1 :
吾輩は名無しである :
2011/07/23(土) 21:52:30.14
乙です!!
Alors, Gilberte me dit avec bonté : – Vous savez, si vous voulez, nous pouvons lutter encore un peu. するとジルベルトは好意をこめてささやいた。 「ねえ、もしよかったら、もう少し取っ組みあいをつづけたっていいのよ」 (鈴木道彦訳「花咲く乙女たちのかげにT」集英社文庫146頁)
« Je passe cette nuit-là à votre hotel……Vous pourrez venir assister à mon dîner à côté de mon lit et après nous jouerons à ce que vous voudrez. ……Alors à tout à l'heure. Venez tôt pour que nous ayons de bonnes heures à nous » 「今晩はあなたのホテルで泊まるの…… (よかったらベッドのわきで、わたしが お夕飯を 食べるのを 見ててくださってもいいわ。 そのあとで、) あなたのしたいことをして遊びましょうよ。 ……それじゃ、あとでね。早くいらっしゃいよ。 二人だけの時間がたっぷりあるようにね」 (鈴木道彦訳「花咲く乙女たちのかげにU」集英社文庫497頁)
前スレ991の長文自慰さん(笑)のレスより部分引用。面白いエピソードだなあw >プルーストは、男性に度を越した愛情を示しはじめたことを親に心配され、 >男友達を家に呼ぶことを親から禁止されると、そんなことを言うとオナニーしてやるぞ、 >と父親を何度も脅していた。 >「さまざまな徴候や証言を勘案すると、どうやらプルーストは生涯のおわりまで、 >オナニーを主たる性行為としていたようである」とされている。
8 :
吾輩は名無しである :2011/07/24(日) 10:40:11.33
文学なんか好きな人達はどこかおかしいんですよ(笑)。
>>7 プルースト 自慰 で検索すると早くも前スレがトップにくるのだけどw
オナ禁ブログのひとつが上位にヒットしたと思ったら 「プルースト効果」なるタイトルの記事だった
http://stoicalsteps.blog.wox.cc/entry21.html 現在でも オナニーには害があり オナニーをやめると 寝ざめがよくなる
ニキビ・吹き出物がなくなる もてるようになる といったことがまことしやかに
言われ、それを信じる人もいて 2ちゃんにもオナ禁スレなるものが存在する
(同じ射精なのにセックスとどう違うんだと普通考えると思うのだけど)
このブログもオナ禁により 五感が研ぎ澄まされ 味覚も嗅覚も向上し
プルースト効果が高まった旨 大脳辺縁系やら亜鉛だのを持ち出し
科学的っぽく報告している
プルースト効果の定義をみると前スレで紹介した漫画と全く同じといってよい
>プルースト効果は少し違います。
>「ある特定の香水の匂いを嗅ぐと以前付き合っていた彼女のことを思い出す」、
>それに加え、嗅覚は記憶というよりも、思い出、感情と直結しているという点です。
プルーストでなく 古今集の次の歌(伊勢物語60段にも出てくる)そのものなんだよなあ
皐月待つ花たちばなの香をかげば 昔の人の袖の香ぞする
(旧暦五月を待つ花の花橘の香りをかぐと 昔つきあった人の袖の香りがする)
http://www.isemonogatari.com/koi/orange.htm プルースト受容の日本的変容というべきか
「源氏物語」の宇治十帖でも2人の主人公の名は薫と匂宮だし
10 :
吾輩は名無しである :2011/07/24(日) 11:56:27.58
てめーら死ね。俺の本当の話でも聞け。 川上み○こはビクターとかの机に糞を置きざりにし、 NHKの小学校の番組では、小学生に説教して糞を投げたり、食ったりした。 江国は霊になって、YOUTUBEの心霊画像集にも出るし、画像で見ても町田康は分身するし、 いい世の中だよなー。
11 :
名なし :2011/07/24(日) 14:19:33.91
プルーストが好きなのか、自分の読んだ本のことを書きたいだけなのか よく分からない、お一人さんが必死で書き込んでる。
13 :
佃煮マニア :2011/07/24(日) 17:23:17.05
前スレのプルーストの記憶力がどうのって話は面白かったですね。 長編漫画なんかでも、伏線を張りすぎてあとで収拾付かなくなる事ってよくあるんですよ。 プルースト並みの天才でも、やはりそういうことってあるんだなあ。 あと、貼られた過去ログは追々見て行こうと思います。
>>8 モドキちゃんも天才的な面があるしなあ。
>>9 それはやばいナw あまり変なこと書けないw
吉田「草稿研究」P102によると、
カイエ1ではオナニー描写は長くて詳しかったみたいだね。
前スレで教えてもらった鈴木訳文庫Tの松浦解説を確認。 吉田とプルーストの時間の捉え方についてだけど、 この松浦の論はかなり吉田びいきなんじゃないだろうかw
16 :
名なし :2011/07/24(日) 17:52:31.70
>>15 アセンション、松浦は吉田健一のことが好きなんだけど、プルーストの
解釈については、一家言あるようだよ。
17 :
佃煮マニア :2011/07/24(日) 18:03:04.25
108 : 吾輩は名無しである : 02/05/31 22:59 アルベルチーヌはプルーストのホモの恋人アルベールがモデルだってのは 常識。 これは本当ですか?
>>16 そうだね。なかなか深い解説だからすぐには言葉が出ないけれど、
松浦が持ち出してるリアルなものとアクチュアルなものとの対比は
プルースト解釈においても有効なんだろうか?
20 :
20 :2011/07/24(日) 18:52:39.43
と思ったら、上にリンク張ったウィキにもアルベール・ナミアスという名前が でていますね ただ、アルベルチーヌ個人のモデルというより、避暑地カブールでプルーストが 出会った彼を含むブルジョア少年たちのグループが、語り手がバルベックで 出会う「花咲く乙女たち」のモデルになったということみたい 気がついたけど ウィキの出典て、ほとんど石木隆治先生の清水書院から でている「プルースト」なんですね
21 :
19 :2011/07/24(日) 19:15:24.84
>>13 ベケットのプルースト論自体は多分買って目を通したような気がするけど
何が書いてあったか全く記憶がありません
そのうち再読してみようと思うけど 今のところ見つかっていないです
そもそも買ってもいないのかもしれない
伏線回収については連載か書き下ろしかという問題がありますね
漫画の場合には基本的に連載なので途中でキャラ設定が変わったり
伏線回収がぐだぐだになることが多い
だから作品の価値が落ちるともいえないのですが
プルーストの場合は、「スワン家の方へ」が1913年に出てから、いったん最後
まで書き下ろしたけど、第2巻の「花咲く乙女たちのかげに」を出すまでの間に
第1次大戦やアゴスチネリの事件があったりでそれらを取り入れるため
かなり構想が変わってしまったという面があります。
といっても前スレで指摘した矛盾は構想の変化とあまり関係のないところなのですが
22 :
名なし :2011/07/24(日) 19:34:17.68
>>18 吉田健一の「時間」の冒頭部分を引いて話は始まるわけだが、
およそプルーストの失われた時を求めての時間表現と違うわけで
それを、単なる作品解説を超えた近代なるものとはーとくにヨーロッパを
めぐってーどういう風に解釈するかが書いてあるように思う。
それをどう自らのものとして読解にビルトインするかは、各自次第。
>>14 最終的には、葉っぱにかたつむりのはったような白い跡を残したと
射精後のシーンだけ描き、射精の瞬間は飛ばしているのですが
当初は射精そのものを描写し、それを画家ユベール・ロベールが
描いたサン・クルーの噴水のほとばしりにたとえたりしてますね
この噴水の絵、お祖母ちゃんが語り手の部屋用にと買ってくれた中に
あるのですね。図版付で結構勢いよく出ているw
(岩波「スワン家の方へT」98頁以下)
「ソドムとゴモラ」の巻で語り手が招待されたゲルマント大公夫人
の夜会でもユベール・ロベールの噴水がでてきて、アルパジョン
夫人(ゲルマント公爵の愛人)がしぶきを浴びるシーンがあります
>>11 自分では頭がよいと思い込んでいる典型のような御仁だな
↑ 長文じいさん、ご登場!
>>25 やはり君だったか
もしかして もう1人いるのではと釣ってみた
懲りぬやつだなあ
俺は一文学愛好家としてこのスレを刺激にもうちっと
プルーストを読み込んでみたいだけだよ
まわりにプルースト読んでるやつ おらんしな
>>26 >>11 は知らない。
けど、同意。
>俺は一文学愛好家としてこのスレを刺激にもうちっと
なら、もっとピントのあったことをまとめてから書け。
糞をそこら中に撒き散らすような粗い話は、つまらない。
>>28 そうか
まあ 2人いても構わないが
じゃあ
>>11 はプルースト好きが好きそうな作品教えてくれるかなw
(俺は念のための篠田一士の20世紀の10大小説を引用しておいたが
あれwikiのリンク張れば十分だったな)
俺は勝手にやるw
前スレでの驚くほどナイーブな論には意表を突かれた
決して悪い意味で言っているのでないよ
29 :
吾輩は名無しである :2011/07/24(日) 20:36:39.26
>>22 吉田健一の「時間」の第一章に西田幾多郎がでてくるでしょう。吉田の時間論はプルーストより禅の時
間把握に近いと感じた。「自分を考えるところ、そこが現在である。そうしてそこから過去と未来を考
える。現在に於いて過去と未来が同時存在的にずっと並んでいる。(中略)過去と未来が同時存在的で
あるということから自分が考えられているのである。」というように現在のなかに過去が含まれている。
プルーストのはちょっと違う。
>>28 >俺は勝手にやるw
同意。しかし、
>>26 で書かれている目的でやるならば、それは思うようには
いかないと思う。前にも書いたような記憶があるけど、ブログでそれをやった方が
数段、求めているものが得られるだろうね。
長文じいさんは、2chが無限大のサーバー能力があり、掲示板に書きこむことも
どのように長文であっても問題ないとしてるようだけど、それは違うと思う。
>>30 2ちゃんにははじめからプルーストに一定以上の関心を持っている人が
集まるところが違うと思う
同様のものでミクシィのコミュがあるが(荒らしが少ないという利点があるしね)
驚くほど 拍子抜けした 悪いけど
確かに前スレは306.22kb、それまでのスレが200kb前後なので1.5倍になっている
ただ、サーバー能力の限界を気にするほどのものではないように思う。
ニューススレや芸能スレに比べれば文学スレなど明らかに過疎スレなのだし。
かわいいもんだ。
それにちょっと長くなると「長すぎます」、「改行が多すぎます」とでて書きこめない。。
それによってスレが重くなりすぎないように予めなっているようだ。
>>22 >>29 松浦の吉田とプルーストの関係についての記述はまわりくどいw
近代というものが、継起的に流れていく時間を無視した時代であった、
で、プルーストの時間の探求は近代的なものだった、と書いてるね。
松浦は、この吉田説は強弁でいくらでも反論できるとしながらも、
無意志的想起における時間については、吉田説の鋭さが示される、
としているわけだね。俺は松浦と同じ視点は持たない。
吉田健一「時間」は読んだことがあるよ。 「時間」はなかなか魅力のある作品だとは思うけど、物足りなかった。 松浦経由の吉田の考えを端的に言い換えれば、 プルースト的時間には淀みがある、というわけだけど、 吉田の「時間」で不満に思ってたのは逆に淀みがないことだと思うな。 「時間」を読んだときの苛立ちは、予定調和的な会話にしろ時間の継起的な考察にしろ、 その淀みのなさなんだと、 今書きながら思ったよ。
>>23 プルーストの水の比喩は重要かもしれないね。
オナニーの射精が噴水のほとばしりにリンクされているのもそうだし、
何よりも、マドレーヌの想起が日本の水中花とリンクしていている。
この水中花の比喩はCSBのときから使われているから、
おそらくプルーストのお気に入りだったんだと思うね。
水の中だけで開く花、というのは、紅茶によって溶けていくマドレーヌ、
につながるだけでなく、思い出の開花、つまり、
硬く閉ざされた記憶の扉が開いていく比喩としても秀逸。
35 :
名なし :2011/07/24(日) 21:18:09.49
淀みとは、具体的にはどんなこと
>>34 水といえばヴィボンヌ川の水源も
もの凄く神秘的な場所のような描かれ方をして
かなりあとの方になるまでその正体が明かされないですね
吉川一義の「プルーストの世界を読む」でモデルになった川の水源の写真
がでていてへえと思いました
>>35 常に流れていく時間を意識することで生まれる時間感覚じゃなくて、
「時間の外に出るような」感覚が、淀みといえるんじゃないかな。
「アウト・オブ・ジョイント(関節の外れた)の時間」。
松浦=吉田はプルースト的時間をそう見てると思う。
>>36 絶えず流れる川こそは、時間の比喩にふさわしいだろうしね。
水源となると、またその意味合いも深まるような。
40 :
佃煮マニア :2011/07/24(日) 22:12:27.22
>>34 ほうほう。
プルーストの醸すエロティシズムというのもまた美しいですね。
性器や噴水から水がほとばしるというのはたしかにエロティックだけど、
それよりも食の官能からあそこまで記憶がほとばしるのにもエロスを感じるなあ。
>>19 >>20 そうなんですか。な〜んだ。
>>21 張った伏線を回収しないのなんて、天才手塚治虫でもそうですよ。
読者はそのあらを見つけるのもまた楽しいものなんですよね。
これはあんまりいい読み方じゃないかな?
>>39 トピは自己紹介、雑談以外には実質2つってとこ
お題は「語り手とアルベルチーヌはセックスしたか」
「失時の日本語訳では誰のが好きか」
今読んでみたが個々のコメントで参考になるものはいくつかある
前者は10日くらい20コメントがでたところでぴたっととまっているし、
後者は2年近くで17コメントしか伸びてない
会員数は一応1000人を超えているけど
42 :
吾輩は名無しである :2011/07/24(日) 22:54:02.75
水は女性の象徴だからな。水も川も井戸も、大体は。
>>40 >食の官能からあそこまで記憶がほとばしるのにもエロスを感じるなあ。
晩年はほとんどカフェオレの栄養だけで生きていたみたい
記憶だけでもうお腹いっぱいってことになってたのか
失時にでてくる女性で一番エロスを感じるのは
バルベック近郊の農家から 朝方 汽車の乗客にカフェオレを売りにくる少女
行きずりといってもよいのにえらく印象的
ALP
46 :
名なし :2011/07/25(月) 12:24:11.71
>>28 >プルースト好きが好きそうな作品教えてくれるかなw
中村真一郎の「この百年の小説」(新潮選書)に書かれているものは
たいがい読んでいると思う。
47 :
名なし :2011/07/25(月) 12:38:27.21
>>28 追伸:たぶんだけど、生田耕作の「るさんちまん」も読んでると思う。
>>47 どこかで聞いた名前だと思ったら セリーヌやバタイユの翻訳でも
有名な人ですね
「眼球譚」も「マダム・エドワルダ」も結局、中条省平(コミック版失時の翻訳者ですね)
の「目玉の話」の方で親しむことになりましたが
プレミアがついていたので迷いましたが、他にこの人のエッセイ集
みあたらなさそうなので注文しました
なんか ひらがなのタイトルからして好事家向きっぽいけど
久しぶりに来てみて愕然、文学板の住人が入れ替わったのか 書き込みのレベルが話にならないほど落ちたな
という誰が見ても無能な書き込みに愕然orz
アセンションへ。 サントブーヴに反論するとRTPの違いは作品の構成にあり、 前者はあくまでも評論部分最終部を成し、「母との会話」という形式のもとに プルースト自身の芸術・文学観を表明することが本質だっだった。 後者は、「仮想舞踏会」というタイトルを持つ場面が大円団となる。 そこではほとんどすべての作中人物が再登場し、まるで老人に仮装したかの ような老いた姿で現れることによって時間の破壊作用が表現される。 それとともに芸術・文学による救済が志向されることにより幕を閉じる。 ということでいいか?
サント=ブーヴに反論するについての書誌は、以下の通り。 当初計画していた『サント=ブーヴに反論する』はどのような作品であったかは、 1954に刊行されたベルナール・ド・ファロア版では、物語と批評を合わせて刊本を 編集している。別のピエールクラックによるプレイヤッド版は文芸批評のみを 収録している。読みやすくするために恣意的な変更を行ったという重大な欠陥はあるものの、 物語と批評を合体させたファロア版の方がプルーストの意図に沿ったものであったことは今では明らか。 しかし、二種の編者が考えていたよりも、サントブーヴに反論するという構想のもとでの創作期間は長く 1910年春までは続いているので、ファロア版よりももっと多くの物語が含まれるべき。 でもそうなるとRTPの決定版とかなり近い作品になる。そこでファロア版は初期の草稿の物語を 収録しているが故に、読者にとって新鮮な魅力がある。
>>52-53 そこが俺は当初から気になってるところだね。
最初、なぜ物語と批評を合体させたおかしな怪物を構想したのか。
しかもサント=ブーヴという評論家についての批評という体裁をとって。
吉田誠の本によると、1908年ではまだプルーストは、
小説になるのか随筆になるのか、「作家本人にもわかっていなかった」とある。
母の死は05年だけど、その前年の04年はサント=ブーヴ生誕100年で、
世間の礼賛風潮に対して文句を言いたかったらしい。それにしても、
それにしても、クロニカルな批評(CSB)から 大文字のTempsを求める、普遍的な小説(RTP)へとは、 スムーズに生成していったわけではないとしても、 これはとても奇妙なことだと思うね。 しかもCSBの前にはジャン・サントゥイユがあるんだから。 それほどサント=ブーヴという存在は大きかったのかねえ。
>>55 おい、前スレのアセンションの宿題を早い夏休みの宿題を
終えたのに、次の宿題か?
とりあえず、ちくま文庫版の『サント=ブーヴに反論する』の注釈1を
開いて、何版を翻訳したものかとその他のことを読んでみろ。
>>56 わるいわるいw少しこのあたりにとどまろうか。
どの地点での「プルーストの意図」を重んじるかによって
1971年のプレイヤッド版がいいのか1954年のファロワ版がいいのかは、
言いにくいんじゃないかな。というよりもその判断は俺にはできない。
物語と批評を合体させたものの構想があったにしても、
その構想を活かすために自由に切り貼りしたファロワ版は
魅力と同時にリスクも抱えているんじゃないだろうか?
>>57 その回答は、ファロワ版と旧版のプレイヤッド版を読むしかない。
>>57 >1971年のプレイヤッド版
???54年じゃないの…
>>50 >>51 文学版がレベル高かったことなぞねーぞ
インチキくせー
いつ頃のどのスレが具体例を挙げてみてくんろ
是非読みたいから
>>58 まあそういうことだね。しかしプルーストは、
「物語と批評を合体させた」奇妙な怪物に仕立て上げなくてよかったよw
失時の略がRTPに変わっておるな
でもそのこけおどしを除くと
ファロア版(1954)とプレイヤッド版(1971)のごく表面的な違い(作者ならぬ編集者の編集方針の違い)
「見出された時」における、時の破壊作用といったごく一般的なことしか言ってない、と。
ただ 草稿を含めた作品の生成過程を是非実地に味わってみたいと誘うには十分だ
ことに
>>53 (独り言)
うーん 生成過程 プルーストの魅力にもっと浸りたかったら 結局 新プレイヤッド版 さらには直接 草稿にあたれという ことになってしまいそう 全く正しいのだが (フランス語の能力の問題もあるし 自筆草稿にいたっては 吉田城すら 当初は全く読めず 茫然としていたようだ) とりあえず 手元にある筑摩の全集はもっと覗いてみるか 周辺本の話は許せ
コテの方々のおかげでのぞいた海外文学綜合スレ(データ落ち) でみつけた野崎歓「異邦の香り」とどいたので、ちょっとネルヴァル に寄り道してくる 文学的な料理スレ すごいおもしろい 楽しませてもらってます
海外文学総合スレ、に漢字訂正 本の山から吉田城・典子夫妻の (でいいんだよね 「プルーストと身体」にも文章書いてるし) 「教養のためのフランス語」(大修館書店、1991)ってのが 出て来たのでフランス語の初歩 再確認してみます
>>59 そう、旧版プレイヤッドは1954年、「サント=ブーヴに反論する」の
ガリマールからの出版は1971年。
>>64 08年から出版が始まった、カイエも必読。
・2008. CAHIER 54 Volume I-II, Cahiers 1à 75
de la Bibliothèque Nationale de France, Brepols.
・2009. CAHIER 71 Volume I-II, Cahiers 1à 75
de la Bibliothèque Nationale de France, Brepols.
>>64 追加です。フランス語が読めるなら。下記も推薦します。
私の読解力では、解説を上手にやる自信はないです。
・John Porter Houston,1980.
« Les structures temporelles dans A la recherche du temps perdu »,
in Recherche de Proust, Seuil, « Points ».
カイエも相当な量らしいね。 生成過程をすべてあたるのは研究者の領域だろうけど、 個人的に関心のあるいくつかのモチーフは知りたいな。
アセンション、世の中に絶対は絶対ないけど、カイエは翻訳されることは ないと思うよ。だからこの領域になると原文にあたるしかない。
売国組織、犬hkを解約する方法
http://www.youtube.com/watch?v=DPS2LFunUz8&feature=related ただし一般郵便だと無視される可能性があります。
とぼけられないように一般書留+配達証明=770円で郵送したほうが確実です。。
これをすると、犬hkから電話がかかってきます。
丸め込まれないためにも、理論武装、犬hkの不祥事事件の知識が必要となります。
十分に準備を整えてから実行しましょう。
私の実際の経験では、1時間ほどの電話×2日ほど掛かりました。
あまり好きな手段ではないのですが、担当者の胃に穴を開けるつもりでクレーマーに徹しました。
デジタル移行の今がチャンスです。
73 :
名なし :2011/07/26(火) 17:54:05.04
>>48 >>49 >プルースト好きが好きそうな作品
「この百年の小説」、「るさんちまん」を紹介したのは、昔の文学好きは
日本文学(古典、近代、現代)外国文学をどれでもよく読んでいたという
ことです。生田さんの本は、強烈な彼の趣味が今読んでも面白かったから
いれました。
本家のプルーストを扱ったもので読んでるものは、
ジュリア・クリステヴァ『プルースト 感じられる時』筑摩書房
ジェラ―ル・ジュネット『物語のディスクール 方法論の試み』風の薔薇
『フィギュールV』 風の薔薇
『フィギュールU』 水声社
などです。
>>71 まあそうだろうね。
とりあえずは吉田誠の研究本などでくすぶる炎をなだめるしかないw
>>21 >ベケットのプルースト論
少し前に話題が出た吉田健一がひいてるフレーズの部分はこんな感じです。
プルーストの記憶はよくなかった――彼の習慣が役立たずであったように、
そして、彼の習慣が 役立たずであったがゆえに。
記憶のよい人間が何も思い出さないのは、 忘れるものが何もないからである。
(白水社・高橋康也訳)
この前に「記憶」と「習慣」をめぐる濃密な考察。
そして最後はショーペンハウアーを引き合いに出しながら
ヴァントゥイユの音楽をめぐって〆。すごく硬質なプルースト論。
>>74 それよりも本編を精読することじゃない?
専門的なことをやるのはいいけど、指導者がいなくてやると
糸が切れた凧のようになるよ。
一日romしていたが、長文じいさんはどこかへ行ってしまったようだ。 まずは慶賀を言祝ごう。
>>75 引用どうもです。
読んだことないことがはっきりしました。
「ジョイス論・プルースト論」ですね。
読んだのは、ベケットではなくてラポルトの
「プルースト/バタイユ/ブランショ――十字のエクリチュール」
でした。
日本語の書名に複数の作家名が列挙されていたという記憶だったので
ごっちゃになったようです
>>77 そんなしょっちゅうへばりついていたら
仕事にもならないし読書もはかどらない
野崎歓「異邦の香り」を読んでいた
あと吉田「草稿研究」の続きも
過去スレで原文(綴り間違いが多い)の引用されていたた
語り手の母とのサン・マルコ寺院洗礼堂のシーン
「母の墓廟」等そうかそういうことだったのかと目から鱗が
落ちることばかり
>>79 そのままアンタが落ちて消えれば良かったのに
>>80 生まれざりしならば、むしろ彼にとりてよかりしものを
>>80 冗談だけど。やっぱり解説なり研究本を読んで、ああ分かったなんて
いうのは、文学を読む楽しみじゃなくて、理屈を読んで楽しんでるようにしか
見えないわけ。
>>76 が言ってるように、RTPを精読し楽しむのが何よりもじゃないの?
ちなみに、RTPはこけおどしなんかじゃなくて、失われた時を求めての略語として
普通に使われてるものだよ。失時なんてみっともない略語はまっぴらごめん。
>>84 悪いけど 君の方が屁理屈・挙げ足とりにしかみえない
前にも言ったように君はそれをやってないと自分の存在が確認できない
かわいそうなやつなのかもしれない
文学を読む楽しみの中にはそれが言語でできている以上
理屈っぽいところあるのは当たり前
(というより 吉田草稿研究では
西洋史 西洋美術の蘊蓄に教えられるところが多かった
洗礼堂のヨハネ伝のモザイク画 カルパッチョの絵
ヴェールをかけてやることの西洋的意味 等等)
再三言っているように 読みには 言語を持っちまった
人間の営みに関するものすべてありだ
理屈っぽい楽しみはもちろん一部だ
俺は論文を読んで すべてがわかったかのような書き方はしてないよ
RTPが普通に使われている略称であろうことなどは百も承知だよ
ただ、このスレの文脈でいきなり使われるとコケオドシ的にみえるだけ
(日本の本では大抵 T U V と(新)プレイヤド版の巻数しか
書かれていない あとJS このスレでもおなじみのCSB
例えば 鈴木道彦「プルースト論考」)
>>RTPを精読し楽しむのが何よりもじゃないの? これについては全く同意 二読目が「ゲルマント」でとまって なかなか進まない 集英社文庫版の「ソドムとゴモラ」 1と2を買ったつもりが 間違って2を2冊買っていたようでちょっと落ち込んでる ハードカバー版や井上訳はあるのだが あと「スワン家のほうへ」1は本が痛むくらい読んだけど 今回 本の山から見つからなかった 松浦の解説の件 話に参加したかったのだが残念
>>85 それこそ前に書いたと思うが、RTPは近代西洋の絵画、宗教、風俗、もちろん
文学などの広範な知識がないと読み込めないところがある作品。
だから、まず精読してみる。
幸い鈴木さんの訳は、ものすごく注が充実しているので、次に何を参照して
理解をより深める勉強をすればいいかとても進めやすい。
で、そういう下準備をした上で、自分の興味を、持ったことの論文・研究書を
読めば理屈ではない水準で楽しめる。(CiNii論文検索をかけて、どんな論文が
あるかを調べて、当該のものを読んでみることは、楽しいと思うよ)
言いたかったことはそんな事なだけどね。
>>87 そうそう ヴェネチアでのサンマルコ洗礼堂の箇所も
吉川一義「プルースト美術館」の該当頁が訳注
で紹介されていた
手元にあるはずなので探していたところ吉田草稿研究
にもモザイク画とカルパッチョの聖ウルスラ伝のことが
のっていて胸のつかえがとれた感じがしたのです
小説の進行としては母親とヴェネチア旅行をしている時点が今現在なのだけど 語り手が語っている時点はすでにその母親が死んだあとであるという切なさ 最後の一節が接続法現在のCe sois ma mere(アクサン省略)ですね。 その辺 拙いフランス語を勉強して ちょっとでもより味わえるようにもしたい
>>89 ガリマールからだしている、folio版だけど朗読CD買って聞いてみたら。
やたら早口で最初テキストを見ながらでも追ってけないだろうけど…。
言葉だから耳から入れていくのが、上達の早道になると思うよ。
>>9 0
ありがとう。探して入手してみるよ。
吉川一義による「スワンの恋」抜粋の対訳本附属のCDも
ろくに聞いていない状態だけど
長文じいさんが、何歳か知らないが10代を超えているなら、若かりし頃 英語の授業は寝ていても通信簿の点が良かったという資質がなければ、 今からフランス語の習得はかなり難しいと思います。 ケチを付ける気はないが、動詞の活用表どれだけ覚えられますか? 私からの、お薦めは、Valery Larbaudの、「恋人たち、幸せな恋人たち」の原書から やってみてはどうでしょうか。惚れ惚れするフランス語です。
96 :
吾輩は名無しである :2011/07/27(水) 20:02:44.93
>>85 >再三言っているように 読みには 言語を持っちまった
人間の営みに関するものすべてありだ
理屈っぽい楽しみはもちろん一部だ
エクリチュールと無縁の屁理屈。つまらん
97 :
吾輩は名無しである :2011/07/27(水) 20:17:27.55
>>95 おめえみてえのをおせっかいのバカっていうんだよ。
で、お薦めの「恋人たち、幸せな恋人たち」っての、原題はなんてんだい?
それをいわなきゃ屁のつっぱりにもならねえだろうが。
98 :
吾輩は名無しである :2011/07/27(水) 20:21:37.14
>>97 フランス語読めないあなたに書く意味なし。
そして、訳本を読めばなかに原書名は書いてありますけどwww
100 :
吾輩は名無しである :2011/07/27(水) 20:30:04.46
なんだ、原題しらないってこと(びっくり
101 :
吾輩は名無しである :2011/07/27(水) 20:35:03.88
>訳本を読めばなかに原書名は書いてありますけどwww たしかに原書を薦めるのにこの書き方は異様。 題名を知らない本を推薦するのも不思議。読んだけど、表紙が取れてたとかw
Amants, heureux amants... だったと思うよ。
>>100 >>101 は、長文じいさんなんですね。
いい歳してフランス語の習得なんて、無理ですから。
ましてやプルーストを日本語並に読めるようになんて、まず無理ですよ。
>>76 まあそうなんだけどね。
俺はもともとの根無し草だからw
>>78 ラポルトの本を読んだってことは
ブランショなんかも読んでるの?
『来るべき書物』所収の「プルーストの経験」とか。
でも、長文じいさんのプルーストのことをもっと知りたい、という 探究心は感心します。私は、アセンションにも本編を熟読することを 奨めているいるのは、研究者の著作を読んだ時、必ず「読み」の可能性を 知らされるからと思ってます。(先行研究まで、読むことなんてしないでしょうから 論文の本質は分からないのですが) ヴァレリーラルボーを、お薦めしたのは、端正なフランス語ならば、 構文を逸脱しても書れている、プルーストの破格な文章を読むよりも ずっとフランス語の理解が深まると思うからです。 でも、 >おめえみてえのをおせっかいのバカっていうんだよ。 というなら、確かにおせっかいですね。
107 :
吾輩は名無しである :2011/07/27(水) 22:02:24.73
プルーストの文章は破格じゃないですよ。 キッチリした正確な文章で、どこも破れていない。 センテンスの息が長いのでフランス文になれないと意味がとれなくなりやすいだけ。 難解という意味では、はるかに晦渋、破格の文章の作家は特に20世紀前半、ざらにいます。
>>107 そうですか、ならここで長文じいさんやアセンションの原文の疑問を
答えてやって下さい。宜しくお願いします。
109 :
吾輩は名無しである :2011/07/27(水) 22:13:20.57
おせっかいというのはそこじゃない。 ラルボーを薦めるまえに、学んでも無駄だと言いきってることだよ。 勉強しようとしてる人に心ないおせっかいを焼くんじゃない。 そしてバカというのは、無駄だと言い切ったらそこでやめるのが論理的スジなのに、 自分はできると言いたいためにラルボーなど持ち出さずにいられない浅はかさだ。 しかも自分も読んでいないテキストを薦めたことが瞬間的にばれてしまってw
プルーストとブランショ、大好き度で言ったらブランショですね。 読んで気が狂いそうになった事があります。
>>109 >学んでも無駄だと言いきってることだよ。
勉強しようとしてる人に心ないおせっかいを焼くんじゃない。
プルーストは日本語並には読めるよにならないですよ。
ほぼ間違いはないと思います。しかし、負けず嫌いのあなたなら、
ラルボーの紹介したものは、たぶんプルーストよりは読めると
思います。理由は下に書きます。
>そしてバカというのは、無駄だと言い切ったらそこでやめるのが論理的スジなのに、
自分はできると言いたいためにラルボーなど持ち出さずにいられない浅はかさだ。
だからさ、この下読んでね、負けず嫌いの長文じいさん。
>自分も読んでいないテキストを薦めたことが瞬間的にばれてしまってw
残念でした。2年の教科書で使ったものです。
つまり、習い始めて2年目で読めるようなものだということです。
じいさんでも、たぶん読めるようになると思うよ。
そういえば、佃煮はくるが鈴木はとんと来なくなったなぁー。 元気にしてるのか…。
召還するな
>>112 ほかで元気にやってるよw 雑談スレとか料理スレにいる。
>>110 何読んだの?
ブランショのプルースト論にはジャン・サントゥイユのことが出てくる。
あれもベケットのプルースト論と同じくらい高密度なんだよなあ。
>>94 原書など読めるレベルでないしね
大学のころ、メルロ・ポンティのゼミに入ったものの全然フランス語の勉強しなかったので
自分の回に別の人に事実上訳してもらった
アテネフランセの支店であれば、通ったことあるので知ってた
といってもそこが欧明社というのは今日気づいた
>>95 4年くらい前アテネに通ったがそのときは活用表かなり覚えたな
半年ほどだが、大学で2年間ふまじめにやったドイツ語(一応A)
よりはいったんは上達したと思う
その後 通うのをやめてしまい(もともと友人につきあった形だし)
さぼったのでまたやり直しているが
英語ですら すらすらと原書が読めるわけでない
ただ いざというとき原書にあたれ 文法構造や動詞の時制の
ニュアンスが肌で実感できなくても文法書読めばなんとなく
そういうことかとおぼろげにわかる程度まではやっておきたい
紹介された本 念頭においておきます
>>114 「私についてこなかった男」を読んで精神を病みそうになりました。
怖い怖い本です。
外国語に堪能でない者には吉田秀和の「失われた時をめぐって」の 次の一節など実にうらやましい >この小説の中で話しあう人びとの言葉が、書いてある言葉として 目に入るのではなくて、話し声として聞こえてくる。ある人は歌うよう に話し、ある場合は低く抑えられた囁きとして、ある時は声というより 喘ぎでしかない響きとして。すべてが、特定の抑揚、特定の音色をもっ た音である。あのフランス語特有の旋律、フランス人仲間で話すときの せきこみ方や間の置き方。こんな室内楽をきくのは、プルーストでは、 はじめての経験だった。
ただ、岩波文庫の「ポー詩集」解説での訳者の次の正直な告白 (ポーの詩には、「甘い常套句や剥きだしの感傷句」があり母国語圏での 評価は必ずしも高くないといったことを書いたうえで) >私は幾十年と英語にかかわってきた者だが、いまだに(英語の)詩の中から ダメ句やヘボ句を、感傷的常套句や粗野で無趣味な語法を、感じ取れない。 訳者の加島祥造は「荒地」派の詩人でフォークナーはじめ英米の文学作品を 長年にわたり多数翻訳してきた人 (近年は 老子の翻訳、伊那谷のタオイストとしての彼の方が有名だが) その彼ですらこのように告白しているのだ しかし、それでも「ある純粋な心情からの叫びや音楽に貫かれた詩」は 「心を打つ」のであり、だからこそ、ボードレール、マラルメ、ランボー といったフランスの詩人たちは(本スレに即せば多分プルーストも) ポーの詩に感動し、影響も受けたのだ。「私たちもまた、ポーの詩の よさを私たちなりに味わえるのだ」と締めくくるのだけど。
>>124 実は現代日本の翻訳家は、そのようなことよりも別の議論で
苦労している。
それは、作者(原文)重視から読者重視へという流れがある。
>124で語られていることは、母語でない者がいくら訳出しようとして
限界のあることは間違いない。しかし、本国の研究機関への留学で
現地の研究者と伍して研究に励んだものたちは、かなりの部分で
それを克服したといってもいいだろう。(一般の者が、ヨーロッパへ
行き本でしかしらなかった彼の地を現実にみてから、そうとうな変化を
生んできたことも勿論のことだ)
しかし、翻訳はあくまでも原語が読めない人たちを相手に行われる
ものであるから、英文解釈にぴったりと間違いなく合わせた翻訳を
評価することは、今ではあまりなくなった。そこには読者を重視して
翻訳をやるという課題がある。
>>125 なるほど
本国人はだしの研究者となる人のいる一方で次のような決意をする人もいるのだな
人それぞれ 自分に合った道ってことか
(仏留学中、指導教授にネルヴァル「東方紀行」について書いた文章を評価され、
活字にしてもらい、シンポジウムの招待切符を譲られるほどかわいがられるも)
>その中でぼくが、フランス人研究者と同等の立場で、いわば「国文学者」として
研究を続けていこうと決意することはなかった。フランス語での発信は今後も心
がけるとして、しかし自分の表現言語は日本語だという思いが留学期間をとおして
定まった。フランス文学を日本語に訳し、日本語でフランス文学を論じる。そうやって
二つの文化のあいだを漂うのが自分はふさわしいと悟ったのだ。
野崎歓(1959生)「異邦の香り」(講談社、2010)のあとがき
>>126 野崎の勤める東大には、同じ仏文で中地というランボーの研究者がいるけど
野崎が畏怖している怪物のようなフランス語使いらしい。
>>128 >>127 の出典は、「英語のたくらみ、フランス語のたわむれ」東京大学出版会 2004を
ご参考あれ。
131 :
130 :2011/07/28(木) 07:54:45.37
その本、日曜日に注文済みで今日届くわ ちょうどよかった
132 :
吾輩は名無しである :2011/07/28(木) 14:42:32.33
今日届くわ ちょうどよかったわ うふん
>>119 やめたほうがいいかもよw
>>120 他
ラルボーって名前久々に聞いたなあ。
みんなプルースト論ではどんなの読んでるんだろう?
バルナブース全集文庫化してくんないかな。
134 :
うふ〜ん :2011/07/28(木) 16:05:19.24
>>133 古いところではNRFのジャック・リヴィエールによる「フロイトとプルースト」
プルーストに関することだけじゃないけど、プルーストの研究者として高名な ジャン・ミーの「テクストの詩学 (現代フランス文章読本)」行路社1998は 面白かったな。
NRF(ブルブル)にジャン・ミイーか〜 プーレ「プルースト的空間」は読んだけどあまり記憶にないw
テクストの詩学の翻訳者は、ミーの教え子の上西妙子(神戸女学院大学)
ブランショは「プルーストの経験」の中で ジャン・サントゥイユを捨てたからこそRTPを書けた、という。 同じようにCSBを批評と物語を合体させたものに仕上げなかったからこそ、 RTPを書くことができたといえるんだろうね。 断捨離じゃないけど、捨てることは大切なんだなあ。
>>!24
マラルメの名があったので、「生成するマラルメ」を本棚から引っ張り出して
昼休みに読み直してみた。柏倉さんやっぱりすげ、と改めて再確認した。
>>139 というか、プルーストは書きたいことがあり、それがどんどん新たな
表現形式を内的に求め、RTPに行き着いたと見た方がいいんじゃないかな…。
でもさ、プルーストはフローベールにしろ何にしろ 30歳までにかなりの小説を読んでたわけでしょ。 ジャン・サントゥイユがフラグメンタルな形式に留まったのは 若さから仕方がないことだとしても、30歳を過ぎた1900年代に 批評と物語の合体形式を構想するなんて普通はありえないと思うんだよ。
>>137 プーレの「プルースト的空間」は前スレでベルクソンとプルーストの違い如何といった
話題が出たので読み返したのだけど、かつて読んだとき同様あまりぴんと来なかったです。
そのうち記憶から消えるかなw
プルーストが隠喩に次ぐ隠喩、ないしアナロジーに次ぐアナロジーを駆使し大長編小説
という芸術作品の形で伝えるしかなかったことを論理的にコンパクトにまとめることがどだい
無理な相談なのかなと
4巻のうち、初めの2巻しか翻訳されていないけど、同じ著者の「人間的時間の研究」
(筑摩叢書)も入手してみました
一応、時間と空間を揃えてみたというわけ
143 :
142 :2011/07/28(木) 23:02:06.48
記憶から消えないうちに無理やりまとめておくと 「プルースト的空間」の序で時間と空間の関係につき、プーレは次のように言っています ベルクソンは時間を空間に変容することを非難し、かつ拒否している プルーストは、その変容を受け入れ、そこに安住し、さらには極限までおしすすめ 究極的には彼の芸術原理のひとつとしている。 「ベルクソンが断罪している誤った並置や知的空間に対立するものとして、ある正しい 並置や美的空間があるのであり、そこではたがいに秩序づけられた、さまざまな瞬間と 場所が、忘れがたい、讃嘆すべき全体として芸術作品を形成することになる」と。 本論は基本的にその具体例による検証です。 RTPのみならず、JS、CSBからも引用される 前にこのスレで出て来たヴィボンヌ川の流れ、水源もその例でしょうね プーレの著作でも、川に沿って行く散歩、すなわち旅という文脈ですが 触れられています 結論 プルースト的時間とは空間化され 並置された時間である RTP中で時間は第四の次元と書いてあることに欺かれるな 補遺に「ベルクソン――瀕死者のパノラマ的な幻像の問題と並置」
144 :
142 :2011/07/29(金) 00:13:46.56
この本、表題はプルースト的「空間」だった。 RTPでrechercher(探索)されているのはtemp(時間)だけれど 表題に沿った方の結論 >プルースト的空間は、かれの小説のさまざまなエピソードがそれぞれの関係に >したがって配分されている秩序によってつくられた終極の空間である。 >こうした秩序とは、それぞれのパネル画を互いに結び、さらにそれを祭壇画全体 >に結びつけている秩序と異なるものではない。 >多くのエピソードが並び、それ自体の空間を構築しており、それがまた芸術作品 >の空間なのである。
プーレの分厚いやつはどうも手が出ないなあw
>>143 そうそう! 何となく思い出してきた。
だからこの間話の出た松浦のいう吉田健一的時間っていうのは、
空間化されてないベルクソン的な純粋持続としての時間に近くて
プルースト的な空間化された時間というのと対置されるんだと思う。
簡略化していえば、流れの時間(吉健)と淀みの時間(プルースト)。
146 :
144 :2011/07/29(金) 00:17:32.89
× temp ○ temps
148 :
147 :2011/07/29(金) 00:44:28.20
そういえば前スレで問題になったのは同じ知性批判なのに プルーストとベルクソンはどう違うか でしたね。 「プルースト的空間」の序にでてくるベルクソンの知性批判のまとめ 知性は、空間の中に時間を投影し、存在のありのままの連続性をある種の精神的空間 に置き換え消滅させてしまう傾向を有する そこで、こうした「知的空間」を破壊し、直感によって「純粋持続」へと立ち戻る必要がある。 すなわち、「存在が尽きることなく変化するその特性を精神に明らかにしている、あの つぶやくような旋律」へと立ち戻る必要がある
>>147 ほんとだ、短めw
国文社の箱入りの重厚な2巻本は古本屋で見上げたことしかないなあ。
>>148 プーレ=ベルクソン的にいえばプルーストはやはり知の作家で、
それはいいと思うし、ベルクソンがやろうとした方向性はわかるんですよ。
ただし、松浦が吉田健一から引き出そうとして
プルーストに対置しようとしたのはどうも違和感を感じる。
というのも、おそらく純粋持続そのものとしての時間はうまく描けないと思うから。
>>150 松浦の解説のある巻がどうしても見つからないので歯がゆいですが
人間は、基本的に 時間を空間のアナロジーでしか把握できないように思うんですね
例えば 暦だって 天体の運行がもとになっているわけだし
ここからは独り言
相対性理論まで行くとどうなのかなってのあるけど
小林秀雄のベルクソン論「感想」は相対性理論まで持ち出してくるけど中断され
本当は門外不出となるはずだった 雑誌に発表しておいて不出もないものなのだけど
小林による「感想」の全集への掲載禁止は ベルクソン自身にならったものだったけど
似て非なるものだった
>>151 >時間を空間のアナロジーでしか把握できない
そうそう。画家がキャンバスに流れてる川を表現できないもどかしさにも似て。
松浦解説との絡みは、また見つかったときにでも改めて。
153 :
151 :2011/07/29(金) 01:20:16.42
>>152 そうですね、また寝不足になってしまいそう
独り言続き
そういえば 小林の初期の文芸時評のタイトル「アシルと亀の子」という題も
アキレスが亀と駆けっこをするという例のゼノンのパラドックスが出典
ここでもおそらく時間は距離(速度)・方向という形で空間的に把握される
哲学の時間論って、どうもつきあいきれないところがあるのだけど
>>150 松浦に、その名も「物質と記憶」というタイトルの本があるのを思い出した
昔はファンだったからなあ
>>139 同じようにCSBを批評と物語を合体させたものに仕上げなかったからこそ、
RTPを書くことができたといえるんだろうね。断捨離じゃないけど、捨てることは大切なんだなあ。
なぁ、アセンション。プルーストは、1904年父1906年母を亡くし、持病の喘息のために
長く生きられるとは思っていなかった。
とりあえず創作というよりは自らの文学観を表明すべく「サント=プーヴに反論する」という
仮題をつけた文学批評を書き始めた。
物語部分と評論部分とから構成される独自な形式を持つ同作は、物語部分が拡張することにより
1909年夏頃において既に小説へと変貌していた。その頃から出版社を探し始め、同年秋には
タイプ原稿も作成している。つまり執筆を開始してからわずか一年で完成されるはずのものだった。
当初は当然のごとく一巻本の予定であったが、まだ無名だったプルーストの風変わりな小説を刊行してくれる
出版社はなかった。1913年11月グラッセ社から第一巻「スワン家の方へ」を自費出版した際には、
三巻本となる予定だった。
という歴史に即した理解ではダメ?
さてその続き。RTPのその後は、まず、第一次世界大戦の勃発が出版を中断させる。 実人生におけるアゴスチネリとのドラマがアルベルチーヌという ヒロインを生むことになり、「ソドムとゴモラ」のテーマが大きく膨張するとともに、 戦争の挿話が同テーマとからみつつ大円団を用意する。 「ソドムとゴモラ」以降は死後出版となるが「失われた時を求めて」という総題を 持つプルーストの小説は七編11巻本へと大きく成長した。
>>153 アナログ時計も時間の空間化だよね。
>>154 松浦は少し読んだことがある程度だけど、嫌いじゃないよ。
小林康夫とか宇野邦一とかの評論はわりと読んだかな。
>>155 パネル画というとC・シモン「三枚つづきの絵」を思い出すね。
>>158-159 なるほどね。そういう理解は一応できるかもしれないね。
まあプルーストは実際に長生きはしてないけど、
30〜40歳で自分の寿命に対して意識してたのかな?
もしそうだとして、俺だったら評論はすぐに捨てて
小説一本でいこうと考えるけどなあ。
>>161 これが研究者の見解だよ。
つまり、一年で最初の構想から小説に転換してったたが、出版が出来ない。
(有名なジッドの最初の評価とかで)
そして、大戦が始まった。それからは、ご案内の通りの生活で小説を
死ぬ寸前まで書き続けた。…小説一本でやったんですよ。
>>162 1909-10年以降、死ぬまではそうだね。
もしかしたら評論家としても生きていける才能はあったかもしれないけど。
>>163 でもさ、今日08年から出版が始まった「カイエ」を友だちの研究室で
見たけど、あれは日本人には出来ない作業だね。
もう、いくつか「カイエ」をもとにした生成過程の論文がでていてさ、
ま、イメージでいうと丼に山盛りの飯をもって卵をぶっかけて立ちっ放しで
読むようなことしないと、読んでいるのが辛いとこある。
>>164 おー、カイエすげー。フランス人でも辛いんじゃ?
>>165 ありゃー、普通のフランス人読まないんじゃないかな?
知ったかだけど…。
>>167 そうだよ。だって日本でも夏目漱石の草稿が出版されたって
一般の人は買わないだろうしね。
>>166 「エッフェル塔試論」は未読だなあ。小説はあまり好きじゃない…。
RTPのメモ帳のようなもので、まったく脈絡なく書かれていて、しかも 書かれている上から紙を貼り付けてまた書き込んでいる。 RTPの全編が頭に入っていて、これはどこのことか「カイエ」を 読んでいて見当がつくくらい読み込んでいないと、到底読んでいられない。
171 :
吾輩は名無しである :2011/07/29(金) 21:27:55.23
「ヴァントゥイユが同じ一つの楽節を何度も取りあげ、それをさまざまに変化させ、リズムを変えたり 最初の形のままふたたび持ちだしたりして戯れるときには、これらの類似は故意のもの、知性のつくり だすもの、したがって必然的にうわべだけのものとなり、異なった色彩や別々の二つの傑作を通しては っきりあらわれる類似、意志によらない隠れた類似のように、胸をうつことは絶対にありえない。」
__,,,,_ /´  ̄`ヽ, / 〃 _,ァ---‐一ヘヽ i /´ リ} | 〉. -‐ '''ー {! | | ‐ー くー | ヤヽリ ´゚ ,r "_,,>、 ゚'} ヽ_」 ト‐=‐ァ' ! ゝ i、 ` `二´' 丿 r|、` '' ー--‐f´ _/ | \ /|\_ / ̄/ | /`又´\| |  ̄\ 皇太子様がこのスレに御興味を持たれたようです。
175 :
吾輩は名無しである :2011/07/29(金) 21:41:38.76
「ある音楽家の思考と、ヴァントゥイユが行なう永遠の探求、彼がじつにさまざまな形で自分に発した 問いや、常に行なう考察、これらのあいだにあるちがいこそ文字どおりのちがいである。そのヴァント ゥイユによる考察は、まるで天使の世界で行なわれるように、分析的な論理形態を取り払ったもので、 だから私たちはその深さを測ることこそできるが、人間の言葉にそれを移し直すことは不可能だ_」
177 :
吾輩は名無しである :2011/07/29(金) 21:55:18.03
「予見の力、この名を、私が仕事に用いる二つの崇高な機械に結びつけないわけにはいかない。キャメ ラとテープレコーダーよ、どうか私を連れて行ってくれ、すべてを紛糾させてしまう知性から遠く離れ たところへ。」(シネマトグラフ覚書)
>>167 宮澤賢治は例外かな
厖大な草稿が遺されるにはいくつかの条件が必要と思う
>>178 たださ、吉田さんがフランスに留学してすぐ乗ったタクシーの
運ちゃんが、RTPについて語ったんだってさ。それで吉田さん
驚いたという逸話がある。
日本のように、ベストセラー本を読んだ?とかいうのと違う
読書環境があるのかもしれない。
>>173 >>171 はプルーストの知性批判の箇所ということで
このスレの最近の話題とシンクロしているように感じたが
類似(アナロジー)についても意外性(不意打ち性)・無意識性、
なんらかの発見・驚きを伴うことが「胸を打つ」条件
と思ったら 次から次へと引用が
でも知性批判、言葉なき音楽への憧憬・羨望 って点で一貫していますね
>>180 ふーん。もう少しコメントをいれてくれると、頭が悪いワシでも
分かるかもしれないんだが、抜き書きだけだと…
>>179 そのエピソード最近読んだけど、どこに出てたっけ
吉田さんのフランス語を受講した友人から聴いた。
>>183 そうかあ でも 確かにここ数日内に活字で読んだ覚えがある
ちなみに、授業で聴いた友人40歳超えてるよ。
最近はプルーストbotを読んでいます。
187 :
吾輩は名無しである :2011/07/29(金) 22:24:02.90
「実はこの場面が『失われた時を求めて』全体を支える要の位置を占めてもいるのである。それは、こ こでヴァントゥイユの七重奏曲が演奏されるからだ。(中略)しかし本巻ではこの七重奏曲の演奏を通 して、音楽とは何か、芸術とは何か、という問題が鋭く追求されることになる」(鈴木道彦/はじめに)
>>187 全13冊のうち10冊目 囚われの女U ですね
189 :
吾輩は名無しである :2011/07/29(金) 23:29:07.76
源氏と『失われたとき』との共通点はいろいろある。 その一つが、作品の中で音楽が果たす役割である。ヴァントゥイユの七重奏曲や ヴァグネルの作品が重要な役割を演じることは言うまでもないが、 紫式部もプルーストに勝るとも劣らない、音楽通である。源氏は明石の上をまず松風か波の音かと聞き惑う 箏の演奏を通じて知る。源氏が明石の上に興味を覚えるのはその少し古風な演奏によってである。 紫式部もプルーストと同様に音楽の流行に敏感である。最も源氏の音楽は今で言えば即興を重んじるジャズに似ているように思われる。
>>189 >源氏の音楽は今で言えば即興を重んじるジャズに似ているように思われる。
学生時代 長唄をちょっと齧っていて発表会に来てくれた友人が フリージャズに
似ていると感想を述べたことを思い出します
多分 合いの手 三味線同士の掛け合い 歌と三味線の掛け合い をそう感じた
のではないかと
邦楽といっても 平安時代より全然新しい江戸時代の音楽ですが
一時 西洋音楽は右脳で 邦楽は虫の声同様左脳で聴かれるなんてことが言われましたね
紫式部の時代に鳴っていた実際の響きを我々は古代ギリシャの音楽同様 聴くことが
できないのは残念です(パニアグワのような試みはありますが)
プルーストの場合 彼が聴いたカペーSQによるベートーベン後期の弦楽四重奏曲等
を曲がりなりにも録音で聴くことができるのに
プルーストのほかに源氏まで読んでいる人となると限られてくるかもしれま せんが(「源氏」のゼミや講義の単位取っているのに完読していません。 プルースト好きへの入門は丸谷才一・大野晋「光る源氏の物語」中公文庫上下 がいいかな。ほどよい長さの原文に訳がついていること、西洋文学に造詣の 深い実作者と柔軟ですぐれた国語学者によるコラボ等)。 でも、中村真一郎の名前も出て来たことだし。 >眠りの深さと目覚めの全一性(totalité)。これは私の乏しい読書経験 でいえば、『源氏物語』に匹敵する始まりである。…… 私には、この二つの作品は、共通性よりちがう点のほうがはるかに多い としか考えられない。だが私は、この二つの大小説の時間の構造の同質性 という点からではなくて、夢の深さとその夢の中の目覚めの完全無欠さと いう点から――そのほかの多くの相違にもかかわらず――この二つを並べず にはいられないのである。(吉田秀和「失われし時をめぐって」) 夢・眠りの深さは、無意識的に現実の持つ生命を感じとる条件 目覚めのトータリテ・完全無欠さは知性の働きによりそれを言葉による 芸術作品に高め、彫琢していくための条件
RTPと源氏の共通性、咄嗟に思いついたものを私なりに挙げてみます。例はほんの一例
以前おそらく
>>189 さんが触れられた、コミカルな脇役の存在(近江の君、コタール医師)
作中登場する夢の役割(明石入道の夢。鹿、鹿、フランシス・ジャム、フォーク、)
視覚以外の五感 即ち嗅覚、触覚等の優位性(源氏の時代では「実事」(上掲丸谷・大野
の対話でセックスを指す)は暗闇の中で行われるわけですしね
>>9 の花橘の歌)
マザコン(エディプス・コンプレックス)、密接に関連する近親相姦、ロリコン、(同性愛)
(ユング学者の河合隼雄がプルーストのことをついに書いてくれなかったのは残念。
源氏については「紫マンダラ」を遺してくれたけど)
最後に 作中に登場する批評
光源氏が歴史書に対する物語の優位性を語る個所
>日本紀などは、ただかたそばぞかし。これら(物語)にこそ道道しくくはしきことはあらめ。
RTPの生成研究は、最初、各巻、各部、各挿話の生成過程を跡付ける研究が 中心だった。そこ後、旅、ソドムとゴモラ、絵画などのテーマの成立過程、 さらに作中人物の創造、変貌を扱う研究が増えた。
>>193 書き忘れ。そんなわけで山のような先行研究があるから、よりどりみどりで
ずっと楽しめるから、こそくりをやっても生涯をかけても、何でもありだ。
>>170 電子書籍のフォーマットのほうが
3次元っぽくレイアウトできそうだ。
>>180 ヴァントゥイユ(音楽)、エルスティール(絵画)、ベルゴット(哲学)。
この3人の頻度は同じくらいだというけど、
プルーストにとってやはり音楽は特権的なのかな。
196 :
吾輩は名無しである :2011/07/30(土) 16:32:03.25
>191 日本人として、『失われし時』は読んでいなくてもなんでもないが、 源氏を読んでいないというのは、少し恥ずかしいことではないだろうか。 『失われし時』を読む前に、源氏を読む努力をすべきではないか、日本人としては。
>>196 >源氏を読む努力をすべきではないか、日本人としては。
読む努力までして読むのはどういうものかな。
そんなこれは価値あるから、読めというのは変。
加えて日本としてはの語句は意味不明。
以下に訂正、 加えて日本人としてはの語句、意味不明。
199 :
191 :2011/07/30(土) 19:03:46.09
>>196 ある世代以降の日本人にとっては、樋口一葉の「たけくらべ」、森鴎外の「舞姫」
翻訳の「即興詩人」すらきつい。これらについては口語訳が出ているくらいだ。
これらは当たり前のように読めた世代の正宗白鳥も「源氏」を日本語である原文
ではなく、アーサー・ウェイレイの英訳で読んだという。
丸谷才一も原文と英語を交互に読んだと言っている。
おそらく、現代の日本では「罪と罰」や「戦争と平和」を読んだ者の数の方が「源氏」
を読んだ者よりはるかに多い。
プルーストと比べても、どちらが多いか、微妙ではないか。
一方で日本が世界に誇る「源氏」だから読まなきゃという強迫観念は根強くある。
だから、ダイエット本のように次から次へと「源氏」の口語訳の類が出る。需要が
あるからだ。
できれば、あなたの「源氏」との出会い、どの本でどのくらいかけてどのように
読破したか体験談を聞かせてもらえればありがたいと思います。
大学では、講談社学芸文庫からでた北村季吟の湖月抄が結局一番よいと指導教授に
勧められたが私には歯が立たない。
200 :
吾輩は名無しである :2011/07/30(土) 19:10:22.40
「物語構造論―『源氏物語』とそのフランス語訳について」で源氏に触れた。 正直、フランス語の方が意味はとりやすかった。そして、やはり曖昧という他ない 文章は敬して遠ざけるものだな。
>>200 検索したらその本、中山眞彦という人の著作ですね。
その後、「源氏」に興味を持ち、日本語の原文を読んだということなのでしょうか。
202 :
吾輩は名無しである :2011/07/30(土) 19:42:25.92
>>200 違います。中山さんの他の著作を読んでいて、源氏について
かなり面白い取り組みをやっていることを出版前から聞いていたからです。
源氏の原文は高校の頃、古文を教えてくれた先生がかなり熱心に
教えてくれたんだけど、さっぱりだったことがあり、フランス語訳の
ものはどんな風に訳してるのか興味をもったからです。
203 :
吾輩は名無しである :2011/07/30(土) 20:07:07.49
源氏物語に関して無知なのを承知でいうと「失われた時を求めて」に似ているのはおそらく「源氏物語 」よりも中国の小説「紅楼夢」の方だと思う。だから吉田秀和氏が「私には、この二つの作品(源氏と 失時)は、共通性よりちがう点のほうがはるかに多い としか考えられない」 というのも無理はない。 その違いをまず明確にせずに類似点だけを述べられても違和感を感ぜざるをえないし、近代以降の小 説の「作者=文体」を源氏物語にあてはめるのはあまりに無理があり、例えばその作品にはあまりに 後世の加筆や修正の手が入り、それを今でいうところの作者の文体として読むことがどこまで可能な のか、疑問だ。
204 :
吾輩は名無しである :2011/07/30(土) 20:17:24.86
>>202 そうでしたか、やはり「源氏」は外国語経由の人が目立ちますね。
日本人が ここは誰の行為か意味を取るのに苦労する原文を外国語に
訳せてしまうというのが不思議。
自分は高校3年のとき、国語の教師から毎週与謝野源氏を1章ずつ読まされた
のが最初です。若菜のあたりまで読むことになりました。
17歳の子供にはあまり面白く感じられず、かえってそれきり読まなくなった面も
あったかもしれないし、逆にこんなことがなきゃ、若菜までも一生読まなかったのか、
どちらかわからない。
中山さんのフランス語初級用のDVD教材は結構見たなあ
パリの名所が映り、さくらんぼの歌などが流れるやつ
個人的な経験だが、アメリカの複数の友人に源氏物語は面白いかと聞かれたことがある。 世界的にも源氏は知られてるから、当然読んでるものと思っているらしい。 「読んだことない」と言ったら、「本は嫌いかい」と言われたことがある。 教養度合いを源氏で測られるから、読んでおいて損はないと思うぞ。
>>196 のじいさんは、
>>199 の書いてることは該当してるが、
>>203 の書いてることには
ピントがずれてないか?
>>196 のじいさんは、TPRと源氏がにてるなんて書いてない。
>>196 のじいさんは、作者=文体がどうたらなんて一言も書いてない。
疑問なのは、自分で勝手に問を作り書きたいことを書いてるアンタの
脳内変換だ。
>>207 プルーストスレなのに、品性がない話だな。
だいたい、アメリカの大学の文学部の評価って、そんなに高いのかい?
知ってるのは経済学部だけど、有名な古典だってダイジェストでまとめた
ものが教科書だよ。あくまでも大学院でまともなことをやるように記憶してるが
209 :
吾輩は名無しである :2011/07/30(土) 21:06:40.12
>>191 湖月抄を勧める指導教授というのは冗談がキツイ。川端康成、与謝野晶子級の
学生を想定しているのだろうか。私が普通の文学愛好家に勧めるなら、古典集成である。
傍訳と頭注があり、親切きわまりない。これで読めないなら、田辺でも円地でも尼さんでも良い。
日本人のプルーストフアンには、是非源氏も読んで欲しいものである。
210 :
吾輩は名無しである :2011/07/30(土) 21:13:43.91
新編日本古典文学全集の源氏が読みやすい
橋本の窯変 源氏物語じゃダメなのか? あれは読みやすいぞ
なんか源氏物語スレになってきてるぞ〜w
でも今時日本人なら必読の古典なんていっても、新聞も読まないウチの ガキに言うだけ時間の無駄だと思うがなぁ
>>209 学部とはいえ将来学者になる人を想定してのゼミ(自分は専攻ではなかったが)
なので冗談ではなかったはず
新潮の古典集成いいですね。オレンジ色の傍訳という試みが特に。
前に世界の十大小説とかいうのがあったが、そういうものをありがたがって 読む人がほとんどいなくなりつつあるから、本屋があんなに巨大にならないと 成立しなくなっているんじゃないか? この間、集英社文庫のプルーストはどこだ?と聞いたら、アルバイトの店員さん なんだそりゃあってな顔してたぞ。
本屋が巨大化するのはアメリカの影響ですよ。
217 :
吾輩は名無しである :2011/07/30(土) 21:33:17.67
>>205 外人にナメラレないためにも、源氏は読んでおかなければならないということだな。
>>216 >アメリカの影響ですよ。
どういう理由から?アメリカの本屋、バタバタ潰れてるけど…
219 :
吾輩は名無しである :2011/07/30(土) 21:41:38.73
忍法帖【Lv=5,xxxP】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/07/30(土) 20:14:29.19 じゃあこれから告白する、真実真正を話す。 何回も佃煮とすでに会ってるし、会合もした。恋愛関係とかではない。 んでその席にいたのは文学の良心(カラひら)、それからあやなりんだったな。あと一人いたがこれは秘密、名無しだからな。 意外なことに思われるかもしれんが。 それで金を30万ほどもらって、川上さんを擁護しなさい、ということになった。 もちろん俺も賛成だったが、その席に出席する時点ではおいては。 滋賀県の料亭で行われた。佃煮の旦那が馴染みらしい。 それで佃煮旦那も2chには書き込んでおり、尾崎翠スレッドで暴れたのがその当人である。
アメリカは電子書籍マーケットが肥大化して本屋は厳しいよ。 それより、阿部和重がこんなふうに言ってた。 「文学に関しては仰る通りかもしれません。マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』について 考えてみたんですが、あれだけ長い小説のなかでスポーツの場面を全然思い出せないんですよ。 僕の記憶力に問題があるのかもしれないけれども。 スポーツの場面を文学で読んだ記憶はないですね。ただ映画は別です。」 スポーツの場面なかったっけ?
>>208 >>217 「読んでいない本について堂々と語る方法」は前スレで紹介したけど、非常に品性の
高い本です。
日本人とみれば「源氏」は面白いかと聞き、読んだことがないと言えば、本が嫌いで無教養
と短絡的に評価するような人は 日本人とみれば禅に通じていると考える人と変わらず、
たいしたことないのでそんな人たちのために「源氏」を読む必要もなかろうということを
逆説的に言ってみたというのが本当のところです。
もし正直になりたいというのなら「源氏」は英米人にとっての聖書・シェイクスピア、あるいは
平安の頃の宮廷人にとっての勅撰和歌集と違い教養人の共有すべきカノンでないということ
を日本の文学史を踏まえて(例えば、加藤周一の「日本文学史序説」の英訳版をネタ本にする
等して)きちんと説明できることの方がよいのではないか。
そりゃ部屋に籠ってカフェオレだけで原稿を書いては直しをやってりゃあ スポーツなんて無縁になるよ。
223 :
吾輩は名無しである :2011/07/30(土) 21:44:25.00
>>205 イギリス人にシェイクスピア読んだ?と聞いて、
読んだことないと言われたら、拍子抜けする感じかもしれんな。
>>220 確かに、語り手についてはすぐに思い浮かばないですね
ジルベルトとの取っ組み合いはレスリングみたいなものか
「花咲く乙女たち」は、自転車に乗ったり、ゴルフをしたり
アルベルチーヌは乗馬をしていて、落馬して死にますね
ただ 直接の動きの描写となるとじいさんの頭の上を飛び
越えるシーンしか思い浮かばない
>>221 でもさ、読んでない本を堂々と語る、って嘘をどう言うかと
どれだけ違うの?
>>221 で書かれてることって、源氏物語を読んでいないと
答える日本人の比率を想像すれば、読んでないという当たり前のことを
聞かれて、どうのこうの考えるあなたが少し変人じゃないの?
だから、後段で書かれている加藤周一の文学史なんて、もう100%好き者の
特殊な話。そんな話アメリカ人とするわけねぇ。中西部のアメリカ人が
アメリカ人の基本だと思ってるから。
226 :
吾輩は名無しである :2011/07/30(土) 21:55:19.26
源氏の中にはスポーツの場面がある。柏木と夕霧が蹴球にうち興じ、女三宮をかいま見る、 有名なシーンである。紫式部はスポーツも重大な(全体の構成に決定的に重大な)場面で、 小道具として使っているのである。驚くべき先見性といわなければならない。 失われ時のスポーツといえば、花咲く乙女たちが自転車に乗って登場するシーンくらいしか思い浮かばない。
ああ、アメリカの影響というのは私の勘違いでした。すみません。
>>225 そのとおり
中西部のアメリカ人って、よく昔の翻訳で話の語尾に「だっぺ」ってつけられてるタイプの人ですね
素直に「読んでない」でいいんじゃないでしょうか。
>>205 にでてくるアメリカ人はもっとスノッブなタイプが想定されており、私はそれに答えています。
>>222 まあ確かにコルク部屋でカフェオレじゃね。
>>224 すぐにそういう情景が思い出せるのはすごいや!
230 :
吾輩は名無しである :2011/07/31(日) 00:17:38.70
パリ市長、大統領になったらウケるわ
>>209 源氏物語湖月抄 講談社「学術」文庫でした。分厚いのが3冊
アマゾンの商品説明
>『源氏物語』の時代から千年の時を経た現代に生きるわれわれが、この第一級の古典を
原文によって味読するための唯一にして最高の伴侶、それが本書である。この一書には、
万巻の注釈書をたよりに『源氏』を読むのに等しい満足感を、読む者に与えるだろう。
ゼミの教授と同じことを言ってます。
まずは新潮古典集成、小学館古典文学全集(その教授も名を連ねている)からはいった
方がよいでしょうが
>湖月抄を勧める指導教授というのは冗談がキツイ。川端康成、与謝野晶子級の
学生を想定しているのだろうか。
川端は、一瞬 現代語訳を残した谷崎潤一郎の間違いなのではと思ってしまいましたが
これでよかったのですね
瀬戸内寂聴のエッセイで 川端が出版社の強い要請で「源氏」現代語訳に着手
していた事実に触れられている
http://umezawa.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_0664.html
>>90 >>95 欧明社で朗読CD入手したぞ。
でも111枚もこれからどうやって聴くんだw
Amants, heureux amantsも注文しました
>>46 中村真一郎「この百年の小説」って、明治以降の日本の小説のことだったのかあ
篠田一士の「日本の近代小説」「日本の現代小説」は読んでいたが
感覚の章
ことに大谷崎におけるジョイスの影響、梶井基次郎とプルーストの共通性、
さらに横光利一「機械」の「脳が裏返されるような奇怪な感覚」、堀辰雄
「美しき村」を経て、川端康成「みずうみ」の日本的抒情的(透明な美しい、
永遠の女性への讃歌のような情念に彩られる)に改変された「意識の流れ」、
連歌の「匂い付け」を思わせる「記憶から記憶への彷徨」、現実よりはるかに
夢に似た「情景の連想による横すべり」へと進んでいくところがよかった。
Et déjà Gilberte courait à toute vitesse dans ma direction, étincelante et rouge sous un bonnet carré de fourrure, animée par le froid, le retard et le désir du jeu ; un peu avant d'arriver à moi, elle se laissa glisser sur la glace et, soit pour mieux garder son équilibre, soit parce qu'elle trouvait cela plus gracieux, ou par affectation du maintien d'une patineuse, c'est les bras grands ouverts qu'elle avançait en souriant, comme si elle avait voulu m'y recevoir.
235 :
234 :2011/07/31(日) 06:18:25.71
この冬のシャンゼリゼ公園でのジルベルト 萌えると思う >と、すでにジルベルトが一目散に私の方に駆けてくる。毛皮の四角い縁なし帽の下の顔 がきらきらと赤く輝いているのは、寒さに凍えているのみならず、なんとか遅れをとり戻して 早く遊びたい気持に駆られているからだ。もうすこしで私のところに着く直前、ジルベルトは 氷のうえで滑ると、うまくバランスをとろうとしたからか、そのほうが優雅だと考えたからか、 それともスケートの姿勢のマネをしたのか、両腕を大きく広げて微笑みながら進んできた。 まるで両腕のなかに私を迎え入れようとせんばかりである。 (吉川訳「スワン家のほうへ1」458頁)
この雪の日のシャン=ゼリゼにジルベルトが到着するシーン プルースト自身、実名でモデルとなった女性を挙げている。 生涯における大恋愛の対象だった2人のうちの1人。 「ただしジルベルトにかんする『花咲く乙女たちのかげに』の冒頭のもっと放縦な箇所は、 決してこの女性に当てはまるものではありません。なぜなら私は彼女とごく礼儀正しい 関係しか持ったことがないからです。」 プルースト評論選1・369頁
237 :
235 :2011/07/31(日) 07:05:42.27
少女時代のジルベルト、語り手の襟首から雪の固まりを突っ込んだり、
お茶目だ。語り手もにっこり相好を崩す。
et tandis qu'elle me mettait des boules de neige dans le cou,
je souriais avec attendrissement à ce qui me semblait
à la fois une prédilection qu'elle me marquait, en me tolérant
comme compagnon de voyage dans ce pays hivernal et nouveau,
et une sorte de fidélité qu'elle me gardait au milieu du malheur.
ジルベルトが私の襟首にいくつも雪のかたまりを入れたりすると、私を新た
な冬の土地への旅づれと認めてくれたようで、私に寄せる好意のあらわれで
あると同時に、不運な事態においても私にいだく忠誠心のあらわれにも思え
て、感動のあまり思わず頬がゆるんだ。吉川・スワン家2・459−60頁
(
>>235 もスワン家1でなく、2の間違い)
昨晩、源氏物語のことで盛り上がってたけど、源氏とRTPが同じ物語という 概念で同列に論じられるものなのか?私は、まるで違いすぎて、源氏の この部分がRTPのここ云々なんてこじつけにもなっていないじゃないかと 思うが。
240 :
224 :2011/07/31(日) 08:08:04.87
>>229 種明かしをすると「花咲く乙女たち」は新興ブルジョワジーのお嬢様たちです。
(アルベルチーヌは孤児で叔父夫婦に育てられているが)
ベル・エポックの新興ブルジョワジーがリゾート地でやりそうなスポーツという括りで
自転車・ゴルフ・乗馬とすぐに出てくるわけです。
ゴルフ、乗馬は彼らがお手本にした英国のジェントリー階級のスポーツ
自転車は競馬に代わる大衆化されたスポーツの象徴的存在
1903年にはトゥールド・フランスが始まる。
参考 山田登世子「リゾート世紀末」(筑摩書房、1998)200頁以下
>>239 昨朝、源氏絡みで3つほど書込みをしてみた
自分自身ははじめから吉田秀和に賛成だ
互いに現実的に影響関係がないことは自明だし
>>192 に共通点らしきものをあげてみたのはそれこそ悪い冗談のつもり
243 :
吾輩は名無しである :2011/07/31(日) 08:51:48.52
>>231 川端は戦中湖月抄を読んでいた。
与謝野晶子が少女時代に読んだのも湖月抄ではなかったか。
>>243 そうでしたか 詳しい
川端康成はお好きなのですか
245 :
吾輩は名無しである :2011/07/31(日) 09:02:13.58
>>234 作者がありありとその情景を具体的に目に浮かべながら書いているのがわかるすばらしいシーンです
ね。その日は雪が降ったため語り手はジルベルトに会えないとすっかり意気消沈していたのに思いの
ほか至福の瞬間がおとずれる。そのあと人取り遊びを始めるのですが、
「最初の日にジルベルトの名前を大声で呼んだあの早口の友だちに私が近寄ってゆくと、彼女はこう
言ったのである、「だめよ、だめよ。ちゃんと知ってるわ、あなたはジルベルトの組に入りたいんで
しょ。それに、ほら、ジルベルトも合図をしているじゃないの」事実ジルベルトが、雪の芝生の上に
いる彼女の組に来るようにと、私を呼んでいた」(鈴木道彦訳/スワンの家の方へU/P.383.384)
自分も入りたいです(笑)。
>>245 自分も
それにしても このシーンだけみると 語り手もジルベルトも小学生高学年くらいに
思えてしまいますね
ずっと気になっていた同時代評 クルティウス「マルセル・プルースト」がはいった 世界批評大系5(筑摩書房、1974)入手。 他にパンジャミン・クレミユの同名の評論、デズモンド・マカーシー「プルーストの余白に」が入っている。 「フロイトとプルースト」のNFR編集ジャック・リヴィエール「冒険小説論」 ちょっとスレ違いだがムージルの「カフカとヴァルザー」も。 解説は丸谷才一。
249 :
吾輩は名無しである :2011/07/31(日) 10:36:39.87
「ヴァントィユの音楽について言えば、この選択はあらゆる瞬間に、さまざまな形で現われた。たとえ ばこの音楽は、私の知るどんな本よりもいっそう真実なものに思われたのだ。ときおり私はその理由を こんなふうに考えた、私たちは実人生において、観念の形でものを感じてはいないので、感じたものを 文学的に、つまり知的に翻訳する場合、それを伝え、説明し、分析することはできても、音楽のように 再構成することはできないのに対し、音楽においては音が存在の持つ抑揚を備え、感覚の最も内的な先 端を再現させるからではないか、と。」鈴木道彦訳/囚われの女U・集英社文庫/P.326)
250 :
吾輩は名無しである :2011/07/31(日) 10:53:48.30
「だから、何物もヴァントィユの美しい一楽節以上に、私がこれまでの人生でときどき感じた あの特殊な快楽、たとえばマルタンヴィルの鐘塔や、バルベックの道で何本かの木を前にした とき、あるいはもっと単純に、この作品の冒頭で一杯の紅茶を飲んだとき、そういったときに 感じた快楽に似かよったものはなかったのだ。」(鈴木道彦訳/囚われの女U・集英社文庫/P.327)
抜き書きさんは、せめて自らのコメントを付して下さい。
>>240 なるほど。でも本をよく読んでる人だなあ。
>>247 クルティウスかあ。
ムージルの「カフカとヴァルザー」は別の本で読んだよ。
>>248-250 やはりプルーストにとって音楽(ヴァントィユ)は特権的なんだね。
253 :
吾輩は名無しである :2011/07/31(日) 12:55:49.75
「ほかの音楽家がだれひとり私たちに示してくれなかった世界の、この未知の特質、これこそことによ ると作品そのものの内容よりもはるかに的確に、まぎれもなく天才を証明するものかもしれない、そう 私はアルべルチーヌに語った。「文学でもそうかしら?」とアルベルチーヌはたずねる。「文学でもそ うだよ」。(鈴木道彦訳/囚われの女U・集英社文庫/P.328)
抜き書きさん、ウゼェー
>>250 の原文
Ainsi rien ne ressemblait plus qu'une telle phrase de Vinteuil à ce
plaisir particulier que j'avais quelquefois éprouvé dans ma vie, par
exemple devant les clochers de Martainville, certains arbres d'une
route de Balbec ou, plus simplement, au début de cet ouvrage, en
buvant une certaine tasse de thé.
dans ma vie(私の人生で)と語り手の一人称なのに、
au début de cet ouvrage(この作品の冒頭で)と言っている。
256 :
255 :2011/07/31(日) 13:16:12.27
語り手自身が、虚構の作中人物である、すなわち「虚人」たる自覚を持ち始 めたか、プルーストがうっかり今書いているのが自分とは別の語り手を主体 とした虚構の作品であることをつい忘れてしまったかどっちかだ。
257 :
250 :2011/07/31(日) 13:44:29.98
>>256 勉強になりました(笑)。今「囚われの女」を読んでいる真っ最中なので他のことは考えられない。
>>254 さんごめんなさい(笑)。
マジでうぜえんだよ
259 :
吾輩は名無しである :2011/07/31(日) 14:39:25.25
>>256 仏文解釈のスレですか?それに、解釈誤ってません?
>>259 そうか、原文はあくまで参考で、鈴木道彦の訳の日本語自体に
ねじれがあると見たのだけど。
誤りがあれば、指摘してもらえればありがたいです。
別に自信を持っているわけでなく、
>>256 は疑問符付に近いので。
261 :
吾輩は名無しである :2011/07/31(日) 14:52:01.13
>>260 鈴木さんの訳にアヤを付ける気は、ない。訳文と原文に対する
あなたの解釈が、どうなんだろう?と感じただけ。
気にする必要はないですよ
>>261 そう言われるとますます気になるなあ
もちろん、「虚人」なんてのは単なる冗談の域を出ないけど
囚われの女から、読みやすくなるというか流麗なプルーストの 文章が躍動的に始まるって感じがあるな。 その前のソドムとゴモラは、面白いことは面白いが…。
>>263 ここからは未定稿部分を編者が取捨選択、整理しての死後出版となりますね。
それまでの部分はプルーストが出版にあたり入念に手をいれたことにより、
文章自体は見事に彫琢されたけど、最初に書いたときの勢いがそがれるところが
あったのではないかと考えています。
私は
>>250 はまだ手を入れきってないがゆえ作者と語り手が混同されたまま
になってしまっている例と見ているのですが
>>261 アヤをつける、という特徴的な言い方、前スレでもみたけど
(俺は「松浦 アヤ? 」とちゃかした)
意味わからないので調べてみた
>「あやをつける」という云い方は辞書も認知しています。
しかしこれはまともな人間が使う言葉ではないと思う。
なにしろ「言いがかり」をつけることですから。
私は映画やテレビで与太者かその周囲の者が云うのしか聞いたことがありません。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2816347.html なるほど そこで俺も応用
>>259 は単に書込みに思わせぶりな「あやをつける」のが趣味の人のようだ
>>265 粘着さんは、負けず嫌い。だけどい「言いがかり」を
つけられた相手を論破する知識はない。それでも、
子供のように何か言わずにいられない人なんだな。
アヤはね、福田和也が使ってるから、いいなと思い、採用。
アヤをつけるという成句も知らんで、フランス語まで手を
伸ばすのは止めといたら。
また、必ずなんか書いてくるから、みなさんご覧あれ。
>>264 え?囚われの女もそうなの?
編者って誰が最初にやったの?
>>266 (釣れた!)
え 福田和也って そんなにみんなが読まなきゃならないほど えらいのか?
俺はそう思わない
>>269 釣れたのはお前だよ。アホ。
誰が
>福田和也って そんなにみんなが読まなきゃならないほど えらいのか
なんて、書いた?アホ得意の脳内変換してんなよ。
おまけに、お前が福田和也をどう評価してんのかなんて誰が聞いた?
>>268 ジャック・リヴィエールと作者の弟のロベール・プルーストです。
1922・11・18 プルースト他界
1923・11 「囚われの女」出版
(ネタ元は鈴木道彦訳「囚われの女T」はじめに、です)
>>260 >>265 この人、いつもアホなことしか生の文では書けない。
そのせいか、フランス語と訳文を書き込む。
だけど、ちょっとその解釈に茶々を入れると、ムキになってくる。
でも、根本はフランス語も訳文もあまりよく分からない。
そして逃げる。
275 :
255 :2011/07/31(日) 19:36:03.09
>>250 の件 一息ついたので続き
原文は
>>255 実はイの一番にひっかかったのは、紅茶を飲み無意志的記憶が開始するのは
現行の「スワン家のほうへ」ではどう見ても、作品の「冒頭」でないことだ。
実際に読まれた方なら経験があると思うが、あの有名なマドレーヌ菓子
のくだり、まだかまだかと思うほど先にある。
もう一つひっかかったのは紅茶とあるだけでそのマドレーヌが(トーストもビスコットも)出てこないこと
CSBであれば、紅茶を飲むのは「冒頭」と言ってよい。また、私=当該作品の書き手という意味での
「私」小説ないし評論なので、「作品」の冒頭という言い方をしても全然おかしくない。
RTPだと、最後に語り手が、「作品」を書く決意をするので、それまでにすでに「作品」が存在
するかのような表現はまずいのだ。私≠当該作品の書き手ということで「私」小説でない。
仮説は、RTP(RTPに成りつつある作品を含む)には紅茶を飲むシーンが冒頭近くにあり、
「私」小説あるいはそれと評論の混淆であった段階があり、この一文はその際の名残りと
いうことだ。
その時点でマドレーヌ菓子はまだ登場していない。
もちろん、異論は認めるw
>>256 はあえて生成過程といった観点は無視している。
>>275 まず最初に、
>もちろん、異論は認めるw
何これ?アンタがどのような意味での判定者なのか分からん。
意見。全く論の体をなしていない、CSBが私小説なわけがない。
よって、RTPとの比較を私小説という括りでみること自体何の意味もない。
>仮説は、RTP(RTPに成りつつある作品を含む)には紅茶を飲むシーンが冒頭近くにあり、
「私」小説あるいはそれと評論の混淆であった段階があり、この一文はその際の名残りと
いうことだ。
↑
仮設ではなく、自分の思い込みを無理やりこじつけているだけ。
以上
この釣り堀にはいつも同じ魚しかいないようだ。 違う魚を釣ったかなと思ったら、いつも同じ本性を剥きだしにする。 モドキちゃん=本流さん=アヤたん
>>278 もう少しましなこと書けない?
お粗末すぎるよ。
キャッチ&リリースでいいよ
原文や訳文を書き写すだけなら、ボロは出ないが少しでも自らの考えたことを 書くと、お粗末な思い込みやこじつけを書くだけ。
しかし、最近懲りずにやるもんだから、それはそれでこれから大きな 視野を出してきそうな予感は出てるけどね。
昔、ランボーのスレで怪物のように成長した院生がいたなぁ…
急にひよるんじゃねえ 本当は ミルク売りの少女=マタ・ハリ説など とんでも説を 書きかけて、お蔵入りさせていたりする
>>277 俺はこっちw
>>253 を読むと、プルーストはRTPでヴァントィユ的音楽を作ろうとした、
といえるんだろうね。
au début de cet ouvrage(この作品の冒頭で)というのは
確かに作者プルーストの言葉になってしまうなあw
やっぱ一番のお気に入りのシーンはスワンがサロンでオデットと目が合っただけの男にまで嫉妬する所ですね。 私も嫉妬して彼氏をグーで殴った事がありますから気持ちは痛い程わかります。 そこまで嫉妬深かったのになぜ愛を捨てる事ができたのか。このキャラクターは本当に謎めいています。
サン・ルーとおばあさんだけがいい人
ヴァントィユの七重奏=RTPの七篇、のつながりは特にないのかな?w
プルースト、ことに「スワンの恋」のヴァントイユのヴァイオリンとピアノのためのソナ タが出てくる箇所を再読して以来(このスレの書き込みのおかげで「囚われの女」の 語り手が七重奏曲を聴く箇所も再読した)、音楽CDのながら聞きができなくなってし まっている。 ここ1カ月 自宅ではほとんどCDをかけていない。 今朝、事務所のCDラジカセのスイッチを入れたら、以前セットしていたベートーヴェン の第9の第3楽章の途中が流れてきて 思わず、曲の最後まで聴き入ってしまった。 おとといは、このスレの書き込みに夢中で 気がついたら、吉田秀和「名曲の楽しみ」の ユジャ・ワン特集聴き逃してしまうし(武蔵野で震災の1週間前に実演を聴いた、とても 面白かった。秀和翁は翌日の紀尾井を聴いたみたい)。 プルーストや吉田秀和には、ながら聞きなんて聴き方は多分想像もできないだろうな。 子どもの頃のLPに比べて、信じられないほどCDが安くなったのをいいことにここ数年 大人買い(というより、じじい買いかw)を重ねた、CDの山脈をみて途方に暮れている。
「囚われの女」的な音楽の聴き方をずっとしていたら ちょっと精神が休まらないねw ヴァントィユのやつって弦楽器の七重奏だっけ。
>>290 ナティエの「音楽家プルースト」という本に出ているかなと期待していましたが、
下記の論文をみる限り、楽器の特定は困難そうですね。
いずれにしても弦だけではなさそうです。
>『七重奏曲』についてはその編成が特殊で、私たちが知っている七重奏曲はベートーヴェンの
ものがもっとも有名であり、プルーストがベートーヴェンをこよなく愛していたのもよく知られている。
しかしその編成の特殊性は、と考えるとラヴェルのハープ、フルート、クラリネット、弦楽四重奏とい
う珍しい編成があり、プルーストが好きではない作曲家と断言してしまうサン= サーンスには、トラン
ペット、ピアノ、コントラバスと弦楽四重奏の七重奏曲がある。さて、何がモデルなのだろうかと興味
を募らせると、ナティエは簡単にモデル探しは不毛だと断罪してしまう。
http://repository.meisei-u.ac.jp/Nichibun-Kiyo/Vol.19_2011/J-nbkNo019a14.pdf ベートーヴェンのは、wikiによると
クラリネット(B管)、ファゴット、ホルン、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス
292 :
291 :2011/08/01(月) 13:28:57.93
なるほど。 四重奏ならヴァイオリン(2台)、ヴィオラ、チェロの 弦楽四重奏なんだろうね。 となるとRTPの七篇にちなんで「七」重奏曲に変更した、 と考えたくなるなあw
>>292 どうして、一流の研究者の論文をその程度の読みで終わるのか
分からない。こんな所で、書かれたことのキーワード探しで
論文を読んでんなら、romしてな。
>>284 >急にひよるんじゃねえ
上記のような単語を使う御仁は、今年若くても齢60になってるのは
間違いない爺さんのように、推測します。
>>294 >>295 相変わらずだねえ
どんなすぐれたものでも、あることを知る材料としてのみ割り切って使うことはあるのだよ
あんたには行ってもわからないと思うけど 病気だから
×行っても ○言っても
>>296 >どんなすぐれたものでも、あることを知る材料としてのみ割り切って使うことはあるのだよ
それは、お前が書いてるような糞のような書き込みはそうだろうよ。
しかし、研究者の書いたものに、材料としてして使うなんてことは
失礼だろう。それは無知蒙昧の、専門教育を受けていないお前なら
有りだろうが、研究者が書いたものへの敬意がないものなら
何度でもケチをつけるよ。
>あんたには行ってもわからないと思うけど 病気だから
中卒と同じ程度のレベルしかないお前に病気云々を言われる
筋合いはない。なぁ、60前後でこんなとこきて自己主張する
寂しいじいさんよwww
フランス語の原文+訳文 それで何をいいたいの?なぁ、60過ぎのじいさんよ?
>>296 いずれにしてもこのようなことを平気で書く人物は、どこか変です。
変である以上、鈴木や佃煮と何ら変わるところはありません。
むしろ変人であるのに、そうじゃないフリをしてるだけ始末が悪いです。
鈴木や佃煮は普通じゃないと、自らを認知していますから。
とことんさびしい奴だなあ 君は アヤたん 人に対する悪口が全部自分のことを言っている もう相手しない (独り言)
七重奏曲のモデルについて吉川一義が1979年に書いた仏語論文で挙げている。 ただし、原潮巳:ヴァントゥイユの音楽の「鍵」―「スワン氏は私達が発見した嬰ヘのソナタを多分ご存じないでしょう。」 の註2より孫引き ユリイカ「特集プルースト―『失われた時を求めて』の世界」(2001・4)所収 ベートーヴェン弦楽四重奏曲第12番(1823−24) シューマン『子供の情景』(1838)所収の「子供は眠る」 同『ウィーンの謝肉祭』81839−40) フォーレのピアノ四重奏曲第1番(1876−79) フランクのオルガンのための6つの作品81860−62)所収の「前奏曲、フーガと変奏」 同ピアノ五重奏曲(1878−79) 同ヴァイオリンソナタ(1886) 同交響曲(1886−88)
>>301 私は60のじさんではありません。
他人にお前は病気だなんていいません。
どんなすぐれたものでも、あることを知る材料としてのみ
割り切って使うことはあるのだよ
などと口が裂けてもいいません。
中卒ではありません。
そして自分が変人であると指摘されそれはお前だなんていう基地外では
ありません。
最初からもっても相手してもらたくない、糞書き込み長文じいさんは
来ないで欲しいです。
訂正
>>303 誤り>最初からもっても相手してもらたくない、糞書き込み長文じいさんは
正>最初からもっとも相手したくない、糞書き込み長文じいさんは
ん、どしたん? 他の話なんか聞かせてくれよ。
>>293 ナティエ「音楽家プルースト」(音楽の友社、2001)138頁
>〈七重奏曲〉は単一で、閉じられていて、総合的な作品で、内的論理をもち、主題やモチーフが追いかけ合ったり、
別れたり、結びついたりしている。したがって、『失われた時を求めて』それ自体の縮図である。またヴァントゥイユの
企てたことすべての最終的な表現でもある。
ナティエの本、ちょっと長いがこの辺が肝だろう。無意思的な記憶のように作用する音楽と同じ深さをもつ文学作品を 創造するべく、天職に身を投じ仕事に着手するよう(七重奏曲〉という音楽作品は語り手に命ずる。 >音楽は人生を模倣するもので、小説家が人生の断片を集めて独自の有機的な総体にまとめあげるためにしなければ ならない仕事を予告しているのだ。というのも、音楽は無意志的記憶のように作用するからである。すでに聴いたことの あるひとつの主題が新たに登場してくると、それが最初に現われたときのことが思い出される、中庭の敷石がマドレーヌ の挿話を想起させるように。 したがって語り手をその根本的な問題―同じような深さをもつ文学作品を創造することは可能だろうか、この「天国jか ら来たように思える何とも言いようのない喜び」は「私にもいつか実現できるものだろうか」―へと連れ戻すのは、楽節 間の相互作用である。語り手にとって書くべき文学作品のモデルとなった〈七重奏曲〉という音楽作品は、仕事に着手 するようにと命ずる作品でもある。語り手は、〈七重奏曲〉の始めと終わりで鳴り響く歓びの主題に、創造すること、そ して自らの天職に敢然と身を投ずることへの呼びかけを聴くのだ。
308 :
吾輩は名無しである :2011/08/01(月) 23:25:12.38
原文で読める人が正直羨ましいが これを読んで原文で読みたいと思うものは多いはず
>>307 はナティエ前掲書の148頁
楽器編成について書いた部分がありました。すごく変則的。 163頁
>楽団の構成は意外なもので、ピアノ、ハープ、フルート、オーボエ、ヴァイオリン、チェロ(コントラバス
と混同されている)に加えて複数の金管楽器が想定される
(ナティエはこれでは七を越えてしまうのでもしプルーストが長生きすれば直していたかもと書きながら、
この編成にプルーストが込めた意義を見出す。すなわち)
>打楽器は欠けているものの、すべての楽器群(木管楽器――フルート、オーボエ――、金管楽器、
擦弦楽器――ヴァイオリン、チェロ――、打弦楽器――ピアノ――、撥弦楽器――ハープ――)が代表
されているため、そこに全体性というもののもうひとつの象徴的なイメージを見ないわけにはいかない。
310 :
吾輩は名無しである :2011/08/02(火) 01:03:32.15
本が全7巻で、作品全体を象徴するような曲が七重奏曲と、 これだけ聞けば、プルーストもやはりoccultistだったのかと 早合点してしまいそうだがw
312 :
吾輩は名無しである :2011/08/02(火) 01:40:47.89
james holdenという人も2010年に、ナティエ「音楽家プルースト」と 似たような主題で本を出してるね。ちょっと内容を見ただけじゃ、 俺の方が、このご両人より、鋭い考察が出来そうだw
層化集団ストーキングの特徴は、携帯とPC を操り 1人が2〜3役 を演じ分けること。 ターゲット(仏敵)の「囲い込み」「追い込み」を行なうのに、 加害者たちに都合よく話を捏造し、携帯とPC で 強い流れ をつくろうとする陰湿卑劣な犯罪手口。 層化集団ストーキングに一刻も早く法規制を!
314 :
吾輩は名無しである :2011/08/02(火) 04:21:36.11
今北産業 60過ぎのじいさんってだれ?
.
>>33 >>37 >>145 プルーストの時間について、「流れ」でなく「淀み」である、関節の外れた時間であるという見方
>>155 でスナップ写真を唐突に持ち出しましたが、
自ら写真家であったブラッサイ(1899-1984)の「プルースト/時間」(岩波書店、2001)
という本があります。
>イメージの絶え間ない転移、イメージからイメージへの移行を追うという映画撮影ほど
プルーストの精神から遠いものはない。……
時の流れそのものにプルーストの興味はない。……プルーストは不連続の人であり、写
真家である。彼の描写はつねに固定したイメージ、スナップショットなのであって、それだけ
が思いがけない変化、過ぎ去った時、老いを感知させてくれるのだ。179頁
映画=時の流れ=イメージの転移
写真=不連続な時の断片(かけら)=固定したイメージ
>>287 >サン・ルーとおばあさんだけがいい人
おかあさん、も
この作品、たいていの登場人物はジキルとハイドのように二面性を持っていて、いい人
悪い人を決めつけられない(本当はサン・ルーさんも)
かなり純粋に悪人といえるのは あの少女マンガのように前髪を一筋たらした
美形のヴァイオリニスト モレルくらいでは
といっても、パトロンであるシャルリュスに隠れて浮気をしたあと、シャルリュスの写真
を見せられただけで真っ青になって逃げ出すへたれ野郎で小悪党の域を出ないんだけど
やおい、BL系の腐女子はこのキャラ結構好きなのかねえ
歌舞伎でいえば色悪っていったところか
317 :
315 :2011/08/02(火) 07:58:07.10
×「プルースト/時間」 ○「プルースト/写真」
318 :
316 :2011/08/02(火) 08:08:52.29
>>316 だが二面性ってのは少なすぎる。ジキルとハイドにひきずられた。
多面性と言った方がよい。
319 :
292 :2011/08/02(火) 08:24:46.80
>>292 で論文の著者中野知律の名前とタイトルを挙げたのは、これみて興味感じて
論文全体を読んでくれる人がいたらいいなあと思ったのと、何より俺自身があとで
じっくり読みたいから備忘のために書いておいたんだよーん
これ書いたとき 仕事のあいまだったしね
なんか プルーストの「淀み」の時間といい 「七重奏曲」の「七」という数字へのこだわりといい アセンション氏の着眼の鋭さを 俺が文献によって裏付けているような形になっているなあ 本当は 彼の モドキちゃんへのやさしいまなざしこそ 俺が見習いたいところなんだけど
>>314 (産業ではなくしばし休業。そのうち気が向いたらまた戻る)
主として朝方、長文の書き込みをする人物を指す。文献の引用が多い。
RTP(「失われた時を求めて」)本文の原文・訳を併記することも多い。
ある人物が彼のことを60過ぎという理由は不明だ。どうやら罵りの言葉らしい。
ただ、高齢であることを悪口、すなわち負のイメージでしかとらえられないこの男には、
無為に年を重ねていく自分自身に対する恐怖・将来への不安があることが強く推測される。
悪口というのは多くの場合、悪口を言うその人自身を投影する「鏡」なのだ。
この人物、フランスで本国人に伍して、作家の草稿研究に従事している吉田城、中野知律といった研究者を神格化し、
自己同一化する傾向もある。彼らが留学等により本国人同様のフランス語力を身につけていると思っているようだが、
「英語のたくらみ フランス語のたわむれ」65−66頁で野崎歓が吉田城のエッセイを引いた箇所を読んだ方がよい)
(ここまでで9行ね)
前スレで「ですぺら」の常連だった、自殺した二階堂奥歯についてちらっと触れたが、その精神的師匠・同志
であった雪雪が2ちゃんに書き込み、名言スレの定番となっている次の言葉を送っておく。
>10年後にはきっと、せめて10年でいいからもどってやり直したいと思っているのだろう。
今やり直せよ。未来を。10年後か、20年後か、50年後からもどってきたんだよ今。
>>322 >無為に年を重ねていく自分自身に対する恐怖・将来への不安
かっての自分がそうであった。そして、彼は齢60の還暦を迎え
その通りの無為の人物になりやりきれない虚しさを、ここで
自分勝手な長文を朝早くから書き込んでいる。
この長文じいさんは、
>吉田城、中野知律といった研究者を神格化し、自己同一化する傾向
などとなんの根拠もない脳内変換を必ず何が悔しいのか書き残すという
特徴がある。さらに、最近では野崎歓のことを自らが神格化して、たかが
対談本を鬼の首をとったように書いている、事実もある。
別に誰もこの長文じいさんが来ようと来まいとどうでもいいのだが、
わざわざ下記のようなことを冒頭に書く御人である
>産業ではなくしばし休業。そのうち気が向いたらまた戻る
324 :
吾輩は名無しである :2011/08/02(火) 17:34:55.06
379 :名無しさん@涙目です。(catv?):2011/08/02(火) 16:11:52.89 ID:eQRcgXTy0 ブサメンとか言ってる人多いけど 40代で女子大生に告白する男なんて そこそこオシャレで自信あるんだと思うよ。 ブサイクなオッサンは自分からは行けない。 オッサンのくせに自信マンマンでしつこいから 女子大生がキレたんだと予想する。
なんか最近のプルーストスレは意味不明だと思ってたら内輪ネタで盛り上がってたんですか。 なんです長文じいさんって。誰の事だかさっぱりわかりませんよ。
>>325 佃煮さんが、出張るような話ではないの、宜しく。
二階堂奥歯ならちょっと知ってますよ、自殺した美人の編集者で、津原泰水の担当だった人でしょう? 津原が奥歯の事を色々語ってました。 その人が何なんですか?
>>327 その件については、長文じいさんに聞いて下さい。
即レスしてくれますから。
>>327 ところで、佃煮さんは鈴木さんとパコパコの関係だと
事情通に聞いたのですが、本当ですか?
>>306-307 >>291 の論文を流し読みすると
ワーグナーとショーペンハウアーが出てきて、
おいおいプルーストはニーチェかよwって
言いたくもなったんだけど、ナティエが言う通り、
ヴァントゥイユの箇所はRTPのまさに縮図だね。
あの音楽による超越的啓示体験は「マドレーヌと紅茶」に劣らず、
あるいはそれに勝るほどにプルーストの熱が感じられるから。
>>310 神秘主義的なものじゃなく、暗号と読みたいところだね。
>>312 すげーw
>>315 もう少し正確に表現すると、単なる淀みではなく、
重層的に(それこそ七重奏的に!)積み重なってゆく淀みだろうけど。
>>320 競馬といっしょで素人のまぐれ当たりみたいなことはあるからw
映画との対比で写真を持ち出してくるのはよくわかるけど ブラッサイのようにプルーストを「写真家」だというのはどうなんだろうね。 やはり「音楽家」という形容のほうが似合うだろうし、 もうひとつ肩書きを無理につけるとすれば「建築家」かな?
>>332 アセンション、その議論は、少しその関係の文献を参照した方がいいね。
例えば、プルースト全集の手紙ならダイレクトだし、研究者の書いたものなら
より深い。
>>333 プルースト全集の手紙はどのあたりがいい?
>>334 とりあえず、全集を持っていなければ、頭から読んでいくのが
やはり後々財産になる。
でも、しょうもないものもあるから、斜め読みで読んでいき
止まった所から身を入れて読んでみてはどう?かと思うよ。
>>335 そっか。わかった。
この間から暇をみて中古本探してるんだけどねw
あと国立図書館でカイエのレイアウトだけでも一度眺めたいな。
>>336 とりあえず、フィリップ・コルブのまとめたプルーストの書簡集を
まず全訳することを、アホンダラ管へ、この著作の助成金を出せば
一気に支持率を回復間違い無いですとかメールして、訳出することが
成立すれば、アセンションのような常人と違う視野をもつ存在には益が多し。
それから長文じいさん、明日の朝、早く起きるから、書き込み待ってるよ。
339 :
吾輩は名無しである :2011/08/02(火) 23:05:39.84
>>331 >>
>>310 神秘主義的なものじゃなく、暗号と読みたいところだね。
読みたくなければ、それで良いだろうw
>>337-338 OKw
>>339 とはいえ「7」の象徴性がほかにもあると興味深いね。
309に書いてあったトータリテを意識していたとすれば。
しかしいろんな文献が次々と出てくるのは面白いなあ。
ドラえもんのポケットのようだw
>>328 わかりました。まあ気長に待ってみます。
>>329 その人は私の人生となんの関係もありません。
妄想もたいがいにしてください。
342 :
吾輩は名無しである :2011/08/03(水) 16:58:27.03
test
長文じいさん、明日は欠勤するなよwww
345 :
吾輩は名無しである :2011/08/04(木) 20:57:18.10
アセンション=長文じいさん、なんだよ
>>344 結局は待ってんじゃんw
>>345 それはないw
今日「プルーストの食卓」を図書館で読んだ。
鈴木道彦が「あとがきにかえて」を書いてる。
その中で鈴木は料理人フランソワーズを
画家エルスチールや音楽家ヴァントゥイユに並べ、
料理が創作につながる、と書いてたよ。
>>346 長文じいさんも、このスレのファミリーだからな。
ただ、あのじいさん2chの事が分かってないな。
アセンションが長文じいさんだったら、完璧な二重人格だろうな。
>>346 >プルーストの食卓
あの本、印刷が悪いね。写真の分解が下手でちっとも料理が旨そうに
見えない。
>>347 ツンデレ?w
>>348 海外と日本でインクに対する美的感覚も違うよね。
印刷の質は元写真を使ったのか印刷物を使ったのかによりそう。
>>349 >ツンデレ?w
というよりも、あんまりわからず屋のわがままじいさんのことを
お知らせすると、決まってアホレスを返すから、コマセを撒いて
しばらく本の抜書を黙ってようと思ったわけ。
>印刷の質は元写真を使ったのか印刷物を使ったのかによりそう。
原版のポジを使ったのだろうが、色温度の設定がヨーロッパと
日本ではまるっきり違うから、あの濁ったような風合いがない色では
だめだよな。
>>350 でも逆に西洋的な雰囲気はあると思ったよ。
奥付見るとイタリアでの印刷らしい。
上場企業の海外向けのカレンダー、あんな色なのが多いよ。 当然、色調に合った写真をつかってるけどね。
すんません。書き忘れた、つまり原著を優先するあまり日本人には あまり馴染みのない印刷でやったというわけだ。 食べ物が主役の本なんだから、もう少しその辺を配慮して欲しかったね。
354 :
吾輩は名無しである :2011/08/04(木) 22:26:10.18
>>349 >>海外と日本でインクに対する美的感覚も違うよね。
日本人は味噌と醤油と漬け物と椎茸が好きだからなw
wwww懐かしいな、あの食堂w あそこで色んな国籍の女と知り合ったなぁ… まあそのあと、もっぱらVarieteで飲んだものだw
図書館で「プルーストとシーニュ」を探したらなんと所蔵していませんでした。 何のために失われた時を求めてを読んだんだ・・・という思いで一杯に。 (最初から、ドゥルーズを読むための課題図書として手に取ったのに。) それでアマゾンで見つけましたが、レビューでこき下ろされて星二つ。 それで長文じいさんは奥歯の話をしてくれないんですか?
>>356 奥羽大学図書館にはあるみたいですね。
近場、県立図書館や諸大学の図書館には蔵書としてないないですが。
ではw
>>356 法政大学出版の「プルーストとシーニュ」は翻訳がかなり酷い
原文で読んだほうがいいよ。
あなたは、プルーストとシーニュを原文で読めるんですね? おーい佃煮、こいつに翻訳で意味が取りにくいところ解説してもらえ
「プルーストとシーニュ」をすごく読みたいんなら俺だったら買うけどなあ。 でもドゥルーズって乱暴なんだよ。綿密な読解をする批評家と違って。 「プルーストをどう使えるか」「使って何ができるか」ってことに意識があるからね。 仏語できないけどドゥルーズは訳文を横に置きながら原文にあたったことがあるよ。 で、確かに法政大出版局の宇波彰訳はちょっと質が悪いね。 プルースト論だけじゃなく、ベルクソン論やカフカ論も。
361 :
吾輩は名無しである :2011/08/05(金) 18:21:29.54
ここに書き込みしている皆さんは、プルーストを原語で読んでいるようで、 羨ましいです。日本語訳ですら、難渋しているのに。 また最近は専門的なやりとりが多く、チンプンカンプンです。 プルーストの解説書もいろいろ読みたいとは思いますが、その前に全巻読破が 目標です。
>>361 いや俺はプルーストは邦訳でしか読んでないよ〜
いまどのあたりを読んでるの?
佃煮さんの書いてることが、そもそも不明。
>>356 >最初から、ドゥルーズを読むための課題図書として手に取ったのに
ということは、邦訳を読んだことがあるのですね。
なのに
>それでアマゾンで見つけましたが、レビューでこき下ろされて星二つ。
全く自分が読んだことについて書かれていませんが、どういうことなのでしょう?
>>361 >日本語訳ですら、難渋しているのに。
多分、冗談でいってるんだろうが、日本語で読むから解りにくのかも
しれんぞ。
>>357 おお!そんな詳細な情報をくれるなんて親切な人だ!ありがとうございます。
郡山ならなんとか行けそう。
>>360 そうなんですか?どうしようかなあ。アセンションさんはドゥルーズに批判的ですね。
>>363 ??
失われた時を求めては邦訳を読んで、プルーストとシーニュの邦訳はアマゾン評が悪いので読もうか思案中です。
366 :
吾輩は名無しである :2011/08/05(金) 19:33:50.01
佃煮って、川上スレの女帝とか聞いたが、なんでこんなとこにいるの?
コテ粘着しつこいよ いいかげんにしろ
佃煮は「プルーストとシーニュ」を読みたいと思ったんだろ? それが本気なら、悪訳だろうがレビュー評価が悪かろうが買って読めばいいんだよ。 宇波彰訳は良くはないよ。でも仏語ができないんなら我慢するしかない。 たとえ原書の魅力が60%ぐらいになってたとしてもさ。 で、俺がドゥルーズを「乱暴」だと書いたのは、いい意味でだよw つまり既存の哲学者のような小さく収まる「馬鹿丁寧さ」がないんだ。 「差異と反復」「意味の論理学」を読んだ奴なら そのへんのニュアンスはたぶんわかると思うけどね。
>>368 そうなんですよ。まえから読みたいと思っていて、
ドゥルーズを読むためにドゥルーズが言及する思想家や作家の本を読んで来たんです。
ニーチェもカフカもサドもマゾッホも今制覇しようとしてるところです。
プルーストは失われた時を求めての概略さえ知っておけばいいかなと思いましたが、
結局は内容を理解するために数回読む事になりました。
今図書館で借りて来た本を読んで返したら、奥羽大学で借りて来ようかな。
…一流の思想家の著作を、アマゾンの書評を参考にすることが、真面目に 学ぶ姿勢がないだけじゃないの? どこの誰かさんが分からない素人の書評は、その人物と自分が同じレベルで なければ、参考になんてならないと思うが
>>369 もし本気ならつべこべ言わず読めよw
でたいして本気じゃないなら別の本を読めばいい。
ひとつ言えるのは、ドゥルーズのプルースト論は
ドゥルーズの理解には役立っても
プルーストの理解にはそれほど大きな益はないってことだな。
>>370 別に勉強のために読んでいるんじゃなくて、面白いから読んでいるだけです。
好きな思想家の作品だって、面白くなかったら途中で投げ出します。
でもたしかにアマゾン評にふりまわされるのはバカだと思いました。
水嶋ヒロの時も工作員が跋扈してたし。
>>372 >別に勉強のために読んでいるんじゃなくて、面白いから読んでいるだけです。
本当にそうなら、書評など無用。
でも、ドゥルーズが面白いまで言う人が、
>好きな思想家の作品だって、面白くなかったら途中で投げ出します。
なんていうのかなぁ?優れた思想家の著作は、すぐ面白いというような
代物じゃないのが事実じゃない?
「プルーストとシーニュ」のアマゾン評が低くていじけていた私を何人もの人が励ましてくれました。 これでなんのわだかまりもなく読む事ができます。どうもありがとうございます。
忌野清志郎氏も『 集団ストーカー 』を受けていた様子。 歌で残っているところが凄い。 少なくとも、妄想でも幻想でもなく、集団ストーキング行為は実在をしている。 被害を訴えても精神疾患とされてしまうところが怖いところ。
>>365 どういたしまして。てか、己(おれ)なんですが。www
市内の県立図書館、某大学に蔵書としてないのは結構に意外でした。
では
377 :
吾輩は名無しである :2011/08/06(土) 15:48:21.68
他スレで権勢を誇ってるが、書いてることを読めば まるで間抜けな鰹の佃煮さんは、鈴木が前に書いてたが、どうでもいい 野郎だと知った。
シャブ中のアホ鈴木の言う事を真に受けるレベルではどうしようもないな
379 :
吾輩は名無しである :2011/08/06(土) 16:06:57.36
という、鰹の佃煮さんからのレスでした。
巣に帰れ電波
381 :
吾輩は名無しである :2011/08/06(土) 18:27:50.24
鰹の佃煮さんは、気の強い女の人なんですね。 鈴木が負けちゃうわけだ、納得。
382 :
吾輩は名無しである :2011/08/06(土) 20:10:28.81
プルーストとシーニュってヤフオクで今でてるよ。1200円。 もっとも定価が3000円程度で、かつ新本がふつうに買える本を どこの図書館にあるとか、騒いでることがよく理解できないが・・・ 読み飛ばして二度と読まない小説や拾い読み目的の文献ならともかく この手の本に3000程度を惜しんでいたら、本なんて読めるの?
睨んだ通り、アセンションが長文じいさんを自演していた。 小林秀雄3を読んでいて、分かった。
>>376 明日花火大会ですね。楽しみです。
>>381 何か知らないけど、私が勝ったんですか?わ〜い。
>>382 本代くらいケチらせてくださいよ。本をいかにタダで読むかって大事でしょう?
>>383 おいおい、まったく外れてるよw
長文Gさんという人はベケットのプルースト論は読んでない。
来週はヴァントゥイユのことをもう少しやりたいね。
ブランショが「プルーストの経験」を音楽で〆たところを確認して。
386 :
吾輩は名無しである :2011/08/06(土) 23:14:20.28
>本をいかにタダで読むかって大事でしょう? なんでそんなことが大事でありうるのか全くわからない。 ましてこの場合では、その本を読むことが命の次に大事みたいな口ぶりだったのに・・・
とりあえず、長文じいさんの抜き書きをみないで済むようになり すっきりした。
388 :
吾輩は名無しである :2011/08/07(日) 06:08:48.96
>>382 >この手の本に3000程度を惜しんでいたら、本なんて読めるの?
「この手の本」に3000も出す人がいるのが驚きです。
バブル以前ならいざ知らず。
>>388 よし分かった。君はブックオフで本を買えばいいよ。
390 :
吾輩は名無しである :2011/08/07(日) 13:22:11.51
×バブル以前ならいざ知らず。 ○バブル崩壊以前ならいざ知らず。 やはり、「本代くらいケチ」らぬほうがいいかもなあw
391 :
吾輩は名無しである :2011/08/07(日) 14:58:11.79
>>384 >本代くらいケチらせてくださいよ。本をいかにタダで読むかって大事でしょう?
本代をケチろうなんてやつなのに文学板に住み着いているというのは
どういうことかというと、まるで読んでもいないのに適当なことを
書いてる糞女ということだから、もうここに来るなよ。
佃煮も昔はセレブ設定だったんだが、今やすっかり貧乏キャラに・・・
金はケチるやつがたまるんだよ
394 :
吾輩は名無しである :2011/08/07(日) 15:16:40.20
>>390 儂が持っているのは1984年版で2000だった。
つまり、「バブル以前」の1984年ならぎりぎりの価格であるが、
「バブル崩壊」以後の今日では、3000も出すのはバカだ、ということだ。
分かったか、若造め。
>>391 お前がこのスレに来るなよ
スレを荒らすな
>>394 俺も古本に3000円出すのはバカだと思う よほど物好きなんだな
そういう連中は読書家というより本のマニアックなコレクターと呼んだ方がいい
古本=安いって価値観はブックオフ
貧窮に喘ぐ古本業者が煽りに来てるなw
>>386 単純にお金の問題だけじゃないんです。
うちには180×110くらいの本棚が九つあって、全部本でぎゅうぎゅうです。
二年くらいアクセスのない本を整理して売ろうとすると、家族が泣きついてやめろと言います。
それで豪華本だの画集だの全集を買ってきます。辞書も改訂されるたびに買ってきて読み比べています。
だから私が本を増やさない様にするしかないんですよ。うちは本で床が抜けそうなんです。
ヤフオクの1200円はなかなかいいけど、2ちゃんで晒されたオークションに入札を入れると危険なのでやめます。
やっぱ森の内さんの薦め通り郡山に行って借りて、ついでに美術館も見ておいしいものでも食べて来ようと思います。
みなさんさまざまなアドバイスどうもありがとうございます。
プルーストスレはほんとにいい人ばかりです。
俺なんか本棚に入り切らなくて床に平積みしてる 掃除の時が大変
そういえば、長文じいさんは本の山とかCDの山とか言ってたが
床は抜けてないのかなぁ…。
>>399 >うちには180×110くらいの本棚が九つあって、全部本でぎゅうぎゅうです。
本ってさ、長文じいさんみたいに山のように積んだり、あなたのように
本棚に詰め込むものじゃないのよ。そこらに、平積みをするのが正解。
長文じいさんのように、本の山にしたら自由に出して読めない。
あなたのように本棚に詰め込むものでもない。
本はあくまでも読むためにある。
佃煮の話にマジレスしたら負けだよ。
>>402 いいんだよ。だって読んでもいなくて、下らない書籍にこだわり
その著作は読まないんだから。
川上スレでどうのこうのなんて、どうしょうもないバカですの
話でしょう?
そろそろ鈴木雄介の出番だろう
405 :
吾輩は名無しである :2011/08/07(日) 20:58:33.30
>俺も古本に3000円出すのはバカだと思う だから古本じゃなく定価が3000円なんでしょ。 古本は1200円。 >2ちゃんで晒されたオークションに入札を入れると危険なのでやめます。 このダニ・マニアっていう人はいちいち言うことの筋が通らないな。 危険もなにも出せる金額で応札して、取れなかったらそれだけの話、なにが危険なんだかw
新本でも古本でも3000円程度の本で逡巡する感覚は確かに俺もわからんよw しかもその本を読むためにRTPを読んだというんだから余計にね。 筑摩のプル-スト全集3冊(書簡1〜3)はなかなか入手困難。 岩崎力が訳してるみたいだけど、ソレルスをよく訳してる人か。
>>401 床に平積みなんて汚いじゃないですか。ちゃんと収納しないと。
>>405 何言ってるんですか。
ここにオークションが晒されてる状態で入札したら私のYahooIDもバレるし、
買い物履歴も探られるし、メルアドだって特定しようと思えばできるでしょう?
呑気な人ですね。
奥羽大って私大なんですね。もしかしたら一般人には貸し出ししないかも。
奥羽大にあるなら私の家の近くの大学にもあるよと言われました。
オークションも手を出せない状態だし、諦めようかなあ。
【 世界の国々が創価学会をカルトに指定 】 フランス・チリ・ベルギー・オーストリアが創価学会をカルト(セクト)指定。 アメリカ合衆国 議会下院が創価学会を「危険な組織」指定。 ヤフーBB452万人名簿流出&ソフトバンク40億円脅迫事件がありました。 35年前の共産党委員長宮本宅盗聴事件=竹岡(実行犯)神崎(検事)浜四津(弁護士) 同事件は2審まで行き、学会側敗訴。3審上告も後棄却→宮本に賠償金を払い終了。 公明党元代表の神崎氏が過去、検察を辞職に追い込まれたのは、職務よりも池田氏・創価学会優先の結果。 創価学会の体質が分かります。 創価学会をカルト指定している国の公安は当然、創価学会員をマークしているでしょう。 創価を警戒し、監視している国も増加しています。 ドイツ連邦議会と各州では協力の下、創価は「テロカルト組織に指定」 フランス、チリ、ベルギー、オーストリア、アメリカ議会下院、 そしてドイツなど世界の国々が、 現在、創価学会を「カルト・セクト・危険な組織指定」しています。
>>407 >ここにオークションが晒されてる状態で入札したら私のYahooIDもバレるし、
買い物履歴も探られるし、メルアドだって特定しようと思えばできるでしょう?
呑気な人ですね。
これを誰か翻訳してくれ。何を言いたいのか全く分からん。
410 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 08:30:05.71
>>406 自身何冊も本を出している著作家は、2500以上の本は買わないと豪語していた。
まともな感覚だろう。文庫本になるのを待て。
411 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 09:40:12.93
まともな読書家なら、まあ、一万円以下の値段で迷うことはないでしょう。 もちろん、本当に読みたいと思う本ならですよ。 すべての本が文庫になるわけじゃないし、仮に2〜3年で文庫になることが 確実な本であっても、本は読みたいときが買い時。出たらすぐ読むのが読書の醍醐味の一つ。 文庫化を待つケースもあるでしょう。でも文庫された時には読みたくなくなってるケースも。 2500以上の本は買わないなぞ、くだらない「豪語」で得意がってるような四流物書きの本なんかは 文庫化されても間違っても読む価値はないでしょうけど。
>>410 この人は貧乏なんだろう。
昔からあまりに貧乏な人は、文学なんてものには向かわないものだ。
お年玉を貯めて2500円以下の本か文庫本を買ってくれ。
それから、筑摩のプルースト全集は、文庫本にはならないよ。
>>410 この人は、辞書を買ったことがあるのかなぁ?
国語辞典以外は、2500円ぱかじゃあ買えないから…。
414 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 12:30:26.81
>>413 辞書は古本屋で買え。
新刊の十分の一くらいで買える。
本は高すぎる。
415 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 12:43:54.01
こんな本、何冊くらい売れるのかしら? と考え、印税が定価の10%として・・・ゲゲッ こんなにいい本を書いてその印税で、著者はどうやって食べていくのかと 心配になることは少なくない。 あまり、自分の都合だけで本が高すぎると安易に言わないほうがいいと思う。 ついでに、ちゃんとした辞書は古本でも10分の1ではまず買えない。 ドロドロに腐ってるとか、破けてるとか、何世代も前の版であれば別だが。
プルースト全集の書簡三冊、揃いで一万でないかな?
417 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 14:22:20.60
古書店で、プ全集(筑摩・19巻)が、20000前後で出ています。 一冊1000くらい、リーズナブルな価格です。これで書簡集を入手されたらどうでしょう。 ただ2、3年すると、少なくとも15000くらいにはなるでしょうから、 それを待つのもグッドアイデアかと。
>佃煮も昔はセレブ設定だったんだが、今やすっかり貧乏キャラに・・・ 複数の人が使いまわしてるのかな? そんなことより小説の話がしたい。
>>412 本を買わない人間を貧乏人扱いするのはバカだと思う
逆に古本コレクターなんかが必ずしも金持ちではないし
≫419 そんなバカなこというやつはほっといてプルーストの話をしようぜ 本を買うかどうかで読書家としての価値が決まるなんことはあり得ない こんなの当り前のことなんだからわざわざレス消費するのはばかげてるよ
ぜんぜん売れなくて涙目の古書店員がアジってんだろw いいかげん迷惑だわw
プルーストは当時の近代的な技術の賜物である写真、電話、汽車に対置されるものとしての自動車なんかと切り離して語れない作家だと思う。 こういうテクノロジーが小説に与えた影響を読み解くことには現代的な意義があると思うけれど、 こういう観点について具体的な意見を持ってる人はおらんかね? 美術(特にアール・ヌーヴォー)との関わりも深いのでそっちから分析してみるのも面白いと思うけど。
>>422 とてもいいperspectiveだね。
>>419 >本を買わない人間を貧乏人扱いするのはバカだと思う
あのな、貧乏人。本を買わない人間を貧乏人扱いしたわけでは
なく、
>>410 でお前が、
2500以上の本は買わないと豪語していた。
まともな感覚だろう。
と書いたその感覚とやらが、貧乏人だといってるわけだよ。
その後の
>>414 >辞書は古本屋で買え。
新刊の十分の一くらいで買える。
本は高すぎる。
も、このスレの住人には、貧乏人にしかみえないって。
貧乏人なら他のスレへ行け。お前が買うような本は
ここで誰も議論に出さないから。
分かった?貧乏人よ
なまじプルーストがプチブルだったりすると勘違いして
>>424 みたいなバカレスする信者も出てくるんだろう
>>425 プルーストを何にも知らん、心のバカがわしにコメント不要。
頭が悪くて、どこいっても怒られるダメ人間が初めて自分を
出せる2chだけど、真性バカには居場所はない。
どうやら、貧乏人が集合したらしい。 もっとも貧乏人から対極にあるプルーストなのにな
しかし、2chにはどうして貧乏人・社会の落伍者・基地外…等々ばかり 集まるのだろう?
だから、本を買うからかならず金持ちって訳じゃないって言っただろ? 貧乏人だって本好きだったら本は買うんだろうし その程度の話だよ
>>430 あなたは、貧乏人がどのようなものかしらないらしい。
辞書で貧乏人をひいてみな、貧乏人とはたかが、2500円の本が
高い安いという人種なんだよ。
金持ちは家に金をかけるんですよ。 貧乏人は小物に金を使うんです。 しかし、ただたんに図書館に本がないからどうしようと言っただけなのに、 なんでこんなに荒れてるんですか? 「あそことあそこにあるよ」「うんありがとー」で話は終ってたでしょうに? なんでここまでボロクソに貶めあわなくちゃいけないんですか?
>>432 うるせぇなー、お前貧乏人だろう?
金持ちは、全部に金をかけてるよ。
それに、本を小物とかいうその感覚、間違いなく貧乏人です。
>>432 金持ちは、知識・教養が足りない人が多くて、本のようなものには
アホみたいなものを揃える傾向アリ。
分かったか、貧乏人。
435 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 20:24:56.51
佃煮は、イラネということだな
>>433 でもお前は貧乏なんだろ?
レスから貧乏がにじみ出てるぞ?
金持ち喧嘩せずというしな
437 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 20:27:03.21
>>436 残念でした。親が残してくれたマンション・アパートの収入だけで
月700万あります。
誰かプルーストスレに戻してくれ、頼む
440 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 20:36:33.65
IWC ポートフィノ ハンドワイド Ref.IW544801だけど
441 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 20:40:52.35
>>433 >>434 うちは別に生活には困ってないですが・・・?
というか、ほんとの金持ちは自分の家庭の事情を控えめに話して、
家に行くとすごいというパターンが多いでしょう?
人の事を貧乏だと馬鹿にする金持ちって見たことないです。
444 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 20:47:21.77
約300坪。もう貧乏人には付き合わないよう。
>>444 庭師は年に何回、どの季節に入れてるの?
ホイホイ収入申告したりブランド自慢する奴は絶対貧乏だろw 下品にも程があるw
447 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 21:03:39.28
誰かプルーストスレに戻してくれ、頼む
>>409 短く訳しますと、「あははん」となります。
月700万の収入があって、この時期海外の別荘に避難してないっつーのが嘘を証明してる
451 :
吾輩は名無しである :2011/08/08(月) 21:30:35.72
悪銭身につかずとはよく言ったものだ バカどもが釣られるわ釣られるわ
400台からの書き込みは、全部荒らしだな。
なんか盛り上がってるねえw
>>417 >古書店で、プ全集(筑摩・19巻)が、20000前後で出ています。
>一冊1000くらい、リーズナブルな価格です。これで書簡集を入手されたらどうでしょう。
確かにそれは安い!
しかし「書簡」と「ジャン・サントゥイユ」だけでいいんだよね。
「失われた時」と「評論集」は誰かシェアしてくれないものかw
図書館を使ったら貧乏人とかどんだけ頭壊れてるんだ
プルーストスレにたかるハエの本性が暴かれたな どこまでも卑しい下衆共のあつまりだ
まあいろんな価値観があっていいんじゃないの。 そんなに引っ張るほどのネタでもなし。 プルーストは「失われた時を求めて」以外に何か読んでるかい?>455、456
>>457 おまえみたいな貧乏人には教えてやらねえよ!
>>458 えっ、俺が貧乏なのをなぜ知ってるんだ?w
恵まれない俺のために「書簡」「ジャン・サントゥイユ」の施しを!
「あんた金の貯め方って知ってるかい? ここにグラスがある。上からポチョンポチョンと水が落ちてくるとしよう。水を金だと思えばいい。 あんたはとても喉が渇いている。すごく水が飲みたい。 ここで貧乏人は半分貯まった所で我慢できなくて飲んじゃう。ダメだね!それじゃ金は貯まらないよ。 俺たちは違うよ。水がグラス一杯になるまでどんなに苦しくたって待ってる。で、グラスが満杯になって、グラスの縁からこぼれてきた水滴を『ペロリ』と舐めて我慢するのさ」
>>340 >「7」の象徴性がほかにもあると興味深いね。
昨晩、見つけたのだけどどうしても思い出せない。
かなりトリビアルな箇所だったのかもしれません。
枕頭に積んである本の中に確実にあるはずなのでもう1回
付箋を貼った箇所確認してみます。
>>332 >映画との対比で写真を持ち出してくるのはよくわかるけど
ブラッサイのようにプルーストを「写真家」だというのはどうなんだろうね。
「見出された時」の映画監督ラウル・ルイスのインタビュー
(ユリイカ2001・4のプルースト特集号119頁以下)
写真家ブラッサイのプルースト論からは多くの示唆を受けたとしながら、
ルイス自身は、プルーストは映画的な小説家である、あの時代における最良の
映画監督であると言っています。
>プルーストの説話的手法は、映画以前に長回しのワンシーン・ワンショットや
ズームイン、ディゾルブといった映画的表現を作りだしている。
(RTP冒頭近くのジュヌヴィエーブ・ド・ブラヴァンの幻灯のシーンを持ち出して)
>子供時代、マルセルはその幻灯を真っ白い壁に向かってではなく、カーテンや
人のうえなどに映して、映画的な感動を覚えていた。これは、映画が発明される
前に二重焼きの技法を発見していたようなものだと思います。
>>327 高遠弘美同様、「ですぺら」の常連だったなあという程度。
二階堂奥歯の遺したブログ「八本足の蝶」は今でも存在しています。
大変な濫読家でしたが、プルーストは出てきませんね。
生き急ぐ人には向いてないのかも。
http://homepage2.nifty.com/waterways/oquba/ ブログと同じうタイトルで、ネットで見ると死の直前から遡行することになるコンテンツを
時系列順に並べ替え、さらに恋人や雪雪(彼女が高校時代知り合った東北の書店員)、
関係者らの寄稿した文章を集めた単行本が出ています。
この人のブログを見ると「書く」という行為が、劇薬、すなわち、薬(リハビリや喪の作業)
になるとともに、命まで奪いかねない毒にもなることを痛感します。
多分、彼女はブログを書いていなければ、あの若さで自殺しなかったのではないか。
雪雪の、過ぎ去った時間をくよくよ後悔しているより、10年後からタイムマシンでやって
きて生き直すつもりで、今を生きろというメッセージ、なかなかの名言だと思うけど、
これもプルースト的ではない時間の捉え方だなあと引用してて思った。
http://atcake.com/yukiyuki/?date=20060911
長文じいさん戻ってきたのか?
>>323 その対談本。
吉田城が自分は今でも冠詞は間違えるし、バイリンガルなどとんでもないと告白しているエッセイを
野崎歓がそのまま引用しているだけだよ。
野崎は、フランス人と伍してRTPの新プレイヤッド版を編集したあの吉田城がこのように言っている、
なんだかとてもうれしい、と感想を述べているだけ。
まあ、大かたの人からは吉田城は語学の天才で本国人レベルのフランス語を駆使しているように
しか見えないのだろうけど。
たぶん、バイリンガルになるには大学はおろか、中学からでも手遅れではないか(というより、よほどタイミング等
が合わない限り、幼少でもどっちつかずで日本語すら不自由になってしまう人も多いときく)。
若い柔軟なうちに母国語以外の語学を習得したり、さらには留学等をして異文化の中で生活するという体験の
貴重さを否定する気はないが。
468 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 18:20:50.95
>>466 訳知り顔で書いてるが、修士を終えて学位をとるために海外へ
留学したことがあるのかね?
留学すらしたことがない野郎が、偉そうに書いてるなよ。
>>468 また豹変かいw
この上げ野郎。
全くきりがないなあ。2ちゃんは。
このくず野郎め。
偉そうなのはどっちだいw
470 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 18:33:07.10
>>466 =
>>469 >このくず野郎め。
偉そうなのはどっちだいw
>訳知り顔で書いてるが、修士を終えて学位をとるために海外へ
留学したことがあるのかね?
上記の問いに答えてくれ。
学問をするために留学をしたことがない、アンタにどうして
>バイリンガルになるには大学はおろか、中学からでも手遅れではないか
なんてことが書けるの?理由を書いてくれ。
>>470 俺が信用できると思う語学の達人達の言っていることから推測するだけだ。
バイリンガルといっても多義的だが。
平野啓一郎の「スローリーディングのすすめ」とかいう新書で、川端康成の「伊豆の踊り子」の
ラストシーン近くが引用されていて、はっきり書かれていない主語をあてさせる問題があった。
通常のレベル(俺を含む)の日本人であれば絶対間違わないところをサイデンステッカーは
間違えていた。
源氏物語や日本の近代文学を多数英訳している日本語の達人であるにも関わらずだ。
異文化や異国語をものごころついてから理解するということはそれほど困難ということだろう。
人間に2つの言語体系をその背後にある文化のようなもの(成長につれて半ば肉体化する)を
同レベルで取り込むキャパがあるのか、俺にはわからない。
もしかしてモノリンガルで頭の悪い人に比べれば、そのひとつだけの言語レベルに勝つという意味の
バイリンガルはいるかもしれない。
ただ、一定以上のレベルとなるとどうか。
例えば、ナボコフがロシア語と英語のバイリンガルというレベルであれば別に否定はしない。
472 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 19:08:31.38
>>471 >通常のレベル(俺を含む)の日本人であれば絶対間違わないところをサイデンステッカーは
間違えていた。
なるほど、異言語間の翻訳をおこなうことは、クイズで判定するということ
なのか。
>ひとつだけの言語レベルに勝つという意味のバイリンガルはいるかもしれない。
失礼だが、アンタは何カ国を使えるの?日本語しか判定できないのだったら
信用できるとか言う人の言ってることを頭から信用するしか無いよね?
>例えば、ナボコフがロシア語と英語のバイリンガルというレベルであれば別に否定はしない。
どのような根拠からそれを否定しないの?
えーと、アンタは海外へ研究するために留学したことがあるかないかに
ついてのレスがないんだけど?
>>464 丁寧なレスとブログの引用ありがとうございます。ですぺらというのは文壇バーみたいな所ですか?
雪雪が好きな津原泰水ですが、私はついこの間までこの津原と一年がかりの大喧嘩をしていました。
津原が、川上未映子にアイデアを盗作されたと騒ぎ出したので、反論したら喧嘩になったのです。
結局この盗作疑惑は立ち消えになりました。
津原は私を訴えると言ったものの、なにもないまま数カ月経っています。
それにしても、なぜ奥歯と雪雪の交流がこんなに話題になっているか不思議です。
そして、なぜ奥歯が自殺したかも謎です。
「そしてぼくは高校二年生の二階堂奥歯と出会う。出会って間もない頃、喫茶店で好きな本の話などしているとき、
脈絡なくとつぜん「ひとつ質問していいですか?」と彼女が言った。周囲の温度が、すっと低まる感触があった。
「いいよ」
「独我論って、反駁できるんでしょうか?」
「できないね」
「え? そうなんですか?」彼女は眼をぱちくりした。「あー、そうなんだ、そう考えていいんだー」ぱっと明るみ、次いでほっとしたように緩んだその表情が多くのことを語っていた。」
奥歯は独我論者なんですよね。独我論は簡単に否定できます。例えば、AさんとBさんがいて、もしBさんがAさんの作り
上げた世界の被造物なのだとして、逆にAさんもBさんの世界の被造物なのだとしたら、両者がお互いを忘れている間、
両者は存在しない事になります。だから矛盾しているんです。だから、雪雪がなぜ独我論を肯定して奥歯が喜んだのか
よくわかりませんね。もしかしたら、自分さえ死ねばいっさいの世界がリセットされるとでもおもって自殺したのかも
知れません。
>>472 俺の大学の時の英語教師に、自分は英語を母国語としない作家の英語小説を好むという人がいた。
例の筆頭はナボコフだった。
外国人にとっては、英語を外国語のように扱って英語で作品を書く作家の方が観賞しやすい
ということなのではとそのとき思った。
もちろん、俺にはナボコフのロシア語力や英語力を判別する力はない。
ただ、日本語の達人と言われる外国人(もともとは日本語を母国語としない人)の書く文章をみる限り、
言語の背後にある日本の文化を一定レベルの日本人以上に肉体化した人はいないように思われた。
ナボコフがバイリンガルといってもやはり英語に関してはネイティブのロシア語と違うのではと推測する
だけだ。
それがその人の母国語以外で生み出す作品を魅力的にするのに役立つことはあるかもしれない。
プルーストのようにヨーロッパの伝統の中でそれにどっぷり漬かったタイプの作家と違った長所と
なることはあるかもしれない。
475 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 19:23:54.14
>>474 とても言語について古臭い感覚の持ち主であることはよく分かった。
>日本語の達人と言われる外国人(もともとは日本語を母国語としない人)の書く文章をみる限り、
言語の背後にある日本の文化を一定レベルの日本人以上に肉体化した人はいないように思われた。
当たり前でしょう?しょせん翻訳は翻訳。日本人が書いた日本語でないものは
違和感無く書けるわけはない。だから、文学作品は特に、原語で読まなければ
分からないわけだ。少なくとも日本語に翻訳が困難な構文を翻訳で読んで
ああだこうだ言ってる奴は、原語で読んでくれと言いたい。
>>475 意味不だよ。
やっぱり、狂ってる。
仮に冗談でやってるとしても、人間として狂った何かが俺を不快にする。
学歴やら留学経験にこだわるところも駄目駄目だ。
佃煮マニアってどのスレでも関係ない話してるよな
478 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 19:33:17.83
>>476 >学歴やら留学経験にこだわるところも駄目駄目だ。
コンプレックスの塊なんだよ。アンタは。
>日本語の達人と言われる外国人(もともとは日本語を母国語としない人)の書く文章をみる限り、
言語の背後にある日本の文化を一定レベルの日本人以上に肉体化した人はいないように思われた。
↑
これ狂ってませんか?日本語の達人と言われる人が、言語の背後にある日本の
文化を一定レベルの日本人以上に肉体化した人ってどんな人なんですか?
意味不明以前でしょう?狂ってるのはアンタだよ。
>>479 君が「コンプレックスの塊」だということは、明晰かつ判明である。
480 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 19:38:43.52
>>476 出来の悪いアンタが、一生懸命勉強して外国へ留学し勉強した人が
語ってることを、バカのアンタが安直に引用することがお笑いだと
分からないの?そしてその原因が、アンタのコンプレックスであることをさ
481 :
479 :2011/08/09(火) 19:42:05.43
>>478 >>480 また引用間違えたぜ。
面倒くさいので、やっぱり相手しない方が賢明だな。
本日はこれで無視。
あんたの粘着の仕方とパターンが明らかに俺が仕事で
何人か出会った狂った人達と一致しているんだ。
電話で話すとその不快さは面と向かったときよりも高まる。
文章でもどうも同じようだ。
嘘800とはよく言ったもんだ。
482 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 19:46:08.26
>>481 >嘘800とはよく言ったもんだ。
え?頭悪いんでしょう?コンプレックスの塊で、本を読んでここで
得意になって長文書き込みをしてたんでしょう?
そして、留学以前の大学院も進学してない出来の悪い人でしょう?
これ以上、レスするのが切なくなったから、突然仕事でどうだとか
話を逸らしたのでしょう?
聞かれたことに答えらないから、逃げますといいな。
コンプレックスの塊長文じいさん。
「ですぺら」の店主が無類のビブロフィリアで、出版にも携わった経験があるので
文壇バーになっているところがあるように思います(私は気遅れして行ったことが
ないのですが)
独我論というのはよくわからないところがありますね。
世界に自分以外に他者がいないという意味だったら、そんなものを論理的に反駁する
意味などあるのか。
他者がいるのは自明だで済ませてなぜ悪いのか。言語を教えてくれた他者がいなきゃ、
「この世界には実は俺1人しかない」のではなどと言語で考えることすらできないんじゃないか等等。
これも大学の頃、フッサールの現象学の講義で単位を取ったことがありました。
あまり覚えていないのですが、とりあえず他者の存在を括弧に入れて、その後、独我論
を克服していくという流れだったと思います。
私は、なぜ独我論は克服されねばならないのか、はじめから克服すべきだという価値感
があるなら、はなから独我論など相手にしなければいいのではないかといったことを答案
で書いた覚えがあります。
はじめから行きたい方向(自分と同じように歓び悲しみ痛みを感じる他者がいる世界)が
決まっているなら、理屈こねてないではじめからそっち行けばいいじゃないかといった感じ。
私は上記の意味での独我論は実は論理では反駁できないのではないか、そもそも哲学の
課題として取り上げること自体が不毛なのではと素人として感じていました。
柄谷行人の「探求1」では独我論について別の定義の仕方をしています。これならわかるんですよね。
>私が独我論とよぶのは、けっして私独りしかないという考えではない。
私にいえることは万人にいえると考えるような考え方こそが、独我論なのである。
独我論を批判するためには、他者を、あるいは、異質な言語ゲームに属する他者
とのコミュニケーションを導入するほかない。
http://yokato41.exblog.jp/11121869/ かなりスレちになりましたが。
484 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 19:49:04.54
おお、長文じいさん復活!! でも、逃げてますけど
>>482 言っておくと、ここで800と言っているのはあんたが作ったという
カード800枚のことだよ。
これが災害か何かで消えたといったあんたの身の上話らしきものを
読んで、俺は心底ぞくっとしたんだ。
486 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 19:51:45.69
>>485 あ、そう。誰のことかしら無いが、わしもアンタのコンプレックスの
塊からここでしゃらくさいことを書いてるのを見るたびに
正真正銘ぞくぞくしてるよ
>>486 それにいちいちレスをつけるあんたが病的なことはみんなお見通しだ。
(だんだん疲れてきたぜ ふう 家に帰るとノーパソ、メンテに出しているので
ここ見る事すらできないしな)
488 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 20:15:58.19
>>487 >それにいちいちレスをつけるあんたが病的なことはみんなお見通しだ。
それは、アンタでしょう。
>家に帰るとノーパソ、メンテに出しているので
ここ見る事すらできないしな
なるほど、それで朝早くの長文書き込みがなかったのか
489 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 20:42:29.59
>>474 >日本語の達人と言われる外国人(もともとは日本語を母国語としない人)の
書く文章をみる限り、言語の背後にある日本の文化を一定レベルの日本人以上に
肉体化した人はいないように思われた。
何度読んでもどんどん分からない。
言語の背後にある日本文化を一定以上肉体化したって、
どういうことを言うのだろう?これを読んだ日本人の方よ
(日本語という)言語の背後にある日本文化ってどういうものを
指しているのだろう?そして、それを一定以上肉体化した外国人は
いないというが、そもそも長文じいさんがそんなことをどう理解したのだろう?
どう一定以上肉体化したと分かるのだろう?
490 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 21:13:16.34
長文じいさんは、読んだ本を知ったかして平気で書く。 そして、答えられないことを聞かれると、話を逸らすか逃げる。
491 :
吾輩は名無しである :2011/08/09(火) 21:41:11.41
皆さん、昔から「和を以て貴しとなす」というでしょう、いい加減で罵り合いは やめませんか。目くそ鼻くそを笑うです。「我必ずしも聖ならず、彼必ずしも愚ならす。」
>>462 それは興味深い! いつでもいいのでぜひ。
>>463 映画的な小説家とする見方もあるんだろうね。
しかし本当にいろんな文献に目を通しているなあ!
二重焼きの技法、ズームイン、ディゾルブ、長回し、
あとはスローモーション的描写も加えられるかな。
C・シモンあたりになると、クロスカッティングとか
カットバック、フラッシュバック的描写も出てくるけれど。
>>488 3日間、夏休みで山に行っていたこともある。
それから、これ以上、このスレを荒れさせるに忍びなかったので
それを機に、あえて一時身をひいたというのが大きい。
>>491 すまぬ。
>>73 ジュネットの3冊入手して読み始めてます。
今まで食わず嫌いでいたのがもったいないほど、面白い。
細かいところだけど、前スレで俺がちょっと触れた、コンブレーでのいとこによる
童貞喪失の件も出ていますね。(物語のディスクール52頁)
語り手の年齢・主要な出来事の起こった年代をちょっとアレンジして引用(上掲101頁)
(ジャネットも首尾一貫した時間的順序は確定できず、目安であると断っている)
1877−88 スワンの恋
1878 語り手とジルベルトの誕生(1871年生まれの作家自身より7歳年下)
1883−92 コンブレー(レオニ叔母存命の頃に初体験だと12、3歳になってしまうんだよなあ)
1893−95春 ジルベルトとの恋
1897夏 バルベック(サン・ルーや「花咲く乙女たち」との出会い)
1890初夏 祖母の死
1890秋ー1902初頭 アルベルチーヌとの恋・同棲
1902夏 母とのヴェネチア滞在
(1914−18 第一次世界大戦)
1925頃 ゲルマント大公邸でのマチネー(1922年のプルーストの死の3年後という近未来になる。
語り手はアラフィフ。51歳で死んだ作家にとっては晩年か)
495 :
494 :2011/08/10(水) 07:30:38.89
数字書き間違えたところがあったので訂正。 1877−88 スワンの恋 1878 語り手とジルベルトの誕生(1871年生まれの作家自身より7歳年下の設定) 1883−92 コンブレー(うちレオニ叔母存命の頃だから12、3歳で初体験になってしまうんだよなあ) 1893−95春 ジルベルトとの恋 1897夏 バルベック(サン・ルーや「花咲く乙女たち」との出会い) 1900初夏 祖母の死 1900秋ー1902初頭 アルベルチーヌとの恋・同棲 1902夏 母とのヴェネチア滞在 (1914−18 第一次世界大戦) 1925頃 ゲルマント大公邸でのマチネー(1922年のプルーストの死の3年後という近未来になる。 語り手はアラフィフ。51歳で死んだ作家にとっては晩年か)
筒井康隆の「文学部唯野教授」でジャネットも書かれているけど、フィギュールが >今まで食わず嫌いでいたのがもったいないほど、面白い。 とは凄いね。
497 :
吾輩は名無しである :2011/08/10(水) 13:03:30.81
>ふう 家に帰るとノーパン、メンスを出しているので とは凄いね。
498 :
吾輩は名無しである :2011/08/10(水) 15:45:37.39
>筒井康隆の「文学部唯野教授」でジャネットも書かれているけど、フィギュールが >今まで食わず嫌いでいたのがもったいないほど、面白い。 >とは凄いね。 こんな指摘になんの意味があるの? 無駄に相手を貶めて優越感に浸りたいだけじゃん。 傍から見ていてものすごく不快だし、会話を妨げる要因にしかならない。 荒らすつもりで書いてるなら迷惑だから消えてくれ。
>>499 そう思う人もいるだろが、少なくとも筒井の上記の小説を読んだことがあれば
それだけで、お前の指摘がピント外れなことをすぐ分かる。
そして、ジェラ―ル・ジュネットの著作を読んでいれば、並じゃない人だと
分かる。だから、
>傍から見ていてものすごく不快だし、会話を妨げる要因にしかならない。
荒らすつもりで書いてるなら迷惑だから消えてくれ。
単なる言いがかりでしかないよ。
さて、アホはほっといて、白水社からでている「ふらんす」で
高遠さん対訳で楽しむ『失われた時を求めて』スワン家のほうへを
連載してるが、面白いよ。
>>500 ジュネットがプルーストどころか批評史そのもののなかで超重要なのは知ってるよ。
それとは別に俺が言ってるのはお前の態度の問題だっての。ジュネットを評価するかしないか以前の問題だよ。
そんなこともわからないのかよ。
>>501 は〜、あなたはそんなに偉い人なんですか。
それなら、それこそこんなとこで
>そんなこともわからないのかよ。
なんて上から目線でどうしたの?
はっきり言うが、他者の態度が問題だって、お前がワシが書いた内容を
まるで理解出来ない困ったさんだけのことでしょう?
>>501 おまけ
>>500 で書いたことは、このスレで書き込んでくるような人なら
当然、読んでいる前提で書いたが、そうじゃなかったら謝るよ。
なぁ、長文じいさんこのことはお前なら分かるだろう?
>はっきり言うが、他者の態度が問題だって、お前がワシが書いた内容を まるで理解出来ない困ったさんだけのことでしょう? なんでそうなるの?
>>483 だれかにスレチだと怒られたけどそれは興味深い話ですね〜。
たしかに否定されるためだけにある○○論の価値とは一体何なのか、に光があてられてもいいですね。
そういう所にさっと着眼して論文も書いたなんてすごいなあ。私は大学で哲学を取ったけど授業はさぼってばかりでした。
いわゆるトンデモと呼ばれる学説ってたくさんありますよね。それぞれ見て行くとユニークで面白かったりします。
でも2ちゃんねる学問板ではそういうトンデモほど人気が高いんですよね。
スレチコテはイラネ>505
>>506 そんなこというな。
何にも書いてないお前が、スレを盛り上げることを書いてよ。
>>505 >いわゆるトンデモと呼ばれる学説ってたくさんありますよね。それぞれ見て行くとユニークで面白かったりします。
それは、佃煮が無知だというだけの話です。
509 :
吾輩は名無しである :2011/08/10(水) 21:35:31.15
暑さのせいでトゲトゲするのかな(笑
外野からみて、おいらは
>>499 さんが妙な言いがかりをつけちゃったように見えるな。
>とは凄いね。
って、素直な感想だろ。
佃煮がスレチコテって本当にそうだよな
511 :
吾輩は名無しである :2011/08/10(水) 21:40:01.22
>>507 こういうズブい女ってどこにでもいるなあって感じ。
だいたい何?佃煮マニアって?最悪のセンスw
雑談スレからキチガイが荒らしに来てるよ
スレチコテ(笑)
私怨で低能煽りしてるバカにはプルーストなんて理解できまい
もう一度、書くけど、白水社の「ふらんす」に、高遠さんが 対訳で楽しむ『失われた時を求めて』スワン家のほうへを連載してるが 面白いよ。
>>515 「ふらんす」に連載かあ。ああいう小冊子もチェックしてる人がいるんだなあ。
ちょっと前のほうでジュネットの話題が出てるね。
「フィギュール」は未来社のほうのやつを読んだ。
あとは短めの「アルシテクスト序説」「フィクションとディクション」。
プルーストについての言及があったかどうか、今度チェックしてみようかな。
>>505 決定論と自由意志の問題なんかもそういうところがありますね。
シュレディンガーの猫さんなど、そのためにガス室みたいな箱
に入れられちゃったんじゃないかと勝手に思っているw
もともとヨーロッパ文明の源流となったギリシャ哲学(実は中世にイ
スラム経由で再輸入)、ユダヤ・キリスト教自体が、はたからみると
かなりトンデモと言えないこともない。
ディオニソス教だの、聖書にしても旧約は言うに及ばず、新約でも
ヨハネ黙示録などかなりおどろおどろしい。
あと、プルーストでドルイドとかケルトって言葉が出てくるとざわざわってする。
パリの中心であったシテ島はカエサルのローマに侵攻されるまでは
ガリアと呼ばれ、ケルト人が住んでいたわけだし。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~k-ue/travel/france200508/20050817-1.htm 人類最高の天才の1人にありがちなことで、ヨーロッパ文明の古層にあるもの
を直感的に見抜いていたのではないかと、それもまたRTPの魅力に預かって
いるのではないかと。
519 :
吾輩は名無しである :2011/08/11(木) 07:53:47.91
>>509 本当にそう読めるのかね
無知文盲というのはお前さんのようなのをいうんだよ
>>520 そう思うならそうだろう。
でも、ワシはそうは思はないに一票。
見ず知らずの人に
>無知文盲というのはお前さんのようなのをいうんだよ
こんなことを平気で書く人物は無知文盲以前のバカだから。
521 :
吾輩は名無しである :2011/08/11(木) 10:49:27.88
>>519 あんたはくだらない人だな、いい年して。
震災後初訪問なんだが、荒らしているのはI先生以外の 新キャラ? べつの暇な年金老人?
523 :
吾輩は名無しである :2011/08/11(木) 10:59:24.81
上げバカが跋扈してるな
>>520 > 見ず知らずの人に
このひと何か勘違いしちゃってるね
>>518 >シュレディンガーの猫さんなど、そのためにガス室みたいな箱 に入れられちゃったんじゃないかと勝手に思っているw
シュレディンガーの猫は、箱が透明のガラス製だったらどうなのかとか、
中に入れられた猫がドラえもんだったらどうなのかとか、突っ込みどころ満載のパラドックスですよねえ。
とりあえず、生と死が重なりあった状態で存在するとか机上の空論もいいとこですよ。
>>518 >ユダヤ・キリスト教自体が、はたからみると かなりトンデモと言えないこともない。
確かにキリスト教だって闇を抱えているけれど、宗教という物は政治に利用されるからこそ価値が出るんであって、
働いても働いても報われない労働者たちへの救済と同時に戒めとして真価を発揮してたんですよね。
その神が否定されて亡き後、大きな物語が崩壊した後の世界の人々は封建制度があった頃より幸せなのか、
というのも考えてみれば疑問だらけです。聖書は小説としては一流の書物ではありますよね。
文学や絵画にたびたび引用されるさまざまな寓話が豊富だし、
黙示録なんか、とてもファンタジックでのめりこんだことがあります。
528 :
吾輩は名無しである :2011/08/11(木) 15:25:29.76
>>519 からはくだらない電波レスがまた続いてるな 夏休みだからか
>>518 連投規制にひっかかっちゃった。
>人類最高の天才の1人にありがちなことで、ヨーロッパ文明の古層にあるもの
>を直感的に見抜いていたのではないかと、それもまたRTPの魅力に預かって いるのではないかと。
プルーストはこの間挙げられた共感覚や、天才特有の予見能力や直感力もあるひとですね。
そういえばドストエフスキーも未来社会を小説の中で何度も予見したとよく話題になります。
面白い事に、こういった予見能力は、精神病の患者にもよく見られるんですよね。
中学生かおまえは
おまえは幼稚園生だな
(笑)
普段きてないひとたちがきてるようだね。 特徴は、RTPについて語らないことだな。
夏休みだなあ
>>530 >宗教という物は政治に利用されるからこそ価値が出るんであって、
働いても働いても報われない労働者たちへの救済と同時に戒めとして真価を発揮してたんですよね。
佃煮さん、正気ですか?
あなたは信仰というものが分かっていない。
精神疾患があるのは、間違いなくあなたですよ。
佃煮は創価だったか…
>>536 >>537 え?
なんかよくわからないけど、なんでこんなに煽られてるんだろう?釣りですか?
救貧法とか昔ありましたけど、あれはどうなんですか?
貧しい者のうち、健康な者は宗教で洗脳して強制労働させ、病人には福利厚生をあてて、
怠け者には鞭打ちをあたえたらしいですけど・・・?
じゃあ信仰とはなんですか?
スレチコテ(笑)
>>538 >じゃあ信仰とはなんですか?
もうやめときな、分からなければ黙っていればいい
人の会話に断りもなく割り込んで病人扱いした挙げ句反論されて何も言えなくなるってダサすぎ
541はセクハラ先生なの?
ただのバカでしょ
斎藤 ・・・野崎さんが翻訳をするときの動機は、原作を広く一般読者に知らしめたいというか、 紹介したいという気持ちが一番なわけですか。 野崎 どうなんでしょうね。それよりも自分でやりたいということですかね。 自分でやってみる楽しみみじゃないでしょうか。いきなり夢のない話だけども、 どうせ自分の好きなものは売れるはずはないし、知らしめるといっても読者の 顔が最初から浮かんでいるような感じですから、やっぱり自分でやってみたい、 自分でその作品をかわいがりたいということじゃないかな。 ・・・そこそこ読者が広がればいいけれども、とりあえずは自分でやるということに、 ある種利己主義的でもあるような喜びを感じているわけです。・・・ 斎藤 自分が惚れた作家の最初の訳者になりたいという気持ちはありますか。 野崎 それはありますね。翻訳を何冊もやるうちにこっちも生意気になって きますから、ほかの人間にさらわれる前に、というのはありますよね。 斎藤 読者を対象にしない「筆のすさび」というのは究極ですね。 それが究極の翻訳だという気がします。僕はどうしても読者の存在がなければ 翻訳というものの存在意義はないんじゃないか、と考えたりしますね。・・・ 英語のたくらみ、フランス語のたわむれ(東京大学出版会)
>>545 「赤と黒」野崎歓の解説は面白かった。
確かに、訳自体はゼミの学生にでも分担で下訳させて、それを十分に目を通さ
ないまま、また用語も不統一なまま出したんじゃないかという疑いはあるw
でもそういうおおらかさって嫌いじゃないぜ
それで得られた余力で、専門分野のネルヴァルに関して「異邦の香り」のような面白い
本を書いてくれればいいじゃないかくらいに割り切ってもいいかなと
少なくとも俺は、お金を出してそんな紛い物をつかまされて、金返せなんて野暮なことは
言わない(すでに下山教授の指摘等により誤訳が修正された刷が出ていた頃に、書店に
まだおいてあった古刷りを買っていたのに気が付いたときはちょっと残念だったけど)
あと、訳にしても著作にしても東大・京大にポストを得た人に対して特に風当たりが強い
傾向がある。
有名大学のポストが学者としての能力と必ずしも関係ないことは言うまでもないが、
何かポストを得られなかった人のルサンチマンのようなものを感じないでもない。
小谷野敦も「翻訳家列伝」で確か全く同じ指摘をしていた。
ある程度の長編で誤訳がないということの方がむしろ不思議なのであって(程度の問題は
あるが)、誤訳については内田樹がブログで書いているのが紳士の対応という気がする。
http://blog.tatsuru.com/2008/06/09_0835.php
>>546 その本で野崎さん、メジャーな作家の古典を訳しておけばいずれは
文庫に入っていいぞとある高名な先輩に言われて、バルザックを
無理矢理訳させられたと言っていた(99頁)。
はじめから文庫の「赤と黒」はその続きかな。
>>547 >そういうおおらかさって嫌いじゃないぜ
プルーストの専門家でない仏文の先生がRTPを新訳!今までのプルーストの
翻訳とは大違いの読みやすさ、とかで本が出されて、誤訳や訳し忘れの
オンパレードで上記のことを言う人が何人いるのかな?
立命館の下川先生はスタンダールの研究者だから、あそこまで指摘したように
思う。それは、やはり学者としての良心から生まれているじゃないか。
そういう先生もいないとマズイでしょう?
>>549 >それは、やはり学者としての良心から生まれているじゃないか。
俺もそう思いたい
>>526 古典的なニュートン物理学では、神の目のような絶対的な視点を前提としていたのに対し、
シュレディンガーの猫にしても相対性理論にしても、観測者(見る人によって違う)を捨象
できないというのが、多分ポイントかなと思っています。
スレちが続いちまったな。
本を整理していたら、このスレでちょっと前に話題になったドゥルーズ「プルーストとシーニュ」
が出てきた。
訳が一様にけなされているようだけど、あとがきや訳注で紹介されたキーワード
らしきものを仏和入りの電子辞書で用例を確かめながらであれば、かなりの程度
理解できるように思われます。
あとドゥルーズは原注で頻繁にRTPの参照箇所を指摘している(原書のそれも旧い版の
頁数しか出ていないようだけど、幸いにして、原注は7つの巻の略称付で出ているので
日本語訳の該当箇所もあたりがつけやすい。
スワン家がCS、以下JF,CG,SG,P,AD乃至F、TR)。
逐一RTPの該当箇所を参照しながらでないと面白さが半減するような気がした。
時間はかかるだろうけど。
>>368 「プルーストとシーニュ」を読みたいと思ったんだろ?
それが本気なら、悪訳だろうがレビュー評価が悪かろうが買って読めばいいんだよ。
宇波彰訳は良くはないよ。でも仏語ができないんなら我慢するしかない。
たとえ原書の魅力が60%ぐらいになってたとしてもさ。
全く同感!
>>340 >>492 >「7」の象徴性がほかにもあると興味深いね。
長谷川富子「モードに見るプルースト」(青山社、2002)で見かけました。
この本アマゾンで7万円とかとんでもない価格になっていましたが、
セブンネットショッピングで注文したところ、普通に定価で入手できました
(今はマーケットプレイスでも普通の価格に戻ってます)
忘れるには理由がありました。
ヴァントイユの七重奏曲にような作品の要となる箇所とは到底思えない箇所だからです。
ひとつは、「ゲルマントの方」で娼婦あがりの前衛女優ラシェルが演じるマーテルリンクの
作品が「七人の王女」であること。7段の石段なんてのも出てくる。
もうひとつは、アルベルチーヌの服飾を形容する際等に、たびたび虹(arc-en-ciel)が
持ち出されていることです(アスパラガスの形容でも)。
ロベールの大辞典でもles sept couleurs de l'〜(虹の七色)という
用例があり、フランスでも虹の色は七色でいいみたい
無視してくださって構わなさそうです。
(余談ですが、虹を4色とする地域も存在したりして、シニフィアンによりスペクトルの切り分け方が
変わる、すなわち、虹の見え方がその人が用いる言語大系によりあたかも変わってくるような話を
何冊かの本で読んだことがあります。最初が佐竹昭弘「万葉集抜書」、その他、丸山圭三郎、
大澤真幸あたりのソシュールかラカンの説明でも例として挙げられていたような気がする。
バイリンガルの人には虹はどう見えるのかなと想像をめぐらしたこともありますが、どうも見え方
に違いがあるわけではないという話もありますね。)
http://www.lib.hit-u.ac.jp/service/tenji/owen/rainbow-color.html
おおぉ、長文じいさんお盆休みで一見さんが多い中、午前中を制覇か 野崎さんスタンダールに限らず星の王子さまの翻訳でも何か書かれていた ような記憶があるけど、専門家があんなにキツイ言葉を書き連ねるのは 穏やかでないね…。いっそのこと、プルーストを一巻翻訳やってみてくれないか と思ったよ。
555 :
吾輩は名無しである :2011/08/12(金) 15:05:04.36
>いっそのこと、プルーストを一巻翻訳やってみてくれないか >と思ったよ。 なにこれ?ばか?
556 :
忍法帖【Lv=17,xxxPT】 マグナ ◆i.K3ZM.pZo :2011/08/12(金) 16:09:08.69
557 :
吾輩は名無しである :2011/08/12(金) 16:17:27.62
にゅ
>>556 残念ながら、この条件は厳しすぎるw
◆ 撮影期間(2011年10月1日〜12月20日)の全日程をあけられること(NG日不可)
>>554 2001年のユリイカのプルースト特集号、それに鈴木道彦のハードカバー版個人全訳
の月報(といっても数か月おきだが)にも、野崎歓は、ネルヴァル絡みでプルーストに
関するエッセイを寄せている。
野崎のこれらのエッセイや「異邦の香り」のおかげでプルースト経由だが、ネルヴァルにも
興味が出てきた。
(どうも俺には最終的に本当にあっちの世界に行ってしまった人は敬遠する傾向がある)
ところで、全集についている月報、図書館ではどう扱われているのだろうか
鈴木の全訳は、内外の豪華執筆陣がお揃っており、文庫版(この解説も
なかなか豪華だが)に比べて、ほとんど唯一の付加価値といってよい。
(ヴァン・ドンゲンの挿入画もあることはあるが)
全集に貼りつけても破損しやすそうだし、貸しだすと月報だけ、こっそり抜き取って
しまう輩がでる危険もある。
月報だけまとめて、図書館側で別冊子に組み直し、貸出禁にでもしているのだろうか。
>559 月報は通常、本体にそのまま糊で貼り付けてあるのが、普通だよ。 >全集に貼りつけても破損しやすそうだし、貸しだすと月報だけ、こっそり抜き取って しまう輩がでる危険もある。 そのようなことを気にする人は、税金で購入されている書籍には不要な事だと いう割り切りを図書館(ここでは公立)はしていると思う。 >鈴木の全訳は、内外の豪華執筆陣がお揃っており、文庫版(この解説も なかなか豪華だが)に比べて、ほとんど唯一の付加価値といってよい。 本体よりも(付加価値?)価値がある月報というのは、どうかな…。 あくまでも本体あっての月報では…。
562 :
吾輩は名無しである :2011/08/12(金) 19:51:38.42
月報はまとめてキチンと装丁して、一人前の本扱いで貸出OKという図書館も あるよね。まあ、調査したわけではないのでどうするのが普通かはしらないが、 案外書庫に保管してるってのもありそうだな。 あとこれ↓、意味がわからないけどおれがフランス人だからかな? >そのようなことを気にする人は、税金で購入されている書籍には不要な事だと >いう割り切りを図書館(ここでは公立)はしていると思う。 この人、付加価値という言葉の意味も知らないみたい、と思うのはおれが(以下略
>>562 >この人、付加価値という言葉の意味も知らない
そうですか、教えてください。付加価値のことばの意味を。
>>562 通常の付加価値は、生産過程で新たに付け加えられる価値のことを
いい、総生産から原材料費と機械設備などの減価償却分を差し引いた
もので、人件費・利子・利潤に分配されると、学生の頃会計学で
教えてもらいました。
で、あなたのいう付加価値の意味とはどのようなものですか?
プルーストの前にさあ、、 在日ばかりの創価学会がやってる自殺強要・集団ストーカー犯罪 優秀な日本国民狩りだってさ。 創価の連中は祖国に帰れといいたい。 日本国民の自殺者が増えてるのは創価の集ストのせい。犯罪創価は出て行ってほしい。 それからだ俺にとって平穏にプルーストを語れるのは。
566 :
吾輩は名無しである :2011/08/13(土) 08:56:54.30
松岡正剛の千夜千冊、第九百三十五夜【0935】04年2月13日 失われた時を求めて、は何をこの人はいいたいのかさっぱり 分からない。 しかし、佃煮おばさんが「プルーストとシーニュ」にこだわるのは、 松岡のwbを読んでなんだろうと知った。
568 :
吾輩は名無しである :2011/08/13(土) 21:58:06.87
松岡のわからなさはかなりいい加減なことを書いているが 権威になってること。誰が認めてるのかしらないけど
長文じいさんと佃煮おばさんが暇だということはわかった
571 :
吾輩は名無しである :2011/08/14(日) 15:12:03.17
光文社古典新訳文庫の「失われた時を求めて」は、光文社の倒産で高遠訳が 頓挫するかもしなれない。どんなに急いでも、あと5年以上かかるだろうから、 今から出版元を変えてやれないものか? 夏休みに読んでみて予想外に良かった。
572 :
559 :2011/08/14(日) 15:19:29.77
>>561 >>562 図書館での月報の扱い、回答ありがとうございます。
「付加価値」の意味で若干盛り上がるとはw
ここでの付加価値は確か村上春樹が使っていた(はずの)用法です。
>僕は自分の本が文庫化される際に解説をつけさせない。
文庫に解説という付加価値をつけて売るのは、いち早く単行本
を買ってくれた人達に申し訳ないから
ってなことを言っていた記憶。
多くの著者は解説をつければ、同じ人が単行本だけでなく文庫まで
買ってくれることも期待できるのでむしろ付加価値を歓迎する。
というより、単行本を買ってくれた熱心なファンのためにも解説はいやだ
などと言っていたら、文庫化すらしてくれないといった出版社との力関係があるのかも。
文庫になると作品のタイトルまで変わっちゃう人もいますね
(例えば、姫野カオルコ。かなり好きな作家の1人だけど、間違えて同じ小説買ってしまった)
573 :
吾輩は名無しである :2011/08/14(日) 15:22:53.85
フランス語も全然できないおばか文学ファンが野崎信者
>>571 高遠さんの訳。ほんのちょっとだけ、原文、他の訳と読み比べてみたけれど、語学教師
が生徒に噛んで含めて教えるような訳し方という印象だった。
(あと、教会内部の図面がついていて、教会内の描写がわかりやすかったという記憶)
確かに、検索したら2009年頃から光文社危ないって記事がある。
でも講談社あるいはその創業者の野間一族の財団が株式の86%を
持ってるみたいだから、いざとなればということになるのかな。
プルーストの前に、、、 創価学会はフランス、オーストリア、チリ、ベルギー等でカルト指定。 さらにアメリカ下院議会では、危険な組織として指定。 ドイツでは、なんとアルカイダ並みのテロカルト組織に指定されている。 集団ストーカー犯罪組織の創価信者達 を日本から追い出すべき。 そうでないと俺は平穏にプルーストのこと話る気になれない、、、
576 :
吾輩は名無しである :2011/08/14(日) 17:34:23.18
>>574 高遠訳は、手触りがある訳だね。プルーストの訳はかくあるべきということからは
離れて、高遠さんの人柄を感じる訳だ。
577 :
吾輩は名無しである :2011/08/14(日) 18:07:37.73
>>573 少なくとも、シンポなんかで、一番流暢に的確にフランスの文化人相手に
やりあってるのが、野崎歓だけど
同時通訳の方もすごい
>>567 「ぼく」(セイゴウ)と「私」(語り手)の記憶が響き合う。
この辺の実践ではあるな(読んでいる際のそうした「ぼく」の「意識の流れ」を綴ってみた?)
>私は、この小説を読んでいて、何かを知るというのではなくて、何かを思い出し、何かに
気がつくのだが、それはこの本を読まなければ気がつかず、思い出さないことでもある。
>プルーストは、私を私に還す。
(吉田秀和「失われし時をめぐって」)
実は、吉田秀和の言っていることはRTP自体にも書いてあることの言い換えに過ぎない。
クオリアの文学って言ってるのは、きっとギャグだと思う。クオリアを綴るのでない文学
など通常あり得ず、何も言っていないのと同じだから(茂木さんをディスってるのでは)
>「時」はいつだって、こうした節会(せちえ)でおこるのだ
「時」が見出されるのも、その破壊作用を間の当たりにするのも「会」(マチネー等)の際
であるということかな。意外と卓見かもしれないと思ったw
>>569 この映像をみると、少なくとも猫がどんな箱に入れられたかはわかる。もの凄く迂遠な装置。
まるでポーの「陥穽と振り子」みたい。
http://www.youtube.com/watch?v=Q8savTZOzY0 むしろ、なぜ「猫」なのかが気になる(犬やネズミだったら、こんな有名にはならなかったような)
@猫のcapricious(気まぐれ)な性格が不確定性とマッチしている。
A猫なら死んでも死なないようなイメージがあり、陰惨さ・可哀想さが若干やわらぐ
(ポーの黒猫は壁に塗りこまれても、ニャーと鳴いてその存在を示した)。あるいは
チェシャ猫よろしく笑いだけ残してテレポーテーションして窮地を脱出してくれそう
(引田天功だと危ないけど)。
Bシュレディンガーが単に愛猫家だった(「健常な人は多かれ少なかれ愛するものの死を
願うものだ。」byムルソー)。
そういえばフローラル(植物系)な作家であるプルーストに猫は出てきたかなあ
サズラさんのとこで飼ってるらしい、犬は出てきたと思うが。
いやぁー、長文じいさんの久し振りの連投、感服しました。
>>565 >>575 むしろ、
>創価の前に、、、
をやめてくれれば、何の問題もないから、もう来ないでね。
581 :
吾輩は名無しである :2011/08/14(日) 19:10:02.65
>>577 野崎さん日本語はカミカミだったけど(その時たまたまかもしれないけど)、
フランス語はそんなことなかった?
>>577 >一番流暢に的確にフランスの文化人相手に
やりあってるのが、野崎歓だけど
いまだに日本人は、ペラペラ話を外国人とするのが、語学が出来るというのだろうか?
常に、その発言は議論内容についてでしか評価は出来ないはずなのに、聞いてる人は
ろくすっぽ語られている言語はまるで分からないのが常だ。
583 :
吾輩は名無しである :2011/08/14(日) 19:33:42.76
何年か前に、野崎は翻訳でこっぴどくヘタをうったと読んだ覚えがある
本当にわかりやすい自演だな
585 :
吾輩は名無しである :2011/08/14(日) 22:39:37.99
>翻訳でこっぴどくヘタをうった はあ? ここ、文学板なんですけど。来るとまちがえてる(笑 しかも↓とくる(笑 >と読んだ覚えがある あ〜疲れた。
もうアセンションの自演はバレバレだからやめなさい
ははーん 俺の自演云々って書いてるのはモドキちゃんだろ? 俺は名無しでは書かないって言ってんじゃんw いま北陸で明日の夜に東京に戻るからそしたらまた話そう
588 :
吾輩は名無しである :2011/08/14(日) 23:47:55.16
野崎歓への嫉妬爆発スレが横行しすぎなんだが しかしなんのための嫉妬か 所詮は全くかなわない相手じゃないか 嫉妬も意味がないんでは?
マルセルェ・・・
>>587 おおそうか。昨日は
>>580 しか書いてないよ。
野崎歓はプルーストとは関係ないはずなのに賑わっていた。
>>579 この映像だと、パラドックスはいまだ解明されていないという説明ですよね。
猫は文学的には魔性の存在だから死なないとか(笑)他の動物ならパラドックスになったかとか(笑)
まあ長文じいさんなりの解釈も多々あるんでしょうが、実証されたというのは驚きです。
ただ、ニュースをよく読むと、量子テレポテーションをした場合に実証されるとあるので、
まあちょっと現代の科学力では無理なんじゃないのかなあというのが率直な所です。
失われた時を求めてには猫って出てきませんよね。馬なら出て来たけど。
あとSF板で長文じいさんの話をしたら、その人はマグナじゃないかって言われたんですけど、
そうなんですか?ちょっと失礼な質問かな?
おい、アセンション北陸から帰ってきたか? なんか1つおみやげ話はないか?
アセンションが来るまで、1つ。 RTPを読んでいる年齢層って高くないか? というのは、関連本の著者の年齢が高くて、例えば20代で目の覚めるような ことを書いてあるものは寡聞にして知らない。あるんだったら読んでみたい。
鈴木さんの全訳が始まったときに、この価格帯で全巻揃えられる または、購入する人ってじきに定年になる、団塊の世代を狙ってると思ったよ。 井上さんのプルースト全集の頃は、鈴木さんの頃よりも景気も良かったから ある程度の年齢層からの購入もあったんだろうが…。
何を言いたいかというと、どうだろうRTPはあと10年もすれば 図書館で言えば、本の天に埃がつき誰も読まれなくなるんじゃないかと 思うのだが
>>595 福井、石川、富山を回ってきたけど、プルースト絡みの土産話はないなあw
間接的なつながりでいえば、前にここで話題になった吉田健一。
彼には「金沢」という小説があって、その舞台になった料亭の付近はうろついてきた。
「時間」とも接点の多い作品だよね。
>>596 若手かあ…ネットで読めるものでいうと、
御茶ノ水で学生海外調査研究として執筆されたものだと思うけど
マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』における二つの時間
――「鈴の音」をめぐって――
というのがあって、ちょっと面白そうだったな。
前にちょっと話した「流れの時間」「淀みの時間」を考える上でも。
>>553 でもなかなか面白いし、やはり読書量がすごいなあ!
ラルクアンシエルって虹のことだったのかw
無意志的想起の回数は…7回まではいかないかな…。
60のおっさんが20そこそこの娘のおまんこを狙うのが大学教授 になった動機とは情けない
加トちゃん乙
RTP全文をchatで検索してみた。
重いので3分の2程度でやめてしまったが、実物の猫は出てこなさそうだった。
猫の出てくる箇所いくつか
フランソワーズが、ジルベルトの女家庭教師経由で仕入れたスワン夫人(オデット)の噂
迷信深くて、フクロウの声を聞いたり、真夜中に猫を見かけたり、壁の中で掛け時計
のようにチクタクと虫の声が聞こえてきたりすると旅行を取りやめる(SC[「スワン家」)。
アルベルチーヌの形容「性悪な牝猫」(SG「ソドムとゴモラ」)。
2度目のバルベック滞在中、手紙でナンパした女の子の会う前と会ったあとの
ギャップの形容。白鳥の騎士ランスロットを一人前の騎士に育てあげた「湖畔の貴婦人」
と呼ばれる妖精ヴィヴィアーヌをイメージしていたのに会ってみたら「長靴をはいた猫」
だった(SG)。
有名なキャバレー「黒猫」(シャノワール)はオデットが出入りする場所として
「スワンの恋」に出てくる
http://en.wikipedia.org/wiki/Le_Chat_Noir 鈴木訳注によると1881年開店なので計算が合わないがRTPではよくあること
(
>>495 参照 スワンの恋は1877−78に訂正だな)
あと、スワン家でもサン・ルーのところでも犬を飼っていることが確認できた
(種類不明)
605 :
吾輩は名無しである :2011/08/17(水) 08:29:32.04
>>604 異国の文学に異常に詳しいのはよく分かりましたが、わが国を代表する古典、
源氏には、猫や小動物の出てくるシーンはありますか、教えてください。
606 :
吾輩は名無しである :2011/08/17(水) 08:47:06.44
源氏物語中の、犬はちょっと思いつかないがネコは非常に重要な役ででてくるよね。
源氏のなかでも最高の名シーンの一つだろうと思います。
>>605 教えてじゃなくて、自分で読めばいいじゃん。
RTPを読み通せる人なら、ラクに楽しんで読めるだろう。
607 :
604 :2011/08/17(水) 09:42:33.22
>>605 源氏おじさんの登場を期待していたんだけどねえ。
仕方ないからこれも俺が代わりにやっておくよ。
若菜(下) 唐猫(からねこ)
柏木は蹴鞠をしているとき、猫が御簾をひっかけて、源氏の親子ほど年下の
幼妻女三宮の姿を見てしまい、ますます恋焦がれるようになる。
策を弄して、その猫を手に入れ、猫が「ねうねう」と鳴くのを一緒に寝ようと
言っているようにとり、同衾する。
その後、柏木は我慢できなくなり女三宮を犯してしまい、不義の子薫が
生まれるわけだけど。
きもいよ、柏木、きもいよ(ゆきりん)
ここでは猫はフェティッシュだな。
若紫の巻 雀の子
病気(おこり、マラリヤ)治癒の祈祷をしてもらおうと、源氏ははるばる
北山に出かける。
そこで、10歳くらいの紫の上の姿を垣間見る。
紫の上が、「雀の子を犬君(いぬき)ちゃんが逃がしちゃったの」と
おばあちゃんに悔しそうに訴え、いくつになっても赤ちゃんねと
たしなめられるのを見て、是非この子を引取って、
自分の理想の妻に育て上げたいと思う。
結局、源氏は彼女を略奪し、初潮をやがて強引にいたしてしまうのだけど
(野合ですね)
源氏の憧れの人藤壺にそっくりだったということもあるけど、
結構ロリ心をくすぐる面もありますね。
608 :
吾輩は名無しである :2011/08/17(水) 10:29:37.68
>>607 をちょっと訂正
雀の子は直接には出てきませんね。
×結局、源氏は彼女を略奪し、初潮をやがて強引にいたしてしまうのだけど
○結局、源氏は彼女を略奪し、初潮を迎えて間もなく強引にいたしてしまうのだけど
はじめて源氏に抱かれた翌朝の汗びっしょりで、終日拗ねて源氏と口を聞かない
紫の上もまた萌える(フェミニストからは抗議がきそうだが)。
お盆休み中、秋山虔が現代教養文庫の1冊として書いた「源氏物語」を読んだ
(1971年刊行。その頃、橋本治は東大国文で秋山教授の指導を受けていたかも
しれない。もっとも卒論は近世の浄瑠璃だか歌舞伎関係だったはずだが)。
源氏を250頁程度で現代語でダイジェスト版に翻案している。
今更ダイジェストなどと思って手をつけずにいたのだが読んでみてびっくり。
20世紀後半を代表する源氏学者だけあって取捨選択が実に見事だし、「紫の
ゆかり」等の伏線、背景にある政治的事情(源氏の須磨行きの原因、ある時期
からの藤壺の国母をめざすしたたかさ等)がさりげなく見事に押さえられている。
和歌はそのまま引用されるが別に現代語訳などついていなくても
十分にわかるよう配慮されており、歌物語の系譜の味わいも死んでいない。
長年源氏を熟読し研究してきた深い学識が細かいところに反映されている。
学者だからとアカデミックな無味乾燥な文体を想像したら間違いで一種の色っぽさすら
感じられる。近代小説の新作を読むのと同じ感覚で一字一句ゆるがせにせずに熟読できる。
秋山虔は岩波新書の解説本などは現役だけど、教養文庫のこの翻案本当に
よくできており、力作といってよい。もっと評価されてよいと心から思った。
秋山は岩波の紫式部日記がダメダメだからねえ
在日朝鮮人が危険なのは、 民団、総連、創価学会、電通 ソフトバンクといった集団で日本を貶める行動をとることです。 創価学会が、日本国の一個人に行なっている悪辣な集団ストーカー犯罪等も許されざる行為です。 これはもはやテロを超えて戦争レベルです。 もっと恐ろしいのは、テレビ、新聞、ラジオを支配し、 国民がじわじわと洗脳されて、洗脳されていることすら気が付かないことです。 正しい魂をもった日本国民の一人一人がこの緊急事態を自覚し、 創価学会 及び 関連組織 に対し、断固、 糾弾・告発、阻止し、日本国民が総出で立ち上がるべき時です。
>生活保護200万人超 3兆4000億円 もうこれ完全に制度として破錠してるだろ。 だから在日は祖国へ帰らないんでしょうね。 これ、在日(帰化していない)の生活保護受給者も含んでのデータっぽいんですよね。 ちなみに2010年時点で、在日の生活保護総計は2兆円に届きそうでした。 そうなると日本人受給者の割合が…。
>>609 日記まで読み込んでいるのですね。
大系(1958年刊)にしても文庫(1964年刊)にしても一世代上の池田亀鑑(1896年生、
秋山は1924生)との分担関係が関わってきそう。
亀鑑はwikiによると1955年に21年かけて助教授から教授に昇格したと思ったら、
翌1956年に亡くなっている。
秋山が、亀鑑のすでに書いたものを生かし、自分はその後の研究成果を織り込むのを
主としたか、逆に積極的に自分の個性を出していったのか。
調べたら、昭和5年(1930年)に亀鑑が単独で校訂した文庫版のPDFが出てきました。
http://uwazura.seesaa.net/article/31413302.html
613 :
吾輩は名無しである :2011/08/17(水) 15:40:25.02
>読み込んでいるのですね。 笑
在日は、犯罪を起こしても通名を変更することで合法的に別人に化けることだってできる。 こうなると、いくら捕まっても初犯で済まされるわけ。 風俗業界の在日経営者にこういう輩が多いらしい。 在日が韓国で差別されるのは、 朝鮮戦争時に自らの意思で日本に逃げ隠れたから。 しかし在日らは強制連行されたと大嘘を吐き続ける ⇒ 在日朝鮮人は「警戒」を「差別」にすり替える。
>>608 >秋山虔が現代教養文庫の1冊として書いた「源氏物語」を読んだ
学者だからとアカデミックな無味乾燥な文体を想像したら間違いで一種の色っぽさすら
感じられる。近代小説の新作を読むのと同じ感覚で一字一句ゆるがせにせずに熟読できる。
結局、権威を前提に読んでの無知蒙昧のご意見ですね。
617 :
吾輩は名無しである :2011/08/17(水) 20:26:41.34
なんだ、やっぱり長文じいさんがほどんど自演をやってたのかwww ここにはもう誰も来ないからなぁ
>>616 権威主義といわれようが実際に読んで実感したんだからしゃあない。
(この手の煽り馬鹿にレスするだけ無駄だってことはわかってるんだが
たまに酒はいってるとねえ)
現代詩人としても有名な藤井貞和の数々の源氏本はなぜか
受け付けなかったんだよなあ。
>>610 >>614 >橋下知事、君が代不起立の教員、実名公表も「職務命令違反を繰り返す教員の名前は保護者も知りたいと思う」
通名じゃなく本名で!
WC試合前に国歌歌うけど、国旗国歌否定教師(在日)に教わった日本人はそういう時は座って歌わないとしたら、
国として崩壊する。日教組は排除すべき。
ソフトバンクのCMで SMAPや黒人が踊りながら外に出てくるのだが、 その出口が なんと犬の肛門だった! こそこそと日本人をバカにしてほくそ笑む 孫正義 犬も豚も、韓国人が相手を侮辱するときの例えに使われる動物 韓国語ではケッセキ(犬の子)が最大の侮辱用語 また韓国人は日本人のことをチョッパリ(豚足)と呼んで蔑んでいる
一般人、普通の人がデモに参加すると、 玄人の活動家目線から「劣化保守」と呼ばれてしまうのか。 馬鹿らしい。 そういう括りで集まっているわけじゃないことを理解してないのかな。 別に参加者は自分が保守だ右翼だ活動家だと思って集まっているわけじゃない。
8月21日(日)13:30〜と、15:00〜、 お台場でフジテレビ抗議デモあるんだよな
在日朝鮮人のすばらしい「愛国心」
・ 強制連行されてきた外国人のはずだが、祖国に帰らせろとは言わない。
・ 祖国は日本よりすばらしいと言うくせに、帰ろうとはしない。徴兵も無視。
・ 帰る祖国が存在するのに、帰る場所はないと言う。
・ 日の丸を見るのも嫌な外国人のくせに、日本から出て行こうとはしない。
・ 立派な朝鮮人名を名乗らず、屈辱なはずの日本人名を自らの意思で名乗る。
・ 大嫌いなはずの日本人に、リアルでもネット上でも成りすます。
・ 外国でトラブルに遭うと、祖国の大使館ではなく日本の大使館に泣きつく。
・ 祖国に帰れば参政権があるのに、なぜか先に日本での参政権を要求する。
・ 祖国を良くするための諫言はしないが、日本には内政干渉をする。
TBSに内定した李さん「在日は武器」
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-404.html
うーん、2人目の個人全訳を成し遂げた鈴木道彦は、すまた温泉峡 にたてこもった金嬉老の事件に積極的に裁判闘争等アンガージュ していた、となるとあながちスレちとも言い切れないのか。 ドレフェス派と反ドレフェス派
2007年に鈴木道彦の「越境の時―1960年代と在日」が出版された際、 あわせて新装版がでていたパリ留学時代の経験を綴った「異郷の季節」 とあわせて読んだ。 マイノリティへの関心。 プルースト自身が、母が同化したとはいえユダヤ人、さらには同性愛者 としてジェンダーにおけるマイノリティだし。
プルーストは、自らが同性愛者であることを隠していたようだが、 (実は生前から公然の秘密ってやつだったみたい)、自らゲイ であることをカミングアウトしている作家・評論家エドマンド・ ホワイトは「マルセル・プルースト」という評伝を出している (岩波書店、2002)。 タディエの浩瀚な評伝も踏まえており、コンパクトだが、当時の パリの住宅事情はじめ風俗等も簡潔に彷彿とさせる筆力もあり、 ことにプルーストの同性愛のお相手の変遷がはっきりと辿れる。 ただ、訳者(田中祐介)でもない、哲学者の中村雄二郎の弟子 らしい、土屋恵一郎という人が解説を書いているけどこいつは余計 っぽい。 篠田一士は「世界十大小説」の筆頭にRTPを持ってきているが、 記述が同性愛に及んでいないことをことさらに沈黙しているかの ように非難がましく書いている。20世紀文学史の中での評価・ 位置づけをする際に同性愛のテーマは本筋からはずれるという に過ぎないだろう。単なるいちゃもんじゃないか。そのほかの箇所 も違和感のある記述が目立つ。 あと、この評伝巻末にプルーストの作品・伝記・関連書の簡潔な書誌 もついているがこれまたよくできているし、面白い。 ドゥルーズの「プルーストと記号」には多くを負っているとある。
629 :
吾輩は名無しである :2011/08/18(木) 08:41:26.51
↑ またおまえか(笑
前にRTPにドルイドやケルトという言葉がでてくるとざわざわする(
>>518 )
と書いたけど、フランスではグレートブリテンにほど近いブルターニュ半島
を除けば、ケルトの痕跡はほぼ死に絶えている。
1906年に、サン・ブリュー近郊で、古代ドルイド教の儀式を再現する催しが
あったという記事もあるけど
http://france100.exblog.jp/2923227/ 久々に河合隼雄の「ケルト巡り」を読み返したが、
ケルトの痕跡が色濃く残っているといえばアイルランド。未だに魔女witchが
存在する(タロット占い等をし、民間のヒーラーとしての役割を果たしている)
文学好きなら、アイルランド出身の作家として、ジョイス、ベケット、さらに古くは、
同性愛の罪で投獄されたオスカー・ワイルドなんて名前がすぐに出てくる。
今なら、アマゾンでフィネガンズ・ウェイク以外のジョイスの代表作の原書が
200円台で入手できるみたい。
>>629 2ちゃんにいると、この世には、内田樹が村上春樹の小説を援用して言うところの、
人を無意味に傷つけ損なう「邪悪な存在」が確かに存在するのだということが
よく分かるよw
子猫の前足を万力でつぶす、あんたのような奴がね。
ようやく慣れてきたがw
>>75 ベケットのプルースト論入手しました。
プルーストは
>人間というものを植物相(フローラ)として意識し、けっして動物相
(フォーナ)として意識しないのである。(プルーストには、黒猫だの、
忠犬などというものは出てこない。)187頁
素直に読めば、まさにそうですね。さらに続けて、
>花や草木は、意識された意志をもたない。それらは、生殖器官をさらけ出したまま、
恥じることを知らない。ある意味でプルーストの描く男女もまた、そうである。
なるほどw
>同性愛は、けっして悪とは呼ばれない。
ここまで断言するとどうだろうか(この評論の流れ・文脈としてはこう言い切るのが正しいのだろうけど)。
確かに、RTPが多くの最高レベルの作品と同様、「善悪の彼岸」に立っていることは間違いないと思う。
633 :
吾輩は名無しである :2011/08/18(木) 09:12:10.49
「自分のような人が増えないようにしてほしい」
634 :
吾輩は名無しである :2011/08/18(木) 09:24:04.24
>ドレフェス派と反ドレフェス派 爆笑
>>634 うん、ドレフェスでなく、ドレフュス(Dreyfus)だな。
さっき気がついた。
多分、学生時代の世界史からずっと間違えたままだったw
試験に出なくてよかったぜ
長文じいさん、まだ夏休みなの?
>>631 >2ちゃんにいると、この世には、内田樹が村上春樹の小説を援用して言うところの、
人を無意味に傷つけ損なう「邪悪な存在」が確かに存在するのだということが
よく分かるよw
そんな大袈裟なこと書くことないのに。
別にいいじゃない、アンタの書いてることに気に入らない人がいてもさ。
637 :
吾輩は名無しである :2011/08/18(木) 12:02:31.36
>>629 >またおまえか(笑
自分も賛成だな。でも、書いちゃいけないなんて書いてないからね。すぐに、
女の腐ったようなレスを出すくせに、図々しい振る舞いがすぐ後ろにあるのが
透けて見えて、ヤナ奴だなぁと感じるだけ。
638 :
吾輩は名無しである :2011/08/18(木) 12:29:07.28
しかし、軽い悪意みたいなものあるね、なんだろう? >子猫の前足を万力でつぶす、あんたのような奴がね。 ↑ たとえば手近から例にあげて申し訳ないけど、この一行に思いっきり込められたもの。
639 :
吾輩は名無しである :2011/08/18(木) 12:33:56.92
ヤナ奴なんですよ、間違いなく。
640 :
吾輩は名無しである :2011/08/18(木) 13:12:45.62
悪意の持ち主が1人なのか、複数なのか わからないところが味噌だな
>>636 このじいさんって初期の等質っぽい
リアルとネットと妄想で、いろいろ見失ってるんだろうな・・・可哀想
642 :
吾輩は名無しである :2011/08/18(木) 13:20:58.67
俺だったら 気に入らなきゃ ここ見ないか黙っているよ 通常の人はふりかかった火の粉を払うとき以外は 匿名掲示板でいちいちわざわざケチつけたりしない 他に居場所はいくらでもあるからね
ブランショの本を読んでいたら、鈴木道彦の名前が出て来て驚きました。この人はただの訳者じゃないんですね。 昔あった五月革命のときにパリにいて、サルトルとは間違いなく交流があり、バタイユやブランショらとはどうか知りませんが、 けっこう過激な政治活動をしていたようです。 五月革命のあったストラスブール大学というと、ブランショの出身大学じゃないですか。 この革命というか政治運動は、ベトナム戦争反対のための決起集会だったようで、世界的に影響を与えたんですね。 だれか詳しい人はいますか?
>>643 >>627 で紹介した「異郷の季節」に留学時代のことは詳しく書いてあった
と思います。
(多分、すぐには見つからないと思うので、入手して読んでもらった方が)
私も当初、プルーストの翻訳者がこんな政治的に積極的だったことが
意外でした。
鈴木道彦の名前がでてきたのがブランショのどの本だったか教えてもら
えればありがたいです。
646 :
644 :2011/08/18(木) 13:53:40.10
「友愛のために」で鈴木道彦の名前が出てきたというと ブランショが触れているみたいに誤解されちゃうよw 清水徹の訳者あとがきで、名前と2冊の書名が出されてるだけだね。 「異郷の季節」と「政治暴力と想像力」。 五月革命を知りたきゃこのへんが参考になるよ、と。
アセンションの向学心は地味にスゲーなあ、 どうやったらそういうモチベーションを持続できるんだ たまにいろいろバカバカしくなって山篭りしたくなるんだが
>>647 そうです。ブランショの文章が未熟で枚数も少ないので、訳注で補強してるんですよ。
それでも薄すぎる本ですけどね。
そこに書いてあった事です。
ほんとアセンションさんは読み込んでるなあ。
>>648 見かけ以上に普段は馬鹿ばっかやってるよw
>>649 小冊子ながらあれは面白い本だよ。
デュラスやデ・フォレ、ポーラン、マスコロ、アンテルム、
そしてレヴィナスらとの関係が垣間見れるだけでも。
佃煮マニアぜんぜん違え。アセンションの指摘があって良かったわ
>>650 「私について来なかった男」「謎の男トマ」みたいなのを期待してたので、正直つまんなかったんですけど、
あれを楽しめる人もいるんですね。もう少しよく読んでみようかなあ。
嘘臭い比較だなおい
なんだ、ブランショの本に「ミチヒコ・スズゥキィ」とか出て来たのかと思ったw ちゃんと正確に書けよなw
この阿呆な名無しはアセンションの自演か?
656 :
吾輩は名無しである :2011/08/18(木) 15:30:29.87
失礼ですが佃煮マニアっていう人は高校生くらいですか? ブランショに手をだすなんてえらいですね。難しくないですか?
佃煮マニアは小学生ですね。
だいたいね、佃煮マニアの好みからして、ブランショの小説を面白いと思うはずがない。虚言なんだよ。
雑談スレのニートが佃煮、佃煮とうるさい
660 :
吾輩は名無しである :2011/08/18(木) 16:26:13.53
>昔あった五月革命のときに この言い方、わざとでなければ・・・ プルーストだのブランショだの言う前に、最低限基本的な知識を持ってないと 話にならないんじゃないのかな。高校生ならともかく、もし大学生以上なら。
661 :
吾輩は名無しである :2011/08/18(木) 16:28:50.56
663 :
647 :2011/08/18(木) 17:22:04.77
>>650 ありがとうございます。
>デュラスやデ・フォレ、ポーラン、マスコロ、アンテルム、
そしてレヴィナスらとの関係が垣間見れるだけでも。
レヴィナスとデュラスのほかは名前すら知らないw
ブランショは購入したはずの「来たるべき書物」を探して、プルースト論を読む
のが先かなあ。
お盆中に若干本の整理をしました。「来たるべき書物」はまだ出てきませんが、
文庫版の「ユリシーズ」全巻、それから昨年どうしても見つからず、その巻だけ
とばして読んだ「特性のない男」第3巻がでてきました。
楽しみです。
664 :
644 :2011/08/18(木) 17:24:21.35
>>642 >俺だったら 気に入らなきゃ ここ見ないか黙っているよ
ところが黙っていられないが、長文じいさんなんですよね?
>>665 バカかお前は?肥溜めにでも首をつっこんで頭を冷やせ
>>666 「ここに知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、
人間をさすものである。そして、その数字は666である」。(13章18節)
>>667 はいはい、佃煮さん、分かりましたよ。
このスレ、長文じいさん他けっこうレベル高いんですよ。
だから半端なことじゃあダメなんです。
>>668 長文じいさんか?
上で持ち上げといたから、いいだろう?
>>669 バカかお前は?誰と誰を勘違いした上に暴走しているんだ?
肥溜めにでも首をつっこんで頭を冷やせ
>>672 >肥溜めにでも首をつっこんで頭を冷やせ
肥溜めって知らないので、辞書で調べました。
…で、そんな古い単語の意味を知ってるのは、長文じいさん以外いないと
いうことですwww
>>673 お前はボキャブラリーが貧弱だなあ
きっと2ちゃんしか読まない文盲だろう
しかもおれは長文じいさんじゃないし
アホは去れ
675 :
671 :2011/08/18(木) 18:27:54.18
>>674 ふぅん、でもこんな単語を使うことだけで、長文じいさんと
同じじいさんでしょう?
肥溜めに全身を突っ込んで、o157にでも感染して下さいwwww
>>676 お前が来るとスレのレベルが下がるから厨房板にでも行っててくれ
>>677 へぇーなら、その根拠を示して下さい。
どうでもいいとっさん、な!
佃煮はバカなくせに頭が良いふりをするけどすぐ見抜かれてしまうね。バカだからしょうがないよね。
>>678 じゃあ書き込みをやめてしばらくスレの様子を見ててくれ
それが根拠になるから
このスレには学歴がいいか悪いかとか頭がいいか悪いかとか家が金持ちか貧乏かとか、 しょうもないことに異常なコンプレックスを持って妬みそねみ私怨を発散する可哀想な人がいるけどなんで? よほど恵まれない環境で生活してるんだね?信じられない・・・
>>680 バカですか?
それがないから根拠を出せなんです。
長文じいさん、お前の書いてることが根拠になるというの?
>>681 違うね。そういう風に解釈するお前が、
>異常なコンプレックスを持って妬みそねみ私怨を発散する可哀想な人
なんですがwww
実は、私は団塊の世代の人に学生運動の話を聞くのが大好きなのです。 あのころは自分も投石をしたとか、あそこの大学は陥落したとか、警察ともみ合いをしたとか、踏みつぶされる人を見たとか。 聞かれると、みんな神妙な顔をして、なつかしいようなおぞましいようなそぶりで、もういいと言ってもえんえん話を聞かせてくれます。 このスレでも五月革命の話をふれば長文じいさんあたりが長々とその話をしてくれるかと期待していたのですが、どうも期待はずれの様です。 でも鈴木道彦の本を紹介してもらったので、それを読もうと思います。
このスレは読書家の人が多いけど、たまに非常に2ちゃんらしい流れになるねw
>>630 スピリチュアルの分野じゃケルトは外せないタームになってるよね。
魔女、タロットもそうだし、ルーン文字なんかも。
かくいう俺も実はルーン文字のフォントをPCにインストしてたりw
アイルランド出身でもう一人名前を挙げたいのはフラン・オブライエン。
「第三の警官」は私的には傑作中の傑作!
>>632 >ベケットのプルースト論入手しました。
おっ、仲間が増えてうれしいな。
RTPが「善悪の彼岸」に立つ植物相(フローラ)の世界だっていうのは
本当にそう思うなあ。もちろんニーチェとは異なるわけだけど。
>>652 「友愛のために」は小説じゃないから当然テイストは違うよ。
あまり語られない私的なことが綴られてる最晩年の小品だから。
>>663 デ・フォレはブランショと仲の良かった寡作の小説家で、
「子供部屋」とかなかなかいい作品書いてますよ。
ポーランはガリマール書店でNRFの編集長だった人で
『タルブの花』という評論が有名。
アンテルムはデュラスの最初の旦那で、次の旦那がマスコロ…
というふうに語っていくと収拾がつかなくなりそうなんでこのへんでw
>>686 >RTPが「善悪の彼岸」に立つ植物相(フローラ)の世界
何をいってんのか分からない。
善悪の彼岸って、ベケットが書いてるんですか?彼岸ってどういう
単語なの?
植物相の世界?人間が植物相とやらにどうやってなるの?
>>632 >人間というものを植物相(フローラ)として意識し、けっして動物相
(フォーナ)として意識しないのである。(プルーストには、黒猫だの、
忠犬などというものは出てこない。)187頁
素直に読めば、まさにそうですね。
どう読めばそんなことが書いてあるの?
単なる受け売りをしてるだけなんでしょう?
長文じいさんは、自分の勝手な解釈を長々と書くから 嫌いなのが、どうやらポイントらしい。 そして、必ず自分の本性下劣なレスを書く気持ち悪い奴なのが 加わる。
アセンションの自演がひどいなここ
>>688 そう、ベケットがプルーストについて書いてる。
>>663 参照。
RTPにはいろんな植物が出てくるよね。
金鳳花とかゼラニウムとかリラの花だとか。
それらはただのモチーフじゃなくて
プルースト自身の生理的な属性のように俺も感じるんだよ。
花や草木が「意識された意志を持たない」ことから
そうしたフローラの世界には恥らうことも善悪もない、
というのがベケットの視点だね。
この後の論の展開は結構ハードになっていくけど。
>>692 >プルースト自身の生理的な属性のように俺も感じるんだよ。
それはそうだね。
>花や草木が「意識された意志を持たない」ことから
そうしたフローラの世界には恥らうことも善悪もない、
というのがベケットの視点だね。
そうかなぁ、花や草木へのある特定の記憶と結びついて
作品を構成してるということで、上記のような解釈は
当たり前といえば当たり前で、植物相なんていうことで
云々はあまりに無批判にベケットの論を鵜呑みにしてない?
>>688 えっ、もしかしてニーチェの作品名を知らないのか
>>693 ベケットのプルースト論にすべて同意してるわけじゃないし
また消化できてるわけでもないよ(かなり硬質な内容!)。
ただRTPを読んで道徳的あるいは宗教的な啓蒙なんかを感じる?
>>695 >道徳的
は、当然ないね。
>宗教的な啓蒙
啓蒙はないが、やはりキリスト教の知識がなくて読んだら生半可だろうね。
「善悪の彼岸」って言葉自体はニーチェのほうで有名だけど
彼岸ってのはあちら側ぐらいの意味だね。
つまり、善悪を判断する土俵とは違う次元、ってこと。
春彼岸、秋彼岸っていうのは時期的な意味合いで使われてるけど、
元々はあちら側にいる死者と交流できるという空間的な意味だったんじゃないかな。
>>696 要は、知識とかそういうことじゃなく、
RTPは同性愛をはじめとして、道徳的な価値基準の次元を超えた領域で書かれてるってことだよ。
相変わらず低レベルな雑談してるんだな〜
>>697 長々ありがとう。
>>698 低レベル以前の、何にも議論をだしてもいない、お前に
とやかく言われる話じゃない。
自分でレベルが高いと思ってるアホもいるみたいだぞ
ベケットはフローラの世界について書いた後で キーツとプルーストを比較して論じてるけど、 ここはキーツのことを知らないとどうも理解できないね。 プルーストには「意志の挫折というものが存在しない」と。 同じ停止状態(淀みの時間!)でも両者では質が違う、と。 誰かキーツ読んでる人はいないかな?
ランボー(Arthur Rimbaud)の「永遠」(L'ÉTERNITÉ)という詩篇
ルフランの第1行で使われる動詞retrouverは、RTPの最終巻のタイトル「見出された時」
(Le Temps Retrouvé)でも使われている。
RTPの初の個人全訳を成し遂げた井上究一郎は、この第1行は、アルキメデス
が風呂に浸かっていて比重の原則を発見したときのエウレーカという発語(ポー
の詩論のタイトルでもある)を思い起こさせるとして、あえて訳に「やっと」
という副詞を付け加えている。
また「まぐわい」という古事記にも出てくる性交を指す語彙を使っているが、
allerにそのような性的なニュアンスはあるのかな。エロティックな訳詩
の多かった堀口大学も「番う」(つがう)という動詞をあてているけど。
堀口、中原、小林、金子の訳は
http://riotejo.exblog.jp/11093676/ やっと見つかった!
何が? 永遠が。
それは海と、落日の、
まぐわいだ。
Elle est retrouvée,
Quoi? ― L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil
706 :
705 :2011/08/19(金) 04:01:16.08
>>70 5の井上究一郎の訳は、ちくま文庫の「フランス名詩集」(2006)からです。
マラルメの「牧神の午後」の訳なんかもとてもエロティックで、ぱっと紙面を見ただけでも
また実際に読んでも音楽的。
訳注は明晰かつ判明。あのRTPの訳は一種の実験で確信犯であることがわかる。
ボードレールの「小さな老婆たち」(Les petites vieilles) という詩の一句。
>ほかの一人は、わが子の刃(やいば)にかかって胸を刺されるマドンナになった。
訳注は「この一句はプルーストが亡き母に献じた追悼辞としてジョルジュ・バタイユ
を感動させている。」
プルースト自身面識のあった青年がその母親を刺殺し自殺するという事件が評判に
なった際(1906・1・25。1905・9・26にプルーストは母を失っている)、プルースト
は感想記事を求められ書いた。オイディプス神話等が持ち出され、最後の一節が、
あたかも母殺しを礼讃・美化しているようにみえるとして、編集者により削除された。
「グレン・グールド 孤独のアリア」(ちくま学芸文庫)でも有名なミシェル・シュネデールに
「プルースト 母親殺し」(吉田城訳、白水社、2001)という著書があります。
707 :
705 :2011/08/19(金) 04:29:37.34
>>705 ロワイヤル仏和中辞典のallerの項目に
《話》 《avec…と》親しく交わる
用例として、aller avec une femme
女とねんごろになる、というのがあった。
708 :
705 :2011/08/19(金) 04:46:41.56
ランボーか…、懐かしいな。
>Elle est retrouvée, >Quoi? ― L'Éternité. >C'est la mer allée >Avec le soleil 一行目の主語Onだと思ってたらElleなのか。 なんでみんな省略して訳すんだろ。 しかしこれを見ると「それは太陽にとける海だ」がどれだけアクロバティックな訳かわかるな
711 :
705 :2011/08/19(金) 09:23:00.17
712 :
吾輩は名無しである :2011/08/19(金) 10:54:33.14
>>710 Onじゃ成り立たないよ。
二行目以下とつながらない。
>>624 先日、フジのドラマでAKB前田敦子が着ていた黄色いTシャツの訳が判った。
fool (バカな)on the hill (高岡の)friends (支持者たち)little boy (原爆でも食らえ!) 。
これは、創価在日のスタイリストが確信犯でやった行為。
もはや宣戦布告。しかも原爆投下の次の日。
不謹慎極まりないフジテレビと一連の関係組織、集団ストーカー犯罪・創価。
日本国民は創価を断固許さない。
714 :
吾輩は名無しである :2011/08/19(金) 11:50:36.82
>>710 どこがアクロバティックなの?これほぼ直訳じゃんw
>>713 毎日くる君は、
僕は在日嫌い
のコテをつけてくれ。
717 :
吾輩は名無しである :2011/08/19(金) 12:54:33.19
>>715 教室の仏文和訳でふつうに○がもらえるレベルの直訳。
これがアクロバティックならあらゆる翻訳文学はサーカス大全集。
ガチの直訳なら「太陽と調和する海」って感じだな 確かに意訳はしてるけどそれほどでもないか しかし「太陽にとける海」ってどういうイメージだろ
719 :
吾輩は名無しである :2011/08/19(金) 14:23:52.05
あはは のんきな坊主だなあ
お前らのレベルで原文なんか読めないんだからおとなしく翻訳を読んでいろ
夏休みだなあ
722 :
吾輩は名無しである :2011/08/19(金) 17:31:46.75
>>720 ここにものんきな坊ちゃん
夏休みだねえ
>>718 >ガチの直訳なら「太陽と調和する海」って感じだな
え?!これが直訳、本気ですか?
724 :
吾輩は名無しである :2011/08/19(金) 18:09:52.74
>>718 書き忘れた、
C'est la mer allée
Avec le soleil
le merとle soleilの定冠詞を単なる太陽と海でガチの直訳?
avecを調和する?ですか…
なぜにランボオ?w あるいはゴダール?
たまたま朝からの流れ。 長文じいさんがam3時からランボーについて書いたことから。
このスレ、いつから仏文解釈のスレになったんだ?
たまに脱線もいいけど仏文スレもあるからねえ
おっしゃる通りです。
731 :
705 :2011/08/19(金) 20:20:21.64
どちらかというと、メインは
>>706 なのです
プルーストが母への追悼辞とし、それをバタイユが感動したという
ボードレールの詩の一句ですね。
英雄は母を失ってはじめて英雄になる
ある母殺しについて記事を書いた際のプルーストは母を亡くしてたった
4カ月しか経っていない。
おそらくまともな精神状態でなかったはず。
自分が実質的に母の寿命を縮めた、母を殺したという罪悪感を持っていた
ようだし。
だから、自分が書いたものが他人にどう映るかすら、きちんと考える余裕がなかった。
その後、ある期間を経て、一種の喪の作業としてCSBに着手することになる。
こうして真の大作家プルーストが誕生する。
これをきっかけに「母親殺し」という本をきちんと読んでみようかと。
732 :
705 :2011/08/19(金) 20:22:39.72
>>705 ももちろんRTPと無縁ではありません。
主としてretrouverのreという接頭辞につき考えていた。
プルーストに造詣が深い井上究一郎はこれを長い時を経て
「やっと」という訳し方をする。
「また」とか「再び」と訳すと、過去にすでに発見していたものの
単なる再確認程度にとられかねない。
しかし、実は限りなく新発見に近いのであって、それまでもずっと存在は
していたのだけど見えなかったものが、なんらかの触媒あるいは方法
(例えば風呂に入ってからだを弛緩させ血行をよくする)がきっかけになり
はっきり明るみに出てくるようなところがある。
RTP最終巻のタイトルのLe Temps Retrouveの含意でもある。
プルーストもこのランボーの詩の有名なルフランを意識していた可能性も
あるわけだし。
例のreminiscenceを無意志的記憶ではなく再記憶と訳す人もいるけど
過去の体験を単に再確認するのではなく、すでにその人の内部にあるのだけど
それまで見えなかったいものがなにかをきっかけに立ち現われるという性質が
大きい。
長文じいさん、長い昼寝から起きたかwww
>>733 仕事と晩飯だよ。
仏文解釈のやりとりは合い間にちょくちょくのぞかせてもらったけど。
参考になった。
それはお疲れ様でした。
737 :
705 :2011/08/19(金) 21:00:58.89
>>731-732 なるほど〜。外から携帯で見たから流れがよくわからなかったw
実はそのランボオの詩句については、別スレで話題にしたことがあったよ。
ゴダール、そしてカミュの異邦人と絡めて。
もし機会があれば仏文スレで。
バタイユがプルーストについて書いたものって「文学と悪」に入ってたっけ?
あったような気もしてるけど失念。
そろそろ今晩も皆さん揃い踏みかな…。 少し涼しいし活発な書き込みromします。
ル(re)という接頭辞は基本的には反復の意味があると思うんだけど、 ルプレザンタシオンなんて哲学的によく使う言葉なんかを考えてみても 潜在的なものが顕在化するような含意があるということなのかな。 RTPの「再び見出された時」も、見出されたのが「再び(2回目)」ではなく、 潜在的にあったまま埋もれていた時間が、顕在化された、と。
741 :
吾輩は名無しである :2011/08/19(金) 22:19:05.21
ただ、死後の作品なのでプルーストの意図がどこまで編纂者が 組み入れたかは不明
アセンションは悪文なうえにつまんない
>>740 今日の一文は、キレがいいよ。スーパードライみたいに。
>見出されたのが「再び(2回目)」ではなく、
潜在的にあったまま埋もれていた時間が、顕在化された、と。
とりあえず、RTPで長の時間を経て読んできた読者がプルーストの
感覚を共有し見出したということの、作者と読者の二重の意味から
見出された時なんでしょうね。
自演するなら文体とか改行ぐらい変えろって
↑ アンタ何言いたいの?
今一読した。プルーストの原文を読めばわかるが、 >「無意志的記憶」とは、偶然的な現在の感覚と類似した過去の感覚の一致から、本 人の意志によることなく、即ち、知性が関わることなく、過去の情景がありありと 想起されるという現象 という他ない独特の緊張感というか呼吸を止めて読まなければならなく そのことが、プルーストが感じたこと、理屈を越えてビンビン伝わる ものだけど、鈴の音に関する部分は俳句による比較分析は少し違うように 思う。
>「鈴の音」が示唆する「継続した時間」をも意味するもの と考える。なお、要件のうちの「知性」はこの双方に 必要とされる。「鈴の音」の描写は、俳句を参考としても、 「無意志的記憶」の対極にあると思われる。 上記のことが、個人的に、実際どういうことを指すのか実感がわかないと 言うだけのことなんだが…。
>>684 なんだこの懐かし動画(笑)
きいたこともないし。
>>738 どうもバタイユっていうと、目もつぶれ、肉体がどろどろに崩れかかった梅毒病みの父親を持ち、
長じてからは、自らも妙な秘密結社を作り最初の生贄になろうとしていたなど、不健康で陰惨すぎる
イメージがあって敬遠してます。昔、バタイユを称揚していた、最高裁判事の息子の経済人類学者
が胡散臭かったこともある。それでも酒井健の解説本含め、数冊読んだかな。眼球譚(目玉の話)も。
(もともと人間なんて一皮剥けば、誰しも狂っていてアモルフな存在なのだからことさらにグロテスクな面を
強調しなくてもと思ってしまう)
彼の本にあった、木杭にくくりつけられ、凌遅(百刻み)の刑に処せられ、恍惚とした表情の清国の
青年の写真など半ばトラウマになっているし(凌遅刑といえば、莫言の長編「白檀の刑」は名作ですね)。
http://blog.goo.ne.jp/tomotubby/e/7a5177aa755b269e16fde56a5b49d611 「文学と悪」。確かにプルーストもボードレールも入っているようです。
読んでみようかと。
>>749 歌詞の「燃えた命」が「燃える闘魂」のような比喩でなかったこと今回引用してはじめて
気づきました。
フランシーヌさんの場合は、パリの街でもなく、本当に自らが燃えてしまったんですね。
確かに、反ベトナム戦争のために焼身自殺するなんて、もし他の動機がないとしたら、
本当におバカさんだ。
3月30日という日付もフランス革命時かパリ・コミューン時あたりなかなと勝手に思っていた。
リアルタイムの1969年だったとは(五月革命の10ヶ月後)。
ブランショの書名にもある「友愛」を象徴するのがフランスの三色旗のうち赤であることにも気づきました。
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_485c.html
>>743 >作者と読者の二重の意味から 見出された時
そうそう、RTPの一番の魅力は、この作品自体が読者の無意志的記憶を導き出す
触媒たり得ていることだと思う。
プルースト自身も、自分の作品は、読者にそれまでも存在してはいたのだけど
見えなかったものを見えるようにし、読者を読者に還すためのメガネ・望遠鏡
であるという趣旨のことを言っている。
RTPを読むという行為が、紅茶にひたしたマドレーヌ菓子
を口にするのと同様の役割を果たす。
青春期を過ぎてからの読書で、こんな自分にとって大切な作品に出くわす
なんて思ってもみなかった。
>>596-598 前に若者によるRTP論がないという指摘があったけど、自ら作家を目指す野心的な
青年以外には本来無縁の作品とすら思います。
そういった野心的な若者たちも当初は それこそ権威主義でジョイスやら沙翁やら
ドンキやらと一緒にがしがし読むに過ぎないのだろうけど、一種時限爆弾のように中年
以降になってはじめてこの作品の魅力に気づくケースが多いような気がする
バルトは若い頃から、何事につけても、RTPという望遠鏡を通じて、世の中をみる習慣がついていた
ようなことを言っているけど。多分例外では。
(人は愛するものについて語るとき常に失敗するなどと嘯いて、RTPに言及した文章は驚くほど
少ない)
吉田秀和はすでに初老に差し掛かってのヨーロッパ滞在中、母危篤の知らせを受けての予定を
切りあげての帰国中にこの作品の魅力に目覚めたようだ。
20歳前後でいったん通読はしていたようだけど。
(なお、吉田にしてもバルトにしても音楽に年少より親しんでいる、ドイツ音楽の系譜ではことにシューマンあたりと。
音楽に親しんだ人はプルーストを受容しやすい下地ができる面があるような気がする。特にピアノを弾く人。)
そもそも作家を目指す若者自体が減っているのではと思う。
映像作品をつくる敷居が極端に低くなったから。
かつては高額な機材で焼き直しのきかないフィルムを大量に費消した。とてつもなく金のかかる趣味だった。
今は安価なハンディカムひとつで安価な記憶媒体になんどでも撮り直すことができる。編集・加工も容易だし。
現在、視覚に頼らず、あえて文字だけでなにかを表現・伝達しようと考える若者は激減しているのではないか。
確かにプルーストはこれからますます読まれなくなる可能性は高いのかも。
図書館の片隅でほこりをかぶって眠っている本に。
>>753 >作家を目指す若者自体が減っているのではと思う。
そうでもないように、携帯小説を読んでると思うけどな。
>映像作品をつくる敷居が極端に低くなったから。
かつては高額な機材で焼き直しのきかないフィルムを大量に費消した。とてつもなく金のかかる趣味だった。
う〜ん、そう?20年以上前からVideoで映像を撮り編集も同様だったけどなぁ。
コマーシャルの世界でも、地方ではVで撮り3/4や1インチ編集をしてたよ。
>現在、視覚に頼らず、あえて文字だけでなにかを表現・伝達しようと考える若者は激減しているのではないか。
これはそうだね。紙に手書きで書く人は絶滅種だろうな。
全てディスプレイに写るものがメディアの中心になってるね。
>プルーストはこれからますます読まれなくなる可能性は高いのかも。
面白いんだけどね。
>>750 今朝、バタイユの「文学と悪」を引っ張り出して確認したところ、
プルーストについての論は25ページほどで、
最初の4分の1はほとんど「ジャン・サントゥイユ」をめぐって書かれ
若い頃のプルーストにとっていかに政治が重要だったかを述べるという、
あまり面白くないテーマw…かと思いきや、
次の4分の2番目では、非道徳的な道徳について、
4分の3番目では、エロティシズムと快楽について、
そして最後は「正義と真理と情熱」をめぐって〆るという
いかにもバタイユらしい構成でしたよ。
756 :
吾輩は名無しである :2011/08/20(土) 11:45:40.25
>視覚に頼らず、あえて文字だけでなにかを表現・伝達しようと考える若者は激減しているのではないか。 そのとおりだろうと思います。 でも、文字言語と映像・視覚メディアは共存関係にあるでしょう? あなたの言い方もそのように読めますし。 映像を表現手段として活動している人には読書家が多い。 とくに優れた仕事をしている人はそういう傾向が強いとおもいます。 むしろプルーストはこれからますます読まれることでしょう。電子ブックでね。
バタイユも読んでないのか こいつは基本的に読書量が少なすぎるな・・ 恐らくジャンサントゥイユ論の書かれた意義も理解できないだろう
>>747-748 さんきゅ。早速読んでくれたんだ。
俺も俳句との絡みのところはよくわからなかった。
あえて俳句を持ち出す必要なんてあるのか?と。
ただここで扱われている「瞬間的時間」と「継続的時間」が
前に松浦=吉田のとこで話した2つの時間対比につながるかな、と。
レミニサンス(無意志的記憶)は「瞬間的時間」につながり、
鈴の音の記述の部分は「継続的時間」につながるというのが論旨だね。
>>757 ははーん、バタイユの「文学と悪」所収のプルースト論は読んだかい?
プルーストをニーチェに近づけ(すぎ)てるように感じなかった?
>>758 アセンションに紹介してもらった論文だけど、プルーストの
凄みってのがあってさ、それは読んでる側でプルーストの伝えたい
感覚が伝わると、文字通り腸をえぐられるといった風なこともあるし
脳みそが急にクリァーになることもある。そらの表現で語られる中核に
「時間」があるわけだよね、その部分を論文は分析してるんだけど、
どうにも頭が悪い自分には、単なる技術的な話でしかないようにしか
読めないんだ。
訂正です (誤り)そらの表現で語られる中核に (正) それらの表現で語られる中核に
>>760 まああの論文は形式主義的だよね。
論文というのはほとんどそうかもしれないけど。
感覚によって読めてしまう読者には
本当は分析なんていらないのかもしれないな。
「腸をえぐられる」あるいは「脳みそが急にクリァーになる」
という感覚が与えられるのは、どのあたりになるんだろう?
ヴァントゥイユとかマドレーヌとかかな。
>>755 さっきアマゾンのカートにいれて留保してましたが
やっぱり注文します
>>754 映画に関しては 1990年代くらいまではまだ8ミリ映画祭も隆盛していたようです
どうやらデジタル化への一斉雪崩れ込みは、20世紀末あたりが分水嶺みたい
http://ja.wikipedia.org/wiki/8%E3%83%9F%E3%83%AA%E6%98%A0%E7%94%BB >>756 優れた人達は大抵隣接する分野関連する分野への関心が深い
例えば、優れた漫画家は、読書家だし、映画もいっぱい見ていますね
ゲームクリエイターもしかりだと思います
>むしろプルーストはこれからますます読まれることでしょう。電子ブックでね。
さらにはエスキスなど各段階の草稿にも自由にジャンプできれば
もっと楽しめる 軽いのでいつでもどこでも
今のところ無人島の一冊はガリマールのRTP1冊本のペーパーバックス
だろうけど 様変わりするな(電池要るといった話はなしの前提)
俺の場合は電子辞書と できれば日本語訳もつけてほしいけどw
岩波と光文社、読むならどっちですか?
>>766 岩波に1票。
ただ、岩波も「スワン家」までしか出ていないし、光文社はまだその前半だけ。
最初の通読にこれらの完結を何年も待つのが得策でないことは明らか
読むなら集英社一択というのが本音
(別にスワン家だけ岩波でも問題は生じないと思います)
ちくまはもしかして原文と対照するにはいいのかもしれないが通読にはつらいと思う
(私は井上究一郎の訳詩集、エッセイ等大好きだけど この訳で通読するのは正直無理だ
根強い支持者はいるけど)
それにハマってしまい、プルースト全集が欲しくなった時、19巻のうち10巻は井上訳の
「失われた時を求めて」なのでちくま文庫で揃えていると買う気が失せる危険があるw
>>767 ありがとうございます。
読むのは遅いのでなるべく待つのは大丈夫なので岩波にします。
769 :
吾輩は名無しである :2011/08/20(土) 14:36:16.81
岩波は図版がたくさん入っているのが楽しいですね。 しかしいくら読むのが遅いといっても・・・
770 :
吾輩は名無しである :2011/08/20(土) 15:15:55.91
岩波にしても、光文社にしても、全巻完結はいつになるんだろう? 岩波は半年ごとに1巻の予定らしいから、全14巻が完成するのは、2017年頃? できれば、2年ぐらいで完結してほしい。
>>766 訳本の選択は他人に聞いちゃあダメだよ。
どれだけ多くの人が、Aがいいと言っても読んでみなけりゃ分からない。
自分本位で選ぶしかない。
1つしか無かった翻訳が、多数新翻訳がでるとー例えば、星の王子さまー
どれが一番いいなんて言う奴が必ず現れるが、自分で読んでみなければ
決まらない。
RTPでいうと、訳し上げの井上訳と訳し下げの鈴木が同じ作家の翻訳だけど
ずい分違う。吉川訳と高遠訳だって仔細に見ればかなり違う所があること
だろう。
だから、本屋でまず立ち読みしてみることだよ。
俺も
>>771 の意見に賛成
こればっかりは一般論では決められない
ただ、あとから出た訳は先行訳を参照してるので有利な戦いをしてるのは確か
ところで、アセンションはベケットが好きなの? 学生の頃、「モロイ」の購読をやらされ「この野郎、何書いてんだ!と 頭が熱くなった。その時に書き込みをした、folio版を探したが、 見つからなかったが、どうにかしてる文章だったよ。 スレちごめんね
ほんとスレチだな ベケットスレにもアセンションは出没してるからそっちでやったら
翻訳は合う合わないの好みがあるからねえ。 ただそうしたテイストの違いだけじゃなくて、底本にしてる版の違いもあるから、 鈴木訳で読んだ俺も、吉川訳が完結したら再読したいと思うよ。
>>774 ベケットスレで、アセンションが「モロイ」を進めてるので
その内容について聞こうかと思った。
>>773 ベケット好きなんだよなあ。
「どうにかしてる文章」がいい! どうにかしてる人間なのでw
ベケットは評論はほとんど書いてないんだけど(特に後期はまったくといっていいほど)、
そのベケットが珍しく熱く語ってるのがジョイス、そしてプルーストなんだよね。
(ベケットスレは過疎ってるのでwこのスレの人がたまに遊びに来てくれるとうれしいな)
>>777 よし出張をお約束する。
モロイでボコすぞ
>>778 S'il vous plaît venez(w
しかしまあ当然ともいえるけれど、
ベケットもブランショもプルースト論の〆はヴァントゥイユの音楽なんだよね。
前にちらっと話題の出たナティエ「音楽家プルースト」も今度読んでみようかな。
>>751 ああそれは興味深いですねえ。私はそういう話が聞きたかったんです。
貴重なお話どうもありがとうございます。
へえ、60年代にこんな女性がいたんですねえ。初めて知りました。
日本では樺美智子さんが運動の犠牲になりましたよね。
>>755 文学と悪は大分前に読んだけど、まだプルーストを読んでなかった時期だったので、内容は理解できないままでした。
この間サドを読んだのでまた再読するつもりです、その時にプルーストの所も読んでみよう〜
781 :
吾輩は名無しである :2011/08/21(日) 01:25:10.55
リトルミスサンシャイン見ましたか?プルースト?と言う人を少し耳にしましたので♪非常によく出来た作品です。一度ご覧下さい。
>>748 俺もおとといから何回も読んでいるけど、ぴんと来ない。
もともと海外調査(フランスに行って草稿を見ること)の必要性を説く方便でしかない疑いもある。
とりあえず、菊池論文の肝(俳句は無視)を書き留めておく。
TP(見出された時」における語り手の独白がまず引用される。
>「この鈴の音は常にそこにあったのである。つまり鈴の音と現在のこの瞬間の間には、無限に拡がる全過去、
自分がそれを担っていたとは気づかなかった全過去があったのである。(IV,p.624)(拙訳)」「これほどにも
長いこれら全ての時間、一度の中断もなく、私によって生きられ、[…](IV,p.624)(拙訳)」。
ここから菊池は文学的創造の3要件を抽出する。
1、無意志的記憶の一つレミネサンスにより時間の外で会得した「事物の本質」
2、上記を定着させるため、及び、文体を作るための「知性」
3、材料としての「作家の全生涯」
過去ログで1、2は散々、微妙に表現を変え、論じられている(菊池はレミネサンスを無意志的記憶の1ジャンルに
しているが両者を区別しない人が多い。辞書でもレミネサンスの和訳として無意志的記憶が挙がっている)。
3が新奇な指摘だろう。そして、1が「淀み」の時間乃至瞬間的時間に関わるのに対して、3は継続的時間に関わる、
それはある過去(ここでは「鈴の音」のシーン)から語りの時点までの時間であるとされる。
783 :
782 :2011/08/21(日) 04:07:03.57
ベケットは、プルーストの反主知的態度(本能的知覚・直感の優位性)の付属物として相対主義、印象主義 があるという。後者の印象主義とは、 >彼が現象を述べる際の非論理的なやりかた、一連の因果関係のなかに強引に押しこめるために現象をゆがめて、 明瞭なものにするよりさきに、まず現象を知覚した順序にしたがって、知覚したとおりに正確に述べる、その非論理的 なやりかたのことである。 そして、画家エルスチールはこういう印象主義者の典型であるとする。 文章表現における印象主義、すなわち「現象を知覚した順序にしたがい、知覚したとおりに正確に述べる」典型例として、 「コンブレー」におけるスワンの訪れをつげる「鈴の音」のシーンを挙げることができるのではないか。 ここの箇所、吉川一義が訳者あとがきの翻訳苦心譚で結構長く引用しているシーンである。 吉川は、いわゆる「訳し上げ」、漢文でいえば返り点を使うような訳し方をできるだけ 避けて、「訳し下ろし」、すなわち、原文で個々の単語が出てくる順序を可能な限り 尊重する方針を取ったことを明言している。 もちろん、フランス語と日本語で統辞法が異なる以上、それが不可能な個所は多々あり、 あくまで方針に過ぎないと断っているけど。 特に「鈴の音」は知覚(吉川は「認識」という)した順序が大切なシーンであり、「訳し下ろし」の必要性が 高かったので吉川も工夫をした例として挙げているのだ。
784 :
782 :2011/08/21(日) 04:10:09.89
菊池の3要件のうち材料である「作家の全生涯」を知覚した順序に書いたら、人間の一生分の時間をかけて読むしかない 作品になってしまう。というより、書くには読む以上にかかるから、そもそも有限の生命しか持たない人間がこれを書くこと 自体が不可能だ。 ジョイスの「ユリシーズ」のように「1904年6月16日」といった特定の1日に絞り、「意識の流れ」の手法により そこに全過去を織り込むないし暗示する等の工夫が必要になる。 ジョイスの「意識の流れ」と「印象主義」はオーバーラップする面が多いことになりそう。 さらに、wikiでは意識の流れと内的独白、無意志的記憶の三者が同一視されている(本来、要出典だよなあ)。 確かに、これらは、目的論的思考、因果論的思考といった知性の賢しらによる秩序づけを忌避し、 知覚が捉えた順、意識にのぼった順に描写されるという点で共通する。
785 :
782 :2011/08/21(日) 04:20:26.50
デイヴィッド・ロッジ「小説の技巧」(白水社、柴田元幸・斎藤兆史訳、1997)では、「意識の流れ」の項で ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」の一節が取り上げられ、「意識の流れを描き出す手法に関しては、 どうやらジェイムズ・ジョイスの方が一枚上手のようだ」と、次項の「内的独白」の項の「ユリシーズ」の一節 に流れ込んでいく。 「意識の流れ」と「内的独白」の2者は区別されていない。 ロッジによる内的独白のイメージ >読者は、ちょうど誰かの頭の中にコードを差し込み、肉体的刺激や観念連想によって 被験者の脳裏に呼び起こされる印象、思考、疑問、記憶、空想などを無限に録音し続ける テープをヘッドホンで傍受している格好になる。 「ユリシーズ」だけでなく、フォークナーの「響きと怒り」もこんなイメージか。 白痴の内的独白など、岩波の懇切丁寧な新訳でないと、とてもついていけなかっただろうな。 「無意志的記憶」「印象主義」と併せて4者をいちいち分類する意味があるのか自体が疑問だし これくらいに留めておくしかない。
786 :
782 :2011/08/21(日) 04:41:40.61
菊池論文は、この論点を詰めるために海外に行って草稿をみる必要があることを 言うのが主眼なので結論がはっきりしない。 プルーストの場合、作品の背後(地と図のうち地)に横たわる「全過去」=継続する時間 を彷彿させるのにどのような手法を用いたか。 どんな作家でも作家の全生涯ないし全過去以外に書く材料などないのであって、 何か書けば、それが反映されるのは当たり前すぎるので言葉が浮かばないのだ。 菊池が2要件に「全過去」を加えて3要件にしたこと自体が余計なことで、意味が ないようにどうしても思う。 結局、スナップショットのような断片(図)、各断片間の響き合い、一種ネタばれともいえる 「見出された時」における語り手の内的独白で、背後に横たわる「地」としての継続する時間 =全過去を暗示しているという当たり前のことになってしまう。 別にどんな文学作品でも大概そうでないかということに。 ここのログだけ、今書きながら考えた。すまん。
787 :
782 :2011/08/21(日) 05:01:06.25
>>782 で「見出された時」の略、TPにしたが、TR(Le Temps Retrouve)の間違いだな。
最後に音楽と「印象主義」の関係について
音楽は、演奏された場合、当然のように音が出る順序でしか知覚できない。
この点でも音楽は特権的である。
しかも翻訳というフィルターがなく(訳し上げか訳し下ろしかといった問題も生じない)、
だから、ナイーブに万国共通語のように思われている面もある。
ベケットはプルーストの音楽観はショーペンハウアーに色濃く影響されているという
(ナティエの「音楽家プルースト」でもショーペンハウアーは沢山出てくるのだけど、
前に引用したときはあえて無視している)
ショーペンハウアーの音楽観の肝。老音楽評論家に敬意を表して、初期評論から。
>彼によれば、他の芸術はすべて意志の表象たる現象の世界に属するのに反して、音楽だけは意志の直接の
表明であり、音楽は世界の根底としての意志とともに、根源的な運動力である。ショーペンハウアーは、音楽を
いわば芸術的な《物自体》にまで高めた――(低めたといっても同じことだろう)。
吉田秀和『主題と変奏』より「ショーペンハウアーのフリュート」
788 :
782 :2011/08/21(日) 05:32:12.87
音楽は、他の芸術と違い、「現象の世界」に属さないというところがポイント。 ベケットだと >音楽以外の芸術は、《観念》を、それに付随する現象によって生み出しうるにすぎないのに対して、 音楽は《観念》それ自体であって、現象の世界を知らず、宇宙の外に観念として存在し、《空間》の うちにではなく、《時間》のうちにおいてのみとらえられるものである。189頁。 だから、音楽は「目的論的仮説によってそこなわれることがない」。 そもそも現象の世界にないので、現象の生起する順序といったことも問題にならない。 因果関係、目的手段関係といった賢しらからはじめから解き放たれている。 ただ、聴き手の不純さから、本来「非物資的である音楽芸術」がオペラのような堕落した姿になって しまうこともある。 プルーストも繰り返し現われる神秘的体験を、「純粋に音楽的な印象」すなわち「「物質のない (シネ・マテリア)」と音楽になぞらえて叙述している。 しかも、その神秘的体験は音楽がきっかけになることも多い。 ベケットは、「音楽はプルーストの作品において、触媒的要素をなす」としている。 現象の世界(空間)の外にある、「目に見えない現実」=「芸術のリアリティ」、 「人格の永久不変」性が直感される瞬間を格別の「恩恵」として与える「触媒」であると。 確かに、アセンション氏の言うように硬質で、要約はむずかしかった。勘弁。
790 :
782 :2011/08/21(日) 06:20:29.79
ショーペンハウアー(1788−1860)ってのも面白い人だなあと思う。
1819年、33歳にして主著「意志と表象としての世界」を書きあげてしまう。
主著をひっさげ、ヘーゲルに対抗して、同じ大学で同じ時間に講義をいれるが、もちろん生徒は全く来ない。
このあとは、フランクフルトに隠棲し、主著の注釈を書いてすごした。
この注釈であるエッセイ集の方が多分読まれている。「幸福論」とかいろいろ銘打って。
だって、主著の序文で、この本は少なくとも2回読め、あとカント哲学を熟知してからでなければ読んでも無駄だよ、
できればプラトンもね、ウパニシャッドも齧っていればもっとよい、なんて書いているのだから。
飼っていたむく犬の名はアートマン(宇宙精神)
http://www.art-tokyo.com/?cat=9 今、wikiも確認したが、作曲家ではロッシーニ好きだったってのもいいな。
>>781 アマゾンのレビュー見てみました。
>ホモセクシャルのプルースト学者フランク(スティーブ・カレル)の目線でストーリーが進むロードムービー。
レビューで引用されているフランクのセリフ
「マルセル・プルーストを知ってるか?フランスの作家だ。ゲイで精神的に混乱していて、
まともな仕事につくこともなく、生涯に1冊しか本を出さなかった。しあわせな時間は無為
に過ぎてしまう。プルーストに言わせれば、苦難の年月こそもっとも生産的だ。」
生涯に1冊じゃないじゃん、っては置いといて面白そう。
見てみます。
長文じいさんの朝一のド糞書き込み。 涼しくなって元気になったのか?
>>792 いや、とりあえず、今気になっていることにうつりたいので。
うんこでも、しておこうかと。
(Coccoって沖縄出身の歌手がかつて自分の歌は排泄物です、っていって結構話題になっていた
もちろんいやなら別に無視しておいて構わねえ。だから番号つけてわかるようにした)
「鈴の音」の論文を読んだ感想はある程度まとまった形にするしかなかった。
最終的には全否定に近いおちなんだけどね。
当時のフランス社会において、娼婦と女優がどう重なり合っていたのか
ユダヤ女で安娼婦をしていたラシェルは最後にはラ・ベルマを完全に食ってしまう
人気女優となっている。
鹿島茂の本を数冊取り寄せたので読んでみる。
ショーペンハウアーなんて古臭い話ではなく、この50年の間に 構造主義、記号論、物語論、詩学などと様々な名前で呼ばれた アプローチが生まれた、しかし三つの限界があった。 第一は、それが目指す文学の一般文法という目的の時代的制約である。 物語論が目指したものの一つとして、ソシュールの言語学以来のラングと パロルの図式におけるラングに該当するものとして、文学ジャンルの定立があった。 しかし文学ジャンルというものは、時代固有のものであり、時代を超えた普遍性を持たな いのである。だから、ジュネットが小説(roman)というジャンルの分析を行う際、 分析例として挙げられるのが18 世紀から20 世紀の小説であり、それ以前のものが 扱われないように、一つのジャンルについての考察は、そのジャンルが存在している 時代についてのみ有効となるのである。
第二で、構造主義が理論ではなくアプローチの方法であることである。 R. バルトにせよ、G. ジュネットにせよ、一度分析のツール・方法が 確立されてしまえば、あとはそれをどのテクストにも機械的にあてはめる だけになってしまう。物語論(narratologie)は、理論ではなく分析のツールにすぎない
第三に、文学テクストをあらゆる文脈から切り離したて独立した静態的記号体 とすることで、作品の意味の絶対性を前提としてしまうことになる。 ここにおいては、「誰が語るのか」にのみ焦点が置かれ、その作品を 「誰が読むのか」は完全に無視されてしまうことになり、作品の絶対的意味は 外部から切り離され作品に内在することになる。 しかし、文学作品は読まれなければそこにテクストの意味は発生しないし、読み手とその 読まれる時代によって意味 = 受け取り方はその都度変わり続ける可能性を持っている。 ここに、W. イーザーなどが唱える受容理論やJ. デリダの脱構築などが登場してきた。
>>794-796 す、すごい。これ今何も見ないで書いているの?
そうそう、第二の件。学生時代、日本の近代短編小説を二流、三流(多分)の学者がそのツールでよってたかって
分析してみせた論考を集めた本を読んで、あまりの味気なさ、つまらなさ、というより霊感のなさに嫌悪感を持って
しまい、ジュネットにも手を出さなかったという経緯がある。
>>136 >プルーストの研究者として高名な
ジャン・ミーの「テクストの詩学 (現代フランス文章読本)」行路社1998は
面白かったな。
基本概念を押さえるつもりで、ジュネットの前に今この本、読んでいます。
>>797 >面白かったな。
訳文はこなれていないから、なかなか難物だけどね。
行路社の人すごく誠実な人、訳者の上西さんとは京大の同級生らしい。
フジと一連の組織は点と線で繋がっています。 在日朝鮮人が危険なのは、 民団、総連、創価学会、電通 ソフトバンクといった集団で日本を貶める行動をとることです。 創価学会が、日本国の一個人に行なっている悪辣な『 集団ストーカー犯罪 』等も許されざる行為です。 これはもはやテロを超えて戦争レベルです。 もっと恐ろしいのは、テレビ、新聞、ラジオを支配し、 国民がじわじわと洗脳されて、洗脳されていることすら気が付かないことです。 正しい魂をもった日本国民の一人一人がこの緊急事態を自覚し、 創価学会 及び 関連組織 に対し、断固、 糾弾・告発、阻止し、日本国民が総出で立ち上がるべき時です。 フジテレビのデモ に関連して、今後マスコミは真実を勇気をもって日本国民に報道すべきです。
801 :
767 :2011/08/21(日) 09:58:17.77
>>768 できれば、せめて半年くらいで全巻通読してほしいな。
(全集10巻月報の中村真一郎の文を読んだら、関西人か関東ないし東京人かで訳の好みが
分かれるといったことが書いてある。やはり本屋か図書館で実地に確認して選んでもらった
方がいいかも)
というのは、「見出された時」の後半以降は、それまでの巻の怒涛のネタばらしになる。
作品自体が、作品を自己分析しちゃっているような感じ。
しかも、それを見ないと、最初の方の巻の個々のエピソードがなぜ書かれたのか、そこにあるのか、
なんでこんなに長いのか、なかなか、ぴんと来ない。
(プルーストの死後、その弟のロベールとともに遺稿を編集し残りの巻を出したジャック・リヴィエール
などは、自費出版の「スワン家」を読んで、たちどころにその凄さを理解したようだけど一握りの炯眼の
持ち主に限られる。ましてや翻訳では)
だから、プルーストは最終巻から読めなどという暴論すら出てくる。
大事なのは、多少なんだかわからないところがあっても気にせず、少しはとばしてでも、はじめから、
とにかく最後までいったんは読み切ることだと思う。
ショーペンハウアーじゃないけど、どのみち1回筋を追って読めば済むタイプの作品ではないので。
1人でもプルーストの世界にはまってくれる人が増えれば、うれしいし。
*正確にはリヴィエールも最終巻が出る前にこの世を去っている。
803 :
802 :2011/08/21(日) 13:57:38.61
このスレはやたら書き込みがありますね、リンクも多くて情報量がすごいなあ。
全部読み切れないや。
>>789 母に聞いたらフランシーヌの歌を知ってましたよ。
母の出身大学は東京医科歯科大なのですが、やはり運動がひどくて、
太った警官が数人がかりでやせた学生を警棒でめったうちにしたり、
構内のアスファルトが剥がされて学生達の武器になったり、常に火事が起こっていたり、
なんか大変だった様です。
私の出身大学では隣の大学と火炎瓶を投げあったりしてたようです。
>>782-786 ジョイス、ウルフ、フォークナーあたりで論じられる
「意識の流れ」と「内的独白」は重ねられることが多いね。
そこにプルースト的な「レミネサンス(無意志的想起)」が加わるとなると…
どうしてもC・シモンの名前を挙げたくなるなあ。(つづく)
また「スナップショットのような断片、各断片間の響き合い」 というのは、まさにC・シモン的レミネサンスに特徴的なもので、 たとえば生の牛肉を見て過去に経験した戦場での血を想起した場合。 牛肉という言葉の後に括弧が開かれてそこで延々と戦場のことが綴られ (戦場で聞いた爆撃音が今度は花火の思い出を誘い(ここでまた括弧が 開かれ (こうして括弧の中に何重にも括弧が開かれるままになり(ある いはまた括弧が閉じられることなく開かれっぱなしにもなったり(こう して句読点のない 一文が何頁にもわたって(というか一冊まるごと 句読点がなく進むこともあったりするわけで…))))))w
>>787-788 ヴァントゥイユの音楽で引き合いに出される
ショーペンハウアー、そしてワーグナーとなると
この2人を初期に掲揚したニーチェを思い起こすけれど、
(プルーストはニーチェを読んでいたのだろうか?)
ベケットがヴァントゥイユのソナタと七重奏曲について
前者は「祈りのようにおずおずと」
後者は「願望となって懇願するように」
「目に見えない現実」を表現している、と書くのは
やや陳腐ではあるけれど、ベケットの若々しさが感じられて
個人的にはなかなか好きなんですよw
>>804 ちと、控えます
インタラクティブ性が損なわれない程度まで
>>805-806 シモン、もしお勧めあればお願いします
1冊どれか丁寧に読んでみたいので
「第三の警官」。翻訳のプレミアがひどいのでペーパーバックスで入手
しましたが読めるかな
(ペーパーバックス版、シモンの「フランドルへの道」、ナボコフの「ヨーロッパ文学講義」
も結局、積ん読になっているし)
>>807 タディエによる評伝の索引によるとニーチェは2か所で出てきます。
@
ラスキン追悼文(1900)で、ラスキンは「ニーチェや、トルストイや、イプセンに匹敵する
、同時代の良心の指導者であり」と引き合いに出している。下14頁
A
1909年8月17日、「ジュルナル・デ・デパ」紙にでたダニエル・アレヴィのニーチェ論を読み、
それをメモ帖に引用した。アレヴィが紹介した、知的敬意を前提とするニーチェの友情感に驚き、
それはワーグナーを「嘘の天才」と非難するのと矛盾するという。下168頁
具体的にニーチェのどの著作を読んで感動したといった記載はありませんね。
ヴァントイユの七重奏はパルジファルの影が濃いと言われています。
(またRTP全体のリングとの類似性も指摘されている)
ニーチェは若い頃は「悲劇の誕生」でワーグナーを褒めそやしていましたが、
その後、離反し、ワーグナーを否定していますしね。
ニーチェはワーグナーから離反したあと、ビゼーの「カルメン」をえらく持ち上げていましたが、
ビゼーの息子のジャック・ビゼーこそ、前にオナニーネタを紹介した際、プルーストがあまり彼に執着
するので同性愛を心配し、母親が家に呼ぶのを禁止した当人です(ビゼーは1975年、息子が3歳の
ときには死んでますが)。
811 :
810 :2011/08/22(月) 01:50:47.31
鈴木道彦訳の最終巻の巻末に、「引用された文学・芸術主要作品索引」 がついていますが、それを見ても、ニーチェは出てきません。
ゲルマントで停滞していた再読、すっとばして、最終巻「見出された時U」にワープ。 集英社の水色の装丁のハードカバーで読んでいる。 単にその後入手した文庫版が出てこないのが主たる理由だが 読者のことを考えて、実に丁寧につくられた本だなあと改めて思った。 栞が2つあるのも細かい配慮。 主要な登場人物一覧が推理小説やミステリー本のように掲げられた草色の紙栞は訳注に、 白いスピン(平織り紐)は本文に挟んで、1、2冊を常に持ち歩いていた日々が懐かしい (そんな昔じゃないはずなんだけどね)
昨日、書き込みをした「鈴の音」論文の根っこにかかわる箇所(あの論文はもう離れた方がいいと思うけど) やはり作品中大事な箇所なのでちょっとだけ。 鈴木の親切でしかもこれから読む読者の感興をそがずむしろ期待にわくわくさせる「はじめに」 >なるほどそれ(=無意志的記憶=「特権的瞬間」)は作品の根拠を提供するものではあろう。しかしそのような 偶然の瞬間のみを繋ぎ合わせて文学作品が出来上がるはずはなく、その瞬間を生きる「超時間的」な存在 のみで作品の全素材が提供されるわけではない。ではその素材は何なのか。それこそ全篇最後の挿話である 本巻の内容で明らかにされるものである。 本文中、その答えが最初に出てくる箇所 >今しがた発見した残酷な事実(=「時」の破壊作用」)が役に立つとすれば、私の書く本の素材としてでしかない だろう。それというのも、…その本の素材を、本当に充実した印象、つまり時間の外にある印象だけで構成する わけにはいかないだろう、と。そうした印象を私はさまざまな真実のあいだにはめこんでいくつもりだったが、 とりわけ時間に関係した真実、人間や社会や国がそのなかにひたされて変化していく時間に関係した真実は、 重要な位置を占めることになると思われた。私は人びとの外観が蒙る変化のみを重視しようとしたのではない。 36頁
おや?レス番が飛んでる、と思ったらコテのレスだった
>>814 「吾輩は名無しである」ってコテだったりして
世界の国々でオウム真理教と同じ テロカルト認定されている創価学会(公明党)が すべての在日企業に関係していて 日本国にダメージを与え続けてる事実はみんなもう知ってる事 昨日のフジデモのように 日本国民が立ち上がって層化反対デモが行なわれる日も近い 打倒!犯罪集団・創価学会!
>>809 空き時間にとりあえず1レス。
まだ読んでない作品もあるので数冊読んだ限りで…
まず読んだのが「フランドルへの道」。
最初はかなり読みにくかったけれど途中からグイグイやられた!
初読ということもあり最も強烈な印象が残ってる作品。やはりすごい!
もう1レス追伸 次に挙げるとすれば「三枚つづきの絵」だけれど プルースト好きの人にとっては「アカシア」のほうが合うかも。 これを読んでRTPを想起しないわけにはいかなかったなあ。 特にラストは。 「路面電車」は薄く読みやすいかわりに物足りなく、 「歴史」は作品にうまく入り込めなかった… (以上あくまで個人的印象ですが)
>>817-818 C・シモン、過去スレでもプルーストの系譜の作家のようでずっと気になっています。
数年前に最初に買ったのが(やはりプルーストスレに触発されて)「路面電車」ですが
途中で読みさしたままになっています。
「フランドルの道」は実は昨晩、翻訳を注文しました。
着いたら、これからまず読んでみます。
「三枚続きの絵」は前にブーレの「プルースト的空間」が話題になった際、
あげられていたのをきっかけに入手しましたが後回しにします。
「アカシア」はジャン・ミーの「テクストの詩学」に引用がありました。
「フランドル」に入り込めたら、これも読んでみます。
ありがとうございました。
820 :
吾輩は名無しである :2011/08/22(月) 15:46:00.81
やれやれ、この調子じゃあいつになったら読み終わるのか・・・ 「フランドルの道」は「フランドルの冬」に 「アカシア」は「アカシアの大連」に 「路面電車」は「電車男」に、 それぞれ代替することをすすめたいw
>>705 訳文は、
あれが見つかったぞ。
何が?ー永遠が。
太陽と
行ってしまった海さ。
でいいのでは?
「永遠」は、話者が見張り番の魂との対話で書かれている。
上記詩も内なる対話なので、変に言葉を変えずに訳す方がわかりやすい。
1873年の言葉の錬金術の版では、
太陽に
溶けた海。
余熱を残しながら遠ざかった永遠の形象化。
この余熱は、生きられた昂揚の名残であるとともに、その回帰の待望でもある。
奇妙にも、ランボーにとって永遠とは、時間の外にある何かー始まりも終わりもなしに
存在し続ける様態ーではなしに、時間のなかで起こりうる、ある種の極度の充実である。
時間のなかで生起して時間を突き抜ける何か、物理的時間としては一過的な何かである。
研究者はそのような見解だよ。
>>752 >青春期を過ぎてからの読書で、こんな自分にとって大切な作品に出くわす
なんて思ってもみなかった。
吉行淳之介がこんな事言ってるよ、
「古典といわれるものは、読めば身にしみる年齢になったときには、
生活があわただしくなっていて、なかなか再読できない。」
志賀直哉のこと:吉行淳之介全集14巻所収:講談社1984
多くの読書好きには納得してもらえる言葉だと思う。
RTP最後で、主人公が女中のフランソワーズの手助けを受けながら執筆をする 場面で言及される。 虫が食ったように蝕まれた私の草稿ノートを指しながらフランソワーズは言うだろう。 「全く虫食いだらけですね、ご覧なさい、残念なことです。このページの 切れ端なんてもうレースのようにボロボロではないですか」、 そして仕立て屋のように吟味しながら言うのだった。 「もう私にはどうすることもできません。これはもうだめですね。 もったいないことです。ここにあるのはあなたの最も美しいお考えかもしれないのに。 衣虫ほどの目利きの毛皮商人はいないとコンブレで言いますからね。 虫は最上質の布につくものです。」 RTPv.W、p611 ここを読むといつも思うことは、プルーストが職人のような作家だったことだ。 生成研究でも残された手書き原稿の写真が掲載されるけど、あの執拗な加筆訂正は この作品に命を埋め込む作業だと、思っている。
825 :
吾輩は名無しである :2011/08/22(月) 20:21:47.57
>>824 吉行については丸谷才一が、「まともな本をあんなに少ししか読まないのに
あんなに知的だったのは不思議」と言っているけど、ほんとにそうだと思う。
ここで「再読できない」と言ってるのも、ふつうの読書家なら吉行よりは人生の
いろんな過程で再読をくりかえしているんじゃないかな。
むしろ私は
>>752 さんの「青春期を過ぎてからの読書で・・・なんて思ってもみなかった。」という
感懐じたいが根も葉もない先入観にもとづいてるんじゃないかって思うな。
いくつになって出会った本だって決定的な重要性をもつことはありますよ。
>>819 いえいえ、どういたしまして。
>>820 おもしろい人だねえw
>>824 その箇所はちょっとプルーストの哀愁を感じるんだよなあ。
実際のカイエの行く末についての不安を感じていたのかもしれない。
>>810-811 なるほど。ありがとう!
ニーチェのことをプルーストは知ってはいたみたいだが不詳、ということか。
仮にニーチェを1冊読んでたとすれば、やはり「悲劇の誕生」だろうなあ。
>>812 訳注頻繁参照!のような本は、2スピンありがたいよね。
>>813 2つの時間がやはりプルーストの意識にもあるんだね。
具体的時間と抽象的時間、と言ってもいいのかな。
フジと一連の組織は点と線で繋がっています。 在日朝鮮人が危険なのは、 民団、総連、創価学会、電通 ソフトバンクといった集団で日本を貶める行動をとることです。 創価学会が、日本国の一個人に行なっている『 悪辣な 集団ストーカー犯罪 』等は許されざる行為です。 これはもはやテロを超えて戦争レベルです。 もっと恐ろしいのは、テレビ、新聞、ラジオを支配し、 国民がじわじわと洗脳されて、洗脳されていることすら気が付かないことです。 正しい魂をもった日本国民の一人一人がこの緊急事態を自覚し、 創価学会 及び 関連組織 に対し、断固、 糾弾・告発、阻止し、日本国民が総出で立ち上がるべき時です。 昨日のフジテレビのデモ に関連して、今後マスコミは真実を勇気をもって日本国民に報道すべきです。
>>822 確かに、1行目は英語で言えば、受動態。「あれ(三人称女性単数)が見出された」
(あとはretrouverのreという接頭辞の扱い。「やっと」「とうとう」か「また」「もう一度」か、それとも、
副詞の形で露骨に訳すことはしないか)
3、4行目のaller avecは素直に英語にすればgo withなので(Gone with the windなら「風とともに去りぬ」)
確かに「と行ってしまった」が素直ですよね(英語で言えば過去分詞形か)。
(あとは「行く」(逝く)に日本語同様の性的エクスタシーを迎えるといったニュアンスが盛り込まれるか
の問題になりそう 英語だとgoではなくcomeですよね)
なのに、なぜ「溶け込む」といった仏文解釈がしきりに出て来たのか不思議に思っていました。
言葉の錬金術バージョンの原文見てみたいですね。
ちなみに
>>711 で紹介したゴダールの映画「気狂いピエロ」でも私がディクテーションする限り、
ナレーションは
>>705 に挙げた原文にも関わらず、字幕は次のようにどうやら言葉の錬金術
バージョンになってますね。どうしでだろ。
みつかった
なにが
永遠が
海にとけこむ
太陽が
ランボー的時間乃至永遠の話については、このルフランだけではわからないところがあるので
今後の参考にさせてもらいます。
>>823 同感ですね。
うちの親父も俺が中学生の頃、鴎外やら漱石やら西脇順三郎やらの全集を買い込んで
いたけど、なかなか読む時間はとれなかったみたい
>>825 「文学なんて青年期のはしかみたいなものである。だからいい年して文学にかぶれたり影響される
なんて精神的に未成熟な証拠だ、いい加減卒業しなさい」といった結構言われている(と思う)「根も葉
もない先入観」を踏まえての発言です
そもそもそれが間違っていたかは自分も実際に年とって見なければわからないわけだけど
やはり親父の蔵書だった(これは独身時代になけなしの金をはたいて買ったみたい)
堀辰雄全集にあった、コクトーによるサティの言葉
いかにもかなりの年配(といってもアラフォー)になってスコラ・カントルムにはいり直したサティらしい。
中学生の頃読んで、俺もこんな爺(じじい)になりたい、したり顔の大人たちの側にだけはつくまい
と思った
比較的最近、岩波文庫で立原道造とともに堀の翻訳を集めた1冊が出たのを買ったはずだが見つからない。
うろ覚えだがこんな感じ。 括弧は俺が補った。
>若い頃、自分は、大人たちから(したり顔で)そのうちわかるよと(散々)言われ続けて来た。
でも俺は今こんなに(爺に)なっている(がやはりわからない)
>>786 >プルーストの場合、作品の背後(地と図のうち地)に横たわる「全過去」=継続する時間
を彷彿させるのにどのような手法を用いたか。
この問い自体は、
>>813 にあわせて直す必要があるかもしれないが、ここでいったん書きかけて
削除してしまったことがある。
それはコンブレーの教会、特にその内部の描写である。
種々の時代の様式が層をなし、キメラのような構造をなしている。
教会に、プルーストは継続せる時のイメージを象徴させているのではないか。
「見出された時U」のほとんど最後の箇所に思い当たる部分があった(そもそも再読だしね)
>私は不意にこう考えた、この午後の集い(マチネー)は―かつてコンブレーで私に影響を及ぼした
日々のように―かならずや何よりも先に、私のなかに一つの形態の痕跡を残すことになるだろう、と。
それはかつてコンブレーの教会で私が予感したものであり、ふだんは私達の目にみえないもの、す
なわち〈時〉の形態である。
鈴木の訳注には「コンブレーの教会は四次元の空間を占めており、その第四の次元は〈時〉である」と
出ており、プルースト自身がそう言っている第1巻の該当頁を参照となっている。
プーレは、「プルースト的空間」で作品中で「時間は第四の次元」と書いてあることに欺かれるなと
忠告しているけど(
>>143 参照)
>>824 その直後で俺がRTP中に出てくる料理で一番食べたいと思うブフ・モード(牛肉のゼリー寄せ)が
登場する。「花咲く乙女たち」のはじめの方でフランソワーズが元大使ノルポワをもてなすために
作った逸品。
フランソワーズがレアール(中央市場)に出かけて肉を選ぶ様子が、ミケラーンジュがユリウス2世の
碑の素材として完璧な大理石を見つけるためカラーラの山中に8カ月もこもったエピソードに例えられ
ていた。
>おまけに一冊の本のなかでの個々の存在は(それが人間であろうとなかろうと)、数多くの印象
からでき上がっており、多くの少女、多くの教会、多くのソナタから得られた印象が、たった一つの
ソナタ、たった一つの教会、たった一人の少女を作るのに役立っているものなのだから、私は自分
の書物を、フランソワーズが例のブフ・モードをこしらえるようなやり方で作るのではなかろうか。ノ
ルポワ氏が舌鼓を打ったそのブフ・モードは、たくさんの選り抜きの肉を加えて、ゼリーに豊かな味
を与えたものであった。
ニンジンの甘みが加わっているところが実にうまそうなんだなあ。「プルーストの食卓」にレシピが
あるけど、すごく手間がかかりそうで自分で作る気は今のところちょっと起きない。
>人は愛するものを否認してこそ、はじめてそれをふたたび作りだすことができるのである。 「見出された時」で最後に語り手が本を書く決意をする。ただし、自分の愛する「千夜一夜 物語」やサン=シモン「回想録」と同じようなものを書く気はないという。 すぐに上記の言い換え、ないし敷衍がなされる。 >おそらく一つの作品に惚れこんだ人は、まったく同じようなものを書きたくなるだろうが、しかし、一時 の愛は犠牲にしなければならないし、自分の好みを考えるのではなくて、一つの真理に思いを致さねば ならない。…そのような真理に従ってこそ、ときどき人は自分が放棄したものに出会うことがあるのだし、 「アラビア物語」(=「千夜一夜物語」やサン=シモンの「回想録」のことは忘れながら、別の時代の そういった書物を書きあげることにもなるのである。 鈴木訳だが、「否認」はrenoucer。放棄・断念する、執着を捨てるといった含意がある。 禁酒・禁煙でも使われる語。好きなものへの惑溺をあえて断つ意。 (放棄・断念では含意を言いつくせないので、日常用語からもっとも遠い「否認」をあてたのかな) 「ふたたび作りだす」はrefair。辞書の用例をみると「根本的に違うけど、匹敵するものを作る」という含意がある。 ここの箇所、ボルヘスの「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」(『伝奇集』中の一遍)を すぐに連想する。 片や、限界まで縮小された彫琢されつくした短編、片や、膨張に膨張を重ねた未完の大長編なのに、 読んだ時の至福感が妙に似ているのはなぜだろう。 5月に岩波文庫から出たばかりのボルヘスの講演記録「七つの夜」。「千一夜物語」「夢」といった プルーストと共通する主題を扱っていて、興味深かった。
834 :
833 :2011/08/24(水) 07:34:56.49
×refair ○refaire
835 :
833 :2011/08/24(水) 07:36:52.94
こっちも綴り打ち間違え ×renoucer ○renoncer
誤記でのスレ消費ついでに、昨晩気付いたミスも訂正。
>>706 >>731 で「ある母殺しの事件」につきプルーストが記事を書いたのは自身の母親の死んだ
4カ月後としているが、タディエによる評伝を読んでいたら、1年4カ月後だった。
(あれ書いた時、そんな近いはずはとペインターによる評伝を何回も確かめたつもりだったのだが
高齢で妻を失った際の吉田秀和みたいに、そもそも記事を書く気力すらあるか怪しいと思ったから)
1905/9/26 プルーストの母死去
1907/1/25 プルーストと面識のあった者がその母を刺殺し、自殺した事件
1年4カ月後でも母親を失った喪失感は未だ大きく、過剰に感情移入したということになるのかな。
差し出がましい指摘ですけど、
>>655 は佃煮マニアの自演ですね。他にも沢山あるけど、こういう幼稚な自演をするから嫌われるんだよ。
838 :
吾輩は名無しである :2011/08/24(水) 12:31:00.89
>>837 おっ久し振り!
暑くなってご無沙汰だったね。
>>837 俺関係のレスは放置でOKだからw
それより書き込みで気になったものがあれば質問でもすればいいよ。
>>691 これもだね。いい加減にして欲しい。でも読んでると面白いねこのスレ。
>>838 声かけてくれてありがとうございます。でもあなたも俺の自演だと言い出す人がそろそろ出ますよw
>>839 あーい♪
>>697 うわー恥ずかしい。俺は今まで善と悪の間って事かと思ってた。人に言わなくてよかったー。
843 :
吾輩は名無しである :2011/08/24(水) 13:40:30.54
言ってるジャンw
>>837 早速にどうも。
最近まで俺のこともアセンション氏の自演と疑ってた人がいるからなあw
もしかしたら今でも。
まあ相手はビョーニンなんで、生暖かく身守ってあげて下さいw
俺が自演で読書家のGさんを演じられたら、すごい人間じゃないかと思うw
読んでいる本の系統違いますもんねえ。今日あたり「フランドルへの道」着いているかな。
俺がここまで自演しないと事あるごとに言ってるのに何食わぬ顔で自演してたとしても凄いよね。
>>793 ラッパーも自分のラップをSHITって呼ぶよ。別に謙遜してるわけではなく。
全部読みました。ここまで皆さんのプルースト愛に深く打たれ、とても太刀打ち出来ないと思いました。やはり私はROMりますん。
さすがというべきか、鈴木はやっぱり凄いな。 残り少いから、思う存分やれ。 誰も文句は言わないよ。
なんかありがとうございます。やる事がないんですよw
>>846 >読書家のGさん
あ?長文じいさんのことか?
アセンションはアセンションの面白さ、長文じいさんはうんざりするが
しっかり読み込み自分の意見を書く確かさ、それからネットオタクの
某氏、そして鈴木は賑やかにする楽しさがあると思うよ。
とりあえず、ここは学術論文を論じる場所ではないしー冗談を書いている書き込みは
あったようだがーあまりに偏向した読書家の集まる場所でもない。
…いやいや、そうでもないやつがいた佃煮マニアは上記の適用外だなwww
>>849 SHITって糞って意味だったのか、語感からしょんべんだと思ってた
糞はメルドかと
855 :
833 :2011/08/24(水) 19:48:37.72
ボルヘスを持ち出しておきながら、今日が誕生日だって今知ったよ。
>>853 俺は700番台で長文書いてた人はパネエって思ったけどな〜
>>854 「生きてたら自然に出てきてしまうもの」って意味なんでしょうね。
>>856 >俺は700番台で長文書いてた人はパネエって思ったけどな〜
同意
>>853 まあGさんの書き込みはROMだけで疲れちゃうこともたまーにあるけどw
特にプルースト周辺の読書量はすごいし参考になるよ。
>>854 フランス語ではメルドMerdeだね。英語のシットShitは「くそ」という名詞、
それから「くそっ!」っていう間投詞でよく使われるけど、
あ、これは日英仏で共通かw
>>858 アセンションの鈴木への友情を確認した。
2chは、特定少数の人たちがいて成立している。
繰り返しいうが厳密な根拠や卓越した知見で成立しているわけではない。
>>859 まあ俺が鈴木を追い出しちゃったような格好にはなったと思うけどw
成り行き上仕方なくというところもあってね。
別の場所では鈴木とよくしゃべってるし、教えてもらうこともあるよw
鈴木もいつか「失われた時を求めて」を完読する日が来るのかなあ。
ただ俺は鈴木に「ここに来るな」と言ったことは一度もないはずだよ。 書き込むならプルースト関連の本をシナリオ版でも何でもいいから1冊読んでこいよ、 そんなふうには言ったと思うけどね。
鈴木は、散々叩かれているけど、常に2chではまともなことについての レスは素直に返している。それだけで、2chにくる大多数のものよりも 違う。 900番台になったら溜め込んだプルーストに関することを書き込む。
>>859 でも最低限の知見ってもんがあって、一冊も読んだ事ない奴が偉そうな事言えないでしょw
>>860 えっそうだっけ?でも俺は人を恨んだりはしないから大丈夫。佃煮マニアも恨んでないし。スカトロ自演をやめてくれって言ってるだけで。
>>861 それは正論だよ。
>>862 ありがとうございます。
>>863 >>859 で書いたことは、読んでいても素人の読みが研究者の成果とは
程遠いので、気楽に行こうぜということだよ。
>>864 はい、あなたの言う事もわかります。ただ、礼儀としてね。
>>312 >james holdenという人も2010年に、ナティエ「音楽家プルースト」と
似たような主題で本を出してるね。ちょっと内容を見ただけじゃ、
俺の方が、このご両人より、鋭い考察が出来そうだw
にも期待してるんだけど 研究者やその卵の方だったら
こんなところでアイディアを披露してしまうと結果それを
盗られて誰かに先を越されてしまう危険があるから嫌だ
ということになってしまうんだろうなあ(理系の研究と同じ
ように)
RTPの本当に最後の最後
>空間の中で人間にわりあてられた場所はごく狭いものだけれども、人間はまた
歳月のなかにはまりこんだ巨人族のようなもので、同時にさまざまな時期にふれて
おり、彼らの生きてきたそれらの時期は互いにかけ離れていて、そのあいだに多くの
日々が入りこんでいるのだから、人間の占める場所は逆にどこまでも際限なく伸び
ているのだ――〈時〉のなかに。
(完)
この「人間」を(コンブレーの)「教会」に置き換えても、ほぼ意味が通じるように見える
んだよね。「彼らの生きてきた…」あたりは若干変える必要があるかもしれないけど
教会同様、人間もまたRTPの表現を借りれば「四次元」的存在?(
>>831 )
>>685 >スピリチュアルの分野じゃケルトは外せないタームになってるよね。
>>518 >>630 でヨーロッパ文明の古層に隠れたケルト的なものの直覚がRTPの魅力にあずかっている
のではと書いたけど(ドイツ等ではゲルマンが古層になるか)、教会とケルトの遺跡のイメージが重なり
合っているのもうれしい。
これもRTPのごく最後の方、語り手が作品を書く決意を固める部分
>私には、その作品が一つの教会になって、信者たちがそこで少しずつ真実を学び、
諧調すなわち全体の壮大なプランを発見するようになるのか、それとも――どこか
の島の頂きに建てられたドルイド教の遺跡のように――いつまでたってもさっぱり
訪れる人のないものになるのか、見当もつかなかった。
鈴木は佃煮マニアのネガキャンをするために来たのか プルーストの話もひとつもしないし最低だな
違いますよ。呼んで下さる人がいたからちょっと顔出しただけですよ。もう来ませんよ。
だったら謝れよ
はあ?何を謝るんだよ?
いいからスレから出て行けよ
だから出て行くって言ってんじゃん。意味がわからないな。コテつけろよカス。
出て行けよカス コテをつければ身分が上がるとでも思ってんのかゴミ
はい去ります。一言言おうかと思ったけど、やめます。さようなら○○さん。
878 :
吾輩は名無しである :2011/08/25(木) 18:07:18.82
>>870 >プルーストの話もひとつもしないし最低だな
なんて書いてなおかつ、お前、謝れなんていうんだ?
そこまでいうなら、これから、お前がプルーストに関してここに書き込みを
やれよ。でなければ、
>>878 >出て行けよカス
↑はお前の方だよ。
これは安い
釣りですか?
なんだかもめてるが、鈴木は気軽にくればいいよ。
なんでさんざんスレを荒らして追い出された鈴木がいきなりVIP待遇されてんの? ワロタ
鈴木はいいけど鈴木に粘着する佃煮名無しはイラネ、だよな。
なんかおかしい流れだと思ったら雑談スレの工作員かよ!
>>885 それは、お前だよ。
俺は、鈴木がここに来ても何の害もないと確信している。
それを、鈴木がプルーストについて書いていないから出て行け
なんて、ここのスレの住人はいわない。鈴木が関連しないことを
書いたらスルーするだけ。
つまり、鈴木を追って現れたお前が雑談スレの工作員。
>>886 前スレとか前前スレの流れとか全然知らないみたいだね
鈴木の自演か鈴木の手下の工作か
どっちでもすごく気持ち悪いよ
>>887 どうでもいいから、お前こそこないでくれ。
ここにいるなら、コテハンつけろ。
そして、鈴木のことなんかかまってる前に、プルーストについて
書けよ。書けないなら、去れ。
>>888 だったらお前がコテハンつけてプルーストの話しろよ。
つーかなんでコテハンを付ける必要があるの?
いちいちずれてるよねお前?
再び繰り返すが、プルーストについて書くことがないなら 去れ。 気持ち悪いなんて情緒なんかここでは、不要だから。
プルーストの話をひとつもしない鈴木を必死に擁護する奴が気持ち悪すぎる 文句を言えばコテハンをつけろとか、鈴木とまったく同じ事を言う 何なの?この気持ち悪さ
鈴木は正直者だから、その点では割と好かれてるんだよ。 俺は鈴木をここで特別歓迎もしなけりゃ拒みもしないな。 むしろ匿名でスレとは関係なく鈴木を陰険にディスるほうが 嫌われるのも当然といえば当然かもしれない。 鈴木をちょっとうらやましいと思うのは 「失われた時を求めて」を初めて読む楽しみが残されてることだね。 鳥肌がたつような感覚をおぼえる本なんてそうざらにないからね。
893 :
吾輩は名無しである :2011/08/25(木) 20:26:54.15
今日の午後のロードショーに出てきたね。
鈴木が好かれてるw スルーされるかディスられてる所しか見たことないけど?
>>894 お前のコテハンは、「気持ち悪い僕」にしとけ。
ネチネチ粘着して悪酔いしてきそう。
>>895 事実をのべてるだけだろw どこが粘着なんだよ?
しかもやたらとコテハンつけろとか言って鈴木と同じ発想なのが気持ち悪すぎるw
もういいよこの流れ。心苦しいし。コテハン付けろとは言わないけど「外すな」とは言いたいね。言い続けるね。
>>898 気持ち悪いっていわれて脊髄反射で同じ事言い返してるのかよ?
レベル低いなお前!
900番台に入ったから例の人はプルースト論を語り始めて下さい!!
ずっと名無しで自己弁護してタイミングを見計らってコテを付けて出てくる所がなんとも醜いな・・・ つーか荒らしコテが来てもスレが荒むだけだから要らないわ。
プルーストスレに工作員が出張して来るから雑談スレが閑古鳥だ
夜中にアクセスしようとしたら、鯖落ちしていたのか見ることすら
出来なくなっていた。
>>871 不快な思いをさせてすまん(慣れてるだろうけど)
ここ、同じ人が(多分)前の日には歓迎していたと思ったら、急に豹変
するんだよなあ
俺もたまーにあげられることがあるけど、数時間するとまた罵倒されるw
まるで薬が切れたみたいだ
「見出された時U」(TRU)から遡行し、Tのロベール・ド・サン=ルー戦死のあたりから読み始めた。 (モレルは、徹底的にへたれに描かれている。ここでも脱走兵。逃げる男だ) 2回の療養所生活から戦後のパリに戻ってきた語り手。 溜まっていた郵便物の中にゲルマント大公邸でのマチネー(午後の集い)の 招待状を見つけ出むく。 矢継ぎ早に起こる無意志的想起(鈴木の訳語だと潜在的な記憶、レミニッセンス)のあたりから ネタばらし(作品の作品自身による自己解説)のオンパレード。 作品を書くという天職の発見。あるアクサン(調子 顔でいえば表情)をともなった呼びかけにより 目覚める。 「七重奏曲の赤い神秘的な呼びかけ」(鈴木文庫TRT387頁) 時、生涯・人生、re(再び)、それにシーニュ(表徴、しるし)、普遍的・普遍性(=万人)あたりがキーワード 本能、印象、真実=レアリテ(現実)、(現実よりさらに深い)自分の内奥にあるもの、 事物の恒久的な(過去の)本質、芸術作品(本、書物)、自然、生(せい)が縁語で、 それを妨げるものとして知性、知覚、習慣等がある。
プルースト自身は映画に批判的だな。映画的手法を先取りした技法がいくつも用いられているにもかかわらず。
>一時間はけっしてただの一時間ではない。それは香りや、音や、さまざまな計画や、気候などのつまった
壺である。私たちがレアリテ(現実)と呼ぶものは、私たちを同時にとりまいているこうした感覚と思い出との
ある種の関係だ――それは単純な映画的見方では抹殺されてしまう関係で、映画は真実のみに自分を限定
しようとすればするほど、ますます真実から遠ざかる――つまりその関係は作家が自分の文章のなかで、
二つの異なった名辞を永久につなぎとめるために見出さなければならない唯一のものなのだ。
鈴木文庫版TRT411頁。
映画は異なる2つの対象を「美しい文体の必然的な輪のなかに閉じ込め」、2つの別の感覚を「互いに隠喩
のなかで結びつけて、共通の本質をそこから引き出す」のに向いていないという趣旨だろう。
現在の映画はそれをかなりの程度克服しているのだろうけど
プルーストをはじめとする文学と映画の関わり(RTPの映像化も含む)は原潮巳の講演の要約が参考になる
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10000277/0/kouza11/section3.htm 壺のイメージが出てくるけど、圧縮ファイル、さらにそれを展開する(有名な水中花の比喩のように)、
解凍ソフトを連想するな
プルーストの時代にはアラビアンナイトの、アラジンの「魔法のランプ」やアリババの「開けゴマ」
なんだろうけど
あと興味深い論点として夢の効用(前掲454頁以下)
909 :
吾輩は名無しである :2011/08/26(金) 15:36:37.07
東京はさっきからすごい降り こんな激しい雨が持続的に続くと ぼくは想い出すんだ。 あのノアの親父のこと あれはもうずいぶん昔のことになるなあ・・・
>>869 空間を作る建築家としてのプルーストだね。
時間を作る音楽家としてのプルーストに並んで。
>>908 圧縮ファイル解凍ソフトとしての紅茶に浸したマドレーヌ…
面白い。そういう表現は初めて見たw
長文じいさんは、魚屋なんだと知った。 あの時間から毎日起きて、書き込みをするのは不自然。 しかし、前日用意しておいたものを書き込み、仕事に出るなら 変じゃない。 でも、今日は午前九時からだ…どういうことなんだ?
通勤時間に書いているのでは?
魚屋以外にもパン屋とかいろいろあるだろうにw マドレーヌを焼いてるパティシエかもよw
というか長文Gさんは衒学的で堅苦しくていかんな 2ちゃんなんだからもっと暴れないとつまらんよ
まあいいじゃないか。Gさんみたいな人がひとりいても。貴重な常連なんだから。
Gさん、これいいな。短くてさ、本人が何ていうか知らんが
確かにじーさんは文学板の良心かもしれんな
>>917 アセンション氏がはじめに使った。
小林秀雄スレのNみたいで実は気に入ってる。
他スレで一度だけ使わせてもらったことがあります。
>>911 今日は鯖落ちの影響が午前中まで残っていたようで
うまくアップできずにずれ込みました。
9時以降に書き込んじゃいけない立場ではないけど、
9時前にきて掃除してる人に画面覗きこまれると
気恥ずかしいのでやめるようにしてます。
Gって2ちゃんだとゴキブリの隠語だよね
>>915 衒学っていうと小栗虫太郎の「国士舘殺人事件」をまず連想する。
ああいう意味での衒学は俺も好きじゃないんだけどなあ
そういえばあの作品にも屋敷お抱えの衒学四重奏団出てきますね。
やっぱりベートーヴェンの後期なんかも演奏していたのかな
魚屋じゃないかって話が出て来たが、確かに今日ほんとにみんなで魚を獲りに行く
ことになっていたので驚いている。
夜中の2時3時に漁に出て、9時10時には戻って酒をかっくらっている生活
もいいなあ。
(
>>911 は魚市場への仕入れのことを言ってるんだろうけど)
まじで朝早く酒を大量に用意して出かけねばならないので、スレちばかりになってしまった。
(ベートーヴェンの弦楽四重奏 それに昆虫でマルハナバチを連想させようとしたが)
「見出された時T」の再読の続き
第一次大戦中、ジャピヤンの館(ホテル)で 釘つきの鞭に打たれ悶えるシャルリュス
まず「押し殺したようなうめき声」から語り手は聞くんだな 鈴木文庫259頁
ゴンクールのパスティーシュ、シャルリュスやサン・ルーの長口説は再読でも読み飛ばしてしまう
こういうところは文体や個性的な言い回しに妙味があると思われ、やはり翻訳では楽しめないみたいだ
あと 鈴木訳の索引ではニーチェ出てこなかったが大戦中の場面に2回名前が登場していた @シャルリュスの長口説「最も偉大なドイツ人たるニーチェやゲーテも」鈴木文庫版「見出された時T」184頁 A>彼(サン=ルー)は平気でロマン・ロランの一節やニーチェにさえ言及したが… 同上135頁 フランスでも、日本の第二次大戦中の鬼畜米英みたいに、敵国語を使ったり、敵国の偉人に言及する のを憚る風潮があったんだな 誇り高きゲルマント家の2人はそんな流行に振り回されるのを潔しとしないのだ (モレルに対するソドミーという点でも2人は共通 ゲルマント大公もモレルを一晩50フランで買ってる 187頁 ゲルマント好みの容姿なんだろうなあ)
926 :
吾輩は名無しである :2011/08/27(土) 09:51:48.48
【集団ストーカー&テクノロジー犯罪】とは、 被害者を鬱病や統合失調症に仕立て上げ、 社会から抹殺する国家機密であると考えて下さい。 この犯罪は海外でも存在し、アメリカではテレビでも報道され、 【生命倫理に関する大統領諮問委員会】も開かれています。 日本では20年以上も隠蔽され続けています。
>>925 ニーチェの名前がRTPで出てきてたなんて気に留めてなかったなあ。
でも1885−1915の世紀の変わり目の思想家といえば
ドイツ語圏ではニーチェとフロイトが筆頭だったろうし、
仏訳本や紹介本も当然あったんだろうね。
あとはデュルケムとかディルタイ、異色どころではシュタイナー。
フッサールはぎりぎり時期かな。
フランス自国ではベルクソンオンリーって感じが今の目ではする。
>>928 >仏訳本や紹介本も当然あったんだろうね。
残念ながら、当時のヨーロッパの知識人は翻訳は必要なかった。
日本のような、1大衆が翻訳を読むような社会構成ではなかった。
よって仏訳本などはなかった。
そして、ドイツとフランスは反目しており思想上のことを
相手国でどうなっていようと、日本のような関心の持ち方は
なかったのですよ。
>>921 917からの流れで思わず笑ってしまった
いいオチだねw
>>929 英語は例外なんだろうか。
(オデットのように、英語を交えて話すのがシックと思われていた傾向も
あったようだけど)
ボードレールらは19世紀半ばにポーの大半の作品を仏訳しているし、
何よりもプルーストがラスキンを仏訳(自身は英語があまりできず、
母親、その後別の女性が下訳したものをベースにした)している。
「アミアンの聖書」が1904年、「胡麻と百合」が1906年。
>>931 当時の作家の翻訳は、余技であり、あくまでも自分のための
翻訳が本質。
日本との対比でいえば、日本の翻訳は明治以来から技術を
得るための国策と結びついていたのと、江戸から明治になり
当時の政府が、江戸時代の候文では、開国した諸外国と
コミュニケーションをとるのにあまりに不便だった為、
文学者を海外留学させ現代日本文を作らねばならない
背景もあった。
>>927 三大奇書のあと2作「虚無への供物」「ドグラ・マグラ」は面白いのに。
>>755 >>759 やはりバタイユの「文学と悪」のプルースト像はニーチェに近寄せ過ぎているかな。
最終章の吝嗇の道徳と高潔の道徳の対比。前者は「邪教」キリスト教批判
に出てくる弱者(畜群ども)のルサンチマンとほぼ同じ。
タクシー(だか)の列に割り込んだ男をぼこぼこにしたというエピソードもある
肩幅もありがっちりしたマッチョなプルースト像が最後の方で登場する。
はじめの方に出てくる、若き日の「ジャン・サントゥイユ」におけるナイーブで
情熱的な正義感に燃える社会主義的な心情を持った若者像と呼応する。
喘息持ちで不眠症といった手弱女振りのプルースト像からの修正を迫る。
プルースティアンのロラン・バルトが全著作を読んだという著作家ミシュレの項目が
いかにもバタイユらしかった。
「アステカの祭壇」といったおどろおどろしく恐怖に満ちた、また「蕩尽」ともいえる、
数千人規模の人身御供の話
自分の子供たちをも生け贄に捧げるメキシコの祭礼では、寺院に連れて行かれる
わが子たちの行列から目をそらしたものは厳罰に処すと法律で定められていた話。
霊感の途絶えた際、ミシュレが部屋からおり、息苦しいほど臭気の立ち込める
共同便所で、胸いっぱい臭気を吸い込み、「自分の恐怖の対象にできるだけ接近
した」のち、また仕事に戻ったというエピソード。
久しぶりにバタイユを堪能した。
善悪それ自体より、そのコントラスト(対照)による印象の強烈さを重視する。
ヴァントイユの娘のレスビアン相手。彼女が娘とともにこの老作曲家を心労により殺し、
死後にまでその肖像写真に娘をして唾を吐きかけさせる一方で(悪)、老作曲家を本当は
尊敬しており、判読困難な自筆楽譜から七重奏曲を見事に再現した(善)。
「恐怖が愛欲の尺度であるように、悪への渇望もまた、善の尺度なのである」
逆に「善への渇望をもっているのでなければ、悪もまた、まったく何の面白みもな」くなる。
強烈にして、高潔・至高なる「生」への賛美。
プルーストに警察嫌いの面を見出して共感している個所等、極左であったバタイユの一面も
ほの見えるような。
>>929 >>932 >>933 なるほどー。当時ドイツ思想を摂取したい人は原語で読む必要があったと。
本格的なヘーゲル受容もコジェーヴを待たなければいけなかったんだね。
>>935 中井、夢野は面白いよねえ。
>>936-937 ニーチェの名が6箇所! しかも「ワーグナーとセット」が3箇所!
むむ…やはりヴァントゥイユへのニーチェの影響アリか〜!?
そしてそのニーチェに心酔するバタイユらしいプルースト像と。
「文学と悪」については機会があれば改めて。
文学と悪にそんなこと書いてあったっけ?ふ〜ん。
>>940 若干、他の文献を取り入れたりしていますが論旨は変わらないようにしたつもりです。
バタイユは、ヴァントイユは、プルーストの母親であり、ヴァントイユ嬢はプルースト自身という
ことを強調しています。
善への渇望・悪への渇望もまたヴァントイユ嬢の立場から書かれています。
>>937 は、ヴァントイユ嬢の同性愛の相手の立場から書いてみました。
また、マッチョなプルースト像については、次のエピソードを足しています。
ユリイカ2001・4の特集・プルーストの映画監督ラウル・ルイスのインタビュー記事(125頁)より
>普通彼はとても病弱でメランコリーな作家だと考えられています。けれども私自身は、
プルーストはそうしたメランコリーとは全く反対の、熱狂的な感情を持った人間だと思い
ます。
>驚くべき話ですが、彼はボクシングをやっていて、しかも結構強かった。ポール・モランは、
プルーストが自分の前に来たタクシーに割り込んで乗ろうとしたアメリカ兵をノックアウト寸前
まで殴るのを見たと語っています。
カルト犯罪思想・創価 創価内部文書 【各地域の敵対者排除/躾】 a)創価学会への強固な敵対者に対しては、将来的に考えてもその子息子女を 落とす必要がある。 子息子女の不幸により折れる可能性も高い。 子息子女へは創価学会へ反発しないよう躾る。 敵対者の子息子女の結婚は潰す必要がある。 会員の子息子女の敵であってはならない。 b)会員の商売敵を排除することは資金確保の上で重要である。 商売敵の子息子女も、将来を見据え落とす必要がある。
>>942 c)敵対者が地域で高評を受けぬよう計らう。
d)各会員が連帯し、自然と不幸になったように落とす必要がある。
【くれぐれも会員が疑われてはいけない。】
e)敵対者の言に信頼が集まらないよう計らう。
f)敵対者の安定につながる者らも落とす必要がある。
g)常に経済的/心理的に圧迫させる必要がある。
>>938 ヘーゲルの名前は1回だけ出てきます。
第一次大戦中、前線にいるサン=ルーから語り手宛の手紙。
「戦争も、われわれの昔なつかしいヘーゲルの法則からはずれていないのだ」
「戦争も不断の生成状態にあるのだよ」(鈴木文庫版「見出された時T」130頁)。
「精神現象学」の「弁証法」を踏まえているけど、この程度なら実際に読んでなくても、書けますね。
サン=ルーは本当にヘーゲルをドイツ語で読んでいたかもしれないけど。
ニーチェへの言及同様(
>>925 )敵国の哲学者だからといって、その名を持ち出すのに躊躇しない
誇り高きゲルマント家の血を示すものとしてヘーゲルの名前が使われている面が強い。
実は、すぐ前の頁で、「ゲルマント家はバイエルンの出身で、ドイツのもっとも身分の
高い貴族と縁続き」であることが出ています。
ご丁寧に、あの同性愛者で、ワーグナーのパトロンでもあった狂王ルートヴィヒ2世
(1845−1886、在位1864−1886)と血のつながりがあるという設定になっている。
石木隆治「『ベニスに死す』―マン、ヴィスコンティ、そしてプルースト」(2006)
http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/65574/2/18804322-58-06.pdf
>>939 念のため、ワーグナーとニーチェがでてくる3か所紹介しておきます。
花咲く乙女T
みな、つきあいの上では「ニーチェやワーグナーを語り合えるもっと文学通で芸術家
肌の上司」を無趣味でKYなコタールよりも好んでいたけど、実際に病気になると
名医コタールを頼りにする
ゲルマントU(語り手の友情に対する冷めた考え。プルースト自身の考えでも
あった。
>>810 デパ誌に出たアレヴィのニーチェ論の感想そのまま)
>友情などはごく些細なものだというのが私の考えで、それだけにある種の
天才的人物、たとえばニーチェのような人が、ナイーヴにも友情に一種の
知的な価値を与えた結果、知的敬意を伴わない友情をしりぞけてしまうの
は、私にとって容易に理解しかねることだった。そうなのだ、自分自身に
とことんまで誠実であろうとして、気がとがめたために、ワーグナーの音
楽に背を向けるところまでいった人物が、もともと曖昧で不適切なもので
ある表現様式、一般に行為とはそういうものだが、とりわけ友情という表
現形式のなかで真理が実現されうると想像してみたり、またルーヴルが火事
だというまちがった知らせをきいて仕事を放りだして友人に会いに行き、
いっしょに涙をながすことになんらかの意義があると考えたりしているのを
見ると、私はいつも不思議な気がしたものである。だからこそバルベックでの
私は、少女たちとたわむれることに楽しみを見出すようになった……
囚われの女T
ヴァントイユのソナタとトリスタンの類似性に語り手が気づく。
その後、数頁にわたりワーグナーへの言及があるのですが、
その中でちらっと出てくる
>>945 >石木隆治「『ベニスに死す』―マン、ヴィスコンティ、そしてプルースト」(2006)
石木隆治の「マルセル・プルーストのオランダへの旅」、お薦め
949 :
945 :2011/08/29(月) 17:01:41.05
>>945 の石木論文見たら、ヴィスコンティが「ルートヴィヒ」も撮ったことには触れてないな。
>>946 ゲルマントの方へだったかは忘れてたけど、
「ニーチェの様な人がナイーブにもどうのこうの」っていう辺りはインパクトがあって覚えてるなあ。
抜き書きしてくれてありがとう。そこが読みたかったんですよ。
僕も読んでません。
>>951 プルーストからみればニーチェも友情なんてものに日和っていたり不徹底に感じたということなのかな。
第一次大戦末期、自らもスポンサーだった曖昧宿に出入りしていたプルーストの凄惨さ。
バタイユ顔負けかも。
>彼は部屋に若い男を来させて、男の裸体を眺めながら自慰をしたというようなことのほか、
部屋に二十日鼠を放ち、それを若い男たちが帽子留めのピンで刺し殺すのを見て楽しんだ。
鼠はプルーストが最も恐れていた動物だから、彼はこうした殺害シーンに大変な恐怖と恍惚
を味わったに違いない
(石木隆治「プルースト」(清水書院、1997)81頁)
>>950 タディエの評伝の原書がでた翌年の出版であり、ハンディで安価だけどよくまとまっている。
ただ、あまりにさりげなくて、上記のエピソードもすっかり忘れていた
WIKIのプルーストの項目は基本的にこの本に拠っていますね。
石木「プルースト」では、二十日鼠が殺害される姿を楽しむエピソードのすぐあとに やはりプルーストが曖昧宿(男娼窟)の一室に閉じこもり、隣室で絞め殺される鶏の 断末魔の鳴き声を聞く快楽に耽っていたという「チボー家」の作者の証言が出てくる。 1913年大戦前発行の「スワン家」のコンブレーの巻では、幼い語り手が、「こん畜生、糞ったれ」といった 汚い言葉を吐きながら今晩の食卓にだす鶏を絞め殺すフランソワーズの姿を垣間見、彼女を首にしたい と考えるエピソード(料理の旨さにその思いは撤回される)が出てくるが、そこには単に悪鬼のごとく残酷 で粗暴だといった嫌悪感だけではなく、「汝、殺すなかれ」という禁忌が侵されることに魅惑される感覚、 悪への渇望、サディスティックな気持ちも入り混じっていたであろうことが容易に見て取れる。 プルーストって、かなり猟奇の人だなあ。
956 :
吾輩は名無しである :2011/08/30(火) 11:25:53.80
石木
どうして此処のスレの人は、ただ抜き書きをして面白くないこと ダラダラ書いてるのかなぁ? 素人なら素人らしく、専門家の書いた本なんて関係なく、感想を 書けばいいのにと。。。
まあ、俺の趣味だから、とか、俺の知的好奇心の方向がそうだからとしか答えようがないなあ。 他の人は知らないが。 面白く感じるか感じないかは人それぞれだしね。
人それぞれというほど、書き込んでる人がいないこと その理由があなたの書き込みのような気がする。 それじゃあバイバイ
べつに、素人の感想なんて読みたくないし
もっと仲良くしろよ。
留学経験者>無経験者 専門家ないし研究者>素人 院卒>学部卒 高学歴者>低学歴者 大卒>高卒>中卒 こういったヒエラルキーの持ち主が定期的に湧いてくるんだよね このような価値観に凝り固まった人が何人もいるとは思えないけどw
専門家がプルーストについて上から目線で語るのは普通過ぎる そんなの紀要でやってよ(大学退職したから書ける場所がないのか?) 普段働きながら、仕事の合間の読書の感想を語り合うって方が、 意味あると思うけどね
>そんなの紀要でやってよ(大学退職したから書ける場所がないのか?) ここ本当に専門家がいるのか てっきり都市伝説みたいなものだと思ってた
965 :
吾輩は名無しである :2011/08/30(火) 15:19:15.15
ひとりじぶんで実名さらしたのがいただろw
>>953 >専門家がプルーストについて上から目線で語るのは普通過ぎる
自分が無知だとそう感じるのだろうが、専門家はそんな風には思ってない。
つまりここには専門家など来てないよww
なので、
>>964 同意。
>>960 >べつに、素人の感想なんて読みたくないし
学術論文及び専門書を読めばいい。このスレの住人とは
違う人だろうから
>>965 それが「石木隆治」先生ってこと?
いつ頃の話かわかれば過去スレ確認してみたいのだけど
(2001年のスレまで検索したけど「石木」と名乗っている書き込みは見当たらない。
「石木」ではひっかからないみたいだ)
969 :
吾輩は名無しである :2011/08/30(火) 16:14:02.95
それは鈴木雄介しかいないだろう
なに、鈴木がシャブ中で借金もちだって?そんなのみんな知ってるよ
971 :
吾輩は名無しである :2011/08/30(火) 19:06:49.39
いや鈴木雄介は専門家だよ。世界陸上の競歩で8位に入賞してるw
>>972 アセンション、ありがとう!そういうことを多く語る人がいれば
学者崩れ、プルースト好きのオタク、よく知らないけどプルーストに
興味がある人などがこのスレに来て、豊かなやりとりが成立するんだよな。
じゃないと、個人の好き嫌いだけで、ほとんどその人以外は極小のことばかりに
なってしまう。
少なくともプルーストはそんな作家じゃない、と思う。
974 :
吾輩は名無しである :2011/08/30(火) 22:15:29.36
また、明日早朝、長文Gの(プルーストスレのゴキブリね)が 熱心に駄文を延々と書くのか
975 :
吾輩は名無しである :2011/08/30(火) 22:17:22.59
プルーストスレのGさんは、条件反射は凄いです
でも俺はGさんの書き込み面白いよ。 あとMさんの話も好きだな。そういやダレルが云々言ってたっけ。 まあ残り少ないんだから気楽に行こうよ。 もうちょっとあっけらかんとした書き込みのボリュームが 確かに増えてもいいかもしれないけどね。
977 :
吾輩は名無しである :2011/08/30(火) 22:27:08.21
>>976 悪いがこのスレの過去は知らん、とても今日来て全部見るきにはならん
>>977 モドキちゃんが言ってた「アレキサンドリア・カルテット」の
ロレンス・ダレルのことだよ。
>>976 ありがとう。
月末は確かに忙しいですね。
俺も実は今月は特に……
ということで早朝の書き込みはないw
>>974 新参のふりをしているけど
プルーストスレに何年もずっと棲みついている邪悪な自縛霊さんですね。
過去スレをみて、出てくるタイミングや表現等でわかるよ
このスレの外では生きられないのが特徴
(だから自分の気に入らない書込みがあると非常に邪魔者視するし敵視する
スレの外で生きられれば、そもそもスレに近寄らないか、見なきゃ済むもんね))
> 新参のふりをしているけど > プルーストスレに何年もずっと棲みついている邪悪な自縛霊さんですね。 > 過去スレをみて、出てくるタイミングや表現等でわかるよ > このスレの外では生きられないのが特徴 > (だから自分の気に入らない書込みがあると非常に邪魔者視するし敵視する > スレの外で生きられれば、そもそもスレに近寄らないか、見なきゃ済むもんね)) これゴキさんの自己紹介かと思った にしても被害妄想きてるなぁw
982 :
吾輩は名無しである :2011/08/31(水) 12:37:11.22
ネーミングセンスあるとおもう Gってw
ゲルマントのGだよw みんなOKだよ。 プルーストに興味を持つという共通点があるんだからさ。 鈴木道彦によればバルトはRTPを飛ばし読みしたらしいね。
長文Gさんと今他のスレで話してますよ。 次々に面白い話題を繰り出して来る人なので退屈しません。色々教えられる事もあるし。 このスレの古参だそうで、大事にして上げて下さい。
985 :
吾輩は名無しである :2011/08/31(水) 17:20:30.24
>>984 それはそれは結構なことで、ぜひそのスレに永住するように
佃煮さんのお力で宜しくお願いします。切に、宜しくお願いしますよwww
川上スレでの佃煮さんの鈴木くんに対する人格攻撃はひどいもんですよ。 「脳障害」とかね。こういう人とまともに話そうとは思いませんね。
987 :
吾輩は名無しである :2011/08/31(水) 18:25:14.04
シャブ漬けの中年ニートとはまともに話し合いたいんだねw
>>988 のようなレスはこの板のあちこちで「佃煮名無し」と呼ばれています。
雑談スレと川上スレのニートは消えてくれ
992 :
吾輩は名無しである :2011/08/31(水) 18:47:02.39
さ、残り追い込みをかけて終わらせて下さい。 長文Gがこれから来ないことを祈願して、切に願う
993 :
吾輩は名無しである :2011/08/31(水) 18:49:55.33
長文Gの自己満足書き込みに栄光あれ!
328 :吾輩は名無しである :sage:2011/03/14(月) 12:00:23.52
913:(*´ェ`*)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :sage:2011/03/12(土) 16:11:15.46
>>912 クソダニマニアまだ生きてたのかよ!放射能で死ね!
↑これが鈴木の本性だから
最低のクソだってわかるよね
332:吾輩は名無しである :sage:2011/03/14(月) 12:26:46.82
被災地の人たちに放射能で死ねとかどの口が言わせるんだろう
死ねばいいのに
333:(*´ェ`*)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ (127) :sage:2011/03/14(月) 12:42:07.15
違うよ。佃煮マニア一人が放射能で死ねばいいって言ったんだよ。
342:吾輩は名無しである :sage:2011/03/14(月) 13:59:52.93
よくこんな時期に「放射能で死ねばいい」とかしゃあしゃあと言えるよな
最低な奴
356:吾輩は名無しである :sage:2011/03/14(月) 17:41:50.19
鈴木「被災者は放射能で死ね」
名無し多数「鈴木は最低だ、死ね」
鈴木の自演「鈴木さんはそんなに酷くない」←今ここ
357:(*´ェ`*)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ (127) :sage:2011/03/14(月) 18:38:46.17
>>356 被災者は放射能で死ねなんて言ってない。捏造するな。佃煮マニアは放射能で死ねばいいって言ったんだ。
995 :
吾輩は名無しである :2011/08/31(水) 18:51:48.11
>>980 >新参のふりをしているけど
プルーストスレに何年もずっと棲みついている邪悪な自縛霊さんですね。
過去スレをみて、出てくるタイミングや表現等でわかるよ
このスレの外では生きられないのが特徴
(だから自分の気に入らない書込みがあると非常に邪魔者視するし敵視する
スレの外で生きられれば、そもそもスレに近寄らないか、見なきゃ済むもんね))
お前がそうだろう?佃煮が他のスレでまったりしてるようだから不倫してろ
妻に捨てられた中年独居おやじさん
それをいったらお終いだよ
「川上未映子」でyahoo検索すると 「川上未映子問題情報庫」というサイトが10位にランクイン。 そのブログサイトに 「過去スレ検証報告ノ15 主演者たち 佃煮マニアによる犯罪歴捏造」 という見出しがあった。
何だ、長文Gを評価する佃煮ってそんな暇な主婦なのwww
何、川上未映子問題情報庫って。集団ストーカー被害報告サイトみたいなの?
次スレよろ〜
1001 :
1001 :
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