1 :
吾輩は名無しである:
2 :
吾輩は名無しである:2008/04/18(金) 10:30:29
こっちの方が書く幅が広そう
あれ?
平野さんのとこの啓一郎くんじゃないの
(o^v^o) ◆m0yPyqc5MQ
#+
処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2
#kamaneko
ガンジャ ◆GoIlYZNx6s
#ピアノ
イタリア研究会 ◆TwiFdHoUpo
#03690369
貧楽亭空財布 ◆xck4WKYHvE
#バースデ
無職ひきさん ◆8.xouHeEsE
#konntyu
稲妻青龍 ◆tVYsi5L99I
#いなずま
いちごひめ ◆vP1D3/sfrk
#♀
6 :
吾輩は名無しである:2008/04/18(金) 19:27:11
↑ あの タヌナカヤスオ と 裁判沙汰になったヤツだよ
ストーリーを作る能力のない作家にとって
カフカは、いい逃げ道のような気もするんだが
もちろん、カフカが偉大なのはわかってるけど
8 :
吾輩は名無しである:2008/04/19(土) 18:25:10
ごばく?
成功している作家こそが、天才だと思うけど。
ここの連中は、成功できない人間を天才だと呼びたがる。
何故だろう?
真の天才は、俗っぽい価値観の集合体によって決めらるものではないからさ。
天才は「成功」なんかに興味がないんだよ。
あ、そうそう、言い忘れてたけどぼくは天才なんだ。
だから天才の考えがわかるんだ。OK?
よくわかります。
12 :
吾輩は名無しである:2008/04/19(土) 21:03:48
わかり過ぎるほどわかります。
天才さんにお聞きしたいんですが。
天才が興味を持たないタイプの「成功」っていうのは、
社会におけるある程度の地位の確保に成功している、
あるいは経済的にある程度の価値を生む存在になることに成功している、
ってことですよね。両者は往々にして両立する場合もあると思いますが。
これらとは真逆のパターンで、己の内にある基準をもち、
それに準ずるという形での「成功」を狙うタイプの人間についてどうお考えでしょう?
個人的に自己満足以上の何かがありうると思うのですが、
それが何なのかどうもはっきりしないのです。
>>13 ん? 成功した人といった時、後者の意味のことがあるだろうか。
社会的に成功した人、あるいは単に成功した人という場合でも
前者の意味であって、後者の人のことは指さない。
後者は前者と逆で社会的に出世しない、成功しないタイプで、
そういう人達に目を付けた裕福な人が介在して初めて利益を生むんであって、
前者は天才とは限りません。金儲けの才能とはいっても、天才とはいいませんし。
僕は天才じゃないですが、「往々にして両立する場合もある」というのは重複しています。
往々にして両立するものである、というのならわかりますが。
つまりですね、あなたは
社会的成功に興味が無い人間について、何かを訊ねたいのではないですか?
まず「成功」を辞書で引いたとき、
1「物事を成し遂げること」と
2「物事を上手く成し遂げ、かつ社会的地位や名声を得ること」
の二種類が挙がると考えられます。
私は成功という言葉の意味を1に限定して用いたいと思い
>>13を書いた次第です。
「成功した人」と言ったとき、確かに通常
>>13に挙げた二つのうち
後者を意味することは無いと思われます。
そして
>>13の前者なら確かに金儲けや地位の築き方において「天才」の称号は相応しくとも、
文学や創作においてもそうであるとは限りません。
では文学や創作における「天才」の基準とは何処にあるのかと考えたとき、
上に挙げた辞書的意味のうちの1が鍵なのではないかと思ったのです。
社会的成功に興味があるか無いかではなく、
1の意味においての成功を為すことができるかが作家の天才性を規定するのではないかと。
私が尋ねたいのは、このような成功とは一体「何を」成し遂げることなのか、
どのようなことを行いどのような作品を生んだらそれを成し遂げたことになるのか
ということです。
そんな成功は無いと思いますか?
このような成功が自己満足という側面を負ってしまうのは必然でしょうが、
果たしてそこから一歩も出られないのでしょうか?
何かがあるような気がしているので、天才ご本人でしたらそこのところをご存知なのではないかと思いレスをしたまでです。
「往々」の用法については確かに誤っていました。ご指摘ありがとうございます。
天才のぼくに質問かい? OK、なんでも聞いておくれよ。
庶民が何をもって「成功」というか、わかっているよ。ぼくはね。
ぼくは常識を知っている天才なんだ。
常識のない天才もいるけど、それとは違う。ぼくはね。
じゃあ本題に入るよ。
天才は価値を自ら生み出す。わかるかい? 天才は価値を自分で決めるんだ。
天才は自分が価値があると思ったことしか興味ないし、やらない。
といっても、それさえ無意識な天才もいる。そんな決めごとさえ天才は無意識にこなす。
天才が天才たるゆえんは、ここだね。
だから「成功を狙う」。この発想がもう天才ではないよ。庶民感覚なんだ。
何かをやった「結果」が「成功」となることがある。たまたま、ね。
それでも、その「成功」というのは庶民が決めた価値観なんだ。
庶民の価値観「成功」に興味がある天才は天才じゃないよ。贋者さ。
つまりね、百点を狙って百点を取る者は、優等生であっても、天才ではない。
本質的な質問で理解してくれよ。いいかい、
きみは、天才が「成功」で満たされると思っているのかい?
ということだね。
まあ、天才になりたかったらまず庶民感覚を捨てることだね。
けど、天才は、なろうとしてなれるものでもない。
天分が必要だ。天から与えられた才能がね、必要なんだ。
天才は人間に選ばれるのではなく、天に選ばれた者たちなんだ。
17 :
16:2008/04/19(土) 22:39:05
おっと、ごめんにょ。
ごくせんを観ながら書いていたら、間にレスが入っていたんだね。
わかると思うけど
>>16は
>>13に向けて書いたものだよ。
18 :
16:2008/04/19(土) 22:59:54
>>15 >私が尋ねたいのは、このような成功とは一体「何を」成し遂げることなのか、
>どのようなことを行いどのような作品を生んだらそれを成し遂げたことになるのか
>ということです。
OK。
これも天才の発想とは異なるよ。
天才は「目的」をもって行動していないような気がするね。
すくなくともそれが第一ではないんだ。もちろん達成感は感じる。
でも達成感に悦びを感じても、それが行動する理由ではないんだ。
たとえばだよ、アインシュタインが難解な宇宙理論を解いている。
解答を出すのが目的だけど、それがかれの価値観ではない。
問題を解いている行為自体に天才の悦びがひそんでいるんだ。
じゃなかったら人生を賭けても答えが出るか出ないかの問題なんかに取りかかれないよ。
天才はみんなそうさ。
エジソンもダヴィンチも発明品や書き終わった絵に興味があるわけじゃないんだ。
結果に興味があるのは庶民。
文学だって同じことだよ。
地位や名声を得ようとして小説を書くのは天才ではない。とぼくは思うね。
天才は何も考えずにただ小説を書いている。それは結果を残したいからじゃないんだ。
書かずにいられないから書く。それだけのことさ。
まあ、定め、宿命だね。
>>15 つまり自分の興味のあることにしか、興味を持たないということだね。
そういうのがダメだってよく言われるから、自分も必死でいろんなことに興味を持とうとしたりしたけど
そんな付け焼刃の社会性じゃ害にしかならないようだ。関係ないが。
まず繰り返すと、成功といえば社会的成功を指すが、天才はそれには興味がない。
目標の成就にしたって同じで、もし天才が寝て起きるだけの生活ばかりするようになれば、
それは寝て起きるだけの人であり、同時に天才でもある。天才はそんな物じゃないだろうか。
平易なようで余計に難しくなっているな。
とにかく
>>16を補足したつもりだ。
価値とは何ですか? それは自然法則のような何らかの絶対性を有した基準ですか?
それとも感情や感覚でしょうか。
あるいはこれら全てに当てはまる概念としての価値のことでしょうか?
アインシュタインやエジソンやダ・ヴィンチの例は難解です。
彼らが科学や芸術の天才ではなく、ただ没頭するという行為の天才であるという
可能性が浮上します。
何年も同じことを為してなおうだつの上がらない者と上記の彼らを比べたとき、
両者を天才か否かと区別する要因が彼らの為した功績すなわち結果であっては、
あなたのおっしゃるところの「庶民」の天才となってしまうのではないでしょうか。
がしかし、寝て起きるだけの天才は更に難解です。
それは寝て起きることにおいての天才と呼んでよろしいでしょうか。
いかなる天才も行為しなければ天才とは呼びかねます。
寝て起きるのみの人間が内的活動、たとえば思考という行為をしているか否かについては
寝て起きる本人のみぞ知るといったところでしょうが、
それがせめて書き手たるあなたによって表現されなければ、
その人は文章の上の比喩的例であるにすぎないだけに、行為したということの証明にはなりません。
それとも寝て起きるだけになる前に天才と呼ばれる原因となる何らかの行為があり、
その延長として寝起き生活に入った人間ということでしょうか。
実に難解です。お手数ですがご教授をお願いします。
実験的に、目的と目標を記号的に区別させていただいてもよろしいでしょうか。
ある行為を具体的に行おうというときに、それ無しで行為が成立し得ないのが目的、
それ無しでも成立しうるのが目標と。
多くの行為には目的と目標の両方が必要不可欠です。
散歩にさえ目的と目標があると考えることが可能です。
散歩における目的とは散歩すなわちぶらぶらと歩くということを為すこと、
目標とは気晴らし、周囲の探索その他など、
散歩を為すことで副次的に為される何らかのものごと、という風に。
創作活動において副次的に為される目標として、社会的地位や金銭の入手、
しかも人から羨まれる規模のそれの入手を把握することは可能だと考えます。
しかし創作の目的とはそれらではない。
散歩の例を引くならば創作の目的とは創作することです。
しかしそのような創作にも結果として何事かが残ると私は考えます。
果たして「何事か」は残るのか? 残るとすればそれは何なのか?
私はそれを確かめたい、「知りたい」と思い書き込みを行いました。
22 :
16:2008/04/20(日) 00:12:40
>>20 >価値とは何ですか? それは自然法則のような何らかの絶対性を有した基準ですか?
>それとも感情や感覚でしょうか。
>あるいはこれら全てに当てはまる概念としての価値のことでしょうか?
理屈じゃないね、これは。
イチローは天才だよ。野球の。ヒットを打つバッターとしての。
けどね、大リーグというものがなくても、
みんながかれのことをちゃんと認めていただろうか。
イチローは野球が好きだった。
飛んでくるボールをバットに的確に当てて打ち返すのが好きだった。
イチローが子どもの頃、バッティングセンターに通いつめていたという逸話がある。
暗算の天才がいる。テレビで見たけど、三人きょうだいでいたよ。すごいね。
いやあ、そのすごさは言葉ではわからないと思うんだ。けど、実際すごい。
でも、かれらはあまりスポットライトを浴びない。
イチローと比べて能力的にはかれらのほうがすごいと思うよ。でも知られてない。
なにかこんがらかっているようだけど、
「天才」と「成功者」は切り離して考えたほうがいいね。
天分を授かり、その能力で世間の注目を浴びる天才がいる。
人知れず、時代の世のニーズにもあわない無名の天才もいる。
天才とはある種の能力にずば抜けて長じている人間であり、
凡人に奇蹟をかいま見せてくれる者たちだ。
23 :
16:2008/04/20(日) 00:24:54
>>21 >散歩の例を引くならば創作の目的とは創作することです。
>しかしそのような創作にも結果として何事かが残ると私は考えます。
>果たして「何事か」は残るのか? 残るとすればそれは何なのか?
>私はそれを確かめたい、「知りたい」と思い書き込みを行いました。
いいかい、天才は時間を超越している。
残る、残らない、なんて問題じゃないんだ。
天才はいつか宇宙が消滅することさえ無意識に感じとっている。
すべてがいずれ無に還ることを、天才たちは体で知っている。とぼくは思うんだ。
だから「残るもの」に価値を見出さない。
ところで、きみは、知って、それをどうするつもりなんだい?
何かが残るということと、その何か自体の価値のあり方との関係は非常に複雑です。
「価値があるから残った」という言い方もできるし、
「残ったんだから、価値がある」という言い方もできる。
しかし私が意味したかったのはそのいずれでもありません。
価値とは後世に伝わるために要される何らかの強度のようなものではなく、
残った「何か」のある一つの側面、つまりものごとのあり方とか本質とか、
手あかのついた言葉になってしまいますがそういうことを意味しうる概念であると私は考えています。
よって、価値を見出すとは「何か」(の側面)に気づくということであって、
善し悪しを決めたり時の淘汰に対する強度を高めることではありません。
全てがいずれ無に還ろうと永遠に続こうと関係ない、というか、
そのような時の連続とは異なる次元の話であるように思います。
イメージとしては濾過がもっとも近いです。
何が濾紙で混合液で透過済みの液なのかさえ、自分でもよくわかっておりませんが、
しかし透過済みの液は世間や時間の中ではないだろうどこかに残ることが可能である
ということだけは予感のように知っております。
>>21の例、今読み返してみるとあまり出来のよい例ではないですが、
あれを引いてもよろしいでしょうか。
私にとって「知る」ということに「目的」はあっても「目標」はありません。
これは副次的な目標をおこうと思ってもおけるものでもないことのように思います。
よって知ってどうすると尋ねられると非常に困窮します。困惑します。混乱します。
何と言っていいかわかりませんが、違和感があります。答えがないように思います。
故に答えられません。申し訳ありません。
奇蹟というお答えは大変ありがたかった。的確にして華麗、素敵なお答えです。
ありがとうございます。
>>21 目標の成就といったのは、君が成功というのを一般的な意味として用いていたからだ。
そもそも成功と言う言葉を使うのがおかしい気がしたので、そこでよりぴったり来るように言葉を置き換えただけ。
君が「成功とは社会的成功のことではない」というから、成功とは目標の成就のことだろうと思いそういったのに、
今度は社会的なのし上がり、地位向上を「目標」だという。
しかし「目標の成就」という言葉を、社会的な地位向上という意味で
使うというのは、変な話だ。それはおかしい。
哲学的に考えれば、行為と天才、天才性は関係ないよ。
それと関係ない何かについて訊ねたいのかもしれないが、その訊ねたい事がわかりかねる。
何を訊ねたいのだろうか。
価値とは物事の本質であるというけれど、相対的な価値は本質とは違うし、
絶対的な価値は本質といえるかもしれないが、
全ての物の絶対的な価値はゼロで、価値を見出すのは他者であり、
そんなことでその物事の絶対的な価値が無から有とはならない。
このようなことを大体いいたいのだろうか。
>>25 成功や目標から社会的なニュアンスを無くした概念を抽出したいと考え、
「目標」と「目的」とを試みに区別してみました。それが
>>21です。
本来の「目標」「目的」という言葉の意味で用いようとしたのではなく、
単純に記号的な意味で、「目的A」「目的B」とするよりはよかろうと考えてのことです。
いらぬ誤解を招いてしまったようで申し訳ありません。
「社会的な地位向上」を「目指すべき対象=目標」と捉えての行為は可能であるが、
行為それ自体のあり方を注視すると、そのような目標はなくても行為は成立します。
私は目標のないところでの行為についての把握を試みた次第です。
しかしご指摘いただいて気づきましたが、目標や目的と天才性との関連は
このような考え方では把握しきれませんね。他の表現を考えています。
行為と天才あるいは天才性とが直結することは難しいとは考えられますが、
両者の間にいかなる関係もまったくないようには思えません。
両者と繋がっている何らかのものがあって、それを把握することでそれぞれ両者に
到達することが可能であるような気がいたします。
哲学はそれを可能にしますか?
ジレンマですが、尋ねたいことについてもし私が知ってさえいれば
お手間を取らせるまでもなくお尋ねいたしません。
何を尋ねたいのか、己でも把握するためにせめて輪郭を明確にしようと
>>13から言葉を連ねて参りました。
>>26 >>24に対してのお言葉でしょうか。それとも私の考え方を総じてのお言葉でしょうか。
いずれにせよほとんど趣旨が伝わっていないように思います。申し訳ありません。
相対性及び絶対性を、主観性及び客観性、あるいは時間的な刹那性及び連続性と
絡めて捉えていらっしゃるように思われます。
しかし私は物事のある性質が相対的であるというのは、他の物事と比べてよりその性質が強い/弱いということであると捉えており、
相対性を物事の存在のレベルと言うか、何かそういった本質性と直結して考えるのには違和感を覚えます。
>>28 だけど相対性というのは性質が強いか弱いかを指す言葉じゃないし、
ただ相対的であることを指す、ある物と他の物が比較される、対照をなしていることを
意味する言葉だから、それを違った意味で使うといわれても困る。
30 :
吾輩は名無しである:2008/04/22(火) 21:30:35
困る、はわかる。
おれも天才だからね。
>>29 どうやら言葉の意味を勘違いしていたようです。
「相対」を辞書で引きました。手近なところでYahoo!辞書ですが、
「他との関係性の上に存在或いは成立していること」と出ました。
これは本来純粋に観念的である観念に用いられる形容詞だったのですね。
申し訳ありません。素で一部の身体論が前提になっておりました。
困るといえば、上記のことがわかりましてこちらも困惑しております。
私は自分の言葉を述べるときに「相対」という言葉を用いてきませんでした。
初めてこの言葉が出てきたのが
>>26氏の文章であり、そこに私の述べたかった
趣旨が見つからないように思われたので、何か述べないよりはと思い、
相対性についてのわずかな記述を
>>28で行いました。
何故相対性の言葉を違えて説明したかといえば、上で申しました通り素で勘違いしていた
のもありますが、相対と絶対という二項対立の、しかも従来のあり方をそのまま
受け入れて用いると、なにひとつ言えなくなってしまうのではないかという
危険を感じたためです。私の表現したいことはそこには無いと感じたためです。
ですので困惑なされるとこちらも困惑します。
言い訳のようで申し上げづらいのですが、辞書的な意味を備えた相対という言葉の登場は
そもそも私の本意ではないためです。
逆に
>>26氏にお聞きしたいのですが、相対という言葉をどのような意図で
私へのお言葉に用いたのでしょうか?
私自身が用いるなら
>>28のような文脈での単語になってしまうことは必然なのですが。
>>30 二人目の天才さんにお聞きします。
あなたはどうやって「困る」を理解しているのですか?
「困る」とは感情でしょうか。
私は人が困っているのを見ると一緒に困った心情になってしまうという
恐るべき悪癖を持っています。
この現象をどのように解すべきでしょうか。
これは「困る」の理解でしょうか?
>価値とは物事の「或る一つの」側面であり、
>物事の在り方や本質を意味する
これは簡単に言うと、物事の新たな側面に気づく事が価値を見出すことである、ということだよね。
>私にとって「知る」ということは目的ではあっても目標ではない
これはどういう意味?平易な言葉で説明してほしいな。
>>33 >物事の新たな側面に気づく事が価値を見出すことである、ということ
たぶん、その通りだと思います。
>>24の>価値を見出すとは「何か」(の側面)に気づくということ
に合致します。
更に言うなら、「側面」と「性質」とを置き換えた把握も
ある程度可能であるように思われます。
>「知る」ということ
引いた例がとかく悪かった、と今は反省することしきりです。
簡単に言えば、知ること自体に行為そのものを促すような価値を感じており、
知る内容や知ったあとの己の精神状態や社会的立場を考慮してではなく、
また何か他の種類の行為を行ったがために結果として「知る」ことを得るのでもなく、
ただ知るという行為をしたいがためにする、というようなことです。
知るという行為の目的は知ることそれ自体であって、知ることで他の利を得ようという
明確かつ具体的な意図を持って臨むような行為ではないということです。
しかし我ながら他にもっと良い説明があったろうにと、書けば書くほどに綻びを感じます。
よろしければこの一節については忘れていただきたく思います。
「知る」という単語は恐ろしく幅広い意味を持っています。
「思考」「体験」「把握」「知覚」「想起」ざっと考えただけでこれだけあります。
きっと厳密にやればもっとあるでしょう。詳細なベン図を描こうなどと考えると眼が回ります。
ただ私にとって確かなのは、「知る」とはそれらすべてであるということです。
ベン図において部分集合の重なりあったごく狭い領域なのか、
それとも表される部分集合の総和なのかすらわかりませんが、
「知る」とはそういった脳/心のはたらきのすべてであり、時と場合によっては
そのうちの複数個が同時に成立しうる活動だと考えています。
同時に成立すると矛盾しかねない「複数個」の組み合わせもあるわけですが、
その際の矛盾の消失とともに、行為の合理性や社会性もある程度消失するのではないか
と考えています。
それを「目的」と「目標」とで説明してみようと試みたのですが、
やはり上手く行かないようです。繰り返しますが、よろしければぜひお忘れ下さい。
35 :
吾輩は名無しである:2008/04/23(水) 10:20:37
オイオイ ここは天才小説家を語るスレダゾ
ごもっとも。話が派手にずれてしまいました。おしまいにしましょう。
お付き合いいただきありがとうございました。
37 :
吾輩は名無しである:2008/04/24(木) 09:51:17
age
またやってんのか。スレの1で話し終わっただろ。
ここから先で続けるのは阿呆の仕業。じゃ阿呆同士で天才論がんばってね。
_,,....,,_ _人人人人人人人人人人人人人人人_
-''":::::::::::::`''> ゆっくりしていってね!!! <
ヽ::::::::::::::::::::: ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
|::::::;ノ´ ̄\:::::::::::\_,. -‐ァ __ _____ ______
|::::ノ ヽ、ヽr-r'"´ (.__ ,´ _,, '-´ ̄ ̄`-ゝ 、_ イ、
_,.!イ_ _,.ヘーァ'二ハ二ヽ、へ,_7 'r ´ ヽ、ン、
::::::rー''7コ-‐'"´ ; ', `ヽ/`7 ,'==─- -─==', i
r-'ァ'"´/ /! ハ ハ ! iヾ_ノ i イ iゝ、イ人レ/_ルヽイ i |
!イ´ ,' | /__,.!/ V 、!__ハ ,' ,ゝ レリイi (ヒ_] ヒ_ン ).| .|、i .||
`! !/レi' (ヒ_] ヒ_ン レ'i ノ !Y!"" ,___, "" 「 !ノ i |
,' ノ !'" ,___, "' i .レ' L.',. ヽ _ン L」 ノ| .|
( ,ハ ヽ _ン 人! | ||ヽ、 ,イ| ||イ| /
,.ヘ,)、 )>,、 _____, ,.イ ハ レ ル` ー--─ ´ルレ レ´
>>33 「 」の使い方も知らんアホをいじめてやるなよw
>>39 そんなこと言っても点は打てないだろうに。
強調も無理だし、掲示板なんだから許されるよ。
揚げ足取りしてる暇があれば何か言えよ。
>>40 前スレのログみたら、このスレの話題は解決するだろ。
なんでループスレにつきあってんの?過去スレみろよ。基本だろ。
42 :
吾輩は名無しである:2008/04/24(木) 14:09:30
前スレの結論って、なあに?(´ρ`)
天才は努力の結果得られる褒め言葉だけど
伝える力を追い求める芸術ではあまり適切ではない。
むしろ溢れる自信と思考、行動力、何らかの生き方を完遂する態度は素晴らしい。
俺的にはまるで逆のイメージだな。
一例(でしかないんでツッコミは不可)として、サガン。
『悲しみよこんにちは』一作で消えたとして、でもああいったのが俺は、
天才呼ばわりが相応しいなんて思っている、とにかく小説というものに関しては。
――それを文学と見做す、まぁ例えばタカハシさんみたいなひとが居て、
文学という領域の中で一定の評価を得ることの出来た、しかし本人にとっては
あくまで、そうでしか在れなかったことの結実としての一作。
それをね、生み出した者はもうそれこそ軽い気持ちで(笑、天才呼ばわりとか
しちゃっても、構わないんじゃないかと。
むしろ
>>43の様な意味で、「追い求め」生きた者に対してはねその言葉、
あまりにも失礼なんじゃないかなんて、自分は。
…でーもね、大江は天才なんだw
あの、己のうちにどこまでも、愚者を抱え続けるあの力。
まぁ俺としてはでも大江のそういった部分、人間としてはもう本当に、
嫌っているんだけども。だからノーベル賞受賞後あたりから自分だんだんと、
それまではほぼリアルタイムで読んでいた大江の小説をまで、
読まなくなってしまったくらい。それほどに、云っちゃなんだがキモかったw
たしかNHKかなにかで観た、大江のとある発言がさー、俺にとっては。
たまらんよ、あの自覚なきファッショさは本当に。ゾッとする。
>>44の語り口調にゾッとしたのはオレだけじゃないはず
つまりさ、知的強力。
小説というか、やっぱ駄目でしょ、散文をなぶる者が、馬鹿じゃあw
タレントのある、馬鹿ならだから、天才で(笑 英語で云うナチュラルの方。
超えてゆく、ないしは超えてゆこうとするこころざしある者にはけれど
その言葉、ちょーっと似つかわしくはないなんてね、俺はなんとなくだが、
考えているんだ。
あーでも当然だけども、
>>44前段と、大江に対する天才呼ばわりwはその、
意味するところが全く違うのは、読み取ってちょーだいね?(笑
自分でも上手く表現出来ているとは思わないが、そこはほら、
サトリの力とかなんとかでwww
他者に伝わりにくい文章を書いてるうちは
他人に文章の粗を指弾されてもお前は何もわかってないで通せる
つまり煙幕をはってそのなかで自尊心を守るわけだ
他者が存在しなければ、自分を「天才」と信じて何ら差し支えがない、と
こういうの自閉症候群とオレは呼んでる
50 :
トリバレ:2008/04/25(金) 00:34:30
俺に云ってるの?w
…つーかなー俺の場合は、言葉を通して扱っている、部分が違うんだわw
だってさーただ字面だけを追い、文脈を捉えることに汲々とする読み方しか
出来ない人間には初めから、こっちの方で用がないんだもの(苦笑 仕方がない。
けれど俺のこんなと、まぁ一部ではあるが俺がそうあって欲しいと望む者との
間において、一定のコミュニケーションがとれていることは、事実なわけで。
――それで十分。俺はあくまでね、しゃべる代わりに書いてんの、ここでは
それ以外には、ひととコミュニケーションをとる手段がないから。
俺は、俺のデンパwが受信出来ない人間には興味がない。したがってこれで
俺としては、何の問題もない。
だからさー、鬱陶しいから(苦笑 俺にからむなよ能無し。
打たれ弱いな。
そんなんに反応して。
ま、いいけど。
前スレで徹底的に論破された厨房が立てたスレでまともな会話が出来るわけもなく。
作中に登場人物として「天才」を出現させ、かつ生き生きとその天才を描ききった作家は
果たして天才でしょうか?
「神が人を創り給ひぬ」の世界観から言えば、作家は登場人物よりも上位の存在であると
考えられますが、神の死んだ現代においてこのようなモデルをそのまま当てはめた理解は
正当でしょうか?
>>50 絵画の例も混じって申し訳ありませんが、
>>44前半は何かゴッホやランボーに通じる
ところのある「天才」と理解してよろしいでしょうか?
傍目には破滅的であっても、彼らには(一時的にせよ)何かがあって、それをもって
創作を行っていたように思われます。
大江氏の天才性についてはよくわかりません。より技術的というか、方法論的な
次元のお話でしょうか? あるいは意図の発生における仕組みのようなものの
差の問題でしょうか。
ご教授をお願いします。
>ただ字面だけを追い、文脈を捉えることに汲々とする読み方
これはどのような読み方ですか? 他にも何らかの読み方があるのですか?
書を読むとは文字を読むことではないのでしょうか。
>>52 前スレがdat落ちしたようで閲覧できません。また至らぬ話ですが
私は前スレは見ておりませんでした。申し訳ありません。
よろしければ前スレの結論のコピー&ペーストをお願いします。
>天才呼ばわり 呼ばわりだあね、ほんと。
以下24行省略 w
駄長文の厨房がまだいるのかw
>>53 じゃあ、じょうずに神を描いたら神以上か? とかね(笑 ――その件と、
“ただ字面だけを追い〜”にもいくらか係ってくる話ってかまぁもっと
単純に、自分の語り口の特徴としてのそれは、例えば最近の、三島スレへの
自分の書き込みなんかを参考にしてもらえれば。by村松剛なコピペを
受けているやつ。普段は面倒だからwってか、実際どうにも伝え様がない
んで説明なんてやらないんだけど、この場合はたまたま「使える」素材が
あったんで、ちょっとばかし。――別に自分何かを、主張しているのでは
なくてね。単にそれぞれがそれぞれの、「読むこと」の体験の中で気付き、
また培ってきた筈のものを、俺はただ外部からポンッと、つついているだけ
なんだよ。したがってそもそも、初めからそういったアクションに呼応する
「それ」を持たない者には、機能する訳がないという。
もっとも、上記三島スレでのものに関しては、あれは半分強、村松の文章を
「使って」自分は説明しているので、そっちが読めればこっちもと、ゆく筈
なんだけれども(苦笑、例によってで、煽られてるww
もしくはあくまで、一般論としてなら…って、やっぱりこっちでも、
ヒトサマの文章の再利用wで、お茶を濁してみたりw
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1206604006/11 けどね、詩だろと。同じことを確か、前?の三島スレでも云った。
積み重ねていって、でもそんな程度で届くのならば、芸術なんか要らない。
あと大江についてですが、それでも(あんなんでも)、にもかかわらずで、
大江って馬鹿だよなぁ(苦笑)と、云っているだけ。――野蛮と云うか、
愚鈍さの、ゴロッとした塊がでも、彼の内には。
まぁこんな感じっす。
これ以上はさして云うこともないっつーか、絞ってもw
美術について。…忘れてたw でも俺あんま、判んないんだよな。
なんか好きだなーと思ってるのは佐伯祐三とエゴン・シーレ。シーレはねぇ、
坂崎乙郎の本は持ってるんだけど、肝心の画集を買いそびれたwってか買えなかった、
高かったんだよーwww畜生。まぁそれは、良いんだけども。だから音楽で。
けどまぁ佐伯なんていかにもで、それっぽいよね。
マイルスを、天才呼ばわりする気にはならないなー自分は。
彼はねなにより、バンドリーダー。演奏家としては自分、ブルーノートの方の
「It Never Entered My Mind」が好き。――絵は関係ないけど、この曲。
たまらんですばい。たしか、『プリティ・ブライド』でも使われてた様な。
http://www.youtube.com/watch?v=0EPNNcacCRY それっぽいのだとだから、映画『ラウンドアバウト・ミッドナイト』の
モチーフにもなったバド・パウエルや、もちっと新しいところだとやっぱりジャコ、
ジャコ・パストリアスあたりはもろの、いわゆる文壇用語wで云うところの
「破滅型」天才のイメージ、そのまんまっすね。…だからナニとか云われても、
困るんだがw いやーもうデガラシよデガラシw 寝る。
自称天才小説家の卵のこいつになんか言ってやって
やんぬるかな 2008/03/04(火) 18:23:01
校舎に入ると、恭介の中学校の同級生がいた。山岡大紀と酒井亮の二人だ。
二人ともルックスがいい上に、ワックスで髪を立たせ、早くも制服のズボン
を腰パンしている。難関校の生徒にしては珍しいタイプだ。山岡と酒井は恭介
を見つけるやいなや、ニタニタと意地悪い笑みを浮かべながら、恭介のところ
に走りよってくる。「太田じゃねえか。何でお前なんかが田山に受かってんだ
よ」山岡が吐き捨てるように言う。「あーあ、高校でもお前の顔を見て過ごさ
なきゃなんねーのかよ」酒井は髪をかきあげながら、うんざりとした口調で続
ける。 「まあ、高校でもかわいがってやっからよ。覚悟しとけや」酒井は恭介を軽く小突いた後、山岡と高笑いしながら去っていった。
自称天才を評価するスレとは、前スレにくらべて、精神的に貧しくなったなw
61 :
吾輩は名無しである:2008/04/28(月) 11:20:24
天才を生き生きと描くことで作家は何になるか、というと、
天才作家にはなれないにしろ登場人物である天才にかなり近い視点を
手に入れたことにはなると考えられます。
あくまで机上の空論、ほとんど記号的なまでに厳密を極めた論理の文脈での話ですが。
しかしこの考え方では現実・文学両世界とも絶望的状況に追い込まれる危険があります。
よって思考停止します。別の方法をご存知の方はどうか教えて下さい。
>>54 24行省略ですか。ばっさりですね。もったいないです。
ぜひ再現をお願いします。
>>56 申し訳ありませんが、三島スレにおけるあなたのものと思われる書き込みの意味がわかりません。
また提示していただいたスレッドにおけるあなたのレスを見つけ出すことができませんでした。
前スレの結論というのは結局なんだったのでしょうか?
>>2にして出た「いない」という一言がそうなのですか?
ログの最後の辺りは話がほとんどわからないというか、
二転三転してどんどん方向感覚をなくしていく人を見るようで、少し気味が悪いです。
天才は沢山いるね。
色んな天才がいる。
名前が残ってる作家の内、芥川も天才、三島も天才、
現代では春樹も天才、大衆小説にも、他のあらゆる分野にも天才はいる。
名も無い天才だっている。
春樹が天才と言うとまた変な人が何か言ってくるけどw
例えばこういうことを考えてみればわかると思うよ。仮に
自分の話ということにするけれど、一般的な一人の人間として考えてね。
僕は常々、女たらしより優れた人間というのは存在しないんじゃないかと思って、
否そうじゃないとか、やはりそうだとか考えている。やっぱり男だからかもしれないけど、
女の人は大好きで、優しいし、女に比べたら男なんて……と思ってる。だけど
男に睨まれたり、何か淫靡な目で見られたりすると、途端にゲンナリして、家で
引きこもってた方がマシだ、人間なんて居なくなれ、みたいな風に考えが変わってしまう。
だけど紐ともなれば或る種の職業だから、何も考える必要なんか無い、ただひたすら、
知的な会話をして、交代交替に、女の子に快楽を与える事だけに邁進すればいい。
それってすごく偉大な事だと思う。人間として至上の存在である美しい女性、
それもまあ大抵は若い女性、それも殆ど処女ばかり皆に快楽を分け与える、これほど
素晴らしいことはない!
自分には到底そんなこと出来ないなあ。自分はせいぜい、三島みたいにいじいじする位だよ。
結局何にもしてない。女の子を喜ばせてあげるわけでもなく、欲を満たしてあげるわけでもない。
美という観点から見れば、断然紐の方がそれを体現していて、またその意味もよくわかってる。
だからサンタクロースみたいに女の子の寝床に順番に行って、喜ばせてあげて、話し相手
にもなってあげて、相手が自分の事しか考えられなくなる、というようならそれが一番いい
んじゃないかな。
まあ要するに、天才としては、お人好しである事が
その素質として欠くべからざる要素だって事だね。
だから
>>58みたいなのは間違いなく天才じゃないね。
美術は知らないけどマイルスが天才じゃないなんて言ってる時点で
もうおかしい。何でだよ全く。
否寧ろ、異形の者になって、人間じゃない知的生命体のエイリアンみたいになって、
毎晩別の、美しい女性の陰部に潜り込んで寄生体を寄生させて、
女性の淫靡な液体を栄養源にしてそれで100%体が構成されているようになって、
悪を成敗する勇者みたいなのに微塵切りにされて死んで、
己の目的の為だけに生きた存在になるのがいいな。ううん。
来世はそれでいいや。
ok. w
言葉数が増えただけで、質下がってるスレだな。
前スレは難解なことを簡単に語るスレだったけど
今回は、簡単なことを難解ぶって語るスレに変化w
成績悪い子が書いてるんだろうな。
>>68 本当にそうかな?
春樹>三島 とただ言ったりしたら、スルーされるだけだろ。
だからしょうがない。
>>63 あれ、
(嫉妬が原因で)男に睨まれたり、(女に)淫靡な目で見られたり
ってことね。誤解を与えかねないなw
まあ常識的に考えればこうなるわなw
前スレがそんなに大したものとも思わない
もともと天才の定義が曖昧なのが、この手のスレの恒常的な問題
スレのはじめの方に、叩き台としてでも天才の定義を書いておくべきなんだよ
例えば、叩き台のひとつを示すが、澁澤龍彦がだいたいこんなようなことを書いていた
オレ(澁澤)にはボルヘス程度の知的構成による短編は書こうと思えば書ける
だがカフカのような比喩はまず発想できない凡人の想像力を超えるとことがある
是非も含めてこの界隈から始めるのが妥当に思う
ボルヘスって全然知らないけど、今の人はおよそ受け付けないし、
昔の人でも「変人」が読むものなんじゃないかな。
カフカは読んでて「何でそんな物読むの」って言われたけど、
でも読めば頭が良い人と思ってくれそうな位、まだ受け入れられる余地が
残ってそう。
ボルヘスの比喩とカフカの比喩はどう違うの?
カフカって比喩を使ってたっけ? 比喩というより一見関係ないような
何かを形容するための文章なんじゃない?
カフカって難解な表現って出てきたっけ?
ピンボケなこと言ってたらスマンw
>>63 面白いお話をありがとうございます。
天才のあり方の一つとして非常に興味深いですが、同時に大変怖くもありますね。
男女間に限らず人間の関係というのは少なからずパワーゲーム的な性質を持っていると
考えておりますが、セックスもその側面を免れ得るとは思えません。
それを踏まえると本当に恐ろしいお話です。
お人好しとは利他的であることでしょうか。
利他性は数と質のいずれでも測れましょうが、「他」の定義は大変に難しいですね。
音楽の面について言及は避けます。現在やっと最近のロックを知ったところで、
ジャズその他の色の濃いものについてはまったく善し悪しがわからないためです。
申し訳ありません。
>>65 魚の一種に雄がそれに近い一生を遂げるものがいたように記憶しています。
何という名だったかは忘れましたが…雄は雌の生殖器官の中で生きるというような。
勇者が現れ得るのかどうかは存じません。すみません。
>>73 マイルスは遅刻ばかりする人で、お前は邪魔だからこの時は演奏するなとか
そんなことばっかり言って、嫌われたりしてた。
でも何でも自然にやれる人だった。猟奇的にでも斬新にでも、
何もかも承知の上でやるというか。
それって自分勝手、自分本位で利己的と取れなくもないけれど、
本人にとったら自分が自分本位だろうがどうでもよかったんだね。
小説は尚更で、書いてる事に関して気を遣うようだと
天才的といえないし、書くこと以外何をやらせても不甲斐ない、
頭でっかちのパーのどうしようもない奴で、遅刻もするし
感じは悪いし、いつもへらへら笑ってるし、体力もない、とか
そんなんじゃないと、天才的なことが書けない。
……という、それだけの下らない意味なんだけどね……まあいいや。
でも、
>>63は、
「美というのは常に人間の手の届かない理想で儚い物」
ということで、これは考える価値のあるだと自画自賛する。
三島も同じ事を言ってたんだよねw
75 :
70:2008/04/29(火) 01:07:59
>>71 >>72 澁澤がそこで具体的に例示してるのは、カフカの城にでてくる看護婦の手の「水掻き」についてなんだけどね
澁澤は例によって博識からこれを色々解釈しようとするのだけど、どうも落ち着かないみたいな話なんだよ
これエロティックなシーンなのだけれど、ボルヘスや澁澤のようないわばブッキッシュなひとには
こういう書物を介さない直接的なフェチズムの発想は苦手なんだよ
76 :
70:2008/04/29(火) 01:29:39
城じゃないな
審判に出てくるレーニって女性
よくわかんないけど、読んだ時は
「なんか変な話だけどこのままKが
酷い目に遭わされるのかな」
と思ったら、なんかKがモテ出して、しかもそのまま何もならず
(裁判にもならず、Kの罪について問われる事もなく、
物語が進まないで、という意味)終わって、これは
こういうものなのかなと思ったな。
「水掻きのような手」という比喩が思いつかない?
指の間が水掻き?
白い手がきれいだったから、手について考えた、
という位の解釈しか出来ないな。
どういう風に考察したのかさっぱり。
78 :
77:2008/04/29(火) 01:34:45
ううん、わからん
城しか読んでないからw
どういう表現だったか書いてくれないと
語りようがないw
79 :
77:2008/04/29(火) 01:49:39
ああそうか。
天才じゃないんだがまた天才的なことをやってしまった。
要するに五月蝿いから難しい事を言って黙らせよう、ということだったのか。
どっちにしても、このスレで何か話すなら
その内容を引用しない事には始まらない。
>77
確か澁澤のは「思考の紋章学」に載ってる
手元にないまま澁澤の引用は記憶で書いてるが、
仏陀にも水掻きがあるがカフカははて仏教に詳しかったのかしらん?みたいな
それはそれで面白いこと書いてるよ
ある程度の読書量を前提に話すのは文学板の性質上あってしかるべきだよ
一から十まで懇切丁寧に教授するより、議論する以上対等として会話したいしね
81 :
77:2008/04/29(火) 01:56:54
そういう言い方はよくないな
幾ら自分の方が頭がいいからといって、
馬鹿は馬鹿のままで結構だ、という態度で
ただ自分の知識の片鱗を見せているだけでは、
このスレの面白さに少しも寄与しないから、
頭のよさと関係なく非難されてしかるべきだ。
とにかく、カフカは暇つぶしに読むことが出来る位には
平易な文章だと思う。翻訳だからかもしれないけど。
いや、翻訳だから平易などというのがナンセンスかもしれないけど。
82 :
77:2008/04/29(火) 02:01:56
>>80 全然対等じゃないよ
水掻きは、水泳選手だと出来てくるらしいよ。
よく泳ぐ人は水掻きができてくる。
だって難しい文章の考察ってやたらと詳しいから、
言葉を変えたら意味不明になることだってあるし。
次元が違う人の話だな。図書館にあるのかな?
83 :
77:2008/04/29(火) 02:07:52
なんか上がった
>>82 あまり脱線するのもなんだから君へのレスはこれで最後にするけど
知らないと言われたら会話にならないんだよね
それに澁澤もカフカも文庫ででてる
まず知ってからレスするのがマナーと思うよ
オレも読んでない本いっぱいあるけど、未読の本のスレやレスにまでわざわざ突撃しないよ
くちばしはさむけど
>>84 >知らないと言われたら会話にならないんだよね
会話にする気がないだけじゃないの?
読んでんのに内容説明もしないってのも何つうか、
一方的というか何というか。マナー語れるレベルかねえ。
「読んでない方の話は聞かないザマス」という慢心的なものとか、
実はそもそも要約するだけの能がないとか? みたいな邪推とか
何かこう錯覚的に見え隠れする変なものを呼ぶ気がする。
何より話が展開しないからつまんないし。もったいねえな。
>>74 マイルスについて、非常な既視感を覚えました。何かが繋がった感じがします。
ありがとうございます。
>「美というのは常に人間の手の届かない理想で儚い物」
美がいわゆる観念的存在であるならば、基本的に今の観念世界には不可能なことは存在し得ないので、
矛盾とまでは申しませんが何か違和感の残る表現であるように思いました。
美が実在であるならばこれに勝る慢心はないように思います。
そろそろついていけなくなって来ました。しばらくROMに徹します。
お付き合いいただきありがとうございました。
>>85 過去レスである程度文意は尽くしてると思ってる
叩き台を通してオレが語りたかったのは具体例というより、天才と凡才をわける思考パタンみたいなもんだよ
それを具体例がよくわからんからといちいち躓くなら、具体例にあたってもらうより
ほかないと書くしかないわけ
話を展開させるなら、澁澤やボルヘスはマニエリスムという範疇で括れると思う
どれほど文体が豪華絢爛に見えようと、それは過去の引用にすぎないとこがある
しかしカフカはどうにもマニエリスムで括れない
その機微について、ボルヘスがカフカを称してうまいこと言ってる
曰く、天才は先行者を創造すると
今まで見えてこなかった過去との関連が急に見えてくるようになる
眠っていた過去の誘発とでも言うのかな
88 :
77:2008/04/29(火) 02:52:12
>>86 ごめん、解りにくかったか。
理想であって、仮にそれが実現しても、長くは持たないということ。
頭の中にあってさえ、ふとしたことで消えてしまう。幻滅するって事。
実行に移すと消えてなくなるということでもある。
それに、金閣寺が燃やされるように、誰かがそういう美的なことをしていると
他人がそれを許さないって訳でもあるね。
ただ、自分が人間だからどうしようもないけど、仮に自分が人外の異形だったら、
どんな事をしても忌み嫌われるし、それが使命でもあるから、皆をエロくして
人間として使い物にならないようにして、それで満足、てなもんだろうなと思ったり……
なんか倫理的な話と間違えてるんじゃない?
それこそ男女間の恋愛や知的な会話なんて、本に書かれてある事としては
半永久的に存在するけど、長くは持たない。それだけの意味だよ。
そりゃどっちにしても性的なことは嫌な物には変わりないけど、
結婚なんていうのは美からは程遠い。ということは変な束縛が
却って美から人を遠ざけているんだろう。
美に縁のない人、縁のある人、その二者が存在する方が、
皆が皆醜いような、便宜的なことをやるより、
美的観点からすると優れていると思うけどね。
ええと、仏陀が女性的な外見で、水掻きがあったというだけなら
偶然の一致なんじゃないの?
だってよく泳ぐ人には水掻きが出来るんだから。
仏陀のモデルが痩せぎすでよく泳ぐ人で、女の人は手が骨ばってたとか、
そんなことだとも限らないのでは?
89 :
77:2008/04/29(火) 03:01:15
自分より頭の良い人の話は出来るだけ聞きたいな。
自分まで物凄い勢いで頭が良くなるから。
でもブッキッシュな人なんて死滅してるという見方が普通で、
そういわれる人は
「何がブッキッシュだこの馬鹿野郎」
と思ってて、重々承知だけど別にそれがどうということもないので、
何か言うこともない。
そんな状況だって承知してるにも関わらず
「じゃあ喋らなくていい」っていうのは、要するに嫌味だな。
90 :
77:2008/04/29(火) 03:04:46
「馬鹿が多い」と呆れてるのになんで嫌味言うのかw
それとも身も蓋もないような言い方が気に入らないのか。
91 :
77:2008/04/29(火) 03:16:40
カフカの「城」の自分の解釈では、多分こういうことを書いている。
「悲劇的であるはずの運命が、いつの間にか円満な
公務員的な物に置き換わり、現実に飲み込まれ、全てが不確かになり、
Kの存在自体茫洋としたものになり、次第にどうでもよくなっていく」
物凄く簡単な書き方でアホなのが丸出しだけどそれはこの際勘弁して。
何もかもが不確かであることが、悲劇や、恐怖映画さながらの恐ろしさを
思い起こさせる効果をもたらしている。逆に恐ろしい。
これが斬新だったんだね。今はどうか知らないけど、なんちゃって。また怒った?
92 :
77:2008/04/29(火) 03:36:36
コナン・ドイルによれば天才とは知識を持たない人のことらしいけどね。
このスレでは論外みたいないわれ方をしてるけど、それだってどうか分からないw
93 :
77:2008/04/29(火) 05:30:57
結局
>>88の最後の5行に何の意見も無いけど、
>>84がいい加減な書き方だから、
>>88みたいに意見されるのは当然で、
それに対して詳しく書かざるを得ないだろう、
と思って言っている。
言っちゃったら意味ないけど。でも何も言わないって事は、
やっぱり偶然だったということか。
>>88 詳しい説明をありがとうございます。
幻滅とはなんでしょうか。喪失感でしょうか?
「>実行に移すと消えてなくなる」のは何故だと思われますか?
個物から美的概念を抽出して観念に結晶させることができながら、
何故その逆の操作は困難を極めるのでしょうか。濃度の問題でしょうか。
作家の活動はどちらの操作に当てはまるのでしょうか?
「儚さ」とは時間的な永続性に非常な難があるということでよろしいでしょうか。
以前に少し書きましたが、時間的要素における脆弱性を超えた次元にある在り方の側面
というようなことについてはいかがでしょうか。
「一瞬を永遠にしてながらえていく」術は存在し得ると思いますか?
美は何とどのように関係している/いないのか、私の頭では定義に難があります。
何と関係していても美は美たり得るのではないでしょうか?
そして、だからこそ時には手に入らないと。
赤や青や紫や、無数の名で区別された色彩がこの世にあるわけですが、
美も色彩のようなものではないでしょうか?
何色であれ色彩は色彩、どんなものであれ美は美であります。
しかしこの色彩は一度に一色でしかありえない。どんな微妙な色でもあれる一方で、
同時に補色足り得ることはできない。
性は確実に美の一色でありましょうが、同時に性でない美がありうるように思います。
手が届かず儚いのは美に性的要素が加わっている場合であるせいではないか、
というようなことを考えました。
倫理的なものを絡めて理解しようとするのは私の悪癖です。
御指摘いただきありがとうございます。
>>69 >>87 前スレとの格差が激しすぎだよ。
>>68 自分の学歴あるいは、何らかの評価を思い返してみたら、
恥ずかしい人ばかりが、顔もIDも真っ赤で書き込んでるスレになってる。
IDがないからわからないけど、同一人物が連投してるだけだろ。
>>70は前スレで論破された厨だろ。
>>77みたいなのは使いこなせもしない比喩で、
自分も他人も煙に巻いてるだけだしなぁ。
それと
社会的な、という意味では、春樹>三島はありえても、
文学的な、という意味では、三島>春樹は絶対的だよ。
何とかして三島を否定したい人もいるだろうけど、
(三島≠天才っていう趣旨は前スレで論破されまくってたからね)
比較対象が春樹ってのは文学的に比べない方が良いよ。
春樹が、何度も春樹自身で語ってることだというのにね。
天才的な、という意味にしても、多義的解釈に走っても、一般性がない。
一般的な意味での天才論が語れないのなら、多人数で語る意味はないからな。
独自解釈および私的天才論なら、掲示板ではなく、
自分でサイト作ったり、自分の署名で記事を書いたりするしかない。
このくらいの社会性は、仮にも文学を論ずる板に書き込むのなら、初志の1つとすべきです。
>>95 >>96 いきなり論破とか厨とか言われてもね
きみは、何回も前スレをもちあげてるみたいだけど
結局そこで誰もわからない自分の書いた結論とやらにご執心してるだけじゃないのかな
俺は前のスレで議論ふっかけた覚えもないし(そもそも一回か二回しかレスしてない)、誰の何が論破されてるのか見当もつかんよ
俺はここでまともな議論の発端になればと思って
きっかけを作ってるだけ
だいたい、天才の定義の曖昧さをそれこそまた不思議にも鵺じみた一般という言葉に置き換えて事足りるというのは
思考停止にほかならないと気付くべき
俺が
>>70以来ざっと説いてるのは、一般とやらの思い込みが各自あいまいだから、そこにざっと輪郭ぐらい引いておこうという提案さ
それとも、そんなあいまいな思い込み一般天才談義がお好きで、
それが君の前スレの結論というなら
別にこれ以上君には何も言う気はないけどね
レスはないが、乗りかかった船だし、素描をそれなりに仕上げておくか
すでに目鼻らしきものはそれなりに描いてある
>>70以来の俺の過去レスを編集するなら
A群
澁澤・ボルヘス/ブッキッシュ/マニエリスム/過去の引用
B群
カフカ/直接的なフェチズム/脱マニエリスム/過去の誘発(先行者の創造)
最初の三項あたりまでぼやっとした輪郭で、四項目が肝心の目鼻らしきもの
あまり理解されてないようなので最後を補足するなら、
A群の作品がいくら複雑・晦冥に見えようと、歴史の時間軸にそって
過去の延長として成立している(換言すればそれは過去に回収される)のに対して、
B群は過去に回収されない異物の顕現として歴史の時間軸を可逆的に変容させる
(換言すれば過去を回収してしまう)
なぜそんなことが可能かいうと(それは天才だからというトートロジーは封印しよう)
B群は過去の延長でありながら(それは過去が生んだ作品である)
過去の延長でない異物として存在することで(なのにそれはちっとも過去に似ていない)、
これまでの歴史は歴史上の作品であるはずのB群を含まないという矛盾をかかえることになり
B群を含みこんだ歴史という高次の歴史が要請されるわけだ
つまり過去は「現在」を基点にして組みかえられ別物となる
かくて天才は先行者を創造すると
せめてこの程度のリトマス紙を用意しないと、天才のバーゲンセールになるよ
でもね。
高校生の頃たしかガッコの図書室で借りたアシモフの『神々自身』、
俺すっげー感動して読んでた覚えがあるんだけど、そのときの自分の
頭の中では宮沢賢治の「やまなし」がずっと、リフレインしていて。
…けれど後年、あらためて自分の本として入手したそれを再読した際には、
正直それほどの感動はなかった。『神々自身』この小説自体は、今でも俺は
出来の良い作品だと思ってるし、まぁダブルクラウンだったりもするんだが。
要するにさ、劇場というか、「歴史」なる機能は「どこに」係るのかという。
その、主体はなにか。――俺自身はもうどこまでもオレサマ主義の人間だからw、
「この俺」が、驚くことにしか結局のところ興味はないんだけどね。
100 :
吾輩は名無しである:2008/05/02(金) 17:15:37
100
GET
>>94 色々考えたけど、単なる思い付きに過ぎないし、冗談と思ってもらっても構わない。
しかし
「永続的な美の否定」
「短絡的で衝動的な人間の肯定」
この二つは、表面的符号的にではあるが同じ意味が含まれていると思わない?
物を書いたりするにしても、何かを考えるにしても、似たようなことを誰しも考えるんだろうね。
客観的に見て、面白い共通点だよ。自分で言ってても何だかよくわからないけれど、
肯定でもあるし、否定でもあるというか。結局は肯定となるような迂遠な肯定というか。
それにしてもただの思い付きだね。そういう言い方はよくないけど。
>>101 >「永続的な美の否定」
>「短絡的で衝動的な人間の肯定」
具体的にどのような人間のどんな感情に基づいたどのような行動が当てはまるか、
ということを考えてみようとすると、
上の二者を直結させた姿が自然に浮かんでくるように思います。
しかしそれも浅薄で安直な連想です。何というか、あまりに典型的過ぎるような。
両者に重なる部分があるというところには同意いたしますが、どうもそれが何なのか
うまく捉えられません。
永続的な美の否定は可能なのでしょうか。
それは「その裏側にも永続性の否定を宿さないような刹那の美」と理解していますが、
曲解が過ぎているのでしょうか、どうも具体的なところが思いつきません。
それとももっとシンプルに、この世に美なるものは無いという考え方でしょうか?
>>98氏の呈された「リトマス紙」は面白いですね。とてもよく出来ていると思いました。
この試験紙に反応のないものについてはどうでしょう。他にも試験紙はあり得るのでしょうか。
>>99氏のような主観や主体を用いるのは
避けられない道でありながらなかなかにリスクが高いと思いました。
最初にして最後の手段にとっておきたいものです。
残念なスレですねw
残念なのはお前のレスだろ
106 :
吾輩は名無しである:2008/06/11(水) 19:46:05
花村萬月は天才だと思う。
存在についての言及だったんだがな。
だーから、サイドマン連中のソロ聴けよっていうw
どれも本当につまんねぇから。
108 :
吾輩は名無しである:2008/10/28(火) 00:55:53
あげ
前スレが懐かしいなぁ
例えば、叩き台のひとつを示すが、澁澤龍彦がだいたいこんなようなことを書いていた
オレ(澁澤)にはボルヘス程度の知的構成による短編は書こうと思えば書ける
だがカフカのような比喩はまず発想できない凡人の想像力を超えるとことがある
また何をもって天才とするかって話しか?
澁澤程度では他人に天才・非天才のレッテルを貼る資格がないことが見事に露呈しているw