってあるだろうw
ポストモダンについていえば。

ポストモダンはミミクリーとパスティーシュの言説の時代である
ポストモダンは大きな物語の失効した時代である

これらは別々の観点からみられた主張というだけであって
矛盾するとは限らないしねーw

ああ、それと、AはBである、AはBのみである、両者の意味は
同じか否か、まだ答えてないよねw
14吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 22:39:44.80
>>13
消えろゲス
15N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 22:40:24.98
>>14
とうとう逆ギレか、まったくゲスなふるまいよのおw
鏡をみてみれば?
16吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 22:43:00.64
つくだにはコテ付けろってば。恥ずかしい。
17吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 22:43:43.36
自演ウゼー
18N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 22:45:06.87
ああ、>>16は俺の自演じゃないからねーw
そうだと思い込みたいやつに念押ししておくけど。
19吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 22:48:59.40
16書いた者だけど、こういう恥ずかしさって耐えられないw
だれが見てもつくだにが名無しでちょこちょこやってるのがバレバレ。
見てる方が恥ずかしいんだよ。
そう思うでしょ?>>18
20吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 22:49:29.20
ぐだぐだぐだぐだしつこくくだらない言い訳してるんじゃねえよカス
21N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 22:50:10.66
>>19
んー、佃煮であるって、確証はもってないな俺はw
佃煮の可能性はそれなりにあるというか強いとは
思うが、確信とまではいかないな。
22吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 22:50:21.59
>>13
小学生レベルの屁理屈だな。
正直本気で引いてるわ。

一応確認しておくけど、
>ポストモダンはミミクリーとパスティーシュの言説の時代である
>ポストモダンは大きな物語の失効した時代である
>これらは別々の観点からみられた主張というだけであって
>矛盾するとは限らないしねーw
これは要するにポストモダンにおける言説はすべてパスティーシュであるっていうことでいいのか?
23吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 22:51:38.74
このNってやつは最悪だから相手にしない方がいい
24N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 22:55:43.12
>>22
ポストモダンについて、そういう主張があるということだな。
他にも様々な主張があるしね。

ポストモダンはファンタジックである、なんて主張もある。
イーグルトンだっけ? どれが正しいとか、そういう判断までは
やってない。

名無しは佃煮なのかなあ。 なんか雑談スレでも、もてる
限りの自演テクニックをつぎこんできてるみたいだけど
奴は根本的に頭が悪いという弱点があるから、いくら自演
やったって、しょせん張り子の虎なんだよねw
25吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 22:57:38.92
Nにとっては記号論理さえパスティーシュに浸食されているのか。
たしかにこんなやつとまともな会話わ成り立たないだろうな。
26吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 22:58:29.50
だから相手にしない方がいいんだって
27吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:04:21.61
>>24
残念ながら、>>12以降の俺の書き込みは>>22だけだぞ。佃煮って知らない。誰それ?
全ての言説がパスティーシュでオリジナルの言説がないっていうなら、
そもそもマルクス主義本来の意味での「大きな物語」ということさえできないんだが。論理的に。
ようするに全スレでのおまえの主張と>>13の主張は両立しないわけだ。
もうつまらないからやめようぜ。ここまでひどいと思わなかった。
28N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 23:10:04.99
ああ、あんさん佃煮じゃないの。 なんか佃煮じゃないのかって
いうひとがいたからさー。そっちにちょっとひっぱられたのさ。

>>27
モダンの時代は「大きな物語」があったが、ポストモダンは
「大きな物語」がないってのが、ポストモダンを語るうえでの
基本前提じゃないの〜w 大きな物語のない時代だから
パスティーシュやミミクリーがあふれるファンタジックなものになると
ポストモダンは。 なんにもおかしいことないじゃん。

大きな物語は、かつて存在した、と過去形で存在を語られるわけだ。
29吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:15:27.57
>>28
何もわかってない。
「A=Bであり、かつBをB以外のものとすることは偽である」という主張と、
「AはBであり、かつAはCである」という主張は明らかに矛盾って言ってるんだよ。
もういいだろ?
おまえと話してても何もおもしろくない。
30吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:17:47.10
バカでつまらないN
31N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 23:19:20.46
そして、リオタールにとって、もっとも重要な「大きな物語」は
マルクス主義であったろうって、そういう話をしたわけ俺は。

リオタールはマルクス主義にずっとコミットしてたと、とある
対談でのべていたが、実はそれは違うんだとか、そういう
主張なら、まあ反論としては十分だな、そうおもってるんだがなあ
俺は。

>>29
あっそ、つまらん揚げ足取りめいた議論しかできない
おまえがつまらないって、いつになったら気づくのかな?
32吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:23:02.54
よくポストモダン状況というときのポストモダンは
ごく一般的にはNの>>28みたいな意見をおおまかに指すと思うけどね
33吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:23:15.14
揚げ足とりじゃないだろw
主張の根幹に関わる部分なんだから。
もうだめだなこいつ。
34アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/06(月) 23:23:20.11
にぎやかだね〜
前スレは予想より5倍以上スピードが早かったな。
35N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 23:25:19.82
AはBである
AはBのみである

このふたつが同じ主張かどうか、>>33の主張の根幹は
これをどう判断するかにかかってるよね〜

さあ答えた答えたw
36吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:28:13.89
>>35
おまえバカだろ。
それが異なるのは明らかで、
A=Bと言っておけばいいものを、
>ポストモダンにおいて失効したという「大きな物語」、それは
>マルクス主義のことであるという、そこを確認しておかないと
>ポストモダンとは単なる物まねや軽薄なパスティーシュでしかない
っていう発言でおまえ自身が「AはBのみである」って主張に変えてるっていう話なんだが。
マジでこんなことも理解できないのか?
37吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:31:08.11
「大きな物語」がマルクス主義のみだなんてリオタール言ってたっけ?
38吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:31:24.71
>>37
言ってない。
39つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/06(月) 23:31:53.97
だからさあ、鍵君みたいにすみっこで暮らしている繊細な神経症患者を強引に排除して喜んでる様なNが、
「ポストモダンとはこうである、どうだ自分は頭がいいだろう」みたいなポーズをとるのは、滑稽であり醜悪でしかないと、
前スレで言ったでしょう?しつこく食い下がれば何でも自分の思い通りになると思っているのかな?
40吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:32:00.52
>>38
よなぁ
41レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/06(月) 23:32:21.15
繰り返しになるが、マルクス主義が、モダンな「大きな物語」の代表格、ということでしょう。
公式マルクス主義の別名は、科学的社会主義だし、その主義者ことを「進歩派」と呼んでいたんだし。

ドゥルーズやらが、熱学、量子力学、複雑系科学、なんかを援用したがるのは、
そのマルクス主義が依拠してきた(とマルクス主義者自らはそう思ってきた)古典的科学の枠を揺るがせる、と考えてのことだったでしょう。
わたしは、古典的な(モダンな)枠というのは、強固でそうそうは揺るがないと考えるので、まあ、蟷螂の斧だとは思うが。
ちなみに、もちろん複雑系経済学はあるし、かのマンデルブロートが言い出しっぺの経済物理学というのもあるんですよ。
それに、知っている人が多いと思うが、法と経済学、という分野もあって、これは乱暴に言うと、新古典派経済学の理論で法体制(英米法です)の合理性を裏付けるという主旨のものです。
Uさんが前に言ったことだが、脱構築法学がターゲットにしているのは、この新古典派経済学を用心棒にしていた英米法体制だといってよいでしょうね。
そういう体制内で割食っている側が多いであろう2ちゃん住人も、
こう考えれば、デリダの「法の力」を読むことに、なにやら真剣味もでてこようというものでしょう。
42N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 23:34:34.74
>>36
それは仮定法というか反実仮想で書いてるんでね。 さいしょに
「大きな物語」とはマルクス主義のことであるって、確認しておけば
(この書き方は確かにあまりよくないね。リオタールにとってもっとも
重要な「大きな物語」は、とかもっと詳しく説明しておくべきだったかも。)
後段の限定は必要なくなるわけでね。 仮定法で書いている意味を
理解してほしいねえw
43N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 23:37:46.34
>>41
>繰り返しになるが、マルクス主義が、モダンな「大きな物語」の代表格、ということでしょう。

はーい、そうだと思いまーす。
44吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:38:40.25
「大きな物語」とはマルクス主義に代表されるなにか
なにかってなにか
45吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:41:26.84
>>44
この「なにか」がそれを語る人によって異なっているのではないかと思われ
46吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:43:21.90
Uって隅っこで暮らしてんの?田園調布住まいじゃ?
47吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:44:07.24
ねらーは言い訳がすごいな。
実社会じゃ高校生にもまず見られないレベル。
48吾輩は名無しである:2012/02/06(月) 23:45:36.28
相手にするなって
49N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 23:48:48.47
仮定法っていうか、条件法っていうのか。
野崎昭弘の「詭弁論理学」で、この条件法、仮定法をめぐる詭弁に
ついての議論がなされていて、それについて考えつつ、>>36
引用部を書いたんだよねえ、俺は。
50N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/06(月) 23:58:26.16
バートランド・ラッセルと、ウォーレン・ウィーバーのあいだで
この条件法の問題を巡り、論戦があったとか。
51N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/07(火) 00:08:54.64
条件法でもつかわないと、リオタールのポストモダンについての
議論と、サイードによるその批判を接合することなど、とても
不可能じゃないかと、俺には思われたから、条件法で文を
書いたのさ〜
52N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/07(火) 00:11:19.85
「詭弁論理学」、本棚からひさびさにとりだしたなあ。
53吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 00:23:23.62
>>41
でも、グラムシからサバルタンスタディーズへの流れはかなりポストモダン的ですよね
54レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/07(火) 00:32:52.33
公理論的数理物理学、公理論的数理経済学、これはいずれも同じ人、フォン・ノイマンが仕上げているんです。
で、フォン・ノイマンは、「二十世紀の偉大な数学者とうのは、ヒルベルトただ一人である」と云い、
自らの応用数学における方法論を、ヒルベルトを引き継いだ「公理論」的なものだとしていた。

いまは、こっちが「大きな」どころか「巨大な物語」だろう。
ドゥルーズやらが数物用語を使いすぎ、ドゥるージアンが、複雑系科学やら、超準解析やら何やらかにやらとドゥルーズ哲学が「親和性」がある、
とかの権威づけしたがるのがまずいのは、それがもはや「巨大な物語」に組み込まれているからだと思う。
55N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/07(火) 00:41:08.38
>>53
そういう流れだと、ポストコロニアル的という形容が適切なんではと。

ポストモダンとポストコロニアルとは、いかなる関係にあるか、これも
ちょっとは考える値打ちがあるかも。

まず、ポストコロニアル的な状況があって、しかるのちにポストモダンに
ついての議論がおきたと、とりあえず前後関係について、こんな風に
いってみたいが。
56つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/07(火) 00:44:08.40
哲板で話題になったけど、ドゥルーズガタリの「n個の性」なんていうのも、まさにポストモダン的な発想だよね。
欲望の種類によって人の数(n個)だけ性があるという発想が。そしてそれは決して倒錯ではないとしていて。
性別すら破壊してすべてを平均化し、なだらかな地平の上に人々を配置したいという願いなのかな。
ジャネットさんに前にジェンダーについて教わったっけね。まだ勉強中だよ。
57レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/07(火) 00:47:22.70
話しはズレるんだが、
いまのポスコロ状況と云うのは、ヘーゲルが言ったところの「法状態」だと思うのね。
ヘーゲルのいう「法状態」というのは、具体的にはローマ帝国時代を指すんで、もちろん時代錯誤なんだが、
ローマ法を英米法に置き換えれば、わりとよくあてはまると思うんですよ。
とすれば、多くのところで歴史はまだ始まっていない、のかもしれないから、
いまから「大きな物語」を目指す、というのもありかな、と半ば冗談で言っておく。
58N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/07(火) 00:49:17.55
ちょっとまえに、「中国が読んだ現代思想」って本を読んだんだわ。
そんなかに、中国でデリダやフーコーやドゥルーズが80年代以降
どんな風に受容されたかが書かれていて、興味深かったね。

中国の哲学界にとっても、いちばん気になるのは、やはりまあ
なんというか、ヨーロッパ中心主義の問題らしく、デリダやフーコーが
ヨーロッパの内部にありながら、いかに内部からヨーロッパ中心主義を
脱構築していくか、その方法にもっとも興味をもつらしいね。

こういうような相互交流ってのが、ポストコロニアル的ともいえる。
59N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/07(火) 00:50:09.52
こういうのって、やはり多中心的な状況と形容するのが適切なのかなあ。
60レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/07(火) 01:05:27.86
「中国が読んだ現代思想」
こいつは面白そう。明日買うことにした。
61N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/07(火) 01:12:24.67
>>60
うん、おすすめだよ〜
62吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 01:13:43.58
>>55
史学だと、伝統的なアカデミアの公式の歴史(=大きな物語)が決定的に疑わしいモノになったということなのでしょうかね
アナール学派とか
フーコーあたりが頻りにアイデアを掠め獲ってますが
まあ、ポストモダンの標語の下にあらゆるものが没中心的になって来た感はあります
63レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/07(火) 01:27:39.93
リオタール、イーグルトン、テルケル派、などなど限らず、バフチンもマルクス主義者でしょう。
ヘーゲルは、中心というのは内に対してはなく、外に対してある、と云うように言っているんですよ。
たとえば、戦時中の日本にしても、内側はどこに中心があるのかわからないような、
よくいう「無責任体制」だったわけでしょう。でも、連合国側からは、天皇を中心にしてのものすごい求心力が働いでいるように見えていた。
いまの没中心化というのも、そういうもんじゃないか、と思う。ところが、俗にいうグローバル化のあげく、エイリアンの視点でももってこないと、
それが観えない、という感じじゃないか。つまり、中心化の完成、が没中心化にみえるのかもしれないということ。
64N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/07(火) 01:30:32.15
>>62
へーそうなんだ。フーコーの「考古学」は、アナール学派の
研究成果に負ってるところも多いとな。

しかしまあ、どんだけ没中心的になって、中心が希薄化されても
人間なかなか中心から離れて境界の外側にはいけないもんだと
思うよ。たとえデリダやドゥルーズやフーコーでも。

それも「中国が読んだ現代思想」を読んだ感想。
65N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/07(火) 01:32:50.52
なんか文学との関係からだんだん離れてスレが非中心化されちゃうなあ。
自重自重。
66吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 02:30:43.28
>>63
>戦時中の日本にしても、内側はどこに中心があるのかわからないような
ああそだな
太平洋戦争に向かう経緯でも意思決定機関であるはずの内閣が機能せずに
陸軍や海軍や外務省のそれぞれのてんでばらばらの思惑と勝手な行動を
ばらばらのまま容認し対決を回避してなんとなくすべてを立てて
要所要所で必要だった決断をえんえんと先送りにごまかした結果
勝てるわけがないと当人たちさえはっきり判っていた開戦に至るという
そんな有様だったしね
あれは怖いわ
67吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 03:07:14.86
>>66
その内実ばらばらのシロモノが「御国」の名のもとに
場当たり的な自己正当化プロパガンダを通して自らを縛りあげ
中心が無いにも関わらず狂信的な中心化を果しているように働くという
68吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 04:53:31.57
とろい奴らだなw
いくら本を読んだって駄目だw
要するに、ポストモダン的状況にほぼ完全にケリをつけられる人間が出てきて
ないってことなんだよ。
69吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 09:06:31.14
>>68
ポストモダンは大きな物語の「終焉」じゃなかったか?
なんだよケリって
70吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 09:39:34.50
ばか
ばっか
71吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 10:20:41.68
>>70
including you of course
72吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 10:21:55.07
>>70
Toi y compris
73吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 10:26:05.08
>>70
Dont le pire c'est toi, salope!
74レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/07(火) 14:27:58.10
プラトンが「国家」でいったのは、いわば、哲人による統治というのが良いんだ、ということでしょう。
そして、その「理想」の極端な実現の仕方が、党中央の指導のよって統治される共産主義だったと。
哲人というのは、いまふうにはテクノクラットですわね。
テクノクラットの支配、というのは、「大きな物語」が終わっても、まだ続いている。
部分的には弱くなったかもしれないが、全体的にはしぶとく延命している。
そういう現状を見るに、、
はたして大学教授、つまり文化教育官僚として禄を食んでいるような人たちが、なにか現状を改変出来るか、
というと、おおいに疑問が湧くわけ。俗な話、東大仏文出なんて、キャリア官僚から見れば、たんなる落ちこぼれなのに、
わたしは東大出、だというような変なプライドを捨てられないでいる人が、私の周りに、けっこういるのね。
単調な練習いやになって大学で野球部辞めた人が、しかし甲子園球児のプライドを捨てきれない、みたいなもんです。
草野球のスターで、そういう人いるでしょう。
「外に立つ」とか「境界に立つ」とかいうのは、世間並の価値観を度外視する、というような、
わりと単純な心構えにかかわる問題だと思うんですよ。
フーコーは、昼間は世間並みに教授していても、夜になれば世間並ではなくたったわけでしょう。
デリダは、はじめから世間並はやれなかったわけね。旧植民地出のユダヤ人ですから、
フランスでは、当時はどう頑張っても、生粋のエスタブリッシュメントにはなれなかった。
でも、日本みたいに、普通の人ばっかり、みたいな場合どうでしょう。
知的中産階級出で、世間並に勉強して、「知識人」の仲間入りしたような人が、
努力して得たものを、容易に捨てられないんじゃないでしょうか。
思想というとき、問われるのは、本当はそこだけ、と云って過言ではないと思う。
75吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 15:42:01.50
鎌田はすててる
76吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 15:43:25.81
樫村晴香は?
77吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 15:45:05.26
國分は大正教養主義のリバイバル。小宮豊隆みたいなもん
78吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 15:47:03.01
大森正蔵
79吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 16:55:00.70
>>74>>75みたいな流れで言えば、浅田彰がずっと昔、「構造と力」か
なんかで推賞したように蓄積的知じゃなくて、瞬間的知が今、
必要なんだということで言えば、「捨てなければならない」のは、
社会的地位じゃなくて、蓄積された知識だと思うんだな。無論、喩えで
言ってるに過ぎないんだがW

大体が、文学板のスノッブ連中ぐらい本を、特に最近の本を
読んでれば、ポストモダンを取り巻く状況にもっと気付きそうな
もんだがW
80吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 17:43:46.10
知=社会的地位
81レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/07(火) 18:19:25.32
蓄積された知、むかしの浅田語にすれば、パラノ的、ということで、
瞬間的な知、のほうは、スキゾ的、ということになる。

で、パラノ知を捨てたら、「知識人」は、用済みになるから、まず地位は保てないね。
だから、けっきょく身分も捨てることになるが、大抵はそれを怖がるでしょう。
人情として、仕方ないと思うんですよ。
でも、多少は、空言空語をつらねていることを、気恥ずかしいと感じてほしいというのがある。
厚顔無恥の蔓延が、ポストモダニズム以降、すごくなっているのは、いやだな。
82吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 18:55:25.10
厚顔無恥ってのはもちろんこのスレに顔出してる全員のことだろうな
83レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/07(火) 22:42:26.13
それは違うんじゃない?
仕事でやってないでしょう。少なくとも私は「職業知識人」ではないから、
この点では、自分を恥知らずとは思わない。ほかのことでは、だいぶ恥知らずなこともしたことありますが。
84吾輩は名無しである:2012/02/07(火) 23:14:57.75
鎌田は商売として批評は書いてないね。
「重力の前提」で、他の仕事で生活費を稼ぎながら、その余った時間で
批評をやるんだ、と書いている。一時期であれ批評家で食っていけるなんて
幻想が業界にあったことじたいおかしいんだ、みたいな。宣長なんかを例に
だしながら。
85吾輩は名無しである:2012/02/08(水) 07:29:27.62
ポストモダンは、まったく「読めない」文芸評論家を多数、生産したw
松浦寿輝、石原千秋、川崎賢子夫妻、田中和生、柴田元幸、 沼野充義、
安藤礼ニなどなどw
彼等は評論家では毛頭なく、カッコだけ整えたスノッブというのに過ぎんw
86吾輩は名無しである:2012/02/08(水) 07:35:47.81
>>(鎌田曰く)一時期であれ批評家で食っていけるなんて
幻想が業界にあったことじたいおかしいんだ、みたいな。宣長なんかを例に
だしながら。

ここが鎌田の矮小さだなw
自分の才能の無さだけを見つめながら死ねやw
87レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/08(水) 12:37:59.11
ひさしぶりに平野スレに続けて書き込んでみて、
その住人の知的水準の低さに呆れた。
なんだかんだいっても、デリダ・ドゥルーズのスレは、やっぱり住人が知的なんですよね。
ということで、現代思想系知識人の悪口言い過ぎたことを、すこし反省した。
88吾輩は名無しである:2012/02/08(水) 16:36:53.88
>>87
ほんとうかい?くちだけ男くん。
89森田拓也:2012/02/09(木) 00:39:21.08
こんばんは。
おじゃまします。
デリダとドゥルーズの未邦訳は、
まだまだ、残っているんですかね?
教えていただきたいので、よろしく、
お願いします。
90アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/09(木) 00:47:01.85
>>89
残念ながら、デリダは割とあるねえ。
部分的に雑誌掲載されたものはあるけど
72年の散種、74年のグラ=弔鐘、80年の絵葉書(後半)など
91アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/09(木) 00:55:06.80
ドゥルーズのほうはすべて邦訳されてたはず。主要著作は文庫で読める。
92吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 11:34:05.78
アマゾンを見ていたらデリダの「絵画における真実」みたいな本がありますが
これは絵画関連のエッセイを集めて編集したものでしょうか?
ざっと著作目録をみてものってないようですが・・・
93吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 12:01:36.63
>>92
“La Verite en peinture”でしょ(アクサンなし)
それはデリダによる、美学を論じた著作の中では代表作の一つだよ。
カントが『判断力批判』の中で用いていた“パレルゴン”なる概念を持ち出してきて、
芸術作品の本質を語る、という。軽い絵画に関するエッセー集ではない。
難解なジャルゴンが多数登場する意味不明な著作の一つw
94吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 13:04:22.07
そうですか、では眠り薬代わりに購入してみよう。
しかしジャルゴンはないでしょうw
エニハウありがとう。
95吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 19:52:39.65
ソンタグはいう。
「どんな戦争地帯にも一度も近づいたことがなく、戦闘に与したり、爆撃のもとで生活したりするとは
どんなことかこれっぽっちの考えもない。それが見え見えのアメリカやヨーロッパの知識人たちが
尊大にもあの戦争(ベトナム戦争)について語るのを目にして、怒りを禁じ得ませんでした。」
これに内田樹が噛みついた。
「安定した知識人としての生活を棄てて、戦時下のベトナムに行くことが「真剣な」知識人としての
知的・倫理的威信を高めると信じているソンタグの信憑の形態は、安定した平時体制を棄てて、
内戦のベトナムに軍事介入することが「真剣な」国家としての政治的・倫理的威信を高めると信じている
アメリカ政府信憑の形態と同型的である。」(ためらいの倫理学)
96吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 20:01:48.45
内田にしろ、山崎、中沢、大澤にしろ、独自のフィールドワークなしに
打開は有り得ないw
山崎正和の最近の著作みたいなことなら、西欧の古典学者は一桁以上、
本を読んでるから太刀打ちできないw
97アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/09(木) 20:34:26.04
>>92
『絵画における真理』は全部で5篇の絵画をめぐる論考集成で、
序論的な位置に「パス=パルトゥー」という短いテクストがあって、
上巻に「パレルゴン」「+R」、下巻に「カルトゥーシュ」「返却」を収載。
「返却」はゴッホの農夫の靴をめぐる読解で、
ハイデガーの『芸術作品の根源』を読んでおくと結構楽しんで読める。
「パレルゴン」はカントのほか、ヘーゲル、ハイデガーもよく出てくる。
ティテュス=カルメルを扱った「カルトゥーシュ」、
それからヴァレリオ・アダミを扱った「+R」は、
個人的にはちょっと印象が薄い論考だったなあ。
98レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 20:35:39.89
蛮勇が流行りなら、内田の説もいいと思うけれど、
現状は全くそうではなく、卑怯未練を小理屈こねて正当化したがるほうが圧倒的に多いんで、
ソンタグのほうを取りたい。
たとえば、イスラーム圏の一部などでは、蛮勇が流行っているのかもしれないから、
そういうところ向けには内田説でもいいかもしれない。
99アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/09(木) 20:36:32.73
>>93
パレルゴンとジャルゴンを掛けたとか?w

>>95
内田のほうが弱いなあw
100アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/09(木) 20:42:39.50
>>4>>5
うーん、そういう単純な話じゃないんだよなあw
前スレでハイデガーの存在論的差異を引き合いに出した上で
思考と思想の差異について語った。
「存在者」(Seiende)と「 存在」(Sein)の差異は
もちろん辞書に載ってるけれども、
それでハイデガーには誰も突っ込まないっしょw
これは時間のある時においおいパラフレーズしていこう。

余談ながら、聞き分けのない子供のような差異について。
フランス語のパンセ(pensée)は日本語に訳されるときに
時に思想、時に思考と訳されることがあったりする。
同じパンセでもpenserを思考と訳し、penséeを思想と訳し分けるのがデフォだろうなあ。
ただし、耳ではpenserとpenséeの差異は聞き分けられない。
デリダの差異と差延も同じだね(ともにディフェランスだが、綴りが一語違う)。
101レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 20:43:11.80
アセンションさんが、いうなれば、デリダとドゥルーズの思想のいいとこ取りをしたい、というのは、
あえていうなら、従来的な「ドゥルーズ主義」の文化主義への過度の傾きを脱して、「政治」のほうへ重みを置きたい、という思いがあってのことなんですか?
102アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/09(木) 20:47:41.58
>>101
少なくとも従来の「政治」という概念ではないですねえ。
もっと個人的で非常に小さい視点といっていいのか。
103レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 20:51:54.91
従来の「政治」というのは、むかしながらの左翼用語の「政治」?
104アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/09(木) 20:58:40.77
俺個人が考えるべき政治があるとすれば、俺の個人的な生においてしかないだろうと。
だから非常にミクロな視点でしか政治を考えることの有効性はないだろうと。
ついでだけど、「ドゥルーズ主義」や「デリダ主義」という言葉も嫌いですね。
「フランス現代思想」や「ポストモダン」と同じで。
そこにはざっくりとした大雑把な思想しかなく、思考がない。
「フランス現代思想」という言い方はあっても、「フランス現代思考」とは言わない。
ドゥルーズのテクストもデリダのテクストも多様態であって、
そこから各個人が面白いと思えるもの、使えると思うものを抽出すればよく、
ドゥルーズやデリダという固有名詞を包括的に肯定する必要もなければ、
ましてや「ポストモダン」という寄せ鍋に二人を放り込んで訳のわからないものにする必要もさらさらない。
思想はスタティックであり、抽象的であるのに対し、思考はダイナミックであり、具体的になるだろうと。
上に書いた思想と思考の差異もここにかかってきますね。
105レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 21:06:35.50
何とか「主義」が嫌だというのは、気分的にはそのとおりなんだが、
どうしてもそうなっちゃうでしょう。
そのむかし、苦肉の策で、マルクス者とマルクス主義者を分けることをしてみても、
今度はネオ・マルクシズムという言葉が出てくる。
ヘーゲルでも誰でも同じでしょう。ヘーゲル研究者だったバトラーなんかも、新ヘーゲル主義者だといわれちゃう。
かえって、一時期のジジェクみたいに、ヘーゲル・マルクス主義者だと自分から名乗ってしまうような立ち位置のとり方のほうが、
いいかもしれない、というのはないですか。
106アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/09(木) 21:14:30.99
特にドゥルーズは多様態や特異性や生成変化を語った人であり、
ドゥルーズの思考はそれを体現しているところもあると思う。
だからヘーゲルのようにヘーゲル主義と呼ぶことに抵抗するものが、
ドゥルーズの思考にはあるだろうと。

また、サロート、ロブ=グリエ、ビュトール、シモンをひっくるめて
ヌーヴォーロマンと呼ばれ、ロブ=グリエは自らもその名前を引き受けたけれど、
この4人はまったく異なるし、ロブ=グリエの作風も初期と後期で変わっている。
ポストモダンを語るリオタールはロブ=グリエの位置と同じなんだろうと。
ポストモダンやヌーヴォーロマンというのは便利な記号として流通しやすいかわりに、
そこにある多様性や特異性をスポイルしてしまう。
107☆将臣ワナビ(自称本物)は将臣になれないHNドロセンセイの鞄391:2012/02/09(木) 21:17:00.99
39 :つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/06(月) 23:31:53.97
だからさあ、鍵君みたいにすみっこで暮らしている繊細な神経症患者を強引に排除して喜んでる様なNが

俺は津原と佃煮(鍵=神経症患者)
とマイケルオタクからHN泥何年もされてるんだけど。
お前ら全員死ねよ。
108レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/09(木) 21:22:27.60
ドゥルーズ本人も、旧東側の崩壊のずぐ後、
自分はマルク主義者だと今ほど思ったことはない、みたいなこと言ったというのがあるでしょう。
109☆将臣ワナビ(自称本物)は将臣になれないHNドロセンセイの鞄391:2012/02/09(木) 21:24:03.97
あんた打ち間違えてるぜ

ずぐ後→すぐ後

マルク主義者→マルクス主義者
110アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/09(木) 21:26:46.71
>>108
ドゥルーズにならってドゥルーズを読む必要も実はないと思う。
ドゥルーズをデリダ的に読んだっていいし、デリダをドゥルーズ的に読んでもいい。

では。
111吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 21:58:37.25
フーコー、ドゥルーズ、デリダ、つってもそれぞれモチーフが全く違うからね
読む側の関心によって相性は絶対的に出てくる
フーコーは権力論
デリダはメディア(媒介、媒体)論
ドゥルーズは生気論的存在論
まあ分かりやすいからデリダを例に取ろうか
デリダが書字(エクリチュール)に拘るのはそれがメディアだからだ
書字は物質だから必ず思考を裏切るが書字にされない思考は残らない
この書字の特性を活かせば脱構築が可能になる
そして書字は部分に分解することができ、部分は呪術的な力を持つ
ゆえにデリダ研究から出発した東浩紀が絵を部分に分解しその組み合わせで
萌え(呪術)を論じるのは当然の帰結となる
根本のモチーフが何かというのは結局決定的なんだよ
112森田拓也:2012/02/09(木) 22:36:19.22
>>90
>>91
アセンションさん☆
こんばんは。
おじゃまします。
ドゥルーズ、デリダの邦訳情報、
どうも、ありがとうございます。
今、現代思想の中心が、イタリアに、
移行していると、よく聞くんですけど、
ドゥルーズ、デリダの哲学・思想が、
埋もれていくのが、とても、
悔しくて・・・。
なんとか、フランスの哲学・現代思想、
盛り返して、もらいたいです!!!
113吾輩は名無しである:2012/02/09(木) 23:05:34.71
カソリック圏の階級国家であるフランスでイデオロギー闘争の一環として採用された文化闘争が
東洋の土候国である日本で通用するのか?

ジャネットさんが言っているのはこういう事でしょうね。
実際、80年代から90年代にかけてのポストモダニズムの隆盛にも関わらず
日本における官僚の権益は拡大傾向にあるし、文化一般も陳腐化と画一化が進んでいます。
浅田彰は遅くとも80年代末には“白痴の天国”である日本的プレモダンを肯定するものとして
フランス現代思想が受容(利用)された、と総括しています。
まあ、あのひと自身がAKBなるTV芸者たちを
間接的にではあるにせよ、後押ししているような零落ぶりですが。
114つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/09(木) 23:08:39.52
浅田さんおすすめの現音はブーレーズ、ノーノ、ケージあたり?
ほかにないかな。ちょっと漁ってみたい。
115吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 00:04:30.69
あの人はニュー・ウェーブ系のニック・ケイブやスクリッティ・ポリティを誉めたりするから…
日本人だと高橋悠治や阿部薫を凄いといったり
外国人ではジョン・ケージの他にはグレン・グールドを誉めていましたね。
116レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/10(金) 00:22:56.03
Uさんらしき人が上手く要約してくれました。ありがとう、待ってました!
なんですが、誰か言ったように、私の言っていることは、むかし浅田がほとんど言ってしまっています。
もちろん、独自の観点もあるんでというよりも、私自身が前から言っていたんですが、
この件に関しては、まず浅田以上のことは言えないと思うのね。これは、私に限らず、誰でもそうだと思います。
なぜなら、常識的な俗論ですから、たいして捻りなんて加えようがない。
もう一方で、ドゥルーズの著書のまじめな読者のみなさんも、むかしと変わり映え無いことを言っている。
ようは、入門書に書いてあるようなことを繰り返している、というわけです。

で、なにゆえ、私の書き込みへの過剰反応が多いのか、というと、これは簡単なはなし、
神経逆なでされるからでしょう。自分が一所懸命読んでいるということに、不図こんなもの読んでいて何かあるのか?
という思いがよぎる。そして、そのやり場のない感情が私に向くことがある。

しかし、誤解しないでもらいたいのだが、私は「真面目な読者」の皆さんの敵では断じてないです。自分では味方のつもりです。
なにしろ現代思想はエンタメでいいんじゃないか、と云っているだけですから。
じっさい、前からそうだったんで、たんに「事実」を確認しているにすぎません。ですから、気にしないでください。
117吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 00:39:32.70
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118吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 00:41:05.58
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では解決できないことのために。


119吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 00:46:07.08
>>116
俺はやっぱり違和感があるな。
つまらない心理分析はどうでもいいけどさ、見切りが早すぎると思う。
俺は「まじめな読者のみなさん」が怖いよ。
まじめに読まなければ見えてこないことがあると思うから。
まじめな読者でありたいね、そっちのほうが分かる楽しみがあるからね。

それと、浅田彰自身はまじめな読者だと思うよ。特にフーコーに関してそう思う。
何よりめちゃくちゃ本を読んでるしね。彼の状況論と思想自体への関心は分けて捉えるのが
いいと思うな。
120吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 00:51:03.20
>>116
哲学や思想の本当の問題はエンタメと言い捨てて良くなってしまっていること
知的お飾り(ですらないか)
121吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 02:17:49.15
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123アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/10(金) 02:28:02.66
>>112
こんばんは。ネグリ、アガンベンあたり?
フェデリコ・フェラーリはナンシーとの共著もあるね。
こうした伊仏の共著とか、独仏の共著なども増えていくんじゃないかと。
124吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 02:31:51.46
柄谷行人=パラサイト・ダニ=マグナ=鈴木雄介=materialist=鍵=狸w
こんなの↑が大立者気取りでいるんだからな。
文学もナメラレきったもんだな。( 嗤 嗤 嗤 )
125アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/10(金) 02:35:27.03
>>111
エクリチュールは日本語に翻訳するのが難しいよ。
書字という狭い意味には到底収まらない。

>>113
政治という概念をマルクス「主義」的に考えると
ドゥルーズやデリダの思考は読めないだろうなあと。

>>116
浅田彰はもうすぐ読まれなくなると思うな。
126アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/10(金) 02:39:17.27
ドゥルーズが英米文学の優位を「ディアローグ」で語ってるけれど、
この点はどうも同意できないな。
127吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 08:34:37.14
アセンションが書いたら、千も売れんだろうw

128吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 09:27:32.71
如何せん如何せんと思わざる者は如何せん

同じく

解からない解からないと言わざる者は解からない

数学が解かる、物理が解かる、ってことを自慢しているヤツらが、こんなに解かっていないとはね。(嗤)
129吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 14:04:36.97
哲学も文学も今は英米の方が目立ってるな、確かに。
現代美術はドイツがダントツで次点がイギリス。

まあ、哲学が英米中心になってるっていうのは安定的に発展してるって意味でだけど。
80年代以降もその分野で革新的な仕事をする人が継続して出てきてる。
大陸哲学は時代に大きな変化がなければしばらく停滞しそう。
130 忍法帖【Lv=6,xxxP】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2012/02/10(金) 16:09:17.37
昨日雑談スレでジャネットと誰かが論争してたが、このスレの住人から見るとどちらが軍配上がる思うか?
131吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 16:15:35.60
どちら「に」軍配「が」上がる「と」思う?
132吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 16:55:08.74
まぐなは中国人あるか
133つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/10(金) 16:56:57.43
>>115
阿部薫とグールドはCD持ってるな。
その他の人は聞いたことないや。紹介ありがとう!試聴してみるよ。
134レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/10(金) 17:18:11.71
マグナさんに言うと、
私は論争はめったにしません。昨日のことも、論争だとは思ってない。
きのうの人の「存在論」は、「光明遍照」ということで、お経に書いてあります。
密教でいうところの毘盧遮那仏は、その「光明遍照」でしょう。

私はそういう話に飽きているのだが、真新しく感じる人もいるということでしょう。
前に、細野晴臣が好きだ、といったいた二十代の人に、
私が「どこがいいの?」ときいたところ、その青年が怒り出した、ということがあった。
ところが、私がエン・レーベルのレコードを初回プレスでほとんど持っていた、ということを知ると、
態度が変わりました。
ようするに、おっさんになるまでは、おっさんの云うことがわからない、ということにすぎない。
私もわからなかった。今になって思えば、親切な(おせっかいでもよい)おっさんのいうことを、あの時きいておけばよかった、と思うこと多い。
135つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/10(金) 18:25:22.64
まーくんが豚を切る!こーくんにも一般意志2・0を三重苦本と言われて豚涙目!

masayachiba 千葉雅也 Masaya Chiba
うぬぬ。クィア理論のリサーチペーパーを読んでるんだけど、僕としてはかなり違和感があるな。デリダ的な
「つねにすでに来たるべきである民主主義」としての「クィア性」という「希望」、これを捨ててはいけない、
それこそがクィア理論の基本的なデリダ主義であるはずである、といった主張をしている。
2月7日

masayachiba 千葉雅也 Masaya Chiba
この手のデリダ理解、つまり延期されつづける理念的な未来性に賭けよう、という議論を「否定神学的」
というラベルでいったんカプセル化し、それとは別のしかたで、(おそらくはカント的な)理念なしでの
差異の哲学をスケッチし直したのが東浩紀の仕事だった。それは英語圏に輸出されていない。
2月7日

masayachiba 千葉雅也 Masaya Chiba
英語圏には「デリダ的な亡霊性としての未来」なんてことを最先端みたいに言ってる状況があるんだな、
そして日本の少なからぬ人たちも似たようなことを曖昧に支持したままでいたいんだろうな。
2月7日
136吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 19:57:26.31
どんどんマイナーな人が出て来るねw
137吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 20:07:08.84
数学・物理学での論争は専門知識と論理の勝負だ。浅田に論争できるわけが無い。
それ以外の学問分野では現場を飛び回って作った膨大な博物学的知識が必要だ。浅田に論争できるわけが無い。
芸術で、創作芸術家には、あはは、論争なんて端から相手にされない。あはははは。浅田に論争できるわけが無い。

そりゃ、誰とも論争なんかしないさ、浅田はね。(笑)
138吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 20:16:27.40
まあたジャネットを浅田だと思ってる電波くんか
論争もくそもどうでもいいからはた迷惑な妄想はおまえの中で閉じとけ
139吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 20:27:05.96
俺はアセンションは可能涼介だと思っていたんだがなw
だから、津原−川上の問題は完全な馴れ合いのヤラセだと
言いたいんだがw

それが世間に知れてはいかんから、津原が佃煮を訴えるポーズを
取ってるだけだと思うんだがな。
無論、やらせで世間を騒がせた責任は津原や川上その他に取って
もらわねばならん。阿呆の東大教授は無論、川崎賢子、土井叔平
などなど。
140つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/10(金) 21:01:22.75
20世紀クラシックがいわゆる現代音楽なんだけど、i-tunesでクラシックの項目を探しても一向にヒットしないんだよな・・・
さっさと見つけてかけっぱなしにしたいんだけど。

>>255
私がどのスレに書き込んでもこのピースという人が一分差とかで即レスして煽って来るから気持ち悪くてさあ。
しょっちゅう「つくだにとセックスするなら○△■」みたいな気色悪い事言ってるし。
私のちょっとしたつづりまちがいを何年も覚えていて何度も持ち出して来たりするし、変質者だよ。
もう二年もつきまとわれているんだ。
141つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/10(金) 21:01:59.79
あ、誤爆だすまん
142吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 21:03:25.14
>>139
まーた川上軍団の印象操作かよ。ヤラセなわきゃないだろー。
これから大変なことになるぜ。

いまのうちに首洗っといた方がいいんじゃねーの、おまえら。
143吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 21:06:26.02
>>142
お前がヤラセなんだよw
144吾輩は名無しである:2012/02/10(金) 22:22:22.39
>>134
>前に、細野晴臣が好きだ、といったいた二十代の人に、
>私が「どこがいいの?」ときいたところ、その青年が怒り出した、ということがあった。

うーん、最近は親戚の小山田圭吾や元YMOの面々を引き連れてライブ活動をしていますからねぇ…。
ころっと、むにゃむにゃ…される若者がいるんですね。
145森田拓也:2012/02/10(金) 23:02:03.19
>>123
アセンションさん☆
こんばんは!
おじゃまします。

ヤフーの知恵袋で聞いたんですけど、
やはり、イタリア現代思想では、
アガンベンが、面白いと言う事でした。
ネグリは、面白くないと・・・。

あと、現代の最先端をいっている、と思われる
哲学・思想家に、
ミシェル・セールとジェイムズ・ヒルマンと
スラヴォイ・ジジェクを教えてもらいました。
ジジェクは、今、読んでいるところなんですよ。
ミシェル・セールは、哲学・思想で、最先端を、
いこうとしていて、セール自身、模索中らしいです。

ヒルマンは、たしか、心理分析系の思想家だったと、
思います。
河合隼雄さんとの、対談は、読んだ記憶があります。
回答者さんが、言うには、ヒルマンの思想は、
今の世界的に見ても、最先端をいく、というより、
人類の思考を追い抜いているので、
誰も、ヒルマンの思想に、ついていけない、
ということです。

そうですね、アセンションさんが、言われるように、
伊仏、独仏の共著などでも、いいので、
フランス現代哲学・思想の底力を、
見せて欲しいですね!!!
146吾輩は名無しである:2012/02/11(土) 17:15:07.02
枝野経産相 ポストモダンを目指す
http://www.youtube.com/watch?v=Oqg2mR62PXE
147アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/12(日) 11:46:42.49
>>127
浅田や東に向かって「東野圭吾より売れんだろうw」と言うのかな?w
ちなみに俺は3万3千部の本の著者であるぞ。えへん(実用書だけどw)

>>129
ドゥルーズが英米文学の優位を語る場合に出てくるのは、
メルヴィルやウルフやロレンスやヘンリー・ミラーなどだね。

>>130
どうでもいいなw

>>135
亡霊性というのはガイスト(精神)とゴースト(亡霊)のつながりだね。

>>145
おはよう。
アガンベンもドゥルーズの影響を受けてるんじゃないかな。
「スタンツェ」はイマイチだった。
ジジェクは映画を絡めた批評は面白いけど、ちょっと弱いね。

アガンベンにはメルヴィルの「バートルビー」論があるけど、
「バートルビー」についてはブランショもドゥルーズも書いてるんだよね。
比較しながらまとめ読みするのも面白いかも。
148129:2012/02/12(日) 11:55:30.36
>>147
知ってるけどそれがどうしたの?
149吾輩は名無しである:2012/02/12(日) 12:27:05.80
>>147
その実用書の著書名を教えてくださいませ。
150吾輩は名無しである:2012/02/12(日) 12:29:51.38
『私のサオはなぜ使ってもしぼまないのか』
151レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/12(日) 14:21:09.61
その本が、もしトンデモではないのだったら、世界で十億部は売れるだろう。
152吾輩は名無しである:2012/02/12(日) 14:46:56.40
>>147
俺はお前が可能涼介だと思ったから、千部も売れんだろうと
言ったんだが、可能でないとしても、似たようなもんだろうw
文芸評論なら、最低で10万部以上を俺は目安にしてるw
今の浅田はミクロの世界だろうな。
小谷野とか、2ー3千部の本など出す価値もないw
153吾輩は名無しである:2012/02/12(日) 15:32:19.71
実用書で3万3千部なら大したものじゃないですか。
154アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/12(日) 16:01:20.30
>>148
いやどうもしないんだけどねw
しかしドゥルーズが英米文学を持ち上げるのがちょっと腑に落ちないなあ。

>>149
実名がばれるゆえどうかご勘弁くださいませませw

>>150
売れそうだから、新書で次それ出そうかなw

>>151


>>152
? 可能って知らないw

>>153
版元のマイナー出版社のシリーズではそこそこ売れたみたい。
155つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/12(日) 19:14:39.21
私も本出した事あるけど、3万もいってないなあ。
アセンションってすごいんだな。
156吾輩は名無しである:2012/02/12(日) 19:45:24.47
なんか、一気にみすぼらしくなったな
157吾輩は名無しである:2012/02/12(日) 22:41:47.92
>>145
分析心理学系は分裂病患者との対話・実践を通して帰納している為に読者にとっては超難解です。
ヒルマン氏の著作は読んでおりませんが、ユング派との事ですので読まなくとも想像はつきます。
予備知識無しではユングと同様に100%理解不能の予感がしますwしかし、ユングの著者を読
みますと、神話学や図像学、錬金術に詳しくなれる特典がついて来ますw(別途読む必要性があるけどw)
また、柳田國男やレヴィストロース、仏教(唯識論)等に興味を持たざるを得ない応報もございます。

もしも、ユングを読まれるならば河合隼雄や小川捷之よりも岸田秀、林道義氏の方が理解しやすいです。
しかし、余りに嵌ると文学を読むにしてもユング的読みになる恐れが多分にございますが、視点が増える
と思えば安いものです。因みにあなたも中学生時代に読んだであろうヘルマン・ヘッセはユング的視点
で書かれておりますので、読み返すと”なるほど”と思うはずです。最近のアニメ「ペルソナ4」はユング
心理学そのままの世界観を表象しております。(4話までしか観てませんが)
掃き溜めフロイト理論よりも読んで面白いのがユングと云うことでしょうか。
横スレ失礼致しました。
158吾輩は名無しである:2012/02/12(日) 23:05:09.39
799 :積 緋露雪:2012/02/12(日) 03:32:29.77
>>798さんへ

御免なさい。私はデリダはまだ読んでゐないのでわかりませんが、
何か欠落してゐるものがありさうだとは思ってゐます。


800 :積 緋露雪:2012/02/12(日) 03:45:08.73
ただ、デリダにはどうやら身体性に関してはすっぽりと抜け
159吾輩は名無しである:2012/02/12(日) 23:05:44.80
799 :積 緋露雪:2012/02/12(日) 03:32:29.77
>>798さんへ

御免なさい。私はデリダはまだ読んでゐないのでわかりませんが、
何か欠落してゐるものがありさうだとは思ってゐます。


800 :積 緋露雪:2012/02/12(日) 03:45:08.73
ただ、デリダにはどうやら身体性に関してはすっぽりと抜け落ちてゐる事は
解説文を読んだだけですが、間違ひないやうです。
160森田拓也:2012/02/13(月) 02:06:45.99
>>157さん☆
こんばんは!
レスどうも、ありがとう。
僕は、今、37才なんですけど、18才の時に、統失と診断されて、
まあ、いろんな、精神世界を、旅しました。
ヘッセは、20代の時に、詩をよく読みました。
へッセも、自分自身と闘った、すごい人だと思います。
僕も、フロイトより、ユングの方が、面白いと思います。
フロイトは、ちょっと、精神分析の仕方に、かたよりが、
あるような・・・。
でも、フロイトも、大好きです^^
唯識関係になると、思うんですけど、
最近、読んだ本で、強烈に面白かった本が、あります。
井筒俊彦さんの『意識と本質』という本です。
なんか、「花が存在する」、じゃなくて、
「存在が花する」みたいな、ものすごい、ことを、
言われてます。感動しました☆
161ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/02/13(月) 02:31:33.08
そういや俺も大昔、ひょんなことから本出したなあ。(編著という形だけど)
発行部数は二千部だったか。
ちなみに今も50冊ほどタンスの底に眠っているw
162吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 11:57:13.53
パイナップルの本?
163つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/13(月) 17:45:53.53
デリダは神経質で繊細な秀才という感じ、
ドゥルーズはあらぶる天才という感じ。
164レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/13(月) 18:03:31.64
ドゥルーズの思考は、いたって中流的だと思う。
だから、日本では受けたのじゃないか。
荒ぶっているようなところは、たぶんガタリが書いているところじゃないの。
デリダのほうは、中流的でないところがある。

ちなみに、荒ぶる神、スサノヲの大神は、歌道の祖でもあるんですよ。興味あったら、古今集仮名序を読んでみて。
165吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 21:37:01.14
哲学の世界じゃ、やっぱドゥルーズが人気だろ。
文学がデリダ、社会学がフーコーという感じ。
この辺は定着してきたんじゃないかね。
166吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 22:07:09.65
デリダは文学なんかには殆どかかずらってないでしょ。
フーコーは社会学でも史学でも心理学でも何でもいいけど。
167吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 22:29:29.81
ドゥルーズは中世の煩瑣哲学そのものって感じだけどなあ。
ポストモダンというより、プレモダンの空気ぷんぷんさせてた。
168吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 22:30:13.89
フーコーは人文諸学の綜合を図った。
で、デリダは批評の裾野を広げたとおもいますけどね。
169レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/13(月) 22:56:44.00
167の人が言うところの「プレモダン」ぶりが、ポストモダン的なんでしょうね。
アナクロも平気だということでしょう。
私は、ドゥルーズ哲学というのは、形而上学のパロディだと思っているよ。
意図的にそうしていると思う。
170ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/02/13(月) 23:05:56.29
わかってないなあ
171吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 23:39:50.83
そうなんですか。
172レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/13(月) 23:52:13.30
パロディ的な手法を用いた知的文学作品で、出来栄えは秀逸。
ムーさん、だからこそ、創作論として読めるんじゃないの?
173吾輩は名無しである:2012/02/13(月) 23:53:35.25
>>160
西洋哲学が色あせる程のインパクトと浩瀚な知識には恐れ入ります、と云う他ありませんね。
井筒俊彦氏の著作をお読みになっているのでしたら>>157で書いたことは蛇足でしたね、失礼しました。
174吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 00:08:41.55
でもまあ、古典哲学をああいったポップな形で現代に蘇らせて
政治や社会そして文化一般を気楽に語り得るツールにしたのは凄いですね。
だから象牙の塔の住人から忌み嫌われるわけですが。
175レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/14(火) 00:19:56.20
ところが、かつてドゥルーズを嫌ったはずの「象牙の塔」の住人が、
いまは「お勉強」で読めと言っているようなんですよね。
どういう事情でしょう。やっぱり、スターは必要、ということでしょうか。
176吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 00:34:10.90
日本の「象牙の塔」は所詮まがいものですから。
まあ、ひょっとしたら本国でもそのような機運が高まっているのかもしれませんが。
偉そうに「学問」だ、といってふんぞり返っていても
「お客様」あってのことですからね。
177レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/14(火) 00:45:37.27
いま人文系は「偉そうに」はしてないんじゃないですか。
上のほうは世間に対して、極度に低姿勢になっている感じがしますよ。
アメリカなんか、文学部不要論もあんがい盛んなんでしょう?
178森田拓也:2012/02/14(火) 02:08:43.53
>>173さん☆
こんばんは。
レスありがとうございます。
蛇足だなんて、とんでもない!!!
僕の知らなかった、人物を紹介してくださり、
大感謝です^^
この間、埴谷雄高さんの、全集を読んでいたんですけど、
西洋には、「虚」の概念は、ない、
あるかもしれないけど、「虚」を表す、
言葉が、ない、と言われてました。
東洋の思想の、恐ろしさを感じます。
179吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 10:43:08.85
ドゥルーズに関しては、
ベルクソン哲学の解説者としての需要が日本では昔からあったんじゃないかな。
フランス本国では現象学の批判者という扱いで、
批評家の需要はアメリカ中心だったはず。
180吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 11:43:07.71
ドゥルーズがポップって、どういう観点から言ってるのか。
ゴシップみたいな話を通してじゃなくて、内容そのものに沿って説明してほしい。
数学やなんかでいい加減なアナロジーを多様するから?(笑)
181森田拓也:2012/02/14(火) 13:51:17.48
こんにちは。
ドゥルーズは、リルケも読んでるみたい。
予感は、してたけど。
でも、すごい、うれしい。
僕も、リルケ大好きやし。
『記号と事件』で、リルケが詩作で使った、
開放性の概念と、ベルクソンの哲学概念は、
共通する、とドゥルーズは、言ってる。
182吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 14:42:01.47
>>181
たぶん大きな世話って言うだろうけど。
あなたはここに個人的なことを書きすぎてると思う。
2chはそれが主題になっているのでもない限り名前や年齢や病歴を書くようなところじゃない。
2chで行なわれるのはもっぱら知識と冗談と意見に関わるやりとりで、
これは全部その場限りのドライなコミュニケーションと本質的に結びついてるんだよ。
ここに書き込むのもそういうやりとりに慣れた擦れた連中ばっかりだから、
あなたのやってることはそういうやつらに対して弱点をさらしているようなもの。

多少なりとも人格が関わるコミュニケーションがしたいならmixiに行くべきだよ。
183森田拓也:2012/02/14(火) 14:50:07.96
>>182さん☆
こんにちは。
心配してくれて、どうも、ありがとう。
おれには、人生で、もう捨てるものは、
何もないから。
気を使わせてしまって、ごめんなさい。
反省します。
184レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/14(火) 14:58:42.39
ゴシップぬきのポップはないと思う。
ヒューストンの死をめぐるゴシップは、これからもっと出てくるだろう。

ソーカル問題にしたって、予算の奪い合いが根っこにある、いたって生臭いもんなんでしょう。
185吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 15:06:51.47
>>184
ということは、ドゥルーズは少なくとも哲学の内容についてはポップではないってことになるけど。
186吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 15:09:32.17
ポップじゃなくてマトリフだな、キャラ的には。
187吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 15:52:22.97
一番mixiに行くべきなのは>>182かもしれないね。
だいぶ痛い目にあったと見えるw
188吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 16:09:19.57
>>187
こういう無意味な邪推をするやつがいるからなあw
189吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 16:17:20.66
こんにちは。
おれ、反省してるんだ。
アセンションさんと、
みなさんに、迷惑かけたこと。
ドゥルーズ、自殺したじゃないですか、
おれ、ドゥルーズを、助けてあげたかったんだ。
おれは、ドゥルーズの、心のつらさ、分かるつもりです。
西洋哲学は、ドゥルーズの自殺で、
終わったかもしれない。
おれが、ドゥルーズに、今、
何を、してあげられるだろう、
って、考えたんだよね。
クソ馬鹿な、おれには、ドゥルーズさんの、
残してくださった、著書の邦訳を、
読んであげることぐらいしか、できないんだよね。
死んだら、ドゥルーズと、デリダに哲学を、
教わりたいんだ。
地獄行きの、おれなんで、
閻魔に、賄賂を渡してでも、
天国に行くよ。
190吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 16:30:51.38
国境線を希薄化する為の政治的意図がフランス思想にはある
そしてフランスの高校では教養として教えられている
191吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 16:55:13.04
みんな、チョコレートおいしく食べてるかい?
192吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 17:17:03.20
差異が発生の根源だという主張は、やっぱり記号論に根ざした考えだと思う。
科学に依拠した意味論は刺戟がある方向に集束することで意識や意識の対象が生まれるとするけど、こっちの方が切り口が広い。
どっちの考えも成り立つとは思うけどね。
デリダやフッサールの議論は記号論的な差異で行き止まりになるけど、
メルロ=ポンティは意味を刺戟の綜合としてもとらえている点で科学的な方法にも立ち入る可能性を持っていると思う。
英米の哲学者が現象学に向ける批判は、主に超越論的自我と間主観性をターゲットにしてるからな。
193吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 19:06:48.38
>>189
俺はある程度、DERRIDAやDELEUZEからバトンをもらったという気が
するんだがなW
期待してくれW
194レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/14(火) 19:18:18.01
本日の「スパイ大作戦」(スーパードラマТVにて視聴中)の悪の首魁役の俳優は、デリダにそっくり。
余計な話で、すいません。
195吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 19:27:40.99
>>194
ブスが出て来るなよW
196吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 19:53:53.90
>>195
やめなよそういう下品な嫌がらせは
197吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 19:55:12.15
194=195
198吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 20:33:24.26
>>193さん☆
こんばんは。
レスどうも、ありがとう。
うん、期待してるよ^^
でも、徹夜とかしないでね。
体に悪いから。
御飯も、しっかり食べてね。
199吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 21:15:02.18
そう言えば、小林秀雄はドゥルーズのベルクソン論を評価してたな。
「ドゥルーズという若い人がいてね。この人のbergsonismeという本は
なかなかいい。要するにこう流れるということだな」
200レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/14(火) 21:34:58.78
なるほど、フローか、資産よりも所得のほうが重要だ、と。
201吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 23:12:31.37
何言ってんだこいつ
202レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/14(火) 23:19:09.73
イーグルトンの受け売りです。
203吾輩は名無しである:2012/02/14(火) 23:39:56.97
199=200=201=202
204吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 00:05:46.87
ぽかーん
205吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 00:10:09.17
ジャネットに粘着してる変態が気色悪い
206吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 02:15:49.57
>>178
東洋思想の縁起概念は西洋宗教を脱構築しましたからねw
存在するから関係する→関係するから存在するに(「虚」「空」概念の説明として縁起)
不確定性に拠って証明されましたが、仏教哲学恐るべし、と云ったところでしょうか。
207吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 04:42:16.68
>>206
こんばんは。
そうですね。確かに、確かに。
河合隼雄さんが、井筒俊彦さんとの、対談で、東洋の存在論みたいなものは、
西洋のハイデガー研究者には、わからへん、やろうね、へっへっへー♪
って言われてました。
ユング派は、なんか、東洋思想の匂いがする。
ユングは、精神的に、いってしまった時期に、森の塔の中で、
曼荼羅を描いてるみたいです。
曼荼羅は、世界共通で、なぜか、描かれるらしくて、
人間の夢魔の世界には、全人類を通して共通する何かが、あると、僕は、
思っています。
唯識の世界を出されたら、西洋思想は、いったい何で、立ち向かうのだろう?
でも、でも、ドゥルーズ、デリダの哲学・思想は、
僕に、とって、唯識を、超える魅力があります!
208吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 07:18:40.59
まあ、「2chで議論をすること」ほどドゥルーズ的じゃないものもないかなw
リゾームってのは、あらゆるものがリゾームなわけだし(ツリーは意識の錯覚)。
潜在的なものは、腹に溜まったマイナス感情のことじゃないし。
209吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 07:20:30.81
>>208
そもそも、2chでまともな議論が成立すること自体まれ。
このスレを上から読んでいけばわかることだけど。
210レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/15(水) 09:36:01.54
「東洋哲学」といっても、上のようなものは、インド・ヨーロッパ語族のものでしょう。
日本人からみれば、だったら「西洋」の思想じゃないですか。
211吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 12:47:29.23
西洋の思想というのをヘブライスムとヘレニズムが源流となったものとして、
それと独立した、東方の哲学と言ったらどうかしら。
212吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 12:59:06.93
とはいえ、アショカ王のマウリヤ朝というのだって、ヘレニズム帝国(アレクサンドロスの後継者の王朝)の東端みたいなものなんでしょう。
王家は土着の豪族あがりでも、貴族にはギリシヤ・マケドニア系が多かったそうだから。
213吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 13:13:09.56
宗教の文脈だと東洋が仏教とヒンドゥー教の領域で、西洋がユダヤ教・キリスト教・イスラム教の領域。
日本人の語感だと東洋=東アジアなんだけど。
214吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 13:34:08.34
古代は、地中海沿岸から北部インドあたりまでを、一つの文明圏だと考えてもいいんじゃないですか。
語族的には、セム・ハムとインド・ヨーロッパという大きな集団があると、至極大雑把にはいえないですか。
だとしたら、バビロニア・ユダヤは近く、もう一方で、ペルシャ・ギリシャが近い、
というふうにもいえるでしょう。
「環」など読んでいても、こっちのほうがオリエント史などの歴史の「専門家」の間では、とっくに主流のような気がしますよ。
「ギリシヤ中心主義」みたいなのは、哲学史や数学史のほうでは、いまだに根強いんでしょうけれど。
215レディー・ジャネット ◆f0KZD4Lr.82J :2012/02/15(水) 13:45:22.22
↑は私です。
216吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 14:08:32.49
上で話題になってる東洋思想は、宗教と渾然としてるので、宗教の文脈ではどういう区分か、書いたまでです。
語族とか文明圏の話になると、話が非常に大きくなってくるでしょう。
ジャネットさんの言うとおりなんでしょう。
217レディー・ジャネット ◆f0KZD4Lr.82J :2012/02/15(水) 14:22:22.87
わたしも、従来的な東西の区別が有効な場面があると思うから、
名無しさんのような意見に賛成するところがあるんですよ。
ただ、強固な「ギリシャ中心主義」があり、その後継としての(ほとんどでっちあげでしょうが)「ヨーロッパ中心主義」がある。
こういう状況で、「東洋哲学」「東方思想」と云うのは、けっこう神経遣うと思うんですよ。
それに、小林秀雄がベルクソンと並んでライフワークにした本居宣長だったら、やまとごころ以外は、全部からごころ(漢意)でしょう。
218吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 14:35:39.73
つまんね
219レディー・ジャネット ◆f0KZD4Lr.82J :2012/02/15(水) 15:25:37.15
「東洋思想」云々という話の流れが出てきたのは、
私が上でドゥルーズ存在論のある種の解釈が、「光明遍照」と似たもんだ、というようなことを言ってからでしょうから、
ちょっと反省してますよ。
220吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 16:01:47.53

  / ̄>             _人__人__人_
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 ̄V ̄ ̄Vへ._           )
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221吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 22:27:54.74
“東洋”というのは確か岡倉天心の造語でしょう。
西洋人が言うのは“東方”あるいは“アジア”で
この場合はギリシア以東の西アジア地域を指すはずです。
最近のギリシア哲学研究や宗教・神話学研究によると
西洋の“起源”たるギリシアも西アジア地域の強い影響下にあったと指摘されています。

ジャック・アタリは1492年を起点に“西洋”なる概念が形成された、としていましたね。
これにはレコンキスタ運動によるイベリア半島解放(再占領)と
地中海世界におけるイスラム世界の退潮が背景にあるわけですが。
これが近代=進歩史観に立った西洋によるその他地域の属領化の運動、
つまり覇権主義のはじまりであったそうです。
222吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 22:38:22.61
よく東洋の優位を説く人が居るけど、はやい遅いは関係あるの?
西洋は、絶対の探求と無の探求の両方をやったでしょ
東洋は、無しか知らないじゃない
それに、西洋人は本当に虚が分からないの?東洋人は虚を分かるの?
223レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/15(水) 23:14:59.02
はやい遅いも、さしてないのじゃないか。
上で出た華厳経にしても、新プラトン主義と成立時が近いでしょう。
224吾輩は名無しである:2012/02/15(水) 23:22:23.63
華厳経の話なんかしてた?
225レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/15(水) 23:32:22.42
華厳経というのを見た気がしていたんですが、見つからないから、
記憶違いでしょう。していたのは、唯識と曼荼羅の話しでした。
まあ、華厳は元ですけどね。
226アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/15(水) 23:41:18.65
>>165-166 >>168
デリダを文学や文学論に強めに結びつける傾向は
輸入先のイェール学派のデコンストラクショニズムの印象なのかね。それとも、
デリダが書いた作品はドゥルーズやフーコーよりも哲学的な文脈においてだけど、
ほとんどが「作品を読む」というスタイルだったから、批評家という印象があるのかな。

>>170
だねえー

>>181
リルケどこで出てきたっけ?
『記号と事件』では結構ブランショへの言及が予想以上に多かった印象だったなあ。
(質問者からふられてたのもあるけど) 

>>189
俺には迷惑かかってないよーw
227アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/15(水) 23:42:53.08
ドゥルーズやデリダの思想と東洋的な思想を関連付けようとする試みは昔からあるけど、
どうもトンデモが多い印象だなあ。森本『デリダから道元へ』とかw
228アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/15(水) 23:44:10.70
まあドゥルーズのように、ハイデガーからルーセルへ(あるいはジャリへ)
というのもトンデモといえばトンデモかもねw
229レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/15(水) 23:57:33.35
ハイデガーからルーセルへ、というのは、人畜無害とまではいわないが、
歴史を頭っから無視しているわけじゃないから、「許せる」のではないか。
東洋と西洋 あるいは、オリエントとヘラス、というのは、いまや害毒がはなはだしい感じがする。

ちなみに、ジュディ・オングが歌った「魅せられて」という曲は、「悲劇の誕生」に着想を得たんじゃないか、と思っている。
230吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 02:19:14.60
>>226
こんばんは。
『記号と事件』(河出文庫)P117
質問者
「あなたはベルクソンを援用しながら、こう述べておられる。
 全体とは閉じられたものではなく、逆に「開放性」なのだ、
 つまり常に開かれたもののことである。
 閉じられているのは集合であり、全体と集合を混同しては
 ならない・・・・・・。」

ドゥルーズ
「開放性はリルケが好んだ詩作上の概念としてよく知られています。
 しかし、これはベルクソンの哲学概念でもあるのです。
 重要なのは集合と全体の区別です。
 このふたつを混同すると、「全体」はまったく意味をなさなくなるし、
 全集合の集合という有名な逆説におちいってしまうからです。」

と、なっております。
う〜ん、強烈に、難しいww
231吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 09:42:56.52
In some places Derrida characterizes self-parody as a type of
autocastration that emasculates philosophy.

デリダじゃなくても、このぐらいは誰でも言えるわなw
俺ならはるかに鋭いことが言えるんだが、それは秘密w

>最近のギリシア哲学研究や宗教・神話学研究によると
西洋の“起源”たるギリシアも西アジア地域の強い影響下にあったと指摘されています。

そういう指摘は1990年代から強まって来たのではないかな。
martin litchfield westとか。

それで中沢や山崎や大澤も刺激されてるんだろうけど、今一つ、ギャップが
埋まらないんだよな。世界のderridaでも埋まらない。

ベルクソンやバビットのエランヴィタール、フランヴィタールやその他
開放性とか、derridaも何か言ってるんだろうけど、俺のが本命だw

derridaは東方への言及が少ないことがむしろ欠点かもしれないんだが、
分からないことは言わないという姿勢を貫いたんだろう。事実、
当時としてはその判断は良かった。だが、これからは違う。

derridaといえば、いろいろなviolenceへの考察やphallogocentrismの
造語、castrationやoedipusに対する複雑過ぎる考察について、チラ見
しただけだな。

浅田にとってのderridaというのは、ほとんどsexualなpartnerに似ていると
思う。おそらくは20年以上にも渡って浅田を癒し続けた。


232吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 15:34:02.35
見たまえ。
これが中二病だ。
233吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 17:24:09.79
どこの世界に厨二でデリダ読んでるバカがいんだよ
クソレス送信する前に少しは躊躇えデコ助
234吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 17:28:32.74
>>233
中二病の意味さえしらないバカw
235吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 17:36:57.63
お前がな

中学2年生くらいの年代でありがちなこと
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%BA%8C%E7%97%85
236レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/16(木) 17:42:18.61
「葉隠」では、芸は日本一の名人のこころつもりにて披露すべし、というんですね。
たとえ、素人芸であったとしてもそうせよ、と。

中二病と云われたほうの人は、いうなれば、武士的。
揶揄した人のほうは、町人的じゃないでしょうか。
237吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 17:44:26.27
>>235
日本語も理解できないバカw
238吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 17:49:50.39
ばか
ばっか
239吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 18:46:19.28
ぱけ
らった
240吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 19:53:48.49
derridaの政治戦略というか、政治的駆け引きも念頭に入れないと、
derridaの言説は解釈できないと、言わざるを得ないのではないかな?
例えば、死海文書やessenesとqumranの関係についてのderridaのコメントが
ないのは異常なことだが、エリエッテ・アベカシスも死海文書を巡る国際的
政治性(陰謀を代表とする)を小説化してるんだなw
さらに言えば、derridaは古代の仏教とキリスト教の関わりを
否定したかったのだと思う。

241吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 20:54:49.16
デリダとドゥルーズはアナーキスト
242レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/16(木) 20:57:24.02
原始キリスト教徒の「修道生活」が、仏教徒のそれに倣ったものだ、というのは、
フーコーなら言っていた。
しかし、上の人がいうのは、おそらく「教説」に関してのことなんでしょうから、
そこはうかがいたいもんですね。
243吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 21:06:34.15
×デリダとドゥルーズはアナーキスト
○ガタリ、ドゥルーズ
244レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/16(木) 21:11:09.24
アナキストに憧れるプチブル大学教授、のほうが正確だろう。
ただ、著者が俗物だからといって、書いたものに値打ちがない、ということにはならない。
ただ、気分的には、割引されるかもしれないが。
245吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 21:27:35.64
こんばんは。
ドゥルーズの自殺は、主意主義だと思う?
ドゥルーズは、一番、自殺から、距離を、
取ってた、哲学者だと、本で、読んだ記憶があり。
確かに、心理学的に観れば、主意主義かもしれないけど・・・。
でも、おれとしては、ドゥルーズの場合は、違うような、
気がするんだよね。
246吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 22:11:37.05
果てしない欲望→資本主義=分裂病発生装置
資本主義の暗部を隠蔽・補償する装置→フロイト心理学→偽装された主体
247吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 22:32:52.01
×フロイト心理学
○心理学一般〜同一化されるもの全て
248吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 22:41:53.17
×同一化されるもの全て
○同一化しようとする思考そのもの
249吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 22:50:48.67
同一化しようとする思考そのもの→人間原理→破壊→アナーキストw
250吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 23:16:36.71
個人主義→日本→洗脳完了→しかし、世間様、お天道様が観てる→3.11で証明→日本スゲー
神は死んだ→個人主義→洗脳完了→内なる個人の神に聞く→略奪

結論:仏教の価値を見直そう。自己責任論なんて新自由主義者のご都合主義w相互互助の
精神は死んでなかった日本!毛唐に騙されるな!
251アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/16(木) 23:52:40.78
>>229
ジュディ・オングってよく知らないw

>>230
ありがとー
あった! しかしこの箇所に目を留められるのは
リルケが好きな読者じゃないと難しいかもね。
集合は空間的で、全体のほうは時間的、
しかも全体はさまざまな集合を横断する…という感じのとこだね。

>>245
70歳での病院での投身自殺だからねえ。
普通の自殺とはちょっと違うだろうなあ。
252吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 23:54:18.23
ラッセルが私の哲学とベルクソンは両立しないと言っていて、
これがドゥルーズがウィトゲンシュタインを哲学の暗殺者呼ばわりした遠因かなと思ったり。
253アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/16(木) 23:58:39.47
実際にはヴィトゲンシュタインをどう見てたのかねえ。
「語りえぬものについては沈黙しなければならない」を
ドゥルーズ流に書き直すとすればこういう感じだろうか。
「語りえぬものについてこそ概念を創造しなければならない」
254吾輩は名無しである:2012/02/16(木) 23:59:52.82
確かにウィトゲンシュタインとは相性最悪だとは思うよ。
255吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 00:00:34.51
ドゥルーズはベルクソンの言い換え→最終的には別物に仕立て上げただけ
256吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 00:02:51.87
ドゥルーズはデリダとレヴィナスを無視したりして意図的にネガティブな思想家を避けてるよね
それがおれにとって嫌いになる理由で、逆にデリダは迷宮に迷い込むような所があるから好き
257吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 00:04:37.50
>>242の問いにも追々、答えることにもなろうと思うが、POSTがつくことを
敢えて辞さなかったように、自らの「過渡性」を自覚していたことも確か
なのではないかな?存在としてはhealerあるいはneutralizer?

DERRIDAが、友人達が中国の文化大革命を支持するのに加わらなかったのは、
非常に鋭い彼の政治感覚を示すものだと思うが、
ESSENESと仏教の起原がクロスするのを認めることの背後にある、
中国を牽制する意図をDERRIDAはおそらく警戒していた。

258アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/17(金) 00:04:43.00
ベルクソン主義者と言ってもいいだろうねえ。思考のスタイルは。
259アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/17(金) 00:07:11.65
>>256
ドゥルーズはフーコーとは連帯感を持ってたけど、
デリダにはさほど関心を持たなかったみたいだね。
フーコーとデリダとの間の論争がそうさせた面もあるかも。
260アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/17(金) 00:11:23.27
>>256の言うとおり、デリダは確かに迷宮に誘い込んでくるね。
ただ、ミノタウロスのように自分で迷宮を作りながらって感じもする。
261吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 00:21:47.69
権力装置とか機械等のワードは政治的意図を感じざるを得えんが、
テクスト論が個人の背景や意図を消す効果を生み出している。
262吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 00:22:55.95
権力の装置が生み出される根本は欲望だとドゥルーズは云っていたが
仏教を学べと云いたい。
263吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 00:32:31.12
デリダの言語戦略は弁証法の均質化と中心化によって齎される閉域を
内部から撹乱する事にあるので“東洋”なる外部を導入しても仕方ない。
そういう“外部”を“フロンティア”として属領化していくのが
“西洋”近代における権力の様態であって。
264レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/17(金) 00:35:24.96
デリダがプロレタリヤ文化大革命を支持しなかったのは、しがらみぬきの判断なら、賢いと思う。
イラン革命についてはどうだったんでしょうか。
フーコーは支持したでしょう。
265吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 00:42:39.77
蒙昧主義には耳をかさん!
266吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 08:40:52.48
lethal_notion 國分功一郎
いまRTしたけど、何これ!すげー!ドゥルーズがラジオでヒュームの解
説してる。しかも、めっちゃ緊張してる!こえがすごい震えてる!56年
というと30歳ぐらいで全くの無名の時期だ。
http://politproductions.com/content/la-nature-humaine-selon-david-hume-par-gilles-deleuze-audio
267レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/17(金) 11:34:42.70
ウィトゲンシュタインとドゥルーズは相性悪い、というのが上であった。
これは、いうなれば、ドゥルーズが気分的に「ウィトゲンシュタイン派」を嫌っている、ということにすぎないんじゃないか。
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」というのは、いたって雑にいうなら、
言葉を遣っているうちに、そのルールのほうも変わっていく、という点に着眼したところがあるので、
いわゆるポスト構造主義の先取り的な一面があると思う。
くわえていうと、上で、ドゥルーズのいわば「集合論批判」について書いていた方があったが、
これなどもウィト的じゃないかと思われるものだ。
ちなみに、ドゥルーズの「集合論批判」は、圏論(興味のある方はウィキなどを引いてみてください)のようなものとして、「とっくに形式化されている」(柄谷)
という見方もできるんではないか。もちろんこれは、漠然とそう感じる、ということにすぎない。
そうして、大方のロジシャンによると、圏論とは従来的な集合論の「拡張」といえる、とのこと。
268吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 11:52:12.47
結論的なところだけ取り出すと先取り的なところはあるんだけれども、
ウィトゲンシュタインというのは、
その結論に至る過程で心的なものを哲学から徹底して排除してるんだよね。
時代的なものかもしれない。分析哲学黎明期にはそういう性格の哲学がいっぱいある。
フレーゲ・ラッセルの心理主義批判とか、ムーアの観念論論駁とか、
その中でさえウィトゲンシュタインは突出していると言ってもいいのではないか。
言ってみれば、批判を先導した先輩たちにまだのこってる心的要素の残滓を徹底して排除しようとした。
イマージュを思考したドゥルーズが、そこに相容れないものを見たのは必然的なんじゃないかなぁ。
269吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 11:58:59.46
実はウィトゲンシュタインも、『探究』で意味を成立させる条件は反復と差異だとはっきり言ってるんだよな。それだけではないけど。
正確に言うと、ある規則に従っていると人が認識するための条件が反復で、
ふるまいの全体からある部分だけを規則の実践として取り出すための条件が差異。
デリダやドゥルーズは差異を反復可能性と直結させるけど、
ウィトゲンシュタインはそれらの間に規則の適用可能性とでも呼ぶべきものを介在させている。
これによってウィトゲンシュタインは、記号によって表現できないコミュニケーションの形態まで客観化する方法を獲得しているように見える。
270レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/17(金) 12:29:11.61
デリダやドゥルーズが、イラン・イスラーム革命について、
どう評価したか、というのを知っている方がいたら、かいつまんで教えてください。
271N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/17(金) 21:32:40.61
デリダとドゥルーズがイラン革命をどう評価したかはしらないが
フーコーのイラン革命への態度をサイードが論評したのは
読んだことあるから、これがヒントになるかも。

フーコーは、イラン革命の過剰性を目の当たりにして、現実政治から
関心をより一層撤退させたと論評してたね、フーコーの追悼文に
おいてサイードが。 サイードによるフーコーの追悼文は、フーコーの
業績、スタイルに対する手放しの賞賛と、痛烈な批判が交互に
くりかえされる、世にも不思議なスタイルの、サイード的にいえば
対位法的な、そういう追悼文であったね。

イランの宗教政治、スピリチュアル・ポリティックスの過剰性に直面して
フーコーは怖じ気づいたっていうんだけどね。 サイードにしても
イラン革命については両義的な判断をしている。 米国のヘゲモニーに
敗北しつづけた中東における珍しい反抗の成果であるという面と
宗教と政治が一体化した反動的な恐るべき政体がかたちづくられた
と評価せざるえない面とね。
272レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/17(金) 21:49:32.67
その件に関しては知っている。
デリダは(ユダヤ人ということで)想像つくが、いちおう正確なことを知りたい。
まるで分らないのはドゥルーズで、これが一番ききたい。
273N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/17(金) 21:57:03.05
誰も知らないということは、イラン革命については
デリダもドゥルーズも沈黙してたんじゃないの?
274N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/17(金) 22:06:58.12
つーか、ジャネット、サイードによるフーコーの追悼文読んでるんだ
へ〜w
275N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/17(金) 22:12:08.85
まあ、俺はウィトの「語りえぬものについては沈黙せねばならない」より
維摩経の「維摩の一黙、雷の如し」のほうが、哲学的により高度であると
思ってたりするんだわw
276アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/17(金) 22:16:38.72
>>263
そうだね。安易に東洋思想と接近させるのは、
彼らの特異性をスポイルすることになる。

>>266
おー若きドゥルーズの肉声すげーw
丁寧に語ってるような感じはするねえ。
ヒューム論『経験論と主体性』はもう出した後だし、
カンギレムの肝いりで『本能と制度』も編んだ後だなあ。
56年はまだ高校教師をしていたのかもねえ。

>>268
ドゥルーズにおける「イマージュ」って結構難しいんじゃないかな。
プルースト論ではシーニュや記憶との関係で割と肯定的に捉えてるのに対して、
『差異と反復』では暗黙の前提に組するものとしてキッパリ排除しようとしてる。
そしてまた『シネマ』になると運動や時間との関係でイマージュに重要性が与えられる。
文脈と時代によって結構違ってくるんだよなあ。

>>269
差異と反復については、デリダの場合はそういう視点で外れてないと思うけど、
ドゥルーズの場合は、言語論的なコンテクストをはみ出したところで語ってるだろうし、
反復可能性というよりも反復の運動(それ自身に向かう反復)をいろいろなアスペクトで分別し、
ニーチェの永遠回帰につなげる文脈に引っ張っていくん形だよね。
277アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/17(金) 22:18:17.05
>>270-273
パレスチナについてドゥルーズは、
「ヤーセル・アラファトの偉大」という短いテクストを書いてるよ。
『狂人の二つの体制』に入ってるやつ。
278レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/17(金) 22:19:09.19
サイードの追悼文は、何かに載った要約を読んだだけだね。
そのフーコーの話は、誰から聞いたか、何で読んだかは忘れたけれど、三十年くらい前から知っている。
「イラン革命支持」のせいで、一時「干された」というのも聞いたね。
279N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/17(金) 22:20:32.03
>>277
なるほどねえ、アラファトについて書いたのか。イラン革命については
やっぱりなしかな。

デリダは、パレスチナについてまったく発言したことがないそうで
サイードがそれについて不満を述べてたね確か。
280N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/17(金) 22:24:43.63
>>278
フーコーがイラン革命「支持」を公にしたの? 本当かいな〜
もうちょっと韜晦的な書き方してたんじゃないかなぁ、フーコーの
ことだから。
281アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/17(金) 22:25:43.71
>>279
デリダもパレスチナについては何か語ってたような気もするけど、
ちょっと本をあたらないと詳しいことはいえない。
イラン革命については、知る限りはDERとDELの発言は記憶にないけど、
全部読んでるわけでもないから何ともw
282N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/17(金) 22:28:41.99
>>281
少なくともサイードが目にした限りでは、デリダのパレスチナに関する
発言を目にしたことはなかったそうな。このサイードの発言も十年
以上前の話だから、デリダがそれから何かパレスチナについて
発言しているという可能性はないこともないなw
283レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/17(金) 22:31:50.54
調べてみて。フーコーがその件に関して書いたものを読んだわけではないから。
渡辺、蓮実などの人が言っていたから、ああそうなんだ、と思ったということ。
284N ◆.a7VUr.VD. :2012/02/17(金) 22:33:49.67
>>283
なるほどな。じゃあ、フーコーがイラン革命を支持したかどうかは
とりあえず留保つけとくわ。
285レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/17(金) 22:51:49.18
ところで、上で私が言った、ドゥルーズの「集合論批判」が、圏論みたいなものとして、すでに形式化されていたんではないか、
けっこう重要だと思うのですよ。
マルクスの「経済学批判」(資本論)が、ついには計画経済論になってしまうようなもんだが、
ただ、マルクスのほうは、その計画経済論の「生みの親」でも、ドゥルーズのほうは、悪く言えばパクリだから、そこは違う。

前にロジシャンだといって私に質問してきた人などは、この「集合論批判」と圏論の異同についてのことなどを、すぱっと説明してくれれば、
たいへん良いと思うんだけどね。
286吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 22:53:23.37
lethal_notion 國分功一郎
東さんとは二年前に千葉雅也さんと三人で『クオンタム・ファミリーズ
』について話をしました。『新潮』に再録されましたが、あの時に東さ
んが言ってたことで忘れられない言葉があって、「人間にはハイデッガー
より難しいことを考えることはできないんじゃないか」(笑)。
6時間前
287吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 22:58:25.71
もともと集合論の問題点みたいなものはラッセルのパラドクスにまとめられている。
ルイス・キャロルが『鏡の国のアリス』は、
ラッセルのパラドクスの構造になるように筋立てされていて、
ドゥルーズはそっち経由なんじゃないかなぁ。
288つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/17(金) 22:59:08.50
こーくんは准教授になったらしいね。すごい!

あとドゥルーズの肉声を初めて聞いた!
289レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/17(金) 23:06:11.36
いや、フランスには、ブルバキズム=数学的構造主義があるもの。
レヴィ₌ストロースなどの先輩と同じく、そっち系でしょう。
290吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 23:07:58.43
いや、それ群論だろ? 集合論じゃなくて
291レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/17(金) 23:13:40.20
それは、「構造主義」の話しでしょう。
ドゥルーズのほうは、「ポスト構造主義」だもの。
292269:2012/02/17(金) 23:25:28.16
>>276
別に言語論的な話に還元しようとしてるわけじゃないし、
実際にドゥルーズは差異を前提するものとして反復を捉えているだろ。
互いに異なる「偽なるもの」が反復されるって言ってるんだから。
なんで「反復可能性」っていう言葉を言語に関わるものに限るって解釈するんだ?
293吾輩は名無しである:2012/02/17(金) 23:26:43.67
アセンションは、知識はあるけど議論する能力はあまりない。
294レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 00:06:51.45
むしろ、言語論的な話に還元すべきですね。
「心理主義」を持ち込むのは、はっきりいって後退ですよ。
俗受けはするが、けっきょくは、独我論(自他ともにない、という云わば極限まで含めての「独我論」)の一種になるだけで、全く意味ないと思う。
295吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 00:18:43.67
言語論的な話が独我論に結びつかないかというとそうでもないんじゃないか。
それこそウィトゲンシュタイン的な独我論がありうるわけだし、
日本だと、大森荘蔵や永井均なんかまさにそういう感じだよね。
296レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 00:26:40.87
永井は「言語論」ではないね。あれは単なる「自我崇拝」だよ。
大森のほうは、たいしてわからないが、たぶんあれも仕舞は「仏教」になっている感じじゃないのかね。
297吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 00:33:31.54
言語論というのも結局のところ二元論(何ものかから言語だけを切り離して語り得ると前提されている)だから、あまりポストモダン的ではないですね
298吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 00:33:51.89
言語論的でなければ心理主義、っていうのは短絡的な気がするな。
科学的な測定の方法もあるし、言語以外の記号もあるし。
299吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 00:38:27.86
いや、言語論というのは、
事実と命題の関係が内的関係であるということに端を発しているんだけど、
この前提が、いわゆる「大陸哲学」と「分析哲学」の一番大きい隔たりになっている。
300レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 00:38:35.67
言語論対心理主義、というのはこの場の話しですよ。
対立的なかたちで出てきたから、とりあえず、ということ。
それから、公式ソシュール主義的ではなく、いわばバルト的な、「記号」論を含むところの、広義の言語論。
301アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 00:41:06.67
>>293
そういう私的感想を述べるのは結構なことだけれど、
俺と議論したことはあるのかな?w
デリダの本からのからの引用で(デリダも引用だけれど)。
きみへの返事に代えておこう――「ああ敵たちよ、敵がいない」

>>294
298も言ってるけど、うーん、どうも短絡的だなあw
302アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 00:44:06.73
>>292
>>269を読むと、反復と差異という特殊な概念を
あたかも、ウィトゲンシュタイン、デリダ、ドゥルーズが使う概念が
同じ土俵で語れるかのように語ってる感じなんだよなあ。
それがまず1点。

2点目は、安易に「反復」じゃなく「反復可能性」という言葉で
デリダとドゥルーズを併置して述べているところだね。

この2点が>>269に違和感を感じた理由。
次にもうちょっと詳しく書こうか。
303レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 00:50:03.21
上の三人に、四人目のハイデガーも入れて、まとめて語ったほうが良いと思う。
キルケゴールが背後に控える、という格好で。
304アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 00:51:46.04
デリダの「署名・出来事・コンテクスト」を例にするとわかりやすいけど、
言語論的な文脈(あるいは記号論理学の文脈)で、
デリダの「反復可能性」に言及するのは適切だろうし、
ヴィトゲンシュタインと共に論じることもできると思う。
ただし、デリダの「反復可能性」というのはitérabilitéであり、
反復répétitionと反復可能性itérabilitéは
日本語における見かけほどは近くはないと俺は考えてる。

それからドゥルーズが反復répétitionという場合、
反復はまず一般性と対立するものであり、行動なんだね。
ドゥルーズの反復をウィトゲンシュタインやデリダの文脈で語ろうとすることは
反復を一般的な概念にすることであるし、
ドゥルーズの特異性を殺してしまうことになるだろうと。
ましてや反復と反復可能性を同じようなものとして扱うことも
その一般性に組することになると思うんだよなあ。
305吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 00:53:27.93
>>299
言語論的転回っていうのは別に分析哲学の方面で起こった改革だけを指してるわけじゃないだろ。
普通言語論的転回というとウィトゲンシュタインの二つの言語論、ソシュールの記号論、場合によってはパースの記号論まで含む。
事実と命題の内的関係を問うというのはこれらの全てに共通する発想で、
つまり現代の大陸哲学だってほとんどが言語論的転回と無関係じゃないわけだ。

ソシュールの場合は命題じゃなくて記号を単位に考えるという点で違っているけど。
306吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:01:03.64
アセは基本ができていない
307アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 01:02:41.77
ドゥルーズが反復について語る場合に出されるのが
キルケゴール、ニーチェ、シャルル・ペギー。、
これら3人の反復が大きく異なるとしつつも
反復を一般性に対立するものとして提示したことで
この3人を称揚している。

>>306
煽り返して欲しいのかい?w
308レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 01:08:42.94
誰それが何書いた、ということの違いをこと細かく云うのも、いいんだけれど、
些細なところをつくちくやらないで、あっさりまとめちゃうのと、どっちが文学板的すなわち批評的か
といえば、やはり、まとめちゃうほうだと思うよ。
そして、それはたぶん、圏論の哲学風なるものになるでしょう。
正直言って、「普遍」(この場合「一般」でもよい)的なものに関心がある人と、
誰が何言った、に興味がある人と、大きく分けて二つあると思う。
私は、誰が何言った、には、実はほとんど興味がないのね。たんなる外人の死んだおっさんたちだと思っているもんで。
309吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:10:31.54
>>304
そんなことは百も承知だけど。
そのことが、反復は(イデア的なもの=基準に対して)偽なるものの反復じゃないっていうことの理由になるのか?
比較されるべき基準なしに反復は起こらない。
俺が言ってるのはこの基準の設けかたがウィトゲンシュタインとドゥルーズ(とデリダ)とで違っているってことだよ。
別にドゥルーズとデリダの議論を同一視してるわけでもないし、ドゥルーズのいう反復を一般性と同一視しているわけでもない。
俺の主張におかしな前提を勝手に付け加えて、それについて反論しているように見えるな。あんたは。
310アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 01:12:30.09
>>308
まあそういう個人的志向を持つ人がいてもいいんだけど、
俺にしてみたら特異性を殺す一般化なんだよなあ。
そういうのは。
そういう思考=志向=嗜好は本を実際に読まなくても
ウィキをロムるだけで誰でもできちゃう可能性があるだろうしねえ。
311吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:13:18.07
>>307
ほー、基本が出来てるとおもってるんだ
参りました
レジャネさんみたいに他人の考えを咀嚼して、自分の頭、言葉で発言しようね
312アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 01:14:35.38
>>309
まあ俺が>>269を読んで、「そんなことは百も承知だけど」という感じは受けなかった、
とそれだけのことなんだよね。
反復と反復可能性を俺は分けて考えてるので。
313アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 01:15:46.88
>>311
やれやれw ああ敵たちよ敵がいない。では。
314吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:18:13.13
>>312
そこまでいくといちゃもん以外の何ものでもないなw
ある基準を仮定し、それに対する差異がなければ反復は起こらない、ということは立派な反復可能性の規定だろ。
反復可能性っていう言葉に自分が特殊な定義を加えてるだけじゃん。
315吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:19:23.51
アセはバカだからバカがバレるのを極度に怖れる
316吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:25:04.78
>>313
そういうのって、どうかなー
敵とか何とか
ただ言い負かしたいだけって感じにきこえちゃうよ
317ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/02/18(土) 01:30:50.94
>>308
「反復は一般性ではない。反復は、いくつかの仕方で一般性と区別されねばならない」
byドゥルーズ

まあジャネットはドゥルーズとは縁がなさそうだなあw
318レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 01:33:49.45
アセンションは、文献研究者タイプだから、別にいいと思うよ。
そういう人は、やはり大事なんですよ。とくに、歴史文書みたいなものは、
そういう人たちのおかげで、面白いものが読めるんだから。
ただ私にとっては、現代の思想家が書いたもの読むのは、ムーヴィー・スターやポップ・スターのインタビュー記事を読むのと変わらないんですね。
はっきりいっちゃえば、デリダ・ドゥルーズよりも、ガガ・テヨンのほうが、ずっと興味あるの。
細かく読むというのは、一面で「カノン」化でしょう。カノンだとは思ってないものね。
プラトンでさえ、私はそう思っていない。
319吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:34:17.81
傍から見てるぶんにはアセンションがこのスレで一番しっかりしてるように見えるけどな
320ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/02/18(土) 01:35:08.90
あとベルクソンの言う意味での抽象、すなわち「純粋の白光」とも、
「最大公約数的」な解釈を是とするジャネットの態度は相容れないと。

まあ俺の敵だねジャネットは。
321レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 01:36:43.82
上で出た、四人の「大哲学者」は、反復を一般性ではない、としている点で共通しているんだよね。
そして、一般性ぎらい、というのが、今日では一般的なんですよ。
322吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:42:09.93
>>319
あのさー、そういうのやめたほうがいいよ
323吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:44:17.19
レディー・ジャネットという人は興味がないと言いながら、
このスレに常駐してるのはどうしてだろうか…。
324吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:46:16.57
アセンションは確かに知識はあるけど論理性に欠ける。
まあ、なれるとしたら哲学者じゃなくて文献学者だな。文学寄りの。
325レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 01:48:21.34
常駐している理由は、ここの住人が文学板でもっとも「知的」だから。
私はなにしろ、暇人の話し好きだからさ。
326吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:49:42.88
>>318
意地悪くからむと、与太話相手を確保したいがための温情かね?
流れを見ていれば誰でも判ると思うけど
正直、アセンションには無理だよ
327吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:51:09.95
>>324
文献学をなめるな
328レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 01:52:00.52
なお、住人がもっとも低知能な平野スレで「プチ・サディスム」の欲求を満たし、完全にだらけたい若しくは和みたいときは、雑談スレに行く。
329ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/02/18(土) 01:58:47.69
ここでのやりとりよりドゥルーズの言葉の方が圧倒的に面白いわけだから、いっそ引用だけでこのスレを
埋める手もある。例えば。。。

「死は、内部から欲せられても、受動的で偶発的な別の形態をとって、つねに外部からやってくる。
なるほど自殺は、互いに遠ざけあうそれら二つの死の面を矛盾なく一致させようとするひとつの
試みである。だが、それら二つの縁はひとつにならず、死はいつでも二重のありかたを続けるのだ」

なんてことをドゥルーズは死の間際にも考えてたんだろうなあ
330吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 01:58:50.11
レディ・ジャネットさんに聞きたいんだけど
デリダの絵葉書ってよみました?
というのも、わけあってこれを読まなければならなくなったんだけど
僕には難しすぎて・・・。
意見聞けないかなって虫のいい考えです、はい
331レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 02:00:41.83
絵葉書(だったっけ?)は読んでない。
332吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 02:01:31.50
アセンションはなんで哲学板には来ないんだろう。
まあ来られても困るんだけど。
333吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 02:08:29.52
>>331
Postcard、そうですか・・・
それは残念です
今後お読みになる予定とか、ないですかね、はは
334吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 02:14:21.61
おれは、アセンションさんは、凄い人だと、思うね。
アセンションis Gоd!!!!!
335吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 02:17:17.87
頭おかしいんじゃね↑
336吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 02:20:33.82
>>329
おれは、ドゥルーズは、地面に、激突する、死の瞬間まで、
哲学していたと、思うね。
ドゥルーズは、そういう人さ。
337レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 02:27:17.45
デリダを精読するのもいいんだけど、
ウィトゲンシュタイン、ハイデガーも読まなきゃならない。カッシーラーだって無視できない。
フッサールはもちろん、読まないわけにはいかない。
さらに遡って、カント、ヘーゲルは、基本中の基本になるでしょう。
もちろん、まだまだある。こんなんじゃ、ざっと読むしかないですよ。
338吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 02:31:02.82
カントか、ハイデガーか、
どっちが、難しい?
どっちが、哲学・思想の横綱ですか?
339吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 02:33:40.79
メルロポンティはどうなんですか?特に後期。
340吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 02:36:07.00
>>337
ほほ、レジャネさんらしくもない
遊べればいいんじゃありませんこと?
絵葉書、読みましょうよ
おほおほほ
341レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 02:42:04.11
近代哲学の両横綱は、ふつう、カント、ヘーゲルじゃないの。
というか、ハイデガーのいうとおり、この人たちで形而上学(コンチネンタルな哲学でもよいい)は終わったと思うよ。
のちの人は、哲学史家、あるいは、哲学批評家、だと思います。

メルロ・ポンティは、はるかむかし、「眼と精神」ともう一つなんだっけ題名に「身体」のつくやつ、ちょろっと読んで、つまらなかったんでポイしました。
何書いてあったかは、ほぼ完全に忘れましたね。
342吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 02:44:56.02
lethal_notion 國分功一郎
東さんとは二年前に千葉雅也さんと三人で『クオンタム・ファミリーズ
』について話をしました。『新潮』に再録されましたが、あの時に東さ
んが言ってたことで忘れられない言葉があって、「人間にはハイデッガー
より難しいことを考えることはできないんじゃないか」(笑)。
6時間前
343吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 02:47:07.66
>>341
後期は構造論に繋がるらしいですよ。
344レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 02:52:22.47
だいたいにして、私は趣味で読んだだけですよ。
ただ、ヘーゲルとハイデガーは、いけない! と思いながらも、好きなんですよね。
だから、ちゃんと読みました。カントは、好きじゃないんですけど、
読まなきゃ、と思って、頑張って読みました。
現代思想は、流行だったんで、適当に読みました。
で、なかでもドゥルーズは好きなんですよ。面白いから。
345吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 02:53:32.23
あーあ、レディさんに振らちまったのでそろそろ寝るか
絵葉書、誰か読む人いたらムー大陸さんみたいに姉妹スレでやりたいけどね
こちらの問題意識としては
言語の限界(大袈裟だな)と文学と哲学との関係むにゃむにゃ
そーとーアホらしいです
346吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 03:03:42.33
>>345
それはホッブズの問題意識ですね。
347吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 04:11:04.08
動画版『哲学夜話』−その58−
http://www.youtube.com/watch?v=nf_6PNCuC1I
私のブログの 『哲学夜話』シリーズ・動画版、その58です。

「存在」にアプローチする方法として、後期ハイデッガーは、詩人の言葉に耳
を傾ける、というようなことを考えていました。その詩人について、ブランショ
は、次のようにイメ­ージしていたようです。­すなわち、詩人とは、聖なるもの
が彼に到来する瞬間に、まさにその実現によって脅かされ、おそらく拒否され
る者である、と。ブランショの、この難­解な詩人論について考えました。

http://blogs.dion.ne.jp/le_fou/archives/9846737.html
348吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 04:47:32.26
デリーダ様の偉いのは、中国の文化大革命を支持しなかったこと、
essenesと仏教の関係に触れなかったこと、他はパレスチナ問題に
触れなかった?ことかな。occultismになってしまうことを怖れたん
だろうな。

あるいは、中国の文化大革命の失敗判明によってデリーダ様は、
パレスチナ問題にノーコメントを貫く許可を得たのかも知れない。
デリーダ様が先祖代々sephardiの出身で欧州、北西アフリカとのかかわりを
重視せざるを得なかったという事情もあるだろう。
彼がhospitalityについて論文を書いてることはパレスチナ問題と関わってる
かもしれない。まさに、パレスチナ問題を煎じ詰めればhospitalityの
問題だから。ウエーバーはユダヤ人をゲスト・ピープルと評したこともある。
349吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 04:50:27.04
そしてまさに犬ではないニーチェにおいて、「無数のもの」の回帰とい
う異変が発生する。それは明確に病的な現場であり、シュレーバーが神
との「無数の」神経接続を語り、少年リチャードがエーテルの匂いをか
いで、「ここには無数の赤ん坊がいる」と叫び、あるいは静かに揺れる
一本の麦穂が、分裂病者の目にはささくれ立ち金属のように鋭く輝き無
数に分解しだすときと、別ではない。しかしニーチェの体験は、同時に
思考の帰結、思考総体の一部であり、その体験は、一つの「見える」こ
とさえも、対象関係の作動(ハイデッガーなら日々出会うものの親しさ
とよび、ラカンならaとよぶ)に支えられ、その関係はさらに狭い言語
の領野、目的‐自我の領域と連接しあい、それゆえ思考における過大な
細心さは、まさに意味作用は他者への欲望‐信頼‐欺瞞(言葉を要求の
合図としてのみ了解する性急さ=融通性)の上にかろうじて成立し、つ
まり言葉は言葉である以前に他者への(からの)動物的「叫び」である
ことを明かしつつ、明かすことによってその両者を断ち切り、意味も欲
望‐愛をも困難にし、無数のものの散乱=強度へと落下していく。だか
らこそ彼は、愛することさえも「再び学ばねば」ならないといい、同時
に自己の(その相関物としての世界の)同一性‐真理の再設立を、偽装
において遂行するが、とはいえ偽装とは、まさにそれを見る視線‐他者
(への欲望)の再設立の行為でもあり、そういったすべての位相の厳密
な連関が、彼の「私は最悪の孤独の中にいる」という一つの実体‐病と
して発現する。
350吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 05:11:47.63
「私とは何か、人間とは何か」。それは小説には常に書かれ、いつの時
代でも今日でも、常に進行中の近代化過程の上部構造として、つまり常
に失われていく自己の補償装置として、小説は存在について象徴的なも
のの閉域内部で考え、あるいは考えるふりをする。それは私や人間の
「意味」、つまり私や人間の性行為、私や人間の生産活動、私や人間の
病気や死の、意味を語る。夏目漱石の時代でも今日でも、人間の意味は
こうだと言い、意味はないと言い、こうすれば意味を忘れるくらい気持
ちいいと言い、やはり忘れられなかったと言い、何とかしてくれと言い、
そんなことは言うなと言い、何も言いたくないと言う。
 それらは臨床社会学的、文芸評論的、歴史学的な価値をもつ。つまり
知的、芸術的観点からは、一行の例外もなくゴミ屑であり、既に哲学と
いう「意識」内部で分節されたことの、大衆版、発展途上国版だ。

351吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 05:13:02.59
このことは、哲学者たちが真理と認識を語るとき、本当は想起・時間・
伝達・転送等を論じていたことを証すとともに、純粋な視覚・認知過程
は簡単に抽出できないこと、つまり視覚は現実には常に判断とともに働
くので、それは不断に伝達・記憶の圏域に入りこみ、言語=聴覚像に変
換・代置されてしまうことを示している。要するに、視覚と聴覚を連合
させる人間的意味作用は、「命名・伝達」の圏域で作動するより、物の
比較・交換・組み合わせ等のごく単純な認知判断から駆動しだす、脳内
での移動やクリップやペーストなど、記憶・想起の圏域でこそ、主要に
稼働するのである。つまり「哲学」が体現してきた、聴覚優位下での視・
聴覚連合という特殊人間的欲求は、1010〜11クラスの素子数で無限に多
様な現実世界を認知・解析せねばならず、そのため入力情報を常に圧縮
する必要のある、脳の演算エコノミー(節約)に主要な基盤をもってい
る。それゆえ単純な視覚認知の局面でも、人間の脳では視・聴覚の「連
合」圧力は不断に働き、そのため、各感覚回路の独立性をあまりに単純
に想定すると、逆に「カント哲学」の再臨を許すことになるだろう。
352吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 05:16:45.29
後期ストア派とスピノザは、連続性に基づく存在論においても、認識によって感情を統御し、
幸福を得ようとする実践的態度においても、うりふたつである。だが、後期ストア派の論理
的帰結にあるのは、世界への冷静な認識が進めば進むほど、現在ある世界と人間の姿が必然
的なものとして理解され、その汚濁と愚鈍さを含めて、そのようなものとしてあるしかない、
全体の因果的連関と現在に至る経緯が、強固に自己主張し始める、ということである。世界
を夢想するのでなく、現実に改良しようとすれば、世界全部を焼き払うのでない限り、変え
られる部分は驚くほど僅かである。他者を自己の鏡像として目的化し、崇め、隔て、無視す
るのでなく、彼の欲望と考えを冷静に理解すれば、常に彼は見窄(みすぼ)らしい。スピノザ
を始め、カントもヘーゲルも、マルクスも、近代哲学者は政治と人間を書斎の中で考える、
無力な想像者だったのに対し、ストア派の人々は現実に政治を遂行し、人間、特に他民族と
も関わり、想像という言葉を心の底から軽蔑していた。とりわけマルクス・アウレリウスは
強大な権力をもち、スピノザの言葉を転用すれば、最も「能動的」な存在だったが、しかし
彼が直面したのは、認識と力が増えるほど、自己の手中に入らない膨大な統御不能領域が見
えて来るという、極めて無力で受動的な状態だった。
353吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 05:27:45.96
今日人々は、家族・性愛と個人的欲動対象によって、自らを何とか支え
る。誰もが人間主義者だが、階級・階層はますます固定し、毎晩ボルドー
をあける者とスーパーマーケットのテーブルワインを飲む者は、人生で
一度も出会わない。真理や善悪、自由や正義など、歴史書の言葉であり、
真理の開r示、善悪の峻別は、クレオーンの法の下に生きるイスラエル
人やパレスチナ自治区民にだけ約束される。外傷を共有し抑圧する者は
真理の開示に出会い、正義を知るが、戦場から脱出できる者は欲動と資
本主義の道を進み、真理や善など恐れるに足りない。誰もがアンティゴ
ネーであり、彼女は死なず、先進国民として生きつづける。クレオーン
の法、ソフォクレスの劇の外でアンティゴネーを祝福する、例えばラカ
ンの唐突な、デリダの退屈愚鈍な文章は、ギリシャをこよなく愛した三
〇〇余年の貧者の精神主義の、倫理的無効性と消滅を記念する。
354吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 05:29:25.86
いずれ消滅する人類史の中の僅かな時間を、どの程度無理をせずに、ど
のような仕方で、どのような人々と、何を語り、食べ、見、触り、聞き、
存在を受容/断念し、生きられるか。その様態は人々の利用可能な快楽
の中身に依っている。世界と自分の存在の絶対性を疑わない者、存在の
偶然性を知り狼狽する者、知った上でなお楽しむ者、年収一〇〇〇ドル
の者、年収一〇〇万ドルの者、醜い者、美しい者、それらが住む世界は
別であり、異なった善悪と法に従っており、しかも資産のある者はその
違いを知りつつ、ストア派的/人間主義的穏便さにより口をつぐみ、貧
者は普遍性の神話を信じ、階級制は持続する。
355吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 05:47:18.95
簡単に>>349->>354を総括すると、violenceというかslaveryの体系が
どんどんsustemicの度合いを強めて行き、derridaの望んだような方向には
行かないだろうってことだろう。
356吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 05:48:29.02
sustemic→systemic
357吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 05:55:06.15
lethal_notion 國分功一郎
東さんとは二年前に千葉雅也さんと三人で『クオンタム・ファミリーズ
』について話をしました。『新潮』に再録されましたが、あの時に東さ
んが言ってたことで忘れられない言葉があって、「人間にはハイデッガー
より難しいことを考えることはできないんじゃないか」(笑)。
6時間前
358吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 05:57:32.88
>>357
ゴミは消えろw
359吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 05:58:41.32
@aikokashi
樫村愛子

夫がタイから羽田に帰ってきたんだけど、タイ航空の飛行機の中で、英
語では気温等と一緒に放射線量の放送があったのに、日本語ではいわな
かったらしい…
4月15日 webから
360吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 06:17:03.25
@aikokashi
樫村愛子

今週水曜五時間目平和学の授業は、夫樫村晴香が愛大で講義します。原
発の無責任体制と日本が戦争へ向かっていった無責任システムの相似性
を語る予定だとか。今日、タイから帰ってくる予定。私はなかなか授業
がまだまだうまくならないけど、夫は話うまいと思う、やっぱり。
361吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 06:23:43.63
@han_org
金明秀 Myungsoo KIM

日本の排外主義は、まだ特筆すべき水準にまでは高揚しておらず 、日
本社会全体で一様にみられる趨勢でもない、しかしながら、慎重に事態
を観察していれば、徐々にではあるものの明らかに排外主義が強まって
いる兆候を察知できる――現在はそういう微妙な状況。
6月17日 Tweenから
@han_org
金明秀 Myungsoo KIM
ぼくはかつてこう書いた http://ow.ly/94biP けれども、正直なところ
を言えば、日本がふたたびある種のファシズムを採るのは避けられない
と思っている。與那覇さん風に言えば「中国化」だ。問題はそれがいつ
なのか、そしてそのときまでにどこまで不寛容の棘を抜いておけるか。
362吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 07:02:09.90
lethal_notion 國分功一郎
東さんとは二年前に千葉雅也さんと三人で『クオンタム・ファミリーズ
』について話をしました。『新潮』に再録されましたが、あの時に東さ
んが言ってたことで忘れられない言葉があって、「人間にはハイデッガー
より難しいことを考えることはできないんじゃないか」(笑)。
6時間前
363吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 17:42:07.98
國分さんをディスりたいのか東を持ち上げたいのかわからないけど、どっちにしろしつこい。
二人とも2chの住人ごときがここで何か言ったからって影響受けるような人じゃないだろ。
國分さんは特に。
364つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/18(土) 17:43:27.76
こーくんは東をバカにしてるよ。
365アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 17:58:56.59
ハイデッガーは確かにすっごく深く考えてる人なんだろうなあと思う時はあるけど、
何この人、簡単に考えてすむことをやけにわざと難しくしてるなあと思うこともあるw
366レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 18:11:59.20
ハイデガーは、考えているようでいて、実はものを考えてないと思う。それが蒙昧主義と云われる所以。
けっきょくは、詩が好きなだけでしょう。
しいていえば、思惟が尽く形式化されても、詩(日本風には歌)はある、ということじゃないか。
そのわりには、知識人の悪癖で、詩について(たとえ、うわ言みたいなところが多いにしても)つべこべ言いすぎるから、そこは問題だが。

私のような趣味嗜好のものにとっては、あれこれの哲学の「特異性」(単独性、でもよい)を強調することがむしろ、
詩歌の「属領化」に思える。あるいは、一般化拒否の姿勢は、かえって実存の封殺にみえる、と云いかえてもよい。
俗っぽくいえば、いわぬが花、ということがあるだろうということ。
367つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/18(土) 18:37:49.57
なあみんな、スレ違いなんだけどおらに力を貸してくれ。
http://mobilesamurai41.blog.so-net.ne.jp/2010-05-19
この人がバロウズはヌーヴォーロマンだって言ってるんだけど、バロウズはビートジェネレーションの人でしょ?
ビートジェネレーションとヌーヴォーロマンは共に文学運動だけど、両者に直接の関係はあるの?
ネットでぐぐっても全然出て来ない。助けて!
368レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 18:52:50.67
バロウズには、ドキュメンタリー映画があるから、視たらいいんじゃないですか。
同氏が、いかなる作家か、もしかして、本を読むよりも、よく分かるんじゃない?
そうして、つくだにさんが、たとえば、ヌーヴォーロマンとは縁遠い、と思うなら、別にそれでいいでしょう。
医者の弟とバロウズのやり取りが面白いよ。弟は兄貴をまるっきりバカにしている。
369アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 18:53:11.54
>>367
フランスのヌーヴォーロマンとアメリカのビートニクスは深い関係はないよね。
年代的にはかぶるところはあるけど。
370つくだに ◆I/bnTKgLlU :2012/02/18(土) 18:54:23.49
ジャネットさんありがとう。やっぱ関係ないよねえ。
371アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 18:59:41.74
>>314
俺はドゥルーズの反復を反復可能性(itérabilité)の文脈で肯定的に考えようとは思わないなあ。

>>316
アリストテレスが親しんでいた言葉「おおわが友たちよ、一人も友がいない。」
をモンテーニュが「友愛について」で取り上げたあと、
ニーチェが「おおわが敵たちよ、一人も敵がいない!」とパロったのを
デリダが『友愛の政治学』の中で引用したものを引用しただけw

>>317
読んでるねー

>>318
「文献研究者タイプ」という「イマージュ」を持ってるのかあw
俺はこれでもかなりざっくりとラフに語ってるつもりなんだけどなあ。

>>319
そうでもないけど、ありがとう。

>>324
そんなに知識もないし、哲学者にも文献学者にもなりたいとは思わないよw
372アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 19:00:22.75
>>329
死の間際には何も考えてなかったのかもしれないけどねw

>>330
『絵葉書U』がなかなか出ないねえ。

>>334
ほめ殺し?w Godにoをひとつ加えるぐらいで勘弁しておくれw

>>345
文学と哲学を共振させてる感じだよねえ。成功してるかどうかはともかく。

>>349
ちょっと面白いw けど、欲望はちょっと違うんじゃないかなあと。
373吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 19:47:25.28
>>367
ものすごく大雑把にバロウズの作品が実験的・前衛的だと言いたいだけと思われ
374吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 20:27:00.83
ニコ生思想地図「震災以後、哲​学とは何か」國分功一郎×東浩​紀
http://live.nicovideo.jp/watch/lv81400801?ref=nicotop

若い頃のジャネット=國分 vs 現在のジャネット=東 

珍しくメチャガチで哲学
375吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 20:34:17.26
取りあえず、デリダもドゥルーズも終わってるよね。
376吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 20:44:47.74
>>374
東、10年前みたいなしゃべり全快
377つくだに:2012/02/18(土) 20:53:14.03
次回はいっちーと源ちゃん楽しみ。
378アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/18(土) 21:04:05.83
國分功一郎は売り出し中? デリダもドゥルーズも訳してるよなあ。
379314:2012/02/18(土) 21:18:00.00
>>371
はあ?
誰がいつ反復と反復可能性が同じだって言ったんだよ。
理解できないなら引っ込んでろよバカ
380吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 21:43:52.25
東と國分の微妙なかみ合わなさが面白い。
東が攻撃的だな。國分が遠慮してて、。
381レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 22:24:57.38
314名無しさんのいうことは分かるんだけれど、
アセンションさんの反論のほうは、何を的にしているものか、
私を含めて多くがわからないと思うんで、ドゥルーズ哲学にいうところの
反復および反復可能性について、手短かに説明ねがえませんか。
ちなみに、私がとくにわからないのは、371の「肯定的」という言葉の意味です。
382つくだに:2012/02/18(土) 22:28:00.46
>>369を見過ごしてた。アセンションありがとう。
383レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 22:38:01.47
〈ある基準を仮定し、それに対する差異がなければ反復は起こらない、ということは立派な反復可能性の規定だろ。 〉

314名無しさんのいう↑に似たようなことは、私も前スレで書いているんで(そしたら、ずいぶんと変な質問を浴びせられたんで、憶えている方も幾人かはいるだろう)、
よくわかるんですよ。
384吾輩は名無しである:2012/02/18(土) 22:59:37.26
デリダ哲学にはデリダの、ドゥルーズ哲学にはドゥルーズの特異性がある。
なんていうのはわかるんだけども、それって文学作品の言い草だよなってのもある。
ドゥルーズならSFです、で逃げる手があるけれど。
反復と反復可能性の違いとか、けっきょくは理論じゃんってことにならないか。
385レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/18(土) 23:41:29.58
上の方の云う通りなんですよ。「理論」なんです。
だから、すでに一般的なんであって、それをゆかりの深い、ハイデガー、ウィトゲンシュタイン、
キルケゴールらの「理論」と一緒に整理しておくのは、まず良いことだといえるでしょう。
そうしたところで、それぞれの「作品」の味わいは損なわないと思いますね。
ただ、整理しちゃうと、ハイデガーとウィトゲンシュタインは先取り的、
キルケゴールはさらに特筆すべき先駆者、なのに対し、デリダ、ドゥルーズのほうは、後追い的にみえてしまう、
というマイナス面もありましょう。
386吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 01:12:51.10
反復répétition(ドゥルーズ)と 反復可能性itérabilité(デリダ)とでは
訳文はともかく原文上ではかなり隔たりのある概念である。
また、ドゥルーズの提示する反復répétitionとは一般性と対立する行動を指すので
たとえ議論の場であっても安易な一般化は避けたい。
というのは“行動”の純粋性を削いでしまうから。

アセンション氏の言いたいことはこういう事でしょう。

でもまあ、理論として言表された時点で行為(言語行為も含む)は
その純粋性を失い、一般化を余儀なくされる。
思想及び言語とはそのような形でしか伝達(あるいは共有)されない。

であるならば、他の“反復”との差異性を語ることによってしか
その純粋性は保証されない。
しかし、この行為は弁証法に似通った排他的行為であり、多分に暴力性を孕んでいる。
387レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/19(日) 01:33:27.69
「反復」それ自体は、たとえ「純粋」なのだとしても、
「反復」についての理論は、どうしたって「純粋」ではありえないものでしょう。
名無しさんのおっしゃる「暴力性」なるものぬきに、哲学研究なるものは成り立ちようもないでしょう。
どうしても「一般化」が嫌な人は、哲学研究はやめて、深山幽谷で和歌でも詠んでいたらどうか、と私としては思う。
388吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 07:08:52.31
なるほど
389吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 09:26:01.29
行動の純粋性とかいうと、柄谷なんかが言ってた一回性を連想するけど、どうなんだろう。
390吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 10:19:56.74
「震災以後、哲学とは何か」 國分功一郎×東浩紀
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17013383

もう見れるようになった。珍しくひたすら哲学討論。
ドゥルージアンデリディアン必見
391吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 10:30:14.09
>>390
長いw
文章におこしてほしいな
392アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 11:23:48.10
>>379
やれやれ〜俺は「314がそんなことを言った」とはひとつも書いてないなあw
「俺はこう考える」ということしか語っていない。
私見を提示しただけなのにそういう過剰防衛的かつ感情的な反応がくるんじゃ
議論というか対話以前の問題になってしまう。まあもう少し説明しようか。

>>381
反論というよりも私見を提示しただけなんだけどねえ。
反復はドゥルーズが使う最重要概念のひとつだし、
こういうBBSであまり細かいことを言おうとも思わないのだけど、ここを読み違えていたら
ドゥルーズの『差異と反復』を読んだことにはならないだろうという肝でもあるだろうと。

また、ディテールのないものは思考とはいえないだろうと。

さらに、分かる、とは、まとめることでなく、分ける、ことから生まれるだろうと。

よって、漠然とした一般化による「寄せ鍋志向=嗜好」はまだ思考じゃないなと。

ひと言でいうと、ドゥルーズ的反復には2つあ‎って、それらの反復の間には大きな差異がある。

ニーチェの『ツァラトゥストラ』をエピグラフ的にメタファーに使ってみると、
ヘビもワシが語る反復=永遠回帰と、ツァラトゥストラの反復=永遠回帰があるんだね。
ツァラトゥストラは永遠回帰を小賢しく語るヘビもワシに対して、
「安易に語るな」「手回しオルガンにするな」といさめる。
393吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 11:24:04.91
東が、フランス現代思想特有のレトリックをちゃかすとこおもろい
42分ぐらいから
394アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 11:25:47.23
(承前)

前に書いたことだけど、いろいろな意見があるのはいいし、
俺も自分の意見を書いているにすぎない。他者のそれを排除しようというものじゃないよ。

で、本題。>>386で俺が前に書いたことをなぞってくれているけど、
それを補足しつつ、さっくりと手短にレジュメしてみるとこう。

反復には2つある。
R反復とA反復として分けておこう。
A反復は反復可能性とはほとんどあまり関係を持たない。
またA反復はモデル(あるいはオリジナル)を持たない。
A反復はそれ自体において差異をすでに含むものだから。

反復可能性は「未来に反復しうる」という仮定や条件を伴う仮言的なもので、
それは行動でもなければ運動でもない。それはR反復に属する。
R反復が仮言的だとすれば、A反復は定言的であり、
R反復が否定的だとすれば、A反復は肯定的である。
R反復は一般性や同一性にかかわり、A反復は特異性や他性にかかわる。

ドゥルーズに厳密に即して書いてるわけじゃないけど、ラフスケッチとしてはこんな感じ。
ドゥルーズ的反復というのは、A反復なんだね。「肯定」もこの意味で使ったんだね。
395アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 11:27:30.49
>>390 >>393
東ってまだ注目されてるのかな。もう読まなくなったなあ。
396吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 11:34:54.33
きのう出た太陽が、今日もまた東から出た。これはR反復ですか?
きのうの自分に、今朝目覚めて、また出会った。これはA反復ですか?
397吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 11:38:37.53
國分(=アセンション)と東(=ジャネット)対談
398吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 11:59:28.27
>>397
東(=ジャネット)はともかく、國分(=アセンション)は絶対ゆるさん
アセンションごときと一緒にするな
399つくだに:2012/02/19(日) 12:09:16.22
豚はもう郵便本の時の様な話はしないと言ってたな〜。
周囲にいる編集者やファンたちの期待を見事に裏切る発言だった。
400吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 12:10:38.97
>>394
だからさあ、「それ自体において含む差異」ってピュイサンスの強度の違いのことだろ。
俺はそもそもそんな話をしてるんじゃなくて、ドゥルーズにおいて反復可能性が差異と直結してるって言ってるんだよ。
引用しようか?

>デリダやドゥルーズは差異を反復可能性と直結させるけど、
>ウィトゲンシュタインはそれらの間に規則の適用可能性とでも呼ぶべきものを介在させている。

俺はそもそもその手の反復の話を問題にしていない。
話題そのものがずれてるんだよ。理解してくれ。

あとさ、俺の意見に対する批判としてさんざんコメントしておきながら、
>やれやれ〜俺は「314がそんなことを言った」とはひとつも書いてないなあw
>「俺はこう考える」ということしか語っていない。
っていうのはどういうことなの?
俺がそう言ってないって思ってるなら、そもそもお前のコメントは俺の発言に対する批判にすらならない。
はじめからズレた話題であることを認識しながらつっかかってきたってこと?
議論を放棄してるのはお前のほうだろ。
401吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 12:21:48.73
國分(=アセンション)と東(=ジャネット)対談
402394:2012/02/19(日) 12:23:10.66
っていうか、これ以上お前と話したくないから本当に引っ込んでてくれ。アセンション。
論旨とずれた反論しかできないやつと話したくないんだよ。
取り繕う言葉に含まれる矛盾も甚だしいしな。
403吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 12:28:40.69
>>401
反応がもらえたからって、
同じネタを二度も繰り返すのは寒いなあ
404吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 12:45:15.68
國分(=アセンション)と東(=ジャネット)対談
405アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 13:38:12.50
>>369
上の天動説では説明しにくいけどw
自分の存在の様態というのは日々、というか刻々と
反復(差異を含む反復)によって成り立ってるんだといえるかもね。
でもそれは、R反復的にもなりうるし、A反復的にもなりうるだろうと。

>>398
俺も一緒にされたくはないんだけどw

>>399
東は豚と呼ばれてるのかあ。

>>402
394のレス番号は俺の書き込みだねw
匿名BBSってのは誰でも書き込めるものだし、
そういう排他的姿勢を保守したいんなら、ブログでやるのがいいんじゃないかなあ。
406吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 13:38:17.25
おまえら偉大な哲学者を召喚獣みたいに呼び出して、カードバトルさせてるだけだろ。
407アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 13:39:24.98
>>400>>269>>314>>379
>ドゥルーズにおいて反復可能性が差異と直結してる
これはどういう文脈でどういう読みをして出てきた言葉なのかな?
もう少し具体的な文脈を提示をしてもらえたらと。

>話題そのものがずれてるんだよ。理解してくれ。
デリダに関しては269の書いてることは理解できるし、
その旨のこともすでに書いている。
またコミュニケーションにはズレやノイズがつきものだし、
特に269のようにデリダとドゥルーズを一緒くたにする寄せ鍋的なものだと
そういうリスクは高まるんじゃないかな。
お互いにズレを埋めようと努力する姿勢のないところには
実りあるディアローグは成り立たないよ。
私見の提示によって他者の意見に批判的になってしまうことは仕方がないことだけど、
それぞれが私見を肉付けしていくことで溝が埋まる場合もあるだろう。
その場合は別に反論とか議論までいく必要はないと思ってるんだよね。

俺は『差異と反復』、特に序論や二章を文脈にしながら
2つの反復の違いを明確にしようとしているのに対し、
269=314=379=400はそういう歩み寄りをまだ見せてないんじゃないかな。
まあこれからかもしれないので、次のレスに期待してるよ。
408吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 14:37:24.21
>>407
僕は部外者だけどこれはどう見ても酷いすり替えだよ
しかも自分が間違っているのに偉そうだし・・・
これではまともな人はこのスレから逃げちゃうよ
残念です
409吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 15:08:01.40
>>407
ひっこんでろって言っただろ。
俺はそもそもお前のずれた話に歩み寄るつもりはないんだよ。
なんなの、おまえのそのしつこさは?

ドゥルーズの議論と反復可能性の関係は>>379で書いただろ。
これを無視したら階乗としての反復も含めどんな反復も成り立たない。
ドゥルーズの議論の枠組みでなにが反復されたかを示すためには、それに対して反復が偽なるものであるような基準を必要とする。
お前の言うような階乗のとしての反復だって、その基準の内で行なわれる反復だし、
その特異性を強調するにしても、内なる差異に基づいた反復自体を示すような別な基準を設けない限りそんなものは伝達可能なレベルには現れない。
その中身についての話をしようとしたら認知科学やら神経科学やらの話を持ち出さざるをえなくなるわけで、
俺はそんなところにまで踏み込めないから実際に伝達可能な反復可能性のレベルに話をとどめてるんだよ。

そんなに難しいことを言ってるか?
俺にはお前が意図的に話を混乱させているようにしか思えない。
410409:2012/02/19(日) 15:10:20.19
繰り返していうが、もうレスをしないでくれ。
頼むからやめてくれ。俺はもうお前と話をしたくない。
411409:2012/02/19(日) 16:16:19.94
階乗じゃなくて累乗だな。スマソ。
412吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 16:18:43.97
アセが立てたスレだから気に入らなきゃ別に立てれば?
413レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/19(日) 16:41:13.91
アセンションさんは、前スレで、
デリダの「反復可能性」(この言葉はこのスレの書き込みで初めて知ったものだが)について、
に「基づく」ところのいわば反復について、「(存在論的)差異としての存在の累乗的な反復」と私が書いた時、
いちおう賛同していたのに、いまになって何を討たんとしてとしているの?
414レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/19(日) 18:14:38.40
アセンションさんが394で書いたことについて。

ドゥルーズ哲学には「否定」がない。ということは、私が2ちゃんねるに書き込むようになってそう間もないころ、
前か前の前の平野スレに書いている。
しかし、「否定がない」のが即ち「肯定」か、というと、違うと思うんですよ。
当たり前ですだが、否定がない、というのは、否定の否定、じゃないですか。これなら、まったくもってヘーゲルじゃありませんか。
つまりね、否定(規定)なしに、じつは「理論」が成り立ちえないんですよ。

アセンションさんの説は、むかしながらの「疎外論」の一種になると思うよ。
415レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/19(日) 18:18:18.03
↑で、[否定がない、というのは、否定の否定]
というのは、否定がないということが肯定だとすれば、そうなるということ。
416レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/19(日) 19:19:19.73
飲みすぎているんで、どうも寝たほうがよいようです。
灼熱のバトルロワイヤルの続きは、明朝読ませていただくとして、私はリングアウトいたします。
417吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 19:46:33.77
「反復可能性」という表現が、原文の何処にあるの?
以前、スピノザの原文にない表現を勝手に作り出していた「灯」という
馬鹿者がいたがw
418つくだに:2012/02/19(日) 19:50:34.00
反復可能性ってみんな言ってる。その単語は昔読んだな・・・
反復可能性とゲシュタルト崩壊の関係ってどうなってるんだろう?
419アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 20:24:31.56
>>409-411
>ひっこんでろって言っただろ。
やれやれw

>ドゥルーズの議論と反復可能性の関係は>>379で書いただろ。
>>379にはどうも見出せないから聞いたのだけどw

>もうレスをしないでくれ。頼むからやめてくれ。
その希望は了解。人のいやがることを続けようとは思わないから。
ただ、君は名無しだから君だと知らずにこれからレスする可能性はあるよ。
420アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 20:25:54.83
>>413-416
前スレの何番だろう? 下のリンクで確認してもらえれば。
http://read2ch.com/r/book/1323993151/
それから別に何かを「討とう」なんて思っていないよ。
ただ単に対話を試みてるだけで。

>ドゥルーズ哲学には「否定」がない。
その前提がまず俺が書いた趣旨とは異なっていて、
素面のときにもう一度>>394を読んでもらえれば。
あともうちょい補足レスは下でしておくので。

>>417
俺もその「反復可能性」という言葉がドゥルーズのどこから導き出されたのかなあと思って、
文脈を聞いてみたのだけどね。
421アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 20:27:59.71
私見では、ドゥルーズにおいて、
反復可能性というものは差異と直結してるわけでもなければ、
反復(A反復)ともかかわりがない、と考えていて、
反復可能性itérabilitéを、デリダの「署名・出来事・コンテクスト」などにおいて、
言語論的あるいは記号論的な文脈で語ることはできるけれでも、
ドゥルーズが語る反復répétition(特にA反復)においては
反復可能性itérabilitéと対立すらするだろうということ。
そしてドゥルーズにおける反復を語るためには、
ニーチェの「永遠回帰」への参照が必要になるし、
ピュイサンス(力=累乗)という潜勢的な差異を考えるときにも
「力への意志」への参照が要求されるのとだろうと。
つまり、ドゥルーズは差異と反復をさまざまなアスペクトで語っているけれど、
その中心にはニーチェの「力への意志」と「永遠回帰」がある。
言い換えれば、ドゥルーズはニーチェの仮面をかぶって舞台で踊っているとw
その舞台では上演ルプレザンタシオンはなされず、劇化ドラマティザシオンが行われる。
422アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 20:29:43.28
で、ドゥルーズによれば2つの反復の区別があり、
最終的にはさらに第3の反復ということも語っているのだけど、
それは次の段階の話なので、いまは置いておくとして、
その2つの反復は
R反復・・・仮言的。否定的。外延的。静的。ルプレザンタシオン、一般性や同一性にかかわる。
A反復・・・定言的。肯定的。内包的。動的。アプレザンタシオン、特異性や他性にかかわる。
という大きな違いがある。
ちなみにR反復のRは、表象=再現前化などと訳されるreprésentationのRから取ったもので、
A反復のAは、間接的呈示(だったかな?)とされるaprésentationのAから取ったもの。
フッサールが文脈となっているので間接的呈示なんてわかりにくい訳語になっていると思うけれど、
要は、ルプレザンタシオンのように同じものがre(再び)現前化(プレザンテ)するものじゃなく、
常に偽装されたシミュラークルとして反復される。これは一般的な反復とは何も似ていない。
ドゥルーズ自身はこの2つの反復を「裸の反復」「着衣の反復」と呼んでいるけれども、
反復という語そのものが、「隠喩や類似によって象徴的に使われているように見える」と語っている。
だからドゥルーズの「反復」は非常に特別な概念だと考えたほうがいいと思うんだね。
423吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 22:46:37.85
ニーチェ研究のほうで力への意志と永遠回帰の有力な解釈を聞いてきて、
それをドゥルーズ研究のほうへ持って帰ったら、
いやドゥルーズの差異と反復はそれともまたちがう、って言われるんだろうなw
424吾輩は名無しである:2012/02/19(日) 23:29:33.71
hazuma 東浩紀
とにもかくにも、昨日は久しぶりに哲学の話ができてよかった。存在論的郵便
的について動画で話したのなんて、ほとんど初めての気がする。相手をしてく
れた國分さんに多謝!
4時間前
425アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/19(日) 23:30:10.26
>>423
それはないw
というのも『差異と反復』のベースにあるのは『ニーチェと哲学』だし。
それから、ドゥルーズの肝の部分はしっかり把握しなきゃいけないとは思うけれど、
その上でそれをどう使うか、というアレンジは各人に委ねられてるだろうと考えてるよ。
426吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 00:05:16.98
ドゥルーズほど議論を嫌った哲学者もいないけどな。
「ちょっと議論しようか、と言われると哲学者たちは脱兎のごとく逃げ去る」
とか言っていた。理由は簡単で、相手の主張の前提を理解してしまえば、
議論するべきことなどないからだ。はっきり言えば、議論なんてのは、
「お互いに同じことを言っている」だけか「互いに全然別のことを考えているか」
どっちかしかないからだ。
427アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/20(月) 00:36:55.03
>>426
俺も>>407
>別に反論とか議論までいく必要はないと思ってるんだよね。
と書いた。
で「私見を提示し合えばいい」とも。
議論や反論という言葉はドゥルーズ的思考から遠いもので、
別の人たちはそうした言葉を使うわけだけど、
俺はそうした言葉は極力使わないようにしてる。
「ポストモダン」という言葉もしかり。
言葉を選択するいうのは、思考そのものの質に影響を与えるし、
そこにミクロ政治的な運動があると言っても構わないと考えてるよ。
428吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 00:39:08.26
>>419
しないといいながらレスしてるじゃん。こういうのを矛盾っていうと思うんだけど。
379に書いたような反復可能性がドゥルーズおいて成り立ってないっていうならまずそのことを示せ。
っていうか、

>そしてドゥルーズにおける反復を語るためには、 ニーチェの「永遠回帰」への参照が必要になるし、
>ピュイサンス(力=累乗)という潜勢的な差異を考えるときにも 「力への意志」への参照が要求されるのとだろうと。

これは明らかに反復が一つの方向性(基準に類するもの)を必要とするってことなんだが。
意志=方向性を持たないピュイサンスなんていうものを考えることはそもそもできないって自分で示してるじゃん。
自分が何を言ってるかわかってるか?

>反復可能性というものは差異と直結してるわけでもなければ、
なにを根拠にそう言ってるの?
ドゥルーズがさんざん言ってることだけど、差異っていうのは記号論的な差異に限るものではないし、
累乗的な反復でさえそれらの互いに異なる強度(=差異)を前提をしなきゃ起こりようのないものなんだよ。
つまりドゥルーズの言う反復は、どんなものであれ「それとの比較によって反復が特徴づけられる」差異を前提としてる。
反復が差異と結びついているっていうのはこういう話で、これまでのお前の主張と全く矛盾していない。

>反復(A反復)ともかかわりがない、と考えていて、
だからそれを区別しておまえの言うA反復をとりあえず問題にしていないって何回言ったらわかるの?

もうさ、ここまでくると日本語の理解能力の問題だよ。
おまえは俺の言ってることを根本的に理解してないし、いちいち説明する気にならないから絡んでくるなって言ってるんだけど。
もう一切俺のレスにアンカーつけるな。
しないと宣言したんだから、自分の言ったことくらい守れよ。
429つくだに:2012/02/20(月) 00:42:27.74
ドゥルーズってガタリに質問されたり議論をいどまれたりして、
それをかわすために言ってた言葉が有名なんだよね。
「君の疑問にすぐ答えられる時もあれば、何年か後にならないと答えられない事もあるから、
ちょっと待っててくれ」みたいなの。
孤独に沈思黙考するタイプだったのかな。
430吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 00:48:55.41
アセンションはストーカー
431アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/20(月) 00:49:39.52
>>428
君が引用してるのはジャネット宛ての書き込みだよw
俺からのレスが要らないなら、俺の書き込みを取り上げないほうがいいだろうに?

>>429
そのへんがフーコーやデリダとは違うところだよね。
ガタリに対しては「かわす」というよりも本音で語ったのだと思うけれど。
432つくだに:2012/02/20(月) 00:50:28.28
何か議論が紛糾してるんだね。
長文マニアがわらわら集まってものものしい。
433吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 00:53:41.26
>>431

>>409-411
>ひっこんでろって言っただろ。
やれやれw

>ドゥルーズの議論と反復可能性の関係は>>379で書いただろ。
>>379にはどうも見出せないから聞いたのだけどw

>もうレスをしないでくれ。頼むからやめてくれ。
その希望は了解。人のいやがることを続けようとは思わないから。
ただ、君は名無しだから君だと知らずにこれからレスする可能性はあるよ。

>>419のこの書き込みがジャネット宛なんだw
もう自分が何を言ってるか自分でもわからなくなってるんだろうな。
434レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/20(月) 00:54:24.51
アセンションさんは、
〈R反復・・・仮言的。否定的。外延的。静的。ルプレザンタシオン、一般性や同一性にかかわる。
A反復・・・定言的。肯定的。内包的。動的。アプレザンタシオン、特異性や他性にかかわる。〉
としたうえで、A反復の「理論」のほうを、きわめて特殊なものだというわけね。
で、以下はウィキ「定義」の項目からの引用。

外延と内包
〈ある概念を類と見たとき、その類に含まれる種の全てを外延(Extension)、その種に共通な性質を内包(Intension)という。種を全て示すことを外延的説明、共通な性質を示すことを内包的説明という。
例) 集合 A は {1, 3, 5, 7, 9} からなる。(外延的説明)
例) 集合 A は 10 以下の奇数である。(内包的説明)
これらを定義にも使える。
例) A とは、{1, 3, 5, 7, 9} を要素とする集合である。(外延的定義)
例) A は、10 以下の奇数からなる集合である。(内包的定義)〉

で、仮言的のほうは説明不要として、定言的というのは、言い換えれば、遂行文的(パフォーマティヴ)ということになるだろう。
で、否定的と肯定的、静的と動的、に関しては、言うまでもないでしょう。

上のような言葉を用いての「A反復」についての説明が、「一般化」をしえないものなんですか?
A反復するもの、あるいは、自体的にA反復であるもの、これは、言い古されたこと、「実存」のことでしょう。
それが、いまだかつてないほど「独創的」な理論ですか?
当たり前の事ですが、「実存性」(特異性=単独性でもよい)は一般化しえないものとされる、
というよりも、よくない言い方だとしても、一般化しえないものが「実存性」だというほうが分かりやすいでしょうか。
しかし、実存に関する哲学論、こちらは、もちろんこれまで一般化されてきましたね。
アセンションさんは、名無しさんのいうとおりで、話が見えないし、見えてもいない、と思うね。
435アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/20(月) 00:55:10.37
>>433
>>428の引用文に関してねw
436アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/20(月) 01:00:10.66
>>434
私見では、まずA反復というのは「理論」ではなく「運動」であるということ。
2つの反復における特徴は「理論」ではなく「運動」にかかるということですね。
437つくだに:2012/02/20(月) 01:01:01.96
何かやたらスレ伸びてるなあと思ってよく読んだらアセンションフルボッコ祭りやってたのか。
そんなに何人もに追求されたら困っちゃうじゃん。聖徳太子じゃないんだから。
438吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:04:52.60
よってたかってアセンションをいじめるなよ
439アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/20(月) 01:05:02.42
いや、別に困ってないよ〜w
440レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/20(月) 01:08:05.62
何回も言っているでしょう。たとえ、A反復は、あなたのいうところの「運動」でも、
その運動についての「理論」が、ドゥルーズ哲学の「肝」だというんでしょう。

それから、名無しさんの云うほうが明らかに正しいのは、こういうところでもわかります。

「その種に共通な性質を内包(Intension)という」のですから、ドゥルーズご本人が、
内包的という言葉で、反復可能的なものについて語っているという以外にどうとれますか。
441レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/20(月) 01:12:25.09
フルボッコなんてしていないよ。
あきらかに正当な理由があって怒っている方が一人、そして、私を含むほかの人は、はっきりいうと、呆れているんです。
442吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:12:28.93
論破されていることに気付けないアセンション
443アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/20(月) 01:15:44.66
>>440-441
何回も胃っても、それはジャネット氏の考えであって、俺の考えではないわけだね。
運動についての「理論」だとは個人的には思っていないわけで。
前にも書いたけど、いろいろな意見があるのはいいことだし、
それぞれが私見を肉付けしていけばいいと思う。
それに「正しさ」を俺は一度も主張したことがないつもり。
「正しさ」を述べるためには公準が必要だけれど、
その公準を批判したのがドゥルーズでもあるから。
>>427で書いたように俺個人は別に議論をしてるつもりもないし
「そこまでいく必要もない」と考えているので。
「明らかに正しい」「あきらかに正当な理由」
それから>>442の「論破」。
そういった言葉(および思考)はドゥルーズ的思考とは無縁だとは思うけれど。
444吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:17:51.75
>>443
話し合いにおいて論理を放棄する、というアセンションからの宣言でした。
そりゃあこんなやつと話がかみ合うわけないわなw
445アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/20(月) 01:18:03.90
フーコーがドゥルーズ論で述べているように
ドゥルーズはサイエンスフィクションを書いたというよりも
哲学を劇場にしたと考えたほうがよさげに見えるなあ。
446アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/20(月) 01:18:54.76
>>444
ロジックとはサンスであろうとw
447吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:20:27.09
>>446
無知すぎる。
論理形式は意味とは完全に独立の形式だよ。
どんどん化けの皮がはがれていくな。
448つくだに:2012/02/20(月) 01:21:18.14
分断された全員の心の地平をひとつにつなげて黄金に輝く平原をつくるのやで〜
それがミルプラトーや!
449吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:21:59.82
おれは、アセンションの、意見に賛成だね。
450吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:23:30.54
アセンションさん、みなさんは別にあなたが憎くて書き込んでいるわけではなく
理知的に物事を考えて楽しくお話しようとしているだけだと思うんです。
だから、あきらかに変な(例えば単純な定義の無知とかいった)過誤を容認しちゃうと
話が成り立たなくなって詰まんなくなっちゃうんです
どうかそのことは分かって下さい
451アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/20(月) 01:23:31.42
>>447
人にレッテルを貼るのが好きななようだけど、
「ロジック・ドュ・サンス(意味の論理学)」を読んでみればいいと思う。

>>448
横断するーというかね。

452吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:25:03.65
>>451
触発されなくても論理形式は常に存在してるんだよw
もう口を閉じてたほうがいいんじゃないの?
453アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/20(月) 01:25:25.24
>>449
ありがとう。

>>450
「みなさん」という衣をまとうのではなく、個人で意見を述べればいいと思うよw

まあジャネット氏ともう一人の人は話がかみ合うようなので
二人で対話をすすめてもらえれば。では今夜はこのへんで。
454吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:27:35.11
反復と差異の概念にR反復/A反復という二分法を持ちだしたのはまずいと思いますけどね。
これはドゥルーズの思考的欠陥なのか
その読解者であるアセンション氏の誤解に基づくものなのか?
そこが問題であって。
455吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:32:19.84
>>451
レッテルじゃなくて、実際に・具体的に間違ってるんじゃん。
なんなのこいつ。
456450:2012/02/20(月) 01:32:30.60
>>453
「みなさん」、とかいたのは少なくとも僕以外に二人以上のかたが
哲学的常識(別に哲学的でなくてもいいレヴェルですかね)に照らして
さすがにマズイでしょと書いているので
僕だけが感じているのではないのだなと思ったから書いたまでです
ちょっとひどくないですか、アセンションという人は・・・
「僕」はおかしいと思います
457レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/20(月) 01:34:38.36
名無しさんと「かみ合う」のは、彼がふつうに「自分の言葉」で論理に基づいて話すからですよ。
それに、「かみ合う」かもしれないが、上のほうを読めば分かるように、意見はほとんど一致していないですから、
「気が合う」わけではないでしょう。
アセンションさんは、話をする気がはじめからないか、能力的にできないか
どちらかとしか言えないね。ちょっと前までは、文学板で、一、二番目に知的なコテだと思っていたんだけれど…
458吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:40:34.14
>>457
アセをそう思っていたとは・・・
あんたも意外とバカだったのね
がっかり
459吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:46:15.36
ジャネットはおバカ
460レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/20(月) 01:58:57.13
最近は飲みすぎているのもあるから、大目に見てくださいよ。
今ものどが渇いて起きてみたら、盛り上がっていたから、血が騒いで、つい参加しちゃったんです。
でも、いつも朦朧としている頭は、めずらしくも、すっきりしております。腹減ったんで、何か食うことにします。
461吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 01:59:28.51
循環的、直線的、ニーチェ的永遠の回帰という、三種類の時間経過の中での
反復をdeleuzeは論じたのか?
462吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 02:18:06.36
いや、マルクスの読み替えがライトモチーフでしょう。
その方途としてニーチェやスピノザそしてベルクソンが導入された。
資本の運動によって産出される剰余価値という差異性が
下部構造たる経済機構のみならず支配体制たる上部構造にも変容を齎す。
ドゥルーズはイデオロギー闘争として主に上部構造の文化装置に対して戦いを挑んだ。
それだけのような気がします。
463吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 02:36:22.31
んなーこたない
464レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/20(月) 02:37:18.46
462名無しさんの意見には、ほぼ完全に同意するね。
本音のところは、アルチュセールに残っていたヘーゲル色を、否定性を差異性に置き換えることで、
イメージ刷新しようとした、というところだと思う。
「構造と力」に類するとされるものは総て、「生産関係と生産力」のヴァリエーションですよ。
なお、生産関係と生産力の「矛盾」というのは、もとよりおかしいんだ、と広松渉が、四十数年前に書いております。
生産力というのは、いわばポテンシャルなのであって、生産関係と「矛盾」が生じるはずがない、というのね。
つまり、「矛盾」という論理形式を放棄した「理論」にしても、マルクス主義哲学内部にさえ、すでにあったんですよ。
465レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/20(月) 02:49:56.44
くわえて、脱構築にしても、イデオロギー批判の方法論としてとらえなかったら、
たんなるスカみたいなもんですよ。そうでなかったら、川柳や狂歌などと変わらないです。
466吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 03:16:29.11
たぶん仮言的(否定性・一般性)/定言的(肯定性・特異性)という反復の二分法は
可能態/現実態のバリアントですね。
そして定言的なるA反復とは個別的なるもの、即ち実存に近い差異化である。
しかしこの反復は更なる反復(R反復)の否定性によって一般化される。
一種の弁証法とも言うべきこの運動から定点を抽出して“構造化”する事は原理上できない。
また、“構造”なるものから導き出しうる規準も設定できない。

かかる観点に立つのならそもそもR反復/A反復という二文法を論じる事も無意味である。
なぜなら、両者は連続的なものであり、関係性と流動性に全てが呑みこまれるからだ。

もし、この両者を分かつものがあるとするのならA反復によって齎される現実態
すなわち実存の一貫性に由来する。
ならば、反復による差異化の運動とは実存主義のバリアントにすぎなくなる。
要するにサルトルやルカーチ的西洋ヒューマニズムの亜種なのですよ。
ただし、哲学上の言語論的転回は実存論の拠点たる身体性をいまなお保証するのであろうか?
467レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/20(月) 03:52:16.33
みごとな手なみの整理。拍手、ぱちぱち。
468吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 13:32:26.19
ジャネットの言うことは難しくても方向性がはっきりしてるから理解できるが、
アセンションは何が言いたいのかまったくわからない。
言ってることの内容がわからないっていうより、それが会話のなかでどういう位置づけにあるのかわからないってことね。
469吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 13:44:01.09
「ドゥルーズを使って語る」のはOK。
「ドゥルーズの思想をあれこれ規定する」のはダメ。
なんかそんな感じを受けるね。
ドゥルーズ自身の態度だとしたら、ズルい(ドゥルい?)ね。
470吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 13:46:58.04
>>469
もし後者が駄目なら、哲学は哲学じゃなくなるな。
規定の仕方が正しければ、という条件の下でだけど。
471つくだに:2012/02/20(月) 14:14:32.39
笙野頼子のドゥルーズ観ってどれほどのもんなの?
472吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 14:15:37.64
>>471
どうでもいい。
っていうか見下すつもりが見え見えで気持ち悪い。
473つくだに:2012/02/20(月) 14:16:58.30
ふうん、そうなのか。
474吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 14:19:29.83
つくだにとジャネットを足して、つくジャニ。
475つくだに:2012/02/20(月) 14:25:59.46
つくジャニw
476吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 14:28:21.41
ミニハンも足してつくジャニハン
477つくだに:2012/02/20(月) 14:34:45.14
わろたw
478吾輩は名無しである:2012/02/20(月) 16:38:02.02
>>443
公準がなければ論理的な正しささえ成立しないとか正気?
一冊でも論理学に関する本を読んだらそんなこと恥ずかしくてとても言えないはずなんだけど。
479名無し募集中。。。:2012/02/20(月) 21:48:24.49
>>464
ヘーゲルの意味合いでなら
ポテンシャルなものとアクチュアルなものが併存していますよ、ということを
「矛盾」と言うのだから語の用法としては間違ってはいないのです
力は目に見えないからデュナミス( potential )だ、と。
しかし力は何かに影響を及ぼしていて、それは知覚可能だから
そういう部分はエネルゲイア (actual)

それを理解しているマルキシアンがどれだけいるかというのはおいておいて
480ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/02/21(火) 00:13:08.29
まあかくかくじかじかの命題が正しいとか間違ってるとかっていうのは実は比較的どうでもいい問題で、
重要なのはその命題を欲してるか否かなんだよな。
481レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/21(火) 00:34:18.12
479の方がおっしゃる通りだと思います。
広松は当然そのことは分かって書いていた(「唯物史観の原像」など)はずです。ですから、内向きの批判でしょう。

一つ言っておくと、なにゆえ、フランス文学系知識人の多くが、ドゥルーズの著書を、多くがベルクソンの線で解釈したがるか、というと、
理由はかんたん、若くなればなるほど、マルクス主義わかんなくなるからでしょう。
これは欧米文学系批評家が、日本文学における「明治初期の断絶」を強調したがるのと、かなり事情が似ている。
これもかんたんにいっちゃえば、そういう人たちは、江戸文学が出てくるとお手上げになるからです。
それで、ベネディクト流の「国民国家批判」の文脈ばかり目立つ、みたいになっているんじゃないでしょうか。
一例をあげると、そういう理由で、漱石文学と古典落語のふかいかかわり(影響はあきらかに、漢文学・英文学よりもでかいだろう)、おおくのばあい無視される。

ところで、経済的下部構造、の話は出たんだが、それと「構造」が相同的だとされてきた「無意識」についての話題が絡んでこないのだね。

482レディー・ジャネット ◆J4XQaCMv3K5g :2012/02/21(火) 18:04:46.03
欲するところの命題が真になるように労せず「公理系」(「アンチ・オイディプス」で用いられた言葉でもある)を改変できる、かのような幻想が、
ポストモダニズムが残した弊害だろう。俗に言えば、おつむの中でだけ改変しているんですね。
「否定」がないということは、もしかして、または、もしかしなくとも、死もないことになりそうです。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」と云いながら焼け死んでいった快川和尚みたいなもんでしょうか。
そして、妥当性のある公理系も、はちゃめちゃなものも、このスレでの一部の論調のように、一即多(いっしょくた)にされてしまいます。
私はこれを、「呪文主義」と呼んでいる。
483吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 19:03:46.92
うまいw > 一即多(いっしょくた)
484吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 19:31:59.22
>>482
済みませんが、公理系のフランス語あるいは英語があったら、
教えてくださいますか?
485レディー・ジャネット ◆J4XQaCMv3K5g :2012/02/21(火) 20:02:35.87
私は、axiomatic system を含意するものとして、「公理系」と云いましたが、
ドゥルーズがどういう語を用いているかは、原書をもっていないので分かりません。
おそらくaxiomatiqueという語を用いていないんじゃないかと思いますけれど、
たんなる想像なので、詳しいこのスレの住人に訊いてみてください。
486アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/21(火) 21:03:17.52
>>484-485
「アンチ・オイディプス」では公理(仏axiomatique 英axiomatic)はよく使われてる。
で、公理と公準(postulat)は区別されてるね。

>>468ほか、俺の書き込みの位置づけがわからないというレスがあったので、
ちょっと書き込みの意図をもう少し明確にしてみよう。

>>466は、よく整理されてる書き込みだなあ。かなり頭のいい人だろうなあ。
これを最後に取り上げつつ。
487アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/21(火) 21:07:25.40
伝えたかったことを明確にしておくと、ひと言でいえば、

「ドゥルーズを読むとはどういうことか?」

という問いをめぐるものになると思う。

デリダの差異とドゥルーズの差異を分けることがなぜ大切なのか。
デリダの反復可能性とドゥルーズの反復を分けることがなぜ大切なのか。
またドゥルーズの反復を権利上2つに分けることがなぜ大切なのか。
(その2つの反復をやがて第3の反復において考え直すにしても)
そしてポストモダンという括りで彼らを一緒に寄せ鍋に入れないことがなぜ重要なのか。

そうしたことに無自覚なままでいることは、
ドゥルーズを本当に読むことにはならないのではないか、と思うんだね。

ここまでは主に『差異と反復』の前半を文脈にしながら、
俺が接頭辞をつけて、R反復とA反復と呼んできた理由は、
ドゥルーズにおける反復という概念の異常さを強調するためだった。

A反復は常軌を逸した特異な運動であるばかりでなく、
一般的な概念規定化を拒み、そうされるがままにならない異常な概念だと、
そのことを強調したかった。

まず、反復というのは「理論」ではなく「運動」であるということ。
この「反復」という概念は一般化されるがままにならない特異性の刻印を受けたものであること、
これを見なければ、ドゥルーズを読んだとしても読み取ったことにはならないだろうと、
そういう個人的な想いがあったんだね。
488アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/21(火) 21:10:32.16
また、>>434に対して>>436
>反復というのは「理論」ではなく「運動」である
と答えたけれど、これが足りなかったようなので補足を。

R反復・・・仮言的。否定的。外延的。静的。ルプレザンタシオン、一般性や同一性にかかわる。
A反復・・・定言的。肯定的。内包的。動的。アプレザンタシオン、特異性や他性にかかわる。

この2つの反復におけるそれぞれの特徴は、反復という「運動」の質にかかわるもので、
2つの反復の質的差異を表現している。

ジャネット氏はこれらの運動に与えられた「外延的」「内包的」という特徴を
説明や定義の文脈にパラフレーズし、置き換えしていると思われるんだね。
文脈と次元の混同によって反復の特異性がスポイルされている印象を受けた。
反復の運動の特異性ばかりでなく、反復という概念の特異性も。

それから>>440
>ドゥルーズご本人が、内包的という言葉で、反復可能的なものについて語っているという以外にどうとれますか。
との問いがあった。
ドゥルーズ自身はどう述べているかは『差異と反復』を具体的に読めばわかると思うけれど、
R反復=外延的反復というのは「繰り広げられた反復」とされ、
A反復=内包的反復というのは「包み込まれた反復」とされている。
この「包み込まれた」という表現は後に襞(プリ)という概念を用いるときに「折り畳まれた」という表現につながる。
(ライプニッツ論『襞』やフーコー論『フーコー』)
外延、内包という言葉も「一般的な」哲学概念としてではなく、ドゥルーズの具体的な文脈の中で読む必要があって、
ドゥルーズ自身はまた「内包的」を「強度的」と言い換えている。
489アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/21(火) 21:15:14.42
さらにドゥルーズ自身の言葉を括弧内で引用しておくと、
R反復は、「《同じ》ものの反復」であり「概念ないしはルプレザンタシオンの同一性によるもの」であり、
「概念における欠如による、否定的な反復」だという。
A反復は、「差異を含む反復」であり、「アプレザシオンの異質性において、おのれ自身を含む反復」であり、
「《理念》における過剰による、肯定的な反復」だという。

一般的な反復というのはあるモデルがあってそれが繰り返される。
その場合の差異はそのモデルに加えられた変形に与えられる名前となる。
R反復は運動として一般性にかかわると同時に、運動を静的な「一般的な反復」に近づける。

R反復とA反復の差異を、我々の思考という「いまここ」にもたらしてみると、
少し前に書いた、思想と思考の差異、について言及した文脈が活きてくる。

運動としての「思考」をあたかも固定化された静的な「思想」に還元してしまうのは、R反復的である。
それは、「運動としての思考」を「理論としての思想」に一般化し、見やすく流通しやすいようにコード化する。
一般化するR反復的思考は、ドゥルーズの特異な文脈をスルーし、既存の哲学的なフレームの中に置き直してしまう。
具体的なディテールどころか、書名さえも出てこないことが多く、「ドゥルーズの思想」とひと括りにする。
この思考は「これとあれとは似ている」「これとあれとは同じだ」「これとあれとをまとめよう」と語り、
既存の哲学的フレームによって類似性、同一性を元に考える。

一方、A反復的な思考はこう述べる。「思想にまで行き着く必要はない」と。
特異化するA反復的思考は、それぞれの文脈における概念の特異性を尊重し、文脈によってその都度に変化する意味を問う。
この思考は「これとあれとは似ていない」「これとあれとは違う」「これとあれとを分けよう」と語り、
既存の哲学的フレームを壊しながら、一般化する動きに抗い、特異なものを守るようにして絶えず動き続ける。
490吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 21:19:10.76
アセンション、お見事。
ぱちぱち♪
491アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/21(火) 21:37:26.71
R反復的思考は、もしかしたら浅田的なチャート化、図式化、構造化の影響の弊害といえるかもしれないな。
浅田が『構造と力』でいくら「力」に重点を置いて語ったとしても、その本自体は構造化された本だといえる。
その意味では、蓮實の『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』のほうが、愚鈍さや事件(エベヌマン)という言葉で
ドゥルーズの思考の異常さに注意深いように思われる。

以上の私見の上で、R反復とA反復を権利上分けることができたとしても、事実上はどうなのか?
という問いは出てくると思う。>>466に応答を試みる形でそれを考えたい。

>反復の二分法は可能態/現実態のバリアントですね。
私見では、2つの反復は現実態において混在されているものと考えている。

>かかる観点に立つのならそもそもR反復/A反復という二文法を論じる事も無意味である。
>なぜなら、両者は連続的なものであり、関係性と流動性に全てが呑みこまれるからだ。
確かに現実においては、2つの反復はともにあり、混在しているともいえる。
しかしながら、権利上2つの反復を分けることは決して無意味とはいえないと思うのは、
我々がR反復とA反復に気づくことで、R反復とA反復のバランスを変えられると思うから。
(ここは第3の反復を検討する中で考えなければならないだろうと)

>ただし、哲学上の言語論的転回は実存論の拠点たる身体性をいまなお保証するのであろうか?
この最後の問いはもしかしたら、あなたの中にあるA反復的思考が書かせたのではないかと。

長文連投ごめん。ありがと>490
492レデイー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/21(火) 22:09:43.64
アセンションさんの云うことは心情的には分かるよ。
あなたはデリダ・ドゥルーズの著書を、ともに単独のものとして恋(愛ではない)している、と。
私は哲学思想の本にそういう恋情を持ったことはないが、源氏物語や三大和歌集なんかは、やはりそうですよ。
ただ、哲学の宿命として一般化されるというのがあるでしょう。いやなら、文学作品として読めばいいんですよ。
私はそれで、はなからそうしたほうが良いと言っている。

揚げ足とるつもりは毛頭ないが、
≫またドゥルーズの反復を権利上2つに分けることがなぜ大切なのか。
とアセンションさんは言うわけね。「権利上分ける」というのは、一般化じゃないですか。
二つの反復の一方でも「実存」的だというならば、「事実上分ける」ことしかできないでしょう。

何で私がこんなことをしつこく言うかと云えば、いまや、待ったなし、の状況があると思うんです。
なにしろ震災がありましたからね。ファシズムでもなんでもいいから現状を打開せよ、みたいな声なき声が、もはや渦巻いているかのように見えるんです。
こういう時世に、いわば「実存」ばかりを問題にしているようなのは、ただの引きこもり思想じゃないですか。
東なんか、人格はともかくとして、たしかに鼻は効くから、さっと方向転換したようでしょう。
そういう「フットワーク」(柄谷語です)というのは、今は特に必要だと思うんですよ。
493吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 22:19:34.69
>>489
>一般的な反復というのはあるモデルがあってそれが繰り返される。
>その場合の差異はそのモデルに加えられた変形に与えられる名前となる。

それは「名」であり「名」は「固有名」と「一般名」に分類される。
両者は連続的なものであり、「固有名」は「一般名 」として共有あるいは構造化という運命に晒されている。
であるがゆえに「固有名」は「固有名」として絶えず自己超出の運動を続けなければならない。
なぜなら「固有名」とはそうあるべく呪われた存在であるからだ。

このように捉えるのなら「名」をめぐるこの議論はサルトルの実存主義と大差なくなる。
また、言語の記号化による集中と分裂について議論はすでにベンヤミン言語論で着手されていることであり、
この議論に対してはデリダによる法言語の考察の方が説得力に富んでいる。

>ただし、哲学上の言語論的転回は実存論の拠点たる身体性をいまなお保証するのであろうか?
>この最後の問いはもしかしたら、あなたの中にあるA反復的思考が書かせたのではないかと。

もし、ドゥルーズがベルクソニアン的思考に則って一般化という構造化に抗するのなら、
知覚から可能態という認識装置への転移(つまり理論化)において中間項たる身体性を想定する筈だろう。
なぜなら“身体性”こそがベルクソン哲学の中核ともいえるべき“もの”だからだ。
またこの自覚において後に“実存”と“命名”されたものも保証される。
しかし、この“身体性”なる“もの”はメルロポンティによって放棄されている。
すなわち実存主義の破産。
哲学上の構造論とは実存主義(つまり身体性の哲学)の破産によって登場したものなのである。
この“身体”の喪失をサルトル流の自由なる実存を変奏という形で復元しようとした(と思われる)
ドゥルーズの哲学において説得力のある説明が加えられているとは思えない。
494レデイー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/21(火) 23:12:06.03
ウィトゲンシュタイン曰く「私的言語(というもの)はない」
悪いがアセンションさんには、この「常識」に立ち戻るべきだと云わざるを得ないような気がする。
495吾輩は名無しである:2012/02/21(火) 23:15:43.70
ウィトゲンシュタインの私的言語批判というのは、
ラッセルの現象主義的な言語観への批判であり、
私的言語がないというよりも、
私的であるということ水準自体が公的であるということなんだけどね。
496レデイー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/21(火) 23:30:05.29
それは知っている。
だから、アセンションさんがいくら反復なる「運動」の特異性を強調しても、
その言葉は、特異的なものとはなりえない、という意味で言った。
もし特異的なものがあるとすれば、彼が言うということであって、彼の言ったこと、ではないだろうということ。
497アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/21(火) 23:36:18.60
>>492
同じ話を何度もあなたはしているけれど、
それはあなたの考えであって、俺の考えとは無縁で異質だというしかない。
哲学作品であれ文学作品であれ、ジャンルを意識せずに読めばいいし、
実際にドゥルーズ『差異と反復』という言語作品を読めばいいと思う。
俺自身はドゥルーズの作品を哲学書として読んでるわけじゃない。
またR反復的思考は、哲学だけの宿命じゃなく、すべてのものを一般化しようとする。
あなたの思考もそうだ。でも一般化に抗うA反復的思考は「いまここ」にもあるし、
「権利上分ける」ことは、特異性に注意を払うことで一般化ではない。
ラングの一般性を乱すパロールは常にあるよ。
それがやがてラングに組み込まれることになろうとも。
運動としては常にある。>494

(去年の4〜6月に被災地を俺が回った話はここでは関係がないのでしない。)
(もしかしたら雑談スレで少し書いたことはあるかもしれない。)
498アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/21(火) 23:37:22.27
>>493
◆固有名について
A反復は運動であり、静的な“名”ではないし、また概念ではあっても、
静的に概念規定化されるがままにならず、もろもろの問題との関係において絶えず変化する。
(ドゥルーズ自身は「概念なき差異」という表現も使っている)
この問題系においては確かにデリダ(およびレヴィナス)で語ることがふさわしいので、
それはまた別の機会に。

◆身体性について
A反復は“もの”ではないし、ドゥルーズによれば“身体性”でもない。
R反復・・・ルプレザンタシオン
A反復・・・アプレザンタシオン
この対比の中で、ドゥルーズは「身体的」をR反復に、「精神的」をA反復にあてている。
実際にドゥルーズの『差異と反復』を読んで欲しい。
(またドゥルーズにおける身体性を考える場合には後の「器官なき身体」を参照する必要もある。

そして「実存」という一般的な名称ではなく、キルケゴールの「単独者」について、
ドゥルーズが『差異と反復』の中でどう書いているのか、
またなぜドゥルーズがキルケゴールよりもニーチェに重点を置いて
『差異と反復』を書いたのか、それをぜひ読んで欲しいと思う。
そうなればもっと余分なことがショートカットできて深い話ができると思う。
499アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/21(火) 23:39:44.83
独り言風に。
ドゥルーズ『差異と反復』は異常な書物だ。
別に哲学書として読む必要はない。
ドゥルーズが言うように、ある種の推理小説、ある種のサイエンス・フィクションとして
読んだっていい。でも読まないことには何も始まらない。

異常さに出会える作品は世の中にそうはないと思う。
カフカ、ベケット、ブランショ、シモン、ドゥルーズ、デリダ…
「不条理」や「アンチテアトル」という括りでベケットを読むのも、
「ヌーヴォーロマン」という括りでシモンを読むのも同じく益がない。
そうした一般的イマージュを捨てた「イマージュなき思考」の異常さに出会わなければ、
そしてその思考が少しでも自分の血肉とならないなら、
ドゥルーズを読む意味などないと思う。

「ここがロードスだ! さあここで跳べ! 」という声が聞こえる。ではまた。
500レデイー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/21(火) 23:46:37.89
≫ラングの一般性を乱すパロールは常にあるよ。
それがやがてラングに組み込まれることになろうとも。
運動としては常にある。

アセンションさんが上のように言ったことは、この一連の「集団論争」のきっかけになった、
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム論」に関する書き込みに私が書いていますよ。
ただし、「ラングとパロール」という「図式」は、もはや私は遣わないけれど。
その「言語ゲーム論」的なものが、ポスト構造主義以前に、はや形式化されていたんではないか、と私が言ったのが、そもそもの始まりなんですよ。
501吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 01:29:23.36
>>498
>またドゥルーズにおける身体性を考える場合には後の「器官なき身体」を参照する必要もある。

あれは、マルクスにおける機械論の註釈じゃないんですかね?
つまり、デュルケイム的分業論に基づいた有機体理論を基底とした
構造分析を社会分析に採用するのならマルクス主義的機械論も
“全体”と“部分”という要素還元的なホーリズムに帰着する。

そこで連続性の“生”の哲学者からメカニカルな作用のみを取り出す事によってこれを克服しようとした。
しかしそれならば、“器官なき身体”ではなく“器官的連結”としなければならない。
そもそも社会概念として“身体”なる形式的な外様を包括的に語り得る視点をどこから獲得し得るのか?
これが社会機構という構造体に対して向けられるとしても、
“思惟する私”という古典的な主体の延長という形で予想的に語られるものでしかなくなる。
しかし、この延長性による全体の把握を保証する身体性とは個別的な“身体”の現前と知覚が
認識を方向づけるという考えからしか導き出されない。
哲学上の言語論的展開とはこのような主体信仰の崩壊によって表れた生々しい異相なんですね。
であるがゆえに唯物論の崩壊に際してアルチュセールはこのように呟いたのです

「そこにロゴスの動きをみた」と。

そしてもし、この“身体性”なる個別性にこだわるのなら結局は疎外論的ヒューマニズムに帰着し、
否定される個別的なるものの統率者としての指導理念(および指導者)が逆説的に産出される。
ロシアマルクス主義におけるプロレタリア“独裁”とはこのような経路によって哲学的に肯定されたのです。
であるならば機械論をめぐる身体性についての議論は詰まる所
『ドイツイデオロギー』に見られるブルジョワイデオロギーを補強するものに過ぎなくなる。

また、このような身体性を排除して関係性の連結過程に潜む個別的なるものを意図的に救出しようとするのなら
例えばキルケゴールやシュティルナーのような“唯一者”につながる“実存”が浮上してくる。
そしてこの場合の“実存”とはたぶんに形而上学的なものであることは言うまでもありません。

こう考えるとドゥルーズの思想では西洋形而上学や
たとえばボリシェビキ政権の振るった暴力性に対して有効打を放てない。
502吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 10:00:48.32
hazuma 東浩紀 lethal_notionがリツイート
このあいだのニコ生では「東さんにもっと哲学や思想について語ってほしい」
という意見が寄せられたけど、この国では、哲学や思想について語る、
ニアリーイコール哲学思想業界に入るということなので、それは勘弁というの
がぼくの正直な感想ですかね。文学についても同じ。
2月20日
503吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 10:06:11.76
lethal_notion 國分功一郎
あと、放送内で出た、一元論/二元論の話は哲学的に極めて重要です。
東さんは、自分は二元論的だと言いました。俺は、哲学は一元論でしか
ありえないのではないかと思っているところがあります。デリダについ
ては言うのが難しいのですが、フーコーは明らかに二元論、ドゥルーズ
は明らかに一元論です。
2月19日
lethal_notion 國分功一郎
昨日、放送の後の懇親会で質問してくれた人がいたので説明しましたが、
一元論のポイントは一つであるということではなくて、発生の視点です。
そこから二つのものなり、多なるものなりが発生してくる、その原理を
問うことが一元論的な哲学の視点です。
2月19日
504吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 10:08:49.75
lethal_notion 國分功一郎
発生という視点に立つと、だから、二つのものも、三つのものも、多な
るものも、やはりどこかから出てくるという風に思えてしまうわけです
ね。すると一元論になる。
2月19日
lethal_notion 國分功一郎
しかし二元論がなぜかくも強力に存在し続けているかと言えば、二元論
はプラグマティックに現実の次元を分析するには極めて有益だからです。
たとえばフーコーのことを考えればいい。彼は言う/見る、言説的編成
/非言説的編成、権力/知など二元論的道具で歴史を分析しました。
2月19日
lethal_notion 國分功一郎
ある種のプラグマティズムは二元論を要請するように思います。一元論
的哲学は、いわば、ほとんど役に立たない次元まで遡って、その二つの
次元の発生を問うということなのかもしれません。ここは本当に難しい
ところです。昨日の古代ギリシャの話で言えば、世界の元素は何なのか
みたいな話です。
2月19日
505吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 10:14:17.14
一元論ドゥルーズ國分アセンション

二元論デリダ東ジャネット
506吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 11:49:15.41
一元論か二元論か多元論かなんて、一つの思想についてさえ切り口によって変わってくるものだから、
何を論じるかという観点抜きに立場として主張することにはほとんど意味がないと思う。
ドゥルーズだってリゾームなんかに注目すれば明らかに多元論的でもあるわけだし。
発生を問う場合にドゥルーズを一元論として考えるのが有効ってだけ。
507吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 12:15:18.37
國分も東もたいしたこと話してないな
508吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 12:29:05.51
"It is a basic maxim for serious thought that anything that can be said can, with perseverance, be said clearly."(W.V.O. Quine)
509吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 12:37:40.94
>>508
アセンションへの皮肉か?
510レデイー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/22(水) 12:42:21.95
発生論的(上で言うところの一元論が代表的)というのは、ようは事実主義的なんですよ。何が「根源」的事実か、ということに強い関心を持つという意味で。
ドゥルーズ本人はともかく、日本ドゥルージアンは、「差異しかない」あるいは「差異のみある」と言っている割に事実主義者なの。
511アセンション ◇ZCAcNhb9dZs7:2012/02/22(水) 12:42:25.10
>>508
クワインはウィトゲンシュタインの作った枠組みのなかにとどまって語ってる人だからなあ。
俺はあまり知的な人だとは思ってないw
512吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 12:43:30.74
アセンションは東、國分を超えている!
513吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 12:48:36.76
アセンションはカント、ニーチェを超えている!
514吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 12:50:16.01
アセンションとジャネットがニコ生で対談してけろ

で東國分以上の内容の濃い番組つくって。
515レデイー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/22(水) 12:55:21.39
たしかに、思索のレベルが「超えている」ところは多々あると思う。
ただ「超えている」というのは、あまりいい褒め言葉ではないと思うが。
そして、「超えている」のは、アセンションさんにかぎらないよ。このスレ住人に何人もいます。
ようするに、上の二方は有名人だってだけ。紅白歌手よりも上手いカラオケマニア、
プロレスラーよりも強い柔道部員など、結構いるというがごときこと。
516吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 12:59:09.84
>>515
なんかもう…いいや
いちいち突っ込むのもめんどくさいし
517吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 13:02:47.31
東、國分もこのスレに来るといいな♪
518吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 13:04:27.89
アリストテレスがあの世からこのスレに書き込んでくれないかな
519吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 20:37:38.83
一般化に抗う運動としての思考てのは、パロールですか。つまるところ。
520レデイー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/22(水) 21:20:07.85
それはないと思うね。いわゆるパロールでは、抵抗の拠点にはなりえないですよ。
「存在の理法」にもとづいて、即刻に「公理系」の枠内へ回収されます。
コンセプト・メタファーの創造によってヘゲモニックな言説編成を動揺(場合によっては「液状化」)させる、なんてのも、
あいもかわらぬ80年代広告屋さん的思考でしょうね。
もしかしたら自己救済的ではありうるかもしれないけれど。
521吾輩は名無しである:2012/02/22(水) 21:34:00.35
一般化に抗するものは定義からして伝達する方法がないわけで、
ただ私秘的な体験を大事にすればいいってことじゃないだろうか。
522アリストテレス:2012/02/22(水) 21:57:17.89
>>518
わしは、このスレ、いつも、見とるぞ!!!
523吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 08:02:43.98
誰かここでこの問題に答えられる人っている?

球面幾何学と位相幾何学はどこが似ていてどこが違うのか?
524吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 08:05:18.29
スレチじゃね?
525吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 08:14:49.78
高崎経済大准教授 國分 功一郎
批評家 千葉 雅也
講座内容 今もなお様々な分野の読者を魅了してやまないジル・ドゥルーズ。彼の哲学は様々な仕方で形容され、様々な仕方で読まれ続けている。一人の哲学者の思考がどうしてここまで多くの人々を刺激するのであろうか? 
ドゥルーズの言う生成変化を大胆に定義した博士論文を東京大学に提出
したばかりの千葉雅也と、ドゥルーズ哲学の基礎を問う論文を『思想』
に連載中の國分功一郎が徹底的に討議する。  

日時 3/17
土曜
18:30-20:30 2012年 3/17
受講料
(税込み) 3月(1回)  会員 3,360円
 一般 3,990円
526吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 08:16:20.63
いやね、数学を数学じゃなくて哲学として概念化できてる人たちのスレなんだからね、
こんな問題には簡単に答えられるだろう、と思ってね。
527吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 09:40:02.06
位相空間って距離空間とちがって、距離の概念がなかったような。うろ覚え。
球面幾何学はたぶん(いい加減だな)、距離の概念がある。
528吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 09:41:37.16
>>525
ドゥルーズの思想内容を”定義する”ひともいるんだな。このスレッド的には邪道かな。
529吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 09:52:48.02
ドゥルーズの本自体は論証的に書かれてるよ。
530吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 10:06:54.36
差異についての論証なんぞありましたっけ。
531吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 10:51:25.37
>>527
すばっ!
そう答えられる人って文学板には(というより2ch数理哲学には)いないって思ってた!

ただしちょっと補足。球面幾何はその球面を作る球の半径の大きさに意味が無い球面上の幾何学。
意味が無い、ということは必要が無い、と言うよりは、なんだっていい、ってこと。
球面上の点と点の距離(みたいなもの)を球の中心から見た角度で云々する。
位相空間の「距離」も球面幾何の半径みたいなもの。
なんでも同じ、ってことで、存在そのものが無い、ということじゃない。
だから、平ったい折り紙と折り鶴は同じ「形」だってことになる。
532吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 11:11:21.89
なるほど。お詳しい。
533吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 11:20:54.18
>>528
このスレッド的にはっていうか、アセンション的にはな
どんな形でも定義できないものなんてそもそも学の対象にすらならないのにな
534吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 11:37:14.87
そうすねー。
535吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 11:49:18.11
ちょっとずれてる気もするけど
536吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 12:01:54.21
位相空間のことならググればいくらでも出てくるけど
http://hooktail.sub.jp/welcome/phaseSpace/
537吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 12:11:32.93
だから、数学の数学による数学のための、じゃなくて、
どう哲学者(w)はその概念を構築できてるの?の問題。
ググればいくらでも、のあんたが解かりもしないコピペ公理系のお話じゃないの。(笑)
538レデイー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/23(木) 13:10:39.70
以下はウィキ「トポス」の項目からの引用。

〈数学におけるトポス(topos)とは、位相空間上の層のなす圏を一般化した概念である。
アレクサンドル・グロタンディークによるヴェイユ予想解決に向けた代数幾何学の変革の中で、
数論的な図形(スキーム)の上で有意義なホモトピー・コホモロジー的量が定義できる
細かい「位相」を考えるために導入された。 その後数理論理学者たちによる更なる公理化を経て、
集合論のモデルを与える枠組みとしても認識されるようになった。〉

ということで、わたくしとは多分なじみのある数学関係者がいらしたようなので、
無学な哲学思想関係者のために、ドゥルーズ哲学の「肝」のネタであろうところの
トポスと数理論理学との浅からぬかかわりについて簡潔にご説明をお願したいと思います。
なにとぞ、よろしく。

539るんるんるん v(^ー^)v:2012/02/23(木) 13:36:39.69
>>538                      /⌒〜Y⌒"""ヘ   ヘ∨ ∨
                     /⌒/   へ    \|\
          /         /  /   /( ∧  ) ヘ ヘ
         く         // ( /| | V )ノ( ( (  ヘ\ .  お  て
  ┘/^|    \       (  | |ヘ| レ   _ヘ|ヘ ) _ヘ    し  め
  /|   .|            |  )) )/⌒""〜⌒""   iii\    え  ぇ
   .|  α  _        ヘ レレ  "⌒""ヘ〜⌒"  ||||>   て  に
        _∠_     イ |  |  /⌒ソi   |/⌒ヘ  <  .  や   ゃ
   _     (_      ) ヘ  | ‖ () ||  || () ||  _\   ん 
   /             (  ) ヘ |i,ヘゝ=彳  入ゝ=彳,i|\    ね
  /ー             ( /  """/   ー""""   > .  |
    _)   |        ヘ(||ii    ii|||iiii_/iii)ノヘ|||iiiii<   ||||
        |        ( ヘ|||||iiii∠;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;     フ    ""'
  /////   ヘ_/     ) ヘ|||""ヘ===二二二===7フ / ム/∧ ∧ 
  /////            (  | ii  | |LL|_|_LLL// |    )( ∨| ∨)
 ・・・・・              ) )| || | |||||||||||||||||||||||| | |   ( ヘ | ヘ ) (
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          /       / (|.| | |       | | |  iii  ) | ヘ )( )
          (        ( /..|  | |_____/ | |  iii  ( )( // /
          \       ) )..|  |ヘL|_|_L/ / /  ,,,,--(/Vヘ)(/
                   / ( .|ヘ \_ヘ |_/ / /
                   イヘ /彡  ∪/し   /
540吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 13:39:47.38
ちょw
541吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 13:56:10.68
クズだらけでつまらん
542レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/23(木) 14:00:15.49
数学屋さんの531の書き込みに

≫ただしちょっと補足。球面幾何はその球面を作る球の半径の大きさに意味が無い球面上の幾何学。
意味が無い、ということは必要が無い、と言うよりは、なんだっていい、ってこと。
球面上の点と点の距離(みたいなもの)を球の中心から見た角度で云々する。
位相空間の「距離」も球面幾何の半径みたいなもの。
なんでも同じ、ってことで、存在そのものが無い、ということじゃない。

とあるんだけど、〈存在そのものが無い、ということじゃない〉とはなんのこと。
543吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 14:02:41.93
                                  , - ―- 、
                                 '.゙fー== >
                                (((( ヽリ))゙、
                            .    くl li#゚ ヮ゚ノilヽ 脳無しのアンタがそれゆーな  きゃはっ☆♪  
                                ノ⊂) 愛 iつヽ     
                                _,,-'l ̄ ̄ ̄t___、
                     キュラキュラ  ,,,-'"   |┌┐ | | lニニニ00           
                          ... |     !.└┘ ! | l二二i二iニニニニニニニニニ(二(O)
  ↓>>541=無芸無能       ___ _!___|_____|__二二コヽ_、        
                 √ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ヽニニニニニニニニヘ  
      /|__/|         /__________|______|__ト===ト_[:lニフ====・___
////<//////>///////'フ-'''''''''''(@)''''''(@)'''''''(@)''''''''''''',-`y―→ ̄ ̄ ̄ ̄\「ニニヽ 
 ⊂//     /⊃        (◎):::::_i=====i_:::_i=====i_:::::(◎)ニニニ)二二二二フ)ニニニ);∵
//////////////////  ヽ (9)(9)_(9)(9)_(9)(9)_(9)(9)_ ソニニニ/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ノニニニ/;*;∵
「__ __フ 
544吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 14:06:10.51
ひま人ぜや〜 脳半分♪ by レノン
545吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 14:06:13.79
どいつもこいつもpathosを感じる
546つくだに:2012/02/23(木) 14:11:52.90
ここまで空中戦を見せつけられると、思想って何なんだろうなと思ってしまう。
そもそも私はサブカル好きだったのだ。VOWを読み、ロフトプラスワンに通っていた。
中島らもが好きで、ずっと追いかけていたのだが、らもさんがあるとき浅田彰と対談していて、
この人が面白いので気にかかった。それで「構造と力」を読んでみたのだ。
あの頃の浅田さんはサブカルと思想の間を行ったり来たりしていて、私も影響を受けた。
だが、思想や文学は虚学でしかなく、知れば知る程糧になるのかというとそうではない。
むしろそれにはまると「中二病」などと馬鹿にされる範疇の学問だ。
だから私は思想にはまるのをやめた。
547吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 14:16:30.42
サブカルと思想の間なら東
548レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/23(木) 14:54:14.65
〈われわれは、認識の対象と現実的対象との秩序の差異に戻ることによって、
この差異がその指標であるところの問題に着手することができる〉
(アルチュセール著・今村訳「資本論を読む」。ただし約四十年前の訳です。)
549吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 15:55:29.92
レジャネじいさんはつまらん
550とんち坊や:2012/02/23(木) 18:35:20.08
>>549
レジャネさんは、つまる。
551レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/23(木) 18:41:07.88
私にあって、つまるのは、鼻(この時節は)とウンチぐらいだろうね。
でも、ご支援ありがとう。
552吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 19:53:27.36
1970年の当時、左翼で最も偉大な思想家はトロッキーだったよ。
553吾輩は名無しである:2012/02/23(木) 22:17:16.09
数学・物理・化学等はこれからの共産革命のあるべき姿のレトリックに過ぎないから。
爆発的な革命ではなく少数性・多様性を元にした分子的リゾーム状の(ミルプラトー)
繋がり(レジスタンス的地下活動)で資本主義体制を打倒するのが目的だからw
554レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/23(木) 22:56:42.89
上の方のいうとおりでしょう。もちろん、パンドラの箱から最後に出てくる希望、みたいなもんかもしれないけれど。

ところで、アルチュセールにしても、従来なら「矛盾」といったいたであろうところで、「差異」といってますよ。
555吾輩は名無しである:2012/02/24(金) 12:48:26.85
英米の哲学の方が、数学や科学に真摯に取り組んでるイメージ。
556レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/02/24(金) 14:10:28.71
たしかに555の方の云うとおりなんだよね。
英米の哲学者には、ロジシャンやテクノサイエンチストなどを兼ねている人だって少なくないんで、
こういう人は、とうぜん数学や科学技術の「拡張」や「整頓」などへ、実地で係わることになるし。

ところで、ベルクソンの「イマージュ論」はEPR相関のアイデアを予見した、といわれることがあるでしょう。
ド・ブロイ(だったと思う)などは、そのことをほめたたえていたと思います。しかし、ドゥルーズのほうは、あくまでも後追っぽいんですね。
557吾輩は名無しである:2012/02/24(金) 21:26:29.10
チャーマーズは数学オリンピックのメダリストで、
クリプキは高校のときに様相論理についての論文を発表したらしいな
このへんの哲学者には逆立ちしても勝てない気がするわ
558つくだに:2012/02/24(金) 21:48:10.78
ビートジェネレーション、百年の孤独、楽天、温泉ネタ・・・
さいきん私がこの板に書き込んだ内容とまーくんツイッターの内容がかぶっているのは偶然?
まーくんが好きすぎて糖質になってしまう(笑)
559吾輩は名無しである:2012/02/24(金) 21:57:57.41
>>558
その、まーくん、って誰?
教えて、ちょんまげ^^
560つくだに:2012/02/24(金) 22:01:14.57
561(将臣)ワナビ津原ランドール川上弘美ピース713はHN泥:2012/02/24(金) 22:08:17.66
つくだにってツハラと同じで
Mというだけで色々な人間に
話題を広げて、
川上弘美の工作員で
ストーカーだというのを隠蔽しようとしてるな。
562吾輩は名無しである:2012/02/25(土) 00:07:54.26
チャーマーズは計算機科学と人工知能の研究から、
哲学的問題に関心を持つようになった、
というのが、いかにも今風でいいw
563アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/26(日) 12:51:23.31
>>501
「器官なき身体」をマルクス主義的な文脈の中で考える場合、
まず、マシニックとメカニックを区別する必要があると思う。
また、「アンチ・オイディプス」は精神分析を文脈に置いてもいるので、
欲求と欲望の区別も含めて、別の身体性が問題にされてるだろうと。

アルチュセールのつぶやきがどういうパースペクティヴの元で出たのか、
そのへんはよくわからないので十分な応答はできないけれど、
“思考する私”というデカルト的なコギトの個別性は
むしろドゥルーズが『差異と反復』の中で批判的に扱っているもので、
コギトの延長線上に、シュティルナーの“唯一者”やキルケゴールの“単独者”を置くならば、
そうした実存主義的な系列は、ドゥルーズとはあまり関係を持たないだろうと。
というのも、最終的にドゥルーズが打ち出しているのは、
「非人称的な個体性」と「前個体的な特異性」であり、
私見ではこれはむしろドゥルーズはブランショに近づくわけです。
564アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/26(日) 12:54:10.00
>>506
>切り口によって変わってくるものだから
まさにその通りだと思う。

>>519 >>521
>一般化に抗う運動としての思考てのは、パロールですか。つまるところ。
>私秘的な体験を大事にすればいいってことじゃないだろうか。
パロールに特異性を見出せる限り、そういえると思うね。
ただし、ラングに対するパロールという単純な捉え方ではなく、
ドゥルーズが第3の反復として述べているような、
驚くべきシミュラークルの戦略が要求されるかもしれない。
565吾輩は名無しである:2012/02/26(日) 12:57:57.09
栗本慎一郎がこれを読んでいる人とだけ愛しあいたい必読書
『聖と俗』 M.エリアーデ
『新視覚新論』 大森荘蔵
『日本近代文学の起源』 柄谷行人
『死に至る病』 S.A.キルケゴール
『経済人類学』 栗本慎一郎
『幻想としての経済』 栗本慎一郎
『歴史とユートピア』 E.M.シオラン
『共通感覚論』 中村雄二郎
『ヘンタイよいこ新聞』 糸井重里
『表層批評宣言』 蓮実重彦
『エロティシズム』 G.バタイユ
『人間の経済T・U』 K.ポランニー
『暗黙知の次元』 M.ポランニー
『感覚の分析』 E.マッハ
『文化と両義性』 山口昌男
『こころの構造ユング著作集B巻』 C.G.ユング
『共同幻想論』 吉本隆明
『生命潮流』 L.ワトソン
566吾輩は名無しである:2012/02/26(日) 20:04:19.44
↑くっくっくっくだらねー(嗤)
567つくだに:2012/02/26(日) 22:01:14.62
クリシンも寝たきりにならなかっただけましだねえ。
ちょっと電波になってしまったけど。。。
568アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/26(日) 22:01:52.20
栗本とは愛し合いたくないなあw
569吾輩は名無しである:2012/02/26(日) 23:08:00.89
自分の本入れるあたりが流石だなとしか
570アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/27(月) 00:22:15.73
2冊も入れてるしねw
幻想としての経済は読んだことあるけど。
571吾輩は名無しである:2012/02/27(月) 01:08:18.64
>>563
マルクスの機械論はデカルト的機械論の延長であり産業機構や社会機構の事のようなものですね。
これを理性的に統覚するのが知識人“階級”たるプロレタリアートであり、
歴史の終末点に現れる、と想定される。
予定説的世界観に基づいた一種のメシア的存在と考えればしっくりと行くでしょう。

デカルトの身体論では上述の機械的身体が個人の肉体に限定された形ですが
知覚と理性が交差する場所として設定され、
これによって理性的存在者の世界における領有性が保証されます。
ベルクソンにおける生の哲学はこの身体性をベースに議論を進めていたわけですが
これは哲学上の概念に過ぎず、肉体を担保とした認識テストは無効である、というのが20世紀哲学の結論です。
この時点でドゥルーズの中のベルクソン的身体性の議論は失効し、
身体性に由来する個人の主体性や世界の連続性も動揺します。
572吾輩は名無しである:2012/02/27(月) 01:09:00.57
(続き)
この結果、認識装置から派生する可能態、つまり反復の問題が出現するわけです。
つまり、弁証法的運動ですね。
そもそも、反復とはヘーゲル主義者であるキルケゴールから生まれた概念なので
当然といえば当然の帰結ですけどね。
ベルクソンとヘーゲルを共存させようとするからこういうことになるわけです。

そうなると差異化をめぐる反復運動も認識装置によって駆動される関係性の渦に巻き込まれるわけですが、
であるならば、個別的なものを設定して差異化の拠点を主張する事も無効になります。
というのも全ては言語によって構成される認識装置の働きに過ぎないわけですから。
欲望なるものもこの認識作用のバリアントに過ぎません。
デリダやレヴィナスも確かこのような了解のもとに欲望を扱っていた筈です。

以上の経緯から自己超出としての差異化を標榜する主体とその動機としての欲望、
また、これを拠点とした世界モデルの提示なんかできません。
主体などどこにもないわけですから。
そこで強引に主体性を主張しようとしたら
ヘーゲル右派的キルケゴールの実存(これは神に接続します)か
ヘーゲル左派的マルクス主義(これはボルシエビズム)に落ち着きます。
まあ、そういう意味ではサルトルの正統後継者とも言えますが。
573吾輩は名無しである:2012/02/27(月) 01:11:10.00
>>572
×ベルクソンとヘーゲルを共存させようとするからこういうことになるわけです。

○ ベルクソンとヘーゲル主義者であるキルケゴールを共存させようとするからこういうことになるわけです。



574吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 01:52:53.59
川端康成の映像で・・・

『どこが始まりで、どこが終わりなのかが分からない』なんて三島由紀夫に言われてるけど、
脱構築の議論で、よくありそうな言い回しだな。ま、日本的なものあげればキリないが…
この頃って、もうあったのかなー?ないよな。そこまで進んでないよな。
575吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 02:23:22.74
>>574
色即是空、空即是色
ってことじゃないのかそれは
576吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 03:01:23.92
ポストモダニストがいくらキャンペーンしようが、ポス
トモダニズムは所詮ゴミ
577吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 10:08:08.97
國分
実際、高度経済成長の頃のような正社員はもう無理ですよ。

宇野
そう、無理。だから、派遣やフリーターでもちゃんと生きていけるだけの社会保障を考えるべきなんですよ。
フリーターの夫婦二人が子ども二人ぐらい育てられるような社会にしない限り、日本の人口なんて減るに決まっています。

國分
まさしくそう思います。

國分
ドゥルーズも言っています。思考の始まりには必ずイメージがあると。

宇野
そしてこの、イメージを提出し、個人と世界をつなぐもの、世界との関わり方を考えるものが僕はやはり文学だと思う。
そして、その役目を今日の日本において果たしているのが、AKBであり、仮面ライダーであるというのが、『リトピー』の論旨です。

國分
でも、正直言って、AKBそのものの魅力はまだ分からん(笑)

宇野
國分さん、うちの事務所で上映会しましょうよ、ぜひ。PVを集めた『AKBがいっぱい』っていうの流して、僕がぜんぶ解説します。
もちろん、社会設計のヒントになるからすごい、というのではない。表現それ自体として素晴らしいです。

國分
それを見ると違うの?

宇野
まさに、貨幣とネットワークに吐き出されることによって増幅し、奇形的な「変身」を遂げたイメージの集合です。
変わりますよ、世界の見え方が!
(終わり)
578吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 10:11:37.38
國分さんも大変だなw
579吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 10:20:41.35
ま〜た宇野がやらかしてるのか(笑)
580吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 15:37:06.61
宇野さんの語り、熱い!!!
581吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 17:25:02.54
lethal_notion 國分功一郎
岡田弘/宇波彰訳の『意味の論理学』はなんか最近評判悪いけど、俺は
あれは好きだ。なぜなら日本語として読めるから。一つの日本語として
の一貫性を備えているから。
16時間前 » lethal_notion 國分功一郎
蓮實重彦の『マゾッホとサド』の翻訳が間違いだらけで、たとえば『パ
イドン』が『饗宴』と翻訳されているけれども、それでもいいんだ。な
ぜなら日本語として読めるから。一つの日本語としての一貫性を備えているから。
16時間前
582吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 17:25:51.26
lethal_notion 國分功一郎
俺は著書の『スピノザの方法』で、ドゥルーズ『スピノザと表現の問題』
の邦訳の誤訳をしてきしたりと意地悪なことをしているのですが、しか
し、あの翻訳も日本語として成立している。おそらくは監訳者である工
藤喜作先生は一九三〇年生まれで、やはり受けた教育の質が違うんでしょうね。
16時間前 » lethal_notion 國分功一郎
ドゥルーズの翻訳としてお勧めできるのは、財津理先生の『差異と反復』
と、鈴木雅大先生の『スピノザ 実践の哲学』ですね。特に後者はドゥ
ルーズの翻訳の中で最高のものだと思います。お二人ともフランス語の
質を理解された上で、日本語に翻訳されていらっしゃると思います。
16時間前
583吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 17:27:00.64
lethal_notion 國分功一郎
ドゥルーズで論文書くときは、引用のページ数を邦訳と原典と両方載せ
ないといけないから、両方机の上に置くんですね。で、大抵の場合、邦
訳見て、ものすごいイヤな気持ちになるわけです。日本語が酷すぎるか
らです。
584吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 17:31:38.48
lethal_notion 國分功一郎 @
@pliselonpli 佐藤さんおはようございます。まぁ本文はヒドイものでしたね。仰る通りだと思います。あの人のは『知の考古学』も凄まじい誤訳ぶりでしたし。でも、「構造主義はなぜそう呼ばれるか?」ってフレーズだけはいいですよね。
6時間前
» lethal_notion 國分功一郎 @
@pliselonpli 佐藤さんおはようございます。まぁ本文はヒドイもので
したね。仰る通りだと思います。あの人のは『知の考古学』も凄まじい
誤訳ぶりでしたし。でも、「構造主義はなぜそう呼ばれるか?」ってフ
レーズだけはいいですよね。
» pliselonpli 佐藤 嘉幸 lethal_notionがリツイート@
@lethal_notion 特に、case videという概念を「空白の仕切り」と訳したのはひどかった。「空白の桝目」でしょ。そこを浅田彰が、翻訳の誤訳には触れずにきちんと正していた。
14時間前
» pliselonpli 佐藤 嘉幸 @
@lethal_notion 特に、case videという概念を「空白の仕切り」と訳し
たのはひどかった。「空白の桝目」でしょ。そこを浅田彰が、翻訳の誤
訳には触れずにきちんと正していた。
» pliselonpli 佐藤 嘉幸 lethal_notionがリツイート@
@lethal_notion 國分君、言いたいことはわかるんだけど、やはりあの
「構造主義はなぜそう呼ばれるか?」でよかったのはタイトルだけで、
本文の誤訳の程度は壊滅的だと思うよ。
14時間前
585吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 18:43:58.71
lethal_notion 國分功一郎
論文を書いているストレスからか、ついに翻訳への不満を述べ立ててしまいま
した。ダメなものの話をしても仕方ないからいいものの話をするというのが俺
の基本的なスタンスなんですけど、翻訳は一度やられるとなかなかやり直せな
いからダメな翻訳は出さないで欲しいんです。
17時間
586つくだに:2012/02/28(火) 21:34:23.03
こーくんはいつも熱いな。ひさびさにブログを覗いてみるか。
587吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 22:19:21.51
二年前に受けた講義と大体同じことを言ってるな。
大学の4年間で、提出したレポートにコメントつけて返してくれたのは國分先生だけだった。
588吾輩は名無しである:2012/02/28(火) 22:30:13.70
へぇ〜
589アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/28(火) 23:54:43.91
〉571
とりあえず最初のところに関して言うと、
機構的なものはメカニックで、機械的なものはマシニックという区分があり、
ドゥルーズが欲望する機械という場合はマシニックです。

でこの機械というのはプルースト論で文学機械という表現で既に提示してたもので、
アンチロゴスとも呼ばれていたものですね。
ドゥルーズは失われた時を求めてという作品の中に、
想起や記憶のモチーフを見出すのではなく、
むしろ【習得】というものを見出そうとしている。
そしてまた狂気も。
590アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/28(火) 23:56:16.76
國分の授業を受けた人もいるのかあ。
宇野邦一の授業を受けたという人は知人でいるけど。
591アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/02/29(水) 00:19:26.23
ドゥルーズの機械に関して。
いまプルースト論には確かこういう箇所があった。
『失われた時を求めて』は道具として使えるだけでなく、機械でもあると。
そう述べながらドゥルーズはマルカム・ラウリーの言葉を引き、
作品そのものが機械装置として作動する、というラウリーの意見は、
プルーストのそれとまったく同じだと書いているんだね。
592G ◆vDcOqdC/aA :2012/02/29(水) 09:31:24.27
>>591
ラウリーの「火山の下」、2年前に新訳が出て、すぐ入手したけど、
積ん読のままだ。
593つくだに:2012/02/29(水) 09:40:03.44
>>590
宇野ってその宇野なの?
常寛の方だと思ってたけど
594吾輩は名無しである:2012/02/29(水) 16:26:01.63
595アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/01(木) 00:49:06.67
せっかくだから貼ってある文章から拾っておくと、>>577

>國分
>ドゥルーズも言っています。思考の始まりには必ずイメージがあると。

>宇野
>そしてこの、イメージを提出し、個人と世界をつなぐもの、
>世界との関わり方を考えるものが僕はやはり文学だと思う。

これは非常に安易な会話だな〜。ドゥルーズ翻訳者としてはあるまじき言葉と言っておこうw

ドゥルーズのイメージ(image)は文脈によって大きく変わるから。
64年版の『プルーストとシーニュ』では「思考のイマージュ」という章が結論に来てて、

プルーストの言葉を引きながら、イマージュ(image)はシーニュと結びつくものとして、
肯定的に捉えられてるのに対し、
68年の『差異と反復』では3章に「思考のイマージュ」という章がきてて、
これが上のプルースト論とまったく同じ章題なんだけど、
そこでのイマージュは思考に暗黙の前提をもたらすものとして否定的に考えられている。

そしてドゥルーズは「イマージュなき思考」こそが重要だと書いているんだね。

そして80年代の『シネマ1、2』の映画での文脈になると、
またイマージュというのは、時間や運動と結び付けられた肯定的な概念になる。
こうした文脈による大きな差異への言及なしに、
ドゥルーズにおける「イメージ」というものを語ってもしょうがないんだけどな。
596アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/01(木) 01:04:37.88
〉592
ラウリーは時々言及される作家で、
機械という概念のいくらかはラウリーに負っている感じ。

〉593
ドゥルーズスレでは宇野といえばやはり邦一w
実際にドゥルーズのもとで習って
宇野のアルトーの論文の指導教官だったらしいからねえ。
597吾輩は名無しである:2012/03/01(木) 01:11:17.73
終わりなきパッション デリダ、ブランショ、ドゥルーズ
予価:2,940円 本体:2,800円 ISBN:978-4-624-01185-7 発行日:2012年3月30日
判型:四六判並製 ページ:280 Cコード:C0310
守中高明 著
エクリチュールの経験はパッション以外のものではない――デリダやブ
ランショ、ドゥルーズを援用しながら思考し続けた著者渾身の論文集。
精神分析をめぐる論文、パウル・ツェランや吉増剛造、宮澤賢治、アン
ドレ・ブルトン、ロートレアモンを取り扱った書評や論考、書き下ろし
となる人種主義についての批判的考察を所収。
I 脱構築の射程
 散種としての翻訳
 秘密からパッションへ
 「秘密」をめぐる断片
 場/名
 歴史、断ち切られる空虚
 隔たり・イマージュ・忘却
II 精神分析の余白に
 子供の情景
 アリアドネーの奸策
III 特異性たちのポエティックス
 詩と国境
 声・文法・文字
 二人、あるいは喪の光景
 共―存在の宛先
 弔いの政治
 ブルトンにおける〈近代〉
 怪物の身体
IV 人種主義の問い
 ネイションと内的「差異」
598アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/01(木) 01:18:38.26
>>597
ありがと。とりあえずその本は買おう!
599吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 04:26:47.77
こくぶんに喧嘩を売るアセンション萌え〜!
600吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 12:33:15.64
文学機械という表現を使ったのはなんでなのかなあ
601吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 16:25:02.46
レジャネさん消えた?
602吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 18:26:50.07
誰にも影響与えることもなく死んでいくだけなのにそんなに本読んでて苦しくならない?
603吾輩は名無しである:2012/03/02(金) 18:52:25.46
Gとかアセンションは翻訳の仕事をしてるひとじゃないかなあ。
604アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/02(金) 21:16:45.14
>>599
ツイッターの言葉を拾ってもしょうがないんだけどね。

>>600
プルースト論で使った文学機械という表現は、
カフカ論だと表現機械という形でパラフレーズされてるけど、
作品というものは読解するというより作動させるものだ、という、
プラグマティックな視点がたぶんドゥルーズにはあると思う。

>>601
最近書き込みがないみたいだね。忙しいのかな。
605アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/02(金) 21:25:49.76
>>602
ドゥルーズやデリダだけに限らないけど、
本を読むこと自体にまず喜びがあるけどなあ。
そして強度のある本というのはおそらく
読者の思考のスタイルに何らかの影響を与える。
ドゥルーズ流に言い換えれば、
機械としてテクストが作動すると言ってもいいかもしれない。

>>603
正式な翻訳はやったことがないし、残念ながらその能力もないけれど、
一冊だけ翻訳書のプロジェクトグループにかかわったことはある。
606アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/02(金) 21:33:29.35
まあドゥルーズやデリダなんかの多くの本は、
既存の哲学的フレームで読んでもあまり面白くないんじゃないかな。
本当に推理小説やサイエンスフィクションを読むようにして
ジャンルを考えることなく読んだほうがいいと思うんだな〜。
特に一時期のドゥルーズには従来の哲学を馬鹿にしてたような雰囲気さえ感じるよ。
607吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 00:14:32.55
本読むの辛い
608吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 01:09:47.68
従来の哲学を馬鹿にするなんて従来の哲学者の多くがやってることだろw
609吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 01:10:00.67
>>606
まあ、2ちゃんだかららいいけどさ、バカもほどほどにね
610吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 01:24:03.93
>>607
ゆっくり、焦らず、読め!!!
611吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 02:21:30.96
アセンションが國分とやり合ってると聞いて
どっかでまとめられてないの?
612吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 02:39:03.90
現実がsfっぽいからデリダとかドゥルーズなんかはリアリティーがある。
これはもうしょうがない
613吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 03:58:20.16
文学は哲学に勝ってるってことか
614吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 05:57:27.75
>>611
>>595で國分を批判してた。
615アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/03(土) 11:33:46.90
>>607
確かに辛いときもあるねえ。

>>608
従来の哲学に対して、「対決し、批判する」のと「馬鹿にする」のとじゃ、
ぜんぜん違うと思うよw

>>609
もごもご口ごもってないで、言いたいことは言えばいいのに。
言葉に税金はかからないからさ。

>>611
やり合ってはいないけれどw
616吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 11:43:03.88
言葉に税金掛からないからアセンション國分のブログに書き込んできてよ
617吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 12:23:21.20
ブログに割く時間の余裕がなかったとか言ってる國分の手を煩わせるなよ
618レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/03(土) 13:22:57.47
≫宇野
そう、無理。だから、派遣やフリーターでもちゃんと生きていけるだけの社会保障を考えるべきなんですよ。
フリーターの夫婦二人が子ども二人ぐらい育てられるような社会にしない限り、日本の人口なんて減るに決まっています。

≫國分
まさしくそう思います。

なんとまあ、「生権力」でどんどん行こう、ってんだから。
哲学と政見の不一致のこのはなはだしさ。
つまり、この人たちにとっては、哲学思想なんて、実はどうでもいいわけさ。

619吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 13:35:34.19
>>618
お前は馬鹿だなぁ
620吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 15:26:07.69
>>619
お前の方がバカだよ
621吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 15:38:20.01
>>618
大学2年生かよ、くだらん
622吾輩は名無しである:2012/03/03(土) 15:52:09.92
>>618
レジャネは基本またもなこと言ってると思うけど、
これはいちゃもんにしか見えない。
623レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/03(土) 15:59:57.79
ウィキ「圏論」の項目からの引用。
〈圏論の言葉を使えば、数学の多くの分野の研究からしかるべき圏を作り出し、異なった理論の間に平行して存在する手続きを
統一的に理解することができる。例えば集合、群、位相空間の圏などである。これらの圏は、例えば空集合や 2 つの位相空間の直積など、
何かしら特別な性質を持った「空間」が存在する。しかし、圏の定義においては対象は根源的なものとみなされ、
それぞれの対象が具体的にどんな集合として実現されるのかは指定されていない。そこで、これらの特別な空間についての概念を、
その「要素」を参照せずに定めることはできるだろうか、という問いが生まれる。〉
このスレ的には肝であろうところを、おおざっぱに言ってしまえば、ある集合からほかの集合への関数が大事なんであって、
集合それ自体は、厳密に定義されていなくてもよい、ということじゃないかと思うのですよ(私の理解が、間違っていたら、御免なさい)。
つまり「反復」するもの、あるいは、自体的に反復であるもの、それはイデア的なもの(同一的なもの)ではない、と。しかし、もう一方ではなにかしら、
ヘーゲル的な自許存在(Bei−sich−sein)に類するもの、言い換えると、自己固有性の保証であるような何か、引用で言うところの、
根源的対象であるような何か、それは想定されなければならない、ということになりそうだ、となる。
よくよく言われることだが、カント哲学に言うところの「物自体」というのは、同一律を保証するという格好で、カント的な「感性の形式」と対応している、そうだ。
さて、今日では、カント的な「感性の形式」にあたるものを、いうなれば、古典力学としっくりいくものに限定して考える必要がないのだとしたら、
それについて色んな「モデル」を考案するのは結構なことだとなるかもしれないし、実際そのようにも出来るのかもしれない。
624レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/03(土) 16:03:14.86
とはいえ、そういう場合でも、あくまでも「形式」的なものだし、なにより実感としては、
「自許存在」に類するものは、どっかに確保されている(これは、前に名無しさんが、
「反復」に関して、実存主義的マルクス主義にからめて論じたときにもおっしゃってますね)。
今となっては、むしろ問われるべきなのは、その「実感」をもたらすカラクリほうだと私としては思う。
モデルなんて、ひじょうに気の利いた人なら、あれやこれやと作れるわけですが、
「実感」のほうは、いくら作っても、そんなのまるで歯が立たないぐらい強力にみえるんで。
625吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 01:01:59.06
<レコチャ広場>中国人が南京大虐殺をどう歪曲しているのか、とくと見てみよう―中国
配信日時:2012年3月3日 13時18分
2012年3月2日、中国のジャーナリスト、王錦思(ワン・ジンスー)氏は
「中国人が南京大虐殺をどのように歪曲しているのか、とくと見てみよ
う」と題した記事を中国のブログサイトに掲載した。以下はその内容。

河村たかし名古屋市長が堂々と「南京事件はなかったのではないか」と
発言し、中国各界から怒りと抗議が噴出している。だが、実は中国人自
らが南京大虐殺を歪曲していることは、ずっと見過ごされてきた。まず
はこうしたやり方を直さなければ、われわれが日本人を責め立てること
はできない。
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=59266
626アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/04(日) 12:23:36.25
>>616
俺あまりブログやツイッターは読まないんだよ。
デリダやドゥルーズに関して面白そうな書き込みがあったら紹介よろしく。

>>623-624
ドゥルーズが語る反復というものを考えるためには、
ロゴスに頼って哲学的に、また演繹的に考えないほうがいいと思うんだね。
ドゥルーズの本は非常にロジカルに書かれてはいるけれど、
ロジックというものが語源的にロゴスと密接なかかわりをもとうとも。
それはロゴスに突き動かされたロジックではなくて、
むしろアンチロゴスとしてのシーニュによって作動していく。
これはヒューム、ベルクソン、スピノザを論じたものだけでは把握できないけれど、
『プルーストとシーニュ』を読めばそのへんのことがよくわかるし、
この本は確か64年、70年、76年と3回も版が増補改定されているため、
ドゥルーズの60年代後半から70年代前半にかけての思考の流れも読めてくる。

また『ロジック・デュ・サンス』『ロジック・デュ・サンサシオン』という2冊の書名でも、
ドゥルーズのロジックは感性的・感覚的なものと密接に結び付けられていることがわかるけれど、
いわばパトスと離反しないロゴス、ボンサンスやコモンサンスに基づかないロゴス、
あるいはむしろパラサンスを含みこむアンチロゴスをフォローする「後に来る」ロゴスだけしか信を置かれない。
627アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/04(日) 12:31:04.38
従来の哲学的な枠組みはルプレザンタシオンと結びついたロゴスに頼っていて、
デリダは綿密な読解により、デコンストリュクシオンを見出し、それを実践もするのだけれど、
私見ではロゴスを突き詰めながら、超ロゴス的にロゴス中心主義を批判していき、
いわばロゴスの中へ中へと入り込みながら、脱皮させるようにして脱ロゴス化を図る。
デリダ(の多くの本)は対決や批判というスタイル(特にハイデガーとの)なのもそのせいだろうと。

一方のドゥルーズは、ロゴスの中へは入り込まない。つまり対決や批判が思考の中心にならない。
ドゥルーズのメインスタイルは、使える哲学者だけを取り上げ、使える概念だけを取り出し、
それらの概念をドゥルーズ流アレンジメントを加えて「作動させる」。

だから、デリダのスタイルが否定的に映り、ドゥルーズのスタイルが肯定的に映る面があるし、
デリダの本がビブリオティックだとすれば、ドゥルーズの本はプラグマティックに見える理由、
デリダが超哲学的かつ脱哲学的なヴェクトルを持つとすれば、
ドゥルーズは前哲学的かつ非哲学的なヴェクトルを持つ理由もここにあるだろうと。
628吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 12:37:54.90
イマージュひとつとっても、上げたり下げたりするわけでしょう。
確固とした位置づけがない。評論家だよ。
哲学語をちりばめた衒学的評論。
629アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/04(日) 12:41:08.78
ドゥルーズの概念は文脈によって厳密に規定されているんだね。
ドゥルーズの哲学というのは普遍性のある概念を定義することじゃなく、
「いまここ」という具体的な時空の中で作動できる概念を創造することなんだと思う。
630吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 12:44:35.57
具体的に「いまこの掲示板で」どんな概念が作動するのでしょうか。甚だ疑問。
631吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 13:00:14.34
芥川の「闇中問答」に「僕の教へたのは出来ないことだけだ。僕に出来ることだつたとすれば、教へない前にしてしまつたであらう。」という文がある。
ドゥルーズなんかまさにそれじゃないか。
632レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/04(日) 13:41:57.66
直接性から「原理」的に隔てられている者が、近似法の形式を発展させる、
というような弁証法的思考はダメだ、という見解は、フーコーにあっては、終始はっきりしていただろう。
ドゥルーズ本人のほうは、ちょっと微妙なところがあるとしても、おおかたの「ドゥルージアン」のほうは、
フーコー並みにはっきりしている。
しかし、そう言うときに、よって立つべき所は何処か、という問いは不可避的に出てくる。
さっぱりそういうことを問わないで、たんなるスノッブ気分を謳歌していると、上で孫引きした、國分氏の発言のような、再生産イデオロギー批判なし、
だって僕だってちゃんと年金貰いたいもん、というような旧態依然たるなパターナリズムの再構築でも別にОK、というような、
ポモ的ご都合主義をは一層はびこらせるだろう、と言いたい。
633つくだに:2012/03/04(日) 17:01:15.03
こーくんは老後の事を考えて変な事を言わないのではなくて、ただたんに優等生タイプなんでしょ。
性格も温厚で、顔も正当派美形のたぐいに入るし。みんなそこが好きなんだよ。
つまんないって言う人もたまにいるけど、ジャーゴンなしに専門的な領域を語らせたらすごいよ。
634吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 17:05:17.14
國分には35年ローンがある
635つくだに:2012/03/04(日) 17:14:27.44
え?もう家買ったの?すごい!
636吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 19:20:55.33
國分はいかにもって感じの秀才顔だよね。むしろ理系的な顔。
637アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/04(日) 21:02:32.95
>>630
「いまここ」というのを括弧でくくったのは、これはドゥルーズからの引用だから。
正確に言うと、ドゥルーズが参照してるサミュエル・バトラー(erehwon)からの。
どこにもないユートピックなno-whereそして/あるいはnow-hereなんだね。

それを置いておくとしても、概念を具体的な文脈で考え、概念に特異性を与えること、
これが重要だと思うんだね。反復しかり、差異しかり、イマージュしかり。
そうじゃないと、「ドゥルーズの反復はキルケゴールの反復と同じだ」
「ドゥルーズの差異はベルクソンの差異に還元できる」といったように、
既存の概念との類似性や同一性によって(つまりR反復的思考のもとに)とらえられ、
特異性を薄められた一般的な概念に変質させられてしまうから。

そして、そこにあるのは既存の哲学的概念の枠組みを元に
それをドゥルーズの思考に当てはめようとする演繹的なルプレザンタシオンだろうと。

>>631
それはむしろデリダのほうに感じるなあ。
常に不可能なものと対峙し、不可能性のアポリアの中で耐え忍んでいくデリダの歩みに。
ドゥルーズの場合、その思考の本質的な影響を受けたものなら誰でも今すぐに、
それが充分かどうか、強度がどうかを問わないならば、実践できると考えているよ。

>>632
ドゥルーズ自身、明確に弁証法を批判してるね。
『差異と反復』を読めばそれは歴然としてて、
ルプレザンタシオン(表象)に対する批判は弁証法批判と密接に結びついている。
というのも、テーゼがジンテーゼにアウフヘーベンされるということは、
アンチテーゼを介するにしろ、そこにはテーゼの再-現前(ル-プレザンタシオン)があり、
円環的な紛い物としてのR反復があるから。
638レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/04(日) 21:07:18.97
それは初期・中期でしょう。
東側の崩壊のおりには、自分はマルクス主義者だ、と君子豹変的(実はそうでもないのだろうが)に言っているんだから、
後期のスタンスは微妙、ということになるんじゃないの。
639アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/04(日) 21:39:33.66
>>638
弁証法批判のスタイルは初期から最晩年まで常に変わらなかっただろうね。
たぶんマルクスのプラグマティズムはドゥルーズは昔から好きだったと思うけれど、
おそらく弁証法と結びつけてマルクスを評価してたわけではないだろうと。
正確な表現は忘れたけれど、何かの対談かインタビューで
マルクスを読むべき時だ、というような言葉を語ってたと思うし、
マルクスの偉大さ、について本を書く計画もあったらしいけど、
弁証法とは関係ないマルクスだろうと考えてる。
640吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 21:50:38.09
<nowhere=now+here>という地口は面白いと思うんだけども、「いまここ」は「どこにもない」わけでしょう。
それを「具体的な時空」で受けるのはどうなんですか。
それに「いまここ」が地口どおり「どこにもない」なら、「いまここ」の文脈だってないでしょう。
「いまここ」が特定の時刻と場所をさしてこそ、文脈といえる。
そこらへんを説明しないと、「いまここ」の具体性とか、特異性とか、文脈とか、言ってみても、絵に描いた餅でしょう。
641アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/04(日) 21:56:58.89
>>640
具体的な文脈としての「いまここ」についてさらに具体的に語るためには、
それこそ『差異と反復』を手にとって、序文へと赴かなきゃならないだろうね。
できればサミュエル・バトラー『エレホン』も傍らにおいて。
具体的なものはまずテクストに求める必要があるだろうな。

642吾輩は名無しである:2012/03/04(日) 21:58:53.18
國分は新築の時、地下室つくってそこで勉強してる
ツイッターに書いてた。夏もすずしい
643吾輩は名無しである:2012/03/05(月) 02:25:39.21
Deleuze: Sur Spinoza, séance 1
http://www.youtube.com/watch?v=EK2u798HgK4&feature=related

こういうのがゴロゴロあってすごいな。ちゃんと発音やろっかな。
一からやり直しになるけどしょうがない。
644吾輩は名無しである:2012/03/05(月) 19:21:41.62
645アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/05(月) 20:33:35.92
>>642
地下室の哲学者かあ。

>>643-644
字幕があるといいんだけどねえ。
それにしてもクリストフ・ビダンは早口だなあ。

↓なんかは英語の字幕があるのでありがたい。
Jacques Derrida On The Problematics Of Deconstruction
http://www.youtube.com/watch?v=w9YaNW7Q0c8
646アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/05(月) 22:50:34.31
>>644はアガンベンとデリダも出てるんだねえ〜。
本を映す場合はやはり表紙にnrfの文字があるブランシュ版がいいね。

デリダの新刊ではないけれど、今年に入ってGaliléeから2冊
「Les Yeux de la langue」「Histoire du mensonge」
が出て、Herneからは版を引き上げるんだなあ。
647吾輩は名無しである:2012/03/05(月) 23:20:34.79
Dieu a toujours été l'objet de paradoxes , Deleuze a joué avec ceux ci
pour finalement soulever le caractère intangible de Dieu.

648アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/05(月) 23:31:21.84
>>647
誰の言葉だろう?
649吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 00:13:21.39
youtubeのコメントwです
650吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 01:25:25.30
イクシオンとアセンションを対話させてみたかったな
651吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 02:58:35.03
アセンション本気で仏語やって紹介する側に回ればいいのに。
いい意味でも悪い意味でもこれだけかぶれていれば、いい仕事できると
思う。フランスで埋もれてるままの尖がったその手のものを探す嗅覚も
アセンションみたいなオタクにはお手のものでしょう。日本語だけで
十分なのかな。
652吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 03:27:03.04
>>651
バカもここまで来ると愛おしい
分かってなくても何でもいいんだもんね
2チャンは楽しい
こうでなくっちゃね!
653吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 04:25:27.90
このスレに来るやつらは今世の中で一番あいてにされてない
654吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 12:54:21.54
↑じゃあここに来るな(笑)
655吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 13:06:46.46
ドゥルーズ『シネマ1*運動イメージ』参考動画
http://nam-students.blogspot.com/2010/08/blog-post_31.html

ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』参考動画
http://nam-students.blogspot.com/2011/07/blog-post.html
656レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/06(火) 14:30:53.47
アセンションさんがいうところのR反復というのは、「外延」的な規定を要するということだった。
で、ドゥルーズ的には、外延的規定なきA反復のほうが肝心要の本筋だ、というとしたらば、
国民国家を外延とする(国家の成員を要素とする)ような、昔ながらの福祉主義に対しては、
断固たる拒否の姿勢がなければならない、ということになるだろう。
國分氏の、出産育児への福祉サーヴィスを手厚くして人口増やせ、
人口増やして経済成長率を高めろ、じゃないと、体制維持できないよ、
という主張のどこがドゥルーズ哲学的なんですか?
657吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 18:56:26.19
(放送事故) 西村賢太 いいとも    1/2
http://www.youtube.com/watch?v=iRgD9ybSwbQ


658吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 21:00:10.47
>>645
一介の欧州大陸思想史研究家の国分が哲学者とかw
浅田も柄谷も国分もジャーナリストに過ぎんだろうw
思想家とか哲学者というのは世界的規模で問題にされる人間のことだろうがw
浅田や柄谷、国分が思想家や哲学者なら、日本国民一億全てが哲学者だw
659吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 21:05:11.09
それなら柄谷は十分哲学者だろ
660アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/06(火) 21:09:26.08
>>649
なるほどー。
そのコメンテイターに神=Dieuという単語は要らないよ、と言いたいw

>>651
同じようなことを前に言われたことがあったなあ。
フランスの大学で修士課程を出た人に。
でもまず文学も哲学も語学もアカデミックな場所で学んだ経験がないから
ぜんぜん基礎も何にもないんだよ。
俺は呪われた星のもとに生まれたから無理なんだ。

>>652
俺宛のものに横レスしなくてもいいw

>>656
>「外延」的な規定を要するということだった
まず違っているのは、R反復は外延的規定を要するものじゃなく、
「外延的 en extension 」、なわけです。
で、A反復のほうは、「内包的 intensive」。
前に書いたように、これらの形容は反復の運動の質を表現してるんだけど、
該当箇所の英訳を貼ってしまおう。
661アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/06(火) 21:10:59.67
The first repetition is repetition of the Same, explained by the identity of the
concept or representation; the second includes difference, and includes itself in
the alterity of the Idea, in the heterogeneity of an ‘a-presentation’. One is
negative, occurring by default in the concept; the other affirmative, occurring by
excess in the Idea. One is conjectural, the other categorical. One is static, the
other dynamic. One is repetition in the effect, the other in the cause. One is
extensive, the other intensive. One is ordinary, the other distinctive and singular.
One is horizontal, the other vertical. One is developed and explicated, the other
enveloped and in need of interpretation. One is revolving, the other evolving.
One involves equality, commensurability and symmetry; the other is grounded in
inequality, incommensurability and dissymmetry. One is material, the other
spiritual, even in nature and in the earth. One is inanimate, the other carries the
secret of our deaths and our lives, of our enchainments and our liberations, the
demonic and the divine. One is a ‘bare’ repetition, the other a covered repetition,
which forms itself in covering itself, in masking and disguising itself. One
concerns accuracy, the other has authenticity as its criterion.
662吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 21:28:09.58
まあ、それ読むと、概念を構想中って感じだよねえ。とっかかりをつかんだ程度だよねえ。
663アセンション ◆6vdtYbP/JcEU :2012/03/06(火) 21:33:10.95
661を読んでもらえればわかるように
ドゥルーズは2つの反復をいろいろなアスペクトにおいて対比している。
外延的-内包的という対比もそのうちのひとつだけれど、
R反復はrepresentation negative static extensive material
A反復はa-presentation affirmative dynamic intensive spiritual
などなど…といったように。

で、内包的なA反復が強度に結び付けられるのは、
翻訳語ではわかりにくいけれど、原語を参照すれば一目瞭然となる。
ドゥルーズは「強度=アンタンシテintensité」という言葉をよく使うけれど、
「強度的intensif」という言葉と「内包的 intensive」という言葉を
重ね合わせるニュアンスを与えているんだね。
外へと広がっていくのではなく、内へというかそれ自体において折り畳まれていく運動。
それは差異がn乗される差異化=微分化の運動とも無縁じゃない。
664レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/06(火) 21:48:06.13
外延的だということと、外延的な規定を要すること、これらはどう違うんですか?

それから、いまや、哲学者(ようは哲学教師のことだろう)よりも、売れているジャーナリストのほうが、世間的な意味での地位が高いと思うのは、私だけなのか?
665吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 21:50:47.81
目的はそれだけが取り出されるのならば、生命のない一般的なものに過ぎないということは、
それに向かう意図が、まだ現実性を持たない単なる駆りたてに過ぎないのと、同様である。
そして、むき出しのままの結果はそれに向かってきた動きから離れた屍に他ならない。
―同様に、差異ということは、事柄そのものに属するよりは、それの限界であり、
ことがらが終わるところに存するもの、言いかえれば、事柄がそれでないところのものなのである。
(中略)こうした知識は、当のことがらの中に身を置き、そこで自分を忘れるという態度ではなく、
いつも何か別のものに向かっているのであり、事柄のもとにあってそれに身を捧げてるよりは、終始、
自分自身のもとにとどまっている。―内容と堅実さをもったものに対し、
もっとも容易なのはそれを評価する事であり、より困難なのはそれは把捉することであり、
もっとも困難なのは、把捉と評価とを合わせ、これに表現を与えることである。(ヘーゲル『精神現象学』より)
666レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/06(火) 21:55:46.15
「強度」と内包量の関わりについては、なにもドゥルーズが発明したんじゃなく、
カントが「純粋理性批判」で、とっくに触れていたはずですよ(岩波文庫では、たしか下巻だと思う)。
ついでにいうと、ドゥルーズのいう「イマージュ」にしても、カントのいう「構想力」を、いわば変形したもんでしょう。
まあ、ドゥルーズの書いたものは、べつに聖典でもなんでもないんで、あまりに訓詁学的な話しは、住人の大勢にとって、よろしくないのでは、と思う。
667吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 22:13:54.15
>>664
誰かさんが言ってたよw
2度と読みかえさるべきでない批評家−ジャーナリスト。
ってなw
668レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/06(火) 22:19:19.67
外延量はextensive quantity、内包量はintensive quantityと訳されるが、ウィキ「量」の項目からの引用

〈この言葉(外延量、内包量)は英語では熱力学で使われる示量変数および示強変数と同義語である〉
669吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 22:26:51.71
>>666
確かアルチュセールが『資本論を読む』の序論で
現実のイデオロギー闘争の場においては既存の“観念”を“変型”させて使用すべきである。
しかし、これはあくまで“変型”であり、イデアルなものではない。
といった事を言っていたでしょう?
ドゥルーズは文化闘争の局面でこれをやっているだけなんですね。
ソヴィエト崩壊に際して彼が自分はマルクス主義者だ、といったことは何ら不思議なことではない。
ただ、マルクスやヘーゲル、その他古典テクストに触れた事がない一般読者は
逆にドゥルーズのテクストを聖典化してしまう。
670レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/06(火) 22:39:48.17
名無しさんのおっしゃるとおりなんですよね。
親分のはすみんは、その点では、融通無碍を通り越しちゃって、チャランポランに近いんだけど、
孫世代に近くなると、奇怪なほど訓詁学的なのね。理由はなんなんでしょう、
あるころからの入試制度と塾システムなどのせいとかでしょうか?
671吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 22:52:53.56
>>670
それは単純に哲学の基礎知識がないのと政治闘争というコンテクストが分からないから。
そしたらひたすらテクストを読み込むしかなくなる。
しかし、あれは基本的に古典テクストの引用によって構成されたアジビラに過ぎないのです。
だから、ビラが配布された場を離れては意味など全くない。
それはドゥルーズ本人も自覚している筈です。
あれを“思想”と勘違いして反復的に“読解”しようとするから話がおかしくなる。
國分さんなんてまさにそうでしょう?
あの人は歴史的文脈を読む、といった思想史の基本を抑えていないから
逆に本家帰りをしてしまうんですよ。
というか、団塊ジュニアのフランス現代思想系の研究者はみな似たようなものです。
受験勉強の延長で思想(や政治)を捉えるからこういう事になる。
まあ、日本列島の一歩先では絶対に通用しませんけどね。
672アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/06(火) 23:09:48.22
>>664 >>666
「外延的」という言葉ひとつとっても、
ドゥルーズ流の定義において把握する必要があるんだね。
カントがベースにあることはドゥルーズを読めばわかるよw
というかドゥルーズはいろいろな哲学者から概念を借りてるけど、
そのことはわかるように書いてあるし、問題はそこじゃない。
それに仮面をつけ、ずらし、新たな文脈のもとに置き直しているから、
「これはカントだ」「これはスピノザだ」「これはベルクソンだ」
「これはマルクスだ」「これはアルチュセールだ」
というだけの段階では、ドゥルーズを読んだことにはならないんだよね。
「ミステリー」としてドゥルーズを読む楽しみはその先にある!

既存の哲学的概念の枠組みで演繹的に考えること(この思考がR反復的思考)。
既存の概念に還元しようとすることがルプレザンタシオンなわけで。
ドゥルーズのテクストの読解という具体的な経験から
帰納的にドゥルーズの概念を把握しなくてはならない(この思考はA反復思考)。

というのも、『哲学とは何か』で語ってるように
ドゥルーズにとって哲学とは「概念の創造」だから。
673アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/06(火) 23:18:27.11
哲学は「概念の創造」だとドゥルーズは語ったけれど、むしろ私見では、
もう少し文学的な読み方をしないとドゥルーズの肝は把握できないと思うよ。
ミステリーとして、サイエンスフィクションとして読むこと。

たとえば661の文章のこの部分。
the other a covered repetition, which forms itself in covering itself,
in masking and disguising itself. One concerns accuracy,
the other has authenticity as its criterion.

おのれを装い、仮面をつけ、偽装しながら、おのれ自身を形成する着衣の反復。
このシミュラークルのスタイルこそはドゥルーズの思考そのものを表していると思うな。
674レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/06(火) 23:20:17.07
アセンションさんの云わんとするところは分かった。
まあ、お互いに何回もおなじような話をしているからね。

それはさておき、私が上で触れた國分さんの(相槌という格好ではあるが)ステートメントはどう考えるの?
私としては、たんなる社民思想にドゥルーズ云々といって粉飾しているだけじゃないかと思うのだが。
哲学的知見と政見とが、こうまでかけ離れていてもいいもんですか。
675吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 23:26:44.39
ジャネットさんの女装癖のつぼにハマったみたいだねえ。
676吾輩は名無しである:2012/03/06(火) 23:29:52.21
>>673
それって、存在=実体としての側面と解釈によって変わる存在者としての側面の話にとても似てるきがするんだけど。
仮面=解釈されることであらわれる存在者、着衣をしなければ自分自身を形成できない存在そのもの。
どう違うのか教えてほしい。
677レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/06(火) 23:38:08.44
まあ、アリストテレスの著書といわれるものにしたって、元はアジビラ的なもんでしょう。
マケドニア帝国の覇道によるギリシヤ本土支配を正当化・正統化するために、
大王の先生であるところの帝国の教師が、大演説ぶった、という面が少なからずあるはずだろう、と。

以上は、だいぶ前に映画スレで、ストーン監督作品「アレクサンダー」に触れた時に書いたの「反復」です。
678レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/06(火) 23:46:25.64
ミルプラトー=ミルマスカラス主義
679アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/06(火) 23:47:15.53
>>674
うーん、國分の本を読んでないのでまだあまり関心が持てなくて。

>>676
ハイデガーの存在論的差異を念頭においているのだったら、
ドゥルーズの文脈はそれとはちょっと違ってくると思う。
2つの反復(裸の反復と着衣の反復)を存在と存在者に分けるよりも、
存在者の生の様態としての運動の2つのタイプと捉えたほうがいいと思う。
ただ、存在ということをドゥルーズ的に語るためには、
スコトゥスを援用した「一義性」にも触れないと難しいね。

>>671 >>677 に書いてあった「アジビラ的」という形容は、
多かれ少なかれドゥルーズのいくつかの本にはあると思うけれど、
ただ狭義の政治的な文脈におけるものではないのは確かだと思う。
もし政治的という言葉を使うなら、その概念をかなり変形させなきゃいけない。
680アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/06(火) 23:48:39.39
>>678
千葉さんはミルフィーユだからミルプラトー的なのかなw
681レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/07(水) 00:57:46.02
しごく雑に言うなら、カントの云う「構想力」(想像力)というのは、
感性と悟性とを「架橋」するものだといえるだろう。ハイデガーはこれを、
感性と悟性が(いわば幹のようはものとして)生じるところの「根」
(もちろん地下茎とはいっていない)のようなものが構想力だ、
と読み替えている(「カントと形而上学の問題」など)。
そして、「判断力批判」になると、構想力と悟性の「遊動」というのがでてくる。
この「遊動」なるものにはよいところがある。それは、構想力の与えるものは、
ときとして(純粋悟性概念である)カテゴリーへすっかりはおさまらない、いわばズレがでる、
そういう場合にこそ「美感・美観」が生じる、ということだろう。
いうまでもなく、「判断力批判」では、美的判断は目的判断と同等のもので、
これが統制的に働くというのだから、「差異」を重視する美の思想(あえて美学とは言わないでおく)は、
(「近代の大哲学者」のなかでは)カントに始まると言ってよいのではないか。
ハイデガーのほうは、この「遊動」を与える何かを、おもに詩的言語に求めたが、
ドゥルーズのほうは複製技術全盛の息子世代ということもあって、おおくは映像などに求めた、
とはいえないか。ただ、ベンヤミンみたいな人だっていたわけだから、世代的な違いはあまり関係なく、
出身階級(ドイツの下層階級とフランスのプチブル)の違いなんかが、あんがい大きかったかもしれない。
(たとえば、ハイデガーは子供の頃に一家で映画を見に行くような育ち方をしてないだろう)
682吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 06:48:00.20
アセンションはツェラン買った?
683レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/07(水) 13:07:36.42
ドゥルーズの「美」は、美しくない美、みたいなところがある、というのは浅田の言。
しかし、ハイデガーの「美」のほうも、なにも美々しいわけではなく、いわゆる「不気味なもの」に近い。
これに関しては、プルーストスレで、Gさんが引用している。
ベンヤミンも写真に「不気味なもの」に類するものを求めている。
バルトの「プンクトゥム」(だったか?)というのも、ベンヤミンに近いだろう。
ついでに、サルトルの「嘔吐」でも、もよおさせるものは、マロニエの根なんである。

私としては、上のような「不気味なもの」偏重のところが、このおっさんたちの思考の限界じゃないのかと思う。ようするに古いんである。
デリダは少し違うところがあるし、アメリカ人たとえばソンタグなどの「美意識」には、ずっと新しいものがあったような気がする。
四方田犬彦はソンタグ死去のおり、(たとえば)クリステヴァのような「理論」的であろうとする面がなかった、ソンタグには敢えてそうしない賢明さがあった、と述べていた。
その通りだと思う。
684吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 13:39:07.91
>>682
横レス、失礼します。
『ツェラン詩文集』?
それとも、
『ツェラン全詩集・全3巻』?
685676:2012/03/07(水) 16:27:21.95
>>679
だからさ、その一義牲っていうのはまさに全てのものがそこから発生するスピノザ的な根源なわけじゃん。
反復の2つのタイプっていうのは、強度としての内なる差異をもった反復と普通の意味での一般性ってこと?
この二つは区別しようとおもえばできるけど、それほど大した結論に結びつかないような気がするんだよ、俺は。
だって強度の違いとしてあらわれるものだって結局は解釈なんだから。
686レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/07(水) 17:52:17.05
クリステヴァの「サンボリック―セミオティック」の図式なども含めて、
いわば言語化される前の「欲動」の働きの記述、前−意識的なもの、いわばメタファ―的結合態としての「身体」(カッシーラー曰く「概念は隠喩の残滓」)
こういったものを対象とする「理論化」というのは、ほとんどロマン主義的な問題意識への拘泥だろうと云いたい。
逸脱、外部、夢、狂気、暴力、性、(一般語としての)無意識、(分身的な)他者、そして、死、
こういうものは総じて、ロマンティークの主たる関心領域だろう。しかも、理論化の手法は、どう強弁しようとも、ほぼ例外なく還元的にみえる。
なお、ウィトゲンシュタイン曰く「これまで(近代の)哲学と呼んできたものは心理学のこと」
687吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 19:36:39.53
ドゥルーズアジびら説はスガちんのパクリ
688記憶喪失した男 忍法帖【Lv=9,xxxP】 :2012/03/07(水) 20:27:33.91 BE:2737416858-2BP(3)
横からすいません。

おれはSFは哲学より哲学していると思って、SFばっか追いかけていたのですが、
そのおれには、このスレの話はまったくわかりません。
SFを専門とするおれが、どの程度、このスレで通用するか試したいのですが、
何か議題はありませんか?

おれには、今、何が議題なのかすらわかりません。
689レディー・ジャネット ◆u.wzZ3T6XBeF :2012/03/07(水) 20:53:56.96
記憶さんがSFを読んで面白いと思った問題を、議題として提起したほうが、かえっていいのじゃないの。
そのほうが、話に広がりが出てくるから、住人の多くが乗ってくるんではないだろうか。
690記憶喪失した男 忍法帖【Lv=9,xxxP】 :2012/03/07(水) 21:03:24.44 BE:4927349489-2BP(3)
おれの選んだSFの最高峰を三つ紹介する。
おれが二十世紀の十大小説にこの短編SFを三つとも入れている。

「時の門」ハインライン 短編集「時の門」収録。
因果が輪をつくるという時間SFの定番の元祖である。1940年初出。

「ジャックポット」シマック 短編集「大きな前庭」収録
最も発達した知性は、すべて同じ思考をする。そのため、個性をもつため、
銀河の最高知性から逃げ出す話。

「巣」スターリング 短編集「蝉の女王」収録
知性をもった文明は必ず滅亡する。だから、知性を持たない生物に文明を築かせた。
知性は、その生態系が危機に陥ると、発作を起こし発現する。

以上、すべて絶版。
691レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/07(水) 21:11:22.92
2,3の作品にある発想は素晴らしいよね。
とくに、知性が発作だ、というのは素晴らしい。さすがはスターリングという感じですか。
しかし私は、一つも読んでいないのであった。
692記憶喪失した男 忍法帖【Lv=9,xxxP】 :2012/03/07(水) 21:12:30.47 BE:2737416285-2BP(3)
デリダやドゥルーズとどっちが賢いですか?

おれはSF作家の勝利を信じて、今まで生きてきました。
693吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 21:13:25.28
SFで「知性」というと、やはり文明と結びつくんだね。
人文系で「知性」というと、文化と結びつく。
694レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/07(水) 21:15:56.79
一流SF作家のほうが、有名哲学者よりも、あきらかに頭いいでしょう。
とくに「地頭」は、段違いにいいと思う。
哲学者が当代一流の「賢人」だったのは、ライプニッツ、あるいは大目に見ても、カント、ヘーゲルまでじゃないですかね?
695記憶喪失した男 忍法帖【Lv=9,xxxP】 :2012/03/07(水) 21:18:11.83 BE:1847756939-2BP(3)
>>693
SFで知性を文化と結び付けるのは珍しいね。
宇宙人と交流するから、地球文化は全部、同じ地球文化なんだよ。
欧米の神父さんで、SFを布教すれば人類は平和になるといった人もいるよ。
696吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 21:19:57.19
>>687
えっ!!あの人はそんな事を言ってたんですか?
個人的にはScritti Politti (政治的文書)を崩して書いたつもりなんですけどね。
つまり古典哲学の概念をサンプリングミュージックにも似た仕様で流布させた、という意味合いです。
697記憶喪失した男 忍法帖【Lv=9,xxxP】 :2012/03/07(水) 21:20:32.02 BE:1231838036-2BP(3)
>>694
安心しました。他のアイデアもたくさんあるんですがね。
どれがいちばん尖ってるかは、判断が難しいです。
698吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 21:25:07.58
このスレ的にはチャペックの『ロボット(R.U.R)』やレムの『ソラリス』
あるいはディックの『ヴァリス』とかが流れに合っているんでしょうかね。
699記憶喪失した男 忍法帖【Lv=9,xxxP】 :2012/03/07(水) 21:28:27.20 BE:1847756939-2BP(3)
「ロボット」は実はまだ読んでないのだ。
700記憶喪失した男 忍法帖【Lv=9,xxxP】 :2012/03/07(水) 21:35:51.35 BE:1642450346-2BP(3)
四番目に出したいアイデアは、漫画の「銃夢」ですね。無印の方です。

オチをネタバレします。
脳だけ生きのびて機械の体を手に入れた女の子が、空に浮かぶ都市ザレムに行くことを目指すのですが、
ザレムには機械ではなく生身の人たちがいて、地上を支配しています。
ザレムの支配を崩すためにザレムにたどりついた主人公のサイボーグは、
ザレムの人々がみんな大人になると脳を電子チップに置きかえてしまうことを知ります。
「それって人間なのか?」ザレムの人々は自分たちが脳をなくしていることを知りません。
701レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/07(水) 21:39:10.62
ちょっと思い出したこというと、あのマーヴィン・ミンスキーなんて、
チャペクに会ったとき、感激のあまり口きけなかった、みたいなこと書いてたね。
702アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/07(水) 21:40:40.09
記憶喪失がいるなんて珍しいw
ロボットという言葉はチャペックが作った造語なんだってね。

レムだと『浴槽で発見された手記』が好きだな。
『完全なる真空』なんかも笑えて楽しかった。
ディックもいいし、バラードもいい。
別のスレで『ヴァーミリオン・サンズ』がイマイチって書いてあったけど、
結構良かったけどなあ。
703レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/07(水) 21:49:05.39
バラードは好きで結構読んでいる。私の場合、あの「文学」っぽいところが好きなんだろうから、
これはつまり、いたって頭よくないということになるだろう。
SF的ではない「奇跡の大河」が一番好きだし。ところで、その作品のヒロインのヌーン(ヌバ族-だったと思う-の少女)
は、いま思えば、デビュー当時のリアーナのイメージなんだよ。
とはいえ、全てむかしのことざんす。
ところがバラードは、私の嫌いなボードリヤールを買っていたんだよな。
だから原点だね。
704レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/07(水) 21:51:08.82
↑原点は減点に訂正
705アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/07(水) 21:53:08.83
ドゥルーズって俺は哲学じゃないと思って読んでるのは前に書いたけど、
読んでてところどころ笑っちゃうんだよね。
スピノザの仮面つけてこんなこと書いてやがるwとか、
ニーチェのひげをつけてこんなことやってるよwとか。
私見では、笑いながら読むのが強度ある読み方なんじゃないかと思うねえ。
ある種のミステリーやサイエンスフィクションとさして変わらないよ。
706吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 22:03:44.02
SF好きのドゥルーズは「知性」をどう捉えていたんだろうねえ。
概念の”消費”といわず”創造”というところに、SFにおける文明とのからみはないんだろうか。
707吾輩は名無しである:2012/03/07(水) 23:31:52.78
鮎川信夫さんは、『ET』を、馬鹿にしてた(笑)。
吉本隆明さんは、『ET』で、感動して、泣いた、っちゅう(笑)。
708アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/07(水) 23:36:58.55
ドゥルーズは反知性主義者のプルーストが好きだし、
ロボットという造語を作ったチャペックも
ドゥルーズ的な概念の創造といえるかも。
709アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/07(水) 23:40:26.27
>>682
2月に出たばかりのやつはまだ買ってなかった。
でも前にツェラン読んだことあるよ。
デリダのシボレートも読んだし、ブランショのツェラン論も読んだよー。

>>685
スピノザ経由のスコトゥスの援用だよね。
存在の一義牲は『差異と反復』の結論にかかれてて、
その手前に第3の反復についての面白い記述が出てくる。
ここは説明しちゃうとミステリー的に面白くないんで、
ぜひ読んでみてほしいところだね。
あと『意味の論理学』の25セリー。

>>687
確かにスガあたりが言いそうw
710レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/07(水) 23:52:15.70
「概念の創造」というのはせめて、良かれ悪しかれ、マルクス、フロイト、ソシュール、この云わば巨匠レベルの人の仕事を言うんだと思うのだな。
ミンスキーはたとえば、AI研究の父はフロイトだ、といっている。
その前にフォン・ノイマンにしても、完全な人工知能を作りたかったら、男女の別が必要だろう、とフロイトを援用して(半ば冗談だが)言っていた。
ほかの二人も、影響力からいえば、ひけをとらないのは言うまでもないだろう。
上の人たちと比べると、ハイデガー、ウィトゲンシュタインすら、やや小者の感があるんであって、
私としては、ドゥルーズあたりは、悪いけど、パンクにみえちゃわないかい。
696名無しさんの云う「サンプリング」を主な手法とする人を、「オリジネイター」たる巨匠とは、やはり呼べないんじゃないか思うもんである。
711吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 00:00:00.53
ジャネットさんの言うとおりでしょうねえ。
概念の創造が、ニーチェの「生成する文化」あたりから来てるとしたら、創作の意になってしまう。
創作はおおいにやるべきですが。
712アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/08(木) 00:07:38.71
>>710-711
ドゥルーズの「概念の創造」にはオリジナリティの主張なんてないよw
読まないとそういう単純な勘違いが起こっちゃう。
シミュラークルによってオリジナルを批判したのがドゥルーズだから。
713吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 00:10:31.61
ポスモダも底割れしちまったな(ボソ
714吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 00:14:48.11
オリジナルを批判しつつ「創造」という単語を使うのはなぜかって話でしょう。
715アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/08(木) 00:15:07.23
ミステリーを読んで「犯人はやつだった」という結論だけを取り出す人間はいないし、
ドゥルーズやデリダの本もいっしょだと思うんだねえ。
特にデリダなんかはミステリータッチで書かれているから
読書というのが非常にスリリングなものになるよ。
『時間を与える』なんかは特に。
716吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 00:22:06.69
示し得るのは語り得ぬものだけである(ボソ
717吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 00:32:59.54
つまりね、わからないのは、<オリジナル/コピー>、<生産/消費>、<独創/借用>という一連の対の後のほうを強調する流行に属してたわけでしょう。
そこへ突然ぽこっと「創造」なんて単語が出てくるのは不思議だなっていう話なんですよ。
精読してないからわからないんだろうけども。
718レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 00:34:09.74
ドゥルーズを読んでない、と私のことを言いたがる人が何人かいるんだが、
(全部翻訳でだが)もちろん何冊かは読んでるんだよ。妙にしつこいんだよな。
アセンションさんみたいに、座右の書じゃないんで、大雑把なのをつかまえて、
そういうこというのは、よくないね。
そもそも「差異と反復」にせよ「アンチ・オイディプス」にせよ、濫読気味にたくさん本読んでないと、ほとんど意味わかんないよ。
名無しさんの云う通り、あらかた「サンプリング」なんだから。
だから、仏文学者が、評論家に、総合的な理解度で負けるんですよ。
はっきりいって、ドゥルーズの本に関する根本的なところの理解度で柄谷に勝てる仏文学者を見たことない。
719アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/08(木) 00:40:56.49
>>717
まず<オリジナル/コピー>の後者をドゥルーズは持ち上げてたわけじゃないよ。
起源としてのモデルなんてない、起源には差異しかない、というか、
差異化の運動だけがある。反復されるのは異なるもので同じものじゃない。
だからオリジナルもコピーも両方ないシミュラークルの世界なんだね。
創造は無からの創造ではないし、差異と反復によって生まれる。
ただし、そこでの反復は特異性と強度をもたらす反復だということになると思うんだね。
720アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/08(木) 00:42:56.65
>>718
読んだけど読めてなかった、ということかもしれないね。
ちょっと厳しい意見かもしれないけど。
721アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/08(木) 00:46:22.93
ドゥルーズは非哲学的な思考を常にしてきた哲学者、ということで、
知に頼らずに文学的、むしろ芸術的に読んだほうが「その可能性の中心」を
ばしっと捉えられると思うなあ。
722レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 00:49:47.44
起源には差異しかない、あるいは、差異のみある、いかに言おうと、
ある種の「絶対差異」みたいなものが「根源」に類するものとして出てくるわけよ。
いうなれば、これは哲学の宿命でしょう。

なんで日本にドゥルーズ好きが多いかというと、内省的かつ世俗的、というような人が多いからだと思うよ。
だから、あるていどは心理主義的で、しかもポップなところがあるドゥルーズにいくわけよ。
それには、知的中産階級親核家族親は教育熱心一人っ子大衆文化にどっぷり、こういう背景があるでしょう。
723レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 01:01:08.79
前にも言ったが、学者が芸術家ぶったって格好つかないっての。
たんに学問としては役立たずなんで、そうやって組織を延命させようとしているだけさ。
しょせん小役人の格好つけにすぎない。
724レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 01:06:03.78
だいたいドゥるーずの著書なんて、読めてる、読めてない、なんていうほど難しいもんじゃないでしょうよ。
アセンションさんは、なんか勘違いしてるよな。
725685:2012/03/08(木) 01:38:57.41
>>709
とりあえずそれじゃあどういう反論なのかもわからないので、ちゃんと主張もしくは反論をしてほしい。
反論のポイントとなるドゥルーズの記述があるならせめて引用してくれよ。
俺はドゥルーズをミステリー的に楽しもうとしてるんじゃなくて、哲学の理論として考えようとしてるんだから。
726レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 02:33:12.72
あまりに云われつけたことを繰り返すのも嫌なんだが、
差異しかない、差異のみある、などという哲学というのは、
ど真ん中に同一性の哲学がそびえたっていてこそ有意義なものなんでさ。
日本なんて、もともと差異しかない、差異のみある、みたいな文化なんだから、
だったらポチ保守思想にしかならんだろう、というのは、しごく適切な見方だった。
ドゥルーズ的「生成」にしたって、老荘やら悉有仏性みたいなもんでしょう。
そういうのは、朱子学やらの体系知と比べれば、「やまとごころ」に近いんで許せる、みたいに宣長がいったもんです。
727吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 02:56:56.37
アセンションはただ利口ぶりたいだけだというのは昔から
だから相手が諦めて(呆れて?)引いて最後に自分が上に立つまでしつこく頑張る
それを承知で時間潰ししてるんでしょうが
あほか
728吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:06:11.99
>>726
素人の勝手な意見だけど、ドゥルーズの差異って、ど真ん中に同一性の哲学が聳え立っていてこその有意義ではないと思うよ。
問題は同一性じゃなく、一神教を受け入れるかどうかだと思う。同一性の問題というより、西洋の神の問題なんだと思うな。
俺は哲学の事全く知らないから、哲学の用語知らないし、突っ込まれても答えられないけど、
ドゥルーズは同一性が根っこにあるんじゃなく、神とか法とかについて、何て言うの、もっと多様なものだって言ってるってか、
そこにあるのは差異だって言ってんだと思うよ。哲学の事全然知らないから、適当な言い方してるけど、勘弁ね。
ここらへんは佐々木中って人が良く理解して、本に書いてると思うな。だから、ドゥルーズについては、俺は佐々木中の本(夜戦と永遠とか)を読めば良いと思う。
哲学の用語とか知らないんで、適当な言い方してるけど、突っ込まないでね。
それに、そもそも、俺、國分功一郎って人のドゥルーズ理解は怪しいってか、全くダメだと思うな。東浩紀との対談見て思った。全然読めてないって。
ドゥルーズ読んで、欲望ってのが何なのかハッキリさせてないから、ドゥルーズ=ガタリは駄目なんだだとか言い出すなんて、
変だよ。ドゥルーズ読んだら、欲望とか、どうでも良いって思えてくるんだと思うけどな。
それに、哲学は分析道具に過ぎないとか言うなんて、どうかしてると思う。哲学者が言う言葉じゃないよ。ま、東浩紀のデリダ理解はもっと怪しいけどw 
729レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 04:14:53.17
いうなれば、存在―神ー論、というのが、同一性の哲学、言い換えると、従来的な形而上学のことですから、
名無しさんの言われたことは、私の言ったこととまるで食い違ってません。
730吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:23:57.20
>>729
728です。うん、言ってる事は分かります。でも、それをドゥルーズは同一性の哲学とは呼んでいない、
ってか、それは同一性じゃないって言ってるんですよ。根っこは同じだから、ドゥルーズも同一性の哲学って言って良いって事になったら、
ドゥルーズなんてゴミ、カス、意味ねえ事ばっかホザイてる馬鹿って事になります。彼は同一性ってのを否定してるんです。根っこは同じでも、
彼はそれは同一性じゃない、違うって言ってるんですよ。自分でも上手く言えないけどw
731吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:25:52.02
>>728
東浩紀のデリダ理解っていつも批判に晒されてるけど
彼以上に理解してると思える意見を2ちゃんではきかない
まあ、2ちゃんはルサンチマン渦巻く肥溜めだからな
だいたい分からないけどなんか言いたいヤツのための場が2ちゃんなのでヨシ!
732吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:27:23.90
あ、そう言えば、amazonのレビューで誰かが、ドゥルーズは生の哲学者のベルクソンを差異の哲学者だって、
わざと誤読して有名になったんだから、それがドゥルーズも持ち味だって言ってたんですよね。ドゥルーズは彼の本の中でも、
あえて誤読しろって言ってますよ。ようは、誤読なんです。誤読するのが重要。
733吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:28:09.92
732を書いたのは728です。
734吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:29:31.13
4 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 無我は知識ではなく知慧, 2012/3/4
レビュー対象商品: 無我の見方 (「私」から自由になる生き方) (単行本)
月例講演会の該当テーマのものを書籍化したものです。
私は実際にその場にいたわけではないので真偽の確認は出来ませんが、その講演会当日、法話の前にお経や
慈悲の瞑想をしてからという進行ですが、慈悲の瞑想が終わった際に、長老が「話(法話)を聞くより慈悲の
瞑想をするほうがずっと大事です」とおっしゃったそうです。
おそらく、真剣に慈悲の瞑想をされていた方が少なかったのでしょう。
月例講演会に参加される方はある意味意識の高い方々だと思いますが、そんな方々の中でも真剣にされる方
が少ないのが現実です。
大事なことなので何度でも書きたいのですが、仏教は知識の世界ではなく、知慧の世界です。
瞑想を始めとした実践が伴わず、知識ばかり詰め込むように仏教を勉強されると寧ろ逆効果になる可能性も
あるので、その点は甘くみずに精進されると良いと個人的には思います。
下手に知識があったり、仏教暦が長いとプライドが高くなり素直に意見を受け入れなくなるのでその点は注
意が必要です。
735レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 04:29:34.77
揚げ足取るつもりは毛頭ないのですが、
私の理解だと、ドゥルーズは、いっさいを否定しないんですよ。

それはさておき、差異の哲学、ということなら、考えようでは、カントからずっとそうだった、
ともいえますから、結局どういう言い方するか、という問題に過ぎないでしょう。
つまり好みの問題。
736吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:33:27.37
>>731
728です。だって、東浩紀って人、デリダが書いてない事を、デリダが書いてるって言うんだもん、
駄目に決まってるじゃないですか。彼以上に理解してる人なんか探すより、デリダ本人の本を読み込めば良いじゃないですか。
そしたら、東浩紀が間違ってるって分かるから。俺は何がどう間違ってるのか説明する能力ないんで、突っ込まないでください。
とりあえず、東浩紀よりデリダを理解してる人を探してるなら、佐々木中を読んでください。彼は直接的にはデリダに言及してないけど、
ちゃんと理解してますよ。だって、デリダだってドゥルーズと同じ様な事言ってんだもん。ドゥルーズが読めてるから、デリダも読めてるんですよ。
737吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:35:27.61
プロになれなくて少年野球で偉そうにする結局はド素人野球好きと同等のたわごとの集積
むなしいね
738吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:38:31.79
>>735
728です。一切を否定してないってどういう事ですか? 同一性を切り捨てなきゃ、差異が成り立たないでしょ?
否定って言葉の定義は、とか言わないでくださいね。俺が否定って言ったのは、ただたんに、ドゥルーズは同一性じゃないってだけの事だから。
哲学の素人なんで、正確に言葉を使う事が出来ないんで、揚げ足取りしないでください。
739吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:41:59.64
>>736
>彼以上に理解してる人なんか探すより、デリダ本人の本を読み込めば良いじゃないですか。
「彼以上に理解してると思える意見を2ちゃんではきかない」
の反論になっていない
むしろ補強する書き込みになってしまっているだろが
740レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 04:42:22.50
切り捨てる、っていうのは、名無しさんのおっしゃるとおり否定でしょう。
ドゥルーズは、肯定しかしないんですから、当然のことながら否定をしないでしょう。
741レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 04:46:20.83
東ってフランス語出来ないんじゃなかった?
でも、頭はいい人だと思う。「研究者」なんかよりも、はるかにいいのは間違いないんじゃないか。
742吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:47:40.14
rero70 レロ shinichiroinabaがリツイート
これめっちゃ重要やん…!RT @sooooh_hirano:ツイートを学術論文で参
照文献として表記するスタイルをMLAが発表 
http://current.ndl.go.jp/node/20330 「ラストネーム, ファーストネ
ーム (ユーザー名). “ツイート本文.” 日付, 時間. Tweet.」となる。
3時間前
743吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 04:52:55.95
制度の力を分からんやつは自分の無知ゆえに制度に媚びている
2ちゃんはその傾向が顕著なのでおもろい
頭の良い悪いをいってるやつほど頭の悪いヤツはいない
疎外されてる人間の褒められたい可愛がられたい評価されたい2ちゃんでもいいから
って欲望ね
744吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 05:00:08.78
>>740
728です。待ってよ! ドゥルーズの本で書いてる肯定ってのと、俺の言った同一性の否定ってのを一緒にしないでって、
さっき俺は書いたんだよ。俺が否定って言ったのは、ただたんに、ドゥルーズは同一性じゃないって事を言っただけなんだから。
それにね、ドゥルーズは肯定しかしないってのも、違うと思います。彼の言う肯定は否定なんですよ。でも、これは俺の言った
同一性の否定って話とは関係ないんで、無視してください。とりあえず、俺の否定はドゥルーズの言ってる否定とは関係ないです。
ただたんにドゥルーズは同一性じゃないって言いたかっただけ。
745レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 05:02:43.62
プロ野球選手には憧れる人多いだろうが、
文芸評論家や哲学の先生に憧れる人は、ごく少ないだろうから、
あまり説得力はないような気がするかな。
746レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 05:05:56.55
ドゥルーズのいう「肯定」が否定だというのは、まったく我が意を得たりで、同感の極みです。
アセンションさんというスレ主がいるときに、また書いてください。
747吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 05:07:26.43
そのあまり世間的には憧れないものにさえなれない悲哀
748レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 05:13:24.80
なりたくもないものになれない悲哀、というのはないんじゃないの?
遊びだからそこそこ面白んであって、駄弁つらねるのなんて、仕事だったら詰まんなくなるでしょう。
辛くなるんじゃないですか。
749吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 05:20:35.48
あたまわりいな
野球の譬えさ
遊び遊びというなら遊んで暮らせるほどになってみろってことさ
750レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 05:22:09.39
いちおう今は遊んで暮らしてる。
751吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 05:23:51.40
哲学ないし文芸評論という遊びでか?
そうは思えんね
752レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 05:25:41.52
そういう意味ではないよ。
753吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 05:33:09.24
>>750
レジャネさん、羨ましい^^
みんな、遅くまで、起きてるんだね。
754吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 05:34:39.76
>>746
728です。「ドゥルーズは、肯定しかしないんですから、当然のことながら否定をしないでしょう。 」って、ジャネットさんは書いたじゃないですか。
それなのに、なんで、「ドゥルーズのいう「肯定」が否定だというのは、まったく我が意を得たりで、同感の極みです。 」なんですか? 良く分かりません。
それに、何度も言うけど、ドゥルーズは同一性じゃないです。
だから、ジャネットさんが「同一性じゃない」って事に対して、「ドゥルーズは、いっさいを否定しないんですよ。 」って反論して来るのは良く分かりません。
それに、これはただの素人意見だけど、アセンションさんのドゥルーズ理解はもの凄く正確だと思います。
最後に、ドゥルーズはただ「サンプリング」してると言うより、色んなものを引用しながら、わざと「誤読」してるんだと思います。この誤読部分を読まないと、
サンプリングに見えてしまう様な気がします。詳しい事を説明する能力はないので、ここらで失礼させていただきます。
755吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 05:35:26.08
やっぱ2ちゃんはセンスないわ
しかたないわな
邪魔して悪かった
ただこれでけ言っておくわな
暇つぶしでスレだけ伸びればいいってわけじゃねーだろ
本当に撃つべきもの(言い方が古いな)を感じてるかどかが、こんなところにはもうないのさ
下層の質がこれではもっと底があるな、今後
そのとききに思想がどうするかだわな(いまだに実存かよ)
756吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 05:45:35.79
おまえらって文学楽しい?
なんつうか生産性ないし役に立たないニートしかいないような気がするよ
757レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 05:46:34.08
面白くて、朝までやってしまいました。
いかに暇人とはいえ、さすがに寝なきゃなりません。
では。
758吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 05:48:11.46
>>756
おまえが役に立ってるとは到底思えんな
759吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 10:04:09.60
國分とか千葉とかは前の世代の(つまり文学系の)ドゥルーズ研究者は全然駄目だと言ってる世代だから
ここで評判悪いのも当然なのかな
760吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 13:06:07.08
ジャネットさんに絡んでる名無しさんは、同一性とかサンプリングとかの言葉の定義を曖昧にして、
持論に都合のいいような解釈にもとづいてぐるぐるしてるように見える。
アセンションさんもそうだけど、ドゥルーズを持ち上げる人って曖昧だけど引力のある言葉に酔っぱらってる、
というか寄り掛かりすぎて、考察をつきつめるということを回避してるような気がするなあ。
761吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 20:49:18.48
schizoophrenie schizoophrenie
G・ドゥルーズ:狂人の二つの体制 1975-1982 http://www.amazon.co.jp/gp/product/430924310X?ie=UTF8&tag=schizoophreni-22&linkCode=shr&camp=1207&creative=8411&creativeASIN=430924310X
後にこの寄稿文は「分裂病と社会」と改題されている。「欲望は欠如ではない」という彼らの主張どおりなら「欲望の肯定性」
という原題の方がよかったのではないかとも思う。
schizoophrenie schizoophrenie
ただなんというか、この一文で語られていることは「欲望の肯定性」というよりは、「妄想の肯定性」なんですね。妄想は知的
機能の障害によっておこるのではなく、それ自体が創造的なプロセスとなるという話ですから。ひょっとするとそういう含みで
の改題だったのかもしれませんが事情はよく知りません
schizoophrenie schizoophrenie
いずれにせよ、D&Gが言いたいことが「妄想の肯定性」ならば、それはフロイト(「妄想形成は回復の試み」)やラカン(妄想的
隠喩の形成による「治癒」)という考え方と同じ方向を向いているし、それはそもそも分裂病の創造性=真理の非覆蔵性に注目し
たヤスパース=ハイデガーに由来する。
schizoophrenie schizoophrenie
しかし、実際にD&Gが武器として使ったのは「欲望の肯定性」である。ここに転倒(かつ秘密の戦略)があるだろう。それは彼らが、
ラカン派で重視された神経症と精神病の絶対的差異(父の名の隠喩の在/不在)を脱構築することとおそらく関係しているだろう。
これは現代的な普通精神病の問題と繋がる
schizoophrenie schizoophrenie
「妄想は取り去るべき悪い物ではなく、むしろポジティヴなものである」がヤスパース=フロイト=ラカン。一方、D&Gは「欲望に
欠如をみつのはけしからん。むしろポジティヴだ」という話を分裂病論の水準でしている。欲望はふつう神経症水準での話なのに。
あれ?話の水準かわってるよ?というお話。

762吾輩は名無しである:2012/03/08(木) 21:59:36.45
D/Gが資本主義社会分析に心理学的手法を導入したのはおそらくマルクーゼによるフロム批判(『エロス的文明』)という
道徳論的思想が念頭にあったのでしょう。
それとタルドによる模倣の法則もこっそりと挿入されています。

ただ、このように
    
「まずあきらかなのは、貨幣流通がかぎりなく分裂した運動であるということである、
 というのは、貨幣流通には、流通過程が購買と販売とに限りなく分裂していることとが
 反映しているからである」(K・マルクス『経済学批判』貨幣または単純流通より)

貨幣という媒体の分裂性とそこから派生する資本の運動を考察した方がよっぽど建設的なんですよ。
しかしながら社会意識(法=道徳)を“否定”という形では無く退けようとするから苦しい戦略を展開せざるを得なくなる。
というのは彼らがイデオロギー闘争を主軸に据えた文化アナーキストだからですよ。
763レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/08(木) 23:58:09.93
名無しさんの問題提起によって、媒体というものが、いわば、無味無臭、質感量感無し、ではない、
なんらかの「存在感」をもったものだ、という線での話が、ここでも出来れば結構なことだと思う。

四十歳以下の日本ドゥルーズ派みたいな人たちが、極端なこというと、まるでドゥルーズしか読んでいない、かのように見えるのが、ひじょうに物足りない。
上で、いわば精神医学批判に係わる話題が出ても、レイン、クーパーみたいな人の話も出てこない。
(名無しさんが「エロス的文明」の話をしてくれたのに救いを感じる。)
あるいは、もっと最近の、たとえばバトラーなどアメリカ人の論の話も絡まない。

だいたい、前に私が、経済的下部構造と「構造」が相同的だとされてきた無意識についての話題がないね、
いっても、何も出てこなかったんである。
四十以下の「ドゥルージアン」は、もっとあれこれ濫読しないと、まずいんじゃないの、と思う。
764レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 00:24:55.57
一つ書き落とした。
「欲望の肯定性」云々、というのはいわゆる、抑圧の仮説、これをとらないということじゃないか、と思う。
この点は、よくいわれたように、フーコーと同じだろう。
765吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 00:50:13.17
まず、文化面では媒質としての言語とその記号化による分裂が自然と「自然」の分化
つまり人間に意識を生みだし、本来は本能に属していた欲求の欲望への転化を齎す。
また、このような言語の記号化によって身体の操作性に基づいた労働やミメーシス的行為でもある“財”の生産が可能となる。
そしてこのような意識や行為は言語という媒質によって関係づけられた社会そのものと言っても良い。
しかしこれは「名」あるいは「実体」として社会なるものを規程しているわけではない。

これはドイツイデオロギーやその影響下で批評理論を構築したベンヤミンの時代に既に提示されていたことなのですが
1920年代に提示されたこのような議論がフランスで再演されるまでに30年ほどの時間を要したわけです。
こういったフランス知識人の精神的“鎖国性”がフランス親派の多い日本知識人の鎖国性にも受け継がれました。
柄谷行人が何度も訴える“外部”という言葉にはこのような鎖国性の打破が含まれているのでしょうが
残念ながら、あまり通じているようではありませんね。
団塊ジュニア以降のフランス現代思想の研究者を見ると逆に鎖国化は進んだような気配すらあるわけです。
國分さんはつい最近までフィンガレットを、東さんはコノリーを読んでいなかったようですが
それは商売上さすがにまずいでしょう。
766吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 01:08:23.23
>>764
ドゥルーズ=ガタリが「欲望」を肯定するのは、欲望が存在する事物の本質
だからだよ。換言すれば、D&Gの文脈における欲望というのは、各個体の
自己保存の力能のことだ。器官なき身体(内在的な存立平面)にあって、
個体を定立するものは否定性を持たないわけだ。これは当然のことで、
あるものを定立するとは、そのあるものを肯定すること以外ではないからね。

にもかかわらず現実に存在する個体は、その外部すなわち他の個体によって
その現実存在を解体消滅される。これに例外はない。しかし、個体の消滅=死は
あくまでも個体の外部からもたらされる。即ち、個体それ自体の本質は、自己の否定=死を
含まない。

D&Gのいう「欲望」は、快楽とは峻別され、むしろ通常の快楽(富・名誉・飽食・性的快楽)とは
対立する。欲望が最も大きく欲望するためには、「わずかしか食べず、わずかしか持たない」ことが
必要だとD&Gは述べている。真に欲望するとは、最大限に本質を展開し、自己自身の本質=生=欲望を
楽しむことにほかならない。つまり個体が、能動的にその個体自体の本質のみに拠るところが
大きいほど、生を楽しめるのであって、その限りでは通常の意味での欲望(他者の欲望)は邪魔になる。

なお、現実に存在する個体は、その本質と適合する他の個体と協働するとき、その力能を増大することが
できる。しかし、厳密には常に適合と不適合(中毒)が混在している。
だから、生は実験なのだし、慎重に適合量を探らなければならないとD&Gは言うわけだ。
767レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 01:27:14.96
なるほど、欲望が存在の本質、というわけね。
とすれば、非本質的なものというのが、何かあるんですか?
768ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/03/09(金) 01:40:16.35
>>766
おー正しきドゥルージアン出現だね。
ドゥルーズ(とガタリ)の提示する概念って、結局「箱」じゃなくて「機械」なんだよな。
つまり、ジャネットが言うような、「あれについて理解するためにはあれを読まなければダメだ」という発想は、
ある概念なりある書物なりを、有限ないしは無限の入れ子構造を持った「箱」と看做しているわけだ。
(そこらへんはドゥルーズの「記号と事件」の受け売り)
一方、「機械」として機能する概念とは、より限定した言い方をすれば、ある「作業仮説」なんだよ。
つまり、その概念を「理解」するには、どこまでも後退してゆく「参照」の入れ子構造にリンクするのではなく、
ごく単純に、手近な「現実」と接続してやればいいわけだ。こうしたやりかたでは、検証は即座に行われる。
これは、「曖昧だけど引力のある言葉に酔っぱらっている」ということではない。
少なくともD&Gは、そういうものとして「アンチ・オイディプス」と「千のプラトー」を構想していたし、
ここに常駐している「哲学者」さんたちは、そこらへんわかってないんだよな。

769レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 01:45:57.61
それ、いつ時代の流行りをいってんですか?
私と年代ちかいはずなのに、ムーさんは、よく飽きないな。
ある意味、感心するよ。
770ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/03/09(金) 01:51:42.71
それが単なる流行としか看做せないのがジャネの限界だな。
むろん、俺は自分の説を「正しい」とか、「時代を超えた真実」とか言うつもりはないよw
もしかしたらアナクロニズムなのかも知れないし。
ただ、少なくとも俺がジャネよりましだと思うのは、俺がそれなりに「地べたに這いつくばってる」ことだな。
ジャネの「俯瞰の視点」って結局何も産み出さないディレッタントなんだよ。
単純に愛がない。
俺は、ジャネが一体何のために本を読んでるんだかさっぱりわからんねw
771レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 02:05:33.14
私は、せめて自分が望むことについて発言するような場合に、
それを「思想」として言っていることと、なるたけ一致させたい、と思っているだけだな。
そして、望みを思想のほうに合わせようとは考えないから、当然、思想を望みのほうに合わせるようになる。
前に触れた、國分という人みたいに、「ドゥルージアン」でありながら、社民政策賛成、みたいなことを言うほうが、
あなた、どういうつもりで「研究」とやらをしてんの?と思うわけだな。
そういうのは、ほんとは公務員にでもなればよかったような人じゃないの。
772吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 02:15:55.62
D&G「欲望は誤らない」

アンチオイディプスとミルプラトーで描かれる体系は欲望を最終審級とした欲望一元論。
これは同時に、多種多様な機械の働きと相互的な結びつき(アレンジメント)の動因でもある。
この点を抑えないまま特異性やら生権力やらの観点で國分さんを叩いても、
そもそも話題自体がずれてるってことをこのスレのペダンチストたちに忠告したいね。
773ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/03/09(金) 02:17:27.41
ふむ、ある程度は理解できます。
「気分」ではなく「整合性」を重視するのにも同意。
ただし、「一性」と「整合性」は一致する物ではない。
(ベルクソン=ドゥルーズの言う「全体」と「総体=集合」の区別は正にそれ)
俺は、ジャネの頭の良さは認めつつも、結局相対的な次元でしか物を言っていないと思うわけだ。
「ドゥルーズの言っていることは、結局誰それのあれこれのテーゼに還元されてしまう」
とジャネが言うとき、
俺は、ふーん、だから?としか思えないわけでw

そろそろ寝ますわ
774ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/03/09(金) 02:21:13.02
>>773>>771に向けて。
念のため。
おやすみなさい。
775レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 02:27:28.25
全体と総体(集合)の違いの強調、というのも、
圏論的なものによって形式化されていた、と私は口を極めて言ってきたんですよ。
もはやドゥルーズ主義は、まったくの保守主義なのさ。
とっくに、そんなこと分かりきったたことだよ。
だから、地方公務員なんかのなりそこない、やら、広告代理店入りそこなった、
みたいなタイプの「若手研究者」が多いんだろう。
776吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 02:33:32.42
>>775
それはわかるんだけど、ドゥルーズはその集合を「欲望」っていう現実に存在する要素をベースに考えてるわけでしょう。
これは、いまは無理でも将来特定の科学の分野が発達したら、科学的にアプローチで検証できるようになるかもしれない。
そういうわけで、ドゥルーズを形而上学に押し込めることには俺は待ったをかけたいな。
もちろん今の時点では99%ドゥルーズの思想は形而上学なんだけどね。
777ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/03/09(金) 02:42:45.47
>>775
「野党思考」ですなあ。
ドゥルーズ=ベルクソンにそもそもある種の「保守主義」的側面、
ないしは保守主義に転用されやすい側面があるのは確か。
つまり、ドゥルーズは徹底してある種の「野党思考」を糾弾してきたし、
つまりは野党思考のネガティブな「復讐心」には全く価値を置いていなかった。]
欲望は、何かに復讐するためではなく、何かを産み出すためにあるものだからね。
「整合性」とは、「警察的思考」ないしは「復讐心」といった「ネガティブな欲望」の産物でしかないし、
その意味で、「野党」と「警察機構」とは、「尋問」のスタイルにおいて同一なわけだな。
俺はそういうの大嫌いだし、そういうのが大嫌いなドゥルーズを心から愛しているわけですw
ほんとにおやすみ。
778レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 02:46:41.65
それはそのとおり。
ただ、ドゥルーズよりも先駆的な人は、たくさんいるでしょう。
たとえば、マルクスやフロイトよりも、アイデアを提供してますか?
ハイデガー、ウィトゲンシュタインと比べて、見劣りしませんか?
ドゥルーズ、ドゥルーズ、ってばかりいってないで、だったら、もっと「大物」と並べて論じたほういいんじゃないですか?
779ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/03/09(金) 02:56:41.05
>>778
だからあんたは虎の威を借る狐なんだよw
それらの名前がドゥルーズと「比べて」大物かどうかなんてどうでもいいんだよ。
恋人と一緒で、読書にあっては、書物や作者との「出会い」が一番重要だからね。
俺が批判したいのは、あんたがドゥルーズをけなしている事じゃなくて、
そのヴィトゲンシュタインとかハイデッガーに対してだって、
あんたの愛が感じられないことなんだな。
あんたがほんとにそれらの書き手を愛してるなら、
いくらドゥルーズをけちょんけちょんにけなしても、俺は尊重するがねw

ほんとにほんとに寝ます。
780レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 02:59:40.07
ルサンチマンはいけない、みたいなのが、いまどきのルサンチマンなのさ。
2ちゃんねるで、しょっちゅう云われるじゃないの。おまえは、ルサンチマンから言ってんだ、とか。
ルサンチマン、おおいにけっこうじゃないの。何が悪いんですか?
とはいえ、野党志向的ルサンチマンから、私は遠いだろうけど。
えらそうにいわせてもらうと、私の動機は単細胞的な義憤、ですから。
781吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 03:03:32.19
離れ目(笑)
782吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 03:03:41.52

それって世の中間違ってる的な義憤なのか?
783レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 03:04:15.74
虎に威なんて借りてないんだが、なんでそういう風にしか思えないかね。
たんに、ロスジェネ世代あたりになると、いかにも雑学的な知識量が乏しげだから、そうしたら、と言っているだけなんだが。
784吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 03:08:27.39
>>783
同意
785レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 03:52:13.29
否定がないはずなのに、「ネガティヴ(否定的)な欲望」とかいうのが出てくるのが変なんだよな。
しかも、ネガティヴィティーを否定してんだから、これって、否定の否定ですか?
786吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 04:27:38.24
知ったかスノッブジャネッ豚
787吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 05:54:36.98
ジャネットさんのいう哲学者の名前を並べるだけの雑学披露なら高校生でもできちゃいそう
788レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 05:54:53.37
火事になったら普通、本を運び出すよりも、女房を助けようとするだろう。
あるいは、本を破り捨てるよりも、女房を殺そうとするときのほうが、よほど決断がいるだろう。
それともムー大陸さんにとっては、本と女(べつに男でも動物でもよい)が同じようなもんなんだろうかね。
「世界的思想家」なんて、大半は縁もゆかりもない方々なんだから、そんなのに対してふつうは、切実な愛も憎しみもないじゃない。
しかし、私なんぞは、どっちかといえば、そういうとち狂った愛憎がかなりあったほうなんだけれど、
ドゥルーズ、ドゥルーズって言っている人は、みんな当たり障りないような世間並の人に見えるな。
789吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 06:04:12.40
馬鹿は本だけ読んでろ馬鹿!
ムーさんにまとわりつくんじゃねえ馬鹿!
迷惑だ馬鹿!書くな馬鹿!
790レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 06:08:18.20
ムーさんのほうが、私のことを話のタネにしたんだが?
本日に限らず、たいていいつも、そうだよ。
791吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 06:23:26.74
ジャネットさんみたいな人生の先輩に対してこんなこというのもあれだけと
どぅるーずスレでどぅるーずの名前がよく出てくるのは当たり前のことだよ 笑
792レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 06:38:23.73
私は、まるで歓呼的に、という意味で言ったんですよ。
そんなの、あなたも分かっていて言っているんでしょうけど。

あのさ、私が居ついちゃう理由には、とくに話のタネにされるのが、面白いから、というのがあるんですよ。
きっと居酒屋で皮肉云ったりしてだべっているのに似た感じが心地よいんでしょう。
居酒屋にいるときほどは酒飲まないから、たいして不健康でもないし。
だから、毎度いっているんだけれども、ジャネットいうコテを変に気にするだけ無駄だと思うよ。
793吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 06:38:58.47
むかし浅田にかぶれたことのある人やゼン共闘くずれのおじさんはたまに飲み屋でみかけるけど
こういう大衆的なダサい人たちにはなりたくないなあって思っちゃう
794吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 07:36:40.04
つーか連日オールナイト営業ジャネット萌www
795吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 09:08:28.30
まともな人がどんなに誠実に言葉を尽くしても、
2chでまとも会話が成立することはまれだということをジャネットに忠告したい。
796吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 09:15:57.08
ポカーン 笑
797吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 09:36:14.33
案外、ジャネットさんのほうが対象に対して純朴な愛があるんじゃなかろうかと思ったり。
箱じゃなくて機械とか、現実との接続とか、限定しきれない可能性を秘めたような言葉は魅力的だけど、
それが具体的にはどうなるの、ということへの思索を軽視してないんだろうか。
そういう意味でジャネットさんの国分への苛立ちはよくわかる。
それから、文脈を無視して複数の思想家を列挙したことに虎の威を借りるとか批判する光景、
たまに見かけるけど、なんなんだろうね。必要なら出さなきゃしょうがないのにね。
798吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 09:38:38.78
repetition and differenceとは、いかにも地震の極めて少ない
フランスやドイツ、イギリスあたりから出て来そうな発想という
気がするんだな。ギリシャを含めた中近東や、イタリアが文明、
文化のリード役だった時代がpre modernであって、地震のない
イギリス、フランス、ドイツがリードし始めるのがmodern。
そういう意味で、deleuzeはモダンの批判者というよりも、モダン
そのものであるという気もする。
大地震と関連づければ、repetition,difference,and reset+αで
一つのセットという気がするんだな。
799吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 09:49:01.99
若い世代のドゥルージアンの批判ってだいたいこんな感じだな
「上の世代の翻訳はデタラメだし、解説書もベルクソンや現象学との関係を軽視してて使い物にならない。
つまり君たちの読んだドゥルーズは偽物なんだよね」
800吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 15:00:58.77
小泉義之以外の翻訳は相当酷いらしいな。
801つくだに:2012/03/09(金) 16:19:34.36
初めて手に取った哲学系の本は「狂人の二つの体制」だったけど、宇野の悪文にはうんざりしたな。
哲板でその話をして部分を引用したらみんな納得してた。
802レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/09(金) 18:19:09.68
中期のウィトゲンシュタインは、「言葉の意味とはその使用である」としていた。
柄谷行人は、英国の憲法以下の法律の体系が、いうなれば、おおよそ「判例の集積」なんだ、と前置きしたうえで、上に引いたウィトの言を変奏し、「法(柄谷の念頭にあったのは「条項」にあたるものだろう)の意味はその判例である」と述べたことがある。
しかし、これには、やや誤解があったと思う。たぶん「適切」な変奏は,
「法の意味はその執行である」じゃあなかろうか。そうだとすれば、
英国法体系は、法執行の事実の集積、ということになる。

ついでに、(実はあまりにも当たり前すぎることだが)あらゆる法律は、
ただ一つ例外もなく「政治法」である、といっておきたい。
なにも国際法のようなもののみが「政治法」ではないだろう。

さて、ウィトゲンシュタインとドゥルーズとは、相性悪い、というのが、
ほとんど定説のごとくなっているようだが、上のようなことをみれば、
ドゥルーズのいうところの「サンス」が、いわゆるパフォーマティヴなものなのだとすれば、
案外とウィト的じゃないか、などと思うのである。
803吾輩は名無しである:2012/03/09(金) 18:34:09.25
↑水牛顔おばん(笑)
804吾輩は名無しである:2012/03/10(土) 03:48:43.88
>>802
面白い。
ただウィトゲンシュタインは、すでにできあがってる規則にしたがって意味の使用が成立するといい、
ドゥルーズは定立的な中心から外れた差異の相互連関によって意味らしきものが浮上してくるという言う。
ただもちろん、ウィトゲンシュタインにだって意味の適用がその場面全体のどの部分に適用されるか、というアレンジメント的に領域生(領土性)があるわけで、
この二つの領土化のしかたを比べてみるのもおもしろいんじゃないかと思う。
ウィトゲンシュタインの方が客観的にみえるけど、実際その客観性はどこまで保証されてるの、っていう話。
805804:2012/03/10(土) 03:50:35.19
日本語がところどころおかしいな。
もう一回寝るわ
806吾輩は名無しである:2012/03/10(土) 09:03:31.27
>>804
>ただウィトゲンシュタインは、すでにできあがってる規則にしたがって意味の使用が成立するといい、

馬鹿丸出し、知ったかぶりの恥さらし。水牛おばん=無能盗作屋バレバレ自演乙(笑)
807吾輩は名無しである:2012/03/10(土) 13:01:38.72

[20]レデイー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc 2012/02/22(水) 00:53:06.33
未邦訳じゃなく未発表の英語小説です。一応隔日連載の予定。
著者はレディー・ジャネットという2ちゃんねる住人期待の新人。校正してもらうどころか、推敲すらしていないので、間違いがやたらと多いと思いますので、
お気づきになったときは、ご指摘ねがいます。
Watch Me Now
I smelled oil and bl(ry
808吾輩は名無しである:2012/03/10(土) 13:51:55.50
ドゥルーズ「哲学とは概念の創造である」
ウィトゲンシュタイン「哲学とは命題の論理的明晰化である」
809吾輩は名無しである:2012/03/10(土) 16:50:17.59
>>766
> 欲望が最も大きく欲望するためには、「わずかしか食べず、わずかしか持たない」ことが
> 必要だとD&Gは述べている。

極貧を欲望するってことかしらん。ドゥルーズは変わったこと言うね。
810レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/10(土) 17:23:52.54
ウィトゲンシュタインは、ユダヤ系大富豪の子息、日本古典風に言うと、潤屋の賤民、
そういう迫力がある。遺産も相続を放棄しちゃっているし、なにを血迷ったか、田舎の小学校の先生になって、生徒をムチ打ったりするような奇怪なところがあった。
ハイデガーには、下層階級出のたたき上げの凄みがある。田辺だったか、誰か忘れたが、
「ハイデゲルというのは、田舎者丸出しの小男なのですが、油断ならない才気の持ち主です」
みたいなことを西田宛の手紙に書いていたと思う。女にももてた。浮気しながらも、愛妻家を要領よくとおしているんである。
アーレントトとの関係は、みじめなニーチェとルー・ザロメとの関係とは正反対なんである。

ドゥルーズには、どうもそういう迫力やらしぶとさの凄みのないのが、
流行のさなかの世代でありながら自分の熱中できなかった理由じゃないか、と思うところがある。
彼の人の場合、なにもかもがプチブル的夢想の域を出ないんではないか、ということ。

あまりにも、「旧純文学」的な感想ではあるんで、そこはお許し願いたい。
811吾輩は名無しである:2012/03/10(土) 17:40:19.01
大陸哲学の悪法もまた法なりといった定言命法による正当化を論理操作によって拒むのか?
あるいは英国コモン・ローの確かに法である、が不適切なものである、といったぐあいに退けるのか?
こういった戦略性の違いですね。
この違いは法の正当性を事実命題の主体的判断(意味あるいは道徳)に求めるのか?
それとも世間一般の認識である外的陳述つまり事実命題についての陳述(文法あるいは用法)に求めるか?の違いでしょう。
ヴィトゲンシュタイン学派だと後者の見解を採ると思います。

普通に考えて法の意味する事を主体的に判断し了承の末服膺する人間なんてまずいません。
「みんながそうしているから」というのが大方の考えでしょう。
まあ、こういった慣習による事実支配の状態を法の作用だと解するのなら
道徳的真偽値をめぐる形而上学的問いは発生しませんよ。
「なんか良く無くない?」で変わっちゃいますから。

で、このようなある意味、鳥類魚類の群集活動にも似た行動様式は
当然のことながら人間と動物とを分かつものでなく、
ヴィトゲンシュタインに先んじてこのような人間社会(法慣習)論を提唱したヒュームの見解は
カントを恐懼させたのです。
やっぱり、ヒューム派がいちばん説得力がありますね。
まあ、初期認識論ではホッブズの方がヒュームよりも優れているんですけどね。
812吾輩は名無しである:2012/03/10(土) 17:52:10.63
「ドゥルーズのどこが間違っているか?」を書いて、自分を
ドゥルーズと同格か以上ぐらいに思ってるイタイオッサンもいたなw
オリジナルを批判しただけで成上がれるという錯覚は日本猿の習性w
813吾輩は名無しである:2012/03/10(土) 17:59:14.75
まず、「ドゥルーズのどこが間違っているか?」という題名が
日本語として、みっともないよなw
こんな恥知らずは外国にはいないだろw
814レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/10(土) 18:04:21.93
毎度私のいたらないところを、きちんと書いていただいてありがとう、とお礼を先に申し上げておく、
として、811名無しさんの云う通りなんですよね。
しかし、(たぶん)ヒューム大好きなはずのドゥルーズが、なにゆえ中期以降のウィト(ウィト派ではなく、ご本人)を遠ざけるか、
そこが謎じゃあないでしょうか?
これは昔、柄谷も言っていました。
815吾輩は名無しである:2012/03/10(土) 18:29:41.84
>>814
何の生産性もないお前のエエカッコしい御苦労w
816吾輩は名無しである:2012/03/10(土) 18:53:51.44
例えば昨年起こったアラブの春(主にチュニジア情勢についてですが)に対して
カントリーリスクや分配の面から不自然だと指摘した山形さんに
(独裁者に対する)民衆蜂起を批判するとは何事か!!と國分さんが噛みついたでしょう?

この事から明らかなように國分さんは言葉の正しい意味での民主主義者なんですね。
ただし、現代法学や政治学において民主主義やそのキー概念である人権や自由という概念の根拠と有効性はほぼ失効しています。
ドゥルーズの思想はそんな状況下においても抵抗の欲求を満たすものと了解されているわけです。
そしてドゥルーズ自身もその期待に応えようと努力していた。

しかし、アキノによるフィリッピン革命やその後の東欧革命、ソヴィエト崩壊、ユーゴ紛争の経過を見る限り、
瞬間的に達成される権力への抵抗といった左翼的心情によるスローガンだけじゃ駄目なんですよ。
実際、上述の地域では富の独占と抑圧そして貧困は更に拡大されているわけですから。
そういう意味ではしょせん学生運動レベルの議論に過ぎないのです。
実際の政治権力は大衆の政治蜂起など織り込んだ上で着実に地歩を固めて行くのですから。
いわゆる政治的ロマンチストにはそこら辺が分かっていない。
山形さんなんかはそこら辺の事を考えているわけだし、
知識人の良心とはこのような考えるという行為に対する誠実さにのみあるわけです。
しょせん、その程度の存在です。
芸能人にも似た派手なパフォーマンスなどどうでも良いのです。
817レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/10(土) 19:59:49.85
英語のデモクラシーという言葉は、「正確」に訳せば、たぶん下克上になるでしょう。
私の知る限り、英国の首相は、ブレアぐらいまでは演説で、デモクラシーという言葉を、良い意味では遣いませんでしたね。
サッチャーなんか、ぜんぜん遣わなかったと思いますよ。
支配層がアメリカナイズされてから、やっと良い意味で遣うようになったんじゃないかと思います。
間違っていたら、ごめんなさいね。

やっぱりドゥルーズは、フランスの人だという感じがしますね。「人類普遍の原理」への、
屈折しているにせよ、それをないがしろにできない、世間並知識人のところがある。
ほかの流行思想家も似たところあるんじゃないか。
アルチュセールなんかは、まず例外でしょう。あの人は、「頭おかしい」んで、そういうところをすっ飛ばせたんじゃないか。
ジジェクによると、フランス現代思想家になかで、崩壊前の東欧で、もっとも危険思想視されていたのは、アルチュセールなんだそうです。
818吾輩は名無しである:2012/03/11(日) 00:24:21.52
アルチュセールは、何から、読めばいいですか?
アルチュセールの、かっこいい、本は、何でっか?
819レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/11(日) 14:38:20.28
カッコいいかどうかはともかく、再生産について、がいいんじゃないでしょうか。
とくに国家イデオロギー装置論のところが、いまはとみに必要な考え方じゃないかと思います。
平凡社ライブラリーから出てますから、そんなに高くないし。
私も二十数年ぶりに部分的にせよ読み返そうと思いたったところです。
参考書としては、今村仁司の「アルチュセール」が文庫になっております。これは、多くが(世界的にみても)名著だろうといっているようです。
一、ニ章は、(書かれたころの時代状況を反映してか)過度にヘーゲル色が濃い(かつてのジジェクあたりに近いイメージになっております)ので、そのあたりは眉に唾で読んだほうが良いかもしれません。
それから、現代思想のジュディス・バトラーの「呼びかけ」論が、アルチュセールからきているので、
これについても何か解説的なものを読むといいんじゃないでしょうか。
まあ、できれば、私よりももっと詳しい人にきいてみてください。

ちなみに、有名な話ですが、アルチュセールは、いわゆるマルクス主義Tな「経済決定論」をとっておりません。
重層的決定あるいは多元決定と云われる考え方ですが、これは「決定」とはいうものの、じつは「非決定論」です。この点は、ドゥルーズ・ガタリなどとも似ているでしょう。
しかし、「経済的審級」には、別格の重みを置いております。ここは日本ドゥルーズ主義などと異なる点でしょう。
820吾輩は名無しである:2012/03/11(日) 14:48:53.28
>>819
レジャネさん☆
どうも、ありがとう^^
何から、読もっかな〜、って、
すごい、迷ってて・・・。
レジャネさんの、おかげで、
読むべき本が、見つかりました。
どうも、ありがとう♪
821吾輩は名無しである:2012/03/11(日) 14:49:43.69
ハナレメ(笑)
822アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/11(日) 22:15:45.57
>>744
的確な素晴らしい書き込み。
同一性・類似性・一般性をもたらそうとするものに対する闘争こそ、
ドゥルーズの思考にほとんど一貫してるものなんだろうね。

>>766
非常に素晴らしい書き込み!
D&Gの「欲望」にはフロイト批判だけでなくラカン批判のモチーフも込められてるんだよね。

こういう書き込みの割合がもうちょっと増えてくれたらうれしいな。
823レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/11(日) 22:29:33.71
耳学問話だが、ラカンよりも、クラインへの批判に重きを置いてんじゃないの?
824アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/11(日) 22:34:49.38
>>823
>>766の書き込みの文脈にある「他者の欲望」というのはラカンだね。
アンチオイディプスという書物は精神分析全体を批判しているけれどね。
ただ、「ヤスパースとレインだけがプロセスを理解していた」というふうに
一部の人は高く評価しているけれど。
825レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/11(日) 22:43:19.47
他者の欲望というのは、仏文系の人の少なからずは、ラカンの「独創」だと思っているが、
あれは元がヘーゲルなんだよ。だから多分、フランス人のは、ほぼすべて、コジェーヴから、でしょう。
826アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/11(日) 23:10:56.14
バタイユあたりのヘーゲル受容もコジェーヴからだね。
って、ここはまあ精神分析批判の文脈なのでw
827レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/11(日) 23:18:36.23
だから、反照に重点をおくのは、フロイト左派には、多分ありがちだったんじゃないの?
フランスの文脈とたいして縁のなさそうなノーマン・О・ブラウンとかもそういう感じあった気がする。
つまり、ラカン派に限らんということ。
828アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/11(日) 23:21:20.66
>>827
ところでレインは何か読みました?
829レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/11(日) 23:28:10.34
引き裂かれた自己、経験の政治学、は通して読みましたね。
あと、つまみ読みしたのが何冊かあると思う。二十五年以上前ですよ。
ただ、部屋を整理したから、経験の政治学が入っている段ボールは、押し入れから出ている。

読み物としては、それなりに面白かったけれども、現実には酷く失敗しているでしょう。
830レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/11(日) 23:40:25.21
そういや、木村敏だったと思うんだが、精神医学批判思想というのは、
レーガン、サッチャーの精神医療福祉切り捨て政策に、けっきょく加担してしまった、
みたいなこと言っていた。
アメリカではレーガン時代に、表向き「人道主義」にもとづいて、病人をたくさん退院させたあげく、
当の病人が悲惨なことになった、みたいなことを言ってたね。
肉食獣の中に放り出された羊みたいな云い方だったと記憶している。
831アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/12(月) 02:29:35.16
>>829
いま「引き裂かれた自己」読んでる最中なんだけど、
それにしても蔵書すごそうだなあ。
約25年前から現在まで継続して読んでる人います?
832吾輩は名無しである:2012/03/12(月) 02:39:27.00
あれもこれも読んでるアピールはよくわかったけど
どうもちゃんと理解してるとは思えない書き込みなんだよな、こいつは
もうちょっと突き詰めて読む習慣を身につけるべきだろうね
その点、レジャネはよく理解してるわ
833レデー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/12(月) 02:57:41.29
蔵書は大したことないね。一万冊、どころか、五千もないんじゃないかな。あんがい、ほいほい人にあげちゃうのもあるんで、買うほどたまらないです。
蔵書何万冊みたいな人、知り合いに何人かいますから、私のは貧相だと思うね。

昔の本は、けっこう読み返しますよ。
「怪人二十面相」とか「眠狂四郎」とか「指輪物語」とか、いろいろ。
このスレのふさわしい再読というのなら、きのう、「悪夢機械」と同じ箱に入れていた「声と現象」を出して、
何ページか読んでから寝ました。
あの本は、じつのところ後期のフッサールの批判にはなっていないのでは?という感じを持った。
834吾輩は名無しである:2012/03/12(月) 03:42:00.10
イオ3月号の徐勝さんの文章「なぜ在日朝鮮人の人権を語るのか?」がすごい。必読。以下、いくつか引用。3月5日
3月5日huangkwihoon 黄貴勲「人権は持てる者の言葉ではなく、奪われ、抑圧された者の言葉である」「今日におけ
る差別は、ほとんどが帝国主義による奴隷制や植民地支配にその根源を発している」「日本は明治以降、西欧の野
蛮な「文明」を模倣・追従し、東アジアの民衆たちに君臨し、筆舌につくしがたい暴力をほしいままにしてきた。
huangkwihoon 黄貴勲「日本は冷戦・反共主義に便乗し、朝鮮分断に加担し、アメリカの庇護の下に「快楽のファシ
ズム」を謳歌してきた」「その意味において、今日においても在日同胞たちは植民地支配からの解放を迎えること
ができずにいる」しいままにしてきた。
「東アジアの諸民族や朝鮮民族の奪われた諸権利の回復こそが、われわれの「正義」であるので、歴史的、現在的
日本の加害を問わない、日本国民国家の枠組みの中での「多文化共生論」や「在日論」などは、抑圧者の論理と支
配に加担する犯罪行為だとさえいえる」3月5日»
han_org 金明秀 Myungsoo KIM
そう、これぞまさに正論。たとえ同種の言説に聞こえようとも、左翼ナショナリズムの枠内から発せられるそれと
は根本的に異なる。民族的マイノリティにとっての左翼ナショナリズムって麻薬のようなものだね。安定的な貴族
の物語に酔っぱらい、実態とのかい離を冷静に見つめる視座をマヒさせる。しかも、祖国ナショナリズムに準拠し
ながら居住国ナショナリズムを撃つという矛盾にも気づかなくなる。

835吾輩は名無しである:2012/03/12(月) 03:56:05.93
chisachissa 朴 智史 han_orgがリツイート
いよいよ限界を迎えた。朝鮮人を殺してるのは松井でも橋下個人でも無
い。大阪府が殺して大阪市が殺している。日本社会全体が殺しにかかっ
ている。しっかり見ろよ"日本人"  大阪朝鮮初中級学校、肖像画下ろ
す 府に補助金を申請 http://t.asahi.com/5ujz
3月10日
836吾輩は名無しである:2012/03/12(月) 04:25:56.24
>>832
駄目なのはジャパネットのほうだろ?
837吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 14:58:09.57
<はたらく>低収入で待遇不十分 大学の非常勤講師
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/CK2012030202000071.htm
838吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 15:25:06.36
nosnino hoshino futoshi paragesがリツイート
熊野純彦「わたくしには、趣味らしい趣味がありません。(……)音楽
に耳をかたむけ、絵画に目を悦ばせるいとなみも、いまのわたくしには
縁遠いものです。わたくしはそのかわり、学生時代このかた、本を、本
だけを読んできました。」 http://www.kinokuniya.co.jp/20120305163325.html
3月8日
839吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 15:29:11.47
熊野さんの、生き方、素晴らしい。
840吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 15:39:33.14
>>839そうかな? 本が人性なのか?
841吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 15:40:19.04
熊野純彦はカッコいいなあ
842吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 15:48:18.89
zepkark R Kak
Heidegger. Qu'est-ce que la méthaphysique ?の訳者Marc Froment-Meurice
は東京生まれだったのか。父Henriが外交官だった故のことらしい。Le Monde
の記事を見て同姓だったので気になって調べたらすぐに分かった。
3月2日
返信 ↑
@parages
yusuke miyazaki
@zepkark ほうほう。一昨年の DerridaToday では、他の発表者が尖鋭なデリダ
研究を発表する中、ひとり私的な随想を読み始めて会場を煙に巻いてました。
謎の人でした。でも、彼の C'est à dire: Poétique de Heidegger は結構好きですね。
843吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 16:44:39.77
>>840
おれとしては、読書に、人生、救われてると、思う。
844つくだに:2012/03/13(火) 17:34:21.45
助手やらないかって言われたけど給料9万円で断ったな。
845吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 17:35:00.99
辞は達する已。思想が本体だから読書の偶像化は愚。
846吾輩は名無しである:2012/03/13(火) 19:15:51.53
>>831
お前の頭じゃまあ無理だろうが、”文学との関係を中心に”という
うたい文句はどうなってるんだよw
ジャネットとかでも全然、無理だろうがなw
エエカッコして抽象的な議論に終始するなよw
それが高尚だと思ってるんだろうがな。
お前らみたいなのだから、デリダもドゥルーズも盛り上げられなかったんだぜw
847吾輩は名無しである:2012/03/14(水) 00:01:58.63
馬鹿はマンガでも読んでろよ
848吾輩は名無しである:2012/03/14(水) 03:46:15.49
日本のネットで激しい反発が起こったが、これが韓国で報道されると、ネットの反応は逆だった。
「大統領にしたい」「現代の安重根義士だ!」といった賞賛の声があがり、「韓国は震災で援助したのに恩知らずな日本人」などと逆バッシングの様相を呈している。

韓国でも報道され、多数の「賛同」コメント
この動画で、問題の男性は、自分が人殺しをしたいと思うときにイメージするのは日本人だが、殺す必要はなくなったと、たどたどしい日本語で語り、
殺す必要がなくなったのはまた大地震が起こるからで、「日本人は一瞬に死んでください」と発言。バッシングが激しくなると、この動画を削除。

新たにアップした動画では、「必死に、日本のサル達が、私を攻撃しています」と話し、
自分がアップした動画を笑って見ることができないのは韓国を否定する姿勢だからであり、自分は今後ずっと反日を貫く、と語った。

国民感情に根深い「落差」
例えば韓国で口蹄疫被害があったときに、日本人は掲示板「2ちゃんねる」で「おめでとうと言った」。
女優のキム・テヒが来日しようとしたときに殺害予告が出たなどと、日本も同様に酷いことをしている、というのだ。

さらに
「日本で過去の歴史に対する反省、清算しようとする動きはないし、自分たちはうまくやったと臆面もない様子を見ると、大地震に何度も見舞われればいいと思う」
「震災では私たち国民、芸能人、大企業が多くの援助をしたが、日本人は、彼らが過去の犯した蛮行を覚えていないように、韓国の援助を覚えていない」
「日本が我々に友好的であるとかあったのかな?? 自分たちが不利と見れば頭を下げ、有利だと容赦なく、つけ込んでくる。それが彼らの根性です」などと書き込まれている。
http://news.livedoor.com/article/detail/6365393/

韓国の青年がYouTubeで「日本人の皆さん地震で死んで下さい」とメッセージ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17220256
849吾輩は名無しである:2012/03/14(水) 22:58:28.86
850吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 06:12:06.73
吉本隆明さん死去 戦後の思想界担う
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120316/t10013761031000.html
851吾輩は名無しである:2012/03/16(金) 10:29:12.35
吉本隆明さん死去 戦後の思想界担う
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120316/t10013761031000.html

浅田コメントあり
852吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 00:17:01.92
宮台真司 「吉本隆明の思想と限界」 2012.03.16
http://www.youtube.com/watch?v=8ZK0YHi5JvE
853吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 00:52:11.13
854吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 01:30:57.54
吉本が死んだか。
855吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 02:01:27.68
遺作はおそらく週刊新潮新年号に掲載された
“原発を止めたら猿になる”でしょう。
あの文章には鋭さが無かったからなあ。
衰えが激しいな、と思っていたら体調を崩していたんですね。
まあ、最後の最後まで吉本は吉本であり続けた。
856吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 03:09:22.94
佐藤 嘉幸 ‏ @pliselonpli 返信 リツイートの取り消しリツイート
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メはその謎めいた局面において共通するとも。「無意識は一つの言語の
ように構造化されている」は、「無意識は一つの詩のように構造化され
ている」と解釈することができると。完全にバデイゥの独壇場だ(これ
は、バディウ+ルディネスコの新刊『ジャック・ラカン』に関連しての発言)。

yusuke miyazakiさんがリツイート
857吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 16:58:25.25
2012年03月17日 16:29 投稿のユーザー動画 … 政治 カテゴリ前日総合順位:圏外 ( 過去最高:圏外 )

ニコ論壇 緊急SP「追悼 吉​本隆明」宮台真司×橋爪大三郎​×大塚英志
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17275844
858吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 17:45:50.27
橋爪が宮台やりこめてるね
859吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 20:13:24.73
宮台は思想界の久米宏のようなものだから…
展開に困ったら述語の羅列と捨て台詞で逃げるだけなんですよ。
まあ、能弁な中沢新一と思えば良いのです。
860吾輩は名無しである:2012/03/17(土) 22:12:13.02
そういや吉本とフーコーの対談があったな
861v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/17(土) 22:53:42.11
講談社文芸文庫の対談集に載ってますね。フーコーが異様に低姿勢でびっくりした記憶があります。
862吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 03:31:41.01
やらせA 就活中
(p)http://livedoor.blogimg.jp/jin115/imgs/3/1/31a6f8e6.jpg
やらせB 就職後
(p)http://livedoor.blogimg.jp/jin115/imgs/2/b/2b790359.jpg


世論調査もこんな感じで捏造してます


 東京にある6つのキー局の内、製作から財務まで一貫して朝鮮人が行ってるテレビ局が1つ
 中国共産党から毎年大量の反日工作費が流れているテレビ局が2つ
 もろに北朝鮮と繋がっているテレビ局が1つ  
年寄はまだまだテレビという外国人に騙され続ける



オレオレ詐欺なんて年寄がどれだけ騙されやすいかという社会実験でしかない
馬鹿はいつまでも騙される
863吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 07:34:01.80
>>861
おまえは雑談スレにひっこんでろ
864吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 07:40:49.56
そいつは、
村上春樹=
この板の主役◆OZ/B6fTcn6=
ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2=
アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7=
N ◆.a7VUr.VD.=
v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo

らしい。全てこいつ村上の固定。
しかも、刺激すると一般人に成り済ましながら誹謗しまくるキチガイ。
865吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 09:41:25.15
かわいそ
866吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 09:47:56.29
また犯罪。今まで散々すさまじい罵詈暴言してきたのに、棚に上げるなよ。
867吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 17:06:09.27
>>861
低姿勢なのはうわべだけでもの凄いことを言っています。
簡単に言うと吉本は自然史と人文学、社会科学とを分けて考え、
その中で自然史に属する科学(テクノロジー)をマルクスの可能性の中心に据えたのです。
つまり科学テクノロジー至上主義です。

これに対しフーコーはそのような区分けは全体知の自然主義(科学主義・功利主義)へのパラダイムシフトによって
生じたものであり、吉本の主張する区分けや科学テクノロジーはその派生物に過ぎない。
フランスやその他欧米諸国はこのような自然主義的科学観へのこだわりのために
その応用であるテクノロジーの発達を十全に為す事ができなかった。
しかし、その技術的応用に腐心した日本は(欧米社会の余禄に過ぎないが)産業社会に上手く適合する事ができた。
と言っているわけですね。

要するに、発想力は乏しいが手先の器用な猿が上手くやりやがったな、
まあ、その器用さと抜け目なさだけは誉めておいてやるよ、ということです。

このような見方は大戦中のヒトラーが同盟国であった日本に対して示したものと何ら変わりはありません。
そういう意味ではヨーロッパ近代文明に対して批判的なフーコーも自文化中心主義者なのです。
というか批判性を肯定性に変えるといった極めてタチの悪い自文化中心主義の権化なのです。

これがあの噛み合わない対談で得られた唯一の収穫といって良いでしょう。
実際、この度の原発事故に際しても「小手先だけの猿が運用に失敗しやがった」
というのがフランスエリートの示した態度ですから。
868v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/18(日) 18:01:49.60
>>867
その解説は面白いですなあ
869v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/18(日) 18:02:10.03
あっ、蓮實重彦が通訳だったんでしたっけ?
870吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 18:44:15.49
そうですよ。
セッティングしたのはフーコーの友人でもあった塙嘉彦編集長でしたかね。
さすがに通訳の蓮實はフーコーの狷獪さを感づいていたようですが、
“日本代表”として吉本を引っ張ってきた編集部員の安原は良く分かっていなかったようですね。
吉本もその後何回か文通をしたそうですが、やはり噛み合わなかったそうで、
いつの間にか絶ち消えになったようです。
馬鹿にされているんですから、ほっとけばいいのに、情けない…。
871吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 19:20:59.32
そこで吉本隆明が日本の数学史を教えてやればよかったのかもね。
江戸時代における和算の歴史から、明治以降の抽象代数、フェルマーの最終定理解決の鍵となる谷山志村予想なんかをね。
科学の基礎研究をすっ飛ばして、応用だけした猿じゃないぞと。
872G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/18(日) 19:33:57.10
はてな匿名ダイアリーで「吉本隆明とフーコー」という記事を見つけました。
http://anond.hatelabo.jp/20090103034023

>1978年、ぼくはミシェル・フーコーに会った。彼は1926年生まれだから、そのとき52歳、
ぼくあh39歳だった。会ったといっても、文芸誌「海」での吉本隆明との対談企画者として
立会っただけの話である。

フーコーが社交辞令で吉本に往復書簡をしたいと言ったところ、吉本がフーコー宛に道元とヘ
ーゲルについて書いた長い手紙を書いた。それを仏訳したベルギー人の奥さんが読んで「この人、
頭悪いんじゃない」と言った話、結局、フーコーから意味不明・返信不能という返事がフーコーの友
人を通して1年くらいしてようやくきた話、フーコーがその友人に「吉本さんはヘーゲルをドイツ語で
きちんと読んでいるのか?」と尋ねていたらしい話などがでています。

当時の「海」編集者の一人だった方なんでしょうか(そもそも本物かどうかということもありますが)


873吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 20:33:04.77
>>872
それは村松友視さんだと思いますが。
874アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/18(日) 21:41:59.87
>>843
本との、音楽との、人との出会いだったりするよね。

>>861
たぶんフーコーとの対談は中公文庫で読んだなあ。

>>867
>噛み合わない対談
というところはまさに。

>>869
蓮實にしてみれば、「自分が対談したほうがはるかに良かった」と思っただろうとw

>>833
「声と現象」とはまた哲学的な本だねえ。文学的といえるような本、
たとえば『火、ここになき灰』や『絵葉書』あたりは興味ないのかな。

>>832 >>846
意味不明w
875吾輩は名無しである:2012/03/18(日) 22:04:26.91
ベルギー人の奥さんって蓮實のでしょ
876G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/19(月) 01:39:33.57
>>873
ありがとうございます。
村松友視は1940年4月10日生まれだから、年齢大体合いますね。

ただ、1978年誕生日を迎えると満38歳だから1歳違う。フーコーの年齢を1978ー
1956=58歳と逆算しているのに自分の年齢のみ間違えるのも奇妙。
1939年4月29日生の安原顯だったらぴったり39歳、でもこのダイアリーは2009年1月
3日付だから、2003年1月20日に亡くなったヤスケンはこの世にいない。
ただ、どうもこの文章、「時代屋の女房」の作家が書いたにしては稚拙にみえる(小説と
練らずに書いたブログ、日記では違うことはあり得るとしても)。
また池田信夫のツィートではヤスケンの書いたものとして引用・紹介されている。
http://hiwihhi.com/ikedanob/status/180865159999401985
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/Yoshimoto.html
だれかがヤスケンの本を引用したならあり得るか。
877G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/19(月) 01:47:54.99
>>875
失礼。
「ベルギー出身の訳者の夫人」って、確かに前の部分で吉本の手紙を翻訳したのは蓮實と
書かれているので、蓮實の「ベルギー出身の夫人」ですね。
878G ◆vDcOqdC/aA :2012/03/19(月) 04:01:31.44
>>874
>>832>>846って、昨日プルーストスレにいた人と文体や口調が似てるような

人には理解してない、突き詰めてないと言っておきながら、決して自分の理解は
示さないところなんかそっくり
879吾輩は名無しである:2012/03/19(月) 17:41:56.49
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー反日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『監査法人 (2008)』反体制・反社会

A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会

B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会


日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←よく痴漢やヤクで捕まるのはここの工作員


テレビが言えない民主党のスポンサー=韓国北朝鮮
あとはもうわかるよな
民主党は朝鮮人だらけ。前科者前原やキムチイオン岡田が平気で嘘を付き、口だけなのもそういう裏があるから。
野田はどうだろうか。韓国人の集いに出席し、韓国人暴力団から賄賂を貰っている野田は
880v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/19(月) 22:03:36.08
>>872
へえー面白いなあ

>>874
対談すればよかったのにね。ドゥルーズとの対話は有名だけど、対談という形では残ってないでしょ?
881吾輩は名無しである:2012/03/19(月) 22:10:17.50
あーあ、このスレもピースに汚染されたありがちな駄スレになった
882吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 07:26:15.84
蓮見の馬鹿女房の被害甚大じゃねーかw
意地悪で愚かな女の受け付けが独断で、偉い人への取材を勝手に断ってるのと
似てるなw
883吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 13:08:35.47
存在論: なぜ無ではなく世界が存在するのか [単行本]
相沢 義男 (著)
価格: ¥ 3,150 単行本: 266ページ 出版社: 彩流社 (2011/4/22)
内容説明
なぜ〈無〉ではなく、世界が〈存在〉するのか!?
大学までの「数学」への想いを脱し、フランス文学へ転向した著者。東大・
仏文では徹底的にモーリス・ブランショの「レシ(物語)」を読んだ。
〈無為〉の作家といわれたブランショから〈存在〉の哲学者ハイデガーへ。
そして約30年、〈存在〉をめぐるノートを書きつづけることになった。
在野の哲学者として、「常識」「一般了解」「予断」をカッコに入れ、考
察を継続する。ハイデガーを軸に、〈存在〉〈時間〉を考えた思想家たち
(カント、デカルト、ベルクソン、サルトル、レヴィナス、ヴィトゲンシュ
タイン、マクタガード)の論文を徹底的に読み込み、〈存在〉そのものへ
深く鋭利なメスを入れ、切り込んだ瞠目の論攷。
内容(「BOOK」データベースより)
「高等数学」への想いを脱し、「フランス文学」へ転向。そしてブランショ
の「レシ(r´ecit)」に没頭する。「常識」「一般了解」「予断」をカッコ
に入れ、在野にて約30年にわたって“存在”をめぐるノートを記し、考察を
続けた。“存在”と“時間”を考えた哲学者(ハイデガー、カント、ベルク
ソン等)の論考を徹底的に読み込み、“存在”そのものに深く切り込む瞠目の書。
著者について
相沢 義男 (アイザワ ヨシオ)
1953年新潟県村上市八日市生まれ。早稲田大学理工学部数学科中退。東京大学
文学部フランス文学科卒業。現在、塾講師。
884吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 14:35:54.86
アレゴリーの織物 (講談社文芸文庫) [文庫]
川村 二郎 (著)
価格: ¥ 1,785
内容説明
二〇世紀最大の批評家ベンヤミンと独創的な思想家アドルノを中心に、
思想の生れる場の雰囲気・ニュアンスに力点を置いて論じた名著。
内容
第二次世界大戦中、ナチスに追われピレネー山中で命を絶った二〇世紀
最大の批評家、ヴァルター・ベンヤミン。彼の理解者でもある独創的思
想家、テオドール・アドルノ。今なお世界に多大な影響を与え続ける稀
代の思索者を、日本でいち早く受容した一人が川村二郎であった。“思
想の生まれる場の雰囲気、ニュアンス”に力点を置き、偉大な先達への
敬愛を込めて論じた、名著。92年伊藤整文学賞受賞作。

文庫: 400ページ
出版社: 講談社 (2012/3/10)

885吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 21:58:50.41
・そして思いだしてジュンク堂にも立ち寄って『表象』という雑誌の「04」と
「05」を購入。数日前にその存在を知ってからずっと読みたかった「04」の小
特集「ドゥルーズの逆説的保守主義」を小一時間かけて一気に立ち読み。「ドゥ
ルーズ」という人に対してほぼ初心者である自分にも「ドゥルーズ」と「保守
主義」を並べたときの、微妙に、しかし確実にちょっかいを出してる感じはよ
くわかるような気がして気になっていた。

・それで読んだ。思わず「おお」とため息を漏らすような内容。國分功一郎と
いう人の「ドゥルーズは世界を変えることを望む人々に人気があるけど、ドゥ
ルーズの本には実際はそんなことは書いていない(ように読める)」「むしろ
『見ることを学び』ながら『待つ』だけなのではないか(と読める…が…?)」
というような読み方が(変革のための行動を自制するという意味において)
「保守主義(のような立場)」して示されたならば、自分だって「それは確か
にそうかもしれないな」と思う。

・しかし、そこで、一方、「でも、」とも思ったならば、また別の読み方/解
釈が示される。対談の相手である千葉雅也という人や、佐藤嘉幸という人はむ
しろ「保守主義」という概念の方を(逆説的に)肯定的に捉える形で「市場の
要求に対して『固着する』『抵抗する』『欲望を諦めない』ことを、保守主義
と(あえて)呼ぶこと」によって微妙に微妙なブレイク・スルーを試みる(試
みているのか)。その部分はとてもスリリングで面白い。



886吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 22:00:24.33
フレキシビリティというのは、権力の要請にいくらでも対応できるとい
うことですね。マラブーはそれに抵抗して「可塑性」という言葉を言っ
ている。彼女が考えるような可塑性は、市場の対応可能性ではなくて、
市場に対する抵抗を持ちながら、しかし欲望を別様に変えていく可能性
ということです。僕はそれをドゥルーズ/ガタリとつなげて考えている。
欲望の一元論=多元論が、市場の要請に従って欲望を変えられるという
話にスルッと置き換えられてしまうと言う顛末をつねに回避しなければ
ならないと思うんです。そう考えたときに、やはり重要なのは「欲望を
諦めない」というさっきの話で、ある欲望への固着によってこそ、市場
がどう要求しようとも、それに対して断固抵抗することができる。それ
は保守的と言われれば保守的でしょうが、この保守性がなくなったら終
わりだと思うんですね。ですが、そこで一つの欲望にこだわっていれば
いいというのではなくて、ある中毒=依存から異なる中毒=依存への横
断可能性、トランスアディクションを潜在的に肯定する。だから、理念
的流動性としてドゥルーズ/ガタリの欲望を捉えてしまうと、資本主義
の最先端と共犯的な保守主義になってしまう。ゲームのルールを追認す
るだけになってしまう。それに抵抗するような逆説的とも言える保守主
義があるとすれば、それはまずもって可塑的な欲望の逆説的保守性にも
とづくはずであると思います。(千葉雅也という人の発言から)

887吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 22:01:39.42
「欲望について譲歩しない」というのは、革命的なことだと思うんです
よ。我々はほとんどの場合、欲望を諦めているでしょう。だから、そう
いう意味で「あなたの欲望について譲歩するな」というのは非常にラディ
カルな定言命法ですよ。それは変わらないということではなくて、あな
たが持っている欲望を極限まで追求しろ、という定言命法ですね。もち
ろん、あなたが持っている欲望は簡単には変わらない、一朝一夕にフレ
キシブルに変わるようなものではないから、その意味で、自らの欲望を
追求することが重要になる、という話でしょう。ただ、僕の考えでは、
それだけを言っていると単にラカン主義の称揚になってしまうのであっ
て、そうでないドゥルーズ/ガタリ的な主張を付け加えるとすれば、
「欲望について譲歩しない」ということが重要だとしても、その欲望は、
思わぬ契機によって生成変化し得るんだ、ということだと思います。だ
から、つねにあなたの欲望について譲歩しなくても、いつの間にかあな
たは変わってしまうかもしれないし、世界も変わってしまうかもしれな
い。(略)市場の要請に従ってフレキシブルに変化しなさい、とつねに
求め続ける資本主義に対して、欲望について譲歩してはならない、とい
う命法自体がまず過激なものだと思いますよ。しかし同時に、市場の命
法に従って変わるのではなくて、あなたがふと気がついたときに、その
欲望のあり方がある出会いによって、まったく別のものに変容している
かもしれない、その可能性を肯定しなさい、と言ったことが、ラカン主
義に対するドゥルーズ/ガタリ主義のポジティヴな意味だと思うんです
よ。(佐藤嘉幸という人の発言から)

888アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/20(火) 22:45:56.34
>>872
「海」って雑誌は国立国会図書館でしか見たことがないけど、
なかなか気合の入った編集をしてるなあと思った。
安原と蓮實の関係はよく知らないけれど、
『批評あるいは仮死の祭典』の論文の多くの初出が「海」で、
70年代前半の日本は、想像するに、
実存主義やマルクス主義を超えようとして、
構造主義、ヌーヴェルクリティック、フーコー、ドゥルーズ、デリダらを
貪欲にも一挙に受容しようとした足跡がたどれそう。

>>880
『批評あるいは仮死の祭典』は読んだことある?
フーコーへのインタビューが掲載されているんだけど、なかなかいい。
ドゥルーズへのインタビュー(正確には質問を投げて後日回答をもらう形)も。
日本で最初に出たドゥルーズの翻訳本はマゾッホ論で、
翻訳紹介したのは蓮實なんだねえ。

>>883
塾講師の人でもそんな本を出すんだねえ。
889アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/20(火) 22:50:00.62
>>884
「アレゴリーの織物」買ったよー。

>>885
ブレイクスルーという言葉はアンチ・オイディプスで出てきてたなあ。
狂気は必ずしもブレイクダウンじゃなく、ブレイクスルーにもなり得ると。

>>886-887
欲望に対する「逆説的保守性」ということで何を言いたいんだろうねえ。
むしろ重要なのは、革新か保守かという党派的な括りで欲望を見るのではなく、
革新を差異として、保守を反復として、違う角度から捉えなおし、
欲望の質を思考することのような気がする。
890吾輩は名無しである:2012/03/20(火) 23:08:55.21
>>883
「約30年にわたって“存在”をめぐるノートを記し」
この辺がせきひろひこみたい。見えないだけでこいうい人はどこにでもいるんだろな。
891v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/20(火) 23:17:10.91
>>888
教えてくれてありがとう。出来るものならチェックしてみます。

892吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 01:02:44.10
昔のハスミンはすごくいけてたのかもね。
浅田ほど売れなかっただろうけど。
893吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 01:22:46.27
ヌー笑
894v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/21(水) 06:42:44.24
構造と力の売り上げ部数なんてたかが知れてるのでは?浅田彰と蓮實重彦は今でもいけてるでしょ。
895吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 07:13:23.93
一昔前のフランス哲学の意訳・翻訳者をそんなに褒めたてるなよ神戸人。
めだちたがりと異様な自慢心は分かったから。
大した事ないんだよ浅田は。いやみだけ。
やったのは単に「遊牧民として逃げろ」とか言ってかっこつけてノマドとほざいただけ。いい加減にしろ。
896v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/21(水) 12:01:33.53
ほんと鍵はしょーもないわw
897吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 15:56:44.93
nrfで日本特集が組まれたみたいですね
898つくだに:2012/03/21(水) 17:26:37.13
>>896
鍵の方がましだわアホ

>>897
それくわしく
899吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 20:04:23.24
アセンションは哲学より文学が好きなのかな。
900アセンション携帯:2012/03/21(水) 20:54:26.13
>>892 >>894
リアルタイムでの感触は知らないけど、
70年代の蓮實は輝きをもってた、というふうに現在からは見えるね。
『批評あるいは仮死の祭典』の再版か何かのあとがきで、
自著を「役目を終えた書物」というふうに形容してたけど、
翻訳者や紹介者のポジションに収まることができなかったんだろうなあと。

『構造と力』が文庫にならないのは、勁草書房との契約の縛りがまだあるのかな?
発刊部数は知らないけど、思想書としては例外的に売れた(今も?)と聞いたけど、
フランスではフーコーの『言葉と物』が「プチパンのように売れた」らしいから、
それに比するほどの影響力はなかったのか。
901アセンション携帯:2012/03/21(水) 20:56:55.01
>>895
>「遊牧民として逃げろ」とか言って
浅田はそういう書き方をしてたね。
ただ、ドゥルーズは、遊牧民であることはむしろ動かないことだ、という言い方もしてて、
ドゥルーズ自身、ほとんどパリを離れなかったらしい。
フーコーもデリダも日本に来たことがあるけれど。

>>898
哲学全般が好きなわけじゃないね。あまりジャンルを意識せずに読んでるから、
哲学と文学、批評と小説もそれほど違う読み方はしてないかも。
902アセンション携帯:2012/03/21(水) 21:01:37.59
上のレスは899宛て。

>>897
ほんとだ! 日本特集が組まれてる。
http://www.gallimard.fr/nrf/numero.nrf?idNumero=A13740
小林秀雄や吉本隆明の翻訳もあるね。
ビュトールがどんな文章を書いてるのかちょっと気になる。
903吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 21:01:58.62
>>898
震災をきっかけに平野啓一郎ほか数人の日本人作家の小説が数作紹介された
904吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 21:05:45.69
小林の仏訳読んでみたい。安いのかな
905吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 21:07:48.06
Rimbaud II
Hideo Kobayashi
Traduction : Catherine Hennion, Masayuki Ninomiya
Du Japon, n° 599, Mars 2012, pages 162 - 169
Nouveauté
これか
906吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 21:09:45.51
1,2,3、の内2が一番短い
907吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 21:11:45.41
Pour cet automne
Takaaki Yoshimoto
この秋のために、で訳はいいのかな?詩かな
908吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 21:13:33.73
Du désespoir à la cruauté
Takaaki Yoshimoto
Traduction : Yves-Marie Allioux
Du Japon, n° 599, Mars 2012, pages 230 - 232
Nouveauté
絶望から残酷に、でいいのかな?これも詩?
909吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 21:24:11.51
La pensée de Kobayashi Hideo: Un intellectuel japonais au tournant de l'histoire de Masayuki Ninomiya (Broché - 1 janvier 1995)

小林の紹介されてたんだね。二宮か。
910アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/21(水) 21:26:51.58
吉本に絶望から苛酷へ、という詩があったような。
震災一年ということで特集が組まれたんだろうけど、
偶然とはいえ吉本の追悼の意味合いも感じてしまうなあ。
911吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 21:31:09.15
Der junge Kobayashi Hideo: Leben und Werk eines japanischen Literaturkritikers der Moderne von Matthew Königsberg von Gesellschaft f. Natur- u. Völkerkunde Ostasiens (Taschenbuch - 1993)

ドイツ語でもあった。まったくわかんないけど
912v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/21(水) 21:34:12.30
>>900
俺「映画長話」を買って読んでます。面白いですよ。
913吾輩は名無しである:2012/03/21(水) 22:11:22.85
フランスの文芸雑誌で日本特集かあ
三島、大江あたりはやはり外せないんですね
914吾輩は名無しである:2012/03/22(木) 00:28:27.84
荻野アンナが…
915つくだに:2012/03/22(木) 04:31:09.96
スレを離れてたけど、久々にいいニュースが来たんだな。
フィリップ・フォレストという人がいるのか。フィリップ・ソレルスならちょろっと聞いた事があるけど。
平野様御一行はこの間フランスにイベントをやりに行ったと記事があったな。内容はやはり原発関連らしい。

>>903
情報どうもありがとう。

>>912
原発のことではつい吉本の悪口をいっぱい書いたけど、まさかこんな時期に亡くなるとはねえ。とんだことだ。
916v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/22(木) 13:22:56.33
いやいつ死んでもおかしくない状態ではあったじゃん
917つくだに:2012/03/22(木) 16:40:27.56
もともと気性が激しいしとんちんかんなことも一杯してたけど、晩年はかなりやばかったんだよね。
おむつも取れないから外出できないし。それでも気持ちだけは現役のつもりで大学の授業にビデオ録画で出たり。
娘が清志郎好きで反原発だったけど父は推進派、でも娘が応援するから釣られて応援するとか変な状況になってて。
でも反発に関して周囲からかなり反感を買って、娘が引導を渡したんだ、その数ヶ月後の死だったな。
918吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 16:14:13.78
「論壇女子部が行く!」第二回、千葉雅也さんインタビューがアップされました!ぜひお読みいただけましたら幸いです。
http://astand.asahi.com/magazine/wrculture/special/2012032100011.html
慶應義塾大学非常勤講師。2012年秋ごろ、初の単著となる『ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』(仮題)を発表予定。
919吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 18:00:25.82
2012-03-22 なぜ私は本を読むのか? 映画を見るのか?
 先日、JLG好きさんという方からメールをいただいた。そのメール
の中で、以下のようなことを聞かれた(ご本人の許可を得た上で転載)。
http://d.hatena.ne.jp/HowardHoax/20120322

アセンション?


ピースというキチガイが
記憶喪失した男がホンモノの布置将臣だと
なんどもいって、俺を自宅まで
おいかけて殺すとかレイプするとかいた
ツハラや津原弁護とグルの集団ストーカーで佃煮も
川上弘美派だ。
921吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 20:05:03.05
吉本は英仏語の世界的影響力、特に英語の影響力を良く分っていなかった。
Jポップの音楽家の阿呆な自信とも似てるがw
デリダ、ドゥルーズは英米での講演活動がすごいのでは?
吉本がいくら親鸞に傾倒しても、外国人はそんなもの知んらんw
フーコーも、何も自分を持っていない蓮見と対談するよりは吉本と話した方が
ましだったろうがなw
922v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/23(金) 21:15:01.69
蓮實重彦が何も自分を持ってないとかよく言うよ。
923吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 21:20:00.75
離れ目=つくだに&薬中フォーゼ+将臣のコンビ自演バレバレ漫才乙(笑)
924吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 21:23:50.77
704 :吾輩は名無しである:2012/03/19(月) 21:09:26.46
>>702
でもおまえ川上津原の件ではつくだにに負けただろ

705 :v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/19(月) 21:10:45.69
>>704
ハァ?川上未映子には負けたけどつくだには川上未映子じゃねえだろ。

706 :吾輩は名無しである:2012/03/19(月) 21:11:02.63
>>703
>女の生理現象に付き合ってやる、といった程度の考えでいいんですよ。

その「素っ気無い対応」ってのが「男の生理現象に付き合ってやる程度」だったんじゃねえの

707 :吾輩は名無しである:2012/03/19(月) 21:11:31.93
何がどうピースが負けたのかがわからん

708 :吾輩は名無しである:2012/03/19(月) 21:12:51.53
またピースの印象操作が始まった
こいつこれで失敗したくせにまだやってるのかよ…

↑離れ目おばん&ヌー「一族」コンビ自演バレバレ漫才乙(笑)
925つくだに:2012/03/23(金) 21:31:14.42
>>922
そういやおまえほど主体性の欠落した人間もいないね。
ま、精神的に自立できてたら今みたいな底辺人生じゃないもんね。
926吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 21:32:55.14
またコンビ自演かよ笑
927v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/23(金) 21:33:52.86
精神的に自立とか主体性とか、お前程度の精神性ならいらないというか積極的に拒否するねw
928つくだに:2012/03/23(金) 21:34:45.69
やあ釣れた釣れた。ほっほっほ。
929アセンション携帯:2012/03/23(金) 21:45:07.32
相変わらずだねえw

>>911
小林秀雄の英訳ペーパーバックは今でも買えるみたいだね。

>>912
ゴダールの『映画史』も読んでるんだっけ?

>>915
フィリップ・フォーレだね。小説も批評も書いてる人。
ソレルス論も書いてるのと、大江論も書いてるみたいだ。

ソレルスはテル・ケルという雑誌を60〜70年代に出していて、
そこにはヌーヴォーロマンの作家やバルト、デリダも寄稿してた。
930つくだに:2012/03/23(金) 21:46:37.28
ニートの依存症人生、まるでアリ地獄みたいね^^かわいそうw
931つくだに:2012/03/23(金) 21:48:22.49
>>929
へ〜。物知りアセンションにまた面白い講義をしてもらった。
さんきゅー。
932吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 21:58:49.65
>>931
釣られたハナレメ笑
933アセンション携帯:2012/03/23(金) 21:59:40.33
>>918
ヒューム論から生成変化に持っていくわけかな。
カントの話も出てるみたいだけど、
『純粋理性批判』にあたるのが『差異と反復』で、
『実践』は『アンチオイディプス』『ミルプラトー』
『判断力』が『感覚の論理学』と『シネマ』にあたる、
と誰かが書いてたっけ。
『純粋理性批判』の位置に『差異と反復』が来るっていうのは納得。

>>919
ん? 違うよw
「批評は馬鹿を黙らせるためにもある」ってフレーズがあったけど、
確かにそういう面はあるよなあ。

>>921
デリダはアメリカのイェール学派と交流があったけれど、
おそらくドゥルーズはアメリカに行ったことはほとんどないと思う。
アメリカの文芸批評においてデリダの脱構築は積極的に輸入されたけれど、
ドゥルーズのスタイルは文芸批評ではあまり影響力を持たなかった印象。
930ほら依存症という単語がすきなのはケイと津原と可能である。
佃煮は「ミエコアヒルぐちするとしわになりまっせ」といっているので
まちがいなく離れ目水牛顔の津原か弘美かケイか可能である。
佃煮も津原も朝日マンセーである。
佃煮は津原の自演キャラなので長文を津原はよめるし、アクセス禁止にしない。
佃煮キャラは津原のいいこである、なぜなら弘美の盗作批判から話をそらしてくれるから。
佃煮饅頭も津原も、創価マンセーである。
佃煮もピースもカギもハンネドロで石原慎太郎を殺人恐喝している。
佃煮もピースもかぎもケイも布置をストーキングしている。
烏賊はモンスーンという名前で児童ポルノを批判する布置を殺人恐喝するといってる。
便所といってるのはミエコネタにからめて強姦恐喝であり、ピースとか
日本のおばんは相撲取りのレイパーである。

936吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 22:06:52.11
ドゥルーズは一度だけアメリカ言ってるはず。
宇野の文章で、宇野が病床のドゥルーズ見舞ったとき、
ドゥルーズがアメリカに行ったことあるよwって言ったの聴いて、
あなたが大陸を越えるなんてって驚いてた。
937吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 22:07:45.65
アセンションなら知ってるか。まあ
朝日新聞社 鉄道板荒らし問題まとめwiki
荒らし問題まとめwiki  どなたでもお気軽にご利用・編集下さい。
。朝日広報が2chに謝罪し 解除と同時に荒らし復活。 ネットで情報操作!?
朝日では2割が「余剰記者」=「社内失業」。
発端が一社員の過誤だとしても、その結果、明らかになった、
社全体からの「ネット取材」と称した,★猥褻サイトの利用や差別発言 の数々。
★企業ぐるみでのネット工作&ネット叩きのマッチポンプ報道の疑い。
先進国の大手報道機関によるネット工作があきらかになりうる初のケースにも関わらず、その点を追求する報道は全くない。
このままでは一社員の過誤として解決済み扱いになります。
★ネットを貶める世論操作は野放しです。
939アセンション携帯:2012/03/23(金) 22:16:57.04
>>936
それは知らなかったなあ。
ほとんどパリを離れたことがないというのは知ってたけど。
940アセンション携帯:2012/03/23(金) 22:18:48.00
>>921 >>922
自分を持っているかどうか、
これ、結構難しいテーマだねw

吉本と蓮實をドゥルーズとデリダに比較するのは無茶を承知でやってみると、
一見、蓮實より吉本のほうが内容的に自分を持っているように「見える」のと同じように、
デリダよりドゥルーズのほうが自分を持っているように「見える」。

というのもデリダのほとんどの本っていうのは、常に「何かを読む」スタイルで、
しかも綿密な読解を通して、その読みの中でテクスト自体に語らせるように仕向ける。

一方、ドゥルーズの主著というのは、他人の特定の作品を緻密に読む作業はせず、
アバウトな引用とあっけらかんとした概念の変形によってロジックを組み立てていく。


他者のテクストへの依存度という点では遥かにデリダのほうが大きいから、
それが「自分のなさ」に見えないことはない。
このことは、吉本と蓮實を比較してみた時にも多少いえるだろう。

ただし、「自分」というものの定義や考察なしには、何も言ったことにはならないだろうね。
941v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/23(金) 22:19:27.27
>>929
読んでるね。でもそっちは半分まで読んで今はこっち読んでます。
942吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 22:20:21.87
943吾輩は名無しである:2012/03/23(金) 23:00:07.27
確か現代思想のドゥルーズ追悼号か、
D死後にでた宇野「D」だとおもう。追悼関係の宇野の記事
宇野が病床Dにジュネどう思うって聞いたら、
D「ジュネは言葉に穴をあけてない」みたいなこといってアルトー褒めたり。
宇野に「きみはいくつになった?」で宇野が答えると
D「全然そうみえないw」とか宇野に日本におまえの読者はどれくらいるか?
とか。多分読んでると思うけど。
944v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/23(金) 23:54:25.56
宇野って下の名前はなんですか?
945吾輩は名無しである:2012/03/24(土) 00:07:27.62
常寛です。
946吾輩は名無しである:2012/03/24(土) 00:08:59.97
浩二です。
947吾輩は名無しである:2012/03/24(土) 00:17:03.58
千代です。
948吾輩は名無しである:2012/03/24(土) 00:36:20.35
640 名前:名無しさん@12周年[] 投稿日:2012/02/18(土) 15:05:47.13 ID:sskgsjsc0 [2/2]
『平清盛』プロデューサー在日朝鮮人 磯智明(反日・天皇制度廃止論者)のプロデュース作品

@『監査法人 (2008)』反体制・反社会

A『最後の戦犯 (2008)』反日・天皇制度廃止・反体制・反社会

B『リミット -刑事の現場2- (2009)』反体制・反社会


日本放送協会 、、 〒150-8001 東京都渋谷区神南2-2-1
韓国放送公社(KBS) 〒150-0041 東京都渋谷区神南2-2-1NHK東館710-C ←よく痴漢やヤクで捕まるのはここの工作員


テレビが言えない民主党のスポンサー=韓国北朝鮮
あとはもうわかるよな
民主党は、朝鮮人だらけ。
野田はどうだろうか。韓国人の集いに出席し、韓国人暴力団から賄賂を貰っている野田は

949v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/24(土) 07:09:37.72
>>946
あなたを信じますありがとうございます
950吾輩は名無しである:2012/03/24(土) 11:19:04.40
邦一だけどね。
951吾輩は名無しである:2012/03/24(土) 11:28:20.47
常寛なんだな〜実は
952吾輩は名無しである:2012/03/24(土) 11:39:54.18
勝だろ!
953アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/24(土) 15:30:24.16
>>943
あー、宇野の「D」は読んだよ。あの青い装丁が結構好きで買ったんだけど、
飛ばし読みしたところもたぶんあるからあまり覚えてないかも。
現代思想のドゥルーズ絡みの特集で買ったのは2冊かな。

>>944
それぐらいはぐぐれよw 宇野+ドゥルーズでぐぐれば邦一ばっかり出てくる。
954v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/24(土) 20:56:42.30
教えていただいてありがとうございます…
955アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/24(土) 23:24:40.93
レヴィナス特集のある『現代思想 2012年3月臨時増刊号』
http://www.seidosha.co.jp/index.php?%A5%EC%A5%F4%A5%A3%A5%CA%A5%B9

雑誌「現代思想」で思い出したんだけど、久しぶりにこの手の雑誌買おうかな。
956吾輩は名無しである:2012/03/24(土) 23:43:58.45
新・くわいだん「脳無し邦一」
957吾輩は名無しである:2012/03/25(日) 14:19:06.38
            気
         あ  を
         の  付
         民  け
      元  主  .ろ
      朝  党
      鮮  .員
      人
   圖 
  ∧_∧
 ( ´∀`)
 (  ○ )


280 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:26:01.31 ID:sGoAT50E
三年前ごみんすに投票した連中、今どんな気持ち?
287 名前:名無しさん@12周年[sage] 投稿日:2012/01/13(金) 12:27:00.18 ID:P8V2Yy+50
>>280
橋下様なら何とかしてくれるとお経上げてるよ。


09年の選挙では 民主なら誰でもよかった 
今度の選挙では 維新なら誰でもよかった
幾らB層でも流石にこうはならないな

958吾輩は名無しである:2012/03/25(日) 14:28:54.37
急接近:ジョルジョ・アガンベンさん ユーロ危機、フクシマ…世界の近未来は?
 <KEY PERSON INTERVIEW>

 09年末にギリシャに端を発した「ユーロ危機」は資本主義という名の宗教
が壊れ始めた世界での日常の出来事にすぎない−−。そう断言するイタリアの

哲学者、ジョルジョ・アガンベンさんに近未来、そして「フクシマ」の原発事
故が与えた衝撃について聞いた。【ローマ藤原章生】

http://mainichi.jp/select/opinion/approach/news/20120324ddm004070152000c.html
959アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/25(日) 20:59:25.30
アガンベンも今年で70歳かあ。
「スタンツェ」がイマイチだったので、しばらく読んでいないけれど。
960吾輩は名無しである:2012/03/25(日) 22:13:46.69
こんばんは。
おじゃまします。
アドバイス、いただきたいのですが、
デリダの、『声と現象』『死を与える』『火ここになき灰』
以外で、デリダの、お薦めの、邦訳を、
教えてください。
どうも、すいません。
961アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/25(日) 22:45:37.03
>>960
こんばんは。うーん、即答しにくい質問だけど…
軽めのものがいいという場合には対談の『ポジシオン』
初期の尖ったやつから食いたい場合には『エクリチュールと差異』
絵画に興味があるなら『絵画における真理』『盲者の記憶』
政治に興味があるなら『友愛の政治学』『マルクスの亡霊たち』
『火ここになき灰』に近いものなら『絵葉書』(Tのみ既刊)
言語論的な関心がある人には『有限責任会社』
もし詩が好きならツェランを論じた『シボレート』(やや難解)
レヴィナスが好きなら『アデュー』(オマージュと批判)
ブランショ論『境域』はとてもとてもすごすぎる
いろんな人たちについてのデリダの見方を知りたいなら
『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉』(追悼文集みたいなもの)
と、関心領域によっていろいろな道があるんだけど…
(ちなみにナンシー論などまだ読んでないのもあるのでそれは除外してます)
962吾輩は名無しである:2012/03/25(日) 22:50:23.29
>>940
>>吉本と蓮實をドゥルーズとデリダに比較するのは無茶を承知でやってみると、

阿呆なことは止めとけw
吉本のような態度で海外の思想家と対談できる者は滅多にいなかったろう。
蓮實ならフーコーに「お聞きする」以外有り得ない。

963v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/25(日) 22:54:04.29
なるほどねえ
964レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/25(日) 23:00:40.53
962さんのおっしゃる通りでしょう。

脱亜入欧の文明開化イエロー―モンキーイズム、西欧文学屋さんたち、今後もそんなんで食おうっての、たいがい嫌気ささないかい?
965吾輩は名無しである:2012/03/25(日) 23:08:48.65
>>961
アセンションさん☆
サンキュー^^
助かります♪
966v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/25(日) 23:12:10.93
アセンションさん!アセンションさんかっけー!
967レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/25(日) 23:17:50.67
分節化以前には、即ち、局所的な差異が生じる以前には、
言語と呼びうるようなものはない。

以上は「グラマトロジーについて」から。ただし、邦訳では、「局所的」のところが、「地域的」になっている。
原文は「ローカル」じゃないかと勝手に推測し、誤訳と判断して変えた。間違っていたらごめんなさい)

ということで、アセンションさんは、前に「ラングを揺るがすパロールはある」みたいなことを言っていたが、
それが、デリダ的エクリチュール論を評価するわけですか?
だとすると、音声中心主義批判はどうなんの?
968v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/25(日) 23:28:07.46
>>967
デリダ読んでないけど、そこが決定的な部分ではないでしょ。そんな事はレヴィストロースが言ってるんじゃないの?
969アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/25(日) 23:54:26.51
>>962
言わんとすることはわかるし、半分は同意してるけれども、
フーコーと吉本の対談「世界認識の方法」はつまらなかったという結果が、
俺にとってはすべてという部分があって、日本の思想家とフランスの思想家が、
対峙しているという感覚では、どうも読めなかったんだよね。
内容ももっぱら階級闘争的な、マルクス主義的な内容だったけれど、
たぶんアルチュセールとならもうちょっと面白い対談になってたのかな。
こういう内容なら、対談ではなくインタビュー的なものであっても、
吉本より蓮實のほうが相手として良かったんじゃないかというのが、
一読者としての率直な感想だったな。

>>965
いえいえ。

>>967
邦訳の具体的なページ箇所がわかれば原文調べてみますよ。

ラングを揺るがすパロール、について語った文脈では、
特にデリダについては言及しなかったと思うよー。
それから、961で『グラマトロジーについて』を挙げてないけれど、
個人的には『グラマトロジー』はあまり評価してないし、
『声と現象』もあまり評価してないんだよね。

次スレ立てれるかな…
970アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 :2012/03/26(月) 00:06:32.25
「ERROR:新このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。」
とは…orz 心優しき方、↓テンプレでお願いします。

デリダとドゥルーズV 文学との関係を中心に

前スレ「デリダとドゥルーズU 文学との関係を中心に」
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1328458102/

そしてこの2人を&で接続してみるとどうなるだろう…
哲学的著作だけでなく、批評的な著作はもちろん、
フーコー、ド・マン、ナンシー、ラクー=ラバルト、
ブランショ、ベケット、ジャベスなどの周辺も視野に入れつつ
971ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/03/26(月) 03:17:50.65
まあでもハスミンも結局島国指向の土着日本人ではあるんだよな。
ヨーロピアンには拮抗できんよ。向こうの土俵じゃ。サッカーと同じで
972ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2012/03/26(月) 03:20:40.88
ただ俺の本能は一度も読んだことのない吉本よりハスミンの方が偉大だと直感してるがw
973吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 08:22:19.99
悲惨すぎる家なき子の死
中原 昌也 著

定価1,575円(本体1,500円)
ISBN 978-4-309-02106-5 ● Cコード 0093 ※未刊


絶筆から4年――『ニートピア2010』を最後に文芸誌から姿を消した中原昌也
、待望の小説集がついに刊行! これぞアンチノベルの最前線。絶望と狂気溢
れる「狂喜の世界」へようこそ。
974吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 09:46:57.96
Jacques Derrida in 1 Minute
http://www.youtube.com/watch?v=CQbWOXxag-0&feature=g-vrec&context=G2dd7cbcRVAAAAAAAAAw

一分でわかるジャック・デリダ
975吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 10:30:48.68
722 :考える名無しさん:2012/03/26(月) 10:25:36.32 0
>>718
まず柄谷が操作的にかの人物を使って、佐々木さんにそう言わせた
ということではないようですね。
そこは確認すべき事柄です。
なぜならNAMの時はそういった柄谷本人からの間接操作で他人に何かやる
という人が余りに多すぎたからです。

それで もしそれが柄谷本人の意志ではないというのなら
佐々木さんは今までのように、サイトでデモなどの細かな情況を報告して
全然構わないと思います。
976v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/26(月) 14:57:34.16
>>973
Amazon.co.jpでチェック: 悲惨すぎる家なき子の死 http://amazon.co.jp/dp/4309021069
977吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 16:22:02.82
スレチの宣伝すんなカス
978レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/26(月) 18:28:19.21
吉本と蓮実と、どっちが「偉大」かといえば、
吉本に決まっているんじゃないの。
蓮実ししろ、柄谷にしろ、吉本のこしらえたパラダイムの上を動いていたようなもんなんだから。
当人たちがそれを自覚していたからこそ、その本丸を攻撃したんであって。
若くなると、自分が吉本パラダイムの上で茶番を演じているという自覚もなく、
その「ご先祖」をバカにしたりしている、ということでしょう。現代思想関係者では、
東なんかは、モノが見えているんで、まあ例外でしょうが。
知能的・教養的には、どっちも似たもんでしょう。はっきりいって、たいしたことない。
持ち味は、双方とも、切り口の新味でした。いまとなっては、干物みたいなもんなんで、新味なんかありませんけどね。

ムーさんは、自分では「地べた這いずっている」という割に、小役人好きなんだよな。
ほんとは「業界」でそれなりの地位なんじゃないの。だから、既得権防衛的なことばかり言う、と。
979v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/26(月) 18:29:37.45
東なんかはものが見えてるってどういう意味で?w
980レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/26(月) 18:34:19.49
それは俗な意味ですよ。「学知」をわきに置いて、「世間知」にもとづく見方ができるということ。

あと、東のいうことは基本的に状況論でしょう。
特定の「理論」に固執しないでしょう。何でもつかえればいい、という感じで。
981v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/26(月) 18:35:51.31
「世間知」って具体的にどういう事?
982レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/26(月) 18:40:49.98
例を挙げれば、私が言うことみたいなことが、世間知的。
文学板のドゥルージアンの皆さんがいうようなことは学知的、ということになるでしょう。
983吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 18:43:54.68
ジャネットはもしや↓からぱくった?
月形与三郎
http://hametuha.com/etude/1211/
984v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/26(月) 18:44:29.62
それは私はモノが見えてますってアピール?
985レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/26(月) 18:45:51.09
月形は私。
986つくだに:2012/03/26(月) 19:05:50.89
ふう。OSをライオンにしたら調子いいわ。

吉本も蓮實もここ数年は化石だの時代遅れだの言われてたんだよね。
私はどっちも嫌い。でも美とは何かと幻想論は面白かったよ。
この板って蓮實信者が多いんだよね。なぜか知らないけど。
蓮實は吉本に比べると小物だし俗物だと思う。
987吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 19:18:36.47
ジャネット=離れ目おばん=無能盗作屋バレバレ(笑)
988v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/26(月) 19:31:16.31
>>986
ちなみにどう面白かったの?
989吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 19:39:43.68
【1:1】デリダとドゥルーズV 文学との関係を中心に
beチェック
1 名前:吾輩は名無しである 2012/03/26(月) 19:38:43.89
前スレ「デリダとドゥルーズU 文学との関係を中心に」
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1328458102/

そしてこの2人を&で接続してみるとどうなるだろう…
哲学的著作だけでなく、批評的な著作はもちろん、
フーコー、ド・マン、ナンシー、ラクー=ラバルト、
ブランショ、ベケット、ジャベスなどの周辺も視野に入れつつ
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1332758323/l50

990吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 19:39:58.74
ものすごい亀だが>>406にちょっとフイタ
991吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 19:48:30.89
>>981
ピースとか世間知タイプだと思うんだが
992吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 19:48:37.90
教養ある人って誰ですか?>ジャネット氏

白川静とか。
993レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/26(月) 19:57:06.87
私も、吉本はアナクロだとずっと思ってきたんですよ。
これは同年代の多分に漏れず、蓮実・柄谷のいうことを鵜呑みにしていたということです。
ところが、五年くらい前、古本屋でたまたま昔の「海燕」を買って、載っていた「ハイイメージ論」を読んでみたら、
なんか、吉本のほうがぜんぜん新しかったんじゃないか、と感じたわけさ。
吉本がヘーゲル的だといわれるのは、同一律なしに論理は成立しない、という当たり前のことを無視してないだけなんですよ。
ハイイメージ論に関して言うと、数物系の知識水準が柄谷とは明らかに違うのね。
ちなみに浅田の本音は、柄谷よりも吉本のほうが正しい、だと思う。
だから、柄谷支持、吉本批判は、党派的なもんでしょう。

似た経験に関して言うと、同世代の多分に漏れず、ハイデガーも、ドゥルーズの批判を鵜呑みにして、
長らくダメだと思い込んでいたんだが、よく読むとドゥルーズよりも明らかに「正しい」のね。

上手く言えなく申し訳ない。
994v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/26(月) 19:57:51.82
>>991
俺もそう思ってたけど、最近世間と俺の脳内のギャップがもの凄い事を知って戦慄してます…
995吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 19:58:42.37
吉本がヘーゲル的だってのには俺も違うなと思ってるな
あいつはヘーゲルよか「女々しい」
996v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/26(月) 19:59:23.78
>>993
浅田彰はそういう事はしないから。「文章の意味がわからない」「てにをはがおかしい」ってのは本音だと思うよ。
997吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 19:59:29.76
>>994
よきかな
998レディー・ジャネット ◆zHjuTueIApoc :2012/03/26(月) 19:59:48.34
白川もその一人でしょうかね。
ほかにも教養人というのは、結構いるんじゃないですか。
999v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :2012/03/26(月) 20:01:38.38
>>997
よかないよ。簡単に変えられるもんじゃないしさ。
1000吾輩は名無しである:2012/03/26(月) 20:02:41.06
すみません「メシウマ」の方が正しかったかもしれません
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