1 :
忍法帖【Lv=10,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :
青空文庫を中心に、誰もが自由に読める短めの作品を共に読むスレ
*自分の感想の書き込みは名無しでもOK。
*感想文を書いた参加者のみ他者へレス(批判含む)できるが、
その場合、名無しの人は自分のレス番号を名前にする。
*他者批判の場合も人格攻撃にならないように。
という感じでヨロシク。
ありがとうございます。
確かに太宰の結論と安吾の結論を同一視するのは無理があったかもしれないね。
告白してしまえば、安吾の出した最終的な解答が私にはよくわからない。
論旨が二転三転しているように思われて…。
ともあれ
>>1乙
私も安吾にはかなり明確な意見があるように思います。すごく明るく強いメッセージを読み取りました。
>>5 でも、私も全然違うとは思ってないですよ!
私も安吾の書き方は二転三転してるなって、思いました。
ともあれ同居人を叩き殺して血の滴った斧持って向かってくる気持ち悪い兄ちゃんに両手を差し出してください・・・うん。
そうです。論旨は一貫してますよ。それを「堕落」という一語に落とし込む上で作者が苦労してるという印象を受けるな。
でも最終的に言いたい事に向けて一直線に進んでるとは思うな〜
>>8 泥棒陰士さんはガンダムニュータイプ論の方ですか?
>>10 論は明確なんですよね。途中であちこちやられるから迷子になりそうになるだけで。
確かに言われてみれば、「堕落」に落とすのに苦労した結果かも。
安吾の論旨が明確じゃないというよりも、
論旨を表現し展開する上において整理されていない、
というか分裂したようなところを抱えていると思うね。
それはたとえば、こんな箇所に見られる。
それにも拘らず美しいものを美しいままで終らせたいという
小さな希いを消し去るわけにも行かぬ。未完の美は美ではない。
その当然堕ちるべき地獄での遍歴に淪落自体が美でありうる時に
始めて美とよびうるのかも知れないが、二十の処女をわざわざ
六十の老醜の姿の上で常に見つめなければならぬのか。
これは私には分らない。私は二十の美女を好む。
そこは傍論じゃね?二十の処女と二十の非処女だったら後者の方がいいって安吾は言うよ。
ところで某スレで血盃異聞の連載を再開いたしました。(今連投規制で中断してますが、今日もう少し話が進みます)
物好きなかたはぜひ。
スレのアドレスを貼って下さいよ。
携帯だからムリw
すぐ下のイササカというスレでございます
>>14 いや暴論じゃないと思うよw ここにはダブルバインドがある。
「これは私には分らない」というのは安吾自身の率直さじゃないかな。
暴論じゃなくて傍論ね。
>>14 結論は明確に伝わってくるけれど、それに至るまではうろうろしてる感が拭えないな。それが鈴木さんの言う通り堕落に落とすためか、それともアセンションさんの言う通りほんとうにうろうろしているのかは分かりませんが。
でも、あれだけ明確にメッセージが伝わってくるので、意図しての二転三転なのではないかと思えます。
暴論でも傍論でもなくてねw
無垢への希求と堕落への意志が本質的に共存してる感じがあるよ。
>>14 うーん、要するに1人の女に操立てて長年食わして行くより
20の若い女取っ換え引っ換えした方が良いじゃんって事だろ?
当時堕落論を読んだ人たちにとっては、二転三転が自分たちの気持ちにぴったりきたんじゃないかと想像する。
>>22 まあね、やっぱり安吾は全てを肯定しようとしたんだと思うな〜
>>22 どこかに、「裸になれ」と書いてありましたしね。
ありがと
>>26 もちろん肯定だね。しかも非常に強い愛のある肯定。
だからとてもニーチェに近いな(ニヒリズムと運命愛)。
まあ鈴木の安吾に対する愛は全レスからも伝わってきたよw
ありがと
鈴木さん面白かったですよ。トカトントンも感想書いて欲しいです
すみませんなかなか書けないですよ。大抵一行くらいしか書けないw
こんのヘタレが・・・命懸けで反論しろよ
いや、なんとなくわかったよ、似てるんだな。
35 :
吾輩は名無しである:2011/08/04(木) 23:17:04.38
>>まあね、やっぱり安吾は全てを肯定しようとしたんだと思うな〜
>>もちろん肯定だね。しかも非常に強い愛のある肯定。
何の意味もないレスだなw
全てを肯定なんてできる訳ない。
気持ち悪い馴れ合いが骨の随まで染み渡ってるw
前スレ
>>920 >その柄谷批判はいいなあ。そこをもっと深化させたものを読んでみたい!!
深化ねえ。これ以上深化させていくとなると、もっと長く、もっとトリビアルにと
そういう方向に書いてかざるえないだろうなあ。
>>922 >「政治と文学」と「堕落論」は出版時期はどちらが早いんですか?
出版時期っつーか、発表時期は、堕落論のほうが早いね。
>>35 そう。だから個体としてのマキシマムはあるけど、そこを狙ったんでしょう。
>>38 堕落の文化風俗的側面、だっけ?そこをもっと聞きたかったんです。
そっか、安吾はあからさまに小林秀雄を仮想敵にしてたところがあるけど、対談とかを読んでると小林も安吾を仮想敵にしてたところがあるのかな?って思う。
25年前、わたくしにとってのトカトントンはハウスミュージックのドッドッドッドッとゆう
イーブンな4つ打キックでした。街を歩いて好きなおんなに逢いに
いくとき、所属してた劇団の芝居の
落に劇場へ乗り込むとき、FGTHやニューオーダーの曲がどこからともなくきこえてくる。
その瞬間体からすべての緊張感が抜け、ふにゃ〜となり、女のこを抱きしめたり
押し倒す気力も、汗かいてドラムキットを
ぶんなぐる根性も消え失せてしまう。じっさい当時は今の何倍もレコード屋や
楽器屋、洋品店が街にあって、どこもかしこもハウスを鳴らしていたものです。
どんなに張り切って家を出ても、あの
ドチドチドチドチー(チはあのゲートエコーのかかったハイハット、チーはハーフオープン)
のせいで、目的地に到着するまでに完全にふてくされてしまうので、唯一の
味方WALKMAN(カセットのです)でサンタナやミーターズ、オハイオプレイヤーズやマグマを大音量で
聴いていましたた。
かわいさ余ってというやつで、トレバーホーンやアランパーソンには殺意さえ覚えました。
やがて音楽業界もいくらなんでもこれはドラムという楽器を馬鹿にし過ぎてると
感じたのか、キックにもいろんな
バリエーションが出始め、夜遊びが苦痛でなくなり始めた頃、そう。第二のトカトントン
「ブレイク」が現れました。
尋常のドラマーは絶対に
あんな叩きやめかたはしない。
腰で感じたグルーヴが、脳天どころではない、屁のようにケツから抜けていきます。
いずれこれもなくなるだろうと思っていたら、驚くなかれドラムnベースやロック、ジャズの
連中が当たり前に叩いている。今日ではヒット曲入りアルバムにアレが必ず数カ所はあると
いうていたらく。
わたくしは負けない。死んでもアレだけは叩かないぞ。
第二のトカトントンブレイクを口で言うとどうなりますか?
無音ですからね。静寂、しじまのトカトントン
虚のトカトントンだ。
あえて表記するならtの書き出し
ー (休符)(休符)
みたいな。
叩きやめ方はどうなるのですか?
そんなん言えないかwでも楽器が出来るって羨ましいなあ。音楽も演奏者の角度から見ると色々楽しめそう。ってなんか佃煮マニアみたいなこと言ってるなあ俺。
くだらねえこと言ってねえでさっさと消えろやクソ鈴木
えっなんで?(泣)
たとえば他のうわもの楽器との掛け合いみたいなドラムの中断には
キリのいいスパッとした終わり方、次の小説のアタマのキックを
蹴って他の演奏者に投げるという『拍』
があるのですが、最近のブレイクは
4分の3小節、12分の8小節の入りからいきなりノーアタックです。
リズム楽器の演奏というのは8小節なら8小節、12小節なら12小節を
テンポをキープしながらノリを製造することです。
叩くなとは何事だ。
世の太鼓叩きというのは人を踊らすのが飯を食うより女をヤルより
楽しいから重いシンバルやハードウェアを担いでうろついたり、汗かいて
演奏した後でノソノソ後かたづけをするのです。しかるに叩かないで、しかも
人々が踊る?こんなことは決して容認
できません。断固拒否する。
佃煮マニアが2人もいたら手に負えないだろ
>>48 なるほどー。@@さんはDJになろうと思った事はないんですか?
学生時代、慰みに回したら、アッと言う間にピッチが最速になってしまい
「ねえ、これどうしよう」状態になりました。
CDJ以降の速度音程自由自在時代にあれをやったら、ダンスホールは
チャプリンやジョゼフィンベイカーの記録映画になってしまいます。
なるほどー。って言ったけど、語らせといて、拍、小節のくだりは全くわからなかった。ごめんなさい。
これでもダンスミュージックは好きなんですよ。でも日本の観客のノリは気持ち悪い事が多いけれども。
バツとか食った時はそれも含めて全てが愛おしく感じてしまう。踊れない曲をかけるDJとかも含めて。
>>51 BPM133がいいんでしたっけ?126だっけ?なんか客が朝まで踊れるBPMってのがあったと思うんだけど、
未だにBPMの概念がわからないです。DJの友達に何度説明して貰ってもわからないw
踊れなくてもハマれればいいんですけどね。
熱唱したり絶叫する若い表現者いますよね。あれはケツがざわざわする。
マンガでも見せて原曲かけっ放しにしといてほしい。
今わたくしが最も嫌いなのはニッポンのレゲです。
暑苦しい、かっこわるいし不潔そうで下品。顔つきも卑しい。
あんな者どもの口から出る寝言にどんな「メッセージ」があろうがわたくしの知った
ことか。
>>54 俺が一番寒いと思うのが集団で「オイオイオイ!!」ってサッカー観戦の如く叫んでる連中ですね大学サークルノリ?
でもレゲエの人達をディスる気にはなれないな。真面目に大麻解放運動をやってる人には頑張れよって気持ちになる。
20数年前だと130は
「かなり早め」
な印象だったんですよ。時代ですねえ…
530 名前: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】('A`)鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo [sage] :2011/08/05(金) 17:51:39.19
>>526が真面目に考えてるんだから誰か真面目に読んだ人は何か書きなよ。「わかんない」でもいいからさ。
535 名前:吾輩は名無しである [sage] :2011/08/05(金) 17:54:08.94
>>530 もうお前は黙ってていいよ
肯定でも批判でも論評があるんなら単独で論評上げるべきだ。
今から言うのは俺の印象だよ。
お前はそれに対して女々しい言い訳をしなくていい。
耳が腐るからな。
お前は読書会スレでの全レスの最中に殊更にアンゴが好きだアンゴが好きだと繰り返す。
そう言っておけば自分の懇意にしてるコテや良識のある名無しはアンゴのこの駄文に対して
(あれから2度読み返したが紛れも無い駄文だ。田母神論文と変わらねえ)
肯定的な評価を下してくれると期待してるんだよ。
好意的な論評に解釈出来たなら「好きだ」、否定的なら「嫌いだ」、
お前がやってんのは論評じゃなく選別だよ。好きか嫌いかの選別の馴れ合いだ。
それを俺は批難するものじゃない。やりたいなら雑談スレでやれ。
何故ならそんな馴れ合いなら突き詰めりゃ書を読む必要なんて無いからな。
リトマス試験紙程度のもんだ。
お前はクソカスだよ。ハッキリ確信した。
539 名前: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】('A`)鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo [sage] :2011/08/05(金) 17:57:21.39
>>535 せめて反論させてくれwお前の感想をここに貼れよ。話はそれからだ。俺が「お前バカすぎるよ」って言った奴?w
541 名前: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】('A`)鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo [sage] :2011/08/05(金) 17:58:55.62
>>535 スレチか。読書会スレでやろうぜ。徹底的にやってやるから、覚悟があるならお前もコテ付けろ。逃げるなよな。
543 名前:吾輩は名無しである [sage] :2011/08/05(金) 18:00:07.98
>>541 やらねえよ
もうお前に絡む気も無い。
大体しっかり読んだのならお前がすべきことは
そんな女々しい呼び掛けじゃない
546 名前: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】('A`)鈴木雄介 ◆JSPf4VvHXo [sage] :2011/08/05(金) 18:06:10.19
逃げたなw
【ぺろぺろ】川上未映子82【ぺろぺろ】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1312045571/ より。
>>56 エクスタシー以降ではBPMが変わったのかも知れないですねえ。
>>57の535に反論しておいた方がいいのかな?名無しでコテを批判するのは禁止だから、コテがそれに反論するのも荒らしなんだろうけど、一言だけ。
「肯定でも批判でも論評があるんなら単独で論評上げるべき」俺も基本的に同じ意見。俺の論評は「安吾の愛を感じた」という一言だけなんですね。
高校生時代いわゆるポジパンが流行りまして、驚くなかれ
キオトやニャゴヤではない、椿BALL玉椿ピテカンで白塗りオイオイ方面の
方々を見ることがありました。
あの連中が今ハゲ始めてスカルプケアとかやってるのを想像すると、さらに二重三重に
恥ずかしいなあ。
わたくし?
わたくしはみうらじゅんが短い髪の時からみうらじゅんのヒゲ面版でした。
今もです。ハゲてません。
>>61 でもその時期は「音に合わせて踊る事が気持ちいい」って知られてなかった時代でしょう?それは仕方ないよな。知らないけどw
え。ボールルームでは結構みんなてんでばらばらに飛び跳ねてましたよ。
わたくしも…
わたくしはフロアのど真ん中でただ立って、首だけ左右に振りながらニタニタしてました。
なんか人と同じ動きをしようとする人を見てると悲しくなりますよね。お前の感じたままを踊れ!
とか思ってる時点で俺も乗れてないんですよ。自分の動きに集中没頭している状況なら他はどうでもいいはず…
そういう状況が5年前くらいまでには確実にあった。なんか、自分はあの頃には戻れないなと思うと泣きそうになります。
最前列に行って、むしろ俺の動きを見ろと言わんばかりの動きをしてた精神状態に戻りたいなあ。あれは間違いなく最高だった。
レイブという
シロモノはXTCとともに来ましたからね。
スタッフそのものはもっと前、ドームにミックジャガーが来た時には東京でも買えました
絶対間違ってなかったし。今は間違えるのが怖いんですよ多分。開き直りとも違うから。
自分が一番正しい動きをしていると確信していたし、実際そうだったんだと思いますし。
>>67 XTCは俺の青春ですね。なんつーか、最も重要だと思われる時には常にXTCと
一緒にいた。
俺の青春は20代前半ですよ。全く悔いはないなあ。彼女がXTCに理解があったらもっととか思う。
それは「悔い」か。ちょっと酔っ払ってきました。芋焼酎で酔っ払うとか悲しいですよね。友達と一緒ならともかく。
@@さんの酒煙草論を聞かせて下さいよ!
>66
ああなってる人は、男でも女でも美しいですね。
35ぐらいから踊る体力は格段に落ちます。夜遊びは単なるサロンになる。
いまのうちに踊りくるっておくことです。
わたくしは焼酎はよくわかりません。
よく飲むのはアメリカやイギリスのウィスキーです。
ビームスのチャコールフィルターか、バランタイン、シーバスが好きですが、
お金がないとチャーターやカティサークだって飲む。
酔えればいいんです。湯呑みにサントリーホワイトでも全く文句なし。
>>71 もう無理です。でも一昨年くらいにWIREに行ってプチ上がりました。踊るスペースを考えると俺の知ってる外タレの公演とかは最悪です。
@@さんは肩が当たって楽しめます?俺は去年くらいに知り合いのデスメタルバンドの引退ライブに行ってモッシュで死にかけました。
とか言ったら身元が割れるかな。スルーして下さい…
>>72 俺もシャブ中時代はずっとオールドを飲んでました。その後あまりに金がなくなって西友の750円のスコッチ飲んでました。
俺の場合は@@さんよりもっと即物的で、焼酎が好きなわけでは全くない。アルコール度数対費用しか考えてません。
そんな人間が料理スレのホストをやってるのが意味不明ですけど、シャブ中時代は全く食に興味がなかったんです。
わかるでしょう?やめてから飯のうまさに驚きました。つーかそれしかないんです楽しみが。大麻もねえしよー!!
自分の味覚は全くあてにならないとは思ってます。基本的に食通に任せればうまいものが食えるはず、という意識。
おいしいチョコレートケーキでも焼いて完食レポートをしてください。
そろそろ安吾に話を戻してもいいかな?w
また鈴木がスレ荒らしてるのか
しょうがないやつだなあ
@@さんもごめんねー。
いや、太宰は来週からにしよう。
まだ安吾について書く人がいるかもしれない。マグナあたり。
じゃあそれで。安吾かっこいいよ安吾
確かニッパ椰子はムー大陸の「救いがない」というところに批判的だったね。
俺もそう思うよ。安吾は決してリップサービスで「救い」を語ったんじゃない。
本気で日本人を救おうとした、そう俺は読んでるね。
救いに関しては前スレ930でショボンが語っていたことに同意したいな。
>敗戦による無力感に苛まれる日本国民を、堕ちるところまで堕ちろと唆す(私はそう読んだ)。
>恥も外聞も、世間も政治も忘れて真に純粋になって生きろ、と。
>これはまさに「堕落論」の主題なのではあるまいか。
>>86 俺がその読みを否定すると思う?全肯定するよ!!それがムーさんへの批評への違和感と言ってもいいよ!w
>>87 まあねえ、それはシンプルでいい批評ですよ。俺は肯定しますよ。
>>87 私もそのショボンさんの意見には同意です。このスレの始めの方でショボンさんと意見が違うってレスしたのだけれど、あれ?どこで違っちゃったのだろうな...退廃的ってところだっけかな。
やっぱり、過去スレのコピーを貼るべきですな。僕探してきます!
どういたしまして!
>>40 >堕落の文化風俗的側面
そうだねー、柄谷は「坂口安吾を戦後の風俗から切り離してみなければ
ならない」っていってるけど、坂口のいう「堕落」の現象形態というのは
まず、戦争未亡人の恋愛を意味するといえよう。「堕落論」によれば。
戦争未亡人の恋愛と無関係な「堕落」を想像するというのは、柄谷の
都合だわな。 俺は戦争未亡人の恋愛と無関係な「堕落」というのが
なんかそそる力を欠いているようにおもったんだねw ただそれだけ。
>小林も安吾を仮想敵にしてたところがあるのかな?って思う。
仮想敵というほど、小林は安吾だけを目標にしてたとはいえんと
俺はおもう。 しかしまあ、安吾の批判は結構ショックだったんじゃないか
なあ。 「俺はあんな批判全然気にしてないよ」って、いってたけど
これは内心結構気にしてたと読めないことはないなー。
>>89 そうそう。
ニッパさんは「堕落」をそのまま堕落としてとらえる、と確かレスしていたから、つまり退廃としてとらえているものだと、わたくし早合点してしまったのです(´・ω・`)
>>94 柄谷が安吾の堕落を戦後風俗から切り離して、どのように論を進めたんだか気になるな〜
>>95 >柄谷が安吾の堕落を戦後風俗から切り離して、どのように論を進めたんだか気になるな〜
私もー
>>94 なるほどねー。その批判はまっとうだと思うけど、柄谷は「堕落論は奥にもっと深い意図がある」って言いたかったのでは?
>仮想敵というほど、小林は安吾だけを目標にしてたとはいえんと
確かに。でも意識はしてたと思うんだな。小林は「最近のインテリはわかってない」みたいな論調で安吾批判をしたりしてますからね。
でも本当は仲がいいんだとおもいますがw
「坂口安吾と中上健次」っていう本が出てるので、皆さん読むといいと思われます。
>>97 柄谷の「坂口安吾と中上健次」読んだのか? 俺も読んだ。
今ちょっと引っ張り出してきて、その中の「堕落について」を開いたんだが、
安吾は「堕落」の前に「淪落」という言葉を使ってたらしいね。
「堕落論」の中でも確か一ヶ所その言葉が使われていたかな?
「堕落」の風俗的な意味合いは確かに一面にはあるものの、
モラル的な意味合いでの堕落とは異質だという柄谷には俺も同意する。
大塚久雄に訊けよ
>>95 切り離したって言い方はちょっとあれだけど、じゃあ、ちょっと引用してみようか。
「堕落について」から。
>戦後の風俗や価値の紊乱がこの書を生み出したかのように、ひとは思うかもしれない
>実際は、安吾は戦後の混乱になにほどのことがあろうかといっているのだ。
>≪人間は元来そういうものであり、変わったのは世相の上皮だけのことだ。≫
>>98 よんだよー。上記の引用の後に、堕落論以前の青春論で、これらは既にいわれたこと
であると示され、そこでは「淪落」という言葉がつかわれていたといわれる。
で、元にもどって、引用を続ける。
>「無頼派」といわれる安吾は、従来の文士がもつ無頼性とは無縁なのである。
>たとえば、安吾自身がある女性との「淪落」体験を決定的なもののごとく
>語っている。しかしそのような体験はそれに先立つ彼の「知的クーデター」に
>一つの肉付けを与えたものにすぎない。
わずかな引用だけでも、柄谷の安吾像の特徴が明瞭にみてとれるな。つまり
柄谷にとって、安吾はどこまでも徹底して知的な存在なんだ。
>>97 >柄谷は「堕落論は奥にもっと深い意図がある」って言いたかったのでは?
堕落論はどこまでも知的な書物といいたかったと思うんだよ柄谷は。
俺の読みでは。
>小林は「最近のインテリはわかってない」みたいな論調で安吾批判を
>したりしてますからね。
それ安吾批判なの?
>>100 柄谷の安吾像は俺にはよくわかるよ。文庫のP80に、
「モラルとインモラルを突き抜けるような地点に『堕ちる』ことである」
とあるけど、これは非常にニーチェ的なイメージだと思うんだよね。
だから柄谷はハイデガーなんかを持ち出さずにニーチェの名を出すべきだったw
その部分は柄谷に違和感を感じたなあ。
で、風俗的な見方から安吾を隔離して、知的な作家として安吾を解釈するなら
「堕落」という言葉も、柄谷独特の意味合いを帯びてくるんだな。
>「堕落」とは、モラルとインモラルの対立をつきぬけるような地点に「堕ちる」
>ことである。
>モラルは、モラルと『モラルがない』ことを突き抜けるものであり、それら
>対立項にとって、「他なるもの」であるような何かである。
>安吾はそのことをもっと別の言葉でかたっていた。つまり、彼は
>「ノンセンス」や「ファルス」について語ったのである。
>ノンセンスとは意味でも無意味でもなく、それらの外部であるような
>非意味である。
柄谷によれば、安吾は以上のような、外部性、他者性を体現した作家という
ことになる。このような外部性の認識を獲得するための作業は、どこまでも
知的で内的で孤独な作業であって、それゆえ柄谷は安吾を、情緒的日本的な
なれ合いから孤絶した知的な作家として評価するわけだ。
>>102 俺もニーチェの「善悪の彼岸」おもいだしたけど、柄谷の安吾論で
ニーチェもちだしたら、あまりにも論が図式的になりすぎると思う。
柄谷もさすがにそれは自制したのでは。
105 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/08/06(土) 17:50:41.34
藁貸し増すねぇ〜(笑)
>>104 まあ柄谷は最後にレヴィナスのハイデガー批判を持ち出して、
ハイデガーと安吾を最終的には切り離してるわけだけど。
あと「堕落」からモラル的な意味合いを拭うために、
安吾の荷風批判という裏付を出してるね。
>>106 レヴィナスか。「他者」問題という哲学的課題に最終的に安吾は回収されるわけだ。
荷風に既製文壇人を代表させて、荷風を批判することで、既製文壇人のすべてを
批判しようという意図でもありそうだ。
まあ、柄谷の安吾論でニーチェもちだすというのは、あまりにも期待の地平に
そいすぎているというか。 お約束すぎて、かえって論のインパクトを弱める
恐れがあるよねーきっと。
>>103では、「堕落」 → 「モラル」 → 「ノンセンス」という具合に概念が
自己展開していくのが、みてとれるですね。
>>98 持ってるよ。いい本だよね。柄谷は堕落論が倫理的だって言ってて、それはその通りだよ。
>>101 >堕落論はどこまでも知的な書物といいたかったと思うんだよ柄谷は。
そう、知的って言い方も出来るよね。実際柄谷もそう思っていたと思う。
>それ安吾批判なの?
勝手にそうじゃないかって思ってたんですけどねw
>>106 安吾「永井荷風なんて、「私はエロじゃない」なんて言ってるけど、エロな野郎だと思うな。俺は。」
>>107-108 まあ柄谷は「他者」が好きだからw
哲学的タームに回収されるというイメージは
やっぱりハイデガーの名前を出した影響が強いと思うな。
後でレヴィナスの「他者」を持ってくるために
戦略的にハイデガーを持ち出してるように読めるよw
だから、その柄谷の戦略はあまり好きじゃない。
>>110 倫理的という言い方にかなり注意を払ってるぜ?
>>110 >勝手にそうじゃないかって思ってたんですけどねw
インテリ批判は、全集「我が毒」にもたくさん載ってるな。
安吾はインテリというには、もっと無頼的というか。
小林が安吾を追悼した文章、読んだことあるが、かなり
良かったね。
>>111 志賀を批判して、ついでに荷風も切るというところか、谷崎は
どうなんだろう。 小林は菊池寛をもちだして、安吾に切り返し
安吾に菊地はエライって同意させてるね。傍からみると
ほとんど力づくだね
>>113 必読書150の「堕落論」の項を読んでみて下さい。
>>112 「堕落」をハイデッガーの「頽落」と比較した時点で、そのあとのルートは
既に決まっていたというか。
>>112 「他者」という言葉も、一時期流行しすぎて、すり切れた感があるな。
>>114 また見つけたら貼りますよ。つーか追悼文読んでみたい。全集に載ってます?
菊池寛のくだりは笑えるところでしょう。「我々と直接取り引きするものが出てない」ってどういう意味だと思います?
>>115 その本は持ってないw 「堕落について」では、
安吾の堕落が「倫理的であるのは確かだが、そんなふうに気安く倫理といってはいけない」
と柄谷は書いてるよ。
この「倫理」という言葉もレヴィナスにつながるんだが、
俺はモラルとの対比としてしかこの言葉に意味はあまり感じないよ。
>>118 たぶん安吾の追悼文は全集に載ってるとおもう。確かめては無いけど。
>我々と直接取り引きするものが出てない
安吾にいわせりゃ、菊地は「小説を書く必要の無い文士」だし、小林に
いわせりゃ「菊地の偉さは活字に表現されてない」っていうんだ。
文士にとって、交流の手段、取引の手段というのは、小説という作品であり
書籍に印刷された活字でしょ? 菊地の本領はそこにないっていうんだから
つまり、文士が使う通常の直接的な交流手段でもって、菊地をしることは
できないと、そういうことじゃないかなあ。
>>116 そうそう。
だから柄谷が「堕落」からモラル的意味合いを拭う部分は理解できるけれど、
柄谷の安吾論からも哲学的意味合いを拭ってやりたいw
>>121 まあ、安吾にあらためて注目を集めるためには、特異で知的な解釈が
必要だったっていう事情もありそうだよね。 それはそれで理解できる。
なんかすごいなー。哲学とか思想勉強したことなくて、全然わからない...。やっぱり大学時代に頑張っておけば良かったな。何から読むべきかすら全くわからない。
とりあえず、私も坂口安吾と中上健二読んでみよう。
>>119 それは、柄谷の「倫理21」で使われた「倫理」という意味で「倫理的」なんだと思う。
その本の中で柄谷は「道徳」と「倫理」はしばしば混同されている、として言葉の定義から始めてたな。
>>120 俺は、要するに金に困ってる文士(われわれ)に気軽に金をくれた菊池寛の偉さって事じゃないかと思ったんだけど…w
>>124 なるほど、その解釈はとっさに思いつかなかった。 それが正しいそうだ。
なんで正しいってわかるの?
裁判官倫理と社会規範すなわち道徳に齟齬があるから裁判員制度が始まるという例で充分
>>126 菊地は金持ちで面倒見がよさそうだから、当時の作家で世話に
なったのが多いというのは、それなりに根拠ありそうな話だなーと
おもったのさ。
>>128 しかも菊池寛は見所のある文士と見れば気軽に金をあげるのが癖だったらしいですからね。ヤリたかったのかなあ?
>>129 男と? そっちの趣味はなかったんじゃ…
でも、今そういう人っていないね。儲けてる人は死ぬほど儲けてるはずなのに、まあそういう人は出版業界にはいねえのか。
>>130 いや、菊池寛に男色の傾向があったのは史実らしいですよ。まあ俺もクソWikipediaを読んだだけだけどw
出版業界は、もはや構造不況業種だし… IT系でもうけてる社長さんとか
気前がよさそうな。
>>132 あー、書いてあるね、ウィキペディアに。 両性愛者の傾向があったって。
愛人がいっぱいいたとも書いてあるね。 金を文士にあげたって話も
載ってるね。
Wikipediaって全然信用ならないですけどねw
>>124 柄谷「倫理21」は読んでないよw
まあ「道徳」と「倫理」の対比はもちろん柄谷の専売特許じゃなく、
少なくとも道徳批判をしたニーチェには遡れるし、
場合によってはスピノザの「エティカ」までいくだろう。
それはともかくとして、「倫理」をどう定義するにしろ、
「堕落論」を形容するのに「倫理」という言葉は必要かい?
>>135 まあ、ウィキペディアの文章も、反証されるまで、ひとまず命題として
定立させておくのはありだろう。 あくまで一時的な定立にすぎない
ことを意識しておけばいいんじゃないの。
どうしても、もっと確かめたいなら、参考文献をあたってみればよい。
まあ、参考文献にあたってみたからって、それが絶対確実とか思い込まない方が
いいのは無論だけど。
>>123 私にもさっぱりwww
『坂口安吾と中上健次』、文庫なのに1,470円かー(((・・;)
皆さん買ってるの?
>>139 まあ柄谷をめぐって安吾を語るとスレが少々硬くなっちまうw
たまにはこういうのもいいけどね。
>>123 >>140 ちょっと硬い話が続いたね。
マグナの書き込みはまだだけど、
みんなだいたい書いたようだから
そろそろ太宰「トカトントン」に切り替えるか。
続きは安吾スレもあることだし。
>>140 俺は買ったよー。 話がさっぱりわかんない? それは柄谷の論文が
難しく書かれてるせいか、俺の引用と論立てがまずいのか、おそらく
どっちかだろう。 実際、たいして高度な内容のこと書いてるわけじゃないし。
というわけで、理解できずとも気に病むことはなく、『坂口安吾と中上健次』
無理に買う必要もないとおもいます。
>>141 やっぱ、あんまり理屈っぽくなりすぎると駄目みたいね。 柄谷を
とりあげたのが、俺の間違いだったかー。
というより持ってる人間でないと反証が出来ない
>>136 倫理の他に適当な言葉があればいいけど、ないじゃない。
>>137 そうですね。その程度の参考情報としてなら有意義ですよね。
>>140 講談社文芸文庫は高いけど良書が揃っていますよ。
棚ごと欲しいですよね…
石原が新堕落論とか書いてるらしいねw
ある意味興味がある
ちょっと読んだよ、新堕落論。 安吾について触れているのは、ほんのちょっと
だけで、あとはほとんど、石原が今までいってきたことを、また使い回してる
だけだな。 内容的には、今までの石原の言説と、ほぼかぶってる。
正直、このスレでとりあげるほどのものとは思わなかったw
その程度だろうと予想はつくけど、ある種の退廃というか、倫理の欠如と結び付くことによって、安吾の堕落論や日本文化私観が、戦後いかに誤って伝播して来たのか、という例証にはなるのではないかと思う。
>>143 そんなことないですよ。わからないながらも楽しいし、いい刺激になります。
石原慎太郎みたいなのの自己肯定に使われたらたまんないよね。
>>145 まあ「倫理」でもいいんだけど、柄谷色=思想性を少し薄めたい。
俺なら、そうだなー、「生存の美学」とでも呼びたいかな。
エティックス(倫理)というよりはエステティックス(美学)。
「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。」
この安吾の言葉を読んで、堕ちることに果たして「正しさ」なんて見出せるだろうか、
と思ってしまうけど、もうこれは思想じゃなくて生き方でしかないんじゃないか、
そういうふうに解釈したんだよ。
小林秀雄も言ってたね。思想をつくるとは言わない、生き方をつくるという、君はそういう人だ、と。
>>153 ちょっとわかるような話になったみたいなので、再び参加。的外れだったら、ごめんなさい。笑ってスルーお願いします。
「生存の美学」しっくりくるなと思いました。美学に反して生きぬくという美学、ということになるのでしょうね。
堕ちることの「正しさ」については、続の「先ず裸となり、とらわれたるタブーをすて、己れの真実の声をもとめよ。」ということかなと思いました。確かにこの一文は、思想ではなく生き方なのだなという感じがしますね。
その小林秀雄の言い方でいいと思うな。しかし鈴木が柄谷を読んでたのは意外だったw
ニッパがひいてる言葉にあるように、削ぎおとしのスタイルだよね。
柄谷好きですからね。でも小林のほうがもっと好きです。
でも今の人は大抵柄谷から小林を知るんじゃないですかね。
たまたま「坂口安吾と中上健次」と「小林秀雄対話集」は読んでたけど
柄谷も小林も鈴木は俺よりかなり読んでるみたいだなあ。
いやいや、別にそんな事ないですよ。俺もたまたまですよ。
自分も堕ちているのに、ずるくたち回って後付けの屁理屈を唱えて
見事に堕落していく奴を笑ってみせる連中など、安吾は歯牙にも
かけないでしょうね。
堕落とは精神の生き残りをかけた真剣勝負、決死のダイブです。
悲しい滑稽な跳躍です。
堕落とは、昨日まで「勝利の栄光かしからずんば死か」でグイグイ泳いでた
情理というものが、理屈上の選択肢としてはガン無視してたまさかの敗北
という巨大な
丸太んぼにガンとぶち当たった時、ヤア目から火が出た星も出た、ハトもピポピボ飛んでいる、エイもうこうなりゃ自棄だ、
どうににでもなりやがれサア殺せ、さてどうなりゆくことですかね、…て時に、
ジェリーを追っかけててプレッサーでぺちゃんこになっちゃったトム、
ロードランナーに頭の上を走られてバリカンかけられたようにハゲちゃったコヨーテ
いい気持ちで走りすぎてガケの先の空中で気が付き、慌ててエッサホイサと足踏みすする
シルベスターやピンクパンサーになったつもりくらいの、いちかばちかの大開き直りで
これを笑っていいのは、落ちまいともがき続けてる奴だけです。
>>143 そっすかー、それはひと安心w
>>150 それ例証するのは結構骨だな。 まず石原の新堕落論を買って読み、安吾についての
文章を読んで、それを解釈せねばならない。 そして正しい「堕落論」や「日本文化私観」の
読み方を定立し、それと石原の解釈を比較せねばならない。 やっぱ手間だ。
新堕落論についてもせっかくだからちょっと感想を。
論の全体的な構成を把握すると、まず戦時中における農村映画の映画の企画についての話が
ふられて、それに刺激され農民精神なるものの実情を、安吾は、大化の改新にまで遡って
考察するんだね。で、農民精神は美徳であるという政治的言説に反発して、そんなのは
美徳でも何でも無い、連綿とつづいていたのは退嬰的精神以外の何者でもないと断定し
それから、農民精神の政治的な称揚は、天皇制の政治的必要性と密接に結びついていると
かぎつけて、天皇制批判にいたるわけだ。安吾の農本主義批判が、大化の改新まで射程を
もってる批判であることと平行して、安吾の天皇制批判も、貴族や武士の時代まで遡り
いかなる時代にあっても、天皇は権力者に政治的に利用されるだけの存在であったと
明言される。それで日本における天皇の政治利用の集大成が、八月十五日終戦の詔勅
だったというんだね。たとえば、河上徹太郎は、終戦の詔勅はひとつの奇跡だっていうんだが
安吾はそういう言説に激しく反発するわけだね。こんなのは、からくりであり、ペテンであり
天皇制がある限り、日本に真の人間性が開花することはありえないってね。
で、話はこれでおわりになるかというと、そこから論は尾崎咢堂のコスモポリタニズム批判へと
流れていき、しまいには共産主義批判になるんだな。当時において、もっとも急進的に
天皇制批判やってたのは共産主義者だから、ここで共産主義批判へと論を転回させるのは
論旨の一貫性を自ら解体する行為と、共産主義者にみなされても仕方ないんじゃないか。
安吾は、論旨の辻褄をあわせることより、論を様々な方向へ開いておくことを優先したので
一貫性とおもわれるものを自ら放棄したと、続堕落論の構成はこのようなものであると
とりあえず一つの解釈を提示しておく。
で、次回は「トカトントン」かぁ。ま、のんびりといこっと。
>>164は続堕落論の感想ね。新堕落論と書いてしまったのは間違いです。
ビックリしたw
「欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという」これ、鈴木さんぽいですね。鈴木さんをほとんど知らないのでイメージですが。安吾の言う堕落はプリミティブだったのか。
>>164 >天皇制批判やってたのは共産主義者だから、ここで共産主義批判へと論を転回させるのは
>論旨の一貫性を自ら解体する行為と、共産主義者にみなされても仕方ないんじゃないか。
続堕落論で取り上げられ、批判された共産主義は、論の構成としては天皇制と並立するように私は読みました。
天皇制も共産主義も完全無欠ではない制度の例で、安吾はそういった制度を完成させることはできない。徐々に良くしていくだけ。という形で論を閉じているので、一貫しているのかなと。
武士道も天皇制も共産主義も、安吾にとっては「カラクリ」なんだよね。
底なし状態での落下をくいとめようとするカラクリ。
それで、堕落がカラクリの母胎なんですね。
そうだね。堕落しなきゃ新しいカラクリも作れない、と。
そしてそのカラクリを壊しては作り、作っては壊ししていく、と。
だから堕落論と続堕落論でちょっとトーンが変わってるね。
「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。
そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。」
(堕落論)
「人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。
何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるであろう。」
(続堕落論)
>>171-172 そうですね。続堕落論だと、堕落論では曖昧だった救いの道がより明確に示されているように思いました。続まで読むとすごく分かりやすくなる。
>>174 そうそう。堕落論のラディカルさと抽象性が続堕落論では現実的・具体的になっていく感じ。
>>168 共産主義も天皇制も完全無欠ではないから、完璧な制度を最初から求めるのではなく
徐々に制度を良くしていくしかない、か。 まあ、常識的、穏健、漸進的なアプローチ
であると思いますね。
とはいえ、作家安吾が常識的、穏健な作家というと、私はそうは思わないんで、安吾の
生活をおってみると、むしろ破滅型に近いなあ、無頼派とよばれたのもさもありなんだなあ
と思うわけですよ。で、「堕落論」「続堕落論」も、常識で穏健な論とは、ほど遠いと
思うんですねw
続堕落論の末尾部分からひくと
>文学は常に制度の、又、政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、その反逆と
>復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。これは文学の宿命であり、
>文学と政治との絶対不変の関係なのである。
天皇制への批判も、共産主義批判も、社会制度論、ひいては政治に関する言説であると
おもわれるが、いままで政治制度についてさんざん論じたあげく、最後に文学は政治への
反逆といいだすというのは、これはもう今までの議論をすべてちゃぶ台返しにするくらいの
展開といえて、つまり天皇制批判も共産主義批判も結局政治論であり、文学はその政治と
本質的に敵対するものだと、安吾は文学者として書くわけだ。支離滅裂ともいえようが
破滅主義の作家にはふさわしい論旨の展開ともいえる。
で、そのあとも
>我々の一生などは露の命であるにすぎず、その我々が絶対不変の制度だの永遠の幸福を云々し
>未来に対して約束するなどチョコザイ千万なナンセンスにすぎない。無限又永遠の時間に対して、
>その人間の進化に対して、恐るべき冒涜ではないか。
などと、いいたい放題いうのだが、さすがに言い過ぎとおもって
>我々の為しうることは、ただ少しずつ良くなれということで、人間の堕落の限界も、実は案外、
>その程度でしか有り得ない。
という具合に話を締めにかかるわけだ。この「良くなる」というのが、何が良くなるのを意味するのか
それは簡単には把握できないと思われる。社会制度の漸進的進歩か、個人の倫理的陶冶か、いままで
あらゆる道徳的価値をさんざんひっくり返しまくったあげく、あらわれたこの「良くなる」にどのような
内容がありうるのか、安吾自身、そのような可能性の余地を、既にほぼ抹殺しているようにも思われる。
このような展開は、破滅型、自己破壊の情熱に駆られた文学者にふさわしい弁証法だと俺はおもうなあ。
>>172 どうかなあ、そのくらいの表現のゆらぎは、堕落論にも続堕落論にも
あるとおもうがなあ。
堕落論より
>だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して
>鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、
>堕ちぬくためには弱すぎる。
続堕落論より
>日本国民諸君、私は諸君に、日本人及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。
>我々は「健全なる道義」から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない。
>表面のきれいごとで真実の代償を求めることは無理であり、血を賭け、肉を賭け、真実の悲鳴を賭けねばならぬ。
>堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。
>先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。
安吾自身はぶれてないけど、ノリで結構いい加減なことを書くんだよこの人は。
実は俺、堕落論はあんま認めてない。
それより「私は海をだきしめていたい」みたいな自伝的エッセイとか、出来損ないみたいな小説のほうがはるかに素晴らしいと思う。
上の引用とか読むと、一見、身も蓋も無い剥き出しの欲望を肯定しているようにも読めるが、
じつは安吾ほど、そうした「裸体」に倦み疲れ、嫌悪している作家もいない。
>>179 そう引用されれば確かにその通りで、表現のゆらぎというか、
まあ堕落論でも続堕落論でも表現の巾はあるんだけど、
全体的な印象でいうと堕落論のほうがラディカルかつ抽象的な色彩が濃い目、
続堕落論のほうは言葉は荒っぽい割にやや現実主義的なヴェクトルが強め、
という受け取り方をしたよ(特に「カラクリ」に 対する言及の部分)。
しかし今回は鈴木のレスにちょっとしびれたな。
細かい表現のほかはほとんど異論がないw
>>177 安吾は最初から文学者として政治に反逆していたんだと思います。
「文学は常に制度の、又、政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、その反逆と復讐によって政治に協力しているのだ。」
上記文の趣旨としては、文学
失敗!
>>177 おっしゃる通り全体通しての論展開に揺らぎはあるのですが、安吾は最初から文学者として政治に反逆していたということで一貫していると思います。
文学はいつでも政治のアンチであって、それ故に政治に協力している。アンチを唱えていれば、政治が良くなるかも知れませんから。ということなのかと。
私この部分、結構好きです。
>>178 確かに良くなるについては抽象的ですね。
破滅型、自己破壊という感じはなく、論全体を通してですが、前を向いて貪欲に生きる姿勢を感じています。
>>180 >安吾自身はぶれてないけど、ノリで結構いい加減なことを書くんだよこの人は。
なるほど。そんな感じがしますね。論展開が雑、だけどそこが力強いようにも感じいます。
>>182 私鈴木さんの読解にほぼ異論ありませんでした。
>>177 でも安吾が根本的に政治制度を拒否していたと考えれば一貫してるんじゃないかと思うな。こちらの制度の方がよい、とは言わないわけでしょう。
>>178 安吾にとって良くなるっていうのは、人間として好きなものは好きと言い、嫌いなものは嫌いと言えるマッキーのような人間になる事だと思う。
>>179 その表現が矛盾しているとは俺は思わないんだなあ。
>>180 安吾いい加減な事書かない
>>182 ありがとうございます
>>184 そうです。堕落論は生き方なのです。政治の堕落は論じていないのです。政治と人間を別次元のものとして定義し直してるだけなのです。
>>185 政治制度の拒否はしていないと思います。あくまで反論するだけであって、受け入れてはいるのだと思う。多分、消極的な受け入れではあるけれど
トカトントンに移りにくいから、続きあれば安吾レスに移ったほうがいいのかな。
>>186 「人間性と政治制度は相入れないものだと考えていた」って言った方がいいかしら。安吾スレに行った方がいいんですかねえ。
でも、もう少しここでやってもいいと思います。
ナスカの地上絵みたいにハードコア
192 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/08/09(火) 10:37:34.06
藁貸し増すねぇ〜(笑)
194 :
吾輩は名無しである:2011/08/10(水) 01:54:04.86
『トカトントン』読みました。
金槌の音は、この男性が作り出した音ですよね。主観的に情熱を感じた時、同時に下らないと客観視する自分がいる。トカトントンの音が聞こえるときは、客観視が勝ったときだと考えています。
けれど、客観視が出来るからといって、彼は決して冷静な観察眼があるわけではないと思いました。自らを俯瞰できる自分は、他の人と違って理知的(学があるということとは別で)なのだと考えている。一種の自己陶酔なのではないでしょうか。
うまくまとまりませんでした。支離滅裂だ…
トカトントンについて。
まだ覚めやらぬ戦争の気分の中で響いた音は、紛れもない日常の音です。それは、戦時中たかった信念と共に人生を突き進もうとしていた人間を戦争のない日常へ引きずり出した。
制度からの脱却に関しては安吾の堕落ですが、どんな状況下でも生きる貪欲さみたいなものに欠けている。その後の白けた感じというのは、燃え尽き症候群に近いのではないかと思いました。
このような認識で読み進めていくものの、この物語の肝であろう最終段落マタイの箇所にて躓く。
「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」
マタイの福音書では、前者を人民、後者を神として、身体を殺されることではなく、霊魂をも殺されることをおそれなさい。という感じに読めるのですが(たぶん)、
トカトントンにおいてはゲヘナという名の現世に没することのできる、つまり醜態をさらしている人々を畏敬せよ。ということになるような気がするんです。
正直、分からない。上記の読みだとしたら、作品全体としてはそこまで退廃的でもないのかも知れない。言うならば、後ろ向きに全力疾走しているというところかなと思いました。
みなさんは最終段落どう読まれましたか?
安吾と絡めたかったのですが、読みが浅くてかなわず。ショボンさんごめんなさい〜。ショボンさんの感想楽しみにしてます♫
>>194 客観視と自己陶酔。その方が太宰っぽいですね。私、安吾に引っ張られすぎたかなぁ
>>194 そっか、トカトントンを機会に主観主体と客観主体が入れ替わるんですね!面白いなぁ!!すごく面白いな!!!
手紙であることが重要なのです
命がある人間が叩くリズムなのに命がない様に聞こえる一方通行の恐れです
ですから確実に言えます。この手紙に返信は来ない
トカトントン読了。
戦争のストレスはそりゃあ甚大なもので、それが原因で病む人も多かったでしょう。
私も幻聴を聞いた事があるので、手紙の主人公のように狼狽する気持ちもわかります。
でも、幻聴に対して反応とかってしちゃいけないんですよね。
幻聴に対して耳を澄ましたりすると、余計に酷くなったりするものです。
お経を読んでもお祓いをしてもらっても大して意味がありません。
>>200の続き
・・・だから、ニヒルで冷たい作家に手紙で懇願してもどうなるものでもありません。
脳の聴覚野がヒートアップするから起こるんであって、それが収まれば幻聴も消えます。
幻聴についてのうんちくはこれくらいにしておいて、トカトントンの主題についてですが、
幻聴のトカトントンとは大工仕事の音の暗示であって、戦後の再建への願いが形になったものかもしれません。
そうだとするとあんがい聞き流せたりするかもしれませんね。
>>201 >幻聴のトカトントンとは大工仕事の音の暗示であって、戦後の再建への願いが形になったものかもしれません。
確かに!願いかは分からないけれど、戦後復興暗示していそうですね。気づかなかった〜
203 :
194:2011/08/10(水) 20:46:06.48
>>ニッパ椰子さん
>そこまで退廃的でもないのかも知れない。言うならば、後ろ向きに全力疾走しているというところ
ここに同感です。
戦後なんて、皆やる気を失って抜け殻のようになっていたものだとばかり思っていましたが、作品全体からは暗い活力を感じます。何故活力を感じるのかは、まだ考えている所ですが…
204 :
194:2011/08/10(水) 20:49:15.73
あ、戦後復興を暗示している音だとしたら、活力を感じさせた理由も分かりますね
194さん
そっか!そうかも〜。しかし、復興暗示の音で白けるってちょっと謎。やっぱり、ラストの段落重要だと思うんですが、読みに自信ないんですよね。
>>194さんの言うように、トカトントンの音は主観から客観に切り替わる音だと思います。
ニッパさんのように白けた感じの燃え付き症候群と言ってもいいかもしれません。
しかし佃煮さんのように、復興暗示の音ととるのも面白いと思います。
敗戦を経験して、当時の日本国民は避けられ得ない無気力感に苛まれていました。
信じていた天皇像は嘘のように崩れ去り、神風も吹かないことを知りました。
トカトントンは何事も最後まで心をいれてやり遂げることのできない無気力の象徴だと私は考えました。
>>194さんの言う、冷徹な観察眼がないというところはこの無気力感に起因するのではないでしょうか。
何事にも無気力で、物事を深く考えることにすら情熱を注ぐことのできない手紙の主は、自らを取り巻く出来事に対する判断力を当然持ち合わせ得ないように思われます。
作家の返信については後ほど。
トカトントンダウンロードしました
>>206 無気力の象徴か、なるほど〜。作家の返信についても楽しみ!私は全然分かりませんでした。
>>207 感想楽しみにしています。
小説は読み解きに幅があるところがおもしろいなぁ。
問題の作家の返信ですが、この返信の主意は「堕落論」同様、堕ちるところまで堕ちろということだというように思います。
というのもこれらの部分。
>十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。
>真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。
これらの部分が意味するのは、人の目など気にせずに一握りの勇気をもって、退廃的生活をおくれということだと思います。
「いかなる弁明も成立しない醜態」を退廃することだととったわけです。
酒に溺れ、異性への欲望に忠実になることで、真に生きることができるのだ、と。
太宰は自ら実践する退廃生活を奨励しているのです。
そしてこの引用、
>マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」
正直言って私はこの引用と退廃の関連を見出だせないでいます。
太宰はここで、魂の抜けたような手紙の主を、鼓舞しているのだと私は読みました。
また、さきほどトカトントンは主観から客観への転換と書きましたが、絶対から相対とも言えるでしょう。
そう考えると、聖書からの引用は絶対的なものを提示するという役割をももつと思います。
>>209 前半部分、ほぼ異論ありません。
後半、マタイについて
>また、さきほどトカトントンは主観から客観への転換と書きましたが、絶対から相対とも言えるでしょう。
>そう考えると、聖書からの引用は絶対的なものを提示するという役割をももつと思います。
は面白いですね!194さんのとつなげるといいレポートが書けそう。
やっぱりマタイは分かりにくいですよね...。
ここでひとつ問題があります。
滔々と自らの体験について語ってきた手紙の主でしたが、手紙の末尾で「ウソばっかり書いたような気がします」と書いています。
この部分、手紙の信憑性を損なう悪影響をもつと思うのですが、それならば、どうして太宰は手紙の主にこのようなことを書かせたのでしょう。
これについて、私には考えがあるのですが、それを書く前に皆さんの考えを聞いてみたいのです。
いかがでしょう?
もちろんトカトントン全般の感想も募集中です。
おっ、いろいろ面白そうな視点がすでに出てるね〜
>>211 本当に夢中になったことはあとで思い出すとしばしば夢のように感じられるものだし、手紙を書いている最中も聞こえ続けるトカトントンでヤケクソになっているのかな〜、くらいの認識です。全然注目してなかった。
ショボンさんの考え、なんだろうなぁ~
214 :
194:2011/08/11(木) 00:49:35.84
>>211 私は、半ばヤケクソに書いた手紙の内容を、尊敬している作家に否定されてしまったらどうしようと考え、免罪符と言いましょうか、万一否定された時もこの言葉をクッションにすることで誤魔化せるから、あえてこの言葉を書いたのかもしれないと考えます。
こう考えると手紙の主は、相当体裁を気にする人間みたいになってしまいますね。
太宰「トカトントン」。なかなか構成の面白い作品だね。
26歳の読者が作者太宰らしき人に宛てた手紙、という形をとり、
最後に作者らしき人からの短い返信を置いている。
青年はポツダム宣言の時に聞いて以来悩まされている「トカトントン」の音は、
労働者のデモを見てもトカトントン、恋心を抱く女性と話してもトカトントンと、
いろいろな場面で青年の思考回路をホワイトアウトさせてしまう音なんだね。
とはいえ、ニヒリズムに導く音かというと、どうもそうでもないらしい。
「あのトカトントンの幻聴は、虚無(ニヒル)をさえ打ちこわしてしまうのです。」
「トカトントンの音は、虚無の情熱をさえ打ち倒します。」
で、「某作家」はその青年に対して「気取った苦悩ですね」と返信する。
「いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。」
「真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。」
この箇所をショボンが言うように「堕落論」とつなげることができるかもしれないね。
で、26歳の読者と某作家は、どちらも太宰の分身じゃないかな。
この作品で太宰は自問自答してると読んだよ。
最後の「マタイ十章、二八」からの引用
「身を殺して霊魂をころし得ぬ者ども」と、
「身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者」の対比だけど、
26歳の読者は前者で、安吾的な堕落をも辞さない人は後者だと読んだ。
土台が崩れ去った敗戦後の底なし状態の日本では、
多くの人がトカトントンのようなものを抱えていたんじゃないかと思う。
「堕落論」のラディカルなメッセージ性というのとは異なって
「トカトントン」にはユーモアとアイロニーがあるけれども、
両者は「特殊な状況」によって生まれ、そこに向けた作品だと思うね。
>>211 >手紙の信憑性を損なう悪影響をもつと思うのですが
そこのとこぜひ!
手紙を出した青年は文学や絵画が好きだよね。
ゴーゴリ、鏡花、尾形光琳なんかの名前が出てくるところから見ても。
しかも小説を書いたこともある。
だから、この手紙は青年のフィクションとも読めるね。
>>216 >で、26歳の読者と某作家は、どちらも太宰の分身じゃないかな。
>この作品で太宰は自問自答してると読んだよ。
私もそうじゃないかなって思いました。どこかで、実際に太宰が受け取った手紙がもとになってるとか聞いたように思うけれど、それは本当かな。
>>217 >最後の「マタイ十章、二八」からの引用
>「身を殺して霊魂をころし得ぬ者ども」と、
>「身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者」の対比だけど、
>26歳の読者は前者で、安吾的な堕落をも辞さない人は後者だと読んだ。
やっぱり、そうですよね。元の意味からはすり替わってるみたいですが、それは気にすること無いのかな。そうするとゲヘナは現世のこと。すごい言いようだなぁ。
>>218 それは面白いですね!
>>219 へぇ〜そういうエピソードもあるのかあ。
どうも太宰の作り話っぽいけどねw
>そうするとゲヘナは現世のこと。すごい言いようだなぁ。
そうだよね。滅びの谷としての現世。
青年はニヒル(虚無)への情熱をもてないでいるけれど、
徹底的なニヒル(虚無)へと精神も身体も向かえ、と。
>>220 ニヒルへの情熱をもてないのに、救いの道はニヒル...なんか、じっさいは救いがないみたいですね。
ちなみに私は虚無を目指すのではなく、醜態を晒す=ゲヘナに滅すると読みました。
>>221 たぶん近いと思うんだけど、翻案するとこういう感じかなw
「おめえさんは、そのトカトントンとかいう音について、
虚無の情熱をさえ打ち倒します、なんてぬかしやがるが、
全身全霊で虚無に飛び込むことさえしてねえで何が悩みだ。
ふざけんじゃねえぞ。おめえさんの苦悩なんてのはただのポーズだ。
虚無の中に問答無用で飛び込んで醜態を晒してみろってんだ。
真の思想ってもんに必要なのは、叡智なんてもんじゃなくてな、
虚無の中で生き恥を晒すことも辞さない勇気なんだよ。わかったか小僧。」
野狐禅だな
ただこう書くと本当に安吾に近くなってしまうけど、
これは一面で、もう一面があるのが太宰だね。
みなさんすごいなー。
私が一番言いたいことは大方触れられてるwww
「ウソばっかり書いた」と手紙の主に書かせる効能について。
一つには、そしてもっとも重要なことには、虚無すらを呑み込む無力感にとりつかれた青年は、決して熱心になってはいけなかった。
無気力な青年が小説じみた体験談をものすことに全力を傾けるのは不自然なことだと、太宰は考えたんじゃないかな。
そしてこの小説に対する姿勢は、太宰の物書きとしての生き方にも通じる。
すなわち、道化師としての太宰。
その表れが、処女作集に題された『晩年』というシニカルな題名だったり、『人間失格』の連載中に恋人と心中するという全く普通ではない人生の幕引きだったりするように思う。
とはいえ「走れメロス」に代表される、旺盛な作家生活の間に生み出した作品群もあるわけで、ここに一貫してニヒルに浸りきれなかった、一途にならざるを得なかった太宰の人間らしさが伺えて、そしてそれが私を惹き付けるわけだ。
また一つには、読者を裏切って衝撃を与える効果をもつと思う。
それまで青年の救いのない悩みを聞いていて、憐れの情を募らせていた読者は手紙の末尾で衝撃を受ける。
青年の純朴なイメージは薄れ、代わりに懐疑の念が深まる。
思えば太宰はこの裏切り方を得意にしている。
長々と自分の考えを述べておいて、「いや、そうではない」と言ったような。
作者の主意を汲み取ろうとして振り回される読者は、うまい言葉じゃ言えないけど、作品に酔わされるんじゃないかな。
なんだかうまくまとまりがつかなくなったけど、私の考えはこんなところですwww
なるほど〜。
太宰って道化師としての自分をいつも客観視していて、でも道化師になりきることができない。ってイメージがあって、問題となった手紙の末尾で、という訳ではないのですが、青年とかぶるなと私も思いました。
なんか、今ひとつ現在を生きる自己に没頭できないようなところがありますよね。
太宰、中学か高校の時に熱心にほぼ全作品読んだんだけど、随分昔なので間違ってるかも....何か間違ってたら教えて下さ〜い。
それはそうと、ショボンさんは太宰好きなのかな。全体的に熱の込もったいい文章ですね!
>>227 よくお気づきでw
太宰大好きでございますwww
してみると、ニッパさんも読書がお好きなんですね。
ほぼ全作品とは、全く敵わない。
>>229 単なる凝り性なんです。気にいるとその作家ばかり読む。読書量自体はすごく少ないですよ!
ショボンもニッパも太宰をかなり読んでるみたいだなあ。
例の一節はショボンが言うような意味で虚構性を認識させる効果は大きいんだろうね。
俺は太宰はそんなに読んでないんだけど、この作品は印象深くて記憶に残ってた。
でも堕落論と並べてみるなんて、今回指摘されるまでは思いも寄らなかったよ。
ショボンさんセンスいい〜
太宰の「トカトントン」 読んだよー。
後半部の一節。
「あんまりつまらないから、やけになって、ウソばっかり書いたような気がします。
花江さんなんて女もいないし、デモも見たのじゃないんです。その他の事も、たいがい
ウソのようです。」
なんで、今までの自分の告白を否定するような一節を最後に述べたのか。一部で
問題視されているので、俺なりの解釈を考えてみる。
「トカトントン」の音は、終戦時に聞こえてきたのに始まって、仕事に打ち込もうと
したとき、恋愛へのめり込もうとしたとき、社会運動へ投身しようとしたとき
スポーツマンの努力に感動したとき、いつでも聞こえてくる。手紙の後半になって
くると、「トカトントン」が聞こえてくる頻度は加速して、すべてがフラットに
相対化され、世界が無意味になっていく過程もより加速してくんだな。
世界の無意味性が加速してくと、読者のほうには「トカトントン」を中心にどこまでも
相対化される世界、その中心である「トカトントン」への疑念がより増すんではないかと
手紙の送り手は考えたわけだな。
「トカトントン」の音は、実は毎回聞こえていたわけではなかった、と種明かしするかわりに
女に惚れたとか、社会運動に挺身しようと考えたきっかけになったデモを見たというのも
ウソだったとか、いかにも事実らしくみえた挿話を手紙の作者は虚構化する。それは次に
続く「トカトントンだけはウソではないようです。」という言葉をひきだすための前振りに
見えたな、俺には。
で、手紙を受け取った某作家は、マタイからの引用によって、手紙を書いた青年に答えるの
であるけれど、手紙にはキリスト教のすばらしさに感動したとたん、「トカトントン」が
聞こえてきた、という話はないので、つまりこの落ちに落とすために、手紙の内容で
わざと宗教に触れなかったと、俺にはこう見えるな。
マタイからの引用で落ちをつけようとするくらいだから、太宰は結構キリスト教について
関心が強かったのかと思ったね。ところで前回の読書会では、安吾の作品がとりあげられた。
その安吾が、太宰が心中したあとに書いた「不良少年とキリスト」という文中に、太宰と
キリスト教の関係について何かヒントないかと読んでみたが、ほとんどなかったな。
安吾が、芥川と太宰を比較してるのが、気にかかったくらいで。安吾にいわせりゃ
芥川も太宰も不良少年であって、両者のキリストとの関係は同じであったそうな。
>不良少年の中でも、特別、弱虫、泣き虫小僧であったのである。腕力じゃ、勝てない。
>理窟でも、勝てない。そこで、何か、ひきあいを出して、その権威によって、自己主張をする。
>芥川も、太宰も、キリストをひきあいに出した。弱虫の泣き虫小僧の不良少年の手である。
まあ、確かに芥川は「西方の人」書いたし、太宰もキリスト教については関心を抱いていたので
両者の関心の質には似たところがありそうである。
「トカトントン」というトンカチの音、何かシンボリックな意味があるのかなこれは。
キリスト教とトンカチといえば、イエスの父親ヨゼフが大工だったという話を
連想するな。トンカチを叩いてるのは、ヨセフなのかな?
ならば誕生はどこで暗示されているのだろう
誕生? 別に作中にもどこにもキリストの誕生など暗示されてないんじゃない。
それが何か?
太宰とキリスト教の関係ってどうなんだろ
トカトントンだけではつかめないねえ
大工によるトカトントンという音を、俺自身は抽象的なものとして読んでたんだけど、
それを佃煮のように戦後復興の音と考えることもキリスト教との関連で考えることも一応可能だなあ
なんか、マタイのは本来の意味と違う気がするんですよね。関心があったという程度かな。駈込み訴えとか読んでみようかな。
>>239 トカトントンは戦後復興のシンボルって読みもありかなーとは思ったが
それだと、なんでトカトントン聞くと、なにもかもやる気がなくなるのか
それがちょっと理解できないかなーと、思うね。
そう言われてみると、確かに。私は戦争のない日常の音かなって思いました
なにか非日常的な情熱をもとうとすると、それに冷や水をあびせかけるように
聞こえてくる、日常に帰れというトカトントンの音か。 しかしまあ、恋愛とか
仕事とかスポーツとかに夢中になれるというのは、むしろ日常性への埋没と
いうようにむしろ思えるね。
実は、俺が「トカトントン」について、はじめて知ったのは、出久根達郎の
エッセイでなんだよねー。三島の太宰嫌いは有名だったが、その三島は
実は太宰の影響を強く受けてるんではないかというの。
三島は「喜びの琴」という戯曲を書いてるが、交通整理してる警官の耳に
どこからともなく琴の音が聞こえてくるという設定が、「トカトントン」の影響
受けてるんじゃないかっていうの。 俺はなるほどねー、とおもったねw
太宰は、「如是我聞」でも、聖書からの引用ではじめてるし、聖書を読むために
ギリシャ語勉強したこともあるっていうし、やはりかなり関心もってたんだろうな
キリスト教には。それで太宰は芥川も尊敬してたと。 やはり芥川のキリスト教が
太宰のモデルになったのかなぁ。
トカトントン、トカトントン…
チントンシャ、コロリンシャン…
う〜ん。幻聴に意味付けするのがそもそも間違っているのかも知れないなあと思えて来ました。
そもそもあれはただのノイズだという学者もいるんですよね。
これは太宰の創作で、実際にこういう幻聴聞いた患者がいたってわけじゃないっしょw
この手紙の送り手って実在するのかな。この手紙もやっぱり太宰の創作でしょ。
>>243 1度目は日常へ強引に戻された為の白けで、あとはパブロフの犬みたいなものかと思いました。白けると聞こえる。聞こえると白ける。
どの読みもおもしろくていいなと思います。
私は
>>194さんの主観主体と客観主体の入れ替わりってやつが好きです。
>>248 ああ、そうかも知れない。
何かと必死な手紙の主に対する作家の皮肉たっぷりの態度が、いかにも太宰と似ていて笑えるんですよ。
>>249 終戦の衝撃も、仕事も恋愛も労働争議もスポーツも、トカトントンのあとでは
すべて同じ価値しかなくなってしまうという意味で、俺は初回のトカトントンと
それ以降のトカトントンに違いがあるようには思えなかった。まあ、それは
ひとそれぞれだろうが。
>>250 某作家というのは、これは太宰本人を意味してるんだろうな。それしか
考えられないが俺にはいまんとこ。
トカトントン読みました。太宰治は好きじゃないけど、やっぱり読ませる力が凄いね。
少しづつ読もうと思っていたのに一気に読んでしまいました。
まあ安吾が一流の規格外品だとすれば
太宰は最上級の二流品だからな
この作品は鈴木もぐいっと読めると思ってたよw
ムーのはどういう意味?
太宰はサービス精神の塊だからね。
そこが物足りないっちゃ物足りない。
トカトントンの感想、ちょっと遅くなるかも知れないけど近々に書きます。そんときにでも改めて
そうだね。こういう男はモテるだろうなって太宰治に対して思った。
敗戦の雰囲気を知るにはもってこいだね。終戦記念日直前に堕落論とトカトントンを読めて良かったよ。
二流は言い過ぎだったかな。
「右大臣実朝」と「斜陽」はまぎれもない傑作だと思うし。
でも「人間失格」はクソ
斜陽は安吾が褒めてたんだっけ?不良少年とキリストに出てきた気がする。
人間失格は最低だよね。それは同感。なんで持て囃されるのかわからない。
あれはなんで自分が人間失格だと思ったんだっけ?その理由にムカついた。
太宰は何人も女を殺したしあれより恥ずかしい事は沢山してるはずなのに。
そうだったかな?
柄谷がどっかで誉めてた記憶はあるけど
ムーさんも言ってたけど、人間失格より人間廃業のほうが素晴らしい作品だよ。
太宰治は人殺しでしょう。大岡昇平の俘虜記みたいに「なぜ私はあの女を殺したのか」とか詳細に分析したりしてたら尊敬したけど、とても無理だね。
人間廃業?
それ知らない
「女が勝手に死んだんだ」って思ってたのか?人として最低でしょう。本人は人として最低だと思ってないのがムカつくわ。
>>264 ここで梯子を外されるとは思わなんだ!ハメたな?ムーさん!!
いやマジで
ニンゲン合格じゃなくて?
人間廃業は90年代のアダルトビデオの人気シリーズです。単体女優が大人数の男優とひたすらセックスするという内容だってムーさんに教えて貰った。
ニンゲン合格は見れてないんだよね。ムーさんにDVD焼いて欲しいなー。
人間廃業をムーさんが褒めてたって言うのは嘘です。でもさすがに知らないとは思わなかったw
知らんわ。
あと映画はフロッピーディスクには焼けんわ
あらやだ!僕の書き込みなんだか薄ら寒い感じになってて、極限的恥ずかし変異が起きるかも知れない…
>>270 ブルーレイドライブとHDMI端子がついてるPC買えばフルハイビジョン映画鑑賞環境まで手に入りますよ。そういう発想はないの?
それ揃えると俺のDVDコレクションが無駄になってしまう…(涙
あと数年はブルーレイなど存在しないかのように自己暗示を続けないと
普通に突っ込むけど、無駄にはならないだろ。とりあえず薀蓄垂れると、ブルーレイドライブはDVDも最高の画質で再生出来るんだぜ。
でもこれ以上はスレ違いだから続きは伊佐坂スレでやりましょう。
なんでおまえらはどのスレも糞スレにしてしまうんだ
いいかげんにしろ
いや、アップコンバート時の映像補完技術は確かにそこそこすごいけど
フルHDと比べるとやはりダメだよw
失礼しました♪
なんか夜中にテンション上がってきてダメだね。こりゃ寝れねえや。睡眠薬でも飲むか。そして不良少年とキリスト読むか。
続きは伊佐坂スレで♪
人間廃業なんて知らなかった。
鈴木をAV通として認めよう。
光栄です。しかしそんなに詳しくはないですよ。
長瀬愛知ってる?
知ってる。今ね、安吾による太宰の追悼文「不良少年とキリスト」を読んでいるんだよね。タイムリーでしょう。俺睡眠薬飲んでるし。三錠。
「不良少年とキリスト」にも、一カ所小林秀雄への言及があるんだよねえ。
安吾も、こんなとこまで、小林秀雄もちだすかとw
まあ、安吾の太宰批判ってのは、小林の芥川批判を下敷きにしてるような
ところがあるね。
そこを抜き出そうか。iPhoneで。
フツカヨイをとり去れば、太宰は健全にして整然たる常識人、つまり、マットウの人間であった。小林秀雄が、そうである。
太宰は小林の常識性を笑っていたが、それはマチガイである。真に正しく整然たる常識人でなければ、まことの文学は、書ける筈がない。
でもさ、安吾は批判はしてなくね?俺は安吾は太宰を友達として、悪いところもいいところも認めた上で真摯に追悼していると感じたな。
長瀬愛知ってるとはやはり通だ。可愛かった。
安吾が太宰をどう思ってたのかも鈴木に完全に同意。
>>285 >悪いところもいいところも認めた上で真摯に追悼していると感じたな。
これはいい感想。 俺も同意。
小林にとって芥川は友達じゃなかったが、安吾にとって太宰は友達だった
この違いは大きいな。
じつは安吾のほうが太宰より3つ年上なんだよね。それが絶妙な年齢差のような感じもあって、兄が弟を見ているような優しさも感じた。
まず、俺が途中まで読んで思ったこと、不良少年とキリストは歯痛の話から始まる。
やっばり安吾はシャブで歯をやられてたんだなあって思った。俺もひどかったもん。
今は簡単に神経を取ってもらえるから痛みはそれほどないんだが、神経ない歯多い。
あと「借金は陰鬱なる病気也」ってフレーズが身に染みた。、
>>261 不良少年とキリストより
その死が近き頃の作品に於いては「斜陽」が最もすぐれている。然し十年前の「魚服記」は素晴らしい
>>290 三つ違いか、まあ微妙だなあ。同年齢の友達というには。
>>291 歯はみんな修理したの? 歯のメンテだけはやっとけーw
>>292 借金は大変だよなー。俺も借金はあんまり抱えたくない。
しかし、世の中には「借金は男の勲章」って考え方もあるらしい。
不思議な考え方だよねw
>>294 歯医者に半年通って治しました。
借金は勲章ってのはバブルの考え方では?w
>>295 そうだなあ。その言葉を聞いたのは、バブル崩壊しばらくたって
からだったような気がするな。 それもやはりバブリ時代に醸成
された考え方だったのかな。
鈴木は抜歯はしなかった?
>>296 俺も低金利ならガンガン借りたいですけどねw
>>297 一本抜歯したよー。ブリッジって工法で治した。保険がきくから。
トカトントンの音は私もアセンション同様、抽象的なものと読んだよ。
なんとなくあの冷ややかな音を聞くと、ほとぼりがさめて力が抜ける気がしたね。
鈴木は本当にシャブ中の借金まみれなんだね。
なんだと!?(怒)
キャラじゃないですよ
シャブ中犯罪者こわいわあ
シャブは一年半近くやってないよ
もっと生産的な事がしたい。誰か読書会まとめサイトを作らない?それとも俺が別板で人数を勧誘してこようか?
あまり多いと収集がつかなくなるのが難しいとはいえ、確かに、少し人は少ないですよね。
私はサイト作るとかはできないので、後者に賛成です。
誰も来ないね。でも参加者が増えるといいなーって俺は思ってる。
早い!びっくりした!もう少しほかの参加者の意見待ったほうがよかったかもしれないですね。後の祭りですが。好い人が来るといいですね。
因みに、
>>304の言い方だと、真面目にやってるみんなに少し失礼かなと思いますよー。ショボンさんの今回のホストぐっどですし
309 :
吾輩は名無しである:2011/08/15(月) 20:46:36.38
きたぞ
何読むんだ
とりあえず誘導されてきてみた
颯爽と登場
当スレは何の縛りもないスーパーフリーな空間ですが、ホストはアセンションです。チェックしといて下さい。
>>312 なるほど!
スレの最初にもありますが、少しルールを設けてあります。良いスレにしましょ〜
青空文庫を中心に、誰もが自由に読める短めの作品を共に読むスレ
*自分の感想の書き込みは名無しでもOK。
*感想文を書いた参加者のみ他者へレス(批判含む)できるが、
その場合、名無しの人は自分のレス番号を名前にする。
*他者批判の場合も人格攻撃にならないように。
という感じでヨロシク。
とりあえず読んで思った事を書いとけばいいと思います。喧嘩は仕様ではありませんが、たまに起こります。乱入上等。
ニッパさんの
>>315もチェックしとくべき。あと、次のお題を出す権利もあなたたちには与えられています。活用して下さい。
俺の要望としては、鈴木はせめて十行以上の感想を書くように努めて頂きたい。
十行書くと世界変わるよ
>>318 誰の命令も受けねえぜ!でもアドバイスとして聞き入れておきます。
そろそろアセンションが出て来て何か言って欲しいな。ホストアセンション
でもトカトントンで十行以上?書けるよ。でも書かねえんだ俺は。
アセンションさん抜きで進めちゃって悪かったな....
心ない事は言いたくねえんだ俺は。でもたまに長いの書いてみるのもいいかもね。
とりあえず三人くらいプレイヤーが増えて俺は嬉しいな〜
十行程度で水増し
>>325 ある程度書いてもらわないと伝わらないもの。心の中にとどめとくなんて、せっかくの読書会がもったいない!鈴木さん読解力あるし、知識もあるし、楽しみにしてます。
>>326 そっかな、私は新参者なのに申し訳ない...
>>325 十行程度ですら、水増ししなきゃ書けないという精神構造はやばいとおもうぞ
あれ誤送信した?
>>328 それが佃煮マニアじゃん。ああはなりたくないね。
>>329 次回はやります。でも、トカトントンでも余白はあるんですよ。
俺の感想に異議がある人が声をあげたら俺は応答しますけどね。
>>330 俺がニッパさんを常任理事コテに任命します。
>>331 いや、書けるよ。水増ししなくても、10行なんていくらでも書けるよ。本当の気持ちでさ。あなたが書いて欲しいなら書くよ。
短いほうがいいじゃんって思ってしまうんだよな。出来るだけシンプルに表現しようとしてる人の作品に感動をおぼえる事あるでしょう?
文章によるコミュニケーションの短文化は真面目に考える価値のある問題だな。
キーポイントはタイムラグだ。
相手に一ヶ月たたないと届かない手紙を書くとすれば、いくらなんでも三行で済ます奴はいないだろう。
自分の意が十分伝わるように、単純な用件を伝えるだけでも、それなりに意を砕くだろうな。
そういうの考えると、こことかツイッターとかどうかと思うよね。
AVの話しか出来ないくせに偉そうだなこいつ
つまり言いたいことは、長文書いてもウザがるよな、おまえら!(涙目
>>285 太宰とキリスト教との関係を見る上で「不良少年とキリスト」はグッドタイミングだったな。
>>319 一応候補として預かるけど、一応声をかけてみよう。
>>324 そういうのはOK! 鈴木は営業マン向きだなw
感想文の質はもちろん量で決まらないよ。
むしろ一行で多くの人に伝えるのは至難の技で、
それが普通はできないから、言葉を費やしてるわけさ。
いや、短い言葉で意を通じるのが美しいって発想は悪い意味で日本的な島国特有の甘えだと思う。
ここは閉ざされた共同体ではなくて荒野です。海原です。
ワグナーとかどうなるのよ。
ワグナー聞いたことないけど
>>339 >感想文の質はもちろん量で決まらないよ。
>むしろ一行で多くの人に伝えるのは至難の技で、
>それが普通はできないから、言葉を費やしてるわけさ。
読書会に関しては、これに賛成!でも、文章の良し悪しの話になれば、やっぱり短い方が美しいと思います。一つの言葉にかかる重みが増して、奥行きが出るから。
ムーさん長文なの?いつも短く的確なイメージです。
初参加です
「トカトントン」読みました
最後まで読んだ最初の感想は
○○は嘘、○○なのも嘘
○○だけは本当に嘘
って感じの2ちゃんコピペでした
そして「こんなもん真面目に読んでんじゃねーよw」って感じの著者の渇いた笑い顔
太宰だって芭蕉になれたならトカトントンを書かなかったかもしれないよ
感想もまともに書けない一番馬鹿の鈴木がえらそうにすんな
ニッパさんとはケンカしづらいなあw
まあいいか(にへらにへら)
>>335 でもムーさんの長文を読む奴は誰もいないと。それも問題だな。
>>339 ありがとう。でも異形の者はガチだよ。俺の感想文はそうでもないけどね。30秒で浮かぶイメージしか信じてないんだな。
>>340 ムーさんは短文で伝える自身があるんだな。じゃあやってみればいい。俺が未だに到達できない地点へ。
>>341 俺は長いほうが偉いと思ってるよw
>>342 そうだね。基本的に否定形なんだよ太宰治は。その意味で俺は坂口安吾の堕落論に痺れるんだなー。
>>345 確かに…
348 :
忍法帖【Lv=20,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/08/15(月) 22:27:04.40
川俣ペースで進みすぎだな。「堕落論」あたりからそういう傾向が現れてきたので書く気力がなかったのもあるが離れていた。
?
俺は短文で伝える自信ないよ?
誤読?
>>342 はじめまして。
>○○は嘘、○○なのも嘘
>○○だけは本当に嘘
>って感じの2ちゃんコピペでした
っていうコピペは、2ちゃん詳しくないのでよくわからないのですが、確かにそんなところあるような気がします。
>そして「こんなもん真面目に読んでんじゃねーよw」って感じの著者の渇いた笑い顔
は上手いな!と思いました。自嘲が得意ですよねー
>>348 でも俺は俺のペースで進めたいなんてこれっぽっちも思ってないよ。俺が他の板に周知したのが気に入らないのか?
>>349 まあ、確かに言葉を素直に取ればそうだけど、長文の正当性を説得力もって語れるのは短文も書ける奴でしょ?
そんなこたーないw
>>347 >俺は長いほうが偉いと思ってるよw
それは、長く書かねば伝わらないほど厚みのある内容がある文章なんだと思いますよ〜。
>>346 私も言う時は言うので、遠慮なく!
長距離ランナーは短距離も得意でしょってどうよw
>>353 でも俺の文章なんて、という否定が最初にあるからな。太宰治だね。だから誰かの批評を発展させて語るとかそういう方法論とるしかないの俺は。
「トカトントン」では[Aは嘘、Bも嘘、Cだけは本当]とあったけど
実際には[Aは嘘、Bも嘘、Cだけは本当に嘘]だと氷結レモンは読んだわけだよね。
つまり26歳の青年の手紙のほうは(2ちゃん的ともいえる)虚構にまみれてるとw
じゃあ「某作家」のほうの返信は信用に足るのだろうか? みんなはどう?
>>354 そうとは言えないよ。体力が自慢のスポーツマンが足が遅かったら幻滅でしょ?そういう事ですよ。
>>356 返信か。あれは太宰治の言い訳のように聞こえたけど、どうなのかな?つまり文学者としての建前を述べてるように感じた。
俺天然パーマなんだけど先週の日曜日の話。
最近俺が彼女と別れたのを知ってか知らずか友達が
男2女2(友達・友達の彼女・彼女の友達・俺)で遊園地行こうと言い出した。
俺はそんなに気が乗らなかったが仕事始まってから友達に全然会ってなかったし、
気分転換になるかもと思って遊びに行くことに。
遊園地に着いて遊んでると、友達が別行動にしようと言い出した。
知らない子なので最初は気まずかったけどそのうち気軽に話せるようになり、
だんだん楽しいと感じるようになった。
話してるうちにその女の子とは思ってたより気が合うし可愛いし付き合ってもいいと思った。
いや、正直付き合いたいと思った。
3時くらいになって遊園地が物凄く混んできたので
俺はその女の子に「(はぐれないように)手繋ごっか?」と言った。
彼女は男と付き合ったりした事が無いらしく俺がそう言うと何だか恥ずかしそうにしてた。
でもここで2人モジモジしてはぐれても困るので俺から彼女の手を繋いだら爆発した。
まぁさすがに爆発したのは嘘だけど、手繋いだのはガチで嘘。
でも4人で遊びに行った事だけは本当に嘘。
ただ昔彼女がいたってのはマジで嘘。
俺が天パーなのは本当。
誰か助けてくれ。
>>356 そういうことなのか!良くわかりました!!私は返信も嘘、と思います。何せ無残にも無学無思想ですから。
>>358 だから、それを最初にもって臨んだのが堕落論の感想文なわけだけどね、俺の場合。
>>360 なんかお前嘘つきだな!でもちゃんと嘘だと報告する点は好感が持てるぜ。
私はトカトントンだけは真の意味で本当と読んだね。
だから某作家も真摯に返信しなくてはいけない。
けれども返信の方は、「僕は、あまり同情してはいないんですよ」という部分を見てみると、信用に足るかと言われたらノーだな。
氷結は、トカトントンの読者を徹底的に裏切る展開から、その2ちゃんのコピペを思い出したというだけで、構成まで完全に一致してるとは思ってないんじゃないかい?
某作家に”トカトントン”に類する体験が手紙以前にあったと解釈するのが妥当でしょう?
だからこそ聖書の引用文を書いた
>>361 なるほど。まあ「無学無思想」というのは謙遜的アイロニーとも読めるけど、
あの返信に太宰の本音が出てるのか、それともマイ・コメディアンとしての
これまた虚構性がにじんでいる返信なのかは、ちょっと判別しにくい感じはあるね。
韜晦という言葉を覚えましょう
>>368 うーん、厳密に言えば、嘘というより、そういう逃げ道を作っているように感じます。誰かに真っ向から否定されるのは耐えられないんだと思うんです、太宰は。
>>366 でもさあ、手紙を書いた奴も太宰の人格の一部だぜ!?
>>368 俺は返信に太宰の本音はないと見たね。むしろ手紙を書いた奴の文章のほうが本音だろう。
>>369 そんな難しい言葉は嫌いだね!!
やけにkamomeが重いと思ったら今日はいくさに負けた日でしたか。
そうだなぁ…
たしかにこの小説全部を引っくるめて太宰の表現したかったことだからなぁ。
信用するもなにも、書かれたものをそのまま受けとるしかないのかもね。
とはいえ、そもそも小説は解釈に幅をもたせたものだから、書かれたことをそのまま受け止めるにしても個々人で解釈に差が出るんだよね。
良い文学ってのは、
>>369じゃないけど、難しくてこまっしゃくれた言い回しをしてるもんなのかな。
謙遜敵アイロニーは衒学的でないのに韜晦は衒学的なのか
ふむふむ。いろいろ解釈できるよね。
青年も作家も虚構、青年が虚構で作家が本音、青年が本音で作家が虚構、
あるいは…
>>374 >良い文学ってのは、
>>369じゃないけど、難しくてこまっしゃくれた言い回しをしてるもんなのかな。
俺はそんな事ないと思うよ。魂をぶつけてる文章ってものは常に見た目がいいもんじゃない。
>>375 俺はそこが好きじゃないんだな。そこにリアリティーを感じる人がいるのはわかるよ。でも俺は文学として好きじゃないんだ。
>>376 どっちも衒学的じゃないかな。でも私は太宰は衒学的じゃないと思います。そして、あなたは衒学的ですねっ
>>378 私もそう思うな。かっこいい言葉並べても意味がわからないものはわからないし、面白くないものは面白くないです。
太宰の自嘲は、逃げ道なんだと思うんです。否定されたとしても、自分は最初からそう言ってたじゃん!ていえるじゃないですか。
私は鈴木さんみたいに飾らない人間じゃないので、太宰のそういうところに共感したのだろうなと思います
自嘲的、という言葉はしっくりくるね。
青年の手紙も作家の返信も、虚構でありかつ本音でもあるとしたら…
太宰を色で染めるなよ
>>381 難しい言葉や表現だらけの文学はそりゃつまらないだろうね。
ただ太宰の文学は少なくとも難しい言葉や表現だらけではないよね。
でもここぞというときにそういう言葉やら表現がある気がする。
逆に難解な部分の一切ない文学は良い文学になりうるんだろうか?
>>378 鈴木は、太宰がうじうじと自らを嘲って、その卑劣な過去を並べ立てて悦に入っているのが鼻持ちならないのかな?
たしかにそれは分かるんだけど、私は『人間失格』を読んだときに、「これが文学だ」と思ってしまったんだよね。
それは強烈な引力だったよ。
>>383 人それぞれの読み方によっていろいろ色づけしたって悪くはないさ。
むしろどんな色にも染めないで論じるのはかなり困難だよ。
色即是空
繰り返す
色で染めるな
それはニヒリズムだ
そんなもので染めるな
誘導されてきた
エロ小説があるのはここか
>>381 いや、俺は太宰治に対して同族嫌悪を抱いているのだろうという自覚はあります。共感はできるのです。
>>382 作家の返信は本音ですかね?俺はそうは思わなかったな。
>>384 なりうるでしょう。太宰はいい線いってると思いますよ。一流と言ってもいい。
なんていうか、わからないけど、俺は太宰が嫌いだって言ったけど、本当は好きだけど何か足りないって言ったほうがいいと思う。
太宰を嫌っていたという三島だって、本当は好きだったんだと思うな。でも太宰になりたくはないんだよ俺は。
でもエロ小説をお題にあげるのもやぶさかではない。ちなみに先ほどまた20スレくらいに宣伝してきました。また人増えるよw
鈴木のお友だちもトカトントンの感想書いておくれ。
どんなことだっていいさ。
こういう私も鈴木に誘導されてここに来たのです。
そう。今晩俺は50スレくらいに人を集めに行ったぜ。
俺の呼びかけ文がだめだったのかなあ…どういう趣旨の読書会かアセンションが語って下さいよ。
なんなんだよこの手紙長すぎる長すぎるよ
ちゃんと読む人のこと考えてよ
トカトントン聞こえてるくせにこの長文とかトカトントンの威力弱すぎだろ
せめてエロ入れてよ
女中は下の口で男の口封じしろよ
そこは空気嫁よ
この小説は結局の所何が言いたいの
最後の数行言いたいがためにトカトントンさんは噛ませ犬になってんじゃないの
ライ麦畑もそんな感じがしたよ
でも確かに恥じも外聞も捨てたやつは強いよね
>>395 トカトントン強すぎじゃね?でもトカトントンで白けるって精神構造がわからないよな。
だいたい短編が多いので、気軽に読めると重いますよ。
399 :
吾輩は名無しである:2011/08/16(火) 01:02:23.47
>>395 せやおまへんがな
これはアレや。賢者タイムでんがな。
ああなんか宇宙広いしどうでもええわーって感じですがな
せやから手紙やとか大層な事言うてるけどオナニーの告白でんねや
トカトントンじゃなくてキコキコキンでもよかったな
401 :
395:2011/08/16(火) 01:03:39.49
>>396 トカトントンはきっと枕につっぷして足ばたばたしたくなる黒歴史なんだ
なんの感慨もないとかいうのも嘘なんだ
きっと死ぬこと考えて薄気味悪い森を見ていたらおしっこちびっちゃったんだな
そのときトカトントンが聞こえて我に返り泣きながら走って帰ったんだ
それでトカトントンは黒歴史を思い出す鍵となってしまったわけだ
>>401 黒歴史かあ。つまり恥という感情と繋がっていると?
403 :
395:2011/08/16(火) 01:14:04.93
>>402 そやね
最後にまとめてる作者が醜態と言ってるからきっとそういうことなんでしょう
黒歴史か
黒い時計の旅のスティーヴ・エリクソンを思い出したw
ここはトカトントンをおもしろ解釈するスレ?
406 :
記憶喪失した男:2011/08/16(火) 02:00:29.76 BE:1847756939-2BP(0)
「トカトントン」感想。
わけがわからなかった。そもそも、語り手のいいたい主題がわからない。
とある作家の小説を読んだら、トカトントンと音がしたというのだが、
それだけでは怪談にもならないし、幻想文学にもならない。
トカトントンいいたいだけちゃうんかと思った。
この作品に奥深い思想は皆無である。
んじゃ俺解釈 手紙書いている男は太宰のニートな部分(小説家として 基本太宰はニートだけど)
何をやるにも無感動で足踏みしている太宰(勇気がないからと返信太宰は言うけど、ただの怠惰かも?)
んで、返信太宰がそれにハッパかけてる それにしても太宰の話に出てくる女の子はかわいいね
408 :
407:2011/08/16(火) 02:08:07.15
もしくは敗戦後の世の中で無気力化している若者を表現しようとしているのかな
俺が俺がの太宰ちゃんが社会風刺を書くかは知らないけど
409 :
407:2011/08/16(火) 02:13:32.35
いずれにせよ、男の、手紙の最後にある「書いたことは嘘ばかりだけど、トカトントンだけは本当なのです。ってのは
太宰お得意の読者に対する「僕だけの話じゃない。君だって、そうだろう?」という問いかけの技法だろうとおもう
410 :
記憶喪失した男:2011/08/16(火) 02:33:54.14 BE:2053062465-2BP(0)
「異形の者」感想。
宗教話を真面目に語っているところが面白かった。好みな題材である。
宗教が死後の幸せをうたうのに疑問を感じるのはおれもであり、
共感を感じる。空海やアミダ如来などが登場するのも、なんか、偶像蔑視しているようで
気持ちがいい。
オチがガンジーというのも、真剣に悩めるものの出した真面目な解答だという気がする。
だが、全体を通してみて、これといって、世界の第一線に立つ文章はなく、
いささか、思想の踏み込みにあまさを感じずにはいられない。
>>409 なるへそ(´・ω・`)
青年の手紙の最後の部分が意味するのは「僕だけの話じゃない」ということだとする読みは面白いね。
太宰お得意ってことは他にもあるんだよね?
どんな作品がそれに該当するんだい?
412 :
409:2011/08/16(火) 03:44:11.49
>>411 えーとね、本を無くしちゃったんだけど
たしか晩年かな? 晩年のなかにいくつか短編が載っていて、その後ろの方
そのなかで太宰が他人の奥さんといいところまで行ったぜゲヘヘ、って自慢する話があって
それは架空の「君」に対して語られる形で書かれていて、そのなかで「僕だけじゃないさ、君もだ
って文があった 晩年のなかの違う話かもしれない 曖昧でゴメン
太宰は読者に問いかけや同意を求めるようなメタ的な表現が多いよね
それで自分は太宰とよく似ている、と感じる読者が多いわけで
トカトントンの場合、「僕の場合トカトントンと聞こえて、こんな有様だけど、
誰にだって、こんな状態になっちまうことは起こりうるんだ。どうだ?君には分かるだろう。と
>>400の言葉は実は深いなあ、と感じていたりした
誘導されてきました
トカトントンの俺の解釈です。
戦争が終わり張り詰めた世相が一転、自由な世の中になりましたが、精神を病んでしまいました。
躁または鬱な気分になるとトカトントンという音が聞こえ、気分が落ち着きます。
トカトントンという幻聴は心臓の鼓動の象徴として聞こえているのだと思います。
興奮すると鼓動が早くなります。
それを落ち着かせるためにトカトントンという単調な音、つまり平時の鼓動が精神安定剤の役割をしているのだと思いますます。
しかし本人は自分が異常だと思っています。
かなり危機感があるから手紙を出したんだと思います。
嘘を混ぜたというのは自分に対し平常心を取り戻す為のごまかしです。
返信は、例え傷つこうが落ちこもうがこわがらないで、一度きりの人生楽しめ。
神様ほど畏怖すべき存在はいないのだから。
と解釈しました。
>>413 なるほどー。俺はトカトントンは情熱を失わせる悪しき呪文?幻聴?だと思って否定的に捉えてたんだけど、精神安定剤としてこトカトントンかあ。
416 :
413:2011/08/16(火) 08:41:09.29
>>415 元々は感動しやすく、周りに流され易い人だとおもいます。
その為に玉音放送後の雰囲気に呑まれ、自決しそうな気持ちを抑える為に幻聴が聞こえるようになったと思いました。
防衛本能というか生存本能なんでしょうね。
それが長く続いた為、社会の変化から、私生活に渡る全てに無気力、無関心になり危機感を覚えたんだと思います。
>>413 新しい解釈ですね。面白いです!確かに、白けるって平常心を取り戻しているからこそですよね。思いもよらなかったな。やっぱりみんなで読むと面白いなぁ
>>416 >元々は感動しやすく、周りに流され易い人だとおもいます。
>その為に玉音放送後の雰囲気に呑まれ、自決しそうな気持ちを抑える為に幻聴が聞こえるようになったと思いました。
これって太宰本人のイメージそのものだと思います。
419 :
413:2011/08/16(火) 09:50:12.43
さっき気がつきましたが、ここって文学板だったんですね。
はじめて来ました。
返信については、戦争、敗戦、社会運動、恋愛等の私生活などは人の営みです。
キリスト教の神はそれらから超越した存在です。
ですから常に精神安定剤を飲んで心の平安を保つ必要はないよ。
所詮は人の営みなんて神からしたら些細な事だから、情熱を持って生きなさいというメッセージなんだと思いました。
トカトントンの感想。
「トカトントン」という音は、一言でいえば「世界が持続する音」だと思うな。
それ自体はなんら心理的な意味も、社会的な意味もない、宇宙の持続の音。
それがなぜ主人公を打ちのめすかと言えば、これまでも、これからも、世界はなんら変わらぬ姿で持続し続けるのであり、
そこには何かの「終わり」もなければ、何かの「始まり」もないという真実が突き付けられるからだと思う。
だから、そこでは「終戦」という大がかりな「終わり」の物語も、「戦後民主主義」という「始まり」の物語も、あるいは労働や恋愛といった「個人的」なフィクションも無効化されてしまう。
主人公が、全てが嘘かも知れないが、「トカトントン」という音だけはリアルなんだと最後に告白しているのも、
そうした事態を素直に述べているのに過ぎない。
つまり、太宰は終戦はフィクションに過ぎないと言っているのだ。
作者の最後の付けたりは、照れ隠しでもなんでもなく太宰の本音だろう。
ここで、太宰は太宰なりの言葉で、踏み止まるな、「堕落」せよ、という明白なメッセージを発している。
堕落とは、人生を支える諸々のフィクションが無効化された後、世界そのものの持続を見ることに他ならない。
そのとき「トカトントン」は曖昧な幻聴=予感であることをやめ、本来あるべき姿で現れるはずなのだ。
これは太宰のフィクション論ですな。
以上
物語的ですな
悪くない
今回は盛況ですね。夏休みスペシャルだ。
トカトンタスのお父さんはやっぱりパウハトカトンなのかしら。
>>422 鈴木があちこち宣伝してくれたみたいでw
次々回ぐらい(?)用に(@∀@)からもお題をひとつ
仕込んでおいてくれると嬉しいな。
>>406 >トカトントンいいたいだけちゃうんかと
記憶喪失らしいね。その可能性もあるかなw
※410はその流れになった時にコピペしとくよ。
>>413-414 精神安定剤としてのトカトントンか。モルヒネ的効果はあるかも。
>>420 こっちのトカトントンは「世界が持続する音」ときたかw
宇宙の鼓動みたいなポジティヴで壮大な捉え方だね。
いや、特にポジティブでも壮大でもないと思うがw
>>425 「世界」や「宇宙」を持ち出すとそう受け取られる危険性はあると思うよw
トカトントンって金属的な響きがありながらもリズミカルで
字面にもユーモラスな雰囲気は感じるんだよね。
427 :
忍法帖【Lv=21,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/08/16(火) 13:18:18.02
書こう書こうと思うたびにトカトントン、トカトントンという音が聞こえてまいりまして……。
>>416 周りに流されやすい人ってのはその通りだと思いますね。逆に言えば自分がないんだな。自分のやる気がなくなった事すら、外部に原因があると思ってしまう人。
>>418 手紙の筆者は太宰ですよね。
>>419 文学板は嫌われてるので、あえて文学板と明示しない作戦をとりましたwでも嫌な奴はそんなにいませんよ。
>>420 反論しようかと思ったけど、やめるわ。あなたはなかなか行く道行ける男だと思ったから。誰にも止められないぜ!(俺が止めるかもな)
>>422 @@さんは毎日何を食ってんのか気になる。もっと料理すれに顔を出して下さいよ。
>>423 見た?けっこうすごい数のスレに宣伝してるんだよ。
>>428 もちろん、手紙の筆者も返信してる作家も太宰だと思いますよ。そういう流されやすい部分も、自嘲的なところも太宰の弱味であり魅力なんだろうな
431 :
忍法帖【Lv=21,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/08/16(火) 13:45:00.89
俺はあんまり作者と同質のものを作中人物には見るべきではないと思う。太宰の場合それを強要してくるような傾向もあるんだが。
432 :
忍法帖【Lv=21,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/08/16(火) 13:46:05.83
言ってしまえば作品は全部作者のものなのだから、作中人物も全て作者だといってしまえば否定できない。
だからむしろ俺がこのトカトントンを語るとするならば、その舞台設定に注目したい。
マグナさんの言うことも一理あるけど、太宰は身の切り売りタイプだったんじゃないかなって思ってます。
435 :
407:2011/08/16(火) 13:57:41.63
>>420 トカトントンだけは=リアルと言っているんじゃないと思う
リアル=真実 ではなく、トカトントン=置き換えられないこと
他のことは虚偽と言うよりは、売女のことも共産党から感じた嘘くささも
何もかも別のことに置き換えられる・・・トカトントンが聞こえる条件の例を上げただけってこと
物語が別にこうである必要はなかった。そんなことはここでは重要ではない、って意味だと思う
僕にはトカトントンが聞こえるんだー!言いたいのはそこだから一つよろしく、って意味で
「トカトントンだけは本当なのです」
リアルという一言に食ってかかっててダサイけど、他は否定する材料ないし、
なるほどなあ、と関心した
でもトカトントンは予感ではなく、情熱のストッパー(言うところの堕落へのストッパー)と思います
あるべき姿ってのはどういう?フィクション論てのはどういう意味ですか?
436 :
忍法帖【Lv=21,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/08/16(火) 13:57:44.11
>>433 身の切り売り小説は生涯に一度だけぐらいは書いてみたいところだな。
「仮面の告白」的に。
437 :
忍法帖【Lv=21,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/08/16(火) 14:25:59.50
ストーリーの中心になるのは、「海岸の部落の三等郵便局」だろう。
そこに到るまでの過程でトカトントンという音を主人公が認識するまでは描かれるが、
「郵便局」から出ることはない。そしてこれが海沿いということがまた一つの効果を生んでいる。
この小説に幾分曇った気分があるとしたらこの場所設定のせいだろう。
>>435 答えになっているのかどうかわからないけど、例えばあなたが言っている、太宰=ダメなニート的なヒト、というのも一つのフィクションだと思う。
もちろんそういう部分が嘘だというのではなく、太宰が事実、そういう自己を積極的にウリにしていたことを批判したいとか批評したいとかいうことではない。
でも一方太宰は戦中戦後を通じてコンスタントにレベルの高い作品を発表してきた職業作家なのであって、
これはニートどころではない、れっきとした職業人です。
時局と出版社を相手どって、しかも質の高い小説を執筆し続けることは、ごく単純に、骨の折れる大変な労苦だったはずだ。
自分はそうした「普通の、厳しい職業人」としての太宰を閑却した太宰論にはまるで興味がない。
彼もまた、自嘲的なセンチメンタリズムに溺れる自己演出をしながらも、一職業人として、安吾のいう「鬼の目」でこの世の中を見ていたはずです。
ありうべき姿とは、そうした部分に目を注ぐということだと思う。
「トカトントン」を世界の持続の音だと言いましたが、これは地球の回転の音でも、嵐がうなる音でもない、ささやかな、どこにでもある「手仕事」の音です。つまり「具体」ですな。
答えになっているかどうか、まあそんな感じです
職業人>>ダメなニート的なヒト
という序列が暗に示されているが
であるならば手仕事の音に特別なものを感じる根拠が薄れるのではないのか
無常の悟りは憂いではないし、何より太宰本人は処世術として他人を偽る必要悪を感じているヒトです
お尋ねしますが、職業人としての彼は…すなわちトカトントンという作品は太宰の偽りの姿だと感じているのですか?
>>438 なるほど フィクション論てのはあえて読者にそう読ませる(自分が笑いものになろうとも)
過剰演出のことですか なるほどなるほど
「あるべき姿」は物事(物語)の表面にだけ囚われず本質を見抜き前進(堕落?)
できるようになるってこと?
言うとおりトカトントンは最初、金槌の音で生活の音であったけど、
それがどうしてこの男にとってこうした作用を与えたのかはわかりません
ぼくは偶然この人にとってこのトカトントンがそうだっただけで別に他の何であってもよかったし
そうなり得たのではないかと(というか、ぼくにはそれくらいにしか読み取れない)
あと、ここでは太宰の人間像を語り合っているのではなく、
太宰がトカトントンという話しに込めた意味を語り合っているわけだから
やはりここでは面白おかしく書かれた裏にある真実の太宰像ではなく、
素直に太宰が読者に読み取ってほしかった太宰像を受け取るべきだとおもう
作者がフィクションを書いているのにその解釈に現実の人物像を当てはめて議論するのはちがうかな
ニートうんぬんはぼくなりの過剰表現ですね(実際この手紙の男はニートではないし)
いやいや、誤解を招く書き方だったが、言いたかったのは、別に作品の背後に真の太宰像を読め、ということでも、職業人がニートより偉いということでもない。
ごく単純に、「トカトントン」という一個の作品が、当時流通していた諸々の物語やイメージのアンチとして読める、ということがあり、
それはいわゆる心理やら心情やらに回収し切れない部分を含んでいることが言いたいのです。
職業人太宰のことを持ち出したのはその延長です。
ついでに言えば、私は、太宰の作品は、いわゆる「太宰的神話」を排したところで読まれなければ、その真価はわからないというねじまがった信念の持ち主ですw
442 :
407:2011/08/16(火) 15:58:44.51
へー おもしろいです
当時流通していた諸々の物語ってのはいわゆる戦後に出版された戦後戦後した書籍のことですかね
読んでないので特にどれのことかはわからないですが
それに対して太宰は戦後・戦前ではなく、世の中は連続している、と言っているということかな
逆説的に言えば戦後戦後と言って停滞しているバカヤローども!なにが戦後だテヤンデバロメェッと。
その読み方はおもしろい 全然違ったらごめんなさい
太宰的神話とはなんですか?
>>420 すごく面白かったです。太宰に言わせれば、人生もその他何もかもがフィクションなわけですね。
>>194の論と似ている面がありますね。
>ここで、太宰は太宰なりの言葉で、踏み止まるな、「堕落」せよ、という明白なメッセージを発している。
>堕落とは、人生を支える諸々のフィクションが無効化された後、世界そのものの持続を見ることに他ならない。
ラストの返信にて、そのフィクションに埋没すればトカトントンは止むって言っているように読んだのですが、そこの部分はどうなのだろう...。
何にせよ、面白いです!
>>440 作品から作家像や、時代背景読み取ったり、逆だったり、読み方はいろいろあると思うな〜。要は極端に的外れでなく、面白ければokって思います。
なんか活発で楽しいですね。たくさんの意見読んでると訳がわからなくなって、これは嘘、あれも嘘、けどこれだけは本当に嘘。みたいになるな〜
>>420 ということは、トカトントンで全てが無効化された状態が堕落?後半はやっぱりわからない。けど、やっぱり面白いなぁ〜
445 :
407:2011/08/16(火) 16:26:12.73
>>443 あれはムー大陸さんの読み方を否定しているのではなくて
ぼくは別に太宰治のダメな部分しか感知していないわけではないんですよ
そしてそこを語り合おうとしたわけでもないし、太宰治をバカにしたのでもありませんよ、という言い訳ですね
せっかく口論スレに呼ばれたのでおもしろいかなと思ってつっかっかってみたんです
いろいろな角度から意見が出て、また意見のぶつけ合いもあっていい!
本音か虚構か、素顔か仮面か、ここがやはり肝になってる感じだね
もう1作品太宰を読んだほうがより深まるかな
>>445 ムーさんと407さんのやりとり面白いですよ!読書会ってこう進めると活性化するのかと勉強になりました。
>>437 舞台設定には目がいかなかったなー。
海というのは宇宙に通ずるものがあるね。
生命の母胎。原初の海。
冷徹なトカトントンという響きは
>>420でムーさんが書いたように、宇宙持続の音として読むのも面白いね。
密やかに、そして一定不変に運転する宇宙の摂理は、人類の思惑を超越している。
堕落しない限りにおいて、その幻聴が止むことはない。
そういうことでしょうか?
>>444 俺はそう思わないですね。今から遊びに行くからどう違うのか説明してる時間がないですが…
>>450 どういうことかなぁ?ムーさんの論の誤読指摘かな?説明待ってますね〜
トカトントンと堕落は逆だと思うんです。全てが無効というか全てが有効という状態が安吾のいう「堕落」だと思うので…
>>452 私もトカトントンと堕落は違うと思うんですよねー。でも、ムーさんのは
>>444のように読める気がして、ムーさんに聞いてみたいなって思ったんですよ。
俺はムーさんのまとめ方には異論があるな。太宰にはトカトントンの先にあるものを掴め、みたいなメッセージはないんだよ。
>>454 私も後半部分にはちょっと違和感。ムーさんの言うフィクションに埋没しろで物語終わっていますし。トカトントンの先のメッセージも私もないように思うなぁ。
でもやっぱりムーさん論は全体として面白いです。
そうですね。俺も文章としては面白いと思いますよ。
ムーにいろいろレスが求められてる感じだなあw
手紙を書いた青年と返信を書いた某作家。
ひと言でいえば、太宰の手紙に安吾が返信を書いた、と読めるんじゃないかw
いやいや、「トカトントン」の幻聴のせいで、主人公は八方塞がりの状況に陥るわけだけど、
それが「堕落」なのではないのですね。
あくまで彼は周囲の状況に対して、拒絶という、消極的かつ相対的な身振りしかできていない。
そのような態度が、最後の手紙の返信で「身を殺して霊魂をころしえぬ者ども」
として批判されているのだと自分は見ます。
さらにここで何の前触れもなく「いかなる弁明も成立しない醜態」をなす「勇気」を持て、
とハッパをかけている。
この、唐突で不親切過ぎる幕切れは、自分には単なるオマケの自己韜晦とは思えない。
ちなみにちくま文庫版の解題には、トンカチの音が、実際に太宰に寄せられた手紙を元ネタにしていることと、太宰がその手紙の主に、引用の許しを求める書簡の中で「若い人たちのげんざいの苦悩を書いてみたい」と記していることが書かれている。
自分は、この小説は軽妙な文体で書かれてはいるが、かなり真摯で悲痛な基調低音を持っているように思う。
終わりの付けたしは、太宰のナマのメッセージだと思います。
あと、これ、堕落論の翌年に発表されてるんだよね。
根拠はないが、太宰は堕落論を十分に意識してこれを書いていると思う。
そんなんで
手紙を書いた青年のほうにより太宰っぽさを感じるな。
鈴木もそんなふうに書いてたっけ。
プーシキンや鏡花の名前を出してるところなんかも自画像に近い。
「誰よりもロシアではプーシュキン一人といってもいい位に傾倒しています。」
と太宰は別の小文で書いてるね。
>>458 なるほどね。トカトントン=無力感の音だとは言い切れないんだね。手紙の主が無気力になってしまっているだけで。
読書会スレの宣伝をほうぼうに貼ったらまた水遁されたよ。世知辛い世の中だなあ。マルチコピペは取り締まり対象だとは知ってたけどw
馬鹿だなあ
…じゃなくて
お疲れ様っす!!
いえすみません。二分に一回しか書けないって不便だなあ。かと言って待ってる間に意味のない長文を書くのも嫌だし、
でも書くほかないから書くべきなのかなあ。2ちゃんなんてやめちまうか。やめちまえって佃煮マニアも言ってるしな。
>>461 マジか…まあ名誉の負傷ってことでw
太宰治「わが半生を語る」を読んでみたんだけど、
キリスト教のことが出てくるね↓
けれども私にはどうしてもいい家に住めないのです。
それはプロレタリア意識とか、プロレタリアイデオロギーとか、
そんなものから教えられたものでなく、キリストの汝等己を愛する
如く隣人を愛せよという言葉をへんに頑固に思いこんでしまっている
らしい。しかし己を愛する如く隣人を愛するということは、
とてもやり切れるものではないと、この頃つくづく考えてきました。
まあそういわずにw
でも俺レベル最低みたいだけど五回までは連投できるよ。
>>464 己を愛せない人は他人も愛せないってニーチェが言っておりました
>>465 何秒に一回書けますか?
そうか「トカトントン」は水遯の術なんだな
そういや一分以内だとダメよページに飛ばされるな
レベル2になると一分毎に書けるようになるから我慢だな。
>>467 どういう事さ?
470 :
413:2011/08/16(火) 22:45:29.08
皆さんの意見聞いてると、分からない言葉が沢山出てきて俺は場違いですね。
でも解釈の仕方が皆さん個性的で面白いです。
太宰について知ってる事は小学生レベルなのでROMってます。
調子に乗ってっとスイトントンすっぞ
>>470 413-414で「精神安定剤の役割」としてのトカトントンって書いてたよね。
最初のトカトントンでは、確かに敗戦で「死のうと思いました」という青年の
厳粛な気持ちが白けさせられて、死からは免れてる感じだよね。
>>469 瞬時にレベルゼロになってしまうという呪文
>>473 なるほど。そう考えるとムーさんの説も説得力をもってくるなあ。
477 :
413:2011/08/16(火) 23:00:22.49
俺はトカトントン依存症になったと考えてます。
精神安定剤を最初は正しく使ったけど、精神的に依存してしまい、常に飲みっぱなしで全てのことが白けてしまう。
この依存症を自覚してなんとかしたいと考えて手紙を出したと解釈しました。
>>476 トカトントンの音は生の気力をそぐと同時に、死からは守ってくれるわけだね。
やっぱり死ぬくらいならトカトントンだよなあ
>>477 シャブ中、アル中みたいなものかな。それなら鈴木が詳しいんだけどw
最初に聴こえたときには自己保存本能が働いたとも読めるね。
ただ、そこでの死から逃れたと同時に生からも離されてしまったわけだね。
吉本隆明も戦後の全ての感情に対して、敗戦の際の絶対感情に比べたら屁でもないって思ってたらしいね。
絶対感情か。感情の零度みたいなものかな?
手紙の主の青年は死に切れない自殺願望者かもしれないな。
とすると、返信の「身を殺して霊魂をころしえぬ者ども」という表現も
聖書の原意をおいておくなら、「この世に未練を残して自殺する者」とも読めるか。
屁でもないって言い方はしてなかったか。全ての感情は敗戦の絶対感情に含まれるって言ってたのかな。どういう意味かはわからないけど。
おっ
次のお題は『グッド・バイ』で決定?
>>477 見ろ!腕にびっしりとトカトントンの痕が!
微妙に笑いづらいw
次のお題はグッドバイで
ムーさんありがとうございま〜す!面白かったです。グッドバイですね!了解です
今筑摩全集類聚版の9巻を引っ張り出しました。
メリイクリスマスから順に読んでいくのでグッドバイまではちょっと掛かりそうです。
>>428 家内が不在でしたので、マンチーとユーフォリアとに彩られたピースピースかつ
自堕落なお盆を犬と水入らずで過ごしました。炊事掃除洗濯完全放棄。
嗅覚と聴覚の研ぎ澄まされた犬はなかなかの見物でした。
>>487 送信直前、一瞬手が止まったんですよ。でも押しちゃった。
491 :
吾輩は名無しである:2011/08/17(水) 10:08:51.44
青空文庫にあるような文学作品をちゃんと読む日本人が激減してることが最大の危惧。
大人になるまでに、けっこうな数読まないと、ちゃんとした日本人にならない気がす
る。大震災復興についても、対中国、韓国との外交にしても、日本人の意志がばらば
らなのは、日本人としての心が育ってないからのような気がする。もちろん、日本人
としての心には様々なものがあっていいと思うんだけど、日本人になってない心が多
いじゃないかと。
青空文庫に入っている近代作品の中には、すでに準古典と化しているものがあって(樋口一葉などは読めない人も多いはず。
鷗外やら漱石やらだって、教科書に載ってたけど読めない人が多かったし)、読む人が減るのは仕方がないようにも思います。
そりゃ、残念だけど仕方がないかなと。
私は文学に対しては所詮娯楽だと思っていて、
それ以外に役割があるとしたら安吾が続堕落論で書いていた文学理論と同じような感じかな。
常に政治のアンチである。
日本人としてのまとまりに欠けるとしたら、教育のせいなんじゃないかなぁ。
良かれ悪しかれ、個性を大事に的な方針なので。
やっぱり、戦後の反省が尾を引いているのじゃないかしら。とか思ってみたり。
ま、よくわかりませんが....
ワンピースの作者 尾田「震災や戦争を体験した人が羨ましい」
尾田:
僕は作品にはメッセージを込めない。と公言してます。
正しくは、込める程の体験が自分にはないという割り切りです。
今回対談でお会いしたやなせたかしさんは、赤ちゃんの頃に
関東大震災があったというご年齢。さらには戦争にも参加している。
僕らが歴史の授業でしか知らないような事を肌で感じてきた人なのです。
そんな世代が同じ業界にいる中で、僕の様な若僧が世の中に
何を言えるのかと思うのです。やなせさんに、言いました。
「そいいう体験を持った人の強いメッセージには僕らじゃ適わない」
「作家として少し羨ましくも思います」
すると、やなせさんは言いました。
「でもねえ、思い出したくない事もたくさんあるよ」
戦後の気分を少し味わえる力が文学にはある。
あんごやだざいなんかはいいよ。
495 :
吾輩は名無しである:2011/08/17(水) 10:52:08.20
まずは、小学校と中学校の国語の教科書をどうにかした方が良いと思う。
そう言えば、アメリカが落とす爆弾から身を守る為の訓練や、竹槍で戦う訓練を毎日学校でして、終戦後は列車から米兵が投げてよこす飴やガムを競って拾っていたと祖母が言ってました。特に強い感情を込めることなく、普通の昔話みたいに。
やっぱり、その時代の空気は話を聞いても、本で読んでも私にはよくわからないなぁと思いました
まあそういうの読んだり聞いたりしただけでわかるのは無理ですよね。
わかった気になるのも傲慢だし。
あとさらに、経験すればいいというものでもないと思う。
経験するだけで何か賢くなれるなら、俺らの上の上の世代は賢者で溢れかえっているはずなんだがそうも見えないw
ところで今まで色々ご迷惑かけている身でありながら、恐る恐るのご提案でござりまするが、
「グッドバイ」の次のお題は、安吾の太宰への追悼文の「不良少年とキリスト」ではいかがでしょうや。
ご検討くださりたく
いいですねー
じゃあその次は武田泰淳「異形の者」で。
あそっか
もう泰淳エントリーされてたんだっけ
失礼しました
じゃあその後でもいいですよ。
アセンションに決めて貰おう。
太宰「グッドバイ」読んだけど
これはどうにも感想が難しいな。
この未完の絶筆をなぜ記憶喪失は選んだのだろう?
それよりアセンション順番を決めてくれよ独断でいいからさ。
>>502 安吾、太宰が続いたから泰淳のほうがいいだろうね。
私もグッドバイ読んだのですが、ちょっと難しい。面白いんですけどね。
「グッドバイ」は太宰の絶筆だけどまず文章の粗さが気になる。
ストーリーも金と性をめぐる俗なもので
愛人が10人もいる雑誌編集長の田島周二が
愛人たちと別れるために永井キヌ子という女をダシに使う、
という、ただそれだけのもんじゃないかな。
戯曲のように会話中心で進むからそれなりにリズム感はあるし
コミカルな合いの手も入ってるけど、これは凡作だろう。
>>505 難しいよね。面白かったのはどのへん?
もしも何か面白い感想を書こうと思ったら…そうだな、
「続グッドバイ」を脳内でざっと構想してみて、
ラストはきっとこうだったんじゃないか、
という予想をしてみるぐらいかなあ。
「グッド・バイ」読みました
文士の「女たちを全部、一室に呼び集め、蛍の光でも歌わせて〜」でとりあえずワロタ
キヌ子良いキャラしてんな
ストーリーが馬鹿馬鹿しいし、2人の掛け合いが軽快でラノベかと思った
これはどうやって結末つけるつもりだったんだろう?
どうにも予想がつかんわ
まあたぶん何人かの女はかたついたとして、上手くいかない女もいたりして
頼りになるのはキヌ子だけだが、金がかかってしょうがねー
みたいな感じでオープンエンドじゃねーかな
キレイにまとめて終わらせることができたら、そりゃ作家になれるかもな
まだ登場してないのでキヌ子よりもキャラのたってるのがいるかもしれん
ま、どうでもいい話だなと思った
料理にたとえると、感想を書くことは調理することだね。
この「グッド・バイ」という食材は良くない。
このできの悪い食材は刺身にして出しても不味いだろうから、
煮るか焼くか蒸すかあるいは…という調理の仕方が問われるかもしれない。
>>508 おっ、氷結レモンはそう読んだか〜
確かにキヌ子のキャラだけはやけに際立ってるね。
じゃあグッドバイ→異形の者ね。読んでみます。
やっぱり一番はキヌ子のキャラかな。面白かったのは。あと氷結レモンさんと同じで蛍の光は笑いました。
エンターテイメントとしての出来は素晴らしいと思いました。サクサク読めるし、笑えるし。完結してないのは、本当に残念です。
ありきたりな結末が思い浮かんだ
キヌ子に散々搾り取られ、金の切れ目が縁の切れ目で女達とは上手く分かれられた
田島はキヌ子に惚れちゃったけど金はねーしで相手にされず
すごすごと妻の元に戻りめでたしめでたし
515 :
ださい おーさむ:2011/08/17(水) 23:36:07.31
グッドバイ読みました
結構面白かったです
続きが読みたくてたまりません
ぼくの考えでは主人公と女は最後に入水自殺するとドラマチックでいいと思います
「グッドバイ」感想
「トカトントン」と相補的な関係にある作品。
アイロニーとユーモア、鬱と躁、底無しの懐疑と馬鹿馬鹿しいまでの行動主義、
とまあ、対比点を挙げればキリがないが、恐らく、この狂騒的な劇を演じる、やり手で色男の編集者は、
世渡りが下手くそでナイーブな田舎の郵便局員と、メビウスの輪のようにどこかで繋がっているはずだ。
この作品が完結していれば、それはよりはっきりと示されていたろうからそこは残念である。
ともあれ「グッドバイ」は、おそらく太宰の中では「トカトントン」以上の野心作だったと思う。
「トカトントン」の最後で示唆されている「いかなる弁明も成立しない醜態」が、「グッドバイ」では冒頭からこれでもかとばかりに繰り広げられているが、
これらの徹底的に深みを欠いた、水平の行動の連鎖がかもし出す軽みと明るさには、
やはりちらちらと太宰その人の苦悩がほの見えていて、
さらにその苦悩は、恥知らずなまでに救済を求めている。
太宰はおそらくこの軽快なコメディーを、みっともなくヒイヒイ泣きながら書いているのだ。
そして、この小説がもし完結していたなら、おそらくその救済がキヌ子によって示されていたはずであるし、またそうでなければない。
…とここまで書いてなんだかよくわからなくなってきた。まあいいや。グッドナイト。
「グッドバイ」読了。
未完だから評価が付けにくい、駄作だ、せいぜいオチを想像して楽しむしかないなどとさんざんな言われようの本作ですが、
調べた所によるとこの物語のヒロイン、キヌ子というのはどうも、太宰が心中を企てた情婦のうちの一人がモデルなんだとか。
太宰のミーハーなファンである私には、そのモデルの女の記述があるだけでこの物語は至上の傑作と言っても過言ではないと思えるのです。
一体太宰の好みのタイプというのはどのへんなのか、オチなどなくても未完でも、それさえ書いてあれば私には十分楽しめるというもの。
キヌ子の性格や容姿などが事細かに描かれていますが、それらと自分を引き比べて、自分が太宰の情婦になれるほどのランクに位置しているか、
そんなことを妄想して楽しむことができる本作は、繰り返しますが至上の傑作なのであります。物語がフィクションであるかなどこの際どうでもいいのです。
キヌ子はミスコンでも見つからない様な美女、とありますが、私はミスコン出場経験がなく容姿はせいぜいカットモデルになった程度のレベルで、中の上です。
だから容姿ではキヌ子に負けているのでしょう。しかし不美人では決してないので、太宰と一緒に歩いても腹痛は起こされないでしょう。
次に鴉声。私はこの鴉声というものがよくわかりません。私の声は低くてハスキーです。歌を唱うと美声だとよく言われます。
太宰はこのキヌ子の声が美声だったらいいなあなどと思っていそうなのでとりあえず私の声は合格ランクに達しているでしょう。
>>517続き
食欲はどうかというと・・・岩手のわんこそばで数十年前に110杯食べて未だに記録保持者である父を持つ私ですが、小食な方なのです。
すこしでもお腹に詰め込みすぎると気持ち悪くなってすぐトイレで吐いてしまってもったいないので、いつも注意しています。
キヌ子はおしゃれとのことですが、まあ戦後におしゃれであろうと努める事は大変だったでしょう。私の様にブランド物は着れないにしても、大したものです。
そして、部屋が汚いかどうか。私はいまでこそ収納オタクですが、東京で一人暮らししていたころは、服を脱ぎ散らかし、食事をした皿をほっぽりだし、
そのぐちゃぐちゃの、ほとんど床が見えない部屋で大学をさぼって恋人とゲーム三昧していたものです。
友達はもっとすごくて、部屋の隅にものを寄せていたら部屋がアリジゴク状態になり、自由なスペースは部屋の中央の30センチ四方のみという強者で、
私はその友達の部屋にいく度にその汚さに大爆笑していたものです、キヌ子はこの友人の部屋ぐらいのレベルでしょうから私はかないません。
まあ色々引き比べてみると、どうしようもない癖をもつ超絶美人というものは、玄人がよく好むもので、
その点、美人度が中途半端でひどい癖というのもそれほどない私などは太宰にとってみたら退屈でしかなく、すぐに捨てられるでしょう。
太宰は永遠に憧れの人です。
この破壊力は評価せねばなるまいw
なげえwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
グッドバイ一人目の情婦が、太宰が心中した女性をモデルにしたんじゃないかって聞いたことがあったような...キヌ子だったのかな?何にせよキヌ子面白いから、モデルが実在するなら会ってみたかったな!
>>521 ああ間違えました。
キヌ子が心中相手じゃなくて、最初に別れる情婦が太宰の心中相手だとのことでした。
ご指摘ありがとうございます。
まあキヌ子みたいなおもろい女を太宰は楽しんで書いた事でしょう、空想上の理想の恋人とも読めるので、
感想はこのまま訂正せずにおきます。
佃煮のっていつも大半が自分の話なんだよ。それにまた新しい設定になってる。ビューティフルピープルとかいうセレブ美男美女限定のサイトの審査に通ったんだろ(笑)
名無しでの粘着はやめてください。
おそれいりまめ。
キヌ子は高峰秀子のイメージだな。(成瀬の「あらくれ」参照)
>>526 基本ルールも守れないなら参加しないで下さい。
*自分の感想の書き込みは名無しでもOK。
*感想文を書いた参加者のみ他者へレス(批判含む)できるが、
その場合、名無しの人は自分のレス番号を名前にする。
*他者批判の場合も人格攻撃にならないように。
>>527 それ佃煮マニアが名無しで自分を絶賛したり、他人を批判したからできたルールだよね
>>528 コテをつけて感想を書く事すらできないバカと一緒にしないで下さいね。
イミフ
佃煮のように自分のことや体験談なんかに引き付けて読むのもアリだよ。
その場合、作者の意図を読み違えるリスクは当然背負うことも多いけど
読書体験を非常に具体的なものとして吸収できる利点があるからね。
>>522 レス、ありがとうございます。キヌ子、輝いてますよね!
533 :
記憶喪失した男:2011/08/18(木) 15:55:20.77 BE:958096627-2BP(0)
>>515 入水自殺の結末だったら、傑作だと思います。
佃煮に好評のようだ。
いいだろ、「グッドバイ」。おれのお気に入りのひとつなんだ。
太宰は別のところで、私は陽気な時ほどクソ真面目なものを書き、
ふさぎこんでいる時ほど、ふざけたものを書く、と述べている。
このコメディを書いた時の太宰は相当に落ち込んでいたのだと思う。
実際に、このコメディを書いていた時に太宰は死んでいる。
モテている主人公は、作家ではなく、編集者である。おれは、ここから、
主人公は太宰をモデルにしているのではなく、太宰の知人をモデルにしている
と思っている。つまり、これは、太宰の男への嫉妬の物語である。
しかし、この作品を読み、これを書いている途中で太宰が死んだことを思うと、
おれは「だざいいいいいいいいいいいいいいいい」と叫びたくなるのである。
534 :
吾輩は名無しである:2011/08/18(木) 18:23:14.92
まーたはじまったよ
ネット番長の妄言がw
捕獲して殺した方がいいんじゃねえかこの佃煮
感想書けないやつは黙ってろって
>>517 しかしミーハーなファン心理が作用しているとはいえ、
「至上の傑作と言っても過言ではない」という評価はすごいな。
>>533 そっか。「お気に入りのひとつ」なんだね。
確かにこの作品の陽気さには何か作者のやけっぱちな精神を感じないではない。
俺には佃煮や記憶喪失みたいに太宰への愛がないからなあ。
記憶喪失の評価の方が凄いよ。世の中の小説の99%はゴミで、残り1%に入るんだってグッドバイ!読んでみねばなるまいな…
538 :
記憶喪失した男:2011/08/18(木) 20:29:37.01 BE:2395239757-2BP(0)
まあ、おりが実際に計測してみたところ、小説は75%がゴミですね。
映画も75%がゴミです。どうも、統計がとれそうです。
小説のランキングを作るって発想が狂ってるよなあ。そのセンスはともかく。かっこいいと思うよ。
540 :
記憶喪失した男:2011/08/18(木) 20:46:17.71 BE:2874287467-2BP(0)
実は、漫画のランキングと映画のランキングも作ってたのだぬ。
ハードディスクがぶっ壊れた時にデータはなくなったが。
それによると、娯楽品の面白い比率は、どうも75%のようだぬ。
佃煮の感想が今んとこ一番面白いな
けっこう怖いスレだなここ
読書会の守り神アセンションさんがいるから、大丈夫ですよ!
いまさら気がついても遅いんだONE!
氷結レモンさんの結末、すごい面白かったです。グッドバイ面白いだけに未完なのがとても残念だったのですが、あれ読んで満足しました。
>>545 満足していただけて何よりです
んでも太宰ならばもう1捻りも100捻りもあるはずって思っちゃいますよね
そんなこと考えてたら、夜も眠れず昼は仕事が手に付かずで困っちゃいますよ
キヌ子との別れの場面ではどちらが「グッド・バイ」って言うんだろう?
両者が? 傷心の田島の背中にキヌ子が? 無言のキヌ子に田島が心の中で呟く? とか
最後は文士のところに事の顛末を報告に行くだろうな、と思ったり
そこできっと文士がなんか面白いこと言って、話を〆るんだろうなと
そこの〆が作家の腕の見せ所
そこで行き詰った太宰は・・・って妄想してみたり
そんなわけで眠れなくなるので氷結レモン飲んで寝ます
>>548 氷結レモンさんは本が大好きなんだなぁ。楽しいお話ありがとうございます。おやすみなさい〜
>>548 面白いっ!
>>546 しつけられてるw
>>516 ムーの感想もいいんだけど、
「トカトントン」の「いかなる弁明も成立しない醜態」と
「グッド・バイ」の狂騒的なコメディはちょっと違うでしょw
>おそらくこの軽快なコメディーを、みっともなくヒイヒイ泣きながら書いているのだ。
というところは記憶喪失が書いてることにも通じるね。
そうだな。記憶の好きな映画ベスト10は雑談スレでいいから聞いてみたい。
とりあえずカーペンターをコンプリートしてから映画を語って欲しい。ってムーさんが言ってたよ。
そうか ムーはバカなんだな
俺は要塞警察だけ見れてないんだよなー。だから映画を語る資格がないw
そういう物言いがかっこ悪いんだよ。それにムーも最近の映画はぜんぜん観てなさそうだ。
まあ、それをムーさんが言ってたっていうのは俺が勝手に言ってるだけなんだけどね。
558 :
記憶喪失した男:2011/08/18(木) 23:31:24.32 BE:821224962-2BP(0)
カーペンターはあまり見てないね。
どの時代でも、面白いのとつまらないのはあるね。
不作の年とか、豊作の年(1984)とかあるけど、
見た映画の数は全部で400くらいだよ。
ムーさんが言ってたよって俺は言いたいんだよね。その気持ちわかる?わかんねえだろうなあ。
>>558 あんた鑑賞量がすげえな。破壊力があると思うよ。俺も400いってるかどうか数えてないからわかんないけど、それくらい見てるかなあ。
ムーなんて懐古趣味がうっとおしいだけのダサいおっさんでしょ
ごめん俺カーペンター全然コンプリートしてないw
蓮實重彦に言わせると、映画は1000本見ないと話にならないらしい。
>>562 なんだ、ダッセーな!!そんなんで映画を語ってたのかよ!!って俺もコンプリートしてないけど。
ちなみに俺二千本は見てる計算だけど、まあ二十世紀限定だな。
ここ十年ほどほとんど劇場に足を運んでないw
ダメだよ!蓮實重彦の「リアルタイム批評のススメ」読まないと!!
鈴木はテレビ買えよテレビ。NHKとテレ東の映画舐めんな。
568 :
記憶喪失した男:2011/08/18(木) 23:40:16.58 BE:3695512469-2BP(0)
なんか、定年して暇をもてあましたおれの親父が、映画最高傑作というのは、
「戦争と人間」全三部。
日本映画。1970年前後に製作された映画。面白かった。泣いた。
ムーさんウェスアンダーソンとかチェックしてないの?
>>567 NHKの映画ってBSじゃないの?
>>568 具体的に70年代?の日本映画のどれが素晴らしいの?
ライフアクアティックは見てるよ。ダージリンとテンネンバウムもDVDは持ってるけどまだ見てないw
そこのお兄さん達、映画の話題なら雑談スレへ移動してくださいな
おとといようやくゲットした「生きるべきか死ぬべきか」を見てる途中なので失敬w
テネンバウムはまあいいとして、ダージリンはいいですよ。そして「天才マックスの世界」は素晴らしい。
さらに「ファンタスティックMr.FOX」もいいですよ。外れがない監督ですねウェスは。天才だと思うよ。
575 :
記憶喪失した男:2011/08/18(木) 23:47:13.71 BE:4379866188-2BP(0)
おれの好きな映画ベスト10は、
エイリアン
トータルリコール
少林サッカー
人生は長く静かな河
サタデイナイトフィーヴァー
ジェイコブスラダー
猿の惑星
トゥルーマンショー
世界中がアイラヴユー
ランボー怒りの脱出
かなあ。ベタだけど。
鈴木はニンゲン合格絶対好きなんだがなー。個人的には90年代を代表する映画の1本。たしかにDVDはあまり流通してないみたい。
それがベタなのか俺にはわかんねえ!
>>576 だからムーさんの家に行って見させてくれって頼んでるんですけど、拒否されてるんですよ悲しいね。
やべえ。400本観ててそれか。記憶喪失やっぱりすげえ。オリジナリティがぱねえ。
やっぱり記憶喪失はいい感じに狂ってると思うよ。天才でしょう。
佃煮の好きな映画にケチつけてたムーは記憶のベタなベストをどう思うんだ?
ムーさんも「天才だ…」って言ってたよ。
583 :
記憶喪失した男:2011/08/18(木) 23:55:13.25 BE:2395239757-2BP(0)
佃煮の好きな映画って何?
佃煮は自分がセンスが良いという立場から語るから笑っちゃうんだけど、記憶はそうじゃないからチャーミングなんだよ。
でも、世評に惑わされず自分の価値軸があるという時点で尊敬に値するよ。俺はそう思う。
記憶喪失が「シンセミア」をディスった時は「こいつわかってねーなー」と思ったけど。
>>583 タルコフスキーとかルイ・マルとか
ムー大陸はそれをスイーツだのミーハーだって言ってる
>>583 なんか邦画で一番好きなのが「青春残酷物語」らしいよ。俺は理解できない。
記憶は自由なんだよな。少林サッカーとか普通言う?
589 :
記憶喪失した男:2011/08/18(木) 23:59:08.32 BE:1437144337-2BP(0)
インディジョーンズ魔宮の伝説
バックトゥザフューチャー
あたりが次点だなあ。かなりベタでしょ。
ムーは昔から痛いオッサンで知られてるからこいつの言う事はあてにならないと思っておけばいい
>>588 いわないよね。かっこいいよ。俺少林サッカー見てないけど。
592 :
記憶喪失した男:2011/08/19(金) 00:06:25.96 BE:2053062656-2BP(0)
>>586 ルイ・マルは知らないが、
タルコフスキーはないだろ。
「惑星ソラリス」は、見ていて、寝たよ。
ぐっすりと熟睡して、最後まで見られなかった。
まあ、おれは「ソラリス」を自分の手で映画化したいと思ってるんだけどね。
それで、価値観がちがいすぎて。
海をただ映すだけの演出には、眠りました、本当に。
記憶の良さは本当に鈴木が
>>585で書いてる通りだと思うわ。鈴木やムーのほうがセンスはずっとあるけど、自由ではない。佃煮はミーハー要素が入ってるのがだめなんだろう。
ムーにセンスはないだろw
自演乙
>>593 こいつずーっと名無し自演しててタイミングよく自分の都合いい方に話題がいったときだけコテつけるんだよないつも
記憶、ベタといえばレオンやシックスセンスはどうなんだい?
597 :
記憶喪失した男:2011/08/19(金) 00:15:49.28 BE:3832382887-2BP(0)
所ジョージの出演してた戦艦大和の二時間テレビドラマなら、
ベスト10入りする。
>>596 きもちわりーよおまえ
バレバレだし
だっせー
599 :
記憶喪失した男:2011/08/19(金) 00:17:35.32 BE:1916192047-2BP(0)
>>595 レオンは最悪。
ただし、ニキータは最高。
シックスセンスは見ていない。
>>599 レオンは何が最悪だった?
ニキータより世代的にはリメイクのアサシンだったりしない?
601 :
記憶喪失した男:2011/08/19(金) 00:21:04.05 BE:3695511896-2BP(0)
レオンは、ニキータにでてくるジャン・レノの掃除人が格好良すぎたからできた
二番煎じもの。アイデアも出つくしており、ロリで気を引いてもとても面白いとはいえない。
ジャン・レノって今思うと何だったんだろうな
603 :
記憶喪失した男:2011/08/19(金) 00:25:55.26 BE:1916192047-2BP(0)
>>600 アサシンは全部は見ていない。
序盤の演出がクソだったミーハー映画だとして却下した。
ニキータは本当に素晴らしい映画だ。
おれが追跡妄想になって幻覚譫妄状態だった時、ニキータの恋人のように、
盗聴器をしかけ、真相を知るために努力する男に憧れていた。
おれはニキータの恋人に憧れて、涙を流していた。
レオンはそういう要素皆無のおちゃらけ劇場。
絶体絶命の窮地を死んだふりで脱出するのは、羊たちの沈黙のパクリ。
>>603 記憶面白いなあ
記憶はロバート・デ・ニーロとアンソニ・ーホプキンスどっちが好き?
>>603 アサシンのブリジット・フォンダが好きだったんだよ。ニキータは観てないから今度観てみるわ。鈴木やムーや佃煮は観てるかな。
606 :
記憶喪失した男:2011/08/19(金) 00:37:42.13 BE:1847756939-2BP(0)
>>604 アンソニー・ホプキンスだな。
デニーロも好きだが、映画にめぐまれなかったのだろうか。
「ゴッドファーザーU」のヴィト・コルネオーネは本当に素晴らしいと思うが、
ただの仇打ちに成功した男にすぎない。
レクター博士は、猟奇殺人犯を夢見ていた中学生のおれの想像の上をいった。
>>606 そうかそうかw
俺もレクター博士好きだよ〜
ニキータはオープニングのなめキャメラでもうやられちゃいましたね。
エンディングの雰囲気はジョンバダムのほうが好きです。
バダム版で一番好きなシーンはホテルの爆発、ベッソン版はやっばりステアー構えて泣くシーンかしら。
音楽ではニキータが拳銃を奪って脱走を試みる シーンの曲がクールです。
ニナシモンはすこしクサ過ぎでしたよね。
デニーロの悪役はデニーロの地のいい人っぽさがにじみ出ちゃって迫力がないんだよな
やっぱアンソニーホプキンンスはその辺すごいよ
610 :
吾輩は名無しである:2011/08/19(金) 00:50:12.43
グッドバイ読んだんやけどな
おちがないのはあかんやないか
>>608 東電さんは風俗によく行くそうだけど、
屁をかぐプレイはしたことあるの?
612 :
610:2011/08/19(金) 01:01:34.72
誰かグッドバイの面白さをちゃんと教えてくれよ
>>575 畜生いかしてるぜ!
バホーベンの中でトータル・リコールを選ぶセンスに脱帽。
それにサタデーナイトフィーバーって?
ヤバすぎる
ほら出て来た自演魔ムー大陸
>>613 いかしてるって死語だよザビエル
育毛剤でも飲んで寝なさい
616 :
610:2011/08/19(金) 01:14:40.23
シネマの話なんかつまらんしどうでもいいやん
ウディ・アレンとスタローンと猿かよ!
もうどうにでもしてくれ!
ほんとムー大陸はイマいっつーかわけわかめではじけてる! もうバタンキューだぜい!ゲラゲラプギャー
ムーはウディ・アレンどうなの?
620 :
610:2011/08/19(金) 01:18:34.79
この時間帯はあほしかおらへんのかいな
カメレオン・マンだけは認めたいと思う。
ウディ・アレンいいけどなー
ごめん。
90年代ならともかく
サタデーナイトフィーバーはおっさん臭いわ
雑談してる名無しはイササカスレ行けや
いや、サタデーナイトとザナドゥは輝かしくも恥ずかしい八十年代の金字塔なんだぜ!
これに大林の「ねらわれた学園」が加わればもう敵はいない
余計おっさんやないか
もっとナウいチョイスしてよ
シネフィル気取ってもしょせんスタローンですよサタデーナイトフィーバーですよ
本当だな。映画は伊佐坂スレだな。
でもここ読書会スレだからな。
映画の話はたいがいにせいや。
おやすみ
てめえ!勝手に盛り上がりやがって!
俺にレイジング・ブルの話させろ!!
マグナはどこに住んでるんだっけ?
大阪
映画の話は雑談スレで。
おやすみ。
>>593 褒めすぎでしょう恥ずかしぃわw
つーか、もうやめましょう話の脱線は好きだけど、確かにここでやる内容ではないわな。
>>550 私はグッドバイは醜態だと思いましたよ。日常に埋没していますからー
グッド・バイの感想、もうたくさん上がってるね。俺も感想書く。
「人間失格」のあとに書かれた、太宰にとっては遺作というべき
作品なんだそうで。「人間失格」の大庭葉蔵が太宰本人がモデルと
いう風にいわれることが多いが、「グッド・バイ」の主人公、田島
周二も、俺は太宰が自分をモデルにして創作した人物じゃないかと
おもえたね。人間失格の大庭葉蔵は、青森の資産家の息子で、女性に
無暗にもて、左翼運動にかかわったり、女性と心中未遂したり、太宰
本人を彷彿させる点はいくつもある。とはいえ、太宰=大庭とは
ただちにいえないので、太宰は小説家であるが、大庭は漫画家だしね。
「グッド・バイ」の田島は、一見、大庭よりもさらに太宰本人とかけ離れて
いるように見えるね。関西出身らしいし、作家でなくて編集者だというし。
とはいえ、「男振りがよくて、金があって、若くて、おまけに道徳的で優しい」
というのは、太宰本人の自己イメージではなかろうか。まあ、実際、太宰は
女に無暗にもてたようだし、流行作家だから金はあったろうし、心中したときは
まだ三十八だったそうで、つまり若かったわけであるし、田島と太宰は似たところ
って、人からみてもありそうだね。ひょっとしたら、太宰も田島とおなじく
十人くらいの愛人がいたんじゃないかw 太宰も田島も女房子供がいるけど
遊びまわってるところはよく似てるね。太宰も、田島と同じく、里心が
ついて、女性関係を清算しようとしたあげく、関係を清算しきれずに、心中という
結末にいたったのではないかなぁ、と俺は空想するわけだ。
ま、やっぱり小説においてはモデル問題って重要だよねって、そういうことに
なりそうだ。 小林秀雄も、太宰に言及した際、小説にはモデル問題というのが
大事、読者の興味をもっともひけるから、といってたね。
芥川の苦悩って何だったのでしょうか?
一般的には知識人の敗北だなんて言われていますが。
昭和2年に芥川は死んだわけですよね。
文学史的に芥川の死を捉えたいです。
どなたかお力添えをお願いします。
↑
うんこ
あ、ちょっとニュアンスちがうかな?
俺的には日常に埋没してるから醜態なのではなく、
己のしょーもなさを隠さずさらけ出している状態が「醜態」なのだと捉えてます。
そして、太宰はこうした醜態に対して、アンビバレントな部分を保留しつつも、結局は肯定しているのだと思う
肯定かな
懺悔?聖餐?
自分の精神を食うカニバリズムみたいな何かがある
>>641 >俺的には日常に埋没してるから醜態なのではなく、
>己のしょーもなさを隠さずさらけ出している状態が「醜態」なのだと捉えてます。
確かに。ゲヘナに滅して(日常に没頭して)、醜態を晒すという感じでしょうか。
>そして、太宰はこうした醜態に対して、アンビバレントな部分を保留しつつも、結局は肯定しているのだと思う
正にトカトントンの状態だったのかなと思いました。
醜態晒して一生懸命生きたい、けどできない。
>>642 面白そう。詳しく言うとどんな感じですか?
ムーやニッパが書いている醜態とトカトントンで書かれてる醜態とがいまひとつぴったり合わない感じなんだよなあ。
グッドバイ的コメディより、もっと過剰でもっと赤裸々なものだと感じるんだよなあ。
笑いで醜態を小っ恥ずかしいものじゃなくしているという印象はあるかしれませんね。
まあ俺も堕落論のラデイカルなイメージを太宰のほうに引きずってしまってるかもなあ
トカトントンにもグッドバイほどじゃなくてもユーモアがあったね
青年が女の子から著金額の弁明を聞いているとき、背後に犬の糞が大量にあるのを見つけるとかw
グッドバイ読んだよ。要するにコメディとして面白いかどうかだと思うんだけど、そんなに面白いとは思わなかったな俺は。
グッドバイから真摯なものを感じるとしたら、どう読めばいいのかね?誰の批評がためになりますか?
>>648 そうなんだ。俺はあれはブラックユーモアかな、と。
あの女の子がやがてキヌ子になると考えるのもアリかなw
>>650 ムーが書いた評の半分くらいは面白かった。対照性と連続性についての箇所。
あと氷結レモンの「その後のグッドバイ」予想はかなりいいと思ったよ。
>>636-637のエヌは、
主人公の田島に太宰を重ね合わせる見方が面白いのではないか、
という視点だけど、
>>533の記憶喪失のほうは、
主人公の編集者田島は、太宰の知人をモデルにしてると見て、
「これは、太宰の男への嫉妬の物語である」と書いてるね。
こういうモデル探しもまた一興かな。
>>650 私もムーさんと氷結レモンさんが面白かったですよ。氷結レモンさんが一番かな!
来週か、再来週だね。どっちがいいかなあ?
そうしますかね。記憶喪失に締めの言葉をお願いしましょうか。
じゃあ次は鈴木のお題、武田泰淳でいこうか。
その後はニッパ選でいきたいんだけど、海外ものはどうかな?
この間イェイツの名前があがってたと思うんだけど。
あと(@∀@)にはじっくりお題を考えておいてもらうことにして。
キター!!でも来週月曜からね。
>>659 鈴木は一回選んだだろ 次はニッパに選ばせろよ
いいよそれでも。でもいつか「異形の者」読もうよ。
読書会題材一覧
第一回お題 夢野久作「木魂」
マグナ 小酒井不木「血の盃」
N 芥川龍之介「お富の貞操」
アセンション カフカ「断食芸人」
ムー大陸 岡本かの子 「鮨」
名無し 宮沢賢治「どんぐりと山猫」
マグナ 国木田独歩「女難」
鈴木雄介 坂口安吾 「堕落論」
(´・ω・`) 太宰治 「トカトントン」
記憶喪失 太宰治 「グッド・バイ」
いま確かこんな順番できてるとおもった。
訂正があればよろしくー。
いいスレだよなあ
佃煮って、何か題材ださなかったっけ? どんぐりと山猫は佃煮か?
あと、これみると三浦も題材だしてないなあ。忘れ去られてる?
まとめwikiとか作りたいねえ
もう10作品読んだのか〜。
>>665 そう、この間聞いたら、「どんぐりと山猫」は佃煮だった。
あと1回目夢野は俺だから、俺もマグナも2回お題を出してるね。
だから鈴木やエヌあたりの2巡目も入れていこう。
ニッパと鈴木のどちらが先でいくかは大した問題じゃないだろうし。
あとまだお題を出してない(@∀@)にはこの間声はかけといた。
三浦は他スレで見かけたから今度また誘ってみるよ。
私は鈴木さんムーさん優先でいいですよ!恩師がアイルランド文学者だから選んでみただけなので...。
>>663 私、意外と始めの方から参加していたのかぁ。確かにどんぐり山は名無しさん提案でしたね〜。佃煮さんだったのか〜
>>667 アセンションの指摘があったので、それに基づいて訂正するよー。
読書会題材一覧
アセンション 夢野久作「木魂」
マグナ 小酒井不木「血の盃」
N 芥川龍之介「お富の貞操」
アセンション カフカ「断食芸人」
ムー大陸 岡本かの子 「鮨」
佃煮マニア 宮沢賢治「どんぐりと山猫」
マグナ 国木田独歩「女難」
鈴木雄介 坂口安吾 「堕落論」
(´・ω・`) 太宰治 「トカトントン」
記憶喪失 太宰治 「グッド・バイ」
んじゃ、次回は武田泰淳「異形の者」ね。
夢野久作と断食芸人参加したかったなー。
>>668 じゃあ鈴木の次ニッパで。イェイツ「春の心臓」のほかに挙げてた候補は、
賢治「蜘蛛となめくじと狸」、鴨長明「方丈記」だったね。
どれでもいいけど、時々海外ものが入るのは色が変わっていいかな、と。
ムーは安吾の太宰論「不良少年とキリスト」を挙げてたけど、
お題に変化をつけたいから、今度また別のを選んでもらおう。
>>669 さんきゅ! 泰淳はちょっと気合入れないとなあ。
>>670 ふた月毎に総集編とかやったら面白いかもですね。「そういえば、あれってこういう事じゃね?」とかそういう話題で盛り上がったり。
a
乱雑なごみためみたいな部屋にもからすみの何本かがある
というのはこの娘の器量ですね。からすみなら何にでも合う。
切って皿に盛ればもう立派なごちそうです。単純で用途に過不足なし。
飲み食いに限らず生活恋愛、人間活動一般が、これほど明解であれば
どんなにか悩みも少ないことでしょう。とはいい条、恋愛とゆうのは
めんどくさくてこんがらかっていれば
いるほど面白いのだから困ります。恋愛から面倒を取り払ったら単なる排泄だ。
読者はこの先田島がキヌ子とオネンネを果たすまでに出会うであろう幾多のこんがら
かった面倒をあれこれ想像しながらニヤニヤするのであります。
女にゃわかるまい。いや、わかったふりなんかしてほしくない。
「馬鹿みたい」と一蹴してくれれば結構です。
>>674 ああ、カラスミ!
こういう小道具に目を付けるあたりは(@∀@) らしいなあ。
でも味の素をドバッとふりかけちゃうんだからw
あの女性は安吾の言う意味で「堕落」してたのかも知れないね。
くだらねえ感想文だなスズキ
まあね。
>>674 長いだけで中身ゼロ
永久に印象だけ吐いてろバカサヨ
@@さんが絡まれてるの初めて見たw
682 :
吾輩は名無しである:2011/08/21(日) 19:35:59.33
おい鈴木
こいつマルチだ
すいとん依頼して来い
>>680 昔からあちこちの板で見かけるけど
脈絡無く煽られてるのは初めて見たかも。
>>685 めんどくさいんじゃなくて、
おまえは頭が悪過ぎて忍法帖が理解できないんだろ?
>>686 いかにもほのぼのキャラだしw
固定である限り叩かれるのは宿命だよ。
例外は無い。
ほのぼのキャラなので今回はノーコメントでいきたいと思います。
世界の国々でオウム真理教と同じ
テロカルト認定されている創価学会(公明党)が
すべての在日企業に関係していて
日本国にダメージを与え続けてる事実はみんなもう知ってる事
昨日のフジデモのように
日本国民が立ち上がって層化反対デモが行なわれる日も近い
打倒!犯罪集団・創価学会!
武田泰淳「異形の者」 読了。
一度通読して、つまらなかったので読み返すのはやめました。だから内容を部分的に読み間違えているかも知れません。
ほんとにどうでもいい話です。
私はお坊さんというと道元禅師と枡野俊明氏くらいしか知りませんが、この話に出てくるのは糞坊主ばかりです。
今は地獄だ、極楽に行って楽をしたいとか白人を抱きたい、あれが食いたいなどというのは道元に言わせると莫妄想というやつです。
莫妄想というのは要するにどうでもいいくだらない雑念のことです。
また、生きているうちにいい行いをして成仏すれば万々歳だなどと愚かな事を口走る馬鹿な糞坊主もいるようですが、
これも道元に言わせれば、あの世に行ってからが修行の本番なのだということのようです。永久に修行は続くのです。
心身脱落して、今ある現実をあるがままに受け入れ、どう転んでも私は破滅する事などない、と心がけて、
道元は雪の中を裸足で歩いて涼しがり、気も狂わんばかりの苦しい修行をして美しい句を詠み続けたと言います。
この武田という人のつまらない糞坊主の話なんか読むんだったら、道元の説法でも読んだ方がどれだけ価値があるかわかりません。
世の中には知らないでいた方が幸せな事もありますが、この話で語られているくだらない話などその筆頭です。
>>693 要するに、ここに出てくる坊主は修行僧として失格だからこの小説はダメだと?意味がわからない。どういう事ですか?
>>694 え、異形の者って随筆かと思ってました。小説ですか?
別に坊主の説法として書かれてるわけじゃないし、不可解です…
自分の書いてから書けよ
ケンカ吹っ掛けるには面白い感想あがってきてんのに。
>>697 いやいや、真の意図を訊いただけですよ。
>>698 ありがとうございます。穴山などはどうりでよくできていると思いました。
感想は後でじっくり書きます
>>699 なんで一行目を無視したし
良く聞けよバカ
ルールなんてものは大抵自分の手足を縛る為にあるんだよ
コテやってるなら殉じろ
>>702 佃煮と正面切って論戦張れないからっていちゃもん付けて優位に立とうとする
それはヘタレの逃げではないかね
いちいち挑発してやらないとルールも守れないのか?ん?ヘタレの鈴木よ
いや、何度も言うけど、俺は佃煮マニアの感想を対立軸にして感想を書く気はない。第一
>>693とか全然意味がわからねえし。どうやって論戦しろっつーの?w
>>704 えっ?
>*感想文を書いた参加者のみ他者へレス(批判含む)できるが、
>その場合、名無しの人は自分のレス番号を名前にする。
これ読める?
わかったよ。もう止すよ。正直どうでもいいんだけど、あまりにバカバカしいから軽く突っ込んでみただけだ。
「盗まれた手紙」はだめだろ。佃煮は読まずにラカンやデリダの解釈をコピペした前科があるんだから。
意味がわからないけど、別にそんな下らない事をしたいなら勝手にすればいいよ。
710 :
記憶喪失した男:2011/08/22(月) 20:20:22.07 BE:821225243-2BP(0)
おれの異形の者の感想はもう書いてあるからねえ。
鈴木は佃煮が年柄年中腹をこわして糞ばかりし、臍に悪臭を放つ汚いゴマをびっしり溜め込んでいる性病持ちの貧乏女、
との負のイメージを勝手に塗り重ねて、くだらない感想文ばかり書いていい気になっている馬鹿女、という図を強引に思い描き、
僅かに溜飲を下げようと試みたが、これにはやはり、すぐと虚しさが混じり込んでも来る。
異形の者、読みました。「ひかりごけ」の文庫で既に読んでいるので再読作品ですが、
佃煮マニアさんの「つまらなかったので読み返すのはやめました」という感想に激昂した手前、自身の感想を書くまえにもう一度読まねばなるますまい。
「異形の者」読みました
凡夫には感知できようはずもないアミダさんの他力に支配される無力感なのかしら?
普段は意識せずに生きていても何かの拍子にあらわれ、自身の思考の方向を規定されているような違和感?
逃れようとすることもまた見透かされている、と
そして、逃れても結局最後には「あの世の極楽」へと至る
現世に理想の社会を打ちたてようなどと言ってみても悪衆生には無理なこと
哲学の先生が「地獄へ行く」と言ってみても、アミダさんが全て救っていってしまう
ありがたや、と苦笑して呑んだくれていればいいさ
そう思えない真面目な(あるいは奇矯な)人には苦しいのかもしれない
障子に穴開ける場面は「太陽の季節」を連想したけどこっちのほうが早いんだね
昔の人は障子にチンコで穴あけるのがポピュラーな行為だったのかね?
違います。慎太郎がパクったんですよw
しかもね、余談だけど、慎太郎が受賞した時の選考委員に泰淳がいて、褒めてるんですよw
今日中にもう一回読む。一回目はiPhoneで、二回目は新潮文庫で。しかし頃合いを見計らう必要があります。まだ早い。オーシャンズを見つつ待ちます。
オーシャンズ。蠕動する生物たち。しかし全く興味がないw
よし、潮時だ。オーシャンズだけに。お風呂で読んでくるーん♪
ここはおめーのツイッターじゃねえぞ糞コテ
「異形の者」 感想
前回とりあげた「グッド・バイ」は老作家と若い編集者の会話からはじまったが、
今回の「異形の者」も、ある哲学者と著者の会話からはじまるな。グッド・バイの
老作家も、「異形の者」の哲学者も、何かエキセントリックで性格はちょっと嫌な
奴にみえて、既製知識人の戯画のようにも見えるね。老作家と老哲学者、編集者と
「異形の者」の作者、話者をわかつものは何か。ここでとりあえず、「戦後派」
「戦前派」という符牒を導入して、両者の差異を理解する糸口にしたいと思う。
「戦後派」から見れば、「グッド・バイ」の老作家や「異形の者」の老哲学者の
ような「戦前派」の知識人というのは、観念的でありすぎ、認識者の枠内にずっと
とどまっていたと批評されるわけだ。かかる符牒をとりあえず容認しておけば
坂口、武田から、石原、三島にいたるまでの戦後に活躍した文学者に共通する姿勢と
いうものを抽出できるだろう。
さて、「異形の者」が「戦後派」の作品であるということを前提によみすすめていくと
確かにこの小説は非常に肉体的な、男性的、という形容は人間的すぎるので、もっと
動物的な牡の生態をえがいた小説、という風に見えてくる。この作品の中で一番存在感の
ある穴山も、その振る舞いは、あたかも未知の牡の動物のように、異形にふるまっているな。
ひきかえて、話者=作者は、裕福な家庭に生まれた元の社会主義者で、認識者=知識人と
行動者の対比でいえば、認識者のほうに最初はむしろ近かったわけだ。仏教というものは
行動者の放恣な肉体を馴致して、真理への認識へ導くものであると、中国からの渡来僧
密海はいう。(作者の中国への憧憬から想起されるものは、竹内好と作者の交友であるね。)
そして認識者の究極の形態といえる、ほとんど生きながらミイラと化した高僧のありようを
みて、認識者への敬意をもつことよりむしろ、自らの肉体が認識者のそれより、行動者の
それに近いのだと、より強く感じるようになるわけだ。
そして、暴力沙汰から、寺院内の党派抗争にまで発展していく事件の中で、作者=話者は
ガンジーをもちだしながら暴力に反対し、ストライキ統制委員から習い覚えた言葉を
あやつって、知識人的にふるまいながら、穴山のメンツをつぶしちゃうんだな。
憤慨した穴山は決闘を申しこんでくる。話者は決闘を受けたことで、暴力に反対するという
自らの言葉を裏切り、認識者から行動者の側に転身していくことなる。
決闘の結果がどうなったかは、小説に書いてないのだけれど、本当に決闘やって暴力沙汰に
なったのなら、その結果として寺を追い出されたということも考えられる。むしろ、寺から
出たくて、無意識的に決闘を選択したようにもみえるね、俺には。
ところで、障子を陰茎でつきやぶるシーンは、「太陽の季節」のモデルになったという
話があるね。泰淳が「太陽の季節」をほめたのは奇怪であるという指摘があったが、泰淳は
自らの陰茎で障子をつきやぶったわけではなく、穴山の陰茎が障子をつきやぶるのを
観察してただけなんだな。ところが、「太陽の季節」では、作者=話者が自らの陰茎を
誇示して障子をつきやぶるので、誰が突き破るのかという主体の構成を変化させたという
ところに泰淳はオリジナリティを感じたのではないか。 俺はそんな風に感じたよw
410 :記憶喪失した男:2011/08/16(火) 02:33:54.14 ?2BP(0)
「異形の者」感想。
宗教話を真面目に語っているところが面白かった。好みな題材である。
宗教が死後の幸せをうたうのに疑問を感じるのはおれもであり、
共感を感じる。空海やアミダ如来などが登場するのも、なんか、偶像蔑視しているようで
気持ちがいい。
オチがガンジーというのも、真剣に悩めるものの出した真面目な解答だという気がする。
だが、全体を通してみて、これといって、世界の第一線に立つ文章はなく、
いささか、思想の踏み込みにあまさを感じずにはいられない。
「異形の者」についてのいろいろな感想が来てるなあ。
>>725は少し前に書いてあった
>>410の記憶喪失の感想のコピペね。
はい。異形の者の感想を書こうと思います。私は泰淳を下戸の親友に勧められて知りました。
しかし泰淳は泥酔状態でないと一行も書けない性質だったらしい。それゆえ一回目は酒を一滴も飲まず、
二度目はほろ酔い状態で飲もうと思ったのですが、飲めば飲むほど酒が進んで最後まで読めなかったんです。
私がこの作品を推したのは安吾との関係があります。安吾は泰淳と同じくお寺の生まれで、修行時代があったのです。
安吾はその時代の事を書いていませんね。しかし異形の者と同じような経験はしているはずなのですたぶん。
やばいベロベロだ。明日書く方がいいのかなあ。そうします。凄いのは書けません。
むしろ僧侶と肉欲という童貞の葛藤が描かれているので、女性や童貞マグナさんの感想を読んでから書きたかった。
ほんとヘタレですみません。明日書きます。
アホだこいつ(笑)
ニッパ椰子は鈴木を過大評価してるような気もするが、鈴木はやっぱり面白いところあるね。
ただ、ニッパ椰子が参加する前はもっと手抜きだったからね。ニッパ椰子の好影響の1つだ。
佃煮に威勢のいい事言っといてこれだからバカなんだよ
安吾は東洋大学でサンスクリットは勉強したけど、
別に坊主の息子だったわけじゃないぞ。
鈴木は酔っ払うとちゃんとした日本語が書けるんだなあ。
>>729 別にニッパさんは関係ないですよ。俺は本当は「面白かった」「つまんなかった」のどちらか一言で済ますのが理想なんだけど、
佃煮マニアさんをディスってしまった手前、なるべく真剣に書かないといけないなと思ったんだけどうまくいかないよなあ。
>>730 でも佃煮もしょうもないと思うぜ。なんだあの感想?って本気で思ってる。文盲でしょう。
>>731 でも僧侶になろうと思って修行した時期がある事を知ってるか?ムーさん?
>>732 いや、いつも書けるよ。でも酔っ払ったら注意深くなるじゃん。そういう問題かもな〜
鈴木は言い訳と誹謗中傷は得意だけど批評とか誠実な議論とかはまるでできないんだな
いや、したいけど、能力による限界があるじゃん。
ああ、だからそれ東洋大学時代のことでしょ。
「21」とか「勉強記」に書いてあるやつ
異形の者読了。
まず宗教が関係ないし仏教も関係ない。
学生運動気分で若い馬鹿どもの鬱屈した青春の掃き溜めがたまたまそこであったというだけ。
では一体何を伝えたかったのだろうか?
よくわかりませんが、
他力本願だけを抽出して体良く「全ての苦悩を解決してみせろ!」と迫る恫喝にしか見えませんでした。
何が面白いの?これ
>>737 おもしろいよ
わからないって言うけどそれなりに読めてるじゃん
タイトルの「異形の者」の誰(何)を指すのか考えてみろよ
ここ、感想貼るのにコテ付けなきゃならんの?
異形の者について。
全体としては、生きるというのは生臭いことだなと感じました。
極楽というといいところのようだけれど、異形の者ではそうではない。仏像の刻み目のように底知れない不気味さがある。
最も極楽に近いであろう大僧正はミイラのようだし、仏像の目は単なる窪みだし、作中極楽とはつまり無なのだと思う。
無はたぶん、死とほぼ同義。だからみーんな極楽へ行けるという訳。
一方、地獄はというと醜悪な部分はあれどエネルギッシュで生き生きしている。それは多分、生きるということなのだ。カエル然り、穴山然り、他の僧侶たちもまた然り。
ここまで見ると、生きることは四苦八苦のようで(なんせ地獄ですから)いかにも仏教らしいですが、主人公はそこで四苦八苦をえらんでいる。本来なら輪廻からの解脱が救いだけれど。醜悪でも生を選んでいる。
生を肯定しているのかなー。
主人公はクソ坊主ようで、悟ってるんだと思いました。
とまあ、こんな感じで。まとまりませんでした。
主人公にとっての極楽は結局なんだったんだろう。私には虚ろな空に思えて上手く表現できなかったのだけれど。
さっきまで夫と映画を観ていたのもあり、夜更かししてしまった。
>>738 そんなことないですよー。
2 名前:アセンション ◆ZCAcNhb9dZs7 [sage] :2011/08/04(木) 21:44:37.82
青空文庫を中心に、誰もが自由に読める短めの作品を共に読むスレ
*自分の感想の書き込みは名無しでもOK。
*感想文を書いた参加者のみ他者へレス(批判含む)できるが、
その場合、名無しの人は自分のレス番号を名前にする。
*他者批判の場合も人格攻撃にならないように。
という感じでヨロシク。
>>740 あざす おもしろそう
感想かいてみるわ
>>738 >異形の者
一切皆苦。
考えて出るような意味でなら最後の佛さんとかで良いんじゃないの。
別にコテなんかいらんだろ。
元々は無意味な誹謗中傷が出て来るからそれの抑止力としての意味だろうけど
鈴木を見る限り機能してないんだから。
>>739 ニッパ椰子さんの感想は、
ディオニュソス的なありのままの生の肯定って感じですね
自分もそれに近いな
「異形の者」感想 - 異形のほら話
(1)
まず気づいたのは、こりゃ「ほら話」系列の話だということ。笑って読むべし。
マーク・トウェイン『頭突き羊の物語』の酔っ払いの語り手による、
焦点がさだまらずひたすら「横滑り」していく物語の構造に似ている。
個々のエピソード(主人公「私」とその場面の登場人物との関係性)は、
さっぱり収拾しないままどんどん次のエピソードへ移行してしまう。
当然、結末も収拾なしで、冒頭の哲学者の話はどこへいったのやらw
タイトル「異形の者」も読者に対して放り投げられている。
(『頭突き羊の物語』では「頭突き羊」は最後まで登場しやしないw)
でもこの小説は「ほら話」であると同時にある種の凄みを持ち合わせている。
その根底に「異形」の感覚を変奏した「ほら話」なのだ。
>>744のつづき
(2)
「異形の者」とは何・誰を指すのか?
「異形」は物語全体において個々のエピソードに変奏してあらわてくる。
冒頭の哲学者にとって「私」は異形である。もちろん逆もそうだ。
以降、すべての登場人物、哲学者の宇宙的規模の真理、女、一般の人々、
僧侶たちのそれぞれの主義、仏像が象徴する仏教思想や超越存在、死、
これらあらゆるガジェットと「私」の関係性は「異形」だと思われる。
ここでの異形とは「不可解で近寄り難いがどこか妙に惹かれる」ものだ。
また、この物語自体が読者に対し「異形」として機能している。
>>744のつづき
(3)
「異形」の互いに相容れない(寄って立つところの次元が異なる)性質・主義・思想が
「ほら話」的に結末なく滑り続ける。相容れないまま微妙に結び付いては離れる。
この構造こそが「異形」の物語の中核だと思う。
なにがいいたいのか?
意識は全体ではなく選択された一部だけしか捉えられない。そしてその選択は
必然的に偏っている。目的的な意識が真実として捉えたものは、全体の真実を
歪曲したものになることが避けられない。
生というものが偶発的性格を持つ諸回路が多数噛みあったシステムとして
成り立っているのに対し、意識はそれらの回路のうち人間の目的心が誘う
ことができる「短い弧」の部分しか捉えることができない。
そこに寄り添ってしまうと全体が見えなってしまう個々の回路の弧(=異形)を、
偏狭でくだらないけどなんとなく可笑しく愛おしい、そんな風に描写しながら
物語上をどんどん滑らせていく。そうすることでしか垣間見えない、
生の全体性の姿がおぼろげに浮かび上がってくるのだと感じた。
ああやっぱりほら話として読むべきだなw
それぞれのくだらない異形(=ほら)を眺めて
しょうがねぇなぁとか言いながら
長文来たね。追記しとくよ
まあまず意識に掛けるフックは2点あったと思うよ。
1つ目は中国僧のくだりで出てきた頭灸の件
2つ目は穴山(だっけ?)の「殴るしかねえなあ」という件
1つ目から行こうか。
頭灸のあのエピソードは仕掛けるんなら冒頭の談義でそれとなく匂わせるべきだったと思うよ。
髪を掻き上げるなんかして小さくハゲが出来てるみたいな地の文ひとつ入れるだけでグッと絞まる。
万が一にも冒頭の時点で頭灸が無いって事はありえないとは思うよね。
まあおそらく以後の穴山と自分の関係を模して「童貞なのであろう地獄行きを望む哲学者らしき人間をディスる為に入れられたエピソード」なのだから
もしも頭灸が無いのであれば例の中国僧の主張をこれまた体良く上辺だけパクった増上慢ですし
以後語られる個々のエピソードが頭灸のメタファーなのだとしたら「生臭坊主が頭灸ねえ(笑)」となりますな。
要は冒頭、あれ乖離し過ぎてて読み物として落第点です。
2つ目ね、
唐突に言い出す「殴るしかねえなあ」の意味が読者にはわからない。
数行でその含意が明らかになる。まあ任侠映画にあるような男のロマンがそう言わせたのだと主人公が推察する。
その説明を聞いて得心「おお!カッコイイやつなんだ!」と印象が誘導される。
作家として負けじゃないですか(笑)そんな説明臭い地の文書かないと印象与えられなかったって事でしょ?(笑)
それとも自分の読解力の問題なんでしょうかね、これ。
書かれたのが80年代で学生サヨクに捧げたレクイエムとしてなら佳作にしときます。
ありがちですからね。ファシスト革マル派と中核派に別れてヒヨった自称ハト野郎(単に腑抜けなだけ)が
公務員のオンナ取っ捕まえて(デュオニソス的なありのままの生活ですか。ヘソで茶が沸きますなw)ヒモ生活を享受して
思い出したようにアナーキー国家ユートピア読んでるようなしょーもないオッサンになってたっての。
思想ヤクザが自身の放蕩を正当化する為にニーチェに縋るなんて典型的なクズ描く事で教訓にはなるんでしょう。
個人的にはくっだらねえなと思うけどさ。
>>743 正にそれです!すっきりしたー。ありがとうございます。
>>745 大切な題名部分を気にかけていませんでした。面白いな!もう一度読んで、私も考えてみます!!
>>747 一つ目がわからなかったです。哲学者対私の関係が、私対密海の関係ということかしら?逆かな?哲学者と密海が対応関係?物分りが悪くてごめんなさい。
そういえば、お灸後も、障子の穴も、仏像の穿ち目も、同じモチーフですよね。
私は物語最後の曼陀羅と地獄絵図に注目して、二項対立で捉えてみたのですがうまくいかなかったんですよね。対立じゃないのかな
>>736 俺も知らないんだけど、柄谷が書いてたんです。
>>743 俺もそうだな。
>>744 焦点は定まってるよ。良くも悪くも。現世と異世界の狭間で揺れる主人公の心理を描いてるんだから。
>>745 それは違うよな。「異形の者」で語られてる異形というのは仏門に下った者の特異性という事だと思うな。
>>747 どういう読み方をしてるのか、いまいち理解出来ない。
>まあおそらく以後の穴山と自分の関係を模して「童貞なのであろう地獄行きを望む哲学者らしき人間をディスる為に入れられたエピソード」なのだから
頭灸が?なぜ?読み物として落第点?もう少し詳しく説明願います。
2つ目。「殴っちまった方がいいな」の数行後で任侠映画にあるような男のロマンがそう言わせたのだと主人公が推察した部分ってどこですか?引用して下さい。
>>749 >
>>745 >それは違うよな。「異形の者」で語られてる異形というのは仏門に下った者の特異性という事だと思うな。
私もどこかにそう書いてあったようだったからそう思って深く考えなかったのですが、
>>745の読みは不可能なのかな。すごく、面白いと思うけれど。もう一度読んでみます。
>>750 冒頭の哲学者との対話「人間というものは、絶対に互いを理解しあえないもんだと思うんです(中略)理解しあえないという前提の下に、愛も憎しみも成立するんです」
を発展させたら、そういう読み方も可能なんですかねえ…
>>749 >>747の二つ目はこれかな?
「彼は単身でその大男を殴り倒す、傷つけるか不具にする計画を樹(た)てていたのだ。
今彼が殴りかかれば衆僧は我も我もと打ちかかるにちがいなかった。
彼はそのような集団行動で忿懣をはらそうとしているのではなかった。
そのような、冒険も英雄主義も、陰気な復讐も、骨身にしみる血なまぐささもない楽な仕事は、子供らしいと軽蔑しているのであった。」
追記。読み飛ばしていたけれど、やっぱりこの世は地獄なんですね。以下引用です。
「この世というもんはまるで地獄なんだ。いいか。極楽にでもいるような気でいたら、みんな骨も皮もスリコギでスリつぶされてしまうんだ。しっかりしろ」
>>752 見つけました。でもその数行前には殴っちまった方がいいな、はないですよね。3ページ前だ。
少なくとも、「おお!カッコイイ奴なんだ!」と印象が誘導される。事はなかったし、どういう事かわからないんですよ。
やっぱり俺は
>>747さんの言うとおり「自分の読解力の問題」なんじゃないかと思うけど、どうなのかな?
>>755 うーん、さっき引用した部分でかっこいい印象になるとは思います。誘導、というと違うのかも知れませんが。
>>747の二つ目に関しては私はその程度しか意見ないかな。あまり引っかからなかった。むしろ一つ目が詳しく聞きたいです。
さっきアンカーミスりました。
>>749 だからお前は人に難癖付ける前にまともに感想書けよ
何が面白いんだよこれ
ン? 鈴木の感想はどれなんだ?
誰かの言葉を足掛かりに自分の意見を肉付けしていくのはいいけどさ、
この作品の肝はここなんだ、っていうのを
数行でも一行でもいいから、まず記してみろよ。まっさらな紙に。
そうですね〜。鈴木さん、待っていますよ。
えー
>>744-746のほら話者です
>>747 どうも伝統的文芸批評にどっぷりつかりすぎて
整合性とか作者がこめた寓意とか思想的背景とかを重視したがってるようだけど
それらの凝り固まった概念立脚による一方的・一元的な読みこそ
笑い飛ばすべき「異形」(=ほら)なんだと思うけどなぁ
ほら「殴るしかねえなあ」ってあれも異形←笑うとこ
この小説はそういうものを笑い飛ばそうとしてると俺は面白く読んだ
747さんが面白く読めないならもちろんそれも読みとしてありだ
だけど、
>>747の説明では、すまんがどうにもピンとこなかった
読者が勝手に設定してしまう読み上での整合性があわないなんて論拠とか
主人公のスタンス=主題、作者の意見などという硬直化した読みなんて
さっさと捨てないと近代以降の小説はまともに読めやしないんじゃないだろうか
>>749 鈴木さん
>
>>744 >焦点は定まってるよ。良くも悪くも。現世と異世界の狭間で揺れる主人公の心理を描いてるんだから。
>
>>745 >それは違うよな。「異形の者」で語られてる異形というのは仏門に下った者の特異性という事だと思うな。
うん。その手のオーソドックスな読みももちろん可能。
自分のは面白く読むためにちょいと飛び跳ねてるの。
だけど皆が言うように語る前に鈴木さんの感想がほしいわw
>>760 わりと構造主義的に批評したなあと自省はしてます。
「殴るしかねえなあ」は硬直しましたね。というか焦りました。
「どっかで読み落としたか?俺」って。
直前だったと思うけど宗派の分裂云々やオルグの空気で
「あぁ、流し読みしとこ(笑)」って弛緩してたからでしょうね。
これが近代小説ならもう少し動的に批評すべきだったでしょうね。
冒頭の食い違いっぷりに困惑して意図的に落とし込んだものだ、とそうご理解ください。
武田泰淳「異形の者」について
白紙に一点だけ黒い穴をあけてみる。
「異形の者」を読んで印象づけられたのは、やはり障子を破る場面。
俺はこの場面に、おそらくは作者の意図とは違うものを読みたい。
障子に穴を開ける男の名前が穴山とは陳腐だけど
穴山という凹凸をイメージさせる名前はここではスルーしておこう。
俺が注目するのは色で、障子の白と穴の黒のコントラスト。
穴山の行為に俺が読んでみたいのは、
まっさらな紙に黒いインクで書き付けるという作家の行為そのもの。
書くとは、言葉を綴るということは、本来は、 頭脳によるんじゃなくて、
禅問答のような思考によるんじゃなくて、肉体的な行為であるべきなんだ。
そして泰淳が綴った黒い穴の群が向かうのは、我々読者であると同時に
末尾で語られた「その物」じゃないだろうか。
おそらくは「その物」=サムシングの姿は、異形である。
そうか。俺まだ書いてないんだな。昼飯食ったら再度読んで書きます。
私は淫蕩に溺れて「ただ突っ込んだだけ」だと思いますけどね。
まあ無意味な仮説遊びをひとつするとだね、
実際マンコに突っ込むっつーか膜破ってることに征服欲を感じるんだと思いますよ。
つまり昼日中では禁欲を象徴するお坊さんの間であることに大和撫子的な貞淑な妻的なものを意図させていて
夜にそういう規制的なものを無慈悲に圧倒する悪魔的な淫蕩、娼婦のようなオンナにしてみたい、という。
こうしたモデルの方が男根の位置付けは綺麗にまとまるとは思いますけどね、
なんだかんだ言って朝立ちと同じで「突っ込みたいから突っ込んだ」で済まして良い物じゃねーの。
泰淳論というより何者かへのメッセージみたいになっちまったかな?w
次は別の穴を別のやり方で開けてみるか。
>>748 >お灸後も、障子の穴も、仏像の穿ち目も、同じモチーフですよね。
これ面白い着眼だなあ。しかも障子に穴を開けるのが穴山だからねえ。
>>764 仏道の禁欲生活(アポロン的?)とそれに抑圧されるがままにならないディオニュソス的な生=性
そういう構図ももちろん見ることはできるね。
>>744-746のほら話者です
>>762 アセンションさん
実に面白い!!
読者=「その物」=異形 が並列化して覗き込む穴
なんか今にもそこで祭りか垂直の大騒ぎでも始まりそうな
>>748 ニッパ椰子さん
>大切な題名部分を気にかけていませんでした。面白いな!もう一度読んで、私も考えてみます!!
物語は好きにこねくり回して楽しむためにあるのでいくらでも
題名というと
冒頭の哲学者のエピソードが終った直後にいきなりな感じで次の一行が出てきます。
>「異形(いぎょう)の者」とは、私の極楽物語の一節である。
芝居がかったこの文の後から、実は本来の「異形の者」の話が始まるらしいのです。
小説「異形の者」の語り手による「私の極楽物語」=「異形の者」が
小説の途中から開始される。劇中劇ですね。
まあ実に作為的な感じがぷんぷんします。物語が物語自身に対して自己言及的です。
まして「物語」だと言い切るあたり、「私」の身に起きた実際の体験談なのか、
「私」による創作物なのか、あるいはその混合物なのか、とてもあやしい。
これは何ですかねいったい。
この語り手は俗に言う「信頼できない語り手」かもしれません。
哲学者に対して「私」が「適当な返答」をしていたのと同様に、
語り手は読者をけむに巻く適当な作り話をしているのかもしれない。
自分は、まくら話が終わった後に本来のお話が始まる落語=ほら話
にイメージをつなげました。
構造主義批判やっといて構造主義的批評って面白いやつだなw
書けるかな書けるかなはてはてふむー
「異形の者」読了しました。
まずこの小説を語るに、タイトルの「異形の者」の指すところのものが何であるか考えてみようと思う。
これはさんざん作中で言われているように、浮世の世人から見た僧侶のことだとしてよいだろう。
たとえば、
「彼等は言いあわしたように、自分たちが異形の者どもとして見守られているのを意識していた。」
「誰も私が加行中の異形の者であることに、気づくはずはなかった。」
「癩病患者を眺めるような、そのけがれのない瞳のおびえは当然であった。何故ならばこちらは異物だからだ。」
「つまり人々は、あの世に関係した一群の異物が、この世にいたことを想い出す。」
といった部分からそれがうかがえる。
この作品の主人公は、自分が修行の身にあるにも関わらず(加行中の話がこの小説の中心だろう)、そして異形の者として生きなければならないことを知っているにも関わらず、華々しい浮世を思いきることができないでいる。
そして結局冒頭のように、この世に極楽を求める人間に成り下がる。
冒頭の哲学者や密海、大僧正のような、達観した宇宙観には馴染めないでいる。
最後には、一人前の僧としての認可を受ける荘厳な儀式の直後に、隠遁からはかけ離れた事態である決闘が暗示される。
そして、大仏はその背信をどこまでも見抜いている。
>>768 ヴォルフガング・イーザー受容理論より前の19世紀以前に支配的だった古い解釈規範、
文芸作品の隠された(作者が埋め込んだ唯一正しい)意図を発見すること
だけが解釈の使命だと考える古典的・伝統的文芸批評のスタンス
に対して批判的なだけなんだけどねぇ
(そんな「正解」取り出した時点でその作品の価値が無くなるがな)
(作品から切り離すことのできる独立した「正解」の意味があるなら
それをそのまま書けば作品自体がはじめから不要やがな)
ニッパが「極楽」って言葉を重要視してたけど、たしかに「極楽」って言葉は
冒頭部の対話から、そのあとの寺院時代の回想部をみちびきだす重要な
言葉だよね。
鈴木がこの作品を題材としてプッシュしたのは、泰淳と安吾がどっちも仏教と
関係をもってたという、その連想からだったか。俺は「太陽の季節」のモデル
問題にも興味があったし、三島が小林との対談で、「異形の者」をもちだして
いたので、そのときも関心をかきたてられた記憶があったんだよねー。
そういう文学史的関心がないと、読んでもちっともつまらん場合ってあるよね。
穴山が殴ってやるって、いきなり言い出すのは、あんまり唐突すぎるって
感想があったけど、まあ、穴山みたいな奴の暴力ってのは、たいてい突発的な
不意打ちの形態とるってのは、自分の経験からわかるよw 決闘の経験もあるから
泰淳の決闘へいたる過程の描写は興味深く読んだな。 自分の経験と
まったく重なるところのない小説ってのは、やはり読んでもつまらない、という
ことはいえそうだな。
そうだね。安吾は仏門での修行の経験があるって聞いて連想しました。
で?感想は書けずじまいなの?鈴木は。情けないねえ〜文盲なんだねえ〜
ギギギくやじぃ〜
まあまあ、書けない時代って、誰にもあるもんさw
安吾だって、おまえ、書けない時代がながかったろう
って、小林にいわれてるよねw
10年書けなかったんだよね
書けない十年か。 安吾の年譜よむと、そのあいだ、島原の乱について
ずっと調べてたように見えるね、安吾は。
>>770の続き。
この小説は、どうしても浮世離れのできなかった男を描いた作品だと思う。
彼の体験談は極楽に関する問答に端を発している。
極楽はこの世にあるとする主人公の立場表明の後に、彼の昔語りが叙情的に綴られるわけである。
この作品を通して言えることだが、たくさんの出来事を並べ立てて、出来事の順番を前後させたり、過去の話を挿入して再び元の時間軸に戻したりすることで、畳み掛けるような迫力を生んでいるように思う。
言うなれば、出来事の多重奏だ。
それらの出来事が、小説の主題を織り上げているのである。
それはそうと「異形の者」、私なりにヒットである!
詩的で優美な表現が一貫しているし、細かな設定が一々的確だ。
例えば穴山の風貌の描写とか。
何より障子に一物を刺すというような発想は、私には一生できないと思う。
「堕落論」も好きだったし、鈴木くんは良い趣味をしていると思う。
鈴木の場合「書けてる時代」がないからね
ありがとうございます。泰淳は尊敬してますよ。
「ありがとうございます」じゃなくて「おありがとうごぜえますだ」と言え
おありがとうごぜえますだ
私は人の感想を読まずに、まず自分の感想を書いて、それから初めてみんなの感想をじっくり読むんだけど、結構障子のシーンを問題にしてる人が多いねwww
>>771 僕はメタファーや暗喩を多用して取替え可能な物語に落としこんでしまう
90年代的な批評理論が面白くないんですよ。(そんなもん伝言ゲームやがな)
意味論的に個別にあーだこーだ言ったところで引用できるのはその人の記憶に依るものでしょ
露出狂のオナニーと変わらへんがな。
それと、この作品についてですが、作家が埋め込んだ唯一正しい意図を探る気も無いんです。
>>737が全てです。わけがわからないから構造主義的に俯瞰して
>>747でダメ出しやったぐらいです。
それぐらいしか出来ないんですよ、面白さがわかんないから。
一体何が面白いんですか?この小説。俺には理解出来ないんでしょうか。
批評理論かあ。まあ、今までになかった新しい読み方の方法を提示して、新しい
読みの可能性を開くこと、それだけが批評理論の役割といえよう、ひとまずは。
ただし理論さえもっていれば、作品が読めるとは限らない、ということは
いつでもいえそうだな。 批評理論がかえって読解の妨げになるケースも
多いと、つまりそういうことだと俺は理解してるな。
ピアニストの三柴 理のPVではオープニングに、三柴の汚い尻で障子を突き破るシーンがあるけど、それはこの作品とは関係あるのかな。
マイナーな作品だしそれはないか。
僕が「異形の者」で面白いと思ったところは、若かりし頃の主人公の「この世ならぬ美しさ」に対するアンビバレントな感情でござーる。
冒頭に出てくる現在の「私」は「哲学者」との対比でもわかる通り冷めており、愛や情熱といった感情を信じきれない青年として描かれる。
「あなたは極楽へ往きますよ」と言いつつ、あの世の極楽を信じている風ではない。自分の言葉の十日後に、彼は自分がかつて「極楽の専門家」
であった事実に思い至り、そこから回想が始まる。回想の中の19歳の彼はこの世ならぬ美しさや極楽といった観念に憧れを抱きつつも、
生身の人間である自分がその世界に入る事を奇異に感じざるを得ず、この世に対する未練を捨てきる事も出来ないという感情を持っている。
彼は修行の生ぬるさを馬鹿らしいと感じつつ、真剣にその道を行く或いは行った密会や百三歳の大僧正に対する憧れの気持ちを抱いており、
大僧正が生涯「女犯の禁を犯さなかった」という事実を尊敬しつつ、自分にそんな真似はとても無理だという無力感から脱しきれずにいる。
既に社会は僧侶に対する肉食妻帯を許しているにも関わらず、若い童貞の彼のラディカリズムは彼を苦悩させるところが面白かったです。
くっ、今から出掛けてくるから、続きは後できっちりやりますん!
やっぱりうまく書けんかったな。しかしたまにはこうやって努力してアウトプットしようとするのもいいもんや。
あとな、うまく言えんけどな、修行時代の安吾にも同じような苦悩があったんやないかって想像してん自分。
鈴木が必死に書いたものはただのあらすじの抜粋
>>744-746のほら話者です
「極楽」の話題でましたね。
>>713 氷結レモンさん
>アミダさんの他力に支配される無力感
これ心情的にわかるわぁ
頼みもしないのに行きたくもない極楽に拉致られる理不尽
極楽や天国なんてそんな波も立たないまったくフラットラインな
つまんないとこに連れていかれても困る
>>779 (´・ω・`) さん
>極楽はこの世にあるとする主人公の立場表明の後に、彼の昔語りが叙情的に綴られるわけである。
そうか主人公は愛憎波打つこの世に極楽をみたんですね
>>792 ルール守れよ佃煮マニア。あと、私と回想の中の人物を分けたのは意図があったんだけど、そこまで辿り着かなかったんだよ。今運転中だから後でな。
>>744-746のほら話者です
>>785 面白くないという感想ももちろんありでしょう
ただよほどネガティブ根拠に説得力を持たせない限り
たいてい反感を買って叩かれるので
自分の場合はおとなしく「わかりません」にするかもw
>
>>737が全てです。
>まず宗教が関係ないし仏教も関係ない。
>学生運動気分で若い馬鹿どもの鬱屈した青春の掃き溜めがたまたまそこであったというだけ。
この意見、ちゃんと読めてると思います
>>410 記憶喪失した男さん
>思想の踏み込みにあまさを感じずにはいられない
この感想と通じるものがありますが、
自分も、この物語に登場する個々の思想・主義がきちんと踏みこまれてない、
希薄であるように感じました。特に話の中心のはずの「他力本願の一宗派」でさえも。
(だいたい主人公が何に対してもおちゃらけていて真剣じゃないんですよね)
お二人はそこを、甘い、つまらないと感じるわけです。
自分の場合は、その「希薄さ」こそに意味があるんじゃないか→おもしろいとなった。
ネガティブ要素、書かれるべきなのに書かれてない空白(アポリア)は
実は読者の自由にできるつっこみどころですw
>>767 どうもさんきゅw 語りの構造も確かに注目点だね。
「行為としての読書」を読んだ人なのかな?
>>779 叙述の時間構造、この点はショボンが指摘する通りちょっと凝ってるね。
>>789 おっ、鈴木はペン(ペニス)で白紙(障子)に穴を開けやがったなw
「異形」の捉え方は「世人から見た僧侶」というのが大筋かな。
その中にあって
>>744-746のほら話者は、
「異形」が物語のさまざまな場面で変奏されているというユニークな見方。
あと、人によっていろいろな対立図式が提示されてるけど、
その違いも興味深いな。
対立図式の一例だけど
>>713の氷結レモンは、あの世とこの世への対し方・考え方の対照において
楽観的なタイプと「真面目な(あるいは奇矯な)」タイプを語り、
>>722-724のNは「戦後派」という文学史的文脈をまず置き、
認識と行為の対立関係に言及しつつ、
話者が「認識者から行動者の側に転身」したとみる。
>>739のニッパ椰子は、極楽=死(無)と地獄=生を対比し、
四苦八苦を選ぶ主人公は生を肯定してると見るわけだね。
>>796 イーザー「行為としての読書」読みました。
そして今も目の前にありますw
赤ちゃんをだっこしてみたくて、お父さんとお母さんと僕のうんこをこねあわせて赤ちゃん人形を作りました。
一日中抱いています。この赤ちゃんはいいにおいがするんですよ。
>>799 イーザーあたりを読んでる人が加わってくれると幅が出るなあ!
>>789 特殊喫茶店の花子は泰淳の奥さんの百合子を想定できるし、
この短篇は寺に生まれた泰淳の自伝的要素に満ちているけど、
そうした現実と作品の関係よりも、鈴木が面白さを見出してるのは
1)主人公私の「この世ならぬ美しさ」に対するアンビバレントな感情
2)若い童貞の彼のラディカリズムによる苦悩
だというのはちょっと意外だったなあ。
>>801 いや、俺も私小説として面白いと思って読んでますよ。リアリティーがありますよ。
設定や登場人物が脚色されてたり虚構に満ちてたりしてもね。
岡本、武田ときましたね。始まりが因果ものでしたからね。こいつも
またなにかの因縁でしょう。そのうち野間も今東光の出てくるのに
違いない。わたくし、お題に夢想庵を唱えようかと考えたことがあった
のですが、この流れだと黙ってたっていずれ出そうな勢いですね。
まちがって瀬戸内晴美にいってしまわないことを祈るばかりです。
>>802-803 ――「異形の者」とは、私の極楽物語の一節である。
この一文を境に回想が始まり作品内の時間が飛ぶわけだよな。
で、花子と付き合ってた「私」のほうは哲学者と対話して、
「だって人間はみんな極楽へ往くときまってるんですから」というわけだけど、
これは19歳の修行中の「私」が密海との対話で得た言葉の受売りじゃないの?
そうとも読めるよね。でも彼が冒頭の私になるような変化については何も触れられてないよね。
一応熱い青年だったのにものすごいニヒリストになってるわけでしょう。やっぱりそこには敗戦というファクターがあったんじゃないかって思うんだな俺は。
仮に花子と付き合ってる主人公を「現在の私」として
寺で修行してた頃の主人公を「19歳の私」とすると、
「現在の私」と哲学者の対話の構図は
「19歳の私」と密海の対話の構図の反転になってるよなあ。
どうして反転が起こったのかは語られてないけれど、
「敗戦というファクター」があるというわけか。なるほど。
いや、俺が想像するにですよw
>>809 敗戦の挫折も考えられるけど、別のファクターは?
他に考えつくのは仏門での修行を諦めた挫折とかじゃないすかね。
あの主人公って、超俗にはとてもなれず、かといって現世の極楽(社会主義)にも挫折し
いっそ思いっきり世俗にまみれて生きようと思っても
これまた中途半端で、どこかで超俗や理想を捨てきれない、という感じがする
普通の人はそんな面倒くさいことなんて意識せずに生きている(ように見える)
穴山も、その他の僧侶達も、「地獄に行く」とドヤ顔で言う哲学者も、たぶんかつての社会主義の仲間も
そんな主人公が自身の所在の無さ(弱さ、と言っていいかどうか?)の一因を述べてみた、という話だと思った
ああいうのが戦後のあの時代にどれだけいたかは分からないけれど
そうすっとトカトントンも同じなのかなぁ
喫茶店で哲学者と対話する「私」と
19歳の修行僧だった「私」は
どれだけ離れているのかなあ?
>>811 社会運動の挫折はどうなんだろうな。
作品内ではすでに経験済みのものとして語られてるけど、
泰淳は1912年2月生まれだから、19歳というと1931年で、
この年に4回逮捕されてる。翌32年2月には仏門に入ってるけどね。
>>812 普通の人はほとんど考えないよなあ。
考えても仕方がないと思ってたり、考える暇がなかったり。
主人公は現世にまみれる道を選んだようだけれど
確かに考えることを放棄したようには見えないねえ。
だからニヒリズムと言っていいのかどうか微妙な感じもする。
「敗戦」という挫折については吉本隆明も言ってたことだけど
正直どういう気持ちなのか分からん
>>812 そうだね。でも冒頭の現在の「私」は達観してるように見えるんだよね。
>>813 そこに差を見ちゃうのが先入観だったりするのかも。
>>814 そうだね社会主義運動は関係なさそう。
やっぱり中国に神秘を見てた少年が兵隊として中国に行って達観してしまったんじゃないかなあ。
>>816 それだけで戦後派は面白いよ。俺らにない体験を持ってるからさ。
異形の者 感想
夢のような小説である。夢のように強靭で、夢のように機能的な小説だと言ってもよい。
なぜ夢が機能的かと言えば、我々の無意識というやつは、夢を通して我々に語りかける時、一切無駄なことは言わないし、
なぜ夢が強靭かと言えば、夢は一つの全体なのであって、そこには小休止も弛緩もなく、よって交換可能なユニットも存在しないからだ。
語り手は、このように、正に夢を語るように物語を語る。
冒頭の哲学者の問答を置き去りにして、語り手が「極楽物語」なるものの一節だと称する回想が始まり、さらに、穴山なる「ライバル」との決闘を置き去りにしたまま小説は終わってしまう。
自分はこれを必ずしも「横すべり」だとは思わない。
夢は機能的であると同時にきわめてわがままなので、こちらが何を求めているかということにはまるで無頓着ではあるが、
己の内的な論理には一切違うことなく、植物的なゆるぎなさで成育を続けるものだからだ。
要するに、この小説は、明確な意志を有したウワゴトのように書かれているのだ。
この小説は恐らく作者の自伝的要素を多分に含んでいるのだろう。
しかし興味深いのは、この小説の語り手は、物語の中で、なんらの成長を見せるわけでもない、という点である。
これは我々が、夢を見ることによって成長することがないのと似ている。
語り手は、基本的に周囲の状況に行きがかり的に反応しているのであって、それは冒頭の哲学者との問答の時も、行頭をリンチするのを阻止した時も変わらない。
両方ともさしたる信念があった上での行動ではないのだ。
しかし、その一方で、語り手はそうした自らの行動に対して、逡巡したり後から後悔することもない。
これはハードボイルド小説なのである。
語り手は、それが愚行であることを百も承知の上で穴山との決闘に臨む。
それはなぜかと言えば、おそらく、この世にもあの世にも、極楽は存在し得ても、地獄は存在しないからだ。
罪はあっても天による罰は存在しない。
だから、語り手は自らの意志で、自らの行為のオトシマエをつけなければならない。
これは倫理的な行為なのだ。
夢としてのこの小説は、この決断そのものが重要なのであって、結果はどうでも良いことを知っている。
良い小説だと思う。
>>818 最後のとこ
>この決断そのもの
ここだけわかんない。
作家の作劇に対するオトシマエの決断?
主人公が穴山に挑むことの決断?
二度寝したいけど起きないといけないねえ的な意味での決断?
レスありがとうございます。
単純に穴山との決闘のことでげす
>>820 いえいえ、面白いよ。
ちょっと思考実験してみようぜ。
穴山との決闘どうなったと思うね?
口論?ステゴロ?謝罪?殺害?勝負の勝ち負けも含めてどう推移したと思う?
聞いた以上は俺から考えを述べるのが筋だろうけど
俺から書くと同意を求めるような書き込みになりそうでね、
ちょっと聞かせてくれよ。
勿論、俺に先に書けというならその旨安価振ってくれれば答えるぜ。
俺はね、半死半生の目に遭わされたと思う。だってそう書いてあった気がするからw
ごめん、決闘の顛末には何の興味もないw
作中でも、それなりに深刻な結果を招いたことが示唆されてるけど、
まあどうでもよくねw
>>823 ああ、そう。
俺は決闘なんか無くて
逃げ出した事が仏門から降りた契機だと考えてんだけどね。
どうでもいいならどうでもいいや。
うーん、
それはなくねー?
斬新な解釈だがw
おいおい斬新なのか?これ
マジかよ・・・
確かに「かもしれない」みたいに書いてあったから
>>824の解釈もありだよね。
>>827 おいおい意味がわからんぞ・・・正気で言ってんのか
現世利益が行動原理のあの腑抜けがわざわざ殴られに行くか?
仏道に入って刺身食ってる破戒僧が誠実にスジ通すか?
耳障りの良い上っ面の非暴力掲げて闘争から逃げ出すあの男が決闘?
行かない理由は至る所で見つかるが行く理由なんてこれっぽちも読み取れねーぞ
あのまま決闘の現場にも行けずかと言って寺に戻るわけにも行かず
そのまま脱走、思い出したくない記憶を酒の席で告白した懺悔だろ?
どんな構成をイメージしてんのかわかんねえ。
あーマジここ無能ばっかだな
つまんねぇ
あー佃煮マニアっぽいな
決闘の結果、どうなったかは書いてないから、本人は内心、決闘にいくつもりで
あるかのように書いてあったとしても、そのあと、本当に決闘にいったのかどうか
それはわからないよね。 まあ、決闘にいくといって逃げた可能性もあることはあるな。
穴山が勝手に寺をぬけだしてますよーって、寺にちくったとか、そんな可能性だって
ありそうだ。
なんか小説の終わりから先の、作者が仏教から脱落するプロセスって、本人にとっては
書かれてしまった内容より、ずっと小説に書きづらいプロセスであったろうというのは
想像はできる。そうだからといって喧嘩から逃げたと断言できるわけではないとは
思うね。 作者の態度は、あちこちふらふらして腰が定まってない、あんまり不真面目に
みえるけど、まあ小説家の倫理水準って、こんなもんでしょwだいたい。 太宰なんかと
そうはかわらんね。 芸術家ってのは、倫理水準が低い生き物だってのは、ホメロスの
時代からいわれているw
>>744-746のほら話者です
>>828 このちゃらんぽらんなひもキャラなら逃げ出すほうが自然に思えるということだろう
いいたいことはわかるが、見逃してる点がある。
「私は、この世の中でイヤがられないようにするには何事もほどほどにするがいいこと、
また時たまそのようなやり方を破るやり方をも心得ていることを示す方がいいこと、
そのような術策を知りつくしていた」
というのが「私」のスタイルであり処世術だ。
引用の2、3行目の部分が、穴山との決闘に赴く理由になる。
主人公のプライドや主義を守るためとか、スジ通すために穴山と対峙するのではなくて、
逃げるよりもここはいざというときは闘うという姿を示すほうがまわりのうけがいい
だろうという、彼の処世術に従った行動なんだよ。
主人公が気に入っている監督官の大男のエピソードに、猟銃もちだした決闘場面がある。
「半死半生のめにあったが、それ以後、土地の若者たちは少年の彼を
一人前の男としてとりあつかった」
このエピソードこそ、主人公が穴山との決闘に赴く明確な理由になっている。
ムー大陸さん(
>>818)の、ハードボイルド説にあるように
>語り手はそうした自らの行動に対して、逡巡したり後から後悔することもない。
という側面も、主人公は確かに持ち合わせているように思う。
ひも男だってことで色眼鏡かけて読んじゃうと
書いてあることも塗りつぶした歪めた読みになっちゃうぜ
>>744-746のほら話者です
みなさんの感想に触発されて、別の視点を思いつきました。
泰淳が陸軍所属だったのか海軍所属だったのか知らないけど、
旧日本陸軍は全員丸刈り、海軍も下っ端は五分刈りだったはず。
僧侶と軍人には坊主頭という共通(ニアピン?)項がある。
両者とも、一般人とは異なる髪形となり、一般人とは異なる衣服を身につけ、
男だらけで女性からは隔離され、なにより人がいみきらう「あの世」に近しい。
当時の軍人たちに刷り込まれた「死んで御国の為になれ」のような理念には、
生を捨て強く「あの世の極楽」を志向する気配が濃密に漂う。
つまり、
異形(坊主頭)の者=僧侶=軍人=極楽の専門家
という図式がみえてこないだろうか?
「僧侶の私」と冒頭時点の「現在の私」の間の、書かれていない空白の期間には、
軍人となった私による、さらなる「私の極楽物語の一節」があるのかもしれない。
僧侶の私の物語は、軍人の私の物語を予言し、戯画化し、解体するだろう。
そして「あの世の極楽」を志向する人々(僧侶、軍人)との邂逅を経てこそ、
この世の生を肯定する「私」の姿勢がしっかりと重みを帯びていくのだ。
>>832 まず最初に弁解から始めるけど
>>829は俺じゃないからね。
引用一点目に関して。
その処世術は時の政府が肉食妻帯を許すようになったことで消化されていると考えます。
その理由で決闘に向かったのだとしたら穴山と主人公を除く他の修行僧は
穴山と主人公の決闘がある事を知っていた事になりますね?
周りのうけが良いって”まわり”ってのは一体誰を指してるんですか。
わざわざ囁くように主人公に伝えた穴山が完全にピエロじゃないですか。
二点目。
加行監督者との闘争について議論する場で主人公がガンジーを持ちだして逆オルグを仕掛ける場面がありましたね。
そのエピソードとは真逆の事をやってるわけですよ。
穴山との決闘に赴く直前にはそのエピソード通りの方向に宗主変えしている。
180度方向転換する理由が逆オルグから決闘の間にあったと言うことですか。よくわかりません。
大体そのエピソードって穴山と重ねるものの様に思えますが。
残念な事に歪んでると全く思ってないんだな、本人は。
これは売り言葉に買い言葉で言ってるんではないんだよ。どうしたもんかね、これ。
納得してなくても主張捻じ曲げて”ほどほどにしとく”方が良いのかね(笑)
しかし決闘があったとする読み方がマジョリティであったってのは凄い衝撃だよ、自分には。
そら何書いても無駄やわなぁ。そんなとこで齟齬あるんなら。
>>831 八百屋の子供が八百屋になるように、だっけ。もうそれはいいや。
それより、エヌの評論は嫌いではないし、むしろ好きなんですよ。丁寧だから。
僕がカルスタ批評が嫌いってのは自分が書くのは御免って意味で他人が書く分には何も文句ない。
詮無い話なんですよ。やりたくないけど麻雀で例えるなら
オカルトだろうがデジタルだろうが鳴き染め即リー全部麻雀でしょ。
>>834 >八百屋の子供が八百屋になるように
なんだろう、そんなこといったことあったっけ?
象に向かって、おまえの鼻は長すぎる、というような
批評のことかな。
鳴こうと染めようと棒テン即リーだろうと、あがれりゃいいのさw
あがることが批評なんだなきっと。 鳴いても染めても即リーでも
あがれなけりゃ、意味が無いと。
まあ、個々の局でたとえあがれなくても、半チャン勝てばいい。
たとえ半チャン落としても、トータルの勝負で勝てばいい、それが
批評、という風に喩えはどんどんずらしていけるねw
>>744-746のほら話者です
>>834 いやごめん、言い方が人に対する非難めいてたからさ。ついね。
んじゃ納得してもらえるまで説明を試みまましょうか。
「決闘に行った」説にもそれなりの信憑性があるってことが言いたい。
ただし、「決闘に行った」説が唯一の正解だなんて思ってませんよ。
「決闘に行ってない」説が正解で、「決闘に行った」説なんかありえねーと言われると
がぜん反論したくなるだけ。(←これが正解だと言われると突き崩したくなる性格)
>その理由で決闘に向かったのだとしたら穴山と主人公を除く他の修行僧は
>穴山と主人公の決闘がある事を知っていた事になりますね?
>周りのうけが良いって”まわり”ってのは一体誰を指してるんですか。
>わざわざ囁くように主人公に伝えた穴山が完全にピエロじゃないですか。
決闘の際に当人たち以外はだれもそれ知らなくても、決闘が終わった後には
経緯も結果も他の者に伝わらずにはいないことでしょうね。
”まわり”が指すのは穴山を含む主人公周辺の人々です。
管理官の少年時代の決闘エピソードをなぜか主人公が知っているように、
その場所その時代に居合わせた人だけでなく、主人公がその後出会う人々にも
決闘のエピソードは何らかの形で伝わる。(そして彼の世渡りに役立つ)
もちろん誰にも告げずに決闘の場に一人で行かねばなりません。
そうすることで初めて、後に、穴山に「一人前の男として」認めさせたり、
まわりのものに一目置かれるような契機がつくれる。
↑というのが「そのような術策を知りつくしていた」彼の処世戦略だと想定可能。
>>836のつづき
>加行監督者との闘争について議論する場で主人公がガンジーを持ちだして逆オルグを仕掛ける場面がありましたね。
>そのエピソードとは真逆の事をやってるわけですよ。
決闘での暴力行使と、ガンジーの非暴力ハンガーストライキとは、真逆で矛盾する。
それはそうです。でもね、
主人公はガンジーの非暴力主義に傾倒している訳ではないでしょう。
ただ単にその場を収める有効な手段として利用しただけであって、
決して彼が非暴力主義なわけではない。
主人公は特定の主義にこだわりをみせず、普段は他人の主張をのらりくらりかわしながら、
いざというとき(管理人が殴られそう、自分への決闘の申し込み)には、
その状況解決と自らの世渡りにもっとも有効と思われる任意のやり方(主義)を
好きに取り出して実力行使する。フレキシブルに使い分けるわけだ。
この主人公のスタイルでは2つの行為に矛盾はない。
ガンジーも決闘も、彼の処世術のために取り出された道具なのだ。
どう?つじつまあってない?
>>835 違う。そうじゃない
自分の手役だけを見るんなら議論は必要無いし
コンピュータ相手にやってりゃ良い。
この場でありうべき論評の形はダイアローグであるべきだ。
ポリフォニックであるべきだ。
流局しても出来上がる河の形に美しさがあればそれでいい。
麻雀なら手筋に対するディスなんか放っとくか対抗してやりゃ良い。
だから論評の方向をオブセッシブに変える必要は無いと言いたかった。
勿論、方法論をヨコに広げる実験をするつもりなら止めないけど。
>>838 いやいや、手役の話は別にしてないぜこっちはw どちらかといえば
状況に応じた手作りが必要という、そういう話なんで、オーラスで1000点
あがれば勝ちというときに、手の美しさを追求するとか見当違いだよって
そういうことだよね。
つまりまあ、文芸批評にたとえるなら、ポスコロのような批評的方法と
いうのは、染め手、食いタン早上がりのような特定の戦術をさすので
そういう戦術も場合によっては有効だよと、そういうことをいいたかったのさw
いや、奴はやるときはやる、イカす奴だと思うぜい。
>>840 そそ。そう思わせるのが主人公の処世術。でも普段は昼行燈。
逆にさ、すばらしい批評的方法にもとづいてつくった素晴らしい手でも
あがれなければ、何にもならないんでね。相手の手などの状況をよまず
ひたすら美しい手作りばかりに没頭することを、「手に溺れる」っていうん
だけど、そういう「手に溺れる」状況ってのは、麻雀の分野に限らず
文芸批評の分野でもよくありそうなことだよね。
>>836 まず最初に言っとくけど、作品に対するディスは徹底的にやるよ。
−全ての人を称賛する者は、誰をも称賛しないとのと同様だ−からだ。
良いものは良い、悪いものは悪い。
論評の矛盾を突く事はあっても人格批難は原則的にやらんよ。
あらゆる議論の場で禁じ手とされる帰謬論証を平気でやる鈴木はディスるけどね。
本論に行こうか。
まず君に聞きたいのは決闘に行った行かないの二元論以前の問題で
実際に向かったのだとしたら主人公と穴山の間で何があったと考えているのかということ。
流石に寺社仏閣に村田銃は無かろうし刃物も無いだろう。
>>832の2つ目であなたが引用したように(それが見せかけであろうとも)殺意を持って穴山に対峙したのか
ガンジーの非暴力を掲げた主人公に対して穴山は共感して口論の果てに合意でも出来たのか?
図体の大きい穴山に殴られる事で現世利益捨てて本格的に仏門に入ったのか?
冒頭酒場での印象から察するに「そのような術策を知り尽くしていた」のなら
知り尽くしていたが故に逃げ出していたんじゃないのか。
あなたの言うように、というよりも何度も僕が言ってるように主人公は二枚舌の腑抜けでしょうよ。
ならどうして決闘に向かうんです?そんな意志がどこにあるんですか。何故こいつは仏門から抜けたんですか。
というか無理してるでしょ?明らかに決闘なんかするタチじゃないじゃん。
ごちゃごちゃ小賢しい事抜かすだけでいざ行為の段になって”徹底的に”やった描写って何かある?無いでしょ?
>>842 ちょっと待ってくれ。
俺は「手に溺れてる」か?
あがれなくても良いと思ってんだぜ?
河の形が重要だとも言った。
各々が正しいと思う事を個々にぶっつけりゃ美しい河が出来るでしょう?
接待麻雀で出来上がった河の形が美しいか?
知的遊戯がやりたいんだよ、俺は・・・。
この小説読む限り、泰淳は肉体に対するこだわりはあったようなので、穴山にしろ
そのほかの僧にしろ、女にしろ、肉体的存在だよな。 決闘ってのは、なによりも
肉体的パフォーマンスなんで、穴山と喧嘩できるかどうかって、作者=話者の肉体に
対する評価と密接にかかわっているんじゃなかろうか。 泰淳って、戦争にも
いってたくらいだから、喧嘩できるくらいのガタイはあったんじゃないか?
>>844 いや、君が「手に溺れてる」とはいってないよw そういう状況はよくあるね
っていっただけで。 自戒もこめた発言さねw
穴山ってビッコみたいだし、かなりハンデあるんじゃないか?普通に喧嘩
やったって。
流れは悪くないよw
柳腰という言葉があるね。
女に対してはいい意味で、男に対しては悪い意味で使われる。
主人公の柳(一ヶ所だけ名前が出される箇所があった)は
果たして穴山との決闘に向かったのかどうか、
これは書かれていない以上、作品内で確認しようがないわけだけど、
たとえ柳が決闘をやったとしても、Nが書いていたような、
認識者から行為者への移行があったかというと、そうは思えない。
むしろ行為者としてなら仏門をくぐる前に社会主義運動をやってたから、
そういう政治的行為者から宗教的認識者への移行がまずあるだろう。
その後、政治からも宗教からも抜けるとしてもね。
>>848 本人にいわせりゃ、社会主義学生になったのも外面的なことにすぎなかった
っていうから、アクターとして振る舞えていたかというと、つまり違うんだろう。
認識者から行為者に移行したというと、大げさに響くが、要するに穴山からの
提案をうけたことで、穴山の側に近づいたと、そういうことだな。
それでそのあと、実は穴山との約束を守らなかったっていうならば、話の
方向はずれるが、提案を受けた時点でのベクトルはそうだろうと、そう
いいたかったのさ。
>>744-746のほら話者です
>>843 >主人公と穴山の間で何があったと考えているのか
まっとうな決闘。えものなし。
殺意はない。(処世術の範疇からはずれる)
管理官のエピソードがそうであるように、
半死半生のめにあってもなんとか生き残るのが目的
>主人公は二枚舌の腑抜け
この時点から意見が違う
主人公は二枚舌だけど腑抜けじゃない。やるときはやる
とするのが、「決闘に行く」と見る場合の見方になると思う。
ムー大陸さんのハードボイルド説だね。
腑抜けじゃない者が決闘に行くのに特に矛盾はない。
あなたの「行くわけがない」という意見は、
主人公を先に「腑抜け」と決め付けたところから生じているものに見える。
(これが歪めた読みだ言った理由だ)
普段がいいかげんだからいって、イザというときに戦えないとは限らない。
逆に普段がしっかりとしていて大言吐く奴が、イザというとき逃げだす例もあるだろう。
「二枚舌だけど腑抜けじゃない。やるときはやる」
という主人公像はこの物語上で想定可能だ。
主人公は調子のいいいささか卑怯くさい感じはするが、
決闘に行くはずもない「腑抜け」と断定できるような、
気弱な描写は見当たらないし、度胸が無いという描写もない。
正直なところ、そもそも書かれていないのだから、
「行く」パターンも「行かない」パターンも両方想定可能なのであり、
それは主人公が「行く」と言っていることをどう読むによってで決まる。
行くと読めば腑抜けじゃないし、行かぬと読めば腑抜けだ。
片方の読みしか許さないというような閉じた考えには反論させてもらう。
>>850 生き残るのが目的なのだとしたら逃げる事でも目的は達成されるじゃないか
それとも半死半生の目にあいたいから決闘に向かったのか?
現世利益を行動原理としたまま冒頭のシーンまで生きてきた主人公が何故半死半生のめにあいたいのだ?
矛盾しているじゃないか。
彼の処世術を全うするなら決闘という行為自体が外れているではないか。
腑抜けじゃないのなら”徹底的に”やった描写がどこにあるんだ。
ハードボイルドに憧れるハト少年ではあっても彼自身がそのハードボイルドにふさわしい人間か?
何故ガンジーなんかを引用して暴動を止めたのだ。
何故穴山の思うままに暴れさせなかったのか。
何故穴山に先駆けて自分から監督を殴りに行かなかったのか。
他人のハードボイルドをむしろ穴山の言う哲学的思想とやらで邪魔しに掛かってるのではないのか。
仏門に入るときがイザだ。何故入ったのに刺身食うんだ。
頭灸のエピソードを聞いた時がイザだ。何故自分もそうしなかったのだ。
監督を殴りに行くという合議がイザだ。何故それを止めたのだ。
彼の拭い様のない逃亡癖は冒頭の酒場まで一貫して続いているではないか。
決闘がメルクマールであるとするなら何故ああして平気でヒモ生活を続けていられるのだ。
僕は片方の読みしか許さないのではない。
あなたに言ったような”決闘に赴くとしたら”の仮定は既にやってる。
それでも決闘に赴く決意は俺には見つからないんだよ。ところが君にはあるという。
俺には見えてないものが君に見えてるんだろう。なら何が君に見えているんだ。
その決闘に赴く際に彼の逃亡癖を排した記述は一体どの部分なんだ。
それが冒頭に至って終局確かにあった穴山と対峙する決意は何故失せてしまったのだ。
>>828 でも大仏に「行く」って言ってるじゃん。それはどうなんのさ?
>>852 嘘ついたんじゃね
それ最後のシーンでしょ。決意はしてなかったように思うけどね。
殺人を覚悟していたように記憶はしてるが。
実際に山には向かったのだろうね。ただ、穴山の姿は見ていない。
怖気付いてそのまま下山するから冒頭に結び付く。
というか逆に聞きたいよ。
まあ鈴木の言うように半死半生のメにあったとして
穴山が手を貸すのかどうか知らんがなんとかして寺に戻って
二人仲良く懲罰でも食らって立派なお坊さんになりました
ところが紆余曲折ありまして以後出来上がったのかもしれない穴山との交友関係も
ここには語る必要の無い理由にてご破算と相成りまして
便利屋まがいのお坊さん稼業にも嫌気がさしてヒモになりました。チャンチャンってか?
それこそわけわからんぞこの小説。
再読してみて思ったのは
この作品のクライマックス(肝)はやはりラストにあるな、と。
泰淳は決闘のシーンをラストで書かなかったわけだよな。
理由は簡単で、そういう小説にはしたくなかったんだ。
だから実際の決闘に重要さを感じてなかったろうし、俺もそう読む。
決闘の決意? そんなものは俺にはぜんぜん重要には思えない。
柳という主人公が対峙すべきは、穴山という一人の男じゃないんだな。
もっともっと大きな存在、大仏なんだ、いやむしろ、
大仏を通して語られている「その物」なんだ。
>>744-746のほら話者です
>>851 >生き残るのが目的なのだとしたら逃げる事でも目的は達成されるじゃないか
みなまで書かなかったが、生き残って先に書いた処世術の完成までが最終目的だ。
悪いが
>>836-837 に俺が書いたの読み直してくれ。
意見見ると読み飛ばされたか無視されたとしか思えんよ。
>腑抜けじゃないのなら”徹底的に”やった描写がどこにあるんだ。
腑抜けじゃないという確証的な描写はない。
腑抜けだとう確証的な描写はない。
だから両方読めるといってる。
>仏門に入るときがイザだ。何故入ったのに刺身食うんだ。
>頭灸のエピソードを聞いた時がイザだ。何故自分もそうしなかったのだ。
>監督を殴りに行くという合議がイザだ。何故それを止めたのだ。
なぜあなたの適当に選んだイザにすべて反応せねばならんのか。
テキスト上に仏門に関してははなっから彼に真面目にやる気のないことが書かれているだろ。
主人公にとって刺身食うときや頭灸がイザになるとは思えんね。
殴りに行くの止めた理由も書かれている。
本当にちゃんと読んでから発言してるんだろうな?
程度の低いいちゃもんにみえるぜ。
>それでも決闘に赴く決意は俺には見つからないんだよ。ところが君にはあるという。
>俺には見えてないものが君に見えてるんだろう。なら何が君に見えているんだ。
きみは特定の主義を一貫して貫く人物像しか想定し得ないのか?
俺は既に、整合性を保ったまま主義を自由に差し替える人物像を例示した。
俺は可能性を示している。それを見てくれ。
その可能性をありえないようにするような論理的齟齬があるなら教えてくれ。
だから重要なのは、肉体的対峙ではなく、精神的対峙で、
「その物」との対峙をラストに持ってきたいがために、
この作品は回想的叙述形式になったんだろうし、
穴山との決闘シーンを泰淳は書かなかったわけだよ。
そして「その物」との対峙への布石となっているのが
密海との対話じゃないかな。
>>843 >あらゆる議論の場で禁じ手とされる帰謬論証を平気でやる鈴木はディスるけどね。
はあ?俺感想書いたろが!!
で、それのどこが「行かなかった」っていう証拠になるわけ?
>>853 なんで嘘をついたの?決意をしてなかったと思うのはなぜ?穴山の姿は見てないと言い切れる意味がわからない。
怖気づいて下山したというのもあなたの想像だ。その可能性を肯定されているのに、なぜ別の読みを否定する必要がある?
独善的だよ。子供じゃないんだからさ。別に仲良く懲罰をくらって立派な坊さんになったなんて誰も言ってねえじゃん。
なんか、反駁するのも疲れてきた。要するに俺の読みは絶対に正しいんだ、それ以外は間違ってるんだと主張したいだけだろ?
古い例えだけど、主人公のイメージは「オネアミスの翼」のシロツグ・ラーダットなんだよなあ。
わかる?
>>855 いや、だから生き残る事が目的だと仮定して処世術と突き合わせると成り立たないから
半死半生のメにあいたいかどうかを逃げ出すことと対峙することの論点に設定したんじゃないですか。
君の言う処世術というのはこれでしょ
>「私は、この世の中でイヤがられないようにするには何事もほどほどにするがいいこと、
> また時たまそのようなやり方を破るやり方をも心得ていることを示す方がいいこと、
> そのような術策を知りつくしていた」
決闘なんて血なまぐさい事は彼の辞書の中にはないでしょ。
”ほどほど”ではないでしょう。”徹底的に”ですよ。決闘なんてものは。
殺意が処世術の範疇から外れるのなら同じ理由で決闘だって処世術から外れますよ。
だから闘争を回避するためにガンジーなんか引用して穴山の怒りを買ったんでしょ。
ガンジーでは処世術を使う。酒場でも処世術のままに生きる。
この決闘に赴く際に処世術を持って来ると論理的に破綻すると言ってるんですよ。
聞きたいのはガンジーから決闘の間に何があったのか。決闘から冒頭までの間に何があったのか。
>仏門に関してははなっから彼に真面目にやる気のないことが書かれている
そうですね。八百屋の息子が八百屋をやるように寺生まれだから仏門入ったんだっけ。
状況に流されるまま生きて共同体倫理的には禁止である筈の肉食をやる。
現世利益、合理性を主軸とした論理展開をするから主体性のない腑抜けなんでしょ。
「肉食いたいのに禁止されるなんて嫌だ!」が行動原理なんでしょ。
「仏さんが肉食を禁止してもそれを打ち破るんだ!」ってな主体性が見えますか。
ハードボイルドなんて縁遠いお子様じゃないですか。
>整合性を保ったまま主義を自由に差し替える人物
だから二枚舌の腑抜けだと評価しました。
行動原理は現世利益だと言いました。整合性があるとすればそこにしか私は見い出せません。
齟齬は彼自身にハードボイルドを認めるかどうかというとこにあるように思います。
君やムーはあると設定して、僕には全くそれが見えない。
イザという時というのはこの小説では”決闘の部分”だけにしか見えないものなの?他にもあるの?
>>856 ラストに持ってこられた「その物」との対峙が重要というのは賛成。
密海のほうは「先輩が苦しまぎれに発明したその極楽」なんて発言していて
「苦しまぎれに発明」がすごい気にかかる。
「ファンシィ・ダンス」のもっくんもちょっとかぶるなあ。
すると穴山は竹内直人かw
>>858 半死半生になってそこからどう展開して冒頭に繋がるのかわからんのだよ(笑)
で、半死半生になったとして、どう展開したら冒頭に繋がるの?
どういう構成をイメージしてんの?徹頭徹尾”異形”から逃げたからああなるんだろ?
だしょー
わかる人にはわかるんだよなあ。
あと竹中直人だった。
ではでは
>>859 オネアミスは見てないなあ
昨日までイデオン見てたけど。
>>860 別に「主人公が半死半生の目に遭いたい」なんて俺は一言も言ってない。あなたの狭い読みを人に押し付けるのはやめなよ。
>>863 別にラストが冒頭に繋がるとは限らないだろ。10年もブランクがあるんだからさ。だから俺はその間の彼の敗戦体験を想像したって言ってんじゃん。
>>867 お前は本当に帰謬論証が好きだな。
じゃあお前はどう考えてるのか書いてくれよ。
それが書かれてないんだから想像でモノ言うしかないだろ。
一応
>>822を参考にしたつもりだけどよ。
どうして欲しいんだ?
「ハハー!全て鈴木さんの言う通りです!私が間違っておりましたー!」って言わせたいの?
もう一人の名無しも含めて人格批判は我慢するけど主張が出てこないと対話にならないだろうに。違うかね?
自分がやってることの決着点ちゃんと設定してる?コメントの付けようが無いんだよ。
お前実際にその安価振られてどう返すよ?有意義な論戦出来るか?
>>868 俺は色んな読み方があり得るって言いたいだけだよ。独善的なのはあんた。俺は半死半生の目に遭ったと想像してるけど、
結局行かなかったって読みもありだと思ってる。そもそも俺は半死半生の目に遭いたいから、とは言ってないんだよな。
俺はあんたの自分の読み以外の可能性を全く認めないというガキみたいな独善性がつまんないって言ってるだけだよ。
>>744-746のほら話者です
>>860 >”ほどほど”ではないでしょう。”徹底的に”ですよ。決闘なんてものは。
”ほどほど”の「やり方を破るやり方をも心得ている」んですよ彼は。
むう。ぐだくだ書くよりムーさん風に別のキャラクター提示がいいのかなぁ。
ルパン三世なんてどう?
女ったらしで泥棒で詐欺師。普段は超ふまじめ。でもやるときはやる。
>>869 「決闘には行っていない」と俺は主張している。
何故なら「決闘に行った」のならその構成、シナリオが他の部分と矛盾が出るように思うから、と理由付けもしてるんだよ。
色んな読み方の一つに対して論理的整合性が見えないから
見えてる人間に対してその論理的整合性を説明してくれと言ってるんだよ。
俺個人の読みの限界では「決闘に行ってない」という結論しか出なかったから
「決闘に行った可能性がある」と主張するのなら根拠付けて説明してくれと言ってるんだよ。
そうなる理由がわからんのだ。穴山を殺した可能性は有り得るとは思うけどね。
論戦なんてものは須らく独善的だよ。匿名掲示板で何が悲しくて接待麻雀やらにゃならんのだ。
>>863 >半死半生になってそこからどう展開して冒頭に繋がるのかわからんのだよ(笑)
物語の終わり時点から冒頭ってどれだけ時間が経ってるのかもわからんでしょ。
>>833に自分が書いたように、その間の期間に戦争をはさんでいてもおかしくないんだよ。
直結させようとするのに無理がないだろうか。
>>873 10年ですよ10年。無理ありありでしょう。所詮無理なんだ
>>871の読みは。自分の感想も明示してないのは自分じゃん!
>>817 >そうだね。でも冒頭の現在の「私」は達観してるように見えるんだよね。
私もそう思います。
>>854 >柳という主人公が対峙すべきは、穴山という一人の男じゃないんだな。
>もっともっと大きな存在、大仏なんだ、いやむしろ、
>大仏を通して語られている「その物」なんだ。
私は決意を重要じゃないとは読みませんでしたが、これは近いかな。穴山との決闘自体はどうでもいい。行くと大仏に言うシーンは重要と思います。
この小説、主人公が登場人物とどうこうしたというより、主人公の内面に焦点を当てているのでは?
ウン、俺には面白いよ、基本的にこの流れは。
ただこのポイントは淀みやすいから注意がいる。
ここから作品のコアの部分へと向かってくれるともっといいな。
卓を囲んで何人いるかわかんないけど、俺はすでにリーチかけたつもりw
鈴木も自分の牌を見たほうがいいぜ〜。
>>872 お前もういいや(笑)
すまん。逃げるわ俺(笑)
>>870 なら決闘と殺意の線引きがわからないよ。
ほどほどでありながら徹底的。大仏への告白とも矛盾しそうですね。
ルパンは穴山に例えるならまだわからなくもないけどねえ・・・。
ヒーローもの持って来ても全部失敗する気がする。
ちはやふるで新へのルサンチマンが抜けない太一、とか。
なんか多分これ続けるとわけわからん方向に行くぞ。
ムーさんにもレス付けたいなー。でも後にしようかな。
鈴木さんの感想の後半はないんですか?
俺はみんなと麻雀やって上がろうとはしてないからな。自分が四人参加する麻雀だけやってて、もう上がったつもりでいる。
穴山との決闘について。追記。
問題は行ったかどうかではなく、行ったと読むなら作品をどう読解できるか。行かなかったなあどうか、じゃないだろうか。面白い読みが出来ればいいよね。主人公の性格推察は結論が出ないし、不毛だと思いますが。
ちなみに私は行ったと思います。極楽ではなく、地獄=生きるを主人公は選んだって話だと読んだので
>>878 書いてあった気がしたんだけど、探しても見当たらないから気のせいだったのかもw
>>879 俺の感想の後半はアセンションとかとの対話で書いちゃったつもりです。
文章で書いたらもっと長くなったろうけど、基本的に言いたい事は変わらないし、皆さんに感謝ですね。
鈴木はちょっと誤解してると思うよ。
>>860のポイントは、この作品がムーのいうようなハードボイルドかどうか、
というとこなんだよ。
>>882 私も10年後て記述はなかった気がします。哲学者との年の差が10年ならあったかな。
>ほら話さん
題名についてのレスありがとうございます!わかりやすかった。私としてはオーソドックスな方を取るけど、やっぱり面白いですね!!
>>883 ハードボイルドって言葉がよくわからないから俺は参加できないなw
>>884 そうですか…(照)
>>879 ニッパも遠慮はいらないからどうぞ!
ポリフォニックにいこう。
>>877 >なら決闘と殺意の線引きがわからないよ。
>ほどほどでありながら徹底的。大仏への告白とも矛盾しそうですね。
この言い方だとなんか違う感じですね。
いつもは”ほどほど”なんだけど、
やるべきときは”ほどほど”でないやり方も披露できる。
あと、殺意なんかなくても決闘できないかね?
決闘っていっても本当にどちらかが死ぬまで闘う決闘じゃあないとおもうんだけど。
ちょっとつら貸せや。裏山に来い。のレベルなわけでしょ。
>>883 そうなんですか?ムーさんの感想本体とは別の場所で語られているようですが。
>>885 >ハードボイルドって言葉がよくわからないから俺は参加できないなw
私も...
問題は行ったか行かなかったかでなく、どうして主人公が冒頭の態度へ至ったかでしょう?
決闘へ行かなかった解釈の
>>828は私も斬新と感じましたが、有りだと思います。
>>886 ちょっと話題が転換するかもなので、後にしようかと思いましたが、貼っておこうかな。忘れちゃうし。
>>818 >冒頭の哲学者の問答を置き去りにして、語り手が「極楽物語」なるものの一節だと称する回想が始まり、さらに、穴山なる「ライバル」との決闘を置き去りにしたまま小説は終わってしまう。
結果が書かれていないという意味でかしら。この出来事自体は意味付けされていて置き去りという感じがしないのだけれど。
>しかし興味深いのは、この小説の語り手は、物語の中で、なんらの成長を見せるわけでもない、という点である。
そうかな?少なくとも変化はあったと思うな。
>それはなぜかと言えば、おそらく、この世にもあの世にも、極楽は存在し得ても、地獄は存在しないからだ。
私は、むしろ地獄の方が存在していて、それはこの世のことだと思いました。
> そうかな?少なくとも変化はあったと思うな。 ニッパはその変化をどのように捉えてる?
この世が地獄だという認識とその肯定かな?
戦地で地獄を見たのでは?
>>744-746のほら話者です
物語ラスト→戦争が間に入る→冒頭のある種の達観(ニヒリズム)
って筋書きはいかが?
>>890 いぇす、まさにそれです。決闘に行ったかどうかもそうですが、変化があったかないかで、冒頭の哲学者との対話の意味合いって大分違いますね。きっと。変化がなければ、冒頭の主人公はただのテキトーな人物、かな?
>>892-893 いいですね。私としてはラストの時点である程度の思想(?)は完成していたように読みましたが、大差ないかな。
>>744-746のほら話者です
論議沸騰で完全に置き去りにされた感じのカキコもっかい貼ります。すません。
833 :吾輩は名無しである:2011/08/25(木) 08:15:09.44
>>744-746のほら話者です
みなさんの感想に触発されて、別の視点を思いつきました。
泰淳が陸軍所属だったのか海軍所属だったのか知らないけど、
旧日本陸軍は全員丸刈り、海軍も下っ端は五分刈りだったはず。
僧侶と軍人には坊主頭という共通(ニアピン?)項がある。
両者とも、一般人とは異なる髪形となり、一般人とは異なる衣服を身につけ、
男だらけで女性からは隔離され、なにより人がいみきらう「あの世」に近しい。
当時の軍人たちに刷り込まれた「死んで御国の為になれ」のような理念には、
生を捨て強く「あの世の極楽」を志向する気配が濃密に漂う。
つまり、
異形(坊主頭)の者=僧侶=軍人=極楽の専門家
という図式がみえてこないだろうか?
「僧侶の私」と冒頭時点の「現在の私」の間の、書かれていない空白の期間には、
軍人となった私による、さらなる「私の極楽物語の一節」があるのかもしれない。
僧侶の私の物語は、軍人の私の物語を予言し、戯画化し、解体するだろう。
そして「あの世の極楽」を志向する人々(僧侶、軍人)との邂逅を経てこそ、
この世の生を肯定する「私」の姿勢がしっかりと重みを帯びていくのだ。
しかし実際の決闘と同様に、いやそれ以上に戦争体験は語られてないよ。
推定できる足掛かりはあるかな?
>>895 俺、それに「いいね!」って書こうとして、他の人の感想全部読んでない自分に言う資格ないかと思ってやめました。
>>897 確かに。895はなかなか面白ですがね。
常々の疑問ですが、主人公は軍人でしたっけ?作者が軍人だから?
>>897 語り得ぬものだったんじゃないかなあ。「審判」「蝮のすゑ」読んでみたいです。
>>899 主人公は軍人じゃないけど、泰淳は戦争で大陸に行ってますよ。
>>901 読解する際に作者と作中人物はある程度区別した方がいいかもとは思うなぁ〜。
>>897 軍属経験がある故に仏門での修行も大した事がないというような記述はありましたね
うろ覚えですが。
>>744-746のほら話者です
テキスト内だと
「すでに女を知ってからの戦地での禁慾生活には死の恐怖がつきまとい」
って記述がありますね。
>>902 でも「自伝的小説」って評価を泰淳は否定してないんじゃないかと。わからないけど…
仮にかなり忠実な自伝的作品だとして、柳を作者だとすると、
冒頭と回想の時間的隔たりは14年以上になるかな。
しかし敗戦というファクターに重要性を与えるための根拠はちょっと弱いね。
まあねえ。でも戦後派って括られてるわけですからねえ。
括られてるから何だと鈴木は言いたいわけ?w
あとリアリティをどこに一番感じたんだ?
「戦後」ってものを常に意識しつつ書いてたのかなあ、と。リアリティーを感じたのは主人公の心の動きですね。
>>744-746のほら話者です
ラストの「その物」の話のあたり、引っかかってます。
「そんな俺の運命も、みんな計算し、指導しているのだろう。俺がそれを中止するにしろ、
断行するにしろ、みんなあなたはそれを前もってきめてしまったのだろう」
これキリスト教の決定論ですよね。
超越存在が全運命を決定して(知って)いるなんて決定論的思想は、
キリスト教のような一神教だけが可能だろうと思ってました。
仏教って決定論的思想あるんですかね?
因果て考え方は決定論とはまた違うだろうし。
それとも神・仏を混同させた超越存在が語られているのだろうか。
「計算し」なんてあたりは、物理学のラプラスの悪魔ぽいけど。
>>861 「苦しまぎれに発明」――この密海の言葉は気になるね。
その手前で密海は、
「故にもし仏教的真理なるものがありとすれば、この宇宙の胎内における、
これらの大破壊、大消滅、大動乱に堪えうるものでなければならぬ」
と語ってる(書いてる)わけだけど、
極楽というのは、この「大破壊、大消滅、大動乱」に堪えようとした先達が、
苦しまぎれに発明したのだ、というわけだね。
密海さえも決して極楽の実在を信じているわけではないことの示唆じゃないかと。
>>910 仏教というか不二一元論(普遍の真理は自我の根源とほぼ同じものであることを悟る事で幸福になる@トルストイも似た様なこと言ってますね)とかの
ヒンズー教に近いところや現世利益を求めるのならタントラ仏教にそう言った思想は見てとれますね。
梵我一如って聞いたことないですかね。
まあ一神教というよりプラトニズムに近いもんですけど。
ああ、ここで言うプラトニズムは「人間の生きる目的は真善美の体験である」というような意味で。
>>894 そのニッパの読みによると、「冒頭の主人公はただのテキトーな人物」じゃなく、
ある種の達観や悟りを得た人物ということになるのかな。
この見方は、鈴木、ほら話者と共通しているんだろうね。
>>894 >>914 君らちょっと2点だけ聞かせてくれ。
1.”穴山との決闘”(≠穴山自身)は”異形の者”の条件を満たすか?
2.”異形の者”との対峙は(精神的な意味で)成長という語彙にふさわしい変化か?
面倒ならいいよ。Y/Nだけでもいいし。流石に疲れたわ。
穴山との決闘は異形の者としては失格の行為でしょう。
大仏との対峙は成長とは言えないまでも変化の要素はあるよね。
と、勝手に答えてみる。
>>917 具体的に、というと思い浮かばない。全体的にだったんだろうなー。どこですか?
>>918 「殴れ」「下山だ」と行動派と政策派がやんのやんのと活気づいているとき
柳は窓ガラスにしたたり落ちる雨の滴を見て、蛙の声を聞き、
そして、樹々の茂みや草むらのある風景を想い浮かべるシーンだね。
ここは特に好きだ。これは柳が騒動とは別の次元に考えをめぐらせている印に見える。
ここも密海との対話から続き、「その物」との対峙へと向かう重要な場面に思えたね。
>>920 いいね。周りの状況と全く無関係に意識が流れてる感じね。
で、「異形」についてだけど、ほら話者が書いていたように、
俺も「異形」にはいくつかの変奏があると思うんだ。
世間から見れば僧侶というのは異形だけれど、最後に柳が対峙する「その物」こそ、
最も巨大で最も無気味な「異形の者」といえるんじゃないかと思う。
「あなたは人間でもない。神でもない。気味のわるいその物なのだ。」
柳は独白でこう語りかけてる。
じゃあ大僧正とか密海はどうなるん?
924 :
治美:2011/08/25(木) 21:27:24.49
異形の者、はじめの2ページを読んでるとこです。
「私はキラキラと輝き光る水液をだらしなく吸い込む」
っていう描写にすごく違和感を覚えた。
なるほど、よく考えられた上手い比喩なんだけどさ。
前後の文章の流れから、すっごい浮いてるんだよね。
流れをぶったぎってる感じ。
武田泰淳のテクストって誰の影響を受けてるか
分かる人いたら教えて!
キラキラと輝き光る水液ってのは哲学者の質問だよね。
926 :
治美:2011/08/25(木) 21:56:42.34
>>925 哲学者の質問??
続き読めば分かること?
927 :
治美:2011/08/25(木) 21:59:33.18
あっ、意味分かりました。
もう少し読み進めます、すいません
がんばってね〜
オネアミスの翼かー。 あれもやる気ない主人公だったけど、最後には結局
宇宙にとびたったんだよねー。つまり「宇宙にいくこと」=「決闘」と、そういうことか。
930 :
治美:2011/08/25(木) 22:21:04.39
今80ページです。
この人の描写はチグハグ!
ユーモアはすごく感じた。ユーモアや哲学的な感じで統一
すればいいのに。変に感覚的な描写が紛れ込んでくるから
違和感を覚えるんだよね。
いや、キャラが似てるってだけで、
さすがにケンカと宇宙は同列にできんだろうw
>>931 そりゃそうだw しかしまあ、同列に扱えないものを、あえて同列に扱うことに
よって、笑いの効果が生まれるないだろうか。いやある。
933 :
治美:2011/08/25(木) 23:13:22.32
今87ページです
極楽=死なのかな。無に帰すというか。
だから言いようのない嫌悪感に襲われるのかと。
ちょっとおもろくなってきました。
>>915 >1.”穴山との決闘”(≠穴山自身)は”異形の者”の条件を満たすか?
>2.”異形の者”との対峙は(精神的な意味で)成長という語彙にふさわしい変化か?
異形の者の定義が明確でないけれど、1の異形の者が単なる僧侶あるいは死に近いものという意味合いなら失格かな。
2についての異形の者が大仏あるいは大仏が象徴するものだとして、私もこれは成長かはわからないけれどとにかく変化はしていると捉えました。
>>922 >で、「異形」についてだけど、ほら話者が書いていたように、
>俺も「異形」にはいくつかの変奏があると思うんだ。
私も
>>915を読んだらちょっとそう思えてきました。ただ、自分と異なる者としてかなり幅広く変奏されているというより、大仏とその象徴するものも差しているという程度ですが。
アセンションさんと一緒かな。
>>933 >極楽=死なのかな。無に帰すというか。
私もそう読みましたよ〜
935 :
治美:2011/08/25(木) 23:52:14.84
頭部にお灸って、ただの根性焼きやんw
あれ、根性焼きってこっからきてんのかな
ところどころ無駄な描写がありますね
そこが残念です
おっとニッパさんだ。
今質問にこたえようとして異形の者読み返してるんだが中々難しいねw
>>932 すいませんした。
空気読める人間になりたいっす。
空即是色
>>934 うん、ありがとう。
>>936 主人公が成長しないとしながら決闘の決断をするというところがおかしいんだよ・・・
たぶん(笑)
「夢のような物語を流しておいて決断によってその夢から覚める」という構成にしてりゃ
合わないにせよ、おー上手い事言いやがるってなったけどさ。
スレ違いすいません。ニッパさんBB2Cどうですか?書けます?
書けますよー
940 :
吾輩は名無しである:2011/08/26(金) 12:36:24.81
直立した陰茎をぶっさすとか初めはアホかと思ったけど、
なかなか抽象的に描かれていて、深読みすることはできそうだった。
私的には、繰り返される行為のなかで無我の境地に至ったのかしら
と想像しました。
以前、授業で仏教を少しだけ学びました。
真っ黒い円が描かれたプリントを配付されたですよね。
その真っ黒い円(あっ、もしかしたら真っ白かも)は
何かを象徴していました。梵我一如だったのかな、、?
障子の穴は、この円を意味しているんじゃないかと想像してます
この円を知ってるという人いらっしゃいますか?
>>939 俺も書けるようになりしました!
>>940 僕の通ってた小中高ではそういうのなかった気がします。いいなあ。
>>923 大僧正。性や俗を拭い捨てた大僧正はこれまた異形の者だけど、柳は否定的に見てる。
密海。密海との対峙は後の「その物」との対峙への布石となる役目を果たしてると読んでるよ。
しかしネーミングはあまりひねりがないねw 密教+空海=密海だろうなあ。
昨日のほら話者と名無しのやりとり、個人的には面白く読んだ。
>>860をはじめとする主人公腑抜け論(仮称)は、
ちょっと穴山的(?)語り口を狙ったのかなw
>>940 梵我一如も仏教もよく知らないけど、
梵(ブラフマン)と我(アートマン)の一体ってやつだっけ。
真言宗的なマンダラの円としての穴かなw
作品に出てくる阿弥陀とか他力本願とかってのは浄土宗なんだろうね。
大仏が究極形なのはその通りですけどね。
>>944 質問ばっかせずに自分の意見もちったぁ書いてみろよw
柳が大僧正への謁見を終えた後、「ダメだ。やっぱりダメだ」と言って
自分の筋肉を意識してる箇所があるだろ?
大僧正には「生」がないと思ったんじゃないのかい?
>>946 でもさあ、叔父に「どうだった?」って訊かれて否定的な答えはしてないぜ!!
>>942 その辺りは監督殴りに行くかどうかの合議に主人公が飽きて?
中国僧との時に感じた”異形”を彼の正面に作るためにやってたかなー
もういいよ、その話。俺同じ事ばっか言ってんだもん。
前進んでなかったってこった。
>>942 だからその印象が後で変わるわけだろ。「やっぱりダメだ」と。
>>948 内容はともかく、やりとりのスタイルは面白かったよ。
>>949 そっか。そこの順番が俺の頭の中であべこべだったな。
949の最初のアンカーは
>>947の鈴木宛ね。
感想を書き込むスタイルに関しては、鈴木にも参考にしてほしいけど、
>>784の (´・ω・`)ショボンのやり方が理想的だね。
ラフなスケッチでもいいからまずは感想を書いてみる。
それから他者の意見を足掛かりにしたり、他者とやりとりしながら、
そのスケッチを仕上げていったり、描きなおしたりしていく。
952 :
治美:2011/08/26(金) 19:26:18.83
異形の者に対する一考察
終わりの人間でも神でもないその物というのが、この小説の
核である。密海や金色の仏像が、その物である。これらは、
世界の深淵に潜む絶対の虚無を見つめるものである。この絶対の
虚無というのは、宇宙であると思う。つまりは、彼らは
宇宙の法則を知りえるものである。
社会主義、無政府主義、極楽を掲げる仏教、そのような思想は
人間が創りあげたものにすぎない。宇宙の法則の前では、
人間が生み出したものなど、無に帰する。
それを知りえた主人公があえて決闘を起こすというのは、、
人間として生きるという選択をした結果なのだろうか、、
虚無に耐えられないのが人間であるから、、
すこし出鱈目が過ぎたでしょうか?
全然デタラメじゃないっしょ。
言葉になりきれない部分ギリッギリのところで勝負してるし。
若干酔ってるなあって印象は受けなくもないけど。
954 :
治美:2011/08/26(金) 19:42:27.35
>>953 宇宙について考えるの初めてだったから少し酔った
かもw
なんとなく埴谷雄高が頭に浮かんできたんですよね
埴谷とか泰淳とかの宇宙観って何だったんですかね?
俺も賛成ですね。アセンションの言うように先ず自分の論を定立してから全部読むのが理想なんだろうけど、
俺が出来るベストは「堕落論」の時のスタイルだなあ。でもそれなりに全レスはキツいっしょ。判ってくれ。
>>954 埴谷雄高は武田泰淳と毎年靖国神社に参拝する仲だったんで、共通項はあるんでしょうねえ。
でも俺は今までに一度も作品を否定した事はないんだよな。わからないことはあるけど、それは俺がいけないんであって。
958 :
治美:2011/08/26(金) 20:24:12.01
>>956 靖国神社!
そうだったんですか。
どういう意図があったんでしょうかね。
>>949 >内容はともかく、やりとりのスタイルは面白かったよ。
私も思いました。本文に即して適宜引用されていましたし。
>>958 やっぱり戦争に行った者として英霊に敬礼せざるを得なかったんでしょうねえ。
>>952>>954 いいね! 埴谷雄高なら「虚体」と言うところを
武田泰淳は少し違う角度から「滅亡」と呼んでいるのかもしれないな。
「滅亡について」というエッセイは「異形の者」につながるかも。
そんな表現を作品内で探すと、密海の口(手かw)を借りて
「もし仏教的真理なるものがありとすれば、この宇宙の胎内における、
これらの大破壊、大消滅、大動乱に堪えうるものでなければならぬ」
と語られてて、この言葉を後で主人公の柳は反芻してるね。
962 :
治美:2011/08/26(金) 21:33:24.89
>>960 何も語りえぬ死者というのは、われわれの肩に
重くのしかかってきますねぇ。
うーん、何と言っていいやら
>>955 あれはルール上はギリギリセーフってとこかなw
でも返レスの中に密度の濃い意見が含まれてたからかなり良かったよ。
ニッパに対するムーの返レスが遅いなあ。
あと書くといってたマグナも遅いぜよw
埴谷は戦争に行ってないだろ。肺病で入隊・従軍できるわけがない。
北里病院だかに通っていたとか。
ま、それ以前に左翼活動でムショ入りした前科もあることだしな。
まあわざわざ確認するまでもないことですが
靖国神社は日本神道ですから仏教関係ないですけどね。念のため。
966 :
治美:2011/08/26(金) 22:00:21.88
>>961 アセンションさん、うまいこと展開してくださって
ありがとうございます。
滅亡と虚体に共通するものがあったとしたら面白い
ですよね。
手元にある教科書の泰淳コーナーでは、滅亡と絶対持続とかいうターム
が出てきておりますが
さきほど私は、宇宙の運動を虚無と解釈しましたが、
そのような解釈が、異形の者という作品において
成り立つのかがポイントかと思います。
967 :
治美:2011/08/26(金) 22:34:07.36
その物、という表現がカントの物自体を想起
させるんですよね。
埴谷文学の着想はカントからきてますし
その辺を考えてみたいのですが、一朝一夕では
どうにもならなくて。
>>966-967 埴谷のいう虚体を泰淳の「その物」と並べてみてもいいのだけど、
カントの「物自体」は認識レベルの概念だと思うのでおいておくと、
「異形の者」でも虚無としての宇宙(あるいは滅亡の巨大な運動)の手触りは感じられて、
それは密海が語り柳が反芻した「大破壊、大消滅、大動乱に堪えうるもの」でもあるし、
ニッパが指摘してた大仏(あるいは「その物」の空洞の目にも象徴されているともいえるし、
穴山が障子にペニスで開ける黒い穴も虚無の象徴だといえるのかもしれないなあと。
>>964 そうなのか…適当な事を言ってすみませんでした。
970 :
治美:2011/08/26(金) 23:17:30.91
>>968 カントの物自体は確かに認識レベルの話しですね
逸脱しました。
ご指摘通り、虚無の感じは作品から漂ってますね
それを仮定するとして、残りは虚体とつながるかって
とこを考えてみたいのですが
虚体って何だっけっていう、、
971 :
治美:2011/08/27(土) 00:36:41.08
すいません横道に反れます
今、このスレを読み返してるんですが、、
745・760さんの意見はとても面白いですね。
作者の意図とか主題に拘るのは古いんですよね。
逆にその地点に留まってるようじゃ、確かに近代以降
特に現代の作家なんか分析できないんですよ。
以前、市民講座みたいなとこで評論家の方がいらっしゃって
桜庭一樹を読んだんですよね。
そのとき、その評論家の方に私が言われたことは、、
「現代の作家は明確な意図があって小説を書いているわけではない」
ということでした。つまりは、うんうん唸ったとこで面白いもんが
でてくる訳ではない、ということなんですよね。
私も745さんのような分析ができるようになりたい!
しかし、745さんの分析が全てかって言ったら勿論そんな
ことはないんですけど。
どうやったら、このような分析ができるのか知りたいです!
>>951>>955 何も読まずに感想を書くのは、混じりけのないものを書きたいから。
流れをぶったぎることにもなるのは、ご愛嬌。
いつも哲学の話になるとついていけないな…
勉強不足をひしひしと感じます。
973 :
治美:2011/08/27(土) 01:49:06.15
連投申し訳ありません
なんだか745さんを私が持ち上げ過ぎて皆さん
がレスしづらいのではないかと思い、少し自分
の考えたことをまとめようと思います。
745さんの意見である、異形の者が変奏している、
という考えは非常に面白いです。しかし、それ以外の
考察は基本的に全て徒労に終わってます。それは、主題
なんか探ったって何にもでてきやしない、と始めに宣言
したにも関わらず、中途半端な形でまわりに歩み寄った
ため、失敗してしまっているんですよね。
ただ、最初の分析は素晴らしかった。あのような批評は
どの理論を習得すれば可能なのでしょうか?
974 :
吾輩は名無しである:2011/08/27(土) 02:21:51.37
テスト
呼ばれて飛び出てほら話者です
>>971 >>973 おほめにあずかり恐縮です。あざす。
意味をテクストから抽出・固定化するだけじゃなくて、
がんがん外に広げて解釈するのはやっぱ面白いよね。
文学理論に興味もっていただけたようでうれしいです。
テクストと読者との共鳴のようなものこそ文学の醍醐味。
ヴォルフガング・イーザーの受容理論、ジュリア・クリステヴァのテクスト理論
あたりを基盤として、ポスト構造主義以降の文学理論を学ぶと役に立つよ。
もしこれから学ぶのなら、直接哲学書にあたるとたいへんムズいので、
文学理論の歴史的変遷、進化がとてもわかりやすく書かれた
テリー・イーグルトン『文学とはなにか』を読むといいです。
そこからぐんと世界が広がると思います。
もっと砕けたのがいいなら、筒井康隆『文学部唯野教授』は
大笑いしながら文学理論が学べる類まれな小説です。
文学理論を実際に援用した面白い「読み」がお望みなら、
ピエール・バイヤール『アクロイドを殺したのはだれか』がおすすめ。
クリスティの名作推理小説『アクロイド殺し』を解体して、
なんと作中の名探偵ポアロが示した犯人とは別の犯人を、すごい説得力をもって
まるでクリスティがそこ(別の犯人)まで埋め込んでいたかのような説得力で、
バイヤールさんが示しちゃいます。おもろいすよ。
↑入手困難なら図書館で
その異形が変奏するという感覚、自分にはいまいちよくわかりません。
1.異形というものは絶えず変奏しているものであって、普遍的な意味で異形は変奏している
2.異形そのものは全く変奏せず、作家が異形の扱い方・表現を変奏させている。
3.異形そのものは全く変奏せず、作家も異形の扱い方・表現を変奏させていないが、読み手が異形から受ける印象が変奏していく。
4.その他
どれ?
ほら話者です
>>976 他の人のは分からんけど自分の場合は、
異形のイメージがテキストの各所で変奏しながら現れるように(読者が)読める
ってこと。
「作者−テクスト」の関係と「テクスト−読者」の関係とは次元が異なるので注意。
2の「作家が異形の扱い方・表現を変奏させている」
3の「作家も異形の扱い方・表現を変奏させていない」
なんて作者以外の人が断定できるわけがない。
ある読者が「ここで作者が書いた意味はこれだ」と説得力を持って論じたとしても、
その読者が「ここで作者が書いた意味はこれだ」と解釈したという以上の意味は無い。
978 :
治美:2011/08/27(土) 03:20:06.63
>>975 懇切丁寧に紹介してくださったので感激しております。
早速、Amazonで注文させていただきました。
これで新境地を開拓できると良いのですが。
成功すればサイヤ人がスーパーサイヤ人になるぐらい
画期的な出来事となります。
理論武装、開始!
>>977 ありがとう。論評のスタイルはよくわかりました。
ほら話者です
主人公が虚無に対抗しているという図式がしっくりこなかったので、
自分なりに考えてみた。
密海の話のあたり、死、消滅、無常(=生の虚無化)への対抗として、
僧侶(異形の者)たちが「苦しまぎれに発明」したのが極楽や仏だと読める。
無常を排して、永遠性を獲得したいわけだ。
でも、主人公は「あの世の極楽なるものは絶対に嫌い」であり、
肉体的な生(悲しみ、歓喜、苦悩、快楽、女、決闘、まぐろ寿司、レストラン)へと向かう。
主人公はラストに仏像の前で「その物」に対峙する。
主人公が対抗するのは、虚無(死や消滅)ではなく、
虚無から逃れようと人が生み出してしまった観念的バケモノ「その物」だ。
「その物」とは、生と死の対立をも外から冷やかに眺める
永遠性(極楽)と超越性(仏)のバケモノだ。
主人公は死よりも、「その物」に取り込まれることを嫌う。
そして「自分が死ぬか、相手を殺すかするかもしれない」決闘へ行くと告げる。
「物」であって「者」でないあたり、
「その物」は「異形の者」よりさらに次元を超えて異質な感じだ。
主人公は「異形の者」は嫌いじゃないけど「その物」は嫌うって感じがする。
982 :
忍法帖【Lv=31,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/08/27(土) 13:11:30.16
鯖落ちしてから普通に書き込めなくなってます。
べっかんことやらを経由するとこのとおり書き込めるんだが、
長文をアップすると「書き込みました」の表示は出るのに反映されない。
おかげでゆうべ、ニッパさんの質問に答えるためにノリノリで書き上げた長文を丸々ロストしやした(涙
なので返事ちょっと待ってくださいまし
忍者レベルが低いんだろう
1レス1000文字を目安に分割するしかないね
助言ありがとうございます。
でもそうなると連投規制が厳しくなるなあ。
まあしばらくほとぼりを冷ますとしますよ。
労作が失われたダメージが結構でかいw
「異形の者」のチョイスは全体的には評判良いみたいだね。
俺も一読目はしっくりこなかったけど、再読したらなかなか良かったよ。
ムーさんは修行すれば?俺もレベル40で水遁されてから頑張ってレベル10まで持ち直したよ。
>>980 いいね。全体的にはかなり同意なんだけど、
1点、「その物」を柳は嫌ったのかどうか、
そこはちょっと違う意見なんだよね。
新スレのほうに書いたほうがいいかな。
991 :
ほら話者:2011/08/27(土) 14:36:32.92
もうコテにしちゃおうw
>>990 >1点、「その物」を柳は嫌ったのかどうか、
うん。自分も迷ったとこ。論理展開の都合上単に「嫌った」にしちゃったけど、
なんか捨て切ってもいないんだよねぇ。
意見あるならぜひ聞きたいです。しっかり論じたいなら新スレで。
>>991 「俺は日に何回あなたの名を称えるか、あなたに誓うことはできない。
しかしもし俺が生きて行けたなら、無意議のうちにでも、
その物であるあなたをかならず想い出すにちがいない」
こう柳はつぶやいてるよね。
「その物」に対して嫌いも好きもいえないことを
柳はわかってるんじゃないかと思うんだね。
993 :
ほら話者:2011/08/27(土) 15:12:19.19
>>992 なるほど。「嫌いも好きもいえないとわかっている」か
どういう論理展開ができるだろう
好き嫌いも吸収してしまう、それに意味づけすること(解釈)さえ危険な、
意味づけがさらにそれを拡大増殖させてしまうようなシロモノなんだろうか
「その物」は大仏と関係づけられているけど
大仏そのものでもないと読んだ。
人間でもなく神でもなく、仏とも呼びがたいものだろうと。
そういう名づけがたさが、あるんじゃないかと思うし、
大仏の空虚な目に象徴されてるように
意味づけが拡大増殖するというよりは
ブラックホールのように飲み込んでしまうのではないか、
そんな感じを受けるね。
995 :
ほら話者:2011/08/27(土) 15:42:05.50
>>994 いいね。ブラックホール=穴ときたか
生も虚無もまるごと吸いこんでしまう異次元への穴って感じ
おもしろい
996 :
(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/08/27(土) 19:39:53.56
藁貸し増すねぇ〜(笑)
ムーさんかわいそう
ありがとうございます!!
いずれ書き直しますんでよろしく!
>>996 藁ばっかレンタルしてないで、マテもまた感想書いてよw
>>998 来週はニッパのお題のイェイツだから早めにね〜。
つづきは新スレで。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。